2025年08月11日

谷崎読過(52)「或る調書の一節」「或る罪の動機」

■「或る調書の一節」
 さまざまな罪を犯した男の、実に勝手な理屈が展開します。そして、「かわいい」とか「きれい」という言葉が、妻や愛人を説明する時に使われます。これまた、身勝手な論理です。
 男の嗜虐性が妻に向くのは、妻の清らかな涙に惹かれてのこと、というのも勝手な理屈です。
 善人と悪人の心の中を炙り出すことで、人間の美醜と不完全な人間の姿を描いています。【2】


初出誌:「中央公論」大正10年11月号



■「或る罪の動機」
 博士を殺したのは、忠僕な書生でした。円満な人格で、幸福な家庭を持つ博士に対する感情から発生した殺人だったと言います。厭世観と虚無感もあります。
 人を殺すことが、空想に留まれなかったことへの悔恨で、身勝手な男の語りは終わります。【2】


初出誌:「改造」大正11年1月号


 なお、『谷崎潤一郎全集(新書版・第十巻)』(昭和34年5月)の解説で、伊藤整は次のように言います。
 前回の谷崎読過(51)「私」「AとBの話」と一緒に語っている箇所を、以下に引用します。

「 悪といふものの質質、また罪悪意識の問題を執拠に追求したものとしては、「私」(大正十年三月「改造」)、「AとBの話」(大正十年八月「改造」)、「或る調書の一節」(大正十年十一月「中央公論」)、「或る罪の動機」(大正十一年一月「改造」)等が、決第に發展し變化しながら一連の類似性をもつて並んでゐる。その中で、悪の強い衝動を持つ主人公が、善を求める人間性を妻の中に見出して心の安らぎを得るといふ話を描いた「或る調書の一節」が、強烈な印象を與へる。また、自己の實在感を把握するために、何の怨みもない人を殺してしまふといふ極めて現代的な問題を追求した點では「或る罪の動機」がすぐれてゐる。
 小説としての具體性を生かし、感覺的描冩を十分に行つてゐる點においては「柳湯の事件」が出色である。そのためか、この集中では「柳湯の事件」が一般的によく知られてゐる。しかし解説者の見るところでは、「前科者」における對話の微妙さ、「或る調書の一節」における愛してゐない妻と主人公との人間的關係、「或る罪の動機」における人間の實在性の追求などは、小説としての本質的なものをより多く含んでゐる點で、より注目すべき作品である。」(294頁)




posted by genjiito at 20:26| Comment(0) | □谷崎読過

2025年07月30日

谷崎読過(51)「私」「AとBの話」

■「私」
 谷崎が東大の学生だった頃の話です。4人の仲間で語り合っていた時のこと。盗人という犯罪者の疑いをがかけられた私の仲間たちに対する、心の中のゆらぎを丹念に描きます。友情に対する思いが、さまざまな角度から検討されるのです。
 盗人が持つ繊細な感情を語ります。しかし、読者は語り手の勝手な論理のお遊びに困り果てます。後味の悪い、何か理不尽な人間を見ることになりました。それを意図した作者の罠に、私が嵌ってしまったのかもしれません。【2】


初出誌:「改造」大正10年3月号




■「AとBの話」
 この小説を読み終えて、善と悪、愛情と孤独について考える機会を得ました。
 本作のことを谷崎自身、「二つの魂の歴史」と言っています。従兄弟同士のAとB。二人は、文壇に作品を発表し出すのでした。生まれつき愛を持たないBを、「愛のない藝術家」と言います。Aは幸せの中にあります。しかし、BはAに金銭面をはじめとして迷惑ばかりかけます。
 苦しみを分かち合おうとするAは、「自分の中にある「善」で、Bの中にある「悪」を滅ぼさねばならないと思つた。」(215頁)とあるように、Bを救おうとします。しかし、Bの身勝手な要求がエスカレートして続きます。Aは、Bに誠心誠意応えようとします。わがままを押し通そうとするBと、人の良い相手のことを考え続けるAが語られています。
 一例として「名誉」について語るくだりを引きます。

「僕はね、A君、−−金ばかりでなく名譽が欲しいんだ、僕は君たち善人と同じやうな名譽が欲しいんだ、斯う云つただけぢや分らないかも知れないが、昔の僕には、−−藝術家として立つて行けた時代には、僕は何かしら一種の誇を持つて居た。」(235頁)

「つまり、君の持つて居る名譽を、−−君が文壇で占めて居る地位を、そつくり僕に讓つてくれる事だ。さうして君が僕の地位に落ちてくれる事だ。此れから以後の君の創作を僕の名で發表して、その名譽と報酬とを僕にくれる、それでいゝんだ。君が僕をほんたうに愛して居るなら、そのくらゐな親切は見せてくれ給へ。」(236頁)

 ここに私は、谷崎が本性として持つ心根が窺えるように思います。
 この話の後半から、Aの妻の存在が善と悪の間に割り込みます。話を複雑にしてバランスを取ろうとするかのように話は展開するのです。
 AがBのために代作した作品は、Bの全集に収められました。そして、Bは亡くなります。果たして勝ったのはAかBか、という最終行の問いかけに、私はBが勝ったと言いたいと思います。Aの思いやりのある優しさは、結局はBの傲慢さに負けたのです。そして、読者は作者に振り回されて終わるのでした。【3】


初出誌:「改造」大正10年8月号




posted by genjiito at 21:20| Comment(0) | □谷崎読過

2025年07月16日

中之島図書館での谷崎潤一郎と『源氏物語』に関するご案内2件

 大阪府立中之島図書館(国指定重要文化財)で開催している「新古典塾 平安文学リレー講座」は、来月下旬の8月25日(月)に、谷崎潤一郎と『源氏物語』をテーマとして実施します。今回で第7回となります。講師は、『谷崎源氏の基礎的研究』(武蔵野書院、2024年)を刊行したばかりの同志社女子大学の大津直子さんです。第5回 中古文学会賞、第9回 第二次関根賞、第10回 全国大学国語国文学会賞、などを受賞した気鋭の研究者です。

250716_リレー谷崎チラシ.jpg

 大先輩である室伏信助先生の『源氏物語』の授業を私が聴講させていただいていた頃、大津さんは大学院生として受講中でした。とにかくよく調べて授業に望む学生さんとして、当初より注目していました。同窓の後輩として、今の勢いそのままに中之島図書館でも日頃の研究成果を披露してもらおうと思い、今回の講師をお願いしました。

 次のチラシに明記されているように、今回は芦屋市谷崎潤一郎記念館の協力を得ての開催です。
 チラシに掲載した愛蔵本『潤一郎訳源氏物語』は私が持っているもので、桐箱の蓋には谷崎自筆の署名があります。これを当日は持参し、会場で手に取って見てもらおうと思っています。直接触ることによる実感実証の体験をしてください。

 なお、次の日程で、「芦屋市谷崎潤一郎記念館 パネル展」も開催されます。テーマは、「文豪谷崎 決着の戦後 〜細雪と谷崎源氏〜」です。会場は、「新古典塾 平安文学リレー講座」の真下の2階にある多目的スペース1です。
 この企画展示も、お楽しみください。

250716_谷崎パネル展示.jpg




posted by genjiito at 18:06| Comment(0) | □谷崎読過

2025年06月12日

谷崎読過(50)「秋風」「途上」

■「秋風」
 最初に、東京では、春や秋らしい気候がなくなったことを述べています。最近は四季ではなく、夏と冬の二季が話題になっています。この作品は大正8年のものなので、100年前から春と秋は感じられなくなっていたようです。まさか谷崎が近年の温暖化を予見していたとは思えないにしても、この時代にこんな感じ方があった、ということをメモとして記しておきます。

此の二三年と云ふものは東京で秋らしい日に出會つたことがないからでもあつた。此れは私の僻みかも知れないけれど、東京と云ふところは近年非常に氣候が惡くなつたやうな心地がする。春も春らしい麗らかな日がめつたにないし、秋になっても一向秋らしい爽快な日が來ないのである。(147頁)

 さて、この作品は、塩原温泉を舞台とした、取りとめもない旅の記となっています。S子とTを話の柱に据えて、作者は傍観者の立場で語っています。風景の中の男女を描いている、谷崎らしさが感じられない展開です。【2】

 なお、『谷崎潤一郎全集(新書版・第十巻)』の解説で、伊藤整は次のように言います。この作品だけは他のものとは違うことを、記録的なものだからとしているのです。

 それ等の作品の中でたつた一つ違つた傾向の作品は「秋風」(大正八年十一月「新潮」)であらう。この旅行記かスケッチのやうな淡々とした外形の作品がこの巻に加へられてゐることは、見方によつては異様である。しかしこの作品は、これ等の作品が書かれた時期の作者の生活の一部分を描いたものといふ記録的な意味でここに加へられたものと思はれる。(295頁)

初出誌:「新潮」大正8年11月号



■「途上」
 当時はまだ珍しかった私立探偵が、まず出てきます。そして、男の前妻について、亡くなったことの推理が展開します。しかし、どうも理屈っぽい物言いで、こじつけのように感じられました。
 こんなやりとりがあります。

「それからですね、今お話の衝突の危險と云ふこともですね、既に衝突その物が非常に偶然な場合なんですから、その範園内での必然と云つて見たところが、極く/\稀な事ぢやないでせうか。偶然の中の必然と單純な必然とは矢張意味が違ひますよ。況んや其の必然なるものが必然怪我をすると云ふだけの事で、必然命を取られると云ふ事にはならないのですからね。」
「けれども、偶然ひどい衝突があつた場合には必然命を取られると云ふ事は云へませうな。」
「えゝ云へるでせう、ですがそんな論理的遊戯をやつたつて詰まらないぢやありませんか。」(178頁)

 以下、犯罪心理学が展開します。
 次から次へと提示される妻を死に至らせる手口の数々は、総合デパートのようです。あくまでも推測や推定を積み重ねての犯罪の立証です。確証はないものの、読者はその多彩な可能性を楽しむことになります。【4】


 解説で、伊藤整は次のように言っています。

「途上」(大正九年一月「改造」)は推理小説として典型的なものであるが、その面白さは論理的な思考のみで物語りを考へようとした作者の態度にある。同時代の作家の中では類の少い方法だつたであらう。(294頁)

初出誌:「改造」大正9年1月号




posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | □谷崎読過

2025年05月09日

谷崎読過(49)「柳湯の事件」

■「柳湯の事件」

 突然飛び込んで来た青年の様子が、詳しく観察した描写で読者に提示されます。その慌ただしさから、何か事件が起きたことを予感させます。
 青年の幻覚や錯覚が、果たしてどういうものなのか、自分が人殺しをしたのかどうかも含めて、高名な博士に判断してもらおうというのです。

 本人は自ら、「僕はたゞ、自分には氣違ひの血統があると云ふ事と、十七八の時から可なり激しい神経衰弱に罹り通して來た」(127頁)と言っています。
 また、次のような病気に関する誤った認識も見せています。

「僕は去年あたりから神經衰弱の上に重い糖尿病を患つて居ました。で、その爲めに、彼女の肉軆に愛溺する心はありながら、彼女の生理的慾望に十分な満足を興へる事が出来なくなつたのも、二人の不和を増大させる有力な原因だったに相違ないと思ひます。」(129頁)

「先生は多分、糖尿病と云ふ病氣が、神経衰弱とどれ程密接な關係があるかと云ふことを御存じでせう。それからまた、太つた人の糖尿病はさほど恐るゝに足らないけれども、僕のやうに痩せた人間の糖尿病は、極めて悪性なものであると云ふ事も御存知でせう。僕の場合には糖尿病が神經衰弱を重くさせたのか、或は其の反對であつたのか、執方が先だか分りませんが、兎に角此の二つの病氣は互に連絡を取り足並みを揃へて、僕の心身を一日々々に腐らせて行くばかりでした。」(130頁)

 中でも、「痩せた人間の糖尿病は、極めて悪性」というくだりには、おいおい、と言いたくなるところです。

 この作品に出てくる博士とT氏は、コナン・ドイルの探偵ものの主人公ホームズとワトソンのコンビを彷彿とさせます。

 さて、ヌラヌラとした感覚を好む性癖の描写が続く場面は、谷崎らしいと思いました。異常で敏感な触覚が語られているのです。そんな、谷崎らしい要素が詰まった作品だと言えるでしょう。【3】

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十巻』(新書版、昭和34年5月)の解説で、伊藤整は次のように言っています。私には、ここで言っている「出色」の意味がよくわかりません。

「小説としての具体性を生かし、感覚的描写を十分に行つてゐる点においては「柳湯の事件」が出色である。」(295頁)


初出誌:「中外」大正7年10月号




posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | □谷崎読過

2024年10月28日

谷崎読過(48)「雪」

 戦後の谷崎の随筆の一つです。
 東京育ちの谷崎は、長唄や清元には親しんでいたといいます。しかし、上方の地唄は関西に来てから知り、「雪」の思い出を語るのでした。
 話の中で、茶の湯の手前と、12、3分の地唄の演奏が合うように作られている、ということが語られます。茶道との関係の指摘は、とにかく新鮮でした。【3】

 以下、谷崎の当時の物の見方などがわかることとして、私がチェックした箇所を整理して引きます。

・いつたい人の死を悼む感情は、何處の國でも同じやうな性質のものだと見えて、外人の手に成るピアノの曲なども、割合にわれに理解されやすく、名演奏家の名曲をきけば深い感動を覚えることもあるけれども、たま/\「残月」のやうな曲に接すると、何と云ってもこれこそ眞に日本人の死を美化したもの極限であり、われ/\の死後の魂の行き着く所を示したものだといふ氣がする。(208頁)

・詞章の解釋も表面的であり過ぎる。殊に「凍る衾に鳴く音はさぞな」の「衾」を「襖」と穿きちがへた振などがあつたのは改めたであらうか。私は山村流の舞も、古い型を忠實に守ってゐるものは京舞に劣らず好きであり、此の舞などにも一往の美しさは認めるけれども、もつと原曲の心持を掘り下げた、しみ/"\とした氣分の出るやうな振であつたならばと思ふ。(210頁)

・あれだけの名曲の、而も井上流には最もふさはしい筈の舞が、京都にないといふのは残念であるから、たとひ新しい振附にせよ、是非とも京舞としての「雪」を完成し、山村流とは全然別趣の、いかにも京都らしいものを作つてくれることを、私は切に今の家元やさだ女あたりに望むのである。(210頁)

・これは餘談であるけれども、私は先年の戰争の期間中に、「細雪」の上と中とを書き上げた外にはこれといふ仕事もせずにしまつたが、消閑の具としては蓄音器の外にラヂオを聴くぐらゐなものだったので、浪花節を除く他のものは随分いろ/\と聴いてみた。そして結局ピアノが一番好きになってしまったのは自分でも意外であった。(215頁)

・こにもう一遍繰り返しておくが、さうは云つてもほんたうに自分の魂を「心の故郷」へつれて行つてくれるものは、矢張「雪」や「残月」のやうな自分の國の古典音樂に限るのである。(215頁)


初出誌:『新潮』昭和23年10月号




posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | □谷崎読過

2024年08月01日

谷崎読過(47)「月と狂言師」

 終戦から3年、京都の白川に住み出してからの話です。
 南禅寺の金地院での、錚々たる狂言師の贅沢な舞台の様子を語ります。そして、千作翁が月を愛でながら「木幡山路にゆきくれて月を伏見の草枕、……」と唄を吟誦すると、参会者一同があとを付けて合唱するなど、優雅な謡いの遊びになっていきます。「月はおぼろに東山……」と祇園小唄が出た頃には、谷崎も一緒に加わって謡うのでした。
 月が中天に懸かる頃には、酒の勢いもあり座が盛り上がります。隠し芸だとばかりに、地歌や狂言で満座は大喝采や大爆笑の渦となります。芸達者な人々が繰り広げる伝統芸能は、自由な雰囲気の中でその楽しさが活写されています。
 谷崎が好んだお座敷は、こんな感じだったのでしょう。芸人が芸の出し惜しみをすることなく、気さくな振る舞いは、東京にはない芸尽くしのおもしろさだったと言います。落語や漫才も出たというのですから、余興も大いに盛り上がっての月見の宴が終わります。
 記念すべき宴が、こうして記し残されることとなりました。【3】


初出誌:『中央公論』昭和24年1月号




posted by genjiito at 23:28| Comment(0) | □谷崎読過

2024年07月28日

谷崎読過(46)『小野篁妹に恋する事』

 作者は、「篁日記」が彼の異常な恋愛事件を扱った私小説だ、として取り上げます。話は昨今の、私小説・身辺小説・純文学・高級小説に及び、この日記の意義を確認しようとします。

「まだ此の日記はさう多くの人に讀まれてゐないやうに思へるので、ことに宮田氏の注釋を参考にして荒筋を述べ、ところぐの情景を拾って見るのも無益ではあるまい。少くとも平安朝初期頃の京都人の生活に憧れを寄せてゐる人々には、幾分美しい夢の材料ぐらゐにはなるであらう。」(『谷崎潤一郎全集』新書判、164頁)

 この直前に、次のように積極的に小説としては取り上げない事情を語っています。

ありていに云ふと、私は少將滋幹を書きつゝある間もしば/\此の日記のことが頭に浮び、これをも小説に書いてみたいと云ふ氣が動いた。 しかし平安朝を背景にした物語を二つもつゞけて書くことも如何であるし、歴史物は史實や故實を調べるのが大儀なので、何となく躊躇してゐるうちにいつか感興が去ってしまったのであるが、(164頁)

 多分に言い訳がましい口調です。そして、この小品の末尾は、次の言葉で終わります。

篁の戀の話はこれでおしまひであるが、こんな風に書いて見たら、矢張小説にすればよかったやうな残念な気がしないでもない。

 書き終わったものの、出来がイマイチとの思いが強く、心残りな気持ちで筆を置く姿が認められます。【2】

(昭和廿五年晩秋稿)

原題:「『篁日記』を讀む」

初出誌:『中央公論』昭和26年1月号





posted by genjiito at 21:07| Comment(0) | □谷崎読過

2024年06月26日

谷崎読過(45)「前科者」

 一人の芸術家が、詐欺を働いて前科者になりました。善人とは何か、悪人とは何かを読者に問いかけます。実に曖昧なのです。私には、終始観念論で語り続けられているように思えます。専門家が分析すると、的を射た考えとなるかもしれません。しかし、一読者から見ると、理屈の積み重ねにしか思えません。
 お金の貸し借りで、心理的な分析が展開します。しかし、これも、どうしてもこじつけでしかないと思いました。
 この、Kとの切るに切られぬ友情は、なかなか得難いものです。芸術を間において、人間の善悪が問題になっているのです。信頼する友人との約束をめぐり、二人の男の腹の探り合いは続くのでした。
 芸術を産み出す生命力と想像力は、己の人間性の劣悪さとは比べようもないことを、高らかに宣言して終わります。これも、芸術至上主義を標榜する作者の、自己擁護論となっています。【3】


初出誌:「讀売新聞」大正7年2月〜3月


今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十巻』(新書版、昭和34年5月)の解説で、伊藤整は次のように言っています。

「前科者」(大正七年二月十三月「讀賣新聞」)は、小説形式としては不十分なところがあるが、K男爵と主人公の話はその緊張感を最後まで持續してゐるもので、一種の心理小説または性格小説としては、この作者の小説の中でも際立つてすぐれたものである。(294頁)




続きを読む
posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | □谷崎読過

2024年06月13日

谷崎読過(44)『乳野物語 元三大師の母』

 谷崎は、自由気ままに思いのままに、自分が思うことや聞いたことや調べたことを書き綴っています。その中で、宗旨について次のように語ります。

 昭和廿二年の秋の彼岸には、師に乞うて曼殊院で父母の法要を營んで貰つた。と云ふのは、私の家は本來日蓮宗であるが、私はどうもあの宗旨が嫌ひなので、東京にある菩提寺にもめつたにお詣りしたことはなく、戰争で疎開してからはいよいよ佛事をおろそかにするやうになり、戰後京都に家居してからも、何處か此の地で然るべき寺を定めようと思ひながら、今日までぐづくに過してみたのであつた。
(中略)
 しかしながら、曼殊院は外ならぬ天台宗であつて、その昔比叡山で修行をした日蓮は、さすがに傳教大師や天台宗の排撃はしてゐない、云つて見れば日蓮宗は天台宗の出店のやうなものであるから、此の宗旨に變へる分には、悪口屋のお祖師様もまあ見逃してくれるであらう。(120頁)

 また、『少将滋幹の母』執筆の背景や、本作を執筆するに至る事情も、次のように語っています。貴重な思い出語りなので、長くなることを厭わず引用します。

そのうち私は毎日新聞のために「少將滋幹の母」を執筆することになつたが、此の作品を書きつある間に、光圓師の教を乞はねばならないことがつぎ/\に出て來た。たとへばあの中には不浄觀のことが書いてある。又滋幹の母が隠棲したことになつてゐる地、西坂本のを中納言敦忠の山荘のあつた所と云ふのは、ちやうど現在の曼殊院のあるあたりになる。滋幹は叡山の横川にある良源和尚の坊から、或る日雲母越えを下つて來て、偶然敦忠の山荘のほとりへ出、昔の母にふやうになるのであるが、その雲母越えは曼殊院の直ぐ上を行く坂道なのである。
それやこれやで私はたび師を訪ねて、不浄觀の教理や實踐の方法、叡山、雲母坂、一乗寺邊の地理や道程などについて質したのであつたが、師は私のうるさい質問にいつも快く感じてくれたばかりでなく、進んで有益な示唆をも與へてくれたのであつて、ありていに云へば、私があそこへ良源和尚を點出したのも、師の入れ智慧に依つたのであつた。
さう云ふ譯で、師はあの小説が新聞に載り始めると、毎朝熱心に愛讀され、批評や感想を寄せられたことも二三回あつたが、或る時私に、自分が材料を提供するからそれを小説にして見ては如何、自分の提供するものをあなたの筆で創作にしてくれたら、天台宗の宣傳にもなつて大變有難いのであるが、と云ふ話があつた。私としては、それがたま/\創作的感興を催さしめる底のものであつたら、一篇の作品に纏めてみる氣もないではないし、そんな風にして出来上ったものが師のお役に立つと云ふなら、結構なことに違ひないのであつたが、殘念ながらその折師から提供された材料と云ふのは、慈覺大師の顯揚大戒論に菅原道真が序文を書いたと云ふ、北野縁起にもちよつと出てゐる挿話であつて、これはどうにも小説になりかねるものであった。
(中略)
私は仕方なく、その理由を云つて師から借用した參考書類を返却したのであつたが師はなか/\そのくらゐなことでは諦めず、それではと云つて、二度目に提供してくれたのが、元三大師の材料であった。(122〜123頁)

 もっとも、元三大師の物語を書くにしても、資料が勝っている中での谷崎なりの創作はうまくまとまりそうにはなかったのです。そのあたりを、次のように回想しています。

私としては、矢張これを普通の小説の形式で書くのはむづかしく思へた。宇多法皇と月子姫との關係を骨子にして一般の興味を惹くやうな虚構の事實を多分に加へでもすればであるが、少將滋幹の場合と違ひ、大師のやうな佛教史上に顕著な足跡を印した人を、殊には日本の帝王であられた方を材料にしてありもせぬことを捏造し、まことしやかに物語ると云ふことは、私の今の心境に合致しないところである。が、小説の形式に囚はれることなく、もつと自由に、随筆風になら、何か書けさうな気がしたので、兎に角私は、師の手許から參考資料を借りて歸って来たのであつた。(127頁)

 という事情を経て、曼殊院の光圓氏から提供された元三大師の資料を元にして、本作品は語られるものだったのです。谷崎の創作手法の一端が伺える例証となることなので記しておきました。

 廬山寺の逸話も記されています。

大師はしば/\宮中に召されたが、いつも御所へ上る ことを歸る/\」と云つたので、大師が院の落胤であることを世人が誰も知るやうになった。(中略)
(大師に由縁のある寺町廣小路元天台宗古刹廬山寺に、大師が被つたと云ふ面を藏してゐる。大師は宮中へ參る時に、自分の美しい顔を女官たちに見られないやうにその面を被って行つたのだと云ふ。廬山寺ではその形を木版に刷り、元三大師降魔面御符として参拝者に頒つてゐる)(126〜127頁)

 大師が宇多法王の落胤であることの妥当性を、いろいろな資料を駆使して検証します。
 ただし、谷崎は大師に好意を持てなかったようで、いろいろと難癖を付けるような事例を挙げて書いていきます。

たゞかう云ふ型の坊さんは、いかに偉くても何となく俗つぽいやうに思はれて、心から追慕する氣にはなりにくいのであるが、平安朝初期頃の、貴族佛教が興隆せんとする時代に方つては、坊さんとして斯様な偉さを持つことが、一往必要であつたのかも知れず、最澄や空海にも矢張斯様な一面があつたのであらう。(143〜144頁)

 そのこともあってか、この物語はあくまでも大師の母に注視して綴られていきます。

此の物語は大師と母との關係を敍するのが目的であつて、大師その人のことはたゞ母との關連に於いて觸れようとするだけであるが、それにしても大師が實際にどれほど偉い人物であつたかと云ふことは、遺憾ながら天台宗の僧侶でない私などには正直のところよく分らない。(138頁下段)

 終盤は、雄琴村にある乳野(千野)における祭礼の民俗調査の様相を呈して来ます。聞書のようにして、大師の母を語ります。
 最後は、次の文章で随想を閉じます。

擱筆に臨み、私は光圓師に約束を果たしたとは云ふものゝ、その實師の氣に入らないことを多く書き、却つて天台宗の惡宣傳になり終ったかも知れないことを、深くお詫びする大第である。(157頁)

 結局この小品は、谷崎にとっては小説にならなかった作品、ということになります。【3】


初出誌:『心』昭和26年1月〜3月
原題:「元三大師の母−乳野物語−」




posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | □谷崎読過

2022年12月04日

谷崎読過(43)「白晝鬼語」

 親友の園村が、精神病の兆候を見せ始めたことから始まります。
 今日、向島で殺人事件があるので、それを見に行こう、と私に園村が言います。とにかく、奇想天外な行動と発言が展開する、一風変わった作品です。登場人物の物の見方や考え方が、現代とはあまりにもかけ離れているので、時代背景を読者が整理しないと支離滅裂な物語だとして、途中で読むのをやめてしまいかねません。
 子爵を殺した上に、薬で溶かしてしまったとされる女は何者なのか。変態性欲だとか殺人鬼だとも言います。誇大妄想とでも言うべき、実に自由気ままな想像力を駆使して、水天宮での殺人の推理を展開します。そして2人の男は、秘密を共有することになったのです。
 谷崎が持つ猟奇趣味が、この作品の背景にあります。悪魔主義でもなく、耽美主義とも違います。ただし、ここでの物語が、最後に嘘によって仕掛けられたものであることを明かすくだりは、読者を軽んじた作者の思い上がりがあるように思いました。
 本作は、作者の創作過程における初期の人間観を語った実験的なもの、という位置付けだと思われます。現実離れをした話で間延びしていたこともあり、私には退屈さが付きまといました。人間性を追求しているように思われます。しかし、それは中途半端なままに終わった、と言えるでしょう。【2】

 なお、手の上に指で筆談をしている時の文字がカタカナだったことは、当時の文字遣いに関する一つの資料になります。少し長くなることを厭わず、その箇所を抜き出しておきます。
「……僕はどうかして其の文字を讀みたいと思つて、ぢつと彼等の指の働きを覗詰めて居た。……」
園村は私の冷やかし文句などは耳に這入らないが如く猶も熱心に自分濁りでしやべつて行った。
「……彼等の指は、疑ひもなく、極めて簡單な字畫の文字を書いてゐた。僕は容易に、彼等が片假名を使つて談話を交換して居る事を、發見してしまつたのだ。
(中略)で、僕が片假名だと氣が付いた途端に、女は又もや男の手の上へそろそろと指を動かし始めた。僕の瞳は、貪るやうにして彼女の指の跡を辿つて行つた。その時僕が讀み得た文句は、クスリハイケヌ、ヒモガイイと云ふ十二字の言葉だつた。而も其の文字が男にはなかなか通じなかったと見えて、女は二度も三度も丁寧に書き直して執拗(フリガナ︰しつくど)く念を押した。男はやうや其の意味が分ると、やがて女の手の上へイツガイイカと書いた。二三ニチウチニと女が返辭をしたゝめた。(中略)彼等の秘密通信は、残念ながらそれでおしまひになつたのだが、しかし、クスリハイケヌ、ヒモガイイと云ふ十二字の文句は、果して何を暗示して居るだらう。イツガイイカとか、二三ニチウチニとか云ふ文句だけなら、密會の約束をして居るのだと推定する事も出来るけれど、クスリだのヒモだのが密會の役に立つ筈はない、女は明かに、男に向つて恐ろしい犯罪の相談をして居るのだ。『毒藥よりも紐を使って、.........』と彼女は男に指圖して居るのだ。」
(中略)けれどもよく考へて見ると、たとへ暗闇だとは云へ、多勢の人間の居る中で、片假名で人殺しの相談をするなんて、そんな馬鹿な真似をする奴が、ある譯のものではない。(14〜15頁)

 
初出誌:『東京日日新聞』大正7年5月23日〜7月10日
    『大阪毎日新聞』大正7年5月23日〜7月11日
    『金と銀』(春陽堂、大正7年10月、所収)
『谷崎潤一郎全集 第十巻』(昭和34年5月10日発行)による
 
 
 
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | □谷崎読過

2022年06月20日

谷崎読過(42)「鮫人」

 1918年のこと、27歳の芸術家である服部は、孤独で怠惰な生活を浅草でしていました。そこで語られる東京に対する不平と不満、反感と憎悪は、谷崎の精神生活から生まれる心の叫びでもあります。
 作者が早々に顔を出し、読者に語りかけます。

 諸君が若し松葉町の家に彼を訪ねて留守だつた場合に、其の日のうちに是非彼に會ひたいと思つたら、晩の九時から十時頃にそれ等のチヤブ屋を一軒一軒覗いて見るがいい。さうすれば諸君は間違ひなくそれ等のうちの執れか一軒に彼の姿を見出すであらう。(103頁下段)


 また、谷崎の最大の興味と関心のある食べ物について、執拗に語られます。作者は読者に語りかけながら、作品の中へと呼び込んでいこうとしているのです。
 浅草を取り上げての世相批判や世俗談義は、この時期の文明論となっています。井戸端会議でなされるような話題が、次から次へと語り出されるのです。情熱をもって、具体例が俎上にのぼるので、人名や物の名前などが資料性を帯びています。そして、浅草の存在を、自信満々に次のように評価しています。

一體君たちあ、今迄小ツぽけな文壇なんぞに引つ込んで居たのがよくないんだよ。憚んながら君の前だけれど、僕は今の文士なんて者はみんな馬鹿だと思つて居るね。みんな意氣地のない、ケチな野郎ばかりだと思ふね。民衆藝術だの何だのと云ひながら、一體どれだけ民衆の爲めに盡してるんだ。己たちなんか疾ツくの昔から民衆の味方になつてるんだぜ。此れで己たちが一つ蹈ん張りやあ、今に淺草から藝術の革命が起るんだ。小説家だらうが俳優だらうが、淺草を軽蔑する奴は殘らず撲滅されちまふんだ。(250頁上段)


 眞珠が男か女かという話は、この物語の中で問題提起がなされていると思われます。谷崎は、両性を近づけて見ているように思いました。女の側に立った視点に特色がある作家だと言えるでしょう。
 多彩な話題で、人間の種々相を物語ります。私には、谷崎が何か実験をしているのではないか、と思われました。人間関係をさまざまに組み合わせながら、登場人物の心の中を描き分け、そこから生まれる〈情〉というものを読者に語り伝えようとしているようです。本作は、どのような評価がなされているのか、今はわかりません。しかし、私が知っている谷崎らしさを、至る所で感じました。
 なお、本作の最後には「前篇終り」とあり、続く後篇は書かれませんでした。未完に終わったことの意味は、谷崎の芸術観が強く影響しているように思われます。具体的な舞台として猥雑な浅草を取り上げたことから、後篇の内容と展開に美と醜のバランスが取りづらかったのではないか、と勝手に想像しています。【3】

初出誌:『中央公論』大正9年1、3、4、5、8、9、10月号
『谷崎潤一郎全集 第九巻』(昭和33年11月30日発行)による
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | □谷崎読過

2021年07月31日

谷崎読過(41)「私の見た大阪及び大阪人」

 谷崎が関西を、大阪をどのように見ていたのかがわかる随想です。実に多方面を見渡しての、東京と比較して自由気儘に語っている、秀逸な文明批評となっています。
 私がチェックした箇所を列記します。

・左團次や菊五郎がめつたに上方の劇場へ來ることがなく、たまにあつても京都や寶塚や神戶あたりの舞臺に出るだけで、道頓堀の小屋にかくることが殆どないのは、どう云ふ譯か。此の兩人は決してコセコセした料簡の人ではないが、東京の歌舞伎俳優中で趣味や氣質が最江戶つ兒的であるから、恐らく關西の地方色なり人情風俗なりが彼等の潔癖に觸れるのであらう。(225頁)
 
 
・關東生れの人間が此方へ移り住んだ當座、少くとも此方の人の肌合ひに同化するまで五年か十年ぐらゐの間、「居心地が惡い」と云ふ程度の不愉快さを忍ばなければならないことは、今日も向否み難い事實である。斯く云ふ私自身も四五年前の「文藝春秋」に「阪神見聞録」なる稿を寄せて、大阪の「人間」に對する反感を露骨に述べ、爲めに土地の人の憎しみを買つたことを今に忘れない。たぶ私の場合には、幸ひにして此方の氣候と食物とが最初から東京よりも自分の體質や嗜好に合つてゐた。私の叔父や親戚なぞの中には、たまに此方へ遊びに來ても白い刺身に箸を付けず、煮物の水つぽいのが物足らず、醤油の仇鹽つ辛いのが氣に入らずと云ふやうな頑固な江戸つ兒があるが、私は味覚の點に於いては始めから西好みであった。そして今では所謂「贅六氣質」に對してさへ何等の不快を感じないのみか、むしろ一種の親しみを覚えるやうになつてしまった。正直のところ、私も此方へ一家を舉げて移って來た當座は正に罹災民であつて、東京が復興する迄の腰かけのつもりだつたのに、その私をして斯くの如く此の土地に根を生やさせてしまつたものは何んであらう。私は昨冬六甲山麓の岡本の山莊を賣り拂ひ、借家住まひの身の上になつたけれども、それでも上方を離れようと云ふ氣はない。出來得べくんば今後も永久に此の地に腰を据ゑ、やがては兩親の墓をさへ、分骨して此方のお寺へ持つて來ようと考へてゐるくらゐである。私のやうな純粋の東京者がさうまで此の土地と關係を結ぶやうになつたことを思ふと、不思議な因縁と云はざるを得ないが、それと同時に、關西の風土人情に對して、善いにつけ惡いにつけ、私の愛情が日増しに深くなつて行くのは甚だ自然の道理である。で、私が茲に大正十二年以來足掛け十年の觀察に基づいて上方文化の批評をするのも、あの「阪神見聞録」を書いた時のやうな皮肉な興味からでなく、今や第二の故郷たらんとする京阪の地への愛情からであることを断つておきたい。蓋し私はいつ迄たつても東京人たる本來の氣質を失はないであらう。從つて私の観察は、やはり何處迄も「東京から移住した者」の眼を以てすることになるであらう。しかしたま/\京阪人の缺點に向つて辛辣な悪口を飛ばすことがあるとしても、それは長年厄介になってゐる土地の人への老婆心であり、忠告であるから、特に關西の讀者諸君はその積りで讀んで頂きたい。(226〜227頁)
 
 
・大阪式のイヤ味を諒解するのには、あの寶塚少女歌劇の女優たちの藝名を見るのが一番早分りであると思ふ。たとへばあの中のスタアの名前に、天津乙女、紅千鶴、草笛美子、などゝ云ふのがある。かう云ふ名前の附け方はいかにも大阪好みであつて、こゝらが最も東京人から見て大阪人の感覺が一本拔けてゐるやうに思はれる所である。兎に角東京の女優にはこんな垢拔けのしない、――源氏名のやうな、千代紙のやうな、有職模樣のやうな、そして又一と昔前の新體詩のやうな、上ツ調子の藝名を持つてゐる者は一人もあるまい。假にどんな名女優でも、東京でこんな名前を附けてゐたら、そのために人氣の幾割かを損すること講け合ひである。(228頁)
 
 
・大阪の松竹樂劇部に比べると、寶塚の方が美人が多く、粒もよく揃ひ、技藝もずっと上手であり、衣裳や舞臺裝置などにも中々金が掛けてあつて絢爛眼を奪ふものがあるが、臭味と云ふ點になると、寶塚の方が餘計に臭い。元來此處では男の役までも女にやらせるのだから、そこに非常な無理がある。どうしても藝者のお浚ひじみ、三崎座じみる。そこへ持つて來て關西の婦人は音聲が甲高いから、セリフの多い芝居になると、上ずつたキイキイ聲ばかり耳について甚だ聞き辛い。それが「モン・パリ」や「セニヨリタ」のやうなレヴュウになつても、三枚目なぞが出て來て活躍する時は、藝が達者であればある程騒々しく、おまけにそんな女優たちは「少女」とは云ひ條相當な年揩ナあるから、いよ/\以て三崎座じみることになる。東京人だと、見てみる方が冷汗を掻くやうな氣がする場合があるけれども、大阪人はかう云ふ點に臆面がないのである。(229頁)
 
 
・聞けば今年の春あたりから男女共演の出し物を間へ挟むさうであるから、さうすれば追ひく見直すやうになるに違ひない。何んにしてもあのデレデレした、シヤナラシヤナラしたイヤ味だけは、我が愛する寶塚のために是非共矯正して貰ひたいと思ふ。(230頁)
 
 
・關西に於ける最もハイカラな區域と云へば阪急の夙川から御影に至る沿線であつて、あの邊に住んでゐる若夫人や令嬢たちは、随分洋服の眼も肥えてゐるし、趣味も進んでゐるし、金に不自由はないのだから、毛皮、手袋、ハンドバッグの好み迄ソツのあらう筈はないのだけれども、それでゐて何處かスツキリとしない。さうかと云つて、勿論田舎臭いのでも安つぽいのでもない。品のいゝことは飽くまでいゝのだが、つまり前に云ふ寶塚の少女と同様に、シャナラシヤナラして、お姫様が洋服をお召しになつたと云ふ感じが、どうしても抜け切れないのである。いつたい和服の色合ひでも關西の方が關東よりも派手であって、阪神沿道の暖國的風景、――濃い青い空、翠高フ松林、白い土の反射に、そのケバケバしい色彩が非常によく調和することは事實であるが、その和服の派手な好みをそつくりそのまクレプ・ド・シンのドレスなどに持つて來るのは一寸考へ物だと思ふ。彼女たち自身はそんなつもりでないかも知れないが、今も云つた氣候風土の關係で無意識のうちにさうなるのであらう。兎に角私なぞが見ると、阪神婦人の洋装には友禅模様の振袖の情趣が最後まで附いて廻つてゐる。綺麗で、きらびやかなことは無類だけれども、それが餘りに繊弱に過ぎ、優美に過ぎて、縮緬の長襦袢を着たのと選ぶ所なく、最も肝心な洋服の「精神」とでも云ふべきものが缺けてゐるやうに思はれる。きれ地は質素な紺サージでも、神戸あたりの混血兒のオフイス・ガールの方が矢張り本當の洋装をしてゐる。
これは色合ひばかりでなく、彼女たちの骨格や動作などが餘程關係してあるに違ひない。關東の方は昔から野蠻な氣風があり、女でもキビキビしたのが喜ばれたのだから、それが現代のフラッパアの心意地と比較的容易に合致して、坐作進退や表情法などもヤンキー式に同化する可能性が多いのに反し、關西の方は服裝ばかり取り換へても、體のこなしに數百年來のしとやかな習慣が沁み込んでゐるのではあるまいか。(233〜234頁)
 
 
・私は劇場で俳優のセリフを聽く時以外に日本語の發音の美しさなどに注意したことはなかつたのだが、大阪へ來て日常婦人の話し聲を耳にするやうになってから、始めてそれをしみ/"\と感じた。京女の言葉づかひが優しいことは昔から知られてゐるが、京都よりも大阪の方が一層いゝ。京都人の發音は、東京に比べればつやがあるけれども、大阪ほど粘つこくない。だから例のドス聲を出すやうなイヤ味もない代りに、それだけ魅力にも乏しい。私に云はせると、女の聲の一番美しいのは大阪から播州あたり迄のやうである。あれから西や南の方へ行くと又變な訛りや濁音が這入つて汚くなる。此の十年間に大阪から九州に至る國々の娘が幾人となく私の家へ奉公に來たので、私は彼女等の聲を聞いた經驗に依つてさう感ずる。それについて思ひ出すのは、曾て岡本の家に播州今津生れの女と、東京の近縣生れの女とが奉公してゐたが、二人を一緒に置いてみると、關東女の聲のスカスカして味も素つ気もないのが異様に耳に附いて聞き辛かつたばかりでなく、しまひには何んの科もないその女までが嫌ひになつたことがあった。(238〜239頁)
 
 
・大阪に、久保田万太郎君のやうな文人がゐないと云ふのは、返す/"\も惜しいことである。若し大阪に一人でも立派な作家が住んでゐたら、明治大正の間に「たけくらべ」や「すみだ川」に匹敵するやうな作品が一つや二つは生れてゐたであらうに、それらしいものさへないと云ふのは、此れだけの大都市の恥辱であると云っていゝ。それにつけても凡べての作家が郷土を捨て東京へ志すのは、大きく云へば日本文學の損失であると考へられる。(248頁)
 
 
・此の間或る新聞に某百貨店員の談話として、東京の婦人連はレヂスターの講け取り票を目もくれないでその場に捨て行くが、大阪の婦人連は十中の八九まで大切に持つて歸る、と云ふ記事が出てゐたのは、恐らく間違ひのない事實であらう。(250頁)
 
 
・大阪語には言葉と言葉との間に、此方が推量で情味を酌み取らなければならない隙間がある。東京語のやうに微細な感情の陰までも痒い所へ手の回くやうに云ひ盡す譯に行かない。東京のおしやべりは何處から何處まで滿遍なく撫で廻すやうにしやべるが、大阪のは言葉數が多くても、その間にポツンポツン穴があいてゐる。言語としての機能から云へば東京語の方が無論優つてをり、現代人の思想感情を表はすにはこれでなければ用が足りないであらうが、しかし隅々までホジクリ返すやうに洗ひ浚ひ云つてしまふのは、何んとなく下品なものだ。東京語の方が餘計丁寧な云ひ廻しを使って却つて品惡く聞えるのは、そのためなのだ。つまり自由自在に伸びるから、言葉に使はれる結果になる。ぜんたい「無言」を美コと考へる東洋にあつては、言語もその國民性に叶ふやうに出來てゐるのだから、その理想に背くやうに發達させると、少くともその言語に備はる美點は失はれてしまふ。今日こんなことを云つても一般には通用しないだらうが、さすがに關西の婦人の言葉には昔ながらの日本語の持つ特長、―十のことを三つしか口へ出さないで残りは沈黙のうちに仄かにたゞよはせる、あの美しさが今も傳はつてゐるのは愉快だ。(259頁)

 
初出誌:『中央公論』昭和7年2〜4月號
 
 
 
posted by genjiito at 22:28| Comment(0) | □谷崎読過

2021年07月12日

谷崎読過(40)「戀愛及び色情」

 お茶室に掛ける物では、戀をテーマにしたものは禁じられているとあります。禅語を掛けることは聞いていたものの、恋愛物については知りませんでした。

日本の茶道では、昔から茶席へ掛ける軸物は書でも繪でも差支へないが、たゞ「戀」を主題にしたものは禁ぜられてゐた。と云ふことはつまり、「戀は茶道の精神に反する」とされてゐたからである。
斯様に戀愛を卑しめる氣風は日本の茶道ばかりでなく、東洋に於いては決して珍しいことではない。(192頁)


 関連して、『源氏物語』や平安文学に言及したところを引きましょう。

「源氏」については古來いろ/\の說がある。儒學者は淫蕩の書として時に攻擊するものがあったのに反し、國學者はさながらあれをバイブルのやうに神聖視し、あの書の內容を以て最も道コ的な教訓に充ちたものであると云ひ、果ては作者の紫式部を「貞女の鑑」であると迄コジツケル者があるやうになった。が、ユジツケであるにもせよ、―――兎に角表向きはあの物語が「姪湯の書」であることを否定しなければ、―――さうして無理にも「道徳的」な「教訓的」な試み物であるとしなければ、―――文學としての「源氏」の立場がなくなるやうに考へたところに、矢張一種の「禮儀」があり、東洋人に特有な「體或を取りつくろふ癖」があるのである。(196頁)


平安朝の女は動ともすると男に對して優越な地位に立ち、男は又女に對してとかく優しかったやうな氣がする。清少納言が宮廷に於いてしば/\男子をヘコました話は枕草子を見ても分るが、あの時分の日記や、物語や、贈答の和歌なぞを讀むと、女は多く男から尊敬されてをり、或る場合には男の方から哀願的態度に出たりして、決して後世のやうに男子の意志に蹂躙されてゐない。

源氏物語の主人公は、大勢の婦女子を妻妾に持つたのであるから、形から云へば女を玩弄物扱ひにしたことになるが、しかし制度の上で「女が男の私有物」であったと云ふことゝ、男が心持の上で「女を尊敬してゐた」と云ふことゝは必ずしも矛盾するものでない。自分の財産の一部であつても貴重品と云ふものはある。自分の家の佛壇にある佛像は、もちろん自分の所有品に違ひないが、それでも人はその前に跪き、掌を合はせ、勤めを怠れば罰を受けることを恐れる。私がここで問題にしてみるのは、經濟組織や社會組織から見た婦人の位置でなく、男が女の映像のうちに何かしら「自分以上のもの」「より氣高いもの」を感ずることを意味する。光源氏の藤壺に對する憧憬の情は、露はに表現してはないけれども、やゝそれに近いものだつたことが推し測られる。(201頁)


 本作品は、谷崎の日本古典文学私感とでもいう趣を持っています。そして、谷崎の美意識が鏤められています。

平安朝の文學に見える男女關係は、さう云ふ點で外の時代と幾分違つてゐるやうな氣がする。敦兼のやうな男を意氣地がないと云ってしまへばそれ迄だけれども、これを云ひ換へれば女性崇拜の精神である。女を自分以下に見下して愛撫するのでなく、自分以上に仰ぎ視てその前に跪く心である。西洋の男子はしば/\自分の戀人に聖母マリアの姿を夢み、「永遠女性」の悌を思ひ起すと云ふが、由來東洋には此の思想がない。「女に頼る」ことは「男らしい」ことの反對とされ、凡そ「女」と云ふ觀念は、崇高なもの、悠久なもの、嚴肅なもの、清淨なものと最も縁遠い對蹠的な位置に置かれる。それが平安朝の貴族生活に於いては、「女」が「男」の上に君臨しない迄も、少くとも男と同様に自由であり、男の女に對する態度が、後世のやうに暴君的でなく、隨分丁寧で、物柔かに、時には此の世の中の最も美しいもの、貴いものとして扱つてゐた様子が思はれる。(199頁)


 この時期の谷崎のインド観がわかる箇所があるので、日本人の性欲に関連して述べているところから引いておきます。

ぜんたいわれ/\は他の方面に於いては可なり活動的な、精力的な人種であることは、過去の歴史に照らしても、現在の國勢に徵しても、明かなことである。われ/\が性慾にあくどくないのは、體質と云ふよりも、季候、風土、食物、住居などの條件に制約される所が多いのではないか。
(中略)
尤も世界には日本以上に濕氣の多い所もある。私の友人の或る會社員で、長らく印度のボンベイに勤めてるた者が、たま/\歸國しての話に、「いや、もう年が年ぢゆう蒸し暑くつて、べとべとして、とても溜らぬ。あんな所に又やられるなら辞職した方が優しだ」と云ふので、「それでもとき/"\歸國出來るぢやないか」と云ふと、「四年に一度ぐらゐ歸つて來たんぢや遣り切れない。彼處に長く住んで見ろ、誰だつて頭が馬鹿になつて、體ぢゆうが、骨の髄から腐つたやうになる、だから日本人だつて西洋人だつてみんな行くのを厭がるんだ」と云つてゐたが、とう/\その男は本當に會社を罷めてしまつた。蓋し數多い在留外人のうちには、日本に派遣されたことを、ちやうど日本人がボンベイへ派遣された如く感じてゐる者もあるに違ひない。(208頁)


 最終節で谷崎は、東洋と西洋の女性美を比べています。その部分を引きます。

東洋の婦人は、姿態の美、骨格の美に於いて西洋に劣るけれども、皮膚の美しさ、肌理の細かさに於いては彼等に優つてゐると云はれる。これは私の殘い經驗でもさう思はれるのみならず、多くの通人の一致した意見であり、西洋人でも同感する者が少くないが、私は實はもう一歩進めて、手ざはりの快感に於いても、(少くともわれ/\日本人に取つては、)東洋の女が西洋に優つてゐると云ひたい。西洋の婦人の肉體は、色つやと云ひ、釣合ひと云ひ、遠く眺める時は甚だ魅惑的であるけれども、近く寄ると、肌理が粗く、うぶ毛がぼうぼうと生えてみたりして、案外お座が覚めることがある。それに、見たところでは四肢がスツキリしてゐるから、いかにも日本人の喜ぶ堅太りのやうに思へるのだが、實際に手足を摑んでみると、肉附きが非常に柔かで、ぶくぶくしてゐて、手答へがなく、きゆつと引き締まった、充實した感じが來ない。
つまり男の側から云ふと、西洋の婦人は抱擁するよりも、より多く見るに適したものであり、東洋の婦人はその反對であると云へる。私の知つてゐる限りでは、皮膚の滑かさ、肌理の細かさは支那婦人を以て第一とするが、日本人の肌も西洋人のそれに比べれば遙かにデリケートであって、色は白ルでないとしても、或る場合にはその殘黄色を帯びたのが却つて深みを増し、含蓄を添へる。これは畢竟、源氏物語の古へからコ川時代に至る迄の習慣として、日本の男子は婦人の全身の姿を明るみでまざまざと眺める機會を與へられたことがなく、いつも蘭燈ほのぐらき閨のうちに、ほんの一部ばかりを手ざはりで愛撫したことから、自然に發達した結果であると考へられる。(221頁)


 これは、谷崎の差別意識というよりも、美意識の観点から、谷崎の作品を読む上で参考になる興味深い視点だと思います。さらには、本作で欧米の文化との比較は興味深いものが多いと言えます。【4】

※初出誌:『婦人公論』昭和6年4月号〜6月号
 
 
 
posted by genjiito at 19:43| Comment(0) | □谷崎読過

2021年06月11日

谷崎全集読過(39)「懶惰(らんだ)の説」

 怠けるということをテーマにした、興味深く楽しく読める随想です。

印度のタゴール翁、ガンヂー氏などは何んと云ふであらうか。彼等の國も物臭さに於いては敢て支那に引けを取らないやうであるが。
(中略)
兎に角此の「物臭さ」、「億劫がり」は東洋人の特色であつて、私は假りにこれを「東洋的懶惰」と名づける。(167頁)


 谷崎の物の見方や考え方を知る上で参考となる、興味深い話が並んでいます。
 日本人の歯に関する話は、昭和初期においてどれほど実態を反映したものかわかりません。しかし、谷崎を理解するにはいい話です。

近來都人の齒は日揩オに美しくなって昔のやうな亂杭歯や八重歯や茄子齒はめっきりと少くなった。男女を問はず、禮儀や容姿に氣を付ける人は、齒研き一つ買ふにしてもコリノスだとかペプソデントだとか、アメリカの舶載品を使って、念の入ったのは朝夕二度も齒を研く。だから日本人の歯は、一日々々と真っ白に眞珠色になり、それだけアメリカ人に近く、文明人になりつくある。人に快感を與へることを目的とする以上、これは悪いことではない。が、元來日本では八重歯や味噌ツ齒の不揃ひなところに自然の愛嬌を認めたもので、あまり色の眞つ白な齒がズラリと綺麗に列んでみるのは、何んとなく酷薄な、奸黠残忍な感じがするとされたものだつた。それで、東京、京都、大阪等の大都會の美人と云ふものは、(いや、男でもさうだが、)大體に於いて齒の性が悪く、且不揃ひである。殊に京の女の齒の汚いことは殆ど定説になつてゐる。(181頁)


 昭和5年当時の満洲に関する谷崎の認識が見られる個所があるので、今後の参考のために引いておきます。

現今の滿洲は支那に於いて最も秩序の保たれてある裕福な地方であり、近年は內亂も終熄してゐる形であつてみれば、さしあたり辯護の足しになる口實はあるまい。(175頁)


 全体として、後の『陰翳礼讃』につながる、日本文化論に流れていく話が展開しています。【3】
 
■初出誌:「中央公論」昭和五年五月号
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。本作は、貴重な文明批評だといえそうです。
日本的な思考法、生活意識をヨーロッパ系のものと對置させ、兩者の本質を鋭くとらへてゐる點において類の少いものである。僅かに私は、作者の友である和辻哲郎氏の「風土」がその種のものとして合せ見るべきであることを知ってゐる外に、これに較べられるものを思ひ出すことができない。(275頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:15| Comment(0) | □谷崎読過

2021年01月22日

谷崎全集読過(38)『金と銀』

 主人公青野は、落ちぶれる前の自分を思い出します。すばらしい空想の世界への憧れと共に、インドのガンジス川のことなどを。

ふと、五六年前、彼がまだ今日のやうに落ちぶれない時分、フランスから歸朝する際に暫く足をとゞめて居た中央印度のガンヂス河の流域の風光が、蜃氣楼の如く彼の眼の前に浮かんだ。ベナレスや、ラホールや、アムリツアルの町々の、夢の都のやうな不思議な色彩、寶石の結晶したやうな殿堂や寺院の建築、其處に住んで居る市民や行者の、お伽噺の人間じみた奇妙な服裝、−それ等の物が朧ろげになった記憶の底から、嘗て目擊した實在の世界とも、彼自身の空想の産物とも分らない程自由に精細に、燦然と彼の瞳を射るのであった。今もあの大陸のあの地方へ行けば、此の六月の青空の下に、あれ等の光景がまざまざと展開して居ると云ふ事實が、青野には何だか本當とは信ぜられなかった。(5頁下)


 お金もなく、人格的にもゼロの青野は、いまだに理解してくれそうな仲間を物乞いのように訪ね歩いています。
 本作でも、谷崎は人の感情を論理で割り切って語ろうとしています。不快感や嫌悪の情を、これでもかと描き出します。人間として良くないと思われる感情や行為を、赤裸々に語るのです。見たくない、聞いたくない人間の姿を見せられます。初期の谷崎の作品の特徴の一つです。
 そうかと思うと、こんなおもしろい表現で一人の若い女性を描写しています。

榮子はアトリエの隅の長椅子に腰をかけて、半分脱ぎかけたスリッパを、白足袋を穿いた鰈のやうなきやしやな足の先で弄びながら、書齋から戻つて來る大川に言葉をかけた。十八九の、體中がぜんまいのやうにしなしなと撓ひさうな、非常に滑かな背恰好の女である。相應に丈も高く、肉附きも豐かであるが、若し試みに胴中を持つて抱き上げでもしたら、水底から掬ひ上げられた藻草のやうな鹽梅に、べつたり濡れて垂れ下るかと思はれるほど、その手足はなまめかしく柔かに見える。鏝で縮らせたらしい髪の毛の二つに分れた裾が、面長の兩頰に鬖々と波を打つて、その房々した波間から、流れに咽ぶ石ころのやうに露はれて居る耳朶には、日本の女に珍しい土耳古石の青い耳環が、殿堂の檐を飾る風鐸の如くちらちらと搖いで居る。(24頁上)


 画家青野が栄子をモデルとして描く場面は、言葉を鏤めた凝りに凝った表現がなされています。谷崎らしい、と言える文章です。

 青野が描く絵の題名に関して、インドの影響が絡んでいます。こうした谷崎のインド体験は、いろいろな作品の中で確認できます。この作品も、その一例といえます。

⾭野は其の繪に何と云ふ題を附けていゝか分らなかつた。其處に現れて居る風俗や、建築や、幻の女や、それ等の持つて居る奇怪な美しさは、此の世の中に比類を求めることが出來ない。けれども若し、嘗て地球上に榮えた事のある國土のうちから、又その國土に住んで居た神や惡魔や人間のうちから、強ひて匹儔を求めるとしたら、其れは⾭野が常に憧れて居る印度古代の傳說の世界であつた。昔、釋迦牟尼佛が祇園精舎に法輪を轉じつゝあつた摩掲陀の國、阿難尊者を邪淫の闇へ陷れた惡行に依つて、經文の中に其の名をとゞめて居る妖女マアタンギイの住んで居た國、―その世界こそ、彼の幻に最も近いものであつた。數年前、歐羅巴から歸朝する際に其れ等の傳說の跡を訪れた⾭野は、未だにあの地方の空の色や、廢墟や、森林や、外道の神祠や、市街の有様を想ひ浮べる度毎に、それが現代の中央印度の景色ではなくて、マアタンギイの生きて居る摩掲陀の國であるやうに感ぜられた。少くとも彼女と彼女の住む世界とは、彼の頭の中に花を咲かせ實を結んだ。不思議にも彼は、邪念と獸性との光に燃ゆる榮子の眸に想到する時、いつも彼女をマアタンギイに擬して居た。さう云ふ譯で、⾭野は彼女をモデルにして畫かうとする今度の繪の題を、「マアタンギイの閨」と呼んで見た。勿論構圖の中に現れて來るものは、全然彼の夢を以て織り成された空想の所產であつて、必ずしも印度古代の風俗や傳說に準據したのではないにもせよ、⾭野は其の畫題に何等の不調和をも矛盾をも見出さなかった。⾭野に取つては、マアタンギイの名と榮子の肉體とは、もはや傳説の中のものでもなく實在の人間の姿でもなく、彼の胸臆の聖壇に祭られてある神の名であり肉體であつた。(41頁)


 後半は、不自然さを隠すための、犯罪者の心理が語られていきます。人目を忍び、密かな行為に愉悦を感じる谷崎の世界です。この後半については、以下の伊藤整の解説を参照願います。【4】
 
 
■初出誌:「黒潮」大正七年五月號、「中央公論」の同年七月發行の「秘密と開放」號
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。ここで「検閲」とあります。どのようなことなのか、機会をあらためて考えたいと思います。

「金と銀」は、大正七年五月號の「黒潮」に前の部分四分の一ほどが掲載され、同年七月發行の定期搖ァ「秘密と開放」號の「中央公論」に多少加筆して後の部分と一緒に「二人の藝術家の話」といふ題で掲載された小説である。この年、作者は數へ年三十三歳であった。(中略)この小説は、後半に入るに從って一種の藝術論的な作品となり、殺人行為や性倒錯や藝術家の苦悩そのものまでが、その手段となる観を呈してゐる。前半がかなり詳しく書かれ、後半結果をやや急ぎすぎたため、そのテーマが露骨になった傾きがある。それは、検閲その他の顧慮によつて、書きにくい場面があったからだらうと思ふ。(258頁)

 
 
 
posted by genjiito at 21:49| Comment(0) | □谷崎読過

2020年05月10日

谷崎全集読過(37)『卍』

 この物語の中核をなす園子と光子の往復書簡のことを紹介するにあたり、文中には「作者註」があります。そこには、封筒の大きさや細かなデザインの説明が記されています。谷崎は、艶やかな趣味の世界を読者に体感できるように表現しようとしているのです。王朝文学の懸想文のイメージの再現です。また、谷崎が考えていた東京と大阪の女についても、わかりやすく説いています。まず、長くなることを厭わず、その箇所を引いておきます。

(作者註、柿內未亡人がほんの一部分だと云つたところのそれらの文殼は、約八寸立方ほどの縮緬の帛紗包みにハチ切れるくらゐになつてゐて、帛紗の端が辛うじて四つに結ばれてゐた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭は紅を潮し、そこを抓つてゐるやうに見えた。やがて中から取り出された手紙の數々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのやうであつた。なぜならそれらは悉くなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷りの封筒に入れられてゐるのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやつと這入る程に小さく、その表面に四度刷り若しくは五度刷りの竹久夢二風の美人畫、月見草、すゞらん、チューリップなどの模様が置かれてある。作者はこれを見て少からず驚かされた。蓋しかう云ふケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たとひそれが戀文であっても、東京の女はもつとさつぱりしたのを使ふ。彼女たちにこんなのを見せたら、なんてイヤ味ツたらしいんだらうと、一言の下に軽蔑されること請け合ひである。男も彼の戀人からかう云ふ封筒の文を貰つたら、彼が東京人である限り、一朝にしてあいそを盡かしてしまふであらう。とにかくその毒々しいあくどい趣味は、さすがに大阪の女である。さうしてそれが相愛し合ふ女同士の間に交されたものであるのを思ふ時、尚更あくどさが感ぜられる。とくにその手紙のうちから此の物語の真相を知るのに參考になるものだけを引用するが、ついでにそれらの模樣に就いても、一つ/\紹介するであらう。思ふにそれらの意匠の方が時としては手紙の內容よりも、二人の戀の背景として一層の價値があるからである。−)
(五月六日、柿內夫人園子より光子へ。封筒の寸法は縱四寸、横二寸三分、鴇色地に櫻ン坊とハート型の模様がある。櫻ン坊はすべてゞ五顆、Kい莖に眞紅な實が附いてゐるもの。ハート型は十箇で、二箇づゝ重なつてある。上の方のは薄紫、下の方のは金色。封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取つてある。レターペーパーは一面に極くうすい高ナ蔦の葉が刷ってある上に銀の點線で罫が引いてある。夫人の筆跡はペン字であるが、字の略しかたにゴマカシがないのを見れば、相當に習字の稽古を積んだものに違ひなく、女學校では能筆の方だつたであらう。小野鵞堂の書風を更に骨無しにしたやうな、よく云へば流麗、わるく云へばぬらりくらりした字體で、それが又不思議なくらゐ封筒の繪とぴつたり合つてゐる)(30頁下〜31頁下)


 物語の中では英語やフランス語も混じっています。手紙が知的な交流であることを示すためでしょう。
 そんな中での、園子と光子の濃密な関係は、園子の身勝手な行動と論理で語られます。現代の若者は、これをどう読むのでしょうか。知りたいところです。
 光子が苦しんでのたうちまわるくだり(「その14」谷崎全集73頁)は、真に迫った描写がなされます。ただし、これは光子の狂言で、次第にお互いがこの芝居を楽しむという、谷崎らしい展開となっています。
 光子を美しさの対象として崇拝するという考え方が次第に明らかになっていきます。園子と綿貫は、次第に光子の策略にはまり、虜になってしまったという構図です。そして、綿貫は園子との姉弟の約束を固いものにするために、証文としての誓約書を2通作るのです。しかも、血判付きのものです。その内容と行為には、人間の愛情と関係を言葉で制御する、谷崎流の考え方が見えます。後に、谷崎が実際に実行することです。
 やがて、自殺未遂をきっかけに、園子と夫を光子は支配します。疑心暗鬼や嫉妬の心をうまく利用して、睡眠薬を毎晩使って2人を思い通りに操るのです。自分を太陽のように崇拝させることで満足感を得るのです。いかにも作り話であっても、人の心理を突いた展開です。物語としてはうまいと思いました。谷崎がストーリーティラーと言われるゆえんです。
 そして、〈物語〉を閉じる流れが実に巧みです。語り手である園子が、話題をスーッと読者に預けてきます。谷崎の面目躍如というところです。
 なお、最終節の一つ手前の「その三十二」で、「たつた一人貧乏鬮抽いたのん●●●●で」(158頁)とあります。この作品を読まれる方のために、ここではそのことばは「●●●●」として伏せておきます。さらに「此の●●●●から後で意趣返しされるやなんて、夢にも思ひ寄りませなんでん。」と語ります。この作品の終わり方を思うと、〈物語〉の最終段階でこのように言ってしまうと、これから先の展開が読者には見えてしまいます。なぜ、谷崎はこのように、今後の展開をわざわざここで漏らしたのでしょうか。私は、このくだりはない方が良かったと思います。谷崎によくある、終わりを急いだ、ということなのでしょうか。作者自身が集中力を切らしたのではないか、と私は思っています。谷崎の小説作法を考える上で、参考になると思われるところです。【4】
 
 
■初出誌:『改造』昭和三年三月号−四年四月号、六月号−十月号、十二月号−五年一月号、4月号
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。谷崎と関西と古典のつながりを考える上で参考になるため、長文ながら関係する箇所を引きます。

「卍」が雑誌「改造」に書きはじめられたのは、昭和三年三月、作者が數へ年四十三歳のときである。作者が關西に定住して「痴人の愛」を書いた大正十三年から數へて五年目にあたる。この昭和三年は、昭和文學全體から見ても劃期的な時期に當る。實質上、新しい文學の世代としての昭和文學はこの年にはじまつた、と言つていいのである。(270頁)
(中略)
「卍」は阪神地方の知識階級の女性の日常語で書かれた小說として、特にその文體が問題になつた。しかし、雑誌に掲載された第一回は標準語に近い文體であつたが、第二回以後大阪言葉に改められ、單行本になるとき全體が大阪言葉で統一されたのである。關西の言葉には、一般の文章語なる口語體にない柔軟さと、微妙な陰翳の把握力とがあつて、特に女性の心理描寫に適切である。それをこの作者が、十分にこの作品に生かしてゐることが、當時、新しい文體の創出に苦心してゐた後輩の作家たち、特に新感覺派、新興藝術派系の作家たちや、その系統のものに親しんでゐた讀者の關心を強く引いた。この作品は、昭和三年三月から連載され出して、終つたのが昭和五年四月である。作者は初めこの作品の第一稿を普通の口語文體で書き、それを關西の女性の手で飜譯させ、さらに手を入れて完成したのだといふ。(272頁)
(中略)
「卍」は作者の關西移住後の作風轉換の第一期を劃するすぐれた作品であるが、その題材から言つて現代小說であり、「蓼喰ふ蟲」とともに、それ以後の古典時代の作品と區別されてゐる。前に私は「卍」は作者におけるモダニズムの終りに當ると書いた。しかし、「蓼喰ふ蟲」がその題材において、特に後牛の部分で、關西情緒への作者の深い關心を示してあるやうに、「卍」もまたその現實把握の方法、その表現の方法において、標準語的表現によるリアリズムから脱し、關西語を通して、古典的な表現の領域へ入らうとする試みの一つと見ることもできる。古き日本の傳統的說話方法によって、古典的寫實手法の成立する第一歩がそこに築かれてゐるからである。作者の古典時代は、先づ關西の傳統藝術への關心、關西の傳統的な表現法についての省察等によって準備され、そこから遡って、「亂菊物語」(昭和五年)の華麗な過去の物語の展開を行った後に、沈潜的な古典物語の様式に入つて行つたのである。關西語系の表現の中に古典への道を發見した點において、「卍」は特殊の意義を持つ作品である。(274頁)

 
 
 
posted by genjiito at 18:36| Comment(0) | □谷崎読過

2020年05月07日

谷崎全集読過(36)「愛なき人々」

 妻を友人に譲る話と、その後日譚です。人間と財産がセットでやりとりされ、契約が成立する経緯が語られます。実際に、昭和5年に谷崎が佐藤春夫に妻を譲渡したことがありました。発表当時はともかく、そのことを知っていて読む今の読者にとっては、作り話らしさは薄められて感じられます。
 そうであっても、女性の帰属先をめぐるこの話は、今の若者には理解不能だと思われます。あくまでも、谷崎の女性観から描かれた世界として読む作品であり、谷崎を理解するためにはいい作品です。
 ここに語られる男の身勝手としか言いようのない論理は、その時代背景と谷崎の個性抜きには語れません。その意味では、本作は作品というよりも資料として価値を持つものだと思います。
 第三幕は、大いに盛り上がります。ただし、時間がなかったのか、少し荒っぽい結末です。【2】
 
 
初出誌︰『改造』大正12年1月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第八巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
人生において真の愛の失はれることがあり得るだらうか、といふ疑を持ちながら書いたやうに見えるのが「愛なき人々」である。そして、この作品においては、作者は、金のために友人の棄てた妻を手に入れる小倉なる人物を設定することによつて、その豫想を實現し得たかのやうに見える。しかしこの作品は、前作ほど十分に書き込まれてゐるとは言はれないところがあり、一應形としてはまとめてゐながら、なほ作者自身が滿足しないところがあるやうに思はれる。(258頁下段)

 
 
 
posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | □谷崎読過

2020年01月29日

谷崎全集読過(35)「愛すればこそ」

 これは、谷崎潤一郎らしさが随所に見られる、初期の戯曲作品です。
 圭之助は妹を、母の牧子と共に「あれ」と呼びます。名前で呼ばないところに、妹が厄介な存在であることを示しています。この妹の澄子は、山田という男と同棲しているのです。それを、疎ましく思う気持ちが、この劇の冒頭から示されます。
 情に脆い澄子は、歌劇俳優の山田に溺れています。母と兄は、何とか救いの手を差し伸べては失敗してきたのでした。
 来訪中の圭之助の親友である三好は、帝大理科の助教授です。澄子に理解を示し、それが愛情になっています。
 そこへ刑事が、山田のことで来ます。この橋本家は今は亡き高官の家で、署長命令で刑事が差し向けられたのです。山田が詐欺で訴えられたためでした。澄子との現在の関係を問い質されます。
 それにしても、警察がなぜここまで親切心で介入するのか、今の感覚では理解できません。そんな時代背景がある、ということにしておきます。
 結局のところ、刑事は山田を詐欺ではなくて窃盗という単独犯にしたいがために、橋本家が澄子を山田から引き離し、引き取るようにと依頼して帰ります。
 同席していた三好は、澄子を愛しています。それだから、澄子の山田との乱れた生活に理解を示し、その責任の一端は自分にもあると考えているのです。谷崎特有の恋愛心理が形作られ、語られます。とにかく、善人同士の理解の示しあいで進んでいきます。
 三好の次の言葉が、そのことを表しています。

僕は澄子さんを愛すればこそ、黙つてじつと澄子さんを山田君の手に委ねて居るのだ。さうしなければ僕の愛は成り立たないのだ。(133頁上段)


 それにしても、3年間もじっと運命に縛られて見守る三好という男は、あまりにも理屈で形作られ過ぎていて、不自然に思いました。論理で作られた男だからです。
 対する澄子は、山田には哀れみと同情で離れられない、と言います。愛と情で縛られたという言い訳です。谷崎作品によく出てくる、女がよく口にすることです。これに、男は騙されるのです。
 純粋で心優しい三好は、澄子が自分の愚かさを許してくれという哀願を包み込んで同化します。この男の、人の良さが前面に出ています。澄子が繰り広げる、その場しのぎの言葉を受け入れるのでした。澄子の殺し文句にイチコロです。

澄子 (中略)もう私はあなたの所へ参れるやうな人間ではないのだと、あきらめてさへ居たのでございます。どうぞあなたのお力で私を昔の澄子になすつて下さいまし、私を世間の冷めたい人の眼から庇つて下さいまし、………今こそ私は、永久にあなたのものでございます、……-私を信じて下さいまし、……
三好 分りました、よく分りました、僕は一度だつてあなたを疑つたことはなかつたのです、僕は昔からあなたを信じて居たのです、あなたが僕をお捨てになつた其の時から。

  三好、手を差し伸べて澄子の手をしつかりと握る。(147頁上段)


 山田は、警察に連れて行かれます。みんながほっとしたところで、澄子は山田がかわいそうなのでまた山田のところに帰ると言い出します。身勝手な理屈ではあるものの、澄子は山田の愛に応えて救うのが自分の義務だとも言います。弱い立場の人間に、情に絆されて理性を忘れているのです。
 後半は、三好と山田の恋愛観がぶつかります。今の感覚では、犠牲的な精神の恋愛論なので、その感覚は理解できても、真意は伝わりにくいと思われます。
 最後は、もっと盛り上がる展開を期待したので、大いに期待外れでした。谷崎にとって、独自の恋愛観が形成された成果として、貴重な作品だと思われます。また、後に妻を佐藤春夫に譲渡する事件を下支えする内容でもあります。人間が鮮明に描かれた作品となっています。【3】
 
 『谷崎潤一郎全集 第八巻』(中央公論社、昭和34年6月)の「解説」で、伊藤整は次のように言います。
「愛すればこそ」は、作者の三十歳代を代表する大作かつ力作であり、今日これを讀みかへしても、その印象は新鮮で壓倒的である。この作品が成立したとき、その餘韻として形成されたやうに見えるのが「愛なき人々」である。(256頁下段)
(中略)
「愛すればこそ」と「愛なき人々」の二篇には作者は餘程の愛着を持ち續けてゐたらしく、戦後に、二度にわたつて、別々に加筆訂正が行はれた。即ち、昭和二十二年四月文潮社發行の單行本「愛すればこそ」に載つてゐるものがその第一種であり、また昭和二十五年十二月創元社發行の「谷崎潤一郎作品集」第八巻に載つてゐるものがその第二種である。
 この二種の改訂版はともに初出本に較べて大きな斧鉞の跡が見てとられ、しかもこの二種の加筆版は、直接關聯がなく、それぞれ別な立場からあるやうに見えることが、編集部の研究によって明らかとなつてゐる。この全集のテキストは、創元社本を底本とし、文潮社本を参考にして作製されたものである。(257頁上段)
(中略)
 あらゆる種類の人間的な汚辱の中をつき抜けて、しかもなほ愛情は成立し得るものであるか、といふのが、この作品において作者の提出した疑問であり、この作品の効果から言ふと、作者は、然り、それはなほ成立し得る、と答へてゐるかのやうである。その意味で、この作品は人間性について肯定的な答を出し得たものと見ることができる。(257頁下段)


書誌:『改造』大正10年12月号、第1幕「愛すればこそ」
   『中央公論』大正11年1月号、第2幕・第3幕「堕落」
 
 
 
posted by genjiito at 19:14| Comment(0) | □谷崎読過

2019年09月18日

谷崎全集読過(34)「十五夜物語」「仮装会の後」

■「十五夜物語」(戯曲)
 江戸時代は寛永頃、谷中の寺子屋が舞台です。ある日、名主が娘を嫁にしてくれと、浪人で読み書きを教える友次郎の元に来ます。しかし、妻ある身のために結婚はできないのでした。その妻が、3年の年季を明けて吉原から帰って来ます。月が、自分たちの互いの魂を映す鏡だと言います。
 帰ってきた妻との話が第2幕です。病気がちの妻に、友次郎は不満です。二人の魂が離れていくのを互いに愛おしく思い、共に死んで魂を浄化させようとします。しだいに谷崎の世界になっていきます。夫の母の病を治すために廓に行ったことを悔やみ、母の逮夜で十五夜の月を見ながら冥土へと旅立ちます。友次郎の妹が、この物語を終始背後で支えています。【3】

※初出誌:『中央公論』大正6年9月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第八巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。

この作品は、夫とその母親のために遊里に身を沈めた人妻が、肉體的な自己喪失と、それに附随する心理的違和のために、夫婦の愛の失はれたことに気づいて苦しむ。しかしなほ、記憶の中にある自分たちの愛の世界の恢復を唯一の生き甲斐として、その精神的な充足のために生命を断つのである。この作品はまた、大正十四年に作者が書いた「マンドリンを弾く男」を思ひ出させるものがある。(258頁)



■「仮装会の後」(戯曲)
 4人の男の会話から、美しいものと醜いものの闘いで、醜くても勝てるということを論じます。美醜の論争が、多分に机上の論理と共に展開します。理が先行する内容に、辟易する読者も多いことでしょう。
 最後の、醜男だけが悪魔の美を持っている、という結論は、広く支持されるものなのでしょうか? 理屈先行で、私には付いて行けない論争です。【2】

※初出誌:「大阪朝日新聞」大正7年1月

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第八巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。

(中略)對話劇は、男性と女性の相互間の牽引性についての問題劇として讀むべきものであらう。(258頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:06| Comment(0) | □谷崎読過

2019年06月19日

「浮かれ源氏」のパンフレットから物語を再現

 先週末に、「谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」」(2019年06月15日)をアップしました。その「鴬姫」という戯曲作品に関して、「浮かれ源氏」がミュージカルになっていたことを取り上げたことがきっかけとなり、そのパンフレットを入手する幸運に恵まれました。

190619_ukare-G.jpg

 また、このミュージカルで笠置シズ子が歌った音源が見つかり、CD化されていることもわかりました。
 これは、また後日にして、ここでは、このミュージカルのストーリーが確認できるように、プログラムからその物語展開を再現してみます。谷崎潤一郎の「鴬姫」とはまったく異なる展開の、エンターティンメント性の高いミュージカルであることがわかります。『源氏物語』がこのようにパロディー化されたという受容史の興味深い資料として、以下に掲載します。
 なお、表記にあたっては、仮名遣いはそのままにしつつも、旧漢字は新漢字に書き換えています。



「浮かれ源氏」


 

秦 豊吉



190619_tanizaki.jpg

 歌舞伎、映画、宝塚と至るところ「源氏物語」ばやりとあつては、遅ればせながら、わたくし流の「源氏」を、と頭をひねつてみた。そこで「浮かれ源氏」、英語名「スウィング・源氏」とあつては、どんなものか。
 踊りに「浮かれ坊主」、六代目菊五郎のお得意のもの、パラマウント映画に「浮かれ姫君」、小波山人のお伽噺「浮かれ胡弓」、俗曲に「浮かれ節」とあつては「浮かれ源氏」もおかしくない。
 「源氏」となると、何はともあれ、まず谷崎潤一郎先生に教えを乞わなければならぬ。私が先生の名作「鶯姫」をぜひ舞台でやつてみたいと思つたのは、すでに昭和九年の大昔で、その時先生からお許しを得たまゝ今日に至つた。谷崎先生の源氏研究は、事新しく今日の現代語訳に始まつたのではない。すでに先生の青年時代の小戯曲「鶯姫」に始まつているのだ。処は桜咲く春の京都、ある女学校の国文学の老教師が、平安朝を夢に見るのが話の発端。この教師が生徒の中に、平安朝の姫君のように可愛らしい少女を認め、ほのかな愛着を感じる処へ、夢に鬼が現れ、この時代に連れてゆかれ、この少女そつくりの鶯姫を発見して奪つて羅生門へ逃げ込むと、陰陽師安倍晴明に祈られ、雷神に羅生門の上から蹴落されたと思つたのは、実は校庭で居眠りの椅子からころげ落ちていたという、実に美しく、楽しく、愛らしい小戯曲である。新橋の東おどりが、上演したいと希望したと聞いたが、ご尤もな話である。後年の先生の「源氏」の夢はことごとくこの短篇に溢れている。
 私は先生とお目にかかるたびに、この「鶯姫」上演の遅延の申訳ばかりしていたが、やつと二十年後に、これを果す事が出来る時になつた。私としては実にうれしい。私はその間に、この戯曲を宝塚にも上演を勧めたが、果さなかつた。やつと自分の手にかける事の出来るのは本懐である。
 私はこの夢物語の「鶯姫」を、新しい音楽喜劇にする積りである〈ママ〉そうするには、どうしてもパロデイ化す〈ママ〉ほかはない。この老教授が平安朝を好きなら、一層光源氏に若返つて鶯姫を好いてみたらどんなものか。今日の源氏学者の説によると、平安朝の人間は、どんな女性でも愛人として選ぶことができ、どんなに美しい才能のある女性でも、これを愛人として沢山持つ事によつて、自分の国が栄え富むのだという思想である。これが「色好み」の思想と名付けられたが、そうなると平安朝の日本人の理想は、まさにギリシヤ哲学と同じものではないか。この象徴こそ光源氏であると、諸先生方は云われるのである。
 源氏学者は、この物語を、もののあわれ化しておられるが、十一、二歳で異性の肉体を知り、情欲にかけては何のお叱りもない若い男女が、几帳の陰で一夜を語り明かしたといつても、誰もこれをおしやべりばかりして徹夜したとは考えられない。「源氏」を肉体小説だといつても、決して「源氏」を卑むわけではなく、今日の学説にはひいきのひき倒しが多いが、もつと平安朝の情欲生活を明にして頂くのも人間的ではあるまいか。
 おつと、これは私の悪い癖で、口数が過ぎたようである。桜の庭に遊ぶ女達、鶯、車びき、金色の極楽、昔なつかしい地獄カラクリ〈ママ〉源氏の君の英語御教育、ついでにストリツプ源氏と、私の「浮かれ源氏」を考えるのは、私の最も幸福な時間である。(14〜15頁)



源氏各説



☆とにかく源氏は人間ですよ。彼は聖人ではないただの人間なのだ。しきりに気まぐれな恋愛をやる。 −池田亀鑑−

☆十一二歳で結婚した平安朝貴族の男女の精神年齢は今日の常識では律し得ない。 −池田亀鑑−

☆源氏を見ますと、人間の一番立派な美しい徳は、色好みであるという事になつております。 −折口信夫−

☆ほんとうの色好みは、日本人の理想でした。宮廷の理想であり、公家の理想、それが又庶民の最もあこがれた美しい夢になりました。 −折口信夫−

☆心も容貌もとりどりに捨つるべきものなく、と苦しがりながらも、どんな女性にも何等かの取柄を見出して愛しないでいられないし、またどんな女性に満足し切れないのである。 −関みさを−

☆青春の日に読んだ源氏物語は、若き源氏の愛の生活の香のやうに映じた。 −久松潜一−

☆今人から考へれば、平安朝人は、性欲の点に就いては、殆ど粗野な自然人であつたといわねばならぬ。 −津田左右吉−

☆男子が正室の外、多くの婦人に通じていた当時の習慣は事新しくいうには及ばぬ。その正室よりも、初めから正室と定まつてはいずまた初めから男の家へ迎えられたのでない場合が多いという風であるから、正室ならぬ婦人の情交が必ずしも永続しないのは不思議ではない。 −津田左右吉−

☆男には幾人でも妻を持つ事が許されて、女は惨めに泣いて暮すのね。 −大映「源氏物語」−


190619_enoken.jpg

第四回帝劇ミユージカルス

浮かれ源氏



 二部二十三景


  − 谷崎潤一郎作「鶯姫」のパロデイー −

   第一部

  プロローグ


 ここはストリツプ劇場。今しも「ストリツプ源氏」の幕が上る。ヌード居並び十二単衣をきた女が唄いながら着物を脱ぐ。見物中の女学校国文学教諭大伴先生は憤慨して思わず「やめろ、やめろ!」と怒鳴る。
  大伴先生 榎本健一
  オーケストラ指揮者 三木のり平
  歌う十二単衣の女 マリア・ローザ
  絵の女 X・小夜

 (中略)

  第二景 或る学会


 王朝文学の研究会に大伴先生が出席して今日観てきた「ストリツプ源氏」は平安朝文学を侮辱するも甚だしいと憤慨しながら話す。そこへ紅式部が現われて−野暮なことを云わないで、社会科の参考に「ストリツプ源氏」を観ていらつしやい−と云う。
  大伴先生 榎本健一
  紅式部 松田トシ

 (中略)

  第三景 女学校々庭


 放課後である。大伴先生がストリップを見物に行つたことが生徒の間に問題となる。生徒壬生春子は噂の真疑を心配するが、先生から文学の参考にみに行つたに過ぎないときかされてホツとする。けれど、大伴先生は壬生という名前から大宮人を連想し、王朝を憧れるあまりとかく壬生をヒィキにするので京極を初め他の生徒たちが嫉妬するのであつた。壬生が置いて行つた鶯の籠の傍で、大伴先生は源氏物語をヒモトイているうちについ眠つてしまう。と、羅生門の青鬼が現われて、神通力により大伴先生を憧れの平安朝時代へつれて行く。
  大伴先生 榎本健一
  女学生京極文子 笠置シヅ子
  同 壬生春子 筑紫まり

 (中略)

  第四景 羅生門


 青鬼と一緒に羅生門の楼上に立つた大伴先生は、葵祭りの賑いをみて、あの美しい姫たちのところへつれて行つてくれと頼む。
  大伴先生 榎本健一

 (中略)

  第五景 車争い


 葵祭の賑い。市女笠の踊り。雑色の唄。そこで牛車の衝突事件が起る。車争いの主は片や左大臣家の鶯姫、片や右大臣家の京極姫であるから面倒だ。青鬼に伴われてきた大件先生は、鶯姫が壬生春子そつくりなのに吃驚する。.
  大伴先生 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第六景 約束


 大伴先生はなんとかして、この壬生によく似た鶯姫と言葉を交してみたいと、青鬼にたのむ。青鬼は、鶯姫と契りを結ばないと誓うのなら、大宮人にしてやろう。しかも女にモテる光源氏にしてやろうと云う。
  大伴先生 榎本健一

 (中略)


  第七景 朧月夜


 紅学会々員山田先生が、紅式部から源氏物語の中の朧月夜のところを教えてもらつている。
  紅式部 松田トシ

 (中略)


  第八景 太子昇殿


 光源氏にして貰つた大伴先生は殿上人に迎えられる。先生は日頃の含蓄を傾けて大和言葉で話しかけ、一寸ガクのある処をみせる。
  光源氏 榎本健一

 (中略)


  第九景 宮中歌合戦


 成年に達した源氏は、帝の御諚により、歌により妃を選ぶことになつた。京極姫を初め我れと思わん姫君たちによつて一大歌合戦が宮中に開かれた。最後に登場した鶯姫の声をきくと、源氏の君は思わず「壬生春子さん」と叫んで大宮人を吃驚させてしまう。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平
  紅式部 松田トシ
  末摘花姫 山田周平

 (中略)


  第十景 太子御教育


 大伴先生の源氏は鶯姫ばかりを追つかけるので、これでは原作の源氏物語と筋が違うと殿上人は噂とりどり。一方愛される帝になるべく、プリンス源氏は紅式部先生に就いて英語を勉強する。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  紅式部 松田トシ
  末摘花姫 山田周平

 (中略)


  第十一景 苦しい時の鬼頼み


 京極姫に追い駆けられて、源氏はほとほと困り果て青鬼に助力を頼む。鬼は自分も源氏になつて京極姫のお相手を勤め様と云う。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子

 (中略)


  第十二景 池のほとり


 やつと二人きりになれた源氏と鶯姫は池のほとりで恋を囁く。片方では鬼の源氏が京極姫に、恋愛の定義について語つたりしている長閑かな春の日−源氏はその夜鶯姫の部屋へ忍んで行くことを約束する。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十三景 御簾の前


 御簾の赤い房を目印しに忍び込んだ源氏は両方の部屋に赤い房が下つているので大いにマゴつく。
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)


  第十四景 女の部屋


 首尾よく鶯姫の部屋で甘い恋の睦言を交わしたのも束の間、嫉妬にかられた京極姫に騒がれる。鶯姫の部屋にいたのは小野小町という和歌の先生だが、これが怪しげな人物であつたため大騒動となる
  光源氏 榎本健一
  京極姫 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十五景 極楽への道


 愛する源氏とも逢えなくなつた鶯姫は、窮屈な宮中を抜け出す。跡を追つた源氏は、易者に鶯姫の居所を占つて貰う。
  光源氏 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平

 (中略)


  第十六景 キヤバレー・極楽


 キヤバレー・極楽は女人ばかりの楽園であつた。飲んで唄つて淋しさをまぎらわせていた源氏は、鶯姫を発見する。再び逢えた二人は永遠に変わらぬ愛を誓う。余りの嬉しさに青鬼と約束した愛の限度を越したため、哀れ源氏は地獄へ堕ちなければならない。
  光源氏 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)

− 休憩 −

  第二部


  第十七景 地獄の門


 地獄に堕ちた源氏が裁かれる日である。地獄ではその噂さでもち切りである。特に女鬼たちは一張羅の虎の皮のスカートをはいたりして、大めかし。源氏はどこまでも人気がある。
  ニユーフアツシヨンの女鬼 マリア・ローザ
  同 X・小夜

 (中略)


  第十八景 源氏裁判


 閻魔大王裁判長によつて地獄法廷が開かれ、源氏の好色の件が取調べられる。源氏物語は文学であつても、光源氏の所業は倫理規程に反すると、鬼検事は有罪を論告する。弁護人側の主張は浮かれ源氏は光源氏に非ず大伴先生であるという。結局源氏の所業を浄玻璃の鏡にかけてみると、鴬姫と契りを結び、青鬼との約束を破つたことがわかる。そこで源氏は地獄の責苦を加えられ、赤鬼にされてしまう。
  光源氏 榎本健一
  検事 笠置シズ子

 (中略)


  第十九景 参道


 源氏の君の行方がわからないので鶯姫は清水様へ願をかける。その途中で赤鬼になつた源氏にさらわれようとする。この危難を救つたのは一寸法師である。一寸法師は赤鬼から買つた打出の小槌で忽ちに大きくなる。
  赤鬼 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり

 (中略)


  第二十景 藤の花の宴


 左大臣家で藤の花の宴が催される。大きくなつた一寸法師即ち渡辺少将と鶯姫の縁組みの催しである。赤鬼になつた源氏は鬼女となつて鶯姫をさらつて行く。このこと知つた陰陽師阿倍晴明は雷神に祈つて鬼を退散させようとする。
  赤鬼 榎本健一
  鶯姫 筑紫まり
  父左大臣 三木のり平
  阿倍晴明 如月寛多

 (中略)


  第二十一景 雷神


 阿倍晴明に呼び出された雷神がその偉力をたたえて跳躍する。
  雷神 笠置シヅ子
  阿倍晴明 如月寛多

 (中略)


  第二十二景 羅生門


 羅生門の楼上に、赤鬼の源氏が鶯姫をさらう。そこへ雷神が現れて大格闘となる。そして赤鬼は楼上から突き落されてしまう。
  赤鬼 榎本健一
  雷神 笠置シヅ子
  鶯姫 筑紫まり


  エピローグ


 いままではすべて大伴先生の夢であつた−大伴先生は椅子から落ちて目を覚ます。
 春の花の校庭はやはり長閑かである。大伴先生は籠の中の鶯を放してやる。鶯も春を謳いながら飛び去つた。それに和するように若い女生徒たちの歌声が春の悦びを歌つている。
  大伴先生 榎本健一
  女学生京極文子 笠置シヅ子
  同 壬生春子 筑紫まり

 (後略)

 (挿入歌の歌詞は省略)

 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □谷崎読過

2019年06月15日

谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」

 『谷崎潤一郎全集』の第8巻(昭和34年6月、中央公論社)は戯曲集です。
 巻頭には、次のモノクロ写真が置かれています。
 これは、『源氏物語』の受容資料として貴重なものです。

※「浮かれ源氏」(「鴬姫」のパロディー)
 (昭和二十七年三月帝劇ミュージカルス)
  榎本健一の大伴先生
  筑紫まりの女学生
190615_enomoto.jpg 
 
■「鶯姫」(戯曲)
 1幕5場の内、第1場と第5場は現代、第2場から第4場までは王朝時代となっています。
 京都の女学校で、国語の教師である大伴先生に学生がテニスをしようと呼びかける場面から始まります。そこで、「つきづきしい」という言葉が出てきます。この『枕の草紙』に出てくる言葉を、3年生ではない2年生の生徒はまだ教わっていないと言います。平安朝を意識した話題を振っている箇所です。
 そうこうする内に、大伴先生はうつらうつらと眠りかけてしまいます。そして、平安朝の羅生門の鬼、渡辺綱に腕を斬られたという鬼に、平安時代に連れて行ってもらうのでした。タイムトラベルです。
 鶯姫が出てきます。しかし、仕掛けが十分には練られていなかったせいか、盛り上がりに欠けます。ここで話を打ち切っては、中途半端すぎます。次の物語を楽しみにしましょう。【2】

※初出誌:『中央公論』大正6年2月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
「鶯姫」(大正六年二月「中央公論」)は一種の幻想劇としての面白さを持つたものである。この作品は、現代の女学校、平安朝の貴族の酒宴の場、屋上の鬼と少女などの姿を舞台にのせることによつて効果を生むものであり、オペレッタのやうな作劇術をそこに見るべきものと考へられる。(259頁)

 
 
 
■「或る男の半日」(戯曲)
 小説家の間室が、原稿を取りに来た雑誌記者に、できてもいない原稿をさも完成間近のように言い訳をします。この冒頭の場面は、物書きには身につまされる年中行事でもあるので、谷崎潤一郎もその手を使うのか、とニヤリとします。人間の心理を読んだ場面として、秀逸です。
 この小説家は見栄っ張りで、借金に苦しめられながらも贅沢をします。自制が効かない性分なのです。まさに、谷崎の生き様をよく反映している人物です。そこをよく理解した妻は、能天気な夫に対して、冷静に接していくのです。この取り合わせが、おもしろく組み立ててあります。
 郊外だという渋谷や代々木が、遠くて寂しいところだとあります。この作品が書かれた大正6年が遠く感じられました。
 最後に意外なオチを置いて、軽妙な劇は終わります。ユーモアを交えた、知的生活を送ろうとする遊民を描き出したものです。【3】

※初出誌:『新小説』大正6年2・5月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
一種の性格劇であり、同時にユーモラスな効果を狙つて現代智識階級人の生活批評を行つたものである。(259頁)

 
 
 
posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | □谷崎読過

2019年04月16日

谷崎全集読過(32)「或る漂泊者の俤」「母を戀ふる記」「不幸な母の話」

■「或る漂泊者の俤」
 中国・天津での話です。ボロボロ、ヨボヨボの男の姿を丹念に描きます。街の活気や賑わいを言葉で再構築しようとする中で、この男の尋常ではない様が浮き彫りになっていきます。雰囲気を伝える手法を模索する中での、作者としては文章修行の一つのように思いました。【2】
 
初出誌:『新小説』大正8年11月号
 
 
 
■「母を戀ふる記」
 日本橋での豊かな生活を畳み、片田舎に逃れての貧しい、惨めな生活に身を置くことになった、少年時代の自分の姿や考え方が五感を織り交ぜて語られています。冒頭の夜道の描写が印象的です。街道を歩き続けながら、見えたもの聞こえたもの会った人のことを、天空に月を置いて夢語りが続きます。母恋しさに想いを込めて綴られた作品です。【4】
 
初出誌:『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』大正8年1月〜2月
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
教科書などにもしばしば掲げられてゐる「母を戀ふる記」(大正八年一月、「大阪毎日」「東京日日」)は、母を描いたこの作家の小説としては究極的なものである……(239頁)

 
 
 
■「不幸な母の話」
 兄の結婚以来、母は人が変わったように別人になったと言うのです。息子たちの新婚旅行中に、嬉しさのあまり後を追って行き合流する母。しかし、帰りに船が転覆し、兄が母よりも妻の方を先に助けたことから、母の息子への失望から駄々っ子ぶりが酷くなるのでした。このおもしろおかしい展開に、読者は惹きつけられます。語り手の兄の遺書が、また読者を釘付けにします。谷崎の物語の設定がうまいところです。まさに、「カルネアデスの舟板」の話です。偶然とはいえ、人間の根源を突く物語といえるでしょう。【5】
 
初出誌:『中央公論』大正10年3月号
 
 
 
posted by genjiito at 19:16| Comment(0) | □谷崎読過

2019年04月10日

谷崎全集読過(31)「小さな王国」

■「小さな王国」
 東京で小学校の教員をしていた貝島は、立身出世を諦めてからはG県に移り住み、自然の中で生活を営みます。
 その学校で、転校生がクラスを仕切るようになります。先生は、その過程を具に見て、この生徒たちの力関係について考えます。そして、その生徒が多くの生徒に言いつけを守らせていることから、教師にできないことを可能にしていることに脱帽するのでした。生徒と同一化して一緒に遊ぶ心構えが必要だとの結論に至るのです。
 先生は、次第に生活が苦しくなる中で、赤ん坊のミルクにも困ります。そこで、子どもたちが遊んでいた手製のお札での買い物ごっこにかこつけて、仲間にしてもらってミルクを手に入れようとするのです。子どもの遊びと現実が交錯し、正気を失っていく先生の姿が活写されます。人間の弱さと、かろうじて踏みとどまる大人が、巧みに描かれています。【5】

初出誌:『中外』大正7年8月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。少し長くなることを厭わずに、以下に引いておきます。

 「小さな王國」は大正七年八月號の「中外」に發表された。この作品が發表された翌々月の大正七年十月、當時の指導的社會評論家であつた吉野作造が「中央公論」の「時論」において次のやうに述べた。「『中外』八月號に載せられた谷崎潤一郎氏の『小さな王國』は我國現代の社會問題に關し頗る暗示に富む作物である。小學生の單純な頭腦から割り出された共産主義的小生活組織の巧みに運用せらるゝ事や、前途有望を以て自らも許し人も許して居つた青年教育家の生活の壓迫に苦しめる結果、不知不識其共産的團軆の中に入つて行く經過は、一點の無理がなくすら/\と説き示されて居る。作者の覘ひ所は何れにあるにせよ、我々は之によつて現代人が何となく共産主義的空想に耽つて一種の快感を覺ゆるの事實を看過する事は出來ない。而して少しく深く世相を透觀する者にとつて、今やしゃ社會主義とか共産主義とかいふ事は、理論ではない、一個の嚴然たる事實である。」この前年の大正六年十月に、ロシアの十月革命が成立してゐたのである。
 簡單に言へば、この作品は少年の世界に形を借りたところの、統制經濟の方法が人間を支配する物語りである。現代社會は必然的に統制經濟の社會へと推移しつつある。その統制經濟社會で、ある權力のもとに發行される紙幣が、卽ち經濟上の約束が、人間の生活意識を變へ、人間の價値判斷を狂はせるといふ物語りである。谷崎潤一郎の全作品の中で最も特色のある現代社會の批判性を備へた作品と見ることが出來る。吉野作造がこれを面白いと思つたのは、大きな必然性があつた。
 一般的に言ふと、明治時代は、封建性の濃厚な社會秩序の重壓から人間性を解放する努力がされた時代であり、無意味な古き秩序に抵抗する力點となつたのが、明治三十年頃からの社會主義者たちの行つた社會改革運動であり、また文士たちの作品活動を通して戀愛の自由を主張することによる愛情生活の改革であつた。そして大正期前半においては、自然主義者たち、夏目漱石、「白樺」派の人々の仕事を通して、個人の人格、その自由が文學作品の上では通念として確立されてゐた。しかし、この時、別な危險、卽ち個人の自由を原則として成立した資本主義制度は、その確立とともに、組織化された經濟力として人間を支配し、その考へ方を人工的に變化させ、人間を組織の奴隷とする危險が起つてゐたのである。そしてこの危險は、もつと新しい統制經濟を行ふ共産主義社會においても必ず起り得るものであり、現代社會の本質にある組織の非人間性につながるものであつた。
 谷崎潤一郎はこの作品においてそれを諷刺してゐるやうに今の讀者の目には見えるであらう。しかし、そのやうな圖式的諷刺性はこの作者に縁のないものである。むしろ、作者はさういふ物語りを面白いと思つて書いたのであらう。しかし、面白いと思ふことは、その物語りの實質が人間性にとつて關係がある、といふ藝術家の判斷である。面白さが人間生活の本質にかかはりがある時、それは結果として社會問題道徳問題に關係があることとなる。作者の面白がつた面と吉野作造の面白がつた面とは、眞實といふ楯の兩面であつたのだ。
(中略)
 作者はまた、一篇の「小さな王國」を興味ある物語りとして描くことによつて、更に、經濟的な拘束が人間の自主性を奪ひ、自由な人間を奴隷に變化させてしまふ危險のあることを證明した。周知のやうに、これ等のテーマは、實に現代の文學の中心にある二大テーマと言つていいのである。(265〜267頁)

 
 
 
posted by genjiito at 20:17| Comment(0) | □谷崎読過

2019年02月28日

谷崎全集読過(30)『少将滋幹の母』

 『大和物語』や『源氏物語』の注釈書を引きながら、谷崎好みの平安朝の男たちが描かれていきます。そして、50歳も年下の妻を持つ大納言藤原国経に、時の権力者である時平が目を付けるくだりから、物語がおもしろくなります。
80歳に近い国経は、若い美貌の妻に対して、満足させられなくて申し訳ない気持ちを持っていました。そこへ、時平が割って入るのです。まずは、物量を投入します。

折にふれて何とか彼とか口實を設けては、矢繼ぎ早やに使者が來るのであつた。大納言は時平に格別な考があるのだらうなどゝは疑つても見ず、たゞもう有難さと恭さで一杯であつた。誰しも老年になると、若い人からちよつとしたいたはりの言葉をかけられても、つい嬉しさが身にこたへてほろりとするものであるのに、まして生れつきおめでたい、氣の弱い國経なのである。殊に相手は甥と云つても、天下の一の人であり、昭宣公の跡を繼いで攝政にも關白にもなるべき人であるのが、さすがに骨肉の親しみを忘れず、何の取柄もない老いたる伯父に斯くまで眼をかけてくれるとは。
「やつぱり長生きはするものですね」
と、或る晩老人は、北の方のゆたかな頬に皺だらけな顔を擦りつけて云つた。
「わたしはあなたのやうな人を妻に持つて、自分の幸福はもう十分だと思つてゐましたのに、そのうへ近頃は左大臣のやうなお人から、斯やうに優しくして戴ける。……ほんたうに、人はいつどんな時にどんな好運にありつくか分らないものです」
老人は、北の方が默つてうなづいたのを自分の額で感じながら、一層つよく顔を擦り着け、兩手で項を抱きかゝへるやうにして彼女の髪を長い間愛撫した。(『谷崎潤一郎全集 第27巻』26頁)


 人間の心の中に巧みに分け入り、ずる賢さと人の良さを手玉に取った物語展開が、読む者の関心を引き込み、楽しませてくれます。
 時平が歓待されてしたたかに酔って帰ろうとする時になって、引き出物についての国経との駆け引きが見ものです。
 「物惜しみをしない証拠」として、何にも変えがたい宝物である妻を差し出せとのこと。感謝の酔狂の中で、国経は時平に最愛の妻を渡すことになるのです。恋しい妻を人に譲った自分の胸の内を、谷崎は丹念に語ります。言い訳以上に、論理的に整合性を付けようとするところに、谷崎の性格が現れています。
 このくだりには、平中に関わらせて後日談があります。それを、古今集、十訓抄、今昔物語(谷崎は集を付けない)、後撰集、世継物語、大和物語、宇治拾遺物語などの古典に記されている逸話を引いて、歴史的な伝承の重みも付け加えています。
 その平中の話も、逸話を盛り込んで楽しませてくれます。侍従の君を忘れたいばかりに、排泄物を盗みます。しかし、相手もさるもの。芳しい香りの造作物にすり替えられています。尿は丁子を煮出したもの、塊は黒方の薫物に、という話はよく知られているものです。
 時平と道真の怨霊話を間に挟んで、後半は母を慕う滋幹の物語となります。母を恋う男の子の話です。また、父の姿を凝視する息子が描かれます。月光の下、死骸が累々と積まれた中で、父が女人の前で蹲る場面は、妻を慕う国経の老残に凄みを感じます。
 滋幹は、父国経の語る不浄観について、日記に記し残していたというのです。作者は、それを基にして、父が息子に語る話を述べるのでした。難しい話になった時に、手紙や日記を使うのはよくある手法です。
 物語の最終節で滋幹は、出家した母の籠る雲母坂の一乗寺あたりに思わず知らず赴きます。山荘にいると聞いている母のことを想いながら、朽ち果てた庵や瀧の情景の中を彷徨います。このあたりの描写は、谷崎らしい情緒的で妖艶な語りとなっています。意識的に物語を盛り上げようとする作者の気持ちが籠った行文です。
 春を盛りに爛漫と咲く桜と幽遠な月光、そして瀧の落ちる音が静寂の中に響きます。そんな夢幻の夕桜の下に、尼となった母の妖精のような姿を認めます。谷崎の世界です。
 この作品は、歴史と文学のあわいを往き来しつつ、時々作者が顔を出して語っている物語となっています。堅苦しくない語り口なので、歴史物語に引きずり込まれる思いで読みました。【4】

 巻末の文章を引きます。

「もし、………ひよつとしたらあなた樣は、故中納言殿の母君ではいらつしやいませんか」
と、滋幹は吃りながら云つた。
「世にある時は仰つしやる通りの者でございましたが、………あなた樣は」
「わたくしは、………わたくしは、………故大納言の遣れ形身、滋幹でございます」
そして彼は、一度に堰が切れたやうに、
「お母さま!」
と、突然云つた。尼は大きな體の男がいきなり馳せ寄つてしがみ着いたのに、よろ/\としながら辛うじて路ばたの岩に腰をおろした。
「お母さま」
と、滋幹はもう一度云つた。彼は地上に脆いて、下から母を見上げ、彼女の膝に凭れかゝるやうな姿勢を取つた。白い帽子の奥にある母の顔は、花を透かして來る月あかりに暈されて、可愛く、小さく、圓光を背負負つてゐるやうに見えた。四十年前の春の日に、几帳のかげで抱かれた時の記憶が、今歴々と蘇生つて來、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になつた氣がした。彼は夢中で母の手にある山吹の枝を拂ひ除けながら、もつと/\自分の顔を母の顔に近寄せた。そして、その墨染の袖に沁みてゐる香の匂に、遠い昔の移り香を再び想ひ起しながら、まるで甘えてゐるやうに、母の訣で涙をあまたたゝび押し拭つた。(114頁)

 
 
初出誌:『毎日新聞』昭和24年12月16日〜25年3月9日 連載(挿絵:小倉遊亀)
メモ:本作は、『細雪』が完成して1年半後であり、また本作完成後の6月から『新訳 源氏物語』の執筆開始。
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □谷崎読過

2017年09月12日

谷崎全集読過(29)「西湖の月」

■「西湖の月」

 上海から列車で杭州へ行く折に見かけた中国の女性を、日本の女性と比べながら丹念に描きます。紀行文の体裁をとった作品です。
 杭州駅から西湖畔のホテルに行く途中で、車夫にお金をせびられたことなど、旅の逸話などが添えてあり谷崎の人柄が忍ばれます。
 ホテルの隣室には、列車で一緒だった美人姉妹がいました。気にかけながらも、杭州の西湖周辺の観光に出かけるのでした。月光を浴びながら西湖の湖水の上を船で遊覧し、夜の西湖に身を置いた感激を丹念に綴っています。
 そんな中から、一文を引いておきます。

 首を擧げて四方の陸をぐるりと眺め廻した後、今度はそろ/\と眼を下の方に向けると、私の視野に這入るものはやがてたゞ一面の波ばかりになつてしまつて、何だか船が水の上を渡つて居るのではなく、水の底に沈みつゝあるやうな心地がする。もし人間がほんたうに斯う云ふやうな心持で、靜かに/\船に遙られながら、うと/\と水の底へ沈んで行く事が出來たなら、溺れて死ぬのも苦しくはなからうし、身を投げるのも悲しくはあるまい。おまけに此の湖の水は、月明りのせゐもあらうけれど、さながら深い山奥の靈泉のやうに透き徹つて居るので、鏡にも似た其の表画に船の影が倒まに映つてゐなかつたら、殆ど何處から空氣の世界になり何處から水の世界になるのだか區別が附かないほど、底の方まではつきりと見えて居るのである。(220頁)
 
 此の水の数滴を掌に掬んで暫く空中に曝して置いたなら、冷やゝかな月の光を受け留めて水晶の如く凝り固まつてしまふだらう。私の船の櫓はそのねつとりとした重い水を、すらり/\と切つて進むのではなく、ぬらぬらと捏ね返すやうにして操って行くのである。をりをり櫓が水面を離れると、水は青白く光りながら、一枚の羅衣のやうに其れヘベつたりと纒はり着く。水に繊維があると云つてはをかしいけれど、全く此の湖の水は、蜘蛛の絲よりも微かな、さうして妙に執拗な弾力のある繊維から成り立つて居るやうにも感ぜられる。兎に角にも綺麗に澄んだ水ではあるが、輕快ではなく寧ろ鈍重な氣分を含んだ水なのである。(220頁)


 こうした表現は、観たまま、感じたまま、聞いたままを、硬質の文章にして、意識的に読者に提示しているのです。

初出誌:『改造』大正8年6月号
※「青磁色の女」を改題

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第六巻』(昭和33年6月、新書判、中央公論社)の解説で、伊藤整は次のように言っています。この作品の背景を理解することと位置づけを考える上で参考になると思われるので、以下に引いておきます。

 この時期の作者の異國趣味はやがて作者を驅つて現實の海外族行をさせることになつた。卽ち大正七年、数へ年三十三歳のとき、作者は、その年三月から住んでゐた神奈川縣鵠沼あづまや別館の家をたたみ、妻千代子と長女鮎子とを、日本橋蠣殻町に米穀仲買店を營んでゐた父の許に預け、十一月に單身中國旅行に出發した。その旅程は朝鮮、滿洲、天津、北京、漢口、九江、南京、上海周邊に及んで、十二月の末に上海から船で歸國した。(264頁)


 私が西湖に行ったのは2007年3月でした。その時の文章は、ブログのサーバーがクラッシュしたために再現できないまま今に至っています。残念です。あの時に行った西冷印社の印鑑は、今も大事に持っています。自分が足を留めた地が物語の舞台になると、作中のイメージが思い合わされて背景に色が付くので大いに楽しんで読めます。本作の杭州の地の話は、まさにそうした想いで読みました。【3】
 10年前の現地での記録として、写真だけでも掲載しておます。

070306seiko.jpg


070306_seireiinsya.jpg


070306-inkan.jpg
 
 
 
posted by genjiito at 19:27| Comment(0) | □谷崎読過

2016年12月02日

谷崎全集読過(28)「呪はれた戯曲」

 この小説は、劇作家である佐々木の秘密を摘発し、その背景にあった恋愛事件を戯曲という創作を借りて読者に語る形式をとっています。谷崎特有の、「善と悪」がその底流にあります。
 佐々木は、妻玉子のか弱さと鈍感さに安心し、愛人の襟子に心を許していました。しかし、ある時、玉子の滂沱の涙にひるみます。予想外の女の姿を見たのです。
 この、玉子が涙を溢れさせる場面は、佐々木を通して執拗に描かれています。人間が泣く場面としては、これだけ言葉を尽くして語るのは珍しいと思います。涙をこれほどまでに詳細に分析して語ったものは、これが一番秀逸なものではないでしょうか。
 佐々木は日記を書いていました。その半年間の記述には、玉子を殺すまでの心の軌跡が記されていたのです。妻のヒステリーと男の神経衰弱は、ますます加速していきます。そして、男は妻への憎悪を抱くようになったのです。
 この作品では、身勝手な男の言い種がくどいまでに語られます。
 作中に戯曲の台本を配するなど、奇抜な構成も見せています。芸術と現実を語りながら、犯罪の実行計画が展開していくのでした。
 戯曲の中の言葉としながらも、男は次のような身勝手なことを言います。


(井上)うん、忌揮なく云へばまあそんなものだ。しかしお前が死なゝければ、己には死以上の苦痛が來る。お前の命と己の命と、孰方が貴いかと云へば、己の立ち場を離れて考へて見ても、己の命の方が貴い。お前は何の働きも自覺もない平凡な女だ。己は此れでも才能のある藝術家だ。孰方か一人の命を失つて濟む事なら、お前の命の失はれるのが正當の順序だ。それが當然の運命だ。無慈悲のやうに聞えるけれど、己は決して理由のない事を云ひはしない。理窟から云へば己は自分で手を下してお前を殺しても差支へはない。たゞ己には膽力がないから、進んで其れを實行する事が出來ずに居る。………(『谷崎潤一郎全集』新書版第六巻、199頁下)


 最後まで、男のエゴイズムが剥き出しの物語です。
 劇中劇という凝った仕掛けを用い、巧妙な口調で殺人事件を成立させたのです。ただし、読者としてはおもしろい話として読めても、非現実的な論理と理屈で構成された内容に、大いに違和感を抱くのは当然です。あくまでも、谷崎の実験的な小説だと言えるでしょう。【4】
 
 
初出誌:『中央公論』大正8年5月号
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | □谷崎読過

2016年10月10日

谷崎全集読過(27)「人面疽」「魚の李太白」

■「人面疽」
 女優歌川百合枝は、アメリカで撮影した神秘劇「人間の顔を持つた腫物」(邦題「執念」)について、自分が演じたものであるにもかかわらず記憶がまったくないのです。
 全5巻のその活動写真の内容を、作者は詳しく紹介し検討していきます。
 女の膝頭にできた腫物が、次第に人の顔に見えるようになってくる場面が不気味です。
 そして、数奇な運命が……
 このフィルムは、とにかく不思議なものでした。次々と怪異が起きるのです。しかも、制作されたことすら怪しくなったのです。何者かがフィルムを繋ぎ合わせて焼き込んだ偽物だとも……
 さらには、笛吹きの乞食役の男が何者なのか。特にフイルムの第5巻は多くの問題を孕んでいるようです。
 終始謎解きの趣向で展開し、谷崎らしい作品となっていきます。映画への関心が顕著なのは、この時期の特徴でもあります。最後が唐突に終わったように思います。【4】
 
初出誌︰『新小説』大正7年3月号
 
 
■「魚の李太白」
 お伽噺を意識した、おもしろい話に仕上がりました。
 17歳の春江という、女学校出のお嬢様の話です。
 親友の桃子が結婚をするので、お祝いを探して銀座に出ます。そして、緋縮緬の鯛の人形に決めて贈りました。その鯛が、李太白の生まれ変わりだったというのです。
 明るく楽しい、童話とでもいうべき作品です。【3】
 
初出誌︰『新小説』大正7年9月号
posted by genjiito at 23:28| Comment(0) | □谷崎読過

2016年06月29日

谷崎全集読過(26)「ハツサン・カンの妖術」

 本作は、すでに発表した「玄奘三蔵」の副産物とでも言うべきものです。

 「谷崎全集読過(18)「魔術師」「玄奘三蔵」「詩人のわかれ」」(2013年04月18日)

 この小品「玄奘三蔵」等の3作は、大正5年12月から6年3月にかけて書かれたものです。本作の「ハツサン・カンの妖術」がそれを受けてのものであることは、本作中に「玄奘三蔵」を発表したことに言い及んでいることからもわかります。

 ハツサン・カンは、インドのカルカッタに住んでいた、有名な魔法使いです。
 出だしから英語の長文が引用されています。「玄奘三蔵」でもそうでした。初期の谷崎に見られる特徴でもあります。

 ここでは、「予がこの小説の中で、特に諸君に語りたいと思ふのは、〜」(谷崎潤一郎全集第六巻、73頁)と、読者に語りかけるスタイルをとっています。
 最後にも、「こゝまで書いて来れば、読者は恐らく、それから以後に起こった其の晩の出来事を、既に想像したであらう。」(110頁)と言います。

 作者自身が登場するところで、インドのことは次のように語られ、インドへの興味も、素直に述べています。


「あゝ、さうですか、あなたが谷崎さんですか。私はあなたの小説を讀んだ事があります。」
と、彼は云つた。聞けば宮森麻太郎氏のリプレゼンタテイヴ・テエルズ・オヴ・ジヤパンを繙いた時、巻頭に載つて居た英譯の「刺⾭」を非常に面白く讀んだので、それ以來「タニザキ」と云ふ名を覺えて居たのださうである。
「−−それで分りました。あなたは今度、何か印度の物語を書かうとして居るのでせう。此の間から印度の事を大變委しく調べて居るから、私は妙だと思つて居ました。失禮ですが、あなたは印度へいらしつた事があるのですか。」
予が「いゝえ」と答へると、彼は眼を圓くして、詰るやうな口調で云つた。「なぜ行かないのです? 此の頃は宗教家や書家が盛んに日本から出かけて行くのに、あなたはどうして行かないのです。印度を見ないで印度の物語を書く? 少し大膽過ぎますね。」
予は彼に攻撃されて、耳の附け根まで眞赤にしながら、慌てゝ苦しい辨解をした。
「私が印度の物語を書くのは、印度へ行かれない爲めなんです。かう云ふとあなたに笑はれるかも知れないが、實は印度に憧れて居ながら、いまだに漫遊の機會がないので、せめて空想の力を頼つて、印度と云ふ國を描いて見たくなつたのです。あなたの國では二十世紀の今日でも、依然として奇蹟が行はれたり、ヱダの~々が暴威を振つたりして居ると云ふぢやありませんか。さう云ふ怪しい熱帯國の、豊饒な色彩に包まれた自然の光景や人間の生活が、私には戀しくて/\堪らなくなつたのです。それで私は、あの有名な玄奘三藏を主人公にして、千年以前の時代を借りて、印度の不思議を幾分なりとも描いて見ようと思つたのです。」
「成る程、玄奘三藏はいゝ思ひ附きですね。いかにもあなたが云ふやうに、印度の不思議は二十世紀の今日でも、玄奘三藏が歩いた時代と餘り違つては居ないでせう。私の生れたパンジヤブの地方へ行けば、科學の力で道破することの出來ないやうな神秘な出來事が、未だに殆ど毎日のやうに起つて居ます。……。」(76〜77頁)


 また、次のようにインドを批判的にも語ります。


彼は口を極めて租國の人民の無氣力を罵倒し、迷信を呪咀し、社會制度を非難した。印度に立派な宗教や、文學や、藝術などが存在したのは、遠い昔の夢であつて、今ではたゝ懶惰なる邪教と蒙昧なる妖法との榮えて居る、「あなたの小読の材料にしかならない國土」だと云つたりした。(90頁)


 谷崎が語るインドは、非常に興味深いものがあるのです。これらの情報は、どのような経路で得たものなのでしょうか。調べてみるつもりです。

 なお、「此の頃神経衰弱に罹つて居る予の感覚」(79頁)とも言っています。当時の谷崎の状況がうかがわれます。

 本作は、上野の図書館で出会ったインド人との話が中心となっています。彼から受け取った名刺には、つぎのように記されていました。


府下荏原郡大森山王一二三番地、
印度人 マティラム・ミスラ(Matiram Misra )


 ミスラによるハッサン・カンの話を通して語られる宇宙論は、私には茫漠としていてよくわかりませんでした。

 この作品を書いていた時期は、谷崎が古代インドを通して須彌山思想などに並々ならぬ興味と関心を抱いていたようです。それを、ハッサン・カンという魔術師を引き合いに出して語っているのです。
 谷崎の思考には、科学的な要素が根強いことがわかります。論理的な思考回路を持っているのです。

 最後に作者は、ここでの魔法を実験したことを語ります。五感が消滅し、清浄な恍惚感だけの世界、涅槃界に入った感覚的世界を語るのです。そこは、奈良の東大寺戒壇院を想起させるものだったと言います。ついには、亡き母へと想いが至ります。
 谷崎の今後の作品の傾向を予想させる筆遣いを感じ取りました。【3】

初出誌︰『中央公論』大正6年11月
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | □谷崎読過

2016年03月25日

谷崎全集読過(25)『異端者の悲しみ』

 この時期、谷崎がよく取り上げていた夢の話から始まります。
 舞台は日本橋八丁堀の裏長屋です。

 主人公章三郎は、逆境に沈む身でありながらも、非凡なる天才としての素質を持て余す自分と戦っています。妄想の世界をさまようのです。

 その章三郎は、根っから狡賢くて、奸計に長けた男でした。いやらしさを前面に押し出して、怖いもの知らずの学生生活を送ります。読者の誰もが好きになれない人物です。とにかく、自分勝手、身勝手な、青春真っただ中の男として振る舞っています。
 章三郎自身も、自分を「卑しい品性」(44頁)と言っているほどです。

 荒れすさんだ息子章三郎を中において、両親と妹、そして友達が冷静に立ち回ります。
 最後の妹の姿は、それまで放蕩三昧だった章三郎から、哀れな一少女に目を転ずるものとなっています。読者のやるせない思いを、いや増しに掻き立てます。

 このような人間の姿が描けるのも、谷崎の筆の力なのでしょう。

 なお、「はしがき」によると、本作は前年の大正5年8月に脱稿していたそうです。しかし、発売禁止になることを惧れて、掲載が見送られていたものであったとのことです。

 また、家族4人についてだけは、ありのままに描写したものだそうです。谷崎自身が「此の一篇は予が唯一の告白書である。」と、明言しています。

 作者が32歳の時に発表したものなので、どうしても語っておきたかった自らの青春時代の記録なのでしょう。青年期の素直でない利己的な面を取り立てて描き出した点では、文筆家の手になる作品としては出色の出来だと思います。
 もっとも、私は再読しようとは思わないので、好んで人には薦めないことにしています。人間としては見たくない姿が、これでもかと、あからさまに描かれているからです。若さゆえの傲慢さが押し付けられるのは御免だからです。

 読んでいて不愉快なままで放置される本作は、私が求める文学を楽しむ領域を逸脱しています。
 ただし、谷崎潤一郎という作家を論ずる際には、読む必要があるものだと思われます。【2】
 
 
初出誌:『中央公論』大正6年(1917)7月号
posted by genjiito at 22:49| Comment(0) | □谷崎読過

2015年07月27日

谷崎全集読過(24)『春琴抄』

 大阪の下寺町にある、鵙屋家のお墓の話から始まります。
 この地域は、私が高校時代にテニス部の基礎練習で走り回った一帯です。それだけに、地理的にも環境や雰囲気もイメージが膨らみます。

 春琴のお墓の横には温井佐助検校の墓石があり、この物語を少しでも知っている者にとって、この幕開けはこれから始まる話に胸をわくわくさせることとなります。

 ただし、本作も『盲目物語』同様に、地の文と会話文とが渾然一体となっています。また、句読点も省略されることが多いので、日頃このような、文の切れ目が不明確な文章を読み慣れていない方は、読み進むのに難渋されることでしょう。
 しかし、谷崎一流の問はず語りを実感できる、味のある小説手法だと思います。

 物語は最近筆者の手に入った小冊子『鵙屋春琴伝』を引きながら進みます。

 春琴は、9歳の時に失明します。風眼によるか、ともあり不明です。
 その後は、得意だった舞技を断念し、琴三絃の稽古に励むのです。
 5、6歳のときから手解きは受けていたとはいえ、眼さえ見えたら音曲には行かずに舞をしていた、とも言います。

 春琴の師である春松検校の稽古場は靫にありました。
 この靫にある公園へ、私は高校時代によくテニスをしに行きました。ここも、先の下寺町と同様に、物語を読みながら背景を想像して楽しめました。
 これまでにも何度か書いたように、物語や小説は、その背景を知っていると読みやすいものです。フィクションは事実と異なるとはいえ、やはり親しみを持って読むのも、読書の楽しみの一つだと思っています。

 さて、丁稚佐助(後の温井検校、春琴より4歳上)は、道修町にあった鵙屋から毎日春琴の手を曳いて、稽古に通っていました。
 その佐助は、春琴失明後の13歳の時に鵙屋に奉公に来たのです。
 そして佐助は、「彼女に同化しようとする熱烈な愛情」(213頁下)と生来の才能で、後に検校にまで昇り詰めます。

 本作中には、谷崎の盲人を見る視点が、いろいろと垣間見えます。語られている言葉をありのままに引くことで、確認としておきます。


〔佐助は彼女の笑ふ顔を見るのが厭であつたといふ蓋し盲人が笑ふ時は間が抜けて哀れに見える佐助の感情ではそれが堪へられなかつたのであらう。〕(211頁下段)
 
もと/\我が儘なお嬢様育ちのところへ盲人特有な意地悪さも加はつて片時も佐助に油断する暇を輿へなかつた。(212頁下)
 
觸覺の世界を媒介として觀念の春琴を視詰めることに慣らされた彼は聽覺に依つてその缺陷を充たしたのであらう乎。人は記憶を失はぬ限り故人を夢に見ることが出來るが生きてゐる相手を夢でのみ見てゐた佐助のやうな場合にはいつ死別れたともはつきりした時は指せないかも知れない。(258頁上)


 春琴の妊娠のことでは、2人の性格が鮮明に描出されます。春琴が佐助を見る蔑みの態度や、その虐める姿からも、春琴の特異な性癖がことば巧みに描かれます。ここには、谷崎自身の姿を彷彿とさせるかのように、非常に具体的です。

 鶯や雲雀を愛する春琴も、高雅な趣味に浸る姿として活写されています。

 語り手が自作で述べた持論を紹介するなど、話題を事実らしくする工夫も見られます。


嘗て作者は「私の見た大阪及び大阪人」と題する篇中に大阪人のつましい生活振りを論じ東京人の贅澤には裏も表もないけれども大阪人はいかに派手好きのやうに見えても必ず人の氣の付かぬ所で冗費を節し締括りを附けてゐることを説いたが春琴も道修町の町家の生れであるどうして其の邊にぬかりがあらうや極端に奢侈を好む一面極端に吝嗇で慾張りであつた。(237頁下)


 ここに引かれている「私の見た大阪及び大阪人」は、『谷崎潤一郎全集 第17巻』に収録されているものです。

 佐助が春琴のことを思って盲目になってからは、これまで以上に2人の世話をした鴫澤てる女が物語を補強する役を担います。読者を飽きさせない、物語の構成にも配慮が行き届いています。

 本作は、私がイメージしている谷崎潤一郎らしさが詰め込まれた、完成度の高い作品だと思います。【5】
 
 
初出誌︰『中央公論』昭和8年6月号
『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(昭和33年1月発行、中央公論社)所収
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □谷崎読過

2015年07月07日

谷崎全集読過(23)『蘆刈』

 後鳥羽院の離宮があった水無瀬行きから語り起こされます。『増鏡』の文章を引きながら、和歌を踏まえた滑らかな美文で進みます。
 読点が極端に少ない、息の長い文章です。漢字も少なく、大和言葉で綴られていきます。

 「まだをかもとに住んでゐたじぶん」とか、「関西の地理に通じないころは」とあり、大阪に馴染みだした頃の作者が顔を覗かせます。
 また、関西人の特徴も、次第に心得て来ていることがわかります。


見も知らぬ人がかういふ風に馴れ/\しく話しかけるのは東京ではめつたにないことだけれどもちかごろ關西人のこゝろやすだてをあやしまぬばかりかおのれもいつか土地の風俗に化せられてしまつてゐるのでそれは御ていねいなことです、ぜひ聞かせていただきませうと如才なくいふと(163頁)


 歴史風土記の語り口で、阪急沿線の昭和初年当時の様子もわかる、大和絵風の旅の記でもあります。旧跡の記録としても貴重なものです。水無瀬の風景への感懐を、次のように述べています。


ちよつと見たゞけではなんでもないが長く立ち止まつてゐるとあたゝかい慈母のふところに抱かれたやうなやさしい情愛にほだされる。(156頁)


 『源氏物語』への言及もあります。


「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、かの源氏物語にも近き川のあゆ西山より奉れるいしぶしやうのもの御前に調じてとかけるなむすぐれてめでたきぞとよ、」(154頁)
 
「あはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ、只今さやうの料理つかまつりてむや」と仰せられたり、(157頁)
 
「父には大名趣味と申しますか御殿風と申しますかまあさういつたふう好みがござりまして、いきな女よりも品のよい上臈型の人、裲襠を着せて、几帳のかげにでもすわらせて、源氏でも讀ませておいたらば似つかはしいだらうといふやうな人がすきなのでござりましたから藝者では氣に入るはずがないのでござります。」(173頁)


 「耳ざはりのいゝ」(160頁)という表現に出くわしました。この昭和初期における谷崎の日本語の使い方に当惑しています。

 谷崎が手帳に鉛筆でメモを記す様子も垣間見えます。


わたしはあたまの中に一つ二つの腰折がまとまりかけたのでわすれないうちにと思つてふところから手帳を出して月あかりをたよりに鉛筆をはしらせて行つた。(162頁)


 本話の背後に、父の存在がちらつきます。
 谷崎と父について、これから意識して読みたいと思います。
 父とお遊さんとの話は、非常に具体的です。実話が背後にありそうです。その妹のおしずさんについては、叶わぬ恋の形代として親族への情愛の移り香が、『源氏物語』を連想させます。

 このおしずさんが、本作の語り手の母親なのでした。
 おしずさんが、婚礼の晩に、自分は姉であるお遊さんの身代わりであることを口にします。


ある日のことお遊さんは父にむかつて、あなたはお静がきらひですかと尋ねるのでござりました。父がきらひではありませんといひましたらそれならどうぞ貰つてやつて下さいましといつてしきりに妹との縁組みをすすめるのでござりましたが叔母に向つてはもつとはつきりと自分はきやうだいぢゆうであの兒といちばん仲好くしてゐるからどうかあの兒を芹橋さんのやうな人と添はしてやりたい、あゝいふ人を弟に持つたら自分も嬉しいといふことを申したさうにござります。父の決心がきまりましたのはまつたく此のお遊さんの言葉がありましたゝめでござりましてそれから間もなくおしづの輿入れがござりました。左様でござります、でござりますからおしづは私の母、お遊さんは伯母になるわけでござりますけれどもそれがさう簡單ではないのでござります。父はお遊さんの言葉をどういふ意味に取りましたのか分りませぬがおしづは婚禮の晩にわたしは姉さんのこゝろを察してこゝへお嫁に來たのです、だからあなたに身をまかせては姉さんにすまない、わたしは一生涯うはべだけの妻で結構ですから姉さんを仕合はせにして上げて下さいとさういつて泣くのでござりました。(179頁)


 まさに、『源氏物語』の世界です。
 そして、姉を思う妹お遊の献身的な奉仕も、その後の谷崎の作品の核となっていきます。
 また、お遊さんは「田舎源氏」の絵にあるような世界に生きた女性としています(197頁)。

 この不思議な物語をする男も、やがては「いつのまにか月のひかりに溶け入るやうにきえてしまつた。」(198頁)と結ばれます。

 女性うまく描く、谷崎好みの夢幻的な作品に仕上がっています。【3】
 
 
初出誌︰『改造』昭和7年11月号・12月号
『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(昭和33年1月発行、中央公論社)所収
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □谷崎読過

2015年06月19日

谷崎全集読過(22)『吉野葛』

 作者は少年時代から『太平記』を愛読し、南朝の秘史に興味があったことから、自天王を中心とした歴史物語を書こうと思う、と言います。

 吉野の地が歴史地理案内のように詳細に語られます。その中で、今と昔が渾然となって、行きつ戻りつしながら語られていくのです。日本文化に対する深い理解と共感が滲み出ている、大和美を描こうとする意気込みが伝わる語り物です。

 同行の一高時代の友である津村を通して、大阪人の気質も語られています。関西への興味と関心の現れでしょう。ただし、この津村が好きになった女性の話が中途半端なままに閉じられていることに、物足りなさを感じます。津村の扱いが、この作品では未熟だと思いました。

 記憶にあることとして、盲人の検校のことが出てきます(新書判『谷崎潤一郎全集 第19巻』、24頁下段)。箏曲に関する話も、この作品の雰囲気に溶け込み、いい味付けとなっています。
 その中で、琴の挿し絵が一葉あります(41頁上段)。


150619_koto




 この図がここに挿入されている意図が、私にはわかりませんでした。
 『盲目物語』に三味線の図が添えられていた必然性はよくわかります。「谷崎全集読過(21)『盲目物語』」(2015年02月03日)で取り上げた通りです。
 しかし、ここではどのような必要性があって置かれたのでしょうか。

 葛の葉の子別れなどの話を通して、母恋いの気持ちが語られます。
 これは、谷崎の潜在意識の中にある女性観を示すものだと思われます。

 吉野の山中を語る中では、紙を漉くシーンがみごとに描かれています。
 特に、女性の指先が印象的でした。

 この物語を読み進みながら、話の帰結点がなかなか見えてきません。これは、作者に話をまとめようという気がないからのようです。人間が溶け込んでいく、吉野の山中の雰囲気を描くところに、作者の意図があるように思いました。

 当初の計画であった歴史小説は、形を成さなかったと言って終わります。本作では、物語展開のおもしろさは、最初から追っていなかったことがわかります。

 特におもしろい話が繰り広げられるわけではありません。しかし、余韻として残るイメージが、読後に残像として揺曳します。日本人と日本文化が描き出されているところに、言葉による語り物の到達点が留め置かれたと言えるでしょう【3】
 

初出誌:『中央公論』昭和6年1月号・2月号
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | □谷崎読過

2015年04月27日

神奈川近代文学館で谷崎潤一郎展を観る

 神奈川近代文学館で、谷崎潤一郎の没後50年を記念した「谷崎潤一郎展 絢爛たる物語世界」(2015年4月4日(土)〜5月24日(日))が開催されています。

 時間の隙間を縫って、先週行ってきました。


150427_tanizaki1




150427_tanizaki2




150427_tanizaki3




 谷崎潤一郎の単行本などが実際に見られたことは、新鮮な感動でした。
 現在私は、新書版の全集本で谷崎作品を読み、本ブログで「谷崎全集読過」を連載しています。
 刊行された当時の本の装幀などを見ると、やはりその作品の間近に迫った思いがします。

 さらには、さまざまな貴重な情報が得られました。

(1)谷崎潤一郎全集 全26巻刊行


150427_tanizakipanf1




150427_tanizakipanf2




(2)喜劇 台所太平記 明治座


150427_tanizakipanf3




150427_tanizakipanf6




 没後50年のイベントを機に可能な限り情報を集めて、谷崎の作品世界を楽しみたいと思います。

 会場でいただいた展観図録(112頁)も、興味深い情報満載でした。


150427_tanizakibook





<寄稿>
端境期の谷崎潤一郎(紀田順一郎)
萌黄の闇の彼方−『蓼食ふ虫』考(辻原 登)
佐藤春夫宛谷崎潤一郎書簡の衝撃(千葉 俊二)
<目次>部門解説(千葉 俊二)
序章 幼少時代/
第一部 物語の迷宮
第二部 〈永遠女性〉の幻影
終章 老いの夢


 表紙の上に置いたピンクのバッジは、図録を購入した時のくじ引きの景品です。
 ぜひ、これも手に入れてください。

 また、会場に置かれていたワークシートは、谷崎に関する興味を掻き立てます。
 参考までに、それを紹介しておきます。
 試しに、各設問にチャレンジしてはいかがでしょうか。


150424_tanizakiworkseet1




150424_tanizakiworkseet2




 会場への入館が遅かったので、足早に見ることとなりました。
 もう一度、再確認の意味でも、ゆっくりと見たいと思っています。

 会場を出ると、港と橋に横浜らしさを感じました。


150427_tanizaki4




 久し振りに元町を散策し、満ち足りた想いで帰途につきました。
posted by genjiito at 23:35| Comment(0) | □谷崎読過

2015年02月03日

谷崎全集読過(21)『盲目物語』

 4歳の時に視力を失った一人の男、盲目の坊主彌市が語る物語です。
 浅井長政をめぐる話が、思い出すままに、問はず語りされるのです。


わたくし生国は近江のくに長濱の在でござりまして、たんじやうは天文にじふ一ねん、みづのえねのとしでござりますから、當年は幾つになりまするやら。左様、左様、六十五さい、いえ六さい、に相成りませうか。(『谷崎潤一郎全集 第19巻』(新書判)昭和33年1月、53頁)


 物語の本文は、振り漢字や振り仮名が気ままに付されているように見えます。平仮名や漢字の表記が混在する理由も不明です。
 谷崎潤一郎の平仮名を中心とした語りと仮名遣いには、一定の表記上の法則性がありそうです。文体を柔らかな印象にすることは確かなようです。
 しかし、例えば「岐阜」「ぎふ(振り漢字「岐阜」)」「ぎふ」と連続して3種類の異なる表記がなされている本文(全集、100頁)にであうと、読むほうが混乱します。こうしたことの連続に出会うと、これが語り物であることの意義を作者が誇示するかのように、意識的に用いた表記だとしか思えません。
 すでにこれらについては、さまざまな研究成果があることでしょう。今、私にはその使われ方やその意味がよくわかりません。

 語り手である彌市は目が見えないので、手の感触による触覚や耳に届く音の聴覚で、周囲のようすを敏感に判断しています。その想像力の世界が手に取るように描かれています。
 お市の方をめぐっての、感覚の世界が文字として記されているのです。平仮名と漢字の混在は、その表現世界をイメージするための作者の工夫なのでしょう。

 語り手である座頭彌市は、長濱の出身ということもあってか、琵琶湖の周りの話が物語展開を牽引します。
 また、三味線の音と「いろは」の文字の対応を語るところには、非常に興味深いことが語られています。三味線の合いの手で暗号文を伝えるというくだりは秀逸です。


150202_kandokoro





(引用者注︰彌市が)ふと氣がつきましたのは、その(引用者注︰朝露軒の)三味せんのうちに二度もくりかへしてふしぎな手がまじつてゐるのでござりました。さやうでござります、これはわたくしども、座頭の三味線ひきのものはみなよくぞんじてをりますことでござりますが、すべてしやみせんには一つの絲に十六のつぼがござりまして、三つの絲にいたしますなら都合四十八ござります。されば初心のかた/\がけいこをなされますときはその四十八のつぼに「いろは」の四十八文字をあてゝしるしをつけ、こゝろおぼえに書きとめておかれますので、このみちへおはひりなされた方はどなたも御存知でござりますけれども、とりわけめくら法師どもは、文字が見えませぬかはりには、このしるしをそらでおぼえてをりまして、「い」と申せば「い」のおと、「ろ」と申せば「ろ」のおとをすぐにおもひ浮かべますので、座頭同士がめあきの前で内證ばなしをいたしますときには、しやみせんをひきながらその音をもつて互のおもひをかよはせるものでござります。ところでいまの不思議な合ひの手をきいてをりますと、
  ほおびがあるぞ
  おくがたをおすくいもおすてだてはないか
と、さういふふうにきこえるのでござります。
(中略)
(引用者注︰彌市は)わなゝくゆびさきに絲をおさへて、
  けぶりをあいづに
  てんしゆのしたえおこしなされませ
と、こちらも合ひの手にことよせまして、「いろは」の音をもつておこたへ申したのでござります。もちろんいちざのかたん/\はたゝわたくしのうたといとゝにきゝほれてばかりおいでなされ、ふたりのあひだにこんなことばがかはされたとは知るよしもござりませなんだが、(127〜129頁)


 一座の者にはわからない方法で、彌市と朝露軒はお互いだけにしかわからない暗号文で会話を成立させているのです。
 このことに関しては、本作品の末尾に記された「奥書」で、次のように注記を付しています。


○かんどころのしるしに「いろは」を用ひることはいつの頃より始まりしか不レ知今も淨瑠璃の三味線ひきは用レ之由予が友人にして斯道に明かなる九里道柳子の語る所也、本文挿繪は道柳子圖して予に贈らる


 三味線の音を利用して、「いろは」の音を合いの手に交えて、秘密の会話ができたというのです。「かんどころのしるし」を用いた巧妙なコミュニケーションが成立していることに、ただただ驚きました。

 後半で城が火炎に包まれるシーンで、お茶々を背負うことになった彌市が、その手に感じた感懐を語る場面は、谷崎らしい感性が溢れています。

 全作を通して、活字で読み進みながらも目で話を聞いたという感触が、常に実感として伝わってくる物語でした。【3】
 
 
初出誌︰『中央公論』昭和6年9月号
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □谷崎読過

2013年08月09日

谷崎全集読過(20)「嘆きの門」「或る少年の怯れ」

■「嘆きの門」(未完)
 銀座のカフェでウェイターをする菊村は、1人の女に好奇心を持ちます。その女の顔貌や仕草の描写には、フェティシズムに溢れた視線が満ちています。
 女は小悪魔的な少女で、菊村を自在に操るのでした。菊村も、女の言いなりになり、女のことばかりを考えるようになります。
 物語は、幾分推理仕立てになっているので、次の展開が楽しみでした。
 美少年と美少女を引き取って育てる岡田という人物は、理屈が先行しています。しかし、谷崎はこの世界を指向していることは明らかです。谷崎らしさの萌芽と言えます。
 最後の第三節は、話に集中力が見られないので、盛り上がりに欠けます。未完のままであることについては、また考えます。【2】
 
初出誌︰大正七年九月、十月、十一月月号「中央公論」
 
 
■「或る少年の怯れ」
 家族の話です。兄嫁が亡くなってから、急に家が寂しくなります。そんな時、唱歌を歌う文化があったようです。大正八年の作品なので、これも一つの文化資料となります。また、お正月には、『百人一首』もしています。少年が見た感覚の世界が語られています。
 亡くなった姉に関して、夢の中で兄と、殺したのどうのという会話をします。夢が心中を語る場となっているのです。夢の中で姉は、兄に殺されたことをどうしてだまっているのかと責められます。先の姉さんが殺されたことを知りながら、今の姉さんは兄と結婚しているのでは、との疑いからも抜けられません。人間を疑り深く見る芳雄です。
 そして、そうした想念の中で最終を迎えるのでした。生死の境をさまよう様子が、よく描かれています。
 なお、「しつくどく」(149頁)「むきつけ(傍点付)」(153頁)「恐(こは)らしく」(153頁)「恐(こは)らしい」(156頁)などのことばの使われ方が気になりました。【3】
 
大正八年八月作
初出誌︰大正八年九月号「中央公論」
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | □谷崎読過

2013年05月30日

谷崎全集読過(19)「兄弟」「二人の稚児」

■「兄弟」
 王朝物語です。
 冒頭の語り出しをみると、谷崎は『源氏物語』の「宇治十帖」における浮舟のことを熟知しているように思えます。平安京の中で展開する登場人物の動きが、手に取るように描かれています。谷崎の表現力が、早くから熟していたことがわかる作品です。
 兼家をめぐる人間関係が、おもしろく描かれています。特に、兼通が、弟である兼家へ復讐する心中は、見てきたようです。
 また、道長が若い女房をからかう場面で、誰かが次の上の句をつぶやいて冷やかしました。
 「最上川 のぼればくだる いな舟の……」(『谷崎潤一郎全集 第7巻』28頁)
 これは『古今和歌集 巻20 東歌』にある恋の歌で、下の句は「いなにはあらず この月ばかり」です。上の句を示して下の句を類推させる、日本文学における伝統的な表現手法です。ここでは、「嫌ではない」ということを遠回しに言っているのです。谷崎は、読者がこの歌の下の句を当然知っているであろうことを前提に、あえて下の句は記さずに上の句だけを示して、読者に真意を推測させる語り口をとっています。今の読者には、こうした類推による理解が難しくなってしまいました。しかし、谷崎はあくまでも平安物語における常套手段で書いていくスタイルを見せているのです。というよりも、この作品が書かれた大正2年頃には、読者は物語の受容において、こうした表現手法を理解できていた、とも考えられます。現代は日本古典文学の教育が疎かにされているので、このような古典的な作品に出くわすと、伝統的な表現手法がなされている、という説明や注記が必要になってしまうのです。
 こうした谷崎の創作手法は、後に『源氏物語』の現代語訳をする上で、大いに役立ったことでしょう。【3】
 
初出誌︰大正七年二月号「中央公論」
 
 
■「二人の稚児」
 煩悩に満ちた浮世というものに、二人の稚児は興味を示します。幼い頃から比叡山で育った二人は、浮世がどんなところか知りたくなったのです。女人なるものも、経文の世界では「悪魔」だとか「怪獣」だといいます。しかし、4歳まで母の胸に抱かれて、柔らかい乳房をかすかに覚えている年下の稚児は、どうしても母がそのような恐ろしい人間だとは思えないのです。
 日毎に交わす二人の結論は、女人とは美しい幻、美しい虚無だ、ということになりました。
 16歳になった年上の方の稚児は、上人に内緒で山を下ります。悲愴な決心で、女人というものを、煩悩を明らかにすべく下って行ったのです。
 数年後、上人に嘘をついていたと詫びた年下の稚児のもとに、深草で聟になった年上の稚児から手紙が来ます。浮世への誘いです。比叡山を下り、雲母越えをして京洛に入った後の様子が綴られていたのです。浮世は幻ではなく極楽だとする誘惑と、年下の稚児は心中で闘うことになります。女人の本姿も知りたい。不安と興奮のうちに、道心が崩れそうになります。しかし、女人の情より御仏の恵みを、年下の稚児は選ぶことになります。ラストシーンが美しいのです。絵になります。舞台での効果を想定してのものなのでしょう。
 人間のありようの二態が、巧みに描かれています。【5】
 
初出誌︰大正七年四月号「中央公論」
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □谷崎読過

2013年04月18日

谷崎全集読過(18)「魔術師」「玄奘三蔵」「詩人のわかれ」

■「魔術師」
 無国籍小説とでも言うべき作品です。そして、何となく妖艶な雰囲気が漂っています。妖しい様子をことばで紡ぎ出そうとする姿勢が明らかです。ただし、私は話の内容に集中できず、何度も行きつ戻りつしながら読み直しました。あまりにも説明的な文章でした。飾りの字句が多すぎるように思われます。目の前で展開しようとする魔術を、作者が解説者よろしく語るために、読んでいて中身に入っていけないのです。
 そして、結末も私にはよくわかりません。人間の世界以外にすばらしい所がある、ということなのでしょうか。視点を変えて読み直してみたいと思います。【1】
 
※初出誌『新小説』大正6年1月号(大正5年12月作)
 
 
 
■「玄奘三蔵」
 冒頭は、リグベーダの英訳文で始まります。中程にも、英文が置かれています。谷崎の意図が、まだ私には理解できていません。
 谷崎は、インドの秘密は幽玄な微妙な観念だと言います。それ以上には、詳しくは述べていません。
 ラーマーヤナの詩句についても、尼を通して語られます。美しい声がラーマーヤナの歌を気高いものにする、と。そして、詩は人間のことばの中で一番神に近いものだとも。
 三蔵は、ただインドの行者の修行を見る立場に徹しています。三蔵の目を通して、行の意味を読者に問いかけるのです。果たして何の意味があるのかと。
 谷崎は、少し批判的な視点でインドの宗教者を見つめています。仏教については触れていません。【3】
 
※初出誌『中央公論』大正6年4月号(大正6年3月作)
 
 
 
■「詩人のわかれ」
 夏にインドへ行く話が出てきます。
 北原白秋をめぐる実話だとのことです。ただし、話はまったく拡がることなく閉じられます。
 私には、単なる記録としか思われません。まったく意味がわからない文章でした。【1】
 
※初出誌『新小説』大正6年4月号(大正6年3月作)
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | □谷崎読過

2013年01月20日

谷崎全集読過(17)「病蓐の幻想」「人魚の嘆き」

■「病蓐の幻想」
 歯を患う苦痛がこと細かに、その心理を抉るように描写されています。人間の感覚の世界を、ことばで書き記そうとしているのです。それが、ピアノを例にして言われると、なるほどと得心してしまいます。うまい説明だと思います。
 明治26年7月の地震のことは、平成23年3月の東日本大震災のことがあるので、実感をもって読めました。
 主人公は、病みや怖さという不安の中で生きているのです。地震の説明に船を持ち出すのもうまいと思います。人形町で体験した地震は、彼が7、8歳の時だったと言います。また、それが夢の体験だったかも、とも言っています。とにかく、想念の中でもがき苦しむ姿が描かれているのです。
 安政の大地震の話は、谷崎が小さい時に聞いた話でしょうか。その時は、深川の冬木が一番酷かったようです。現に、今私はその地の近くに住んでおり、橋の袂には碑が建っています。夢の中の地震にしても、その描写には、今見てきたかのような迫力があります。
 彼の頭の中は、地震の対策にも余念がありません。微に入り細にわたって、その検討が加えられています。逃げ方もしかり。
 結局は夢であり、妄想であり、幻想でした。特に、地震については、生々しさを伴った長文であり、その不気味さがよく伝わってきます。
 英語や仏語が随所に出てきます。この時期の谷崎の特徴でもあります。【2】

※初出誌『中央公論』大正5年11月号(大正5年10月作)
 
 
 
■「人魚の嘆き」
 弁舌爽やかに流暢な語り口で、中国南京の貴公子の話が始まります。豪華絢爛たる、贅美を尽くした世界が展開します。しかし、酒と女と阿片の日々の中、貴公子は鬱々として気持ちは晴れません。
 貴公子は、人魚という妖魔を手に入れ、満たされた気持ちになるのでした。
 ただし、人魚の話は、アイデア倒れのように思います。美しい場面を作ろうとし過ぎているように感じるからです。
 インドのことが、「人魚の知恵は、印度の魔法使ひよりも不思議な術を心得て居ます。」(『谷崎潤一郎全集 第5巻』124頁)という喩えとして引かれています。谷崎のインド感については、あらためてまとめます。【2】

※初出誌『中央公論』大正6年1月号(大正5年12月作)
posted by genjiito at 00:11| Comment(0) | □谷崎読過

2012年12月04日

谷崎全集読過(16)「神童」

■「神童」

 瀬川欽三カの息子春之助は、尋常四年生の頃からその神童ぶりを見せます。
 谷崎自身の自慢話のようであっても、実生活から紡ぎ出される内容に、厭味は感じられません。子供が大人の世界へ背伸びする様子が、一人の少年を通して実に丹念に活写されています。
 中学へ通うために仮住まいする家の壁の色や匂いに、春之助が高雅さを感じたとするあたりに、谷崎の並々ならぬ感覚が窺えます(29頁)。後の『陰翳礼讃』につながるものが、すでにここに片鱗として表出しています。
 話は、少年の自尊心と虚栄心が揺さぶられる話が展開します。実体験に基づくものなのでしょう。克明に語られています。果ては、暴君になる姿まで描いているので、谷崎の性癖が滲み出ているのです。春之助は、自分は天才で世の中は出鱈目だと思い込むに至ります。
 賢愚・貧富・雅俗・尊卑・美醜の好対照が取り上げられます。そして、春之助はその間で思いをめぐらせ、行きつ戻りつします。後の谷崎作品の要素が、この小説の各所に鏤められているのです。その谷崎趣味の萌芽とでも言うべきものが、珠玉のように拾い読みできる作品に仕上がっています。
 才気走り過ぎていて、今では厭味に受け取られかねない行動が目に付きます。まさに、いじめの対象になる子供です。しかし、十四五歳の少年の心中は、巧みな表現の中で活き活きと世の中を渡っていきます。
 美しいものに最高の価値を置く谷崎の眼は、すでにしっかりと対象を見据えていることが確認できます。
 これは、大正4年12月の、谷崎31歳の時の作品です。【3】
 
※初出誌『中央公論』大正5年1月(大正4年12月作)
posted by genjiito at 21:52| Comment(0) | □谷崎読過

2012年10月23日

谷崎全集読過(15)「亡友」「美男」

■「亡友」
 冒頭から英文の引用があります。谷崎の初期の作品の特徴の一つです。この作品のテーマは、女が男にとってどれほど恐いものか、だと言います。しかし、読み進むとその趣旨は伝わってこなくなります。
 伏せ字部分が各所にあり、何が書かれていたのか想像する楽しさがあります。末尾の注に「○○は初出雑誌において伏字」とあります。ただし、この伏せ字の意図が検閲とどのような関係にあるのか、今は不明です。
 この作品は、発禁となったようです。しかし、この伏せ字は作者の作為によるものではないか、とも思われます。このことについては、調査や研究があるはずです。今、私にはわかりません。発禁本の研究対象の資料として、記憶に止めておきたいと思います。作品の中身よりも、その背景にある社会情勢に注意が散りました。
 物語は、自分の周辺にあった出来事を綴っています。だらだらと続く話は、緊張感に欠けます。状況説明が中心で、心中描写がほしいところです。谷崎のこの時期の文章作法なのでしょうか。大体に谷崎の作品は、話を盛り上げようという傾向は見られません。意外性で読者を惹き付けようとする意図は認められます。それが、作品の印象に大きく影響しています。
 この作品は、私にはほとんど心に留まるものがありませんでした。【1】

初出誌:『新小説』(大正5年8月作、発禁)
 
 
 
■「美男」
 女なしには生きてはいけない、女に頼って生きる友人の話です。大正時代を背負った物語の背景は、今の大多数の人には理解されにくいでしょう。谷崎自身の身辺談のスタイルをとる中で、女というよりも、男の本性を炙り出そうとした作品になっています。
 この作品も発禁となっています。この大正時代という背景と、この作品内容の組み合わせで発禁とは、今の私には理解が及びません。出版文化史との関わりで興味深い作品だといえるでしょう。【1】

初出誌:『新潮』大正5年9月(大正5年8月作、発禁)
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | □谷崎読過

2012年09月30日

谷崎全集読過(14)「独探」

■「独探」
 冒頭から、語り手である私の英語コンプレックスが表明されています。英語は読めるけれども喋られないと。今に通ずる悩みです。それは、西洋の芸術に冷淡であったためで、支那やインドに目を向ける方がいい、と思っていたといいます。もっとも、それは考え直すことになります。一転して西洋崇拝となるのです。芸術観が裏返ってしまうのです。谷崎潤一郎らしいと思いました。その意味では、この作品は西洋人の印象記ともなっています。
 時々英単語が出てくるのは、初期の谷崎の作品の特徴です。果ては、6行にもわたる英文が出てくるので、よほど読者にこのことを印象づけたかったようです。
 最後に西洋人好きを自認していますが、果たして言っている通りでしょうか。谷崎の本心ではないように思います。
 ここに出てくるG氏は、本当にスパイだったのでしょうか。人と人とが付き合いを続ける中で、人間の多面性を考えさせてくれました。
 谷崎の身辺雑記の一つを、思い出語りとして綴ったものです。【2】

初出誌:『新小説』大正4年11月(大正4年10月作)
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | □谷崎読過

2012年09月08日

谷崎全集読過(13)「お才と巳之介」

 吉原へ通う、風采の上がらない巳之介の登場です。
 お才は、そこへ奉公に来た小間使いの娘。これに巳之介の心は奪われました。
 お才の描写を見ると、谷崎のフェティシズムが溢れています。
 中盤からおもしろくなります。芝居のような雰囲気がいいと思います。

 内容とは関係ありませんが、目の前からいなくなってほしいことを、「成らう事なら唐天竺へ行つて了つて貰ひたい。」(123頁)と表現しています。ここには、谷崎のインドへのマイナスイメージがあります。かねてより気になっていることなので、メモとして残しておきます。

 後半になり、店を追い出されてからのお才の変貌した姿が見物です。卯三郎の役回りも見所です。

 江戸時代の草紙ものの香りをぷんぷんさせた、色恋に懲りない男と女の物語です。人間の描写が特異で、心理劇としての構成など、その後の谷崎とのつながりを楽しめました。
 ただし、長編の割には間の取り方がバラバラな感じがしました。舞台を意識した習作として位置づけたらいいのかもしれません。【2】
 
 
初出誌:『中央公論』大正4年9月
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | □谷崎読過

2011年06月21日

谷崎全集読過(12)『陰翳礼讃』

 最近の街は節電のためということで、薄暗いお店や電車などなど、日常的に暗い世界と接するようになりました。
 職場も、会議中の照明が消され、配布された書類を読むのに苦労するようになりました。オール電化を目指した職場の建物は、至る所で節電との矛盾を露呈しています。
 節電の意義はわかります。しかし、それが突然のことなので、生活環境が追いついていません。

 そんな日々の中で、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出し、中公文庫版の本を手にしました。巻末の解説が吉行淳之介だったことが、谷崎全集ではなくて、この文庫で読んだ理由です。

■「陰翳礼讃」
 今日本は、東日本大震災と原発事故で、突然降って沸いたように騒がれ出した節電キャンペーンの中にあります。そのことを、早くも谷崎は昭和8年に、当時の社会状況の中で日本文化として指摘しています。特に、無用の照明や明るすぎる生活環境になったことへの不快感は、今にしてもっともと思うものです。
 谷崎のこの文章は、期せずして今の世の賛同と理解を得やすいものとなっているので、興味を持って読み進みました。
 これまでにこの本を何度か読んでいた私は、旧弊に拘った頑固者のオタク的発言だと思っていました。しかし、電気をコントロールせざるをえない現在の状況では、日本で生きる上での心構えを再考することを迫る力が滲み出ている、谷崎流の提言の文となっています。
 その視点に、今だからこそ新鮮さを見つけてしまったように思います。
 最後は、「試しに電燈を消してみることだ。」と結ばれています。それによる不便は痛感しながらも、これからの日本を見直す上では有効な手段です。電気を消してどうするか。美学や伝統という観念論ではなくて、問題は具体的な日々の生活の営為に行き着きます。【4】
 
初出誌︰「経済往来」昭和8年12月号・昭和9年1月号
 
 
■「懶惰の説」
 怠け者のすすめ、とでも言える評論となっています。「何もしない」ということは悪徳なのか、という本質に切り込んでいます。
 今の私には、大いに参考となる物の見方が示されていて、興味深く読みました。【3】
 
初出誌︰「中央公論」昭和5年5月号
 
 
■「恋愛及び色情」
 日本の文学とは何か、ということを考えさせてくれました。また、谷崎の女性観がよく表れてもいます。
 インドや『源氏物語』に関する言及が多いのは、この時期の谷崎の興味と関係するからでしょうか。ただし、『源氏物語』に関しては、まだ作品を深くは読み込んでいない段階のように思われます。谷崎の旧訳と呼ばれる『源氏物語』の現代語訳は、昭和14年から刊行されます。この文章が書かれている昭和6年は、だいぶん前のことになります。
 ここでは、西洋と日本の女性が対比的に語られています。これは、わかりやすい文化論となっています。【2】
 
初出誌︰「婦人公論」昭和6年4月号〜6月号
 
 
■「客ぎらい」
 自分の生き方を通したいが為の、いわば言い訳を記したものです。
 どう見ても我が儘です。しかし、当人にとっては、我が身を守る手段としての保身の術が述べられているのです。
 冒頭の猫の尻尾の例は、なかなかユーモラスでおもしろいものです。【2】
 
初出誌︰「文学の世界」昭和23年10月号
 
 
■「旅のいろ/\」
 委細は語らないで、旅の楽しみ方を伝えています。人それぞれに楽しみがあるということです。そして、話は老いの繰り言になります。急行でなくてもよいこと、大阪人のだらしなさ、乗り物の室内が暑いこと、などなど。ホテルよりも旅籠屋を勧めます。襖を閉めないことをなじり、女中さんに当たります。最後は、日常と違った三等旅行を勧めます。
 旅の楽しみ方がおもしろいと思いました。【1】
 
初出誌︰「文藝春秋」昭和10年7月号
 
 
■「厠のいろ/\」
 昔から、糞尿譚は楽しく読めます。この文章も、軽妙でいいと思います。この種のネタについて、人はなぜこんなに活き活きと語れるのか、おもしろいものです。この手の話は、もっと聞きたいと思わせます。【2】
 
初出誌︰「経済往来」昭和10年8月号
 
 
 
 「インド」と「源氏物語」に関することが書かれている箇所を、この中公文庫版(1995年改版)の頁数を記して備忘録としておきます。
 ●「インド」 18,25,71,120,123頁
 ●「源氏物語」 100,108,126,134,140頁
posted by genjiito at 22:47| Comment(0) | □谷崎読過

2011年05月03日

谷崎全集読過(11)「お艶殺し」

 一文が長い、谷崎潤一郎のスタイルとなっています。
 「お艶」を「おつう」読ませていますが、実際には「おつや」という名前です。
 今では使わない表現、「ふくらがせ」「のめのめと」「ぐれはま」「かいくれ」が目に付きました。大正3年当時のことばなのでしょうか。日本語の語誌に疎いので、感じたままをメモとしておきます。
 谷崎らしい視点で、女の心の内が描けていると共に、好いた女にずるずると引き摺られる、気の小さな男がうまく表現されています。
 下弦の月は「不祥な前兆」とあります(47頁)。手近な事典には、説明が見当たりません。とりあえず、メモを残しておきます。
 妖婦とでも言うべきお艶。すなおな新助は、結局は罪を重ねるだけでした。惨めな男の姿だけが印象的な作品です。この作品を書いた時、谷崎は30歳でした。これを書いた半年後に結婚しています。【2】

初出誌︰『中央公論』(大正4年1月、執筆は大正3年12月)
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | □谷崎読過

2011年02月06日

谷崎全集読過(10)「法成寺物語」「恐怖時代」

 谷崎潤一郎の初期戯曲作品の続きです。

■「法成寺物語」(四幕)
 芸術家としての仏師定朝の、苦悩する心中を語ります。
 舞台設定の指示に留まらず、脇役もしっかりと描かれています。これまでに、相当の舞台を見てきたであろうことが、随所に窺えます。
 道長の愛人である四の御方(為光の娘)に恋をした、定朝の高弟である定雲の心の中を通して、人間がそのまま描かれています。四の御方も、人間味溢れる会話を、定雲と交わします。絶世の美女と、卑しくてみすぼらしい男の気持ちが通じる展開がうまい、と思いました。
 その定雲゛か彫った観音勢至菩薩が、夜な夜な南殿を徘徊すると言います。それが、聞く者を惹き付ける展開となります。
 「あの法師こそ光源氏の再来ではおはさぬか」と言われる老法師良円が登場します。定朝が彫る如来のモデルとなります。定雲の菩薩に勝てるか、ということに注意が向きます。
 最後に、皎々と照らす月光が場面の演出をします。急転回で意外な結末は、月の光で浄められています。【5】
 
初出誌︰『中央公論』(大正4年6月号)
 
 
 
■「恐怖時代」(二幕)
 舞台は、江戸深川の下屋敷です。
 ずる賢い人間の、腹の探り合いで展開していきます。一人目の殺人は毒殺です。
 そして第二場へ。ここが出色の出来です。舞台をよく心得た演出となっています。
 ことの心の裏の裏が、どれが本当かわからないほどに、おもしろく語られています。
 脅されて命が危なくなった珍斎が、人間味を丸出しにして媚びたり命乞いをしたりするところが、生々しく語られます。よく人の心を見抜いた筆遣いとなっています。
 第二幕に入ると、『偽紫田舎源氏』の錦絵風の設定で始まります。
 その第二場の最後は、もう見ていられないほどの人殺しの場面の連続です。
 血迷ったような展開です。これは、ひどい筋立てです。谷崎潤一郎らしいとの評価もあることでしょう。しかし、物語をすべて投げ捨てたかのようです。この、突然の捨て鉢としか思えない書きざまに、私はついていけません。
 おそらく、これが谷崎潤一郎という作家を知る、一番の近道なのでしょう。
 それだけに、今後とも読み進む中で、この乱雑さのありようを再考することになりそうです。また、この作品が読者にどのように読まれたのかも、興味深いところです。【2】
 
初出誌︰『中央公論』(大正5年3月号)
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □谷崎読過

2010年12月20日

谷崎全集読過(10)「恋を知る頃」「春の海辺」

 これも、谷崎潤一郎の初期戯曲作品です。いずれも、谷崎が戯曲を書くことに対する自信が満ちあふれています。

■「恋を知る頃」(三幕)
 丁寧なト書きと会話の巧みさによって、読んでいても場面がよくわかります。舞台が鮮やかにイメージできるのです。
 谷崎自身を投影した伸太郎が、生き生きと描かれています。それを取り巻く人々も、 うまく描き分けています。
 やがて、驚愕の結末が訪れます。おきんの存在にスポットライトが当たり、幕となります。
 うまい構成になっています。【4】
 
初出誌︰『中央公論』(大正2年5月号)
 
 
 
■「春の海辺」(三幕)
 話の展開がややモソモソしています。三枝春雄の性格から来る煮え切らなさが、物語展開に関係しています。
 妻梅子の役所は難しいと思いました。どこまでが本当かわからないように、長い台詞が続きます。
 友人の吉川も、演技派が担う役所です。人間の心の裏を見せないようにして、話が進んでいくのです。裏がないのに、さもあるかのように演じるのですから……。
 それだけに、作者のうまさが感じられます。
 最後は、あまりにも優等生的で、やや拍子抜けです。私なら、ここで吉川が梅子にささやいて幕にするところですが……
 この一ひねりがないところに、谷崎の若さというよりも、物足りなさを感じながら読み終えました。これが実際に演じられたら、この点はどうなるのでしょうか。演劇の台本を読むのと、それが上演されたものを観るのと、2つの楽しみが得られる作品と言えましょう。【3】
 
初出誌︰『中央公論』(大正3年4月号)
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □谷崎読過

2010年12月18日

谷崎全集読過(9)「誕生」「象」「信西」

 ここで取り上げる「誕生」「象」「信西」は、谷崎潤一郎が初期に発表した戯曲です。明治43年は、作者が数えで25歳の時です。

■「誕生」(一幕)
 中宮彰子のお産という、めでたい場面です。
 わかりやすい展開で、ト書きも親切です。
 皇子が誕生すると、文章博士が五帝本紀を読むなど、よく当時を調べていることがわかります。『紫式部日記』と『枕草子』を読んで、参考にしているようです。
 明治43年という時代に、このテーマと内容がどう関わるのか、その背景が知りたくなりました。
 ただし、これは前年に「帝国文学」(東京大学)へ投稿したが採択されなかったものです(全集第3巻末の「解説(伊藤整、274頁)」参照)。【2】


初出誌︰『新思潮』(明治43年9月号)
 
 
 
■「象」(一幕)
 この「象」は、「天竺の獣を唐人が連れて来た」とあるように、東南アジアに目が向いています。民衆の会話にも、異文化理解の様が描かれます。華やかな舞台が目に浮かびます。
 新しい時代を求める視線が新鮮に映ります。
 たくさんの人物に語らせることで、祭礼という群衆の熱気がうまく描かれています。【4】


初出誌︰『新思潮』(明治43年10月号)
 
 
 
■「信西」(一幕)
 自分の運命が見えた信西は、生きる気力をなくします。
 信西の心中を、世の動静を、星と月がうまく活用され、信西の口を通して語られます。
 追っ手に召し捕られた時に信西は、「星はまだ光って居るか」と最後のことばを言います。これがいいと思いました。現世を遠く離れた境地にいる信西が、みごとに描かれています。【4】


初出誌︰『スバル』(明治44年1月号)
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | □谷崎読過

2010年04月27日

谷崎全集読過(8)「憎念」「華魁」

■「憎念」
 いささか性根の悪い筆者が読者に語る、というスタイルを取っています。
 へそ曲がりの男の屁理屈です。それが、しだいにサディスティックに進行していくのです。
 嫌悪感を催す内容で、作者のねじ曲がった性癖が生んだ作品、といえるでしょう。
 こうした手法の話から、後に『武州公秘話』につながっていく性格を持つものです。【1】

初出誌︰『甍』(大正3年3月、鳳鳴社)に書き下ろしとして収録
 
 
 
■「華魁」
 16歳の丁稚由之介は、大人の心身を支配する「華魁」という不思議な女性を、どうしても理解できません。大人と互していくことに自信を持っていた由之介は、この「華魁」に挑みます。
 番頭の頼みで女郎屋へ使いに行くことになった由之介が、その後どうなるのか。ちょうどいい所で「未完」として終わります。
 これから先が読みたくなる話です。【4】
 
 
初出誌︰『アルス』(大正4年5月、鳳鳴社)。ただし、風俗壊乱のため発禁。
 
(参照︰「猫を償うに猫をもってせよ」小谷野敦
    http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050601
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □谷崎読過

2010年04月05日

谷崎全集読過(7)「羹」

 相変わらず、英単語が顔を覗かせます。
 話が東大生の学生生活を基本とするものなので、かえって英単語がちらほらする所に、青春生活の味が加わり、いい効果を見せています。ただし、中盤から「マーザー」とか「ハズバンド」(175頁)などと、英語をカタカナで表記したりしています。何か意図するところがあるのか、まだ私にはわからない点です。

 冒頭の、車窓からの風景描写が丁寧です。橘宗一の眼を通して、美代子がきれいに描かれています。「ほんとうに妾を忘れないでね」と言う美代子が印象的でした。ただし、この小説が未完とのこともあってか、後半は美代子の出番がありません。宗一が結婚を諦めだした頃から、その存在が薄れていきます。

 全編、青春小説に加えて、風俗的な観点からの資料ともなっています。明治末年の東京大学では、日本の古典文学は『古今和歌集』が教材だったことがわかったりします。学生生活の実態が、よく活写されています。すべてが自伝ではないにしても、こうした社会や学生生活の環境などは、ほぼ谷崎が身を置いた周辺を描いていると思われます。東大の向が岡寮のことは、京大の寮と較べたり出来て、非常に興味があります。

 自宅を出て寮に入る宗一と、それを見送る母お品の頭上に、月がでています(94頁)。感傷的な場面を、印象深くしています。月光の中で入寮。そして、月が美代子への想いを橋渡ししてくれるように、宗一は思います。

 作中で、今で言えば偉人・名著が、登場人物である学生たちの話題としてよくでてきます。よき学生時代が描かれているのです。
 そういえば、ロウソクの灯りで読書をしている場面に出くわし、意外に思いました。明治末から大正初めは、まだ電気は一般的ではなかったようです。『百人一首』のカルタ会での景品に、「昼は消えつつ物をこそ思へ」という謎の元に、電灯の球が出てきます。電球がハイカラなものだったのです。
 「電車が二三台置きに満員の赤札を下げて」(175頁)とあるところなどでは、当時の写真や絵が見たくなります。いまはなき明治のモノが、そこここに出てくるので、知らないとこの背景がわからず、作者と作品を共有できない不安を抱きます。これは、もう古典です。文字による文学が背負う宿命ですが。
 年末、新年の5日前に、「暇つぶしには年始状」(175頁)を書いています。そこには、「恭賀新年」と。この習慣は、いつ頃からのものなのでしょうか。
 社会や文化の違いにも気を配りながら読み進むと、この小説は非常におもしろい読み物だと思います。

 二三日前に、樋口一葉の「たけくらべ」を読んだ、とあります(155頁)。谷崎潤一郎が住んでいた地域や、後半で話題になる女郎屋などが、こうしたことと連携していきます。
 その他、外国の小説のことなどが出てきて、明治から大正の学生が見えてきます。また、kiss や shake hand そして virgin など、男女のことを直接日本語で言わないところに、青春文学らしさが垣間見えます。

 後半は、話題が友達の恋愛問題などへ移ります。未完とのことなので、この後どうなるのか気になります。しかし、これはこれで十分に宗一の青春を描いた作品だと言えます。それよりも何よりも、明治末年の東京が丁寧に描かれていることで、一つの文化的な価値を持つ作品になっていると思います。たくさんの人間の感情も、うまく描き分けられているので、読んで楽しめる小説となっています。【3】


初出誌︰「東京日日新聞」明治45年7月20日〜11月20日
 *明治45年7月30日に明治天皇崩御、大正と改元。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | □谷崎読過