2017年06月14日

ブログの記事に挿入したリンク先を修正

 このブログ「鷺水庵より」は、プロバイダーから提供されている「さくらのブログ」によって、毎日発信しています。

 本年3月までは、「鷺水亭より」と題して「イオブログ」から発信していました。その「イオブログ」が突然閉鎖されることに伴い、「鷺水庵より」と改名して「さくらのブログ」から再スタートを切りました。3月14日のことです。

 「イオブログ」で発信し続けていた3,635本の記事は、紆余曲折を経て「さくらのブログ」に引っ越しをしました。「ブログを従来の「鷺水亭」から、この「鷺水庵」へ完全に移行しました」(2017年03月14日)という記事が、その分かれ目となるものです。

 私のブログは写真が多い上に、記事の中で他の記事へのリンクも頻繁に貼っています。そのためもあって、そっくりそのまま引っ越しをするのは至難の業でした。
 画像は何とかなっても、リンク先の変更まではできません。つまり、それまでのリンクをクリックすると、次のようなエラーの表示が画面に出てきます。

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 気づいた記事のリンク先は、いくつかは修正しました。しかし、まだ9割以上は対処が追いついていません。

 最近の例で言えば、「いまだに両足の調子がよくないこと」(2017年06月07日)という記事の中の11個のリンク先は、すべてに上記のエラーが表示されます。本当に申し訳ないことです。

 本日、上記の「いまだに両足の調子がよくないこと」(2017年06月07日)のリンク先を補正しました。

 今後とも、リンク箇所をクリックした時にエラーが出ないように、少しずつ書き換えていきます。いましばらく、作業のための時間をください。
 
 
 

posted by genjiito at 01:05| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年06月13日

長崎県美術館の米田館長からの温かい励ましの声を聞いて

 今年も、長崎県美術館の米田館長からお電話をいただきました。
 私が近況を記した葉書を差し上げたので、そのことへの返信の電話だったのです。

 今回赴任した大阪観光大学の母体である明浄学院は、阿倍野区文の里に明浄学院高校をもっています。その文の里に、米田先生はかつてお住まいだったとのことでした。何年か前に、通りがかりに懐かしくて文の里に立ち寄った、と思い出ぶかげにおっしゃっていました。

 特に用事があっての電話ではないけど、といつものように断わりながら、あなたも身体に気をつけて頑張りなさい、と励ましてくださいました。私が何かと病院のお世話になっているので、大病の大先輩としていつも気遣ってくださいます。ありがたいことです。

 昨年末は、年賀状を出すので京都の住所を教えてくれ、という電話でした。
 一昨年は、「残暑見舞いのお電話」(2015年08月23日)でした。
 米田先生のことは、「長崎県美術館の米田館長と」(2012年10月28日)で詳しく紹介しています。

 いつも電話は突然いただきます。何か用事があってのことではありません。どうしてる、元気か、身体には気をつけろよ、ということを、電話口で大きな声でおっしゃいます。そして、少し世間話をすると、すぐに切れます。そんな電話が、日々あわただしく飛び回っている私には、ホッと一息つける刻となるのです。
 思えば不思議な先生です。

 今日は、このところ少し風邪気味で、とおっしゃっていました。
 館長という激務の中にもかかわらず、こうして私などにも心遣いをしていただけることに感謝しています。そして、人に一声かける、ということの大切さを、いつも思います。声をかけていただいただけで、気持ちがほぐれます。米田先生のお人柄なのでしょう。すぐに切れる電話であっても、温かいお気持ちが伝わってくるのです。
 私も誰かに、と思っていても、なかなかできることではありません。
 私から、何でもない電話やメールが届いたら、米田先生のまねをしているのだと思ってください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | 身辺雑記

2017年06月12日

「百星の会」の宿泊研修で須磨探訪の計画を練っています

 先週、「視覚障害者と共に須磨を散策する計画に関してご教示を」(2017年06月09日)という記事を書いたところ、すぐに上記記事のコメント欄にあるように、適切なご教示をいただきました。泉さん、ありがとうございました。
 私がこの「さくらブログ」のコメント欄の設定をよく確認していなかったために、連絡先を必須事項にしていなかったことに昨日気づきました。泉さん、すみません、この記事でお礼に代えさせてください。

 さて、本日、須磨観光協会(須磨区役所まちづくり課内)にお電話をして、対応してくださった前田さんに電話でいろいろと教えてもらいました。私からのいくつかの質問に対して、よく調べた上で的確に対処策をアドバイスしていただきました。
 ご教示のままに、須磨寺に電話をし、さらに案内のままに一絃須磨琴保存会の小池さんに親切な対応をしていただけました。

 私からは、須磨寺で須磨琴を聞くことと、源光寺(源氏寺)と関守稲荷神社(須磨の関跡)で歌碑を触ることを考えていることを伝えました。すると、その実現のためには、今回の宿泊先に出張して演奏してくださることも含めて、さまざまな実現方法を考えてくださいました。今日中にはまとまらなかったので、また調べて連絡をくださることになりました。小池さんのご親切に、ただただ感謝しているところです。

 さらには、須磨区ボランティアセンターの福井さんも、相談にのってくださいました。そこで紹介された須磨歴史倶楽部は、ちょうどその日に別の予約が入っているということで叶いませんでした。しかし、もっと具体的にプランがまとまったら、視覚障害者のためのボランティアの方の派遣も含めて、稔りある研修になるように検討してくださることになりました。

 さまざまなネットワークがつながる中で、少しずつ実現の道が見えだしています。
 みなさまのご親切に接し、ありがたいことだと感謝しています。
 「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさま、もう少しお待ちください。
 また、この記事をご覧になった方で、触る聞くということを中心とする須磨行きに関して、おもしろい訪問地や楽しいアイデアなどをお持ちでしたら、本ブログのコメント欄などを利用してご教示いただけると幸いです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年06月11日

京洛逍遥(448)白川通から真如堂を経て神楽岡通へ

 慌ただしかった日々に疲れ切った身体を休めるため、初夏の緑を浴びに真如堂へ行きました。
 バス停「真如堂前」を降りて東参道から入りました。

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 本堂の裏手から入ったこともあり、まずは見ごろの紫陽花と対面です。

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 緑の木立の中に本堂はたたずんでいます。

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 本堂左手前では、沙羅がもうすぐ花開くところでした。

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 インドの話では、お釈迦様が最後の説法をした後、頭を北にして沙羅の木の間に横たわって入寂された、と言われています。日本の沙羅は夏椿で、インドのものとはまったく別物だそうです。『平家物語』の「沙羅双樹」はどのような花だったのでしょうか。

 本堂右手前の菩提樹は、黄色の花を咲かせていました。

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 見ごろは10日ほどの間だとのことなので、見るのは来週一杯なら大丈夫でしょうか。お釈迦さまは、菩提樹の下で悟りを開かれました。ただし説明によると、日本とインドでは植物の分類が異なる、違う木だそうです。これも、翻訳・意訳の世界のようです。

 去来の句碑を見かけました。
 変体仮名に敏感になっている私は、最初の「念仏可南」の「南」の文字が気になりました。鎌倉時代を中心にして写本を読んでいる私は、ほとんどこの「南」という変体仮名に出会わないからです。近世ではよく使われるのでしょうか。

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 陽成天皇陵、吉田山荘、後一条天皇陵と、神楽通をブラブラしていると、たまたま黎明協会資料研修館で「琳派展 2017」をやっているのを見かけました。思いがけず、光悦や光琳の絵や書を堪能することができました。

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 伝宗達筆『源氏物語図』(「蛍」、次の写真はホームページより)は、屏風絵の断簡です。

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 また、屏風絵の1部として「若菜上」も所蔵されているようです(写真はホームページより)。

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 歌仙絵も、楽しい出会いとなりました。いいものを拝見できました。琳派の茶道具も見られます。明治27年に刷られた『光琳百図』とその版木も、興味深いものでした。
 ここは、2004年に開館した新しい美術館です。閑静な住宅地の中にあり、ゆったりと展示作品が見られるので、散策の途中で寄るのにいいと思います。

 最近注目されている、吉田山山頂にあるカフェ「茂庵」まで足を延ばしました。神楽岡通から山道を15分ほど歩いて登ります。
 途中で、送り火で知られる如意ヶ岳の「大」の字がきれいに見えました。

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 また、ここには、大正時代の長屋風の文化住宅群も現存しています。

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 茂庵へは、この狭い入口からまだまだ山を登ります。

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 茂庵までの山道の途中には、瀟洒なお茶室がいくつかありました。

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 ようやく辿り着いた茂庵は、山小屋風の風情があります。

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 多くの方々が待っておられるので、どれくらい待つか思案のしどころです。1時間以上はざらだとのことなので、またいつか、ということにして下山しました。

 ちょうどお昼時だったので、吉田山を下って今出川通り沿いにある進々堂京大北門前店でランチをいただきました。ここは、いつ来ても大学生活の匂いがします。
 朝から半日、いつもとは違う世界を散策することができました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年06月10日

日比谷での源氏講座で香道の話を聞く

 本年度2回目の勉強会です。
 今日は、私が国文学研究資料館に在職していたとき、総合研究大学院大学の大学院生として精力的に研究を続け、今春めでたく博士(文学)の学位を取得された武居雅子さんに、ゲストとして来ていただきました。武居さんの学位論文は、文学が香道の世界に受容され、また実践の場で再構成されていく様を、実証的に考察したものです。この問題では、武居さんと一緒に京都や大阪を実地踏査したりするなど、いろいろと貴重な体験をしたことが思い出されます。

「京洛逍遥(316)京都における香道関係の調査に同行」(2014年04月25日)

「難波八坂神社の綱引き神事」(2014年04月27日)

 その成果が学位に結びつき、嬉しいことこの上もありません。
 今日は短い時間ながら、「『源氏物語』と組香」というテーマで、その研究の一端をお話していただきました。新しく博士になった方の話は、新鮮な活力が伝わってきます。
 「若紫香」を例にして、わかりやすい話でした。終わってから、次々と質問があったのは、参会者のみなさんが興味深く聞き、内容をよく理解なさったからです。非常に刺激的な時間となりました。
 私が、京都新聞に連載されている京言葉で訳した『源氏物語』の資料を使って、余計な話をいつものように長々としたために、本来の写本を読む時間は短いものとなりました。
 それでも、おもしろい指摘を受けたので、ここに記し留めておきます。それは、武居さんからいただいたもので、「て」の字母は「天」か「弖」かという、最近もこのブログで取り上げた問題につながるものです。
 写本を元にして私が「〜里て」と翻字した箇所について、この写本の筆者は「里」の次に書く「て」は、「く」のような文字を書く癖があるのではないか、というものでした。このことは、私も気付かなかったことです。そう言われてみると、確かにその前後ではそうした傾向が伺えます。これは、改めて確認する価値のあることです。
 このことは、書写された文字の字母を、さらに詳しく調べることとなります。今すぐに調べられないので、近日中に調査結果をお知らせします。
 講座が終わってから、私が新幹線で帰るまでの間、地下のレストランで軽食をいただきながら懇談をすることになりました。さまざまな話題が飛び交い、楽しい時間となりました。
 
 
 


posted by genjiito at 22:52| Comment(0) | 変体仮名

2017年06月09日

視覚障害者と共に須磨を散策する計画に関してご教示を

 現在、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまと一緒に、須磨周辺を散策する計画を練っています。
 日時は、今夏7月22日(土)の午後です。参加者は20名〜30名で、実際に目が不自由な方は15名ほどです。
 この日はその後、「神戸・しあわせの村」で「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」の合宿が計画されています。

 2年前の嵯峨野での宿泊研修の様子は、次の記事で紹介した通りです。
「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)

 「百星の会」の方からは、
須磨を観光し、『源氏物語』の舞台とされる場所を、肌で感じ・触れたい!

という希望があり、その実現のためにいろいろとプランを考えているところです。
 事務局では、「源光寺〜須磨の海岸」の散策を考えておられます。それをさらに充実したものにしたいと思い、情報を収集しているところです。

 今は、須磨琴(一弦琴)をみなさんと聞けないか、ということで調べています。
 保存会などがあるようです。しかし、その方面に知人がいないこともあり、今回のような目的に対応していただくことが可能なのかも含めて、どなたかご教示いただけませんでしょうか。保存会に直接お電話で相談を、とも考えました。しかし、もう少し情報を集めてから、と思っているところです。

 また、今回は単なる須磨散歩ではなく、手で触るものがあったり、音も楽しめることが重要です。そのためにも、現地を下見するつもりです。そうであっても、触ることによって、聞くことによって、『源氏物語』や『百人一首』や日本の古典文化が感じられるものについて、事前に調べておこうと思っています。

 例えば、関守稲荷神社には、百人一首にも採録されている源兼昌の「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」の歌碑があるようです。これは、目の見えない方が触れるのか、また触ることができたとして、その感触はどのようなものなのか等々。

 こうした視点で須磨を散策する上で、ご存知の範囲でアドバイスをいただけると幸いです。

 関西にお越しのみなさまに、触る楽しさを通して日本の古典文化に接し、楽しんでいただける旅の演出をしたいと思っているところです。これも、観光学の実践的なテーマとなるものなのでしょう。
 大阪観光大学という新しい職場に身を置き、私自身の物の見方が変わったように思います。大きな収穫です。
 今回の観光のための計画立案に、いろいろな分野の方からのご協力やご教示をいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:10| Comment(1) | 視聴覚障害

2017年06月08日

第6回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会-2017

 6月24日(土)の午後1時から、鳥取県日野郡にある日南町総合文化センターで、第6回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会を開催します。
 ポスターができあがりましたので、ここに掲示します。


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 当日は、以下の内容で進行していきます。

第1部池田亀鑑賞授賞式と記念講演会
 演題「斎宮という女性−『源氏物語』が描く、とある皇女の物語−」
     愛知県立大学准教授 本橋裕美氏

第2部 特別講演
 演題「池田亀鑑文学碑『たゞ至誠にあり』の由来」
     ノートルダム清心女子大学准教授 原豊二氏

第3部 鎌倉時代の『源氏物語』古写本「若紫」巻を読み、池田亀鑑を追体験する
     大阪観光大学教授 伊藤鉄也


 山間地の緑豊かな町で、少しだけアカデミックな催しを、池田亀鑑文学碑を守る会や町民のみなさまと一緒に、こうして回を重ねてきました。
 6回目となる今回も、盛りだくさんの内容です。
 興味と関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしています。

 これまでのこの集まりの様子は、以下の記事で確認していただけます。

第0回
「小さな町を揺るがした池田亀鑑の1日」(2010年03月13日)

第1回
「盛会だった池田亀鑑賞の授賞式」(2012年03月10日)

第2回
「第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」(2013年06月22日)

第3回
「第3回池田亀鑑賞授賞式」(2014年06月29日)

第4回
「第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2015年06月27日)

第5回
「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)
 
 
 
posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年06月07日

いまだに両足の調子がよくないこと

 昨年の7月下旬に、電車から降りるときに左足を挫きました。その後、剥離骨折とわかり、毎週のように通院しました。

 これまでの骨折と疣に関する経過を、記録として整理しておきます。

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「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)

「江戸漫歩(135)九段坂病院から望む皇居北の丸公園」(2016年07月29日)

「左足首捻挫は骨折だとわかりギプス生活に」(2016年07月30日)

「やっと足のギプスが外れました」(2016年08月31日)

「整形外科で更年期障害と言われても……」(2016年09月28日)

「江戸漫歩(142)九段会館と九段坂病院」(2016年10月18日)

「インドへ行く前に身体検査をしています」(2016年11月02日)

「こまめな通院をと警告されて」(2016年11月25日)

「江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと」(2016年12月22日)

「江戸漫歩(150)交番横の案内図と蕃書調所跡と九段坂病院」(2017年01月17日)
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 こうした経過でありながら、まったく回復しないままに東京を離れました。

「江戸漫歩(155)これまでのご厚誼に感謝して巡礼中」(2017年03月24日)

「身体を切り刻んで生きています」(2017年04月18日)


 いまだにまったくよくならず、いまだに足首が熱っぽくて困っています。

 それに加えて、昨秋から右足の指先の疣に悩まされ、これまた、いまだによくなりません。病院でいただいた2種類の薬を毎日塗っています。「オキサロール軟膏25」と「5%サリチル酸ワセリン軟膏」です。しかし、それでも良くなりません。
 最近は、また別の所に疣ができたようです。

 再来週、疣に関しては病院に予約してあるので行ってきます。現状を説明して、新しい対処をお願いするつもりです。

 左足の骨折の後遺症については、また別の病院を探しているところです。
 ささいなことながら、長く続くと何かと負担になります。

 お茶のお稽古のときは、両足をかばって正座をしたり、胡座をかいたりと、いろいろと手を変え品を変えして、ごまかしながらやっています。特に、立ち上がるときにふらつくので、引っ繰り返らないように気をつけています。

 そして極めつけは、両足を庇うせいもあってか、腰が痛くなり、身体の節々が軋み出します。

 なかなか思うようにならない症状に困惑しつつも、自分自身と適当に付き合うようにしています。
 無理な姿勢をとらないことを肝に銘じて、元気よく踏み出さないことを心がけています。
 何でもないことが、気になりだすと、何でもなくなってきます。
 身体がみせる微妙で不思議な体験が、今も日々続いています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | 健康雑記

2017年06月06日

300年経つ雲南省の茶の木の紅茶をいただく

 大阪観光大学での午後のひと時を、王静先生の研究室で贅沢なお茶をいただきながら、いろいろなお話をして過ごしました。
 さすが、お茶の研究者だけに、詳しい中国茶の説明や、奥の深い茶葉についての話がうかがえました。

 白茶を初めて飲みました。茶葉は、円盤型に固めてあります。甘味のある薫り豊かな優しいお茶でした。

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 300年前の雲南省の紅茶もいただきました。これは、貴重な喫茶体験です。王先生も、あまりにも貴重な茶葉なので、ずっと大事にしていて、今日初めて淹れるとのことでした。

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 得難い体験を共にすることができました。ありがとうございました。

 大学の研究室棟の補修工事も、そろそろ終わりです。部屋の外周を覆っていた足場が撤去されたので、やっとベランダに出ることができるようになりました。
 私の研究室から関西国際空港を望むと、沖には淡路島が蜃気楼かと見紛うほどに、陸地と海の境目が浮き上がっていました。これは、何だったのでしょうか? 不思議な光景でした。

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posted by genjiito at 22:36| Comment(0) | ◆国際交流

2017年06月05日

科研のアルバイト募集(「海外へいあんぶんがく情報」に関する情報の収集整理)

 「海外源氏情報」(http://genjiito.org)の成果を引き継ぎ、さらに充実した情報群としての「海外へいあんぶんがく情報」をまとめたいと思います。

 そこで、平成29年度の科研費・基盤研究(A)で新規採択された、研究課題「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)に関するアルバイトを若干名募集します。

 今回は、JR 関西空港(阪和)線の日根野駅から徒歩20分の所にある、大阪観光大学(大阪府泉南郡熊取町大久保南5-3-1)に通勤してアルバイトができる方です。
「大阪観光大学へのアクセス」

 仕事の内容は、世界各国における〈平安文学〉の研究状況に関する実態調査(研究機関・研究者・研究成果・翻訳書等)を実施し、それを基にして、調査・収集した資料を整理し、海外における受容と研究の歴史を総合的に整理する研究支援をしていただくものです。
 具体的には、〈平安文学〉が海外において、誰がどのようにして受容・研究・翻訳されているのかを調査し情報を整理して、共同討議の基礎資料を作成していただきます。
 こうして得られた情報は、ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」を通して発信します。新しいホームページは、現在作成が進行しています。

 今回の科研の概要については、以下の記事を参照してください。

「今年度の科研で「海外の平安文学」が採択(内定)となりました」(2017年04月05日)

「新規科研の開始にあたって1(翻訳された『源氏物語』の言語数)」(2017年04月06日)

「新規科研の開始にあたって2(翻訳文献と関係論文の点数と到達目標)」(2017年04月07日)

「新規科研の開始にあたって3(学術的な特色・独創性・成果・意義)」(2017年04月12日)

「新規科研の開始にあたって4(おおよその研究計画とその方法)」(2017年04月19日)

「新規科研の開始にあたって5(平成29年度の研究計画)」(2017年04月20日)

 このアルバイト募集は、研究課題の基礎資料となる情報群を、大阪観光大学に来ていただき、研究支援室で印刷物から情報を抜き出したり、インターネットを駆使してデータ収集と整理をしていただくものです。年齢や性別は問いません。
 情報の調査収集に使用するパソコンはマッキントッシュです。ウインドウズではありません。使い方は、最初に説明します。使用するソフトウェアは、「エクセル」と「ワード」が中心であり、「エバーノート」を併用します。

 時給は900円で、交通費は相談とします。
 勤務日は、水曜日と木曜日の13時から17時まで。
 海外の英語サイトが読める程度の英語力と、簡単な英文メールが書ける程度は、仕事内容の関係で必要です。

 情報の渦の中から、今回の課題に適合するデータをすくい上げる仕事に興味がある方で、かつ多言語に興味がある方の応募を、心待ちにしています。

 このアルバイトに興味をお持ちの方は、このブログのコメント欄を通して、簡単な自己紹介と共に連絡をいただければ、私からあらためて具体的に説明するなり、直接お目にかかってご説明いたします。
 4年前のアルバイト募集がそうであったように、多くの方からの応募が予想されます。2週間たっても何も返信がない場合は、その旨をご連絡ください。何かとバタバタするばかりの日々の中で私一人で対応するため、失礼も多々あろうかと思います。対応の不手際についてはご寛恕の程を、よろしくお願いいたします。
 
 
 

posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | ◆国際交流

2017年06月04日

お茶のお稽古に行く大和路の道々が小旅行になる

 近鉄特急を使って、大和平群にお茶のお稽古に行きました。新しい車輌だったので、いろいろと工夫がなされていました。
 まず、座席番号が点字でも刻印されています。しかも、指先をパネルに普通に乗せるだけで触読できるフラットタイプです。

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 一般的には、指先を垂直に立てて触読しようとするものが多いので、手首がつって痛くなります。エレベーターや駅などでは、ほとんどがそうです。目の見えない方々の手首に優しい配慮が、これまではあまりなされていませんでした。垂直タイプは、肉体的な苦痛を伴います。それを、この近鉄では、よくわかっている方が作られたようです。
 このことは、これまでにも指摘してきました。

「バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと」(2014年11月28日)

「駅のホーム等で点字表示が改善されています」(2016年01月24日)

 自分で点字を実際に触るとわかることです。親切の押し売り、という側面があったと思っています。また、目の見えない方々も、好意からのものであることがわかっているので、こうしてほしいという注文は控えておられたように見受けられます。
 点字を貼り付ける位置は、垂直な面での表示から、傾斜のある面か水平に近い面にすべきだと思います。その意味でも、この近鉄電車の点字は、適切な表示方法になっています。

 また、座席の前の面にも工夫があります。傘を固定するゴムバンドです。これは、雨の日には助かります。
 さらには、電気のコンセントも、一人に一つずつあります。

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 これまでは、コンセントがあっても一つでした。次の写真は、今日乗った帰りの特急のものです。

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 コンセントがシートに一つずつあると、携帯電話の充電切れで、いざという時に、隣の人に気を使わなくてすみます。

 お稽古のお茶室で、床に飾ってあった今日のお花の一つが「未央の柳」でした。『源氏物語』の「桐壺」巻では、白居易の「長恨歌」に出てくる言葉としてこれが引かれています。しかし、その名を冠した花を、私は見たことがありませんでした。江戸時代に中国から渡来した花のようです。
 先生のお宅の庭から塀越しに咲きかかっていたので、黄色い花を咲かせている「未央の柳」を撮しました。

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 今から36年も前に、「絵に描ける楊貴妃考 −桐壷巻における別本の位相−」という論文を『王朝文学史稿 第9号』(1981年)に発表しました。その後、『源氏物語受容論序説』(桜楓社、平成2年)にその論文を収録して刊行しました。それなのに、これまでに「未央の柳」というものがあることはもちろん、それを実際に見たことがなかったのです。見ていても、それと気づいていませんでした。『源氏物語』の解釈には関係しないものの、お話をする際の逸話にはなります。
 先の論考では、さまざまな異本や異文を調べて論文として仕上げました。『源氏物語』の本文では、次のように語られている所です。

 絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いと匂ひ少なし。
 太液の芙蓉、未央の柳も、げにかよひたりし容貌を、唐めいたるよそひは麗ししうこそありけめ、懐かしうらうたげなりしをおぼし出づるに、花鳥の色にも音にも、よそふべき方ぞなき。」(伊藤・須藤編『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」[第1版]』小見出し〔38〕、26頁)


 鎌倉時代の『源氏物語』の注釈書である『原中最秘抄』では、藤原行成による自筆の『源氏物語』には、「未央の柳」という一句がミセケチになっていたというのです。この「未央の柳」という語句を持つ本、持たない本、そしてその語をミセケチにしている本など、いろいろな本文が伝わって来ているのです。

 こうして、いろいろな見聞を経て、少しずつ作品の理解が深まっていくことを実感するようになりました。それが、この頃は楽しくなってきています。

 このところ、季節の変わり目ということもあってか、身体が疲れ気味です。帰りも、少し贅沢をして近鉄特急に乗りました。
 車窓からは、大阪湾に沈む夕陽が山際を燃やしているのが見えました。

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 東寺の五重塔の背景も、あざやかな朱に染まっていました。

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 ささやかながら、お稽古に行く道々が楽しい小旅行となりました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | ブラリと

2017年06月03日

京洛逍遥(448)第8回 京都吉田山大茶会に行く

 風が肌寒く感じられる一日でした。
 京都大学の裏手にある吉田神社で、世界の名茶がいただける大茶会がありました。

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 大阪観光大学で同僚の王静先生は、お茶の研究で大阪市立大学から学位を取っておられます。私の科研で研究分担者になっていただき、お茶の話で盛り上がったこともあり、境内で待ち合わせをしました。ちょうど、京都大学のダニエル・ミルン先生もご一緒だったので、紹介していただきました。これから、お茶をテーマにした研究を一緒にしたいと思っています。

 境内には、所狭しとお茶のコーナーが出ています。今年は、35店もの出店があります。
 中でも、軽トラックの荷台をお茶席にした野点は、ひときわ目立っていました。
 釜を吊り下げているのがツルハシなのです。これはアイデアです。

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 別のテントの下では、ウーロン茶を淹れる手つきもみごとです。

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 能管の音が、境内に響き渡っていました。

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 ダニエル先生に勧められた宮崎茶房「有機釜炒り茶」と、みとちゃ農園の「いろは」を、ゆったりとした気分で試飲しました。

 今回、ルイボスティと柚子のウーロン茶を買いました。

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 ルイボスティは、以前もこの大茶会でいただいたことを思い出し、過去のブログからこの大茶会のことを書いた記事を探しました。ありました、ありました。今から7年前の、ちょうどこの時期です。

「京洛逍遥(144)吉田山大茶会」(2010年06月06日)

 今日の様子と見較べると、おもしろいことがいろいろとわかって楽しいものです。
 
 
 

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2017年06月02日

翻訳本『源氏物語』の展示は《中国・韓国・インド編》に衣替え

 昨日、暦の上での衣替えよろしく、大阪観光大学で開催中の翻訳本『源氏物語』の展示替えをしました。
 これは、先月から開催している展示の、第2弾となるものです。


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 今回は、中国・韓国・インドで刊行された『源氏物語』の翻訳本に限定して、28冊を並べました。
 ガラスケースの左側が中国語の翻訳本です。あまりにも多いので、所狭しと並んでいます。実際には、まだまだあります。今回は、これだけにしました。



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 右側のケースには、韓国とインドで刊行された翻訳本が並んでいます。




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 このケースの右半分が、8種類のインド語で翻訳された『源氏物語』です。その8種類の表紙絵すべてを並べるのは、今回が初めてです。一部、表紙がない本はコピーで補いました。それでも、こうしてインド語で刊行されたことが確認できる翻訳本のすべてを展示できたのは、これまでにご協力いただいた皆様のご理解があってのことです。ありがとうございます。

 韓国とインドの結界には、夏らしく涼しそうな、ガラスの置物を4個並べてみました。
 また、展示ケースの中央には、各翻訳本の表紙絵を説明したA4版4頁のプリントを置きましたので、ご自由にお持ち帰りください。

 今回の展示をご覧になれない方のために、この説明文を以下に引いておきます。

         《世界中の言語に翻訳された『源氏物語』》
              中国・韓国・インド編
 
                   平成29(2017)年6月1日〜30日
                    於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。
 各国で『源氏物語』がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
 アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語
 
 

☆中国☆


◯中国語訳(1993年)
 豊子ト 訳
 与謝野晶子・谷崎潤一郎などが訳した『源氏物語』を中国語に翻訳したものと推測されている。
 表紙は銀色の地に金色で『絵入源氏』の絵(右上から「総角」の2場面・「浮舟」・「若紫」・
「賢木」・「関屋」)が描かれている。

◯中国語訳(1996年)
 殷志俊 訳
 表紙は伊藤小坡『伊賀のつぼね』(猿田彦神社内 伊藤小坡美術館蔵)である。後醍醐天皇の妃である阿野廉子の御所に亡霊が出るとの噂が立ち、6月の夜に真偽を確かめるために、伊賀局が庭に出ている姿である。

◯中国語訳(1998年)
 林文月 訳
 主に『日本古典文学全集』を中国語に翻訳したものである。表紙は梵谷油畫局部によるあやめの絵である。

◯中国語訳(2001年)
 黄锋华 訳
「世界文学名著系列シリーズ」の1つで、表紙はボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』である。

◯中国語訳(2001年)
 豊子ト 訳
 与謝野晶子・谷崎潤一郎などが訳した『源氏物語』を中国語に翻訳したものと推測されている。
 表紙は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「東屋一」である。

◯中国語訳(2001年)
 林文月 訳
 主に『日本古典文学全集』を中国語に翻訳したものである。表紙は画家の郭豫倫により、薄紫色の地に白色で葵の葉と思われる絵が描かれている。

◯中国語訳(2002年)
 梁春 訳
 表紙は上村松園『草子洗小町』である。

◯中国語訳(2002年)
 夏元清 訳
 表紙は衣冠束帯姿の男性と、おすべらかしを結った女性の絵である。

◯中国語訳(2004年)
 豊子ト 訳
 与謝野晶子・谷崎潤一郎などが訳した『源氏物語』を中国語に翻訳したものと推測されている。
 表の表紙は『絵入源氏』「宿木」巻で宇治の中君が月を見ている場面、裏表紙は同書の「紅葉賀」で光源氏が青海波を舞う場面である。

◯中国語訳(2006年)
 姚继中 訳
 表紙には銀色の地に赤紫色でタイトルと絵が描かれている。絵は土佐光吉・長次郎『源氏物語画帖』「夕顔」巻(京都国立博物館蔵)で、タイトルで顔が隠れているのが光源氏と見送りに出た中将の君、左下が六条御息所と思われる。

◯中国語訳(2006年)
 鄭民欽 訳
 底本に『日本古典文学大系』を用いた、古典からの翻訳である。表紙は「匂宮」巻かと思われる。

◯中国語訳(2008年)
 彭飛 等 訳
 田辺聖子『新源氏物語』を中国語に翻訳したものである。表紙は土佐光起『源氏物語図屏風』
「若紫」巻で、箱に入っているものに関しては外箱も同じ絵が使用されている。

◯中国語訳(2010年)
王烜 訳
 表の表紙は「若紫」巻で、裏表紙は「朝顔」の巻を加工したものである。

◯中国語訳(2010年)
 姚继中 訳
 表紙は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「宿木二」である。

◯中国語訳(2010年)
 鄭民欽 訳
 底本に『日本古典文学大系』を用いた、古典からの翻訳である。表紙はひな人形の写真である。

◯中国語訳(2012年)
 康景成 訳
 1巻の表紙は徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面である。2巻は同絵巻の「蓬生」で光源氏が惟光と末摘花のいる常陸宮邸に行く場面である。
 
 

☆インド☆


◯アッサム語訳(インド・2005年)
 アトゥール・チャンドラ・ハジャリカ訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は青地にサヒタヤ・アカデミーのマークがついている。

◯ウルドゥー語訳(インド・1971年)
 サイド・エヘテシャーム・フサイン訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。本来の表紙は薄橙色に橙色でタイトルとサヒタヤアカデミーのマークが入っている。

◯オディアー語訳(インド・1984年)
 プラバーサ チャンドラ サタパティー訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は深緑色の地に、五島美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「鈴虫二」で夕霧が笛を吹いている絵が貼り付けられている。

◯タミル語訳(インド・2002年)
 K.アッパドライ訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。紙は太陽と金閣寺を背景にした、近世風の男女の絵。この絵は歌川芳虎『都名所源氏合 金閣寺桜の遊覧』からの影響が感じられる。

◯テルグ語訳(インド・1962年)
 N. V. R. クリシュナマチャーリヤ訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は橙色の表紙に、和服を着た女性が立っている絵である。

◯パンジャービー語訳(インド・2001年)
 ジャジット・シン・アナンド訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は一楽亭栄水の『美人五節句』のうち『扇屋内さかき わかは』を加工したものである。

◯ヒンディ−語訳(インド・2000年)
 C.パンディ訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は『枕草子絵詞』第一段で中宮定子と対面する、妹の藤原原子(淑景舎)の姿をモデルに加工したもの。

◯マラヤーラム語訳(インド・2008年)
 P.Kイッパン訳
 サヒタヤ・アカデミーが企画した、アーサー・ウェーリーの重訳の1冊。表紙は、国際聚像館(広島県福山市の坂本デニム株式会社が創設した美術館)が所蔵する、『源氏物語挿絵貼屏風』(六曲一双)「初音」巻と類似した絵である。
 
 

☆韓国☆


◯韓国語訳(1999年)
 田溶新 訳
 底本に『日本古典文学全集』を用いた古典からの翻訳である。表紙に、『源氏物語』「須磨」の場面を描いた植村佳菜子の画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を切り抜いて反転したものを配している。

◯韓国語訳(2007年)
 金蘭周 訳
 瀬戸内寂聴『源氏物語』を韓国語訳したものである。全10巻の表表紙は石踊達哉の絵、裏表紙は『源氏物語扇面散屏風』が使用されている。

◯韓国語訳(2014年)
 李美淑 訳
 底本に『日本古典文学全集』を用いた古典からの翻訳である。翻訳だけでなく、『源氏物語』や平安時代を理解するための基礎知識と、「桐壺」〜「花宴」までの内容の解説も掲載されている。
表紙は藤原為相筆『源氏物語古系図断簡』(東北大学蔵)である。

◯韓国語訳(2015年、2016年)
 朴光華 訳
 底本は『日本古典文学全集』(小学館、1989年第25版及び1970年初版)を用い、古典からの翻訳をしている。『源氏物語』の本文に韓国語訳と韓国語での注釈をつけている。「桐壺」巻が2015年、「夕顔」巻が2016年に出版されている。表紙は黒地に白字と赤字でタイトルが書かれている。



 この展示に関するポスターが、今日から大学の近くにある熊取駅の構内に掲示してあります。大学からの帰りに、いつもの日根野駅には向かわず、20年前に通っていた熊取駅への道をたどりました。まったく、不思議なほどに道々の風景に記憶がありません。それだけ、この地域が様変わりしたのです。

 駅の構内にある「くまとりギャラリー」に、翻訳本の展示を知らせるポスターが、2枚をつなげて掲示してありました。事務の方がいろいろと配慮をしてくださったおかげで、こうして実現したのです。ありがとうございました。

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 次は、隣の日根野駅に掲示される日を心待ちにしています。
 さらに今後は、天王寺駅・関西空港駅・和歌山駅などにも掲示していただきます。
 このポスターが、一人でも多くの方の目に留まり、日本文学と翻訳本との出会いの場になればと願っています。
 
 
 
posted by genjiito at 13:48| Comment(0) | ◆国際交流

2017年06月01日

オイオイ!!と思うこと(2)

■人迷惑な公共フリーWi-Fi■

(1)街中でフリーWi-Fiサービスになかなか接続できず、そうこうする内にその地域を離れる時はがっかりです。すんなりとつながってしまっては、セキュリティの問題があるにしても、もっと簡単につながると助かります。

(2)スマホを使っている時、街中のフリーWi-Fiスポットに勝手につなげようとして、自動的に電波を探し回ります。そして、スマホの機能が一時的に停止します。余計な親切に困っています。大慌てでわざわざWi-Fiを切る手間が面倒です。

(3)地下鉄の中でも、スマホがネットを探し続けるので、その間はスマホが使えなくなります。おもむろに、Wi-Fiをわざわざ切る手間が面倒です。これは、京都でも、東京でも同じです。ありがた迷惑です。

(4)新幹線の車内で文章を書き、ウェブ上にアップロードして同期や保存をしようとしたその時です。なんと運悪くトンネルに入ったりして、通信が途切れることを何度も経験しています。肝心な時に、という典型です。

(5)バス停で表示される、次に来るバスの運行案内は正確でないことがままあります。それよりも、スマホのアプリが正確なことが多いようです。次の写真は、京都市営バスの接近情報サービス「ポケロケスマートフォン」の画面の一部です。

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2017年05月31日

【復元】チーズやピロシキの話

 渋谷にロゴスキーがあったことは、「ボルシチを食べ今年一番の大仕事に向かう」(2011年11月30日)で書きました。その後、渋谷は閉店となり、今は銀座にあります。何度か行きました。ボルシチはもとより、ピロシキが美味しいと思っています。
 ここに再現したのは、今から10年半前の記事です。この時に行ったお店は、その後ふと思いだしていきました。しかし、すでになくなっていました。それがどこだったのか、東京の繁華街だったことは確かでも、その場所は忘れてしまいました。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年7月5日公開分
 
 
 雨上がりの夕刻、駅前で食事をしました。フランス料理屋と思いきや、なんとイタリア料理屋さんだったのです。正確には、エスニック、無国籍料理店です。「la」とか「de」とかいう文字の印象から判断しただけでした。日本語しかわからない悲しさです。帰るわけにもいかず、これも一興と注文しました。店にいた若い娘さんは、いかにもアルバイトという感じでした。それでも、雰囲気のあるきれいな店でした。
 同行者は、ゴルゴンゾーラという青カビのチーズが何とかというパスタを。私は、魚介がたくさん入ったワサビ味のパスタをいただきました。メリハリのある、いい味でした。1品千円ほどなので、良心的な店と言えるでしょう。ついでに、モッツァレラチーズとトマトのサラダも。

 明後日、チーズに関する認定試験を受けるという彼の話では、このゴルゴンゾーラはどこそこ地方のものらしいのです。しかし、あまりいいものではないとか。モッツァレラチーズは、土田牧場のものとどう違うかと私が聞くと、比べるのがそもそも間違いで、まったくちがうとか。私にはサッパリわからないままに、そんなものかと説明を聞いていました。チーズの世界も、なかなか奥が深いようです。今度の試験では、食べて産地と銘柄を答える実技もあるそうです。古写本を見て、それが書写された時代と筆者を推定するようなものなのでしょう。好きでなければできないことです。来年は、ソムリエの試験をうけるとか。21歳以上でないと受験できないので、まだ二十歳の彼はチャレンジできないのです。未成年の内から飲酒経験があっては、それはそれで問題だからでしょう。意外なところで制度がきっちりしていることを知りました。

 飲み物は、私はハウスワインの赤を、彼はウォッカをジンジャエールで割ったものでした。来月ロシアに行くことになっている私は、ウォッカのカクテルを頼めばよかったと思いながら、少し甘めのワインを2杯飲みました。フルーツジュースにアルコールを混ぜた感じです。

 フランス料理はロシア料理が発祥だそうです。そこで、次はロシア料理の店を探そうということになりました。しかし、近場にはないようです。自宅に近い生駒や王寺にも、ロシア料理の店はありません。学生時代に渋谷で、妻と一緒にピロシキやボルシチの昼定食を食べました。そういえばこうしたメニューを、その後あまり見かけないように思います。これからは注意して見ることにしましょう。その気でいると、意外とあるように思うのですが……

 子供の頃に、テレビで「バルナスの歌」を聞いたのが懐かしく思い出されます。「ぐっとかみしめてごら〜ん」と始まる、あの歌です。この歌は、関西人かどうかを判定する時に使われたものです。もっとも、私はこの曲が流れるテレビ番組をたくさん見たはずです。しかし、一つとしてその題名を思い出せません。「紅孔雀」だったでしょうか、「太陽仮面」か「アラーの使者」、いやアニメかも。日曜日の朝だったことだけは覚えていますが……

「ぐっとかみしめてごらん ママのあたたかいこころが
おくちのなかに しみとおるよ パルナス
あまいおかしの おくにのたより おとぎのくーにの
ロシアの ゆめの おそりがはこんでくれた
パルナス パルナス モスクワのあじ
パルナス パルナス パルナ――ス」


 著作権の問題があるので、全歌詞は以下のホームページを見てください。

http://www.ceres.dti.ne.jp/~toyoura/parnus/tsushimasong.html

 この曲を聴きたい方は、以下のホームページで。
 ここには、ロシアのお菓子の歌がたくさん紹介されています。

http://www.ceres.dti.ne.jp/~toyoura/parnus/parusong.html

 パルナスも、4年前になくなったそうです。子供の頃に食べたパルナスのピロシキが忘れられません。関西の人にしかわからないと思います。パルナスの歌とともに、郷愁を誘う逸品となりました。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

posted by genjiito at 23:05| Comment(0) | 美味礼賛

2017年05月30日

【復元】移転11・アンナ・カレーニナは名作?

 これまでに何度も、ウエブに公開した記事が消えています。そのような中で、幸運にも探し出せた文章や写真は見つけ次第に、忘れない内に復元してきました。
 今回のものは、今から10年半も前の、ロシアに行く直前に書いた記事です。
 記録として、再現してみました。

(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年9月10日公開分
 
副題「文豪の最高傑作を映画で観て想うこと(8月21日)」
 
 
 ヴィヴィアン・リー主演の映画『アンナ・カレーニナ』(1948年イギリス映画)を見ました。
 突然ですが、これも来週からロシアへ行くための準備です。昨日は、教え子たちとの暑気払いで、大阪心斎橋でロシア料理を食べました。初めて行くロシアなので、このところ、いろいろと予習をしています。

 さて、この映画を観て、素直な感想は失望でした。こんな話だったのか、と。

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 私は、中学生から高校生の時代に、たくさんの本を読みました。学校の帰りに、大阪の布施にあるヒバリヤ書店で、新潮文庫の総てのページに目を通しました。毎日立ち寄っては、次から次へとページをめくりました。速読とでも言えば格好がいいのですが、とにかく流し読みです。よくわからないにも関わらず、飽きもせずに数百冊の本を手にしました。恥ずかしながら、作家を目指していたことも関係なしとは言えません。

 また、父がたくさんの本を買ってくれました。
 父は、山一証券に勤めており、社内誌『やまびこ』に川柳やクイズや提案を投稿しては、採用されると記念品として文庫本をもらってきてくれました。次は何がほしいと聞かれて、いつも文庫本の末尾にある作品リストに丸印を付けて渡したものです。それだけでも、百冊はあったかと思います。
 父がくれた新潮文庫には、その総てに「提案応募記念」というスタンプが捺されています。

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 トルストイの『アンナ・カレーニナ』も、そんな時期に読んだはずです。

 高校時代から、大阪上本町にあった天牛書店という古本屋にも出入りしており、そこでもたくさんの本を読み、買いました。
 天牛書店とは、織田作之助の『夫婦善哉』にも出てくる、天牛新一郎さんで知られる店です。常連は、織田作之助、藤沢桓夫、折口信夫(釈迢空)などがいたそうです。
 新一郎さんには、私も難波の店で何度もお目にかかりました。新一郎さんに会うために、何度も通ったものです。今で言うアメリカ村の奥に籠られた最晩年にも、その店へ通いました。「へい、おおきに」と言ってくださった優しい言葉遣いが忘れられません。何かお話を聞きたかったのですが、そんな勇気がないままに姿をお見かけしなくなってしまいました。
 今にして思えば、折口信夫のことだけでも聞いておけばよかったと思うことがあります。

 それはさておき、今回『アンナ・カレーニナ』を映画で観て、そのストーリーをまったく思い出せませんでした。若い時に読んだ名作とは、こんなものかも知れません。
 教員をしていた頃に、高校生に名作を読めという指導をしてきましたが、あれは何か意味があったのか、今となっては自信がありません。国語の教員として、意味もなくお題目として唱えていたとしか思えません。

 『アンナ・カレーニナ』は、7回も映画化されているそうです。このビビアン・リーの映画以外では、グレタ・ガルボのアメリカ映画と、タチアナ・サモイロヴァのソビエト映画、ソフィー・マルソーのフランス映画以外は、今はわかりません。

 いずれにしても、映画を観る限りでは、身勝手な女性が恋愛に悩んだ末に自殺する、という印象しか残りませんでした。あまりにも通俗的なので、世界的な文豪の名作という評判と一致しないのです。
 手元の世界文学全集を手にしました。あらためて見ると、その長編さに驚きました。これは、近日中には読めそうにもありません。ロシアから帰って後に、改めてチャレンジしましょう。

 文学は、あくまでも言葉の芸術なので、映画で作品を評してはいけないことは承知しています。
 この課題には時間がかかりそうですが、何とかしていつの日にか、自分なりの意見をまとめたいと思っています。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 21:03| Comment(0) | 回想追憶

2017年05月29日

〈第6回 池田亀鑑賞〉は本橋裕美著『斎宮の文学史』に決定

 今月13日(土)に、逸翁美術館に隣接する池田文庫で第6回池田亀鑑賞の選考委員会があり、作品1点が選定されました。
 その決定を受け、〈池田亀鑑賞のホームページ〉を通して、第6回の授賞作が公表されました。
 第6回 池田亀鑑賞の授賞作は、本橋裕美著『斎宮の文学史』(翰林書房、2016年10月刊行)です。

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 〈池田亀鑑賞のホームページ〉には、関連する情報が掲載されています。
 授賞式は、平成29年6月24日(土)午後、日南町総合文化センター多目的ホールにて行います。
 本作を選考した理由などについては、授賞式の場で公表いたします

 参考までに、本書の目次を引きます。
序 本書の意義と構成
第一部
 第一章 『伊勢物語』狩の使章段と日本武尊
      −「斎宮と密通」のモチーフをめぐって−
  はじめに
  一、狩の使章段の構造
  二、斎宮と密通の歴史
  三、「明くれば尾張の国へこえ」る昔男
  四、古今集時代の日本紀受容
  五、狩の使章段の「斎宮と密通」モチーフ
  おわりに
 第二章 『大和物語』の斎宮と『うつほ物語』
  はじめに
  一、『大和物語』に描かれる斎宮たち
  二、済子女王の密通
  三、『うつほ物語』の斎宮
  四、物語における斎院前史
     −斎宮との差異をとおして−
  おわりに
 第三章 光源氏の流離と伊勢空間
  はじめに−明石の君と六条御息所の「けはひ」−
  一、先行研究
  二、六条御息所、徽子女王、明石の君
  三、「伊勢島」の六条御息所
  四、麻続王と光源氏
  五、明石の君の役割
  おわりに
 第四章 六条御息所を支える「虚構」
  はじめに
  一、六条御息所の「虚構」
  二、「中将の御息所」とはだれか
  三、〈中将御息所〉という設定の行方
  おわりに
 第五章 「別れ路に添へし小櫛」が繫ぐもの
      −秋好中宮と朱雀院の恋−
  はじめに
  一、恋情の始発と絵合巻の贈答
  二、「別れの櫛」とは何か
  三、「櫛」考−別れの「櫛」に向かう手がかりとして−
  四、『源氏物語』における「別れの櫛の儀」
  五、三度目の贈答−「別れの櫛」の再登場−
  おわりに
 第六章 『源氏物語』絵合巻の政治力学
      −斎宮女御に贈られた絵とその行方−
  はじめに
  一、斎宮女御に贈られた朱雀院の御絵
  二、「公茂」とは誰か
  三、「公茂が仕うまつれる」朱雀院
  四、朱雀院の志向
  五、朱雀院の絵の行方
  おわりに
 第七章 『源氏物語』における春秋優劣論の展開
  はじめに
  一、薄雲巻の春秋優劣論
  二、六条院 秋の町
  三、少女巻 春秋の競い
  四、胡蝶巻 春秋の競い
  五、乖離する「秋の町」と秋好中宮
  六、「対」からの解消
  おわりに−御法巻という結末−
 第八章 冷泉朝中宮の二面性
     −「斎宮の女御」と「王女御」を回路として−
  はじめに
  一、女王の立后
  二、「斎宮の女御」としての立后
  三、「王女御」という回路
  おわりに
 第九章 冷泉朝の終焉−玉鬘物語をめぐって−
  一、冷泉帝のあり方−少女巻から藤裏葉巻へ−
  二、「かぐや姫」玉鬘
  三、冷泉帝と『竹取物語』の帝−玉鬘物語の発展と結末−
  四、玉鬘物語に底流する冷泉帝治世
  五、竹河巻の玉鬘・冷泉院
  おわりに
 第十章 「神さぶ」櫛のゆくえ
      −『源氏物語』秋好中宮と女三の宮の関わりが意味するもの−
  はじめに
  一、秋好中宮による女三の宮支援
  二、「櫛譲り」が照らし返すもの
  三、鈴虫巻の役割
  おわりに
第二部
 第十一章 『夜の寝覚』における前斎宮の役割
  はじめに
  一、『夜の寝覚』における前斎宮
  二、父入道の位置づけ
  三、前斎宮と入道
  四、斎宮経験者と皇室復帰の物語
  おわりに
 第十二章 『狭衣物語』女三の宮の位置づけをめぐって
  はじめに−『狭衣物語』の〈斎王〉が抱える特殊性−
  一、女三の宮の人物像−位置づけ・卜定・託宣−
  二、嵯峨院にとっての女三の宮−若宮立太子の切り札として−
  三、天照神にとっての女三の宮−託宣という切り札−
  四、斎院・源氏の宮との役割分担−「さとし」「告げ」のあり方から−
  おわりに
 第十三章 平安後期物語から見る大津皇子の物語の展開
  はじめに
  一、平安後期物語に見る「大津の王子」
  二、狭衣の恋
  三、大伯皇女と兄妹婚
  四、「秋の月」と大伯皇女
  おわりに
 第十四章 『浅茅が露』の始発部をめぐって
      −退場する「斎宮」「皇女」−
  はじめに
  一、常磐院の姫宮
  二、先坊の姫宮
  三、二つの恋の役割
 第十五章 『海人の刈藻』における姉妹の論理と皇女たち
  はじめに
  一、按察大納言の三姉妹と冷泉帝の三姉妹
  二、一条院の斎宮の役割
  おわりに
 第十六章 『恋路ゆかしき大将』における斎宮像
      −一品の宮をめぐって−
  はじめに
  一、一品の宮と端山の恋
  二、婚姻の破綻
  三、梅津女君の人物設定
  四、鎌倉期の斎宮像と一品の宮
  おわりに−斎宮経験者の結末−
 第十七章 〈斎宮経験〉の視点から見る『我が身にたどる姫君』の前斎宮
  はじめに
  一、前斎宮の設定と問題の所在
  二、前斎宮の居住空間
  三、前斎宮の望むもの
  四、前斎宮空間−中将の君の果たす役割−
  おわりに−前斎宮と女帝の問題へ−
 第十八章 『更級日記』の斎宮と天照御神信仰
  はじめに
  一、源資通の語る斎宮の姿
  二、嫥子女王
  三、孝標女と天照御神信仰
  四、「天照御神」とは何か
  おわりに−斎宮の冬の夜をめぐって−
 第十九章 文学サロンとしての斎宮空間
      −良子内親王を中心に−
  はじめに
  一、斎宮イメージの形成と柔子内親王
  二、良子内親王の貝合
  三、『堤中納言物語』「貝合」との関わり
  おわりに
 第二十章 反復される斎宮と密通の語り
      −『小柴垣草紙』が語る〈禁忌〉の恋を中心に−
  はじめに
  一、『小柴垣草紙』について
  二、『小柴垣草紙』短文系統の内容
  三、短文系統から長文系統
  四、撹乱される規範
  おわりに−建礼門院の読む『小柴垣草紙』−
 終章 物語史の中の斎宮−上代から中世における斎宮の文学史−
  はじめに
  一、歴史から物語へ−上代の斎宮像−
  二、『伊勢物語』狩の使章段と『源氏物語』秋好中宮
  三、『狭衣物語』の斎宮と王権
  四、斎宮と女帝の物語−『我が身にたどる姫君』からたどる斎宮の物語史−
  五、〈王権〉を支える〈天照神〉と斎宮−『狭衣物語』から捉え返す女帝即位−
  おわりに−女帝になれなかった斎宮が照らすもの−
 あとがき 初出一覧 英語訳・中国語訳要旨 索引

 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年05月28日

円卓を使ったお茶のお稽古

 平群の山は新緑に包まれています。日差しが強くなったので、帽子を被って山を登ります。平群谷では、田植えが始まりました。

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 先週に続き、お茶のお稽古に来ました。今日は円卓(まるじょく)を使ったお手前です。
 最初は正座でした。しかし、今日もまだ足が痛いので、無理はしないようにとの先生の言葉を受けて、胡座でのお稽古です。
 円卓を使ったお手前は1年近くも前のことなので、すっかり忘れています。しかも、そのやり方がいく通りもあるようです。
 我が家にお客様がいらっしゃった時には、この円卓を使うようにしています。もっとも、東京を引き上げることでその余裕がなかったために、なかなかその機会はありませんでしたが。
 丸卓を使うと、目の前にいくつか道具が置かれているので、いかにもという雰囲気になります。私も出入りが少なくてすむので、気を使ってもらうことなくお客様と話に集中できることもあり、これは気に入っています。
 今日も、思い出しながら、言われながらの、ぎこちないものです。しかし、これはとにかく習得したいお手前なのです。やる気はあるのに身体がついて来ない有り様なので、回数を重ねるしかありません。
 また来週も足を運びます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:11| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月27日

もう一枚の翻訳本『源氏物語』の展示ポスター[楽しいバージョン]

 過日、大阪観光大学で【[ミニ展示]世界中の言語に翻訳された『源氏物語』】を開催していることを書きました。

「大阪観光大学で翻訳本『源氏物語』の表紙絵を楽しむ」(2017年05月09日)

 その後、宣伝用のポスターができたので、その紹介をしました。

「翻訳本のミニ展示会のポスターができました」(2017年05月18日)

 さらにこのたび、宣伝用のポスターで[楽しいバージョン]が出来上がりましたので、ここで紹介します。これも、「オフィス ティ」でデザイナーとして活躍中の、塔下宣子さんの作品です。
 学生さんには、こちらも好評です。



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 身近に、このような翻訳本に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、「こんな催しが」と宣伝していただけると幸いです。
 配布用のポスターがきれいにプリントできるように、前回のものもスナップ写真ではなく、印刷用の写真として掲載します。



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 また、翻訳本を持参して、原本を触ってもらいながらの出前の解説会もいたします。
 これまでに、国文学研究資料館はもとより、昭和女子大学の文化祭を初めとして、中部大学と就実大学で実施したことは、以下のブログに報告した通りです。

[中部大学]「愛知県春日井市の中部大学でお話をしてきました」(2013年12月18日)
 
[国文学研究資料館]「ミニ展示《さまざまな言語に翻訳された『源氏物語』》-2015-」(2015年09月08日)
 
[就実大学]「岡山の就実大学で「世界中の33言語で読める源氏物語」という話をしました」(2016年11月26日)

 何かのイベントの一つとして、私が収集した翻訳本がお役にたつようでしたら、ご一報いただければその実現について検討いたします。

 今後は、手持ちの翻訳本を整理し、大阪観光大学の図書館を展示会場として、月替わりでミニ展示を続ける予定です。

6月【中国・韓国・インドで翻訳された『源氏物語』】
7月・8月【ヨーロッパで翻訳された『源氏物語』】
9月【海外で翻訳された平安文学】
10月【海外で翻訳された中世・近世文学】
11月【海外で翻訳された近代文学】
12月【海外で翻訳された現代文学】

 今秋以降に予定している近代・現代文学の翻訳本は、実数すらわからないほど膨大な量が刊行されています。私の手元にあるのは、ほんの一部にすぎません。
 現在、大阪観光大学の図書館の一画に、日本文学に関する翻訳本のライブラリを設けるための準備を進めています。もしみなさまのお手元に、重複していたりご不要の翻訳本がありましたら、大阪観光大学に寄贈していただけると幸いです。また、翻訳者と連絡がつくようでしたら、著者編者からの寄贈を待ち望んでいることをお伝えいただけるとありがたく思います。寄贈していただいたご本は、寄贈者のお名前も書誌情報に明記し、大切に大学図書館の蔵書として管理していきます。ご一報いただけると、送り先などをお知らせします。1冊でも2冊でも結構です。本ブログのコメント欄を利用して、遠慮なくお問い合わせください。

 なお来年以降は、これまでの展示が表紙絵だけだったので、次は翻訳本の冒頭部分を拡げて、翻訳文そのものを見てもらうつもりです。これについては、少し古いものながら『総研大ジャーナル 第15号』(2009年)に、その一部を掲載しました。これに、もう少し詳しい説明を付けて、展示を構成したいと思っています。
 これに関しても、いろいろとご教示いただけると幸いです。

『総研大ジャーナル 第15号』に掲載した翻訳本の冒頭一覧
 
 
 

posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月26日

科研(A)の成果は「海外源氏情報」から[海外平安文学情報]へ

 科研費による基盤研究(A)で、平成25年度から28年度までに私が研究代表者となって取り組んで来た課題は、「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号︰25244012)でした。そして、その研究概要と調査報告および研究成果を、「海外源氏情報」(科研HP)というホームページから公開してきました。

 そのホームページに不具合が見つかったのは、最終年度の最終日でした。あれから、まだ2ヶ月も経っていません。そのことについては、本ブログで報告し、その対処を提示してきました。
 まだ、この件でのお問い合わせが続いているので、現在の状況と今後について、ここに記しておきます。

 まず、ホームページ「海外源氏情報」において判明したいくつかの問題点は、その対処を本ブログにおける次の記事で報告しています。
 
「2つのホームページの不具合に関するお詫び」(2017年04月26日)
 
「ダウンロード版『海外平安文学研究ジャーナル インド編 2016』の再公開」(2017年05月01日)
 
「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開」(2017年05月02日)
 
「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3 & Vol.6』の分割公開」(2017年05月04日)
 
「ダウンロード版『日本古典文学翻訳事典 1・2』のお詫びと再公開」(2017年05月25日)
 
 また、ホームページ「海外源氏情報」の画面に表示される文字列は、画面がロックされているために、コピー&ペーストができません。これは、公開している情報を引用してくださるみなさまには大変ご不便をおかけしているようで、恐縮しています。
 上記の、ダウンロードができないことと画面のロック以外については、特にこれ以上の不具合は確認していません。
 もしまだ何か問題があるようでしたら、ご教示いただけると幸いです。

 「海外源氏情報」については、先月4月1日以降は修復も含めて、まったく何も手を付けていません。問題の所在が不明確にならないようにするため、専門家からアドバイスをいただいての対処です。

 今後は、この「海外源氏情報」を通して公開してきたデータのすべてを、今年度から4年計画で新しく始まった科研(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)に取り込み、近日中に新たに立ち上げるホームページ[海外平安文学情報]に移行します。
 現在の「海外源氏情報」で発生している不具合は、新ホームページ[海外平安文学情報]に移行を終えたら、その段階で役割を終えることにします。

 現在は、新ホームページのデザイン(案)を検討しているところです。
 この画面は、その一部が動きますので、完成型を楽しみにお待ちください。

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 この入れ物に、これまでの情報のすべてと、これからの情報を盛り込むために、今は新築と引っ越しの作業で、慌ただしく立ち回っているところです。
 新しくお披露目するホームページ[海外平安文学情報]は、もう少しお待ちください。
 
 
 

posted by genjiito at 20:32| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月25日

ダウンロード版『日本古典文学翻訳事典 1・2』のお詫びと再公開

 本年3月まで取り組んでいた科研(A)のホームページ「海外源氏情報」(http://genjiito.org)では、そこから公開していたオンライン版の冊子が、4月以降はまったくダウンロードできなくなっていました。そこで、以下のように本ブログから入手できるように対処しました。

(1)「ダウンロード版『海外平安文学研究ジャーナル インド編 2016』の再公開」(2017年05月01日)
 
(2)「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開」(2017年05月02日)
 
(3)「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3 & Vol.6』の分割公開」(2017年05月04日)
 
 その後、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』(伊藤鉄也編、2014年、319頁)と『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(伊藤鉄也編、2016年、259頁)についても、ダウンロードできなくなっていることのご指摘を、何人もの方々からいただきました。これは、4月以降もダウンロードしていただけていると私が思い込んでいたものであり、不具合に気付いていませんでした。申し訳ございませんでした。
 そこで、これも急遽、このブログからダウンロードできるように、以下の通り対処いたしました。
 ここに転載したダウンロード版『日本古典文学翻訳事典 1・2』の内容は、これまで公開していたオンライン版と、まったく同じです。
 本年3月末から、一連の成果物がダウンロードができなくなっていることについては、多くの方々にご心配とご迷惑をおかけしています。この不具合の対処は、いまだに対応できない状況にあります。その原因はほぼ特定できました。しかし、修復するスキルと経費のメドがたちません。今のところ私自身も打つ手がなく、困惑の中にいることをご理解いただけると幸いです。
 あくまでも暫定的ではあるものの、以下からダウンロードしていただくことで急場をしのぎたいと思います。
 いつまでも不具合を抱えたホームページに拘っていてもいけないので、新しいホームページを作成しつつあります。これまでの「海外源氏情報」で公開していた膨大なデータは、そのまま移行する準備を進めています。いましばらくお待ちください。
 
■ダウンロード版『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』【約 3 MB】 (2014年3月31日発刊・非売品)
 
■ダウンロード版『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』【約 8 MB】 (2016年12月22日発刊・非売品)
 
 
 
posted by genjiito at 06:00| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月24日

読書雑記(200)須田寛『日本の観光 きのう・いま・あす 現場から見た観光論』

 今私は、観光とは何か、観光学とはどのような学問なのかが知りたくて、いろいろな入門書を読んでいます。観光に関する基本的な知識の習得と、観光を考える際の物の見方を学ぼうとしているところです。
 まだ、これは、と言える本との出会いがありません。

 『日本の観光 きのう・いま・あす 現場から見た観光論』(須田寛、交通新聞社新書107、2017年2月)を読みました。

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 新刊ということもあり、興味を持って手にしたものの、私の方に直面する問題意識がなかったせいか、退屈な本でした。
 この道で幅広い経験と実績を踏まえ、豊富な情報を提供する一書です。しかし、読んでいて話に引き込まれないのです。私が観光業について知らないからだと思いながら、読み進みました。
 記述されていること、語られていることに、あまり新鮮味を感じません。また、文章の途中に補足説明がカッコ付きで加えられています。これが結構多くて話がぶつぎれとなり、それでなくても漫然とした説明がカッコでさらに意味不明となります。もったいないことです。
 社会状況の説明と伝聞による話題が多いのも、中身が締まらず雑然としたお話に終始する原因のように思いました。
 著者は「はじめに」で、本書について次のように言っておられます。

 最近「観光立国」の声の高まりと共に様々な観光への取組みが急伸しつつある。このため観光関係の人材育成の必要から各地の大学等に観光学科・学部等が開設されるようになった。筆者もいくつかの大学で非常勤講師として観光の講義も担当している。「観光学」は比較的歴史の浅い学問であることもあって、参考文献がまだ少なく、授業のためにも、また筆者自身の学習のためにもやや物足りなさを感じていた。そこで観光の参考書を自分でもつくることを考えた。本書もそのひとつである。しかし、筆者は実務担当者であって学者ではないため、学間的な知見を整理するというより、自分の実務経験を振り返りそこから得た教訓等、筆者なりの観光への学習成果をまとめたものをつくるのが精一杯であったことをまず反省しなければならない。(2頁)
(中略)
 実務者からみた観光の今の動きを記述することから今後にむかって発展していく観光の姿を描く、いわば「動態観光論」ともいつべきものにまとめようとしたのが本書の目標でもある。(3頁)


 まさに本書は、教科書のような、事実の羅列なのです。利用目的によっては、重宝する本かと思われます。しかし、通読には適しません。コラムも補注にしかすぎず、気分転換になっていないのが惜しまれます。ただし、資料には啓発されるものがいくつもありました。もっと引用してある資料や図版の説明があれば、内容に関連付けて理解が深まったかと思われます。これは、情報が投げ出され、情報の垂れ流しとなっています。もったいないと思いました。
 なお、次の地名に関する観光との問題は、私の興味を惹きました。地名が持つ歴史と文化は、観光客のイメージ作りと密接に結びつくからです。このことを、もっとわかりやすく掘り下げていただきたかったところです。

地名にかかわる問題は他の観光地でも起こっている。修善寺・湯ヶ島・韮山・長岡等、伊豆の有名観光地の地名が広域地図から消えてしまったのである。広域地図では普通、市町名を○で示すだけになる。このため合併で生まれた「伊豆市」「伊豆の国市」という新市名の表示だけになったからである。このため観光客の間にとまどいを生じている。
 市町村合併後も従来の観光地名等有名な地名は何等かのかたちで表示する工夫が必要だ(○○市××地区というような表示方など)。
 このようなことも観光を”まもる”重要な施策ではなかろうか。(225頁)


 もう一例を。
 私が興味を持っている、観光と食に関する問題は、驚くほどピンボケな説明でした。この「食」の項目は問題点の掘り下げ方や視点が極めて浅薄なものとなっていて残念です。

新しい「食」の観光
 「食」は、これまでも観光を構成する重要なひとつの要素であった。しかし、どちらかといえば、観光に付帯するものが中心で、観光に行ったついでに、「食」(名物菓子等)を味わったりみやげ品として買うこと等が多かった。観光地で名物のいわゆる「うまいもの」を食べるということによって観光に付加価値を加える、いわばいろどりをそえるものでもあった。
(中略)
 「食」の観光にも二つの流れがある。
 第1は、「ストーリー型『食』の観光」である。食材の由来(ストーリー)を共有する地域間の連携による広域にわたる「食」の観光だ。例えば、旧軍港の兵食を「海軍グルメ」として情報発信した横須賀の「海軍カレー」、呉、舞鶴の「肉じゃが」、佐世保の「バーガー」(米軍に由来)では、それらが地域の食文化にまで成長、多くの新しい「食」を求める観光客で賑わうようになった。
 第2は、「食」の生産から販売までを総合観光資源とするものである。漁場見学(体験)から始まり、魚市場見学、ショッピング、魚料理の賞味、魚の食品加工工場の見学(一部体験)等を、一貫した「食」の観光とする学習型要素の強い「食」の観光が人気を集めている。富山の「ますのすし」が新幹線開業を機に、一段と注目を集める全国的な観光資源として知られているが、この「すし」は右記のような一貫観光に近い受入体制が導入されている。
 このように「食」の観光は従来の観光の付随的なものから独立した観光の分野となり、しかも、所によっては大規模な新しい総合観光資源となりつつある。(156〜158頁)


 著者が提唱されている「国際観光」の振興について、具体的にどのように実現するのかが、読者に問われていると言えます。ただし、繰り返しになることに煩を厭わずに書くと、話がどんどん飛躍するので、問題点の所在とその対処策が不明確でした。そのために、問題が提起されていても投げ出されたままなのです。
 平成18年12月に議員立法により成立し、平成19年1月より施行されている「観光立国推進基本法」についても、もっと丁寧な説明が聞きたいと思い続けながら、読み進みました。
 本書の最後の方に、次の記述があります。

 以上、外国人客を誇救し、さらに国際観光を発展させるには様々な課題解決に取組む必要があるが、その多くの課題はソフトの問題、即ち主としてこころの持ちようで解決できるものが多い。即ち外国人客をもてなしの心で温かく迎える姿勢をもつことがそれであろう。(244頁)


 この箇所には、「こころ」と「もてなしの心」に圏点が付けてあります。それにしても、この解決策は非常に漠然としています。「こころの持ちよう」と「もてなしの心で温かく迎える姿勢」で解決できると言うのです。それが一体何なのか、その具体的な解決策を知りたいのに、言い古された曖昧模糊としたことばでしめくくっておられます。「もてなし」とは、どのようなことを言おうとしておられるのか、その具体的に意味するものが語られないままに、このことばで閉じようとされます。
 私ははぐらかされた気持ちで、そのまま本を閉じました。【1】
 
 以下に、本書で私がチェックしたことを、備忘録として引用して列記しておきます。

 いまから二千年程前中国に『易経』という書物があった。中国の儒教の教えをまとめたものである。そのなかに「観国之光 利用賓于王」という言葉が出ている。日本語読みで訓読してみると「国の光を観るはもって王の賓たるに用いるによろし」となる。辞書等によるとこれが「観光」の語源だとされる。(8〜9頁、引用者注・これに続いてその意味を解説するくだりは、私にはその意味するところがよくわかりませんでした。)
 
 幕末日本がオランダに発注した洋式軍艦は「観光丸」(他の一隻は有名な「成臨丸」)と命名されたが、その名の通り開国後海外視察団や海外への留学生の渡航に使われた。まさに外国の「光」を心をこめて学ぶための船であった。極めつきは明治4年右大臣岩倉具視が国の命を受けて欧米の政治経済事情視察団長として海外に派遣されたときのことである。帰国後に帰朝報告書が国に提出され、それが内閣(太政官)から公刊された。図1-1のように表題が「観光」と大書されていることに注目したい。外国の「光」を観、かつ学んで来た報告書の題として国の刊行物に「観光」という言葉がその語源通りの正確な意味で使われている。(11頁)
 
 しかし当時(引用者注・『万葉集』の時代)の観光は高貴な人、富裕な人中心のものであった。このような限られた人の観光が一般市民も広く参加する大衆的な行動にひろがっていくのは室町時代以降とみられる。この時期から伊勢神宮への一般人の参詣が許されるようになった。また庶民の間で熊野詣も始まった。仏教の各地への普及に伴い寺院が各地に建立される。このような寺社への参詣旅行が庶民の観光への大きい動機となった。また各地で山が信仰対象となる山岳宗教も普及。この頃から登山の慣習も広がる。この当時の神仏詣等の観光は団体旅行が中心であったといわれる。(36頁)
 
 江戸時代はこのように日本の大衆観光定着の時代となった。当時幕府の政策で架橋を極端に制限したため、徒歩旅行(今様にいうなら街道観光)が観光の中心になった。河を渡る際には、馬車等の利用ができなかったためである。このため安い経費で誰でも簡単に参加できる観光が普及することになった。車等によらず徒歩による旅行が中心となった日本独特の観光形態の原点はこの時期に形成されたのである。(38頁)
 
 欧米諸国の例も参考に日本版ともいつべき法人組織の"DMO"(広域観光推進機構)を結成する動きが各地でみられるようになってきた。国も先の「観光圏」構想をさらに前進させるものとしてDMOの設立を積極的に支援する体制を整えることになった。DMOは、民間主導型で設立されることを予定しているが、その候補となり得るしくみ設立を地域団体等と地方自治体が連名で計画し、国に登録して出発することになる。そのうえで具体的事業推進について国の財政支援も受けるみちがひらかれた。既に全国で100以上の登録準備地域が名乗りをあげており、今後の「広域観光」推進のしくみの中核としての活動が期待されている。(236頁)

 
 
 

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2017年05月23日

井上靖卒読(208)金沢の井上靖を訪ねて

 「石川四高記念文化交流館」は、金沢駅前から兼六園シャトルに乗り、4つ目のバス停で降りた目の前にありました。ここは、「石川四高記念館」と「石川近代文学館」が合体した、複合文化スペースです。

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 ここに来たのは、井上靖を調査し情報を収集するためです。
 金沢は、井上靖が四高で学生時代を過ごした街です。自伝的小説である『北の海』の舞台でもあります。『北の海』については、「井上靖卒読(151)『北の海』」(2012年12月10日)を参照願います。自分勝手につけていた評価が【2】なので、5年前はそんな理解だったようです。金沢を歩いたことにより、少し作品の背景がわかりました。再読したら、この評価がどうなるのか楽しみです。もっとも、今はもう一度読む暇がないので、またいつの日にかということにしておきます。
 今回この記念館に来て、石川県における近代文学の三文豪は、徳田秋聲・泉鏡花・室生犀星であり、井上靖は入らないことを知りました。それだけこの地には、他にも高く評価されている文人がいた、ということです。
 2階の最後の部屋に、やっと井上靖のコーナーを見つけました。「四高が育んだ多彩な才能 四高その青春と光芒」という部屋がそれです。

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 ここには、中野重治、加賀の三太郎(西田幾多郎、藤岡作太郎、鈴木大拙)、森山啓とともに、壁一面を使って写真や著書などが並んでいます。私は、井上靖旧蔵で本郷新が製作した「鑑真和上像」に目が留まりました。唐招提寺にある像を基にして作られた三体の内の一つだそうです。これを寄贈された文学館では、鑑真が没した5月6日を「鑑真の日」とし、例年これを展示して「鑑真まつり」を行っておられるそうです。この日が井上靖の誕生日でもあるのは、奇縁とでも言うべきことです。
 井上靖の翻訳本は、『天平の甍』の英語・中国語・フランス語版が並んでいました。
 また、1階の一室「北辰会と南下軍 部活動にかけた青春」に四高の柔道部のコーナーがあり、そこに井上靖が書いた「河西回廊」の扁額と「無声堂」の印が展示されていました。

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 同時に開催されていたイベントとして、「少女の文学展 ―石川ゆかりの作家の少女向け読み物―」がありました。竹久夢二や川端康成、現代では唯川恵などの作品が紹介されています。
 現在編集中の『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第4集』では、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』(伊藤編、新典社、平成28年)に引き続き、池田亀鑑の少年少女小説の小特集を組んでいます。そのこともあり、一点一点を丹念に拝見しました。しかし、さすがにここに池田亀鑑の少女小説のことは、まったく触れられていません。小説家としての池田亀鑑は、まだほとんど知られていないのです。これから、関連する情報を公開しますので、今後に期待しましょう。

 井上靖が四高時代に下宿していた部屋が、「櫻畠楼(さくらばたけろう)」としてお寿司屋さんが守り継いでおられることがわかりました。それは木造2階建ての建物で、小説『北の海』にも登場します。晩年にここを訪れた井上靖は、大変懐かしんだそうです。下宿していた2階の部屋は、当時のまま残されているとのことです。
 そこで早速お寿司屋さんに電話をして、食事と見学をお願いしました。しかし、お店が非常にお忙しい時と重なり、今日は対応できないとのことでした。寿司割烹「小林」のご主人の松田さんには、慌ただしくしておられる時に大変失礼いたしました。またの機会を楽しみにしています。

 それでは、ということで、駅前のビルの中にあった回転寿司の「もりもり寿司」に入りました。

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 新鮮なネタで、おいしくいただきました。消化管を持たない私は、一度にたくさんは食べられません。今日は、3皿と海鮮汁で充分でした。これでも千円を軽く越えるので、私にしては少し贅沢な食事となりました。

 今回は、時間の都合もあって、金沢21世紀美術館にも行けませんでした。ここは、学芸員の資格を取る勉強をしていた時から、その理念が気になっていた美術館です。これも、残念ながらまたの機会に、となりました。
 
 
 
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2017年05月22日

日本盲教育史研究会の第5回ミニ研修会 in 金沢に参加して

 石川県は、点字毎日文化賞を3名も出しているところです。その風土を感じる好機と思い、金沢で開催された第5回日本盲教育史研究会のミニ研修会に参加しました。

 JR金沢駅前の鼓門は、印象的なデザインでした。

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 今回の会場であるルキーナ金沢(金沢福祉用具情報プラザ)は、駅前から徒歩で3分の至便の地です。

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 まず、開催の案内文を引きます。

第5回ミニ研修会 in 金沢 ご案内


金沢市内でのフィールドワークを中心に

―― 先人の足跡を訪ねる ――
 第5回ミニ研修会を金沢で開催します。今年は、石川県の出身で、新たな道の開拓者となった視覚障害者達の足跡を訪ねます。近代鍼灸教育の父と言うべき奥村三策は、元治元年金沢三社町に生まれました。岐阜盲学校の創始者となった森巻耳も金沢の生まれです。
 そして紹介したいのが、竹川リンと彼女に関わる人々です。リンは幼時に失明しますが母と二人の生活を支えて働きます。しかし、重篤な病に罹ると死後自らを解剖に付すことを遺言して、明治16年に43歳で亡くなりました。翌年建立された顕彰碑に往時を偲ぶことができます。
 短い時間ではありますが、ともに語りながら先人の足跡をたどることができますよう、お待ちしています。

主催 日本盲教育史研究会


 今回は、お弁当を食べながら、お2人の講演を伺いました。

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 これは、1日だけの研修会を充実させるため、食事時間を確保できない苦肉の策だとのことです。さらには、今後はフィールドワークを大切にした運営をするとのことです。今回は、それがうまく機能した研修会となっていました。運営関係者のご苦労が偲ばれます。
 参加者は60名という盛会でした。会場を設営なさった方にお聞きすると、49席の準備だったのが急遽イスを増やすことになり、嬉しいことだとおっしゃっていました。この会の会員数も、180名にもなるそうです。ますます大きくなっていきます。一人でも多くの方が会員として参加なさることを願っています。

 以下、今回伺ったお話を、自分勝手に整理しておきます。

第1部 11時00分から12時45分

ランチョンセミナー レクチャーと昼食交流

* 「竹川リンと支えた人々」
・・・講師 庄田 望 氏(元金沢部落史研究会)


 講師ご自身が執筆中の、天保11年(1841)に金沢で生まれた竹川リンを主人公にした小説の内容を語りながら、熱の籠もったお話でした。
 「浄土真宗の王国加賀で、(竹川リンが)献体する決意はどうして生まれたのか。」
 「盲目の女性リンに献体ということを教えたのは誰か」
ということがテーマです。
 結論は、ヨーロッパ啓蒙思想の流入と、金沢医学館の役割を明らかにすることでした。
 執筆中の小説は、今秋頃には自費出版なさるようです。

 お2人目の松井先生が、今回金沢での開催にあたって、現地側としてとりまとめをなさいました。
 また、お話の中心となった奥村三策のお孫さんも、遠路会場にお越しになっていました。

「道を開拓した石川県の視覚障害者達」
・・・講師 松井 繁 氏(金沢星陵大学)


 金沢生まれの近代鍼灸教育の父と言うべき、奥村三策の偉業を語ってくださいました。明治18年頃まで、差別的な扱いを受けていた鍼治教育の道を拓いた人です。
 針治療と西洋医学との葛藤があったことを知りました。また、1900年にパリ万国博覧会で「万国盲人状態改良会議」があり、そこで日本の盲学校鍼按科の状況が報告されています。これは意外な事実でした。
 戦後、GHQが鍼治療は危険で医療ではないということで、これを禁止しようとしたマッカーサー旋風のことにも触れておられました。私も少し調べてみたいと思うようになりました。
 奥村三策は、1907年に点字略字12字を公表しています。平成直前まで、この略字は教科書などに使われていたそうです。講師の松井先生は、読み書きが早くできるので、今でも点字の略字を使ってもいいと思う、とのことです。コミュニケーションツールに興味を持っている私は、いいヒントをいただきました。

 配布されたレジメには、「あえのこと」が輪島、珠洲、能登に伝承されていることに関する囲み記事がありました。これも、今回のレジメから引きます。

「あえのこと」

輪島市(白米)、珠洲市、能登町等では、「あえのこと」が伝承されている。毎年12月5日、全盲夫婦の田の神様を家に迎え入れて冬を過ごし、翌年2月9日、田にお送りする農耕儀式。1977年重要無形民俗文化財に指定、2009年ユネスコの世界無形遺産に登録。昔、偉大な盲人の活躍が示唆されるが不明である。


 午後は、今回のメインとなる外に出かけました。

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第2部 13時00分から16時30分
フィールドワーク(貸切バス)

* 竹川リン顕彰碑(金沢市上荒屋3丁目260番地)

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* 松江老医有道碑(白山市徳丸町207番地)
(松江安見は、竹川の解剖に深く関わり、顕彰碑を建立した医師。)

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* 金沢医学校(現金沢城・兼六園管理事務所分室、兼六園隋身坂口料金所手前)

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* 故奥村三策先生頌徳碑(金沢市卯辰山公園玉兎ケ丘)

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 兼六園では、個人的にありがたいものと出会えました。昨日もお茶のお稽古で難儀をした右足の疣に関するものです。
 「いぼとり石」は、今も金沢の人は、ゴシゴシと擦りに来るそうです。

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 さて、私の疣は今後どうなるでしょうか。とにかく、午前中は特にビリビリするのです。おまけに、左足首の骨折が、昨日のお茶のお稽古で少し無理をしたせいか、今日は終日熱をもっていました。庇って歩くと、どこかの筋肉が痛むようになります。両足がなかなか完治しません。困ったことです。

 金沢駅前で開催された懇親会も、多くの方が参加なさいました。
 私の周りには、ボランティアグループの「金沢視覚障害者外出支援サークル(KBOS)」のみなさまがいらっしゃいました。15名のうち今回は13名の方々が手助けに駆けつけてくださっていたのです。このご支援は心強いものでした。自宅からの交通費と食費しか出ないにもかかわらず、みなさまは目の見えない方々のために熱心にサポートをしておられました。ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。
 ただし、活動の実態を伺う内に、ボランティア活動を地方自治体がうまく利用していることが、ここでも見ることとなりました。こうした活動を、行政側がうまく無償の勤労奉仕で掠め取っていることは、すでに社会活動におけるボランティアという面で問題が表面化しています。個人の善意と、公的機関の予算節約がうまくすり替えられています。実際に手助けとして参加なさっている方々の気持ちが純粋なだけに、これは、1日も早くボランティア団体の運営者側にも意識の変革が求められている、と思っています。無償の献身的な活動は、ボランティアではありません。営利ではない程度の、最低限の報酬は支払わなければ、これは続きません。このことを、私はインドで学びました。そして、私が代表理事をしているNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営でも、一番気をつけていることでもあります。もっとも、なかなか難しい問題であることは承知しています。

 懇親会の終盤で、戦時中に視覚障害者はどのような分野で、どのような形で参加していたのか、させられていたのか、ということが話題になりました。マッサージに駆り出されたことはわかるにしても、見えないからこそ夜間にも働かされたり、火花が飛び散る旋盤工の仕事などなど、まだ掘り起こすことは多いようです。いつもこの懇親会は、いろいろと考えさせられることの多い貴重な話題が交わされます。

 今の風潮として、事務手続きとしての出張において、懇親会は単なる飲み会だと位置付けています。しかし、そうではなく、こうして胸襟を開いて語り合い、実質的に障害者が直面する問題をぶつけ合い、話し合うことで問題点を日常レベルに立ち返って炙り出す会もあるのです。事務的な書類処理においては、懇親会は無為な徒食の懇談の場であるとされがちです。しかし、こうして濃厚な時間を共有することで貴重な場となっていることが多いはずです。このことは、さまざまな研究会などの懇親会で見られることではないでしょうか。放談の場だけではない、ということで、こうした懇親会の位置づけが、有意義な情報交換の場として認められるようになってほしいと思います。

 なお、配布資料の中には、CD-ROMがありました。その内容は、次の貴重なものです。自宅に帰ってから、じっくりと拝聴しようと思います。

CD・「音資料」
1NHKラジオ第2放送『盲人の時間』「人と行跡 奥村三策」1980年8月3日放送
2.「杉山検校を讃える歌」作詩奥村三策、作曲鈴木米次郎、1909年、歌林薫夫
3.「不滅の足跡を残した石川の視覚障害者達・関係者達の声」2014年11月製作
4.「石川県立盲学校創立100周年記念、音で辿る盲学校の歩み」(抜粋、編集)
5.「石川県音紀行」石川県製作

 
 
 

posted by genjiito at 09:30| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年05月21日

特急サンダーバード号の整備不良の座席

 今、京都から金沢に向かっています。
 金沢まで、特急サンダーバード5号で2時間15分。私の通勤よりも短くて早いので、日本がこんなに狭くて便利になっていることに、あらためて感激しています。

 しかし、困ったことに出くわしました。いつもは自由席で気ままに移動する私が、今日は初めて乗る電車ということもあり、指定席を取りました。ところが、この席がとんでもないのです。
 走り出して間もなく、前後左右に揺れるので、気分が悪くなりました。座席がガタガタと音もします。座席の下の固定が緩いのかと思い、身体を揺すりました。すると、座席全体がぐらぐらなのです。
 また、肘掛けの塗装も剥げ落ちています。

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 これであと2時間以上も座っているのは大変だと思い、通りかかりの車掌さんに席を移動したいことを伝えました。座席を揺すり、酷いことを確認してから、一つ前の車両に案内してもらいました。

 トラブルによく遭う私です。
 それにしても、JRは新幹線以外は、こんなにも手抜きの列車を走らせているのでしょうか。観光立国をお題目に掲げながらも、これでは「おもてなし」以前の、旅人を運ぶ上で基本である、車両整備の問題だと思いました。座席を固定することは、技術的には何も問題はないはずです。塗装も、今はいい塗料があるはずです。
 快適な旅ができるように、経費節減はもっと別のところでやってほしいものです。
 
 
 

posted by genjiito at 09:32| Comment(0) | ブラリと

2017年05月20日

久しぶりに奈良でお茶のお稽古

 今年のお正月に、お茶の先生のお宅にうかがったことは、「大和平群での初釜と茶室披きに行く」(2017年01月08日)に書きました。
 それ以来、定年退職に伴う仕事の整理や引っ越しやらで、お稽古のために奈良に行く時間が取れませんでした。
 新しい職場にも慣れてきたので、気持ちに少し余裕が出てきました。今日から、何度目かの再出発です。これからは、東京から京都経由で奈良に行くことはありません。月2回はお稽古をする決心でいます。
 土日に、他の予定が入らないようにします。ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いします。
 もっともその前に、自分自身が一番仕事を引き受けて予定を狂わせているので、この今のやる気を頑なに持ち続けることが大事です。お稽古に行くための難敵は、実は自分なのです。

 初夏とはいえ、真昼の平群は30度の暑さでした。
 竜田川は、気怠そうに町内を流れています。

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 今日も、昨夏以来の両足首の痛さをかばいながらのお稽古でした。先生は、私のわがままを聞いてくださいます。立ち上がる時、足の指に一番負担がかかり、ピリッとします。それを見越して、胡座でのお手前や、お尻に硬めの円座を敷いて練習をしました。
 「なにも無理せんでよろしい」という先生のおことばに甘えて、痛さを我慢することなくお稽古ができました。
 長く間が空いていたにしては、何とか流れは思い浮かび、それなりに手は動いたと自分では思っています。細かなことでは動きに問題があるにしても、再出発ということで大目に見ていただけたようです。
 終わってからは、お茶にまつわる話で、いろいろなことを教えていただきました。これも、私にとっては大事な勉強です。
 次は来週です。月に2回の難題に挑みます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:37| Comment(0) | 身辺雑記

2017年05月19日

やました氏のエスペラント訳『源氏物語』の最新情報

 やましたとしひろ氏が精力的に取り組んでおられる、エスペラント訳『源氏物語』に関して、最新情報が入りました。
 今回は、以下の5帖が追補となりました。

第14帖★澪標
第15帖★蓬生
第17帖★絵合
第18帖★松風
第19帖★薄雲



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 詳しくは、「エスペラントの世界」でご確認ください。
 やました氏は、着実に成果を公開なさっているので、これからの進捗がますます楽しみです。
 私はエスペラントはわかりません。しかし、こうしてさまざまな言語に『源氏物語』が翻訳されて行くことを、広くお知らせすることで後方支援をしています。
 
 
 
 

posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月18日

翻訳本のミニ展示会のポスターができました

 過日お知らせした「翻訳本のミニ展示」(2017年05月09日)を開催していることを幅広く知っていただくために、宣伝用のポスターを作りました。


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 これは、デザイン会社の オフィス ティ でデザイナーとして活躍中の、塔下宣子さんの作品です。
 塔下さんは、大阪観光大学の前身である大阪明浄女子短期大学の卒業生で、私の教え子です。また、22年前に短大の中に創設した、当時は世界的にも最先端だと言われた、「マルチメディア部」と「ワールド・ワイド・リサーチクラブ」の主要メンバーでもありました。

 この度、縁あって、いろいろとデザイン面で助けてもらうことになりました。
 新規採択となった科研のホームページのデザインも、お願いしています。これも、出来あがりが楽しみです。もうしばらくお待ちください。
 
 
 

posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月17日

『週刊 東洋経済』の大学ランキングを見て夢が膨らむ

 『週刊東洋経済 臨時増刊』(東洋経済新報社、2017.5.24)が、「本当に強い大学 2017」を特集しています。全国765大学を調査した結果を公表したものです。

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 その総合ランキングのベスト3は、どなたもが予測できる大学が並びます。
 その中で、先月からお世話になっている大阪観光大学が、300校中の101位になっています。

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 この調査結果は、大学関係者をはじめとして誰もが予想だにしなかったことです。嬉しい誤算の一言です。しかも、私は18年前までは、短期大学だったここにいたのです。とにかく、大学をあげて意欲的に新しいことに挑戦する姿が、日々鮮明になっています。この大学の今後が、ますます楽しみです。夢が膨らみます。

 例えば、教育力の項目に、科研費の数値が上がっています。これは、昨年の2016年度に採択されたものです。今年度は、私が着任早々に基盤研究(A)を獲得したので、来年はこの数字が5倍になります。
 今日は、科研費を獲得するための秘策を、観光学部と国際交流学部の両学部のみなさんと一緒に考えていました。そこへ、このニュースが飛び込んで来ました。ホット過ぎるニュースです。科研費をもっと取ろう、と意気も跳ね上がります。
 この活力がみなぎることになる記事を見て、あらためて夢が夢ではなくなったことを、教職員全員が思っているはずです。

 全国300大学の中にランクインしただけで驚喜するところを、さらに「国際力」という項目ではトップ50にランクインし、それも東京大学に次ぐ第7位です。

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 このことによって、まったくの無名大学の名前が知られるようになることは慶事です。さらには、関係者がみんな明るい気持ちになるのです。こんな嬉しいニュースはありません。
 ここに掲載した順位表を、何度も何度も見直すのは、私だけではないはずです。
 来年は、もっといい評価をしてもらえるように、私なりに力を尽くせるよう気持ちを引き締めています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年05月16日

京洛逍遥(447)観光でポケット版の音声案内が使える日が近い

 これから観光のお伴となる、便利なグッズのモデルケースが、我々の日常に提供されました。「宮内庁参観音声ガイド」というスマホ用のアプリとして、今日16日からiPhone 版が無料で配信されました。Android版はもう少し先のようです(讀売新聞、2017年5月16日・夕刊)。

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 このアプリを使うと、皇居と京都御所をわかりやすく案内してくれます。立ち止まってガイドブックを見たり、掲示されている説明を読むのは、小さな文字を読むのが面倒な歳になると、なかなか大変でした。それが、このアプリでGPS機能を使うことで、指定されているエリアに立つと自動的に音声ガイドや写真が流れるのです。これは歩き回るのが楽しくなります。ブラブラと歩きながらの観光にも重宝しそうです。これは大助かりです。そして、ガイドさん受難の歴史の始まりです。

 以下に、「Map」「List」「Info」の3画面を紹介します。

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 現在のところ、次の6種類の言葉に対応しています。

日本、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語


 最近特に多くなった、スペイン語話者の存在を忘れていないところがいいと思います。

 目が見えない方のために、スマホを物体にかざすと、それが何であるかを声で教えてくれるアプリがあります。
 そんな時代の流れを意識して、私は、ペンでなぞると写本に関する音声案内が流れる仕掛けを考えました。目が見えない方々に限らず、見える方々も写本の変体仮名を読んだり学習する方法として、昨年の科研で取り組み、一部を実現しました。

「民博で古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年12月10日)

 写真や音声を活用し、日常生活を魅力的にする小道具は、今後ともアイデア次第でいろいろと出てきそうです。また、産み出したいと思っています。
 楽しい時代になりました。大いに満喫したいと思います。
 
 
 

posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年05月15日

京洛逍遥(446)風が心地よかった葵祭-2017

 下鴨神社を出た葵祭の行列は、下鴨中通を北に進んで北大路通を左折し、さらに西に進むと北大路橋を渡ることになります。この橋を渡ってすぐの賀茂街道を川沿いに北に直進します。

 河原では、鴨たちが北大路橋を渡る行列を見たいのか、護岸に集まって今か今かと待っていました。

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 先導は、パトカーに続く京都騎馬隊です。

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 その後を、葵と桂を身に着けた500人の行列が、延々800メートルも続くのです。藤の花を垂れる牛車は、よく観光写真などに使われる絵柄です。

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 このお祭りの本来の主役である近衛使代が乗る馬は、銀面の飾りを着けています。これがこの行列の本体部分なのです。あまり注目されませんが。

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 沿道の皆のお目当ては、やはり斎王代の腰輿(およよ)です。今年は、第62代となります。これは、最後の方でしずしずとやってきます。

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 今年は、風が涼しくて心地よいお祭でした。
 帰り道のトントンは、めずらしく大渋滞です。

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posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年05月14日

枚岡神社へ初宮参りに行って

 東大阪市にある枚岡(ひらおか)神社へ、初孫の初宮参りに行ってきました。河内一の宮である枚岡神社は、近鉄枚岡駅のすぐ前にあります。奈良の春日大社と縁があり、元春日と呼ばれている格式の高い神社です。

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 婿殿のご家族と一緒なので、賑やかなお参りです。

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 新緑に包まれた社殿で、祝詞、神楽、榊奉奠の間、当の本人はずっと寝ていました。

 みんなで会食の後は、写真館でお祝いの記念写真を撮りました。
 ここでも、主役の当人は何をされようが、ひたすら眠っていました。写真屋さんが、まさに手を変え品を変えて起こそうと苦心惨憺の中、本人はまったく起きる気配を見せません。フラッシュにも動じません。
 泣くよりもこの方がいいか、ということで、そのままたくさんの写真を撮っていただいて、お祝い事は無事に終わりました。

 ちょうど同じ時間帯に、神戸にいる姉が河内高安にある我が家のお墓に、お参りに来ていることがわかりました。自宅の庭に咲いていたスズランとショウブを持って、墓参に来てくれていたのです。今日の祝宴場所から、姉が来ているお墓が遠くに望めます。宮参りのことは知らせていませんでした。こんな偶然があるのです。我々の両親に、曾孫が産まれたことを報告してもらうことにしました。

 帰り道の駅で、こんなポスターを見かけました。
 「平安物語」を「A Courtly Tale」と訳しています。

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posted by genjiito at 20:47| Comment(0) | 身辺雑記

2017年05月13日

第6回池田亀鑑賞の選考委員会を終えて

 順調に回を重ねている池田亀鑑賞も、今回で第6回目を迎えます。

 昨夜の京都は大雨でした。しかし、朝方から小降りとなり、お昼に阪急池田駅へ着いた時には、すっかり上がっていました。今回も、選考委員会の会場は、逸翁美術館の伊井春樹館長のご高配により、池田文庫の一室をお借りしました。
 今回の応募も、いずれ劣らぬ力作揃いでした。提出された著作物に収録されている論考のいくつかは、すでに読んでいるものがあります。しかし、一つの成果として公刊されたものを総体として評価するため、あらためて各論の構成を加味して読み直します。

 本年3月末日で応募を締め切り、事務局に届いた応募資料などを整理してから、選考委員のみなさまに審査をお願いしました。

 応募にあたっては、応募書類と共に、著作物など各2部を提出していただくことになっています。この著作物の回覧は、選考委員の先生方のご理解とご協力をいただけていることもあり、毎回混乱もなく回せているので、私の負担は回を重ねるごとに軽くなっています。
 問題は、ゴールデンウイーク前後の審査委員の先生方の多忙さです。
 力作揃いの応募作を、客観的な視点で読み込み、それを一点ずつ評価し、選評を文章にして提出していただきます。池田亀鑑賞の趣旨に合った物差しを当てて、丹念に読み通すのです。
 この、膨大な時間をゴールデンウイークの中で確保するのですから大変です。選考委員のみなさまが共通しておっしゃる苦労は、選考のための時間の確保です。もちろん、私もそうです。
 しかし、鳥取県の日南町で開催する授賞式が6月の第4土曜日となっていることは動かせません。ゴールデンウイークがこの選考作業で完全に潰れるのは、致し方のないところです。
 それでも、選考委員のみなさまが毎回確実に締め切りまでに評価書を送ってくださるので、そのとりまとめはスムースにでき助かっています。

 評価についての項目や基準は、すでに公開している通りです。

 応募作の評価については、選考委員全員があらかじめすべてに目を通し、毎回4つのチェック項目について5段階評価をし、それに各委員が講評(200字)を付けた評価表を提出していただいています。
 その4つの評価項目は、次の通りです。
 @地道な努力の成果
 A研究の基礎を構築
 B研究の発展に寄与
 C成果が顕著な功績

 そして、その資料を参考にしながら、自由討議によって選考を進めていきます。


 こうした手続きを経て、本日、無事に授賞作及び授賞者が決定しました。
 もろもろの手続きを経て、近日中に「池田亀鑑賞のホームページ」を通して、第6回の選考結果が公表されます。
 授賞作に関する総評は、来月の授賞式の場で報告します。今しばらくお待ちください。

 そして、第6回池田亀鑑賞の授賞式は、平成29年6月24日(土)に日南町で開催する「もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』」の講演会において行なわれます。

 次の、第7回池田亀鑑賞の応募締め切りは、これまで通り来年の3月末日です。日南町での授賞式は、来年6月30日(土)となりました。

 次回も、多くの力作が届くことを楽しみにしています。特に、コツコツと研究に励んでおられる若手研究者の方々からの応募を、心よりお待ちしています。

 参考までに、過去に本ブログ「鷺水庵より」で紹介した授賞式の様子がわかる記事をあげます。
(本年3月に急遽移設した本ブログのため、以下の記事の中のリンク先はまだ不完全であることをお断わりします。)

「第5回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2016年10月01日)

「第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会」(2015年06月27日)

「第3回池田亀鑑賞授賞式」(2014年06月29日)

「第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」(2013年06月22日)

「盛会だった池田亀鑑賞の授賞式」(2012年03月10日)
 
 
 

posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年05月12日

読書雑記(199)デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』

 『新・観光立国論』(デービッド・アトキンソン、東洋経済新報社、2015年6月)を読みました。著者は、元ゴールドマン・サックス証券のアナリストで、現在は文化財の補修・修繕をする小西美術工藝社の社長です。先日も、文化財の修復を手がける様子が、テレビの特集番組として放映されていました。

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 観光に関して私はまったくの門外漢です。これまで、観光についての問題意識を持っていなかったこともあり、非常に刺激的な内容でした。ただし、著者の異文化理解に対して違和感も随所で感じたので、そのことから記します。
 限られた統計などの数字を根拠にした、アメリカ発想の単純明快さを売りにした客寄せ本だと思いました。著者はイギリス人であることを強調なさっています。しかし、発想は私の感覚ではアメリカ的だと感じました。その基準は曖昧ながらも……
 各国にはその国なりの文化がある、ということに言及しながら、日本に関してはピントが合わないままに展開します。論理優先と私見をもとに自由闊達に語られているので、筆者の思いつきに振り回されている感じが終始伴いました。
 自分の価値観と自分が身に着けた文化を、他国の人に強要しているように思われます。さらには、差別を助長する物の見方を垣間見る箇所があります。住宅の「内装」には文化の「多様性」を言いながら、異文化に対する無理解から「VIP専用レーン」の提唱に至ることには、伝統的な日本文化になじまない差別意識がうかがえます。もちろん、筆者は誤解を回避しようとしますが。

 観光客を支払う料金でランクづけするということに抵抗を覚える人も多いかもしれませんが、これは差別ではなく、「多様性」を受け入れているということなのです。お金をたくさん払える人にはそれに見合う優遇をして、お金をあまり払えない人にもそれなりに満足のいくサービスを提供する。このような「多様性」を供給者側が自ら設定することで、よりバラエティに富んだ客がそれぞれに楽しめる機会を提供することができます。観光収益も上がるので結果として観光地としての質も向上していくことになるのです。(200頁)


 私には、この理屈は受け入れにくいものです。
 こうしたことは、あくまでも私の印象批評なので、ここではこれ以上は控えましょう。

 本書は、日本が「観光立国」になるためには何が足りなくて、何をすべきなのかを明らかにするのを目的とするものです。そして、イギリス流の「議論の文化」で分析を進めていきます。分析に相手への気遣いや愛情を差し挟むと、事実が見えにくくなるからだと言います。そのこともあって、論理と結論は明快です。ただし、議論の余地はあまりなく、一方的な私見だけを押し付けることに終始します。
 その結果として、「短期移民」を提唱します。短期間だけ日本に滞在してお金を落としてくれる外国人を増やす「観光立国」です。ただし、「観光立国」という言葉には特に明確な定義があるわけではない、ということなので、話はややこしくなります。(47頁)

 そして、観光立国として成功するためには、「気候」「自然」「文化」「食事」の4つの条件があるのだと。これは、日本にとって好条件だと言います。

 「気候」においては非常に「有利」と言えます。よく、日本は「四季」が明確に分かれている唯一の国だという話を聞きますが、欧州の人間からすれば、これはあまり納得できません。このような話がまかり通っているのは、京都あたりで囁かれていた「俗説」がいつの間にか、正しいこととして日本全国に広がったのではないかと思っています。
 実際に、北海道や沖縄より四季が明確に分かれている国はいくらでもありますし、イタリアには「四季」という有名な曲もあるように、温帯地域の国はみな日本の気候とあまり変わりがないのです。では、気候の何が有利なのかと言うと、四季があることではなく、暑い地域と寒い地域の差が大きいことです。つまり、北海道でスキーもできますし、沖縄でビーチリゾートを楽しむこともできるのです。(65頁)


 四季については、やはり日本は独特の季節感のもとに文化が醸成されてきたものなので、他国の季節感とは明らかな違いがあると思っています。感覚的に微妙な差が、文化の違いを見せているのではないでしょうか。その点から、著者の視点に身贔屓なところを感じています。
 日本人の勘違いについても、いろいろな指摘がなされています。これが、非常に効果的に語られます。
 私が一番興味を持っている文化の発生と継承について、おもしろい指摘がありました。少し長い文章ながら、引いておきます。

 このように文化に幅があるという話をすると、必ず「日本の特徴の1つは、さまざまな文化をうまく取り入れて、自国の文化としてアレンジすることだ」というようなことをおっしやる方がいますが、それは違います。
 異文化をうまく取り入れるのは、何も日本だけの特徴ではありません。例を出せばきりがありませんが、たとえばヨーロッパにおけるキリスト教はその典型でしょう。
 本来、キリスト教は中東からきた宗教です。海外からきたものを自分たちの宗教に取り込んだのです。その痕跡が「クリスマス」です。もともとは年末年始の行事ではなく、真夏に行なう誕生祭という行事でした。キリスト教以前の宗教で真冬に行なっていた最大のお祭りをなかなかやめてもらえないという状況に加えて、キリスト教の真夏の誕生もなかなか浸透しなかったということもあって、苦肉の策として、キリスト教の誕生祭を真冬のお祭りにアレンジして、今のような「クリスマス」になったのです。
 ちなみに、クリスマスツリーというのは、もともとドイツの古い宗教の習わしで、イギリスには19世紀に入ってきた文化です。また、復活祭(イースター)の休日に、卵を飾り付けるイースター・エッグも、キリスト教由来のものではなく、5000年ほど前のエジプトの習慣だったと言われています。
 つまり外国でも、さまざまな文化を取り入れて、自分たちのものにするということは、ごくごく当たり前に行なわれているのです。
 では、日本の「特徴」は何でしょう。学問的に言えば、古い文化を残しながら、次にやってきた新しい文化を取り入れること、と言われています。たとえば、公家文化を残して、武家文化も認める。天皇制を残しつつ、征夷大将軍という制度を加える。装束を残しつつ、武家の着物も足していく。以前の文化を駆逐したり、それまで行なわれてきたことを止めたりしないというのが、最大の特徴と言われています。
 これは非常に素晴らしいことだと私は思います。古いものがしっかりと残っている。さらにそこに新しいものも取り入れる。この「幅」のある文化的特徴というのは、外国人から見ると非常に斬新ですので、ここをしっかりと訴えていくべきだと私は考えています。(68〜69頁)


 「おもてなし」についても、考えさせられました。これも、長文ながら引用します。これは、オリンピック招致の時の、滝川クリステルさんのプレゼンテーションに関することです。

 日本人の多くは、あの「おもてなし」にまつわるスピーチが高く評価され、日本開催が決定したと思っていることでしょう。実際に日本のマスコミは、そのように報道しました。しかし、残念ながら世界的にはまったく逆で、あのプレゼンテーションの「おもてなし」についてはかなり厳しいことも言われており、むしろ否定的な意見が多いのです。
 その最大の理由は、そう指示されていたからでしょうが、彼女が「お・も・て・な・し」とひと文字ずつ区切って強調したうえで、合掌をしたことです。あの姿に私は、非常に大きな違和感を覚えました。なかでもこれは誤解を招くのではないかと感じたのは、あの語りかけるような口調です。
 実はあのように一つひとつ区切ったような話し方をすると、欧州では相手を見下している態度ととられてしまうのです。さらに驚いたのは、このような批判を受け、滝川さんが「日本国内では絶賛されました」という主旨のコメントを発したことでした。
 お迎えするお客さまを大切にする「おもてなし」を説きながらも、一方でその「客」である外国人たちの評価を気にせず、身内からの自画自賛の声によって評価とする。これでは単に、身内での自慢話を聞かされているような印象しか受けません。(102頁)


 この後で著者は、日本の「おもてなし」が日本人同士のものとして成立していると批判します。そして、「観光立国を考えるのであれば、部分的に外国人のニーズに合わせて、「おもてなし」を調整する必要があると感じています。」(103頁)と言います。
 私は、「外国人のニーズに合わせて」という発想に疑問を抱きました。外国人といっても、世界中にさまざまな国の人々がいます。その時々に対応を変える「おもてなし」とは、根無し草の文化です。しっかりと伝統と文化に裏打ちされた「おもてなし」なら、左顧右眄するような薄っぺらな「おもてなし」であっていいはずがありません。外国人に迎合するのではなく、自国の文化を理解していただきたいという姿勢で、観光を考えて行くべきでしょう。このアトキンソン氏の物の見方には賛同できません。
 そのことは、この後の次の発言にも顕著です。これも、アトキンソン氏の価値観の押し売りです。そして、世界の中の日本がまだ見えていないのです。日本の中にいながら、日本が見えていないのです。

 つまり、外国人が評価をしているのは、あくまで「日本人の礼儀正しさや親切さ」であって、日本という国に「おもてなし」という高いホスピタリティの文化があるなどと思っている人は、かなりの少数派だということです。日本にやってくる外国人観光客も含めて世界の大多数の人々にとつては、ソニーなどの電気機器や、トヨタやホンダという自動車のイメージはあっても、「日本にやってくる外国人を誠心誠意もてなしている国」などというイメージは、今はまだ成立していないのです。
 そのような意味では、まずやらなくてはいけないのは、「日本の"おもてなし文化"が外国人から高く評価されている」という国内の認識を一度疑ってみて、レベルアップする余地がないかどうかを考えることではないでしょうか。(109頁)
 
 客を「おもてなし」するのなら、まずは相手が何を考えて、どういうことを求めているのかを考えなくてはいけません。直接彼らの声に耳を傾けたうえで「おもてなし」をすればいいのに、「聞く」というプロセスを飛ばして、「相手はこうだろう」と思い込み、自分の都合のいいように解釈した「おもてなし」を押し付けているのではないでしょうか。(128頁)
 
 今、日本の「おもてなし」にもっとも足りないのは、この「お金を落としてもらうだけの高品質なサービス」という発想だと私は思っています。では、ここで言う高品質とは何かということになると、やはり「客」である外国人の言葉に耳を傾けることが大切になってきます。(130頁)


 ゴールデンウイーク廃止という考えにも、同じように大いに疑問を持ちました。日本人とその文化を理解できないままに、ここでも外からのお客さま最優先の論理を押し付けています。このような無責任な論理で、日本人の生き方と伝統を継承した文化を、勝手気儘に壊されたくないと思いました。

 私は、日本が観光立国を目指すなら、ゴールデンウィークを廃止したほうがいいと考えています。世界で5番目に祝日が多い日本は、国内観光客が一時期に集中する傾向が顕著です。これは、観光ビジネスにとつては大きな障害となります。ゴールデンウィークの廃止によって国内観光客が均されれば、もっと大胆な設備投資ができ、観光業が産業として成立しやすくなるはずなのです。(125頁)


 乱暴な論理が展開する所が多々ある著書です。外国人の特権意識を剥き出しにして、お客さまは神様です、という理屈を振りかざすのはいい加減にしてほしいものです。客である自分たちの欲求を満足させるためには、文化を壊して立ち去るだけになりかねない暴論だと思いました。
 観光立国をめざすなら、観光客を最優先に扱うべきであると言い、イベントへの改良を求めるのです。そのイベントにも文化が内在していることが見えない、他国の文化を理解できていない低レベルの日本批判となっています。独自の視点で指摘されることのおもしろさを、楽しく読み進めてきても、こうして、ちらちらと顔を出すこの論法には違和感と共に嫌悪感を覚えました。

 外国人観光客は異国のいい文化を体験したいと考えて、多くのお金と時間を費やして日本にやってきます。我慢をしなくてはいけないというのなら、ほかの国に行けばいいだけの話なのです。日本で暮らす日本人だけが楽しむものであれば、「調整」をする必要はないのでしょうが、このような「客」を迎える観光立国を目指すのであれば、それでいいのかという問題があるのです。(177頁)


 筆者は、「お金を落としてもらう観光」を力説します。しかし、その裏側には、文化の変質を強要し、ひいては破壊を招きかねない提言にもなる、危うい考え方も垣間見えます。観光のために文化をねじ曲げることにならないように、注意をしていかなければなりません。
 ただし、次の指摘は傾聴に値します。

 現状、日本への観光客は台湾、韓国、中国といったアジア諸国に非常に偏っているということは、前に述べました。これらの国々からの観光客を「さらに多くする」という目標も大切ですが、「まだまだ日本にほとんどきていない」「観光に多くの金を費やす」という2つのポイントから、ヨーロッパ、オセァニアからの観光客を増やすべきだということも自明です。「観光立国」を目指していくうえで、すでにある程度きている国の観光客をさらに増やすよりも、ほとんどきていない国の観光客を増やしたほうが、「伸び代」があるからです。(211頁)
 
 このような結果をふまえると、日本が「観光立国」になるために強化すべき点、つまり現状ではあまりきていないヨーロッパ、オーストラリアからの観光客を増やすために何をすべきかということが、おのずと見えてきます。それは彼らの関心が高い「日本文化の体験」や「神社仏閣という歴史的資産」をしっかりと整備すること。つまり、文化財を整備するということになります。(213頁)


 京都に関する記述も気になりました。
 次の、「文化財」に関心のある層の掘り起こしは、今後の観光を考える上では有効だと思われます。貴重なご教示です。

何が言いたいのかというと、国際観光都市・京都に訪れているのは、台湾や中国という日本の伝統文化に関心の低い人たちであり、「文化財」に関心のあるアメリカやヨーロッパの、お金を落とす人たち」というのは、ほとんど訪れていないのが現状なのです。ひと口に外国人観光客と言っても、国や人種によって観光の目的やポイントが違ってきます。京都では、外国人観光客とこうした観光目的のミスマッチが起こっているのです。
 ここで大切なのは、本当に実在するかどうかわからない「成熟した訪日旅行者」などをつかまえることではなく、なぜ「文化財」に関心のある層、京都のメインターゲットになるような層が訪れていないのかという問題を洗い直すことではないでしょうか。(246頁)
 
 なぜ文化財に関心が高い層が京都を避けるのか。これらの人々に振り向いてもらうためには、京都の何を改善すべきなのか。これは京都以外の地方でも同じことが言えます。外国人観光客の多くが東京・大阪に集中している今、地方に外国人観光客を呼ぶためには何が必要なのでしようか。「目利き層」を誘致するなどという焼け石に水的な対策をとるのではなく、本来であればくるべき層がきていないという現実を見つめて、彼らの声に耳を傾けた改善をすべきではないでしょうか。(248頁)

 
 着眼点に興味を持ちました。しかし、筆者は京都を過去の遺物としての街、化石の街と理解しているとしか思えない発言が後半で飛び出します。京都に27年住んでおられることを強調なさっています。そうであっても、京都は今も生活空間として生きている街であり、日々変化し発展しています。そこに住みながら、それが筆者に見えていないので、理解と評価が空回りしていきます。
 例えば、京都の街並みに関する理解などに、自然を人間の力で制圧し征服する西洋の発想で評価をしています。自然とともに生きる日本の文化理解からの乖離が明確です。あてがおうとする物差しが違うと思いました。残念なことです。京都は、ポンペイの遺跡ではないのです。ピンぼけの解釈が、本書の内容を空疎にしています。折角の鋭い刃が、残念ながら空を切っています。
 楽しく読みました。しかし、後半からは首を捻りながら読みました。【3】
 
 
 
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2017年05月11日

初めて写本を読む学生との記録

 大阪観光大学で授業の後、課外でも勉強しようということで、学生と一緒に『源氏物語』の写本を読み出しました。今日が第1回目です。

 バタバタと用務が入ったので、実質的には45分ほどでした。今日来た第1回生の学生は、古典に興味があるだけで、これまでに墨で書かれた文字は読んだことがないとのことです。
 テキストは、鎌倉時代に書き写された『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』を使うことにしました。

 場所は、大きな柱時計のある玄関の待ち合いロビーの一角。簡単なイスに座って、膝にテキストを置いての、2人だけでのささやかな勉強会です。1対1の真剣勝負なのです。少し薄暗かったので、事務の方がスポットライトを点けてくださいました。

 その習得の様子を、以下に記し留めておきます。

 冒頭部分「わら八や三尓」と始まる所で、「八」や「三」を「は」や「み」と同じように平仮名として読むことに、大いに違和感を持ったようです。

170511_1omote.jpg

 そして、続く「王つらひ」の「王」を「WA」と読むことで、最初のカルチャーショック……
 さらに、「堂まひて」の「堂」が「TA」となると、もうお手上げだとのこと。

170511_boutou.jpg

 変体仮名の一覧表を見ながら、「王」や「堂」の文字が崩れていくステップを、一緒に確認しながら進めました。

 なお、「く」によく似た「て」の字母は、iPhoneを取り出してブログ「平仮名「て」の字母に関する資料を検討中」(2017年05月08日)を見てもらい、私にはまだよくわからない文字だ、ということを説明しました。

 続く「よろ(改行)徒尓」では、「徒」でストップ。しかし、これも変体仮名一覧表を見比べながら、「つ」の元の漢字は「川」、それに加えて「徒」という変体仮名「TU」の2種類だけを覚えたらいい、と言うと、ホッと一息ついていました。

 さらには「ま新な井可ちなと」の「新」が平仮名の「SI」だと知り、変体仮名の渾沌とした世界に引き込まれて行くことになります。

 こんな調子で40分も読んでいると、目が慣れてきたようです。開巻第1丁オモテの10行分を、無事に読み終えることが出来ました。

 読めるようになりたい、という気持ちが集中力を高めて良かったのでしょう。とにかく、初日なりに達成感はあったと思います。

 1人の学生との出会いをきっかけにして、少しずつ写本を読む輪を、この大学でも広げていきたいと思います。
 
 
 

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2017年05月10日

泣き声が響きわたった日々を懐かしむ

 里帰りをしていた娘と赤ちゃんが、元気に自分たちの家に帰って行きました。
 生まれた日から、ちょうど30日をスヤスヤピーピーと過ごした京洛の地は、彼女にとってはあくまでも第2の故郷だったのです。

 この1ヶ月は、家中にかわいい泣き声が響き渡っていました。お姫様が最優先の毎日でした。
 子育ての楽しさと大変さを、あらためて間近に見ることができました。私は、よけいな手出しをしないように、言われた時に抱っこをし、言われたとおりに頬っぺたやお尻や背中をツンツンしていました。しかし、顔を真っ赤にして泣き叫ばれると、もう私は何の役にもたちません。事態が大変なことになる前に、すぐに引き渡すのが賢明であることも学びました。

 この国で子供を育てることの問題を、しっかりと見る機会にもなりました。テレビで話題になっている、子育て支援の重要さも、実感を持って考えられるようになりました。
 この国は、妊産婦に優しいとは思えなくなりました。人口の減少を嘆く方はたくさんいらっしゃいます。しかし、なぜ減少していくのかは、考え続けるしかありません。これは、多分に政治の力を借りて、理解と援助の手を打たないと、ますます日本の人口は減少します。

 自分の子育てを終え、孫を抱いて初めて、母親と祖母の存在の大きさに気づきました。さまざまな妊産婦への支援が必要なことも、わかりかけてきました。この理解の共有が、これからのこの国に活力を与えるためにはかかせないのでは、とも思います。突然、社会のありようが気になるようになったのです。
 確実に国力が衰退していく日本には、移民しか打つ手はないと思っていました。しかし、妊産婦に優しい国作りを心がければ、また別の方策も検討できるような気がし出しました。具体的な提案は、まだできませんが……
 少なくとも、移民に頼らざるを得ないという選択肢だけではない、と孫の顔を見ながら思うようになったのです。

 高齢者が溢れかえり、若者が少なくなる国に、この時代に、この子は生まれて来たのです。この子のためにも、若者たちが元気に飛び跳ねる社会を作る手伝いをしたいと、本気で思うようになりました。
 ただそこに居るだけだったのに、この子はいろんなことを考えさせてくれました。あらためて、生まれてすぐに我が家に来てくれたことに感謝しています。

 とはいえ、これまでの平穏な日々に戻り、泣き声が消えた我が家には、心なしか華やぎが感じられなくなりました。
 こうして、祖父母は孫が来るのを待つのでしょう。そして、この待つことの心浮き立つ楽しみを、この子からもらったように思います。
 
 
 

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2017年05月09日

大阪観光大学で翻訳本『源氏物語』の表紙絵を楽しむ

 本日より、大阪観光大学図書館3階の円形階段前で、『源氏物語』の翻訳本を展示しています。

 ささやかな展示です。しかし、なかなか見ることのできない世界各国の多言語翻訳の『源氏物語』が、これだけまとまって居並ぶのは壮観です。

 タイトルは、【[ミニ展示] 世界中の言語に翻訳された『源氏物語』】です。

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 右側のケースにアジアで刊行された本を、左側のケースに欧米で刊行された本を選りすぐって並べました。

 アジア他〔アラビア・韓国・タイ・タミル・パンジャビ・モンゴル〕

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 欧米〔イタリア・英国・クロアチア・スペイン・スロベニア・ハンガリー・フランス・米国・ポルトガル〕

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 表紙の多様さを楽しんでいただくことが、今回の展示のテーマです。日本古典文学の代表作である『源氏物語』を、文化の国際交流という視点で実見していただけたら幸いです。

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 来月からは、【[ミニ展示] 中国・韓国・インドで翻訳された『源氏物語』】という特集を準備しています。
 その後は、【[ミニ展示] ヨーロッパで翻訳された『源氏物語』】、【[ミニ展示] 海外で翻訳された平安文学】と続きます。

 この展示は、昨年度まで4年間にわたって取り組んでいた、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(課題番号:25244012、研究代表者︰伊藤鉄也)の研究成果の一部です。
 
 
 
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2017年05月08日

平仮名「て」の字母に関する資料を検討中

 昨日の記事で、平仮名の「て」について、字母を「天」にするか「弖」にするかで思案し続けていることを書きました。そこで、この問題を考える上で参考になる例を提示します。
 『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)の38丁表8行目下部に、次の字句が書き写されています。

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 これは、「給て とく」と読むところです。
 ただし、2文字目の平仮名の「て」をジッと見ると、その下に最初は「く」のような「て」が書かれていたことがわかります。それを小刀で削って、その上から「て」となぞっているのです。
 この箇所を拡大して撮影すると、次のように鮮明になぞられた文字が確認できます。

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 橋本本「若紫」に書写されている「て」については、この38丁表の見開き右側にあたる、37丁裏の2行目と3行目の上部に見られる、次の字形が普通です。

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 これは、「見ても…」と「や可て…」と書かれているものです。
 今、私はこの2種類の「て」を、共に「天」が崩れた平仮名だとしています。しかし、「や可て…」の「て」が「く」のように見える「弖」とする方がいいのではないか、という気持ちも払拭できないのです。

 この問題については、すでに「ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について」(2017年01月23日)で取り上げました。
 その後、「弖」と確証が得られる例に出会っていません。「く」によく似た文字の最後の線が、どうしても左から右下に向かい、さらに下向きに弧を描いて流れているので、「弖」よりも「天」の方に魅かれます。もちろん、「第一画の線の長短によって見分けられる」というご意見も認めます。しかし、『源氏物語』の鎌倉期の写本をいろいろと見ている限りでは、「弖」の字形がイメージできないのです。

 なお、上掲の「給てとく」の場合は、目が次の文字に流れていたために、「給」を書いてから字形がよく似ている「とく」のような「く」に近い字を書いてしまい、すぐにそれを削って「て」と書き直したとも考えられます。すぐに書き直す例は、橋本本ではよく見られることです。

 いずれにしても、この橋本本「若紫」の親本にどのような字母で「て」が書かれていたのかがわかると、おもしろくなります。いつかわかれば、いいのですが。

 この「天」か「弖」かという問題は、文字を専門に研究なさっている方々には、自明のことなのかもしれません。しかし、私はこれまでの経験から抜け出られないので、まだ決めかねているのです。
 ご教示いただけると幸いです。
 
 
 

posted by genjiito at 21:22| Comment(0) | 変体仮名

2017年05月07日

橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その3︰漢字表記の記号等)

 日比谷図書文化館の古文書塾「てらこや」で、本年度も本科コースの「国文学研究資料館蔵『源氏物語 若紫』を読む〔協力・大阪観光大学〕」が始まりました。

 昨日、その第1回目を行ないました。今年度から受講者が増えたことにより、「スタジオプラス」という少し大きな部屋で行うことになりました。
 毎月第一土曜日を開講日とするのを原則としています(14:30〜16:30 全5回)。
 今回から、大阪観光大学が協力してくださることになりましたので、広報などでは大学名が付くようになりました。

 昨年度末の3月からひと月以上空きました。そこで話題の提供として、谷崎潤一郎の自筆短歌が先月見つかったことを取り上げ、その写真を見ながら谷崎が書いた変体仮名混じりの文字を読みました。
 漢字が多いように思えます。それでも、みなさん読めたようです。

吾妹子可箸尓つら連る
素麺乃瀧の志ら
以登夏八来尓个利
    潤一郎


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 この講座では、『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016.10)をテキストにして、今から700年前の鎌倉時代中期に書き写された『源氏物語』の写本を読んでいます。しかし、時々こうして近代や現代の変体仮名も見ることで、仮名文字を読む感覚を養っていただいています。

 今回から初めて参加なさる方がいらっしゃるので、いくつかの方針などを説明しました。
 まず、この講座では変体仮名を読むことに専念するために、語られている内容にはまったく触れないことの確認です。
 次に、変体仮名の「弖」と「个」等の文字の字母を確定する判断について、私自身がまだ揺れている状態であることも、正直にお伝えしました。さらには、「お」や「へ」の字母についても疑問を持っていることも。

 昨日は、17丁裏3行目「可の・【大納言】八」(56頁)から確認していきました。
 その中で、漢字として書き写されている文字を、テキストの下段にあげた現代の文字表記による翻字では、方針として決めている隅付きパーレンの記号【 】を付け忘れているものが見つかりました。しかも2例も。
 出版前に慎重な点検をしたはずでした。お詫びとともに、今回テキストにしている『橋本本』で、これまでにわかっている誤字・脱字や補訂を、以下に報告します。
 なお、すでに2回にわたって、翻字の訂正を以下の通り行なっています。

「橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その1「本」)」(2017年02月02日)

「橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その2「も」)」(2017年02月16日)

 お手元にこの本をお持ちの方は、補正・追記をお願いします。
 お手数をおかけします。申し訳ありません。

・1丁表4行目 行末(19頁)「万う」の左横にミセケチ記号「˵」を付ける。

・13丁裏2行目 行末(44頁)「登」の左横にミセケチ記号「˵」があり、それが削除されている(˵〈削〉)。

・14丁表1行目 (45頁)「おほさる」の「ほ」と「さ」の間に補入記号「◦」がある(「ほ◦さ」)。

・14丁表10行目 (45頁)「つる」の右横の黒い点々は撮影時にレンズに付いたゴミ、原本にはないもの。

・18丁表8行目 行頭(53頁)「事」は漢字表記のため「【事】」。

・18丁裏1行目 行頭(54頁)「人」は漢字表記のため「【人】」。

 
 
 

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2017年05月06日

京洛逍遥(445)ゴールデンウィークの賀茂川にて

 昨日に続き、初夏の京洛の風景です。
 少し汗ばむ陽気となり、鷺も黒鵜と共に思い思いの姿で日向ぼっこです。

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 水草の茂みで休む鴨や、遊歩道に上がって来る鴨もいます。

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 上空には獲物を狙う鳶がいて、私も右手に持って食べていたアイスモナカを、サッと持ち去られました。大きな翼で頬を少し叩かれた感触だけが残ります。あっという間の出来事でした。
 お弁当がよく狙われるそうです。

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 北大路橋から、京大裏の如意ヶ岳に刻まれている大文字を望みました。

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 橋の袂に置かれた説明板をあげます。

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 昭和8年に架けられた橋に鎮座する灯籠は、金閣をイメージしたものだそうです。
 昭和53年までは、この橋の上を市電が走っていたことが、この写真からわかります。
 
 
 

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2017年05月05日

京洛逍遥(444)ゴールデンウィークに飛ぶ鷺たち

 今年は、訪問者の多いゴールデンウィークとなりました。
 お客人といっても気の置けない方々なので、よもやま話で楽しい時間が流れて行きます。
 四六時中飛び回っている私にしてはめずらしいことです。
 何年ぶりというよりも、初めてのことだと思います。
 これといって、どこへ出かけることもありません。
 のんびりと朝夕の賀茂川を散策して心地よい風を楽しんでいます。
 東京を引き上げ、ホッと憩える初夏を迎えています。

 賀茂川の鷺は、日々百態を楽しめます。
 今回は、連続写真でその楽しい動きを並べてみました。
 コンパクトカメラの自動撮影なので、ピントの甘さはお許しを。
 
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2017年05月04日

オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル Vol.3 & Vol.6』の分割公開

 過日の「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開」(2017年05月02日)では、第3号と第6号が、ファイル容量がサーバーの許容範囲を超えたために、アップロードできませんでした。
 大容量のPDFファイルをうまくダウンロードできるような工夫を考えているうちに、時間ばかりが経ちます。とにかく、1日も早く読んでいただくために、原始的ながら、それぞれの号を手作業でいくつかに分割することにしました。今回は、手近なところで Macintosh の「プレビュー」を使っています。
 手間をおかけします。適宜ダウンロードしてお読みください。ツールをお持ちの方は、ダウンロードの後に結合してください。
 もし不具合が発生するようでしたら、コメント欄をつかって教えてください。
 

『海外平安文学研究ジャーナル Vol 3.0』(オンライジャーナル)

【1】本体(表紙〜116頁)
   (150930_Journal_3-1-main.pdf)[3.1MB]

【2】付録・スペイン語訳(117〜150頁)
   (150930_Journal_3-2-Spain.pdf)[23.9MB]

【3】付録・イタリア語訳(151頁〜奥付)
   (150930_Journal_3-3-Italia.pdf)[10.5MB]


『海外平安文学研究ジャーナル Vol 6.0』(オンラインジャーナル)

【1】本体(表紙〜102頁)
   (170329_Journal_6-1-main.pdf)[3.3MB]

【2】付録・「桐壺」翻訳(103〜155頁)
   (170329_Journal_6-2-kiritsubo.pdf)[22.3MB]

【3】(156〜218頁)付録・「若紫」翻訳《イタリア語・ロシア語》
   (170329_Journal_6-3-waka1-.pdf)[22.9MB]

【4】付録・「若紫」翻訳《ヒンディー語・ウルドゥー語》/『十帖源氏』(219頁〜奥付)
   (170329_Journal_6-4-waka2.pdf)[14.4MB]
 
 
 

posted by genjiito at 20:04| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月03日

京洛逍遥(443)現代版の売茶翁とお話をする

 先日、賀茂川を散歩していた時、河原の散策路の一隅で野点のお茶を振る舞うおじさんがおられました。ここで、ときどき見かけます。
 たまたま誰もお客人がいらっしゃらなかったので、少しお話を聞くことができました。どのような方が、どのような考え方で道行く人々にお茶を振る舞っておられるのか、いつも気になっていたからです。
 話し好きな方で、自由気儘に人生を楽しんでおられます。お茶も、流派に縛られず、楽しく美味しく喫していただくことを無上の喜びとしておられるのです。
 全国をまわっておられるとか。
 土手に泊めてあるトラックの荷台は、畳のお茶室になっているようです。全国各地の道々で、車を停めてお茶をいただき話をするそうです。東北や九州にも行かれます。また、北海道や北陸からお茶をいただきに、この賀茂川を訪れる方もいらっしゃるそうです。ツイッターをなさっていて、次に行く所をそこに書いているそうです。
 時間があれば、もっと話を伺いたいところでした。しかし、暗くなってきたのでまたの機会に、ということでお別れしました。
 今度ここには5月下旬に来るかな、とのことでした。次に出会えたら、ぜひとも一服いただいてお話に興じたいと思います。
 そういえば、このすぐ目の前には、「京洛逍遥(440)売茶翁の詩碑と散り初めた桜」(2017年04月21日)で紹介した、「売茶翁没後二百五十年記念碑」(2013年建立)の「遊鴨河煮茶」が建っています。
 その碑文の中に、つぎのことばがあります。
鴨川畔など風光明媚なところで往来に茶を振舞う

 この方は、まさにこの生きざまを体現しておられるようです。
 魅力的な方でした。
 
 
 
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年05月02日

オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開

 昨日に続き、ダウンロードできなくなっている『海外平安文学研究ジャーナル』の第1号から第6号までを、このブログを通してダウンロードできるようにしました。
 ただし、残念ながら第3号と第6号は、本ブログの制限容量である25MBを超えるため現在その方法を検討中です。しばらくお待ちください。

 中でも、第6号は公開した翌日からダウンロードできなくなったようなので、これを読まれた方はいらっしゃらないと思われます。これは 60メガバイトを超える容量なので、今日の時点ではダウンロードをしていただけません。第3号も同じ理由で、ここでは保留しています。
 どなたか、この37メガと62メガのPDFをダウンロードできるような方法を御存知の方がいらっしゃったら、ご教示いただけると幸いです。

 第1・2・4・5号は、すでにダウンロードしてお読みになった方は多いようです。昨秋まで公開していたものと同じものです。

→以下の雑誌名をクリックするとダウンロード後にお手元の画面に誌面が表示されます。
 この報告書を保存したい方は、お使いのブラウザの機能で行なってください。

1『海外平安文学研究ジャーナル vol. 1.0』【約 1.5 MB】(2014/11/26 発行)


2『海外平安文学研究ジャーナル vol. 2.0』【約 2.0 MB】(2015/03/11 発行)


3『海外平安文学研究ジャーナル vol. 3.0』【約 37.0 MB】(2015/09/30 発行)
《本ブログの制限容量である25MBを超えるため現在その方法を検討中です》


4『海外平安文学研究ジャーナル vol. 4.0』【約 21.8 MB】(2016/03/30 発行)


5『海外平安文学研究ジャーナル vol. 5.0』【約 11.6 MB】(2016/09/21 発行)


6[最新刊]『海外平安文学研究ジャーナル vol. 6.0』【約 62.3 MB】(2017/03/30 発行)
《本ブログの制限容量である25MBを超えるため現在その方法を検討中です》
 
 
 
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆国際交流

2017年05月01日

ダウンロード版『海外平安文学研究ジャーナル インド編 2016』の再公開

 過日、本ブログの「2つのホームページの不具合に関するお詫び」(2017年04月26日)で、『海外平安文学研究ジャーナル』がダウンロードできない状況にあることを記しました。

 いまだ解決のメドが立たないので、このブログを通してダウンロードできるようにいたします。
 特に要望の多かった、『海外平安文学研究ジャーナル インド編 2016』(2017/3/31 発行)から始めます。今回アップロードするPDFファイルの容量は、約20メガバイトです。ご自分のコンピュータ機器の環境をご確認の上、本記事の末尾の誌名をクリックしてダウンロードをした後、保存などの対処をしてください。

 この報告書は、残念なことに関係者数人以外は、公開した日以降はどなたも読めない状況下にありました。編集に関わった者としては、忸怩たる思いでいました。執筆及び編集に多大の労力を注いでくださった諸先生方および関係する方々には、本当に申し訳なく、そしてそこに至るまでのご労苦にありがたい感謝の思いでいました。長くお待ちいただいている方々にも、本当に申しわけありませんでした。

 現在は、「海外源氏情報」(科研HP)のリニューアル版の作成に着手しています。今月末までには、不十分ではあっても、何とか形にして公開したいと思っています。
 いましばらくの猶予をいただきたいと思います。

→以下の雑誌名をクリックするとダウンロード後にお手元の画面に誌面が表示されます。
 この報告書を保存したい方は、お使いのブラウザの機能で行なってください。

■ダウンロード版『海外平安文学研究ジャーナル インド編 2016』【約 20 MB】(2017/3/31 発行)
 
 
 

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2017年04月30日

京洛逍遥(442)下鴨神社で孫娘の誕生の報告と祈願をする

 3月までで東京を引き払ったことに関連して、まだ行っていなかった氏神さまへ、その報告と無事の成長を祈願しに行ってきました。下鴨神社の楼門は、いつも温かく迎えてくださいます。

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 本殿前に、次の掲示があることに気づきました。関西ならではの、機知に富んだ文面です。

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 御手洗川の光琳の梅は、今は若葉に覆われています。

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 「水みくじ」があることを、今回初めて知りました。

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 御手洗の池に浸けると、文字が浮かび上がりました。
 幸いなことに「大吉」です。孫を見守ってくださる神意に感謝しています。

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 糺ノ森の馬場では、5月3日の流鏑馬神事の準備が進んでいます。

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 また、新たに殿舎の移設工事も進んでいました。これは、ラグビーの第一蹴があった聖地としての復興事業のようです。

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 このことは、後日報告します。
 
 
 
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年04月29日

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の第5回総会を東京で開催

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉も、今年で5年目の活動となります。
 今日は、東京にある京橋プラザ区民館で、第5回総会を開催しました。

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 朝9時からだったので、京都駅から一番列車の新幹線で上京です。
 昨夜はいろいろな仕事があったために、寝る時間がありませんでした。新幹線の中では、ひたすら寝ることに専念できました。

 総会では、昨年度の「事業報告」「活動決算」、今年度の「事業計画案」「活動予算案」、そして「役員交代」などについての報告と説明をもとにした討議を経て、すべての議案が承認されました。
 今後の運営に関しても、自由に討論をしました。今回も積年の課題である、NPOとしての収益をどのようにして産み出し、それを活動にどう有効に使用するか、ということが中心となりました。
 今日も、いろいろなお茶菓子をいただきながらの会議です。

 正午に散会してからは、有志と銀座で食事をしながら、今後の活動について話し合いました。
 京都での活動としては、京洛を散策するイベントの第2回目を初夏に企画することと、ワックジャパン(WAK JAPAN)で写本を読んで来た経緯を踏まえた、新たな取り組みについて語り合いました。これまでの京都での活動は、すべてボランティアでした。これを見直し、さらに幅広い活動がでように収益のあがる仕掛けを考えてから動き出そう、ということの確認がなされました。
 後は、イベントを企画して、いかに活動資金を得るかを考えなくてはいけません。

 まだまだ、課題山積のNPO法人です。今日の総会での建設的な意見や提案を取り入れた、楽しい企画を立案し、活動を活発にしたいと思います。
 どうぞこれからも、ご理解とご協力に加えて、変わらぬご支持をよろしくお願いします。

 帰りの車中も意識を失ったように熟睡しました。

 夕方に賀茂川を散歩しました。
 今日も、通りかかった方に野点でお茶を楽しんでもらい、よもやま話(?)をなさっているお茶人がいらっしゃいました。
 いつか私もお相伴を、と思いつつ、まだ果たしていません。

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 上の写真の左上には、土砂が中洲を作った所の堆積物をショベルカーで取り除いている様子が写っています。
 北山は春霞のようです。「春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく」(読人不明 古今和歌集)という歌の季節となりました。

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 私にとっては、骨休めとなるゴールデンウィークのスタートです。
 
 
 

posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年04月28日

読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』

 『残夢の骸 満州国演義 9』(船戸与一、新潮社、単行本―2015年2月、文庫本―2016年8月)を読みました。この第9巻が完結編です。そして、船戸与一の最後の作品です。

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 昭和19年6月から始まります。
 南方でのサイパンやインパールでの戦況は、欺瞞に満ちた大本営の誇らしげな発表とは裏腹に、惨憺たる敗走による墓場となっていたのです。そのサイパン島玉砕から語り出されます。
 その背景に、日本国内では東条英機首相暗殺計画や倒閣工作があることも。その後、東条は総辞職し、小磯内閣が組まれます。
 特攻隊について具体的なので、まず引いておきます。

 四郎はまず先月二十七日にレイテ島に向かって出撃した八紘飛行隊について書きはじめた。八紘飛行隊は学徒兵によって構成された特攻隊で、日本大学や専修大学、国学院や小樽高商から動員された陸軍士官がレイテ湾にはいって来る輸送船への体当たり攻撃のためにマニラを飛び立った。四郎は口を利いてはいなかったが、その学徒兵たちの表情がやけに青白く、寡黙な印象を与えていたことを憶いだす。大本営は八紘飛行隊の赫々たる戦果を発表したが、実際にはどうだったのかは確かめようもなかった。(120頁)


 続いて、新聞記者や小説家を批判的に記した箇所があります。

「新聞記者や新聞社から派遣された従軍作家は特攻隊を讃美しつづける。あの連中の眼は節穴か、さもなきゃじぶんの文飾の才能をひけらかすためにマニラに来ただけだ。お読みになったことがあるでしょう、空疎で無内容な美文調のそういう記事を?」
 四郎は黙って頷いた。一番印象に残っているのは帰満した五日後に眼を通したものだ。それは読売新聞に掲載された論評で、『人生劇場』で人気絶頂になった小説家・尾崎士郎によって記されていた。(138頁)


 インパール作戦に参加していた次郎の遺髪が、満州にいる太郎のもとに届けられました。3兄弟が揃って山上に埋めます。
 日本にはまったく勝ち目のない戦いを、作者は冷静な語り口で、豊富な資料を駆使して展開させます。負け戦の中にあっても、必死に前を見て生きようとする人々が描かれます。その描写は精密です。多くの資料や情報を駆使して語られているかがわかります。次のようなことも、随所に語られて行きます。

「ソ連軍が満州に侵攻して来た場合、気をつけなきゃならないのは日本人の女です。わたしはロシア人兵士たちが笑いながら喋りあってるのをこの耳で聞いた。ソ連軍がベルリン占領に向かう途中、兵士たちは無数のドイツ人の女を輪姦した。事実かどうかは確かめようもないけど、ベルリン近郊の農村で十四、五歳の少女を一日に百二十人のロシア人兵士が強姦した。対独戦で長いあいだ緊張を強いられた若い連中の獣欲が爆発したんです。満州に侵入して来たら、日本人の女に同じことが起こらないとはかぎらない」(210頁)


 次のヤルタ会談の場面を読むと、話が具体的であるだけに、日本は情報に踊らされて客観的な判断が狂い、戦争にも負けるべくして負けたことを感じさせられます。日ソ中立条約は、いったい何だったのでしょうか。さまよう為政者像が浮き彫りにされています。

「ヤルタ会談でスターリンがドイツ降伏後三カ月で対日参戦すると死んだルーズベルトに話したという情報は知ってるかね?」
「事実ですか、その情報は?」
「ストックホルムの駐在武官・小野寺信少将が大本営宛に電文を打ったらしい。それが握り潰されたという噂がある」
「だれに?」
「今月一日に大本営から関東軍作戦課参謀として新京に転任して来た瀬島龍三中佐に。それが事実かどうかは判明してないが、そういう噂が流れてる。しかし、ソ連が対日参戦することは確かだろう。その情報は他からもはいってるしね」(222頁)


 それにしても、このことを語る間垣徳蔵という男の素姓がさらに知りたくなります。これは、第1巻の冒頭の場面につながり、敷島家との関係がわかってくる仕掛けとなっています。
 ポツダム宣言に関しては、毎日新聞と朝日新聞が引かれています。

この宣言に関して内地の報道各紙の扱いは一面冒頭ではなく、中段に宣言文を掲載しただけだった。ただ翌日にはいつもどおりの感情的な論評が紙面に躍る。『毎日新聞』はこう書いた。

 笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦あくまで完遂!

 朝日新聞の論評はこうだった。

 帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては、何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺するとともに、断乎戦争完遂に逼進するのみとの決意をさらに固めている。この声明によって敵の意図するところはたぶんに国内外にたいする謀略的意図を含むものと見られる。

 内地の報道各紙の論評は当然ながら英訳されて連合国側に伝わったと考えなきゃならない。『毎日新聞』や『讀賣報知新聞』の煽情的な表現はいつもどおりだと受け止められるだろうが、『朝日新聞』の帝国政府は声明を黙殺という言葉は問題になるはずだ。英語ではおそらく黙殺は無視と訳され、戦争継続が政府意思だと連合軍側は解するにちがいない。和平工作のために誕生した鈴木貫太郎内閣は頭を抱えるだろう。逆に、帝国陸軍内の徹底抗戦派は本土決戦論を一段と強化することが考えられる。(226〜227頁)


 マスコミは、平和なときは正義感ぶって戦争反対をお経のように唱えます。しかし、時世におもねるマスコミの常として、今はすましている新聞各社も、このような過去があったのです。こうした姿勢は繰り返されるので、今の新聞社もいつまでも脳天気な平和論を唱えられなくなる時がくるはずです。その時の本来の姿を見極める必要があります。特に、朝日新聞にはその危惧が払拭できないのです。私は今、日本で一番危険な新聞社だと思っています。その新聞を、疑いもせずに、若いときに正義の味方の新聞だと思い込み、毎朝毎夕配っていたのです。若気のいたりでした。
 ソ連は日ソ中立条約を破棄して、満州に侵攻して来ました。アメリカは、広島に続いて長崎に原子爆弾を投下しました。満州に居留していた人々は、新京駅に逃げ惑って殺到します。
 私は、母親のことを思いました。満州にいた母も、この時に逃げまどったはずです。どれだけの喧騒の中を彷徨ったのか。しかし、私には何も話してはくれませんでした。多くの人がそうであったように、想像を絶する光景や人間の惨さを見てきたのでしょう。麗羅の小説『桜子は帰ってきたか』を、今思いだしています。
 そんな満州の地での大混乱を、船戸は丹念に克明に語り継ごうとしています。
 戦後の満州での惨状を、ロシア人による略奪や強姦の場面を、船戸は淡々と語ります。異常が異常と思えない世界が、みごとに描き出されています。
 チャンドラ・ボースのことも語られます(278頁)。巻末に収録されている参考文献にも入っている、中島岳志氏の『中村屋のボース』なども参照されているようです。
 シベリアへの強制連行について、次のようにあります。

 要するに、帝国陸軍はソ連に強制連行された六十万余の関東軍将兵を俘虜と認めてないのだ。シベリアでどんな扱いを受けようと、ハーグ陸戦法規を持ちだして抗議することはできない。
「関東軍六十万余はこのシベリアでは?」
「抑留者だよ。国際法に抑留者に関する規定はない。スターリンのやりたい放題ということになる」(386頁)


 戦後、父はシベリアに抑留され、強制労働に従事しました。昭和23年6月に復員しています。こうした背景を、知っていたのでしょうか。
 父も母と同じように、満州でのことやシベリアのことは、何も私と姉には語らずに、昭和58年5月に68歳で亡くなりました。生きていたら、父から満州とシベリアの話を聞きたいと思っています。父の生前に、そのような気持ちにならなかったことが悔やまれます。

 終盤は、ロシアの社会主義に同化して生き延びようとする満州からの抑留者たちや、本土で進むアメリカ主導のお仕着せの民主主義に戸惑いながらも、それを受け入れていく日本が語られます。ここにも、作者の冷静な目が冴えています。
 そういえば、父が生前、社会主義教育を受けたことを語ったことを、微かに覚えています。社会主義に同調し、収容所でもそうした言動や行動を率先してしないと生きて行けなかったことを、自戒の念を込めてつぶやいていたように思います。引き揚げて来てから、シベリアでどのような思想教育を受けたかを港湾で尋問された、とも言っていたように思います。返す返すも、もっと根掘り葉掘り聞いておくべきでした。父の生きざまを、息子としてしっかりと聴くべきでした。そのことを、今、悔やんでいます。

 この第9巻を含めて、400字原稿用紙で7,500枚を超える、一大長編物語が終わりました。作者は「あとがき」で、「歴史」と「小説」の違いについて、次のように記しています。

 歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。
 こうじぶんに言い聞かせつつ稿を進めていったのだが、資料を読んでいるうちに客観的と認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこちに出て来るようになった。小説家は歴史家のように何が事実かを突き止める能力を有してないし、そういう場にいるわけでもない。こんなとき、百九十年ばかりまえにナポレオン・ボナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ−歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である。(660頁)


 巻末の参考文献を見ると、次のように膨大な書名が並んでいます。

  【満州国関係】121点
  【関東軍関係】17点
  【帝国陸海軍関係】73点
  【国内外情勢】135点
  【中国大陸関係】48点
  【図説・資料集・事典類】45点

 すでに自らの余命を察知していた作者船戸与一は、渾身の気力を振り絞って書き進めたと思われます。この9冊から、さまざまな人間の生きざまを堪能することができました。
 2015年4月22日、船戸与一逝去。

 とにかく長大な物語です。本文は単行本で読みました。しかし、文庫本の解説がよくまとまっているので、そこから井家上隆幸氏が要領よくまとめておられる敷島4兄弟の生きざまを引き、読後の整理としておきます。【5】

満州を舞台とする壮大な叙事詩の軸となるのは、かの奇兵隊間諜を祖父とする敷島四兄弟だ。
 関東軍の満州国領有に反対する有能な外務官僚だったが、現実の推移とともに、「国家を創りあげるのは男の最高の浪漫」といったゲーテの箴言にならうように、満州国創設という最高の浪漫と添い寝し、敗戦でソ連軍に囚われて昭和二一年スクの軍事捕虜強制収容所で自殺する長兄・太郎。
 一八歳で日本を棄てて満州に渡り緑林の徒、馬賊の攬把となって柳絮のように風まかせ、何も頼らず何も信ぜず、その日その日をただ生きて、満州から上海へ、はては東南アジアへと流亡しインド入、ビルマ人の反英独立運動に加担したあげく、インパール戦線の"白骨街道"を敗走、赤痢とマラリアで死する次兄・次郎。
 陸士出、関東軍特殊情報将校として満州全域の抗日武装ゲリラ−国民党系の東北抗日義勇軍、揚靖宇率いる共産党系の東北人民革命軍、金日成の朝鮮人民義勇軍など−を追尾し、ときに軍規を犯した"皇軍兵士"を射殺する剛直な帝国軍人として生き、昭和二一年通化の日本人の反中国蜂起に加わって横死する三男・三郎。
 二〇歳にして大杉栄の思想に惹かれ左翼劇団に入るが、義母と関係し、おのれを密告者に仕立て上げた特高刑事を殺して満州からハルビンと流れ、上海東亜同文書院に学んで以後阿片窟、売春宿の主となり、さらに天津の親日派新聞記者、武装移民村の監視役、甘粕正彦の満映脚本班、関東軍参謀部の特殊情報課嘱託と、間垣徳蔵につきまとわれ地獄を彷徨う末弟・四郎。「四人兄弟のうちもっともひ弱に見えた四郎がいまは一番逞しく生きているように思える」と三郎が述懐したように彼は生き延び、三郎があの地獄から救った少年を広島にまで送りとどける。
 祖父が凌辱した武家の妻が身ごもった子を母とし、謀略あってこそ〈生命線〉満州は不滅と暗躍する関東軍特務将校間垣徳蔵は、四兄弟の目であり耳であり、あたかもダンテ『神曲』の地獄・煉獄の案内役ウェルギリウスのごとき存在である。(679〜681頁)

 
 
 

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2017年04月27日

「ニューツーリズム地域活性化研究会」に参加して

 大阪観光大学の観光学研究所が主催する「第1回 ニューツーリズム地域活性化研究会」が、明浄3号館2階国際交流サロンで開催されました。初めて参加しました。

 「健康・スポーツツーリズムによる地域活性化を考える ―ニューツーリズムの観光推進―」というテーマで、地域活性化につながる情報を共有することを念頭に実施するものだ、とのことです。
 以下、案内状の文章を引用します。

 観光学研究所では、いろいろなセミナー・シンポジウムを実施してまいりましたが、少し掘り下げて地域活性化につながる情報を共有させていただくことを念頭に実施いたします。

 この研究会は、観光、特にニューツーリズムによる地域活性化やまちづくりの推進に研究や事例を通して貢献することを目的としています。

 1回目として、「健康・スポーツツーリズムによる地域活性化」を取り上げます。泉州地域においても多くの市町がウォーキングやマラソンをはじめいろいろなイベントを開催しております。

 マラソン大会は年間1000を超えており、全国各地で行われています。なぜ、それだけ数が多いのでしょうか。まさに、「ニューツーリズムは競争相手にもなるが共存も出来る」ということになります。同じ志を持った人が集まる可能性が高いニューツーリズムはコミュニティーを形成しやすく、ネットワークも広がりやすいといわれています。健康志向、オリンピックに向けての運動需要の高まりも背景にあると思います。

 今回は、健康・スポーツのイベントの成功事例を旅行会社の視点からお話いただきます。また、九州で外国人誘客に力を発揮している「九州オルレ」の事例も紹介させていただき、マーケットが広がっている事例をお話させていただきます。


 今回は、次の2つの事例報告がありました。

事例1.
「阪南市の事例ー旅行会社を活用した新たな地域の魅力の掘り起こし」
 近畿日本ツーリスト株式会社
  和歌山支店次長 佐々木康敏氏


 移住の勧めを意図しているイベントだったようです。
 ネットで200名、電話FAXが100名の申し込みがあり、60代が多かったとか。みなさん元気です。満足度が高いイベントとなっているようです。食に関しては、参加者から好評だったようです。
 成功事例には学ぶことが多い、という考えでの発表会でした。
 若者の参加率が高くて3割以上だったので、今後とも継続が期待できる、とおっしゃっていました。今後の課題も聞きたいところでした。

事例2.
「九州オルレの成功事例紹介とニューツーリズムの特徴について」
 大阪観光大学教授 辻本千春


 韓国で始まったオルレの日本版(九州)の事例報告でした。オルレとは、地図を片手にリボンや標識を頼りに経巡り歩く旅です。自分のペースで楽しむウォーキングなのです。自然を肌身に感じて、地図を片手にではないウォーキングとして、最近人気があるようです。今後とも、広がるのでしょうか。日本では、何々トレイルとして実施されているものにイメージが近いと思いました。
 初めて話を聞いた者としては、なぜ韓国由来の「オルレ」なのかな、という感想を持ちました。巡礼やお遍路のバリエーションだと思うと、日本の文化と結びついたイベントとしてお色直しをして育ちそうな気がします。

 この後、質疑応答と自由討論が行われました。この意見の交歓も楽しいものでした。
 午後6時から8時まで、たっぷりとお話を伺いました。私にとっては、まさに異文化体験です。新しい学問に、いい刺激を受けています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | ◆国際交流

2017年04月26日

2つのホームページの不具合に関するお詫び

 私が研究成果の一部として公開している科研のホームページ「海外源氏情報」において、現在いくつかの不具合が確認されています。
 特に、オンラインジャーナルとして好評だった『海外平安文学研究ジャーナル』に関しては、やむをえずダウンロードを一時的に停止せざるを得ない事態となっています。楽しみにお待ちいただいていた方々には、この場をお借りしてお詫びいたします。

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 その他、いくつか不具合のご教示もいただいています。

 この不具合は、先月の3月30日に『海外平安文学研究ジャーナル インド編2016』と『海外平安文学研究ジャーナルvol.6.0』を公開し、ダウンロードを開始できるようにした直後に発生したものと思われます。このダウンロードの仕掛けに問題があることがわかったのは、公開翌日の3月31日でした。

 昨秋開催した、インドでの「第8回 国際日本文学研究集会」に関する報告書『海外平安文学研究ジャーナル インド編2016』をお待ちいただいていたみなさまには、あらためてお詫びいたします。また、『海外平安文学研究ジャーナルvol.6.0』に寄稿していただいた皆さまにも、心よりお詫びいたします。

 誠心誠意編集した報告書を、どなたにも読んでいただけないままになっていることについては、担当者一同、忸怩たる思いでいます。4年間取り組んで来た科研が終了する直前に、このような不手際が発生したことに対しては、その対処に今も窮しているのが現状です。

 また、同じサーバーを使った「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」にも、エラーが発生しています。

 これらの不具合の原因は、現在調査中です。しかし、原状復帰にはいくつかの困難が伴い、今はその修復を断念せざるをえない状況にあると思っています。

 現在、本年度より採択された科研がスタートする時でもあります。これまでのホームページ「海外源氏情報」は新しい科研のホームページに吸収合併することで、こうした事態を解決したいと、その方策を検討しているところです。そのため、『海外平安文学研究ジャーナル』(オンラインジャーナル)のダウンロードについては、今しばらくお待ちいただきたいと思っています。暫定的に、新しいホームページが公開できるまでの間は、このブログで『海外平安文学研究ジャーナル』(オンラインジャーナル)がダウンロード出来るようにすることも検討中です。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページに関しては、「従来のイオネットからのサイト」を復活させることで、緊急避難としての対処を考えています。

 いずれにしても、5月の連休明けまでには何らかの対処をいたしますので、いま少しの時間をいただきたく、ご寛恕のほどをお願いいたします。とりいそぎ、現状の不具合の報告と、今後の対応についての報告といたします。
 
 
 

posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆情報化社会