2026年01月14日

清張復読(84)「二つの声」(『黒の様式』より)

 野鳥の鳴き声を録音するために、4人の俳句仲間の男たちが軽井沢の空き別荘に行きます。真夜中の空き時間には、連句会もして楽しみます。なかなか本格的な趣向が盛られた、厚みのある物語となっています。この連句の役割をもっと物語にかかわらせたら、さらに仕上がりがよくなったのに、と思いました。
 集音器で拾った野鳥の声に混じって、人の話し声が聞こえます。そのまま録音をして、後で音声を確認したところ、期待に反しておもしろくありません。しかし、これが後に大問題となるのです。
 4人が行きつけのバアの女が、野鳥の声を聞いていた日に行方不明になっていたのです。そして、あの録音の中に紛れ込んでいた男女の囁きが、その女と結びついていくのです。人殺しの現場を、偶然とはいえ録音していたのです。さらには、4人のうち3人は、その女と関係があったのです。
 なお、テープレコーダのトリック、集音器の役割、録音されていた男の声の正体、死体の運搬などに、やや無理があるように思いました。
 この展開は、清張ならではのツカミです。ある程度、これは読んでいて物語の展開は予想できました。しかし、話が拡がりすぎて、作者に振り回されます。結局は、予想外の結末を見ます。一気に読むだけの物語です。ただし、長々と付き合わされて疲れました。【3】


初出誌:『週刊朝日』1967年7月〜10月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。
「録音テープをトリックに利用したアリバイ崩しの秀作で、連句と野鳥の趣味が物語に興趣を添えている。」(156頁)




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2025年11月24日

清張復読(83)「微笑の儀式」(『黒の様式』より)

 法医学の教授だった鳥沢博士は、退職後に奈良の旅を楽しんでいました。そこで、アーケイックス・マイル(古拙の笑い)に興味を持ちます。法隆寺の釈迦三尊、薬師如来、夢殿観音、安居院の飛鳥大仏などを。そして、同じことをテーマとする彫刻家に出会いました。
 微笑みと仰月形の唇が話題となって話は進展します。そして、奈良で出会った男が彫った展覧会での彫刻が、死者の顔から取ったデスマスクによるものではないか、という疑いへとつながります。
 さらに読者を振り回す巧みな曲折を経て、彫刻の顔とそっくりの女性の殺人事件の背後に、笑気ガスの存在が浮上します。
 この笑気ガスは、50年前に私が東京の西日暮里の駅前の歯医者さんで治療を受けていた頃に、笑気アマルガム法という苦痛を伴わない手法が流行っていたので、実感として理解できました。
 ただし、現在日本では、アマルガムは2016年4月に保険適用の対象から外され、以来ほとんど使用されていないそうです。「笑気アマルガム」に関して生成AI氏からの情報では、「歯科治療における「笑気吸入鎮静法」と、過去に使用されていた歯科材料である「アマルガム」という、2つの異なる要素を組み合わせたものと考えられます。」とあり、「意識が完全になくなることはなく、ふわふわとした心地よい気分になります。副作用が少なく安全性が高い」とか、「アマルガム除去処置の際に、患者の不安や緊張を和らげる目的で笑気吸入鎮静法が併用されることがあります。」ともあります。
 現在、私は地元の歯医者さんから酷い扱いを受けている最中なので、こうした手法が歯科治療で用いられていたことに興味が及びました。
 本作における、読者を終始惹きつけて離さない清張の語りは、読み終わってからしばらく放心状態にします。後の、『火の路』(『火の回路』)などの飛鳥を舞台とする古代史ミステリーにつながる作品です。【5】


初出誌:『週刊朝日』1967年4月〜6月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。
「古寺巡礼の法医学者が学術雑誌の報告と飛鳥仏を結ぶ「微笑」をキイワードに奇妙な殺人事件の謎を解く本格推理の秀作」(146頁)




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2025年11月03日

清張復読(82)「歯止め」「犯罪広告」(『黒の様式』より)

■「歯止め」
 言うことを聞かず、ますます粗暴になる息子をめぐる話が展開します。さらには、病的性欲が問題となります。
 同時に、姉が自殺した原因を妹は知りたく思っています。いろいろと調べているうちに、姉の自殺の真相に辿り着きました。
 話が込み入っていて混乱し、私はうまく内容を整理ができないままに読み進めました。興味深い素材を扱った作品なので、時間さえあればもっと完成度の高い、胸を打つ話に仕上がったことでしょう。巧みな構成で人が死んだことが語られます。しかし、もっとわかりやすく整理して語ってほしかったと思います。
 また、息子の異常な性欲を処理するために、母親は身をもって歯止め役を務めます。その病的性欲についても、もっと語ってほしいと思いました。いわゆる、自慰と勉学の問題です。清張らくしない、奥歯に物の挟まった歯切れの悪い語り口です。【2】


初出誌:『週刊朝日』1967年1月〜2月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「母子相姦が生んだ悲劇を高校生の母親の立場から描いた問題作。」



■「犯罪広告」
 養父だった男が母を虐待し殺した、ということを綴った文書を、村に配って告発した男の話です。
 母親が埋められていると思われる、養父の家の床下を掘ります。しかし、何も出ません。
 やがて、その告発した男も行方不明になり、母子がその男に殺された可能性が出て来ました。
 犯人はほぼ特定できている形で、物語は進んでいきます。しかし、その確証が得られないのです。
 事件は、ウミホタルが解決の糸口となり、その手口が犯人の自供書によって明らかになります。
 読者には、いつ、どこで、どのようにして殺害されたのかが、最後までわからない構成となっています。ウミホタルが印象的な情景を読者に印象づける、清張の本領発揮と言うべき作品です。【5】


初出誌:『週刊朝日』1967年3月〜4月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「犯罪告発が巻き起こす騒動を描いた風土色豊かな社会派推理。」(142頁)




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2025年09月30日

鳥取の日南町から島根の亀嵩へ

 今朝は4時に起きて7時に芦屋駅に降り立ちました。
 駅前で姪と姉に合流して、映画『砂の器』のロケ地を探訪するために、車で亀嵩に向かいます。

 米子自動車道を降りてすぐ、道の駅「奥大山」で休憩。その時に見かけた標識に、池田亀鑑賞のことで何度も通った鳥取県日野郡日南町まで26.5 km とあります。

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 どうやら、今回の道は日南町の近くを通るようです。そこで、我がままを言って日南町の役場に少し立ち寄ってもらうことにしました。図書館のAさんには、池田亀鑑文学碑を守る会事務局長の久代安敏さんと、池田亀鑑のご子息である池田研二先生が共にお亡くなりになったので、しばらく休会となっていた池田亀鑑賞に関連して追悼会を提案するつもりでいました。しかし、残念なことに突然のことでもあり、今日はAさんの休暇日だったので、直接話を持ちかけることはしないで、後日の打ち合わせにしました。

 道の駅「にちなん日野川の郷」で、東京銀座にある伊東屋の2代目社長が日南町の出身であることから出店しているコーナーが、今も健在であることを確認しました。

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 次に、その近くの矢戸にある松本清張文学碑に行きました。

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 この辺りは、勝手知ったるところです。井上靖の文学館や、池田亀鑑の顕彰碑などは今回はまわれません。

 県道9号線を西側の山に向かい、県道108号線経由で島根県に入りました。念願の奥出雲です。
 湯野神社の前に、「砂の器 舞台の地」という石碑があります。

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 神社に向かう石段は印象的です。

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 宮司さんのお話を伺った後、映画で縁の下に隠れる親子を見つけるシーンを撮影したという場所の写真を撮らせていただきました。

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 映画に出て来る亀嵩駅。ただし、ここは製作スタッフのイメージに合わなかったようで、実際にはこの後に行く八川駅の駅舎が使われました。念のために亀嵩駅舎を確認しました。

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 この駅の裏側に、和泉式部の墓があるとの案内板があります。このことは知りませんでした。「謎、不思議」という表記に、地元の方の戸惑いが伺われます。全国に散在しているのですが……

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 お墓の横には、多くの記事が貼られていました。判読に時間がかかるので、後日紹介しましょう。
 ちょうど目の前の単線を、一両の電車が走り過ぎて行きました。のどかな風景です。

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 亀嵩駅舎のかわりに映画で映し出されるのは八川駅舎です。

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 そして、刑事がホームに立ち、少年が線路を走って来たり、親子の別れのシーンが撮られたのは、これも亀嵩駅ではなくて出雲八代駅のホームでした。

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250930_出雲八代駅ホーム.jpg

 姪は私の気ままな願いを聞き届けてくれ、車で一日中、ロケ地巡りに付き合ってくれました。とにかく感謝です。

 明日から10月。出雲では旧暦10月を、神無月(かんなづき)ではなくて神在月(かみありづき)と言います。私も、小さい時にそういう呼称を教えてもらいました。全国に通用するかどうかはともかく、これも一つの文化です。大事にしたいものです。
 お土産物にも、しっかりと明記されています。

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 今夜は、出雲大社の近くに宿を取っています。




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2025年08月10日

清張復読(81)「闇に駆ける猟銃」「肉鍋を食う女」「二人の真犯人」(『ミステリーの系譜』より)

■「闇に駆ける猟銃」
 30年前に岡山県で起こった、一人の若者が30人もの村民を殺した津山事件のことから始まります。暗い雰囲気で幕開けです。
 夜這いの風習については、最近の若い人には理解が及ばないことでしょう。清張は、民俗学の知識が豊富だったので、その視点から語っています。その延長として、事件のあった村の性的習俗が強調されます。
 話は、大量殺人に至った男の、心の中の変遷が綴られます。犯罪者の心理の移り変わりとでも言えるでしょう。
 そして、30人にも及ぶ大量殺人が、詳細に語られます。

「襲撃した家が十一戸、即死した者二十九名、重傷をうけてのちに死んだ者一名、負傷二名である。このうち一戸は家族全滅である。」(376頁)

 このような執拗に人を殺す場面を事細かに描いた作者の心の中は、どうだったのでしょうか。何が作者をここまで書かせたのか、その執念の元凶を知りたいと思っています。
 犯人の遺書には、以下のように綴られています。犯人の心情を理解するのに参考になる述懐です。

「病気四年間の社会の冷胆〈ママ〉、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と云うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生れてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生れてこよう。」(384頁)

 なお、作者は、日華事変という戦争の影響もあったのではないか、として、最後に「津山事件には戦争の翳も落ちていたのである。」(389頁)と語り終えています。
 稀有な事件を取り上げて、おどろおどろしい殺戮場面を描いたのは、どこにその意図があったのか、まだ読み解けていません。今私は、清張は作家として凄惨な場面を再現し、異常性を描く実験をしていたのではないか、と思っています。【4】


初出誌:『週刊読売』1967年8月〜10月
原題:「闇に駆く猟銃」

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作を「中篇犯罪実録小説」に分類しています。





■「肉鍋を食う女」
 人を殺した後にその肉を食用にした話が3話語られます。
 人里離れた山中に、近親婚が習俗となっている村がありました。そこで、ひもじさから連れ子を殺し、家族で食べる、という事件がありました。また、子供の尻の肉をスープにして病身の者に飲ませる、という事件も紹介されています。3例めは、肉の行商をする妻が夫を切り刻む話です。
 前作同様、常軌を逸した話を通して、作者は人間のモラルを確認すると共に、さまざまな表現の効果を実験していたのではないでしょうか。いくつか他の例を挙げて提示しているのが、こう考える理由です。【4】


初出誌:『週刊読売』1967年11月〜12月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作を「短篇犯罪実話」に分類しています。


※『松本清張全集7』(文藝春秋社、1972.8.20)の巻末に収載されている荒松雄氏による「解説」では、ここで取り上げた2つの作品を次のように分析しています。

「松本清張は「闇」と「肉鍋」で、過去の最も異常な事件を掘りおこすことによって、彼のいう「現代の恐怖」をその窮極のかたちにおいて提示したかったのだと思う。ただ、この「現代の恐怖」は、同時に、人間たることの恐怖にも連なる。そして、この極限とは、見方を変えれば、実は、人間の原点・原型かもしれないのだ。
 そう考えると、この作品に「系譜」という言葉が使われたのも、大いに理由があることのように思えるのである。」(472頁)




■「二人の真犯人」
 2人の男が殺人を自白します。しかし、決め手となる証拠をどうしても決めかねます。単独犯行なのに、真犯人が2人いることから、裁判でも混乱します。裁判官の迷いと躊躇も、明確に語られています。状況証拠と物的証拠の価値判断についても、戦前と戦後の違いをいくつかの判例から説明しています。清張は、丹念な調査をして本作を成していることがわかります。
 尋問や証言や調書が長々と引き合いに出されて話が展開します。法律に興味がない読者には、次第に飽きがきます。それにも構わず、清張は証言の整合性を追求します。
 検事や判事や巡査などが証拠を捏造する過程の推測もあります。冤罪事件の流れを示唆するものです。
 殺された女が腰巻を2枚していたことに関するやり取りは、実際には1枚だったと思われることから、読者を引き摺り回すことになります。これがまた、わかりやすい証拠品の例示となっています。
 作為や先入観や誘導が入り混じった、興味深い論戦が展開するのです。そこに、警察の拷問や刑務所内に諜者まで忍び込ませての犯人捏造には、今に通じる免罪の温床が透けて見えます。警察や検察の予断に基づく捜査などには、大いに問題点が多いことを指摘しています。裁判批判でもあります。
 最後の文章は、最近あった冤罪事件でも明らかになったように、今に続く捜査の常套手法の一つとなっています。

警察が「証拠」補強のために他の婦人の腰巻をそこに埋めて、市民に「発見」させたのである。(461頁)

 犯人を創り上げる権力者の実態を、作者はこうして炙り出しています。【4】



初出誌:『週刊読売』1967年12月〜1968年2月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「作者はこの「鈴ヶ森事件」のほかに、大正3年の「島倉事件」、昭和11年の「大橋事件」、昭和23年の「一家八人殺し」を例に引きながら冤罪と誤判の危険性を説く。」(156頁)





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2025年08月07日

清張復読(80)『草の陰刻』

 検察と警察の仲がよくない、ということが最初はよくわかりませんでした。そして、この物語は検察の側からの視点で読むものです。新旧刑事訴訟法が事件の前後に関わっています。このことも、法律に暗い私には、しばらく戸惑う点でした。

 そんな中で、資料庫にあった書類の内、特定の年次の冊子がなくなっていたことが発端となり、検事の追跡が始まります。検事、刑事、暴力団の緊迫した駆け引きが、長編小説特有のゆったりとテンポで展開します。清張らしい語り口や描写が、随所に見られます。


 連絡方法が手紙よりも電話が早いとあります。それでも3、4時間もかかるという、背景となっている時代の違いを感じました。今の視点からでは、コミュニケーションの手段のその後の急速な発達を痛感します。ひいてはそれが、登場人物の行動のありようにも影響します。このゆったりとした話の流れに、次第に慣れました。


 瀬川は杉江支部の武藤検事宛に或ることを頼まなければならない必要を感じた。これは手紙の上では遅すぎる。電話を杉江に申しこむことにした。

「どれくらいの時間でつながるかね?」

 交換台に訊いた。

「普通ですと、いまごろなら、三、四時間くらいかかると思います」

 瀬川は急報にしてもらったが、それでも相当な時間がかかりそうである。(331頁)


 手紙で頼むのはまどろこしい。電報では意が尽せない。電話はすぐには通じない。

 だが、結局、電話よりほかないので、彼は昼間を避けて、早く通じる夜間に杉江に申込むことにした。(338頁)


 後半になると、一気に読ませます。放火事件を背景にして、暴力団や代議士が暗躍する話が展開します。いつどんでん返しがあるのかと、期待していました。しかし、推理は理詰めで、落ち着いた語りが続きます。

 やはり予想通りに、代議士は逃げ遂せました。終始追及した検事は辞職します。穏やかな終わり方に、少し物足りなさを感じました。【3】



初出誌:「讀売新聞」1964年月5月16日〜1965年5月22日




※『松本清張全集8』(文藝春秋、2008.5.10)の巻末に収載されている「解説」(見田宗介)には、次のようにあります。


この作品『草の陰刻』にもみられるように、まず推理小説一般の条件として、物語がある一つの事件の論理ともいうべきものを内蔵しており、それが少しずつ明らかにされていくという楽しみがある。しかし同時に、読者がその謎をおっていくなかで、主人公、副主人公、あるいはそれをめぐる幾人かの人間たちの人生が、生ま生ましくうかびあがってくる。清張の小説の人物たちは、「ただの」推理小説の登場人物たちのように、事件の論理にあやつられる小道具ではなく、それぞれの執念や、野望や、不安や、憎悪や、屈辱や、焦燥や、孤独や、葛藤や、貧しさや、正義感や、義狭心等をいだいて、せめぎあい、からみあう実人生として息づいている。しかも同時に、第三に、清張の推理小説の多くにおいては、このような人生のからみあいを通してそれぞれの時代の社会の構造があばき出される。『草の陰刻』はこのことが、もっとも意識的になされている作品群の一つであろう。(435〜436頁)



※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。


権力構造の暗部に潜む犯罪をリアルに描いた社会派ミステリーの力作。(51頁)







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2025年07月27日

清張復読(79)「寝敷き」「断線」(『別冊黒い画集』より)

■「寝敷き」
 ペンキ職人が仕事中に屋根から見た隣家の情事の話から始まります。そしていつしか、2人の女性との危うい生活となります。さらには、若い娘とのことが拗れた挙句に、泥沼にはまります。男の苦悩が、事細かに語られます。睡眠薬による心中に展開したあたりから、清張らしい推理劇となっていくのです。
 最後に、情死する女がスカートを寝敷きしていたことに関して、心中にはそぐわない、という考えと、女性のたしなみとする意見が提示されます。そして、警察の判断は次のようにたしなみ説を取り、異議は却下されます。

「……このように女性が情死の前夜衣服を寝敷きしたからといって、必ずしも擬装情死とは決められない。A子は自分の死後、形見分けとしてスカートが生前の知己に渡されるのを考え、女性のたしなみとして寝敷きしていたのである」(260頁)

 しかし、清張はたしなみではないという考えを刑事に抱かせたまま、話を閉じているのです。後半になるにつれて読ませる、完成度の高い作品です。【5】


初出誌:『週刊文春』1964年3月〜4月




■「断線」
 男の恋愛遍歴が語られる中で、2人の愛人を殺します。1人目はうまく隠しおおせたものの、2人目で露見するところで終わります。
 前半はよくある展開です。しかし、後半になるにつれて緊迫し、最後まで読ませます。もっともつれる展開にしてもよかったのでは、と思いました。途中で結末が透けて見えたからです。
 そうだとしても、清張の文章は読ませます。つい、読み込んでしまいました。【3】


初出誌:『週刊文春』1964年1月〜3月


 『松本清張全集7』(文藝春秋社、1972.8.20)の巻末に収載されている荒松雄氏による「解説」では、次のように清張の作品を分析しています。同感です。

「「寝敷き」のペンキ職人源次や「断線」の主人公田島光夫と女たちとの関係がそうである。それは、少しずつエスカレートしてゆき、やがて、のっぴきならない羽目に落ちこんでゆく。しかも、このエスカレーションの契機は、多くの場合は、突発事件や事故という外的条件よりは、むしろ日常生活における「普段の心理」の増幅によって与えられるものであり、その心理にちょっとした迷いや狂いがでてきたときに拍車をかけられる、つまり、きわめて日常的な性格のものなのだ。読者は、いつなんどき自分の周辺でも起るかもしれないと切実に思いこんだり、ヤジ馬根性を満たされたりしてよろこぶのである。清張推理は、長編でも短編でも、その導入部から展開部にかけては実に見事なものが多く、ほぼ完璧に近い。
 その反面、清張作品には、後半や結末の部分でつまらなくなるものがある」(464頁)




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2025年07月14日

清張復読(78)「形」「陸行水行」(『別冊黒い画集』より)

■「形」
 住民の噂が物語を膨らませます。男の意地が執拗に語られます。一人の男の信念が見事に描かれています。
 そして結末を読み、肩透かしを食らった気持ちになりました。どこまでが計算された物語であったのか、わからなくなりました。その構成が、最後まで維持されていないように思えます。作者にとっては、「形」をテーマに据えた試みだったかもしれません。しかし、読者に話の綴じ目を放り投げたような結末だと思いました。【2】

初出誌:『週刊文春』1963年10月〜11月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「「形」にとらわれたために生じた錯覚と、それがもたらす悲喜劇を描いた犯罪小説。」(33頁)

また、『松本清張全集7』(文藝春秋社、1972.8.20)の巻末に収載されている荒松雄氏による「解説」には、次のようにあります。

「「形」では、一体どういう結末になるのか最後まで興味が残るし、〜」(465頁)




■「陸行水行」
 まず、研究が進んでいない宇佐古代文化圏は日本古代史のアナだと、万年大学講師に言わせます。そして、読者の視点を九州に引き付けます。
 さらに清張は、登場人物に国文学者の山田孝雄を崇拝していると言わせています。作者の思考を支える背景が窺えます。
 邪馬台国論争について、「邪馬台国論争など興味のない読者を、以下やや長々と現在までの学術論争のあらましの紹介で悩ますのは恐縮である。しかし、これがないと浜中浩三の話の筋が通らない。」(208頁)として、邪馬台国関連の論点をわかりやすく噛み砕いて語ってくれます。理屈っぽい論調で語られるので、確かに興味のない方は退屈かも知れません。しかし、清張に付き合うと、しだいに問題点が持つおもしろさがわかりだします。
 特に、愛媛県温泉郡吉野村役場書記の浜中浩三はアマチュア邪馬台国学者だとして、彼の私説を詳しく紹介し、検討します。読者はこれに付き合うことで、諸説と推論を楽しめます。この展開が、清張の歴史観と実証的な姿勢による、古代史への誘いとなっていきます。
 その浜中氏をめぐって、話は意外な展開を見せます。清張らしい、推理仕立ての話に展開していくのです。民間の在野学者を取り上げて中央の学者を批判する次のもの言いも、その後の作品で繰り返し出て来る清張らしい語り口です。学会批判、学者批判です。

「まあ、あの論争はほかに実証的なものがないので、アマチュアでも十分参加できるわけです。しかし、歓迎すべきことですよ。学問が一部の学者の独占物になっていては本当の姿ではない。やはり一般民衆が参加することが望ましい。それには学問の表現手段が自分たち仲間同士にだけ通じる用語であってはならないね。難解な専門語や文章が、高級な学者の発言だという迷妄は、もうそろそろ打破しなくてはなりませんな」(226頁)

 こうした信念の元、素人の研究者が持つ情熱が、後半になるにしたがって読者に届いてきます。
 私は、高校生の頃に邪馬台国に興味を持ち、いろいろな本を読んで自分なりに推理を楽しんだものです。本作も、当然読んだ記憶があります。清張は、そのテーマと語り口で読者を引き込む作家だと思っています。【5】


初出誌:『週刊文春』1963年11月〜1964年1月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「邪馬台国の謎を郷土史家失踪の謎に重ねて描いた清張古代史ミステリーの第1作にして代表作。」(177頁)

また、『松本清張全集7』(文藝春秋社、1972.8.20)の巻末に収載されている荒松雄氏による「解説」に、次のように清張を讃える言葉があります。

「これは私の専攻と関わることなのであえていうのだが、最近の歴史学も、他の学問と同じように高度の専門的分化が進み、その結果研究者の視野がだんだんと狭くなってきた。日本史の分野では、松本清張を素人扱いしてきたようだ。史料の扱い方などに勝手なところがあるという。しかし、彼の広い視野と卓抜な推理力とは、専門家にも多くの示唆を与えている。この水準までもいっていないのに、専門の歴史学者で通っている人はザラにいよう。筆者は日本古代史には暗いが、最近遇った江上波夫や井上光貞に聞いても高く評価していた。ここ数年、松本清張は雑誌の対談やテレビに専門学者としばしば同席しているが、見ていると、清張の方がむしろ堂々としていることがある。」(468頁)





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2025年03月02日

清張復読(77)「事故」「熱い空気」(『別冊黒い画集』より)

■「事故」
 トラックの物損事故が、殺人事件と絡み合いながら、意外な方向へと展開します。
 そして、別件で殺人事件が起きます。当然、この2つは無関係のはずなのに、作者は丹念に2つの話を続けます。どのような接点から解決の道が開くのか、興味深く読み進みました。まったく関係のなかった刑事が、知り合いの事故の話から真相を手繰り寄せるのでした。理屈では繋がっても、読んでいた読者としては何となくスッキリしません。いかにも作られた話である、という読後感が消えません。【2】

初出誌:『週刊文春』1963年1月〜4月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「依頼者と関係を持った興信所長が秘密を守るために自分の部下を殺すという事件を倒叙法で描いた犯罪サスペンスの傑作。」(76頁)



■「熱い空気」
 家政婦の実態が詳しく披露されます。作品を理解するのに役立ちます。そして、家政婦の信子は配属先の家族に、日頃の鬱憤を晴らすための復讐をするのでした。その心理の動きと手口が、巧みに語られます。人間や家庭のありようの脆さを、上手く描き出していきます。
 信子は、他人の不幸の傍観者を徹底します。人格を無視された家政婦の悲哀と、家庭への羨ましさや嫉みが、その根底に横たわっているのです。そして、家庭の破壊までも。大学教授への蔑みも、背景にあります。
 しかし、物語は意外な方向に向かい、信子自身に災いが降りかかります。この結末に、何か不完全燃焼を感じました。丁寧に語り続けできたものが、子供から悪戯という復讐を受けることで、突如打ち切られたように思ったからです。
 私は、信子がチフスにかかる展開を想定していました。それが、違っていたのです。作者は、筆を擱くことを急いだかのようです。それまでの登場人物が置いてきぼりです。これでは、読んで来た読者も置き去りにされた気持ちになります。丹念に復讐劇が組み立てられていただけに、後味がすっきりしない作品でした。【3】

初出誌:『週刊文春』1963年4月〜7月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「家政婦の眼を通して上流家庭の内幕をのぞき見るというホームドラマ風のサスペンスで、結末のひねりが効いている。」(12頁)




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2025年02月07日

清張復読(76)「不在宴会」「土偶」(「死の枝」より)

■「不在宴会」
 中央官庁の課長の浮気が予想外の展開を見せる物語です。宴会に出たことにして実は別の温泉地で愛人と逢います。しかし、その旅館で、愛人はすでに殺されていました。
 すぐに逃げた課長のその後の心理が、巧みに描かれています。そして、意外な結末へとつながります。うまい展開です。【3】


初出誌:『小説新潮』1967年11月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「視察を利用して浮気をしようとしたエリート官僚が思わぬ事件に巻き込まれ、自ら墓穴を掘るという皮肉のきいたミステリー。」(154頁)



■「土偶」
 戦後、闇取引をして大儲けをしていた男の話です。その男が、東北の温泉地で男女2人を殺してから12年後、話が急展開します。些細なことから、土偶が発端となり、犯行が明らかになります。うまい構成です。ただし、この結末に至る展開は、清張の作品に慣れてくると、薄々わかってくるものです。さらなる意外性を求めたくなります。【3】


初出誌:『小説新潮』1967年12月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「コレクションから旧悪が露見するという倒叙物の佳篇。」(124頁)





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2025年01月26日

清張復読(75)「ペルシアの測天儀」「不法建築」「入江の記憶」(「死の枝」より)

■「ペルシアの測天儀」
 お土産として買った一個のメダルが、偶然の積み重ねの中で犯人を炙り出します。些細なことが、事件を解決する決定的な証拠になるのです。
 すべてを書き尽くすのではなく、読者に推理を委ねながら展開する物語は、構想と語り口で見事な推理ものになりました。作者の、面目躍如というべき作品になっています。【4】

初出誌:『小説新潮』1967年8月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「ペルシアの測天儀がひょんなことから犯人を割り出すというユーモア推理の快作。」(159頁)



■「不法建築」
 違反建築物の問題は、とにかく時間がかかることがわかります。あの手この手で逃げ回るからです。
 話は一転して、バラバラ殺人と拉致監禁未遂事件となります。その2つを結びつけるための思索が語られます。
 しかし、この物語には、無理があります。想像力が勝り、現実味がありません。作者の手元で寝かせていたネタが、無理矢理つなぎ合わせる実験をしたもの、と思われます。【1】

初出誌:『小説新潮』1967年9月



■「入江の記憶」
 語り手の記憶にある地名は、地図にはありません。しかし、そこはその男の出生地でした。6歳までいたところです。故郷のない男は、妻の妹が見たいというので、一緒に来たのです。
 清張の心の中にある、自分には故郷がないことが背景にあって述べられているように思えました。清張の出生については、いろいろと問題があるからです。
 この小話に語られている父と母は、清張の幼い頃の家庭環境を知る貴重な手掛かりになると思います。記憶が曖昧だとして語られることながら、そこには確たる理由があると思われるからです。
 また、物語が意味深な内容で展開するのも、個人的な潜在意識からの発話のような気がします。清張にしては珍しい、思わせぶりな内容であり、詩的な世界にまとめた作品となっています。【4】

初出誌:『小説新潮』1967年10月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「幼児の記憶を現在に結びつける短編推理の秀作。」(18頁)




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2024年12月05日

清張復読(74)「史疑」「年下の男」「古本」(「死の枝」より)

■「史疑」

 冒頭で「もう六十七の老人である。」とあり、七十三になる私は、時代感覚の違いを痛感しました。この後、「自分はすでに六十七だ、あとそう長くはない、」(355頁)ともあります。

 さて、物語は歴史学者の犯罪を扱ったものです。急転直下、犯人が炙り出されたのは、一人の郷土史家の推理からです。新井白石の『史疑』があったのか否かよりも、それを見たい学者の心理が描かれます。そして、偶然の行為が後年明るみになると言う、見事な推理が展開します。短編ながら、読ませる作品です。【5】



初出誌:『小説新潮』1967年5月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「一級史料への執着が殺人に結びつくという、歴史家清張ならではの会心作。」(76頁)



■「年下の男」

 12歳年下の男と結婚をする直前に、夫の浮気を知ります。電話交換手という仕事がなくなった今の社会でも、その職種の内容は容易に想像できます。仕事を通して、男が相手の女との通話を盗み聞きしたことが、事件の発端です。

 男の死を願う中で、高尾山での滑落死を考えます。そのために、カメラを買いました。そのことから、犯行がわかったのです。トリックが単純なだけに、意外性が乏しい話でした。【3】



初出誌:『小説新潮』1967年6月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「カメラと昆虫を小道具に使った小味な本格推理。」(126頁)


■「古本」

 地方で見つけた古本が、作家に復活の息吹を与えます。世間から、高い評価を得ます。しかし、その裏には古本をなぞっただけの盗作に近いという負い目があるのです。そこへ、古本の著者の孫がやって来て、恐喝を繰り返すのです。

 そんな中で、恐喝する男の死に関して、蓋然性の期待が殺意につながるか、ということが物語の底流に設置されます。そして、古本の写真版が復刊されることとなり、一人の男の死が炙り出されることになります。

 今では、参考文献は最後に明らかにされます。この清張の時代にはどうだったのでしょうか。

 それはともかく、人間の心の中を抉り出した、完成度な高い物語といえます。【5】



初出誌:『小説新潮』1967年7月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「稀覯書をテーマにした盗作ミステリーの佳篇。」(158頁)





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2024年10月14日

清張復読(73)「交通事故死亡1名」「偽狂人の犯罪」「家紋」(『死の枝』より)

 松本清張の短編には、読者を唸らせるものが数多くあります。『死の枝』に収録されている11編は、いずれも完成度の高い作品群です。読む者を飽きさせません。

■「交通事故死亡1名」
 避けられなかった事故死をめぐり、タクシー会社の事故担当係は調査に乗り出しました。
 そして、見せかけの偶然が、実は用意周到な人工的な殺人につながることに気付くのです。
 意外な展開から導く結論には、よくぞ、という爽やかさを残します。【5】

初出誌:『小説新潮』1967年2月
原題『十二の紐』、改め『死の枝』



■「偽狂人の犯罪」
 完全犯罪のために精神病者になる、と言う話が展開します。ドストウェスキーの『罪と罰』がその背景にあります。
 精神病に関する調査の結果が、要領よくまとめてあるので、解説書を読んでいる気になりました。
 読書と調査と研究により、精神病者を演じていることを見破られないように犯人は自分を訓練します。その努力には敬服します。
 犯罪心理学をわかりやすく語る小説で、大いに楽しみました。最後の猥本で犯人の演技を見破る展開は、清張らしい発想で唸りました。【5】

初出誌:『小説新潮』1967年3月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「詐病者の殺人を倒叙形式で描いた犯罪小説で、その看破法の意外さで読ませる。」(132頁)



■「家紋」
 夫婦の殺人事件は迷宮入りとなりました。生き残った一人娘は女子大生に。そして、5歳の時の両親が殺された時のことを思い出します。やがて、犯人のイメージが立ち現れるのでした。
 あくまでも想像の域を出ません。しかし、読者には犯人が特定されていく道筋が見えてくるのです。連想から共感へと、清張が物語るままに読者は導かれていきます。巧みな物語の構成です。【5】

初出誌:『小説新潮』1967年4月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「雪の北陸を舞台にした土俗色の強い本格物。」(36頁)




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2024年08月26日

清張復読(72)『砂の器』

 1960年に松本清張が連載を始めた『球形の荒野』と『砂の器』は、私が何度も読んできた清張シリーズの中でも2本柱とでも言うべき愛読書です。特に『砂の器』は物語の舞台が私の生活に密接な所なので、長編にもかかわらず、特に読むことの多い作品です。

 学生時代に住んでいた大森駅の次は蒲田駅であり、蒲田は生活圏の一部でした。この物語は、「国電蒲田駅の近くの横丁だった。」と始まります。その蒲田で殺人事件が起き、被害者がそこの小さなバーで若い男と話していた言葉がズーズー弁だったことと「カメダ」という言葉から、捜査の手は秋田県の羽後亀田に延びます。
 妻が生まれ育ったのは、その羽後亀田の近くでした。昨年3月下旬に、義兄にこの羽後亀田駅へ連れて行ってもらい、積年の思いであった現地取材を叶えることができました。

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240826_羽後亀田.jpg

 作品では、次のように語られています。しかし、その雰囲気はまったく残っていませんでした。

 本荘で乗り換えて、亀田に着いたのは、十時近かった。
 駅は寂しかった。だが、その前の町並みは家の構造がしっかりしていた。古い家ばかりである。想像していたより、ずっと奥ゆかしい町だった。
 雪国なので、どの家も廂が深かった。今西も吉村も初めての東北の町なので、これは珍しかった。(35頁)

 話は、秋田の捜査から国立国語研究所での調査を経て、島根県の出雲地方も秋田県と同じズーズー弁を話す地域だということがわかります。この国立国語研究所は、2008年に私が当時勤務していた国文学研究資料館が同じ敷地に移転し、仲間もいたことから頻繁に行き来した研究所です。
 このブログで何度も書いたように、私は小学4年生までは島根県の出雲市で育ちました。結婚する時に、私の両親が秋田へ挨拶に行った折には、父親同士、母親同士がお互いのズーズー弁で喋ったにもかかわらず、みごとに意思の疎通が問題なくなされたのです。この『砂の器』の捜査の撹乱というトリックは、両親が証明してくれました。
 そして、物語での調査の対象地域が島根県に移り、しかも父がよく知っていた奥出雲が注目されるようになったのです。
 その後、私が出雲から大阪に出て中学と高校時代を過ごした大阪が、犯人の戸籍操作の舞台となります。私が赴任した高校は、その近くです。私が生きた足跡がそのまま物語に出て来るので、この作品は愛着が一入です。

 作中で、犯人の略歴が次のように記されます。

 本籍、大阪市浪速区恵比須町二ノ一二〇、現住所、東京都大田区田園調布六ノ八六七。昭和八年十月二日に生まる。京都府立××高等学校卒、上京後、芸大烏丸孝篤教授の指導を受く......。(101頁)

 これについても、いろいろと書きたい所です。しかし、それはまたの機会としましょう。
 あまりに興味深い作品なので、大阪で高校の教員をしていた時に、この国立国語研究所が出て来るくだりを教材にして授業をし、試験問題としたことがあります。

 また、出雲弁について清張は次のように語ります。

 この地方の人は、自分の田舎訛りに気はずかしさを持っているのです。ですから、他所の人と話すときはできるだけ標準語に近い言葉で話していますし、あのディーゼルカーで宍道に出るときも、町の近くになると、田舎言葉を話さないようにしています。まあ、それだけ劣等感を持っているんでしょう。一つは、交通が開けたことにも由来するでしょうね。なにしろ、この辺の言葉をそのまま話すと、ひどいズーズー弁なんです。今では、よほどの山奥か年寄りでないと、そんな言葉は使っていないようです。(153頁)

 私は、よく滑舌が悪いとか、発音が聞き取り難いと言われます。小さい時から父には、出雲人は語尾が不明瞭なので最後まではっきりと言うように、とよく諭されました。しかし、なかなか直るものではなく、今でも喋るのが苦手です。このことは今さらどうしようもないので、割り切って、ベラベラと喋っていますが……

 こうした話はきりがないので、物語に即したことに戻ります。

 物語の中盤からしばらくは、音楽などの文明評論家の関川と恵美子の話が長々と続きます。蒲田での犯人を誤誘導するためなのでしょう。
 3分の2を過ぎた第十二章から、この物語は佳境に入ります。蒲田で殺された三木謙一が、伊勢の旅から急遽東京へ行った理由がわかり、三木の過去が犯人を炙り出します。物語の構成の妙に敬服します。このことが一気呵成に最後まで読ませます。【5】


初出誌:讀売新聞 1960年5月〜61年4月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

ベテラン刑事の執念の捜査を描いた社会派ミステリーの傑作。何度も映像化されて名実ともに清張の代表作となった。(97頁)




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2024年08月23日

清張復読(71)「濁った陽」「草」

■「濁った陽」
 汚職事件の犠牲となった官吏の遺族に焦点を当てたテレビドラマのシナリオを書こうとする劇作家が、この物語の語り手です。
 自殺をした男を追ううちに、そこには他殺の疑いがありそうです。さらに、その犯人と思われる男も自殺をします。そこにも、他殺の疑いが。この不可解な事件を追ううちに、意外な人間関係がわかってきたのです。
 作家の助手役で活躍する女性の設定は、清張の作品においては珍しく、よき相棒となっています。このアシスタントの女性が、証拠固めに大活躍をします。あまりにもタイムリーに情報を提供するので、一時はこの女性が事件の黒幕かとも思ったほどです。事件解決に欠かせない役所を担ったこともあり、目立ちすぎてやや不自然な存在になっていたのが気になりました。
 疑問や問題の解決に当たる2人の動きは、最適な解を導き出す上では的確な視点で描かれ、非常におもしろい構成です。あくまでも仮説に重ねた推論の積み上げの連続とはいえ、読者も共に楽しめる作品になっていました。【5】


初出誌:『週刊朝日』1960年1〜4月


 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「濁った陽」について清張は次のように言っています。

「濁った陽」は気楽に書くことを考え、それに一種のムードといったものをつけ加えようと思った。主人公は劇作家だが、その助手役に女弟子を配した。初老の男と、若い女性とのかみ合わせで、どこか甘ったるい気分を出したかったのである。この作品の中に出てくる官庁ボスは、現在、どの役所にも出入りしている顔役を考えた。その風丰については、モデルらしいものがある。(484頁)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

「ある小官僚の抹殺」をより推理小説風に仕立て直した作品。(131頁)




■「草」
 主人公が肝臓を患って入院していた時のことです。院長と婦長が駆け落ちしたのです。さらには、薬室主任の自殺。
 入院患者の中から、病院側の無責任さを突いて、入院費の2割引き闘争のための署名活動が起こります。ほとんどの患者が署名をし、事務長との交渉が始まったところ、突然今度は事務長が自殺したのです。さらには、このどさくさに紛れて、薬室に泥棒が入り、薬品が盗まれたのです。
 最後の最後になって、作者は読者に挑戦します。読者の推理力を試すのです。なかなか難問です。作者は読者を相手に、楽しむのです。この物語の語り手である「私」が、じつはこの物語の作者だったのです。
 読み終えて、私には一点の疑念が湧きました。院長がいなくなった後、副院長で内科部長が責任者になります。この男は、この物語の中で、何を考え、何をしたのでしょうか。この、責任者になった男の動静が、まったく語られないままに終わります。この点が、未消化のままに読み終えたのは、清張にしてはうっかりしていたと言わざるをえません。
 どんでん返しの展開の中に、この男のことが忘れ去られていたのです。そうであっても、刺激的な物語の展開には、満足しました。【5】


初出誌:『週刊朝日』1960年4〜6月


 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「草」について清張は次のように言っています。

作中にある病院と麻薬の関係は、やはり、実在の或る病院のことからヒントを得た。それと病院長と看護婦の心中は、これも実際の別な事件から暗示を受けた。ただ、この小説では「私」という記述者が最後に刑事となっている意外性の作為が多少、アンフェアな感じを読者に与えたかと思う。しかし、記述者が犯人になっている小説の例はあるし、手法上では許されるのではないかと思う。ただ、そのためには、すべての手がかりを前段に全部設定しておかなくてはならない。(484頁)





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2024年08月20日

清張復読(70)「証言」「寒流」「凶器」


■「証言」
 自宅から遠く離れた愛人の住む地域で、偶然自宅の近所に住む男と出会いました。軽く会釈されたので、反射的に答礼したのです。その男が、殺人犯にされたので、その時間のアリバイを証明してくれと頼まれます。しかし、愛人に見送られていた時だったので、バレることを恐れて証言を拒否しました。
 裁判の過程で、自分が偽証の中におり、容疑者の犯罪を立証する鍵を握っていることを知ります。
 嘘が、巡り巡って自身に返ってきます。思いがけないことから、思いがけず解決するのでした。
 最後は、「人間の嘘には、人間の嘘が復讐するのであろうか。」(251頁)という言葉で終わります。
 短編なので、一気に読みました。しかし、もっと話を展開して愛人のことに切り込むと、さらに物語は完成度を高めたと思われます。人間の心理に食い込む洞察を加えると、もっとおもしろくて意外性のある作品になったのではないか、と思いました。【4】


初出誌:『週刊朝日』1958年12月


 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「証言」について清張は次のように言っています。

 これは、当初のもくろみでは十五枚のつもりだった。だが、とてもそれでは書き切れずに、二回にわたって三十枚とした。これを読んだ編集長は、かえってあれでは短い、と言いだした。しかし、今も読みかえしてみて、私はあれでいいと思っている。この「証言」は、映画化にあたって橋本忍氏が脚色したが、その後半の付加は橋本氏の創意である。映画を見て、私ももう少し枚数を費やしてあのとおりの結末にした方がよかったと、ちょっとくやしかった。この映画の出来がよかったのは、堀川弘通監督の手腕にもよるが、橋本氏の才能である。ついでながら、小説の映画化は短編ほど成功するという考え方を、この映画でいよいよ確信した。脚色家が十分に自己の独創を原作の余白に振るうことができるからである。(482頁)



■「寒流」
 支店長の愛人に、知ってか知らでか割り込もうとする学生時代からの友人である常務の登場。男同士の執念の闘争が、次第に具体的に描かれます。そして、支店長の左遷。辛酸を舐めさせられます。
 女の強さ、強かさが背景にある作品です。男は、哀れな存在です。清張の作品によくあるパターンだと思います。
 さて、支店長の復讐劇は、いろいろな試みを経て、ついに予想外の成果を上げます。読者も溜飲を下げる大団円で幕を閉じます。執念が実を結んだのです。一気に読ませる物語でした。【5】


初出誌:『週刊朝日』1959年9〜11月


 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「寒流」について清張は次のように言っています。

「寒流」は、ある銀行マンの話だが、多少モデルがないでもない。しかし、できあがったものは全然別である。最初から、私はこれを風俗小説ふうに仕上げてみたかったのだ。「寒流」は最後までどのように結ぶべきか苦しんだ。回数は重なってゆくばかりである。そして、最初の考えでは、おとしいれられた支店長がさまざまな抵抗をするが、組織の中の上層部にいる者には、とてもかなわないというところで終わりにしたかった。しかし、編集部の意見では、それではあまり絶望感が強すぎるので、救いがほしいと言った。つまり、支店長の感情は一般サラリーマンの感情だから、最後には復讐を遂げるようにならないか、ということだったが、私はその忠告を無視できなかった。それにも、もっともなところがあるからである。だが、その解決は最初の考えになかったので、はなはだ不満なものに終わった。(483頁)



■「凶器」
 捜査本部が思っているような証拠となる物が出てきません。疑われた女は、何も関係ないことになります。強引な見込み捜査が行われたことになります。そして、結局犯人は見つからず、捜査本部は解散となりました。
 それから4年後のことです。お正月の餅をかき餅にして食べようとしていた時に、殺人事件の凶器が何であったのか思い至るのでした。真実がどうかではなくて、謎解きの妙味を教えてくれる物語です。
 なお、文中に「六右衛門は六十一歳の老人であった。」(322頁)とあります。「老人」とあるその年齢の意識の変転に、興味を覚えました。【4】


初出誌:『週刊朝日』1959年12月


 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「凶器」について清張は次のように言っています。

次は軽いものを狙った。それが「凶器」である。これは、R・ダールの味を日本的にしたもので、独創という点では一番希薄である。しかし、このような味のものは、ひとりダールだけではなく、クリスティの「砂袋」や、題名は忘れたが、凶器に用いた貝殻を庭園の装飾にした作例がある。クリスティの「砂袋」は、もう三十年前に読んだ作品で、そのときはひどく感心した。このような味のものはできないかと考え、最初は凶器に小豆を設定した。だが、小豆では粒が大きくて密度がない。そこで日本旧来の正月の習慣である「のし餅」に替えた。そして田舎の味を出すために舞台を佐賀にとった。この作品の中で使われている方言は肥前地方のものである。私は佐賀県神崎町莞牟田という田舎に一年ばかりいたことがあるので、そのときの記憶によって書いた。方言は正確なものではないが、雰囲気だけは出せたと思っている。いったいに、推理小説といえば東京が舞台になりがちだが、地方に材料をとったものが、もっとたくさん出ていいのではなかろうか。これも、せいぜい三十枚程度にしたかったが、結局、少しのびた。(483〜484頁)




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2024年08月02日

清張復読(69)「紐」「天城越え」(『黒い画集』より)

■「紐」
 岡山県で神主をしていた男が、大金を持って東京に出て何か事業を企んでいました。その途中に殺されたのです。警察は、神主の妻を疑います。しかし、アリバイは完璧でした。迷宮入りです。この妻のアリバイに作者が拘ったことに、何かあると思いました。
 次に、保険会社が保険金が高額だったことから、調査を始めます。またもや、妻が俎上にのぼります。この保険会社の調査から、推論の積み重ねが意外な事実を浮かび上がらせるのでした。家族でなければできない犯罪の立証です。そこに、紐が解決に結びつくのです。
 警察に説明する保険会社の社員は、まさに名探偵登場です。しかし、作者はさらに複雑な、驚くべき背景と事情を用意していたのです。
 この、手の込んだ展開に関して、私はこの作品がかえって読後の印象を弱くしたと思っています。自殺なのか殺人なのか、という問題に、嘱託殺人の要素を間に匂わせたことが、完成度を低くしたように思います。凝りすぎた、との思いを強くして読み終えました。【3】

初出誌:『週刊朝日』1959年6月〜8月

 『黒い画集』(『松本清張全集 4』1971年8月、文藝春秋)の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「紐」について清張は次のように言っています。

「紐」はやはり実話ものである。私は実話ふうな物語を好む癖があって、前の「失踪」につづいて、もう一度これを試みたかったのである。この「紐」の内容の前半はほとんど記録どおりに構成した。これは地道なアリバイ崩しの話になったが、ある程度、私の意図は遂げられたと思っている。(483頁)

 また、『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

 魅力的な謎、論理的な展開、意外な結末の三要素をきちんと踏まえた本格推理の秀作。(151頁)



■「天城越え」
 川端康成の『伊豆の踊子』の一節から始まります。本歌取りで語り始めると言う手法です。とっかかりのイメージだけですが。
 大正15年頃の話で、作者である私は16歳です。家出をした時に天城越えをし、その時の出来事が30数年前の「土工殺し」の記憶を甦らせるのです。
 殺人事件の背景には、警察が窺い知れぬ意外な事実がありました。それが、ある日、明らかになるのです。
 最後は、次の文で終わります。

 田島老刑事は、あの時の”少年"が私であることを知っている。三十数年前の私の行為は時効にかかっているが、私のいまの衝撃は死ぬまで時効にかかることはあるまい。(240頁)

 この3行に、この物語のエキスが集約されています。【4】

初出誌︰『サンデー毎日特別号』(1959年11月)
原題:「天城こえ」

 『黒い画集』の最後に、「『黒い画集』を終わって」という作者の解説があります。その中で、この「天城越え」について作者は次のように言っています。

 第二集に収録した「天城越え」(サンデー毎日特別号)だが、これは自分で気に入った作品だ。材料は実際の「静岡県刑事資料」から採ったが、その中に作者のこのようなイメージを構成した。少年が大人に成長する期の旅愁に似たものと、性の目覚めを扱ってみた。(484頁)


 また、『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

 川端康成の名作『伊豆の踊子』と同じ天城峠を舞台に、少年の暗い情念が生み出した犯罪を詩情豊かに描いた清張短篇の白眉。(12頁)




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2024年06月29日

清張復読(68)「遭難」「坂道の家」(『黒い画集』より)

■「遭難」
 鹿島槍ヶ岳へ3人が登山する様子が、克明に描かれます。その中でも、岩瀬の元気がないことが繰り返し記され、その岩瀬が、途中で凍死するのです。
 その経過を詳細に報告した文章が、山岳雑誌に掲載されました。その文章の迫力は尋常ではありません。作者である清張の筆の力が、余すところなく発揮されています。
 その雑誌に掲載された文章が、事実をみごとに活写したものであったことから、後半が次第に緊迫していきます。ページを捲る早さが、いや増しに早くなります。
 友である残りの2人のうちの1人が何かしたのではないか、と思いながら読みました。そして、その予感は当たりでした。しかし、展開は意外な結末へと向かいます。二重三重に話が組み込まれていて、巧みな構成の物語となっていました。【5】

初出誌:『週刊朝日』1958年10月〜12月

 『黒い画集』の最後に、「『黒い画集』をおわって」という作者の解説があります。その中で、「遭難」については次のように言っています。

 私は「遭難」を北アの鹿島槍に取った。最初、穂高という話もあったが、井上靖氏の『氷壁』が出て評判になったときでもあり、それを避けた。ところで、私は登山を一度もしたことがない。そこで、登山家のベテランに集まってもらって話を聞いたりした。そして鹿島槍は何度か踏破したという登山家の案内で、初めて鹿島槍に登攀した。幸いなことに、鹿島槍の頂上には、霧が巻くともっとも迷いやすい道があった。この立地条件は、私の小説を少なからず助けた。(482頁)




■「坂道の家」
 初めて行ったキャバレーでの男の様子が活写されます。洋品店の親父が、突然の華やかな空間で戸惑うのです。
 そして、入り浸った挙句、彼女を愛人として囲います。新しく買った電化製品の値段が、今とあまり変わらないので、物価の中でも家電製品の値動きが変わらないことに驚きました。
 女に入れ上げて溺れていく男が、心憎いまでに見事に描かれます。男の弱さを、作者は丹念に追求しています。作者の、人間を描く筆の力が、遺憾なく発揮された仕上がりです。
 最後は、意外な展開で、一気に読まされました。ただし、湯船に浮かんでいたおが屑が事件を解決する決め手になることは、今の世代にはその意味がわからないでしょう。作品が生み出された時代は、次第に理解されなくなります。注で対処するのも無粋です。このまま放置するしかないのでしょうか。もったいないことです。
 男を描いていると思っているうちに、なんと女を描くことに力点が移っているのに、最後に気づきました。【5】

初出誌:『週刊朝日』1959年1月〜4月

 『黒い画集』の「『黒い画集』をおわって」では、話が長くなった弁明を次のようにしています。

「坂道の家」はあれほど長くするつもりはなかった。最初の私の考えでは、氷を入れた水風呂に、突然、人間を入れることと、死体のはいったその水風呂を焚いて湯にするということだけしかなかった。ところが、その動機を書いてゆくうちに、その部分がしだいに長くなったのである。
 このころ、私は頻繁にバーやキャバレーの「見学」をはじめていた。(482頁)




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2024年06月14日

清張復読(67)『Dの複合』

 浦島太郎と天の羽衣の伝説を背景に、旅と事件が交錯する物語です。

 いろいろと謎かけをしながら展開します。人丸神社の36歌仙の絵の中に小野小町がいないことなどなど。多分にこじつけであっても、話題が多彩なので読み進められます。

 次には、補陀落国説話です。ただし、これは失速します。読者の興味を惹きつけるための、話題に留まっただけでした。


 『松本清張全集 3』の巻末の解説で、小松伸六氏は次のようにいいます。本作品の要点を突いた説明となっています。


 「Dの複合」は、民俗学的な世界と怨念にまつわる殺人事件とをからませた力作である。北は網走、塩釜、東は成田、東京、熱海、戸田、大仁、 三保の松原、西は京都、木津温泉、三朝温泉、鳥取県竹田村、兵庫県の神吉村、明石、淡路島、和歌山県の友が島。 加太岬など全国各地にちらばる土地が選定され、それが一つの線としてむすばれてゆく。「僻地に伝説をさぐる旅」の取材旅行に出る作家の伊瀬は、同行する浜中編集次長がいかなる人物であるかもわからずに、いっしょに旅行するうちに、浦島伝説がのこる網野神社、その木津温泉近くの林のなかに人間の死体が埋めてあるという投書が警察にくる。 事件はこうしてはじまるのだ

が、まさかこれが浜中の仕組んだものとは、私は考えてもみなかった。この意外性には、私はあっと声をあげたほどである。(461頁)


 とにかく、スケールの大きな、説話の旅が展開します。

 東経135度線と北緯35度線が問題となります。作品名が示す「D」というアルファベットは、次の意味をもったものです。


北緯三五度、東経一三五度を、英語でフルに書くと、North Latitude 35 degrees, East Longitude 135 degree だ。四つのDが重なり合っているから「Dの複合」だ。それに、緯度・経度は地球をタテヨコにそれぞれ二つに割っているから、そのかたちからしてもDの組合わ

せになっている。

 将来、この題材で推理小説でも書くとすれば「Dの複合事件」とすることができるな、と伊瀬は思った。(351頁)


 終盤の種明かしには、惹き込まれました。ただし、長々と語られることに加えて奇妙な偶然が多いため、読者としては作者に引き摺り回された印象が残りました。【3】



初出誌:『宝石』1965.10〜1968.3





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2024年05月01日

清張復読(66)『ゼロの焦点』

 結婚して1ヶ月も経たないのに、夫が行方不明となります。妻であった禎子は、夫のことを知らなさ過ぎたことを痛感します。
 なぜ夫がいなくなったのかを探っているうちに、探すのを手伝っていた義兄と会社の同僚が、共に青酸カリで殺されます。なぜ殺されたのか、が後半のテーマとなります。
 その間、クリーニング屋を訪ね歩いていた義兄の意図を考えます。そして、クリーニング屋の存在が意外な役割を果たしていたことがわかります。中盤から出てきたクリーニング屋のことは、私も一緒に考えました。思いがけない意味に、清張の着眼点の斬新さを思い知らされました。
 最初はただの失踪事件だと思わせておきながら、読者を飽きさせることなく、どんどん深みに誘い込んでいくのです。うまい展開です。

 また、背景に戦後の混乱期の立川が謎を深めます。清張の作品によく出てくるGIとパンパンの存在も、かつての戦後社会の現実を想起させ、読者の記憶の中に埋め込んでいきます。これが、ボディーブローとして効いてきます。
 このことに関して、『松本清張全集 3』(文藝春秋社、1971.5.20)の巻末に収載されている小松伸六氏の「解説」には、本作の核心に触れる説明をしています。物語の理解を深め確認するためにも、以下に引用しておきます。

 まず、なぜ、憲一は自殺(?)しなければならなかったのか。憲一が戦後の混乱期に、東京立川署で、米兵相手の夜の女をとりしまる風紀係りの巡査をしていたことがあり、そのときに知ったのが、夜の女であった田沼久子であり、社長室田の妻となっている佐知子である。悲劇の原因はここにある。つまり憲一たちは、アメリカに占領されていた基地立川が象徴する日本の戦後という「戦争の傷あと」を背負って生きていたわけだ。それが憲一の結婚によって、かくされていた傷あとがばくろされ、それをおそれた人間たちによって殺人事件までがおこる。憲一、久子、佐知子らは匿名で生きなければならなかったのだ。あるいは仮面をかぶって生きなければならなかった、素顔をばくろされた悲劇がおこる。とすれば、その殺人の動機には少くとも読者をなっとくさせる社会的悲劇性があるとおもわれる。(460頁)

 北陸能登半島の、金沢を中心とした地方も、丹念に描き込まれています。海岸の断崖絶壁、温泉地、気候や風土もたっぷりと語られています。本年正月に起きた能登大地震が、この物語の舞台と重なります。今年だからこそ、能登の風景が印象深く思い合わせられるのです。いいタイミングで読みました。
 この能登に関しても、小松氏はその「解説」で次のように言います。

 私事になるが、私は戦後、八年ほど金沢で教師をしていたので、能登も鶴来も知っている。五年ほどまえ、能登金剛に行ったとき、「ゼロの焦点」に描かれた能登の海にあこがれ、同じ場所で命を絶った女性があった。今はそこに「ゼロの焦点」の文学碑が建てられている。いや、そればかりか、映画「ゼロの焦点」のロケーションの地という碑までが、二、三カ所にあったと記憶している。ついこの二月末にも、金沢で恩師がなくなり、その葬式に出たついでに、能登羽咋に近い志雄町の某寺に、かつての親友Fが生きていることを知り、三十五年ぶりに会った。F住職も松本さんのおかげで能登の観光客がふえ、海に近いお寺では、夏には民宿をやっていると話していた。能登から、松本氏の名前が消えることはないはずだ。(459頁)

 終戦から13年。その間の女性の社会的な位置付けとその変転が、物語の背後に見え隠れしています。それを飲み込むように、能登の断崖絶壁を舞台として、感動的な幕切れとなります。荒海と吹き曝す風と波の音を聴きながら、静かにページを閉じました。
 本作も、これまでに何度か読み、ドラマや映画も見ました。しかし、そのような記憶は思い出すことなく、再生することなく、初めて読むような新鮮な思いで読み終えることになりました。松本清張の作品には、過去の読書体験が消えるという、不可思議さがあります。【5】


原題:『虚線』→『零の焦点』→『ゼロの焦点』

初出誌:『虚線』(『太陽』)昭和33年1月〜33年2月
    『零の焦点』(『宝石』)昭和33年5月〜35年1月


※参考資料:『松本清張全集 3』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている小松伸六氏の「解説」には、松本清張と井上靖を対比してその2人の特徴を次のように語ります。井上靖の作品のすべてを読み終えた私にとって、このことばは要を突いた言葉だと思えます。

 松本作品の絶対的魅力は、色彩語でいえば〈黒〉の魅力である。
 それは松本氏の「黒い画集」「黒地の絵」「黒の様式」「黒の図説」「黒い福音」など〈黒〉という名のついた題名の作品が多くあることでもわかる。一時期、松本さんはブラック清張≠ニいわれたこともあるそうだ。
 松本氏は作家になるまえに、九州の朝日新聞西部本社広告部につとめ、デザインの仕事もやっており、洋裁学校では色彩学の講義を受けもっていた方だから、色彩にたいしては独自の見識をもっている方のようだ。
 その松本氏が、悲哀の象徴語である〈黒〉、あるいは夜、冥府、死の色ともいうべき〈黒〉を好むのは、いかにも松本氏にふさわしい。つまり〈黒〉は松本氏の心象風景を語るシンボル語である。
 その反対に、たとえば井上靖氏の作品を考えてみる。井上氏の魅力は〈白〉である。井上氏の作品には「白い牙」「白い河床」など〈白〉の題名をもった小説や詩が多いのだが、松本作品には、ちょっと思い出せない。そして〈白〉は、純潔を意味する色彩語である。しかしどこか冷いところのある色だ。そこから井上さんは、清潔で朝の詩人だが、一方、人生の傍観者といわれるゆえんも当然である。(453頁)




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2024年04月12日

清張復読(65)『絢爛たる流離』

 今日は集会所で、漢字や擬音語・擬態語と簡単な計算問題をしました。その中で、司会進行役の方がみなさんに、最近どんな本を読んでいますか、と読書の話をもちかけられました。そして、突然のことながら私に、最近どんな本を読んでいますか、という質問が振られました。「松本清張です」と答えると、参加者で男性は私だけだったこともあり、高齢の女性たちには馴染まないと思われたのか、話はそのままスーッと流されて行きました。その後、そうだ、ブログの「清張復読」をアップしなくては、と思い至りました。書くことがいろいろとあり、読書雑記のネタが溜まっています。ということで、今日は集会所でのことではなく、松本清張の作品を読んだメモを整理します。

 『絢爛たる流離』は、12話の連作で構成されています。3カラット以上のプラチナ台のダイヤの指輪がたどる、数奇な物語です。私には作者の意図がよくわからず、バラバラな話の寄せ集めのように思われました。読み終わった今でも、その印象が強く残っています。戦前から戦後の混乱期を挟んで、ダイヤを取り巻く人間の運命の流転を描いたもの、という、いささか頼りない理解であり読後感であることを、まずは記しておきます。

■第一話「土俗玩具」
 妻が夫の食事に砒素を混ぜたことによって死に至らせた、と読者に思わせながら、実は別の観点から死因を証明します。土俗玩具が最後に意味を持つという、清張らしいうまい展開です。【4】


■第二話「小町鼓」
 前話を受けて、新たな殺人が起きます。砒素で亡くなった夫との顛末が、その背景にありました。3人の芸事の師匠が絡む、愛憎劇でもあります。おもしろい展開を楽しみました。
 殺人で使った匕首と鼓を小道具にして、証拠隠しを企てます。このあたりの説明は、もっと語ってもよかったように思います。【4】


■第三話 百済の草
 戦時中、朝鮮の南での話です。人間の心理と場所が絡んだ、非常に興味深い内容で話が展開します。最後のくだりは、もっと丁寧に語ってほしいと思いました。急展開なので、付いて行くのが大変でした。【4】


■第四話 走路
 戦争末期、沖縄の戦況が良くない頃、朝鮮の人の日本人と接する態度が変わって来たと作者は言います。次の文は、私が両親から聞かされたことと同じ話が記されています。現地のことを、作者はよく見ていたのです。

 篠原主計大尉は、もし、日本が敗けた場合のことを考える。おそらく、その場合、朝鮮人は一斉に各地に蜂起するだろう。彼らは、永い間、日本の統治に虐げられてきたため、日本人に対して陰湿な敵愾心を持っている。日本の政府がどのように「内鮮一体」だとか、「国語の統一」だとか宣伝しても、また、物資の方面で内地よりは潤沢になるよう気を配っていても、永年の差別感による彼らの反抗心は消え失せてはいない。そう考えると篠原は、ことさらに近くで朝鮮語をしゃべっている彼らが、自分の悪口を言っているようでならなかった。
 もし、彼らが日本人を襲撃する事態になったら軍隊はどうなるだろう。主力がとうに南方に出動したあとの朝鮮軍は老兵と虚弱兵との集団になっている。装備も十分とはいえない。おそらく、朝鮮人はアメリカ軍の応援を得て日本人を攻撃してくるに違いなかった。(309頁)

 夜な夜な、こっそり短波の重慶放送を聞き、戦局を知ろうとしていた男がいたことに触れます。そして、朝鮮を逃げる準備をしていた男たちは、無事に日本へ脱出の途につきます。緊張感が漂う作品です。【5】


■第五話 雨の二階
 舞台は戦後の日本に移ります。男は、物資の横流しで大儲けをします。しかし、妻は夫の愛人のことで狂い、殺されてしまいました。その殺害方法が、意外なトリックでした。さらには、その男も殺されます。警察は、一体何がよかったのか、考え込んでしまいました。意外な展開を楽しみました。【3】


■第六話 夕日の城
 運命に弄ばれるように生きる女性の話です。思いもしなかった結婚。仲人に騙され、殺人に至る経緯が、淡々と語られます。話の展開を、興味深く、面白く読みました。ただし、私には、最後の言葉の意味することがわかりませんでした。父親がどうなったのか、よくわからないのでなおさらです。連作なので、次作を楽しみにしましょう。【3】


■第七話 灯
 冒頭部に、「彼は娘の暗い翳にまつわられている。」(366頁上段)とあります。「まつわられる」という言葉に違和感を覚えました。
 話は、娘を殺した後、なぜ犯人は部屋の電灯を点けっぱなしにして逃げたのか、に絞られます。また、犯人には子供の頃の地震の経験があるはずだとします。これはどうでしょう。さらには、最後は話が流れていきます。気が抜けました。【3】


■第八話 切符
 このシリーズを通して感じたことは、ダイヤの指輪と事件が、あまりにも作り話の域を出ていないことです。そして、ダイヤの指輪も、物語の中では特に意味を持っていません。そして、この話も、最後が陳腐でした。どこに清張の狙いがあるのか、よくわかりません。【2】


■第九話 代筆
 死因不明で迷宮入りとなった事件が、1年後に解決します。その死因について、思いもしなかったことがわかったのです。ただし、1話としてのまとまりはないように思います。さらには、タイトルの代筆は、話題として出され、犯人が腕力がないことを言うためだったと言えます。この点も、すっきりしませんでした。【2】


■第十話 安全率
 短編にはもったいない話だと思います。社会と政治と人間を絡み合わせて、スケールの大きな小説になることでしょう。その時には、女性をもっと描き込むことが必要です。すでに、ほかの作品で扱われているかもしれませんが。【4】


■第十一話 陰影
 前話を受けて、ダイヤの指輪に関する話が続きます。迷宮入りした事件が、偶然から明るみに出るのです。テンポよく進展します。ただし、単発的なものに留まります。【3】


■第十二話 消滅
 高校の講義録を読んで勉強する、中卒で17歳の少年のイメージが、なかなか読み取れませんでした。読んでいたという講義録なるものも、どのようなものなのか具体的にイメージしにくいのです。さらには、迷宮入りしたと思われる殺人事件も、その露見の発端がいかにも作り話めいていて、作者の準備不足を感じました。連作として急いだ結果なのでしょう。消化不良になる作品でした。【2】

 初出誌:『婦人公論』昭和38年1月〜12月

 『松本清張全集2』(文藝春秋、1971/6/20)の解説で、尾崎秀樹氏は次のように言います。しかし、私にはこのような読み方に、まだ付いて行けません。

「眼の壁」を書いてから、「絢爛たる流離」を発表するまで、六年が経過している。「絢爛たる流離」を連載した昭和三十八年には、松本清張は日本推理作家協会の理事長になっている。推理小説の本格派として乱歩以来の伝統をうけつぐと同時に、変格派としての社会的ひろがりを積極的に開拓し、さらに社会と政治のメカニズムに肉薄して歴史の告発者となり、「日本の黒い霧」を発表した彼は、つづいて現代の官僚を論じて大きな反響をよんだ。「絢爛たる流離」を発表した時期は、一方に「現代官僚論」の労作があり、時代推理ものの流行の誘い水ともなった「大岡政談」などを書きはじめている。このような新しい展開をしめした時期のものであることを考えあわせると、「絢爛たる流離」の骨格ががっしりと組みあげられていることも、おのずと理解されよう。(468頁下段)




posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | □清張復読

2024年03月04日

清張復読(64)『眼の壁』

 3,000万円の小切手が、ブローカーによって騙し取られました。資金繰りに困っていた会社は、支払い予定日の前日の出来事だったこともあり大混乱です。そして、自殺者と行方不明者。混沌とした展開の中、新聞記者と会社の一人が奔走します。
 前半と中盤でばら撒かれた不可解な出来事が、後半で点が線となって収束します。足早に話がまとまるので、それまでの一つ一つの事件とその内容とを繋ぎ合わせるのが大変でした。
 読み終えての感想を記しておきます。
 興味の赴くままに読んで来た過程に紆余曲折があり、先行きを想像しながら楽しんだものの、それぞれのインパクトがあまりなかったように思います。ワクワク感がなく、おとなしめに、こじんまりとまとまった感じです。清張らしさを感じませんでした。同時期に発表された『点と線』を思わせる設定が見え隠れするものの、出来具合は少し劣るように思われます。
 なお、本作にも今の若者にはわかりにくい、公衆電話の使われ方が出てきます。記録として残しておきます。

「 関野は、煙草屋の店先にある赤い公衆電話の受話器を握った。出てきた男の声に、
「お隣の関野です。いつもご迷惑ですが、家内を呼んでいただけませんか」
 と言った。三分間ばかりラジオの音楽が流れるのを聞いていた。がたりと物音がして、
「もしもし」
 と、妻の千代子の声がした。」(26頁下段)

 また、清張の眼から見た年齢に対する感覚が知られる表現を抜き出しておきます。私自身が70歳を越したにもかかわらず、老人という感覚がないので、余計に年齢から読者に与える印象の変化が気になりました。書かれた時代が反映していることもあるでしょうが。

「とても七十近い老人とは思えぬ元気さである。」(221頁下段)

【3】

初出誌:『週刊讀売』(昭和32年4月〜12)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
「手形パクリ事件に端を発して連続殺人事件に発展するというスケールの大きな社会派推理小説。ほぼ同時に発表された「点と線」とともに清張の文名を確立した記念碑的な作品。」(166頁)




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2024年02月15日

清張復読(63)『影の車』

第一話 潜在光景

 緩やかに話が始まり、次第に薄気味悪さが感じられるようになります。そして最後に意外な事実が明らかにされます。

 自分の幼少期の体験を背景に、6歳の子供に殺意があるのか、と問いかける作品です。【5】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年4月)



第二話 典雅な姉弟

 トリックを見破ることが楽しめます。そのために、登場人物の日常生活が克明に語られています。わずかなほつれから、日時のすり替えが発覚しました。理詰めの後半は、もう一度読み返しました。納得はできても、何かスッキリしない、明らかな作り話でした。

 本作の中程に、自宅に電報を打って用事を知らせる場面が出てきます。

 才次郎は、それから登戸郵便局に行って、自宅に電報を打った。登戸から東京都内への電話は、当時、まだ直通になっていなかった。(松本清張全集(1)1971年、312頁)

 前回、清張復読(62)『時間の習俗』でも記したように、本作が発表された当時の通信事情が、今とは隔世の感があることがわかります。【3】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年5月)



第三話 万葉翡翠

 万葉考古学の成果として、新潟県の川から翡翠が発見されます。それと、その翡翠を独占しようとする仲間による殺人事件が展開します。若者の飽くなき探究心と私欲が、うまくブレンドされた話です。短歌の役割がうまく生かされています。【3】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年2月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

古歌の新解釈を事件解明のカギとして応用した古代史研究ミステリーの秀作。」(162頁)



第四話 鉢植を買う女

 女性の容貌が年と環境の変化によって変わっていく様を、見事に活写しています。そして、やがて完全殺人事件が成就します。地味な生きざまの中に、恐ろしいことが計画的に進行していたのです。さらりとした話の展開の中に、驚くべき計算があったのです。鉢植えや花壇が、完全犯罪を成り立たせます。【5】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年7月)



第五話 薄化粧の男

 本妻と愛人の凄まじい関係が語られます。その間にいた男の死が、問題になります。しかし、読者の多くは、犯人が誰かはほぼ見当が付きます。最後に自殺のくだりになると、その必然性と当該人物の設定に歪みが生じたように思いました。書き急いだ印象と、説明不足が感じられます。女の口を借りた物語展開になると、清張の語り口が理詰めに傾き、論理的な要素と事実の整合性が崩れた気がします。スッキリしない終わり方になったのは、語り手が語り切っていないためではないでしょうか。【2】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年3月)



第六話 確証

 妻の様子に疑いを持った夫は、相手を自分の身近な男と見定めました。そして、何と大胆なことに、身体を張って性病の実験をするのです。淋病の医学的な解説文が引かれます。男と女に表れる症状から、相手の男を特定するのです。妻と同僚の男を追い詰めたと思ったところで、話は意外な結末が待っていました。この可能性は、読み進んでいるうちに微かに感じました。しかし、見事に裏切られました。お見事です。【5】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年1月)



第七話 田舎医師 

 私は清張の作品を読む時に、いつも清張の父にあたる人物に着目しています。

 本作でも、清張の分身である主人公は、父を懐かしみながら、思いついて広島から島根に汽車で向かいます。

 父のことを語る一文を、以下に長文ながら引きます。実際に兵庫県日野郡日南町から各地へとさすらった父の姿を彷彿とさせる文章となっています。

 良吉の父猪太郎は、七年前に東北の町で死んだ。若いとき故郷を出てから、各地を転々としたが、一度も郷里に帰ることはなかった。貧乏のために帰れなかったのである。

 良吉は、よく、この父から生まれ故郷の話を聞かされた。良吉自身は父の流浪先で生まれたのだが、話を聞いていると、いつしか、自分もそこが故郷のように思えてくる。

 猪太郎の故郷は、島根県仁多郡葛城村というのだった。木次線で中国山脈の分水嶺を越えると、八川という駅がある。そこから三里ばかり山奥が葛城村だった。

 良吉は、小さいときから、父の猪太郎から葛城村の話を何度となく聞いている。それは繰り返し繰り返し同じ言葉で語られた。良吉の頭にも葛城村のイメージがいつの間にか確固として出来上っていた。

 部落の名前の一つ一つも、良吉の頭に叩き込まれていた。

 のみならず、父の猪太郎の親類縁者の名前も、良吉の記憶のなかに刻みつけられていた。その名を聞いただけでも、良吉は、しばらく遇わない知人のように、その顔つきまで頭の中で描けるのだった。

 猪太郎は六十七歳の生涯を終えるまで故郷を忘れたことがない。これほど生まれた土地に執着をもっている人も少かった。それは、一度も故郷へ帰れなかった人間の執念であった。

 旅費といえば僅かなものだった。しかし、その旅費が工面できないばかりに、猪太郎は十八歳の年に故郷を出てから、遂に葛城村に戻れなかったのである。だから反対に、良吉に聞かせる猪太郎の描写は、山陰の僻村がこよなく美化されていた。

 猪太郎が故郷を出奔したのは、彼の不幸な環境による。土地では一、二を争う地主の子に生まれながらも、幼時に他家に養子にやられ、その家が没落して猪太郎の出奔となる。

 猪太郎には三人の兄弟があった。彼自身は長男で、後取りは、次男が死亡したため、三男が継いだ。しかし、この三男も、地方の高等学校を出ると教師となり、ついで東京に出て、或る事業を起して成功した。この人も十年前に死亡している。

 要するに、父の猪太郎は、その人のいい性質のために、終生、貧にまみれていたのだ。良吉には子供のときから、いまにお前を石見に伴れて行くと口癖のように云ったが、ついにそれが父の夢のままに果てた。

 −いまにお前を石見に伴れてってやるけんのう。

 という言葉は、恐らく、父の猪太郎が数十年間故郷を夢みて、そこに帰って行く自身を空想し、恍惚状態になって吐かれたのであろう。

 今度、良吉は九州まで出張しての帰り、ふと広島駅で降りてみる気になったのである。用事が早く済んだので、三日間ばかりの余裕ができた。出張するときは、ついぞ、その気がなかったが、帰り途に、父が生涯望んで果たし得なかった葛城村の訪問を思い立ったのだ。それも岩国あたりまで来てから俄かに企図したと云っていい、だから、汽車の択び方も即席だった。

 良吉は、窓に映える夜の山国の雪を見て、やはりここに来てよかったと思った。この機会がなかったら、良吉自身、父の故郷を一度も訪れることはないかもしれない。(『松本清張全集 1』(406〜407頁、文藝春秋社、1971.4)

 親類縁者がいない中でも、遠縁の医者がいたことを思い出し、主人公はあてもなく訪ねるのでした。そして、雪道の中でその医師が転落死する事件に出くわします。

 その後は、それが不審死である可能性があると思い、いろいろと思索に耽ります。医者の死は不確定要素の高いものながら、殺人事件に発展する手前で、犯人と思われる夫婦の出奔で終わります。

 清張の父の生き様との関連で、興味深く読みました。【4】

初出誌:『婦人公論』(昭和36年6月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。

自伝『半生の記』に、ほぼ同じ状況で息子(作者)が父の故郷を訪ねる場面があるが、後半は完全なフィクション。」(16頁)






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2024年02月07日

清張復読(62)『時間の習俗』

 『時間の習俗』は、『点と線』と姉妹編になる作品です。アリバイ崩しという点で、作者は十分に意識して書いていることが感じられました。

 門司の和布刈神社の神事を背景に、いくつかの殺人事件が展開します。謎解きに惹き込まれました。
 しかし、どうもすっきりしません。三原刑事が抱いている先入観が、物語の最後まで引きずっていて、読者を無理やり物語の世界に縛りつけます。
 『点と線』で組んだ九州の鳥飼刑事も出てきて、名コンビぶりを見せます。そして、終始三原刑事を後押しします。最後まで、信念と執念を崩さずに突き進み、解決に導きます。ただし、作者の思いが強引過ぎるのです。理詰めの間に、直感に基づく推理が接着剤のように入り込んでいると思ったからです。
 カメラのトリックや、アリバイ作りにも、私には無理があると思いました。相模湖と都府楼での殺人事件が関連する、との直感から推理を展開するのも無理があります。アリバイが完璧な峰岡に最後まで固執するのも、あくまで犯人はこの人だとする作者の意図を感じます。
 なお、昭和36年当時のことが背景にあるので、次の行文は私が十歳頃のことということからも、理解できます。電話が珍しく、我が家に電話が引かれたのは高校を卒業する頃でした。高校のクラブ活動で、練習をサボった仲間の呼び出しには、近所の郵便局から自宅へ電報を打ったものです。それで仲間はやって来たのですから、のどかな時代でした。しかし、今の若者にとっては、このくだりは文明の利器を使いこなしているだけに、理解に苦しむところでしょう。

 それに、三原にはもう一つの疑問があった。東京と小倉とは、電話では直通区域になっている。二時間もかかる電報をわざわざ打つまでもなく、電話だとすぐに小倉が出てくるはずだ。
 それも大吉旅館というのに電報を打ってるくらいだから、峰岡という人がその旅館に泊まっていることも予定でわかっていたはずなのだ。なぜ時間のよけいかかる電報を打ったのだろう。三原は首を傾げた。(松本清張全集(1)1971年、142頁)

 作品は、書かれた当時の時代や環境を引き連れながら、読者と共有する中で共感を得ます。アリバイ作りを考える時、変化する事象は読者に無理を強いることがあります。致し方ないこととしても、ここでの電報と電話には違和感を持ちました。もちろん、書かれてから60年以上も経っての感想なので、作者に責任はありません。【3】

初出誌:『旅』(昭和36年5月〜昭和37年11月)



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2024年02月05日

清張復読(61)『点と線』

■「点と線」

 松本清張の長編推理小説として第一作であり、社会派ミステリーの代表作でもあります。舞台が、東京・九州・北海道と変転し、読者を旅に誘います。

 これまでに何度も読んだ作品です。今回は、最後の章から逆に溯りながら読んでみました。「十三 三原紀一の報告」から章を遡り、「一 目撃者」へと、物語の記述とは逆に読んでいくのです。この作品は十回以上は読んでいるので、物語の展開と結論はわかっています。そのためもあって、作品を新たな視点で楽しめました。東京駅の実情と時刻表を駆使したトリックは、よくできています。途中で、2007年にビートたけし主演でドラマ化されたDVDを見て、物語の流れを確認しました。逆に読み進んでいたので、混乱した頭の整理になりました。

 あらためて、メモをしておくべき個所を抜き出しておきます。


「九州行の列車を待っている時刻で、しかも十三番線からその列車が見えるのは、一日のうち十七時五十七分から十八時〇一分の間の、たった四分間しかないことを彼は発見しました。貴重な四分間です。 まったく大切な四分間です。」(松本清張全集(1)1971年、104頁)


「二人は別々に違う場所で死んだのです。 死んでしまってから、二つの死体を一つのところに合わせたのです。おそらく佐山は誰かに青酸カリを飲まされて倒れ、その死体の横に、これも誰かによって青酸カリを飲まされたお時の死体が運ばれて密着されたのでしょう。 佐山とお時とはばらばらな二つの点でした。その点が相寄った状態になっていたのを見て、われわれは間違った線を引いて結んでしまったのです。」(106頁)


 また読むことがあるように思います。そして、映画も1858年の南広主演作があるようなので、これも見たいと思っています。【5】


初出誌:『旅』(昭和32年2月〜33年1月)



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2024年02月03日

清張復読(60)「泥炭地」「削除の復元」

■「泥炭地」

 九州にある電気関係の会社の出張所で働く、作者の分身と言える男の見聞録となっています。小学校しか出ていない、18才の給仕です。清張の自伝的な作品の一つです。登場人物の描写が、給仕という一番下からの目線で生き生きと語られています。人間を見る目に、鋭さと切れ味を感じました。【3】


初出誌:『文學界』(昭和64年3月)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
前作「河西電気出張所」(「文藝春秋」74.1)と同じく、作者の「川北電気出張所」時代(大正13~昭和2)に取材した自伝的作品で、内容的にも重複する部分が多い。(118頁)



■「削除の復元」

 森鷗外の『小倉日記』に、和紙を貼って削除された部分があることへの疑問が追及されます。しかも、その和紙は薄いもので、下の7行分は透けて見えるのです。

 問題点を指摘している箇所を引きます。
「これが『小倉日記』の明治三十三年十一月三十日の条のコピーです。日記を保存している鷗外記念館へ行って写してきました」
 畑中は手渡されたコピーを凝視した。
「三十日。舊婢元來り訪ふ」のすぐ下からつづいて以下七行の文字がうすれている。うすれているけれど読むことはできる。「始て夫婿の家に至りぬ。曾根停車場より……」の百三十九字の墨字が透かし見えている。上から貼った和紙が極めて薄いからである。
 日記の墨字は他人に清書させた楷書体である。
「これはおどろいた」
 畑中は、まじまじと眺め入って云った。
「やっぱり実物を見ないとわからないものだね。こんなに薄い和紙で蔽ってあるとは思わなかったよ」
「ぼくもこれを見たときは、まったく意外でした。さぞかし、もっと厚い和紙で蔽って、下の文字が読めないように隠してあると思っていましたからね」
「どうして鷗外は厚い和紙で貼らなかったのだろう?」
「うすい和紙で蔽っている部分はほかにもあります。それは鷗外の癖らしいのです。けど、ほかの箇所は小部分で、たいした抹消ではありません。こんなふうに七行にもわたる抹消で、しかも信頼していた旧婢モトの虚言が透かして見えるような薄い和紙で貼ったのは、鷗外に似合わず慎重を欠いたというべきです。げんに、『全集』の『後記』にこれが採録されて、工藤徳三郎氏や、畑中さんや、ぼくの疑問を惹いたんですからね」(573頁下段〜574頁上段)
 近世文学専攻の学徒が、森鷗外の女性関係とその子の秘密を推論ながら明らかにします。墓碑の裏に書かれた文字を削り落とした、という推理も興味を惹かれました。清張は、推理を楽しんでいます
 伝記の信憑性や、歴史的証言の不確かさが、最後に語られます。何が本当か、ということの難しさを痛感させられた作品です。【5】


初出誌:『文藝春秋』(平成2年1月)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
友人の弟で私大の文学部助手をしている白根謙吉に頼んで調査した結果、モトが産んだ平一の父親はデンの前夫久保忠造ではなく実は鷗外だったらしいことがわかる。「鷗外の婢」(69.9~12)の続篇ともいうべき作品で、鷗外とモトの関係をさらに深く追究している。(70頁)

※付記
 本記事を含む以下の7本の「清張復読」は、『松本清張全集 66 老公』(文藝春秋社、1996.3.30)を読んでのものです。







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2023年08月07日

清張復読(59)「老十九年の推歩」

■「老十九年の推歩」
 伊能忠敬の話です。よく調べて語られている中で、「文部省史蹟調査報告書」の意図的な嘘を指摘しています。官に厳しい清張が確認できる一例となります。

 参観者は、その旧宅が記念館になっているために、そうしてそこに測量家たる忠敬の著名な測量図や日記や著書や測量器具が保存陳列されているために、つい錯覚を起す。
 史蹟報告書は前文の、忠敬がこの新居に居住したのは一年余りであるが、につづいて「出府後と雖其帰郷の時は必ず此家に滞在起居せられたのであった、従って其名声を揚げ偉功多かりし測地の研究の一部も、又時に愛に於て致されたのである」と書いている。これはさかしらな筆であって、なんの実証もないのに、この旧宅からなんとかして酒造家の臭いを消し、測量家忠敬の「偉業」をこの家に二重焼きにしたい、戦前の文部省調査官の浅知恵というほかいいようがない。忠敬は毎年測量の旅にあけくれて、佐原に帰郷して滞在する暇も、ましてやそこで「測地の研究」をするなどの余裕があるわけもなかった。それは佐原の家を継いだ長男景敬夫婦や長女妙薫(その夫は忠敬の意と合わず、夫婦して出奔したので忠敬は両人とも勘当した。のち夫と死別した長女が詫びを入れて剃髪したので忠敬はこれを許して家に入れた)に江戸や旅先から与えた書状の中でこまごまとした家事の指図をしていることでもわかる。権威あるとされている大谷亮吉編著『伊能忠敬』には月日単位に年表が付してあるが、忠敬佐原帰郷のことは一行も出ていない。(509頁)


 さらに、忠敬の旧宅があったという深川黒江町のことが、詳しく語られています。このあたりの門前仲町に、私は9年ほど住んでいました。懐かしいことと、後日私なりに確認するためのメモとして、長文を厭わずその箇所を引きます。

 やはり深川図書館ではわたくしの掘出し物はなかった。係の人は親切で、江戸切絵図など出して黒江町の所在を見せてくれた。こういう結果を予想していたので、あまり期待外れの気持にもならず、現在の門前仲町一丁目十八番地に「史蹟 忠敬住居」の記念碑が立っていて、そこは地下鉄駅の近くだというのを教えられて、清澄公園内の一画内にある図書館を出た。タクシーに乗るまでもない距離だと思ったのが間違いで、春か秋の季節ならともかく、三十四度はあろうという炎天の下を歩いた。軒の出の少ないビルばかりつづく通りでは短い蔭も拾えなかった。忠敬の「僑居」位置を自ら記した略図(伊能家所蔵)は寛政七年ごろのものだろうが、『大谷・伊能』がそれを昭和三、四年ごろの東京市街図に引き直したのを見ると大変化であり、毫も旧態を留めていない。が、それにはすでに点線で東京市営電車(市電)開通による電車通りの計画が示されている。
 わたくしの手もとには昭和五年の「東京市街地図」がある。「復興完成記念・復興局監修・東京日日新聞附録」である。これを見ると、『大谷・伊能』が寛政の深川図に点線(東京市電計画)記入したとおりが現実になっている。
 図によると西の永代橋を東に渡った電車通りは洲崎方面行で、西から黒江町、富岡門前町、門前仲町、入船町などの順になる。西南の月島から隅田川を相生橋で渡った電車道は、陸軍糧秣本廠を北上し、富岡門前仲町で交叉し、亀住町を過ぎ、清澄公園東横を通過し、駒形橋東側に至る。つまり富岡門前仲町で東西線と南北線とが十字路になるのだが、その東西線の一つ西の黒江町の電停から斜め北に電車道がついて、南北線の亀住町の電停で合している。そのためにここの電車線が三角形をなしているのである。
 これは『大谷・伊能』が寛政順路略図(忠敬筆)に拠り点線で記入した東京市電計画と大差ないので、昭和五年の東京市街地図を見ても、槍桑の変という感じはしない。「黒江町」は三角形電車通りの左一辺にその名が記入されてあり、同時に三角形の全体にわたって「門前仲町」が朱色の活字で付されている。朱色は町名改正であるから、この地図は黒江町の名が最後に残された貴重なものであろう。そこには電車通りに接して黒江町四十七番地がたしかに記入されている。その東側は掘割(木場と隅田川とを結ぶ)となっている。
 いま、わたくしがこの地点に立ってみると、廃された市電通りがそのまま広い車道になっているだけで、昭和五年ごろからして地形上のさしたる変化はなかった。
 現在そこは車道の三角形の北端に首都高速道路の彎曲した部分が上に重なっている。三角形左辺の道路(昭和五年地図でいえば黒江町電停から斜め北へ走り亀住町電停に合する電車道)の南側、東より二本目の小路に入るあたりが往時の黒江町四十七番地、いまの門前仲町一丁目十八番地である。付近は、中小企業の問屋といった店が多い。内職公共職業補導所とか信用金庫とかが目につく。小さな雑居ビルとか家内工業的な製造所とがある。
 石の記念碑は、狭い間口の、珠算塾の看板が出ている家の前にあった。うっかりすると見逃すくらいで、近所で場所を訊いても、知る人は少なかった。
 花崗岩の碑は高さ約一・五メートル、幅十五センチ四角、道路面に向かって《伊能忠敬住居跡》と楷書体で彫られてある。
 碑文は向かって左側面から裏面、右側面へと続いておさまる。
《伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡に測量術を学び 寛政七年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した その測量の原点は忠敬の居宅であった 忠敬ははじめこの付近にすみ のち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した 忠敬は文政元年四月十三日七十四歳をもって死去し 台東区源空寺に葬られている
  昭和四十三年十月一日 江東区第二十一号》
 千葉県に生れ江戸にでて、という不均衡な書きぶり、高橋至時または作左衛門とせずに一般にはあまり知られていない東岡の号を書くなど、この碑文の筆者は現代むきを心がけるつもりで時代混乱に陥っている。
 困るのは、忠敬が八丁堀に移り住んでから「正確な地図を完成した」とある点で、これでは地元の黒江町の家に忠敬が十九年間も居住し、ここを根城に全国測量の旅をして回ったことにはふれず、あたかも八丁堀で忠敬が正確な地図を完成したように書いている。これでは文章の力点を八丁堀に移したというべきだ。
 忠敬の全国実測により大図二百十四枚、中図八枚、小図三枚が老中にさし出されたのは忠敬没後のことで、提出者は故高橋至時の子景保と忠敬の孫忠誨だった。忠誨は年齢わずか十六歳、提出名義は名目であり、大、中、小図の製作指揮監督は景保であった。これらは忠敬存命中から製作準備にかかっていたが、忠敬の老衰と高弟らの故障で遅れに遅れ、忠敬没後三年の文政四年に天文方と内弟子の協力で完成した。製作場所は天文方勤務の暦局だった。
 八丁堀亀島町の家の四年間の忠敬は、黒江町の家十九年間ですでに燃え尽きた残骸であった。
 嘉永年間の切絵図で見ると、深川の黒江町は永代寺(富岡八幡宮境内)門前仲町通りの道をはさんで北と南の両側に続いている。町としてはきわめて短く、それに八幡橋を東に渡った掘割を隔てたところにも飛び地のようにまた黒江町がある。(511〜512頁)


 中盤から、忠敬の生きざまを史料でナゾル語り口となり、私は集中して読めませんでした。その姿を丹念に追う作家としての清張は、膨大な情報に振り回されているように思われます。
 最後の、近代現代の考古学的調査におけるチームワークの乱れから生まれる問題の指摘は、清張が以降の歴史調査を語る時に生かされていると思いました。【3】
 
初出誌:『文藝春秋』(昭和59年10〜11月、昭和60年1月)
 
 
 
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2023年08月06日

清張復読(58)「断崖」「思託と元開」「信号」

■「断崖」
 北海道の岬にある町営の宿泊センターには、2人の管理人がいました。その一人である62歳の男が、ある夜、死場所を求めて彷徨った22歳の女の世話をします。その女と男を描く描写が、清張らしい丹念な筆致です。文学的な表現を意識した、活き活きとした息吹を伝えます。
 短編なので、すぐに読み終わります。読後感に手応えがあり、記憶に残る作品です。おしむらくは、最後の場面があまりにも思わせぶりなので、もう少し語ってほしいところでした。【4】
 
初出誌:『新潮45+』(昭和57年2月)
 
 
 
■「思託と元開」
 鑑真の話です。中国の杭州を旅しながら綴ります。元開とは、淡海三船のことです。
 『唐大和上東征伝』や『鑑真大和上伝之研究』などの資料や研究成果を示しながら、鑑真の6回にも及ぶ日本渡航の経緯を語ります。その文中で、「しかし、これはおかしい。不自然である。」として、話を止めます。人の言をそのままには信じない、清張の人柄が滲み出ています。そもそも、鑑真の密航と言われていることに疑義を差し挟み、漂流にも問題があると。すべてを疑って再検討するのです。
 清張は、鑑真が盲目となった前後の事績を検証した結果として、あまり評価をしていません。「二、三流の僧侶」だと言うのです。

 およそ中国仏教史上で名僧といわれる人には、論文(経)の著作があり、あるいは仏典の訳業があり、でなかったらその人の教学的な「語録」といったものが弟子たちによって編纂されるものである。
 ところが鑑真には、その両者ともにまったく無い。
 鑑真は六十三歳で盲いた。老人性白内障だろうという。眼が見えなくなったから著作ができなかったというかもしれない。が、「東征伝」のいうように早くから淮南に名が高かったのだったら、盲目になる以前からの著作が存在していなければならない。それが一つもないのである。
 また盲目後でも、弟子たちに口述筆記させることもできる。また弟子たちも師の学問的語録をまとめることができる。孔子もキリストも自ら著述はしなかった。が、弟子たちによる師の語録が「論語」になり、「新約聖書」となった。これらにはどこまで師の言が入り、どこまで弟子たちの考えが入っているかはわからないにしても。
 話をそこまで大きくしなくてもよいが、たとえば空海の「遺告」などは弟子たちの編纂である。鑑真に著作なく、訳書なく、また宗教的な「語録」がないことは、彼がもともと「二、三流の僧侶」にすぎなかったからであろう。(461頁上段)


 鑑真の「密航」や「五度にわたる渡航計画の失敗」も怪しいと。
 清張の鑑真に対する結論は、それまで一般に言われていたことを疑ってもみなかった私にとって、衝撃です。あらためて、この疑いの眼で鑑真を見たいと思います。そして、何事にも疑うという清張の姿勢には、襟を正さざるを得なくなりました。【5】
 
初出誌:『文藝春秋』(昭和58年9〜10月)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
〈短編小説館〉の1篇だが、小説的な要素は少ない。(78頁)

 
 
 
■「信号」
 広島を舞台とする、地方文芸雑誌をめぐる人間ドラマが語られます。いわゆる名士がその存在を誇示し、日の当たらない作家が翻弄される話です。二人のうだつの上がらない作家志望の男は、それぞれに惨めな姿を晒します。常に明日を夢見ながら果たせない人間を、丹念に描いています。【3】
 
初出誌:『文藝春秋』(昭和59年2、4、6月)


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
流行作家の陰で立ち枯れた二人の売れない作家の悲劇を描いた力作。(95頁)

 
 
 
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2023年08月01日

清張復読(57)「骨壺の風景」「不運な名前」「疑惑」

■「骨壺の風景」
 父峯太郎は、幼い時にカネ夫妻に貰い子として引き取られました。昭和の初め、作者が18,9歳の頃に亡くなります。小倉の曹洞宗の寺で骨壺を預かってもらったままでした。
 清張の自伝のように重ね合わせて読み進みました。不明なことが多い父親と母親のことがよくわかる箇所を引きます。
 
 私がもの心のついたときの父の職業は、人力車挽きであった。祖母は餅を造って往還ばたの店さきにならべ、母がそれを手伝った。それからの父の仕事は空米相場師、債券取立て業、呉服店の下足番、露店商人、路傍の餅売り、飲食店、魚の行商というように変った。どれ一つとして成功したためしがない。が、父はどのようなときでも明るい顔で人としゃべっていた。自分ではひとかどの知識人だと自惚れ、座談の達人だと心得ていた。その知識は丹念に読む新聞からのもので、それには若いとき広島で弁護士の書生をしていたときに得た生かじりの法律知識が下地になっていた。彼は明治十四年の生れで、明治の末から大正、昭和のはじめにかけての政界の話が最も得意だった。しかしその多くは新聞雑誌で読んだ著名政治家のエピソードだった。(288頁上段)

(中略)

 母には妹と弟が一人ずついたが、姉さんと話すと愚痴ばかり聞かされると言って逃げていた。それは暗に、甲斐性のない姉のつれ合いへの非難であった。父はよく肥っていて七十キロぐらいはあった。その大きな図体が家の中でごろごろしているので、よけいに横着者に映る。前々から労働ができない人だった。
 母タニは働き者で勝ち気だった。広島県豊田郡の農家の娘で、紡績女工として広島市にいたとき鳥取県日野郡から出てきた父といっしょになったらしい。父峯太郎は、どのような事情からか知らないが、山持ちのかなり裕福な家から米子市に住む松本家へ出された。はじめは里子だったが、実子のない松本夫婦が返さなかったと父の死後に事情を知る鳥取県の人から聞いた。この貰い子を育てたのが松本カネで、私の祖母である。
 峯太郎は米子の養家を十七、八くらいのときにとび出した。若いとき「四十曲り」という伯耆と美作にかかる峠を歩いて越えた話をよくしていた。それは故郷を出たきり生涯帰れなかった郷愁からだった。子供のころに馴染んだ風景を彼はいつでもなつかしがっていた。
 峯太郎は広島市でタニと夫婦になって何人かの子を生んだが、タニを籍に入れなかった。これも彼のルーズさからか、生涯の妻にする気がなかったのか、よくわからない。タニは眼に一丁字がなかった。おまえは素養がない女だ、と峯太郎はよく言っていたから、いつかは別れるつもりで入籍させなかったのかもしれない。先に生れた子らは早死し、戸籍の上で私は「庶子」になっていた。
 峯太郎とタニはよく夫婦喧嘩をした。その傍にはいつも影のようにカネが存在していた。
 事情を察するに私は両親についてそのへんをよく聞いたこともないので峯太郎夫婦が知り合いを頼って広島から小倉へ移ったあと、カネとその亭主の兼吉(つまり私の祖父)は米子を出て下関の壇ノ浦に住み、そこで餅屋を開いたらしいのである。壇ノ浦といっても旧壇ノ浦といったほうで、源平合戦で知られている御裳川に近い。峯太郎とタニは、小倉からその壇ノ浦の養父母を頼ってきたのだろう。十数年ぶりに峯太郎は女房と子(私)づれで養父母といっしょになったらしい。(289頁上段)

(中略)

 私は、父が三十六歳のときの子だった。(290頁上段)


 語り手である清張は、祖母カネの骨壺を預けていた寺を探し当て、幼い頃に住んでいた北九州をタクシーで巡ります。祖母と両親を懐古しながらの旅です。特に、父に対する思い入れは格別です。これは、清張の語りの特徴です。【3】

※この年(昭和55年)2月に、祖母カネの五十回忌の法要をしています。
 
初出誌:『新潮』(昭和55年2月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「父系の指」『半生の記』と並ぶ自伝小説の一つで、亡き祖母に寄せる作者の想いが如実に伝わってくる。(64頁)

 
 
 
■「不運な名前」
 月形潔が北海道の荒地だった樺戸に集治監を作った背景には何かある、と思ったルポライターの安田は、一人で調査に赴きます。資料館で、一人の女性と出くわします。何者なのかが読者の興味を惹きます。そして、話題は井上馨が背後にいる藤田組贋札事件へと展開。伊藤博文などのよく知る歴史上の人物が贋札の背景に出てきます。ただし、資料や文献を読んでの推論が展開するので、次第に飽きてきました。いつもの、人間を観察してその心の中を描写する清張と違い、正義を実証的に追い求めるのがテーマなので、ここは致し方のないところでしょうか。
 贋札の作り方の話から石版の説明に至ると、元石版工だつた清張の口調に熱がこもります。
 冤罪を自覚して獄中にあった男熊坂長庵、冤罪を承知で監視していた男月形潔の心の中を、さまざまな角度から描きます。薩長閥の権力争いの犠牲者として、贋札事件が二度と表面に出ないようにするために、北海道の荒地が選ばれたのです。
 なお、樺戸の資料館で出会った女性が、最後に女子大の先生だったとして長文の推理を展開しています。私は、この女性は不要だったと思います。事情があって、女性も登場させなければならなかったのでしょうか? 推理続きの内容のため、最後にその整理をする役として、この女性が置かれた、と思っています。【4】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和56年2月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「相模国愛甲郡中津村」(「婦人公論」 増刊号63.1)と同じテーマを扱っているが、藤田組贋札事件に関する推理と証明はこちらのほうが徹底している。(153頁)

 
 
 
■「疑惑」
 読み始めてすぐに、この話はすでに映画で観たことを思い出しました。小説でも読んでいたにも関わらず、岸壁から自動車が海に飛び込む場面がすぐに語られたので、映画の一場面を映像として思い出したのです。スパナが問題だったことも思い出しました、しかし、誰が運転していたのかが、どうしても思い出せません。被告となっている女なのか、水死した男なのか。それを確かめようと、丹念に読み進めました。
 裁判に関して、当初の弁護士が病気で辞めます。そして、40代の国選弁護人が選任されました。普通は真剣に弁護しないものなので、話はやはり有罪として落ち着きそうです。もっとも、清張がそんなことで終わりにするのだろうか、という疑念も湧きます。きっと、何かある、と。
 その後の展開は意外でした。そして、最後の場面は緊張しました。映画でも、こんなに緊迫した場面があったのか、まったく思い出せません。この物語の、さらにその後が気になります。【5】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和57年2月)
    原題は「昇る足音」
※同じ題名の別作品の「疑惑」があります。
「清張全集復読(21)「増上寺刃傷」「背広服の変死者」「疑惑」」(2018年09月10日)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
刑事事件に対するマスコミ報道のいきすぎを批判した社会派法廷ミステリーの秀作。(48頁)

 
 
 
posted by genjiito at 21:12| Comment(0) | □清張復読

2023年07月16日

清張復読(56)「河西電気出張所」「山峡の湯村」「夏島」「式場の微笑」

■「河西電気出張所」
 一人前の生活ができそうにない19歳の青年の話です。ささやかな楽しみに生きていることを実感し、また単調な明日に向かう男の話です。いつかはもっと良い生活を望みながら、平凡な生きざまをする男の話です。【2】
 
初出誌:『文藝春秋』(昭和49年1月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
末尾に「昭和7年ごろのことである」という1行があるが、内容は自伝『半生の記』の川北電気出張所給仕の時代(大正13~昭和2年)とほぼ一致する。(37頁)

 
 
 
■「山峡の湯村」
 大衆小説家の小藤素風は、70歳の老年になっても頑張ろうとしています。しかし、時代に合わず忘れ去られていきます。そこへ、愛読者だという若者が、執筆できるように新たな環境を、飛騨山中の温泉場に提供します。しかし、何もせずにぐうたらな生活をするだけです。世話をする女の様子が興味深く語られます。そして、素風を慕って弟子となった地方の作家志望の青年の悲哀も語られます。
 後半の謎解きは圧巻です。国文学者が失踪事件の推理を展開します。推測の積み重ねのため、やや説得力に欠けるように思われました。しかし、意外な結末に、作者の仕掛けに思いを巡らすことになります。物語の始まりと人間が絡み合う物語を思い出すことになりました。【4】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和50年2月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
山峡の湯村で起きた奇怪な失踪事件の謎を逗留客が推理するという旅情満点の本格物。(73頁)

 
 
 
■「夏島」
 伊藤博文が明治憲法の草案を作った別荘はどこにあるのか。作者は、京浜急行の金沢八景駅からスタートします。この駅は、私が住んでいた金沢文庫の官舎から近く、買い物や食事などでよく行ったところです。そこに、伊藤博文の別荘があったとは知りませんでした。
 さて、お目当ての夏島に別荘はなさそうです。運転手は、野島だろうと言います。そして、野島へ行くのでした。
 後半は、『西哲夢物語』という明治20年に秘密出版された古書、謎の出版物が話題となります。
 明治憲法の草案をめぐって、さまざまな可能性が語られます。清張の推理は、あくまでも自由な推理であり憶測です。しかし、その裏話がおもしろいのです。【4】
 
初出誌:『別冊文藝春秋 132号』(昭和50年6月)

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
明治憲法制定の裏面史を「夏島」の変容にからめて随筆風に描いた作品。(128頁)

 
 
 
■「式場の微笑」
 結婚披露宴に呼ばれた杉子は、和服の着付けの資格を持っています。披露宴会場で目が合った新婦は、1年半前の成人式が終わった後、ある連れ込み旅館に出張して乱れた晴れ着の着付けをした女性でした。先に新婦が気付きました。杉子は、お色直しの後に会場に入る新婦を見て確信を得ます。また、その旅館で着付けを待っていた中年の男は、当時は総務部長で女性はその部下でした。この披露宴では、新婦側の来賓として挨拶をしたのです。読者を惹きつけて離さない展開です。後日、その男の会社から豪華なお歳暮が届き、物語はみごとに幕となります。何度も読んで楽しめる傑作です。【5】
 
初出誌:『オール讀物』(昭和50年9月)
 
 
 
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2023年07月05日

清張復読(55)「草の径」シリーズ(2/2)「ネッカー川の影」「「隠り人」日記抄」「呪術の渦巻文様」「夜が怕い」

 「草の径」シリーズの後半4作品を取り上げます。
 前半の3作品については、「清張復読(54)「草の径」シリーズ(1/2)「老公」「モーツァルトの伯楽」「死者の網膜犯人像」」(2023年02月11日)をご覧ください。

■「草の径 ネッカー川の影」
 夫が物理学国際会議に出席をしている間、妻はドイツの古都を観光がてら散策します。旅の記のように語られています。その中で、留学中の考古学者の男と知り合います。妻を日本に置いて、発掘に明け暮れて4年。帰国後、その男の妻を、聞いていた京都ではなく、東京という予想外の地で見かけます。生活にやつれた様子で、しかも臨月に近いお腹です。人間の温もりを感じさせない夫婦について、思いを巡らすのでした。人それぞれの生き様が、冷静に観察する視点で描かれています。【3】
 
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年4月)
 
 
 
■「草の径 「隠り人」日記抄」
 戸籍がなく、学歴もなく、借金地獄の男の話です。日記の形式で日常生活が丹念に語られます。話がどこに落ち着くのか、しばしば不安になりました。妻の病気で前途が暗い中、唯一娘が助けてくれるところで終わります。一人の男の苦悶を語るだけなので、この作品の完成度はよくわかりません。【2】
 
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年6月)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。

 昭和7年に共産党組織を壊滅させたスパイMこと飯塚盈延の晩年の隠遁生活を日記形式で描いた力作。「スパイ “M” の謀略」 (昭和史発掘) の後日談としても読める。(65頁)

 
 
 
■「草の径 呪術の渦巻文様」
 アイルランドへの旅に同行している気持ちで読みました。情景や思い出話や心の揺れが、丹念に描かれています。
 7〜9世紀にできたケルトの福音書装飾写本は、興味深い話です。しかし、その背後に、爬虫類の鱗の絵を描く友人の妹がいます。冒頭で、詳細に語られた女性です。この精神を病んだ妹の存在が、物語に厚みを与えています。そして、最後の章は圧巻です。この兄と妹の生涯がみごとに描き出されたのです。【5】
 
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年10月)
原題︰「無限の渦巻文様」
 
 
 
■「草の径 夜が怕い」
 60代で胃癌により3分の2の胃切除をした男の話です。さらには、睡眠時無呼吸症候群のことも出てくるので、まさに私の身体のことでもあるような気持ちで読みました。また、父の生い立ちは島根県邑智郡矢上村で、五、六歳頃に父の手枕で話を聞いた、ともあります。鳥取県日野郡日南町矢後の清張の父のことと重ね合わせになります。砂鉄やタタラのことも、背景が同じです。砂鉄のことでは、日野郡にも話が及びます。砂鉄に詳しいことは、以下のようにこの理由を語ります。

 砂鉄は江戸時代から鳥取県日野郡に多く産出したもので、矢上村の鉄穴師、洗子たちも日野郡から来ていた。砂鉄は日野郡だけではなく島根県境にまたがる船通山の西麓にも産出する。この地方では、高殿式の「たたら」があって製鉄がすすんでいた。鍋押しの炉からできる鋼はきわめて良質で、日本刀などになっている。
 また、邑智郡内の砂鉄は矢上村がもっとも多いが、ほかの村でも産出する。南部の広島県境に近い出羽村からも出る。郡内の砂鉄を総称して「出羽鉄」といったのは、出羽村が石見国から安芸国高田郡へ越す宿場であり、ここで郡内の鉄を他へ出荷したからだという。
 砂鉄についてのこのような私の知識は、後年になって書物を読んでからである。
 だが、そのいくつかは子供のころ父からおぼろに聞かされたことだった。「砂鉄」だの「たたら」だの、活字でなく、石州訛の濁った声からだった。
 私も二十一、二のころになると、父の生い立ちがよほどはっきりわかった。父の話も私の成長につれておとなむきになっていたのだった。(177頁下段)


 父の素性も、詳細に語られています(180頁上段)。
 父を回想する私には、作者である清張の父の姿がダブります。父の実像を探し求める清張がいます。
 父の母が婚家を出奔する件は、『白い系譜』とそっくりです。『白い系譜』については、本ブログの次の3本の記事に詳しく書いていますので、おついでの折にでも参照願います。

「清張全集復読(1)松本清張の家系の謎『白い系譜』(1)」(2014年08月08日)

「清張全集復読(2)松本清張の家系の謎『白い系譜』(2)」(2014年08月09日)

「清張全集復読(3)松本清張の家系の謎『白い系譜』(3)」(2014年08月10日)

 父の広島への家出の旅を辿る私は、父の姿を追い求める清張そのものです。本作は、清張の縁者、特に父のことを病院のベッドの上で語る、自伝の要素が強い話のように思えました。「半生の記」に語られている内容との違いは、『白い系譜』を間に入れると、さらに興味深い父の生い立ちと清張の出生の秘密に迫れることでしょう。【5】
 
 
初出誌:『文藝春秋』(平成3年2月)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。

作者の病中体験に取材した一種の私小説だと思われるが、父の生い立ちは自伝「半生の記」とは微妙に異なっている。(174頁)

 
 
 
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2023年02月11日

清張復読(54)「草の径」シリーズ(1/2)「老公」「モーツァルトの伯楽」「死者の網膜犯人像」

■「草の径 老公」
 古書店に出た、昭和16年10月に静岡県警察部から印刷発行された『西園寺公爵警備沿革史』を巡る話です。
 文献に書かれていることから問題になることを抄出して寸評を加えることが長々と続くので、途中で飽きてしまいました。もっとも、他の日記などと比べながら実際はどうだったかなどの考察は、些細な出来事の裏を読む推理の訓練だと思えば、それなりに楽しめそうです。そしてこの語り口は、後に清張が昭和の歴史の背後に蠢く闇を炙り出す手法に繋がります。
 後半で、お花さんの素性がわかってからは、老公が置かれている環境が見通せます。お花さんは、老公に秘密で住友銀行の北尾市太郎と密会しています。清張の筆が冴えます。【2】
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年12月〜平成3年1月)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
西園寺公晩年の秘事を残された史料から読み解く歴史推理の力篇。(180頁)

 
 
 
■「草の径 モーツァルトの伯楽」
 男は、デンスケと呼ばれる録音機に、メモを口述で録音していきます。物語の手法としては斬新です。場所は、ウィーンの墓地や関係する旧跡。モーツァルトの死をめぐって、さまざまな説や推論が展開します。
 諸説入り乱れての検討に、ついていくのにやや疲れました。清張は、文章の表現の実験をしているのではないか、と思いました。
 それにしても、モーツァルトを巡るさまざまな逸話が語られることには、作者の用意が周到だったことを示しています。作者が博識だからこその内容だ、と感心しました。未知なることの解明に挑戦することは、これも推理の醍醐味を共に共有することに繋がります。【2】
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年7月〜8月)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
取材過程をそのまま小説化した異色の音楽家評伝。(167頁)

 
 
 
■「草の径 死者の網膜犯人像」
 人が死ぬ時の最後の映像は、目を通して残されていないか。江戸川乱歩に「類別トリック集成」というものがあり、そこに「網膜残像」という項目があるそうです。この興味深い問題を取り上げ、事件を解明しようとします。
 最後の網膜映像に着目した物語の展開は斬新です。しかし、本作の最後はもっと丁寧に描くとよかったと思います。理屈に走りすぎたようです。清張の特徴である、人間の心が描かれないままに終わっています。【2】
 
初出誌:『文藝春秋』(平成2年5月)

※原題︰「死者の眼の犯人像」

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように書かれています。
題材の新奇さと落ちのおもしろさで読ませる、清張には比較的珍しいユーモア推理。(77頁)

 
 
 
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2023年01月20日

清張復読(53)「理外の理」「駆ける男」「東経139度線」

■「理外の理」
 江戸時代の逸話に題材を取った興味深いいくつかの話が、いつしか現実と入れ替わります。時流に合わなくなったものが生み出す、何となく違う味のする小話です。【3】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和47年9月)
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、本作について次のように語っています。
江戸末期の随筆(未刊日本随筆大成)にある、「喰違門」の幽霊が通行人に縊死をすすめる話をマクラに使った。理外の理とは、神秘とか不条理とかの意である。なお、この部分を別な話の中に入れて前進座の舞台(中村翫右衛門俳優生活七十周年記念公演。昭和五十一年十二月、新橋演舞場)にしたのが「たいこもち侍」である。中村翫右衛門さんと河原崎国太郎さんとが、かくし芸を出したりして、いい気持で演っていた。わたしの脚本ということになっているが、じっさいは座付作者の津上忠さんだった。それから五年後に、翫右衛門さんは長逝された。

 
 
 
■「駆ける男」
 蒐集狂とか偏執狂に分類される性癖のある人の話で始まります。旅館やホテルの名前入りの備品などは、よくその対象となります。関西の隠語で、これを「笑う」と言うとあります。知りませんでした。ただし、名前入りのスプーンやタオルなどを持ち帰ることは、厳密に言えば窃盗だとしても、なかなか微妙な問題がありそうです。
 この話では、それに飽き足らず、景勝地の格式ある宿に高貴の方がお泊まりになった際の、文化財的な記念の備品を盗むことが問題となります。と思って読み進むと、実はそれは殺人事件を覆い隠す巧妙な仕掛けだったのです。
 瀬戸内の格調高いホテルで起きた事件は、この盗品マニアの話にサンドイッチにされた、実に興味深い物語として展開します。突然走り出して亡くなった男を「駆ける男」と題したことは、作者の面目躍如たるものがあります。【5】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和48年1月)
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、本作について次のように語っています。
或る年の講演旅行で、愛知県の蒲郡ホテルに泊まったとき、同ホテルの建物を見てヒントを得た。ホテルの宿泊室は丘の上、同経営の料理屋は丘の下で、間急坂を渡り廊下でつないでいる。降りるのは楽だが、長丁場の登りがたいへんだった。

 
 
 
■「東経139度線」
 東経139度線に位置する神社で、卜占に関する神事が行われていることが指摘されます。亀卜と鹿卜で、太占と言われるものです。そして、この話が邪馬台国の女王卑弥呼へと展開するのです。清張の得意な話題です。この東経139度線は、邪馬台国の鬼道の名残だと。掲出された地図は、読者の理解を大いに助けます。
 そんな歴史推理を楽しみながら、やがて殺人事件が起き、後半はその推理となります。文部政務次官や文部省文化課課長の存在に注意を向けて読みました。意外な展開の中に、官庁の役人の心情が巧みに描きこまれています。【5】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和48年2月)。原題は「東経一三九度線」
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、本作について次のように語っています。
「東経139度線」は、この経度線に沿うところに古式の祭事を持った古い神社が点在していることに気づき、139を「ヒミコ」すなわち卑弥呼とした。朝早く出かけて群馬県の貫前神社から各神社を大急ぎでまわり、最終の青梅の御嶽神社から家に戻ったときは夜遅くなっていた。

 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、この56巻全体に及んで、次のように語っています。清張のものの考え方や作品を理解する上で参考になると思われるので、以下に引きます。
「新開地の事件」「奇妙な被告」「二冊の同じ本」「神の里事件」「内なる線影」「礼遇の資格」にふれる余裕がなくなった。
 こんどこの稿を書くにあたり、久しぶりに旧作を読み返した。わたしは、どちらかというと長篇よりも短篇が好きで、短篇の数が多い。短篇は、焦点が一つに絞られて、それへの集中が端的だからである。短篇小説が長篇小説ほどに迎えられないというのはふしぎだし、書き手が長篇を多く指向するのもわからない。

 
 
 
posted by genjiito at 22:47| Comment(0) | □清張復読

2022年11月16日

清張復読(52)「内なる線影」「礼遇の資格」「恩誼の紐」

■「内なる線影」
 玄界灘を舞台とする、ヒッピーの青年画家と精神疾患の老画家とその美人妻の話です。村の様子や海岸が丹念に描かれています。色彩の感覚も鮮やかです。文章の修練をしているように感じました。

 折しも、玄界灘の西沖合には、東の山側の黄昏の進行とは別に、夕日の輝きがひろがっていた。最後の燃焼を金色にみせた落日は、空いっぱいに輝く薔薇色をひろげ、その上に棚引く雲は高貴な紫色にそめられ、そのふちは光を含んだ白色にくくられていた。が、天頂のあたりから朱色は乏しくなり、かわりに巨大な魚類の臓腑にも似た雲が伸びて、藍と紫が明から暗に繧繝(全集本では「糸偏に間」)に暈され、ついには層々と重なり合う東の方の蒼たる黒雲に融け合っているのだった。(379頁)


 殺人事件の内容と推理には、あまり新鮮さはありません。それよりも、前半に殺人現場となる玄界灘の見取り図があったことの意味がよくわかりません。作者はどのような意図で、わざわざここにこの地図を掲載したのでしょうか。『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、「斬新な化学トリックに現場の見取図付きという凝った構成で、清張の短篇のなかでは最も本格志向の強い作品の一つ。」(20頁)とあります。しかし、私にはそれでも、この現場の見取り図の存在意義が理解できません。【2】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和46年9月)
 
 
 
■「礼遇の資格」
 不遇な経歴の男の話です。歳の差31の2人目の妻はわがまま勝手のし放題でした。国際協力銀行副総裁であった夫は銀行協議会副会長となると、次第に孤立します。そんな中での殺人事件。おもしろい展開に、目が離せなくなります。
 読み終わって、何となくスッキリしません。解決を急ぐあまり、妻が密会場所に使っていた合鍵のことが、何も出てこないのです。トリックの解明が中途半端のままです。【4】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和47年2月)
 
 
 
■「恩誼の紐」
 9歳の頃の生活環境を思い出しながら、両親や祖母の困窮生活を語り出します。この父親に、私は清張の父の面影が投影されていると見ました。
 人殺しの幼児体験が、長じて形を変えて語られます。ただし、最後の話の詰めが甘いため、何となく終わった、という印象を持ちました。読者に推理を預けすぎると思いました。中盤までがおもしろかっただけに、これが短編の制約であり限界か、と納得せざるをえません。【3】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和47年3月)
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」で清張は、本作について次のように語っています。
この背景には、わたしの幼時の思い出が反映している。「ババやん」(おばあちゃん)、「おとっつぁん」(お父さん)、「おかん」(お母さん)は、たぶん古い広島言葉であろう。「ババやん」が主人公の少年に「辰太や。わしが死んでも、あの世からお前を守ってやるけんのう」と云うところがあるが、あれは祖母がわたしに云っていた言葉である。「守ってやる」というのを伯耆言葉で、「まぶってやる」と云っていた。


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
『火神被殺』(文春文庫80.10)の「うしろがき」で清張は「わたしの幼年時代の想い出がこのフィクションに入っている」と述懐している。(27頁)

 
 
 
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2022年10月27日

清張復読(51)「葡萄唐草文様の刺繍」「留守宅の事件」「神の里事件」

■「葡萄唐草文様の刺繍」
 清張は訪れたブリュッセルの街の様子を、ごく自然に粋な表現で案内してくれます。文筆力の冴えが伝わる文です。

 ホテルはアメリカ式建築で、広い幅の環状線にあたる坂道の上にあった。このならびは目抜きの商店街だが、その背後はすぐ中世風な教会や民家がならんでいる。ホテルの九階の北向きの窓際に立つと、緑青をふいた最高裁判所のようこ円屋根が十七世紀の黒ずんだ巨大な建物の上をどっかと蔽い、鳩の群れを紙吹雪のように遊ばせている。それが眼と水平のところで見えるのだ。背後もバロック風な建造物を交えた建物が幾重にもかさなり合い、尖塔などをいたるところにちりばめ、丘下の低地にひろがる。その遠くのほうは霧がかかったようになって、ジグザグの、茫乎とした街のシルエットになっている。全体が青錆びてくすんでいるから、ホテルから見たブリュッセル全体が、騎馬に乗った中世の王様の銅像そのままに古いブロンズといってよかった。(265頁)


 さて、旅先のブリュッセルで買ったテーブルクロスが、殺人事件の犯人を割り出す上で大きな役割を果たします。家庭破壊の大波を背後に感じさせながら、物語は読者を犯人捜しに連れ回します。ただし、最後の推理の展開には不自然さを感じました。話にまとまりがなく、不可解な点がそのままで終わっているからです。【3】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和46年2月)。原題は「葡萄草文様の刺繍」
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、本作について次のように語っています。
「葡萄唐草文様の刺繍」は、わたしがブリュッセルに行ったときのことを材料にした。刺繍はベルギーの名産だが、それを売る店は表がしもたやになっていて、ちょっと外から見てもわからない。「厚い樫のドアが開いて白髪の上品な婦人(店主)が姿を見せた」というのも、実際である。ブリュッセルじたいが中世の雰囲気の強いところだが、この店へ行く裏通りの古い石だたみを歩いた思い出は忘れられない。

 
 
 
■「留守宅の事件」
 この話の時代は、私もそうだったように、電話連絡はアパートの管理人さんに取り次いでもらっていました。今のように携帯電話もメールもない時代なので、こうしたことは今の若者たちにはその感覚が伝わりにくいことでしょう。そのことが直接事件の解明に関連しないとしても、話を理解するのに一手間かかります。牛乳が配達されていることも同じです。時代背景は、作品の実感に関係します。
 さて、妻が殺されたことに関して、警察と夫、そして妻に恋情を持っていた友人の描写と発言が見ものです。そして、警察の感の鋭さ。ただし、鉄道と自動車を駆使して時間を調整するトリックと、殺害場所の説明には不満が残りました。最後は筆を急いだようです。【4】
 
 
初出誌:『小説現代』(昭和46年5月)
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」では、本作について次のように語っています。
「留守宅の事件」は、一種のアリバイものである。いまは東北本線の列車の数がふえ、新幹線も通じているし、東北高速道路もできて車の速力も違ってきた。交通機関によるアリバイものも書くことがだんだん困難になった。

 
 
 
■「神の里事件」
 兵庫県の奥地にある神々の里へ、観光気分で誘われます。播磨風土記を引きながらバスガイドが語る話は、読者に古代史探訪を味わわせてくれます。巧みな筆の力を実感しました。
 豊道教の社殿で古代の話と現代の殺人が融合します。この宗教団体は、大正初期に始まり、初代教祖は伊井百世という女性という設定です。清張の新興宗教に対する興味は、いずれ整理して書くつもりです。
 宗教と殺人が絡み合う中で古代と現代が交錯する展開は、清張らしさを体感させます。【4】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和46年8月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。なお、当該項目の説明文中の「井伊百世」は「伊井百世」の誤植です。
「火神被殺」「巨人の磯」と並ぶ古風土記テーマの本格物で、同時に『神々の乱心』につながる新興宗教物の先駆的作品でもある。(35頁)

 
 
 
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | □清張復読

2022年10月19日

清張復読(50)「巨人の磯」「水の肌」「二冊の同じ本」

■「巨人の磯」
 冒頭から『常陸風土記』や巨人伝説や大洗海岸などが出て来て、古代史や民俗学が好きな私は、早々に物語にのめり込みました。
 大洗海岸に漂着した巨人化した死体をめぐって、『常陸風土記』の巨人伝説を絡めて、さまざまな推理が展開します。
 推測と憶測が飛び交う物語の中で、読者である私も一緒に犯人探しを楽しみました。【3】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和45年10月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
古代史の謎を一種のトリックとして応用した古代史ミステリーの代表作の一つ。(46頁)

 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」には、本作について清張は次のように語っています。
「巨人の磯」も、「常陸風土記」の「那賀郡大櫛の岡」の「巨人」から題名を得た。周知のように大櫛の岡は現在の大串貝塚である。しかし、小説は風土記の話とは関係なく、溺死体の巨人化を象徴的な話にした。
 場所は大洗海岸だが、わたしは都合悪くて現地に行けず、発表誌の女性編集者川野黎子さん(「小説新潮」現編集長)に見に行ってもらった。川野さんは大洗に一泊したのだが、帰ってから、大洗海岸の荒涼寂莫たる夜を語った。その話で得たイメージで書いたのだが、のちにわたしが大洗に行く機会があり、海岸を眺めたが、つまらない所だった。人の話でよかったと思う。もっとも夜と昼間の違いだったかもしれないが。

 
 
 
■「水の肌」
 主人公は、コンピュータの能力を活かして望む仕事と新たな妻を得ました。彼は、合理と不合理を物指しとし、理論を優先する考え方を持っています。しかし、そのすべてが些細な嫉妬から崩れます。意外な展開と結末に、人間の愚かさが伝わって来ました。【4】
 
 
初出誌:『小説現代』(昭和46年1月)、原題は「沈下」
 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」には、本作について清張は次のように語っています。
池の鯉の色が悪くなるのを業者が「脂噴き」と呼ぶのは、じっさいに水産試験場に問い合せて聞いたのである。脂肪ぶんの多いエサを与えた結果である。

 
 
 
■「二冊の同じ本」
 2冊の古書に書き込みがあり、それが交互に書かれ、しかもその書き込みを合わせると一冊分の書き込みになると言うことから始まります。
 その2冊の本をめぐって、その背後にある殺人事件や遺産相続を含む問題が炙り出されていきます。その着想のおもしろさに感心しました。【4】
 
 
初出誌:『週刊朝日カラー別冊』(昭和46年1月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
2冊の同じ本の書き込みの差から昔の事件が浮かび上がるという古書ミステリーの秀作。(131頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | □清張復読

2022年09月12日

清張復読(49)「証明」「火神被殺」「奇妙な被告」

■「証明」
 筆が進まないことから荒れる夫との話です。妻も、雑誌に原稿を寄せるライターです。夫は、持ち込んだ原稿に編集者から指摘があると、言いなりに書き直すことで出版社との関係を保とうとします。捻れた夫婦の状況が具体的で、心情の変化が巧みに描かれています。そんな中、養ってくれている妻への嫉妬と猜疑が嵩じた挙句、夫は「お前だって、おれのような厄介者が早くいなくなればいいだろう、お前の再婚のためにもおれは死ぬ」(105頁上段)などと言い出す始末です。
 その後の展開は、まさに清張の世界です。その切り替えは、見事というほかはありません。【4】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和44年9月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
罪のない嘘から惨劇への道をたどる人妻の怯えを描いた心理サスペンスの秀作(88頁)

 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」には、本作について次のように語っています。
文芸雑誌の編集者から聞いていたことを、小説の原稿を持ちこむ人の側から考えてみた。
《友人たちがどのように彼の小説を支持しようが、編集者の承認を得なければ、雑誌には一行も活字となって現れないのである。彼の作品の運命は、彼よりも年下の一人の青年や一人の女編集者の評価に握られていた。彼らのいい草によると、「凡作を掲載することは作者の為にもならず、雑誌の為にもならない」のだった。むろん、後者に重点が置かれていた。・・・一編集者に果して文学に対する正当な鑑賞力があるだろうか。少なくとも文学作品を評価するからには、それだけの理解力と感受性がなければならない。もし、ここに偶然に職場的な配置で文芸雑誌の編集部に、文学には鈍感で無知な男や女が籍を置くとする。そして、「新人」の作品を検閲するとしたら、その結果はまことに恐るべきことになる≫
 これが持ちこみ原稿の「新人」側の云い分をあらわしているのだが、たんに当事者の新人のみならず、この危惧は、文芸雑誌編集者の一般の側面についてもいえるのではなかろうか。

 
 
 
■「火神被殺」
 島根県の湯村温泉で、白骨のバラバラ死体が見つかりました。その前後に、松江の旅館の宿帳が、広島から横浜に書き換えられたのです。このことから、事件は史眼と推理の同一性を標榜して、興味深く展開します。出雲と大和勢力がどうであったのか、清張お得意の古代史論議が話の中で意味を持つ仕掛けです。つい、『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』などの博識に惹かれ、殺人事件の追跡が疎かになりがちです。私が生まれた町「古志」が文中でも挿入された地図にも出ています。親近感を持って読みました。ただし、殺人事件としては、古代の出雲神話に凝り過ぎていたために、出来具合は微妙だと思います。【3】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和45年9月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
古代史ファンの医者(ぼく)が神話がらみの殺人事件の謎に挑むという物語で、「史眼と推理の同一性」という清張の主張がうまく生かされている。(31頁)

 
 
※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」には、本作について次のように語っています。
「火神被殺」は、「古事記」のカグツチの神が生母のイザナミノ命を焼死させる話を応用した。《芸備線(広島・岡山県新見間)の備後落合と宍道の間を木次線というが、その木次町からかなり南に寄った山間の渓流沿いに湯村という小さな温泉がある。宿は十軒にも足りない。古い温泉で『出雲風土記』では仁多郡三沢郷となっている》
 備後落合は、戦後間もない冬、その駅前の小さな宿屋で一泊したところであり、湯村は「私説古風土記」を書くときに一見したところである。また木次線は、「砂の器」を書くとき沿線の亀嵩を舞台にしている。余談だが、今年の十月に亀嵩に「小説・砂の器舞台の地」の碑が立った。

 
 
 
■「奇妙な被告」
 刑事に自白の強要をされ、それに合わせてしまった男の話です。殺害に至る具体的なことを物語に仕上げていく、刑事の様子が巧みに描かれています。しかし、その自白は公判で翻ることから、刑事の詰めの甘さもあって無罪。しかし、それも大いに疑問のあることが、後半で語られます。真実は何なのか、読者に問題提起がなされます。【3】
 
 
初出誌:『オール讀物』(昭和45年10月)
 
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
自白に関する法制の不備をついた法定ミステリーの秀作。(43頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:59| Comment(0) | □清張復読

2022年09月08日

清張復読(48)「山」「新開地の事件」「指」

■「山」
 会社の金を使い込み、持ち逃げした男が、逃避先の温泉地で一人の女中と深い仲になります。そして、東京で女と一緒になり、雑誌の編集長となります。
 そんな時、行方不明になっていた女の妹から、雑誌に掲載された記事の作者に手紙が来ました。雑誌の表紙の絵に疑問があると。そこから、一気に事件が解決に向かいます。ただし、その手紙の内容には、どうも無理があります。この急展開の回転軸となる風景写真と表紙の絵の関連性には、詰めの甘さを感じました。おもしろい話に仕上がっているだけに、残念なことです。【3】


初出誌:『オール讀物』(昭和43年7月)
 
 
 
■「新開地の事件」
 都会から少し離れた武蔵野で、農家から新興住宅地の地へと変わりつつある時代と環境の変化を背景にした話です。
 家を処分することを提案する息子夫婦に、母親は手放すことを拒みます。そして、誰かに殺されます。事件は、指輪を外す動作が鍵となって解決に向かいます。そして、さらに人間関係をめぐっての興味深い事実が明らかにされます。後半になってますますおもしろくなる、清張の推理劇です。【3】


初出誌:『オール讀物』(昭和44年2月)
 
 
 
■「指」
 バアのマダムとバアのホステスとの出会いからその後の交流が語られます。そして、女同士の心の綾が、豪華なマンションを背景にして展開します。女性の立場で紡がれる話は、女性の心情のもつれから事件が生まれ、そこを紐解きほぐしていくことで解決の道がひらけます。ペットの犬が重要な役割を担っています。同性愛を扱った作品としても異色です。【3】


初出誌:『小説現代』(昭和44年2月)

※『松本清張全集 56』(文藝春秋社、1984.1.25)の月報に掲載されている「着想ばなし(15)」には、本作について次のように言っています。
ある女性から聞いた経験談がヒントになっている。こういう種類の小説はわたしには不得手で、これ一作しかない。雨が途中で降り出した深夜、雨宿りのつもりで入った喫茶店で奥様ふうな女に親切に誘われたという発端はその女性の話のままである。女どうしの色気があると思った。

 
 
 
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2022年08月28日

清張復読(47)「月」「証言の森」「虚線の下絵」

■「月」
 『新釈武蔵地誌稿』をめぐる、地味な研究を続ける歴史地理学の研究者の話です。
 資料を整理して浄書する女学生のことが、周囲はおろか妻にまで誤解を受けるようになります。
 戦時下、妻が亡くなった後、九州で結婚した助手役だった女性から、離婚したことと貴重な資料と共に疎開を進められ、動きます。
 そして戦後、コツコツと書き溜めた資料が刊行されることになりました。しかし、予想外の展開で幕を閉じます。研究者とその助手と出版社の間に生まれた、哀しい純愛の話です。【5】


初出誌:『別冊文藝春秋100号』(昭和42年6月)


※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。
「月」は、わたしのいわゆる「学者もの」の一つである。これには暗示となった実在の歴史地理学者がないでもない。しかし、小説は完全に実際とは離れている。(498頁下段)




■「証言の森」
 夫が妻を殺したかどうかが論点の推理劇です。裁判官への証言や警察の捜査手法などの矛盾点が、克明に綴られていきます。夫は、地裁では無罪となりました。警察側の強引な捜査や尋問が問題視されていきます。しかし、控訴審では有罪となり、被告が上告した大審院はこれを棄却します。懲役七年の刑が確定したのです。ところが、その後、真犯人として御用聞きが自首します。新聞配達人も怪しくなります。その背景には、戦争で兵役に取られるのを避けるための手段となっていることが浮上します。犯人が誰かに留まらず、戦時下での兵役忌避が最後に浮き彫りになります。そして、問題の2人も新編野戦師団に招集された昭和19年4月に、韓国からフィリピンへ向かう輸送船が済州島付近で撃沈され、海の藻屑となって亡くなります。一体、誰が犯人なのか、物語は読者に託されたまま終わります。【4】


初出誌:『オール讀物』(昭和42年8月)


※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。
「証言の森」は、調書形式を多く用いた。わたしはこの形式がわりと好きで、調書の形式だけで終始した小説もある。調書は無味乾燥のようだが、よぶんな描写や装飾的な形容文を排しているだけに、妙になまなましい実感がある。 篇中、被疑者と留置場の房を同じくする他の犯罪被疑者の供述が出るが、これを偶然の同房者とみるか、警察の入れたスパイとみるかは、読者の自由である。(498頁下段)




■「虚線の下絵」
 画家を断念して肖像画を描くようになった男の妻は、保険外交員時代の経験を活かして、注文を取って歩くようになります。しかし、その様子に不信感を抱いた夫は、女画商のように色仕掛けで注文を取っているのではないか、と疑い出します。貧すりゃ鈍する人間の弱点が炙り出されます。そして、予想された結末。人間の心の裏を探りながら、物語は展開していきます。終わり方がきれいな作品だと思います。【3】


初出誌:『別冊文藝春秋104号』(昭和43年6月)


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2022年08月04日

清張復読(46)「月光」「粗い網版」「種族同盟」

 今日は、松本清張の祥月命日で没後30周年になります。
 清張は、1909年12月21日に広島県に生まれ、1992年8月4日(82歳没)に東京女子医科大学病院で亡くなりました。
 出生地については、一般的には九州の小倉生まれとされているものの、最近の研究では広島県とされています。私も父親松本峯太郎の出生地である鳥取県日野郡日南町(文学碑がある)で、小倉生まれではなく広島生まれであることを確認しています(「読書雑記(102)足羽隆著『松本清張と日南町』の奨め」(2014年07月10日))。
 清張が活動したのは、私が生まれた前年の1950年から、大学の教員になった1992年までの40数年になります。活躍の時期が私とほぼ同時代だったこともあり、そのほとんどの作品を読んでいます。この「清張復読」は、その作品をもう一度読み直してメモを記しているところです。没後40周年となる2032年までには、少なくとも『松本清張全集 全66巻』(文藝春秋社)は読み終えたいと思っています。
 
 
■「月光」
 俳人の話です。須田不昂と羽島悠紀女の二人の人生を、その私生活の赤裸々な部分まで探りを入れながら洗い出し、丹念に追い求めていきます。特に、複雑に入り組む男女関係には、容赦なく想像を豊かにして語るのです。
 語り手である作者は表面に出ないようにうまく身を隠し、二人の俳人の生きざまを炙り出す役に徹しています。この手法が功を奏しています。別々に亡くなるところで、その状況の説明が生き生きとしているだけに、結婚とは何か? 生きるということは何か? というテーマをあらためて考えさせられます。【5】


初出誌:『別冊文藝春秋96号』(昭和41年6月)
原題:「花衣」

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。
「月光」は原題「花衣」。杉田久女の句「花衣脱ぐやまつはる紐いろいろ」を橋本多佳子の作と思い込んで題名としてしまったもので、このたび「月光」と訂正することにした。
 美貌の女流俳人橋本多佳子は、小倉に在住していた。ただし、当時のわたしは彼女に会ったことがなかった。 その贅沢な、優雅な「文化生活」を話に聞いていただけだった。
 わたしが東京に出てきてからはじめて多佳子と接触する機会があった。そのとき彼女は女流現代俳句の第一人者になっており、そのあでやかな容姿もまた鳴り渡っていた。多佳子の九州時代の師が杉田久女である。久女をモデルにした小説「菊枕」を書くために、奈良の多佳子の家を訪れたのが最初の出会いである。(497頁下段)



※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「美貌の女流俳人橋本多佳子との交流を中心にした自伝的モデル小説。」(57頁)



■「粗い網版」
 福岡県の特高課長から京都府の特高課長に転任させられた秋島は、新興宗教団体の調査をされられます。教団を弾圧する方策を見つけろ、ということです。次第に探索組織が大きくなりました。
 石山寺の近くに調査をするアジトを作ります。秘密裏に教団の研究を進めるためです。
 治安維持法違反と不敬罪を組み上げて犯罪を立証する背後で、歴史は確実に政治家の襲撃が始まっていたのです。不穏な時代の背後で動く警察と憲兵隊(軍部)の姿が、丹念に彫り刻まれています。【3】


初出誌:『別冊文藝春秋98号』(昭和41年12月)


※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。
「粗い網版」というのは、印刷写真版から思いついた題名である。一読して分るように、これは昭和十年十二月、京都府綾部に本部のあった大本教の第二次検挙 (第一次は大正十年)を題材にした。(498頁上段)



※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
「大本教弾圧事件の真相を警察側の視点から描いた作品。長篇『神々の乱心』でも同じテーマが扱われている。」(14頁)



■「種族同盟」
 強盗・強姦・殺人事件の国選弁護を、仲間から引き受けた弁護士の話です。
 犯人の無罪を証明し、一審と二審で共に無罪を勝ち取ります。そこまでが前半。後半になると、一転して話の流れが変わります。
 単純な構成ながら、わかりやすい推理で読者を楽しませる作品です。【3】


初出誌:『オール讀物』(昭和42年3月)


※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。
この作中の弁護士のことは続篇を書くつもりでいたが、そのままになってしまった。 しかしこれはこれで独立した短篇である。(498頁下段)



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2022年07月29日

清張復読(45)「影」「たづたづし」「ベイルート情報」

■「影」
 作家志望の宇田は、突然のことながら小説家の笠間の代作をすることになります。過去の出来事を回想しながら、物語は人間の心の内をあからさまに抉りながら、興味深く展開していきます。
 主人公は、没個性に徹することで文学を純化させることができる、と錯覚します。そして、その結果は惨憺たるものでした。【5】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。

いまは、代作をさせているのがジャーナリズムに分っただけでもその作家の没落につながる。それだけ眼がきびしくなったのだが、以前は半ば公然と認められている状況だった。書けなくなった大家に編集者のほうが代作者を提供したりしたものである。(496頁)

 
 
初出誌:『文芸朝日』(昭和38年1月)
 
 
 
■「たづたづし」
 役人として出世街道を歩む男は、偶然知り合った女と道ならぬ仲になります。その女から服役中の夫のことを聞くと、この女を山中で殺します。そのはずが、記憶喪失のまま生き返っていたのです。また殺そうと連れ出したところ、女は夫に見つかりまた行方知れずとなります。偶然の設定などが不自然で、物語の作りに無理が目立ちました。プロット優先で、人間が描けていないからだと思われます。【2】
 
 
初出誌:『小説新潮』(昭和38年5月)
 
 
 
■「ベイルート情報」
 清張が泊まったカイロのホテル・ナイル・ヒルトンは、私も泊まった宿です。自分が移動した場所を思い出しながら読みました。自分が知っているところが小説に出てくると、単なるフィクションとは思えない特別の感触で読むものです。ご当地小説などが、まさにそれだと言えるでしょう。
 それはさておき、虫歯の治療に謎の答えがあると思い込み、美人の歯科医がそれに絡んでいると思って読み進めました。しかし、話はスパイ事件として収束します。この辺りは、どうも説明不足のように思います。脱稿を急いだのでしょうか。【4】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。

フリー・ボードのベイルートは情報の中心地だけに、各情報が入り乱れ、ベイルート情報とは「アテにならぬ情報」という意味の同義語になっている。(497頁)

 
 
初出誌:『別冊文藝春秋92号』(昭和40年6月)
 
 
 
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2022年07月22日

清張復読(44)「晩景」「統監」

■「晩景」
 不協和音が鳴り響く家庭内の様子が、うまく表現されています。これは、実感からのものなのでしょうか。
 また、弁護士に頼らない裁判は私も経験があるので、いろいろと思い当たる成り行きに納得しながら読みました。
 70歳のおじいちゃんについて、年寄り扱いしている次の描写がありました。
「もう、おじいちゃんも七十ですからね。七十の年寄りをひとりで出して自動車に轢かれたなどといえば、わたしたちが世間にみっともないわ」(208下段頁)。
 この作品は昭和39年に発表されているので、今から58年前。いま七十歳になった自分が自由に出歩いていることを思うと、年齢感覚が時と共に変化したことを実感します。
 さて、独自に調査を進める主人公は、会社側から聞き出した「安倍健二」が「阿部健二」であったことを知ります。「安」と「阿」は、口頭での発音では区別がつかないのです。ひらがなが五十音に統一されたことによる錯覚を利用して別の方へ誘導する手法だと言えます。
 清張は、大企業が個人の権利を無視する実態を暴きます。新聞社まで乗り出す仕掛けには、清張の実体験が背景にあるのでしょうか。次の言葉は、清張の実感からくるものだと思います。

「そいじゃ、おじいちゃんが勝ったんですか?」
「常識ではとうに勝っているが、日本の法律はどうも正義のためには作ってないらしい。いや、法律は正常な常識の上に立っていると思うが、それを運用する裁判官が正義のためではなく、法律の字句の番人だな。だから大企業や、その代理をしている悪徳弁護士に手もなく絡まれてしまうのだ」(232頁下段)


 私自身の体験を思い出したので、少し記します。私は、2003年に裁判の原則である本人訴訟を起こしました。弁護士の助けを借りない、自分で自分の訴訟をするものです。その時、東京地方裁判所でとんでもない裁判官と弁護士と闘うことになりました(事件番号:ワ11296、事件名:損害賠償請求事件、原告:伊藤鉄也、被告:三井住友海上火災保険株式会社)。弁護士は明らかな嘘の弁論ではぐらかします。裁判官は不真面目で、私が提出した準備書面など一顧だにせず、すべて被告側が出した書面だけで棄却の判決文を書きました。あまりにもでたらめで酷いので、すぐに東京高等裁判所に控訴しました。そして高裁では、素人を相手だからといってまじめに裁判をしないのはおかしい、という趣旨のもと、裁判官と裁判所の批判から始めました。高裁の裁判長はこれは大変なことだと思ったのか、地裁よりもましな対応をしてもらえました。それでも、もうこの辺でと言って示談の提示をされます。私は、この人たちは事実に目を向けず、事勿れで処理をする人たちなのだ、と裁判官と弁護士に見切りをつけ、和解に応じました。すると、和解が確定する直前になって、相手方の弁護士は、これまでずっと存在しないと言っていた資料を出して来たのです。あまりにも人をバカにした弁護士の態度に不信感を募らせ、和解を拒否することにしました。しかし、高裁の裁判官は私の説得に当たられ、こんなろくでもない弁護士を吊るし上げても時間のムダだと思い、和解に応じました。
 こんな経験があるので、裁判官を断じて信じない私は、この小説の主人公の気持ちがよくわかります。今もこれが実態なのです。この件については、原稿用紙450枚にのぼる報告をブログに書きました。しかし、そのサイトはクラッシュしてなくなってしまい、再建できないままに今に至っています。データはすべて残っているので、時間の余裕がある時に、私の裁判所でのやりとりを再現できれば、と思っています。
 本作を読み、自分の経験が蘇り、共感をもって読むことができました。【5】
 
 
初出誌:『別冊文藝春秋89号』(昭和39年9月)
 
 
 
■「統監」
 伊藤博文が統監として韓国に渡る時、そばでお世話をする侍碑として連れて行かれた新橋の名妓光香の問わず語りで進みます。女好きの博文とは韓国で2年間共に暮らしたのです。
 その語りの背景にある歴史的な事実は、「註」として各節の末尾に整理されていて、硬軟取り混ぜての読み物です。
 博文の暗殺まで語られるのかと思っていたので、少し違い残念でした。しかし、政治家の日常を視点を変えてうまく炙り出した作品に仕上がっています。日韓併合の裏面史として興味深いものだと思います。【3】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。

「統監」は、いま読み返してみても突っ込みが足りなかった。史料は多いようだが、公式のものばかりなので推測や想像で補うほかはなかった。しかし、それにも限界があって、あんまり臆測にだけ突走ってもいけない。将来、秘匿資料が出ることが望ましい。伊藤博文について行って京城(ソウル)の統監官邸にいた女性は実在の人。(497頁)

 
 
初出誌:『別冊文藝春秋95号』(昭和41年3月)
 
 
 
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2022年07月19日

清張復読(43)「鴉」「皿倉学説」「相模国愛甲郡中津村」

■「鴉」
 うだつの上がらない男が、組合の役員にさせられたことから生きざまが一転します。組合の委員長がストを回避した裏には、委員長の欺瞞と背徳行為があることを探り出したのです。
 話の最後は、意外な展開です。清張の切り替えの巧さには、いつものことながら感心します。【4】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。

ずいぶん前に書いたので、この作品を忘れてしまい、のちに似たテーマで「形」という短篇を書いている。気づかないでトリックの二重使用をしていたわけである。忘れたとはいえ、われながら許しがたい。(495頁)

 
 
初出誌:『週刊読売』(昭和37年1月)
 
 
 
■「皿倉学説」
 学者の世界を、清張独特の批判的な視点で描きます。この作品では、医学界が対象です。大勢から疎まれる立場の人間に寄り添うようにして語ります。
 ただし、本作は空想に寄りすぎた展開のため、学会批判や学者や学閥への批判がキレを欠いています。地方病院の医者の研究発表が、学説としてどうかという問いかけよりも、その論証・検証方法を問題にします。体重60キロの猿を実験動物に使った背景にあると思われる指摘も、人体実験を匂わすまででさらなる鋭さが文章にないのです。どうしたのだろう、と思いながら読み終わりました。
 途中から、関東軍731部隊のことに思い及びました。清張が執筆時に、旧満洲のハルビンで行われていた人体実験のことをどの程度知っていたのか、今はわかりません。その時のデータの流出が背景にあるとしたら、この作品はさらに深みを増していくものとなったことでしょう。【2】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、次のようにあります。

わたしは「学者」を主人公にした小説をいくつか書いているが、科学者はこれだけである。(495頁)

 
 
初出誌:『別冊文藝春秋』(昭和37年12月)
 
 
 
■「相模国愛甲郡中津村」
 明治十年代に起きたニセ札事件と、大隈重信の文書類が話題となっています。歴史の舞台裏を明かす話です。
 藤田組贋札事件をめぐって、老人が所有する手紙が効果的に働きます。ただし、最後に意外な展開を見せます。歴史好きな読者を楽しませるものとなっています。【3】

※清張は、公文書に対して、文中で次のように信用できないと、批判的に言っています。
「大体、歴史というものは、公の文書にばかり頼っているととんだ間違いが起りやすいです。 公文書ほど確かなものはないというところに歴史の罠があるのです。私から云わせると、公文書ほど都合よく作られたものはないと云いたいですな。政府といいましょうか、権力といいましょうか、絶えずそういった側のほうに都合のいいように、勝手に歪曲されているのです。.....それを後世の史家は、それが公文書だから信用が高いだの、やれ一等資料のとか云って有難がりますがね、こんなところに後世の史家の錯誤が生れると思いますよ。……現にこの大隈さんの策動など、歴史家の誰も気づいていないじゃありませんか」(147頁上段)

 
 
初出誌:『婦人公論増刊/推理小説特集号』(昭和38年1月)
 
 
 
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2022年07月05日

清張復読(42)「厭戦」「小さな旅館」「老春」

■「厭戦」
 清張は、昭和18年に体験した自分の朝鮮での軍隊生活を引き合いに出し、秀吉軍の一員として朝鮮に渡りながら日本に逃げ帰ってきた男の真相を、豊かな想像力で語ります。体験談が背景にあるので、推理がわかりやすいく納得できます。戦地での厭戦の感情と、妻子の元で死にたいという気持ちが、読む者の胸を打ちます。【3】

※宇治橋断碑のことがそれとなく出ていたので、引いておきます。
そのころ、俺は「日本書道文化史」の稿の仕上げに没頭していた。一つは、篤実な出版屋が現われて、この売れそうもない本を出してやるという話が決ったためだった。俺の部屋には、写経や、古筆の玻璃版や拓本などが堆く積まれていた。拓本は、俺がいちいち那須や宇治にまで出かけて行ってその地の断碑から直接写し取ったものだ。(『松本清張全集 38』22頁下段)


※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、「全羅北道の群山近くに兵隊として足かけ二年間駐屯したことがある。この辺はかつて小西行長軍の通過したところだ。朝鮮で兵隊として暮らしたときの気持が、この古記録の数行に触発されて、この一篇を書かせたのである。」(495頁)とあります。
 
初出誌:『別冊新日本文学』(昭和36年7月)
 
 
 
■「小さな旅館」
 どうしようもない娘婿をどのような方法で殺害したらいいのか。娘の父はあれこれと思案します。
 実行後の話は、清張らしからぬ回りくどい内容で、切れ味も良くありません。旅館というキーワードに、どうやら足を引っ張られたようです。【2】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、「ある裏通りを歩いて、小さな旅館の看板を見かけたことから思いついた。旅館という場所は、見知らぬ人が泊まりに集まってくるだけに秘密的な臭いを持っている。」(495頁)とあります。
 
初出誌:『週刊朝日別冊/涼風特別号』(昭和36年9月)
 
 
 
■「老春」
 78歳の老人の奇行に、息子とその妻は手を焼いています。その描写が、実にリアルです。実際にこうした経験が身辺にあったのでしょうか。想像を超えてエスカレートしていくことへの困惑の中で、その迷惑なことが次第に形を成していきます。高齢の父親にも性欲があるのか、好いた女に対して嫉妬はするのか、などなど、老人の性への興味を提示しています。老人の捻じ曲がった生態を、巧みに描き出した作品です。【5】

※『松本清張全集 38』(文藝春秋社、1974.5.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には、「老人の性欲といったものを描いた。この種のものは、あとも書く気持があった。」(495頁)とあります。

初出誌:『新潮』(昭和36年11月)
 
 
 

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2022年02月15日

清張復読(41)『天才画の女』

 新潮文庫で『天才画の女』(昭和60年、10刷)を読みました。

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 新人の画家である降田良子をめぐる推理劇が展開します。銀座の画廊、画商、画壇が物語の背後で蠢いています。そして、評論家の発言と存在がピエロ役を演じています。物語の中で評論家が辛辣に扱われているのは、いつもの作者の批判意識の表れです。

 文中で気になった表現があったので、まずはそのことから。
 「先生、だんぶんあわてて前言を訂正したじゃないか。」(66頁)
 この「だんぶん」は「だいぶん」の誤植でしょうか?
 「ぼくなんぞは、こちらへ寄せてもろうたびにえらい眼福をさせてもらうのをたのしみにしとります」(73頁)
 この「もろう」も「もらう」の誤植?
 「キチンも良く、片づけられていた。」(88頁)
 これは、「キッチン」でしょうか?
 東北や九州の方言が出て来るので、その関連での言葉遣いなのでしょうか。後日、全集本などの定本で確認しておきます。

 さて、戦時中、戦場で頭部に銃弾を受け、ラバウル野戦病院から久留米米軍に送られた精神障害の男の素性が、徹底的に追求されます。天才的な絵を描く女との関係を調べるため、新人の女性画家を抱える銀座の光彩堂とはライバルの叢芸堂の小池が、活発に動き回ります。その過程が東北や九州の現地を訪ね歩いて、克明に語られるのです。そして、この男が絵を描くことがわかってからは、読者もこの推理に追いつき、物語にのめり込むことになります。「天才画の源流」が突き止められたことで、視界が明るくなったからです。
 最終場面で、「絵の粉本」(284頁)という表現がでてきます。清張は、絵のことをよく調べていることを実感しました。架蔵の『探幽筆三十六歌仙』が、まさに粉本なので、私にはこの「粉本」という用語の絶妙な表現がよくわかりました。読者のほとんどが、この語を読み飛ばすのでしょうが。

 最後に、一方的に感じた身の危険というものが推測を重ねた結果によるものであれば、そこには犯罪の立証は難しい、ということが明かされます。警察に訴えることができないのです。ここまで読んで来た私は、意外な展開となったことに戸惑いました。
 「法律は、かもしれないことを犯罪の対象にしていないのだ。」(308頁)
とあります。「かもしれない」には某点が打たれています。
 「母性本能」と「天才画」と「不確実性」が、最後に読者の心に刻み込まれます。探偵役となった画商を通して語られる物語は、ミステリーを超えた、人間を描いた小説となって幕を閉じます。【5】

初出誌:「禁忌の連歌」の第3話として『週刊新潮』昭和53年3月16日号〜10月12日号に連載
    昭和54年2月、新潮社より刊行

参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のような説明があります。
欺瞞と商魂が渦巻く画壇の裏側を「死体なき推理小説」として描いた社会派ミステリーの力作。

 
 
 
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2021年12月12日

清張復読(40)『血の骨(上・下)』

 『血の骨(上・下)』(松本清張、新潮文庫、上下-昭和50年4月)を読みました。
 長編です。私が読んだ文庫本は、上巻は422頁、下巻は428頁と、どっしりとした作品に仕上がったものです。

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 稲木助教授が女と一緒に乗ったタクシーに、入試問題の草稿が入った鞄を忘れたところから始まります。冒頭から話に引き込まれます。
 やがて、学内の派閥が明らかにされ、裏口入学が話題となります。私立大学の実態が、少しずつ明らかにされていくのです。作者が大学の内情に精通しているからこその内容です。
 それに加えて、総長交際費という高額のお金が動くと、話はますますおもしろくなる予感がします。
 ここまで上巻

 以下、下巻
 上巻に引き続き、稲木と楢沢莢子との恋愛話が長すぎるように思います。
 やがて、大学の授業料の値上げが学内で大きな問題となる話題へと転換します。学生が反対運動をしだしたのです。それを受けた教授会のやりとりがリアルです。清張は、どこからこうした描写を実現する情報を得ていたのでしょうか。情報源のことに興味が湧きました。
 清張は、人間の心の揺れ動きをうまく摑んで、的確にドラマ仕立てで表現しています。しかも、女性心理も詳細に語っているので、この興味と関心の広さと深さには驚嘆するばかりです。加えて、善悪にも客観的な判断を下しながら語りを進めています。推理と心理の分析を通して、社会の正義にも斬り込んでいるのは、高い評価を得ている原点だと思われます。
 清張は、人間が持っている表面、裏面のみならず、側面も余すところなく描きます。
 大学の理事長の裏金の話などは、今話題になっている東京の某私立大学のニュースと重ね合わせることとなりました。いつの世も、こうした人とお金にまつわるスキャンダルはある、ということでしょうか。
 物語の最後の場面も、手に汗握る緊迫感が漂っています。作者の筆の力が尋常のものではないことが伝わってきます。

 読んだ本の末尾に、前回読んだ時のメモがありました。私が大学院生だった時のものです。
「学問自体に対する批判に欠ける。人間の側面の攻撃ばかりである。S51.12.17」
 研究に向かっていた時なので、学問というものに目が向かっています。今、再読して、そうしたことは作者の眼中になかったことがわかりました。作者は、私立大学の内紛を通して、派閥争いの中を蠢く姿を活写しながら、学者の人間性を問いたかったのです。【5】

※メモ
(1)突然、関西方言が上巻と下巻に一例ずつあり、戸惑いました。
「よう言い出せないわけね。」(上148頁)
 下巻にもあります。
「彼はかおをようあげないままに、」(下196頁)
 これがどこに起因するものなのか、いつか考えてみたいと思います。

(2)敬礼に関する次の記述に興味を覚えました。
「秀夫は、川西の卓の前にくると、手をうしろに組んで頭を軽く下げた。――近ごろの敬礼は、両手をうしろに組むのが不動の姿勢らしい。アメリカ兵あたりの影響らしいが、川西のような年配者からみると、横着そうに両手をうしろにまわしたまま、頭だけをさげるのが気に入らない。」(下55頁)

(3)学者の中でも文学者に対する清張の私見が窺えます。
 「文学部の教授たちに数字として大切なのは、たとえば、シェイクスピアが西暦千五百六十何年に生れたとか、源氏物語が何世紀に成立したとかいったたぐいのもので、それが形而上的なものでないと、彼らの価値体系に入らなかった。」(下241頁)


初出誌:『週刊新潮』1964.11.9〜66.6.11。

参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように評しています。
「私大の経営をめぐる紛争を背景に大学の権威の失墜と学者の堕落を痛烈に批判した社会派サスペンスの問題作。」(112頁)
 
 
 
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2020年04月13日

清張全集復読(39)『葦の浮船』

 『葦の浮船』(松本清張、角川文庫、昭和49年3月)を読みました。

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 この帯には、次のように記されています。

大学の腐敗した派閥問題をとらえた
松本清張の野心的問題作 !
R大学史学科に籍を置く二人の助教授、折戸と小関。
正反対の性格をもつ二人の心理的葛藤を見事なコントラストで描きつつ、大学の腐敗した派閥問題を鋭くえぐった野心作 !


 金沢の大学で開催された歴史に関する学会の様子から始まります。学問の世界でも、学会が陳腐化したことが語られます。清張の批判精神が早速見られます。
 そして、古代史の折戸二郎助教授と通信教育の生徒だった人妻の笠原幸子との密会へと展開します。一方、同門で中世史の小関久雄助教授は、近村達子と調査中に出会います。この2つの話が綯交ぜになって展開するのです。
 状況と情景の描写は、いつものように丹念です。清張の文章は、手を抜くということがありません。いかにも、今生起している話として伝わって来ます。
 さらに、今回もう一度本作を読んでみて、情事の場面の描写が想像以上に事細かでリアルであることに気づきました。清張らしくない、若手新人の作家の息遣いが感じられました。
 二股をかける折戸の心理を、克明に描きます。女性をモノとしか思っていない男の生態を炙り出そうとしているのです。
 この男と女の問題と共に、大学の派閥争いや昇進問題も並行して展開します。ここでは、清張独自の学者への怨念とでも言うべき私観が、随所に語られています。
 わがまま勝手な折戸を弁護する小関は、最後まで人のいい研究者です。いろいろな事件があった末に、主人公である小関は鳥取の大学の教授となります。最後の近村達子への手紙は、清張らしくない、負け犬の遠吠えのような内容です。気迫も迫力もない終わり方に、肩透かしを喰わされた思いで読み終えました。
 なお、この作品は、昭和50年に読んでいました。ちょうど大学を卒業し、大学院博士前期課程に入学した時です。学問の世界に身を置くようになり、身辺とその環境に目を配るようになった頃です。その時のメモが、読んだ本に記されていたので引いておきます。三鷹の書店で購入し、その日の内に一気に読み終えています。

折戸が少し悪役すぎる。全体に二人の助教授の考え方がスッキリしない。人間味が乏しい。また、大学の体制批判にも鋭さがない。S50.7.15

 
初出誌:『婦人倶楽部』(昭和41年1月〜42年4月)
 
 
 
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2019年12月19日

清張全集復読(38)「部分」「駅路」「誤差」

■「部分」
 妻とその母親の顔を例にして、似ているけれども違う点をあげます。母親の顔が妻に似ているとはいえ、醜悪に誇張されているというのです。小さなことの積み重ねが、やがて生理的な嫌悪感となっていきます。生理的な不快感が鬱積して内攻し、母親の存在を呪うようにまでなります。このあたりの男の心情が、克明に描かれています。その後の展開は、歌舞伎座の1枚の券を仲立ちにした、まさに清張の世界です。【5】
 
初出誌:『小説中央公論』(昭和35年7月)
 
※『松本清張全集 37』(文藝春秋社、1973.7.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。
−現実は醜悪である。われわれは人間の顔でも手足でも平気で見ているが、よく見ると、それは醜悪であり、無気味である。鼻でも、指でも、バラバラに部分的に見ていると、ぞっとするくらい無気味である。それが現実だから無気味なのである。この無気味に「美」を見つけたのは岸田劉生であろう。この小説では、部分の無気味さに、血のつながりの醜悪をつないでみた。私がいつも感じていることだが、実際、親子というものは顔がよく似ている。年老いているだけに、父親なり母親には子供の特徴が歪曲され、醜化されている。母娘の顔を較べている男の心理を書いてみた。(554頁)

 
 
 
■「駅路」
 定年退職した小塚貞一が、その秋の末に行方不明になります。有利な再就職も断っての自由な生活の中でのことでした。二人の刑事が事件解決に奔走します。ただし、犯人のあぶり出しに無理があります。人生を駅路に例えるのも、こじつけのようなものです。構成と展開がうまく噛み合わなかった例です。【1】
 
初出誌:『サンデー毎日』(昭和35年8月7日)
 
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。私の感想とはまったく異なる評価です。
定年という人生の「駅路」を主題にした失踪ミステリーの名作。(22頁)

 
 
 
■「誤差」
 鄙びた湯治場に一人で来た女は、東京の住所と27歳だと書きました。連れの男は、その3日後に来ました。そして、連れが帰った後に女は扼殺死体として発見されたのです。当然、この男が疑われます。死後推定時間の誤差が問題となります。警察嘱託医と、解剖した病院長の間には、1時間以上の開きがありました。しかし、数日後にこの男は自殺したのです。殺害時間と男の行動に疑問を抱いた一人の刑事が、法医学の翻訳書を読んでいて閃きます。そして、犯人逮捕となります。すでに伏線が張られていたので、読者は納得します。【4】

 
初出誌:『サンデー毎日特別号』(昭和35年10月)
 
 
 
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2019年11月26日

清張全集復読(37)『火の路 下』の麻薬と贋作と学界批判

 上巻については、「清張全集復読(36)『火の路 上』」(2019年10月15日)に記しました。

 下巻は、ゾロアスター教の聖地であるイランを旅する高須通子の現地調査で始まります。

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見知らぬ土地を歩くのは、私も大好きです。楽しく読み進めました。もちろん、ゾロアスター教に関する知識も蓄えることができました。
 沈黙の塔で、高須は大和平野から望む二上山の景色を思い浮かべます。さらには、飛鳥の地をも。
 たくさんの言語が例としてあがります。ペルシア語、アベスター語、サンスクリット語、などなど。そして、その背景には、異教という宗教儀礼と秘儀としての陶酔薬物の麻薬が横たわります。
 同時進行で、京都の骨董収集家の贋作問題や、人間関係の複雑な事情などが、歴史と文化と研究が綯い交ぜになって読者を引っ張っていきます。壮大な規模の物語です。
 イランを旅する通子は、イスファハンまでをみすぼらしい身なりの運転手のタクシーで移動します。その運転手の横には、病気の子供が乗っていました。この親子の設定に、私は清張が我が父と自分の姿を思い浮かべているように思えました。『砂の器』に出てくる親子が、二重写しのようになって見えたのです。これは、あくまでも私の勝手な想像ですが。
 益田岩船の南北の中心軸が、耳成山=藤原京に向いていることの意味を推理する過程は、読者を考古学へと導きます。これだけ石造遺物をめぐって、飛鳥、イラン、考古学、盗掘、学界の詳細な話に付き合うと、にわか推理マニアになった気分にさせられます。
 樋口清之先生の『古物偽造考』を引いて、偽物の古墳出土品を作る手法などが紹介されています。樋口先生の授業を受け、研究室に行ったことがあります。博物館の学芸員の資格取得の講座を受講した時に、楽しい話をたくさん伺いました。松本清張のと付き合いについても。この作品の背景には、樋口先生からのアドバイスもあることでしょう。
 後半で、イランから帰った高須が『史脈』に掲載されたとする研究論文が掲載されます。なかなかおもしろい内容です。最終部分で語られる、飛鳥の益田岩船と播磨石の宝殿が、本来は一対の、ペルシアの拝火神殿となるはずのものだったのではないか、という推論はおもしろいと思います。その未完成品が、組み合わされないままに今あるのだというのです。これに対して、清張は高須の論文「飛鳥文化のイラン的要素−とくに斉明期を中心とする古代史考察と石造遺物について」に関する学界の反応について、批判もなく無視されるだろうと言います(下294頁)。これまでも語られたように、清張特有の在野の視点からの感情を交えた評価が記されます。しかし、この高須論文はあまりにも推論に推論を重ねたものなので、研究者が書いたにしては学問的な証明がなされておらず、論文とは言えないと思います。これは、学者を描ききれなかった、清張の限界だったのかもしれません。自分でも、作中で海津信六のことばを借りて、次のように言います。

このような論考には、その実証範囲におのずから限界があるのはやむを得ないことと思います。しかし、これは将来古学的遺物や文献などが発見されぬかぎりは望み得ぬことで、要はその推論に説得性があるかないかによることと思います。
 日本古代史は、百花繚乱のおもむきがありますが、一部の何ら論証なき恣意な臆説、ナンセ
ンスな強弁は別として、大方の学者は「実証」に拠らずば十分にモノ言えぬ状態のようです。
「怯懦な」古代史学者は、ひたすら学界論敵の攻撃をおそれて自己防衛を先としています。だが、
その「実証」たるや青い鳥の如く求めて永遠に求め得ざる類のものであります。小生の感想では、このような「実証」とは実に愚直な「実証」のたぐいと考えざるを得ません。
 証拠品(考古学的遺物や文書等)の羅列によって不動の実証を得たとするいわゆる帰納学者の愚鈍では、資料乏しき古代学は遅々として進みません。そこに鋭敏にして犀利な演繹的方法の導入が必要です。もし、その方法に大きな誤りがなければ、漫然たる列品的証拠品(資料)は磁気に吸い寄せられるが如くにその演繹的理論の秩序下に入るのであります。これは数は少ないが、天才的な先学によってすでに立証されています。……(下386頁)
(中略)
所詮、仮説を立て得ないものは発想の貧困をものがたるだけです。仮説のあとから実証を求めればよいのです。ヘロドトスの『歴史』もはじめは大ほら吹きとして嘲罵の対象になりました。(下394頁)


 物語としては、途切れ途切れに寸景を挟んで接続されているので、堅苦しい論文が普通に読めます。これは、清張の工夫といえるでしょう。
 最後は、清張らしい叙情的な表現で語られます。風景の中に物語が閉じ込められていきます。
 読後に、やはり推測が多すぎると思いました。論文が主体となった後編からは、物語が雑になりました。これ以上は長くできなかったために、こうして足早に手紙などを小道具にして、推測で話をまとめることにしたのでしょう。
 それでも、スケールの大きな物語を堪能しました。【5】

【追記】
 本日、11月26日(火)京都新聞(朝刊)の一面に、次の見出しが躍っています。
  松本清張に京の「先生」
  手紙100通やりとり
  在野の古代史家・薮田嘉一郎
  「火の路」執筆で教え請う

 清張は、朝日新聞に「火の路(回路)」を連載しながら、いわゆる「通信講座」を在野の薮田に頼んでいたようです。
 おもしろい資料が期せずして現れたものです。酒船石、益田岩船、ゾロアスター教、などなど、清張の推理の根幹部分と、この作品ができあがる経緯が、これによって明らかになっていくことでしょう。
 
 
 
 
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2019年10月15日

清張全集復読(36)『火の路 上』

 『火の路 上』(松本清張、文春文庫、1978年7月)を読みました。

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 この作品を読むのは3度目です。新聞に連載されていた時、次に単行本で、そして今回は文庫本で読みました。

 開巻早々、飛鳥の酒船石の写真が出てきます。これは、読者にとっては現在残されている遺物のイメージを膨らませることになる、ありがたい配慮です。そして、酒船石の所で一人の女性が登場。謎解きの始まりです。さらに、奈良市内での殺傷事件へと話題が発展します。古美術家と歴史学者が展開する、古代史ミステリーです。
 中でも、学者批判、論文盗用、実証主義、民俗学に対する批判は、清張の内部にあった本音の一端だと思われます。少し長くなるのも厭わず、引いておきます。

 それは先生が弟子の論文を平気で盗用するという話であった。弟子は、学界での自分の将来を先生に托しているので、文句も言えずに泣寝入りになる、それが学界の「慣習」だと言っていた。
「海津信六の論文を、さすがにそのまま盗用する学者はいない。しかし、海津論文は示唆が多いから、下敷きにするにはもってこいだよ」
「しかし、そんなことをしてたら、タネが分かるんじゃないですか?」
「海津信六の古い論文を知っている者には、ははあ、この先生の学説はこれからタネを取っているのだな、と推定がつく。が、それが表立って非難されないのは、お互いが同じようなことをやっている点にもある」
「その場合、自説の基礎となった海津さんの論文を出典名として挙げないのですか?」
「とんでもないよ、君」
と、佐田はパイプを口から放した。
「……そんな公明な心がけの学者はほとんどいない。自信のない人たちばかりだからね。それに海津信六の論文名を挙げたら、それだけで自己のマイナスになる」
「どうして海津信六さんの論文を出典として挙げると、その学者のマイナスになるんですか。そんな天才的な学者の説だったら、かえってプラスじゃないのですか?」
 福原は素人ぽい疑問を質した。
「そういう正論が通らないのが学界だ。派閥がある。ご承知の通りにね。で、どんな権威ある学者の説でも、反対派の学者に引用されることは、まず、ないといっていいね。引用した学者が自派から総スカンを喰うからね。まして海津信六は若いときに脱落した学者だ。そういうのを出典として明記したら、ひどい目に遇う」
 佐田はパイプを弄んで口からはなしたり当てたりしていた。
「そういう脱落した学者の説を下敷きにして論文を書くというのは、どういうことですか?」
「大きな矛盾だ。その矛盾がまかり通るところが学界の特殊性だね。要するに、海津信六の考えをとらざるを得ないくらいに現在の学者、学部や研究所の教授、助教授、講師連の頭は貧弱なんだよ」(135〜136頁)

(中略)

「実証的というのは学問的には尊重されるのでしょう?」
「まさに、その通り。実証性のない学問は学問ではない。しかし、このごろは実証というのが資料の羅列に終わるということといっしょくたにされているね。これは才能のない学者がわざとその混同に持ちこんでいる傾向がある。たとえば、奈良で君に話したように、板垣助教授などは資料として他の学説を紹介するだけで、自説はあまり出さない。先生はそれが実証的で科学的だと思ってるんだね。ぼくに言わせたら、それはエセ実証主義で、本人の無能露呈以外の何ものでもない。……だいたい、板垣君の上にいる教授の久保能之君にしてからそうなんだ。あの男、堅実型といわれているが、この堅実も無能という語に置きかえてもいいね。無能だから、発想が他に伸びない。いきおい、安全な自己の守備範囲だけを固めることになる。これを世間では、久保の堅実主義だとか慎重主義だとか言っている。それを助教授の板垣君が見習ってるのさ。まあ、久保教授についてはそう言われても仕方がない。久保君は、もともと史学の出身ではなく、法学畑
から横すべりして来て、教授になったようなものだからね」(137頁)

(中略)

 佐田のロ調は、静かな昂奮が伴うにつれて、論文調を帯びた。
「久保君はそういう男さ。そういつやりかただ。だから古代の罪科でも祝詞にあるような天津罪・国津罪になると、もう、お手上げだ。民俗学の連中の言っていることをそのまま援用している。だいたい、民俗学を古代歴史学の補助学問とか隣接学問と思いこんでいるのが奴さんの無知でね。民俗学なんてものは学問にはほど遠いものさ。民俗学に歴史性の欠落が言われているのを、いまさらとぼくは言いたいね。久保君は、神がかり的な折口信夫あたりの直観説を引用すれば、信者の民俗学者どもがみんな恐れ入ってしまうから、自説の強化になると思っている憐れむべき男だ。彼の古代法制というのも、日本のことばかり見ているから、分からないのさ。皆目、無知なことのみ言うようになる。古代の朝鮮、北アジア、東アジアの民族習慣に眼をむけないから、トンチンカンなことばかり書いたり言ったりするようになる。まあ、そう彼に注文するほうが、どだい無理な話だがね。それで大学教授だから、大学教授も質が落ちたものさ」(138〜139頁)


 ここに出てくる海津信六は、学界から弾き出された男です。「海津信六は官学の大学出ではない。私立の大学にも行っていない。地方の高等師範学校出身さ」(141頁)と語られます。岡山県の津山出身だとも。旧制中学の歴史の教師でした。私には、このことから池田亀鑑の経歴を思い出させます。なお、松本清張は、國學院大學の樋口清之先生と親交がありました。博物館の学芸員の資格をとるために受講した樋口先生の講義で、松本清張の話がよく出ました。ここに書かれていることは、学生時代から目にし、耳にし、実体験もしたことばかりです。この発言の背景には、清張の恵まれなかった己の才能と生い立ちを支える、確たる信念があるのです。
 その海津は、T大学史学科の助手をしていました。しかし、天才とも言われていた海津は、女性とのことで転落し、学問を捨てたのです。高須通子が追いかける飛鳥の石造遺物の謎に、この海津の過去にまつわる謎がないまぜになり、物語はさらに興味深いものへと展開していきます。
 問題点が次第に姿を現し、大きなうねりとなって読者に迫ってくるのは、清張の小説の特徴です。
 やがて、海津が学者だった頃の実像が見え、高須の研究意欲が刺激されます。海津から得た示唆が、飛鳥の遺物とゾロアスター教に結びつくと、中央アジアの文化論が展開されます。このあたりは、在野の歴史家清張の面目躍如たるものが遺憾なく発揮されています。学問上の専門知識が、ふんだんに語られます。もはや、歴史小説と研究史と研究論文が渾然一体となった世界として読者に提示されます。清張ならではの、レベルの高い専門家の知識の領域に読者は誘われます。
 次第に中東のイランが注目され、実際に高須は出向くことになります。ここで、海津が示す調査研究の手法に関する私見は、今に通ずるものだと言えるでしょう。

 もちろんイランにはこれまで日本からも多数の学者が行っており、詳細に現地を調査したり観察してまわっていますから、いわゆる「残滓」は無いようにも思われます。けれども、学者はその目的とするところによって調査方法も違うし、主目的からはずれたものには眼が届かないと思います。見れども見えず、ということにもなりましょう。また、いくら視察してもその学者の思念にないものは無視されてしまいます。さらに敢えて言えば、学者に慧眼がなかったら、これまたモノが見えないのと同様です。また、たとえそのモノが眼に入ったとしても、間違った解釈をされると実態からはずれることになります。(352頁)


 通子がイランに行くことになってから、身辺の人間関係が立ち現れて来ます。一人で研究者として生きていても、現実には人とのつながりの中で生きているのです。その中でも、過去の辛かったことが蘇りました。悔いしか残らなかった恋愛話が、長野の実家で夜空を見上げながら思い起こされます。
 これまで、この作品を3度読んでいます。1回目は、この作品が連載された日々の新聞で。そして、2回目は、この作品が単行本として刊行されたすぐに。さらには、大阪の高校で、秋の遠足に飛鳥へ連れて行くことにした時、現地を下見しながらこの作品を拾い読みしたのです。そして、この作品に触れながら、遠足の案内の資料を作りました。授業でも取り上げました。
 今、3度目を読み進め、ちょうど半ばに至りました。そして、この上巻の後半のゾロアスター教の話の後にある、高須通子の個人的な恋愛話が語られていたことを、初めて知った思いでいます。古代史のことばかりが記憶に残り、こうした、一人の女性が生きていく上でのさまざまな人とのしがらみも、丹念に描かれていたことを読み飛ばしていたようです。長編の作品になると、こうしたこともあるのだと思わされています。清張は、人間の内面を描き出す力を持った作家であったことに、あらためて思い至りました。読みが浅かったことを、この前半を終わる時点で痛感させられました。
 
 
書誌:昭和48年(1973)6月16日〜翌49年10月13日まで、朝日新聞に「火の回路」として連載。
昭和50年11月に単行本として『火の路 上』(文藝春秋)が、翌月に『火の路 下』が刊行。
文庫本としては、昭和53年7月に文春文庫から上下2巻が、昭和54年7月に光文社カッパノベルスとして上下2巻が、さらに昭和58年3月に文藝春秋社から『松本清張全集 第50巻(全66巻)』に収録。
 
 
 
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