2016年10月27日

変体仮名の「个」と漢字の「箇」の用例

 日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読むことが続いています。
 今日は、熱心に変体仮名を読んでおられるKさんが、終了後に貴重な資料を持ってきてくださいました。
 明治23年と32年の商法の法律文書に書かれている文字です。

 まず、明治23年のものから。
 この中に、「一个年」という文字があります。


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 変体仮名の「介」と「个」について、私は「个」の方を字母としてよしとしています。それは、その字母が「箇」だと思われるからです。変体仮名の字典などを見ていると、このことはさまざまに用例が示されています。ほとんどが、「介」の方を示し、「个」は括弧付きで補足的に例示されているのです。

 上の文書だと、「个」はカタカナの「KE」を示し、「箇」は漢字で「KO」と書かれているのです。

 また、明治32年の同じく商法の条文には、次のようになっています。
 これは、「六个月ヲ」と書かれている部分です。


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 この後に、「箇」が何度も出てきます。


161027_kom32




 こうした法律の条文の例を見ると、ここで揚げたのはカタカナではあるものの、変体仮名の「KE」についても、「介」ではなくて「个」がいいと言えそうです。

 私はこの分野を専門としているのではないので、理由づけが今はできません。
 とにかく、気付いたときに、わかったことを記しておくことにしています。

 このことで、ご存知のことがありましたら、どうかご教示いただけると助かります。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月26日

橋本本「若紫」の翻字の補訂(1)

 先週、「『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』ができました」(2016年10月20日)という記事を書きました。

 その橋本本「若紫」の翻字で、早々と1箇所にミスを見つけたので報告します。

 それは、第1丁表4行目の行末にある「万う」に、ミセケチ記号が付いていたことです。次の写真の赤矢印の箇所に、小さな黒い点があります。


161026_syahon




 それを、刊行した書籍の翻字には、当該箇所にそのミセケチ記号「˵」がありませんでした。
 お手元に本書がある方は、4行目の行末の「万う」の左横に、ミセケチ記号「˵」を2つ付けてください。お手数をおかけして申し訳ありません。


161026_katuji




 手元の翻字データベースでは、ミセケチ扱いでデータが出来ています。


万う春/$


 この表記は、「万う春」の3文字がミセケチとなっていることを、「$」の記号で示しています。

 翻字データベースのデータを元にして版下を作成する段階で、「万う」の左横にミセケチ記号「˵」を付け忘れたようです。

 細心の注意をはらって、何度も翻字を見直したはずでした。
 しかも、あろうことか、開巻早々のミスで恐縮しています。

 また何か見つかりましたら、ここで報告いたします。
 ないことを祈りながら。
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月25日

iPhone7Plus をまずは1台入手

 iPhone7Plusを、いつものことながらドタバタ騒ぎの中で、なんとか手に入れることができました。

 2台を同時に入手できなかったので、まずはタッチパネルがヒビ割れた方から機種変更をしました。営業時間内に2台の手続きができない、とのことだったからです。1台いただくのに、手続きや設定などで、1時間はかかります。結構、手間と時間がかかるものです。

 本来ならば、好きではない au ではなく、しかも SIM Free にしたかったことは、以前書いた通りです。しかし、心ならずも思い通りにはいきませんでした。この次の機会を狙います。

 私は、人との出会いは恵まれているのに、機械運からは見放されています。
 これまで使っていたiPhone 6Plus は、渡された本体の欠陥から2度も本体交換となり、3台目にしてやっとまともに動くものが手渡され、今に至っています。

 さて、今回のiPhone7Plusには、どのような物語が生まれるのでしょうか。手にした今から、何が起こるのか楽しみです。

 まず祈るのは、某社のスマートフォンのように、突然ポケットの中などで火を噴かないことです。

 これまでに、ディスプレイが火を噴いたり、ケーブルが焦げたり、ドライヤーのコードが焼け焦げて飛んできたりと、このての話には枚挙に暇がありません。

 さて、この新機種に交換してから、今後ともどう展開するのでしょうか。
 これまでのパターンでいくと、近日中に「突然……」と始まる記事をアップすることになるのですが……
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年10月24日

京洛逍遥(377)スバコのお弁当と源氏絵のお茶

 慌ただしくUターンして上京です。
 JR京都駅の西改札口前に、「スバコ・ジェイアール京都伊勢丹」があります。ここのフードコーナーには、京都で行ってみたいお店が作る、工夫を凝らしたお弁当が並んでいます。しかも、私が選ぶ基準である、少量で安くて上品という、ありがたいお弁当も並んでいるのです。京都駅の中のコンコースにあるお弁当コーナーよりも、スバコにあるお弁当たちの方をお薦めします。
 新幹線に乗る前に、ぜひここのお弁当を手にして、さらにもう一つの京の味わいを楽しんでください。

 今日は、「季節限定 35品目 秋のごほうびロール弁当」(KAWAKATSU(CAMER))をいただきました。茶そばの巻き寿司が気に入っています。


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 手前のお茶は、京都府茶共同組合のペットボトルです。2008年の源氏千年紀から、今も人気のお茶です。この源氏絵に惹かれて、海外の方も手が伸びるようです。

 ペットボトルの胴回りに配されているのは、宇治市源氏物語ミュージアム所蔵の『源氏絵鑑帖』から第45巻「橋姫」の一場面です。国宝の源氏絵にも、この場面が描かれています。

 右側の、撥で月を招いているのは、大君でしょうか。それとも、中君なのでしょうか。
 左側には、琴を弾く女性がいます。どちらが誰なのかは、決めがたいものであることでよく知られている図様です。
 この場面は、源氏物語ミュージアムの展示室でも、人形を使って再現されています。

 源氏絵を掌に包んで転がしながら、お茶とお弁当をいただけるのです。なんとも贅沢なことです。

 後ろの席で、子供が騒ぎ出しました。
 これから私の読書タイムなので、隣りの車輌に移動します。
 いつも新幹線は、自由席で行き来しています。指定席は当たり外れがあるので、道中なにもできないことがあります。指定席も自由席も、料金は同じです。しかし、自由席には、一緒にいたくない方がいらっしゃった時には、別の場所に自由に移動できるという、ありがたい権利が与えられています。

 もうすぐ名古屋。ここで降りるふりをして、周りの喧騒から逃げ出すことにします。
posted by genjiito at 23:10| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年10月23日

池袋経由で帰洛し一仕事にめどをつける

 久しぶりに池袋で、ひと仕事をすませました。
 立ち寄った西武百貨店の7階で、昔懐かしい郵便ポストを見かけました。こんな場所に置かれたポストも、戸惑っていることでしょう。


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 もっとも、私が立ち寄ったのは、レターパックを送るためだったので、このポストの口は狭すぎて入りません。赤い茶筒のポストを横目に、カウンター越しに郵便物を渡すことになりました。

 池袋から帰洛のために、Uターンして東京駅に急ぎました。

 新幹線の乗り換え口では、ものすごい人だかりでした。旅行客や団体ではなさそうな人々が、列をなして並んでおられます。何事かと思いながら、いつものように芸能人が通るのだろうくらいに思いながら、乗り換え口から新幹線に乗り込みました。それにしても、ガードマンが多いので、よほど有名な人なのかな、と思っていました。

 いつものように自由席に座って本を取り出したところへ、乗り換え口まで一緒に来ていた妻から連絡が入りました。
 さきほどの人垣は、天皇皇后両陛下が新幹線にお乗りになるためだった、とのことです。そして、一番前だったので手を振っところ、にっこりしてくださったのだそうです。
 手を組んでお通りになる姿がすてきだったとも。さらには、天皇さまは濃いグレーのスーツで、美智子さまもグレー。きれいで嬉しそうな笑顔で……。周りの人はみんなスマホで撮っていたけれども、SPは何も注意なしでニコニコだったとのことです。

 さらには、天皇皇后両陛下は、これから京都へ向かわれるとの情報も入りました。上賀茂神社や下鴨神社にお越しになるそうなので、我が家の近くまでいらっしゃるのです。

 ちょうど1年前には、皇太子さまと新幹線がご一緒でした。

「皇太子さまとご一緒の新幹線で京都へ」(2015年10月23日)

 いろいろと楽しいことの多い日々です。

 京都でもひと仕事をすませました。夜までかかって、とにかく懸案の仕事のメドをつけることができました。
 この成果は、近日中にお知らせできるはずです。
posted by genjiito at 23:03| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年10月22日

第5回・日本盲教育史研究会に参加して

 日本盲教育史研究会の第5回総会・研究会に参加してきました。
 会場は、筑波大学東京キャンパス文京校舎で、放送大学があるところです。


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 日本盲教育史研究会は創立5年目、会員約180名です。
 昨年は札幌と京都、今年は北九州で研修会や研究会があり、いずれも参加しました。

 今日の午前の第一番は、土居由知氏(静岡県視覚障害支援センター)と岩崎洋二氏(元筑波大学附属視覚特別支援学校)の「『むつぼしのひかり 墨字訳 第一集』出版とそこからわかること」でした。
 『むつぼしのひかり 墨字訳 第一集』は、「視覚障害者の歴史資料集1」として、東京盲学校の同窓生による会報(明治36年第1号〜37年第10号)を10年がかりで編集したものです。
 今年2月に刊行されたばかりの本書を、先般の九州でのミニ研修会の折にいただきました。ただし、まだすべてを読んでいません。


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 「むつぼしのひかり」は、昭和18年の第473号までが発行されました。『点字毎日』が刊行される前は、唯一の点字ジャーナルだったのです。

 続いて、村山佳寿子氏(お茶の水女子大学大学院・筑波大学附属視覚特別支援学校小学部課外箏指導)の「昭和初期における箏曲の点字記譜法の特徴 筑波大学附属視覚特別支援学校資料室蔵「宮城道雄作曲集」を例として」という報告がありました。わかりやすい発表でした。6点で記述する点字楽譜の実態を考察したものです。
 邦楽を点字で記す「手法記号」は、大正3年に始まります。西洋音楽の手法記号を箏曲に代用しているようです。実際に譜面をもとにして演奏も流れたので、説明がよくわかりました。
 後の質問に、山田流と生田流の違いは? というのがありました。これは、私も気になったことです。
 東京は山田流が主で先生を採用したそうです。宮城道雄の関係で、昭和6年からは、生田流を東京盲学校でも教えるようになったのだとか。
 恥ずかしながら、私は学生時代に少しだけお琴を教えていただいていました。しかも、山田流でした。歌いながら弾くのです。東京だったからで、これが関西で教わっていたら生田流だった可能性が高かったのです。

 閉会後の懇親会で、隣におられた村山氏に、山田流と生田流の話を詳しく伺うことができました。また、『源氏物語』に出てくる琴の音は、今の流派とは異なる中国から来たものだそうです。
 それにしても、まだまだ研究課題が多いことを知りました。

 記念講演は、岩波新書で『瞽女うた』を書いておられる山梨大学大学院のジェラルド・グローマー教授でした。この本については、本ブログの「読書雑記(119)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで」(2015年03月16日)で紹介しましたので、ご参照いただければ幸いです。

 本日の演題は「瞽女(ごぜ)・旅芸人の歴史と芸能」です。

 ついメモをしたことは、三条西実隆の周辺に瞽女が来て演奏をしていた、という話です。また、男は当道の組織を持っており、女は高田や長岡で演奏をして生きていた、ということも興味を持ちました。瞽女組織は、総合的な組織であり、関八州と静岡などに文化圏を持っていたそうです。1970年代までは、瞽女が門付けをしていたのです。
 伝統芸能の復活は無理です、という言葉には力強い確信が満ちていました。今、個人的な個性は認められない、みんな同じ形をよしとする文化になっている、とも。

 講演後の質問に、宗教に関連したものがありました。それに対して、瞽女の歌の旋律には宗教がないそうです。そして、聞く側の気持ちに宗教があったかどうかは、よくわからないとのことでした。
 これに対して、時間が迫っていたので私は手はあげなかったものの、瞽女縁起や院宣に「下賀茂大明神」と出てくることの説明はどうなるか、という疑問と問題意識を持ちました。上賀茂神社は賀茂別雷が祭神なので、雷との関係で盲人との関係は想像できます。しかし、その親である下鴨神社とはどのような関係があるのか、わからなかったのです。今度ゆっくりと調べてみます。

 また、ウクライナに日本のような瞽女歌があったそうです。世界中にあったのではないか、とも。海外での瞽女の存在が知りたくなりました。

 続いて、香取俊光氏(群馬県立盲学校)の「江戸から近代への理療の発展 群馬県の事例を中心に」という報告がありました。
 盲人の教育システムを構築した杉山和一とその弟子を通して、鍼灸が職業たして成立する過程を話されました。また、理療と点字の指導に当たった瀬間福一郎の紹介もありました。

 最後の山口崇氏(筑波大学附属視覚特別支援学校)は、「楽善会と凸字聖書」と題する報告でした。
 明治初期に、日本には盲人が多かったことが報告されました。明治8年から11年にかけての、盲唖教育の実態もよくわかりました。さらに、明治9年の凸字聖書は、日本カタカナではなくて、ヘボン式ローマ字だったことが明らかにされました。
 京都高田盲学校には、カタカナ版の凸字聖書があるそうです。いつか見てみたいと思います。

 今日伺った内容は、明治から昭和初年の時間の流れの中でのことがたくさんありました。この時期に興味をもっている私は、一言も聞き漏らすまいとの心意気でしっかりと聞きました。

 最後の総括で、現在も元気な方から、盲教育に関する聞き取りを研究会として取り組むべきだ、との提言がありました。これについては、文献とともに今後はその調査にも着手するとの回答がありました。

 今回のまとめをなさった岸先生が、近世から近代へと移るつなぎ目の格闘が問題として意識できるようになった、とおっしゃっていました。明治・大正から昭和への移り変わりに興味を持つ私は、このテーマにさらなる魅力を感じる研究会となりました。

 今回の参会者は、90名を超えていたそうです。今後がますます楽しみな会となることを実感しました。

 閉会後は、駅前に場所を移して懇親会がありました。
 今回も、多くの方とさまざまな話題で盛り上がりました。
 いろろいな方とお話ができました。
 みなさま、刺激的な出会いを、ありがとうございました。
posted by genjiito at 23:05| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年10月21日

読書雑記(182)船戸与一『大地の牙 満州国演義6』

 『大地の牙 満州国演義6』(船戸与一、新潮社、2011.4)を読みました。
 昭和13年の日本と満州が描かれています。


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 本巻では、支那事変からノモンハン事件へと、慌ただしく血生臭い時の流れが活写されていきます。メインテーマはファシズムです。
 ノモンハン事変については、満州で捕虜になり、シベリアに抑留されて苦労した父親から少し聞いていたので、少しずつ実情がわかり出しました。大きなうねりの中での出来事は、それを語る立場によってさまざまな姿を見せます。

 戦地慰問に回っている吉本興業の『笑わし隊』が出てきました。
 中国での陰惨な戦闘状況に一味加わります。

 物語の背景に、スターリンとヒットラーの駆け引きや、岡田嘉子と杉本良吉が樺太からソ連への亡命話など、さまざまな逸話が点描されています。こうした、事実と虚構が綯い交ぜになって、ゆったりと大きく歴史が語られているのです。

 従軍文士の存在も興味深いものです。
 関係する箇所を引きます。


 敷島四郎は『庸報』の編集局で内地から送られて来る邦字紙各紙に眼を通しつづけた。どれも内閣情報部の文学動員について報じている。文壇の巨匠たちが陸軍班と海軍班に分かれて漢口に赴くことになったのだ。菊池寛。久米正雄。吉川英治。白井喬二。吉屋信子。佐藤春夫。川口松太郎。岸田国士。林芙美子。小島政二郎。尾崎士郎。滝井孝作。丹羽文雄。深田久弥。こういった錚々たる顔ぶれが合わせて二十二名、戦場に向かう。これはペン報国の文壇部隊と呼ばれることになったという。(155頁)
 
 
「だれが冗談でこんなことを言う? いいか、新聞が部数を伸ばせる最大の記事は戦争なんだぞ。満州事変は関東軍主催、大阪毎日新聞社後援とさえ言われた。発行部数二十万程度の東京の一地方紙だった讀売新聞は一気に百万を越える国民紙に成長した『庸報』の部数は最近激減してる。戦争に便乗して部数回復を計らなきゃならん」(156頁)
 
 
 太郎は三十一日附の東京朝日新聞を開いた。
 そこには林芙美子の従軍記が記されている。満州事変以来、新聞各社は戦争報道のたびに飛躍的に発行部数を伸ばす。徐州会戦後、有名作家の取りあいがはじまっている。内閣情報部は二十二名の従軍文士を決定したが、武漢攻略では東京日日新聞が菊池寛や吉川英治の従軍記を掲載して読者を魅きつけていた。林芙美子の原稿はそれにたいする東京朝日新聞の巻きかえしと言っていいだろう。(183頁)
 
 
 太郎は紙面から眼を離して、さっき孔秀麗が運んで来た茶を畷った。武漢攻略戦に同行した従軍文士たちはいい気なものだと思う。徐州会戦の様相を描いた火野葦平の『麦と兵隊』が大評判になった。従軍文士たちはそれに倣おうとしているのではないかと疑いたくなる。太郎はじぶんに文学的素養があると自惚れたことはない。だが、思うのだ、みずからの体験を赤裸々に綴った『麦と兵隊』に較べれば、従軍文士たちの記事は軍部への阿りが露骨に表われ、薄汚ない印象はどうしても拭えない。(186頁)


 敷島太郎の秘書である孔秀麗の存在が気になっています。この女性は、太郎にとって何なのでしょうか。

 インドに関して、これまでは小出しだったものが、本巻では少しまとまって記述されています。船戸氏のアジア史観と小説作法を知るための材料の一つとして、以下に抜き出しておきます。


「もうすぐドイツとイギリスの戦争がはじまる。こころが躍りますよ。独立を求めるインド人はみなこの機に乗じるつもりだ、わたしも忙がしくなる」
 次郎はその眼を見つめながら紅茶のカップを持ちあげた。ジャフルが顎を撫でながらつづけた。
「東京にいるビハリー・ボースやピライ・ナイルはもちろん、だれもがヨーロッパの混乱に乗じない手はないと考えてる。チャンドラ・ボースという男の名まえを聞いたことがありますか? インド国民会議派総裁だったが、マハトマ・ガンジーの不抵抗不服従運動に飽き足らず国民会議派と訣別した武闘派です。もしかしたら、あの男は今後ナチス・ドイツの協力を得てインド独立を達成しようと考えてるのかも知れない」(310頁)
 
 
「インドが激しく動いてます、イギリスはナチス・ドイツとの戦争で植民地にたいする統治能力が消え掛かってる。チャンドラ・ボースは国民会議派が手ぬるいと批判し、ベンガル州委員会はインド独立最後通牒をイギリス政府につきつけた。ガンジーやネルーはこの勢いは無視できない。あと一カ月も経たないうちに国民会議派は反英不服従運動再開を決議するはずですよ」
「で?」
「チャンドラ・ボースが突っ走れば突っ走るほど国民会議派も独立運動を加速せざるをえない」ジャフルがそう言いながら腕組みをした。「チャンドラ・ボースが具体的な行動を起こすためには武器が要る。最初は二、三千挺の軽機関銃でいい。それだけあれば、インド政庁を襲撃して占拠できる。インド国内にも反日感情を持ってる人間はいます。そういう連中は何らかのかたちでコミンテルンとの関係を持ってる。インド医療使節団というのを御存じで?」
 次郎は街え煙草のまま首を左右に振った。
 ジャフルが下唇を舐めてつづけた。
「コートニスとかアタルといった医師連中が去年の十一月にインドを離れ、延安に向かった。毛沢東に逢い、ともに帝国主義との戦いを誓い、北支の辺区で医療活動を行なうことになった。しかし、わたしに言わせれば戯言だ。インド人はよけいなことを考えずにイギリスからの独立を目指すだけでいい、たとえどんな手段を使っても」
「政治談議をしたいだけかね、それともおれに何かを依頼したいのかね?」
「児玉誉士夫を御存じですな?」
「面識はない、名まえは聞いてるし、このブロードウェイ・マンションに住んでることも知ってるが」「涯兆銘は上海に居をかまえるまえにいったん香港で暮すはずだった。児玉誉士夫は影佐禎昭大佐の依頼で右翼団体・日本塾を母胎とする秘密組織・棒皇隊を率いて香港での注兆銘護衛に当たる予定だった。そのために大本営陸軍部は兵器廠から直接九六式軽機関銃を児玉誉士夫に渡したんです。その軽機関銃は日本総領事館経由で香港に流れた。しかし、実際には注兆銘は香港では暮さず、上海に来て梅華堂の庇護下にはいった。つまり、香港には児玉誉士夫が手配した軽機関銃が九龍の倉庫に保管されたままになってる」
「それをインドに運べと?」
「そのとおりです」
「児玉誉士夫の棒皇隊が何人で編成されてたのかは知らんが、インド政庁襲撃に必要なほどの量の軽機関銃が香港に運ばれたとは思えんが」
「もちろん現在はそうです。しかし、九六式軽機関銃はこれからどんどん香港に向かう。わたしはもう児玉誉士夫と話をつけた。大本営陸軍部もかならず協力する」
「どこから来るんだね、その自信は?」
「日独伊防共協定はまだ三国同盟化してないが、日本はいずれ英米とぶつかり合わざるをえない。その場合、日本は石油を求めて南進するしかないでしょう。狙いは蘭領東インドだが、そのまえに仏領インドシナやビルマが標的になる。それを阻止しようとするイギリスの力を殺ぐにはインドやビルマでの独立運動が望ましい。おわかりでしょう、インドに軽機関銃を送りたい理由が? その数が二千や三千ならけちな武器商人が勝手にやったことだといくらでも言い抜けられるんだし」(394〜396頁)


 しだいに戦争が深刻になっていく中で、敷島兄弟の今後の生き様がますます興味深く待たれます。【4】

※本作品は書き下ろしです。
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | 読書雑記

2016年10月20日

『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』ができました

 国文学研究資料館が所蔵する鎌倉中期の書写と思われる『源氏物語』「若紫」を「変体仮名翻字版」で刊行しました。
『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10、\1,400)



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 本書の写本としての特徴は、「解説」に書いたとおりです。
 懐中電灯で紙面をくまなくスキャンして精査し、〈墨ヨゴレ〉・〈付箋跡〉・〈剥落〉などの付加情報を丹念に記録しました。また、顕微鏡やカメラを用いて80倍に拡大し、削られた箇所で下に書かれている文字を推読したり、破損個所の判読も充分な時間をかけて読み取りました。
 こうした調査結果を、本書の本文の右横に注記として添えています。

 この次に本書を調査なさる方は、さらに精巧な機器を用いて翻字と付加情報を補訂してくださることを望みます。一応、現在可能な限りの手法で「変体仮名翻字版」を作成したことになります。

 本書を刊行した背景については、巻末の「編集後記」に記しました。
 その全文を、以下に引きます。


編集後記



 本書は、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(平成二五年)、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(平成二六年)、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(平成二七年)に続く、鎌倉期古写本の影印資料シリーズの四冊目となるものである。いずれも、写本を読む楽しさを共有できるテキストになれば、との思いから編集し続けているものである。
 本書との出会いは、国文学研究資料館に収蔵されてすぐの平成一六年に、室伏信助先生(跡見学園女子大学名誉教授)とご一緒に閲覧した時である。この「若紫」は、一時期は室伏先生のお手元にあったため、数十年ぶりのご対面の場となったのである。先生は、この本が棚にあった時には『源氏物語』の本文に興味や関心がなかったので、と当時を振り返りながら感慨深げに話してくださったことが思い出される。こうして身近にあるのだから、君もじっくりと本文を調べて、あらためて報告してください、とおっしゃったことばが忘れられずにここまで来た。あれから十数年が経過した今、遅ればせながら室伏先生に影印本としてではあっても、直接本書をお手渡しできることを嬉しく思っている。
 変体仮名を字母に忠実な翻字で表記する、自称「変体仮名翻字版」という形式で刊行するのは、前著『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』に次いで二冊目となる。この翻字のよさは、今後の利活用によって認められるものだと確信している。手元の三五万レコードの翻字データベースも、この「変体仮名翻字版」に置き換えつつある。正確な『源氏物語』の本文データベースを次世代に手渡すことを一義に、臆することなく山を移す覚悟で取り組んでいるところである。
 本書の翻字資料作成と編集にあたっては、国文学研究資料館の淺川槙子プロジェクト研究員による的確な対処に負うところが多い。すでに構築したデータベースを元にした作業とはいえ、「変体仮名翻字版」への再構築は思いのほか手間と時間を要するものとなった。いつものことながら、字母に正確な翻字を行うことは、気力と体力が求められるものであることを実感している。
 引き続き、橋本本として残っている「絵合」「松風」「藤袴」の残欠三巻の編集に入っている。本書の姉妹編ともなるものであり、併せて有効な活用がなされることを楽しみにしている。
 影印画像と原本の熟覧にあたっては、国文学研究資料館の担当部署の方々のご理解とご協力をたまわった。あらためてお礼申し上げる。
    平成二八年一〇月一日
              編者を代表して 伊藤鉄也


 国文学研究資料館が所蔵する鎌倉期に書写された写本は、この橋本本の他の残欠本三冊と、「若菜上」の零本があります。近日中に、これらもこの影印本シリーズの一つとして刊行する準備をすすめています。

 現在私は、鎌倉時代に書写された『源氏物語』の写本が読める環境を、こうして構築しているところです。これまでは、江戸時代の人が書き込んだ文字を取り込んだ本文を、平安時代の物語として精緻に読み込んでいました。そうした読みの意義はそれとして、それに並行して、平安時代とは言わないまでも鎌倉時代に書写された『源氏物語』を読むことも、新しい『源氏物語』の読み方になると思っています。その意義を痛感して、鎌倉時代の写本による、こうした正確な翻字を目指した作業をしています。

 本書のよううな資料を作ることは地味ではあっても、いつかは、誰かがしなければならない、必要な研究基盤の整備だと思います。そして、『源氏物語』の研究の本文という根本のところが脆弱であったことを知り、写本に書き写された本文に向き合うことから再出発する若者の出現を心待ちにしています。

 今市販されている活字の校訂本文で『源氏物語』を読むことと共に、こうした鎌倉時代の『源氏物語』の本文を読む楽しみも、新しい〈源氏読み〉として体験していただきたいと思っています。
posted by genjiito at 21:17| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月19日

清張全集復読(6)「梟示抄」「啾々吟」

■「梟示抄」
 話は、明治7年のことです。江藤新平と西郷隆盛、そして大久保利通が物語を動かしていきます。
 佐賀の乱で破れた江藤は、西郷を頼って鹿児島へ行きます。しかし、西郷は動きません。そこで仲間と一緒に宇和島から土佐へと、雪山の中を苦難の道を歩みます。清張には珍しい表現が見られる反面、清張らしくないレポーターのような口調に違和感を覚えました。
 江藤新平に関しては、もっと心の中を描き出してほしいところです。
【2】
 
初出誌:『別冊 文藝春秋』(昭和28年2月)
 
 
■「啾々吟」
 弘化3年(1844)8月14日に、肥前佐賀で同日に三人の男の子が生まれました。松枝慶一郎は鍋島藩の家老の子、後2人は大名の子と軽輩の子です。
 家格は低くても秀才だった軽輩の子石内嘉門が、それからどのような出来事に身を置くのか、開巻早々、物語の展開が楽しみになります。
 そして一読し終えて、宿命という言葉が記憶に残りました。
 明治の政争を描く中で、一人の人間の生き様が鮮やかに浮かび上がってきます。【4】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和28年3月)
※第一回『オール讀物』新人杯佳作第一席に入選
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | 清張全集復読

2016年10月18日

江戸漫歩(142)九段会館と九段坂病院

 九段坂病院で、右足の指にできた疣の治療を受けてきました。
 隣接する九段会館は、外見上はまだ工事が始まってはいないようです。


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 ここは、平成23年3月11日に、東京観光専門学校の卒業式が行われていた時に東日本大震災が発生し、天井の崩落により2名が死亡したことで平成23年4月に廃業閉鎖となりました。
 もとは、「昭和御大礼記念事業」として計画され、昭和7年に起工したものです。
 2・26事件の時には、戒厳司令部がここに設置され、満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の弟・溥傑と、侯爵・嵯峨実勝の長女・浩の結婚式がここで挙行されたという歴史を持っています。

 池田亀鑑に関連して昭和初期のことを調べている関係で、こうしたことにも注意が向くようになりました。船戸与一の『満州国演義』を読んでいることも、こうした戦前の歴史への興味を掻き立てているように思えます。
 ただし、私は1度もここに入る機会がありませんでした。

 さて、この九段会館の南に建つ九段坂病院へは、1ヶ月ほど通院に間が空きました。先生からは、10日から2週間くらいの間隔で通院するように、との指導を受けました。

 足指にできた2つの疣は、外見上はきれいになっています。しかし、まだ皮膚の奥にウイルスが残っている形跡があるようです。
 確かに、歩く時に小石を踏んだ時のような違和感を感じることがあります。

 この夏以来、9月からの忙しさにかまけて、つい通院をさぼっていたのは確かです。
 命に別状がないことと、あまり苦痛に感じるものではないので、つい気が緩みます。
 病院は便利なところにあり、通勤の途中に立ち寄れるので、年末までには通い詰めて完治させます。
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年10月17日

浪速の四天王寺を散策する

 所用で大阪に来ました。空き時間を有効にと、天王寺にある四天王寺に立ち寄りました。
 石鳥居は、西の海に沈む夕陽を拝むように建っています。極楽往生を念じる聖地です。


161017_saimon




 額には、極楽への入口だと書かれています。

釈迦如来
転法輪処
当極楽土
東門中心


 ここは、お彼岸のたびに両親と来たものです。父が亡くなってからは、母と子どもたちとで毎年来ました。
 私の出身高校がこの近くなので、勝手知ったる地域です。
 高校時代は、この近くの図書館に籠もって本を読んでいました。

 西大門(さいもん、極楽門)から見る五重塔はみごとです。
 この塔は、昭和34年に再建されました。新しいもので八代目です。
 家族と何度も上りました。ワイワイガヤガヤと、一緒に来た日が思い出されます。


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 いろいろと欲張った願いを込めて、極楽門に取り付けられている転法輪(チャクラ)を回しました。
 心が清浄になりますようにという意味の「自浄其意」と唱えて、転法輪を右に回すのです。


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 亀の池も健在です。ここの亀は、愛嬌があって時の経つのを忘れさせてくれます。
 後方に六時礼讃堂があります。
 その前、写真右手の石舞台では、四天王寺の雅楽が舞われる所です。宮中(京都)、南都(奈良)と並ぶ「天王寺楽所」は、最古の様式を伝えているといわれています。

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 そこから南を望むと、工事中の中に「聖徳太子千四百年御聖忌」という幕が見えます。今、仁王門は見られません。


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 経木を流す亀井堂も、かつてのままです。
 お彼岸には、参道や境内で経木を買い求め、願い事と名前を書いて柄杓で流しました。


161017_kyougi




 こうして、出歩くたびに懐旧の情に浸っていては、さらに前に進む推進力が弱ります。
 息抜きのための適度な回顧に留め、過去・現在・未来のことを思って体内のメモリを使い尽くすのではなくて、現在から未来を考えることに専念したいものです。

 新幹線の中で、うつらうつらとしながらここまで書きました。
 そろそろ日付が変わる頃ということもあり、まわりのみなさまはほとんどがお休みです。
 慌ただしいだけの日々の中にいます。時間が止まったかのようなこの空間は、なかなか居心地のいいものです。
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | ブラリと

2016年10月16日

最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後

 移動が多い私は、その時々に持ち歩くバッグをいくつか持っています。しかし、なかなかピッタリのものがありません。特に、中くらいの大きさと分量の時のバッグが、微妙に合っていないと思っていました。

 最近探し求めていたのは、A4より一回り大きいノートパソコンがちょうど入り、キャリーバッグのキャスターにロックがかかるものです。
 こうした用途のための、最適なキャリーバッグを一つ持っていました。しかし、それが10年前の物だったので、角々が痛んできています。

 今日は帰洛のために東京駅へ出たついでに、ふらりとカバン屋さんに立ち寄りました。幸運なことに、地下街に3軒続きのカバン屋さんがあり、その一つでちょうどいい物と出会えました。それでも、色が好みのものと微妙に違うのです。

 同じ系列の店が、隣の有楽町駅の前にもあることがわかりました。思い立った時にと意を決し、行ってみることにしました。

 専門店だけあって、思い通りの最適な物と出会えました。
 ちょうどいい大きさに加え、従来よりも深さがあります。しかも、取っ手がお洒落です。入荷したばかりの最新デザインだそうです。

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 早速、手にしていた荷物を詰め替えて、新しいキャリーバッグで西に向かいました。このキャスターをロックするシステムは、なかなか快適です。

 これまでに、旅行客の4輪のキャリーバッグがバスの中の狭い通路を勝手に滑走したり、急ブレーキで前に飛んでいく場面に出くわしました。ホームから、コロコロと転がって線路に落ちる所も目撃しました。
 とにかく、4輪で手押し式のキャリーバッグは、勝手にあちこちと動き回るので危険です。

 傾けて引っ張る形の2輪式は、後ろに長く引きずるので、人ごみの中では邪魔者扱いをされます。しかし、バスやホームでは、安定して立つので安心です。
 一長一短がある中で、今回見つけた、キャスターをロックできるバッグは、4輪の中では安全で便利なものです。

 キャリーバッグは、駅や商店街では、点字ブロックの凸凹がキャスターをガタガタさせるので、嫌われがちのようです。スピードを落とさせるために、鉄球が埋め込まれた交差点がありました。そこを自動車が通過する時には、スピードを落とすのには有効な仕掛けでした。しかし、車内への振動が不評だったこともあり、今では国内ではほとんどなくなったようです。

 しかし、街中や駅のホームなどでの点字ブロックは、視覚障害者には必須です。そうは言っても、キャリーバッグを引く旅行者が不快に思う点字ブロックの敷設は、その凹凸の形状を含めて再考されるのかもしれません。今後は、この共存がさらに検討されることでしょう。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | 身辺雑記

2016年10月15日

箱根駅伝予選会の結果

 少し肌寒いながらも、秋晴れの1日でした。
 今日は、大学院大学の入試説明会があったため、土曜出勤となりました。

 立川の今日は、第93回箱根駅伝予選会のために、駅は大混雑です。
 先日、「箱根駅伝の予選会が今年も立川で」(2016年10月11日)という記事をアップしたので、その結末も書いておきます。

 今日の予選会の結果は、次の通りでした。
 と言っても、実際に国営昭和記念公園で見たのではなくて、ニュースからの引用ですが。


1位 大東文化大 5年連続48回目
2位 明治大 9年連続59回目
3位 創価大 2年ぶり2回目
4位 法政大 2年連続77回目
5位 神奈川大 7年連続48回目
6位 上武大 9年連続9回目
7位 拓殖大 4年連続38回目
8位 国学院大 2年ぶり10回目
9位 国士舘大 3年ぶり45回目
10位 日本大 5年連続87回目


 我が母校も箱根に出るようです。知っている人がいるわけではないのに、高校野球と一緒で、母校の出場は何となく嬉しいものです。かつてその学校で学んだというだけです。しかし、自分が駆け抜けた時間と場所には、何か忘れ物をしてきた思いが残っています。吹っ切れないままに、気がかりなことがあるからでしょうか。分野は違えども、後輩の活躍が不思議と元気を与えてくれます。つい、応援してしまいます。他校よりも良く見られたい、という気持ちもあるのかもしれません。母校というのは、説明しがたい存在です。

 今日の予選会で勝ち残った10校と、すでにシード権を獲得している次の10校が、2107年の正月2日と3日に箱根路を走るのです。


青山学院大、東洋大、駒澤大、早稲田大、東海大、順天堂大、日本体育大、山梨学院大、中央学院大、帝京大


 駅伝好きな私は、毎年これを楽しみにしています。
 さて、来年はどういう結末となるのでしょうか。

 そろそろ、来年のことが話題になる時期となりました。
 身辺が慌ただしくなる日々が、着実にやってきています。
posted by genjiito at 21:37| Comment(0) | 身辺雑記

2016年10月14日

iPhone 6 Plus から 7 Plus へSIMフリーで移行する際の問題

 先週、「iPhone Plus を 6 から 7 へ移行することを検討中」(2016年10月08日)と書いてから一週間が経ちました。

 そして、最後に「今後はもう少しお役に立つ情報の発信を意識したいと思っています。」と書きました。その、お役立ち情報を以下に書いておきます。

 ただし、これは当初の予定を変更するものとなっていますが。


161014_iphone6plus




 駅前の auショップへ行き、先日確認したように手元に転がっていた「iPhone5」に画面がひび割れた「iPhone 6 Plus」の SIM を入れ替えることで、「iPhone 6 Plus」の引っ越しをしたのに、データがどうしても最近の2年分が移行できないことを尋ねました。担当の方は、この前よりも詳しい方でした。しかし、そんなことはないはずだ、とのことです。
 何度かやっても移行できなかったので、それ以上の話はしませんでした。

 そんな中で、SIM フリーへの移行を話題にしたところ、先日の方とは違うことをおっしゃいます。
 まず、私の更新月は今年の12月から来年の1月なので、その期間にこれまでの機種を解約しないと、一台につき約1万円が違約金として発生するとのことでした。私の場合は、2台同時に移行するので2万円です。

 さらに、私が使っている「iPhone 6 Plus」から新しい「iPhone 7 Plus」への移行では、SIM フリーで使うことが保障されていない、ということでした。これは、au のサイトに書いてあることで、「iPhone 6 Plus」と「iPhone 6s Plus」は別物であり、私が持っている「iPhone 6 Plus」はSIMフリーには対応していない機種だそうです。「iPhone 6s Plus」からが対応するものだとか。
 あれっ、と言うしかありません。この前は……、と言ってもどうにもなりません。

 ただし、iPhone のタッチパネルが割れていても、その「iPhone 6 Plus」から「iPhone 7 Plus」に機種変更をすれば、下取り価格の27,000円が新機種の購入代金にまわせるとのことでした。割れたタッチパネルを修理しても2万円以上はかかるので、「iPhone 7 Plus」への移行は、これで大きく変更を余儀なくされることとなりました。

 追い討ちをかけるように、現在私が求める「iPhone 7 Plus」は在庫がないので、3週間ほどの予約待ちとなるのです。

 それでは、12月まで待って、違約金が発生しない時期に買い替えにしましょう、と言うと、SIMフリーではなくて au の SIMで使い続けるのであれば、機種交換なので違約金は発生せず、手数料の2,000円でいいとのことです。

 相手の言いなりながらも、このまま機種交換しようかと思うようになりました。
 そして、担当者はさらにおっしゃいます。
 どうしてもSIMフリーにしたければ、180日経過してからなら可能だとのことです。

 となると、この店で「iPhone 7 Plus」をいつ予約するか、ということになります。
 担当者は、待ってましたとばかりに、週末は予約者が増加するので、早い方がいいですよ、と親切(?)におっしゃいます。

 SIMフリーのことを最優先にしていて、このまま au の契約を続ける気はまったくなかったので、そういうことなら一晩頭を冷やすことにします。

 こんな問題を、いま抱えています。
 解決なさった方がいらっしゃいましたら、よきアドバイスをよろしくお願いします。
posted by genjiito at 21:15| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年10月13日

変体仮名の練習用シートを試作中

 仕事帰りの電車が遅れていました。
 立川駅で、特急が遅れていたために、その特急の待ち合わせをせずに、私が乗った快速が先に発車しました。
 中野駅で乗り換えて地下鉄に乗ったところ、途中の駅で電車が止まりました。線路内に人が立ち入ったために点検をしているとのことです。
 相変わらず、電車は時刻通りには走ってくれません。
 よく考えると、あの時間に厳格に走っていたのは無理があり、こうして多少の誤差があることが普通だと思う方が自然なのでしょう。

 さて、今日から、国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」を、日比谷図書文化館で読み始めました。
 ただし、テキストが間に合わなかったので、プリントで進めました。みなさまには、本当に申し訳ないことです。来週の19日には書店に並びますので、もうしばらくお待ちください。

 今日は、効率のよい学習に役立つのではと思い、こんなプリントを作ってみました。


161014_waka2




 【原案】では、変体仮名の部分が空欄になっています。影印画像を見ながら、この空欄に変体仮名の字母を書いていくのです。
 たとえば、次のようになります。

わら〔〕や〔〕〔〕〜


 このシートを埋める方式で進めていたところ、どうも反応がよくありません。
 後で感想や意見を聞けたので、次のように改訂案を作ってみました。

わら〔  ha〕や〔  mi〕〔  ni〕〜


 この改訂案の方のシートに変体仮名の字母を記入していくと、次のようになります。
 変体仮名の読みがわかるので、ことばの意味なども確認でき、理解しながら進むことができます。

わら〔八 ha〕や〔三 mi〕〔尓 ni〕〜


 さて、このシートは、変体仮名が読めるようになるために、有効なものなのでしょうか。
 どのような方針で改良したり取り組んだらいいのか、このところ思案しています。
 もちろん、初心者、中級者、上級者の区別があるかもしれません。しかし、変体仮名は多くの文字を読んで慣れることで、めきめきと上達します。上達ということばが不適切なら、自在に読めるようになると言い代えましょう。

 改訂案のほうで数ページを読んだら、後はそのまま読み進めることが可能だ、とも思われます。

 変体仮名の指導をなさっている方や、かつてやっていたという方からの、体験談や実践例をお聞きできないかと思い、あえてこんな話題を記しました。
 ご教示をいただけると幸いです。

 今日は、参加者から非常にいいことばを教えていただきました。
 昨日も国文学研究資料館のくずし字講座に参加されていた方で、京都での古写本を読む会にもお越しになったYさんが、『目習い』『手習い』『耳習い』ということばを口にされたのです。
 よくお聞きすると、それは稽古事等で言われることばで、特に『目習い』は、質の高いものを観て目を養うことを言うそうです。きれいなことばだと思います。これは、変体仮名などを学ぶ時にも当てはまるものです。今後とも、『目習い』ということばを大いに使わせていただきます。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月12日

連続講座(その7)「くずし字で読む『百人一首』」

 国文学研究資料館主催の連続講座「くずし字で読む『百人一首』」がありました。
 本年度第7回目は、私が担当しました。
 各回毎に研究部の教員が一人ずつ代わる代わる登壇する、まさに駅伝の襷リレーのような公開イベントです。受講者のみなさまは、毎回違う味が楽しめます。その意味からも、おもしろい企画だといえます。

 日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読んでいる要領で臨みました。私は、割り振られた『百人一首』の和歌4首(63〜66)を、字母を確認しながら読み進めました。くずし字を読むことが主旨であり、歌の意味や作者についてはまったく触れず、テキストとなっている版本の文字にだけを注目していきます。

 全回使用するテキストは、国文学研究資料館が所蔵する江戸時代中期の版本『錦百人一首あつま織』です。これは、勝川春草の手になる極彩色の歌仙絵を添えた版本で、安永4年(1775)に刊行されたものです。

 ただし、版本の印刷体の文字だけではおもしろくないと思い、複製版の『陽明文庫旧蔵 百人一首』(有吉保、おうふう、昭和五十七年十二月)もテキストに加え、独特の書体のくずし字も同時に読みました。
 休憩時間には、持参した複製版の陽明文庫のカルタを、受講者のみなさまに触っていただきました。

 2種類の字体が異なる『百人一首』を、4首だけとはいえ仮名の字母にこだわって読んだので、多くの方が興味を持って参加してくださったと思います。
 みなさまにはアンケートを書いていただいたので、後日その結果を見るのが、怖さ半分の楽しみです。

 こうして、多くの方々がくずし字に興味を持ってくださることはいいことです。しかも、男性が予想外に多かったことで、私のこれまでの思いが嬉しい誤算となりました。

 おまけの資料として、福沢諭吉の『学問のすゝめ』(明治4年)と、谷崎潤一郎の『春琴抄』(昭和8年)も、その冒頭部分を変体仮名に注意して読みました。これも、受講されていたみなさまにとって、意外な体験となったようです。

 さらには、宮川保子さんが書いてくださった、視覚障害者のための触読用の『百人一首』の立体コピーをお一人一枚ずつ配り、目を瞑って指だけで読む体験もしていただきました。これも、意外な体験となったことでしょう。

 短い時間ながらも、一緒に楽しくくずし字を読むことができました。
 私にとって最後の公開講座でもあり、十分に手応えがありほっとしています。

 参加なさったみなさま、長時間お疲れさまでした。
posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月11日

箱根駅伝の予選会が今年も立川で

 昨日10月11日は、第28回出雲全日本大学選抜駅伝がありました。
 田園風景の残るコースを走る駅伝なので、レースよりもコース外の景色を見ては、我がふるさとの今を懐かしんで見ていました。
 今年も、駅伝やマラソンの話題が流れる、スポーツの季節となりました。

 新年1月2日と3日に開催される、第 93 回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)の予選会が、立川の地で開催されます。
 平成 28 年 10 月 15 日(土) 9:35にスタートです。
 競技場所は、職場のすぐ横にある、陸上自衛隊立川駐屯地〜立川市街地〜国営昭和記念公園。
 20キロのコースを走ります。
 毎年、立川駅のコンコースには、参加大学の旗が林立します。
 今年は、50校がエントリーしています。


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 出場資格は、「各校エントリー者全員が5000m 16 分 30 秒以内もしくは 10000m 34 分以内のトラックでの公認記録を有していること。」とありました。
 この結果によって、上位10校に箱根駅伝2017への出場権が与えられるのです。

 昨年の箱根駅伝で今年のシード権を獲得しているのは、次の10校です(順不同)。

青山学院大学 東洋大学 駒澤大学 早稲田大学 東海大学 順天堂大学 日本体育大学 山梨学院大学 中央学院大学 帝京大学

 子供ころから、私は走るのが大好きでした。
 小学2年生までは、身体が弱かったので、体育はいつも見学組でした。
 しかし、足は速かったので、リレーなどには引っ張り出されていました。
 運動会には、小学2年生の後半から出られるようになったと思います。
 ひ弱な身体ではあっても、いつも一番で、いろいろな景品をもらいました。

 中学では、耐寒マラソンで、高安山や信貴山を駆け登っていました。後に高安山の中腹にお墓を建て、信貴山のある町に住んで子育てをするとは、夢にも思いませんでした。

高校の頃は、長距離が好きで、1500メートルとマラソンが得意でした。長居陸上競技場に、母がこっそり見に来ていたことを覚えています。私がマラソンにエントリーしているプログラムを見て、体力のない私が本当に走れるのか、よほど心配だったでしょう。まさに、こっそりと来ている母の姿を競技場の片隅に見つけ、母のためにもとの思いで完走したことは、今も覚えています。そのことは、その後も一言もお互いの話しには出なかったし出しませんでした。

 高校の教員になってからも、生徒たちと一緒に運動会でマラソンに参加していたことが、今では信じられないくらいに遠い過去の出来事となりました。

 成人式の記念マラソンにエントリーしていたほどなので、走るのは大好きなのです。もっとも、成人式のマラソンは、直前の火事で焼け出されたために、着るものもなくて参加できませんでした。
 あの頃は、400部近い新聞を毎朝走って配達していたので、体力もあったのでしょう。エントリーして、新成人になったことを確認したかったのだと思います。大田区の大会でしたが、箱根駅伝のコースの一部を走るものでした。

 実際に見たマラソンでは、増田明美が途中棄権した大阪でのマラソンが思い出されます。
 百済駅の近くで応援したように思います。

 それにしても、歳とともに気力も体力も、そして足腰も弱っていることを実感します。

 テレビでマラソンを観るのも、今は自分にできないことに挑んでいる若者を、自分になり代わっていると思いながら楽しみ、懐かしんでいるのかもしれません。
 本来なら自分が走りたいのに、それもならずに複雑な気持ちでテレビを観ている自分に気付くと、何となく複雑な思いになります。
posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | 健康雑記

2016年10月10日

谷崎全集読過(27)「人面疽」「魚の李太白」

■「人面疽」
 女優歌川百合枝は、アメリカで撮影した神秘劇「人間の顔を持つた腫物」(邦題「執念」)について、自分が演じたものであるにもかかわらず記憶がまったくないのです。
 全5巻のその活動写真の内容を、作者は詳しく紹介し検討していきます。
 女の膝頭にできた腫物が、次第に人の顔に見えるようになってくる場面が不気味です。
 そして、数奇な運命が……
 このフィルムは、とにかく不思議なものでした。次々と怪異が起きるのです。しかも、制作されたことすら怪しくなったのです。何者かがフィルムを繋ぎ合わせて焼き込んだ偽物だとも……
 さらには、笛吹きの乞食役の男が何者なのか。特にフイルムの第5巻は多くの問題を孕んでいるようです。
 終始謎解きの趣向で展開し、谷崎らしい作品となっていきます。映画への関心が顕著なのは、この時期の特徴でもあります。最後が唐突に終わったように思います。【4】
 
初出誌︰『新小説』大正7年3月号
 
 
■「魚の李太白」
 お伽噺を意識した、おもしろい話に仕上がりました。
 17歳の春江という、女学校出のお嬢様の話です。
 親友の桃子が結婚をするので、お祝いを探して銀座に出ます。そして、緋縮緬の鯛の人形に決めて贈りました。その鯛が、李太白の生まれ変わりだったというのです。
 明るく楽しい、童話とでもいうべき作品です。【3】
 
初出誌︰『新小説』大正7年9月号
posted by genjiito at 23:28| Comment(0) | 谷崎全集読過

2016年10月09日

清張全集復読(5)「或る「小倉日記」伝」

 昭和15年のこと。詩人K・Mの元に小倉在住の田上耕作から手紙が来ました。小倉時代の森鴎外の事蹟を調べている、というのでした。
 第二節の後半に、「耕作には、六つぐらいの頃、こういう一つの思い出がある。」(全集35頁上段)とあります。この後の話は、清張自身に関わる記憶の一部ではないか、と思っています。特に、鈴の音は記憶に刻まれていた音ではないでしょうか。耕作の身体に障害があることは、これも清張が身辺で見聞きした経験に基づくものではないでしょうか。
 身体が不自由な耕作を、母ふじが献身的に助けます。後年、父親の存在に拘る清張が、母をこのように描いていることに、私は注目しています。
 この作品は、調べるということに何の意味があるのか、ということへの問いかけを背景に持っています。耕作は、調べれば調べるほど、そのことが我が身に返ってきます。
 書かれたものを読み、人を探し当てて話を聞くのです。柳田国男や民俗学のことに触れているのは、この問題意識があるからです。そして、これが後の推理物へと展開していきます。
 昭和25年末に耕作は亡くなります。そして、その2ヶ月後の26年初めに森鷗外の『小倉日記』が見つかります。
 一人の男とその母の、苦楽を共にした旅の意味が、この鷗外自筆の日記の出現によって、読者にあらためて問われているのです。
 昭和28年1月に、本作品が第28回芥川賞を受賞します。最初は直木賞候補だったものが、芥川賞の選考対象となり受賞した、という経緯があります。【5】
 
初出誌:『三田文学9』(昭和27年9月)
改稿再掲載:『文藝春秋』(昭和28年3月)

参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | 清張全集復読

2016年10月08日

iPhone Plus を 6 から 7 へ移行することを検討中

 「iPhone 5 64GB」を「6 Plus 128GB」に機種変更したのは、ちょうど2年前の2014年10月6日でした。その時のことは、次の記事に書いています。

「iPhone 6 Plus のトラブルの対処方法」(2014年10月07日)

 それから10日後には、私が手渡されたiPhone は不良品とのことで、京都で本体交換をしてもらいました。

「iPhone 6 Plus が欠陥商品のため本体交換となる」(2014年10月17日)

 本体交換しても不調なので、また1ヶ月後にトラブル状態となりました。

「依然として続く iPhone 6 Plus128G のトラブル」(2014年11月16日)

 それ以来の不調については、Evernote がらみなので省略します。

 そして、「iPhone 6 Plus」にしてから4ヶ月目にして、3台目の iPhone を手にすることとなりました。今度は、アップルストア銀座での本体交換でした。

「4ヶ月で3台目の本体交換となったiPhone6 Plus」(2015年02月25日)

 その後も不調が続き、本ブログには折々に報告してきました。ただし、今それらはすべて省略します。

 さて、そうした道を歩んで来た私も、最近新たに投入された「iPhone 7 Plus」に移行する決意をしました。それは、我が家にある2台の「iPhone 6 Plus」の内の1台のタッチパネルのガラスが、落とした衝撃で粉々にひび割れしたためです。表面に衝撃防止シートを貼っていたので、ガラスの破片が飛び散ることはありませんでした。

 今回のガラスの修理は、ネットで調べ、お店で確認したところ、19,800円だそうです。いつか 7 Plus にしようと思っていたので、これを機会にと思いきることにしました。

 そこで、旧知の仲間が、私と同じ au の「iPhone 6 Plus」から docomo の「iPhone 7 Plus」に機種を交換したことを、最近ブログに書いていたことを思い出しました。
 そこですぐにメールで、私の用途などを伝え、経緯などを問い合わせたところ、これまたすぐに詳細な説明を受けとることができました。
 こうした情報通の仲間がいることは、突然やってくる悲劇に対処するにあたっても、本当に助かります。

 長文の懇切丁寧な説明を読んで、ますます、docomo の 7 Plus にすることで、気持ちは大きく傾きました。
 それにしても、今までまったく縁のなかった docomo です。
 詳しく、わかりやすく説明された文章を見ながら、参考にと添えられたホームページなどもすべて確認した上で、やはり SIMフリーで「mineo の docomoプラン」にターゲットを絞りました。

 そして、アドバイス通り、以下のこともチェックしました。
・基本データ容量:3GB
・デュアルタイプ

 ただし、面倒なのは、「iPhone 7 Plus」の SIMフリー版をAppleから直接購入することです。すぐに、今いる宿舎から近いアップルストア銀座に、「iPhone 7 Plus」の在庫状況を聞きました。すると、ホームページでも在庫が確認でき、あればすぐに予約すればいいそうです。ただし、今日は残念ながら在庫はないとのことです。毎日朝8時に在庫状況を公開するので、ネットで在庫を確認してから予約し、その番号を持って来店を、とのことでした。

 とにかく、SIMフリーの本体の入手は、明日以降になります。どうやら、この本体の入手が、一番の難所のようです。

 次に、ヨドバシカメラに連絡し、mineoの手続きの相談をしました。
 京都の我が家は、ネット環境は Kオプティコムの光回線を契約しています。テレビも電話もインターネットも、すべてイオネットを利用しています。いろいろと相談している中で、イオネットのユーザーであれば、さらに800円の割引があることもわかりました。

 とにかく、仲間からのありがたいアドバイスを参考にして、「iPhone 7 Plus」のSIMフリーを mineo で契約して前に進むことにします。
 といっても、私のことなので、いろいろとトラブルの中を進むのことになるでしょうが……

 たまたま、買い物で出かけることがあったので、近くの駅前にある auショップに立ちより、いろいろと情報を得てきました。最近の私の iPhone は、ほとんどこのお店で購入しているからです。
 ここでわかったことは、現在使っている iPhone が、あと1ヶ月で本体の代金を完済するということでした。つまり、完済してから次の機種への乗り換えを考えたらどうでしょうか、とのアドバイスです。それもそうだと思い、あと1ヶ月はこのままでいってもいいか、と思うようになりました。

 さらに、画面がひび割れした「iPhone 6 Plus」について、電話で不自由をしているので対処法を聞きました。手元に放置されている「iPhone5」に SIM を入れ替えると、電話等が使えるようになるのではと聞くと、そうだとのことです。
 これで、サイズは一回り小さくなっても、電話もネットもこれまで通りに使えます。1ヶ月の辛抱ならば、これで何とかなります。すぐにこれを試すと、何も問題なく一つ前のiPhoneが使えるようになりました。

 この先延ばしした1ヶ月間に、SIMフリーの「iPhone 7 Plus」の情報をもっと集めることができるので、より的確な判断ができるようになります。もしもさらによい選択肢が見つかれば、すぐにそれに移ればいいのです。

 iPhone を SIMフリーにすることで、よく使うアプリ「メッセンジャー」やテザリングなどがどうなるのかも含めて、十分に検討する時間ができました。仲間からのその後の利用体験も聞けます。

 急遽検討を始めたiPhone のバージョンアップも、こうして一段落し、次に必要となる情報やターゲットマシンについて調べる余裕もできました。

 それにしても、仲間が発信する情報と、そこからもらえたアドバイスのありがたさを痛感する、得難い貴重な1日となりました。

 よき仲間がいることの楽しさと嬉しさを、この記事を書きながら噛みしめてているところです。私も、いろいろな方のお役に立つ存在であるように、との気持ちをあらたにしています。

 私が毎日書いているこのブログは、そうしたお役には立ちそうにもありません。自由気儘に日々の日録を書いているだけだからです。しかし、ひよっとして、この自分が生きている存在証明にしかすぎない日記代わりの日録も、どなたかのお役に立っていることもないとはいえないかもしれません。いや、そのようなことはないとしても、今後はもう少しお役に立つ情報の発信を意識したいと思っています。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年10月07日

家具を組み立てていて説明書の不備に悩まされる

 息子の家で家具を組み立てました。
 夜遅くまでかかって、何とかできあがりました。


161008_syodana




 説明書を見ながら、手順を追ってやりました。しかし、図解による指示と部品の特定が難しくて、いろいろと試行錯誤の連続です。やってみて、うまくいかなかったら元に戻り、またやってみる、という作業手順を踏むことになります。
 それでも、背面の板の高さが合わないのです。ノコギリを買って来ようか、とか、カッターナイフを買いに行こうか、などなど、どうしてもうまくできない所がでてきました。

 夜分にもかかわらず、21時までサポートはやっているとのことなので、電話をして相談しました。
 購入した無印良品は、サポートがしっかりしています。担当の方は、説明を聞いて、すぐに部品を取り寄せるとのことでした。しかし、連休があるので、来週火曜日以降の発送になるのだそうです。

 それではこちらが大変なので、さらに受けたアドバイスを参考にして、部品の組み合わせを変えてやってみることにしました。再度組み方を変えると、今度はうまくいき、前に進むことができました。押してもダメなら引いてみろ、ではないのですが、別のやり方を試みると、意外な方向が見えてきたのです。おもしろいものです。

 遅い時間にもかかわらず、懇切丁寧な対応をしてくださったサポートの方にお礼を申し上げます。

 やはり、少し値段が高くても、信頼のおける店の商品を買うと、何かあったときに助かります。
 しかも、なかなかいい素材を使い、しっかりとした設計でできていることが、自分の手で組んでいるうちに、じわじわと伝わってきました。いいものは、それなりの値段がする、ということなのでしょう。

 うまくいったことを伝えるために、サポート窓口に再度電話をしました。しかし、先程の方は別の対応に出ておられるとのことだったので、お礼だけを言って切りました。

 製造業者の方と組み立て説明書を作成された方に、この場を借りてお伝えします。
 ほぼ同じ大きさの背面パネル5枚は、微妙に大きさが異なるので、その識別を間違うと、とんでもない時間を浪費することになります。私は根気強くやり直しました。しかし、途中で投げ出す方も多いことでしょう。

 どの部品を使うかは、もっと丁寧に指示をした方がいいと思います。パネルに番号を記すか、シールを貼っておくと、図面だけから微妙な違いを読み分けて部品を特定しなくてもいいようになります。今の説明書だけでは、どの部品がその説明に該当するのかを見極めるところで迷ってしまい、なかなか前に進めません。今の商品の部品構成と梱包は、あくまでも作る側の手間がかからないものであり、組み合わせでは別の商品にも転用できる部品で構成されています。利用者よりも販売者側の論理でセットが組まれています。少しでも安くするための方策なのでしょう。しかし、その合理化を利用者に押し付けるのは筋違いです。

 そんなこんなで、真夜中に酔人たちを掻き分けるようにして帰ることになりました。
 もっとも、ついに完成したという達成感があったので、身体に残る疲れは気持ちの良いものでした。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 身辺雑記

2016年10月06日

過日公開した「若紫」の小見出しを【補訂2版】としたこと

 2016年9月15日に、「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」と題する記事を公開しました。
 その後の見直しを経て、同じアドレスで内容を入れ替えたものを、【補訂2版】として本日アップしました。

「【補訂2版】池田本の校訂本文「若紫」巻の小見出し(108項目)」(2016年9月15日)

 初版とは、小見出しの文言のみならず、参照情報にも手が入っています。
 項目数は、108件のままです。
 「若紫」に関する小見出しは、この【補訂2版】を活用してください。
posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年10月05日

鎌倉期の橋本本「若紫」の字母が見せる2つの疑問

 国文学研究資料館蔵の『源氏物語』の古写本である橋本本「若紫」を、詳しく見ています。
 第1丁表4行目に、「おこ里・【給】気れは」と書かれている箇所について、まだ思いつきながら疑問点を記しておきます。


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 ここで「【給】気れ」と書かれた文字については、この下の文字が小刀で完全に削られており、その後に上から書かれているものです。下に何が書かれていたのかは、いろいろと道具を使って読み取ろうとしました。しかし、まったく一文字も読めませんでした。
(今、その直前の「おこ里」も、削除された上に書かれていることについては触れません)

 そこで、こんなことを考えてみました。
 この箇所の異文を調べると、次のようになっています。
 まだ「変体仮名翻字版」でのデータが揃っていないので、従来の通行の平仮名を使った翻字で校異をあげます。
 記号などについては、煩雑になるので省略します。


給けれは/△△△〈削〉給けれ[橋]・・・・050013
 給けれは[池大麦阿御国肖日伏]
 たまひけれは[穂]
 給ひけれは[保]
 たまへは[尾高天]
 給へは[中陽]


 この17種類の諸本の本文異同は、私が〈甲類〉とする[尾高天尾中陽]は「たまへは(給へは)」であり、〈乙類〉とする[池大麦阿御国肖日伏穂保]は「給けれは」となっています。

 私の自説である、『源氏物語』の本文は〈甲類〉と〈乙類〉の2つにわかれる、という傾向をここでも見せています。

 それはさておき、〈甲類〉に属する性格を色濃く見せる橋本本が、ここでは「給けれは」なので、〈乙類〉ということになるのです。しかし、それはなぞられた文字で読むとそうだということです。もし、最初に書写された、ここでは下に書かれて削られた文字がわかると、また別のことがわかるかもしれません。これは、探る価値があります。

 橋本本が〈甲類〉の本文を持っていたとすると、この下に書かれていた文字は「給へは」である可能性がありそうです。
 そこで試しに、前の行頭にあった「堂まへ」という三文字をここに複写して貼り付けてみました。


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 するとどうでしょう。ぴったりと収まったのです。
 これは実証的でも何でもなくて、力技で、ただ思いつきの切り貼りをしただけです。しかし、これも可能性の追及ということで、やってみる意味はあった、と言ってもいいでしょう。

 橋本本において、本行の本文を削った上に書写されている文字は、意外に対立する本文(異文)なのかもしれません。後の人が、橋本本で異文となっている箇所を、流布本で校訂したのが、この削除してなぞり書きをしているものかもしれません。

 これは、学問的ではなく、一例を取り上げての単なる思いつきの段階です。

 本文を削除して、その上からなぞるという本文の修正は、この橋本本には無数にあります。今、手元の「変体仮名翻字版」による翻字本文で調べると、削除後になぞり書きされているのは、114箇所に見られます。この削除された114箇所に書かれた本文を、時間を見つけて、一つずつ調べてみようと思っています。根気のいることですが……

 もう一つは、鎌倉期の写本で「気」という字がどのように使われているか、ということです。

 ハーバード本「須磨」と「蜻蛉」、そして歴博本「鈴虫」には、「気」はまったく見られません。しかし、橋本本「若紫」には、63例も使われています。これはどういうことを意味するのでしょうか。

 ほとんどが、上掲の例のように「【給】気れ」と助動詞などで使われています。
 そこで、この「気」を漢字の意味を持たせて使われている例を抜き出してみました。
 私の基準で漢字と認定したのは、以下の18例です。


きよ【気】なるや(3オL5)
きよ【気】な累(3ウL3)
を閑し【気】なる(3ウL9)
【御】ものゝ【気】(8ウL1)
ゆ可し【気】那累(11ウL2)
い者【気】なき(19ウL4)
すこ【気】に(20ウL1)
【気】はひ(20ウL5)
つゆ【気】さ(22オL8)
【御気】しきの(34オL3)
【御気】しなるもの可ら(37オL2)
【御気】しきも(39オL1)
【御】ものゝ【気】能(39オL6)
【御気】しきも(39オL7)
【気】しきの(40ウL6)
堂のもし【気】那く(42オL3)
すこし可た【気】にて(44ウL7)
春こ【気】尓(46オL8)


 これらの語句の「気」について考えるには、まだ翻字した写本の数が少ないので何とも言えません。しかし、今後のために、こうした用例が確認できた、ということを記録に留めておきます。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 変体仮名

2016年10月04日

京洛逍遥(376)京都府立盲学校で木刻文字の調査

 京都府立盲学校の入り口には、「日本最初盲唖院」と刻まれた石碑と古河先生の胸像が建っています。


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 学校の中にある資料室は、盲史研究の宝庫です。
 その貴重な品々の保存と管理、そして研究をなさっている岸博実先生の説明を伺いながら、楽しく有意義な調査をすることができました。

 岸先生とお話をしていると、次から次へと疑問が生まれます。その理由と解決策を考えている内に、自分の中に新たな課題がどんどんふくらむのです。整理しきなれない程の課題を抱えて、帰りの道々、先生のおっしゃったことを思い返します。すると、消えては生まれ、生まれた疑問が課題と結びついたり離れたりします。頭の中は大忙しです。

 今日も、そんな楽しい時間を、先生からいただきました。
 資料の整理でお忙しい中を、時間を割いていただきました。ありがたいことです。

 今回じっくりと見せていただいたのは、仮名文字を木片に刻んだもので学習するための、触読用の教材です。私は、盲教育史はわからないことだらけなので、岸先生に対して質問攻めの状態となるなど、中身の濃い時間を共有させていただきました。

 この日のテーマは、木刻凸字が作られた明治という時代と、その凸字の実態の解明です。それを、岸先生にストレートにぶつけることとなりました。
 いつも慎重にことばを選びながら、わかりやすく話してくださいます。わからないことは、そのままわからない、とおっしゃいます。それだけに、わかることとわからないことの間が見えてくると、その先が課題として投げかけられます。
 禅問答のようなやりとりもありました。それが、次のステップへのヒントとなります。

 以下、私が抱いた疑問と課題を整理しておきます。

 今回拝見した木刻凸字の平仮名群は、明治12年に京都盲唖院が発注したものでした。
 いろいろに分類されて、紙に包まれた状態で出てきました。この夏に整理されたものです。
 先生が探し出して見せてくださった明治12年の記録文書綴りの中に、「盲人教授用品」という項目があり、そこには「指頭触感木刻」という文字が記されていました。

 明治13年の『著書草稿 盲唖院』には、「盲生」という節に「捫字感覚」という項目があり、詳細な説明もありました。
 また別の綴りの「京都府盲唖院(学業)器械一覧表」の中に、「凸字木刻」と「七十二例法木刻」という文字が、「器械名」の段にありました。これらは、明治11年から14年までは所有され使用されていたことがわかります。

 さらに、「蝋盤」も文字を学ぶ時に使用されたことがわかります。これについては、機会をあらためて考えます。

 現在、『変体仮名触読字典』の編集を進めています。
 現在試作してもらっている最新版の版下を、木刻凸字の5cm タイプと比較してみしょう。


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 立体コピー版と較べてみても、文字の大きさも、浮き上がり具合も、明治12年の木製と遜色のないものになっていると思います。

 また、持参した立体文字も並べてみました。


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 下段の文字は、紙製で筆順がわかるようになっているものです。

 いろいろと試行錯誤をする中で、明治初期の平仮名に関する触読用の教材を実際に拝見し、また新たな閃きと課題解決のための手掛かりをいただきました。

 現代の視覚障害者が平仮名を触読によって自由に読み、そしてさらには書けるような学習システムを構築したいと考えています。

 前が見えない道を、手探り状態で進んでいるところです。
 さまざまな立場の方からの、この取り組みへのご教示をいただけると幸いです。

 明日から関西には、台風18号の影響が出るようです。
 交通網が混乱しない内にと、急いで新幹線で上京することにしました。
 自転車で京都府立盲学校へ行ったので、帰りには賀茂川を少しサイクリングしました。
 北大路橋の下で休む鴨や鷺は、いつものように少し暑い秋を楽しんでいます。


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 その4時間後。
 夜の東京は、京都よりも涼しい風を感じました。
 宿舎の前の清澄通りから月島方面のマンション群を望みました。


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 この左側の豊洲の市場一帯は、これからさらに揉め事が報じられることでしょう。
 東西の違いを、こうして肌身に感じる日々の中にいます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年10月03日

清張全集復読(4)「西郷札」「くるま宿」

■「西郷札」
 展覧会の準備中に西郷札とその覚書を入手した作者は、覚書を現代語にして広く公開することにしました。明治10年頃の宮崎県がその話の舞台です。
 作者は、この覚書をわかりやすく解き語りします。
 東京で車夫になった主人公の樋村雄吾は、ある日、義理の妹季乃に会います。偶然の出来事が波乱万丈の展開を見せるのです。
 原文の一部を引いて綴るこの物語は実に巧みで、読み耽ることになりました。
 物語の末尾に引かれる覚書では、最後の部分が破られていたとしています。そして、雄吾の決断を読者に考えさせます。なかなか憎い終わり方です。
 これは、松本清張が昭和26年に書いた処女作です。昭和25年の『週刊朝日』の「百万人小説コンクール」で三等に入選し、昭和26年の直木賞候補作ともなりました。【4】
 
初出誌:『週刊朝日 春季増刊号』(昭和26年3月)
 
 
■「くるま宿」
 明治9年の柳橋での話です。
 病気の娘を抱え、生きていくために吉兵衛は人力車夫になりました。
 寡黙で努力家の吉兵衛は43歳。酒も博打もしません。仲間も親方夫婦も、その姿を同情的に見ています。
 ある日、隣の料亭に強盗が入り、それを吉兵衛は見事に蹴散らすのでした。
 それを機に、転職の誘いがあっても断ります。ところが、ある出来事から吉兵衛が実は元直参大目付の山脇伯耆守だったとわかります。しかし、それは娘とともに立ち去った後でした。
 身を隠して市井に生きる男を、静かに見つめる作者の思いは、小倉にいる自分もいつかこのようなことが、との願望が形になったように思われます。依頼原稿の第一号です。【3】
 
初出誌︰『富士』昭和26年12月
 
 
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※この〔清張全集復読〕は、特に断わらない限りは『松本清張全集』(全66巻+別巻、1971年4月〜2009年5月、文藝春秋)を読んでの、気ままにメモを記した読書雑記です。
 メモを公開するにあたり、『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)を参考資料として見、登場人物名や年代などを正確にしました。
posted by genjiito at 22:53| Comment(0) | 清張全集復読

2016年10月02日

日南町で文学散歩をして今後のNPO活動を思う

 第5回池田亀鑑賞の受賞者である畠山大二郎さんを、日南町の文学散歩に案内しました。

 昨日は、授賞式と講演会が終わってから、池田亀鑑文学碑に関係者一堂で行きました。
 そこで、今日はまず、池田亀鑑生誕の地に建つ石柱を見てもらいました。池田亀鑑が生まれ育った家の庭に、同じ家で一日違いで生まれた後藤孝重さんが建てたものです。
 このことに関しては、「日南町の池田亀鑑(4)生誕の家と2人の「とら」さん」(2011/3/19)に詳しく記しましたので、お読みください。

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 井上靖の記念館である「野分の館」は、これまでと何も変わることなく、温かく迎えてもらえます。手入れも行き届いています。
 自由帳には、この夏に多くの方が全国からお出でになり、メッセージを残していっておられます。
 来訪記念のスタンプがあったので、捺して来ました。これまで、このことに気付きませんでした。


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 移動中に、車の前を2頭のイノシシが横切りました。昨日、イノシシのチャーシューをいただいたので、あのお店から逃げてきたのではないかと、車中ではイノシシ談義で盛り上がりました。

 松本清張の文学碑の周りは、改修工事も終わりきれいに整備されていました。
 この碑文は、父親の生家がある矢戸に向けられています。


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 今回、松本清張の親のことを語る小説『白い系譜』を町民の方々と輪読する企画を、多方面でプランニングや支援をしておられる浅川三郎さんに持ちかけました。

「清張全集復読(1)松本清張の家系の謎『白い系譜』(1)」(2014年08月08日)

「清張全集復読(2)松本清張の家系の謎『白い系譜』(2)」(2014年08月09日)

「清張全集復読(3)松本清張の家系の謎『白い系譜』(3)」(2014年08月10日)

 謎に満ちた清張の父親や自身の出生の秘密について、地元の方ならではの記憶をたどりながら、資料を掘り起こそうするものです。
 この件に関しては、また何か進展があれば報告します。

 今回も、充実した日南町の旅となりました。
 関係者のみなさま、ごくろうさまでした。そして、ありがとうございました。
 また来年。次は、2017年6月24日の第6回池田亀鑑賞授賞式でお目にかかりましょう。

 今回も、たくさんの課題を残したままで、特急やくもに乗り込みました。久代安敏さんには、いつものことながら、お世話になりっぱなしでした。今後の顕彰活動をさらに大きく展開する事案は、喫緊の課題ですね。

 夢と希望を抱いて、古典文学の受容や解明に挑む、多くの若者がいます。その人たちへ、今後とも積極的に働きかけをしていくつもりです。日南町を舞台とする取り組みや、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動を、さらに発展的に、具体的に展開できる環境づくりのお手伝いを、これからもしていくつもりです。みなさまの変わらぬご理解とご協力を、ひきつづきお願いするしだいです。
posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年10月01日

第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会

 昨年は、開式前まで降っていた雨が、午後にはすっかり上がりました。
 今日も、朝方からの小雨が、昼前には止み、さわやかな秋の一日となりました。


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 この日南町の位置を示す地図を掲載します。
 赤丸のところを確認してください。


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 第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会も、多くの方の参加を得て、盛大に執り行なわれました。
 今年は、池田亀鑑の生誕120年、没後60年、そして池田亀鑑賞の第5回目となります。


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 池田亀鑑賞の授賞式の司会進行は、今年も日南町図書館の浅田幸栄さんです。
 池田亀鑑文学碑を守る会の加藤和輝会長の挨拶で始まりました。


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 加藤会長から、受賞者である畠山大二郎さんに賞状と賞金が渡されます。


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 続いて、池田亀鑑賞選考委員会を代表して伊井春樹会長の挨拶です。


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 それを受けて、池田亀鑑賞選考委員長として私が、選考過程と選定理由などの説明をしました。


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 時間の都合で用意した内容の半分もお話できませんでした。お話しようと思っていたことの概要を、以下に引きます。


第五回 池田亀鑑賞受賞作の紹介と選考理由(伊藤鉄也)

 今年は、池田亀鑑の生誕一二〇年、没後六〇年、そして池田亀鑑賞の第五回目となります。

 第五回池田亀鑑賞は、畠山大二郎氏に授与されることとなりました。
 選考委員長として、受賞作の紹介と選考過程及び授賞理由を報告します。

 第五回池田亀鑑賞の選考委員会は、本年五月一四日(土)午後二時より、これまで同様に伊井春樹先生のご高配をいただき、逸翁美術館に隣接する池田文庫で開催いたしました。
 応募作五点の選考にあたり、これも昨年までと同様に基礎資料をもとにして委員全員で討議して決定しました。

 各選考委員の選評については、応募作各点につき200字以内でまとめて、5点満点の評価点と共に伊藤まで送付していただきました。他の委員には同送・転送はしないという申し合わせです。
 なお、会長である伊井春樹先生には、前回同様に評価点および選評はお願いしていません。選考会当日、ご意見を伺いました。

・選考対象は、『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介とする。
・平成28年3月31日までに応募のあった著作と書類(今回は5点)。
・今後の『源氏物語』および平安文学研究の励みとなるような研究及び成果物を選考する。
 (今回は平安文学の研究に資する所大なるものとして高く評価された著作物)
・なお、公平を期すために、事務局である新典社は選考会に関わらない。

 評価点をつけるに当たっては、次の4項目を設定し、それぞれに5点満点で評価していただき、その点数のすべてを見ながら選考を進めていきました。

(1)地道な努力の成果
(2)研究の基礎を構築
(3)研究の発展に寄与
(4)成果が顕著な功績

 その結果、全会一致で畠山大二郎氏の作品『平安朝の文学と装束』を受賞作と決定しました。

 本書は、平安朝文学における服飾・装束に焦点をしぼり、その文化史的意義を明らかにしようとするものです。絵画資料や遺品等を視野に入れ、隣接領域の研究成果も踏まえつつ各論が展開されています。
 平安朝の物語文学において、読解と復元という立体的な文学理解の試みと提示は、特に斬新ではありません。しかし、既成の有職故実の知識に頼らず、装束の実態から実感実証の読解へと展開する論考からは、新鮮で多くの刺激を受けました。
 とりわけ小袿など実際の装束の復元は、文学研究はもちろん、文化、歴史といった方面の研究にも今後寄与することが想定される点で、高く評価できるものです。

 本書は、目の前に平安朝の物語世界を彷彿とさせます。しかし、あまり褒めすぎてもいけないので、今後の畠山大二郎氏のためにも、気になったことも触れておきます。

 装束の理解を援用しての読解においては、別解も存する危うさも内在しています。まったく逆の論が成り立つのではないかと思われる場合もあるからです。
 著者の独自性がよく見られる一方で、「従来の文学研究からはやや距離のある、マニアック文化論に陥る危険性もないわけではなく、今後の著者の動向を見守っていきたい。」という意見も、委員からは出されました。

 そうであっても、その志が向かうところには、先人のなし得なかった若さを感じました。
 多くの写真と図版に加えて、添付の織物を触って実感させる心配りには、理解を得ようとする誠意が伝わって来ます。
 総合的に見て、完成度の高い作品であることに間違いはありません。
 地道な実践を踏まえた成果を挙げたものとして、池田亀鑑賞にふさわしい著作物として選定しました。

 本賞の受賞を機に、畠山大二郎氏のますますのご活躍を楽しみにしたいと思います。
 本日は、おめでとうございました。


 選考委員の紹介を簡単にして、続いて、来賓挨拶です。
 日南町の増原聡町長から祝辞をいただきました。


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 第1部は、受賞者である畠山大二郎さんの記念講演です。
 今回は、「『源氏物語』を着る」として、自己紹介と研究テーマについての概略を語った後、着装の実演となります。
 モデルは、増原町長と惠比奈礼子町議会議員です。

 まず、男性用として直衣姿の着装です。
 わかりやすい説明とともに、手際よい着付けが目の前に展開し、貴族が着ていた服装の実態がよくわかりました。

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 続いて、女性の袿姿です。
 時間の都合もあり、羽織るところを中心にしたものでした。
 とにかく畠山さんの巧みな話しぶりに、つい引き込まれていきます。

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 みごとな着装のあとは、桧扇の話で会場を和やかにしてもらえました。


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 第2部は、小川陽子さんの「小説家池田亀鑑と山陰」と題する記念講演です。
 大正から昭和にかけて小説を書いた国文学者を、わかりやすく優しい口調で語ってもらえました。
 米子など鳥取県や島根県とのつながりを例としながら、会場の皆様は地元の話に興味津々で耳を傾けておられました。とにかく、池田亀鑑が小説を書いていたことに、会場のみなさまは驚いておられました。


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 質疑応答も歯切れのいいことばの応酬で、この日学んだことの再確認となりました。


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 最後は、石見まちづくり協議会の吉澤晴美会長より閉会の辞をいただきました。
 今回の参加者も70名と、いつものように多くの方々が足を運んでくださいました。ありがたいことです。
 閉会後の関係者による記念撮影も、いつものように和やかなうちにシャッターが切られました。


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 終了後は、恒例となっている池田亀鑑文学碑のある石見東小学校の校庭横へ行き、関係者で記念撮影をしました。

 ふるさと日南邑での懇親会には広島大学の学生さんも参加され、楽しい親睦の集いとなりました。さらに、三味線の演奏も入りました。曲目は「夕顔」。『源氏物語』に関係するものだったので大いに盛り上がりました。


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 懇親の場でいろいろな話が飛び交う中で、続きはロッジに場所を変えて、ということで、外へ出て森の中のロッジに移りました。しかも、日付が変わるまで話に花が咲いたのですから、これも、授賞式と講演会がよかったからこその、満足感の共有をしたかったからだと思います。特に、今後の会の持ち方がメインテーマとなったことは、さらなる展開が期待できる手応えがあったからだといえるでしょう。
 来年の集まりが、また楽しみになりました。

 引き続き、私は『花を折る』の後編を収録する『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第4集』の編集にかかります。関係者のみなさまのご協力を、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年09月30日

一年ぶりに鳥取県の日南町に来ました

 昨年の第4回池田亀鑑賞授賞式は6月27日でした。
 例年初夏に開催しているこの授賞式を、今年は日南町美術館で池田亀鑑展があることから、それに合わせて明日10月1日に、第5回池田亀鑑賞授賞式が執り行なわれることになりました。
 秋にこの地に来るのは初めてです。

 東京から新幹線で岡山に出て、そこから特急やくもに乗り継いで、鳥取県の生山駅まで5時間半の長旅です。お昼過ぎに着きました。


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 出来たばかりの道の駅「にちなん日野川の郷」へ、日南町図書館の浅野康紀さんに案内していただきました。ここでお昼の食事をするためです。


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 レストランでは、めずらしいイノシシのチャーシューを乗せた丼をいただきました。癖のないおいしい肉でした。

 お土産売り場では、日南町公式キャラクターの「オッサンショウオ」がいました。
 店内はきれいにお土産物が並んでいます。東京銀座の伊東屋の文具類のコーナーがありました。伊東屋2代目社長が日南町出身という縁から、ここに小さな売り場を設けたのだそうです。木に囲まれる中で、文具が静かに語りかけてくれるしかけです。


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 店内の一角に、井上靖と松本清張のパンフレットがありました。


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 池田亀鑑は? と聞くと、まだ作られていないとのことでした。

 池田亀鑑展を先週からやっている日南町美術館で、増原町長とお話しをする機会がありました。そこで池田亀鑑のことをお聞きすると、現在そのパンフレットも作成中だとのことでした。楽しみに待つことにしましょう。


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 明日の池田亀鑑賞授賞式の会場となる、日南町役場の交流ホールへ行きました。
 いつもお世話になっている池田亀鑑文学碑を守る会の方々と、役場のみなさんが準備を進めておられるところでした。
 町内にある木をふんだんに活かした、天井の高い立派なホールです。
 この町には、木のぬくもりが至る所で感じられます。


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 いつもと会場が違うので、気分も一新されます。
 明日もまたすばらしい会となることでしょう。

 今夜も、いつもと同じふるさと日南邑に泊まります。
 2階の部屋から下を見ると、池田亀鑑の随筆の一節を写したパネルと、第3回池田亀鑑賞授賞式の時の写真パネルが、小雨に煙る中に立っていました。


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 この町で実施した事がこうして形になっていくのを見ると、少しずつ足跡が記録されているようで不思議な気持ちになります。住民の方々と一緒に、思い出を共有できることのすばらしさを感じる光景となっています。

 日南町の山々も、しだいに雨雲に包まれていきます。山陰特有の天候です。


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 明日がまたいい日となるように、今日はこれで一休みとします。
 多くの方が式に参加してくださることを願いながら。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 池田亀鑑

2016年09月29日

読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』

 船戸与一の『灰塵の暦 満州国演義5』(新潮社、2009年1月)を読み終えました。
 本作も書き下ろしで、850枚という分量によって圧倒的な迫力で読ませてくれます。


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 前巻に続く昭和11年、12年の日中戦争、南京事件が物語の中心となります。
 これまで通り、敷島四兄弟のオムニバス形式で語られていきます。ただし、しだいに兄弟の距離が近づき、満州の地での接点が生まれてくるのでした。

 とにかく、想像を絶するスケールの大きな物語です。

 ハルビン郊外の防疫部のことは、かつて読んだ森村誠一の731部隊細菌兵器の話『悪魔の飽食』に記憶が結びつきます。ただし、この森村の本は内容に問題があるとの指摘がなされているものであり、それを作者船戸がどう扱っているかも今回読もうとしました。しかし、森村の虚偽捏造についての船戸の見解は読み解けませんでした。今後、このことがまた出てくれば、その時に再度深読みをしたいと思います。

 また、磯部浅一のことは、最近新聞で読んだ記事と合致します。
 近代史に疎い私は、断片的な知識を本作を読みながらつなぎ合わせて、歴史の躍動感を堪能しています。

 日本の政局と満州の変動が連動し、時局の話の間に食事のことなど細々とした日常生活が点描されます。それらがスムーズにつながっているので、昭和初期の日本と満州での雰囲気が生き生きと伝わって来ました。船戸氏の筆の力だと思います。

 岸信助の動向は、他の歴史的に著名な人々とは違い、この時代の歴史に疎い私にも現実感を持って読むことができました。同時代感を持てる人物かどうかが、読者として作中に入れるかどうかに関係しているのでしょうか。

 私は、学校の日本史で、近現代史を教わることのなかった世代です。そのためもあって、この物語は、歴史的な人物として名前だけ知っている人々が生き生きと活写されていることに惹かれます。
 近衛文麿・東条英機・石原莞爾・川島芳子・蒋介石・林彪などなど、枚挙に暇がありません。

 最終章で、戦場精神学とか戦争神経症への言及があります。興味深い話です。
 また、南京攻略から虐殺に関するくだりは、冷静かつ圧倒的な筆力で描かれ、語られています。作者の怒りに満ちた思いが籠もった一書です。【4】
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2016年09月28日

整形外科で更年期障害と言われても……

 左足首を骨折してから通いだした整形外科へ、今日は左足の小指が赤く腫れて痛いので、診てもらいに行きました。
 左足で立とうとする時、小指に力がかかるとピピッと痛みが走るのです。しかたがないので、左足の親指側を踏ん張って立ち上がるようになりました。10日ほど前からでしょうか。

 過日の骨折に関連してのことかと思っていました。しかし、どうもそうではなさそうな気がしだしたので、思いきって診てもらうことにしたのです。

 今日の診察では、左足の小指の外側が赤く腫れ上がっていることもあり、レントゲンを撮ってその画像をモニタで見ながら説明してくださいました。左足の指の骨に異常はないようです。関節にも問題はなく、その周りが腫れているのです。また、先般の左足首の骨折とも関連はないそうです。

 先生いわく、こうした症状は女性に多くて、いわば更年期障害だ、とのことでした。
 私は男性で、もうすぐ65歳になります。

 このところ、何かあると医者から言われる「加齢」という言葉に、今度は「更年期障害」が加わりそうです。
 この言葉には、いかんともしがたい呪力があります。「ははーっ」と言って引き下がり、納得したふりをするしかありません。病院を出てから、何か他に治す方法はないのだろうか、と思いを巡らすことになります。

 最初に診察を受けた7月下旬には、左足と共に右手の人差し指が痛いことも伝えました。ペットボトルの蓋を捻ることができないことや、つまみを回せない状況にあることを説明しました。しかし、それは加齢によるものであり、関節が経年変化でギクシャクしているのだそうです。指の変形具合を、しばらく様子見することになったのです。

 今日もこの右指のことを聞くと、一月前に撮った右手人差し指のレントゲン画像を表示して、左足の小指が同じような状況であることを見せてくださいました。つまり、今は特に打つ手はないようです。骨にも関節にも異常はないのですから。

 右手人差し指のために、過日はインドメタシンの入った鎮痛の塗り薬をいただいていました。その薬を、左足の小指にも塗るように、という対処方法でした。次は、一ヶ月後に様子を見せに来るように、ということで終わりました。

 左足の骨折の影響か、足が腫れぼったくてむくむことと、時々熱を持つこともお話しました。これも、骨折は時間がかかるものなので、とにかくしばらく様子を見ることとなりました。

 命に別状のあることではなさそうなので、これでいいのかもしれません。しかし、常に不快感がある症状は、一日も早く何とかしたいものです。
 この文章をキーボードで打っている今も、左足は浮かしぎみにして、マウスは右手の中指でクリックしています。

 後日のためにも、忘れない内に現在の症状を記し残しておきます。
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2016年09月27日

新刊紹介『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』〔160928_改版〕

 『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(伊藤鉄也編、336頁、新典社、2016(平成28)年9月)を刊行しました。数日中に、全国の書店に並ぶことでしょう。

 今月末の30日(土)には、池田亀鑑の生誕の地である鳥取県日野郡日南町で、「第5回池田亀鑑賞授賞式」が開催されます。さらに、先週23日からは、日南町美術館で池田亀鑑の特別展が開催中です。
 おめでたいイベントにこの本が間に合い、ホッとしています。

 今回は、研究者・池田亀鑑ではなく、随筆家であり小説家としての池田亀鑑を浮き彫りにする編集を心がけました。


160927_motto3




 【目次】は以下のとおりです。
 『花を折る』は前後2回に分け、後篇は次集『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第4集』に収録します。


  はじめに(伊藤 鉄也)
■復刻■
 『随筆集 花を折る』前篇(日野川のほとり〜抒情の花籠)
■講演■
 池田亀鑑賞の意義(伊井 春樹)
 第二回池田亀鑑賞受賞作の紹介と選考理由(伊藤 鉄也)
 『林逸抄』―俗語で書かれた『源氏物語』注釈書―(岡嶌 偉久子)
  ◎もっと知りたい1 第二回 池田亀鑑賞授賞式と記念講演会◎(伊藤 鉄也)
 池田芙蓉(亀鑑)『馬賊の唄』について(杉尾 瞭子)
   ―その出典と時代背景を軸として―
  ◎もっと知りたい2 『馬賊の唄』の内容と満蒙の地名◎(伊藤 鉄也)
■連載■
 伯耆地方の古典文学(第二回 追憶雑感篇)(原 豊二)
 〈池田亀鑑の研究史〉(第三回 池田亀鑑と『紫式部日記』)(小川 陽子)
■コラム■
 池田亀鑑碑のこと(原 豊二)
 《仮名文字検定》を創設(伊藤 鉄也)
 「変体仮名翻字版」とは何か(伊藤 鉄也)
■資料■
 復刻・池田亀鑑著作選
  (美しく悲しい安養尼のお話 上・下/
   嵯峨の月/笄の渡/落城の前/咲けよ白百合)
 小説家・池田亀鑑の誕生―少女小説編―(上原 作和)
  ◎もっと知りたい3 池田亀鑑の小説デビュー作と米子◎(小川 陽子)
 アルバム・池田亀鑑(昭和四、五年頃)(伊藤 鉄也)
  おわりに(伊藤 鉄也)
  執筆者紹介


 今回も、多彩な内容となっています。
 読んでみようかと思っていただけたら、との思いから、「はじめに」を以下に引用します。
 書店等で、お目に留まり、お手に取っていただけたら幸いです。
 また現在、池田亀鑑のご子息である池田研二先生がお持ちの手紙類を整理する準備をしています。
 もし、池田亀鑑に関する資料や手紙等をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報いただけると幸いです。


  はじめに

 『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」』は、平成二三年五月に『第1集』を、その二年後の平成二五年八月に『第2集』を刊行した。本書は、三年を置いての『第3集』である。その後の本文研究と池田亀鑑に関する情報や資料を、こうした形で提供できたことにより、また『第4集』へとつなげることができる。
 本書では、『源氏物語』を中心とした本文や文献に関する内容と、その調査・収集・整理・研究に生涯をかけた池田亀鑑を取り上げている。これが、待ち望んでおられる方々にお届けできることは、編者としてありがたく嬉しいことでもある。
 『第1集』と『第2集』の間にあたる平成二四年春には、鳥取県の日南町と池田亀鑑文学碑を守る会のご尽力のもとに、めでたく池田亀鑑賞を創設した。その池田亀鑑賞の授賞式等でその出生地である日南町を訪れるたびに、池田亀鑑が書き残したさまざまな文章を長野甞一氏が中心となって編まれた『随筆集 花を折る』(中央公論社、昭和三四年一月)の復刊を、楽しみになさっている地元のみなさまの声を耳にした。池田亀鑑の望郷の念が語られ、その成した研究成果の背景から、池田亀鑑の実像が偲ばれるものだからである。
 池田亀鑑が亡くなったのは昭和三一年一二月であった。『随筆集 花を折る』の刊行は、その二年後のこととなる。それから五七年が経ち、入手が困難な書籍となったこともあり、今回その全文をありのままに復元することにした。『随筆集 花を折る』を、前編(「日野川のほとり」〜「抒情の花籠」)と後編(「忘れえぬ人々」〜「源氏を大衆の手に」)に分け、本書『第3集』には、その前編を収載している。後編は次に予定している『第4集』となる。今となっては、内容に差別的な言辞を含む文章もある。しかし、ここでは刊行時のままで復刻した。
 さらに本集では、第二回池田亀鑑賞の授賞式の報告と、小説家としての池田亀鑑の紹介と実作品を資料として掲載した。池田亀鑑賞については、その後、第三回から本年度の第五回までが決定し、以下の作品が受賞している。
  第三回受賞作 『狭衣物語 受容の研究』須藤 圭(新典社発行)
  第四回受賞作 『菅原道真論』滝川幸司(塙書房発行)
  第五回受賞作 『平安朝の文学と装束』畠山大二郎(新典社発行)
 これらの詳細は、『第4集』以降で順次公表していくことになる。今しばらくお待ちいただきたい。なお、本書に講演録として収載した「池田芙蓉(亀鑑)『馬賊の唄』について―その出典と時代背景を軸として―(杉尾瞭子)」は、第四回池田亀鑑賞授賞式及び記念講演会において、研究報告として口頭発表されたものである。本書後半のテーマである小説家池田亀鑑と密接に関連するものであることから、ここに掲載することにした。
 池田亀鑑とその仕事については、まだ知られていないことが多い。さまざまな切り口から、池田亀鑑を広く知っていただければ幸いである。

  平成二八年九月

                           伊藤鉄也
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2016年09月26日

MRIによる頚動脈の精密検査を受けて

 中目黒の東京共済病院で、検査と診察を受けてきました。


160926_hospital




 今日は、首のMRIによる、頚動脈の精密検査が中心です。
 今夏7月末の人間ドックの結果を受けての再検査なのです。
 頭が重くて痛い時があるので、詳しく診てもらうことになりました。

 放射線科での頚部MRIは、8月末に京大病院で受けた腹部MRIとほぼ同じものです。
 クラッシック音楽が流れるヘッドホンをして、円筒の中に頭を突っ込みます。
 しかし、機器が作動すると工事現場のような、ドンドン・ガンガン・ドッドッドドという騒音もヘッドホンに混じり込み、せっかくの音楽が掻き消されます。この仕掛けは、一考の余地があります。

 検査が終わると、脳神経外科で診察です。
 先生は画面に映し出された私の頭部の3次元画像をマウスで回転させながら、血管の詰まり具合を説明してくださいます。詳しく聞けば聞くほど、よくわからなくなります。
 違う解釈もできるのでは、と思っても、画像解析の素人にはとても質問などできません。

 とにかく、今のところは問題なしということで終了です。
 結論を簡単に言えば、今回のMRIの画像を見る限りでは、脳血栓の狭窄は50%で、70%を越えたら考えましょう、ということでした。次は、2年後でいいそうです。ただし、毎年人間ドックで検査はするようにと。

 ひとまず、安心していいようです。
 また仕事に復帰します。
posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | 健康雑記

2016年09月25日

『源氏物語』の小見出しは池田本の校訂本文に合わせること

 現在、池田本の校訂本文を編集する中で、そこに挿入する小見出しを作っているところです。
 これまでに、「桐壺」「帚木」「若紫」の3巻分を終え、以下の通り本ブログで公開しています。

☆(1)「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」(担当者:伊藤鉄也)(2014年03月26日)

☆(2)「池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)」(担当者:高橋麻織)(2016年09月16日)

☆(3)「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(担当者:淺川槙子)(2016年09月15日)

 この小見出しは、次のような特徴があります。


1 30字の簡潔な小見出し
2 校訂本文150字位(250字以下)に一つの小見出し
3 小見出し末尾に次の3種類を「/」で区切って明示
  ・『源氏物語大成』(中央公論社)の頁行数
  ・『源氏物語別本集成』『同 続』(おうふう)の分節番号
  ・『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁数
 

 この小見出し作りを進めていて、その方針を明確にしておく必要が生じました。
 今後とも、お手伝いしてくださる方々と情報を共有しておくためにも、以下に問題点を整理して確認事項とします。

 一例を、「若紫」の場合であげましょう。
 国文学研究資料館蔵の橋本本「若紫」の小見出しを確認している時、早速2つ目の小見出しで中断となりました。

 上記「☆(3)」で、次のようにした小見出しです。

 ■2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている

 ここは、『新編日本古典文学全集』(小学館)では次のような校訂本文となっています。


〜御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはす。
 やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花、盛りはみな過ぎにけり。〜(119〜200頁)


 これに小見出しを付けると、「まだ暁におはす。」の次に位置するところが適当です。

 それに対して、橋本本の校訂本文は次のようになります。赤字に注意してください。


〜御供に睦ましき四五人ばかりして、まだ暁におはするにやや深う入る所なりけり。
 三月つごもりなれば、京の花、盛りは過ぎにけり。〜(119〜200頁)


 大島本や池田本による流布本の校訂本文が「まだ暁におはす。」となっていたところが、この橋本本では、「まだ暁におはするに」となります(後掲の本文異同を参照願います)。文章はここで切れずに、「やや深う入る所なりけり。」へとつながっていくのです。

 そのため、上記「■2 聖は、〜」という小見出しを橋本本に転用するにあたっては、「三月つごもりなれば、」の位置に付けることが最適な場所といえるでしょう。

 ここは、私案の本文二分別によると、〈甲類〉が「おはするに」であり、〈乙類〉が「おはす」となっているところです。
 池田本は〈乙類〉なので、ここに小見出しを入れるのは大島本のグループの一つなのでいいのです。
 これに対して橋本本は〈甲類〉なので、小見出しの位置が少し後にずれることになります。つまり、次の行の「三月」に対する小見出しとすることになるのです。

 これでは、校訂本文が他本に変わるたびに、小見出しの位置が前後に移動することになります。本文異同の多い巻や写本では、そのたびに小見出しの位置がずれたり、場合によってはなくなったりするのは煩雑です。
 今後は、写本ごとに校訂本文が自由に作成できるシステムを公開する予定なので、目まぐるしく諸本ごとに小見出しが変転しては、使い勝手も悪くなります。

 そこで、この小見出しを付ける場所については、あくまでも「池田本に合わせる」、という方針に決めたいと思います。

 なお、現在、この池田本の校訂本文のための小見出し作りを、ボランティアでお手伝いしてくださる方を求めています。
 『源氏物語』の本文を200字位で区切り、そこに30文字という制限で短文を作ることは、意外と呻吟するものです。一文字の加除に、何日も費やすことはざらにあります。
 池田本は大島本と大きく本文が異なることはないようなので、身の回りにある校訂本文で小見出し作りは出来ます。面倒なのは、小見出しの末尾に付ける3種類のテキストの頁数や番号だけです。

 手伝ってやろう、と思われる方は、遠慮なく本ブログのコメント欄等を使って連絡をください。
 すでに着手されているのがどの巻か、という情報の共有は、全54巻をやり終える上では重要です。効率的な取り組みを遂行するためには必須の情報であり、これは折々に本ブログを通して流していきたいと思っています。その際、担当者のお名前を巻名に併記することを、あらかじめご了承ください。

 ちなみに、現在私は第3巻「空蟬」に取り組んでいます。
 「12須磨」・「38鈴虫」・「52蜻蛉」も担当者はすでに決まっています。
 
--------------------------------------
 
 参考までに、上記「若紫」の引用例の箇所における、諸本17本の本文異同をあげます。
 これらかも明らかなように、本文は2種類にしか分かれず、橋本本は〈甲類〉([橋尾中陽穂高天])に、池田本や大島本は〈乙類〉([大麦阿池御国肖日保伏])に分別できます。

 まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが緒に就いたばかりなので、ここには旧来の平仮名を一文字に限定した、明治33年以来の用字法で翻字した本文の校合を揚げています。また、諸本名や書写状態に関する付加情報($はミセケチ等)も煩雑になるので、ここでは省略しています。


御ともに[橋=大中麦阿陽池御国肖日保伏高天]・・・・050063
 御ともに/と〈改頁〉[尾]
 御共に[穂]
むつましき[橋=全]・・・・050064
人[橋=尾中陽穂高天]・・・・050065
 ナシ[大麦阿池御国肖日保伏]
四五人はかりしてまた[橋=全]・・・・050066
あかつきに[橋=尾麦池日保伏高]・・・・050068
 あか月に[大中御国肖穂天]
 暁に[阿]
 あか月に/月〈改頁〉[陽]
おはするに/るに$[橋]・・・・050069
 おはするに[尾高天]
 おほするに[陽]
 をはします[中]
 おはする[穂]
 おはす[大麦阿池国肖日保伏]
 をはす[御]
やゝ[橋=大尾中麦阿陽池御国肖日保伏高]・・・・050070
 やゝ/う&ゝ[天]
 ナシ[穂]
ふかく[橋=尾中陽高天]・・・・050071
 ふかう[大麦阿池国肖日穂保伏]
 ふかう/△&ふ[御]
いる[橋=大尾陽池御肖日穂保伏高天]・・・・050072
 入[中麦阿国]
ところなりけり[橋=尾中陽高]・・・・050073
 所なりけり[大麦阿池御国日穂保伏天]
 所也けり[肖]
三月[橋=穂]・・・・050074
 三月の[大麦阿池御国日伏]
 やよひの[尾中陽肖保高天]
つこもりなれは[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天]・・・・050075
 つこもりなりけれは[中]
京の[橋=大中麦阿陽池国肖日穂保伏高天]・・・・050076
 京の/〈朱合点〉[尾]
 きやうの[御]
花[橋=大麦阿陽池御国肖保伏天]・・・・050077
 はな[尾日穂高]
 はなみな[中]
さかりは/は+みな[橋]・・・・050078
 さかりはみな[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 さかりは[尾陽高天]
 ナシ[中]
すきかたになりにけるを/かたになりにけるを$にけり[橋]・・・・050079
 すきにけり[大麦池御国日伏]
 過てけり[阿]
 すきに/に+けりイ[肖]
 すきけり[穂]
 すきにたるを[尾陽高天]
 ちりたるを[中]
 すきて[保]
posted by genjiito at 20:27| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年09月24日

再録(27)突然黒煙をあげるディスプレイの話〈2001.10.30〉

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。
 このサイトのデータが見られない状態が続いているので、オリジナルのデータから抜き出して再現したものです。

 私はデジタル用品をはじめとして、さまざまな製品でトラブルに遭っています。
 以下で取り上げるディスプレイのトラブルは、今から15年前の大和平群での出来事です。
 今では、ブラウン管タイプのモニタを見つめている人は、よほどの事情か環境に縛られている方でしょう。みなさん、液晶モニタなので、もうこのような体験はないと思います。
 もちろん、液晶モニタでも何台かは画面に亀裂が入り、ひび割れた箇所から液体が滲んだことがありました。壊れにくくなったといっても、私はやはりトラブルの中を生き抜いています。

 海外のメーカーが作った商品は、今でも数年経つと困った存在になります。
 形あるものは、いずれ壊れるからです。
 その時に、どこで対処してもらうか、という問題に突然直面することになるのです。
 このことは、今でも状況は同じではないでしょうか。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 

〔突然黒煙をあげるディスプレイの話〕


 〈2001.10.30〉
 
 先日、いつも使っているパソコンのディスプレイ(モニタ)の一つが、突然黒煙をあげだしました。
 真っ黒な煙が部屋中に充満し、危険を感じてすぐにモニタの電源を抜きました。

 私は、自宅でも職場でも、一台のパソコンに三台のモニタを接続し、広い画面いっぱいにファイルを並べて仕事をしています。その内の一台が、思いもかけないトラブルを起こしたのです。
 そのモニタの前兆としては、画面がユラユラと揺れることがありました。しかし、すぐに収まるので、とくに問題とは思っていなかったのです。あれが前触れだったのでしょうか。

 このモニタは、マグビュー社の製品「MXE17S」で、1995年の製造品です。
 トリニトロンのブラウン管が好きな私は、ソニーのモニタとともにマグの製品を愛用しています。このマグのモニタを、私は四台持っています。
 実は、以前にもこのマグ社のモニタで別のもの「MX17S」が火花を散らしてダウンし、修理してもらったことがあります。その時の修理依頼書には、次のような報告書を添付しました。


・突然焦げ臭いにおいが立ち上り、パチパチというスイッチが切り替わる音が頻繁におこりました。
・においは、ゴムが焦げた時や、ハンダのヤニが焦げた時のくささでした。
・数日前から、画面が左右に1センチ位フェイントのように横ズレしました。
・これが頻繁になり、時には画面の文字が読めない程に激しくブレだしました。
・最近は、ザラついた画面で使用していました。
・同時に横に並べて使用していた御社の「MXE17S」と較べて、最近は画面がボケだしていたように思えます。
(1996.2.5)


 この時は、火を噴いたモニタを東京都大田区東海にあるマグビュー株式会社サービスセンターに指示通りに宅急便で送り、素早い対応をしてもらいました。
 25キログラムもある大きなテレビですから、発送のための梱包に苦労しました。しかし、迅速に対応してもらったので、アフタケアに満足したことを覚えています。その時に受け取った修理報告書には、以下のように書かれていました。


電源部の可変抵抗部品を交換致しました。
交換後、連続稼働テストを実施し、障害の改善を確認致しました。
今回は無償で対応させていただきます。


 こんなことがあったので、今回も同サービスセンターに電話連絡をしました。すると、思っても見ない対応を受けることになりました。おおよそ、以下のような内容を電話口の女性はおっしゃるのです。


・その症状は修理不能である。
・モニタの寿命は3年から5年である。
・すでに製造を打ち切った製品であり、部品もない。
・おたくでそのモニタは処分してほしい。
・どうしてもということなら、こちらはあくまでもマグ社から委託されているサービスセンターなので、直接台湾の会社の担当者と話し合ってほしい。
・台湾の連絡先は、886-02-3233-2988で、アフターサービス担当のDennisi Chungに言ってほしい。
・ただし、彼は日本語を理解しない。
・この商品にリコールはなかった。


 何ともはや、冷たくあしらわれました。とりつくしまもないのです。

 外国で製造された製品を購入する場合は、日本にサービスセンターがあるからといって安心してはいけないようです。機械は、道具は、いつか必ず壊れます。それが、早いか遅いかの違いはあれ、とにかく使えなくなるときがくるのです。その時どのような目に遭うかを考えて、こうした商品は購入すべきであることを痛感しました。

 それにしても、火事に至らなくて幸いでした。そして、残った三台のマグ社のモニタをどうすべきか、今は思案中です。モニタは頻繁に電源を切り、順次ソニーのモニタに変えていこうと思っています。みなさんも、知らない内に火事という災難に巻き込まれないように、十分にご注意下さい。

 折しも今日の夕刊には、新宿歌舞伎町のビルで発生した火事の原因は、電気配線のショートではないかと報じられています。私も、すんでのところで住まいと家財一式を失うところでした。コンピュータ業界の一部には、あの悪徳会社Mに代表されるように、無責任極まりない対応がなされていることを身に染みて痛感しています。怖いことです。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | 回想追憶

2016年09月23日

京洛逍遥(375)京の居酒屋のお弁当

 慌ただしく上京です。
 京都で人気の居酒屋「まんざら亭」(烏丸佛光寺製)のおばんざいを盛った「京華弁当」を、新幹線の中でいただきました。


160923_obanzai




 見た目は地味です。しかし、さっぱりとした、上品な味付けのおばんざいを満喫できました。

 若い方なら、あまりにも華やぎに欠けるので、蓋を開けたとたんに、がっかりかもしれません。
 季節感もいまいちです。しかし、一口入れると納得です。

 出汁の利いた、いい味がでています。
 ご飯に散らした白いちりめんじゃこが、しっかりと自己主張しています。
 淡白な出汁巻き、酢味噌をまとった麩、香り立つ肉じゃがが楽しめました。

 贅沢な家庭料理が、東海道を移動するだけの何げない一時を、豊かにしてくれました。
posted by genjiito at 22:12| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年09月22日

興福寺が監修した駅弁を新幹線車内でいただく

 急用で大阪へ行くことになり、東京駅で珍しい駅弁を手にしました。
 興福寺が監修した駅弁なのです。


160922_bento




 ご丁寧に、お品書きもあり、食材の説明も記されています。懐石料理を意識したものとなっています。

 糖質を気にし、薄味がいい私には、量も少なめということもあり、これは絶好のお弁当です。
 なかでも、「蒲焼もどき」(折の右下から2段目の少し黒く写っているもの)が気に入りました。豆腐に海苔を貼り合わせて素揚げして、蒲焼風に仕上げたものです。
 「田楽味噌」は、興福寺秘伝のレシピを再現したものだそうです。
 ご飯には、五色幕をイメージした「精進ふりかけ」がかかっています。
 まさに、精進料理のお弁当です。
 10月10日までの期間限定の駅弁です。旅のお供にぜひどうぞ。

 用事を済ませてから、お彼岸でもあるので、八尾の高安へお墓参りに行きました。
 春と夏に行けなかったので、久しぶりです。

 近鉄高安駅から、信貴生駒連山を望みました。
 我が家のお墓は、この高安山の中腹にあります。
 あの、『伊勢物語』にある「筒井筒」の段で知られる高安の里です。


160922_takayasu




 信貴霊園から望む淡路島の方は、雲が垂れ込めていました。


160922_ganka




 この近在の学校が統合された話を聞きました。
 今年の4月から、中高安小学校と北高安小学校を統合し、旧大阪府立清友高等学校と大阪府立八尾支援学校東校跡地へ移転したとのことです。八尾市で初めての施設一体型小・中学校となったのです。
 眼下左にある、私が通っていた南高安小・中学校は健在です。もっとも、私がいた小学校だけは、もっと手前にありましたが。

 生まれ故郷の島根県出雲市古志町にあった小学校は廃校となりました。
 来週、池田亀鑑賞の授賞式のために行く鳥取県の日南町も、学校の統廃合がなされた町でした。
 全国の学校が、こうして減少しているのです。
 時の流れと共に、学校が整理統合されていくことを聞くのは寂しいことです。
 学校の賑わいを取り戻すことはできないのでしょうか。
 そんなことを想いながら、四国から六甲山の方角をしばらく眺めやっていました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ブラリと

2016年09月21日

『海外平安文学研究ジャーナル 第5号』を電子版で配布しています

 オンライン版として好評の内に刊行している『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)の最新号(第5号)が出来上がりました。全108頁の分量の電子版です。
 お読みいただき、ご意見等をお寄せいただけると幸いです。

 これは、次の趣旨のもとに、2014年11月より自由にダウンロードできる形で発行しています。


■趣 旨■
 日本文学は「日本の文学」に留まらず、「世界のなかの文学」に位置づけられる時代となりました。
 海外で平安文学に興味を持ち、研究をなさっている方々は、どのような背景や環境のもとで研究や翻訳に取り組んでおられるのでしょうか。
 常々、そのような問題意識を持ちながら、翻訳を含めた多言語に対応した平安文学研究の意義や成果等を、世界各国の人々と一緒に考えていきたいと思っていました。
 英語に偏重しない、さまざまな言語を取り上げるジャーナルを意識して編集するものです。
 このオンライン版の『海外平安文学研究ジャーナル』は、そうした思いを形にすることをめざして創刊しました。。
 世界各国のみなさまから、自由に投稿していただき、自由に読んでいただけるスタイルでの公開を実現しました。


 今号はもとより、バックナンバー4冊も、以下のサイトから自由にダウンロードしていただけます。当初設定していたパスワードは廃止しています。

「『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)」

 今回発行した第5号(全108頁)の目次は次の通りです。


【第5号目次】

あいさつ 伊藤鉄也
執筆要綱
●研究論文
 中譯本《源氏物語》試論−以光源氏的風流形象為例
   朱秋而(翻訳:庄婕淳)
 「忠こそ物語」と継子いじめ譚
   趙俊槐
●研究会拾遺
 ウォッシュバーン訳『源氏物語』の問題点
   緑川眞知子
 スペイン語版・英語版・フランス語版『伊勢物語』7 種における官職名の訳語対照表
   雨野弥生
●付録
 中国語訳『源氏物語』の書誌について
   淺川槙子
 各国語訳『源氏物語』「桐壺」翻訳データ(中国語)
執筆者一覧 
編集後記 
研究組織 


 また、現在、『海外平安文学研究ジャーナル 6.0』の原稿を募集しています。
 さまざまな視点からの原稿をお待ちしています。

・詳細は、本科研のHP「海外源氏情報」に掲載している、「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧ください。
 トップページにある「研究と成果・報告書」から「ジャーナル」の項目へと進んでください。
・原稿の締め切り 2017年1月16日(月)
・刊行予定    2017年2月15日(水)
・ご注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。
・重要なお願い
 『海外平安文学研究ジャーナル 第6号』は、本科研最後の報告書となります。
 そのため、締め切り厳守でお願いいたします。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | 古典文学

2016年09月20日

台風情報を聴きながら賀茂川の氾濫を心配する

 また台風がやってきました。16号です。
 近年は、台風による災害が酷くなっています。
 山崩れや川の氾濫等々、かつてなかったほどの規模という気象異変が伝えられ、その経験したことのない暴風雨が自然災害をいや増しに引き起こしています。

 全国の山林や河川の防備は、これまでのモノサシによる経験値からではない、激甚を想定して再確認と再点検が必要でしょう。
 賀茂川については、万全の補修をしたと聞いています。しかし、それもこのところの想像を絶する規模の雨量を考えると、もう一度見直すことになるかと思われます。

 このところ、なかなか自宅に帰れずに東京に留まっている日々が続いているので、賀茂の河原が大丈夫か心配になります。
 この記事を書いているちょうど先ほど、台風16号が近畿地方を通過しました。
 昭和10年の台風では近くの賀茂川が氾濫し、自宅のすぐ南の道路が水没した写真を見たことがあるので、なおさら河川の氾濫が気になるのです。

 最近の賀茂川の大水のことは、以下の記事に書いています。

「京洛逍遥(290)賀茂川が氾濫注意水位に達したこと」(2013年09月16日)

「京洛逍遥(291)台風一過の賀茂川散歩」(2013年09月23日)

 その後も毎年のように、賀茂川は大水に見舞われています。

 そういえば、今年の大文字の送り火が大雨で見られませんでした。

 「京洛逍遥(420)大雨洪水警報の中での送り火 -2016-」(2016年08月16日)

 去年も「京洛逍遥(373)雨間に6万人が見上げた大文字 -2015-」(2015年08月16日)と雨でした。

 一昨年も「京洛逍遥(335)大雨の後の如意ヶ岳を焦がす大文字」(2014年08月16日)と、あいにくの雨でした。
 3年続きの雨だったのです。

 また、平安時代の賀茂川氾濫のことは、次の2作品に語られています。

「読書雑記(138)西野喬著『防鴨河使異聞』」(2015年07月29日)

「読書雑記(148)西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』」(2015年12月11日)

 全国の山と川で起こる災害を食い止めるような、より安全な防備と施策が必要な時代となりました。まさに地球規模での天候異変なので、人災とならないような対策が急がれます。

 今回の16号が関東を通過するのは明朝とのことです。
 大事に至ることなく日本列島を抜けてくれることを祈るのみです。
posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | 身辺雑記

2016年09月19日

時の流れを忘れていた涸沼からの帰り

 涸沼(ひぬま)温泉では、美人の湯とされる「いこいの村涸沼」に泊まりました。
 湖畔の心地よい、ゆったりとする宿でした。

 チェックアウトの時に、宿の方からお土産としてジャガイモを2袋いただきました。宿泊客のみなさま全員に配っておられるのです。思いがけないプレゼントです。嬉しくいただきました。

 涸沼駅までの送迎バスをお願いしたところ、予約が必要だったようです。それでも、すぐに手配をしてくださいました。
 運転手さんと話をしながら駅へ。
 涸沼駅に着いて大洗行きの電車はと見ると、あいにく出た後でした。次はちょうど1時間後とのことです。
 ぽつんと佇む駅で、どう時間を潰そうかと思っていた時でした。さきほどの運転手さんが様子を見に来られ、それではということで大洗駅まで送ってくださることになりました。ありがたいことです。

 また、車中でいろいろいなお話を伺いました。
 何かと問題となっている、東海村にある原子力発電所のことや、霞ヶ浦や大洗海岸での釣りの話など、楽しく話を伺いました。

 大洗駅からは、すぐに水戸行きの電車がありました。幸運続きです。
 昨日から聞いていた、この大洗の町おこしとなっているアニメ『ガールズ&パンツァー』のキャラクターに、親近感を持つようになりました。駅も電車も、このキャラクターに包まれているのです。


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 無事に水戸駅に着き、東京までの帰りは電車かバスか迷った末に、来た時と同じようにバスにしました。乗り換えが便利で、リクライニングシートで、しかも安いという高速バスのありがたさを知りました。

 今回の旅は、時刻表を見ていませんでした。日常の延長でした。日頃の移動では、電車を待つことはほとんどありません。次々と電車がくるのですから。しかし、それは都会での生活にどっぷりと漬かっているからであることに、あらためて気付かされました。

 ふらりと来た気儘な旅の中で、いつもの生活が時間の流れにうまく乗るように、待つことをしないように組まれていることに気付くこととなりました。
posted by genjiito at 22:19| Comment(0) | ブラリと

2016年09月18日

井上靖卒読(207)茨城県の大洗海岸で「大洗の月」に思いを馳せるも叶わず

 東京駅(八重洲口)は、バスターミナルが整備されています。


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 そこからバスに乗って高速道を北東に向かうと、2時間ほどで茨城県の水戸駅に着きました。
 意外と近いのに驚きました。
 目的地は、井上靖の短編小説「大洗の月」の舞台となった大洗海岸です。

 昨日の記事「井上靖卒読(206)小説全357作品で評価【4】としたもの」で、短編53作品の内の「井上靖卒読(36)「大洗の月」」の舞台となっている地なのです。
 いつか行ってみたいと思っていた大洗に、連休に入った今朝、颱風が関東に来る前にと、急遽行くことにしたのです。

 経由地の水戸で、偕楽園に立ち寄ることにしました。
 観光案内所で丁寧な説明を聞き、「水戸漫遊1日フリーきっぷ」を手にバスで移動しました。
 偕楽園は梅の景勝地です。しかし、小雨の園内もいいものです。

 義烈館で徳川光圀の『大日本史』などの資料を見ていると、展示されていた古文書の中に「徳河」と書かれている箇所に目が留まりました。自筆の文献で「徳河」と書かれているものを探していたので、実際に確認できて嬉しくなりました。

 徳川斉昭によって建てられた好文亭は、中に入るとなおさらその良さが実感できました。
 まさにお茶の世界です。


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 この3階から見下ろすと、千波湖が視界に入ってきます。
 今日予定されていた野点をはじめとするイベントは、雨のためにすべて中止されていることが、正面のブルーシートからわかります。


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 水戸駅から大洗へ行くために乗った鹿島臨海鉄道は、1両だけのかわいい電車でした。


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 大洗駅前にあった寿司屋さん「寿々翔」は、駅前にある唯一の食事処だったので、どうしようかと迷いながら入りました。ところが、千円という安さが信じられないくらいに、おいしいお寿司でした。おまけに、突き出しとしてモズクに蟹身が入ったものと、甘エビの味噌汁が付いてきたのです。おやじさんもおかみさんも、いい方でした。大洗に行かれたら、海岸にたくさんお店があっても、ここも選択の一つにされてはいかがでしょうか。


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 駅前から海岸まで出ているバスは、一時間に一本です。しかも、今日は大幅に遅れているのです。
 とにかく、大洗は多くの人を集めています。それは、『ガールズ&パンツァー』という、今や大人気のアニメの聖地となっていることが主な理由のようです。
 そんなことはまったく知らずに来たので、最初は何が何やらわからないままでした。そう言えば、寿司屋さんにも戦車の模型が並んでいました。

 バスで大洗磯崎神社前で降り、目的の大洗ホテルへ行きました。


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 ここは、井上靖の「大洗の月」に出てくるところであり、次のような語られています。


佐川は水戸までの乗車券を持っている。三時五十五分に上野を出たこの列車は、途中土浦だけに停車して、五時四十五分に水戸駅へ着く。佐川は水戸から自動車で大洗に行き、会社から連絡を取らせてある海岸の旅館へはいる予定である。別に用事はない。急に思い立って、大洗の海岸で、九月の満月を見ようというだけの話である。(『井上靖全集』第四巻、111頁)


 この佐川が泊まったのが、ここ大洗ホテルだということです。

 「大洗町・アーカイブ」
の中に、「大洗町を訪れた文人とその作品」があり、そこには、次のような説明文があります。


A宿泊したホテル・旅館はどこか?
 ⇒「大洗町史」に「戦後アメリカ軍が占領軍第一騎兵師団を水戸・日立・土浦・古河に昭和20年9月1日に分駐した。磯浜には情報収集のためC・I・Cが設置された。昭和20年11月1日のことである。大洗ホテルがアメリカ軍に接収され、第45CIC地区分遣隊が置かれた。通称”大洗情報部”と呼ばれ、これに類する分遣隊は都道府県の行政単位に見合う全国37地区に設置されたという。ここには常にアメリカ兵2,3人が常駐し、日系2世も通訳として情報活動をしていた。」(p735)とあります。
 これに続いて、「なぜCICが大洗に設置されたのかについては定かでない。情報活動は、戦争犯罪人、超国家主義者、共産主義者など、あらゆる情報の収集にあたった。…このような情報活動は昭和25年4月7日、大洗ホテルの接収解除が行われるまで続けられたと推測できる。」(p736)ともあります。
 ⇒以上から、主人公が投宿したのは「大洗ホテル」と分かります。大洗ゴルフ場には近いですし、すぐ下が海で大小の岩礁が沖合まで散らばっていますし、100m程の所に小さな灯台(左の写真)が立っていますので、これらの点も矛盾がありません。
 なお、当時の3階建ての建物は、昭和○年に取り壊され、現在の○階建てのホテルは○年に竣工したものです。
 ⇒ちなみに、占領軍のインテリジェンス(諜報)や検閲を扱う総本部はG?2と呼ばれ、ほぼ全時期を通じて総指揮官はC・A・ウィロビーでした。G?2の下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と刑事を扱うCIC(対敵諜報部・Counter Intelligence Corps)が置かれていました。
B時代背景
 ⇒宿泊したホテルがこの間まで進駐軍に接収されていたこと、最近近くにゴルフ場が出来たこと、と書かれていますが、大洗ホテルの接収解除は昭和25年、ゴルフ場は昭和27年10月1日工事着工、昭和28年9月20日竣工式、10月25日オープンですので、(「この間まで」と「最近」をどの程度の期間幅で捉えるかが関係するのかもしれませんが、)ちょっと時間が合いません。
 「ゴルフ場ができた」に着目して、9月の満月をみようと書かれていること等から昭和28年9月13日のことと推測してよいかと思います。


 この大洗ホテルの喫茶スペースで、おいしいコーヒーをいただき、海岸に出てみました。


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 井上靖の「大洗の月」のことをフロントで聞いたところ、今は何も記録も資料も残っていないとのことでした。
 アニメで盛り上がっているこの町に、井上靖ではあるまいと思われたことでしょう。
 このホテルはみなさん親切で、大洗駅まで送迎バスで送ってくださいました。泊まり客でもないのに、恐縮しました。ご親切な対応に、感激しました。見どころも多いようです。折をみて、ゆっくりと来たいと思わせる大洗海岸でした。

 大洗駅から電車で一駅の涸沼(ひぬま)駅に向かいます。
 先頭の乗務員室の横から見る景色は、味わいのある懐かしいものでした。


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 今日の宿がある涸沼駅も、のどかさを味わう旅を実感させてくれるところでした。


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 ゆったりと温泉に浸かり、まだ腫れの引かない足を労っています。
posted by genjiito at 23:27| Comment(0) | 井上靖卒読

2016年09月17日

井上靖卒読(206)小説全357作品で評価【4】としたもの

 2015年10月に、井上靖の357作品を9年がかりで読み了えました。
 各作品に対して、勝手な評価を5段階で付けていたので、それを整理すると以下のような結果となりました。

 評価5= 38作品
 評価4= 74作品
 評価3=123作品
 評価2=100作品
 評価1= 22作品

 この内、評価【5】とした38作品については、
「井上靖卒読(204)小説全357作品を気ままに評価」(2015年10月19日)
で公開し、評価【1】とした22作品については、
「井上靖卒読(205)小説全357作品で評価【1】としたもの」(2016年04月07日)
で報告しました。

 好き勝手に、きままに付けた個人的な評価なので、人さまには何の役にもたたないものだと思っています。しかし、他のものも…、というコメントをいただいていたので、【5】にしようか【3】にしようかと迷い、結局【4】にした作品を抜き出してみました。

 (評価4は74作品としています。しかし、2回にわたって記した記事もあり、それを整理すると以下の71作品となりました。)

 この【4】という評価は、読んだその時の気分などが、微妙に関係するものだと言えます。
 読後に、中途半端な迷いをもたらした作品でもあります。
 もう一度読むと、その評価が上下するものも多いことでしょう。
 そんな機会が、またあるとは思えません。
 しかし、手持ちぶさたな折に、この【4】とした作品を手に取ってみたい気もします。
 そんな遊び半分で記したメモを、整理してみました。
 
 
---------- 長編18作品(リンクあり) ------------------
「井上靖卒読(7)『雷雨』」(2007/11/21)
「井上靖卒読(9)『戦国無頼』」(2007/11/30)
「井上靖卒読(14)『真田軍記』(続)」(2007/9/5)
「井上靖卒読(21)『あした来る人』」(2008/1/12)
「井上靖卒読(33)『わが母の記』」(2008/3/29)
「井上靖卒読(39)『戦国城砦群』」(2008/5/29)
「井上靖卒読(45)『白い風赤い雲』」(2008/10/2)
「井上靖卒読(46)『白い炎』」(2008/11/14)
「井上靖卒読(56)『風と雲と砦』」(2009/1/21)
「井上靖卒読(57)『オリーブ地帯』」(2009/1/27)
「井上靖卒読(65)『兵鼓』」(2009/4/16)
「井上靖卒読(67)『地図にない島』」(2009/4/27)
「井上靖卒読(75)『蒼き狼』」(2009/6/10)
「井上靖卒読(97)『天平の甍』」(2009/10/20)
「井上靖卒読(196)『射程』」(2015年05月11日)
「井上靖卒読(199)『本覚坊遺文』」(2015年06月10日)
「井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』」(2015年06月11日)
「井上靖卒読(201)『額田王』」(2015年09月19日)

---------- 短編53作品(リンクなし) ------------------
井上靖卒読(1),「猟銃」,4
井上靖卒読(36),「大洗の月」,4
井上靖卒読(37),「蘆」,4
井上靖卒読(42),「初代権兵衛」,4
井上靖卒読(42),「頭蓋のある部屋」,4
井上靖卒読(50),「澄賢房覚書」,4
井上靖卒読(62),「伊那の白梅」,4
井上靖卒読(78),「三原山晴天」,4
井上靖卒読(87),「漆胡樽」,4
井上靖卒読(89),「岬の絵」,4
井上靖卒読(90),「補陀落渡海記」,4
井上靖卒読(90),「小磐梯」,4
井上靖卒読(96),「信康自刃」,4
井上靖卒読(98),「佐治与九郎覚書」,4
井上靖卒読(102),「明妃曲」,4
井上靖卒読(108),「二枚の招待状」,4
井上靖卒読(119),「七人の紳士」,4
井上靖卒読(122),「貧血と花と爆弾」,4
井上靖卒読(124),「少年」,4
井上靖卒読(125),「白い街道」,4
井上靖卒読(128),「眼」,4
井上靖卒読(130),「表彰」,4
井上靖卒読(132),「百日紅」,4
井上靖卒読(134),「贈りもの」,4
井上靖卒読(135),「青いボート」,4
井上靖卒読(140),「信松尼記」,4
井上靖卒読(141),「驟雨」,4
井上靖卒読(142),「昔の恩人」,4
井上靖卒読(142),「春の雑木林」,4
井上靖卒読(144),「殺意」,4
井上靖卒読(145),「風」,4
井上靖卒読(147),「篝火」,4
井上靖卒読(148),「石の面」,4
井上靖卒読(153),「故里の海」,4
井上靖卒読(153),「梅林」,4
井上靖卒読(154),「その人の名は言えない」,4
井上靖卒読(155),「騎手」,4
井上靖卒読(157),「洪水」,4
井上靖卒読(159),「暗い舞踏会」,4
井上靖卒読(162),「司戸若雄年譜」,4
井上靖卒読(163),「北国の春」,4
井上靖卒読(164),「晴着」,4
井上靖卒読(165),「菊」,4
井上靖卒読(167),「古い文字」,4
井上靖卒読(168),「見合の日」,4
井上靖卒読(168),「別れ」,4
井上靖卒読(170),「良夜」,4
井上靖卒読(172),「羅刹女国」,4
井上靖卒読(178),「冬の外套」,4
井上靖卒読(181),「四角な石」,4
井上靖卒読(184),「川村権七逐電」,4
井上靖卒読(188),「セキセイインコ」,4
井上靖卒読(190),「生きる」,4
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posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | 井上靖卒読

2016年09月16日

池田本の校訂本文用に作成した「帚木」巻の小見出し(132項目)

 昨日に続き、池田本の校訂本文で使用するための小見出しの、「帚木」巻ができあがりました。
 これは、高橋麻織さん(明治大学・兼任講師)と久保田由香さん(元・明治大学大学院生)の労作です。
 「桐壺」巻・「若紫」巻と同じように、30文字でできています。
 これまでの方針通り、物語本文を細かく分けることで、全132項目となっています。
 『新編日本古典文学全集』(小学館)は17項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は34項目なので、これがいかに詳細なものであるかがおわかりいただけるかと思います。

 2014年3月26日に公開した「桐壺」巻の小見出しについては、「「桐壺」巻の小見出し試案(72項目版)」を参照してください。
 「若紫」巻は、昨日の「池田本の校訂本文用に作成した「若紫」巻の小見出し(108項目)」(2016年9月15日)を参照してください。

 今回公表したものは、まだ付加情報の整備ができていません。今は、『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数だけを追記した状態であることを、あらかじめおことわりしておきます。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)の頁行数

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示いただけると幸いです。
 
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 「帚木」巻の小見出し(『新編日本古典文学全集』(小学館)の頁行数)

■1 光源氏は好色者と噂されているが、本人は真面目に振る舞っている
                     (五三頁一行目〜七行目)

■2 通いが間遠なため左大臣家では光源氏の忍ぶ恋の相手の存在を疑う
                  (五三頁八行目〜五四頁二行目)

■3 左大臣家は物忌のために籠る婿を恨めしく思うが懸命に世話をする
                     (五四頁三行目〜八行目)

■4 光源氏と特に親しい頭中将もまた、北の方の元にはあまり通わない
            (五四頁八行目「宮腹の中将は」〜一一行目)

■5 光源氏と頭中将は夜昼同伴して、学問も遊びも共に行う親しい間柄
                 (五四頁十二行目〜五五頁二行目)

■6 五月雨の夜、宿直所に頭中将が訪れて光源氏宛ての恋文を見たがる
           (五五頁三行目〜八行目「ゆるしたまはねば」)

■7 頭中将は恋文を見ながら他人に見せられない恋文こそ見たいと発言
 (五五頁八行目「そのうちとけて」〜五六頁三行目「心やすきなるべし」)

■8 頭中将は拾い読みしながら差出人を推量するが光源氏は言葉を濁す
           (五六頁三行目「片はしづつ見るに」〜七行目)

■9 上辺だけ繕った中身のない女がいると、女の品定めを始める頭中将
     (五六頁八行目〜五七頁四行目「心を動かすこともあめり」)

■10 芸事の不得手な部分を後見人に隠された女は、付き合うと落胆する
   (五七頁四行目「容貌をかしく」〜一一行目「恥づかしげなれば)

■11 頭中将は女を上流、中流、下流に分け、中流が個性的でよいと説く
  (五七頁一一行目「いとなべては」〜五八頁六行目「ゆかしくて」)

■12 好色者と評判の左馬頭と藤式部丞が参上して、女の品定めに加わる
                    (五八頁七行目〜一四行目)

■13 頭中将は成り上がった者も高位から落ちぶれた者も共に中流とする
               (五九頁一行目〜七行目「おくべき」)

■14 生半可な上達部より非参議の四位の者の方が豊かな生活をしている
  (五九頁七行目「受領といひて」〜一二行目「いとかはらかなりや)

■15 階級は家柄、世評、財力で決まるが光源氏は財力重視かと揶揄する
           (五九頁一二行目「家の内に」〜六〇頁三行目)

■16 左馬頭は光源氏や頭中将の前で上流の女について意見するのを憚る
                    (六〇頁四行目〜一〇行目)

■17 左馬頭は荒廃した家の奥に芸事を嗜む女がいたら素晴らしいと語る
             (六〇頁一一行目〜六一頁五行目「とて」)

■18 姉妹を思い黙る藤式部丞と上流にも理想の女は珍しいと思う光源氏
           (六一頁五行目「式部を見やれば」〜一一行目)

■19 左馬頭は国の柱石を選ぶのと同様に、妻を決めるのも難しいと発言
         (六一頁一二行目〜六二頁五行目「ゆつろふらむ」)

■20 一家の主婦には欠けては困る条件が多いので、妻を選ぶのは難しい
        (六二頁五行目「狭き家の」〜一二行目「なるべし」)

■21 全て希望通りでなくても連れ添うのがよいが惹かれる夫婦はいない
         (六二頁一二行目「かならずしも」〜六三頁三行目)

■22 無口な女を女らしいと思って機嫌を取ると色めかしくなるのは難点
                    (六三頁四行目〜一〇行目)

■23 情趣を重んじすぎる妻も困るが美しさの欠片もない世話女房も困る
       (六三頁一一行目〜六四頁五行目「うちまねばむやは」)

■24 妻と語り合いたいが理解のない妻には外での話をする気にならない
            (六四頁五行目「近くて見む人」〜一一行目)

■25 従順な若い女を仕込むのも手だがやはり妻には頼れる女の方が良い
                 (六四頁一二行目〜六五頁六行目)

■26 身分や容貌より実直な事が妻には大事で、更に才能が伴えば儲け物
              (六五頁七行目〜一五行目「わざをや」)

■27 夫の浮気に耐えていたが急に我慢出来なくなって失踪する女がいる
    (六五頁一五行目「艶に」〜六六頁六行目「落としはべりし」)

■28 夫が浮気したからといって逃げ隠れしたり、尼になるのは、軽率だ
       (六六頁六行目「今思ふには」〜一三行目「思へらず」)

■29 知人が見舞に来たり、元夫が泣いたりすると、女は出家を後悔する
 (六六頁一三行目「いで、あな悲し」〜六七頁三行目「うちひそみぬかし」)

■30 還俗しても家出騒動の後では夫婦共に心からは信頼し合えなくなる
              (六七頁三行目「忍ぶれど」〜一〇行目)

■31 浮気されたら喧嘩したり好きにさせるより、怨言を仄めかすべきだ
                 (六七頁一一行目〜六八頁六行目)

■32 妹は信頼出来る妻だと頭中将が暗に言うが光源氏は居眠りしている
                    (六八頁七行目〜一四行目)

■33 格式ある調度は名人が作った物だと誰にでもわかると左馬頭は言う
                    (六九頁一行目〜一一行目)

■34 見たことのない物は空想で描けば良いので墨書きの優劣はつけ難い
        (六九頁一二行目〜七〇頁二行目「さてありぬべし」)

■35 唐絵と違って大和絵は見慣れた風景を描くので画師の技量が現れる
               (七〇頁二行目「世の常の」〜七行目)

■36 走り書きは一見洒落ているが本格的な筆法で書かれた書の方がよい
           (七〇頁八行目〜一三行目「かくこそはべれ」)

■37 僧のように説教する左馬頭と目を覚ます光源氏と真剣に聞く頭中将
        (七〇頁一三行目「まして人の心の」〜七一頁四行目)

■38 左馬頭は、美人ではないのに嫉妬ばかりする昔の恋人のことを語る
                    (七一頁五行目〜一五行目)

■39 女は左馬頭の為に努力し、尽くしたが、嫉妬深い癖は直せなかった
                    (七二頁一行目〜一〇行目)

■40 左馬頭は別れをちらつかせて、女の嫉妬深い性格を直そうと試みる
           (七二頁一一行目〜七三頁一行目「怨ずるに」)

■41 左馬頭は女に終生連れ添うつもりなら夫の浮気は我慢すべきと言う
     (七三頁一行目「かくおそましくは」〜八行目「はべるに」)

■42 離縁を承諾した女に左馬頭が悪口を言ったので女は夫の指を噛んだ
       (七三頁八行目「すこし」〜七四頁一行目「かこちて」)

■43 官位を貶められて傷ついた左馬頭は出家を仄めかして女の元を去る
             (七四頁一行目「かかる傷さへ」〜五行目)

■44 左馬頭が女の短所を責める和歌を詠むと、女は泣きながら返歌する
            (七四頁六行目〜一一行目「はべりしかど」)

■45 左馬頭は女と口論したが別れるつもりはなく、女と復縁したくなる
     (七四頁一一行目「まことには」〜一五行目「なかりけり」)

■46 左馬頭が行くと来訪を見越した準備がされていたが女は留守だった
  (七四頁一五行目「内裏わたりの」〜七五頁九行目「答へはべり」)

■47 女は嫌われたがっていた様子だが、左馬頭の衣装の世話はしている
              (七五頁九行目「艶なる歌」〜一五行目)

■48 見捨てられることはないと高を括っていたら女は心痛で亡くなった
            (七六頁一行目〜九行目「おぼえはべりし」)

■49 左馬頭は染物や裁縫に秀でた女こそ本妻に相応しかったと追慕する
      (七六頁九行目「ひとへに」〜一四行目「思ひ出でたり」)

■50 織姫の裁縫の腕よりも末長い夫婦仲にあやかれば良いと言う頭中将
             (七六頁一四行目「中将」〜七七頁四行目)

■51 左馬頭が同じ時に通った女は人柄がよく、歌も書も琴もうまかった
              (七七頁五行目〜一一行目「はべりき」)

■52 左馬頭は指喰いの女亡き後女の元に通い慣れたが女は浮気していた
           (七頁一一行目「この人亡せて後」〜一五行目)

■53 十月の月夜、左馬頭と相乗りした殿上人が行ったのは女の家だった
                     (七八頁一行目〜八行目)

■54 殿上人が縁に腰かけて笛を吹きながら謡うと、女は和琴で合奏した
          (七八頁九行目〜七八頁一五行目「あらずかし」)

■55 和琴の音が月に相応しいことに感嘆した殿上人は簾に寄って戯れる
    (七八頁一五行目「律の調べは」〜七九頁四行目「ねたます」)

■56 殿上人がもう一曲請うと女は笛を引き止めるだけの琴はないと詠む
           (七九頁四行目「菊を折りて」〜八〇頁四行目)

■57 二人の風流な応酬を見るに堪えないと感じた左馬頭は、女と別れた
         (七九頁一二行目「憎くなるをも」〜八〇頁四行目)

■58 左馬頭は信頼出来ない浮気な女より実直な指喰いの女がよいと言う
                  (八〇頁五行目〜八一頁一行目)

■59 頭中将は恨み言も言わず、自分を頼りにしていた恋人のことを話す
                 (八一頁二行目〜八一頁一二行目)

■60 親を亡くして貧する女は頭中将を頼みとするが彼の妻に脅迫される
                 (八一頁一三行目〜八二頁二行目)

■61 頭中将が放っておいたので幼い子を持つ女は撫子を添えた文を送る
                  (八二頁三行目〜八二頁六行目)

■62 文を読んだ頭中将が訪ねると女は彼を信じきった様子だが涙を流す
                 (八二頁七行目〜八二頁一三行目)

■63 頭中将は女を慰めたが訪れが間遠になると女は姿を消してしまった
                 (八二頁一四行目〜八三頁八行目)

■64 後悔する頭中将はかわいい幼子を探し出したいと思うが消息は不明
           (八三頁九行目〜八三頁一四行目「はべらね」)

■65 頭中将は女のことを、左馬頭の言う、頼りない部類の女だと断ずる
           (八三頁一四行目「これこそ」〜八四頁四行目)

■66 いくら完璧でも吉祥天女に懸想するのは、と頭中将が皆を笑わせる
                 (八四頁五行目〜八四頁一四行目)

■67 藤式部丞は身分柄謙遜するが、頭中将に急き立てられて体験を語る
            (八五頁一行目〜六行目「思ひめぐらすに」)

■68 藤式部丞は文章生だった時に、博士顔負けの学がある女と出会った
            (八五頁六行目「まだ文章生に」〜一〇行目)

■69 藤式部丞が学問の師である博士の娘に言い寄ると博士は杯で祝った
        (八五頁一一行目〜八五頁一五行目「はべりしかど」)

■70 女は寝所でも学問を語り、漢文の文を送って藤式部丞の師となった
   (八五頁一五行目「をさをさ」〜八六頁六行目「はべりしかば」)

■71 藤式部丞は女に感謝する一方で劣等感に苛まれ、自身の宿縁を嘲る
             (八六頁六行目「今に」〜八六頁一五行目)

■72 久しぶりに訪うと物越しの対面なので藤式部丞はやきもちかと訝る
          (八七頁一行目〜八七頁六行目「恨みざりけり」)

■73 女は嫉妬はしておらず、薬の悪臭を気にして物越しに対面していた
      (八七頁六行目「声も」〜八七頁一五行目「すべなくて」)

■74 蒜の臭いに耐えかねて逃げ出す藤式部丞に賢い女は素早く歌を詠む
      (八七頁一五行目「逃げ目を」〜八八頁七行目「申せば」)

■75 光源氏達は、作り話だ、どこにそんな女がいるものかと呆れて笑う
               (八八頁七行目「君たち」〜一三行目)

■76 左馬頭は女が三史五経を会得するのはかわいげがないことだと言う
                (八九頁一行目〜六行目「あらむ」)

■77 上流婦人もしがちだが、半分以上漢字で書いている女の文は残念だ
                (八九六行目「わざと」〜一二行目)

■78 一角の歌詠みを自任している人が所構わず詠みかけてくるのは嫌だ
        (八九頁一三行目〜九〇頁一行目「はしたなからむ」)

■79 時と場所を選ぶことが大事で、それが分からない歌詠みはよくない
           (九〇頁一行目「さるべき節会など」〜八行目)

■80 左馬頭の女性評を聞いた光源氏は藤壺の宮こそ理想的な人だと思う
                  (九〇頁九行目〜九一頁三行目)

■81 葵の上の元を訪れた光源氏は信頼出来る妻だが気づまりだと感じる
           (九一頁四行目〜一一行目「さうざうしくて」)

■82 寛いでいる時に左大臣が挨拶に来たので光源氏は有難迷惑だと思う
          (九一頁一一行目「中納言の君」〜九二頁二行目)

■83 夜、光源氏は方違えのために中川にある紀伊守邸へ赴くことにする
              (九二頁三行目〜一一行目「のたまふ」)

■84 紀伊守は父の家の女達が失礼をするのではないかと密かに心配する
  (九二頁一一行目「忍び忍びの」〜九三頁二行目「聞きたまひて」)

■85 光源氏は人近なのが有り難いと言い、内密に急いで紀伊守邸へ行く
                (九三頁二行目「その人」〜七行目)

■86 急な訪問を紀伊守は内心迷惑がるが光源氏の従者達は強引に居座る
              (九三頁八行目〜一三行目「植ゑたり」)

■87 光源氏は雨夜の品定めで良しとされた中の品はこの階層だと考える
          (九三頁一三行目「風涼しくて」〜九四頁四行目)

■88 光源氏は気位高いと聞いた伊予介の後妻空蝉目当てで母屋に近寄る
          (九四頁五行目〜一三行目「わが御上なるべし」)

■89 女達の噂を聞いた光源氏は藤壺の宮への恋が露見しなくて安堵する
          (九四頁一三行目「いといたう」〜九五頁七行目)

■90 光源氏は女の接待を所望するが紀伊守はわざと気づかぬふりをする
                    (九五頁八行目〜一三行目)

■91 故衛門督の末っ子である小君は空蝉と暮らしていると紀伊守が話す
            (九五頁一四行目〜九六頁七行目「と申す」)

■92 出仕予定の空蝉が伊予介の後妻となったことを光源氏は不憫と思う
     (九六頁七行目「あはれのことや」〜一二行目「のたまふ」)

■93 紀伊守は伊予介が空蝉を崇めていることに対し、好色だと非難する
       (九六頁一二行目「不意に」〜九七頁三行目「と申す」)

■94 光源氏は若い継母に相応しいと思っているらしい紀伊守を揶揄する
               (九七頁三行目「さりとも」〜八行目)

■95 眠れない光源氏は襖障子に寄って空蝉と小君の会話を立ち聞きする
               (九七頁九行目〜一五行目「言へば」)

■96 小君に似た声の女が空蝉だと察した光源氏は空蝉の位置を推し量る
   (九七頁一五行目「ここにぞ」〜九八頁五行目「みそかに言ふ」)

■97 心細い空蝉は中将の君を呼ぶが中将の君は湯浴みのため不在である
               (九八頁五行目「昼なら」〜一三行目)

■98 うとうとしている空蝉は中将の君が来たと思うが実は光源氏だった
            (九八頁一四行目〜九九頁四行目「思へり」)

■99 空蝉は怯えるが光源氏に恥をかかせることは出来ないので騒げない
                (九九頁四行目「中将」〜一二行目)

■100 光源氏が可憐な空蝉を愛しく思い、抱き上げると、中将の君が来る
          (九九頁一三行目〜一〇〇頁五行目「来あひたる」)

■101 中将の君は光源氏に気づいて驚くが、高貴な人だから引き離せない
        (一〇〇頁五行目「やや」〜一一行目「入りたまひぬ」)

■102 光源氏は言葉を尽くすが、空蝉は中将の君にどう思われたかと悩む
   (一〇〇頁一一行目「障子を」〜一〇一頁一行目「あさましきに」)

■103 光源氏から無体な仕打ちを受けた空蝉は低い身分ゆえかと非難する
        (一〇一頁一行目「現とも」〜六行目「けはひなれば」)

■104 光源氏は身分の違いをまだ弁えていないゆえの振る舞いだと訴える
      (一〇一頁六行目「その際々を」〜一一行目「のたまへど」)

■105 身分だけでなく容貌まで不釣り合いだと感じる空蝉は光源氏を拒む
       (一〇一頁一一行目「いとたぐひなき」〜一〇二頁一行目)

■106 光源氏はこれは前世からの因縁による契りだと、泣く空蝉を慰める
              (一〇二頁二行目〜八行目「恨みられて」)

■107 未婚なら逢瀬を喜んだかもしれないが今は人妻なのでと空蝉は嘆く
       (一〇二頁八行目「いとかくうき身のほどの」〜十四行目)

■108 光源氏は空蝉との再会も文のやりとりも難しいだろうと心を痛める
         (一〇二頁十五行目〜一〇三頁五行目「いと胸痛し」)

■109 光源氏は一旦は解放した空蝉を引き止めて泣きながら恋情を訴える
    (一〇三頁五行目「奥の中将も」〜十行目「いとなまめきたり」)

■110 空蝉は夫を愛していないが夫が自分の不貞を夢に見ることを恐れる
             (一〇三頁十行目「鶏も」〜一〇四頁一行目)

■111 明るくなり、二人は別れるが、襖が二人を隔てる関のように思える
                     (一〇四頁二行目〜六行目)

■112 光源氏は有明の月を見て後ろ髪引かれる思いで紀伊守邸を出立する
                    (一〇四頁七行目〜十五行目)

■113 光源氏は空蝉の苦しみを思いやりながら、中の品のよさを実感する
                     (一〇五頁一行目〜五行目)

■114 後日、光源氏は紀伊守を呼び出し、空蝉の弟を側で使いたいと話す
                    (一〇五頁六行目〜十二行目)

■115 空蝉の夫婦仲や容貌を知りたく思う光源氏は紀伊守に探りを入れる
                (一〇五頁十三行目〜一〇六頁六行目)

■116 五、六日後に参上した小君に、光源氏は空蝉のことを詳しく尋ねる
           (一〇六頁七行目〜十二行目「うち出でにくし」)

■117 光源氏は小君に、自分と空蝉がかつて恋仲だったと偽って文を託す
   (一〇六頁十二行目「されど」)〜一〇七頁一行目「ひろげたり」)

■118 光源氏の文を読んだ空蝉は泣き、思いがけない宿世を思って臥せる
              (一〇七頁一行目「いと多くて」〜六行目)

■119 翌日、小君が光源氏への返事を催促するが、空蝉は拒み、弟を叱る
                    (一〇七頁七行目〜十三行目)

■120 空蝉からの返事がないことを知った光源氏は落胆し、再度文を託す
        (一〇七頁十四行目〜一〇八頁五行目「またも賜へり」)

■121 光源氏は小君を側から放さず、世話をし、親代わりとして振る舞う
           (一〇八頁五行目「あこは知らじな」〜十三行目)

■122 空蝉は光源氏に心惹かれるが、身分不相応だと思い、返事はしない
                (一〇八頁十四行目〜一〇九頁五行目)

■123 光源氏は空蝉を始終恋しく思い、逢いたいが人目に触れたらと悩む
                     (一〇九頁六行目〜十行目)

■124 方違えのため光源氏は紀伊守邸へ赴き計略を伝えていた小君を呼ぶ
                (一〇九頁十一行目〜一一〇頁二行目)

■125 空蝉は光源氏からの文を読むが密会は出来ないので奥の部屋に移る
                     (一一〇頁三行目〜十行目)

■126 空蝉を捜し当てた小君は光源氏に頼りないと思われてしまうと泣く
              (一一〇頁十一行目〜十四行目「言へば」)

■127 空蝉は子供が恋の仲立ちをするのは慎むべきことだと小君を咎める
(一一〇頁十四行目「かくけしからぬ」〜一一一頁三行目「言ひ放ちて」)

■128 空蝉は独身ならばと思うが人妻なので情が強い女で通そうと決める
          (一一一頁三行目「心の中には」〜一一一頁十行目)

■129 不首尾の由を小君から聞いた光源氏は空蝉を帚木に例えた歌を詠む
         (一一一頁十一行目〜一一二頁三行目「のたまへり」)

■130 空蝉は光源氏のために奔走する小君が人に怪しまれないか心配する
                (一一二行目三行目「女も」〜九行目)

■131 光源氏は案内を頼むが姉はむさ苦しい場所にいるからと小君は断る
            (一一二頁十行目〜一一三頁一行目「聞こゆ」)

■132 光源氏は代償として小君を側に寝かせ、冷淡な姉よりも愛しく思う
              (一一三頁一行目「いとほしと」〜五行目)
posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年09月15日

【補訂2版】池田本の校訂本文「若紫」巻の小見出し(108項目)

 現在、池田本の校訂本文を作成中です。
 「桐壺」巻が完成に近づき、11月にはご希望の方に配布できるかと思います。

 引き続き「若紫」巻に着手しました。
 まずは、「桐壺」巻にならった詳細な小見出しができあがりました。
 これは、淺川槙子さん(国文学研究資料館・研究員)の労作に、私が手を入れたものです。

 この「若紫」巻の小見出しは、「桐壺」巻と同じように30文字に制限した文字数でできています。
 小刻みに物語を分割し、全108項目が並ぶものとなりました。
 参考までに、『新編日本古典文学全集』(小学館)は26項目、『新日本古典文学大系』(岩波書店)は38項目なので、これがいかに多いかがわかります。

 今回の公表にあたり、以下の3種類の情報を並べてみました。

(1)通し番号 小見出し(30文字)
(2)(池)池田本(旧翻字形式)※小見出しに対応する一部分を引用
(3)参照情報(池田本の丁数/大島本の丁数/小見出しが該当する最初の文節番号/『源氏物語大成』第1冊(中央公論社、1984年普及版初版)頁・行数/『源氏物語別本集成続 第2巻若紫〜花宴』(おうふう、2005年初版)/『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館、1994年初版)

 より便利な小見出しとなるように、お気付きの点など、ご教示のほどをよろしくお願いします。

--------------------------------------
【補訂2版】
「若紫」巻の小見出し(池田本の場合)

1 瘧病をわずらった光源氏はすすめにより北山の聖のもとへ出かける
  (池)わらはやみにわつらひたまひて
  (一オ/一オ/050001/151@/10/199)

2 聖は、峰が高い山に囲まれた奥深いところに籠り、修行をしている
  (池)三月のつごもりなれば
  (一ウ/一ウ/050074/151F/12/199)

3 光源氏は自分を誰とも知らせず、驚き騒ぐ聖から加持祈祷を受ける
  (池)のほり給て
  (二オ/二オ/050110/151J/13/200)

4 光源氏は高い所から見た目がきちんとしてきれいな僧坊を見つける
  (池)すこしたちいてつゝ
  (二ウ/二ウ/050162/152A/15/200)

5 なにがし僧都の僧坊で、光源氏は若い女性と子どもたちの姿を見る
  (池)きよけなるわらはなと
  (三オ/三オ/050217/152G/17/201)

6 供人たちは病を気にする光源氏を、気分転換のために外へ連れ出す
  (池)君はをこなひしたまひつゝ
  (三ウ/三オ/050250/152J/17/201)

7 光源氏は後ろの山から、遠くまでずっと霞がかかった景色を眺める
  (池)はるかにかすみわたりて
  (三ウ/三ウ/050273/152L/18/202)

8 良清は、光源氏に官位を捨てて播磨で暮らす明石の入道の話をする
  (池)ちかき所にははりまの
  (四オ/四オ/050327/153D/20/202)

9 光源氏は話を聞いて、誇り高いという明石の入道の娘に興味を持つ
  (池)さいつころまかりくたりて
  (五ウ/五オ/050420/154@/23/203)

10 明石の入道は上昇志向が強く娘は容貌と気立てが良いとの話が出る
  (池)けしうはあらす
  (六オ/五オ/050478/154E/25/203)

11 供人たちは明石の入道の娘を洗練されていない娘であると言い合う
  (池)かくいふははりまのかみの
  (六ウ/六オ/050529/154K/27/204)

12 娘を気にする光源氏を、供人は風変わりを好む性質があると察する
  (池)君なに心ありて
  (七オ/六ウ/050589/155C/29/204)

13 都へ帰ろうとした光源氏は大徳の言葉に従って明け方まで滞在する
  (池)くれかゝりぬれと
  (七ウ/六ウ/050615/155F/30/205)

14 夕暮れ時に僧房をかいま見た光源氏は、気品のある尼君を見つける
  (池)日もいとなかきに
  (八オ/七オ/050653/155J/32/205)

15 光源氏は二人の女房と女童たちの中にかわいらしい少女を見い出す
  (池)きよけなるおとなふたり
  (八ウ/七ウ/050718/156C/34/206)

16 幼い紫の上は、尼君に「雀の子を犬君が逃がした」と泣いて訴える
  (池)なにことそやわらはへと
  (九オ/八オ/050753/156H/35/206)

17 雀を逃がして残念そうな紫の上の様子に少納言の乳母が立ち上がる
  (池)このゐたるおとな
  (九ウ/八ウ/050778/156J/37/206)

18 尼君は自らの余命の少なさを語りつつ雀を追っている紫の上を諭す
  (池)あま君いてあなおさなや
  (九ウ/九オ/050809/157@/38/207)

19 光源氏は、思いを寄せる藤壺に紫の上が本当によく似ていると思う
  (池)つらつき
  (十オ/九オ/050836/157C/39/207)

20 尼君は亡くなった娘の話をしつつ、少納言の乳母と歌を詠み交わす
  (池)あま君かみを
  (十ウ/九ウ/050871/157F/40/207)

21 僧都から光源氏の訪れを聞いた尼君は、恥じて簾をおろしてしまう
  (池)僧都あなたよりきて
  (十一ウ/十オ/050951/158C/43/208)

22 僧都は尼君に、世間で評判である光源氏の姿を見てみないかと誘う
  (池)このよにのゝしり給ふ
  (十二オ/十ウ/050992/158G/44/209)

23 光源氏は紫の上に強く心をひかれ、藤壺の身代わりにしたいと思う
  (池)あはれなる人をみつるかな
  (十二オ/十一オ/051024/158J/45/209)

24 僧都の弟子は、光源氏が臥せるところにやって来て惟光を呼び出す
  (池)うちふし給へるに
  (十二ウ/十一ウ/051057/159@/47/210)

25 僧都の弟子を通じて、光源氏はなにがしの僧都の招きを受け入れる
  (池)いぬる十よ日の
  (十三オ/十二オ/051097/159E/48/210)

26 折り返し参上したなにがしの僧都とともに、光源氏は僧坊を訪れる
  (池)すなはち僧都まいり給へり
  (十三ウ/十二オ/051128/159H/49/210)

27 光源氏を招くため、僧坊にある南面の部屋はさっぱりと整っている
  (池)けにいと心ことに
  (十四オ/十二ウ/051173/160@/51/211)

28 光源氏は夢にかこつけて僧都から紫の上のことを聞き出そうとする
  (池)僧都よのつねなき御ものかたり
  (十四ウ/十三オ/051210/160D/52/211)

29 僧都は光源氏に、妹の尼君が故按察使大納言の北の方であると語る
  (池)うちわらひて
  (十五オ/十三ウ/051265/160I/54/212)

30 光源氏は僧都に故大納言と尼君の間に生まれた娘について質問する
  (池)かの大納言のみむすめ
  (十五ウ/十四オ/051309/161@/56/212)

31 紫の上の素性を知った光源氏は、藤壺に似ていることに合点がいく
  (池)さらはそのこなりけり
  (十六オ/十四ウ/051383/161G/59/213)

32 紫の上のことがいっそう気になった光源氏は、僧都に詳しく尋ねる
  (池)いとあはれにものし給ふ
  (十六ウ/十五オ/051412/161H/59/213)

33 光源氏は僧都に幼い紫の上を後見することを尼君に話すように頼む
  (池)あやしきことなれと
  (十七オ/十五ウ/051449/162@/61/214)

34 僧都は光源氏に、尼君に相談した上で返事をすると答えて堂に上る
  (池)いとうれしかるへき
  (十七ウ/十五ウ/051476/162C/62/214)

35 光源氏は悩ましい気持ちになり、夜が更けても眠ることができない
  (池)君は心ちもいとなやましきに
  (十八オ/十六オ/051530/162I/64/215)

36 奥の人が休んでいない気配を感じた光源氏は扇を鳴らして人を呼ぶ
  (池)うちにも人の
  (十八ウ/十六ウ/051569/162M/65/215)

37 歌を詠んだ光源氏は、女房に尼君へ取り次いでもらうようにと頼む
  (池)すこししそきて
  (十九オ/十七オ/051606/163C/67/215)

38 光源氏が紫の上にあてた歌を耳にした尼君は歌の内容を不審に思う
  (池)あないまめかし
  (十九ウ/十七ウ/051670/163K/69/216)

39 歌を返した尼君に対し、光源氏は紫の上への切実な気持ちを訴える
  (池)かうやうのつてなる
  (二十オ/十八オ/051703/164B/70/217)

40 困惑している尼君の気づまりな態度に光源氏は謙虚な言葉をかける
  (池)うちつけにあさはかなりと
  (二十ウ/十八ウ/051747/164G/72/217)

41 光源氏は尼君に自分の体験を語りつつ、紫の上との結婚を申し出る
  (池)あはれにうけ給はる
  (二十一オ/十九オ/051773/164J/73/217)

42 尼君は紫の上が幼く不似合いなことを理由に光源氏の申し出を断る
  (池)いとうれしうおもひ
  (二十一ウ/十九ウ/051814/165A/75/218)

43 僧都がお勤めから帰って来られたので光源氏は尼君の前を退出する
  (池)僧都おはしぬれは
  (二十二オ/051870/165H/77/218)

44 明け方、深山の景色を見ながら、光源氏は僧都と和歌の贈答をする
  (池)あかつきかたになりにけれは
  (二十二ウ/二十オ/051880/165I/77/219)

45 身動きできぬ聖は、光源氏のために護身の修法をして陀羅尼を読む
  (池)ひしりうこきも
  (二十三オ/二十ウ/051948/166B/79/219)

46 光源氏は迎えの人からの祝いと僧都から酒などのもてなしを受ける
  (池)御むかへの人々
  (二十三オ/二十一オ/051967/166C/80/220)

47 杯をいただいた聖は涙をこぼして光源氏を拝み、守りの独鈷を渡す
  (池)ひしり御かはらけ
  (二十四オ/二十一ウ/052052/166B/83/219)

48 紫の上を引き取りたい光源氏に尼君は四五年先ならばと返事をする
  (池)うちにそうついり給て
  (二十五オ/二十二ウ/052124/167I/86/222)

49 光源氏を迎えに頭中将や左中弁たちなどの公達が都からやって来る
  (池)御車にたてまつる程
  (二十五ウ/二十三オ/052190/168A/88/222)

50 頭中将は懐の横笛を出して吹き、弁の君は扇を鳴らし催馬楽を謡う
  (池)頭中将ふところなりける
  (二十六ウ/二十三ウ/052248/168G/90/222)

51 僧都も自分から琴を持ち出して、光源氏に琴を弾いてほしいと頼む
  (池)そうつきんを身つから
  (二十七オ/二十四オ/052289/168L/92/223)

52 光源氏の姿に法師と童べは感涙し、尼君たちや僧都は彼を絶賛する
  (池)あかすくちおしと
  (二十七オ/二十四ウ/052317/169@/93/224)

53 幼心に光源氏に思いを寄せる紫の上は、人形に源氏の君と名付ける
  (池)このわかきみおさな心ちに
  (二十七ウ/二十五オ/052359/169E/94/224)

54 帰京した光源氏は、宮中へあいさつに伺って父桐壺の帝と対面する
  (池)きみはまつは内にまいり給て
  (二十八オ/二十五オ/052399/169I/95/225)

55 宮中を出た光源氏は、正妻葵の上の実家である左大臣邸へと向かう
  (池)大殿まいりあひ給て
  (二十八ウ/二十五ウ/052433/169M/97/225)

56 光源氏は久しぶりに葵の上と対面するものの、二人の心は通わない
  (池)殿にもおはしますらんと
  (二十九オ/二十六オ/052482/170D/99/226)

57 古い歌を引用して恨み言を述べる葵の上を光源氏は避けようとする
  (池)からうしてとはぬは
  (三十オ/二十七オ/052574/170M/102/226)

58 光源氏は葵の上への不満と反対に紫の上への思いが強くなっていく
  (池)かのわかくさのおひいてむ
  (三十ウ/二十七ウ/052635/171I/104/227)

59 帰京した翌日、光源氏は僧都や尼君などがいる北山へ消息をおくる
  (池)又のひ御文たてまつれたまへり
  (三十一オ/二十八オ/052682/171K/106/228)

60 僧都からの返事を残念に思った光源氏は、惟光を使者として遣わす
  (池)僧都の御返もおなしさまなれは
  (三十二ウ/二十九オ/052774/172I/109/229)

61 惟光は少納言の乳母に面会するものの、周囲の人々から警戒される
  (池)わさとかう御文あるを
  (三十二ウ/二十九ウ/052806/172L/111/229)

62 光源氏は王命婦の手引きで、病気で里邸に退出中の藤壺と密通する
  (池)ふちつほの宮なやみたまふ
  (三十三ウ/三十オ/052889/173G/113/230)

63 光源氏は邸に帰った後、藤壺と密通したことを思い悩んで泣き臥す
  (池)殿におはしてなきねにふしくらし
  (三十五オ/三十一ウ/053016/174I/118/232)

64 藤壺の懐妊という密通の結末を、王命婦はあまりに嘆かわしく思う
  (池)宮も猶いと心うき身なりけりと
  (三十五ウ/三十二オ/053047/174L/119/232)

65 ただ事ではない異様な夢を見た光源氏はわが身に起こる運命を知る
  (池)中将のきみもおとろ/\しう
  (三十七オ/三十三オ/053160/175K/123/233)

66 七月になり、宮中に帰参した藤壺へ桐壺の帝の寵愛はいっそう増す
  (池)七月になりてそまいり給ひける
  (三十七ウ/三十四オ/053233/176E/125/234)

67 光源氏は六条京極から帰る途中に、帰京して療養中の尼君を見舞う
  (池)かのやまてらの人は
  (三十七ウ/三十四ウ/053288/176K/127/235)

68 病床の尼君は、紫の上が成長した暁には光源氏に託すことを決める
  (池)いとむつかしけに侍れと
  (三十九ウ/三十五ウ/053416/177K/132/237)

69 光源氏は紫の上の無邪気な声を聞き清純な彼女にいっそうひかれる
  (池)いとちかけれは心ほそけなる
  (四十ウ/三十六ウ/053492/178E/135/238)

70 翌日、光源氏は尼君への見舞いとともに紫の上へも結び文をおくる
  (池)又のひもいとまめやかに
  (四十二オ/三十七ウ/053620/179D/139/238)

71 十月に朱雀院の行幸が予定され、舞人は練習など多忙な日々を送る
  (池)十月にすさく院の行幸あるへし
  (四十三オ/三十八ウ/053711/180@/143/239)

72 尼君の死去という知らせが届き光源氏は母更衣との死別を思い出す
  (池)やまさと人にも
  (四十三オ/三十九オ/053744/180C/144/240)

73 夜、光源氏は自分から、忌みの期間が終わった紫の上の邸を訪れる
  (池)いみなとすきて京のとのに
  (四十四オ/三十九ウ/053797/180I/146/240)

74 光源氏は少納言の乳母に紫の上への気持ちを伝えて歌を詠み交わす
  (池)なにかかう
  (四十五オ/四十ウ/053894/181F/149/241)

75 尼君を恋い慕って泣く紫の上は、訪問した光源氏を父と勘違いする
  (池)きみはうへをこひきこえ給て
  (四十五ウ/四十一オ/053959/182@/152/242)

76 少納言の乳母は紫の上を年よりも幼い様子であると光源氏に伝える
  (池)宮にはあらねと
  (四十六オ/四十一ウ/053986/182C/153/242)

77 幼い紫の上の手を強引にとらえる光源氏に少納言の乳母は困惑する
  (池)てをとらへたまへれは
  (四十六ウ/四十二オ/054049/182J/155/243)

78 あられが降り風が激しく吹く夜、光源氏は紫の上の御帳の中に入る
  (池)あられふりあれて
  (四十七オ/四十二ウ/054106/183A/157/244)

79 少納言の乳母がため息をつく中、光源氏は紫の上に一晩中寄り添う
  (池)めのとはうしろめたなう
  (四十七ウ/四十三オ/054149/183F/158/244)

80 女房たちは、悪天候の中での光源氏の訪問が心細さを慰めたと話す
  (池)夜ひとよ風ふきあるゝに
  (四十八ウ/四十三ウ/054209/183M/160/245)

81 尼君の四十九日後に、兵部卿宮は紫の上を邸に引き取る意向を示す
  (池)宮も御むかへになと
  (四十八ウ/四十四オ/054258/184D/162/245)

82 紫の上と別れた後、光源氏はかつて通った女性の家の門を叩かせる
  (池)いみしうきりわたれる
  (四十九ウ/四十四ウ/054287/184H/163/246)

83 光源氏は紫の上のかわいらしい面影が恋しくて文を書き絵をおくる
  (池)おかしかりつる人の
  (五十オ/四十五オ/054351/185C/166/247)

84 父兵部卿宮は少納言の乳母に、紫の上を引き取ることをうち明ける
  (池)かしこにはけふしも
  (五十ウ/四十五ウ/054377/185E/167/247)

85 紫の上の着物がしおれているのを目にした兵部卿宮は、娘を憐れむ
  (池)ちかうよひよせたてまつり
  (五十一オ/四十六オ/054425/185J/168/248)

86 少納言の乳母の言葉と紫の上の様子に兵部卿宮はもらい泣きをする
  (池)よるひるきこゑ給に
  (五十一ウ/四十六ウ/054484/186C/170/248)

87 紫の上は幼いながらも、自分の身の上と今後の事を思って涙を流す
  (池)ゆくさきのみの
  (五十二オ/四十七オ/054542/186H/171/249)

88 光源氏は宮中へ行く自分の代わりに、惟光を紫の上の屋敷に遣わす
  (池)きみの御もとよりはこれみつを
  (五十二ウ/四十七ウ/054588/186M/173/249)

89 少納言の乳母は、屋敷を訪問した惟光へ自分の考えと不安を訴える
  (池)少納言はこれみつに
  (五十三オ/四十八オ/054632/187D/175/250)

90 光源氏は惟光から父兵部卿宮が紫の上を引き取る予定であると聞く
  (池)まいりてありさまなときこゑけれは
  (五十四オ/四十八ウ/054698/187L/177/251)

91 左大臣邸に来ている光源氏は惟光に紫の上を連れ出すことを命じる
  (池)きみは大殿におはしけるに
  (五十四ウ/四十九ウ/054757/188E/179/251)

92 思案のあげく、光源氏は滞在中の左大臣邸から夜明け前に出かける
  (池)きみいかにせまし
  (五十五ウ/五十オ/054827/188L/182/252)

93 少納言の乳母が応対に出るものの光源氏は制止も聞かずに奥へ入る
  (池)かとうちたゝかせ給へは
  (五十六オ/五十ウ/054889/189F/184/253)

94 光源氏は父宮の使いであると嘘をついて、寝ている紫の上を起こす
  (池)きみはなに心もなくね給へるを
  (五十七オ/五十一ウ/054963/190@/187/254)

95 二条院へ誰か来るようにと指示して、光源氏は紫の上を連れて行く
  (池)きこゆこゝにはつねにも
  (五十七ウ/五十二オ/055006/190D/189/254)

96 少納言の乳母は困惑するものの紫の上のことを思って涙をこらえる
  (池)二条院はちかけれは
  (五十八ウ/五十二ウ/055081/190L/191/255)

97 紫の上のために、光源氏は通常は使わない対屋に調度などを整える
  (池)こなたはすみ給はぬたいなれは
  (五十九オ/五十三オ/055147/191E/193/256)

98 二条院へ連れてこられた紫の上は、気味が悪くなり体をふるわせる
  (池)わかきみはいとむけつけう
  (五十九ウ/五十三ウ/055173/191I/195/256)

99 少納言の乳母は、輝くばかりの立派な二条院で間の悪い思いをする
  (池)あけゆくまゝにみわたせは
  (六十オ/五十四オ/055205/191L/196/256)

100 かわいらしい女童を呼び寄せた光源氏は休んでいた紫の上を起こす
  (池)御てうつ御かゆなと
  (六十ウ/五十四ウ/055247/192C/197/257)

101 紫の上の気をひこうと、光源氏は面白い絵などを見せて相手をする
  (池)御かたちは
  (六十一オ/五十五オ/055301/192H/199/257)

102 紫の上は光源氏が留守にしている間に、二条院のあちこちを見回す
  (池)ひんかしのたいにわたり給へるに
  (六十一ウ/五十五オ/055341/192M/201/258)

103 留守にする光源氏は紫の上のために手習いの手本などを残していく
  (池)きみは二三日内へも
  (六十一ウ/五十五ウ/055377/193B/202/258)

104 光源氏は紫の上へ手習いを教え、人形などの家を作って一緒に遊ぶ
  (池)いてきみもかいたまへとあれは
  (六十二オ/五十六オ055428/193H/203/259)

105 事情を知らぬ兵部卿宮は紫の上の失踪を嘆き、少納言の乳母を疑う
  (池)かのとまりし人々は
  (六十三オ/五十七オ/055505/194C/206/260)

106 継母の北の方は、紫の上を意のままにできなくなったのを残念がる
  (池)きたのかたも
  (六十四オ/五十七ウ/055584/194K/209/260)

107 紫の上は尼君を慕って泣く時があるものの、光源氏にもなれ親しむ
  (池)やう/\人まいりあつまりぬ
  (六十四オ/五十八オ/055597/194M/210/261)

108 光源氏は、かわいらしい紫の上を「風変わりな秘蔵っ子」だと思う
  (池)ものよりおはすれは
  (六十四ウ/五十九オ/055646/195D/211/261)
 
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posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年09月14日

聞いてわかる科研の研究計画調書を公開

 昨年度より取り組んでいる科研「挑戦的萌芽研究」で公開しているホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)で、新たな見出し項目を追加しました。

 これまでの項目に「聞いてわかる研究計画調書」が増えましたので、この場を借りて報告します。


160914_kitewakaru





 これで、ホームページの見出しタイトルは、以下の通り6項目となりました。
 さらに詳しい目次は、「サイトマップ」をご覧ください。


「古写本『源氏物語』の触読研究」(トップページ)
「計画」
「聞いてわかる研究計画調書」(新設)
「触読通信」
「研究会報告」
「サイトマップ」


 この「聞いてわかる研究計画調書」は、目に障害がある方がパソコンのスクリーンに表示された文章を読み上げさせることで、本科研の研究計画を耳で理解していただくために作成したものです。

 ウインドウズのユーザーは、OSに標準でインストールされている「ナレーター」というスクリーンリーダーで聞くことができます(私はマックユーザーなので、できるそうです、と言っておきます)。ただし、これはあまり完成度が高くないようで、「NVDA」や「PC Talker」を使っておられる方が多いかもしれません。「PC Talker」は私も使ってみました。多機能で使い勝手がいいと思いました。ただし、4万円もするので思案なさっている方が多いのではないでしょうか。

 マックをお使いの方は、アクセシビリティには長年の蓄積があるので「VoiceOver」で十分です。私はこの「VoiceOver」で確認しました。
 しかし、文章に手を入れて、わかりやすいものに改善すべき点は、まだまだあります。

 ウインドウズとマックには関係なく、聞いてみての感想を、本ブログのコメント欄を通してお寄せいただけると幸いです。

 なお、この取り組みは、科研運用補助員の関口祐未さんの労作です。
 今後とも、本科研のホームページの利用者のために、さらなる工夫を盛り込んでいくつもりです。

 変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 21:37| Comment(0) | 古典文学

2016年09月13日

千代田図書館での古書販売目録の調査の方針変更

 朝から雨模様です。
 午前中は、九段坂病院で診察と治療を受けました。
 お昼に終わると、すぐ前に聳え立つ10階建ての千代田区役所へ移動です。
 今日は千代田図書館で、古書販売目録の調査をすることになっているのです。

 まず、その最上階にあるレストランで、昼食をいただきました。
 一人で外食をすると、突然ノドを通らなくなったり、腹痛に見舞われることがよくあります。そのため、外で一人の時は、安心安全な和定食にしています。

 展望ガラス越しに皇居を眺めました。清水門のまわりの緑と清水濠の水草の緑が小雨に煙っていて、微妙な色の深さと変化が印象的です。


160913_simizumon




 午後1時前に、1階のロビーに降りました。日比谷図書文化館での講座に参加しておられる4人の方と待ち合わせです。体験を兼ねたお手伝いに来てくださったのです。なかなか得難い体験ができると思い、お誘いしました。

 この古書販売目録の調査は、遅々として進んでいません。しかも、これまでに見終えたものは、全体の百分の一に過ぎません。

 中途半端なままで打ち切りとなることを避ける意味からも、今日の調査からは『源氏物語』に関する写真が掲載されているものだけに限定して採録し、その写真は画像として記録することにしました。
 これまでは悉皆調査をしていたので、目録に掲載されているすべての書目に目を通し、『源氏物語』に関係する情報を抜き出していました。
 実は、これが意外と脇道に逸れやすく、つい目的を忘れて膨大な書物の森に誘われてしまいます。いろいろなことに興味が拡散し、いつしか時の経つのも忘れていることが多かったのです。

 それを、『源氏物語』の写真が掲載されているものだけとなると、かかる時間も手間も入力作業も格段に減ります。

 この方針転換により、加速度的に調査が進捗しました。おまけに、今日は4人の助っ人がいらっしゃいます。

 今日の驚異的な作業により、「即売会1〜24」「展覧会1〜4」の2つのグループの収納ケースが終わりました。私1人が、これまでの方針で取り組んでいたら、今日のこの量をこなすのに3年以上はかかっていたことでしょう。

 ただし、写真掲載の情報だけを抜き出す方法にも、当然のことながら危ういとこがあります。
 例えば、次のような記事が見つかると、やはり写真がないからといってパスするわけにはいきません。


160913_geinjilist




 これは、昭和25年3月30日・31日に東京古書会館で開催された「古書即売展出品目録」(資料番号:5905、東京古典会)の一部です。

 これには追加目録もあります。


160914_tuika




 この追加目録に掲載されている次の上段末尾の記事は、またいつ出合えるかもしれないものなので、この謄写刷りの写真だけは撮っておきました。


15 源氏物語 室町時代書写 紹巴ノ本ヲ以テ句切朱点 箱入 五 一、八〇〇
  ○紅葉の賀○みをつくし○よもきふ○朝顔○ふちはかま
16 源氏物語紹巴抄 里村紹巴(紫源抄) 原装極上本 三〇 三、五〇〇


 しかし、こんなことがあるからといって、また悉皆調査の手法ですべてを見るのは、いくら時間があってもきりがないのです。やはり今後は、こうしたものは目に付いたら写真に残しておくことに留めます。

 今回は、手際よくどんどん付箋で目印をつけてもらい、それを私がパソコンに入力しては撮影しました。ただし、私のデータ記録が追いつかず、次はその入力をから始めることになります。
 しかし、この写真が掲載された『源氏物語』に関する情報を収集するだけでも、貴重なデータ群となります。

 確かに、DVDに収録されている別のデータベースで『源氏物語』だけを検索する方法もあります。しかし、やはり一冊ずつ目録を見ていくことの正確さは、比較にならないほどの意義があります。

 今後は、今日からの新しい方針で、ひたすら前に向かって進んでいくことにします。
 この調査に興味をもたれた方は、このコメント欄を通してお知らせください。
 次回の調査日時などをお知らせします。
 
 調査を終えてから、みなさんと一緒に九段下駅の近くのお店「ネバーランド カフェ」で、少しお酒を口にしながら楽しい一時を過ごしました。おつまみはチーズだけというシンプルなテーブルでした。しかし、古典から政治までと多彩な内容で、なかなか得難い時間を共にすることができました。遅くまで、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 さらには、このお店を教えてくださった千代田図書館の河合さんとコンシェルジュの方にも、お礼を申し添えます。いいお店でした。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年09月12日

国文研蔵「橋本本 若紫」〈その4〉傍記の削除と書写者

 橋本本「若紫」は、書写の過程や書写後に、丹念な削除による本文の補訂をしています。本行はもちろんのこと、傍記にもその跡が数多く確認できます。

 まず、1丁表の5行目にある例をあげます。


160912_mu0




 この行間で、一文字が擦り消されていることがわかります。
 ここは、「〜き堂【山】なな尓可し〜」と書写しているところです。
 この「る」にミセケチ記号である「=」を付け、その右に「む」かと思われる一文字が書かれていたようです。ここで、傍記が「む」であったのではないかと思うのは、紙面を削った跡の繊維を目で追うと、「む」のように見えるからです。

 この箇所を拡大鏡を取り付けたカメラで撮影すると、次のような画像が得られました。


160912_mu1




 残った墨痕と削られた繊維の流れから、ここに書かれていたのは確かに「む」であることがわかります。さらに、ミセケチ記号の「=」は削除していないこともわかります。

 参考までに、諸本と本文を較べてみました。
 確かに、「北山なる」と「北山になむ(ん)」の2種類の本文が伝わってきています。そして、橋本本は「北山なる」のグループに属する本文を伝承しているのです。私が〈甲類〉とするグループです。流布本として読まれている大島本とは異なるグループです。
(なおここでも、翻字は「変体仮名翻字版」が間に合わないので、復元性の低い従来の翻字で掲示します。)


 きた山なる[尾高尾]

 北山なる[天]

 きた山に[中]

 きた山になむ[大肖]

 きたやまになむ[保]

 北山になん[麦阿]

 きた山になん[陽御国穂]

 きたやまになん[池日伏]


 書写者あるいは校訂者は、「き堂【山】なる」と書き、その後、「る」をミセケチにして異文である「む」と傍記して「き堂【山】なむ」という本文に補訂したのです。しかし、どうしたことか、傍記の「む」を後で削除することになったのです。

 ここは、本文を書写した時点での本文訂正や校訂ではなくて、書写後に他本で本文を校訂したか、親本の書写状態をそのまま写し取ったけれども不要と判断したものかと思われます。書写者ではなく、校訂者の判断が入っている箇所です。
 また、削除した文字の一部が残っていることと、ミセケチ記号に削除の手が入っていないので、補訂が不徹底なままに放置されている例ともなっています。

 本書の削除は徹底的に削る傾向があります。書写し始めてすぐのことでもあり、後の人の手ではないかと思っています。

 次は、11丁裏の8行目にある例です。


160912_koso0




 これは、本行の「く」の右側に補入記号の「◦」を付した上で、傍記として「ものし給」と書かれているところです。
 ここをよく見ると、傍記の「給」の下に文字が削除されたかと思われる、紙面の乱れが認められます。

 拡大写真を撮ると、次のようになっていることがわかりました。


160912_koso2




 諸本の本文とも対照させると、ここで削られた文字は「こ楚」であることが判明します。そう思ってみると、確かに残っている墨痕と削られた繊維の流れから、そのような文字が浮かび上がります。ただし、私が現在までに確認した17本すべてに「こそ」があるので、橋本本がこの「こそ」を削除している意味は不明です。

 国文学研究資料館所蔵の橋本本「若紫」には、こうした本文を補訂するために紙面を削った痕跡が無数にあるのです。

 この写本がどのようにして書写され、どのような訂正の手が入ったものかを、こうしてなぞられた箇所から推測することを、これからも時間をかけて点検し確認していくつもりです。それによって、書写や校訂された現場の再現が可能になると思っています。

 写本が出来るその裏側で、その時代の人がどのように関わってきたのかは、非常に興味深い問題を提示してくれます。特に、なぞられた箇所は、書写者や校訂者の強い意思を伴った営為が読み取れるので、本が写された時代の人々のありようを探求する上で、貴重な情報や読み解く資料がもらえるのです。

 私はまだ、興味のおもむくままに写本の背景を想像して楽しんでいるレベルです。しかし、こうした訓練を続けていると、いつか書写者に、この写本で言えば鎌倉時代の人と気持ちが通じるのではないかと、それを楽しみにして読み続けています。

 物語の内容と共に、写本を書き写している人とも対話を楽しんでいるのです。
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | 変体仮名

2016年09月11日

江戸漫歩(141)築地市場移転延期で話題の豊洲でお買い物

 築地市場が豊洲に移転することとなり、今秋11月7日が豊洲市場の開場日でした。このことは、「江戸漫歩(139)有明豊洲地域を見て五輪とマンションを想う」(2016年08月04日)に記した通りです。

 そこでは、「この地域の土壌汚染の問題は未解決で、移転反対の動きも解決していません。さて、新都知事の小池さんは、この問題にどう対処されるのでしょうか。」と書きました。

 その移転話に、暗雲が立ち込め出しました。さまざまな利権絡みで、強引な設計や工事などが行われていたことが、昨日のニュースによると明るみに出だしたようです。さらなる移転の見直しとなると、東京五輪のことにも関連して、ますますこの有明豊洲地域が注目されることでしょう。

 宿舎から近いこともあり、買い物がてらこの豊洲を散策しました。

 新橋駅からやって来る「ゆりかもめ」(東京臨海新交通臨海線)は、この豊洲駅が終点です。
 その駅前には、線路が地上で寸断された姿を見せています。2006年に開業したこの路線は、当初は延伸の予定だったそうです。しかし、今は対象外になっているとのことで、これからこの剥き出しの鉄路がどうなるのか、気になるところです。まさか、この無粋な景観のままで東京五輪を迎えることはないと思いますが。


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 宿舎がある西に目を転ずると、「越中島」「晴海」「銀座」という地名の表示が見えます。都心に向かう晴海通りです。この通りの下を、東京メトロ有楽町線が走っています。


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 ここから左手に、おしゃれな巨大ショッピングセンターの「ららぽーと豊洲」があります。その豊洲駅側は、広大な土地で工事が進んでいます。この次に来ると、この景観も様変わりしていることでしょう。


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 「ららぽーと立川立飛」が、昨年12月に職場の近くにできました。いつか行こうと思いながら、そこにはまだ行っていません。

 豊洲駅前の晴海通り角から豊洲運河を望むと、これからの東京五輪を見越してさらに町並みが変わりそうな気配を感じます。


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 この通りで、回転寿司屋さんを見つけました。


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 昨秋、屋号を変えてオープンしたのだそうです。築地市場の移転を意識した改名なのでしょうか。
 新しくなっていたことに気付かないままでした。自称回転寿司ウオッチャーとしては迂闊でした。血糖値のことを考えて糖質制限食を意識してからというもの、あれだけ好きだったお寿司を、確かにあまり食べなくなっていました。近所の回転寿司屋さんが閉店したことも一因です。
 最近主治医からは、もっとご飯を食べて身体を作ることを意識したらいい、と言われています。これからは、以前のように折を見てはお寿司を食べ歩こうかと思っています。

 このお店は、清潔なシステムでした。


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 レーンに流れているお寿司をいただくよりも、注文した方が楽しいのです。
 もっとも、目指すお寿司を、タッチパネルに表示されている文字列からイメージして辿り着くのは、なかなか面倒なことです。限られた画面を見て選ぶことをやってみて、写真の一覧から選ぶことの効率のよさを実感しました。

 この iPad の画面をタッチして注文すると、上のレーンにトレーが大急ぎで滑るようにして運んで来ます。その素早さが気持ちいいのです。下を流れるお寿司は、一度も手にしませんでした。


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 ただし、まだこのシステムは開発途中のようで、バラバラの感じがしました。

 上のレーンに注文したお寿司が飛んで来ます。しかし、その運ばれてきたトレイは、タッチパネルの返却というボタンを押さないと、戻ってくれないのです。押し忘れていると、店員の方が返却ボタンを押してくださいと、催促に来られます。

 また、タッチパネルなので、押したという感触がなくて、何度も同じボタンを押してしまいました。

 さらには、精算の時に、店員の方がiPhone を片手に皿の数を色別に入力して計算しておられます。せっかく iPad で注文しても、その iPad と店員さんが持つ精算用の iPhone が連動していないのです。別のお店のように、皿に仕掛けをしてもいいと思われます。

 とにかく導入してみました、というレベルであり、試行錯誤の段階のようです。

 さまざまな挑戦がなされている、世界に冠たる日本の回転寿司は、文化としてさらに発展していくことが期待できます。
 常に進化していると言われる回転寿司です。血糖値のことはそれとして、また少しずつ生活に取り入れていこうと思います。そのきっかけをもらえた、好感のもてるお店との出会いでした。
posted by genjiito at 21:38| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年09月10日

国文研蔵「橋本本 若紫」の破損個所〈その3〉

 国文研蔵「橋本本 若紫」の後半には、綴じ目から大きく破損した個所があります。
 その中でも、微かに読める部分は、最大限の方策を尽くして読み取るようにしています。

 国文学研究資料館からいただいた画像データで、61丁裏と62丁表の見開き下の部分を例にあげて確認します。


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 上掲画像の右側から左へと翻字すると、次のようになります。


〜閑く八あ里

〜ん△△△□

−−−−−−

〜ふ可△△□

    さし

〜ひしよ里も



 右から2行目を無理やり読めば、「ん」の次が「よ」の頭らしく見えます。その次は「き」の右半分、その次は「れ」の右側のように見えます。
 欠けている文字の境界を確認すれば、さらにこの文字が推測しやすくなるはずです。
 この個所の破損状況がよくわかるようにするために、実見による調査の際、裏に白紙を差し入れて背景をなくして際立たせてみました。


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 これで、破損個所のありようが明らかになりました。そして、微かに残った文字の残存部分から、書かれていた文字がより正確に推測できるようになりました。
 さらに、この箇所での諸本の本文を確認することにより、それがさらに明確になります。
 昨日もそうであったように、まだ「変体仮名混合版」での翻字が進んでいないので、ここでは再現性に問題があるのを知りつつも従来の翻字で確認しています。

 手元の翻字本文資料で確認したところ、右から2行目下の諸本はすべて「よきなと」(陽明文庫本だけは「よきなんと」)となっています。
 橋本本のこの破損個所は、「よきなと」と書かれていたと思われます。

 次に、その左丁一行目下の諸本の異同は、次のようになっていました。


かほ△…△/ほ〈判読〉[橋]・・・・055301

 かほかたちは[尾中高天尾]

 御かたちは[大麦阿池御国日穂保伏]

 御かたちは/=ミ[肖]

 御かほかたちは[陽]

さしはなれて[橋=大中麦阿陽池御肖日穂保伏高天尾]・・・・055302

 さしはなれて/△〈削〉れ[尾]

 さしはなれて/は〈改頁〉[国]



 ここでも、「若紫」の本文は2つにしか分別できないことがわかります。
 そのことは今は措き、破損個所の推測をします。

 橋本本の破損個所は、同じグループ[尾中高天尾]が伝える「かほかたちは」だったと思われます。もう一つのグループ(現在の流布本となっている大島本等)の「御かたちは」ではない、ということです。ここからも、この橋本本は現在流布する大島本による本文とは異なることばを伝える写本だったことがわかります。

 行末の左側に「さし」が書き添えられています。これは、次に続く「さしはなれて」の語頭の部分を、親本通りに一行目に書写しようとしたために、左横にはみ出して書かれたものです。それだけ、この写本は親本に忠実に書写しようとする姿勢が見られるものだといえます。

 こうしたことを勘案すると、ここは、次のように書かれていたことが判明します。文字が欠脱していて推測する手だてがまったくない場合は、□を使って示します。
 

閑く八あ里

よき那(判読)

−−−−−−

ふ可本(判読)△□□□

   さし

ひしよ里も




 この箇所では、白紙を差し込むことで、新たに文字が読めるようになることはありませんでした。
 麦生本(天理図書館蔵)は膨大な虫食いがある写本であり、穴から下の文字が見えるために、写真資料だけでは線が重なって別の文字に読めたりしました。そこで、図書館の司書の方の手を煩わせて、薄様等を差し入れて読んだことを思い出します。

 麦生本などの翻字において、影印資料だけではとんでもない翻字をすることがある、という経験をしたので、この橋本本でも慎重に対処しました。幸いなことに、そうした微妙な判断を伴う例はなかったことに安堵しています。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 変体仮名

2016年09月09日

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その2〉(本文2分別のこと)

 古写本『源氏物語』のなぞりに関して、国文研蔵「橋本本 若紫」の書写状態を確認しています。

 58丁表の6行目には、昨日取り上げた「多つねいて・堂万へらん」に続けて、「いと・春ゝろ尓(改行)」とあります。


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 この行末の「春ゝろ尓」という箇所には、2つのなぞりが確認できます。

 まず、「春ゝろ尓」の「春」とある文字では、その文字の下に「そ」が隠れていることが精細な写真からもわかります。「そ」と書いた後、その上から「春」をなぞっています。


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 行末の「尓」にも、なぞりがあります。


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 ここでは、「八志」と書いた文字を紙面から削り、その上に「尓」と書いています。

 つまり、ここでは「いと・そゝろ八志」と書いて改行する時に、「そ」の上に「春」をなぞって書き、「八志」という2文字については、削った後に大きく「尓」と書いているのです。
 こうして、最終的な文字は「春ゝろ尓」となります。

 このようになぞった原因としては、次の行が「者し多那可るへき」と続くことから、次の行頭の「者し多…」の「ha si」という音が書写者の意識に残っていたことが考えられます。

 古写本では、行末や丁末にケアレスミスが多発します。それは、親本を手で書き写しながら、目は次の行や次のページに移っているからです。書写する人の気持ちは、次へ次へと流れていっているので、改行や改丁という物理的な変化が、書写者のミスを誘発するのです。先を見る視線の移動と、筆で文字を書く手の動作とが、この行末や丁末でズレが生まれるのです。

 書かれている本文に立ち入って、もう少し詳しく説明します。

 私がこれまでに「若紫」で翻字した15本の写本の本文を較べると、次のような本文の異同が確認できます。まだ「変体仮名翻字版」のデータベースが出来ていないので、非常に不正確ながらも従来の現行ひらがなだけを使った翻字による校合結果を示します。(こんな問題を考える時には、変体仮名の使われ方がわかる「変体仮名翻字版」で校合できる日が待ち遠しく思われます。)


いと[橋=尾中陽高天]・・・・054849

 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]

すゝろに/そ&す、はし〈削〉に[橋]・・・・054850

 すゝろに[尾中陽高]

 はしたなう[大麦阿池御国肖日穂保伏]

 心に[天]

はしたなかるへきをと[橋=尾中陽高天]・・・・054851

 すゝろなるへきをと[大麦阿池御肖保伏]

 すゝろなへきをと[国日]

 そゝろなるへきおと[穂]



 「いと」を始めとして、この異文を見ると、橋本本と同じ本文を伝えるのは[橋尾中陽高天]の6本であることがわかります([天]は少し違いますが)。今、煩わしくなるので、諸本の略号の説明は省略します。
 そして、ここからだけでも、本文が2つにわかれることがわかります。

 池田亀鑑は、『源氏物語』の本文を、〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類しました。しかし、この諸本分類の基準については、近年さまざまな形で問題点の指摘がなされ、今は再検討の時期に入っています。阿部秋生氏の『源氏物語の本文』(昭和61年、岩波書店)以来、『源氏物語』の本文はその足元がすでに不安定な状態になっていたのです。

 古典の中でもよく読まれる『源氏物語』において、その基礎的研究とでもいうべき本文研究は、非常に遅れています。80年もの長きにわたり、停滞ではなくて停止しているのです。
 大島本が微に入り細に渡って読まれ続けています。しかし、大島本には独自異文が多いこともよく知られているので、いったい今なにを読んでいるのかを自覚する必要があります。この大島本が現状では『源氏物語』を理解する唯一の本文なので、この研究環境は基本的なところから整備する必要を痛感しています。
 その背景には、池田亀鑑が成した仕事の大きさが横たわっています。私は、呪縛だと思っています。
 と言いながら、もう30年が過ぎようとしています。
 自分のためにも、本記事の末尾で一つの方向性を示すことにしました。

 さて、池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っています。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和13年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理した場合にのみ適用できることだといえるのです。

 昭和13年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されています。今ここで取り扱っている国文研蔵本の橋本本「若紫」も、池田亀鑑は見ていないと思われます。
 昭和13年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいいと思います。今年は平成28年なので、80年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではありません。
 〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などで便利に使われています。しかし、これは見当違いなモノサシで『源氏物語』の本文を見ることなので、大いに問題だと思っています。

 私は、〈河内本群〉と〈別本群〉という2分別の私案を経て、現在は〈甲類〉と〈乙類〉という2分別の試案を提示しています(「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 −「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同−」『源氏物語の新研究』横井孝・久下裕利編、新典社、2008・10、拙著『源氏物語本文の研究』平成14年、おうふう 所収)。簡単にいうと、従来の河内本は〈甲類〉の中心となることが多いようです。

 その視点で「若紫」を通覧すると、上記の例示だけでも、きれいに2つのグループに本文がわかれる様子が確認できます。

 ややこしい話は、これくらいにして、当面の橋本本「若紫」に書写された本文をみましょう。
 上記の本文異同から、書写されていた環境を考えます。

 「すゝろ」という言葉に対して、「そゝろ」ということばが穂久邇文庫本に書かれています。
 橋本本が最初に「そゝろ」と書いたのは、こうした本文が伝流していたことが関係しているかもしれません。親本にそうしたメモとしての注記があったことなどが想定できます。最初に書かれた「そゝろ」という文字列は、書写者の単純なミスとするのではなく、根拠のあるミスだと考えていいでしょう。

 また、「はしたなう」ということばが「すゝろ」よりも前に出ている、語句が転倒した本文を、橋本本とは別のもう一つのグループが伝えています。
 現在一般的に読まれているのは、大島本によって作られた校訂本文だけです。その大島本は、この橋本本とは対極にある、もう一つのグループに属しています。
 そして、「八志」と書いた文字を刃物を使って紙面から削り、その上に「尓」と書いているのです。これも、「はしたなう」に続く書写文字の影響があると考えられます。
 実際に、次の行頭のことばが、その直前の行末に先取りして書かれることはよくあります。目と手が異なる動きをすることによる、混乱から生じた書写ミスです。

 この「すゝろ」と「はしたなう」ということばが入れ替わっていることに関して、私は傍記の本行への混入によって異文が発生する、ということを考えています。
 このことは煩雑になるので、また別の機会にします。

 いずれにして、本文が2つにわかれる中でこの橋本本を読むということは、大島本とは異なることばが散見する橋本本という新たな『源氏物語』を読むことになります。これまでは、大島本の校訂本文しか提供されていなかったので、その大島本しか読めませんでした。というよりも、活字で公刊された大島本の校訂本文だけを、一般には読んでいました。
 しかし、こうして、また別の本文で語られる『源氏物語』を読む楽しみが出てきたのです。これは、文学の受容の問題としても、おもしろいことです。
 ここで取り上げた橋本本のなぞりを手掛かりにした本文異同の諸相は、興味深い問題を投げかけてくれます。

 何十年も前から、『源氏物語』の本文研究が数十年も停止している、と言ってきました。ここでも、同じことの繰り返しで恐縮しています。
 このことについては、何度も聞いた方は聞き流し、何度も読んだ方も読み飛ばしてください。

 なお、現在私は机の横で、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(新典社、336頁、平成28年9月30日 刊行予定)の最終校正を終えたところです。池田亀鑑の顕彰をしながら、こうして池田亀鑑の本文分別に異論を唱えているのです。
 学問というのは、対立するのではなくて共存する中で、さまざまな展開を見せるもののようです。
 異なるベクトルを我が身に抱え込んで、いろいろと試行錯誤を楽しんでいるところです。

 この機会に、もう少し宣伝をしておきます。

 今月から来月にかけて、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、平成28年10月初旬 予定)を刊行します。昨日と今日の記事は、その本文を確認している過程で気付いたことの報告です。
 これは、鎌倉時代の『源氏物語』を読む楽しさを味わっていただく資料の提供となるものです。さらには、明治33年に平仮名が一つに制限された下での従来の翻字が妥協の産物であることへ異を唱え、「変体仮名翻字版」という変体仮名の字母を交えた翻字の事例報告も兼ねるているものです。

 また、《NPO法人〈源氏物語電子資料館〉・伊藤鉃也・須藤圭 責任編集》『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(試行第1版 平成28年10月1日、非売品)を、今月末あたりから簡易製本したものを配布する予定です。天理図書館と八木書店との打ち合わせ等を通して、お互いの権利関係を守る意味から、ネットでの公開ではなくて私家版としての印刷による配布、という形を選択しました。
 現在、池田本の校訂本文の最終チェックをしているところです。大島本に代わる『源氏物語』の流布本のテキストとして、新たに池田本の校訂本文を試験的に提供する中で、よりよい校訂本文に仕上げていくつもりです。

 《江戸時代の大島本『源氏物語』から、鎌倉時代の池田本『源氏物語』へ》、というキャッチフレーズで、印刷媒体による無料配布となります。
 詳細は、月末までに、また本ブログでお知らせします。
 これも、楽しみにお待ちください。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 変体仮名

2016年09月08日

国文研蔵「橋本本 若紫」のナゾリ〈その1〉

 国文学研究資料館が所蔵する橋本本「若紫」は、鎌倉時代の中期頃に書写された貴重な写本です。この写本の「変体仮名翻字版」を作成中なので、原本の確認をしているところです。
 これには、文字を削ったり、そのまま上からなぞっている箇所が無数に確認できます。
 なぞりの一例を紹介します。

 58丁表の6行目に、「多つねいて・堂万へらん」とあります。
 その「堂万へらん」という箇所は、国文学研究資料館が撮影した写真によると次のようになっています。


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 この「へ」は「ふ」のようにも見えるので、「堂万らん」かとも思われます。
 しかし、私が調査を終えた諸本16本の中に、「ふ」とする写本は一本もありません。
 実際にこの部分を接写して確認すると、次のようになっています。


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 この拡大写真は許可を得て、本日私が撮影したものです。
 よく見ると、横に引かれた線の「へ」は、その下に見える縦線二本の墨の濃淡とは明らかに差があります。料紙に墨が乗っている状態から見ても、後に書かれたものであり、なぞることによって書写した本文を訂正するものであることがわかります。

 ここは「堂万八ん」と書いた後、「八ん」を刃物等で削って、その上から「へら」とナゾリ、続けて「ん」を書いているのです。

 なお、ここで接写に用いた道具は、藤本孝一先生のご指導の下、大島本(重要文化財)の精細な調査をした時に大活躍した機材です。


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 影印本や写真ではよく見えない箇所でも、実際に原本を見て、さらにこうした道具を活用すると、書かれた文字の実態が明確になり、より正確な翻字ができます。

 今回の調査を通して、さまざまなことがわかりました。
 時間と手間のかかる工程を踏んで書写されている実態を確認するものでもあり、いつでもできることではありません。
 これを機会に、以下、何回かにわけて書かれた文字の状態を紹介します。
 翻字のスキルアップに役立てていただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名