2011年06月01日

何を今更「電磁波」と「発がん性」の認定

 今日の朝日新聞(夕刊、東京版)に、「ケータイ電磁波 WHOが注意喚起 「発がん性の可能性」」という記事が、一面下段に掲載されました。

 何をいまさら、という感じがします。
 ずぶの素人である私にも、とうにわかっていたことです。これまでにも、〈へぐり通信〉というホームページや本ブログで何度も書いてきました。
 家族からも、あまり言うので聞き流されていました。しかし、これで我が家でも、私が言い張っていたことが当たっていたことを認識してくれるようになりました。言ってた通りだね、と。

 ちょうど、『電磁波の何が問題か −どうする基地局・携帯電話・変電所・過敏症−』(大久保貞利、2010年11月、緑風出版)という本を読み終えたこともあり、そのことを書く前の準備として、平成19年にクラッシュした次の記事2つを復元したところでした。

「【復元】磁気や電磁波の恐ろしさ」(2005年10月13日公開分、2011年4月19日)


「【復元】携帯電話の電磁波を調査すべし」(2006年3月4日公開分、2011年4月20日)
 上記ブログに併録「携帯電話の危険性〈2000.5.4〉」


 そして、『電磁波の何が問題か』という本を取り上げようとしているうちに、つい私が別のことに興味が移り、書き忘れたままになっていました。

 今日の夕刊の記事でまた思い出したので、ここに取り上げるしだいです。

 電磁波が人体に危険なことは、当の業界が何よりもよく知っています。ただ、国民に知らせない、というよりも、知られないように情報を操作してきた、というだけです。
 マスコミも、取材などでその携帯電話などの重宝さに溺れているので、あえて首を絞めるような批判の記事を書く勇気のある記者はいないし、番組を作るディレクターの度胸もないのが実情のようです。

 これは、ゴルフが環境破壊と地域住民の健康被害という犠牲の上にある、スポーツとはとても言えない恐ろしいものなのに、マスコミなどはまったく批判的な文言はおくびにも出さず、記事や番組としても手を出さないこととも通底する問題です。
 日本のマスコミの哀れな限界が露呈しているものです。

 ゴルフについては、奈良の平群町でその農薬被害のひどさを反対運動の中で学んだので、いつか書こう書こうと思いながら、いまだに果たせずにいます。
 リニア新幹線や電磁調理器も危険きわまりないものですが、これらは、またいつか書きます。

 それはさておき、携帯電話のことです。
 今日記事が、世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)の発表をもとにしたものなので、これなら多くの人が携帯電話の電磁波の危険性を、ひょっとして本当にありうることでは、と思うはずです。

 マスコミが、電気通信や電話業界を敵に回してでも取材をする気があれば、早晩このテーマで特集番組がくまれることでしょう。ただし、それはほんの表面をなでるだけの、一過性のものとなるはずです。
 今のマスコミに、これだけ国民に普及した携帯電話を批判的に見る目は皆無なので、一時的な問題提起で逃げる番組しか作らないはずです。それでも、ないよりはましです。
 このWHOの発表は、あり得ないと思われた震災に続く、あり得ないと言い張ってきた電話業界にも嘘が多かったことを暴露して、それらしい気分にさせてくれれば、それだけで次につながることになると思われます。

 このニュースが、今後ともどのように取り上げられ、展開していくのか、楽しみになってきました。
posted by genjiito at 22:43| Comment(2) | ◎情報社会

2011年05月31日

【復元】インドにもアップル製品が

 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
 インドに関する記事で復元できたものです。
 文中の値段は、平成18年3月時点での米ドル価格です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 *************
 
 2006年3月19日公開分
 
 
副題︰「町中のアップルセンターと空港のiPod」
 
 
 初めてインドへ行ったのは、2002年1月でした。3ヶ月間いました。
 その頃、インドにはMacintoshというコンピュータがまったくありませんでした。というより、アップルという会社のことすら、まったく問題になっていませんでした。かろうじて、アップルのイベントがあったので参加しましたが、その説明もレベルの低いものでした。
 私のプライベートホームページである〈へぐり通信〉の中に、「突然インドへ飛ぶ」というコーナーがあります。
 その中に、以下の二つの記事があります。共に、インドにおけるMacintoshの認知度が低いことを述べています。

(1)02/01 電気屋街にMacがない

(2)インドでのマックイベントに参加(02/2/27)
 (おわび︰画像のリンク切れのため鋭意修復中。)

 ところが、今回のインド訪問で、目を瞠るほどの変化がありました。アップルが立派に輝いているのです。まだ高級イメージではありますが、これは徐々に浸透していくことでしょう。

 知的好奇心が旺盛なインドの人たちが、あのビジネス・マシンであるWindowsに満足するはずがありません。クリエイティブ・マシンのMacintoshに、もうすぐ到達するのです。これは楽しみになってきました。
 インド人がMacintoshを使うと、どんなことをするのでしょうか。アメリカから、この1年半で、すでに2万人以上のIT技術者がインドへ帰ってきているそうです。かつては、シリコンバレーに出稼ぎに行っていたインド人が、自分の国で仕事をしようというのです。これからが楽しみです。

 さて、今週のインドにおけるアップル情報です。

 まずは、ニューデリーで若者を初めとする裕福な人たちが集まる、アンサルプラザに出来たアップルセンターです。ここは、ヒンディー語を排して、すべて英語が使われているショッピングセンターです。この一角に、アップルセンターが出来ていたのです。
 外壁に掛けられた大きな広告は、とにかく目立っていました。
 
 
 

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 その店内ものぞいて見ました。ただし、お店はちょうどホーリーの日でもあり、残念ながらお休みでした。外のガラス越しに写真を撮りました。
 
 
 
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 次は、帰りのインディラガンディー空港の免税店でのことです。
 何と、お土産物として、堂々とiPodを売っているのです。これには驚きました。
 こんなに目立っていいのでしょうか。
 
 
 
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 ちなみに、価格は以下の通りでした。

 iPod-video 30GB 314ドル
 iPod nano 2GB  210ドル

 インドを出国する人のための免税店なので、インド向けの刺激にはなりません。しかし、それでもデリーでのこの宣伝効果は大きいといえます。
 インドから、ますます目が離せません。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◎情報社会

2011年05月13日

無用の長物と化している iPad

 巷では、iPad2の話題で盛り上がっているようです。しかし、私はこの iPad には縁がありませんでした。

 iPadは初代を持っています。昨夏、京大病院に入院していたとき、小さい画面の iPhone でのブログの更新が面倒だったために、急遽 iPad を購入しました。病院から出られなかったので、息子の名前で買いました。フルスペックで、8万円ほどしました。ネットが不自由だった病室では、それなりに重宝しました。

 しかし、iPhoneとMacBook Airが手元にあると、iPadはその隙間に位置するものなので、退院した途端にこの iPad は不要になったのです。

 妻と昨秋10月に那智勝浦の青岸渡寺へ行ったときに iPad を持ち出し、カーナビ感覚で地図代わりに使ったただけです。今もそれ以来、電源を入れることもなく、部屋に転がっています。私には使い道がないので、この3月に3G回線の契約を解除し、WiFiモードだけにしています。今は、何か使い道がないか、鋭意情報収集中です。しかし、未だに使い道がないのです。せいぜい、トイレに持ち込んでネットをブラウズすることにでも使うか、という、もったいない板となっています。

 iPad への一番の不満は、カナ入力ができないことです。ローマ字入力か、50音入力しかできないので、私にとっては日本語が自由に使えないのです。このことは、妻も使おうとしない理由となっています。30年近くパソコンを使っている仲間には、カナ入力派が意外と多いものです。

 アップルも、Macintosh を使った生活をする者には本当に中途半端な製品を出したものです。
 iPhoneもMacintoshも使っていない人にとっては、iPadはアップル製品を知ってもらうのにいい機会になる商品だと思います。大いに普及してほしいと思います。ただし、iPhoneと MacBookAir を使う私には、iPad は無用の長物と化してしまいました。

 何か使い道がありそうですが、今は思いつきません。どなたか教えて下さい。
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | ◎情報社会

2011年04月25日

【復元】回転寿司屋探しでカーナビの不具合発見

 奈良から京都に住まいを移したのを機会に、自家用車を処分しました。3年前のことです。
 自分が車との縁を切ると、運転している人たちを見るたびに、本当に車は必要な乗り物なのか、疑問に思うことがあります。特に、大都市で我が物顔に走る自家用車は、多くが不要な走行をしているように思えます。ただし、地方で移動の手段がない地域では、車はなくてはならないものであることは認めます。公共交通といっても、人口がすくなければ採算がとれないのですから。

 子供がいるから、ということで、つい運転しているのでしょう。
 大きな買い物をするから、ということで車でホームセンターに行きます。
 しかし、実は、自分で運転しなくてもものは買えるし、運べるのです。
 商用車は必要性が高いでしょう。物流の中心になっているのですから。ここで問題にしているのは、一般家庭で利用される個人的な利用に限定されている自家用車です。

 車の運転が好きな方のためには、サーキットコースをもっとたくさん作ればいいのです。私も自動車の運転が好きなので、近くに安く利用できるサーキットコースがあれば、今でも行きたいと思います。

 とにかく、ガソリンを浪費し、排気ガスを放出する車の中でも、自家用車はもっと制限をしてもいいのでは、と思っています。車に麻痺した生活習慣は、なかなか変えられません。しかし、人間は賢いので、いずれは無自覚に乗り回す自家用車社会と決別することでしょう。
 私は、やはり公共交通をいかに社会に生かすか、だと思っています。
 今、京都市はこの車社会に挑戦しています。車に関することになると感情的になる方が多いようで、京都市も非常に慎重に控えめに、それでいてしつこく取り組んでいます。今は、四条通を中心として、車の車線を制限して自転車を優遇する道作りに取り組んでいるようです。
 京都に、自家用車は不要です。外から来る人は、郊外で乗り換えてもらえばいいのです。もう日本では忘れられつつある、パークアンドライド方式です。いちいち乗り換えるのは面倒ですが、気持ちよい社会を作るためには必要なマナーではないでしょうか。
 現在の京都市の実験の成果が楽しみです。自家用車を減らすことに対する取り組みは、気長にやるしかないようです。

 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2005年1月9日公開分
 
 副題「行きたいところへ行けないトヨタのカーナビ」
 
 
 私のお勧めの回転寿司屋は「函館市場」という寿司屋です。百円寿司ではなくて少し高いのです。でも、なかなかおいしいのです。特に、北海道汁がお勧めです。海老の香りが食欲をそそります。

 先日、いつも行っている函館市場上牧店で、他の店の所在地を聞いたところ、いろいろあるが場所まではわからない、ということでした。店の人が言うのだからそんなものか、と納得していたのですが、それも変だと思い、インターネットで調べてみたところ、奈良県に4店あることがわかりました。
 ガーデニング用品の仕入れもあったので、妻と一緒に今日、リストの中から奈良学園前店か奈良西大寺店へ行くことにしました。どちらも近いので、走りながら決めることにして出発しました。

 カーナビにこの2店を登録し、まずは奈良学園前店のある押熊町へ向かいました。『古事記』と『日本書紀』で有名なところです。この町にはガーデニング店が二つあり、インド料理店もあり、車で京都へ行くときに通過するところなので、この周辺の地理は熟知しています。しかし、函館市場があったとは知りませんでした。
 さて、カーナビが案内したくれたところは、なんと豚カツ屋さんでした。インターネットで調べた住所で検索しても、電話番号で検索しても、愛車のカーナビはこの豚カツ屋さんの前を示します。店は潰れたのだろうと思い、すぐ近くの奈良西大寺店へ行くことにしました。これは、インターネットの資料によると秋篠寺の近くにある店です。カーナビが指示する通りに走ると、住宅地に入り、ゴール地点は民家が密集しているところです。とても車で食事に来るところではありません。車2台がすれ違うのも大変な住宅地のど真ん中です。

 2ヶ所ともに回転寿司屋がないところなので、お店に電話をしました。すると、電話番号は変っていないし、場所も変っていないとのことでした。奈良西大寺店は、そこから大回りするところにあり、奈良学園前店も場所は大きくズレているところにあるようです。

 お寿司を食べる気力を無くしたので、押熊町にある、よく行く「シャンティ」というインド料理屋さんへ行くことにしました。上品な味付けで、小奇麗な店です。(参考までに、インド料理屋さんで私が一番のお勧めは、奈良富雄にある「タゴール」です。ここは「シャンティ」より少しおしゃれな店です。もっともこの店は、過般、少女誘拐殺人事件の発生現場に近いところにあります。また、わが家が発見現場の平群町ということで、なんとなく説明するのに声が小さくなるのですが。)

 気を取り直して帰路につきましたが、それにしてもカーナビのデータに全幅の信頼を置くことができないことがわかりました。カーナビはトヨタ純正のもので、DVDデータディスクは「VOICE NAVIGATION SYSTEM JAPAN 2004年全国版」(2003年10月発行)のものです。昨春来、それまでのものと入れ替えて使用しているものです。

 カーナビのデータの精度というのは、この程度なのでしょうか。トヨタのカーナビは3年近く使っていますが、こんなことははじめてです。"
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:33| Comment(0) | ◎情報社会

2011年04月20日

【復元】携帯電話の電磁波を調査すべし

 電磁波に関して続けます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
 2006年3月4日公開分
 
 副題「無自覚のままに電磁波を飛ばす人たち」
 
 

 これまでにも、折を見て問題意識を公言している電磁波について、改めて整理をします。
 白血病、脳腫瘍、アルツハイマーなどに関する、電磁波の疫学的な影響関係は、どの程度解明されたのでしょうか。

 昨日、新幹線に乗るために、山手線で東京駅へ急いでいた時でした。私の背後にピタリとくっつくようにして立っている人が、背中でゴソゴソしているのです。何となくくすぐったいのです。まさか痴漢?

 体を捩って異物感を避けて見たところ、女性が携帯電話でメールを送るところでした。その携帯電話の先端から少しずつ体を離し、人と人とのすき間を縫って、1メートルほど移動しました。

 どうにか電磁波の直噴から身をかわして東京駅に着き、「ひかり号」の自由席に乗るために整列していたところ、またしても背中がモゾモゾします。後ろの女性が携帯電話をいじっているのです。列を少しはみ出すようにして体をかわしました。
 席に座ると、隣の男性が、またまた携帯電話を出しました。チラリと見ると、この方はマージャンのゲームを始めました。これなら可愛いのですが、いつ何時、この携帯電話にメールが飛び込んでくるかもしれないのです。電話の呼び出しもあり得ます。このことに一喜一憂して生きているわけではありませんし、人間の免疫や回復力を信じています。しかし、思い返すと不安が過ります。
 
 京都駅で奈良・平群の自宅に向かうために近鉄特急へ乗り換える合間に、駅前ビル6階にある店に立ち寄りました。そのエレベータの中で、乗り合わせた2人の女性が、真剣な目つきでメールをチェックしたり返事を書いています。エレベータという鉄板の箱の中です。電磁波の輻射波というものの、人体への影響も未知の課題です。もう相当前になりますが、電車の中で何人が一斉に携帯でメールのやり取りをすると、その輻射波がどれだけの数値を示すか、という実験が行なわれました。その後の検証がどうだったのか知りませんが、これも未解決のはずです。

 私は、タバコの副流煙の問題と同一視しています。タバコは、その煙が目に見えるので怖さが実感できます。しかし、電磁波は目に見えないので、なおさら無自覚になります。

 近鉄特急の中では、携帯電話をいじっている人は無数にいましたが、ここでの特徴は、大声で電話をしているおじさんがいたことです。毎週の風景ですが、電車内で携帯を使った通話をしているのは、関西が目立ちますね。気質でしょうか。人目を気にしないからでしょうか。もちろん、東京の東急線の社内では、優先座席の周辺は、派手にオレンジ色の吊り革などで、そのエリアを区別しています。そんなことにはお構いなしに、携帯電話を操作する人は多いのですが、この色別エリアの設定は、いくぶんは心理的な影響を与えると思います。ただし、このようなプレッシャーを与えるやり方は、お互いが気持ちよい環境を壊すので、今しばらくの暫定処置として認めるべきでしょう。

 それにしても、WHOが電磁波問題を検討課題としたのは、もう何年前でしょうか。その後の報告を確認していませんが、マスコミが騒がないことを見ると、人体への影響についての警告は出ていないようです。もっとも、昨年末に東京のアメリカ大使館に自動車が突っ込むということがありましたが、どこがどのように情報管制を敷いたのか、この件はまったくニュースとして取り上げられませんでした。その現場を見たという人は、白昼に夢幻を見たことになっています。日本といえども、政治的な情報操作がなされており、マスコミも、そのすべてが号令一下、口を噤んでいるのです。これが、アメリカ流の自由というものの側面のようです。

 さて、本ブログでは、2004年8月15日「女性専用車両大賛成の弁」や、2005年10月13日の「磁気や電磁波の恐ろしさ」で、個人的な問題意識を記しました。

 以下に、プライベートホームページである〈へぐり通信〉の「ハイテク問はず語り」に掲載した拙文を転載します。これは、今から6年前の記事ですが、未だにこの問題が問題となっていないのです。というより、問題にしないことにより営業収益を確保する企業努力の前に、この問題が封印されているのです。日本民族が自爆自滅しないうちに、自然環境の中に人類が一日も長く生き残るためにも、まずは問題意識の共有が必要かと思います。いろいろと調査した結果として、もし問題がないのならば、それはそれですばらしい成果ではないでしょうか。何も知らずに肉体的・精神的な不幸を背負い込むことほど、愚かなことはありませんので。

 私のようなズブの素人が、こんな科学的な問題にコメントを記すことができるのですから、この問題はなかなか根の深いものなのでしょう。
 
 
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携帯電話の危険性〈2000.5.4〉
ようやく問題視されだした携帯電話の危険性

 平成12年5月2日の朝日新聞第一面に、携帯電話からの電磁波が人体に有害かどうかを調査することになった、との記事が掲載されました。

 日頃から脳細胞破壊兵器の一面をもつ携帯電話の危険性が問題とされていないことに異議を唱えていた者としては、これまで見て見ぬ振りをしていて、そしてようやくですか、という感想を持ちました。いまさらという感がしますが、それでも遅すぎることはありません。とにかく、害がないということの証明は難しいのでしょうが、疑わしきは罰せずではなくて、疑わしきは利用を控える姿勢も大事ではないでしょうか。

 携帯電話は、人間の身体への影響という点では、たばことよく似た因果関係を持つものだと思います。吸いすぎ、使いすぎに注意しないと、健康への被害が甚大だということです。そのようなものを吸うとか、身につけるかどうかは、もちろん利用者の自由です。しかし、たばこの場合のように、事前に利用者にその危険性を明示して販売されていたか、という点から言えば、携帯電話はその利便性と利用料金のみが強調され、人体への傷害については事前の説明なしに、野放しで頒布されているように思います。

 今、いちおう公共の情報発信機関とされている新聞がこのことを記事にするように関係各機関に働きかけたのは、一体なぜなのでしょうか。私は、携帯電話のメーカーが、電磁波の人体への悪影響に対する弁明の理由がどうにか見つかったので、ひとまず一般人への配慮をしているポーズを示すために、このような記事になるニュースを仕組んだのだろうと思っています。今後予想される訴訟対策とでもいえましょうか。
 郵政省も通産省もメーカーも、とっくにこの携帯電話が併せ持つ危険性については知っていたはずです。行政側は社会的な影響を考えて、景気の好調さを作り出すのに一役買っている携帯電話関連企業の活動を止めない方向で、ここ数年は動いていたはずです。これは、公害・薬害問題における為政者の常套手段です。現実に、街の携帯電話ショップの乱立と、そのカウンターにいる若いパートタイマーやアルバイトの人たちの多さは、曲がりなりにも若者たちの失業状態をカムフラージュでき、また、若い人を中心に携帯電話を持たせることによって、一種のガス抜きが行われているのです。今、携帯電話の活況にブレーキをかけると、若者を中心として暴動が起きるとは言わないまでも、大きな反発が起きるのは必死です。突然の不便は、大きな不満を発生させるからです。

 それに加えて、この六月に行われる予定の選挙前ということもあるのでしょう。アメリカのクリントンが大統領選挙において、投票日の直前に、電磁波が人体に無害であるとのコメントを発表したことがありました。当選後すぐに、消極的に、有害という証拠がない、との弁明に変わりました。投票日直前に、電力関係団体の票を取りまとめるための口実に使われたようです。

 今度の新聞記事によると、郵政省の電波環境課は、携帯電話の電磁波による人体への影響について、「現時点で有害という証拠はない」と言っているそうです。どこの国のお役人も同じなのですね。無害とは断言できないので、このようなコメントになるのでしょう。
 水俣・カドミウム・スモン・エイズなどなど、国が後手後手にまわった施策は枚挙にいとまがないほどです。この携帯電話に関する対応も、歴史的にはこの部類に属するものといえましょう。人類は、同じことを繰り返しながら、少しずつ前進していくのです。その前進の過程においては、犠牲は致し方ない、という論理かもしれません。今回は、電磁波の影響が直接生命に影響しないことが多いという点が、問題点を不明確にしています。

 携帯電話を含む電磁波の人体への問題は、疫学的な事例ではあっても、脳腫瘍・白血病・アルツハイマー病に関わるものとされています。この事は早くから指摘されており、私の周りでもそれを知ってか、この危険な要素をもつ携帯電話を持っている人は少ないのです。職場でも知人にも、その危険性を説明するのは疲れることなので、私は、という言葉を冠して、怖い道具だと思っていることを伝えています。もっとも、大多数の人は、そんなに恐ろしいものなら、国や会社が市中に出回らせているはずはないと思っておられるようで、「そんなことを言っていたら」とか「それは大変ですね」というクールな反応が多いのです。理屈では理解を示したいが、やはり、その便利さには勝てないということなのでしょう。

 実は、私の娘も携帯電話を持ち歩いています。たばこと類似する危険性をよく言い聞かせているのですが、家との連絡などに重宝することもあって、もう離せない存在の道具となってしまっています。とにかく、もう手放せない人は、いかにうまくこの脳細胞破壊兵器を平和利用するかだと思います。

 新聞記事によると、今年の9月ごろから聞き取り調査に入る見込みで、因果関係についての最終的な結論がでるのは、今から4年後の平成16年ごろだそうです。なんとも、のんびりした人体実験調査です。ナチスや七三一部隊のような性急な人体実験は問題ですが、多くの人の健康な生活を守るためにも、もう少し真剣に取り組んでもいいのではないでしょうか。政権政党が政治資金を貰っている関係か、NTTをはじめとする情報関連企業に遠慮しなければならないことはわかります。テレビなどで、スポンサーとなっている企業に対して反対の姿勢で番組が作れないことに通ずる問題が内在するのでしょう。NHKのスポンサーは政府与党ですし。お金を貰うスタイルの政治の弱点が露呈しているようですが、ここはけじめをつけて、ポーズではなくて、真摯な前向きの姿勢を示してほしいものです。

 私は、情報関連の新製品には、すぐに手を出して、その拙速にいつも反省しています。しかし、この携帯電話に関しては最初から疑問を持っていたので、これだけには手を出しませんでした。コンピュータやインターネットを仕事に活用し、情報文具で各種データを処理する日々の中で、この携帯電話は非常に魅力的な小道具です。しかし、やはり自分の体を犠牲にしてまでは、という理由から、導入は検討しながら、実際には使用していません。今回の悠長な人体実験調査での結論を見てから、自分の生活に携帯電話を取り入れるかどうかを考えたいと思います。
 今から4年後なら、人体に悪影響を及ぼさない商品が開発されていることでしょうし。そのメドがメーカー側についたからこそ、このような郵政省の調査が始まることになったと思われます。いわば、企業を守るために実施する、政府の時間稼ぎの調査なのでしょうから。それにしても、郵政省や通産省の内部には、本当のことをストレートに語ってくれる人はいないのでしょうか。国家公務員減らしが進む中、あえてそのような愚挙に出るお役人はいないですよね。

 電磁波の人体への悪影響を取り上げ、電磁波がいかに怖いものかを語る警鐘本が書店にあふれた時期がありました。今は、幾分収束したようですが。あたらしもの好きの私は、こうした本を、立ち読みも含めてたくさん読破してきたつもりです。電磁波擁護論の本も、少ないながらもあります。
 そうした電磁波に関する解説本の中から、私は『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、平成9年、\2,300、CD―ROM付き)をお勧めします。この本は、電磁波擁護論の立場で書かれています。巻末で著者は、「いたずらに恐怖をあおる《電磁波は怖い》論にまどわされることなく、冷静な英知を集結させたいものである。」(245頁)と言っています。この本では、事実や資料を客観的に見ようとする姿勢が随所に見られ、好感を持ちました。しかし、私はこれを読んで、逆にその危険性を再認識してしまいました。なかなかよくできた、逆説的な本だと思います。海外の研究者へのインタビューを収録したCD―ROMが付録に付いているというのも、おもしろい企画です。また、このCD―ROMは、マッキントッシュでもウインドウズでも見られます。分割の憂き目を目前にしたマイクロソフト帝国の僕とならず、きっちりと少数民族のマッキントッシュユーザーにも均等に情報を提供する姿勢も、大きく評価したいと思います。

 これまで、あまりにもマイクロソフト帝国に媚びを売る企画や企業が多かったし、無意識とはいえ、寄らば大樹の陰よろしく、マイクロソフト仕様に準拠すればことたれりとした無意識の差別者ばかりではなかったことを教えてくれました。今後とも、こうしたハイブリッド仕様の情報提供を望むところです。 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 22:43| Comment(0) | ◎情報社会

2011年04月19日

【復元】磁気や電磁波の恐ろしさ

 これまでに、電磁波についてはたくさん書いてきました。
 主に1995年に立ち上げたホームページに書いていたので、それらは少しずつこのブログにも集めることにします。
 科学的な問題は日進月歩なので、今はすでに解明されたことや、解消した事例もあることでしょう。
 そのことを承知で、書いた当時のこととして、記録に残しておきます。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
 2005年10月13日公開分
 
 副題「脳外科でMRIを受けて」
 
 
 脳外科でMRIによる検査を受けた時のことです。検査の結果、私の頭部に問題はなかったのですが、ポケットに入っていたプリペイドカードの全てが磁気破壊を受けて使いものにならなくなっていたのです。
 1回目の検査は頭部だけでした。この時は、上着を脱いだだけでポケットには銀行のカード類も入っていました。特に指示がなかったからです。
 2回目の頚部の時は、磁気カードはロッカーに入れておくように言われたので、銀行のカードやクレジッ卜カードの入ったケースは取り出しました。しかし、プリぺイドカードやお店のポイントカードの入ったサイフは、ズボンのポケットに入れたままでした。
 相当長時間、頭と首をMRIのドームの中に突っ込んでいました。そして、後で気付いたことには、銀行やクレジッ卜カードは使えたのですが、プリぺイドカードはすべてダメになっていることがわかりました。自動改札機に入れると、ピンポンと鳴るのです。磁気が怖いことを実感しました。
 病院の選択を間違ったのでしょうか。気をつけましょう。
 そして思うのです。私の持論ですが、携帯電話の電磁波の人体への影響は、本当に大丈夫なのでしょうか。疫学的には、白血病や脳腫瘍、そしてアルツハイマーの引き金になるとの報告は、今はどのように理解されているのでしょうか。社会的には、無視されているようです。
 携帯電話は便利です。しかし、私はその電磁波の怖さを思い、あまり身近には置かないようにしています。留守番電話の機能を活用しています。持っている意味がない、と苦情をよく言われます。
 子供たちも日常的に使うようになった携帯電話について、もっと情報を流すべきではないでしょうか。細胞分裂の活発な子供たちに、電磁波はどんな影響を与えているのでしょうか。

 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:27| Comment(0) | ◎情報社会

2011年04月14日

アップルのAC電源アダプタが発火

 アップルのノートパソコン・MacBook Proで使用している Apple MagSafe電源アダプタの付け根に、信じられないような異変が起きました。
 
 
 

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 このアダプタは、磁石でノートパソコンに吸い付くように接続するので、引っかけてもすぐに外れるので安全です。それはいいのですが、いつしか付け根が熱を持つようになり、ついに黒煙を上げてケーブルが焼けたのです。
 25年以上も、いろいろなパソコンを使ってきただけに、そんなに乱暴な扱いはしていないはずです。
 
 
 

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 また、同じタイプのもう一つのアダプタも、電源が入ったり切れたりするようになりました。
 どうやらこの形状は、付け根に負担がかかると断線するようです。

 早速、銀座のアップルストアに2つのApple MagSafe電源アダプタを持ち込み、対処を相談しました。
 すると、すぐに新しいタイプのもの2つと交換してもらえました。
 しかも、無料でした。

 付け根のところの形状が、まっすぐにケーブルが延びるのではなくて、新しいタイプは90度に曲がっています。これは、MacBook Air の Apple MagSafe電源アダプタに近いものです。その進化形というべきものでしょうか。
 
 
 

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 アップルストアでは、発火したときに怪我や火傷をしなかったかと、そのことを最初に心配して下さいました。おそらく、たくさんの苦情があったのでしょう。そのこともあり、まずは相手の身に問題が及んでいなかったかを確認し、すぐに新しい改良品と交換する、という対応のようです。とりあえずは、迅速な対応にほっと一安心です。

 アップルのサイトには、「MagSafe 電源アダプタケーブルの負担を軽減する方法」という記事があります。しかし、これは説得力に欠ける説明です。また、この程度で断線する設計なら、それは設計ミスというよりも欠陥というしかないものです。
 欠陥商品としてリコール対象の商品にはなっていないようです。しかし、これは非常に危険な商品だと思います。大至急、公表すべきだと思います。

 いずれにしても、MagSafe 電源アダプタケーブルの曲がり具合には、今後とも注意が必要です。
posted by genjiito at 23:25| Comment(2) | ◎情報社会

2011年03月04日

キャッシングの返済が大変

 インドの通貨であるルピーは、インド国内でしか入手できません。そこで、旅行者の多くは、インドの街中のATMで、クレジットカードからのキャッシングという方法で、インドのルピーを引き出しています。

 私が宿泊していたところの周りには、6つものATMがあります。どの機械から引き出すか、迷うほどです。

 現地では、簡単に現地通貨が手に入りました。ところが、日本に帰ってから、その返済が大変なのです。

 私は、今日一日を費やして、結局は返済できませんでした。日本円にして約1万円が、丸一日かかってもできなかったのです。

 相手は、三井住友銀行です。そのATMでだめでした。
 窓口へ足を運んで行ってもでもだめでした。ネットでもだめでした。
 銀行からは、それなりの理由を聞きました。しかし、それらはすべてが、銀行側の都合です。

 今日一日、銀行員とオペレーターの方とお付き合いをして出された結論は、私が明日銀行へ行き、手書きで振込用紙に書いて手数料を払って返済をするか、一ヶ月間放置しておき、口座から自動引き落としをされるのを待つか。この2つから選ぶことでした。もちろん、後者の場合は、一ヶ月分のキャッシングの利息が付きます。

 これが、三井住友銀行からの提案です。驚いています。
 借りたお金を返すことが、こんなにも大変なことだとは。

 そういえば、昨年もインドから帰った後の返済で、たくさん電話をさせられて、多大の時間と労力を費やしたことを思い出しました。
 あの時も、振込用紙に手書きで記入し、窓口へ持って行ったように思います。

 私は、一ヶ月間わざわざ放置した後に日割りの利息付きで返済するのではなくて、旅から帰った今、さっと片付けたいのです。

 日頃は、すべてネットで支払いや決済をしています。窓口で書類を書いて、そして並んで、呼ばれるのを待つのは、あまりしたくありません。

 銀行の窓口が、こんなにも人間のあしらいがぞんざいになっているとは、知りませんでした。

 私は、わがままを言っているのでしょうか。
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2011年03月02日

職場のメールアドレスを廃止しました

これまで使っていた私のメールアドレスの内、職場のものである「t.ito☆nijl.ac.jp」を、3月1日で廃止しました。
 (メールアドレスの「@」の代わりに「星(☆)」を入れています)

これにともない、3月2日より国文学研究資料館の「nijl.ac.jp」が付いたアドレスで私宛に送られてくるメールは、まったく読むことができなくなります。
お手数をおかけしますが、お手元のアドレスリストの伊藤分として登録されている「t.ito☆nijl.ac.jp」は削除していただき、今後とも使わないでください。

職場が変わったのでもなく、退職したのでもありません。

私は、主に iPhone と MacBookAir を使って、24時間態勢でメールのチェックをしています。
しかし、3月より国文学研究資料館内のメールを、外部に転送してもらえなくなったのです。
資料館に届く膨大なスパムメールを、そのまま転送するわけにはいかない、というシステム管理者の対応策は理解できます。

私は、館内に届くメールをすべて外に転送してもらっていたので、いつでもどこでもメールの確認ができていたのです。それは、大量のスパムも一緒に外に送ってもらうことでもあったのです。
ただし、Gメールの強力なスパムフィルタのおかげで、きれいに掃除はできていました。

そこで、私の国文研用のメールアドレスを廃止し、館内のメール連絡もGメールで対応できるように変更することにしました。
それにともない、館内各所のメーリングリストなどの書き換えをしてもらっています。
各種委員会等に登録されているので、これが実は大変なのです。

お手数をおかけしますが、私にメールを送っていただく際には、今一度アドレスが「nijl.ac.jp」でないことをご確認ください。
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2011年02月09日

与謝野晶子デジタル化の報道資料提供

 2008年の源氏千年紀を契機に、与謝野晶子の自筆原稿の画像データベース化を推進してきました。

 まずは鞍馬寺のご理解のもとに、2008年秋に鞍馬寺ご所蔵の晶子自筆原稿の画像データベース化を果たしました。神野藤昭夫先生との連携とご協力が得られて実現したものです。
 それを受けて、堺市が所蔵なさっている晶子自筆原稿も、無事に公開できました。これは、足立匡敏さんの熱意の成果でもあります。その公開にあたっては、ちょうど昨年の今頃、神野藤先生に堺市でご講演をしていただきました。

 さらに、それに追加する形で貴重な堺市所蔵の資料を公開する準備が整い、昨日8日の午後、堺市から公開に関する報道資料の提供がマスコミを通してなされました。
 次のリンクをクリックすると、報道資料をダウンロードできます。ご自由にご覧ください。


PDF:「堺市報道提供資料」をダウンロード

 画像データベース公開に関するこの間の経緯については、「鞍馬寺にある晶子の源氏訳自筆原稿」「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」など、折をみては本ブログで何度も報告したところです。

 堺市の自筆原稿の公開については、堺市文化部文化課の足立匡敏さんの尽力に負うところが大きいものであることを、一緒に仕事を進めてきた者として、ここに記しておきます。非常に地味な仕事なので、表立って評価されることのないことです。それだけに、こうした私的なブログという媒体でその舞台裏を紹介し、内輪からではありますが、その見えざる努力を労ってあげたいと思います。

 今回の報道資料は、「堺市蔵 与謝野晶子 未発表原稿が インターネットで初公開されます」というものです。公開される内容が詳細に記されています。PDFをダウンロードし、手元に置いておかれたらいい、ひじょうにコンパクトな資料となっています。

 そして、関連イベントとして、今週の2月11日に、国文学研究資料館の今西祐一郎館長が記念講演をなさることも報知されています。

 この一連の与謝野晶子自筆原稿の画像データベース化については、鞍馬寺と堺市のご理解とご協力が得られたおかげで、すべてが順調に進みました。また、国文学研究資料館の内部でも、関係者の理解がいただけたおかげで、こうして無事にデータベース化と公開が実現しました。
 正式に書く場所がないので、この場をお借りして関係者のみなさまに、あらためてお礼申し上げます。
 2008年以来、当初から計画的に立案して提起したものではなかっただけに、何かと無理を聞いていただきました。状況を判断しながら推進してきた画像データベース化だったために、柔軟な判断をしてくださった多くの方々に、感謝しています。
 ありがとうございました。そして、ごくろうさまでした。

 この画像データベースがたくさんの方々に利用されることを願っています。
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2011年01月11日

【復元】36歌仙絵にまつわるマナーのこと

 英国にある源氏物語画帖に関する情報公開の記事を受けて、そこで紹介した『探幽筆 三拾六哥仙』について書いたものをアップします。
 この記事は、平成19年3月にプロバイダのサーバーがクラッシュしたために消失したブログの復元です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年9月10日公開分
 
副題「堕落した情報機関を建て直すはずの若者たちへ(8月9日)」
 
 
 イタリアのカターニア大学のパオロ・ビラニ先生が、『古事記』のイタリア語訳を先月7月に刊行されました。私にはローマ字表記された固有名詞しか読めませんが、丁寧に翻訳してあるようです。
 ビラニ先生は本居宣長の研究者なので、きっと随所にすばらしい解釈が盛り込まれた訳文となっていることでしょう。

 今月の新刊で『古事記の本』(平成18年8月1日、学習研究社)というものがあります。
 
 
 
110111_kojiki
 
 
 

 学生時代に読んで以来、とんとご無沙汰している『古事記』ですが、ひょんなことからそれに関わりを持つことになりました。もっとも、『古事記』と直接関係はないことで、ですが。

 新刊本の最終項目の「古事記外伝 8 中臣・藤原」の記事に、私が提供した資料が次のような形で掲載されています。
 
 
 
110111_yosinobu_2
 
 
 

 このもともとの復元画像は、こんなものです。
 
 
 
110111_yosinobucolor
 
 
 

 これは、私のホームページ〈源氏物語電子資料館〉で公開しているものの内の1枚です。

 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶのあそん)について、『新潮日本人名辞典』から引いておきましょう。



延喜二一〜正暦二・八(921‐991) 平安中期の神祇官人、歌人。大中臣頼基の子。天暦五年(951)梨壺の5人の1人として『後撰集』の撰集に従事。天徳二年(958)神祇少祐、以後神祇大祐、神祇少副・大副を経て、天禄三年(972)伊勢神宮祭主となった。三十六歌仙の1人。『拾遺集』以下の勅撰集に入集、家集に『能宣集』がある。


 そもそも、この歌仙絵の彩色復元を始めたのは、以下の経緯があったからです。上記ホームページの説明文を引きます。


 『探幽筆 三拾六哥仙』は、平成5年春に伊藤がパリで見つけ、八人会の理解を得て、幸運にも輸入することができたものです。
 〈『36歌仙紛本画帖』〉と仮に呼ぶ本書は、平安時代の著名な歌人36人の人物画が、B4版の大きさの和紙に書かれています。それがA3版大の厚紙に貼ってあるので、一枚ずつ手に取って見ることができます。鑑賞できると言いたいところですが、丹念に彩色を施された顔以外は、すべて墨書きとなっています。また、着衣には色付けの参考とするための、細かな色取りの指示が書き込まれています。これは、〈紛本〉とか〈模本〉といわれるものです。
 ここでは、『探幽筆 三拾六哥仙』の原画と、そこに記された指示通りに彩色を施したコンピュータ・グラフィックを展示します。いわゆる、彩色復元図です。詳細な解説は、拙稿「八人会蔵『探幽筆 三拾六哥仙』について」(『大阪明浄女子短期大学紀要 第8号』1994.3.10、http://www.nijl.ac.jp/~t.ito/HTML/R3.3.1_MJ08kasen.html)をお読みいただければ幸甚です。


 学研の本シリーズ編集担当者から、メールと電話で掲載依頼があり、キャプションの文章を確認して了解しました。なかなか感じのいい編集者でした。

 著作権や知的所有権に関して問題意識がない韓国の出版社が、私が所有する源氏絵を無許可で、それも勝手に改変して『源氏物語』の韓国語訳の表紙に使われているので、こうしたマナーについては敏感になっています。
 日本の出版社の場合は、非常にいい対応をしておられると思います。

 というのも、日本のテレビ局のマナーの酷さを体験しているからです。

 私の職場には、マスコミ関係からの問い合わせがよくあります。私も、何件か対応しました。数年前になるのでテレビ局と番組の名前は忘れましたが、クイズ番組だったことは確かです。
 それは、古典文学作品の中で、「醤油」に関する記述は何が古いのか、ということでした。
 いろいろと説明したところ、『源氏物語』の例をあげてくれとのことでした。文章の中には見当たらないと答えると、正解が「醤油」だとかいう時に画面に映す絵を教えてくれ、と言われるのです。それなら、国宝の『源氏物語絵巻』の「柏木(三)」で、不義の子薫の五十日の祝いのお膳の中の一つに描かれていると答えておきましたが、それがどうなったのかは、その後の連絡をもらっていないのでわかりません。
 私がいる所が国の機関なので、ただで教えてもらおうという魂胆なのでしょうが、それにしても、その後どうしたのかくらいは報告があってもいいのではないでしょうか。
 利用できる時だけ利用してやれ、というのは、あまりにも無責任です。少なくとも、放映後に一言があってもいいと思います。こちらが提供した情報を、番組で使ったことの有無はともかく……。礼儀の問題です。「よろしくお願いします。」とか「ありがとうございました。」というのは、人間関係の中での基本的な挨拶だと思います。

 ちょうど1年前にも、酷いテレビ局がありました。

 まさに突然、以下のようなメールが来ました。


From:  **S**@ntv.co.jp
Date: 2005年7月27日 11:23:46:JST
To:*********
Subject: 日本テレビの**S**です。
突然のメールですみません。
日本テレビ「世界一受けたい授業」担当の**S**と申します。
伊藤鉄也さんのホームページにある「探幽筆36歌仙」復元の小野小町の絵を番組内の放送で使用させて頂きたく、御連絡させて頂きました。使用内容は現役教師の河合敦先生が「新しく教科書にのせたい日本史」というテーマでの日本史の授業をする中で小野小町の歴史的エピソードを説明する中でのイメージ絵として使用できればと考えております。
お手数ですが何卒、御検討の程 宜しくお願い致します。
日本テレビ
「世界一受けたい授業」 **S**
03−6215−****


 何かのお役に立つのならと思い、こんな快諾の返信を送りました。


「探幽筆36歌仙」の復元図(小野小町)について、お役に立つようでしたら、どうぞご活用ください。
ただし、「伊藤鉄也(国文学研究資料館)復元」というキャプションを付けてください。
取り急ぎの返信です。何かありましたら、メールで、いつでもどうぞ。


 ところが、一週間経っても、何の音沙汰もありません。
 そこで、以下のメールを送り、人間関係におけるマナーの悪さをそれとなく伝えました。


小野小町の画像の件/伊藤
**S** さま
 過日、7月27日に、小野小町の絵を日本テレビの番組で使用したいとの依頼メールを、**S**さまからいただきました。
 翌日7月28日に、私からの返信として
 「お役に立つようでしたら、どうぞご活用ください。
 ただし、「伊藤鉄也(国文学研究資料館)復元」というキャプションを付けてください。」
という了承と確認のメールをお送りしました。
 その後、**S**さまからは何ら返信がありません。他人の物を借りるときには、それなりの礼儀があると思います。
(1)まず、利用に当たっての条件などが、いまだに何も示されません。
(2)私からの、キャプションに関する対処も、不明なままです。
(3)十日以上も日時が経過し、放置されています。
 メールでは、「日本テレビ「世界一受けたい授業」担当の**S**」と名乗っておられますが、どうも信用できないと判断せざるをえません。
 したがいまして、今回のお申し出につきましては、この時点でお断りすることといたします。
 私は、「現役教師の河合敦先生」とは面識がございませんが、小野小町の絵に興味を持っていただいたことに感謝しています。ご縁がなかったとしか言いようがありませんが、どうかよろしくお伝えください。


 この件で問題となっているのは、次の絵です。
 
 
 
110111_komati
 
 
 

 この絵は、『パソコン国語国文学』(DB-West編著、1995年1月、啓文社)の表紙をデザインした時にも使いました。なかなか評判の復元図です。

 日本テレビの担当者**S**さんからは、その後、私に連絡をして了解を得てすぐに出張に行っていた、との言い訳めいたメールが1通届いただけでした。
 テレビの関係者は、忙しいのでしょう。著作権・知的所有権の処理もしならがらの番組制作のはずなので、所有者・作成者の了解さえとれれば次へ、という制作手法なのでしょう。しかし、それでは利用される者に対する配慮に欠けます。ありがたがらせる遣り方は、すでに過去のことです。
 マナー、礼儀は、どのような局面でも大切なことです。人に物を借りる時には、最低限の心得です。

 マスコミ関係者の傲慢不遜な対応は、またいずれまとめましょう。
 あのマスコミ関係の人たちは、時代感覚がマヒした無礼な集団だと、私は認識しています。
 人の心の中に土足でズカズカと入ることに抵抗のない、特殊な異常な感覚を持った人たちだと思っています。
 そのような人たちが作る番組や紙面を受容する際には、人間失格の族が形にしたものだという認識が必要かと思います。

 もっとも、すばらしい志の方もいらっしゃるのは承知しています。
 毎日新聞の姫野聡氏は、私が初めて『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』という本を上梓した時に、最初に注目してくださり、新聞で何度か大きく取り上げてくださいました。そのお陰で、今のような仕事が続けられていると思っています。その他、何人ものマスコミ関係者の中に敬意を表する方がいらっしゃいますが、それに勝るとも劣らないほどの低レベルの記者や編集者があまりにも多い、という現実から、以上のような私見を記したしだいです。

 これから、このマスコミという分野に興味を持つ若者たちの、フレッシュな変革の心意気に期待したいと思います。

 仲間内だけで盛り上がっているかのような映像を流し続ける番組を、1日も早く閉じてもらうことを念じつつ。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎情報社会

2010年11月10日

2年分の京都新聞をまとめ読み

 源氏物語千年紀だった2008年は、国文学研究資料館で源氏物語展を開催する関係で、その準備などに奔走していました。東京と京都を、これまで通り毎週はもちろんのこと、週2回も3回も往復したことが何度もありました。
 そのために、京都新聞の読み切れなかったものが、私の部屋に山のように積まれていました。

 朝日新聞は東京と京都で購読しているので、関西版と関東版の違いを楽しみながら読んでいました。

 京都新聞は、私にとっては毎日届く週刊誌のような存在です。興味深い情報が盛りだくさんなのです。
 私が、平安時代を中心とした日本の古典文学に興味があるからでしょうか。とにかく、京都新聞はおもしろいのです。
 私にとって京都新聞は新聞ではなくて、まさに毎日届くタウン誌でもあります。
 それだけに、忙しかったこの2年間は、じっくりと読む余裕がなかったのです。しだいにその分量も増え、いつかいつかと思いながらも、少しずつしか、その山は崩せませんでした。

 今回の病気療養という機会を利用して、この京都新聞の山を崩していきました。そして、ようやく2年分を確認し終えました。
 この2ヶ月間は、頭の中で2年前からの出来事が同時進行していたので、非常におもしろい生活でした。

 昨年の秋は、民主党の政権交代で新聞も湧いていました。それが、今の民主党の堕落した体たらくは、1年前の勢いからは想像もできないことです。期待と実力の違いがこのような結果として出てくるとは、誰が想像したでしょうか。
 もうすぐ、また首相がビデオの流出を理由に辞任しそうです。
 コロコロと変わる日本の総理大臣をよそに、京都新聞の文化欄は、培われた伝統とぶ厚い文化を背景にして、日本のよさを実感させる興味深い記事が満載です。

 さて、新聞が配られたときには絶対興味を惹かなかったはずの記事が、今見ると目が釘付けになるものがありました。それは、京大病院に新病棟として積貞棟が完成した、というニュースです。
 今年の5月14日の京都新聞に、「高さ規制 市特例第1号」という記事があります。任天堂が75億円を寄付したことでできた、最新のガン病棟の話です。
 私がガンの告知を受け、京大病院へ飛び込んだのは7月21日でした。8月に新病棟である積貞棟に入院し、手術をしました。したがって、5月にこの記事を見ても何も反応しなかったはずです。今となっては、この積貞棟のニュースは、我が家の新築完成のような性格の記事となっています。

 「びわ湖108霊場」についても、昨年の9月9日に発足のニュースが載っています。私は、このことはネットで昨秋しりました。
 活字で読むのと、ネットで記事を見るのとでは、記事内容の伝わり方が違うようです。活字の方が、理解しやすいし、内容をイメージしやすいように思います。やはり、ネットのニュースは、光の点で構成される字らしきものを視認するので、疲れないように流し読みしているようです。それだけ、意識に残りにくいのでしょう。

 これは、メールがそうです。
 毎日数百件のメールを見る生活をしていると、自然と読み流す癖がついています。まともに読むメールは、1日に受け取ったものの内の、せいぜい数十分の一というくらいです。これも、自分の目を守るために、光の点を視認することによる疲労を避けるという、自然の自衛行為なのかもしれません。

 その他、戦国時代にはまだ三条に橋が架かっていなかった、という情報がありました。
 これは、京都と東国との出入口が今の三条通の延長ではなかったということになります。平安時代はどうだったのか、改めて調べ直したいと思うようになりました。

 また、祇園祭の起源は平安時代にまで遡るということもそうです。
 私は、御霊会との関係では理解していても、それは淵源としてのものであり、あくまでも室町時代からのものだと思っていました。平安時代と関連する資料がいくつもあることは、恥ずかしながら知りませんでした。

 明治天皇の詔書の草稿が見つかった記事も意外でした。
 その中にあった「行宮を置き」という文言が、実際の詔では削除されている事実は、非常におもしろいことだと思います。つまり、現実には遷都の宣言を避けた、ということがわかるからです。
 やはり正式には、都を京都から東京に移すという遷都の詔は出されなかった、ということのようです。
 資料によるかぎりでは、天皇はちょっと東京へ出かけたまま、まだ京都には帰っておられない、という理解も十分に成り立つのです。記事にあるように、「なし崩しの遷都」ということになるようです。
 京都の人がよく言うとされる、天皇さんは今は東京に出かけてはるだけで……、ということも、あながち負け惜しみではなさそうです。

 時間差で読む新聞も、いろいろな発見があり、確認があり、楽しいものです。特に京都新聞は、その内容が時の流れを踏まえたものが多いので、余計に時空間を楽しめるのでしょう。
 もう、こんなに貯め込んで読みたくはありません。しかし、これはこれで、おもしろい新聞の読み方をしたように思います。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ◎情報社会

2010年10月06日

やっと届いた iPhone4はB級品

 今月1日から使えるはずだった iPhone4を、1週間遅れで入手しました。
 先日、「店頭で手渡された iPhone4が初期不良品」という記事で書いた通り、10月1日に入荷した商品が初期不良品ということで、アップルに修理のために即座に返品していたのです。

 今日届いた目の前の機種が、先日、パネルに気泡の入ったものと同じかどうかは知りません。
 実は、後で書きますが、今日届いたのは、1ヶ月前の古いバージョンのOSが入ったものでした。
 とにかく、元気に動いてくれたら、と思っていたのですが、踏んだり蹴ったりの扱いをされています。

 送られてきた iPhone4は、新しいパッケージではなくて、黒い小汚いプラスチックのケースに入っていました。
 写真の左が新品が入っていたケースです。そして、今日届いたiPhone4が入っていたのは、右の黒いプラケースです。
 
 
 
101006_iphone4
 
 
 

 どこかに転がっていたものを、このプラケースに詰め込んだとしても、誰も知るよしもありません。
 商品は、もっと渡しようがあると思うのですが……

 それにしても、今回1週間も新しい商品のお預けをくっていたにもかかわらず、お詫びは店頭の女性が頭を下げただけです。
 私は、新しい契約をしたのに、新しい商品は使えないまま、使いにくいこれまでの古いものを我慢して使っていました。この1週間は、古いものの使用料ということになります。とんだ迷惑を蒙りました。しかし、アップルからのこれに関するメッセージは何もありません。もちろん、ソフトバンクからも。

 謝れ、というのではありません。アップルとソフトバンクに期待はしていません。しかし、これほど知らんぷりをされ、現場で窓口の対応者一人だけが謝るという商売の仕方は、どうかと思います。普通は、「この度は大変ご迷惑をおかけし、……」というペラの印刷くらいは箱の中に入っていてもよさそうです。
 開封後数分にして修理品として回収されたためとはいえ、このような無礼な対応で済ましていることには、商売人としてモラルを疑います。

 その後わかったことですが、それに輪をかけたように、1ヶ月も前の旧バージョンのシステムの機器を修理品として渡されたのです。まさに、B級品です。冗談でしょう、と言いたいところです。

 今は、品薄が続くほど iPhone4は人気商品です。
 ソフトバンクもアップルも、ユーザーのことなどまったくお構いなく、とにかく強気の商売をしておられます。しかし、一旦流れが傾くと、こういうやり方をしている会社はひとたまりもないことでしょう。

 アップルは、まだまだ新しい魅力的な商品を次々と投入して生き残ることでしょう。その魅力に惹かれて、私はマッキントッシュをはじめとする商品を購入しつづけています。
 しかし、そのような開発能力が皆無なソフトバンクは、アップルと手が切れればどうするのでしょうか。顧客を大事にするという姿勢が、孫正義さんには欠けているように思います。

 その昔、かれこれ20年以上前になりますが、アスキーの西和彦に大きく水をあけられ、常に後塵を拝するしかなかった孫さんも、西さんの後退と、今はアップルと組むことで大きく挽回したようです。
 しかし、どうも今でも商売が下手のようです。商談だけはうまいようです。どうでもいいことですが……

 お詫びということでお店から私に手渡されたのは、ドラえもんのうまい棒2本、小さい紙包みの飴4個、エンゼルパイ1個、小さなサラダ煎餅2枚入り1つ、ソフトバンクのウェットティッシュ1つ、犬の絵入りのクリアホルダ1枚でした。
 お子様扱いをされ、これだけでも非常に不愉快な気分です。
 これが、3ヶ月前から機種交換の相談に行き、手渡されたのが初期不良品だったユーザーへの、精一杯の感謝の気持ちのようです。

 さて、新しくなった iPhone4に、早速、iPhone3Gのデータを引っ越しさせることにしました。
 ところが、早々に変なことが……

 画面に表示されたメッセージによると、iPhone4のシステムのソフトウェアが古いので、ダウンロードしてアップデートする、というのです。
 購入したときに最新のシステムになっているはずなのに、今しがたOSがアップデートされたのかな、と思って更新しました。30分以上はかかったように思います。
 更新が終わったときに、何か画面が変わったように思いました。しかし、とにかくデータを入れ替えることしか気にしていなかったので、同期作業を進めました。

 同期が終わってみると、なんとアプリケーションが5つしか転送されていません。それも、『大辞泉』『ATOK Pad』『Bento』など、購入したアプリが転送されていません。iPhone4で使えない状態なのです。さらには、無料でダウンロードしたアプリが50本位あったのに、それらも転送されていません。

 バックアップ元になったマッキントッシュのパソコンを調べると、これらのソフトがすべて消えています。念を入れて慎重に、ソフトバンクに出かける前に iPhone3Gのバックアップをとっておいたのに、これでは使い物になりません。すぐに、またソフトバンクへ行き、この対策を相談しました。

 どうにも対処できないソフトバンクの方は、アップルのiTunes担当者に電話をつながれました。これも、15分以上待たされましたが……
 またまた、私の時間が湯水のごとく捨てられていきます。ジャージャーと音がします。

 アップルの担当者の話によると、iPhone のOSは、先月9月8日にバージョンが4.1にアップデートされたそうです。
 ということは、私が修理によって交換され、今、目の前にある iPhone4は、1ヶ月以上も前の古いシステムのままの商品ということになります。そんな古いものを渡されたのです。このことについては、アップルの担当者も「無言」でした。「普通は、最新のシステムにして購入者に渡されるものですよね」と言っても、「無言」でした。

 また、なぜ私のマッキントッシュから、アプリが消えてしまったのかも、「不明」、という回答しかもらえませんでした。
 電話口のアップルの担当者は、私のマッキントッシュのソフトウェアのiTunesが壊れている可能性がある、とおっしゃいます。
 しかし、この iPhone4をつなげて、入っていたOSのバージョンアップをするまでは、これまで快適に動いていた愛用のマッキントッシュです。私にとっては、問題もなく普通に動くマシンは、本当に希少価値のものです。それを、iTunesが壊れているとは。
 私には、iPhone4のOSのアップデートの時に、不測の事態で何かが起きたとしか思えません。

 これは、電話口で言い張ってもどうしようもないことであることは百も承知なので、それ以上は言いませんでした。
 相手がこちらのマシンやソフトウェアに原因があると言い出したら、その時点でユーザーは引き下がらなければ、時間がドンドン吸い取られていきます。30年に及ぶコンピュータ経験から、自信を持って言えることです。

 iPhone3Gに入っていたアプリで、今回iPhone4に転送されなかったものを移す方法を、3例ほど教えてもらいました。マッキントッシュの階層の中のデータを操作しながら行なう作業です。一般の方に勧められる方法ではありません。
 教えてもらった3例のうち、1例だけはアプリが移行できました。しかし、バラバラに転送されたので、この整理がまた大変です。

 このアプリ以外に、電話の履歴がうまく転送されていませんでした。
 しかし、これは実害がないので、このまま使います。アップルの担当者も、これにはお手上げでした。
 9月30日から今日までの電話の履歴はありません。この間に私が登録している方以外からの電話は、なかったことになります。
 この他、今後いろいろと不具合が見つかることでしょう。その場その場で対処するしかありません。

 とにかく、何を考えて1ヶ月前の古い商品を、しかもこんな時に私に渡してくれたのでしょう。
 倉庫の片隅に転がっていた返品の1つを、今回私に寄越したのか、と勘ぐりたくもなります。
 送られてきた黒いケースからして、そう思わせます。これが、欠陥品の修理品でないことを祈るのみです。
 正規に代金を支払っているのに、最初から型落ちの新古品でスタートです。
 いずれにしても、ソフトバンクもアップルも、せこいことをするものです。
 酷い会社です。病気療養中の身なので、訴えはしませんが……

 本当は、ちゃんとした新品が欲しい、と言いたいところです。
 しかし、次に渡されるものがこれよりももっと酷い商品だったら、さらにチューニングのために時間を捨てることになります。
 新品で完動品が私の手元に届く確率は、本当に低いと言わざるを得ません。それならば、どれくらいの欠陥品で妥協するか、ということになります。

 お金はちゃんと払っているのに、こんな目に遭うのですから、何とも割り切れない思いは残ります。
 とにかく今はここで何とか動いているので、これに時間をかけてアプリを入れ直すなどして、更なる混乱と時間のロスから逃げることにします。

 それにしても、最悪の iPhone4を手にしてしまいました。
 最初は欠陥品、そして修理交換品は古いOSが仕組まれた型落ち品という、災難続きです。
 これもみんな、私が背負っている運としか言いようがありません。

 まだまだ、私はこうした欠陥品とのお付き合いが続きそうです。
 宿命です。相変わらず、ジッと我慢の日々が続きます。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | ◎情報社会

2010年10月02日

秋晴れの京都で研究会と学会

 昨日は、京都駅前のキャンパスプラザ京都で研究会がありました。
 これは、国文学研究資料館の今西祐一郎館長が代表者である科研費研究の研究会です。
 今年度から始まったもので、今回が第2回目となります。

 お二方の研究発表がありました。いろいろと示唆に富む内容でした。
 その中でも特に大きな収穫があったので、ここに報告します。

 九州産業大学の田村隆さんの発表は、「『涙』の表記情報」と題するものでした。
 内容は、『源氏物語』の写本や版本で、「なみだ」と書くか、漢字で「涙」か「泪」か、という表記の問題を取り上げたものでした。
 「泪」という漢字を使うのは、どうやら江戸時代に入ってすぐにできた『絵入り源氏』あたりからのようです。詳細な調査による成果を示してくださいました。

 この発表で特筆すべきことは、『絵入り源氏』と陽明文庫本の関係に新しいスポットを当てられたことでしょう。
 陽明文庫本の『源氏物語』は、鎌倉時代の書写にかかる写本が多い貴重なものです。『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』で底本として使わせてもらっています。
 この陽明文庫本の中でも、後世の補写とされる写本の本文は、『絵入り源氏』の本文と字詰めや文字遣いまで近似する、という思いもかけない点を指摘されたのです。もちろん、「泪」も引き継がれています。
 このことについては、これまでにその指摘をした論考に思い至らないので、これは田村さんの新見解だと高く評価していいと思います。今回は、「幻」巻を例にしての指摘でした。さらに他の補写の巻でもそのことが言えるのか、この新見を補強されることを楽しみにしたいと思います。

 なかなか楽しみの多い研究成果が、写本の文字表記を研究対象とする中から見えてきました。このことは、この科研の今後の展開が、ますます楽しみになった、ということでもあります。

 私からは、『源氏物語』の本文をデータベース化するにあたり、現在の状況と今後の展望を報告しました。
 国文学研究資料館のサーバーから『源氏物語』の本文データベースを公開することについて、問題点をいくつか指摘されました。また、利用者への見せ方について、貴重なアドバイスをもらうことができました。
 翻刻データが文節に区切られていることや、付加情報として加えている記号や傍記・ミセケチなどの情報が煩雑であること、本文の校異の示し方がわかりづらいし、使いづらいこと等々、今後の参考にさせていただく意見を頂戴しました。

 それらの意見を伺いながら、管理用の情報などで、公開時に見えるものと見えないものに関する理解が得られていないことや、データは一定の方針で翻刻しているので、利用者に対する見せ方・アウトプットの工夫は再考の余地があるように思われること、そして、写本の画像データベースも公開する予定なので、それによってたくさんの問題点が解消されるであろうこと等々をお答えしました。

 先生方のご意見を伺いながら、データを作成する側の報告内容と利用者側の内容理解という、多分に立場の違いからの異見のやりとりになった点が感じられました。今後とも誤解を招かないようにするためにも、この本文データベースの説明には、作成者側の内部情報と、利用者側に提示される視覚的な情報を切り分けたいと思います。そして、利用者側の立場に即した情報を提供する中で、データベースの改良を図っていきたいと思います。
 利用者にとっては、データベースの構造などは関係ないことなのですから。
 要は、見栄えと使いやすさの完成度を問われる、ということのようです。

 この日の研究会は、みっちり4時間にわたっておこなわれました。
 司会進行役であった私は、お腹に力が入らないので、何かあったらすぐにバトンタッチができるように準備をしていました。しかし、15人の先生方の前で、何とか声が出せました。久しぶりに人前で声を出したので、身体に変調をきたさないかが心配でした。何事もなく、長時間でもあまり疲れませんでした。気疲れだけは、どうしようもないものです。それ以外は、あまり身体に負担はなかったように思います。安堵しています。

 その後の懇談会にも参加しました。
 お酒は控えましたが、豆腐料理のお店にしてもらったこともあり、少しは食事を口に入れました。
 研究会と懇談会は、途中でみなさんに迷惑をかけては、との思いを抱きながらの出席でした。しかし、どうにか大過なく役目を終えることができました。
 これまでは何でもなかったことが、身体に気がかりなことがあると、少なからず不安が伴うものです。それも、みなさまのお陰で、有意義な研究会となり、懇談会も和やかに楽しく過ごせました。

 私の身体も順調に回復しているようなので、こうした機会を積極的に自分に課して、日常的な生活に戻れるように徐々に慣れていくことにします。

 さて、今日は、立命館大学で中古文学会がありました。
 まず、二人の研究発表があり、それに続いて「平安文学と地理」と題するシンポジウムです。

 お一人目の久保田孝夫先生の「『土左日記』の「山崎」」は、山城国の国府が「山崎」であったことに発する問題意識の喚起を促してくださるものでした。紀貫之と源公忠の親交の深さ等々、地理と人間関係に想いを馳せながら伺いました。

 片平博文先生の「地理から見える枕草子の「風景」」は、歴史地理学という分野からの発表で、日頃は目にすることのない資料や視点での内容なので、非常に刺激を受けるものでした。航空写真や自然現象の科学的な分析による図説など、楽しく平安時代の雨や雪の様子を想像しながら話を聞きました。
 それにしても、改めて平安時代が寒冷期にあたることを実感しました。こうした情報は、作品を読むときに大いに役立ちます。視野を広げる、いい機会をもらいました。

 小山利彦先生の「平安京地主神、賀茂に関わる文学空間」は、今春の葵祭にご一緒させていただいたので、そのときに伺った話とつなげながら聞きました。また、上賀茂神社・下鴨神社・雲林院・大宮通・一条大路と、私の京都での生活空間が話題となるものだったので、非常に身近な話として、これまた楽しくいい勉強をさせていただきました。

 学会は、若手の方々のキラキラする視点や、先生方の刺激的な知見が伺え、いつも貴重な勉強ができる場となっています。
 また、今日は、たくさんの先生方から、身体は大丈夫かと声をかけてくださいました。気遣っていただき、ありがたいことだと感謝しています。

 明日も、たくさんの刺激がもらえることを楽しみにして、参加したいと思います。
posted by genjiito at 23:15| Comment(4) | ◎情報社会

2010年10月01日

店頭で手渡された iPhone4が初期不良品

 これまで使っていたiPhone3Gに関して、当初の契約の2年間が来たので、iPhone4に機種交換することにしました。これまで、何かと使いにくい iPhone3Gを、ここまで我慢して使っていたのです。

 今日が契約の切り替わる日だったので、これまで何度かソフトバンクに通い、品薄のこの商品を今日から使えるように手配をしていました。

 先日、品物が届いているとの連絡があったので、今日、新しいものに交換してもらいに行きました。
 取り置きの期間は1週間で、それを過ぎると別の待っている人に渡すということだったので、今日がスレスレの受け取り日でした。
 そして、お定まりのごとく、いつもの通り、案の定、新しいiPhone4に欠陥が見つかりました。
 それも、店頭で店員さんが、偶然見つけてくださいました。一瞬、ホンの数分だけ私のものになった iPhone4でした。しかし、それも一度も使わないままにアップルへ修理に出されてしまいました。

 イッテラッシャイ、と、縁のなかったiPhone4を見送りました。

 とにかく、私は機械運が悪いことは、これまでにも何度も報告した通りです。ウソのように、次から次へと欠陥商品を渡されます。今回も、また何かが、という予感はしていました。

 ソフトバンクの店頭で、新しい iPhone4が入った四角い紙箱が、目の前で開封されました。ドキドキ、ワクワクの楽しい瞬間です。そして、SIMの装着も終わり、これまでの iPhone3Gの通信機能が無効になり、すべての手続きが無事に終わりました。
 これまでのiPhone3Gが使えないことを確認した後、新しいiPhone4のカバーケースを買い、タッチパネルに保護シートを貼ろうとしたときでした。お手伝いをしてくださっていた店員の方が、アレッとおっしゃいます。何かと思って差し出された手元を見ると、液晶画面と表面のガラス面の間に、なんと小さいながらもハッキリと視認できるほどの気泡が入っているのです。場所は、iPhone4の画面左下です。
 
 
 
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 写真では単なる気泡があるだけのようですが、実際にはこのエリアはよく使う位置なので、目障りな空気の混入痕です。

 お店の方は、すぐにソフトバンクに電話連絡をとられました。すると、それは契約上はアップルが対処すべき事例とのことで、今度はアップルと相談しておられます。早速たらいまわしです。

 やがて、私にお店の受話器が渡され、アップルの担当者と話をしてくれ、とのことでした。

 アップルの担当者は、今回の商品は初期不良品で、本体ごと修理の対象になる、とおっしゃいます。そして、それを宅配便で回収するが、どこに取りに行けばいいか、とのことです。
 つまり、私がこの初期不良品を持ち帰り、宅配業者が私の自宅に回収に来ることにするのか、それとも、このソフトバンクのお店に預けておき、このお店に回収にいけばいいのか、どちらにするか判断しろ、とのことです。
 あくまでも、これは初期不良品とはいえ私の所有物である、ということでの対応です。そして、今すぐ、代替機は貸せないし渡せないとのことでした。終始一貫、修理対象の商品という対応なのです。

 完全に業者の論理で展開し、顧客である私などまったく眼中にない対応です。
 ムカッときました。しかし、ムカッと来るだけ損なので、どうぞご勝手に、ということで、この初期不良品を持ち帰ることは拒否しました。
 お店とアップルとがやりとりしてもらい、何年先でもいいので、まともな商品を私に渡してくれることを望む意向を伝えました。

 ソフトバンクにしても、アップルにしても、こんな対応で商売を続けていて、本当にいいのでしょうか。
 この話の展開の中では、私が今日のために手配をしてきたことは、一顧だにされていません。実際には、7月の初旬から、機種の乗り換えについてのタイミングを相談に来ていたのです。
 すべて、会社の都合だけで話が進み、勝手にこれから先のいつか手渡す、という論理で決着となっていました。

 ソフトバンクもアップルも、すごい商売をしていますね。
 中国のように、終始有無を言わせぬ強気で圧しまくってきます。

 店頭の担当者は、すみません、と、ことばと表情でおっしゃっていました。しかし、それは日本文化を背景にした、店員さんの個人的な感情からのお詫びのことばにしか過ぎません。
 企業の論理は、冷酷無比です。それが、今日のできごとでわかりました。

 今思えば、私がこの初期不良品である iPhone4を自宅に持ち帰り、自宅で保護フイルムを貼ろうとしている最中にこの気泡を見付けたとしたら、いったいどうなったのでしょうか。
 これが初期不良品であることの証明に何日も費やし、その交換のためのやりとりに何日も費やすことになったはずです。おそらく、大阪心斎橋のアップルストアに持ち込まないと、話は聞いてもらえなかったはずです。
 アップルの殿様商売の、いつものパターンです。

 たまたま、店頭で不良品であることがわかったので、その無駄な時間が幾分短縮されたものの、何とも暗澹たる思いにさせられます。

 とにかく、このままでは私は電話が使えないので、これは何とかしてほしいと言いました。すると、これまでの iPhone3Gに入っていたSIMは無効になっているので、新しいSIMを付けて使えるようにするということでした。これによって、私が支払うものはないとのことです。それはそうでしょう。あたりまえです。

 ということで、また持ち込んだときの iPhone3Gを使い続けることになりました。
 次の iPhone4が届くのに1週間ぐらいはかかるのだそうです。
 別に何年先でも構わないですよ、という嫌みは言いませんでした。

 そして、このトラブルのお陰で、京都駅前のキャンパスプラザ京都で予定されていた、国文学研究資料館の今西祐一郎館長の科研費研究に関する研究会に遅刻することになりました。事前の打ち合わせに間に合わなかっただけですんだので、一先ずはホッとしました。
 お昼ご飯を食べることもできなくなっていました。仕方がないので、京都駅のコンビニでおにぎりとお茶を買い、ソッと口に入れてお腹を満たした後、司会進行役を果たしました。
posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◎情報社会

2010年08月17日

25年越しの仲間とのデータベース談義

 比叡山の麓に国立京都国際会館があります。
 2008年11月1日には、天皇皇后両陛下をお迎えして、盛大に源氏物語千年紀の一大イベントが開催された会場です。
 
 
 
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 その施設の中にある、グランドプリンスホテル京都で、25年越しの仲間との暑気払いをしました。
 
 
 
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 今から25年も前のことになります。
 コンピュータの草創期に、文学研究と情報処理の分野では草分けと言われる壮大な仕事をした、知的好奇心に満ち溢れる4人の熱血漢(?)がいました。日本文学データベース研究会(略称NDK、会長は伊井春樹先生)を立ち上げ、さまざまな仕掛けを用意し、国文学の分野に斬新な提案をし続けました。
 その成果が実り、いまでは文学研究とパソコンの取り合わせは、ごく普通の情報文具として活用されています。
 しかし、われわれが目指したものは、こんなに陳腐で低レベルのものではなかったはずです。
 現状には大いなる不満を持ちつつ、年とともに日々の仕事に追われる世代となってしまっています。

 その仲間が、私のために暑気払いと壮行会をしてやろう、ということになりました。入院と手術を控えたこのタイミングに、いい気分転換になりました。
 非常に楽しい会食でした。

 気の置けない仲間というのは、久しぶりに逢ってもずっと一緒にいたように変わりません。
 文学研究にコンピュータを導入することでは、20数年にわたり苦楽をともにした仲間だけに、話し出したら止まりません。今でこそデータベースということばは、完全に死語と化しています。しかし、その目指すところは高遠な理想に満ちたものでした。
 この点については、ゆっくりと話す時間はありませんでした。しかし、共に現状に消化不良の気持ちを抱えていることは感じられました。

 まずは、病気の話から。この話のネタには事欠きません。
 そして、アップルの iPad や Macintosh のこと。
 みんなプロ意識に支えられた、アップルユーザーです。

 4人が顔を合わせた当時は、みんな高校の教員であり図書館員でした。それが、今ではみんな大学に職を得た研究者です。いい仕事をして来た、という自負に支えられながら、それなりに前の見えない道を切り開きながら歩んで来た4人です。

 食後は、帰り道ということもあり、我が家でティータイムです。
 自然が好きな仲間なので、草花や植物に反応してもらえました。
 
 
 
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 坪庭も見てもらいました。
 
 
 
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 妻も旧知の仲間なので、一緒に加わっての話はいろいろなことへ展開します。
 お互いの家族を知っているというのも、気安く話せる要因になっています。

 いい仲間と一緒に、そして支えられながらここまで来られたことを実感すると共に、感謝しています。
 みんな、時代を先取りした最先端を先導していただけに、その投資額も半端ではないのです。それが無駄ではなかったことが、こうして振り返りながら確認していると、わかってきます。妻は資金調達の苦労を語り、今では職場でコンピュータ関連の機器が購入できる時代になったことに、みんな複雑な反応をします。
 自費で投じた機材に命をかけた者としては、公費などで購入したり貸与される機器の活用が、いかに中途半端な利用に留まっていることか。
 投資額に見合う成果以上のものを求めて、骨の髄まで使い倒そうという気概がありました。昔は良かった、ではなくて、自分の懐を痛めないと、迫力のないものとなるのは致し方のないところです。

 その意味では、今の若者たちに情報文具の更なる有効活用を説くのは、すでに老残のお節介と言うものかもしれません。しかし、情報の中を漂うだけで精一杯の今だからこそ、かつてのブームを仕掛けたわれわれの出番ではないか、とも思われます。

 一昔前、いやコンピュータの分野では大昔に、角川書店から『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』(伊井春樹編、角川書店、1999年)を刊行するにあたり、統括責任者である伊井春樹先生のもとで、われわれは持てる力を余すところなく発揮して取り組みました。
 そして、もう一度あの仕事の続きを開始することの確認を、今日することが出来ました。これは、また新しい収穫であり、新たな目標の設定となりました。
 楽しい仕事にすべく、またみんなで取り組めることは、大いに元気が出る話です。

 プロジェクトの仮の名前は、《古典大観 平安文学》というところでしょうか。平安時代の物語と日記の本文をデータベース化するものです。これには、『源氏物語』も含みます。
 乞う ご期待、というところです。

 私も元気に社会復帰をして、仲間と一緒にいい仕事に仕上げたいと思います。
 そして、若者を巻き込んで、活字化された流布本に縛られない次世代の文学研究者が生まれる場面に、また立ち会いたいと思うようになりました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎情報社会

2010年07月08日

消失したブログの見出しリスト

 平成19(2007)年3月に、当時利用していたレンタルサーバーがクラッシュしたことにより、それまで公開していた記事がすべて消失したことは、何度かここに書きました。
 以来、無くなったブログの記事を、折を見て可能なものは復元して掲載しています。

 2007年1月元旦から3月10日までの記事については、「3月にクラッシュした題目」(2007年11月14日)として、そのタイトルの一覧を公開しました。
 
 『Mac Fan』という雑誌(2010年7月号)に「消えてしまったWEBサイトを探索」という記事があったので、そこに紹介されている「インターネット・アーカイブ」で、この昔のサイトを新たに探してみました。
 
 その結果、上記の記事に加えて、以下の題名をつけて公開した記事があったことがわかりました。その内容は、残念ながら拾い出すことができませんでした。
 ここに、そのリストを公開します。

 以下の2006年9月17日から12月31日までと、上記の2007年1月元旦から3月10日までの記事に関して、もし運良く保存・記録しておられる方がいらっしゃいましたら、お手元のテキスト部分をお知らせ願えませんでしょうか。写真は、手元にありますので不要です。

 何がなくなったのかがわかっただけでも、少し気持ちが安らぎます。
 私のブログは、そんなに大したことを書いているものではありません。しかし、日々の暮らしの中での想いを綴ったものなので、愛着があります。また、読み返したい記事もあります。

 明日(2010年7月9日)、有楽町マリオンでドナルド・キーン先生の講演があります。
 消失した記事の中には、「やはりキーン先生は雨男でした ( 5-読書雑記 ) / 06-12-14 23:26 −インタビューが終わると突然の雨に−」というものがあります。あれは、キーン先生と伊井春樹先生との対談のお供をして、ホテルの一室で長時間お話を伺ったことを記したものです。その記事と共に掲載した写真は手元にあり、こんなものです。
 
 
 
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 それにしても、今日は連日の雨の中休みでした。明日は、雨にならないことを祈ります。

 また、今回見つかったリストによると、「ドナルド・キーン先生のこと ( 1-古典文学 ) / 06-11-30 23:46 『日本との出会い』を読んで−」というのもあったようです。まったく、今その内容は思い出せません。
 明日、キーン先生に久しぶりにお目にかかるだけに、あの時の記事を読みたくなってきます。

 失われたテキスト探しに、ご協力いただけると幸いです。
 
 
京洛逍遥(10)京の台所・錦市場 ( 9-身辺雑記 ) / 06-12-31 21:49
  −京のにぎわいと活気を求めて−

私の2006年の10大出来事 ( 9-身辺雑記 ) / 06-12-30 02:29
  −1年間の記録として−

女性の身だしなみとは ( 9-身辺雑記 ) / 06-12-29 23:28
  −化粧に関する意見の紹介−

井上靖卒読(5)その人の名は言えない ( 5-読書雑記 ) / 06-12-29 22:20
  −わがままなヒロイン−

井上靖卒読(4)春の嵐 ( 5-読書雑記 ) / 06-12-28 16:45
  −若者たちの明るさが印象的な物語−

病院での簡単な検査 ( 4-健康生活 ) / 06-12-28 02:26
  −脳梗塞の恐れは保留−

右手小指の異変 ( 4-健康生活 ) / 06-12-20 01:12
  −真っ白になった指を見つめて−

古都散策(23)歌姫の神功皇后陵 ( 1-古典文学 ) / 06-12-17 12:00
  −陵墓を守る建物はクーラー付き−

即日返品したハードディスクケース ( 3-文房四宝 ) / 06-12-15 23:46
  −開封後すぐにわかった不良品−

やはりキーン先生は雨男でした ( 5-読書雑記 ) / 06-12-14 23:26
  −インタビューが終わると突然の雨に−

井上靖卒読(3)通夜の客 ( 5-読書雑記 ) / 06-12-13 23:28
  −何度読んでも中身が思い出せない−

井上靖卒読(2)闘牛・比良のシャクナゲ ( 5-読書雑記 ) / 06-12-12 23:21
  −芥川賞受賞作と『星と祭』の原点−

メインパソコンが壊れる ( 3-文房四宝 ) / 06-12-11 23:50
  −素早い対応のアップル−

井上靖卒読(1)猟銃 ( 5-読書雑記 ) / 06-12-11 01:36
  −作者と読者の間にあるもの−

回転寿司の魅力 ( 7-お寿司 ) / 06-12-10 23:01
  −画期的な品質管理−

古都散策(22)秋篠寺で気分一新 ( 1-古典文学 ) / 06-12-09 18:22
  −またのお越しをと伎芸天−

古都散策(21)行基ゆかりの喜光寺 ( 1-古典文学 ) / 06-12-09 16:36
  −インドの香りを感じます−

クロネコヤマトの社員教育に疑問 ( 9-身辺雑記 ) / 06-12-09 12:11
  −玄関に放置された荷物−

古都散策(20)菅原天満宮 ( 1-古典文学 ) / 06-12-04 23:45
  −菅原道真の生まれた所−

ホテル日航奈良の社員教育に疑問 ( 9-身辺雑記 ) / 06-12-03 23:54
  −不愉快な従業員のマナーの悪さ−

ドナルド・キーン先生のこと ( 1-古典文学 ) / 06-11-30 23:46
  −『日本との出会い』を読んで−

古都散策(19)生駒竹林寺 ( 1-古典文学 ) / 06-11-27 00:59
  −行基の墓を守る人々−

京洛逍遥(9)消失後の再生寂光院 ( 1-古典文学 ) / 06-11-26 11:38
  −明るい活気のある山里に変身−

京洛逍遥(8)大雲寺はマイペース ( 1-古典文学 ) / 06-11-26 00:14
  −『源氏物語』などとの接点を持たないお寺−

京洛逍遥(7)東寺の「食堂」 ( 1-古典文学 ) / 06-11-26 00:02
  −それでは「御影堂」はどう読むか−

京洛逍遥(6)海住山寺の小仏たち ( 9-身辺雑記 ) / 06-11-25 07:01
  −ユーモラスなお地蔵さんに何を祈る−

京洛逍遥(5)海住山寺の黄葉と紅葉 ( 1-古典文学 ) / 06-11-24 18:59
  −木の葉が織りなす自然の絵画−

京洛逍遥(4)山城木津の和泉式部 ( 1-古典文学 ) / 06-11-23 23:33
  −無住寺でひっそりと守られているお墓−

手紙と電話代わりのEメール ( 3-文房四宝 ) / 06-11-22 01:25
  −見知らぬ女性?からの膨大な迷惑メール−

京洛逍遥(3)洛北の和泉式部 ( 1-古典文学 ) / 06-11-20 23:50
  −貴船神社の蛍岩に光の珠が舞う−

京洛逍遥(2)宇治市植物公園 ( 1-古典文学 ) / 06-11-18 23:52
  −草花で描いた源氏物語タペストリー−

京洛逍遥(1)城南宮の曲水宴 ( 1-古典文学 ) / 06-11-16 01:59
  −源氏物語の庭での雅な歌会−

ニューヨークの回転寿司屋(続報) ( 7-お寿司 ) / 06-11-15 23:54
  −鉄火:$1.50 は良心的ですね−

大黒屋光太夫のこと ( 5-読書雑記 ) / 06-11-14 20:12
  −井上靖と吉村昭の小説−

ニューヨークの回転寿司屋 ( 7-お寿司 ) / 06-11-14 18:45
  −速報をもらって−

法律家と恋の限界 ( 5-読書雑記 ) / 06-11-14 18:08
  −「孤悲」のない「恋」しか見えないこと−

小説『トリアングル』のすすめ ( 5-読書雑記 ) / 06-11-13 23:57
  −映像は原作を超えられなかった−

日本語の表記にとまどう ( 6-不可解 ) / 06-11-12 16:13
  −「三味」を「ざんまい」と読んでしまった−

「TANNKA 短歌」は国策映画か ( 9-身辺雑記 ) / 06-11-11 17:18
  −女性よ産めよ増やせよのメッセージ−

トラブルの中での約束の重み ( 2-国際交流 ) / 06-11-10 23:56
  −万難を排してエジプトから来日−

冗談としか思えないキーボード ( 3-文房四宝 ) / 06-11-05 07:16
  −キー配列のズレに戸惑うばかり−

なんと平群に観光バスツアーが!! ( 9-身辺雑記 ) / 06-10-31 23:48
  −まほろばの里の紅葉をどうぞ−

未熟な技術にどこまで付き合うか ( 3-文房四宝 ) / 06-10-24 23:40
  −Mac-mini のシステムが壊れる−

またまた欠陥商品に当たりました ( 3-文房四宝 ) / 06-10-13 20:13
  −1ヶ月でハードディスクが壊れたノートパソコン−

ワインレッドは禁色なのでしょうか ( 3-文房四宝 ) / 06-09-29 01:47
  −私だけではなかった染色問題−

財布や手帳を選ぶ贅沢な時間 ( 3-文房四宝 ) / 06-09-28 00:01
  −日本の製品でも油断は禁物−

奈良のお寺の薬膳料理とその商品化 ( 4-健康生活 ) / 06-09-17 05:32
  −本格と創作で二倍楽しんだ後、お団子を食べる−

posted by genjiito at 20:11| Comment(0) | ◎情報社会

2010年07月04日

欠陥品だったACアダプタ

 毎度のことながら、また欠陥品の対応をしました。
 今度は、インターネットとIP電話に関係する、光ネットの付属装置であるAC電源アダプタです。
 
 
 
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 耐久年数が通常よりも短いため、ネットや電話が突然利用できなくなる不具合が出るものなのだそうです。こちらに選択の余地がなかった製品なので、ああそうですか、と言うしかありません。

 実際のことはわかりません。煙が出るとか、火花が飛ぶというアナウンスではありません。大事に至らない前に、製品を回収しておこう、ということのようです。
 日立製ということなので、こうした欠陥はどのメーカーでも起こることなのです。あとは、その製品を採用した会社の誠意という問題です。

 目に見えないところで使われる部品なので、利用者にはどうしようもありません。会社側の誠意に頼るだけです。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◎情報社会

2010年07月01日

年収証明書類を送っても受領の連絡がないこと

 三井住友カード株式会社から「貸金業法改正に伴う年収証明書類ご送付のお願い」という封書が届いていました。

 昨年末には、個人情報なので提出したくない旨を伝え、別の方法を尋ねました。しかし、会社から提示されたものは、いずれも、流出することが明らかな企業に渡すのが躊躇われるものばかりでした。

 結局、平成22年6月までに施行されるものなので、5月まで考えることにしました。カード会社も、年明けの春でもいいとのことでした。

 今年の3月に、再度(3度目?)の所得証明書類の送付依頼の封書が、三井住友カードから届きました。
 
 
 
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 面倒なことになるのを避ける意味で、送ったものが流出することを覚悟で、年収証明書類としての「給与所得の源泉徴収票」のコピーを返送しました。

 その後、一と月が過ぎても、何の音沙汰もありません。プライバシーに関わる情報が記載されたものを提出しているので、当然丁重な受領の連絡があると思っていました。それなのに、なしのつぶてなのです。

 三井住友カードという名前を騙る組織に騙されたのかと思い、電話で書類が届いているか確認しました。
 まず的場さんという方が電話口に出られ、いろいろな個人情報を電話口で言わされ、しばらく待たされてやっとのこと、私が送った書類が届いていることが確認されました。

 個人の大切な情報が記されたものを受け取りながら、なぜ受領の連絡がないのかを尋ねました。すると、年収が下がった方や、審査の結果で利用が停止となる人には、連絡をしている、とのことでした。それ以外の人には、特に何も連絡はしないのが、この会社の方針なのだそうです。

 人の個人情報を提出させておいて、それでカード会社として何も問題がなければ連絡をしないのは、社会通念上おかしくはないか、と問いかけると、これが当たり前のことだと思っている、との返答でした。

 それは、アメリカならいざしらず、日本ではおかしいと思う、ということを言い、今からでも受領書を送ってほしいと依頼しました。すると、しばらくしてから、今度は藤田さんという方に電話が変わり、ひたすら失礼しましたを繰り返す対応です。ややこしいことを言ってきたものには、とにかく頭さえ下げておけば、という対応です。

 そして、遅ればせながら受領書を指定の所に送付する、との回答をいただきました。その際、葉書ではなくて、封書で送ってくれるように依頼しました。
 この会社の商習慣として、プライバシーに対する配慮が埒外に置かれているように感じられたので、念のために封書でと言ったのです。わかりました、との返事でした。

 自分の源泉徴収票など、人には見せたくないものです。それを迷ったあげくに嫌々送ったのですから、それを受け取ったら、礼儀として受領の返信はすべきだと、私は思います。しかし、もう時代は、こうした考えをクレームとして処理するだけのものになっている、ということなのでしょうか。

 今回の三井住友カードの対応には、人間を相手にしているという意識が欠落していたと思います。自分たちの業界を守ることだけが先行し、利用者へは踏み絵を押しつける対処のように思えます。
 人を差別するためのシステムとしての、年収証明書類提出という人狩りがなされたように感じました。

 法律を盾に、業界を保護するための儀式が行われたようです。
 しかし、頼むだけ頼んで、あとは知らんぷり、というのはやめてほしいものです。
 頼み事に応じてもらったら、個人情報に関する不愉快な思いと、面倒な手間をかけたことを含めて、丁重にお礼を言うのが、これまでの日本では文化的に通行していたように思います。

 一つの文化が消えていく場面に直面したようです。
posted by genjiito at 00:06| Comment(0) | ◎情報社会

2010年06月23日

【復元】こんな不在者投票でいいのでしょうか?

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

 街中がしだいに選挙色になりつつある昨今、過去の記事でクラッシュした記事を採録します。

 現今の不在者投票が、少しは改善されていることを期待して、こんないい加減な不在者投票がなされていたという事実の報告を、以下に復元しておきます。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************

2005年9月11日公開分

副題「誰でも他人になりすまして選挙投票できます」



 ウィーンでの学会発表を終え、帰国後すぐの一昨日の夜に、横浜市金沢区役所で衆議院選挙の不在者投票をしました。そして、日本の選挙が何といいかげんなシステムなのかを、またまた実感しました。
 今日、9月11日は今回の投票日当日ではありますが、以下に報告します。

 国政選挙に関して、以前からそのシステムがいいかげんであることを知っていました。仰々しくいろいろなメディアで国民に投票を呼びかけていますが、その実態はなんともお寒い状況が透けて見えます。2000年6月25日に、私のプライベートホームページである〈へぐり通信〉に、「選挙制度への疑問」として書きましたので、ご笑覧を。
(注、本ブログの2010年6月10日付け記事に同題で再掲載済み)
 

 今日の午後には、イギリスで国際政治学の勉強している娘が、今回の選挙に投票するために、わざわざ一時帰国します。
 (注、この時以降は、ロンドンで不在者投票をすることにしたようです。投票を口実にして日本に帰ることができなくなり、本人は複雑な思いをしているようですが。)

 それにしても思うのです。日本の選挙制度は、わざわざ海外から帰国してまで投票するほどの、しっかりしたシステムで運用されているのでしょうか。
 日本国民として政治に参加し、投票する権利の行使をする意義は非常に大切で貴重なものです。そのように、子どもたちには教えてきました。そのために、石油高騰の煽りを食った高い航空運賃も親が負担して、帰国の手配をしました。

 しかし、現実問題として、肝心の日本の選挙の実施実態が杜撰では、公正な国政選挙が日本で行われているとは、私には思われません。投票総数から見れば、以下のような、こうした問題に関係する票数は無視すべき比率のものかもしれません。我が町の革新町議で知り合いの方も、こうした問題は認識しておられました。大勢には影響のない制度上の不備なのでしょう。しかし、いいかげんな部分の残る制度で、こうした国政選挙が実施されている面が実際にあることは事実です。

 100%公平な選挙など不可能でしょうから、大声で叫びはしませんが、日本国民の一人として、小声で、ここに問題点の指摘はしておきます。

 さて、今回のことです。
 今週末には、いつものように奈良に帰るために横浜で投票できない私は、早速不在者投票をしに行きました。私は郵便物のすべてを奈良の実家に転送してもらっているので、投票所に持っていく「投票所入場券」と言われるハガキはありません。もっとも、今回も、実家に投票のハガキは転送されていないようですが……。
 
 
 
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 そこで、念のために自分を証明する身分証明書と保険証を持って、不在者投票所に足を運びました。

 午後7時ころでした。金沢区役所の敷地内にあるプレハブの仮設投票所には、五、六人の方が不在者投票に来ておられました。
 腕章をした案内係の人が、まずカードに記入して受付に出すように、声をかけて回っておられました。そのカードに記入するのは、「氏名」・「住所」・「性別」・「生年月日」だけでした。

 書き終わって、壁沿いに並んでいたパイプイスに座りました。二人目でした。
 すぐに受け付け係に渡す順番が来ました。
 係の女性にカードを手渡すと、その後ろの人がパソコンで私の情報を確認し、すぐに立候補者の個人名を記入する投票用紙をもらいました。
 記入済みの投票用紙を金属製の箱に入れると、すぐ横の机にいた人から、今度は比例区の記入用紙をもらいました。
 これに記入して投票すると、次は、最高裁判所の長官の信任用紙が渡されました。

 私は、過般の、娘の留学先盗難保険金問題で個人裁判をした経験から、日本の裁判官があまりの忙しさから(一応弁護しておきます)、真摯に仕事をしていない実態を知ってしまいましたので、裁判官には全員に「×」をつけました。日本の裁判官と弁護士が、いかにいいかげんな仕事で訴訟を処理しているかは、私のホームページ「海外留学と保険契約 −驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する−」をご覧ください。
 特に、東京地方裁判所の私を担当した裁判長は、私の訴状すらまともに読まずに、原告である私に敗訴の判決を出したくらいです。あまりにも出鱈目な判決だったので控訴したところ、高等裁判所の裁判長は少しはまともでした。しかし、とにかく裁判官の皆さんは、判決を書かなくて済む和解で事案を処理することに専念しておられます。もっと、まじめに裁判をしてもらいたいものです。

 それはさておき、今回の衆議院選挙では、このようにして無事に投票を済ませました。
 そして、はてな(?)、と思いました。
 私の存在証明をする確認は、不在者投票所における一連の流れの中で、何一つなかったからです。

 持参した身分証明書は、まったく不要でした。

 こんないいかげんなことで、これで衆議院選挙の投票行為が終わったと言って、本当にいいのでしょうか。

 もし私が、今回の不在者投票で、私が住んでいる区域の誰か別の人の住所と氏名と生年月日を書いても、それは有効だったのです。
 もちろん、生年月日を知っているかどうかは少し手間がかかるでしょう。しかし、これだけ個人情報が流出・氾濫しているご時世です。難なく、別人になって投票が可能です。
 また、私は、知りうる限りの多数の人になり代わって、何度でも不在者投票ができるのです。
 判明するとしたら、それは本番投票の本日、投票に来た人が、すでに自分が不在者投票されていることを知らされ、抗議をした時に限られます。
 投票率が低ければ、それこそ闇のままに葬られることになります。

 日本の地方でなら、役場の人は投票者の名前や住所を知っているので、なかなか「なりすまし投票」は難しいでしょう。しかし、今回の場合のように、都会の区役所の人は、投票人の顔を知るはずがないのです。
 私の場合で言うならば、深夜0時すぎから朝の8時までしか、横浜市金沢区にある官舎にいないのですから。

 不在者投票という現行制度を活用すれば、「生年月日」の情報さえ収集すれば、他人になりすまして、何度でも、何票でも投票できます。
 そんなことをする人がどれほどいるのか解りません。しかし、組織的にやれば、相当の票をまとめて獲得できます。
 ど素人の私でも、あの日に、他人の「生年月日」さえ知っていれば、何票か投票できたのですから。不在者投票の場所を変えると、さらにたくさん投票できます。
 少なくとも、同じ官舎に住む同僚数人の情報は知っていました。そんなん不正はしませんが、やろうと思えばできました。

 要するに、投票行為は良心の問題だけです。
 不正などは、現行制度ではいかようにでも可能のようです。

 日本国は、「あくまでも性善説」にたって、こうした国政選挙をはじめとする行政を行っているようです。
 このようなことは、夢と希望を持って投票に行く若い人たちには、教えたくないことですね。

 それにしても、世の中は、おもしろいことがたくさんあるものです。
 よりよい社会にするためにも、少しずつ改善していきたいものです。

 この杜撰な選挙制度などは、最重要課題の一つといえるでしょう。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | ◎情報社会

2010年06月12日

無償交換品がまたまた不良品

 この記事は、ウソみたいな話ですが、本当のことです。

 1ヶ月半前に「モニタ用ケーブルが断線」という記事を書きました。

 そして、今月初めに「無償交換品も不良品だった」という記事で、交換してもらったケーブルも欠陥品であることを書きました。

 その時に無償で交換してもらったケーブルも、あろうことか、またまた先週からモニタに画像を映さなくなりました。
 前回、「また断線するのであれば、90日以内に切れてもらいましょう。えてして、91日目に切れかねません。」と書きました。それが、実際には10日で切れました。ある意味で、早く切れてくれてホッとしています。

 アップルストア銀座へ持ち込もうと思いましたが、先月来のiPadの人気で、修理相談の予約がとれません。
 ようやく、4日後の今日の予約がとれたので、仕事帰りに立ち寄ることにしました。

 ところが、こんな日に限って、というより、いつものように中央線で人身事故があり、電車が止まってしまいました。
 アップルストア銀座には、予約時間の33分後にようやく辿り着きました。ところが、30分遅れると自動的に予約がキャンセルされるシステムだそうです。予約の取り直しとなり、30分ほど待たされて、やっとのことで順番が来ました。ついていません。

 名前を呼ばれてカウンターに座ると、何と、前回対応してくださった方ではないですか。
 そのせいもあり、話はスムーズに進みました。
 前回の交換品を受け取っての帰り際に、これに関して私が注意することは何かと尋ねると、「何もありません」と答えてくださった方です。

 今日も、おかしいですね、を連発しておられました。
 そして、カウンターで前回同様にケーブルのチェックです。前回はモニタが壊れていました。今回は、AC電源の四角いボックスが壊れていたようで、おかしいおかしいを連発した後、別の電源ボックスを持ってきてテストをしておられました。
 ジーニアスバーの備品には、こうした故障品がたくさん転がっているようです。私が言うことではないのですが、もう少し仕事で使うものを整理したらどうでしょう。こわれていもものは、店頭に放置してはいけません。ユーザーに対して失礼です。

 さて、今回も、やはり私が持ち込んだケーブルでは映像が映らないことが確認されました。
 確認書の上に置いてある小さな白いケーブルが、問題のものです。
 
 
 
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 担当者はとにかく気の毒がってくださり、過去2回のように交換品を発注して数日後に受け取りに行くという方法ではなくて、上の階にある商品を手配して渡してくださいました。
 さらに、ケーブルの保証期間が1年にしてありました。返品期限は2週間です。

 いずれにしても、このケーブルの度重なるトラブルは、一体どうしたことでしょうか。
 いくら、私が不良品をよく掴まされる、と言っても、これは非常に稀なことではないでしょうか。その稀が、私の身の回りではしょっちゅう起きるので、私としては稀とは言いかねますが。それでも、変なことには違いありません。中国製だから、という問題は、依然として残っていますが。

 担当者も、これも切れるようでしたら、パソコン本体を見せてください、とのことでした。もちろん、あり得ないことですが、後はその可能性しか残っていないからです。

 私も、気持ちが悪いので、出来たら見てもらいたいと思います。ただし、パソコンの保証期間の1年は、先月過ぎてしまっています。そのことを言うと、問題が発生して、その事が継続している状態なので、保証期間内の扱いにしてくれる、とのことでした。

 パソコン自身には、今のところ何も問題はありません。この外付け用のケーブル以外は。
 あえて点検に出して、また別の所に不具合が発生してもいやなので、このまま使い続けようと思います。多少の気持ちの悪さは我慢しましょう。

 30年近いコンピュータ経験で、たくさんの商品の不具合チェックをしてきたように思います。
 新製品に次から次へと手を出してきたので、常に初期不良との戦いでした。日本のコンピュータが曲がりなりにも使えるようになっている現状は、これまでの私のテスター経験が背景にあってのことだと言っても過言ではないと思います。それだけ、たくさんの不具合を指摘し、改善するように進言してきました。

 そのような役回りに疲れたので、iPadは今のところはパスしています。
 第二世代に手を出すつもりです。
 それだけに、私も現役を引退したとも言えるでしょう。好奇心が減退したことは認めましょう。残念なことですが。
 ゆるゆると、先端を後から逐うスタイルに変えることにしようと思います。

 そんなことを思いながら、アップルストアの後ろにある、いつものスポーツクラブに行きました。
 いつも私が好んで使うロッカーに、こんな赤いプレートが貼られていました。

申し訳ございませんが、
こちらのロッカーは、ただ
今ご利用いただけません。


 
 
 
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 このスポーツクラブのロッカーは、どれを使ってもいいシステムです。ただし、そのロッカーの番号は覚えておかないと、後でどれかわからなくなります。私も、何度か番号を忘れ、フロントで教えてもらったことがあります。そのため、自然と自分が愛用するロッカーが決まってきます。
 その愛用する番号のロッカーが、壊れているのです。私が使うことが多いからでしょうか。
 気を取り直して、いつもとは違うロッカーを使用することにしました。
 変なことがあるものです。
posted by genjiito at 02:16| Comment(0) | ◎情報社会

2010年06月10日

【復元】選挙制度への疑問

 また、選挙が近くなりました。
 こんなことがあった、ということで、平成19年3月に消失したブログを復元します。


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■2000年6月25日〈へぐり通信〉に公開分■

 総選挙の投票日となりました。
 この静かな生駒の山中にも、日頃は登ってこない政治屋さんの車が、連日ボリュームを一杯に上げて、名前だけを叫んでさっさと走り去っていきました。彼らは、まさに生活環境の破壊者です。一躍有名になった日本の首相の言葉ではないですが、「(自然環境に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかない」ようで、たたみごも平群の山の大気を激震させていました。
 我が家のアリス(ウサギ)も、怯えて耳をピクピクさせていました。

 ちょうど一年前のことになりますが、ささやかな屈辱的な体験を記しておきます。

 昨年、平成11年4月下旬に、統一地方選挙がありました。知事および市町村議会の選挙でした。
 私も投票所へ足を運んだのですが、入り口の受付で門前払いとなりました。私は投票できないとのことなのです。
 一緒に行った女房は受付を通って中に入っていき、私は玄関で追い返される始末。一枚の「投票所入場券」を受付の人に取り上げられたまま、惨めな思いで投票所を出ました。

 町の選挙管理委員会から私宛に送られてきたあの一枚の「投票所入場券」と印刷されたハガキは、何の効力をも持たないものでした。選挙という一種独特の雰囲気の投票場の中で、たくさんの関係者に怪訝な目で追い返された時は、もうこんないいかげんなシステムの日本の選挙に投票などするか、と固く心に決めたものです。

 自宅に帰ってすぐ、知り合いの町会議員さんに電話をしました。そして事情を説明すると、以前から問題にしていることなのだが、申し訳ないがいまだに解決していない、とのことでした。
 生まれて初めて選挙権が行使できなかった、記念すべき日となりました。

 このような事態になったのは、仕事の関係で私自身の住民票を昨年4月3日に移動したためです。住民票を移動した前後3ヶ月は、新旧どちらの居住地でも地方選挙の投票ができないのだそうです。

 そういえば、3カ月ということは聞いたことがあるように思うのですが、これがそうだとは、その時まで思い至りませんでした。新旧どちらかで投票できるものと思い、3月に送られてきた「投票所入場券」に記載されていた自宅近くの投票場で投票するために、遠路はるばる奈良の平群に帰省したのです。それなのに追い返すとは、ありまにも酷い扱いではないでしょうか。往復の運賃3万円を返してくれ、と叫びたい心境でした。

 後日、町の窓口でこの件を確認しました。役場では異動手続きを受け付ける際に、選挙に関する注意書きの用紙を渡している、とのことでした。しかし、私はそのようなものは一切もらっていません。もしそうなら、住民票の異動手続きをしに行ったときに、1ヶ月間は移動の手続きを先延ばしにしたはずです。
 また、3月に送られてきた「投票所入場券」については、発送後、住民票の異動があっても、いちいち投票ができない旨の連絡はしていないのだそうです。

 私は、3月下旬に住民票を抜き、4月初旬に新しい居住区である、横浜市金沢区の役所に手続きをしたのです。そして、地方選挙が、4月下旬にあったのです。何も考えずに、私は手元にあった「投票所入場券」を持って、平群町の投票場にノコノコと行った、ということなのです。

 私が住民登録をしに行った新居住区の受付窓口では、ちょうど4月3日ということもあってか、長い行列ができていました。あの日に並んでいた人の大半は、昨年4月の選挙では投票できなかったのでしょう。しなかったのではなくて、したくてもできない立場に自分が追いやられていたのです。正確には、自分で追いやったのでしょうが、それにしても、この制度には疑問が残ります。

 一体、昨年の統一地方選挙で、住民票を移動したことにより投票ができなかった人は何人いたのでしょうか。
 4月の選挙だったので、相当の数に上るのではないでしょうか。少なくとも、私が住むことになった住宅一帯では、百人に近い数十人が投票できなくなっていたはずです。

 それにしても、この選挙制度には、住民票を移動するような者は選挙投票をする権利がない、ということが前提になっているとしか考えられません。それは、とりもなおさず、土着住民を確保する保守政党にとって都合のいい選挙制度といえなくもないように思います。
 実際に居住する地域に直接関わる選挙なので、それには3カ月という時間が必要だと判断して設定されたのでしょうが、それなら異動の多い4月を境にした前後3ヶ月の選挙は自粛してほしいものです。実施するにしても、どちらかでの投票ができてもいいように思うのですが。

 本日の選挙は国政選挙なので、この3ヶ月という制限はないそうです。実際、私の所には、移動先の選挙管理委員会から投票の連絡ハガキが届きました。そして、すぐに不在者投票を済ませて来ました。
 いかにもお金のかかったことがわかる二重封筒3種類に、投票用紙を封入しました。あれも、パルプ業界と印刷業界の活性化をはかる一環なのでしょう。神聖重要な選挙権の行使と言いますが、普通の感覚で見れば、私には政治家によるお金のばらまきイベントとしか思えませんが。お金のばらまきによる多数支配は、マイクロソフト帝国と読売巨人軍と自由民主党の専売特許のはずです。

 選挙制度は、徐々にでいいので、少しずつでも改善していきたいものの一つだと思っています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 00:07| Comment(3) | ◎情報社会

2010年06月01日

無償交換品も不良品だった

 断線という不具合があって無償交換してもらったモニタのケーブルが、何とまたまた断線するという欠陥品でした。

 私は、よく欠陥品を手にします。というより、渡される品物が、とにかくどうしたことか欠陥品や不良品であることが多いのです。次から次へと、いつものことなので、またか、と動じなくなりました。あくまでも、世の中には、というよりも私の周辺という限定された範囲では、欠陥品と不良品が蠢いています。

 この広い世の中で、私の手元に届く欠陥品や不良品の数々は、偶然なのか、私が触ると壊れるのか、これは不可解な謎です。
 昔から私との付き合いのある仲間の中では、私の身体からは物を破壊する念力か電磁波が出ているのでは、と言われています。それほど、不可解な故障に出会います。その確率たるや、尋常ではありません。それに引き替え、人との出会いには幸いなことに恵まれている方だと思います。

 そんなこんなで、何か物を購入すると、近々交換か修理してもらうことになるはずなので、その時に必要となる保証書や領収書類は、キッチリと大切に保管しています。
 数十年前の領収書でも、クリアーファイルからいつでも出てきます。
 さすがに、20歳の時に住み込み先の火事で身の回りのすべてを失っていますので、40年前までしか遡れませんが。
 これが、物を捨てられない私という最大の要因となっています。

 さて、一月半ほど前に、「モニタ用ケーブルが断線」という記事を書きました。
 
 この時に無償交換となったケーブルを使っていて一月もしない内に、今度もまたまたパソコンの画像がモニタに映らなくなりました。おいおいまたかよ、と、早速手慣れたもので、アップルストアに持って行きました。

 担当者は、おかしいですね、と言いながら、持参したケーブルをジーニアスバーのパソコンとモニタに繋がれました。しかし、どうしたわけかジーニアスバーのモニタが壊れていたようで、悪戦苦闘された挙げ句に、結局は奥に持って行ってチェックすることになりました。
 
 
 

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 右上に映っているのが、アップルストア銀座のジーニアスバーにあった壊れていたモニタです。
 対面でトラブルに対処することが売り物のアップルで、しかも精鋭揃いという謳い文句のジーニアスバーのモニタが壊れていては、シャレにもなりません。この前にも感じたのですが、この銀座のスタッフのレベルは相当低いのにガッカリします。アップルの認定試験の基準はクリアしている方々なのでしょうが、実際のトラブルにはスキル不足の方が多いようです。

 それはさておき、すぐに、このアダプタも壊れていることが確認されました。あたりまえです。その結論しかないはずです。これで、公的にアップルに認定された、ということです。おめでたいことです。

 ただし、修理確認書の修理番号がないと、再修理の扱いにはならないとのことでした。これが、前回の無償修理交換品かどうか、確認できないからだそうです。それもごもっとも。わたしにとっては、どうでもいいことですが。

 この前の書類を確認してほしいというと、アップルではたくさんありすぎて不可能なのだそうです。確認書という書類の山の中から私が探しましょうか、と言うと、この銀座にはもうない、とのことでした。私が前回持ち込んだ記録が、この店では確認できないのです。
 私の方が、持ち込んだ物が修理対象となり、それを無償交換したという証明をしなくてはならないとのことでした。具体的には、私がサインをした、修理番号が記された書類が必要なのです。それを、私が提示しないと、今回の不具合も有償となるのだそうです。
 スティーブ・ジョブズさん、現場はこんな状態ですよ。
 iPadに浮かれているのもいいですが、アタフーケア部門は、こんなお寒い状況ですよ。

 そんなものかと聞きながら、アホか、と思いつつ聞き流しました。
 とにかく、私としてはこの前の状況などを説明して、次回来店したときに無償交換となった「Genius Bar サービス見積書」か「Genius Bar 修理確認書」を見せることで、パーツの発注だけは進めてもらいました。ジーニアスバー銀座のアホに、いつまでもつきあってもいられないからです。

 あれから一週間。ようやく、画像が映るはずの無償交換のケーブルを手にしました。
 一度セッティングしたら動かすことのない部品なので、今度私が注意することは何かと尋ねると、ジーニアスバーの方は、何もありません、とのことでした。モニタに画像が映らなかったら、また交換に行くしかありません。ただし、今回もらった部品の保証は90日だそうです。
 渡された「 Genius Bar サービス見積書およびサービス確認書」の「注意」蘭には、次のように書かれています。

すべての修理は、アップルの90日間サービス限定保証またはもともと付いている製品1年限定保証のうちいずれか保証期間の長い方が適用されます。


 よくあることで、このケーブルが付いていた Macミニというパソコンは、先月で1年保証が切れています。ということは、この交換品は90日しか保証してもらえません。
 また断線するのであれば、90日以内に切れてもらいましょう。えてして、91日目に切れかねません。定価が3,400円なので、痛手は少ない部品ではあります。それよりも、心理的なダメージが大きいですね。

 また、この部品には、次のように書かれていました。

Designed by Apple in California
Assembled in China Model No:A1305



 デザインがカリフォルニアはいいとして、組み立てたのが中国では、もうお手上げです。
 アップルが粗悪品を量産する中国を統制しているとは思えません。中国は、中華思想のもとに、独自の理念で安価な欠陥商品を全世界にばらまいています。
 もし、今回の問題での課題があるとしたら、中国が関与している、ということでしょうか。

 かくして、まだまだ欠陥商品との出会いの旅は続きます。
posted by genjiito at 23:41| Comment(2) | ◎情報社会

2010年05月31日

【復元】またまた欠陥商品


(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)


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2005年8月17日公開分

副題「今度は iPod でした」

 今年のお正月に、 iPod-Photo(60G) を入手しました。写真ではなくて、古写本などの画像資料を大量に入れておくためです。写真が 25,000枚も保存できるのです。各種資料やテキストも、画像として見られるようにしました。

 また、音楽の代わりに、『源氏物語』の朗読CD?ROMを100枚分ほど入れて持ち歩くことにしました。英会話教材なども入れられて、便利です。 12,000曲を保存できるというのですが、音声データだとあまり収録できません。さらには、録音もできるのも、気に入っています。

 特に気に入ったのは、人前でしゃべる時に、プレゼンテーション用としてスクリーンに映す素材を、 iPod に入れて持ち運べば、プレゼン用のパソコンが要らないのです。これは、講演や研究発表に活用できます。

 ところが、その iPod が、2月頃から不調になりました。まず、電源が切れないのです。放置するしかありません。また、翌日は電源が入らないのです。しかたがないので、リセットして起動することになります。それが毎回続くと、だんだん面倒になります。

 しばらく我慢していましたが、もうダメだと思い、4月下旬に取り次ぎ業者を通して、修理に出しました。2ヶ月後の6月下旬に、問題はないということで、修理に出した時のそのままで返ってきました。

 そして1ヶ月。やはり、同じ症状が出ます。電源が切れない。電源が入らないので、毎度リセットで起動するのです。家電製品の基本的なことなので、私の操作が間違っている、ということは考えられません。電気屋さんの中にあるアップルコーナーの人に、その症状を確認したりもしました。

 7月下旬に、再度修理に出しました。秋までに修理が終わればいいか、と思っていたら、今度は3週間ほどして、症状が確認できたので、新品と交換ということで、新しい iPod が届きました。
 9月ころに帰ってくれば、くらいの気持ちだったので、少し拍子抜けです。

 出戻りの iPod は、1週間たちますが、調子はいいようです。先月からiPod-Photoという商品はなくなり、カラー版のiPod となりました。届いたのは、この新製品の方です。これは電源周りは改良されているのでしょう。

 しばしば欠陥商品を手にする私です。大量に作られる商品なので、少なくなったとはいえ、品質にもばらつきがあるのでしょう。もっとも、その欠陥に気付くかどうか、ということもありますが。おかしい、と気付くかどうかは、その商品への愛着と関係すると思います。好きな人の体調が気になるように。

 世の中には、欠陥商品が何と多いことか。何を欠陥とするかは難しいところですが、このiPod-Photo は欠陥だったといっていいでしょう。


********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ◎情報社会

2010年05月26日

本屋で本が見つけられない

 朝日新聞5月20日の記事に、「米国発のネット帝国主義を許すな」という、いささか過激な内容が掲載されていました。この内容をもっと詳しく知りたくなり、語り手の岸博幸さんの著書である『ネット帝国主義と日本の敗北』を探しに書店へ行きました。インターネットの書店で購入してもよかったのですが、実際に中身を見てから決めようと思ったからです。

 有楽町駅前にある三省堂書店は、比較的多くの本があるので、ときどき本を探しに行きます。
 お店に入って本を探そうとして、いつものことながら書名が思い出せません。おまけに、著者名も。慶應義塾大学の先生であることと、書名の中に「帝国主義」という語があったことしかわかりません。

 この店には、タッチパネルの検索端末があるので、それで「帝国主義」という語をキーワードにして検索しました。すぐに見つかったので、図書情報をプリントアウトしました。
 
 
 
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 その紙切れを持って、配架場所として記された2階の「ブロックE−03」というコーナーに行きました。しかし、見あたりません。ここに記されているのは、「野球・サッカー」という区分の、スポーツコーナーです。書名からして、明らかに違うようです。

 紙片には、大分類「新書」、細分類「幻冬舎新書」とあるので、ちょうど真裏の新書の棚に行きました。しかし、並んでいる新書の中に見あたりません。

 しかたがないのでレジカウンターへ行き、レジ係ではなくて、いかにも本を探すのを仕事とするような風体の若い男性に紙片を見せました。ご案内します、と言いながら私が先ほど探していたコーナーに連れて行かれました。そしてしばし探して見あたらないと、「棚番号︰E03−00」とあるので、手前の平積みです、と言って通路側を探されるのですが、やはりありません。
 その周辺をいろいろと物色しておられましたが、ついに諦め、一度カウンターに戻り、そして「在庫切れです。」と告げられました。

 諦めて帰ろうとしたとき、ふと「幻冬舎新書」の棚に目が行ったときに、何と探している本が2冊も並んでいるではないですか。

 帰りの道々、書店の役割を考えてしまいました。
 情報端末があり、本に関する情報は簡単に引き出せます。しかし、自力ではその本の場所にたどり着けず、店員のサポートを得ても見つけられなかったのに、その本は棚に存在していたのです。

 今週、iPadが日本でも発売されます。この情報文具が投入されることによって、電子書籍の普及が加速度的に拡がります。そんな中で、紙媒体で刊行されていた本に出会うのに、こんな無駄な時間と労力を費やしたのです。これでは、書店が書籍の流通にほとんど関与していないことになります。ただ並べているだけです。偶然でしか、探し求める本に出会えないのですから。

 結局、私はこの本とは縁がなかったのだと思い、買わないままで帰りました。

 今後の書店のあり方がどうなるのか、iPadが発売された来週からの業界の動きに注目したいと思います。
posted by genjiito at 00:07| Comment(0) | ◎情報社会

2010年05月24日

太田敦子著『源氏物語 姫君のふるまい』は電子本が相応しい

 『源氏物語 姫君のふるまい』(太田敦子、新典社新書50、2010.5.18)を読みました。
 『源氏物語』を読む楽しさを追体験させてくれる本です。
 
 
 
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 日頃は、『源氏物語』の本文とにらめっこする日々です。そんな時、この本を電車の中で通読しました。非常に読みやすい本でした。語り口が柔らかで、テーマが明確だからでしょう。物語を読む楽しさと、その視点の妙を教えてくれる本でした。

 本書は、三つの内容から成っています。
 「1 絵に描きたる葵の上」
 「2 立つ女三宮」
 「3 紫の上の手のゆくえ」
 いずれも、『源氏物語』にそういう場面が描かれていたな、という想いを新たにしました。

 ただし、3話ともに、掘り下げが甘く、著者が本当に言いたいことの半分も語れなかったのではないでしょうか。新書の性格からか、原稿の分量の制約が、読者を消化不良に陥らせているようです。一つのトピックが短かすぎるからかもしれません。このテーマは、もっと自由に書ける場で、再度展開したらいいと思います。それが、電子本という媒体だと、私は思い至りました。
 本書には、強引なこじつけと思える論理展開も散見します。「立つ」という章には、無理矢理という印象を持ちました。
 しかし、そこは若さに免じて、というところでしょうか。『源氏物語』を読む楽しさが十分に伝わってきたので、一先ずはよしとしていいと思います。

 私は、紫の上の「手」の問題を、もっと読みたいと思いました。突然に神話を持ち出さなくてもいいので、もっと丁寧に「手」について語ってほしいものです。

 一つ要望を。
 本書を幅広く読んで貰うためには、人物系図を付けたらいいと思います。女君の背景を理解する上で、家系図は、わかってもらうためには有効な資料です。ぜひとも、これからでも遅くはないので、3人の姫君の人物系図を本に挟んでください。

 最近、日本文学の研究をしている若手が、軽装版の書籍をさまざまな形で出版しています。その背景には、出版社の戦略もあるのでしょう。新たな読み物が量産されています。

 アップルの iPad が、来週にも国内で販売されます。私は予約しませんでしたが、夏までには手に入れるつもりです。
 中古文学会があった慶應大学の会場で、アメリカで手に入れたばかりだという仲間の iPad を、実際に触らせてもらいました。思ったよりも小さくて薄い板でした。ハードカバーの本を拡げた大きさなので、電子本を読むのにはピッタリです。おまけに、情報収集と整理が得意な電子文具とくれば、ビジネスマンを中心として普及しないはずがありません。
 この iPad の出現により、日本における出版事情も大きく変わることを、今回の学会の会場で身をもって体験しました。

 今後は、どこまで研究者が紙媒体での出版に拘泥するかは、非常に興味があるところです。少なくとも、文学関連に限って言えば、読書感想文的な刊行物は一掃されることでしょう。
 ネット上でつぶやいたり、ブログで個人的な思いを書いたり、ホームページにまとまった意見を発表したりと、今や我々の回りには表現の場がたくさんあるのです。それらは、この iPad という情報文具で取り扱うものとなります。
 そのため、紙媒体での出版は、非常に限られた分野で生き残るのではないか、と私は思っています。ジックリと読むものや、資料性の高いものは、これまで通り紙媒体で出版されることでしょう。ただし、資料集の中でも、カラー印刷によって提供されていたカタログや図録類は、本の重さもあるので、電子化が進むことでしょう。その時には、資料の所蔵者などと複雑な関係にあるものは、これまで通り紙媒体での刊行でしょうか。

 いずれにしても、若手が本を刊行することについて、私はいいことだと思います。自分が考えていることを、一つの本というボリュームを単位として語ることは、今後の研究に資するところ大です。自分のためであり、また研究成果を広く知ってもらう意味から、停滞気味の文学の世界が活性化されることでしょう。
 若いからと言って怖じけることなく、どんどん発言してほしい思います。この新典社の新書は、閉塞状況の文学研究に活力を与える媒体になってほしいものです。ただし、出版事情が激変すると思われる今、ここで紹介した『源氏物語 姫君のふるまい』は、電子本によって公開される類のものではないでしょうか。出版各社とも、これまでの刊行物のほとんどが電子本で新たな有効活用が期待できます。とすると、紙媒体で何を残すか、という検討を、1日も早く進める必要があります。
 これまで私が刊行した本も、ほとんどが紙媒体である必要はありません。これは、著者の立場で再検討すべき問題のようです。

 そうした時代を見据えて、文学関係の各社は、今後の電子本のコンテンツを囲い込む意味から、若手の本を大急ぎで刊行しているとも見えます。それはそれで、いいことだと思います。発言すること、情報発信を心掛けることで、文学研究の環境が大きく変わります。
 これからの本の位置づけが、非常に興味深いものに思われます。
 出版各社の方々は大変な時代になったことを、ヒシヒシと感じておられることでしょう。 iPod が出現して、音楽というものの流通が短時間にすっかり変わりました。そのため、レコード盤やカセットテープやCDがどのようになったか、という分析を十分にしてほしいと思います。
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2010年05月21日

現代社会での漢字表記の重み

 小さい頃から、漢字の書き取りなどでは苦労しました。下手ながらも、紙に漢字を何度も書いて覚えたものです。その漢字について、また新たな指針が示されました。「改訂常用漢字表(2136字)」の答申案がそれです。1981年以来の改訂だそうです。196字増えました。

 さて、今回の答申案にもあるように、現代においては漢字は書けないものがあってもいいのです。
 パソコンや携帯電話の普及により、文字を指でキー入力することが多い時代になりました。自分の手では書けない漢字でも、ワープロなどで打って表記することが、いとも簡単にできるのです。漢字は、制限されるものではなくなったのです。
 それだけに、指針には新たな問題が内在するようです。

 シンニュウの1点と2点の混在は、私も迷います。この「迷」は1点でいいようです。
 さらには、簡単に情報機器を活用すると書ける漢字でも、それを読むことと、その意味の理解は、容易にイコールとなるものではありません。よく見かけるのに、よく入力して表記するのに、それが声に出して読めないことに直面することが多くなりそうです。

 これまで以上に、手書きで漢字を覚えることが大切になってくるように思われます。
 インドで日本語検定の勉強をする若者は、とにかく漢字を徹底的に書いて覚えています。
 漢字の習得は、いつの世も、手で何度も書くことにあるようです。それと、現代の文字を打つこととの折り合いをつけるのは、これからの大きな課題だと言えるでしょう。

 一言でいえば、「手書き文化」が新たな時代を迎えた、ということになりそうです。

 それにしても、毎日通過する駅の「三鷹」の「鷹」が外れたことと、「障碍」の「碍」がペンディングの状態に置かれていることは、私にはどうもスッキリしません。
 数に限りがあることなので、どこかで線引きが必要です。その線引きが難しいのが、公的な場面での漢字の利用制限という悩ましい問題なのです。
 スッキリする結論などないのが当たり前です。まずは、この答申を尊重することから次を考えたいと思います。

 この漢字問題について、私は朝日新聞の白石明彦さんの取材活動に敬意を表したいと思います。2008年の源氏千年紀の取材の後、この漢字問題に取り組んでおられました。その報道姿勢が実に的確で、時宜を得た情報をわかりやすく流して下さいました。
 今回の答申案が出されたことにより、また新たなテーマを追いかけられることでしょう。次は何なのか、私は大いに楽しみにしています。
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2010年04月21日

【復元】縦書き & 横書き

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2004年08月14日「ミクシィ」掲載分より

 『横書き登場−日本語表記の近代−』(屋名池誠、岩波新書、2003.11)を読みました。日本語の歴史を考える上で、非常に得ることの多い本でした。この本に盛られていない縦書き問題の実例を、以下に紹介します。

 私は、パーソナル・コンピュータの出始めの頃の、それもまだ全角文字が存在しない時代に、まずはローマ字で、そして半角のカタカナで『源氏物語』の本文を入力してデータベース作成に着手していました。もう20数年前のことになります。
 パソコンを活用して日本語で自分の考えを表記することを続けていると、どうしても縦書きと横書きの問題に無関心ではいられません。拙著『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』(1986.11、桜楓社)でも、「タテの会」を紹介しています。
 
 
 
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 また、ルナ企画と共同で開発した検索表示ソフト〈プロムナード〉は、徹底的に縦表示にこだわったものでした。『データベース・平安朝 日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(1988.11、同朋舎)と『データベース・平安朝 日記文学資料集 第二巻 蜻蛉日記』(1991.6、同朋舎)に実装しています。パソコンでの縦表示については、涙ぐましい裏話があります。ただし、それはいずれ、ということにしましょう。

 さて、今回読み終えた『横書き登場』の58頁で、縦書きのぶら下がり文字について書かれていました。句読点や促音・拗音などの表記のことです。

 これについては、拙編『句集 ひとつぶのむぎ』(1983.4、私家版)の組版が、こうした分野における歴史的な資料になると思います。この本は、私家版の限定出版だったので、関係者しか知らない本ですが…。
 
 
 
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 『句集 ひとつぶのむぎ』は、父の川柳を、癌で死ぬことがわかってから急遽3ヶ月間で句集としてまとめて刊行したものです。ただし、まだパソコンが普及していない時代におけるディスクトップ・パブリッシングだったこともあり、技術的にいろいろな問題に直面する中で、個人出版レベルで刊行に漕ぎ着けたものです。
 この本の巻末に記した拙稿「新時代の私家版−本書刊行について−」で、詳細にその出版事情などについて書いています。中でも、初期の横書き用の簡易ワープロソフトで縦書き印字をする際の無謀さは、今から見ると信じられないことでした。横書きの文字をBASIC言語によるソフトウェアによって強引に縦に並べ替えるだけなのです。したがって、詰まる音や句読点は、文字の右横下、それも行間の不自然な位置に印字されるのです(前掲写真参照)。パソコンのワープロ機能が、日本古来の縦書き文化に馴染んでいなかったための現象です。

 同じ8ビットのパソコンを使っても、それから4年後に刊行した拙編『わがままいっぱい』1987.2、私家版)では、句読点は本行の文字の間に位置しています。出回りはじめたパソコンワープロの機能を活用して刊行された20年前の、当時の私家版の出版物を見ていくと、IT技術の進歩が、表記をより自然なものにしていく流れが見えてきます。現在の出版文化の背景には、こんな時代もあったのです。

 繰り返し記号である踊り字について、『横書き登場』の65頁で、縦長の「く」に関して「\/」が紹介されています。しかし、私はこれまで「/\」を用いてきました。
 『源氏物語』の古写本約376冊を翻刻した拙編資料集『源氏物語別本集成 全15巻』(平成元〜14年、おうふう)のデータは、約3億3千万字を対象としてデータベース化したものです。当該刊行書では外字で誤魔化していますが、元データの踊り字は「/\」で入力しています。縦書きの「く」を長くした踊り字を縦書きで表記する時に、スラッシュ(/)とバックスラッシュ(\)の組み合わせを使うと、それが横書きで表示されると「/\」となるので重宝するのです。拙著『源氏物語の異本を読む』2001.7、臨川書店)の図15の横書きキャプションや、拙著『源氏物語本文の研究』2002.11、おうふう)の巻頭口絵写真の横書きキャプションなどをご参照いただければと思います。

 一太郎というワープロなどでは、「く」を縦長にする技法がとられています。しかし、これをみんなが使えるテキスト形式にすると、ナントひらがなの「く」に戻ってしまい、後でどれがその踊り字だったかを見極めるのに苦労します。デジタルデータを後で有効利用することを考えると、使用する文字は、プレーンなテキストにしたときの形状を考慮したものであることが大切です。

 文字の歴史は、大変おもしろいものがあります。特に、パソコンの普及にまつわるよもやま話は、いろいろとあります。みなさんそれぞれが、その人ならではの涙と笑いの物語があるのではないでしょうか。
 
 
 
///// 本記事に対する関連コメント /////

■2004年08月15「ミクシィ」掲載分より
 「ディスクトップ」について。
 私は今の今まで、無意識に「ディスクトップ」と表記してきました。しかし、S王さんがご指摘のように、発音や意味から考えても、これは変ですね。「デスクトップ」と表記するのがいいのでしょう。これまで、違和感なしに読み書きしてきたことばなので、そのよってきたる所を考えてみたいと思うようになりました。

 今思いつくところでは、「デスク」という発音があまりにも泥臭いので、英語コンプレックスの固まりである私は、「ディスク」という言い方で外来語らしくしていたのではないでしょうか。苦しい言い訳みたいですね。

 それにしても、『ASCII』や『The BASIC』を初めとする各種雑誌の創刊号から貪るように情報を漁りながら目を通し、「パーコン」から「パソコン」へという呼称の変遷を体験する時代に身を置きながら、この「ディ」という表記に関してはまったく気づいていなかったことが、今さらながら不思議です。
 「スタンドアローン」という言葉は、すでに私は20年前から使っていますが、「ディスクトップ」を使い始めたのはいつからでしょうか。また、社会的にも、「ディスクトップ」と「デスクトップ」は、どのように使われてきたのでしょうか。

 おもしろそうなので、自分なりに調べてみます。私の勘違いで終わるかもしれませんが、それはそれで興味深い思い込みの事例となることでしょう。

■2004年08月15「ミクシィ」掲載分より
 今は幻のワープロソフト「たまづさ」は、私も愛用していました。
 開発元のコーシングラフィックという会社は、いいソフトを作製していましたね。「グラン・ミュゼ」を職場のパソコン60台にインストールする件で、社長に直接会って相談を持ちかけたりしました。札幌発のサポートもよかったですね。

 私がマックユーザになる前に使用していたワープロソフトのメモが、お盆の合間に書類を整理していたら出てきました。8ビット時代はともかく、16ビットマシンになった1984年からは、以下のワープロソフトを利用してきました。

 JWORD2(¥82,000)→ jXW太郎(¥58,000)→ 一太郎(¥58,000)→ 松(¥128,000)

 「松」は価格以上に最高でした。すごい文化遺産です。
 この「松」は、コピープロテクト問題で一躍物議をかもした、管理工学研究所の作品。
 当時私は、毎月10種類以上の雑誌を購入して、溢れる情報の海を泳いでいたものです。

 そうそう、原稿用紙スタイルで印字した私家版を出版したのが、1985年でした。『まぼろし』と題する父の追悼文集で、装丁は折本仕立ての糊入れ画帳スタイルです。装丁に贅を尽くしたものです。この版下作成に使用したのが、「JWORD2」でした。MS-DOSで動くワープロだったので、その後もデータの使い回しに重宝しました。

 それにしても、原稿用紙というのも、非常にレベルの高い文化が生んだ文房具ですね。縦書き・横書きの両方に使えるのもすごいことです。句読点や半角文字を記入するのに、一マスを4分割して利用したり、ワクの外に文字をぶら下げるなど、心憎い文化遺産だと思います。

■2004年08月15「ミクシィ」掲載分より
 Yさんの「たまづさ」に対するメモを記している内に、「ディスクトップ」と「デスクトップ」の件が氷解しました。
 フォローをありがとうございます。
 でも、勘違いということで長年使用していた者としては、「誤字等の館」の説明は理屈としては理解できるのですが、何か違うと思うのです。日本文化の中における外来語のありようについて、誤用だけでは切って捨てられない、何かがあるのではないでしょうか。

 素直じゃなくてすみません。書かれているようには、そんなに簡単なことではないという気がしますが。
 説明してハイ終わり、ではない問題として、これはおもしろいことですね。"


********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎情報社会

2010年04月19日

転々として消失したブログの復元

 これまで諸般の事情により、いくつかのサーバーからブログを公開してきました。私のブログが転々とした理由は、ほとんどが私の責任ではなく、サーバー側にあります。しかし、より多くの方に語りかけたいこともあり、その時々の状況を判断してサーバーを選んできました。
 とにかく、運がなかったこともあり、これまでブログに書いたものの半数以上が、今では読めなくなっています。

 そうした経緯は、「なぜかブログの発進地が変わりました」にまとめてありますので、おついでの折にでもお読みいただけると幸いです。

 今は読めなくなったものを、折を見ては少しずつ復元しています。しかし、消失したものが膨大であることもあり、復元にはまだまだ日時を要します。根気強く、このサイトをベースにして、再構築していきたいと思っています。
 もっとも、今利用しているこの「eoブログ」にしても、利用者が掲載した情報をバックアップする仕掛けは、今のところは用意されていません。
 先般、メールで問い合わせたところ、以下の回答をいただいています。

 記事のバックアップにつきましてですが、eoblogにはデータのエクスポート機能がございませんので、データを保存することができません。
 誠に申し訳ございませんが、何卒、ご了承いただければと存じます。(2010年3月7日)



 ということは、ここのサーバーが壊れたときには、掲載した情報はまたまた消失するのです。掲載した記事の控えは、毎回ユーザーがとっておかなければなりません。何とも、この情報化社会で、無防備この上ない、変な仕組みになっています。
 そこで私は、掲載した記事の下書きは、最近は手元に保存するようにしています。画像とのリンクは手作業に拠らざるを得ないという、原始的なことを強いられています。

 これまでに掲載してきた記事で消失したものが、リンクをたどっても見られないことから、どのような内容のものかという問い合わせもいただいています。
 これからは、この読めなくなっている記事の再現も、鋭意おこなっていきたいと思います。

 そこで、まずは一般に公開しはじめた「たたみこも平群の里から」の挨拶文を、以下に復元します。
 そしてこれからは、公開した記事の順に、可能な限り復元することにしたいと思います。

2004年12月13日 身辺雑記
「年の瀬にブログが走り出す」
 −はじめに−

 今年も相変わらず、慌ただしい師走となりました。
 忙しいときに限って、何か別のことをしたくなります。わがままなことです。

 これまで、ミクシィというソーシャル・ネットワーキング・サイトにブログを公開していました。しかし、これは会員制のサイトであるため、読みたいという方がいらっしゃっても、会員でないと読んでもらうことができませんでした。
 何とかしたいと思っているうちに、〈NPO源氏物語の会〉でブログが公開できるようになったので、こちらとリンクすることにしました。

 気ままに、思いつくままにメモを記します。自分のために、そして、私という者がいたことを家族や知人に知らせる、一種の存在証明のつもりで、日々思いつくままを認めるつもりです。

posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎情報社会

2010年04月18日

モニタ用ケーブルが断線

 私は、ケーブルが大好きです。コンピュータ機器をつなぐ時に使う、電気信号を送る線です。20数年前、コンピュータに熱中しだした時から、物とモノをつないでコミュニケーションを図るための電線に興味を持ったのです。単なる物とモノが、線一つでつながり、お互いが情報をやりとりすることができるようになるのです。接続して、お互いが動いた時は快感です。

 ただし、このケーブルにはさまざまな規格があります。ケーブルの先に付いている端子にも、いろんな形状のものがあります。そのために、用途によって別々のケーブルが必要になるのです。
 折を見ては、大阪の日本橋をはじめとして、いろいろなショップでケーブルを買い集めました。持っていれば、物とモノがつながって生き返るのですから。

 奈良の平群から京都に引っ越しをする時、約500本ものケーブルを処分しました。そのことは、「愛機たちとの別れ」に書きました。


 それでも、今も、京都の実家に200本、東京の宿舎に100本、立川の職場に150本はあります。もう入手が難しくなっているケーブルは、どうしても捨てられないのです。

 そのケーブルに関して、最近トラブルに遭いました。モニタ用のケーブル(コネクタ)です。

 私は、身の回りにあるパソコンには、必ず2台のモニタをつなげて、広い画面で作業をしています。
 宿舎でのことです。愛用のマック・ミニには、20インチと19インチのモニタをつなげていました。ところが、突然サブとして使っていたモニタが映らなくなったのです。いろいろなことをしても、画像はサブには出ません。
 モニタを別のマックブックAir につなげると、画像を表示します。ということは、マック・ミニの映像出力端子かと思ったのですが、もう一つのモニタにつなぎ代えると映るので、これも大丈夫です。原因は、外部モニタ用のコネクタしか考えられません。

 早速、アップルストアへケーブルを持って行き、調べてもらいました。案の定、ケーブルが信号を通さなくなっていたのです。
 
 
 
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 そもそも、このケーブルは、一度セッティングしたら、触ることのないものです。動かすのは、本体を移動する時しかありません。しょっちゅう、抜き差しするものではないのです。それなのに、コネクタの中で線が切れているようなのです。理由がわかりません。

 購入して一年以内、ということで、無料で交換してもらえることになりました。しかし、在庫がないとのことで、今日やっと入手しました。

 担当者に理由を聞くと、考えられないことだが、という前置きがまずありました。そして、静電気か何かでカバーの中の接続か配線が切れたとしか考えられない、とのことでした。
 私は、欠陥商品や不良品をよく手にするので、こうしたことには慣れています。またか、という感じです。しかし、それにしても、意味不明の断線です。

 このケーブルがなかった数日間は、もう一つの接続方法で、モニタをつなげていました。
 これまでは、デジタル式のDVI−D端子で接続していました。下の写真の右側のもの。
 そのケーブルが不調になったので、ここ数日は、もう一つのアナログ式のRGB端子(下の写真の左側)で、モニタを接続していたのです。
 
 
 

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 取り替え品が入手できたので、早速モニタをDVI−D端子で接続しました。少しは文字がくっきりと見えるように感じられます。しかし、アナログからデジタルへの変更で、それほど劇的に変わっていないことに気づきました。人間の目は、こんなアバウトなものかもしれません。
 それでも、もとに戻ったので気をよくして、こうしてまた文章を作成するようになりました。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | ◎情報社会

2010年03月04日

与謝野晶子自筆原稿の画像を見るために

 先日、国文学研究資料館から「与謝野晶子自筆原稿『新新訳源氏物語』」の画像データベースを公開したことを、以下のブログで紹介しました。

「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」

 その後、堺市で開催された講演会も、「神野藤昭夫先生の晶子がたり」で報告しました。

 また、その後、毎日新聞や産経新聞で、この画像データベースを取り上げて、大きく報じてもらいました。

 ところが、多くの方から、ホームページが文字化けして見られない、という連絡や苦情をもらっています。
 原因を調べたところ、どこからこのデータベースに入っていくかによって、文字化けによって先に進めないことが確認できました。

 そこで、確実に画像を見るためには、以下のアドレスで入っていただくことをお薦めしています。

「近代文献情報データベース」

 このページには、以下の注意事項が書いてあります。


近代画像データベースは、国文学研究資料館がデジタル収集した明治以降の文献の全文画像データベースです。文献ごとに詳細な目次をつけています。

※検索画面が文字化けする場合は、ブラウザのエンコードを「自動選択」または「Unicode(UTF-8)」に変更してください。目次画面のエンコードは「シフトJIS」です。
また現在一部の画像においてJPEG2000が閲覧できない不具合が生じております。あらかじめご了承下さい。



 実は、私自身はマッキントッシュのコンピュータを使っているので、この画像データベースを担当しているにも関わらず、私は精細画像を見ることができません。マッキントッシュはクリエイティブマシンで、ウインドウズはビジネスマシンだと捉えている私には、この状態をよしとしてはいません。

 こうした公開の仕方に問題があることは、重々承知しています。
 1日も早く、マッキントッシュ・ユーザーを含めたみなさんに、快適に利用してもらえるような、すばらしいデータベースにしたいと思っています。それには、私から見ると低レベルのウインドウズと言われるビジネスマシンの利用者が圧倒的多数であることが、どうしても無視できません。それを承知で、このような形での公開となっています。

 個人的なブログなのでここに書きますが、この問題は、あくまでも私にとっては妥協の産物といえます。多くの方(ウインドウズ・ユーザー)に、よりよいデータベースを提供することに、渋々賛同して協力しているところです。
 事業としての仕事と割り切っての対応です。利用できないよりも、利用できる環境を提供することを優先しての対応です。

 いずれ、日本の技術担当者のレベルが上がれば、こんな異常な状態は解消されると思います。
 私のつぶやきとしては、「日本の技術者よ、もっと勉強しろ」ということばをグッと堪えているところです。情けないことですが……。
 今しばらく、ご不便をおかけしますが、ご理解とご了承のほどをお願いいたします。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎情報社会

2009年12月30日

スパムメールの猛威

 年の瀬となり、インフルエンザらなぬスパムメールが蔓延しています。
 迷惑この上ないことです。
 このところ毎日、千数百通の迷惑メールが届きます。
 ほとんど、フィルタで選別しており、今月に入ってから、今のところは大切な方からのメールでスパムと認定されたものはないようです。

 しかし、スパムメールを貯めておく趣味はないので、定期的に、1日に数回は一括で削除しています。
 一応は視認して、まともなメールが紛れ込んでいないかをチェックしてから、一気に削除しています。

 とはいえ、何分に見たくもないもゴミ箱の中なので、真剣に確認してはいません。
 ということは、大事な連絡を削除している可能性もあります。

 私が迷惑メールとして投げ遣っているメールは、おおよそ以下の通りです。

(1)私のアドレス帖に登録されていない方からのメール
(2)題名、タイトルのないメール
(3)卑猥な単語を含むメール
(4)上記以外で、日本語ではないメール

 こんな基準でスパムの認定を設定しています。

 私は、国文学研究資料館のホームページの立ち上げなど、10年前からメールアドレスを公開していました。
 当時は、インターネットの普及のためにもあって、メールアドレスやホームページのアドレスを、積極的に公開していたのです。
 情報発信の立場から、情報公開と情報収集のために、アドレスを明記してネットの運営をしてきました。

 そのためもあって、これまでにさらしていたアドレスに、スパム攻撃を受けています。
 かといって、今さらメールアドレスを変更するわけにもいかず、そのまま使っています。

 もっとも、5つのメールアドレスを使い分けているので、最終的には1カ所に集積したメールを読みますが、適宜アドレス別にチェックをすることで、ストレスが溜まらないように工夫はしています。

 歳末までは、毎月800通の迷惑メールだったので、今年だけでも30万通弱ものスパムメールを駆除・削除したことになります。
 それも、その大半を一応は目を通したことになるので、これだけでも大変な労力を取られていることになります。
 深くは考えずに、よくわからないメールはドンドン削除することで、ストレスが溜まらないようにしているつもりです。

 そんな環境に身を置いていますので、もし私宛に送ったメールに返信がなかったり、何もしていないようでしたら、削除した中にいただいたメールがあった、ということでお許しください。

 3日経っても何の反応もないときには、私が読まないままに削除したメールに紛れ込んでいた、と思ってください。そして、再送信してくださることをお願いします。

 ネットという情報化社会も、テロのような状況にあります。
 便利なだけに、いろいろと不愉快なことがあります。
 そのような環境のなかで、「なんでもあり」の感覚で、今後とも対処していきたいと思います。
 失礼の段、ご寛恕のほどを、切にお願いいたします。
posted by genjiito at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2009年12月02日

再録(8)海外のゲーム事情〈1997.9.8〉

 
この記事は、今から12年前の話です。
 (出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「2年目(1996.10.1〜1997.9.30)」→「海外のお子さま向けコンピュータゲーム事情〈1997.9.8〉」)


 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
 

 小学校六年生の息子と海外旅行をして、昨日帰ってきました。
 今回はすべて自分でプランを練り、手配をし、息子と二人だけで歩いてきたせいもあり、いつもより充実感がありました。そして、今こうしてキーを打っているのですから、疲れも少なかったように思います。

 この旅行では、今まで私には見えなかった新しい流れを見つけることができました。子供たちの世界共通の話題として、最近ではコンピュータゲームとミニレースカーがあるようです。そのことに関する見聞録を、以下に取り急ぎ認めておこうと思います。

 これまでに、何度か海外旅行を経験しました。いずれも、女性の装身具を中心にした買い物が興味の中心になることが多かったように思います。それが今回、息子と一緒に二週間ほど海外を気儘に散策をしていて、子供には子供の、世界共通の話題としてのアイテムがあることを知りました。

 新しい町に入ると、息子はまず玩具屋さんか電気店を覗くのです。そして、ウインドウ越しに見え隠れするコンピュータのゲームソフトを物色し、ミニ四駆を探すのです。どの町にも、きまってこうしたお店があるのです。これまでは、私はそのような店に興味がなかったこともあって、こんなにたくさん子供の目を引くものが並べてあることに気づきませんでした。

 コンピュータゲームについて私は、その草創期からまったく関心がありませんでした。遊びで、マシン語といわれる数字の羅列を入力してみたことはありましたが、それだけです。ずっと昔に、インベーダーゲームを改造したことはありますが、自分が遊ぶことはありませんでした。

 そんな状態なので、海外に行ったときのコンピュータに関する興味といえば、どんなコンピュータがいくらで売られているかとか、いろいろな雑誌やソフトや周辺機器などを眺めるくらいでした。

 今回は、香港返還のこともあり、関西新空港から香港経由でイギリスを目指しました。まず乗換地である香港の空港内の売店では、三つの店でコンピュータのゲームソフトが売られていました。ほとんどが日本で入手できるものだとのことでしたが、それでも、いくつかは息子の知らないソフトがあったようです。

 我が家では、マッキントッシュのゲームと任天堂のゲームボーイは許可していますが、プレイステーションやセガなどのゲームとタマゴッチに類するものは禁止しています。それでも、友達がたくさん持っているせいか、また、子供向け雑誌が毎月特集を組んでいることもあり、これに関する情報は相当持っているようです。インターネットとCS衛生テレビからも、最新情報を仕入れている模様です。

 ロンドンのピカデリーサーカスには、セガのプレイゾーンがありました。入場料が1500円ほどなので入らなかったのですが、ものすごい混雑でした。
 ロンドンのヒースロー空港の売店では、日本にないゲームボーイのカーレースのソフトを見つけました。イギリスのソフト会社が開発したものでした。弟と通信ケーブルを使って対戦するということで、同じものを二つ買わされました。

 宿泊したロンドンのホテルのバーの一角には、ゲーム台がありました。これまでにその機械で記録された得点よりはるかに高いポイントを、それも短時間に二回も出したとのこと。何年後かにまた来たときに、誰かが自分の得点を越しているのかどうかが楽しみだ、と言っていました。私は、そのゲームが来年そこにあるかどうかすら疑問に思いましたが、次にロンドンに来るのが楽しみになったなぁ、と一緒に祝福してやりました。

 ロンドンのソーホーにあるボードゲーム専門店で、バックギャモンを買いました。これは、日本の双六と同じルールのゲームで、私が学生時代に熱中したものです。この平安朝以来の双六を、今回の旅行中に飛行機の中で息子と一緒に楽しみました。初めて目にする洋風双六を、息子も気に入ったようです。

 ちょうどイギリスを離れる日の朝、駅前のスタンドでダイアナさんの事故のことをデカデカと取り上げた新聞があり、何事かとその一つを買って読みました。『SUNDAY MIRROR August 31,1997』の一面は「DODI DEAD, DIANA HURT IN SMASH」となっています。第一報は「衝突で怪我」でした。「DIANA AND DODI . A STORY OF LOVE」と題する40頁ものグラビアの付録が付いていたために、これにしたのです。「DIANA DEAD」とする新聞もあったように思いますが、そのときはまさかと思っていたので、オーバーな表現の新聞には手を出しませんでした。今から考えると、あれも買っておけばよかった、と思っています。

 さて、我々の旅行はロンドンからスイスのチューリッヒへ飛びました。ここでは、日本製のゲームソフトばかりが並んでいたそうです。数は少なかったようです。川沿いの一角に、ゲームセンターがありましたが、未成年者はダメだと言われました。ここだけなのか、この国の方針なのかは、よくわかりません。

 イタリアのベニスでは、伝説の幻のミニ四駆・ポセイドンXとやらを見つけた息子が、やたら興奮していました。香港製で、すでに日本にはないものとのこと。水の都ベニスで見つけたポセイドンだからとか何とか言って熱心に話をするので、ついついこれを買わされてしまいました。

 フィレンツェでも、街角のタバッキーのウインドウに、一つ二つのソフトや四駆がかざってありました。ピッティ美術館のそばにも、おもちゃ専門店がありました。日本にないゲームソフトがあるそうですが、これは諦めさせました。おかげで、ピッティのラファエロの絵を見る時間がなくなりました。

 ピサの斜塔の前に並ぶ出店のお土産物屋さんの中の一つに、ミニ四駆を並べている店がありました。駅前には大きなおもちゃ屋があり、たくさんのソフトやゲームがありました。駅の構内のマーケットの一角には、ゲーム機が四、五台ありました。みんな日本にあるものと同じで、少し古いものだったようです。夜7時過ぎでもやっていました。日の落ちるのが9時ころなので、町は遅くまで開いています。街角のゲームセンターでは、若い子たちが遊んでいました。

 こうした事情は、ローマでも同じでした。

 ナポリでは、市内を散策する余裕がなかったのでよくわかりませんが、駅の地下街の電気店のショーウインドウに、ゲームソフトがいくつか並んでいました。

 ポンペイへも足を延ばしたのですが、ビラ・ディ・ミステリ駅側のオールドポンペイから入場したので、屋台の出店だけで、これといったお店はありませんでした。反対の入り口に当たるニューポンペイ側には、おそらくたくさんあったのではないでしょうか。

 いやはや、こうした文化とでもいうべきものが、視点を変えると見えてくるのには驚きました。今回の旅行を通して、息子に外国というところがどう見えたのかが楽しみですが、私もいい勉強をすることができました。

 それはそうと、ロンドンの書店で、ソニーのプレイステーションを組み込んだマッキントッシュ互換機に関する記事を載せた雑誌を見かけました。希望的観測にもとづく文章だったように思いますが、英文記事に添えてあった写真を見ていた息子は、早くこれが発売されないかとワクワクしていました。
 真偽のほどはどうなのでしょうか。
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2009年11月18日

再録(7)続・雷の悪戯〈1997.8.17〉

 この記事は、今から12年前の話です。
 2009年10月28日にとりあげた、「再録(6)文明の利器と雷の悪戯〈1997.8.8〉」の続編です。
 
 
 
********************** 以下、再録掲載 **********************
 
 
またもや落雷で電話が壊れる〈続編〉(1997.8.17)

 8月14日(木)19時頃のことです。30分前からの大雨と雷で、またもやISDNのターミナルアダプタ(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC)が壊れました。一週間前の7日(木)に、完動品と交換してもらったばかりなのにです。今回も、雷が鳴り出してからパソコンは切りましたが、ターミナルアダプタの電源は切りませんでした。どうなるのかを見たかったからでもあります。

 ものすごい雷鳴がするやいなや、モニタとターミナルアダプタの中間あたりから「バチッ」という鋭い音と共に、部屋に閃光が飛びました。すぐ目の前で鮮やかな火花が散ったのです。まさかとは思いながら内心は待っていただけに、あまりに予期した通りの出来事に我が目を疑いました。ターミナルアダプタの5個のランプは、すべて点灯したままです。電話は使えなくなっていました。よくぞ、火事にならなかったものです。恐ろしい光景でした。

 発火地点がモニタの近くだったので、最初はモニタが壊れたと思いました。以前、MAGという会社のモニタが、バチバチと火花を散らして壊れたことがあったからです。すぐにパソコンのスイッチを入れたところ、モニタは2台共に大丈夫だったので、ホッとしました。

 またもや、わが家だけに落雷したようなので、お隣の電話を借りてNTTやNECへ連絡を取ろうとしました。当然のことながら、営業終了のメッセージだけが無機的に流れるのを、耳を澄まして無為に聞くだけでした。明朝まで、電話もインターネットも使えないのです。

 翌日、NECに連絡をし、また壊れた機器を持参することになりました。さらにNTTにも電話で事情を説明したところ、過電流の経路は、電話線とも電灯線とも決めかねるとのことでした。NTTから電話回線のテスト確認をしてもらったところ、わが家の電話は断線になっているそうです。NECでターミナルアダプタをまた新しいものに交換してもらってから、改めてNTTに連絡することにしました。

 NECでは、80分ほど待たされてから、チェック済みの完動品を受け取りました。今回も無料でした。私は助かりますが、本当にこれでいいのでしょうか。待ち時間に、NTTへ今後の相談をしました。落雷があってもよいように、近所と同じ一般のアナログ回線を追加加入したいと申し出ました。それに対してNTTの説明では、ISDNだから雷に弱いということはなく、一般のアナログ回線の電話でも同じだとのこと。この前の7日の時も、デジタルもアナログも共に落雷でたくさん使えなくなったそうです。話の中で、アースをしっかりと取ることを奨められました。面倒なので、アースはしていませんでした。また、携帯電話は落雷に関係なく使えるとのことでした。しかし、携帯電話は、電磁波による身体への悪影響があると思われるので、これまでも私は使うことを極度に避けてきました。これからも、携帯電話が身体に安全であるということが判明するまでは、使わないつもりです。

 帰宅したところ、NTTの人が丁度来てくださったところでした。一緒に部屋へ入ってもらい、ターミナルアダプタの再設置に付き合ってもらいました。電話はすぐに使えました。NTTへ連絡をしてもらい、回線チェックもOKとなりました。先月、わが家のリフォームにともない、電話線を引き直してもらっていました。そこで、工事をしてもらった電話線も確認してもらいました。引き込み線の所の安全装置も異常なしでした。原因は、電気のコンセントから落雷による高圧電流が流れたようです。それにしても、なぜ電話機器だけが壊れ、それも、よりによってわが家だけがこの一週間に二回も落雷を受けたのでしょうか。近所はどこも被害がないのです。電灯線や電話線の配線具合を見てもらったのですが、特に他の家と違うところはないとのことでした。ますます腑に落ちません。NTTの人のいわく、

「雷さんに聞くしかないですな。」

 電話は使えるようになったのですが、インターネットが使えません。パソコンからの設定をいろいろと試みている内に、ようやく先程、4日ぶりにパソコン通信ができるようになりました。もっとも、モデムポートが壊れているようで、使えなくなっています。プリンタポートを使って通信をすることになりました。通信ができるようになったのだから、どちらでもいいとはいえ、何かすっきりしません。不可解なことがやけに多い、困った日々です (@_@)

 木曜日になるとゴロ・ピカロドンが私の部屋に遊びに来るようです。一応、念のために「雷ガード」という電気のコンセントに取り付けるパーツを大量に仕入れてきました。魔除けのつもりで、至る所の電気のさし込み口に付けました。この次の木曜日(21日)にもやって来るのでしょうか。かわいげのない「招かれざる客」の来訪を、楽しみにして待つことにしましょう。もし、また来たら、今度は「サンリオ」に相談を持ちかけることにします。
 
 
 
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2009年10月28日

再録(6)文明の利器と雷の悪戯〈1997.8.8〉

 今から12年前の話です。
 こんな感じでパソコン通信をしていました。
 欠陥商品によく当たる私ですが、雷にも当たられました。
 
 
 
突然の雷でわが家の電話とパソコンが壊れる〈1997.8.8〉
 
 
 昨日の朝のことでした。電子メールを送ろうと思い、いつもの通り、プロバイダーにダイヤル接続を試みました。しかし、何度やってもパソコンがフリーズするのです。昨夜というか午前3時まではパソコン通信ができたので、その後の5時間ほどの間に何らかのトラブルが発生したようです。

 我が家の電話は、ISDNを利用したものです(本ハイテク問はず語り1996.7.19を参照)。パソコン通信にはデジタル1回線を当て、アナログ2回線を普通の電話として使っています。ケーブルが緩んでいないかとか、切り換えスイッチを間違えてはいないかを色々と確認しても、昨夜との変更や異状は見あたりません。

 Macintoshのモデムやプリンタのケーブルは、丸いコネクタに差し込むだけです。何かの拍子に線が引っ張られると簡単に抜けてしまいます。このひ弱なコネクタに、幾度も泣かされました。この点だけに関しては、Macintoshがマイクロソフトに身売りをする前から、Windowsマシンの方が作りは無骨でもしっかりしていて安全でした。今回は、ケーブルが外れていることはありませんでした。

 切り換えスイッチは、Macintosh4台、DOSマシン2台、ポケットPC1台、モニタ2台、プリンタ2台、モデム2台、光通信デジタルカメラ1台を、すべて相互にデータ転送可能にするためのものです。現在、各4方向の切り換えボックス2台、各3方向の切り換えボックス7台、各2方向の切り換えボックス2台の計11台をカチャカチャ回しています。
 
 
 
091028switch1スイッチ・表面
 
 
091028switch2スイッチ・裏面
 
 
 
 子供の部屋へのイーサーネットケーブルも3本ほどが、部屋の外へと延びています。最近は物忘れと注意力が情けない程にひどくなり、切り換えスイッチをよく間違えています。しかし、今日は大丈夫でした。正しく切り替えを合わせていても、通信ができないのです。

 電話は使えるのだろうかと思い、4本の受話器をそれぞれ取り上げると、すべて使用不能になっていました。原因は、外と内との通信の仲立ちをするDSU内蔵のターミナルアダプタ(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC)の不調としか考えられません。そして思い至ったのは、明け方のものすごい雷雨です。8月1日に、大阪・富田林にある「PLの大花火大会」で数十万発の豪華な花火を見たばかりです。まさに、それと紛うばかりの壮絶な雷鳴でした。

近所の2軒に電話が使えるかどうかを確認しに行くと、2軒とも

「異常はないですけど。」

とのことでした。

 早速、車で麓のスーパーへ行き、公衆電話から奈良のNECに電話をしました。NTTではないのが、長いパソコンの経歴を思わせませんか。30分以上も話し中を我慢して、ようやく繋がった先方の返事は、

「昨夜はものすごい雷だったので、落雷かなにかの影響でターミナルアダプタが壊れたのでしょう。」

とのこと。出張修理ではいつになるかわからないので、NECの奈良サービスステーションへ持ち込むことにしました。一月半前に、ターミナルアダプタのROMを交換しに来てもらったばかりなので、またまた修理に要する手間と時間が惜しかったのですが、天災がらみではどうしようもありません。とにかく、電話が使えないと不自由なのです。

 係の方の説明によると、落雷によって電源か電話回路が損傷したようです。対策としては、

「雷が鳴ったら、ターミナルボックスの電源を抜いて、さらに電話線をはずすのがいい」

そうです。しかし、実際にはそんなことはできません。何と、カウンターの横には、雷からパソコンを守るという、優れものの電源コンセント用アタッチメントのチラシが、タイミング良く貼ってありました。もっとも、今回のような出来事には、効果のほどは分からないが、とのことでした。今日はこれまでに、数十件の同じ故障の対応をしたそうです。私の後には、NECのシステムイン奈良の方も、私と同じ機械を持ち込まれ、新しい物を受け取っておられました。

 今回は原因が明らかなので部品交換ということなりました。しかし、本当は判断が難しいそうです。それはそうでしょう。天候の激変は、NECのせいではないのですから。それでもすぐに、新しい交換用の本体をいただきました。無料でした。20年ほど前からNECのパソコン機器と付き合い、ここ近年はMacintoshを使っていますが、昔のつっけんどんなNECではなくなったんですね。それにしても、本当に無料でいいのでしょうか。複雑な気持ちです。

 なお、持ち帰ったターミナルアダプタで電話はすぐに使えるようになりました。これで一安心です。しかし、パソコン通信ができるようになるまでには、実に丸一日を要しました。ファイルの入れ替えや、いろいろな設定に手間取るのです。そして、6月下旬から使いだしたPowerBook5300CSも、常時電源を入れっぱなしにしていたせいか、今回のとばっちりを受けたようです。通信用のマシンは、またPPC-8100/80AVに戻すことにします。PowerBook5300CSのCPUには異常はないようなので、電卓代わりには使えそうです。

 私は、パソコンに向かう時間のうちの、八割以上はパソコンの保守管理にエネルギーを割いているように思えます。パソコンを活用した文学研究を継続するに当たっては、時間と出費の膨大なムダがその背景にあることを、今回も痛感しました。それでも、またまたこうしてキーを打っているのですから、本当に懲りないようです。それはそれで、自分を再評価して慰めるしかないように思っています。
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2009年10月27日

再録(5)固定電話の不思議〈1996.7.24〉

 携帯電話が普及する前の話です。
 ほとんどの家が固定電話を契約していました。
 今では、「ISDN」とか「テレホーダイ」という言葉は死語になりました。しかし、パソコンを使った通信の初期には、みんながお世話になったものです。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「1年目/1995.9.30?1996.9.30」)
 
 
 
「INSテレホーダイ」の不気味さ〈1996.7.24〉

 ISDN移行へのドタバタ騒ぎもおさまりました。家族で電話を並行利用しながら、快適なコミュニケーションライフを送っています。

 さて、「テレホーダイ」と呼ばれる、NTTの電話番号選択定額サービスを利用する方が多いと思います。夜11時から翌朝8時までは、届け出た電話番号への通話が定額というものです。
 私も、「テレホーダイ1800」(月額1800円)を今春より利用していました。今回のISDN回線への変更に伴い、新たに「INSテレホーダイ・ホーム2400」(月額2400円)を申し込みました。

 普通、市内通話と言っている3分間10円の区域というのは、地図などで見る行政上の区域とは、腰が抜けるほど違っています。
 私の家から自転車で10分もかからない隣の町が市外であるのに、電車や自動車で1時間以上かかる遠い所が市内料金地域であったりします。電話帖などで確認してみてください。世の中、知らないことだらけだった、ということを痛感します。

 インターネットなどでは、繋がったかと思うと相手はイギリスだった、ということが日常の生活になったのですから、通信網の成り立ちは不可解です。奈良県生駒郡にあるわが家のISDN担当の受付窓口は大和高田市のNTTであり、「INSテレホーダイ」に登録したインターネットプロバイダー「まほろば」の最寄り同一市外局番の電話番号は、飛鳥に近い橿原市です。それぞれがどこに位置するのか、あらためて地図で確認したほどです。

 「INSテレホーダイ」を申し込んだのは、7月10日でした。17日に登録の手続きを終え、私の地域が20日に締め切るので、21日から新しいサービスが利用できる、とのことでした。ところが、21日になっても、何の通知もありません。今春申し込んだ時の「テレホーダイ」の書類の備考欄には「3/21以降の通話から割引」と書かれています。今回は郵送で申し込んだので、そうしたものが手元にないのですが、利用開始日に関する通知が何かあるだろうと、しばらく待っていました。
 不用意にインターネットを使い、後でそれが「INSテレホーダイ」の対象外の利用だったということで、目が飛び出るほどの請求書が届くのが恐ろしかったのです。
 だいいち、「テレホーダイ」が使える時だと思って接続していても、それが本当に契約通りの利用であるかどうかは、利用者にはまったくわからないのです。後でNTTからの明細書を見て初めて、やっぱり間違いではなかった、と安心することになります。こんなあいまいな利用方法は、いずれ利用者の反発を招くことは必定です。問題が表面化すれば、NTTは別途方策を練るのでしょう。当面は、まがりなりにも殿様として安泰なのですから。

 そして24日に、痺れを切らしてNTTに電話をしました。利用開始日および登録した電話番号の確認のためです。しばらくしてから、利用開始の連絡が行っていないのなら再発行します、とのこと。21日から「INSテレホーダイ」は利用できたそうです。

 どうなっていたのか分かりませんが、一つ間違えば高額な電話利用料金を請求されるのですから、こうした連絡はきっちりとしてほしいものです。日常、よく利用する便利な電話ですが、NTTに関してはまったく不気味な存在に思えてなりません。電話は、目に見えない形で利用するコミュニケーションとしての道具なので、利用者に不安感を与えない情報のプロとしての対応を、もっと心がけてもらいたいものです。
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2009年10月26日

再録(4)インターネット導入の頃〈1996.7.19〉

 今から十数年前、自宅でインターネットを使い出したころの話です。
 ISDNという通信技術に関して、いろいろと苦しめられました。
 こんなことがあった、というドタバタ劇の一幕です。
 NTTという会社が、いかにいい加減な体質の会社か、ということが如実にわかる話です。
 こんな会社は信用できないので、我が家の通信環境はKDDI一本に絞っています。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「1年目/1995.9.30?1996.9.30」)
 
 
 
ISDN移行へのドタバタ騒ぎ〈1996.7.19〉
 
 7月15日より、わが家の電話がISDN(INSネット64)のデジタル回線となりました。
 変更の第一は、インターネットで情報のやり取りをするスピードを、より早くすることです。
 第二は、わが家の三人の子どもたちも成長し、最近とみに自分たちの情報交換用に電話を活用しだしました。これでは、私の情報収集と発信に影響大となります。危急存亡の秋到来です。
 そこで、電話回線数を増やすのなら、この際、1回線でアナログ2回線分が利用できるISDNにすることにしました。

 1995.1.17
 NTTにISDN利用の問い合わせをしたところ、テレホンアドバイザーの方二名が拙宅に説明に来てくださいました。私の居住区を含めて、今後の調査研究のためもあってのこととか。結局、時期尚早で負担経費が予想外に多かったために断念。

 1996.3.10
 95年末よりISDN導入の費用が従来の半額以下になったのを機に決断。「INSネット64仮申込書兼設備検討依頼書」をNTTに提出。利用開始は7月中旬以降。NTTの都合で4ヶ月待たされることになる。

 1996.7.1
 「INSネット64お申込票」「INSネット64配線フロア図」をNTTに提出。

 1996.7.8
 新電話番号が決まる。

 1996.7.9
 大阪日本橋でDSU内蔵ターミナルアダプタ購入(AtermIT45DSU/PC-IT45D1、NEC、実売価格5.5万円)。NTTとの話の中で、お客さまの方で用意してもらえば、とのことだったので、大急ぎで入手したものです。NTTとしては、局内工事だけで終えたいようでした。

 1996.7.12
 電話番号変更通知の葉書を、知人・親戚・友人に送付。

 1996.7.15
 ※午前9〜10時の局内工事のはずが何の連絡もない上に、9時頃から電話使用不能となりました。アナログもデジタルも使えないので、10時半頃、車で5分ほど走り外の公衆電話からNTTに問い合わせました。あいにくと親しいお隣さんが留守だったからでもあります。暑い中、25分位、公衆電話の受話器を持たされた挙げ句の返答は、作業は午後1?2時になっていた、とのことでした。局内での連絡の不徹底をわびてくださいました。それでは、9時から2時まで電話が使えない状態が続きます。何とか従来の電話だけでも使えるようにしてくれとお願いしましたが、結局は工事完了まで我慢してくれとのことでした。朝から昼までの5時間も電話が止まるのです。何か緊急の連絡でもあってはと、不安になりましたが、どうしようもありません。

 ※携帯電話を持っていないかとか、携帯電話をお貸しするので持参するとの申し出もありましたが、脳波に異常を来す可能性のある危険なものを自分の頭にくっつけて使用するのはご免なので、鄭重にお断りし、残念ながら外部との連絡は諦めました。大阪府と奈良県の境に聳える生駒山麓の小高い丘陵の一番高いところにあるわが家は、高度情報化社会への移行に備えて、しばし孤立することになりました。

 ※1時半頃から、電話局内の工事の方と、どうにか通じた電話で連絡を取りながら、いろいろな点検をしました。4?5回は、スイッチやプラグやコンセントを抜き差しし、さらには新旧の電話番号を変えながら、接続テストに協力しました。しかし、従来のアナログ回線は使えるのですが、新しいISDN回線は使えないのです。当方の機器のスイッチやランプを指示のままに確認したのですが、うまくいきません。
 ※結局、技術者が立ち会わないとだめということで、夕方、大和高田市という遠路はるばる、お二人の方が拙宅まで足を運んで来られました。持参のデジタル電話や携帯電話を駆使して、ようやくISDNが使えるようにしてもらいました。

 ※専門的に言えばいろいろとあるのでしょうが、その内の一つに、ソフト的な設定がありました。それは、アナログポートの設定で、「識別着信」を「しない」にすることです。これがもっと早くにわかっていれば、対応が変わっていたと思います。これは、接続したパソコンから設定できるものです。あらかじめ私は、NECのインターネットのホームページから、今回購入した「AtermIT45DSU」用の「IT45らくらくユーティリティー」というものをダウンロードして用意していました。「AtermIT45DSU」用のMac用のオプションキット(別売)は、今月下旬か八月上旬に発売予定です。あくまでも予定なので、あてにしないで待つしかないようです。Windows用のものは購入した製品に添付されているのですが、Mac用は入手が面倒です。インターネットなどのパソコン通信が不慣れでMacをご利用の方は、くれぐれもご注意ください。また、NTTのホームページからも、ISDN関係の資料はほとんど入手していました。しかし、所詮は素人ですから、知識と資料は急場の間に合わせとして持ち合わせていても、実際に設定する段になると、専門的なノウハウが欠かせません。NTTの方のアドバイスを受けながら、どうにか接続に至りました。電話開通に、丸一日を費やしてしまいました。本当に疲れました。特に、Macユーザーはハンディキャップが多いようです。

 1996.7.16
 次は、今回の主目的であるパソコン通信にISDNを使うことです。これがまた、苦行でした。とにかく、アナログポートもデジタルポートも、これまでのようにアクセスポイントへ電話をしているのかいないのか、わからないのです。繋がらないか、BUSYの連続なのです。

 1996.7.18
 原因がわからなくて、NECの技術コンサルティングに電話をして、長時間にわたって説明を受け、いろいろなテストをしてもらいました。結局、機器も回線も異常なしとのこと。NECには、15年前からいろいろな問い合わせをしてきました。不快な思いをしたことしか記憶にありません。ここ数年は、Macに転向したためにNECの機器を使うことがなく、連絡をとることがありませんでした。しかし、今回ほど親切で明快で好印象をもったNECの方の対応は、とにかく初めてです。田中さん、ありがとうございました。
 それでも、通信ができません。最後に、私が利用しているインタネットプロバイダー「まほろば」に連絡しました。責任者じきじきの懇切丁寧なアドバイスを受け、ようやくISDNを通してのインターネットが利用できるようになりました。「まほろば」の天野さん、ますますのご活躍を期待いたします。いやはや、みなさんに助けられてのパソコン通信です。今回の経緯を振り返ってみると、結果的には私の不注意もいくつかありました。しかし、そうした点を指摘してもらい、適切なアドバイスをしてくださる方に恵まれたことを、感謝しています。これからのネットワーク社会においては、このようなヒューマンインターフェースの部分が、非常に大切なポイントではなかろうか、ということを痛感した次第です。

 ・問題点その1
 電話番号が変更になったため、変更手続きと通知が大変でした。局番も変わったのには驚きました。小学校の連絡網の電話番号は、下4桁の数字だけです。その前の局番が変わると、そこだけフォームが崩れます。ローカルな問題だけではないように思えます。

 ・問題点その2
 まだまだNTTが迅速に手続きと作業をしてくれないようです。

 ・問題点その3
 DSUとかTAといわれる回線接続装置をどのようにして調達するか。

 ・問題点その4
 家族に変更した理由を簡単に説明できるパンフレットがありません。

 ・問題点その5
 不馴れ・知らないことに巻き込まれるので、アドバイスを受けられる人がどうしても必要となります。
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2009年10月25日

再録(3)インターネット以前の奮闘劇〈1997.2.13〉

 今や、どこの国に行っても、無線でインターネットにつながる時代です。
 欧米はあたりまえですが、トルコでも、エジプトでも、ホテルで無線通信ができました。
 しかし、こんな時代になる十数年前には、今から思えば、いろいろと楽しい苦労がありました。
 以下、何かにつけて、チャレンジを繰り返していた頃の話です。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「2年目/1996.10.1〜1997.9.30」)


ヨーロッパから日本に通信する方法〈1997.2.13〉

 イタリアからはどうするのでしょう?

 数日後に、友人の娘さん(大学1回生)が海外旅行に出発します。イタリアに2週間いくそうです。
 先日、自由行動でどんなところへ行ったらいいの、と電話で聞いてきました。小さい頃から知っている子なので、〈ローマの休日〉コースや、フィレンツェのペーパーショップ、ミラノのノミの市などの話をしました。

 昨年末に会ったとき、私が小学5年生の息子を連れて来年のクリスマスにイタリアへ行くと言ったら、一緒に行きたいと言っていたはずなのに。おそらく、友人夫婦が昨年末にスペインへ1週間ほど行ったので、親の話を聞いて待ちきれずにイタリアへ行くことにしたのでしょう。自分のやりたい夢を持っていて、専門的な勉強をしたいようなので、きっと実り多い旅をしてくることでしょう。

 さて、海外への旅行が容易になった今、外国からパソコン通信をしたい人も多いことでしょう。参考までに、これまでに私が行なった方法を記しておきます。
 ただし、これは今から2年前の1995年春の話です。インターネットはまだまだの頃でした。
 3年前の1994年の春には、OECDパリ本部でUNIXマシンを操作して、インターネットによるE-メイルを京都大学の知人宛に送ったことがあります。これは、国文学に身を置く立場の者があくまでも個人的にチャレンジしたこととしては、ごく初期の出来事に属するものだと思われます。

 いずれにしろ、2・3年前のヨーロッパで、それも一旅行者が格安ツアーで行ったホテルの電話を使ってのパソコン通信なのです。企業の方が出張でメイルを送られるのとは、条件が違うことをご了承ください。

 今年のクリスマスに、予定通り息子を連れてイタリアへいきます。これまで、イタリアからの通信はすべて失敗に終わっています。最近は、通信環境も変わっていることでしょう。最近イタリアからパソコン通信をなさった方がいらっしゃいましたら、その様子をお教えください。こんな方法では、ということでも結構です。アドバイスをお待ちしています。

 それでは、私の場合の実例をあげましょう。これは、〈第6回 西日本国語国文学データベース研究会(DB-West)〉1995.6.4 於・大阪樟蔭女子大学)で報告したことをもとにして、今回あらたにまとめ直したものです。

 私が海外旅行に行くようになって3回目の1994年冬のことでした。
 旅行に持って行ったパソコンは、購入したばかりの〈オアシスポケット3〉です。これは、大きさが普通の郵便封筒くらいの、本当に軽いワープロです。その年の春には、Macintoshの〈パワーブック 145B〉を持って行き、移動の時に苦労したからです。

 10日間、ロンドンとパリへ、私の娘とその友達(共に小学6年生)を連れての旅行でした。その道中で、海外から日本の友人にメイルを送ることにしました。
 出発の5日前のことです。その方法を教えてもらうために、ニフティサーブのフォーラムに問い合わせをしました。急に思いついたのです。いつもこんな調子で、周辺の方々にご迷惑をかけっぱなしです(思い当たる節のある方々、ごめんなさい)。
 ニフティサーブのフォーラムで聞きたかったのは、ロンドンとパリのホテルから日本のニフティに加入している友人にメイルを送る場合についての、次の2点でした。


  1-まず、どこへ電話をするのか。
  2-〈オアシスポケット3〉はどのように操作するのか。


 他に持って行く物は、〈オアシスポケット3〉のAC電源とモデム(aiwa PV-AF144V5)、そして変圧器はワールドコンバーターβの精密機器専用です(これがまた重いのです)。

 素人考えでは、インターネットを利用するのかと思いました。しかし、当時はまだ私のアカウントはありませんでした。リムネットというプロバイダーと契約したのは、翌1995年の2月です。海外のホテルの電話回線が、通信端末として利用できるのかどうかも、わからない点でした。

 早速、何人かの方からアドバイスをいただき、 NODE とか FCIS の情報をダウンロードしました。プリンターでの打ち出しがA4版で200枚を越えましたが、知りたいことがたくさんあったので、必至に読みました。久々に、新しいものを手にする感動の予感がしたことを覚えています。

 アドバイスをお聞きしたところでの私の方針は、


  1-現地ロンドン・パリにおいて電話を扱っている店で
   電話コンセントのアダプターを入手する。
  2-次善の策として、カプラー使用を考える。
   もっとも、カプラーはこれから購入することになる。
  3-コンピュサーブからニフティに入って日本へメールを送る。


ということになりました。

 あまりスマートな対処方法ではないようにも思えますが、出発までに3日しかなかったので、とにかくフル回転で、パソコン通信を活用して情報を仕入れました。

 その結果、音響カプラが必要である、という結論に達しました。

 出発2日前に、大阪日本橋の電気店で、音響カプラを購入。BPS社のXAC-1(\14800/300-14400bps)というものです。当時、音響カプラを探すのは大変でした。大型電気店にしかありません。私は、十数年前に8ビットマシンで音響カプラを使用したことがあります。しかし、それ以来のことなので、出発前日の夜に友人にメイルを送るなどして、使用方法のテストをしました。

 〈オアシスポケット3〉から送出する漢字コードは、「MS漢字」だけが通信に可能であり、「新旧JIS」はすべて文字化けしていました。これが分かったのが出発直前であり、間一髪の旅立ちとなりました。

 さて、ロンドンからは、コンピュサーブ経由でメイルを送りました。私はコンピュサーブの会員ではなく、単なるニフティだけの会員でした。それでも構わないのです。

 泊まったホテルがロンドン市内だったので、アクセスポイントへダイレクトに電話をしました。もっとも、私が入った部屋の電話は外線とうまく繋がらないのです。現地でおちあった甥の部屋の電話は正常だったので、通信は甥の部屋から行ないました。

 以下に、その際の手順を参考までに記しておきます。

音響カプラ(XAC-1)とモデム(aiwaPV-AF144V5)を使い〈オアシスポケット3〉で海外からNIFTYへ通信する手順(ロンドンからコンピュサーブ経由で日本にメイルを送る・コンピュサーブのIDは不要)


1 「オアシスメニュー」から「AutoCom」又は「PF9(通信)」
2 「通信メニュー」から「通信」を選択
3 最下段の「ターミナルモード」を選択
4 アクセスポイントにダイヤルする。
   コンピュサーブ ロンドン=071-490-8881/パリ=47-89-39-40
5 ガーピー音を確認後(ダイヤル前に入力しておく) >> 「ATD」
6 「CONNECT 9600」の表示を確認後 >>>>>>>> リターンキー
7 「HOST NAME?」    >>>>>>>>>> 「NIFTY」
8 「Enter Connection?ID??>」 >>「SVC」
9 「Enter User?ID???>」 >>>>>> 「********」
10 「Enter Password??>」 >>>>>> 「********」
11 NIFTY のメニューから「2.電子メール」>>>> 「2」


 これ以降は、通常のニフティの操作で通信ができます。

 「8ビット、パリティーなし」での接続例のために、「7」で「NIFTY」と入力する前後は画面表示の文字が化けます。しかし、画面表示は気にせずにキーを打つと、「8」からは正常な表示となりす。
 9600bpsで繋がったので、快適に通信ができました。

 なお予想通り、ロンドンの電話コンセントのアダプターを入手するのは時間的にも困難でした。売っている店の所在は分かっていたのですが、一旅行者としては、とてもそのために時間は割けません。ハイドパークで、リスと半日も遊びましたが。

 とにかくロンドンからの通信は、コンピューサーブ経由で可能です。この確認は貴重な体験でした。

 ちなみに、ホテルの明細による電話料金は2.2ポンド(400円弱)。コンピューサーブのロンドンノッドにコネクトするまでに、市内通話が出来るかどうかの実験で、ピザ屋にかかったりして大慌てをしたので、正味300円程で日本に二回の通信が出来たことになります。これは経済的で便利なコミュニケーション手段だと思います。

 次は、パリからです。しかし、残念ながら通信はできませんでした。部屋からパリ市内に電話が出来なかったのです。外線も無理でした。
 翌朝、ホテルのロビーで出会った日本人ガイドの方に尋ねたところ、「このホテルは清算が面倒なので、部屋からは電話が出来ないようになっている。」とのこと。設備と人件費の問題で、省力化されているのだろうと、あきらめました。ところがパリ出発の時に、今回空港とホテルの送迎をしてくれたJTBの人に聞くと、「それは部屋の電話が故障していたのでしょう」とのこと。「一言いってくれれば、交渉して修理してもらったのに。」と言われて、ガクッ。

 自分でフロントに掛け合うだけの語学力がないもので、ついパスしてしまったことが悔やまれます。
 そんなわけで、パリからは通信できませんでした。
 重たい機器を持っていったので悔しい気もしますが、ロンドンからの通信に成功しているので、一応は満足でした。
 パリからのパソコン通信は、1995年春に成功しました。初日はまったくダメだったので、二日目にホテルの技術者に部屋へ来てもらいました。ところが、電話の不具合を説明しているときに、突然コネクトOKとなりました。技術者氏は、結局私のわけのわからない話を聞いただけで、暇な奴だという顔をして帰っていきました。忙しそうに部屋を出ていく彼に、思わずペコリ。原因は不明ですが、とにかく使えればいいのです。

 それにしても、海外のホテルの電話は、故障が多いようです。ロンドンでも甥の部屋の電話が使えたからよかったものの、そうでなかったら、早々に諦めていたところです。

 〈オアシスポケット3〉のような小さなワープロで通信ができるのですから、日本語が半角片仮名しか使えなかったころからのパソコン利用者としては、その進歩の凄さを実感しました。マッキントッシュの「PB 145B」という重たいノートパソコンを担いでヨーロッパを旅した時は、通信のための道具まではとても持って行けませんでした。そのことを思うと、あの苦労は何だったのかと、技術の飛躍的な進展の驚異を痛感させられます。

 さて、問題はイタリアからの通信です。1995年に、ミラノとフィレンツェとローマで試みました。いずれも失敗です。
 ホテルの電話からインフォネットを利用して、ミラノとローマのポイントに接続しました。ポイントには繋がるのですが、すぐに切れるのです。この繰り返しでした。
 チェックアウトの時の電話代の請求を覚悟していたのですが、すべて請求はありませんでした。イタリアらしいではありませんか。
 夜中に怪しげな機器を取り出し、小刻みに数十回も電話をする日本人を、ホテルの人は知るや知らずや。今思い出すと、おかしさがこみあげてきます。
 ホテルの部屋の電話のコードをいじくり回していた男が、スパイ容疑で捕まった、という話があります。私も、怪しげな客の一人に違いはありません。今だから言えますが、実は私もペンチ・ニッパー・ドライバー・ヤスリなどの工具と、少々の電話機用の部品を持参していました。これ、内緒です。もうしません。

 ところで、イタリアから日本に通信をするためには、どうしたらよいのでしょうか。当時の雑誌によると、ちょっと難しいという商社マンのコメントが載っていました。私も、あまり期待せずに行ったので、また今度と思いながら今日まできました。今年のクリスマスには、イタリアだけの旅をするので、そろそろ通信事情を調べる必要があります。ご存じ方がいらっしゃいましたら、お教えください。お願いします。
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2009年10月24日

再録(2)初期のインターネット事情〈1996.10.7〉

 以下、14年前のインターネットに関する話です。当時は、接続するのに UNIX のコマンドを入力するなどしていました。
 そんな、大昔の話です。

(出所︰「大和まほろば発 へぐり通信」→「新・奮戦記」→「ハイテク問はず語り」→「2年目/1996.10.1〜1997.9.30」)
 
 
 
〈リムネット〉の情報管理を不審に思う〈1996.10.7〉
 
 
 〈源氏物語電子資料館〉をインターネット上に最初にオープンしたのは、〈リムネット〉というプロバイダーの東京ドメインからでした。1995年9月30日午前2時のことでした。早いもので、ホームページを持って、すでに1年が経ちました。

 〈リムネット〉には、95年2月15日から2日がかりでオンラインサインアップを完了しました。話し中のために、ひたすら電話しつづけ、ようやく契約にこぎつけました。
 もっとも、その後、うまく接続できず、ニフティーサーブのフォーラムに質問をしながら、契約から94日目にやっとインターネットを体験することができました。その間、数十冊の本と無数の雑誌も購入しました。ニフティーサーブを通してのアドバイスや、本などの設定を参考にしながら、限りない順列組み合わせの試行錯誤を繰り返しました。
 その間の記録は、ファイル2冊に綴じてあります。たくさんの方からアドバイスをいただきました。いつまでたってもHELPばかりなので、いささか呆れながらのメイルをもらうこともありました。私自身は真剣に、いろんな設定にチャレンジしていたのですが。何がどうなってそうなったのかは不明ですが、95年5月21日に日付が変わる直前に、ついにIP接続に成功しました。長い3ヶ月でした。特に、木村数史さんは、根気強く懇切丁寧にお付き合いをしてくださいました。
 それからしばらくは、ネットサーフィンを楽しみながら、自分のホームページの構想を練っていました。

 9月末に〈源氏物語電子資料館〉を開設してから、〈リムネット〉大阪ドメインがオープンし、東京ドメインから引っ越しをしました。しかし、東京ドメインのアカウントは、通知にあった1ヶ月がたっても停止になっておらず、東京も大阪も利用できました。東京と大阪に、同じ更新ファイルを転送していました。

 そうこうするうちに、奈良の〈まほろば〉というプロバイダーが利用できるようになったので、95年12月14日以降は2つのプロバイダーから〈源氏物語電子資料館〉を送信していました。都合、3カ所に更新したデータを送っていたことになります。

 〈まほろば〉がしっかりしているのを確認できたので、96年1月10日に〈リムネット〉へ退会届を出しました。2月に退会手続きが完了した旨の連絡をいただきました。しかし、〈源氏物語電子資料館〉の〈リムネット〉版は、依然として東京も大阪も閲覧できました。
 退会したのにもかかわらず、相変わらずホームページが公開されているのは不思議でした。いつか抹消されるだろうと思っていたのですが、いつまで経っても、私のホームページが削除されないのです。そのうち、〈リムネット〉版の〈源氏物語電子資料館〉を見た人たちからのお便りが届いているのに気付きました。その方々には、〈まほろば〉へ移転したことを伝えました。

 最近、何かの拍子に、〈リムネット〉の〈源氏物語電子資料館〉があった領域へ入ることができたのです。アカウントもパスワードも通るのです。そこで、〈リムネット〉へ以下の内容の確認のメイルを出しました。

1.退会と共にホームページも削除されるものと思っていました。
2.〈リムネット〉経由のメイルが来ます。
3.かつて登録したデータの放置・放任は迷惑です。
4.早急に登録していたデータの削除を要望します。

 これに対して、〈リムネット〉からは以下の返事が来ました。

大変申し訳ございません。至急、伊藤様のアカウントを削除するよう手配致しますので、よろしくお願いいたします。
このたびは大変ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。



 ところが数日後、試しに大阪ドメインに繋げたところ、私がかつて使っていたパスワードが、まだ使えたことに驚くとともに、私のホームページにまだデータがあることがわかり、またまたびっくりです。
 とにかく私の方で、本年1月以来放置されたままの〈源氏物語電子資料館〉のデータを削除しました。

 それにしても、退会した者が、かつて利用していた自分の階層に出入りでき、しかも放置されたままのデータを自由に削除できることは、まさに驚異でした。
 ちなみに、東京ドメインにアクセスしようとしたところ、これは拒否されました。パスワードのチェックでひっかかり、中へは入れませんでした。これが普通だと思います。

 〈リムネット〉に対しては、信頼できるネットワーク社会を育てていくためにも、今一度私の現状をレポートしていただけないかを、お願いしました。しかし、これに対しては、未だに返事をもらっていません。
 そこで、しかたがないので、一昨日、〈リムネット〉に放置されたままの〈源氏物語電子資料館〉のデータを訂正し、〈まほろば〉の〈源氏物語電子資料館〉へリンクを張ることにしました。
 すでに辞めた組織に勝手に進入し、さらには自分が残していた抜け殻を弄ぶようで、何か気味が悪かったのすが、しかたがありません。

 〈リムネット〉の退会規約の12条には、

会員が退会を希望されるときには、最終の利用月の最終日の40日前までに、事務局へ書面にて退会の旨を届け出ください。この場合、弊社は、退会を受理した利用月の最終日にIDを回収させていただきます。


とあります。
 しかし私の場合は、退会したにもかかわらず半年以上もID番号が使え、ホームページのデータもそのままなのです。おまけに、残留データの改変を、半年以上も経った今でも、自由に行えるのです。このような杜撰な情報管理では、ネット社会が信用できなくなります。

 私の例は特殊なのでしょうか。プロバイダーの単純なる手続きミスにすぎないものなのでしょうか。それとも、個人が責任をもって、退会するときに置いていたデータの掃除をすべきだったのでしょうか。そうしたとしても、〈リムネット〉へは自由に出入りでき、ホームページのファイルも自由に改変できたのです。体の良い無銭飲食ができたことになります。

 いずれにしろ、気持ちが悪いのは事実です。特に、検索ソフトで表示された〈リムネット〉版〈源氏物語電子資料館〉のアドレスへアクセスした人は、それが96年1月で私が手放した死骸だったのです。情報発信者としては、そんな死骸をご覧になった方々に申し訳なく、残念に思っています。
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2009年08月01日

専門家でも知らないことがあるものです

 30インチのモニタをパソコンに接続することで、いろいろと学びました。

 先日、「当たり外れを左右する選別の眼」と題するブログで、家電量販店のマニアックな店員の方に、有益な情報をもらったことを書きました。
 そして、「お陰で、私が手にした新しいマックでは、30インチのモニタは使えないことが判明しました。このことでは、いろいろと苦情がきているようです。」と記しました。

 しかし、これは間違いでした。
 その後、アップルストア銀座で、解決しました。ただし、そこでも紆余曲折がありました。

 アップルストア銀座の2階にあるジーニアスバーへ行くと、すでにその日の予約で満員でした。
 私は予約をしていなかったので、案内係の方から後日予約をして来てほしい、と言われました。しかし、キャンセル待ちでいいと言い、いつになるかわからないことを条件に受け付けてもらいました。そして、呼び出しのバイブレーターを受け取り、上の階を見て回りました。
 疲れたので椅子に腰掛けたりすること1時間半。やっと呼び出しがありました。

 事情を説明し、私が持っている機器と同じ環境でテストをしてもらいました。
 そこまで話を持っていくのに手間取りましたが、とにかく目の前で接続実験をしてもらったのです。

 最初は、店頭にあった「Apple Mini DisplayPort − DVI アダプタ」で接続しました。
 
 
 
090801mb570
 
 
 
しかし、うまくいきませんでした。
 
 
 
090729mac230インチに映らない
 
 
 
 担当者も、規格が変わったのでできないようだ、とのことでした。
 しかし、私はもう一つ「Apple Mini DisplayPort − Dual-Link DVI アダプタ」があるので、それでやってほしいと頼みました。
 
 
 
090801mb571
 
 
 
 担当者は、そのケーブルをしばらくかかって探して来て、接続してくださったのですが、やはり映りません。

 iMac も Mac-mini もでもだめですが、G5だと映るのです。私の部屋の状態とまったく同じです。
 諦めかかった時に、アダプタに付いているUSBケーブルを本体に接続してみると、なんと映るではないですか。
 
 
 
090801mb571_av1
 
 
 
 ここまで、ケーブルを抜き差しすること50分。すでに閉店の時間を過ぎていました。
 根気強く実験につきあってくれた店員の方には感謝しますが、その前に、あなた方は「ジーニアス(天才)」なのではないのですか、と叫びたくなりました。
 専門的な知識を持って対応するのがモットーのジーニアスバーのはずです。
 私がこのストアに入ってから、何と2時間半になろうとしています。

 アップルのホームページには、こう書いてありました。


Genius Barでは、ジーニアスが毎日お客様をサポートしています。アップル本社によるトレーニングを受けたジーニアスは、アップル製品についての幅広い知識の持ち主。技術的な質問にすべてお答えします。トラブルシューティングから修理まで、何でもおまかせください。ジーニアスへのご相談はお気軽にどうぞ。ご都合のよい日時を予約してご来店ください。


 大好きなアップルなのですが、今回の対応は落第ではないでしょうか。
 周りのジーニアスの方も、閉店後にもかかわらずゴソゴソやっていても、誰も助けに来られませんでした。
 皆さん、早く帰りたかったのでしょうが、1人が対応していると、その人に割り込むことはしない方針なのでしょうか。
 いずれにしても、個人の能力を云々する問題以前のことにように思います。
 「ジーニアス」の集団を名乗るのであれば、さらなる知識の習得と技術の修練を積んでほしいと思います。

 過日のビッグカメラの方も、何か思い込みによる対応だったのでしょうか。
 あのアドバイスで諦めることなく、最後までは信用せずに、アップルストアに行ったので、こうして解決しました。

 正解は、「USBケーブルを本体に接続する」という、わかってみれば何でもないことでした。
 それがわかるまで、いろいろな可能性をテストしたことになります。「した」というよりも、「してもらった」と言うのが正確です。
 私の実験に付き合ってもらう前に、販売する側から先に、正しい接続方法を説明すべき事柄でしょう。

 相手がいくら専門家と名乗っていても、知らないことが意外と多いものです。
 これは、自分の仕事にも返ってくることばですが、とにかく納得できるまで聞く、という気持ちは持ち続けたいものです。
posted by genjiito at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2009年07月27日

当たり外れを左右する選別の眼

 先週の金曜日に修理に出したソニーのデジカメが、月曜日の今日、早くも完了したとの連絡が入りました。土日が入っていたのにもかかわらず、素早い対応です。

 「巧遅は拙速に如かず」という孫子の故事があります。
 ソニーの場合を拙速と言っては失礼でしょうが、対応の早さは誠意の表れです。
 馬鹿丁寧だが遅いというのは、いい場合もあります。しかし、日常的な場面では、その対応は早いに越したことはありません。
 さすがはソニーだと言えましょう。

 ソニーの製品は、故障が多いと思います。しかし、ソニーは夢を実現してくれる会社なので、それに伴うリスクとしての製品の完成度については、眼を瞑るようにしています。
 マネシタ電器と言われる会社の製品は、民生品としてよくできています。確かに壊れにくいのです。しかし、目新しさやオリジナリティーには欠けます。安心して使えるということ以外には、魅力はありません。

 私は、製品の質に多少の問題はあっても、夢を実現しようとし、未来を語れる商品が好きです。

 これまで使っていたアップルのパソコンが、最近どうも変な反応をし出しました。
 大事に至らないうちにと思い、新しい機種に買い換えました。

 これまでのデータを引っ越しさせるのですが、移行用のツールを使ってのデータの移動は、これまでのトラブルをも移行します。
 そのため、面倒ですが、アプリケーションなどは一つずつインストールし直した方が、結局は確実です。
 そのために、買い換えのたびに、膨大な時間が吸い取られます。

 移行作業をする前に、メールのデータなどは、まずは手作業で移すことにしました。ただし、どのファイルをどこへコピーするのかを忘れたために、銀座のアップルストアに行って教えてもらうことにしました。

 入れ口に入ってすぐに相談できる人を探していたところ、たまたま年配の女性の方と眼がしっかりと合ってしまいました。
 まずい、と思ったのですが、もう向こうが私の方に歩み寄ってきていました。
 「万事休す」
 新しいことやわからないことを質問するときに、高齢の女性は避けた方が無難です。無駄な時間が湯水のごとく失われるからです。

 これも運命と諦めて、メールのデータの移行について聞き出したところ、わかりきったことを繰り返しおっしゃるだけなのです。私が聞いている内容も、よく理解できていないようでした。時間がもったいないので、別の人にと思って視線をずらした瞬間、その方は確認をするために奥へ引っ込んでしまわれたのです。
 これでは、別の話の通じる人に聞き直すわけにもいきません。

 アー最悪、と思いながら、待つことにしました。
 ところが、なかなか奥から出てこられないのです。よほどスーッと帰ろうかとした頃に、覚え立ての知識を忘れないうちに、とばかりに息せき切って店頭に姿を見せるや、必死になって説明してくださいました。
 しかし、どう見ても、今しがた入れ知恵されたばかりの知識の羅列であることは明らかです。

 アップルストアにも、こんな人がお客さんの対応をしているのだ、と認識を改めさせられました。

 それにしても、私が聞いた人が悪かったのです。
 結局は説明がどうも怪しかったので、そのまま2階にあがり、ジーニアスバーの方に再確認をしました。
 1階にいたおばさん(失礼)の説明は間違ってはいませんでした。しかし、やはり不安をともなう説明だったので、申し訳ないのですが、どうしても別の信頼できそうな人に確認してしまったのです。ごめんなさい。

 今日は、新しいマッキントッシュに、2台目のモニタを接続しました。
 ところが、重宝している30インチの外付けの大きなモニタに映像がでないのです。
 すべてアップル純正の部品でつなげています。それなのに、うまくいかないのです。

 アップルストアに行く時間がなかったので、立川のビッグカメラへ行って、店員の方に相談をすることにしました。
 マッキントッシュのコーナーに行き、ウインドウズの説明しかできない人を避ける意味からも、展示されているマッキントッシュを触っている若い方に声をかけました。これが大正解でした。やたらと、マニアックな説明をしてくれます。聞きもしないことまでも。
 半年前までは、秋葉原のマックのお店にいたとか。マックに関しては、ものすごい知識の持ち主でした。

 お陰で、私が手にした新しいマックでは、30インチのモニタは使えないことが判明しました。このことでは、いろいろと苦情がきているようです。最先端の技術に凌ぎを削っているので、利用者が稀な部分では、こうした空白地帯ができるのでしょう。
 アップルが対応していないのであれば、諦めがつきます。何とかして欲しいという願いはありますが。
 それでも、手元のモニタが使えないことが分かっただけでも収穫です。

 このモニタの対策は、また考えることにします。

 いつもいつも、いい店やいい人に出会えるとは限りません。
 時間の損失を最小限にするためにも、どこで買い、だれに聞くか、という選別の眼は養っておきたいものです。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2009年07月25日

リコール対象商品だったソニーのデジカメ

 私が最初に手にしたデジタルカメラは、アップルの「QuickTake 100」(1994年発売)でした。
 双眼鏡のようなデザインでした。今から思うと奇抜なスタイルです。
 
 
 
090725quictake
 
 
 
 マッキントッシュのノート型パソコンであったパワーブックと同じ色でした。
 撮影後の画像データは、シリアルケーブルでマッキントッシュに転送するのです。これには驚きました。このケーブルがないと、撮影しても見ることができないのです。最初から、デジカメはパソコンと連携していたのです。アップルらしく、「10年先取り」の世界を体験していました。
 35万画素のCCDなので、今の1,200万画素と比べると画像には雲泥の差があります。しかし、それでもパソコンで扱うには不満はなく、画像処理をしながら仕事用の資料にしたりして楽しんでいました。
 当時の値段で、90,000円ほどだったでしょうか。

 その後、ソニーのデジタルスチルカメラ「DSC-F1」(1996年発売)を買いました。
 
 
 
090725sonydscf1
 
 
 
 これも、今では懐かしい形です。レンズの部分が回転するので、自分を撮影できます。自分で自分を見ながら自由に撮影できるカメラは、これが最初ではないでしょうか。
 35万画素で、88,000円でした。

 これ以降、私が買うデジタルカメラは、すべてソニーです。これは、初代バイオ505(1997年発売)と共に、ノートパソコンとデジカメを連係プレーさせていました。

 1980年のマイコンキットNEC〈TK-80〉NECから始まった私のパソコンとのお付き合いにおいては、エプソンの互換機を経てソニーへとパソコンの環境を変えて、今のアップルへと辿り着きました。マイクロソフトとの関係は貴重な体験でしたが、今は無縁となりました。

 デジカメはソニーで通しています。
 そのソニーのデジカメに、欠陥によるリコールがあることを、昨日はじめて知りました。
 これは、私が製品を購入してもユーザー登録をしないせいでしょうか。
 しかし、ソニーからの情報はメールを通してもらっているので、私がそのメールを真面目に読んでいないせいもあるのでしょう。

 問題のデジカメは、サイバーショット「DSC-T3」(2004年発売)です。
 
 
 
0909725sonyt3
 
 
 
 510万画素の薄くてコンパクトだったので、いつも持ち歩いては資料などのデータを収集していました。
 それが、2007年ころから液晶モニタに画像が表示されなくなり、壊れたと思って今の「DSC-T20」(2007年発売)に切り替えました。810万画素のものです。
 
 
 
090725sonyt20
 
 
 
 私のブログの写真は、ほとんどがこの「DSC-T20」で撮影したものです。

 お蔵入りとなっていた「DSC-T3」でした。しかし、来月スキューバ・ダイビングに行く時に持って行こうと思い、取り出したところ、やはりモニタがダメでした。
 ダメで元々と思い、銀座のソニービルに持って行って相談したところ、これがリコールの対象商品で、無料で修理をしてもらえることがわかりました。

 ラッキー、とばかりに修理に出しました。

 ホームページで告知している、とのことでした。しかし、あまり細かく見ていなかったので、このリコールのことは知りませんでした。

 その他にも、娘がペンダント代わりにしていた「DSC-U20」もリコール対象商品だとのこと。

 まだサイバーショットのシリーズは持っていますので、改めてリコール対象商品を調べてみます。
 そして、ついでに修理に出したいと思います。記念品といえども、いい状態で保管しておくことにします。

 ソニーの気長に延長しながらの無償修理という対応は、本当にありがたいと思います。
 今後とも、応援します。

 当面は、今使っている「DSC-T20」が、手ぶれ補正機能の不具合から、撮影するときに突然画面が震えます。
 また、メモリースティックを入れているのに、撮影後に保存されていないことが時々発生しています。
 次は、1,200万画素「DSC-T90」を考えています。

 カメラも、高額ではないとは言え、きりがないですね。
 それでも、パソコンと一緒に情報文具の一つとしてずっと追い続ける自分を、これも性と思い、愛おしみながら付き合っていくことにします。
posted by genjiito at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2009年02月26日

平和ボケした銀行の窓口(2)


《承前》
先日、為替レートのことを、通りがかりの銀行で聞いたときのことです。
相当長い時間待たされたあげく、さらに待ってくれとのことだったので、断って店を出ました。
そして、手持ちのiPhoneで調べて、金額を知りました。

専門の場所で聞き、さらにプラスして情報を得ようとしたのですが、そんなサービスをする姿勢は、今の窓口にはないようです。
自分で調べた方が早いのです。それは限られた情報であることが多いので、つい人との対応の中で付加価値を見いだそうとします。しかし、それはもう望めない情報収集法なのでしょうか。

私は銀行の口座に関しては、ネットバンキングを利用しています。久しぶりの窓口対応を体験しました。
それにしても、銀行の窓口が、こんなに人材と資源の無駄遣いをしていたとは。

以前にも書きましたが、東京三菱UFJ銀行は、相変わらず殿様商売をしているのですね。
posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | ◎情報社会

2009年02月25日

平和ボケした銀行の窓口(1)

東京三菱UFJ銀行M支店でのことです。
韓国の国民銀行を通して、釜山にいる知人に送金しようとしたときでした。
窓口で、なんとも不可解な対応を受けました。

送金依頼用紙を渡されたので、それに記入しようとしました。しかし、ほとんどすべてが英語での記入を要求されています。
まず、相手先である国民銀行の英語名がわかりません。窓口で尋ねると、もう一人と相談した結果、こちらではわからないので、先方に問い合わせてくれ、とのこと。

送金相手の名前も、英語表記で書いてくれ、と。
漢字は一切だめだそうです。

相手先の住所も英語だそうです。
その場ではどうしようもなかったので、断念して帰りました。
サービスということを知らないイギリスの銀行のような対応でした。

帰り道、iPhoneで国民銀行を調べると、銀行名も、住所も、すぐに英語表記がわかりました。
私がすればいいことは、知人の名前の英語表記だけだったのです。
銀行の窓口で、インターネットを使って調べてくれたらいいのに、と思いました。その前に、世界の銀行名などはすぐに答えられないと、国から正式に認可を受けた金融機関とは言えないのではないでしょうか。

ネット社会から完全に切り離された銀行の窓口での対応は、これはこれで残すべき文化遺産ともいえます。
東京三菱UFJ銀行以外の銀行も、こんな程度で営業をしているのでしょうか。
posted by genjiito at 23:37| Comment(0) | ◎情報社会

2008年09月23日

杜撰なクレジット購入時の署名

 連日手放せない携帯電話で思い出しました。

 現在フルに活用している携帯電話を購入した時、息子と一緒に機種交換をしました。
 手続きを終えて、最後に支払いをする時、息子の方の電話機に料金の追加がありました。
 息子が、クレジットカードを忘れてきたので、私のカードを貸してくれというのです。
 しょうがないな、と思いながらカードを渡したところ、サッサと自分の名前を署名欄に記入して、その書類を店員に渡したのです。
 2人の店員の目の前に、我々親子が対面する形で座っています。息子がサインをするところも、我々4人の目の前でした。しかし、店員は何も言わず、そのまま書類を受け取って一件落着となったのです
 私は、しばらくどうなるのか見ていましたが、何も咎め立てされないのです。

 カードは私のものです。
 書類には、息子が自分の名前を自署しました。
 カードに対応した名前も違えば、筆跡も違います。
 それでも、カードは適正に処理されたことになったのです。

 後日の引き落としを楽しみにしていたところ、案の定というべきか、きっちりと引き落とされていました。
 あの息子の署名が有効だったことになります。
 何といいかげんな。こんなことでいいのでしょうか。
 クレジットカードの署名などは「やりたい放題」というべきでしょう。
 日本は平和な国ですね。
posted by genjiito at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2008年09月05日

国文研の隣で建設中の裁判所

 昨日の記事に取り上げた写真の手前の空き地に、今は草が生い茂っていることは印象的です。
 そして、やはり、国文学研究資料館の手前で建設が進む、四角い建物がに注意が向きます。
 これは、東京地方裁判所の立川支部です。

 私が体験したことですが、東京地裁の裁判官の手抜き審理には、本当に呆れました。
 その酷さは、次のホームページで個人裁判体験記として詳細に公表しました。

海外留学と保険契約 −驚くべき損害保険会社の対応を
裁判体験から報告する−


 あんないいかげんな裁判官たちが、この支部にも来るのかと思うと幻滅です。
 裁判員制度といって、自分たちの忙しさを責任転嫁するものとしか思えないことを実現した、法律関係者のずる賢さには頭がさがります。

 東京地方裁判所の裁判官は、忙しさを理由に、提出された訴状すらまともに読まずに公判を進め、そしていいかげんな判決文を臆面もなく書き上げて読んでおしまいにする、という、でたらめな裁判をしていました。少なくとも、私の事例では。

 ありまにもいいかげんな訴訟指揮と判決だったので、地裁で敗訴後に即座に上告しました。すると、高等裁判所の裁判長は、私の地裁判事批判に対して、精神的被害とは何か、という哲学論争で挑んできました。やれば、まともに議論のできる裁判官はいるのです。これまた、東京高裁には、と限定しますが。

 さて、立川支部に出入りする裁判官は、どのレベルの人たちでしょうか。
 相変わらず、忙しさを理由にして、チャランポランな判決で逃げるような場所にならないことを祈りたいと思います。
 国民は、裁判官はチャンと仕事をしている、と思っている人が大多数なのですから。
 その意味では、裁判員制度というのは、本当にまじめに訴訟に取り組んでいる裁判官と、すこぶる手抜きでやり過ごしている裁判官とを目にすることのできる、またとないチャンスです。

 国民の目が感じられたらの、そのような状況ではインチキ裁判はしないでしょうから。
 裁判官に緊張感を持たせ、まじめに取り組むように意識改革をさせるためには、裁判員制度は評価できます。ただし、その制度の内実は、これまたいいかげんなように思えますが、ここからはコメントを差し控えておきます。

 大多数が、まじめに裁判に取り組んでいる裁判官だと思います。しかし、私が体験した唯一の裁判長があんな人だったので、すべてがいいかげんな裁判官に思えてしまいます。

 関係者の方々には、これも致し方なしとあきらめて、そのような裁判官が少なくなるように精進されることを望みます。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ◎情報社会

2008年08月07日

初めてiPhoneでブログを書く

かれこれ二時間。
iPhoneでブログを書いています。
保存しようとするころになると、突然画面が消えます。

書いては消え、また書くと消え。
根競べです。

今日は、ここまでにします。

これまでで最長時間のブログ執筆となりました。

しかし、新しい文房具に手応えを感じ出しています。
posted by genjiito at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ◎情報社会

2008年08月05日

iPhoneで遊ぶ

 いろいろとあったiPhoneですが、やっと手にできました。

 近所の深川のソフトバンクには今日もなかったので、また探す日々が続くのかと観念しました。

 通勤途中に乗換駅の中野で、北口にあるブロードウェーの入口にあった携帯ショップにフラリと立ち寄りました。そして、この辺にソフトバンクの店がないかと聞くと、うちでも取り扱っているとのことでした。ダメモトでiPhoneのことを聞くと、何と在庫があるとのこと。
 代理店のようですが、品物は一緒なので即決しました。ラッキーの一言です。

 少し説明を聞いてから、念願のiPhoneを入手とあいなりました。
 本当は32ギガタイプがほしいのですが、それはまだ発売になっていないので、諦めてこれしかない16ギガにしました。

 強制的に契約させられた今後2年間、この16ギガタイプをこのまま使い続けるとは思えません。来年早々に買い替えることでしょう。そして、その料金のことで不愉快な思いをするはずです。そこまでわかっていても、今、この16ギガを求めたのは、このiPhoneの魅力に投資する価値があると判断したからです。

 この中野のブロードウェーは、35年前になりますが、学生の頃によく来ました。当時は1ドルステーキと言って、1枚360円でステーキが食べられた時代でした。妻とよく行ったその商店街で、いま電話を買っているのですから、これも何かの縁なのでしょうか。

 いろいろと機能を試しています。これは、電話ではなくて、まさにパーソナル・データ・アシスタントの進化型です。
 これで、私の日々の生活が激変することは確かです。
 このような知的好奇心を刺激する文房具は、本当に久しぶりです。アップルならではの企画の産物です。

 購入したはいいが、使いこなせない方も多いとか。パソコンのマッキントッシュもそうですが、クリエイティブなユーザーはそう多くはないと思います。みんな誰でもが使いこなせる、という道具ではないと思います。たくさんの方が使えばいいと思いますが、1割のシェアで落ち着くのではないでしょうか。

 第1日目にして、いろいろとわからないことがあります。幸い、私には相談できる仲間がいるので、少しずつ聞きながら楽しんでいます。先達者はあらまほしきかな。恵まれた環境にいることに感謝しています。それでいて、同じものを買っても、私にだけ欠陥商品やトラブルがつきものなのは、一体どうしてなのでしょうか。

 この携帯電話では、今度はどんなトラブルが出来するのか、これも大いに楽しみにしているところです。このiPhoneは、物理的に駆動する部分がほとんどないので、あるとすれば組立部品の当たりが悪かった、というものに留まるのでは、と楽観的に思っています。

 それにしても、ワクワクする文房具を横に、これからの生活の変化が楽しみです。
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | TrackBack(1) | ◎情報社会