2017年10月10日

江戸漫歩(157)銀座シックスの屋上から高齢者への思いやりに及ぶ

 先週末に東京へ行った時、少し時間があったので、銀座6丁目に出来た銀座シックスに立ち寄りました。

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 開業して半年。なかなか足を延ばせなかった所です。
 私に関係がありそうな5階のステーショナリーと、6階の蔦屋書店をサッと見ました。
 全体的にフロアーが暗めだったので、最近はとみに見えにくくなって来たこともあってか、目が疲れました。
 屋上に上りました。
 皇居を望んでも、無粋なビルに視界が遮られています。

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 銀座四丁目の時計塔や交差点も、その迫り来る壁面に押し潰されています。

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 半年前まで住んでいた豊洲方面も無機質です。屋上に置かれたエアコンの室外機が、陳列されているように見えます。

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 南の方にレインボーブリッジが、微かにビルの隙間から見えました。

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 西の方に東京タワーが見えたのは救いでした。

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 夜は、電気の力を借りて、光の渦がきれいでしょう。
 ただし、もうブラリと来ることはない場所だと思われます。

 この建物が出来る前の施設は、中国語とハングルに出迎えられる雑居ビルと化していました。その跡地がどうなるのか、宿舎から近かったこともあり、よく銀座に来ていたので気になっていました。これでは、老いを感じるようになった世代にとっては、立ち入る気にならない空間です。もったいないと思います。
 ここには、若者と海外からの観光客のため、というポリシーがあります。これでは、長い目で見た時に、また建て直しになるのでは、と余計な心配をしました。慎重な検討がなされたことでしょう。しかし、私には無縁なのです。
 今の日本は、若者と観光客だけを見ていると、いずれ失速すると思っています。国内に生活の基盤を持つ高齢者への思いやりが、大都会の中心部にも必要だという思いを強く抱きました。すべてがそうとは言わないまでも、「アクセシブル・ツーリズム」や「ユニバーサル・ツーリズム」に注意が向くようになったため、この施設にもそうした視点を求めてしまいました。若者受けや女性主導の開発がなされた実態に直面し、残念な思いをしています。そして、自分がその弱者と言われる世代に位置することと、こうした発想に至る経緯も含めて、あらためて自覚することとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | 江戸漫歩

2017年10月09日

慌しく六甲山を登ってお見舞いに行く

 抱え込んでいる仕事の一部を午前中に何とか終え、慌しく六甲山中の有馬温泉方面に向かいました。義兄の家にお見舞いです。定年で東京を離れる前に、義兄から有馬温泉に招かれて以来の訪問です。

「六甲から見た海や山と町の風景」(2017年02月01日)

 阪急芦屋川駅から、バスで山道をクネクネと登ること十数分。かつては遊園地だった奥池は、私が高校生の時に遠足などで何度も来た所です。あの頃は、駅からハイキングしながら山道を歩いて登ったものです。テニス部の練習で来たこともありました。

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 六甲連山は、色付き出しています。バスを降りると、肌寒さを感じました。

 義兄は思いのほか元気だったので安心しました。それでも、山の中に籠っているせいもあって、出不精になっているとのことです。

 山向こうから、姪が息子を連れてやって来ました。久しぶりということもあり、みんなでお山を降りて食事をしようということになりました。小さい頃から知っている間柄は、何気ない話題でも垣根がないこともあってか、楽しく話が弾みます。不思議なことです。気心が知れているからというよりも、共有するものが多いからではないでしょうか。

 行ったお店は、それなりに名の通ったレストランだとのことです。しかし、最後に出て来た料理が、私と姪の子の皿だけに塩の塊が入っていたために、とにかく塩辛かったのです。抑え気味の、上品な薄味で美味しくいただいていたのに、最後がこれではお店の印象も台無しです。それまでの気に入っていた味が一気に曇り、もったいないことでした。
 それでも、みんなで楽しい話ができたので、それが何よりのごちそうとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:06| Comment(0) | ブラリと

2017年10月08日

京洛逍遥(469)家族でお茶の後は下鴨神社へ帽額幕の奉納に行く

 北山はまだ色づいていません。しかし、朝夕はめっきりと寒くなり、暖房を使っています。

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 賀茂川の鴨たちも元気です。

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 鷺ものんびりと魚がやって来るのを待っています。

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 連休ということもあり、孫たちが来ました。しかし、昨夜私は最終の新幹線で東京から帰って来たので、今朝方みんなと会いました。
 早速、娘の指導の下、お茶のお稽古です。
 お茶菓子は鶴屋長生。秋らしさを感じます。

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 最近、近くの古美術「茶木」の茶木さんのところから、定年退職の記念にと楽焼きの一碗を求めました。上品な朱の一掃けが気に入っています。まずはお正客の婿殿に、この碗で一服を点てました。

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 孫娘は何事かと、大いに興味をもったようで、身を乗り出して来ました。
 赤い色には、特に反応するようです。しっかりと見えているのです。
 茶筅が茶碗の中で震える音が聞こえるからかもしれません。
 この光景は、記憶に残るのでしょうか。いつか思い出すことがあるのでしょうか。生まれてまだ半年なので、曖昧模糊としたものであり、記憶とは言えない幻像に留まるものなのでしょう。
 今日見たものがどうなっていくのか、知りたくなります。いつか、この赤い楽茶碗を見せて、折々にその反応を試してみましょう。

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 話で寛いだ後は、下鴨神社へお参りです。今年は酉年なので、神社に酉の祈願幕を奉納するのだとか。婿殿からの入れ知恵によると、「帽額幕(もこうまく)」というものだそうです。下鴨神社で今年いっぱいの祈願が終わったら、帽額幕に祈願者の名前が記されて奉納されるのです。それが本殿に懸けらるのですから、ありがたいことです。
 娘たちは、自分たちが結婚式をあげた我が家の氏神様であることから、折々にこの神社にお参りして行きます。今回は、孫が初めてのお参りとなりました。太古の糺ノ森を散策して爽やかな空気を浴びたので、元気に大きくなっていくことでしょう。
 本殿の前に、干支のお社(言社)があります。なんと、私の卯歳と孫の酉歳は同じお社に組み合わされていたのです。今日初めて気付きました。私の母と妻が同じお社だったことは知っていました。何かとご縁がある家族です。

 南口鳥居の近くにある「さるや宝泉」の前から、糺の森遊覧馬車が出ていました。初めてみました。瀬見の小川沿いの馬場を、河合神社まで歩いてくれます。いつか乗ってみましょう。

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posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年10月07日

有楽町で世にも不思議な同窓会が勉強会に変身

 今日は、日比谷図書文化館で、古文書塾「てらこや」の体験講座がありました。
 常に新しい風が舞い込むように、受講希望者に私がやっている今の講座を体験してもらおう、という機会が用意されているのです。初めてお目にかかる方々に、鎌倉時代に書き写された『源氏物語』の写本の文字だけを追いかける講座であることを、いろいろな例を示しながら説明しました。興味を持っていただけたようで、何人かの方が来月からの講座においでになるようです。仲間が増えることは良いことです。

 終了後は、これまで『源氏物語』の講座を受講なさっている方々が会場前にお集まりになっており、ご一緒に有楽町のビヤホールに移動しました。そこでは、現在講座で読んでいる橋本本「若紫」を、みんなで現代語訳をしようという無謀な計画を実現しようという密談(?)がなされたのです。しかも途中からは、この日比谷の講座で第1期の頃に参加なさっていた方も、日頃の向学心をさらに磨く機会だとばかりに、駆けつけてくださいました。久闊を叙する間も無く、少しお酒を口にしながら、侃侃諤諤ならぬ思い思いの意見を出し合いました。
 手元には、私が一夜漬けで作成した、橋本本「若紫」を現代語訳するための試案のプリントがあるだけです。さて、来月からどう進めようか、ということです。
 今日の話し合いの中で一番盛り上がったのは、「若紫」冒頭の「わらはやみ」をどう訳すか、ということでした。これは難題です。

 現在は大島本が唯一のテキストとして読まれています。しかし、その大島本の本行の本文が

しゝこらうしつる時はうたて侍るを(「うし」ママ)


としているところを、橋本本は、

しゝこらかし侍りぬるはあやにくに侍るを


という本文を書き記しているのです。ここでの橋本本は、どう訳し、その違いをどう理解したら良いのか。現代語訳を超えた、本文の解釈に及ぶことになります。
 光源氏が若紫を誘拐する場面や、藤壺との密通場面などなど、早々とどんな訳にしようかと、ワクワクなさっていました。
 そんなこんなで、話はどんどん膨らみます。
 今日のみなさまとの話で得られた合意としては、『源氏物語』を何かで読んだことがある人を対象にした現代語訳をしよう、というところに落ち着きました。これから作る現代語訳の対象は、高校生でもなく、大学生でもない、ということです。そして、来月4日の講座の後には、この集まりを企画立案してくださった、世話人でもある星野さんが、今日配布した第一丁の資料の範囲だけでも、現在流布する大島本と、講座で読んでいる橋本本が違う箇所をどう訳すか、などの問題点を提示してくださることになりました。
 これは、思いがけない展開で、素人集団の華麗なる遊び心が蠢き出したことになります。
 さて、今後はどのような展開になるのか、楽しみにして推移をごらんください。そして、参加してみようという方の加入を心待ちにしています。

 有楽町にはゴジラがいます。

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 それに負けず劣らず、得体の知れない10人が、密かに雄叫びをあげました。
 10月7日を「日比谷源氏の記念日」としましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年10月06日

読書雑記(212)山本兼一『信長死すべし』

 『信長死すべし』(山本兼一、角川文庫、平成26年12月)を読みました。

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 正親町天皇と信長の確執が語られていきます。正親町天皇が発した信長粛清の命令は、まずは誰が、そしていつ、どのようにして実行するのかで話は展開していくのです。
 折しも、先月9月12日に、明智光秀の密書の原本が見つかったことがニュースになっていました。足利義昭を奉じて室町幕府再興を光秀が画策していたということが、本能寺の変の3日後に書かれた書状から読み解けるとのことです。

 本能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原本が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松本宣良】
(中略)
藤田教授は「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」と話す。

 光秀は書状の日付の翌日、備中高松城(岡山市)から引き返した羽柴(豊臣)秀吉に山崎の戦いで敗れ、逃げる際に命を落とした。(毎日新聞、2017.9.12)


 本作『信長死すべし』の最終章「無明 明智光秀 天正十年六月五日 近江 安土」が、まさにこの手紙がやりとりされた時期にあたります。
 真相はどうだったのでしょうか?

 さて、山本兼一は、正親町天皇が信長を殺して、旧来の国家体制を維持しようとしたという立場で本作を書いています。その間を近衛前久が奔走し、光秀が実現した、というのです。
 今回見つかった光秀の書状を、もし山本兼一が生きていたらどのように説明したでしょうか。そんなことを考えるのも、楽しい歴史推理だと思います。
 正親町帝は、信長を誅する者を亀卜よって決めます。その経緯が、当時の勢力地図と大名の人柄をうまく評しています。また、その密勅を伝える人選でも、近衛前久、細川幽斎、筒井順慶、山科言継、今井宗久、里村紹巴等々、多彩な人々が候補に挙がり、紹巴が適任者となるくだりは、目の前で話が展開しているように語られていきます。山本氏の筆の力です。そして、近衛前久が前面に出ます。「夢幻のごとくなり 近衛前久 天正十年五月十九日 近江 安土城」の章が秀逸でした。
 終章に近い「点前天下一 近衛前久 天正十年六月一日 京 本能寺」での信長のお点前の場面(358〜361頁)は、お茶人でもある山本兼一の筆の力が伝わって来ました。
 最後まで、一気に読ませる作品です。公家のずる賢さも、存分に楽しめました。【4】

※本書は、2012年六月に角川書店より単行本として刊行されたものです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | 読書雑記

2017年10月05日

熊取ゆうゆう大学︰「若紫」を読む(その4)

今日の熊取ゆうゆう大学の講座は、11人で橋本本「若紫」の写本を読みました。今年度の4回目です。大阪観光大学の図書館の一角を借り、午後4時半から6時まで、じっくりと変体仮名で書かれた文字を追いかけました。
社会人の方お2人と、大阪観光大学の1回生8人が参加しての、自由に取り組んでいる課外の勉強会です。今日は、3人の留学生が参加しました。マレーシア、中国、韓国と、なかなか得難い若い仲間です。
新しい仲間が増えたこともあり、自己紹介や鎌倉時代に書写された『源氏物語』の話など、これまでのことを繰り返し振り返りながら進みました。
中国から参加してもらうと、変体仮名の読み方で中国語の発音が参考になるので大助かりです。今日も、「王」「堂」「徒」の読みを説明するときに、中国語で発音してもらうことでみんなが納得です。さらには、「蝶」「今日」「母」「父」などの発音へと発展し、興味深い話題へと際限もなく広がりました。
結局は、今日も一行しか進めませんでした。
とにかく初心者の集まりなので、何を急ぐこともなく、牛の歩みで進めています。
学外の方を含めて、参加は自由です。こうした取り組みに興味のある方は、大学に足を運んでみてください。



posted by genjiito at 20:47| Comment(0) | 変体仮名

2017年10月04日

世の中すべてが修行なのです

 「修行体験」が人気だそうです(朝日新聞 2017.10.4)。20代が一番多いとか。心や身体の病を抱えた人たちが非日常を求めて、自然の中での癒やしや充足感を、一時的とはいえ修行者の身になって体験するのです。しかも、新興宗教ではなくて、仏教が受け皿となっているところが、現代的な意味をもつものだとされています。
 私は、観音霊場巡りを趣味の一つとしています。これは、今流行りの「修行体験」とは違うものだと思いながらも、何か通底するものがあるのかもしれない、と思うようになりました。ただし、私の観音巡礼は、悩みがあってのものではないし、深刻さもありません。私の場合は、動機の時点で、スタンプラリーの要素が多分にあります。この楽しみや遊び心が、何か「修行体験」とは違うように思うのです。自分のこの趣味は何なのか、まだよくわかりません。何も意味はないので、考える意味もないのかもしれませんが。新聞で、今日のような記事を見かけると、すぐに自分の身に引き写して考えてしまうのも、おもしろいものです。
 今日も一日、いろいろな仕事を終えて、さあ帰ろうとしてエレベーターに向かうと、ボタンの上に「点検中のため使用できません」というパネルが掲示されていました。私の研究室は8階にあります。狭い階段を歩いて降りるしかありません。そんな時に限って、頭痛が酷くなっていたのです。これも修行なのでしょう。
 帰りの電車は、3時間半もシートに蹲るのです。頭痛に加えて先日から腰痛も抱える身では、長時間じっとシートに座っているのも苦行です。
 世の中すべてが修行なのだ、と、にわか行者の気分で帰路につきました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:06| Comment(0) | 健康雑記

2017年10月03日

読書雑記(211)宮尾登美子『一絃の琴』

 『一絃の琴』(宮尾登美子、講談社文庫、新装版、2008.4)を読みました。

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 苗は、琴の師匠である全盲の有伯とのことが生涯忘れられません。ただし、この有伯のイメージは鮮明に語られていません。
 苗の夫は、鳥羽伏見の戦いで戦死します。苦難の人生の中で、さらに先行きが見通せない境遇に身を置くことになりました。
 苗26歳の明治8年に、亡妹愛子の夫の後添えとして、新しい生活を始めます。ここまでが第一部。
 第二部では、苗が夫の理解を得て一絃琴の教室を開きます。ここから、苗の人生が拓けます。
 第三部は、明治16年生まれの蘭子の登場となり、新たな展開が語られます。この蘭子のくだりを読みながら、今6ヶ月の孫娘のことを重ね合わせました。
 明治から大正という時代背景を覗かせながら、物語は着実に社会の中で蠢く人間模様を描き出していくのです。
 後半、苗の回想場面が読む者の気持ちを揺さぶります。情に訴えながらも、しっかりと物語が展開していくのです。
 塾生の一人が芸妓となり、酒席でお金を取って弾くことを禁じられていることが問題になります。その時、蘭子と二番弟子の雅美が対立します。緊張感の走る、本作の中でも印象的な場面です。その裁定を経て、物語は跡目相続を背景にした意外な結末が見られます。技芸の伝承が特殊であり、その難しさが描かれていきます。
 そして第四部。私は、この部の座り具合が落ち着かないと思いながら読み終えました。本書の構成として、これが最善なのでしょうか? 別人の手ではないかと思えるほどに、それまで著者が言葉を刻み込んで来たものとは異なる印象を持ちました。
 また、この第四部を読みながら、蘭子と対峙した雅美がどうなったのか、大いに気になりました。苗が育て上げた稲子も、中途半端なままです。書き継ぐ内に、少しずつ刃こぼれがしたのでしょうか。
 苗と蘭子の生涯が、感動的に語られます。その間で生きる者の後先を、もっと語ってほしいと思います。そしてなによりも、男が描けていません。師である有伯や紋之助はもとより、苗と蘭子の夫もお人形のようで精気が伝わってきません。本を閉じた時に、歯の欠けた櫛が思い浮かびました。【2】

書誌︰1978年、講談社より単行本として刊行。直木賞受賞。1982年、講談社文庫。2008年、大活字改訂版。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | 読書雑記

2017年10月02日

府立医大病院で検査結果を元にした診察を受けました

 先週受けたMRI検査の結果が出ました。それを元にして、主治医の先生から説明を受けてきました。
 断層写真や3D化した画像をモニタに映写しながら、いろいろなことを話してくださいました。
 一番記憶に残っているのは、糖尿病患者にしては頭部の血管が予想外にきれいだ、ということです。また、脳腫瘍や脳梗塞の心配もないとのことです。つまり、脳に関しては、今のところは何も心配しなくていいようです。頸椎の狭窄も、心配するほどではありませんでした。いろいろと、一安心です。
 現在、頭が痛いのは後頭神経痛であり、ストレスが原因である可能性が高いと考えられます。そのため、仕事中でも適度なストレッチや筋力トレーニングを根気強く続けることで、少しずつ改善させるように、というアドバイスをいただきました。スポーツクラブに通っていることを伝えると、マシンジムでの筋力アップのメニューなどを勧められました。
 服薬としては、筋肉の緊張をほぐすための「テルネリン」と、痛みを緩和させる「ロキソニン」を2週間分いただきました。これは、前回投薬していただいた薬の継続分です。
 お医者さんの見立てでは、これで症状はよくなるだろう、とのことです。もしそれでも痛みがとれないようであれば、予約なしでもいいので診察に来るように言われました。
 今回の頭痛は、こうした経過により、当分は様子見ということになりました。
 そうこうするうちに、昨日から腰痛になり、立ったり座ったりで難儀するようになりました。
 加齢のため、と言われれば、もうどうしようもありません。
 思うに任せられないこの自分の身体に、とにかく気長に付き合っていくしかありません。無理をしないことを心掛けて、これからの日々を過ごします。
 また、いろいろな方にご迷惑をおかけすることになります。お約束している仕事も、当初の予定通りには進みません。すみません。生き存えることを最優先で、これからの日々に対処していきます。見限らないで、末永くお付き合いのほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | 健康雑記

2017年10月01日

井上靖卒読(210)井上靖が四高時代に住んでいた下宿を訪問

 今回の金沢の旅では、井上靖が四高時代に住んでいた下宿先の「櫻畠楼」(さくらばたけろう)にも立ち寄りました。
 ここには、本ブログの「金沢の井上靖を訪ねて」(2017年05月23日)に書いたように、今年5月に金沢に来たときには行けなかったのです。今回お電話をすると、手の空いた時ならということで、時間を約束してお邪魔することになりました。

 井上靖は、昭和2年(1927)年に旧制四高に入学しています。そして、卒業までの3年間を金沢で過ごしました。自伝小説である『北の海』に、学生時代のことが語られています。
 下宿先は、現在の寺町3丁目(旧・桜畠6番丁)にある木造2階建ての建物でした。今回は寺町3丁目のバス停で降りて、「寿司割烹 小林」に向かって行きました。辺りはお寺だらけです。
 お寿司屋さんのご主人である松田さんは、カウンターで待っていて下さいました。井上靖の下宿先が空き家となっていたため、松田さんが「櫻畠楼」と名付け、後世に残すために維持管理をなさっているのです。

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 井上靖の下宿は2階にあると聞いていたので、お寿司屋さんの2階かと思っていました。ところが、お店は立派な6階建てのビルで、下宿屋だった「櫻畠楼」は道を隔てた少し先にあることがわかりました。

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 2階の各部屋を丁寧に説明してくださいました。
 1階の居間では、わざわざお茶を出してくださった上で、長時間にわたって楽しいお話を伺うことができました。
 お忙しい中を、本当にありがとうございました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:37| Comment(0) | 井上靖卒読

2017年09月30日

金沢でお茶をいただいた後、音認識の新視覚体験をする

 昨夜から望んでいる、柴山潟の湖面に映発する朝日に起こされました。

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 宿を発つ前には浮御堂を散歩。

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 加賀温泉駅前では、大きな観音立像が飛び込んで来ました。

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 金沢では、ひがし茶屋街の「森八」で抹茶をいただき、少し歩いて浅野川の対岸にある主計町茶屋街に足を向けます。
 「茶舎 觀壽」では、さまざまな煎茶や鉄観音茶をいただきました。

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 このお店は、婿殿の同僚だった方のご夫妻が金沢で開店なさった、本格的なお茶屋さんです。ご主人が台湾で沈先生の下で1年にわたってお茶を学び、満を持して開業なさったのです。お茶道具も、沈先生の作だそうです。

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 日本茶を中国茶のようにして飲むのは初めてのことです。一煎二煎と、変わりゆく香りと味を楽しみました。この飲み方で、おいしくいただけました。上質の鉄観音では、香りと味を贅沢に味わうこともできました。
 棚の左下に奈良の鹿の人形があることで、話も弾みました。

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 とにかく、淹れてくださるお茶の多彩な香りと味を堪能しました。長時間、お話を聞きながら、心落ち着く贅沢な刻を過ごしました。このような場所は、どこにでもあるものではありません。金沢に得難いところがあることを知りました。懇切丁寧な説明とご教示を、ありがとうございました。
 今、職場で王静先生に中国茶や紅茶のことを教えていただいています。今日のことを話し、今後の共同研究に活かしたいと思います。
 バスで、金沢21世紀美術館に移動しました。ここは、私が10年前に博物館の学芸員の資格を取得する時、講座の中で注目すべき美術館の代表的な例として紹介されたところです。いつか見たいと思っていたところです。そのコンセプトは、今も変わっていないと思いました。
 そのロビーの一角で、「Sight」という企画が開催中でした。視覚に頼らずに音で物を認識しようとする実験が、自由に体験できるものです。

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 入口には、次の説明文が掲示されていました。

ヒトは普段、"目で見る"ことに慣れ親しんでいますが、
"見える"という体験に目は必要なのでしょうか。

例えば、コウモリやイルカは音を使って障害物を避け、獲物を捕まえることができます。
彼らは目を使わずとも、"見える"という体験をしているのではないでしょうか。

私たち Sight Project は、"見える"ということの本質を探るため
目の前にある光景を音に変換するデバイスを開発し、耳という器官を通じた
新しい視覚体験をつくることを試みています。

さあ、あなたも"耳で見る"知覚世界を体験してみませんか?


 これは、私が取り組んでいる視覚障害者と共に古写本『源氏物語』を触読するテーマを、さらに発展させるものとなる可能性がありそうです。この「Sight」の取り組みとの接点や、共同研究の可能性を探ろうと思っています。今後の情報交換をお願いして来ました。

 短い時間ながらも、稔り多い充実した2日間でした。今後につながる収穫がいくつもあったので、明日からの日々の中で、さまざまな取り組みに活かしていくつもりです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:58| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年09月29日

井上靖卒読(209)北陸加賀の湖畔の宿で井上靖の『星と祭』を想う

京都からサンダーバード号で一路金沢に来ました。
そして、今夜は加賀温泉郷の中の片山津温泉で、懸案の頭部神経痛を和らげるために温泉療養をしています。
のんびりと一風呂浴びて、部屋の窓越しに柴山潟の湖面を見やりながら寛いでいると、フッと私が大好きな井上靖の『星と祭』の一節が思い浮かびました。
この『星と祭』は、朝日新聞に連載されていた時、それが掲載されていた新聞を毎朝配達していたこともあって、私には一番思い入れのある小説です。このことは、これまでに何度も書いたので繰り返しません。
私がクラウドに置いているプライベートデータベースから、思い付くままに角川文庫版『星と祭』の一節を抜き出してみました。この記事の最後に掲載したのは、探し当てた2箇所の内の一つです。

ここに引用した部分は、この作品でも象徴的な場面だと思っていることろです。
主人公である架山は、高校時代の友人の息子の結婚式に呼ばれ、金沢に行きます。その式の後、金沢から車で1時間のR温泉にある湖畔の宿で、7年前に琵琶湖で亡くした娘のみはると、いや虚像である娘と対話をするのです。
たまたま、私が今夜泊まっている宿が[湖畔の宿 森本]なので、あるいはここが『星と祭』のモデルではないのか? と、勝手に想像をたくましくしているところです。
これを書いている小部屋の窓越しには、夜の湖畔の水面に湖岸の灯りが鏤められています。出来過ぎだと思われるほどに、小説で語られる雰囲気の中にいるのです。もっとも、頭痛に悩まされている私と作中の架山は、抱える問題に雲泥の差がありますが……

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2017年09月28日

広島大学でロシアのタチアナ先生が講演をなさいます

 2017年11月1日(水)に、広島大学中央図書館(ライブラリーホール)において、翻訳家でモスクワ大学のタチアナ・デリューシナ先生の講演会が開催されます。

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 先生は、源氏千年紀の2008年に、日本文学に関する翻訳の功績が高く評価されて、日本国から旭日小綬章を受章しておられます。
 私は2006年8月、伊井春樹先生とご一緒にロシアへ調査に行きました。その折、モスクワでタチアナ先生と伊井先生が対談をなさいました。その内容は『世界が読み解く日本』(伊井春樹編、2008年、學燈社)に収録されています。私は、録音・記録・写真撮影を担当しました。モスクワ散策でも、タチアナ先生には大変お世話になり した。
 以来、折々にタチアナ先生およびロシアの文学研究者と交流を重ねてきました。さらには、教え子である土田久美子さんには、ロシア語訳『源氏物語』などの研究に関して科研の研究会や報告書でさまざまな支援をいただいています。
 この度、広島大学の妹尾先生と溝渕先生の企画で公開講演会が開催され、タチアナ先生が来日されます。参加したいとの意向を伝えると、タチアナ先生との情報交換を兼ねた面談もできることになりました。逸翁美術館館長の伊井春樹先生もお越しになります。また楽しい文学談義がご一緒にできることを、今から楽しみにしています。
 ちょうどいい機会でもあり、本年4月より取り組んでいる私の科研A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」で、情報収集や整理のアルバイトをしている大阪観光大学の学生9名(観光学部と国際交流学部の1回生)を引率し、国際交流と海外の文化・文学の研究状況を学ぶ場にすることとしました。稔りの多い一日にするためにも、ロシアの日本文学研究の現状等は、事前に学習してから行くようにます。
 なお、講演会終了後は、広島大学の学生さんと大阪観光大学の参加学生との交流会を設定して下さるようです。こちらから連れて行くのは、新しい大学の、しかも新入生たちばかりです。科研での目的の中で若者の育成を掲げているので、時宜を得た取り組みとなります。多くの刺激がいただけることでしょう。
 快く外部からの参加を認めていただき、学生たちに貴重な勉学の場を設けてくださる、妹尾先生と溝渕先生に感謝しています。
 
 
 
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2017年09月27日

読書雑記(210)ジョージ秋山『浮浪雲』の最終回

 『ビッグコミックオリジナル 19号 No.1302』(第44巻第24号/10月5日号、小学館)で、44年にもわたって連載されて来たジョージ秋山のマンガ「はぐれ雲」が最終回となりました。
 「ザザーッ ザーッ」という波の音が8頁にわたって鳴り響く、印象的な終わり方となっています。
 締めの句は「はぐれぐもひとつ 青い空 潮騒寂し」です。

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 「最終回特別企画」として、「ジョージのことば」が5頁分も紹介されています。作者の人柄が滲み出る話で楽しめます。

 息子が生まれた時間に、私はちょうどこの「はぐれ雲」を読んでいました。そこで、名前をこのマンガの登場人物から取りました。
 今回「はぐれ雲」が最終回となったことは、名付けられた当の息子が教えてくれました。本人も、愛着を持って気にかけていたことを知り、嬉しくなりました。

 作者であるジョージ秋山氏は74歳。
 連載開始は1973年。
 1977年には、花園大学の入試問題になりました。
 テレビドラマとしては、1978年に渡哲也と桃井かおりで、1990年にはビートたけしと大原麗子が演じました。
 1982年には、劇場版アニメにもなり、山城新伍がはぐれの声をやっていました。

 この最終話は、単行本の最終巻となる112集に収録され、2018年1月に発売されるそうです。
 
 
 
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2017年09月26日

梶井町放射線診断科クリニックで頭部のMRI検査を受ける

 府立医大病院の北側にある梶井町放射線診断科クリニックで、首から頭部のMRI検査を受けました。これまでに何度も、いろいろな部位を見てもらっているので、MRIには慣れている方です。
 MRIに関する記事は、以下のものがあります。こまめによく診てもらっているので、相当慎重に自分の身体をチェックしていることがわかります。
 
(1)「MRIによる頚動脈の精密検査を受けて」(2016年09月26日)

(2)「脳ドックで検査結果の説明を受ける」(2016年08月21日)

(3)「江戸漫歩(133)人間ドックで身体検査の後は目黒川散策」(2016年07月25日)

(4)「京洛逍遥(194)下鴨神社の「納涼古本まつり」2011版」(2011年08月13日)

(5)「病院内で丸一日を過ごす」(2011年08月11日)

(6)「左手首が痺れるので病院へ」(2011年08月01日)

(7)「【復元】磁気や電磁波の恐ろしさ」(2011年04月19日)

 円筒形の空洞に、仰向けになったままで頭を入れます。目を瞑ると、工事現場にいる気になります。ドリルで地面のアスファルトを壊す音が響きます。しかし、振動はまったく感じません。耳元では、鬼さんが包丁をシュッシュッと研いでいるような、規則的な音が聞こえます。それでいて、命の危機感はありません。
 頭にプロテクターのようなヘッドギアはつけました。しかし、これまでに経験したように、ヘッドホーンを当てて音楽を聞くことはありませんでした。この音楽を聞くか聴かないかは、何か効果があるのでしょうか。どうやら気休めのように思っています。
 たっぷりと30分の検査でした。来週、この結果を聞くことになっています。
 
 
 
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2017年09月25日

京洛逍遥(468)下鴨神社の印章祈願祭と手作り市

 昨日、鞍馬寺からの帰りに、終点の出町柳駅から徒歩数分の下鴨神社に立ち寄りました。ちょうど、糺ノ森では恒例の手作り市が賑やかに開催されているところでした。

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 その足ですぐに、この日のイベントである印章祈願祭に行きました。しかし、すでに3時で終了。鞍馬温泉で、ゆっくりと心身共にリラックスしている時に行われていたのです。また来年の楽しみにしましょう。
 折角なので、後片付けの途中に残されたままのパイプ椅子を写しました。

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 そして、爽やかな双葉葵の印鑑入れをいただいて帰りました。

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 この印納社については、次の記事で詳しく紹介しています。
「NPOの法人印を精魂込めて彫っていただく」(2013年02月04日)
 このNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の印を彫って下さった井上さんのお店は、今は閉店しています。この前を通りかかると、いつも井上さんの笑顔を思い出しています。
 
 
 
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2017年09月24日

京洛逍遥(467)鞍馬山の霊気を浴び晶子の歌碑を確認して温泉に入る

 出町柳駅から叡山電車で鞍馬山に行きました。

 これまでに、以下の記事で、鞍馬のことは何度も書いてきました。
 
(1)「京洛逍遥(434)鞍馬の霊気を浴びて温泉で英気を養う」(2017年04月03日)

(2)「京洛逍遥(352)新緑の鞍馬温泉でお山の霊気を浴びる」(2015年05月03日)

(3)「学習院女子大学での中古文学会 -2013 春-」(2013年06月09日)

(4)「京洛逍遥(186)鞍馬温泉でリラックス」(2011年04月03日)

(5)「与謝野晶子デジタル化の報道資料提供」(2011年02月09日)

(6)「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」(2010年10月26日)

(7)「京洛逍遥(162)鞍馬寺とくらま温泉」(2010年09月21日)

(8)「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年07月16日)

(9)「神野藤昭夫先生の晶子がたり」(2010年02月21日)

(10)「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」(2010年02月20日)

(11)「瀑布に打たれ続ける日々」(2008年09月28日)

(12)「与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開」(2008年09月17日)

(13)「与謝野晶子と『源氏物語』(2)」(2008年09月07日)

(14)「与謝野晶子と『源氏物語』(1)」(2008年09月06日)

(15)「京洛逍遥(44)くらま温泉」(2008年07月13日)

(16)「源氏のゆかり(5)説明板28-鞍馬寺(2011/04/03補訂)」(2008年05月03日)

 ここに出て来る由岐神社の横にある説明板は、今も何の説明もないので、これを見たことがある方はほとんどいらっしゃらないことでしょう。また、『源氏物語』若紫の巻の和歌を記した「涙の滝」の立て札は、今日は見当たりませんでした。今度、よく確認してみます。

(17)「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」(2008年04月28日)

(18)「京洛逍遥(16)鞍馬寺」(2007年09月23日)
 
 この18件を通覧してみると、鞍馬山の与謝野晶子と鉄幹の歌碑については、あまり書いていなかったようです。
 本堂裏から貴船神社へ向かう道の石段を70メートルほど上ったところに、鉄幹の歌碑の標柱があります。「與謝野寛先生歌碑」とあるのがそれです。

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 少し先に、2人の歌碑が並んでいます。

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 それぞれの歌を変体仮名混じりで翻字すると、次のようになります。

何と那く君尓ま多るゝこゝちして
 いでし花野の夕月夜可那
          晶子
 
遮那王可せくらべ石を山二見て
 王可”心な保
       明日を待つ可な
              寛


 斜め向かいには、昭和51年にこの鞍馬山に移築された、与謝野晶子の書斎「冬柏亭」もあります。

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 東京の荻窪にあった晶子の住居跡については、「江戸漫歩(6)与謝野晶子の住居跡」(2008年05月27日)に詳しく書きましたので、そちらもご覧ください。
 時間がなかったので霊宝殿の展示は、今日は見ることができませんでした。

 源氏千年紀に立てられた説明板は、今も由岐神社の左下坂道を下った片隅に、ひっそりと置かれています。上記の「涙の滝」の立て札は、どこにも見当たりません。

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 鞍馬寺を下りて、天然硫黄温泉の露天風呂がある「峰麓湯」に入りました。ここは、京の奥座敷と言われています。糖尿病に良いということもあって、何度も来ていました。しかし、その効能書きの最初に「神経痛」とあることに気付いていませんでした。これは、頭部神経痛に苦しむ現在の私としては、入らないわけにはいきません。
 ゆったりと30分、肩から首筋を温めて来ました。

 叡山電車の鞍馬駅の待合室に、「悠久の風の文庫」というコーナーがあることに気付きました。

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 観光客を思いやる気持ちが伝わってきます。
 
 
 
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2017年09月23日

頭痛で時間が止まっています

 十日前に頭部神経痛と診断されたことは、「明け方に激烈な頭痛で苦しみ京都府立医大病院へ行く」(2017年09月14日)に記した通りです。
 その後、ロキソニンなどの薬で痛みを散らしながら、なんとか与えられている仕事をこなして来ました。授業、会議、打ち合わせ、メールの対応などでは、神経が緊張状態になることもあってか、痛みに苦しめられることはありません。しかし、電車などで長時間の移動をする時には、右側の首筋とコメカミが刺すように痛んだり、鈍痛に襲われ続けるので、車中でほとんど目を瞑っています。いつものように、読書タイムにならないからです。帰宅して妻の指圧に身を任せると、気持ちが休まるせいか、身体の力が抜けてウトウトします。
 昨日、天王寺での授業を終えて帰ってからは、食後にブログを書くとすぐに薬を飲んで早々と身体を休めました。
 今朝、遅めの食事を終えると、すぐに寝たり起きたりの繰り返しです。
 パソコンの前に座ると、つい山積する仕事に熱中してしまいます。それを避けて、というよりも妻からきつく言われているためもあり、仕事部屋には行かないようにして、安静にしていました。
 完全に時間が止まったかのような一日です。
 これまでに、こんな日を送ったことはありません。意識して、時間を高速回転させていたからです。
 海外から帰った時、特にヨーロッパやアメリカから帰国した場合は、時差ボケに苦しめらます。時間を損したような気持ちで、漫然と身を横たえることがありました。しかし今は、それとも違う時間が流れています。
 日々元気だと言っても、消化管を中心として身体にいろいろとハンディを負っている身なので、一日でも長く生き続けるために健康を気遣う生活を意識しています。そうした中で、グッタリしたこんな日も必要だと思い、身体が求めるままに、あえて何もしない日を送りました。お医者さんからは、折々に「加齢」という言葉で身体の状況を説明されます。そんな歳になっていることを自覚することも大事だと、あらためて思い直したりしています。
 明日は好天のようです。近くの山の大自然に身を置いて、時間を止めてリフレッシュすることにします。
 
 
 
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2017年09月22日

高校で与謝野晶子を扱うためのメモ

 今日の高校での授業は、体育大会の準備のために短縮授業でした。40分授業というのは、その感覚がまだわからないので、チャイムが鳴る前に慌てます。どうにかまとめられたものの欲張った内容のことはできないので、ネタ揃えとその調理に微調整が必要です。
 まずは、青空文庫が20年目を迎えたことを報じる今朝の新聞記事を配布しました。
 昨年度のアクセス数は、「雨ニモマケズ」(宮沢賢治)が24万アクセスで1位、2位は「こころ」(夏目漱石)の23万アクセスでした。3位は「走れメロス」(太宰治)、4位は「山月記」(中島敦)、5位が「吾輩は猫である」(夏目漱石)と続きます。この作品や作者を見ていると、学校で扱う教材であったり、読書感想文の課題図書になったりすることが影響しているように思われます。専門的な方の分析を聞きたいものです。
 次に、看護師を目標にしている生徒たちなので、私の頭部神経痛と家族の盲腸に関する直近の話を通して、私が見て感じた医療現場の話もしました。
 昨日、何とか展示の準備を終えた翻訳本『源氏物語』のミニ展示のことも、プロジェクターを使って話しました。海外の本に描かれた表紙のおもしろさを強調しました。
 ブログの読書雑記なども映写して、角田光代、望月麻衣、白川紺子、高田郁などなど、自分が読んだ作品を通覧し、読書の楽しさを伝えようするものです。これは、今後とも継続していきたいと思っています。
 教科書に入りました。扱う作品は舞城王太郎の「阿修羅ガール」。この読解では、後に出ている質問を意識し、それが求めるものを考える、という点からの注意喚起を最初にしました。「問い」と「答え」と思われるものは次回です。本文の吟味も、短縮授業では中途半端になるので、これも次回からとしました。
 続いて、与謝野晶子の短歌を解説したプリントと、晶子の歌碑めぐりのプリントを配布しました。現代文と文学史を使い分けての2コマの授業の間で、生徒たちの生活圏に関連する、堺を中心とした歌人晶子を、味付けとして盛り込むことにしたのです。晶子のことが語れる人になってもらおう、というのが一つの目論見です。
 そのような意図のもとに、今日は処女歌集『みだれ髪』の初版本(明治34年8月、東京新詩社・伊藤文友館)を忠実に再現した複製本(昭和49年1月、日本近代文学館)を回覧しました。

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 感性の豊かな女生徒たちなので、その造本や装訂を通して、デザインの新鮮さが伝わったと思います。それが明治34年に出版された本だとは、とても思えないからです。とにかく、お洒落な本なのです。こうした感覚に訴える刺激も、今後とも大事にして進めて行きたいと思っています。
 
 
 
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2017年09月21日

翻訳本『源氏物語』のミニ展示・第四弾は《英語編》

 本年5月から、大阪観光大学の図書館を会場として、世界各国で出版された『源氏物語』の翻訳本を展示しています。
 これまでに収集した翻訳本を、広く一般に公開することを目的とするものです。これは、科研の基盤研究Aで私が取り組んでいる、研究成果の報告も兼ねています。

(1)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(研究代表者・伊藤鉄也、課題番号:25244012)

(2)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(研究代表者・伊藤鉄也、課題番号:17H00912 )

 ミニ展示は、今回で4回目となります。
 本日、科研の手助けをしてくれている大阪観光大学の第1回生7名の協力を得て、悪戦苦闘を楽しみながら、何とか観ていただける形にしました。

 この第四弾では、『源氏物語』シリーズの最後として、英語で翻訳された本を18冊並べました。

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 向かって右側の展示ケースには、少し地味ながらも刊行年の古いものを中心にして、8冊を並べました。

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 左側のケースには、カラフルな表紙の本10冊で、明るく華やかな雰囲気にしました。

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 今回も、展示本の簡単な書誌を3頁のプリントにまとめ、ガラスケースの上に置いています。ご自由にお持ち帰りください。
 参考までに、以下に、そのテキストを引用します。

《世界中の言語に翻訳された『源氏物語』 英語編


   平成29(2017)年9月21日(木)〜10月31日(木)
            於:大阪観光大学 図書館3階
 
 今回の特設コーナーでは、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。
 世界中で英訳された『源氏物語』がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
          (2017年9月21日版)
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


◯末松謙澄訳(英語・1894年)
 『源氏物語』における世界初の外国語訳の第2版。赤地に金色で源氏香の図が描かれている。後ろの見開きには、国語学者東条操と国文学者三谷栄一の手を経たという、この本の来歴が書かれている。

◯末松謙澄訳(英語・2000年)
 表紙は二代歌川国貞『紫式部げんじかるた 五十一 浮船』。

◯末松謙澄訳(英語・2008年)
 表紙は「若紫」巻で出典はChristie's Images。

◯アーサー・ウェーリー訳(英語・1935年)
 表紙は、赤い地に金字で『源氏物語』と書いてあり、背表紙も金字。扉には、ゴードン・ハニングトン・ルースがウェーリーを追悼した詩が、英国ケンブリッジ大学の数学者ジョン・コーツ博士により伊藤鉄也への献辞として書かれている。

◯アーサー・ウェーリー訳(英語・1971年)
 表紙は土佐光吉『源氏物語画帖』で、1巻の表紙は「末摘花 二」、裏表紙は「早蕨」。2巻の表紙は「橋姫」、裏表紙は「野分」。

◯アーサー・ウェーリー訳(英語・2010年)
 表紙は「野分」巻で出典はChristie's Images。

◯アーサー・ウェーリー訳(英語・2016年)
 表紙は岡田嘉夫『源氏絵巻 蛍』(1970年)、裏表紙は月岡芳年『月百姿』のうち『垣間見の月 かほよ』をアレンジしたもの。

◯エドワード・G・サイデンスティッカー訳(英語・1979年)
 表紙と外箱は、円山応挙『藤花図』(重文・根津美術館蔵、1776年)。古典からの翻訳。
 
◯エドワード・G・サイデンスティッカー訳(英語・1990年)
 表紙は海老名正夫『木版画 源氏五十四帖』「橋姫」巻。古典からの翻訳。
 
◯エドワード・G・サイデンスティッカー訳(英語・1990年)
 表紙は土佐光吉『源氏物語画帖 行幸 関屋図』(メトロポリタン美術館蔵)のうち、大鷹狩りの場面。裏表紙にはドナルド・キーンによるワシントンポストおよびニューヨークタイムズの書評が掲載されている。古典からの翻訳。

◯エドワード・G・サイデンスティッカー訳(英語・2002年)
 表紙と外箱は、「朝顔」巻の「雪まろばし」の場面。1・2巻で一体となる作りになっている。古典からの翻訳。
 
◯ロイヤル・タイラー訳(英語・2001年)
 本の表紙は赤地に絵巻を参考にした人物の顔の輪郭を黒い線で描く。1巻は男性、2巻は横向きの女性。古典からの翻訳。

◯ロイヤル・タイラー訳(英語・2001年)
 表紙は舞楽図『五常楽』、背表紙は舞楽図『蘭陵王』。古典からの翻訳。
 
◯ロイヤル・タイラー訳(英語・2006年)
 表紙は舞楽図『青海波』で、裏表紙にはライザ・ダルビーとザ・ウォールストリートジャーナルの書評が掲載されている。古典からの翻訳。

◯デニス・ウォッシュバーン訳(英語・2015年)
 2017年現在、一番新しい完訳本である。表紙は『国宝源氏物語絵巻』「夕霧」(五島美術館蔵)を刺繍にした画像で、夕霧の手紙をとろうとする雲居雁を描いている。

◯スチュアート・バーナム・アトキン訳(英語・2008年)
 「桐壺」・「夕顔」・「若紫」の抄訳。表紙は土佐光吉・長次郎『源氏物語画帖』「夕顔」巻(京都国立博物館蔵)で、光源氏と彼を見送るために出て着た中将の君かと思われる。

◯スチュアート・バーナム・アトキン訳(英語・2008年)
 「若紫」の抄訳。表紙は土佐光吉・長次郎『源氏物語画帖』「若紫」巻(京都国立博物館蔵)で、幼い紫の上が人形遊びをしている場面。

◯H.マック・ホートン訳(英語・2001年)
 日本語と英語の対訳形式の本で抄訳。表紙は切り絵作家の宮田雅之作「花宴」。


 これまでに開催したミニ展示(全3回)の内容は、本ブログの以下の記事で確認できます。

(第一弾)「大阪観光大学で翻訳本『源氏物語』の表紙絵を楽しむ」(2017年05月09日)

(第二弾)「翻訳本『源氏物語』の展示は《中国・韓国・インド編》に衣替え」(2017年06月02日)

(第三弾)「翻訳本『源氏物語』のミニ展示・第三弾は《ヨーロッパ編》」(2017年07月06日)

 再来月からの第五弾では、『源氏物語』を離れて、広く平安文学に関する翻訳本を数回に分けて展示します。
 その後、少数ながらも手持ちの近・現代文学の翻訳本を、各国別に並べる予定です。ご期待ください。
 
 
 
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2017年09月20日

京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺

 青龍寺は、石塀小路で知られる高台寺の南、清水寺を見上げる八坂の塔のすぐ北にあります。
 昨日書いた、洛陽三十三所の第4番札所「革堂行願寺」(2017年09月19日)には、2010年8月11日に行きました。この青龍寺はその10日前の8月1日に行っています。
 発見されたばかりの胃ガンについて、京大病院の担当医だった岡部先生から説明を聞いた2日後です。ガンの進行状況や切除手術の方法などを聞き、いろいろなことを考えながらの観音さま巡りを始めたばかりの時期です。「心身雑記(66)今後の我が身についての巻」(2010年07月30日)に、そうしたことを記しています。もっとも今から思うと、この観音霊場巡りは、あまり深刻な気持ちからではなかったようです。
 私は、スタンプラリーが好きなのです。この2週間前から、西国三十三所巡礼を石山寺を皮切りに回っています。
「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 石山寺に向かったのは、ガンの告知を受けた3日目でした。そしてすぐに、洛陽三十三所の札所巡りもスタートしていたのです。とにかく、若いときから観音様が好きでした。特に、18歳の時に読んだ井上靖の小説『星と祭』から、実に多くの影響を受けました。
 「びわ湖108霊場」も歩き始めたままで、ずっと止まっています。これも、そろそろ再開することにします。またまた、楽しい忙しさを纏った日々を送ることになりそうです。
(青龍寺での写真は当日のものを掲載したため、現在と少し異なるものが写っているかもしれません。)

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から青龍寺の略説を引きます。

御詠歌
ありがたや まよいのくもは おこるまじ
 せいりゅうじより かへるさのみち
 
 当寺は、桓武天皇の勅により長岡宮近郊に創建された大宝寺にはじまる。平安遷都と共に現在地に移り、六時礼讃別時念仏の道場となって引導寺、その後青龍寺と改称された。
 御本尊聖観世音菩薩は、唐の徳宗皇帝より献上された香木伽羅を、桓武天皇の勅命を以って伝教大師が彫刻されたと伝えられている。


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2017年09月19日

京洛逍遥(465)洛陽三十三所(4)革堂行願寺

 今から7年前の8月に、革堂・行願寺へ行ったときの観音霊場巡り報告です。
 前回書いた、第3番札所の「護浄院 清荒神」は8月19日だったので、この革堂はその1週間前の11日に行っています。(写真は当日のものを掲載したため、現在と少し異なるものが写っているかもしれません。)

 この時には、西国三十三所の御詠歌版も集印していたため、一緒に次の写真も残っています。これは、この3週間後の8月31日に京大病院で胃ガンの大手術をしており、そのため手術前に無事を祈願しての観音霊場巡りをしていた記録でもあります。

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 革堂は、京都市役所の北にあり、革堂の前の寺町通り沿いには藤原定家の屋敷跡もあります。そのことは、「京洛逍遥(52)定家京極邸址前で喫茶」(2008年12月28日)をご参照ください。


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 さて、革堂はよく行く通りにあるため、気軽にヒョイと立ち寄っています。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から革堂の略説を引きます。

御詠歌
はなをみて いまはのぞみも こうどうの
 にわのちぐさも さかりなるらん

 千年の歴史を持つ寺で、創建当初は一条通りにあり、開基は行円上人で、革聖の行円上人願いの寺のいわれより、革堂行願寺と名付けられました。
 この御本尊は上人がすべての人々の成仏のため仏像を彫刻したいと発願し、賀茂の社に霊木があることを告げられ、その槻の木に自ら一刀三礼して彫られた観音様で秘仏となっております。

 
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2017年09月18日

清張全集復読(12)「面貌」「赤いくじ」

■「面貌」
 人間の心が内攻して生まれる憎しみを、清張は巧みに描く特性があります。人間観察眼が優れていたからでしょう。
 家康が我が子の醜さから遠ざけたという、茶阿の局の子忠輝の心の内面が、手に取るように描き出されています。家康に疎んじられ、家康の死後も反骨心を示した忠輝は、伊勢へ飛騨へと回されます。醜い容貌から誰もが不快がり、愛情を持って接してくれる者はいません。まさに、清張自身の体験や思いが、この忠輝に重ね写しになっているかのようです。【2】
 
初出誌:『小説公園』(昭和30年5月)
※「二すじの道」(『キング 秋の増刊号』昭和29年10月)と同じテーマを扱うものの、本作の方が少し詳しい。
※『松本清張全集 35』(文藝春秋社、1972.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
松平忠輝をその醜い容貌からくるコンプレックスでとらえたのは私なりの解釈である。これは私自身の反映といえるかもしれない。(525頁上段)

 
 
■「赤いくじ」
 昭和19年の秋、戦時下のソウルでの話です。参謀長と高級軍医が、一人の美しい人妻に好意を寄せます。精神的なところに留まっていました。翌年の敗戦後、アメリカ兵の進駐に伴い、慰安婦の提供で身を守ろうとする中で、20人をどのようにして選ぶかが問題になりました。そして、あろうことか、くじ引きによることが決まったのです。まさに、女性を人身御供にするのです。
 この後、アメリカ兵とは何事もなく帰国となります。ことろが、この引き上げの時に、くじ引きで接待役に当たった女性たちが、まったく逆転した目で見られるようになったのです。何も罪を犯していないのに、あかかも犯罪者であるかのように。この一瞬にして評価が反転するさまは、清張のうまさです。
 敗戦に伴う混乱に乗じた、一人の婦人を巡る2人の男の恋愛感情を交えた事件が、緊迫感の中で物語られます。戦争を扱った短編として、高い完成度を見せるものだと思います。【5】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和30年6月)
※「赤い籤」を改題。
※『松本清張全集 35』(文藝春秋社、1972.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
私が朝鮮群山の近くに一兵卒として駐留し敗戦を迎えたときの挿話から思いついた。当時、私は師団司令部付だったので、高級将校の動きはよくわかっていた。(525頁上〜下段)

※『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)での評価。
「慰安婦問題にいち早く焦点を当てた戦記小説の力作。」(9頁)
 
 
posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | 清張全集復読

2017年09月17日

【休会の連絡】本日17日(日)の[町家 de 源氏物語の写本を読む]は休会です

本日17日(日)午後2時から予定していた[町家 de 源氏物語の写本を読む]は、台風が近畿地方を直撃するため、安全を優先して開催を控えます。
次回の日時は、またあらためて本ブログに掲載します。
取り急ぎ、お知らせします。


posted by genjiito at 00:47| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年09月16日

【補訂】同志社大学の公開シンポジウム「源氏物語と日本文化の秘めた力」に参加

 小雨の中、頭部神経痛の激痛を薬で散らしながら、今出川にある同志社大学「寒梅館」のハーディーホールに行きました。〈同志社大学創造経済研究センター<公開シンポジウム>「源氏物語と日本文化の秘めた力」〉があるからです。
 今回の趣旨は、以下の通りです。

【趣旨】
 同志社大学創造経済研究センターと京都と茶文化研究センターは、昨秋「茶文化の世界への発信――京都からの提言」シンポジウムを共催し、日本舞踊、能楽、茶、華といった伝統文化が京都という空間においていかに継承され、現代、そして未来にむけて発信されていくべきかについて、議論をおこなった。
 本シンポジウムでは、日本文化の本質を明らかにすべく、平安文化の現代的意義を解明することからはじめ、日本文化の思想性を様々な観点から議論する。伝統的な日本文化の持つ特色を明確化するために、茶のお点前のモーション・キャプチャーを例にとり、産学官共同、文理融合の学術観点からも幅広く議論する。そして、日本を代表する伝統文化が、京都という「伝統」と「革新」が共存する空間において、いかに継承され、どのような形で現代社会に息づき、さらに、いかなる将来性を含んでいるのかを、各界の専門家の方々とともに考えていきたい。
 日本の文化力の真髄を明らかにし、またその真髄を世界に発信していくには何が必要かを議論することは、文化を中心とした地域創生を進めるための政策を検討する上において重要な意味を持ち、文化庁の京都移転によって進める新たなる文化行政を考えていく上での課題を明らかにできると考えている。】


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 以下、不自由な右手を駆使してメモを取ったものを元にして、後で思い出せるように素描として記しておきます。

 午後1時から6時半までの5時間半にわたり、充実した時間に身を置くことができました。
 開会の挨拶(松岡敬学長)と「趣旨説明」(佐々木雅幸・同志社大学経済学部教授)の後、三部構成で進みました。
 
◆第一部 講演「文化庁の京都移転で目指すもの」
   松坂浩史(文化庁地域文化創生本部事務局長)
 文化庁が京都に移転してくることになり、その背景と今後について、詳しい説明がありました。
 ・文化庁とは何者なのか?
 ・2年前から少しずつ移転が決まっていった。
 ・来年が文化庁設立50年
 ・「人間国宝」は毎日新聞の記者が作った名言で、行政用語では「国宝」
 ・文化庁の主要活躍領域は「生活文化」である。
 ・質問はドイツの場合との違いと、文化とお金の問題
 
◆第二部講演「『源氏物語』−三角関係の謎」
   山折哲雄(宗教学者、評論家)
 次の3点がとりあげられました。
 (1)人間関係を当時の人がどのように考えていたか?
 (2)日本の文化は三角関係が正面から論じられたり証明されたりしないのはなぜか?
 (3)三角関係について考えたのは紫式部と夏目漱石の2人。ただし、漱石は後に裏切る。
 ・三角関係を「葵」巻が見事に表現している。出産場面がそれ。
 ・『紫式部日記』の出産は激痛分娩。無痛分娩と比較して考えるべき。
 ・物語と日記の出産場面はまったく同じ。
 ・夕霧の誕生と葵の上の死において、生霊が勝ったか法力が勝ったか?
 ・紫式部の人間認識は透徹していた。ただし、それが当時の貴族に共有されていたか?
 ・日記は出産場面で始まる。
 ・その日記で、『源氏物語』のように芥子の実を投じていないのはなぜか?
 ・『紫式部日記』で、生霊が明らかにされていないのはなぜか?
 ・この2つが疑わしい。当時の人は知っていた。しかし、明かさない。それは、定子だからであろう。
 ・日記で紫式部は、定子の物の怪化を消し去ろうとしていないか。これはどういうことか?
 ・三角関係について、感覚でわかる日本人は今はいなくなった。
 ・姦通という問題は、世界中で問題になっている。不倫も同じ。今の日本がそうだ。
 ・姦通や不倫の問題を、三角関係として人間関係を表現できるのが文学。
 ・本居宣長の源氏論と折口信夫の源氏論の中に、こうした問題や謎を解く重要な鍵があるのではないか。
 ・宣長は、もののあはれと物の怪を問題にしている。あはれ論が主流だった。物の怪は陰になっていた。
 ・加持祈祷は、神仏のしるしを大事にして、病気と闘う。薬を飲んだくらいでは解決しないもの。
 ・折口信夫は「色好み」で姦通や不倫を説いている。「思い隈なし」(思いやりがない)と言って理解している。
 ・しかし、このことばを折口信夫は、「執着心を相手に捧げる深い心」とする。
 ・折口信夫は、ホモセクシャルを大事にしながら、血縁脱却を見ている。
 ・宣長と折口信夫は共通している。
 ・このことが、『源氏物語』と『紫式部日記』の三角関係を読むのに参考になる。
 ・相手あっての二者関係、親子、夫婦の倫理の中で、三角関係を理解できるのか?
 ・三者関係の理解が大事。
 ・漱石は紫式部の考えを理解していたのではないか。
 ・漱石の小説の中心にあった三角関係は、二者関係になってしまう。自殺、狂気、宗教に行き着く。
 ・漱石は一人の世界を求めた。その方向に、日本の文化は移ってきている。
 
◆第二部朗読「京ことばによる源氏物語の女房語り」 
   山下智子(朗読家)
 『源氏物語』の第7巻「紅葉賀」を読んでくださいました。
 「朱雀院の御幸は〜」と、滑らかな京都弁で語られる物語を堪能しました。
 特に、若紫がしゃべるところが可愛くて、大いに楽しめました。
 最後は、原文のひとくだりを読んで綴じ目となりました。
 山下さんが主宰なさっている女房語りのチラシを紹介します。

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◆第三部討論会「伝統文化と現代社会―文理融合の可能性」
 モデレーター:佐伯順子(同志社大学社会学部教授、京都と茶文化研究センター センター長)
   横川隆一(同志社大学生命医科学部教授)
   岩坪健(同志社大学文学部国文学科教授)
   河村晴久(能楽師)
 佐伯さんの司会で進行していきました。
 河村さんは、能を代表するものとして「船弁慶」と「葵の上」を選ばれた話。インパクトのあるものだからと。
 岩坪さんは、『源氏物語』が持つパワーや魅力を語られました。
 横川さんは、小笠原流の煎茶道のお点前を身体にセンサーを付けて工学的に解析(モーションキャプチャー)した結果を提示されました。熟練者は無心で、顎がほとんど動かないことがわかったそうです。
 横川さんが、『源氏物語』を語っている時の山下さんの気持ちを問われました。
 山下さんは、あまり感情的になってしまうのではなく、感覚的なものを大事にしていると。
 女房という立場で客観的に語るようにしている、とのことでした。
 横川さんは、運動行為として、謡や語りに興味を持った、とのことです。
 河村さんも、冷静な自分がいると。ひたすら型の世界。無意識部分がかなりある。
 岩坪さんは、『源氏物語』のテキストの中にも裏の意味がある例を挙げられました。
 本音を言わないので、そこのところを読むことが大事だ、と。
 京都で源氏を研究することの利点は。天気のことや作品の舞台の距離を身をもって、身近に感じられる。
 河村さんの話で、京都は天皇さんがおられた所で、江戸は将軍さんがおられた所だ、とのことでした。
 
◆閉会の挨拶 
   横川隆一(同志社大学生命医科学部教授)
 挨拶の中で、解答には複数あり、一つではない、ということを強調なさったことが印象に残りました。

 体調がよくなかったので、山下さんに少しご挨拶をしただけで、頭痛を我慢しながら帰りました。
 乱暴なメモで恐縮です。勘違いがありましたら、お許しください。
(170919_誤植を訂正しました。)
 
 
 
posted by genjiito at 20:14| Comment(0) | ◆源氏物語

明日17日(日)に[町家 de 源氏物語の写本を読む]を開催します

 本日の京都新聞「まちかど」欄に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する勉強会「町家 de 源氏物語の写本を読む」(第2回)の開催案内が掲載されました。早速、問い合わせの連絡をいただきました。ありがとうございます。

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 この勉強会に関する詳細は、次の記事をご覧下さい。

「[町家 de 源氏物語の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)

 前回、第1回の内容は、次の通りです。

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第1回)の報告」(2017年08月26日)

 空いた時間に『源氏物語』の写本を少し読んでみよう、とか、旅の途中に気分転換に立ち寄って等々、いろいろな方の参加をお待ちしています。初めての方は、初回限りの体験参加として 1,000円、それ以降に途中でスポット参加の場合は1回 2,000円という参加費・資料代をいただいています。

 この[町家 de 源氏物語の写本を読む]集まりは、勉強会であることはもとより、いろいろな意見交換の場でもあります。資料の準備がありますので、前日となる明日までに、本ブログのコメント欄か〔npo.gem.info@icloud.com〕に連絡をいただけると幸いです。

 なお、今秋11月12日(日)には、第2回[源氏物語散策]を企画しています。
 [源氏物語散策]の第1回については、「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)を参照してください。
 この第2回目となる[源氏物語散策]の詳細は後日、本ブログと「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」で公開し、参加者を募集します。いましばらくお待ちください。
 
 
 
posted by genjiito at 11:41| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年09月15日

高校生に角田光代訳『源氏物語』を紹介する

 高校での授業も2回目となりました。1日に2コマあるので、今日で4回やったことになります。いい反応があるので、生徒からもいろいろと教えてもらえます。若い子たちの特権でしょうか、気さくに応じてくれるので助かります。まずは、人間関係を作ることを意識しています。生徒たちからみれば、やせ細ったおじいちゃんとして見ているのかもしれません。それはそれで、異文化世代との交流が楽しめます。

 今日は、教科の先生方から伺った授業の方針の確認や試験のこと、1年次の教科書を見ながらこれまでに勉強したことなどを確認しました。
 勉強方法についても、筆順のことを考えると早くきれいに文字を書くためには縦書きがいいことや、広目の卦線が引かれた縦書き用のノート、そして鉛筆の芯は2Bを勧めました。

 角田光代さんの現代語訳『源氏物語』(河出書房新社、2017.9.20)が先週刊行されました。出たばかりなので、生徒たちの世代が持つ『源氏物語』の現代語訳として大事に伝えてほしかったので、回覧して全員に本を触ってもらいました。

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 本体価格が3,500円なので、お小遣いでは買えません。本屋さんの店頭には、この本が積み上げられている所が多いので、自分たちの時代の文化の成果として、買わないまでも、ぜひとも手にとってみて新しい仕事が世に出たことを実感ほしい、という希望を伝えました。
 併せて月報を紹介し、瀬戸内寂聴と大和和紀のエッセイの内容を確認しました。『あさきゆめみし』は先週回覧したので、あの漫画家であることと結びついたようです。
 さらに、映画『古都 2016』の話もしました。原作である川端康成の『古都』に結びつけば、との想いを込めて話しました。川端康成については、その直前に配布した月報で、寂聴さんが「ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏が、源氏の訳に取りかかっていた。私はその原稿の書きかけを京都のホテルの窓際の机上に見ている。」と書いていることを紹介しました。川端康成が実際に『源氏物語』の現代語訳をしていたのかどうかはまだ確証がないとしても、そんな話と『源氏物語』の現代語訳がリンクすれば、と思っての『古都』の話題の提供です。さて、こうしたことがうまく伝わっていたらいいのですが。

 なお、今日もプロジェクターを教室に持ち込み、いろいろと映像を見てもらおうと思いました。しかし、職員室では映写テストに問題がなかったのに、教室では写らなかったのです。これがあるので、常に機器には頼らないように心がけています。何でもありのインドでの、プレゼンテーションにおけるさまざまな体験がこうして活きています。
 生徒が、大きな模造紙を用意してくれました。前回、教室の壁に映したところ、あまりきれいには写らなかったのです。黒板に磁石を使って貼ってくれました。プロジェクターのボタンの調整も手伝ってくれました。積極的に手助けしてもらえるので大助かりです。もっとも、今日はその労に応えることができませんでしたが、その優しさに感謝です。誰かが、「共同作業だ」と言っていました。学校なのでいろいろと状況によりけりだとしても、教え教えられる関係ではなく、可能な限り一緒に勉強する姿勢は伝えたいと思っています。

 昨日来の頭痛は、病院でいただいた薬が効いていたこともあり、授業中も特に問題はありませんでした。神経性頭痛なので、緊張していると痛みは抑えられているようです。帰りに校門を出た頃から、薬が切れたこともあってか少しずつ頭が痛くなりました。6時間の間を置かないと飲めない薬なので、電車の中ではじっとしていました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:10| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年09月14日

明け方に激烈な頭痛で苦しみ京都府立医大病院へ行く

 後頭部右下の頭痛を抱えたまま、どうにか眠りについた午前3時頃に、こめかみのあたりが急激に痛み出して目が覚めました。尋常な痛さではありません。
 温湿布や指圧で、肩口から頭にかけて揉みほぐしてもらいました。楽になっても、すぐに痛みが強まります。
 こうした場合にいつものことながら、救急車を呼ぶのは時間が時間だけに躊躇われます。素人判断ながらも妻の見立てを信じ、肩の凝りからだろうと見定め、夜が明けてから病院に行くことにしました。頭痛に利くという鎮痛薬を初めて飲みました。しばらく身体を休めました。

 どこの病院へ行くかは、時間をかけて検討しました。京大病院は、かつて頭痛で行ったことがあり、とてつもない時間がかかったことがあります。そこで、何度か行ったことのある京都府立医科大学病院へ急ぎました。

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 府立医大病院については、かつて2回ほど以下のような記事にしています。

「京洛逍遥(296)京都府立医大病院のレストラン」(2013年10月15日)

「心身(25)廬山寺の前の京都医大病院へ行く」(2008年10月09日)

 今回ここにしたのは、『源氏物語』のことが思い合わされたことは勿論です。『源氏物語』の作者が紫式部だという考えに、私は異論を唱えています。紫式部は、あくまでも『源氏物語』を【監修】した女性であり、一歩引いても編集者です。このことは実証できないものの、そのように確信しています。
 廬山寺と紫式部については、角田文衞先生がそのことを論証(?)なさいました。そのお説はともかく、紫式部を広く顕彰なさったことに敬意を表して、寄り添う形で廬山寺と共に紫式部を紹介しています。さらには、私が今の京都の家に住むようになった理由に、角田先生のご自宅へ2007年にお伺いしたことも関係しています。古代学協会所蔵の大島本を、国文学研究資料館で開催する源氏展にお貸しいただけないか、ということで訪問しました。桜が満開の時でした。その時、先生がお住まいの地に惹かれました。その想いが、先生のご自宅近くにあった今の家を選んだことの背景にあります。先生は、その翌年にお亡くなりになりました。私としては内心、最後は廬山寺が見下ろせる府立医大病院で、との想いがあります。
 角田先生のことを記した記事は、以下のものがあります。

「京洛逍遥(306)角田文衞先生と出雲路橋の夕陽」(2014年02月05日)

「角田先生のお通夜」(2008年05月18日)

「源氏千年(29)朝日「人脈記」3」(2008年04月24日)

 さて、今日の診察では、頭部神経痛と診断されました。2種類の薬をいただいてきました。
 MRIの予約が2週間後なので、最終的にはその結果を待って病名が決まります。これは、予想したとおりのものでした。

 ということで、しばらくは仕事も活動も自粛気味に取り組まざるをえません。また、多くの方々にご迷惑をおかけします。申し訳ありません。

 上記ブログで紹介している「京都ホテルオークラ レストラン オリゾンテ」は、今日行こうとしたらすでになくなっていることがわかりました。残念です。
 
 
 
posted by genjiito at 23:40| Comment(0) | 健康雑記

2017年09月13日

頭痛とゆるキャラとお茶のお稽古

 2週間ほど前から、頭痛に悩まされています。以前にもこの症状は体験しているので、肩こりから来たものだと思われます。
 今朝は少し楽だったので、別の用事もあったこともあり、予定通り奈良へお茶のお稽古に行きました。

 西大寺駅で奈良線に乗り換えようとしたら、コンコースで珍しいゆるキャラに出会いました。駅ナカの「タイムズプレイス西大寺」の8周年記念のお祝いに、お客様が来ているとの触れ込みです。
 埼玉県深谷市から来た「ふっかちゃん」と、奈良の王子町の「雪丸」(聖徳太子の愛犬「雪丸」は達磨寺の境内に石像として葬られています)が遊びに来ていました。

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 なぜ深谷から「ふっかちゃん」が来たのかはわかりません。このイベントを考えた方の背景を考えながら、頭痛が治まらないかとゆるキャラを眺めました。それにしても、まだゆるキャラが受け入れられていたことにも驚きました。
 「雪丸」に縁の深い達磨寺は、我が家とは無縁ではありません。奈良に住んでいたときに、お彼岸とお盆になるとお寺さんに来ていただいていた、お世話になっていたお寺です。先代の住職さんは「仏ほっとけ、生きている者が大事」とおっしゃっていた、楽しい方でした。あのお寺が、王寺町のゆるキャラの元ネタとなっていたのです。他人事ながらも嬉しいことです。

 駅を降りてすぐの竜田川の流れも、夏のような元気がなくなったように思えます。頭痛を抱えての平群のお山登りなので、体調からそのように見えたのかもしれません。

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 かつての家がある平群のお山を見上げると、前景の稲が稔って来ていることがわかります。来月には黄金の波を見ることが出来そうです。左端のあぜ道には、しっかり彼岸花が咲いているのが写っています。

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 今日のお稽古は、基本となる「運びのお薄」にしてもらいました。
 このところ、丸卓を使ったお点前ばかりだったので、最初の基本に帰ることにしました。今朝も、この練習を一通りしてから出かけて来たのです。
 我が家の電熱炉は熱くなりすぎるので、初めに水を注ぎ足すようにしています。そんな時に、道具をかざらない時は湯返しをしないことや、拝見の有り無しで柄杓や懸垂を持ち帰る時の動作が違うことなど、少しずつ違いがわかって来だしました。
 明日になると、そのすべてをすっかり忘れるにしても、理解できてから忘れるのは、思い出しやすいということに通じるのではないでしょうか。自虐的な言い方をすれば、忘却を前提にしたお稽古です。
 先生には、我が家でお茶を点てることを想定してのお稽古をお願いしています。今日は、お客様から水屋(台所)が見えないようにする工夫として、廊下の壁沿いにあらかじめ敷いておいた布の上に道具を並べてから始めるといい、というアドバイスをいただきました。家の構造から見ても、これには納得です。
 家でお客様と一緒に、楽しくお話をしながらお茶を飲むことを想定しています。具体的で実践的なお稽古に終始しているので、手順を踏んでお稽古をなさっている方には、私のお稽古メモは参考にならないかもしれません。なかなか上達しないことの言い訳にしておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:42| Comment(0) | ブラリと

2017年09月12日

谷崎全集読過(29)「西湖の月」

■「西湖の月」

 上海から列車で杭州へ行く折に見かけた中国の女性を、日本の女性と比べながら丹念に描きます。紀行文の体裁をとった作品です。
 杭州駅から西湖畔のホテルに行く途中で、車夫にお金をせびられたことなど、旅の逸話などが添えてあり谷崎の人柄が忍ばれます。
 ホテルの隣室には、列車で一緒だった美人姉妹がいました。気にかけながらも、杭州の西湖周辺の観光に出かけるのでした。月光を浴びながら西湖の湖水の上を船で遊覧し、夜の西湖に身を置いた感激を丹念に綴っています。
 そんな中から、一文を引いておきます。

 首を擧げて四方の陸をぐるりと眺め廻した後、今度はそろ/\と眼を下の方に向けると、私の視野に這入るものはやがてたゞ一面の波ばかりになつてしまつて、何だか船が水の上を渡つて居るのではなく、水の底に沈みつゝあるやうな心地がする。もし人間がほんたうに斯う云ふやうな心持で、靜かに/\船に遙られながら、うと/\と水の底へ沈んで行く事が出來たなら、溺れて死ぬのも苦しくはなからうし、身を投げるのも悲しくはあるまい。おまけに此の湖の水は、月明りのせゐもあらうけれど、さながら深い山奥の靈泉のやうに透き徹つて居るので、鏡にも似た其の表画に船の影が倒まに映つてゐなかつたら、殆ど何處から空氣の世界になり何處から水の世界になるのだか區別が附かないほど、底の方まではつきりと見えて居るのである。(220頁)
 
 此の水の数滴を掌に掬んで暫く空中に曝して置いたなら、冷やゝかな月の光を受け留めて水晶の如く凝り固まつてしまふだらう。私の船の櫓はそのねつとりとした重い水を、すらり/\と切つて進むのではなく、ぬらぬらと捏ね返すやうにして操って行くのである。をりをり櫓が水面を離れると、水は青白く光りながら、一枚の羅衣のやうに其れヘベつたりと纒はり着く。水に繊維があると云つてはをかしいけれど、全く此の湖の水は、蜘蛛の絲よりも微かな、さうして妙に執拗な弾力のある繊維から成り立つて居るやうにも感ぜられる。兎に角にも綺麗に澄んだ水ではあるが、輕快ではなく寧ろ鈍重な氣分を含んだ水なのである。(220頁)


 こうした表現は、観たまま、感じたまま、聞いたままを、硬質の文章にして、意識的に読者に提示しているのです。

初出誌:『改造』大正8年6月号
※「青磁色の女」を改題

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第六巻』(昭和33年6月、新書判、中央公論社)の解説で、伊藤整は次のように言っています。この作品の背景を理解することと位置づけを考える上で参考になると思われるので、以下に引いておきます。

 この時期の作者の異國趣味はやがて作者を驅つて現實の海外族行をさせることになつた。卽ち大正七年、数へ年三十三歳のとき、作者は、その年三月から住んでゐた神奈川縣鵠沼あづまや別館の家をたたみ、妻千代子と長女鮎子とを、日本橋蠣殻町に米穀仲買店を營んでゐた父の許に預け、十一月に單身中國旅行に出發した。その旅程は朝鮮、滿洲、天津、北京、漢口、九江、南京、上海周邊に及んで、十二月の末に上海から船で歸國した。(264頁)


 私が西湖に行ったのは2007年3月でした。その時の文章は、ブログのサーバーがクラッシュしたために再現できないまま今に至っています。残念です。あの時に行った西冷印社の印鑑は、今も大事に持っています。自分が足を留めた地が物語の舞台になると、作中のイメージが思い合わされて背景に色が付くので大いに楽しんで読めます。本作の杭州の地の話は、まさにそうした想いで読みました。【3】
 10年前の現地での記録として、写真だけでも掲載しておます。

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posted by genjiito at 19:27| Comment(0) | 谷崎全集読過

2017年09月11日

京洛逍遥(464)洛陽三十三所(3)護浄院 清荒神

 今から7年前の8月に、清荒神へ行ったときの観音霊場巡り報告です。
 前回書いた、第2番札所の「新京極 誓願寺」は8月21日で、この清荒神はその2日前の19日に行ったようです。(写真は当日のものを掲載したため、現在と少し異なるものが写っているかもしれません。)

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 清荒神は、京都御苑の仙洞御所と鴨川の間に位置し、廬山寺の南にあります。前を東西に走る手狭な荒神口通の左手には、藤原道長が建立した法成寺跡があります。この法成寺跡については、「源氏のゆかり(28)説明板36-法成寺跡」(2008年10月07日)で紹介しました。

 荒神口通の東側、河原町通を渡ったところに、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の登記手続きでよく行く、京都地方法務局があります。さらに鴨川に架かる荒神橋を渡ると、京都大学稲盛財団記念館や東南アジア研究所があります。この奥が、毎月のようにお世話になっている京大病院です。
 この地域は、私にとっては日常的に往き来している所なので、こうして紹介するのが何となくくすぐったい気持ちがします。地元感覚があるからでしょうか。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から清荒神の略説を引きます。

御詠歌
あらたかや こうじんどうの じゅんていは
 いのらばりやく さづけたもうぞ

 准胝観音さまは、あらゆる仏さまの母といわれているところから「仏母准胝尊」ともいわれ、多くの仏を生み出す母ですから、あらゆる人々のなやみに答えて救って下さる観音さまです。
 また子授けの観音さまとして、清浄と母性の象徴、母の願いを叶えて下さる准胝観音さまに祈りを捧げて下さい。


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2017年09月10日

京洛逍遥(463)平安神宮でのお茶会に行く

 平安神宮澄心会の月釜の行事に参加して来ました。

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 神苑内の澄心亭での、裏千家吉田宗育氏のお茶席に寄せていただいたのです。

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 待合では、先客の男性と私の2人だけでした。お正客に、と言われたらどうしようと思い、ドキドキです。幸い、その方は経験豊富な方だったようで、率先してお正客をつとめてくださいました。
 席入りすると、サッと手前座に一番近い正客のところに座られたので、私が次客となります。床には、鷹司兼煕が重陽節句を歌った和歌の軸が掛かっていました。兼煕は17世紀後半の人で、関白になっています。お公家さんの文字は仮名の崩し方も難しくて、何文字か読めませんでした。
 しばらくすると、今日の最後の席ということもあってか、水屋でお手伝いをなさっていた方々も入って来られ、10名ほどになりました。
 お菓子は、菊の着せ綿です。このお菓子については、「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第13回)」(2014年09月06日)で詳しく書いていますのでご参照ください。

 私の前に置かれた薄茶は、縦長の馬上杯を模したお茶碗でした。高台のところに小さな穴が刳り抜かれていました。珍しいものだそうです。どう持っていいのか戸惑いながらも、正客役をなさっている右隣の方のアドバイスをいただき、包み込むようにしておいしいお茶をいただきました。それにしても、小さなビアカップのような茶碗に、どのようにして茶筅で泡立てられたのか、よく見ていなかったので今でも不思議です。縦長の湯呑みのようなカップの中に茶筅を入れると、そこで前後左右のいずれにも振ることができないと思われるからです。何か秘訣があるのでしょう。

 部屋も道具も、重陽の節句に合わせて菊に関するもので構成されていました。
 小一時間ほどのお茶会でした。正客をなさっていた男性の動き方や話題を投げ掛けられるタイミングなどは、いつかは私もお正客をさせられることから逃げ切れないはずなので、いい勉強になります。とにかく、しっかりとお稽古をすることと、お茶会の場数を踏むことしかありません。

 私がお茶をやっているのは、我が家にお越しのお客様にお茶を点てて差し上げ、ゆったりとお話をしたいからです。そのために、こうしていろいろなお茶会に参加して、自分なりのお茶の出し方をイメージトレーニングしています。場の作り方の勉強だと思って、機会を見つけては足を運んでいるのです。

 平安神宮の周辺は、府立図書館に来たときによく通ります。本ブログでも何度も取り上げています。しかし、神苑の中に入るのは4年ぶりだと思います。

「京洛逍遥(271)良好だった検診2日目と京洛の桜」(2013年04月05日)

 平安神宮の神苑というと、何と言っても紅しだれコンサートです。

「京洛逍遥(132)平安神宮紅しだれコンサート -2010-」(2010年04月09日)

 このコンサートは、あまりの人の多さに疲れるようになり、しばらく行っていません。
 さまざまな京洛での催しも、気疲れや人疲れのするものには、しだいに足が遠のくようになりました。
 それでも、数多くのイベントが開催されるので、行けるものに行く、という方針でいます。

 一人でのんびりと苑内を歩きました。少し汗ばむ蒸し暑さを感じます。

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 栖鳳池から望む泰平閣は、よくガイドブックで見かける姿です。

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 ちょうど結婚式と行き会い、泰平閣の橋の中程でしばらく足留めとなりました。
 のんびりとした一日です。
 
 
 
posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年09月09日

川端康成『古都』のその後を映画化した「古都(2016)」

 昨年11月に公開された映画「古都(2016)」をテレビで観ました。
 川端康成の『古都』については、10年前に以下の記事を書いています。

「読書雑記(5)川端康成『古都』」(2007年12月01日)

「京洛逍遥(19)北山杉の里」(2007年12月24日)

「ベータのビデオで『古都』を見た時のCM」(2009年06月15日)

 後日譚としての『古都』が映画化された時には観る機会を逸していたので、今回のテレビでの放映を楽しみにして観ました。
 周到な準備をしてのプロジェクトだったこともあってか、完成度の高い現代版といえる仕上がりでした。画面がきれいです。物語も自然で、原作をうまく活かした展開です。ゆったりと時間が流れる、いい映画を観ました。
 京都市長の門川大作氏が登場した場面は、その後ろ姿だけですぐにわかりました。裏千家今日庵でのロケといい、サプライズの多い映画でした。何よりも京都名所案内の要素が堪能できて楽しめます。川端康成の原作『古都』を知らなくても、知っていたらなおのこと、日本の伝統文化が視覚と聴覚を通して伝わってきます。言葉が少ないので、目が不自由な方には音声ガイドに工夫が要ります。ぜひとも挑戦してもらいたいと思います。

「映画 古都(2016)の公式サイト」に掲載されている案内文を引きます。

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 パソコンや携帯電話で、世界中の誰とでも一瞬でつながることができる現代にも、昔ながらの暮らしを守っている人たちがいる。2020年の東京オリンピック開催に向けて、“本物の日本の心とは何か”が世界から問われている今、日本の真の伝統を未来へと引き継ごうとする人々を描く物語が完成した。“日本の美と精神”を表現することに生涯をかけ、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の傑作『古都』の新たな映画化だ。
 過去にも岩下志麻と山口百恵の主演で、1963年と1980年の2度にわたって映画化されているが、今回がこれまでと大きく異なるのは、原作の“その後”が描かれる“現代版”であること。
 舞台は京都とパリ。時は生き別れになった双子の姉妹、千重子と苗子が最後に会って別れてから20数年後。それぞれに娘が生まれ、すっかり大人の女性になった二人は、新たな葛藤を抱えていた。千重子は代々続く呉服店を娘の舞に継がせるつもりだったが、舞から思わぬ抵抗を受ける。北山杉で林業を営む苗子は絵画を志す娘の結衣を快くパリに送り出したが、結衣が自分の才能に疑問を持ち始めていることに気付く。娘と同じ年の頃、千重子も苗子も人生の岐路に立ち、迷っていた。あの時の自分が下した決断に想いを馳せながら、二人は娘の未来のために何をしてやれるのかを問いかける─。


 本作は、再放送が「WOWOW」で9月12日(火)と18日(月)にあります。
 私はあまり期待をせずに、観てみようかという気持ちで観たので、もう一度観ようと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 回想追憶

2017年09月08日

26年ぶりに高校の教壇に立って

 大阪の高校で国語を13年半教えていました。今から26年前のことです。
 最初に新設高校に配属され、和文タイプライタ部、百人一首部、テニス部を作り、土日もなく、朝から晩まで生徒と一緒に走り回っていました。

 久しぶりに高校での授業ということもあり、教室に行く時に出席簿を持って行くことを忘れました。そうそう、と思って引き返しました。教室に入った最初に、みんなの視線が一点集中したことが印象的です。教卓の前に立つと、学級委員長が「起立」という号令をかけてくれたので、少し緊張気味に挨拶を交わしました。
 自己紹介を始めてから、黒板消しが大きいのに驚きました。かつてよりも、2倍以上も長く大きくなっていたのです。あまりにも仰天していたせいか、私の驚きようを見て生徒が大笑いをしていました。初対面での爆笑で、お互いの気分が緩み緊張感がほぐれました。

 今日は初顔合わせだったので、みんなお行儀よく私の自己紹介を聞いてくれました。しかし、同じクラスの午後の2時間目には私の話すペースをわかってもらえたのか、いろいろと受け応えをしながら進められました。大阪の子たちということもあってか、ざっくばらんに話せます。これからが楽しみです。
 私の担当科目は、高校2年生の「現代文」と「日本文学史」です。

 2時間目にはプロジェクタを教室に持ち込み、手持ちの iPad を iPhone にテザリングでつなげました。インターネットの情報など、いろいろなものを教室の壁に映し出しながら、挨拶代わりの話を展開しました。
 プロジェクタのセッティングを手伝ってくれる生徒がいたり、駅のトイレのピクトグラムには「知ってる!」「学校のそばの駅で見た!」などなど、和気藹々と話ができるようになりました。
 プロジェクタを持ち込んだ授業がこれまでになかったということで、非常に新鮮だったようです。終わってからも、生徒といろいろな話ができました。

 今日の授業の中では、『あさきゆめみし』の特装本を回覧しました。

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 生徒たちは、『あさきゆめみし』はほとんど知らないようです。しかし、漫画が上品な帙に包まれ、「康煕綴じ」になった和装本を初めて見て、一様に目が泳いでいました。回覧して自由に手に取ってもらったので、少しは日本の書籍の装幀に注意が向いたのではないでしょうか。これは、引き継いだ「日本文学史」の授業がちょうどが平安時代の物語からだったので、この『源氏物語』の漫画から入って興味付けとしたのです。
 これからも、可能な限り現物を見たり、原作の雰囲気を味わいながら日本語の文章について考える時間にしていくつもりです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 身辺雑記

2017年09月07日

読書雑記(209)山本兼一『黄金の太刀』

 『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(山本兼一、講談社、2011.9)を読みました。

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 ペルリが来航した翌年の嘉永7年正月、江戸神楽坂で幕が開きます。
 御腰物奉行の家に生まれた光三郎は、勘当されて家を飛び出した男です。あることから一人の男を探し求めて、五か伝の鍛冶どころである相州鎌倉、美濃関、山城、大和、備前をめぐる旅に出ます。伝統文化としての刀鍛冶をテーマとする〔観光物語〕とでも言えます。
 鎌倉での正宗探しは楽しく語られています。現地取材をしている作者の姿を彷彿とさせる文章です。
 光三郎は、道中記を手にしていました。宿場間の距離や宿屋の数が書いてある案内書のようです。こうしたものが出てくるところからも、話が観光名所巡りの性格を帯びていることがわかります。
 各旅籠での食事も、丹念に記してあります。鎌倉は鰆、大和は茶粥、備前はバラ寿司。そして、各宿場での食事の膳には、魚、大根の煮付け、味噌汁が出て来ます。
 作者が楽しみながら書いていることが伝わってくる小説です。【3】
 
 
初出誌︰『小説現代』
 「黄金の太刀」  2009年6月号
 「正宗の井戸」  2009年8月号
 「美濃刀すすどし」2009年10月号
 「きつね宗近」  2009年12月号
 「天国千年」   2010年2月号
 「丁子刃繚乱」  2010年4月号
 「江戸の淬ぎ」  2010年6月号
 
 
 
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2017年09月06日

読書雑記(208)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ・2』

 『京都寺町三条のホームズ・2 〜真贋事件簿〜』(望月麻衣、双葉文庫、2015年8月)を読みました。

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 前回の記事、「読書雑記(207)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ』」(2017年08月29日)の最後に、「観光気分に浸れる、爽やかなご当地小説の出現です。」と記しました。しかし、この第2作はさらなる期待をしたせいか、新鮮さと斬新さが感じられませんでした。

 第一作を受けての序章「夏の終わりに」が、非常に中途半端です。第二作なので、まずは何か書いておかなくては、という意識での文章かと思われます。シリーズ化を意識したせいか、読者への気遣いが空振りしています。【1】
 第一章の「目利きの哲学」は、長い物語の割には中身が伴いません。もっと短くまとめたら、緊張感のある話になったと思います。言葉数が多かった分、飽きがきました。【1】
 第二章の「ラス・メニーナスのような」は、絵画の話が手際よくまとまっています。ただし、作り話であることが見え見えの駄作です。文中に「七つの聡子に会わせてもらえれるなんて、夢にも思いませんでした」(128頁)とありました。このような表現に違和感を覚えます。【1】
 第三章の「失われた龍」における南禅寺三門からのくだりは、親切丁寧なガイドブックです。ただし、話はつまらない出来でした。【1】
 第四章の「秋の夜長に」は、ドタバタ騒動に留まるもので話の中身はありません。【1】
 最終章の「迷いと悟りと」に至っても、文章に緊張感がまったくありません。だらだらと、世間話が続きます。京都の神社仏閣のガイドブックを調べた結果を、ただ並べて会話文でつなげたものとなってしまいました。最後では、なんとか盛り上げようとする熱意が伝わります。この書き方を全編でやってほしいと思いました。【2】
 贋作を見抜くことよりも、本物と贋作の意義や、偽物に命を懸ける者の信念を描き出してほしいと思います。言葉が無駄に浪費されている一書でした。
 本作は、京都へ行きたいなと思わせるだけで、文章は小説や物語の域には届いていないと思います。これが「ライトノベル」だと言われたらそれまでです。本を読むことが好きな者としては残念です。各章の作文に関して、えらそうに書いてしまいました。ご寛恕のほどを。
 テーマがおもしろそうなので、第3作も読んでみるつもりです。
 
 
 
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2017年09月05日

京洛逍遥(462)洛陽三十三所(2)新京極 誓願寺

 今から7年前の8月、昨日の洛陽三十三所観音霊場の第1番札所「頂法寺」へ行った10日後に、この第2番札所「誓願寺」へ行っています。(写真は当日のものを掲載したため、現在と少し異なるものが写っています。)

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 誓願寺は、河原町三条から四条の西を南北に走る商店街にあり、お土産物を求めて多くの修学旅行生や海外からの観光客で賑わう所です。和泉式部や清少納言のゆかりの地であり、この洛陽三十三所のご朱印をいただいた一月半後には、落語を聞きに行っています。
 そんなこんなを、これまでに何度かこの京洛逍遥で取り上げていますので、以下の記事もご笑覧を。

「京洛逍遥(164)誓願寺の策伝忌と奉納落語会」(2010年10月11日)

「京洛逍遥(286)『都名所図会』の河原町三条界隈(その2)」(2013年08月18日)

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から誓願寺の略説を引きます。

御詠歌
くちずさみ そのなもながき こがねでら
 ここあんらくの じょうどなるらん

 誓願寺は、西暦六六七年、天智天皇によって奈良の地に三論宗として開創された。以来、改宗と二度の移転を経て、現在は浄土宗西山深草派の総本山である。
 当寺安置の十一面観音は、弘法大師の作と伝えられ、かつては長金寺(一言堂)の本尊であった。古来、一言で願いを叶えてくれる「一言観音」として信仰を集めている。


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posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年09月04日

京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺

 今から7年前の8月に行った時のことです。
 昨日の記事にあるように、洛陽三十三所巡りを再開したことに伴い、記録として取り上げていきます。

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 頂法寺というよりも、六角堂の方が馴染みのある呼び方です。京都市内の真ん中、三条通と蛸薬師通の間で、京都駅前から南北に走る烏丸通のすぐそばにあります。地下鉄で烏丸御池駅から、まっすぐ南に歩いて3分。本堂の前の六角形の石が、京都の中心だとも言われています。
 この六角堂については、西国三十三所札所巡りをしていたときの記事で、さらに詳しく書いていますのでご笑覧を。

「西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)」(2010年10月07日)

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から頂法寺の略説を引きます。

御詠歌
わがおもふ こころのうちは むつのかど
 ただまろかれと いのるなりけり

 当寺は西国十八番の札所で、用明天皇二年(五八七)に聖徳太子により建立されたと伝えられている。
 御本尊は太子の護持仏と伝えられる如意輪観音菩薩で、秘仏となっている。本堂北の本坊を池坊と呼び、室町時代以降多くのいけ花の名手を輩出した、華道発祥の地として有名。現在も華道家元池坊の拠点となっている。


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posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年09月03日

京洛逍遥(460)洛陽三十三所(28)壬生寺

 壬生寺のご本尊は延命地蔵菩薩です。今夏の地蔵盆でも、町内の地蔵祭には、この壬生寺から読経にお越しになっていました。

 壬生寺は、新撰組ゆかりの寺として知られています。しかし私は、それよりも山本兼一の『とびきり屋見立て帖』のシリーズに出てくる芹沢鴨や近藤勇や坂本龍馬を思い出します。
 それはともかく、今回は洛陽三十三所の一つとして、中院の十一面観音菩薩を拝みに行きました。
 壬生寺に来るのは初めてです。この近くにある天然温泉「壬生の湯」には何度か来ているのに、壬生寺までは足を延ばしていなかったのです。今日もこの後は、「壬生の湯」に入り、ゆっくりと身体を休めます。

 南門から入り、東の表門から出ました。

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 洛陽三十三所については、忘れてしまうほどの7年半も前に、観音霊場巡りとして3本の記事を書いたままで、その後に行ったところは書かずに来ています。何かと多忙を極め、札所に行ってもこのブログに書くゆとりもないままに来ていたのです。

「京洛逍遙(114)洛陽三十三所(6)金戒光明寺」(2009年12月06日)

「京洛逍遙(122)洛陽三十三所(8)大蓮寺」(2010年02月26日)

「京洛逍遙(125)洛陽三十三所(31)東向観音寺」(2010年03月01日)

 今回、こうして足を留めたことを機に、すでにこれまでに集印しているお寺のことも、思い出しながら書いていくことにします。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から壬生寺の略説を引きます。

御詠歌
しゃくじょうの おとなりひびく みぶでらに ごうりきするは このほとけなり

 壬生寺の塔頭である中院は、古名を中之坊と呼ばれ、寛永年間(一六二四〜一六四三)、本良律師により創建された。
 本尊は、十一面観世音菩薩(鎌倉時代)である。鎌倉時代の壬生寺再興時に、平政平の発願により新造された諸仏の内の一体である。明治時代には律宗の修業道場であった。


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posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年09月02日

【日時訂正】日比谷図書文化館で「若紫」を読む(第5回)

 日比谷図書文化館で開講中の源氏物語講座のために上京しました。
 新橋駅前では「大盤将棋大会」の真っ最中で、人だかりができていました。
 これは、ニュー新橋ビル商店連合会が主催で、毎週土曜日の午後に開催されているものでした。参加無料で商品がもらえるとあって、多くの人が少し大振りの駒をさしていました。子供も大人相手に大奮闘です。

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 左後方の交番のお巡りさんも、ちらちらと様子を見ておられます。

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 さて、日比谷図書文化館では橋本本「若紫」を、字母に忠実な翻字をしながら読み進めています。原則として、『源氏物語』のお話の内容には立ち入らないことにしています。とにかく、書き写されている文字だけに注目する講座です。
 今日は最初に、今秋11月12日に予定している「第2回 源氏物語散策」についてのお誘いからです。これは、東京から一人でも多くの方に、京都の源氏物語散策に参加していただきたいという思いからの企画でもあります。詳細がまとまりしだい、本ブログでも報告します。
 続いて、牛車に関する本のこと、京都新聞に連載中のいしいしんじ氏の『源氏物語』訳のこと、角田光代氏の新現代語訳が9月12日に刊行されること、来年11月にアメリカのメトロポリタン美術館で「源氏物語展示会」が開催されるので一緒に行きませんか、ということなどなど、さまざまな最新情報をお伝えしました。
 その後は、先月8月26日にマスコミで公表された、土器に刻まれた平仮名表記の和歌の話に時間を割きました。これは、山梨県甲州市で発掘された和歌一首が刻まれた土器のニュースです。

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われ尓よりおも
ひく■らんしけい
と能あは数や■
なはふくる
は可り所


 これは、仮名文字が全国に普及していく過程を知る上で、貴重な資料となるものです。変体仮名としては「尓」「能」「数」「見(?)」「可」「所」が確認できます。日比谷図書文化館での講座が変体仮名に拘った内容なので、この土器に刻まれた文字は、まさに応用問題です。

 テキストとしている国文研蔵「若紫」を字母に注意しながら読むことでは、今日はいつもより多い7頁分も進みました。そうした中で、「江」「堂」「勢」など、この範囲に集中的に出てくる文字があることを指摘しました。書写していた人が入れ替わったのかと思うほどです。
 書写している最中に、所用で席を外したり、来客があったり、トイレに立ったりした折に、誰かが代わりに写し続けたのではなかでしょうか、と説明しておきました。そうとしか説明できないような現象だと思います。これは、今後とも注意して追跡していきます。

 いろいろなお話をしながら、また質問やご意見を聞きながら、今日も楽しく2時間が過ぎて行きました。

 終了後は前回と同様に、有楽町の駅前で自由気ままな談話会となりました。

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 その席での話の中で、これまでが月に2回だったものが今年の4月から1回となり、それではもの足りないとの意見が出たりして、みなさまそれに同意しておられました。そして、私が上京している日に写本を読むこと以外で何かできないか、ということになりました。
 そこで私から、今読んでいる橋本本をみんなで現代語訳してみませんか、という話題を振ったところ、みなさん喜んでくださいました。このことは、講座の中でも、どなたかこの橋本本を現代語訳してみませんか、と問いかけていたこともあっての賛同かと思われます。楽しく勉強したいという思いを強くお持ちの方々なので、これまで誰もやっていない橋本本を現代語訳することに、おもしろさを感じてくださったのです。

 次回の10月7日(土)は体験講座となっていて、すでに講座の受講生となっておられるみなさまは参加なさいません。今日の続きは、2ヶ月後の11月4日(土)です。それまでに間が空くなあ、というところから、次回の10月7日(土)の講座が終了する午後4時半に、いつもの教室となっている日比谷図書文化館4階の教室前に集まり、そこから移動して課外の勉強会をすることになりました。

 突然の展開ではあるものの、これも楽しい勉強会となりそうです。
 これまで流布本として読まれて来た大島本と、現在読んでいる橋本本との本文の違いを一覧できる資料を私が用意します。それをもとにして、みなさまと共に、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、橋本本の現代語訳を作っていけばいいのです。この、訳文を作る過程を楽しみたいと思っています。

 このブログをお読みの方で、橋本本「若紫」をみんなで現代語訳することに興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、これを機会に参加を検討してみてください。自主的な活動なので、本当に気ままに始めたいと思います。集まった者で、話し合いながら、今後の方針を決めればいいと思っています。

 また新しい展開が生まれそうです。みなさまの熱意が伝わってくるので、これもきっとうまく進むことでしょう。そして、また新しい出会いの場となればすばらしいことだと思います。
 とにかく、10月7日(土)の午後4時半に、ふらりとお越しください。手ぶらで結構です。日比谷図書文化館の古文書塾「てらこや」の受講生という枠を取り払った集まりとしてスタートします。その後のことは、すべてみなさまとの相談で決めることにします。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年09月01日

清張全集復読(11)「恋情」「特技」

■「恋情」
 明治新政府になった時の話です。田舎の小さな旧藩主の長男に生まれた己(山名時正)は、本家の娘で4つ下の律子に愛情を抱きます。
 明治19年に、己はロンドンにわたり、オックスフォード大学に留学します。正月のある日、己は新聞で、律子が宮様と結婚することを知りました。自分が海外に追い出されたことを知るのでした。
 帰国後、折々に律子の姿を追います。しかし、会うことすらできないままです。その後、宮が亡くなり、続いて律子も亡くなりました。辞世の句を読んでも、自分のことを思い続けていてくれたと思う己です。
 最後まで、男の側からの愛情が失せないことを語り、女の方の気持ちは語られずに読者に委ねたままで終わります。
 清張にしては歯切れの悪い、思わせぶりな作品となっています。【2】
 
初出誌:『小説公園』(昭和30年1月)
※原題は「孤情」
 
 
■「特技」
 秀吉が朝鮮に出兵した時の話で始まります。稲富直家という射撃の名手がいました。細川幽斎の子忠興は、家臣だったその直家を率いて渡海しました。
 忠興は、直家が主に「諂諛(てんゆ、へつらう意)」していると思い、不愉快でした。また、「技術を尊ぶのに敵味方はない」ということばも、この話の中で生きています。忠興の神経質な嫉妬と執拗さが、この話の背景を支えています。
 家康との逸話も、尊敬と軽蔑が綯い交ぜになって語られます。人間が持つ二面性です。技術を持つ者がその内面に抱く、知られざる劣等感が、簡潔な表現で描き出されています。人の心の奥底をあぶり出すことに長けた、清張の眼力が生み出した短編です。可能であれば、直家の心の変化をもっと語ってほしいと思いました。【3】
 
初出誌:『新潮』(昭和30年5月)
 
 
 
posted by genjiito at 19:33| Comment(0) | 清張全集復読

2017年08月31日

大阪市営地下鉄のトイレの前で見かけたピクトグラム

 大阪市営地下鉄に乗った時に、トイレの表示が気になっていました。
 次のものは、谷町線「天満橋」駅のトイレのピクトグラムです。

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 まず、「ようおこし」という文字に違和感をおぼえます。
 国際化を意識してのものではないようです。
 次に、描かれた絵の頭の位置が不自然で気になります。
 何のために頭を下げているのでしょうか。
 念のためにネットで検索すると、いろいろな意見が出ていました。
 いくつか読んだ中では、「グラフィックデザインの雨音」というブログの「大阪市営地下鉄のトイレ リニューアルは大歓迎だけど・・・このデザインは何か違和感が・・・。」がよくわかる説明でした。

 今日は、これまでの多くの方々の意見に加えて、色について気付いたので以下に記します。
 所用で降りた谷町線「文の里」駅の構内の表示は、男性側の「ようおこし」という文字がまったく読めません。これは、その位置が少し奥まっていて暗いからでしょう。

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 本記事の最初にあげた写真を、色の見え方を体験するための色覚シミュレーションツールである「色のシミュレータ」で見ると、次のようになりました。

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 これは、一般的な例として示しただけです。しかし、これだけでも、青は変わらないのにピンクは変化して見えることがわかります。

 文の里駅の場合は、色覚に関するものではなくて、あきらかに暗い所に設置したピクトグラムの青の文字がまったく読めなくなった例だと思われます。
 こうした、公共のための表示には、青色は気を付けた方がいいのかも知れません。
 すでに、専門家によって研究成果があり、指摘されていることかと思います。しかし、今回、自分で確認できたので、備忘録としてここに記しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ブラリと

2017年08月30日

京洛逍遥(459)宇治天然温泉「源氏の湯」と回転寿司「くら」

 今年の夏の最後となる今日は、宇治にある天然温泉「源氏の湯」で鋭気を養ってきました。明日から、今年の後半が始まります。
 「源氏の湯」は、平等院のさらに南にあります。京洛ではなくて、洛南です。近鉄大久保駅から歩いて7分。意外と近いところにあることを、行ってみて初めて気づきました。
 回転寿司「くら」の裏だったので、まずは腹拵えから。大好きな回転寿司も、日々変化していることを実感します。特に、「くら」は工夫がいっぱいです。最近は、糖質制限食の寿司メニューを開発しています。

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 「源氏の湯」は、竹を取り入れたりして雰囲気を大事にしていました。

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 廊下の突き当たりには、国宝の源氏絵「東屋一」(徳川美術館蔵)の複製が掛かっていました。浮舟が物語絵を見ながら物語を読んでもらっている場面です。

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 この絵が選ばれた理由はわかりません。しかし、この宇治には『源氏物語ミュージアム』が土佐光則筆とされる『源氏絵鑑帖』を所蔵しているので、その複製をいくつか飾ったら良かったのに、と思いました。国宝の源氏絵にしたのには、何か深いわけがあるのでしょうか。
 さらには、この絵の説明は一文字も見当たりませんでした。その手前の日本人形も、説明文が台座に隠れていて、よくわかりません。単に置くだけでなく、それが何であるかを来場者と共有すべきだと思います。無責任さを感じました。
 ここには、のんびりと一日中いることもできます。四周年を迎えたとのことなので、今後さらに名前が知られると利用者が増えることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 20:10| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年08月29日

読書雑記(207)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ』

 『京都寺町三条のホームズ』(望月麻衣、双葉文庫、2015.4)を読みました。「第四回 京都本大賞」(2016年度)を受賞したことと、「キャラクターミステリー」と帯にあります。

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 京都三条の骨董屋さんというと、山本兼一の〈とびきり屋見立て帖〉のシリーズを思い出します。幕末の道具屋夫婦のはんなり系時代小説です。残念ながら4作で急逝されたのが惜しまれます。

「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)第1弾

「読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』」(2012年12月19日)第2弾

「読書雑記(63)山本兼一『赤絵そうめん』でお茶のイメージトレーニング」(2013年04月17日)第3弾

「読書雑記(100)山本兼一『利休の茶杓 とびきり屋見立て帖』」(2014年06月03日)第4弾

 これは、坂本龍馬や近藤勇などが出てきたので、明治になる直前の京都三条が舞台でした。本作『京都寺町三条のホームズ』は、現代を舞台とします。京大の大学院生が、骨董にまつわる謎を的確な判断で解き明かします。
 下鴨神社の近くに「葵書店」というお店があるとありました。実は、「葵書房」なら我が家の近くにあります。方角は反対ながら、右京区には「あおい書店」があります。固有名詞を少しずらして使っていることがわかります。
 気になったことがあります。テンポよく進む話に、背景がないのです。演劇の舞台で使われる、簡単な作り物のようだったり、それらしい背景画なのです。物語はおもしろいと思います。しかし、なんとなく深みにかけるのは、そんなことが原因なのかもしれません。この手のライトノベルとされているものは、軽く読み流すべきかもしれません。しかし、それではもったいないと思います。
 ここに集められたら作品の中では、『鞍馬山荘遺品事件簿』が一番おもしろいと思いました。また、『祭りのあとに』が一番印象に残りました。この作者は、今後とも追いかけて読んでみたいと思います。
 本作には、随所に京都の歴史、地理、文化が語られています。まだ京都をよく理解していない高校生である葵のための、勉強も兼ねた説明なのです。しかし、それが読者には京都へ行きたくなるような、誘い水になっています。観光気分に浸れる、爽やかなご当地小説の出現です。【4】
 
 
 
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2017年08月28日

「いちぢく」と「いちじく」という表記を見かけて

《第一話》
 学生時代に、近松門左衛門の『女殺油地獄』をテキストとする授業を受講していました。そのレポートで私は、「ジ・ヂ・ズ・ヅ」という四つ仮名のことを調べて書いたことがあります。おもしろい結論を出したように思います。しかし、引っ越しを繰り返したこともあり、その内容は跡形もなく消え去っています。

 近所のスーパーマーケットで、次の写真のような広告を見かけました。

170821_itijiku.jpg

 上の表示に「いちぢく」が1例、下の表示に「いちじく」が2例あります。
 上の「いちぢく」の方の「ぢ」は、「ちぢむ(縮む)」のように同音の連呼によるものとは思えません。明らかな勘違いだと思われます。おそらく、上の「いちぢく」はお店の方の手作りで、下の「いちじく」は納入業者が持ち込んだ宣伝掲示用のシートなのでしょう。このお店の方は、何歳くらいの方だったのでしょうか。同じ青果部門の方が掲示されたはずなので、おもしろいと思い記録に残しておくことにしました。
 便秘解消用である浣腸の薬で有名な「イチジク製薬株式会社」の会社の沿革を見ていたら、昭和10年に「イチジクぢの薬」というものも併売していたことが記されています。この「じ」か「ぢ」かという問題は、いかに奥が深いかを知らされました。どうでもいいことですが……
 四つ仮名の問題は、取り上げるときりがありません。今はもう一つだけ。
 「世界中」は「せかいじゅう」でも「せかいぢゅう」でもいいとされているようです。
 ことばに関してうるさい方がおられます。私は、正しいか間違いかという二者択一の判断ではなくて、どうして違うものが併存し、混在しているのかという現象に興味をもっています。その前提には、ことばは時の流れと共に変移し変容していく、という思いがあるからです。

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《第2話》
 上と同じスーパーマーケットで、同じ日に見かけたものです。

170821_toufu.jpg

 この藤野のとうふは人気があるので、ご存知の方も多いことでしょう。
 そのパッケージの左端に「おいし をす」と書いてあります。この「をす」に注意が向きました。「をす」なのか「おす」なのか。
 言葉を専門的に研究しているのではないので、この問題についての最新の成果を知りません。勢い、インターネットで検索することになります。便利な時代に生まれたことに感謝しています。
 すると、次のような説明に出会いました。


[い形容詞]いです ⇒ [い形容詞]おす
おいしいです ⇒ おいしおす / おいしゅうおす
さむいです ⇒ さむおす / さむうおす
いいです ⇒ よろしおす / よろしゅうおす
嬉しいです ⇒ 嬉しおす / 嬉しゅうおす
http://hougen.u-biq.org/kyoto.html

 
おす
「ある」の丁寧語で、大阪の「おま(す)」に相当。形容詞の後ろにもつく。(例)「誰もおへん」(誰もいません)、「おいしおすなぁ」(美味しいですねぇ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/京言葉)

 
 今、これ以上、私は情報を持ち合わせていません。
 一般的には「おす」なのでしょう。しかし、製品には「をす」と印刷されています。
 説明して下さる方がいらっしゃいましたら、わかりやすく、よろしくお願いします。
 
 
 
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2017年08月27日

お茶のお稽古帰りに若者が熱中するゲームに刺激されて

 昨夜は秋の虫たちが鳴き競っていて、楽しそうな賑やかさでした。今朝方は、肌寒いほどの風が我が家を吹き抜けていたので、慌てて窓を閉めました。もうすっかり秋の気配です。

 お茶のお稽古で大和路に向かいました。日差しは強いものの風がカラッとしていたので、平群の山道を登るのも苦ではありません。秋の訪れを実感しました。

 この夏も終わりなので、最後に今年何とか覚えた「洗い茶巾」のおさらいをしました。先日の地蔵盆の時に家で点てたので、ほぼ覚えたと思っていました。しかし、今朝自宅でやってみると、丸卓の上に柄杓と蓋置をかざった後がわからなくなりました。拝見がないことを想定しての場合で、建水と棗と茶碗の持ち帰り方です。よくあることなので、アレッと思って迷い出したら、下手に我流でやり通すことはやめるようにしています。

 今日のお稽古では、このことは確認できました。ただし、拝見のある場合でやることになり、それはそれでまた混乱のもとです。
 せっかく覚えたお点前なので、来年の夏にも「洗い茶巾」はやるはずです。さて、今回のお手前がうまく思い出せて再現できるのかどうか。我が事ながら楽しみです。

 今日は、他の方がなさる逆勝手のお手前を拝見しました。お点前をする場所が変わることはもちろんのこと、道具の置き場所や歩く足の左右に道具の取り方等々、複雑に逆なので、まさに頭の体操です。
 まだ初心者の私は、この逆勝手はずっと先の話です。しかし、いろいろなお手前があることを知り、ますますおもしろくなっていきます。

 帰りの電車の中でのことです。隣に座っていた青年が、突然何か急病になったのかと思いました。身体を大きく揺すぶり、両手足が痙攣したのかと思うほどに大きく震え、私の身体にドンドンぶつかってくるのです。手元をみると、ゲーム機に没頭していたのです。そのボタンを叩く姿は、正気の沙汰とは思えません。しかし、声をかけるのもためらわれたので、しばらくはジッと我慢していました。
 並んでいた座席が大揺れに揺れるので、よほど席を立とうかと思いました。しかし、焦点が定まらない目つきが尋常ではなかったので、刺激しないようにと思い読んでいた本を閉じ、あれこれ考える時間に充てることにしました。
 私の左からの不規則な刺激は、なかなか心地よいものに思えるようになりました。先日、スポーツクラブでプールから上がった後で使ってみた、マッサージ機の振動を思い出しました。

 今からかれこれ30数年前に、コンピューターのマシン語やベーシック言語やC言語を駆使して、ゲームを作ったことがあります。プログラムを作る楽しみを味わっていた時期です。巷には、インベーダーというゲームが大流行していた頃です。
 しかし、もともとゲームが好きではない私は、すぐに人が喜ぶことを考えながら作るゲームから手を引きました。データベースを構築する方に興味が移ったのです。
 今日の若者も、誰かが作ったプログラムの中で遊んでいたのです。ただ、組み合わされた命令書によって出来たゲームだと思われます。あれだけ熱中するのですから、よほど凝った人の興味を惹き付けるプログラムなのでしょう。

 そう思うと、お茶の世界も、一つのプログラムの世界ではないのか、と思うようになりました。
 まだ、この茶道の世界の仕組みがよくわかっていないので、見当違いの連想だったらすみません。この茶道というシステムは、どのようにプログラム化されているのでしょうか。あらためて考えてみるとおもしろいかな、と思うようになりました。少なくとも、ステップアップするシステムは構築されているようです。明らかにゲームのプログラムとは異なることはわかります。千利休以来、長い年月の中で練られたプログラムの中に、今私も身を置いています。茶道と観光との接点を模索している時期だけに、これは今後の茶道のあり方を含めた、興味深い問題となりそうです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:18| Comment(0) | 身辺雑記

2017年08月26日

[町家 de 源氏物語の写本を読む](第1回)の報告

 昨夜から京都は少し涼しくなりました。
 「be 京都」の入口には、今日のお稽古の掲示がありました。
 まだ数人の小さな集まりながら、こうして活動が表示されると元気がでます。

170826_machiyaG.jpg

 今日は、秋に予定している「源氏物語散策(第2回)」のことから話し合いました。
 詳細は来月までに決めるとして、今の時点で決まったことを報告します。ご予定を空けて置いていただけると幸いです。なお、この計画は、東京からお越しの方々を想定してのプランです。20名以内での散策を考えています。お早めに参加のご希望をお知らせいただけると助かります。

実施月日︰2017年11月12日(日)
集合場所︰大徳寺三門(金毛閣)前に12時30分
事前昼食︰11時〜12時/泉仙 大慈院店
    (京都市北区紫野大徳寺町4 大慈院内)
    (あやめ 3,240円 を予定)
散策時間︰12時30分〜15時30分
散策予定地︰大徳寺→雲林院→紫式部墓所→七野神社→千本焔魔堂


 さて、今日は、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』の第一丁表の本文異同から確認しました。
 あらかじめ配布した資料は次のものです。赤字の部分が、本文に異同があるところです。

第一二巻「須磨」 四本校合(一丁表)

ハーバード本・・・・通番号
 尾州本[ 尾 ]
 大島本[ 大 ]
 麦生本[ 麦 ]

よの中[ハ]・・・・120001
 よのなか[尾]
 世中[大麦]
いと[ハ=全]・・・・120002
わつらしくはしたなき[ハ]・・・・120003
 わつらはしくはしたなき[尾大麦]
ことのみ[ハ=大]・・・・120004
 事のみ[尾麦]
まされはせめて[ハ=全]・・・・120005
しらすかほにて[ハ=尾麦]・・・・120007
 しらすかほに[大]
ありへむも[ハ]・・・・120008
 ありへても[尾大]
 有へても[麦]
これより[ハ=全]・・・・120009
はしたなき[ハ]・・・・120010
 ます[尾]
 まさる[大麦]

こともやと[ハ=大]・・・・120011
 事もやと[尾]
 はちもやと[麦]
おほしなりて[ハ]・・・・120014
 おほしはてぬ[尾]
 おほしなりぬ[大]
 おもほし成ぬ[麦]
かのすまはむかしこそ人の[ハ=全]・・・・120015
すみかとも[ハ]・・・・120019
 すみかなとも[尾麦]
 すみかなとん/ん=も〈朱〉[大]
ありけれと[ハ]・・・・120020
 ありけれ[尾大]
 有けれ[麦]
いまは[ハ=大]・・・・120021
 いま/ま+は[尾]
 今は[麦]
いと[ハ=全]・・・・120022
さとはなれ[ハ=尾大]・・・・120023
 里はなれ[麦]
心すこくて[ハ=大]・・・・120024
 こゝろすこくて[尾]
 心ほそく[麦]
あまの[ハ=全]・・・・120025
いゑたに[ハ=大]・・・・120026
 いへたに[尾]
 家たに[麦]
まれになむなりにたると[ハ]・・・・120027
 かすかになむなりにたると[尾]
 まれになと[大麦]

きゝ[ハ=全]・・・・120028
給へは[ハ]・・・・120029
 たまへと[尾]
 給へと[大麦]
人しけく[ハ=全]・・・・120030
をしなへたらむ[ハ]・・・・120032
 ひたゝけたらむ[尾大]
 ひたゝけたらん[麦]

すまゐは[ハ=尾大]・・・・120033
 すまひは[麦]
ナシ[ハ]・・・・120034
 いと[尾大麦]


 自由に討論する形式なので、思い思いに感じたことを話しました。

 そうこうするうちに、書写されている文字が行をはみ出して、前後の行とぶつかるような箇所が話題となりました。

170826_hamidasi.jpg

 こうした例は、他にもあります。糸罫という書写のための道具を使っていなかったか、糸を張らない道具もあったのではないか等々、いろいろと意見が出ました。これは、ご教示を待つしかありません。
 このことは、行端や行末で、枠をはみ出した文字についても言えます。まだわからないことだらけです。

 予定していた2時間はあっと言う間に過ぎていきます。
 次回は、一昨日の連絡では「9月23日(土)午後2時から」としていました。
 しかし、うまく都合がつかないこともあり、次のように予定を変更します。
 次回の第2回は1週間早めて、9月17日(日)午後2時からとなります。参加を予定なさっていたみなさま、スケジュールの変更をよろしくお願いします。
 
 
 
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2017年08月25日

読書雑記(206)角田光代『八日目の蟬』

 『八日目の蟬』(角田光代、中公文庫、2011年1月)を読みました。

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 来月、9月中旬に角田訳の『源氏物語』が刊行されるので、もう少し作者のことを知りたくて手にした本です。この作者については、『源氏物語』を訳すことが公表された時に、「読書雑記(147)角田光代『マザコン』」(2015年11月25日)を読みました。どうも、私にはよくわからない作家でした。
 今回、『源氏物語』を現代語訳した作家ということを意識して、この作品を読みました。物語を紡ぐのが巧みな方のようなので、『源氏物語』を現代語訳するとおもしろいものができるかも知れません。ただし、古典や古文に関するセンスは、できたものを見るしかありませんが。この作者を起用したのは、相当の冒険だと思われます。さて、どういう『源氏物語』の訳が公開されることになりますか。楽しみです。

 それはさておき、『八日目の蟬』は冒頭から緊張感が漂っています。
 赤ん坊を盗んだ女の、その心の中を丹念に描いていきます。生まれたばかりの赤ちゃんが日々成長していく生々しい話が、スピード感をもって語られます。小気味いい切り返しが、作者の得意技のようです。
 後半の第2部から、その娘の話が始まります。話の展開が巧みで、構成に工夫があります。第1部の話を、理詰めで解説するのです。裁判での証言なども盛り込んで。
 この小説『八日目の蟬』は、男性が読むのと女性が読むのとでは、その理解と共感に大きな違いがあるだろうと思いました。男にはわからない性差に伴うことが、話を大きく回転させているからです。
 とにかく、母親を体験した男はいないのです。娘を体験した男もいないのです。それらしい男はいても。このことが、この作品を理解する上で、大きな壁になっていると思いました。
 八日目の蟬の話があります。


「前に、死ねなかった蟬の話をしたの、あんた覚えてる? 七日で死ぬよりも、八日目に生き残った蟬のほうがかなしいって、あんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」千草は静かに言葉をつなぐ。「それは違うかもね。八日目の蟬は、ほかの蟬には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」
 秋に千草と見上げた公園の木を思いだした。闇にすっと立っていた木に、息をひそめる蟬をさがしたことを思いだした。あの女、野々宮希和子も、今この瞬間どこかで、八日目の先を生きているんだと唐突に思う。私や、父や母が、懸命にそうしているように。(343頁)


 ここは、もう少し複雑な言い回しにしてほしかったところです。もっと深い意味を感じとらせるように。
 男とはまったく違う女のセンサーで感じ、語られる物の見方や考え方に、わからないなりにもその違いだけは少し伝わって来ました。
 語られている出産と育児を通して、男と女の違いを知ることになりました。【5】
 
 
初出誌︰『読売新聞』(夕刊)2005年11月21日から2006年7月24日まで連載
単行本︰『八日目の蟬』中央公論新社、2007年3月刊
 
 
 
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2017年08月24日

今週26日(土)に be 京都で「須磨」を読みます

 本日の京都新聞「まちかど」欄に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催する勉強会「町家 de 源氏物語の写本を読む」(第1回)の開催案内が掲載されました。

170824_sinbun.jpg

 この勉強会に関する詳細は、次の記事をご覧下さい。

「[町家 de 源氏物語の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)

 前回、第0回の内容は、次の通りです。
 今回が、実質的な第1回です。

「[町家 de 源氏物語の写本を読む](第0回)の報告」(2017年07月29日)

 空いた時間に『源氏物語』の写本を少し読んでみよう、とか、旅の途中に気分転換に等々、いろいろな方の参加をお待ちしています。初めての方は、初回限りの体験参加として 1,000円、それ以降に途中でスポット参加の場合は1回 2,000円という参加費・資料代をいただいています。

 この[町家 de 源氏物語の写本を読む]集まりは、勉強会であることはもとより、いろいろな意見交換の場でもあります。資料の準備がありますので、前日となる明日までに、本ブログのコメント欄か〔npo.gem.info@icloud.com〕に連絡をいただけると幸いです。

 なお、第2回は来月下旬の第4土曜日である9月23日(土)午後2時からを予定しています。
 また、今秋11月12日(日)には、第2回[源氏物語散策]を企画しています。
 [源氏物語散策]の第1回については、「京洛逍遥(378)京都で源氏を読む会の源氏散策(第1回目)」(2015年10月10日)を参照してください。
 この第2回目の詳細は後日、本ブログと「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」で公開し、参加者を募集します。いましばらくお待ちください。
 
 
 
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2017年08月23日

読書雑記(205)高田郁『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』

 『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』(高田郁、時代小説文庫、角川春樹事務所 、2017年8月)を読みました。

170823_akinai4.jpg

 江戸時代中期の、大坂天満の呉服商「五鈴屋」を舞台とする話です。
 本作品も、前作を受けての話が展開します。しかし、いつもと違うのです。女主人公である幸が目立ちすぎます。いい子すぎます。机上で作文したものであることが、これまで以上に、そこここで伝わってきました。あまりにも、作者のご都合主義が露呈しすぎです。読んでいて、いつもの高田郁らしい調子がなかなか伝わってこないのです。半ば拍子抜けして、どうしたのだろうと思い、我慢しながら先を急ぎました。
 そうこうするうちに中盤で、披露宴に引き続いて舞台回しとなっていたお家さんが死にゆく場面で、賑わいと厳かな終焉が巧みに描き分けられていきます。秀逸な語り口です。作者の筆の力が、この半ばにしてようやく蘇ったようです。
 また、近松門左衛門の作品がうまく物語に取り込まれています。徹頭徹尾下調べをした証です。
 さらには、紅花のお茶がでてきたことに驚きました。今、私はお茶に興味を持っているからです。それは、間引いた紅花を乾燥させたものでした。

お染は、ああ、せや、と呟いて、土瓶に入れようとしていた茶葉を少し小皿に零す。
「ご寮さん、これ、何やと思わはります?」
 からからに乾いた葉は、よくよく見ると茶葉とは異なり、細い軸らしいものが付いている。何だろう、と首を捻る幸に、
「間引いた紅花を、乾燥させたものだすのや」
「紅花? あの紅花ですか?」
幸は目を見張り、小皿の葉を窪めた掌に受けて、じつと見入った。
 紅花は文字通り紅花染めに用いられる植物で、雪深い出羽国が主な産地であった。俗に「紅一匁、金一匁」と評されるほどに値打ちの高いものだ。およそ呉服の商いに携わる者なら、それが如何に貴重で高価なものか、骨身に沁みていた。
「紅花は花を摘んで磨り潰したあと、乾燥させて餅のように固めたものが染屋に渡る、と聞いたことがあります。間引いた紅花がこんな形で手に入るだなんて……」(161〜162頁)
 
 干した紅花を土瓶に入れて、熱い湯を注げば、焦げ臭いような妙に懐かしい匂いが漂う。(163頁)
 
 湯呑みを手にした。逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと貴重なお茶を飲み干す。思いがけず飲み易く、口の中がさっぱりとする。(164頁)

 
 後半は、次第に作者も弾みがついたのか、行商という新しい商法を幸が思いつき、斬新な商売に手を付けることになります。文章も活気が出てきました。
 季節感がしっかりと背景に置かれ、風俗が前景に描かれます。登場人物が生き生きと動くのです。作者の本領発揮です。
 十五夜の月影が桑の実色の生地を照らす場面は、作者が得意とするところです。

 お竹は薄を手放して、幸の傍ににじり寄った。広縁から幸の居るところまで、煌々と月影が射し込み、膝に広げた縫い物を照らしている。日中の陽射しの中で見るのとは色味が異なり、妖艶な美しさだった。また、縮緬だと、「しぼ」と呼ばれる凹凸が生地に表情を付けて、一色ながら何とも良い味わいが出る。
「綺麗な色だすなあ」(240頁)
 

「ええ月だすなぁ」
 ぎりぎり、隣家の屋根に留まる月を愛でて、お竹はしんみりと眩いた。
「紅屋の嬢さんが四代目に嫁いで来はったんも、それに四代目の四十九日も、確か、十五夜だしたなぁ」
 因縁の日を覚えていた女衆に、幸は敢えて何も応えずに、ただ一緒に月を観る。
 そう、場所も同じこの広縁で、四代目の忌明けの夜、五代目徳兵衛を継ぐ条件として、惣次が持ち出したのが「幸を娶ること」だった。五代目と添うたあと、今はその弟、智蔵と夫婦となり、六代目徳兵衛の女房として勝負の衣装を縫いながら、お竹と十五夜の月を愛でている。
「来年の十五夜も、こないして笑うて眺めたいもんだすなぁ」
 このところ仏像と化すのも忘れているお竹が、つくづくと言った。
 因縁の十五夜に、幸は心密かに月に誓う。どんな時も知恵を絞り、笑って勝ちに行く。笑って、勝ちに行くのだ、と。(242〜243頁)


 豊かな表現が生き返りました。
 そして、後は一気呵成に話が緊迫し、頁を繰るのがもどかしくなるほどに急展開します。この続きを一日も早く読みたい、との思いで本を閉じることになりました。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 19:54| Comment(0) | 読書雑記