2016年12月29日

読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』

 『雷の波濤 満州国演義7』(船戸与一、新潮文庫、2012年初版、2016年文庫版)を読みました。


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 昭和15年のインドの状況から始まります。
 この時期の日本とインドの関係が、私にはまだよく理解できていません。
 次のような描写にチェックを入れ、今後の手掛かりとしておきます。


「とにかく、ヒットラーの快進撃でインドの情勢は大きく変わったんです。ビハリー・ボースやピライ・ナイルのように東京にいてあれこれ言うんじゃなく、ガンジーやネルーの不服従運動でもなく、流血を怖れずインド独立を目ざす連中が出て来た。皇国はそういう連中を断じて無駄死させるべきじゃない」
「それで?」
「インド独立連盟を支援するのはある意味では皇国の義務です。しかし、まだ三国同盟は結ばれてないし、ましてやイギリスと交戦状態にあるわけでもない。つまり、公然とはインド独立連盟に肩入れするわけにはいかないんです。それで、民間人の敷島さんにお越しいただいた」
「おれに何をしろと?」
「支那にも相当数のインド人が住んでる。パラス・ジャフルのように経営者もいれば、イギリス人の使用人としてくっついて来た連中がいる。そのなかからインド独立連盟の主張への共鳴者が出て来た。それを訓練していただきたい、軍事訓練を」
「このおれに?」
「そうです、敷島さんをおいて他には考えられない。いまはまだ重火器訓練が必要な時期じゃないし、とにかく、銃の扱いも知らない連中なんです。敷島さんはかつて満州で馬賊を率いておられた。素人を即戦力に鍛えるのはお得意でしょう。訓練の場所や武器は上海特務機関ですでに用意しました。これからそこに御案内します」(47〜48頁)


 そして、第二次近衛文麿内閣の時に商工大臣になった小林一三が出てきます。阪急や東宝や宝塚を作った逸翁です。逸翁美術館で館長をなさっている伊井春樹先生からも、逸翁の逸話をいろいろと伺っています。読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』(2015年7月15日)に書いた通りです。近現代史に疎い私でも知っている人が出てくると、歴史語りが身近な話として蘇ります。

 この巻で特徴的なことは、上海と満州の地で組まれた女性の組織です。
 次郎が預かって特殊訓練をする、インド人娘子軍予備隊がその一つ。これは、チャンドラ・ボースの反英武装闘争のためのインド独立連盟娘子軍につながるものです。

 もう一つは、日本人の純血を守るために送り込まれた、安拝開拓女塾です。これは、日本人と満州人との雑婚を防止する目的のものです。その結婚相手が籤で決められることの悲劇も、記憶に残る描写となっています。

 また、優秀な学生として話題になる朴正煕は、最近韓国で問題となっている朴槿恵の父ということもあり、興味深い話が太平洋戦争を見据えて展開します。

 ノモンハン事件のことが表面的になぞられただけ、という印象を持ちました。父がこれに参戦したことだけに、もっと語ってほしいと思いました。

 以前からずっとその存在が気になっていた、太郎の秘書である孔秀麗の姿が、次第に明らかになります。紅茶を出すシーンが何度もあったので、何かあると思っていました。なかなかおもしろい設定です。まだ、本巻ではその詳細はわかりませんが。

 ヨーロッパ戦線の情勢分析が中心となると、途端に理屈っぽくなり独特の船戸節となります。こうした口調の場面は、あまり続くと疲れます。調べながら書いている、ということが見え透いてくるからです。
 筆力にまかせて一気に展開する船戸語りが好きです。ここでは、歴史的な事実を確認するのに追われて、その正確さを最優先にした展開のために仕方のないところです。さらにもう一味を、と勝手な思いを抱きながら読み進みました。

 尾崎秀実とゾルゲのスパイ事件と同時進行で、ハリマオの話が展開します。ハリマオについてはかねてより知りたかったことなので、楽しく読み進めました。さらにもっと、という気持ちで、次巻を楽しみにしているところです。
 本巻でのハリマオに関する記述を抜き出しておきます。



「だれなんだね、この日本人は?」
「ハリマオですよ」
「何だって?」
「マレー語でハリマオは虎を意味します。この日本人はマレー人たちからハリマオと呼ばれて半分畏れられ、半分喝采を浴びてる」
「どういうことだね、それは?」
「本名・谷豊。明治四十四年生まれ。コタバルから東海岸沿いにクアンタンまで南下したとき、途中でトレンガヌという町を通ったでしょう。唐人街という看板のある商店街を持つ港町です、憶えていますか? ハリマオの父親はそのトレンガヌの町で理髪店を開き、大儲けした。谷豊はトレンガヌで生まれ育ったんです」
「で?」
「昭和七年の十一月、谷豊が徴兵検査のため日本に帰国してたとき、トレンガヌで谷家の満七歳になる妹の静子が首を切断されて殺されました。犯人は広西省生まれの支那人で排日思想に煽られて兇行に及んだんです。犯人は静子の首をこれ見よがしにぶら下げてトレンガヌの街を歩きまわった。そいつは結局、イギリスの官憲に捕まって、コタバルまで移送されて処刑されましたが、犯人逮捕に当たって熱心じゃなかったらしい。静子の首は日本人歯科医の手で胴体に縫いつけられて埋葬されましたが、その写真が福岡にいた谷豊に送られた。それを見て復讐を誓った谷豊はマレーに戻りトレンガヌの町から密林にはいりマレー人を集め匪賊集団を組織した。それだけじゃない、回教に帰依したんです。回教名は忘れましたが、とにかく回教の戒律はきちんと守るようになった。ふだんはタイと英領マレーの国境地帯を行ったり来たりして暮し、ときおり町に出て華僑の金満家を襲う。奪った金銭はマレー人たちと均等に分け合うんです。イギリスの官憲が必死になって追い掛けるけど、尻尾にさえ触れない。イギリス総督府から餌を与えられてるマレー人はべつですが、ふつうのマレー人はみな困窮状態にある。谷豊がハリマオと呼ばれて喝采を浴びるのはいわば当然の帰結だと思います」(493〜494頁)


 後半で、真珠湾攻撃が始まります。
 ちょうど、安倍首相が真珠湾に慰霊の訪問をしておられる時に読み了えたので、具体的にイメージしながら読みました。新聞やネットの情報がリアルに過去を分析してみせていたせいか、この作品での真珠湾攻撃の描写と背景が迫力に欠けて見えました。本シリーズに直結する問題とはズレることもあるのは承知しながらも、ダイナミックなテーマの交流がなかったのが物足りなく思われました。【3】
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月28日

読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』

 森田拳次の漫画『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(中国引揚げ漫画家の会編、平和祈念展示資料館発行、平成18年11月、非売品)を読みました。これは、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


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 この物語は、昭和10年に長野県から「大陸の花嫁」として満州の千振へ渡った、玲子という女性の手記によるとするものです。夫となったのは、国策として満州に渡った同郷の開拓団員である木沢聡でした。結婚後はソ連との国境に近い千振で開拓団員として新婚生活。3人の子供に囲まれ、平和な日々でした。

 こうした時代背景と状況については、現在船戸与一の『満州国演義』を読み進めているところなので、私にも理解が及ぶところです。しかも、今読み終わったばかりの『雷の波濤 満州国演義七』では、「安拝開拓女塾」が出てきたので、さらに複雑な事情があることも話の展開にあわせてわかりました。この『満州国演義』については、明日の記事で取り上げます。

 ところが、昭和20年8月に聡の元に突然、赤紙(召集令状)が来ました。
 私は、入植地である満州でも、兵隊として召集されていたことを初めて知りました。
 そして、8月11日に日ソ中立条約を破ったソ連軍が、突如満州に侵攻してきたのです。

 この時の描写には、次のような文章が添えられています。
 作者はこのような表現で、言うに言われぬ言葉による抗議を記しているのです。


ソ連軍の先行部隊がやってきたのは、
一八日過ぎだったろうか
囚人部隊だという噂だったが、
彼らの素行は最悪だった

避難民のなけなしの荷物を強奪し、
乱暴狼藉の限りを尽くした
実質、軍隊という名の強盗団だった
女たちはしばしば慰みものにされ、
中には妊婦の腹を軍靴で
踏みにじって喜ぶ
外道もいた

女たちは皆、
ソ連兵を恐れ、
女に見えないように
男装し、丸坊主にした

連れ去られ、ボロボロになって
帰ってきて、その日のうちに
首を吊って自殺した人もいた(37頁)


 この時、私の両親は実際にソ連との国境にあるハイラルにいました。ソ連の侵攻で離れ離れになったことを聞いています。満州や朝鮮や中国の人たちが、ソ連侵攻の日を境にして掌を返したように、それまで親しく接していた人がまるで別人に変わったかのように残忍になったということも。
 以来、私の両親にとっての流浪の旅が始まりました。
 上に引いたような話は、両親が楽しみにしていた戦友会の方々からも、いろいろと形を変えて聞いたことがあります。
 母が一時収容されていた「新京」など、聞かされていた地名が物語中にいくつも出てきました。おぼろげながら、母の帰還ルートが想像できます。
 この物語では、引揚げ船は佐世保に着いています。母もそうだったのでしょうか。舞鶴だったのでは?と思うものの、今はわかりません。

 さて、物語は引揚げ後のことになります。無事に夫の実家に居候となって3年目の夏に、夫聡が復員してきたのです。
 生きるのが大変だった夫の聡は、職を求めて東京に出ます。そして、さらに栃木県の那須に移り家族の再出発の生活が始まりました。

 私の父の場合は、復員後にポン菓子作りで出雲の村々を経巡り、そのお余りでおこしを作って売ったり、広島で牡蛎の養殖に使う竹に錐で穴をあける細工をしたり、単身大阪で道路工事夫として働いたりしていました。とにかく、私が小さかった頃には、仕事を転々としていたことを思い出します。
 万博公園がある千里丘陵は、父が人夫として土を運び地固めをしたところです。無事に生き残って復員しても仕事がない年月が長く続いていたことは、子供心に覚えています。

 この漫画では、時勢に弄ばれた人間の姿が、感情を圧し殺した筆致で描かれています。最後の、両親を思う一人残った息子の姿が印象的でした。
 この抑制の背後にある本音が、さまざまな形で読む者に伝わってきます。ただし、両親から聞いた話よりも、きれいにまとめられている感じがしました。これは、支援団体への配慮からなのでしょうか。
 一点だけ欲を言えば、枠外の注記の文字と資料の文字が小さすぎて、読むのに一苦労したことを書き添えておきます。【4】

※巻末にある資料から、引揚船に関する記述を抜き出しておきます。


巻末資料【満州から引揚げ「関連年表」】より抜粋

[昭和20(1945)年]
8月22日
樺太からの引揚船「小笠原丸」「泰東丸」「第二新興丸」、北海道留萌沖においてソ連軍の潜水艦の攻撃を受ける。「小笠原丸」「泰東丸」は沈没、約1,700名の犠牲者を出す

9月2日
米戦艦ミズーリ号上で降伏文書署名
南朝鮮からの引揚第一船「興安丸」仙崎に入港(公式引揚第一船)

11月24日
地方引揚援護局(浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島)新設

[昭和21(1946)年]
4月5日
満州からの最初の引揚船が博多に入港

5月14日
葫蘆島からの引揚開始(第一船佐世保に入港)

12月5日
樺太(真岡)からの引揚開始(第一船「雲仙丸」が函館に入港)

12月20日
北朝鮮(興南)からの引揚第一船「永録丸」が佐世保に入港

[昭和22(1947)年]
7月11日
千島地区からの最初の引揚船「白龍丸」が函館に入港

12月2日
南方方面からの最後の引揚船「輝山丸」が佐世保に入港

[昭和28(1953)年]
3月23日
「北京協定」に基づく中国からの引揚第一・二船「興安丸」「高砂丸」が舞鶴に入港(中断を含み昭和33年7月の第21次引揚げまで37隻入港、3万2,506人帰国)

[昭和33(1958)年]
7月13日
中国からの引揚第21次船「白山丸」が舞鶴に入港

11月16日
これまで唯一残っていた舞鶴の引揚援護局閉局
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月27日

両親がいた満州とシベリアのことを調査中

 父は昭和58年に68歳で亡くなりました。生きていたら、今月で101歳になります。終戦と同時に満州からシベリアに抑留され、昭和23年6月に舞鶴(?)に引き揚げて来ています。
 母は平成16年に84歳で亡くなりました。生きていたら、来春97歳です。満州のハイラルから命からがら日本に辿り着いたそうです。

 この両親に息子として何もできなかったので、折々に思い出すことで感謝の気持ちにかえています。

 まず、両親が満州でどのような生活をし、終戦後はどのようにして引き揚げて来たのか、ほとんど聞いていません。
 最初の引き揚げ船「大久丸」は、昭和21年12月8日に舞鶴に入港しています。これに母は乗っていたのでしょうか。母は、父の復員を出迎えに行ったのでしょうか。島根県の出雲から舞鶴へ? いつ帰るとも知れぬ父を、家で着物を縫い続けていた母が迎えに行けたとも思えません。それすら、聞かないままに来ました。

 引き揚げ船の最後となった「興安丸」が舞鶴に入港したのは、昭和31年12月26日です。父の帰還は昭和23年なので、早い方だったようです。

 先日、西新宿で開催されていた、シベリア抑留生活に関する展示と講演に行きました。
 「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)
 父が極寒の地で生き抜いた様子が、少しだけイメージできるようになりました。

 母については、第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞した麗羅の『桜子は帰ってきたか』(1983年)からのイメージしかありません。実際に、母はどのようにして満州から日本に帰ってきたのでしょうか。
 いつもニコニコしていた母に、満州から引き揚げて来たという暗い日々の痕跡はまったく感じられませんでした。
 このことは、「西国三十三所(35)松尾寺」(2010年11月05日)に少し書きました。

 モンゴルで父のことを思い、ウランバートル市の日本人墓地跡へ立ち寄ったこともあります。
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

 その後、「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)に書いたようなことがありました。
 これに関しては、証明するものがないとのことで、以来うやむやになったままです。

 今回、平成22年に「シベリア特別措置法」が制定されていることを知りました。

 いろいろなことがわかって来ました。しかし、まだ点でしかありません。
 この点を線へと、そして面にして立体的な像を組み立てるためにも、さらに調査を進めて行きます。
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月26日

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月25日

京洛逍遥(427)高校駅伝と猿回しと終い天神と-2016

 今日は、京洛で全国高校駅伝大会がありました。
 1950年に男子の大会が開催され、女子の大会は1989年からだそうです。今年は、男子第67回、女子第28回となります。
 大阪と奈良で大会があった後、1966年から京都の都大路を走っているのです。

 今年の男子は倉敷(岡山)が、女子は大阪薫英女学院が優勝しました。
 午前中の女子の部は所用があり見られませんでした。しかし、男子の帰路は、通りかかった金閣寺の南にある平野神社の前で見ました。

 選手たちの通過を神社の境内で待ちました。ちょうど、岩手県奥州市の物産展をしていました。


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 そこに、地酒の「阿弖流為」がありました。
 ただし、その手書きの名札には「阿弓流為」と書かれていました。「弖」が「弓」になっていて正しく書けていません。
 変体仮名がすでに書けなくなっていることがわかります。


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 しばらくすると、トップグループがやってきました。
 ここでの順位が、ゴールでも変わりませんでした。
 
 1位 倉敷・岡山

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 2位 佐久長聖・長野

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 3位 九州学院・熊本

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 目の前を通過する選手たちの早いこと。ここまでは、相当間が開いていました。
 しばらくすると、馴染みの学校が続々と続きます。
 左端に停まっているバスは、この走者たちが全員走り去るまで、バス停に釘付けです。


 18位 国学院久我山・東京

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 平野神社の境内を東に突っ切ると、すぐに北野天満宮があります。天満宮では、すでにお参りの人でごったがえしていました。


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 神楽の打ち合わせをしておられるところを見かけました。年末年始の練習なのでしょうか。


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 境内にある梅林の近くでは、猿まわしの興行をしていました。
 神戸から来た方です。
 猿使いの女性が軽快にしゃべっておられるのが聞き物です。猿の芸よりも、このしゃぺくりが大切な芸だと思いました。


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 猿の「キング」君は、宙返りが得意のようです。


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 菅原道真公の誕生日は6月25日、亡くなったのが2月25日ということで、25日は「天神市」の日です。今日はちょうど、天神さまの御縁日であり、しかも師走なので「終い天神」でした。

 京都では、毎月21日の東寺の「弘法市」があり、これも師走は「終い弘法」と呼んでいます。
 「弘法市」は、骨董品や植木などで賑わいます。
 ここ「終い天神」では、骨董よりも古着や端切れのお店が目立ちます。
 実際に品物を手にして買って行かれるのは、外国の方が多いようです。
 日本人は、ほとんどの方が昔の生活に思いを廻らし、物珍しそうに見るだけです。


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 これから慌ただしい年末となります。
 今年も、こうしてどうにか歳を越せます。
 本当にありがたいことです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月24日

豊島科研の本文資料に関する研究会の最終回

 豊島秀範先生が主宰なさっている「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」は、10年目となる今回が最後となりました。
 会場は、國學院大學120周年記念2号館2103教室です。


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 今日は以下の発表があり、充実した時間が流れました。


河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)


 今回の発表は、これまでにも増して充実したものでした。
 贅沢な時間の中に身を置き、『源氏物語』の本文に関して貴重な時間を研究仲間と共有することができました。
 現在、このような研究会はどこにもありません。これからどうしたらいいのか、ということを思いながら聴き入っていました。

 この日の研究会を通して感じたことで、個人的な思いを記しておきます。
 あまり意義深いことばかりを語っていても、前進がないと思うからです。

 今日の発表や質問でも、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という言葉がごく普通に交わされていました。これに私は、違和感をもっています。
 10年にわたるこの研究会で、私は池田亀鑑の3分類案を見直し、それを崩した上で、新たな分別試案を構築しようと思っていました。今日もそのことを話題にしました。しかし、それは叶いませんでした。
 私が提示している2分別案には、今日も渋谷栄一氏をはじめとして、その主旨には賛同してもらえました。それでも、その議論は深まってはいません。これは、またの機会に、ということにします。

 私の立場からは、翻字において変体仮名を導入する提案をしたのが、本研究会で新たに投げかけた唯一のものでした。
 それに加えて、今日は池田本「桐壺」巻の校訂本文を配布し、作製にあたっての背景や予想される今後の研究環境のことを語りました。意見や情報の収集のためです。この取り組みは、理解が得られたと思っています。

 いずれにしても、この研究会が10年の長きにわたり、『源氏物語』の本文研究の問題提起の場となったことは特筆すべきことです。
 そして、この課題をどのように次へとつなげていくのかが、新たに取り組むべき問題となりました。

 メンバーのみなさんは、各々の職場で中心的な存在であり、これまでのようにはなかなか集まれない状況にあります。
 何とかしたい、との思いを抱きながらも、私は所用があるために懇親会は遠慮して新幹線へと急ぎました。

 一つの研究会が幕を閉じました。
 思い残すことはたくさんあります。しかし、充実感はあります。
 再起を期して、またこうした集まりを立ち上げられるように、今後ともみんなで相談したいと思います。

 今回の研究会の最後に、私が閉会の挨拶をするように、という豊島先生からの指示がありました。時間が圧していたこともあり、豊島先生の下支えをして来られたお手伝いのみなさまの労力に、感謝の気持ちを伝えました。
 そして、とりまとめをしてくださった豊島先生には、みなさんにお願いして拍手で感謝の気持ちを伝えることにしました。
 豊島先生、ありがとうございました。
posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月23日

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のオンライン版を公開

 一昨年(平成26年3月)にオンライン版オープンデータとして公開した『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』に続き、第2弾となる『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』が完成したので公開しました。
 自由にダウンロードしてご覧いただき、ご意見などを頂戴できれば幸いです。

 今すぐにダウンロードなさりたい方は、以下のリンク先からお願いします。

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のダウンロード

 これでうまくデータの入手が出来ない方は、科研(A)のホームページである「海外源氏情報」に接続した後、次の画面からダウンロードしてみてください。


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 なお、印刷した書籍版は、後日、公共図書館などに寄贈する予定です。
 印刷本については、3月になりますので、ご了解をお願いします。

 本事典の制作経緯や意義などについては、次の巻頭に置いた「はじめに」と巻末の「おわりに」に記しましたので、ご覧ください。

 第3弾は、懸案の『源氏物語【翻訳】事典』です。これは、来秋には出版社から刊行したいと思っています。
 いましばらくの猶予をお願いします。


「はじめに」


 −試行版としての事典であること−



 本書は、『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』(平成26年3月)を受けて、平安時代の文学作品に限定して世界各国語に翻訳された書籍情報を事典としてまとめたものです。前著に続き、あくまでも暫定的なものであり、試行版として編集した中間報告であることを、まずはお断りしておきます。

 この翻訳事典は前著同様に、2006年4月23日にお亡くなりになった、国文学研究資料館名誉教授福田秀一先生から託されていたメモを最大限に活用しました。
 ただし、多言語にわたる書籍を対象とする関係で、各項目のまとめ方も含めて、まだまだ不備の多いものであることは承知しています。また、最新情報にまでは、十分に手が及んでいないことも承知しています。そのことを知りつつも、類書がないこともあり、ここで私の手元にある情報をとりあえず一まとめにしておくことにしました。これを次の世代に引き渡して補訂してもらい、さらに追加していくことで、よりよい事典に育てていく始発点にしたいと思っています。

 本書作成にあたっては、実に多くの方々が原稿作成のお手伝いをしてくださいました。基本的な情報が整理されていないのであれば、とにかくたたき台でも提示して、それに手を加えながら形を成していく方針で臨みました。項目の執筆者は、必ずしも各言語や各作品の専門家ではありません。しかし、何もない平地に道をつけることを一大方針として取り組んだものということで、至らないところはご寛恕のほどを、お願いいたします。ご批判は、そのまま改訂版に活かします。

 そのような経緯もあり、日本古典文学に関する翻訳事典としては、各項目の立項はもとより、内容もいまだ未整理の状態にあります。今回、その見出し項目と表記上の体裁及び、内容に関する記述の統一を試みました。それでも、いろいろな機会に、多くの方々に執筆していただいた原稿の集積であることから、不統一の感は免れません。各所に編者の判断で多くの手を入れました。あくまでも暫定的な処置に留まるものです。

 そのことを承知で、この時点で公開することにしたのは、これを叩き台とし、より良い情報の提供とご教示を受ける中で、さらに充実した事典に育てたいとの思いからです。まさに本冊子は、試行錯誤の中でまとめた暫定版として利用に供する事典です。

 また、盛り込まれた情報は、編者伊藤が運用する科研のホームページ「海外源氏情報」にも公開しています。
http://genjiito.org
 このホームページを通して、情報の更新を行います。折々に最新情報を確認していただき、翻訳情報を活用していただければ幸いです。

 今回も、この科研を支えているプロジェクト研究員の淺川槙子、技術補佐員の加々良恵子の頼もしい2人が奮闘して、膨大な情報を整理して組み立ててくれました。ただし、『源氏物語』については単独で1冊にするため、本書には収録していません。

 みなさまからの情報提供により、各項目の精度を高めたいと思います。
 今後とも、ご理解とご協力を、よろしくお願いいたします。

2016年12月
日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A)
「海外における源氏物語を中心とした平安文学
及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
研究代表者
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
国立大学法人 総合研究大学院大学
国文学研究資料館 伊藤鉄也
 
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「おわりに」



 現在、翻訳史年表には約580件の書籍データが登録されています。本来ならば全てのデータを事典としてまとめることが理想です。しかし解題を作成するためには、現物を確認できる書籍でなくてはならず、全てのデータを事典に掲載することはできませんでした。日本国内の図書館・研究機関で見ることができない書籍が、数多く存在することを実感しました。なお、解題を作成することができなかった書籍データは、解題の後ろに「平安文学翻訳史年表」の抜粋として掲載しました。〈英語改訂編〉の反省をふまえて、より多くのデータを収集したものの遺漏も多々あると思います。前回に続き、この事典も日本文学研究の一助となることを願ってやみません。

 最後に解題作成を含め、本科研をあたたかく見守ってくださったみなさまに篤くお礼申し上げます。

(淺川槙子)
 
 
 以前発行した『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』では英語のみでした。前回と異なり、今回は多くの言語で翻訳された古典文学を収録しています。『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』では、特定の古典文学が何度も翻訳・出版されていたり、日記文学が好まれる傾向があるなど、国によって『源氏物語』以外の作品への嗜好が伺えるように思います。また、解題を読んでいると、さまざまな立場の方がそれぞれの目的に合わせて創意工夫をしているさまも伝わり、「翻訳の歴史」の側面が垣間見えてきます。

 残念ながら、今回は解題を掲載できなかった多くの書籍があります。これらの作品名や国名は、翻訳史年表で確認できます。時系列に並んだ出版の記録を眺めているだけでも、そこに関わった多くの人たちの努力を感じます。ただ、どうしてもヨーロッパ諸国など先進国に偏っており、アフリカ大陸の言語などでの発行はまだ見つかっていないようです。これから、このリストに、より多くの国名が追加されることを願ってやみません。

(加々良恵子)
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2016年12月22日

江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと

 今夏、九段下にある九段坂病院が移転したことに関連して、微笑ましい案内表示のことを書きました。
 その時、勝手な推測ながらも、「交番のお巡りさんがよく聞かれるので親切心から手書きで貼られたのでしょうか。」としました。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

 この九段下の交差点角にある、交番横のガムテープによる病院名の案内は、先週も先々週も、どうしたことか剥がされていました。
 案内図を修正して入れ替えられるのかな、と思って通り過ぎていました。

 今朝も通院で通りかかったところ、同じようなガムテープながらも、こんな表記に変わっていました。


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 日本武道館を挟む形で貼られた、2つの表示ともに「九段下病院」となっています。

 先月までは、正しく「九段坂病院」でした。上記7月のブログに掲載した写真をもう一度ひきます。

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 今朝も、慌ただしく通りかかった折に見かけたので、お巡りさんにお知らせする余裕がありませんでした。また、何かあったらしくて、交番を何人ものお巡りさんが出入りしておられたので、お声掛けするのも躊躇われました。

 どなたか、知らせてあげてください。

 さて、肝心の今日の診察では、どうも右足の指に出来た疣は、きれいにウイルスがとれていないそうです。まだまだ治療が続きます。
 右足を庇うようにして歩くせいか、7月に骨折した左足首が、むくんだり熱くなったり怠くなったりと、調子が良くありません。再度の骨折を気にして、無理な姿勢をとらないようにしていることもあり、どうも立ち姿からして不安定な状況にあるようです。

 病気ではないものの、まだ時間のかかる治療が続くようです。
 命に関わるものではないので、気長に通院するしかありません。
 年末年始でもあり、これまで以上に足には気をつけて歩くことにします。
posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月21日

総研大・日本文学研究専攻の最終講義を終えて

 最終講義と言われても、実感のないままに日頃から思っていることを資料を使って1時間お話しました。


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 あらかじめ用意していた講義用のレジメの冒頭には、次のように記しました。


 私が約三五年間にわたって研究してきたことを振り返り、問題意識を確認し、最近の研究課題としていることや今後の展開について述べたい。
 さらには、研究の基本としている『源氏物語』の本文の諸相に関連して、現在取り組んでいる国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』を取り上げ、今後の見通しを提示できれば、と思っている。
 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。
 このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを試作版として提供できるようになった。
 スローガンとしてきた「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』「桐壺」校訂本文』が、まさにできたばかりの具体的な成果である。


 私の中では、今日は『源氏物語』の本文の研究史において、記念すべき日となりました。大島本に代わる校訂本文として、池田本の姿を初めて見てもらうことができたからです。
 まだまだ試作版であり、私家版であり、実験材料です。『源氏物語』を読むための、ささやかな資料の1つにしかすぎません。しかし、試案としての物語本文が、実際に検討材料として、見て確認してもらえるテキストとして手に取ってもらえたのです。

 今日が今後の始発点となったことは、私にとっても得難い機会に身を置くこととなりました。

 今日の会場は、『源氏物語』を専門とする研究者ばかりの場ではありません。しかし、文学の研究に身を置く研究者の方々にその意義をお話しできたことは、『源氏物語』が置かれている物語本文の現状を理解していただく、貴重な時間を共有できたことでもあり、ありがたいことでした。

 これまで自分が取り組んできた研究をあらためて振り返る機会となり、私にとって一区切りとなる意義深い日となりました。

 ご清聴いただいたみなさま、ありがとうございました。
posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月20日

「古写本『源氏物語』の触読研究」の情報を更新しました

 科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいる「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(課題番号︰15K13257)のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」で、情報の更新をしましたのでお知らせします。担当者は科研運用補助員の関口祐未さんです。

 トップページの「新着情報」の最初にある「2016年12月20日 NEW 第4回研究会報告」をクリックしていただくと、「第4回「古写本『源氏物語』の触読研究会」」の研究会報告が読めるようになっています。
 先々週の12月9日(金)に、国立民族学博物館で開催した第4回の記録です。

 私が本ブログに書いた「民博で古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年12月10日)より、ずっと詳細な報告です。

 着実に活動が進展しています。
 成果も、見えるようになりました。
 今後とも、ご理解とご支援を、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年12月19日

国文研で開催される12月21日(水)の最終講義

 直前の連絡となりました。
 明後日、12月21日(水)の午後、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻では、「平成28年度第2回 特別講義」が開催されます。

 これは、今年度で定年退職する、寺島恒世先生と私との最終講義となるものです。

 私は、これまでに研究してきた成果の報告と、現在取り組んでいる国文研蔵「橋本本」についてお話します。また、池田本『源氏物語』「桐壺」の校訂本文の試行版を、発表資料の一部として配布します。
 今回お話する内容は、後日冊子にして配布される予定です。

 興味と関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
(どなたでもご参加いただけます。事前申込み不要です。)


■総研大 日本文学研究専攻
 平成28年度第2回 特別講義

日時:平成28年12月21日(水)
   13:30〜17:00(開場 13:00)

場所:2階オリエンテーション室

プログラム:
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10 講義@伊藤鉄也
         「国文研蔵橋本本『源氏物語』の実態」
 15:10〜15:25 休憩
 15:25〜16:55 講義A寺島恒世
         「百人一首と歌仙絵」
posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | 古典文学

2016年12月18日

江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う

 新宿の都庁前にある平和祈念展示資料館で、企画展「絵と詩で綴る引揚げ−七十五日の旅記録−」を観てきました。

 この平和祈念展示資料館は、次のような趣旨のもとに運営されている、総務省委託の施設です。私は、今回初めて行きました。見ごたえのある展示だったので、今日だけでは見終えることができませんでした。また行くつもりです。


 さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。


 今回の企画展では、満州から引き揚げて来られた岩田ツジ江さんの「満洲さよなら」と「おもいでのきろく」が紹介されています。
 詩文集となっている作品には、ハルビンでの生活、日本の敗戦とソ連軍の侵攻で動揺する人々、ハルビンから佐世保への引揚げの様子が描かれていました。わかりやすい絵でした。私の母がハルビンで暮らしていた日々と、引き揚げてくる時の気持ちを想像しながら、丁寧に見ました。

 学芸員によるギャラリートークがありました。
 わかりやすく展示物の解説を伺いました。

 岩田さんは、大正15年(1926)に広島に生まれた方です。ハルビンで終戦を迎えられました。戦後20〜30年経ってから、こうした絵を書き始めておられます。
 1970年から1980年代に、多くの戦争絵画が描かれたのは、記憶の整理にそれだけの時間が必要だということのようです。
 岩田ツジ江さんは、傷を癒すために緑を多用しておられるとのことでした。このことに、興味をもちました。
 絵に記されたサインを見て、変体仮名を使った人名のことに気付きました。
 「都し江」「つじ江」「川志゛」という自筆の署名は、人名表記に変体仮名を使った時代のことを想起させたからです。「解説文」などには、「ツジ江」とあります。これは、後で調べたいと思います。

 岩田さんは、佐世保に引き揚げて来られました。母もそうだったのでしょうか。これも、これから調べて確認します。

 その後、引揚体験者による語り部お話し会があったので、これにも参加しました。
 引揚体験者が、自らの引揚体験を語る、という企画です。

 今回は手塚元彦氏で83歳の男性でした。昭和8年に満州の奉天で生まれた方です。戸籍では「支那」となっているそうです。
 子供の頃の奉天での生活を語ってくださいました。
 今思うと楽しいと。しかし、それにしても戦後は酷かったと。
 ロシア軍は軍隊と名を借りた強盗団だった。
 至近距離での殺戮を体験した。
 今でもうなされる。
 凍死で亡くなった人は放置されていた。
 それを、中国人が木に立てかけて試し斬りをしていた。
 日本人に対して、掌を返したように酷いことをしていた。
 孤児院で、毎日一人や二人は亡くなる。
 その処理作業に、お駄賃の握り飯がもらえる。
 等々

 淡々と語れるのは、それだけ苦しい体験が自分の中で漉されたからでしょう。

 貴重なお話を伺う機会を得て、いろいろと思うことが生まれました。
 そして、両親の満州での生活、父のシベリア抑留、母の引き揚げと、今になって知りたい思いが充満してきました。
 このことは追い追い自分の中に蓄え、両親への感謝の気持ちと共に育てて行くつもりです。

 出口で、非売品となっている平和祈念展示資料館で制作された2冊の冊子をいただきました。


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 いただいて来たばかりなので、まだ読んでいません。
 パラパラと見ただけでも、父と母が生きた場所と生活と時代が描かれています。
 この紹介は、また後日に。

 貴重な資料をいただきました。私がおりおりに確認できるようにする意味からも、以下に紹介します。

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posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月17日

銀座探訪(36)9年ぶりにアナログのシステム手帳を新調する

 9年前に、ノックスブレイン社のシステム手帳を、銀座の伊東屋で買いました。

「銀座探訪(5)手帳を探す」(2007年11月 9日)

 それまでにも、各社のシステム手帳を使ってきました。
 最初は1980年代に、聖書サイズのファイロファックスでした。山根一眞氏の影響が大きいものでした。
 以来、ノックスブレイン、エンポリオアルマーニ、アシュフォード、バインデックス、等々、いろいろな革製品を使ってきました。6穴のバインダーに、リフィルといわれる記入用紙をセットして使います。今も、記入済みの膨大な量のリフィルが、記録物として残っています。
 自分なりの設計によるリフィルも、用途別にたくさん試作してきました。着せ替え人形のように、リフィルを取っ換え引っ換えして楽しんでいました。6穴の穴開けパンチが大活躍をしました。

 しかし、2011年8月11日を境にして、日々の記録媒体はシステム手帳から iPhone へと移行しました。

 私が iPhone を使いだしたのは、2008年8月からです。
 以来、アップルとグーグルの電子カレンダーに、日々の予定などを記録してきました。
 過去のデータを確認したところ、電子版のカレンダーは2009年11月19日からのものが残っていました。
 このカレンダーの情報と、毎日記しているブログを通覧すると、私が生きてきた日々は、ほぼ再現できます。しかし、こうした電子的な記録がいつまで正確に再現できて確認できるかは、はなはだ心もとない気がしてきました。

 折しも、このイオ・ブログも、2017年3月31日(金)15時をもって、サービスは終了となります。これでまたまた、私が利用していた4つ目のサイトも閉鎖されます。
 電子デバイスは乗り換えながら、データをなんとか引きずっています。しかし、もうこのあたりが限界では、と思うようになりました。
 息子の話では、インターネットの次の世界が用意されだしたとのことです。今のコンピュータとの関わりも、また新たな時代へと突き進みそうです。

 アップル好きの私は、アップルウォッチを一時期腕にはめていました。しかし、3ヶ月も持ちませんでした。このブログに書く暇もないうちに、玩具と化してしまったのです。アップルの大失敗の試作品だといえるでしょう。iPhone との連携に失敗したのです。これが生き返ることは、もうないでしょう。それだけ、ネット社会ともてはやされて来たインターネットが、しだいに変質しだしているのです。
 アップルウォッチの復権があるとしたら、インターネットの次のネットワークシステムの中で生まれる可能性はあるかもしれません。その時にまた、アップルウォッチを腕にしようと思います。

 生来の新しもの好きなので、このインターネットの次の世界にも首を突っ込むはずです。しかし、これまでのように、全幅の信頼のもとに使うことはないと思います。
 特に記録は、紙に文字で書いたものが一番いい、と思うようになって来ました。
 千年近く前の古写本を研究対象としている身としては、当然のことかもしれません。

 目まぐるしく変わる世界なので、電子データに十全の信を置けなくなりました。
 その点では、紙に書いた記録の持続時間は、比べ物にならないほど長寿命です。
 そこで、銀座の伊東屋で新しくシステム手帳を買ってきました。アシュフォードの製品です。


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 これは、表表紙のポケットに iPhone が入れられます。デザイナーは、そのような用途を想定して作ったとは思われません。しかし、私にはこうした活用ができるので、数ある中から慎重に較べて、これに決めました。伊東屋の専属アドバイザーの女性の助言も、大いに参考になりました。
 リフィルに手書きで記録しながら、大量のデータはiPhone で管理する、という使い方を考えています。

 来年度からは、これまでとは生活が一変します。その生活パターンを考えて、このシステム手帳とiPhone が共生した組み合わせで、日々の情報管理をしていきたいと思っています。

 とにかく、新年に向けてスタートしました。
 ペンを持つということで、新鮮な感覚を思い出しています。
 入力から筆記へと、記録方法が変わります。
 ものの見方や考え方にも、それなりの変化があることを期待しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 銀座探訪

2016年12月16日

48年前の両親の写真を復元

 いろいろと身辺の整理をしていたら、ハードディスクから両親の写真が出てきました。
 母が亡くなった後、残された写真の多くを、娘にスキャナでデジタル化してもらった内の1枚のようです。


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 記録から、48年前の昭和43年3月に、大阪府八尾市の高安の里に住んでいた頃の写真であることがわかりました。私が高校1年生の時です。

 4畳半と6畳の二間に4人で暮らしていました。
 奥の台所は2畳ほどだったでしょうか。
 父の後ろに、私が使っていた勉強机があります。
 その左端に姉のギターがあるので、この机は姉との共用だったかもしれません。
 今では信じられないことながら、中学まではミカン箱か卓袱台で勉強をしていました。
 『巨人の星』の卓袱台返しのあれです。
 まだ電話もない時代だったので、急ぎの連絡は電報でした。

 明後日、満州から引き揚げて来た方々の展示やお話を聴きに行く予定です。
 ちょうど良いタイミングで、写真が見つかりました。

 満州で終戦となった父はシベリヤへ抑留され、母は命からがら日本に引き揚げて来ました。
 言い知れぬ苦労をしたはずの両親です。しかし、その話はほとんどしてくれませんでした。
 私の方から、もっと聞くべきだったかも知れません。

 母が中国残留孤児の番組をじっと見ていた姿を思い出します。
 2人とも、満州で生活を共にした戦友会には、いつも楽しみにして一緒に参加していました。

 この写真の頃、父は山一証券に勤めていました。
 何とか安定した日々になっていたことが、その表情からうかがえます。
 父52歳、母48歳です。

 以前、両親のことを書きました。

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010/4/3)

「わが父の記(4)父の仕事(その2)」(2010/4/6)

 あと2年で、私は父が亡くなった時の年齢に達します。
 こうして思い出すことで、両親への感謝の気持ちに代えたいと思っています。続きを読む
posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月15日

日比谷で従一位麗子本のことを話す

 ロシアからプーチン大統領が来日中です。今日は山口、明日は東京ということで、今夜の霞ヶ関周辺は厳重な警戒態勢となっていました。

 丸ノ内線の霞が関駅から地上に上がると、警察車両の隙間から、東京タワーが見えました。いつもと違う緊迫した雰囲気だと、こんな光景にも目が留まります。


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 日比谷図書文化館で鎌倉時代の源氏写本を読む中で、従一位麗子本のことが話題になりました。
 満州でその写本が消えていることや、その本文が特異なものであったと思われることなど、北小路健氏の『古文書の面白さ』(新潮選書、昭和59年、新潮社)を紹介しながら話しました。終戦後、長春にロシア兵が侵入してきた時に、持っていた古写本を古本屋に渡したという記事なども確認しました。

 また、私もその本を探し求めて長春を歩き回ったことも、お話しました。
 参考までに、私のブログを引きます。ご笑覧いただければと思います。

■従一位麗子本と満州のブログ記事 2種類

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008/2/14)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)

 本を求めての旅は、終わることがありません。
 橋本本「若紫」を読んでいると、諸本との本文の異同が多彩なので、話が尽きません。

 来週、この話を2箇所でしますので、詳細は後日まとめます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月14日

豊島科研の研究会で『池田本「桐壺」校訂本文』を配布します

 歳の瀬の押し詰まったクリスマスイブに、豊島秀範先生が進めておられる科研の研究会が開催されます。


 科学研究費補助金「基盤研究C」︰研究代表者 豊島秀範
[源氏物語の新たな本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての共同研究]

第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会




 これは、10年前にスタートした〔基盤研究A〕の時から数えて、通算23回目の研究会です。
 そして、今回が最後の研究会となります。


日時:2016年12月24日(土)13:00〜18:00
場所:國學院大學120周年記念2号館1階 2103教室


 プログラムは下記の通りです。
 『源氏物語』の本文を取り上げる多彩な発表が並んでいます。
 興味と関心のある方は、どうぞご参加ください。

 なお、私はこの場で、できたばかりの冊子『池田本「桐壺」校訂本文』(第1版)を配布する予定です。
 この冊子については、「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)で報告した通りの、大島本にかわる『源氏物語』のテキストです。
 クリスマスプレゼントとしてお持ち帰りいただき、後日感想やアドバイスをいただけると幸いです。

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河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて ―一四の伝本から―
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)


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posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月13日

京洛逍遥(426)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く

 総研大文化フォーラム2日目(11日)の午前中は、国際日本文化研究センターで異分野、他分野の方々の発表を聞きました。
 知らないことばかりで、刺激的な時間の共有は気分転換にもなります。特に、「宇宙人存在問題」と題する国立天文台の福島登志夫先生(物理科学研究科天文科学専攻)の話は、「宇宙人はどこにいるのか、なぜ来ないのか」というテーマでした。考えても見なかったことなので、非常に興味深いものでした。

 午後は、日文研から貸切バスで京都市内に入りました。
 私は、国立歴史民俗博物館の小島道裕先生が案内してくださる、C コース「洛中洛外図屏風「歴博甲本」左隻の世界を訪ねる」(上京) に参加しました。

 荒木浩先生がご担当の、宇治源氏物語コースに行きたかったのですが、小島先生のコースが私の行動範囲内だったので、さらに深く知ろうと思いこちらにしました。荒木先生、すみません。

 まずは、歴博本「洛中洛外図屏風」の左隻左上に少し見えている桂川です。ただし、車窓からの写真です。


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 散策のスタートは、相国寺の向かいにある「花の御所」(同志社大学・寒梅館)からでした。


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 小島先生の楽しい説明を伺いながら、「洛中洛外図屏風」に描かれた室町時代の京洛を経巡りました。
 道々語られた、床屋さんの位置に気をつけろ、という視点は、確かに区画の角にあったのでおもしろいと思いました。

 狩野元信邸址は、「洛中洛外図屏風」の製作者を考える上で、描かれた絵とともに重要な地点のようです。


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 途中で、探し求めていた変体仮名の看板を見かけました。
 「う登ん」「楚者」「多古辨」は収穫です。

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 一条通りまで下り、引き返して小川(こかわ)通りを北上します。

 茶道の不審菴と今日庵への入口では、無電柱化の工事が進んでいました。ここは百々橋跡の地で、応仁乱の激戦の地です。


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 このすぐそばの茶道資料館で、お抹茶を一服いただきました。
 開催中の特別展は「私の一碗」で、この日が最終日。65碗が展示されていました。
 逸翁美術館からは「五彩蓮華文呼継茶碗 銘家光公」(磁州窯系、元時代、13世紀)が出品されており、筒井紘一先生は「絵唐津茶碗」(桃山時代)を出品しておられました。
 私には、まだ茶碗の良さはわかりません。しかし、選りすぐりの逸品でしょうから、じっくりと拝見しました。

 茶道資料館からさらに東に向かって上御霊神社まで、希望者10人ほどで歩きます。
 今日は、日文研の稲賀繁美先生とお話をしながらの散策でした。お父さんが稲賀敬二先生です。繁美先生の幅広い問題意識とユニークな視点は、ご一緒しながらたっぷりとうかがうことができました。親子2代にわたってご教示をいただけるとは、ありがたいことです。

 終着地点は上御霊神社です。


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 ここから我が家はすぐ近くです。しかし、荷物を宿泊したホテルに置いてきたので、それを取りに京都駅まで戻りました。

 今日1日の歩数は、14,668歩でした。『洛中洛外図屏風』の左隻をほとんど歩き回ったにしては、意外と狭い範囲であることを身体で実感しました。
 右隻の東側は、そうはいかないようです。

 歩くと、ものを見たり知ったり考えるときの、基本となる情報が得られます。いい機会をいただきました。小島先生ありがとうございました。小島先生のご著書を、今回伺った話を思い出しながら、あらためて再読したいと思います。

 小島道裕 2016『洛中洛外図屏風―つくられた<京都>を読み解く―』 (歴史文化ライブラリー)吉川弘文館

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posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月12日

総研大文化フォーラム(第1日目)で触読研究の成果を発表して

 無事にポスター発表を終えました。
 今年は、発表者に1分間の自己ピーアールの時間が与えられ、ストップウォッチに急かされるように、ショートスピーチをさせられました。

 私は、3年連続で触読研究の成果を報告していることと、音声のアシストで展開するようになったことに加え、昨日は国立民族学博物館で「古写本『源氏物語』の触読研究会をやってきたことをお話しました。

 ポスターセッションでは、30分の発表の間に、いろいろな方からお声掛けをいただきました。


161210_poster1




 みなさん、目が見えない方が本当に読めるのかなー、という問いかけから始まります。

 立体コピーのサンプルと、科研の三つ折りのチラシをお渡ししました。

 それぞれに課題と問題意識をお持ちの先生方や大学院生の集まりなので、ご自分のテーマとの接点を求めての質問が多かったように思います。

 『立体文字触読字典』と連綿のサンプルを、上記写真にもあるように、ポスターの右横に貼り付けて、自由に触っていただきました。みなさん、興味を示しておられました。

 懇親会でも、いろいろな角度からの質問や感想がありました。
 理科系の方々とお話をしていると、さまざまな刺激をいただけます。
 さらなるバージョンアップにチャレンジしていきます。

 みなさま、拙い話をお聞きいただき、ありがとうございました。
posted by genjiito at 07:22| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月11日

あり得ないことが我が身の周りでよく起こります

 全盲のお2人を新大阪駅に見送るために、早朝より茨木駅へ向かいました。

 新大阪駅では、今回食べられなかったタコ焼きやお土産に加えて、お昼のお弁当を探しました。

 無事に見送った後、所を変えて研究発表をする京都市西京区にある国際日本文化研究センターに向かいました。

 途中、乗り換え駅で、ホームから転落を防止するための昇降式ロープを見かけました。簡易型なので、これなら早く多くの駅に設置できることでしょう。


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 日文研へ行くバスは、小高い丘の上に向かってゆるゆると登ります。
 山は、冬の気配を見せています。

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 日文研に着いて、配布する追加資料などを準備している時でした。
 突然、姉から驚きのメールが届いたのです。

 まったくの偶然ながら、芦屋から上京した姉が、私が新大阪駅で見送った全盲のお2人を東京駅に出迎えに出ていた妻と、あろうことかバッタリと電車で出会ったというのです。

 姉からのメールの一部を引きます。


たった今、東京駅で会いました。広い東京でナガーイ総武線の車両のドアで。びっくりぽんでした。
本当にびっくりで、座席が向かい側なら見えてないし、一つ先のドアならわからないし、不思議なことでした。


すぐに、妻からも興奮気味にメールが届きました。


いやまあ、こんなことはそんなにあるものではありません。
世にも不思議な話でビックリです。


 まったく予期しない、妻と姉の遭遇があったのです。
 私の周りでは、こうした信じられないことがしばしば起こります。
posted by genjiito at 08:33| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月10日

民博で古写本『源氏物語』の触読研究会

 昨年度からスタートした科研費による「挑戦的萌芽研究」に関する報告です。

 現在取り組んでいる、「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(研究代表者:伊藤鉄也/課題番号︰15K13257)というテーマでの、第4回目となる研究会を、大阪にある国立民族学博物館で開催しました。

 東京から私と一緒に参加する4人(内、全盲お2人)とは、金曜日の早朝9時に東京駅構内の東海道新幹線八重洲南乗り換え口で待ち合わせをしました。
 尾崎さんは、お母さんが東京駅まで付き添って来られ、乗り換え口で引き継ぎました。

 福島県からお越しの渡邊先生は、駅職員の方の介助を得て、東北新幹線から乗り継いで東海道新幹線17番線ホームに来られました。駅員さんは、非常に親切な対応でした。
 出迎えと見送りに来た妻も、お2人との再会を喜んでいました。

 新大阪駅までの車中では、触読の実験をしました。
 まず、私が翌10日の総合研究大学院大学文化フォーラムで発表する、「i-Pen」という音声ペンを活用した触読と読み上げのテストです。


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 お2人からは、「i-Pen」による音声ガイドの説明がわかりやすくて、変体仮名を読みとるのに助かる、との感想をいただきました。
 ただし、改良の余地も多いこともわかりました。さらなる進歩をお楽しみに。

 また、触読字典の試作版も、実際に使ってもらい、意見をいただきました。これについても、改良点をたくさんもらいました。
 やはり、直接触っての意見をいただくと、改善すべき点がよくわかります。


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 新大阪駅に降り立って早々に、全盲の2人はホームで、点字ブロックのことを放送していることに感心したそうです。東京や福島では聞いたことがないと。

 新大阪駅から千里中央駅へは、北大阪急行を使いました。地下鉄の自動券売機には、「福祉」と書いたボタンがありました。これも、東京では見かけません。


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 ここでは、江坂駅までしか切符が買えません。その先へは乗り換えることになります。一気に行けないのは不便です。

 千里中央駅を出るとき、江坂駅からの清算をする必要があります。改札に駅員さんがおられなかったので、自動改札の横にあったインターホンで、障害者同伴の乗り越し清算の仕方を訊ねました。すると、障害者証明書を確認するので、ボックスに差し込んでほしい、とのことです。そのボックスがどこにあるのか、見回してもわからないのです。また、見つかってからも、どうしたらカメラで確認してもらえるのかも、さっぱりわかりません。

 相手の駅員さんは、モニタで遠隔対応です。目が見えない2人共に困惑しておられます。
 なんとか、2人分の証明書を小さな空間に差し入れて、モニタで確認してもらいました。晴眼者がいなかったら、手も足も出せず立ち往生です。いても、こんなに手間も時間もかかるのですから、これはあまりにも時代遅れの感覚ではないでしょうか。

 さらに、確認後はその後ろにある精算機の操作をさせられます。割引乗車券のボタンを押し、不足金額を投入します。ここでも、ボタンのアイコンと文章は「車椅子」なのです。視覚・聴覚障害の方は対象外なのでしょう。


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 そして、この車椅子ボタンの下には、「係員がまいります」と書かれています。しかし、係員は来られることはありませんでした。すべて、さらにその下にあるスピーカーの小穴から聞こえる係員と対応するのです。徹底した非人間的な対応です。

 北大阪急行がどのような会社なのかは知りません。しかし、今回の対処は、大いに問題だと思いました。この鉄道会社は、まじめに意識改革することが必要です。

 乗り替えとなった大阪モノレールの千里中央駅の自動券売機には、車椅子マークのボタンがありました。


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 これを押すと駅員の方が小窓から顔を覗かせて、窓口へ行くように指示されます。そして窓口で割引の処置をしてもらいました。今度はスムーズです。北大阪急行の酷い対応とは大違いです。

 ホームで、東京から一人でお出でになった高村先生と合流しました。高村先生は、一般の乗客の方に介助を受けながら、エスカレーターで上がって来られました。お節介だと言われている大阪のおばちゃんは、とても親切なのです。

 万博記念公園駅で、広島からお越しの田中さんと合流して、国立民俗学博物館へ歩いて移動しました。

 まず、国立民俗学博物館の広瀬浩二郎先生と、MMP(みんぱくミュージアムパートナーズ)の方々の案内により、「さわる展示」を体験しました。
 触ることで自分なりの理解が深まることに加えて、解説員の方の説明でさらに興味が広がります。

 これは、今回私が総研大の文化フォーラムで報告する、古写本『源氏物語』を触読する上で、耳から入る説明の役割を体感することになりました。目が見えない方にとって、耳を通しての音の情報は貴重です。

 見学中に、公務を終えてから来阪の大内先生も合流されました。
 今回は、韓国とオセアニアの展示をMMPの方の説明でしっかりと触り、拝見しました。

 展示室からセミナールームに移り、「第4回 古写本『源氏物語』の触読研究会」となりました。

 これまでとこれからの科研の取り組みから始まりました。

(1)「2016年6月から12月までの活動報告」
 科研運用補助員の関口さんから、本年の報告をしてもらいました。

(2)来年3月で一旦終わるこの研究会の今後について、私から現在わかっている範囲でお話しました。
 早速、大内先生から来夏の第5回研究会の会場として、高田馬場にある研究所を提供できる旨の申し出をいただきました。ありがたいことです。
 ということで、科研での取り組みが終わった後も、研究会と電子ジャーナルは発行し続けることの確認をしました。

 その後、私から次の報告をしました。

(3)研究報告「i-Penを活用した触読資料」と「立体文字触読字典」の取り組みについて。
 これは、関口さんと研究協力者である間城さんの協力によって、具体的な形を見せているものです。
 まだ熟していないプロジェクトについて、貴重な意見をたくさんいただきました。特に、「誰のためのものか」ということと、「広く興味を持ってもらえるものを目指すべきではないか」という点でのアドバイスをいただきました。これは、前回の研究会でも指摘された問題点です。今後とも、心して取り組んでいきます。

(4)研究発表「絵巻の触読と触察に関する実践報告―共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」―」(尾崎栞)
 学習と研究を区別する必要がある、という視点から、これから研究者になろうとする若者に、叱咤激励のアドバイスがありました。
 サポートが得られなくなっても続けられる、自立した研究を心掛けること。おもしろみを自分で見つけることが大事だということ、見ることの代用を触ることではできないので、その意味からも、触ることでオリジナルなことが出せないか、ということを考えたらどうかという意見が出されました。
 テーマによっては、共同研究か独自の研究かの見極めも大事だと、期待を込めた発言に終始しました。ありがたい指導の場となったことは、仲立ちとなった私も、ずっしりと重い課題をいただくこととなりました。

(5)研究発表「『群書類従』所収「竹取物語」冒頭触読レポート―弱視生徒の目をかりて」(渡邊寛子)
 変体仮名を取り入れた、弱視者を対象とした高校古典の実践報告でした。
 板書の実演も、本当に目が見えないとは思えない感動が伝わるものでした。


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 また、授業の録音を流しながら、熱く語りかける先生と生徒との、丁々発止のやりとりが、実にすばらしいと思いました。
 ただし、長年教職にある先生からは、ご自分の体験を振り返りながらも、自分が見えないものを黒板に書くのは邪道である、という考え方があることも述べられました。これもまた真実です。
 教える、ということの根源を問う問題提起でもあります。
 いろいろと考えさせられる時間を共有する機会を得ることができました。

(6)研究発表「浮舟巻の「つゝみふみ」と『花鳥余情』勘物―古註釈書に伝わる薫物の贈答様式について―」(田中圭子)
 『紫式部日記』にある「黒方をまろがして、ふつゝかにしりさきて、白き紙一かさねに、立文にしたり。」という部分から派生したワークショップとなりました。
 黒方によく似たものを立文にする、という課題のもとに、香の実演と解説がなされました。
 今回のものは「稲妻」だそうです。これに麝香をいれたら黒方になります。立文に包んだ練り香を、参加者みんなが、ありがたくいただきました。


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 食べてもいいとのことだったので、広瀬先生に倣って私も少し口にしました。蜜で練ってあるだけに、おいしいのです。しばらくして、お腹がホコホコと温かくなりました。

(7)研究発表「手でみる絵画の作成の基礎・基本−−「手でみる新しい絵画を作ろう」の取組から」(大内進)
 展覧会情報を中心とした発表でした。
 一枚のポスターが、北斎の「神奈川沖浪裏」になるのです。しかも、立体的なものです。形はデフォルメしないと立体の認識に至らないのだと。
 時間が来たので、大内先生の発表の続きは次の懇親会場で、場所を変えて行なうことになりました。

 研究会終了後、民博から懇親会会場までは、タクシーで移動しました。

 大内先生の引き続いての発表の後も、懇親会は大いに盛り上がりました。みなさんが喋り足りない思いもあったため、ホテルにチェックインしてから、また近くで語り合いました。
 日付が替わる頃まで、全盲の3人と見える3人が、熱っぽく日頃の思いの丈を語りました。

 昨年度採択された科研「挑戦的萌芽研究」としては、今回が最後の研究会です。しかし、今後につながる、充実した時間を共有することができました。
 来夏、さまざまな問題を持ち寄って、また討議を重ねたいと思います。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月09日

総研大文化フォーラム-2016 で触読研究の成果を発表します

 今日の第4回「古写本『源氏物語』の触読研究会」の後、明日12月10(土)と11日(日)は2日間にわたり、京都にある国際日本文化研究センターで、総合研究大学院大学文化科学研究科が主催する「総研大文化フォーラム 2016」が開催されます。

 本年度は「異文化へ旅する、異分野を旅する ―文化科学からの招待状―」と題するテーマが設定されています。

 私は、第1日目(12月10日)の、Aグループ発表(16:00 ~ 16:30)となっており、会場はセミナー室1横です。

 今年の題目は、「指と耳で700年前の古写本『源氏物語』を読み書きする −視覚障害者と文化を共有するために−」としました。


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 これまでに、本文化フォーラムでは、以下の通り2回のポスター発表をしてきました。

■2014年 「視覚障害者と共に古写本『源氏物語』を読むための試み」
「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)

2015年 「指で読めた鎌倉期の写本『源氏物語』 ─視覚障害者と文化を共有する─」
「「学術交流フォーラム 2015」でポスター発表をする」(2015年11月21日)

 回を重ねるたびに、少しずつバージョンアップしています。
 総合研究大学院大学は多彩な分野の研究者や大学院生が集まっておられます。
 今年も、異分野からのアドバイスを楽しみにして参加し、発表してきます。
posted by genjiito at 08:30| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月08日

お気に入りの珈琲豆あり⧄

 今年もクリスマスに向けて、お気に入りのコーヒー豆を手に入れました。
 今回は、「コクのブレンド」ではなくて、もうひとつの「香りのブレンド」です。

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 実際にはさまざまなデザインのパッケージがあります。

 詳しくは、「珈琲焙煎工房 Hug」のホームページをご覧ください。
 これは、一般社団法人 高次脳機能障害者 サポートネットの工房で、障害のある人やその家族を支援している法人です。
 そこが運営する、就労継続支援事業B型「珈琲焙煎工房 Hug」では、珈琲豆の選別から焙煎・包装・販売を行っています。

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 姉に教えてもらってから、ここのコーヒーを飲むようになりました。
 とにかく、香りがいいのです。
 私は豆から挽くので、部屋中がふくよかな香りに包まれます。
 淹れてからは、マイルドな風味で、ゆったりとした気分になります。

 最近までは、コーヒーを午前5杯、午後5杯を飲んでいました。
 しかし、逆流性食道炎で苦しむようになってからは、半分ほどに控えるようになりました。

 血糖値の急激な上昇を抑えるために、砂糖は入れません。
 ミルクはたっぷりと入れます。それも、よつ葉牛乳にこだわっています。
 よつ葉牛乳は、大和平群で子供たちを育てた牛乳です。
 今も、京都の自宅でも、東京の宿舎でも、一番近いスーパーに置いてあるので、これを切らすことがありません。


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 恒例の年末年始の忙しさに加え、東京最後の年ということで、これから春先まではこれまで以上に飛び回る日々となります。
 そのような中で、このコーヒーが気分転換の一杯、いや5杯(?)6杯となるのです。
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | 健康雑記

2016年12月07日

インフルエンザの予防接種で額に光線を当てられて

 日増しに寒くなってきました。
 すでにインフルエンザが流行しています。遅ればせながら、私も予防接種をしてきました。自分のことよりも、人に迷惑をかけないようにするための対処です。

 先月初旬、インドへ行く前に予定していました。しかし、何かとバタバタする中で、つい延ばし延ばしとなり、一度入れた予約も変更しながら、やっと予防注射をしてもらいました。

 職場から指定されたのは、立川駅前にある健康管理センターでした。初めて行く所です。

 あらかじめ記入した問診票を受付に出すと、まずはペンライトのようなもので額を照射されたのです。
 受付窓口越しに、おでこに光を当てられるのは、慣れないことでもあり、また場所と身体の位置関係が不自然でもあり、気持ちのいいものではありません。瞬間に終わることだとはいえ、罪人扱いをされた気分になります。ウルトラマンのスペシゥム光線を浴びせかけられる怪獣ではないのです。目に光が入らなければいいが、と祈りました。

 これは、体温を測る新方式のようです。ところが、エラーが表示され、結局は脇に体温計を挟むことになりました。

 次々と来られる方の、見たところ半分以上がエラーです。
 外気温で頭が冷たくなっているので、とのことでした。しかし、今日はそんなに寒くはありません。まだまだ電子機器が開発途上というところでしょうか。明らかに、導入したのはいいが二度手間となっています。

 また、額に不可解な光線を当てられるのは、あまり経験のないことでもあり、気味が悪いくらいです。この体温計測方法は、人としての礼を失した行為だと思いました。
 もし導入するのなら、受付の窓口ではなくて、人目のない所ですべきでしょう。まだ、この計測のスタイルはお互いが慣れないこともあり、みっともない姿に見えます。
 病院では、羞恥心など関係ない、と言われればそれまでです。しかし、まだこの測定されている姿はどう見ても変です。

 さらには、脇に挟んだ体温計も、予定の90秒が経ってもピッピッという音がしません。我が家でも使っている、テルモの電子体温計でした。
 しばらく待っても何の反応もないので、窓口に申し出たところ、もういいでしょうとのことで、脇から引き抜きました。35.9度でした。

 インフルエンザの予防接種の際は、高熱があるといけないそうです。その点では、低体温なのでいいのでしょう。しかし、これはあまりにも低すぎます。自分でも記憶がないほどに、これは低すぎます。外気温のせいだとばかりは言えないと思います。もちろん、再度計る気はありませんが。

 私が何かを言う局面ではないので、言われるがままに順番を待つソファーに腰を下ろしました。

 たくさんの人が接種を受けに来るのですから、一々丁寧な対応は出来ないのでしょう。病気で来たわけではないので、流れ作業で進みます。一見さんなのでしょうがないとはいえ、雑な扱いだな、と思いながら名前を呼ばれるのを待ちました。
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 健康雑記

2016年12月06日

江戸漫歩(147)丸の内界隈でイルミネーションの並木道を散策

 東京駅の丸の内北口に降り立つと、三日月から上弦の月になろうとするお月さまが、ビル群の明かりに飲み込まれるように浮かんでいました。


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 丸ビルの裏通りでは、並木道が幻想的なイルミネーションに包まれています。


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 歩行者天国という粋な計らいもなされていました。


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 日常とは違う空間の演出は、気分を一新してくれます。
 クリスマスが近いことも実感しました。

 日本郵便の商業施設「KITTE」のアトリウムでは、巨大なツリーのライトアップに圧倒されます。


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 最近は、全国各地で LED 電球によるイルミネーションが花盛りです。
 寒い季節だからこそ、こうした光の演出は、日頃たまりにたまった疲れを消し去ってくれるようです。
 文化財のライトアップと共に、少し贅沢な気分に浸れる一時に身を置けます。
 我々は、明かりを求める習性をもっているのでしょうか。
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月05日

読書雑記(184)上野誠『天平グレート、ジャーニー』

 『天平グレート、ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(上野誠、講談社、2012年9月)を読みました。


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 本書については、著者自らが扉裏で次のように記しています。


 期せずして運命の人となり、世界史上稀有の旅行者となった遣唐使判官・平群朝臣広成(生年不明−七五三)−本書はその広成と正倉院宝物、全銭香との奇縁を語る物語である。物語を通じ、万葉びとの思惟の一斑を、かすかながらにでも、感じ取ってもらえたならば−浅学の筆者これを無上の喜びとする。(12頁)


 また、目次の末尾には次の『続日本紀』の記述を掲載し、本作品の典拠資料として提示しています。


十一月辛卯、平群朝臣広成等拝朝。初広成、天平五年、随大使多治比真人広成入唐。六年十月、事畢却帰。四船同発、従蘇州入海。悪風忽起、彼此相失。広成之船一百一十五人、漂着崑崙国。有賊兵来囲、遂被拘執。船人、或被殺、或迸散。自余九十余人、著瘴死亡。広成等四人、僅免死、得見崑崙王。仍給升粮、安置悪処。至七年、有唐国欽州熟崑崙到彼。便被偸載出来、既帰唐国。逢本朝学生阿倍仲満、便奏、得入朝、請取渤海路帰朝。天子許之、給船粮発遣。十年三月、従登州入海。五月、到渤海界。適遇其王大欽茂差使欲聘我朝。即時同発。及渡沸海、渤海一船、遇浪傾覆。大使胥要徳等卅人沒死。広成等、率遺衆、到著出羽国。(『続日本紀』天平十一年条)(10頁)


 さて本書では、天平5年(733)に派遣された遣唐使にまつわる話が、おもしろおかしく展開します。阿倍仲麻呂を初めとして、吉備真備、山上憶良、玄宗皇帝等々、多彩な人物が登場します。
 登場人物と出来事が、非常に具体的でわかりやすく語られており、しばし作者の知識と想像力の豊かさに身を委ねました。

 大使(一等官)は多治比広成、判官(三等官)に平群広成が選ばれたのです。
 平群の先生である山上憶良は、この時は74歳。唐のことをいろいろと語ります。『遊仙窟』という書物は憶良が唐から持ち帰ったものだといいます。

 艱難辛苦の末に、遣唐使たちは長安にたどり着きました。それまでの逸話が、見るもの聞くものすべてが興味津々の中で語られます。日常生活から中国での風物まで、読者も一緒に見てきたような気分にさせられます。

 後半で平群広成たちは、中国・満州・朝鮮を経て、山形県の吹浦にたどり着きます。渡唐以来、足掛け7年の旅でした。
 読み終えて、大黒屋光太夫のロシア迷走とダブりました。「井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』」(2015年06月11日)
 共に、忍耐と叡智の戦いです。

 作中、井真成の存在が新鮮です。書籍を集めまくっていた男として。
 大阪の藤井寺へ行った時に、この男の詳細を知りました。「西国三十三所(17)藤井寺」(2010/10/18)にも記したように、もっと知りたい人物です。本作では点描に留まっていたので、少し残念でした。資料が少ないので、自由に描けなかったのかもしれません。

 本作品では、遣唐使の歴史的な背景と、中国の様子がわかりやすく語られています。しかし、登場人物たちの行動はどことなくぎこちないのです。作られた話という感触が拭えません。あらすじを聞いている感じが、最後まで残りました。

 後半に出てくる、林邑国の香木の全銭香の話は、興味をかき立てられました。
 沈香の中でも、蘭奢待に並ぶ名香です。このお香の話も、もっと語ってほしいところでした。

 ないものねだりをもう少し。

 私が20年にわたって子育てをした大和平群の地について、あまり詳しくは語られていません。
 思いつくままに引きます。
 まずは、唐へ出発する前に。


 憶良の宅を辞去した平群は、二ヵ月ぶりに故郷の平群の里に帰った。氏の名も、里の名も「平群」。われらは祖先の時代から、この地で暮らしてきたのだ。平城京の西南。生駒の山から南に続く谷が、平群の里だ。遣唐使判官となった広成を見ると、里の人びとはすぐに脆き、手を合わせた。しかし、広成は母のもとへと道を急いだ。母は遣唐使となったことを、はたしてどう思っているのだろう。
「帰りました。帰りました」
「おお広成よ。よく帰った」
「こたびは、遣唐使となりました」
「それで、どこに旅立つというのか」
「唐でございます」
「ほう、遣唐使とは唐に行くのか。そこは筑紫より西か東か」
「西です」
「ほーう、それよりまだ西があるのか」
「まだ、遠いです」
「そんなところで、大和の言葉は通じるのか」
「通じません」
「ならば、困ろう。だったら、行かぬがよい。ここに居れ」
「私は望んで望んで、判官にしてもらいました。ゆえに、そうはまいりません」
「いつ帰るのか」
「一年か二年はかかると思います」
「そんなに遠いのか。唐へは、馬で行くのか、船で行くのか」
「船でございます」
 これが、広成とその母との別れの言葉となった。(42〜43頁)


 次に、唐から帰ってから。


「食事はお口に合いましたか、平群の鹿肉を、平群の"ひしお"(味噌)をつけて焼いてお出しせよと申しつけておきましたが、いかがでしたか」
「久しぶりに、食べました。故郷の味でございます。ありがたく、ありがたく」(369頁)
 
 謁見の翌早朝、平群の里にゆくと、母は元気だった。母には、けっきょく、唐の美味い焼き菓子の話だけをして帰った。それ以外の話は、今後もいっさいしないと心に決めて帰ってきた。母は、あの雛くちゃの笑顔で、ただ笑ってさえいてくれればよいのだ。何も、知る必要などない。何も、教えたくない。母と会って、平城京に戻る帰り道に、こんなことを考えた。(373頁)


 平群の里に長年住まいした者として、その山なみと村里の小道を描いてほしいと思いました。山川草木が季節ごとに風物を語りかけてくれる里です。
 次のヤマトタケルの歌が紹介されていないのも、物足りなく思ったところです。


大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和しうるはし
 
命のまたけむ人はたたみこも平群の山のくまかしが葉をうずに挿せその子


 つい無理な注文を書きました。
 とにかく、スケールの大きな作品です。
 東アジアにおける日本というものを考えるのに、いい機会となりました。【3】
posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月04日

徳江元正先生(國學院大學名誉教授)のお通夜に行って

 徳江先生がお亡くなりになったとの報に接し、取るものも取り敢えずお通夜に行ってきました。
 JR総武線の本八幡駅からすぐの葬祭場です。

 徳江先生には直接の指導を受けたわけではないのに、いろいろと思い出すことがあります。

 先生には、大学の授業で教わっただけです。お能に関する講義でした。それ以外では、学内の学会でお目にかかっただけなのに、なぜか近しい気持ちを持っています。

 私が大阪の高校で教員をしていた頃のことです。
 國學院大學の国語国文学会で『源氏物語』の本文に関する研究発表をした後、会場近くの食堂で一人で食事をしていた時のことでした。同じ食堂で先に食事を済まされた徳江先生が、君のも一緒に払っておくからね、と言って出て行かれたのです。
 それまで、特にお話をしたことがあったわけではありません。一言だけ言い置いてお帰りになった、という感じでした。

 遠い所からご苦労さまだね、というお気持ちからだったのでしょうか。
 中世の能や芸能を中心とした研究をなさっていた先生とは、研究対象とする時代もテーマも異にしていて、特に親しく指導していただいたことはありません。それだけに、本当に恐縮しました。あの時の振り向きざまの優しい目が、今でも思い出されます。

 その後、私が高崎正秀博士記念賞を受賞した時(平成2年5月)、授賞式の会場だった百周年記念館の廊下ですれ違った折に、心温まる過分の労いのことばをいただきました。いい研究なので続けなさい、ということでした。
 直接の接点がない先生だっただけに、ありがたくお言葉をいただきました。
 個人的におことばをかけてくださったことが嬉しくて、今でも私の心に刻み込まれています。

 また、ある懇親会では、私を見つけて「ボクこっちへ」と呼ばれました。ごく普通に声をかけてくださったので、お声掛けのままにお側へ行くと、なんと歌人の馬場あき子先生に向かい合う席に座らされました。
 緊張しっぱなしの私に構うことなく、お二人の先生は私の横と前で楽しく歓談なさっていました。そして、徳江先生はカメラでパチパチと写真を撮っておられました。

 その後も、何度か上京した折に、「ボク、ボク」と気さくに声をかけてくださったのです。
 徳江先生に親近感を覚えているのは、学問的なことではなくて、こうした何気ない優しいお声がけをいただいたことが、その後もずっと忘れられないからでしょう。

 その当時、私の勤務校は新設高校で、380人の入学者のうち、100人以上が毎年退学していく学校でした。毎晩夜食が出るほどに、遅くまで職員会議で居残っていました。問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々のそんな中で、刺激を求めて上京すると、そっと声をかけてくださる徳江先生は、もっと勉強しようとの思いを強くした、ありがたい大先輩でした。

 自分の勉強時間の確保もままならない毎日でした。その学校には、9年間勤務しました。力まずに、自然体で勉強ができたのも、徳江先生のように黙って背中を押してくださる存在があったからだと、あらためて感謝しています。

 大学を出て20年ほど経ってから、遅ればせながら私が研究者としての道を歩み始めてからは、中古と中世の文学研究という守備範囲の違いからか、徳江先生とお目にかかる機会がなくなりました。よちよち歩きの私が、それなりの研究成果を出せるようになったのをご覧になったら、何とおっしゃったでしょうか。「ボク、もっといろいろなことをしなさい。」と優しいことばをかけてくださったのではないでしょうか。

 そんなことを思い、感謝の気持ちを込めて、遺影を見つめながらお焼香をしてきました。
 ご冥福をお祈りします。
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月03日

江戸漫歩(146)皇居東を散策し出光美術館で仮名古筆を見る

 ぽかぽかとした陽気に誘われて、皇居東御苑側の竹橋駅付近から時計回りに、日比谷駅までを散策しました。皇居周辺では、九段下と日比谷という、ピンポイントしか知りません。長年東京にいたのに、あらためて皇居の周りを散策するのは初めてです。

 竹橋御門の説明が立派な石に刻まれていました。
 目の前に平川橋が見えています。その右手後方に東京駅があります。


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 この説明文を読もうとして、しばし目が泳ぎました。縦書きだと思って読もうとしたからです。原稿用紙のマス目のデザインだと錯覚しました。横書きだとは思いもしませんでした。


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 竹橋駅の近くから平川門を望みました。いつもは、この下を走る地下鉄東西線で通っています。通勤経路の地上を歩くと、頭の中の地図が立体的に再構成されておもしろいものです。
 お濠の鴨たちも、気持ちよさそうです。賀茂川の鴨たちを、遠足でここに連れて来たくなりました。


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 白鳥がいました。これは、賀茂川にはいません。


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 お濠の散策路に、秋田県のパネルが敷かれていました。今度のんびりとこのお濠ばたを一周しながら、私が行ったことのある都道府県を確認してみましょう。


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 本日のお目当てである、出光美術館へ行き着きました。今、開館50周年記念として「時代を映す仮名のかたち」という展覧会が開かれています。
 平安時代から鎌倉、そして室町へとつながる仮名の名品が、これでもかと並んでいます。国宝に重要文化財などなど、出光美術館所蔵の古筆を中心として、贅沢な展覧会となっていました。じっくりと古筆の名品の数々を堪能できました。

 休憩スペースで足腰を休めて皇居の紅葉を眺めては、また展示会場へ戻りました。


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posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月02日

谷崎全集読過(28)「呪はれた戯曲」

 この小説は、劇作家である佐々木の秘密を摘発し、その背景にあった恋愛事件を戯曲という創作を借りて読者に語る形式をとっています。谷崎特有の、「善と悪」がその底流にあります。
 佐々木は、妻玉子のか弱さと鈍感さに安心し、愛人の襟子に心を許していました。しかし、ある時、玉子の滂沱の涙にひるみます。予想外の女の姿を見たのです。
 この、玉子が涙を溢れさせる場面は、佐々木を通して執拗に描かれています。人間が泣く場面としては、これだけ言葉を尽くして語るのは珍しいと思います。涙をこれほどまでに詳細に分析して語ったものは、これが一番秀逸なものではないでしょうか。
 佐々木は日記を書いていました。その半年間の記述には、玉子を殺すまでの心の軌跡が記されていたのです。妻のヒステリーと男の神経衰弱は、ますます加速していきます。そして、男は妻への憎悪を抱くようになったのです。
 この作品では、身勝手な男の言い種がくどいまでに語られます。
 作中に戯曲の台本を配するなど、奇抜な構成も見せています。芸術と現実を語りながら、犯罪の実行計画が展開していくのでした。
 戯曲の中の言葉としながらも、男は次のような身勝手なことを言います。


(井上)うん、忌揮なく云へばまあそんなものだ。しかしお前が死なゝければ、己には死以上の苦痛が來る。お前の命と己の命と、孰方が貴いかと云へば、己の立ち場を離れて考へて見ても、己の命の方が貴い。お前は何の働きも自覺もない平凡な女だ。己は此れでも才能のある藝術家だ。孰方か一人の命を失つて濟む事なら、お前の命の失はれるのが正當の順序だ。それが當然の運命だ。無慈悲のやうに聞えるけれど、己は決して理由のない事を云ひはしない。理窟から云へば己は自分で手を下してお前を殺しても差支へはない。たゞ己には膽力がないから、進んで其れを實行する事が出來ずに居る。………(『谷崎潤一郎全集』新書版第六巻、199頁下)


 最後まで、男のエゴイズムが剥き出しの物語です。
 劇中劇という凝った仕掛けを用い、巧妙な口調で殺人事件を成立させたのです。ただし、読者としてはおもしろい話として読めても、非現実的な論理と理屈で構成された内容に、大いに違和感を抱くのは当然です。あくまでも、谷崎の実験的な小説だと言えるでしょう。【4】
 
 
初出誌:『中央公論』大正8年5月号
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | 谷崎全集読過

2016年12月01日

日比谷で橋本本を読む前に伊井先生の新著を紹介し大島本と池田本に及ぶ

 日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を読み進めています。

 今夜は、伊井春樹先生が最近出版なさった『大沢本源氏物語の伝来と本文の読みの世界』(おうふう、2016年10月10日)の第一章に置かれた、「5 大島本の本文の性格」の節を取り上げて、長く流布本として不動の地位を獲得している大島本が抱える問題点を確認しました。


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 現在、『源氏物語』を読む時には、大島本が基準本文として広く読まれています。そのことの問題を、伊井先生は独自の視点で批判的に提示しておられます。

 そこで、今日はまず、私が先日、本ブログに書いた「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)を確認した後、伊井先生の文章を紹介しました。これが実は、私が提案しようとしている池田本の意義を支援してくださる内容となっているのです。

 今回私が読み上げた箇所を引用し、先生のお考えを確認しておきます。


 飛鳥井雅康が依拠したのが定家筆本であったとすれば、杜撰な態度でない限りもっとも信頼し得る青表紙本が出現していたはずである。それを後人が本文を正そうと、他の青表紙本を用いて次々と塗抹とか別の本文の書き込みをしていき、手が加えられるにともない正統な本文に変貌していったというのは、にわかに信じがたい。大体、室町から江戸期にかけて流布した青表紙本の存在そのものに信頼性が薄く、しかも同一伝本だけを用いての校訂というのであればまだしも、次々と江戸中期にいたるまで青表紙本と称される本文で校合されたとなると、大島本はもはや各本を吸収して成り立った不純な存在といえなくもない。(35頁)
 
 今日の大島本の本文は定家本に依拠しており、しかも後世の校訂によってさらに青表紙本の特色を持つにいたるとともに、定家本の親本は俊成本であり、さかのぼると藤原行成、紫式部の原本に近いとも評価されるが、それは幻想でしかない。
 繰り返すように、定家は一本だけを用いて本文作りをしたわけではなく、多くの本文から取捨選択して架蔵本を作成したのであり、しかも書写するたびに依拠本は異なりを示していた。定家本が周防国に流れ、飛鳥井雅康が書写し、後に大島本と称されるようになったにしても、この系譜にはかなり危なっかしさを覚える。それはすべて捨象しても、大島本になされた室町から江戸期にかけての無数の本文訂正の痕跡は、別に存在した純正な青表紙本を用いて幾度も確認しながらなされたわけでもない。当時流布した青表紙本と称される本文との違いを見て、思い思いに識者が所持本で書き込み、人々の手に渡っていった結果にしかすぎない。(36頁)
 
 大島本は手が加えられたことにより、共通する青表紙本の諸本からはかえって離れてし(ママ)った例は多く、一見洗練された表現が出現したとはいえ、内実は河内本や別本を取り込んでいるだけに、定家本という評価とは相いれないのではないかと思う。(42頁)
 
 純正な青表紙本を求めながら、現実には河内本の本文を読む結果になってしまったというほかはない。(42頁)
 
 「定家本」と書いてありながら無視し、行間に傍記とか削除した結果をそのまま採用してできあがっているのが「源氏物語大成」の本文であり、それを現在のテキストを含む注釈書でも、注記することなく継承して利用しているというのが実態である。統一をとるのは困難をともなうとはいえ、現状の大島本の底本のままでは誤脱、誤写があり、数次にわたる後人の訂正を無批判に採用して本文を確定してよいものかどうか、さまざまな問題が派生するのは確かであろう。
 大島本にはすでに指摘してきたように、削除、補入等によって本文の訂正をするとともに、行間には多数の語釈もなされる。当然のことながら語釈は採用しないのだが、右の「定家本」に「波」とわざわざ指摘しながら用いないのは、語釈と同一の注記と判断してのことであろうか。(43頁)
 
 もうこれ以上例を示すまでもなく、雅康が書写に用いたのは定家本ではあり得なく、また江戸中期まで数次にわたる書き入れや抹消などに用いられたのも、素性のよい本文ではなかった。そのために大島本は青表紙群からは孤立した独自異文を持つにいたるとか、逆に河内本に書き改められ、それを採用するという現象も生じてしまう。雅康が書写した当初の、いわゆる訂正される以前のうぶな姿を復元したところで、それが標準的なテキストとしては成り立たないだけに、複雑な抹消や書き入れの痕跡はより正しい青表紙本作りのためになされたと評価し、一部には不都合な校訂は無視しているとはいえ、方針としては大半を取り入れての本文作りをしていったのが「大成本」や「新大系」の成果である。ただそれではあまりにも不審が多いこともあり、過去の注釈書類は、大島本に依拠しながらも一部の巻は他の伝本を採用するという妥協策もとってきた。最有力の伝本が出現しない今日にあっては、大島本が定家本の流れを継承していると信じ、書き入れも取り込んで新たに作り出した本文は、結果として混態本になってしまっている、というのがいつわらざるところであろう。
 中世から伝統として育まれて来た定家崇拝の呪縛からいまだに抜け出ることができず、紫式部の原典というよりも、時代とともに変貌して来た本文を読んでいるのが実情かもしれない。それと、『源氏物語』はこうあるべきだとの観念が形成され、理想とする定家本を継承しているという共同幻想にとらわれ過ぎているのではないだろうか。このようなことを述べると、本文作りは絶望的になってしまうが、私としてはあまりにも大島本への偏重過多に陥ってはいけないという自戒を込めての言であることを諒とされたい。
 今日では大島本で『源氏物語』を読むのが当然視され、それ以外の伝本は排斥されて読む機会すらなくなりつつある。しかもそれは活字にするために校訂を経て生まれた新しい本文であることを忘れ、そこから語彙や文章表現を分析し、微妙なことばづかいに触れながら作品論にまで及ぶとなると、大勢としては仕方がないとはいえ、研究の世界からすると違和感を覚えてしまう。個人的には大島本が今日では最善本というのは理解できるにしても、その底本は書き入れを含めてまだ十全に読めていないのではないか、他の伝本も徹底的に読む必要があるのではないかとも思量する。かなり早くから本文研究は終息したように思われてきた嫌いがありはするが、とりあわせ本であってもそれなりに読まれてきた歴史的な意義を持ち、河内本であろうが、別本とされようが、一つ一つに精緻に向き合うことが、今後の長期にわたる『源氏物語』の研究には資するはずである。そのような思いから、以下大沢本と称された本文を、伝来してきた姿とともに考察しようとするのが本書の目的でもある。(45〜46頁)
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月30日

古写本『源氏物語』の触読研究会を開催します

 来週、古写本『源氏物語』の触読研究会を開催しますので、関係者のみなさまのご参加をお待ちしています。
 今回は、大阪の万博公園の中にある、国立民族学博物館をお借りして行ないます。


科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究
「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(15K13257)代表者:伊藤鉄也
 
2016年度第2回研究会プログラム

 日時:2016年12月9日(金)
 場所:国立民族学博物館

T.民博のさわる展示の学習会(14時〜15時半)

 民博のさわる展示をMMP(みんぱくミュージアムパートナーズ)によるガイドでめぐり、触察の仕方や説明方法などの情報収集をする
 
U.古写本『源氏物語』の触読研究会(15時半〜18時)

(1)挨拶(伊藤鉄也)

(2)2016年6月から12月までの活動報告(関口祐未)

(3)研究報告「i-Penを活用した触読資料」(伊藤鉄也)

(4)研究発表「絵巻の触読と触察に関する実践報告
   ―共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」―」(尾崎栞)

〜休憩〜

(5)研究発表「『群書類従』所収「竹取物語」冒頭触読レポート
   ―弱視生徒の目をかりて」(渡邊寛子)

(6)研究発表「浮舟巻の「つゝみふみ」と『花鳥余情』勘物
   ―古註釈書に伝わる薫物の贈答様式について―」(田中圭子)

(7)共同討議(質疑応答・用語確認と実験方法など、参加者全員)

(8)連絡事項(関口祐未)
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 変体仮名

2016年11月29日

新幹線で乗り継ぎできない「モバイルSuica」と「エクスプレスカード」

 今回初めて、新幹線の乗り降りに、iPhone 7 Plus の「モバイルスイカ」と、いつも使っている「エクスプレスカード」を使用しました。いや、使おうとしました。
 しかし、改札を出入りするたびに、自動改札機でエラーとなり赤ランプが点灯しました。あれは、スムーズに移動しようとする気持ちが挫かれると共に、繁忙を極める駅員さんのお世話になり、申し訳ない気持ちになります。
 気持ちよく新幹線での旅ができなくなりました。

 駅員さんからは、なぜエラーになるのかという説明を受けました。
 しかし、いまだに私はよく理解できていません。モバイルSuica が導入されてから1ヶ月足らずだとはいえ、自動改札機に挟まれて、迷惑な足留めとなっていたことに違いはありません。後ろから続く人は、怪訝な眼を向けておられました。

 今回のエラーについて不思議に思い、ネットで調べてみました。
 駅員さんの話は、確かにネットに書いてある通り、間違っていません。しかし、売りとなっている「チケットレスでスピーディ乗車」とは大きく異なります。
 「エクスプレスカード」を併用する場合は、一枚の紙に印字された別のチケットを入手してからでないと、モバイルSuica が使えないシステムなのでした。JRが新しい時代に追いつくための過渡期の問題だとはいえ、どうもすっきりしません。まさに、時代に後押しされる中での見切り発車だったのです。

 今回いつものように使用した「エクスプレスカード」というのは、次のような謳い文句で普及しているものです。


エクスプレス予約は、東海道・山陽新幹線をスムーズ&スピーディに一年中おトクなおねだんで利用できる、会員制のネット予約サービスです。(https://expy.jp/top.php?


 次の説明もあります。


東海道・山陽新幹線をスムーズ&スピーディに一年中おトクなおねだんで利用できる、会員制のネット予約サービスです。
スマートフォンやパソコン、携帯電話を使い、オフィスや自宅、出張中や旅行中でも、東海道・山陽新幹線指定席の予約・変更ができます。また、乗車の際にEX-ICカードを改札機にタッチするだけで乗車ができます。(https://expy.jp/beginner/#sec1


 この「EX-ICカード」が、最新技術の成果である「モバイルSuica」とうまく連動させられなかった、というのが実情のようです。アップルのブランド力に押し切られたのか、時代に遅れまいとしたJRの焦りの結果なのか。

 次のお知らせが、そのことを語っています。


「【重要なお知らせ】 iPhone 7、iPhone 7 Plus、Apple Watch Series 2に関するご案内(2016.10.12)
 
◆都市圏用のICカードとして「iPhone 7等のSuicaがご利用できる対象端末」を利用する場合の在来線と新幹線の乗り継ぎについて

在来線と新幹線を乗り継いでご利用になる場合、iPhone 7等のSuicaがご利用できる対象端末と「EX-ICカード」を重ねて新幹線乗換改札機を通過することはできません。次のいずれかによりご利用ください。 
@ 新幹線ご乗車の際は、カード型の都市圏用ICカードをご利用いただく。
A 新幹線乗換口の指定席券売機または窓口で、「IC乗車票」をお受取りになり、新幹線乗換改札機では、「IC乗車票」を投入後、iPhone 7等の端末をタッチする。


 モバイルSuica の存在が、この説明文では完全に死んでいます。
 この説明を今読んでみて、いつも自動改札機で受け取る「IC ご利用票」とここに出てきた「IC乗車票」なるものとの違いすら、いまだによくわかりません。知ったからといって、どうということもありませんが……

 エクスプレス予約のホームページには、「よくあるご質問」のコーナーに「モバイル Suica」という項目があり、そこには次のような記載がありました。


Q. モバイルSuicaは、EX-ICカードやTOICA等の他のICカードと組み合わせて利用できますか?
 
モバイルSuicaは、Suica機能を持ったスマートフォンや携帯電話をEX-ICカードの代わりとしてエクスプレス予約でご登録いただくことで、スマートフォン・携帯電話1台で東海道・山陽新幹線と在来線の乗り継ぎができます。

そのため、モバイルSuicaと他のICカード(EX-ICカードやTOICA等の都市圏用のICカード )を重ねて新幹線自動改札機を通過することはできません(https://expy.jp/faq/category/detail/?id=24)(赤字は私が施したものです)


 前段の「乗り継ぎができます。」という文章が「そのため」ということばを挟んで、後段で「通過することはできません」と記されていることとが、私の中ではうまくつながらないのです。前段の文意が正確に読み取れると、後段につながるのかもしれません。
 「そのため」ということばは、日本語としてどのような働きをしているのでしょうか。日本語に精通した方には問題がない使い方なのでしょうか。
 自分の日本語の運用能力をさらけ出すようで躊躇います。しかし、私には今は説明できない日本語文なので、恥を忍んであえてここに記しておきます。

 そもそもJRは、電車を走らせる技術力はあっても、お客さまに関することには驚くほどに無頓着です。
 今回も、モバイルSuica で往復共にエラーが発生しました。これに関しては、ITの進歩にご自慢の技術力が追いついていないことを露呈しています。

 私の伯父は、特攻隊の生き残りでした。その伯父が、国鉄が最初にコンピュータを導入した時に、島根県の出雲から大阪に招集された1人でした。私が大阪にいた頃に、伯父はよく我が家にやってきて、コンピュータの勉強をしている話を、熱っぽく語ってくれました。

 私が大阪の高校を卒業する時に、伯父からいろいろな話を聞きました。私の家ではお前を大学へ行かせる余裕がないので、まずは国鉄に入り、そこから大学に行かせてもらう制度を使えと。自分が大学へ行きたいという希望は、そうすれば叶うのだ、と。

 両親からは言いにくいことを、父の弟という立場で、親身になって私に直接アドバイスをしてくださったのです。結局は、自分の判断で、朝日新聞社の奨学生となって大学へ行くことになりましたが。

 もし、あの時に国鉄で仕事をしながら大学へ行っていたら、その6年前に開業した新幹線の仕事をしていたかもしれません。新幹線には、私の人生と接点があったかもしれない鉄道だと思っているので、ついトラブルなどを聴くと気になるのです。

 さて、新幹線はこのモバイルSuica との融和を、近い内には対応させることでしょう。しかし、その頃にはまた新しいITのシステムが登場しているはずです。

 ハードウェアにはめっぽう強くても、ソフトウェアには弱い体質を持つJRは、今後はどうするのでしょうか。
 新しい人材の確保が必須なのでしょう。しかし、JRに優秀な人材が集まるかどうかは、若者のチャレンジ精神に頼るしかないようです。
 JRが魅力とやりがいのある企業なのかどうかは、若者の厳しい眼にさらされる中で選別されていくことでしょう。
 伯父がコンピュータへの熱意を語ってくれたことを思い出して、他事ながらJRに期待したいと思っています。

 こんなことを書きながら、今日「ジパング倶楽部」への入会手続きをしました。
 「エクスプレスカード」とはお別れします。
 「ジパング倶楽部」とは、次のような説明がなされているものです。


日本全国のJRきっぷが年間20回まで最大30%割引。
男性満65歳以上、女性満60歳以上ならどなたでもご入会できます。
ご夫婦のどちらかが満65歳以上ならご一緒にご入会できます。
年会費は、個人会員(お一人):3,770円(税込)、夫婦会員(お二人):6,290円(税込)


 妻は早くから、この「ジパング倶楽部」の会員でした。私も一緒に夫婦会員となってもよかったのです。しかし、この年齢設定に露骨な男女差別が見え隠れしているので、無視していました。
 また、その切符を入手するまでの、嫌がらせとしか思えない手帳の管理と手続きの面倒くささに、自ずと毛嫌いしていました。しかし、そんなことは大したことではないと思うようになりました。

 私は今月で65歳となりました。
 しかも、昨日は新幹線でいやな思いをしました。
 意地をはらずに、すなおに利を取ることにします。
 便利さだけを追究した生き様を見直す時期なのでしょう。
 これまでは、妻に合わせて新幹線の「ひかり」に乗っていました。
 妻と一緒でない自分一人だけの時に、「のぞみ」に乗っていたのです。
 来週からは、「のぞみ」に乗れる権利を放棄したという気持ちを持つこともなく、妻と一緒に「ひかり」で京都と東京の間を移動します。
posted by genjiito at 20:28| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年11月28日

京洛逍遥(425)京大病院で検査と診察

 朝10時から、京大病院で糖尿病内分泌栄養内科の診察がありました。
 その前に、血液と尿の検査をします。
 血糖値などの検査結果を基にした診察なので、血液検査の結果が出ていないと、先生は診断も指導もできないのです。

 血液検査の結果が出るまでに、約1時間はかかります。
 そのため、9時には採血を終えておく必要があります。

 ただし、名だたる京大病院なので、受診者が多くて順番を待ちます。
 最初の関門は、予約者であってもしなければならない受付です。
 これをしないと、午後遅くまでかかります。
 そのために、長年の経験から、私は効率のよいタイムスケジュールを立てています。

 まず、必ず予約をしておくことです。これは、毎回の診察の時に先生がしてくださいます。
 予約なしで行った日には、お尻が硬直するほどに待たされます。

 私の主治医の先生は、外来の診察は原則として月曜日か金曜日に受けておられるので、週末は京都にいる私には好都合です。

 朝7時10分に自宅を出て、府立大学前のバス停から百万遍経由の京都駅行きバスに乗ります。高野川を渡り、バス停の近衛通りで降りて、目の前の病院に入ります。
 だいたい、7時45分頃になります。

 自動受付機は、8時15分から動きます。その順番待ちのために、あらかじめ来た順に整理番号を取ります。
 7台ある自動受付機の前のカードケースに、素早く目を走らせます。そして、もっとも番号の小さなカードの受付機の前の番号カードを取るのです。
 今日は、7号機の11番目でした。私のタイムスケジュールで病院に来ると、だいたい10番台前半のカードを手にできます。

 ロビーに設置されている大画面のテレビは、NHKの朝の連続ドラマ(小説?)を映し出しています。それが終わるとちょうど8時15分。自動受付機が動き出します。

 待合スペースで眠たそうにテレビを見ていた人は、一斉に立ち上がって自動受付機を目指して並びます。

 あっという間に、7列がみごとにできあがります。そして、みんなが手にした札を見せ合いながら、これまた瞬時にカード番号通りに整列するのです。
 日本人が得意な、両手を差し出して「まえになれー」まではしません。それでも、前から十数人は等間隔に並びます。ここで「まわれーみぎー」と言おうものなら、一歩足を引いてクルリと回りかねません。

 ここでみんなは、自然と手に持っているカードを周りの人に見えるように、数字をちらつかせるようにしています。一々「何番ですか?」と聞かれるのが煩わしいからです。この心理と動作には、微妙な気持ちが入り交じっています。

 ここで受付を済ませると、小さなリモコンが出てきます。その液晶画面に表示される案内が、今日一日の病院内での道案内と呼び出しサインとなります。

 早速、採血のために2階に移動しました。
 ところが、今日はここの自動受付機が故障とのことで、5人ほどの看護士さんたちが数字を印字した整理券を走り回りながら配っておられました。
 いつもはスムーズに進む手続きが、なんと大混乱です。窓口の方3人が、手作業でてんてこ舞いでした。器械は突然壊れるものです。機械に頼る日々となり、もう忘れかけていた仕事をこなすのに、お3方は大変そうでした。

 上京の新幹線で眠気覚まし代わりに書いていたら、つい余計なことを綴っていました。

 肝心の診察の結果を記しておきます。

 今日のヘモグロビン A1cの数値は「7.2」でした。先月は「6.9」だったので、大幅にアップです。ただし、致命的なものではありません。

 先生からは、夜には血糖値が下がらないので、食事を早めにすることと、お酒は糖質のないもので割るように、というアドバイスをいただきました。
 懸案の鉄分不足は、もう完全に解消となりました。貧血状態もまったく気にすることはありません。

 とにかく、もろもろがおおむね良好です。さらに血糖値の上昇に気をつけながら、マイペースで食生活を続けることにします。というよりも、朝晩の食事とお弁当で苦労をかけている妻の負担を軽くするように、もっと自分の意識を高めたいと思っています。

 帰りは、荒神橋のそばの亀の飛び石伝いに賀茂川を渡りました。


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 河原では、丸まると太った鴨が食事中です。


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 鷺と鴨が仲良く遊んでいます。


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 京都地方法務局と京都市役所で用事を済ませ、烏丸御池の歯医者まで歩いて散策しました。

 在原業平邸址の横の自動販売機の業平歌は、秋のままでした。


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 角の町家のレンタルスペースでは、シャネルが若い女性を大勢集めていました。


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 夕方の京都駅前では、好評の水芸と京都タワーのシルエットと電飾が一緒に見られました。


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 私が見つけた、人を掻き分けずに新幹線に行ける通路は、今日もゆったりと行けました。その通路から、JRの改札口と電飾のバス停付近を撮ってみました。


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 今日、スバコで買ったお弁当は非常にヘルシーなものでした。
 こうした京都ならではのお弁当は、改札を入る前に買うといいのです。


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 毎回、このスバコで買うお弁当が、上京の折の楽しみです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年11月27日

池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)

 池田本の校訂本文がほぼできあがり、当初の予定では、インドへ旅立つ前に関係者に配布する予定でした。


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 しかし、大島本で擦り消されている箇所に関して、カメラ付きの拡大装置を使った調査の成果が、出来上がっていた池田本校訂本文に盛り込まれていないことがわかりました。

 藤本孝一先生のご指導を受けながら、岡嶌偉久子さんなどと一緒に京都市文化博物館の地下の一室で大島本の精細な調査をしたのは、2007年から2年間でした。「桐壺」巻は2007年10月27日と2008年7月12日だったことが、手元の記録に残っています。

 その時の調査結果が、今回の池田本の校訂本文の注記に、まったく反映していないことがわかったのです。
 そこで今日、最後の確認と補訂を、立命館大学の須藤圭君と一緒に、京都で4時間半をかけて行ないました。

 大島本の傍記で削り取られた異文注記に、あの幻の写本とされる従一位麗子本が伝える本文が新たに確認できたことは、今日の補訂作業での一番の収穫です。

 また、大島本で削り取られた傍記には、池田本の異文注記と思われるものも含まれていることなどが確認できました。池田本の校訂本文を作成する過程で、その注記に大島本の書写様態を記述することにした副産物は、予想外に大きなものであることがわかったのです。これまで確認されていなかった大島本の削除箇所の本文が、精査した時の資料を再確認する中でいくつも追補することができたことは、編者にとっても僥倖でした。

 その詳細は、共同編集者である須藤君に、「池田本校訂本文レポート〈1〉〜〈?〉(須藤)」として連載でまとめてもらうことになりました。私の元に届き次第、本ブログに掲載しますので、楽しみにお待ちください。

 今回の新しい池田本の校訂本文は、「江戸の源氏から鎌倉の源氏へ」というスローガンで推進しているものです。
 いつ終わるとも知れない、気の遠くなるプロジェクトです。ご意見をいただくことで、より使い勝手の良い校訂本文に仕上げていくつもりです。ご支援のほどを、よろしくお願いします。

 岡山を発つ時に小降りだった雨が、京都では本降りとなっていました。雨と一緒に京都入りです。

 今日も大仕事を終えました。
 ぐっすりと眠れそうです。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月26日

岡山の就実大学で「世界中の33言語で読める源氏物語」という話をしました

 岡山の就実大学<表現文化学会>の2016年度公開学術講演会に呼ばれて、海外の『源氏物語』の翻訳状況についてお話してきました。

 大学はきれいで、特にパリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドを模したオブジェが、一際注意を惹きました。下には食堂があるそうです。
 (以下の3枚は帰りに撮ったものです。)


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 さて、今回のテーマの話だけでは印象に残らないと思い、私の翻訳本コレクションから私の手元にしかないと思われる本を中心に31冊を選書して、会場に持参しました。
 終わってから、学生さんを始めとする参会者のみなさまに、実際に翻訳本の現物を触っていただきました。中身がわからなくても、表紙の絵柄や、本の手触りを実感していただくことができたと思います。

 私の話はともかく、一生触ることのない本を通して、異国の地でそれが読まれていることを想像するだけでも、心が世界に拡がるはずです。そして、日本で育った文化の結晶としての『源氏物語』が持つ意義に思いをいたしてもらえたら、それだけで私の役目を果たしたことになります。それが、国際交流の原点となるはずです。

 誇れるものを持つ文化に対する理解を、これを機会に深めてもらえるという感触を、本日の会場みなさまの表情から感じとることができました。
 お集まりのみなさま方が、興味と好奇の心をもって、私の拙い、とりとめもない話を聴いてくださったことに感謝しています。

 今回配布したプリントの冒頭に、次の文章を掲げました。


 『源氏物語』は、33種類の言語で翻訳されています(2016年11月26日現在)。
 本日は、その翻訳本の表紙と中身および収集の来歴を紹介し、そこから見えてくる今後の新しい研究テーマをお話ししたいと思います。
 私がこれまでに確認し、収集した『源氏物語』の翻訳本は、次の通りです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
アッサム語・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

■インドで翻訳を進めている10言語■
【アッサム語・ウルドゥー語・オディア語・タミール語・テルグ 語・パンジャービー語・
 ベンガル語・ヒンディー語・マラーティー語・マラヤーラム語】(カンナダ語)
  (インドの言語は約870種類以上、連邦憲法では22の指定言語、紙幣には17言語)

 本日はこの中から、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただける31冊を選書して持参しました。


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 また、最新の翻訳情報をA4版で26ページ分にまとめ、長く手元に置いていただける資料集を配布しました。
 (1)「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 (2)「就実大学での展示一覧」
 (3)「源氏物語翻訳史年表」
 いつか、何かの折にでも、そういえば『源氏物語』の翻訳が、と思われた時に参考になる、情報満載のプリントにしたつもりです。
 この資料集のデータは、「海外源氏情報」(http://genjiito.org)で公開しているものを中心に編集しました。いつか、何かのお役に立てば幸いです。

 この配布物のうち、(2)「就実大学での展示一覧」は、今回のために選書した翻訳本のリストなので、記録としてその一部の情報を以下に引いておきます。


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アッサム語
Atul chandra Hszarika
(アトゥール・チャンドラ・ハジャリカ)
Genjikonvarar Sadhu
Sahitya Akademi
2005
青地にサヒタヤ・アカデミーのマークがついている。
--------------------------------------
アラビア語
Ahmed Mosta FATHY
(アハマド・モスタファ•ファテヒ)
Syrẗ ạlạmyr gẖynjy
(源氏王子の物語)
メリット出版社
2004
アラビア語と日本語の文字
--------------------------------------
イタリア語
Adriana Motti
(アドリアナ・モッティ)
STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2006
三代歌川豊国の「風流げんじ須磨」
--------------------------------------
イタリア語
Maria Tresa Orsi
(マリア・テレサ・オルシ)
LA STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2012
表紙と箱は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎氏が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』作者は山口伊太郎氏。同氏の遺作。
--------------------------------------
英語
Arthur Waley
THE TALE OF GENJI
George. Allen & Unwin
1935
表紙は赤い地に、金字で『源氏物語』と書いてある。背表紙も金字。
--------------------------------------
英語
Dennis Washburn
The Tale of Genji
W W Norton & Co Inc
2015
五島美術館所蔵 国宝 『源氏物語絵巻』 39帖「夕霧」(刺繍)で、夕霧の手紙をとろうとする雲居雁
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英語
Edward G. Seindensticker
THE TALE OF GENJI
Charles E.Tuttle Company
1979
(3版)
表紙と外箱は、円山応挙『藤花図』(重文・根津美術館蔵、1776年)
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英語
Royall Tyler
THE TALE OF GENJI
Penguin Books
2001
外箱の表は舞楽図『五常楽』裏は右を向いた女性、本の表紙は赤い地に絵巻を参考にした人の顔の輪郭を黒い線で描いている。1巻は男性で、2巻は横向きの女性である。
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英語
末松謙澄
GENJI MONOGATARI
丸屋
(現:丸善)
1894
赤地に金色で源氏香の図が描かれている。薄い紙のカバーがかかっている。
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オランダ語
Jos Vos
(ヨス・フォス)
Het verhaal van Genji
Athenaeum
2013
バーク・コレクションのひとつ、1巻は土佐光起筆『源氏物語画帖』「花宴」
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クロアチア語
Nikica Petrak
(ニキツァ・ペトラク)
Pripovijest o Genjiju
Naklada Ljevak
2004
『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻(二)。夕霧が笛を吹いている場面。
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スペイン語(ペルー版)
HIROKO IZUMI SIMONO
(下野泉)•IVAN AUGUSTO PINTO ROMAN
(イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン)
EL RELATO DE GENJI
ペルー日系人協会(APJ)
2013
國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音」巻
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スロヴェニア語
Silvester SKERL
(シルベスター・スカル)
PRINC IN DVORNE GOSPE
Državna založba
1968
浮世絵(女性の絵)
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タイ語
あさきゆめみし
1980
『あさきゆめみし』
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タミル語
K.Appadurai
(アッパドライ)
Genji Katai
Sahitya Akademi
2002(新版)
金閣寺の前で近世風の男女が並んでいる絵
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中国語
康景成
(kāng jǐng chéng)
源氏物語
陕西师范大学出版社
2012
徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面。
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中国語
林文月
( LIN Wen Yueh)
源氏物語
訳林出版社
2011
全3冊共に薄い紫色
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ドイツ語
Herbert E. Herlitschka
(ヘルベルト・E・ヘルリチュカ)
DIE GECHICHTE VOM PRINZEN GENJI
Insel Veriag
1995
江戸時代の役者絵
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ハンガリー語
Horvàth Làszlo
(ホルバート・ラースロー)
Gebdzsi szerelmei
Európa Könyvkiadó
2009
1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉筆『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、3巻は京都国立博物館蔵の伝・土佐光元筆『源氏物語図』「蜻蛉」。
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ハングル
전욤신
(田溶新•チョン•ヨン•ハク)
겐지이야기
(源氏物語)
ZMANZ社
2008
表紙は植村佳菜子画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を無断で改変。
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パンジャービー語
Jagjit Singh Ahand
(ジャジット・シン・アナンド)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2001
一楽亭栄水作『美人五節句・扇屋内さかき わかは』を加工したもの。
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ヒンディ−語
Chavinath Pandey
(C.パンディ)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2000
『枕草子絵詞』第一段で中宮定子と対面する、妹の藤原原子(淑景舎)の姿をモデルに加工したもの。
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フランス語
YAMATA KIKOU
(山田菊)
LE ROMAN DE GENJI
PLON
1952
文字のみ
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ポルトガル語
(1巻)Lígia Malheiro(リヒア・マリェイロ)
(2巻)Elisabete Calha REIA(エリザベート・カーリ・レイア)"
O Romance de Genji
Exodus
2007
立松脩氏デザインの首飾りをしている黒髪の女性の絵
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ポルトガル語
Carlos Correia Monteiro de Oliveira
(カルロス・コレイア・モンテイロ・デ・オリベイラ)
O ROMANCE DO GENJI
Relogio D'agua
2008
1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、2巻はハーバード大学美術館蔵の土佐光信筆『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたものである。
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マラヤラム語
P.K.Eapan
(イッパン)
Genjiyude Katha
Sahitya Akademi
2008
国際聚像館(広島県福山市の坂本デニム株式会社が創設した美術館)が所蔵する、『源氏物語挿絵貼屏風』(六曲一双)「初音」巻と類似した絵
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モンゴル語
ジャルガルサイハン•オチルフー
ГЭНЖИЙН ТУУЛЬС 
ADMON
2009
石山寺蔵 狩野孝信筆『紫式部図』(部分)
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 さて、お話した内容は、多岐にわたるものだったので、それは省略します。
 これまでに海外で出会った『源氏物語』とのエピソードを中心にしました。

 いろいろな体験談を含めてお話した中で、一番興味をもっていただけたのは、イタリアの本屋で「ゲンジモノガタリプリーズ」と言ってイタリア語訳『源氏物語』を手に入れたことだったように思います。
 これは、私のブログの、「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008/9/14)に書いたことなので、ご笑覧いただければと思います。

 ないはずのウルドゥ語訳『源氏物語』があったこと、しかもそれが偶然に見つかった話にも興味を示されたようです。これも、次の記事を書いています。
 「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)
 「「ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見」((2016/2/19)
 先年刊行されたオランダ語訳『源氏物語』の、ネット上での本の分類が「horror」(ホラー・恐怖)となっていることは、後で学生さんからの質問にも出たので、意外だったようです。

 『源氏物語』の翻訳本を「訳し戻し」することによって、日本文化が海外にどのように伝わっているのかをみんなで考えよう、というテーマは、これからの若い方々を意識して話題を提供しました。
 「各国語翻訳を日本語に一元化したものを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等との共同研究で考察していきませんか。」という趣旨の、コラボレーションを基にした提案です。

 さて、こうした物の見方が、若い方々にどのように伝わったのか、気になるところです。

 その後の別室での自由討論も、先生方のお人柄も感じられて、温かい雰囲気の中で話が盛り上がりました。
 さらにそれは、外に出ての懇親会でも引き続き楽しい話題が飛び交うこととなりました。
 久しぶりに、こんなに和やかで楽しい会に参加させていただきました。若い先生方のお考えもたくさん伺えたので、すばらしい情報交換となりました。そして、私と同世代の方々とは、若き日々の懐かしいテレビ等の話題で、若返った気持ちになりました。

 今回の仕掛け人は、大学時代に同級生だった岡部由文君です。
 その縁で、就実大学の先生方と気持ちを通わせる機会をいただけました。
 みなさまに、あらためて感謝しています。

 散会した頃には、小雨が降り出していました。

 岡山駅前のホテルに入ったところ、サイドテーブルに『古事記』の現代語訳(竹田恒泰訳、竹田研究財団古事記普及委員会、平成24年1月)が、お決まりの聖書と並んで置いてありました。


161126_kojiki




 その巻頭に、次の言葉が印刷されています。


「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトについて



本書は『古事記』完成千三百年にあたり、古事記普及委員会が立案した古事記普及事業に基づいて行われた「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトにより、ホテル等に無償にて配布されたものです。このプロジェクトは日本の将来を憂う全国の有志の募金によってまかなわれています。プロジェクトへの支援をご希望なさる方は、巻末に記載した「発行所」の古事記普及委員会へご連絡ください。(6頁)


 こうした本を始めて見たので、非常に興味を持ちました。
 これがありなら、日本人のみならず、海外からお越しの方々にも日本の文化理解に資するものとして、『源氏物語』の現代語訳もありでしょう。
 きっと、日本を知っていただくのに、お役に立つはずです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の議題にしてみましょう。

 そんなことを思いながら、岡山の一夜を満喫しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月25日

こまめな通院をと警告されて

 九段坂病院へ行きました。右足の指先に出来ている疣を治療してもらうためです。

 先生からはいつも、1週間から10日後に来なさい、と言われます。
 しかし、なかなか時間が取れない日々に置かれているので、つい足が遠のいてしまいます。
 九段坂病院は、地下鉄東西線の九段下駅からすぐの所にあります。通勤途中なので、いつでも行けるという安易な気持ちが、つい通院を先き延ばしにしています。

 前回この病院に来たことは、「インドへ行く前に身体検査をしています」(2016年11月02日)で報告しました。
 そこで、「右足の指の疣は、大分よくなってきました。後1回の通院でいいようです。」と書きました。しかし、インドから帰って来てからも何かと忙しくて、やっと今日の時間を見つけて行きました。3週間以上も空いています。

 担当医の先生は、液体窒素を使った丁寧な治療をしながら、この前の治療から時間が空いたので、また状態が元に戻っていますよ、とおっしゃいました。
 せっかくここまで来たのだから、間隔を詰めてこまめに通院しないと、いつまでもこの繰り返しになります、と、やんわりと警告を受けました。

 明日から岡山の就実大学へ行き、来週は京大病院、そして上京後は会議の日々となります。
 しかし、そんな日々に流されていては、治るものも治りません。
 思い切って、来週の12月2日(金)に予約を入れました。

 命に別状がない、という思いが、つい通院を軽く見ています。
 治るものは治せる時に治す、ということを、あらためて自分に言い聞かせています。
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | 健康雑記

2016年11月24日

江戸漫歩(145)立川の雪三景

 東京で11月に雪が降るのは54年ぶりだそうです。
 朝からターミナル駅は、早めに出勤する人々で混雑していました。
 今夏、通勤途中に足を骨折したので、道々とにかく足元をよく見て歩きました。

 中央線の電車も、雪を浴びながらホームに滑り込んできます。


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 立川駅から乗った多摩モノレールの車窓から、国営昭和記念公園の横の雪景色を見下ろしました。
 いつもと違う、真っ白な広場です。
 つい最近まで、ここで羊たちが草を食んでいたのです。


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 職場の前では、紅葉が雪と対照的に、鮮やかさを見せつけていました。


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 とにかく寒い1日でした。
posted by genjiito at 23:06| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年11月23日

橋本本「若紫」の原本で削除されている文字を確認して気付いたこと

 日比谷図書文化館の「古文書塾てらこや」で、鎌倉時代の古写本『源氏物語』を読み続けています。

 今秋から、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)をテキストにして、みなさんと一緒に本文を翻字する時の注意点を考えています。

 せっかく国文学研究資料館が所蔵している写本をテキストにしているので、その原本を直接見ていただくことにしました。今から700年前に書き写された写本を、直接見て確認してもらおうというものです。

 昨日は、午前と午後の2回にわけて、4人ずつにたっぷりと2時間、詳細なところまで見てもらうことができました。鎌倉時代の写本ということで、みなさんにとっても、なかなか得難い体験ができたかと思います。

 この写本の特徴的な書きざまが見られる箇所や、私が説明し切れない箇所を、以下に紹介します。

(1)本行の文字が削られ傍記だけが残っている
(1丁ウラ)

161123_1ura




 1行目の本行には、「【侍】越と□こそ」と書かれています。
 ここで、削られて空白となっている4文字目は、その下に「く」と書かれており、それが小刀で削り取られていることがわかります。ただし、傍記の「く」だけはそのまま残っています。
 おそらく、「とく」と書いた時の「く」が「久」の崩しとしてはあまりにも漢字に近いものであり違和感を覚えた人が、あらためて「く」を傍記したものかと思われます。この字母である「久」に近い「く」は、他にも各所に見られます。
 さらには、この本行の「く」にはミセケチ記号としての「˵」があったと考えられます。この「く」が削られているので、そこまでは原本で痕跡が確認できませんが。
 この箇所で「く」が削られて空白となっているのは、この写本が書写された後の仕業であることを示していると思われます。本行の「く」を削った後に、その上に「く」を書いていないことと、傍記の「く」が残ったままであることからそう想定していいと思われます。

 また、上掲写真の4行目7文字目の「まう□□たれ盤」も、同じような状況を考えていいと思います。
 削られた文字は「さ勢」です。そしてその直前の「う」の右下に小さな補入記号である「○」を添え、その右に補入文字としての「し」が書き加えられています。
 最初は「まうさ勢たれ盤」と書き写されました。しかし、「さ勢」をミセケチにしてその右横に異本との校合によって「し」を書いたのでしょう。ここでも「さ勢」が削られているので、ミセケチ記号の痕跡は確認できません。しかし、後に下に書かれていた「さ勢」が削られていることと、補入文字としての「し」が残っているので、そのように考えていいと思います。
 ただし、こう説明しても、ここになぜ補入記号があるのかは、今説明ができません。

 この橋本本「若紫」の写本には、後に写本に手を入れたと思われる、さまざまな人の手が確認できます。ここに示した2例は、書写されている文字に対して、他本との校合をしたにもかかわらず、その上に文字をなぞって書けなかった事情が推測できるものです。
 こうした判別を続けて行くと、写本が受容され、そこに加えられた手の歴史が確認できます。書写後に写本が経巡ってきた背景が少しずつわかると、さらにおもしろい受容史が見えてくることでしょう。
 
(2)同じ文字を左横に傍記
(14丁オモテ)

161123_14omote




 最終行と後ろから2行目の間の行末に、「よし堂ゝ」という少し小さな文字が傍記されています。この傍記は、その右の本行本文である「よし堂ゝ」に関係するものです。
 普通は、異文注記などは本行本文の右側に傍記されます。しかし、ここは左側にあるのです。もっとも、行末においては、こうした左傍記はよくあることです。
 そのことに加えて、この左傍記の文字は、本行本文と字母のレベルまでがまったく同じ文字列です。もし「四志多ゝ」などと、親本と字母が異なるための注記としての傍記であるなら、あえてここに記されたことの意味は理解できます。しかし、ここにはまったく同じ文字が記されているのです。
 その前の2行分の行末に、「盤」と「尓」が隙間に挟み込まれるように小さく書写されていることからもわかるように、この写本は親本の書写状態を忠実に書き写しています。勝手に改行して書写したりはしていないようです。
 そのことと併せて考えると、この行間に記された「よし堂ゝ」という文字も、親本に記されていたのかもしれません。ただし、この行間に記された文字の「堂」は、本行の本文に書かれている「堂」とはその字形が異なることをどう説明したらいいのか、今私は解決策を持っていません。
 
(3)和歌の直前で削除された「僧都」
(26丁オモテ)

161123_26omote




 これは、丁末に「僧都」と書かれていたところで、その「僧都」が削られているものです。この次の丁の最初は、僧都の「優曇華の」という和歌で始まります。削られた「僧都」は、次の歌を詠んだ人を明示しているのです。
 この箇所の諸本を確認すると、次のようになっています(諸本の略号は今は省略します)。


僧都/〈削〉[橋]・・・・052034
 そうつ[尾国高]
 僧都[中陽天]
 ナシ[大麦阿池御肖日穂保伏]


 つまり、橋本本をはじめとして[尾国高中陽天]のグループ(私が〈甲類〉とするもの)は、この和歌の直前に「僧都」という文字を伝えています。現在一般に読まれている大島本(〈乙類〉)を始めとする流布本には、この「僧都」がないことがわかります。
 「若紫」の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2つにわかれる、ということは煩雑になるので今はおきます。
 橋本本「若紫」は、現在の流布本となっている大島本のような本文で校合され、本文が異なる箇所には削除などの手が入っていることが、この例からも言えます。

 参考までに、その直前にある和歌についての確認もしておきます。

(25丁オモテ)

161123_25omote




 この箇所の諸本の本文を調べると、次のようになっています。


僧都/〈改頁〉[橋]・・・・051904
 僧都[中陽穂天]
 そうつ[尾御国高]
 そうつ/〈朱合点〉、=イ[肖]
 ナシ[大麦阿池保伏]
 ナシ/+僧都イ無本[日]


 橋本本をはじめとする[尾国高中陽天]の〈甲類〉の諸本は、和歌を詠んだ者が「僧都」であることを明示しています。しかし、それ以外の現行流布本である〈乙類〉としての大島本などは、この「僧都」を文字を持っていないのです。
 このことから、橋本本の「僧都」を削除しているかと思うと、ここでは削除していないことが明らかになったのです。前例との違いは、丁末にあるか丁始めにあるか、という違いです。
 この違いについて、私は今はまだ説明できません。校合の手が不十分のままに今に伝わっている、と考えられること以外に。

 ここでは、具体的な問題箇所を提示しただけに留まっています。
 こうした点について、ご教示をいただけると幸いです。
posted by genjiito at 20:38| Comment(0) | 変体仮名

2016年11月22日

忘れていた「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」のこと

 いつしか読めなくなっていた、国文学研究資料館のサイトから公開していた私のホームページ旧〈源氏物語電子資料館〉を、本年4月に再構築してもらい、再スタートしました。
 そのことは、「読めなくなっていたホームページを再建」(2016年04月26日)という記事にまとめ、復活させたことを報告しました。

 しかし、そのことをすっかり忘れてしまい、ブログのサイドバーなどからもリンクが途切れたままになっていました。

 問い合わせを受けても、再建していたにも関わらず、「科研の報告書」や「源氏絵」の公開情報は壊れたままです、と答えていました。

 今日、この「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」が復活していることを指摘され、慌てて確認しました。
 私の科研で補佐員として支援していただいている加々良さんの尽力で、『源氏物語』の貴重なデータが多いこのホームページを、現在のメインサイトとしている「さくらネット」の中に生き返らせていただいていたのです。
 それを忘れていたとは、まったくお恥ずかしい限りです。ずっと、何とか蘇らせなくては、と思っていたのですから。

 本日、本ブログの右側にあるサイドバーの後半にある「↓関連ホームページ↓」に、この「★国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」を追記しました。ご確認ください。
 スマホ用の表示画面の末尾は、まだ未調整のままです。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページと名前が紛らわしいので、「国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉」は今後は整理する方向で考えています。

 なお、もう一つの私のメイン・ホームページだった「大和まほろば発〈へぐり通信〉」は、まだ壊れたままで放置しています。これも、年内に再建したいと思っています。

 いずれも、1995年9月からスタートした、いろいろな意味での記念碑的なホームページだという、身に余る評価をいただいているものです。

 バタバタするばかりの日々の中で、すっぽりと抜け落ちた部分が自分の中にあったことを、あらためて知ることとなりました。

 前ばかり見て進んでいる私の生活の中で、こうした過去のものも大切に維持管理して、守り続けることにも心がけるように、との思いを、この件を契機に強くしているところです。
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月21日

清張全集復読(8)「火の記憶」「贋札つくり」

■「火の記憶」
 清張が得意な、戸籍に関する話です。しかも、清張自身が抱える、実の父の存在が背景にあると思われるものです。

 頼子が結婚する相手である泰雄の戸籍から、兄貞一はその父が失踪宣告されていて除籍となっていることに疑問を持ちます。

 泰雄の父が失踪したのは4歳の時でした。母は、泰雄が11歳の時に亡くなりました。後日、事実と対比するために、このくだりを抜き出しておきます。


 僕の父は三十三歳で行方不明となり、母は三十七歳で亡くなった。父の失踪は僕が四つの時で、母の死は十一のときだった。母の死後二十年ほど経つ。
 僕は父母の素姓をはっきり知らないが、父は四国の山村が故郷で、母の方は中国地方の田舎が実家だ。が、両親とも他国に出てからは一度も生れ在所に帰ったことはないということだ。今日まで、僕も両親の郷里に行ったこともなければ、郷里の人たちの訪問をうけたこともない。要するに、典型的な流れ者なのだ。
 従って父母の身の上については他人の口から聞くよしもなかった。三十七歳まで生きた母も、僕にはあまりそんなことを話さなかった。
 父と母が一緒になったのは大阪だということだけは聞いた。しかし四国の山奥の青年と中国地方の片田舎の娘とがどのような縁で大阪で結ばれたかは分らない。しかしこの結婚は、どちらも故郷を出ていわゆる旅の空で出来合ったのであろうことは想像がつく。事実、母は死ぬまで戸籍面では内縁関係であった。当時、父は何をしていたであろうか。父のことになると母は不思議に話を回避した。
 僕は本州の西の涯B市で生れた。大阪からB市に両親が移った事情もはっきりしない。
 父は僕が四つのとき失踪したから、僕の父に対する記憶は殆どない。印象も残っていない。写真すらみたことがない。あるとき、僕がそれを母に云ったことがあるが、
「お前のお父さんという人は写真にうつることが嫌いでのう、とうとう撮らず終いだったよ」
 と母はいった。
 その頃の父の職業は何だったか。母にきくと、
「石炭の仲買での、始終、商売で方々をとび廻って忙しがっていなさったよ」
 ということだった。それが欧州大戦後に襲った不況で山のような借財が重なり、遂に朝鮮に渡ったきり、行方不明になったという訳だ。「大正×年−日、届出ニヨリ失踪ヲ宣告」と戸籍面で父の存在が抹消されたのは、それから十年もたって後である。
 実際、父の足跡はそれきりかき消えてしまった。生きているのか死んでいるのか、もとよりさだかでない。生きていれば、今年六十歳の筈だ。
「ちょっと神戸まで行ってくる」
 といって、トランク一つ提げて家を出て行ったそうだ。商用で旅は常だったから、母は怪しみもせずに出した。それが父の最後の姿だった。最初からその計画で家出したのか、途中でその気になったのか分らない。遺書一つない。朝鮮行きの連絡船で見たという人もあった。(158頁下〜159頁下)


 その母の横には、ある男がいたことが思い出されます。それが、河田忠一です。警察官を辞めて、行商をしていました。九州の筑豊炭田でのことです。
 本作品を読んで、最後の第六節の推理はピンボケだと思います。女の心理が読み解けていないとしか言いようがありません。物語を閉じるために、無理なこじつけとなっています。推理作家清張の片鱗だけが感じられました。

 後年、清張は火に拘った作品を書きます。本作では、ボタ山の火です。これは、幼い日に山陰の山中で清張の父が見たと思われる、たたらの火の記憶が蘇っているのではないでしょうか。本作品を読んで、そう確信しました。また、飛鳥の石像遺物とゾロアスター教に興味を持つのも、この延長上のことかもしれません。

 そのよくわからない、不遇の中に生きた父に対する清張の思いは、終生頭から離れなかったと、私は思っています。これは、私のまったくの思いつきです。何も文献は調べていません。研究の足跡も確認していません。
 この一連のメモは、勝手気ままに書いている、読書雑記であることをご了解ください。【4】
 
 
原題:「記憶」
初出誌:『三田文学』(昭和27年3月)
   改題改稿したものを『小説公園』(昭和28年10月)に掲載。
 
 
■「贋札つくり」
 明治2年、福岡藩での話です。
 財政困窮の中、窮余の一策が贋札作りでした。絵師・印刷屋・大工などの職人20人が城内の家老屋敷に集められました。しかし、職人の中で病気になった者が家に帰されたことから、その秘密を妻に語ったために露見します。
 人間の思考回路がよくわかります。そして、その結果にどう対処するかも、興味が尽きないところです。【3】
 
 
初出誌:『別冊文藝春秋』(昭和28年12月)
 
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | 清張全集復読

2016年11月20日

単行本の書名だけを変えた文庫本のこと

 最近は、単行本で出版するのではなくて、最初から文庫本で「書き下ろし」として刊行される本があります。高田郁の作品などです。これを、「いきなり文庫」と言うのだそうです。

 藤田宜永の『悪徒』(2016年10月、角川書店)という書名の文庫本を、新聞の新刊広告で見かけました。藤田宜永の作品はほとんど読んでいるのに、知らない書名です。最新作を文庫で刊行したのかな、と思い、近くの書店に行きました。


161119_fujita





 品揃えのいい書店なのに、売れたばかりのようで、今は店にはないとのことです。
 「取り寄せますか?」と聞かれました。しかし、本は自分の目と手で探し、見つけた本を手にとってレジに持って行く、あの感触が好きなので、別の書店で探すことにしました。

 仕事帰りに、大きな書店で『悪徒』見つけました。本を持ってレジに並びながら、巻末の書誌情報をたまたま確認して失望しました。この本は、『ライフ・アンド・デス』という単行本を改題して、文庫化したものだったのです。

 元の『ライフ・アンド・デス』という本のことは、本ブログ「藤田宜永通読(18)『ライフ・アンド・デス』」(2014年02月06日)で取り上げました。まったく同じ内容の本を買うところだったのです。

 前掲の新聞の新刊案内に、旧題はどこにも書いてありません。
 角川書店のウエブ情報にも、3種類のサイト共に旧題は書かれていません。もちろん、アマゾンにも改題による作品であることは明記されていません(Kindle版にはありました)。

 この改題本において旧題を隠すことは、出版業界では一般的なことなのでしょうか。私は、出版社が意図的に隠しているのではないか、と思うようになりました。

 もしそうであるならば、読者に対する背信行為です。文庫本を買う時に、疑心暗鬼になり、警戒する人が増えることでしょう。特にネットで本を買う時には、こうした書誌情報はいいかげんなので、改題本であるかどうかの確認がほとんどできません。

 もっとも、文庫化されていい点もあります。巻末に解説文が付くことでしょうか。
 電車の中で読むのに重宝します。

 以前、藤田宜永の作品で、改題された文庫を買ったことがあります。こうした、同じ内容の本を書名を変えて売る際には、元の本の題名などの書誌情報を、巻頭や巻末だけでなく、表紙や背文字あるいは裏表紙などの見やすい所にも、その旨を明記してほしいものです。たまに見かけます。しかし、今回はありませんでした。

 単行本を、改題して中身は同じ、という傾向のある作家には気をつけなければいけません。
 藤田宜永の本で、改題して再度文庫として刊行されたものを、「ウィキペディア」で調べてみたところ、以下のとおりいくつもありました。
 書店で見かけ、何度も旧題を確認して、買うのをやめたことを思い出します。
 こうした紛らわしい行為はやめてほしいと思います。
 作家に対する印象も悪くなります。
 

■モダン東京物語(1988年1月 集英社文庫 / 1996年8月 朝日新聞社)
 【改題】美しき屍(2001年12月 小学館文庫)

■モダン東京小夜曲(1988年6月 集英社文庫 / 1996年9月 朝日新聞社)
 【改題】哀しき偶然(2002年1月 小学館文庫)

■探偵・竹花とボディ・ピアスの少女(1992年12月 双葉社)
 【改題】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(1996年4月 光文社文庫)
 【新装版】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(2016年4月 光文社文庫)

■怨霊症候群(1988年9月 C★NOVELS)
 【改題】呪いの鈴殺人事件(2001年8月 光文社文庫)

■明日なんて知らない ノーノーボーイ'69(1991年10月 双葉社)
 【改題】遠い殺人者(1996年11月 光文社文庫)

■キッドナップ(2003年8月 講談社)
 【改題】子宮の記憶 ここにあなたがいる(2006年12月 講談社文庫)

■探偵は黒服(2005年10月 角川書店
 【改題】さかしま(2008年10月 角川文庫)

■幸福を売る男(2005年4月 角川書店)
 【改題】セカンドライフ(2008年3月 角川文庫)

■還暦探偵(2010年10月 講談社)
 【改題】通夜の情事(2013年11月 新潮文庫)

■最新「珠玉推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全〈上〉(1998年8月 光文社カッパ・ノベルス)「一億円の幸福」
 【改題】幻惑のラビリンス(2001年5月 光文社文庫)
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《参考》恋しい女(2004年8月 新潮社 / 2007年5月 新潮文庫 上下巻、『週刊新潮』連載の「セカンド ヴァージン」を改題)
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posted by genjiito at 21:16| Comment(0) | 読書雑記

2016年11月19日

帰路の機内で観た映画「縁」と「奇跡がくれた数式」

 インディラガンディ空港から成田に向かったのは、先週13日の日曜日でした。

 忘れてしまう前に書いておくことは、まだまだあります。今回は、いつも以上に得難い体験がたくさんあったのです。しかし、もうきりがないので、この辺にしておきます。

 日本の日常に浸ると、旅先での非日常的な出来事がしだいに記憶から薄れていきます。歳と共に、思い出せなくなってきています。今回のことも、いつか突然に思い出すこともあるでしょう。今は、忘れ去ることをもったいないと思いつつも、時の流れに任すことにします。

 帰りの飛行機の中で、2本の映画を観ました。往きの3本は、どうしたことかハズレばかりでした。観ようと思って観た映画だったので、期待外れとなったのかもしれません。

 帰りは、観てもいいかな程度の映画だったので、期待する気持ちがなかった分、良さが伝わってきたのかもしれません。

■「縁」
 私が生まれた出雲が舞台です。
 小学校の4年生までいました。
 子供の頃に慣れ親しんでいた出雲弁が、懐かしくもあり、少しくすぐったい感じでした。
 出雲の人々の優しさが、画面と言葉から伝わって来ます。
 気遣いの男と、揺れ動く女が、やがて結婚に至る物語です。真紀という主人公は、もの静かながらも存在感がある女性として描かれています。
 紫陽花の花言葉がキーワードのようです。「おかげさま」という言葉と共に、山陰の気候風土が見事に背景を支えている、大人の味の物語です。【5】
 
 
■「奇跡がくれた数式」
 インドのラマヌジャンは、天才数学者でした。ケンブリッジ大学で、数式の証明や権威主義と闘います。
 学問と家族、研究者と妻の絆が見事に描かれています。
 お互いが信じ合うことの素晴らしさが、観る者の心にじんわりと伝わって来ました。
 ゆったりとした時間の流れの中で、人間の情感が丁寧に映し出されています。【5】
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | 身辺雑記

2016年11月18日

ジュース屋のおやじさんとの奇妙な国際交流

 無事に「第8回 インド国際日本文学研究集会」も終わり、関係者だけでお疲れさん会をしました。

 その店の前に、フィットネスクラブの明かりが煌々と輝いているのを見つけました。
 まさに、インドの1面を見ることができました。


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 宿に帰ってから、いつものジュース屋さんに行きました。
 時間が10時を過ぎており、すでに店じまいをしているところでした。
 この町に来た8日にも立ち寄りました。しかし、いつものおやじさんがいなかったので、ジュースはいただきませんでした。私は、おやじさんがいる時だけしか行きません。

 見つけたおやじさんに挨拶をすると、元気に迎えてくれました。しかし、すでにジューサーは解体した後でした。それにも関わらず、おやじさんはスパナをとり出し、ジューサーをまた組み立て始めたのです。お店の人も、何事が起こったのかと見守っておられました。


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 お掃除が終わったのなら、また明日来ますと言うと、というよりも村上さんにそう通訳してもらうと、それでも無言でスパナを使ってジュースを作る準備をしておられます。

 私だけのジュースが搾られることとなりました。感激です。お店の従業員の方は、何が何だかわからない顔をしておられます。テーブルの上には、またすぐに解体できるようにスパナが置かれたままです。


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 お金を払おうとすると、私に会いに来たお前から貰うわけにはいかない、と言っておられるとのことです。押し問答の末にそれでも代金を渡すと、多すぎるとのことで、少し返してもらいました。死ぬ時に余分なお金は要らないので、実費でいいとのことのようです。


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 それでは、今度何か日本からお土産を持って来るので、何がほしいかと聞いてもらうと、何もいらないとのことです。こうして顔を見せてくれるだけで、それがいいお土産だと言っておられると、通訳係となった村上さんが伝えてくれます。

 しばらく、インド人との禅問答のような哲学的な会話が飛び交いました。

 さらに、私がお寺に泊まっていることを知っておられるおやじさんは、お寺の和尚さんに果物とジュースを持って行けとのことです。(このリンゴとミカンは、翌朝のお寺での食卓に並びました。)

 他人が見たら、インド人と日本人が何を言い合っているのか、興味深い光景だったことでしょう。

 このおやじさんとは、2002年に私がデリー大学に客員として来た時、お寺で同じ釜の飯を食っていた中島岳志君に連れて来られた時以来の、説明しずらい変な仲なのです。
 このおやじさんとの不思議な関係が、こうして今でも続いているのです。
posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | 美味礼賛

2016年11月17日

クマール君から届いた紙幣無効に関するエッセイ

 今回インドへ行き、到着から帰る直前まで、教え子であるクマール君のお世話になりました。
 よく気遣いができる青年で、毎日のように心配をして連絡をくれました。

 そのクマール君から私に向けて、今回の突然の紙幣無効に関する、インド人としての解説をしてくれました。ニュースや風聞を読み別け、整理をして語ってくれています。
 私がわかるように、わかりやすく語ってほしいとお願いしたからでもあります。

 私だけが読んで終わりにしてはもったいないので、このブログを通して紹介します。
 日本語の表現がこなれていないのは、しばらく日本を離れていて、日常的に日本語を使う機会が少ないためです。その点は、判読のほどをお願いします。

 また、クマール君は経済の専門家ではないし、インドの若者を代表して語ったものでもありません。この説明がどれだけ的を射ているのかはともかく、何がどうなっているのかわからない私に、とにかく伝えようとの思いから述べたものであることを、まずは前置きとして記しておきます。



「ブラックマネー(やみ金)撲滅から始まるインドの明治維新レベルの大事件」


 
 2016年11月8日の午後6時半に、日本からお出での先生をお迎えに、インディラガンディ空港に行きました。先生は、源氏物語のシンポジウムのご用でデリーに来印されました。空港でタクシーを拾い、デリーの高級住宅街にあるWorld Buddist Centerに午後8時ごろに着きました。

 World Buddhist Centerはお寺ですが、宿泊のサービス(食事付き)も提供しています。宿泊先のWorld Buddist Center では、晩こ飯の指定時間は午後8時です。それで、着いてすぐ「ご飯ですよ」とお坊さんに声をかけられました。

 日本と同じく、足のひくい食卓にしゃがんで食事をし始めると、後ろにあったテレビからインド首相の声が聞こえました。振り向くと、話し方も、彼の立ち方も、長いスピーチに思えました。国立記念日や重要なお祭りの前日に、インド首相が国にスピーチするのは、しきたりです。それで、しわを寄せて「明日なんのお祭り? 国立記念日?」と思いました。しかし、ニュースを聴いて、びっくりしました。

 500ルピーと1000ルピーの紙幣は今夜零時で無効になり、ただの紙屑に変わるという二ユースでした。病院、火葬場、空港、バス停、メトロ、ガソリンスタンド、国の機関で、あと3日間は使えるという話もありました。それを聴いて、すごくショックでした。

 先生がインドにいらっしゃるので、1万ルピーをATMから出したばかりでした。ATMだと500ルピーや1000ルピーが多いです。1万ルピーをドブに捨てた気がしました。しかし、しばらく聴くと、「今月30日までに最寄の銀行で古紙幣から新紙幣に両替できる、そして、その以降も両替できるが、インド準備銀行であるRESERV BANK OF INDIA だけで両替できる」というニュースでした。
 この移行期間で社会混乱が起こらないように、インドの軍や空軍はアンテナを張って社会を見張っている、守っているという話もありました。

 ご飯が終わって、早速ATMに行こうと先生が決めました。それで、近くにあったSapna映画館の商店街みたいな場所に行きました。行ってみると、ATMの場所で長い行列を見かけました。零時まで間にあわないほど長い行列でした。
 零時までは使えると思って、お店で500ルピーを出してみました。しかし、「紙屑だよ」という目線だけで、誰も受け入れてくれません。

 猶予期間である3日間が経って、それで社会にどんな影響があるかと考えると、ひっくり返るほど驚きました。この出来事を理解するには、まず、「現金イコール力」ということを考える必要があります。
 専門家によると、銀行に戻って来ないお金、つまりどこかで税金を払わないで眠っているお金は、銀行に顔を出すお金の6倍くらいあるということです。もし、現金イコール力だと、インド政府と同じ力を持っている人たちと、それにインド政府が知らない人たちがいるということです。

 専門的には、その事象を平行経済といいます。現金の平行経済は成り立つと格差社会が広がり、税金は払わない人が多くなります。インドで商売や小さなビジネスする人は、税金を払わないのです。それで、登録済みの会社で働く人が、多めに税金を払っているのです。年収は112万ルピー(190万円相当:2016年11月相場)であれば、年収の4割も税金として取られるのです。それで、大きなビジネスマンや映画業界の人など、年収のほぼ半分は税金として払っています。インドでは、たった2〜3パーセントの人が年収からなる税金を払います。そのために、紙幣廃止となり、みんなお金を銀行に戻すのです。

 年間の取引でどれくらいの税金になるか、政府から通知が来ます。多くの人が税金を払うようになります。その他、膨大な額の現金を持っている政治家などが、その膨大な金額を銀行に持って行けなくなったから、彼らは困っています。膨大な現金を持っているビジネスマンも困りました。

 一番重要なことは、現金はあらゆる社会問題に使われるということです。例えば、現金を配って選挙に勝ったりします。その現金はもう無効になりました。そろそろ3つの州で選挙があります。しかし、政治家が貯めていた膨大な現金は紙屑になったので、もう配れません。政治は、少し綺麗になったといえます。

 そして、インドでテロに使われるのも現金です。パキスタンやドバイにあるテロリストは、インドでSattaというギャンブルを行っています。それはすべて、現金でやっています。インド経済の5分の1ほども、インドの現金はテロリスト、ときにダウドというテロリストは持っています。その現金がすべて紙屑になりました。
 ニュースで「インドにいながら、ダウドを殺した」という話がありました。テロに使う兵器や人間は現金で買うから、その力はなくなったといえます。

 現金なしで生活をするのは難しいのですが、長い目で見ると私の将来のためになると考えると、その苦労は苦労には思えないのです。1日で銀行から4千ルピー以上はおろせない状況です。
 今日、11月13日、首相はまたスピーチをし、
「インド独立以来70年間、政治家やビジネスマンは、いろんなスキャム(公的な機関にいて、膨大なお金をねこばばすること)や横領をしてきました。膨大な現金を持っています。この病は70年間の古いものなので、すぐには治せません。現金がないので、生活に苦労しているのは承知しています。私に50日間ください。50日間だけ我慢してください。」
という話をしました。

 現金廃止以来、あらゆるインドの銀行は、20万かける1000万(2Billionルピー)インドルピーの現金を預かりました。歴史上初めての銀行残高となりました。
posted by genjiito at 23:42| Comment(0) | ◆国際交流

2016年11月16日

多言語翻訳について白熱した議論が展開した研究集会の2日目

 研究集会2日目の朝、宿舎の前に拡がるマーケットのATMには、こんな掲示がなされていました。


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 インドの高額紙幣はもとより、インドルピーという現金は、当分手に入りそうにありません。
 今日も、お金の心配をしながらの1日となりそうです。

 国際交流基金へ行くために宿にしているお寺の前に出たところ、右隣の銀行は長蛇の列でした。今日は、銀行が開いているようです。しかし、いつ順番が回ってくるのかわからない、気の遠くなるような行列となっているのです。


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 お寺の左側にも銀行があり、そこの様子はさらに大混乱です。しかし、不思議と暴動にはならず、みなさんルールを守って順番を待っておられます。理知的なインドの人々の姿を見た思いです。


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 さて、昨日の初日に続き、「第8回 インド国際日本文学研究集会」の2日目も大きな成果が得られました。

 昨日も記したように、今回の研究集会の内容は、来年2月に発行を予定している電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、発表と討議された内容についての詳細は省略し、ここでは記録としての列記とメモに留めます。

 今日も、司会進行役は入口敦志先生です。
 昨日に続き、今日も写真撮影は高田智和先生です。


(1)挨拶 伊藤鉄也
(2)基調講演 伊藤鉄也
  「〈海外源氏情報〉を科研の成果から見る」
(3)講演 須藤圭(立命館大学)
  「『源氏物語』の英訳について」
 
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(4)問題提起
  リーマ・シン(Ph.D candidate, University of Delhi)
  「パンジャービー語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の中央語群)

  タリク・シェーク(English and Foreign Languages University)
  「ベンガル語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)

  ナビン・パンダ(Delhi University)
  「オディア語訳の問題点」
  (インド・アーリア諸語の東部語群)


 昼食の後は、須藤圭先生の提案による楽しいイベントタイムとなりました。

■「青海波」の鑑賞■
 ・「青海波」の紹介(須藤先生の解説)
 ・『十帖源氏』の挿し絵を提示(入口先生が準備)
 ・雅楽「青海波」の映像
 ・源氏物語の映画に出てくる青海波を舞う場面

 インドのニューデリーに流れる楽の音は、なかなか優雅なものでした。

 以降、前日同様に、麻田先生が取りまとめと進行役で、各言語の問題点に関する発表へのコメントを踏まえて、全体でのディスカッションへと移りました。


161112_sympo




【シンポジウム】
テーマ:(2)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための方法と課題
   司会・進行 伊藤鉄也
   コメンテータ アニタ・カンナー
          麻田豊
 
 このシンポジウムは、白熱したこともあり3時間たっぷりと行なわれました。
 興味深い内容で、時を忘れて討議討論を交わすことができたので、みなさん充実感を持っての散会となりました。
 来秋には、ハイデラバードにある外国語大学で研究集会ができないかと、その実現に向けての検討に入りました。

 私がメモをしたことを二三拾い出しておきます。

・インドの各種言語をどう呼ぶかということについて、統一的な表記の方針が決まりました。
 「ウルドゥー語」「オディア語」「パンジャービー語」「ヒンディー語」「ベンガル語」「マラーティー語」「マラヤーラム語」

・インドのみなさまの氏名をどう表記するかということに関して、基本的には「名+姓」とする方針が決まりました。日本人は「姓+名」の順に表記します。

・1つの国の中で複数の言語に翻訳された『源氏物語』を見比べることの楽しさとおもしろさは、ネイティブスピーカーと一緒の話し合いの場ならではの臨場感と迫力がありました。とにかく、さまざまな意見がでるのです。自分の言語について語るのですから、熱を帯びるのは当然のことです。

・ベンガル語で『源氏物語』という書名は、「上半身に着る下着の物語」と訳すことになるそうです。これはみんなに笑われた、という話は示唆に富む逸話です。これは、『十帖源氏』をどう訳すか、ということに直結します。『源氏物語』にこだわらず、『紫の物語』『紫のゆかり』『紫文』も含めて、各言語で工夫することになりました。

・脚注をどうするかということが問題になり、私はこれはなくしたいとの思いを強く持ちました。

 これ以外にも、多くの刺激的な意見や、翻訳とは何かということを考える上での有意義な提案をいただきました。
 これらの質疑応答のすべては、来年2月の『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号をお読みください、ということでまとめておきます。

 以下に、今回の研究集会で確認したことを整理した「須藤メモ」を転記します。
 今後の討議に向けての確認事項として、貴重な記録となっています。


(1)全体で情報を共有するため、翻訳担当者、関係者が参加するメーリングリストを作ることになりました。

(2)今回のインド国際集会の報告書には、報告原稿とは別に、取り扱う全ての言語の音声を収録することになりました。
 ・収録する音声データは、原則、「桐壺」巻の冒頭、現代語訳「いつの時代のことでしょうか、女御や更衣などといったお后が大勢いらした中に、特に高貴な身分ではなく、帝にとても愛されていらっしゃる女性がいました。」に該当する部分とする。
 ・ただし、その後の文章も一文にして訳している場合、区切りのよいところまで音声データにする。
 ・各言語の音声データは、発表担当者に依頼する。
 ・古文本文、現代日本語訳本文は、須藤が担当する。

(3)今後のインド国際集会では、以下の約束事を設けることになりました。
 ・発表や報告書の原稿でインドの言語を引用する際は、どの言語であっても、必ずローマ字表記を併記する。

(4)翻訳データに関して、ウルドゥー語に限り、(1)ウルドゥー語表記版、(2)ヒンディー語表記版の、2つのバージョンを準備してもらうことになりました。
 これに伴って、翻訳データの多言語比較資料も、この2つのバージョンをともに公開することになりました。
 なお、報告書の原稿には、2つのバージョンを併記してもよいし、しなくてもよいことになりました。

(5)インド6言語の翻訳データについて、以下の点を確認、依頼することになりました。
 ・期日は厳守。
 ・セクション(小見出し)ごとに分割した現代語訳に従って、翻訳したものを区切ってもらう。
 ・和歌の翻訳は可能な限り行なってもらう。ただし、期日に間に合わなくなる場合は、行わなくてもよい。

(6)今回の発表原稿を整理したものと、担当言語の翻訳原稿は、今月11月末までに提出することになりました。それを元にして作成した版下を、12月中旬から本格的な編集に入り、年末年始に校正を回します。

(7)インド関係者が日本以外で公開した日本文学に関する研究論文のリストを、今回あらためて作成することになりました。これは、すでに伊藤が100件弱の情報を整理したものがあり、それを増補することで実現するものです。これまでに整理したものは、国文学研究資料館が公開しているデータベースの中で、「日本文学国際共同研究データアーカイブ」の中のリスト最下段にある、「日本学研究DB〔インド〕Bibliography India-Japan Literature」の項目からリストデータが入手できます。
 今後は、国際交流基金の主導の元、インドの日本文学研究者の協力を得ながら展開させる予定です。
posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月15日

インド言語の討議が盛り上がった研究集会の初日

 第8回目となった今回の研究集会は、「『源氏物語』をインド7言語に翻訳するためのシンポジウム」と題して開催しました。副題には、「ダイジェスト版『十帖源氏』を世界33言語で翻訳するプロジェクト」というテーマを掲げています。

 インドで印刷製本した討議資料集も、立派な冊子として完成しました。ご配慮いただいた国際交流基金ニューデリー事務所の宮本薫所長と野口晃佑氏に、あらためてお礼申し上げます。


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 上の写真の右側にある、白い表紙に国際交流基金の建物を配したものが今回のレジメです。左側の黄色い表紙は、第7回までの記録を収録した『インド国際日本文学研究集会の記録』です。

 なお、この完成版は66頁あります。ただし、渡航前に試作版として作成した50頁のレジメは、本ブログの「来週インドで開催する日本文学研究集会のレジメ(試作版)を公開」(2016年11月04日)で事前にネット上に配布して、参加できないみなさまに対して情報提供を求めて公開しました。しばらくは、それをご覧になりながら以下の記事をお読みいただけると、研究集会の展開がわかりやすいかと思います。

 会場である国際交流基金・日本文化センターには早めに入り、プロジェクターのチェックや資料のセッティングをしました。


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 今回の研究集会を開催するにあたり、私から発表と討論に参加なさるみなさまには、以下の確認事項を要望としてお伝えしました。


1)今回の集会での使用言語は日本語です。
2)画像をスクリーンに映写しての発表ができます。
3)講演と発表者の1人の持ち時間は【25分】です。
4)各言語担当者からいただいた問題点をリストアップした資料は、討議用の資料として伊藤の下で編集に着手しています。
5)講演及び発表者は、各自のプレゼンスタイルで行なってください。その際に必要となるレジメ等は、11月6日(日)の夜までに伊藤と淺川宛に印刷データを添付ファイルとして送っていただければ、8日(火)にデリーに到着してから現地で印刷します。
6)今回の研究集会の内容は『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公刊します。これまでの第1号から第5号は、以下のサイトから確認及びダウンロードできます。
http://genjiito.org/journals/
7)伊藤の科研は2017年3月で終了します。
 そのため、以下のスケジュールでジャーナルの編集を進めます。
 *電子版のため、原稿の分量や図版・画像の数量に制限はありません。
 *資料として、動画像や音声ファイルも問題はありません。
  各言語における具体例などを提示する箇所での挿入を、お勧めします。
 *表組みは各執筆者でお願いし、完全版のワード文書で提出をお願いします。
  人手と経費がないので、もろもろのご協力をお願いします。
 電子版のため、印刷と製本の工程がないので、報告書の刊行は迅速です。
 ・2016年11月末 講演と担当言語に関する原稿〆切り
 ・2016年12月中 討議・討論の録音から文字起こし−業者納品
 ・2016年12月中〜2017年1月中 ジャーナルの版下編集
 ・2017年1月中〜末 執筆者に初校を回覧後、国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月中 執筆者からの再校の国文研への戻り〆切り
 ・2017年2月末 HP「海外源氏情報」(http://genjiito.org)に公開


 10時から開会式と講演が始まりました。
 司会進行役は、入口敦志先生です。

 予定通りのプログラムで進行しました。これは、テーマが魅力的であったこともあり、とにかく限られた時間を有効に使おうという、参加者全員の思いがあったからだと思っています。特にインドでの研究集会としては、これまでにないほどに順調にプログラムが進行しました。

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 なお、今回の研究集会は、上記の通り来年2月に電子版の『海外平安文学研究ジャーナル』の特集号として公開します。そのため、ここでは内容についての詳細は省略し、記録としての列記とメモに留めます。


(1)挨拶 宮本 薫(国際交流基金ニューデリー事務所長)


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※宮本さんには、私がエジプトのカイロにある2つの大学院の図書選定に行った時に、大変お世話になりました。今回、インドでもこの研究集会を支えてくださいました。そのご縁に感激すると共に感謝しています。

 ・自己紹介(アニタ・カンナー、麻田豊)

(2)趣旨説明 伊藤鉄也(国文学研究資料館)

(3)基調講演 高田智和(国立国語研究所)
 「変体仮名の国際標準化について」

(4)講演 伊藤鉄也(国文学研究資料館)
 「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 ※実際には高田先生の講演の意義について時間を費やしました。


 休憩を挟んで、お昼からは……


(5)講演 入口敦志(国文学研究資料館)
 「江戸時代のダイジェスト版『十帖源氏』について」

(6)問題提起
 アルン・シャーム(English and Foreign Languages University)
 「マラヤーラム語訳の問題点」
 (ドラヴィダ語族)

 菊池智子(翻訳家)
 「ヒンディー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)

 村上明香(University of Allahabad)
 「ウルドゥー語訳の問題点」
 (インド・アーリア諸語の中央語群西部ヒンディー語)


◇昼食◇

【パネルディスカッション】
テーマ:(1)
 『十帖源氏』を多言語翻訳するための問題点

 コメンテータ
 麻田豊(元東京外国語大学)
 アニタ・カンナー(ネルー大学)

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《各言語の朗読(各2回ずつ読む)》
 ※この企画は、麻田豊先生の発案を須藤圭先生が実現することにより可能となったものです。

1 平安時代の読み方を復元した朗読(音声再生)
 ・源氏物語「若紫」巻から
 ・朗読本文をパワーポイントで提示
 ・違いのあるところを赤字で映写

2 現代の読み方による古文朗読(音声再生)
 ・「桐壺」巻冒頭部分

3 現代日本語訳の朗読(須藤)

4 英語(音声再生)

5 マラヤーラム語(1日目の対象言語)

6 ヒンディー語(1日目の対象言語)

7 ウルドゥー語(1日目の対象言語)

8 パンジャービー語(2日目の対象言語)

9 ベンガル語(2日目の対象言語)

10 オディア語(2日目の対象言語)

※この朗読に関しては、来年2月に発行する電子版『海外平安文学研究ジャーナル』の特別号に、付録として音声データを収録することになっています。
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 この後、麻田先生に取りまとめと進行役をしていただき、コメントやディスカッションが展開しました。予定した2時間45分が、あっという間に過ぎるほどに、さまざまな意見が飛び交いました。この問題でここまで盛り上がるとは、企画をした私が一番驚いています。
 ぜひ、電子版の特別号のテープ起こしを通して、この時の臨場感と迫力をたっぷりと味わってください。翻訳するということは何なのか、という討議も含めて中身も濃いのです。

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 初日の大盛会を祝して、関係者一同で記念撮影をしました。
 みなさん、準備の段階からいろいろとご協力いただき、ありがとうございました。
 とにかく、初日は大盛り上がりのうちに終了しました。


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posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月14日

国際交流基金で2回目の打ち合わせ

 第2回目の打ち合わせを、国際交流基金の事務所で朝から行ないました。


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 参加者は、日本からの5人と、インド在住の日本人2人、そして国際交流基金のお2人です。

 具体的にプログラムを詰めていく過程で、様々な案が出ました。当初の予定になかったことも話し合いの中で決まり、内容がますます多彩になるのは楽しいことです。いかにして参加者のみなさまと楽しい時間を共有するか、ということに心を砕く一時となりました。

 この、「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関する第2回目の打ち合わせの成果は、進行する側の者としてもわくわくするものとなりました。
 明日の集会で展開する内容を、今から楽しみにしていただきたいと思います。


※この記事は、研究集会の前日、11月10日(木)のことを記したものです。
 インドの紙幣であるルピーが、デリーに到着した8日(火)の夜に無効になるという驚愕の事態に巻き込まれています。そのため、困惑しかないという状況に置かれていることもあり、本ブログの記事が大幅に遅れていることをご了承ください。
 現在、大量の無効となった紙幣が、街中に廃棄されているというニュースも入りました。
 これにより、大量に紙幣を溜め込んでいた政治家や資産家やテロリスト等は、茫然自失との風聞もあります。今この宿におられる1人の旅行者は、10万ルピーものお金が一夜にして紙くずとなったことで、ご一緒に食事をしていても元気がありません。
 今回の大鉈は、ブラックマネーを秘匿していた政財界関係者に対しては、息の根を止めるに等しいものだったので、絶大な効果があるとのことです。しかし、旅人は路頭に迷うしかないので、「不運」の一言で片づけられない深刻な問題です。
 インドに着陸して以来、1度も両替やキャッシングをすることもなく、明日はインディラガンディ空港を離陸して帰国の途につきます。いかにして現金を手にするか、ということだけに全精神を使った6日間となります。
posted by genjiito at 00:18| Comment(0) | ◆国際交流

2016年11月13日

地下鉄の転落防止柵は工事中

 地下鉄に乗りました。インドが成長し続けている姿が、行くたびに感じられる場所です。
 防犯カメラ、乗り換え駅での足元の誘導サイン、転落防止柵などなど、少しずつ進んでいます。

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 上の転落防止柵は、人の高さほどあります。これだけ高くしている理由が、今は思いつきません。
 駅の構内での点字ブロックは、一つも見かけませんでした。街中の点字ブロックは、本年2月の記事「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)をご覧ください。

 銀行に列をなす人々は、至る所で見かけます。今日から銀行が開きました。とにかく、数時間にして紙くずと化した紙幣を手に、少しでも身を守るためです。しかし、旅人である私は、あの列に並ぶだけの時間的な余裕も、精神的な強さもありません。ただただ、お金を使わないことを心がけるしかありません。クレジットカードが使える店で食いつなぎます。それでも日々を過ごせるのがインドです。


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 街中から牛や象や駱駝や猿がいなくなり、国際化を急ぐ中で、インコ(?)を見かけました。


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 夕陽が、少しスモッグに包まれています。思ったほど、大気汚染の影響は感じません。
 社会情勢がどうであれ、風景はいつも通りに、刻々と変化する悠久の流れを感じさせてくれます。


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posted by genjiito at 03:15| Comment(0) | ◆国際交流

2016年11月12日

宿でうどんを食べた後、銀行の様子を見る

 昨夜の食事はうどんでした。
 この宿では、ときどきこうしたメニューがあります。


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 揚げ玉が入っていたので、どこで買ったのかを聞くと、近くのマーケットだとのことでした。その袋を見せていただきました。


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 今朝は、黒いひよこ豆をマサラ風に調理したものでした。
 とにかく、このデリーは食材が豊富です。

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 今回も宿泊している WBC(World BudhistCentre)の入口は、こんな感じの建物です。
 モダンな建物の3階と4階が個室になっています。


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 そしてなんと、右隣の建物が銀行なのです。

 インドに到着したその日の夜、インドルピーの高額紙幣が突然無効になりました。隣は銀行だし、まわりにATMが多い地域なので、お金は何とかなるだろうと思っていました。ところが、金融機関は閉められ、ATMは停止なので、現地通貨の入手経路が断たれているのです。

 この日の朝、周りを散策して様子を見ました。紙幣無効から2日経ち、銀行が業務を開始すると共に、人々が長蛇の列をなしています。しかも、相当の制限があるのです。そして、並んでいる人の大多数は、手持ちの無効となった現金を72時間という猶予期間に、自分の口座に預け入れるのだそうです。あと1日しかありません。猶予といっても、街中ではもう使えないので紙くずです。旅人は、どうしようもありません。


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 今回、新しいタイプのオートリキシャに乗りました。バッテリーでモーターを回して走ります。
 おじさん自慢のマシンです。静かで、乗り心地もいいのです。
 写真の奥に、これまでのオートリキシャが写っています。


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 排気ガスが出ないので、これまでの液化天然ガスよりもいいと思います。しかし、インドは台数が多いので、これだけでは環境はよくなりません。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆国際交流

2016年11月11日

国際交流基金で打ち合わせをした後の散策

 朝食後、WBC(World BudhistCentre)の食事をいただく広間で、書道教室が開かれていることを知りました。
 仕事の関係でインドに滞在しておられるTさんは、3年前からこの地域の方々に書道を教えておられるのです。


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 これからもずっと続けたいとの思いをお持ちです。しかし、来春には日本に帰らなければならないとのことでした。後継者がお出でのようなので、この教室は安泰のようです。
 こうした地道な活動は、とにかく根気強く続けることが大事だということで、意見が一致しました。

 お昼前から、地下鉄ムールチャンド駅のすぐ横にある国際交流基金ニューデリー事務所を訪問し、今回の「第8回 インド国際日本文学研究集会」に関して、第1回目の打ち合わせをしました。


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 宮本薫所長と野口晃佑さんからの全面的な協力をいただいていることもあり、順調に事前の打ち合わせを行なうことができました。

 その打ち合わせの最中に、今回配布するレジメの印刷を頼もうとしていた印刷屋さんが、たまたま来ておられることがわかりました。こちらから連絡をして、データを送ろうと思っていたところだったので、本当にいいタイミングで直接説明をして印刷をお願いすることができました。66頁の冊子となったレジメが明日には届くこととなり、その幸運な展開にありがたく感謝しています。

 打ち合わせの後は、下の階にある立命館大学のインドオフィスへご挨拶に行きました。


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 掲示板の右下には、国文学研究資料館で今月19日・20日に開催される「国際日本文学研究集会」の大きなポスターが貼られていました。ありがたいことです。


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 所長は外出中でした。また明日来ることにして、タクシーで北上して、スンダルナガルマーケットの「マサラ・ハウス」へ食事に行きました。


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 なかなかおしゃれなお店で、おしぼりにバラの花弁が添えられて出てきました。


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 ミッタルの紅茶もいただきに行きました。ここは、インドに来るといつも来るお店です。


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 そこからすぐ北の工芸美術館にも足を留めました。


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 ここで織り機を操作している方との話の中で、日本人に感謝しているとの気持ちを語ってくださいました。以前、パキスタンの近くにあるグジャラート州で地震があった時、日本のNGOの方々に助けてもらった、ということです。こうしたことを忘れることなく、日本人に会ったことから思い出されたようです。感謝されるということは、国際交流に留まらず人間関係において、非常に大事なことだと思いました。


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 帰りがけに、ライトアップされたインド門にも立ち寄りました。
 インドの家族のみなさんが大勢出かけて来ておられます。
 国内旅行に興味が向くようになったことは、インドが豊かになったということではないでしょうか。


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 今日も、インドルピーの現金を入手することができませんでした。銀行もATMも営業停止です。街でも、手持ちの1000ルピー札と500ルピー札は受け取ってもらえません。持参した紙幣で、とにかく心細く1日をつないでいます。お札を持っているのに使えないという経験は初めてです。もちろん、インド全土のみなさんがそうです。クレジットカードが使えるお店を探して食事をします。おのずと、高級店になります。いやはや、突然の紙幣廃止によって手持ちのお金が紙くずになるとは、旅人にはきつい一撃です。

 明日は現金の手持ちがない状態で、どう過ごすかを思案しています。
posted by genjiito at 03:20| Comment(0) | ◆国際交流

2016年11月10日

インドで紙幣が突然無効となり大混乱

 インドで2種類の高額紙幣が国の方針によって、突然無効なお金となりました。街中は大混乱です。そして、私のような旅人は途方に暮れています。

 現在、日本では、アメリカの大統領選挙のことでニュースは埋め尽くされていることでしょう。そのことをも計算してのことか、インドではこんな事態になっていることは、日本では少しの記事にしかなっていないようです。


「高額紙幣は無効」インド首相が突然発表 混乱広がる


(朝日新聞デジタル・2016年11月9日17時55分)

 インドのモディ首相は8日夜、テレビ演説し、高額紙幣の1千ルピー(約1600円)札と500ルピー(約800円)札を演説の約4時間後から無効にすると突然発表し、9日午前0時から全土で使えなくなった。偽造紙幣や不正蓄財などの根絶が目的。旧紙幣は10日以降、銀行に預金したり、新紙幣と交換したりできるとしているが、金額に制限があり、混乱が広がっている。

 新紙幣は2千ルピー札と500ルピー札の2種類。当面、旧紙幣の交換は4千ルピー(約6400円)まで、預金引き出しは1週間に2万ルピー(約3万2千円)までなどと上限が設けられている。発表の直後から、使用不能になる高額紙幣を現金自動出入機(ATM)で預金してしまおうと、銀行に人々が殺到した。政府系の病院や鉄道、ガソリンスタンドなどでは例外的に3日間に限り旧紙幣を使えるとしているが、ニューデリー市内のスタンドは高額紙幣の受け取りを拒否し始めた。

 モディ氏は、偽造紙幣がテロの資金源になり、インフレの原因になっているとして、「一時的に困難はあるが、国民は犠牲をいとわないはずだ」と忍耐を求めた。ただ、中央銀行の当局者は記者会見で「最初の15〜20日は混乱が予想される。とにかく新紙幣を刷り続ける」と、準備が整っていないことを暗に認めている。(ニューデリー=武石英史郎)


 昨夜(11月8日)、インドに着いてすぐに、宿泊先である WBC(World BudhistCentre)で晩ご飯を食べていた時のことでした。突然、インドでの高額紙幣である1000ルピーと500ルピーの2種類のお札を無効にする、という内容の首相からの国民向けの説明が、テレビを通して流れてきました。

 驚いたというよりも、最初はその「無効」の意味がよくわかりませんでした。
 現地の方の説明を聞いてしばらくしてから、手持ちのお金が紙くずになったことが理解できました。
 街中では大騒ぎになっているようです。宿にしているお寺の前にあるマーケットに行くと、多くの人がATMの前に並んでいます。しかし、その機械は動いていません。3時間後の午前0時に動くことを期待して、まずは手持ちのお金を預金し、また小額紙幣を手に入れようということなのです。


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 首相が国民に訴えたことは、現在流通している1000ルピーと500ルピーの高額紙幣を、すべて「無効」にし、新しい紙幣に切り替えることへの理解を求めるものでした。しかし、このことによる影響は、さまざまな所へと波及します。

 発表の4時間後の11月9日午前0時から72時間の猶予があるということです。しかし、この発表があった後は、すぐに街では1000ルピーと500ルピーのお札を、店側が受け取りを拒否するようになりました。私も水を買う時に、100ルピー札がほしさに差し出した1000ルピーも500ルピーも受け取ってもらえず、手持ちの数少ない100ルピー札で何とか買うことができました。100ルピー札がないと、何もできない状態になりました。

 酒屋の前では、多くの人がお札を高々と差し上げて買い求める人が群がっていました。ただし、そのほとんどの人が1000ルピーと500ルピー紙幣を拒否されるので、買えないままに引き上げていくしかないという状況を、まさに目にすることとなりました。


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 手持ちのお金が使えなくなったのです。とにかく、移動もままならない生活となりました。
 100ルピー以下のお金しか使えないのです。しかも、ATMは止められています。100ルピー札を手に入れようにも、なかなか手に入らないので、買い物もできないし、タクシーにも乗れません。
 勢い、クレジットカードの使えるお店しか行けなくなったのです。そして、そこは自然と料金が高めです。

 混乱の中の2日目は、この後で書きます。
 今朝のインドの新聞は、次のような紙面となっています。


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 先程、在日本大使館から公布された、次の文書が届きました。これが、正式な最新情報です。

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posted by genjiito at 03:43| Comment(0) | ◆国際交流