2017年03月05日

京洛逍遥(431)重要文化財「旧三井家下鴨別邸」でのお茶会

 何度も行こうとして果たせなかった、重要文化財に指定されている旧三井家下鴨別邸へ行きました。
 昨日と今日の2日間、京都伝統産業青年会の展覧会「伝青会」が、旧三井家下鴨別邸で開催されます。東京での仕事に一区切りをつけた後、大急ぎで帰洛して駆けつけました。お茶室に入ったのは、3時までのところを危うく1分前でした。キャリーバッグを引きずって走りました。

170305_niwa1.jpg

 お茶室は、上の写真の右側です。

170305_niwa2.jpg
 お茶室については、いただいた資料によると次のように書いてあります。このお茶室は、江戸時代のものだそうです。


茶室は,庭園に面して3畳次の間が付いた4畳半の開放的な広間を配置します。裏側には茶室として極小空間である1畳台目の小間を置き、煎茶と茶の湯(抹茶)のいずれにも対応できたと考えられます。
※非公開


 お茶室の南側の瓢箪型の池には、泉川から水を取り入れた滝流れを見ることができます。

170305_ensou.jpg

 私が入ったお茶席では、陶芸家で伝統工芸士の伊藤南山氏と同席でした。世界的に活躍されている方で、今回新たに京都伝統産業青年会の会長になられるそうです。
 ご自分の作品である茶碗・建水・香合・茶杓が、私の目の前で実際に使われています。なかなか緊張する空間に身を置くこととなりました。ただし、私は両足共に調子が良くないので、失礼ながら胡坐をかかせていただきました。

170305_otemae.jpg
 先月から、引っ越しのドタバタ騒ぎの中にいました。昨日までとは打って変わって、まったく異質な時間の中にいることを肌身に感じ、不思議な気持ちになりました。

 お菓子は、西陣にある和菓子屋聚洸の「なたね」でした。予約をしても、なかなか手に入らないお菓子だそうです。


170305_wagashi.jpg
 その後、銀行・生命保険会社・女子大学を日本で初めて作った女性起業家広岡浅子の手紙(複製)を見たり、庭を散策しました。

 「忙中自ずから閑あり」とは、まさにこの今の自分のことを言うのでしょう。
 
 
 

posted by genjiito at 19:30| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年03月04日

読書雑記(195)安部龍太郎『等伯 下』

 この作品『等伯』は、下巻を読まないと作者の思いが伝わってきません。話が進むにつれて、等伯の姿が鮮やかに立ち上がるからです。

170301_touhaku2.jpg

 長谷川信春は、天正13年(1585)に二度目の上洛を果たし、幸運にも絵屋を営むことになりました。
 その後、狩野永徳に認められ、息子の久蔵が永徳の元に弟子入りしました。長谷川派を起こそうとしていた信春にとって、狩野派に息子を取られたことで微妙な気持ちが渦巻きます。その後の、信春と永徳の心理劇が見物です。
 大徳寺の三門造営から利休が出てきます。信春から見た利休が興味深く描かれていて、新しい利休像が生まれています。
 春信は、狩野永徳に負けない絵師を目指しています。その永徳が卑小な男として描かれていました。小気味良いくらいに、永徳の惨めな様が印象的です。
 静子の後添えとして清子のことを思案しながら、仏間で亡き静子と語るくだりはいい場面です。井上靖が得意だったように、死者との対話は難しいものです。安部のこれからが楽しみです。
 仙洞御所の西に造営される対の屋の衾絵を担当することで、等伯は大金を工面して何とか着手までこぎ着けました。しかし、永徳の悪巧みで中止となり、お金も仕事も取り上げられました。この経緯が詳細に語られており、本巻の読みどころでもあります。等伯の腹立たしさがよく伝わってきます。
 利休とのことも詳細に語られます。石田三成を悪役にして。
 利休切腹の段は、等伯の視点から描かれているので、一味違った利休像が味わえました。一条戻り橋に晒された利休の首を見やる等伯が、生々しい状況での描写となっています。三門に飾られていた利休の木造に踏まれる生首のことを思い、等伯は利休の肖像画に打ち込みます。その苦悩も、見事に描かれています。
 その後、等伯と久蔵親子の絵をめぐるやりとりが展開します。
 人間が真の姿を見る目について、次のように言います。
「お前が描いているのは、狩野派の様式を通して見た松だ。裸の目で見た真の姿を写し取ってくれ」
「人の目とは不思議なもので、自分が学んだ知識や技法の通りに世界を観てしまう。それは真にあるがままの姿ではなく、知識や技法に頼った解釈にすぎない。」(255頁)
 等伯は息子とともに、故郷の七尾に旅をします。22年ぶりの帰郷です。長かった物語を振り返る設定です。そして、亡き妻静子の慰霊の旅でもあります。
 語られる等伯の姿が、次第に重みを持ちます。巻末に向けて、作品に重厚感が伝わってくるようになります。この等伯の物語を書き継ぐ中で、作者が成長していることを実感しました。
 読者にとっては、生き続ける勇気がもらえる一書になると思います。【5】
 
 

posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | 読書雑記

2017年03月03日

読書雑記(194)安部龍太郎『等伯 上』

 安部龍太郎の『等伯』(日本経済新聞社、2012.9)を読みました。
 まずは上巻から。

170301_touhaku1.jpg

 等伯の本名は長谷川又四郎信春。
 染物屋の長谷川家に11歳の時に養子に入った信春。絵仏師をしていた彼が33歳の時、兄の事件に巻き込まれて、義理の両親に悲劇が起きます。そして、追われるままに、親子三人で能登から京へ。
 事件と人物が丹念に描かれています。信長の比叡山焼き討ちの中での人々も、迫力あるくだりとなっています。この丁寧な語り口が、安部龍太郎の作品を支えています。
 人間が持つ八識という感覚の世界に興味を持ちました。


 人間には眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの識があり、それぞれ視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、知情意をつかさどっている。その先の第七段階にあるのが末那識で、自己という意識を生み出す心の働きのことである。
 この末那識が他の六識を統合して自分らしい生き方を生み出すわけだが、その一方で自己にこだわる心が執着となって悟りにいたるのを妨げる。
 それゆえ修行者はここを乗りこえて第八段階の阿頼耶識まで進み、執着から離れて真如に至らなければならない。
 真如とは在るがままの姿、存在の本質としての真理のことだった。(143頁)


 時代背景を描き、社会情勢を語ることに筆を費やしています。この点が、私に退屈さを感じさせることになりました。しかし、そうであっても、資料や史実に正確な物語ではなく、人間を描くことを主題にした作品となっています。
 信春と妻静子の仲睦まじい姿は、人の温かさを感じさせてくれます。相手を思いやる二人がよく描けています。
 ただし、私は安部氏の文章に身を委ねて読み進むことができませんでした。どこか、他人事のように話が展開していると思えるのです。これはどこに起因するものなのか、何だろう、どうしてだろうと思いながら頁を繰っていました。そして、気づきました。作者は読者である私に向かって語ってはいないのだ、ということです。自分を納得させるために書いているのです。
 上巻の終盤で、感動的で胸が詰まる場面があります。
 27年間連れ添った妻の静子が、次第に弱っていきます。信春は、静子のために故郷である七尾の景色を、三方の山水画に描こうとします。注文があったことにして、二人の合作にしようとするのです。夫婦の心の交感がしみじみと語られます。作者安部が得意とする描写が出色です。苦楽を共にした者が互いに最後の想いをぶつけ合う場面は、情を掻き立てるものがあり、読み応えがあります。明日をも知れぬ二人が過去を回想するのは、読者の心に響くものです。
 その後、信春は余命幾ばくもない静子と息子の3人で、故郷の七尾を目指します。琵琶湖を越え、敦賀まで来たところで静子は信春の腕の中で力尽きるのでした。【4】
 下巻は明日にします。
 
 
 


posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | 読書雑記

2017年03月02日

橋本本「若紫」で同じ文字列を同じ字母で傍記している例

 いつものように日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」巻の字母に注目しながら読んでいます。
 今日は、講座の受講生の方から、貴重な意見をいただきました。次のように書かれている箇所をどう読むか、ということです。
 14丁表で終わりの2行は、次のようになっています。

170302_yositada.jpg

 この最終行の手前の行間に、なぜ「よし堂ゝ」とあるのか、というのが問題なのです。
 その直前の行末にある「よし堂ゝ」と同じ字母で書かれています。それも、ほとんどが右横に傍記されるのに、ここでは左側に傍記されているので、なおさら不可解です。

 ここの諸本を見ると、次のような本文の異同があります。まず17種類の諸本の略号をあげてから、本文の異同を示します。


橋本本・・・・050000
 大島本(1)[ 大 ]
 中山本(1)[ 中 ]
 麦生本(1)[ 麦 ]
 阿里莫(1)[ 阿 ]
 陽明本[ 陽 ]
 池田本[ 池 ]
 御物本[ 御 ]
 国冬本[ 国 ]
 肖柏本[ 肖 ]
 日大三条西本[ 日 ]
 穂久邇本[ 穂 ]
 保坂本[ 保 ]
 伏見本[ 伏 ]
 高松宮本[ 高 ]
 天理河内本鉛筆なし[ 天 ]
 尾州河内本(1)[ 尾 ]
 
 
よきり[橋=大尾中麦阿陽池肖日保高天]・・・・051074
 より[御穂]
 ナシ[国]
 よきおり[伏]
おはしましたる[橋=高]・・・・051075
 をはしましける[大御保]
 おはしたる/し+〈朱〉まし[尾]
 をはしましたる[中陽天]
 おはしましける[麦阿池国肖日穂伏]
よし/し=よしたゝ〈左〉[橋]・・・・051076
 よし[大尾中麦阿陽池御国肖日穂保伏高天]
たゝいまなん[橋=尾陽御国保伏高天]・・・・051077
 たゝいまなむ[大中池肖日穂]
 たゝ今なん[麦阿]
うけたまはりつる[橋]・・・・051078
 人[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 うけ給はり[尾中高天]
 うけ給[陽]
ナシ[橋]・・・・051079
 申すに[大池御肖保]
 はへりつる[尾高]
 さふらひつる[中]
 申に[麦阿国穂伏]
 侍つる[陽天]
 申すに/〈改頁〉[日]
おとろきなから/き〈改頁〉[橋]・・・・051080
 おとろきなから[大尾中麦阿陽御国肖日保伏高天]
 おとろきなから/前1ら〈改頁〉[池]
 をとろきなから/〈改頁〉[穂]


 受講生の方の意見は、この「よし堂ゝ」は最終行の丁末にある「おとろ」に対する傍記ではないか、というものでした。つまり、「う遣多ま八里つる」と「おとろ〜」の間に「よし堂ゝ」を補入したいのではないか、と見る意見です。ただし、ここに補入記号の○などはありません。

 その時に、私の手元に諸本の正確な翻字資料がなかったので、指摘があったことの可能性を保留にして、私の宿題にさせていただきました。そして今、諸本を調べると、上記のようになっていることが確認できました。

 結果的に、この丁末の「おとろ〜」の前後に「よし堂ゝ」が入るような異文は見つかりませんでした。特に、私が乙類としている大島本などの本文の類が橋本本の校訂に参照されていることを考えても、そうした痕跡は大島本などの乙類にはまったくありません。

 これで、問題は白紙にもどりました。一体、なぜ、この行間に「よし堂ゝ」という文字列が書かれているのでしょうか。間違って書いたとは思われません。間違いだったとしても、ミセケチや削除もしていません。字母が同じ文字列というのも不可解です。
 親本に書かれていたままに書写している可能性もあります。しかし、それでは親本はなぜそのような本文を伝えていたのでしょうか。そうしたことの説明が、今の私にはできません。

 この件に関してご教示のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 

posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2017年03月01日

情報をなかったことにする小道具

 家庭用のシュレッダーを、重宝して使っています。A4の紙が一度に5枚ほど裁断できるものです。
 もう古くなり使わなくなったシュレッダーは、うどんのように細長い紙が出てきました。これは、裁断する方向によっては、書かれている文字が読めるのです。
 最近のものは、紙吹雪のように切り刻まれて出てきます。
 今回の引っ越しでも、このシュレッダーは大活躍しました。個人情報が記された書類や、古くなった名簿、そして住所録に取り込んだ後の名刺などは、こんな時にしか処分することがありません。いつかいつかと思いながら、知らず知らずに溜まっていたのです。
 一気に処分しようとしたせいか、愛用のシュレッダーがモーター音だけを唸らせるようになりました。どうやら、硬質プラスチックの歯車が割れているようです。長時間にわたって、連続して使ったことが壊れた原因のようです。
 すぐに別のものを買いに行きました。家庭用なので、安く購入できます。選択肢は30種類以上もあり、店員さんに相談して迷いながらも、コンパクトなものを選びました。まだまだ、裁断して処分したいものがあるので、少しでも長く連続使用に耐えられるものにしました。
 数十年前までは、個人がシュレッダーを持つなどということは、とても考えられないことでした。せいぜい職場にあるものでした。それだけ生活環境が変化し、プライベートな印刷物が増えたのです。
 そんな中で、郵便物の宛先が読めないようにするために、100円ショップで買ってきた千鳥格子柄のスタンプも重宝しています。
 この他に今気に入っているものは、消せるボールペンです。ペンの軸に取り付けられた柔らかい樹脂の塊でこすると、いつでも文字や絵が消せるのです。目まぐるしく変わる手帳のメモ書きにはもってこいです。
 いろいろと便利な小道具を手元に置いて、せっせと個人情報を隠すことに時間を割いています。
 
 
 

posted by genjiito at 22:30| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月28日

インターネットが使えなかった一日

 子どもたちは、インターネットにどっぷりと浸かる日々のようです。
 内閣府の調査によると、青少年は1日に何時間もインターネットを使っている、ということです。そうはいっても、さして驚きません。便利なのですから。それよりも、いつ、どこで、だれが、だれに、どのようにして聞いた調査なのか、ということが気にかかります。統計は如何様にでも操作出来るからです。

 それはさておき、求める情報をいかに的確に、しかも早く手にするかということは、生きざまを大きく変えます。そのスキルが求められるのが、今の時代だと思います。その適応能力は、若いうちに鍛えておくべきです。ネットで何を見て、何をするかは別にして。

 30年近く前に、出先や海外のホテルから、音響カプラを電話機に取り付けて通信をしていました。ピーヒョロヒョロと鳴る音に耳を澄ませながら、タイミングを見計らって回線にデータを流していた頃と、今は雲泥の差です。

「再録(3)インターネット以前の奮闘劇〈1997.2.13〉」(2009年10月25日)

 今の便利なインターネットを、日々の中で活用しない手はありません。
 とはいえ、今日の職場でのネットの環境は最悪でした。午後6時に研究室を出るまでに、結局インターネットにはつながりませんでした。仕方なく、メールなどはiPhone で確認したのですから、無駄の多い時間の一日を過ごしました。

 このところ、ネットに接続する環境に恵まれていません。データのほとんどをクラウドやエバーノートに置いているので、つながらないと仕事の能率に直撃です。

 結局、今日はインターネットにつながるのを待ちながら、引っ越しの荷造りをして終わりました。本の処分が捗ったのでよしとします。しかし、目の前には大画面のパソコンがあるのに、手元の小さなiPhone の画面とにらめっこで情報を確認しているというのは、まさにマンガです。成熟した情報社会から、突然人里離れた自然の中に身を置いた一日となりました。

 私は、ネットがなかった時代から今を見ています。それに引き替え、生まれた時からずっとネットがある生活をしている若者たちは、突然のネットレスの状態をどう思うのでしょうか。意外と、不便がもたらす新鮮さを楽しむのかもしれません。情報に振り回されない、自分を見つめるいい一日だった、と。

 そうした中で、インターネットの次の時代が待ち望まれています。次は、どのような仕掛けが登場するのか、大いに楽しみにしているところです。若い子たちから、インターネットを使っていたの? と言われる日が近いようです。
 
 
 

posted by genjiito at 22:41| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月27日

文字読み取りアプリ「e.Typist Mobile」で資料整理中

 さまざまな資料を整理しています。
 その中で、特に冊子やパンフレットや切り抜き記事などの処分は、その始末に困ります。
 そんな時、PDFのファイルにした後、 iPhone のアプリである「文字認識・OCRソフト e.Typist Mobile」(Media Drive Corporation、\960)は重宝しています。これまでにも、本ブログに引用したテキストのほとんどは、このアプリで文字認識をしたものです。

170227_e.Typist-Mobile.jpg

 ネットでの評価を見ると、惨憺たるものが散見します。しかし、何かと欠陥商品を摑まされる私なのに、これは快適に使えるアプリです。ほぼ毎日使っています。
 開発が2012年であり、2014年から更新が止まっているので、不安に思うことがあります。しかし、特に今は不自由を感じないので、このまま使っていくつもりです。
 かつては、パソコン用のマッキントッシュ版の「e.Typist」があり、それを便利に使っていました。しかし、販売がウインドウズ版のみとなり、どうしたものかと思っていたときに、この「e.Typist Mobile」に出会いました。
 確かに、撮影の仕方によってはとんでもない文字列になることもあります。しかし、それは大した問題ではありません。すぐにその場でさっと文字化できることが、一番重要だと思っています。
 今日もiPhone を片手に、「エバーノート」と富士通の「ScanSnap」と「e.Typist Mobile」を駆使して、身辺整理を進めています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:30| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月26日

東京マラソンで思い出した個人的なマラソン史

 今日は、第11回目となる「東京マラソン」の日でした。このマラソン大会は、東京都知事だった石原慎太郎氏の肝入りで2007年に実現したものです。豊洲の市場移転の問題はともかく、このマラソン大会はいいイベントとして育っていると思います。
 ちょうど宿舎周辺を走者が通りかかる頃、マイクで交通整理を呼びかける車が往き来していました。応援に出ようかと思いました。しかし、荷物を京都に送った後のがらんとした部屋で、運ばずに残しておいた資料で報告書などを作成する仕事に忙しく、気にしながらも外に出るだけの心の余裕がありませんでした。
 夕方床屋さんへ行った時、おやじさんが髪を切りながら、興奮気味にマラソンの話をしてくれました。折り返し地点となった深川の富岡八幡宮の賑わいや、床屋さんの真下が給水ポイントだったことなど、詳しく聞くことができました。

 東京でのマラソン大会というと、一度だけ出場のチャンスがありました。しかし、結局は出ずに終わった45年前を思い出します。何度か書いた通りですみません。私が二十歳になった成人式の時、記念マラソン大会にエントリーしました。しかし、その2日前に、住み込みの新聞配達店が火事となったのです。すべてをなくして焼け出されたために、人前にでるだけの着るものがありません。両親が作ってくれた初めてのスーツも焼け、残念ながら成人式に行けず、マラソンも棄権したことが貴重な成人の日の想い出です。

 生まれつき身体が弱かった私は、小学校3年生あたりから走ってもいいようになり、中学や高校では長距離走が好きでした。一番の得意種目は1,500メートル。

 マラソンや駅伝は、今ではもっぱら観るほうです。

 京都では、駅伝やマラソンのシーズンになると、賀茂川の散策路で隊列を作って走る選手をよく見かけます。駅伝やマラソンでは、家の近くがコースになることが多いので、応援に行くこともしばしばです。

 生まれ育った地では「出雲駅伝」があります。小さい頃の年末年始は、出雲大社の前にあった「いなばや旅館」の「〈か〉の間」(小泉八雲執筆の間)で冬休みを過ごしていたので、出雲大社をスタートする場面が大好きです。
 今月開催された「出雲くにびきマラソン大会」は、大雪のために中止となりました。
 4月には、「奥出雲ウルトラおろち100キロ遠足」があります。

 大阪で高校の教員をしていた頃、学校のマラソン大会では生徒たちと一緒に走りました。あまり恥ずかしい思いはしなかったので、それなりの順位でゴールしていたと思います。

 奈良では、子供たちと一緒に平群町主催の「くまがしマラソン」に出ました。家の前で家族に手を振りながら、楽しく走ったものです。参加者に配られた、「くまがしマラソン」と記されたスポーツタオルを、今も記念品として持っています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:20| Comment(0) | 回想追憶

2017年02月25日

「点字付百人一首」の全国大会ができないか

 前回の「高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会」(2017年01月14日)に続き、今月の集まりにも参加してきました。

 高田馬場の社会福祉協議会は、今日は外壁の工事中でした。

170225_genkan1.jpg

170225_genkan2.jpg

 今日は、広島大学3年生のAさんと一緒に行きました。Aさんは午前中に国文学研究資料館で調べ物をしてから、高田馬場へ来てくれたのです。自己紹介で日本文学の勉強をしていると言った時には、参加者から励ましのことばが飛び交いました。

 今回は、これまでとは少し違って、カルタ取りに集中する会でした。これもまた楽しい体験を共にできました。視覚障害者交流コーナーでは、熱気に包まれた3時間があっという間に過ぎていきました。

 今回は、初めてのカルタ台で対戦した方が多かったので、ルールについてさまざまな意見や感想が寄せられました。この「点字付百人一首〜百星の会」の活動は、まだまだ揺籃期です。そして、大きく発展する可能性を包み込んでいます。

 「点字付百人一首」といっても、さまざまなカルタが開発されています。上の句だけで取れるカルタもあります。初心者が参加しやすいことへの配慮が行き届いています。

170225_karuta1.jpg

170225_karuta2.jpg

 いつもは読み手としてカルタ取りの指導にあたっておられる方は、自分で初めて真剣にカルタ取りをやった後で、日頃子どもたちにこんなむちゃなことをやらせていたのか、ということを実感した、とおっしゃっていました。どっと疲れたとのことで、こんなにハードなことをやらせていたんだ、としみじみと語っておられたのが印象的でした。

 新しい遊び方の提案がなされ、いろいろなことが試されました。
 「五色百人一首」の緑と橙の札を使ってグループで取り合うやり方は、私にはまだよく理解できていません。

 緑の札の20枚を10枚ずつに分け、お互いが並べたセットを相手側に置くというのは、少し手を加えただけでおもしろさが増したようです。自分が並べたものを相手側に置き、相手が並べたものを手前に置いて5分間で覚えてスタートする、というものも楽しそうです。

 ルールを少し変えるだけでまったく違うゲームになるので、さらに検討を進めると、多くの方が参加できるようになることでしょう。日々創意工夫がなされている百星の会の「点字付百人一首」です。これからがますます楽しみです。

 今日は、さまざまな札の取り方やテクニックを見ることができました。
 以下、バリエーションに富んだ手の動きがわかる写真を並べます。

170225_siai1.jpg

170225_siai2.jpg

170225_siai3.jpg

170225_siai4.jpg

 広島から来たAさんが、この「点字付百人一首」の楽しさをすぐに理解したようです。そこで、「点字付百人一首」ではクイーンとでも言うべき理生さんと対戦してみないかと勧めたところ、快く引き受けてくれました。古典文学好きな心を刺激するものがあったのでしょう。
 このようなことになるとは思わず、何も準備をしていない上に、上の句に関する情報が何もないので、目が見えるという一点以外は不利な条件の中で、対戦に臨みました。

170225_seigan1.jpg

170225_seigan2.jpg

 前半から中盤にかけては、見えない理生さんが有利に試合を進めていました。しかし、後半になると、見えるAさんが挽回してきました。札が少なくなってくると、限られた札の位置を目で追えるので有利になるようです。


170225_seigan3.jpg

 結果は10対8という、わずかの差でした。
 どちらが勝ったのかは、ご想像にお任せします。
 すばらしい試合を見せてもらいました。

 福島県立盲学校の渡邊さんと話しているうちに、全国大会をしたらいいと思うようになりました。それも、個人戦だけではなくて、晴眼者との対戦や、全盲・弱視・晴眼者の組み合わせによるダブルスなども考えました。組み方によってはいろいろな対戦が可能です。しかも、全国から参加者を募るのです。初心者や上級者などのクラス別けも楽しいことでしょう。

 私の流儀である「とにかくやってみる」、ということでこの提案をしたいと思います。

 東京の関場さん、大阪の畑中さんたちによって、いろいろな趣向で楽しい「点字付百人一首〜百星の会」の運営がなされています。その中に、「点字付百人一首」の全国大会をスタートすることを検討していただけないか、と思うようになりました。いろいろと検討すべきルールや実施要領などを詰める必要があるかと思います。その検討も、楽しく取り組めば、さらに活動への理解は拡がることでしょう。
 今日の思いつきながら、ご検討のほどをよろしくお願いします。

 そんな全国大会のことを、最後の挨拶の中で言いました。今回の進行役であった理生さんからは、いつも夢のある話をありがとうございます、と言ってもらえたので、これは実現に向けて動いていくように思いました。
 この件でのご意見を、本ブログのコメント欄などを通してお寄せいただけると幸いです。

 なお、次回の「点字付百人一首〜百星の会」は、来月3月18日(土)午後1時より、今日と同じ高田馬場の社会福祉協議会の中にある視覚障害者交流コーナーで開催されます。
 
 
 

posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年02月24日

グーグルからの不可解なメッセージと確認のメール

 iPhone を使っていて、グーグルに届いているメールを読もうとした時でした。
 突然、首を傾げるメッセージが表示されました。
 「Googleアカウントが変更されました」というメッセージが表示され、ユーザーIDとパスワードの入力を求められたのです。
 システムが更新されたのかと思い、迷いながらも様子を窺いながら、ログインをし直しました。
 すると、いつものように使えるようになりました。
 何となく不審な振るまいに、何事かと用心しながら操作を続けました。

 その前後だったでしょうか、不可解なメールが届きました。

170224_Google.jpg

 昨日のブログに書いたように、このところ利用しているネット環境が不安定なので、それに関連することなのかと戸惑いながら、メールを注意深く読みました。
 どうやら問題はなさそうです。

 届いたメールは


●●さん、新しい端末をお持ちですか?
iPhone からのログインをご確認ください


とか、


このアクティビティに心当たりがありますか?
最近使用した端末を今すぐ確認してください。


というものです。

 ネットで調べると、「一部のGoogleユーザーが強制ログアウトに困惑」という記事がありました。


Googleのサービスを利用しようとした際に、「Googleアカウントが変更されました。セキュリティ保護のためもう一度ログインしてください」と表示され、強制ログアウトされていることが分かった。
(中略)
 グーグルは、Google アカウントのヘルプセンターを更新。「一部のお客様におきまして、Google アカウントが変更された旨の通知が送付されていることが判明しております。調査の結果、本メッセージはフィッシングやアカウントのセキュリティに影響するものではないため、ご安心ください」と説明し、再度ログインすれば通常通り利用できるとアナウンスしている。

 現在、強制ログアウトの原因をグーグルに確認しているが、2月24日14時時点では回答を得られていない。(CNET Japan 藤井涼 (編集部))


 私の場合もこれなのでしょうか?
 2段階認証を利用しているので、再度のログインに少し手間取りました。しかし、今のところ不審な動きはなさそうです。

 とにかく、もう少し情報を集め、様子をみるこしとにします。
 私へのメールによる連絡などは、明日25日(土)以降にしていただいた方がいいかと思います。

 電子メールが大切なコミュニケーションの道具となっているので、一日も早く安心して使える状態になってほしいものです。
 ということで、今日はコンピュータの利用を控えることにします。
 
 
 

posted by genjiito at 20:52| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月23日

メールの連絡を取りこぼしていることへのお詫び

 今週2月21日(火)午前8時から、明日24日(金)午後10時までの間は、通信環境が安定しないため、メールなどの確認が十分にできていません。
 東京から京都への引っ越しに伴い、iPhone だけを頼りにしての通信環境だったからです。可能な限り返信などはしました。しかし、いつものように私にはさまざまな機器のトラブルがつきものなので、多くの方はまたか、と思っておられることかと思います。毎度のことですみません。
 なかでも、ワード文書・エクセルデータ・PDFファイルなどの添付物は、閲覧できないものが多々あるようです。テキストはおおむね読めています。
 明日24日(金)午後10時以降は、これまで通りに通信環境が整います。
 申し訳ない対応しかできていない方には、もう少し時間を頂戴することで対処しますので、しばらくお待ちください。
 復旧を断念する中で、取り急ぎ、お詫び方々、、、
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月22日

段ボールに詰めた本と永の別れになった本のこと

 今回の引っ越しで最初に段ボール箱に詰めたのは、『広文庫』(全20巻)と『群書索引』(全3巻)のセットです。『広文庫』(復刻版、名著普及会、昭和51年)は、結婚をしてすぐに買った本でした。買った、というのは不正確で、買ってもらったと言うべきでしょう。

 私は学生結婚でした。大学を卒業してすぐに大学院に進学したため、妻に養ってもらう生活でした。そんな中で『広文庫』の復刻版が刊行されたので、妻の許可を得て予約をしました。刊行されるたびに、新婚生活をしていた浦和にあった書店に、代金を持って受け取りに行きました。

 知の宝庫である『広文庫』は、夢のような叢書です。研究を志したばかりのひよっ子の私にとって、ただただ憧れの百科全書でした。それを妻が、こつこつと積み立てていた結婚資金で、購入してくれたのです。以来、勉強机のそばにあるだけで、いっぱしの研究者になったような気にさせてもらえました。後日刊行された別巻に購入者の名前がずらりと掲載されていたので、いやましに充足感を持つこととなりました。

 そんな『広文庫』の次に箱詰めしたのは、陽明叢書の『源氏物語』(全16巻)。そして大島本(全11巻)、新旧尾州家河内本(全20巻)、『源氏物語別本集成 正続』(全22巻)と、快調に進みます。『源氏物語大成』(普及版、全14巻)は、京都と立川にも持っていたので、立川とこの官舎にあるセットは廃棄です。

 研究資料の次は、『井上靖全集』(全29巻)、『谷崎潤一郎全集』(新書版、全30巻)、『源氏物語』の注釈書群です。それぞれ立派な箱入りで、紙質もいい重厚な本なので、どっしりとした重みを感じます。箱にきれいに収まることはまれなので、隙間には雑多な文庫本を埋めました。

 こうした本たちは、とにかく京都という行き場があります。幸せな本たちです。そうではなくて、この東京で行き場をなくす多くの本たちは、ここでお別れです。
 いろいろな経緯で私の手元に集まった本です。人と同じように、本とも別れの時があります。これまで私を支えてくれたことに感謝しながら、段ボール箱ではなくて、部屋の片隅にうずたかく積み上げることになります。

 引っ越しをするたびに、本との別れがあります。今回運ぶのは、これまで以上に古い築80年以上の建物です。本に重さがあることが一番の問題です。そして、空間を占有することも問題です。
 そうしたことを見越して、「京都府立京都学・歴彩館」の近くに住むことにしたのです。
 ほとんどの本がこの歴彩館にあるので、そうした本は廃棄となります。

 本を仕分けることは、なかなか神経を病む選別作業です。引っ越しで一番疲れることです。それを、とにかくやり遂げました。横に妻がいてくれたからこそ、膨大な量の本を整理できました。一人だと、一冊一冊に感情が混じってしまい、とても数週間では片付きません。何でも取っておく私と、何でもドンドン処分する妻とで、喧嘩をしつつも連携プレーが実りました。感謝感謝。

 睡眠不足や筋肉痛と闘いながら、どうにか倒れることもなく、今は、引っ越し疲れの中で、心身共にぼーっとしています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:09| Comment(0) | 身辺雑記

2017年02月21日

毎日新聞は今日21日で創刊145年を迎えました

 毎日お世話になっている新聞のことです。
 「毎日新聞」は、明治5年(1872)の今日2月21日に、「東京日日新聞」として創刊されました。今日でちょうど145年を迎えることになったのです。
 「讀賣新聞」の創刊が明治7年(1874)11月2日、「朝日新聞」の創刊が明治12年(1879)1月25日なので、現在も発行している日刊全国紙としては一番早いものだと言えます。
 明治44年に、「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」が合併して全国紙となりました。

 なお、「点字毎日」は、大正11年5月11日に週刊の点字新聞として創刊されました。日本で唯一のものです。「毎日新聞」も、日常的に障害者の問題を意識的に取り扱っています。この点は、他紙が何か社会的に問題が起きない限りは記事にしていない実情を思うと、これはすばらしいことだと思います。

 私は、「毎日新聞」の記者である姫野聡さんが、拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年)を新聞で取り上げてくださったのが契機となり、幸運に恵まれるようになりました。姫野氏のおかげで、今の私があると思っています。
 大谷晋也氏、谷口敏夫氏との出会いは、姫野氏が取り上げてくださった「毎日新聞」がなかったらありえないことでした。このことは、「27年来の仲間を思い出しながらの追善供養」(2013年08月04日)に書いた通りです。
 以来、折々に他の記者の方からの取材を受けるようになって、「毎日新聞」を親しく読むようにもなりました。

 それまでは、「朝日新聞」だけでした。
 親が購読していたことと、私が学生時代に「朝日新聞」を配達していたことから、これが一番馴染みのものでした。しかし、慰安婦問題を通して「朝日新聞」の実態を知るようになり、すぐに「朝日新聞の講読を解約する決断」(2014年09月11日)をしました。青春と共に歩んできた「朝日新聞」と縁を切り2年半。それ以降も見るに堪えない記事を何度か目にすることがあり、「朝日新聞」の解約は適切な判断だったと思っています。

 「朝日新聞」は、インテリと呼ばれる一群の読者層を意識した、知的刺激に満ちた口調で記事が書かれています。それとは対照的に、「毎日新聞」はあまりにも客観的に記事が書かれているために、インパクトに欠けます。しかし、無理に読者の知性を刺激することに腐心することのない姿勢に、今では好感を持っています。「朝日新聞」一辺倒だった頃には、このような大人の論調の味わいに気づきませんでした。

 もっとも、「朝日新聞」の白石明彦氏には2007年に取材を受けて以来、何度か記事にしていただきました。その新聞記者としての感性だけに留まらず、日本語へのまなざしにも敬意を抱いています。
 なお、「毎日新聞」の佐々木泰造氏の記事も、楽しみにして読んでいます。

 「毎日新聞」と「朝日新聞」以上に好きなのは、「京都新聞」です。
 これは、とにかく楽しい記事が満載の、日本文化を見直し、新たな文化が進展していることを気づかせてくれる新聞です。「朝日新聞」の無理やり批判的に語る口調とは対照的な、日常レベルでの知的刺激に満ちた新聞です。
 春からは、この「京都新聞」と共に日常の生活を楽しむことになります。
 
 
 

posted by genjiito at 23:10| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月20日

『源氏物語別本集成』の前に進行していた『源氏物語別本大成』

 明日の引っ越しのため、東京の宿舎の荷物を整理しています。
 これまでずっと忘れていた資料が、突然ながら出てきました。

 平成元年(実際の初版は昭和63年)に刊行が始まった『源氏物語別本集成』は、その前には『源氏物語別本大成』として作業が進んでいたのです。

 そのことは、すでに拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(桜楓社、昭和61年)で「『源氏物語別本大成』の発想」(102頁)として、その構想について記した通りです。

 その基本データには、次の写真の右端に写っているように、「品詞」や「異同」という欄があります。特に「異同」の欄には、「部変漢6,7」とか「部欠」などと、本文異同の識別が明記されています。これらは、刊行された『源氏物語別本集成』では採用しなかった付加情報です。

170220_GBT0.jpg

 次の写真では、昭和60年頃の具体的な版面や作業手順、そして必要な機器などが列記されています。「μCOSMOS」というデータベース用のソフトウェアや、懐かしい金属活字プリンタの名前が確認できます。

170220_GBT1.jpg

 また、次のメモにも懐かしいハードウェアの名前があります。

170220_GBT2.jpg

 こんな時代に、こんなことを考えていたということで、当時を回顧する資料として記し留めておきます。
 
 
 

posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年02月19日

引っ越しの荷造りで悩ましい日々です

■本の整理をしながら
 処分する本と残す本の仕分けをし、段ボールに詰めています。ほとんどが廃棄へ。
 とにかく、行き先ではこの本の重さに耐えられません。置くスペースもありません。
 ほとんどを廃棄するつもりでした。しかし、なかなか諦められません。捗りません。
 もう1週間以上にも及ぶ、良心との闘いが続いています。
 毎朝毎晩この過酷な作業に取り組み、1日に廃棄するノルマを自分に課しました。
 本の頁をめくり、書き込みの有無を確認しながら振り分けています。
 しかし、手も目も宙を彷徨うばかりです。
 それにしても、読んだ形跡があるのに、内容をまったく覚えていない本が多いのです。
 その本を読んだことが、次の読書につながったと思うことにします。
 これから読もうと思って、あるいは、読むことになるだろうと思って買った本もあります。
 こうした本をどうするか。その始末は、さらに悩ましいところです。
 研究書や資料集については、比較的楽です。評論や創作などが心を微妙に揺さぶります。
 自分との葛藤の中で、段ボールの山は確実に増えていきます。
 廃棄の山は、思うように増えません。
 タイマーが時を刻み、引越の日まで、あと1日半となりました。
 最後の闘いを楽しむことにします。


■資料としてのコピーや新聞の切り抜き
 入手困難な資料などは、コピーしたものを使っていました。この量も膨大です。
 その後、復刊されたり増補改訂版が出ているものは迷わずに廃棄できます。
 それにしても、このコピーにどれだけの手間と時間をかけたことか。
 それを思うと、労力に見合うだけの活用をしたのかと、自問してしまいます。
 コピーを持っていたことによる安心感という意義を認めましょう。
 そのことを高く評価し、否定的には思わないことにします。
 可能なものはスキャナに通し、エバーノートに保存しています。
 色の変わった新聞に関しては、とりあえずはそのまま箱詰めしています。


■ビデオテープも大量に出てきて
 これは、手撮りの映像なので、海外に行った時などに撮影したものです。
 帰国後は書類の整理と報告書の作成に追われるので、映像資料はすっかり忘れていました。
 タイムカプセルのようなものです。
 これを見ることがあるのかどうか。しかし、段ボールに詰めます。
 あまり重くないので、それだけが救いです。
 
 
  
 
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | 身辺雑記

2017年02月18日

読書雑記(193)入口敦志『漢字・カタカナ・ひらがな』

 『漢字・カタカナ・ひらがな 表記の思想』(入口敦志、平凡社、2016年12月)を読みました。

170217_iriguchi.jpg

 本書は、ブックレット〈書物をひらく〉というシリーズの一書です。
 漢字・カタカナ・ひらがなが持つ身分的位置付けについて、わかりやすく語っています。文字表記の歴史的な流れとその意味を、文化という視点から展開するものです。
 入口氏は江戸時代を中心とする学芸の研究者です。その立場から見た古典文学についての提言は、多くの問題点を浮き上がらせ、刺激的な物の見方を提示するものとなっています。さまざまな示唆をいただきました。

 以下、私がチェックした箇所を引用しておきます。


自筆本の大きさと写本の小ささ
 定家の奥書から、貫之自筆本はかなり長大な継紙であったことがわかる。例えば藤原道長自筆の『御堂関白記』など、男によって書かれた漢文の日記は巻子本であった。貫之自筆の『土佐日記』も、それに匹敵するような大きさとかたちを持っていたということができる。
 ところが、それを写した定家本も為家本も、どちらも列帖装六つ半枡形本といわれる小さな本になっている。このかたちは多くひらがなの物語などを写す場合につかわれるものである。であれば、定家も為家も、『土佐日記』をひらがなの物語類と同じようにあつかったということになるのではないか。漢文で書かれた男の日記は、写本にされる場合にも大きな本に写されることが多い。定家自身の日記『明月記』も巻子本である。もちろん漢文で書かれている。貫之が選択したかたちは、男の漢文日記と同じ巻子本のかたちであった。しかし、定家をはじめとする後代の人々は、『土佐日記』を漢文日記とは同等にはあつかわなかったわけだ。ここには漢字とひらがなをめぐる位相の差異がみられるのである。
 もう一点、定家本の奥書が漢文であることにも留意すべきだろう。例えば『源氏物語』のようなひらがなの物語でも、その写本の奥書は決まって漢文であった。ひらがなで状況や経緯を説明することはほとんどないのだ。公式のものは漢文であるという伝統はなかなか消えることはない。(24頁)
 
 
 十六世紀以前は文字を使える身分階層は限られていて、ひらがなも上層身分の人が使うものであった。その違いは主に公私、性差、長幼の別であって、身分差ではなかった。それが、十七世紀以降、徐々にひらがなが庶民のものとなり、身分を越えて広がっていくようになる。玄朔がひらがなを用いた『延寿撮要』を庶民に向けたものとしていることから、それ以前、室町時代末にもそういう傾向はあったといえるかもしれない。むしろ『延寿撮要』をはじめとするひらがな本の出版が、ひらがなが庶民のものになる契機を作ったと考えるのだ。あくまでも私見であり検証を必要とするが、ひとつの仮説として提示しておきたい。(48頁)
 
 
楷書とひらがなの組み合わせ
 今の日本語は、楷書の漢字とひらがなとが何の違和感もなく併存している。そのこと自体に疑問を持つ人はおそらくひとりもいないだろう。しかし、江戸時代以前、楷書の漢字とひらがなとを組み合わせることはまずあり得ないことだった。(50頁)
 
 
 ちなみに、「叡覧」で改行されている(前掲図11参照)のは、叡覧する人物すなわち後陽成天皇を敬って、文字の上に別の文字がこないように配慮してのもの。これを「平出」(へいしゅつ)と呼ぶ。後出の「閾字」(けつじ)よりも一段と高い敬意をあらわしている。(59頁)
 
 
注目したいのは、文中に見える「中華」「中国」の文字である。上に一字分余白があるのは「閾字」といい、その下にある文字が指し示すものを敬ってあけるもの。同じ文中、「神明」「聖」「皇統」の文字にも閾字があり、神や天皇を敬ってのものであることがわかる。(65頁)
 
 
 本書でみてきたように、貫之や宣長は漢語を廃した和文に対して相当に意識的であったと考える。また、漢文あるいは中国語そのものに習熟せよと主張する徂徠にしても、やはり意識してのことであった。表記を思想としてとらえるゆえんである。
 漢字制限論やかなだけで日本語を表記しようという運動がある。しかし、それらはマイナーであって、日本人の考え方の主流にはなっていない。漢字とひらがなを混ぜて書くのが日本語であると、なんとなく思い込んでいるだけのように思われるのだ。
 韓国では、漢字を廃してハングルだけで表記しようとしている。民族が生んだ文字への国粋的なこだわりともいえるが、その運動は相当に進んでいるようにみえる。一方、フランスの植民地化を経たベトナムでは、表記はすべてローマ字であり、チュノムや漢字は使わない。子規のいうとおりで、だからといってベトナム人がベトナム人でなくなったわけではない。同様に、日本語もひらがなだけで書く、あるいはローマ字で表記しても不便は感じない可能性があるのだ。
 いずれの方向を選ぶにせよ、我々は日本語の表記についてもっとつきつめて考えてみる必要があるのではないだろうか。(84〜85頁)

 
 
 

posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | 読書雑記

2017年02月17日

【補訂】我が身に照らしてステージ別ガン患者の生存率を見る

 私は、平成22年8月に、胃ガンで消化管の全摘出手術を受けました。主治医の先生から、最初は慎重に、次第に確信を持って、第1期だったと伝えられたのです。

 ことの発端は、九段坂病院で受診した人間ドックです。その結果から胃ガンの疑いが指摘されました。

「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010年07月17日)

 まだ自分自身にガンというものへの認識が薄く、翌日のブログはお揚げさんの話です。

「食べ物の節制はビールとお揚げさんから」(2010年07月18日)

 次の日は、能天気にも西国三十三所の巡礼をはじめています。それも、「石山寺」から。

「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)

 すぐに上京して、九段坂病院へ。

「心身雑記(60)東へ西へドタバタの一日」(2010年07月20日)

 とんぼ返りで京大病院へ。大先輩の神野藤昭夫先生からいただいた励ましのことばを再読し、気持ちを落ち着けました。

「心身雑記(61)任天堂が寄付した京大病院の新病棟へ」(2010年07月21日)

 数日後から、大和平群へお茶のお稽古に行くことにしました。

「お茶のお稽古を始める」(2010年07月25日)

 この数週間後には、スクーバ・ダイビングの練習をしているので、とにかく生きている内になんでもやってみようとしている自分がいます。

「スクーバ・ダイビングを楽しむ」(2010年08月14日)

 ガンのステージのことを、詳細に図解付きで説明しています。

「心身雑記(66)今後の我が身についての巻」(2010年07月30日)

 一と月後の入院初日の病院食は、私が大好きなお寿司でした。

「心身雑記(70)入院初日の第一報」(2010年08月27日)

 手術当日はもちろんのこと、この入院中も飽きもせずに毎日ブログを書いています。
 今となっては、貴重な記録です。

「心身雑記(73)6時間にわたる自分との闘いへ」(2010年08月31日)

 手術後にもブログが途切れないようにと、タイマーでブログが数日間は更新されるようにしていたようです。それが、西国三十三所の六波羅蜜寺などの巡礼記でした。

「西国三十三所(2)六波羅密寺」(2010年08月31日)

 消化管を全部摘出する手術は成功しました。
 その後、いろいろなことがあって、今日があります。
 ガンが早期に見つかったことと、腹腔鏡手術の第一人者である岡部先生に出会えたことが、今なお私が生き続けられる日々につながっていると言えます。

 今も、こまめな検診を心がけています。
 食後の腹痛が頻繁にあることだけが、今抱えている難儀な課題です。しかし、これもゆっくり2時間をかけて食べると、あまり激痛にはなりません。小分けした食事を心がけています。

 岡部先生も、私の身体の仕組みがよくわからない、と笑いながらおっしゃいます。理屈での説明はどうでもよくて、今もこうして生きているし、このブログを毎日書き続けられることが一番の幸せです。毎日毎日、まだ生きているんですよ、と何人かの親しい方に報告できる喜びは、何ものにも替え難いものがあります。

 「がん 10年生存率58%」という見出しの記事がありました(毎日新聞、2017.2.16)。
 これは、全国がん(成人病)センター協議会が発表した、2000〜03年にがんと診断されて治療を受けた人の、5年後と10年後の生存率を集計したものです。
 患者数約4万5000人のデータから算出したものだそうです。この数とその結果が示す意味は、私にはよくわかりません。10年前に実施された調査から見た情報として、参考のために引きます。

170217_gan1.jpg

 さらに、この全がん協のホームページを確認すると、「部位別5年相対生存率の最新データ(2006〜2008)」がありました。

170217_gan2.jpg

 いずれも、第1期から4期の傾向は変わりません。医療技術の進歩のせいか、しだいに生存率は高くなっていることがわかります。

 その第1期の胃ガンの生存率は、94から98パーセントとなっています。予想外に高くて驚きました。私は、このグループに属します。

 これが、第2期になると56から66パーセントへ、第3期は38から47パーセントへと、生存率は着実に高くなっています。問題は第4期で、ここだけは非常に低い7パーセントに留まっているのです。

 この表が絶対ではないにしても、第1期のステージで胃ガンが見つかった私は、あらためて本当に幸運だったことを実感します。

 相変わらず、腹痛が怖いので、人様と一緒に食事に行くことは遠慮しています。食事中に激痛で顔をしかめる失礼がないように、との思いからです。

 また、食事の途中で喉を通らなくなることがしばしばなので、外食では半分も食べられないことがよくあります。そのためもあって、いつでも残した物を食べてもらえるように、家族と行くようにしています。
 妻は私が食べ切れないおかずを引き取りながら、また太る太ると言いながら、気長に完食までつき合ってくれます。ありがたいことです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | 健康雑記

2017年02月16日

橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その2「も」)

 今日も日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」巻を字母に注目しながら読みました。
 前回の講座で、テキストとして使用している『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編、新典社、2016年)の翻字ミスを指摘していただき、その訂正を「橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その1「本」)」(2017年02月02日)で報告しました。

 今日も、受講生の方から、テキストの不備を見つけてくださいました。今回は、書写されていた文字が、活字での翻字欄に印刷されていない、というものでした。翻字本文に、脱字があったのです。

 13丁裏の5行目で、次のように書写されている所です。

170216_missmo_2.jpg

 テキストでは、「・【事】ともを・」としています。しかし、この画像からも明らかなように、ここは「・【事】ともを・」とすべきところです。「」の脱字です。「【事】とも」がミセケチになっていて、その「も」の横に「人」と書かれていることも、念のために記しておきます。

 申し訳ありません。お手元にこのテキストをお持ちの方は、前回の「本」(12丁表の後ろから2行目)の訂正と共に、この「も」の追記をお願いします。

 二度あることは三度ある、などと思わず、気長にお付き合いください。

 
 
 
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | 変体仮名

2017年02月15日

自分なりの物差しを大切にすること

 4月からの新生活に向けて思っていることを、気ままに記します。

 他人の物差しで見られ、評価されることに、あまり神経質にならなくてもいいようです。
 人それぞれに自分なりの物差しを持っています。
 自分以外の物差しで、自分という人間をどれだけ計れるのか、大いに疑問です。
 常識という物差しに合わせることは、自分らしさを引き込めることにつながります。
 このように考えると、おのずと自分の行動に自信と信念が持てます。
 また、自分らしさや自分のよさが、しだいに見えてきます。
 独りよがりではなく、我が道を見つめ、探し求めることが重要です。
 自分が理解されないことを、むやみに嘆く必要もないのです。
 相手の物差しに合わそうとする必要もありません。
 自分なりの物差しを自覚することが大事です。
 こうした考え方は、自分自身では意識しないで来ました。
 自分なりの生き様の中で、自然に形成したものだと思われます。
 この歳になり、あらためての始発にあたり、こんなことを思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:57| Comment(0) | 身辺雑記

2017年02月14日

【復元】痛恨のパソコン文書の消失

 今回も、コンピュータを操作している時に、不注意による誤ったキー操作でデータが消えてしまった時の話です。
 最近は、こうしたトラブルは減りました。コンピュータの機能が向上したせいもあります。
 悔しい思いをしながら、今に至っている過去の失態の記録です。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年6月16日公開分
 
副題「一瞬のキー操作のミスから」
 
 また、今日も文書を消してしまいました。パソコンのキー操作を誤り、一瞬にして3時間かけて書いていた文章がなくなりました。こんな悔しい思いを、これまでに数え切れないほどしています。懲りない自分を叱咤しているところです。負けるな、と。
 特に最近は、コンピュータと距離を置こうとする自分に気づくことが多くなったので、これも、そろそろスローダウンの生活に入れ、という啓示なのかもしれません。心して事態を客観的に見つめたいと思います。老化が加速したため、という事実を追認しないためにも。

 今回は、思いつくままに調子よく文章を入力している最中に、何を思ったのかショートカットキーで何かをしようとしたようです。何をしようとしたのかは、もう思い出せません。とにかく、その瞬間に、目の前の文章がパッと消えました。いろいろと回復処置を試みました。しかし、もうお手上げです。

170215_pasocon_.jpg

 昔から、考えながらパソコンのモニタに向って文章を書いていて、ついつい熱中して文書の保存を忘れる癖がありました。そんな時に限って、パソコンがハード的にフリーズしたり、ソフトが暴走したりするのです。夜空に向って「オーィ」と叫びたくなります。保存しておけばいいのに、調子にのってドンドン書き進めていると、何でもない保存という行為をツイツイ怠るのです。もう少し書いてから保存しよう、などと思っているときに、天罰のように災難が襲いかかります。

 もう20年以上もの間、懲りもせずに繰り返す失態です。テキストエディタに入力してから加工することにしています。そして、よく使うエディタは、1分置きに自動的に保存するように設定しています。それなのに、今日はいつものエディタを使っていなかったのです。ネットのフォームに、直接書いていたのです。

 こんな痛恨のエラーを繰り返しながら、今に至っています。消えたのだから、しょせんその程度の文章だったのだ、と自分を慰めています。パーソナル・コンピュータの草分けと言われながら、それにふさわしく足をとられて転び続けているのも、草分けならではの試行錯誤の証だということにしておきます。失敗に学ぶことの少ない私です。しかし、コンピュータ業界の方々には、「人間はミスをする」ということを前提にした上で、ハードやソフトを開発してもらいたいと願っています。
 

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 23:19| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月13日

『源氏物語』の池田本と国冬本に関する渋谷氏の問題提起

 渋谷栄一氏の「楽生庵日誌(2月11日)」で、以下の報告がありました。


【2月10日(金)】
越野優子『国冬本源氏物語論』と伊藤鉄也「池田本『源氏物語』本文校訂「桐壺」(第一版)」を読みながら「源氏物語」の本文研究について考える。文学の根源が言語藝術としての感動にあるならば、別本は通行本文では窺い知ることのできない「源氏物語」の豊かな表現と叙述をもったテキストの一つとして興味深い。通行の定家本原本とその臨模本そしてその系統の最善本である大島本を底本とした校訂本と同じ定家校訂本系統とされる池田本の校訂本と違いのあることは分かるが、なぜ違うのか、そして定家校訂本系統としてどちらがよりすぐれた表現世界をもったテキストなのか、そこが知りたい。


 この「大島本」と「池田本」とに本文の違いがあることについて、なぜそのような違いが生まれたのか、その表現世界の違いは何か、それぞれがどのように読まれてきたのか、などなど、問題は山積しています。この意味を考えることは、『源氏物語』の研究において今後とも重要な研究課題だと言えるでしょう。
 これからの若手研究者が、その新鮮で柔軟な感性によって、この問題に果敢に挑んでいただきたいと思っています。

 渋谷氏の記事にある「池田本『源氏物語』本文校訂「桐壺」(第一版)」とは、先月末に私家版として試験的に印刷して配布し始めた冊子を指しています。

170204_ikeda-cover.jpg

 この池田本「桐壺」の校訂本文を手元に置いて確認したい方は、本ブログのコメント欄を使って、郵便番号・住所・氏名をお知らせください。「桐壺」巻の校訂本文は無料でお渡しするものなので、折り返しお届けする手順(郵送の種別と送料等)をお知らせします。

 なお、この池田本の校訂本文を作成している背景や経緯については、「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」をご覧ください。
 
 
 
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年02月12日

江戸漫歩(153)最終日に行った五島美術館の茶道具展

 五島美術館で開催中の「茶道具取合せ展」を、最終日に駆け込みで見てきました。  何かと用事があり、やっと行くことができたのです。  今日展示されていた作品70点の中では、次の5点が印象に残っています。 (1)「長次郎黒楽茶碗 銘 千声 桃山時代・16世紀、釉薬の原料は加茂川石」 (2)「志野茶碗 銘 梅が香 桃山時代・16−17世紀、松平不昧旧蔵」 (3)「黒織部沓形茶碗 銘 わらや 桃山時代・17世紀、銘は利休の孫宗旦」 (4)「有馬茶会記 友阿弥筆 阿弥陀堂宛 桃山時代・天正18年(1590)書」 (5)「重要美術品 豊臣秀吉消息 おちゃちゃ宛 桃山時代・16世紀」  帰りに庭園を散策しました。そこで見かけた石像たちで、気になったものを、今日の出会いの記録として残しておきます。



170213_sanmon.jpg

170213_sekibutsu1.jpg

170213_sekibutsu2.jpg

170213_saru.jpg


     


posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◆国際交流

2017年02月11日

【復元】デジタル時代におけるデータ管理の危うさ

 私のブログは、サーバーのクラッシュなどにより、何度か消滅しました。平成16年12月から平成18年9月までに書いたものの多くが、まだ再建できていません。
 欠けたままの記事を手を尽くして探し出し、見つけ出したものから、折々に復元しています。

 以下の記事は、こんなことをしていました、という活動報告の一例です。『陽明文庫本源氏物語を読む ―桐壺― 』という本の編集を考えていた時のものです。これはまだ実現していません。今の状況から見れば、これに加えて『池田本源氏物語を読む ―桐壺― 』というものも並行して対処すべき課題といえるでしょう。

 また、ここで話題にしている『源氏物語別本集成 正 続』は、その翻字方針を変更したこともあり、今はそのすべてをリセットした上で、「変体仮名翻字版」で作り直しているところです。
 いずれにしても、膨大な翻字データを扱っていることには変わりがないので、次世代に引き継ぎながらも、慎重に補訂して更新しているところです。
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年2月6日 公開分
 
副題「管理していた情報の一部が知らぬ間に移動」
 
 昨春より、『源氏物語』の陽明文庫本を、10人ほどの人たちと輪読しています。昨年末に「桐壺」を終えました。今秋には、これまでの輪読の成果を書籍として刊行する準備を進めています。書名は『陽明文庫本源氏物語を読む ―桐壺― 』とする予定です。『源氏物語別本集成』が本文資料集なので、その解釈・鑑賞・研究とでも言うべき活動を開始したしだいです。毎月最終月曜日の午後6時から国文学研究資料館で、毎回レポーターを決めて読み進めています。今年は第5巻の「若紫」を読みます。

 今月末の輪読会から「若紫」に入ります。輪読会でみなさんにお配りする基礎資料(17種類の古写本の翻刻本文の校合資料)を作成しようとしていて、心臓が止まるほど驚きました。知らないうちに、これまでエクセルの表形式で管理していた『源氏物語』の本文群の一部が、同じ表の別の所(セル)に移動していたのです。

 異変が見つかったのは、『源氏物語別本集成』の第2巻に収録した古写本の本文データです。思いもよらぬ事態に、イスから弾き出されるように飛び上がり、すぐに書棚に直行し、まず陽明文庫本の影印本を確認しました。そして、『源氏物語別本集成』の翻刻本文と本文校異を確認しました。刊行した本文に、問題はありませんでした。ということは、『源氏物語別本集成』の第2巻が刊行された平成元年6月以降に、パソコンで管理していた本文データの一部が、何らかのトラブルで別の位置に動いたことになります。

 『源氏物語別本集成』の第2巻を刊行後の17年の間に、本文データの手直しに気づいたら、その都度、細かい修正補訂を繰り返し加えてきました。その過程で、私が操作ミスをしたのかもしれません。データの複写や貼り付けを繰り返しているので、マウス操作を間違ってデータを移動させたのかもしれません。いとも簡単にデータを修正や移動できるコンピュータ管理の利点が、容易にデータを別の場所に複写や移動をさせる、ということにもなり得るのです。便利さと簡便さの二面性だといえましょう。

 原因は不明です。しかし、長期間データの更新を繰り返していると、こうした不注意によるデータの変質が起こるのですね。すでにずっと昔のことですが、コンピュータの有用性に気づき、『源氏物語』のデータベース化に取り組んでから、もう20年が過ぎ去っています。ひたすら良質の本文データを作成することを心がけてきましたが、その維持・更新・継承にも、細心の配慮をすべき段階に至ったようです。とにかく、いい本文データを、次世代の研究者に引き渡したいと思っています。

 昨春より、『源氏物語別本集成 続 全15巻』がスタートしました。『源氏物語別本集成 全15巻』は、約10億字の古写本の文字を確認しました。今回の『源氏物語別本集成 続』では、約30億字の古写本の文字を確認点検することになります。そのため、15、6年前に作成した『源氏物語』の本文データに追加修正する作業を繰り返しています。今回冷や汗をかいたことをいい薬として、これまで以上にデータの更新作業とその管理を慎重にしたいと思います。

 デジタル時代におけるデータ管理の危うさを、今日、図らずも実感することとなりました。一見冷静さを装ってこうして報告を書いていますが、実は内心では、手元のデータのありように不安が覆い被さっています。膨大な情報を、それも長期間に亘って維持管理することの難しさを知りました。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 
posted by genjiito at 17:44| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月10日

読書雑記(192)中村安希『N女の研究』

 『N女の研究』(中村安希、フィルムアート社、2016年11月)を読みました。

170210_nJyo.jpg

 「N女」ということばは、本書で知ったのが初めてです。「NPOで働く女子」という意味だそうです。
 出版社フィルムアート社のホームページには、次の紹介文が掲載されています。


「N女」=「NPOで働く女子」たちとは一体何者なのか?
開高健ノンフィクション賞作家が切り取るNPO業界の新しい動きと「N女」たちの生き様。
 --------------------------------------
近年、有力企業に就職する実力がありながら、雇用条件が厳しいと言われるNPO業界を就職先に選ぶ女性が現れ始めています。NPOで働く女性、略称「N女」です。
N女とは何者なのか。N女の出現の背景には何があるのか、また彼女たちの出現によって今、NPO業界では何が起きつつあるのかを探るべく、中村安希さんはインタビューを続けてきました。

そこから浮かび上がってきたのは、職場や家庭、地域社会など、かつての共同体が力を失い、分断が進む社会の中で、失業、病気、災害などをきっかけに、あるいは障害や差別によって、人や社会の「つながり」からはじき出される人々が増えつつあるという現実と、そうした人々を社会につなぎとめようと試行錯誤するN女たちが奮闘する姿でした。

さらにN女たちの出現は、結婚や育児によってキャリア人生が大きく左右される女性特有の問題や、男性型縦社会ではなく横のつながりを求める女性性の潜在力など、働く女性の在り方を問いかけています。

・N女の出現は、現代社会に蔓延する「居場所のない不安」を解消する手立てとなりうるのか?
・行政、民間、NPOの間を自由に行き来するN女の存在は、異セクターのつなぎ役として、経営難を抱えたNPOの運営を立て直すことができるのか?
・NPOというフロンティアは、働く女性たちの新たな活力の受け皿となりえるのか?

N女たちの苦悩と模索、生き様を通して、NPOの存在意義と未来の行方について考察したノンフィクションです。


 日本で新たな階級社会が形成されている、という視点からの問題提起がなされています。
 10人の第一線で活躍する女性へのインタビューを通して、女性の新しい生き方を炙り出そうとする、意欲的な内容です。そして、それを通して、動くことで意識を変えていった女性たちの姿がたち現れて来ます。ただし、あまりにもきれいに切り出されているので、質問を変えたらどうなったのだろう、などと余計なことを思ったりしました。インタビューをまとめるのは、なかなか難しいことを知っているので、結論を急がないで、自分の物差しで見過ぎないで、とハラハラして読み通しました。

 まず、階級社会に関する言及を引きます。


 日本に階級社会が生まれてきた背景には、社会のあらゆる局面で進行する「アウトソーシング化」がある。アウトソーシングとは、もともとは専門的な業務を外注することを指していたが、現在進行中のアウトソーシングとは、もはや外注というよりは単なる下請け化である。今は、どんな仕事もアウトソーシングする時代。これにより日本には、一部の正社員や行政職員が属する「管理階級」と、管理階級を現場の実務者として下支えする、巨大な「下請け階級」が形成されるようになった。管理階級が担う業務が、年々縮小されていっている一方で、「下請け階級」が低給で担う業務は、年々、より高度な領域にまで拡大されていっている。N女たちは、民間企業や行政だけでは解決できない社会課題に取り組んでいる。彼女たちの奮闘は、これからさらに課題が増えていくと予想される日本にとって、とても貴重なものに違いない。しかし一方で、彼女たちの出現は、この20年で急速に増加した非正規雇用に続く、あらたな「下請け階級」の拡大を意味してはいまいか、と心配にもなる。ソーシャルセクターへ転職する前、500〜1000万円程度の年収を得ていたN女たち。優秀な彼女たちの能力は、「新たな活躍の場を見つけた」と言えば聞こえはいいが、あまりにも安く、都合よく、買い叩かれすぎてはいないだろうか? (71〜72頁)


 文中に、「学問は社会に還元しないと意味がない」(79頁)という言葉が出てきます。はたと、自分に当てはめました。「還元」という言葉は、大事な点を見せてくれる意味があります。

 次のように語っている箇所では、本書のテーマであるN女の問題をクリアすることの難しさを感じます。
 私がいま関わっているNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のことを思い、すべてを満たしていない現状に対して、あらためて今後の運営を考えることになりました。また別の視点でこうした動向を見る必要があるのかもしれません。


 N女の出現は、社会に重要な価値をもたらしつつあるが、その裏で、NPO常勤有給職員の人件費の中央値は222万円(平成25年度、内閣府調査)という事実が、N女たちを経済的リスクにさらしている。この数値が400万円前後まで引き上げられるか、またはNPOから民間企業へのスムーズな転職という展開が起きてこない限り、N女の出現は一過性の現象として終わってしまう可能性さえある。(264頁)


 また、次の社会動向も、この問題をそう簡単に解決するものではないことを教えてくれます。


 日本では、フルタイムで働く既婚女性の比率が全年齢を通じて15%前後(2013年、内閣府『共同参画』レポート)に留まっている。つまり、既婚女性の85%が、夫の収入を当てにできなくなった途端に困窮する「貧困予備軍」となっているのだ。これは、現にシングルマザーの6割が貧困状態にあるとする統計に整合性を与えるものであり、また、DV被害から逃れてくる女性のうち正社員は15%しかおらず、逃れても困窮するか、そもそも経済力がなさすぎて暴力から逃れられない女性も多い、とするDVシェルター側の証言とも一致する。しかしここでもう一つ別の事実を付け加えるなら、フルタイム就労率がより高いと言われる未婚女性の困窮ぶりは、さらに輪をかけて深刻な状況にあり、フルタイムで働いているからといって楽観できるわけではまったくない。3人に1人は貧困状態にあり、未婚女性の増加がそのまま貧困層の拡大につながっていっているとの指摘もある。既婚と未婚、パートとフルタイム、どちらにせよ女性たちの経済力のなさばかりが目に付く。(268〜269頁)


 今の我が身を見つめ直し、今後の人々の生き方について考えるヒントを、本書からたくさんいただきました。特に、意欲的に生きている女性を見かけると、その方の今ある姿の背景にN女的なものがあるのだろうかと、思いをめぐらすようになりました。これは、私にとって大きな成長です。

 家族(血縁)・会社(社縁)・地域(地縁)という、3つの共同体が機能しなくなった今、次の世代を生きる若者は無縁社会の中に放り投げられたと言えます。
 そうしたことを踏まえて、次のように言っています。


 血縁でも社縁でも地縁でもない新しい連帯とは、どのように作り出せばいいのか? 大切なのは、小さくとも多様性に富んだ居場所をたくさん用意し、人それぞれのニーズに合わせていろんな居場所を組み合わせていくことではないかと思う。そして、ここに登場するN女たちは、まさにそうした小さな居場所を作りだしているプロたちだ。彼女たちはそうすることで、分断社会にできた隙間を一つ一つ丁寧につなぎ合わせ、社会の死角に落ち込んでしまった人たちを様々な角度から拾い上げている。
 「一億総○○」という表現がぴったりだった、みんながみんな同じという異常な時代が、ようやく終わり、社会は多様化しつつある。激しい変化の途上にあるから、新しい課題も次から次へと出てくる。不安を感じるのは当然だ。しかし一方で、そうした不安の受け皿もまた用意されつつある。
 「すぐに全部は解決できないけど、とりあえず一人で悩んでないで、うちらに相談してみてくれる?」
 N女たちの柔らかな眼差しが、静かに、そして、したたかに、社会の隙間を埋め始めている。いろんなところにちょっとずつ居場所がある社会。どんな人でも、どんな形であっても、なんとか生きていける社会。そんな懐の深い社会が、N女たちの手によって、そしてN女的なる思考を持った人たちによって作られ始めている。(210〜211頁)


 次世代を生き抜くために、最後に著者がたどり着いたことは、人と人とのつながりをいかに大事にするか、ということのようです。
 予想できた落としどころとはいえ、紹介された事例が具体的であるために、やはりと納得すると共に、この現実にどう向き合うのかが問われます。

 社会と女性の接点を分析的に見つめる視点が新鮮です。切り口にも新たな刺激と発見がありました。
 そうであるからこそ、「おわりに」が、それまで著者が批判的に語っていたきれいごと過ぎて、最後の最後になって空疎な読書感となってしまいました。調査したことを一書にまとめる上で、無理に着地を決めてやろうとしないほうがいい、と言える好例だと思いました。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 23:16| Comment(0) | 読書雑記

2017年02月09日

江戸漫歩(152)おしゃれな丸の内のビル群の本屋さん

 東京駅に行くと、いつもは八重洲口周辺の小物屋さんや食べ物屋さんをぶらぶらします。本屋は「八重洲ブックセンター」が行きつけです。
 しかし、最近は反対側の丸の内地域の熱気が気になり、このあたりを歩き出しました。

 丸の内オアゾの中の「丸善丸の内本店」は、本の量にとにかく圧倒されます。
 そういえば、京都の河原町四条にできた梶井基次郎の小説『檸檬』の舞台で有名な「丸善 京都本店」も、2年前におしゃれに生まれ変わりました。私が行く、京都一の本屋さんです。

 さて、東京駅の皇居側にある丸ビルも新丸ビルも、とにかく新鮮な息吹を感じます。

 さらには、南口の前にある超高層ビルJPタワー(旧東京中央郵便局)の中にある底層棟の「KITTE」は、4年前にできた所で98店舗が出店しています。ここは、ユニークなお店が集まっています。ブラブラと歩いていて飽きません。

 その中でも、5階にある「回転寿司 根室花まる」は、いつも長蛇の列です。しかも、若い方が多いので、いつか入ろうと思いながらいまだに果たせていません。今夜もだめでした。

170209_kitte.jpg

 その下の階には、書籍・文具・雑貨・カフェというマルチなお店ながら、とにかく品物選びでこだわりの「マルノウチリーディングスタイル」は、特異なお店です。

170209_book.jpg

 お店の謳い文句は次の通りです。


大人の知的好奇心を刺激する書籍と遊び心を刺激する雑貨を揃え、スタッフが一点一点こだわってセレクトした商品を取り揃えてお客様にご提供いたします。


 これだけこだわった本選びがなされていると、意外な本との出会いが期待できます。
 ネットショッピングで本を買うということは、小売りの本屋さんを廃業に追い込むことに手を貸すことになります。その意味からも、私はネットで本は絶対に買いません。ほしいと思っている本でも、その本と出会えるまでは気長に本屋さんに通って、本との縁を楽しみにしています。
 そんな私にとって、この本屋さんは予想もしなかった本との出会いがありました。本屋さんへ行く楽しみを、思い出させてくれました。

 東京駅周辺を、もっと歩いてみたいと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 22:06| Comment(0) | 江戸漫歩

2017年02月08日

知財セミナー「データ公開時のライセンスと著作権」

 人間文化研究機構が主催する知的財産セミナーに、知的財産管理室員の一人として参加しました。
 今回の関東地区での会場は、国立国語研究所でした。お隣にある建物ということもあり、会議の合間を縫ってのセミナー参加です。しかし、今どきのホットなテーマであり、多くの問題提起がなされたものだったこともあり、最後まで興味深く伺いました。


「データ公開時のライセンスと著作権」
福井健策(弁護士・日本大学芸術学部客員教授)


 今回のテーマは、個人的にもホームページやブログで日々直面する問題です。その意味から、少しでも多くの最新情報と対処策を教えてもらう機会となりました。

 専門的な立場からのお話はものの見方が多角的に広がり、また落ち着く先が見えてくるので萎縮しなくなるので安心します。

 まず、著作権に関する基本的なことの確認がありました。


どんな情報が著作権で守られるか

著作物︰思想・感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの

著作物の例︰
@小説・脚本・講演など A音楽 B舞踊・無言劇 C美術 D建築 E図形 F映画 G写真 Hプログラム

--------------------------------------

著作物から除かれる情報

@定石・ありふれた表現

A事実・データ
⇔編集物・データベースは素材の配列や構成が独自の著作物
※個別のデータに保護及ばず

Bアイディア
・基本的な着想・企画案︰猫の一人称で●
・ルール・法則・方法︰料理のレシピ、空気遠近法

C題号・名称・単純なマーク(原則として)
・俳句・標語・短いフレーズは著作物か

D実用品のデザイン(原則として)


 以下、お話を伺いながら、自分なりの理解が及んだところをメモとして列記しておきます。


・心配し過ぎると何も出来ない
 しかし、知財の法定刑は重い
・引用は10%未満が無難
・試験問題は無許可で使える
 ただし、過去問題集の権利の確保が必要
・やむを得ない改変は理解されつつある
・明瞭に白黒が付けられる例は少ない
・大きいリスクと小さいリスクの付けることが大切
・情報過多時代、大量コンテンツ時代になり、アメリカはフェアユースの例外を設定
・オープン・ライセンスへの期待(クリエイト・コモンズ・ライセンス)
・ウィキペディアは利用の権利処理の手間が軽減される
・国内外の50%は権利者が見つからないため(孤児化)、忘却や散佚化を防ぐためにもCCマークは有効
・引用の中に要約は問題なし。グーグルは3行位としているようだ


 本日のお話を通して、池田本の校訂本文を試作版として配布することは、「フリーミアム」ととらえたらいいように思いました。
 「フリーミアム」という聞きなれないことばについて、ご教示いただいた「ウィキペディア」を早速引用すると、次のように記載されているものです。


フリーミアム(Freemium)とは、基本的なサービスや製品は無料で提供し、さらに高度な機能や特別な機能については料金を課金する仕組みのビジネスモデルである。英語圏ではビデオゲームの場合、フリー・トゥ・プレイ(英: Free-to-play、F2P)という。
無料サービスや無料製品の提供コストが非常に小さい、あるいは無視できるため、Webサービスや、ソフトウェア、コンテンツのような無形のデジタル提供物との親和性が非常に高い。


 つまり、無償でも有償でもなく、当座は無償で配布しても、後で実費による配布とするもの、ということです。 

 講演の中でも、終了後も、多くの質問が出ました。参加なさっていたみなさまも、データに関する権利について、日々困っておられるようです。曖昧な点が多く、さまざまな場合が想定される問題だけに、割り切れなさが残るのは仕方のないことです。少しずつ意識を高めるということで、こうした機会を利用して権利意識に磨きをかけたいと思います。

 なお、2年前の知財セミナーについては、「知的財産セミナーで権利について学ぶ」(2014年11月20日)に記しました。

 
 
 
posted by genjiito at 18:34| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年02月07日

科研の触読サイトから『立体〈ひらがな〉字典(第2版)』を公開

 科研費「挑戦的萌芽研究」による研究成果を公開している「古写本『源氏物語』の触読研究」のホームページで、「触読通信」のコーナーから、「『立体〈ひらがな〉字典』の第2版」をアップしました。

 これは、2016年2月7日の初版から、大幅にバージョンアップしたものです。
 前回同様に、科研運用補助員の関口祐未さんの労作です。
 内容は、「凡例」「索引」「ひらがな文字の説明文・五十音順」で構成しています。
 その「凡例」の冒頭を引用します。


 ひらがな文字の形を、触常者が触って学習することができるように、画用紙を用いて、ひらがなの形に切りとった凸文字を作成しました。「厚紙凸字」と呼ぶことにします。

 「厚紙凸字」を触りながら、ひらがなの形が、より明確にイメージできるように、文字の形を説明した『立体〈ひらがな〉字典』を作成しました。2016年2月7日に、初版を公開しました。その後、凡例と説明文を見直し、表現を改め、第2版として2017年2月4日に更新しました。
 
2.厚紙凸字とは
 
 厚紙凸字は、ひらがな五十音を、一文字ずつその文字の形に画用紙から切りとり、文字の線が凸型に突き出た形に作った道具です。
 厚紙凸字の字体は、丸ゴシック体です。一文字の大きさは約5センチ、線の幅(太さ)は3ミリから4ミリです。
 ひらがなの凸文字は、正方形の台紙に貼りつけ固定しました。台紙は、一辺が6センチの正方形です。文字の正しい向きが触ってわかるように、台紙の右上角を1センチ切り落としています。
 ひらがなの凸文字には、筆順に従って線に段差をつけました。1画目の線を一番高くし、一画進むごとに、線の高さが一枚(一段)ずつ低くなる仕組みです。段差をつけることによって、筆順を示すとともに、書き始めとなる1画目の線や、線同士の区別がしやすいようにしました。


 実際の厚紙凸字は、つぎのような形をしています。

170207_totsuji-a.jpg

 この字典の「あ」の項目では、次のような説明文があります。

170207_setsumei-a.jpg

 これは、目が見えない人に言葉で説明することを想定した文章です。

 説明文を作成するにあたったは、伊藤の科研の研究協力者である福島県立盲学校の渡邊寛子先生に、説明文を一つ一つ確認していただき、ご教示いただきました。ありがとうございました。

 関口さんの話では、懸案だったひらがな「つ」「ち」「わ」などの大きな曲線部分が、渡邊先生のご指導のおかげでうまく表現できたので、それが一番うれしかった、ということです。

 これはまだまだ試作段階です。今後とも、弛まぬ調査・研究を続けることで、よりよいものに仕上げていきたいと思います。

 この字典を通してお気付きの点がございましたら、いつでもお知らせいただけると幸いです。
 
 
 
posted by genjiito at 19:25| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年02月06日

お二人の主治医の自然体もこれまた仁術

 早朝より京大病院へ通院です。
 診察時間の予約をしていても、検査結果が出ていないと栄養指導などが受けられません。そのため、診察の2時間前に検体検査のために自動受付をします。これが8時15分からなので、そのために8時前には病院へ行って順番待ちで並びます。

 私が並んでいた、いつもの自動受付機の7号機が、もうすぐ自分だと思っていたちょうどその時に、あと少しという所で突然故障したのです。この列に並んでいた私を含む不運な患者たちは、職員の誘導で広いロビーの反対側にある対面カウンターでの手続きとなりました。
 1号機から6号機に並んでいた方々は、どんどん列が縮まっていきます。それを尻目に、ナンバーカードを手にしたままで、またあらためて順番待ちです。

 受付手続きが大幅に遅れたので、急いで2階の検体検査のために次の自動受付機に診察券をかざしたところ、ここでもエラー発生です。またまた対面カウンターに案内されて確認してもらったところ、何と検体検査の手配がうまくいっていないことがわかりました。
 ここでも待たされて、9時過ぎに優先的に血液検査などをしてもらうことなりました。

 これはあくまでもシステムの問題です。我が身によくある不運には、もはや動じなくなっています。それよりも、トラブルに対する職員の方々の迅速で適切な対応に、頼もしさを感じました。職員の方々も、機械やシステムは万全ではないことをよくご存じのようです。そうでないと、生身の人間は診られないのでしょう。

 声を荒げて病院側をなじるおじさんがいました、その醜態には、目に余るものがあります。齢を重ねても、人生の先輩面をして不満を他人に投げつけ、口汚く事務職員を罵るようになってはいけません。見たくもない老醜を見てしまいました。

 この方はこれまで、常に順調に生きてこられたか、苦節数十年でどうにか安定した立場に登りつめた方なのでしょう。一体何をしてるんだ、という上から目線の気持ちが満ち満ちた態度です。わけ知り顔でカウンターの方にも嫌みを言って立ち去られました。高齢化社会となったことで、不愉快なできごとに出くわすと、わけもなく喚き散らすこうした老人が増えないようにと、ただひたすら願うだけです。

 今日のヘモグロビンA1cは〈6.8〉でした。前回の昨年末が〈7.2〉だったので、普通は上がるはずの年末年始とこれまでの数値の経過を考慮すると、劇的な改善なのだそうです。特に他に問題はないので、この調子で、と励まされました。

 なお、主治医の長嶋先生は今年度限りで異動とのことで、4月から新しい先生になることが告げられました。お互いに、新しい環境で頑張りましょうと挨拶をしてお別れしました。4年の長きにわたり、私の身体の管理について、優しく対応してくださいました。2カ月毎の診察で、毎回いつも仕事疲れを気にかけてくださっていました。ありがたいことでした。

 私のガンをきれいにしてくださった腹腔鏡手術の先駆者であった岡部先生も、再発の兆候がないことが確認できた後、さらなる先進的医療の現場へと転身なさいました。「あなたの身体の中が実はよくわからないのです。」と、ニコニコしながらおっしゃっていました。そう言われた私も、なぜ生きていられるのか不思議に思う時があります。これでいいのでしょう。人間が生きているというのは、こんなものなのでしょう。深く問い詰めない方がいいようです。

 長嶋先生も同じように、多くの患者さんを励まして元気づけていかれることでしょう。糖質制限食のことを大上段に振りかざして通い出した頃に、「豊かな食生活を心がけてください」と、やんわりとした口調でいなされました。無理をせず、可能な範囲で豊かな食事をすると、気持ちもおだやかになります。
 今日の診察の折に先生に、昔の仲間と久しぶりに会った時、身体が小さくなったと言われたことを話しました。すると、一線で活躍していた40歳のころと比べて、20年も経てば小さくもなるでしょう、と一蹴されました。

 お二人の先生の優しさとおだやかさが生み出す仁術が、得難い治療だったように思います。いい出会いでした。ますますのご活躍をお祈りいたします。
posted by genjiito at 23:08| Comment(0) | 健康雑記

2017年02月05日

京都府立京都学・歴彩館で開催された陽明文庫の源氏講座

 昨年末に一部がオープンした京都府立京都学・歴彩館の大ホールで、オープニング事業として「陽明文庫講座」が開催されました。


170104_liblary2




 掲げられたテーマは「陽明文庫所蔵『源氏物語』をめぐって」です。
 講演は次の2題でした。


「近衛家の『源氏物語』諸本について」
  名和修(公益財団法人陽明文庫常任理事・文庫長)

「陽明文庫本重要文化財『源氏物語』の読みの楽しみ」
  伊井春樹(大阪大学名誉教授・阪急文化財団理事・館長)


 名和先生は、陽明文庫蔵『源氏物語』10種類を、スライドを使って丁寧に解説してくださいました。
 配布された「近衛家の『源氏物語』諸本について」という資料に掲載されていたリストを、記録として引きます。


《陽明文庫に現存する写本》

@重要文化財・陽明文庫本

 五十四帖・筆者目録ほか
 鎌倉中期写の三十三帖を基幹に、鎌倉後期写本、さらに近世前期補写本を加えた五十四帖からなる。列帖装。縦一五・二〜一六・五糎、横一四・八〜一五・九糎。一面八〜一三行書。表紙中央に巻名を打付書。付属の筆者目録は冷泉為綱(一六六四〜一七二二)の筆跡鑑定書。

A後柏原院他寄合書本

 五十二帖(早蕨・夢浮橋欠)・筆者目録一通
 室町中期写。列帖装。茶褐色表紙。縦一七・○糎、横一七・五糎。表紙中央に打付書外題「きりつほ(巻名)」。一面一〇行書。扉紙右上に各巻筆者の札を押す。花宴巻末に「件本以京極黄門 定家卿 自筆校合畢云々」とある。昭和二十一年九月に二帖欠巻が発見された。

B筆者不明寄合書本

 〈近・82・1〉五十四帖
 室町中期写。袋綴冊子本。浅葱色表紙。表紙中央に白色題簽「きりつほ(巻名)一」(巻序を示す漢数字は後筆)。外題題簽は三条西実隆(一四五五〜一五三七)筆。縦二一・五糎、横一九・○糎。一面九行書。一部の巻末に花押がある。行間の書き入れの一部は、近衛信尹・近衛信尋筆。

C近衛信尹他寄合書本

 五十四帖・筆者目録一通
 慶長元年(一五九六)から同十三年(一六〇八)にかけての写。列帖装。胡粉塗白鼠色雲母刷り波千鳥文表紙。縦二三・七糎、横一七・六糎。表紙中央に白題簽を押し、巻名を墨書。外題は八条宮智仁親王(一五七九〜一六二九)。一面一〇行書。筆者目録の題と巻名は近衛信尹筆。

D近衛尚嗣筆本

 〈近・97・1〉三十三帖(帚木〜若菜上)
 近世前期写。列帖装を装訂する前の仮綴。縦一七・七糎、横一九・六糎。各巻を楮紙で包み、それぞれの書写の開始と終了の年月日を書く。包紙上書と本文は近衛尚嗣筆。

E近衛基凞筆本

 五十四帖・付属文書一帖
 近世前期写。列帖装。縦一八・○糎、横一八・○糎。白茶厚手斐紙に金銀泥で草花等描の表紙。表紙中央に金砂子蒔紋題簽を押し、巻名を墨書。外題、本文は近衛基凞筆。手習巻末の識語から、後西院御本を院近臣の平松時量(一六二七〜一七〇四)が写した本を近衛基凞が転写したとわかる。後西院御本の親本は、三条西家証本(日本大学蔵、岩波古典大系の底本)の転写である後陽成天皇本(宮内庁書陵部蔵)。「源氏物語書写校合日数目録」一冊が付属する。

F伝鷲尾隆量筆本

 五十四帖
 近世前期写。列帖装。縹色表紙。縦二五・○糎、横一八・○糎。表紙中央に金泥紋題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。鷲尾隆量(一六〇六〜一六六二)筆とする天保七年(一八三六)初春の古筆了伴極めがある。

G伝宗昏筆本

 五十四帖・系図一帖
 近世前期写。列帖装。薄縹色表紙。縦二三・七糎、横一七・五糎。一面一〇行書。表紙中央に金泥描紋題簽を押し、巻名を墨書。南都連歌師宮村宗昏筆と伝えるが、寄合書。系図巻末に「寛永拾六年(一六三九)己卯 林鐘(六月)仲旬 稲墻休也書之」とある。

H法橋常知筆本

 五十四帖
 近世前期写。列帖装。縦一五・六糎、横一六・三糎。色変わりの無地表紙。表紙中央に淡青色地金泥縞文様題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。夢浮橋巻末に「寛文十三年(一六七三)丑三月日 八拾五歳筆法橋常知」と書く。

I伝大炊御門経孝筆本

 五十四帖・系図一帖
 近世前期写。列帖装。縦二二・一糎、横一七・三糎。緑色地網目花菱文鍛子裂表紙。表紙中央に金銀砂子蒔題簽を押し、巻名を墨書。一面一〇行書。大炊御門経孝(一六一三〜一六八二)筆とする天明七年(一七八七)初秋の古筆了意の極めがある。

※このほか、室町中期頃書写の零本(花宴・紅葉賀・松風・夕霧・御法)、慶長年間刊古活字版(五十七冊)、寛永元年(一六三四)刊古活字版(五十四冊)がある。


 古典籍に対する慈しみの思いが溢れた、わかりやすいお話でした。

 休憩を挟んでの伊井先生のお話は、『源氏物語』の本文についての説明の後、大島本と陽明文庫本の本文を引いて読み比べることで、異本・異文を読む楽しみを展開してくださいました。
 陽明文庫本の本文は、登場人物に寄り添って語っており、大島本は客観的な語り口になっている傾向がある、というご指摘です。また、陽明文庫本は詠嘆的な表現が見られ、大島本は情緒的なものを切り捨てているのではないか、ともおっしゃいました。
 いつもの伊井語りが会場を包み込んでいました。

 本日は400人もの人が会場を埋める、大盛会でした。

 陽明文庫の協力を得て、東京大学史料編纂所と京都府との提携により、京都府立京都学・歴彩館で陽明文庫所蔵近衛家伝来資料のデジタルデータの閲覧が今春より順次公開されるそうです。楽しみが増えました。

 空き時間に、名和先生と伊井先生に、今後の『源氏物語』に関する取り組みについてお話をすることができました。詳細は、またあらためてご説明するつもりです。

 閉会後、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉で理事をしておられる石田弥寿子さんと、会場でおめにかかった女房語りの山下智子さんを、会場から歩いて8分の我が家にお招きしました。
 私がお気に入りの豆を挽いて淹れたコーヒーと京菓子で、いろいろな楽しいお話をしました。時の経つのも忘れて、なんと2時間も話し込んでしまいました。
 山下さんは、京ことばで『源氏物語』を読んでおられます。来月3月12日(日)の午後2時から、粟田口にある国際交流会館和風別館で「花宴」を語られます。
 今回も私は参加できません。よろしかったら予定に入れてみてください。

170205_yamashita





「京ことば 源氏物語 花宴」

 NPO活動のことなどを含めて、今後とも山下さんとは可能であればご一緒にイベント活動をしたいと思っています。実現しましたら、またお知らせします。
posted by genjiito at 20:39| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年02月04日

奈良で始まった「さわって楽しむ体感展示」

 今日から12日(日)までの9日間、「第32回国民文化祭・なら2017」と「第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会」の一体開催という試みのプレイベントである、「奈良県障害者芸術祭 HAPPY SPOT NARA」が始まったので行ってきました。

 近鉄奈良駅前の行基菩薩像が建つ「行基広場」には、横断幕があります。
 ちょうど、2人の托鉢僧がいらっしゃいました。


170204_gyouki1




170204_gyouki2




 会場となっている奈良県文化会館は奈良県庁の裏手にあり、右手に若草山がかすかに望めます。


170204_kaikan




 奈良で子育てをした20年間に、この周辺はしばしば子供たちを遊ばせるために訪れました。秘密の駐車場に車を停めて、子供を奈良公園や東大寺や春日大社などの境内に放し飼いにしました。奈良公園・平城京跡地・唐招提寺と薬師寺・法隆寺・三室山と竜田川・馬見丘陵公園・石上神宮から山野辺の道・信貴山は、子供たちの遊び場にしていました。30年前のことです。

 奈良県文化会館は、母を連れて都はるみのコンサートに一度だけ来たことがあります。

 さて、今回のイベントでは、2階E展示室で行なわれている「さわって楽しむ体感展示」を見るために来ました。これは、“見る”鑑賞ではなく、“さわる”鑑賞を中心とした展覧会です。国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生が関わっているとのことだったので来ました。

 この展覧会の紹介は、「奈良で開催される「さわって楽しむ体感展示」のお知らせ」(2017年01月24日)に、広瀬先生の文章を引いて詳しく書きましたので、ご参照ください。

 2階の会場へ行くまでに、道案内がないので戸惑います。館内の方に聞きながら行った方がいいと思います。奥まったところが会場なので、けっこう辿り着くまでに不安になります。

 キャッチフレーズに「カタチをさわって、奈良をさわって、新たな発見をしてみませんか」とあるように、触るということがコンセプトとしてあります。

 カーテンを押し開いて中に入ると、右のモニタに広瀬先生のビデオ解説が流れていました。展示物を触る上でのマナーなどが語られています。まずは、手を消毒してから触りましょう、などなど。


170204_hirose




 今回の展示概要として、次のことが謳われています。


・触ることで再発見を楽しめる「触る絵画」や立体作品
・歴史を肌で感じられる、奈良にまつわる品など


 私は、「さわった本物をあててみよう!」がおもしろいと思いました。3問とも当たりました。手触りの微妙さを、今回初めて体感しました。


170204_sawaru




 展示されていた彫刻や絵画には、あまり新鮮さを感じませんでした。ただし、興福寺銅像仏頭(旧東金堂本尊、模造)は、日頃触ることのない仏様なので、心ときめくものがありました。
 その点から言えば、「奈良」というテーマがうまく活かされていません。歴史と地理をどのようにして感じてもらうかは、さらなる検討が必要だと思います。

 また、今回の展示は、緊張感に欠けるようにも思えました。もっと意外性を体感できる仕掛けがほしいところです。ごめんなさい。私は学芸員の一人として、展示のプロの役割という視点で見た感想でもあります。

 関係者の方お2人にお話を伺ったところ、今回のイベントを担当した県庁の担当部署には、障害者のことを専門とする方はいらっしゃらないとのことでした。触読について伺いたかったことがたくさんあったので残念でした。
 広瀬先生や奈良県立盲学校の美術の先生のアドバイスやアイデアや機材に助けられて開催に漕ぎつけられたようです。専門家に任せた生温い安心感が、この部屋には満ちています。それが、今回の展覧会における、思い遣りと思い入れと情熱と感じてほしいという熱意が欠けていた原因のように思われます。

 展示室の各所に、詰め切れないままに漠然と置かれた物や、導線から伝わるストーリーの不整合性を感じたのは、親身になっての取り組みにならなかったことがあるのではないでしょうか。
 中盤から私は、展示物を触る楽しみを感じなくなっていました。仏頭以外は。
 2周しました。しかし、もう1周してみようとは思いませんでした。もう1回、と思わせる味付けがあれば、楽しさが倍増することでしょう。

 出口でアンケートを書きました。そのテーブルに、展示物の配置を立体コピーにした会場案内図があります。A4版のカプセルベーパーに立体コピーしたものです。
 お尋ねしたところ、私が使っているビアフの機器と同じものを奈良県立盲学校から借りて来て、県庁内で作成したとのことです。そうであれば、この立体コピーは、展示を見て触って楽しんでもらうために、もっと有効利用ができるはずです。これでは、あまりにももったいない、立体コピーによる略図の資料に留まっています。
 「触読の研究をしている私たちの成果」を、いつかこうした展覧会とタイアップして盛り上げたいと思うようにりなりました。

 視覚障害者に関する慣れないイベントのため、担当なさったみなさまがご苦労なさったことは理解できます。そのことを忖度しながらも、非礼を承知で思いつくままに記しました。勝手な偉そうな無責任な放言は、ご寛恕のほどをお願いいたします。

 これは秋のためのプレイベントだとのことです。秋の本番では、展示内容の吟味と説明の工夫、そして来場者がもっと楽しめるものにしてくださることでしょう。
 さらなる発展と展開を楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年02月03日

新幹線の車中で政局放談をするおじさん

 昨日の京都の早朝は、小雪が舞っていました。始発の新幹線は、米原を出て関ヶ原あたりにさしかかると白銀の世界でした。

 快晴で暖かい東京に着くと、九段坂病院で朝一番の診察を受け、立川に向かいました。新幹線の車窓から見た景色が嘘のようです。
 一仕事をしてから夕刻に日比谷へ向かう時も、コートがなくてもいいほどでした。

 日比谷図書文化館であった小一時間の打ち合わせは、スタッフのみなさまのきめ細やかなご配慮のおかげで、すべて順調にまとまりました。
 その後の古写本『源氏物語』を読む集まりで、心配していただいていた4月以降のことで、継続できることになったという報告をしました。受講生のみなさまには、この件では昨年より背中を強く押していただいていました。ありがたいことです。古文書塾「てらこや」の関係者の方々のご高配にも感謝しています。

 東京で一晩ぐっすりと寝て、また新幹線で帰洛の途につきました。富士山が「身体を大事にしなさいよ」と言ってくれているようです。


170203_fuji




 今新幹線では、おじさんと若者の2人連れが、途中駅で降りて行かれました。
 出口のドアに進んでから、おじさんは、
 「どうも みなさん すみません」
と、振り返りながら大声でおっしゃいました。車中のみなさんはホッと一息です。

 新横浜駅を過ぎたあたりからだったでしょうか。私の近くにおられたおじさんが、連れの若者にしきりと小難しい話を向けておられました。

 その若者の反応が気に入らなかったようで、次第におじさんの音量が高まります。話の内容が、車両全席に響き渡っていました。

 今の日本の政治について、熱っぽく語っておられるのです。安倍首相擁護の立場かと思われます。みんなわかっとらん、と。トランプ新大統領の批判も。
 議員さんなのかな、とも思いました。ここが今どこなのかがわからず、持論の政局についての評論が一人語りで繰り広げられています。隣にいる連れの青年が笑っていなすと、さらに激昂して政治解説が若者批判に向かったりします。

 私は本を読みながら、しばし楽しく時局漫談としておもしろく聞いていました。
 泥酔状態ではありません。持論を若者にぶつけておられるだけです。

 そうこうするうちに、おじさんの横並びの席に座っておられた年配の方が、どうやって止めようかと車中を見回しておられます。私と目があったので、一緒に首を傾げて、一緒に注意しましょうかと目配せをした時でした。何列か前におられた相当年配の方が、通りがかった女性の車掌さんに、あいつをこの車両から追い出してくれ、と、立ち上がって指差しながら強く訴えておられます。

 車掌さんは事態を確認しようとして、車内を見渡しておられます。後ろの方の席にいた私は、車掌さんと目が合った時に、くだんの時局放談でヒートアップしているおじさんを人差し指で教えてあげました。

 車掌さんはすぐに問題児(?)の横に立ち、「お静かにお願いします」と優しく語りかけられました。おじさんは「もうすぐ降りるから」と不機嫌そうに答えておられました。
 頭が熱していたおじさんは、急にクールダウンとなり、列車が停車するまでは無言でした。

 そして、降りる間際に、車内に向かって、前述のお詫びの言葉があったのです。

 電車などでの移動が多いと、いろいろな場面に出くわします。これも今の日本の一風景であり、記録するに値する出来事として、ここに報告しておきます。

 この記事を書き終わって本を読んでいた頃に、近江国の伊吹山が雪を被っている姿が見えて来ました。あたりには、まだ雪が残っています。昨日の上京時とは大違いです。
 気持ちに余裕があるせいか、車窓の風景を楽しんでいます。


170203_ibuki


posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | 身辺雑記

2017年02月02日

橋本本「若紫」の翻字で訂正すべき箇所(その1)

 日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を字母に注目しながら読み進めています。
 今日は受講生の方が、翻字の誤りを指摘してくださいました。確かに、ケアレスミスでした。

 12丁表の後ろから2行目に、次の文字が書写されています。


170202_kowore1




 テキストでは、「これ」としています。しかし、この画像からも明らかなように、ここは「これ」とすべきところです。
 現行の平仮名の書体に引きずられての翻字のミスです。

 現在、「て=天・弖」と「け=个・介」の識別について思案中です。
 近日中に決断しようと思っています。

 平仮名や変体仮名の字母を認定することが、こんなにもややこしい問題を抱え込んでいるものだとは思っていませんでした。一連の「変体仮名翻字版」の資料を作成する中で、このことを痛感するようになりました。

 今後とも、こうした翻字の誤りや、迷って決めかねる字母の判定などについても、ここに提示していくつもりです。お気付きの点がありましたら、遠慮なくお知らせください。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2017年02月01日

六甲から見た海や山と町の風景

 昨日から、摂津国・有馬に行っていました。その前日に行っていた和泉国からは、大阪湾を挟んで北西に位置します。1年365日24時間モードで何かをしている日々の中で、大好きな温泉で英気を養うことになったのです。

 有馬温泉は、『枕草子』にも出てきます。
 秀吉は利休を連れて来て、何度もお茶会をしたそうです。
 谷崎潤一郎の作品にも出てきます。

 姉の家が芦屋の山中にあるので、すぐ近くの有馬温泉には何度も行っています。今回は義兄から、長年お疲れさまということで行くことになりました。ありがたいことです。

 芦有道路の展望台から大阪湾越しに、一昨日行った泉州地域が望めました。
 この少し前までは小雪が舞っていたので、見晴らしはよくありません。


170201_arima1




 この有馬は、河内の信貴生駒連山や京洛の東山と比叡山などなど、これまで住んでいた地域も一望のもとに眺められる絶景の地です。


170201_arima2




 下界に降りて日常生活に戻ると、急に現実が押し寄せます。
 昨日、車中の網ポケットに帽子を忘れていたのです。姉に送ってもらった芦屋川駅からの帰りに、阪急梅田駅の案内所に届いていた帽子を、無事に受け取りました。今年になってから2回目となる、落とし物と忘れ物のトラブルです。いずれも戻って来たことは幸いでした。

 明日からはもっと気を引き締めて、身の回りに目配りをしながら、これまで数十年の長旅の整理に専念する日々にします。続きを読む
posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | ブラリと

2017年01月31日

高い所から見た海や町の風景

 高所恐怖症なのに、高いところから遠景を望むのが好きです。

 河内国・高安から大阪湾を望んだ写真は、このブログでも何度も掲載しています。


111231_takayasu




 昨日は、和泉国・泉州から大阪湾を望む機会を得ました。


170130_kankuu




 ポケットに入る超小型のデジタルカメラを持ち歩いている関係で、遠くの景色がぼやけているのは、スナップ写真ということでお許しを。

 立ち寄ったところでは、立礼式のお茶道具が出迎えてくれました。


170130_ryuurei




 娘たちが結婚式の披露宴で、我々にお茶を点ててくれたのが立礼でした。


120324_tea3_8




 大和国・信貴山で月見のお茶会の時は、ちょうど眼下に龍田川が流れる王寺町が望めるアングルでした。


121007_nodate1




 テーマ別に写真を並べて見ると楽しいでしょうね。
 またいつか、ということで。
posted by genjiito at 23:23| Comment(0) | ブラリと

2017年01月30日

読書雑記(191)『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』

 『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』(テクタイル[仲谷正史、筧康明、三原聡一郎、南澤孝太]、朝日出版社、2016年1月)を読みました。


170104_syokugaku




 私は、日常的に物に触って生活をしています。本書を読み進めるうちに、その毎日の行為にあらためて気付かされることが多く、感覚というものを見直すことになりました。


 赤ちゃんの五感の中で発達が早いのは、なんといっても触覚です。触覚については、妊娠10週の頃から自分の身体や子宮壁に触れるという行動が見られ、学習が始まっていると考えられています。生まれたばかりの赤ちゃんは好奇心いっぱいで、なんにでも触れたがります。赤ちゃんにとっては触ること、舐めることの方が、見る/聞くことより、確かな情報を得られるからです。小さい頃は、だれもが触覚的な存在だったのです。
 記録されているかぎり最初に触覚に言及したのは哲学者のアリストテレスですが、彼は五感の中でも触覚に特別な地位を与え、触覚は「感覚のうちの第一のものとしてすべての動物にそなわる」と述べています。栄養摂取という生存行動のためには、触覚が必要不可欠だというのです。アリストテレスの言う通り、赤ん坊は指を、唇を、舌を駆使してお母さんのお乳を探し、栄養を摂ります。「触れる」ことによって、私たちは自分自身と世界との関係を学習し、生き延びてきました。
 このことは、脳科学によっても裏づけられています。これまで新生児の脳活動を測定することは難しかったのですが、京都大学の研究グループは、「近赤外光脳機能イメージング」と呼ばれる手法で生後数日の赤ちゃんの脳活動を計測することに成功しました。(26〜27頁)



 17世紀に哲学的な論争呼んだ問題で、「モリヌークス問題」というものがあります。ごく単純化して言えば、生まれつき眼の見えない人がいて、もしも成人してから手術で眼が見えるようになったとしたら、(それまで触ることによってわかっていたものを)眼で見ただけで認識できるだろうか、という問題です。この問いには、実際に開眼手術を行うことが技術的に可能になったことによって、答えが出ました。答えは「認識できない」です。突然眼が見えるようになっても、ただ光にあふれた光景が広がるだけで、モノの形や距離感を捉えることはできません。術後しばらく時間が経っても、立方体を観察しながら「上の面が菱形みたいになっていてわかりにくい」と言ったり、猫の前脚やしっぽ、耳が見えても、全体を見て
猫だと判断できなかったりするようです。これは、触ったものと見たものの情報が統合されていないからです。
 赤ちゃんは一度も体験したことのない新しいモノを見ると、長く見つめる性質があります。この性質を使って、フランス、パリ第五大学のアルレット・ストレリ博士らは、赤ちゃんは少なくとも月齢2ヵ月のときにはすでに、一度触れたことのあるものは目で見ても「覚えがある」と認識しているようだ、と報告しています(生後2日程度から連携がはじまっているという報告さえあります)。特に、形そのものよりも、ゴツゴツがあるかないかといったテクスチャの情報に対して、最初に触覚と視覚の対応を取り始めるようです。
 先ほどの赤ちゃん脳の研究でも、触覚刺激によって視覚野や聴覚野の脳活動が見られることが示されていました。こういった感覚統合が生後わずか数日から始まるおかげで、人はだんだんと、触れることなく、見ただけで物事を把握できるようになってゆくのです。
 成長するにつれて、視聴覚的な記憶は、圧倒的な量をもって触覚の記憶を塗りつぶしてゆきます。そして大人になると、もはや触覚を意識的経験の中心に据えてすごすことはほとんどなくなってしまうのです。(28〜29頁)


 特に、目が触感を補っている具体例には、納得しました。視覚と想像力が、触った感じを補正して増幅しているようです。

 また、触感が人の判断に影響していることも興味深い事例です。


 判断に影響を与えるのは、温度だけではありません。ある実験によると、相手を座らせて交渉をするときは、硬い椅子よりもやわらかいソファに座ってもらったほうが、こちらの要求をすんなりと通すことができます。どうやら、やわらかい感触は、相手の態度を「軟化」させるようです。
 また別の実験では、実験参加者に面接官の役割をしてもらうのですが、このとき、履歴書を挟むクリップボードを、重いものと軽いもの、2種類用意しました。すると、重いクリップボードを手にしたグループのほうが、求職者をより重要な人物だと判断したのです。
 身体が受けている、あたたかさ、やわらかさ、重さといった触感は、つねに意識されているわけではありません。それなのに私たちは、しらずしらずのうちに、触感に促されて意思決定をしているようです。身体性認知科学と呼ばれるこのような研究分野は、近年、さかんに研究が行われています。(40〜41頁)


 男女差については、もっと調査をしてほしいと思いました。現在、私が進めている古写本の触読に関しては、今のところ女性2人だけが変体仮名を読んでくださっているので、男性の触読について、点字ではなくて仮名文字での傾向を知りたいと思っているところです。


 その後、先ほども言った通り、女性の方が触感に優れている傾向があるらしいことがわかってきました。皮膚科学者の傳田光洋さんは、ポリイミド板による毛髪モデルを研究室の男女それぞれ10人ずつに触ってもらって、どちらを不快に感じるか答えてもらいました。すると、男性では意見が分かれた一方で、女性では10人ともAの不規則なパターンの板を不快だと答えたのです。(64頁)


 見えなかったらこれがどう感じられるのか等々、その違いに興味を持ちました。これは、おもしろいことです。

 出版社のホームページを見ると、本書で紹介されている音声を聞くことができます。

「どちらが水でどちらがお湯か、わかりますか?」(p.119、音の触感)

 触感を取り入れた身体表現に、楽しい未来を感じ取ることができたことが一番の収穫です。


 どのような形になるのかはわかりませんが、触れることを主軸としたアートが生まれるのも、もうまもなくのことではないかと私たちは思っています。それをサポートする、触感を表現するためのテクノロジーがいよいよ普及してきたからです。比較的廉価なレーザーカッターや3Dプリンタが登場し、だれもが気軽にものづくりに手が出せる環境が整ってきました。(223頁)


 まだ解明されていないことの多い分野だとのことです。今後にますます期待したいところです。【4】
posted by genjiito at 23:48| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月29日

新幹線の変な車内放送の意図が不明です

 新幹線の車内放送が異様なのは、以前から気になっていました。
 ガラス越しに聞こえるようなひび割れた小さな声に、いつも不快な思いをさせられます。
 今回のアナウンスは、これまで以上に特にひどいものでした。
 こんな不自然な雑音は、もうやめた方がいいと思います。

 日本語は聞き取りにくいし、英語はヒヤリングの試験か、としか思えません。
 どうだ、聞き取れるか、と。
 これをセンター試験で流すとどうなるでしょうか。
 受験生からは、おもしろい反応があることでしょう。

 部分的に、生身の人間の声で案内が流れます。
 これはまともなので、やはり人間の声はいいな、と実感します。
 そうであるからこそ、あの安物の蓄音機ががなり立てているとしか思えない下品さが際立つのです。
 みごとなほどに、その違いは対照的です。

 海外からの方は、この変な英語をどう思っておられるのでしょう。
 もっとはっきりと言ってほしい、と思われていることでしょう。
 ごめんなさい、こんながさつな英語で、と謝りたくなります。
 日本の印象を貶めないためにも、早急に対応してほしいものです。

 関係者は、変な案内が流れていることは承知のはずです。
 余程の事情があってのことなのでしょう。
 それにしても、その事情は何なのか。
 他人事とはいえ、興味があります。
posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | 身辺雑記

2017年01月28日

平仮名「て(天)」と変体仮名「弖・氐」について(その2)

 明治33年に平仮名の字体が一文字に統制されました。小学校令の改正を受けた小学校施行規則によるものです。その時、「TE」については、「天」を字母とする「て」が選定されました。その事情について、今はまだ私にはよくわかりません。しかし、鎌倉時代からの仮名文字で表記された古写本を読み続けている感触からは、妥当な結論だったように思っています。

 その平仮名の「て」に関して、字母をどうするかで、いまだに迷いがあります。
 「く」のように見える「弖」や「氐」を「て」として翻字して来ていたからです。これまでに私は、「天・弖・氐」の草書体について識別基準をもっていなかったので、「く」のように見える文字も、その字母はほとんどを「て(天)」としてきました。

 先週の研究会で、関西大学の乾善彦先生から、第一画の線の長短によって見分けられる、とのご教示を得ました。つまり、第一画が長ければ「天」であり、短ければ「弖」だということです。いま、「氐」のことはおきます。

「ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について」(2017年01月23日)

 そうであれば、そうした判断基準を設定することは可能です。しかし、そう単純に識別できない例にしばしば出くわしていたことから、これまで私は割り切ることができないでいたのです。

 そんなことを考えていた時、鎌倉時代に書写された国文学研究資料館蔵(橋本本)『源氏物語「若紫」』の中に、次の例があったことを思いだしました。「給て」(38オ8行目)とあるところです。

170128_hasimoto05te




 この「て」下に書かれている文字が「弖・氐」であることは、その直前の丁末の行頭にある「や可弖(氐)」(37ウ)からも明らかです。


170128_hasimoto05yakate




 昨日、日比谷図書文化館の講座に参加しておられる方々が、橋本本『源氏物語』の原本を実見するために国文学研究資料館にいらっしゃいました。午前と午後に7名ずつに分かれて、橋本本『源氏物語』を実際に閲覧していただき、いろいろとお話をしながら説明をしました。

 その際、上記の問題を再度確認しました。確かに、「弖・氐」と書かれた文字を削った上に「て」と書かれていました。

 つまり、最初に書写された「弖・氐」を削って、その上から「て」を書いたということは、書写者に字母に関して識別する意識があったということが確認できるのです。
 そうであれば、なぞられた「て」は現行の平仮名の「て」なので、その下に書かれていた文字は「弖」か「氐」だったことになります。これは、翻字する際に書写された文字の字母を意識して対処する上では、この字母の識別を明確にすべきです。下に書かれた文字を「て」としたのでは、正確な翻字とはなりません。

 となると、最初に書かれた下の文字は「弖」とすべきか「氐」とすべきか、ということになります。このことは、次回にします。

 平仮名が約50個に絞り込まれた経緯を、ずっと追い続けていることに関連して、しばらく、この件で調べたことを何度かに分けて報告します。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月27日

『蜻蛉日記』の品詞分解に関する協力者を求めています

 現在、『蜻蛉日記』の校訂本文を、日々時間を割いて少しずつ作成しています。
 底本には、阿波国文庫本『蜻蛉日記』を選びました。


国文学研究資料館影印叢書 5
鵜飼文庫 蜻蛉日記 阿波国文庫本
国文学研究資料館 編
今西祐一郎 序
福家俊幸 解題
勉誠出版
2014年3月
ISBN︰978-4-585-29064-3
B5判・上製・570 頁


 この本について、出版社からは、次の紹介文が公開されています。


初の上中下全巻の影印
古本系諸本の親本から直接書写した最善本であると山田清市氏により紹介された阿波国文庫旧蔵本を高精細写真版で全篇影印。
少なからぬ書き入れや校訂の跡を有する本書は、現代の多くの注釈書が依拠する桂宮本を相対化するものであり、「推定本文批判」により成り立つ現在の『蜻蛉日記』研究に対し、本文批評の基盤を構築する礎となる。


 この『蜻蛉日記』の校訂本文本は、本年3月をメドに完成させる予定です。
 次に、人工知能の力を借りて品詞分解をします。しかし、まだその人口知能の精度が高くないので、9割方はそれなりに品詞分解ができても、1割は人間の判断と手作業が必要です。ここに、手間と時間を割くことになります。

 この品詞分解を手助けしてくださる方を一人、探しています。
 実作業は本年3月以降になると思われます。
 この点検・確認作業に興味をお持ちの方は、このブログのコメント欄を通してお知らせください。直接お目にかかって説明をし、お願いできるのであれば、今後の詳しい打ち合わせをしたいと思います。協力のお申し出をいただいた方が多い場合は、こちらで面談の手配を進め、適任者と出会えた時点で確定にしたいと思います。
 完成後に、些少ながら謝礼をお支払いします。そこに期待をなさる方はいらっしゃらないと思いながらも、念のために申し添えておきます。
 資料を持ち寄っての連絡や調整が必要となるため、東京か京都の周辺にお住まいの方を希望します。
posted by genjiito at 21:26| Comment(0) | 古典文学

2017年01月26日

清張全集復読(10)「情死傍観」「断碑」

■「情死傍観」
 阿蘇山で投身自殺をする人を救う老人の話を『傍観』という小説に書いた後日談で始まります。読者と名乗る当事者から手紙が来た、という想定です。
 作中で紹介された小説といい、それを読んだ女からの手紙の引用といい、ふたつの入れ物をおいての物語です。大きな衝撃のないままに終わったので、拍子抜けでした。【2】
 
 
初出誌:『小説公園』(昭和29年9月)
 
 
■「断碑」
 考古学において、人文科学的な論理や文化史的な考究を文学的な表現で発表した木村卓治は、学会から無視されていました。清張が得意な、在野の研究者の物語です。
 恵まれない立場の者が、嫉妬から憎悪へと心情が変わる様を、清張は巧みに描きます。
 小学校の代用教員だった木村は、恩師高崎の計らいで博物館に就職できるということで上京します。しかし、その話はダメになります。
 

 高崎を恨む心は憎しみに変った。
 それほど卓治は博物館に入りたかったといえる。当時の官学は東京大学は振わず、専ら博物館派と京都大学派が主流であった。博物館入りを望んでいる卓治の心は、いわずとも官学への憧憬につながっていた。
 大部分の在野の学者が官学に白い眼を向けて嫉妬する。嫉妬は憧憬するからである。
 その憧憬に絶望した時が、憎悪となるのだ。爾後の卓治は官学に向って牙を鳴らすのである。(238頁下段)


 中卒でしかない自分を莫迦にしている人間を見返したい、という思いがますます強くなります。
 その存在を疎ましく思う者たちの反応も、さもありなんと思わせるものです。
 その後の卓治は、壮絶な研究生活を送ります。妻との二人三脚も胸を打ちます。妻が亡くなる前後は、人間が支え合う情感が感動的に伝わってきました。
 妻が亡くなった2ヶ月後の、昭和11年1月に、卓治は34歳で亡くなりました。
 その性癖故とはいえ、学会や主流派から見捨てられた一考古学者の姿が、生々しい筆で語られています。人間が反発する気持ちと、寄り添う夫婦の描写が活写された作品です。考古学会で鬼才といわれた森本六爾の生涯をモデルとする作品のようです。【5】
 
 
初出誌:『別冊 文藝春秋 43号』(昭和29年12月)
※原題は「風雪断碑」
 
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 23:25| Comment(0) | 清張全集復読

2017年01月25日

読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』

 『南冥の雫 満州国演義 八』(船戸与一、新潮文庫、平成28年7月)を読みました。


170122_funado8




 物語の舞台は、昭和17年の戦時下のアジアです。
 敷島4兄弟が、満州、中国、フィリピン、ビルマ、日本を舞台にして飛び回ります。太平洋戦争を現場に視点を置いて描く、壮大なドラマが展開していきます。

 私が小さい頃にテレビで観たハリマオが出てきました。この頃に亡くなったようです。


昭南島滞在中にマレー作戦に協力したハリマオと呼ばれた日本人・谷豊の死亡の報を聞いた。遺体はマレー人部下によって病院から運びだされ、回教の儀式に則って秘かに埋葬されたらしい。それがどこの墓地なのかは不明だ。(21頁)
 
「ハリマオを知ってるでしょう、谷豊を。今年の三月、昭南島の丹得仙病院で死んだマレーのトレンガヌ生まれの日本人。F機関によって創られたあの英雄の映画が大映で製作されます。公開は来年、主演もすでに決まってる、中田弘二がハリマオを演じます。脚本はまだ手もつけられてもないけどね」(51頁)
 
「わたしが大映から命じられてるのはマレーのハリマオにつづくフィリピンを舞台にした劇映画の材料集めです。もちろん、内容は大東亜共栄圏構想へ現地人たちが共鳴してるという法螺噺でなきゃならない。妹を滲殺されて匪賊となった谷豊のような日本人がフィリピンにいるとは思えないけど、いろんな材料を寄せ集めて、それに近い人物を創りあげたいと思ってます。そういう仕事を手伝っていただきたい」(54頁)


 また、伊口日生のことも出て来ます。これも、引用しておきます。


「伊口日生という日本山妙法寺の僧侶を知ってるはずだ」
「それがどうしたんだね?」
「わたしは昭南島で逢ったんだが、伊口日生に頼まれた、あんたに逢ったらぜひともビルマに来て欲しいと伝えてくれとね」
「ビルマのどこに来いと?」
「とりあえず占領したラングーンに置いた第十五軍司令所に来てくれれば、連絡がつくようにしておくとのことだよ。あんたが海南島に運んでくれたビルマ人連中がどれだけ成長したかを見て欲しいとも言ってた」(31頁)


 作者である船戸氏は、丹念に資料を漁り、細かな情報までもつなぎ合わせて、物語の背景を客観的な視線で描こうとしていることがよくわかります。

 ビルマでの話には、アウン・サンの活躍が出てきます。スーチー氏の父の話を、今回初めて知りました。
 ビルマにおけるインド国民軍の話も、その後のインド独立運動のことを思うと、興味深いものです。

 太郎の妻桂子が太郎の愛人を刺し殺すくだりは、緊張感のある場面となっています。それを隠すことに手を貸す弟三郎の冷静なこと。社会動向と違い、人間の愛憎劇と人間性が描かれているからです。

 孔秀麗が太郎のもとに紅茶を運ぶシーンが増えます。この秘書の存在が、この巻ではほとんど語られません。楽しみが取ってあります。
 そして無断欠勤。少しずつその姿が明かされます。そして衝撃の結末。ただし、何度も紅茶を運んだ姿に見合う説明はありませんでした。

 ソ連が不可侵条約を破って満州に進行する過程が、克明に描かれています。これには、南太平洋での戦局の悪化が背景にあります。満州にいた人たちの多くが、この日本の敗戦という流れを予見していたことが語られます。戦況の悪化と敗戦への歩みが、次第に話題の中心に位置付けられていくことが読みとれるようになっています。敗戦への予見は、ありきたりの後世のものいいではなく、当時の状況を客観的に分析して読者をしだいにその機運に引き込んでの語り口となっています。

 また、陸軍と海軍の対立が、具体的に生々しく語られます。戦局と政局の混乱が、同時進行で展開するのです。

 そのような中で、太郎の妻桂子が夫の不倫相手を刺し殺したのです。それを、太郎と弟の三郎が隠蔽したことに端を発して、桂子は神経を病むこととなり、日本に移されました。その妻を見舞った太郎に、桂子は突然、ことの顛末を暴露しました。この場面の緊迫感は、戦時下の動乱の中で際立った迫力を見せています。

 本作は全編にわたって、人間の感情を持った生き様と、戦争という狂気の有り様が、みごとに活写されています。

 三郎はインパール作戦に参加していました。そこでは、無謀な計画のもとでの行軍が、行われていたのです。蛆にたかられた死体の山でした。亡くなった兵士の股肉を切り取っては食べる兵士もいたのです。
 隻眼だった次郎の眼窩から、蛆が這いだしました。かつては馬賊の頭目だった次郎は、満州の風景を脳裏に浮かべながらビルマの密林で亡くなります。

 私は、関東軍特務機関員の間垣徳蔵の存在が気になったままです。

 圧倒的な臨場感と凄惨な戦場を描く本作も、あと一巻となりました。

 読後に思い出したことは、父の蔵書の中に、インパールに関する本があったことです。父は、満州のチチハルで捕虜となって、シベリアに抑留されました。同じ時間軸の中で展開していたインパールの凄惨な行軍を、どう見ていたのでしょうか。知人がいたのでしょうか。もっと聞いておくべきでした。【5】

※2013年12月に新潮社から刊行されたものの文庫版で読みました
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | 読書雑記

2017年01月24日

奈良で開催される「さわって楽しむ体感展示」のお知らせ

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎先生より、2月4日(土)〜12日(日)に奈良県文化会館で行われるイベント、「さわって楽しむ体感展示」の案内をいただきました。
 〔6日(月)は休館、開館時間は9時〜18時〕

 得難い体験ができそうなので、いただいた連絡を転記します。


 今年最初のお知らせ(宣伝)は、奈良で開かれる「さわって楽しむ体感展示」についてです。

 毎年、国民文化祭、障害者芸術・文化祭が各都道府県の回り持ちで開催されています。
 これまではオリンピックとパラリンピックのように、国民文化祭が行われた後、障害者芸術・文化祭が開かれてきました。
 この形だと、どうしても障害者芸術・文化祭は「後の祭」という印象で、あまり盛り上がりませんでした。
 今年から国民文化祭と障害者芸術・文化祭は同時開催されることになり、その初回担当が奈良県です。

 国民文化祭、障害者芸術・文化祭の一体開催という試みがうまくいけば、来年度以降、各県でこのイベントが続くことになります。
 障害の有無に関係なく、誰もが楽しめるユニバーサル・ミュージアムをめざす僕にとって、国民文化祭、障害者芸術・文化祭の同時開催はたいへん嬉しい企画です。

 このイベントは9月〜11月に大々的に実施されます。
 本番を前に、プレイベントとして2月4日〜12日に奈良県文化会館で「さわって楽しむ体感展示」が行われることになりました。
 プレイベントなので期間は短いし、小規模な展示です。
 しかし、このプレイベントが成功すれば、秋の本番でも「さわって楽しむ体感展示」が拡大実施されることになります。

 プレイベントの展示について、僕はアドバイザーという形で昨年から関わっています。
 昨年の夏から断続的に奈良県庁の担当者と打ち合わせを重ねてきました。
 いろいろとクリアすべき課題もありましたが、展示準備は順調に進んでいます。

 先日、会場入口で流すビデオを作りました。
 興福寺仏頭(国宝)のレプリカに僕がじっくりさわっている場面を「手」のアップを中心に撮影しました(顔のアップではありません、念のため)。
 さわる展示なのに、観客を集めるためにビデオを使うということに少し矛盾を感じますが、おもしろいビデオができたのではないかと自己満足しています。
 レプリカとはいえ、国宝にじっくりさわっているシーンはかなりインパクトがあります。

 このビデオを見た後、もちろん来場者は実際に仏頭のレプリカにさわることができます。
 来場者の反応が楽しみです。

 その他、奈良から出土した土器などの考古遺物、天平衣装、アート作品などにも触れることができます。

 また、「平城京のさわる地図を作ろう!」というコーナーでは、川、道路、山などを表す素材を手触りで選んでいただき、投票してもらいます。
 この結果を元に、秋の本番では「さわる平城京地図」を制作・展示する予定です。

 僕も会期中に、何度か会場に行くつもりです。
 奈良県文化会館は近鉄の奈良駅から徒歩で行けます。
 ぜひ多くのみなさんに「さわって楽しむ体感展示」を味わっていただき、いい形で秋の本番につなげたいと願っております。
 本メールの転送・転載を歓迎します。
 ご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

                    広瀬浩二郎
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月23日

ひらがな「て」の字母とされている「天」と「弖」の区別について

 一昨日の清泉女子大学で開催された「表記研究会」で、3人の発表の後のシンポジウムでは、今野真二先生が司会進行役となり「仮名の成立」というテーマで全体討論がなされました。

 その質疑応答の最後の方で、私は発表で提示されたプリントに引かれた文字資料について、その翻字に関する質問をしました。それは、「て」の表記について、その字母を「天」とするか「弖」とするか、ということです。

 まず、乾善彦氏に、「正倉院仮名文書二通にみえる字母」にあげられた「天・弖」について、その字母の識別についてお尋ねしました。万葉仮名で表記されているので、この識別は問題はないとのことです。
 続いて、長谷川千秋氏の発表資料にある影印文字の「天・弖」について、全7例の字母の確認をしました。
 乾氏から、第一画の線の長短によって見分けられる、とのご教示を得ました。つまり、第一画が長ければ「天」であり、短ければ「弖」だということです。

 その基準によれば、長谷川氏の資料にあった次の文字は、それぞれ次のようにその字母を認定できる、ということを確認することができました。

 まず、「天」となるもの。


「讃岐国司解端書 藤原有年申文」
(漢字の「天」をつかった【比天(ひて)】)

170121_te2





「虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名消息 かな消息(第V種)」
【之天无(してん)】

170121_te6




 次に、「弖」となるもの。


「多賀城跡出土仮名漆紙文書」
(「弖」の左に人偏の「イ」の付いたものだとのこと)

170121_te1




「東寺檜扇墨書」
【太弖(たて)】

170121_te3




「伊州某書状写(唐招提寺施入田劵文写、第15紙」
【太弖(たて)】

170121_te4




「因幡国司解案紙背仮名消息」
【美弖(みて)】

170121_te5




「小野道風書状」
【以弖(いて)】)

170121_te7




 これまで私は、「弖」の認定基準をもっていなかったので、ほとんどを「天」としてきました。
 しかし、今回ご教示いただいた認定基準は、これまで見てきた『源氏物語』の古写本にはあてはまらない例が多いようにも思われます。
 この件は、後で詳細に確認し、報告したいと思います。
 しばらく時間をください。
posted by genjiito at 21:02| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月22日

岩佐又兵衛の源氏絵を出光美術館で見る

 昨年末に、「洛中洛外図屏風」の現地探訪をしました。
「京洛逍遥(379)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)

 それ以来、岩佐又兵衛が描いた「東京国立博物館所蔵「洛中洛外図屏風(舟木本)」(2016年に国宝指定)」のことが気になっていました。

 ちょうどいい機会なので、出光美術館で開催中の「開館50周年記念 岩佐又兵衛と源氏絵― 〈古典〉への挑戦」(2017年1月8日(日)〜2月5日(日))を見てきました。

 出光美術館のホームページに掲載されている「展示概要」には、次の説明がなされています。これは、展覧会図録の「ごあいさつ」にもあるものです。

 私は、ここに記された、又兵衛が江戸に移ってからの、梗概書の挿絵への影響に興味を持ちました。


2017年は、それまで京都と福井で絵筆をふるっていた又兵衛が、活動の拠点を江戸に移してから380年の記念の年にもあたります。そこで、〈浮世絵の開祖〉とも称された又兵衛の絵画が、江戸の浮世絵師たちにどのような刺激を与えたのかを考えるために、『絵入源氏物語』や『十帖源氏』、菱川師宣(ひしかわもろのぶ ?-1694)が江戸版の挿絵を担当したとされる『おさな源氏』など、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが携わり、版行された梗概書(こうがいしょ)(『源氏物語』のダイジェスト)を取り上げつつ、又兵衛との関係を探ります。


 また、同じくホームページには、「第6章 江戸への展開 −又兵衛が浮世絵師に残したもの」で、次のように書いてあります。


京都から福井へ移って20年あまり。60歳を過ぎた又兵衛は、1637年2月、福井を発ち、江戸へと向かいました。又兵衛は生前から〈うきよ又兵衛〉と異名を取ったと伝わり、浮世絵の成立に重要な役割を果たしたと考えられますが、江戸における又兵衛の仕事は浮世絵師たちに何をもたらしたのでしょうか。この章では、歌人・俳人で古典学者の松永貞徳(まつながていとく 1571-1653)の流れをくむ文化人たちが刊行にたずさわった『源氏物語』の梗概書などを手がかりに、江戸の浮世絵師との接点を探ります。


 この章に関して、展示図録の説明を引きます。


170122_iwasa






又兵衛工房の実態と所在



 又兵衛の制作活動は、数名の有能な弟子たちによって支えられていたことがほぼ確実である。特に、大きな屏風絵や長い絵巻を手がけるときには、最初の設計図というべき「小下絵」を注文者に見せて許しを得たのちに、関与の度合いはさまざまであったにせよ棟梁の指揮のもとで弟子たちが分担して仕上げる−室町時代末期の元信以来、狩野派の隆盛をもたらした集団制作の手法は、又兵衛にも採用されていたと思われる。
 又兵衛の場合、京都・福井・江戸を遍歴しているだけに、主宰者の移動は工房の消長に大きくかかわる。とはいえ、又兵衛の転居がただちに工房の解散や弟子たちの廃業につながったとは考えにくい。棟梁が去ったあとも工房(絵屋)に留まって経営を続け、又兵衛のスタイルを踏襲しながら絵を描き続けた絵師は少なからずいただろう。たとえば、又兵衛の子・源兵衛勝重、さらにはその子・陽雲以雲は、福井の地で藩の画事をこなしている(戸田浩之「福井と又兵衛」、『岩佐又兵衛全集』、藝華書院、二〇一三年)。同じように、又兵衛は京都にも工房を残して福井へと発ったに違いない。又兵衛による源氏絵の影響を、挿絵入りの版本によって伝えた山本春正と野々口立圃が、いずれも京都の人物であることがそう信じさせる。彼らは、京都在住時代の又兵衛が生み出し、又兵衛の福井移住後も京都で活動を続けた弟子によって描き継がれた象徴的な源氏絵の図様に触れたのだろう(挿図1〜3)。
 端的にいって、又兵衛とその工房作について、表現の微妙な違いを見分け、それを細かく分類すること自体、それほど意味のある作業ではない。個々の作品の相違よりも相似を重視した上で、一目見てそれと分かる特徴的な表現によって画面をまとめ上げる組織の統制の力、そして、又兵衛の新鮮な表現を支持し、強く所望した江戸時代前期の人々の熱量のようなものを正当に評価するべきである。(136頁)


 狩野派や土佐派の源氏絵を見ていただけの私にとって、又兵衛の源氏絵にも注意が向いたことは大きな収穫となりました。しかも、それが江戸時代の梗概書である『絵入源氏物語』・『十帖源氏』・『おさな源氏』などの挿絵にも展開するものだったので、今回の出光美術館の企画はありがたいものとなりました。
posted by genjiito at 20:04| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月21日

江戸漫歩(151)「表記研究会」で清泉女子大学へ行く

 清泉女子大学で開催された「表記研究会」に行ってきました。
 最寄り駅である五反田駅前には、今も郵便ポストが2つ並んでいました。


170121_post




 このポストのことは、「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」(2008年01月19日)に書きました。この時のポストは、もっと寄り添っていました。向かって左側のポストが、さらに左に引き離されたようです。

 清泉女子大学は、閑静な住宅地の中にあります。


170121_entrance




 この近くには来たことがあります。しかし、キャンパスに入るのは初めてです。

 ここで教員をしている、大阪大学で一緒に勉強した研究仲間の藤井由紀子さんが、あらかじめ守衛さんに連絡してもらっていたので、迷わずに行けました。


170121_honkan1




 藤井さんに学内を案内してもらいました。100年の重みを感じる、素晴らしい環境です。映画やテレビの撮影でも使われるそうです。

170121_honkan4




170121_honkan3




170121_honkan2




 研究会が始まる前に、藤井さんにお願いして、この研究会の司会進行役である今野真二先生を紹介してもらいました。今野先生の本はほとんど読んでいたので、私にとっては旧知の研究者です。ただし、初対面です。

 最初から質問をしました。明治33年にひらがなを決めた事情を明らかにしてほしいと。
 しかし、当時の資料がないので、そのことはほとんどわからない、とのことでした。
 これは、当時の資料を丹念に調べるしかありません。

 そうこうするうちに、中部大学の蜂矢真郷先生がいらっしゃいました。
 日比谷図書文化館で『源氏物語』を読む講座を受講なさっている方が2人お出ででした。

 研究会は、3人の発表で進みました。一人30分の発表です。
 配布された資料から、発表を聞いて確認できたことを抜き出しておきます。
 
(1)「かたちからみた仮名の自立」
     愛媛大学  佐藤 栄作氏


仮名(真仮名@、草体仮名、省画仮名)が新たな文宇体系であると確認するためには、真名に見られない「かたちに関わるふるまい」が観察されるか否かがポイントになる。


 なお、ひらがなの「ま」は用例からは、下の線が長いとのことでした。
 
(2)「仮名の資格」
     関西大学  乾 善彦氏


漢宇の「形(ケイ)」を残す限り、意味への抽象性はみとめられても、完全に意味から脱却することはできない。その点で、万葉集仮名書歌巻の仮名は、「仮名」に近い性格を持ちながらも、仮名の資格にかける。逆に文書中の仮名は独立して日本語をあらわさないかぎりにおいて、仮名の資格にかけるが、ひらがなに連続するものと考えられる。漢字の「形(ケイ)」からの脱却が、「仮名」への第一歩と考えるが、基層の仮名と実用の仮名との関係を考えることが求められているのだろうか。

 
(3)「平安期の仮名資料からみた仮名の成立」
     山梨大学  長谷川千秋氏


仮名と漢字は、判断・評価などの微妙なニュアンスを伝達する箇所を仮名が請け負い、手続きや事態の経過など叙述的な面を漢字が請け負い、伝達内容によって漢字列と仮名列の切り替えが起きているように見受けられる。仮名は、表音的な機能をもつことから、
 
 
このことから、土左日記で漢詩を漢字で書かないということは、文学的行為としての選択であり、日用的な書き様とは切り離して考えるべきところであろうと思われる。こうした漢字列を排除する表記態度の延長に十一世紀の和歌表記が位置づけられていくと推測する。

 
 その後の「全体討論」であるシンポジウム「仮名の成立」については、あらためて別に記します。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | 変体仮名

2017年01月20日

清張全集復読(9)「湖畔の人」「転変」

■「湖畔の人」
 人から愛されないと自認する矢上は、転任先の諏訪で徳川家康の六男松平忠輝の生涯に理解を示します。流れ流れて不遇のままに生きる姿に、作者が寄せる心情が伝わってきました。この背後には、清張自身があるのでしょう。
 人生を斜に見た男の存在や、新聞社、諏訪湖、徳川家、海辺の情景などなど、井上靖の作品の雰囲気を漂わせていることに気づきました。これはいったい何なのでしょうか。『球形の荒野』のときに似た読後の印象です。
 諏訪湖畔に生きる、穏やかな人々が描かれています。筆致は清張らしくなく、控えめな表現でまとまっています。【2】
 
 
初出誌:『別冊 文藝春秋』(昭和29年2月)
 
 
■「転変」
 慶長四年の関ヶ原の戦い後、家康と福島正則の駆け引きから始まります。
 正則は、家康に感謝されて上機嫌です。しかしその後すぐに、正則は窮地に立ちます。そして、家康の巧みな計らいに、正則はまんまと嵌まることになるのです。
 正則は、秀頼と家康の間で、苦境に追い込まれます。正直なだけでは、家康のようにしたたかな者には子供のように捻られます。
 家康の知略に長けた非情さを通して、人間の生き様を問いかけています。【4】
 
 
初出誌:『小説公園』(昭和29年5月)
 
 
参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | 清張全集復読

2017年01月19日

日比谷図書文化館で橋本本「若紫」の異文を確認

 夜の日比谷図書文化館で、橋本本「若紫」を変体仮名を確認しながら読み進んでいます。

 今日は、ちょうど大島本が特異な本文を伝えていることで知られる場面からでした。
 以下では、諸本の文異同を見るために、従来の翻字方法で作成した資料をあげます。これは、まだ「変体仮名翻字版」の翻字本文が揃っていないための、暫定的なものです。


日も[橋=中麦阿陽池肖日保高]・・・・050653
 ひも[尾御天]
 日[穂]
 人[大国伏]
いと[橋=尾中麦阿陽池御肖日穂保高天]・・・・050654
 ナシ[大国伏]
なかきに[橋=麦阿陽池御肖日保]・・・・050655
 なかく[尾高天]
 なかう[中穂]
 なくて[大国伏]


 現在一般的に読むことのできる活字の校訂本文は、すべて大島本によるものです。その大島本は、国冬本と伏見天皇本とともに、「人なくて」となっています。それ以外は、「日もいとなかきに」という本文です。
 そうであるのに、大島本に依って作成された『新編全集』(小学館)の本文は、「日もいと長きに」です。同じ大島本を底本とする『新大系』(岩波書店)は、底本通りに「人なくて」です。
 ともに大島本による校訂本文でありながら、その本文が違うのはどういうことなのでしょうか。
 日比谷図書文化館で読んでいる『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』は、「日もいとなかきに」です。

 この違いを考えるために、室伏信助先生がお書きになった「人なくてつれづれなれば −『源氏物語』の本文と享受−」(『王朝日記物語論叢』笠間書院、2014.10)という文章を配布して、その背景を確認しました。

 『源氏物語』を読むということは、何本を読むということよりも、誰が校訂した本文を読むか、ということに尽きるようです。今自分がどのような校訂本文を読んでいるのか、何も考えずに『新編日本古典文学全集』だけで『源氏物語』を読むことがいかに無謀な読書であるかを、常日ごろから強調しています。
 このことは、この日比谷図書文化館では毎回のように言っていることなので、みなさんすでに承知のことです。しかし、こうして具体的な例で説明すると、実感としてわかっていただけます。

 次に、橋本本の独自異文にも触れました。


おもては/おもて$かほ[橋]・・・・050748
 かほは[大尾麦阿陽御国肖穂保伏高天尾]
 かほを[中]
 かをは[池日]
いと[橋=全]・・・・050749
あかく[橋=大尾麦阿陽池御国肖日穂保伏高天尾]・・・・050750
 あかう[中]
すりあかめて/あかめて$なして[橋]・・・・050751
 すりなして[大尾麦阿陽池御国肖穂保伏高天尾]
 なして[中]
 すりなして/り〈改頁〉[日]


 諸本が「顔はいと赤くすりなして」とあるところを、今読んでいる橋本本だけは「おもてはいと赤くすり赤めて」となっているのです。こうしたところに、橋本本の独自性が見てとれます。

 鎌倉時代には、いろいろな本文が流布していたのです。今と違う本文もいろいろとあったのです。そうした、大島本とは異なる本文を伝える『源氏物語』を読む楽しさを、こうして毎回、「変体仮名翻字版」で読みながら語り伝えています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年01月18日

『葛原勾当日記』の製作再現映像を試験公開します

 全盲の琴師だった葛原勾当は、天保8年(1837)から明治14年(1881)まで45年の長きにわたり、自分で開発した木製のひらがな活字を駆使して、日々の日記を自分の手で印字していました。

 一昨日、本郷三丁目で開催された研究会で、この葛原勾当のご子孫である葛原眞氏の講演を伺う機会を得ました。その後の話を通して、貴重なレプリカによる再現映像を実験的に研究者や興味をもたれる方々のために公開し、こうした事実や問題の調査研究への協力をお願いしました。葛原眞氏は私のこの申し出に理解を示され、快く映像をお貸しくださいました。

「葛原勾当のひらがな日記について」(2017年01月15日)

 早速、映像を試験公開するための準備を、研究協力者である加々良さんにお願いしたところ、本日突貫工事の末にその実現が叶いました。
 さまざまな人の力が結集して、無事に試験公開にいたったのです。ありがたいことです。

 葛原勾当に関する調査は、一昨年の秋より問題意識を深めつつありました。広島県に調査に行く計画をしました。しかし、実現しないままに来ました。
 しばらくは遅々として進捗を見なかったテーマが、先週から突然動き出し、今日の願ってもない貴重な映像の公開となりました。葛原眞氏との幸運な出会いをはじめとして、周りのみなさまに感謝いたします。

 今回公開した映像は、次の手順で見られるようになります。
 ご覧いただいてのご意見などをおよせいただくと、今後の励みになります。
 また、関連する情報などをお寄せいただけると幸いです。

 この撮影は、葛原眞氏がご東京大学史料編纂所のご理解のもとに、自分の手でレプリカをもとにして撮影なさったものであり、あくまでも実態を記録するために作製されたものです。今回、研究に資するものになれば、というご理解をいただいたことで、試験的に公開することになりました。
 公の場で利用なさる場合には、このコメント欄を活用するなどして、あらかじめ了解を得てからにしていただくよう、お願いいたします。

 今回の公開にあたっては、念のために、パスワードなどで閲覧者の確認をしています。これで、簡略ながらも諸権利の保護にはなるかと思います。煩わしい一手間をおかけして恐縮します。公開の趣旨をご理解いただき、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。
 
--------------------------------------
 

【映像 葛原勾当日記・印刷用具の使い方】



(1)「ホームページ「古写本『源氏物語』の触読研究」」に移動


(2)「新着情報」の中の「2017年1月18日 NEW 葛原勾当日記について」をクリック

170118_stamp1




(3)「[パスワード請求]へ」をクリックして、「名前」「メールアドレス」「視聴目的」を入力

170118_stamp2




170118_stamp3




(4)確認メッセージが表示された後、「送信する」をクリック

(5)画面にパスワードが表示される

(6)「こちらから」をクリックして、パスワードの入力画面で(5)のパスワードを入力

170118_stamp4




(7)映像が見られる画面が表示される
 (上下の枠内で説明文をスクロールさせてご覧ください)

170118_stamp5




--------------------------------------
posted by genjiito at 23:18| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月17日

江戸漫歩(150)交番横の案内図と蕃書調所跡と九段坂病院

 地下鉄九段下駅を地上に出ると、交差点角に交番があります。


170110_policebox




 写真の左奥に見える高速道路の下には、高田郁の『みおつくし料理帖』に出てくる俎橋。
 この交番の右奥のお濠の向こうには、武道館。
 そして、この交番の右手には、「蕃書調所跡」の説明板。
 「蕃書調所」というのは、江戸幕府が海外事情の調査や、西洋の文物を教育する場ともなった所でした。


170110_bansyo




 交番の前に掲示されている案内地図のことは、すでに何度か書きました。
 九段坂病院が千鳥ケ淵のそばから牛ケ淵牛のそばに移転したことを、クラフトテープに油性ペンで書いて貼ってあったのです。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

「江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと」(2016年12月22日)

 それが、今日、通院途中で何気なく見たところ、クラフトテープが剥がされていることに気づきました。

170117_kudan




 これでやっと正式に、病院の名前が地図上に記されたのです。通りすがりの、何の縁もない者だとはいえ、ほっとしました。ただし、これまで貼られていたテープの糊跡が、まだ残っています。

 一週間前も、通院でここを通りかかっています。その時の写真を取り出してみました。


170110_kudan




 たしかに、先週はまだクラフトテープが貼ってあります。この一週間の間に、新しい案内図に入れ替えられ、テープが剥がされたのです。よかった、よかった。

 九段坂病院では、今日も右足の指先の疣を液体窒素で焼く手当てを受けました。ウイルスが相当深く巣くっているそうで、来週も再来週も通院の予約をしました。
 漢方薬の投薬もありました。

 昨夏、剥離骨折をした左足首は、まだ安定しません。

 両足の調子が良くないので、まだしばらくは歩くことに難儀な思いをします。しかし、来月には良くなるようなので、今しばらくの辛抱です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 江戸漫歩

2017年01月16日

点字百人一首の様子をラジオ日本「小鳩の愛〜eye〜」で放送すること

 一昨日の記事「【追記】高田馬場で「百星の会」の新年会と点字百人一首のカルタ会」(2017年01月14日)で、ラジオ放送の取材があったことを次のように記しました。


ラジオ日本の「小鳩の愛」のスタッフの方が取材に入っておられました。今日の様子やインタビューが、2月に放送されるそうです。


 そのディレクターである宮島佑果さん(アール・エフ・ラジオ日本)から、先日の「百星の会」の様子が以下の日程で放送されることを教えていただきました。
 私は「百星の会」の活動を広報する立場でもあるので、ここで宣伝しておきます。
 何年もラジオを聴いていません。これを機会に、楽しみに放送を待ちたいと思っています。


【番組名】 「小鳩の愛〜eye〜」(こばとのあい)
 http://www.jorf.co.jp/?program=kobato
視覚障害者の方がより暮らしやすい社会を目指して、視覚障害者、晴眼者にとって役立つ情報をお届けする番組です。
 
【放送局】 ラジオ日本 1422kHz  毎週日曜朝 7時5分〜7時20分
      北日本放送 738kHz   毎週日曜朝 7時30分〜7時45分
※スマートフォンアプリ「radiko」でもお聴きいただけます。
 
【放送日】 2017年2月5日(日)、12日(日)、19日(日)
 3週に渡って特集予定です。
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年01月15日

葛原勾当のひらがな日記について

 本郷三丁目であった、日本のローマ字社(代表 木村一郎)のイベントに参加してきました。
 ホームページには、次の案内文があります。


新年の集い 2017

とき: 2017ネン 1ガツ 15ニチ, 14:00〜
ところ: NRS ジムショ
おはなし: 幕末を生き抜いた盲目の琴師
       葛原勾当のひらがな日記を読む
はなして: くずはら・まこと (葛原 眞)さん
きどせん: 500エン(NRS カイイン わ ただ)

--------------------------------------

Sinnen no Tudoi 2017

toki: 2017 nen 1 gatu 15 niti, 14:00-
tokoro: NRS zimusyo
ohanasi: Bakumatu o ikinuita mômoku no kotosi
     Kuzuhara-Kôtô no hiragana nikki o yomu
hanasite: Kuzuhara-Makoto (葛原 眞) san
kidosen: 500 En(NRS kaiin wa tada)


170115_tirashi




 かねてより、葛原勾当について興味を持っていたので、聞きに行ってきました。

 江戸時代から明治時代にかけて、盲人ながらも現代のタイプライターとでも言うべき、木活字を駆使して40年間も日記を書き(スタンプ印刷し)続けた人です。
 『葛原勾当日記』(小倉豊文、緑地社、1980)や『日本語発掘図鑑』(紀田純一郎、ジャストシステム、1995)で、この日記のおおよそのことは知っていました。


170115_katujibako


(『日本語発掘図鑑』13頁)

 「遊び棒」と呼ばれる印字位置を示す一本の黒っぽい棒が、今のパソコンで言うとスペースやカーソルに当たるものです。

 しかし、実際に葛原勾当の直系の縁者である方からお話を聞くことで、具体的に盲人と文字というものについて再度考えるきっかけをいただくことができました。

 現在、私が科研で取り組んでいる「古写本『源氏物語』の触読研究」の連携研究者として一緒に勉強している中野眞樹さんが、昨春ここで研究報告をしていたことを知りました。そのことをまったく知らずに来たのですから、これも縁なのでしょう。中野さんは、今日はセンター試験の監督があるとのことでお休みだとのことでした。

 葛原勾当の木活字による携帯用の印字道具は、東大の史料編纂所がレプリカを作っていました。それを使って、葛原眞氏が実際に文字の印刷をテストする実験映像を拝見しました。これを見ると、この木活字を使った印刷の過程がよくわかります。ぜひとも公開していただけるようにお願いしました。いずれ、実現すると思います。

 葛原勾当について、すこしおさらいをしておきます。
 3歳頃に天然痘で両目を失明。14歳で座頭。その後、検校にはならなかったのは、当道座の階位を得るのには多額の金銭が求められたからだそうです。
 16歳で備忘録としての代筆日記をつけさせます。
 22歳の時に勾当になったことで上京。1ヶ月京都に滞在。この時に木活字を入手したようです。
 25歳で結婚。26歳から木活字を使って自ら印字して日記を付け始めます。
 明治15年に71歳で亡くなります。

 勾当日記に出てくる文字は、次のものが基本です。


170115_kana1




 これを通覧して気付くのは、明治33年に制定された現行ひらがなの字体がほとんどであることです。
 4行目の「於」の字形に留意したいことと、5行目の「江」、7行目の「志」が変体仮名となっていることが特徴です。ここには、「え」がありません。今の「お」に近い字体が別にあるので、こうしたことにも注意しておくべきでしょう。

 葛原勾当が木活字を用いて残した日記は、次のようなものです。


170115_kana2




 活字は何度か作り直していたようです。濁音の判子は別に作っていました。
 上の写真の3行目で「十四日よる」とある「よ」は、その下に不明の文字が一文字捺されていることがわかります。「日(ひ)」とあれば、次の行の「日る」と並んでいいのですが、どう見ても「日」ではないので思案中です。
 こうした印字の間違いは、その行を終える前であれば、すぐに直していることがわかります。その後の間違いは、もう直しようがなかったようで、いくつもそうした例が見られます。

 この勾当日記には、112箇所の間違いがあり、前後左右の間違いは92箇所あるそうです。文字を進める時や、行が移る時にケアレスミスがあるようです。

 この葛原勾当日記については、またわかりしだいに報告します。
posted by genjiito at 22:24| Comment(0) | 変体仮名