2019年10月13日

颱風一過の賀茂川と龍田川がいつもの景色に戻るとき

 超大型の颱風が、東海から関東、そして東北へと駆け抜けて行きました。まだ被害の全体像が見えません。想像を絶することが起きているようです。日本の治山治水政策は、あらためて見直すべきだとの意見が噴出しています。日本には、もともと自然を征服しようという発想はなかったので、日本の伝統と文化に基づいた議論をしていきたいもです。その意味では、日本の学校が、あまりにも欧米の論理をよしとした教育を先導してきたことへの反省が、今求められていると思っています。明日を支える子供に、日本の伝統と文化を踏まえた教育や育児をしていく必要性を痛感するようになりました。ここは日本なのですから、そこに欧米流を持ち込むのではなく、日本流の子育てを模索していきたいものです。孫たちを、そんな目で見ていきたいと思っています。

 洛北の賀茂川と大和の龍田川は、水量が多くなり少し濁っています。しかし、そうは言うものの、いつもの太古以来の穏やかな姿を見せています。いつもの風景に、安心させられます。

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 お茶の先生のお宅に行く坂の途中で、たこ焼き屋さんや床屋さんが入っていた建物が解体されていました。夏には、この軒先にミスとシャワーがあったので、坂道を上る手前で元気がもらえた、息継ぎポイントとなる建物でした。残念です。

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 今日のお茶のお稽古では、「中置きの濃茶」をしました。
 正面に風炉があり、水指はいつもと違って風炉の左前。
 右手の空間がやや殺風景です。お客人には、お点前をする景色がすっきりしていて、これはこれでいいのかもしれません。炭火が近くに感じられるので、冬がやってくることを感じるのにもいいのでしょう。

 お仕覆は、左に置かれた水指の手前に置きます。いかにも窮屈です。しかし、あえてそうすることに意味がありそうです。とにかく、理由付けは今は要りません。

 何かと、勝手が微妙に違うのです。何をわざわざと思うものの、これにも一理あってのことなのでしょう。理屈は抜きで、とにかく、お点前の所作をしっかりと身につけることに集中です。
 わけもなく覚えさせられる、というところに、こうしたお稽古事が嫌われる原因があります。しかし、私は理不尽に思われるところにおもしろさを感じているので、これもまた一歩前に歩むためだと割り切って、せっせと手や頭を働かせています。それにしても、自然に身体が流れるように動くのには、まだまだ時間がかかりそうです。

 思い出せない、間違えた、忘れた、という負の連鎖の中で、滑らかな動きを目標に据えて、靄をかき払うようにして前に進んで行きます。数ヶ月前にこれと同じことをしたんだろうか? と自分の記憶を疑います。覚えていないだけで、やったのでしょう。

 今日は、茶筅でお茶を練って茶碗を差し出した時に、抹茶の粉が茶碗の縁にベットリと固まって付いていることに気付きました。茶筅にも固まりが……
 先生は、そうして上手くなるのです、と慰めてくださいました。そう言われると、失敗したと思われることが、前向きに見えてくるので不思議です。

 今日は夜に大阪駅前で大事な打ち合わせがあるので、みなさまよりも一足先に帰りました。駅に着いた時、あの汚れた茶碗と茶筅を、後で丁寧に洗おうと水屋の別の所に置いたままで帰ったことを思い出しました。すぐに先生にお詫びのメールを出しました。大丈夫ですよ、と優しい返信がありました。ホテルでの待ち合わせ時間に遅れないようにと、時間が気になっていたことからの失態です。お稽古にいらっしゃっていたみなさま、本当に申し訳ありません。

 久しぶりに、難波駅の人混みの中を歩きました。予想していたとはいえ、海外からの方々が多いこと。活気を通り越して、街や地下のショッピングセンターが盛り上がっています。このあたりは、出身高校が近いこともあり、かつての賑わいを知っています。やや他人行儀な活力が、無駄に放出さているように思えます。京都とは違う、買い物で目がギラギラしている印象を受けました。日本の街として、取り戻していきたいものです。
 
 
 
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2019年08月25日

秋の気配を感じる大和で「入れ子点前」のお稽古

 先週に引き続き、大和平群へお茶のお稽古に行きました。

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 山道では、先週とはうって変わったように、涼しい風が心地よく吹き渡っています。あの酷暑の日々が終わったことに感謝しながら、一歩一歩坂を登りました。汗をかかなくなっても息切れがするのは、これは加齢のせいです。寄る年波に抗えないことなので、諦めざるを得ません。
 今日は、丸卓を使った「入れ子点前(いれこだて)」のお稽古に、急遽変更しました。相変わらず、わがままな生徒です。
 これは、「久しぶりのお茶のお稽古は「入れ子点前」」(2019年02月24日)に記したように、一通り覚えたはずでした。しかし、ほとんど覚えていないことに直面します。とにかく、何をどうするのかが思い出せないのです。先生に聞きながら進まざるを得ません。これは、恐ろしく手数のかかる、非効率的なことです。しかし、これがお稽古のお稽古たるゆえんだと開き直り、牛歩のように手を進めて行きます。
 丸卓の下段の地板に水指を置くところからして、すでに未体験ゾーンをさまよう予感がしました。棗、柄杓、蓋置と、丸卓の天板にかざるところまでが準備です。そして、あらためて曲げの建水に茶碗や茶杓などを仕組み、ここから挨拶をして始まるのです。棗を丸卓から下ろすと、少しずつ思い出します。ポツリポツリとですが。
 お茶を点てた後、帰ってきた茶碗を洗ってからも、茶巾を絞り直したり、棗と茶碗を本仕舞いにすることなどの記憶がないなど、頭も手もパニックです。最後に、棗と茶碗を両手に持って丸卓の天板にヨイショと置くと、ホッと一息です。この最後の動作が快感なのです。
 先生のコメントでは、この「入れ子点前」は70歳とか80歳になった方が、いわば熟年のお茶人がするものなので、意外と難しいところがあるとのことでした。そうとは知らず、あまり動かなくてもいいということに惹かれて、これまで取り組んで来ました。これは、心して会得するお点前の一つにしたいと思います。
 それにしても、一度覚えたはずの所作が、時と共にすっかり消え去っています。不思議なことです。
 こんな調子であっても、おぼつかない足取りながら続けることで、お手前の流れのいくつかは身体に刻み込まれています。
 いつ終わるとも知れないお稽古です。どれだけ覚えさせられるのかと思うと、気が遠くなります。そうであっても、よくわからなくても、忘れることを恐れず、とにかく目の前で展開することに立ち向かう気持ちは忘れないでいようと思っています。
 今はおもしろいので、余計なことを考えないことにしています。行ける時に大和へお稽古に行く、ということを心掛けています。
 電車を待つ余裕があったので、これまであまり撮らなかった電車にカメラを向けました。単線のレールを走る電車が持つ、何となくのんびりした雰囲気が写し撮れているかと思います。

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 なお、以前から、「京」ではなくて「亰」という漢字で表記されさている掲示物を求められていました。
 帰りの乗り継ぎ駅である京都駅の南北連絡通路に揚がっている「亰」という文字を、確認のためにまた撮影しました。参考までに、今日現在の例として、ここに掲載しておきます。

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 この「亰」については、「京洛逍遥(524)京都駅で見かける「亰」という漢字への違和感」(2018年12月29日)で問題点を整理しています。
 
 
 
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2019年07月28日

西国三十三所(2019-3)/今回もひどかった六角堂(18番)

 西国三十三所めぐりの三つ目は、街のど真ん中の烏丸六角にある六角堂です。

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 私はこのお寺との相性が悪く、これまでに何度も来て、何度も不愉快な思いをしています。「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)の写真にもあるように、記帳をしてくださる方が金属製の腕時計をしておられるのが気になります。今日も、時計の金属ベルトが朱印軸の生地を擦っていました。特に今回の軸は、満願の後にあらためての表装はしなくてもいいものです。大事に扱ってもらいたいと思います。

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 さらには、今回も寺名の印「六角堂」がズレています。以前、枠が大幅に左に寄ったひどい朱印をいただきました。「西国三十三所(7)頂法寺(六角堂)」(2010年10月07日)に、その箇所の写真を掲載しています。今見ると、この時にも腕時計をしておられます。また、今日の「西国十六番」という印は、このスペースには不似合いな大きさのものが押されています。上の写真にあるように、他の札所と同じように縦長のものがあるはずです。こんなに横幅のある不格好なものは押していただきたくない、と思います。間違いではないもの、丁寧に扱ってもらいたいものです。
 あまり気分のいいことではないので、ここに書くのに気が引けることがまだあります。それは、今日も納経所で3人並んでおられた中で、左端の方は気持ちよく大きく船を漕いでおられました。後ろには海外からお越しの方が並んで待っておられました。咳払いをしたらやおら目を覚まし、何事もなかったかのように朱印帖を受け取って書き出されました。醜態です。ただ印を押し、筆で決まりきった文字を書くだけなので、退屈なお仕事なのでしょう。しかし、そこはお寺のお役目と割り切って、まじめに取り組んでいただきたいものです。
 六角堂は池坊という華道では輝いておられるとしても、この朱印事業においては手抜きが過ぎます。
 
 
 
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2019年07月08日

西国三十三所(2019-2)/六波羅蜜寺(17番)

 西国三十三所めぐりの2つ目は、昨日の革堂(19番)に続いて市内の東山にある六波羅蜜寺にしました。

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 ここはつい最近、平清盛ゆかりの六波羅邸の堀跡が見つかり、軍事防御用の堀としては京都最古だと、大きなニュース(京都新聞、5月17日)になっていました。今でも、市内は掘れば何かがでてくるおもしろい町です。そして、その上に今も寺院や遺跡が建っているのです。
 この六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人の創建になるお寺として、学校で教わります。「南無阿弥陀仏」という6字の名号を口から出す姿は、多くの方の記憶に残っていることでしょう。

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 西国三十三所の観音霊場めぐりも、すでに1300年の歴史があることがわかりました。どれだけの方が歩きめぐられたのかということに思いを致すと、気が遠くなります。とにかく、歴史と文化の重みを感じます。
 境内はきれいに整備されています。
 巻物仕立ての軸も、これで2つの朱印が並びました。

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 これからどのように朱印が捺されていくのか、今から楽しみです。

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 帰りに、すぐ近くにある、「みなとや幽霊子育飴本舗」の飴をいただいて帰りました。子育て中の娘夫婦へのお土産です。この飴のいわれについては、「お店のホームページ」を参照願います。

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 なお、前回ここに来たことは「西国三十三所(2)六波羅密寺」(2010年08月31日)に詳しく書いています。入院中にアップしたものでした。時間があったからでしょうか、丁寧に書いています。ご笑覧を。
 
 
 
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2019年05月29日

科研の現状報告と茨木神社と茨木童子のこと

 今回の科学研究費補助金による研究の3年目は、今年から研究基盤機関が変わったことにより、一旦リセットされた状況にあります。事務的な手続きも停滞気味なので、気を揉んでいるところです。
 この4月からの2ヶ月間は、その再起動に多大のエネルギーと時間と手間を要しています。それも、ようやく昨日あたりから、本当に少しずつではあるものの、何とか動き出したことを実感し出しました。勝手がわからないこともあり、とにかくノロノロ運転ですが……

 プロジェクト研究員として活躍していただいていたOさんも、熊取という遠いところから箕面キャンパスまで、まさに遠路遥々この科研の研究支援に来てくださっています。少しずつ新しい機関での書類の形や動かし方がわかり、作業が進み出しました。
 先週から来てもらっているアルバイターのY君には、翻訳本の整理を精力的にしてもらっています。いい人材が見つかりました。まだ学部3回生です。しかし、信頼して任せられるということは、得難い人材を獲得したことになります。この科研は、若手研究者を育成する、ということも目的と活動の中に明記しているので、幸先の良いスタートとなったと言えるでしょう。
 情報収集や作業データの整理に使うパソコンについて、私はこれまでの30年近くにわたり、終始Macintoshで対処してきました。今回も同じです。すでにOさんはMacintoshを使いこなしておられます。Y君は今日が初めてだというMacintoshのセッティングも、無事に終わりました。
 新しい箕面の研究室は、まだ本格的な科研の運用までは整っていません。運び込んだ資料などが実際に活用できるように整理できるのは、もうしばらく時間がかかりそうです。いい研究成果を出すためにも、この時期の資料整理が大事です。本の山を崩して、すぐに資料が探せるように並べることが最優先課題です。

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 今年度からは、『万葉集』や『百人一首』など、『源氏物語』前後の和歌集も扱います。その準備を、Y君にお願いしています。

 この科研では、多くの方々とのコラボレーションによって、情報収集・整理・考察を展開していきます。そのためにも、この日本古典文学作品の翻訳の分野では、基礎的な研究基盤の整備は欠かせません。ほとんどなされていない分野なので、地ならしに時間がかかっています。もうしばらくはアイドリング運転状態であることを、お伝えしておきます。いま少しのお時間を……

 仕事帰りに、阪急茨木市駅に近い茨木神社に、科研の調査研究が順調に進展するようにと、神様にお願いしてきました。信仰心のない私です。しかし、これまで、いろいろな困難と直面してきたこともあり、神頼みも必要だと思ったのです。
 神社の近くの橋の欄干には、茨木童子の石像がありました。

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 茨木童子とは、今を遡る平安時代に、大江山を本拠地にして京都を荒らし回ったとされる「鬼」のことです。一般的には、茨城童子と書いています。酒呑童子の家来だった茨木童子は、堀川にかかる一条戻橋に出て来ます。それを、渡辺綱が腕を切って難を逃れたという伝承は、よく知られています。渡辺綱が茨木童子の腕を切り落としたのは、実は羅生門でのことだった、という話もあります。いや、茨木童子は「男の鬼」ではなくて、「女の鬼」だったとも言われています。
 その茨木童子の石像を見ながら、茨木市駅に向かって歩くと、すぐに茨木神社の標柱と出くわします。

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 本殿に向かうと、整然とした境内が見えます。

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 帰りは、かつてあった茨木城の搦手門を潜って東に真っ直ぐ歩きました。庶民的な、昭和の雰囲気を感じる商店街を抜けると、阪急茨木市駅に至ります。

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 気持ちの良い散策となりました。
 
 
 
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2019年05月26日

古福庵 町田店で見つけた源氏香の図入り木皿

 東京と神奈川の県境にある、時代家具を扱う古福庵に行きました。

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 広い店内には、さまざまな調度や家具が並んでいます。いずれも、手入れが行き届いたものです。

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 その中で、朱塗りの丸い菓子皿に、源氏香の図「初音」を描いた木皿を見つけました。気に入ったので、6枚いただきました。
 大型の家具がズラリと並ぶ中で、こんな小さなものが目に留まるのですから、おもしろいものです。

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 その近くには、蓋に「丸叶」、内箱の右横に「満る可なう」と書かれた小箱がありました。腹の部分は変体仮名です。これも、いただきました。

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 これらの道具とも、縁あっての出会いだと思います。大事に使っていくつもりです。

 今日はトランプ大統領が来日中のため、都内を避けての帰洛です。暑い一日。富士山は少し霞んでいました。

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2019年05月23日

反正天皇陵古墳とさかい利晶の杜

 今年7月には、世界文化遺産の仲間入りが濃厚になった百舌鳥・古市古墳群の内、堺市にある反正天皇百舌鳥耳原北陵古墳(田出井山古墳)に立ち寄りました。百舌鳥古墳群の北端にあります。仁徳天皇陵古墳がそうであるように、近寄っても森が目の前に広がっているだけで、あの鍵穴のような形は確認できません。

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 ピラミッドや石塔などは形が我々に見えるので、実感を伴う遺産として確認できます。その点では、日本の古墳の中でも前方後円墳は、その形がイメージし難いので、これがあの、という感触を得て終わります。IT技術を駆使して、実感を持って世界遺産が体感できるような仕掛けや工夫が待ち望まれます。もちろん、それが天皇陵にふさわしいかどうかは、また別の問題があるとして……

 その後、さかい利晶の杜にいきました。ここは、学生たちを連れて授業の一環として何度も来たところです。

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 入口にあったチラシで、与謝野晶子の『新新訳 源氏物語』が完成して今年が80年目であることを知りました。与謝野晶子が現代語訳をした『源氏物語』と『蜻蛉日記』の自筆原稿を、国文学研究資料館から精細画像で公開する仕事に関わったこともあり、気になっていました。
 今週末の25日(土)から6月2日(日)まで、いろいろとイベントが予定されています。次のホームページで確認してください。私は、この期間はすでに予定がぎっしりと埋まっているので、残念ながら参加できません。
「晶子フォーラム2019開催のお知らせ」
 ただし、25日に関しては、定員に達したために受け付けは終了したそうです。
 私は、この日の内容に興味をもっていました。与謝野晶子と谷崎潤一郎の現代語訳の違いについての話がなされるからです。

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 また、これに関連して、「晶子シリーズ講座 6か月でわかる「源氏物語」の世界 たつみ都志が語る! 与謝野晶子訳「源氏物語」講座」という企画もあるようです。初回は、6月3日(月)で、毎月上旬の月曜日に開講となっています。テキストは晶子の源氏訳です。ホームページにこの案内がないので、もっと詳しい情報を探しているところです。
 
 
 

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2019年05月17日

びわ湖百八霊場(3)湖西4「西徳寺」と瀬田唐橋と瀬田温泉へ

 久しぶりに「びわ湖百八霊場」を巡ることにしました。この霊場巡りは、平成22年10月17日に思い立ち、正法寺(岩間寺)からスタートしました。「びわ湖百八霊場」の成り立ちの説明も含めて、「びわ湖百八霊場(1)湖西2-岩間寺」(2010年10月18日)に、その時のことを詳しく書いています。
 翌11月までの2ヶ月間に8ヶ寺を巡ってから、パッタリと行かなくなりました。思い返すと、平成22年から23年は怒涛の日々でした。胃ガンで消化管を全部摘出した後、5巡目の西国三十三所巡りを始め、賀茂川左岸から右岸に引っ越し、妻が早期退職をして上京し、病後の私の食生活などを管理してくれるなど、めまぐるしい生活の中にいました。「びわ湖百八霊場」は、とてつもなく慌ただしい日々の中に埋もれてしまったのです。

 これまでに「びわ湖百八霊場」については、次の2つの記事を最後に、まったく書いていませんでした。
「びわ湖百八霊場(2)湖東27-正明寺の秘仏千手観音」(2010年11月23日)
 本ブログを検索してみると、その7年後に書いた「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)の中で、次の文章を書いていました。

 私は、スタンプラリーが好きなのです。この2週間前から、西国三十三所巡礼を石山寺を皮切りに回っています。
「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 石山寺に向かったのは、ガンの告知を受けた3日目でした。そしてすぐに、洛陽三十三所の札所巡りもスタートしていたのです。とにかく、若いときから観音様が好きでした。特に、18歳の時に読んだ井上靖の小説『星と祭』から、実に多くの影響を受けました。
 「びわ湖百八霊場」も歩き始めたままで、ずっと止まっています。これも、そろそろ再開することにします。またまた、楽しい忙しさを纏った日々を送ることになりそうです。


 ここで、「びわ湖百八霊場」も「そろそろ再開」と思っていたようです。しかし、何かと多忙な日々に追われ、「びわ湖百八霊場」どころの話ではない、心身共に疲れ切る日々だったので、行かず書かずのままでした。「びわ湖百八霊場」の3カ所目から8カ所目までのメモと写真は残っているので、いつかまとめることにしようと思っていた折、また霊場巡りに出かける気分になり、出かけることにしたのです。

 JR石山駅から近江鉄道バスで、湖西4番の西徳寺に向かいました。ただし、今回の旅は思わぬ出来事の連続でした。こんなハプニングだらけのこともあるのです。
 まず、ガイドブックに書かれていたとおりに乗ったバスは、行きたかったバス停の1つ手前が終点だったのです。1つのバス停分なら歩けばいいと思っていたところ、バス停1つ分も戻る上に、交通量の多い道の端を歩くことになりました。最近は歩道に突っ込んで来る自動車が多いので、行き交う車に注意しながら集落に入りました。そして目指すお寺に着いたと思ったところ、そこは「西接寺」というお寺でした。iPhoneを取り出して位置を確認すると、その向こう隣の回り込んだ所にあるのが「紫雲山 西徳寺」だったのです。それにしても、きれいな山号です。本堂周辺は工事中でした。

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 朱印をいただこうと思って玄関のチャイムを何度か押しても、どなたもお出になりません。
 そのドアフォンの下に、すでに書き上げた朱印がビニール袋に入っていて、お金をいれる小さな賽銭箱のようなものが設置されています。おそらく、不在にしておられる時の対処なのだろうと思い、その朱印をいただき、納経料を箱に入れました。特に説明がなかったので不安ながら、右上に防犯カメラがあり、私の行動は録画されているようなので理解していただけると思い、そのようにしました。

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 いただいた朱印は、次のように書かれていました。参拝した日付がないので、自分で書くことにします。

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 境内に歌碑がありました。よく見ると、このお寺の御詠歌が万葉仮名で刻まれていました。次の翻字には、万葉仮名の下に現在の五十音の平仮名で表記してみました。この万葉仮名の漢字の選定にはどのような根拠がありそうなのか、ご専門の方からのご教示をお待ちしています。

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詠歌

 安奈多宇土 加祢乃比〻幾尒
(あなたうと かねのひゝきに)
        仁之也摩乃
       (にしやまの)
  美祢與利以都留 牟良佐伎乃久毛
 (みねよりいつる むらさきのくも)
           義  道

※「尒」の「小」は「㣺」(したごころ)

 ブラブラと瀬田の唐橋に向かうと、途中の住宅地の川で亀が泳いでいるのに出くわしました。琵琶湖からやって来たのか、飼い主から逃れて来たのか。オーィと声をかけても、泳ぐのに必死の様子でした。この亀は、平泳ぎをしていたように思います。

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 瀬田川に出ると、瀬田の唐橋が一望のもとに見渡せました。釣り人や釣り船が見えます。

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 この唐橋は「せたからはし」と言うようです。「の」がないのです。

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 この瀬田唐橋の色は唐茶色だそうです。いろいろな論争があるようなので、詳しくはネットでどうぞ。

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 唐橋の西の袂にギャラリーがありました。水彩画やハンドメイドの作品などを、お二人で展示しておられました。お話をしているうちに、大徳寺の近くの方だとわかりました。親しくお話をしながら拝見しました。大きなハマグリに草花の絵を描いたり、モンゴルへの旅を絵にしてあったりと、楽しい作品でした。中に防人の歌を書いたものがあり、その中の文字で「弖」が「弓」となっていました。それとなく弓の下に傍線がいることを伝えました。この字は、今の平仮名にない変体仮名なので、勘違いしやすい文字ですね。

 京阪の唐橋前駅からバスで石山寺のまだ南に下った南郷まで行きました。そして、南郷洗堰の先にある南郷温泉二葉屋で、日帰りの温泉に入ることにしました。ところが、フロントで入浴をお願いすると、今日は貸し切りとなっているので入れない、とのことです。ホームページにはそのことが書いてなかったと言っても、すみませんの言葉しか返ってきません。
 仕方がないので、その向かいにある南郷温泉つぼた屋に行きました。すると、準備に1時間ほどほしいとのことでした。南郷の温泉は諦めて、元来た道をバスに乗ってJR石山駅まで戻りました。このまま帰るのも心残りなので、一駅先の瀬田駅からイオンモール草津に行き、その中にある草津湯元「水春」で温泉気分を味わって来ました。

 ハプニングに見舞われながらも、最後はゆったりと天然温泉で気持ちをほぐすことができました。出かけると、いろいろなことがあるものです。それがまた楽しさでもあります。
 
 
 
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2019年03月21日

大阪市立美術館のフェルメール展で新鮮な絵画体験

 久しぶりに天王寺公園に入りました。通勤でこの駅を通っても、乗り換えるだけでした。
 私は、この天王寺公園の近くにある高校の出身者です。この公園の中にあった図書館の自習室は、家に自分の勉強部屋がなかったこともあり、よくお世話になりました。夏は扇風機という時代だったので、冷房の効いたこの図書館に入り浸っていました。数十年ぶりの公園は様変わりです。

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 日比谷図書文化館の源氏講座を受講しておられるHさんのお声掛けで、この天王寺公園の中にある大阪市立美術館に行きました。Hさんには、迎賓館にも連れて行っていただき、元館長に館内を案内していただきました。

「江戸漫歩(131)赤坂迎賓館を見学」(2016年07月23日)


 今日もHさんのご紹介で、大阪市立美術館の篠雅廣館長を訪問し、地下の館長室で楽しいお話をいろいろと伺いました。大阪大学や早稲田大学とご縁のある方で、今は私の近くにお住まいです。また、妻も私もこの近くの高校の教員をしていました。クラブ活動でこの辺りを走っていたので、とにかく天王寺周辺に関する話で盛り上がります。おまけに、私は学芸員の資格を持っています。展示する立場での目線で話ができたので、楽しい話題が展開しました。
 その後、秘密の部屋という応接室を見せていただきました。以前、迎賓館で見たような貴賓室です。そのテラスの下には、慶沢園が一望のもとに見渡せます。

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 フェルメール展は、館長が直々に案内してくださいました。しかも、詳細な解説を伺いながら。説明がおもしろいことに加えて、絵の読み方で独自の視点を加えた解説で、知られざる絵の魅力を教えてくださいました。疑問に思ったことは、いろいろな例をあげて説明してくださいます。贅沢な時間でした。ありがたいことです。
 例えば、「14 トビアと天使のいる風景」は、トビアが失明した父トビトに魚の胆嚢を塗ると回復したという旧約聖書「トビト記」による話の絵画化です。その絵の前では、主題を隠す画面構成の背景を語ってくださいました。失明という言葉に反応した私は、館長の話に聞き入ってしまいました。参考までに、展覧会図録の説明文の一部を引きます。

 鳩小屋と山羊と農家のある風景は、旧約聖書続編の「トビト記」の物語の背景となっている。年老いたトビトは、家の外で寝ていたときに雀の糞が両目に落ちたせいで失明してしまった。トビトの息子トビアは、大天使ラファエルと共に長い旅をし、その途中で魚を捕まえるが、大天使ラファエルは、この魚の胆のうを失明したトビトの両目に塗るように言う。トビアがそのとおりにすると、トビトは再び目が見えるようになった。
 「トビトの失明」という物語は、17世紀にはたいへん人気があり、たびたび絵の主題となった。このブルーマールトの作品では、トビアと大天使ラファエルの姿をほとんど見ることができない。単なる風景画を見ているかのように描かれているので、私たちは、この二人の姿を探してこの絵の主題を理解するために、注意深くこの絵を眺めなければならない。絵画の真の主題を隠すというのは、17世紀にはしばしば見られる事例である。ブルーマールトのみならず、他の画家たちもこうした方法をとった。(『VERMEER』2018.10、78頁)


 この展覧会図録は秀逸です。これを読んでから、もう一度見に行くつもりです。

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 また、画中画の説明から、新しい絵の解釈が可能となること。さらに、教会を必要としなかったオランダ人にとって、教会内部の絵は架空のものだった話を伺いました。こういうことは、想像上の絵だったものがあらためて研究対象になった時、事実と異なった資料に変質することが心配されます。気をつけないと、絵を扱って考える時に、とんでもない論を展開する可能性があるのです。書いてある物事が事実とは違うのですから、それを証拠にできないのです。
 さらに、「本を読む老女」は聖書を読む女性を描きます。展示図録には、次のような説明文が冒頭にあります。

 書物に没頭している老女のこの画面は、とても細かく描かれているため、実際に本文の標題を肉眼で判読することができる。女性は聖書を手に取り、「ルカによる福音書」19章を開いている。この翻訳された聖書は、1585年にはじめて木版によって出版された。この一節が選択されているのは、鑑賞者へのメッセージと解釈できるかもしれない。それは、この世の財産は貧しき者たちと共有するのがキリスト教徒の務めであるというものである。(112頁)


 しかし、館長の話では、その背後には識字率のことがあることを考えるべきだとのことでした。老女でも、自分の目で聖書を読み理解できたということです。この絵は、当時のオランダの文化の理解を深める作品であり、資料でもあるのです。

 とにかく、絵を見ること以上に、絵を読み解くことにおいて、新鮮な視点を与えてくださいました。絵に、新しい光を当ててくださいました。これから、絵を見る目が違ってきます。

 出口に、こんな宣伝コーナーがありました。
 「リコーの複製画作成技術のご紹介」
 「さわれる複製画」
 「ご自由に立体複製画を触ってみてください」
 視覚障害者と共に活動をしている者として、これは見過ごせません。担当者に伺ったところ、これは絵の具などの塗り重ね具合が体感できるものであり、描かれたものの形がわかる立体コピーではないとのことでした。残念でした。

 一通り篠館長のご説明を伺いながらフェルメール展を見た後、館長から教えていただいた視点でもう一度作品を見ようと思い、お願いして再度見る機会をいただきました。確かに、絵を見る目が違っていることを実感しました。そこで、第一会場を見てから少し溜まり場のような一角で、館長からお聞きした話や2度目の感想などを、忘れないようにと思って iPhone にメモを入力していたところ、館長の声がするのです。私に声をかけて来られたので驚きました。この人混みの中を、わざわざ探しに来てくださったのです。用件は、常設展に「洛中洛外図」があるので、それも観たらいいですよ、という親切なアドバイスでした。そのお気持ちが嬉しくて、第2会場などをじっくりと見終わってから、2階の常設展も拝見しました。

 常設展では、まず雛飾りに注目しました。男雛は、京都式に向かって右側に置かれています。「男雛と女雛の飾り方」という解説文がありました。関西らしい心遣いだと思いました。
 さらに別室に「洛中洛外図」が展示されていました。「洛中洛外図」については、本ブログの「京洛逍遥(426)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)で詳しく書いています。
 今回の「洛中洛外図」では、「6曲1双 江戸時代 18世紀 (下村裕氏寄贈)」という屏風がみものでした。これは、平成28年度に大阪市立美術館に寄贈されたもので、今回が初公開とのことです。仏教大学本系統の図会です。しかし、写し崩れがあるために、江戸時代中期以降に量産化されたものの一つではないか、という説明が記されていました。確かに、絵は稚拙で平面的です。しかし、違いもあることでしょうから、一点でも増えたことは成果です。
 向かい側のガラスケースには、次の『名所図会』が並んでいました。このコレクション展は今週末の3月24日(日)までです。

『都名所図会』(秋里籬島著、竹原春潮斎画、安永9年/1780)
『天明再板京都めぐり(享城勝覧)』(貝原益軒著、下河辺拾水画、天明4年/1784)
『拾遺都名所図会』秋里籬島編(秋里籬島著、竹原春潮斎画、天明7年/1787)
『京の水』(秋里籬島著、竹原春潮斎画、寛政3年/1791)
『都林泉名勝図会』(秋里籬島著、奥村鳴ほか画、寛政11年/1799)
『増補都名所車』(池田東籬補、文政13年/1830)
『花洛名勝図会(東山之部)』(暁鐘成ほか著、松川半山ほか画、元治元年/1864)

 
 
 
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2019年01月03日

新年の墓参で河内高安へ

 昨日と今日で、わが家の梅は一気に蕾をほころばせました。なんとか三が日に間に合いました。

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 メダカたちの住み処にも、おめでたい扇を飾り付けています。

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 年末には曇っていた比叡山も、元日にはきれいな山容が見られました。

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 賀茂川に架かる北大路橋から、北山と東山を望みました。

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 例年通り、3日は新年の墓参です。
 北大路駅から京都駅、大阪駅、鶴橋駅、河内山本駅、信貴山口駅と乗り継ぎ、駅前の霊園行きのバスでお墓まで2時間半。箱根駅伝をスマホで観ながらの小旅行です。
 信貴山口駅前にあった、この河内高安一帯の史跡図を写しました。ここは、古代からの古墳だらけの地域です。この高安に、小学校6年生から高校3年生までいました。横穴古墳でよく遊んだものです。大学を卒業後は、東京からこの高安の地に戻り、その後、右上の十三峠を東へと山越えした、大和平群の地に移りました。倭建命が「たたみごもへぐりの山の〜」と歌った平群でも古墳や陵墓が点在していて、勉強部屋からは二上山が望めるという古代の世界に包まれた日々でした。

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 信貴霊園から北摂方面を望み、カメラを南に振ると淡路島が視界に入ります。

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 お地蔵さんたちの後方は、六甲山と神戸地域になります。

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 帰りも、スマホで箱根駅伝を観ていました。私の母校は昨日の往路は3位、今日の復路は遅れたとはいえ総合7位と、来年のシード校権を獲得しました。あの、昨春まで職場があった立川の公園での涙ぐましい予選会には、今秋は走らなくてもいいのです。お疲れさまでした。

 今年も、この京都、大阪、奈良を大移動する生活を送ります。
 昨日の記事に書いたように、今年からは何もしない日を取り入れながら、自分を追い込まないように日々を送るつもりです。これまでと変わらないお付き合いを、どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
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2018年12月24日

芦屋の阿保親王塚古墳を散策

 ガイドブックによると、阿保親王塚は芦屋市では最古となる4世紀後半に造られた古墳で、周囲は356mの円墳だとあります。宮内庁が管理している陵墓です。今日はちょうど、職員の方が前庭の玉砂利を掃き清めておられました。

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 次の写真は、正面左角から反時計回りで一周したものです。

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 国道沿いに建つ説明板は、下の方がサビで剥がれ落ちていました。幸い、黒い文字の部分は切り抜かれたように残っていたので、何とか読めます。ぜひ、補修をしてほしいものです。

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 陵墓の中をのぞくと、木々が鬱蒼と茂っていてこんな様子です。
 まず、東北角から南を見ました。

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 次に、東北角から西を向いて見ました。

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 北西角から東を見ます。

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 西側の道路を南に見たところです。

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 おめでたい名前の「打出小槌町」へと下っていくと、「山打出」の交差点角に、「平城天皇皇子 阿保親王墓 是ヨリ北三丁」と刻んだ大きな道標が建っていました。「ココヨリ三丁」とあり、背面には「昭和三年十一月建之(立?)」と刻まれています。

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 さらに下ると、阪神電車の打出駅の近くにも、あと四丁で「阿保親王廟」に至るという道標が建っていました。

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 これ以外にも、「阿保親王」に関するものがこの辺りにあるのかはわかりません。この近くには息子の在原業平橋があるので、また姉の家に行った帰りに、この周辺を歩くつもりです。

 阪神電車で梅田に出ました。クリスマスイブに合わせて、阪急百貨店のプロムナードはイルミネーションに彩られていました。

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 四条河原町のバス停付近では、河原町通りが控えめなイルミネーションで飾られていました。

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2018年10月28日

大和平群でのお茶のお稽古(入れ子点前)と観光公害について

 玄関を出てすぐに、思っていたよりも寒いと感じました。家に引き返して、セーターを一枚重ね着して出かけます。

 大和平群までの車中、旅行客のうるささには困り果てました。京都駅から大和西大寺駅までのことです。4人連れの女性が、大きなスーツケースを膝の前に置いて、中国語を大声で喋っておられます。それも、長いシートに向かい合いながら。

 私は本を読んでいました。

 前後2人のスマホから、大きな音量で音楽が車内に響き渡るようになったので、別の車輌の席へと移動を考えました。しかし、2時間の長旅の身には、座れるかどうかわからない席の移動には、リスクが多くてためらわれます。結局、そのまま喧騒の中に身を置きました。
 そうならばと、精神を統一して、雑音が気にならなくなる修行の時間にしたのです。そう開き直ると、何やら瞑想の世界に入れたように思えたのはおもしろいことでした。いや、実際には喋り疲れたのか、女性たちはやがて居眠りが始まり、ポップな音楽だけが車内に鳴り響いていたのです。

 元山上口駅前に降り立つと、「紀氏神社秋祭り」の幟がたなびいていました。

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 「紀氏神社」は、正式には「平群坐紀氏神社」と言います。『延喜式神名帳』にその名前が記されているので、古いお宮です。ここは、ヤマトタケルノミコトが「たたみこも へぐりのやまの」と歌った古代からの地なのです。楽の音が風に乗って流れてきます。かつて、といっても30年も前に子供たちを連れて行った、平群の秋祭りを思い出しました。

 龍田川の上流は、木々が少し色付いています。

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 今日のお稽古は「入れ子点前(いれこだて)」です。初夏以来の久しぶりのことなので、ほとんど覚えていませんでした。先生がおっしゃる通りに手を動かしながらも、アレッ、アレッの連続です。他のお弟子さんたちからは、自然と身体が動いていたとおっしゃってくださいました。いえいえ、頭の中は真っ白で、流れがまったくわからなくなった状態で、なんとか終わったという体たらくでした。
 先生から、もう一度やりますか? と助け舟を出していただいたので、お言葉に甘えて再度のチャレンジをしました。今度は前よりも幾分はましで、何とかそれなりに流れがつかめました。
 いやはや、お茶とは摩訶不思議なお稽古です。これだからこそ、次こそはと思い、そしてまたこの次はと思って、この大和平群の地に足が向くのです。おもしろいものです。

 帰りに通りかかった京都駅は、新宿かと思うほどの人の波でした。これは、人さえ来れば、集まればいいという、能天気な観光万歳の時代があり、その後の時流を読んで進歩しなかったからだと思います。いまだに引きずっている弊害が、最近とみに表面化しています。民泊しかり、街中のゴミ、交通機関の機能マヒ、観光地のいたずらなどなど。

「観光公害」については、すでに真剣に議論がなされています。その機運を高める中で、観光客の制限やマナーの周知をする努力を、京都市として強行すべき事態に立ち至っていると、私は思います。観光客目当ての場当たり的な営業も、将来のことを考えると再検討の時期でしょう。私は冗談半分に、京都検定の級数によって、観光コースを選んでもらうことも導入すべきだ、と言っています。
 いつまでも一見さんの機嫌取りをし続けるのではなく、さまざまな来訪者の意識とレベルに合ったプランを提供すべきです。

 これらは暴論かと思います。しかし、京都にお越しになる今の観光客は、あまりにも日本の文化を無視した行動をしておられます。所によっては、日本の文化を壊して帰られます。都に入る前に、観光のマナーを学んでから、お目当ての観光地に行ってもらったらどうでしょうか。このままでは、住民からの観光客に対する反乱が起きるのは必定だと思っています。住む人を無視した観光客の流入は、いずれ破綻します。市民に我慢を強いる、無策としか言えない観光行政は、早急に見直すべきです。
 
 
 
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2018年10月21日

「イグ・ノーベル賞の世界展」に行って

 東京ドームシティで開催中の「イグ・ノーベル賞の世界展」(会場:Gallery AaMo ギャラリー アーモ)に行ってきました。

 丸ノ内線「後楽園」駅の改札口で、11時に尾崎さんと待ち合わせです。
 当初は、上野の美術館を考えていました。しかし、昨日の日本盲教育史研究会で尾崎さんと話をしているうちに、脳の活性化を促進し、物の見方や考え方に刺激を与えてくれそうな、この展覧会に変更しました。自分の希望はもとより、修士論文を執筆中の尾崎さんへの、心ばかりの励ましの同行です。
 東京ドーム周辺は、多くの家族連れや若者でごった返していました。

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 イグ・ノーベル賞は、期待を裏切らない、楽しさとおもしろさがふんだんに盛り込まれた研究が受賞しています。紹介されていたものが理科系に偏っていたのは、結論が明確でわかりやすいからでしょう。

 全盲の尾崎さんと一緒だったので、私が主だったもののパネルの説明文を読み上げて歩きました。エロチックすぎるものは勝手にパスしました。

 膨大な量の説明文と写真パネルで、今回の展示が構成されています。これだけ文字が溢れる展示には、どうしても音声ガイドが必要です。文字を追っていて、目がウロウロしました。後期高齢者には、目を酷使する展示です。

 また、紹介されている受賞作が、ほとんどが目で確認する実験と結果の説明に終始していました。尾崎さんには、追体験のしようがありません。また、見えない人にとっては理解の限界もあり、ユーモアも伝わらない事例がいくつかありました。
 ユニバーサルな観点からの配慮と思いやりがある紹介であったら、さらに展示の完成度が上がったことでしょう。これは、一学芸員の立場からの評価です。

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんの用語で言うところの、触常者の存在には目を向けず、あくまでも見常者のためのイベントとなっています。尾崎さんのような観覧者は想定しておられなかったようです。見えない方のみならず、加齢と共に見えづらくなった私も含めて、これは困ったことです。目に頼り過ぎたパネルのオンパレードだったので、もったいない展示になっていました。

 いくつか、体験型の展示もあります。スパゲッティを折ると3つになる、という展示では、実際に折って試すことができました。また、2つに折る工夫も、実際に自分でやってみて実感できます。
 ただし、それは例外で、ほとんどが実物があっても透明ケースの中か、触れることはできません。自走式の目覚まし時計は、触っても何ら不都合はないはずです。「don't touch」というプレートは、本当に必要だったのでしょうか。

 水の上を歩くという体験も、スカートの人はダメだとされていたのも残念です。多数の女性がそうであったように、尾崎さんもスカートを履いていたのです。ジーパンの女性も、007の映画で上空からパラシュートで落下する体験さながらに、股間をベルトで引き上げるスタイルなのです。ボンドガールは、もっと華麗な姿で宙吊りになります。表現は良くないものの、これは卑猥です。企画の詰めの甘さを感じました。

 この「イグ・ノーベル賞」の展覧会を紹介する文章を、ホームページから引いておきます。

 皆さんは「イグ・ノーベル賞」をご存知ですか?

 「イグ・ノーベル賞」とは、1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に与えられる賞で、"表のノーベル賞"に対して"裏ノーベル賞"とも言われています。授賞式は毎年秋に開催され世界的な話題となっています。これまでに日本人研究者も多数受賞し、大きな話題となりました。

 本展覧会は、「イグ・ノーベル賞」を企画運営するサイエンス・ユーモア雑誌「風変わりな研究の年報」の編集者 マーク・エイブラハムズ氏の協力を得て制作される、世界初の「イグ・ノーベル賞」公式展覧会です。受賞研究の紹介や体験コーナーなど「イグ・ノーベル賞」の軌跡を追いながら、笑って、考えさせられるユニークな研究の数々をお楽しみいただけます。さらに、展示会に即したユーモア満載の物販販売の実施も予定しています。

 世界にはこんなトガった研究があったなんて!? ぜひあなたの目でお確かめ下さい。

 2018年のイグ・ノーベル賞授賞式は日本時間 9/14(金)朝7:00〜 アメリカのハーバード大学サンダースシアターで行われました。

 授賞式のオープニングでは、観衆全員が紙飛行機を作り、舞台に立った的(人)にめがけて投げるのが通例。受賞者の旅費・滞在費は自己負担で、スピーチでは「笑いをとること」が要求されます。本家ノーベル賞の受賞者たちも参加して表彰を手伝ったりしています。

 今年の受賞研究はどんな研究なのか!? そして12年連続の日本人受賞者が生まれるのか!? わくわくしますね!!

祝マーク12年連続日本人受賞!!/

 お待ちかね2018年のイグ・ノーベル賞が発表されました

 日本からは堀内朗先生(昭和伊南総合病院)が医学教育賞を受賞!

 受賞研究は「座った状態で大腸内視鏡検査を自分1人でやる」。堀内先生、本当におめでとうございます!


 この発表会場となったハーバード大学には、その2週間前までいました。授賞式に参加できず、残念でした。
 
 
 

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2018年08月22日

お茶のお稽古の後に大和平群を散策

 大和平群は、日差しはきついものの心地よい風が爽やかに吹いています。
 駅前にバスが停まっていました。しかし、風を浴びながら、いつものように歩いて山登りをして、お茶のお稽古に行きました。まだ、このバスを使って上がったことはありません。

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 今日は、久しぶりに薄茶のお稽古をしてもらいました。このところ、濃茶が中心になっていました。薄茶は4ヶ月ぶりではないでしょうか。
 おもしろいほどに、すっかり忘れています。しかし、時折すっと手が伸びて、我ながら驚きました。ほとんど先生の指示待ち状態の中で、無意識に手が動くと嬉しいものです。「そう、よく覚えていましたね」と言われると、ますます楽しくなります。

 今日は、お点前以上に、お茶をいただく上でのお作法をたくさん教えていただきました。お稽古というと、お点前を覚えて確認することに気持ちが注視していたのです。しかし、その基本が疎かになっていたことを自覚したのです。そこで、この点てること以外のことで、基本の再確認をお願いしました。お茶室に入ってから出るまでの、一連の流れの中での動きのおさらいです。
 わがまま勝手なお願いをする生徒で、申し訳ないことです。今日は、3時間みっちりと特訓を受けました。

 帰りは、風が涼しくて気持ちがよかったので、いつもと違う平群駅へ出ることにしました。ブラブラと気ままに、かつて住んでいた地域を散策しながら、子供たちが大きくなって行く頃の十数年前を思い出して歩きました。

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 20年間、生駒山、信貴山、二上山を勉強部屋から眺めながら、ここで子育てをしたのです。その景色は、今も何も変わっていません。
 他人がこの記事を読まれると、またそんな思い出語りを、と思われることでしょう。しかし、当の本人は、思い出すたびに懐かしさとともに、楽しかったことが再確認できる、得難い時間の中に身を置くことになるのです。過去と今を往き来する楽しみは、こんな時に体験できるので、おもしろい回顧歩きだと思っています。

 龍田川も、この辺りに来ると流れも緩やかになります。小学校の前の親水公園は、授業参観の時などに子どもと一緒に川へ入った所です。「ちはやぶる 神代もきかず たつた川 〜」の歌が書いてあります。

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 こうした、過去に心身を瞬間移動させられる場所を、私は何箇所も持っています。この大和平群は、そのうちの大切な一つです。
 過去と今を往来する契機を与えてくれる写真を、自分と家族のために何枚か置いてみました。以下は、小学校から駅までの変わりようがわかるものです。駅前は、まだまだ変わっていくようです。

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2018年04月30日

連日のお茶のお稽古の後は大和平群温泉へ

 今日も、お稽古は濃茶です。
 2日続きということで、昨日よりもお点前の流れがわかってきました。それでも、至る所で手が止まります。このまま月2回のお稽古を続けていけば、いつかはそれらしいお点前ができるようになることでしょう。そう思うと、気が楽になります。

 立ち上がるときに、ヨイショではなくて、スックと立つようにと、何度か注意を受けました。腹筋と足腰の鍛錬をするといいそうです。特に私の身体には筋肉がほとんどなく、見るからに貧弱です。そのため、スクワットをしたらいいとのことでした。しかし、それも単調で辛いので続きません。

 私の日常生活は、勉強部屋以外はすべて和室です。そこで、座卓で立ったり座ったりする時に、このお点前の練習のつもりで、手を使わずに立ち上がるといい、ということになりました。たしかに、その気持ちでやると、腹筋や足腰が鍛えられるように思います。
 とにかく、意識してやってみることにします。その成果のほどは、またいつか。

 お稽古の後で、貴重な釜の話を伺いました。今、家にある小さな釜は「切掛風炉」というものだそうです。姉が花嫁道具として持って行ったもので、40年以上も使われないままだったものを譲り受けました。せっかくあるのだから、ということで、これからはこれを使うことにします。

 道具ばかり考えていても、お点前は上達しません。それでも、続けることで、一歩でも前に進んで行くつもりで取り組んでいるところです。
 無理矢理に私が点てるお茶を飲まされる方は、研鑽の相手をさせられていると諦めて、今しばらくお付き合いください。

 帰りに、元山上駅の近くにある「かんぽの湯 大和平群」に足を伸ばしました。10年前まで、この平群で子育てをしていた頃には、家族づれでよく行っていました。
 駅前の狭い階段から行くと近道です。

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 最近は、食後の腹痛や逆流性食道炎に悩まされています。温泉に入り、少しでも心身をリラックスさせることを、このところ考えています。昨日、一休温泉に行ったのもそうです。
 今日の「へぐりの湯 大和平群温泉」は、いい温泉です。久しぶりに、思いついて入りました。
 ロビーには、大きなタペストリーが飾られています。『百人一首』の龍田川が流れる町です。

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 この場所から西を望むと、国宝の『信貴山縁起絵巻』で知られる信貴山があります。この信貴山朝護孫子寺は平群町のお寺なのです。写真の手前を、単線の近鉄生駒線が走っています。

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 ここから左側の南に目を転ずると、二上山があります。写真の左端の曇っている一帯です。

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 東の矢田丘陵を超えると、法隆寺で有名な斑鳩です。

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 平群町は、ヤマトタケルノミコトが「たたみこも へぐりのやまの〜」と詠んだ、古代史で重要なところです。そこで20年間、3人の子育てをしたことは、本当にいい体験でした。

 平群には、もう一箇所いい温泉があります。またの機会に紹介します。
 
 
 
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2018年04月29日

新緑の平群でお茶のお稽古の後は一休温泉へ

 朝の賀茂川散策路は、早々に桜が散り、今は新緑に包まれています。

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 ベンチに一休みして見上げると、木々の葉と葉がさまざまな色合いで重なっています。

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 お茶のお稽古で奈良へ向かう時、少し肌寒かったので、セーターを一枚織って出かけました。片道2時間半の道中で汗ばむ暑さとなり、急いでセーターはカバンに押し込みます。一昨日は突然の雷雨。天気の急変に、体調を合わせるのが大変です。

 平群の龍田川も、緑の木漏れ日の中を流れています。

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 今日のお稽古は、濃茶をお願いしました。最近始めた濃茶は、薄茶とは微妙に違うので、頭の中は大混乱です。
 そんな中で、一つだけ得心した場面がありました。それは、中仕舞いをする時です。
 正客が一口いただき、服加減を尋ね、柄杓を取り、釜の蓋を閉め、柄杓を建水に伏せ、蓋置を建水の後ろに置く動作をしたことです。
 ここでは、正客が「お茶銘」「お詰」「お菓子」を亭主に尋ねます。この時、目の前に柄杓や蓋置があったのでは、正客とのやりとりに邪魔なものが目の前にあることになります。また、濃茶が回っているので、少し時間がかかります。そのためもあって、釜の蓋をずらして閉めるのではなく、しっかりと閉めて、お湯が冷めないようにするのです。
 この後、また蓋置を元の位置に置き、釜の蓋を開け、柄杓を釜にのせます。
 この、最初は意味がわからなかった蓋置や柄杓を片付ける動作が、実は正客とのやりとりを円滑におこなうための計算された所作だったのです。まだまだ、その意味がわからない中で、この中仕舞いの意味はよくわかりました。今日の大きな収穫です。
 利休以来の伝統と革新の成果のほんの一部が、こうして少しだけでもわかったつもりになりました。

 京都への帰りに近鉄新田辺駅で途中下車をし、以前一度行った一休温泉で一息つくためにバスに乗りました。
 一休温泉のまわりには、ツツジやカキバタがきれいに咲いていました。

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 連休中ということもあってか、温泉は家族連れで満員でした。ちょうどガラガラの抽選会をやっており、私が回すと黄色い球が転がり出て、お兄さんが鐘を鳴らして祝ってくれました。
 クジ運は決してよくない私です。何事かと思うと、この施設の入浴券を3枚もらえました。

 帰りには、駅前で食事をしました。この新田辺駅周辺は、同志社大学の学生さんたちの街です。新年度が始まったこともあり、多くの学生さんたちが至る所で小さなグループで騒いでいました。節度のある元気さが爆発していたものだったので、好感をもってながめていられました。
 帰りの中天には、みごとな満月が見られました。

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2018年04月02日

中之島で見かけた橋の名前

 入学式に参列するため中之島に出かけたので、辞令交付式と入学式の間のお昼時間に、大阪市庁舎の周辺を散策しました。現在、公共の物に刻まれ、書かれた仮名文字に興味をもっています。そこで、以下で川に架かる橋の名前をとりあげます。
 式典の会場となっている中央公会堂は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島公園の東端で、市役所の後ろにあります。
 次の図は、「ウィキペディア」からの転載です。

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 公会堂がある中之島を挟んで、土佐堀川と堂島川の2つの川に架かる「難波橋」には、変体仮名混じりで「な尓者ばし」と刻まれています。これは、704年に行基が架けたと言われ、天神橋と天満橋を合わせて「浪華三大橋」とも呼ばれています。今の橋は大正4年に架けられたものです。

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 この橋の仮名文字表記に「ばし」と濁点があることに注目しています。「橋」を「ばし」とするか「はし」とするか、ということに問題意識を持つようになったからです。

 市役所の前を通る御堂筋の堂島川側には「大江橋」が架かっています。コンクリートの橋ながら、国の重要文化財です。江戸時代の元禄年間に架けられたそうです。今の橋は、昭和10年に完成しました。

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 ここに刻まれている仮名文字は「おほえはし」であり、「おおえばし」ではありません。

 この「大江橋」の前の御堂筋を市役所から南側に渡り、土佐堀川には「淀屋橋」が架かります。

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 刻まれた文字は「よどやはし」です。これも、大江橋とともに昭和10年に完成し、共に重要文化財です。「ど」は濁るのに「は」は濁っていません。その違いは何に由来するのでしょうか。

 そして公会堂の南側の土佐堀川に架かるのが「栴檀木橋」です。昭和60年に架け替えられたものです。

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 上の写真にある通り、標柱には「せんだんのきはし」と鋳造の文字が嵌め込まれ、その横には大正時代の親柱が建っています。

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 これも「はし」となっており、濁ってはいません。

 橋の名前に変体仮名を使ったり、仮名遣いを異にしたり、濁ったり濁らなかったりと、よくわからないことだけらけです。私はこうしたことは専門ではないので、何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示をお願いします。
 
 
 
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2018年01月02日

下鴨神社への初詣と河内高安への墓参 -2018-

 元日には氏神様へご挨拶に行きます。
 大晦日には小雨が降ったものの今日は快晴。
 ブラブラと下鴨神社に向かいました。

 境内に入ってびっくりです。鳥居から本殿まで、長蛇の列なのです。こんな光景は見たことがありません。いつもは元日の午前中にいく下鴨神社も、今日は午後です。家を出る時間が良くなかったようです。

 ここにはいつでも来られる、という気安さがあります。お参りはそこそこにして、大阪の八尾にあるお墓参りをすることにしました。少し南に下った出町柳から京阪電車で向かいます。ただし、どうしたことか、電車はガラガラでした。

 4回乗り換え、2時間ほどかかって、河内高安にある近鉄信貴山口駅に着きました。駅前から乗った霊園の送迎バスの運転手さんの話では、年末年始の墓参はいつもより少なかったそうです。みなさん、のんびりとした寝正月なのでしょうか。

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 大阪湾越しに、淡路島や四国が望めます。

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 新年を迎え、いつもと同じように、同じことをしています。
 それにしても、片道2時間の道中で人出の少なさに拍子抜けしました。たまたま時間帯がそうだったのかもしれません。下鴨神社の初詣客がすごかったことと、街中の様子が対照的です。

 そして、今年は着物姿の方が京都でも少ないように思います。海外の方がレンタルの着物で楽しんでおられるのはそれとして、女性が少ない以上に、男性はさらに見かけません。もう少し様子をみることにしましょう。
 
 
 

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2017年12月17日

学外授業で堺の与謝野晶子記念館へ行く

 大阪観光大学における後期の授業では、与謝野晶子の短歌を読んで来ました。座学だけでは作者の実像がわからないので、校外での授業を実施することで補うことにしました。
 幸い、与謝野晶子が生まれた堺市へは、大学から至近の距離にあり、電車一本で行けます。学生も40分ほどで行けるということなので、寒波が襲来している中をものともせずに日曜日の時間をとって出かけました。
 行き先の「さかい利晶の杜」は、与謝野晶子と千利休を通じて堺を体験できる施設で、2年前の2015年に開館したところです。

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 実は、私は勝手知ったる与謝野晶子文芸館というイメージから、今回の集合場所をJR堺市駅にしました。しかし、実は与謝野晶子文芸館が南海堺駅の方に移転して、与謝野晶子記念館になっていたのです。
 これまでに、与謝野晶子文芸館のことは、以下のブログで詳しく取り上げています。

(1)「与謝野晶子と蜻蛉日記の講演会」(2011年01月17日)

(2)「西国三十三所(27)粉河寺」(2010年10月27日)

(3)「与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影」(2010年10月26日)

(4)「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年07月16日)

(5)「神野藤昭夫先生の晶子がたり」(2010年02月21日)

(6)「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」(2010年02月20日)

(7)「与謝野晶子と『源氏物語』(2)」(2008年09月07日)

(8)「与謝野晶子と『源氏物語』(1)」(2008年09月06日)

 上記のブログで報告している通り、一時はここに通い詰めていたことがあったのです。そのため、この与謝野晶子文芸館が移転しているとは思いもしませんでした。与謝野晶子文芸館は今、堺アルフォンス・ミュシャ館となっていました。

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 すぐに堺市駅前からバスで「さかい利晶の杜」へ移動しました。
 また、一人だけ遅れて来た学生も、奇跡的としか思えない偶然で、目的地である「さかい利晶の杜」の入り口で出会えました。私の思い込みからスタートが遅れてしまいました。しかし、幸いなことに大事には至りませんでした。

 与謝野晶子文芸館に足を運んでいた頃にお世話になった方が、今も記念館にお勤めだということがわかりました。しかし、今日はお休みということで、お目にかかることはできませんでした。これを機会に、今春からは大阪の大学にいることの報告を兼ねて、あらためて連絡を取りたいと思っています。

 記念館の中では、学生に説明しながら、ゆっくりと観て回りました。ただし、文芸館の頃の専門的な立場からの充実した展示を知っているので、この記念館の展示の内容には大いに失望しました。与謝野晶子と千利休という、堺が輩出した偉人を広く広報することを目的とする施設なので、専門性は限りなく削ぎ落とされています。しかし、それにしても内容がありません。
 さまざまな制約の中で、やっとここまでできた、という事情があるに違いありません。そうは言っても、やはり義務教育の生徒を対象にしただけのこの展示では、少し与謝野晶子を知っている人には物足りないはずです。何も知らない人ばかりを対象にするのではなく、少しずつ理解が深まる展示をお願いしたいものです。一見さんだけではなく、何度も足を運べる内容にすべきです。これは、展示スペースが狭いということとは別問題です。生意気なようですが、学芸員の一人としてこのことを痛感しました。

 また、晶子が生まれた和菓子屋「駿河屋」の再現はまったく無意味です。これだけのスペースをこんなものに充てるのは、究極の無駄遣いです。堺市は晶子に関するすばらしい資料をお持ちです。せっかくの宝物が死蔵されているのはもったいないことです。この展示室は、根本的なところから見直すべきです。来訪者を甘く見過ぎです。

 このことは、その下の階にあった千利休茶の湯館も同じことです。お茶に関係するものが並んでいるだけで、まったく面白味も中身もありません。共に、著名人の名前に寄り掛かった無策の展示室となっています。企画展示室が2部屋もあるようです。ここの利活用には、大いに期待したいと思います。

 一通り見終わってからは、ロビーの一角で説明を補ったり今後の打ち合わせなどをしました。
 また、遅れてきた学生が先日の授業を休んでいたので、その補講を兼ねて帰り道に南海堺駅まで一緒に歩きながら、いろいろな話をしました。こんな授業があってもいいでしょう。

 堺駅前には、植え込みに与謝野晶子と千利休がデザインされたフラワーポットがありました。

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 また、西口駅前には、平成10年に晶子生誕120年を記念して建てられた、与謝野晶子の等身大のブロンズ像がありました。

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 その台座には、明治38年に『明星』に発表された次の歌が刻まれています。

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  ふるさとの 潮の
 遠音の
  わか胸に ひひくを
      おほゆ
   初夏の雲
      晶子の
       う堂


 帰りに振り返ると、晶子の自信に満ちた後ろ姿が印象的でした。

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 次の機会には、晶子の歌碑めぐりをしたいと思っています。
 
 
 
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2017年10月15日

雨の日のお稽古と温泉と回転寿司

 朝から雨でした。京都は小降りになったのに、午後の奈良は土砂降りでした。
 今日のお茶のお稽古は、中置きの薄茶点前です。10月だけのもので、風炉をお客様寄りに置きます。暖かさを少しでもご一緒に、という心遣いが込められたものです。まさに、冬に向かう10月ならではの趣向なのです。
 水指は、いつもと反対の左側の勝手付きに、少し手前に引いて正面がこちらを向くように置きました。蓋置もいつもと違って、水指の正面手前に置きます。柄杓の柄が膝の間まで入ってきます。
 その柄杓を真ん中にある釜に預けると、自分の身体の真っ正面になるので、柄の先端の切止が胸に向かって伸びて来ます。初心者ながらも、何となく勝手が違うのです。茶筅の上げ下ろしは、その柄の下で行ないます。これは、高さが決まって限定された範囲での所作なので、やりやすいと思いました。
 それにしても、いろいろなお点前があるものです。季節季節に、四季折々に、さまざまな創意工夫がなされているので、一つずつ覚えて行くのを楽しんでいます。
 今日は、お正客の心得やお茶室のことなど、お稽古以外にもたくさんのことを教わりました。お点前はまだまだにしても、少しはお作法の流れがわかってきたせいか、いろいろな物が見え出したことにつれて、疑問を聞くゆとりもできました。

 帰り道、近鉄奈良線の大和西大寺駅で京都線に乗り換えた後、京都へ向かう途中の大久保駅で降りました。過日行った温泉「源氏の湯」に立ち寄ったのです。首と肩の痛みをほぐすために、中休みなのです。

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 今日は鉄道記念の日ということで、待合室にいつもは広いスペースを取って置いてある鉄道模型のケースの中を、ミニチュアの列車が軽快に走っていました。「源氏の湯」との接点はないものの、鉄道マニアの方がいらっしゃるのでしょう。

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 お腹が空いたこともあり、すぐ隣の回転寿司「くら」に行きました。ガラポンが一つ当たったので、孫のお土産にいただいて帰りました。
 とにかく今は、頭痛、肩凝り、腰痛の違和感や不快感を取り除くことに専念し、養生を心掛けているところです。
 
 
 
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2017年10月09日

慌しく六甲山を登ってお見舞いに行く

 抱え込んでいる仕事の一部を午前中に何とか終え、慌しく六甲山中の有馬温泉方面に向かいました。義兄の家にお見舞いです。定年で東京を離れる前に、義兄から有馬温泉に招かれて以来の訪問です。

「六甲から見た海や山と町の風景」(2017年02月01日)

 阪急芦屋川駅から、バスで山道をクネクネと登ること十数分。かつては遊園地だった奥池は、私が高校生の時に遠足などで何度も来た所です。あの頃は、駅からハイキングしながら山道を歩いて登ったものです。テニス部の練習で来たこともありました。

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 六甲連山は、色付き出しています。バスを降りると、肌寒さを感じました。

 義兄は思いのほか元気だったので安心しました。それでも、山の中に籠っているせいもあって、出不精になっているとのことです。

 山向こうから、姪が息子を連れてやって来ました。久しぶりということもあり、みんなでお山を降りて食事をしようということになりました。小さい頃から知っている間柄は、何気ない話題でも垣根がないこともあってか、楽しく話が弾みます。不思議なことです。気心が知れているからというよりも、共有するものが多いからではないでしょうか。

 行ったお店は、それなりに名の通ったレストランだとのことです。しかし、最後に出て来た料理が、私と姪の子の皿だけに塩の塊が入っていたために、とにかく塩辛かったのです。抑え気味の、上品な薄味で美味しくいただいていたのに、最後がこれではお店の印象も台無しです。それまでの気に入っていた味が一気に曇り、もったいないことでした。
 それでも、みんなで楽しい話ができたので、それが何よりのごちそうとなりました。
 
 
 
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2017年09月13日

頭痛とゆるキャラとお茶のお稽古

 2週間ほど前から、頭痛に悩まされています。以前にもこの症状は体験しているので、肩こりから来たものだと思われます。
 今朝は少し楽だったので、別の用事もあったこともあり、予定通り奈良へお茶のお稽古に行きました。

 西大寺駅で奈良線に乗り換えようとしたら、コンコースで珍しいゆるキャラに出会いました。駅ナカの「タイムズプレイス西大寺」の8周年記念のお祝いに、お客様が来ているとの触れ込みです。
 埼玉県深谷市から来た「ふっかちゃん」と、奈良の王子町の「雪丸」(聖徳太子の愛犬「雪丸」は達磨寺の境内に石像として葬られています)が遊びに来ていました。

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 なぜ深谷から「ふっかちゃん」が来たのかはわかりません。このイベントを考えた方の背景を考えながら、頭痛が治まらないかとゆるキャラを眺めました。それにしても、まだゆるキャラが受け入れられていたことにも驚きました。
 「雪丸」に縁の深い達磨寺は、我が家とは無縁ではありません。奈良に住んでいたときに、お彼岸とお盆になるとお寺さんに来ていただいていた、お世話になっていたお寺です。先代の住職さんは「仏ほっとけ、生きている者が大事」とおっしゃっていた、楽しい方でした。あのお寺が、王寺町のゆるキャラの元ネタとなっていたのです。他人事ながらも嬉しいことです。

 駅を降りてすぐの竜田川の流れも、夏のような元気がなくなったように思えます。頭痛を抱えての平群のお山登りなので、体調からそのように見えたのかもしれません。

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 かつての家がある平群のお山を見上げると、前景の稲が稔って来ていることがわかります。来月には黄金の波を見ることが出来そうです。左端のあぜ道には、しっかり彼岸花が咲いているのが写っています。

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 今日のお稽古は、基本となる「運びのお薄」にしてもらいました。
 このところ、丸卓を使ったお点前ばかりだったので、最初の基本に帰ることにしました。今朝も、この練習を一通りしてから出かけて来たのです。
 我が家の電熱炉は熱くなりすぎるので、初めに水を注ぎ足すようにしています。そんな時に、道具をかざらない時は湯返しをしないことや、拝見の有り無しで柄杓や懸垂を持ち帰る時の動作が違うことなど、少しずつ違いがわかって来だしました。
 明日になると、そのすべてをすっかり忘れるにしても、理解できてから忘れるのは、思い出しやすいということに通じるのではないでしょうか。自虐的な言い方をすれば、忘却を前提にしたお稽古です。
 先生には、我が家でお茶を点てることを想定してのお稽古をお願いしています。今日は、お客様から水屋(台所)が見えないようにする工夫として、廊下の壁沿いにあらかじめ敷いておいた布の上に道具を並べてから始めるといい、というアドバイスをいただきました。家の構造から見ても、これには納得です。
 家でお客様と一緒に、楽しくお話をしながらお茶を飲むことを想定しています。具体的で実践的なお稽古に終始しているので、手順を踏んでお稽古をなさっている方には、私のお稽古メモは参考にならないかもしれません。なかなか上達しないことの言い訳にしておきます。
 
 
 
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2017年08月31日

大阪市営地下鉄のトイレの前で見かけたピクトグラム

 大阪市営地下鉄に乗った時に、トイレの表示が気になっていました。
 次のものは、谷町線「天満橋」駅のトイレのピクトグラムです。

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 まず、「ようおこし」という文字に違和感をおぼえます。
 国際化を意識してのものではないようです。
 次に、描かれた絵の頭の位置が不自然で気になります。
 何のために頭を下げているのでしょうか。
 念のためにネットで検索すると、いろいろな意見が出ていました。
 いくつか読んだ中では、「グラフィックデザインの雨音」というブログの「大阪市営地下鉄のトイレ リニューアルは大歓迎だけど・・・このデザインは何か違和感が・・・。」がよくわかる説明でした。

 今日は、これまでの多くの方々の意見に加えて、色について気付いたので以下に記します。
 所用で降りた谷町線「文の里」駅の構内の表示は、男性側の「ようおこし」という文字がまったく読めません。これは、その位置が少し奥まっていて暗いからでしょう。

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 本記事の最初にあげた写真を、色の見え方を体験するための色覚シミュレーションツールである「色のシミュレータ」で見ると、次のようになりました。

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 これは、一般的な例として示しただけです。しかし、これだけでも、青は変わらないのにピンクは変化して見えることがわかります。

 文の里駅の場合は、色覚に関するものではなくて、あきらかに暗い所に設置したピクトグラムの青の文字がまったく読めなくなった例だと思われます。
 こうした、公共のための表示には、青色は気を付けた方がいいのかも知れません。
 すでに、専門家によって研究成果があり、指摘されていることかと思います。しかし、今回、自分で確認できたので、備忘録としてここに記しておきます。
 
 
 
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2017年08月12日

丸善での講演会「京都の伝統文化 地蔵盆の歴史を知る」に行って

 丸善京都本店で開催された、「村上紀夫先生 講演会 京都の伝統文化 地蔵盆の歴史を知る」に行ってきました。会場となった丸善は、梶井基次郎の『檸檬』に出て来ることで知られているお店です。精算所の横には、『檸檬』の記念スタンプや手拭いが置いてあります。

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 村上氏の新著『京都 地蔵盆の歴史』については、一昨日の本ブログ「読書雑記(203)村上紀夫『京都 地蔵盆の歴史』」(2017年08月10日)に書いた通りです。
 この講演会は、『京都 地蔵盆の歴史』の刊行を記念して行われたものでした。この本については、丸善のホームページには次のように紹介されています。


『京都 地蔵盆の歴史』

毎年地蔵菩薩の縁日である8月24日頃に京都の各地で実施される年中行事。「お地蔵さんが子どもを守る」という理解から、子どもたちの祭りと一般的には認識されている。京都のみならず、近郊の大阪・滋賀などでも実施されているが、京都で特に盛んに行われていることから、京都の盆行事の特色とされ、京都の都市文化を知るうえで欠かせないものと言えるが、これまでその歴史研究は皆無であり、本書は地蔵盆の歴史研究に初めて本格的に取り組んだ1冊といえる。

<著者紹介>
村上紀夫(むらかみ のりお)
1970年愛媛県生まれ。大谷大学大学院文学研究科博士後期課程中退。博士(文学)(奈良大学)。現在、奈良大学文学部准教授。著書に『近世勧進の研究』(法藏館、2011年)、『まちかどの芸能史』(解放出版社、2013年)がある。


 本日の講演会では、スライドで市内のお地蔵さまを映し出し、現在行われている地蔵盆の様子なども説明しながら話は進みました。
 平成25年のアンケートでは、京都での地蔵盆は79パーセントが実施しているそうです。東山区では90パーセントとも。
 また、京都中にお地蔵さまは1万体もあるそうです。京都では、警察官の数よりもお地蔵さまが多いし、コンビニや郵便ポストよりもお地蔵さまが多いということも驚きでした。
地蔵盆は、京都を中心とした限られたものであり、歴史的な研究はまったくなかったそうです。
 配布された資料は、A4版3頁分です。お話はキビキビとした歯切れのいい口調で聴きやすく、楽しく語ってくださいました。最後には、質疑応答が30分にもわたってありました。参加者の問題意識が高かったこともあってか、難しい質問が多く出ました。奈良や大阪の例に始まり、青森にも地蔵盆があることは意外でした。
 その質問の中でも、主役であるはずの子供の姿が、著書にも今日の話にも語られなかったことについては、私も疑問に思っていたことでした。村上氏の回答では、歴史的に意義のある資料に基づいての考察であり、著書の内容も大人が記した文献によっての成果なので、女性や子供たちの姿が見えないものとなっているのは確かである、とのことでした。子供たちは文献としての文字の上からは語り手にはないとしても、地蔵盆の時にはお地蔵さんの回りを飛び跳ねながら楽しんでいたはずであり、今も楽しみにしているので、今後は女性や子供たちの存在も浮かび上がるようにしたい、とおっしゃっていました。
 この地蔵盆については、今後ともいろいろなことがわかっていきそうです。楽しみなテーマだと思いました。
 今日は私の町でも、朝から地蔵盆の会場となる公園の掃除がありました。まさに今、タイムリーな話題でもあり、多くの刺激をいただきました。
 私が住む町内会の地蔵盆は19日なので、またその時にこのことについて書きましょう。

 なお、これまでに本ブログで取り上げた地蔵盆に関する記事は、以下の2つがあります。参考までに引いておきます。

「京洛逍遥(337)下鴨神社の盆踊りと地域の地蔵盆」(2014年08月23日)

「京洛逍遥(158)上善寺の小山郷六斎念仏」(2010年08月23日)

 
 
 

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2017年07月26日

須磨寺から望んだ関空と関空から望んだ須磨浦公園

 先週の土曜日に、「百星の会」のみなさまと一緒に、須磨の『源氏物語』関連の地を散策しました。そして、須磨寺で一絃琴の演奏を聴き、一絃琴を実際に弾く体験もしました。その須磨寺の駐車場から、眼下の大阪湾越しに関空を見霽かす機会を得ました。午後3時過ぎの、すばらしい眺望でした。
 写真の右手に、淡路島が横たわっています。

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 そして今日の夜7時頃、京都に帰らずに止宿先とした泉佐野のホテルから、夕陽を映発する大阪湾越しに、須磨明石の地を眺めることになりました。次の写真の左横に、淡路島が横たわっています。

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 4日という短い期間に、大阪湾を挟んで北と南から、関空と須磨の地を見ることができました。
 次は、大阪湾を挟んでの、明石と住吉からの景色に身を置きたいと思うようになりました。
 まさに、『源氏物語』の「須磨」「明石」「澪標」の3巻における、光源氏と明石御方の物語を体現することになるのです。
 『源氏物語』に描かれる舞台の至近の地に住むこととなり、物語がますます身近なものに思えてきます。
 今も変わらずに語られる場がこうしてあることは、本当に幸いなことです。
 折々に、こうして実感しながら物語を楽しんでいきたいと思っています。
 
 
 

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2017年07月25日

大阪の天神祭に向かう浴衣姿の男女

 仕事帰りでのことです。
 大阪環状線内に入ってから、多くの浴衣姿の女性を見かけました。連れの男性も、女性ほどではないにしても、チラホラ。いや、予想外に結構浴衣です。女性よりも、男性の方が襟元がきまっています。女性の着崩れが目立つのは、気のせいでしょうか?

 車内放送では、「天神祭にお越しの方は、桜宮駅が混雑していますので、天満駅でお降りください。」と、たどたどしい日本語で連呼していました。JR西日本には、きちんとした日本語でアナウンスができる人が見当たらなかったのでしょうか。

 車内を見わたす限りでは、浴衣姿の男女が交わしているのは大阪弁ばかりです。駅のホームに降り立っても、やはり浴衣の男女が楽しそうに、大阪弁で盛り上がっています。

 そういえば、京都の街中で浴衣姿といえば、海外からの方々が多く、しかもそのほとんどが中国からの方々だと、新聞に書いてあったことを思い出しました。

 これは当たっているように思えます。何かデータがあるのでしょうか。学生の夏の研究課題として、最適なテーマのように思います。

 どなたか、この調査をしてみませんか?
 
 
 

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2017年07月19日

南海泉佐野駅前の南北が逆の地図に惑わされて彷徨う

 今日は大学から京都の自宅には帰らず、職場の最寄り駅の一つである泉佐野駅前のホテルに泊まっています。連日の猛暑の中、往きが2時間50分、帰りが3時間半という小旅行は、さすがに体力を消耗します。しかも、ラッシュ時に移動することになるので、体力温存のためにも、長時間の通勤もこのあたりで中休みということにしました。

 大学のスクールバスは、学校を出て8分でJR日根野駅に着き、そこからさらに12分で南海泉佐野駅に着きます。日根野にはホテルが一つしかなくて、しかも高いので、泉佐野まで出ることにしました。
 駅前のロータリーには周辺図がありました。よく見ると、2枚が仲良く並んで貼られていています。それも、あろうことかそれぞれ、南北がまったく正反対の地図です。頭の中の方向感覚が、上を下への大騒ぎです。

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 これに惑わされてか、予約した徒歩2分のホテルに、何と30分もかかってしまいました。駅の西側へ行けばいいところを、東の賑やかな所へ迷い込んだのです。手にはスマホのナビを持ちながらだったので、我ながら方向感覚を狂わされたことに少しがっかりです。海外でも、地図を片手に、1人でどこへでも行けたのに……

 食事に出たところ、レストランも食堂もなくて、見かけるのは小さな飲み屋さんだけです。商店街はシャッター通りとなっていました。
 かつては賑わった街であることが、歩くだけでわかります。しかし、今は駅から数歩歩くと、寂しい雰囲気が伝わってきます。場所がいいので、また活気を取り戻すことでしょう。そのための方策は、練っておられるに違いありません。

 今春から観光ということに目が行くようになったこともあり、素人ながらもここは復活しそうな気がします。日本の新方針である観光立国という時流に、うまく乗れるかというのがカギでしょう。大阪湾側の再開発で、関西国際空港に面した泉佐野が生き返るのを、これから楽しみにしたいと思います。
 
 
 

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2017年07月09日

古都散策(63)奈良公園で開催された第51回 茶道文化講演会に行く

 3年前に、桜井市で開催された茶道文化講演会で伊井春樹先生が講演をなさった時のことは、「大和桜井で伊井春樹先生の講演を聴く」(2014年07月27日)に書きました。
 今回は、奈良市内にある「春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜」(旧奈良県新公会堂)の中の能楽ホールで開催されたので行ってきました。
 近鉄奈良駅で地上階に出ると、いつも行基さまにご挨拶をします。10年前までは奈良県民だったので、親近感があります。そして、その奥にある回転寿司のお店「とときん」で、少しお腹を満たします。

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 会場は、東大寺の手前の若草山側でした。

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 この奈良公園は、子どもたちを自由に遊ばせたところです。30年前のシルクロード博覧会の時には、勤務していた高校の年間テーマをシルクロードにし、全教科で取り組んだので思い出深い会場跡地でもあります。井上靖の記念館などには、その後も何度も足を運びました。

 会場に入るとすぐに、淡交会奈良支部の幹事をなさっている先生にご挨拶をし、呈茶の席に移動し、七夕の天の川を模したお菓子とお茶をいただきました。

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 今日の講師は長艸純恵氏。純恵氏は、旦那さまの敏明氏と共に京繍伝統工芸士です。演題は『奈良と刺繍の今』でした。
 純恵氏は、「繍半襟 源氏物語五十四帖展」(東京)、「京刺繍 源氏物語五十四帖展」(パリ)などの個展をなさっています。また、「王朝人の花鳥風月展」(京都嵐山・小倉百人一首殿堂時雨殿)もなさっているので、平安文学に深く関わったお仕事をして来られた方です。ただし、今日はそうした話はあまりありませんでした。衣装や装束に関する歴史と、刺繍の技術についての話題が中心です。

 現在の刺繍は、奈良の中宮寺にある「天寿国曼荼羅繍帳」に始まるそうです。その刺繍の歴史から語り出されました。吉備真備が唐から繍技法を持ち帰ったことから、京都の刺繍組合では真備をお祀りしているとのことです。
 縫屋の暖簾は松葉が使われています。資料がカラーで鮮明だったので、『職人尽絵屏風』(狩野吉信筆)に「縫取師」が描かれているのもしっかりと確認できました。

 お話も、次第にお仕事として取り組んでおられる刺繍の実際を、スライドをもとにして進みました。具体的な内容だったので、作業工程がよくわかりました。
 古帛紗や仕覆に刺繍した作品がスクリーンに映し出されると、茶道の関係者の集まりだけに、溜め息が会場を包んでいました。
 祇園祭の後祭に出てくる北観音山の水引幕を復元なさった話も、その作業工程がわかり興味深いものでした。一枚2年、四枚8年という仕事だったそうです。四面で120人の人物を刺繍で描いたとか。
 今後の課題は、技術の継承だそうです。教え方、育て方についての体験談は、非常にいい勉強になりました。

 建物を出ると、鹿たちが大移動をしだしたところでした。

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 そしてすぐに大雨となったのです。いつも一緒にお稽古をしている方と、茶店で雨宿りを兼ねた一服です。特急で京都に直行する途中でも、激しい雨のために大和西大寺駅の手前でしばらく停車していました。天気の急変で、大変な帰途となりました。

 京都駅の構内では、祇園祭の展示がありました。

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 今年はどの山鉾の粽や手拭いをいただこうかと、しばらく品定めをしました。

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2017年06月25日

備中高梁にある天空の山城「備中松山城」に登る

 今朝の「ふるさと日南邑」から見る山は、雲に覆われていました。
 昨日のように晴れ渡った山の方が珍しいのです。

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 鳥取県の日南町からの帰りに、岡山駅から何駅か手前の、備中高梁駅で途中下車しました。
 大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像に、備中松山城が使われたのだそうです。

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 改札を出ると、高梁市図書館と蔦屋書店とスターバックスが一体化したフロアがありました。この形式は、九州にあったように思います。

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 重たいキャリーバックは駅のコインロッカーに入れ、ぶらぶらと散策です。
 紺屋川筋の美観地区まで歩き、雰囲気のいいお蕎麦屋さんで十割ソバをいただきました。

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 そこからタクシーで松山城下まで行き、歩いて山道を25分ほど登りました。気持ちのいい山登りです。
 こんな道でも、スマホ歩きをしている方が多いようです。

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 急な勾配の山道を登り終えると、お城が聳え立っています。

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 ポツポツと降り出した雨が、次第に雨足を強めます。休憩所でお城の歴史を語るビデオ見てから外に出ると、幸運にも雨が止んだところでした。

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 天守閣の中の階段が急だったので、高所恐怖症の私は、竦む足を庇いながら上がりました。

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 城内では、紙芝居形式の落城物語が、ビデオで流れていました。その中に、盲目の勾当が持ち物を奪われて殺される場面がありました。このシナリオを書いた方は、目が見えない方に対する理解が足りなかったために、こうした話を挿入されたのではないでしょうか。もし、仮に史実がそうであったとしても、目が見えない方があのように残酷な殺され方をすることを描く必要があるのか、疑問に思いました。子供のための紙芝居だというのですからなおさら、作者に対して無自覚がなせる偏見を感じ取ってしまいました。後味の悪い紙芝居の台本だと思っています。

 帰りは、備中高梁駅まで、歩いて山を下りました。
 道々の川沿いには滝や水車があり、爽やかなウオーキングでした。
 両足の調子がよくなくても、気持ちのいい山歩きは苦痛ではありません。

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 武家屋敷の通りで折井家と埴原家の2軒の家を拝見しました。
 江戸時代の生活を理解するのに役立ちます。

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 他にも行きたいところはもっとありました。またこの次にします。
 これからも、こうしたフラリ旅を途中下車をして織り込んでみたいと思います。
 
 
   
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2017年06月04日

お茶のお稽古に行く大和路の道々が小旅行になる

 近鉄特急を使って、大和平群にお茶のお稽古に行きました。新しい車輌だったので、いろいろと工夫がなされていました。
 まず、座席番号が点字でも刻印されています。しかも、指先をパネルに普通に乗せるだけで触読できるフラットタイプです。

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 一般的には、指先を垂直に立てて触読しようとするものが多いので、手首がつって痛くなります。エレベーターや駅などでは、ほとんどがそうです。目の見えない方々の手首に優しい配慮が、これまではあまりなされていませんでした。垂直タイプは、肉体的な苦痛を伴います。それを、この近鉄では、よくわかっている方が作られたようです。
 このことは、これまでにも指摘してきました。

「バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと」(2014年11月28日)

「駅のホーム等で点字表示が改善されています」(2016年01月24日)

 自分で点字を実際に触るとわかることです。親切の押し売り、という側面があったと思っています。また、目の見えない方々も、好意からのものであることがわかっているので、こうしてほしいという注文は控えておられたように見受けられます。
 点字を貼り付ける位置は、垂直な面での表示から、傾斜のある面か水平に近い面にすべきだと思います。その意味でも、この近鉄電車の点字は、適切な表示方法になっています。

 また、座席の前の面にも工夫があります。傘を固定するゴムバンドです。これは、雨の日には助かります。
 さらには、電気のコンセントも、一人に一つずつあります。

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 これまでは、コンセントがあっても一つでした。次の写真は、今日乗った帰りの特急のものです。

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 コンセントがシートに一つずつあると、携帯電話の充電切れで、いざという時に、隣の人に気を使わなくてすみます。

 お稽古のお茶室で、床に飾ってあった今日のお花の一つが「未央の柳」でした。『源氏物語』の「桐壺」巻では、白居易の「長恨歌」に出てくる言葉としてこれが引かれています。しかし、その名を冠した花を、私は見たことがありませんでした。江戸時代に中国から渡来した花のようです。
 先生のお宅の庭から塀越しに咲きかかっていたので、黄色い花を咲かせている「未央の柳」を撮しました。

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 今から36年も前に、「絵に描ける楊貴妃考 −桐壷巻における別本の位相−」という論文を『王朝文学史稿 第9号』(1981年)に発表しました。その後、『源氏物語受容論序説』(桜楓社、平成2年)にその論文を収録して刊行しました。それなのに、これまでに「未央の柳」というものがあることはもちろん、それを実際に見たことがなかったのです。見ていても、それと気づいていませんでした。『源氏物語』の解釈には関係しないものの、お話をする際の逸話にはなります。
 先の論考では、さまざまな異本や異文を調べて論文として仕上げました。『源氏物語』の本文では、次のように語られている所です。

 絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いと匂ひ少なし。
 太液の芙蓉、未央の柳も、げにかよひたりし容貌を、唐めいたるよそひは麗ししうこそありけめ、懐かしうらうたげなりしをおぼし出づるに、花鳥の色にも音にも、よそふべき方ぞなき。」(伊藤・須藤編『池田本『源氏物語』校訂本文「桐壺」[第1版]』小見出し〔38〕、26頁)


 鎌倉時代の『源氏物語』の注釈書である『原中最秘抄』では、藤原行成による自筆の『源氏物語』には、「未央の柳」という一句がミセケチになっていたというのです。この「未央の柳」という語句を持つ本、持たない本、そしてその語をミセケチにしている本など、いろいろな本文が伝わって来ているのです。

 こうして、いろいろな見聞を経て、少しずつ作品の理解が深まっていくことを実感するようになりました。それが、この頃は楽しくなってきています。

 このところ、季節の変わり目ということもあってか、身体が疲れ気味です。帰りも、少し贅沢をして近鉄特急に乗りました。
 車窓からは、大阪湾に沈む夕陽が山際を燃やしているのが見えました。

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 東寺の五重塔の背景も、あざやかな朱に染まっていました。

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 ささやかながら、お稽古に行く道々が楽しい小旅行となりました。
 
 
 
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2017年05月21日

特急サンダーバード号の整備不良の座席

 今、京都から金沢に向かっています。
 金沢まで、特急サンダーバード5号で2時間15分。私の通勤よりも短くて早いので、日本がこんなに狭くて便利になっていることに、あらためて感激しています。

 しかし、困ったことに出くわしました。いつもは自由席で気ままに移動する私が、今日は初めて乗る電車ということもあり、指定席を取りました。ところが、この席がとんでもないのです。
 走り出して間もなく、前後左右に揺れるので、気分が悪くなりました。座席がガタガタと音もします。座席の下の固定が緩いのかと思い、身体を揺すりました。すると、座席全体がぐらぐらなのです。
 また、肘掛けの塗装も剥げ落ちています。

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 これであと2時間以上も座っているのは大変だと思い、通りかかりの車掌さんに席を移動したいことを伝えました。座席を揺すり、酷いことを確認してから、一つ前の車両に案内してもらいました。

 トラブルによく遭う私です。
 それにしても、JRは新幹線以外は、こんなにも手抜きの列車を走らせているのでしょうか。観光立国をお題目に掲げながらも、これでは「おもてなし」以前の、旅人を運ぶ上で基本である、車両整備の問題だと思いました。座席を固定することは、技術的には何も問題はないはずです。塗装も、今はいい塗料があるはずです。
 快適な旅ができるように、経費節減はもっと別のところでやってほしいものです。
 
 
 

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2017年04月22日

大阪梅田で食事をして

 梅田で食事をしてきました。
 大阪駅周辺は、私が知っている街ではなくなり、大きく変わっています。
 地上はもとより、地下街が延び、若者たちの移動空間となっていました。
 地下通路の花壇は、気分を和らげるように点在しています。

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 食事をしたレストランへ行くエレベータは、私が小さい頃に梅田の阪急百貨店で見かけた、少しレトロな感じでした。東京にもありました。しかし、私にとっては阪急百貨店を連想させるものです。

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 エントランスも、すっきりとしていていい雰囲気でした。
 もちろん食事も。

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2017年02月01日

六甲から見た海や山と町の風景

 昨日から、摂津国・有馬に行っていました。その前日に行っていた和泉国からは、大阪湾を挟んで北西に位置します。1年365日24時間モードで何かをしている日々の中で、大好きな温泉で英気を養うことになったのです。

 有馬温泉は、『枕草子』にも出てきます。
 秀吉は利休を連れて来て、何度もお茶会をしたそうです。
 谷崎潤一郎の作品にも出てきます。

 姉の家が芦屋の山中にあるので、すぐ近くの有馬温泉には何度も行っています。今回は義兄から、長年お疲れさまということで行くことになりました。ありがたいことです。

 芦有道路の展望台から大阪湾越しに、一昨日行った泉州地域が望めました。
 この少し前までは小雪が舞っていたので、見晴らしはよくありません。


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 この有馬は、河内の信貴生駒連山や京洛の東山と比叡山などなど、これまで住んでいた地域も一望のもとに眺められる絶景の地です。


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 下界に降りて日常生活に戻ると、急に現実が押し寄せます。
 昨日、車中の網ポケットに帽子を忘れていたのです。姉に送ってもらった芦屋川駅からの帰りに、阪急梅田駅の案内所に届いていた帽子を、無事に受け取りました。今年になってから2回目となる、落とし物と忘れ物のトラブルです。いずれも戻って来たことは幸いでした。

 明日からはもっと気を引き締めて、身の回りに目配りをしながら、これまで数十年の長旅の整理に専念する日々にします。続きを読む
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2017年01月31日

高い所から見た海や町の風景

 高所恐怖症なのに、高いところから遠景を望むのが好きです。

 河内国・高安から大阪湾を望んだ写真は、このブログでも何度も掲載しています。


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 昨日は、和泉国・泉州から大阪湾を望む機会を得ました。


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 ポケットに入る超小型のデジタルカメラを持ち歩いている関係で、遠くの景色がぼやけているのは、スナップ写真ということでお許しを。

 立ち寄ったところでは、立礼式のお茶道具が出迎えてくれました。


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 娘たちが結婚式の披露宴で、我々にお茶を点ててくれたのが立礼でした。


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 大和国・信貴山で月見のお茶会の時は、ちょうど眼下に龍田川が流れる王寺町が望めるアングルでした。


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 テーマ別に写真を並べて見ると楽しいでしょうね。
 またいつか、ということで。
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2017年01月02日

お墓参りの後は娘たちとの新年会

 年末には姉がお墓の掃除をしてくれたので、あらためて新年の墓参に出かけました。
 歩いて出町柳駅まで出て、京阪電車で大阪の京橋駅に行きます。そして、JRの環状線で鶴橋駅へ行き、近鉄電車に乗り換えて、さらに河内山本駅でまた乗り換え、終点の信貴山口駅で降りました。

 国宝『信貴山縁起絵巻』で知られる朝護孫子寺への初詣客は、高安山までのロープウェーに乗り換えです。


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 私の方は、駅前から信貴霊園の送迎バスで高安山の麓にある墓地に向かいます。

 曇っていたので、小豆島や四国は見えませんでした。
 
 その帰りに、婿殿のご両親と一緒に、大阪の河内で新年会をしました。春先に向けて、何かと話題の多い年となるので、話に花が咲きます。

 お茶菓子として、娘が作ったものがズラリと並びました。
 白い鶏には苺が入っています。トサカの苺が微妙なアクセントになっています。
 玉子色の雛は栗きんとんです。
 いずれも、その顔に苦心の跡が見られます。


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 楽しい一年が始まることを、みんなで確認する新年会となりました。
 
 帰り道、中天には三日月と明るい☆が一つ浮かんでいました。


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2016年11月01日

室伏信助先生と荻窪でお話をしました

 以前から室伏信助先生に頼まれていたことを果たすために、荻窪のご自宅に伺いました。

 私を信頼してのことだったので、ご期待に添えなかったら申し訳ない、との思いで拝見しました。結果的には、とにかく無事に用件は終えることができました。一安心です。

 その後、駅ビルでお食事をしながら、いろいろなお話をしました。
 先生は日本酒の「八海山」を、私は麦焼酎「吉四六」をいただきました。

 先生とこんなにゆっくりとお話をするのは、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(平成23年5月)に収録した対談、「『源氏物語』本文研究のこれまでとこれから」の時以来です。あれが平成22年12月だったので、4年も前のことになります。4時間もの長時間の対談にお付き合いいただきました。
 今日も、それに近い長時間、楽しくお話ができました。

 先生のお歳を伺って驚きました。私との間に、ちょうど伊井春樹先生がおられることがわかりました。
 お顔の様子がいつもの通りで、肌の色艶も若々しいので、伊井先生の数年上くらいに思っていたのです。

 話題となっている人の名前を思い出せないことが、先生と私で共通することでした。私の方が二回りも下なのに、加齢ですからとか老化ですね、と私の方が言い訳をするのですから、お恥ずかしい限りです。

 過日刊行した『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(2016年10月)の編集後記に、次のように書きました。


 本書との出会いは、国文学研究資料館に収蔵されてすぐの平成一六年に、室伏信助先生(跡見学園女子大学名誉教授)とご一緒に閲覧した時である。この「若紫」は、一時期は室伏先生のお手元にあったため、数十年ぶりのご対面の場となったのである。先生は、この本が棚にあった時には『源氏物語』の本文に興味や関心がなかったので、と当時を振り返りながら感慨深げに話してくださったことが思い出される。こうして身近にあるのだから、君もじっくりと本文を調べて、あらためて報告してください、とおっしゃったことばが忘れられずにここまで来た。あれから十数年が経過した今、遅ればせながら室伏先生に影印本としてではあっても、直接本書をお手渡しできることを嬉しく思っている。


 橋本本「若紫」の影印本を室伏先生にお手渡しできたことは、12年越しの宿題を果たしたことになります。ご恩返しの一つとなったことに安堵しています。

 先生は大先輩なのに、いつも気さくにお話ができます。優しい先生に感謝しています。
 近日中にまたお目にかかることがありそうです。
 東京にいるうちに、たくさんのお話を伺いたいと思っています。
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2016年10月17日

浪速の四天王寺を散策する

 所用で大阪に来ました。空き時間を有効にと、天王寺にある四天王寺に立ち寄りました。
 石鳥居は、西の海に沈む夕陽を拝むように建っています。極楽往生を念じる聖地です。


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 額には、極楽への入口だと書かれています。

釈迦如来
転法輪処
当極楽土
東門中心


 ここは、お彼岸のたびに両親と来たものです。父が亡くなってからは、母と子どもたちとで毎年来ました。
 私の出身高校がこの近くなので、勝手知ったる地域です。
 高校時代は、この近くの図書館に籠もって本を読んでいました。

 西大門(さいもん、極楽門)から見る五重塔はみごとです。
 この塔は、昭和34年に再建されました。新しいもので八代目です。
 家族と何度も上りました。ワイワイガヤガヤと、一緒に来た日が思い出されます。


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 いろいろと欲張った願いを込めて、極楽門に取り付けられている転法輪(チャクラ)を回しました。
 心が清浄になりますようにという意味の「自浄其意」と唱えて、転法輪を右に回すのです。


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 亀の池も健在です。ここの亀は、愛嬌があって時の経つのを忘れさせてくれます。
 後方に六時礼讃堂があります。
 その前、写真右手の石舞台では、四天王寺の雅楽が舞われる所です。宮中(京都)、南都(奈良)と並ぶ「天王寺楽所」は、最古の様式を伝えているといわれています。

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 そこから南を望むと、工事中の中に「聖徳太子千四百年御聖忌」という幕が見えます。今、仁王門は見られません。


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 経木を流す亀井堂も、かつてのままです。
 お彼岸には、参道や境内で経木を買い求め、願い事と名前を書いて柄杓で流しました。


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 こうして、出歩くたびに懐旧の情に浸っていては、さらに前に進む推進力が弱ります。
 息抜きのための適度な回顧に留め、過去・現在・未来のことを思って体内のメモリを使い尽くすのではなくて、現在から未来を考えることに専念したいものです。

 新幹線の中で、うつらうつらとしながらここまで書きました。
 そろそろ日付が変わる頃ということもあり、まわりのみなさまはほとんどがお休みです。
 慌ただしいだけの日々の中にいます。時間が止まったかのようなこの空間は、なかなか居心地のいいものです。
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2016年09月22日

興福寺が監修した駅弁を新幹線車内でいただく

 急用で大阪へ行くことになり、東京駅で珍しい駅弁を手にしました。
 興福寺が監修した駅弁なのです。


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 ご丁寧に、お品書きもあり、食材の説明も記されています。懐石料理を意識したものとなっています。

 糖質を気にし、薄味がいい私には、量も少なめということもあり、これは絶好のお弁当です。
 なかでも、「蒲焼もどき」(折の右下から2段目の少し黒く写っているもの)が気に入りました。豆腐に海苔を貼り合わせて素揚げして、蒲焼風に仕上げたものです。
 「田楽味噌」は、興福寺秘伝のレシピを再現したものだそうです。
 ご飯には、五色幕をイメージした「精進ふりかけ」がかかっています。
 まさに、精進料理のお弁当です。
 10月10日までの期間限定の駅弁です。旅のお供にぜひどうぞ。

 用事を済ませてから、お彼岸でもあるので、八尾の高安へお墓参りに行きました。
 春と夏に行けなかったので、久しぶりです。

 近鉄高安駅から、信貴生駒連山を望みました。
 我が家のお墓は、この高安山の中腹にあります。
 あの、『伊勢物語』にある「筒井筒」の段で知られる高安の里です。


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 信貴霊園から望む淡路島の方は、雲が垂れ込めていました。


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 この近在の学校が統合された話を聞きました。
 今年の4月から、中高安小学校と北高安小学校を統合し、旧大阪府立清友高等学校と大阪府立八尾支援学校東校跡地へ移転したとのことです。八尾市で初めての施設一体型小・中学校となったのです。
 眼下左にある、私が通っていた南高安小・中学校は健在です。もっとも、私がいた小学校だけは、もっと手前にありましたが。

 生まれ故郷の島根県出雲市古志町にあった小学校は廃校となりました。
 来週、池田亀鑑賞の授賞式のために行く鳥取県の日南町も、学校の統廃合がなされた町でした。
 全国の学校が、こうして減少しているのです。
 時の流れと共に、学校が整理統合されていくことを聞くのは寂しいことです。
 学校の賑わいを取り戻すことはできないのでしょうか。
 そんなことを想いながら、四国から六甲山の方角をしばらく眺めやっていました。
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2016年09月19日

時の流れを忘れていた涸沼からの帰り

 涸沼(ひぬま)温泉では、美人の湯とされる「いこいの村涸沼」に泊まりました。
 湖畔の心地よい、ゆったりとする宿でした。

 チェックアウトの時に、宿の方からお土産としてジャガイモを2袋いただきました。宿泊客のみなさま全員に配っておられるのです。思いがけないプレゼントです。嬉しくいただきました。

 涸沼駅までの送迎バスをお願いしたところ、予約が必要だったようです。それでも、すぐに手配をしてくださいました。
 運転手さんと話をしながら駅へ。
 涸沼駅に着いて大洗行きの電車はと見ると、あいにく出た後でした。次はちょうど1時間後とのことです。
 ぽつんと佇む駅で、どう時間を潰そうかと思っていた時でした。さきほどの運転手さんが様子を見に来られ、それではということで大洗駅まで送ってくださることになりました。ありがたいことです。

 また、車中でいろいろいなお話を伺いました。
 何かと問題となっている、東海村にある原子力発電所のことや、霞ヶ浦や大洗海岸での釣りの話など、楽しく話を伺いました。

 大洗駅からは、すぐに水戸行きの電車がありました。幸運続きです。
 昨日から聞いていた、この大洗の町おこしとなっているアニメ『ガールズ&パンツァー』のキャラクターに、親近感を持つようになりました。駅も電車も、このキャラクターに包まれているのです。


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 無事に水戸駅に着き、東京までの帰りは電車かバスか迷った末に、来た時と同じようにバスにしました。乗り換えが便利で、リクライニングシートで、しかも安いという高速バスのありがたさを知りました。

 今回の旅は、時刻表を見ていませんでした。日常の延長でした。日頃の移動では、電車を待つことはほとんどありません。次々と電車がくるのですから。しかし、それは都会での生活にどっぷりと漬かっているからであることに、あらためて気付かされました。

 ふらりと来た気儘な旅の中で、いつもの生活が時間の流れにうまく乗るように、待つことをしないように組まれていることに気付くこととなりました。
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2016年08月09日

うれしい発見〈その1〉骨折して気付いたこと

(1)ノンステップバス
 ノンステップバスは、停車すると車高がスーッと低くなってドアが開きます。
 バス乗り場からバスの車内に入る時、車体のステップが舗道と平らになっていると、膝を高く上げなくていいので助かります。
 バスから降りる時も、ドスンと足を落とさなくてもいいので、足への負担が軽減されます。
 ただし、車体と縁石との隙間に、細心の注意が必要です。
 
(2)買い物用のカート
 スーパーマーケットにある手押しのショッピングカートは、便利な杖代わりとなります。
 両手でカートのグリップを握るので、姿勢もスッと伸びて安定します。
 左右の足への体重の掛け方も均等になるので、無理な姿勢で歩くことによる腰への負担が軽減されます。
 そして、一時的でも歩行訓練器になるのです。
 
(3)エレベータの中に椅子があった時。
 足が痛い時、エレベータの奥の隅に小さな椅子が置いてあると、気分的に楽になります。
 足にかかる体重を均等にしながらエレベータの中で立っていると、けっこう腰が疲れます。
 バスや電車のように、エレベータには吊り革がないのです。
 横揺れはないのでいいとはいうものの、吊り革がほしいときがあります。
 すべてのエレベータに手すりはあります。
 しかし、手すりに触れるのは、壁際のほんの一部の人だけです。
  
(4)階段の両サイドの手すり
 駅やビルなどで、階段の両側に手すりがあると、特に降りる時には大助かりです。
 階段が左か右に曲がる時には、そこに踊り場があります。
 左右のどちらに曲がる階段かで、手すりも左右のどちらを使うかが異なってくるのです。
 手すりは左右にないと、何かと不便です。
 
(5)降りのスロープと階段
 スロープは階段と同じように、登りよりも降りの方が足への負担は大きいようです。
 その降りのスロープで、平行して横に階段があると、状況に応じてどちらかを選べるので助かります。
 足首にギプスを嵌めている時は、少しの角度であっても敏感に傾斜角を感じます。
 ギプスで固定された足は、後ろに反り返れないからです。
 しかも、降りは膝だけで歩くので、前のめりになって危険です。
 そんな時には、階段の方を使うようにしています。
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2016年06月06日

味わい深い古書店と紛らわしい案内図のこと

 泊まっているホテルの真向かいに、何とも珍妙な「珍竹林」という古本屋さんがありました。


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 店内は、所狭しと本や冊子が山積みです。版本やら謄写刷りの冊子等々。
 おまけに、懐かしい玩具や写真に古道具と、見ていて飽きません。
 優しいお母さん、という感じのご主人が、店内を物色している私に「コーヒーを淹れたので飲みませんか」と声をかけてくださいました。
 今年の秋に閉店するそうです。そのため、すべて8割引になっています。

 専門書が多く、昔ながらの古書店ということもあり、来る人は限られていることでしょう。うずたかく雑然と本が積まれていたり、通路狭しと本棚やその前にぎっしり並んでいるので、お目当ての本との出会いはまったくの偶然に頼るだけです。いちおう分野別に分けられています。しかし、今はもう収拾がつかない状態となっています。とにかく、店内は意外と広いのです。

 私は、初めてみる大型本を一冊いただきました。1万円の定価の本が千円にしてくださいました。
 この秋までに北九州市にお出での予定がある方は、この黒崎駅前の古本屋さんに一度立ち寄っても損はありません。古き良き時代の古本屋さんがなくなる前に。

 もう一つ、こぼれ話を。

 昨日、松本清張記念館から小倉城を散策した後、森鷗外の碑を探した時のことです。
 紫川に架かる鷗外橋の袂に、「森鷗外・生誕百五十周年記念植樹/樹種 ”舞姫”」という標柱がありました。

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 その真後ろに、森鷗外の作品などを各面に彫った六角柱がありました。

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 あらためて、その周りを見回して鷗外の碑を探しました。しかし、それらしきものが見当たりません。

 近くにあった付近の案内図でその場所を確認すると、ますますわからなくなりました。
 問題です。次の4つの地図で、鷗外の碑はどこにあるでしょうか。

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 鷗外橋を遠ざかると、鷗外の碑の表示がなくなります。


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 時間ばかりが過ぎゆくので、鷗外橋の近くにあったレンタサイクル屋さんの案内所で聞いたところ、何とすぐ横の六角柱がそれだったのです。そして、地図を見せてくださいました。鷗外橋の手前右横(写真では下)に位置します。この地図で矢印が向いているところではなく、「文学碑」の「学」の辺りなのです。

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 鷗外の碑は、四角の棒柱だとばかり思っていました。そう思い込んでいたので、不確かな案内図の指示に惑わされ、しばし迷走しました。
 それにしても、この周辺の案内図では、この六角柱の場所がそうであることはわかりません。
 また、この六角柱に、これが鷗外の碑だという説明も表示もなかったように思います。
 そうしたことがわかってから、問題の周辺図があったところや、帰りがけに、碑の周りの様子を撮影しました。

 この場所の指示がバラバラだということは、こうした案内図を作成されたのは、それぞれ違う業者なのでしょう。
 また、この図面のチェックをした人も、それぞれ違う人で、みなさん現地をよく知らない方たちなのではないか、と思われます。

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 このことで予想外に時間を取られたので、トピックとして記し留めておきます。
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2016年04月25日

法務局に書類を出して上京しゴジラを見る

 京都地方法務局で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更の登記手続きをしました。
 後は、5月10日に無事に登記が完了することを待つこととなります。
 こうした手続きは、わからないことだらけで、とにかく時間と手間がかかります。

 定款の変更箇所について、CD―Rにテキストで収録したものを提出することになっていたのです。もはや時代遅れのメディアであるCD―Rを取り出してきて、収録しようとしました。しかし、このような古いメディアの出番があろうとは思ってもみなかったので、CD―Rの作成に手間取ってしまいました。
 私のパソコンではすぐにできないことがわかり、何種類ものパターンで印刷物を作成してから、法務局へ行きました。しかし、行ってみると、CD―Rはなくてもよいとのことです。プリントアウトした紙で十分でした。
 このCD―Rの作成にかけた膨大な時間を返してほしい、と訴えたい気持ちを押し留めて、とにかく提出した書類を無事に受け取っていただきました。
 問題がなければ、2週間後に、登記が完了するのです。

 受理してもらうとすぐに、新幹線で上京しました。

 久しぶりに富士山を見ました。
 いつ見ても、いい姿をしています。


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 上京後、一仕事してから新宿へ出ました。
 月曜日だというのに、若者たちの熱気に圧倒されます。
 歌舞伎町を通り掛かった時、ゴジラを見かけました。
 このゴジラは、街行く人々に元気を与えているように思えます。


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2016年03月08日

僧侶のネット派遣と人生最後の儀式の簡素化

 仏教に関する記事が、先週の毎日新聞(2016年3月5日)に2本も掲載されていました。朝日新聞は翌日だったので、2本同時だったかは確認していません。

 一つは、「お坊さんのネット派遣やめて」というもの。

 これは、全日本仏教会が2月4日に、法事への僧侶派遣サービスをしているアマゾンに対して、その中止を求める文書を発送したというものです。
 「お坊さん便」という定額手配サービスは、ユニークな角度から仏教を商品化したものです。宗教が持つ特異性が、商品としての価値を伴って売り買いされるのです。
 ただし、その定額制とお布施が持つ意味が、しだいにわからなくなってきました。

 もう一つは、「昔の葬儀にはもう戻らない?」という記事です。

 日本葬送文化学会の2月例会において、松岡泰正氏は講演で「業界」の実態を明らかにされたのです。
 現在の葬儀は、次の4種類だそうです。

 (1)一般葬
 (2)家族葬
 (3)直葬
 (4)ゼロ葬

 1990年代後半から取り組んだ「(2)家族葬」は、今は急速に増えているということです。しかも、(3)や(4)が「加速度的に進んでいる」ということなのです。

 我が家で言えば、1983(昭和58)年に亡くなった父は「(1)一般葬」でした。2004(平成16)年に亡くなった母の場合は「(2)家族葬」でした。
 私の場合は、「(3)直葬」もありか、と思っています。

 記事には、次のように記されています。


日本人の葬儀はいま、都市部でも地方でも、ワタシ(個人)の手の中にある。あとは自分が「あの世」を信じるかどうか。信じなければお坊さんも必要ないか……。


 家や自分の宗教と葬祭が切り離されている現在、ますますそのありようは変化していくことでしょう。

 2008年に公開された映画『おくりびと』(Departures)は、第81回アカデミー賞外国語映画賞と第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞しています。いい映画でした。
 この映画の世界は、近い将来には、懐かしい日本文化となってしまうようです。

 最近は、遺書や終活のことが話題になっています。
 この人生最後の儀式については、さらに変移していくことでしょう。
 私も他人事と思っていました。しかし、私も近々行くかもしれないあの世について、いろいろと考えさせてくれる記事でした。【4】
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2016年01月03日

大阪上本町でテニス仲間と母校訪問後に飲む

 高校時代のテニス仲間から呼び出しがかかりました。
 仲間の一人が大阪日赤病院に入院したので、お見舞いがてら行って、それから飲もうや、と。

 明日私は上京するので、お正月三ヶ日の最後は気分転換を兼ねて、高校時代を過ごした大阪へ出かけました。
 この仲間とは、機会を見つけては会っています。と言っても、二、三年に一度ですが。

 大阪赤十字病院には、大阪で高校の教員をしていた30代に、手術で1ヵ月ほど入院したことがあります。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎、1988年)は、この入院中に仕上げた仕事です。娘もここでお世話になりました。満州からシベリヤへと労苦を背負って生き抜き、山一証券で燃え尽きた父は、ここで息を引き取りました。

 その我が家にとっては馴染みの病院が、何と目を疑うほどに様変わりしていました。
 当時あった正門が、こんな風景になっていたのです。


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 近鉄上本町駅からまっすぐに来たはずが、あまりの変貌ぶりに目標を見失い、新しい病院を、ぐるりと一周してしまいました。鶴橋駅からのほうが近かったのです。


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 ICUに年末の11日間も入っていたという仲間は、予想外に元気でした。
 10階の病室から、一緒に通った高校が眼下に見えます。
 看護士さんにお願いして、談話室に歩いて移動する許可がもらえました。
 久しぶりに自分の足で病室からでられたことで、気分が相当楽になったようです。
 自転車に乗っていて、予兆もなく突然気を失ったとのこと。
 よくぞ生きて会えたことです。幸運に感謝するしかありません。

 この上本町の周辺が懐かしいので、かつての母校に立ち寄ることとなりました。
 敷地は同じ所にあります。しかし、校舎は新しくなっていました。
 半円の会館のイメージは残っていました。


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 我が母校は、谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭に出てくる学校です。私が谷崎の作品のすべてを読み直しているのは、この『細雪』が原点となっているからです。
 校門の前の道は、50年前と同じです。ただし、道幅は2倍に拡幅されています。奥の狭い道は、当時のままです。


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 中に入ると、卒業生ならということで、おじさんが少し説明をしてくださいました。我々は新制の22期です。今年は、110周年を迎えるそうです。校庭の横に建っている「沿革碑」の歴史を見て、昭和45年に卒業した私が育った時の流れを再確認することになりました。


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 朝から晩までテニスに明け暮れた日々を思い出す校庭は、当時とはその場所も広さも違います。
 運動会は、この街中の校庭ではできないということになり、3年生の時には長居公園の中にある長居陸上競技場で行いました。


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 高校の隣にあった病院も、高校と敷地を交換しただけで、ほぼ同じ場所に建っています。
 私がテニス浸けだった日々、テニスコートの真上にあった病室から、入院中の若い女の子がじっと練習を見ていてくれたことを、今でも鮮明に思い出せます。


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 偶然とはいえいえ、娘はこの病院で生まれました。
 高校といい、病院といい、私にとってここは、思い出の空間なのです。


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 50年ほど前に通った道を当時のテニス仲間と歩きながら、上本町にある行きつけの飲み屋さんに入りました。
 話題は、御多分に洩れず病気の自慢話で盛り上がります。
 私は、父親の川柳句集の題名と同じ「ひとつぶのむぎ」をいただきました。
 おいしいお酒でした。

 今夜の梅は、白梅がきれいに咲いていました。
 お正月三ヶ日に間に合い、紅梅と白梅がこれから競うことになります。
 ただし、私は明朝、息子の手術があるので上京します。
 この梅の競演が見られないのが残念です。


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2015年12月15日

車中でスマホ列に挟まれて文庫本を読む

 通勤で私が電車に乗っている時間は、だいたい1時間半ほどです。
 その間は、カバンから取り出しやすい文庫本を読むことにしています。

 ほとんど座れる経路なので、私はシートで本を読みます。
 立ったままの時は、吊革を持ちながら読みます。

 最近は、本を取り出す前に周りを見渡すようにしています。
 スマートフォンや携帯電話を操作する方が多いので、そのスマホ列の間に挟まって本を手にするのが、場違いな雰囲気の時があるからです。
 自分だけが孤立したくないのと、スマホ集団と化した若者たちの中で、目立ちたくないという思いもあります。
 この、車中で本を読むことが目立つようになった、ということ自体が、社会の変化に違いありません。

 今日も、目の前の横長のシートには、スマホを弄る人々が居並んでおられました。中に一人だけ、ノートパソコンを操作しておられる方も。
 たまたま、シートの真ん中に座っていました。偶然なのでしょうか、私の両側はみごとにスマホ列となっていました。

 そんな中で、印刷物としての本を取り出すのは、なんとなく気遅れします。
 しかし、読みかけの本を帰りまでに読み終えたいので、勇気を出してカバンから取り出しました。
 自然に本を取り出して読み出せないのは、周りの方々と違う行動をするからなのでしょう。悪いことをするわけでもないのに、変な心理が働きます。

 電車の中で印刷された本を読むことが珍風景となったのは、東京では3年前あたりからではないでしょうか。

 みなさんが電子本を読んでおられるのではありません。
 ほとんどの方がゲームのようです。
 インターネットで調べ物や、メールの遣り取りをしている方も多そうです。

 公園や喫茶店を通りかかった時、本を読んでいる人を見かけることがよくあります。
 街中の読書スペースが、近年は移り変わったのでしょうか。

 車中でしばらく読んでいて、本のページをめくる時に顔をあげました。すると、いつからか私の前に立っておられた5人の方が、選りによって、みなさんスマホの操作をしておられました。
 思わず、どきっとしました。私に呪いでも掛けようとしておられるのでは、と思ったからです。

 こうした光景は、心臓によくありません。

 もくもくと操作をしておられる方々を眺めるのは遠慮して、自分も本を読むことに集中することにしました。
 隣がガチャガチャと音楽を聴く人でないかぎり、車中でスマホに熱中している方の隙間で本を読むのは、意外と集中できることを実感しました。
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2015年09月21日

河内高安へお彼岸の墓参に行く

 春と秋のお彼岸の墓参は、忙しいときには家族に任せるようになっていました。
 今年は、お盆に引き続き、お彼岸にもお参りして来ました。

 行きには、乗り換え駅である鶴橋で、いつものように回転寿司屋へ入りました。
 最近は、身体に力をつけるために、少しご飯を食べるようにしています。
 そうなると、やはり回転寿司しかありません。

 信貴霊園に新しくできた山門は、今夏は何となく不似合いな雰囲気でした。しかし、今日は目が馴染んだせいか、いかにも墓参に来たという感じを抱かせてくれます。


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 その手前にあった六地蔵の横には、手水場の龍と鶴が置かれています。これには、まだ違和感があります。


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 眼下には、北西に六甲山や阪神地域が望めます。


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 南西には、澄み切った日には淡路島越しに四国方面が見えます。
 今日は見えません。


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 高安山を経由して信貴山へ行くためのケーブルカーに、今年は阪神タイガースが元気なのでその姿に勢いが感じられます。


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 もし阪神が優勝でもしようものなら、寅参りのファンでこの信貴山口の駅はごったがえすことでしょう。

 今日は信貴山温泉に立ち寄るつもりでした。しかし、何となく身体が怠いので、またの機会にすることにしました。
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2015年04月28日

光輝く東都から水彩の西都へ

 東京駅で、いつものように新幹線の先頭車輌である1号車に飛び乗ろうとした時です。

 丸の内から皇居方面に目をやると、ビルの中の1部屋ずつを照らす明かりが、光の絵のように見えました。
 発光するタイルを規則的に貼ったモザイク画のようです。
 発車まで、しばらく眺めていました。


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 そういえば、新幹線の鼻をじっくりと見たのも初めてです。
 いつも、慌ただしく列車に駆け込んでいるので、あらためてホームのおもしろさを知りました。


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 見ていると、大勢の人が車輌に吸い込まれて行きます。
 待つ人、乗る人、自動販売機に走る人。
 人の動きは単純です。
 しかし、見ていて飽きません。
 それぞれが、思い思いの目的をもって、これから夜の東海道を移動するのです。

 2時間ほどの車内では、しっかりと仕事ができました。

 京都駅前では、いつもの水芸が始まっていました。


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 蝋燭型の京都タワーと七色の水しぶきは、意外と和の雰囲気を醸し出し調和しています。
 音楽が軽快なクラッシックであることも、旅人の気持ちを明るくします。
 仲のよさそうな2人が立ち止まり、魅入り聞き入っているのを見るのも、これまたいいものです。

 しばらく光と音のショーを見てから、京都タワーの向こうにあるヨドバシカメラの地下へと急ぎました。
 夜10時まで開いているグローバルキッチンで、少し贅沢な食材を手に入れるためです。
 螢の光りが店内に流れる中、私が大好きなクジラの尾羽活けとホタルイカ、そして四つ葉の牛乳にクリームチーズ。
 みんな定番となっている、私のお酒のおつまみです。
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2015年04月13日

気分転換の外泊と気ままなスイミング

 このところ根を詰めて取り組んでいる仕事が、いつまでやっても終わりそうにありません。
 出口がまったく見えないので、惰性のようにキーボードを叩き、画像を見つめる日々です。
 そうこうしている内にいつかは終わるはずだ、と自分に言い聞かせる、まさに修業中です。

 そんな中で、今夜は近県のホテルに足を留めています。

 久し振りにプールでひと泳ぎしました。20メートルほどのレーンが3つあるプールには、一組の外国の方がいらっしゃるだけでした。それも早々に上がられたので、後は一人でのんびりと水に浸かっていました。

 青く透き通った水の中で手足や首のストレッチをしながら、何年ぶりなのだろう、とあれこれ思いをめぐらします。何往復しても、この前に泳いだ記憶が蘇らないので、違うことを考えることにしました。
 私は泳ぎながら、いろいろと思い出したり考えたりするのが好きなのです。

 部屋に帰ってから、「無料高速インターネット接続手順」と表記されているシートを片手に、持参のパソコンにつなげようとしました。しかし、シートは日英併記なのに画面表示が英語主体です。おまけに手順がよくわからなくなり、フロントに電話をして教えてもらいました。海外ではこんなことはないのに、国内で表示された画面の理解に戸惑うとは……
 ここは日本なのにと、何やら不可思議な気分になりました。

 ここは、海外にもある、よく知られたホテルです。
 これまでに、エジプト・カイロとロシア・モスクワで泊まったことがあります。

 カイロでは、楽しい体験がありました。2005年の10月のことでした。
 このホテルチェーンらしく、博物館に近い立派なところでした。ただし、売り物の無線LANが部屋からは使えず、ロビーにパソコンを持って行ってつなげました。しかも、おそろしく遅い 無線 LAN だったので、画像などを送ることは断念しました。
 今残っている当時の記録は、あまり詳しく再現できないのです。サーバーがクラッシュしたために、いまだに復元できない記事が多いのです。

「【復元】人との出会いの背景にあるもの」(2011/2/3)

 モスクワでも、得難い体験をしました。
 この時は、有線の LAN でした。この時の記事も、断片しか復元できないままです。

「【復元】モスクワの旅(3)」(2011/4/5)

 そんなことが思い起こされ、ここが日本であることにあらためて気付きました。
 そんな中で、 Wi-Fi の無線 LAN に接続できても、あまりにも遅いので辟易しました。横に LAN のコネクタとEther ケーブルがあります。しかし、MacBook Pro をEther に接続するコネクタを日本で持ち歩くことはないので、それを使うことができません。

 ものは試しと、手持ちの iPhone によるテザリングでネットに接続すると、これは快適なのです。
 他のお客さんは、この遅い Wi-Fi の無線 LAN を使っておられるのでしょうか。
 800以上も部屋がある大型ホテルなので、無線が混信しているのでしょうか。

 さて、いつからスイミングと遠ざかっているのか、ということでした。

 こんな時には、日々記しているブログは便利です。日記なので、自分のこれまでの足跡が、いつでも確認できるのです。自分の過去は、知りたくもない、思い出したくもない、という方がいらっしゃるかもしれません。しかし、私は後ろを振り返り、自分を確認しながら前に向かうことがよくあります。

 2011年秋に、それまで長く続けていたスポーツクラブを辞めてからであることが、すぐにわかりました。京大病院で胃ガンの手術を受けて1年後なのです。いろいろと考えた末の、新しい生き方を模索している中でのことだったのです。

「スポーツクラブを退会」(2011/9/30)

 今は、ウォーキングをしています。しかし、こうして泳いでみると、張りつめた日々の中での息抜きと体調管理をしていた頃を思い出しました。しかも、銀座で夜中に泳いでいたので、今とはまた違う、何かと刺激的な日々だったのです。

 ゆったりと泳ぎながら、緊張感まっただ中のあの頃を思い出しながら、あらためて今はまた違う質の高い日々に身を置いていることを実感しました。

 気分転換となった、いい一夜です。
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2015年03月28日

東と西の心浮き立つ桜が開花

 都内は、もうお花見ができます。
 相変わらず、連日長距離の移動をしているので、いろいろな桜が観られるのです。

 深川の宿舎の入り口の桜は、もう見頃に近い開花です。


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 黒船橋から中央大橋を臨む大横川では、桜祭りの川船が用意されていました。


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 多摩地区の立川では、まだもうしばらく待たされそうです。
 自治大学の前の通りは、まだ蕾でした。


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 国文学研究資料館の横の通りも、固い蕾です。


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 渋谷を通りかかったら、ハチ公の上から桜が覆うように咲いていました。


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 日比谷図書文化館を背景にして、日比谷公園の夜桜を撮りました。


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 その帰りに、深川の宿舎の夜桜もきれいでした。


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 開けて今日は、歌舞伎座の横にある銀座区民館で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会合がありました。2年間の活動を通して、定款の見直しをすることになり、主だった者が集まって意見を交わしたのです。
 4月末の総会で、新しい定款が認められると思います。その詳細は、また報告します。

 午前中の会合を終えてから、帰洛の途につきました。

 京の桜はまだ咲き初めたところのようです。
 自宅近くの白河疏水通りの夜桜は、これからみごとな花を咲かせます。


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 心浮き立つ、大好きな桜の季節到来です。
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2015年01月12日

観音崎灯台で『球形の荒野』を想う

 連休はほとんどの予定が、突然の歯痛のためにふっ飛んでしまいました。
 唯一出かけたのは、三浦半島にある観音崎。
 浦賀駅からバスで行きました。


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 バスで鴨居港を通過する際、車窓から「どんど焼き」という小正月の無病息災を祈る、火祭りの行事をみかけました。


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 私が生まれた出雲地方では「とんどさん」と言っていました。平安時代には宮中で「左義長(三毬杖)」という行事を、正月15日にやっていたとか。調べるとおもしろいことがわかりそうです。

 雲一つない空の下、観音崎の対岸には千葉の浦々が望めて、気持ちのいいところでした。
 東京湾を隔てて房総半島まで、たった7キロしかないそうです。


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 ちょうど、水仙が見ごろでした。


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 レストランも本格的です。観光地と思って入ったのに、うれしい誤算のおいしい料理をいただくことになりました。お店の方も感じのいい方たちだったので、房総半島と太平洋を見ながら気持ちよく食事をしました。


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 その後庭から岸壁を見下ろしながら、松本清張の『球形の荒野』(監督・貞永方久、1975年、松竹)が撮影された場所を想像しました。
 芦田伸介(野上顕一郎)が島田陽子(野上久美子)と一緒に、この観音崎の岩場で「七つの子」を歌うラストシーンが印象的な映画です。
 しかし、この日は上空をトンビの大群が飛び回っていて、不気味さ混じりで身を竦めながら、レストランの庭を歩くことになりました。


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 私が好きなこの映画『球形の荒野』について書いた過去のブログには、次のものがあります。

「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010/11/27)

「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010/11/28)

「【復元】初夏の散策(9)萬葉の白毫寺」(2011/9/20)

 少し山登りをして、観音崎灯台に行きました。その道中では、自然の雄大さを感じられる石に圧倒されます。


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 観音崎灯台では、受付の方が親切にな説明をしてくださいました。


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 高所恐怖症の私は、灯台の上へは恐る恐る登り、狭い展望デッキの壁にへばり付いて半周だけして、すぐに降りました。

 目の前の浦賀水道を眺めていると、今日は対岸に東京スカイツリーが見えると、先ほどの受け付けの方が教えてくださいました。しかし、私にはよく確認できませんでした。
 今、写真を拡大して見ると、煙突から煙が上がっている右横に、確かに見えます。


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 ペリーの黒船来航のことや、坂本龍馬がここを通ったとかいう話を思い出しながら、しばし日常を忘れる静かな時間を持つことができました。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | ・ブラリと