2023年03月21日

京都から東京経由で秋田へ

 久しぶりの長旅です。新幹線を乗り継いでの行き先は、妻の実家の秋田県。
 この前は、なんと10年前に遡ります。奈良の自宅から、車で日本海沿いに走って行きました。ベンチシートでコラムシフトの、6人乗りの白いクラウンでした。運転手は運転が大好きな私一人。妻と子どもたちを乗せて、新潟でキャンプをしながらの旅でした。

 今回、みどりの窓口で驚いたことがあります。日本海側からは、JRだけでは秋田へ行けないのです。第三セクターの路線を使わざるをえなくなっていて、割引きは元より交通費も時間も大変です。新幹線で東京経由しかないのです。かつての帰省の旅は、もう叶わないようです。あの、瞽女さんたちが通った北陸の沿岸は、残念ながらまたの機会にしましょう。

 WBCの苦戦を象徴するかのように、今日の富士山は沈鬱です。

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 そうした中で、侍ジャパンの村上選手が逆転サヨナラ打を放ったのは、ちょうど東京駅に着き、見ていたスマホの文字と写真の実況中継から目を逸らした瞬間です。「こまち」に乗り換え、秋田へ向かう途中では、WBC関連の記事を拾い読みするのに大忙しでした。

 秋田駅では、ナマハゲが迎えてくれます。私が生まれた出雲では、同じ風体のものをバンナイと言っていました。

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 妻の実家は鳥海山の麓にあり、途中には松本清張の『砂の器』で知られる羽後亀田駅があります。通りかかったので、ホームの表示板を撮影しました。

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 私の生地は島根県の出雲です。これまた、『砂の器』で舞台となる亀嵩があります。我ら夫婦は、この『砂の器』の2つの舞台で育ったのです。
 秋田の実家でも、みなさんの秋田弁に違和感はありません。出雲弁と同じズーズー弁なのです。我々が結婚する折に、私の両親が秋田に挨拶に行きました。その際、私の父と妻の父が、不思議なことに話が通じたのです。まさに『砂の器』で初動捜査の背景にあった、柳田國男の方言周圏論(蝸牛考)を実証したのです。
 今夜は、秋田のみなさんと夜遅くまで語り合うことになりそうです。今、少し席を外してこれを書き、急いでアップします。
 
 
 
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2022年10月16日

西国三十三所(2022-24)岩間寺(12番札所)

 本年8月24日に、西国三十三所の13番札所である石山寺へ行きました。すぐ近くに岩間寺があることはわかっていました。その時は、岩間寺の下のバス停まで行き、そこから歩いて50分の山登りです。ただし、10月15日からの秘仏本尊千手観音ご開帳に伴い、特別に石山駅から直通のシャトルバスが出るということがわかったので、今日まで待っていました

 JRと京阪の石山駅前(2階の広場)には、石山寺ご所蔵の土佐光起筆紫式部像の看板がありました。8月下旬に石山寺へ行った時に、ここを通っています。しかし、記憶にありません。あらためて、写真に収めておきます。

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 また、その近くには、東海道を旅する松尾芭蕉像が建っています。

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 共に人目に付くので、待ち合わせの場所にいいと思います。

 さて、石山駅から少し離れた西口から、この日のために用意された無料のシャトルバス(50名以上乗れる大型)で岩間寺へ行きました。バス停には長い列ができていました。結局、2台のバスで出発です。開山1300年記念でご開帳の秋ということで、みなさんよくご存知なのです。若い方が多いのは、最近のご朱印ブームのせいなのでしょうか。

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 まずは、本堂でお軸にご朱印をいただきました。次の写真で、中央にある醍醐寺の下の正法寺が岩間寺の正式名称です。

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 ご本尊のご開帳は12年ぶりとのことです。じっくりとお姿を拝見しました。
 本堂に掲げられたご詠歌の額は、参拝者が多くて立ち止まるとご迷惑をおかけすることもあり、確認する暇がありません。またいつか見ておきます。

 本堂前にボケ封じのカボチャの煮物があったので、ありがたくいただきました。

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 また、ボケ封じの観音様も、しっかりと拝みました。まさに、現世利益を意識しての祈願です。

 本堂の横には、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の発祥の地であることを記した石碑と句碑がありました。

 婦る【池】や【蛙】【飛】こ無【水】の【音】
                   者せ越

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 ここは標高443mで岩間山の中腹です。私が住む京都府宇治市と滋賀県大津市の境にあります。季節の変わり目と山上だったため、肌寒く感じました。
 瀬田川から宇治川沿いに下って行くと、我が家に帰れます。しかし、車を持たない生活をしている私は、公共交通機関だけで移動するために、またシャトルバスで石山駅に戻ってから帰りました。グルリとコの字に移動したことになります。電車とバスを使ったにもかかわらず、今日歩いた歩数は13,000歩(7.5km)を超えていました。もしシャトルバスがなかったら、山の下のバス停から50分は山登りだったのですから、3万歩を軽く越えていたことでしょう。開山1,300年記念を祝しての千手観音のご開帳と、それに伴う参拝者へのご高配に感謝します。
 
 
 
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2022年10月06日

西国三十三所(2022-23)書写山円教寺(27番札所)

 昨日行った西国三十三所巡りの続きです。
 26番一乗寺の次に、27番の円教寺へ行きました。1日に2ケ寺を回るのは、この6巡目の巡拝では初めてのことです。のんびりと妻と二人で回る、というのが今回の方針にあったからです。しかし、昨日は巡礼エリアの西の端にあり遠方だということで、行ける時に行けるところには行っておく、ということで2ケ寺を回ることになったのです。

 一乗寺から神姫バスで元来た姫路駅に戻ります。そして、姫路駅でバスを乗り換え、姫路城の前を、午前中は右折した交差点を今度は左折して、夢前川沿いに北上し、円教寺の麓にある書写山ロープウェイで山に登ることになります。事前に調べておいたバスは、歩いて書写山に登るためのバス停に止まるものであることが、乗ってから運転手さんのアドバイスでわかりました。何事も、調べてあったことに頼り切らず、確認しながら旅をすべきことを学びました。バス乗り場を移動し、すぐに来た書写山ロープウェイ行きに乗りました。まさに綱渡りです。

 ロープウェイで山に登ろうとしたところ、強風のために様子を見ながらの運行となっていました。間引き運転に加えて、不定期の運行だったのです。改札では、ロープウェイで何とか書写山に上がっても、帰りに運行するかどうかは約束はできないとのことです。そして、歩いて下山することもあり、ということを条件でよければどうぞお乗りください、ということです。二人とも足腰には自信があるので、とにかく上がることにしました。発進の時間が不定期だったこともあり、私と妻が乗る意思を示したので、急遽ロープウェイを動かしてくださることになりました。4分間の中空の旅を楽しみました。

 私は、いつもたくさんの写真を撮ります。毎回、連写機能を駆使して200〜300枚は撮るところを、今回は2ケ寺の巡拝だったので500枚以上は撮りました。しかし、昨日のブログのために写真を整理した後、今日再度カメラに挿入していたSDカードを抜き取ってパソコンで読み込もうとすると、読み込めないメディアなので初期化によるフォーマットをし直すように、というエラーメッセージが出ます。カメラにメディアを戻したりと、いろいろなことをやっても、カメラからも使えないメディアだと言われます。パソコンを代えてもダメです。もう、どうしようもありません。

 私は、カメラはソニーのサイバーショットだけを、機種を新しいものに代えながら50年ほど使っています。ソニーが大好きなので、これは拘りです。しかし、アップルとの相性はいまいちです。アップルはソニーのマネをしながら、すぐに追い越したかと思うと遥か彼方を走っています。撮影後のデータを無線でパソコンに送れた時代もありました。しかし、最近はそれができなくなり、面倒なことに手作業でメディアであるSDカードを抜き差しして画像データをパソコンで読み取って整理させられています。何度か銀座のソニータワー内で相談をしました。電話で相談もしました。しかし、ソニーの技術はゲーム分野以外は思うような成果に結びついていないようです。

 ということで、本日のブログは写真がすべて消え去った状況で書いています。

 ロープウェイを降りると、山上シャトルバスではなく、山道を歩いて仁王門を通って摩尼殿に向かいました。
 持参の軸に朱印を書いていただいた様子などは、写真がすべて消え去ったために紹介できません。書き終わったものは手元にあるので、それを撮影したものを掲載します。左下のものが、円教寺のご朱印です。

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 書写山の一番奥の開山堂には、和泉式部の歌塚があります。遠いので、これまで一度も行ったことがありません。今回は、自由気ままな巡礼なので、行ってみました。宝篋印塔が、山肌にへばり付くように置かれていました。案内の表示板を含めて、非常に不親切だと思います。
 「冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」と歌った和泉式部は、この書写山円教寺とは縁の深い歌人です。増田繁夫先生の『冥き途(くらきみち)―評伝和泉式部』(世界思想社教学社、1987年3月)は名著です。一読をお勧めします。

 最終のロープウェイの時間を忘れていました。大急ぎで山道を走り降り、発車30秒前に乗り込むことができました。

 暮れなずむ姫路駅では、「力丸 JR姫路駅店」で食事をしました。牡蠣の天麩羅は特においしくいただきました。コハダとシャコは、関西ではあまり見かけないので、これもいい出会いとなりました。
 家に辿り着くとグッタリです。
 今日は、朝から筋肉痛です。午前中にあった、地域の高齢者のみなさまとの体操教室は、休ませていただきました。
 
 
 
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2022年10月05日

西国三十三所(2022-22)一乗寺(26番札所)

 今日は、18年前の2004年(平成16)に、84歳で亡くなった母の祥月命日です。母とは3回も一緒に巡った西国三十三所の札所へ、供養を兼ねて二つのお寺へ行ってきました。

 まずは、姫路駅から神姫バスで40分の一乗寺です。姫路駅を出てすぐに、姫路城が煌びやかな姿で出迎えてくれます。

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 西国三十三所26番霊場の法華山一乗寺は、人里離れた大自然の中にあります。自家用車を持たない者にとっては、2時間に1本くらいしかないバスに合わせて移動し、参拝することになります。この後の円教寺のことも含めて、綿密なタイムスケジュールを組んで臨みました。

 一乗寺を開かれた法道仙人は、インドから中国と朝鮮を経てこの播磨国に留まられ 、650年(白雉元年)に一乗寺を開山なさいました。そして、鉄鉢を使った飛鉢の術を用いて、播磨灘を行く船から米俵をすべてこの地に飛来させたりした方です。この飛鉢伝説は、『信貴山縁起絵巻』に出てくる命蓮上人とまったく同じ秘法です。大和にある信貴山のご町内で子育てをした私には、場所は違えども親近感を覚える言い伝えです。

 お寺の前に建つ標柱の真ん中の石柱には、「右 きよ水寺 八里 /左 志よしや山 五里」と刻まれています。

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 ここ西国三十三所26番札所の一乗寺から右へ行くと25番札所の清水寺、左へ行くと27番札所の書写山円教寺に至る、ということです。今回、私は午後に行くのは、清水寺ではなくて円教寺にしました。姫路駅を起点にしてV字の位置になる左右のお寺を選んだのです。清水寺は、三田にある番外の花山院菩提寺との組み合わせで行く予定です。

 国宝の三重塔よりさらに上にある本堂で、朱印をいただきました。

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 本堂の内陣前には、御詠歌が掲げられています。変体仮名が、いつどのような字母を用いて書かれていたのかがよくわかる資料になるので、今回も確認できた扁額をあげて、そこに書かれている文字を「変体仮名翻字版」であげます。なお、変体仮名を含まない2つの額は省略しています。昭和29年と昭和43年のものです。また、今回はほとんどが作成年代不明の物でした。裏面や側面に書いてあるかもしれません。また後日に確認する、ということにしておきます。
 注・「妙なる」が「たへせぬ」となっているものには「〈ママ〉」を付しました。

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【春】者【花】【夏】者多ち者な
 【秋】者【菊】いつも多へせぬ〈ママ〉
のりの【華山】



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【春】盤【花】【夏】は
    たち【花】【秋】盤【菊】
    い徒も【妙】なる
     【法】の【華山】
  昭和2年



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者る八【花】
  なつ八たちはな
     あ起八きく
 い津もたへなる
    の里能者な【山】



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【春】八者な【夏】者【立】葉な
阿き王【菊】ゐ津茂
たへせぬ〈ママ〉【法】の【花】やま
  明治十四年



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はる八者な
 なつ盤たち【花】
  あき八きく
い徒もたへせぬ〈ママ〉
  の里能者な【山】
  明治十七年


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者る盤【花】なつ八たち者な
あき八きくい徒も多へせぬ〈ママ〉
    のりの者な【山】



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【春】八はな
    な津盤
   多ち【花】
   【秋】盤きく
い津も
  多衛なる
 【法】の
    【花】屋ま



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【春】八者那【夏】八多ち△△
【秋】八【菊】い徒も多へせぬ〈ママ〉
の里の【花山】



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者類盤【花】なつ八【橘】
 【秋】盤きくい徒も多盈
   な累【法】の者那やま



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【春】は者な【夏】八堂ち【花】
 【秋】八きくいつも多へせぬ〈ママ〉
    【法】のはなや万



 一乗寺は、のんびりとした雰囲気に包まれたお寺でした。

 ここから姫路駅に戻り、次はまたバスで書写山円教寺へ向かいます。
 以下、明日の記事にします。
 
 
 
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2022年09月21日

秋のお彼岸に高安の里へお墓参り

 昨日20日が彼岸の入りでした。この一週間は、秋のお彼岸です。ご先祖様との出会いの場としてのお墓に、のんびりと行ってきました。これは、仏教が日本に伝わってくる前からある、日本古来の先祖崇拝の習わしだと言われています。
 「国民の祝日に関する法律」(昭和23年公布)には、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日だとあります。仏教の伝来元であるインドや中国とは違う、日本独自の文化を担った意味があるようです。

 お墓は、私が小学6年生から高校生までの7年間住んでいた、大阪府八尾市の高安の里にあります。私が友だちと「忍者部隊月光ゴッコ」をしていた山の上にある、信貴霊苑がそこです。宇治に引っ越しをしてからは、近鉄電車だけで行けるようになったので、お墓参りが楽になりました。

 墓地から大阪平野を望むと、今日は天気がよかったこともあり、淡路島がよく見えました。写真の左奥の島影が淡路島、中央左寄りの奥に明石海峡大橋が弧を描いて架かっています。その右寄りが須磨浦あたりになります。

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 墓石の横の南天の葉は、朱・緑・黄ときれいな色を見せています。

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 今年もあと3ヶ月となりました。
 後半もスローながらもマイペースで、充実した日々を過ごしたいと思います。
 
 
 
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2022年09月15日

西国三十三所(2022-20)穴太寺(21番札所)

 JR亀岡駅からバスで穴太寺へ行きました。西国三十三所21番札所の穴太寺は、人里離れた彼岸花の里の中にあります。

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 本堂を見上げると、ご詠歌を記した額がいくつも掲げられています。古いものが多く、読むのが大変です。
 以下に、写真と「変体仮名翻字版」による翻字をあげます。読めない文字は「△」にしています。

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かゝ流【世】に
 うまれ【近江】の
  あなうや登
おも盤で多の免
 十古ゑ一聲
[文政14年(1817)]


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かゝ類【世】に
 うま連阿ふみの
  穴太やと
思王てたのめ
 十古ゑ一聲
[慶応元年(1865)]


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かゝるよ尓
 うまれ阿ふ三の
  阿なうやと
おも王てたの免
 十こゑひと古ゑ
[明治18年(1885)]


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かゝる【世】尓 おもわ弖
  むま連阿ふ三の 堂能免
  あ那を〈ママ〉 十こゑ飛△
    【寺】〈ママ〉  古(?)△
[天保2年(1831)]


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かゝ類【世】にむま連
  あふ三能あなうや登
 おも八弖"堂の免
   十聲一こゑ
[不明]


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かゝるよに
 うまれあふ三の
  あなうやと
おも八て多能め
 十こゑひとこゑ
[不明]


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かゝる【世】に【生】連あふ身農
           阿なうや登
お(?)も〇〈ママ〉弖たの免十聲
              飛と古ゑ
[不明]
 
 
 

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2022年09月02日

西国三十三所(2022-19)三井寺(14番札所)

 雨上がりの晴天に涼やかな風が吹き出したのを幸いと、琵琶湖に向かって移動しました。前回の札所巡りでは大津駅から行ったので、今日は大津京駅からと、いつもと違う道順にしました。
 大津京駅を降りると、「かるたの聖地」の大看板が視界に飛び込んできます。

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 駅から南へ歩きます。北へ歩くと、『ちはやふる』で一躍有名になった近江神宮があります。
 歩いて20数分。途中、今話題の宗教団体の施設がありました。
 仁王門を入ってすぐの受付でいただいたパンフレットには、園城寺(三井寺)とあります。寺名を刻んだ石碑もそうです。しかし、同じパンフレットの地図には三井寺(園城寺)とあります。以下では、一般的に言われている三井寺で通します。

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 山中ということもあり、広い境内には涼しい風が通っていて、気持ちのいい散策ができました。西国三十三所の三井寺の札所は、出口ともなっている総門の近くにあり、寺内の巡拝では最後のエリアにあたります。その前に、参道にある茶店で名物となっている三井寺弁慶力餅と甘酒をいただき、エネルギーの補給をしました。

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 観音堂にお祀りされている秘仏の如意輪観音は、三十三年ごとの開扉だそうです。

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 その堂内でお軸に朱印をいただきました。コロナのために透明のビニールの幕があるため、書いていただいている様子はきれいに撮れませんでした。


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 今日までに集まった朱印は、次の通りです。今は、半分を過ぎたところです。

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 帰りは、三井寺に一番近い京阪石山坂本線の三井寺駅から石山寺行きの京阪電車に乗り、びわ湖浜大津駅で乗り換えて、京阪三条経由で帰りました。途中、電車の中で成田山のお札を見かけました。電車の中にお守りを見たのは初めてだったので、記録として撮影しました。他車線の電車はどうだったのか、何も思い出せません。また報告します。

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2022年08月24日

西国三十三所(2022-18)石山寺(13番札所)

 石山寺には、調査と勉強と観光を兼ねて、これまでに何十回と行っています。
 昨日は、病院の帰りに西国三十三所の札所巡りを思い立ち、出かけました。
 京大病院の東大路通りから病院の専用バスで京都駅に出て、JRで石山駅まで行ってからは京阪バスで石山寺山門前に行きました。45分で行けたので、現在の交通機関を使うと意外と近いことを実感。平安時代は歩いての逢坂越えなので、大変だったことでしょう。
 いつもと変わらず東大門が出迎えてくれます。

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 今夏も、さまざまなイベントが組まれています。この日は、涼し夏(すずしげ)という縁日が開催されていて、多くの子供たちが楽しんでいました。

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 その会場となっていた場所の休憩所に、一風変わった自動販売機がありました。これは楽しいデザインです。

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 トイレの表示板にも、今という時代を先取りした新鮮さがあります。ただし、夫婦が赤ちゃんを取り上げる図柄は、ジェンダーを標榜するにはもう一工夫が要るように思います。座主が女性に変わられたことをこの記事の文末に記していることからも、こうしたことの見直しが今後ともなされることでしょう。

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 本堂へは、二つある階段のうち、奥の方から上がりました。手前の階段はきつそうだったからです。

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 石山寺の本堂下に広がる硅灰岩には、夏らしい涼しさを演出するミストが舞っています。

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 本堂の奥でお軸に朱印をいただきました。普通の軸ではなくて特注品なので、隣の方と一緒に怪訝な顔で軸を開いて、全体を確かめてから丁寧に書き出されました。

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 紫式部が参籠していたある日、琵琶湖の湖面に映る月を眺めて「今宵は十五夜なりけり」と筆を執ったという伝承で知られる月見亭からの景色は、今も楽しめます。

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 光堂のすぐ下に建つ紫式部の像も、今も変わらずありました。
 この像には、恥ずかしい記憶があります。
 かつて、『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』(伊藤編著、至文堂、2003年)を刊行しました。

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 その巻頭部分に、石山寺に直接足を運んで書いた探訪記を掲載しました。その扉の写真の中の紫式部像の真下に、なんと灯油缶として使われている青いポリタンクが写っていたのです。

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 もちろん、今も紫式部像はそのままです。朱塗りの手すりは色が落ちつつあるものの、ポリタンクは本当のあの時に置かれていただけだったのです。校正の時のチェック漏れで、本当に申し訳ないことをしました。

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 なお、本年6月8日の大阪府立中之島図書館での源氏講座で紹介したように、石山寺の座主に鷲尾龍華さんが新たに就任されました(「京都新聞」による)。石山寺に生まれ、中学から大学までをキリスト教系の同志社で学ばれ、大学での専攻は欧州の美術だったそうです。大手企業に就職後、種智院大学で仏教を学ばれた方です。大本山クラスの有名寺院で女性の住職は珍しいそうです。いつか、機会があればお目にかかりお話を伺えたらと思っています。
 
 
 
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2022年08月02日

西国三十三所(2022-15)藤井寺(5番札所)

 私が西国三十三所を周り始めたのは、1983年(昭和58)5月。父が亡くなったことがきっかけでした。その年の12月に満願。翌年には2巡目を周り終えました。
 そうしたことは、父の川柳句集『ひとつぶのむぎ』(1983年4月、私家版)に続いて発行した追悼文集『舗道の雨』(1984年4月、私家版)の巻頭に、次のように記した通りです。

西国三十三所観音霊場の巡礼を思いたったのは、父が亡くなって間もなくであった。一番近い葛井寺(五番札所)から出発し、宝印軸と集印帳とを携えて、近畿二府五県を車で巡拝した。平安時代末期(一一六一年)の記録には七十五日を要したと記されている。しかしそれは修業のために高僧が全行程を徒歩で巡拝してのこと。我々の場合は休日に車を使い、山登り・家族旅行・レクリェーションをかねての巡礼である。満願は十二月の二十八日であった。ちょうど七ヶ月かかったことになる。朱印収集の楽しさに味をしめ、今では西国は二巡目が終わる所で、新西国三十三所札所ももうすぐ満願、四国八十八所は徳島一国を終えた所と、いささかコレクターと化しつつある。娘も、元気に随伴している。


 5巡目までのことは、「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)にまとめています。今は6巡目。今日は、世界遺産の古市古墳群(大阪)の中に建つ藤井寺に行ってきました。

 今から12年前に、西国三十三所の札所巡りに「藤井寺駅前の元気な商店街を通って、西国札所第五番の藤井寺に行きました。」と書きました。「西国三十三所(17)藤井寺」(2010年10月18日)
 本日の札所巡りでは、景色も見るものもまったく同じです。しかし、商店街は寂しくなっていました。
 井真成については、「読書雑記(184)上野誠『天平グレート、ジャーニー』」(2016年12月05日)で少し触れています。

 商店街の先にある四脚門(西門)からお参りしました。

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 気さくに話をしてくださる方が、少し墨が薄くてと言いながら書いてくださいました。

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 本堂の内部を見上げると、江戸時代から連綿と続く、ご詠歌を刻んだ額がいくつも掲げられていました。その仮名文字に興味を持ったので、以下に紹介します。江戸時代から明治時代にかけての額は、さまざまな変体仮名を駆使してご詠歌が書かれています。「かくる」という語句が、明治時代になると「かける」と変化していることがわかります。単なるミスなのでしょうか。安政6年の扁額の下の部分は、見えないので「▲」にしています。


■安永2年(1773)
まい累より多のみ越
か具類ふじゐ【寺】【花】の
うてな尓むらさ起能くも

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■文政7年(1824)
まいるよ里
  たの三をかくる
 婦じいてら
   【花】のうてな尓
  むらさ起の
      くも

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■天保11年(1840)
満ゐるよりたの三を
  かくる婦ちゐ【寺】
者那のうて那尓
  むら佐きの
      くも

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■天保12年(1841)
満いるより堂能三越可くるふちゐ【寺】
  者那農うてな尓むらさ起の
             くも

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■安政6年(1859)
まいるより【頼】を可▲▲▲▲▲▲
 【花】能うてな耳む▲▲▲▲▲▲

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■明治13年(1880)
満いるよ里【頼】をかけ〈ママ〉る
 【葛井寺】【花】の
 うてなに紫の雲

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■明治24年(1891)
まいるより
 たの三を
  かけ〈ママ〉る
 婦しい【寺】
者な能
 うてな尓
 むらさ起の
   くも

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■明治31年(1898)
まゐ累よ里
 多のみ越かくる
   婦ぢゐでら
【花】のうてな尓
    むらさき能具も

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■年時不明
【参】累より【頼】三を可希〈ママ〉類
 【藤井】てら【花】能【臺】尓
   むらさ起のく茂


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 帰りに、南大門から出ようとしたところ、お手洗いの名前が珍しかったので記録しておきます。かつて、岡寺でもこうした名前を見かけました。いずれ、ゆっくりと調べてみます。

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 なお、このブログでは、寺号「葛井寺」を通称の「藤井寺」で表記しています。
 
 
 
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2022年06月12日

久しぶりにお茶のお稽古で大和路へ

 お茶のお稽古に行くのが、コロナ禍のせいで1年に1度になっています。前回が「大和平群で運びの薄茶のお稽古」(2021年03月14日)、その前が「大和平群で丸卓を使ったお茶のお稽古」(2020年02月02日)なのです。今年は、春先から何かと身辺に大きな動きがあったこともあって、なかなか行けませんでした。少し落ち着いたこともあり、またまた1年ぶりに大和平群へ出かけました。

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 昨年末に大阪観光大学に茶道部を創部したことは、「[学長ブログ]慶事2題:茶道部の創部と野球部の学長表彰」(2021年12月07日)で報告した通りです。それまでは、教職員のみなさま方と一緒に茶道教室を開催していたので、お手前は折々に心がけていました。そのためもあってか、久しぶりにしては自分としても意外なほどに、今日は大きな混乱もなく運びの薄茶ができました。もちろん、ぎこちないことこの上なし、というお粗末なお手前です。しかし、先生からは身体が覚えていましたね、と褒めていただけました。
 帰りに、先生のお宅の庭から茶花としてフウセンカズラなどをいただきました。宇治でどのような花を咲かせてくれるのか、大切に育ててみようと思います。花の世話をするのは妻ですが……
 宇治に住まいを移したのですから、心機一転、これまで以上にお茶を楽しみたいと思います。
 
 
 
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2022年05月07日

河内高安への墓参

 今月15日は父の祥月命日です。39年前に68歳で亡くなりました。新居に移ったことをあらためて報告し、家族みんなが息災であることを伝えるためにお墓参りに行ってきました。姉からは、行けないのでよろしくとのことで、お供えを預かっています。
 春のお彼岸に行ったことは、「大阪の八尾へ墓参に行き布施の回転寿司1号店へ」(2022年03月21日)に書いた通りです。
 新居のお仏壇は、和室の一番いい場所を選び、朝日を背に夕陽に向かえるように設えました。
 両親共に奈良にいた時に亡くなり、その後は京都の賀茂川右岸へ、そしてさらに左岸への屋移りに付き合ってもらいました。今度は南下して、宇治に連れて来られたのです。二人共にキョロキョロと辺りを見回しては、新緑に包まれた環境に戸惑い気味のことでしょう。次の写真は、左から祖父、祖母、父、母です。祖父と祖母は早く亡くなったので、私は話でしか知りません。

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 近鉄信貴山口駅から信貴霊苑までは、送迎バスに乗って行きます。今日は、最終便をバス停にある直通電話でお願いしました。いつも親切な対応なので、気持ちのいいお墓参りができます。
 住まいを移したいきさつを、お墓の両親とご先祖さまにも報告しました。大阪湾を望むと、淡路島の向こうに微かに四国が見えているようです。

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 帰りも、最終のバスで信貴山口駅まで送っていただきました。
 駅には、高安山に登るケーブルカー「ずいうん」が停まっていました。

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 このケーブル道の横の小径は、中学生と高校生の頃にここに住んでいた時、何度も歩いて高安山まで登りました。そして、さらに信貴山まで家族でハイキングをしたものです。
 駅の中にケーブルカーの説明が掲げてありました。これまであらためて読んだことがなかったので、確認のために画像として残しておきます。本ブログでは、画像をクリックすると精細表示になります。

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 間もなくピストン運転をしている単線の電車が入ってきました。この駅が終点です。高校生の頃には、この電車のお世話になって大阪市内まで通学していました。

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 帰りに、乗り換え駅である河内山本駅で電話があり、明るいニュースを聞きました。多くの方々に助けられながら、こうして元気に日々の生活が続けられているのです。みなさまに感謝しています。ありがたいことです。
 お彼岸の時と同じように、布施駅で降りました。母がよく連れて行ってくれた、日本における回転寿司の元祖1号店である元禄寿司に立ち寄るためです。何事もうまく進展するように、予祝を兼ねた食事をいただきました。
 
 
 
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2021年12月11日

西国三十三所(2021-10)粉河寺(3番)

 大学の入学試験が無事に、順調に終わりました。定員確保まで、あと一歩です。留学生が多い大学にもかかわらず、このご時世に大健闘です。意外にも、「大阪観光大学は定員割れをしないので!!」と、これまで同様に胸を張れる大学なのです。

 午後は観音霊場巡りに出かけました。大学から電車で1時間のところに、西国三十三所の第3番札所の粉河寺があります。天気もいいので、ブラブラと行きました。
 JR和歌山線に乗り換えてから3つ目の駅名が「布施屋」。「ふせや」駅かと思っていたら、これを何と「ほしや」と読むのです。固有名詞は迂闊に口にはできません。

 粉河駅前はきれいで静かでした。

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 その道沿いには、国宝『粉河寺縁起絵巻』の説明を記した案内板が点々とおかれていました。昨夜、大判の絵巻物全集を取り出してページを捲って見直したので、この道標も絵巻の確認にいい道案内となりました。

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 ただし、6巡目の巡拝ともなると、次第に賑やかさがなくなっていることが気になります。商店街を真っ直ぐ行くと、粉河寺の大門が見えて来ます。

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 大門は立派です。

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 境内は広々としています。手入れが行き届いているために、枯れ葉一枚落ちていません。中門も立派です。

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 その手前に、変体仮名で書いた碑がありました。

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馬能背尓して可へり見る
春暮れ方能紀伊の国
松原可け尓旅ひとの
すけ笠阿また行き可ひて
赤き夕日はたちはなの
花さく上尓匂ふ可那
紀の河河原河そひを
のほれはこゝは粉河寺
赤き負笈白き笠
順礼の子尓打ち交り
西国三番ちゝはゝの
めくみも深き粉河寺
和讃を高う誦する可な
 粉河寺尓て 有本芳水


 中門を潜ると、左手の本堂と共に石庭も力強さを感じます。

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 お軸に3番札所の朱印をいただいた後、お寺さんが第1番と2番に菊印が捺されていないけどどうなさいますか、と聞かれました。確かに、右端に菊印が1つも捺されていません。

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 第1番の青岸渡寺で捺し忘れたことから、第2番の紀三井寺でも要らないのだろうと判断されたのではないか、ということでした。第3番のこの粉河寺で捺すと、また青岸渡寺と紀三井寺に行って捺してもらうことになり、大変ですよね、とのことです。確かに、青岸渡寺は和歌山県の最南端の那智にあるお寺です。そうそう気軽に行ける所ではありません。
 お寺さんは親切にも他の方に相談され、結局は番外の3寺(元慶寺、法起院、花山院)も菊印を持っておられるので、その内の2寺でお願いして捺してもらったらどうでしょう、という提案をしてくださいました。その名案を受け、そうすることにしました。菊印の真ん中の数字が「一、ニ、三、四」と揃わないものの、印が洩れたという印象は無くなります。親身になって解決策を捻り出してくださったご親切に、感謝しています。
 帰り道、ミカンを一袋いただきました。小さな地元スーパーに寄ると、おじさんが親しげにいろいろと話しかけて来られました。おもしろい大将でした。

 粉河駅では、次の電車まで30分待ちとのことです。溜息をついていたら、地元のおばさんが寒くなったね、と話しかけて来られました。しばらく世間話をしていると、旦那さんが京都に単身赴任中とのことです。またまた話に花が咲きます。楽しいおばさんでした。

 粉河駅から和歌山駅で乗り換えると、ラッキーなことに特急くろしおがドンピシャで来ました。和歌山駅を出ると、日根野駅→天王寺駅→新大阪駅、そして乗り換えて京都へとまっしぐら。1時間40分で京都タワーの真下に降り立ちました。気持ちがいいほどです。
 これも、粉河の観音様のご利益なのでしょう。ありがたいことです。

 京都タワーの下の回転寿司屋さんの「大起水産」で、好きなネタを選り取り見取りの晩御飯をいただきました。ここの茶碗蒸しと貝の味噌汁は、いい出汁が出ています。
 
 
 
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2021年11月19日

西国三十三所(2021-9)紀三井寺(2番)

 お昼に、大阪外食産業協会の産学連携講座「レストラン経営論」の講義でお越しになった副会長で千房(株)の代表取締役社長をなさっている中井貫二氏と名刺交換をしました。この講座は、外食産業分野で業界を牽引し活躍中のトップリーダーが、体験と現状分析を踏まえて語ってくださる、これ以上は考えられない贅沢な講座です。学生も大いに刺激を受けているようです。

 その後、時間の隙間を見つけて、和歌山方面へ出かけました。

 秋晴れののどかな紀州路を、のんびりと歩きました。行き先は、西国三十三所第2番札所の紀三井寺。この前に来たのは、今から11年前になります。那智勝浦からの帰りでした。

「西国三十三所(5)紀三井寺」(2010年09月28日)

 日根野駅を出発すると和歌山駅で乗り換え、2つ目の紀三井寺駅で降ります。
 世界各国で回転寿司の実食調査をしている私は、日本でも食べ歩いています。今日は、紀三井寺駅からほど近い「くら」に立ち寄りました。夕方を控えたお昼過ぎだったこともあってか、あまり元気が感じられないお店でした。海外の方が、もっとお店の雰囲気作りに工夫を凝らしています。全国チェーン店なので、さらなるアイデアで楽しいお店にしてもらいたいと思いました。

 紀三井寺駅に引き返し、目の前の山を見上げると、中腹の左に本堂の大屋根が、右に千手十一面観音の仏殿が見えます。

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 参道の途中に建つ道標には歴史を感じます。

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祢古ろふどう迄 四里
古か王てら迄  六里
かうやさん□□□ 三り


 前回は裏門から参拝したので、今回は正面の楼門から入りました。

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 参拝料をお渡ししようとした時、70歳以上は割引となる表示を見かけました。10日前に70歳になったばかりの私は、早速申し出て、1つ下の妻の半額で入山することができました。こうした優待で、年寄りが元気に出歩けるような環境を作ってもらうことは大歓迎です。

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 楼門のすぐ横には、令和元年(2019)に建立されたばかりの閻魔大王が、西国三十三所にちなんだ33個の宝印を手にして座っておられます。この表情には元気をもらえます。

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 楼門を潜ると、階段が待ち構えています。25段、33段、42段、61段と、厄年を踏み越える石段です。

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 この立て看板には次のように書かれています。

是より上の登段最速記録は二一・九秒
無謀な挑戦はおやめください(元陸上一〇〇m日本記録保持者・青戸慎司選手)


 無理なことはしないようにと言いながらも、挑戦してみろと言わんばかりの表示には、つい笑みがこぼれます。
 仏殿には、日本最大の総漆金箔寄木立像である千手十一面観音菩薩がすっくと立っておられます。『源氏物語』の千年紀だった平成20年(2008)の落慶です。

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 本堂でお軸に朱印をいただきました。

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第貳番
 紀三井寺
古里を者流/\
  古ゝに
 きみゐ寺
華の都も
  ちかく
 なるら無


 帰りは、新しく設置されたエレベータで途中まで降りました。

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 帰り道で、天空に140年ぶりの部分(皆既とも)月食が見られました。これも、見られない貴重な記録として残しておきます。

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2021年11月12日

西国三十三所(2021-8)6巡目の那智青岸渡寺(1番)

 久しぶりに遠出をしました。
 好天に恵まれ、陽光に輝く熊野灘を眺めながら、那智勝浦へ観音巡礼の旅です。

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 特急「くろしお」はほぼ満席だったので驚きました。つい最近までコロナのために、観光は自粛となっていたことが嘘のようです。

 西国三十三所の札所巡りは、ただいま6巡目です。この前の5巡目の時に那智の青岸渡寺に来たのは今から11年も前で、その時のことは、「西国三十三所(4)青岸渡寺」(2010年09月27日)で報告した通りです。
 今回は、のんびりとしたペースで回っています。この前、6巡目の7番目に行ったのは、「西国三十三所(2021-7)/三室戸寺(10番)」(2021年06月26日)でした。

 さて、紀伊勝浦駅からバスで25分で、青岸渡寺の真下まで行けます。ただし、そこからの階段が急なので息が切れました。これまでに何度も来ているのに、こんな思いはしていません。体力の衰えは、こんな時に実感します。

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 石段を登りきるとすぐに本堂です。

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 まずは、ご朱印を書いていただきます。

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 朱の押印がはみ出しています。書いてくださった方は、この軸は正式に認められたものではないので、小さすぎると仰っていました。しかし、他の霊場ではうまく印判が合っているので、少し小振りの印も用意してほしいと思います。これもご愛嬌ということで。

 すぐお隣の熊野那智大社にもお参りをします。

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 青岸渡寺に引き返し、本堂裏から那智の滝を眺めます。定番の観光スポットであり、圧巻です。

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 歩いて滝壺まで降りる途中でも絶景に出会えました。

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 滝壺までの山道は、大きな石が不規則に組まれた下りの石段なので、足腰がガクガクします。残念ながら何度かよろけたために、妻に助けられました。またまた、歳を痛感。悔しいことです。

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 大滝は見上げるだけで気持ちが爽快になります。どこからこれだけの水が流れてくるのか、不思議です。

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 自然の中に身を置き、しばし霊気に包まれていると、さまざまな雑念が消えていきます。
 あたふたと過ごす生活のリセットができました。
 
 
 
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2021年10月22日

蟻通神社を気ままに探訪

 大阪府泉佐野市長滝に蟻通神社があります。JR阪和線長滝駅(無人駅)から歩いて10分。まっすぐでわかりやすい道を、のんびり歩いて行きました。

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 この神社のことは、今年の入学式の学長式辞で、「『枕草子』には、泉佐野の蟻通神社の説話が出てきます。」と言って紹介しました。『枕草子』の〈社は〉の段には、仏教説話を由来とする蟻通神社の話が載っているのです。また、紀貫之の歌集には、歌徳説話として故事が語られています。この、興味深い蟻通神社にいつか参拝しようと思いながら、ずっと果たせないままに来ました。やっと念願が叶いました。この神社に関しては、「蟻通神社のホームページ」に詳しい説明があります。その中から、『貫之集』と『枕草子』に記載されている内容を紹介している箇所を引用します。

蟻通神社にゆかりのお話

その1.紀貫之の故事伝承

「貫之集」新潮日本古典集成より

紀の国に下りて、帰り上りし道にて、にはかに馬の死ぬべくわづらふところに、道行く人々立ちどまりていふ、 「これはここにいますがる神のしたまふならん。年ごろ社もなくしるしも見えねど、うたてある神なり。さきざきかかるには祈りをなん申す」といふに、御幣もなければ、なにわざもせで、手洗ひて、「神おはしげもなしや。そもそも何の神とか聞こえん」ととへば、「蟻通しの神」といふを聞きて、よみて奉りける、馬のここちやみにけり
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概略
平安時代の歌人紀貫之は、紀州からの帰途、馬上のまま蟻通神社の前を通り過ぎようとします。するとたちまち辺りは曇り雨が降り、乗っていた馬が、病に倒れます。そこへ通りかかった里人(宮守)の進言に従い、傍らの渕で手を清め、その神名を尋ねたところ「ありとほしの神」と言ったのを聞いて歌を詠んで献上します。その歌の功徳で神霊を慰め、霊験があらわれたため、馬の病が回復し、再び京へと旅立ちます。実は里人(宮守)は、蟻通明神の神霊だったという伝承です。このお話は、枕草子「社は」の段に記載されています。
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貫之が奉能した和歌。「貫之集」より
「かきくもり あやめも知らぬ大空に ありとほしをば 思ふべしやは」

意味:かきくもり闇の様な大空に 星があるなどと思うはずがあろうか。
「ありとほしをば」には、「有と星」と「蟻(有)通」を掛けています。一面に曇って見分けもつかない大空に星のあるのも分からないように、ここに蟻通明神のお社があると思い付くでしょうか。こんな無体な仕打ちを蟻通の神がなさろうとは思えない、の意を表します。 神仏を感応させて効験のあった歌として『袋草子』等にも記載されています。



その2.清少納言『枕草子』記載の社名伝説

枕草子225段「社は」 角川書店枕冊子全注釈より

社は、布留の社。龍田の社。はなふちの社。みくりの社。杉の御社、しるしあらむとをかし。ことのよしの明神、いとたのもし。「さのみ聞きけむ」ともいはれたまへと思ふぞ、いとをかしき。

蟻通の明神、やませたまへとて歌詠みて奉りけむに、やめたまひけむ、いとをかし。この「蟻通」と名づけたる心は、まことにやあらむ、むかしおはしましける帝の、ただ若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをば、うしなはせたまひければ、人の国の遠きに行き隠れなどして、さらに都のうちにさる者なかりけるに、中将なりける人の、いみじき時の人にて、心などもかしこかりけるが、七十近き親二人を持ちたりけるが、四十をだに制あるに、ましていとおそろしと怖ぢさわぐを、いみじう孝ある人にて、「遠きところにはさらに住ませじ、一日に一度見ではえあるまじ」とて、みそかに夜夜地を掘りて屋をつくりて、それに籠め据ゑて、行きつつ見る。おほやけにも人にも、失せ隠れたるよしを知らせて。などてか家に入りゐたらむ人をば知らでもおはせかし。うたてありける世にこそ。親は上達部などにやありけむ、中将など子にて持たりけむは。いと心かしこく、よろづのこと知りたりければ、この中将若けれど、才あり、いたりかしこくて、時の人におぼすなりけり。

唐土(もろこし)の帝、この国の帝をいかではかりてこの国打ち取らむとて、つねにこころみ、あらがひをして送りたまひけるに、つやつやとまろにうつくしく削りたる木の二尺ばかりあるを、「これが本末いづかたぞ」と問ひたてまつりたるに、すべて知るべきやうなければ、帝おぼしめしわづらひたるに、いとほしくて、親のもとに行きて、「かうかうのことなむある」といへば、「ただ早からむ川に立ちながら投げ入れて見むに、かへりて流れむかたを末としるしてつかはせ」と教ふ。まゐりて、わが知り顔にして、「こころみはべらむ」とて、人人具して投げ入れたるに、先にして行くにしるしをつけてつかはしたれば、まことにさなりけり。

五尺ばかりなる蛇の、ただおなじやうなるを、「いづれか男女」とてたてまつりたり。また、さらにえ知らず。例の、中将行きて問へば、「二つ並べて、尾のかたに細きすばえをさし寄せむに、尾はたらかさむを女と知れ」といひければ、やがて、それは、内裏のうちにてさしければ、まことに一つは動かず、一つは動かしけるに、またしるしつけてつかはしけり。

ほどひさしうて、七曲にたたなはりたる、中はとほりて左右に口あきたるがちひさきをたてまつりて、「これに綱とほしてたまはらむ。この国にみなしはべることなり」とてたてまつりたるに、いみじからむものの上手不用ならむ。そこらの上達部よりはじめて、ありとある人いふに、また行きて「かくなむ」といへば、「大きなる蟻を二つ捕へて、腰にほそき糸をつけて、またそれがいますこし太きをつけて、あなたの口に蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して蟻を入れたりけるに、蜜の香を嗅ぎて、まことにいととう穴のあなたの口に出でにけり。 さて、その糸のつらぬかれたるをつかはしける後になむ、「日本はかしこかりけり」とて、後後さることもせざりけり。

この中将をいみじき人におぼしめして、「なにごとをして、いかなる位をかたまはるべき」と仰せられければ、 「さらに官・位もたまはらじ。ただ老いたる父母のかく失せてはべるをたづねて、都に住ますることをゆるさせたまへ」と申しければ、「いみじうやすきこと」とてゆるされにければ、よろづの親生きてよろこぶこといみじかりけり。中将は、大臣になさせたまひてなむありける。
さて、その人の神になりたるにやあらむ、この明神のもとへ詣でたりける人に、夜あらはれてのたまひける。

七曲にわかれる玉の緒を貫きてありとほしとも知らずやあるらむ

とのたまひけると、人の語りし。
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概略
紀貫之の故事伝承のお話の後、神社に「蟻通(ありとおし)」と名をつけた由来のお話が続きます。 昔、唐土(もろこし)の国が日本を属国とするため提示した三つの難題に対して主人公の中将が老いた父の助言に従い帝に進言し、問題が解決されます。この三つ目の難題の答となった蟻に糸を結んで七曲りの玉に緒を通したという説話が「蟻通神社」の縁起、社名伝説となりました。智恵のある中将の父によって日本は難を逃れることができました。帝は、褒美を下賜しようとしますが、中将は、老いた両親を助けて欲しいと答えます。  当時、老人は都払いにするという決まりがあったからで、これを聞いた帝は感心して、この習わしを改め、世の人々に親孝行を奨励したといわれています。 後に、この孝養の深い中将と智恵のある両親は、蟻通明神として祀られました。
歌の意味は、「七曲がりに曲がりくねっている玉の緒を貫いて蟻を通した蟻通明神とも人は知らないでいるのだろうか」
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○ 日本に出された三つの難題と答

一、削った木の元(根)と末(先端)の見分け方?
答・・・川に投げ、方向変えて先に流れる方が木の末(先端)である。

二、蛇の雌雄の見分け方?
答・・・尾の方に細い棒を指し寄せ、しっぽを動かす方が雌である。

三、うねうねと中が折曲がっている玉に糸を通す方法
答・・・蟻の腰に細い糸を結んで、玉の出口になる方に蜜を塗ると蟻は、蜜の香を嗅ぎつけて、出口に出てくる。


 境内に入ってすぐ右には、「紀貫之冠之渕の由来」と題する説明が刻まれています。

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 その後ろに、貫之の歌を変体仮名交じりで刻んであります。

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    徒らゆき
か支くもり
 あや免もしらぬ
  おほそ羅耳
阿里登ほ志をは
   おもふへし
      やわ
    岡部長景書
      八十有五叟

 ここに記されている変体仮名は、以下の通りです。カッコ内が現在の平仮名の表記字体です。
徒(つ)、支(き)、免(め)、羅(ら)、耳(に)、阿(あ)、里(り)、登(と)、志(し)


 南参道を進み、太鼓橋を渡った表門の右には、現在は改修中の絵馬殿があります。ここには、「三十六歌仙図絵馬」(泉佐野市指定文化財)が飾られているそうです。「参拝のしおり」に掲載されている写真を引用します。

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 しおりの説明には、「絵:狩野主計助玉信」とあります。参考までに、架蔵の『探幽筆三十六歌仙』の粉本を私が彩色再現したものを並べてみます。

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 細かな違いはあるものの、図様がよく似ています。また、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催して開催している京都の船岡山にある〈紫風庵〉での勉強会の資料にも、この人麿と貫之の図像について資料をあげています。詳しくは、「紫風庵で三十六歌仙と源氏物語の変体仮名を読む(第2回)」(2019年06月29日)を参照願います。
 いつかこの蟻通神社の「三十六歌仙図絵馬」の全図を拝見し、歌仙絵の比較検討をしたいものです。
 本殿の両壁に描かれた絵も、興味を持ちました。

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 これらは、すべてが今後の課題とします。
 北鳥居の佇まいからも、この神社がかつては広大ものであったことが窺われます。

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 実際、この蟻通神社はここから1キロ北の、国道481号線空連道長滝交差点付近にあったそうです。それが、第2次世界大戦の時に飛行場を建設するために、現在の地に移転させられたのです。今は、その空連道長滝交差点角から60m南に、「蟻通神社跡」(旧社地)として残されています。ここにも足を留めて来ました。イラストやワンポイントの絵に、地元の方々がこの神社を大切にしておられることがわかります。

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 この旧社地へ行くのには、社務所、交番、某会社の方々の親切な対応があって辿り着けました。特に、飛び込みで道を尋ねたにもかかわらず仕事から帰られたばかりの某社の社長さんは、正確で丁寧な道案内図を書いてくださいました。どこの誰ともわからない者に、時間を割いて対応してくださったのです。他の社員のみなさまも、みなさんスマホを取り出して調べてくださいました。おかげさまで、無事に「蟻通神社跡」に行き着きました。ありがとうございました。
 
 
 
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2021年06月26日

西国三十三所(2021-7)/三室戸寺(10番)

 アジサイが見たくなり、すぐに思いついたのが三室戸寺です。
 ここは西国三十三所の札所です。今は6巡目を歩いています。しかし、なかなか出かける暇がなく、この前は9ヶ月も前のことになります。
 「西国三十三所(2020-6)/善峯寺(20番)」(2020年09月12日)
 コロナ禍に出かけることにためらいはあるものの、近場でもあり、自然の中なので気分転換に、と思い立ったのです。
 この前にこのお寺に巡拝で来たのは、「西国三十三所(13)三室戸寺」(2010年10月15日)に書きました。今回はアジサイ見物なので、お寺の説明などはこの前の記事に譲ります。境内の雰囲気がわかる写真を中心に並べます。

 参道に建つ道標に、変体仮名が彫られていました。
 「右 三むろみち」(右 三室道)、「左 王う者"くみち」(左 黄檗道)です。変体仮名が読めないと、「王」(wa)や「者"」(ba)が何か、想像もつかないことでしょう。

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 山門に至る参道の左右には、『源氏物語』の中でも宇治十帖の巻名と源氏絵を配した灯籠が並んでいます。ライトアップした時に、雰囲気作りに役立っていることでしょう。

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 山門を潜ると、すぐ右手にアジサイ園が一望のもとに展開しています。

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 ここは後にして、まずは階段を登って納経所と本堂へ。この階段がきつく感じられたのは、疲れているからでしょうか。息が上がり、脚が重くなりました。
 境内には、きれいなアジサイの花手水があります。初めて見ました。気持ちがゆったりとします。

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 納経所には、透明のビニールが下りていました。そのビニール越しに、書いていただいているところを写しました。

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 境内は、蓮で埋まっています。

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 鐘楼の手前に、『源氏物語』の浮舟の古蹟が建っています。ただし、見えにくいところにあるので、ほとんど人は足を留めません。

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 アジサイ園は色鮮やかでみごとなものです。

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 園内の茶店で、緋毛氈の縁台に座り、抹茶のゼリーをいただきました。日頃の慌ただしさを忘れ、のんびりとできました。

 帰りに駅の売店で、大阪観光大学の地元の銘菓である「月化粧」が、近畿の名品として並んでいました。思わずシャッターを押しました。こんなところで出会うと、嬉しいものです。

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2021年03月22日

お彼岸は河内高安へ墓参

 今年のお彼岸は、先週17日(水)から明日23日(火)までの一週間です。
 何かとバタバタするだけの日々の中で、ようやくお墓参りに行けました。
 墓地がある河内高安の里へは、片道2時間の小旅行となります。
 ターミナル駅で過密の中を歩くのを避けるために、いつもとは違うコースを組みました。
 地下鉄で京都駅に出てから、近鉄特急で大和西大寺駅で乗り換えて大阪方面に向かいます。ここまでは、お茶のお稽古に平群へ行く時と同じです。今回は、生駒駅で乗り換えず、その先の布施駅で乗り換え、Uターンして河内山本駅でまた乗り換えてから信貴山口駅に行きました。
 駅前は、桜が咲き出したところです。

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 いつもは、霊園が出している送迎用のマイクロバスでお墓に行きます。しかし、今日は天気もよく風が気持ちよかったので、妻とブラブラと山道を歩きながら行きました。この山道は、私が中学・高校時代に通学で歩いた道です。

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 私は、小学校6年生の2学期から高校時代にかけて、この高安の里で育ちました。この霊園へ行く途中の浄水場の急斜面は、小学生から中学生の頃にテレビで観ていた忍者部隊月光のドラマよろしく、この山肌を駆け登ったり飛び回ったりした場所です。今は整地されていてきれいです。しかし、56年前は鬱蒼とした山でした。まさにここは、忍者部隊月光ごっこをした遊び場だったのです。

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 墓地に入ると、上空を飛行機が伊丹空港に向かっているところでした。ここは、伊丹空港への通過ポイントです。

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 お墓をきれいにし、ご先祖様に近況を報告しました。

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 眼下の八尾市の向こうが大阪市、その向こうが大阪湾です。晴れていると淡路島や四国が見えます。右手が京都、左手が和歌山になります。

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 気持ちのいい、さわやかな墓参となりました。
 
 
 
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2021年02月11日

熊取散策(1)法禅寺

 ポカポカ陽気となったので、大阪観光大学の周辺を散策しました。
 熊取駅と日根野駅との中間地点の小高い丘に、法禅寺がありました。臨済宗の禅寺です。

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 我が家は曹洞宗の家です。自分の家が何宗であるのかは、父が亡くなりお葬式をする時でした。奈良で子育てをしていた時期で、曹洞宗のお寺さんを探しても大和ではなかなか見つかりません。近くの王寺駅を少し南に下ったところにあった、臨済宗南禅寺派の片岡山達磨寺さんにお願いしました。聖徳太子と達磨大師が出会ったお寺で、本堂の下には達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。重文の座像などがある名刹で、「仏ほっとけ」が口癖の楽しい御師さんでした。その後、季節季節のおまいりは、大阪河内の柏原にある曹洞宗の薬師寺さんにお願いしました。
 今日たまたま出会った法禅寺は、格式の高そうななかなか立派な佇まいの禅寺であることが、通りかかってすぐにわかりました。ホームページを見ると、熊取町には臨済宗のお寺が5寺もあります。曹洞宗も5寺あるので、禅宗が広まっている地域なのでしょうか。ネット上には、このお寺の由緒などはほとんど公開されていません。
 唯一、「里井浮丘と法禅寺ー新大阪物語(116)」(https://ameblo.jp/kazu3wa1192/entry-12475364083.html)が、ご自身の菩提寺ということで有益な情報を記しておられます。
 そこに記されていたことで、次の記事が目に留まりました。

 お盆は、釈迦の弟子の目連(もくれん)が、釈迦の教えをもとに、多くの僧に施食(陰暦7月15日)して、母親を餓鬼から救ったという救母説話に由来しています。
 お盆には、すべてのものに食べ物や真心を手向けるという「施(ほどこ)しの心」をもって過ごし、仏壇・墓などに場の穢(けが)れを清めるお香、線香をたてます。

 人口約4万人の熊取町には現在13ヵ寺あり、内9ヵ寺が禅宗で、他の地域で類例がない禅宗の町です。
内訳は浄土宗(法樹寺)1、浄土真宗(芳元寺、浄見寺、正永寺)3で、曹洞宗が正法寺、来迎寺、法願寺、西方寺の4ヵ寺と臨済宗が法禅寺、慈照寺、恵林寺、興蔵寺、そして高田の興正寺の5ヵ寺です。

里井浮丘は『高田村興正寺六景』(現熊取町)を詠んでいます。

前渓板橋   訪ふ人の 跡やたえまし 谷川に かかるたなはし なからましかば
東峰秋月   さしのぼる 峯やさやけき 月影を 秋のながよも あはでこそみれ
水間晩鐘   心さえ すみまさるなり いはいははしる 水間のてらの あかつきの鐘
牛社松月   くり色の 牛の社の みどりなる まつともわかぬ ゆきのしろたえ
星後松濤   わすれては あまの苫屋と おもふまで 枕にちかき まつの風かな
高田晩烟   家ごとに ゆふげの飯や かしぐらん けぶりたかだの さとのゆたけさ


 興味深い内容です。
 目連については、『源氏物語』との関係で、「大島本『奥入』に引用された目連救母説話」(http://genjimonogatari.blog79.fc2.com/blog-entry-2852.html)の記事(上原作和氏のブログ[2019-01-07])が参考になります。『源氏物語』「鈴虫」巻では、光源氏が目連の例を引いて語っている場面があります。ちょうど、大阪観光大学での公開講座で私が担当する講座「古写本『源氏物語』のくずし字を読む」では、テキストは私が編集した「鈴虫」巻を使用しています。この公開講座は、新型コロナウイルスのことからしばらくは休会中。受講生のみなさんと一緒に、この部分を読める日を楽しみにしています。

 法禅寺の境内には、紅梅と臘梅が咲いていました。

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 この法禅寺の梅に関して、YouTubeに動画があがっていました。2013年2月26日のもののようです。参考までに引用します。
https://www.youtube.com/watch?v=LkoicIfWEHQ

 境内を気ままに散策しました。写真だけをアップします。

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 いろいろと知りたくなりました。
 詳しく調べてから、また尋ねたいと思います。
 
 
 
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2020年11月13日

仕事帰りの電車が運休のため小旅行となる

 大阪観光大学の構内は、いま紅葉がきれいです。

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 こうした景色を見ていると、何気なく置かれたイスも、何やら芸術的に見えてきました。

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 一昨日から新型コロナウイルスの感染者が急増したため、大学から帰る時間を早めないと感染リスクが高まります。和歌山寄りで関西国際空港に近いところから、大阪市内を北上して京都の洛北まで帰るのです。3時間半はかかります。
 今日は、珍しく午後の会議が一つだけだったので、早々に大学の門を潜りました。
 日根野駅に着いたところ、改札口に多くの人が集まっています。駅員さんが、人身事故のために電車が停まっていることを、丁寧に説明しておられます。
 京都に帰るためには、いつものJR以外に、迂回して南海を使う選択肢があります。そのためには、日根野駅と関西空港駅の間にあるりんくうタウン駅へ1駅足を延ばし、そこから南海に乗り換えます。
 りんくうタウン駅で降りるなら、ついでに駅前にある回転寿司屋に寄ることにしました。そこは、広くて清潔感のあるお店です。
 食事をして帰る頃には、電車は復旧していました。JRでも構わないと思っていたら、ホームに入ってきた電車は南海でした。しかも、鉄人28号のラピートだったのです。ここは、JRと南海が相互に乗り入れている駅です。どれに乗っても良かったので、久し振りにラピートに乗りました。

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 お客さんは、1輛に二、三人とゆったりです。少し贅沢ながらも、うつらうつらと居眠りをしながら帰りました。小旅行をした気分でした。
 
 
 

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2020年10月24日

大阪観光大学周辺の散策(1)−りんくうプレミアム・アウトレットと海岸

 大阪観光大学の最寄駅である日根野駅から1つ先、関西空港駅の一つ手前にりんくうタウン駅があります。先日会社訪問をしたスターゲイトホテル関西エアポートは、この駅に直結しています。
 今日は、大学の周辺を歩き回るつもりで、リンクウタウン駅から南に隣接する「りんくうプレジャータウンシークル」と「りんくうプレミアム・アウトレット」に行ってみました。

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 かつて、家族を連れて車で来たことがあります。海外からの観光客がいなくなったこと以外、雰囲気はほとんど変わっていません。と言うよりも、コロナ禍を忘れさせるような賑わいがあります。活気が感じられます。インバウンドに頼ることなく、諦めからの居直りで営業する姿勢に、忘れ去られていた日本人の逞しさの片鱗を見ました。これはいいことです。
 海外からの観光客に浮き足立ち、踊らされたことへの見直しが、こうした雰囲気を生み出しているとしたら、日本の再生は期待できそうです。いかに早く海外からの観光客にすがりつく気持ちを振り払い、国内の人々との共生を積極的に図る気概を奮い立たせられるか…… 海外からの一見さん頼みの商いではなく、地元や近隣の市町村と結びついた、長いお付き合いの延長という感覚でのビジネスを展開してほしい、という思いを強くしました。
 根拠のない、勝手な思いつきを記しています。しかし、幼かった頃に見た大人たちの創意工夫を凝らした生き様を思い出して、今こそあの気骨を思い返すべきではないか、と思うようになりました。30代になった私の子供たちの世代の奮起を応援したいと思います。
 そんな、新たな元気が生まれるリンクウタウンの散策となりました。
 いろいろとお買い物をした後は、海岸に出てみました。これまた、すばらしい景色です。
 ちょうど飛行機が降りるところでした。気持ちのいい散策路で、気分をリフレッシュ出来ました。

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 今回は、次のマップの[1]と[2]のエリアと海岸を歩きました。
 楽しさ満載の散策エリアです。

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2020年09月22日

お墓参りに河内高安へ

 午後になってから、市バス、京阪、JR、近鉄を乗り継いで、お墓参りのために河内高安にある信貴霊苑へ行きました。これまでに何度も書いた、『伊勢物語』の「筒井筒」の段で知られる高安の里です。
 4連休の最終日のせいか、いずれの交通機関も車内には人が溢れていました。駅は、朝夕のラッシュ時に近い混みようです。
 新型コロナウイルスのために外出を自粛していた人々が何と多いことか。溜まりに溜まったストレスを発散させる意味もあってか、この連休を待ってましたとばかりに、外に出かけておられるようです。かく言う私も、春の彼岸とお盆の墓参は見送ったものの、今回は全国的な開放感に便乗して、はるばる河内の国までやって来たのです。
 信貴山口駅から出ている霊苑行きの送迎バスは、今日の便はすでに終わっていました。歩くしかありません。
 私は、小学校5年生から高校を卒業するまで、この高安の地に住んでいました。この山道は、毎日通学で歩いた道です。
 「信貴山道」という標識がありました。

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 この東高野街道は、史跡の道でもあります。この北と南には、大和に抜ける業平道があります。
 お墓からは、大阪湾が望めます。左手前には、私が通っていた小学校と中学校があります。

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 正面にアベノハルカスが聳え建つ天王寺、右が京都方面、左が和歌山方面です。関空は、曇っていて見えません。天気がいいと、正面に淡路島が見える時があります。

 お参りをしていると、にわかに大粒の雨が落ちて来ました。明日は、颱風が近畿・東海地方を直撃します。その予兆でしょうか。しかし、すぐに上がりました。
 ブラブラと、暮れなずむ大阪平野を左手に見ながら、歩いて信貴山口駅まで帰って来ました。駅では、ちょうど信貴山と高安山からの帰りの客を乗せたケーブルカーが、ホームに到着するところでした。ただし、乗客は1名だけでした。

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 すぐに、帰りの近鉄電車が来ました。これは、この駅と次の服部川駅、そして山本駅の3駅だけをつなぐ支線です。信貴山へ登るために敷設された電車です。この信貴山口駅は終着駅なので、のんびりした景色が楽しめます。

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 帰りの乗り換え駅である鶴橋で、お墓参りの時には必ず立ち寄ることにしている回転寿司屋「海幸」に行きました。入ろうとしたところ、消防車が数台、目の前を通りすぎました。距離にして100メートルほど西では、すでに4台の消防車とパトカーが赤色灯を点滅させて慌ただしいことになっていました。

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 しばらく様子を見ていて、こちらまでは影響がないことを確認してから、お店に入りました。もちろん、何かあればすぐに逃げられるようにして。
 何事もなくお寿司をいただくことができました。火事は大丈夫だったのでしょうか。
 明日、明後日の颱風も、何事もなく通過してくれることを祈っています。
 
 
 
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2020年09月12日

西国三十三所(2020-6)/善峯寺(20番)

 阪急東向日駅前は、歴史の上に日常生活のためのお店が折り重なって立ち並ぶ、懐かしさと気持ちのいい環境にあります。

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 その駅前から1時間に1本のバスで、善峯寺に向かいます。今日の最終バスは15時42分なので、散策はそこそこに先を急ぎました。
 1車線の狭い道をエッサエッサ。曲がりくねった道を、左右に筍で有名な竹林を見ながら登って約30分。小塩山の麓の山里の中にある寺域に入りました。

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 バスを降りてから、急な山道を歩いて登ります。

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 これまで5回の巡拝の内、4巡目までは車で回りました。車を使わない生活にした前回から、公共交通機関を使っています。駐車場は本堂の真下にあるので、この急な参拝道は2回目です。日頃の運動不足を実感し、息が切れます。
 本堂と境内は、静かな中で安らぎを感じます。
 納経所では、持参のお軸に朱印を記していただきました。

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 境内を散策しました。

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 境内には、秋明菊が咲き誇っています。

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 京都市街が遥か眼下に見渡せます。京都タワー、比叡山、そして我が家のあたりまで見える、絶景の西山です。

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 今回の6巡目は、妻と2人で自分たちだけの巡礼です。去年の7月7日からスタートしました。「西国三十三所(1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から」(2019年07月07日)
 この善峰寺が6ヶ寺目。これまでで一番遅いペースです。いつか満願を迎えるのだからと、のんびりと巡っています。

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 せっかく大原野まで来ているので、在原業平の墓がある十輪寺(業平寺)へも、と気持ちは動きます。しかし、立ち寄るだけの余裕がなく、残念ながら素通りとなりました。
 
 
 
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2020年09月01日

淀屋橋から西天満を歩く

 大阪・西天満にある「はばたき綜合法律事務所」で開催された、学校法人明浄学院の理事会に出席してきました。
 今日は少し余裕を持って出かけたので、淀屋橋から大江橋を渡り、会場がある西天満までの道々を、いろいろスナップ写真を撮りながら行きました。
 帰りは、難波橋(な尓者ばし)を渡って帰りました。
 以下、気に入った光景を、気ままに選んで残しておきます。

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2020年08月03日

西国三十三所(2020-5)/今熊野観音寺(15番)

 この前に今熊野観音寺に来たのは、昨年、2019年5月5日です。洛陽三十三所の集印で来ています。

「京洛逍遥(552)洛陽三十三所(19)今熊野観音寺」(2019年05月15日)

 この時には、まだ西国三十三所の6巡目を思い立っていなかったので、洛陽三十三所の御朱印をいただいただけで帰りました。6回目の西国三十三所めぐりは、昨年、2019年7月7日からの発願です。

「西国三十三所(1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から」(2019年07月07日)

 気ままに、思い立ったら観音巡礼に出かけるので、同じところに何度も来ることがしばしばです。
 今日は、東福寺駅から今熊野の観音さんに直行しました。
 京阪東福寺駅から歩いて15分。真夏ながら、参道には木陰が多いので涼しい散策です。

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 今日も、子まもり大師さまは子どもたちに囲まれておられます。

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 本堂で御朱印をいただきました。

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 今回はのんびりと回っています。1年以上経っているのに、まだ5体の観音さまにしか会いに行っていません。超スローペースの巡拝です。7巡目があるのかないのか。とにかく、今回は妻と2人でゆっくりと回っています。

 さて、今夜は満月。
 自宅の前からも、真ん丸いお月さまが見えました。

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2020年08月02日

日曜日を休業日にした近所のお店のこと

 近所のスーパーマーケットが、今月から、実際には今日から、毎週日曜日をお休みにされました。年中無休なので重宝していました。今日も、つい買い物に行こうとして、おっとっと、となったのです。習慣とは怖いものです。
 このお店は住宅地の真ん中にあり、かつては地域の公設市場だったそうです。行くと、いつもお客さんがおられるので、客足が遠のいたのではなくて、新型コロナウイルスなどのことに関連する働き方改革の一環なのでしょうか。わからないことは、これ以上想像することは控えます。
 5分ほど歩くと、別のスーパーマーケットがあるので、特に困ることはありません。しかし、長年の慣れとは恐ろしいもので、こんなちょっとしたことに不便さを感じるのですから、わがまま勝手なことで恐縮します。
 今年に入ってから、新型コロナウイルス絡みで、日常生活でさまざまな異変に気付かされることが増えました。不便さを感じることが多いので、それだけ便利な社会に身を置いていたことを、あらためて感謝と共に実感しています。
 今、感染被害は第2波だということで問題になっています。いずれにしても、これからはさらなる身辺の変化に包囲されそうです。高齢者だからということを隠れ蓑にせず、新しい社会に適応できるように日々を楽しく送りたいと思っています。
 
 
 
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2020年07月23日

気になる連休中の旅行者と観光地の様子

 連休の最中にもかかわらず、私は「Go To キャンペーン」とは無縁の、仕事のために片道3時間の小旅行をしています。
 今日の日根野から京都への帰りは、電車もバスもガラ空きでした。いつもなら帰宅のラッシュ時にあたります。みなさん、すでに街中から旅立ち、東京以外の観光地に移動なさったのでしょうか。
 今日からの連休の旅行は、キャンペーンが早まって昨日から割引対象となったことにより、効果がどれくらいあるのでしょうか。来週の報告と分析を、今から楽しみにしています。
 今回の連休において、旅行者はどのような行動パターンを見せているのでしょうか。特に、割引となるようにあの手この手を尽くしての旅となっているはずです。また、新型コロナウイルスの感染被害を気遣い、外出を自粛した人々は、来週どのようなコメントを、向けられたマイクに向かって話されるのでしょうか。これも興味津々です。
 そして、マスコミからあまり相手にされず、沈黙を守っておられる観光学者は、この状況を踏まえての観光論を、どのように展開なさるのでしょうか。私はこの分野の関係者ということになるので、情報を集め回っているところです。
 とにかく、連休後の報道に注目しましょう。
 自分が旅人になれない現状に、残念な思いを抱きながら……
 
 
 
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2020年07月12日

休日にもかかわらず北浜で仕事

 このところ降り続いていた雨も、今朝はすっかり上がりました。賀茂川と高野川が合流する地点に架かる賀茂大橋は、橋脚に及ぶ水嵩がグッと低くなっています。まだ油断は禁物ながら、ひとまず峠を越したようです。

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 京阪出町柳駅からの電車は、日曜日ということもあってか、ガラガラでした。新型コロナウイルスへの対策が、適度に新しい生活規範を作り出しているようです。
 今日の行き先である北浜駅周辺は、私が好きな高田郁の小説の舞台です。『みをつくし料理帖』や『あきない正傳 金と銀』のシリーズでは、話の起点は大阪の高麗橋です。
 地上に出ると、付近の案内図が浮き出し文字による銅版のパネルとして置かれていました。

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 表示されている文字は漢字ばかりなので、目が見えない方々は手も足も出ないものです。おのずと、障害者への配慮という問題に思いが及びます。この案内板は、ユニバーサルデザインの発想で作られたものではありません。それだけに、今後の改善策へのヒントが多くもらえます。
 すぐ近くにある、大阪取引所の前には、五代友厚の像が立っています。

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 時間があれば、ゆっくりとこの辺りを散策したいところです。しかし、今は大事な仕事に追われての移動中なので、またいつか、と諦めて目的のビルに入りました。
 
 
 
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2020年06月21日

休日の大阪市内で一仕事を終えて

 今日も会合に出席するために、大阪市内に出かけました。出町柳駅前からは、如意ヶ岳の大文字が爽やかに「大」の字を見せています。

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 京都五山の送り火まで、あと1ヶ月半。今年の大文字は、いつもの年に増して疫病退散を中心にした、切実な願いや祈りに包まれることでしょう。

 京阪電車の乗客は適度にコントロールされた数なので、安心して移動ができます。
 乗り換えの淀屋橋駅で地上に出ると、中之島がきれいに見通せます。

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 左から、日銀、市役所、図書館、公会堂と、歴史的な建造物が並んでいます。
 水の都大阪を実感するエリアです。

 帰りは夕方だったので、乗客は多い方でした。休日なので、お買い物帰りでしょうか。地下鉄では、拳一つ半くらいの隙間を空けて、ゆったり座っておられます。そのせいもあり、数人が立っておられました。
 そんな中で、隣の方が私との間に大きめのカバンと紙袋をドンと寝かせて置いて、ちょうど1人分以上の間隔を保っておられます。確かに、ソーシャルディスタンスを考えると、それくらいの間をとってもいいと思います。しかし、今は少し混み合っているので、多少は融通を利かせてもいい状況です。少し体格のいい女性だったので、その方と荷物のスペースには、スリムな私が3人は座れます。そんなに自己主張しなくても、と思いました。かと言って、少し詰めませんか? と言うわけにもいきません。なかなか、難しいものです。

 京阪電車は、2人がけのベンチシートに1人ずつ座り、いつものようにゆったりしていて快適です。日曜日の夕刻とは思えないほどに、時間もゆったり流れていきます。
 窓から見える大阪湾に沈む夕陽が、幻想的な色を見せていました。
 無事に一仕事を終えた後なので、ついシャッターを切り、しばし夕景に見惚れていました。

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2020年06月13日

特急電車の乗り心地から観光に及ぶ

 東海道新幹線の車輌が、来月7月1日から新しくなり、乗り心地が良くなるそうです。「N700S」というものがそれで、13年ぶりにフルモデルチェンジとのこと。今日の京都新聞の記事によると、「座席のリクライニングや揺れ軽減装置の改良で「ワンランク上の乗り心地」を実現」とあります。
 新幹線の乗り心地が悪かったことは、これまでに何度も本ブログで書きました。高速走行するための宿命とはいえ、とにかく本が読めません。東京駅を出てから新横浜駅に着く頃には、もう目頭が熱くなっていて読書は諦めます。若かった頃はそんなに気にならなかったことが、加齢と共に目と肩にドッシリとのしかかってきます。
 全席にコンセントが配備されるとのことなので、スマホの充電で隣の席の人と電源を取り合うことはなくなります。隣の席の方との肘と肘のぶつかり合いは、解消されるのでしょうか。
 本年2月15日に、日比谷図書文化館での源氏講座のために上京して以来、4ヶ月も新幹線に乗っていません。来月からは源氏講座も再開されるでしょうから、その時が初体験となりそうです。
 電車の乗り心地というと、とにかくJRは軒並み良くないですね。
 私が長距離移動をする範囲は、京都から東京+成田、京都から関西空港です。その路線を走る特急クラスの乗り心地は、個人的には次の順位だと感じています。

(1)京阪特急(無料)
(2)南海ラピート(有料)
(3)阪急特急(無料)
(4)現行新幹線(JR、有料)
(5)成田エクスプレス(JR、有料)
(6)はるか(JR、有料)
(7)くろしお(JR、有料)

 この中でも、京阪はピカイチです。2位以下とは格段の開きがあります。
 JRはことごとく乗り心地が悪い列車だと言えます。
 速さと時間のことを考えると、JRに分が悪いことになります。そうであれば、多少は時間がかかっても、新幹線「こだま」よりも遅くてもいいので、速さを競うだけではない、ゆったりとした旅のための輸送手段も、このあたりで考えてもいいのではないでしょうか。新型コロナウイルスのことから新しい生活が提唱されています。その中に、「そんなに急いでどこへ行く」というかつての言葉をもう一度噛みしめてもいいいのでは、と思っています。高齢化と共に、そんなに急ぐ必要もない人が多くなっていると思われますので。旅の楽しみも、多様化しています。まさに、このところ考えている観光の問題と直結します。
 いずれも、個人の好みなので、勝手に評価しています。
 さて、新しい新幹線は、この中のどこに入るのか、今から楽しみです。
 
 
 
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2020年05月29日

大阪天満宮をブラリと観光

 大阪市内で会議があるために、午後から出かけました。いつもの京阪電車はガラガラです。
 通勤時間帯を外すと、混雑や密集はまったくないようです。

 一仕事を終えて戸外に出たところ、あまりの明るさに空を見上げると、昼の月が白く浮かんでいました。上弦の月でしょうか。私は、折々に節目/\に、きれいな月を見ることがあります。これも、何かいいことの知らせだといいのですが。

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 風も爽やかなので、ブラブラと大阪天満宮に向かいました。
 我が家の子供たち3人の宮参りや七五三のお祝いは、みんなここでやりました。

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 境内はまったく変わっていません。
 三十数年前、たしか車で境内まで入ったように思います。

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 当時は、このさざれ石があったのか、覚えていません。平成27年の奉納なので、なかったかもしれません。

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 「志留べ能石」は、明治十年の建立です。以前は刻まれた文字にあまり興味がなかったのか、まったく記憶がありません。

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 上方落語の定席である天満天神繁昌亭は、来月末までお休みです。

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 大阪天満宮というと、高田郁の『銀二貫』の舞台となっていたことも思い合わせられます。
 久しぶりに来て、子供たちが走り回っていたあの頃のままの姿であり続ける場所に身を置くと、思い出すことも楽しくて気持ちの良いものです。
 観光地が変わらないことは、リピーターのさまざまな思いを包み込んでくれます。それは、平穏であった証でもあるのです。
 新型コロナウイルスのために、出歩くことが少なくなりました。一息つく前に、また第2波がやって来る気配が感じられます。慎重な行動を心がける中で、こうした少しの空き時間にでも、ささやかな街歩きの観光を愉しみたいと思っています。
 帰りの交通機関は、地下鉄も阪急も京都市バスも、ゆったりと座れて空いていました。これくらい少数の人が乗る電車やバスであれば、安心して利用できます。問題は観光客の数にあった、ということに行き着くのでしょうか。
 これについては、慎重な検証が必要です。今は、心情的に「観光客お断わり」の風潮があります。しかし、いつまでもそうはいきません。生活者と観光客のほどほどのバランスと関係を、これから築いていく方策を考えなくてはなりません。国が示した「観光立国宣言」は、新型コロナウイルスの流行で無残にも砕け散りました。これから「国際」とか「観光」について、みんなで知恵を出し合う時代となりました。ゼロからというよりも、マイナス地点からのスタートです。特に京都がそうです。過去に縛られない、若い人たちの出番だと思っています。一緒に議論をしていきましょう。
 
 
 
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2020年03月21日

西国三十三所(2020-4)/清水寺(16番)

 快晴で風も温いので、いつもは大混雑している清水寺へあえて出かけてみました。海外からの観光客がほとんどいなくなったということなので、人通りは絶えているはずです。ゆったりと清水寺で西国三十三所の朱印をいただくなら、こんな日をおいてありません。
 バス一本で清水道まで行きます。バス停がおしゃれでした。

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 目の前を、2階建ての遊覧バスが通りました。こんなバスを間近に見たのは初めてです。白内障の手術の後は、とにかくものがくっきりと見えます。

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 清水道(松原通)から登ると、途中で八坂の塔が見えました。普段なら、人が列をなして通る小道のはずです。

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 少し広い道でも、観光客はまばらでした。

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 途中で、みごとな早咲きの枝垂れ桜が咲いていました。

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 ところが、三年坂との合流地点から上は、ラッシュアワー並の突然の人の波となります。これには驚きました。

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 お昼ご飯は、わらび餅専門店の「普門庵」で、1種類だけのランチをいただきました。お客さんが少なかったせいもあり、もともとがゆっくりと食事をする私は、のんびりと時間をかけていただきました。

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 外に出ると、さらに人出が増えています。海外からの観光客は見当たらないので、3連休を利用して国内からの旅行者でしょうか。今日は、外国語はまったく聞きませんでした。それにしても、清水寺の人気は、すさまじいものがあります。

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 清水寺は、洛陽三十三所の集印で来て以来、久しぶりです。

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 本堂が改修され、京都市街の景色も絶景です。

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 ちょうど数年前からの集印ブームと重なり、納経所は集印帖を持った若者たちで長蛇の列です。この列は、写真奥の西向地蔵堂で折り返しているのです。窓口は5箇所あります。30 分以上並んで、やっと順番が回ってきました。

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 いつものように、ドライヤーで乾かします。ほとんどの方は折本仕立ての朱印帖なので、紙を挟むだけです。ドライヤーは不要です。軸を持っていたのは私だけだったので、西国三十三所巡りの方はこの一団にはいらっしゃらなかったようです。

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 境内には、「阿弖流為」の顕彰碑があります。変体仮名の「弖」(te)の説明でこの例をよく出します。

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 顕彰碑に刻まれた説明文を、iPhone にダウンロードしている「一太郎パッド」で撮影して、資料としていつでも使えるようにテキストにしました。ほぼ正確に読み取って変換してくれます。「一太郎パッド」は重宝するいいアプリです。

 音羽瀧の近くにあった看板の文字が、いかにも変体仮名の一覧表を見ながら書いたと思われる書き振りだったので、これも参考資料として写しておきました。

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 清水寺の桜の開花は、来週でしょうか。この桜は、母を連れてきた時にすばらしい色で咲き誇っていたことを、今でも鮮やかに覚えています。あれは父が亡くなった後、西国三十三所札所巡りをしていた時でした。今日はちょうどお彼岸に入ったところなので、仏前に報告しましょう。

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 帰り道のバス停で、乗り場が北へ50メートルほど臨時に移動していました。観光客が多いための処置です。しかし、実施した頃には観光客がいなくなっていた、という現実が待っていたのは、誰のせいでもありません。ついでに、バス停の表示で、「清水道」は左方向先にあるので、この標識は道路側に向けるか、向側のバス停に置くものです。余計なことですが。

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 これで、朱印をいただいたのは4箇所となりました。

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 まだ始まったばかりです。
 これまでの3箇所は、次のものです。

「西国三十三所(1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から」(2019年07月07日)

「西国三十三所(2019-2)/六波羅蜜寺(17番)」(2019年07月08日)

「西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)」(2019年07月28日)


 
 
 
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2019年10月13日

颱風一過の賀茂川と龍田川がいつもの景色に戻るとき

 超大型の颱風が、東海から関東、そして東北へと駆け抜けて行きました。まだ被害の全体像が見えません。想像を絶することが起きているようです。日本の治山治水政策は、あらためて見直すべきだとの意見が噴出しています。日本には、もともと自然を征服しようという発想はなかったので、日本の伝統と文化に基づいた議論をしていきたいもです。その意味では、日本の学校が、あまりにも欧米の論理をよしとした教育を先導してきたことへの反省が、今求められていると思っています。明日を支える子供に、日本の伝統と文化を踏まえた教育や育児をしていく必要性を痛感するようになりました。ここは日本なのですから、そこに欧米流を持ち込むのではなく、日本流の子育てを模索していきたいものです。孫たちを、そんな目で見ていきたいと思っています。

 洛北の賀茂川と大和の龍田川は、水量が多くなり少し濁っています。しかし、そうは言うものの、いつもの太古以来の穏やかな姿を見せています。いつもの風景に、安心させられます。

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 お茶の先生のお宅に行く坂の途中で、たこ焼き屋さんや床屋さんが入っていた建物が解体されていました。夏には、この軒先にミスとシャワーがあったので、坂道を上る手前で元気がもらえた、息継ぎポイントとなる建物でした。残念です。

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 今日のお茶のお稽古では、「中置きの濃茶」をしました。
 正面に風炉があり、水指はいつもと違って風炉の左前。
 右手の空間がやや殺風景です。お客人には、お点前をする景色がすっきりしていて、これはこれでいいのかもしれません。炭火が近くに感じられるので、冬がやってくることを感じるのにもいいのでしょう。

 お仕覆は、左に置かれた水指の手前に置きます。いかにも窮屈です。しかし、あえてそうすることに意味がありそうです。とにかく、理由付けは今は要りません。

 何かと、勝手が微妙に違うのです。何をわざわざと思うものの、これにも一理あってのことなのでしょう。理屈は抜きで、とにかく、お点前の所作をしっかりと身につけることに集中です。
 わけもなく覚えさせられる、というところに、こうしたお稽古事が嫌われる原因があります。しかし、私は理不尽に思われるところにおもしろさを感じているので、これもまた一歩前に歩むためだと割り切って、せっせと手や頭を働かせています。それにしても、自然に身体が流れるように動くのには、まだまだ時間がかかりそうです。

 思い出せない、間違えた、忘れた、という負の連鎖の中で、滑らかな動きを目標に据えて、靄をかき払うようにして前に進んで行きます。数ヶ月前にこれと同じことをしたんだろうか? と自分の記憶を疑います。覚えていないだけで、やったのでしょう。

 今日は、茶筅でお茶を練って茶碗を差し出した時に、抹茶の粉が茶碗の縁にベットリと固まって付いていることに気付きました。茶筅にも固まりが……
 先生は、そうして上手くなるのです、と慰めてくださいました。そう言われると、失敗したと思われることが、前向きに見えてくるので不思議です。

 今日は夜に大阪駅前で大事な打ち合わせがあるので、みなさまよりも一足先に帰りました。駅に着いた時、あの汚れた茶碗と茶筅を、後で丁寧に洗おうと水屋の別の所に置いたままで帰ったことを思い出しました。すぐに先生にお詫びのメールを出しました。大丈夫ですよ、と優しい返信がありました。ホテルでの待ち合わせ時間に遅れないようにと、時間が気になっていたことからの失態です。お稽古にいらっしゃっていたみなさま、本当に申し訳ありません。

 久しぶりに、難波駅の人混みの中を歩きました。予想していたとはいえ、海外からの方々が多いこと。活気を通り越して、街や地下のショッピングセンターが盛り上がっています。このあたりは、出身高校が近いこともあり、かつての賑わいを知っています。やや他人行儀な活力が、無駄に放出さているように思えます。京都とは違う、買い物で目がギラギラしている印象を受けました。日本の街として、取り戻していきたいものです。
 
 
 
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2019年08月25日

秋の気配を感じる大和で「入れ子点前」のお稽古

 先週に引き続き、大和平群へお茶のお稽古に行きました。

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 山道では、先週とはうって変わったように、涼しい風が心地よく吹き渡っています。あの酷暑の日々が終わったことに感謝しながら、一歩一歩坂を登りました。汗をかかなくなっても息切れがするのは、これは加齢のせいです。寄る年波に抗えないことなので、諦めざるを得ません。
 今日は、丸卓を使った「入れ子点前(いれこだて)」のお稽古に、急遽変更しました。相変わらず、わがままな生徒です。
 これは、「久しぶりのお茶のお稽古は「入れ子点前」」(2019年02月24日)に記したように、一通り覚えたはずでした。しかし、ほとんど覚えていないことに直面します。とにかく、何をどうするのかが思い出せないのです。先生に聞きながら進まざるを得ません。これは、恐ろしく手数のかかる、非効率的なことです。しかし、これがお稽古のお稽古たるゆえんだと開き直り、牛歩のように手を進めて行きます。
 丸卓の下段の地板に水指を置くところからして、すでに未体験ゾーンをさまよう予感がしました。棗、柄杓、蓋置と、丸卓の天板にかざるところまでが準備です。そして、あらためて曲げの建水に茶碗や茶杓などを仕組み、ここから挨拶をして始まるのです。棗を丸卓から下ろすと、少しずつ思い出します。ポツリポツリとですが。
 お茶を点てた後、帰ってきた茶碗を洗ってからも、茶巾を絞り直したり、棗と茶碗を本仕舞いにすることなどの記憶がないなど、頭も手もパニックです。最後に、棗と茶碗を両手に持って丸卓の天板にヨイショと置くと、ホッと一息です。この最後の動作が快感なのです。
 先生のコメントでは、この「入れ子点前」は70歳とか80歳になった方が、いわば熟年のお茶人がするものなので、意外と難しいところがあるとのことでした。そうとは知らず、あまり動かなくてもいいということに惹かれて、これまで取り組んで来ました。これは、心して会得するお点前の一つにしたいと思います。
 それにしても、一度覚えたはずの所作が、時と共にすっかり消え去っています。不思議なことです。
 こんな調子であっても、おぼつかない足取りながら続けることで、お手前の流れのいくつかは身体に刻み込まれています。
 いつ終わるとも知れないお稽古です。どれだけ覚えさせられるのかと思うと、気が遠くなります。そうであっても、よくわからなくても、忘れることを恐れず、とにかく目の前で展開することに立ち向かう気持ちは忘れないでいようと思っています。
 今はおもしろいので、余計なことを考えないことにしています。行ける時に大和へお稽古に行く、ということを心掛けています。
 電車を待つ余裕があったので、これまであまり撮らなかった電車にカメラを向けました。単線のレールを走る電車が持つ、何となくのんびりした雰囲気が写し撮れているかと思います。

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 なお、以前から、「京」ではなくて「亰」という漢字で表記されさている掲示物を求められていました。
 帰りの乗り継ぎ駅である京都駅の南北連絡通路に揚がっている「亰」という文字を、確認のためにまた撮影しました。参考までに、今日現在の例として、ここに掲載しておきます。

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 この「亰」については、「京洛逍遥(524)京都駅で見かける「亰」という漢字への違和感」(2018年12月29日)で問題点を整理しています。
 
 
 
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2019年07月28日

西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)

 西国三十三所めぐりの三つ目は、街のど真ん中の烏丸六角にある六角堂です。

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 私はこのお寺との相性が悪く、これまでに何度も来て、何度も不愉快な思いをしています。「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)の写真にもあるように、記帳をしてくださる方が金属製の腕時計をしておられるのが気になります。今日も、時計の金属ベルトが朱印軸の生地を擦っていました。特に今回の軸は、満願の後にあらためての表装はしなくてもいいものです。大事に扱ってもらいたいと思います。

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 さらには、今回も寺名の印「六角堂」がズレています。以前、枠が大幅に左に寄ったひどい朱印をいただきました。「西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)」(2010年10月07日)に、その箇所の写真を掲載しています。今見ると、この時にも腕時計をしておられます。また、今日の「西国十六番」という印は、このスペースには不似合いな大きさのものが押されています。上の写真にあるように、他の札所と同じように縦長のものがあるはずです。こんなに横幅のある不格好なものは押していただきたくない、と思います。間違いではないもの、丁寧に扱ってもらいたいものです。
 あまり気分のいいことではないので、ここに書くのに気が引けることがまだあります。それは、今日も納経所で3人並んでおられた中で、左端の方は気持ちよく大きく船を漕いでおられました。後ろには海外からお越しの方が並んで待っておられました。咳払いをしたらやおら目を覚まし、何事もなかったかのように朱印帖を受け取って書き出されました。醜態です。ただ印を押し、筆で決まりきった文字を書くだけなので、退屈なお仕事なのでしょう。しかし、そこはお寺のお役目と割り切って、まじめに取り組んでいただきたいものです。
 六角堂は池坊という華道では輝いておられるとしても、この朱印事業においては手抜きが過ぎます。
 
 
 
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2019年07月08日

西国三十三所(2019-2)/六波羅蜜寺(17番)

 西国三十三所めぐりの2つ目は、昨日の革堂(19番)に続いて市内の東山にある六波羅蜜寺にしました。

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 ここはつい最近、平清盛ゆかりの六波羅邸の堀跡が見つかり、軍事防御用の堀としては京都最古だと、大きなニュース(京都新聞、5月17日)になっていました。今でも、市内は掘れば何かがでてくるおもしろい町です。そして、その上に今も寺院や遺跡が建っているのです。
 この六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人の創建になるお寺として、学校で教わります。「南無阿弥陀仏」という6字の名号を口から出す姿は、多くの方の記憶に残っていることでしょう。

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 西国三十三所の観音霊場めぐりも、すでに1300年の歴史があることがわかりました。どれだけの方が歩きめぐられたのかということに思いを致すと、気が遠くなります。とにかく、歴史と文化の重みを感じます。
 境内はきれいに整備されています。
 巻物仕立ての軸も、これで2つの朱印が並びました。

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 これからどのように朱印が捺されていくのか、今から楽しみです。

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 帰りに、すぐ近くにある、「みなとや幽霊子育飴本舗」の飴をいただいて帰りました。子育て中の娘夫婦へのお土産です。この飴のいわれについては、「お店のホームページ」を参照願います。

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 なお、前回ここに来たことは「西国三十三所(2)六波羅密寺」(2010年08月31日)に詳しく書いています。入院中にアップしたものでした。時間があったからでしょうか、丁寧に書いています。ご笑覧を。
 
 
 
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2019年05月29日

科研の現状報告と茨木神社と茨木童子のこと

 今回の科学研究費補助金による研究の3年目は、今年から研究基盤機関が変わったことにより、一旦リセットされた状況にあります。事務的な手続きも停滞気味なので、気を揉んでいるところです。
 この4月からの2ヶ月間は、その再起動に多大のエネルギーと時間と手間を要しています。それも、ようやく昨日あたりから、本当に少しずつではあるものの、何とか動き出したことを実感し出しました。勝手がわからないこともあり、とにかくノロノロ運転ですが……

 プロジェクト研究員として活躍していただいていたOさんも、熊取という遠いところから箕面キャンパスまで、まさに遠路遥々この科研の研究支援に来てくださっています。少しずつ新しい機関での書類の形や動かし方がわかり、作業が進み出しました。
 先週から来てもらっているアルバイターのY君には、翻訳本の整理を精力的にしてもらっています。いい人材が見つかりました。まだ学部3回生です。しかし、信頼して任せられるということは、得難い人材を獲得したことになります。この科研は、若手研究者を育成する、ということも目的と活動の中に明記しているので、幸先の良いスタートとなったと言えるでしょう。
 情報収集や作業データの整理に使うパソコンについて、私はこれまでの30年近くにわたり、終始Macintoshで対処してきました。今回も同じです。すでにOさんはMacintoshを使いこなしておられます。Y君は今日が初めてだというMacintoshのセッティングも、無事に終わりました。
 新しい箕面の研究室は、まだ本格的な科研の運用までは整っていません。運び込んだ資料などが実際に活用できるように整理できるのは、もうしばらく時間がかかりそうです。いい研究成果を出すためにも、この時期の資料整理が大事です。本の山を崩して、すぐに資料が探せるように並べることが最優先課題です。

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 今年度からは、『万葉集』や『百人一首』など、『源氏物語』前後の和歌集も扱います。その準備を、Y君にお願いしています。

 この科研では、多くの方々とのコラボレーションによって、情報収集・整理・考察を展開していきます。そのためにも、この日本古典文学作品の翻訳の分野では、基礎的な研究基盤の整備は欠かせません。ほとんどなされていない分野なので、地ならしに時間がかかっています。もうしばらくはアイドリング運転状態であることを、お伝えしておきます。いま少しのお時間を……

 仕事帰りに、阪急茨木市駅に近い茨木神社に、科研の調査研究が順調に進展するようにと、神様にお願いしてきました。信仰心のない私です。しかし、これまで、いろいろな困難と直面してきたこともあり、神頼みも必要だと思ったのです。
 神社の近くの橋の欄干には、茨木童子の石像がありました。

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 茨木童子とは、今を遡る平安時代に、大江山を本拠地にして京都を荒らし回ったとされる「鬼」のことです。一般的には、茨城童子と書いています。酒呑童子の家来だった茨木童子は、堀川にかかる一条戻橋に出て来ます。それを、渡辺綱が腕を切って難を逃れたという伝承は、よく知られています。渡辺綱が茨木童子の腕を切り落としたのは、実は羅生門でのことだった、という話もあります。いや、茨木童子は「男の鬼」ではなくて、「女の鬼」だったとも言われています。
 その茨木童子の石像を見ながら、茨木市駅に向かって歩くと、すぐに茨木神社の標柱と出くわします。

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 本殿に向かうと、整然とした境内が見えます。

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 帰りは、かつてあった茨木城の搦手門を潜って東に真っ直ぐ歩きました。庶民的な、昭和の雰囲気を感じる商店街を抜けると、阪急茨木市駅に至ります。

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 気持ちの良い散策となりました。
 
 
 
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2019年05月26日

古福庵 町田店で見つけた源氏香の図入り木皿

 東京と神奈川の県境にある、時代家具を扱う古福庵に行きました。

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 広い店内には、さまざまな調度や家具が並んでいます。いずれも、手入れが行き届いたものです。

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 その中で、朱塗りの丸い菓子皿に、源氏香の図「初音」を描いた木皿を見つけました。気に入ったので、6枚いただきました。
 大型の家具がズラリと並ぶ中で、こんな小さなものが目に留まるのですから、おもしろいものです。

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 その近くには、蓋に「丸叶」、内箱の右横に「満る可なう」と書かれた小箱がありました。腹の部分は変体仮名です。これも、いただきました。

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 これらの道具とも、縁あっての出会いだと思います。大事に使っていくつもりです。

 今日はトランプ大統領が来日中のため、都内を避けての帰洛です。暑い一日。富士山は少し霞んでいました。

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2019年05月23日

反正天皇陵古墳とさかい利晶の杜

 今年7月には、世界文化遺産の仲間入りが濃厚になった百舌鳥・古市古墳群の内、堺市にある反正天皇百舌鳥耳原北陵古墳(田出井山古墳)に立ち寄りました。百舌鳥古墳群の北端にあります。仁徳天皇陵古墳がそうであるように、近寄っても森が目の前に広がっているだけで、あの鍵穴のような形は確認できません。

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 ピラミッドや石塔などは形が我々に見えるので、実感を伴う遺産として確認できます。その点では、日本の古墳の中でも前方後円墳は、その形がイメージし難いので、これがあの、という感触を得て終わります。IT技術を駆使して、実感を持って世界遺産が体感できるような仕掛けや工夫が待ち望まれます。もちろん、それが天皇陵にふさわしいかどうかは、また別の問題があるとして……

 その後、さかい利晶の杜にいきました。ここは、学生たちを連れて授業の一環として何度も来たところです。

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 入口にあったチラシで、与謝野晶子の『新新訳 源氏物語』が完成して今年が80年目であることを知りました。与謝野晶子が現代語訳をした『源氏物語』と『蜻蛉日記』の自筆原稿を、国文学研究資料館から精細画像で公開する仕事に関わったこともあり、気になっていました。
 今週末の25日(土)から6月2日(日)まで、いろいろとイベントが予定されています。次のホームページで確認してください。私は、この期間はすでに予定がぎっしりと埋まっているので、残念ながら参加できません。
「晶子フォーラム2019開催のお知らせ」
 ただし、25日に関しては、定員に達したために受け付けは終了したそうです。
 私は、この日の内容に興味をもっていました。与謝野晶子と谷崎潤一郎の現代語訳の違いについての話がなされるからです。

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 また、これに関連して、「晶子シリーズ講座 6か月でわかる「源氏物語」の世界 たつみ都志が語る! 与謝野晶子訳「源氏物語」講座」という企画もあるようです。初回は、6月3日(月)で、毎月上旬の月曜日に開講となっています。テキストは晶子の源氏訳です。ホームページにこの案内がないので、もっと詳しい情報を探しているところです。
 
 
 

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2019年05月17日

びわ湖百八霊場(3)湖西4「西徳寺」と瀬田唐橋と瀬田温泉へ

 久しぶりに「びわ湖百八霊場」を巡ることにしました。この霊場巡りは、平成22年10月17日に思い立ち、正法寺(岩間寺)からスタートしました。「びわ湖百八霊場」の成り立ちの説明も含めて、「びわ湖百八霊場(1)湖西2-岩間寺」(2010年10月18日)に、その時のことを詳しく書いています。
 翌11月までの2ヶ月間に8ヶ寺を巡ってから、パッタリと行かなくなりました。思い返すと、平成22年から23年は怒涛の日々でした。胃ガンで消化管を全部摘出した後、5巡目の西国三十三所巡りを始め、賀茂川左岸から右岸に引っ越し、妻が早期退職をして上京し、病後の私の食生活などを管理してくれるなど、めまぐるしい生活の中にいました。「びわ湖百八霊場」は、とてつもなく慌ただしい日々の中に埋もれてしまったのです。

 これまでに「びわ湖百八霊場」については、次の2つの記事を最後に、まったく書いていませんでした。
「びわ湖百八霊場(2)湖東27-正明寺の秘仏千手観音」(2010年11月23日)
 本ブログを検索してみると、その7年後に書いた「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)の中で、次の文章を書いていました。

 私は、スタンプラリーが好きなのです。この2週間前から、西国三十三所巡礼を石山寺を皮切りに回っています。
「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 石山寺に向かったのは、ガンの告知を受けた3日目でした。そしてすぐに、洛陽三十三所の札所巡りもスタートしていたのです。とにかく、若いときから観音様が好きでした。特に、18歳の時に読んだ井上靖の小説『星と祭』から、実に多くの影響を受けました。
 「びわ湖百八霊場」も歩き始めたままで、ずっと止まっています。これも、そろそろ再開することにします。またまた、楽しい忙しさを纏った日々を送ることになりそうです。


 ここで、「びわ湖百八霊場」も「そろそろ再開」と思っていたようです。しかし、何かと多忙な日々に追われ、「びわ湖百八霊場」どころの話ではない、心身共に疲れ切る日々だったので、行かず書かずのままでした。「びわ湖百八霊場」の3カ所目から8カ所目までのメモと写真は残っているので、いつかまとめることにしようと思っていた折、また霊場巡りに出かける気分になり、出かけることにしたのです。

 JR石山駅から近江鉄道バスで、湖西4番の西徳寺に向かいました。ただし、今回の旅は思わぬ出来事の連続でした。こんなハプニングだらけのこともあるのです。
 まず、ガイドブックに書かれていたとおりに乗ったバスは、行きたかったバス停の1つ手前が終点だったのです。1つのバス停分なら歩けばいいと思っていたところ、バス停1つ分も戻る上に、交通量の多い道の端を歩くことになりました。最近は歩道に突っ込んで来る自動車が多いので、行き交う車に注意しながら集落に入りました。そして目指すお寺に着いたと思ったところ、そこは「西接寺」というお寺でした。iPhoneを取り出して位置を確認すると、その向こう隣の回り込んだ所にあるのが「紫雲山 西徳寺」だったのです。それにしても、きれいな山号です。本堂周辺は工事中でした。

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 朱印をいただこうと思って玄関のチャイムを何度か押しても、どなたもお出になりません。
 そのドアフォンの下に、すでに書き上げた朱印がビニール袋に入っていて、お金をいれる小さな賽銭箱のようなものが設置されています。おそらく、不在にしておられる時の対処なのだろうと思い、その朱印をいただき、納経料を箱に入れました。特に説明がなかったので不安ながら、右上に防犯カメラがあり、私の行動は録画されているようなので理解していただけると思い、そのようにしました。

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 いただいた朱印は、次のように書かれていました。参拝した日付がないので、自分で書くことにします。

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 境内に歌碑がありました。よく見ると、このお寺の御詠歌が万葉仮名で刻まれていました。次の翻字には、万葉仮名の下に現在の五十音の平仮名で表記してみました。この万葉仮名の漢字の選定にはどのような根拠がありそうなのか、ご専門の方からのご教示をお待ちしています。

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詠歌

 安奈多宇土 加祢乃比〻幾尒
(あなたうと かねのひゝきに)
        仁之也摩乃
       (にしやまの)
  美祢與利以都留 牟良佐伎乃久毛
 (みねよりいつる むらさきのくも)
           義  道

※「尒」の「小」は「㣺」(したごころ)

 ブラブラと瀬田の唐橋に向かうと、途中の住宅地の川で亀が泳いでいるのに出くわしました。琵琶湖からやって来たのか、飼い主から逃れて来たのか。オーィと声をかけても、泳ぐのに必死の様子でした。この亀は、平泳ぎをしていたように思います。

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 瀬田川に出ると、瀬田の唐橋が一望のもとに見渡せました。釣り人や釣り船が見えます。

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 この唐橋は「せたからはし」と言うようです。「の」がないのです。

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 この瀬田唐橋の色は唐茶色だそうです。いろいろな論争があるようなので、詳しくはネットでどうぞ。

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 唐橋の西の袂にギャラリーがありました。水彩画やハンドメイドの作品などを、お二人で展示しておられました。お話をしているうちに、大徳寺の近くの方だとわかりました。親しくお話をしながら拝見しました。大きなハマグリに草花の絵を描いたり、モンゴルへの旅を絵にしてあったりと、楽しい作品でした。中に防人の歌を書いたものがあり、その中の文字で「弖」が「弓」となっていました。それとなく弓の下に傍線がいることを伝えました。この字は、今の平仮名にない変体仮名なので、勘違いしやすい文字ですね。

 京阪の唐橋前駅からバスで石山寺のまだ南に下った南郷まで行きました。そして、南郷洗堰の先にある南郷温泉二葉屋で、日帰りの温泉に入ることにしました。ところが、フロントで入浴をお願いすると、今日は貸し切りとなっているので入れない、とのことです。ホームページにはそのことが書いてなかったと言っても、すみませんの言葉しか返ってきません。
 仕方がないので、その向かいにある南郷温泉つぼた屋に行きました。すると、準備に1時間ほどほしいとのことでした。南郷の温泉は諦めて、元来た道をバスに乗ってJR石山駅まで戻りました。このまま帰るのも心残りなので、一駅先の瀬田駅からイオンモール草津に行き、その中にある草津湯元「水春」で温泉気分を味わって来ました。

 ハプニングに見舞われながらも、最後はゆったりと天然温泉で気持ちをほぐすことができました。出かけると、いろいろなことがあるものです。それがまた楽しさでもあります。
 
 
 
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2019年03月21日

大阪市立美術館のフェルメール展で新鮮な絵画体験

 久しぶりに天王寺公園に入りました。通勤でこの駅を通っても、乗り換えるだけでした。
 私は、この天王寺公園の近くにある高校の出身者です。この公園の中にあった図書館の自習室は、家に自分の勉強部屋がなかったこともあり、よくお世話になりました。夏は扇風機という時代だったので、冷房の効いたこの図書館に入り浸っていました。数十年ぶりの公園は様変わりです。

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 日比谷図書文化館の源氏講座を受講しておられるHさんのお声掛けで、この天王寺公園の中にある大阪市立美術館に行きました。Hさんには、迎賓館にも連れて行っていただき、元館長に館内を案内していただきました。

「江戸漫歩(131)赤坂迎賓館を見学」(2016年07月23日)


 今日もHさんのご紹介で、大阪市立美術館の篠雅廣館長を訪問し、地下の館長室で楽しいお話をいろいろと伺いました。大阪大学や早稲田大学とご縁のある方で、今は私の近くにお住まいです。また、妻も私もこの近くの高校の教員をしていました。クラブ活動でこの辺りを走っていたので、とにかく天王寺周辺に関する話で盛り上がります。おまけに、私は学芸員の資格を持っています。展示する立場での目線で話ができたので、楽しい話題が展開しました。
 その後、秘密の部屋という応接室を見せていただきました。以前、迎賓館で見たような貴賓室です。そのテラスの下には、慶沢園が一望のもとに見渡せます。

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 フェルメール展は、館長が直々に案内してくださいました。しかも、詳細な解説を伺いながら。説明がおもしろいことに加えて、絵の読み方で独自の視点を加えた解説で、知られざる絵の魅力を教えてくださいました。疑問に思ったことは、いろいろな例をあげて説明してくださいます。贅沢な時間でした。ありがたいことです。
 例えば、「14 トビアと天使のいる風景」は、トビアが失明した父トビトに魚の胆嚢を塗ると回復したという旧約聖書「トビト記」による話の絵画化です。その絵の前では、主題を隠す画面構成の背景を語ってくださいました。失明という言葉に反応した私は、館長の話に聞き入ってしまいました。参考までに、展覧会図録の説明文の一部を引きます。

 鳩小屋と山羊と農家のある風景は、旧約聖書続編の「トビト記」の物語の背景となっている。年老いたトビトは、家の外で寝ていたときに雀の糞が両目に落ちたせいで失明してしまった。トビトの息子トビアは、大天使ラファエルと共に長い旅をし、その途中で魚を捕まえるが、大天使ラファエルは、この魚の胆のうを失明したトビトの両目に塗るように言う。トビアがそのとおりにすると、トビトは再び目が見えるようになった。
 「トビトの失明」という物語は、17世紀にはたいへん人気があり、たびたび絵の主題となった。このブルーマールトの作品では、トビアと大天使ラファエルの姿をほとんど見ることができない。単なる風景画を見ているかのように描かれているので、私たちは、この二人の姿を探してこの絵の主題を理解するために、注意深くこの絵を眺めなければならない。絵画の真の主題を隠すというのは、17世紀にはしばしば見られる事例である。ブルーマールトのみならず、他の画家たちもこうした方法をとった。(『VERMEER』2018.10、78頁)


 この展覧会図録は秀逸です。これを読んでから、もう一度見に行くつもりです。

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 また、画中画の説明から、新しい絵の解釈が可能となること。さらに、教会を必要としなかったオランダ人にとって、教会内部の絵は架空のものだった話を伺いました。こういうことは、想像上の絵だったものがあらためて研究対象になった時、事実と異なった資料に変質することが心配されます。気をつけないと、絵を扱って考える時に、とんでもない論を展開する可能性があるのです。書いてある物事が事実とは違うのですから、それを証拠にできないのです。
 さらに、「本を読む老女」は聖書を読む女性を描きます。展示図録には、次のような説明文が冒頭にあります。

 書物に没頭している老女のこの画面は、とても細かく描かれているため、実際に本文の標題を肉眼で判読することができる。女性は聖書を手に取り、「ルカによる福音書」19章を開いている。この翻訳された聖書は、1585年にはじめて木版によって出版された。この一節が選択されているのは、鑑賞者へのメッセージと解釈できるかもしれない。それは、この世の財産は貧しき者たちと共有するのがキリスト教徒の務めであるというものである。(112頁)


 しかし、館長の話では、その背後には識字率のことがあることを考えるべきだとのことでした。老女でも、自分の目で聖書を読み理解できたということです。この絵は、当時のオランダの文化の理解を深める作品であり、資料でもあるのです。

 とにかく、絵を見ること以上に、絵を読み解くことにおいて、新鮮な視点を与えてくださいました。絵に、新しい光を当ててくださいました。これから、絵を見る目が違ってきます。

 出口に、こんな宣伝コーナーがありました。
 「リコーの複製画作成技術のご紹介」
 「さわれる複製画」
 「ご自由に立体複製画を触ってみてください」
 視覚障害者と共に活動をしている者として、これは見過ごせません。担当者に伺ったところ、これは絵の具などの塗り重ね具合が体感できるものであり、描かれたものの形がわかる立体コピーではないとのことでした。残念でした。

 一通り篠館長のご説明を伺いながらフェルメール展を見た後、館長から教えていただいた視点でもう一度作品を見ようと思い、お願いして再度見る機会をいただきました。確かに、絵を見る目が違っていることを実感しました。そこで、第一会場を見てから少し溜まり場のような一角で、館長からお聞きした話や2度目の感想などを、忘れないようにと思って iPhone にメモを入力していたところ、館長の声がするのです。私に声をかけて来られたので驚きました。この人混みの中を、わざわざ探しに来てくださったのです。用件は、常設展に「洛中洛外図」があるので、それも観たらいいですよ、という親切なアドバイスでした。そのお気持ちが嬉しくて、第2会場などをじっくりと見終わってから、2階の常設展も拝見しました。

 常設展では、まず雛飾りに注目しました。男雛は、京都式に向かって右側に置かれています。「男雛と女雛の飾り方」という解説文がありました。関西らしい心遣いだと思いました。
 さらに別室に「洛中洛外図」が展示されていました。「洛中洛外図」については、本ブログの「京洛逍遥(426)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)で詳しく書いています。
 今回の「洛中洛外図」では、「6曲1双 江戸時代 18世紀 (下村裕氏寄贈)」という屏風がみものでした。これは、平成28年度に大阪市立美術館に寄贈されたもので、今回が初公開とのことです。仏教大学本系統の図会です。しかし、写し崩れがあるために、江戸時代中期以降に量産化されたものの一つではないか、という説明が記されていました。確かに、絵は稚拙で平面的です。しかし、違いもあることでしょうから、一点でも増えたことは成果です。
 向かい側のガラスケースには、次の『名所図会』が並んでいました。このコレクション展は今週末の3月24日(日)までです。

『都名所図会』(秋里籬島著、竹原春潮斎画、安永9年/1780)
『天明再板京都めぐり(享城勝覧)』(貝原益軒著、下河辺拾水画、天明4年/1784)
『拾遺都名所図会』秋里籬島編(秋里籬島著、竹原春潮斎画、天明7年/1787)
『京の水』(秋里籬島著、竹原春潮斎画、寛政3年/1791)
『都林泉名勝図会』(秋里籬島著、奥村鳴ほか画、寛政11年/1799)
『増補都名所車』(池田東籬補、文政13年/1830)
『花洛名勝図会(東山之部)』(暁鐘成ほか著、松川半山ほか画、元治元年/1864)

 
 
 
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2019年01月03日

新年の墓参で河内高安へ

 昨日と今日で、わが家の梅は一気に蕾をほころばせました。なんとか三が日に間に合いました。

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 メダカたちの住み処にも、おめでたい扇を飾り付けています。

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 年末には曇っていた比叡山も、元日にはきれいな山容が見られました。

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 賀茂川に架かる北大路橋から、北山と東山を望みました。

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 例年通り、3日は新年の墓参です。
 北大路駅から京都駅、大阪駅、鶴橋駅、河内山本駅、信貴山口駅と乗り継ぎ、駅前の霊園行きのバスでお墓まで2時間半。箱根駅伝をスマホで観ながらの小旅行です。
 信貴山口駅前にあった、この河内高安一帯の史跡図を写しました。ここは、古代からの古墳だらけの地域です。この高安に、小学校6年生から高校3年生までいました。横穴古墳でよく遊んだものです。大学を卒業後は、東京からこの高安の地に戻り、その後、右上の十三峠を東へと山越えした、大和平群の地に移りました。倭建命が「たたみごもへぐりの山の〜」と歌った平群でも古墳や陵墓が点在していて、勉強部屋からは二上山が望めるという古代の世界に包まれた日々でした。

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 信貴霊園から北摂方面を望み、カメラを南に振ると淡路島が視界に入ります。

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 お地蔵さんたちの後方は、六甲山と神戸地域になります。

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 帰りも、スマホで箱根駅伝を観ていました。私の母校は昨日の往路は3位、今日の復路は遅れたとはいえ総合7位と、来年のシード校権を獲得しました。あの、昨春まで職場があった立川の公園での涙ぐましい予選会には、今秋は走らなくてもいいのです。お疲れさまでした。

 今年も、この京都、大阪、奈良を大移動する生活を送ります。
 昨日の記事に書いたように、今年からは何もしない日を取り入れながら、自分を追い込まないように日々を送るつもりです。これまでと変わらないお付き合いを、どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
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2018年12月24日

芦屋の阿保親王塚古墳を散策

 ガイドブックによると、阿保親王塚は芦屋市では最古となる4世紀後半に造られた古墳で、周囲は356mの円墳だとあります。宮内庁が管理している陵墓です。今日はちょうど、職員の方が前庭の玉砂利を掃き清めておられました。

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 次の写真は、正面左角から反時計回りで一周したものです。

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 国道沿いに建つ説明板は、下の方がサビで剥がれ落ちていました。幸い、黒い文字の部分は切り抜かれたように残っていたので、何とか読めます。ぜひ、補修をしてほしいものです。

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 陵墓の中をのぞくと、木々が鬱蒼と茂っていてこんな様子です。
 まず、東北角から南を見ました。

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 次に、東北角から西を向いて見ました。

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 北西角から東を見ます。

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 西側の道路を南に見たところです。

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 おめでたい名前の「打出小槌町」へと下っていくと、「山打出」の交差点角に、「平城天皇皇子 阿保親王墓 是ヨリ北三丁」と刻んだ大きな道標が建っていました。「ココヨリ三丁」とあり、背面には「昭和三年十一月建之(立?)」と刻まれています。

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 さらに下ると、阪神電車の打出駅の近くにも、あと四丁で「阿保親王廟」に至るという道標が建っていました。

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 これ以外にも、「阿保親王」に関するものがこの辺りにあるのかはわかりません。この近くには息子の在原業平橋があるので、また姉の家に行った帰りに、この周辺を歩くつもりです。

 阪神電車で梅田に出ました。クリスマスイブに合わせて、阪急百貨店のプロムナードはイルミネーションに彩られていました。

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 四条河原町のバス停付近では、河原町通りが控えめなイルミネーションで飾られていました。

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2018年10月28日

大和平群でのお茶のお稽古(入れ子点前)と観光公害について

 玄関を出てすぐに、思っていたよりも寒いと感じました。家に引き返して、セーターを一枚重ね着して出かけます。

 大和平群までの車中、旅行客のうるささには困り果てました。京都駅から大和西大寺駅までのことです。4人連れの女性が、大きなスーツケースを膝の前に置いて、中国語を大声で喋っておられます。それも、長いシートに向かい合いながら。

 私は本を読んでいました。

 前後2人のスマホから、大きな音量で音楽が車内に響き渡るようになったので、別の車輌の席へと移動を考えました。しかし、2時間の長旅の身には、座れるかどうかわからない席の移動には、リスクが多くてためらわれます。結局、そのまま喧騒の中に身を置きました。
 そうならばと、精神を統一して、雑音が気にならなくなる修行の時間にしたのです。そう開き直ると、何やら瞑想の世界に入れたように思えたのはおもしろいことでした。いや、実際には喋り疲れたのか、女性たちはやがて居眠りが始まり、ポップな音楽だけが車内に鳴り響いていたのです。

 元山上口駅前に降り立つと、「紀氏神社秋祭り」の幟がたなびいていました。

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 「紀氏神社」は、正式には「平群坐紀氏神社」と言います。『延喜式神名帳』にその名前が記されているので、古いお宮です。ここは、ヤマトタケルノミコトが「たたみこも へぐりのやまの」と歌った古代からの地なのです。楽の音が風に乗って流れてきます。かつて、といっても30年も前に子供たちを連れて行った、平群の秋祭りを思い出しました。

 龍田川の上流は、木々が少し色付いています。

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 今日のお稽古は「入れ子点前(いれこだて)」です。初夏以来の久しぶりのことなので、ほとんど覚えていませんでした。先生がおっしゃる通りに手を動かしながらも、アレッ、アレッの連続です。他のお弟子さんたちからは、自然と身体が動いていたとおっしゃってくださいました。いえいえ、頭の中は真っ白で、流れがまったくわからなくなった状態で、なんとか終わったという体たらくでした。
 先生から、もう一度やりますか? と助け舟を出していただいたので、お言葉に甘えて再度のチャレンジをしました。今度は前よりも幾分はましで、何とかそれなりに流れがつかめました。
 いやはや、お茶とは摩訶不思議なお稽古です。これだからこそ、次こそはと思い、そしてまたこの次はと思って、この大和平群の地に足が向くのです。おもしろいものです。

 帰りに通りかかった京都駅は、新宿かと思うほどの人の波でした。これは、人さえ来れば、集まればいいという、能天気な観光万歳の時代があり、その後の時流を読んで進歩しなかったからだと思います。いまだに引きずっている弊害が、最近とみに表面化しています。民泊しかり、街中のゴミ、交通機関の機能マヒ、観光地のいたずらなどなど。

「観光公害」については、すでに真剣に議論がなされています。その機運を高める中で、観光客の制限やマナーの周知をする努力を、京都市として強行すべき事態に立ち至っていると、私は思います。観光客目当ての場当たり的な営業も、将来のことを考えると再検討の時期でしょう。私は冗談半分に、京都検定の級数によって、観光コースを選んでもらうことも導入すべきだ、と言っています。
 いつまでも一見さんの機嫌取りをし続けるのではなく、さまざまな来訪者の意識とレベルに合ったプランを提供すべきです。

 これらは暴論かと思います。しかし、京都にお越しになる今の観光客は、あまりにも日本の文化を無視した行動をしておられます。所によっては、日本の文化を壊して帰られます。都に入る前に、観光のマナーを学んでから、お目当ての観光地に行ってもらったらどうでしょうか。このままでは、住民からの観光客に対する反乱が起きるのは必定だと思っています。住む人を無視した観光客の流入は、いずれ破綻します。市民に我慢を強いる、無策としか言えない観光行政は、早急に見直すべきです。
 
 
 
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2018年10月21日

「イグ・ノーベル賞の世界展」に行って

 東京ドームシティで開催中の「イグ・ノーベル賞の世界展」(会場:Gallery AaMo ギャラリー アーモ)に行ってきました。

 丸ノ内線「後楽園」駅の改札口で、11時に尾崎さんと待ち合わせです。
 当初は、上野の美術館を考えていました。しかし、昨日の日本盲教育史研究会で尾崎さんと話をしているうちに、脳の活性化を促進し、物の見方や考え方に刺激を与えてくれそうな、この展覧会に変更しました。自分の希望はもとより、修士論文を執筆中の尾崎さんへの、心ばかりの励ましの同行です。
 東京ドーム周辺は、多くの家族連れや若者でごった返していました。

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 イグ・ノーベル賞は、期待を裏切らない、楽しさとおもしろさがふんだんに盛り込まれた研究が受賞しています。紹介されていたものが理科系に偏っていたのは、結論が明確でわかりやすいからでしょう。

 全盲の尾崎さんと一緒だったので、私が主だったもののパネルの説明文を読み上げて歩きました。エロチックすぎるものは勝手にパスしました。

 膨大な量の説明文と写真パネルで、今回の展示が構成されています。これだけ文字が溢れる展示には、どうしても音声ガイドが必要です。文字を追っていて、目がウロウロしました。後期高齢者には、目を酷使する展示です。

 また、紹介されている受賞作が、ほとんどが目で確認する実験と結果の説明に終始していました。尾崎さんには、追体験のしようがありません。また、見えない人にとっては理解の限界もあり、ユーモアも伝わらない事例がいくつかありました。
 ユニバーサルな観点からの配慮と思いやりがある紹介であったら、さらに展示の完成度が上がったことでしょう。これは、一学芸員の立場からの評価です。

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんの用語で言うところの、触常者の存在には目を向けず、あくまでも見常者のためのイベントとなっています。尾崎さんのような観覧者は想定しておられなかったようです。見えない方のみならず、加齢と共に見えづらくなった私も含めて、これは困ったことです。目に頼り過ぎたパネルのオンパレードだったので、もったいない展示になっていました。

 いくつか、体験型の展示もあります。スパゲッティを折ると3つになる、という展示では、実際に折って試すことができました。また、2つに折る工夫も、実際に自分でやってみて実感できます。
 ただし、それは例外で、ほとんどが実物があっても透明ケースの中か、触れることはできません。自走式の目覚まし時計は、触っても何ら不都合はないはずです。「don't touch」というプレートは、本当に必要だったのでしょうか。

 水の上を歩くという体験も、スカートの人はダメだとされていたのも残念です。多数の女性がそうであったように、尾崎さんもスカートを履いていたのです。ジーパンの女性も、007の映画で上空からパラシュートで落下する体験さながらに、股間をベルトで引き上げるスタイルなのです。ボンドガールは、もっと華麗な姿で宙吊りになります。表現は良くないものの、これは卑猥です。企画の詰めの甘さを感じました。

 この「イグ・ノーベル賞」の展覧会を紹介する文章を、ホームページから引いておきます。

 皆さんは「イグ・ノーベル賞」をご存知ですか?

 「イグ・ノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に与えられる賞で、"表のノーベル賞"に対して"裏ノーベル賞"とも言われています。授賞式は毎年秋に開催され世界的な話題となっています。これまでに日本人研究者も多数受賞し、大きな話題となりました。

 本展覧会は、「イグ・ノーベル賞」を企画運営するサイエンス・ユーモア雑誌「風変わりな研究の年報」の編集者 マーク・エイブラハムズ氏の協力を得て制作される、世界初の「イグ・ノーベル賞」公式展覧会です。受賞研究の紹介や体験コーナーなど「イグ・ノーベル賞」の軌跡を追いながら、笑って、考えさせられるユニークな研究の数々をお楽しみいただけます。さらに、展示会に即したユーモア満載の物販販売の実施も予定しています。

 世界にはこんなトガった研究があったなんて!? ぜひあなたの目でお確かめ下さい。

 2018年のイグ・ノーベル賞授賞式は日本時間 9/14(金)朝7:00〜 アメリカのハーバード大学サンダースシアターで行われました。

 授賞式のオープニングでは、観衆全員が紙飛行機を作り、舞台に立った的(人)にめがけて投げるのが通例。受賞者の旅費・滞在費は自己負担で、スピーチでは「笑いをとること」が要求されます。本家ノーベル賞の受賞者たちも参加して表彰を手伝ったりしています。

 今年の受賞研究はどんな研究なのか!? そして12年連続の日本人受賞者が生まれるのか!? わくわくしますね!!

祝マーク12年連続日本人受賞!!/

 お待ちかね2018年のイグ・ノーベル賞が発表されました

 日本からは堀内朗先生(昭和伊南総合病院)が医学教育賞を受賞!

 受賞研究は「座った状態で大腸内視鏡検査を自分1人でやる」。堀内先生、本当におめでとうございます!


 この発表会場となったハーバード大学には、その2週間前までいました。授賞式に参加できず、残念でした。
 
 
 

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2018年08月22日

お茶のお稽古の後に大和平群を散策

 大和平群は、日差しはきついものの心地よい風が爽やかに吹いています。
 駅前にバスが停まっていました。しかし、風を浴びながら、いつものように歩いて山登りをして、お茶のお稽古に行きました。まだ、このバスを使って上がったことはありません。

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 今日は、久しぶりに薄茶のお稽古をしてもらいました。このところ、濃茶が中心になっていました。薄茶は4ヶ月ぶりではないでしょうか。
 おもしろいほどに、すっかり忘れています。しかし、時折すっと手が伸びて、我ながら驚きました。ほとんど先生の指示待ち状態の中で、無意識に手が動くと嬉しいものです。「そう、よく覚えていましたね」と言われると、ますます楽しくなります。

 今日は、お点前以上に、お茶をいただく上でのお作法をたくさん教えていただきました。お稽古というと、お点前を覚えて確認することに気持ちが注視していたのです。しかし、その基本が疎かになっていたことを自覚したのです。そこで、この点てること以外のことで、基本の再確認をお願いしました。お茶室に入ってから出るまでの、一連の流れの中での動きのおさらいです。
 わがまま勝手なお願いをする生徒で、申し訳ないことです。今日は、3時間みっちりと特訓を受けました。

 帰りは、風が涼しくて気持ちがよかったので、いつもと違う平群駅へ出ることにしました。ブラブラと気ままに、かつて住んでいた地域を散策しながら、子供たちが大きくなって行く頃の十数年前を思い出して歩きました。

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 20年間、生駒山、信貴山、二上山を勉強部屋から眺めながら、ここで子育てをしたのです。その景色は、今も何も変わっていません。
 他人がこの記事を読まれると、またそんな思い出語りを、と思われることでしょう。しかし、当の本人は、思い出すたびに懐かしさとともに、楽しかったことが再確認できる、得難い時間の中に身を置くことになるのです。過去と今を往き来する楽しみは、こんな時に体験できるので、おもしろい回顧歩きだと思っています。

 龍田川も、この辺りに来ると流れも緩やかになります。小学校の前の親水公園は、授業参観の時などに子どもと一緒に川へ入った所です。「ちはやぶる 神代もきかず たつた川 〜」の歌が書いてあります。

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 こうした、過去に心身を瞬間移動させられる場所を、私は何箇所も持っています。この大和平群は、そのうちの大切な一つです。
 過去と今を往来する契機を与えてくれる写真を、自分と家族のために何枚か置いてみました。以下は、小学校から駅までの変わりようがわかるものです。駅前は、まだまだ変わっていくようです。

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2018年04月30日

連日のお茶のお稽古の後は大和平群温泉へ

 今日も、お稽古は濃茶です。
 2日続きということで、昨日よりもお点前の流れがわかってきました。それでも、至る所で手が止まります。このまま月2回のお稽古を続けていけば、いつかはそれらしいお点前ができるようになることでしょう。そう思うと、気が楽になります。

 立ち上がるときに、ヨイショではなくて、スックと立つようにと、何度か注意を受けました。腹筋と足腰の鍛錬をするといいそうです。特に私の身体には筋肉がほとんどなく、見るからに貧弱です。そのため、スクワットをしたらいいとのことでした。しかし、それも単調で辛いので続きません。

 私の日常生活は、勉強部屋以外はすべて和室です。そこで、座卓で立ったり座ったりする時に、このお点前の練習のつもりで、手を使わずに立ち上がるといい、ということになりました。たしかに、その気持ちでやると、腹筋や足腰が鍛えられるように思います。
 とにかく、意識してやってみることにします。その成果のほどは、またいつか。

 お稽古の後で、貴重な釜の話を伺いました。今、家にある小さな釜は「切掛風炉」というものだそうです。姉が花嫁道具として持って行ったもので、40年以上も使われないままだったものを譲り受けました。せっかくあるのだから、ということで、これからはこれを使うことにします。

 道具ばかり考えていても、お点前は上達しません。それでも、続けることで、一歩でも前に進んで行くつもりで取り組んでいるところです。
 無理矢理に私が点てるお茶を飲まされる方は、研鑽の相手をさせられていると諦めて、今しばらくお付き合いください。

 帰りに、元山上駅の近くにある「かんぽの湯 大和平群」に足を伸ばしました。10年前まで、この平群で子育てをしていた頃には、家族づれでよく行っていました。
 駅前の狭い階段から行くと近道です。

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 最近は、食後の腹痛や逆流性食道炎に悩まされています。温泉に入り、少しでも心身をリラックスさせることを、このところ考えています。昨日、一休温泉に行ったのもそうです。
 今日の「へぐりの湯 大和平群温泉」は、いい温泉です。久しぶりに、思いついて入りました。
 ロビーには、大きなタペストリーが飾られています。『百人一首』の龍田川が流れる町です。

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 この場所から西を望むと、国宝の『信貴山縁起絵巻』で知られる信貴山があります。この信貴山朝護孫子寺は平群町のお寺なのです。写真の手前を、単線の近鉄生駒線が走っています。

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 ここから左側の南に目を転ずると、二上山があります。写真の左端の曇っている一帯です。

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 東の矢田丘陵を超えると、法隆寺で有名な斑鳩です。

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 平群町は、ヤマトタケルノミコトが「たたみこも へぐりのやまの〜」と詠んだ、古代史で重要なところです。そこで20年間、3人の子育てをしたことは、本当にいい体験でした。

 平群には、もう一箇所いい温泉があります。またの機会に紹介します。
 
 
 
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2018年04月29日

新緑の平群でお茶のお稽古の後は一休温泉へ

 朝の賀茂川散策路は、早々に桜が散り、今は新緑に包まれています。

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 ベンチに一休みして見上げると、木々の葉と葉がさまざまな色合いで重なっています。

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 お茶のお稽古で奈良へ向かう時、少し肌寒かったので、セーターを一枚織って出かけました。片道2時間半の道中で汗ばむ暑さとなり、急いでセーターはカバンに押し込みます。一昨日は突然の雷雨。天気の急変に、体調を合わせるのが大変です。

 平群の龍田川も、緑の木漏れ日の中を流れています。

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 今日のお稽古は、濃茶をお願いしました。最近始めた濃茶は、薄茶とは微妙に違うので、頭の中は大混乱です。
 そんな中で、一つだけ得心した場面がありました。それは、中仕舞いをする時です。
 正客が一口いただき、服加減を尋ね、柄杓を取り、釜の蓋を閉め、柄杓を建水に伏せ、蓋置を建水の後ろに置く動作をしたことです。
 ここでは、正客が「お茶銘」「お詰」「お菓子」を亭主に尋ねます。この時、目の前に柄杓や蓋置があったのでは、正客とのやりとりに邪魔なものが目の前にあることになります。また、濃茶が回っているので、少し時間がかかります。そのためもあって、釜の蓋をずらして閉めるのではなく、しっかりと閉めて、お湯が冷めないようにするのです。
 この後、また蓋置を元の位置に置き、釜の蓋を開け、柄杓を釜にのせます。
 この、最初は意味がわからなかった蓋置や柄杓を片付ける動作が、実は正客とのやりとりを円滑におこなうための計算された所作だったのです。まだまだ、その意味がわからない中で、この中仕舞いの意味はよくわかりました。今日の大きな収穫です。
 利休以来の伝統と革新の成果のほんの一部が、こうして少しだけでもわかったつもりになりました。

 京都への帰りに近鉄新田辺駅で途中下車をし、以前一度行った一休温泉で一息つくためにバスに乗りました。
 一休温泉のまわりには、ツツジやカキバタがきれいに咲いていました。

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 連休中ということもあってか、温泉は家族連れで満員でした。ちょうどガラガラの抽選会をやっており、私が回すと黄色い球が転がり出て、お兄さんが鐘を鳴らして祝ってくれました。
 クジ運は決してよくない私です。何事かと思うと、この施設の入浴券を3枚もらえました。

 帰りには、駅前で食事をしました。この新田辺駅周辺は、同志社大学の学生さんたちの街です。新年度が始まったこともあり、多くの学生さんたちが至る所で小さなグループで騒いでいました。節度のある元気さが爆発していたものだったので、好感をもってながめていられました。
 帰りの中天には、みごとな満月が見られました。

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2018年04月02日

中之島で見かけた橋の名前

 入学式に参列するため中之島に出かけたので、辞令交付式と入学式の間のお昼時間に、大阪市庁舎の周辺を散策しました。現在、公共の物に刻まれ、書かれた仮名文字に興味をもっています。そこで、以下で川に架かる橋の名前をとりあげます。
 式典の会場となっている中央公会堂は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島公園の東端で、市役所の後ろにあります。
 次の図は、「ウィキペディア」からの転載です。

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 公会堂がある中之島を挟んで、土佐堀川と堂島川の2つの川に架かる「難波橋」には、変体仮名混じりで「な尓者ばし」と刻まれています。これは、704年に行基が架けたと言われ、天神橋と天満橋を合わせて「浪華三大橋」とも呼ばれています。今の橋は大正4年に架けられたものです。

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 この橋の仮名文字表記に「ばし」と濁点があることに注目しています。「橋」を「ばし」とするか「はし」とするか、ということに問題意識を持つようになったからです。

 市役所の前を通る御堂筋の堂島川側には「大江橋」が架かっています。コンクリートの橋ながら、国の重要文化財です。江戸時代の元禄年間に架けられたそうです。今の橋は、昭和10年に完成しました。

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 ここに刻まれている仮名文字は「おほえはし」であり、「おおえばし」ではありません。

 この「大江橋」の前の御堂筋を市役所から南側に渡り、土佐堀川には「淀屋橋」が架かります。

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 刻まれた文字は「よどやはし」です。これも、大江橋とともに昭和10年に完成し、共に重要文化財です。「ど」は濁るのに「は」は濁っていません。その違いは何に由来するのでしょうか。

 そして公会堂の南側の土佐堀川に架かるのが「栴檀木橋」です。昭和60年に架け替えられたものです。

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 上の写真にある通り、標柱には「せんだんのきはし」と鋳造の文字が嵌め込まれ、その横には大正時代の親柱が建っています。

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 これも「はし」となっており、濁ってはいません。

 橋の名前に変体仮名を使ったり、仮名遣いを異にしたり、濁ったり濁らなかったりと、よくわからないことだけらけです。私はこうしたことは専門ではないので、何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。
 
 
 
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2018年01月02日

下鴨神社への初詣と河内高安への墓参 -2018-

 元日には氏神様へご挨拶に行きます。
 大晦日には小雨が降ったものの今日は快晴。
 ブラブラと下鴨神社に向かいました。

 境内に入ってびっくりです。鳥居から本殿まで、長蛇の列なのです。こんな光景は見たことがありません。いつもは元日の午前中にいく下鴨神社も、今日は午後です。家を出る時間が良くなかったようです。

 ここにはいつでも来られる、という気安さがあります。お参りはそこそこにして、大阪の八尾にあるお墓参りをすることにしました。少し南に下った出町柳から京阪電車で向かいます。ただし、どうしたことか、電車はガラガラでした。

 4回乗り換え、2時間ほどかかって、河内高安にある近鉄信貴山口駅に着きました。駅前から乗った霊園の送迎バスの運転手さんの話では、年末年始の墓参はいつもより少なかったそうです。みなさん、のんびりとした寝正月なのでしょうか。

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 大阪湾越しに、淡路島や四国が望めます。

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 新年を迎え、いつもと同じように、同じことをしています。
 それにしても、片道2時間の道中で人出の少なさに拍子抜けしました。たまたま時間帯がそうだったのかもしれません。下鴨神社の初詣客がすごかったことと、街中の様子が対照的です。

 そして、今年は着物姿の方が京都でも少ないように思います。海外の方がレンタルの着物で楽しんでおられるのはそれとして、女性が少ない以上に、男性はさらに見かけません。もう少し様子をみることにしましょう。
 
 
 

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2017年12月17日

学外授業で堺の与謝野晶子記念館へ行く

 大阪観光大学における後期の授業では、与謝野晶子の短歌を読んで来ました。座学だけでは作者の実像がわからないので、校外での授業を実施することで補うことにしました。
 幸い、与謝野晶子が生まれた堺市へは、大学から至近の距離にあり、電車一本で行けます。学生も40分ほどで行けるということなので、寒波が襲来している中をものともせずに日曜日の時間をとって出かけました。
 行き先の「さかい利晶の杜」は、与謝野晶子と千利休を通じて堺を体験できる施設で、2年前の2015年に開館したところです。

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 実は、私は勝手知ったる与謝野晶子文芸館というイメージから、今回の集合場所をJR堺市駅にしました。しかし、実は与謝野晶子文芸館が南海堺駅の方に移転して、与謝野晶子記念館になっていたのです。
 これまでに、与謝野晶子文芸館のことは、以下のブログで詳しく取り上げています。

(1)「与謝野晶子と蜻蛉日記の講演会」(2011年01月17日)

(2)「西国三十三所(27)粉河寺」(2010年10月27日)

(3)「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」(2010年10月26日)

(4)「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年07月16日)

(5)「神野藤昭夫先生の晶子がたり」(2010年02月21日)

(6)「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」(2010年02月20日)

(7)「与謝野晶子と『源氏物語』(2)」(2008年09月07日)

(8)「与謝野晶子と『源氏物語』(1)」(2008年09月06日)

 上記のブログで報告している通り、一時はここに通い詰めていたことがあったのです。そのため、この与謝野晶子文芸館が移転しているとは思いもしませんでした。与謝野晶子文芸館は今、堺アルフォンス・ミュシャ館となっていました。

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 すぐに堺市駅前からバスで「さかい利晶の杜」へ移動しました。
 また、一人だけ遅れて来た学生も、奇跡的としか思えない偶然で、目的地である「さかい利晶の杜」の入り口で出会えました。私の思い込みからスタートが遅れてしまいました。しかし、幸いなことに大事には至りませんでした。

 与謝野晶子文芸館に足を運んでいた頃にお世話になった方が、今も記念館にお勤めだということがわかりました。しかし、今日はお休みということで、お目にかかることはできませんでした。これを機会に、今春からは大阪の大学にいることの報告を兼ねて、あらためて連絡を取りたいと思っています。

 記念館の中では、学生に説明しながら、ゆっくりと観て回りました。ただし、文芸館の頃の専門的な立場からの充実した展示を知っているので、この記念館の展示の内容には大いに失望しました。与謝野晶子と千利休という、堺が輩出した偉人を広く広報することを目的とする施設なので、専門性は限りなく削ぎ落とされています。しかし、それにしても内容がありません。
 さまざまな制約の中で、やっとここまでできた、という事情があるに違いありません。そうは言っても、やはり義務教育の生徒を対象にしただけのこの展示では、少し与謝野晶子を知っている人には物足りないはずです。何も知らない人ばかりを対象にするのではなく、少しずつ理解が深まる展示をお願いしたいものです。一見さんだけではなく、何度も足を運べる内容にすべきです。これは、展示スペースが狭いということとは別問題です。生意気なようですが、学芸員の一人としてこのことを痛感しました。

 また、晶子が生まれた和菓子屋「駿河屋」の再現はまったく無意味です。これだけのスペースをこんなものに充てるのは、究極の無駄遣いです。堺市は晶子に関するすばらしい資料をお持ちです。せっかくの宝物が死蔵されているのはもったいないことです。この展示室は、根本的なところから見直すべきです。来訪者を甘く見過ぎです。

 このことは、その下の階にあった千利休茶の湯館も同じことです。お茶に関係するものが並んでいるだけで、まったく面白味も中身もありません。共に、著名人の名前に寄り掛かった無策の展示室となっています。企画展示室が2部屋もあるようです。ここの利活用には、大いに期待したいと思います。

 一通り見終わってからは、ロビーの一角で説明を補ったり今後の打ち合わせなどをしました。
 また、遅れてきた学生が先日の授業を休んでいたので、その補講を兼ねて帰り道に南海堺駅まで一緒に歩きながら、いろいろな話をしました。こんな授業があってもいいでしょう。

 堺駅前には、植え込みに与謝野晶子と千利休がデザインされたフラワーポットがありました。

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 また、西口駅前には、平成10年に晶子生誕120年を記念して建てられた、与謝野晶子の等身大のブロンズ像がありました。

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 その台座には、明治38年に『明星』に発表された次の歌が刻まれています。

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  ふるさとの 潮の
 遠音の
  わか胸に ひひくを
      おほゆ
   初夏の雲
      晶子の
       う堂


 帰りに振り返ると、晶子の自信に満ちた後ろ姿が印象的でした。

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 次の機会には、晶子の歌碑めぐりをしたいと思っています。
 
 
 
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