2017年01月14日

【追記】高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会

 百星の会の新年会が、高田馬場の社会福祉協議会の中にある視覚障害者交流コーナーで行なわれました


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 40人ほどが集まり、今回も大盛会でした。参加者は回を重ねる毎に増えています。

 今回も全日本かるた協会の松川英夫会長がお越しになっていました。
 嵐山と京都ライトハウスでご一緒した、畑中ご夫妻も新しいカルタ台と新ルールを持って大阪から参加です。
 福島からの渡邊先生は、今回は息子さんが付き添いです。
 「科学でジャンプ」でお世話になった廣田先生からも、元気な声が飛んでいました。
 さらには、ラジオ日本の「小鳩の愛」のスタッフの方が取材に入っておられました。今日の様子やインタビューが、2月に放送されるそうです。

 この「百星の会」のイベントは、来るたびにレベルがアップしていきます。

 今回は、光孝天皇のカルタ「きみがためはるののにいでてわかなつむ〜」にちなんだ寸劇が、「百星の会」の有志によって披露されました。ミャージカル仕立ての、凝ったものです。
 この歌の解説を、福島県立盲学校で国語を教えておられる渡邊先生が、わかりやすく説明してくださいました。歌の背景にある平安時代の若菜摘みの行事や、『源氏物語』の「若菜」巻にも触れるという、熱のこもったものでした。渡邊先生の本領発揮です。興味深い話に、みんなが引き込まれます。

 その後、新年会らしく七草をみんなで触ろう、ということになりました。


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 多くの方が、香りが懐かしいとおっしゃっていました。
 年配の方は、七草の歌なども自然と口ずさんでおられます。
 この七草を、駆けずり回って用意なさった事務局長の関場さんやサポートの方々も、毎度のことながら大変だったことでしょう。

 そして意表を突く、青汁での乾杯です。七草を一緒に食べた気分に浸ります。

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 大阪のカルタ会では「まゆみさんの和歌講座」をしているとのことです。そこで、専門書に書かれている解説を、畑中さんが読みあげてくださいました。詳細な光孝天皇の歌の解釈に、うなずいたり感心したりと、これも中身の濃い時間をみんなで共有することとなりました。

 この「百星の会」では、行くたびに新しい点字かるたの台が開発されています。
 今回も、まだ東京と大阪に1セットずつしかないという、畑中さんの開発による、5列5行に札を並べる新台で、上級者の試合が行なわれました。1人が25枚なので、50枚を取る競技です。こうなると、目が見えるとか見えないということは、まったく問題ではなくなります。
 新しく考えられたルールでは、15分で札を並べ、覚えるのに5分というのが原則なのだそうです。ただし、まだ出来たばかりなので、今後ともさらなる改良がなされるようです。

 今回の新しい競技は、いきなり何の歌かわからないものが読まれます。そのためにも、100首をすべて暗誦することになります。
 今日も、緊張感の中で上級者の試合を観ました。勝負は瞬時に決まります。


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 札は、手前から持ち上げるようにして取ります。左側のケースにある相手の札も取れます。相手から取ると2ポイント。残り1枚を残して、合計ポイントで競います。この台では、相手に札を送ることはありません。
 新たなルールが、いろいろと決められています。

 ちはや台という、横に13枚が2段あるものでも試合が行なわれました。
 烈しい鍔迫り合いや、力技もあります。札が少なくなると、指の隙間が勝敗を分けることも……
 最後まで試合をすると、1試合に1時間以上かかるとのことでした。


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 ここで使われている取り札には、点字が最低7文字は貼ってあります。濁音が多いと点が増えます。そのため、無理やり押し込んでいるそうです。
 札には、表と裏に、上下から読めるように点字が貼られているのです。この点字をたよりに、試合直前まで触読をして、どの歌がどこにあるのかを覚えます。記憶力と反射神経の勝負です。


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 見物は、真ん中で見るよりもどちらかの取り手の側から見た方が、臨場感たっぷりで迫力が伝わってきておもしろいのです。

 初心者や初級者は、それぞれのレベルに合ったカルタと台を使います。
 その方の状況を配慮した道具が用意がしてあり、多くの方々が参加できるようになっています。


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 さらには、実践向けに新たな台というよりも、シートも開発されています。
 次のシートは、取り札を指で摘んで取り合う競技向けではなくて、札を飛ばすことを想定してのものです。点字百人一首は、日々進化をしているのです。


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 途中、外では雪が舞っていました。そんな中でも、かるた会場は熱気に満ちています。
 初めて参加なさった方が多かったので、この会の活動は、今後がますます楽しみです。

 次回は2月25日(土)に、今日と同じ高田馬場で行なわれます。
 興味をお持ちの方は、参加してみませんか。
 こんなすばらしい仲間との世界があることを、ひとりでも多くの方に知ってもらいたくて、今日もこうして長々と報告を記しています。

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※追記 「百星の会」や「点字百人一首」については、以下の記事も併せてご笑覧いただけると幸いです。
 
「「点字付百人一首〜百星の会」に初参加の感想など」(2016年07月17日)

「お香体験の後にカルタが飛ぶ「点字付百人一首 〜百星の会」」(2016年07月16日)

「「点字付き百人一首」とお香のワークショップのご案内」(2016年07月14日)

「「きずなづくり大賞 2015」受賞の関場理華さんと「百星の会」」(2016年02月03日)

「体験型学習会で点字付百人一首のお手伝い」(2015年12月06日)

「書道家にお願いした触読用の『百人一首』」(2015年12月01日)

「五感を使って江戸時代の百人一首カルタにチャレンジ」(2015年11月23日)

「京都ライトハウスでの点字百人一首体験会に参加」(2015年11月07日)

「「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容」(2015年09月01日)

「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)

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posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | 古典文学

2017年01月13日

〈第6回 池田亀鑑賞〉の候補作を募集中です

 〈第6回 池田亀鑑賞〉の募集は、平成29年3月末日が〆切りです

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 応募は、一般から、あるいは、学術機関、各種法人、出版社など推薦人から推薦を受けたものとなっています。自薦・他薦を問いません。

 応募作(平成28年4月1日〜平成29年3月末日刊行奥付および発表分)の中から、〈池田亀鑑賞選考委員会〉により選ばれます。

 応募にあたっては、刊行物および掲載誌を2部、下記の〈池田亀鑑賞事務局〉に送付してください。
 また、【タイトル・氏名・住所・電話番号・メールアドレス・所属】を明記の上、【要旨(800字〜2000字程度)】も添えてください。


平成29年3月末日 必着

〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-44-11
新典社内 池田亀鑑賞事務局
TEL:03-3233-8051  FAX:03-3233-8053


 これまでの受賞作は、以下の通りです。
 弛まぬ努力が結実した成果に対して贈られました。

 平成24年度 第1回受賞作 杉田 昌彦氏『宣長の源氏学』(新典社)
 平成25年度 第2回受賞作 岡嶌 偉久子氏『林逸抄』(おうふう)
 平成26年度 第3回受賞作 須藤 圭氏『狭衣物語』(新典社)
 平成27年度 第4回受賞作 滝川 幸司氏『菅原道真論』(塙書房)
 平成28年度 第5回受賞作 畠山 大二郎氏『平安朝の文学と装束』(新典社)

 この〈池田亀鑑賞〉の趣旨は次の通りです。


「池田亀鑑賞」は、文学の研究基盤を形成する上で、顕著な功績のあった研究に対して贈るものです。
その地道な努力を顕彰し、さらなる成果の進展を期待する意味を込めています。
「池田亀鑑賞」は、伝統ある日本文学の継承・発展と文化の向上に資することを目的として、池田亀鑑生誕の地である日南町と池田亀鑑文学碑を守る会が創設しました。


 選定にあたっては、「前年に発表された『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの1作品を選定します。」となっています。
 つまり、「研究論文や資料整理及び資料紹介」が対象であることが、この池田亀鑑賞の特色です。

 選考は、以下の6人の委員があたります。


伊井春樹(会長)
伊藤鉄也(委員長)
池田研二
妹尾好信
小川陽子
原 豊二


 選考委員の一人として、池田亀鑑賞のホームページに私は次のコメントを寄せています。


文学研究の基礎を支える資料を整理し、成形し、提供する営為には、多大な時間と労力と根気が必要である。
そして、こうした作業や仕事にこそ、弛まぬ努力と継続への理解と応援が必要である。
池田亀鑑賞は、日頃の地道な調査研究活動に光を当て、さらなる励みと新たな目標設定を支援するところに意義があると思っている。
達成したものばかりではなく、進行しつつあるものも含めて、研究環境の整備に貢献した仕事を顕彰したいと思っている。


 コツコツと研究を続けて歩んで来られた成果が、今回も応募作として並ぶことを、大いに期待し、楽しみにしています。
 今年もすばらしい作品の応募があることでしょう。
 積極的な応募を検討してください。

「池田亀鑑賞のホームページ」もご覧ください。
posted by genjiito at 21:41| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年01月12日

渋谷氏による『源氏釈』の研究資料が全面改訂へ

 渋谷栄一氏が作成中の『源氏釈』の研究資料に関して、以下のような全面改訂の方針が示されました。これは、ご自身の「楽生庵日誌(1月11日)」で表明されたものです。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e
 

【1月11日(水)】
「源氏釈」の全面改訂について、
第1は本文資料を漢字仮名字母による翻字法に切り替えたこと、
第2は対校写本を平安・鎌倉・南北朝期頃までの写本の写真影印資料等に拠り、青表紙・河内本・別本の枠組みを外したこと、
第3には後世の仮託偽書は除外したこと。
平安末期の藤原伊行の源氏物語の本文と注釈について考究していくことを目的とした。


 大賛成です。こうあってほしいと願っていたことなので、今後の進捗がますます楽しみになりました。

 この『源氏釈』の改訂版と、私が構築しつつある『源氏物語』の本文に関する「変体仮名翻字版」のデータベースがリンクする日が来ることを思うと、今からワクワクして来ます。
 これが実現すると、『源氏物語』の本文研究史と注釈史の研究が、格段に精緻なものへと変わっていくことでしょう。

 これまでの研究資料は、明治33年に施行された、現行ひらがな書体という制約から出ないままのものがほとんどでした。つまり、簡略化された翻字や翻刻による研究がなされていました。それが、注釈書の原本に書写されているままの文字列で研究ができるようになると、より正確な翻字資料で考えることができるようになるのです。簡略版による翻字資料での研究には、やはり限界があり、学際的な研究には至らなかったのです。

 これで、研究環境が各段に向上します。後は、一点でも多く変体仮名を用いた翻字資料が増えることを待てばいいのです。
 『源氏物語』の本文の翻字は、着実に進展しています。
 これに加えて、『源氏物語』の注釈書の翻字も、「変体仮名翻字版」で展開することを考えたいと思います。

 昨日の、本文分別に関する渋谷氏の記事に引き続き、これも新年早々うれしい知らせとなりました。
 少しずつではあるものの、『源氏物語』の研究環境は着実に進化しています。
 若い方々がこうした資料を活用し、新しい視点での研究成果を公表される日が来ることが期待されます。
 この問題に興味をお持ちになった方からの、質問や連絡をお待ちしています。
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月11日

源氏物語本文の2分別私案に関する初めての賛同者

 渋谷栄一氏の「楽生庵日誌(1月9日)」で、以下の報告がありました。
 私が提唱する2分別私案(〈甲類・乙類〉)について、初めて支持を表明する方が正式に確認できたのです。


「午前中、源氏物語の本文分類について、伊藤鉄也氏が指摘するとおり、河内本群(甲類)と別本・青表紙本群(乙類)に2分類されることを、さる12月24日の豊島秀範科研研究集会における発表者(豊島秀範・太田美知子氏)の「紅葉賀」と「蓬生」の各諸本本文対照資料で確認する。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e4876085858e

 『源氏物語』の本文は、池田亀鑑が提唱した〈青表紙本・河内本・別本〉という3分類ではないことは、これまでに私は自編著や本ブログなど各所で言及してきました。このことが、今回初めて研究者によって確認されたのです。『源氏物語』の本文研究史において、重要な確認事項だと言えるでしょう。

 昭和13年までに池田亀鑑氏が確認した本文資料をもとにしての〈青表紙本・河内本・別本〉という物語本文の3分類は、あくまでも昭和13年までの資料に限定しての仮説でした(本記事末尾の引用文を参照)。それ以降、多くの『源氏物語』の写本が紹介され、確認されているのですから、『源氏物語』の本文の分別については昭和13年以降の資料も交えて考えるべき問題です。しかし、以来80年もの長きにわたり、この池田亀鑑の3分類を重宝で便利なモノサシとして、解説などに言及されてきました。
 私の手元には、昭和13年以降の本文を翻字した資料やデータが数多くあります。それらを通覧しても、〈青表紙本・河内本・別本〉の3分別ではなくて、〈甲類〉〈乙類〉の2分別にしかなりません。

 『源氏物語』の本文は2つにしか分別できないということに関して、さらに多くの方からの私見に対する確認の報告を楽しみにしています。また、反論も大いにお寄せください。これも楽しみにしています。

 少なくとも『源氏物語』の本文のことを、活字による校訂本文をもとにして発言するのは控えてほしいと思います。さらには、不正確な『源氏物語大成』による本文考察は、問題の性質がまったく異なる方向に展開することになるのですから。
 そして、若手研究者は自身が読む『源氏物語』の本文がどのような経緯で提示されたものであるのかを、充分に確認した上で本文を読み解く心構えが求められる時代になっていくことを知っていただきたいと思います。

 以下、取り急ぎ参考までに、そして確認の意味で、『源氏物語』の本文が2つに分別できることを書いた最近の文章を引用しておきます。
 これは、昨年12月24日(土)に豊島秀範先生が主宰される「第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会」で発表した資料からの抜粋です。


■本文の二分別と傍記混入■



 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを提供できるようになった。スローガンとして来た「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(第1.0版 平成二八年一二月二一日)が、まさにできたばかりの具体的な成果である。
 池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っている。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和一三年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理する場合にのみ適用できることだといえる。昭和一三年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されている。昭和一三年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいい。しかも、池田亀鑑の諸本整理と『校異源氏物語』の作成の背景には、さまざまな恣意がしだいに明らかになってきている。今年は平成二八年なので、八〇年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではない。〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などでいまだに便利に使われている。しかし、これは見当違いなモノサシであり、その視点で『源氏物語』の本文を見ることには大いに問題があると思っている。
 私は、『源氏物語』の本文は諸本間で八割が一致し、異文というべき本文異同は二割の範囲で生じていることを検証してきた。また、物語本文はその内容から〈河内本群〉を中心とした〈甲類〉と、〈いわゆる青表紙本〉を中心とした〈乙類〉の二分別することができる、という私案を提唱してきた(拙著『源氏物語本文の研究』平成一四年、おうふう)。
 『源氏物語』の本文を二分別する試案としての〈甲類・乙類〉を提示したのは、口頭発表では「ハーバード大学所蔵『源氏物語』の本文」(INTERNATIONAL SYMPOSIUM THE ARTIFACT OF LITERATURE(ハーバード大学)、平成二〇年一一月二一日)であり、活字論文では「「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 −「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同−」(横井孝・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社、平成二〇年一一月)が最初であった。それまでは、〈河内本群〉と〈別本群〉という名称をつけていた。
posted by genjiito at 12:08| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月10日

元日の落とし物が無事に見つかりました

 新年早々、ついうっかり落とし物をしました。
 あまり使わないカード類を入れていた小銭入れが無くなったのです。
 お金はまったく入っていなかったことと、すべてがお店のポイントカードや各種会員証だったので、被害は最小だったといえるでしょう。

 いや、1枚だけ…まさかの時のためのクレジットカードがありました。もっともこれは、すぐにネットで最近は使われていないことを確認してから、利用停止の手続きをしました。
 おっと、もう1枚。運転免許証もありました。

 ということで、家の中などに置き忘れていないことを確認した数日後、近所の交番に紛失届を出しました。

 どこで落としたのか、どこに置き忘れたのか、どこで盗られたのか、などなど、お正月とはいえ、ふとした瞬間に疑心暗鬼が頭をよぎります。

 ヨドバシカメラでお買い物をした時、ポケットからポイントカードを取り出そうとして、あっそうだ、と現実に引き戻されました。あのカードは、日本でポイントカードができた初期のものです。カード番号を見て、店員さんからよく珍しがられたものです。再発行してもらう時に、これまでの番号で作ってほしいと頼みました。しかし、それは出来ないとのことでした。レアなカードがなくなり、非常に残念です。

 自分の日々の行動を確認する時に、毎日書いているブログは重宝します。

 大晦日は、四条の錦市場。
 元日は、下鴨神社へ初詣。
 2日は、大阪で娘と宴会。
 3日は、再度の下鴨神社。

 うーん、とうなるばかりで、財布につながることは何も思い当たりません。大事な財布と違い、貴重なカードが入ったものでもないので、あまり気にしていなかったようです。

 クレジット会社から突然電話があり、警察からの連絡を教えてくださいました。
 1月6日から何度か、私の携帯に着信記録が残っていました。電話を使う生活から遠ざかっているので、着信記録すら見ることがないのです。今回は、たまたま電話があったことに気づき、念のためにネットでどこからの電話かを調べると、クレジットカード会社からであることがわかりました。カードの再発行のことだろうと思って、折り返し電話をしました。すると、何と、無くなったと思い込んでいた財布が、大阪の警察に保管されている、という連絡だったのです。

 クレジット会社の方は、丁寧な対応でした。
 元日の午後3時頃、出町柳駅を発車した京阪電車に落ちていたそうです。
 たしかに、妻とともに下鴨神社へ元日の初詣に行った後、そのまま京阪の出町柳駅へ出て、2つ目の三条駅まで京阪電車に乗りました。その時に落としたようです。
 財布が無くなっていることも知らず、木屋町、先斗町、河原町、京極、寺町の賑わいの中を散策していたのです。

 大急ぎで、クレジット会社から教えてもらった大阪の警察へ電話をし、受付番号を言って、財布の中身を確認しました。私が思い出すカードのすべてが、500キロ離れた受話器の向こうの婦警さんの手元にあるのです。不思議な感覚と安堵感が綯い交ぜになって襲って来ました。返す返すも、感謝感激です。

 今は東京にいるので、指定される日時までにそちらへ受け取りに行けないことを伝えました。するとあろうことか、着払いで郵送することも可能だとのことでした。これは助かります。
 送り先の確認に少し時間がかかるとしても、居ながらにして、東京の宿舎へ自分が京都で落とした財布が大阪から届くのです。今話題のドローンではなくて、明治以来の郵便制度を使って送られてくるというのがいいと思います。

 暗いニュースがあるにしても、この国の良さを再確認しています。あの元旦の日に、込み合う電車で落とした財布を、警察に届けてくださった方がいらっしゃったのです。
 また、その財布を取りに来られないなら送ってあげよう、と警察の方はおっしゃるのです。

 信じられないほどの信頼関係で築かれた、この平和な社会の一端が垣間見えます。
 これも、我々の先輩たちが引き継ぎながら築き上げた、よき文化だと言えるでしょう。善意を前提にして成り立つ社会に、こうして生活できていることの幸せを実感しています。これは、いつの世にも伝えたいことです。また、私自身も、そうした相手を思いやる姿勢を大切にして、困っている方のために自然に何かができる日々を、常に送りたいとの思いを強くしています。

 元日早速の失態が、ありがたいことに、明るく人を信頼して前向きになれる元気に置き換わりました。
 今年は元旦から、災い転じて福の1年が始まったのです。
 今回のことで関係してくださったみなさまに、ありがとうございます、という気持ちをこの場を通してお伝えします。カードが戻ってくる以上に、みなさまがたの気持ちが嬉しいのです。

 たかが財布一つのことで大げさかも知れません。しかし、このような文化を共に持ち伝えているこの国の多くのみなさまに、感謝しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 身辺雑記

2017年01月09日

読書雑記(189)白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』

 白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』(2015年12月、集英社オレンジ文庫)を読みました。


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 帯に「京都を舞台におくる アンティーク・ミステリー」とあるので、つい手に取ってしまいました。
 この作者の作品を読むのは初めてです。作意をまったく感じさせない文章でした。テンポよく、女子高生が着物をめぐる不可解なことを、素人らしく解き明かしていきます。慧という男の存在が、さまざまな味付けをしています。

■「金魚が空を飛ぶ頃に」
 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』のメアリーのことば「だれにだって、じぶんだけのおとぎの国があるんですよ!」が、主人公である鹿乃の心の中にあります。
 親友の祖父である満寿が、かつて少し暮らした女性が残して去っていった「羽衣」という不思議な金魚を描いた着物が話題となります。
 最後近くにこんな表現があります。
「皿に残ったすみれの砂糖漬けをつまんで、口にほうりこむ。しゃり、と砂糖が歯にあたり、花の香りが鼻に抜けた。」(87頁)
 メルヘンのように展開する、楽しい物語の始まりです。【5】
 
■「祖母の恋文」
 鹿乃の祖母である芙二子が懇意にしていた骨董店北窓堂の店主が、祖母の恋文を持ち込んで来ました。
 話は、杜若柄の男物の着物にまつわる話へと展開します。
 さらには、うなり声が聞こえるという帯。北野の天神市の骨董屋から買ったというのですから、京都の実態が踏まえられています。
 登場人物が多彩で個性的です。そして、女性の京ことばが自然できれいです。
 祇園の芸妓豊葉を浮気相手として問い詰める場面で、次の描写に印を付けました。
「うふふ、と豊葉はえくぼを浮かべて笑った。どこか得意そうな笑みに芙二子は顔がひきつりそうになった。そうですか、と笑みを返して、芙二子は置屋をあとにした。」(108頁)
 ここでの「ほほえみ返し」は、微妙な腹の内を見せていると思います。
 着物を着て、色や柄で遊びたくなります。しかし、男物では興醒めです。文化的にも、風俗的にも、これは女性の楽しみのようです。京の街中では、レンタル着物が花盛りです。しかし、やはりと言うべきか、男着物はほんの少数です。ここに私は、見せ物と化した日本文化の一面を垣間見ています。
 さて、本作で帯の柄から万葉仮名の謎解きに転ずるところは、やや強引かもしれません。もっとひねったらと、さらなる遊びの世界を楽しみにしてしまいました。【4】
 
■「山滴る」
 春秋柄の羽織の話です。そこに万葉仮名でかかれていた大和三山歌が話題となります。さらに話は絵に、花に。もう少し、羽織に集中してもよかったのでは。黒谷の金戒光明寺から白川通りが、いい雰囲気を醸し出しています。和洋折衷の味がする仕上がりです。【3】
 
■「真夜中のカンパニュラ」
 寺町二条から蹴上へと、物語の導線が変わります。作者の、多彩な語り口だと思います。
 白い絽に風鈴草の柄の着物を着た薄幸の女性が残像となります。この女性と、血で書かれた和泉式部の和歌の接点を、もっと興味深く描いていったら、と思いました。
 この物語にも、手紙が出てきます。好きな人に文字を通して自分の気持ちを伝える手紙という文化を、今の若い読者と共有できるのかと、新たに興味を持ちました。あらためて、手紙が見直される時代になるかもしれません。
 本作は、薄気味悪さもブレンドされていて、おもしろい仕上がりです。【4】
 
※ 読後感を一口で言うと、お茶に例えれば、抹茶よりも煎茶を飲んだ後の感じでしょうか。
 本書に収録されている物語は、色と形で美しさを連想させる言葉でつづられる4つの作品集です。
 登場する大学の先生が学問的な匂いをほとんどさせないので、それが物語の味を守っています。
 これ以外のシリーズ作も、読んでみたくなりました。
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月08日

大和平群での初釜と茶室披きに行く

 平成29年度の初釜に行ってきました。
 降りる駅を乗り越しはしたものの、平城宮跡に復元された大極殿を車窓から見ることができました。これも、何かの瑞祥かもしれません。


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 今年の初釜は、先生のお宅の茶室披きとも重なり、二重のおめでたい日です。

 待合いでの話で、私が正客となっていることを知りました。もっとも、みなさん気心の知れた方々なので、飾りですからとのことばに気を許し、言われるがままに、指示通りに務めることとなりました。指示待ちの正客で恐縮です。

 路地を通って真新しいお茶室に向かいました。
 平群谷越しに松尾山やその山向こうの斑鳩を望む景色が借景となっています。
 晴れていたら、春になれば、たたみごも平群の里が眼下に望められることでしょう。

 席入りの前に路地の腰掛待合で、正客がすべき仕事の一つをまず覚えました。戸外の椅子に積み重ねてあった円座を、下から1つずつ置き並べ、最後に自分の物を表にして座ることでした。
 もっとも、蹲踞で心身を清めてから立った時に、それまで自分が座っていた円座を壁に立て掛けることをすっかり忘れ、そろりそろりと席入りをしてしまいました。

 あらかじめ足の調子が思わしくないことは、先生にお伝えしていました。折しも、もう一人、3ヶ月前に私と同じ足首を剥離骨折した方がおられたので、お茶室の床の前には机と椅子が2つずつ並べてありました。ご配慮に感謝です。

 席入りからは、思い出せないほどのぎこちない作法や時機を逸した対応で、大変失礼しました。正客は、なかなか気の抜けない役割であることを痛感しました。

 八畳の広いお茶室でした。木の香りが漂う爽やかな一室で、茶事に出される懐石料理をいただきました。お酒も少々。

 正客の発声がないと、みんなが食べられないとのことなので、慌てて「みなさま、いただきましょう。」と、5人の客人に呼びかけました。
 ことほどさように、正客になると折々に声掛けをしたり亭主にお訊ねしたりと、大事な役割があることがわかりました。
 この際、何でも覚えようと、お隣の先達の囁きや先生の指示を頼りに、いろいろなことを学ぶことになりました。

 お茶や道具を取りに出るのには足に負担がかかるので、末客の方がわざわざ席まで運んでくださいました。お手数をおかけしました。もっとも、その方にもいろいろと基本的な約束事があるようで、それらを含めてもう覚え切れません。
 先生から言われている、理屈ではなくて身体で覚えるしかない、ということです。

 先生が年末にベトナムで手に入れられた、銀の箔押し風の菓子皿は、実は漆器なのだそうです。銀器かと思いました。これに水仙の干菓子が載っていたので、何でも茶道具になり、それを活かすセンスが大事であることを知りました。
 私が数年前にベトナムで手に入れた、沈没船から引き揚げたばかりの泥だらけの茶碗の話も、茶道具にはいろいろな物があるということで話の味付けになったようです。

 床に飾られた「あけぼの椿」と「うぐいすかぐら」が、すらりとした花瓶からのびていました。
 上からは「結び柳」が力強く部屋の雰囲気を引き締めています。


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 すべて庭にあった植物だそうです。
 私は、この柳の姿の雄大さが気に入りました。

 亭主の仕掛けは、もっとあったはずです。体験を重ねるたびに、少しずつ見えてくるようになることでしょう。

 私のお稽古通いは、年に数えるほどです。
 今年からは、これまでよりも近くなったことでもあり、月に一度の平群通いを心がけたいと思います。

 駅前を流れ下る竜田川の水は、来る時よりも勢いを増していました。雨の影響のようです。この巨岩と水嵩が一幅の絵になっているようで、思わずシャッターを切りました。
 そして、よい年になる予感がしました。


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posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | 美味礼賛

2017年01月07日

久しぶりの大阪駅で『源氏物語』の翻字の打ち合わせ

 大阪駅に行ったのは、本当に久しぶりです。
 駅ナカのホテルのラウンジで、『源氏物語』の古写本を翻字してくださる方とお話をしてきました。

 かつて私と同僚だった方の今の同僚で、翻字に興味を持ってくださった方がいらっしゃるとのことで、直接お目にかかって説明をしました。顔を合わせてお話をする、ということを大事にしているからです。
 尾州家河内本『源氏物語』をお願いしようと思います。

 明治33年に策定された、現行のひらがな約50種で作成した翻字データは、すでに私の手元に相当数あります。約30万レコードのデータベースとなっています。それを、書写された文字の字母に忠実な、「変体仮名翻字版」と言っている正確な翻字をお願いし続けているのです。

 「安」も「阿」も、これまでは「あ」という一文字のひらがなで翻字をしてきました。しかし、それは不正確であり、写本に書かれている文字の姿から翻字に戻れないものです。次の世代に嘘の翻字データを引き渡すわけにはいかないので、「安」は「あ」に、「阿」は「阿」で翻字をしていただくのです。今からちょうど2年前に決断した、新しい方針です。

 国文研蔵橋本本「若紫」の冒頭部分の例をあげます。


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 これを翻字する場合、これまでは次の写真の左側列のように、「わらはやみに」としていました。明治33年に一文字に限定されたひらがなで済ませていたのです。しかし、これを「変体仮名翻字版」で翻字をすると、右側列のようになります。


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 「変体仮名翻字版」の列にある、「八」「三」「尓」が、字母を混在させた、写本に戻れる翻字です。左右の列の文字の違いを見ると、今までの左側の翻字の不正確さが明らかでしょう。

 「変体仮名翻字版」であれば、写本に書かれている文字がほぼ正確にデータ化できます。もちろん、崩し字は一様ではないので、字母である漢字に近い形であったり、明治33年に国策として一字体に決められた現行のひらがなの字体であったりと、その間でさまざまな変化があり、揺れがあります。そこまで厳密な違いを文字データベースで再現することは困難なので、写真に依ることにしています。今はひとまず、嘘のひらがなによる翻字ではなくて、字母レベルに一元化しての翻字に移行しているところです。
 これで、これまでよりも少しでもましな「変体仮名翻字版」によるデータが出来上がります。

 翻字をお願いする、と言うと、何やら難しい特殊な能力を求められるかのように思っておられる方が大半です。しかし、私がお願いするのは、写本の影印資料と、すでに完成している現行ひらがなによるテキストデータを渡し、データをパソコンで「変体仮名翻字版」にしてもらうのです。つまり、写本はすでに正確に読まれており、そこに用いられた平仮名を変体仮名に置き換えてもらう作業になるのです。ややこしいいことと言えば、データベース化にともなう、写本が書かれている現状を記述した付加情報でしょうか。しかし、これは2人目の別の方が確認するので、特に神経質になっていただく必要はありません。
 とにかく、後ろを振り向かず、ひたすら前を見て進んでください、と言ってお願いしています。

 私は特に翻字の進捗具合を催促はしないようにしているので、気長に続けていただければ、と願っています。
 『源氏物語』の写本の分量は膨大なので、90年を一応のメドとして取り組んでいます。私一代ではできないプロジェクトなので、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉を設立して取り組んでいるところです。
 NPO活動の一環なので、ほんの少しですが謝金をお渡ししています。翻字作業をお願いする方には、NPO組織の支援会員になってもらうことを原則としています。しかし、その会費は謝金ですぐに相殺されるように配慮がなされています。

 今日も、こうした取り組みに興味を持っていただけたことは、ありがたいことでした。
 東京では、日比谷図書文化館での講座を通して、少しずつ翻字を手伝ってくださる方が増えています。今後は、関西での支援者が一人でも増えるように、意識していろいろな方に語りかけ、呼びかけて行きたいと思っています。

 帰りに、JRで京都方面行きのホームにあがったところ、事故か何かで電車が遅れていました。
 なかなか来そうにないので、いったん改札の外に出て、阪急で帰ることにしました。

 久しぶりに訪れた大阪駅の北側の外観は開放的でした。


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 北向きに見下ろすと、スケートリンクが出来ていました。
 みなさん楽しそうに滑っておられます。


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 この大阪駅の北側地域は、今後はさらに開発が進みそうです。
 新しい大阪駅が、ますます楽しみになりました。
posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月06日

情報発信サイトを2017年春に整備する予定

 現在、さまざまな情報を、ホームページやブログを通して発信しています。
 2017年4月から生活が京洛に移る関係で、ウェブサイトに関しても発信の母体となる通信の環境を整備する予定です。
 詳細はまた後日お知らせすることにして、現在の見通しを取り急ぎまとめておきます。
 それぞれのサイトは、いずれも多くの方々に見ていただいているので、途切れることのないように新しいサイトにつなげていくつもりです。
 これまでと変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いいたします。
 
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【A】サイトのアドレスが変わるもの

■ブログ■
「鷺水亭より」
(平成29年3月31日まで)

〔少しずつ移行〕

「鷺水庵より」
(平成29年3月31日より完全移行)
(すでに入れ物は出来ています)

※このブログは、運営者側の都合により、サービスが閉鎖されるために移行するものです。
 私は情報発信サーバー関しては不運続きで、1995年以降、現在のサイトは6社目です。利用していたサーバーがクラッシュしたり、運営が廃止されたりと、いろいろなことがありました。それでも、何とかつないで来ています。公開したデータが復元できないものは2割ほどなので、8割方は再建できます。いずれ、1995年から発信し続けている情報を、きれいにつなげたいと思っています。いつになるかわかりませんが……


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【B】新サイトへの移行を検討中のもの

■ホームページ(1)■
「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉」

※このまま運用する予定です。
 ただし、ネット環境の整備を含めて、新しいサイトに移行することも検討中です。

 
■ホームページ(2)■
「大和まほろば発〈へぐり通信〉」

※現在、クラッシュしたデータを再構築中です。
 新しいサイトで再出発する予定です。


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【C】これまで通りのアドレスで公開

■ホームページ(3)■
「海外源氏情報」(科研・基盤研究A)
 
■ホームページ(4)■
「古写本『源氏物語』の触読研究」(科研・挑戦的萌芽研究)
 
■ホームページ(5)■
〈旧・源氏物語電子資料館〉

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posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年01月05日

読書雑記(188)宮部みゆき『初ものがたり』

 今年の読み初めは『初ものがたり』(宮部みゆき、平成11年9月、新潮文庫)にしました。


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 季節感と世相を反映した、江戸深川を舞台とする短い物語6作品を収録した短編集です。
 帯に書かれた次のことばも気を惹きました。


鰹、白魚、柿、桜。「初もの」がらみの難事件、さらりと解けるか茂七親分−八百八町のミヤベ・ワールド!


 東京の深川にある宿舎住まいもあと3ヶ月となり、近辺を舞台とする江戸情緒が語られている作品をもっと読もうと思っての選書です。また、お正月らしさと料理話も期待して。

 しかし、ことごとく叶わない、消化不良の作品でした。私とは相性がよくない作家なのかもしれません。
 これまでにも、宮部作品はいくつか読みました。しかし、わざわざこのブログで取り上げるほどのものとは出会えませんでした。これも同じでした。
 すでに高田郁の「〈みおつくし料理帖〉シリーズ」(2014年08月24日)を読んでいるので、この種のテーマでの作家の力量の違いがあらためてわかりました。この作品が書かれた時間軸と創作の背景を加味して読む作品となっているもの、と言えるでしょう。

 とはいうものの、私が今年最初に読んだ本でもあり、その確認の意味でも、ここに取り上げることにします。宮部みゆきファンの方々には申し訳ないことです。こんな感想を持った者もいる、ということで。

 巻末に、「新潮文庫版のためのあとがき」があります。どうにも収まりのつかない本書への、作者からの言い訳が記されています。この物語の今後の展開に興味を持ったこともあり、その末尾の文章を引用します。


 刊行当時、周囲の先輩作家や友人、編集者の皆さんからも、稲荷寿司屋台の親父の正体は何なのか、日道坊やはどうなるのか、あの連作は続けないのかと、好意的なお訊ねをいくつか受けました。わたくし自身にとっても、茂七親分の活躍する捕物帖は、長いスパンで大切に、愉しみながら書いてゆきたい作品でございます。ですから、そのたびに、「いつか必ず再開します」とお答えしておりました。その気持ちは、現在もまったく変わっておりません。かくも長き中断というのも、読者の皆様には興ざめに感じられることと存じますが、いずれ必ずというお約束をお詫びの言葉にかえさせていただき、ここにお許しを願いあげる次第でございます。
  平成十一年九月吉日
             宮部みゆき


 そういえば、「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013年01月07日)で、次のように宮部さんとは違う感想を記したことを思い出しました。


 文庫本の解説を担当された宮部みゆき氏は、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」と言われます。しかし、私はそうではなくて、高麗の女の方だったと思います。利休は、最後まで夢と憧れを心に抱いて死んで行ったと思うからです。


 人それぞれに、思うことはさまざまだ、ということなのでしょう。
 好きなように読み、勝手な印象や感想を持つのが、物語や小説を楽しむことなのですから。
 
 
■「お勢殺し」(1月)
 江戸深川の富岡のお正月で幕が開きます。岡っ引きの茂七が登場し、独特の推理を展開します。
 夜中じゅう稲荷寿司を屋台に並べている親父が作る、味噌汁と蕪汁が殺人事件を解決する手がかりを得るという話です。
 この親父が何者かが、次の話へと引き継がれます。【3】
 
 
■「白魚の目」(2月)
 深川の道端でその日暮らしをする子供たちをどうするかが問題となっていました。その矢先、お稲荷さんへのお供えを盗み食いしていた子供五人が亡くなります。さて、犯人は?
 次の白魚の描写が印象的です。ただし、引用した末尾の「よくそう言いますね。」は余計なことばだと思います。【2】

 茂七の問いに、糸吉は照れて首を振った。
「そんなんじゃありませんよ。あっしはただ、あのちっこい真っ黒な目を見ちまうと食えなくなるってだけです。やつら、点々みたいな目をしてるでしょう。あの目で二杯酢のなかからこっちを見あげられると、箸をつけられなくなっちまう」
 茂七は笑った。「存外、肝っ玉が小さいんだな。あんなのは、生きてる魚を食ってるんじゃねえよ。春を呑んでるんだ」
「よくそう言いますね。けど、あっしは駄目だ。どうしても駄目だなあ」(60頁)

 
 
■「鰹千両」(5月)
 呉服屋の番頭が突然やってきて、鰹を千両で売ってくれと言います。
 その理由から、さまざまな家庭の事情や背景が炙り出されます。
 話の綴じ目は、もっと工夫があればと思いました。【2】
 
 
■「太郎柿次郎柿」(秋)
 物語をシリーズとして展開する中で、つなぐ役を負った小話です。稲荷寿司屋の親父の素性を語るための、前置きのような話です。兄弟がキーワードになっています。【1】
 
 
■「凍る月」(12月)
 台所に置いてあった新巻鮭がなくなります。自分が盗んだという奉公人の女中がいなくなり、その捜索が始まるという展開です。話に内容がなく、人の心の読み解きも薄っぺらです。最後の冴えた月も心ここにあらず、という描写に留まっています。【1】
 
 
■「遺恨の桜」(3月?)
 日道という十歳ばかりの拝み屋の話です。この日道が襲われたことで、話が展開します。
 本話も、キレの悪い終わり方です。【1】
 
 
※初出誌︰1994年『小説歴史街道』、後に休刊、廃刊
  平成7年7月、PHP研究所より刊行
  平成9年3月にPHP文庫に収録
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月04日

エスペラント訳『源氏物語』の最新情報を更新

 やましたとしひろ氏が取り組んでおられるエスペラント訳『源氏物語』に関して、以下の最新情報をご本人からいただきました。
 昨年末までに、「若菜上」「若菜下」「幻」の3帖を追補なさったのです。


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 なお、やました氏は本日(2017年1月4日)、「サイデンスティッカー英訳とエス訳比較」と題する記事の冒頭で、次のようにおっしゃっています。


Waleyに較べて、Seidenstickerの英訳がすぐれていると聞いていたので、
たまたま拙訳(エスペラント)と比較してみて驚きました。
サイデンスティッカーは、細かい描写を省略して訳してしまっているではないか!
これでは正しい英訳とは言えないと思います。
日本的な内容が消えてしまっていると感じます。



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 これはまた、興味深い問題点が新たに提示されました。
 今後の展開が楽しみです。
 エスペラントに精通なさっている方からのご意見をお聞きしたいと思います。

 早速、現在鋭意公開中の、ホームページ「海外源氏情報」の中の【『源氏物語』翻訳史】を更新しました。
 この翻訳史に関する情報は、本日までに285件が一覧できるようになっています。
 今回のエスペラント訳『源氏物語』については、その年表の最後に追記したものなので、左上の表示件数を「100件表示」にしてスクロールしていただくか、右上の検索窓に「エスペラント」と入力して確認してください。

 お陰さまで、この【『源氏物語』翻訳史】も、着実に公開件数を増やしています。
 ここで公開している記述内容の補正や追加などにお気付きの方は、「お問い合わせ及びご教示」の通信欄を利用してお知らせいただけると幸いです。


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 みなさまからの変わらぬご理解とご支援を励みに、さらなる成果の公開を続けて行きたいと思います。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 19:06| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月03日

京洛逍遥(430)あらためて下鴨神社へ初詣

 恒例となった、新年2日と3日の箱根駅伝を見ました。母校が、来年度のシード権を得る10位以内に入るのはむづかしいにしても、残り10校の内でも上位に入ってほしいと思いながらのテレビ観戦です。

 結果は、健闘の末の16位なので、今秋立川で開催される予選会での奮闘を期待しましょう。もっとも、「立川駅構内に並ぶ各大学の旗」を私が見る機会は、東京を離れるとおそらくもうないと思われますが……

 元日の初詣に行った下鴨神社が、ものすごい人出だったので、その時は本殿にお参りできませんでした。今日ならば、ということで出かけました。

 今年の舞殿の前の大絵馬は、若冲を意識したかと思われるみごとな酉の絵でした。


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 御手洗川の光琳の梅は、まだ蕾です。
 ピンボケですみません。


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 本殿前の干支の社で、何げなくお参りしていた卯年の社が、今年の干支の酉と一緒になっていたことに、今日初めて気付きました。


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 今年の縁起物はこんな3点となりました。


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 また、今年は我が家にとって新しい旅立ちの年となることもあり、「世界遺産賀茂御祖神社境内糺の森保存会」(略称:糺の森財団)に、妻と共に会員となりました。少しは地元のお役にたてば、との思いからです。下鴨神社に町内会で崇敬参加していることとは別に、個人的なものです。糺の森を散策することが多いので、これからは我が森と思いながら歩くことにします。

 糺ノ森から四条に出て、年末に行った染殿院の四条通り側の林万昌堂に寄りました。
 お正月らしく、華やかな人が出入りしておられました。


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 すぐそばの「田古”と」で食事をして、人混みを掻き分けながら四条河原町のバス停から帰路につきました。
posted by genjiito at 21:29| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年01月02日

お墓参りの後は娘たちとの新年会

 年末には姉がお墓の掃除をしてくれたので、あらためて新年の墓参に出かけました。
 歩いて出町柳駅まで出て、京阪電車で大阪の京橋駅に行きます。そして、JRの環状線で鶴橋駅へ行き、近鉄電車に乗り換えて、さらに河内山本駅でまた乗り換え、終点の信貴山口駅で降りました。

 国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる朝護孫子寺への初詣客は、高安山までのロープウェーに乗り換えです。


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 私の方は、駅前から信貴霊園の送迎バスで高安山の麓にある墓地に向かいます。

 曇っていたので、小豆島や四国は見えませんでした。
 
 その帰りに、婿殿のご両親と一緒に、大阪の河内で新年会をしました。春先に向けて、何かと話題の多い年となるので、話に花が咲きます。

 お茶菓子として、娘が作ったものがズラリと並びました。
 白い鶏には苺が入っています。トサカの苺が微妙なアクセントになっています。
 玉子色の雛は栗きんとんです。
 いずれも、その顔に苦心の跡が見られます。


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 楽しい一年が始まることを、みんなで確認する新年会となりました。
 
 帰り道、中天には三日月と明るい☆が一つ浮かんでいました。


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posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | ブラリと

2017年01月01日

京洛逍遥(429)下鴨神社と河合神社に初詣

 新しい年をいつものように迎えました。
 紅梅と白梅も元旦に間に合い、気持ちのいいスタートです。


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 おせち料理は妻と息子の合作です。


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 氏神様である下鴨神社まで歩いて初詣に出かけました。
 境内に入ると、いつもと違う表示に戸惑いました。西の鳥居から入れないのです。これは初めてのことです。


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 正面の楼門に出ると、参拝者の長蛇の列に驚きました。南の鳥居前の、焚き火の所まで並んでおられるのです。これでは、本殿まで1時間以上かかります。


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 そこでお参りは明日以降にし、今年の元旦の初詣は、境内南端にある河合神社にしました。
 修復も終わり、気持ちのいい場所となっています。由緒書には「すべての女性が一層美しくなりたいという願望と安産・育児・縁むすびなどをかなえてくださる神さま」だとあります。


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 出町柳に出る途中、参道でこれまで気付かなかった「鴨社資料館 秀穂舎」を見かけました。昨秋、10月1日に開館したとのことです。後日来ることにします。


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 この「秀穂舎」から下鴨神社の糺ノ森を見やると、物議をかもしたマンションの工事がフェンスに囲われた中で進んでいることがわかります。


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 マスコミなどが、世界遺産の糺ノ森を冒瀆するものだと、有識者を煽っていました。また、それに乗せられて反対を表明する方がたくさんいらっしゃいました。
 しかし、私は神事や行事を行なう寄付金が集まらなかったのですから、これも一つの解決策だと思っています。我が家は、町内会を通して些少ながらも寄付をしました。しかし、一銭も神社に寄付や寄進をしないで、自然破壊だと奇麗事だけを口と文字で並べたて、訳知り顔に騒ぎ立てるのには疑問を持っています。浄財が集まれば、このようなマンションを建てる必要はなかったのですから。

 京都は、とにかく大胆なことをします。日々、街中が変化しています。古くて新しい街が人々を惹き付けながら発展しているのは、新しもの好きの伝統が息づいているからだと思われます。伝統と文化を次世代に引き継ぐ術を心得ている街です。

 出町柳の手前の河合橋から、高野川の上流を望みました。
 京都五山の送り火の一つである「妙法」の「法」の字が見えます。


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 穏やかな一年の始まりを実感しました。
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月31日

京洛逍遥(428)大晦日の染殿院と錦天満宮と錦市場

 穏やかな大晦日。年の瀬の慣わしとなった、錦市場への買い出しに出かけました。
 今年も、料理人の感覚を頼りに、息子と一緒です。食材選びは直感が決め手です。

 四条通りの歩道が広くなったので、ゆったりと歩けます。これは英断でした。


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 新京極通りは、いつもより人が少ないようです。
 四条通から入ってすぐ左に、赤丸で示したように「安産祈願 そめどの地蔵」という表示板が目に留まりました。


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 いつも新京極は、修学旅行生や海外からの旅行者がお土産物を探す場所となっています。あまりの人出の多さに通り過ぎていたので、これもご縁と思い初めてお参りしました。狭い路地の奥に本堂がありました。


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 ここは、平安時代からの安産守護として知られた染殿地蔵院でした。地元では「そめどのさん」として親しまれているお地蔵さんだそうです。国宝「一遍聖絵」第7巻にある四条京極の釈迦堂とはここだとも言います。弘法大師が造られた本尊の地蔵菩薩は、2メートもの裸形立像。ただし秘仏のため、ご開帳は50年に1度となっています。次はいつなのか、聞き忘れました。

 本尊を「染殿地蔵尊」と呼ぶのは、文徳天皇の皇后であった藤原明子(染殿皇后、829-900)がこの地蔵尊に祈願したことにより、皇子である惟仁親王(第56代・清和天皇)が生まれたことに因むそうです。明子は父親の良房(人臣最初の摂政)の邸宅「染殿」に住んでいたのです。

 本堂から四条通りを見ると、創業明治7年の甘栗和菓子の老舗である林万昌堂四条本店でした。店の中を抜けても、この染殿地蔵院にお参りできます。

 新京極商店街を北に歩いて、錦天満宮へお参りしました。
 ここも、思いのほか参拝客は少なめでした。


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 境内の白梅も、まだ蕾が固いようです。


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 この天満宮から西に向かって、錦小路通りが走っています。
 年末は人でごった返しすることで知られています。しかし、ここも今年は思いのほか空いていました。海外からの方ばかりのようなので、地元の方々は時間をずらして歳末のお買い物をなさった後なのでしょう。


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 錦市場では、いつも買うおせち飾りの「開花宣言」や「扇昆布」と生麩等をいただきました。


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 木屋町と先斗町をブラブラして帰りました。ここも、見かけるのは海外の方々です。
 日本の旅行客のみなさんは、混雑を避ける術を身につけられたようです。

 我が家もお正月を迎える準備ができました。
 あと数時間で平成29年、2017年です。
 どのような年になるのか今から楽しみです。

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posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月30日

読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』

 森野達弥の漫画『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』(北田瀧・原作、加藤聖文・監修、平和祈念展示資料館発行、平成24年3月発行、非売品)を読みました。これは、一昨日の本ブログで取り上げた『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』と共に、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


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 戦後、日本人がシベリアに抑留された意味と強制労働をさせられた人々について、あらためて考える情報を提供してくれる資料です。

 自らの体験をあまり語らないままに亡くなった父のことを思いながら、耳を傾ける気持ちで読みました。

 表紙見返しに、次の文が掲げられています。


戦後強制抑留(シベリア抑留)とは



 戦争が終結したにもかかわらず、
約57万5000人の日本人がシベリア
を始めとする旧ソ連やモンゴルの
酷寒の地において、乏しい食糧と
劣悪な生活環境の中で過酷な強制
労働に従事させられました。
 寒さや食糧の不足などにより、
約5万5000人が亡くなったとされ
ています。


 こうした前置きが必要なほどに、現在の日本ではこのことが忘れ去られているのです。また、本書では、前著『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』以上に、漢字にはすべてひらがなで読みが添えてあります。若者はもとより、1人でも多くの方に読んでほしい、という気持ちの表われでしょう。

 物語は、高校生の佐伯翔君と谷原亜衣さんが、中津先生の父に関するシベリア抑留の話を聞き、しだいにこの問題をさらに知りたくなる、という展開です。

 日ソ中立条約をはじめとする国と国との約束事が持つ意味に触れつつ、シベリア抑留の体験を語る坂峰弥輔氏の次の言葉に重きを置いた構成となっています。


今でもあの頃のことを思い出すと
怒りで体が熱くなる……
でも憎しみからは何も生まれない

私たちが出来るのは
抑留生活がどんなもので
あったかを伝え
あなたたちのような若い人たちに
平和の大切さを知ってもらう
ことだと思います(57頁)


 シベリアの凍土について、餓死や凍死した仲間のために墓を掘るのに、1日にいくらも掘れない話は、私の父が何度も語ってくれたことです。食料の取り合いの熾烈さも聞きました。

 日本への手紙が書けるようになった時、ソ連の検閲があるために、カタカナで書くように言われていたということです。読みやすいカタカナだと、検閲もしやすいためのようです。また、ソ連の悪口などを書くと、手紙は没収されたとのこと。
 ソ連側の感情を配慮した生活をしたことなども、父から聞いています。

 それにしても、本書を読みながら、もっと父から話を聞いておくべきだったことを痛感しました。

 とにかく、折々に両親のことを思い出すことで、その苦労の実態と戦後の生き様を直視した理解をすることを心がけています。そして本書から、息子として感謝の念につなげていきたいとの思いを強くしました。

 年末に、重たいテーマを自分に課して、このブログの場を借りて4日連続で綴ってきました。
 来春から私にとって新しい生活が始まります。
 真剣に両親のことを振り返ることで、気持ちの整理をすることとなりました。

 今年もあと1日。
 多くの方々に支えられた1年であったことを、あらためて実感しています。

 新年がこれまで以上に良い年となりますように……
posted by genjiito at 19:18| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月29日

読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』

 『雷の波濤 満州国演義7』(船戸与一、新潮文庫、2012年初版、2016年文庫版)を読みました。


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 昭和15年のインドの状況から始まります。
 この時期の日本とインドの関係が、私にはまだよく理解できていません。
 次のような描写にチェックを入れ、今後の手掛かりとしておきます。


「とにかく、ヒットラーの快進撃でインドの情勢は大きく変わったんです。ビハリー・ボースやピライ・ナイルのように東京にいてあれこれ言うんじゃなく、ガンジーやネルーの不服従運動でもなく、流血を怖れずインド独立を目ざす連中が出て来た。皇国はそういう連中を断じて無駄死させるべきじゃない」
「それで?」
「インド独立連盟を支援するのはある意味では皇国の義務です。しかし、まだ三国同盟は結ばれてないし、ましてやイギリスと交戦状態にあるわけでもない。つまり、公然とはインド独立連盟に肩入れするわけにはいかないんです。それで、民間人の敷島さんにお越しいただいた」
「おれに何をしろと?」
「支那にも相当数のインド人が住んでる。パラス・ジャフルのように経営者もいれば、イギリス人の使用人としてくっついて来た連中がいる。そのなかからインド独立連盟の主張への共鳴者が出て来た。それを訓練していただきたい、軍事訓練を」
「このおれに?」
「そうです、敷島さんをおいて他には考えられない。いまはまだ重火器訓練が必要な時期じゃないし、とにかく、銃の扱いも知らない連中なんです。敷島さんはかつて満州で馬賊を率いておられた。素人を即戦力に鍛えるのはお得意でしょう。訓練の場所や武器は上海特務機関ですでに用意しました。これからそこに御案内します」(47〜48頁)


 そして、第二次近衛文麿内閣の時に商工大臣になった小林一三が出てきます。阪急や東宝や宝塚を作った逸翁です。逸翁美術館で館長をなさっている伊井春樹先生からも、逸翁の逸話をいろいろと伺っています。読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』(2015年7月15日)に書いた通りです。近現代史に疎い私でも知っている人が出てくると、歴史語りが身近な話として蘇ります。

 この巻で特徴的なことは、上海と満州の地で組まれた女性の組織です。
 次郎が預かって特殊訓練をする、インド人娘子軍予備隊がその一つ。これは、チャンドラ・ボースの反英武装闘争のためのインド独立連盟娘子軍につながるものです。

 もう一つは、日本人の純血を守るために送り込まれた、安拝開拓女塾です。これは、日本人と満州人との雑婚を防止する目的のものです。その結婚相手が籤で決められることの悲劇も、記憶に残る描写となっています。

 また、優秀な学生として話題になる朴正煕は、最近韓国で問題となっている朴槿恵の父ということもあり、興味深い話が太平洋戦争を見据えて展開します。

 ノモンハン事件のことが表面的になぞられただけ、という印象を持ちました。父がこれに参戦したことだけに、もっと語ってほしいと思いました。

 以前からずっとその存在が気になっていた、太郎の秘書である孔秀麗の姿が、次第に明らかになります。紅茶を出すシーンが何度もあったので、何かあると思っていました。なかなかおもしろい設定です。まだ、本巻ではその詳細はわかりませんが。

 ヨーロッパ戦線の情勢分析が中心となると、途端に理屈っぽくなり独特の船戸節となります。こうした口調の場面は、あまり続くと疲れます。調べながら書いている、ということが見え透いてくるからです。
 筆力にまかせて一気に展開する船戸語りが好きです。ここでは、歴史的な事実を確認するのに追われて、その正確さを最優先にした展開のために仕方のないところです。さらにもう一味を、と勝手な思いを抱きながら読み進みました。

 尾崎秀実とゾルゲのスパイ事件と同時進行で、ハリマオの話が展開します。ハリマオについてはかねてより知りたかったことなので、楽しく読み進めました。さらにもっと、という気持ちで、次巻を楽しみにしているところです。
 本巻でのハリマオに関する記述を抜き出しておきます。



「だれなんだね、この日本人は?」
「ハリマオですよ」
「何だって?」
「マレー語でハリマオは虎を意味します。この日本人はマレー人たちからハリマオと呼ばれて半分畏れられ、半分喝采を浴びてる」
「どういうことだね、それは?」
「本名・谷豊。明治四十四年生まれ。コタバルから東海岸沿いにクアンタンまで南下したとき、途中でトレンガヌという町を通ったでしょう。唐人街という看板のある商店街を持つ港町です、憶えていますか? ハリマオの父親はそのトレンガヌの町で理髪店を開き、大儲けした。谷豊はトレンガヌで生まれ育ったんです」
「で?」
「昭和七年の十一月、谷豊が徴兵検査のため日本に帰国してたとき、トレンガヌで谷家の満七歳になる妹の静子が首を切断されて殺されました。犯人は広西省生まれの支那人で排日思想に煽られて兇行に及んだんです。犯人は静子の首をこれ見よがしにぶら下げてトレンガヌの街を歩きまわった。そいつは結局、イギリスの官憲に捕まって、コタバルまで移送されて処刑されましたが、犯人逮捕に当たって熱心じゃなかったらしい。静子の首は日本人歯科医の手で胴体に縫いつけられて埋葬されましたが、その写真が福岡にいた谷豊に送られた。それを見て復讐を誓った谷豊はマレーに戻りトレンガヌの町から密林にはいりマレー人を集め匪賊集団を組織した。それだけじゃない、回教に帰依したんです。回教名は忘れましたが、とにかく回教の戒律はきちんと守るようになった。ふだんはタイと英領マレーの国境地帯を行ったり来たりして暮し、ときおり町に出て華僑の金満家を襲う。奪った金銭はマレー人たちと均等に分け合うんです。イギリスの官憲が必死になって追い掛けるけど、尻尾にさえ触れない。イギリス総督府から餌を与えられてるマレー人はべつですが、ふつうのマレー人はみな困窮状態にある。谷豊がハリマオと呼ばれて喝采を浴びるのはいわば当然の帰結だと思います」(493〜494頁)


 後半で、真珠湾攻撃が始まります。
 ちょうど、安倍首相が真珠湾に慰霊の訪問をしておられる時に読み了えたので、具体的にイメージしながら読みました。新聞やネットの情報がリアルに過去を分析してみせていたせいか、この作品での真珠湾攻撃の描写と背景が迫力に欠けて見えました。本シリーズに直結する問題とはズレることもあるのは承知しながらも、ダイナミックなテーマの交流がなかったのが物足りなく思われました。【3】
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月28日

読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』

 森田拳次の漫画『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(中国引揚げ漫画家の会編、平和祈念展示資料館発行、平成18年11月、非売品)を読みました。これは、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


161228_mangqmansyuu




 この物語は、昭和10年に長野県から「大陸の花嫁」として満州の千振へ渡った、玲子という女性の手記によるとするものです。夫となったのは、国策として満州に渡った同郷の開拓団員である木沢聡でした。結婚後はソ連との国境に近い千振で開拓団員として新婚生活。3人の子供に囲まれ、平和な日々でした。

 こうした時代背景と状況については、現在船戸与一の『満州国演義』を読み進めているところなので、私にも理解が及ぶところです。しかも、今読み終わったばかりの『雷の波濤 満州国演義七』では、「安拝開拓女塾」が出てきたので、さらに複雑な事情があることも話の展開にあわせてわかりました。この『満州国演義』については、明日の記事で取り上げます。

 ところが、昭和20年8月に聡の元に突然、赤紙(召集令状)が来ました。
 私は、入植地である満州でも、兵隊として召集されていたことを初めて知りました。
 そして、8月11日に日ソ中立条約を破ったソ連軍が、突如満州に侵攻してきたのです。

 この時の描写には、次のような文章が添えられています。
 作者はこのような表現で、言うに言われぬ言葉による抗議を記しているのです。


ソ連軍の先行部隊がやってきたのは、
一八日過ぎだったろうか
囚人部隊だという噂だったが、
彼らの素行は最悪だった

避難民のなけなしの荷物を強奪し、
乱暴狼藉の限りを尽くした
実質、軍隊という名の強盗団だった
女たちはしばしば慰みものにされ、
中には妊婦の腹を軍靴で
踏みにじって喜ぶ
外道もいた

女たちは皆、
ソ連兵を恐れ、
女に見えないように
男装し、丸坊主にした

連れ去られ、ボロボロになって
帰ってきて、その日のうちに
首を吊って自殺した人もいた(37頁)


 この時、私の両親は実際にソ連との国境にあるハイラルにいました。ソ連の侵攻で離れ離れになったことを聞いています。満州や朝鮮や中国の人たちが、ソ連侵攻の日を境にして掌を返したように、それまで親しく接していた人がまるで別人に変わったかのように残忍になったということも。
 以来、私の両親にとっての流浪の旅が始まりました。
 上に引いたような話は、両親が楽しみにしていた戦友会の方々からも、いろいろと形を変えて聞いたことがあります。
 母が一時収容されていた「新京」など、聞かされていた地名が物語中にいくつも出てきました。おぼろげながら、母の帰還ルートが想像できます。
 この物語では、引揚げ船は佐世保に着いています。母もそうだったのでしょうか。舞鶴だったのでは?と思うものの、今はわかりません。

 さて、物語は引揚げ後のことになります。無事に夫の実家に居候となって3年目の夏に、夫聡が復員してきたのです。
 生きるのが大変だった夫の聡は、職を求めて東京に出ます。そして、さらに栃木県の那須に移り家族の再出発の生活が始まりました。

 私の父の場合は、復員後にポン菓子作りで出雲の村々を経巡り、そのお余りでおこしを作って売ったり、広島で牡蛎の養殖に使う竹に錐で穴をあける細工をしたり、単身大阪で道路工事夫として働いたりしていました。とにかく、私が小さかった頃には、仕事を転々としていたことを思い出します。
 万博公園がある千里丘陵は、父が人夫として土を運び地固めをしたところです。無事に生き残って復員しても仕事がない年月が長く続いていたことは、子供心に覚えています。

 この漫画では、時勢に弄ばれた人間の姿が、感情を圧し殺した筆致で描かれています。最後の、両親を思う一人残った息子の姿が印象的でした。
 この抑制の背後にある本音が、さまざまな形で読む者に伝わってきます。ただし、両親から聞いた話よりも、きれいにまとめられている感じがしました。これは、支援団体への配慮からなのでしょうか。
 一点だけ欲を言えば、枠外の注記の文字と資料の文字が小さすぎて、読むのに一苦労したことを書き添えておきます。【4】

※巻末にある資料から、引揚船に関する記述を抜き出しておきます。


巻末資料【満州から引揚げ「関連年表」】より抜粋

[昭和20(1945)年]
8月22日
樺太からの引揚船「小笠原丸」「泰東丸」「第二新興丸」、北海道留萌沖においてソ連軍の潜水艦の攻撃を受ける。「小笠原丸」「泰東丸」は沈没、約1,700名の犠牲者を出す

9月2日
米戦艦ミズーリ号上で降伏文書署名
南朝鮮からの引揚第一船「興安丸」仙崎に入港(公式引揚第一船)

11月24日
地方引揚援護局(浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島)新設

[昭和21(1946)年]
4月5日
満州からの最初の引揚船が博多に入港

5月14日
葫蘆島からの引揚開始(第一船佐世保に入港)

12月5日
樺太(真岡)からの引揚開始(第一船「雲仙丸」が函館に入港)

12月20日
北朝鮮(興南)からの引揚第一船「永録丸」が佐世保に入港

[昭和22(1947)年]
7月11日
千島地区からの最初の引揚船「白龍丸」が函館に入港

12月2日
南方方面からの最後の引揚船「輝山丸」が佐世保に入港

[昭和28(1953)年]
3月23日
「北京協定」に基づく中国からの引揚第一・二船「興安丸」「高砂丸」が舞鶴に入港(中断を含み昭和33年7月の第21次引揚げまで37隻入港、3万2,506人帰国)

[昭和33(1958)年]
7月13日
中国からの引揚第21次船「白山丸」が舞鶴に入港

11月16日
これまで唯一残っていた舞鶴の引揚援護局閉局
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月27日

両親がいた満州とシベリアのことを調査中

 父は昭和58年に68歳で亡くなりました。生きていたら、今月で101歳になります。終戦と同時に満州からシベリアに抑留され、昭和23年6月に舞鶴(?)に引き揚げて来ています。
 母は平成16年に84歳で亡くなりました。生きていたら、来春97歳です。満州のハイラルから命からがら日本に辿り着いたそうです。

 この両親に息子として何もできなかったので、折々に思い出すことで感謝の気持ちにかえています。

 まず、両親が満州でどのような生活をし、終戦後はどのようにして引き揚げて来たのか、ほとんど聞いていません。
 最初の引き揚げ船「大久丸」は、昭和21年12月8日に舞鶴に入港しています。これに母は乗っていたのでしょうか。母は、父の復員を出迎えに行ったのでしょうか。島根県の出雲から舞鶴へ? いつ帰るとも知れぬ父を、家で着物を縫い続けていた母が迎えに行けたとも思えません。それすら、聞かないままに来ました。

 引き揚げ船の最後となった「興安丸」が舞鶴に入港したのは、昭和31年12月26日です。父の帰還は昭和23年なので、早い方だったようです。

 先日、西新宿で開催されていた、シベリア抑留生活に関する展示と講演に行きました。
 「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)
 父が極寒の地で生き抜いた様子が、少しだけイメージできるようになりました。

 母については、第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞した麗羅の『桜子は帰ってきたか』(1983年)からのイメージしかありません。実際に、母はどのようにして満州から日本に帰ってきたのでしょうか。
 いつもニコニコしていた母に、満州から引き揚げて来たという暗い日々の痕跡はまったく感じられませんでした。
 このことは、「西国三十三所(35)松尾寺」(2010年11月05日)に少し書きました。

 モンゴルで父のことを思い、ウランバートル市の日本人墓地跡へ立ち寄ったこともあります。
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

 その後、「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)に書いたようなことがありました。
 これに関しては、証明するものがないとのことで、以来うやむやになったままです。

 今回、平成22年に「シベリア特別措置法」が制定されていることを知りました。

 いろいろなことがわかって来ました。しかし、まだ点でしかありません。
 この点を線へと、そして面にして立体的な像を組み立てるためにも、さらに調査を進めて行きます。
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月26日

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月25日

京洛逍遥(427)高校駅伝と猿回しと終い天神と-2016

 今日は、京洛で全国高校駅伝大会がありました。
 1950年に男子の大会が開催され、女子の大会は1989年からだそうです。今年は、男子第67回、女子第28回となります。
 大阪と奈良で大会があった後、1966年から京都の都大路を走っているのです。

 今年の男子は倉敷(岡山)が、女子は大阪薫英女学院が優勝しました。
 午前中の女子の部は所用があり見られませんでした。しかし、男子の帰路は、通りかかった金閣寺の南にある平野神社の前で見ました。

 選手たちの通過を神社の境内で待ちました。ちょうど、岩手県奥州市の物産展をしていました。


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 そこに、地酒の「阿弖流為」がありました。
 ただし、その手書きの名札には「阿弓流為」と書かれていました。「弖」が「弓」になっていて正しく書けていません。
 変体仮名がすでに書けなくなっていることがわかります。


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 しばらくすると、トップグループがやってきました。
 ここでの順位が、ゴールでも変わりませんでした。
 
 1位 倉敷・岡山

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 2位 佐久長聖・長野

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 3位 九州学院・熊本

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 目の前を通過する選手たちの早いこと。ここまでは、相当間が開いていました。
 しばらくすると、馴染みの学校が続々と続きます。
 左端に停まっているバスは、この走者たちが全員走り去るまで、バス停に釘付けです。


 18位 国学院久我山・東京

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 平野神社の境内を東に突っ切ると、すぐに北野天満宮があります。天満宮では、すでにお参りの人でごったがえしていました。


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 神楽の打ち合わせをしておられるところを見かけました。年末年始の練習なのでしょうか。


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 境内にある梅林の近くでは、猿まわしの興行をしていました。
 神戸から来た方です。
 猿使いの女性が軽快にしゃべっておられるのが聞き物です。猿の芸よりも、このしゃぺくりが大切な芸だと思いました。


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 猿の「キング」君は、宙返りが得意のようです。


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 菅原道真公の誕生日は6月25日、亡くなったのが2月25日ということで、25日は「天神市」の日です。今日はちょうど、天神さまの御縁日であり、しかも師走なので「終い天神」でした。

 京都では、毎月21日の東寺の「弘法市」があり、これも師走は「終い弘法」と呼んでいます。
 「弘法市」は、骨董品や植木などで賑わいます。
 ここ「終い天神」では、骨董よりも古着や端切れのお店が目立ちます。
 実際に品物を手にして買って行かれるのは、外国の方が多いようです。
 日本人は、ほとんどの方が昔の生活に思いを廻らし、物珍しそうに見るだけです。


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 これから慌ただしい年末となります。
 今年も、こうしてどうにか歳を越せます。
 本当にありがたいことです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月24日

豊島科研の本文資料に関する研究会の最終回

 豊島秀範先生が主宰なさっている「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」は、10年目となる今回が最後となりました。
 会場は、國學院大學120周年記念2号館2103教室です。


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 今日は以下の発表があり、充実した時間が流れました。


河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)


 今回の発表は、これまでにも増して充実したものでした。
 贅沢な時間の中に身を置き、『源氏物語』の本文に関して貴重な時間を研究仲間と共有することができました。
 現在、このような研究会はどこにもありません。これからどうしたらいいのか、ということを思いながら聴き入っていました。

 この日の研究会を通して感じたことで、個人的な思いを記しておきます。
 あまり意義深いことばかりを語っていても、前進がないと思うからです。

 今日の発表や質問でも、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という言葉がごく普通に交わされていました。これに私は、違和感をもっています。
 10年にわたるこの研究会で、私は池田亀鑑の3分類案を見直し、それを崩した上で、新たな分別試案を構築しようと思っていました。今日もそのことを話題にしました。しかし、それは叶いませんでした。
 私が提示している2分別案には、今日も渋谷栄一氏をはじめとして、その主旨には賛同してもらえました。それでも、その議論は深まってはいません。これは、またの機会に、ということにします。

 私の立場からは、翻字において変体仮名を導入する提案をしたのが、本研究会で新たに投げかけた唯一のものでした。
 それに加えて、今日は池田本「桐壺」巻の校訂本文を配布し、作製にあたっての背景や予想される今後の研究環境のことを語りました。意見や情報の収集のためです。この取り組みは、理解が得られたと思っています。

 いずれにしても、この研究会が10年の長きにわたり、『源氏物語』の本文研究の問題提起の場となったことは特筆すべきことです。
 そして、この課題をどのように次へとつなげていくのかが、新たに取り組むべき問題となりました。

 メンバーのみなさんは、各々の職場で中心的な存在であり、これまでのようにはなかなか集まれない状況にあります。
 何とかしたい、との思いを抱きながらも、私は所用があるために懇親会は遠慮して新幹線へと急ぎました。

 一つの研究会が幕を閉じました。
 思い残すことはたくさんあります。しかし、充実感はあります。
 再起を期して、またこうした集まりを立ち上げられるように、今後ともみんなで相談したいと思います。

 今回の研究会の最後に、私が閉会の挨拶をするように、という豊島先生からの指示がありました。時間が圧していたこともあり、豊島先生の下支えをして来られたお手伝いのみなさまの労力に、感謝の気持ちを伝えました。
 そして、とりまとめをしてくださった豊島先生には、みなさんにお願いして拍手で感謝の気持ちを伝えることにしました。
 豊島先生、ありがとうございました。
posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月23日

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のオンライン版を公開

 一昨年(平成26年3月)にオンライン版オープンデータとして公開した『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』に続き、第2弾となる『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』が完成したので公開しました。
 自由にダウンロードしてご覧いただき、ご意見などを頂戴できれば幸いです。

 今すぐにダウンロードなさりたい方は、以下のリンク先からお願いします。

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のダウンロード

 これでうまくデータの入手が出来ない方は、科研(A)のホームページである「海外源氏情報」に接続した後、次の画面からダウンロードしてみてください。


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 なお、印刷した書籍版は、後日、公共図書館などに寄贈する予定です。
 印刷本については、3月になりますので、ご了解をお願いします。

 本事典の制作経緯や意義などについては、次の巻頭に置いた「はじめに」と巻末の「おわりに」に記しましたので、ご覧ください。

 第3弾は、懸案の『源氏物語【翻訳】事典』です。これは、来秋には出版社から刊行したいと思っています。
 いましばらくの猶予をお願いします。


「はじめに」


 −試行版としての事典であること−



 本書は、『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』(平成26年3月)を受けて、平安時代の文学作品に限定して世界各国語に翻訳された書籍情報を事典としてまとめたものです。前著に続き、あくまでも暫定的なものであり、試行版として編集した中間報告であることを、まずはお断りしておきます。

 この翻訳事典は前著同様に、2006年4月23日にお亡くなりになった、国文学研究資料館名誉教授福田秀一先生から託されていたメモを最大限に活用しました。
 ただし、多言語にわたる書籍を対象とする関係で、各項目のまとめ方も含めて、まだまだ不備の多いものであることは承知しています。また、最新情報にまでは、十分に手が及んでいないことも承知しています。そのことを知りつつも、類書がないこともあり、ここで私の手元にある情報をとりあえず一まとめにしておくことにしました。これを次の世代に引き渡して補訂してもらい、さらに追加していくことで、よりよい事典に育てていく始発点にしたいと思っています。

 本書作成にあたっては、実に多くの方々が原稿作成のお手伝いをしてくださいました。基本的な情報が整理されていないのであれば、とにかくたたき台でも提示して、それに手を加えながら形を成していく方針で臨みました。項目の執筆者は、必ずしも各言語や各作品の専門家ではありません。しかし、何もない平地に道をつけることを一大方針として取り組んだものということで、至らないところはご寛恕のほどを、お願いいたします。ご批判は、そのまま改訂版に活かします。

 そのような経緯もあり、日本古典文学に関する翻訳事典としては、各項目の立項はもとより、内容もいまだ未整理の状態にあります。今回、その見出し項目と表記上の体裁及び、内容に関する記述の統一を試みました。それでも、いろいろな機会に、多くの方々に執筆していただいた原稿の集積であることから、不統一の感は免れません。各所に編者の判断で多くの手を入れました。あくまでも暫定的な処置に留まるものです。

 そのことを承知で、この時点で公開することにしたのは、これを叩き台とし、より良い情報の提供とご教示を受ける中で、さらに充実した事典に育てたいとの思いからです。まさに本冊子は、試行錯誤の中でまとめた暫定版として利用に供する事典です。

 また、盛り込まれた情報は、編者伊藤が運用する科研のホームページ「海外源氏情報」にも公開しています。
http://genjiito.org
 このホームページを通して、情報の更新を行います。折々に最新情報を確認していただき、翻訳情報を活用していただければ幸いです。

 今回も、この科研を支えているプロジェクト研究員の淺川槙子、技術補佐員の加々良恵子の頼もしい2人が奮闘して、膨大な情報を整理して組み立ててくれました。ただし、『源氏物語』については単独で1冊にするため、本書には収録していません。

 みなさまからの情報提供により、各項目の精度を高めたいと思います。
 今後とも、ご理解とご協力を、よろしくお願いいたします。

2016年12月
日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A)
「海外における源氏物語を中心とした平安文学
及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
研究代表者
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
国立大学法人 総合研究大学院大学
国文学研究資料館 伊藤鉄也
 
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「おわりに」



 現在、翻訳史年表には約580件の書籍データが登録されています。本来ならば全てのデータを事典としてまとめることが理想です。しかし解題を作成するためには、現物を確認できる書籍でなくてはならず、全てのデータを事典に掲載することはできませんでした。日本国内の図書館・研究機関で見ることができない書籍が、数多く存在することを実感しました。なお、解題を作成することができなかった書籍データは、解題の後ろに「平安文学翻訳史年表」の抜粋として掲載しました。〈英語改訂編〉の反省をふまえて、より多くのデータを収集したものの遺漏も多々あると思います。前回に続き、この事典も日本文学研究の一助となることを願ってやみません。

 最後に解題作成を含め、本科研をあたたかく見守ってくださったみなさまに篤くお礼申し上げます。

(淺川槙子)
 
 
 以前発行した『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』では英語のみでした。前回と異なり、今回は多くの言語で翻訳された古典文学を収録しています。『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』では、特定の古典文学が何度も翻訳・出版されていたり、日記文学が好まれる傾向があるなど、国によって『源氏物語』以外の作品への嗜好が伺えるように思います。また、解題を読んでいると、さまざまな立場の方がそれぞれの目的に合わせて創意工夫をしているさまも伝わり、「翻訳の歴史」の側面が垣間見えてきます。

 残念ながら、今回は解題を掲載できなかった多くの書籍があります。これらの作品名や国名は、翻訳史年表で確認できます。時系列に並んだ出版の記録を眺めているだけでも、そこに関わった多くの人たちの努力を感じます。ただ、どうしてもヨーロッパ諸国など先進国に偏っており、アフリカ大陸の言語などでの発行はまだ見つかっていないようです。これから、このリストに、より多くの国名が追加されることを願ってやみません。

(加々良恵子)
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posted by genjiito at 06:12| Comment(0) | 古典文学

2016年12月22日

江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと

 今夏、九段下にある九段坂病院が移転したことに関連して、微笑ましい案内表示のことを書きました。
 その時、勝手な推測ながらも、「交番のお巡りさんがよく聞かれるので親切心から手書きで貼られたのでしょうか。」としました。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

 この九段下の交差点角にある、交番横のガムテープによる病院名の案内は、先週も先々週も、どうしたことか剥がされていました。
 案内図を修正して入れ替えられるのかな、と思って通り過ぎていました。

 今朝も通院で通りかかったところ、同じようなガムテープながらも、こんな表記に変わっていました。


161222_kudanshita




 日本武道館を挟む形で貼られた、2つの表示ともに「九段下病院」となっています。

 先月までは、正しく「九段坂病院」でした。上記7月のブログに掲載した写真をもう一度ひきます。

160705_kudanzaka




 今朝も、慌ただしく通りかかった折に見かけたので、お巡りさんにお知らせする余裕がありませんでした。また、何かあったらしくて、交番を何人ものお巡りさんが出入りしておられたので、お声掛けするのも躊躇われました。

 どなたか、知らせてあげてください。

 さて、肝心の今日の診察では、どうも右足の指に出来た疣は、きれいにウイルスがとれていないそうです。まだまだ治療が続きます。
 右足を庇うようにして歩くせいか、7月に骨折した左足首が、むくんだり熱くなったり怠くなったりと、調子が良くありません。再度の骨折を気にして、無理な姿勢をとらないようにしていることもあり、どうも立ち姿からして不安定な状況にあるようです。

 病気ではないものの、まだ時間のかかる治療が続くようです。
 命に関わるものではないので、気長に通院するしかありません。
 年末年始でもあり、これまで以上に足には気をつけて歩くことにします。
posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月21日

総研大・日本文学研究専攻の最終講義を終えて

 最終講義と言われても、実感のないままに日頃から思っていることを資料を使って1時間お話しました。


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 あらかじめ用意していた講義用のレジメの冒頭には、次のように記しました。


 私が約三五年間にわたって研究してきたことを振り返り、問題意識を確認し、最近の研究課題としていることや今後の展開について述べたい。
 さらには、研究の基本としている『源氏物語』の本文の諸相に関連して、現在取り組んでいる国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』を取り上げ、今後の見通しを提示できれば、と思っている。
 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。
 このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを試作版として提供できるようになった。
 スローガンとしてきた「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』「桐壺」校訂本文』が、まさにできたばかりの具体的な成果である。


 私の中では、今日は『源氏物語』の本文の研究史において、記念すべき日となりました。大島本に代わる校訂本文として、池田本の姿を初めて見てもらうことができたからです。
 まだまだ試作版であり、私家版であり、実験材料です。『源氏物語』を読むための、ささやかな資料の1つにしかすぎません。しかし、試案としての物語本文が、実際に検討材料として、見て確認してもらえるテキストとして手に取ってもらえたのです。

 今日が今後の始発点となったことは、私にとっても得難い機会に身を置くこととなりました。

 今日の会場は、『源氏物語』を専門とする研究者ばかりの場ではありません。しかし、文学の研究に身を置く研究者の方々にその意義をお話しできたことは、『源氏物語』が置かれている物語本文の現状を理解していただく、貴重な時間を共有できたことでもあり、ありがたいことでした。

 これまで自分が取り組んできた研究をあらためて振り返る機会となり、私にとって一区切りとなる意義深い日となりました。

 ご清聴いただいたみなさま、ありがとうございました。
posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月20日

「古写本『源氏物語』の触読研究」の情報を更新しました

 科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいる「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(課題番号︰15K13257)のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」で、情報の更新をしましたのでお知らせします。担当者は科研運用補助員の関口祐未さんです。

 トップページの「新着情報」の最初にある「2016年12月20日 NEW 第4回研究会報告」をクリックしていただくと、「第4回「古写本『源氏物語』の触読研究会」」の研究会報告が読めるようになっています。
 先々週の12月9日(金)に、国立民族学博物館で開催した第4回の記録です。

 私が本ブログに書いた「民博で古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年12月10日)より、ずっと詳細な報告です。

 着実に活動が進展しています。
 成果も、見えるようになりました。
 今後とも、ご理解とご支援を、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年12月19日

国文研で開催される12月21日(水)の最終講義

 直前の連絡となりました。
 明後日、12月21日(水)の午後、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻では、「平成28年度第2回 特別講義」が開催されます。

 これは、今年度で定年退職する、寺島恒世先生と私との最終講義となるものです。

 私は、これまでに研究してきた成果の報告と、現在取り組んでいる国文研蔵「橋本本」についてお話します。また、池田本『源氏物語』「桐壺」の校訂本文の試行版を、発表資料の一部として配布します。
 今回お話する内容は、後日冊子にして配布される予定です。

 興味と関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
(どなたでもご参加いただけます。事前申込み不要です。)


■総研大 日本文学研究専攻
 平成28年度第2回 特別講義

日時:平成28年12月21日(水)
   13:30〜17:00(開場 13:00)

場所:2階オリエンテーション室

プログラム:
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10 講義@伊藤鉄也
         「国文研蔵橋本本『源氏物語』の実態」
 15:10〜15:25 休憩
 15:25〜16:55 講義A寺島恒世
         「百人一首と歌仙絵」
posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | 古典文学

2016年12月18日

江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う

 新宿の都庁前にある平和祈念展示資料館で、企画展「絵と詩で綴る引揚げ−七十五日の旅記録−」を観てきました。

 この平和祈念展示資料館は、次のような趣旨のもとに運営されている、総務省委託の施設です。私は、今回初めて行きました。見ごたえのある展示だったので、今日だけでは見終えることができませんでした。また行くつもりです。


 さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。


 今回の企画展では、満州から引き揚げて来られた岩田ツジ江さんの「満洲さよなら」と「おもいでのきろく」が紹介されています。
 詩文集となっている作品には、ハルビンでの生活、日本の敗戦とソ連軍の侵攻で動揺する人々、ハルビンから佐世保への引揚げの様子が描かれていました。わかりやすい絵でした。私の母がハルビンで暮らしていた日々と、引き揚げてくる時の気持ちを想像しながら、丁寧に見ました。

 学芸員によるギャラリートークがありました。
 わかりやすく展示物の解説を伺いました。

 岩田さんは、大正15年(1926)に広島に生まれた方です。ハルビンで終戦を迎えられました。戦後20〜30年経ってから、こうした絵を書き始めておられます。
 1970年から1980年代に、多くの戦争絵画が描かれたのは、記憶の整理にそれだけの時間が必要だということのようです。
 岩田ツジ江さんは、傷を癒すために緑を多用しておられるとのことでした。このことに、興味をもちました。
 絵に記されたサインを見て、変体仮名を使った人名のことに気付きました。
 「都し江」「つじ江」「川志゛」という自筆の署名は、人名表記に変体仮名を使った時代のことを想起させたからです。「解説文」などには、「ツジ江」とあります。これは、後で調べたいと思います。

 岩田さんは、佐世保に引き揚げて来られました。母もそうだったのでしょうか。これも、これから調べて確認します。

 その後、引揚体験者による語り部お話し会があったので、これにも参加しました。
 引揚体験者が、自らの引揚体験を語る、という企画です。

 今回は手塚元彦氏で83歳の男性でした。昭和8年に満州の奉天で生まれた方です。戸籍では「支那」となっているそうです。
 子供の頃の奉天での生活を語ってくださいました。
 今思うと楽しいと。しかし、それにしても戦後は酷かったと。
 ロシア軍は軍隊と名を借りた強盗団だった。
 至近距離での殺戮を体験した。
 今でもうなされる。
 凍死で亡くなった人は放置されていた。
 それを、中国人が木に立てかけて試し斬りをしていた。
 日本人に対して、掌を返したように酷いことをしていた。
 孤児院で、毎日一人や二人は亡くなる。
 その処理作業に、お駄賃の握り飯がもらえる。
 等々

 淡々と語れるのは、それだけ苦しい体験が自分の中で漉されたからでしょう。

 貴重なお話を伺う機会を得て、いろいろと思うことが生まれました。
 そして、両親の満州での生活、父のシベリア抑留、母の引き揚げと、今になって知りたい思いが充満してきました。
 このことは追い追い自分の中に蓄え、両親への感謝の気持ちと共に育てて行くつもりです。

 出口で、非売品となっている平和祈念展示資料館で制作された2冊の冊子をいただきました。


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 いただいて来たばかりなので、まだ読んでいません。
 パラパラと見ただけでも、父と母が生きた場所と生活と時代が描かれています。
 この紹介は、また後日に。

 貴重な資料をいただきました。私がおりおりに確認できるようにする意味からも、以下に紹介します。

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posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月17日

銀座探訪(36)9年ぶりにアナログのシステム手帳を新調する

 9年前に、ノックスブレイン社のシステム手帳を、銀座の伊東屋で買いました。

「銀座探訪(5)手帳を探す」(2007年11月 9日)

 それまでにも、各社のシステム手帳を使ってきました。
 最初は1980年代に、聖書サイズのファイロファックスでした。山根一眞氏の影響が大きいものでした。
 以来、ノックスブレイン、エンポリオアルマーニ、アシュフォード、バインデックス、等々、いろいろな革製品を使ってきました。6穴のバインダーに、リフィルといわれる記入用紙をセットして使います。今も、記入済みの膨大な量のリフィルが、記録物として残っています。
 自分なりの設計によるリフィルも、用途別にたくさん試作してきました。着せ替え人形のように、リフィルを取っ換え引っ換えして楽しんでいました。6穴の穴開けパンチが大活躍をしました。

 しかし、2011年8月11日を境にして、日々の記録媒体はシステム手帳から iPhone へと移行しました。

 私が iPhone を使いだしたのは、2008年8月からです。
 以来、アップルとグーグルの電子カレンダーに、日々の予定などを記録してきました。
 過去のデータを確認したところ、電子版のカレンダーは2009年11月19日からのものが残っていました。
 このカレンダーの情報と、毎日記しているブログを通覧すると、私が生きてきた日々は、ほぼ再現できます。しかし、こうした電子的な記録がいつまで正確に再現できて確認できるかは、はなはだ心もとない気がしてきました。

 折しも、このイオ・ブログも、2017年3月31日(金)15時をもって、サービスは終了となります。これでまたまた、私が利用していた4つ目のサイトも閉鎖されます。
 電子デバイスは乗り換えながら、データをなんとか引きずっています。しかし、もうこのあたりが限界では、と思うようになりました。
 息子の話では、インターネットの次の世界が用意されだしたとのことです。今のコンピュータとの関わりも、また新たな時代へと突き進みそうです。

 アップル好きの私は、アップルウォッチを一時期腕にはめていました。しかし、3ヶ月も持ちませんでした。このブログに書く暇もないうちに、玩具と化してしまったのです。アップルの大失敗の試作品だといえるでしょう。iPhone との連携に失敗したのです。これが生き返ることは、もうないでしょう。それだけ、ネット社会ともてはやされて来たインターネットが、しだいに変質しだしているのです。
 アップルウォッチの復権があるとしたら、インターネットの次のネットワークシステムの中で生まれる可能性はあるかもしれません。その時にまた、アップルウォッチを腕にしようと思います。

 生来の新しもの好きなので、このインターネットの次の世界にも首を突っ込むはずです。しかし、これまでのように、全幅の信頼のもとに使うことはないと思います。
 特に記録は、紙に文字で書いたものが一番いい、と思うようになって来ました。
 千年近く前の古写本を研究対象としている身としては、当然のことかもしれません。

 目まぐるしく変わる世界なので、電子データに十全の信を置けなくなりました。
 その点では、紙に書いた記録の持続時間は、比べ物にならないほど長寿命です。
 そこで、銀座の伊東屋で新しくシステム手帳を買ってきました。アシュフォードの製品です。


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 これは、表表紙のポケットに iPhone が入れられます。デザイナーは、そのような用途を想定して作ったとは思われません。しかし、私にはこうした活用ができるので、数ある中から慎重に較べて、これに決めました。伊東屋の専属アドバイザーの女性の助言も、大いに参考になりました。
 リフィルに手書きで記録しながら、大量のデータはiPhone で管理する、という使い方を考えています。

 来年度からは、これまでとは生活が一変します。その生活パターンを考えて、このシステム手帳とiPhone が共生した組み合わせで、日々の情報管理をしていきたいと思っています。

 とにかく、新年に向けてスタートしました。
 ペンを持つということで、新鮮な感覚を思い出しています。
 入力から筆記へと、記録方法が変わります。
 ものの見方や考え方にも、それなりの変化があることを期待しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 銀座探訪

2016年12月16日

48年前の両親の写真を復元

 いろいろと身辺の整理をしていたら、ハードディスクから両親の写真が出てきました。
 母が亡くなった後、残された写真の多くを、娘にスキャナでデジタル化してもらった内の1枚のようです。


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 記録から、48年前の昭和43年3月に、大阪府八尾市の高安の里に住んでいた頃の写真であることがわかりました。私が高校1年生の時です。

 4畳半と6畳の二間に4人で暮らしていました。
 奥の台所は2畳ほどだったでしょうか。
 父の後ろに、私が使っていた勉強机があります。
 その左端に姉のギターがあるので、この机は姉との共用だったかもしれません。
 今では信じられないことながら、中学まではミカン箱か卓袱台で勉強をしていました。
 『巨人の星』の卓袱台返しのあれです。
 まだ電話もない時代だったので、急ぎの連絡は電報でした。

 明後日、満州から引き揚げて来た方々の展示やお話を聴きに行く予定です。
 ちょうど良いタイミングで、写真が見つかりました。

 満州で終戦となった父はシベリヤへ抑留され、母は命からがら日本に引き揚げて来ました。
 言い知れぬ苦労をしたはずの両親です。しかし、その話はほとんどしてくれませんでした。
 私の方から、もっと聞くべきだったかも知れません。

 母が中国残留孤児の番組をじっと見ていた姿を思い出します。
 2人とも、満州で生活を共にした戦友会には、いつも楽しみにして一緒に参加していました。

 この写真の頃、父は山一証券に勤めていました。
 何とか安定した日々になっていたことが、その表情からうかがえます。
 父52歳、母48歳です。

 以前、両親のことを書きました。

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010/4/3)

「わが父の記(4)父の仕事(その2)」(2010/4/6)

 あと2年で、私は父が亡くなった時の年齢に達します。
 こうして思い出すことで、両親への感謝の気持ちに代えたいと思っています。続きを読む
posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月15日

日比谷で従一位麗子本のことを話す

 ロシアからプーチン大統領が来日中です。今日は山口、明日は東京ということで、今夜の霞ヶ関周辺は厳重な警戒態勢となっていました。

 丸ノ内線の霞が関駅から地上に上がると、警察車両の隙間から、東京タワーが見えました。いつもと違う緊迫した雰囲気だと、こんな光景にも目が留まります。


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 日比谷図書文化館で鎌倉時代の源氏写本を読む中で、従一位麗子本のことが話題になりました。
 満州でその写本が消えていることや、その本文が特異なものであったと思われることなど、北小路健氏の『古文書の面白さ』(新潮選書、昭和59年、新潮社)を紹介しながら話しました。終戦後、長春にロシア兵が侵入してきた時に、持っていた古写本を古本屋に渡したという記事なども確認しました。

 また、私もその本を探し求めて長春を歩き回ったことも、お話しました。
 参考までに、私のブログを引きます。ご笑覧いただければと思います。

■従一位麗子本と満州のブログ記事 2種類

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008/2/14)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)

 本を求めての旅は、終わることがありません。
 橋本本「若紫」を読んでいると、諸本との本文の異同が多彩なので、話が尽きません。

 来週、この話を2箇所でしますので、詳細は後日まとめます。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月14日

豊島科研の研究会で『池田本「桐壺」校訂本文』を配布します

 歳の瀬の押し詰まったクリスマスイブに、豊島秀範先生が進めておられる科研の研究会が開催されます。


 科学研究費補助金「基盤研究C」︰研究代表者 豊島秀範
[源氏物語の新たな本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての共同研究]

第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会




 これは、10年前にスタートした〔基盤研究A〕の時から数えて、通算23回目の研究会です。
 そして、今回が最後の研究会となります。


日時:2016年12月24日(土)13:00〜18:00
場所:國學院大學120周年記念2号館1階 2103教室


 プログラムは下記の通りです。
 『源氏物語』の本文を取り上げる多彩な発表が並んでいます。
 興味と関心のある方は、どうぞご参加ください。

 なお、私はこの場で、できたばかりの冊子『池田本「桐壺」校訂本文』(第1版)を配布する予定です。
 この冊子については、「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)で報告した通りの、大島本にかわる『源氏物語』のテキストです。
 クリスマスプレゼントとしてお持ち帰りいただき、後日感想やアドバイスをいただけると幸いです。

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河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて ―一四の伝本から―
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)


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posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月13日

京洛逍遥(426)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く

 総研大文化フォーラム2日目(11日)の午前中は、国際日本文化研究センターで異分野、他分野の方々の発表を聞きました。
 知らないことばかりで、刺激的な時間の共有は気分転換にもなります。特に、「宇宙人存在問題」と題する国立天文台の福島登志夫先生(物理科学研究科天文科学専攻)の話は、「宇宙人はどこにいるのか、なぜ来ないのか」というテーマでした。考えても見なかったことなので、非常に興味深いものでした。

 午後は、日文研から貸切バスで京都市内に入りました。
 私は、国立歴史民俗博物館の小島道裕先生が案内してくださる、C コース「洛中洛外図屏風「歴博甲本」左隻の世界を訪ねる」(上京) に参加しました。

 荒木浩先生がご担当の、宇治源氏物語コースに行きたかったのですが、小島先生のコースが私の行動範囲内だったので、さらに深く知ろうと思いこちらにしました。荒木先生、すみません。

 まずは、歴博本「洛中洛外図屏風」の左隻左上に少し見えている桂川です。ただし、車窓からの写真です。


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 散策のスタートは、相国寺の向かいにある「花の御所」(同志社大学・寒梅館)からでした。


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 小島先生の楽しい説明を伺いながら、「洛中洛外図屏風」に描かれた室町時代の京洛を経巡りました。
 道々語られた、床屋さんの位置に気をつけろ、という視点は、確かに区画の角にあったのでおもしろいと思いました。

 狩野元信邸址は、「洛中洛外図屏風」の製作者を考える上で、描かれた絵とともに重要な地点のようです。


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 途中で、探し求めていた変体仮名の看板を見かけました。
 「う登ん」「楚者」「多古辨」は収穫です。

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 一条通りまで下り、引き返して小川(こかわ)通りを北上します。

 茶道の不審菴と今日庵への入口では、無電柱化の工事が進んでいました。ここは百々橋跡の地で、応仁乱の激戦の地です。


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 このすぐそばの茶道資料館で、お抹茶を一服いただきました。
 開催中の特別展は「私の一碗」で、この日が最終日。65碗が展示されていました。
 逸翁美術館からは「五彩蓮華文呼継茶碗 銘家光公」(磁州窯系、元時代、13世紀)が出品されており、筒井紘一先生は「絵唐津茶碗」(桃山時代)を出品しておられました。
 私には、まだ茶碗の良さはわかりません。しかし、選りすぐりの逸品でしょうから、じっくりと拝見しました。

 茶道資料館からさらに東に向かって上御霊神社まで、希望者10人ほどで歩きます。
 今日は、日文研の稲賀繁美先生とお話をしながらの散策でした。お父さんが稲賀敬二先生です。繁美先生の幅広い問題意識とユニークな視点は、ご一緒しながらたっぷりとうかがうことができました。親子2代にわたってご教示をいただけるとは、ありがたいことです。

 終着地点は上御霊神社です。


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 ここから我が家はすぐ近くです。しかし、荷物を宿泊したホテルに置いてきたので、それを取りに京都駅まで戻りました。

 今日1日の歩数は、14,668歩でした。『洛中洛外図屏風』の左隻をほとんど歩き回ったにしては、意外と狭い範囲であることを身体で実感しました。
 右隻の東側は、そうはいかないようです。

 歩くと、ものを見たり知ったり考えるときの、基本となる情報が得られます。いい機会をいただきました。小島先生ありがとうございました。小島先生のご著書を、今回伺った話を思い出しながら、あらためて再読したいと思います。

 小島道裕 2016『洛中洛外図屏風―つくられた<京都>を読み解く―』 (歴史文化ライブラリー)吉川弘文館

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posted by genjiito at 22:05| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月12日

総研大文化フォーラム(第1日目)で触読研究の成果を発表して

 無事にポスター発表を終えました。
 今年は、発表者に1分間の自己ピーアールの時間が与えられ、ストップウォッチに急かされるように、ショートスピーチをさせられました。

 私は、3年連続で触読研究の成果を報告していることと、音声のアシストで展開するようになったことに加え、昨日は国立民族学博物館で「古写本『源氏物語』の触読研究会をやってきたことをお話しました。

 ポスターセッションでは、30分の発表の間に、いろいろな方からお声掛けをいただきました。


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 みなさん、目が見えない方が本当に読めるのかなー、という問いかけから始まります。

 立体コピーのサンプルと、科研の三つ折りのチラシをお渡ししました。

 それぞれに課題と問題意識をお持ちの先生方や大学院生の集まりなので、ご自分のテーマとの接点を求めての質問が多かったように思います。

 『立体文字触読字典』と連綿のサンプルを、上記写真にもあるように、ポスターの右横に貼り付けて、自由に触っていただきました。みなさん、興味を示しておられました。

 懇親会でも、いろいろな角度からの質問や感想がありました。
 理科系の方々とお話をしていると、さまざまな刺激をいただけます。
 さらなるバージョンアップにチャレンジしていきます。

 みなさま、拙い話をお聞きいただき、ありがとうございました。
posted by genjiito at 07:22| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月11日

あり得ないことが我が身の周りでよく起こります

 全盲のお2人を新大阪駅に見送るために、早朝より茨木駅へ向かいました。

 新大阪駅では、今回食べられなかったタコ焼きやお土産に加えて、お昼のお弁当を探しました。

 無事に見送った後、所を変えて研究発表をする京都市西京区にある国際日本文化研究センターに向かいました。

 途中、乗り換え駅で、ホームから転落を防止するための昇降式ロープを見かけました。簡易型なので、これなら早く多くの駅に設置できることでしょう。


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 日文研へ行くバスは、小高い丘の上に向かってゆるゆると登ります。
 山は、冬の気配を見せています。

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 日文研に着いて、配布する追加資料などを準備している時でした。
 突然、姉から驚きのメールが届いたのです。

 まったくの偶然ながら、芦屋から上京した姉が、私が新大阪駅で見送った全盲のお2人を東京駅に出迎えに出ていた妻と、あろうことかバッタリと電車で出会ったというのです。

 姉からのメールの一部を引きます。


たった今、東京駅で会いました。広い東京でナガーイ総武線の車両のドアで。びっくりぽんでした。
本当にびっくりで、座席が向かい側なら見えてないし、一つ先のドアならわからないし、不思議なことでした。


すぐに、妻からも興奮気味にメールが届きました。


いやまあ、こんなことはそんなにあるものではありません。
世にも不思議な話でビックリです。


 まったく予期しない、妻と姉の遭遇があったのです。
 私の周りでは、こうした信じられないことがしばしば起こります。
posted by genjiito at 08:33| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月10日

民博で古写本『源氏物語』の触読研究会

 昨年度からスタートした科研費による「挑戦的萌芽研究」に関する報告です。

 現在取り組んでいる、「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(研究代表者:伊藤鉄也/課題番号︰15K13257)というテーマでの、第4回目となる研究会を、大阪にある国立民族学博物館で開催しました。

 東京から私と一緒に参加する4人(内、全盲お2人)とは、金曜日の早朝9時に東京駅構内の東海道新幹線八重洲南乗り換え口で待ち合わせをしました。
 尾崎さんは、お母さんが東京駅まで付き添って来られ、乗り換え口で引き継ぎました。

 福島県からお越しの渡邊先生は、駅職員の方の介助を得て、東北新幹線から乗り継いで東海道新幹線17番線ホームに来られました。駅員さんは、非常に親切な対応でした。
 出迎えと見送りに来た妻も、お2人との再会を喜んでいました。

 新大阪駅までの車中では、触読の実験をしました。
 まず、私が翌10日の総合研究大学院大学文化フォーラムで発表する、「i-Pen」という音声ペンを活用した触読と読み上げのテストです。


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 お2人からは、「i-Pen」による音声ガイドの説明がわかりやすくて、変体仮名を読みとるのに助かる、との感想をいただきました。
 ただし、改良の余地も多いこともわかりました。さらなる進歩をお楽しみに。

 また、触読字典の試作版も、実際に使ってもらい、意見をいただきました。これについても、改良点をたくさんもらいました。
 やはり、直接触っての意見をいただくと、改善すべき点がよくわかります。


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 新大阪駅に降り立って早々に、全盲の2人はホームで、点字ブロックのことを放送していることに感心したそうです。東京や福島では聞いたことがないと。

 新大阪駅から千里中央駅へは、北大阪急行を使いました。地下鉄の自動券売機には、「福祉」と書いたボタンがありました。これも、東京では見かけません。


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 ここでは、江坂駅までしか切符が買えません。その先へは乗り換えることになります。一気に行けないのは不便です。

 千里中央駅を出るとき、江坂駅からの清算をする必要があります。改札に駅員さんがおられなかったので、自動改札の横にあったインターホンで、障害者同伴の乗り越し清算の仕方を訊ねました。すると、障害者証明書を確認するので、ボックスに差し込んでほしい、とのことです。そのボックスがどこにあるのか、見回してもわからないのです。また、見つかってからも、どうしたらカメラで確認してもらえるのかも、さっぱりわかりません。

 相手の駅員さんは、モニタで遠隔対応です。目が見えない2人共に困惑しておられます。
 なんとか、2人分の証明書を小さな空間に差し入れて、モニタで確認してもらいました。晴眼者がいなかったら、手も足も出せず立ち往生です。いても、こんなに手間も時間もかかるのですから、これはあまりにも時代遅れの感覚ではないでしょうか。

 さらに、確認後はその後ろにある精算機の操作をさせられます。割引乗車券のボタンを押し、不足金額を投入します。ここでも、ボタンのアイコンと文章は「車椅子」なのです。視覚・聴覚障害の方は対象外なのでしょう。


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 そして、この車椅子ボタンの下には、「係員がまいります」と書かれています。しかし、係員は来られることはありませんでした。すべて、さらにその下にあるスピーカーの小穴から聞こえる係員と対応するのです。徹底した非人間的な対応です。

 北大阪急行がどのような会社なのかは知りません。しかし、今回の対処は、大いに問題だと思いました。この鉄道会社は、まじめに意識改革することが必要です。

 乗り替えとなった大阪モノレールの千里中央駅の自動券売機には、車椅子マークのボタンがありました。


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 これを押すと駅員の方が小窓から顔を覗かせて、窓口へ行くように指示されます。そして窓口で割引の処置をしてもらいました。今度はスムーズです。北大阪急行の酷い対応とは大違いです。

 ホームで、東京から一人でお出でになった高村先生と合流しました。高村先生は、一般の乗客の方に介助を受けながら、エスカレーターで上がって来られました。お節介だと言われている大阪のおばちゃんは、とても親切なのです。

 万博記念公園駅で、広島からお越しの田中さんと合流して、国立民俗学博物館へ歩いて移動しました。

 まず、国立民俗学博物館の広瀬浩二郎先生と、MMP(みんぱくミュージアムパートナーズ)の方々の案内により、「さわる展示」を体験しました。
 触ることで自分なりの理解が深まることに加えて、解説員の方の説明でさらに興味が広がります。

 これは、今回私が総研大の文化フォーラムで報告する、古写本『源氏物語』を触読する上で、耳から入る説明の役割を体感することになりました。目が見えない方にとって、耳を通しての音の情報は貴重です。

 見学中に、公務を終えてから来阪の大内先生も合流されました。
 今回は、韓国とオセアニアの展示をMMPの方の説明でしっかりと触り、拝見しました。

 展示室からセミナールームに移り、「第4回 古写本『源氏物語』の触読研究会」となりました。

 これまでとこれからの科研の取り組みから始まりました。

(1)「2016年6月から12月までの活動報告」
 科研運用補助員の関口さんから、本年の報告をしてもらいました。

(2)来年3月で一旦終わるこの研究会の今後について、私から現在わかっている範囲でお話しました。
 早速、大内先生から来夏の第5回研究会の会場として、高田馬場にある研究所を提供できる旨の申し出をいただきました。ありがたいことです。
 ということで、科研での取り組みが終わった後も、研究会と電子ジャーナルは発行し続けることの確認をしました。

 その後、私から次の報告をしました。

(3)研究報告「i-Penを活用した触読資料」と「立体文字触読字典」の取り組みについて。
 これは、関口さんと研究協力者である間城さんの協力によって、具体的な形を見せているものです。
 まだ熟していないプロジェクトについて、貴重な意見をたくさんいただきました。特に、「誰のためのものか」ということと、「広く興味を持ってもらえるものを目指すべきではないか」という点でのアドバイスをいただきました。これは、前回の研究会でも指摘された問題点です。今後とも、心して取り組んでいきます。

(4)研究発表「絵巻の触読と触察に関する実践報告―共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」―」(尾崎栞)
 学習と研究を区別する必要がある、という視点から、これから研究者になろうとする若者に、叱咤激励のアドバイスがありました。
 サポートが得られなくなっても続けられる、自立した研究を心掛けること。おもしろみを自分で見つけることが大事だということ、見ることの代用を触ることではできないので、その意味からも、触ることでオリジナルなことが出せないか、ということを考えたらどうかという意見が出されました。
 テーマによっては、共同研究か独自の研究かの見極めも大事だと、期待を込めた発言に終始しました。ありがたい指導の場となったことは、仲立ちとなった私も、ずっしりと重い課題をいただくこととなりました。

(5)研究発表「『群書類従』所収「竹取物語」冒頭触読レポート―弱視生徒の目をかりて」(渡邊寛子)
 変体仮名を取り入れた、弱視者を対象とした高校古典の実践報告でした。
 板書の実演も、本当に目が見えないとは思えない感動が伝わるものでした。


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 また、授業の録音を流しながら、熱く語りかける先生と生徒との、丁々発止のやりとりが、実にすばらしいと思いました。
 ただし、長年教職にある先生からは、ご自分の体験を振り返りながらも、自分が見えないものを黒板に書くのは邪道である、という考え方があることも述べられました。これもまた真実です。
 教える、ということの根源を問う問題提起でもあります。
 いろいろと考えさせられる時間を共有する機会を得ることができました。

(6)研究発表「浮舟巻の「つゝみふみ」と『花鳥余情』勘物―古註釈書に伝わる薫物の贈答様式について―」(田中圭子)
 『紫式部日記』にある「黒方をまろがして、ふつゝかにしりさきて、白き紙一かさねに、立文にしたり。」という部分から派生したワークショップとなりました。
 黒方によく似たものを立文にする、という課題のもとに、香の実演と解説がなされました。
 今回のものは「稲妻」だそうです。これに麝香をいれたら黒方になります。立文に包んだ練り香を、参加者みんなが、ありがたくいただきました。


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 食べてもいいとのことだったので、広瀬先生に倣って私も少し口にしました。蜜で練ってあるだけに、おいしいのです。しばらくして、お腹がホコホコと温かくなりました。

(7)研究発表「手でみる絵画の作成の基礎・基本−−「手でみる新しい絵画を作ろう」の取組から」(大内進)
 展覧会情報を中心とした発表でした。
 一枚のポスターが、北斎の「神奈川沖浪裏」になるのです。しかも、立体的なものです。形はデフォルメしないと立体の認識に至らないのだと。
 時間が来たので、大内先生の発表の続きは次の懇親会場で、場所を変えて行なうことになりました。

 研究会終了後、民博から懇親会会場までは、タクシーで移動しました。

 大内先生の引き続いての発表の後も、懇親会は大いに盛り上がりました。みなさんが喋り足りない思いもあったため、ホテルにチェックインしてから、また近くで語り合いました。
 日付が替わる頃まで、全盲の3人と見える3人が、熱っぽく日頃の思いの丈を語りました。

 昨年度採択された科研「挑戦的萌芽研究」としては、今回が最後の研究会です。しかし、今後につながる、充実した時間を共有することができました。
 来夏、さまざまな問題を持ち寄って、また討議を重ねたいと思います。
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月09日

総研大文化フォーラム-2016 で触読研究の成果を発表します

 今日の第4回「古写本『源氏物語』の触読研究会」の後、明日12月10(土)と11日(日)は2日間にわたり、京都にある国際日本文化研究センターで、総合研究大学院大学文化科学研究科が主催する「総研大文化フォーラム 2016」が開催されます。

 本年度は「異文化へ旅する、異分野を旅する ―文化科学からの招待状―」と題するテーマが設定されています。

 私は、第1日目(12月10日)の、Aグループ発表(16:00 ~ 16:30)となっており、会場はセミナー室1横です。

 今年の題目は、「指と耳で700年前の古写本『源氏物語』を読み書きする −視覚障害者と文化を共有するために−」としました。


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 これまでに、本文化フォーラムでは、以下の通り2回のポスター発表をしてきました。

■2014年 「視覚障害者と共に古写本『源氏物語』を読むための試み」
「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)

2015年 「指で読めた鎌倉期の写本『源氏物語』 ─視覚障害者と文化を共有する─」
「「学術交流フォーラム 2015」でポスター発表をする」(2015年11月21日)

 回を重ねるたびに、少しずつバージョンアップしています。
 総合研究大学院大学は多彩な分野の研究者や大学院生が集まっておられます。
 今年も、異分野からのアドバイスを楽しみにして参加し、発表してきます。
posted by genjiito at 08:30| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月08日

お気に入りの珈琲豆あり⧄

 今年もクリスマスに向けて、お気に入りのコーヒー豆を手に入れました。
 今回は、「コクのブレンド」ではなくて、もうひとつの「香りのブレンド」です。

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 実際にはさまざまなデザインのパッケージがあります。

 詳しくは、「珈琲焙煎工房 Hug」のホームページをご覧ください。
 これは、一般社団法人 高次脳機能障害者 サポートネットの工房で、障害のある人やその家族を支援している法人です。
 そこが運営する、就労継続支援事業B型「珈琲焙煎工房 Hug」では、珈琲豆の選別から焙煎・包装・販売を行っています。

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 姉に教えてもらってから、ここのコーヒーを飲むようになりました。
 とにかく、香りがいいのです。
 私は豆から挽くので、部屋中がふくよかな香りに包まれます。
 淹れてからは、マイルドな風味で、ゆったりとした気分になります。

 最近までは、コーヒーを午前5杯、午後5杯を飲んでいました。
 しかし、逆流性食道炎で苦しむようになってからは、半分ほどに控えるようになりました。

 血糖値の急激な上昇を抑えるために、砂糖は入れません。
 ミルクはたっぷりと入れます。それも、よつ葉牛乳にこだわっています。
 よつ葉牛乳は、大和平群で子供たちを育てた牛乳です。
 今も、京都の自宅でも、東京の宿舎でも、一番近いスーパーに置いてあるので、これを切らすことがありません。


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 恒例の年末年始の忙しさに加え、東京最後の年ということで、これから春先まではこれまで以上に飛び回る日々となります。
 そのような中で、このコーヒーが気分転換の一杯、いや5杯(?)6杯となるのです。
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | 健康雑記

2016年12月07日

インフルエンザの予防接種で額に光線を当てられて

 日増しに寒くなってきました。
 すでにインフルエンザが流行しています。遅ればせながら、私も予防接種をしてきました。自分のことよりも、人に迷惑をかけないようにするための対処です。

 先月初旬、インドへ行く前に予定していました。しかし、何かとバタバタする中で、つい延ばし延ばしとなり、一度入れた予約も変更しながら、やっと予防注射をしてもらいました。

 職場から指定されたのは、立川駅前にある健康管理センターでした。初めて行く所です。

 あらかじめ記入した問診票を受付に出すと、まずはペンライトのようなもので額を照射されたのです。
 受付窓口越しに、おでこに光を当てられるのは、慣れないことでもあり、また場所と身体の位置関係が不自然でもあり、気持ちのいいものではありません。瞬間に終わることだとはいえ、罪人扱いをされた気分になります。ウルトラマンのスペシゥム光線を浴びせかけられる怪獣ではないのです。目に光が入らなければいいが、と祈りました。

 これは、体温を測る新方式のようです。ところが、エラーが表示され、結局は脇に体温計を挟むことになりました。

 次々と来られる方の、見たところ半分以上がエラーです。
 外気温で頭が冷たくなっているので、とのことでした。しかし、今日はそんなに寒くはありません。まだまだ電子機器が開発途上というところでしょうか。明らかに、導入したのはいいが二度手間となっています。

 また、額に不可解な光線を当てられるのは、あまり経験のないことでもあり、気味が悪いくらいです。この体温計測方法は、人としての礼を失した行為だと思いました。
 もし導入するのなら、受付の窓口ではなくて、人目のない所ですべきでしょう。まだ、この計測のスタイルはお互いが慣れないこともあり、みっともない姿に見えます。
 病院では、羞恥心など関係ない、と言われればそれまでです。しかし、まだこの測定されている姿はどう見ても変です。

 さらには、脇に挟んだ体温計も、予定の90秒が経ってもピッピッという音がしません。我が家でも使っている、テルモの電子体温計でした。
 しばらく待っても何の反応もないので、窓口に申し出たところ、もういいでしょうとのことで、脇から引き抜きました。35.9度でした。

 インフルエンザの予防接種の際は、高熱があるといけないそうです。その点では、低体温なのでいいのでしょう。しかし、これはあまりにも低すぎます。自分でも記憶がないほどに、これは低すぎます。外気温のせいだとばかりは言えないと思います。もちろん、再度計る気はありませんが。

 私が何かを言う局面ではないので、言われるがままに順番を待つソファーに腰を下ろしました。

 たくさんの人が接種を受けに来るのですから、一々丁寧な対応は出来ないのでしょう。病気で来たわけではないので、流れ作業で進みます。一見さんなのでしょうがないとはいえ、雑な扱いだな、と思いながら名前を呼ばれるのを待ちました。
posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 健康雑記

2016年12月06日

江戸漫歩(147)丸の内界隈でイルミネーションの並木道を散策

 東京駅の丸の内北口に降り立つと、三日月から上弦の月になろうとするお月さまが、ビル群の明かりに飲み込まれるように浮かんでいました。


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 丸ビルの裏通りでは、並木道が幻想的なイルミネーションに包まれています。


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 歩行者天国という粋な計らいもなされていました。


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 日常とは違う空間の演出は、気分を一新してくれます。
 クリスマスが近いことも実感しました。

 日本郵便の商業施設「KITTE」のアトリウムでは、巨大なツリーのライトアップに圧倒されます。


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 最近は、全国各地で LED 電球によるイルミネーションが花盛りです。
 寒い季節だからこそ、こうした光の演出は、日頃たまりにたまった疲れを消し去ってくれるようです。
 文化財のライトアップと共に、少し贅沢な気分に浸れる一時に身を置けます。
 我々は、明かりを求める習性をもっているのでしょうか。
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月05日

読書雑記(184)上野誠『天平グレート、ジャーニー』

 『天平グレート、ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(上野誠、講談社、2012年9月)を読みました。


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 本書については、著者自らが扉裏で次のように記しています。


 期せずして運命の人となり、世界史上稀有の旅行者となった遣唐使判官・平群朝臣広成(生年不明−七五三)−本書はその広成と正倉院宝物、全銭香との奇縁を語る物語である。物語を通じ、万葉びとの思惟の一斑を、かすかながらにでも、感じ取ってもらえたならば−浅学の筆者これを無上の喜びとする。(12頁)


 また、目次の末尾には次の『続日本紀』の記述を掲載し、本作品の典拠資料として提示しています。


十一月辛卯、平群朝臣広成等拝朝。初広成、天平五年、随大使多治比真人広成入唐。六年十月、事畢却帰。四船同発、従蘇州入海。悪風忽起、彼此相失。広成之船一百一十五人、漂着崑崙国。有賊兵来囲、遂被拘執。船人、或被殺、或迸散。自余九十余人、著瘴死亡。広成等四人、僅免死、得見崑崙王。仍給升粮、安置悪処。至七年、有唐国欽州熟崑崙到彼。便被偸載出来、既帰唐国。逢本朝学生阿倍仲満、便奏、得入朝、請取渤海路帰朝。天子許之、給船粮発遣。十年三月、従登州入海。五月、到渤海界。適遇其王大欽茂差使欲聘我朝。即時同発。及渡沸海、渤海一船、遇浪傾覆。大使胥要徳等卅人沒死。広成等、率遺衆、到著出羽国。(『続日本紀』天平十一年条)(10頁)


 さて本書では、天平5年(733)に派遣された遣唐使にまつわる話が、おもしろおかしく展開します。阿倍仲麻呂を初めとして、吉備真備、山上憶良、玄宗皇帝等々、多彩な人物が登場します。
 登場人物と出来事が、非常に具体的でわかりやすく語られており、しばし作者の知識と想像力の豊かさに身を委ねました。

 大使(一等官)は多治比広成、判官(三等官)に平群広成が選ばれたのです。
 平群の先生である山上憶良は、この時は74歳。唐のことをいろいろと語ります。『遊仙窟』という書物は憶良が唐から持ち帰ったものだといいます。

 艱難辛苦の末に、遣唐使たちは長安にたどり着きました。それまでの逸話が、見るもの聞くものすべてが興味津々の中で語られます。日常生活から中国での風物まで、読者も一緒に見てきたような気分にさせられます。

 後半で平群広成たちは、中国・満州・朝鮮を経て、山形県の吹浦にたどり着きます。渡唐以来、足掛け7年の旅でした。
 読み終えて、大黒屋光太夫のロシア迷走とダブりました。「井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』」(2015年06月11日)
 共に、忍耐と叡智の戦いです。

 作中、井真成の存在が新鮮です。書籍を集めまくっていた男として。
 大阪の藤井寺へ行った時に、この男の詳細を知りました。「西国三十三所(17)藤井寺」(2010/10/18)にも記したように、もっと知りたい人物です。本作では点描に留まっていたので、少し残念でした。資料が少ないので、自由に描けなかったのかもしれません。

 本作品では、遣唐使の歴史的な背景と、中国の様子がわかりやすく語られています。しかし、登場人物たちの行動はどことなくぎこちないのです。作られた話という感触が拭えません。あらすじを聞いている感じが、最後まで残りました。

 後半に出てくる、林邑国の香木の全銭香の話は、興味をかき立てられました。
 沈香の中でも、蘭奢待に並ぶ名香です。このお香の話も、もっと語ってほしいところでした。

 ないものねだりをもう少し。

 私が20年にわたって子育てをした大和平群の地について、あまり詳しくは語られていません。
 思いつくままに引きます。
 まずは、唐へ出発する前に。


 憶良の宅を辞去した平群は、二ヵ月ぶりに故郷の平群の里に帰った。氏の名も、里の名も「平群」。われらは祖先の時代から、この地で暮らしてきたのだ。平城京の西南。生駒の山から南に続く谷が、平群の里だ。遣唐使判官となった広成を見ると、里の人びとはすぐに脆き、手を合わせた。しかし、広成は母のもとへと道を急いだ。母は遣唐使となったことを、はたしてどう思っているのだろう。
「帰りました。帰りました」
「おお広成よ。よく帰った」
「こたびは、遣唐使となりました」
「それで、どこに旅立つというのか」
「唐でございます」
「ほう、遣唐使とは唐に行くのか。そこは筑紫より西か東か」
「西です」
「ほーう、それよりまだ西があるのか」
「まだ、遠いです」
「そんなところで、大和の言葉は通じるのか」
「通じません」
「ならば、困ろう。だったら、行かぬがよい。ここに居れ」
「私は望んで望んで、判官にしてもらいました。ゆえに、そうはまいりません」
「いつ帰るのか」
「一年か二年はかかると思います」
「そんなに遠いのか。唐へは、馬で行くのか、船で行くのか」
「船でございます」
 これが、広成とその母との別れの言葉となった。(42〜43頁)


 次に、唐から帰ってから。


「食事はお口に合いましたか、平群の鹿肉を、平群の"ひしお"(味噌)をつけて焼いてお出しせよと申しつけておきましたが、いかがでしたか」
「久しぶりに、食べました。故郷の味でございます。ありがたく、ありがたく」(369頁)
 
 謁見の翌早朝、平群の里にゆくと、母は元気だった。母には、けっきょく、唐の美味い焼き菓子の話だけをして帰った。それ以外の話は、今後もいっさいしないと心に決めて帰ってきた。母は、あの雛くちゃの笑顔で、ただ笑ってさえいてくれればよいのだ。何も、知る必要などない。何も、教えたくない。母と会って、平城京に戻る帰り道に、こんなことを考えた。(373頁)


 平群の里に長年住まいした者として、その山なみと村里の小道を描いてほしいと思いました。山川草木が季節ごとに風物を語りかけてくれる里です。
 次のヤマトタケルの歌が紹介されていないのも、物足りなく思ったところです。


大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和しうるはし
 
命のまたけむ人はたたみこも平群の山のくまかしが葉をうずに挿せその子


 つい無理な注文を書きました。
 とにかく、スケールの大きな作品です。
 東アジアにおける日本というものを考えるのに、いい機会となりました。【3】
posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月04日

徳江元正先生(國學院大學名誉教授)のお通夜に行って

 徳江先生がお亡くなりになったとの報に接し、取るものも取り敢えずお通夜に行ってきました。
 JR総武線の本八幡駅からすぐの葬祭場です。

 徳江先生には直接の指導を受けたわけではないのに、いろいろと思い出すことがあります。

 先生には、大学の授業で教わっただけです。お能に関する講義でした。それ以外では、学内の学会でお目にかかっただけなのに、なぜか近しい気持ちを持っています。

 私が大阪の高校で教員をしていた頃のことです。
 國學院大學の国語国文学会で『源氏物語』の本文に関する研究発表をした後、会場近くの食堂で一人で食事をしていた時のことでした。同じ食堂で先に食事を済まされた徳江先生が、君のも一緒に払っておくからね、と言って出て行かれたのです。
 それまで、特にお話をしたことがあったわけではありません。一言だけ言い置いてお帰りになった、という感じでした。

 遠い所からご苦労さまだね、というお気持ちからだったのでしょうか。
 中世の能や芸能を中心とした研究をなさっていた先生とは、研究対象とする時代もテーマも異にしていて、特に親しく指導していただいたことはありません。それだけに、本当に恐縮しました。あの時の振り向きざまの優しい目が、今でも思い出されます。

 その後、私が高崎正秀博士記念賞を受賞した時(平成2年5月)、授賞式の会場だった百周年記念館の廊下ですれ違った折に、心温まる過分の労いのことばをいただきました。いい研究なので続けなさい、ということでした。
 直接の接点がない先生だっただけに、ありがたくお言葉をいただきました。
 個人的におことばをかけてくださったことが嬉しくて、今でも私の心に刻み込まれています。

 また、ある懇親会では、私を見つけて「ボクこっちへ」と呼ばれました。ごく普通に声をかけてくださったので、お声掛けのままにお側へ行くと、なんと歌人の馬場あき子先生に向かい合う席に座らされました。
 緊張しっぱなしの私に構うことなく、お二人の先生は私の横と前で楽しく歓談なさっていました。そして、徳江先生はカメラでパチパチと写真を撮っておられました。

 その後も、何度か上京した折に、「ボク、ボク」と気さくに声をかけてくださったのです。
 徳江先生に親近感を覚えているのは、学問的なことではなくて、こうした何気ない優しいお声がけをいただいたことが、その後もずっと忘れられないからでしょう。

 その当時、私の勤務校は新設高校で、380人の入学者のうち、100人以上が毎年退学していく学校でした。毎晩夜食が出るほどに、遅くまで職員会議で居残っていました。問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々のそんな中で、刺激を求めて上京すると、そっと声をかけてくださる徳江先生は、もっと勉強しようとの思いを強くした、ありがたい大先輩でした。

 自分の勉強時間の確保もままならない毎日でした。その学校には、9年間勤務しました。力まずに、自然体で勉強ができたのも、徳江先生のように黙って背中を押してくださる存在があったからだと、あらためて感謝しています。

 大学を出て20年ほど経ってから、遅ればせながら私が研究者としての道を歩み始めてからは、中古と中世の文学研究という守備範囲の違いからか、徳江先生とお目にかかる機会がなくなりました。よちよち歩きの私が、それなりの研究成果を出せるようになったのをご覧になったら、何とおっしゃったでしょうか。「ボク、もっといろいろなことをしなさい。」と優しいことばをかけてくださったのではないでしょうか。

 そんなことを思い、感謝の気持ちを込めて、遺影を見つめながらお焼香をしてきました。
 ご冥福をお祈りします。
posted by genjiito at 22:57| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月03日

江戸漫歩(146)皇居東を散策し出光美術館で仮名古筆を見る

 ぽかぽかとした陽気に誘われて、皇居東御苑側の竹橋駅付近から時計回りに、日比谷駅までを散策しました。皇居周辺では、九段下と日比谷という、ピンポイントしか知りません。長年東京にいたのに、あらためて皇居の周りを散策するのは初めてです。

 竹橋御門の説明が立派な石に刻まれていました。
 目の前に平川橋が見えています。その右手後方に東京駅があります。


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 この説明文を読もうとして、しばし目が泳ぎました。縦書きだと思って読もうとしたからです。原稿用紙のマス目のデザインだと錯覚しました。横書きだとは思いもしませんでした。


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 竹橋駅の近くから平川門を望みました。いつもは、この下を走る地下鉄東西線で通っています。通勤経路の地上を歩くと、頭の中の地図が立体的に再構成されておもしろいものです。
 お濠の鴨たちも、気持ちよさそうです。賀茂川の鴨たちを、遠足でここに連れて来たくなりました。


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 白鳥がいました。これは、賀茂川にはいません。


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 お濠の散策路に、秋田県のパネルが敷かれていました。今度のんびりとこのお濠ばたを一周しながら、私が行ったことのある都道府県を確認してみましょう。


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 本日のお目当てである、出光美術館へ行き着きました。今、開館50周年記念として「時代を映す仮名のかたち」という展覧会が開かれています。
 平安時代から鎌倉、そして室町へとつながる仮名の名品が、これでもかと並んでいます。国宝に重要文化財などなど、出光美術館所蔵の古筆を中心として、贅沢な展覧会となっていました。じっくりと古筆の名品の数々を堪能できました。

 休憩スペースで足腰を休めて皇居の紅葉を眺めては、また展示会場へ戻りました。


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posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | 変体仮名

2016年12月02日

谷崎全集読過(28)「呪はれた戯曲」

 この小説は、劇作家である佐々木の秘密を摘発し、その背景にあった恋愛事件を戯曲という創作を借りて読者に語る形式をとっています。谷崎特有の、「善と悪」がその底流にあります。
 佐々木は、妻玉子のか弱さと鈍感さに安心し、愛人の襟子に心を許していました。しかし、ある時、玉子の滂沱の涙にひるみます。予想外の女の姿を見たのです。
 この、玉子が涙を溢れさせる場面は、佐々木を通して執拗に描かれています。人間が泣く場面としては、これだけ言葉を尽くして語るのは珍しいと思います。涙をこれほどまでに詳細に分析して語ったものは、これが一番秀逸なものではないでしょうか。
 佐々木は日記を書いていました。その半年間の記述には、玉子を殺すまでの心の軌跡が記されていたのです。妻のヒステリーと男の神経衰弱は、ますます加速していきます。そして、男は妻への憎悪を抱くようになったのです。
 この作品では、身勝手な男の言い種がくどいまでに語られます。
 作中に戯曲の台本を配するなど、奇抜な構成も見せています。芸術と現実を語りながら、犯罪の実行計画が展開していくのでした。
 戯曲の中の言葉としながらも、男は次のような身勝手なことを言います。


(井上)うん、忌揮なく云へばまあそんなものだ。しかしお前が死なゝければ、己には死以上の苦痛が來る。お前の命と己の命と、孰方が貴いかと云へば、己の立ち場を離れて考へて見ても、己の命の方が貴い。お前は何の働きも自覺もない平凡な女だ。己は此れでも才能のある藝術家だ。孰方か一人の命を失つて濟む事なら、お前の命の失はれるのが正當の順序だ。それが當然の運命だ。無慈悲のやうに聞えるけれど、己は決して理由のない事を云ひはしない。理窟から云へば己は自分で手を下してお前を殺しても差支へはない。たゞ己には膽力がないから、進んで其れを實行する事が出來ずに居る。………(『谷崎潤一郎全集』新書版第六巻、199頁下)


 最後まで、男のエゴイズムが剥き出しの物語です。
 劇中劇という凝った仕掛けを用い、巧妙な口調で殺人事件を成立させたのです。ただし、読者としてはおもしろい話として読めても、非現実的な論理と理屈で構成された内容に、大いに違和感を抱くのは当然です。あくまでも、谷崎の実験的な小説だと言えるでしょう。【4】
 
 
初出誌:『中央公論』大正8年5月号
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | 谷崎全集読過

2016年12月01日

日比谷で橋本本を読む前に伊井先生の新著を紹介し大島本と池田本に及ぶ

 日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を読み進めています。

 今夜は、伊井春樹先生が最近出版なさった『大沢本源氏物語の伝来と本文の読みの世界』(おうふう、2016年10月10日)の第一章に置かれた、「5 大島本の本文の性格」の節を取り上げて、長く流布本として不動の地位を獲得している大島本が抱える問題点を確認しました。


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 現在、『源氏物語』を読む時には、大島本が基準本文として広く読まれています。そのことの問題を、伊井先生は独自の視点で批判的に提示しておられます。

 そこで、今日はまず、私が先日、本ブログに書いた「池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)」(2016年11月27日)を確認した後、伊井先生の文章を紹介しました。これが実は、私が提案しようとしている池田本の意義を支援してくださる内容となっているのです。

 今回私が読み上げた箇所を引用し、先生のお考えを確認しておきます。


 飛鳥井雅康が依拠したのが定家筆本であったとすれば、杜撰な態度でない限りもっとも信頼し得る青表紙本が出現していたはずである。それを後人が本文を正そうと、他の青表紙本を用いて次々と塗抹とか別の本文の書き込みをしていき、手が加えられるにともない正統な本文に変貌していったというのは、にわかに信じがたい。大体、室町から江戸期にかけて流布した青表紙本の存在そのものに信頼性が薄く、しかも同一伝本だけを用いての校訂というのであればまだしも、次々と江戸中期にいたるまで青表紙本と称される本文で校合されたとなると、大島本はもはや各本を吸収して成り立った不純な存在といえなくもない。(35頁)
 
 今日の大島本の本文は定家本に依拠しており、しかも後世の校訂によってさらに青表紙本の特色を持つにいたるとともに、定家本の親本は俊成本であり、さかのぼると藤原行成、紫式部の原本に近いとも評価されるが、それは幻想でしかない。
 繰り返すように、定家は一本だけを用いて本文作りをしたわけではなく、多くの本文から取捨選択して架蔵本を作成したのであり、しかも書写するたびに依拠本は異なりを示していた。定家本が周防国に流れ、飛鳥井雅康が書写し、後に大島本と称されるようになったにしても、この系譜にはかなり危なっかしさを覚える。それはすべて捨象しても、大島本になされた室町から江戸期にかけての無数の本文訂正の痕跡は、別に存在した純正な青表紙本を用いて幾度も確認しながらなされたわけでもない。当時流布した青表紙本と称される本文との違いを見て、思い思いに識者が所持本で書き込み、人々の手に渡っていった結果にしかすぎない。(36頁)
 
 大島本は手が加えられたことにより、共通する青表紙本の諸本からはかえって離れてし(ママ)った例は多く、一見洗練された表現が出現したとはいえ、内実は河内本や別本を取り込んでいるだけに、定家本という評価とは相いれないのではないかと思う。(42頁)
 
 純正な青表紙本を求めながら、現実には河内本の本文を読む結果になってしまったというほかはない。(42頁)
 
 「定家本」と書いてありながら無視し、行間に傍記とか削除した結果をそのまま採用してできあがっているのが「源氏物語大成」の本文であり、それを現在のテキストを含む注釈書でも、注記することなく継承して利用しているというのが実態である。統一をとるのは困難をともなうとはいえ、現状の大島本の底本のままでは誤脱、誤写があり、数次にわたる後人の訂正を無批判に採用して本文を確定してよいものかどうか、さまざまな問題が派生するのは確かであろう。
 大島本にはすでに指摘してきたように、削除、補入等によって本文の訂正をするとともに、行間には多数の語釈もなされる。当然のことながら語釈は採用しないのだが、右の「定家本」に「波」とわざわざ指摘しながら用いないのは、語釈と同一の注記と判断してのことであろうか。(43頁)
 
 もうこれ以上例を示すまでもなく、雅康が書写に用いたのは定家本ではあり得なく、また江戸中期まで数次にわたる書き入れや抹消などに用いられたのも、素性のよい本文ではなかった。そのために大島本は青表紙群からは孤立した独自異文を持つにいたるとか、逆に河内本に書き改められ、それを採用するという現象も生じてしまう。雅康が書写した当初の、いわゆる訂正される以前のうぶな姿を復元したところで、それが標準的なテキストとしては成り立たないだけに、複雑な抹消や書き入れの痕跡はより正しい青表紙本作りのためになされたと評価し、一部には不都合な校訂は無視しているとはいえ、方針としては大半を取り入れての本文作りをしていったのが「大成本」や「新大系」の成果である。ただそれではあまりにも不審が多いこともあり、過去の注釈書類は、大島本に依拠しながらも一部の巻は他の伝本を採用するという妥協策もとってきた。最有力の伝本が出現しない今日にあっては、大島本が定家本の流れを継承していると信じ、書き入れも取り込んで新たに作り出した本文は、結果として混態本になってしまっている、というのがいつわらざるところであろう。
 中世から伝統として育まれて来た定家崇拝の呪縛からいまだに抜け出ることができず、紫式部の原典というよりも、時代とともに変貌して来た本文を読んでいるのが実情かもしれない。それと、『源氏物語』はこうあるべきだとの観念が形成され、理想とする定家本を継承しているという共同幻想にとらわれ過ぎているのではないだろうか。このようなことを述べると、本文作りは絶望的になってしまうが、私としてはあまりにも大島本への偏重過多に陥ってはいけないという自戒を込めての言であることを諒とされたい。
 今日では大島本で『源氏物語』を読むのが当然視され、それ以外の伝本は排斥されて読む機会すらなくなりつつある。しかもそれは活字にするために校訂を経て生まれた新しい本文であることを忘れ、そこから語彙や文章表現を分析し、微妙なことばづかいに触れながら作品論にまで及ぶとなると、大勢としては仕方がないとはいえ、研究の世界からすると違和感を覚えてしまう。個人的には大島本が今日では最善本というのは理解できるにしても、その底本は書き入れを含めてまだ十全に読めていないのではないか、他の伝本も徹底的に読む必要があるのではないかとも思量する。かなり早くから本文研究は終息したように思われてきた嫌いがありはするが、とりあわせ本であってもそれなりに読まれてきた歴史的な意義を持ち、河内本であろうが、別本とされようが、一つ一つに精緻に向き合うことが、今後の長期にわたる『源氏物語』の研究には資するはずである。そのような思いから、以下大沢本と称された本文を、伝来してきた姿とともに考察しようとするのが本書の目的でもある。(45〜46頁)
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月30日

古写本『源氏物語』の触読研究会を開催します

 来週、古写本『源氏物語』の触読研究会を開催しますので、関係者のみなさまのご参加をお待ちしています。
 今回は、大阪の万博公園の中にある、国立民族学博物館をお借りして行ないます。


科学研究費補助金 挑戦的萌芽研究
「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(15K13257)代表者:伊藤鉄也
 
2016年度第2回研究会プログラム

 日時:2016年12月9日(金)
 場所:国立民族学博物館

T.民博のさわる展示の学習会(14時〜15時半)

 民博のさわる展示をMMP(みんぱくミュージアムパートナーズ)によるガイドでめぐり、触察の仕方や説明方法などの情報収集をする
 
U.古写本『源氏物語』の触読研究会(15時半〜18時)

(1)挨拶(伊藤鉄也)

(2)2016年6月から12月までの活動報告(関口祐未)

(3)研究報告「i-Penを活用した触読資料」(伊藤鉄也)

(4)研究発表「絵巻の触読と触察に関する実践報告
   ―共立女子大学図書館所蔵「竹取物語絵巻」―」(尾崎栞)

〜休憩〜

(5)研究発表「『群書類従』所収「竹取物語」冒頭触読レポート
   ―弱視生徒の目をかりて」(渡邊寛子)

(6)研究発表「浮舟巻の「つゝみふみ」と『花鳥余情』勘物
   ―古註釈書に伝わる薫物の贈答様式について―」(田中圭子)

(7)共同討議(質疑応答・用語確認と実験方法など、参加者全員)

(8)連絡事項(関口祐未)
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | 変体仮名

2016年11月29日

新幹線で乗り継ぎできない「モバイルSuica」と「エクスプレスカード」

 今回初めて、新幹線の乗り降りに、iPhone 7 Plus の「モバイルスイカ」と、いつも使っている「エクスプレスカード」を使用しました。いや、使おうとしました。
 しかし、改札を出入りするたびに、自動改札機でエラーとなり赤ランプが点灯しました。あれは、スムーズに移動しようとする気持ちが挫かれると共に、繁忙を極める駅員さんのお世話になり、申し訳ない気持ちになります。
 気持ちよく新幹線での旅ができなくなりました。

 駅員さんからは、なぜエラーになるのかという説明を受けました。
 しかし、いまだに私はよく理解できていません。モバイルSuica が導入されてから1ヶ月足らずだとはいえ、自動改札機に挟まれて、迷惑な足留めとなっていたことに違いはありません。後ろから続く人は、怪訝な眼を向けておられました。

 今回のエラーについて不思議に思い、ネットで調べてみました。
 駅員さんの話は、確かにネットに書いてある通り、間違っていません。しかし、売りとなっている「チケットレスでスピーディ乗車」とは大きく異なります。
 「エクスプレスカード」を併用する場合は、一枚の紙に印字された別のチケットを入手してからでないと、モバイルSuica が使えないシステムなのでした。JRが新しい時代に追いつくための過渡期の問題だとはいえ、どうもすっきりしません。まさに、時代に後押しされる中での見切り発車だったのです。

 今回いつものように使用した「エクスプレスカード」というのは、次のような謳い文句で普及しているものです。


エクスプレス予約は、東海道・山陽新幹線をスムーズ&スピーディに一年中おトクなおねだんで利用できる、会員制のネット予約サービスです。(https://expy.jp/top.php?


 次の説明もあります。


東海道・山陽新幹線をスムーズ&スピーディに一年中おトクなおねだんで利用できる、会員制のネット予約サービスです。
スマートフォンやパソコン、携帯電話を使い、オフィスや自宅、出張中や旅行中でも、東海道・山陽新幹線指定席の予約・変更ができます。また、乗車の際にEX-ICカードを改札機にタッチするだけで乗車ができます。(https://expy.jp/beginner/#sec1


 この「EX-ICカード」が、最新技術の成果である「モバイルSuica」とうまく連動させられなかった、というのが実情のようです。アップルのブランド力に押し切られたのか、時代に遅れまいとしたJRの焦りの結果なのか。

 次のお知らせが、そのことを語っています。


「【重要なお知らせ】 iPhone 7、iPhone 7 Plus、Apple Watch Series 2に関するご案内(2016.10.12)
 
◆都市圏用のICカードとして「iPhone 7等のSuicaがご利用できる対象端末」を利用する場合の在来線と新幹線の乗り継ぎについて

在来線と新幹線を乗り継いでご利用になる場合、iPhone 7等のSuicaがご利用できる対象端末と「EX-ICカード」を重ねて新幹線乗換改札機を通過することはできません。次のいずれかによりご利用ください。 
@ 新幹線ご乗車の際は、カード型の都市圏用ICカードをご利用いただく。
A 新幹線乗換口の指定席券売機または窓口で、「IC乗車票」をお受取りになり、新幹線乗換改札機では、「IC乗車票」を投入後、iPhone 7等の端末をタッチする。


 モバイルSuica の存在が、この説明文では完全に死んでいます。
 この説明を今読んでみて、いつも自動改札機で受け取る「IC ご利用票」とここに出てきた「IC乗車票」なるものとの違いすら、いまだによくわかりません。知ったからといって、どうということもありませんが……

 エクスプレス予約のホームページには、「よくあるご質問」のコーナーに「モバイル Suica」という項目があり、そこには次のような記載がありました。


Q. モバイルSuicaは、EX-ICカードやTOICA等の他のICカードと組み合わせて利用できますか?
 
モバイルSuicaは、Suica機能を持ったスマートフォンや携帯電話をEX-ICカードの代わりとしてエクスプレス予約でご登録いただくことで、スマートフォン・携帯電話1台で東海道・山陽新幹線と在来線の乗り継ぎができます。

そのため、モバイルSuicaと他のICカード(EX-ICカードやTOICA等の都市圏用のICカード )を重ねて新幹線自動改札機を通過することはできません(https://expy.jp/faq/category/detail/?id=24)(赤字は私が施したものです)


 前段の「乗り継ぎができます。」という文章が「そのため」ということばを挟んで、後段で「通過することはできません」と記されていることとが、私の中ではうまくつながらないのです。前段の文意が正確に読み取れると、後段につながるのかもしれません。
 「そのため」ということばは、日本語としてどのような働きをしているのでしょうか。日本語に精通した方には問題がない使い方なのでしょうか。
 自分の日本語の運用能力をさらけ出すようで躊躇います。しかし、私には今は説明できない日本語文なので、恥を忍んであえてここに記しておきます。

 そもそもJRは、電車を走らせる技術力はあっても、お客さまに関することには驚くほどに無頓着です。
 今回も、モバイルSuica で往復共にエラーが発生しました。これに関しては、ITの進歩にご自慢の技術力が追いついていないことを露呈しています。

 私の伯父は、特攻隊の生き残りでした。その伯父が、国鉄が最初にコンピュータを導入した時に、島根県の出雲から大阪に招集された1人でした。私が大阪にいた頃に、伯父はよく我が家にやってきて、コンピュータの勉強をしている話を、熱っぽく語ってくれました。

 私が大阪の高校を卒業する時に、伯父からいろいろな話を聞きました。私の家ではお前を大学へ行かせる余裕がないので、まずは国鉄に入り、そこから大学に行かせてもらう制度を使えと。自分が大学へ行きたいという希望は、そうすれば叶うのだ、と。

 両親からは言いにくいことを、父の弟という立場で、親身になって私に直接アドバイスをしてくださったのです。結局は、自分の判断で、朝日新聞社の奨学生となって大学へ行くことになりましたが。

 もし、あの時に国鉄で仕事をしながら大学へ行っていたら、その6年前に開業した新幹線の仕事をしていたかもしれません。新幹線には、私の人生と接点があったかもしれない鉄道だと思っているので、ついトラブルなどを聴くと気になるのです。

 さて、新幹線はこのモバイルSuica との融和を、近い内には対応させることでしょう。しかし、その頃にはまた新しいITのシステムが登場しているはずです。

 ハードウェアにはめっぽう強くても、ソフトウェアには弱い体質を持つJRは、今後はどうするのでしょうか。
 新しい人材の確保が必須なのでしょう。しかし、JRに優秀な人材が集まるかどうかは、若者のチャレンジ精神に頼るしかないようです。
 JRが魅力とやりがいのある企業なのかどうかは、若者の厳しい眼にさらされる中で選別されていくことでしょう。
 伯父がコンピュータへの熱意を語ってくれたことを思い出して、他事ながらJRに期待したいと思っています。

 こんなことを書きながら、今日「ジパング倶楽部」への入会手続きをしました。
 「エクスプレスカード」とはお別れします。
 「ジパング倶楽部」とは、次のような説明がなされているものです。


日本全国のJRきっぷが年間20回まで最大30%割引。
男性満65歳以上、女性満60歳以上ならどなたでもご入会できます。
ご夫婦のどちらかが満65歳以上ならご一緒にご入会できます。
年会費は、個人会員(お一人):3,770円(税込)、夫婦会員(お二人):6,290円(税込)


 妻は早くから、この「ジパング倶楽部」の会員でした。私も一緒に夫婦会員となってもよかったのです。しかし、この年齢設定に露骨な男女差別が見え隠れしているので、無視していました。
 また、その切符を入手するまでの、嫌がらせとしか思えない手帳の管理と手続きの面倒くささに、自ずと毛嫌いしていました。しかし、そんなことは大したことではないと思うようになりました。

 私は今月で65歳となりました。
 しかも、昨日は新幹線でいやな思いをしました。
 意地をはらずに、すなおに利を取ることにします。
 便利さだけを追究した生き様を見直す時期なのでしょう。
 これまでは、妻に合わせて新幹線の「ひかり」に乗っていました。
 妻と一緒でない自分一人だけの時に、「のぞみ」に乗っていたのです。
 来週からは、「のぞみ」に乗れる権利を放棄したという気持ちを持つこともなく、妻と一緒に「ひかり」で京都と東京の間を移動します。
posted by genjiito at 20:28| Comment(0) | ◆情報化社会

2016年11月28日

京洛逍遥(425)京大病院で検査と診察

 朝10時から、京大病院で糖尿病内分泌栄養内科の診察がありました。
 その前に、血液と尿の検査をします。
 血糖値などの検査結果を基にした診察なので、血液検査の結果が出ていないと、先生は診断も指導もできないのです。

 血液検査の結果が出るまでに、約1時間はかかります。
 そのため、9時には採血を終えておく必要があります。

 ただし、名だたる京大病院なので、受診者が多くて順番を待ちます。
 最初の関門は、予約者であってもしなければならない受付です。
 これをしないと、午後遅くまでかかります。
 そのために、長年の経験から、私は効率のよいタイムスケジュールを立てています。

 まず、必ず予約をしておくことです。これは、毎回の診察の時に先生がしてくださいます。
 予約なしで行った日には、お尻が硬直するほどに待たされます。

 私の主治医の先生は、外来の診察は原則として月曜日か金曜日に受けておられるので、週末は京都にいる私には好都合です。

 朝7時10分に自宅を出て、府立大学前のバス停から百万遍経由の京都駅行きバスに乗ります。高野川を渡り、バス停の近衛通りで降りて、目の前の病院に入ります。
 だいたい、7時45分頃になります。

 自動受付機は、8時15分から動きます。その順番待ちのために、あらかじめ来た順に整理番号を取ります。
 7台ある自動受付機の前のカードケースに、素早く目を走らせます。そして、もっとも番号の小さなカードの受付機の前の番号カードを取るのです。
 今日は、7号機の11番目でした。私のタイムスケジュールで病院に来ると、だいたい10番台前半のカードを手にできます。

 ロビーに設置されている大画面のテレビは、NHKの朝の連続ドラマ(小説?)を映し出しています。それが終わるとちょうど8時15分。自動受付機が動き出します。

 待合スペースで眠たそうにテレビを見ていた人は、一斉に立ち上がって自動受付機を目指して並びます。

 あっという間に、7列がみごとにできあがります。そして、みんなが手にした札を見せ合いながら、これまた瞬時にカード番号通りに整列するのです。
 日本人が得意な、両手を差し出して「まえになれー」まではしません。それでも、前から十数人は等間隔に並びます。ここで「まわれーみぎー」と言おうものなら、一歩足を引いてクルリと回りかねません。

 ここでみんなは、自然と手に持っているカードを周りの人に見えるように、数字をちらつかせるようにしています。一々「何番ですか?」と聞かれるのが煩わしいからです。この心理と動作には、微妙な気持ちが入り交じっています。

 ここで受付を済ませると、小さなリモコンが出てきます。その液晶画面に表示される案内が、今日一日の病院内での道案内と呼び出しサインとなります。

 早速、採血のために2階に移動しました。
 ところが、今日はここの自動受付機が故障とのことで、5人ほどの看護士さんたちが数字を印字した整理券を走り回りながら配っておられました。
 いつもはスムーズに進む手続きが、なんと大混乱です。窓口の方3人が、手作業でてんてこ舞いでした。器械は突然壊れるものです。機械に頼る日々となり、もう忘れかけていた仕事をこなすのに、お3方は大変そうでした。

 上京の新幹線で眠気覚まし代わりに書いていたら、つい余計なことを綴っていました。

 肝心の診察の結果を記しておきます。

 今日のヘモグロビン A1cの数値は「7.2」でした。先月は「6.9」だったので、大幅にアップです。ただし、致命的なものではありません。

 先生からは、夜には血糖値が下がらないので、食事を早めにすることと、お酒は糖質のないもので割るように、というアドバイスをいただきました。
 懸案の鉄分不足は、もう完全に解消となりました。貧血状態もまったく気にすることはありません。

 とにかく、もろもろがおおむね良好です。さらに血糖値の上昇に気をつけながら、マイペースで食生活を続けることにします。というよりも、朝晩の食事とお弁当で苦労をかけている妻の負担を軽くするように、もっと自分の意識を高めたいと思っています。

 帰りは、荒神橋のそばの亀の飛び石伝いに賀茂川を渡りました。


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 河原では、丸まると太った鴨が食事中です。


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 鷺と鴨が仲良く遊んでいます。


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 京都地方法務局と京都市役所で用事を済ませ、烏丸御池の歯医者まで歩いて散策しました。

 在原業平邸址の横の自動販売機の業平歌は、秋のままでした。


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 角の町家のレンタルスペースでは、シャネルが若い女性を大勢集めていました。


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 夕方の京都駅前では、好評の水芸と京都タワーのシルエットと電飾が一緒に見られました。


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 私が見つけた、人を掻き分けずに新幹線に行ける通路は、今日もゆったりと行けました。その通路から、JRの改札口と電飾のバス停付近を撮ってみました。


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 今日、スバコで買ったお弁当は非常にヘルシーなものでした。
 こうした京都ならではのお弁当は、改札を入る前に買うといいのです。


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 毎回、このスバコで買うお弁当が、上京の折の楽しみです。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年11月27日

池田本校訂本文レポート〈0〉(伊藤)

 池田本の校訂本文がほぼできあがり、当初の予定では、インドへ旅立つ前に関係者に配布する予定でした。


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 しかし、大島本で擦り消されている箇所に関して、カメラ付きの拡大装置を使った調査の成果が、出来上がっていた池田本校訂本文に盛り込まれていないことがわかりました。

 藤本孝一先生のご指導を受けながら、岡嶌偉久子さんなどと一緒に京都市文化博物館の地下の一室で大島本の精細な調査をしたのは、2007年から2年間でした。「桐壺」巻は2007年10月27日と2008年7月12日だったことが、手元の記録に残っています。

 その時の調査結果が、今回の池田本の校訂本文の注記に、まったく反映していないことがわかったのです。
 そこで今日、最後の確認と補訂を、立命館大学の須藤圭君と一緒に、京都で4時間半をかけて行ないました。

 大島本の傍記で削り取られた異文注記に、あの幻の写本とされる従一位麗子本が伝える本文が新たに確認できたことは、今日の補訂作業での一番の収穫です。

 また、大島本で削り取られた傍記には、池田本の異文注記と思われるものも含まれていることなどが確認できました。池田本の校訂本文を作成する過程で、その注記に大島本の書写様態を記述することにした副産物は、予想外に大きなものであることがわかったのです。これまで確認されていなかった大島本の削除箇所の本文が、精査した時の資料を再確認する中でいくつも追補することができたことは、編者にとっても僥倖でした。

 その詳細は、共同編集者である須藤君に、「池田本校訂本文レポート〈1〉〜〈?〉(須藤)」として連載でまとめてもらうことになりました。私の元に届き次第、本ブログに掲載しますので、楽しみにお待ちください。

 今回の新しい池田本の校訂本文は、「江戸の源氏から鎌倉の源氏へ」というスローガンで推進しているものです。
 いつ終わるとも知れない、気の遠くなるプロジェクトです。ご意見をいただくことで、より使い勝手の良い校訂本文に仕上げていくつもりです。ご支援のほどを、よろしくお願いします。

 岡山を発つ時に小降りだった雨が、京都では本降りとなっていました。雨と一緒に京都入りです。

 今日も大仕事を終えました。
 ぐっすりと眠れそうです。
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年11月26日

岡山の就実大学で「世界中の33言語で読める源氏物語」という話をしました

 岡山の就実大学<表現文化学会>の2016年度公開学術講演会に呼ばれて、海外の『源氏物語』の翻訳状況についてお話してきました。

 大学はきれいで、特にパリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドを模したオブジェが、一際注意を惹きました。下には食堂があるそうです。
 (以下の3枚は帰りに撮ったものです。)


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 さて、今回のテーマの話だけでは印象に残らないと思い、私の翻訳本コレクションから私の手元にしかないと思われる本を中心に31冊を選書して、会場に持参しました。
 終わってから、学生さんを始めとする参会者のみなさまに、実際に翻訳本の現物を触っていただきました。中身がわからなくても、表紙の絵柄や、本の手触りを実感していただくことができたと思います。

 私の話はともかく、一生触ることのない本を通して、異国の地でそれが読まれていることを想像するだけでも、心が世界に拡がるはずです。そして、日本で育った文化の結晶としての『源氏物語』が持つ意義に思いをいたしてもらえたら、それだけで私の役目を果たしたことになります。それが、国際交流の原点となるはずです。

 誇れるものを持つ文化に対する理解を、これを機会に深めてもらえるという感触を、本日の会場みなさまの表情から感じとることができました。
 お集まりのみなさま方が、興味と好奇の心をもって、私の拙い、とりとめもない話を聴いてくださったことに感謝しています。

 今回配布したプリントの冒頭に、次の文章を掲げました。


 『源氏物語』は、33種類の言語で翻訳されています(2016年11月26日現在)。
 本日は、その翻訳本の表紙と中身および収集の来歴を紹介し、そこから見えてくる今後の新しい研究テーマをお話ししたいと思います。
 私がこれまでに確認し、収集した『源氏物語』の翻訳本は、次の通りです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
アッサム語・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語・英語・エスペラント・オランダ語・オディア語・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミール語・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語・ヒンディー語・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

■インドで翻訳を進めている10言語■
【アッサム語・ウルドゥー語・オディア語・タミール語・テルグ 語・パンジャービー語・
 ベンガル語・ヒンディー語・マラーティー語・マラヤーラム語】(カンナダ語)
  (インドの言語は約870種類以上、連邦憲法では22の指定言語、紙幣には17言語)

 本日はこの中から、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただける31冊を選書して持参しました。


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 また、最新の翻訳情報をA4版で26ページ分にまとめ、長く手元に置いていただける資料集を配布しました。
 (1)「インド8言語訳『源氏物語』の書誌」
 (2)「就実大学での展示一覧」
 (3)「源氏物語翻訳史年表」
 いつか、何かの折にでも、そういえば『源氏物語』の翻訳が、と思われた時に参考になる、情報満載のプリントにしたつもりです。
 この資料集のデータは、「海外源氏情報」(http://genjiito.org)で公開しているものを中心に編集しました。いつか、何かのお役に立てば幸いです。

 この配布物のうち、(2)「就実大学での展示一覧」は、今回のために選書した翻訳本のリストなので、記録としてその一部の情報を以下に引いておきます。


--------------------------------------
アッサム語
Atul chandra Hszarika
(アトゥール・チャンドラ・ハジャリカ)
Genjikonvarar Sadhu
Sahitya Akademi
2005
青地にサヒタヤ・アカデミーのマークがついている。
--------------------------------------
アラビア語
Ahmed Mosta FATHY
(アハマド・モスタファ•ファテヒ)
Syrẗ ạlạmyr gẖynjy
(源氏王子の物語)
メリット出版社
2004
アラビア語と日本語の文字
--------------------------------------
イタリア語
Adriana Motti
(アドリアナ・モッティ)
STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2006
三代歌川豊国の「風流げんじ須磨」
--------------------------------------
イタリア語
Maria Tresa Orsi
(マリア・テレサ・オルシ)
LA STORIA DI GENJI
Giulio Einaudi editore
2012
表紙と箱は国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎氏が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』作者は山口伊太郎氏。同氏の遺作。
--------------------------------------
英語
Arthur Waley
THE TALE OF GENJI
George. Allen & Unwin
1935
表紙は赤い地に、金字で『源氏物語』と書いてある。背表紙も金字。
--------------------------------------
英語
Dennis Washburn
The Tale of Genji
W W Norton & Co Inc
2015
五島美術館所蔵 国宝 『源氏物語絵巻』 39帖「夕霧」(刺繍)で、夕霧の手紙をとろうとする雲居雁
--------------------------------------
英語
Edward G. Seindensticker
THE TALE OF GENJI
Charles E.Tuttle Company
1979
(3版)
表紙と外箱は、円山応挙『藤花図』(重文・根津美術館蔵、1776年)
--------------------------------------
英語
Royall Tyler
THE TALE OF GENJI
Penguin Books
2001
外箱の表は舞楽図『五常楽』裏は右を向いた女性、本の表紙は赤い地に絵巻を参考にした人の顔の輪郭を黒い線で描いている。1巻は男性で、2巻は横向きの女性である。
--------------------------------------
英語
末松謙澄
GENJI MONOGATARI
丸屋
(現:丸善)
1894
赤地に金色で源氏香の図が描かれている。薄い紙のカバーがかかっている。
--------------------------------------
オランダ語
Jos Vos
(ヨス・フォス)
Het verhaal van Genji
Athenaeum
2013
バーク・コレクションのひとつ、1巻は土佐光起筆『源氏物語画帖』「花宴」
--------------------------------------
クロアチア語
Nikica Petrak
(ニキツァ・ペトラク)
Pripovijest o Genjiju
Naklada Ljevak
2004
『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻(二)。夕霧が笛を吹いている場面。
--------------------------------------
スペイン語(ペルー版)
HIROKO IZUMI SIMONO
(下野泉)•IVAN AUGUSTO PINTO ROMAN
(イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン)
EL RELATO DE GENJI
ペルー日系人協会(APJ)
2013
國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音」巻
--------------------------------------
スロヴェニア語
Silvester SKERL
(シルベスター・スカル)
PRINC IN DVORNE GOSPE
Državna založba
1968
浮世絵(女性の絵)
--------------------------------------
タイ語
あさきゆめみし
1980
『あさきゆめみし』
--------------------------------------
タミル語
K.Appadurai
(アッパドライ)
Genji Katai
Sahitya Akademi
2002(新版)
金閣寺の前で近世風の男女が並んでいる絵
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中国語
康景成
(kāng jǐng chéng)
源氏物語
陕西师范大学出版社
2012
徳川美術館蔵『源氏物語絵巻』「柏木三」(復元図)で、光源氏が生まれたばかりの薫を抱いている場面。
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中国語
林文月
( LIN Wen Yueh)
源氏物語
訳林出版社
2011
全3冊共に薄い紫色
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ドイツ語
Herbert E. Herlitschka
(ヘルベルト・E・ヘルリチュカ)
DIE GECHICHTE VOM PRINZEN GENJI
Insel Veriag
1995
江戸時代の役者絵
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ハンガリー語
Horvàth Làszlo
(ホルバート・ラースロー)
Gebdzsi szerelmei
Európa Könyvkiadó
2009
1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉筆『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、3巻は京都国立博物館蔵の伝・土佐光元筆『源氏物語図』「蜻蛉」。
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ハングル
전욤신
(田溶新•チョン•ヨン•ハク)
겐지이야기
(源氏物語)
ZMANZ社
2008
表紙は植村佳菜子画・伊藤鉄也所蔵の源氏絵を無断で改変。
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パンジャービー語
Jagjit Singh Ahand
(ジャジット・シン・アナンド)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2001
一楽亭栄水作『美人五節句・扇屋内さかき わかは』を加工したもの。
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ヒンディ−語
Chavinath Pandey
(C.パンディ)
Genji dī Kahānī
Sahitya Akademi
2000
『枕草子絵詞』第一段で中宮定子と対面する、妹の藤原原子(淑景舎)の姿をモデルに加工したもの。
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フランス語
YAMATA KIKOU
(山田菊)
LE ROMAN DE GENJI
PLON
1952
文字のみ
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ポルトガル語
(1巻)Lígia Malheiro(リヒア・マリェイロ)
(2巻)Elisabete Calha REIA(エリザベート・カーリ・レイア)"
O Romance de Genji
Exodus
2007
立松脩氏デザインの首飾りをしている黒髪の女性の絵
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ポルトガル語
Carlos Correia Monteiro de Oliveira
(カルロス・コレイア・モンテイロ・デ・オリベイラ)
O ROMANCE DO GENJI
Relogio D'agua
2008
1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、2巻はハーバード大学美術館蔵の土佐光信筆『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたものである。
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マラヤラム語
P.K.Eapan
(イッパン)
Genjiyude Katha
Sahitya Akademi
2008
国際聚像館(広島県福山市の坂本デニム株式会社が創設した美術館)が所蔵する、『源氏物語挿絵貼屏風』(六曲一双)「初音」巻と類似した絵
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モンゴル語
ジャルガルサイハン•オチルフー
ГЭНЖИЙН ТУУЛЬС 
ADMON
2009
石山寺蔵 狩野孝信筆『紫式部図』(部分)
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 さて、お話した内容は、多岐にわたるものだったので、それは省略します。
 これまでに海外で出会った『源氏物語』とのエピソードを中心にしました。

 いろいろな体験談を含めてお話した中で、一番興味をもっていただけたのは、イタリアの本屋で「ゲンジモノガタリプリーズ」と言ってイタリア語訳『源氏物語』を手に入れたことだったように思います。
 これは、私のブログの、「ヴェネツィアから(7)イタリア本」(2008/9/14)に書いたことなので、ご笑覧いただければと思います。

 ないはずのウルドゥ語訳『源氏物語』があったこと、しかもそれが偶然に見つかった話にも興味を示されたようです。これも、次の記事を書いています。
 「ウルドゥー語訳『源氏物語』をインドで発見」(2009/3/5)
 「「ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本発見」((2016/2/19)
 先年刊行されたオランダ語訳『源氏物語』の、ネット上での本の分類が「horror」(ホラー・恐怖)となっていることは、後で学生さんからの質問にも出たので、意外だったようです。

 『源氏物語』の翻訳本を「訳し戻し」することによって、日本文化が海外にどのように伝わっているのかをみんなで考えよう、というテーマは、これからの若い方々を意識して話題を提供しました。
 「各国語翻訳を日本語に一元化したものを通して、日本文化が変容して伝えられていく諸相と実態を確認し、研究者等との共同研究で考察していきませんか。」という趣旨の、コラボレーションを基にした提案です。

 さて、こうした物の見方が、若い方々にどのように伝わったのか、気になるところです。

 その後の別室での自由討論も、先生方のお人柄も感じられて、温かい雰囲気の中で話が盛り上がりました。
 さらにそれは、外に出ての懇親会でも引き続き楽しい話題が飛び交うこととなりました。
 久しぶりに、こんなに和やかで楽しい会に参加させていただきました。若い先生方のお考えもたくさん伺えたので、すばらしい情報交換となりました。そして、私と同世代の方々とは、若き日々の懐かしいテレビ等の話題で、若返った気持ちになりました。

 今回の仕掛け人は、大学時代に同級生だった岡部由文君です。
 その縁で、就実大学の先生方と気持ちを通わせる機会をいただけました。
 みなさまに、あらためて感謝しています。

 散会した頃には、小雨が降り出していました。

 岡山駅前のホテルに入ったところ、サイドテーブルに『古事記』の現代語訳(竹田恒泰訳、竹田研究財団古事記普及委員会、平成24年1月)が、お決まりの聖書と並んで置いてありました。


161126_kojiki




 その巻頭に、次の言葉が印刷されています。


「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトについて



本書は『古事記』完成千三百年にあたり、古事記普及委員会が立案した古事記普及事業に基づいて行われた「古事記を全国のホテルに置こう!」プロジェクトにより、ホテル等に無償にて配布されたものです。このプロジェクトは日本の将来を憂う全国の有志の募金によってまかなわれています。プロジェクトへの支援をご希望なさる方は、巻末に記載した「発行所」の古事記普及委員会へご連絡ください。(6頁)


 こうした本を始めて見たので、非常に興味を持ちました。
 これがありなら、日本人のみならず、海外からお越しの方々にも日本の文化理解に資するものとして、『源氏物語』の現代語訳もありでしょう。
 きっと、日本を知っていただくのに、お役に立つはずです。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の議題にしてみましょう。

 そんなことを思いながら、岡山の一夜を満喫しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語