2017年08月22日

読書雑記(204)白川紺子『下鴨アンティーク アリスと紫式部』

 連作となる《下鴨アンティーク》の第1弾『下鴨アンティーク アリスと紫式部』(白川紺子、集英社オレンジ文庫、2015年1月)を読みました。ライトノベルと言われている分野の作品です。

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 作品の発表時期が前後するものの、すでに第3弾を読んで「読書雑記(189)白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』」(2017年01月09日)を書きました。さらに最初から読んでみたくなったので、本書を手にしました。

 [iTunes Preview]から内容紹介の文章を引きます。

【集英社オレンジ文庫創刊!】アンティーク着物をめぐるミステリー。京都、下鴨――。高校生の鹿乃は、旧華族である野々宮家の娘だ。両親を早くに亡くし、兄の良鷹と、准教授をしている下宿人の慧と三人で、古びた洋館に住んでいる。アンティーク着物を愛する鹿乃は、休日はたいてい、祖母のおさがりの着物で過ごす。そんなある日、「開けてはいけない」と言われていた蔵を開けてしまう! すると、次々に不思議なことが起こって…!?



■「アリスと紫式部」
 虫干しを契機に、蔵の中の着物を確認していて、鹿乃は不思議なことに巻き込まれます。源氏車が、少し時間が経ってから見ると壊れた絵になっていたのです。
 同居人の慧は兄の同級生で、今は私大の准教授です。その慧が相談相手です。
 その着物を持っていた人にまつわる愛憎劇が炙り出されます。そして、話は「あべこべ」の謎解きに。
 『源氏物語』の「葵」巻での内容がヒントです。
 壊れていた源氏車が元に戻ったという説明は、理屈としてはわかります。しかし、私には具体的にその直ったということがイメージとして描けませんでした。理屈が先行していて、無理があるように思います。何度かこの最後を読み直した今も、そのようには読みきれませんでした。完成度は高いと思いながらも、この点で不満が残っています。【3】
 
■「牡丹と薔薇のソネット」
 女子高生が活写されて始まります。
 長襦袢から声が聞こえる怪。その背後には、シェクスピアのソネットに託したラブレターがありそうです。何ともアカデミックな設定です。ただし、盛り上がらないままに話は次へと引き継がれます。
 ここでは、人間関係が丁寧に語られています。そして、お祖母ちゃんの日記が話題として提示されます。長期連載のためには、こうしたつなぎの話が必要なのでしょう。【1】
 
■「星月夜」
 お祖母ちゃんが17歳の時に書いたという日記が、話を推し進めていきます。蔵の中にあるお祖母ちゃんの着物探しの始まりです。
 お祖母ちゃんの日記に書いてあることをなぞるように、物語は綴られていきます。
 夜空に星が瞬くのを2人で見た話が、本話のポイントです。しかし、このネタは、日記の話を引用する体裁を取らなくてもよかったのではないか、と思いました。謎解きが理屈っぽくなっているからです。鹿乃と慧との話として語った方がよかったのに、と思っています。【1】
 
 
 
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2017年08月21日

京洛逍遥(458)京大病院がある聖護院地域での長かった一日

 朝早くから京大病院へ診察に行きました。
 病院の玄関から東を見上げると、先日の京都五山の送り火でみごとな「大」の字を浮かび上がらせた如意ヶ岳の大文字が見えます。また来年の勇姿を楽しみにしましょう。

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 今日は、皮膚科と糖尿病内分泌栄養内科の2つが組まれています。
 まずは採血から。一時間後に結果が出て、それによって糖尿病に関する診察があります。
 今日の採血では、いつもと違って針を刺された腕が痺れました。いろいろな手術を私は経験しているので、これくらいは大したことはありません。痛くないですか? と聞かれたら、「痛いです」と答えようと思っていました。しかし、こんな時に限って聞かれることもなく、試験管の本数が多くなっていきます。5本の管に、血液がたっぷりと吸い込まれました。これまでにない痛さだったのは、針の位置に加えて、体調もあったかと思います。

 血液検査の結果が出るまでの間に、皮膚科に行きます。
 今日で、右足の疣の治療は終了となりました。きれいになったのです。
 昨年の初夏からなので、約一年半かかりました。疣は恐るべし、ということを実感しました。ただし、昨年の7月に剥離骨折をした左足首が、いまだに不調です。これは皮膚科とは関係ないので、自然におさまるのを待つしかないようです。最初に診てもらった整形外科の対応に問題があったのではないか、と勝手に思っています。

 糖尿病栄養内科では、いつものように血液検査の結果をもとにして、詳しい説明を伺いました。腎臓も肝臓も問題はありません。ただし、今回初めて、肝臓に疾患がある場合に血液中で上昇する物質である「AST(GOT)」と「ALT(GPT)」のうち、「AST(GOT)」だけが少しだけ高い数値を示していました。これについては、以下のことが原因とされているようです。

アルコールを過剰摂取していないか
肥満ではないか
最近内服を始めた薬やサプリメントなどがないか
過度な運動を行っていないか


 いずれも、私にはあてはまりません。
 基準値をオーバーしているといっても、数値で1だけのオーバーなので、特に問題はないようです。

 さて、一番の課題であるヘモグロビン A1cの値です。
 この前の4月が「7.1」、6月が「7.6」と危ない状況になり、今回が「7.4」なので、少しだけ下がっています。例年、初夏から高くなり、8月から秋口にかけて下がる傾向があるので、また次の10月の様子を見ることになりました。今、特に何かがあるということではないようです。消化管を持たない私は、血糖値が高めなのはどうしようもないことのようです。合併症に気をつけることが肝要です。その兆しは、微塵も感じられません。今気になっているのは、加齢による老化の諸症状だけです。

 体重が50キロにならないことについては、無理に体重を増やそうとすると血糖値が上昇しがちなので、このままの食生活でいいのではないか、ということでした。昨日の体重は48.8キロです。しばらくは、懸案の50キロを目標にすることに拘らないことにします。到達目標を下げます。

 2つの科の診察が終わってから会計のところへ向かうと、「ここが最後尾」という札を持った方が入口のホール近くにおられて驚きました。とにかく、長蛇の列です。一時間弱の待ち時間だとのこと。精算にはそれ以上の待ち時間があるので、その間に病院の前の薬局へ処方箋を持って行きました。
 ここでも、30分以上は待たされます。これに痺れを切らして、かつて別の薬局へ処方箋を持って行って対処しようとしたことがあります。ところが、薬局へ行くタイミングを失してしまい、再度処方箋を書いてもらったことがあります。そのため、何時間かかっても、診察が終わって精算するその日の内に薬を受け取ることにしています。

 今日は、さらに時間がかかるようなので、この空白の時間を利用して、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉に関係する書類のことで、この聖護院地区に集中している2つの役所へ行くことにしました。
 病院のすぐ東側の荒神橋の袂にある京都地方法務局では、NPOの資産と役員再任の登記に関することで対処してもらいました。あらかじめ予約をしておいたので、迅速に終わりました。丁寧な説明をしてくださいました。ありがとうございます。

 この荒神橋の柱には、「荒神橋」と「くわう志ん者し」と刻まれています。この「荒神橋」と刻まれた柱の左後に、如意ヶ嶽の大文字が見えています。

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私は、「はし」が「者し」と変体仮名混じりで刻まれることが多い点に注目しています。今のところ、そこに法則性が見いだせないので、とにかく事例を集めているところです。

 次に、法務局から自転車で丸太町通りを東へ走り、平安神宮の北側にある左京税務署へと移動します。NPO法人の税金に関して相談をもちかけると、ここでも親切な対応をしてもらいました。そして、申告するものがないことを確認できました。今後とも、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が幅広い事業展開をするようになれば、ここのお世話になることになります。そのように活躍の場が拡がることを楽しみにしたいと思います。府税に関しても問題はないでしょう、との判断を時間をかけて点検してもらいました。税金に疎い私に、懇切丁寧に説明してくださった署員の方に感謝しています。

 その後、また病院に戻っていろいろな対応や手続きをして、夕方になってやっと今日のスケジュールが終わりました。丸一日が、こうした時間に費やされることは、毎度のこととはいえ、粘り強い忍耐を強いられることです。今後は、段取りよく物事に対処することで、限られた時間をさらに有効に使いたいとの思いを強くしました。
 それにしても、こうして病院で身体のことでチェックをしていただき、特に問題がないことを確認できたというこことは、明日も引き続き生きていていいという安堵の思いにつながります。何かと不安を抱える身体とのお付き合いをしていると、こうして一日一日生きていられる時間が延びていくことは、何ものにも代えがたい嬉しさでもあります。これまでのように、元気だった頃のようには、思うように仕事が捗ってはいません。しかし、明日があるということは、もう一歩でも仕事が捗るということです。与えられた幸運を、さらに次へとつなげていきたいと思っています。
 約束の仕事をなかなか終えることができず、多くの方にご迷惑をおかけしています。身体が動く限り、自分なりの優先順位の中で、すべきことをこなしています。自ずと、スローライフになっています。こんな状況にあって、痩せ細った身体を労り、抱えてのことなので、今しばらくお待ちください。
 
 
 
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2017年08月20日

京洛逍遥(457)日本料理と[洗い茶巾]でのお点前のこと

 盛りだくさんだった昨日の地蔵盆で、お昼の食事と私のお点前のことを書いていませんでした。
 昼食は、地下鉄烏丸線の北山駅と松ヶ崎駅の間にある、日本料理の「北山 そわか」へ行きました。
 お店の外観が印象的です。

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 店内も小綺麗で、季節感に溢れた日本料理屋さんです。

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 お刺身の後にも、いろいろと出てきます。

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 鯛のあら炊きと京野菜には、夏の終わりを感じました。

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 食後は自宅に帰り、私が薄茶を点てました。この前から練習している[洗い茶巾]のお点前で、みなさんに一服差し上げました。水の音をさせながら、何とかそれらしくできました。

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posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年08月19日

京洛逍遥(456)地元の地蔵盆に初めて参加

 近所の公園では、お地蔵様が遊んでいる子供たちを、いつもこっそりと見守っておられます。

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 今日は地蔵盆です。これが関西特有の行事であることは、先日の「丸善での講演会「京都の伝統文化 地蔵盆の歴史を知る」に行って」(2017年08月12日)に書いた通りです。

 町内会では、地蔵盆のことを知らせる回覧が、月初めから回っていました。

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 今日は、朝の9時から夜の8時過ぎまで、盛りだくさんのイベントが組まれています。お経をあげてくださる御師さんは、壬生寺からいらっしゃいます。

 公園の東端におられるお地蔵様の前では、地蔵祭会場の準備が進んでいます。

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 上の写真の右端にお地蔵様の祠があり、左側にフリーマーケットの品物が拡がっています。
 お地蔵様の前で数珠回しが始まりました。主役は子供たちです。

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 娘たちが孫を連れて来て参加しました。一人前に、数珠回しに飛び入りで参加です。この子の名前入りの真新しい提灯は、テントの上から吊り下げられています。

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 役割分担も、きっちりと決まっています。

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 数珠回しが終わってからも、子供たちはお地蔵様に感謝していました。

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 とにかく、大盛り上がりです。子供たちはたくさんのおみやげをもらって大はしゃぎ。最後は、大人の花火を見てから、一人ずつが花火をもらって大満足。

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 その盛り上げに奔走しておられる役員のみなさんの奮闘ぶりを見て、町内会の役割をあらためて教えていただきました。ありがとうございます。
 京都にある一万体のお地蔵様は、それぞれに大切な役割を果たされたことでしょう。また来年が楽しみになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年08月18日

久しぶりに泳いだら肩がゴギッと音がして

 この前に泳いだのはいつだったのだろう、と思ってブログを検索すると、なんと2015年11月末日にアップルストア銀座の裏にあるコナミスポーツクラブだったことがわかりました。いや、その後ここは閉店したので、「アップルストア銀座の裏にあった」と言うのが正しいのですが……
 来月から大学では後期がスタートします。その前に、引っ越しでいまだに大変なことになっている文書のファイルや画像データの整理をしていました。すると、コナミスポーツクラブ銀座の入口に、「閉店のお知らせ」という紙が張られている時の写真が見つかりました。銀座に出かけた時、コナミの後が気になり、懐かしさで立ち寄ってシャッターを切ったのでしょう。
 入って正面に、受付カウンターがありました。右手がジム、左手がスタジオ、地下にプールがあったことが思い出されます。

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 夜の銀座で泳いだあの時から、かれこれ2年近くも間が空いています。本当に久しぶりの水泳でした。
 まずは、ジムでマシンを使った筋力トレーニングから始めました。あくまでも軽めです。ジムで一汗かいてから、プールに移動しました。かつてのように多くの人がいます。ただし、年齢層がそうとう高くなっていることが、すぐにわかりました。ジムでは、若い方を見かけました。しかし、このプールでは9割近くが高齢者です。賑わっていても、若者たちの活気とは違うものです。
 それはさておき、ウォーミングアップは水中ウォーキングからです。右足首はもう完全に違和感はありません。左足首は、一年前の剥離骨折がいまだに影響していて、ときどき痛みます。今日も、水中ウオーキングをしていた時に、左足首に違和感を覚えました。自分の足ではないような感触でした。
 水の中を歩いていると、銀座のコナミでクラブのママさんと覚しき方が、日本舞踊の手の振り付けを練習しながら、優雅に歩いておられたことが思い出されます。水面すれすれに手がひらひらと舞っているのです。なかなかの見物でした。
 その方と、帰りがけにチェックアウトカウンターで出会ったことがあります。水着姿から一転して清楚な着物姿という一大変身には、黙礼のあいさつはしたものの、私には戸惑いしかありませんでした。まったく異質な世界の方になっておられたのです。
 閑話休題
 水中ウォーキングで水に慣れたところで、早速クロールで泳ぎだしました。ところが、数メートルも進んだ頃だったでしょうか。右肩の関節が「ゴギッ」と音を発しました。25メートルまではそのまま軽く流して、後は平泳ぎでおとなしく泳いでいました。
 水から上がって、スチームサウナとジャグジーでゆっくりと肩を温めました。その後も、特に肩に違和感がなかったので一安心です。数年来の運動不足で、身体がそうとう硬くなっているのでしょう。これから、すこしずつ柔らかくしていきます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:41| Comment(0) | 健康雑記

2017年08月17日

「犬文字焼き」という新聞記事に違和感を持ちます

 昨日の京都五山の送り火を見終え、今朝の京都新聞を見て気になり出しました。
 「各地でユニーク大文字=vという囲みの見出しのもと、次の小見出しの記事があったからです。

秋田
「犬」文字焼き
夜空に浮かぶ


 電子版のカラー写真によると、この様子がよくわかります(【 2017年08月17日 11時57分 】)。

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 新聞に掲載された記事を引きましょう。

 秋田犬発祥の地とされる秋田県大館市で16日、伝統行事「大文字焼き」の「大」の字を「犬」に変えた「犬文字焼き」が行われた。燃え上がる大の字の右上に、点の代わりとなる赤色のハートが現れ犬の字が出来上がると、観客は歓声を上げた。
 午後8時ごろ、市の東に位置する鳳凰山に、一画が最大約180メートルある大文字が現れた。その後、発炎筒約200本で形作ったハートが浮かび上がった。
 大館市観光課によると、今回の「犬文字」は、先祖の慰霊と市民の無病息災を願う恒例行事「大館大文字まつり」が50回目となるのを記念して企画した。2009年に、同市生まれの「忠犬ハチ公」が題材の米国映画が公開された際に行って以来、2回目。(引用者注・この段落は電子版にはないものです。この部分をカットすることに、記事を書いた方は了承なさっているのでしょうか?)
 今回の実施に関しては、開催を発表した7月以降「先祖慰霊の行事で遊んではいけない」などと反対する意見も数件あったが、実行委員会の担当者は「賛成の声が多かったため開催した」としている。


 昨日の記事にも書いたように、13日のお盆の迎え日(お盆入り)にご先祖様が我が家に帰って来て、16日の送り日(盆明け)に帰って行くと、私は思っています。そして、その道案内をオガラの火煙がしてくれるという理解をしています。

 昨日も、京都五山の送り火を妻と一緒に見ながら、賀茂の河原で、お互いの父と母の思い出を語り合いました。思い出すのも供養、ということです。

 上記の新聞記事による限りは、新聞という1つだけの情報源なので、実際にはどうかはわかりません。しかし、写真にもあるように、「犬」という文字が鳳凰山に炎で浮かび上がったことは確かなようです。

 両親がそうだったように、私も犬がそんなに好きではないことはさておき、家でオガラを焚いて見送る代わりに五山の送り火に託して、帰ってこられたご先祖様を見送るつもりで、山に刻印された火を見上げています。その時に、「大」が「犬」になっていたら、伝統的な行事の中に個人の想いを溶け込ませているのに、ふざけたことをして祈りの気持ちを壊さないでほしい、と思うはずです。

 記事によると、末尾に次のように記されています。

今回の実施に関しては、開催を発表した7月以降「先祖慰霊の行事で遊んではいけない」などと反対する意見も数件あったが、実行委員会の担当者は「賛成の声が多かったため開催した」としている。


 これは、どのような方法で得た情報に基づく判断であったのか、大いに疑問です。反対が「数件」、賛成の声が「多かった」というのは、非常に主観的です。実際には、どのような方々に、どのような方法で確認されたのでしょうか。
 実行委員会によるマスコミ受けを狙っての、初めに結論ありきの企画だったのではないか、と私は思います。
 日本の伝統的な文化が、しだいに崩壊していきます。地味にコツコツとこれまで続いたことを受け継がず、受け狙いでおもしろおかしく手を加えていく風潮に引きずられたのではないでしょうか。

 この、秋田県大館市の伝統行事「大文字焼き」の実行委員会がどのような方々で構成されているのかは知りません。しかし、この「大」を「犬」にした判断に対して、私は理解不足と迎合から生まれた伝統文化の破壊行為の始まりを見たように思います。

 この秋田の記事に続いて、「送り火にLED 山梨、安全考慮で初」というものもありました。
 まずは、電子版に掲載されていたカラー写真(【 2017年08月16日 19時35分 】)から。

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 山梨県笛吹市の送り盆の行事「甲斐いちのみや大文字焼き」で16日、火の代わりに「大」の形に並べた発光ダイオード(LED)が点灯された。火をともす足場が風雨で滑りやすく、安全性を考慮して今年から切り替えた。同市観光商工課は「送り火のLED化は全国でも珍しいのでは」としている。

 甲斐いちのみや大文字焼きは、江戸時代に行われていたものを1988年に再開。実行委員会などによると、昨年までは山の斜面に木で組む井桁で火をともしていたが、延焼しないよう見守るスタッフを置く斜面は、足場が不安定だった。
 (引用者注・以下は電子版にはないものです。この部分をカットすることに、記事を書いた方は了承なさっているのでしょうか?)使用したのは直径約40センチのLEDライト44個。「大」の横棒の長さは56メートルで、従来より一回り小さくなったという。
 家族で見に来た笛吹市の会社員田巻雅史さん(30)は「物足りなさも感じるけれど、火災の心配がなくなったのはいい」と話した。


 すみません。これも時の流れだとしても、ご先祖様が道標とする煙がないのでは、安住の地(?)であるあの世に無事に行き着けるのか、他人事ながら心配になりました。
 LEDのライトは、あの世まで届くだけの光量があるのでしょうか。「白熱電球100W相当」ルーメンが限界だとか、生物の生態系にも影響するというニュースを見たことがあります。素人考えながら、LEDは直線的に進むと思っているので、夜空のどこに向けてのものだったのかも、どうでもいいことながら気になりました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:14| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年08月16日

京洛逍遥(455)快晴の中で京都五山の送り火-2017

 ここ3年間の京都五山の送り火は、悩ましい雨の中での点火でした。
 今日は快晴で、いつものように出雲路橋の南から拝みました。
 以下に掲げる写真のように、大文字、妙・法、舟形の4つをきれいに見ることができました。

 まずは、京都大学の裏の大文字が点火され、消えゆくまでです。

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 帰り道に、松ヶ崎の「妙」と「法」が、民家の屋根越しに、文字の上の部分だけが見えました。

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 さらに出雲路橋の上からは、西賀茂の船形も見えました。

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 昨年は大変でした。今年は満腹です。
 このブログを書き始めてからこれまでの、9年分の大文字の送り火の記事を一覧にしておきます。
 毎年、こうして如意ヶ岳を見上げて、ご先祖様を見送っていたのです。
 今年も無事にお見送りできました。
 さて、今年度の後半に向けて、また前に向かって歩いて行きます。

 京都新聞のニュースによると、京都府警の発表では今日の人出は、昨年より5万人多い8万人だったそうです。
 確かに、海外からの人がいつもよりも多いようでした。

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■過去9年間の送り火の記事一覧■

 (各記事の中のリンクは未整理です)

「京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-」(2016年08月16日)

「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)

「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)

「京洛逍遥(284)京都五山の送り火 -2013-」(2013年08月16日)

「お墓参りと大文字の送り火-2012」(2012年08月16日)

「銀閣寺山門前で大文字の護摩木を志納」(2012年08月15日)

「京洛逍遥(196)京都五山の送り火を考える-2011」(2011年08月16日)

「京洛逍遥(156)大文字の送り火-2010」(2010年08月16日)

「京洛逍遥(99)大文字の送り火2009」(2009年08月17日)

「京洛逍遥(45)大文字の送り火」(2008年08月16日)
 
 
 
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2017年08月15日

今年のお盆でもお元気な養林庵の庵主さん

 今年も8月13日夕刻に、オガラを焚いて迎え火をしました。ご先祖さまは、この煙を道標にして帰って来られます。今年は次男が焚き上げてくれました。おばあちゃんから話を聞ながらやったことがあるそうです。

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 今日15日のお昼前には、いつものように養林庵の庵主さんが来てくださいました。養林庵は安土桃山時代に創建された尼寺で、先月から始めた『源氏物語』の古写本を読む会の会場である「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)のすぐ北にあります。

 般若心経に始まり、丁寧にお経をあげてくださいました。歳を忘れるほどにお元気です。

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 お膳は、これもいつものように長男が朝早くから来て作ってくれました。庵主さんがいつも褒めてくださる、本格的な和食のホカホカと湯気の立ち上る御膳です。
 木魚は、両親が満州に持ち出し、終戦後は母が引き上げの際にリュックに忍ばせて持ち帰った、あの戦禍を潜り抜けた年代物です。百年を経てのいい音がします。
 左下の赤いものが、孫の名前を記した、地蔵盆で吊す提灯です。
 左手後ろに掛けてあるのは、西国三十三所札所巡りで集印した、ご詠歌のお軸です。私がガンの告知をうけてすぐに石山寺から回り始め、4ヶ月で満願となったものです。お盆や法事の時に掛けています。

「西国三十三所(36)満願の華厳寺」(2010年11月07日)

「西国三十三所(37)大本山永平寺で結願に」(2010年11月08日)

 毎年恒例の行事とはいえ、こうして変わらずにお盆でご先祖さまをお迎えすることができることを、ありがたく思っています。
 読経の後は、庵主さんがいろいろなお話を問わず語りにしてくださいました。こちらの方が、これから回られるお時間を気遣ったほどです。いつも心を開いて、ご自分のことや世相の移り変わりについてお話をなさいます。これも貴重な出会いによる縁だと思っています。
 午後は、河内高安にあるお墓、信貴霊園へ行きました。
 途中、鶴橋の回転寿司屋「海幸」でお腹を満たすのも、我が家のお決まりのコースです。
 霊園に着く頃には、少し雨がぱらついていました。

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 今年も、私が小学校6年生の頃に住んでいた借家の大家さんと、ばったりとお墓で会いました。我が家が大変だった頃、お世話になった方です。植木職人で河内音頭の音頭取りをなさっていたお家が、裏小屋を改装して一時的に貸してくださったのです。四畳半の畳の部屋と三畳の板の間の2部屋で、私のたち家族4人が暮らしました。大阪市内の六畳一間から移ってきたので、贅沢な生活だと思っていました。お風呂は、大家さんの家に上がって使わせてもらっていました。まだ電話がない時代です。生ものは、木の箱の上段に氷を入れるタイプの、冷氷箱とでもいうものに入れていました。
 2、3年お世話になっただけなのに、私をよく覚えてくださっていて、今年も見かけてすぐに声を掛けてくださいました。ここでも、人の縁というものを実感します。
 幸い、帰る頃には雨はあがっていました。
 
 
 
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2017年08月14日

藤田宜永通読(29)藤田宜永『タイホされたし度胸なし』

 『タイホされたし度胸なし』(藤田宜永、光文社文庫、2002.7.20)を読みました。

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 文庫本の帯には、「軽みのなかに深まる謎。人間心理を衝いた快作。」とあります。
 あまりにも軽い話に終始するので、つい読み飛ばしてしまいました。ただし、登場人物の設定はユニークです。藤田の初期には、こうしたフッと気を抜いたものがあります。今回は藤田作品を読み直しているので、2回目となります。しかし、この内容はまったく記憶にありませんでした。エピソードすら何も覚えていなかったので、前回も軽く読み流したのでしょう。
 藤田の持ち味の一つとして、軽妙と言えば聞こえはいいものの、読者としては気の張らないだらだらと読める物語があります。現実離れした、おもしろおかしい作り話で、肩の張らない作品です。それでいて、推理小説らしく筋道は辿れるようになっています。
 人間の心理を何とか描き出そうとしています。その読後感は、吉本新喜劇を見終わった時によく似ています。その作り話の中に、少しだけ謎解きが盛り込まれているのです。
 藤田の気ままなお遊びに付き合わされた、と言うのが読み終わっての実感です。明るさが取り柄と言えばいいのでしょうか。【1】

 本書は「長編ユーモア謎解きミステリー」という分野に属し、藤田宜永が1988年に講談社ノベルスから刊行し、その後に光文社文庫に収録されたものです。
 これまでに本ブログで取り上げた藤田宜永の初期作品で、本作『タイホされたし度胸なし』までのものは次のとおりです。

1986年10月「藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』」(2013年08月08日)

1987年4月「藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』」(2013年08月28日)

1987年5月「藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』」(2013年08月31日)

1988年1月「藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』」(2014年09月23日)
   6月「藤田宜永通読(22)『モダン東京3 哀しき偶然』」(2015年02月09日)
   8月「藤田宜永通読(23)『ダブル・スチール』」(2015年08月18日)
   9月「藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』」(2016年06月14日)

 
 
 
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2017年08月13日

京洛逍遥(454)第30回 下鴨納涼古本まつり -2017

 今年も下鴨神社の糺の森では、お盆の時期に恒例となった「下鴨納涼古本まつり」が開催されています。今年は30回目で、今週16日(水)までです。

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 40の書店が持ち込む80万冊の本が並ぶ姿は壮観です。

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 しかも、子どもたちに本をいっぱい読んでもらおうという思いを込め、児童書や絵本が1万冊もあるのです。ぬりえ大会、紙芝居、絵本の読み聞かせと、子供を意識したイベントが盛り沢山です。

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 千古の森である糺の森を流れる御手洗川は、子供たちにとっての水遊び場と化しています。

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 とにかくお店が多いので、ブラブラと流して歩くしかありません。
 伊井春樹先生からは、探し求めていると本の方からおいでおいでをしてくれる、と教えられてきました。これまでの本との出会いを信じて、ひたすらキョロキョロと眼球運動に専念します。
 我が家は木造なので、原則は買いません。ここは、探していた欲しい本、引越しで処分した本、などなど、本との出会いと別れを楽しむ空間です。過去から現在へ、そして未来へと想像が膨らむ時間の中に身を置く場所です。本のお世話になって今に至っていることを実感するのです。

 今春の引っ越しで思い切って捨てた本に、数万円の値札が付いているのを何冊か見かけました。無念さが蘇ります。しかし、それも本との縁なので、ここはその諦めの場でもあります。

 今年これからの古書市は、次のものが予定されています。時間を作って、また行くつもりです。

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posted by genjiito at 18:09| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年08月12日

丸善での講演会「京都の伝統文化 地蔵盆の歴史を知る」に行って

 丸善京都本店で開催された、「村上紀夫先生 講演会 京都の伝統文化 地蔵盆の歴史を知る」に行ってきました。会場となった丸善は、梶井基次郎の『檸檬』に出て来ることで知られているお店です。精算所の横には、『檸檬』の記念スタンプや手拭いが置いてあります。

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 村上氏の新著『京都 地蔵盆の歴史』については、一昨日の本ブログ「読書雑記(203)村上紀夫『京都 地蔵盆の歴史』」(2017年08月10日)に書いた通りです。
 この講演会は、『京都 地蔵盆の歴史』の刊行を記念して行われたものでした。この本については、丸善のホームページには次のように紹介されています。


『京都 地蔵盆の歴史』

毎年地蔵菩薩の縁日である8月24日頃に京都の各地で実施される年中行事。「お地蔵さんが子どもを守る」という理解から、子どもたちの祭りと一般的には認識されている。京都のみならず、近郊の大阪・滋賀などでも実施されているが、京都で特に盛んに行われていることから、京都の盆行事の特色とされ、京都の都市文化を知るうえで欠かせないものと言えるが、これまでその歴史研究は皆無であり、本書は地蔵盆の歴史研究に初めて本格的に取り組んだ1冊といえる。

<著者紹介>
村上紀夫(むらかみ のりお)
1970年愛媛県生まれ。大谷大学大学院文学研究科博士後期課程中退。博士(文学)(奈良大学)。現在、奈良大学文学部准教授。著書に『近世勧進の研究』(法藏館、2011年)、『まちかどの芸能史』(解放出版社、2013年)がある。


 本日の講演会では、スライドで市内のお地蔵さまを映し出し、現在行われている地蔵盆の様子なども説明しながら話は進みました。
 平成25年のアンケートでは、京都での地蔵盆は79パーセントが実施しているそうです。東山区では90パーセントとも。
 また、京都中にお地蔵さまは1万体もあるそうです。京都では、警察官の数よりもお地蔵さまが多いし、コンビニや郵便ポストよりもお地蔵さまが多いということも驚きでした。
地蔵盆は、京都を中心とした限られたものであり、歴史的な研究はまったくなかったそうです。
 配布された資料は、A4版3頁分です。お話はキビキビとした歯切れのいい口調で聴きやすく、楽しく語ってくださいました。最後には、質疑応答が30分にもわたってありました。参加者の問題意識が高かったこともあってか、難しい質問が多く出ました。奈良や大阪の例に始まり、青森にも地蔵盆があることは意外でした。
 その質問の中でも、主役であるはずの子供の姿が、著書にも今日の話にも語られなかったことについては、私も疑問に思っていたことでした。村上氏の回答では、歴史的に意義のある資料に基づいての考察であり、著書の内容も大人が記した文献によっての成果なので、女性や子供たちの姿が見えないものとなっているのは確かである、とのことでした。子供たちは文献としての文字の上からは語り手にはないとしても、地蔵盆の時にはお地蔵さんの回りを飛び跳ねながら楽しんでいたはずであり、今も楽しみにしているので、今後は女性や子供たちの存在も浮かび上がるようにしたい、とおっしゃっていました。
 この地蔵盆については、今後ともいろいろなことがわかっていきそうです。楽しみなテーマだと思いました。
 今日は私の町でも、朝から地蔵盆の会場となる公園の掃除がありました。まさに今、タイムリーな話題でもあり、多くの刺激をいただきました。
 私が住む町内会の地蔵盆は19日なので、またその時にこのことについて書きましょう。

 なお、これまでに本ブログで取り上げた地蔵盆に関する記事は、以下の2つがあります。参考までに引いておきます。

「京洛逍遥(337)下鴨神社の盆踊りと地域の地蔵盆」(2014年08月23日)

「京洛逍遥(158)上善寺の小山郷六斎念仏」(2010年08月23日)

 
 
 

posted by genjiito at 22:31| Comment(0) | ブラリと

2017年08月11日

[洗い茶巾]のお稽古の後、スマホのトラブルに対処

 猛暑の中、お茶のお稽古で奈良に行きました。
 前回に続いて、丸卓を使った洗い茶巾を覚えようとしています。
 お盆のお客様にお茶を、と思っているので、非常に具体的な想定のもとでのお稽古です。
 それにしても、今日は、どうも良くありません。記憶と気力と動作が噛み合いません。もっと予習をしてからお稽古に行くべきでした。
 一通りおさらいをして確認をしたので、家でまた練習をして、お盆の本番に備えたいと思います。

 お茶のお稽古の帰りに、コンビニの支払いでiPhone のApple Payが使えなくなっていることに気付きました。よく確認すると、 iPhone で使っている Apple Payで、登録していた3種類のカードがすべて消えているのです。
 Suica は、先週の木曜日に駅の自動販売機で使いました。あと2つはクレジットカードです。
 消えた理由と、カード復活の方法、そして登録していたカードが悪用されないかが心配になりました。
 時間は午後7時。京都駅前の au ショップならまだ間に合うので、大急ぎで駆け込みました。閉店まで1時間あります。お店の方に事態を説明し、相談しました。すると、それはアップルの問題だということです。しかも、親切にもお店からアップルに電話をかけてくださり、店内で電話越しにアップルの担当者からサポートを受けました。
 電話による対応は、途中からスペシャリストの方に代わっての対処となりました。
 ちょうど1時間で、私が困っていたことはすべて解消しました。

(1)消えた理由
 先日の4日(金)に、 MacBook Pro のサポートを受けています。その際、iPhone のアップルIDをサインアウトしたことが、今回のトラブルの原因の可能性が高い、との結論に至りました。iPhone でアップルIDをサインアウトをすると、Apple Pay の情報はすべて消えるとことです。あの時、そんな説明はなかったので、今回の事態になった理由が、これでわかりました。
 今回も、アップルのオペレータと私の iPhone の画面を共有しながらのサポートだったので、丁寧に対処してもらえました。この方式のサポートは、確実に改善するので助かります。

(2)復活の方法
 wallet というアプリで再登録することで、消えたカードがすべて復活しました。昨年の秋、最初に iPhone にカードを登録した時に、Suica のカードは指示通りに裁断していたのです。しかし、今日の操作で、Suicaのカードがなくても再登録できたのには驚きました。

(3)悪用の心配
 私の iPhone は二重三重のセキュリティが設定されているので、第三者が悪用することは考えられない状況にある、ということを説明してもらい、納得しました。

 このアップルのサポートが終わったのが、ちょうど au ショップの閉店時間で、お店の方が片付けに入っておられるところでした。とにかく問題が解決し、安堵して帰路につきました。
 
 
 

posted by genjiito at 22:01| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年08月10日

読書雑記(203)村上紀夫『京都 地蔵盆の歴史』

 『京都 地蔵盆の歴史』(村上紀夫、宝蔵館、2017.7.24)を読みました。ちょうど、今週から来週にかけて、我が町内でも地蔵盆が行われます。この伝統的な行事を前に、この本で少し勉強をしました。

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 本書は、江戸時代の文書を含む数少ない地蔵盆に関する資料を丹念に集め、それを綴り合わせて読み解いていきます。関西に特有な地蔵盆とは何か、それが何であるのかを明らかにしようとする本です。
 多分に想像力をたくましくして、さまざまな可能性を考察しています。慎重な物言いと、どこからかが自説であるのかが明確です。納得しながら、楽しく読めました。

 江戸時代の書付などを読み解きながら、町内会での地蔵盆の実態などを、経費や会場や内容に至るまで報告しています。実際に行われていた姿が、具体的にイメージできました。

 本書で一番おもしろいと思ったのは、お地蔵様の撤去と地蔵盆の中止の後、それらが復活していく過程の検討です。わからないとされることへの挑戦がなされているだけに、推理小説に参加している気分になりました。

 筆者は、最後に本書で明らかにしたことをまとめておられます。今、その暇がないので、後日この記事の「補訂版」としてそれらを引いて、理解の一助にしたいと思っています。この記事は続きます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 読書雑記

2017年08月09日

エバーノートの同期エラーをメールによるサポートで解決

 日々、身の回りの物事のすべてを、「エバーノート」というアプリケーションに保存しています。紙に印刷したものやメールで必要なものは、すべてをデジタル化したりPDFにして転送しています。どこにいても、関係する情報がすぐに取り出せる状況になっています。といっても、保存し忘れたり、もう要らないだろうと思ったものに限って、後で必要になることがしばしばあるものです。情報の保存の運用は、何かと難しい点があることは仕方のないことです。

 これまでに実践してきた個人メモの整理については、「【復元】私はマグロだそうです」(2016年06月15日)に詳しく書いた通りです。

 さて、毎日せっせと情報を蓄積しているエバーノートが、先月の22日(土)から、同期ができないというエラーメッセージを表示するようになりました。この日は、目が不自由な方々を須磨へ源氏散策にお連れした日です。何かとバタバタした日だったので、何か操作を誤ったのかと思いながらも、実際にはデータが同期されていたのでそのままにしていました。

 それ以降も、ひっきりなしに以下のようなエラーメッセージを、エバーノートの iPhone 版が画面に表示します。


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 面倒な仕事が一段落したこともあり、アプリの中にある相談窓口を通してエバーノートのサポートチームに対処をお願いしました。私がプレミアムバージョンを使っていることもあり、迅速な対応がしてもらえました。

 まず、「Evernote サーバと適切に同期していない」と思われるノートの削除が提案されました。
 しかし、それでは解決しません。
 次に、以下の4つの解決に向けての手順が提示されました。

(1)iOS 版の Evernote で「同期ボタンを同時に 2 本指でタップ」

それでもダメなら、

(2)iPhone の「電源のオン・オフ」の後に Evernoteの起動

まだダメなら、

(3)Evernoteの「ゴミ箱を空にする」を実行

これでもダメなら最終手段として、

(4)Evernoteアプリの再インストール


 今回は、上記の(3)で、どうにか問題が解決しました。(4)は大変なことなので、ホッとしています。そして、データが壊れるという実害はなかったので、幸運だったと言えるでしょう。
 これで心おきなく、身の回りの資料を破棄して忘れてしまうために、エバーノートにせっせと溜め込むことにします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年08月08日

京洛逍遥(453)京都市バスの運転手さん(2017年-その1)

 先日も書いたように、市バスの運転手さんの車内放送が、ひと頃よりも格段によくなっています。そんなに嫌ならマイクを使わなければいいのに、と言いたくなるような場面が、最近は急激に減りました。運転手さんの若者世代への交代が、順調にいった成果のようです。急ブレーキや急発進も、あまりありません。先日、久しぶりに身体がガックンゴックンとしましたが。

 約1年前に、「京洛逍遥(409)京都のバスの運転手さん(2016年-その2)」(2016年05月29日)を書きました。あれから後も、日常的に足として利用している市バスでは、いろいろなことがありました。以下、印象的なところを記録に留めておきます。

 まず、好感を持った方から。

 瓜生さんは、私が後ろから追いかけるようにして走って行くと、バスを停めたままでジッと待っていてくださいました。以前にもそのようなことがありました。この方が運転なさるバスに乗るたびに、非常に安心できます。その気持ちが伝わり、ありがたく思いました。清田さん、川上さん、松田さん、三輪さん、堀次さん、原田さん、太田さんは、対応も話し方も優しく、ハキハキして感じがいい方々です。

 由良さんはこれまでの運転手さんの中では珍しく、終始無言でした。結局一言も喋らずに通されたので、それはそれで見事でした。車内には録音テープによる案内の音声が流れるので、わざわざマイクで重ねて喋らなくてもいいのだ、ということを、この時にあらためて感じました。
 それに引き換え、あまりにも丁寧過ぎて、盛りだくさんの案内で喋り過ぎだと思える方もいらっしゃいます。とにかくうるさくて、スピーカーの近くにいたので落ち着いて座っていられないこともありました。

 奥に詰めてほしいと、再三の注意をマイクでされる方もいらっしゃいます。対応は丁寧なので、仕事に対する誠意を感じました。旅行者が入口付近に固まっていると、なかなか出発できないのは確かです。後から乗りたい方も入ってこられないのです。京都市バスは、真ん中から乗ります。それだけに、乗ってすぐに入口を塞ぐように何人もの方が立たれると、中は空いていることが多いだけに困ったことです。

 以下、難儀な運転手さんのことも。

 マイクでボソボソと喋っておられるので、まったく意味不明の音が車内に流れるだけのことがあります。停留所の名前を言っておられるようでした。しかし、日本語かどうかすら不明なので、風邪を引いた鵞鳥の声のようにしか聞こえません。
 同じように、Yさん、Nさん、Mさん、Iさん、Kさんは、語尾が不明瞭なことに加えて、語尾を引っ張りすぎなので、ふざけているのかと思います。

 Nさんのマイク放送は、まったく意味不明の上、海外の方に「なんぼ入れたん」と言いい、終いには「もうええわ」と料金の確認を面倒くさがって放棄されました。気分の悪いこともあるのでしょう。しかし、投げやりな態度はいただけません。

 いろいろな運転手さんが、京都の街中をバスで回っておられます。それぞれに大切な役割を果たしておられます。それでもそれぞれに個性があり、人間味を感じたりします。
 そんな中で、乗客が不快な思いをすることがままあることも事実です。
 快適に移動できる公共交通機関として、今後とも安全運転で快適な空間を作ってくださることをお願いしたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年08月07日

スポーツクラブでの身体測定では29歳の身体だとか

 今日から、近所にある「コナミスポーツクラブ」に通うことにしました。
 これまでが文部科学共済の法人会員だったのを、これからは日本私立学校振興・共済事業団の法人会員に契約が変更となりました。

 まずは、何度目かの再出発(?)いや再々出発に当たり、自分の身体の実態を知ることからです。これまでに何度も受けた身体測定から、申し出て実施してもらいました。
 過去の測定記録は、プリントアウトを持っていました。しかし、引っ越しが度重なったために、今すぐには出てきません。また見つかったら今回のものと比べてみます。

 今回の測定で驚いたのは、「基礎代謝量」というものが本当だろうかと思うほどに高かったのです。8段階の7という好成績でした。それ以外はすべて、8段階の1から3という非常に低レベルです。
 私は痩せ細った身体なので、とにかく筋肉を付けて体重を増やしたいと思っています。その意味では、「基礎代謝量」以外は納得できる数値です。この「基礎代謝量」なるものが高いということが、私にとって一体何を表しているのか、またいつか考えてみます。

 また、腕の筋肉量が予想外に多いことにも驚きました。そして、案の定、足の筋肉量が8段階の1と、極端に少ないことにガッカリ。運動不足以外の何ものでもありません。ウォーキングと称して歩いているつもりでも、実際には運動になっていないことがわかりました。

 その後、エアロバイク(自転車)での体力測定もしました。
 これは、これまでにも何度もやったことがあり、いつも18歳の体力だという結果が出ていたものです。昨日の記事で過去のブログを紹介している中にもある通りです。
 今回はどのような結果かと楽しみにしていたところ、私の今日の体力年齢は29歳とのことです。実年齢よりも相当若く出ています。これまでもそうだったように、このエアロバイクの体力年齢は、景気づけの励まし程度のものと思っておいた方がいいようです。それにしても、二十歳代とは、悪い気はしません。

 今回、久しぶりにコナミに来て、計測結果がデータとして記録されないシステムになっていたことに驚きました。しかも、それは今春からだとのこと。これまでは、その日のデータがバックアップデータとして記録されていたので、銀座で運動した数値や身体計測の結果などが、立川や横浜や京都のコナミでも引き継いで累積していました。どこで運動をしても、前回までの数値と比較したり、運動量を加算できたりしていたのです。そのシステムが廃止となり、データがその場で捨てられることになったのです。いろいろと事情があるのでしょう。しかし、デジタル化の時代と逆行するサービスの低下としか思えず、非常に残念なことだと思います。

 そんなことはともかく、今度こそは続けて通いたいと、決意を新たにしているところです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 健康雑記

2017年08月06日

銀座で泳いでいた日々を思い出して

 暑い日々が続く中、昨夜東京から帰るやいなや、フィットネスクラブに通おうと思いました。
 数年前まで、銀座のスポーツクラブで汗を流した日々を思い出したからです。当時は、とにかく忙しかった時間の隙間を狙い、足繁く通ったものです。

 最初にスポーツクラブへ行くようになったきっかけは、高校の教員から大学の教員になった時です。伊井春樹先生から、研究者は身体が資本であることをご自身の実践から話してくださったのです。すぐに、奈良の王寺駅前にあったスポーツクラブに通い出しました。子供たちも、みんなここの会員になり、泳いだり体操をしたりしていました。

 1999年に上京してからは、横浜の金沢文庫にあったスポーツクラブに通いました。
 そのうちに、そのクラブが閉鎖されたことと、海に潜りたくなったので、スキューバダイビングの教室があった、川崎のクラブに移りました。

 横浜から、江東区に引っ越してからは、自転車で行ける銀座のスポーツクラブに所属を変えました。その店も今から2年前に閉店となり、それを機に足も遠のきました。これではいけないと思い、東京と京都の両方を利用していた関係もあり、近くにある系列店のクラブに再入会したものの、それっきりで一度も行くこともありませんでした。

 今日、最寄り駅の上にあるスポーツクラブで、会員手続きの変更も含めて説明を受けました。システムが変わっていたものの、基本的には以前のままです。
 明日から、この数年はすっかりご無沙汰していた運動を、また生活の中に取り入れることにします。

 再スタートでもあるので、これまでのスポーツクラブに関する記事を集めてみました。読み流すだけで、自分が身体のことを日々考えていたことを思い出しました。最近は、忙しさにかまけて、すっかりやる気が失せています。過去のことは、記録として残しておくものです。

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【フィットネスクラブで汗を流した日々の記録】


「【復元】フィットネスクラブに通う日々」(2016年05月26日)

「銀座探訪(33)師走を控えた月末に銀座で泳ぐ」(2015年11月30日)

「久しぶりに銀座のど真ん中で泳ぐ」(2015年11月04日)

「気分転換の外泊と気ままなスイミング」(2015年04月13日)

「スポーツクラブを退会」(2011年09月30日)

「心身雑記(98)久しぶりの体力測定」(2011年05月25日)

「心身雑記(90)病院で検査の後は体力作りに励む」(2010年10月04日)

「スクーバ・ダイビングを楽しむ」(2010年08月14日)

「銀座探訪(25)地下鉄銀座駅のマーキュリー像」(2010年08月04日)

「心身(50)微熱での水中浮遊」(2010年02月06日)

「心身(43)体調チェック」(2009年09月14日)

「心身(40)銀座のプールでダンベル体操」(2009年08月31日)

「スキューバ・ダイビングの練習」(2009年08月08日)

「心身(36)疲れていても体力年齢18歳」(2009年05月25日)

「銀座探訪(17)メタボな銀座桜通り」(2009年04月13日)

「心身(32)ただの筋肉痛?」(2009年04月07日)

「銀座探訪(16)桜の咲き初め」(2009年03月29日)

「心身(31)体力はまだありそう」(2009年03月18日)

「心身(30)体重が50Kgを割ってしまった」(2009年02月19日)

「心身(24)体力は21歳」(2008年09月30日)

「久しぶりに銀座で泳ぐ」(2008年08月19日)

「海外での食事の影響」(2008年06月20日)

「心身(9)健康維持の日々」(2008年01月23日)

「一仕事を終えてホッと一息」(2007年10月19日)

「銀座探訪(2)吉野家」(2007年09月04日)

「銀座探訪(1)夜の銀座 de 泳ぐ」(2007年08月28日)

「心身(6)五十肩に苦しむ十八歳」(2007年08月11日)

「スクーバ・ダイビング(1)」(2007年07月08日)

「心身(4)18歳レベルの体力」(2007年07月06日)
 
 
 
posted by genjiito at 23:20| Comment(0) | 健康雑記

2017年08月05日

日比谷で『源氏物語』「若紫」を読む/第4回

 毎月1回、第1土曜日に、東京・日比谷で『源氏物語』を読んでいます。

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 読んでいると言っても、鎌倉時代に書かれた文字を、字母にこだわって読んでいるのです。決して、物語の中身には立ち入らないようにしています。

 物語の筋には触れないようにしつつも、今日は、珍しく中身にこだわった内容となりました。それは、興味深い異文があったからです。

 当該箇所の本文とその現代語訳は、次のように光源氏が語っているところです。

「橋本本」本文
まだ知らずなん。かたじけなくとも、

現代語訳
「まったく申し上げようもないことです。恐れ入りますが、」

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「大島本」本文
まだ、さらに聞こえ知らず、ならはぬ事になむ、かたじけなくとも、かかるついでに、

現代語訳
「まったく何とも申し上げようもないくらい経験のないことでして、恐れ入りますが、こうした機会に、」
『新編日本古典文学全集』(小学館)より


 大島本が、言葉を尽くして光源氏を描いている場面です。それに引き換え、橋本本は何ともあっさりしています。

 ここは、次のように17種類の諸本が本文に異同を示しています。

橋本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
--------------------------------------
また[橋=大中麦阿陽池御国日穂保伏高天尾]・・・・051706
 いまた[肖]
ナシ[橋=中高天尾]・・・・051707
 さらに[大麦阿陽池御国肖日穂保伏]
しらすなん[橋=中高天尾]・・・・051708
 きこえしらす[大阿池御国肖日保]
 聞えしらす[麦]
 きこゑしらす[陽穂]
 きこえしらす/し〈改頁〉[伏]
ナシ[橋=中高天尾]・・・・051709
 ならはぬ[大麦阿陽池御国肖穂保伏]
 ならはぬ/〈改頁〉[日]
ナシ[橋=中高天尾]・・・・051710
 事になむ[大穂]
 事になん[麦阿陽国保伏]
 ことになむ[池肖]
 ことになん[御日]
かたしけなくとも[橋=大中阿陽池御国肖日保伏高天尾]・・・・051711
 かたしけなく共[麦]
 かたしけなくとも/な〈改頁〉[穂]
ナシ[橋=中高天尾]・・・・051712
 かゝる[大麦阿陽池御国肖日穂保伏]
ナシ[橋=中高天尾]・・・・051713
 ついてに[大麦陽池御日穂伏]
 つゐてに[阿肖保]
 つゐてに/に〈改頁〉[国]


 とにかく、『源氏物語』の本文は2つにしか分かれないことは、今回提示した箇所でも明瞭です。私が、〈青表紙本〉とか〈河内本〉とか〈別本〉という、池田亀鑑伝来の「形態によるモノサシ」で『源氏物語』の本文を3分するのはもうやめませんか、と言っていることが、ここでも明らかになっています。

 それはさておき、なぜこのように、似て非なる本文が伝わっているのか、という問題提起として、今日はこの例を提示しました。お話が大きく変わるものではありません。しかし、本文が書写され、写本が伝承される中で、どうしてこのような違いが生まれたのでしょうか。

 今すぐに結論が出ることではありません。こんなことがあり、しかもいまだに解明されていないことだ、という話題の提示に留めています。言い続けることに意義があるのです。後は、若い方の出番だと思っているからです。

 こうした大島本と橋本本の本文の違いは、ごろごろと出てきます。折々に、異なる文章の違いを、一人でも多くの方々と一緒に読み解いていきたいと思っています。

 今日も、講座が終わってから、有楽町で皆さんと談話会となりました。楽しい集まりなので、毎回が待ち遠しい講座となっています。

 もうすぐ、次の期の本講座の募集が始まります。
 いまはまだ、「今期の情報」(末尾に『源氏物語』の講座紹介)なので、10月からの詳細はもうしばらくお待ち下さい。

 鎌倉時代に書き写された『源氏物語』の写本の文字を読んでみたい方は、どうぞお集まりください。これまで広く読まれて来た、大島本に書き写された本文とは異なる、橋本本『源氏物語』を読んでいます。これまで、この本はまったく読まれて来ませんでした。大島本が語る世界とは異なる『源氏物語』を、少しずつ読んでみませんか? そして、古写本に書き写された文字を翻字する、というスキルを習得してください。
 
 
 
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2017年08月04日

アップルの手厚いサポートでいくつかの問題が解決

 アップルの電子機器を使っていて、最近いろいろと不具合があることについて、電話によるサポートを受けました。

 ネットでサポートの申請をすると、すぐにアップルから電話がかかってきて、スピーディに対処の相談に応じてもらえました。パソコンに関するサポートは、何かと面倒なことが多いので、ついつい敬遠しがちです。時間はかかったもの、いろいろな問題点が解消し、すっきりとしました。

 今回は、以下の3点についての相談でした。
(1)アップルの標準仕様となっているウェブブラウザである「サファリ」が起動しないこと

(2)自宅でワイヤレスアクセスポイントとして使用している「AirMac Extreme」のUSBポートに、「サンダーボルト2」仕様の外付けハードディスクを接続する方法

(3)住所録である「連絡先」アプリに、同じ名前のデータが複数個登録されていること


 いずれも、私が使っているパソコンの画面をサポート担当の方と共有しながら、こちらの画面の状況を先方も見ながらの対処をしてもらいました。個人的な情報が相手に見られることになるものの、こちらの操作を的確に指示してもらえるので、解決は早いやりかたです。

 春先からずっと「サファリ」が使えなかったために、「グーグルクローム」をウェブサイトを閲覧するのに使っていました。今回は、予想外にサポートに手間がかかりました。担当者も、苦労しておられました。要は、システムの「ライブラリ」の中にある「Safari」の中身を入れ替えることで、問題点が解消しました。この前後の面倒だった、長時間にわたる操作は省略します。
 これにより、何よりもあきらめていた「サファリ」が使えるようになったことで、気分が軽くなりました。「クローム」は何かと癖があり、使いにくいものだったからです。

 「AirMac Extreme」に外付けハードディスクを接続する件は、予想通り不可能なので諦めます。
 これは、すでにヨドバシカメラの方からも、出来ないと言われていたことです。アップルは、どんどん最先端の技術を導入するので、こうして使い物にならない電子デバイスが山のように自宅に溜まっていきます。ウェスタンデジタルの2Tと4Tの2台ハードディスクは、使おうと思えば可能ではあるものの、コネクタの変換ができないことにより粗大ゴミとなりました。

 住所録として使っている「連絡先」というアプリに関しては、これまた気長にデータを消しながら iCloud のデータと入れ替えることになりました。これには数ヶ月を要します。担当者も、気の毒がってくださいました。その原因の特定と対処方法が決まるまでには、さまざまなことをしました。結局は、提示された単純な作業を繰り返せばいいので、そのうちにまともに使えるようになるはずです。

 長い間、コンピュータに関わってきたので、こうした不具合は日常茶飯事です。その中でも、こうして対処法がわかったものについては、慌てず騒がす、地道に修復していくことにします。

 残る不具合としては、アップルの「メール」というアプリが使い物にならないことがあります。このアプリは、新しくパソコンを購入した当座は使えます。しかし、すぐにメールが整理できない状況になり、その修復に時間と手間がかかるので、いつもウェブメールに切り替えることになります。この「メール」は、私がアップルとの長い付き合いの中で、どうしても相性のよくないアプリです。アップル純正のアプリなので、いつかは安定して使いたいと願っていても、いまだに実現しない出来損ないアプリの一つとなっています。
 これについては、今日のサポート担当の方も、「safari」と「連絡先」が無事に問題なく使えるようになってから、じっくりと対処しましょう、と心強い励ましをいただきました。

 電子機器とのつきあいについては、トラブル談が語り尽くせないほどあります。これまでにこのブログにも折々に書いた通りです。出来の悪いものほど憎めない、と言われることがあるように、私と電子機器との関係は、まさにそのようです。
 デジタル機器に関してはトラブルメーカーだと言われ、しかもそれを自認しているところです。膨大な時間を吸い取られているので、もったいないとは思うものの、これもまた一興とばかりにおもしろがっています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年08月03日

変体仮名がカタカナに見えたとか

 放課後、変体仮名を読む学習会を、大阪観光大学図書館の一角を借りてしています。
 今日は、新たに4人の1年生が参加してくれました。
 いろいろと話をしている中で、初めて変体仮名を読んでみての感想が、「カタカナに見えた」ということでした。これは初耳です。
 橋本本「若紫」の冒頭は次のような書き出しです。

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 この「わら八や三」と始まる文字が、「ワらハヤミ」に見えた、というのです。
 確かに、そう言われてみると、そのように見えなくもありません。
 初めて変体仮名を読もうとする人には、カタカナのように見えるということも考えて、これからはお話をしたいと思います。
 自分の思い込みで、頭から平仮名で書かれていると決めつけて話をしてはいけない、ということを学びました。
 手書きの文字を読むことがなくなり、決まりきった活字体ばかりを読む文化に身をおくようになりました。
 変体仮名がユニコードに採択されたことにより、今後は印刷体の文字を読む環境が激変すると思っています。
 文字に関しては、先入観のない立ち位置で考え、説明をし、話していきたいという思いを強くしています。
 その意味からも、変体仮名を見たことも聞いたこともない、という学生さんが、この学習会に参加することは大歓迎です。

 次回は、夏期休暇が入るために、9月29日(金)午後3時から始めます。
 10月は13日(金)、27日(金)午後3時から
 11月は10日(金)、24日(金)午後3時から
となりました。

 変体仮名を読むことに興味がある方は、社会人や学生を問わず、どなたでも参加してもらえる集まりです。
 資料の準備がありますので、あらかじめ本ブログのコメント欄などを通して、参加を希望する連絡をお願いします。
 
 
 

posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | 変体仮名

2017年08月02日

大阪駅の改札内にはポストがない

 郵便物を投函するために、駅の構内をうろうろしました。ポストが見つかりません。
 東京駅にはあったので、大きな駅なのであるだろうと思い、大阪駅の駅員さんに聞きました。すると、一旦改札を出ないとポストはない、とのこと。改札内にはないのです。

 京都駅までの切符で、大阪駅のホームを跨いでの乗り換え中なのです。ポストだけの用事で改札を出て、また切符を買い直して入るのももったいないことです。新快速であと30分なので、郵便物はそのままカバンに納めました。

 私は、郵便物を持ち歩く癖があり、何ヶ月もカバンに入れたまま、ということがよくあります。急ぐものは、すべてメールや添付ファイルで済むことが多いご時世なのです。郵便で送るものは、ほとんどが数ヶ月遅れても問題はありません。ゆうパックにはお世話になっています。

 郵便物を出すために持っている時は、アッと思ったら、すぐにポストを探します。しかし、そうそううまく近くにはありません。街中ではポストをよく見かけます。それが、投函したいときに限って、なかなか見当たらないものなのです。これは不思議です。

 さて、京都駅では、駅のホームにありました。大阪からの新快速を降りたすぐの所に、到着した2、3番線の、なんと目の前にポストが仁王立ちで待っていてくれました。

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 さらには、向かい合わせの4、5番線にもあるのです。

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 あまりの嬉しさに写真を撮って安心し、肝心の郵便物を投函しないままに改札を出てしまいました。
 京都駅の中で入れ忘れても、駅前にポストがあるし郵便局の本局でも、とよりどりみどりです。
 駅前のバスターミナルの一角にあったポストに、無事に入れることができました。

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 ポストが2つ並んでいることは、以前に五反田駅前のポストの話で書きました。
「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」(2008年01月19日)
 この京都駅前の2つのポストは、どんな事情や背景を持っているのでしょうか。

 大阪駅には、かつて改札内にポストがあったことがわかりました。女性向けに駅を大改装したことに伴い、ポストは撤去されたのです。女性と郵便ポストは無縁だ、ということなのでしょうか。

 今度、天王寺駅で乗り換える時に、改札内にポストがあるのかどうかを確認してみます。
 
 
 
posted by genjiito at 19:08| Comment(0) | 身辺雑記

2017年08月01日

独特の口調でなされる車内放送のこと

 長時間の通勤で感じていることです。
 まず、京都市バスの運転手さんの車内アナウンスが、最近は親切で丁寧になりました。
 あの、やる気のない態度と投げやりな言葉遣いで悪評まみれだった頃とは、雲泥の差があります。あの状況を快く思わずに利用していた生徒や学生や若者たちが、定年退職者と入れ替わり、汚名挽回とばかりに心地よいバスの移動をもたらしています。若手が取り組んでいると思われる新しい流れは、利用者としては大歓迎です。
 これで、京都のイメージは上がることでしょう。
 そんな中で、独特の抑揚でしゃべっておられる方のことが気になります。観光地を案内するバスガイドさんの口調を真似したものとは微妙に違う、自分に酔ったような語り口でありマイクの使い方です。これは、電車のアナウンスでも言えることです。
 車内に流れるアナウンスは、好むと好まざるとに関わらず、乗客は聞くしかありません。鉄道会社の宣伝には、うんざりしています。逃げ切れない箱の中で、無理やり自分に興味のない、関係のない宣伝を聞かされることは勘弁してほしいものです。あれは、立派な押し売りです。しかも、それが独特の節回しで押しつけられると、次の駅で降りたくなります。
 どこの生まれなのだろう、と思わせる不自然な抑揚は、聞きたくないことが多いのです。そんな運転手さんや車掌さんに限って、やたらとしゃべりすぎです。良かれと思って、親切心のなせる態なのでしょう。しかし、ありがた迷惑ということもあります。
 公共交通でのサービスは、必要最低限でほどほどに、ということでしょうか。
 
 
 

posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月31日

またしても不運な選択だった RSSリーダーのこと

 自分が日々チェックしているブログやニュースサイトの新着情報は、一つ一つが更新されたかどうかを確認しながら読むのは大変です。そこで、更新されたタイミングで記事を受け取ることができる「 RSS/フィードリーダー」のお世話になってきました。

 最近まで利用していた「Live Dwango Reader(LDR)」がこの8月末で終了するとの告知が、先週ありました。

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 またしても、私は貧乏くじを引いたようです。といっても、私としてはよくあることです。

 今年の3月には、それまで利用していた「eoブログ」が閉鎖されたために、この「さくらのブログ」に引っ越しをしました。
 それ以前にも、サーバーがクラッシュしたり廃業に伴い、データの置き場所をいろいろな所に置きながら、情報発信を続けて渡り歩いて来ました。
 そして、今また、便利に使っていたツールに関して、お引っ越しとなりました。

 今回廃止される「Live Dwango Reader」という「 RSS/フィードリーダー」は、2013年にGoogleが提供していた「 Google Reader」がサービスを終了したことを受けて、引っ越して使い出したものです。3年以上も重宝して使ってきました。

 いくつか提示された引き継ぎのリーダーとして、まずは「Feedly」を選択しました。しかし、これは以前にも検討したことがあり、今回も試してみて、私にはとても使えそうにないと感じました。そこで、これまで試したことのない「Inoreader」を使ってみることにしました。

 またまた、データのお引っ越しです。そして、その使い方はまだよくわからないものの、これまでに私が読んでいた記事は、何とか引き継いで取り込んでくれているようです。今日どうにか移行したばかりのものなので、しばらくは様子見です。

 情報の発信母体や受信環境は、かつてはホームページがその役割を果たしていました。私も、1995年9月からホームページを運用して来ました。
 それがしだいに、メインのコンテンツがブログに移り、さらにソーシャルメディアになっているようです。公開されている情報の発信と受信が、このソーシャルメディアの範囲内で完結してしまうことに、私は薄っぺらさと物足りなさを感じています。何よりも、その継続性は大いに疑問です。継続の必要のない、思いつきのデータの垂れ流しならば、それはそれでいいのでしょう。
 私のように、大量の情報を、それも毎日流すタイプのユーザーにとっては、ソーシャルメディアはどこまで信用していいのかわからないのです。
 そのため、私は、フェイスブックもツイッターも利用しようとは思っていません。

 また、情報をスマートフォンで閲覧される方が70%に及んでいる、と聞いています。私のブログも、そうした傾向の中で、日々千件近いアクセスがあります。しかし、そうしたユーザーが多いことはほとんど気にせずに、あくまでもパソコンでそれなりに大きなモニタで見ていただけることを前提にして、このブログや科研のホームページを運用し、情報発信を続けています。

 スマートフォンの時代が、そんなに長く続くとは思っていません。iPad Pro の10インチサイズの役割に、今は注目しています。インターネットも、そろそろ限界のようなので、次のネット環境が提供されることを待ち望んでいます。

 同じように、パソコンという今の概念も、大きく変わる時代に突入しだしたのではないでしょうか。インターネットとタイアップしたパソコンという取り合わせの次に、どのような環境が提供されるのか、日々待ち遠しく思っています。その意味では、Apple Watchは失望しました。今年後半に提供される第3世代のApple Watchに期待してみましょう。それと共に、メガネの進化は、以前から注目しています。まだ、具体的なものが提供されていませんが……
 そうした見通しのもとで、今のソーシャルメディアはあくまでも過渡期のものであることから、私はフェイスブックもツイッターもパスをしているのです。

 情報の記憶媒体として、レコード盤→(紙)テープ→カセットテープ→CD→MD→HD→SSD等々、その変転は枚挙に暇がありません。
 そのような流れにどっぷりと浸かりながら、ここ30年以上のお付き合いをしてきて、今、新しい胎動を感じています。その具体的なことは、また機会をあらためて書きます。

 RSSリーダーについても、そのような中での一つと思っています。提供者側の消長も、なんでもありのあのインドの感覚で見ていると、それもありかということで片付きます。
 またまた、おもしろい時代が来そうなので、30数年前のことを思い出しながら、情報誌を読むのが楽しみの一つとなっています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年07月30日

京洛逍遥(453)下鴨神社のみたらし祭の足つけ神事 -2017

 ちょうど昨年の今頃、左足首を剥離骨折しました。
 「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)
 あれから1年。いまだに、右足の疣とともに、足の調子はよくありません。

 ちょうど下鴨神社で足つけ神事があったので、お医者さんがだめなら神頼みしかないとばかりに、暑い中を行ってきました。
 昨年は行けませんでした。
 一昨年の様子は「京洛逍遥(364)下鴨神社のみたらし祭 -2015-」(2015年07月19日)をご笑覧を。

 まずは腹ごしらえから。
 うどんの「ぼの」は、下鴨本通りのバス停「下鴨神社前」の北にあります。

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 清々しい店内の雰囲気は、うどん屋さんらしくありません。スイーツでも出てきそうな、おしゃれなうどん専門店です。
 私は外食でよくお腹が痛くなります。痛くなるとそこで食事はストップするので、お腹にやさしい「京湯葉かやく(しっぽく)」をいただきました。

 今年も「みたらし祭」はたくさんの方がお出でです。
 「光琳の梅」越しに、「輪橋」をくぐって「みたらし池」に向かう人が見えます。

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 上の写真では、左下の注意書きで「はきもの」に赤丸で傍点が打ってあることに注目です。海外からの参拝者が多いこともあり、平仮名で書いてあるのです。そして、「ここからは、着物を脱いで」と理解されると大変なので、改行位置に気を遣い、さらに「はきもの」に赤点を傍記してあるのです。「ここから」はなくてもいいのではないでしょうか。

 みたらし池の水は、痺れるほどに冷たいのです。しかし、しばらく歩くと、ほかほかと温まります。

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 池から上がると、神水がいただけます。
 持参のペットボトルにも、なみなみといただきました。

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 一年以上も不調で困っている両足を、賀茂の御祖の神様に治していただこうとの思いから、健脚の祈願をしました。

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 もと来た下鴨本通りに出て、みたらし団子の「ゑびす屋加兵衞」さんの隣にあるフランス洋菓子屋さんの「LAMARTINE(ラマルティーヌ)」で、チーズケーキを買って帰りました。

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posted by genjiito at 17:25| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月29日

[町家 de 源氏物語の写本を読む](第0回)の報告

 今回から、会場は「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)になりました。
 地下鉄今出川駅から歩いて5分。酷暑の中だったこともあり、近くなのに歩いていて遠く感じました。
 広い和室の真ん中に座卓を置き、テーブルの上には「彩果の宝石」「さなづら」「二人静」というお菓子を囲むようにして始まりました。

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 まずは、この集まりの今後の方針の確認です。昨日の本ブログに書いたことを、みなさんに了解していただきました。次回の第1回は、来月8月26日(土)の午後2時からです。
 世間話をしながら、今回のテキストであるハーバード大学本「須磨」の来歴などをプリントを見ながらお話しました。配布した資料の説明文を引きます。

  ハーバード大学美術館蔵「源氏物語」の来歴
 『源氏物語』の第一二巻「須磨」と第五二巻「蜻蛉」は、ドナルド・ハイド氏(一九〇九〜一九六六)のご夫人(一九一二〜二〇〇三)の寄贈により、一九七四(昭和四九)年にハーバード大学美術館の所蔵となりました。この美麗な古写本は、弘文荘の反町茂雄氏(一九〇一〜一九九一)の手を経て、一九六二年にドナルド・ハイドご夫妻が購入されたものでした。
 筆者については、鎌倉中期(十三世紀半ば)の天台宗の学僧で和歌にも秀でていた慈鎮(慈円・一一五五〜一二二五)とされ、現在に至っています。現存最古の『源氏物語』の古写本の一つです。
  ※「日本の古典籍 その面白さ その尊さ」(反町茂雄著、一九八四年、八木書店)
  ※『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」・「蜻蛉」』(伊藤鉄也編著、二〇一三〜二〇一四年、新典社)


 このハーバード大学の本との出会いなども、簡単にお話しました。

 ここで確認する翻字は、変体仮名を交えたものとなります。そこで、ユニコードとして先月の国際会議で承認された平仮名フォント(287文字)について、その会議の報告書を印刷したものを見ながら、平仮名について考えました。

 そうこうするうちにすでに1時間。後は、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を、字母に注意しながら確認していきました。中でも、「へ」の字母は「部」とされていることについては、時間をかけていろいろと意見交換をしました。結論は出ないまでも、中国の草書体の文字をも参照しながら、「部」を「へ」の字母にするには無理があるのではないか、というのが今日の結論です。これは、今後とも用例を見ながら深めていく検討対象の文字です。

 人名や地名の話の中では、『土左日記』と『土佐日記』についても話題になりました。平仮名については、まだ不明な点が多いので、自由に語り合って楽しい時間が過ぎていきました。
 次回は、異本の異文について検討することから始めます。

 こうしたことに興味と関心をお持ちの方や、写本に書き写された変体仮名などを読んでみたい方は、どうぞご自由に参加してください。
 この[町家 de 源氏物語の写本を読む]集まりは、勉強会であることはもとより、いろいろな意見交換の場でもあります。資料の準備がありますので、前日までに本ブログか〔npo.gem.info@icloud.com〕に連絡をいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年07月28日

明日29日午後2時より[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催

 過日、本ブログ《「[町家 de 源氏物語の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)》でお知らせしたように、明日7月29日(土)の午後2時から、「be 京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で[町家 de 源氏物語の写本を読む]という講座を始めます。
 本日28日の京都新聞「まちかど」欄に、以下の告知情報を掲載していただきました。

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 会場は交通の便の良い場所です。近在の方のみならず、新幹線を利用して入洛なさる方も、暫し足を留めて行かれてはいかがでしょうか。週末の2時間を、700年前に書写された『源氏物語』の写本を一緒に読むのも楽しいかと思います。変体仮名は読んだこともない、という方もお気軽にどうぞ。ご参集のみなさまに合わせた対応で、丁寧に読み進めて行きます。

 以下のメモは、上記ブログに掲載したことと重複します。


会場︰「be 京都」(http://www.be-kyoto.jp/
時間︰14時〜16時
所在地︰京都市上京区新町通上立売上る 安楽小路町429-1
電話︰075-417-1315(代)
最寄駅︰地下鉄烏丸線「今出川」下車 2番出口 徒歩5分
    市バス「上京区総合庁舎前」下車 徒歩4分
参加申し込み及び問い合わせ︰本ブログのコメント欄、
  または、電子メール(npo.gem.info@icloud.com)

 
 
 
posted by genjiito at 13:19| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年07月27日

駅のエスカレータで見かけた咥えタバコの初老の紳士

 夕刻、大阪駅でのことです。
 人混みの中で、忙しなくエスカレータの左側を小走りに上る人々を後目に、悠然とそのエスカレータの左側で仁王立ちしている方を見かけました。その肩口からは、煙がモクモクと立ち上っています。
 私も左側を上っていたので、その方の右側が不思議と空いていたのをラッキーとばかりに、一歩右に体を交わして、またすぐに左側を歩いて上りました。そのすれ違いざまに、その方が初老の紳士であり、タバコを口に挟んで煙をくゆらしておられるのを見てしまいました。
 今時、駅のエスカレータで咥えタバコの人は、とんと見かけません。50年前なら、電車の中でタバコを吸う人は普通にいました。電車には、灰皿が取り付けてあったからです。
 それが今、堂々と吸っておられるのを目の当たりにして、あまりの珍しさもあってか、風景として見てしまいました。後になって、あれはハタ迷惑だな、と思い直したほどです。
 おそらく、あの方はどこであってもタバコを口にしておられるのでしょう。何の引け目もなく、自信に満ちた人生を送って来られたと思われます。そうした姿や行為が、周りに溶け込んで見えたのかもしれません。山あり谷ありの人生をご苦労さま、という気持ちになりました。その時は、なんというマナー知らずが、と思うこともなく、そのまま抜き去って遠ざかりました。しかし、あの方は、エスカレータを上り終えてからも、あの人混みの中を咥えタバコで歩いて行かれたのでしょうか。さすがに、整列して乗るエスカレータと違い、人混みでの歩きタバコは歩きスマホ以上に危険です。
 思い返すと、絵になるシーンであり、写真に撮っておくには格好の構図でした。しかし、あまりにも思いがけない出会いだったので、シャッターを切る暇はありませんでした。
 公衆の中ではマナーに反し、人に危害や迷惑をかける行為です。しかし、これだけ堂々としていれば、それもありか、と大自然の中で生きる大らかな気持ちになったりもしました。
 私は、レストランや喫茶店に入った時、たばこの臭いがすると他の店に行きます。それなのに、なぜか不快ではない不思議な気持ちが今も残っているのです。これは何なのでしょうか。
 
 
 

posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月26日

須磨寺から望んだ関空と関空から望んだ須磨浦公園

 先週の土曜日に、「百星の会」のみなさまと一緒に、須磨の『源氏物語』関連の地を散策しました。そして、須磨寺で一絃琴の演奏を聴き、一絃琴を実際に弾く体験もしました。その須磨寺の駐車場から、眼下の大阪湾越しに関空を見霽かす機会を得ました。午後3時過ぎの、すばらしい眺望でした。
 写真の右手に、淡路島が横たわっています。

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 そして今日の夜7時頃、京都に帰らずに止宿先とした泉佐野のホテルから、夕陽を映発する大阪湾越しに、須磨明石の地を眺めることになりました。次の写真の左横に、淡路島が横たわっています。

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 4日という短い期間に、大阪湾を挟んで北と南から、関空と須磨の地を見ることができました。
 次は、大阪湾を挟んでの、明石と住吉からの景色に身を置きたいと思うようになりました。
 まさに、『源氏物語』の「須磨」「明石」「澪標」の3巻における、光源氏と明石御方の物語を体現することになるのです。
 『源氏物語』に描かれる舞台の至近の地に住むこととなり、物語がますます身近なものに思えてきます。
 今も変わらずに語られる場がこうしてあることは、本当に幸いなことです。
 折々に、こうして実感しながら物語を楽しんでいきたいと思っています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:20| Comment(0) | ブラリと

2017年07月25日

大阪の天神祭に向かう浴衣姿の男女

 仕事帰りでのことです。
 大阪環状線内に入ってから、多くの浴衣姿の女性を見かけました。連れの男性も、女性ほどではないにしても、チラホラ。いや、予想外に結構浴衣です。女性よりも、男性の方が襟元がきまっています。女性の着崩れが目立つのは、気のせいでしょうか?

 車内放送では、「天神祭にお越しの方は、桜宮駅が混雑していますので、天満駅でお降りください。」と、たどたどしい日本語で連呼していました。JR西日本には、きちんとした日本語でアナウンスができる人が見当たらなかったのでしょうか。

 車内を見わたす限りでは、浴衣姿の男女が交わしているのは大阪弁ばかりです。駅のホームに降り立っても、やはり浴衣の男女が楽しそうに、大阪弁で盛り上がっています。

 そういえば、京都の街中で浴衣姿といえば、海外からの方々が多く、しかもそのほとんどが中国からの方々だと、新聞に書いてあったことを思い出しました。

 これは当たっているように思えます。何かデータがあるのでしょうか。学生の夏の研究課題として、最適なテーマのように思います。

 どなたか、この調査をしてみませんか?
 
 
 

posted by genjiito at 19:42| Comment(0) | ブラリと

2017年07月24日

京洛逍遥(452)祇園祭の後祭の山鉾巡行から解体まで

 祇園祭の後祭で山鉾巡行がありました。10基の山と鉾が、御池通から河原町通を下ります。巡行と共に下り、四条河原町の交差点で、辻回しを見ました。

 道路に竹を敷いて、大きく重い山鉾を90度回転させるのは、なかなかの見ものです。
 以下、写真は辻回しのみにしておきます。
 今日の後祭は、次の順番で巡行しました。

 橋弁慶山

 ○北観音山
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 鯉山

 役行者山

 八幡山

 ○南観音山
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 鈴鹿山

 浄妙山

 黒主山

 ○大船鉾
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 山鉾巡行の後は、子ども神輿を先頭にして花傘巡行が続きます。
 獅子舞が沿道の観客の頭を噛んで回っていました。

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 我が子を見守るお母さんたちも目立っていました。

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 祇園甲部と宮河町の芸妓さんたちも参加しておられました。

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 その他、子鷺踊りなど、いろいろな行列が続きます。

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 しんがりの「岩戸山」は、なぜここに付いて巡行しているのか、調べてみてもよくわかりませんでした。ご教示を。

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 お昼は、御幸町六角下るの「ここら屋 御幸町本店」で鱧の丼をいただきました。

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 そして、デザートは錦市場の中の「黒豆茶庵 北尾 京の台所・錦店」で「抹茶〈冷〉(豆しぼり、キラキラ付)」をいただきました。

 錦市場を抜け、新町通で今日の辻回しで大活躍をした三つの山鉾の、衣装を脱いだ姿を見てきました。

◆南観音山
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◆北観音山
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◆大船鉾
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 また、粽を探してもどこも残っていないとのことでした。
 そこで、バスで八坂神社へ行き、御本社で粽をいただきました。ここの粽は初めてです。

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 今年も残り半年を、無病息災で過ごせますように。
 
 
 

posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年07月23日

(補訂版)神戸で百人一首の合宿の後はお楽しみの食事とスイーツツアー

 神戸市北区にある総合福祉ゾーンの「しあわせの村」で開催された「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」の夏期合宿は、今日が2日目です。

 昨夜は、不可思議なことがありました。夜、何度かエアコンが切れました。暑くて目が覚めると、エアコンが作動していないことに気付いたのです。そのために、3回もリモコンのスイッチを押し直しました。T時間のタイマーが設定されていたようです。同室の3人は、みなさん目が見えない方々なので、エアコンのリモコンを操作しようにも難しいのです。自ずと、私の役割です。なぜT時間にセットされていたのか不明です。タイマーのボタンなどは見当たりません。朝、他の部屋の方に伺うと、みなさん一晩中快適だったとのこと。少し寝不足で2日目を迎えました。

 午前中はカルタ取りの錬成会、午後は神戸三宮元町のスイーッツァーとなりました。

 まず朝9時半からは、リーダーの関場さんから依頼を受けた、『源氏物語』に関係する『百人一首』の歌10首の解説をしました。
 この内容は、一昨日の本ブログ「『百人一首』から選んだ『源氏物語』関係の歌10首の簡単な説明」(2017年07月21日)に記した通りです。ただし、30分という時間しかないこともあり、ブログの内容をわかりやすく手短にまとめました。説明不足ですみませんでした。
 『百人一首』の和歌の字句が揺れていたことや、歌から五感に訴えてくる部分の指摘には、興味を持ってもらえました。特に、紫式部の歌の最後のことばである「夜半の月かな」と「夜半の月影」については、みなさん意外だったこともあり、『百人一首』の言葉にも注意が向いたようです。自分なりの解釈を持っていると、『百人一首』のカルタ取りがもっともっとおもしろくなることも、少しは伝えることができました。カルタ取りという性格上、早く札を取ることだけに関心が向きがちです。しかし、この和歌の言葉に違った言い伝えがあることは、意表を突くものだったようです。

 拙いながらも私の話によって、物の見方を大きくし、ゆったりと構えていただいた後は、実践形式のカルタ取り会です。
 「点字・拡大文字付 百人一首」は、まだ完成していません。ルールはもとより、カルタ台やカルタの形と、そこに書く和歌の中から抜き出す文字についても、日々進化しています。
 今回も、八橋型と名付けたカルタで、さまざまな試行錯誤がなされました。
 特に、黒白反転したカルタを使った実践競技がそれです。これは、弱視者も文字の識別がしやすいので好評でした。

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 男女の名人級が対戦するエキシビションもありました。
 とにかく、カルタが上下左右に飛び交います。
 持っていたデジタルカメラで連写しながら、どちらが先にカルタを取ったのかをその場で判定しました。
 「写真判定だ!」とみなさんから大受けでした。

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 しかし、目が見えないために、複数枚の札に指がかかってカルタが飛びます。どの札を飛ばしたのかが、写真判定では確認できないことが多いのです。目が見える方同士の試合では、ピンポイントでカルタを飛ばせます。しかし、見えない者同士ではそこまではできないのです。この判定方法については、今後の課題と言えます。

 続いて、発想をまったく変えた、南沢さんの新方式も紹介されました。4枚だけを一枚のシートの四隅に置くことで、確実に札が取れ、どの一枚を飛ばしたかがわかりやすくなります。そして、取られた札が置いてあった場所に、別の札が置かれるというものです。

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 対戦した名人(?)2人は、頭の切り替えが楽しめたとのこと。これは、晴眼者と一緒にカルタ取りができることにもつながります。ただし、これには、私が担当したカルタを補充する役の動きとタイミングが、勝敗を分ける大きなポイントともなりかねません。
 今回は初めての挑戦でした。今後の展望が開ける、楽しい未来が見えてきました。
 進化する「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」に、今後とも大いに期待していただきたいと思います。

 午後は神戸三宮と元町に繰り出し、「ステーキランド つるうし館」で楽しみにしていた食事タイムです。これは、姉が何度も下見をし、ステーキ屋さんには5回も足を運んで試食をしたのだそうです。メニューの品定めをして、シェフとの交渉もしてくれました。その苦労の甲斐があってか、みなさまには満足していただけたようで安心しました。目の前で展開する包丁捌きのパフォーマンスは見えないとしても、ステーキと野菜を焼く音と、包丁が鉄板とぶつかり滑る軽快な金属音、さらには食欲をそそる香りは格別のものが有りました。まさに音と香りのショーに参加したのです。

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 次は、5軒のスイーツ巡りです。洋菓子の「ケーネヒスクローネ」、チーズケーキの「観音屋」、ケーキの「パティスリー」「トゥーストゥース」、きんつばの「高砂堂」。このお店と巡回コースも、姉が決めてくれました。みなさん、お土産が増え、リュックが一杯になっていました。

 新神戸駅でのお別れでは、あまりにも感動的な2日間だったこともあったためか、思わず涙する方々と再会を約してのお見送りとなりました。
 ガイドヘルパーのみなさまにも、お礼申し上げます。楽しい旅にするためのお手伝いを、ありがとうございました。おかげさまで、すばらしい成果があったと思います。関場さん、お疲れさまでした。広島大学からお手伝いで参加した2人にも感謝します。
 
 
 

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2017年07月22日

目が見えない方々と須磨で『源氏物語』の散策をしました

 今日はお昼前に、新神戸駅に23人が集合。目が見えない方は13名。目が見えるガイドが10名です。
 参加者は、福島・栃木・群馬・埼玉・東京・神奈川・京都・和歌山・大阪・広島・島根と、全国からの参加です。
 お一人だけ列車の事故に巻き込まれたとのことで、遅れての到着です。まずはみなさにはバスの中で待っていただきました。それでも、定刻に旅は無事に始まりました。

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 バスの中では、参加者各自が自己紹介。リーダーの関場さんの名調子で、楽しくスタートです。

 お昼は、神戸市立国民宿舎「須磨荘 シーパル須磨」内の和食処「漁(すなど)」で、おいしい海鮮丼をいただきました。
 食後は、近くに建つ行平の歌碑まで、須磨浦の海風と波音と塩の香りを肌身に感じてもらいながら散策をしました。これは、予告していませんでした。現地に着く前に、海岸に歌碑があることを知り、急遽コースに入れました。みなさん、歌碑をさわり、書かれた行平の和歌2首を触読しておられました。

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 チャーターしたバスには電話で連絡をとりながら近くまで来てもらい、サッと乗り込みました。
 次は関守稲荷神社(須磨の関跡)です。ここの入口には、俊成の歌碑があります。

     俊成
  聞き渡る
   関の中にも
   須磨の関
   名をとゞめける
   波の音かな


 境内には、『百人一首』の源兼昌の歌碑があります。

      源兼昌
  あはちし満
    閑よふちとりの
   那くこゑ耳
    いくよねさめぬ
     す万のせきもり


 『源氏物語』で、光源氏が須磨に退居していた時、巳の日祓いをしたところをここになぞらえ「巳の日稲荷」ともいわれています。

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 さらに3分ほど歩いて現光寺へ。「光源氏旧居跡」の石柱を触って、「源氏寺」と刻まれた石碑のところから、坂を上って本堂に向かいました。
 住職がお茶を出してくださったので、それをいただいて少し休憩しました。
 本堂には、国宝『源氏物語絵巻』10枚をふすま絵に模写したものがありました。
 ここは、光源氏が住んでいたところだとされています。

 この現光寺からバスで須磨寺に移動。

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 須磨琴保存会の小池みほさんのご好意により、須磨琴の演奏をたっぷり堪能しました。

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 その後、みなさんに須磨琴を体験していただきました。須磨琴を7台も出していただけたので、みなさん一絃琴をひくことができました、これは、想像していなかったサプライズとなりました。

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 その後は、バスで今日の宿泊地である「しあわせの村」に行きました。
 みなさんと楽しい食事をし、温泉に入り、それから集会となりました。
 3人の全盲の方の活動報告を聞きました。
 松江で『百人一首』の勉強をなさっている伊藤さんからは、『百人一首』との出会いや現在の活動の報告を伺いました。独学です。
 続いて、福島県からお出での渡邊さんから、これまでの高校の教員生活と『百人一首』の楽しい話を聞きました。一緒に科研に取り組んだ仲間なので、また新しい一面を発見しました。
 栃木からお越しの南沢さんは、小学校で『百人一首』のクラブを立ち上げた話や、カルタ台の今後について、さまざまな構想も語られました。アイデアマンです。

 みなさん、それぞれに人を惹きつける秘訣を体得しておられます。そうであるからこそ、周りに少しずつ『百人一首』に興味を持つ人たちを、それも目が見えない方々を巻き込んで来られたので。そのパワーには驚くばかりです。

 最後に、この会を取り仕切っておられる関場さんから、カルタ台の普及がこれからの『百人一首』の全国展開のカギとなるという話がありました。

 さらに夜の部は、みんなが一部屋に集まり、日付が替わるまで大賑わいでした。
 とにかく、パワフルな1日でした。
 明日は、『百人一首』のカルタ会です。今日以上に盛り上がることでしょう。
 今晩は、全盲の男性3人と一緒の部屋で休みます。いろいろな話をしながら、学生時代を思い出しています。
 
 
 
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2017年07月21日

『百人一首』から選んだ『源氏物語』関係の歌10首の簡単な説明文

 明日、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまを須磨に案内し、明後日は宿泊研修のお手伝いをします。
 研修の時、今回選び出した和歌について、少し説明することになっています。
 その場の説明だけではよくわからないことが多いと思われますので、以下に予習と復習を兼ねて、用意している文章を引用しておきます。

 この文章は、印刷したものを当日お配りします。
 今回は、福島・栃木・群馬・埼玉・東京・京都・大阪・和歌山・島根と、広範囲からお集まりのようです。
 それでは、道中お気を付けてお越し下さい。
 みなさまとの再会を楽しみにしています。


【11】参議篁
「わたのはらやそしまかけてこきいてぬと ひとにはつけよあまのつりふね」
《大海原の島々を目指して漕ぎ出したと、都の人には告げてくれ、漁師の釣り船よ。》
 →小野篁は、光源氏と同じく官位を剥奪されて流罪。遣唐大使の船が壊れた時、副使だった篁は船の交換が不満で乗船を拒否。嵯峨上皇の怒りをかい、隠岐島に流された。出雲の地で詠まれた歌。「人」は家族か恋人か友人か? 背景に船を漕ぐ艪の音が寂しく響いている。墓は京都にある紫式部の横。

【14】河原左大臣
「みちのくのしのふもちすりたれゆゑに みたれそめにしわれならなくに」
《福島県信夫のしのぶずりの乱れ模様のように私の心が乱れているのは、他ならぬあなたのせいなのです。》
 →源融は光源氏のモデル。「夕顔」巻の「某院」は、塩釜の景色を写した河原院が舞台。融の宇治の別荘は後に平等院になる。「誰」は「たれ」と清音。伝わる本文に違いがあり、「乱れ初めにし」は『伊勢物語』、「乱れんと思ふ」は『古今和歌集』。『百人一首』の前に出来ていた、勅撰集から選んだ歌集「百人秀歌」から独立して「乱れ初めにし」になった。

【16】中納言行平
「たちわかれいなはのやまのみねにおふる まつとしきかはいまかへりこむ」
《貴方と別れて因幡の国(鳥取県)へ行っても、いなば山の峰に生える松のように、あなたが待つと言うのを聞いたならすぐに帰ってきましょう。》
 →在原行平は須磨を漂流した。松風村雨堂に歌碑。『古今集』には「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」とある。一絃の須磨琴を行平が作ったという伝説あり。赴任にあたって左遷のような気持ちを、妻か母か友に贈った歌。

【24】菅家
「このたひはぬさもとりあへすたむけやま もみちのにしきかみのまにまに」
《今回の旅は急なことなのでお供えの幣の用意もできませんでした。手向山の紅葉を神のお心のままにお受け取り下さい。》
 →光源氏のモデルの一人とされる菅原道真。九州の太宰府に左遷されたまま没し、その霊が雷神となって都に現れた。天神信仰を背景に持ち、神へ奉納する紅葉から、この歌は竜田山で詠まれたとも考えられる。

【27】中納言兼輔
「みかのはらわきてなかるるいつみかは いつみきとてかこひしかるらむ」
《みかの原を分けて湧き出てくる泉川ではないが、あなたをいつ見たというので、このように恋しいのだろうか。》
 →「み」と「か」の音が流れるように響く。水が湧き、川が流れる音が背景で聞こえる。この歌は、「逢わざる恋」か「隔離された恋」のどちらか? 藤原兼輔は紫式部の曽祖父で「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」は『源氏物語』に26回も出てくる。

【55】大納言公任
「たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなほきこえけれ」
《滝の音は聞こえなくなってから長い年月が経ったけれど、その名声は今でも世間に伝わり聞こえてくることだ。》
 →藤原公任は、紫式部に「若紫はおられませんか」と声をかけた。「た」と「な」の音の繰り返しが心地よい。本によってこの歌は、「音」と「糸」の違いがある。聴覚の「聞こえ」が「音」の縁語になるか、視覚の「糸」が「滝殿の実景」と結び付くか。

【57】紫式部
「めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはのつきかけ」
《久しぶりにめぐり逢い、見分けのつかないうちに雲間に隠れた夜半の月のように、あなたはあわただしく去って行き残念です。》
 →『源氏物語』の総編集者。『源氏物語』の「雲隠」巻は巻名だけで文章はない。「月影」は『百人秀歌』や競技用かるたでは「月かな」と、いろいろな言葉で伝わっている。七夕を意識した歌であり、「月影」の方が人の別れる情景は深まる。

【78】源兼昌
「あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよねさめぬすまのせきもり」
《淡路島から通う千鳥の悲しい鳴声に、いく夜目を覚ましたことだろうか、須磨の関の番人は。》
 →関守稲荷神社に歌碑。この歌は、千鳥の鳴き声が耳をかすめる。「須磨」巻に「まどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く」。同じく「友千鳥もろ声に鳴く暁は一人寝覚の床も頼もし」を本歌取り。『源氏物語』をヒントにして詠んでいる。

【83】皇太后宮大夫俊成
「よのなかよみちこそなけれおもひいる やまのおくにもしかそなくなる」
《世の中というものは逃れる道はないものなのだ。深く思いこんで入ったこの山奥にも、鹿が悲しげに鳴いている。》
 →関守稲荷神社に藤原俊成の歌碑あり。「聞き渡る関の中にも須磨の関名をとゞめける波の音かな」。鹿が悲しげに鳴く声が背景から聞こえる。俊成は後に「歌詠みが源氏物語を知らないとは何たることか」と言った。

【97】権中納言定家
「こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ」
《待っても来ない人を待つ、その松帆の浦の夕なぎの時に焼く藻塩のように、わが身は恋心に焦がれている。》
 →藤原定家は『百人一首』の撰者。『源氏物語』の本文を整理した。この歌は、女が恋人の訪れを待つ趣向。無風の「夕凪」や「焦がれ」に皮膚感覚がある。

〔参考文献︰『百人一首の新考察』吉海直人、世界思想社、1993年〕

 
 
 
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2017年07月20日

新規科研(A)の取り組みが順調に動き出しています

 昨日は、システム開発管理会社にお願いしている、科研の新ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」に関する打ち合わせをしました。これまで公開していた「海外源氏情報」(http://genjiito.org)のバージョンアップ版となります。

 昨年度までのホームページ「海外源氏情報」は、すでに海外における平安文学の研究に役立つ、膨大な情報を提供するサイトとして育ちました。そのデータを継承する中で、新たなスタイルに移行しながら、より使い勝手の良いデータバンクを構築しようとしているところです。
 システムの開発チームから寄せられている、いろいろな質問に答える形で、一つずつ前進しています。予定通り、8月上旬に試作版を公開できると思います。みなさまからのご意見を取り入れながら、平安文学に関するデータバンクを次の世代に手渡ししていくつもりです。

 過日このブログを通して募ったアルバイト要員に関しては、すでに10人が集まったので、ここで一旦締め切ります。全員が大阪観光大学の1回生という、おもしろい構成となりました。今回の科研の研究期間は4年間なので、彼らの卒業とともに次世代にすべてを引き継ぐことになります。ゴールがはっきりしたこともあり、なかなかいい形でのスタートとなりました。

 これまで手薄であった東南アジア出身の学生が中心となって翻訳本を整理し、日本語を母国語とする学生が各種言語の情報を日本語で整理し統合することになります。
 今日集まったメンバーは、生まれも育ちも興味のありようもバラバラです。しかし、今回のような気の遠くなる壮大なテーマには適任の若者たちです。
 アルバイトに関してご要望にお答えできなかった方々には、この場を借りてお詫びいたします。またの機会に、手助けをよろしくお願いします。

 今日は、新しいメンバーで、作業をする部屋の一大整理をしました。備え付けのソファーやテーブルを外に出し、体育館から折りたたみのテーブル3台とイス数脚を運び込んで、部屋の真ん中に広い作業空間を確保しました。三方の壁面はすべて書棚です。

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 これで、10人が同時に仕事をすることができます。事務の方々のご理解とご協力には、いつものことながら感謝という言葉しか表現方法が見つかりません。ありがとうございます。

 多言語を扱うテーマに取り組むだけに、知的好奇心に満ちた多彩なメンバーの学生集団となりました。それだけに、今日の部屋の片付けも、みんなでああでもない、こうでもないと、和気藹々とやりました。楽しい仲間が集まり、今回もおもしろい成果が得られそうです。

 実働部隊は確保できました。次は、このプロジェクトを事務的な面からサポートしてもらえる専任者を、依然として探し求めています。プロジェクト研究員という立場の役割分担者となります。条件がいろいろとあるので、なかなかいい出会いに至っていません。興味と関心をお持ちの方からの連絡を、今もお待ちしています。
 とりあえずは、週に3日ほど、午後に大阪観光大学に来てくださる方が見つかりましたら、この科研は本格的な始動となります。
 実際には、今秋10月から来てくださる方との出会いを待ち望んでいます。

 これまでに何かと支援をしてくださっていたみなさまに、まずはこの記事を通して現状の報告といたします。そして、今回の研究を支えてくださる方々へも、この場を借りて現時点での報告とするしだいです。
 こらからも変わらぬご支援を、どえぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

posted by genjiito at 21:51| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月19日

南海泉佐野駅前の南北が逆の地図に惑わされて彷徨う

 今日は大学から京都の自宅には帰らず、職場の最寄り駅の一つである泉佐野駅前のホテルに泊まっています。連日の猛暑の中、往きが2時間50分、帰りが3時間半という小旅行は、さすがに体力を消耗します。しかも、ラッシュ時に移動することになるので、体力温存のためにも、長時間の通勤もこのあたりで中休みということにしました。

 大学のスクールバスは、学校を出て8分でJR日根野駅に着き、そこからさらに12分で南海泉佐野駅に着きます。日根野にはホテルが一つしかなくて、しかも高いので、泉佐野まで出ることにしました。
 駅前のロータリーには周辺図がありました。よく見ると、2枚が仲良く並んで貼られていています。それも、あろうことかそれぞれ、南北がまったく正反対の地図です。頭の中の方向感覚が、上を下への大騒ぎです。

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 これに惑わされてか、予約した徒歩2分のホテルに、何と30分もかかってしまいました。駅の西側へ行けばいいところを、東の賑やかな所へ迷い込んだのです。手にはスマホのナビを持ちながらだったので、我ながら方向感覚を狂わされたことに少しがっかりです。海外でも、地図を片手に、1人でどこへでも行けたのに……

 食事に出たところ、レストランも食堂もなくて、見かけるのは小さな飲み屋さんだけです。商店街はシャッター通りとなっていました。
 かつては賑わった街であることが、歩くだけでわかります。しかし、今は駅から数歩歩くと、寂しい雰囲気が伝わってきます。場所がいいので、また活気を取り戻すことでしょう。そのための方策は、練っておられるに違いありません。

 今春から観光ということに目が行くようになったこともあり、素人ながらもここは復活しそうな気がします。日本の新方針である観光立国という時流に、うまく乗れるかというのがカギでしょう。大阪湾側の再開発で、関西国際空港に面した泉佐野が生き返るのを、これから楽しみにしたいと思います。
 
 
 

posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | ブラリと

2017年07月18日

科研のアルバイト募集中[その2](「海外へいあんぶんがく情報」の情報収集と整理)

 過日、「科研のアルバイト募集(「海外へいあんぶんがく情報」に関する情報の収集整理)」(2017年06月05日)という記事を、本ブログに掲載しました。
 来月には、新たに「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)を公開できる予定です。そこで、さらにお手伝いをしてくださる方を追加募集することにしました。

 仕事の内容や条件は、過日とほぼ同じです。在宅ではなくて、実際に大阪観光大学に来ていただいて、情報や資料の収集と整理、ホームページの作成と更新および補訂をおこなっていただくことが基本となります。

 現在、4人の方がこうした仕事を手伝ってくださっています。大学一年生が中心なので、専門的な知識が求められるものではありません。こうしたテーマに関する、興味と関心が強ければ、十分に楽しくやっていただけるはずです。また、本科研のテーマの一つに、若手の育成があるので、これにも合致した取り組みとなっています。

 今回はさらに、もう一つのテーマである多言語翻訳に関して、お手伝いをしてくださる方を求めています。
 国際連合の公用語は〈英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語〉の6言語です。そこで、『源氏物語』が翻訳されている33言語のうち、この6言語以外の言語が(自由に?)読み書きできる方を求めています。これは、在宅でお願いすることになります。委細はすべてメールで確認したいと思います。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
 アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


 このアルバイトに興味をお持ちの方は、過日同様に、このブログのコメント欄を通して、簡単な自己紹介と共に連絡をいただければ、私からあらためて具体的に説明するなり、直接お目にかかってご説明いたします。

 いい出会いがあることを、今回も楽しみにしています。
 
 
 

posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月17日

京洛逍遥(451)[洗い茶巾]のお稽古の後、巡行を終えた祇園祭の山鉾を見る

 大和平群にお茶のお稽古に行きました。京都市内をバスで移動中のことでした。バスは、河原町通りを避けて河原町丸太町から鴨川を東に渡り、川端通りを川沿いに五条まで下りました。祇園祭の巡行のために交通規制があるからだそうです。洛中の一角で行われているお祭りではあっても、市をあげての一大イベントとなっています。
 バスが川端三条を通りかかった時、車中から西の方を見ると、河原町通りを一基の山鉾が視界に入りました。

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 三条大橋から河原町通りにかけては、ものすごい人出です。浴衣を着た男女が目立ちます。
 ニュースによると、浴衣姿の7割以上が中国から観光においでの方々だそうです。海外からお越しの方々が、日本の伝統的な夏の風景を作り出してくださっている、ということになります。これも日本の文化の特徴であり、一面なのです。真似をし、真似をされる中で、また新しい文化が生まれます。何でもかんでも批判的にとらえないで、1日も早く幅広い視野でアジア圏における文化の伝播や継承を語り合いたいものです。

 元山上口駅に降り立つと、ホトトギスが喧しいくらいに鳴きあっていました。一、二羽がほどほどです。インドで孔雀やインコの大群と出くわしたときも、興醒めだったことを思い出します。

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 今日のお茶のお稽古は、前回お願いしていた、丸卓を使った洗い茶巾です。お盆にお呼びするお客さんのためのお稽古です。夏らしい涼しげなお手前なのです。
 茶碗に張った水に茶巾を浸けて持ち出し、茶碗の上で音をたてて軽く絞ります。その後、建水の上でしっかりと絞ります。この時の音で涼しさを感じていただくことがポイントだと思いました。
 また、我が家の風炉は電熱器を使っています。いつも熱くなりすぎるので、スイッチを入れたり切ったりしていて、慌ただしいことです。これも、抹茶を棗からお椀に掬い入れたタイミングで水差しの蓋を取るので、その時に水を釜に足したらいいことも覚えました。
 臨機応変にと言っても、それなりの場面があってのことなので、タイミングを見計らっての動きは覚えておくに限ります。
 この丸卓を使った洗い茶巾のお点前は、どうしても覚えたかったものなので、もう1回お浚いをしていただきました。
 今春からは月に2回のお稽古を心がけています。これまでの年に数回と違い、その時だけでは覚えきれないにしても、思い出す間隔が短いと気分的にも思い出す苦労がない分だけでも楽です。

 お稽古から帰る途中で、祇園祭の前祭で今日の巡行を終えたばかりの山鉾を、妻と待ち合わせて見に行きました。粽は、後祭の折にいただくつもりです。
 ちょうど7年前の7月16日のことです。私にとって、それよりも妻にとってはさらに忘れられない祇園祭でした。その日、私がガンの告知を受けたからです。その夕方、妻と御池で待ち合わせて祇園祭を見てから、長刀鉾の近くで鱧寿司をいただきました。

「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010年07月17日)

 今日は巡行を終え、明日の解体を待つ山鉾を見て回りました。
 以下、新町通りの南北が中心です。

■放下鉾
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■船鉾
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 この船鉾の左後に岩戸山が立っています。

 ■岩戸山
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 四条通にも、一仕事終えた山鉾が立っています。
 月鉾の向こう左手に函谷鉾が見えます。

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 そして、新町通りの「いっ献」と、錦市場の「そわか」でお神酒を少しいただきました。

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 四条通りに出ると、御神輿の賑わいの最中でした。すでに時刻は夜の10時を回っています。それにもかかわらず、大勢の人が四条通を埋め尽くしています。祇園祭の底力を目の当たりにしました。

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 今年も、無病息災の後半となることを祈り、長刀鉾の粽菓子を我が家の仏さんに買って帰りました。

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posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年07月16日

『百人一首』から『源氏物語』と関係のある10首を選ぶ

 今週末の22日(土)に、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまを須磨に案内します。
 この計画は、過日の「目が見えない方々と須磨を散歩をするための下見」(2017年07月03日)で報告したように、ほぼ確定しました。食事もデザートも、何とか確保できました。みなさまに満足していただけるように準備を進めています。
 その後、宿泊研修場所となる「しあわせの村」でのイベントの検討が進む中で、翌23日(日)の午前中に、『百人一首』の中から『源氏物語』に関係のある歌を10首選び出し、その説明をすることになりました。そして、その歌を取り合うのです。
 実際に『百人一首』の中から『源氏物語』と関連する歌を抜き出してみようとすると、なかなか選べません。しかも、今回散策する須磨との関連も必要です。
 そこで、以下の10首を選んでみました。
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■『百人一首』の中で『源氏物語』と関係のある10首



【11】小野篁「わたの原八十島かけて〜」
  →光源氏と同じく官位剥奪の上で流罪。墓は紫式部の隣。

【14】源融「陸奥のしのぶもぢづり〜」
  →光源氏のモデルで、河原院が「夕顔」巻に関連。

【16】在原行平「立ち別れいなばの山の〜」
  →須磨を漂流し松風村雨堂に歌碑。須磨琴を製作したとか。

【24】菅家「このたびは幣もとりあへず〜」
  →光源氏のモデルとされる一人で、九州に左遷された。

【27】藤原兼輔「みかの原わきて流るる〜」
  →紫式部の曽祖父で「人の親の心は闇にあらねども〜」は『源氏物語』に26回も出る。

【55】藤原公任「滝の音は絶えて久しく〜」
  →酔った公任が紫式部に「若紫はおられませんか」と声をかけた。

【57】紫式部「めぐりあひて見しやそれとも〜」
  →『源氏物語』の編集者。

【78】源兼昌「淡路島かよふ千鳥の〜」
  →関守稲荷神社に歌碑。「須磨」巻に「まどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く」。

【83】藤原俊成「世の中よ道こそなけれ〜」
  →関守稲荷神社に俊成の歌碑。「歌人が源氏物語を知らないとは何たることか」と言った。

【97】藤原定家「来ぬ人をまつほの浦の〜」
  →『百人一首』の撰者で、『源氏物語』の本文を整理した。

 当日までに、みなさまが少しでも予習して参加できるように、これら10首について、簡単な説明を付けたいと思っています。ただし、目が見えない方々への説明文は、いろいろと配慮すべきことがあり、苦心惨憺しているところです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:03| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年07月15日

孫の「百日の祝い」の後に絵本が引き継がれる

 子どもが誕生した時の儀式としては、『源氏物語』の「柏木」巻に薫の、また「宿木」巻には匂宮の若君の「五十日の祝い」(いかのいわい)のことが語られています。国宝『源氏物語絵巻』の「柏木(3)」では、「五十日の祝い」で薫を抱く光源氏が描かれています。
 「百日の祝い」(ももかのいわい)のことは、現在手元にある『源氏物語』の本文からでは、確認できませんでした。異本の異文はまだ調査ができる状況にありませんので、不明といわざるをえません。
 『御堂関白記』によると、藤原道長の孫に当たる敦成(あつひら)親王が「百日の祝い」をしていることが確認できます。

 それから1000年以上もの時を隔てた熱暑の今日、娘たちが「百日の祝い」をするというのです。両家の両親ともども集まり、婿殿の親友が営む大阪の料理屋さんで、「お食い初め」というお祝いの儀式をおこないました。
 通過儀礼を記録しておくと、いつか本人が見て自分の歩みを確認することでしょう。節目節目のお祝い事は、みんなで祝って成長を見守っていくことにします。

 まずは立派なお膳が、主役である孫娘の前に据え置かれました。親友の大将が、心を込めて作ってくれた祝い膳です。

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 婿殿のお父さんが、食べさせるまねをして始まりました。

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 ある本によると、「健康で丈夫に育ちますように」とか「一生食べ物に困らないように」という主旨の願いを込めた、日本の伝統的な儀式だとありました。1000年の歴史の中で、その意味が曖昧になり、現代人にわかりやすい理由付けがなされているように思います。先の「五十日の祝い」では餅を使い、長寿者が子どもに与えるので、命や魂の活性化がその本来の意義にあるはずです。その後、魚になったり「百日の祝い」になったりしたのではないでしょうか。不勉強のため、まだ多分に私見ですが。

 お食事会が終わると、一旦娘たちの家に戻り、あらためてお祝いの会となりました。
 娘が作ったケーキを、みんなでデザートとしていただきました。

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 婿殿のお母さんが、息子が小さいときに読んでいた絵本だといって、数冊を持参しておられました。
 その中に、偶然、娘たちがすでに買っていた『いない いない ばあ』と同じ本がありました。33年の時の変化を、奥付で見比べました。

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 婿殿が小さい頃に愛読していたのは、昭和58年(1983)年の「第17刷」でした。
 そして孫娘がこれから読むことになる最新版は、2016年の「改訂第247刷」でした。
 「改訂」とあるので、この2冊を比べると、どこかが変わっているのです。それがどこで、どうなっているのか、そしてなぜ変えたのか、婿殿と娘への宿題としておきましょう。
 この本は、我が家の子どもたちも読んでいたようなので、長い間、多くの子どもたちに読み継がれている本のようです。
 この本で、また一人が育っていきます。
 今後の成長が、大いに楽しみです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | 美味礼賛

2017年07月14日

やっと研究室の荷物が片付き床が見え出しました

 本年1月に事務的な手続きのために大学へ行き、私が使う予定の研究室に入った時は、備品がいくつか置いてあるだけでした。

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 19年前には、この上の階の研究室を使っていました。ベランダの位置が違うだけで、同じ広さの懐かしい部屋の雰囲気に、つい時間が行きつ戻りつしました。

 3月、東京から荷物を運び込む直前には、一応事務的な仕事ができる状態にして、急ぎの書類などを作ったりしていました。

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 やがて、荷物がどんどん部屋の真ん中から積まれていきます。

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 狭い隙間が通路となり、荷物に囲まれた生活が今月まで続きました。
 東京から運び込んだ段ボールは130個。その段ボールの姿が部屋から消えたのは、6月末のことでした。といっても、段ボールがなくなっただけで、床にはその中に入っていた資料等が所狭しと積み上がっています

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 そして昨日、とにかく床がすべて見える状態になりました。見た目にも、やっと部屋らしくなりました。

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 とはいえ、段ボールから出した本や資料などを、書棚に押し込み、積み上げ、片付けただけです。まだ、整理とは程遠い状態です。

 この夏には、書棚の整理をしたいと思っています。
 4ヶ月がかりで、人が入ってきても恥ずかしくない状態になっただけです。
 運び込んだ荷物は、これから使いやすいように並べ替えたり、置き換えたりすることになります。

 大学の研究室がこうなので、もちろん自宅の勉強部屋はまだ未開封の段ボールがいくつも片隅に置いてあります。
 猛暑というよりも熱暑のこの夏。部屋や階段や押し入れに放置されたままの段ボールのうち、いったいいくつを開けて本や資料を取り出すことになるのか、はなはだ心もとないことです。
 とにかく、いまだに、常に物を探す日々です。何とかしなくては、と思いながら、こうして春から夏になり、やがて秋を迎えそうです。
 秋までには、「ただいま引っ越し中」という意識をなくしたいと、自らに言い聞かせています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月13日

雨野さんのスペイン語訳『今昔物語集』の公開

 昨年度までの伊藤科研(A)では、三省堂の雨野弥生さんが『伊勢物語』のスペイン語訳などの成果を公開してくださいました。

■「研究論文 スペイン語版『伊勢物語』について」
  (海外平安文学研究ジャーナルvol.4.0)

■「研究会拾遺 スペイン語版・英語版・フランス語版『伊勢物語』7 種における官職名の訳語対照表」
  (海外平安文学研究ジャーナルvol.5.0)

この『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)のダウンロードは以下から可能です。

「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開」(2017年05月02日)

 その雨野さんから、最近の成果をお知らせいただきました。
 受け取ったのは先月末でした。しかし、私が忙しさにかまけて、今ごろ記事にすることをお許しください。
 以下、雨野さんからのメールをまとめながらの報告となります。

 雨野さんは、大学院では京都の説話を研究対象にしておられました。そのこともあり、本年4月より、「京都を舞台にした説話・伝承」をスペイン語訳し、インターネット上で日本語・スペイン語で紹介するという連載を、月1回のペースで開始なさいました。

 私が開設しているサイトの「平安文学翻訳史」や、『日本古典文学翻訳事典』がお役に立ったとのことです。嬉しい限りです。

 以下、今回の連載の内容と記事のアドレスを記します。
 各項目の下のアドレスをクリックすることで、ご自由にお読みいただけます。

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連載1 はじめに(4月)
 http://spanglish-club.com/archives/426

連載2 瀬田の唐橋(5月)
 http://spanglish-club.com/archives/508

連載3 『今昔物語集』巻27−14全文 スペイン語訳 (6月)
 http://spanglish-club.com/archives/566
 
 連載の趣旨と概要および翻訳の手法については、雨野さんの言葉を引くことで、説明にかえます。
 この続きは、今月末に「連載4」として公開されると思います。楽しみにお待ちください。

 5・6月は、京都行きの新幹線の車窓から見える最大の?説話舞台である、「瀬田の唐橋」を取り上げ、無謀にも、『今昔物語集』の一説話の全文翻訳にも取り組んでみました。
 瀬田橋の辺の荒家で鬼に出会うという説話ですが、原文のもつ、恐ろしげなあばら家の表現やテンポをそのままお伝えしたいため、ダイジェストではなく、敢えて全文訳に踏み切りました。
 私の西語作文ではスペイン語圏の方が読むに堪えないスペイン語になってしまいますので、日本語で私が現代語訳を作り、スペイン語上級者やネイティブに古典本文の背景を伝えながらスペイン語訳して頂き、再度、私が内容に大きなズレがないかチェックをし、ネットにアップする、という流れで掲載しております。
 たかが今昔の1説話ですが、訳文作りに2ヶ月かかりました。

(中略)

『今昔』にはスペイン語での「抄訳」はございますが、この『今昔』27−14は、まだスペイン語訳が無いようです(英語も少なく、本説話を訳しているのは1種類のみのようです)。
 としますと、スペイン語でこの話をご紹介するのは、おそらく、これが初なのだろうと思います。

(中略)

 翻訳は、自分を含め、完全ボランティアのみで進めておりますので、スケジュールやクオリティを安定させることに難はあります。が、これまでは貴重な紙の翻訳書でしか読めなかった今昔の説話本文の面白さや、注釈研究の蓄積を、現地の今の地図などとも併せてインターネットを通じて少しでもお伝えすることで、日本に興味をお持ちの方に微力であってもお役立て頂けたら、それは日本側の研究の集積の、具体的な活かしかたの一つにもなるのではないか、と考えております。
(もちろん、私が間違った内容を伝えれば、それが全方位的に出回る危険もありますが)

          雨野 弥生

 
 
 
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2017年07月12日

読書雑記(202)伊井春樹著『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』

 『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(伊井春樹、ミネルヴァ書房、2917.7.10)を読みました。

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 読書雑記としては、種類は違うものの、前回の「読書雑記(201)有川浩『阪急電車』」(2017年07月05日)に続いて、阪急電車に関連した本ということになります。あくまでも偶然にこうなったのですが……

 小林一三には、観光地化に対する溢れんばかりの発想があったのです。新しい価値の発見であり、新しい思想です。本書には、明治から大正にかけての関西の文化が活写されています。小林一三を再発見し、再評価をする書となっています。
 一三が進める阪急沿線の開発とその宣伝文には、今、新しい職場で観光のことを考えている私には、多くのヒントをもらいました。

 箕面有馬電気軌道鉄道が明治四十三年三月十日に大阪梅田から宝塚へ、途中の石橋から箕面へと路線が敷かれて営業を始めると、宝塚への温泉客も増えてくる。ただ電鉄会社としては、〈箕面有馬〉と称しているように、有馬への延伸が基本であり、宝塚は通過駅としての位置づけにあった。それだけに観光地としても知られる箕面の開発にまずは勢力を注ぎ、集客をはかる新しい施設を整え、大阪お伽倶楽部の助力も得ながら、多様な催しを企画していった。
 宝塚は観光地ではないだけに、これまでは温泉宿を持つ避暑地として知られ、見るべき名所は「宝塚梅林」のみにすぎないと紹介記事はそっけない。ただ、有馬行き電車の構想が明らかにされた時点で、有馬温泉の旅館業者は日帰り客が増え、宿泊しなくなると強く反対していた。結果的にその声の大きさと、山間部を走る難工事もあり、小林一三は有馬への延伸を断念するのだが、正式の決定はまだ先のことであった。(180頁)
 (中略)
 正式に有馬行きを断念したのは大正二年六月、その直後に宝塚唱歌隊を結成し、本格的な宝塚開発へと突き進む。もっとも、小林一三はそれ以前から有馬までの路線は困難との思いをいだき、宝塚の観光地化を計画はしていたのであろう。(182頁)


 「観光とは何か」を考え出していたところだったので、タイムリーな本でした。
 次の一文は、まさに今、食と観光のことに取り組んでいるところなので、早速メモをしました。

「九月十日より箕面公会堂にて、全国食料品共進会、各地名物うまいもの、悉く一堂に集る」と、今日のデパートでも見かける「全国うまいものフェアー」も催されるなど、集客の方策がなされていく。(173頁)


 名所の裏にある人の流れと店や物の動きなどから、一三の発想の新奇さを超えた先見の明が活写されていきます。人を集めることに天才的な発想を見せた一三は、次々と妙案を提示していたのです。
 中でも、「箕面電車唱歌」「箕面動物園唱歌」には、日本の伝統的な文化が塗り込められていることを教えられました。一三は、単なる事業家ではなくてスケールの大きな文化人だった、と著者は訴えています。
 箕面動物園や山林こども博覧会のくだりになると、まさに伊井語りとでも言うべき口調で、明治40年前後の観光ガイドブックが展開します。観光に興味を持つ私には、これこそ貴重な資料集となっています。
 箕面でのさまざまな取り組みが、その後の宝塚での発展と展開の基盤となっていきます。特に私は、一三が子供の存在を巧みに意識させていることに注目して読み進みました。
 最後に語られる、宝塚におけるプールの失敗から劇場へという発想の転換は、鮮やかな成功談として楽しめます。ところが話はさらに転々とし、失敗と言われているプールが、実は一三のレトリックであって、実際には最初から劇場と公会堂を兼用できるものだったということが明らかにされます。丹念に資料を渉猟し、読み解いての新見解です。
 少女歌劇団員の名前について、天津少女などは『百人一首』から採ったことは知っていました。その他にも多くの例を提示されると、ますます役者への親しみが湧いてきます。

 舞台に立つとなると、人々に親しまれ、覚えられるような芸名が必要である。「ドンブラコ」で桃太郎役となったのが男役スター第一号とされる十四歳の高峰妙子、本名の浅井(中村)薫に対して、『百人一首』(山部赤人)の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」を典拠とした。このようなアイデアを持ち出したのは、文学に通暁する小林一三であったに違いなく、少女を一人ずつ見ながら、それぞれふさわしいみやびやかな名前を付けていく。猿となった雲井浪子は、「わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲井にまがふ沖つ白波」(藤原忠通)、小倉みゆきには「小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ」(藤原忠平)と、人々にとってはなじみが深く、日常的にも口ずさまれ、国民的な愛唱歌『百人一首』を用いた歌である。大江文子、由良道子、逢坂関子、若菜君子などと、少女たちは和歌に由来する芸名が付けられ、舞台女優としての自覚を強く持つにいたったことであろう。
 草創期の少女だけではなく、宝塚の伝説的なトップスターとして名を残す七期生の天津乙女は、「天つ風雲の通ひ路吹きとちよ乙女の姿しばしとどめむ」(僧正遍昭)に由来することはよく知られるところである。妹の娘役トップの雲野かよ子は十一期生、同じ和歌を用いての芸名となる。(246〜247頁)


 本書は、今から2年前に刊行された「読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』」(2015年07月15日)を受けた、一三の生き様と一三が生み出した文化を語るものです。本書に続く第3弾では、宝塚歌劇がどのようなものを題材にして、誰によって演じられてきたかが語られることでしょう。特に、『源氏物語』の話を期待しています。
 本書では、著者が住んでおられる箕面への愛着も、その行間から伝わってきます。その旺盛な知的好奇心がますます実を結び、私どもに近現代の生きた文化史を展開してくださることをありがたく思いながら、それを大いに楽しみたいと思います。
 巻末の詳細な「人名索引」と「事項索引」は、本書が単なる読み物に留まるものではなく、資料的な性格を併せ持っていることを示しています。読み返し、再確認するときに大いに役立ちました。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | 読書雑記

2017年07月11日

ユニバーサル・ツーリズムに関する思いつき

 広瀬浩二郎氏(国立民族学博物館)の「『ユニバーサル・ツーリズム』とは何か 共同研究●「障害」概念の再検討―触文化論に基づく「合理的配慮」の提案に向けて」(『民博通信』2017、No.157)を読みました。

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 これを読みながら、それをなぞるようにして、以下のことを考えてみました。
 まだ、ほんの思いつきです。
 しかし、これはさらに大きく膨らむような気がします。
 忘れないうちにと思い、ここに書き残しておきます。
 このことに関して、問題意識をお持ちの方からご教示をいただけると幸いです。


「ユニバーサル・ツーリズムの理論と実践に関する研究(メモ)」


 昨春の障害者差別解消法の施行により、さまざまな分野で「合理的配慮」の模索が始まっています。
 これは、観光においても、意義深い検討課題となるはずです。
 以下のメモは、私自身の問題意識がまだ不安定なので、思いつくままに列記したものです。

■障害者や外国人を対象とした観光のユニバーサル化
・事例を、現状から未来を見通しながら調査する。
・ユニバーサル・ツーリズムの具体例について、世界各国を広く見渡して収集し、分析し、検討する。
・石塚裕子氏(大阪大学)の「被災地ツーリズムのユニバーサル化」プロジェクトから学べるものを整理することからスタートする。

■誰もが楽しめる観光を模索■
・社会的な不利益について、観光における能動的な状況で健常者と共有し、互いに楽しめる旅とするためにはどのような環境が必要かを検討する。
・観光を通して、お互いの感覚の違いを知る、異文化間コミュニケーションを学ぶ場としたい。
・違う立場で、違う観点で物を見たり触ったりして、お互いの感じ方の違いを確認する意義を再確認したい。
・視覚、聴覚、身体に障害がある者が、不自由な感覚を補い助け合う関係と配慮のもとで、観光を楽しむことを実現する意義を確認する。
・「見る」ことだけに頼らない観光を、視覚障害者と共に考えていく。その中で、多視点からの複眼的なものの見方や考え方を、共に学ぶ場を構築していきたい。

■マイノリティーの立場からのバリアフリーについて再確認■
・障害者に寄り添うことから、障害者と共に楽しむ観光へと、発想の転換をはかる。
・自分が不得手とする感覚に気付くところから、気付かなかった潜在能力を発見する喜びと達成感を体験する観光は可能かを考える。
・ユニバーサル・ミュージアムは、障害者が主体的に「触る」ことで楽しむものである。その楽しみは、健常者も共有できることが実証されてきていることを追認する。
・広瀬浩二郎氏が提唱する「障害者発」の観光プランの可能性を、理論と実践を通して模索したいものである。
 
 
 

posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年07月10日

京大病院でビタミン注射を打ってもらう

 京大病院へ行って来ました。昨年建設された、写真左側の南病棟は、まだ一度もお世話になったことがありません。真ん中が、胃ガンで消化管をすべて摘出してもらった積貞棟です。右が、いつも診察をしていただいている一般診察棟です。

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 先月末の糖尿病栄養内科での検診で、晩ご飯の時に限ってお腹が痛くなることを相談しました。すると院内の連絡で、消化管外科での診察が設定されました。この外科は、私が7年前にガンの手術をしてもらったところです。

 先年、ガンとの卒業宣言をしてくださった先生に、今日は最近の生活をお話しました。結論は、何も気にしないで、今のままの生活をすればいい、ということでした。そして、ビタミンB12の筋肉注射を指示されました。これは、半年か1年おきでいいでしょうと。
 そういえば、この前も同じ処置がなされたことを思い出しました。消化管を持たない私のような身体には、飲むビタミン剤は消化吸収されないので、直接注射をするのがいちばんいいそうです。

 晩ご飯を2時間かけて食べているのはいい対処なので、痛くなったら好きなことをして休憩し、良くなったら食べたらいいそうです。
 また、私は一度に食べる量が限られているので、体重が減るのは仕方がないし、今のままの体調なら特に問題はないようです。無理をして食べないことも大事だとも。
 体重が48キロ前後で増えないことについては、食べることよりも運動をして筋肉をつけることに限る、とのことです。ただし、私の生活はバタバタと飛び回っているので、この年を考えると、そのままでいいのでは、との意見でした。十分に運動はしているとの判断です。

 ということで、どうみても今の私は元気そのものの日々のようなので、美味しいものを少しでもいいから食べられるときに食べ、仕事も好きなように飛び回ってやっていたらいいそうです。
 体重のことも、50キロを意識することはないようです。痩せているからといって、問題はないのです。

 別室で看護士さんが、筋肉注射をするために肩を出しながら、筋肉質ですね、と聞き慣れないことをおっしゃいました。身体は細身でも、腕の付け根などの筋肉はある方だそうです。若い頃にテニスに明け暮れ、新聞配達をして走りまわっていた頃の名残なのでしょうか。
 そういえば、拳を握ると、力瘤は立派に盛り上がります。ガリガリの痩せっぽち、と一見そうであったも、まんざらでもなさそうです。その年ならそんなものです、と言われると、ひ弱な我が身が頼もしく思えるから不思議です。

 ということで、今やれることを、やれるうちに、好きなようにやっていきたいと思います。お付き合いしてくださる方に感謝しながら、これまで通り、ひたすら前だけを見つめて突っ走っていくつもりです。折々にこの病院で診てもらっているので、お医者さんからストップがかかるまでは、これまでの調子で何事にも取り組みます。

 体力も腕力もないこの身体です。しかし、気力と眼力だけはしっかりと持っているつもりです。
 
 
 

posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | 健康雑記

2017年07月09日

奈良公園で開催された第51回 茶道文化講演会に行く

 3年前に、桜井市で開催された茶道文化講演会で伊井春樹先生が講演をなさった時のことは、「大和桜井で伊井春樹先生の講演を聴く」(2014年07月27日)に書きました。
 今回は、奈良市内にある「春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜」(旧奈良県新公会堂)の中の能楽ホールで開催されたので行ってきました。
 近鉄奈良駅で地上階に出ると、いつも行基さまにご挨拶をします。10年前までは奈良県民だったので、親近感があります。そして、その奥にある回転寿司のお店「とときん」で、少しお腹を満たします。

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 会場は、東大寺の手前の若草山側でした。

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 この奈良公園は、子どもたちを自由に遊ばせたところです。30年前のシルクロード博覧会の時には、勤務していた高校の年間テーマをシルクロードにし、全教科で取り組んだので思い出深い会場跡地でもあります。井上靖の記念館などには、その後も何度も足を運びました。

 会場に入るとすぐに、淡交会奈良支部の幹事をなさっている先生にご挨拶をし、呈茶の席に移動し、七夕の天の川を模したお菓子とお茶をいただきました。

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 今日の講師は長艸純恵氏。純恵氏は、旦那さまの敏明氏と共に京繍伝統工芸士です。演題は『奈良と刺繍の今』でした。
 純恵氏は、「繍半襟 源氏物語五十四帖展」(東京)、「京刺繍 源氏物語五十四帖展」(パリ)などの個展をなさっています。また、「王朝人の花鳥風月展」(京都嵐山・小倉百人一首殿堂時雨殿)もなさっているので、平安文学に深く関わったお仕事をして来られた方です。ただし、今日はそうした話はあまりありませんでした。衣装や装束に関する歴史と、刺繍の技術についての話題が中心です。

 現在の刺繍は、奈良の中宮寺にある「天寿国曼荼羅繍帳」に始まるそうです。その刺繍の歴史から語り出されました。吉備真備が唐から繍技法を持ち帰ったことから、京都の刺繍組合では真備をお祀りしているとのことです。
 縫屋の暖簾は松葉が使われています。資料がカラーで鮮明だったので、『職人尽絵屏風』(狩野吉信筆)に「縫取師」が描かれているのもしっかりと確認できました。

 お話も、次第にお仕事として取り組んでおられる刺繍の実際を、スライドをもとにして進みました。具体的な内容だったので、作業工程がよくわかりました。
 古帛紗や仕覆に刺繍した作品がスクリーンに映し出されると、茶道の関係者の集まりだけに、溜め息が会場を包んでいました。
 祇園祭の後祭に出てくる北観音山の水引幕を復元なさった話も、その作業工程がわかり興味深いものでした。一枚2年、四枚8年という仕事だったそうです。四面で120人の人物を刺繍で描いたとか。
 今後の課題は、技術の継承だそうです。教え方、育て方についての体験談は、非常にいい勉強になりました。

 建物を出ると、鹿たちが大移動をしだしたところでした。

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 そしてすぐに大雨となったのです。いつも一緒にお稽古をしている方と、茶店で雨宿りを兼ねた一服です。特急で京都に直行する途中でも、激しい雨のために大和西大寺駅の手前でしばらく停車していました。天気の急変で、大変な帰途となりました。

 京都駅の構内では、祇園祭の展示がありました。

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 今年はどの山鉾の粽や手拭いをいただこうかと、しばらく品定めをしました。

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posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ブラリと

2017年07月08日

日比谷で『源氏物語』「若紫」を読む/第3回

 月一回となった東京日比谷で写本を読む講座は、今回が3回目です。今日は、テキストである国文研蔵「橋本本 若紫」の21丁表4行目「【人】あ那里」から、22丁表最終行の「きこえ・堂まふ」までを確認しました。

 その前に、いつものようにいろいろな話題を提供しました。「仙洞御所」の意味や、新たに古写本を読む学習会を始めたことなど、雑多な情報を提示したのです。
 休憩時間にも、昨日の京都新聞で見かけた次の表現について、一つの話題を振りました。
 「地面揺れうなる音」
 これは、このままでは紛らわしい表記だと思ったからです。「ゆれ」と「唸る・呻る」の文字としての判別というよりも、視認性の問題です。
 これについては、読点か分かち書きで対処すべきものだ、という私見を持っています。とくに、スペースを入れる分かち書きの復活は、漢字を手で書けなくなった現代においては、平仮名の表記が生き返る意味からも、有効ではないでしょうか。
 また、今回配布したプリントでは、京都新聞に連載中の京言葉訳「若紫@」(いしいしんじ)や、「京」と「洛」の使い分けなどの研究成果も話題としました。
 前回の課題とした、「天」と「弖」の前に来る「り」や「里」の傾向についても、調査した結果をブログに書いたことをもとにして報告しました。
 今日の『源氏物語』の講座の中で、写本に記された文字で拘ったことは、「仏」と書いてあって「佛」ではないこと、「わ可【葉】」の場合は「葉」を平仮名ではなくて漢字として翻字しておくこと、などです。
 「仏」については、現行の「煮沸」の「沸」はこのままでいいのか、ということです。鎌倉期の写本には、明らかに「仏」と書いてあるからです。
 【葉】については、「葉」の意味が強く残っているものは、漢字として翻字していることを伝えました。漢字を特定する記号の【 】は、いつでも外せるからです。
 終了後に、有志の方々と有楽町の駅前で、少し暑気払いをすることになりました。
 日比谷公園の中では、ペルーのイベントがあり、舞台で躍りが披露されていました。

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 今年こそ何とかしてペルーに行き、スペイン語訳『源氏物語』の後半部分を 進めておられるピント先生にお目にかかりたいと思っています。こうして偶然ながらもペルーの踊りが観られたので、この願いは叶うかもしれません。
 有楽町の駅前では、イタリア料理店に入りました。話に夢中になり、何をいただいたのかほとんど覚えていません。 赤ワインをいただいたことは覚えています。ここでも、さまざまな話題で盛り上がりました。
 次回の第4回は、8月5日(土)の午後2時半からです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 変体仮名

2017年07月07日

生涯学習講座「『源氏物語』の古写本を読む」のお誘い

 大阪観光大学の図書館の一角を借りて、『源氏物語』の古写本を読み始めました。

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 これは、「熊取ゆうゆう大学」の中で大阪観光大学が展開する[キャリアアップ講座]の一つです。熊取町の生涯学習推進課が広報し、申込窓口は大阪観光大学キャリアセンターとなっています。
 ただし、すでに締め切られているので、参加を希望される方は直接、このブログのコメント欄を利用していただくか、大阪観光大学の庶務課に連絡をしていただければ大丈夫です。

 募集にあたっては、以下の内容を広報誌に寄せました。

[講座名]『源氏物語』の古写本を読む


[講師]伊藤鉄也
[日時](原則)各月 第1・3水曜日、午後3時半〜5時
[登録料]2,000円
[教材]『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(新典社、2016年)
[講座のポイント]
 初心者向けの勉強会です。『源氏物語』の古写本を読む技術の習得と、『源氏物語』の異文の世界を楽しみます。活字による現代の読書体験との違いを実感してください。今回使用するは、講師が編集した教科書です。


 今週5日(水)は、第2回目でした。午後3時半から1時間、橋本本「若紫」を、前回の復習として読みました。鎌倉時代に書き写された古写本を、変体仮名の文字に注意しながら読み進めています。一文字ずつ丁寧に、平仮名の元となった漢字を確認しながら、ゆっくりと読んでいきました。
 次回以降は、次のようなスケジュールとなっています。
 8月2日だけが開始時間が異なります。ご注意ください。

 7月19日(水) 午後3時半から5時まで
 8月 2日(水) 午後1半から3時まで
 9月27日(水) 午後3時半から5時まで
10月11日(水) 午後3時半から5時まで
10月25日(水) 午後3時半から5時まで
11月 8日(水) 午後3時半から5時まで
11月22日(水) 午後3時半から5時まで
12月 6日(水) 午後3時半から5時まで
12月20日(水) 午後3時半から5時まで


 初心者を対象とした社会人講座なので、どなたでも自由に参加できます。人数は特に制限していません。今からでも大丈夫です。
 仮名文字で書かれた『源氏物語』の写本を読んでみたい方は、お気軽にお越しください。
 大阪観光大学までの経路は、以下の大学のホームページで確認してください。

http://www.tourism.ac.jp/concept/access.html
 
 
 

posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年07月06日

翻訳本『源氏物語』のミニ展示・第三弾は《ヨーロッパ編》

 5月から始めた、『源氏物語』の翻訳本を中心とするミニ展示は、今回で3回目となります。本日、悪戦苦闘を楽しみながら、何とか観ていただける形にしました。
 体系だった展示にするため、第一回目に出品した本が数冊入っています。

 イタリア・フランス・ドイツ等、ヨーロッパの言語で翻訳された本を24冊並べました。

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 向かって左側の展示ケースには、スペイン語・イタリア語・ポルトガル語・フランス語・オランダ語の13冊を並べました。
 カラフルな表紙の本が多いので、これまで以上に明るく華やかな雰囲気になりました。

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 右側のケースの中には、ドイツ語を始めとして、左側のケースの国以外のもの11冊を並べました。

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 展示した本が、それぞれどこに位置する国で出版されたものかがわかるように、ヨーロッパの地図を横断幕の下に貼り付けています。

 今回も、展示した本の簡単な書誌を中心にした解説を、プリントにしてガラスケースの上に置きました。ご自由にお持ち帰りください。
 参考までに、以下に、そのテキストを引用します。

《世界中の言語に翻訳された『源氏物語』》

        ヨーロッパ編


              
             2017年7月5日(水)〜8月31日(木)
               於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。各国で『源氏物語』がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
 アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

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☆ドイツ語


◯マキシミリアン・ミューラー・ヤブシュ訳(ドイツ語・1911年)
 表紙は皮製。扉絵はフランツ・クリストフによる、具足をつけた男性と、傘を持った女性の絵。末松謙澄訳の重訳。

◯ヘルベルト・E・ヘルリチュカ訳(ドイツ語・1995年)
 表紙は江戸時代の役者絵。ウェーリー訳の重訳。

◯オスカー・ベンル訳(ドイツ語・1992年) 
 翻訳者名をべーネルとする文献もある。第1巻の表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「宿木」巻で、今上帝と薫が碁を打つ場面。第2巻は、同巻で女房たちがその様子をうかがっている場面。底本は複数あるものの、古典からの翻訳。

☆フランス語


◯キク・ヤマタ訳(フランス語・1952年)
 表紙は文字のみ。ウェーリー訳の重訳。

◯ルネ・シフェール訳(フランス語・1985年)
 箱・表紙ともに『紫式部日記絵巻』の藤原斉信。本の表紙は背景が黒く、裏表紙には作品名のみ。ウェーリー訳の重訳。

☆イタリア語訳


◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・1992年)
 箱は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「宿木三」。本の表紙は、同絵巻の『源氏物語絵巻』「東屋二」。ウェーリー訳の重訳。

◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・1992年)
 第1巻の表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「東屋二」。第2巻は、同絵巻の「東屋一」。ウェーリー訳の重訳。

◯ピエロ・ヤイエル/ピア・フランチェスコ・パオリーニ訳(イタリア語・2002年)
 ヤイエルが「匂宮」〜「宿木」前半を、パオリーニが「宿木」後半〜「夢浮橋」を翻訳。表紙は、鳥居清長の『角田川月見船』。ウェーリー訳の重訳。

◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・2006年)
 表紙は、三代歌川豊国、歌川広重合作の『風流げんじ須磨』。ウェーリー訳の重訳。

◯マリア・テレーザ・オルシ訳(イタリア語・2012年)
 表紙と箱は『国宝源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』で、同氏の遺作。古典からの翻訳。

☆スペイン語


◯ハビエル・ロカ・フェレール訳(スペイン語・2005年/2006年)
 表紙のうち、第1巻は宮川春汀の『当世風俗通』のうち『さくらがり』(1897年)。版が異なるものの中には、バークコレクションの一つ、土佐光起『源氏物語画帖』「浮舟」もある。第2巻は、月岡芳年の『大日本史略図会 第八十代 安徳天皇』。平教経が源義経の舟を見つけて、組みかかろうとする場面。複数の外国語訳を参照。

◯ホルディ・フィブラ訳(スペイン語・2006年)
 第1巻の表紙はバーク・コレクションの一つ、土佐光起の『源氏物語画帖』「花宴」。2巻は「浮舟」。タイラー訳の重訳。

◯下野泉/イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン訳(スペイン語・2013年)
 ペルーで出版された本。表紙は國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音巻」。古典からの翻訳をしつつも、与謝野晶子の『全訳源氏物語』も参考にしている。

☆ポルトガル語


◯リヒア・マリェイロ/エリザベート・カーリ・レイア訳(ポルトガル語・2007年)
 表紙は立松脩がデザインした、首飾りをしている黒髪の女性の絵。底本は一つではなく、ルネ・シフェール、アーサー・ウェーリー、ハビエル・ロカフェレール訳等を参考にした。

◯カルロス・コレイア・モンテイロ・オリベイラ訳(ポルトガル語・2008年)
 第1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、ハーバード大学美術館蔵の土佐光信『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたもの。底本は一つではなく、ルネ・シフェール、アーサー・ウェーリー、ロイヤル・タイラー、ハビエル・ロカ・フェレール訳等を参考にした。

☆セルビア語


◯スレーテン・リリック訳(セルビア語・2003年)
 表紙は「初音」巻。ウェーリー訳の重訳。

☆クロアチア語


◯ニキツァ・ペトラク訳(2004年)
 表紙は五島美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「鈴虫」巻。夕霧が笛を吹いている場面。サイデンスティッカー訳の重訳。

☆チェコ語


◯カレル・フィアラ訳(チェコ語・2002年)
 表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「東屋二」。佐伯梅友校注『源氏物語購読』、ロイヤル・タイラー訳を参考にした。

☆リトアニア語


◯ダレ・シュバンバリーテ訳(リトアニア語・2006年)
 表紙は、黒地に日本庭園の写真。古典からの翻訳。

◯ダレ・シュバンバリーテ訳(リトアニア語・2011年)
 表紙は、写本の画像と平安時代の男女を描いた絵。古典からの翻訳。

☆スロヴェニア語


◯シルベスター・スカル訳(スロヴェニア語・1968年)
 表紙は、浮世絵(女性の絵)。ヘルリチュカ訳(ドイツ語)の重訳。

☆オランダ語


◯ヨス・フォス訳(オランダ語・2014年)
 表紙は、バーク・コレクションの一つ、土佐光起『源氏物語画帖』「花宴」巻。ウェーリー訳からの重訳。

☆フィンランド語


◯ツルネン・マルティ/カイ・ニエミネン訳(フィンランド語・1980年)
 マルティが本文、ニエミネンが和歌部分の翻訳を担当。表紙のカバーは『扇面法華経』、本の表紙にはSMの文字だけが書いてある。古典からの翻訳。

☆ハンガリー語


◯ホルバルト・ラースロー訳(ハンガリー語・2009年)
 第1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、第2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、第3巻は京都国立博物館蔵の伝土佐光元『源氏物語図』「蜻蛉」。サイデンスティッカー訳の重訳。


 このミニ展示の第3弾は、8月末までの2ヶ月間にわたって行います。9月からは、英語で翻訳されている『源氏物語』を並べます。

 今後も、月替わりで翻訳本を展示します。毎回、なかなか見る機会の少ない本を、こうして公開します。
 ご質問やお問い合わせには、可能な限り現状を確認して、お答えしています。
 大阪の南部にある大阪観光大学に、珍しい翻訳本との出会いを楽しみにして、一度足をお運びください。お待ちしています。
 
 
 
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2017年07月05日

読書雑記(201)有川浩『阪急電車』

 有川氏の作品を読むのは、これが初めてです。聞き耳を立てて話を楽しむ味があります。

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 関西の香りと軽妙さが心地よい、いい作品です。そして、登場人物の役割と演出が絶妙です。仕組まれた言葉の棘が、随所でチクリと刺して来るので、大いに楽しめました。語られる言葉の端々に、温かい視線も感じられました。
 乗客たちを乗せて走る電車には、それぞれの物語も乗せて走っている
のです。
 若い男の子と女の子の気持ちを描き分けながら、その接点と距離感が微妙に絡まる話に仕上がっています。壊れそうな人の気持ちと相手とのバランスを、包み込むように語るので、短い話ながらも人に対する優しいまなざしが伝わってきます。
 全編を通して、透明感のある文章です。そのせいか、読み終わってみて、軽さが気になりました。
 最初、作者は男性かと思って読み進めていました。すぐにあれっと思い、作者は男女どちらなのかを楽しみながら読みました。
 何も知らない作家の作品を読むときには、こんな楽しみ方もあります。決め手は、男性の心が見通せているか、というところです。
 その意味では、『源氏物語』には、女性では書けないと思われる描写があって、この視点で物語を読むのもおもしろいと思っています。蛇足ながら、『源氏物語』の作者は紫式部という一人の女性だけが書いたとは思っていません。彼女は、あくまでも最終段階の総責任者に留まるのではないでしょうか。そして、今残っている文章には、その後の男性の筆が入っているようです。
 それはともかく、有川さんの、また別の作品を読んでみたいと思うようになりました。【3】

書誌メモ︰2008年1月、幻冬舎より単行本発行
     2010年8月、幻冬舎文庫として刊行
 
 
 

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2017年07月04日

読書雑記(200)加藤 聖文『満蒙開拓団』

 『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』(加藤聖文著、岩波現代全書、2017年3月)を読みました。

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 開拓民の衝撃的な証言から始まります。私は、満州から命からがら日本に帰ってきた母から少し聞いていたので、身につまされる思いで読み始めました。語り口が優しく、読みやすい文章です。

 本書は、満蒙開拓団の歴史を政策史の視点から検証していきます。これまでは、悲劇に焦点が当てられたものが多く、政策史からの視点で分析したものはほとんどないそうです。研究書もない中で、俗説混じりの開拓団の歴史が流布する現状に一書を投ずることになったようです。

 また、満洲開拓政策は、加藤完治と東宮鉄男によって進められたとされている。そして、移民拡大に反対していた高橋是清が二・二六事件で殺害されたことで、移民拡大の障壁が取り除かれ、百万戸計画という大量移民に繋がったともいわれている。しかし、これは加藤完治ら移民推進派が、戦中から戦後にかけてことあるごとに発言していた言説であって、彼らの功績を誇張した「俗説」でしかない。にもかかわらず、今日にいたっても研究書のレベルですらこのような単純化された「物語」を何の検証もないままそのまま鵜呑みにする傾向が強い。
 本書で明らかにしていくように、満洲開拓政策は限られた特定の人間たちによって推進されたような単純なものではなく、戦時下で目まぐるしく変わる政治環境のなか、政策が肥大化する反面、誰もが一定の枠組み以上の影響力を与えることはできず、政策責任の所在が不明瞭になってしまったという特徴を持つ。
 満洲開拓政策という国策は、関与した人物の多彩さに加え、「日満一体」のもと日本国内にとどまらず満洲国まで巻き込んだ政治状況の複雑さ、さらには日本人だけでなく中国人や朝鮮人など多民族を巻き込んだ民族問題までもが絡み合って、その実態への接近を拒絶し続けてきた。
 これから本書において、複雑な構造を抱える国策の実態に接近を試み、七〇年以上経っても総括されないまま、今なおさまざまな課題を投げかけている満蒙開拓団の歴史を考察していこう。(「はじめに」 xi頁)


 この問題では、長野県が研究対象として偏重していることから、本書では長野県以外の事例を取り上げ、国策が全国に与えた影響を見ようとしています。

 なお、本書執筆にあたっての著者の思いなどは、「あとがき」で次のように記してあります。本書の性格を知ることができるものなので、これも引いておきます。

 満蒙開拓団をめぐる問題は今なお続いている。また、その問題に気づいて歴史を掘り起こそうとする人たちもいる。しかし、その手引き書ともいえる学術的な通史が皆無であった。これは研究者として恥ずべきことであって、誰も書かないならば自分が書くしかない。そんな思いを募らせて、岩波書店の馬場公彦さんに満蒙開拓団の通史を「売り込んだ」のである。自分から書きたいといったのは初めてであった。(242頁)


 さて、柳田國男が農商務官僚として出てきます。農政論者から民俗学者へと転身する背景が語られています。新鮮でした。

 世界恐慌に端を発した農村の窮乏に対しては、所管官庁である農林省がもっとも強い危機感をいだいていた。実は、すでに日露戦争後から農村の経済構造は大きく変わりはじめており、土地所有を拡大した地主が寄生地主化するとともに地主と小作との対立が顕在化、前近代的な村落共同体は危機に瀕していた。こうした農村の危機に敏感に反応したのが柳田國男であった。一般的には民俗学者として知られる柳田は、そもそも農商務官僚として農政の専門家であり、地主の自作農化によって中農層を育成して農村再生を図ろうとしていた。また、当時物納制であった小作料の金納化や台湾・朝鮮からの外米移入によって地主の意図的な米価つり上げを牽制しようとするなど、この当時では革新的な農政論者であった。しかし、柳田の革新的な意見は取り上げられず挫折し、彼は官界を去り民俗学へと傾斜していった。そして、この柳田の未完の政策を受け継いだのが石黒忠篤であったのである。(23〜24頁)


 さまざまな資料を丹念に読み解き、駆使して、満州の地で起きていた出来事を冷静な口調で語ります。取り上げられたら事例が具体的なので、著者の切り口と視点に新鮮さを感じました。

 ただし、その後は同じ調子で事実の羅列とその解説が続くので、少し飽きてくる節もありました。本書の性格からは、自制の姿勢は理解しつつも、もっとドラマチックに仕立ててもよかったのでは、と思いました。
 また、地名や人名は、馴染みのないものが多いので、もう少し振り仮名があると、いちいち立ち止まらずに読み進められたと思います。

 原節子のデビュー作「新しき土」という映画の話は、もっと語ってほしいことでした。話が文献中心なので、こうした文化面からの切り口も効果的だと思われます。

 ちなみに、百万戸計画と同じ年に日独防共協定が結ばれたが、これを記念して日独合作映画「新しき土」が制作された。原節子のデビュー作となった作品であり、全国的に大ヒットを記録したが、そもそも国策映画としてのタイトルが示す通り、この映画のラストは原節子が夫となった主人公と満洲へ移民団として渡るという筋書きであった。鍬を握ったこともない良家の子女が移民として満洲へ渡る−それは、貧しい農民の救済という当初の意図からかけ離れて、国策となった満洲移民は国民すべてが対象となることを暗示していたのである。(128〜129頁)


 後半の昭和十年代も終わり頃についてなると、満州に行こうとする人が少なくなります。そこで国や地方がどうしたか、という下りは、もっと聞きたいところです。満州開拓という国策を無理やり拡大する中で、学校関係者や部落問題が絡んでくるからです。

 次の文章はは、両親が満州で置かれた環境を知る手がかりとなるものです。地続きの国境における緊張感に欠ける日本ならではの失態、というべきものだったようです。

 日ソ戦争は八月一五日になっても終わることはなかった。公式には、一九日に関東軍とのあいだで停戦合意が成立したことで関東軍の武装解除が開始されるが、場所によっては八月末まで戦闘が継続、さらに、武装解除を受けた兵士たちの大半はソ連へ連行されていった。シベリア抑留の始まりである。根こそぎ召集で兵士にされた開拓民や義勇隊員たちは停戦時に現地除隊をして開拓団へ戻る者もいたが、そのままソ連軍によってシベリア抑留となるケースも頻発した。彼らは残してきた家族の安否を確かめる術もないまま数年間にわたる強制労働を強いられ、生き残った者たちは帰国して初めて家族を喪ったことを知ることになる。
 一方、ソ連軍は老人と子供と女性ばかりになっていた開拓団を容赦なく攻撃した。攻撃を受けた側からすれば、なぜそこまでしなければならないのかと憤るのも当然である。しかし、ソ連軍からすれば開拓団に男性がほとんどいなかったことまでは把握していない。しかも、当初から開拓団は軍事拠点と見なされる存在であったのである。
 そもそも移民を最初に構想した東宮鉄男は、そのモデルをソ連が行っていた武装移民に求めていた。ソ連は満洲事変直後、軍事的に優位にあった関東軍が極東地方へ進攻することを恐れており、防衛体制の構築を急ぐため、その一環として武装移民を極東に入植させていた。東宮はこのソ連の武装移民をモデルとして武装移民計画を構想したのである(『東宮鉄男伝』『満洲開拓史』)。
 占領地の支配強化を目的として自国民を入植させる政策は、ヨーロッパでは一般的であった。例えば、第一次世界大戦後に独立したポーランドでは国境を接するソ連との軍事的緊張状態が続いていたため、東部国境周辺にオサドニッツイと呼ばれる武装移民を入植させ、国境防衛に充てていた(『カチンの森』)。
 また、ドイツは第二次世界大戦中に一二〇万人ものポーランド人を独軍占領地ウクライナに強制移住させ、彼らを追放した後には、ドイツ本国からドイツ人の入植を進めていた。このようにドイツとソ連に挟まれた東欧では、支配と移民とは表裏一体の関係にあって、政治的・軍事的意図を抜きにして語ることはできないものであった。
 ということはソ連側から見れば当然、日本が満洲国内で建設した開拓団は政治的意図によってつくられた軍事組織以外の何ものでもなかった。しかも、実際に関東軍は開拓団に軍事的役割を求めていたのであり、日ソ戦時に軍命令で戦闘に直接従事した開拓団(間島省琿春県集団第一二次飯詰開拓団・同県義開第四次小波開拓団・東安省虎林県集団第一三次光開拓団など)や義勇隊(牡丹江省東寧義勇隊訓練所・黒河省孫呉義勇隊訓練所)もあったのである。
 開拓団をめぐる悲劇は、このように当時の国際的通念からすれば開拓団は軍事組織と見なされていたにもかかわらず、当事者である開拓民たちにとっては、日本国内と同様の「村」としてしか認識しておらず、関東軍が守ってくれる以上、軍事攻撃に曝されるとは露ほども思っていなかったというギャツプの大きさにあるといえる。
 また、関東軍幕僚を除けば、開拓政策を推進した民間人や官僚も国内問題という極めて内向きな視点からしか開拓団を考えていなかったことも大きな問題であったといえる。軍事的緊張感が強い外国への入植という国際的な問題を日本限定の内向き思考でしか捉えられない政治エリートの想像力の貧困さは、日本社会の宿痾でもある。(195〜197頁)


 具体的な情報を基にした記述で、満州がどういうものであったのかがよくわかりました。
 本書は、満蒙開拓団が中心でした。次は、軍人として満州に渡った私の両親たちの、現地での生き様やその歴史的な位置付けを知りたくなりました。
 この両面が明らかになると、満州の実態がさらに鮮明に浮き彫りになることでしょう。【4】
 
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 満州のことについては、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を通して、個人的な感懐を記しました。
 参考までに、その記事9本を列記しておきます。
 このリストでも、記事の中のリンク先は、本年3月に閉鎖したイオネットになったままのものが多くあります。気付いたものから、このさくらネットのアドレスに書き替えていきます。いましばらくお待ち下さい。参照してお読みいただく際には、記事の名前で再度検索していただくことで、当該の記事が表示されます。


「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)

「読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』」(2017年01月25日)

「読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』」(2016年12月29日)

「読書雑記(182)船戸与一『大地の牙 満州国演義6』」(2016年10月21日)

「読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』」(2016年09月29日)

「読書雑記(174)船戸与一『炎の回廊 満州国演義4』」(2016年08月05日)

「読書雑記(170)船戸与一『群狼の舞 満州国演義3』」(2016年06月23日)

「読書雑記(153)船戸与一『満州国演義2 事変の夜』」(2016年01月14日)

「読書雑記(145)船戸与一『風の払暁 満州国演義 1』」(2015年11月17日)
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 また、これまでに満州のことを書いた記事のリストも引いておきます。
 これはあくまでも暫定的なものであり、今後とも追記していきます。

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「読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』」(2016年12月30日)

「読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』」(2016年12月28日)

「両親がいた満州とシベリアのことを調査中」(2016年12月27日)

「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)

「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010年04月29日)

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010年04月03日)

「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

「古書大即売会とシベリア展」(2009年05月01日)

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008年02月14日)
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posted by genjiito at 23:02| Comment(0) | 読書雑記