2017年08月03日

変体仮名がカタカナに見えたとか

 放課後、変体仮名を読む学習会を、大阪観光大学図書館の一角を借りてしています。
 今日は、新たに4人の1年生が参加してくれました。
 いろいろと話をしている中で、初めて変体仮名を読んでみての感想が、「カタカナに見えた」ということでした。これは初耳です。
 橋本本「若紫」の冒頭は次のような書き出しです。

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 この「わら八や三」と始まる文字が、「ワらハヤミ」に見えた、というのです。
 確かに、そう言われてみると、そのように見えなくもありません。
 初めて変体仮名を読もうとする人には、カタカナのように見えるということも考えて、これからはお話をしたいと思います。
 自分の思い込みで、頭から平仮名で書かれていると決めつけて話をしてはいけない、ということを学びました。
 手書きの文字を読むことがなくなり、決まりきった活字体ばかりを読む文化に身をおくようになりました。
 変体仮名がユニコードに採択されたことにより、今後は印刷体の文字を読む環境が激変すると思っています。
 文字に関しては、先入観のない立ち位置で考え、説明をし、話していきたいという思いを強くしています。
 その意味からも、変体仮名を見たことも聞いたこともない、という学生さんが、この学習会に参加することは大歓迎です。

 次回は、夏期休暇が入るために、9月29日(金)午後3時から始めます。
 10月は13日(金)、27日(金)午後3時から
 11月は10日(金)、24日(金)午後3時から
となりました。

 変体仮名を読むことに興味がある方は、社会人や学生を問わず、どなたでも参加してもらえる集まりです。
 資料の準備がありますので、あらかじめ本ブログのコメント欄などを通して、参加を希望する連絡をお願いします。
 
 
 

posted by genjiito at 23:01| Comment(0) | 変体仮名

2017年08月02日

大阪駅の改札内にはポストがない

 郵便物を投函するために、駅の構内をうろうろしました。ポストが見つかりません。
 東京駅にはあったので、大きな駅なのであるだろうと思い、大阪駅の駅員さんに聞きました。すると、一旦改札を出ないとポストはない、とのこと。改札内にはないのです。

 京都駅までの切符で、大阪駅のホームを跨いでの乗り換え中なのです。ポストだけの用事で改札を出て、また切符を買い直して入るのももったいないことです。新快速であと30分なので、郵便物はそのままカバンに納めました。

 私は、郵便物を持ち歩く癖があり、何ヶ月もカバンに入れたまま、ということがよくあります。急ぐものは、すべてメールや添付ファイルで済むことが多いご時世なのです。郵便で送るものは、ほとんどが数ヶ月遅れても問題はありません。ゆうパックにはお世話になっています。

 郵便物を出すために持っている時は、アッと思ったら、すぐにポストを探します。しかし、そうそううまく近くにはありません。街中ではポストをよく見かけます。それが、投函したいときに限って、なかなか見当たらないものなのです。これは不思議です。

 さて、京都駅では、駅のホームにありました。大阪からの新快速を降りたすぐの所に、到着した2、3番線の、なんと目の前にポストが仁王立ちで待っていてくれました。

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 さらには、向かい合わせの4、5番線にもあるのです。

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 あまりの嬉しさに写真を撮って安心し、肝心の郵便物を投函しないままに改札を出てしまいました。
 京都駅の中で入れ忘れても、駅前にポストがあるし郵便局の本局でも、とよりどりみどりです。
 駅前のバスターミナルの一角にあったポストに、無事に入れることができました。

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 ポストが2つ並んでいることは、以前に五反田駅前のポストの話で書きました。
「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」(2008年01月19日)
 この京都駅前の2つのポストは、どんな事情や背景を持っているのでしょうか。

 大阪駅には、かつて改札内にポストがあったことがわかりました。女性向けに駅を大改装したことに伴い、ポストは撤去されたのです。女性と郵便ポストは無縁だ、ということなのでしょうか。

 今度、天王寺駅で乗り換える時に、改札内にポストがあるのかどうかを確認してみます。
 
 
 
posted by genjiito at 19:08| Comment(0) | 身辺雑記

2017年08月01日

独特の口調でなされる車内放送のこと

 長時間の通勤で感じていることです。
 まず、京都市バスの運転手さんの車内アナウンスが、最近は親切で丁寧になりました。
 あの、やる気のない態度と投げやりな言葉遣いで悪評まみれだった頃とは、雲泥の差があります。あの状況を快く思わずに利用していた生徒や学生や若者たちが、定年退職者と入れ替わり、汚名挽回とばかりに心地よいバスの移動をもたらしています。若手が取り組んでいると思われる新しい流れは、利用者としては大歓迎です。
 これで、京都のイメージは上がることでしょう。
 そんな中で、独特の抑揚でしゃべっておられる方のことが気になります。観光地を案内するバスガイドさんの口調を真似したものとは微妙に違う、自分に酔ったような語り口でありマイクの使い方です。これは、電車のアナウンスでも言えることです。
 車内に流れるアナウンスは、好むと好まざるとに関わらず、乗客は聞くしかありません。鉄道会社の宣伝には、うんざりしています。逃げ切れない箱の中で、無理やり自分に興味のない、関係のない宣伝を聞かされることは勘弁してほしいものです。あれは、立派な押し売りです。しかも、それが独特の節回しで押しつけられると、次の駅で降りたくなります。
 どこの生まれなのだろう、と思わせる不自然な抑揚は、聞きたくないことが多いのです。そんな運転手さんや車掌さんに限って、やたらとしゃべりすぎです。良かれと思って、親切心のなせる態なのでしょう。しかし、ありがた迷惑ということもあります。
 公共交通でのサービスは、必要最低限でほどほどに、ということでしょうか。
 
 
 

posted by genjiito at 20:01| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月31日

またしても不運な選択だった RSSリーダーのこと

 自分が日々チェックしているブログやニュースサイトの新着情報は、一つ一つが更新されたかどうかを確認しながら読むのは大変です。そこで、更新されたタイミングで記事を受け取ることができる「 RSS/フィードリーダー」のお世話になってきました。

 最近まで利用していた「Live Dwango Reader(LDR)」がこの8月末で終了するとの告知が、先週ありました。

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 またしても、私は貧乏くじを引いたようです。といっても、私としてはよくあることです。

 今年の3月には、それまで利用していた「eoブログ」が閉鎖されたために、この「さくらのブログ」に引っ越しをしました。
 それ以前にも、サーバーがクラッシュしたり廃業に伴い、データの置き場所をいろいろな所に置きながら、情報発信を続けて渡り歩いて来ました。
 そして、今また、便利に使っていたツールに関して、お引っ越しとなりました。

 今回廃止される「Live Dwango Reader」という「 RSS/フィードリーダー」は、2013年にGoogleが提供していた「 Google Reader」がサービスを終了したことを受けて、引っ越して使い出したものです。3年以上も重宝して使ってきました。

 いくつか提示された引き継ぎのリーダーとして、まずは「Feedly」を選択しました。しかし、これは以前にも検討したことがあり、今回も試してみて、私にはとても使えそうにないと感じました。そこで、これまで試したことのない「Inoreader」を使ってみることにしました。

 またまた、データのお引っ越しです。そして、その使い方はまだよくわからないものの、これまでに私が読んでいた記事は、何とか引き継いで取り込んでくれているようです。今日どうにか移行したばかりのものなので、しばらくは様子見です。

 情報の発信母体や受信環境は、かつてはホームページがその役割を果たしていました。私も、1995年9月からホームページを運用して来ました。
 それがしだいに、メインのコンテンツがブログに移り、さらにソーシャルメディアになっているようです。公開されている情報の発信と受信が、このソーシャルメディアの範囲内で完結してしまうことに、私は薄っぺらさと物足りなさを感じています。何よりも、その継続性は大いに疑問です。継続の必要のない、思いつきのデータの垂れ流しならば、それはそれでいいのでしょう。
 私のように、大量の情報を、それも毎日流すタイプのユーザーにとっては、ソーシャルメディアはどこまで信用していいのかわからないのです。
 そのため、私は、フェイスブックもツイッターも利用しようとは思っていません。

 また、情報をスマートフォンで閲覧される方が70%に及んでいる、と聞いています。私のブログも、そうした傾向の中で、日々千件近いアクセスがあります。しかし、そうしたユーザーが多いことはほとんど気にせずに、あくまでもパソコンでそれなりに大きなモニタで見ていただけることを前提にして、このブログや科研のホームページを運用し、情報発信を続けています。

 スマートフォンの時代が、そんなに長く続くとは思っていません。iPad Pro の10インチサイズの役割に、今は注目しています。インターネットも、そろそろ限界のようなので、次のネット環境が提供されることを待ち望んでいます。

 同じように、パソコンという今の概念も、大きく変わる時代に突入しだしたのではないでしょうか。インターネットとタイアップしたパソコンという取り合わせの次に、どのような環境が提供されるのか、日々待ち遠しく思っています。その意味では、Apple Watchは失望しました。今年後半に提供される第3世代のApple Watchに期待してみましょう。それと共に、メガネの進化は、以前から注目しています。まだ、具体的なものが提供されていませんが……
 そうした見通しのもとで、今のソーシャルメディアはあくまでも過渡期のものであることから、私はフェイスブックもツイッターもパスをしているのです。

 情報の記憶媒体として、レコード盤→(紙)テープ→カセットテープ→CD→MD→HD→SSD等々、その変転は枚挙に暇がありません。
 そのような流れにどっぷりと浸かりながら、ここ30年以上のお付き合いをしてきて、今、新しい胎動を感じています。その具体的なことは、また機会をあらためて書きます。

 RSSリーダーについても、そのような中での一つと思っています。提供者側の消長も、なんでもありのあのインドの感覚で見ていると、それもありかということで片付きます。
 またまた、おもしろい時代が来そうなので、30数年前のことを思い出しながら、情報誌を読むのが楽しみの一つとなっています。
 
 
 

posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年07月30日

京洛逍遥(453)下鴨神社のみたらし祭の足つけ神事 -2017

 ちょうど昨年の今頃、左足首を剥離骨折しました。
 「突然の左足首の捻挫で1日が止まる」(2016年07月27日)
 あれから1年。いまだに、右足の疣とともに、足の調子はよくありません。

 ちょうど下鴨神社で足つけ神事があったので、お医者さんがだめなら神頼みしかないとばかりに、暑い中を行ってきました。
 昨年は行けませんでした。
 一昨年の様子は「京洛逍遥(364)下鴨神社のみたらし祭 -2015-」(2015年07月19日)をご笑覧を。

 まずは腹ごしらえから。
 うどんの「ぼの」は、下鴨本通りのバス停「下鴨神社前」の北にあります。

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 清々しい店内の雰囲気は、うどん屋さんらしくありません。スイーツでも出てきそうな、おしゃれなうどん専門店です。
 私は外食でよくお腹が痛くなります。痛くなるとそこで食事はストップするので、お腹にやさしい「京湯葉かやく(しっぽく)」をいただきました。

 今年も「みたらし祭」はたくさんの方がお出でです。
 「光琳の梅」越しに、「輪橋」をくぐって「みたらし池」に向かう人が見えます。

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 上の写真では、左下の注意書きで「はきもの」に赤丸で傍点が打ってあることに注目です。海外からの参拝者が多いこともあり、平仮名で書いてあるのです。そして、「ここからは、着物を脱いで」と理解されると大変なので、改行位置に気を遣い、さらに「はきもの」に赤点を傍記してあるのです。「ここから」はなくてもいいのではないでしょうか。

 みたらし池の水は、痺れるほどに冷たいのです。しかし、しばらく歩くと、ほかほかと温まります。

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 池から上がると、神水がいただけます。
 持参のペットボトルにも、なみなみといただきました。

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 一年以上も不調で困っている両足を、賀茂の御祖の神様に治していただこうとの思いから、健脚の祈願をしました。

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 もと来た下鴨本通りに出て、みたらし団子の「ゑびす屋加兵衞」さんの隣にあるフランス洋菓子屋さんの「LAMARTINE(ラマルティーヌ)」で、チーズケーキを買って帰りました。

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posted by genjiito at 17:25| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月29日

[町家 de 源氏の写本を読む](第0回)の報告

 今回から、会場は「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/)になりました。
 地下鉄今出川駅から歩いて5分。酷暑の中だったこともあり、近くなのに歩いていて遠く感じました。
 広い和室の真ん中に座卓を置き、テーブルの上には「彩果の宝石」「さなづら」「二人静」というお菓子を囲むようにして始まりました。

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 まずは、この集まりの今後の方針の確認です。昨日の本ブログに書いたことを、みなさんに了解していただきました。次回の第1回は、来月8月26日(土)の午後2時からです。
 世間話をしながら、今回のテキストであるハーバード大学本「須磨」の来歴などをプリントを見ながらお話しました。配布した資料の説明文を引きます。

  ハーバード大学美術館蔵「源氏物語」の来歴
 『源氏物語』の第一二巻「須磨」と第五二巻「蜻蛉」は、ドナルド・ハイド氏(一九〇九〜一九六六)のご夫人(一九一二〜二〇〇三)の寄贈により、一九七四(昭和四九)年にハーバード大学美術館の所蔵となりました。この美麗な古写本は、弘文荘の反町茂雄氏(一九〇一〜一九九一)の手を経て、一九六二年にドナルド・ハイドご夫妻が購入されたものでした。
 筆者については、鎌倉中期(十三世紀半ば)の天台宗の学僧で和歌にも秀でていた慈鎮(慈円・一一五五〜一二二五)とされ、現在に至っています。現存最古の『源氏物語』の古写本の一つです。
  ※「日本の古典籍 その面白さ その尊さ」(反町茂雄著、一九八四年、八木書店)
  ※『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」・「蜻蛉」』(伊藤鉄也編著、二〇一三〜二〇一四年、新典社)


 このハーバード大学の本との出会いなども、簡単にお話しました。

 ここで確認する翻字は、変体仮名を交えたものとなります。そこで、ユニコードとして先月の国際会議で承認された平仮名フォント(287文字)について、その会議の報告書を印刷したものを見ながら、平仮名について考えました。

 そうこうするうちにすでに1時間。後は、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を、字母に注意しながら確認していきました。中でも、「へ」の字母は「部」とされていることについては、時間をかけていろいろと意見交換をしました。結論は出ないまでも、中国の草書体の文字をも参照しながら、「部」を「へ」の字母にするには無理があるのではないか、というのが今日の結論です。これは、今後とも用例を見ながら深めていく検討対象の文字です。

 人名や地名の話の中では、『土左日記』と『土佐日記』についても話題になりました。平仮名については、まだ不明な点が多いので、自由に語り合って楽しい時間が過ぎていきました。
 次回は、異本の異文について検討することから始めます。

 こうしたことに興味と関心をお持ちの方や、写本に書き写された変体仮名などを読んでみたい方は、どうぞご自由に参加してください。
 この[町家 de 源氏の写本を読む]集まりは、勉強会であることはもとより、いろいろな意見交換の場でもあります。資料の準備がありますので、前日までに本ブログか〔npo.gem.info@icloud.com〕に連絡をいただけると幸いです。
 
 
 

posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年07月28日

明日29日午後2時より[町家 de 源氏の写本を読む]を開催

 過日、本ブログ《「[町家 de 源氏の写本を読む]を再開します」(2017年06月22日)》でお知らせしたように、明日7月29日(土)の午後2時から、「be 京都」(http://www.be-kyoto.jp/)で[町家 de 源氏の写本を読む]という講座を始めます。
 本日28日の京都新聞「まちかど」欄に、以下の告知情報を掲載していただきました。

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 会場は交通の便の良い場所です。近在の方のみならず、新幹線を利用して入洛なさる方も、暫し足を留めて行かれてはいかがでしょうか。週末の2時間を、700年前に書写された『源氏物語』の写本を一緒に読むのも楽しいかと思います。変体仮名は読んだこともない、という方もお気軽にどうぞ。ご参集のみなさまに合わせた対応で、丁寧に読み進めて行きます。

 以下のメモは、上記ブログに掲載したことと重複します。


会場︰「be 京都」(http://www.be-kyoto.jp/
時間︰14時〜16時
所在地︰京都市上京区新町通上立売上る 安楽小路町429-1
電話︰075-417-1315(代)
最寄駅︰地下鉄烏丸線「今出川」下車 2番出口 徒歩5分
    市バス「上京区総合庁舎前」下車 徒歩4分
参加申し込み及び問い合わせ︰本ブログのコメント欄、
  または、電子メール(npo.gem.info@icloud.com)

 
 
 

posted by genjiito at 13:19| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年07月27日

駅のエスカレータで見かけた咥えタバコの初老の紳士

 夕刻、大阪駅でのことです。
 人混みの中で、忙しなくエスカレータの左側を小走りに上る人々を後目に、悠然とそのエスカレータの左側で仁王立ちしている方を見かけました。その肩口からは、煙がモクモクと立ち上っています。
 私も左側を上っていたので、その方の右側が不思議と空いていたのをラッキーとばかりに、一歩右に体を交わして、またすぐに左側を歩いて上りました。そのすれ違いざまに、その方が初老の紳士であり、タバコを口に挟んで煙をくゆらしておられるのを見てしまいました。
 今時、駅のエスカレータで咥えタバコの人は、とんと見かけません。50年前なら、電車の中でタバコを吸う人は普通にいました。電車には、灰皿が取り付けてあったからです。
 それが今、堂々と吸っておられるのを目の当たりにして、あまりの珍しさもあってか、風景として見てしまいました。後になって、あれはハタ迷惑だな、と思い直したほどです。
 おそらく、あの方はどこであってもタバコを口にしておられるのでしょう。何の引け目もなく、自信に満ちた人生を送って来られたと思われます。そうした姿や行為が、周りに溶け込んで見えたのかもしれません。山あり谷ありの人生をご苦労さま、という気持ちになりました。その時は、なんというマナー知らずが、と思うこともなく、そのまま抜き去って遠ざかりました。しかし、あの方は、エスカレータを上り終えてからも、あの人混みの中を咥えタバコで歩いて行かれたのでしょうか。さすがに、整列して乗るエスカレータと違い、人混みでの歩きタバコは歩きスマホ以上に危険です。
 思い返すと、絵になるシーンであり、写真に撮っておくには格好の構図でした。しかし、あまりにも思いがけない出会いだったので、シャッターを切る暇はありませんでした。
 公衆の中ではマナーに反し、人に危害や迷惑をかける行為です。しかし、これだけ堂々としていれば、それもありか、と大自然の中で生きる大らかな気持ちになったりもしました。
 私は、レストランや喫茶店に入った時、たばこの臭いがすると他の店に行きます。それなのに、なぜか不快ではない不思議な気持ちが今も残っているのです。これは何なのでしょうか。
 
 
 

posted by genjiito at 19:38| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月26日

須磨寺から望んだ関空と関空から望んだ須磨浦公園

 先週の土曜日に、「百星の会」のみなさまと一緒に、須磨の『源氏物語』関連の地を散策しました。そして、須磨寺で一絃琴の演奏を聴き、一絃琴を実際に弾く体験もしました。その須磨寺の駐車場から、眼下の大阪湾越しに関空を見霽かす機会を得ました。午後3時過ぎの、すばらしい眺望でした。
 写真の右手に、淡路島が横たわっています。

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 そして今日の夜7時頃、京都に帰らずに止宿先とした泉佐野のホテルから、夕陽を映発する大阪湾越しに、須磨明石の地を眺めることになりました。次の写真の左横に、淡路島が横たわっています。

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 4日という短い期間に、大阪湾を挟んで北と南から、関空と須磨の地を見ることができました。
 次は、大阪湾を挟んでの、明石と住吉からの景色に身を置きたいと思うようになりました。
 まさに、『源氏物語』の「須磨」「明石」「澪標」の3巻における、光源氏と明石御方の物語を体現することになるのです。
 『源氏物語』に描かれる舞台の至近の地に住むこととなり、物語がますます身近なものに思えてきます。
 今も変わらずに語られる場がこうしてあることは、本当に幸いなことです。
 折々に、こうして実感しながら物語を楽しんでいきたいと思っています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:20| Comment(0) | ブラリと

2017年07月25日

大阪の天神祭に向かう浴衣姿の男女

 仕事帰りでのことです。
 大阪環状線内に入ってから、多くの浴衣姿の女性を見かけました。連れの男性も、女性ほどではないにしても、チラホラ。いや、予想外に結構浴衣です。女性よりも、男性の方が襟元がきまっています。女性の着崩れが目立つのは、気のせいでしょうか?

 車内放送では、「天神祭にお越しの方は、桜宮駅が混雑していますので、天満駅でお降りください。」と、たどたどしい日本語で連呼していました。JR西日本には、きちんとした日本語でアナウンスができる人が見当たらなかったのでしょうか。

 車内を見わたす限りでは、浴衣姿の男女が交わしているのは大阪弁ばかりです。駅のホームに降り立っても、やはり浴衣の男女が楽しそうに、大阪弁で盛り上がっています。

 そういえば、京都の街中で浴衣姿といえば、海外からの方々が多く、しかもそのほとんどが中国からの方々だと、新聞に書いてあったことを思い出しました。

 これは当たっているように思えます。何かデータがあるのでしょうか。学生の夏の研究課題として、最適なテーマのように思います。

 どなたか、この調査をしてみませんか?
 
 
 

posted by genjiito at 19:42| Comment(0) | ブラリと

2017年07月24日

京洛逍遥(452)祇園祭の後祭の山鉾巡行から解体まで

 祇園祭の後祭で山鉾巡行がありました。10基の山と鉾が、御池通から河原町通を下ります。巡行と共に下り、四条河原町の交差点で、辻回しを見ました。

 道路に竹を敷いて、大きく重い山鉾を90度回転させるのは、なかなかの見ものです。
 以下、写真は辻回しのみにしておきます。
 今日の後祭は、次の順番で巡行しました。

 橋弁慶山

 ○北観音山
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 鯉山

 役行者山

 八幡山

 ○南観音山
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 鈴鹿山

 浄妙山

 黒主山

 ○大船鉾
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 山鉾巡行の後は、子ども神輿を先頭にして花傘巡行が続きます。
 獅子舞が沿道の観客の頭を噛んで回っていました。

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 我が子を見守るお母さんたちも目立っていました。

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 祇園甲部と宮河町の芸妓さんたちも参加しておられました。

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 その他、子鷺踊りなど、いろいろな行列が続きます。

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 しんがりの「岩戸山」は、なぜここに付いて巡行しているのか、調べてみてもよくわかりませんでした。ご教示を。

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 お昼は、御幸町六角下るの「ここら屋 御幸町本店」で鱧の丼をいただきました。

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 そして、デザートは錦市場の中の「黒豆茶庵 北尾 京の台所・錦店」で「抹茶〈冷〉(豆しぼり、キラキラ付)」をいただきました。

 錦市場を抜け、新町通で今日の辻回しで大活躍をした三つの山鉾の、衣装を脱いだ姿を見てきました。

◆南観音山
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◆北観音山
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◆大船鉾
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 また、粽を探してもどこも残っていないとのことでした。
 そこで、バスで八坂神社へ行き、御本社で粽をいただきました。ここの粽は初めてです。

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 今年も残り半年を、無病息災で過ごせますように。
 
 
 

posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年07月23日

(補訂版)神戸で百人一首の合宿の後はお楽しみの食事とスイーツツアー

 神戸市北区にある総合福祉ゾーンの「しあわせの村」で開催された「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」の夏期合宿は、今日が2日目です。

 昨夜は、不可思議なことがありました。夜、何度かエアコンが切れました。暑くて目が覚めると、エアコンが作動していないことに気付いたのです。そのために、3回もリモコンのスイッチを押し直しました。T時間のタイマーが設定されていたようです。同室の3人は、みなさん目が見えない方々なので、エアコンのリモコンを操作しようにも難しいのです。自ずと、私の役割です。なぜT時間にセットされていたのか不明です。タイマーのボタンなどは見当たりません。朝、他の部屋の方に伺うと、みなさん一晩中快適だったとのこと。少し寝不足で2日目を迎えました。

 午前中はカルタ取りの錬成会、午後は神戸三宮元町のスイーッツァーとなりました。

 まず朝9時半からは、リーダーの関場さんから依頼を受けた、『源氏物語』に関係する『百人一首』の歌10首の解説をしました。
 この内容は、一昨日の本ブログ「『百人一首』から選んだ『源氏物語』関係の歌10首の簡単な説明」(2017年07月21日)に記した通りです。ただし、30分という時間しかないこともあり、ブログの内容をわかりやすく手短にまとめました。説明不足ですみませんでした。
 『百人一首』の和歌の字句が揺れていたことや、歌から五感に訴えてくる部分の指摘には、興味を持ってもらえました。特に、紫式部の歌の最後のことばである「夜半の月かな」と「夜半の月影」については、みなさん意外だったこともあり、『百人一首』の言葉にも注意が向いたようです。自分なりの解釈を持っていると、『百人一首』のカルタ取りがもっともっとおもしろくなることも、少しは伝えることができました。カルタ取りという性格上、早く札を取ることだけに関心が向きがちです。しかし、この和歌の言葉に違った言い伝えがあることは、意表を突くものだったようです。

 拙いながらも私の話によって、物の見方を大きくし、ゆったりと構えていただいた後は、実践形式のカルタ取り会です。
 「点字・拡大文字付 百人一首」は、まだ完成していません。ルールはもとより、カルタ台やカルタの形と、そこに書く和歌の中から抜き出す文字についても、日々進化しています。
 今回も、八橋型と名付けたカルタで、さまざまな試行錯誤がなされました。
 特に、黒白反転したカルタを使った実践競技がそれです。これは、弱視者も文字の識別がしやすいので好評でした。

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 男女の名人級が対戦するエキシビションもありました。
 とにかく、カルタが上下左右に飛び交います。
 持っていたデジタルカメラで連写しながら、どちらが先にカルタを取ったのかをその場で判定しました。
 「写真判定だ!」とみなさんから大受けでした。

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 しかし、目が見えないために、複数枚の札に指がかかってカルタが飛びます。どの札を飛ばしたのかが、写真判定では確認できないことが多いのです。目が見える方同士の試合では、ピンポイントでカルタを飛ばせます。しかし、見えない者同士ではそこまではできないのです。この判定方法については、今後の課題と言えます。

 続いて、発想をまったく変えた、南沢さんの新方式も紹介されました。4枚だけを一枚のシートの四隅に置くことで、確実に札が取れ、どの一枚を飛ばしたかがわかりやすくなります。そして、取られた札が置いてあった場所に、別の札が置かれるというものです。

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 対戦した名人(?)2人は、頭の切り替えが楽しめたとのこと。これは、晴眼者と一緒にカルタ取りができることにもつながります。ただし、これには、私が担当したカルタを補充する役の動きとタイミングが、勝敗を分ける大きなポイントともなりかねません。
 今回は初めての挑戦でした。今後の展望が開ける、楽しい未来が見えてきました。
 進化する「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」に、今後とも大いに期待していただきたいと思います。

 午後は神戸三宮と元町に繰り出し、「ステーキランド つるうし館」で楽しみにしていた食事タイムです。これは、姉が何度も下見をし、ステーキ屋さんには5回も足を運んで試食をしたのだそうです。メニューの品定めをして、シェフとの交渉もしてくれました。その苦労の甲斐があってか、みなさまには満足していただけたようで安心しました。目の前で展開する包丁捌きのパフォーマンスは見えないとしても、ステーキと野菜を焼く音と、包丁が鉄板とぶつかり滑る軽快な金属音、さらには食欲をそそる香りは格別のものが有りました。まさに音と香りのショーに参加したのです。

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 次は、5軒のスイーツ巡りです。洋菓子の「ケーネヒスクローネ」、チーズケーキの「観音屋」、ケーキの「パティスリー」「トゥーストゥース」、きんつばの「高砂堂」。このお店と巡回コースも、姉が決めてくれました。みなさん、お土産が増え、リュックが一杯になっていました。

 新神戸駅でのお別れでは、あまりにも感動的な2日間だったこともあったためか、思わず涙する方々と再会を約してのお見送りとなりました。
 ガイドヘルパーのみなさまにも、お礼申し上げます。楽しい旅にするためのお手伝いを、ありがとうございました。おかげさまで、すばらしい成果があったと思います。関場さん、お疲れさまでした。広島大学からお手伝いで参加した2人にも感謝します。
 
 
 

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2017年07月22日

目が見えない方々と須磨で『源氏物語』の散策をしました

 今日はお昼前に、新神戸駅に23人が集合。目が見えない方は13名。目が見えるガイドが10名です。
 参加者は、福島・栃木・群馬・埼玉・東京・神奈川・京都・和歌山・大阪・広島・島根と、全国からの参加です。
 お一人だけ列車の事故に巻き込まれたとのことで、遅れての到着です。まずはみなさにはバスの中で待っていただきました。それでも、定刻に旅は無事に始まりました。

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 バスの中では、参加者各自が自己紹介。リーダーの関場さんの名調子で、楽しくスタートです。

 お昼は、神戸市立国民宿舎「須磨荘 シーパル須磨」内の和食処「漁(すなど)」で、おいしい海鮮丼をいただきました。
 食後は、近くに建つ行平の歌碑まで、須磨浦の海風と波音と塩の香りを肌身に感じてもらいながら散策をしました。これは、予告していませんでした。現地に着く前に、海岸に歌碑があることを知り、急遽コースに入れました。みなさん、歌碑をさわり、書かれた行平の和歌2首を触読しておられました。

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 チャーターしたバスには電話で連絡をとりながら近くまで来てもらい、サッと乗り込みました。
 次は関守稲荷神社(須磨の関跡)です。ここの入口には、俊成の歌碑があります。

     俊成
  聞き渡る
   関の中にも
   須磨の関
   名をとゞめける
   波の音かな


 境内には、『百人一首』の源兼昌の歌碑があります。

      源兼昌
  あはちし満
    閑よふちとりの
   那くこゑ耳
    いくよねさめぬ
     す万のせきもり


 『源氏物語』で、光源氏が須磨に退居していた時、巳の日祓いをしたところをここになぞらえ「巳の日稲荷」ともいわれています。

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 さらに3分ほど歩いて現光寺へ。「光源氏旧居跡」の石柱を触って、「源氏寺」と刻まれた石碑のところから、坂を上って本堂に向かいました。
 住職がお茶を出してくださったので、それをいただいて少し休憩しました。
 本堂には、国宝『源氏物語絵巻』10枚をふすま絵に模写したものがありました。
 ここは、光源氏が住んでいたところだとされています。

 この現光寺からバスで須磨寺に移動。

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 須磨琴保存会の小池みほさんのご好意により、須磨琴の演奏をたっぷり堪能しました。

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 その後、みなさんに須磨琴を体験していただきました。須磨琴を7台も出していただけたので、みなさん一絃琴をひくことができました、これは、想像していなかったサプライズとなりました。

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 その後は、バスで今日の宿泊地である「しあわせの村」に行きました。
 みなさんと楽しい食事をし、温泉に入り、それから集会となりました。
 3人の全盲の方の活動報告を聞きました。
 松江で『百人一首』の勉強をなさっている伊藤さんからは、『百人一首』との出会いや現在の活動の報告を伺いました。独学です。
 続いて、福島県からお出での渡邊さんから、これまでの高校の教員生活と『百人一首』の楽しい話を聞きました。一緒に科研に取り組んだ仲間なので、また新しい一面を発見しました。
 栃木からお越しの南沢さんは、小学校で『百人一首』のクラブを立ち上げた話や、カルタ台の今後について、さまざまな構想も語られました。アイデアマンです。

 みなさん、それぞれに人を惹きつける秘訣を体得しておられます。そうであるからこそ、周りに少しずつ『百人一首』に興味を持つ人たちを、それも目が見えない方々を巻き込んで来られたので。そのパワーには驚くばかりです。

 最後に、この会を取り仕切っておられる関場さんから、カルタ台の普及がこれからの『百人一首』の全国展開のカギとなるという話がありました。

 さらに夜の部は、みんなが一部屋に集まり、日付が替わるまで大賑わいでした。
 とにかく、パワフルな1日でした。
 明日は、『百人一首』のカルタ会です。今日以上に盛り上がることでしょう。
 今晩は、全盲の男性3人と一緒の部屋で休みます。いろいろな話をしながら、学生時代を思い出しています。
 
 
 
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2017年07月21日

『百人一首』から選んだ『源氏物語』関係の歌10首の簡単な説明文

 明日、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまを須磨に案内し、明後日は宿泊研修のお手伝いをします。
 研修の時、今回選び出した和歌について、少し説明することになっています。
 その場の説明だけではよくわからないことが多いと思われますので、以下に予習と復習を兼ねて、用意している文章を引用しておきます。

 この文章は、印刷したものを当日お配りします。
 今回は、福島・栃木・群馬・埼玉・東京・京都・大阪・和歌山・島根と、広範囲からお集まりのようです。
 それでは、道中お気を付けてお越し下さい。
 みなさまとの再会を楽しみにしています。


【11】参議篁
「わたのはらやそしまかけてこきいてぬと ひとにはつけよあまのつりふね」
《大海原の島々を目指して漕ぎ出したと、都の人には告げてくれ、漁師の釣り船よ。》
 →小野篁は、光源氏と同じく官位を剥奪されて流罪。遣唐大使の船が壊れた時、副使だった篁は船の交換が不満で乗船を拒否。嵯峨上皇の怒りをかい、隠岐島に流された。出雲の地で詠まれた歌。「人」は家族か恋人か友人か? 背景に船を漕ぐ艪の音が寂しく響いている。墓は京都にある紫式部の横。

【14】河原左大臣
「みちのくのしのふもちすりたれゆゑに みたれそめにしわれならなくに」
《福島県信夫のしのぶずりの乱れ模様のように私の心が乱れているのは、他ならぬあなたのせいなのです。》
 →源融は光源氏のモデル。「夕顔」巻の「某院」は、塩釜の景色を写した河原院が舞台。融の宇治の別荘は後に平等院になる。「誰」は「たれ」と清音。伝わる本文に違いがあり、「乱れ初めにし」は『伊勢物語』、「乱れんと思ふ」は『古今和歌集』。『百人一首』の前に出来ていた、勅撰集から選んだ歌集「百人秀歌」から独立して「乱れ初めにし」になった。

【16】中納言行平
「たちわかれいなはのやまのみねにおふる まつとしきかはいまかへりこむ」
《貴方と別れて因幡の国(鳥取県)へ行っても、いなば山の峰に生える松のように、あなたが待つと言うのを聞いたならすぐに帰ってきましょう。》
 →在原行平は須磨を漂流した。松風村雨堂に歌碑。『古今集』には「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」とある。一絃の須磨琴を行平が作ったという伝説あり。赴任にあたって左遷のような気持ちを、妻か母か友に贈った歌。

【24】菅家
「このたひはぬさもとりあへすたむけやま もみちのにしきかみのまにまに」
《今回の旅は急なことなのでお供えの幣の用意もできませんでした。手向山の紅葉を神のお心のままにお受け取り下さい。》
 →光源氏のモデルの一人とされる菅原道真。九州の太宰府に左遷されたまま没し、その霊が雷神となって都に現れた。天神信仰を背景に持ち、神へ奉納する紅葉から、この歌は竜田山で詠まれたとも考えられる。

【27】中納言兼輔
「みかのはらわきてなかるるいつみかは いつみきとてかこひしかるらむ」
《みかの原を分けて湧き出てくる泉川ではないが、あなたをいつ見たというので、このように恋しいのだろうか。》
 →「み」と「か」の音が流れるように響く。水が湧き、川が流れる音が背景で聞こえる。この歌は、「逢わざる恋」か「隔離された恋」のどちらか? 藤原兼輔は紫式部の曽祖父で「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」は『源氏物語』に26回も出てくる。

【55】大納言公任
「たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなほきこえけれ」
《滝の音は聞こえなくなってから長い年月が経ったけれど、その名声は今でも世間に伝わり聞こえてくることだ。》
 →藤原公任は、紫式部に「若紫はおられませんか」と声をかけた。「た」と「な」の音の繰り返しが心地よい。本によってこの歌は、「音」と「糸」の違いがある。聴覚の「聞こえ」が「音」の縁語になるか、視覚の「糸」が「滝殿の実景」と結び付くか。

【57】紫式部
「めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはのつきかけ」
《久しぶりにめぐり逢い、見分けのつかないうちに雲間に隠れた夜半の月のように、あなたはあわただしく去って行き残念です。》
 →『源氏物語』の総編集者。『源氏物語』の「雲隠」巻は巻名だけで文章はない。「月影」は『百人秀歌』や競技用かるたでは「月かな」と、いろいろな言葉で伝わっている。七夕を意識した歌であり、「月影」の方が人の別れる情景は深まる。

【78】源兼昌
「あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよねさめぬすまのせきもり」
《淡路島から通う千鳥の悲しい鳴声に、いく夜目を覚ましたことだろうか、須磨の関の番人は。》
 →関守稲荷神社に歌碑。この歌は、千鳥の鳴き声が耳をかすめる。「須磨」巻に「まどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く」。同じく「友千鳥もろ声に鳴く暁は一人寝覚の床も頼もし」を本歌取り。『源氏物語』をヒントにして詠んでいる。

【83】皇太后宮大夫俊成
「よのなかよみちこそなけれおもひいる やまのおくにもしかそなくなる」
《世の中というものは逃れる道はないものなのだ。深く思いこんで入ったこの山奥にも、鹿が悲しげに鳴いている。》
 →関守稲荷神社に藤原俊成の歌碑あり。「聞き渡る関の中にも須磨の関名をとゞめける波の音かな」。鹿が悲しげに鳴く声が背景から聞こえる。俊成は後に「歌詠みが源氏物語を知らないとは何たることか」と言った。

【97】権中納言定家
「こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ」
《待っても来ない人を待つ、その松帆の浦の夕なぎの時に焼く藻塩のように、わが身は恋心に焦がれている。》
 →藤原定家は『百人一首』の撰者。『源氏物語』の本文を整理した。この歌は、女が恋人の訪れを待つ趣向。無風の「夕凪」や「焦がれ」に皮膚感覚がある。

〔参考文献︰『百人一首の新考察』吉海直人、世界思想社、1993年〕

 
 
 
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2017年07月20日

新規科研(A)の取り組みが順調に動き出しています

 昨日は、システム開発管理会社にお願いしている、科研の新ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」に関する打ち合わせをしました。これまで公開していた「海外源氏情報」(http://genjiito.org)のバージョンアップ版となります。

 昨年度までのホームページ「海外源氏情報」は、すでに海外における平安文学の研究に役立つ、膨大な情報を提供するサイトとして育ちました。そのデータを継承する中で、新たなスタイルに移行しながら、より使い勝手の良いデータバンクを構築しようとしているところです。
 システムの開発チームから寄せられている、いろいろな質問に答える形で、一つずつ前進しています。予定通り、8月上旬に試作版を公開できると思います。みなさまからのご意見を取り入れながら、平安文学に関するデータバンクを次の世代に手渡ししていくつもりです。

 過日このブログを通して募ったアルバイト要員に関しては、すでに10人が集まったので、ここで一旦締め切ります。全員が大阪観光大学の1回生という、おもしろい構成となりました。今回の科研の研究期間は4年間なので、彼らの卒業とともに次世代にすべてを引き継ぐことになります。ゴールがはっきりしたこともあり、なかなかいい形でのスタートとなりました。

 これまで手薄であった東南アジア出身の学生が中心となって翻訳本を整理し、日本語を母国語とする学生が各種言語の情報を日本語で整理し統合することになります。
 今日集まったメンバーは、生まれも育ちも興味のありようもバラバラです。しかし、今回のような気の遠くなる壮大なテーマには適任の若者たちです。
 アルバイトに関してご要望にお答えできなかった方々には、この場を借りてお詫びいたします。またの機会に、手助けをよろしくお願いします。

 今日は、新しいメンバーで、作業をする部屋の一大整理をしました。備え付けのソファーやテーブルを外に出し、体育館から折りたたみのテーブル3台とイス数脚を運び込んで、部屋の真ん中に広い作業空間を確保しました。三方の壁面はすべて書棚です。

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 これで、10人が同時に仕事をすることができます。事務の方々のご理解とご協力には、いつものことながら感謝という言葉しか表現方法が見つかりません。ありがとうございます。

 多言語を扱うテーマに取り組むだけに、知的好奇心に満ちた多彩なメンバーの学生集団となりました。それだけに、今日の部屋の片付けも、みんなでああでもない、こうでもないと、和気藹々とやりました。楽しい仲間が集まり、今回もおもしろい成果が得られそうです。

 実働部隊は確保できました。次は、このプロジェクトを事務的な面からサポートしてもらえる専任者を、依然として探し求めています。プロジェクト研究員という立場の役割分担者となります。条件がいろいろとあるので、なかなかいい出会いに至っていません。興味と関心をお持ちの方からの連絡を、今もお待ちしています。
 とりあえずは、週に3日ほど、午後に大阪観光大学に来てくださる方が見つかりましたら、この科研は本格的な始動となります。
 実際には、今秋10月から来てくださる方との出会いを待ち望んでいます。

 これまでに何かと支援をしてくださっていたみなさまに、まずはこの記事を通して現状の報告といたします。そして、今回の研究を支えてくださる方々へも、この場を借りて現時点での報告とするしだいです。
 こらからも変わらぬご支援を、どえぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

posted by genjiito at 21:51| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月19日

南海泉佐野駅前の南北が逆の地図に惑わされて彷徨う

 今日は大学から京都の自宅には帰らず、職場の最寄り駅の一つである泉佐野駅前のホテルに泊まっています。連日の猛暑の中、往きが2時間50分、帰りが3時間半という小旅行は、さすがに体力を消耗します。しかも、ラッシュ時に移動することになるので、体力温存のためにも、長時間の通勤もこのあたりで中休みということにしました。

 大学のスクールバスは、学校を出て8分でJR日根野駅に着き、そこからさらに12分で南海泉佐野駅に着きます。日根野にはホテルが一つしかなくて、しかも高いので、泉佐野まで出ることにしました。
 駅前のロータリーには周辺図がありました。よく見ると、2枚が仲良く並んで貼られていています。それも、あろうことかそれぞれ、南北がまったく正反対の地図です。頭の中の方向感覚が、上を下への大騒ぎです。

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 これに惑わされてか、予約した徒歩2分のホテルに、何と30分もかかってしまいました。駅の西側へ行けばいいところを、東の賑やかな所へ迷い込んだのです。手にはスマホのナビを持ちながらだったので、我ながら方向感覚を狂わされたことに少しがっかりです。海外でも、地図を片手に、1人でどこへでも行けたのに……

 食事に出たところ、レストランも食堂もなくて、見かけるのは小さな飲み屋さんだけです。商店街はシャッター通りとなっていました。
 かつては賑わった街であることが、歩くだけでわかります。しかし、今は駅から数歩歩くと、寂しい雰囲気が伝わってきます。場所がいいので、また活気を取り戻すことでしょう。そのための方策は、練っておられるに違いありません。

 今春から観光ということに目が行くようになったこともあり、素人ながらもここは復活しそうな気がします。日本の新方針である観光立国という時流に、うまく乗れるかというのがカギでしょう。大阪湾側の再開発で、関西国際空港に面した泉佐野が生き返るのを、これから楽しみにしたいと思います。
 
 
 

posted by genjiito at 23:14| Comment(0) | ブラリと

2017年07月18日

科研のアルバイト募集中[その2](「海外へいあんぶんがく情報」の情報収集と整理)

 過日、「科研のアルバイト募集(「海外へいあんぶんがく情報」に関する情報の収集整理)」(2017年06月05日)という記事を、本ブログに掲載しました。
 来月には、新たに「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)を公開できる予定です。そこで、さらにお手伝いをしてくださる方を追加募集することにしました。

 仕事の内容や条件は、過日とほぼ同じです。在宅ではなくて、実際に大阪観光大学に来ていただいて、情報や資料の収集と整理、ホームページの作成と更新および補訂をおこなっていただくことが基本となります。

 現在、4人の方がこうした仕事を手伝ってくださっています。大学一年生が中心なので、専門的な知識が求められるものではありません。こうしたテーマに関する、興味と関心が強ければ、十分に楽しくやっていただけるはずです。また、本科研のテーマの一つに、若手の育成があるので、これにも合致した取り組みとなっています。

 今回はさらに、もう一つのテーマである多言語翻訳に関して、お手伝いをしてくださる方を求めています。
 国際連合の公用語は〈英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語〉の6言語です。そこで、『源氏物語』が翻訳されている33言語のうち、この6言語以外の言語が(自由に?)読み書きできる方を求めています。これは、在宅でお願いすることになります。委細はすべてメールで確認したいと思います。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
 アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語


 このアルバイトに興味をお持ちの方は、過日同様に、このブログのコメント欄を通して、簡単な自己紹介と共に連絡をいただければ、私からあらためて具体的に説明するなり、直接お目にかかってご説明いたします。

 いい出会いがあることを、今回も楽しみにしています。
 
 
 

posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月17日

京洛逍遥(451)[洗い茶巾]のお稽古の後、巡行を終えた祇園祭の山鉾を見る

 大和平群にお茶のお稽古に行きました。京都市内をバスで移動中のことでした。バスは、河原町通りを避けて河原町丸太町から鴨川を東に渡り、川端通りを川沿いに五条まで下りました。祇園祭の巡行のために交通規制があるからだそうです。洛中の一角で行われているお祭りではあっても、市をあげての一大イベントとなっています。
 バスが川端三条を通りかかった時、車中から西の方を見ると、河原町通りを一基の山鉾が視界に入りました。

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 三条大橋から河原町通りにかけては、ものすごい人出です。浴衣を着た男女が目立ちます。
 ニュースによると、浴衣姿の7割以上が中国から観光においでの方々だそうです。海外からお越しの方々が、日本の伝統的な夏の風景を作り出してくださっている、ということになります。これも日本の文化の特徴であり、一面なのです。真似をし、真似をされる中で、また新しい文化が生まれます。何でもかんでも批判的にとらえないで、1日も早く幅広い視野でアジア圏における文化の伝播や継承を語り合いたいものです。

 元山上口駅に降り立つと、ホトトギスが喧しいくらいに鳴きあっていました。一、二羽がほどほどです。インドで孔雀やインコの大群と出くわしたときも、興醒めだったことを思い出します。

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 今日のお茶のお稽古は、前回お願いしていた、丸卓を使った洗い茶巾です。お盆にお呼びするお客さんのためのお稽古です。夏らしい涼しげなお手前なのです。
 茶碗に張った水に茶巾を浸けて持ち出し、茶碗の上で音をたてて軽く絞ります。その後、建水の上でしっかりと絞ります。この時の音で涼しさを感じていただくことがポイントだと思いました。
 また、我が家の風炉は電熱器を使っています。いつも熱くなりすぎるので、スイッチを入れたり切ったりしていて、慌ただしいことです。これも、抹茶を棗からお椀に掬い入れたタイミングで水差しの蓋を取るので、その時に水を釜に足したらいいことも覚えました。
 臨機応変にと言っても、それなりの場面があってのことなので、タイミングを見計らっての動きは覚えておくに限ります。
 この丸卓を使った洗い茶巾のお点前は、どうしても覚えたかったものなので、もう1回お浚いをしていただきました。
 今春からは月に2回のお稽古を心がけています。これまでの年に数回と違い、その時だけでは覚えきれないにしても、思い出す間隔が短いと気分的にも思い出す苦労がない分だけでも楽です。

 お稽古から帰る途中で、祇園祭の前祭で今日の巡行を終えたばかりの山鉾を、妻と待ち合わせて見に行きました。粽は、後祭の折にいただくつもりです。
 ちょうど7年前の7月16日のことです。私にとって、それよりも妻にとってはさらに忘れられない祇園祭でした。その日、私がガンの告知を受けたからです。その夕方、妻と御池で待ち合わせて祇園祭を見てから、長刀鉾の近くで鱧寿司をいただきました。

「心身雑記(59)ガンの告知を受けた時の気持ち」(2010年07月17日)

 今日は巡行を終え、明日の解体を待つ山鉾を見て回りました。
 以下、新町通りの南北が中心です。

■放下鉾
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■船鉾
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 この船鉾の左後に岩戸山が立っています。

 ■岩戸山
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 四条通にも、一仕事終えた山鉾が立っています。
 月鉾の向こう左手に函谷鉾が見えます。

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 そして、新町通りの「いっ献」と、錦市場の「そわか」でお神酒を少しいただきました。

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 四条通りに出ると、御神輿の賑わいの最中でした。すでに時刻は夜の10時を回っています。それにもかかわらず、大勢の人が四条通を埋め尽くしています。祇園祭の底力を目の当たりにしました。

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 今年も、無病息災の後半となることを祈り、長刀鉾の粽菓子を我が家の仏さんに買って帰りました。

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posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年07月16日

『百人一首』から『源氏物語』と関係のある10首を選ぶ

 今週末の22日(土)に、「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまを須磨に案内します。
 この計画は、過日の「目が見えない方々と須磨を散歩をするための下見」(2017年07月03日)で報告したように、ほぼ確定しました。食事もデザートも、何とか確保できました。みなさまに満足していただけるように準備を進めています。
 その後、宿泊研修場所となる「しあわせの村」でのイベントの検討が進む中で、翌23日(日)の午前中に、『百人一首』の中から『源氏物語』に関係のある歌を10首選び出し、その説明をすることになりました。そして、その歌を取り合うのです。
 実際に『百人一首』の中から『源氏物語』と関連する歌を抜き出してみようとすると、なかなか選べません。しかも、今回散策する須磨との関連も必要です。
 そこで、以下の10首を選んでみました。
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■『百人一首』の中で『源氏物語』と関係のある10首



【11】小野篁「わたの原八十島かけて〜」
  →光源氏と同じく官位剥奪の上で流罪。墓は紫式部の隣。

【14】源融「陸奥のしのぶもぢづり〜」
  →光源氏のモデルで、河原院が「夕顔」巻に関連。

【16】在原行平「立ち別れいなばの山の〜」
  →須磨を漂流し松風村雨堂に歌碑。須磨琴を製作したとか。

【24】菅家「このたびは幣もとりあへず〜」
  →光源氏のモデルとされる一人で、九州に左遷された。

【27】藤原兼輔「みかの原わきて流るる〜」
  →紫式部の曽祖父で「人の親の心は闇にあらねども〜」は『源氏物語』に26回も出る。

【55】藤原公任「滝の音は絶えて久しく〜」
  →酔った公任が紫式部に「若紫はおられませんか」と声をかけた。

【57】紫式部「めぐりあひて見しやそれとも〜」
  →『源氏物語』の編集者。

【78】源兼昌「淡路島かよふ千鳥の〜」
  →関守稲荷神社に歌碑。「須磨」巻に「まどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く」。

【83】藤原俊成「世の中よ道こそなけれ〜」
  →関守稲荷神社に俊成の歌碑。「歌人が源氏物語を知らないとは何たることか」と言った。

【97】藤原定家「来ぬ人をまつほの浦の〜」
  →『百人一首』の撰者で、『源氏物語』の本文を整理した。

 当日までに、みなさまが少しでも予習して参加できるように、これら10首について、簡単な説明を付けたいと思っています。ただし、目が見えない方々への説明文は、いろいろと配慮すべきことがあり、苦心惨憺しているところです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:03| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年07月15日

孫の「百日の祝い」の後に絵本が引き継がれる

 子どもが誕生した時の儀式としては、『源氏物語』の「柏木」巻に薫の、また「宿木」巻には匂宮の若君の「五十日の祝い」(いかのいわい)のことが語られています。国宝『源氏物語絵巻』の「柏木(3)」では、「五十日の祝い」で薫を抱く光源氏が描かれています。
 「百日の祝い」(ももかのいわい)のことは、現在手元にある『源氏物語』の本文からでは、確認できませんでした。異本の異文はまだ調査ができる状況にありませんので、不明といわざるをえません。
 『御堂関白記』によると、藤原道長の孫に当たる敦成(あつひら)親王が「百日の祝い」をしていることが確認できます。

 それから1000年以上もの時を隔てた熱暑の今日、娘たちが「百日の祝い」をするというのです。両家の両親ともども集まり、婿殿の親友が営む大阪の料理屋さんで、「お食い初め」というお祝いの儀式をおこないました。
 通過儀礼を記録しておくと、いつか本人が見て自分の歩みを確認することでしょう。節目節目のお祝い事は、みんなで祝って成長を見守っていくことにします。

 まずは立派なお膳が、主役である孫娘の前に据え置かれました。親友の大将が、心を込めて作ってくれた祝い膳です。

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 婿殿のお父さんが、食べさせるまねをして始まりました。

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 ある本によると、「健康で丈夫に育ちますように」とか「一生食べ物に困らないように」という主旨の願いを込めた、日本の伝統的な儀式だとありました。1000年の歴史の中で、その意味が曖昧になり、現代人にわかりやすい理由付けがなされているように思います。先の「五十日の祝い」では餅を使い、長寿者が子どもに与えるので、命や魂の活性化がその本来の意義にあるはずです。その後、魚になったり「百日の祝い」になったりしたのではないでしょうか。不勉強のため、まだ多分に私見ですが。

 お食事会が終わると、一旦娘たちの家に戻り、あらためてお祝いの会となりました。
 娘が作ったケーキを、みんなでデザートとしていただきました。

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 婿殿のお母さんが、息子が小さいときに読んでいた絵本だといって、数冊を持参しておられました。
 その中に、偶然、娘たちがすでに買っていた『いない いない ばあ』と同じ本がありました。33年の時の変化を、奥付で見比べました。

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 婿殿が小さい頃に愛読していたのは、昭和58年(1983)年の「第17刷」でした。
 そして孫娘がこれから読むことになる最新版は、2016年の「改訂第247刷」でした。
 「改訂」とあるので、この2冊を比べると、どこかが変わっているのです。それがどこで、どうなっているのか、そしてなぜ変えたのか、婿殿と娘への宿題としておきましょう。
 この本は、我が家の子どもたちも読んでいたようなので、長い間、多くの子どもたちに読み継がれている本のようです。
 この本で、また一人が育っていきます。
 今後の成長が、大いに楽しみです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:29| Comment(0) | 美味礼賛

2017年07月14日

やっと研究室の荷物が片付き床が見え出しました

 本年1月に事務的な手続きのために大学へ行き、私が使う予定の研究室に入った時は、備品がいくつか置いてあるだけでした。

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 19年前には、この上の階の研究室を使っていました。ベランダの位置が違うだけで、同じ広さの懐かしい部屋の雰囲気に、つい時間が行きつ戻りつしました。

 3月、東京から荷物を運び込む直前には、一応事務的な仕事ができる状態にして、急ぎの書類などを作ったりしていました。

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 やがて、荷物がどんどん部屋の真ん中から積まれていきます。

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 狭い隙間が通路となり、荷物に囲まれた生活が今月まで続きました。
 東京から運び込んだ段ボールは130個。その段ボールの姿が部屋から消えたのは、6月末のことでした。といっても、段ボールがなくなっただけで、床にはその中に入っていた資料等が所狭しと積み上がっています

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 そして昨日、とにかく床がすべて見える状態になりました。見た目にも、やっと部屋らしくなりました。

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 とはいえ、段ボールから出した本や資料などを、書棚に押し込み、積み上げ、片付けただけです。まだ、整理とは程遠い状態です。

 この夏には、書棚の整理をしたいと思っています。
 4ヶ月がかりで、人が入ってきても恥ずかしくない状態になっただけです。
 運び込んだ荷物は、これから使いやすいように並べ替えたり、置き換えたりすることになります。

 大学の研究室がこうなので、もちろん自宅の勉強部屋はまだ未開封の段ボールがいくつも片隅に置いてあります。
 猛暑というよりも熱暑のこの夏。部屋や階段や押し入れに放置されたままの段ボールのうち、いったいいくつを開けて本や資料を取り出すことになるのか、はなはだ心もとないことです。
 とにかく、いまだに、常に物を探す日々です。何とかしなくては、と思いながら、こうして春から夏になり、やがて秋を迎えそうです。
 秋までには、「ただいま引っ越し中」という意識をなくしたいと、自らに言い聞かせています。
 
 
 

posted by genjiito at 23:00| Comment(0) | 身辺雑記

2017年07月13日

雨野さんのスペイン語訳『今昔物語集』の公開

 昨年度までの伊藤科研(A)では、三省堂の雨野弥生さんが『伊勢物語』のスペイン語訳などの成果を公開してくださいました。

■「研究論文 スペイン語版『伊勢物語』について」
  (海外平安文学研究ジャーナルvol.4.0)

■「研究会拾遺 スペイン語版・英語版・フランス語版『伊勢物語』7 種における官職名の訳語対照表」
  (海外平安文学研究ジャーナルvol.5.0)

この『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)のダウンロードは以下から可能です。

「オンライン版『海外平安文学研究ジャーナル vol.1〜vol.6』の再公開」(2017年05月02日)

 その雨野さんから、最近の成果をお知らせいただきました。
 受け取ったのは先月末でした。しかし、私が忙しさにかまけて、今ごろ記事にすることをお許しください。
 以下、雨野さんからのメールをまとめながらの報告となります。

 雨野さんは、大学院では京都の説話を研究対象にしておられました。そのこともあり、本年4月より、「京都を舞台にした説話・伝承」をスペイン語訳し、インターネット上で日本語・スペイン語で紹介するという連載を、月1回のペースで開始なさいました。

 私が開設しているサイトの「平安文学翻訳史」や、『日本古典文学翻訳事典』がお役に立ったとのことです。嬉しい限りです。

 以下、今回の連載の内容と記事のアドレスを記します。
 各項目の下のアドレスをクリックすることで、ご自由にお読みいただけます。

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連載1 はじめに(4月)
 http://spanglish-club.com/archives/426

連載2 瀬田の唐橋(5月)
 http://spanglish-club.com/archives/508

連載3 『今昔物語集』巻27−14全文 スペイン語訳 (6月)
 http://spanglish-club.com/archives/566
 
 連載の趣旨と概要および翻訳の手法については、雨野さんの言葉を引くことで、説明にかえます。
 この続きは、今月末に「連載4」として公開されると思います。楽しみにお待ちください。

 5・6月は、京都行きの新幹線の車窓から見える最大の?説話舞台である、「瀬田の唐橋」を取り上げ、無謀にも、『今昔物語集』の一説話の全文翻訳にも取り組んでみました。
 瀬田橋の辺の荒家で鬼に出会うという説話ですが、原文のもつ、恐ろしげなあばら家の表現やテンポをそのままお伝えしたいため、ダイジェストではなく、敢えて全文訳に踏み切りました。
 私の西語作文ではスペイン語圏の方が読むに堪えないスペイン語になってしまいますので、日本語で私が現代語訳を作り、スペイン語上級者やネイティブに古典本文の背景を伝えながらスペイン語訳して頂き、再度、私が内容に大きなズレがないかチェックをし、ネットにアップする、という流れで掲載しております。
 たかが今昔の1説話ですが、訳文作りに2ヶ月かかりました。

(中略)

『今昔』にはスペイン語での「抄訳」はございますが、この『今昔』27−14は、まだスペイン語訳が無いようです(英語も少なく、本説話を訳しているのは1種類のみのようです)。
 としますと、スペイン語でこの話をご紹介するのは、おそらく、これが初なのだろうと思います。

(中略)

 翻訳は、自分を含め、完全ボランティアのみで進めておりますので、スケジュールやクオリティを安定させることに難はあります。が、これまでは貴重な紙の翻訳書でしか読めなかった今昔の説話本文の面白さや、注釈研究の蓄積を、現地の今の地図などとも併せてインターネットを通じて少しでもお伝えすることで、日本に興味をお持ちの方に微力であってもお役立て頂けたら、それは日本側の研究の集積の、具体的な活かしかたの一つにもなるのではないか、と考えております。
(もちろん、私が間違った内容を伝えれば、それが全方位的に出回る危険もありますが)

          雨野 弥生

 
 
 
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2017年07月12日

読書雑記(202)伊井春樹著『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』

 『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(伊井春樹、ミネルヴァ書房、2917.7.10)を読みました。

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 読書雑記としては、種類は違うものの、前回の「読書雑記(201)有川浩『阪急電車』」(2017年07月05日)に続いて、阪急電車に関連した本ということになります。あくまでも偶然にこうなったのですが……

 小林一三には、観光地化に対する溢れんばかりの発想があったのです。新しい価値の発見であり、新しい思想です。本書には、明治から大正にかけての関西の文化が活写されています。小林一三を再発見し、再評価をする書となっています。
 一三が進める阪急沿線の開発とその宣伝文には、今、新しい職場で観光のことを考えている私には、多くのヒントをもらいました。

 箕面有馬電気軌道鉄道が明治四十三年三月十日に大阪梅田から宝塚へ、途中の石橋から箕面へと路線が敷かれて営業を始めると、宝塚への温泉客も増えてくる。ただ電鉄会社としては、〈箕面有馬〉と称しているように、有馬への延伸が基本であり、宝塚は通過駅としての位置づけにあった。それだけに観光地としても知られる箕面の開発にまずは勢力を注ぎ、集客をはかる新しい施設を整え、大阪お伽倶楽部の助力も得ながら、多様な催しを企画していった。
 宝塚は観光地ではないだけに、これまでは温泉宿を持つ避暑地として知られ、見るべき名所は「宝塚梅林」のみにすぎないと紹介記事はそっけない。ただ、有馬行き電車の構想が明らかにされた時点で、有馬温泉の旅館業者は日帰り客が増え、宿泊しなくなると強く反対していた。結果的にその声の大きさと、山間部を走る難工事もあり、小林一三は有馬への延伸を断念するのだが、正式の決定はまだ先のことであった。(180頁)
 (中略)
 正式に有馬行きを断念したのは大正二年六月、その直後に宝塚唱歌隊を結成し、本格的な宝塚開発へと突き進む。もっとも、小林一三はそれ以前から有馬までの路線は困難との思いをいだき、宝塚の観光地化を計画はしていたのであろう。(182頁)


 「観光とは何か」を考え出していたところだったので、タイムリーな本でした。
 次の一文は、まさに今、食と観光のことに取り組んでいるところなので、早速メモをしました。

「九月十日より箕面公会堂にて、全国食料品共進会、各地名物うまいもの、悉く一堂に集る」と、今日のデパートでも見かける「全国うまいものフェアー」も催されるなど、集客の方策がなされていく。(173頁)


 名所の裏にある人の流れと店や物の動きなどから、一三の発想の新奇さを超えた先見の明が活写されていきます。人を集めることに天才的な発想を見せた一三は、次々と妙案を提示していたのです。
 中でも、「箕面電車唱歌」「箕面動物園唱歌」には、日本の伝統的な文化が塗り込められていることを教えられました。一三は、単なる事業家ではなくてスケールの大きな文化人だった、と著者は訴えています。
 箕面動物園や山林こども博覧会のくだりになると、まさに伊井語りとでも言うべき口調で、明治40年前後の観光ガイドブックが展開します。観光に興味を持つ私には、これこそ貴重な資料集となっています。
 箕面でのさまざまな取り組みが、その後の宝塚での発展と展開の基盤となっていきます。特に私は、一三が子供の存在を巧みに意識させていることに注目して読み進みました。
 最後に語られる、宝塚におけるプールの失敗から劇場へという発想の転換は、鮮やかな成功談として楽しめます。ところが話はさらに転々とし、失敗と言われているプールが、実は一三のレトリックであって、実際には最初から劇場と公会堂を兼用できるものだったということが明らかにされます。丹念に資料を渉猟し、読み解いての新見解です。
 少女歌劇団員の名前について、天津少女などは『百人一首』から採ったことは知っていました。その他にも多くの例を提示されると、ますます役者への親しみが湧いてきます。

 舞台に立つとなると、人々に親しまれ、覚えられるような芸名が必要である。「ドンブラコ」で桃太郎役となったのが男役スター第一号とされる十四歳の高峰妙子、本名の浅井(中村)薫に対して、『百人一首』(山部赤人)の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」を典拠とした。このようなアイデアを持ち出したのは、文学に通暁する小林一三であったに違いなく、少女を一人ずつ見ながら、それぞれふさわしいみやびやかな名前を付けていく。猿となった雲井浪子は、「わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲井にまがふ沖つ白波」(藤原忠通)、小倉みゆきには「小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ」(藤原忠平)と、人々にとってはなじみが深く、日常的にも口ずさまれ、国民的な愛唱歌『百人一首』を用いた歌である。大江文子、由良道子、逢坂関子、若菜君子などと、少女たちは和歌に由来する芸名が付けられ、舞台女優としての自覚を強く持つにいたったことであろう。
 草創期の少女だけではなく、宝塚の伝説的なトップスターとして名を残す七期生の天津乙女は、「天つ風雲の通ひ路吹きとちよ乙女の姿しばしとどめむ」(僧正遍昭)に由来することはよく知られるところである。妹の娘役トップの雲野かよ子は十一期生、同じ和歌を用いての芸名となる。(246〜247頁)


 本書は、今から2年前に刊行された「読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』」(2015年07月15日)を受けた、一三の生き様と一三が生み出した文化を語るものです。本書に続く第3弾では、宝塚歌劇がどのようなものを題材にして、誰によって演じられてきたかが語られることでしょう。特に、『源氏物語』の話を期待しています。
 本書では、著者が住んでおられる箕面への愛着も、その行間から伝わってきます。その旺盛な知的好奇心がますます実を結び、私どもに近現代の生きた文化史を展開してくださることをありがたく思いながら、それを大いに楽しみたいと思います。
 巻末の詳細な「人名索引」と「事項索引」は、本書が単なる読み物に留まるものではなく、資料的な性格を併せ持っていることを示しています。読み返し、再確認するときに大いに役立ちました。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | 読書雑記

2017年07月11日

ユニバーサル・ツーリズムに関する思いつき

 広瀬浩二郎氏(国立民族学博物館)の「『ユニバーサル・ツーリズム』とは何か 共同研究●「障害」概念の再検討―触文化論に基づく「合理的配慮」の提案に向けて」(『民博通信』2017、No.157)を読みました。

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 これを読みながら、それをなぞるようにして、以下のことを考えてみました。
 まだ、ほんの思いつきです。
 しかし、これはさらに大きく膨らむような気がします。
 忘れないうちにと思い、ここに書き残しておきます。
 このことに関して、問題意識をお持ちの方からご教示をいただけると幸いです。


「ユニバーサル・ツーリズムの理論と実践に関する研究(メモ)」


 昨春の障害者差別解消法の施行により、さまざまな分野で「合理的配慮」の模索が始まっています。
 これは、観光においても、意義深い検討課題となるはずです。
 以下のメモは、私自身の問題意識がまだ不安定なので、思いつくままに列記したものです。

■障害者や外国人を対象とした観光のユニバーサル化
・事例を、現状から未来を見通しながら調査する。
・ユニバーサル・ツーリズムの具体例について、世界各国を広く見渡して収集し、分析し、検討する。
・石塚裕子氏(大阪大学)の「被災地ツーリズムのユニバーサル化」プロジェクトから学べるものを整理することからスタートする。

■誰もが楽しめる観光を模索■
・社会的な不利益について、観光における能動的な状況で健常者と共有し、互いに楽しめる旅とするためにはどのような環境が必要かを検討する。
・観光を通して、お互いの感覚の違いを知る、異文化間コミュニケーションを学ぶ場としたい。
・違う立場で、違う観点で物を見たり触ったりして、お互いの感じ方の違いを確認する意義を再確認したい。
・視覚、聴覚、身体に障害がある者が、不自由な感覚を補い助け合う関係と配慮のもとで、観光を楽しむことを実現する意義を確認する。
・「見る」ことだけに頼らない観光を、視覚障害者と共に考えていく。その中で、多視点からの複眼的なものの見方や考え方を、共に学ぶ場を構築していきたい。

■マイノリティーの立場からのバリアフリーについて再確認■
・障害者に寄り添うことから、障害者と共に楽しむ観光へと、発想の転換をはかる。
・自分が不得手とする感覚に気付くところから、気付かなかった潜在能力を発見する喜びと達成感を体験する観光は可能かを考える。
・ユニバーサル・ミュージアムは、障害者が主体的に「触る」ことで楽しむものである。その楽しみは、健常者も共有できることが実証されてきていることを追認する。
・広瀬浩二郎氏が提唱する「障害者発」の観光プランの可能性を、理論と実践を通して模索したいものである。
 
 
 

posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年07月10日

京大病院でビタミン注射を打ってもらう

 京大病院へ行って来ました。昨年建設された、写真左側の南病棟は、まだ一度もお世話になったことがありません。真ん中が、胃ガンで消化管をすべて摘出してもらった積貞棟です。右が、いつも診察をしていただいている一般診察棟です。

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 先月末の糖尿病栄養内科での検診で、晩ご飯の時に限ってお腹が痛くなることを相談しました。すると院内の連絡で、消化管外科での診察が設定されました。この外科は、私が7年前にガンの手術をしてもらったところです。

 先年、ガンとの卒業宣言をしてくださった先生に、今日は最近の生活をお話しました。結論は、何も気にしないで、今のままの生活をすればいい、ということでした。そして、ビタミンB12の筋肉注射を指示されました。これは、半年か1年おきでいいでしょうと。
 そういえば、この前も同じ処置がなされたことを思い出しました。消化管を持たない私のような身体には、飲むビタミン剤は消化吸収されないので、直接注射をするのがいちばんいいそうです。

 晩ご飯を2時間かけて食べているのはいい対処なので、痛くなったら好きなことをして休憩し、良くなったら食べたらいいそうです。
 また、私は一度に食べる量が限られているので、体重が減るのは仕方がないし、今のままの体調なら特に問題はないようです。無理をして食べないことも大事だとも。
 体重が48キロ前後で増えないことについては、食べることよりも運動をして筋肉をつけることに限る、とのことです。ただし、私の生活はバタバタと飛び回っているので、この年を考えると、そのままでいいのでは、との意見でした。十分に運動はしているとの判断です。

 ということで、どうみても今の私は元気そのものの日々のようなので、美味しいものを少しでもいいから食べられるときに食べ、仕事も好きなように飛び回ってやっていたらいいそうです。
 体重のことも、50キロを意識することはないようです。痩せているからといって、問題はないのです。

 別室で看護士さんが、筋肉注射をするために肩を出しながら、筋肉質ですね、と聞き慣れないことをおっしゃいました。身体は細身でも、腕の付け根などの筋肉はある方だそうです。若い頃にテニスに明け暮れ、新聞配達をして走りまわっていた頃の名残なのでしょうか。
 そういえば、拳を握ると、力瘤は立派に盛り上がります。ガリガリの痩せっぽち、と一見そうであったも、まんざらでもなさそうです。その年ならそんなものです、と言われると、ひ弱な我が身が頼もしく思えるから不思議です。

 ということで、今やれることを、やれるうちに、好きなようにやっていきたいと思います。お付き合いしてくださる方に感謝しながら、これまで通り、ひたすら前だけを見つめて突っ走っていくつもりです。折々にこの病院で診てもらっているので、お医者さんからストップがかかるまでは、これまでの調子で何事にも取り組みます。

 体力も腕力もないこの身体です。しかし、気力と眼力だけはしっかりと持っているつもりです。
 
 
 

posted by genjiito at 22:15| Comment(0) | 健康雑記

2017年07月09日

奈良公園で開催された第51回 茶道文化講演会に行く

 3年前に、桜井市で開催された茶道文化講演会で伊井春樹先生が講演をなさった時のことは、「大和桜井で伊井春樹先生の講演を聴く」(2014年07月27日)に書きました。
 今回は、奈良市内にある「春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜」(旧奈良県新公会堂)の中の能楽ホールで開催されたので行ってきました。
 近鉄奈良駅で地上階に出ると、いつも行基さまにご挨拶をします。10年前までは奈良県民だったので、親近感があります。そして、その奥にある回転寿司のお店「とときん」で、少しお腹を満たします。

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 会場は、東大寺の手前の若草山側でした。

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 この奈良公園は、子どもたちを自由に遊ばせたところです。30年前のシルクロード博覧会の時には、勤務していた高校の年間テーマをシルクロードにし、全教科で取り組んだので思い出深い会場跡地でもあります。井上靖の記念館などには、その後も何度も足を運びました。

 会場に入るとすぐに、淡交会奈良支部の幹事をなさっている先生にご挨拶をし、呈茶の席に移動し、七夕の天の川を模したお菓子とお茶をいただきました。

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 今日の講師は長艸純恵氏。純恵氏は、旦那さまの敏明氏と共に京繍伝統工芸士です。演題は『奈良と刺繍の今』でした。
 純恵氏は、「繍半襟 源氏物語五十四帖展」(東京)、「京刺繍 源氏物語五十四帖展」(パリ)などの個展をなさっています。また、「王朝人の花鳥風月展」(京都嵐山・小倉百人一首殿堂時雨殿)もなさっているので、平安文学に深く関わったお仕事をして来られた方です。ただし、今日はそうした話はあまりありませんでした。衣装や装束に関する歴史と、刺繍の技術についての話題が中心です。

 現在の刺繍は、奈良の中宮寺にある「天寿国曼荼羅繍帳」に始まるそうです。その刺繍の歴史から語り出されました。吉備真備が唐から繍技法を持ち帰ったことから、京都の刺繍組合では真備をお祀りしているとのことです。
 縫屋の暖簾は松葉が使われています。資料がカラーで鮮明だったので、『職人尽絵屏風』(狩野吉信筆)に「縫取師」が描かれているのもしっかりと確認できました。

 お話も、次第にお仕事として取り組んでおられる刺繍の実際を、スライドをもとにして進みました。具体的な内容だったので、作業工程がよくわかりました。
 古帛紗や仕覆に刺繍した作品がスクリーンに映し出されると、茶道の関係者の集まりだけに、溜め息が会場を包んでいました。
 祇園祭の後祭に出てくる北観音山の水引幕を復元なさった話も、その作業工程がわかり興味深いものでした。一枚2年、四枚8年という仕事だったそうです。四面で120人の人物を刺繍で描いたとか。
 今後の課題は、技術の継承だそうです。教え方、育て方についての体験談は、非常にいい勉強になりました。

 建物を出ると、鹿たちが大移動をしだしたところでした。

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 そしてすぐに大雨となったのです。いつも一緒にお稽古をしている方と、茶店で雨宿りを兼ねた一服です。特急で京都に直行する途中でも、激しい雨のために大和西大寺駅の手前でしばらく停車していました。天気の急変で、大変な帰途となりました。

 京都駅の構内では、祇園祭の展示がありました。

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 今年はどの山鉾の粽や手拭いをいただこうかと、しばらく品定めをしました。

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posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ブラリと

2017年07月08日

日比谷で『源氏物語』「若紫」を読む/第3回

 月一回となった東京日比谷で写本を読む講座は、今回が3回目です。今日は、テキストである国文研蔵「橋本本 若紫」の21丁表4行目「【人】あ那里」から、22丁表最終行の「きこえ・堂まふ」までを確認しました。

 その前に、いつものようにいろいろな話題を提供しました。「仙洞御所」の意味や、新たに古写本を読む学習会を始めたことなど、雑多な情報を提示したのです。
 休憩時間にも、昨日の京都新聞で見かけた次の表現について、一つの話題を振りました。
 「地面揺れうなる音」
 これは、このままでは紛らわしい表記だと思ったからです。「ゆれ」と「唸る・呻る」の文字としての判別というよりも、視認性の問題です。
 これについては、読点か分かち書きで対処すべきものだ、という私見を持っています。とくに、スペースを入れる分かち書きの復活は、漢字を手で書けなくなった現代においては、平仮名の表記が生き返る意味からも、有効ではないでしょうか。
 また、今回配布したプリントでは、京都新聞に連載中の京言葉訳「若紫@」(いしいしんじ)や、「京」と「洛」の使い分けなどの研究成果も話題としました。
 前回の課題とした、「天」と「弖」の前に来る「り」や「里」の傾向についても、調査した結果をブログに書いたことをもとにして報告しました。
 今日の『源氏物語』の講座の中で、写本に記された文字で拘ったことは、「仏」と書いてあって「佛」ではないこと、「わ可【葉】」の場合は「葉」を平仮名ではなくて漢字として翻字しておくこと、などです。
 「仏」については、現行の「煮沸」の「沸」はこのままでいいのか、ということです。鎌倉期の写本には、明らかに「仏」と書いてあるからです。
 【葉】については、「葉」の意味が強く残っているものは、漢字として翻字していることを伝えました。漢字を特定する記号の【 】は、いつでも外せるからです。
 終了後に、有志の方々と有楽町の駅前で、少し暑気払いをすることになりました。
 日比谷公園の中では、ペルーのイベントがあり、舞台で躍りが披露されていました。

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 今年こそ何とかしてペルーに行き、スペイン語訳『源氏物語』の後半部分を 進めておられるピント先生にお目にかかりたいと思っています。こうして偶然ながらもペルーの踊りが観られたので、この願いは叶うかもしれません。
 有楽町の駅前では、イタリア料理店に入りました。話に夢中になり、何をいただいたのかほとんど覚えていません。 赤ワインをいただいたことは覚えています。ここでも、さまざまな話題で盛り上がりました。
 次回の第4回は、8月5日(土)の午後2時半からです。
 
 
 

posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | 変体仮名

2017年07月07日

生涯学習講座「『源氏物語』の古写本を読む」のお誘い

 大阪観光大学の図書館の一角を借りて、『源氏物語』の古写本を読み始めました。

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 これは、「熊取ゆうゆう大学」の中で大阪観光大学が展開する[キャリアアップ講座]の一つです。熊取町の生涯学習推進課が広報し、申込窓口は大阪観光大学キャリアセンターとなっています。
 ただし、すでに締め切られているので、参加を希望される方は直接、このブログのコメント欄を利用していただくか、大阪観光大学の庶務課に連絡をしていただければ大丈夫です。

 募集にあたっては、以下の内容を広報誌に寄せました。

[講座名]『源氏物語』の古写本を読む


[講師]伊藤鉄也
[日時](原則)各月 第1・3水曜日、午後3時半〜5時
[登録料]2,000円
[教材]『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(新典社、2016年)
[講座のポイント]
 初心者向けの勉強会です。『源氏物語』の古写本を読む技術の習得と、『源氏物語』の異文の世界を楽しみます。活字による現代の読書体験との違いを実感してください。今回使用するは、講師が編集した教科書です。


 今週5日(水)は、第2回目でした。午後3時半から1時間、橋本本「若紫」を、前回の復習として読みました。鎌倉時代に書き写された古写本を、変体仮名の文字に注意しながら読み進めています。一文字ずつ丁寧に、平仮名の元となった漢字を確認しながら、ゆっくりと読んでいきました。
 次回以降は、次のようなスケジュールとなっています。
 8月2日だけが開始時間が異なります。ご注意ください。

 7月19日(水) 午後3時半から5時まで
 8月 2日(水) 午後1半から3時まで
 9月27日(水) 午後3時半から5時まで
10月11日(水) 午後3時半から5時まで
10月25日(水) 午後3時半から5時まで
11月 8日(水) 午後3時半から5時まで
11月22日(水) 午後3時半から5時まで
12月 6日(水) 午後3時半から5時まで
12月20日(水) 午後3時半から5時まで


 初心者を対象とした社会人講座なので、どなたでも自由に参加できます。人数は特に制限していません。今からでも大丈夫です。
 仮名文字で書かれた『源氏物語』の写本を読んでみたい方は、お気軽にお越しください。
 大阪観光大学までの経路は、以下の大学のホームページで確認してください。

http://www.tourism.ac.jp/concept/access.html
 
 
 

posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年07月06日

翻訳本『源氏物語』のミニ展示・第三弾は《ヨーロッパ編》

 5月から始めた、『源氏物語』の翻訳本を中心とするミニ展示は、今回で3回目となります。本日、悪戦苦闘を楽しみながら、何とか観ていただける形にしました。
 体系だった展示にするため、第一回目に出品した本が数冊入っています。

 イタリア・フランス・ドイツ等、ヨーロッパの言語で翻訳された本を24冊並べました。

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 向かって左側の展示ケースには、スペイン語・イタリア語・ポルトガル語・フランス語・オランダ語の13冊を並べました。
 カラフルな表紙の本が多いので、これまで以上に明るく華やかな雰囲気になりました。

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 右側のケースの中には、ドイツ語を始めとして、左側のケースの国以外のもの11冊を並べました。

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 展示した本が、それぞれどこに位置する国で出版されたものかがわかるように、ヨーロッパの地図を横断幕の下に貼り付けています。

 今回も、展示した本の簡単な書誌を中心にした解説を、プリントにしてガラスケースの上に置きました。ご自由にお持ち帰りください。
 参考までに、以下に、そのテキストを引用します。

《世界中の言語に翻訳された『源氏物語』》

        ヨーロッパ編


              
             2017年7月5日(水)〜8月31日(木)
               於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳本『源氏物語』の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。各国で『源氏物語』がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【『源氏物語』が翻訳されている33種類の言語】
 アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

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☆ドイツ語


◯マキシミリアン・ミューラー・ヤブシュ訳(ドイツ語・1911年)
 表紙は皮製。扉絵はフランツ・クリストフによる、具足をつけた男性と、傘を持った女性の絵。末松謙澄訳の重訳。

◯ヘルベルト・E・ヘルリチュカ訳(ドイツ語・1995年)
 表紙は江戸時代の役者絵。ウェーリー訳の重訳。

◯オスカー・ベンル訳(ドイツ語・1992年) 
 翻訳者名をべーネルとする文献もある。第1巻の表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「宿木」巻で、今上帝と薫が碁を打つ場面。第2巻は、同巻で女房たちがその様子をうかがっている場面。底本は複数あるものの、古典からの翻訳。

☆フランス語


◯キク・ヤマタ訳(フランス語・1952年)
 表紙は文字のみ。ウェーリー訳の重訳。

◯ルネ・シフェール訳(フランス語・1985年)
 箱・表紙ともに『紫式部日記絵巻』の藤原斉信。本の表紙は背景が黒く、裏表紙には作品名のみ。ウェーリー訳の重訳。

☆イタリア語訳


◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・1992年)
 箱は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「宿木三」。本の表紙は、同絵巻の『源氏物語絵巻』「東屋二」。ウェーリー訳の重訳。

◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・1992年)
 第1巻の表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「東屋二」。第2巻は、同絵巻の「東屋一」。ウェーリー訳の重訳。

◯ピエロ・ヤイエル/ピア・フランチェスコ・パオリーニ訳(イタリア語・2002年)
 ヤイエルが「匂宮」〜「宿木」前半を、パオリーニが「宿木」後半〜「夢浮橋」を翻訳。表紙は、鳥居清長の『角田川月見船』。ウェーリー訳の重訳。

◯アドリアーナ・モッティ訳(イタリア語・2006年)
 表紙は、三代歌川豊国、歌川広重合作の『風流げんじ須磨』。ウェーリー訳の重訳。

◯マリア・テレーザ・オルシ訳(イタリア語・2012年)
 表紙と箱は『国宝源氏物語絵巻』「鈴虫」・「関屋」巻を、山口伊太郎が西陣織にしたもの。作品名は『源氏物語錦織絵巻』で、同氏の遺作。古典からの翻訳。

☆スペイン語


◯ハビエル・ロカ・フェレール訳(スペイン語・2005年/2006年)
 表紙のうち、第1巻は宮川春汀の『当世風俗通』のうち『さくらがり』(1897年)。版が異なるものの中には、バークコレクションの一つ、土佐光起『源氏物語画帖』「浮舟」もある。第2巻は、月岡芳年の『大日本史略図会 第八十代 安徳天皇』。平教経が源義経の舟を見つけて、組みかかろうとする場面。複数の外国語訳を参照。

◯ホルディ・フィブラ訳(スペイン語・2006年)
 第1巻の表紙はバーク・コレクションの一つ、土佐光起の『源氏物語画帖』「花宴」。2巻は「浮舟」。タイラー訳の重訳。

◯下野泉/イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン訳(スペイン語・2013年)
 ペルーで出版された本。表紙は國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』初音巻」。古典からの翻訳をしつつも、与謝野晶子の『全訳源氏物語』も参考にしている。

☆ポルトガル語


◯リヒア・マリェイロ/エリザベート・カーリ・レイア訳(ポルトガル語・2007年)
 表紙は立松脩がデザインした、首飾りをしている黒髪の女性の絵。底本は一つではなく、ルネ・シフェール、アーサー・ウェーリー、ハビエル・ロカフェレール訳等を参考にした。

◯カルロス・コレイア・モンテイロ・オリベイラ訳(ポルトガル語・2008年)
 第1巻の表紙は、月岡芳年『月百姿』のうち『忍岡月 玉淵斎』(1889年)、ハーバード大学美術館蔵の土佐光信『源氏物語画帖』「椎本」巻を題材に、どちらもカルロス・セザールがデザインしたもの。底本は一つではなく、ルネ・シフェール、アーサー・ウェーリー、ロイヤル・タイラー、ハビエル・ロカ・フェレール訳等を参考にした。

☆セルビア語


◯スレーテン・リリック訳(セルビア語・2003年)
 表紙は「初音」巻。ウェーリー訳の重訳。

☆クロアチア語


◯ニキツァ・ペトラク訳(2004年)
 表紙は五島美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「鈴虫」巻。夕霧が笛を吹いている場面。サイデンスティッカー訳の重訳。

☆チェコ語


◯カレル・フィアラ訳(チェコ語・2002年)
 表紙は、徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「東屋二」。佐伯梅友校注『源氏物語購読』、ロイヤル・タイラー訳を参考にした。

☆リトアニア語


◯ダレ・シュバンバリーテ訳(リトアニア語・2006年)
 表紙は、黒地に日本庭園の写真。古典からの翻訳。

◯ダレ・シュバンバリーテ訳(リトアニア語・2011年)
 表紙は、写本の画像と平安時代の男女を描いた絵。古典からの翻訳。

☆スロヴェニア語


◯シルベスター・スカル訳(スロヴェニア語・1968年)
 表紙は、浮世絵(女性の絵)。ヘルリチュカ訳(ドイツ語)の重訳。

☆オランダ語


◯ヨス・フォス訳(オランダ語・2014年)
 表紙は、バーク・コレクションの一つ、土佐光起『源氏物語画帖』「花宴」巻。ウェーリー訳からの重訳。

☆フィンランド語


◯ツルネン・マルティ/カイ・ニエミネン訳(フィンランド語・1980年)
 マルティが本文、ニエミネンが和歌部分の翻訳を担当。表紙のカバーは『扇面法華経』、本の表紙にはSMの文字だけが書いてある。古典からの翻訳。

☆ハンガリー語


◯ホルバルト・ラースロー訳(ハンガリー語・2009年)
 第1巻の表紙はインディアナ大学美術館蔵『源氏物語図屏風』「若紫」、第2巻はフリーア美術館蔵の土佐光吉『若菜・帚木図屏風』のうち「若菜上」、第3巻は京都国立博物館蔵の伝土佐光元『源氏物語図』「蜻蛉」。サイデンスティッカー訳の重訳。


 このミニ展示の第3弾は、8月末までの2ヶ月間にわたって行います。9月からは、英語で翻訳されている『源氏物語』を並べます。

 今後も、月替わりで翻訳本を展示します。毎回、なかなか見る機会の少ない本を、こうして公開します。
 ご質問やお問い合わせには、可能な限り現状を確認して、お答えしています。
 大阪の南部にある大阪観光大学に、珍しい翻訳本との出会いを楽しみにして、一度足をお運びください。お待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 21:55| Comment(0) | ◆国際交流

2017年07月05日

読書雑記(201)有川浩『阪急電車』

 有川氏の作品を読むのは、これが初めてです。聞き耳を立てて話を楽しむ味があります。

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 関西の香りと軽妙さが心地よい、いい作品です。そして、登場人物の役割と演出が絶妙です。仕組まれた言葉の棘が、随所でチクリと刺して来るので、大いに楽しめました。語られる言葉の端々に、温かい視線も感じられました。
 乗客たちを乗せて走る電車には、それぞれの物語も乗せて走っている
のです。
 若い男の子と女の子の気持ちを描き分けながら、その接点と距離感が微妙に絡まる話に仕上がっています。壊れそうな人の気持ちと相手とのバランスを、包み込むように語るので、短い話ながらも人に対する優しいまなざしが伝わってきます。
 全編を通して、透明感のある文章です。そのせいか、読み終わってみて、軽さが気になりました。
 最初、作者は男性かと思って読み進めていました。すぐにあれっと思い、作者は男女どちらなのかを楽しみながら読みました。
 何も知らない作家の作品を読むときには、こんな楽しみ方もあります。決め手は、男性の心が見通せているか、というところです。
 その意味では、『源氏物語』には、女性では書けないと思われる描写があって、この視点で物語を読むのもおもしろいと思っています。蛇足ながら、『源氏物語』の作者は紫式部という一人の女性だけが書いたとは思っていません。彼女は、あくまでも最終段階の総責任者に留まるのではないでしょうか。そして、今残っている文章には、その後の男性の筆が入っているようです。
 それはともかく、有川さんの、また別の作品を読んでみたいと思うようになりました。【3】

書誌メモ︰2008年1月、幻冬舎より単行本発行
     2010年8月、幻冬舎文庫として刊行
 
 
 

posted by genjiito at 21:51| Comment(0) | 読書雑記

2017年07月04日

読書雑記(200)加藤 聖文『満蒙開拓団』

 『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』(加藤聖文著、岩波現代全書、2017年3月)を読みました。

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 開拓民の衝撃的な証言から始まります。私は、満州から命からがら日本に帰ってきた母から少し聞いていたので、身につまされる思いで読み始めました。語り口が優しく、読みやすい文章です。

 本書は、満蒙開拓団の歴史を政策史の視点から検証していきます。これまでは、悲劇に焦点が当てられたものが多く、政策史からの視点で分析したものはほとんどないそうです。研究書もない中で、俗説混じりの開拓団の歴史が流布する現状に一書を投ずることになったようです。

 また、満洲開拓政策は、加藤完治と東宮鉄男によって進められたとされている。そして、移民拡大に反対していた高橋是清が二・二六事件で殺害されたことで、移民拡大の障壁が取り除かれ、百万戸計画という大量移民に繋がったともいわれている。しかし、これは加藤完治ら移民推進派が、戦中から戦後にかけてことあるごとに発言していた言説であって、彼らの功績を誇張した「俗説」でしかない。にもかかわらず、今日にいたっても研究書のレベルですらこのような単純化された「物語」を何の検証もないままそのまま鵜呑みにする傾向が強い。
 本書で明らかにしていくように、満洲開拓政策は限られた特定の人間たちによって推進されたような単純なものではなく、戦時下で目まぐるしく変わる政治環境のなか、政策が肥大化する反面、誰もが一定の枠組み以上の影響力を与えることはできず、政策責任の所在が不明瞭になってしまったという特徴を持つ。
 満洲開拓政策という国策は、関与した人物の多彩さに加え、「日満一体」のもと日本国内にとどまらず満洲国まで巻き込んだ政治状況の複雑さ、さらには日本人だけでなく中国人や朝鮮人など多民族を巻き込んだ民族問題までもが絡み合って、その実態への接近を拒絶し続けてきた。
 これから本書において、複雑な構造を抱える国策の実態に接近を試み、七〇年以上経っても総括されないまま、今なおさまざまな課題を投げかけている満蒙開拓団の歴史を考察していこう。(「はじめに」 xi頁)


 この問題では、長野県が研究対象として偏重していることから、本書では長野県以外の事例を取り上げ、国策が全国に与えた影響を見ようとしています。

 なお、本書執筆にあたっての著者の思いなどは、「あとがき」で次のように記してあります。本書の性格を知ることができるものなので、これも引いておきます。

 満蒙開拓団をめぐる問題は今なお続いている。また、その問題に気づいて歴史を掘り起こそうとする人たちもいる。しかし、その手引き書ともいえる学術的な通史が皆無であった。これは研究者として恥ずべきことであって、誰も書かないならば自分が書くしかない。そんな思いを募らせて、岩波書店の馬場公彦さんに満蒙開拓団の通史を「売り込んだ」のである。自分から書きたいといったのは初めてであった。(242頁)


 さて、柳田國男が農商務官僚として出てきます。農政論者から民俗学者へと転身する背景が語られています。新鮮でした。

 世界恐慌に端を発した農村の窮乏に対しては、所管官庁である農林省がもっとも強い危機感をいだいていた。実は、すでに日露戦争後から農村の経済構造は大きく変わりはじめており、土地所有を拡大した地主が寄生地主化するとともに地主と小作との対立が顕在化、前近代的な村落共同体は危機に瀕していた。こうした農村の危機に敏感に反応したのが柳田國男であった。一般的には民俗学者として知られる柳田は、そもそも農商務官僚として農政の専門家であり、地主の自作農化によって中農層を育成して農村再生を図ろうとしていた。また、当時物納制であった小作料の金納化や台湾・朝鮮からの外米移入によって地主の意図的な米価つり上げを牽制しようとするなど、この当時では革新的な農政論者であった。しかし、柳田の革新的な意見は取り上げられず挫折し、彼は官界を去り民俗学へと傾斜していった。そして、この柳田の未完の政策を受け継いだのが石黒忠篤であったのである。(23〜24頁)


 さまざまな資料を丹念に読み解き、駆使して、満州の地で起きていた出来事を冷静な口調で語ります。取り上げられたら事例が具体的なので、著者の切り口と視点に新鮮さを感じました。

 ただし、その後は同じ調子で事実の羅列とその解説が続くので、少し飽きてくる節もありました。本書の性格からは、自制の姿勢は理解しつつも、もっとドラマチックに仕立ててもよかったのでは、と思いました。
 また、地名や人名は、馴染みのないものが多いので、もう少し振り仮名があると、いちいち立ち止まらずに読み進められたと思います。

 原節子のデビュー作「新しき土」という映画の話は、もっと語ってほしいことでした。話が文献中心なので、こうした文化面からの切り口も効果的だと思われます。

 ちなみに、百万戸計画と同じ年に日独防共協定が結ばれたが、これを記念して日独合作映画「新しき土」が制作された。原節子のデビュー作となった作品であり、全国的に大ヒットを記録したが、そもそも国策映画としてのタイトルが示す通り、この映画のラストは原節子が夫となった主人公と満洲へ移民団として渡るという筋書きであった。鍬を握ったこともない良家の子女が移民として満洲へ渡る−それは、貧しい農民の救済という当初の意図からかけ離れて、国策となった満洲移民は国民すべてが対象となることを暗示していたのである。(128〜129頁)


 後半の昭和十年代も終わり頃についてなると、満州に行こうとする人が少なくなります。そこで国や地方がどうしたか、という下りは、もっと聞きたいところです。満州開拓という国策を無理やり拡大する中で、学校関係者や部落問題が絡んでくるからです。

 次の文章はは、両親が満州で置かれた環境を知る手がかりとなるものです。地続きの国境における緊張感に欠ける日本ならではの失態、というべきものだったようです。

 日ソ戦争は八月一五日になっても終わることはなかった。公式には、一九日に関東軍とのあいだで停戦合意が成立したことで関東軍の武装解除が開始されるが、場所によっては八月末まで戦闘が継続、さらに、武装解除を受けた兵士たちの大半はソ連へ連行されていった。シベリア抑留の始まりである。根こそぎ召集で兵士にされた開拓民や義勇隊員たちは停戦時に現地除隊をして開拓団へ戻る者もいたが、そのままソ連軍によってシベリア抑留となるケースも頻発した。彼らは残してきた家族の安否を確かめる術もないまま数年間にわたる強制労働を強いられ、生き残った者たちは帰国して初めて家族を喪ったことを知ることになる。
 一方、ソ連軍は老人と子供と女性ばかりになっていた開拓団を容赦なく攻撃した。攻撃を受けた側からすれば、なぜそこまでしなければならないのかと憤るのも当然である。しかし、ソ連軍からすれば開拓団に男性がほとんどいなかったことまでは把握していない。しかも、当初から開拓団は軍事拠点と見なされる存在であったのである。
 そもそも移民を最初に構想した東宮鉄男は、そのモデルをソ連が行っていた武装移民に求めていた。ソ連は満洲事変直後、軍事的に優位にあった関東軍が極東地方へ進攻することを恐れており、防衛体制の構築を急ぐため、その一環として武装移民を極東に入植させていた。東宮はこのソ連の武装移民をモデルとして武装移民計画を構想したのである(『東宮鉄男伝』『満洲開拓史』)。
 占領地の支配強化を目的として自国民を入植させる政策は、ヨーロッパでは一般的であった。例えば、第一次世界大戦後に独立したポーランドでは国境を接するソ連との軍事的緊張状態が続いていたため、東部国境周辺にオサドニッツイと呼ばれる武装移民を入植させ、国境防衛に充てていた(『カチンの森』)。
 また、ドイツは第二次世界大戦中に一二〇万人ものポーランド人を独軍占領地ウクライナに強制移住させ、彼らを追放した後には、ドイツ本国からドイツ人の入植を進めていた。このようにドイツとソ連に挟まれた東欧では、支配と移民とは表裏一体の関係にあって、政治的・軍事的意図を抜きにして語ることはできないものであった。
 ということはソ連側から見れば当然、日本が満洲国内で建設した開拓団は政治的意図によってつくられた軍事組織以外の何ものでもなかった。しかも、実際に関東軍は開拓団に軍事的役割を求めていたのであり、日ソ戦時に軍命令で戦闘に直接従事した開拓団(間島省琿春県集団第一二次飯詰開拓団・同県義開第四次小波開拓団・東安省虎林県集団第一三次光開拓団など)や義勇隊(牡丹江省東寧義勇隊訓練所・黒河省孫呉義勇隊訓練所)もあったのである。
 開拓団をめぐる悲劇は、このように当時の国際的通念からすれば開拓団は軍事組織と見なされていたにもかかわらず、当事者である開拓民たちにとっては、日本国内と同様の「村」としてしか認識しておらず、関東軍が守ってくれる以上、軍事攻撃に曝されるとは露ほども思っていなかったというギャツプの大きさにあるといえる。
 また、関東軍幕僚を除けば、開拓政策を推進した民間人や官僚も国内問題という極めて内向きな視点からしか開拓団を考えていなかったことも大きな問題であったといえる。軍事的緊張感が強い外国への入植という国際的な問題を日本限定の内向き思考でしか捉えられない政治エリートの想像力の貧困さは、日本社会の宿痾でもある。(195〜197頁)


 具体的な情報を基にした記述で、満州がどういうものであったのかがよくわかりました。
 本書は、満蒙開拓団が中心でした。次は、軍人として満州に渡った私の両親たちの、現地での生き様やその歴史的な位置付けを知りたくなりました。
 この両面が明らかになると、満州の実態がさらに鮮明に浮き彫りになることでしょう。【4】
 
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 満州のことについては、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を通して、個人的な感懐を記しました。
 参考までに、その記事9本を列記しておきます。
 このリストでも、記事の中のリンク先は、本年3月に閉鎖したイオネットになったままのものが多くあります。気付いたものから、このさくらネットのアドレスに書き替えていきます。いましばらくお待ち下さい。参照してお読みいただく際には、記事の名前で再度検索していただくことで、当該の記事が表示されます。


「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)

「読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』」(2017年01月25日)

「読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』」(2016年12月29日)

「読書雑記(182)船戸与一『大地の牙 満州国演義6』」(2016年10月21日)

「読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』」(2016年09月29日)

「読書雑記(174)船戸与一『炎の回廊 満州国演義4』」(2016年08月05日)

「読書雑記(170)船戸与一『群狼の舞 満州国演義3』」(2016年06月23日)

「読書雑記(153)船戸与一『満州国演義2 事変の夜』」(2016年01月14日)

「読書雑記(145)船戸与一『風の払暁 満州国演義 1』」(2015年11月17日)
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 また、これまでに満州のことを書いた記事のリストも引いておきます。
 これはあくまでも暫定的なものであり、今後とも追記していきます。

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「読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』」(2016年12月30日)

「読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』」(2016年12月28日)

「両親がいた満州とシベリアのことを調査中」(2016年12月27日)

「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)

「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010年04月29日)

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010年04月03日)

「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

「古書大即売会とシベリア展」(2009年05月01日)

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008年02月14日)
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posted by genjiito at 23:02| Comment(0) | 読書雑記

2017年07月03日

目が見えない方々と須磨を散歩をするための下見

 夏の神戸合宿「触れて・聴いて・味わう『源氏物語』ゆかりの地めぐり」に関する報告の第2弾です。第1弾については、次の2つの記事で報告した通りです。

「視覚障害者と共に須磨を散策する計画に関してご教示を」(2017年06月09日)

「「百星の会」の宿泊研修で須磨探訪の計画を練っています」(2017年06月12日)

 本日、妻と共に須磨の地の下見をして来ました。そこで以下のように、行程を組み直してみました。これでどうか、この地域をご存知の方からのご教示をいただけると幸いです。

 次の現地地図に、本日歩いた場所を赤丸で記しました。

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 今回の特徴は、新幹線の中で早めの食事をしないことと、新幹線以外は電車を使わずに、現地の行程のすべてをチャーターしたバスで移動することです。
 ご意見を伺いながら、少しずつ微調整していきたいと思います。

 まず、誘導ボランティアについて。
 今回は、私と妻と姉、さらに広島大学の学生さん(以前、2月25日に高田馬場で開催された「百星の会」のカルタ会に来た学生さん)とその友達1人が加勢します。この5人が助っ人となるので、須磨区ボランティアセンターにはお願いしないことにします。

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【須磨散策の行程(第2案)】

■08:50 東京発 のぞみ103号
 (※車中での昼食は《不要》)

■11:37 新神戸着
(駅の改札口に、伊藤・妻・姉・学生・友人の5人が出迎えに出ます。改札口は1ヶ所のみ)
 新神戸駅前で待機しているマイクロバスに乗り込む

↓(バスで25分)

■12:30-13:30
須磨浦海岸で食事
 候補︰神戸市立国民宿舎「須磨荘 シーパル須磨」内
  和食処「漁(すなど)」
  http://www.qkamura-s.com/suma/restaurant
  海鮮丼(1,080円)、お手軽弁当(1,630円)
  (共に、お刺身と天麩羅の定食)

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※駐車場あり。
※食後は、目の前の須磨浦海岸で風を感じ、波の音を聞く。

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※海水浴シーズンのため、駐車場の確保と、食事場所の確保と、人混みを避けて海に出られるところからの選定。問題点は、メニューが2つしかないので、お刺身と天麩羅が苦手な方には他の食べ物がないこと。これは、何か手立てがないか思案中です。
 本日、上記メニューの2つを食べました。お魚が美味しいと思いました。
 もし、他に何か問題があるようであるなら、バスで移動して別の場所にすることも可能です。

↓バスで移動(5分)

■13:50-14:20
関守稲荷神社(須磨の関跡)

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※境内は狭い。無人(?)
※すぐ横に駐車場あり。
 ☆俊成の歌碑
「    俊成
  聞き渡る
   関の中にも
   須磨の関
   名をとゞめける
   波の音かな
       嘉苑?かく」

 ☆『百人一首』の歌碑
 「      源兼昌
  あはちし満
    閑よふちとりの
   那くこゑ耳
    いくよねさめぬ
     す万のせきもり」
※「源氏物語」で光源氏が須磨に退居していた時、巳の日祓いをしたところをここになぞらえ「巳の日稲荷」ともいわれています。
http://kakitutei.web.fc2.com/yukari/suma-akashi/s-sekimori.html

↓バスで移動(5分)

■14:40-15:10
現光寺(源氏寺)(関守稲荷神社から250m、徒歩なら3分強)

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※広い駐車場あり。
※お寺の奥様にお目にかかり訪問の主旨を伝えたところ、歓迎するとのことでした。
 「源氏寺碑」と、謡曲「須磨源氏」の駒札がある。
 「須磨源氏」に関係する「光源氏 月見の松」がある。
 『源氏物語』に関連した松尾芭蕉と正岡子規の句碑もある。
 http://kakitutei.web.fc2.com/yukari/suma-akashi/s-genkouji.html

★【立ち寄らない】松風村雨堂
 (現光寺からバスで5分、駐車スペースがない、石碑が高く触れない)

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 入口の『百人一首』の石碑
 「中納言行平卿詠
  立ちわ賀連いな波野能山の峯尓おふる
  萬徒登し聞可婆今かへり古舞」

↓バスで移動(10分)

■15:30-17:00
須磨寺(チャーターしたマイクロバスはここまで)

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 本堂(会場変更あり)で須磨琴を聞く。
 http://www.sumadera.or.jp/itigenkin/index.html
 一絃須磨琴保存会の責任者小池さんに、今日ご挨拶して来ました。視覚障害の方にお琴を聞いてもらったことがあるそうで、大歓迎とのことです。

↓「しあわせの村」から来る送迎バスで移動(30分)

■17:30〜翌23日
「神戸・しあわせの村」に宿泊し『百人一首』の研修会
 
 
 

posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年07月02日

大和平群で[洗い茶巾]のお稽古

 蒸し暑い日です。
 河原町通りは、昨日1日から始まった祇園囃で賑やかです。

 電車の時刻を気にせずに家を出たため、大和西大寺駅で乗り継ぎが悪く、平群まではさらに一時間もかかることがわかりました。片道2時間半の小さな旅です。車窓の風景を楽しみ、本を読み、スマホに駄文を入力し、膨大なメールに返信を書いたりと、何かと飽きない道中です。

 平群も、暑い空気が滞留していました。竜田川の水もホカホカしているようです。

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 今日のお稽古は洗い茶巾でした。いつかやったことがある、という怪しいものです。
 家に帰ってから過去のブログを見ると、「猛暑の中を大和平群でお茶のお稽古」(2013年08月12日)でお稽古したことが書いてありました。今、読み直してみて、思い出しながら今日のお稽古の確認をしました。何事も、書き残しておくものです。

 水を入れた茶碗に、茶巾と茶筅と茶杓を仕組み、それを水がこぼれないように両手で持ち出してから、棗と建水を運び出します。
 それぞれのお手前で持ち出す物の順番などが違うので、なにかと悩ましいことになります。
 運び出した茶碗の中の水を捨ててからは、いつもと同じです。

 最後に道具の拝見という場面で、茶杓の銘を聞かれて、即座に思いついたのが「祇園祭」でした。「祇園囃子」も季節感があっていいとのことです。京都の歳時記がお茶席で活きることを実感しました。

 この次は、丸卓を使った洗い茶巾を教えていただくことになりました。私が好きな丸卓に、夏らしく涼しげな洗い茶巾を組み合わせたお手前です。いろいろと注文の多い生徒ですみません。

 教えていただいているそばから、すぐに忘れます。それにしても、やっているうちに思い出す喜びを味わいながらのお稽古なので、楽しく続けています。

 今は、お盆に来ていただくお客さまと一緒にお茶をいただくことを目的としたお稽古をしています。ガラスの茶碗にガラスの水差しで、と雰囲気作りを最優先にした場面を想像しています。気持ちだけは、それなりのお茶をいただく場にしたいと思っています。
 それまでに1回でも多くお稽古をして、来年またゼロからやり直し、とならないようにしたいものです。

 家に着く頃には、昼間のあの天気が嘘だったかのように大雨でした。
 天気が不順です。今年は熱暑だとか。
 出歩くときには飲み水を持ち、体調を考えながら動くことにします。
 明日は須磨へ行き、7月22日(土)に目が見えない方々を文学散歩にお連れするための下見をする予定です。
 天候次第では、無理をしないつもりです。
 
 
 

posted by genjiito at 20:11| Comment(0) | 美味礼賛

2017年07月01日

「キャンパスポート大阪」で「源氏物語と大阪」と題する講義をして

 今日から、八坂神社に近い四条河原町は、祇園祭一色になりました。
 通りでは、コンチコチンの音色が降り注いでいます。
 バス停は、ミストシャワーで涼しそうです。

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 今日は、大阪駅前第2ビル4階にある「キャンパスポート大阪」で、「『源氏物語』と大阪」と題する講義をして来ました。
 これは、NPO法人「大学コンソーシアム大阪」が主催する「大学間連携事業」の一つで、その中の「単位互換事業」として実施されているものです。

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 パンフレットの文言を引きます。
大阪の大学の
」が集積する
価値創造拠点


 これに参加している大学は、以下の42大学です。

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 簡単に言うと、他大学の科目を履修した学生に、単位を認定する制度です。この講座を受講して試験に合格すると、自分の大学で修得した単位として認められるのです。
 今日、私が受け持った講座は、大阪観光大学が担当する地域学を中心としたセンター科目「大阪観光学」の中の1講座です。

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 今回の講座の受講生は25名で、大学別に見ると次のようになっています。
大阪市立大学
大阪経済大学
近畿大学
相愛大学
帝塚山学院大学
梅花女子大学


 今日お話したことは、『源氏物語』「澪標」巻の中に語られている、光源氏と明石の君が住吉神社へ参詣するくだりです。大阪に関係する観光地として、住吉にしました。
 最初に、先月下旬に新聞に報じられていた「住吉大社の神輿 関空を行く」という記事を提示して、その意味を考えることにしました。
 以下、『新編全集 源氏物語「澪標」』(小学館)に「その秋、住吉に詣でたまふ。」とある部分より7頁分を見ながら、お話と住吉及び大阪の地のことを確認していきました。
 また、このくだりの背景を知るのに最適な『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.24 澪標』(日向一雅編、至文堂、平成14年)の中から、「源氏ゆかりの地を訪ねて 住吉明神の霊験」(浅尾広良)を紹介しました。

 配布した資料はA4で32枚分です。
 理工系の学部で勉強する方が半数以上で、文学部に所属している学生さんはおられません。しかも、1時間半という短い持ち時間で1回きりの担当です。興味が湧いた時に確認できるように、と思って、少し詳しめの資料を渡しました。

 いろいろな分野の方に、観光という視点から『源氏物語』を逆照射してもらえたら、という思いでお話をしてきたところです。

 昨日は研究会があったため夜遅くに帰り、今日は午前中の講義だったということもあり、少し疲れました。
 久しぶりに、今日は早めに休むことにします。
 
 
 

posted by genjiito at 20:33| Comment(0) | ◆源氏物語

2017年06月30日

科研(A)の第9回研究会を大阪観光大学で開催

 本日の研究会は、本年度の新規採択なので、第1回めです。しかし、昨年までのテーマをさらに大きく展開するものなので、通算で第9回となります。

 夜来の大雨も午前中には上がり、蒸し暑いながらも楽しい集まりとなりました。
 興奮気味に、帰路での投稿となっています。

 今回の開催にあたっては、大阪観光大学で研究分担者になっていただいた谷口先生が、会場確保や設営などを手回しよくやってくださいました。これまでは、準備などはすべて、科研付きの研究員やアルバイトの方にお願いしていました。今回は、研究支援を一手に引き受けてもらっていた淺川さんが東京からコントロールしてもらっていたとはいえ、何かと小回りが利きませんでした。内部の先生の協力は、ありがたいものです。

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 一昨日の本ブログで紹介した通り、プログラム通りに実施できました。

 最初は、図書館で翻訳本の展示を見ていただき、簡単に説明しました。
 インドからお越しのモインウッディン先生に、私の拙い説明を補っていただきました。

 場所を4階のセミナールームに移し、まずは自己紹介からです。

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 異分野のメンバーで構成する組織なので、ほとんどの方が初対面です。そのため、少し時間をかけました。
 事務方で、これからお世話になるお二人にも出席していただき、この科研を構成するメンバーとの対面も叶いました。事務方の理解と協力なくして、科研の遂行は困難だと思っているからです。

 高校の教員をしていた私が、25年前にこの大学(当時は大阪明浄女子短期大学)に赴任するにあたり、恩師伊井春樹先生は2つのことをおっしゃいました。それは、研究者として生きて行くためには、科研を取ること、そして事務方を大事にしなさい、ということでした。
 以来、その言葉を肝に銘じて、今に至っています。

 引き続き、科研の主旨などをお話し、活動方針の確認をしてから、研究発表に移りました。

(1)研究発表
「「海外源氏情報」にみる海外で翻訳・出版された平安文学情報」(淺川槙子)
 日本文学のどの作品が、どの言語で翻訳されているか、ということはもちろんのこと、翻訳されていない作品のことや、なぜこのような作品が翻訳されているのか、ということが浮き彫りになる発表でした。これまでとこれからの、情報収集の意義を再確認する資料の提示も、ありがたいものです。みんなで、この資料を大事に育て上げていきたいものです。

(2)研究発表
「『とりかへばや物語』における男君考 −なぜ男君は悩まないのか−」(長内綾乃)
 長内さんは、広島大学の4年生です。卒業論文をどのような内容にするか、という私が投げかけた課題に答える発表でした。自分が持っている問題意識が明確なので、中世王朝物語を専門に研究する先生方からの質問にも、堂々と答えていたのには感心しました。日頃から、鍛えられているからでしょう。
 本科研では、若手の育成を心がけています。その意味からも、長内さんの発表は、本人はもとより、我々も新鮮な気持ちになるものでした。

 全国の学校の先生方で、学会では発表できないとしても着眼点が光っていて、専門家の意見を聞きたいという学生さんがおられましたら、遠慮なくお知らせください。本科研が取り上げるテーマに応じて、発表や研究報告の機会を提供する用意があります。検討の結果発表となれば、会場までの交通費は支給します。

(3)研究発表
「『とりかへばや物語』の中国語訳の試み」(庄婕淳)
 実際に自分で『とりかへばや物語』を翻訳しての問題点が取り上げられました。具体的だったので、短時間ながらもみんなで参加できる討論ができました。

 『とりかへばや物語』の発表が2つ続いたこともあり、男性という性についての意見が楽しく展開する、おもしろい話題に身をおくことになりました。これは、多言語における異文化交流の観点からも、世界中の方々と意見を交わせるテーマです。いつか、国際集会で取り上げたいと思います。

(4)研究発表
「雀の子を犬君が逃がしつる」の外国語訳と現代語訳」(須藤圭)
 教科書に採られている有名な場面を、さまざまな訳文を提示して比較検討する、おもしろい問題提起がなされました。
 一つの言語における訳文の検討だけでも、多彩な問題が見えてきます。それが、多言語となると、さらに問題のスケールが大きくなり、多彩な意見交換の場となるはずです。

 次回は、本年12月に東京での開催を予定しています。
 海外における平安文学に関して、本研究会で研究発表したい方を募集しています。希望する方がいらっしゃいましたら、本ブログのコメント欄を利用して連絡をください。折り返し、相談の連絡を差し上げます。

 本日の参加者は以下の12名でした(敬称略)。楽しい会となり、次回がますます待ち遠しくなりました。今後とも、よろしくお願いいたします。

伊藤鉄也(大阪観光大学)
谷口裕久(大阪観光大学)
王静(大阪観光大学)
金光桂子(京都大学)
高田智和(国立国語研究所)
須藤圭(立命館大学)
モハンマド・モインウッディン(大阪大学)
庄婕淳(立命館大学)
長内綾乃(広島大学4年生)
池野陽香(大阪観光大学1年生)
淺川槙子(元・国文学研究資料館プロジェクト研究員)
塔下宣子(オフィス ティ〈デザイナー〉)
 
 
 

posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆国際交流

2017年06月29日

熊取駅と天王寺駅に貼られた翻訳本展示に関するポスター

 過日、大阪観光大学に近い熊取駅の構内にある「くまとりギャラリー」に、翻訳本の展示を知らせるポスターが、2枚をつなげて貼り出されたことを書きました。
 「翻訳本『源氏物語』の展示は《中国・韓国・インド編》に衣替え」(2017年06月02日)という記事の末尾に写真を掲載しています。

 その後、大学の事務で科研を担当する方々が奔走してくださいました。その努力が実り、やっと一週間という短い期間ながらも、JR阪和線の天王寺駅・日根野駅・和歌山駅の掲示板に貼り出していただくことになりました。
 関西国際空港では、電子掲示板だけのようなので、今回は見合わせました。

 今日の仕事帰りに、日根野駅と天王寺駅に貼ってあったポスターを確認しました。

 日根野駅では、改札を出た右側のボードに貼ってあります。

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 大阪観光大学へは、改札を出て左側に向かいます。そのため、大学関係者がこの改札を出て右にあるポスターを見る機会は、まったくといっていいほどありません。貼られた位置が不運だったと言えます。
 今後は、この点を再検討し、改札を出て左側に貼っていただけるように運動してみます。

 天王寺駅では、大学に行くために乗る、始発電車のホームの先頭車両へに向かうところに貼ってありました。ちょうど階段とエスカレータの前です。

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 前方が、「あべのハルカス」へ行く改札口です。

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 この場所は、大学に向かう人には、振り返らない限りは目に留まりません。
 しかし、大学から来た電車が終点なので、ここから乗り換える人には、ちょうどホームを移動する時にエスカレータや階段を降りる視線の先なので、よく見える最適な場所です。

 和歌山駅では、どのような場所に掲示されたのか、確認をお願いできる関係者がいないので、見かけた方からお聞きするしかありません。このブログを見てくださっている方で、和歌山駅で乗り降りなさっている方からの情報を、お待ちしています。

 今回、ポスターを駅に貼り出したことによる反応を見ながら、今後とも続く翻訳本のミニ展示の宣伝方法を検討したいと思います。
 新たなメディアへのアピールも考えていきます。連絡をいただければ、おうかがいしてご説明いたします。多く方に知っていただく方策を練っているところです。
 
 
 

posted by genjiito at 19:46| Comment(0) | ◆情報化社会

2017年06月28日

第9回「海外における平安文学」研究会は大阪観光大学で今月30日に開催

 本年度より始動した、科研費による基盤研究(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(17H00912、研究代表者︰伊藤鉄也・大阪観光大学)の研究会の準備が整いました。
 これまでの科研のホームページである「海外源氏情報」(http://genjiito.org)が、いまだに不具合を抱えており、情報の更新が3月31日からまったくできていません。
 下記の要領で開催することを、この場を借りてお知らせします。
 連絡が遅くなり、大変失礼しました。
 広く公開していますので、興味と関心をお持ちの方はご自由に参加してください。
 また、本科研は若手の育成にも取り組んでいます。そのため、今回は若手の研究発表で構成しました。今後とも、異分野における異文化との交流を視野に入れて、研究活動を展開していきたいと思います。
 広く研究発表や、調査報告・実践報告などを募ります。さまざまな分野の、さまざまな立場の方々の、積極的な発表や報告を待ち望んでいます。

 なお、資料の準備などがありますので、参加を希望なさる方は本ブログのコメント欄を利用して、事前にお知らせください。

「海外における平安文学」



■日時:6月30日(金)13:30〜17:00
■場所:大阪観光大学 明浄1号館4階141セミナー室
※明浄1号館は一番手前の建物です。
入口から入っていただき、右側にあるエレベーターで4階に上がってください。
(〒590-0493 大阪府泉南郡大久保南5-3-1/ 072-453-8222)

■アクセス
当日は、以下の時間に発車するスクールバスをご利用ください。

泉佐野駅12:55発→日根野駅13:07発→大学13:15着

JR阪和線 日根野駅からスクールバスで8分(無料)
南海本線泉佐野駅からスクールバスで20分(無料)
詳細は http://www.tourism.ac.jp/concept/access.htmlをご覧ください。

■プログラム

【第一部】
世界中で翻訳された『源氏物語』の展示解説(伊藤鉄也) 13:30〜13:50
  ※ただいま図書館で、中国・韓国・インドの言葉に翻訳された『源氏物語』を展示中。
 
【第二部】
伊藤科研 第9回研究会 14:00〜17:00

・挨拶(伊藤鉄也)14:00〜14:05

・自己紹介(参加者全員) 14:05〜14:20

・科研の趣旨説明(伊藤鉄也)14:20〜14:30

・研究発表「「海外源氏情報」にみる海外で翻訳・出版された平安文学情報」(淺川槙子)14:30〜14:45

・休憩(15分)

・研究発表「『とりかへばや物語』における男君考−なぜ男君は悩まないのか−」(長内綾乃)15:00〜15:25

・研究発表「『とりかへばや物語』の中国語訳の試み」(庄婕淳)15:25〜16:00

・休憩(15分)

・研究発表「雀の子を犬君が逃がしつる」の外国語訳と現代語訳」(須藤圭)16:15〜16:50

■研究会後に、日根野駅前で懇親会を予定しています。参加は自由です。

【参加予定者12名/敬称略】
伊藤鉄也(大阪観光大学、『源氏物語』本文と触読の研究)
谷口裕久(大阪観光大学、文化人類学・比較言語学)
王静(大阪観光大学、中国茶・フードツーリズム研究)
金光桂子(京都大学、中世王朝物語の研究)
高田智和(国立国語研究所、国語学(文字・表記)・漢字情報処理)
野本忠司(国文学研究資料館、情報科学,言語工学)
須藤圭(立命館大学、中古中世王朝物語の研究)
モハンマド・モインウッディン(大阪大学、近代文学と多言語翻訳)
庄婕淳(立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、『とりかへばや物語』の研究)
長内綾乃(広島大学、文学部4年生、卒論は『とりかへばや物語』の研究)
池野陽香(大阪観光大学、観光学部1年生)
淺川槙子(元・国文学研究資料館プロジェクト研究員、中世軍記物語の研究)

 
 
 

posted by genjiito at 08:00| Comment(0) | ◆国際交流

2017年06月27日

NPOの事業報告書を京都市役所で点検していただく

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が昨年度の事業を終了したことは、京都市役所の中にある文化市民局地域自治推進室に書類を提出して報告することになっています。
 また、今回は役員の変更があったので、その届出の手続きもします。

 今月末が提出の期限なので、4月29日の総会の後は、この書類の作成に四苦八苦していました。それが今月に入ってからさらに時間を取られるようになり、いろいろと手配を終え、関係者に必要な書類をまとめてもらったり提出していただいたりで、ようやく本日、推進室の市民活動支援担当の窓口で書類の確認をしていただきました。

 その窓口にいらっしゃる小松原さんには、これまでにも幾度となく懇切丁寧なアドバイスをしていただいています。電話で、メールで、そして対面でと。ありがたいことです。公的書類の作成に慣れていない者にとっては、本当に助かります。

 今日も、細かなところまで見てくださいました。そして、手直しすべきところを何カ所も指摘していただいたおかげで、どうにか今月末までに提出できるところまで来ました。

 行政文書等の作成を専門にする方に依頼すると、こうした苦労はしなくてもすみます。しかし、零細なNPO法人にとっては、その経費の捻出がままなりません。勢い、書類作成から提出までを、手伝っていただきながらも、事務的な仕事のすべてを自分ですることになります。そうした法人が多いとのことでした。

 今日は、近くにお住まいの石田理事と一緒に、今後のこともあるので揃って市役所に行きました。
 小松原さんのお話を伺いながら、書類作成の要点をしっかりと聞き逃さないようにして来ました。私は忘れてしまっても、石田さんが丹念にメモをとっておられたので、来年こそは1回でパスするようにしたいものです。

 それにしても、毎回同じことで指摘を受けることがあります。

(1)住所を番地で表記する場合と、ハイフォンでいい場合があること。
(2)私の名前は、住民票に記載されている通りの「鉃」にするここと。
(3)活動計算書の中の、事業費と管理費を使途によって区別すること。


 今後のこともあるので、担当部署に保存されている、私がこれまでに提出した文書・書類を、まとめてコピーさせていただきました。最終提出版は、手元になかったものがいくつかあったからです。都合88枚もありました。
 年に一度の提出なので、次に作成するときには、この前のことはすっかり忘れているのです。

 市役所の後は、少し上にあがった荒神口にある法務局へ行きました。
 ここでのことは、また後日にします。

 このNPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、若手が後を継いでくれる体制を意識して運営しています。こうした書類作成のノウハウも、少しずつ伝えていきたいと思っています。
 事務手続きのお手伝いをしてくださっている理事や会員の方々に、この場を借りて報告とお礼を記して、感謝の気持ちにかえたいと思います。
 いつもありがとうございます。そして、今後とも変わらぬご支援を、よろしくお願いします。
 
 
 

posted by genjiito at 20:46| Comment(0) | ◆NPO活動

2017年06月26日

体調管理が少しズレ出してきたこと

 京大病院で、皮膚科と糖尿病栄養内科で診察を受けて来ました。

 自転車で病院へ行く途中で、下鴨神社の敷地の南側に建設中だったマンションが完成しているのを見かけました。入居はまだのようですが。
 糺の森の外れとはいえ、参道の両側に建つ和風の低層住居は、思ったよりも周りに馴染んでいました。

 下の写真は、御蔭通を高野川に向かって写したものです。
 御蔭通の左側の朱垣が下鴨神社、右側がマンションです。

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 参道から、南の鳥居を見たところです。

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 南の鳥居から糺の森の参道を見ると、こんなにすっきりとした風景になりました。石畳が雰囲気をがらりと変えました。

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 水路があたりの様子を和らげています。

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 さて、病院の診察では、採血を終えるとすぐに皮膚科へ回りました。
 右足の疣は、見かけは直ったように見えます。しかし、押されるとまだ痛さがあるので、今後も塗り薬を続けます。まだまだ長丁場です。
 身体の痒みは止まりました。あの、2月から4月の、気を失い脳梗塞寸前の忙しさが原因だったようです。よくぞ生きて今があるものだ、と我ながら運の強さに驚いています。

 糖尿病については、案の定というべきか、ヘモグロビン A1cの値はこれまでの最高値でした。
 今年の推移は、2月が6.8、4月が7.1、そして今日が7.6だったのです。
 ヘモグロビン A1cの値の国際標準値が4.6〜6.2なので、これは問題です。もっとも、春先から体重が減り続け、一時は46キロ台にまで下がったので、血糖値よりもエネルギー補給を優先しました。そのため、食事や間食やおやつが増えたのです。さらには、食事中に腹痛に見舞われることが多くなり、痛みと闘う我慢の日々でした。これは今もそうです。
 定年退職に伴うさまざまな作業や整理に加え、転職による膨大な負荷に負けずに、いろいろなことをして、なんとか生き抜いた数ヶ月でした。もう大丈夫です。じっくりと血糖値の管理に取り組みます。

 なお、昨年の夏7月にも、7.4とハイスコアでした。夏場は身体が壊れないように、多くのものを食べて体力維持を心掛ける、無意識ながらも我流の習慣があるようです。
 今日も主治医の先生は、この夏の様子をみてから、今後のことをあらためて考えましょう、とおっしゃっていました。

 今日の血液検査によって新たにわかったことは、タンパク質の摂取量が少ないということがあります。妻がうまく食生活を考えてくれています。良質のタンパク質を摂ることも、その中に入っています。しかし、それ以上にビタミンの不足からか、消化しきれていないのではないか、とのことでした。これも、次回に詳しい検査を受けます。

 また、食事中の腹痛に関しては、胃ガンの手術を受けた消化管外科で来月早々に再検査をし、胃カメラを使うことも検討していただくことになりました。そういえば、胃ガンの告知を受けたのは、7年前の祇園祭の日でした。
 とにかく、もう少し長生きするためにも、何かおかしなことがあれば検査をしていただくことになっています。ちょうど今がその時期にさしかかっている、ということなのでしょう。

 まだまだ、病院のお世話になりながらの生活が続きます。
 身体を気遣いながらマイペースで仕事をせざるをえないので、対応の悪さや至らないところはご寛恕のほどをよろしくお願いいたします。
 
 
 

posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | 健康雑記

2017年06月25日

備中高梁にある天空の山城「備中松山城」に登る

 今朝の「ふるさと日南邑」から見る山は、雲に覆われていました。
 昨日のように晴れ渡った山の方が珍しいのです。

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 鳥取県の日南町からの帰りに、岡山駅から何駅か手前の、備中高梁駅で途中下車しました。
 大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に、備中松山城が使われたのだそうです。

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 改札を出ると、高梁市図書館と蔦屋書店とスターバックスが一体化したフロアがありました。この形式は、九州にあったように思います。

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 重たいキャリーバックは駅のコインロッカーに入れ、ぶらぶらと散策です。
 紺屋川筋の美観地区まで歩き、雰囲気のいいお蕎麦屋さんで十割ソバをいただきました。

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 そこからタクシーで松山城下まで行き、歩いて山道を25分ほど登りました。気持ちのいい山登りです。
 こんな道でも、スマホ歩きをしている方が多いようです。

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 急な勾配の山道を登り終えると、お城が聳え立っています。

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 ポツポツと降り出した雨が、次第に雨足を強めます。休憩所でお城の歴史を語るビデオ見てから外に出ると、幸運にも雨が止んだところでした。

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 天守閣の中の階段が急だったので、高所恐怖症の私は、竦む足を庇いながら上がりました。

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 城内では、紙芝居形式の落城物語が、ビデオで流れていました。その中に、盲目の勾当が持ち物を奪われて殺される場面がありました。このシナリオを書いた方は、目が見えない方に対する理解が足りなかったために、こうした話を挿入されたのではないでしょうか。もし、仮に史実がそうであったとしても、目が見えない方があのように残酷な殺され方をすることを描く必要があるのか、疑問に思いました。子供のための紙芝居だというのですからなおさら、作者に対して無自覚がなせる偏見を感じ取ってしまいました。後味の悪い紙芝居の台本だと思っています。

 帰りは、備中高梁駅まで、歩いて山を下りました。
 道々の川沿いには滝や水車があり、爽やかなウオーキングでした。
 両足の調子がよくなくても、気持ちのいい山歩きは苦痛ではありません。

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 武家屋敷の通りで折井家と埴原家の2軒の家を拝見しました。
 江戸時代の生活を理解するのに役立ちます。

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 他にも行きたいところはもっとありました。またこの次にします。
 これからも、こうしたフラリ旅を途中下車をして織り込んでみたいと思います。
 
 
   
posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | ブラリと

2017年06月24日

充実した第6回池田亀鑑賞授賞式

 予報では雨とのことでした。しかし、爽やかに晴れ上がったお祝いの佳日となりました。

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 午前中は、いつも通り、池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長をなさっている久代安敏さんに、車で町内の案内をしていただきました。池田亀鑑の生誕の地、井上靖の野分の館、松本清張の顕彰碑などです。

 午後から、第6回池田亀鑑賞の授賞式です。

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 本年度は、本橋裕美さんの『斎宮の文学史』(翰林書房)が受賞しました。

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 池田亀鑑文学碑を守る会の会長である加藤輝和氏のご挨拶から始まりました。

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 続いて、本橋さんに加藤会長から賞状と賞金が手渡されました。

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 それを受けて、私がご挨拶と選考経過および選考理由をお話しました。

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 用意していた原稿を引きます。

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挨 拶


 池田亀鑑賞の選考委員長をしている伊藤鉄也です。
 今回の受賞者である本橋裕美さん、受賞おめでとうございます。

 本日は、池田亀鑑賞選考委員会の会長である伊井春樹先生が所用でお越しいただけませんでした。そこで、私が挨拶を兼ねて、受賞作の紹介と選定理由についてお話いたします。

 この池田亀鑑賞も、回を重ねて第6回となりました。
 昨日の夕刻に、旧日南町立石見東小学校の敷地に立つ、池田亀鑑の文学碑に連れて行っていただきました。
 碑文の『学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり』は、私にとっては想い出深いことばです。
 あの碑文の右横にある立派な石に刻まれた顕彰碑が建てられてのは、平成21年11月です。
 インターネットで公開している私のブログに、久代さんから顕彰碑が新たになったことを教えていただきました。翌12月に、飛ぶようにして私はこの地日南町に足を運び、足羽隆先生に町内を案内していただき、幸運にも久代さんと出会えたことがきっかけとなり、この町とのお付き合いが始まりました。

 それから2年の準備期間を経て、池田亀鑑賞の創設に漕ぎ着け、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』』を刊行し、第1回池田亀鑑賞の授賞式は平成23年(2011年)5月2日に挙行されました。そして今回が第6回です。これまでを振り返っても、感慨深いものがあります。

 今回も、すばらしい成果を池田亀鑑賞の受賞作として選定することができました。
 受賞者の本橋さんは、お手元の資料にあるとおり、コツコツと研鑽を積み重ね、今回のご著書のような成果をまとめられました。これからが大いに楽しみな、若手の研究者です。
 この受賞を契機として、ますます活躍されることでしょう。

 さて、今回の〈受賞作の紹介と選定理由〉について報告します。

 池田亀鑑賞の選考方法については、これまでと同じです。

・選考対象は、『源氏物語』をはじめとする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介
・平成29年3月31日までに応募のあった著作と書類(今回は6点)
・今後の平安文学研究の励みとなるような研究及び成果物
・評価対象は、応募にあたって提出された著作と応募文書
・評価点を付けるにあたっては、設定された4項目につき5点満点で評価する
  (A)地道な努力の成果
  (B)研究の基礎を構築
  (C)研究の発展に寄与
  (D)成果が顕著な功績
・公平を期すために、事務局である新典社は選考会に関わらない。

選 評



 今回の本橋さんの受賞作は、斎宮を視点として幅広く物語文学を辿り、物語の分析を通して斎宮の生き方や思想を明らかにしようとしたものです。平安時代から中世後期に至る、主として物語文学に登場する斎宮像を丹念に考察したものです。
 文学史における斎宮の役割や位置づけとその変遷を明らかにした研究なのです。これまで歴史学や宗教学の研究者がおこなってきた斎宮の通時的な研究を、本橋さんは文学研究の観点から精緻に行った点で意義深いものです。
 斎宮という制度や人物が「文学史」として貫き通されており、研究手法は手堅く全体としてもよくまとまっています。
 中世王朝物語を射程に収めている点も、先行論からの発展として評価されました。

 若手の意欲的な研究成果として評価したいということで、この作品を受賞作とすることになりました。作品本文を解釈する力と歴史を見つめるバランスの良さがあります。
 今後の活躍がさらに期待できる著作となっています。

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 そして、選考委員会のメンバーの自己紹介です。
 以下、順に、池田先生、小川先生、妹尾先生です。
 この会も6回目なので、みなさん我々委員の顔も覚えていただいているようです。

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 次は、来賓紹介の後、増原町長から祝辞がありました。

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 ネットで「池田亀鑑賞」を検索すると、だいたい三番目から四番目に表示されることなどから、さらにこの賞が広く知られるようにしたいとの決意を述べられました。

 本日の中心となる授賞者の記念講演は、「斎宮という女性 『源氏物語』が描く、とある皇女の物語」と題するものでした。参集した60名の聴衆の興味を斎宮に惹きつける、すばらしいものでした。

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 質疑応答では、オオタノヒメミコとオオクノヒメミに関することや、斎宮は一人だけでいいか等々、非常に詳しい質問なども出ました。それに懇切丁寧に答えておられる本橋さんの姿が印象的でした。

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 休憩時には、会場に並べられた本などを自由に見たり、壁に貼られたこれまでの池田亀鑑賞に関する写真などを見ました。

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 休憩後には、原豊二氏の講演「文学碑『たゞ至誠にあり』」です。山本嘉将という人をめぐって、碑文の背景を語ってくださいました。

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 この会を実質的に運営しておられる、「池田亀鑑文学碑を守る会」の事務局長である久代安敏さんも、日南町の話になると一家言を披露なさいます。

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 最後は、私が「鎌倉時代の『源氏物語』古写本「若紫」巻を読み、池田亀鑑を追体験する」と題して、みなさんと一緒に国文学研究資料館所蔵の写本を変体仮名に注意しながら少し読みました。

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 閉会の辞は、石見まちづくり協議会の吉澤晴美会長の心のこもった謝辞でした。

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 その後、恒例の関係者による全員集合写真を撮ったあとは、池田亀鑑の文学碑の前で全員で記念写真を撮りました。

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 夜は、ふるさと日南邑で懇親会で盛り上がりました。町のみなさまの温かい気持ちが伝わる、和やかな祝宴です。
 関係者のみなさま、ごくろうさまでした、そして、ありがとうございました。

 次回、第7回池田亀鑑賞の授賞式が、今から楽しみです。
 また、日南町でお目にかかりましょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 池田亀鑑

2017年06月23日

第6回池田亀鑑賞授賞式のために日南町に来ました

 明日24日(土)は、第6回池田亀鑑賞の授賞式が、ここ鳥取県日野郡日南町であります。
 今日の夕方、新幹線で岡山に出て、伯備線の「やくも」に乗り換えて、日南町に来ました。京都から3時間弱です。岡山で、東京からお越しの池田亀鑑博士のご子息である池田研二先生と合流しました。

 日南町の生山駅には、池田亀鑑文学碑を守る会の事務局長をなさっている久代安敏さんが、迎えに来てくださっていました。いつも、お世話をしてくださいます。ありがとうございます。

 宿泊場所である「ふるさと日南邑」へ送っていただく途中に、旧日南町立石見東小学校の敷地に立つ、池田亀鑑の文学碑に連れて行ってくださいました。碑文の『学才にあらず 閥派にあらず たゞ至誠にあり』は、私にとっては想い出深いことばです。

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 この碑文の右横にある顕彰碑が建てられたのは、平成21年11月です。
 そのことを久代さんから聞いて、翌12月に、飛ぶようにして私はこの地に足を運び、久代さんとのお付き合いが始まりました。

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 それから2年の準備期間を経て、池田亀鑑賞の創設に漕ぎ着け、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』』を刊行し、第1回池田亀鑑賞の授賞式は平成23年(2011年)5月2日に挙行されました。そして今回が第6回です。感慨深いものがあります。

 今回は、「ふるさと日南邑」の本館ではなくて、外の森の中に建つ3棟のログハウスの一つに泊まりました。

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 ここは、木を贅沢に使った、すばらしい施設です。ゼミ合宿などに使うといいと思います。
 
 
 
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2017年06月22日

[町家 de 源氏の写本を読む]を再開します

 平成25年4月から1年半前まで、約3年間続けていた「ワックジャパンで源氏を読む会」が、私の定年退職を控えてしばらく休会していました。

 このたび、開催場所を「be 京都」(http://www.be-kyoto.jp/)に変えての準備が整いましたので、あらためてお誘いのお知らせといたします。
 京都駅から至便の地での再開です。東京などからも、週末の観光を兼ねてお越しいただけると幸いです。

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 テキストとするのは、鎌倉時代中期の古写本で、現存最古の『源氏物語』の写本と思われる『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(講師編集)です。

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 書写された仮名文字を丹念に確認しながら、翻字ができるスキルアップを目標に、変体仮名を読み解いていきます。最近とみに、変体仮名を読む機会がなくなりました。しかし、昨日の本ブログに記したように、ユニコードに変体仮名が採択される、というご時世です。

「速報☆申請中の変体仮名が「ユニコード 10.0」に採録」(2017年06月21日)

 また、来年8月から実施される《仮名文字検定》の受験対策としても、この講座をご活用ください。

 この時代の流れを追い風にして、みなさまのチャレンジ精神へのお手伝いをいたします。

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講座名︰「町家 de 源氏の写本を読む」
会場︰「be京都」(http://www.be-kyoto.jp/
    (本講座案内のバナー広告あり)

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所在地︰京都市上京区新町通上立売上る 安楽小路町429-1
電話︰075-417-1315(代)
最寄り駅︰地下鉄烏丸線
      今出川駅下車
       2番出口 徒歩5分
     市バス
      上京区総合庁舎前下車
       徒歩4分

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・講師︰伊藤鉄也・須藤圭
・支援︰石田弥寿子
・教材︰『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』
   (伊藤鉄也編、新典社、185頁、2013年刊、¥1,944)
・開催日時︰毎月第4土曜 14時〜16時
・受講料 5回 10,000円 一括払い
  NPO会員 7,000円 一括払い
  途中スポット参加 1回 2,000円
  体験参加 1,000円
  各種イベント(講演・座談会・聞香・着装・お茶と和菓子)の参加費は各1,000円
・今後の予定︰来月7月29日は体験扱いで参加費1,000円
  本年8月〜12月 5回10,000円
・主催︰NPO法人〈源氏物語電子資料館〉

※参加申し込み及び問い合わせ︰本ブログのコメント欄または、電子メール(npo.gem.info@icloud.com)に、
 お名前、連絡用メールアドレス、都道府県名、年齢、(可能な範囲で)簡単な自己紹介
 をお知らせください。
 折り返し返信のメールを差し上げます。

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2017年06月21日

速報☆申請中の変体仮名が「ユニコード 10.0」に採録

 国立国語研究所の高田智和さんから朗報が寄せられました。
 昨日「Unicode 10.0」が公開されたことが、変体仮名を国際規格として申請する上で日本側の代表者である高田さんから、速報として届いたのです。
 そして、そこには、懸案だった変体仮名がしっかりと収録されています。

「7/20「Unicode 10.0」リリース」(2017年06月20日)

 高田さんからは、以下のコメントをいただいています。

提案主体である日本(行政)の最終目的は ISO/IEC 10646 への収録ですが、一般には Unicode の方が著名で実装能力が高いので、一応の目的は果たしたことになります。


 私は苦手な英文をかき分けて、必死の思いで何とか変体仮名の部分にたどり着きました。
「スクリプト関連の変更」の項目を引きます。

Script-related Changes

A large collection of Japanese hentaigana has been added. These are effectively historic variants of Hiragana syllables. However, they are not encoded with normative decompositions, nor using variation sequences. For collation, hentaigana syllables do not have default weights the same as the standard Hiragana syllables they are equivalent to. Instead, they are sorted in a separate range following all the standard Hiragana syllables.


 今私は、これを正確には紹介できません。どなたか、フォローをお願いします。

 以下に、「Unicode 10.0文字コードチャート」の中にある仮名文字のフォント一覧をPDFとして引用します。

ひらがな.pdf

かな拡張.pdf

かな補遺.pdf


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 とにかく、日本の変体仮名の文字集合が、ユニコードに追加されたのです。
 慶事です。

 今後は、この変体仮名がどのような分野で、どのように活用されるのかが、大いに楽しみです。そして、この変体仮名を自由に駆使して、文章が読み書きできる環境が提案される日を、心待ちにしています。

 来年8月に《仮名文字検定》のスタートをさせる準備を進めている立場としては、これは追い風です。

 なお、変体仮名をユニコードに収録する提案に積極的に関わって来られた高田智和さんは、次の論考で『源氏物語』を例にしてこの問題をわかりやすく説明しておられます。

「国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」の仮名字体記述 −ISO/IEC 10646 提案文字による翻字シミュレーション−」

 これは、電子ジャーナル『古写本『源氏物語』触読研究ジャーナル 2』(伊藤編、国文学研究資料館、〈非売品〉2017年3月31日発行、ISSN 2189−597X)に収録しています。自由にダウンロードしてお読みいただけるようになっていますので、ここれを機会にお読みいただけると幸いです。
 そして、この問題を一人でも多くの方々と共有し、これからの仮名文字について一緒に考えていきたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | 変体仮名

2017年06月20日

日常生活の中で見かけた変体仮名

 日々の生活の中で見かけた変体仮名を並べてみました。

(1)小さな仮名だったので、遠目に見た最初は「ゆろ」と読んでしまいました。漢字を見て「ゆう」であることに思いいたりました。最初の点の次の横線が、これだけ左下から突き上げるような線になると「う」には見えにくく、紛らわしくなります。

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(2)仮名の元となっている漢字の意味を汲み取って、「弥喜久゛里」とした変体仮名の組み合わせの典型です。「とゝのえ」の「え」のような使われ方も、よくみかけます。

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(3)お寿司のパッケージに貼られていたシールの文字です。現在使っている「え」であっても、こうした崩しには戸惑う方もいらっしゃることでしょう。

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(4)同じ表現を、字母を変えて表記したものです。「者」の字形が微妙に違います。文字を単独で見た場合、前者は読めても、後者にはしばらく時間がかかる方もいらっしゃることでしょう。
 また、「てん具゛」の「て」の終筆が「弖」のことを意識するせいか、気になります。

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(5)お馴染みの箸袋「おても登」です。「天」と「登」の最後の筆の止め方が、右下に抜く場合と横線の扱いにおいて、字形がよく似ていると思い、記録しました。

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(6)橋の名前の表記に関して、変体仮名のことよりも仮名遣いの違いに興味を持ちました。「おおじばし」と「おほぢ者し」です。

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posted by genjiito at 20:22| Comment(0) | 変体仮名

2017年06月19日

京洛逍遥(450)上京区を歩くためのフリーマップ

 上京区役所に行ったところ、ロビーの一角に「ご自由にお持ち帰りください」として〈上京を歩く〉や〈上京探訪〉という散策マップがたくさんありました。今日は15種類をいただきました。

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 以下の写真の通り、上京の歴史・文化・文学に関するさまざまな散策ルートが紹介されています。

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 例えば、これまでは西陣だけが知られていて、東陣はあまり意識されていませんでした。しかし最近は、応仁の乱の激戦地であった百々橋跡周辺が注目されだしました。表千家や裏千家など茶道関係の施設が密集するそのあたりに東陣があったことから、より一層訪れる人が増えるに違いありません。〈上京探訪(東陣)〉は、そうした当時がよくわかるマップとなっています。

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 地下鉄今出川駅を降りられる機会がありましたら、東側の堀川通に向かって歩いてすぐの上京区役所に立ち寄り、このマップを手に入れておかれたら、京都散策がさらに充実することでしょう。ここ以外にこのマップが置かれている場所は、他にもあるかもしれません。
 市販のガイドブックにはない、地元が発行する魅力に溢れた記事が満載です。
 
 
 

posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年06月18日

3日連続でお茶のお手前を楽しんでいます

 一昨日は、我が家でNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の打ち合わせ会がありました。その時、お出でいただいた理事には、無理やり誘って、私のお茶のお稽古につき合っていただきました。ご協力ありがとうございます。

 昨日は、姉夫妻が立ち寄ってくれたので、またまた、お点前のお稽古につき合ってもらいました。
 いずれも、丸卓を使っての入子点です。入子点については、「歳末に大和平群でお茶のお稽古」(2015年12月26日)で書いた通りです。

 お手前はすぐに忘れるので、「あれ、あれ」と言いながら、気安い間柄ということで許してもらっています。人の迷惑も顧みず、好きなことを好きなときに、我が道を勝手に突き進んでいます。

 そして、今日は大和平群へ。
 花月というお稽古を、お弟子さんたち5人でやりました。花を活けたり、お香を聞いたり、薄茶を点てたりと、たくさんのことを見よう見まねでやりました。この前に花月のお稽古をしたときのことは、「お茶のお稽古の後に視覚障害者のことを想う」(2014年12月23日)に書きました。

 近鉄電車で帰る道々、今日のことを思い出しながらこうして記しています。見て、聞いて、やってと、大忙しでした。今振り返っても、頭の中は大混乱です。こうしたお稽古事は、若い時にやっておくべきです。
 今はもたもたしていても、何度も繰り返し練習しているうちに、いつかは自然な動きでお茶が点てられるようになると思って、懲りもせずに続けています。
 これまでは、3ヶ月に1回行けたらいい方でした。それを、今年の4月以降は、月に2回は大和平群へお稽古に行くことを自分に課しています。今のところは、何とか守っています。とにかく、続けることです。

 なお昨日、お茶を点てながら姉との話では、お茶のことよりも、おもしろい話で盛り上がりました。姉が、ガイドヘルパーの資格を持っていて、視覚障害者の外出のお手伝いをしたことがある、というのです。これは初耳でした。今もずっと介護施設のボランティアをしているので、姉がガイドヘルパーもできることは意外ではありません。ただ、ゆっくりとそんな話をしたことがなかったのです。お茶を点てながら、飲みながら、こんな話ができるのはいいことです。

 来月22日に「点字・拡大文字付 百人一首〜百星の会」のみなさまを須磨に案内する話をしたところ、私がプランを練っているコースを先日歩いてきたとのことです。姉は芦屋に住んでいるので、たしかに神戸から須磨は生活圏です。そして、22日も喜んでお手伝いに来てくれるとのことです。頼りになる助っ人が一人増えました。
 「百星の会」のみなさま。今後とも、いつでも安心して関西にお越しください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:30| Comment(0) | 視聴覚障害

2017年06月17日

京洛逍遥(449)梅雨入りしたのに雨が降らず賀茂川の水嵩が心配です

 賀茂川の水が少ないため、藻が目立つようになりました。
 こんなに水が少なく、藻が一面に広がっている様子は、これまでに見たことがありません。
 今年は超猛暑の夏になると言われています。
 涼しさを感じさせてくれる川面の緩やかな流れと、川風の心地よさが、今年の夏はどうなるのか心配しています。

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 我が家でトントンと呼んでいる飛び石を渡ると、水が少ないことが一目瞭然です。
 足元で水の流れが感じられないと、何となく物足りなさを覚えます。

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posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | ◆京洛逍遥

2017年06月16日

平仮名「て」と「弖」の直前に書かれている「り」と「里」について

 先週土曜日の日比谷図書文化館で、興味深い指摘を受けました。それは、平仮名の「く」が長く伸びた形で、変体仮名の「弖」のように見える文字の前には「里」が来る傾向があるのではないか、というものでした。

 そこで、講座でテキストにしている『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』において、平仮名で「ri-te」はどのように表記されているのかを確認しました。
 次の画像は、21丁表の3行目から6行目の行末です。「て」が並んでいる箇所なので、好例としてあげます。今、説明をしやすくするために、「弖」のように見える縦長の「く」は、便宜上「弖」と表記しておきます。

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 ここに出てくる順番に確認すると、「と弖」「きて」「給弖」「里弖」となります。そして、左端の「里弖」がここで問題にする表記です。

 「て」と「弖」の前に「り」か「里」が来る場合について調べたところ、以下のような傾向があることがわかりました。

 まず、今回問題にしている【里弖】についてです。この変体仮名による表記は、国文研蔵橋本本「若紫」では23例が確認できました。
 これに対して、【り弖】は4例(本行削除後のナゾリ1例を含む)と、少数です。
 この27例の「弖」は、すべてが助詞として使われているものです。

 次に、「り」の次に「弖」がくる3例を確認しておきます。

あり弖(4ウ L8)
多て満つり弖(46オ丁末)
可ゝり弖(49オ L3)


 なお、次の例は、本行に書いた「給」を小刀で削り、その削除した文字の上から「弖」がなぞり書きされています。

多て満(改行)つり弖/【給】〈削〉弖(31ウ L4)


 これは、「弖」がミセケチや傍記ではなくて、なぞられていることに注目すべき例です。橋本本は、親本に書かれている本文を忠実に書写しようとする意識が強い写本です。ここは、「弖」と書くべきところを、ついうっかり「多て満つり」と書いてしまったようです。しかし、すぐに間違いに気づき、「給」を削ってから、親本通りの字形の文字「弖」を書いて訂正したのです。このことから、ここで橋本本の親本には「弖」という字形の文字が書かれていたことが推認できます。
 これに関連して、「平仮名「て」の字母に関する資料を検討中」(2017年05月08日)という記事も参照してください。この本の書写者は、「て」と「弖」を字形まで区別して書写していることがわかる例です。

 次は、「て」が現行の字形の場合です。

【りて】12例
【里て】16例(本行削除後のナゾリが1例)
 ※多てまつ里てん/らん〈削〉里てん(53オ L3)
 このなぞり書きの例は、「らん」という文字を削って、その上に「里てん」となぞり書きしているものです。「らん」と「里てん」が混同されることの説明を、今私はできません。字形からの間違いではなく、語句の意味からの混同が原因ではないかと、今は思っています。

 語頭および語中で、「り」か「里」の後に「て」か「弖」が来る例(【り弖】【里弖】【りて】【里て】)はありませんでした。

 ということで、ここでは「里」の次には「て」ではなくて「弖」のような縦長の「く」がくることが多い、ということは言えそうです。日比谷図書文化館で指摘のあったことは、この『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』に限っては、そうした傾向が強い、ということになります。
 なお、私は、仮名文字に関する研究成果について、まだほとんど確認していません。もしこのような調査結果がすでに提示されているようでしたら、ご教示いただけると幸いです。

 今回、「て」と「弖」の前に来る文字について、いろいろと調べました。その過程でいろいろなことがわかったので、いつかそれらも整理して報告したいと思っています。
 
 
 

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2017年06月15日

関西学院大学で開催された科研費改革説明会に行って

 科研費改革説明会に行ってきました。西日本地区は、兵庫県西宮市にある関西学院大学中央講堂が会場です。

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 公務出張として行ったので、授業は休講となり、後日補講をすることになっています。学生さんたちには、予定を狂わせて申し訳ないことです。

 京都の自宅から兵庫にある関西学院大学まで、事前のチェックではちょうど2時間かかります。スマートフォンのナビを頼りに、バスや電車を乗り継いで行きました。
 道中、自分が平和ぼけしていることを痛感しました。電車は時刻表通りに走るものだ、と思い込んでいたことです。
 海外では、いやというほど、電車が予定通りには走らないことを体験したはずです。それなのに、日本の電車は遅れないものだと無意識にそう信じ、決めてかかっていたのです。
 今日も、電車が遅れたために、4回乗り換えるうちの2回目で早くも乗り継ぎが狂い出しました。
 おまけに、西宮北口駅の構内では、阪急今津線の乗り換えホームで右往左往しました。上りと下りのホームが、予想外に遠く離れていたのです。上り下りの電車は、同じホームの左右か向かい合っているものだ、という先入観があったのです。

 また、乗り降りにはICカードの「PiTaPa」を使っています。これが、今日は何度かエラーになり、うまく読み取ってくれませんでした。自動改札では、わざわざケースからカードを取り出して、しっかりとタッチし直しました。阪急のタッチセンサーは、感度が緩めなのでしょうか。
 駅の売店では、何度タッチしてもまったくダメです。しかたがないのでカードをあきらめ、財布から現金を取り出す始末です。私のカードが劣化しているのでしょうか?

 日頃、大学への通勤では何も問題がないので、今日は運とタイミングの問題だったかもしれません。ICカードは、まだ未発達のツールなのでしょうか。

 さて、肝心の科学研究費補助金に関する説明・解説では、現状の分析を踏まえながら、新たな改革について説明がありました。

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 これまでの360の細目を再検討し、審査のための区分を「大 中 小」に再編して刷新されたのです。つまり、これまで以上に審査区分を意識した申請書類を作成することが求められるようになったのです。
 今日の話の内容は具体的で、わかりやすい説明でした。特に、本日の主眼であった新たな審査システムへの移行については、来年度に向けての応募・申請書の対策を考える上で、非常に参考になりました。

 審査員の方々のかかわり方が違ってくるので、申請書類の書き方も変わってきます。
 これまで、25年にわたり科研費のお世話になって研究をしてきた私は、今後は申請書類の書き方を再考することにします。特に私が得意としてきた大型科研は、総合・合議審査になるのです。実際に顔を突き合わせて討議がなされるそうなので、それを経ての評価が良い意味で揺れることが想定されます。これは、より客観的に審査がなされることになる、とのことでした。
 基盤研究のBやCは、審査員の元に送られて来る他の方の評価情報を参照しながら判断するので、これもこれまでよりも客観的な判断が下されることになるようです。
 いくつか変更点についても報告がありました。連携研究者の記載は不要になるそうです。

 今年は、10万件の申請が予想されています。科研の採択率は、全体的に見渡すと26パーセントだそうです。挑戦的研究の採択率は10パーセントだということなので、これは挑戦のしがいがあります。
 昨年度までそうであったように、基盤整備(A)と挑戦的研究は、中区分として重複して申請できることも確認しました。これから、来年度に向けた戦略を練ることにします。

 現状では、科研費は研究者にとって、命綱とでも言えるものとなっています。研究者を支援するこの制度を大いに活用して、実りある研究を展開したいものです。

 具体的な申請書類の作成にあたっては、ここで手の内を公表すると、自ずから自分が申請する課題の採択が危うくなりかねないので、書くわけにはいきません。みなさん、一緒に挑戦しましょう、という呼びかけで、今は核心をずらしておきます。

 帰りがけに、九州からおいでの観光学を専門にしておられる若手の方と、親しく情報交換をしました。さまざまな分野の方々とのコラボレーションを、今後とも楽しみにしています。
 
 
 

posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | ◆情報化社会