2017年02月04日

奈良で始まった「さわって楽しむ体感展示」

 今日から12日(日)までの9日間、「第32回国民文化祭・なら2017」と「第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会」の一体開催という試みのプレイベントである、「奈良県障害者芸術祭 HAPPY SPOT NARA」が始まったので行ってきました。

 近鉄奈良駅前の行基菩薩像が建つ「行基広場」には、横断幕があります。
 ちょうど、2人の托鉢僧がいらっしゃいました。


170204_gyouki1




170204_gyouki2




 会場となっている奈良県文化会館は奈良県庁の裏手にあり、右手に若草山がかすかに望めます。


170204_kaikan




 奈良で子育てをした20年間に、この周辺はしばしば子供たちを遊ばせるために訪れました。秘密の駐車場に車を停めて、子供を奈良公園や東大寺や春日大社などの境内に放し飼いにしました。奈良公園・平城京跡地・唐招提寺と薬師寺・法隆寺・三室山と竜田川・馬見丘陵公園・石上神宮から山野辺の道・信貴山は、子供たちの遊び場にしていました。30年前のことです。

 奈良県文化会館は、母を連れて都はるみのコンサートに一度だけ来たことがあります。

 さて、今回のイベントでは、2階E展示室で行なわれている「さわって楽しむ体感展示」を見るために来ました。これは、“見る”鑑賞ではなく、“さわる”鑑賞を中心とした展覧会です。国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生が関わっているとのことだったので来ました。

 この展覧会の紹介は、「奈良で開催される「さわって楽しむ体感展示」のお知らせ」(2017年01月24日)に、広瀬先生の文章を引いて詳しく書きましたので、ご参照ください。

 2階の会場へ行くまでに、道案内がないので戸惑います。館内の方に聞きながら行った方がいいと思います。奥まったところが会場なので、けっこう辿り着くまでに不安になります。

 キャッチフレーズに「カタチをさわって、奈良をさわって、新たな発見をしてみませんか」とあるように、触るということがコンセプトとしてあります。

 カーテンを押し開いて中に入ると、右のモニタに広瀬先生のビデオ解説が流れていました。展示物を触る上でのマナーなどが語られています。まずは、手を消毒してから触りましょう、などなど。


170204_hirose




 今回の展示概要として、次のことが謳われています。


・触ることで再発見を楽しめる「触る絵画」や立体作品
・歴史を肌で感じられる、奈良にまつわる品など


 私は、「さわった本物をあててみよう!」がおもしろいと思いました。3問とも当たりました。手触りの微妙さを、今回初めて体感しました。


170204_sawaru




 展示されていた彫刻や絵画には、あまり新鮮さを感じませんでした。ただし、興福寺銅像仏頭(旧東金堂本尊、模造)は、日頃触ることのない仏様なので、心ときめくものがありました。
 その点から言えば、「奈良」というテーマがうまく活かされていません。歴史と地理をどのようにして感じてもらうかは、さらなる検討が必要だと思います。

 また、今回の展示は、緊張感に欠けるようにも思えました。もっと意外性を体感できる仕掛けがほしいところです。ごめんなさい。私は学芸員の一人として、展示のプロの役割という視点で見た感想でもあります。

 関係者の方お2人にお話を伺ったところ、今回のイベントを担当した県庁の担当部署には、障害者のことを専門とする方はいらっしゃらないとのことでした。触読について伺いたかったことがたくさんあったので残念でした。
 広瀬先生や奈良県立盲学校の美術の先生のアドバイスやアイデアや機材に助けられて開催に漕ぎつけられたようです。専門家に任せた生温い安心感が、この部屋には満ちています。それが、今回の展覧会における、思い遣りと思い入れと情熱と感じてほしいという熱意が欠けていた原因のように思われます。

 展示室の各所に、詰め切れないままに漠然と置かれた物や、導線から伝わるストーリーの不整合性を感じたのは、親身になっての取り組みにならなかったことがあるのではないでしょうか。
 中盤から私は、展示物を触る楽しみを感じなくなっていました。仏頭以外は。
 2周しました。しかし、もう1周してみようとは思いませんでした。もう1回、と思わせる味付けがあれば、楽しさが倍増することでしょう。

 出口でアンケートを書きました。そのテーブルに、展示物の配置を立体コピーにした会場案内図があります。A4版のカプセルベーパーに立体コピーしたものです。
 お尋ねしたところ、私が使っているビアフの機器と同じものを奈良県立盲学校から借りて来て、県庁内で作成したとのことです。そうであれば、この立体コピーは、展示を見て触って楽しんでもらうために、もっと有効利用ができるはずです。これでは、あまりにももったいない、立体コピーによる略図の資料に留まっています。
 「触読の研究をしている私たちの成果」を、いつかこうした展覧会とタイアップして盛り上げたいと思うようにりなりました。

 視覚障害者に関する慣れないイベントのため、担当なさったみなさまがご苦労なさったことは理解できます。そのことを忖度しながらも、非礼を承知で思いつくままに記しました。勝手な偉そうな無責任な放言は、ご寛恕のほどをお願いいたします。

 これは秋のためのプレイベントだとのことです。秋の本番では、展示内容の吟味と説明の工夫、そして来場者がもっと楽しめるものにしてくださることでしょう。
 さらなる発展と展開を楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年02月03日

新幹線の車中で政局放談をするおじさん

 昨日の京都の早朝は、小雪が舞っていました。始発の新幹線は、米原を出て関ヶ原あたりにさしかかると白銀の世界でした。

 快晴で暖かい東京に着くと、九段坂病院で朝一番の診察を受け、立川に向かいました。新幹線の車窓から見た景色が嘘のようです。
 一仕事をしてから夕刻に日比谷へ向かう時も、コートがなくてもいいほどでした。

 日比谷図書文化館であった小一時間の打ち合わせは、スタッフのみなさまのきめ細やかなご配慮のおかげで、すべて順調にまとまりました。
 その後の古写本『源氏物語』を読む集まりで、心配していただいていた4月以降のことで、継続できることになったという報告をしました。受講生のみなさまには、この件では昨年より背中を強く押していただいていました。ありがたいことです。古文書塾「てらこや」の関係者の方々のご高配にも感謝しています。

 東京で一晩ぐっすりと寝て、また新幹線で帰洛の途につきました。富士山が「身体を大事にしなさいよ」と言ってくれているようです。


170203_fuji




 今新幹線では、おじさんと若者の2人連れが、途中駅で降りて行かれました。
 出口のドアに進んでから、おじさんは、
 「どうも みなさん すみません」
と、振り返りながら大声でおっしゃいました。車中のみなさんはホッと一息です。

 新横浜駅を過ぎたあたりからだったでしょうか。私の近くにおられたおじさんが、連れの若者にしきりと小難しい話を向けておられました。

 その若者の反応が気に入らなかったようで、次第におじさんの音量が高まります。話の内容が、車両全席に響き渡っていました。

 今の日本の政治について、熱っぽく語っておられるのです。安倍首相擁護の立場かと思われます。みんなわかっとらん、と。トランプ新大統領の批判も。
 議員さんなのかな、とも思いました。ここが今どこなのかがわからず、持論の政局についての評論が一人語りで繰り広げられています。隣にいる連れの青年が笑っていなすと、さらに激昂して政治解説が若者批判に向かったりします。

 私は本を読みながら、しばし楽しく時局漫談としておもしろく聞いていました。
 泥酔状態ではありません。持論を若者にぶつけておられるだけです。

 そうこうするうちに、おじさんの横並びの席に座っておられた年配の方が、どうやって止めようかと車中を見回しておられます。私と目があったので、一緒に首を傾げて、一緒に注意しましょうかと目配せをした時でした。何列か前におられた相当年配の方が、通りがかった女性の車掌さんに、あいつをこの車両から追い出してくれ、と、立ち上がって指差しながら強く訴えておられます。

 車掌さんは事態を確認しようとして、車内を見渡しておられます。後ろの方の席にいた私は、車掌さんと目が合った時に、くだんの時局放談でヒートアップしているおじさんを人差し指で教えてあげました。

 車掌さんはすぐに問題児(?)の横に立ち、「お静かにお願いします」と優しく語りかけられました。おじさんは「もうすぐ降りるから」と不機嫌そうに答えておられました。
 頭が熱していたおじさんは、急にクールダウンとなり、列車が停車するまでは無言でした。

 そして、降りる間際に、車内に向かって、前述のお詫びの言葉があったのです。

 電車などでの移動が多いと、いろいろな場面に出くわします。これも今の日本の一風景であり、記録するに値する出来事として、ここに報告しておきます。

 この記事を書き終わって本を読んでいた頃に、近江国の伊吹山が雪を被っている姿が見えて来ました。あたりには、まだ雪が残っています。昨日の上京時とは大違いです。
 気持ちに余裕があるせいか、車窓の風景を楽しんでいます。


170203_ibuki


posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | 身辺雑記

2017年02月02日

橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その1)

 日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を字母に注目しながら読み進めています。
 今日は受講生の方が、翻字の誤りを指摘してくださいました。確かに、ケアレスミスでした。

 12丁表の後ろから2行目に、次の文字が書写されています。


170202_kowore1




 テキストでは、「これ」としています。しかし、この画像からも明らかなように、ここは「これ」とすべきところです。
 現行の平仮名の書体に引きずられての翻字のミスです。

 現在、「て=天・弖」と「け=个・介」の識別について思案中です。
 近日中に決断しようと思っています。

 平仮名や変体仮名の字母を認定することが、こんなにもややこしい問題を抱え込んでいるものだとは思っていませんでした。一連の「変体仮名翻字版」の資料を作成する中で、このことを痛感するようになりました。

 今後とも、こうした翻字の誤りや、迷って決めかねる字母の判定などについても、ここに提示していくつもりです。お気付きの点がありましたら、遠慮なくお知らせください。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2017年02月01日

六甲から見た海や山と町の風景

 昨日から、摂津国・有馬に行っていました。その前日に行っていた和泉国からは、大阪湾を挟んで北西に位置します。1年365日24時間モードで何かをしている日々の中で、大好きな温泉で英気を養うことになったのです。

 有馬温泉は、『枕草子』にも出てきます。
 秀吉は利休を連れて来て、何度もお茶会をしたそうです。
 谷崎潤一郎の作品にも出てきます。

 姉の家が芦屋の山中にあるので、すぐ近くの有馬温泉には何度も行っています。今回は義兄から、長年お疲れさまということで行くことになりました。ありがたいことです。

 芦有道路の展望台から大阪湾越しに、一昨日行った泉州地域が望めました。
 この少し前までは小雪が舞っていたので、見晴らしはよくありません。


170201_arima1




 この有馬は、河内の信貴生駒連山や京洛の東山と比叡山などなど、これまで住んでいた地域も一望のもとに眺められる絶景の地です。


170201_arima2




 下界に降りて日常生活に戻ると、急に現実が押し寄せます。
 昨日、車中の網ポケットに帽子を忘れていたのです。姉に送ってもらった芦屋川駅からの帰りに、阪急梅田駅の案内所に届いていた帽子を、無事に受け取りました。今年になってから2回目となる、落とし物と忘れ物のトラブルです。いずれも戻って来たことは幸いでした。

 明日からはもっと気を引き締めて、身の回りに目配りをしながら、これまで数十年の長旅の整理に専念する日々にします。続きを読む
posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | ブラリと

2017年01月31日

高い所から見た海や町の風景

 高所恐怖症なのに、高いところから遠景を望むのが好きです。

 河内国・高安から大阪湾を望んだ写真は、このブログでも何度も掲載しています。


111231_takayasu




 昨日は、和泉国・泉州から大阪湾を望む機会を得ました。


170130_kankuu




 ポケットに入る超小型のデジタルカメラを持ち歩いている関係で、遠くの景色がぼやけているのは、スナップ写真ということでお許しを。

 立ち寄ったところでは、立礼式のお茶道具が出迎えてくれました。


170130_ryuurei




 娘たちが結婚式の披露宴で、我々にお茶を点ててくれたのが立礼でした。


120324_tea3_8




 大和国・信貴山で月見のお茶会の時は、ちょうど眼下に龍田川が流れる王寺町が望めるアングルでした。


121007_nodate1




 テーマ別に写真を並べて見ると楽しいでしょうね。
 またいつか、ということで。
posted by genjiito at 23:23| Comment(0) | ブラリと

2017年01月30日

読書雑記(191)『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』

 『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』(テクタイル[仲谷正史、筧康明、三原聡一郎、南澤孝太]、朝日出版社、2016年1月)を読みました。


170104_syokugaku




 私は、日常的に物に触って生活をしています。本書を読み進めるうちに、その毎日の行為にあらためて気付かされることが多く、感覚というものを見直すことになりました。


 赤ちゃんの五感の中で発達が早いのは、なんといっても触覚です。触覚については、妊娠10週の頃から自分の身体や子宮壁に触れるという行動が見られ、学習が始まっていると考えられています。生まれたばかりの赤ちゃんは好奇心いっぱいで、なんにでも触れたがります。赤ちゃんにとっては触ること、舐めることの方が、見る/聞くことより、確かな情報を得られるからです。小さい頃は、だれもが触覚的な存在だったのです。
 記録されているかぎり最初に触覚に言及したのは哲学者のアリストテレスですが、彼は五感の中でも触覚に特別な地位を与え、触覚は「感覚のうちの第一のものとしてすべての動物にそなわる」と述べています。栄養摂取という生存行動のためには、触覚が必要不可欠だというのです。アリストテレスの言う通り、赤ん坊は指を、唇を、舌を駆使してお母さんのお乳を探し、栄養を摂ります。「触れる」ことによって、私たちは自分自身と世界との関係を学習し、生き延びてきました。
 このことは、脳科学によっても裏づけられています。これまで新生児の脳活動を測定することは難しかったのですが、京都大学の研究グループは、「近赤外光脳機能イメージング」と呼ばれる手法で生後数日の赤ちゃんの脳活動を計測することに成功しました。(26〜27頁)



 17世紀に哲学的な論争呼んだ問題で、「モリヌークス問題」というものがあります。ごく単純化して言えば、生まれつき眼の見えない人がいて、もしも成人してから手術で眼が見えるようになったとしたら、(それまで触ることによってわかっていたものを)眼で見ただけで認識できるだろうか、という問題です。この問いには、実際に開眼手術を行うことが技術的に可能になったことによって、答えが出ました。答えは「認識できない」です。突然眼が見えるようになっても、ただ光にあふれた光景が広がるだけで、モノの形や距離感を捉えることはできません。術後しばらく時間が経っても、立方体を観察しながら「上の面が菱形みたいになっていてわかりにくい」と言ったり、猫の前脚やしっぽ、耳が見えても、全体を見て
猫だと判断できなかったりするようです。これは、触ったものと見たものの情報が統合されていないからです。
 赤ちゃんは一度も体験したことのない新しいモノを見ると、長く見つめる性質があります。この性質を使って、フランス、パリ第五大学のアルレット・ストレリ博士らは、赤ちゃんは少なくとも月齢2ヵ月のときにはすでに、一度触れたことのあるものは目で見ても「覚えがある」と認識しているようだ、と報告しています(生後2日程度から連携がはじまっているという報告さえあります)。特に、形そのものよりも、ゴツゴツがあるかないかといったテクスチャの情報に対して、最初に触覚と視覚の対応を取り始めるようです。
 先ほどの赤ちゃん脳の研究でも、触覚刺激によって視覚野や聴覚野の脳活動が見られることが示されていました。こういった感覚統合が生後わずか数日から始まるおかげで、人はだんだんと、触れることなく、見ただけで物事を把握できるようになってゆくのです。
 成長するにつれて、視聴覚的な記憶は、圧倒的な量をもって触覚の記憶を塗りつぶしてゆきます。そして大人になると、もはや触覚を意識的経験の中心に据えてすごすことはほとんどなくなってしまうのです。(28〜29頁)


 特に、目が触感を補っている具体例には、納得しました。視覚と想像力が、触った感じを補正して増幅しているようです。

 また、触感が人の判断に影響していることも興味深い事例です。


 判断に影響を与えるのは、温度だけではありません。ある実験によると、相手を座らせて交渉をするときは、硬い椅子よりもやわらかいソファに座ってもらったほうが、こちらの要求をすんなりと通すことができます。どうやら、やわらかい感触は、相手の態度を「軟化」させるようです。
 また別の実験では、実験参加者に面接官の役割をしてもらうのですが、このとき、履歴書を挟むクリップボードを、重いものと軽いもの、2種類用意しました。すると、重いクリップボードを手にしたグループのほうが、求職者をより重要な人物だと判断したのです。
 身体が受けている、あたたかさ、やわらかさ、重さといった触感は、つねに意識されているわけではありません。それなのに私たちは、しらずしらずのうちに、触感に促されて意思決定をしているようです。身体性認知科学と呼ばれるこのような研究分野は、近年、さかんに研究が行われています。(40〜41頁)


 男女差については、もっと調査をしてほしいと思いました。現在、私が進めている古写本の触読に関しては、今のところ女性2人だけが変体仮名を読んでくださっているので、男性の触読について、点字ではなくて仮名文字での傾向を知りたいと思っているところです。


 その後、先ほども言った通り、女性の方が触感に優れている傾向があるらしいことがわかってきました。皮膚科学者の傳田光洋さんは、ポリイミド板による毛髪モデルを研究室の男女それぞれ10人ずつに触ってもらって、どちらを不快に感じるか答えてもらいました。すると、男性では意見が分かれた一方で、女性では10人ともAの不規則なパターンの板を不快だと答えたのです。(64頁)


 見えなかったらこれがどう感じられるのか等々、その違いに興味を持ちました。これは、おもしろいことです。

 出版社のホームページを見ると、本書で紹介されている音声を聞くことができます。

「どちらが水でどちらがお湯か、わかりますか?」(p.119、音の触感)

 触感を取り入れた身体表現に、楽しい未来を感じ取ることができたことが一番の収穫です。


 どのような形になるのかはわかりませんが、触れることを主軸としたアートが生まれるのも、もうまもなくのことではないかと私たちは思っています。それをサポートする、触感を表現するためのテクノロジーがいよいよ普及してきたからです。比較的廉価なレーザーカッターや3Dプリンタが登場し、だれもが気軽にものづくりに手が出せる環境が整ってきました。(223頁)


 まだ解明されていないことの多い分野だとのことです。今後にますます期待したいところです。【4】
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月29日

新幹線の変な車内放送の意図が不明です

 新幹線の車内放送が異様なのは、以前から気になっていました。
 ガラス越しに聞こえるようなひび割れた小さな声に、いつも不快な思いをさせられます。
 今回のアナウンスは、これまで以上に特にひどいものでした。
 こんな不自然な雑音は、もうやめた方がいいと思います。

 日本語は聞き取りにくいし、英語はヒヤリングの試験か、としか思えません。
 どうだ、聞き取れるか、と。
 これをセンター試験で流すとどうなるでしょうか。
 受験生からは、おもしろい反応があることでしょう。

 部分的に、生身の人間の声で案内が流れます。
 これはまともなので、やはり人間の声はいいな、と実感します。
 そうであるからこそ、あの安物の蓄音機ががなり立てているとしか思えない下品さが際立つのです。
 みごとなほどに、その違いは対照的です。

 海外からの方は、この変な英語をどう思っておられるのでしょう。
 もっとはっきりと言ってほしい、と思われていることでしょう。
 ごめんなさい、こんながさつな英語で、と謝りたくなります。
 日本の印象を貶めないためにも、早急に対応してほしいものです。

 関係者は、変な案内が流れていることは承知のはずです。
 余程の事情があってのことなのでしょう。
 それにしても、その事情は何なのか。
 他人事とはいえ、興味があります。
posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | 身辺雑記

2017年01月28日

平仮名「て(天)」と変体仮名「弖・氐」について(その2)

 明治33年に平仮名の字体が一文字に統制されました。小学校令の改正を受けた小学校施行規則によるものです。その時、「TE」については、「天」を字母とする「て」が選定されました。その事情について、今はまだ私にはよくわかりません。しかし、鎌倉時代からの仮名文字で表記された古写本を読み続けている感触からは、妥当な結論だったように思っています。

 その平仮名の「て」に関して、字母をどうするかで、いまだに迷いがあります。
 「く」のように見える「弖」や「氐」を「て」として翻字して来ていたからです。これまでに私は、「天・弖・氐」の草書体について識別基準をもっていなかったので、「く」のように見える文字も、その字母はほとんどを「て(天)」としてきました。

 先週の研究会で、関西大学の乾善彦先生から、第一画の線の長短によって見分けられる、とのご教示を得ました。つまり、第一画が長ければ「天」であり、短ければ「弖」だということです。いま、「氐」のことはおきます。

「ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について」(2017年01月23日)

 そうであれば、そうした判断基準を設定することは可能です。しかし、そう単純に識別できない例にしばしば出くわしていたことから、これまで私は割り切ることができないでいたのです。

 そんなことを考えていた時、鎌倉時代に書写された国文学研究資料館蔵(橋本本)『源氏物語「若紫」』の中に、次の例があったことを思いだしました。「給て」(38オ8行目)とあるところです。

170128_hasimoto05te




 この「て」下に書かれている文字が「弖・氐」であることは、その直前の丁末の行頭にある「や可弖(氐)」(37ウ)からも明らかです。


170128_hasimoto05yakate




 昨日、日比谷図書文化館の講座に参加しておられる方々が、橋本本『源氏物語』の原本を実見するために国文学研究資料館にいらっしゃいました。午前と午後に7名ずつに分かれて、橋本本『源氏物語』を実際に閲覧していただき、いろいろとお話をしながら説明をしました。

 その際、上記の問題を再度確認しました。確かに、「弖・氐」と書かれた文字を削った上に「て」と書かれていました。

 つまり、最初に書写された「弖・氐」を削って、その上から「て」を書いたということは、書写者に字母に関して識別する意識があったということが確認できるのです。
 そうであれば、なぞられた「て」は現行の平仮名の「て」なので、その下に書かれていた文字は「弖」か「氐」だったことになります。これは、翻字する際に書写された文字の字母を意識して対処する上では、この字母の識別を明確にすべきです。下に書かれた文字を「て」としたのでは、正確な翻字とはなりません。

 となると、最初に書かれた下の文字は「弖」とすべきか「氐」とすべきか、ということになります。このことは、次回にします。

 平仮名が約50個に絞り込まれた経緯を、ずっと追い続けていることに関連して、しばらく、この件で調べたことを何度かに分けて報告します。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月27日

『蜻蛉日記』の品詞分解に関する協力者を求めています

 現在、『蜻蛉日記』の校訂本文を、日々時間を割いて少しずつ作成しています。
 底本には、阿波国文庫本『蜻蛉日記』を選びました。


国文学研究資料館影印叢書 5
鵜飼文庫 蜻蛉日記 阿波国文庫本
国文学研究資料館 編
今西祐一郎 序
福家俊幸 解題
勉誠出版
2014年3月
ISBN︰978-4-585-29064-3
B5判・上製・570 頁


 この本について、出版社からは、次の紹介文が公開されています。


初の上中下全巻の影印
古本系諸本の親本から直接書写した最善本であると山田清市氏により紹介された阿波国文庫旧蔵本を高精細写真版で全篇影印。
少なからぬ書き入れや校訂の跡を有する本書は、現代の多くの注釈書が依拠する桂宮本を相対化するものであり、「推定本文批判」により成り立つ現在の『蜻蛉日記』研究に対し、本文批評の基盤を構築する礎となる。


 この『蜻蛉日記』の校訂本文本は、本年3月をメドに完成させる予定です。
 次に、人工知能の力を借りて品詞分解をします。しかし、まだその人口知能の精度が高くないので、9割方はそれなりに品詞分解ができても、1割は人間の判断と手作業が必要です。ここに、手間と時間を割くことになります。

 この品詞分解を手助けしてくださる方を一人、探しています。
 実作業は本年3月以降になると思われます。
 この点検・確認作業に興味をお持ちの方は、このブログのコメント欄を通してお知らせください。直接お目にかかって説明をし、お願いできるのであれば、今後の詳しい打ち合わせをしたいと思います。協力のお申し出をいただいた方が多い場合は、こちらで面談の手配を進め、適任者と出会えた時点で確定にしたいと思います。
 完成後に、些少ながら謝礼をお支払いします。そこに期待をなさる方はいらっしゃらないと思いながらも、念のために申し添えておきます。
 資料を持ち寄っての連絡や調整が必要となるため、東京か京都の周辺にお住まいの方を希望します。
posted by genjiito at 21:26| Comment(0) | 古典文学

2017年01月26日

清張全集復読(10)「情死傍観」「断碑」

■「情死傍観」
 阿蘇山で投身自殺をする人を救う老人の話を『傍観』という小説に書いた後日談で始まります。読者と名乗る当事者から手紙が来た、という想定です。
 作中で紹介された小説といい、それを読んだ女からの手紙の引用といい、ふたつの入れ物をおいての物語です。大きな衝撃のないままに終わったので、拍子抜けでした。【2】
 
 
初出誌:『小説公園』(昭和29年9月)
 
 
■「断碑」
 考古学において、人文科学的な論理や文化史的な考究を文学的な表現で発表した木村卓治は、学会から無視されていました。清張が得意な、在野の研究者の物語です。
 恵まれない立場の者が、嫉妬から憎悪へと心情が変わる様を、清張は巧みに描きます。
 小学校の代用教員だった木村は、恩師高崎の計らいで博物館に就職できるということで上京します。しかし、その話はダメになります。
 

 高崎を恨む心は憎しみに変った。
 それほど卓治は博物館に入りたかったといえる。当時の官学は東京大学は振わず、専ら博物館派と京都大学派が主流であった。博物館入りを望んでいる卓治の心は、いわずとも官学への憧憬につながっていた。
 大部分の在野の学者が官学に白い眼を向けて嫉妬する。嫉妬は憧憬するからである。
 その憧憬に絶望した時が、憎悪となるのだ。爾後の卓治は官学に向って牙を鳴らすのである。(238頁下段)


 中卒でしかない自分を莫迦にしている人間を見返したい、という思いがますます強くなります。
 その存在を疎ましく思う者たちの反応も、さもありなんと思わせるものです。
 その後の卓治は、壮絶な研究生活を送ります。妻との二人三脚も胸を打ちます。妻が亡くなる前後は、人間が支え合う情感が感動的に伝わってきました。
 妻が亡くなった2ヶ月後の、昭和11年1月に、卓治は34歳で亡くなりました。
 その性癖故とはいえ、学会や主流派から見捨てられた一考古学者の姿が、生々しい筆で語られています。人間が反発する気持ちと、寄り添う夫婦の描写が活写された作品です。考古学会で鬼才といわれた森本六爾の生涯をモデルとする作品のようです。【5】
 
 
初出誌:『別冊 文藝春秋 43号』(昭和29年12月)
※原題は「風雪断碑」
 
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | 清張全集復読

2017年01月25日

読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』

 『南冥の雫 満州国演義 八』(船戸与一、新潮文庫、平成28年7月)を読みました。


170122_funado8




 物語の舞台は、昭和17年の戦時下のアジアです。
 敷島4兄弟が、満州、中国、フィリピン、ビルマ、日本を舞台にして飛び回ります。太平洋戦争を現場に視点を置いて描く、壮大なドラマが展開していきます。

 私が小さい頃にテレビで観たハリマオが出てきました。この頃に亡くなったようです。


昭南島滞在中にマレー作戦に協力したハリマオと呼ばれた日本人・谷豊の死亡の報を聞いた。遺体はマレー人部下によって病院から運びだされ、回教の儀式に則って秘かに埋葬されたらしい。それがどこの墓地なのかは不明だ。(21頁)
 
「ハリマオを知ってるでしょう、谷豊を。今年の三月、昭南島の丹得仙病院で死んだマレーのトレンガヌ生まれの日本人。F機関によって創られたあの英雄の映画が大映で製作されます。公開は来年、主演もすでに決まってる、中田弘二がハリマオを演じます。脚本はまだ手もつけられてもないけどね」(51頁)
 
「わたしが大映から命じられてるのはマレーのハリマオにつづくフィリピンを舞台にした劇映画の材料集めです。もちろん、内容は大東亜共栄圏構想へ現地人たちが共鳴してるという法螺噺でなきゃならない。妹を滲殺されて匪賊となった谷豊のような日本人がフィリピンにいるとは思えないけど、いろんな材料を寄せ集めて、それに近い人物を創りあげたいと思ってます。そういう仕事を手伝っていただきたい」(54頁)


 また、伊口日生のことも出て来ます。これも、引用しておきます。


「伊口日生という日本山妙法寺の僧侶を知ってるはずだ」
「それがどうしたんだね?」
「わたしは昭南島で逢ったんだが、伊口日生に頼まれた、あんたに逢ったらぜひともビルマに来て欲しいと伝えてくれとね」
「ビルマのどこに来いと?」
「とりあえず占領したラングーンに置いた第十五軍司令所に来てくれれば、連絡がつくようにしておくとのことだよ。あんたが海南島に運んでくれたビルマ人連中がどれだけ成長したかを見て欲しいとも言ってた」(31頁)


 作者である船戸氏は、丹念に資料を漁り、細かな情報までもつなぎ合わせて、物語の背景を客観的な視線で描こうとしていることがよくわかります。

 ビルマでの話には、アウン・サンの活躍が出てきます。スーチー氏の父の話を、今回初めて知りました。
 ビルマにおけるインド国民軍の話も、その後のインド独立運動のことを思うと、興味深いものです。

 太郎の妻桂子が太郎の愛人を刺し殺すくだりは、緊張感のある場面となっています。それを隠すことに手を貸す弟三郎の冷静なこと。社会動向と違い、人間の愛憎劇と人間性が描かれているからです。

 孔秀麗が太郎のもとに紅茶を運ぶシーンが増えます。この秘書の存在が、この巻ではほとんど語られません。楽しみが取ってあります。
 そして無断欠勤。少しずつその姿が明かされます。そして衝撃の結末。ただし、何度も紅茶を運んだ姿に見合う説明はありませんでした。

 ソ連が不可侵条約を破って満州に進行する過程が、克明に描かれています。これには、南太平洋での戦局の悪化が背景にあります。満州にいた人たちの多くが、この日本の敗戦という流れを予見していたことが語られます。戦況の悪化と敗戦への歩みが、次第に話題の中心に位置付けられていくことが読みとれるようになっています。敗戦への予見は、ありきたりの後世のものいいではなく、当時の状況を客観的に分析して読者をしだいにその機運に引き込んでの語り口となっています。

 また、陸軍と海軍の対立が、具体的に生々しく語られます。戦局と政局の混乱が、同時進行で展開するのです。

 そのような中で、太郎の妻桂子が夫の不倫相手を刺し殺したのです。それを、太郎と弟の三郎が隠蔽したことに端を発して、桂子は神経を病むこととなり、日本に移されました。その妻を見舞った太郎に、桂子は突然、ことの顛末を暴露しました。この場面の緊迫感は、戦時下の動乱の中で際立った迫力を見せています。

 本作は全編にわたって、人間の感情を持った生き様と、戦争という狂気の有り様が、みごとに活写されています。

 三郎はインパール作戦に参加していました。そこでは、無謀な計画のもとでの行軍が、行われていたのです。蛆にたかられた死体の山でした。亡くなった兵士の股肉を切り取っては食べる兵士もいたのです。
 隻眼だった次郎の眼窩から、蛆が這いだしました。かつては馬賊の頭目だった次郎は、満州の風景を脳裏に浮かべながらビルマの密林で亡くなります。

 私は、関東軍特務機関員の間垣徳蔵の存在が気になったままです。

 圧倒的な臨場感と凄惨な戦場を描く本作も、あと一巻となりました。

 読後に思い出したことは、父の蔵書の中に、インパールに関する本があったことです。父は、満州のチチハルで捕虜となって、シベリアに抑留されました。同じ時間軸の中で展開していたインパールの凄惨な行軍を、どう見ていたのでしょうか。知人がいたのでしょうか。もっと聞いておくべきでした。【5】

※2013年12月に新潮社から刊行されたものの文庫版で読みました
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月24日

奈良で開催される「さわって楽しむ体感展示」のお知らせ

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生より、2月4日(土)〜12日(日)に奈良県文化会館で行われるイベント、「さわって楽しむ体感展示」の案内をいただきました。
 〔6日(月)は休館、開館時間は9時〜18時〕

 得難い体験ができそうなので、いただいた連絡を転記します。


 今年最初のお知らせ(宣伝)は、奈良で開かれる「さわって楽しむ体感展示」についてです。

 毎年、国民文化祭、障害者芸術・文化祭が各都道府県の回り持ちで開催されています。
 これまではオリンピックとパラリンピックのように、国民文化祭が行われた後、障害者芸術・文化祭が開かれてきました。
 この形だと、どうしても障害者芸術・文化祭は「後の祭」という印象で、あまり盛り上がりませんでした。
 今年から国民文化祭と障害者芸術・文化祭は同時開催されることになり、その初回担当が奈良県です。

 国民文化祭、障害者芸術・文化祭の一体開催という試みがうまくいけば、来年度以降、各県でこのイベントが続くことになります。
 障害の有無に関係なく、誰もが楽しめるユニバーサル・ミュージアムをめざす僕にとって、国民文化祭、障害者芸術・文化祭の同時開催はたいへん嬉しい企画です。

 このイベントは9月〜11月に大々的に実施されます。
 本番を前に、プレイベントとして2月4日〜12日に奈良県文化会館で「さわって楽しむ体感展示」が行われることになりました。
 プレイベントなので期間は短いし、小規模な展示です。
 しかし、このプレイベントが成功すれば、秋の本番でも「さわって楽しむ体感展示」が拡大実施されることになります。

 プレイベントの展示について、僕はアドバイザーという形で昨年から関わっています。
 昨年の夏から断続的に奈良県庁の担当者と打ち合わせを重ねてきました。
 いろいろとクリアすべき課題もありましたが、展示準備は順調に進んでいます。

 先日、会場入口で流すビデオを作りました。
 興福寺仏頭(国宝)のレプリカに僕がじっくりさわっている場面を「手」のアップを中心に撮影しました(顔のアップではありません、念のため)。
 さわる展示なのに、観客を集めるためにビデオを使うということに少し矛盾を感じますが、おもしろいビデオができたのではないかと自己満足しています。
 レプリカとはいえ、国宝にじっくりさわっているシーンはかなりインパクトがあります。

 このビデオを見た後、もちろん来場者は実際に仏頭のレプリカにさわることができます。
 来場者の反応が楽しみです。

 その他、奈良から出土した土器などの考古遺物、天平衣装、アート作品などにも触れることができます。

 また、「平城京のさわる地図を作ろう!」というコーナーでは、川、道路、山などを表す素材を手触りで選んでいただき、投票してもらいます。
 この結果を元に、秋の本番では「さわる平城京地図」を制作・展示する予定です。

 僕も会期中に、何度か会場に行くつもりです。
 奈良県文化会館は近鉄の奈良駅から徒歩で行けます。
 ぜひ多くのみなさんに「さわって楽しむ体感展示」を味わっていただき、いい形で秋の本番につなげたいと願っております。
 本メールの転送・転載を歓迎します。
 ご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

                    広瀬浩二郎
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月23日

ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について

 一昨日の清泉女子大学で開催された「表記研究会」で、3人の発表の後のシンポジウムでは、今野真二先生が司会進行役となり「仮名の成立」というテーマで全体討論がなされました。

 その質疑応答の最後の方で、私は発表で提示されたプリントに引かれた文字資料について、その翻字に関する質問をしました。それは、「て」の表記について、その字母を「天」とするか「弖」とするか、ということです。

 まず、乾善彦氏に、「正倉院仮名文書二通にみえる字母」にあげられた「天・弖」について、その字母の識別についてお尋ねしました。万葉仮名で表記されているので、この識別は問題はないとのことです。
 続いて、長谷川千秋氏の発表資料にある影印文字の「天・弖」について、全7例の字母の確認をしました。
 乾氏から、第一画の線の長短によって見分けられる、とのご教示を得ました。つまり、第一画が長ければ「天」であり、短ければ「弖」だということです。

 その基準によれば、長谷川氏の資料にあった次の文字は、それぞれ次のようにその字母を認定できる、ということを確認することができました。

 まず、「天」となるもの。


「讃岐国司解端書 藤原有年申文」
(漢字の「天」をつかった【比天(ひて)】)

170121_te2





「虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名消息 かな消息(第V種)」
【之天无(してん)】

170121_te6




 次に、「弖」となるもの。


「多賀城跡出土仮名漆紙文書」
(「弖」の左に人偏の「イ」の付いたものだとのこと)

170121_te1




「東寺檜扇墨書」
【太弖(たて)】

170121_te3




「伊州某書状写(唐招提寺施入田劵文写、第15紙」
【太弖(たて)】

170121_te4




「因幡国司解案紙背仮名消息」
【美弖(みて)】

170121_te5




「小野道風書状」
【以弖(いて)】)

170121_te7




 これまで私は、「弖」の認定基準をもっていなかったので、ほとんどを「天」としてきました。
 しかし、今回ご教示いただいた認定基準は、これまで見てきた『源氏物語』の古写本にはあてはまらない例が多いようにも思われます。
 この件は、後で詳細に確認し、報告したいと思います。
 しばらく時間をください。
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月22日

岩佐又兵衛の源氏絵を出光美術館で見る

 昨年末に、「洛中洛外図屏風」の現地探訪をしました。
「京洛逍遥(379)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)

 それ以来、岩佐又兵衛が描いた「東京国立博物館所蔵「洛中洛外図屏風(舟木本)」(2016年に国宝指定)」のことが気になっていました。

 ちょうどいい機会なので、出光美術館で開催中の「開館50周年記念 岩佐又兵衛と源氏絵― 〈古典〉への挑戦」(2017年1月8日(日)〜2月5日(日))を見てきました。

 出光美術館のホームページに掲載されている「展示概要」には、次の説明がなされています。これは、展覧会図録の「ごあいさつ」にもあるものです。

 私は、ここに記された、又兵衛が江戸に移ってからの、梗概書の挿絵への影響に興味を持ちました。


2017年は、それまで京都と福井で絵筆をふるっていた又兵衛が、活動の拠点を江戸に移してから380年の記念の年にもあたります。そこで、〈浮世絵の開祖〉とも称された又兵衛の絵画が、江戸の浮世絵師たちにどのような刺激を与えたのかを考えるために、『絵入源氏物語』や『十帖源氏』、菱川師宣(ひしかわもろのぶ ?-1694)が江戸版の挿絵を担当したとされる『おさな源氏』など、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが携わり、版行された梗概書(こうがいしょ)(『源氏物語』のダイジェスト)を取り上げつつ、又兵衛との関係を探ります。


 また、同じくホームページには、「第6章 江戸への展開 −又兵衛が浮世絵師に残したもの」で、次のように書いてあります。


京都から福井へ移って20年あまり。60歳を過ぎた又兵衛は、1637年2月、福井を発ち、江戸へと向かいました。又兵衛は生前から〈うきよ又兵衛〉と異名を取ったと伝わり、浮世絵の成立に重要な役割を果たしたと考えられますが、江戸における又兵衛の仕事は浮世絵師たちに何をもたらしたのでしょうか。この章では、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが刊行にたずさわった『源氏物語』の梗概書などを手がかりに、江戸の浮世絵師との接点を探ります。


 この章に関して、展示図録の説明を引きます。


170122_iwasa






又兵衛工房の実態と所在



 又兵衛の制作活動は、数名の有能な弟子たちによって支えられていたことがほぼ確実である。特に、大きな屏風絵や長い絵巻を手がけるときには、最初の設計図というべき「小下絵」を注文者に見せて許しを得たのちに、関与の度合いはさまざまであったにせよ棟梁の指揮のもとで弟子たちが分担して仕上げる−室町時代末期の元信以来、狩野派の隆盛をもたらした集団制作の手法は、又兵衛にも採用されていたと思われる。
 又兵衛の場合、京都・福井・江戸を遍歴しているだけに、主宰者の移動は工房の消長に大きくかかわる。とはいえ、又兵衛の転居がただちに工房の解散や弟子たちの廃業につながったとは考えにくい。棟梁が去ったあとも工房(絵屋)に留まって経営を続け、又兵衛のスタイルを踏襲しながら絵を描き続けた絵師は少なからずいただろう。たとえば、又兵衛の子・源兵衛勝重、さらにはその子・陽雲以雲は、福井の地で藩の画事をこなしている(戸田浩之「福井と又兵衛」、『岩佐又兵衛全集』、藝華書院、二〇一三年)。同じように、又兵衛は京都にも工房を残して福井へと発ったに違いない。又兵衛による源氏絵の影響を、挿絵入りの版本によって伝えた山本春正と野々口立圃が、いずれも京都の人物であることがそう信じさせる。彼らは、京都在住時代の又兵衛が生み出し、又兵衛の福井移住後も京都で活動を続けた弟子によって描き継がれた象徴的な源氏絵の図様に触れたのだろう(挿図1〜3)。
 端的にいって、又兵衛とその工房作について、表現の微妙な違いを見分け、それを細かく分類すること自体、それほど意味のある作業ではない。個々の作品の相違よりも相似を重視した上で、一目見てそれと分かる特徴的な表現によって画面をまとめ上げる組織の統制の力、そして、又兵衛の新鮮な表現を支持し、強く所望した江戸時代前期の人々の熱量のようなものを正当に評価するべきである。(136頁)


 狩野派や土佐派の源氏絵を見ていただけの私にとって、又兵衛の源氏絵にも注意が向いたことは大きな収穫となりました。しかも、それが江戸時代の梗概書である『絵入源氏物語』・『十帖源氏』・『おさな源氏』などの挿絵にも展開するものだったので、今回の出光美術館の企画はありがたいものとなりました。
posted by genjiito at 20:04| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月21日

江戸漫歩(151)「表記研究会」で清泉女子大学へ行く

 清泉女子大学で開催された「表記研究会」に行ってきました。
 最寄り駅である五反田駅前には、今も郵便ポストが2つ並んでいました。


170121_post




 このポストのことは、「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」(2008年01月19日)に書きました。この時のポストは、もっと寄り添っていました。向かって左側のポストが、さらに左に引き離されたようです。

 清泉女子大学は、閑静な住宅地の中にあります。


170121_entrance




 この近くには来たことがあります。しかし、キャンパスに入るのは初めてです。

 ここで教員をしている、大阪大学で一緒に勉強した研究仲間の藤井由紀子さんが、あらかじめ守衛さんに連絡してもらっていたので、迷わずに行けました。


170121_honkan1




 藤井さんに学内を案内してもらいました。100年の重みを感じる、素晴らしい環境です。映画やテレビの撮影でも使われるそうです。

170121_honkan4




170121_honkan3




170121_honkan2




 研究会が始まる前に、藤井さんにお願いして、この研究会の司会進行役である今野真二先生を紹介してもらいました。今野先生の本はほとんど読んでいたので、私にとっては旧知の研究者です。ただし、初対面です。

 最初から質問をしました。明治33年にひらがなを決めた事情を明らかにしてほしいと。
 しかし、当時の資料がないので、そのことはほとんどわからない、とのことでした。
 これは、当時の資料を丹念に調べるしかありません。

 そうこうするうちに、中部大学の蜂矢真郷先生がいらっしゃいました。
 日比谷図書文化館で『源氏物語』を読む講座を受講なさっている方が2人お出ででした。

 研究会は、3人の発表で進みました。一人30分の発表です。
 配布された資料から、発表を聞いて確認できたことを抜き出しておきます。
 
(1)「かたちからみた仮名の自立」
     愛媛大学  佐藤 栄作氏


仮名(真仮名@、草体仮名、省画仮名)が新たな文宇体系であると確認するためには、真名に見られない「かたちに関わるふるまい」が観察されるか否かがポイントになる。


 なお、ひらがなの「ま」は用例からは、下の線が長いとのことでした。
 
(2)「仮名の資格」
     関西大学  乾 善彦氏


漢宇の「形(ケイ)」を残す限り、意味への抽象性はみとめられても、完全に意味から脱却することはできない。その点で、万葉集仮名書歌巻の仮名は、「仮名」に近い性格を持ちながらも、仮名の資格にかける。逆に文書中の仮名は独立して日本語をあらわさないかぎりにおいて、仮名の資格にかけるが、ひらがなに連続するものと考えられる。漢字の「形(ケイ)」からの脱却が、「仮名」への第一歩と考えるが、基層の仮名と実用の仮名との関係を考えることが求められているのだろうか。

 
(3)「平安期の仮名資料からみた仮名の成立」
     山梨大学  長谷川千秋氏


仮名と漢字は、判断・評価などの微妙なニュアンスを伝達する箇所を仮名が請け負い、手続きや事態の経過など叙述的な面を漢字が請け負い、伝達内容によって漢字列と仮名列の切り替えが起きているように見受けられる。仮名は、表音的な機能をもつことから、
 
 
このことから、土左日記で漢詩を漢字で書かないということは、文学的行為としての選択であり、日用的な書き様とは切り離して考えるべきところであろうと思われる。こうした漢字列を排除する表記態度の延長に十一世紀の和歌表記が位置づけられていくと推測する。

 
 その後の「全体討論」であるシンポジウム「仮名の成立」については、あらためて別に記します。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月20日

清張全集復読(9)「湖畔の人」「転変」

■「湖畔の人」
 人から愛されないと自認する矢上は、転任先の諏訪で徳川家康の六男松平忠輝の生涯に理解を示します。流れ流れて不遇のままに生きる姿に、作者が寄せる心情が伝わってきました。この背後には、清張自身があるのでしょう。
 人生を斜に見た男の存在や、新聞社、諏訪湖、徳川家、海辺の情景などなど、井上靖の作品の雰囲気を漂わせていることに気づきました。これはいったい何なのでしょうか。『球形の荒野』のときに似た読後の印象です。
 諏訪湖畔に生きる、穏やかな人々が描かれています。筆致は清張らしくなく、控えめな表現でまとまっています。【2】
 
 
初出誌:『別冊 文藝春秋』(昭和29年2月)
 
 
■「転変」
 慶長四年の関ヶ原の戦い後、家康と福島正則の駆け引きから始まります。
 正則は、家康に感謝されて上機嫌です。しかしその後すぐに、正則は窮地に立ちます。そして、家康の巧みな計らいに、正則はまんまと嵌まることになるのです。
 正則は、秀頼と家康の間で、苦境に追い込まれます。正直なだけでは、家康のようにしたたかな者には子供のように捻られます。
 家康の知略に長けた非情さを通して、人間の生き様を問いかけています。【4】
 
 
初出誌:『小説公園』(昭和29年5月)
 
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | 清張全集復読

2017年01月19日

日比谷図書文化館で橋本本「若紫」の異文を確認

 夜の日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を変体仮名を確認しながら読み進んでいます。

 今日は、ちょうど大島本が特異な本文を伝えていることで知られる場面からでした。
 以下では、諸本の文異同を見るために、従来の翻字方法で作成した資料をあげます。これは、まだ「変体仮名翻字版」の翻字本文が揃っていないための、暫定的なものです。


日も[橋=中麦阿陽池肖日保高]・・・・050653
 ひも[尾御天]
 日[穂]
 人[大国伏]
いと[橋=尾中麦阿陽池御肖日穂保高天]・・・・050654
 ナシ[大国伏]
なかきに[橋=麦阿陽池御肖日保]・・・・050655
 なかく[尾高天]
 なかう[中穂]
 なくて[大国伏]


 現在一般的に読むことのできる活字の校訂本文は、すべて大島本によるものです。その大島本は、国冬本と伏見天皇本とともに、「人なくて」となっています。それ以外は、「日もいとなかきに」という本文です。
 そうであるのに、大島本に依って作成された『新編全集』(小学館)の本文は、「日もいと長きに」です。同じ大島本を底本とする『新大系』(岩波書店)は、底本通りに「人なくて」です。
 ともに大島本による校訂本文でありながら、その本文が違うのはどういうことなのでしょうか。
 日比谷図書文化館で読んでいる『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』は、「日もいとなかきに」です。

 この違いを考えるために、室伏信助先生がお書きになった「人なくてつれづれなれば −『源氏物語』の本文と享受−」(『王朝日記物語論叢』笠間書院、2014.10)という文章を配布して、その背景を確認しました。

 『源氏物語』を読むということは、何本を読むということよりも、誰が校訂した本文を読むか、ということに尽きるようです。今自分がどのような校訂本文を読んでいるのか、何も考えずに『新編日本古典文学全集』だけで『源氏物語』を読むことがいかに無謀な読書であるかを、常日ごろから強調しています。
 このことは、この日比谷図書文化館では毎回のように言っていることなので、みなさんすでに承知のことです。しかし、こうして具体的な例で説明すると、実感としてわかっていただけます。

 次に、橋本本の独自異文にも触れました。


おもては/おもて$かほ[橋]・・・・050748
 かほは[大尾麦阿陽御国肖穂保伏高天尾]
 かほを[中]
 かをは[池日]
いと[橋=全]・・・・050749
あかく[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]・・・・050750
 あかう[中]
すりあかめて/あかめて$なして[橋]・・・・050751
 すりなして[大尾麦阿陽池御国肖穂保伏高天尾]
 なして[中]
 すりなして/り〈改頁〉[日]


 諸本が「顔はいと赤くすりなして」とあるところを、今読んでいる橋本本だけは「おもてはいと赤くすり赤めて」となっているのです。こうしたところに、橋本本の独自性が見てとれます。

 鎌倉時代には、いろいろな本文が流布していたのです。今と違う本文もいろいろとあったのです。そうした、大島本とは異なる本文を伝える『源氏物語』を読む楽しさを、こうして毎回、「変体仮名翻字版」で読みながら語り伝えています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月18日

『葛原勾当日記』の製作再現映像を試験公開します

 全盲の琴師だった葛原勾当は、天保8年(1837)から明治14年(1881)まで45年の長きにわたり、自分で開発した木製のひらがな活字を駆使して、日々の日記を自分の手で印字していました。

 一昨日、本郷三丁目で開催された研究会で、この葛原勾当のご子孫である葛原眞氏の講演を伺う機会を得ました。その後の話を通して、貴重なレプリカによる再現映像を実験的に研究者や興味をもたれる方々のために公開し、こうした事実や問題の調査研究への協力をお願いしました。葛原眞氏は私のこの申し出に理解を示され、快く映像をお貸しくださいました。

「葛原勾当のひらがな日記について」(2017年01月15日)

 早速、映像を試験公開するための準備を、研究協力者である加々良さんにお願いしたところ、本日突貫工事の末にその実現が叶いました。
 さまざまな人の力が結集して、無事に試験公開にいたったのです。ありがたいことです。

 葛原勾当に関する調査は、一昨年の秋より問題意識を深めつつありました。広島県に調査に行く計画をしました。しかし、実現しないままに来ました。
 しばらくは遅々として進捗を見なかったテーマが、先週から突然動き出し、今日の願ってもない貴重な映像の公開となりました。葛原眞氏との幸運な出会いをはじめとして、周りのみなさまに感謝いたします。

 今回公開した映像は、次の手順で見られるようになります。
 ご覧いただいてのご意見などをおよせいただくと、今後の励みになります。
 また、関連する情報などをお寄せいただけると幸いです。

 この撮影は、葛原眞氏がご東京大学史料編纂所のご理解のもとに、自分の手でレプリカをもとにして撮影なさったものであり、あくまでも実態を記録するために作製されたものです。今回、研究に資するものになれば、というご理解をいただいたことで、試験的に公開することになりました。
 公の場で利用なさる場合には、このコメント欄を活用するなどして、あらかじめ了解を得てからにしていただくよう、お願いいたします。

 今回の公開にあたっては、念のために、パスワードなどで閲覧者の確認をしています。これで、簡略ながらも諸権利の保護にはなるかと思います。煩わしい一手間をおかけして恐縮します。公開の趣旨をご理解いただき、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。
 
--------------------------------------
 

【映像 葛原勾当日記・印刷用具の使い方】



(1)「ホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」」に移動


(2)「新着情報」の中の「2017年1月18日 NEW 葛原勾当日記について」をクリック

170118_stamp1




(3)「[パスワード請求]へ」をクリックして、「名前」「メールアドレス」「視聴目的」を入力

170118_stamp2




170118_stamp3




(4)確認メッセージが表示された後、「送信する」をクリック

(5)画面にパスワードが表示される

(6)「こちらから」をクリックして、パスワードの入力画面で(5)のパスワードを入力

170118_stamp4




(7)映像が見られる画面が表示される
 (上下の枠内で説明文をスクロールさせてご覧ください)

170118_stamp5




--------------------------------------
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月17日

江戸漫歩(150)交番横の案内図と蕃書調所跡と九段坂病院

 地下鉄九段下駅を地上に出ると、交差点角に交番があります。


170110_policebox




 写真の左奥に見える高速道路の下には、高田郁の『みおつくし料理帖』に出てくる俎橋。
 この交番の右奥のお濠の向こうには、武道館。
 そして、この交番の右手には、「蕃書調所跡」の説明板。
 「蕃書調所」というのは、江戸幕府が海外事情の調査や、西洋の文物を教育する場ともなった所でした。


170110_bansyo




 交番の前に掲示されている案内地図のことは、すでに何度か書きました。
 九段坂病院が千鳥ケ淵のそばから牛ケ淵牛のそばに移転したことを、クラフトテープに油性ペンで書いて貼ってあったのです。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

「江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと」(2016年12月22日)

 それが、今日、通院途中で何気なく見たところ、クラフトテープが剥がされていることに気づきました。

170117_kudan




 これでやっと正式に、病院の名前が地図上に記されたのです。通りすがりの、何の縁もない者だとはいえ、ほっとしました。ただし、これまで貼られていたテープの糊跡が、まだ残っています。

 一週間前も、通院でここを通りかかっています。その時の写真を取り出してみました。


170110_kudan




 たしかに、先週はまだクラフトテープが貼ってあります。この一週間の間に、新しい案内図に入れ替えられ、テープが剥がされたのです。よかった、よかった。

 九段坂病院では、今日も右足の指先の疣を液体窒素で焼く手当てを受けました。ウイルスが相当深く巣くっているそうで、来週も再来週も通院の予約をしました。
 漢方薬の投薬もありました。

 昨夏、剥離骨折をした左足首は、まだ安定しません。

 両足の調子が良くないので、まだしばらくは歩くことに難儀な思いをします。しかし、来月には良くなるようなので、今しばらくの辛抱です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 江戸漫歩

2017年01月16日

点字百人一首の様子をラジオ日本「小鳩の愛〜eye〜」で放送すること

 一昨日の記事「【追記】高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会」(2017年01月14日)で、ラジオ放送の取材があったことを次のように記しました。


ラジオ日本の「小鳩の愛」のスタッフの方が取材に入っておられました。今日の様子やインタビューが、2月に放送されるそうです。


 そのディレクターである宮島佑果さん(アール・エフ・ラジオ日本)から、先日の「百星の会」の様子が以下の日程で放送されることを教えていただきました。
 私は「百星の会」の活動を広報する立場でもあるので、ここで宣伝しておきます。
 何年もラジオを聴いていません。これを機会に、楽しみに放送を待ちたいと思っています。


【番組名】 「小鳩の愛〜eye〜」(こばとのあい)
 http://www.jorf.co.jp/?program=kobato
視覚障害者の方がより暮らしやすい社会を目指して、視覚障害者、晴眼者にとって役立つ情報をお届けする番組です。
 
【放送局】 ラジオ日本 1422kHz  毎週日曜朝 7時5分〜7時20分
      北日本放送 738kHz   毎週日曜朝 7時30分〜7時45分
※スマートフォンアプリ「radiko」でもお聴きいただけます。
 
【放送日】 2017年2月5日(日)、12日(日)、19日(日)
 3週に渡って特集予定です。
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月15日

葛原勾当のひらがな日記について

 本郷三丁目であった、日本のローマ字社(代表 木村一郎)のイベントに参加してきました。
 ホームページには、次の案内文があります。


新年の集い 2017

とき: 2017ネン 1ガツ 15ニチ, 14:00〜
ところ: NRS ジムショ
おはなし: 幕末を生き抜いた盲目の琴師
       葛原勾当のひらがな日記を読む
はなして: くずはら・まこと (葛原 眞)さん
きどせん: 500エン(NRS カイイン わ ただ)

--------------------------------------

Sinnen no Tudoi 2017

toki: 2017 nen 1 gatu 15 niti, 14:00-
tokoro: NRS zimusyo
ohanasi: Bakumatu o ikinuita mômoku no kotosi
     Kuzuhara-Kôtô no hiragana nikki o yomu
hanasite: Kuzuhara-Makoto (葛原 眞) san
kidosen: 500 En(NRS kaiin wa tada)


170115_tirashi




 かねてより、葛原勾当について興味を持っていたので、聞きに行ってきました。

 江戸時代から明治時代にかけて、盲人ながらも現代のタイプライターとでも言うべき、木活字を駆使して40年間も日記を書き(スタンプ印刷し)続けた人です。
 『葛原勾当日記』(小倉豊文、緑地社、1980)や『日本語発掘図鑑』(紀田純一郎、ジャストシステム、1995)で、この日記のおおよそのことは知っていました。


170115_katujibako


(『日本語発掘図鑑』13頁)

 「遊び棒」と呼ばれる印字位置を示す一本の黒っぽい棒が、今のパソコンで言うとスペースやカーソルに当たるものです。

 しかし、実際に葛原勾当の直系の縁者である方からお話を聞くことで、具体的に盲人と文字というものについて再度考えるきっかけをいただくことができました。

 現在、私が科研で取り組んでいる「古写本『源氏物語』の触読研究」の連携研究者として一緒に勉強している中野眞樹さんが、昨春ここで研究報告をしていたことを知りました。そのことをまったく知らずに来たのですから、これも縁なのでしょう。中野さんは、今日はセンター試験の監督があるとのことでお休みだとのことでした。

 葛原勾当の木活字による携帯用の印字道具は、東大の史料編纂所がレプリカを作っていました。それを使って、葛原眞氏が実際に文字の印刷をテストする実験映像を拝見しました。これを見ると、この木活字を使った印刷の過程がよくわかります。ぜひとも公開していただけるようにお願いしました。いずれ、実現すると思います。

 葛原勾当について、すこしおさらいをしておきます。
 3歳頃に天然痘で両目を失明。14歳で座頭。その後、検校にはならなかったのは、当道座の階位を得るのには多額の金銭が求められたからだそうです。
 16歳で備忘録としての代筆日記をつけさせます。
 22歳の時に勾当になったことで上京。1ヶ月京都に滞在。この時に木活字を入手したようです。
 25歳で結婚。26歳から木活字を使って自ら印字して日記を付け始めます。
 明治15年に71歳で亡くなります。

 勾当日記に出てくる文字は、次のものが基本です。


170115_kana1




 これを通覧して気付くのは、明治33年に制定された現行ひらがなの字体がほとんどであることです。
 4行目の「於」の字形に留意したいことと、5行目の「江」、7行目の「志」が変体仮名となっていることが特徴です。ここには、「え」がありません。今の「お」に近い字体が別にあるので、こうしたことにも注意しておくべきでしょう。

 葛原勾当が木活字を用いて残した日記は、次のようなものです。


170115_kana2




 活字は何度か作り直していたようです。濁音の判子は別に作っていました。
 上の写真の3行目で「十四日よる」とある「よ」は、その下に不明の文字が一文字捺されていることがわかります。「日(ひ)」とあれば、次の行の「日る」と並んでいいのですが、どう見ても「日」ではないので思案中です。
 こうした印字の間違いは、その行を終える前であれば、すぐに直していることがわかります。その後の間違いは、もう直しようがなかったようで、いくつもそうした例が見られます。

 この勾当日記には、112箇所の間違いがあり、前後左右の間違いは92箇所あるそうです。文字を進める時や、行が移る時にケアレスミスがあるようです。

 この葛原勾当日記については、またわかりしだいに報告します。
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月14日

【追記】高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会

 百星の会の新年会が、高田馬場の社会福祉協議会の中にある視覚障害者交流コーナーで行なわれました


170114_center




 40人ほどが集まり、今回も大盛会でした。参加者は回を重ねる毎に増えています。

 今回も全日本かるた協会の松川英夫会長がお越しになっていました。
 嵐山と京都ライトハウスでご一緒した、畑中ご夫妻も新しいカルタ台と新ルールを持って大阪から参加です。
 福島からの渡邊先生は、今回は息子さんが付き添いです。
 「科学でジャンプ」でお世話になった廣田先生からも、元気な声が飛んでいました。
 さらには、ラジオ日本の「小鳩の愛」のスタッフの方が取材に入っておられました。今日の様子やインタビューが、2月に放送されるそうです。

 この「百星の会」のイベントは、来るたびにレベルがアップしていきます。

 今回は、光孝天皇のカルタ「きみがためはるののにいでてわかなつむ〜」にちなんだ寸劇が、「百星の会」の有志によって披露されました。ミャージカル仕立ての、凝ったものです。
 この歌の解説を、福島県立盲学校で国語を教えておられる渡邊先生が、わかりやすく説明してくださいました。歌の背景にある平安時代の若菜摘みの行事や、『源氏物語』の「若菜」巻にも触れるという、熱のこもったものでした。渡邊先生の本領発揮です。興味深い話に、みんなが引き込まれます。

 その後、新年会らしく七草をみんなで触ろう、ということになりました。


170114_wanakusa1




 多くの方が、香りが懐かしいとおっしゃっていました。
 年配の方は、七草の歌なども自然と口ずさんでおられます。
 この七草を、駆けずり回って用意なさった事務局長の関場さんやサポートの方々も、毎度のことながら大変だったことでしょう。

 そして意表を突く、青汁での乾杯です。七草を一緒に食べた気分に浸ります。

170114_wanakusa2




 大阪のカルタ会では「まゆみさんの和歌講座」をしているとのことです。そこで、専門書に書かれている解説を、畑中さんが読みあげてくださいました。詳細な光孝天皇の歌の解釈に、うなずいたり感心したりと、これも中身の濃い時間をみんなで共有することとなりました。

 この「百星の会」では、行くたびに新しい点字かるたの台が開発されています。
 今回も、まだ東京と大阪に1セットずつしかないという、畑中さんの開発による、5列5行に札を並べる新台で、上級者の試合が行なわれました。1人が25枚なので、50枚を取る競技です。こうなると、目が見えるとか見えないということは、まったく問題ではなくなります。
 新しく考えられたルールでは、15分で札を並べ、覚えるのに5分というのが原則なのだそうです。ただし、まだ出来たばかりなので、今後ともさらなる改良がなされるようです。

 今回の新しい競技は、いきなり何の歌かわからないものが読まれます。そのためにも、100首をすべて暗誦することになります。
 今日も、緊張感の中で上級者の試合を観ました。勝負は瞬時に決まります。


170114_guard




 札は、手前から持ち上げるようにして取ります。左側のケースにある相手の札も取れます。相手から取ると2ポイント。残り1枚を残して、合計ポイントで競います。この台では、相手に札を送ることはありません。
 新たなルールが、いろいろと決められています。

 ちはや台という、横に13枚が2段あるものでも試合が行なわれました。
 烈しい鍔迫り合いや、力技もあります。札が少なくなると、指の隙間が勝敗を分けることも……
 最後まで試合をすると、1試合に1時間以上かかるとのことでした。


170114_speed




170114_seriai




170114_touch




 ここで使われている取り札には、点字が最低7文字は貼ってあります。濁音が多いと点が増えます。そのため、無理やり押し込んでいるそうです。
 札には、表と裏に、上下から読めるように点字が貼られているのです。この点字をたよりに、試合直前まで触読をして、どの歌がどこにあるのかを覚えます。記憶力と反射神経の勝負です。


170114_tenji1




170114_tenji2




 見物は、真ん中で見るよりもどちらかの取り手の側から見た方が、臨場感たっぷりで迫力が伝わってきておもしろいのです。

 初心者や初級者は、それぞれのレベルに合ったカルタと台を使います。
 その方の状況を配慮した道具が用意がしてあり、多くの方々が参加できるようになっています。


170114_etc




 さらには、実践向けに新たな台というよりも、シートも開発されています。
 次のシートは、取り札を指で摘んで取り合う競技向けではなくて、札を飛ばすことを想定してのものです。点字百人一首は、日々進化をしているのです。


170114_seets




 途中、外では雪が舞っていました。そんな中でも、かるた会場は熱気に満ちています。
 初めて参加なさった方が多かったので、この会の活動は、今後がますます楽しみです。

 次回は2月25日(土)に、今日と同じ高田馬場で行なわれます。
 興味をお持ちの方は、参加してみませんか。
 こんなすばらしい仲間との世界があることを、ひとりでも多くの方に知ってもらいたくて、今日もこうして長々と報告を記しています。

--------------------------------------
※追記 「百星の会」や「点字百人一首」については、以下の記事も併せてご笑覧いただけると幸いです。
 
「「点字付百人一首〜百星の会」に初参加の感想など」(2016年07月17日)

「お香体験の後にカルタが飛ぶ「点字付百人一首 〜百星の会」」(2016年07月16日)

「「点字付き百人一首」とお香のワークショップのご案内」(2016年07月14日)

「「きずなづくり大賞 2015」受賞の関場理華さんと「百星の会」」(2016年02月03日)

「体験型学習会で点字付百人一首のお手伝い」(2015年12月06日)

「書道家にお願いした触読用の『百人一首』」(2015年12月01日)

「五感を使って江戸時代の百人一首カルタにチャレンジ」(2015年11月23日)

「京都ライトハウスでの点字百人一首体験会に参加」(2015年11月07日)

「「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容」(2015年09月01日)

「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)

--------------------------------------
posted by genjiito at 23:32| Comment(0) | 古典文学

2017年01月13日

〈第6回 池田亀鑑賞〉の候補作を募集中です

 〈第6回 池田亀鑑賞〉の募集は、平成29年3月末日が〆切りです

170113_ikeda




 応募は、一般から、あるいは、学術機関、各種法人、出版社など推薦人から推薦を受けたものとなっています。自薦・他薦を問いません。

 応募作(平成28年4月1日〜平成29年3月末日刊行奥付および発表分)の中から、〈池田亀鑑賞選考委員会〉により選ばれます。

 応募にあたっては、刊行物および掲載誌を2部、下記の〈池田亀鑑賞事務局〉に送付してください。
 また、【タイトル・氏名・住所・電話番号・メールアドレス・所属】を明記の上、【要旨(800字〜2000字程度)】も添えてください。


平成29年3月末日 必着

〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-44-11
新典社内 池田亀鑑賞事務局
TEL:03-3233-8051  FAX:03-3233-8053


 これまでの受賞作は、以下の通りです。
 弛まぬ努力が結実した成果に対して贈られました。

 平成24年度 第1回受賞作 杉田 昌彦氏『宣長の源氏学』(新典社)
 平成25年度 第2回受賞作 岡嶌 偉久子氏『林逸抄』(おうふう)
 平成26年度 第3回受賞作 須藤 圭氏『狭衣物語』(新典社)
 平成27年度 第4回受賞作 滝川 幸司氏『菅原道真論』(塙書房)
 平成28年度 第5回受賞作 畠山 大二郎氏『平安朝の文学と装束』(新典社)

 この〈池田亀鑑賞〉の趣旨は次の通りです。


「池田亀鑑賞」は、文学の研究基盤を形成する上で、顕著な功績のあった研究に対して贈るものです。
その地道な努力を顕彰し、さらなる成果の進展を期待する意味を込めています。
「池田亀鑑賞」は、伝統ある日本文学の継承・発展と文化の向上に資することを目的として、池田亀鑑生誕の地である日南町と池田亀鑑文学碑を守る会が創設しました。


 選定にあたっては、「前年に発表された『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの1作品を選定します。」となっています。
 つまり、「研究論文や資料整理及び資料紹介」が対象であることが、この池田亀鑑賞の特色です。

 選考は、以下の6人の委員があたります。


伊井春樹(会長)
伊藤鉄也(委員長)
池田研二
妹尾好信
小川陽子
原 豊二


 選考委員の一人として、池田亀鑑賞のホームページに私は次のコメントを寄せています。


文学研究の基礎を支える資料を整理し、成形し、提供する営為には、多大な時間と労力と根気が必要である。
そして、こうした作業や仕事にこそ、弛まぬ努力と継続への理解と応援が必要である。
池田亀鑑賞は、日頃の地道な調査研究活動に光を当て、さらなる励みと新たな目標設定を支援するところに意義があると思っている。
達成したものばかりではなく、進行しつつあるものも含めて、研究環境の整備に貢献した仕事を顕彰したいと思っている。


 コツコツと研究を続けて歩んで来られた成果が、今回も応募作として並ぶことを、大いに期待し、楽しみにしています。
 今年もすばらしい作品の応募があることでしょう。
 積極的な応募を検討してください。

「池田亀鑑賞のホームページ」もご覧ください。
posted by genjiito at 21:41| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年01月12日

渋谷氏による『源氏釈』の研究資料が全面改訂へ

 渋谷栄一氏が作成中の『源氏釈』の研究資料に関して、以下のような全面改訂の方針が示されました。これは、ご自身の「楽生庵日誌(1月11日)」で表明されたものです。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e
 

【1月11日(水)】
「源氏釈」の全面改訂について、
第1は本文資料を漢字仮名字母による翻字法に切り替えたこと、
第2は対校写本を平安・鎌倉・南北朝期頃までの写本の写真影印資料等に拠り、青表紙・河内本・別本の枠組みを外したこと、
第3には後世の仮託偽書は除外したこと。
平安末期の藤原伊行の源氏物語の本文と注釈について考究していくことを目的とした。


 大賛成です。こうあってほしいと願っていたことなので、今後の進捗がますます楽しみになりました。

 この『源氏釈』の改訂版と、私が構築しつつある『源氏物語』の本文に関する「変体仮名翻字版」のデータベースがリンクする日が来ることを思うと、今からワクワクして来ます。
 これが実現すると、『源氏物語』の本文研究史と注釈史の研究が、格段に精緻なものへと変わっていくことでしょう。

 これまでの研究資料は、明治33年に施行された、現行ひらがな書体という制約から出ないままのものがほとんどでした。つまり、簡略化された翻字や翻刻による研究がなされていました。それが、注釈書の原本に書写されているままの文字列で研究ができるようになると、より正確な翻字資料で考えることができるようになるのです。簡略版による翻字資料での研究には、やはり限界があり、学際的な研究には至らなかったのです。

 これで、研究環境が各段に向上します。後は、一点でも多く変体仮名を用いた翻字資料が増えることを待てばいいのです。
 『源氏物語』の本文の翻字は、着実に進展しています。
 これに加えて、『源氏物語』の注釈書の翻字も、「変体仮名翻字版」で展開することを考えたいと思います。

 昨日の、本文分別に関する渋谷氏の記事に引き続き、これも新年早々うれしい知らせとなりました。
 少しずつではあるものの、『源氏物語』の研究環境は着実に進化しています。
 若い方々がこうした資料を活用し、新しい視点での研究成果を公表される日が来ることが期待されます。
 この問題に興味をお持ちになった方からの、質問や連絡をお待ちしています。
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月11日

源氏物語本文の2分別私案に関する初めての賛同者

 渋谷栄一氏の「楽生庵日誌(1月9日)」で、以下の報告がありました。
 私が提唱する2分別私案(〈甲類・乙類〉)について、初めて支持を表明する方が正式に確認できたのです。


「午前中、源氏物語の本文分類について、伊藤鉄也氏が指摘するとおり、河内本群(甲類)と別本・青表紙本群(乙類)に2分類されることを、さる12月24日の豊島秀範科研研究集会における発表者(豊島秀範・太田美知子氏)の「紅葉賀」と「蓬生」の各諸本本文対照資料で確認する。
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/rakuseian.html#551277658d71862cec8cf1cf6089e4876085858e

 『源氏物語』の本文は、池田亀鑑が提唱した〈青表紙本・河内本・別本〉という3分類ではないことは、これまでに私は自編著や本ブログなど各所で言及してきました。このことが、今回初めて研究者によって確認されたのです。『源氏物語』の本文研究史において、重要な確認事項だと言えるでしょう。

 昭和13年までに池田亀鑑氏が確認した本文資料をもとにしての〈青表紙本・河内本・別本〉という物語本文の3分類は、あくまでも昭和13年までの資料に限定しての仮説でした(本記事末尾の引用文を参照)。それ以降、多くの『源氏物語』の写本が紹介され、確認されているのですから、『源氏物語』の本文の分別については昭和13年以降の資料も交えて考えるべき問題です。しかし、以来80年もの長きにわたり、この池田亀鑑の3分類を重宝で便利なモノサシとして、解説などに言及されてきました。
 私の手元には、昭和13年以降の本文を翻字した資料やデータが数多くあります。それらを通覧しても、〈青表紙本・河内本・別本〉の3分別ではなくて、〈甲類〉〈乙類〉の2分別にしかなりません。

 『源氏物語』の本文は2つにしか分別できないということに関して、さらに多くの方からの私見に対する確認の報告を楽しみにしています。また、反論も大いにお寄せください。これも楽しみにしています。

 少なくとも『源氏物語』の本文のことを、活字による校訂本文をもとにして発言するのは控えてほしいと思います。さらには、不正確な『源氏物語大成』による本文考察は、問題の性質がまったく異なる方向に展開することになるのですから。
 そして、若手研究者は自身が読む『源氏物語』の本文がどのような経緯で提示されたものであるのかを、充分に確認した上で本文を読み解く心構えが求められる時代になっていくことを知っていただきたいと思います。

 以下、取り急ぎ参考までに、そして確認の意味で、『源氏物語』の本文が2つに分別できることを書いた最近の文章を引用しておきます。
 これは、昨年12月24日(土)に豊島秀範先生が主宰される「第3回 源氏物語の本文資料に関する共同研究会」で発表した資料からの抜粋です。


■本文の二分別と傍記混入■



 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを提供できるようになった。スローガンとして来た「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」』(第1.0版 平成二八年一二月二一日)が、まさにできたばかりの具体的な成果である。
 池田亀鑑は『源氏物語大成』の「校異源氏物語凡例」で、「原稿作成ノ都合上、昭和十三年以後ノ発見ニ係ル諸本ハ割愛シタ。」(五頁)と言っている。このことから、『源氏物語』の本文を〈青表紙本・河内本・別本〉の三つに分類できるのは、昭和一三年までに確認された『源氏物語』の本文資料を整理する場合にのみ適用できることだといえる。昭和一三年以降になると、さらに多くの写本が見つかり、さまざまな本文が紹介されている。昭和一三年以前に池田亀鑑が確認した写本だけで『源氏物語』の本文のことを考えるのは、もうやめた方がいい。しかも、池田亀鑑の諸本整理と『校異源氏物語』の作成の背景には、さまざまな恣意がしだいに明らかになってきている。今年は平成二八年なので、八〇年前のモノサシで今の『源氏物語』の本文を考えるのは、とにかく生産的ではない。〈青表紙本・河内本・別本〉という分別が、解説などでいまだに便利に使われている。しかし、これは見当違いなモノサシであり、その視点で『源氏物語』の本文を見ることには大いに問題があると思っている。
 私は、『源氏物語』の本文は諸本間で八割が一致し、異文というべき本文異同は二割の範囲で生じていることを検証してきた。また、物語本文はその内容から〈河内本群〉を中心とした〈甲類〉と、〈いわゆる青表紙本〉を中心とした〈乙類〉の二分別することができる、という私案を提唱してきた(拙著『源氏物語本文の研究』平成一四年、おうふう)。
 『源氏物語』の本文を二分別する試案としての〈甲類・乙類〉を提示したのは、口頭発表では「ハーバード大学所蔵『源氏物語』の本文」(INTERNATIONAL SYMPOSIUM THE ARTIFACT OF LITERATURE(ハーバード大学)、平成二〇年一一月二一日)であり、活字論文では「「源氏物語本文の伝流と受容に関する試論 −「須磨」における〈甲類〉と〈乙類〉の本文異同−」(横井孝・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社、平成二〇年一一月)が最初であった。それまでは、〈河内本群〉と〈別本群〉という名称をつけていた。
posted by genjiito at 12:08| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月10日

元日の落とし物が無事に見つかりました

 新年早々、ついうっかり落とし物をしました。
 あまり使わないカード類を入れていた小銭入れが無くなったのです。
 お金はまったく入っていなかったことと、すべてがお店のポイントカードや各種会員証だったので、被害は最小だったといえるでしょう。

 いや、1枚だけ…まさかの時のためのクレジットカードがありました。もっともこれは、すぐにネットで最近は使われていないことを確認してから、利用停止の手続きをしました。
 おっと、もう1枚。運転免許証もありました。

 ということで、家の中などに置き忘れていないことを確認した数日後、近所の交番に紛失届を出しました。

 どこで落としたのか、どこに置き忘れたのか、どこで盗られたのか、などなど、お正月とはいえ、ふとした瞬間に疑心暗鬼が頭をよぎります。

 ヨドバシカメラでお買い物をした時、ポケットからポイントカードを取り出そうとして、あっそうだ、と現実に引き戻されました。あのカードは、日本でポイントカードができた初期のものです。カード番号を見て、店員さんからよく珍しがられたものです。再発行してもらう時に、これまでの番号で作ってほしいと頼みました。しかし、それは出来ないとのことでした。レアなカードがなくなり、非常に残念です。

 自分の日々の行動を確認する時に、毎日書いているブログは重宝します。

 大晦日は、四条の錦市場。
 元日は、下鴨神社へ初詣。
 2日は、大阪で娘と宴会。
 3日は、再度の下鴨神社。

 うーん、とうなるばかりで、財布につながることは何も思い当たりません。大事な財布と違い、貴重なカードが入ったものでもないので、あまり気にしていなかったようです。

 クレジット会社から突然電話があり、警察からの連絡を教えてくださいました。
 1月6日から何度か、私の携帯に着信記録が残っていました。電話を使う生活から遠ざかっているので、着信記録すら見ることがないのです。今回は、たまたま電話があったことに気づき、念のためにネットでどこからの電話かを調べると、クレジットカード会社からであることがわかりました。カードの再発行のことだろうと思って、折り返し電話をしました。すると、何と、無くなったと思い込んでいた財布が、大阪の警察に保管されている、という連絡だったのです。

 クレジット会社の方は、丁寧な対応でした。
 元日の午後3時頃、出町柳駅を発車した京阪電車に落ちていたそうです。
 たしかに、妻とともに下鴨神社へ元日の初詣に行った後、そのまま京阪の出町柳駅へ出て、2つ目の三条駅まで京阪電車に乗りました。その時に落としたようです。
 財布が無くなっていることも知らず、木屋町、先斗町、河原町、京極、寺町の賑わいの中を散策していたのです。

 大急ぎで、クレジット会社から教えてもらった大阪の警察へ電話をし、受付番号を言って、財布の中身を確認しました。私が思い出すカードのすべてが、500キロ離れた受話器の向こうの婦警さんの手元にあるのです。不思議な感覚と安堵感が綯い交ぜになって襲って来ました。返す返すも、感謝感激です。

 今は東京にいるので、指定される日時までにそちらへ受け取りに行けないことを伝えました。するとあろうことか、着払いで郵送することも可能だとのことでした。これは助かります。
 送り先の確認に少し時間がかかるとしても、居ながらにして、東京の宿舎へ自分が京都で落とした財布が大阪から届くのです。今話題のドローンではなくて、明治以来の郵便制度を使って送られてくるというのがいいと思います。

 暗いニュースがあるにしても、この国の良さを再確認しています。あの元旦の日に、込み合う電車で落とした財布を、警察に届けてくださった方がいらっしゃったのです。
 また、その財布を取りに来られないなら送ってあげよう、と警察の方はおっしゃるのです。

 信じられないほどの信頼関係で築かれた、この平和な社会の一端が垣間見えます。
 これも、我々の先輩たちが引き継ぎながら築き上げた、よき文化だと言えるでしょう。善意を前提にして成り立つ社会に、こうして生活できていることの幸せを実感しています。これは、いつの世にも伝えたいことです。また、私自身も、そうした相手を思いやる姿勢を大切にして、困っている方のために自然に何かができる日々を、常に送りたいとの思いを強くしています。

 元日早速の失態が、ありがたいことに、明るく人を信頼して前向きになれる元気に置き換わりました。
 今年は元旦から、災い転じて福の1年が始まったのです。
 今回のことで関係してくださったみなさまに、ありがとうございます、という気持ちをこの場を通してお伝えします。カードが戻ってくる以上に、みなさまがたの気持ちが嬉しいのです。

 たかが財布一つのことで大げさかも知れません。しかし、このような文化を共に持ち伝えているこの国の多くのみなさまに、感謝しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 身辺雑記

2017年01月09日

読書雑記(189)白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』

 白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』(2015年12月、集英社オレンジ文庫)を読みました。


170104_shimogamo




 帯に「京都を舞台におくる アンティーク・ミステリー」とあるので、つい手に取ってしまいました。
 この作者の作品を読むのは初めてです。作意をまったく感じさせない文章でした。テンポよく、女子高生が着物をめぐる不可解なことを、素人らしく解き明かしていきます。慧という男の存在が、さまざまな味付けをしています。

■「金魚が空を飛ぶ頃に」
 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』のメアリーのことば「だれにだって、じぶんだけのおとぎの国があるんですよ!」が、主人公である鹿乃の心の中にあります。
 親友の祖父である満寿が、かつて少し暮らした女性が残して去っていった「羽衣」という不思議な金魚を描いた着物が話題となります。
 最後近くにこんな表現があります。
「皿に残ったすみれの砂糖漬けをつまんで、口にほうりこむ。しゃり、と砂糖が歯にあたり、花の香りが鼻に抜けた。」(87頁)
 メルヘンのように展開する、楽しい物語の始まりです。【5】
 
■「祖母の恋文」
 鹿乃の祖母である芙二子が懇意にしていた骨董店北窓堂の店主が、祖母の恋文を持ち込んで来ました。
 話は、杜若柄の男物の着物にまつわる話へと展開します。
 さらには、うなり声が聞こえるという帯。北野の天神市の骨董屋から買ったというのですから、京都の実態が踏まえられています。
 登場人物が多彩で個性的です。そして、女性の京ことばが自然できれいです。
 祇園の芸妓豊葉を浮気相手として問い詰める場面で、次の描写に印を付けました。
「うふふ、と豊葉はえくぼを浮かべて笑った。どこか得意そうな笑みに芙二子は顔がひきつりそうになった。そうですか、と笑みを返して、芙二子は置屋をあとにした。」(108頁)
 ここでの「ほほえみ返し」は、微妙な腹の内を見せていると思います。
 着物を着て、色や柄で遊びたくなります。しかし、男物では興醒めです。文化的にも、風俗的にも、これは女性の楽しみのようです。京の街中では、レンタル着物が花盛りです。しかし、やはりと言うべきか、男着物はほんの少数です。ここに私は、見せ物と化した日本文化の一面を垣間見ています。
 さて、本作で帯の柄から万葉仮名の謎解きに転ずるところは、やや強引かもしれません。もっとひねったらと、さらなる遊びの世界を楽しみにしてしまいました。【4】
 
■「山滴る」
 春秋柄の羽織の話です。そこに万葉仮名でかかれていた大和三山歌が話題となります。さらに話は絵に、花に。もう少し、羽織に集中してもよかったのでは。黒谷の金戒光明寺から白川通りが、いい雰囲気を醸し出しています。和洋折衷の味がする仕上がりです。【3】
 
■「真夜中のカンパニュラ」
 寺町二条から蹴上へと、物語の導線が変わります。作者の、多彩な語り口だと思います。
 白い絽に風鈴草の柄の着物を着た薄幸の女性が残像となります。この女性と、血で書かれた和泉式部の和歌の接点を、もっと興味深く描いていったら、と思いました。
 この物語にも、手紙が出てきます。好きな人に文字を通して自分の気持ちを伝える手紙という文化を、今の若い読者と共有できるのかと、新たに興味を持ちました。あらためて、手紙が見直される時代になるかもしれません。
 本作は、薄気味悪さもブレンドされていて、おもしろい仕上がりです。【4】
 
※ 読後感を一口で言うと、お茶に例えれば、抹茶よりも煎茶を飲んだ後の感じでしょうか。
 本書に収録されている物語は、色と形で美しさを連想させる言葉でつづられる4つの作品集です。
 登場する大学の先生が学問的な匂いをほとんどさせないので、それが物語の味を守っています。
 これ以外のシリーズ作も、読んでみたくなりました。
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月08日

大和平群での初釜と茶室披きに行く

 平成29年度の初釜に行ってきました。
 降りる駅を乗り越しはしたものの、平城宮跡に復元された大極殿を車窓から見ることができました。これも、何かの瑞祥かもしれません。


170108_hejyoukyu




 今年の初釜は、先生のお宅の茶室披きとも重なり、二重のおめでたい日です。

 待合いでの話で、私が正客となっていることを知りました。もっとも、みなさん気心の知れた方々なので、飾りですからとのことばに気を許し、言われるがままに、指示通りに務めることとなりました。指示待ちの正客で恐縮です。

 路地を通って真新しいお茶室に向かいました。
 平群谷越しに松尾山やその山向こうの斑鳩を望む景色が借景となっています。
 晴れていたら、春になれば、たたみごも平群の里が眼下に望められることでしょう。

 席入りの前に路地の腰掛待合で、正客がすべき仕事の一つをまず覚えました。戸外の椅子に積み重ねてあった円座を、下から1つずつ置き並べ、最後に自分の物を表にして座ることでした。
 もっとも、蹲踞で心身を清めてから立った時に、それまで自分が座っていた円座を壁に立て掛けることをすっかり忘れ、そろりそろりと席入りをしてしまいました。

 あらかじめ足の調子が思わしくないことは、先生にお伝えしていました。折しも、もう一人、3ヶ月前に私と同じ足首を剥離骨折した方がおられたので、お茶室の床の前には机と椅子が2つずつ並べてありました。ご配慮に感謝です。

 席入りからは、思い出せないほどのぎこちない作法や時機を逸した対応で、大変失礼しました。正客は、なかなか気の抜けない役割であることを痛感しました。

 八畳の広いお茶室でした。木の香りが漂う爽やかな一室で、茶事に出される懐石料理をいただきました。お酒も少々。

 正客の発声がないと、みんなが食べられないとのことなので、慌てて「みなさま、いただきましょう。」と、5人の客人に呼びかけました。
 ことほどさように、正客になると折々に声掛けをしたり亭主にお訊ねしたりと、大事な役割があることがわかりました。
 この際、何でも覚えようと、お隣の先達の囁きや先生の指示を頼りに、いろいろなことを学ぶことになりました。

 お茶や道具を取りに出るのには足に負担がかかるので、末客の方がわざわざ席まで運んでくださいました。お手数をおかけしました。もっとも、その方にもいろいろと基本的な約束事があるようで、それらを含めてもう覚え切れません。
 先生から言われている、理屈ではなくて身体で覚えるしかない、ということです。

 先生が年末にベトナムで手に入れられた、銀の箔押し風の菓子皿は、実は漆器なのだそうです。銀器かと思いました。これに水仙の干菓子が載っていたので、何でも茶道具になり、それを活かすセンスが大事であることを知りました。
 私が数年前にベトナムで手に入れた、沈没船から引き揚げたばかりの泥だらけの茶碗の話も、茶道具にはいろいろな物があるということで話の味付けになったようです。

 床に飾られた「あけぼの椿」と「うぐいすかぐら」が、すらりとした花瓶からのびていました。
 上からは「結び柳」が力強く部屋の雰囲気を引き締めています。


170108_tubaki




 すべて庭にあった植物だそうです。
 私は、この柳の姿の雄大さが気に入りました。

 亭主の仕掛けは、もっとあったはずです。体験を重ねるたびに、少しずつ見えてくるようになることでしょう。

 私のお稽古通いは、年に数えるほどです。
 今年からは、これまでよりも近くなったことでもあり、月に一度の平群通いを心がけたいと思います。

 駅前を流れ下る竜田川の水は、来る時よりも勢いを増していました。雨の影響のようです。この巨岩と水嵩が一幅の絵になっているようで、思わずシャッターを切りました。
 そして、よい年になる予感がしました。


170108_tatsutagawa


posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | 美味礼賛

2017年01月07日

久しぶりの大阪駅で『源氏物語』の翻字の打ち合わせ

 大阪駅に行ったのは、本当に久しぶりです。
 駅ナカのホテルのラウンジで、『源氏物語』の古写本を翻字してくださる方とお話をしてきました。

 かつて私と同僚だった方の今の同僚で、翻字に興味を持ってくださった方がいらっしゃるとのことで、直接お目にかかって説明をしました。顔を合わせてお話をする、ということを大事にしているからです。
 尾州家河内本『源氏物語』をお願いしようと思います。

 明治33年に策定された、現行のひらがな約50種で作成した翻字データは、すでに私の手元に相当数あります。約30万レコードのデータベースとなっています。それを、書写された文字の字母に忠実な、「変体仮名翻字版」と言っている正確な翻字をお願いし続けているのです。

 「安」も「阿」も、これまでは「あ」という一文字のひらがなで翻字をしてきました。しかし、それは不正確であり、写本に書かれている文字の姿から翻字に戻れないものです。次の世代に嘘の翻字データを引き渡すわけにはいかないので、「安」は「あ」に、「阿」は「阿」で翻字をしていただくのです。今からちょうど2年前に決断した、新しい方針です。

 国文研蔵橋本本「若紫」の冒頭部分の例をあげます。


170107_boutou




 これを翻字する場合、これまでは次の写真の左側列のように、「わらはやみに」としていました。明治33年に一文字に限定されたひらがなで済ませていたのです。しかし、これを「変体仮名翻字版」で翻字をすると、右側列のようになります。


170107_honji




 「変体仮名翻字版」の列にある、「八」「三」「尓」が、字母を混在させた、写本に戻れる翻字です。左右の列の文字の違いを見ると、今までの左側の翻字の不正確さが明らかでしょう。

 「変体仮名翻字版」であれば、写本に書かれている文字がほぼ正確にデータ化できます。もちろん、崩し字は一様ではないので、字母である漢字に近い形であったり、明治33年に国策として一字体に決められた現行のひらがなの字体であったりと、その間でさまざまな変化があり、揺れがあります。そこまで厳密な違いを文字データベースで再現することは困難なので、写真に依ることにしています。今はひとまず、嘘のひらがなによる翻字ではなくて、字母レベルに一元化しての翻字に移行しているところです。
 これで、これまでよりも少しでもましな「変体仮名翻字版」によるデータが出来上がります。

 翻字をお願いする、と言うと、何やら難しい特殊な能力を求められるかのように思っておられる方が大半です。しかし、私がお願いするのは、写本の影印資料と、すでに完成している現行ひらがなによるテキストデータを渡し、データをパソコンで「変体仮名翻字版」にしてもらうのです。つまり、写本はすでに正確に読まれており、そこに用いられた平仮名を変体仮名に置き換えてもらう作業になるのです。ややこしいいことと言えば、データベース化にともなう、写本が書かれている現状を記述した付加情報でしょうか。しかし、これは2人目の別の方が確認するので、特に神経質になっていただく必要はありません。
 とにかく、後ろを振り向かず、ひたすら前を見て進んでください、と言ってお願いしています。

 私は特に翻字の進捗具合を催促はしないようにしているので、気長に続けていただければ、と願っています。
 『源氏物語』の写本の分量は膨大なので、90年を一応のメドとして取り組んでいます。私一代ではできないプロジェクトなので、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉を設立して取り組んでいるところです。
 NPO活動の一環なので、ほんの少しですが謝金をお渡ししています。翻字作業をお願いする方には、NPO組織の支援会員になってもらうことを原則としています。しかし、その会費は謝金ですぐに相殺されるように配慮がなされています。

 今日も、こうした取り組みに興味を持っていただけたことは、ありがたいことでした。
 東京では、日比谷図書文化館での講座を通して、少しずつ翻字を手伝ってくださる方が増えています。今後は、関西での支援者が一人でも増えるように、意識していろいろな方に語りかけ、呼びかけて行きたいと思っています。

 帰りに、JRで京都方面行きのホームにあがったところ、事故か何かで電車が遅れていました。
 なかなか来そうにないので、いったん改札の外に出て、阪急で帰ることにしました。

 久しぶりに訪れた大阪駅の北側の外観は開放的でした。


170107_station




 北向きに見下ろすと、スケートリンクが出来ていました。
 みなさん楽しそうに滑っておられます。


170107_icelink




 この大阪駅の北側地域は、今後はさらに開発が進みそうです。
 新しい大阪駅が、ますます楽しみになりました。
posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月06日

情報発信サイトを2017年春に整備する予定

 現在、さまざまな情報を、ホームページやブログを通して発信しています。
 2017年4月から生活が京洛に移る関係で、ウェブサイトに関しても発信の母体となる通信の環境を整備する予定です。
 詳細はまた後日お知らせすることにして、現在の見通しを取り急ぎまとめておきます。
 それぞれのサイトは、いずれも多くの方々に見ていただいているので、途切れることのないように新しいサイトにつなげていくつもりです。
 これまでと変わらぬご支援のほどを、よろしくお願いいたします。
 
--------------------------------------

【A】サイトのアドレスが変わるもの

■ブログ■
「鷺水亭より」
(平成29年3月31日まで)

〔少しずつ移行〕

「鷺水庵より」
(平成29年3月31日より完全移行)
(すでに入れ物は出来ています)

※このブログは、運営者側の都合により、サービスが閉鎖されるために移行するものです。
 私は情報発信サーバー関しては不運続きで、1995年以降、現在のサイトは6社目です。利用していたサーバーがクラッシュしたり、運営が廃止されたりと、いろいろなことがありました。それでも、何とかつないで来ています。公開したデータが復元できないものは2割ほどなので、8割方は再建できます。いずれ、1995年から発信し続けている情報を、きれいにつなげたいと思っています。いつになるかわかりませんが……


--------------------------------------

【B】新サイトへの移行を検討中のもの

■ホームページ(1)■
「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉」

※このまま運用する予定です。
 ただし、ネット環境の整備を含めて、新しいサイトに移行することも検討中です。

 
■ホームページ(2)■
「大和まほろば発〈へぐり通信〉」

※現在、クラッシュしたデータを再構築中です。
 新しいサイトで再出発する予定です。


--------------------------------------

【C】これまで通りのアドレスで公開

■ホームページ(3)■
「海外源氏情報」(科研・基盤研究A)
 
■ホームページ(4)■
「古写本『源氏物語』の触読研究」(科研・挑戦的萌芽研究)
 
■ホームページ(5)■
〈旧・源氏物語電子資料館〉

--------------------------------------
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年01月05日

読書雑記(188)宮部みゆき『初ものがたり』

 今年の読み初めは『初ものがたり』(宮部みゆき、平成11年9月、新潮文庫)にしました。


170104_miyabe




 季節感と世相を反映した、江戸深川を舞台とする短い物語6作品を収録した短編集です。
 帯に書かれた次のことばも気を惹きました。


鰹、白魚、柿、桜。「初もの」がらみの難事件、さらりと解けるか茂七親分−八百八町のミヤベ・ワールド!


 東京の深川にある宿舎住まいもあと3ヶ月となり、近辺を舞台とする江戸情緒が語られている作品をもっと読もうと思っての選書です。また、お正月らしさと料理話も期待して。

 しかし、ことごとく叶わない、消化不良の作品でした。私とは相性がよくない作家なのかもしれません。
 これまでにも、宮部作品はいくつか読みました。しかし、わざわざこのブログで取り上げるほどのものとは出会えませんでした。これも同じでした。
 すでに高田郁の「〈みおつくし料理帖〉シリーズ」(2014年08月24日)を読んでいるので、この種のテーマでの作家の力量の違いがあらためてわかりました。この作品が書かれた時間軸と創作の背景を加味して読む作品となっているもの、と言えるでしょう。

 とはいうものの、私が今年最初に読んだ本でもあり、その確認の意味でも、ここに取り上げることにします。宮部みゆきファンの方々には申し訳ないことです。こんな感想を持った者もいる、ということで。

 巻末に、「新潮文庫版のためのあとがき」があります。どうにも収まりのつかない本書への、作者からの言い訳が記されています。この物語の今後の展開に興味を持ったこともあり、その末尾の文章を引用します。


 刊行当時、周囲の先輩作家や友人、編集者の皆さんからも、稲荷寿司屋台の親父の正体は何なのか、日道坊やはどうなるのか、あの連作は続けないのかと、好意的なお訊ねをいくつか受けました。わたくし自身にとっても、茂七親分の活躍する捕物帖は、長いスパンで大切に、愉しみながら書いてゆきたい作品でございます。ですから、そのたびに、「いつか必ず再開します」とお答えしておりました。その気持ちは、現在もまったく変わっておりません。かくも長き中断というのも、読者の皆様には興ざめに感じられることと存じますが、いずれ必ずというお約束をお詫びの言葉にかえさせていただき、ここにお許しを願いあげる次第でございます。
  平成十一年九月吉日
             宮部みゆき


 そういえば、「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013年01月07日)で、次のように宮部さんとは違う感想を記したことを思い出しました。


 文庫本の解説を担当された宮部みゆき氏は、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」と言われます。しかし、私はそうではなくて、高麗の女の方だったと思います。利休は、最後まで夢と憧れを心に抱いて死んで行ったと思うからです。


 人それぞれに、思うことはさまざまだ、ということなのでしょう。
 好きなように読み、勝手な印象や感想を持つのが、物語や小説を楽しむことなのですから。
 
 
■「お勢殺し」(1月)
 江戸深川の富岡のお正月で幕が開きます。岡っ引きの茂七が登場し、独特の推理を展開します。
 夜中じゅう稲荷寿司を屋台に並べている親父が作る、味噌汁と蕪汁が殺人事件を解決する手がかりを得るという話です。
 この親父が何者かが、次の話へと引き継がれます。【3】
 
 
■「白魚の目」(2月)
 深川の道端でその日暮らしをする子供たちをどうするかが問題となっていました。その矢先、お稲荷さんへのお供えを盗み食いしていた子供五人が亡くなります。さて、犯人は?
 次の白魚の描写が印象的です。ただし、引用した末尾の「よくそう言いますね。」は余計なことばだと思います。【2】

 茂七の問いに、糸吉は照れて首を振った。
「そんなんじゃありませんよ。あっしはただ、あのちっこい真っ黒な目を見ちまうと食えなくなるってだけです。やつら、点々みたいな目をしてるでしょう。あの目で二杯酢のなかからこっちを見あげられると、箸をつけられなくなっちまう」
 茂七は笑った。「存外、肝っ玉が小さいんだな。あんなのは、生きてる魚を食ってるんじゃねえよ。春を呑んでるんだ」
「よくそう言いますね。けど、あっしは駄目だ。どうしても駄目だなあ」(60頁)

 
 
■「鰹千両」(5月)
 呉服屋の番頭が突然やってきて、鰹を千両で売ってくれと言います。
 その理由から、さまざまな家庭の事情や背景が炙り出されます。
 話の綴じ目は、もっと工夫があればと思いました。【2】
 
 
■「太郎柿次郎柿」(秋)
 物語をシリーズとして展開する中で、つなぐ役を負った小話です。稲荷寿司屋の親父の素性を語るための、前置きのような話です。兄弟がキーワードになっています。【1】
 
 
■「凍る月」(12月)
 台所に置いてあった新巻鮭がなくなります。自分が盗んだという奉公人の女中がいなくなり、その捜索が始まるという展開です。話に内容がなく、人の心の読み解きも薄っぺらです。最後の冴えた月も心ここにあらず、という描写に留まっています。【1】
 
 
■「遺恨の桜」(3月?)
 日道という十歳ばかりの拝み屋の話です。この日道が襲われたことで、話が展開します。
 本話も、キレの悪い終わり方です。【1】
 
 
※初出誌︰1994年『小説歴史街道』、後に休刊、廃刊
  平成7年7月、PHP研究所より刊行
  平成9年3月にPHP文庫に収録
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月04日

エスペラント訳『源氏物語』の最新情報を更新

 やましたとしひろ氏が取り組んでおられるエスペラント訳『源氏物語』に関して、以下の最新情報をご本人からいただきました。
 昨年末までに、「若菜上」「若菜下」「幻」の3帖を追補なさったのです。


170104_wakana




 なお、やました氏は本日(2017年1月4日)、「サイデンスティッカー英訳とエス訳比較」と題する記事の冒頭で、次のようにおっしゃっています。


Waleyに較べて、Seidenstickerの英訳がすぐれていると聞いていたので、
たまたま拙訳(エスペラント)と比較してみて驚きました。
サイデンスティッカーは、細かい描写を省略して訳してしまっているではないか!
これでは正しい英訳とは言えないと思います。
日本的な内容が消えてしまっていると感じます。



170104_hikaku




 これはまた、興味深い問題点が新たに提示されました。
 今後の展開が楽しみです。
 エスペラントに精通なさっている方からのご意見をお聞きしたいと思います。

 早速、現在鋭意公開中の、ホームページ「海外源氏情報」の中の【『源氏物語』翻訳史】を更新しました。
 この翻訳史に関する情報は、本日までに285件が一覧できるようになっています。
 今回のエスペラント訳『源氏物語』については、その年表の最後に追記したものなので、左上の表示件数を「100件表示」にしてスクロールしていただくか、右上の検索窓に「エスペラント」と入力して確認してください。

 お陰さまで、この【『源氏物語』翻訳史】も、着実に公開件数を増やしています。
 ここで公開している記述内容の補正や追加などにお気付きの方は、「お問い合わせ及びご教示」の通信欄を利用してお知らせいただけると幸いです。


170104_form




 みなさまからの変わらぬご理解とご支援を励みに、さらなる成果の公開を続けて行きたいと思います。
 本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by genjiito at 19:06| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月03日

京洛逍遥(383)あらためて下鴨神社へ初詣

 恒例となった、新年2日と3日の箱根駅伝を見ました。母校が、来年度のシード権を得る10位以内に入るのはむづかしいにしても、残り10校の内でも上位に入ってほしいと思いながらのテレビ観戦です。

 結果は、健闘の末の16位なので、今秋立川で開催される予選会での奮闘を期待しましょう。もっとも、「立川駅構内に並ぶ各大学の旗」を私が見る機会は、東京を離れるとおそらくもうないと思われますが……

 元日の初詣に行った下鴨神社が、ものすごい人出だったので、その時は本殿にお参りできませんでした。今日ならば、ということで出かけました。

 今年の舞殿の前の大絵馬は、若冲を意識したかと思われるみごとな酉の絵でした。


170103_ema




 御手洗川の光琳の梅は、まだ蕾です。
 ピンボケですみません。


170103_kourinnoume




170103_tubomi





 本殿前の干支の社で、何げなくお参りしていた卯年の社が、今年の干支の酉と一緒になっていたことに、今日初めて気付きました。


170103_eto




 今年の縁起物はこんな3点となりました。


170103_hamaya





 また、今年は我が家にとって新しい旅立ちの年となることもあり、「世界遺産賀茂御祖神社境内糺の森保存会」(略称:糺の森財団)に、妻と共に会員となりました。少しは地元のお役にたてば、との思いからです。下鴨神社に町内会で崇敬参加していることとは別に、個人的なものです。糺の森を散策することが多いので、これからは我が森と思いながら歩くことにします。

 糺ノ森から四条に出て、年末に行った染殿院の四条通り側の林万昌堂に寄りました。
 お正月らしく、華やかな人が出入りしておられました。


170103_kuriya





 すぐそばの「田古”と」で食事をして、人混みを掻き分けながら四条河原町のバス停から帰路につきました。
posted by genjiito at 21:29| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年01月02日

お墓参りの後は娘たちとの新年会

 年末には姉がお墓の掃除をしてくれたので、あらためて新年の墓参に出かけました。
 歩いて出町柳駅まで出て、京阪電車で大阪の京橋駅に行きます。そして、JRの環状線で鶴橋駅へ行き、近鉄電車に乗り換えて、さらに河内山本駅でまた乗り換え、終点の信貴山口駅で降りました。

 国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる朝護孫子寺への初詣客は、高安山までのロープウェーに乗り換えです。


170102_ropeway




 私の方は、駅前から信貴霊園の送迎バスで高安山の麓にある墓地に向かいます。

 曇っていたので、小豆島や四国は見えませんでした。
 
 その帰りに、婿殿のご両親と一緒に、大阪の河内で新年会をしました。春先に向けて、何かと話題の多い年となるので、話に花が咲きます。

 お茶菓子として、娘が作ったものがズラリと並びました。
 白い鶏には苺が入っています。トサカの苺が微妙なアクセントになっています。
 玉子色の雛は栗きんとんです。
 いずれも、その顔に苦心の跡が見られます。


170102_sweets




 楽しい一年が始まることを、みんなで確認する新年会となりました。
 
 帰り道、中天には三日月と明るい☆が一つ浮かんでいました。


170102_moon


posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | ブラリと

2017年01月01日

京洛逍遥(382)下鴨神社と河合神社に初詣

 新しい年をいつものように迎えました。
 紅梅と白梅も元旦に間に合い、気持ちのいいスタートです。


170101_ume




 おせち料理は妻と息子の合作です。


170101_oseti




 氏神様である下鴨神社まで歩いて初詣に出かけました。
 境内に入ると、いつもと違う表示に戸惑いました。西の鳥居から入れないのです。これは初めてのことです。


170101_simogamo1




 正面の楼門に出ると、参拝者の長蛇の列に驚きました。南の鳥居前の、焚き火の所まで並んでおられるのです。これでは、本殿まで1時間以上かかります。


170101_simogamo2




 そこでお参りは明日以降にし、今年の元旦の初詣は、境内南端にある河合神社にしました。
 修復も終わり、気持ちのいい場所となっています。由緒書には「すべての女性が一層美しくなりたいという願望と安産・育児・縁むすびなどをかなえてくださる神さま」だとあります。


170101_kawai




 出町柳に出る途中、参道でこれまで気付かなかった「鴨社資料館 秀穂舎」を見かけました。昨秋、10月1日に開館したとのことです。後日来ることにします。


170101_simogamo4





 この「秀穂舎」から下鴨神社の糺ノ森を見やると、物議をかもしたマンションの工事がフェンスに囲われた中で進んでいることがわかります。


170101_simogamo3





 マスコミなどが、世界遺産の糺ノ森を冒瀆するものだと、有識者を煽っていました。また、それに乗せられて反対を表明する方がたくさんいらっしゃいました。
 しかし、私は神事や行事を行なう寄付金が集まらなかったのですから、これも一つの解決策だと思っています。我が家は、町内会を通して些少ながらも寄付をしました。しかし、一銭も神社に寄付や寄進をしないで、自然破壊だと奇麗事だけを口と文字で並べたて、訳知り顔に騒ぎ立てるのには疑問を持っています。浄財が集まれば、このようなマンションを建てる必要はなかったのですから。

 京都は、とにかく大胆なことをします。日々、街中が変化しています。古くて新しい街が人々を惹き付けながら発展しているのは、新しもの好きの伝統が息づいているからだと思われます。伝統と文化を次世代に引き継ぐ術を心得ている街です。

 出町柳の手前の河合橋から、高野川の上流を望みました。
 京都五山の送り火の一つである「妙法」の「法」の字が見えます。


170101_takano




 穏やかな一年の始まりを実感しました。
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月31日

京洛逍遥(381)大晦日の染殿院と錦天満宮と錦市場

 穏やかな大晦日。年の瀬の慣わしとなった、錦市場への買い出しに出かけました。
 今年も、料理人の感覚を頼りに、息子と一緒です。食材選びは直感が決め手です。

 四条通りの歩道が広くなったので、ゆったりと歩けます。これは英断でした。


161231_4jyoudori




 新京極通りは、いつもより人が少ないようです。
 四条通から入ってすぐ左に、赤丸で示したように「安産祈願 そめどの地蔵」という表示板が目に留まりました。


161231_sinkyougoku




 いつも新京極は、修学旅行生や海外からの旅行者がお土産物を探す場所となっています。あまりの人出の多さに通り過ぎていたので、これもご縁と思い初めてお参りしました。狭い路地の奥に本堂がありました。


161231_somedono1




161231_somedono2




 ここは、平安時代からの安産守護として知られた染殿地蔵院でした。地元では「そめどのさん」として親しまれているお地蔵さんだそうです。国宝「一遍聖絵」第7巻にある四条京極の釈迦堂とはここだとも言います。弘法大師が造られた本尊の地蔵菩薩は、2メートもの裸形立像。ただし秘仏のため、ご開帳は50年に1度となっています。次はいつなのか、聞き忘れました。

 本尊を「染殿地蔵尊」と呼ぶのは、文徳天皇の皇后であった藤原明子(染殿皇后、829-900)がこの地蔵尊に祈願したことにより、皇子である惟仁親王(第56代・清和天皇)が生まれたことに因むそうです。明子は父親の良房(人臣最初の摂政)の邸宅「染殿」に住んでいたのです。

 本堂から四条通りを見ると、創業明治7年の甘栗和菓子の老舗である林万昌堂四条本店でした。店の中を抜けても、この染殿地蔵院にお参りできます。

 新京極商店街を北に歩いて、錦天満宮へお参りしました。
 ここも、思いのほか参拝客は少なめでした。


161231_temangu




 境内の白梅も、まだ蕾が固いようです。


161231_ume




 この天満宮から西に向かって、錦小路通りが走っています。
 年末は人でごった返しすることで知られています。しかし、ここも今年は思いのほか空いていました。海外からの方ばかりのようなので、地元の方々は時間をずらして歳末のお買い物をなさった後なのでしょう。


161231_nisiki2




161231_nisiki3




 錦市場では、いつも買うおせち飾りの「開花宣言」や「扇昆布」と生麩等をいただきました。


161231_nisiki4




 木屋町と先斗町をブラブラして帰りました。ここも、見かけるのは海外の方々です。
 日本の旅行客のみなさんは、混雑を避ける術を身につけられたようです。

 我が家もお正月を迎える準備ができました。
 あと数時間で平成29年、2017年です。
 どのような年になるのか今から楽しみです。

161231_simekazari


posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月30日

読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』

 森野達弥の漫画『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』(北田瀧・原作、加藤聖文・監修、平和祈念展示資料館発行、平成24年3月発行、非売品)を読みました。これは、一昨日の本ブログで取り上げた『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』と共に、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


161228_mangasiberia




 戦後、日本人がシベリアに抑留された意味と強制労働をさせられた人々について、あらためて考える情報を提供してくれる資料です。

 自らの体験をあまり語らないままに亡くなった父のことを思いながら、耳を傾ける気持ちで読みました。

 表紙見返しに、次の文が掲げられています。


戦後強制抑留(シベリア抑留)とは



 戦争が終結したにもかかわらず、
約57万5000人の日本人がシベリア
を始めとする旧ソ連やモンゴルの
酷寒の地において、乏しい食糧と
劣悪な生活環境の中で過酷な強制
労働に従事させられました。
 寒さや食糧の不足などにより、
約5万5000人が亡くなったとされ
ています。


 こうした前置きが必要なほどに、現在の日本ではこのことが忘れ去られているのです。また、本書では、前著『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』以上に、漢字にはすべてひらがなで読みが添えてあります。若者はもとより、1人でも多くの方に読んでほしい、という気持ちの表われでしょう。

 物語は、高校生の佐伯翔君と谷原亜衣さんが、中津先生の父に関するシベリア抑留の話を聞き、しだいにこの問題をさらに知りたくなる、という展開です。

 日ソ中立条約をはじめとする国と国との約束事が持つ意味に触れつつ、シベリア抑留の体験を語る坂峰弥輔氏の次の言葉に重きを置いた構成となっています。


今でもあの頃のことを思い出すと
怒りで体が熱くなる……
でも憎しみからは何も生まれない

私たちが出来るのは
抑留生活がどんなもので
あったかを伝え
あなたたちのような若い人たちに
平和の大切さを知ってもらう
ことだと思います(57頁)


 シベリアの凍土について、餓死や凍死した仲間のために墓を掘るのに、1日にいくらも掘れない話は、私の父が何度も語ってくれたことです。食料の取り合いの熾烈さも聞きました。

 日本への手紙が書けるようになった時、ソ連の検閲があるために、カタカナで書くように言われていたということです。読みやすいカタカナだと、検閲もしやすいためのようです。また、ソ連の悪口などを書くと、手紙は没収されたとのこと。
 ソ連側の感情を配慮した生活をしたことなども、父から聞いています。

 それにしても、本書を読みながら、もっと父から話を聞いておくべきだったことを痛感しました。

 とにかく、折々に両親のことを思い出すことで、その苦労の実態と戦後の生き様を直視した理解をすることを心がけています。そして本書から、息子として感謝の念につなげていきたいとの思いを強くしました。

 年末に、重たいテーマを自分に課して、このブログの場を借りて4日連続で綴ってきました。
 来春から私にとって新しい生活が始まります。
 真剣に両親のことを振り返ることで、気持ちの整理をすることとなりました。

 今年もあと1日。
 多くの方々に支えられた1年であったことを、あらためて実感しています。

 新年がこれまで以上に良い年となりますように……
posted by genjiito at 19:18| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月29日

読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』

 『雷の波濤 満州国演義7』(船戸与一、新潮文庫、2012年初版、2016年文庫版)を読みました。


161229_mansyuu7




 昭和15年のインドの状況から始まります。
 この時期の日本とインドの関係が、私にはまだよく理解できていません。
 次のような描写にチェックを入れ、今後の手掛かりとしておきます。


「とにかく、ヒットラーの快進撃でインドの情勢は大きく変わったんです。ビハリー・ボースやピライ・ナイルのように東京にいてあれこれ言うんじゃなく、ガンジーやネルーの不服従運動でもなく、流血を怖れずインド独立を目ざす連中が出て来た。皇国はそういう連中を断じて無駄死させるべきじゃない」
「それで?」
「インド独立連盟を支援するのはある意味では皇国の義務です。しかし、まだ三国同盟は結ばれてないし、ましてやイギリスと交戦状態にあるわけでもない。つまり、公然とはインド独立連盟に肩入れするわけにはいかないんです。それで、民間人の敷島さんにお越しいただいた」
「おれに何をしろと?」
「支那にも相当数のインド人が住んでる。パラス・ジャフルのように経営者もいれば、イギリス人の使用人としてくっついて来た連中がいる。そのなかからインド独立連盟の主張への共鳴者が出て来た。それを訓練していただきたい、軍事訓練を」
「このおれに?」
「そうです、敷島さんをおいて他には考えられない。いまはまだ重火器訓練が必要な時期じゃないし、とにかく、銃の扱いも知らない連中なんです。敷島さんはかつて満州で馬賊を率いておられた。素人を即戦力に鍛えるのはお得意でしょう。訓練の場所や武器は上海特務機関ですでに用意しました。これからそこに御案内します」(47〜48頁)


 そして、第二次近衛文麿内閣の時に商工大臣になった小林一三が出てきます。阪急や東宝や宝塚を作った逸翁です。逸翁美術館で館長をなさっている伊井春樹先生からも、逸翁の逸話をいろいろと伺っています。読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』(2015年7月15日)に書いた通りです。近現代史に疎い私でも知っている人が出てくると、歴史語りが身近な話として蘇ります。

 この巻で特徴的なことは、上海と満州の地で組まれた女性の組織です。
 次郎が預かって特殊訓練をする、インド人娘子軍予備隊がその一つ。これは、チャンドラ・ボースの反英武装闘争のためのインド独立連盟娘子軍につながるものです。

 もう一つは、日本人の純血を守るために送り込まれた、安拝開拓女塾です。これは、日本人と満州人との雑婚を防止する目的のものです。その結婚相手が籤で決められることの悲劇も、記憶に残る描写となっています。

 また、優秀な学生として話題になる朴正煕は、最近韓国で問題となっている朴槿恵の父ということもあり、興味深い話が太平洋戦争を見据えて展開します。

 ノモンハン事件のことが表面的になぞられただけ、という印象を持ちました。父がこれに参戦したことだけに、もっと語ってほしいと思いました。

 以前からずっとその存在が気になっていた、太郎の秘書である孔秀麗の姿が、次第に明らかになります。紅茶を出すシーンが何度もあったので、何かあると思っていました。なかなかおもしろい設定です。まだ、本巻ではその詳細はわかりませんが。

 ヨーロッパ戦線の情勢分析が中心となると、途端に理屈っぽくなり独特の船戸節となります。こうした口調の場面は、あまり続くと疲れます。調べながら書いている、ということが見え透いてくるからです。
 筆力にまかせて一気に展開する船戸語りが好きです。ここでは、歴史的な事実を確認するのに追われて、その正確さを最優先にした展開のために仕方のないところです。さらにもう一味を、と勝手な思いを抱きながら読み進みました。

 尾崎秀実とゾルゲのスパイ事件と同時進行で、ハリマオの話が展開します。ハリマオについてはかねてより知りたかったことなので、楽しく読み進めました。さらにもっと、という気持ちで、次巻を楽しみにしているところです。
 本巻でのハリマオに関する記述を抜き出しておきます。



「だれなんだね、この日本人は?」
「ハリマオですよ」
「何だって?」
「マレー語でハリマオは虎を意味します。この日本人はマレー人たちからハリマオと呼ばれて半分畏れられ、半分喝采を浴びてる」
「どういうことだね、それは?」
「本名・谷豊。明治四十四年生まれ。コタバルから東海岸沿いにクアンタンまで南下したとき、途中でトレンガヌという町を通ったでしょう。唐人街という看板のある商店街を持つ港町です、憶えていますか? ハリマオの父親はそのトレンガヌの町で理髪店を開き、大儲けした。谷豊はトレンガヌで生まれ育ったんです」
「で?」
「昭和七年の十一月、谷豊が徴兵検査のため日本に帰国してたとき、トレンガヌで谷家の満七歳になる妹の静子が首を切断されて殺されました。犯人は広西省生まれの支那人で排日思想に煽られて兇行に及んだんです。犯人は静子の首をこれ見よがしにぶら下げてトレンガヌの街を歩きまわった。そいつは結局、イギリスの官憲に捕まって、コタバルまで移送されて処刑されましたが、犯人逮捕に当たって熱心じゃなかったらしい。静子の首は日本人歯科医の手で胴体に縫いつけられて埋葬されましたが、その写真が福岡にいた谷豊に送られた。それを見て復讐を誓った谷豊はマレーに戻りトレンガヌの町から密林にはいりマレー人を集め匪賊集団を組織した。それだけじゃない、回教に帰依したんです。回教名は忘れましたが、とにかく回教の戒律はきちんと守るようになった。ふだんはタイと英領マレーの国境地帯を行ったり来たりして暮し、ときおり町に出て華僑の金満家を襲う。奪った金銭はマレー人たちと均等に分け合うんです。イギリスの官憲が必死になって追い掛けるけど、尻尾にさえ触れない。イギリス総督府から餌を与えられてるマレー人はべつですが、ふつうのマレー人はみな困窮状態にある。谷豊がハリマオと呼ばれて喝采を浴びるのはいわば当然の帰結だと思います」(493〜494頁)


 後半で、真珠湾攻撃が始まります。
 ちょうど、安倍首相が真珠湾に慰霊の訪問をしておられる時に読み了えたので、具体的にイメージしながら読みました。新聞やネットの情報がリアルに過去を分析してみせていたせいか、この作品での真珠湾攻撃の描写と背景が迫力に欠けて見えました。本シリーズに直結する問題とはズレることもあるのは承知しながらも、ダイナミックなテーマの交流がなかったのが物足りなく思われました。【3】
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月28日

読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』

 森田拳次の漫画『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(中国引揚げ漫画家の会編、平和祈念展示資料館発行、平成18年11月、非売品)を読みました。これは、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


161228_mangqmansyuu




 この物語は、昭和10年に長野県から「大陸の花嫁」として満州の千振へ渡った、玲子という女性の手記によるとするものです。夫となったのは、国策として満州に渡った同郷の開拓団員である木沢聡でした。結婚後はソ連との国境に近い千振で開拓団員として新婚生活。3人の子供に囲まれ、平和な日々でした。

 こうした時代背景と状況については、現在船戸与一の『満州国演義』を読み進めているところなので、私にも理解が及ぶところです。しかも、今読み終わったばかりの『雷の波濤 満州国演義七』では、「安拝開拓女塾」が出てきたので、さらに複雑な事情があることも話の展開にあわせてわかりました。この『満州国演義』については、明日の記事で取り上げます。

 ところが、昭和20年8月に聡の元に突然、赤紙(召集令状)が来ました。
 私は、入植地である満州でも、兵隊として召集されていたことを初めて知りました。
 そして、8月11日に日ソ中立条約を破ったソ連軍が、突如満州に侵攻してきたのです。

 この時の描写には、次のような文章が添えられています。
 作者はこのような表現で、言うに言われぬ言葉による抗議を記しているのです。


ソ連軍の先行部隊がやってきたのは、
一八日過ぎだったろうか
囚人部隊だという噂だったが、
彼らの素行は最悪だった

避難民のなけなしの荷物を強奪し、
乱暴狼藉の限りを尽くした
実質、軍隊という名の強盗団だった
女たちはしばしば慰みものにされ、
中には妊婦の腹を軍靴で
踏みにじって喜ぶ
外道もいた

女たちは皆、
ソ連兵を恐れ、
女に見えないように
男装し、丸坊主にした

連れ去られ、ボロボロになって
帰ってきて、その日のうちに
首を吊って自殺した人もいた(37頁)


 この時、私の両親は実際にソ連との国境にあるハイラルにいました。ソ連の侵攻で離れ離れになったことを聞いています。満州や朝鮮や中国の人たちが、ソ連侵攻の日を境にして掌を返したように、それまで親しく接していた人がまるで別人に変わったかのように残忍になったということも。
 以来、私の両親にとっての流浪の旅が始まりました。
 上に引いたような話は、両親が楽しみにしていた戦友会の方々からも、いろいろと形を変えて聞いたことがあります。
 母が一時収容されていた「新京」など、聞かされていた地名が物語中にいくつも出てきました。おぼろげながら、母の帰還ルートが想像できます。
 この物語では、引揚げ船は佐世保に着いています。母もそうだったのでしょうか。舞鶴だったのでは?と思うものの、今はわかりません。

 さて、物語は引揚げ後のことになります。無事に夫の実家に居候となって3年目の夏に、夫聡が復員してきたのです。
 生きるのが大変だった夫の聡は、職を求めて東京に出ます。そして、さらに栃木県の那須に移り家族の再出発の生活が始まりました。

 私の父の場合は、復員後にポン菓子作りで出雲の村々を経巡り、そのお余りでおこしを作って売ったり、広島で牡蛎の養殖に使う竹に錐で穴をあける細工をしたり、単身大阪で道路工事夫として働いたりしていました。とにかく、私が小さかった頃には、仕事を転々としていたことを思い出します。
 万博公園がある千里丘陵は、父が人夫として土を運び地固めをしたところです。無事に生き残って復員しても仕事がない年月が長く続いていたことは、子供心に覚えています。

 この漫画では、時勢に弄ばれた人間の姿が、感情を圧し殺した筆致で描かれています。最後の、両親を思う一人残った息子の姿が印象的でした。
 この抑制の背後にある本音が、さまざまな形で読む者に伝わってきます。ただし、両親から聞いた話よりも、きれいにまとめられている感じがしました。これは、支援団体への配慮からなのでしょうか。
 一点だけ欲を言えば、枠外の注記の文字と資料の文字が小さすぎて、読むのに一苦労したことを書き添えておきます。【4】

※巻末にある資料から、引揚船に関する記述を抜き出しておきます。


巻末資料【満州から引揚げ「関連年表」】より抜粋

[昭和20(1945)年]
8月22日
樺太からの引揚船「小笠原丸」「泰東丸」「第二新興丸」、北海道留萌沖においてソ連軍の潜水艦の攻撃を受ける。「小笠原丸」「泰東丸」は沈没、約1,700名の犠牲者を出す

9月2日
米戦艦ミズーリ号上で降伏文書署名
南朝鮮からの引揚第一船「興安丸」仙崎に入港(公式引揚第一船)

11月24日
地方引揚援護局(浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島)新設

[昭和21(1946)年]
4月5日
満州からの最初の引揚船が博多に入港

5月14日
葫蘆島からの引揚開始(第一船佐世保に入港)

12月5日
樺太(真岡)からの引揚開始(第一船「雲仙丸」が函館に入港)

12月20日
北朝鮮(興南)からの引揚第一船「永録丸」が佐世保に入港

[昭和22(1947)年]
7月11日
千島地区からの最初の引揚船「白龍丸」が函館に入港

12月2日
南方方面からの最後の引揚船「輝山丸」が佐世保に入港

[昭和28(1953)年]
3月23日
「北京協定」に基づく中国からの引揚第一・二船「興安丸」「高砂丸」が舞鶴に入港(中断を含み昭和33年7月の第21次引揚げまで37隻入港、3万2,506人帰国)

[昭和33(1958)年]
7月13日
中国からの引揚第21次船「白山丸」が舞鶴に入港

11月16日
これまで唯一残っていた舞鶴の引揚援護局閉局
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月27日

両親がいた満州とシベリアのことを調査中

 父は昭和58年に68歳で亡くなりました。生きていたら、今月で101歳になります。終戦と同時に満州からシベリアに抑留され、昭和23年6月に舞鶴(?)に引き揚げて来ています。
 母は平成16年に84歳で亡くなりました。生きていたら、来春97歳です。満州のハイラルから命からがら日本に辿り着いたそうです。

 この両親に息子として何もできなかったので、折々に思い出すことで感謝の気持ちにかえています。

 まず、両親が満州でどのような生活をし、終戦後はどのようにして引き揚げて来たのか、ほとんど聞いていません。
 最初の引き揚げ船「大久丸」は、昭和21年12月8日に舞鶴に入港しています。これに母は乗っていたのでしょうか。母は、父の復員を出迎えに行ったのでしょうか。島根県の出雲から舞鶴へ? いつ帰るとも知れぬ父を、家で着物を縫い続けていた母が迎えに行けたとも思えません。それすら、聞かないままに来ました。

 引き揚げ船の最後となった「興安丸」が舞鶴に入港したのは、昭和31年12月26日です。父の帰還は昭和23年なので、早い方だったようです。

 先日、西新宿で開催されていた、シベリア抑留生活に関する展示と講演に行きました。
 「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)
 父が極寒の地で生き抜いた様子が、少しだけイメージできるようになりました。

 母については、第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞した麗羅の『桜子は帰ってきたか』(1983年)からのイメージしかありません。実際に、母はどのようにして満州から日本に帰ってきたのでしょうか。
 いつもニコニコしていた母に、満州から引き揚げて来たという暗い日々の痕跡はまったく感じられませんでした。
 このことは、「西国三十三所(35)松尾寺」(2010年11月05日)に少し書きました。

 モンゴルで父のことを思い、ウランバートル市の日本人墓地跡へ立ち寄ったこともあります。
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

 その後、「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)に書いたようなことがありました。
 これに関しては、証明するものがないとのことで、以来うやむやになったままです。

 今回、平成22年に「シベリア特別措置法」が制定されていることを知りました。

 いろいろなことがわかって来ました。しかし、まだ点でしかありません。
 この点を線へと、そして面にして立体的な像を組み立てるためにも、さらに調査を進めて行きます。
posted by genjiito at 20:44| Comment(0) | 回想追憶

2016年12月26日

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月25日

京洛逍遥(380)高校駅伝と猿回しと終い天神と-2016

 今日は、京洛で全国高校駅伝大会がありました。
 1950年に男子の大会が開催され、女子の大会は1989年からだそうです。今年は、男子第67回、女子第28回となります。
 大阪と奈良で大会があった後、1966年から京都の都大路を走っているのです。

 今年の男子は倉敷(岡山)が、女子は大阪薫英女学院が優勝しました。
 午前中の女子の部は所用があり見られませんでした。しかし、男子の帰路は、通りかかった金閣寺の南にある平野神社の前で見ました。

 選手たちの通過を神社の境内で待ちました。ちょうど、岩手県奥州市の物産展をしていました。


161225_hirano




 そこに、地酒の「阿弖流為」がありました。
 ただし、その手書きの名札には「阿弓流為」と書かれていました。「弖」が「弓」になっていて正しく書けていません。
 変体仮名がすでに書けなくなっていることがわかります。


161225_sake




 しばらくすると、トップグループがやってきました。
 ここでの順位が、ゴールでも変わりませんでした。
 
 1位 倉敷・岡山

161225_kurasiki




 2位 佐久長聖・長野

161225_sakutyousei





 3位 九州学院・熊本

161225_kyusyuu




 目の前を通過する選手たちの早いこと。ここまでは、相当間が開いていました。
 しばらくすると、馴染みの学校が続々と続きます。
 左端に停まっているバスは、この走者たちが全員走り去るまで、バス停に釘付けです。


 18位 国学院久我山・東京

161225_kokugakuin




 平野神社の境内を東に突っ切ると、すぐに北野天満宮があります。天満宮では、すでにお参りの人でごったがえしていました。


161225_tenmangu




 神楽の打ち合わせをしておられるところを見かけました。年末年始の練習なのでしょうか。


161225_kagura




 境内にある梅林の近くでは、猿まわしの興行をしていました。
 神戸から来た方です。
 猿使いの女性が軽快にしゃべっておられるのが聞き物です。猿の芸よりも、このしゃぺくりが大切な芸だと思いました。


161225_saru1




 猿の「キング」君は、宙返りが得意のようです。


161225_saru2




161225_saru3




 菅原道真公の誕生日は6月25日、亡くなったのが2月25日ということで、25日は「天神市」の日です。今日はちょうど、天神さまの御縁日であり、しかも師走なので「終い天神」でした。

 京都では、毎月21日の東寺の「弘法市」があり、これも師走は「終い弘法」と呼んでいます。
 「弘法市」は、骨董品や植木などで賑わいます。
 ここ「終い天神」では、骨董よりも古着や端切れのお店が目立ちます。
 実際に品物を手にして買って行かれるのは、外国の方が多いようです。
 日本人は、ほとんどの方が昔の生活に思いを廻らし、物珍しそうに見るだけです。


161225_kottou




161225_kimono2




161225_kimono3




 これから慌ただしい年末となります。
 今年も、こうしてどうにか歳を越せます。
 本当にありがたいことです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2016年12月24日

豊島科研の本文資料に関する研究会の最終回

 豊島秀範先生が主宰なさっている「源氏物語の本文資料に関する共同研究会」は、10年目となる今回が最後となりました。
 会場は、國學院大學120周年記念2号館2103教室です。


161224_kokugakuin1




161224_kokugakuin2




 今日は以下の発表があり、充実した時間が流れました。


河内本の本文の特徴 ―「紅葉賀」を中心に―
     豊島秀範(國學院大學)

『源氏物語』蓬生巻の末摘花像の違いについて
     太田美知子(國學院大學)

三条西家本源氏物語の形成過程に関する一考察
     上野英子(実践女子大学)

大島本『源氏物語』の本文史と註釈史再考
     上原作和(桃源文庫日本学研究所)

明融臨模本の和歌書写様式
     神田久義(田園調布学園大学)

『源氏釈』古筆切拾遺
     田坂憲二(慶應義塾大学)

本文と外部徴表の相関性
     中村一夫(国士舘大学)

国文研 蔵橋本本「絵合」「松風」「藤袴」について
     伊藤鉄也(国文学研究資料館)


 今回の発表は、これまでにも増して充実したものでした。
 贅沢な時間の中に身を置き、『源氏物語』の本文に関して貴重な時間を研究仲間と共有することができました。
 現在、このような研究会はどこにもありません。これからどうしたらいいのか、ということを思いながら聴き入っていました。

 この日の研究会を通して感じたことで、個人的な思いを記しておきます。
 あまり意義深いことばかりを語っていても、前進がないと思うからです。

 今日の発表や質問でも、〈青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という言葉がごく普通に交わされていました。これに私は、違和感をもっています。
 10年にわたるこの研究会で、私は池田亀鑑の3分類案を見直し、それを崩した上で、新たな分別試案を構築しようと思っていました。今日もそのことを話題にしました。しかし、それは叶いませんでした。
 私が提示している2分別案には、今日も渋谷栄一氏をはじめとして、その主旨には賛同してもらえました。それでも、その議論は深まってはいません。これは、またの機会に、ということにします。

 私の立場からは、翻字において変体仮名を導入する提案をしたのが、本研究会で新たに投げかけた唯一のものでした。
 それに加えて、今日は池田本「桐壺」巻の校訂本文を配布し、作製にあたっての背景や予想される今後の研究環境のことを語りました。意見や情報の収集のためです。この取り組みは、理解が得られたと思っています。

 いずれにしても、この研究会が10年の長きにわたり、『源氏物語』の本文研究の問題提起の場となったことは特筆すべきことです。
 そして、この課題をどのように次へとつなげていくのかが、新たに取り組むべき問題となりました。

 メンバーのみなさんは、各々の職場で中心的な存在であり、これまでのようにはなかなか集まれない状況にあります。
 何とかしたい、との思いを抱きながらも、私は所用があるために懇親会は遠慮して新幹線へと急ぎました。

 一つの研究会が幕を閉じました。
 思い残すことはたくさんあります。しかし、充実感はあります。
 再起を期して、またこうした集まりを立ち上げられるように、今後ともみんなで相談したいと思います。

 今回の研究会の最後に、私が閉会の挨拶をするように、という豊島先生からの指示がありました。時間が圧していたこともあり、豊島先生の下支えをして来られたお手伝いのみなさまの労力に、感謝の気持ちを伝えました。
 そして、とりまとめをしてくださった豊島先生には、みなさんにお願いして拍手で感謝の気持ちを伝えることにしました。
 豊島先生、ありがとうございました。
posted by genjiito at 22:07| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月23日

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のオンライン版を公開

 一昨年(平成26年3月)にオンライン版オープンデータとして公開した『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』に続き、第2弾となる『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』が完成したので公開しました。
 自由にダウンロードしてご覧いただき、ご意見などを頂戴できれば幸いです。

 今すぐにダウンロードなさりたい方は、以下のリンク先からお願いします。

『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』のダウンロード

 これでうまくデータの入手が出来ない方は、科研(A)のホームページである「海外源氏情報」に接続した後、次の画面からダウンロードしてみてください。


161223_jiten1






161223_jiten2






161223_jiten3




 なお、印刷した書籍版は、後日、公共図書館などに寄贈する予定です。
 印刷本については、3月になりますので、ご了解をお願いします。

 本事典の制作経緯や意義などについては、次の巻頭に置いた「はじめに」と巻末の「おわりに」に記しましたので、ご覧ください。

 第3弾は、懸案の『源氏物語【翻訳】事典』です。これは、来秋には出版社から刊行したいと思っています。
 いましばらくの猶予をお願いします。


「はじめに」


 −試行版としての事典であること−



 本書は、『日本古典文学翻訳事典〈1・英語改訂編〉』(平成26年3月)を受けて、平安時代の文学作品に限定して世界各国語に翻訳された書籍情報を事典としてまとめたものです。前著に続き、あくまでも暫定的なものであり、試行版として編集した中間報告であることを、まずはお断りしておきます。

 この翻訳事典は前著同様に、2006年4月23日にお亡くなりになった、国文学研究資料館名誉教授福田秀一先生から託されていたメモを最大限に活用しました。
 ただし、多言語にわたる書籍を対象とする関係で、各項目のまとめ方も含めて、まだまだ不備の多いものであることは承知しています。また、最新情報にまでは、十分に手が及んでいないことも承知しています。そのことを知りつつも、類書がないこともあり、ここで私の手元にある情報をとりあえず一まとめにしておくことにしました。これを次の世代に引き渡して補訂してもらい、さらに追加していくことで、よりよい事典に育てていく始発点にしたいと思っています。

 本書作成にあたっては、実に多くの方々が原稿作成のお手伝いをしてくださいました。基本的な情報が整理されていないのであれば、とにかくたたき台でも提示して、それに手を加えながら形を成していく方針で臨みました。項目の執筆者は、必ずしも各言語や各作品の専門家ではありません。しかし、何もない平地に道をつけることを一大方針として取り組んだものということで、至らないところはご寛恕のほどを、お願いいたします。ご批判は、そのまま改訂版に活かします。

 そのような経緯もあり、日本古典文学に関する翻訳事典としては、各項目の立項はもとより、内容もいまだ未整理の状態にあります。今回、その見出し項目と表記上の体裁及び、内容に関する記述の統一を試みました。それでも、いろいろな機会に、多くの方々に執筆していただいた原稿の集積であることから、不統一の感は免れません。各所に編者の判断で多くの手を入れました。あくまでも暫定的な処置に留まるものです。

 そのことを承知で、この時点で公開することにしたのは、これを叩き台とし、より良い情報の提供とご教示を受ける中で、さらに充実した事典に育てたいとの思いからです。まさに本冊子は、試行錯誤の中でまとめた暫定版として利用に供する事典です。

 また、盛り込まれた情報は、編者伊藤が運用する科研のホームページ「海外源氏情報」にも公開しています。
http://genjiito.org
 このホームページを通して、情報の更新を行います。折々に最新情報を確認していただき、翻訳情報を活用していただければ幸いです。

 今回も、この科研を支えているプロジェクト研究員の淺川槙子、技術補佐員の加々良恵子の頼もしい2人が奮闘して、膨大な情報を整理して組み立ててくれました。ただし、『源氏物語』については単独で1冊にするため、本書には収録していません。

 みなさまからの情報提供により、各項目の精度を高めたいと思います。
 今後とも、ご理解とご協力を、よろしくお願いいたします。

2016年12月
日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A)
「海外における源氏物語を中心とした平安文学
及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
研究代表者
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
国立大学法人 総合研究大学院大学
国文学研究資料館 伊藤鉄也
 
--------------------------------------
 

「おわりに」



 現在、翻訳史年表には約580件の書籍データが登録されています。本来ならば全てのデータを事典としてまとめることが理想です。しかし解題を作成するためには、現物を確認できる書籍でなくてはならず、全てのデータを事典に掲載することはできませんでした。日本国内の図書館・研究機関で見ることができない書籍が、数多く存在することを実感しました。なお、解題を作成することができなかった書籍データは、解題の後ろに「平安文学翻訳史年表」の抜粋として掲載しました。〈英語改訂編〉の反省をふまえて、より多くのデータを収集したものの遺漏も多々あると思います。前回に続き、この事典も日本文学研究の一助となることを願ってやみません。

 最後に解題作成を含め、本科研をあたたかく見守ってくださったみなさまに篤くお礼申し上げます。

(淺川槙子)
 
 
 以前発行した『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』では英語のみでした。前回と異なり、今回は多くの言語で翻訳された古典文学を収録しています。『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』では、特定の古典文学が何度も翻訳・出版されていたり、日記文学が好まれる傾向があるなど、国によって『源氏物語』以外の作品への嗜好が伺えるように思います。また、解題を読んでいると、さまざまな立場の方がそれぞれの目的に合わせて創意工夫をしているさまも伝わり、「翻訳の歴史」の側面が垣間見えてきます。

 残念ながら、今回は解題を掲載できなかった多くの書籍があります。これらの作品名や国名は、翻訳史年表で確認できます。時系列に並んだ出版の記録を眺めているだけでも、そこに関わった多くの人たちの努力を感じます。ただ、どうしてもヨーロッパ諸国など先進国に偏っており、アフリカ大陸の言語などでの発行はまだ見つかっていないようです。これから、このリストに、より多くの国名が追加されることを願ってやみません。

(加々良恵子)
--------------------------------------
posted by genjiito at 06:12| Comment(0) | 古典文学

2016年12月22日

江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと

 今夏、九段下にある九段坂病院が移転したことに関連して、微笑ましい案内表示のことを書きました。
 その時、勝手な推測ながらも、「交番のお巡りさんがよく聞かれるので親切心から手書きで貼られたのでしょうか。」としました。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

 この九段下の交差点角にある、交番横のガムテープによる病院名の案内は、先週も先々週も、どうしたことか剥がされていました。
 案内図を修正して入れ替えられるのかな、と思って通り過ぎていました。

 今朝も通院で通りかかったところ、同じようなガムテープながらも、こんな表記に変わっていました。


161222_kudanshita




 日本武道館を挟む形で貼られた、2つの表示ともに「九段下病院」となっています。

 先月までは、正しく「九段坂病院」でした。上記7月のブログに掲載した写真をもう一度ひきます。

160705_kudanzaka




 今朝も、慌ただしく通りかかった折に見かけたので、お巡りさんにお知らせする余裕がありませんでした。また、何かあったらしくて、交番を何人ものお巡りさんが出入りしておられたので、お声掛けするのも躊躇われました。

 どなたか、知らせてあげてください。

 さて、肝心の今日の診察では、どうも右足の指に出来た疣は、きれいにウイルスがとれていないそうです。まだまだ治療が続きます。
 右足を庇うようにして歩くせいか、7月に骨折した左足首が、むくんだり熱くなったり怠くなったりと、調子が良くありません。再度の骨折を気にして、無理な姿勢をとらないようにしていることもあり、どうも立ち姿からして不安定な状況にあるようです。

 病気ではないものの、まだ時間のかかる治療が続くようです。
 命に関わるものではないので、気長に通院するしかありません。
 年末年始でもあり、これまで以上に足には気をつけて歩くことにします。
posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月21日

総研大・日本文学研究専攻の最終講義を終えて

 最終講義と言われても、実感のないままに日頃から思っていることを資料を使って1時間お話しました。


161221_lastkougi




 あらかじめ用意していた講義用のレジメの冒頭には、次のように記しました。


 私が約三五年間にわたって研究してきたことを振り返り、問題意識を確認し、最近の研究課題としていることや今後の展開について述べたい。
 さらには、研究の基本としている『源氏物語』の本文の諸相に関連して、現在取り組んでいる国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』を取り上げ、今後の見通しを提示できれば、と思っている。
 池田亀鑑は『源氏物語』の本文に関して、その形態上の特徴から〈青表紙本・河内本・別本〉の三種類に分類した(『校異源氏物語』昭和一七年)。その物指しが、約八〇年経った今も通行している。朝日古典全書(昭和二一年)が『校異源氏物語』の底本となった大島本をもとにして成ったことは、今も流布本に受けつがれている。
 このことへの疑問を三〇年以上も抱き続け、『源氏物語別本集成 全一五巻』と『源氏物語別本集成 続 全一五巻』(七巻で中断)を経て、今ようやく新しく池田本で読むためのテキストを試作版として提供できるようになった。
 スローガンとしてきた「江戸期の源氏から鎌倉期の源氏へ」が、現実にスタートしたところである。本日配布した『池田本『源氏物語』「桐壺」校訂本文』が、まさにできたばかりの具体的な成果である。


 私の中では、今日は『源氏物語』の本文の研究史において、記念すべき日となりました。大島本に代わる校訂本文として、池田本の姿を初めて見てもらうことができたからです。
 まだまだ試作版であり、私家版であり、実験材料です。『源氏物語』を読むための、ささやかな資料の1つにしかすぎません。しかし、試案としての物語本文が、実際に検討材料として、見て確認してもらえるテキストとして手に取ってもらえたのです。

 今日が今後の始発点となったことは、私にとっても得難い機会に身を置くこととなりました。

 今日の会場は、『源氏物語』を専門とする研究者ばかりの場ではありません。しかし、文学の研究に身を置く研究者の方々にその意義をお話しできたことは、『源氏物語』が置かれている物語本文の現状を理解していただく、貴重な時間を共有できたことでもあり、ありがたいことでした。

 これまで自分が取り組んできた研究をあらためて振り返る機会となり、私にとって一区切りとなる意義深い日となりました。

 ご清聴いただいたみなさま、ありがとうございました。
posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ◆源氏物語

2016年12月20日

「古写本『源氏物語』の触読研究」の情報を更新しました

 科研の「挑戦的萌芽研究」で取り組んでいる「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」(課題番号︰15K13257)のホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」で、情報の更新をしましたのでお知らせします。担当者は科研運用補助員の関口祐未さんです。

 トップページの「新着情報」の最初にある「2016年12月20日 NEW 第4回研究会報告」をクリックしていただくと、「第4回「古写本『源氏物語』の触読研究会」」の研究会報告が読めるようになっています。
 先々週の12月9日(金)に、国立民族学博物館で開催した第4回の記録です。

 私が本ブログに書いた「民博で古写本『源氏物語』の触読研究会」(2016年12月10日)より、ずっと詳細な報告です。

 着実に活動が進展しています。
 成果も、見えるようになりました。
 今後とも、ご理解とご支援を、よろしくお願いします。
posted by genjiito at 21:08| Comment(0) | 視聴覚障害

2016年12月19日

国文研で開催される12月21日(水)の最終講義

 直前の連絡となりました。
 明後日、12月21日(水)の午後、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻では、「平成28年度第2回 特別講義」が開催されます。

 これは、今年度で定年退職する、寺島恒世先生と私との最終講義となるものです。

 私は、これまでに研究してきた成果の報告と、現在取り組んでいる国文研蔵「橋本本」についてお話します。また、池田本『源氏物語』「桐壺」の校訂本文の試行版を、発表資料の一部として配布します。
 今回お話する内容は、後日冊子にして配布される予定です。

 興味と関心をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
(どなたでもご参加いただけます。事前申込み不要です。)


■総研大 日本文学研究専攻
 平成28年度第2回 特別講義

日時:平成28年12月21日(水)
   13:30〜17:00(開場 13:00)

場所:2階オリエンテーション室

プログラム:
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10 講義@伊藤鉄也
         「国文研蔵橋本本『源氏物語』の実態」
 15:10〜15:25 休憩
 15:25〜16:55 講義A寺島恒世
         「百人一首と歌仙絵」
posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | 古典文学

2016年12月18日

江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う

 新宿の都庁前にある平和祈念展示資料館で、企画展「絵と詩で綴る引揚げ−七十五日の旅記録−」を観てきました。

 この平和祈念展示資料館は、次のような趣旨のもとに運営されている、総務省委託の施設です。私は、今回初めて行きました。見ごたえのある展示だったので、今日だけでは見終えることができませんでした。また行くつもりです。


 さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。


 今回の企画展では、満州から引き揚げて来られた岩田ツジ江さんの「満洲さよなら」と「おもいでのきろく」が紹介されています。
 詩文集となっている作品には、ハルビンでの生活、日本の敗戦とソ連軍の侵攻で動揺する人々、ハルビンから佐世保への引揚げの様子が描かれていました。わかりやすい絵でした。私の母がハルビンで暮らしていた日々と、引き揚げてくる時の気持ちを想像しながら、丁寧に見ました。

 学芸員によるギャラリートークがありました。
 わかりやすく展示物の解説を伺いました。

 岩田さんは、大正15年(1926)に広島に生まれた方です。ハルビンで終戦を迎えられました。戦後20〜30年経ってから、こうした絵を書き始めておられます。
 1970年から1980年代に、多くの戦争絵画が描かれたのは、記憶の整理にそれだけの時間が必要だということのようです。
 岩田ツジ江さんは、傷を癒すために緑を多用しておられるとのことでした。このことに、興味をもちました。
 絵に記されたサインを見て、変体仮名を使った人名のことに気付きました。
 「都し江」「つじ江」「川志゛」という自筆の署名は、人名表記に変体仮名を使った時代のことを想起させたからです。「解説文」などには、「ツジ江」とあります。これは、後で調べたいと思います。

 岩田さんは、佐世保に引き揚げて来られました。母もそうだったのでしょうか。これも、これから調べて確認します。

 その後、引揚体験者による語り部お話し会があったので、これにも参加しました。
 引揚体験者が、自らの引揚体験を語る、という企画です。

 今回は手塚元彦氏で83歳の男性でした。昭和8年に満州の奉天で生まれた方です。戸籍では「支那」となっているそうです。
 子供の頃の奉天での生活を語ってくださいました。
 今思うと楽しいと。しかし、それにしても戦後は酷かったと。
 ロシア軍は軍隊と名を借りた強盗団だった。
 至近距離での殺戮を体験した。
 今でもうなされる。
 凍死で亡くなった人は放置されていた。
 それを、中国人が木に立てかけて試し斬りをしていた。
 日本人に対して、掌を返したように酷いことをしていた。
 孤児院で、毎日一人や二人は亡くなる。
 その処理作業に、お駄賃の握り飯がもらえる。
 等々

 淡々と語れるのは、それだけ苦しい体験が自分の中で漉されたからでしょう。

 貴重なお話を伺う機会を得て、いろいろと思うことが生まれました。
 そして、両親の満州での生活、父のシベリア抑留、母の引き揚げと、今になって知りたい思いが充満してきました。
 このことは追い追い自分の中に蓄え、両親への感謝の気持ちと共に育てて行くつもりです。

 出口で、非売品となっている平和祈念展示資料館で制作された2冊の冊子をいただきました。


161218_mansyuu




 いただいて来たばかりなので、まだ読んでいません。
 パラパラと見ただけでも、父と母が生きた場所と生活と時代が描かれています。
 この紹介は、また後日に。

 貴重な資料をいただきました。私がおりおりに確認できるようにする意味からも、以下に紹介します。

161218_heiwa1




161218_heiwa2




161218_heiwa3




161218_heiwa4




161218_heiwa5




161218_heiwa6




161218_heiwa7




161218_heiwa8




161218_heiwa9




161218_heiwa10




161218_heiwa11




161218_heiwa12




161218_heiwa13




161218_heiwa14




161218_heiwa15




161218_heiwa16


posted by genjiito at 23:07| Comment(0) | 江戸漫歩

2016年12月17日

銀座探訪(36)9年ぶりにアナログのシステム手帳を新調する

 9年前に、ノックスブレイン社のシステム手帳を、銀座の伊東屋で買いました。

「銀座探訪(5)手帳を探す」(2007年11月 9日)

 それまでにも、各社のシステム手帳を使ってきました。
 最初は1980年代に、聖書サイズのファイロファックスでした。山根一眞氏の影響が大きいものでした。
 以来、ノックスブレイン、エンポリオアルマーニ、アシュフォード、バインデックス、等々、いろいろな革製品を使ってきました。6穴のバインダーに、リフィルといわれる記入用紙をセットして使います。今も、記入済みの膨大な量のリフィルが、記録物として残っています。
 自分なりの設計によるリフィルも、用途別にたくさん試作してきました。着せ替え人形のように、リフィルを取っ換え引っ換えして楽しんでいました。6穴の穴開けパンチが大活躍をしました。

 しかし、2011年8月11日を境にして、日々の記録媒体はシステム手帳から iPhone へと移行しました。

 私が iPhone を使いだしたのは、2008年8月からです。
 以来、アップルとグーグルの電子カレンダーに、日々の予定などを記録してきました。
 過去のデータを確認したところ、電子版のカレンダーは2009年11月19日からのものが残っていました。
 このカレンダーの情報と、毎日記しているブログを通覧すると、私が生きてきた日々は、ほぼ再現できます。しかし、こうした電子的な記録がいつまで正確に再現できて確認できるかは、はなはだ心もとない気がしてきました。

 折しも、このイオ・ブログも、2017年3月31日(金)15時をもって、サービスは終了となります。これでまたまた、私が利用していた4つ目のサイトも閉鎖されます。
 電子デバイスは乗り換えながら、データをなんとか引きずっています。しかし、もうこのあたりが限界では、と思うようになりました。
 息子の話では、インターネットの次の世界が用意されだしたとのことです。今のコンピュータとの関わりも、また新たな時代へと突き進みそうです。

 アップル好きの私は、アップルウォッチを一時期腕にはめていました。しかし、3ヶ月も持ちませんでした。このブログに書く暇もないうちに、玩具と化してしまったのです。アップルの大失敗の試作品だといえるでしょう。iPhone との連携に失敗したのです。これが生き返ることは、もうないでしょう。それだけ、ネット社会ともてはやされて来たインターネットが、しだいに変質しだしているのです。
 アップルウォッチの復権があるとしたら、インターネットの次のネットワークシステムの中で生まれる可能性はあるかもしれません。その時にまた、アップルウォッチを腕にしようと思います。

 生来の新しもの好きなので、このインターネットの次の世界にも首を突っ込むはずです。しかし、これまでのように、全幅の信頼のもとに使うことはないと思います。
 特に記録は、紙に文字で書いたものが一番いい、と思うようになって来ました。
 千年近く前の古写本を研究対象としている身としては、当然のことかもしれません。

 目まぐるしく変わる世界なので、電子データに十全の信を置けなくなりました。
 その点では、紙に書いた記録の持続時間は、比べ物にならないほど長寿命です。
 そこで、銀座の伊東屋で新しくシステム手帳を買ってきました。アシュフォードの製品です。


161217_tetyou0




161217_tetyou1




 これは、表表紙のポケットに iPhone が入れられます。デザイナーは、そのような用途を想定して作ったとは思われません。しかし、私にはこうした活用ができるので、数ある中から慎重に較べて、これに決めました。伊東屋の専属アドバイザーの女性の助言も、大いに参考になりました。
 リフィルに手書きで記録しながら、大量のデータはiPhone で管理する、という使い方を考えています。

 来年度からは、これまでとは生活が一変します。その生活パターンを考えて、このシステム手帳とiPhone が共生した組み合わせで、日々の情報管理をしていきたいと思っています。

 とにかく、新年に向けてスタートしました。
 ペンを持つということで、新鮮な感覚を思い出しています。
 入力から筆記へと、記録方法が変わります。
 ものの見方や考え方にも、それなりの変化があることを期待しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 銀座探訪