2025年11月26日

雷雨に打たれながら一晩で温泉に5回入る

 芦原温泉は「弱アルカリ性」のさっぱりとしたお湯でした。リラックス効果が期待できます。
 折々にさまざまな泉質の温泉につかるのは、日本を旅する楽しみです。
 それにしても、雷鳴を頭上に聞きながら露天風呂に入ったのは初めてです。

 昨日は宿につくやいなや、取る物もとりあえず温泉に入りました。そして、食後に一風呂、寝る前にまた一風呂。この時は、ちょうど真夜中の午前零時直前だったので、風炉じまいの準備をなさっている時でした。
 今朝は、起き抜けに入り、さらに食後に入りました。
 一晩に5回も入ったことになります。いろいろな疾患を抱える身なので、いつも温泉地ではこんな調子で修業の一環として入っています。

 この前、この芦原温泉に来たのは15年も前のことになります。
 西国三十三所の満願の寺である華厳寺にお参りした翌日、2010年11月07日でした。今回は、6巡目で後2つを残すお軸と、始めたばかりの7巡目のお軸があります。しかし、その西国札所巡りの2本のお軸は持って来ていません。手元にある集印軸に、総本山である別格寺院の印を捺す場所がないのです。このことは、前回の永平寺に来た時の記事に、次のように書いた通りです。

 今回の西国三十三所の巡拝では、お軸に御詠歌を書いてもらっていました。しかし、どうしたことかスペースがいっぱいになっていて、永平寺の印を書いてもらう場所がありません。受付でそのことを相談しました。
 お二人のお坊さんが対応してくださいました。お軸を広げて見てもらいました。
 結局、もう一つ番外の印を書く空欄がない軸なので、今回は大本山永平寺の印はなしで、このままにしておくことになりました。表装が終わったら、箱書きに永平寺での結願のことを記すつもりです。(「西国三十三所(37)大本山永平寺で結願に」2010年11月07日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934944.html

 その時のお軸は、こんな表装で仕上がり、今も仏事の時には仏壇の横に掛けています。

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 昨夜の芦原温泉では、雷と豪雨に見舞われました。今朝も、送迎バスで新幹線の芦原温泉駅に行くまでは降っていました。しかし、駅に着く頃には晴れていたので、気持ちよく京都に向かいました。

 京都では、永平寺で買った、秋田で今週末に行われる法事のお供えを、駅前の郵便局本局から送りました。永平寺の名前が入ったお菓子と和蝋燭の2つのお供えを、レターパックプラスに入れました。宅急便にしようと思っていたら、姉が600円のレターパックプラスを勧めてくれたのです。郵便はまじめに配達されないと思い込んでいるので、配送の選択肢に入っていなかったのです。秋田での法事は、月末の30日です。今日から5日もあるので、いくらなんでも間に合うことでしょう。




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2025年11月06日

秋田から新潟・東京経由で京都へ

 お世話になったみなさんに見送られ、千葉に帰る義兄と一緒に羽後岩谷駅まで車で送ってもらいました。朝が早いこともあり、義兄と妻が卒業した高校の生徒たちが、通学のためにホームに集っていました。

 羽後本荘までの一駅は立っていても、それから先は終点の酒田までゆったりと座れました。

 酒田から新潟までは、特急いなほです。鶴岡あたりから、雪を頂いた鳥海山がクッキリと見えます。

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 また、進行方向には、月山も見えました。

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 海岸線のきれいな日本海側をひた走りに一路新潟まで。
 新潟からは、上越新幹線で東京まで出て、そこで義兄とわかれてからは、東海道新幹線で京都に向かいます。

 義兄とは、今回のお葬式が和やかでよかった話と、親戚の方々との関係や逸話を聞きました。

 東京からは、いつもの京都へ帰るパターンです。
 我が家には、陽が落ちてから着きました。10時間の長旅でした。しかし、義兄とお話ができたことで、充実した帰路となりました。

 なお、秋田ではクマとの遭遇はありませんでした。外に出ると、やはり緊張して辺りを見回します。報道されている以上に、現地では目撃や出会ったという情報が飛び交っています。相当数のクマが、人間の生活圏に出没していることを実感しました。




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2025年10月19日

鎌倉を散策して「鉃」と出会う

 昨夜は寒かったので、宿のフロントに部屋の温度を上げる方法を聞きました。すると、全館を一括で管理しているので、個別には変更が出来ないとのことでした。立派な施設なのに、設計の基準が各所で管理者主体の発想で組み立てられています。利用者主体の視点で見ると、この施設にはいろいろと時代の変化に対応できていない、改善すべき点が見えました。僭越ながら、そろそろ改修の時期のようです。

 玄関口を出ると、すぐ近くでフリーマーケットをしていました。地元の方に加わって、海外からの観光客が楽しく品選びをなさっていました。

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 その近くの店頭に、時代物の手動式のレジスターがありました。

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 これを見てすぐに、銀座4丁目のカルチェの裏にある創業130年のレストラン煉瓦亭で使われている、レアもののレジスターを思い出しました。東京オリンピックの時以来、ずっと現役だというものです。この近くのコナミスポーツクラブに通っていた時に、帰りによく立ち寄ったお店です。

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 そこで、生成AI氏にこの2台のレジスターのことを聞くと、鎌倉の小町通で見たのは National(ナショナル)製レジスター。昭和初期〜昭和30年代(1930〜1950年代)の製造。
 銀座の煉瓦亭で現在も稼働中のものは、昭和30年代後半〜昭和50年代(1950〜1970年代)に製造された、 Sweda(スウェダ)製レジスターということがわかりました。
 さらに詳しい情報が届いているので、それについては、また報告します。

 文学館がありました。しかし、ここは大規模改修ために2029年3月末まで閉館です。残念でした。

 また少し歩くと、甘縄神明宮の参道で朝市をやっていました。地元の名産や手作り品が並んでいて、京都にはない楽しいものが見られました。

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 長谷寺でも、手づくり市かと思わせる賑わいがありました。活気のある楽しい地域になっています。

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 国宝の鎌倉大仏が意外に小さく見えました。この前はいつ来たのか? 大人になってから一度は来ているはずなので、子供の視線でのイメージが残っているとは思えません。奈良の大仏を建物の中で間近に見た思いと比べたせいかもしれません。

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 大仏様の後ろの公園に、与謝野晶子の歌碑がありました。[変体仮名翻字版]で和歌を示します。

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 かまくらや み本とけ奈れど 釈迦牟尼八
 美男尓 おは春 夏木立可那   晶子


 鎌倉駅行きのバスに乗り、1つ手前のバス停で降りました。かねてより妻が行きたいと言っていた、生地屋さんの鎌倉スワニー本店へ行くためです。
 バスを降りてすぐにあったスーパーで、女性にお店の場所を尋ねると、その方もよく行くお店だとのこと。少し布地の話をしていると、今日は日曜日なので確かお休みじゃなかったかな、と衝撃の言葉が聞こえました。
 前もって調べていなかったので、予想外の展開となりそうなので、えーっと声が出るだけです。とにかく行かないとということで、トコトコ歩いて行きました。

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 妻の願いが叶い、やっと来た憧れの鎌倉スワニーは、やはり定休日でした。それでも、来られたことに満足し、しばらくはお店の中に点いている電気の明かりを見ていました。お店の方は今は何を作っておられるのか、いろいろと想像しては楽しんでいました。横浜に支店があるとのことなので、いつかそちらに行くことにします。

 鶴岡八幡宮の境内で、裏千家のお茶会をしていました。席料が15,000円だったのでパス。私は、奈良の支部に所属しており、お茶会があっても5,000円もしません。京都の街中でも、そんなにしません。特別な会だったようです。
 太鼓橋の袂で、桜の蕾を見かけました。これがいつ咲くのか。気候の温暖化に伴い、予測がつきません。

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 鶴岡八幡宮へは、来たことがあるはずなのに記憶がまったくありません。

 大賑わいの小町通を歩きました。とにかく人が多いのです。8割は海外の方のように見えました。

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 看板の中に書かれた「鉃」の字が飛び込んできました。しかも、最近私がはまっている海鮮丼屋さんなのです。これは入らないわけには行きません。

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 この五鉃で、しらす丼を美味しくいただきました。海に近いこともあって、この一帯にはシラス丼のお店が多いのです。

 今回の東京行きで、いつものルートを外れると運賃がややこしくなることを体験しました。そして、駅員さんにもいろいろな方がおられることを、あらためて知ることとなりました。
 まず昨夕のことです。鎌倉へ行くこととなり、経路がいつもの京都行きとは違うので、駅で相談をしました
 新橋駅の改札横に待機しておられた4名の方は、2名の中年の方は関わりを持たないようにされ、一人の若者は一生懸命に経路を考えながらもわからなくなり、もう一人の若い方が解決策を出してくださいました。そして、反対側にあるみどりの窓口で今の説明をして、乗車券と特急券の経路の変更をするように、というアドバイスをもらいました。鉄道に詳しい方だったので感謝をして、西口に行きました。
 みどりの窓口の方は3人おられ、2人の年配者よりも中年の方に対応してもらいたいな、と思っていると、願い通りその方に担当してもらう順番が回ってきました。そして、先ほど改札口で受けた説明をして経路の変更をお願いしました。すると、私の場合はすでに往路で使用済みなので、帰路は変更できないとのことです。先ほどの方は、何か勘違いしておられたようです。そして、後ろに多くの方が並んでおられたのにもかかわらず、時刻表や路線図を見比べながら、最適な解を出してくださいました。

 18日:新橋→大船→鎌倉(精算)→由比ヶ浜
 19日:鎌倉(切符購入)→大船→小田原→新幹線小田原→京都

 これで、精算として170円を2人分、それを行きと帰りでするだけで済んだのです。
 そして思いました。相談した駅員さんによっては、ややこしいことが絡んでいる時には、答えが違ってくることがある、ということです。何とか法というのがあり、微妙に絡んだ事例だったようです。
 新橋駅のみどりの窓口の担当者の方に、あらためてお礼申し上げます。
 これからは、複雑なことが関係している時には、駅員さんに相談すると共に、みどりの窓口で再確認した方が確実なようです。経路と運賃に差がでることなので、知っておくと助かる豆知識かもしれません。

 そうそう、昨日はJRの横須賀線でトラブルがあり、電車がしばらく止まっていました。これまでにも何度か経験していることなので、慌てず騒がす、出発を待つことができました。緻密なダイヤが組まれた日本の鉄道も、トラブルや事故はどうしようもないのです。




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2025年10月01日

出雲で出会った方々との奇縁続きに驚く

 今朝は朝食前に、別棟の個室温泉でくつろぎました。大社温泉は、日頃の疲れを取ってくれます。

 まず、出雲大社にお参りです。
 神域の松林には、ヒガンバナが一面に咲いていました。その燃えるような色に、神々しさを感じました。

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 運良く、神職の方による「月始祭」が催行される場面に行き合えました。
 大国主命とウサギの前で祝詞の奏上の後、鳥居を潜って本殿への移動です。

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 厳粛な雰囲気があたりに満ちていました。
 出雲大社の拝礼の仕方は、一般的な「二礼ニ拍手一礼」ではなくて、「二礼四拍手一礼」と、「四拍手」であることに特徴があります。

 ケタ違いに大きなしめ縄には、いつ来ても圧倒されます。

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 境内の一画にあったお土産物屋さんの女性が、我が家の親戚であるヘルン(小泉八雲)の宿の「いなばや旅館」のことをよくご存知でした。さらには、その方のお父さんは、「いなばや旅館」のご主人の遺影を今も持ち歩くほど親しかったそうです。その娘さん同士が、また親友だとか。話が弾みました。

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 街中を散策中に「いなばや旅館」のことをお聞きした男性が、なんと「いなばや旅館」で番頭をしていた方の息子さんだったのです。毎年、夏と年末の繁忙期には、母に連れられて我々も「いなばや旅館」に行っていました。その方のお父さんに会っていた可能性が高いのです。思い出話が尽きません。
 次の写真は、車がある場所に「いなばや旅館」のボイラー室があったそうです。その上の段に、旅館が建っていました。

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 郵便局の局員の方が、話をしている内に我々の生地と同じであること、しかも我々の従姉妹のお孫さんだったのです。その方のお父さんが、なんと姉とは同級生だったとか。郵便局でたまたま対応してくださった方が、親戚つながりだったのです。

 さらには、お土産にしようと、昔からよくいただいていた馴染みの俵饅頭を買いに行ったところ、そこの女性が「いなばや旅館」の前にお店があった頃には、よく俵饅頭を運び込んだのだそうです。ご縁のあったお店に入ったのです。

 とにかく、出会う人出会う人と、奇縁の連続です。これも、出雲大神のご縁なのでしょう。
 不思議な思いで、旅を続けました。

 最後に、私と姉が生まれた出雲市古志町に行きました。通っていた保育園は、お寺の中にあったのでわかります。しかし、それ以外は、かつて住んでいた場所や親戚の家までもが、確信を持ってここだと言えないのです。生まれ故郷は、面影が薄くなっていました。

 この町に来ると必ず行くことになっている、従兄弟の家に立ち寄りました。本当に久しぶりなので、歓待してもらえました。
 従兄弟夫妻は、共に高校と中学の先生でした。90歳が近いのに、しっかりしておられます。息子さんが高校の校長先生をしておられるとのこと。代々、教員一家です。
 行くといつも、抹茶と和菓子が出ます。今日も、松平不昧公お好みの若草が出ました。私も妻も、二服もいただきました。美味しいお茶でした。

 帰りの車中では、同行4人でこの2日間を思い出しては笑い転げるという、まさに楽しかった金婚記念の旅だったことを実感しました。

 宍道湖に見送られながら、一路京都へと向かいます。

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 この2日間、思いつきからのわがまま勝手な行程を、とにかく快適で無事故の運転をして手助けしてくれた姪には、心よりのお礼を記して感謝の気持ちにかえます。ありがとう。




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2025年09月25日

散策で見かけた秋らしさ

 急に涼しくなったせいか、身体が何となく怠い1日です。
 近くの公園を歩いていると、秋らしくなっていく様子が感じられました。

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 噴水のそばの小鳥は、生成AIによるとハクセキレイだそうです。
 前回は嘘の入れ知恵をそのまま書いてしまったので、今回は責任の所在を生成AIにしておきます。

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 白いヒガンバナを見つけました。
 過日見かけた赤いヒガンバナは、今日は見つかりませんでした。

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 近くの小川にダイサギがいました。
 ちょうど飛び立つところが撮れました。

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 宇治川に向かって飛んで行く姿がスマートです。

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2025年09月02日

桂川のイオンモールをゆったりと歩く

 JR桂川駅前にある大型ショッピングモールへ行きました。JR京都駅から大阪方面に向かって2駅目。日頃の生活圏とは反対側にあるので、今朝Nさんに教えてもらうまでは行動範囲ばかりではなく意識の外にありました。この駅に降りるのも初めてです。それだけに刺激的で、右脳が活性化する散策となりました。

 とにかく広いのです。細長い3階建ての空間に、これでもかと数限りなくお店が並んでいます。ショッピングセンターというと、女性向けの専門店が多いのに、ここは男物のお店もたくさんあったので楽しく歩けました。

 大型書店で、『3ステップで読める 仮名のくずし字』(淡交社、2022年11月)を買いました。道中、電車の中で読んでいた届いたばかりの『淡交タイムス』(2025年9月)に、裏千家の教科書の一つとしてシリーズ物の刊行書の宣伝が掲載されていたので知りました。お茶の世界では、変体仮名をどのように説明しているのかを知りたくて、実物を手にしてすぐにいただきました。
 『源氏物語』の講座にいらっしゃっている方の中には、何人かお茶の心得がある方がお出でです。教えていらっしゃる方もおられます。多くの方々が変体仮名を読めるようになっていただくためにも、茶道での教科書に書かれていることは知っておくべきことなのです。我流に固執するつもりはないものの、ひろく文字の世界を見渡すことは大事です。
 パラパラと見ていると、私が「字母」と言っていることを「字源」と表現しておられます。同じことながらも、説明文の雰囲気が違ってきます。おもしろいものです。

 散策路の至るところに、座り心地のいいイスが置かれています。最近は、ショッピングセンターに休憩用のイスが置かれることが増えました。その中でも、ここのイスは何種類かあるすべてが上品です。若者が多い中に、高齢者をはじめとして訪れた人の身体を気遣う気持ちは、これからの社会に必要な配慮だと思います。

 そうした流れの中で、京都駅南口にある都ホテル京都八条のロビー奥の待ち合わせスペースにあった座り心地のいいイスが、昨年にはすべて撤去されたのです。流れに棹さす愚行だと思っています。観光を終えて帰ってきて、狭苦しい部屋に入る前に身体を休める場所を設けることは、旅人への思いやりです。
 このホテルよりも、多くのショッピングセンターでのイスの配置の方が時代を先取りしています。ホテル側にも言い分はあるのでしょう。しかし、傍から見ていると、フロント前のロビー以外は無用の休憩だとばかりに締め出したとしか思えません。

 自宅を出てから帰ってくるまでに、歩いたのは12,867歩でした。想定通りのウォーキングとなりました。
 自宅近くの駅から電車に乗ってからは、まったく外を歩くこともなく散策することとなったので、ここは天気が優れない時にこそいいコースとなります。リハビリウォーキングのメニューが一つ増えました。




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2025年08月28日

樟葉モールで「セレンディピティ」という言葉を体感する

 「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉を知りました。
 偶然のきっかけから、思いがけない出合いや発見や幸運を得ることだそうです。
 これを私は、「光明との出会い」という言葉に置き換えたいと思います。
 そして、日々リハビリウォーキングとして妻共ども出歩いていることが、まさにその「光明との出会い」そのものだと気付いたのです。

 今日は、樟葉モールへ行きました。先月の中旬に、大阪府立中之島図書館での源氏講座の帰りに立ち寄って以来なので、2回目となります。集会所でいつもお世話になっている民生委員のNさんがお薦めの場所です。
 3つの階に展開する店舗と建物の様子は、東京の「ららぽーと豊洲」によく似ています。今日も、妻は「ららぽーと豊洲」にあったお店と混同していました。

 ブラブラとウィンドウショッピングです。本屋さんでは、新刊のチェックです。並んでいる本の顔が、河原町の丸善とはまったく違うので、地域の特性を感じます。文房具屋さんでは、楽しい小物に出会いました。使うことよりも、持つことの楽しみを優先した小物たちです。

 そうした中でも、生地や手芸材料の専門店であるユザワヤでは、しっかりとカバンを作る布地を買っていました。数ヶ月前から妻は、自分の部屋一杯の布地を取り出して、カバンとブックカバーの手作りに熱中しています。その集中力たるや、かつてを彷彿とさせる気迫があります。完成作品がいくつか出揃ったら、また報告します。

 前回も行った、ひごペットフレンドリーに立ち寄り、白メダカと気泡発生器用フィルターと水質管理液をいただきました。新たに6匹の白メダカを迎え、自宅の水槽が賑やかになりました。

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 様子を見ていると、これまでいた3匹の赤メダカが先住権を主張しているのか、新参者の6匹の白メダカを水槽の下に押しやっているようです。エサ溜まりも独占しています。オスとメスは半々なので、今後の動向が楽しみです。




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2025年06月25日

美術館「えき」KYOTOで「鴨居玲展」を観る

 京都駅の伊勢丹7階にある美術館「えき」KYOTO で開催中の展覧会のタイトルは、「没後40年 鴨居玲展 見えないものを描く」です。絵画に疎いこともあって、初めて知った画家です。

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 美術館「えき」KYOTOのホームページから、「鴨居玲略歴」を引きます。

1928年石川県金沢市に生まれる。金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)で宮本三郎に学ぶ。1959年から66年にかけてパリ、南米、ローマなどを巡る。1968年に日動画廊(大阪)で初の個展を開催し、翌年に昭和会展優秀賞、安井賞を受賞。再び渡欧し、1971年にスペインにアトリエを構え、マドリード、バルデペーニャス、トレドなどに住む。その後、パリとニューヨークで個展を開催し、1977年の帰国後は神戸にアトリエを構える。1984年に兵庫県文化賞を受賞。1985年、神戸の自宅で亡くなる。(享年57歳)

 絵の中の赤色が印象的でした。そして、顔の中で目がはっきりとは描かれていなかったので、これはこの画家の特色なのでしょう。
 作者自身の内面を見つめる視点で、「哀しみ」が描かれているように感じました。これまでに観てきた絵とはまったく異なる雰囲気の絵です。暗さの中にも、人間として訴えかける迫力が伝わってきました。新しい発見です。(2025年7月6日(日)まで)

 美術館からそのまま外に出ると、大階段です。1番上から見下ろすと、その急勾配の様子がわかります。

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 今日は、上から降りることにしました。高低差30mで171段ある大階段は、下るだけでも太股と腹筋の運動になります。ただし、何度か書いたように、手すりが真ん中に1本あるだけなので、健常者にしか目を向けていない非常に不親切な設計です。竣工は平成9(1997)年とあるので、その当時は弱者への視点が欠如したこんな設計でもコンペに入選したようです。今なら、1次の選考過程で落選です。全体的に、今のJR京都駅の設計は時代遅れの発想が散見するので、もうそろそろ作り替えてもいいのではないでしょうか。

 階段を下り切ったところから振り返ると、ちょうど約15,000個のLED によるイルミネーションが始まるところでした。上賀茂神社のふじの場面を撮影しました。

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 今月から、551の蓬莱がアイスキャンディを売り出したので、早速大量にいただいてきました。

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 このアイスは、奈良の平群にいた頃に、夏になると母がでかける度に難波の蓬莱で買ってきたものです。子供たちは走って玄関に出迎え、このアイスを取り合いして分けあっていたものです。夏になるといつも思い出す、551の蓬莱のアイスキャンディを50本、今年も我が家の冷凍庫に納まりました。これも、猛暑を迎える準備の一つです。




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2025年06月05日

初夏の公園を散策して

 今日の京都市内は30度を越えていたそうです。
 ここ宇治では、少し風があり肌寒い気候でした。
 近くの図書館へ行った帰りに、すぐ前の公園を散策しました。

 初夏の草花は、時期を過ぎたのか少し色褪せて見えました。
 真ん中がミズバショウで、左上がホタルブクロでしょうか。

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 石垣に生い茂る水草と流れ落ちる水とが、涼しさを感じさせてくれます。

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 木々の間を歩いて行くと、石橋の下を流れる小川は夏の気配です。

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 さて、今年は昨年以上に暑い日々となるようです。
 小まめな運動で足腰のリハビリをし、熱中症に負けない体力をつけています。




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2025年05月08日

新緑の中を散策

 体調がよくなったので、近くの公園を散策してきました。
 駅まで700mの、木々に包まれた散策路です。

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 小鳥の囀りを聞きながら、妻と四方山話をしながらのリハビリウォーキングでした。
 駅からスーパーマーケットに行き、ドラッグストアに立ち寄って帰りました。
 歩数は5,000歩だったので、身体を慣らすのにはちょうどいいコースです。
 体調は回復したので、明日からはいつもの生活に戻ります。
 身体を横たえるだけの、長いゴールデンウィークでした。
 こんな時もあるのでしょう。
 また、いろいろなことにチャレンジします。




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2025年05月05日

HONBAKO京都宇治へ本を持参して並べる

 今日から立夏。端午の節句でもあります。
 好天の中、宇治の市街に多くの本をキャリーバッグに詰めて向かいました。
 宇治川に架かる朱塗りの朝霧橋の周辺は、目も覚めるような新緑に彩られています。

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 宇治橋通りの中程、JR宇治駅の真ん前にある中村藤吉本店では、端午の節句にちなんだ鎧兜が飾られていました。すばらしい趣向です。多くの海外からの観光客の方々が、何だろうと立ち止まって見ておられます。みなさん、大谷翔平選手がホームランを打った後に被っていたものであることを、お互いに話しておられるようでした。

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 そこからほど近い所に、シェア型書店HONBAKO京都宇治があります。
 今日は、箱主として並べる本を持ち込み、ディスプレイを考えました。
 ああでもないこうでもない、と思案した末に、こんな風に配置してみました。

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 上の写真で矢印を付けた2箇所の本箱が、私と姉が借りた空間です。
 一番奥の下から2段目なので、上がり框のすぐ横です。最良の位置をいただけました。座って靴を脱ぐ時に、自ずと視野に入ります。

 一応、「『源氏物語』その@」と「『源氏物語』そのA」というタイトルを貼り付けました。
 持ち込んだ本27冊すべてが、ちょうどうまく収まりました。
 これらの本は、すべて複数冊持っているもので構成しています。
 私は、東京と大阪にあった職場の研究室と2箇所の宿舎の勉強部屋、そして奈良と京都の自宅の書斎にと、同じ本を複数冊置いていました。そのため、こうした場合の対応は、どのようにでも選書できます。

 他の本箱には、箱主さんがまだ置かれていないのが多いようです。
 これから、どのような本の顔が見られるのか、順次並んでいくのが今から楽しみです。

 帰りにチマキを買い、仏壇にお供えしました。
 子供たちはみんな40歳前後と、大きくなりました。
 亡き両親には、我ら老夫婦をこれまでと変わりなく見守ってください、とお願いしました。




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2025年04月17日

白浜のとれとれ市場の活況と、車内で出会った2人の女性

 今朝は、穏やかに横たわる白浜の海を望みました。
 手前の熊野白浜リゾート空港の滑走路には、一機も姿が見えません。

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 白浜駅に出る帰り道、「とれとれ市場」という所に立ち寄りました。活気溢れる市場です。

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 大好きな海産物が、所狭しと並んでいます。新鮮な魚介類、干物、加工品と、欲しいものばかりです。
 イートインコーナーが広くとられていて、多くの方が好きなものを手に入れては自由気ままに楽しく食べておられます。しかし私は、道中を考えてほとんどを諦めました。いただいたのは、アイスカフェオレと酵母パン、そしてイチゴとチーズをかけたフライドポテトでした。

 特急「くろしお」に乗り込むと、確保していた指定席に見知らぬ女性が座っておられ、ビールを飲みながらお食事中でした。横に立って、替わってほしい気持ちを伝えると、ゴソゴソと片付け始められます。そして、勢い余って、座席に置いておられた缶ビールがひっくり返ったのです。濡れた座席を拭くのを手伝いました。
 その方が横のお仲間と合流して並んで座られた時、座席の下を見ると床には先ほどのビールがこぼれていました。ティシューペーパーを出して、今度は床を拭き取るお掃除です。ビールをこぼした方は目もくれず、隣の女性と話に夢中です。
 傍若無人の挙句の果ては、座席に座ったままで歯磨きが始まったのです。しばらくは、歯ブラシを持つ手が上下に動くのを見ながら、社会性を身につけることの大切さを痛感しました。この2人の女性は、中華思想を刷り込まれた中国の方ではなくて、60〜70歳くらいの日本の方でした。




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2025年04月16日

西国三十三所(1)青岸渡寺で7巡目に入る

 熊野那智大社の階段は、京都駅の大階段ほどではないにしても、結構きつく感じます。

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 途中で、鹿の親子に出逢いました。まさに神の使いである神鹿です。

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 熊野那智大社の境内の桜は満開でした。

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 西国三十三所の第一番札所である青岸渡寺は、今回で7回目の巡拝です。

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 前回、菊の印を押してもらえなかったので、今回の再訪となりました。いろいろなお話をして、とにかく押していただきました。申し訳ないことをした、と言いながら、しっかりと言い訳をしておられました。

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 これを機に、西国巡りの7巡目をスタートすることにしました。新しいお軸は、これまでとは違う大きさです。四角で小ぶりなものを選びました。

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 那智の滝を見に行きました。絵になります。しかし、観光地の型にはまった姿しか写らなかったので、写真は省略します。

 ホテルに帰って休んでいると、眼下に今にも飛び立とうとしてエンジンをフル回転している飛行機が間近に見えました。

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 しばらくすると、これまた眼下のアドベンチャーワールドから、動物の大きな鳴き声が聞こえてきます。なかなか貴重な体験をしています。




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2025年04月15日

南紀白浜から太平洋を見はるかす

 今日は、白浜から発信しています。
 眼下には、アドベンチャーワールドと白浜空港、遠景には太平洋が広がっています。
 動物たちと観覧列車も、小さな点となって動いています。

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 子供たちが小さかった頃、母も一緒に車で何度か白浜に来ました。ほとんど覚えていませんが。今回は、金婚記念旅行の第二弾として出かけてきました。第一弾は、秋田行でした。

 館内のエレベータは傾斜式でした。斜めに移動するのが、体感として伝わってくるので、何となく微妙な乗り心地です。

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 明日は、西国三十三所の一番札所の青岸渡寺へ行きます。七巡目のスタートです。

 何かと多忙な時期に、いろいろな方にご迷惑をおかけしながらも、予定していたことでもあり決行です。

 食前、食後と、温泉に早くも2度も入りました。
 この白浜温泉は、熱海・別府と並ぶ「日本三大温泉」と言われ、有馬・道後とは「日本三古湯」の一つでもあります。古い文献では「牟婁の湯」とも呼ばれていることは、よく知られています。その白浜温泉で、英気を養っています。




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2025年04月03日

秋田から東京経由で京都へ直行

 秋田犬とナマハゲに見送られて秋田を発ちました。

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 東京までは東北新幹線の「こまち」で5時間弱。

250403_こまち.jpg


 改札を出ることなく、東海道新幹線で京都まで3時間の旅です。
 東京駅で、乗り換えだけで素通りするのは初めてでした。

 澄み切った鳥海山を見たので、富士山もさぞやと車窓からカメラで待ち構えていました。しかし、残念ながら雲に覆われていて、まったくその位置すら定かではありませんでした。

 京都駅でも、新幹線の改札口から目の前の近鉄線の改札口へ直進して通り抜け、一路我が家へと向かいました。
 秋田とは打って変わって、東京も京都も人の波です。新年度となり、人の動きが活発になっているようです。

 自宅近くの駅に降り立つと、桜はすでに散り初めです。

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 あっという間のことで、浦島太郎の心境になります。
 往きは東京で一泊したので、長旅の感じはしません。しかし、還りは半日をかけての直行だったので、疲れを感じました。これからこの行程では、もう少しゆとりがあるように、気を付けることにします。




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2025年04月02日

かすみ温泉に今日も行った後は百人一首を愉しむ

 昨日のかすみ温泉があまりにも良かったので、今日も温泉に出かけました。足腰の違和感が消え、腕がスムーズに回ります。即効性があるようです。
 妻の姉夫婦と4人でかすみ温泉の一部屋をお借りして、のんびりとお湯に浸かり、食事をしてきました。私は、2回も温泉に入りました。
 かすみ桜を、昨日とは違う角度で撮りました。

250402_かすみ桜.jpg

 ここは湯治場でもあるので、籠って数日を過ごすのもいい休息になりそうです。

 先月、日比谷の講座の帰りに泊めてもらった東京にいる姪たちが、夕方、秋田の家に車で来ました。途端に賑やかになりました。

 みんなでの会食が終わると、百人一首が始まりました。秋田の家は、みなさんが集まると誰言うとなく、自然にカルタ取りが始まります。最初に秋田に来た時には、あまりの文化の違いに驚いたものです。遊ぶものがなかったので、雪に閉じ込められた寒い時には、これが唯一の楽しみだったようです。
 私と妻のコンビは、義姉と姪のコンビに大負けしました。妻が頑張ってくれました。しかし、小さい頃から鍛えられた2人組の反射神経には、とても太刀打ちできません。
 女性4人の対戦では、10代の2人と70代と80代の2人が、熾烈な闘いを展開しました。身体を張って、相手の手を阻止していました。

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 使ったカルタの箱の裏を見て驚きました。妻の母がメモを記していたのです。

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成の生れた年
清子、鉄也帰郷の際求ム
昭和五十一年五月三日
買求ム

 成とは母の孫の名前、我々の帰郷とは結婚して半年後のことです。
 我々が秋田に来るというので、嬉しくて『百人一首』のカルタを買って来たようです。
 それまでに使っていたカルタも出てきました。

250402_百人一首.jpg

 大騒ぎの一夜となりました。




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2025年04月01日

羽後での3日目は隠れ里にある「かすみ温泉」へ

 今日も晴天です。
 「秋田魁新報」の第一面下にあるコラム「北斗星」には、桜便りのことが話題となっています。その末尾に、開花時期が早まっていることにふれて、次の一文がありました。

▼これまで桜とタイアップしてきた東北の大型連休の観光は戦略を練り直す転換点かもしれない。秋田でも東京のように4月前に桜が咲く光景が、そう遠くない将来、当たり前になるのだろうか。<2025・4・1>

 4月中旬以降に桜まつりが企画されていたものの、これまでの見直しが必要な気象状況を踏まえ、これからは2週間は前倒しになりそうだということです。
 観光立国を標榜していた日本政府も腰砕けで、今は関西万博の後押しも中途半端。ハラハラする中で、気の毒なほど政府は迷走状態です。大阪府がんばれ、と声援を送るしかありません。
 観光客が無策な対応状況に置かれたまま戸惑うばかりで、果ては傍若無人の目に余る光景が散見される今、国には地方任せにせずに指導力を発揮してほしいものです。観光立国の宣言は、残念ながらすっかり忘れ去られたようです。こうしたことを書いても、何の意味も持ちませんが……

 今日は、妻の実家からほど近い、村の奥まった所にある人里離れた温泉に、義兄の車で連れて行ってもらいました。
 秋田市から来てくださった義兄とは、海外調査と文化交流事業でも一緒に行った仲です。イギリスのロンドン、スペインのマドリッド、インドのニューデリーと、密度の濃い国際文化交流のお手伝いをしてもらうという、貴重な旅をしました。

 かすみ温泉は、昨日ネットで調べた生成AIのChatGPTでは、候補地として出て来なかったところです。

250401_かすみ温泉.jpg


 泉質は単純硫黄冷鉱泉で無色透明、少し硫黄の香りがします。ヌルヌルとした肌触りのお湯が、気持ちよく血行を促進してくれます。浴室の入口にあった効能書きには、高血圧、動脈硬化、糖尿病などがあがっています。私の脳梗塞のリハビリと糖尿病には、最適の温泉です。少し熱めのお湯だったので、水で温度を下げて入りました。

 建物の裏には、由緒あるかすみ桜が見られます。その横には、懐かしい藁屋根の小屋があり、辺りの雰囲気を鄙びた色に染めています。

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秋田県指定      天然記念物
  カスミ桜
山桜としては、全国でも珍しいもので樹齢400年以上、目の高さの幹まわりで約6メートルあり花盛りの頃、遠くから眺めると霞みがかかったように美しい。
惜しい事に、昭和38年の大風と昭和41年の豪雪で枝の一部が折れたために大きく美観を損しているがその大きさは、カスミ桜では日本一と言われている。
      指定年月日 昭和34年1月7日
      所 有 者 葛岡 堀川 弘美
            大内町教育委員会


 思いがけなくも、温泉地で身体を休めることとなりました。
 夕方から突然の氷雨となり、いい時間帯に温泉へ行ったことになります。




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2025年03月31日

2日目の羽後散策

 昨夜の秋田は、京都と違って寒さが身にしみました。広間ではストーブが燃え盛っています。雪国の人は寒いのが怖いのか、汗が出るほど部屋を暖かくするようです。ただし、一歩部屋を出た廊下は、氷の中のように冷たいのです。身体がまだ慣れないので、爪先立ちで歩きました。
 一夜明けた今日は、ポカポカと快晴です。家の周りを散策しました。

250331_街への道.jpg

 田圃の中では、鷺が集っていました。秋田弁で喋っているのでしょうか。

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 桜の蕾は、真ん丸です。しかし、開花は4月の中旬だそうです。まだしばらく待たされます。

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 時間の合間に野菜を育てているという、ビニールハウスにも行きました。背後の山では、スキーをして遊んだそうです。

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 家の庭には、早くもチューリップやスイセンが咲いていました。

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 午後には、羽後本荘市へ車で連れて行ってもらいました。
 雪をかぶった鳥海山がきれいに見えました。

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2025年03月30日

東京の青山から東北新幹線で一路秋田の由利本荘へ

 今朝は、明治神宮外苑を散策しました。

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 昨夜アップした絵画館前のイチョウ並木には、多くの観光客が集まり写真を撮っていました。

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 地下鉄で東京駅へ出て、東北新幹線に乗りました。「こまち」と「はやぶさ」が連結された車両です。過日は、この連結部が走行中に外れ、大問題となりました。「こまち」が前の方を走るので、取り残されることはなさそうですが(?)

250330_こまち.jpg

 田沢湖から角館のあたりを走行中には、窓の外は雪景色でした。しかし、雪国に来たと思う間もなく、まったく雪がない平地を走るので、少し残念でした。

 秋田駅では、「なまはげ」が出迎えてくれます。

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 なまはげは、豊作を願う来訪神です。
 それと同じ神が、私が生まれた島根県の出雲地方にもいます。「ばんない」といいます。ばんないは、神楽衣装に鬼面を付けて、青竹を叩きながら家々を練り歩くのです。お正月に行なわれた、出雲大社周辺の厄払いの神事です。
 この伝統行事は、我が家の従兄弟が出雲大社の門前で「いなばや」という旅館をしていたため、毎年年末からお正月には家族で行っていた関係で、このばんないに何度も出会いました。子供心に恐ろしかった記憶しかありません。
 なお、いなばや旅館は、小泉八雲(ラフカディオハーン、ヘルン)が原稿執筆をしていたヘルンの宿として知られていました。しかし、今は廃業しています。すぐそばにあった、竹内まりやの実家である「竹野屋旅館」としのぎを削っていた旅館でした。

 秋田の妻の実家がある羽後地方は、私の生地の出雲地方と同じ文化圏にあります。松本清張の『砂の器』では、東京蒲田での殺人事件から捜査の手は秋田の羽後亀田に延びます。しかしその後、同じズーズー弁を喋る出雲の「亀嵩(かめだけ)」に話が移っていきます。
 結婚前に、私の両親が妻の実家へ挨拶に行った時、両親同志が期せずしてイントネーションが一緒だったので、不思議な雰囲気で話が噛み合ったことがありました。思いがけなく柳田國男の方言周圏論(蝸牛考)や、『砂の器』のドラマの証明となったのです。
 その縁がある羽後亀田駅に、秋田から酒田行きの電車が停車したので、カメラを向けました。

250330_羽後亀田駅.jpg


 秋田には、ちょうど一昨年の3月に来ています。みなさんお元気でした。庭から、春を告げると言われているフキノトウが大量に摘み取られてきて、食卓が賑やかになりました。早速、フキノトウの天麩羅をいただきました。

250330_タラの芽.jpg

 聞いたことのない名前の魚も出てきました。小粒のホタテのみそ汁もおいしくいただきました。
 明日は何が食卓に並ぶのか、今から楽しみです。




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2025年03月12日

宝塚から中山寺を経て西宮へ

 宝塚市山本にある「珈琲焙煎工房 Hug」へ、コーヒー豆の選別作業や障害福祉サービスの実際を見学するために行ってきました。この就労継続支援B型事業所は、ホームページによると、次のような活動内容が書かれています。

「高次脳機能障がいをはじめとする障がいのある人たちの就労の場として活動しています。それぞれの経験、得意、好きなことを活かし、仲間みんなで協力しあって、珈琲作りをしています。」(https://hugcoffeeroaster.com

 この前にここを訪問した時の報告は、5年半前の記事である「珈琲焙煎工房 Hug で豆の選別と焙煎を体験」(2019年10月03日、http://genjiito.sblo.jp/article/186642215.html)に書きました。かなり詳しく書いているので、Hugのことはその記事に譲ります。

 今日も、コーヒー豆の選別作業が進んでいました。割れたもの、虫が食ったもの、カビが生えたものなどを、懇切丁寧に取り除いておられました。

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250312_豆の取り除き.jpg

 ここの豆を轢いてコーヒーを入れると、雑味や濁りのない、すっきりとしたコーヒーになります。我が家では、この豆を愛飲しています。

 焙煎しておられるところも拝見しました。焙煎温度は230度。焙煎中の豆の色を小窓から見て、細かな温度調節や挽き具合を細かく記録しておられました。最下段の焙煎指数を見ると、工程が安定していることがわかります。

250312_焙煎記録.jpg

 最適な状態になったら、焙煎した豆を取り出して冷やします。
 ここでも、豆が割れたり生焼けの豆は取り除かれます。挽き終わった豆の重さを測り、規定の範囲内であるかを確認してから、袋詰めなどの作業に回されます。
 問題があって取り除かれた豆は、消臭剤になっていました。

250312_脱臭剤.jpg

 丹念な作業を拝見して、おいしいコーヒー豆の背景にあるこだわりが伝わってきました。
 挽きたての豆で淹れてくださったコーヒーをいただきました。香りも味も申し分なく、ふくよかな時間を楽しませてもらいました。

 そこからほど近い中山寺に行きました。
 中山寺は中山観音駅からすぐ近くにあり、よく整備されたお寺です。

250312_中山寺.jpg


 参道では、椿やリュウキュウアセビや梅に小鳥などが、参拝者の目を楽しませてくれます。

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250312_梅に鳥.jpg


 西国三十三所の札所巡りは、6巡目があと3ヶ寺で満願となります。
 納経所で、残りわずかとなった空白を埋めてもらいました。

250312_朱印.jpg

 お軸は、あと残すところ2ヶ寺となりました。

250312_お軸.jpg

 中山寺から電車で西宮に出て、課題にしていた西宮神社へ行きました。
 ここの表門から右に曲がる参道は、毎年正月9日に行なわれる開門神事の福男選びで、数千人がこの門から走り参りをすることで有名です。

250312_西宮神社の表門.jpg

 今日ここに来たのは、かつて書いたように、奉納された神馬の説明板に書かれた、変体仮名混じりの翻字の背景を調べるためです。

「日比谷で「須磨」(18)と『百人一首』(7)を読む」(2024年11月16日、http://genjiito.sblo.jp/article/191142287.html

 受付で来意を伝えると、権禰宜さんが石碑の前で説明版設置の経緯を語ってくださいました。

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250312_碑文の翻字.jpg

・この説明板は10年ほど前に新たに設置したものだそうです。
・碑文の文字を字母に忠実に表記した方は、当時は60歳くらいだったとか。
・今は退職して奈良に引退しておられるようです。
・書かれている文字を、正確に知ってほしいと思ってのことではなかったか。
などなど。

 さらにいろいろとお話を伺っていると、権禰宜さんは私の出身大学の10年後輩でした。さらに驚いたことに、宮司さんは私と同学年であることがわかりました。もっとも、宮司さんは史学科、私は文学科でしたが。またもや、奇遇を体験することになりました。
 お話を聞き終わってお別れしてから、ご丁寧にも神社のパンフレットと「令和七年 参拝証」を、権禰宜さんが持ってきてくださいました。また、対応してくださったお2人の巫女さんは、文字のことや歴史のことに詳しい方でした。初対面にもかかわらず、誠実な対応だったこともあり好感を持ちました。この神社の古文書の勉強会にも参加しておられるそうなので、その知識の背景を知り、頼もしく思いました。ますますのご活躍をお祈りします。
 わからないことを尋ね歩いていると、さまざまな体験をします。伝統や文化を手繰り寄せると、それと共に人との出会いも生まれます。楽しい、生きた勉強をしていることを実感することが多いのです。

 帰りは、阪神西宮駅から近鉄奈良行きの直通電車に乗り、大和西大寺駅で近鉄京都線に乗り換えました。神戸、大阪、奈良、京都と、いにしえの都を乗り継いで帰ったのです。こんなスケールの大きな小旅行は、とにかく初めてのことです。収穫の多い一日でした。
 同行の姉と妻が、最後まで付き合ってくれました。いつものことながら感謝します。
 今日の歩数は、13,140歩でした。




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2024年10月09日

小倉駅の再開発とニンテンドーミュージアムのこと

 リハビリウォーキングとして、新しく開発が進む地域へ行ってみました。
 近鉄の小倉駅前の東側は、再開発の準備が整ったようです。以前あった建物はすべてなくなっています。
 「小倉駅近くは宇治市の新たな観光スポットになるぞ」(「撮り鉄の鉄道ノート」2024-05-07、https://toritetsu-kin.com/entry/ogura)に掲載されていた写真に、今日撮影した写真の場所を明示したものをあげます。

241009_小倉駅前写真.jpg


 写真@の角度から撮ると、こんな風景です。だだっ広い更地になっています。中央奥に近鉄小倉駅があります。

241009_小倉駅1.jpg

 写真Aの角度から撮ったものが次の写真です。中央右に、10月2日に公開されたばかりのニンテンドーミュージアムがあります。

241009_小倉駅2.jpg


 この小倉駅の東側が今後どのように変化するのか、今から楽しみです。

 ニンテンドーミュージアムが、この宇治市の小倉駅前にオープンしたのは、先週の10月2日でした。任天堂が過去に販売したものを展示する資料館となっています。どんな施設なのか、行ってみました。

241009_任天堂.jpg


 ただし、予約していないと入れないとのことでした。次は来年1月からの受け付けとなっているとか。しばらくは入れそうにありません。
 任天堂のホームページによると、床にばらまかれた小倉百人一首の札にスマートフォンをかざしてお目当ての札を探したりできるようです。いつか行けたら、また取り上げましょう。

241009_任天堂『百人一首』.jpg


 今後は、この小倉駅周辺が新しい商業施設の出現によって賑わうことでしょう。特に、ニンテンドーミュージアムが開館したことは、海外のアニメファンが多く押し寄せることでしょう。

 なお、小倉駅の近くには巨椋神社があり、この周辺にはかつて巨椋池(おぐらいけ)がありました。一大干拓事業で埋め立てられたのです。近鉄京都線は、巨椋池の東側の縁を通っています。




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2024年06月03日

リンドウ(竜胆)かと思いきやホタルブクロ(蛍袋)とのこと

 近くの公園を散策していたら、日頃見かけない花が咲いていました。

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 草花に詳しい妻は、リンドウかな、と言いながらも、違うかも、と言います。
 スマホにインストールしている人工知能の花判定アプリ「ハナノナ」(千葉工業大学が研究開発)で、すぐに花にカメラを向けて調べました。その結果は「ホタルブクロ」とのこと。

 後で調べると、ホタルブクロはキキョウ科、リンドウはリンドウ科でした。
 ネットには、リンドウとホタルブクロは一緒に説明されています。詳しいことはわからないものの、所属が近いのでしょう。

 なお、ホタルブクロは、花の中に蛍を入れて遊んだことから命名されたとか。なかなか優雅な夢のある名前です。




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2024年05月28日

大雨警報の中を菱田春草の展覧会へ

 朝から大雨警報が出ていました。集会所での地域の方々との集まりも、警報が出ているときはお休みです。民生委員のNさんから、丁寧なお休みのメッセージが届きました。高齢者の集まりなので、大雨や熱中症の警報が出ると、身の安全を優先してお休みとなるのです。

 まだ小降りの内に、リハビリの運動を兼ねて、京都駅にあるジェイアール京都伊勢丹の中にある美術館「えき」KYOTO へ行くことにしました。

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 日本画家の菱田春草は、1911年に36歳という若さで亡くなっています。活動を同じくしていた、横山大観や下村観山の作品も、春草の理解を深める配慮から展示されていました。一粒で2度おいしい、ではなく、2度も3度もおいしさを味わえる展覧会に仕上がっています。見応えのある展覧会でした。

 私は、いつも学芸員の立場に立って、自分ならどんな展覧会にするのかを考えながら見ます。今回は、非常に工夫が凝らされていたため、作品が並んでいるだけに終わらない、飽きることがないように、企画された方の意向に沿った展観となっていたと思います。展示作品に添えられていた説明文は、すべて読みました。それでいて、ゆったりと見て回ることが出来ました。
 春草・大観・観山の絵が、効果的に配置されていました。横に添えてあったコラムが、画壇の背景や作者の意図をわかりやすく語るような配慮がなされていたのは、見るものへの心遣いとしても、特筆すべきことだと言えます。押しつけがましくなく、疲れることなく、充実した手応えをもって会場を後にすることができました。
 なお、春草の「秋草」の説明文の中に、「男郎花」という語に「おとこえし」という振り仮名が付いていました。初めて知った花の名です。調べてみると、確かに「オミナエシ科の多年草」とあります。花好きの妻に聞いても、知らなかったとのこと。スマホでもパソコンでも、「おとこえし」で「男郎花」が出てきます。このことばを知ったことに感激しています。

 お昼は、JR 京都駅の西口改札前にあるエスカレーターで一つ上がった所のイートパラダイスで、京だし茶漬けの「京都おぶや京都駅店」のだし茶漬けをいただきました。はじめて行くお店です。

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 こんなに美味しいとは思わなかったので、出てきたものの写真を撮るのを忘れていました。
 代わりに、おぶやのホームページから、いただき方の写真を転載しておきます。

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2024年05月06日

5月5日の富士山の姿いろいろ

 昨日、東京からの帰りに見た富士山の姿を、いろいろな角度から撮りました。
 山頂が見え出したころから、何十枚もシャッターを切った内、これまでに掲載しなかった角度からの写真5枚をアップします。
 まずは、新緑のグラデーションがみごとな木々越しに、いかにも富士山という頭を見せる姿から。

240505_富士1.jpg


 次の姿が、このブログでいつも紹介するアングルです。

240505_富士2.jpg

 手前に川が流れている角度の写真は、今回初めて掲載します。

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 次の2枚は、霊峰富士と俗世が入り交じった、現在の環境が写っているものです。
 煙突から出る煙が、現実を見せています。

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 次は、工場の手前の狭い道路を走る車2台とタンク群が、富士山だけを直視したときとの違和感を感じさせてくれる1枚です。

240505_富士5.jpg


 平安時代の『本朝文粋』や『竹取物語』には、富士山が噴煙を上げている様が語られています。
 藤原定家の自筆とされている『御物本 更級日記』(墨付13丁表7行目)を引いておきます。

240506_『更級日記』富士山.jpg


       【山】のい多ゝき乃
 すこし堂ひらき多るより介ふり
 たちのほるゆふくれ者【火】のもえ【立】
 毛【見】ゆ

 この日記の文章から、1020年にも富士山が噴煙をあげ噴火していたことがわかります。




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2024年04月11日

西国三十三所(2024-31)宝厳寺(30番札所)

 泊まったホテルでの朝食後、レストランを出ると壁に歌人の絵と和歌が記された切れが額に入れて飾られているのが見えました。お願いして、近くから写真を撮らせていただきました。

240411_源信明.jpg

 これは、源信明(みなもとのさねあきら)朝臣の歌で、和歌は[変体仮名翻字版-2023]で示すと次のようになります。

右 源信明朝臣
】しさは
     おなし【】尓
 あら須と毛
   こよひの
】を
  【】三
    さらめや

 これは、『三十六歌仙』の色紙の中の1枚と思われます。
 この歌のセットとなるはずの、「左 源宗干(みなもとのむねゆき)朝臣」の「ときはなるまつのみどりもはるくれば いまひとしほのいろまさりけり」が、番われた和歌として並んでいたら、さらにおもしろいのにと思いました。このホテルには、この1枚しかないとのことです。『三十六歌仙』の研究はあまり盛んではないようなので、この1枚に関連して、ご教示いただけると幸いです。
 なお、『三十六歌仙』の源信明については、(2022年10月22日)「紫風庵で三十六歌仙の変体仮名を読む(第11回・最終回)」(http://genjiito.sblo.jp/article/189883587.html)に少し関連する情報を記していますので、参考までに。

 さて、彦根城も彦根港の船着場も、桜が満開です。

240411_彦根港発着.jpg


 彦根港から竹生島には船で渡りました。
 昨日泊まった、歌仙絵を飾っていた10階建てのホテルが、伊吹山を背景に湖面の彼方に見えます。温泉も、いい泉質でした。

240411_ホテル.jpg

 琵琶湖の彦根から船で、静かな湖を滑るようにして、周囲2キロの竹生島に着きました。桜が満開です。

240411_竹生島の港.jpg

 階段が急で、昨日の再現となりました。

240411_石段.jpg


 本堂は、弁天さんを祀っています。江の島、厳島とここ竹生島が、日本三弁天と言われています。

 朱印をいただきました。

240411_朱印.jpg


 6巡目の満願まで、あとわずかとなりました。次のお軸の中央下が、ここ宝厳寺です。

240411_お軸.jpg

 竹生島からは、対岸の今津に渡りました。初めてです。
 今津では、琵琶湖周航の歌の記念館でお話を聞きました。歌詞が変わってきた歴史など、興味深い話を伺いました。資料はないとのことなので、展示されていた資料を写真で掲載します。

240411_歌詞0.jpg


240411_歌詞1.jpg


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240411_歌詞3.jpg



240411_歌詞4.jpg

240411_歌詞5.jpg

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 6番目の問いは、昨日お参りした長命寺なので、すぐにわかりました。
 それ以外は、いろいろと考えられます。答えはあってなきがごとし、と言っておきましょう。
 いつか、まとめて報告します。取り急ぎ、こんな問題があります、ということに留めておきます。




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2024年04月10日

西国三十三所(2024-29)観音正寺(32番札所)と長命寺(31番札所)

 今日は、琵琶湖の東岸に来ています。
 安土駅の前の織田信長像の横にある織田桜は、まだ咲いていませんでした。

240410_織田桜.jpg

 観音正寺は、これまでの5回は歩きました。しかし、今回は車ではないのでタクシーを頼み、標高430メートルの繖山(きぬがさざん)の狭い登山道を唸りながら上がりました。駐車場から本堂までは、歩いて15分ほどです。

240410_観音正寺山道.jpg

 観音正寺は平成5年に焼失しています。その後、本堂もご本尊もないこの寺に、家族で3度は来ています。今の本堂は20年前に完成しました。
 境内から見下ろすと、眼下には蒲生野が広がっています。

240410_観音正寺境内.jpg

 本堂に御詠歌が掲げられていました。[変体仮名翻字版-2023]で翻字します。

阿ゝ登ふと
  三ち飛きたまへ【観音寺】
 と越き【国】与り者こふ阿ゆ三を

240410_観音正寺ご詠歌.jpg

 また、お土産を包んでくださった袋には、こんな文字で御詠歌が書かれていました。

阿なとふと
 【導】きたまへ【観音】じ
 と越きくにより
【運】ふ阿ゆみを

240410_袋.jpg

 32番札所の観音正寺の次は31番札所の長命寺です。
 長命寺は長生きの観音さんで有名です。

240410_長命寺本堂.jpg

 御詠歌の扁額が揚がっていました。

八千】と勢や
 【】尓奈可"き
  いのち【
者古ぶ阿ゆ三乃
 かざし
  なるらん

240410_長命寺ご詠歌.jpg


 持参したお軸に朱印をいただきました。

240410_朱印.jpg

 長命寺と観音正寺の朱印は、左から2列目に縦に並んでいます。

240410_軸.jpg

 帰りは、808段の階段を歩いて下りました。下りは足腰に堪えます。

240410_石段808.jpg

 今日の泊まりは、米原の湖岸です。琵琶湖の夕景がきれいでした。

240410_琵琶湖夕景.jpg





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2024年03月30日

西国三十三所(2024-28)勝尾寺(23番札所)と高瀬川の鷺

 阪急北千里駅で降りて、駅前のロータリーに並ぶバス乗り場へ行きました。事前に、ヤフーの乗換案内で調べてあった5番乗り場で時刻表を確認すると、乗りたいバスがこの時間帯にはありません。2時間に1本のバスなので、1時間前にすでに出ていて、次は1時間後なのです。
 おかしいと思い、阪急電車の案内所に行くと、バスのことはわからないけど、地下鉄が延伸したことに伴って、時間が変更されているかもしれない、とのことです。バス停にそんなお知らせの張り紙があったようです。しかし、高いところに小さな文字で書いたものが張られていたので、読むことができません。

 確かに、北大阪急行電鉄南北線は千里中央駅から北へ延伸し、先週の23日から「箕面船場阪大前駅」と「箕面萱野駅」の2駅を新設して運行しています。この箕面船場阪大前駅については、私が大阪大学国際教育交流センターで招へい教授をしていた最終年に、当時の研究室があった箕面キャンパスがここに移転するということで、慌ただしく引っ越しをしたことを思い出します。

 それはともかく、ネットで調べたバスがないことについて、詳しくは、阪急バスの営業所に電話を、とのことです。
 教えてもらった阪急バスの千里中央案内所に電話をすると、要領を得ない対応です。そして、茨木営業所に電話をしろと。茨木営業所に電話をしても、もなかなか解決しません。とにかく私が調べたヤフーの乗換案内は、新しい時刻表に更新されていない、ということが電話口の方の指摘でわかりました。そして、後20分後に勝尾寺へ行くバスが5番乗り場から出る、とのことです。阪急のホームページには、新しい時刻表が確認できます、とのこと。ヤフーで調べただけだったので、それは最新情報が反映されていないものだったのです。後で、ジョルダンの乗換案内で検索をしたら、こちらでは新しい時刻表で表示されました。一つだけの情報を信用して行動をしてはいけない、という好例です。
 とにかく、ほぼ予定通りに勝尾寺に着きました。

240330_勝尾寺全景.jpg

 勝尾寺はきれいに整備された、気持ちのいいお寺です。そこかしこにダルマが置かれています。勝ちダルマです。

 西国三十三所の御朱印は、しばらく並んでいただきました。

240330_勝尾寺の軸.jpg


 境内は多くの花が開花を待っています。あとひと月もすると、花々が咲き誇ることでしょう。

 帰りは、河原町四条に出て、高瀬川沿いに三条まで歩きました。ライトアップされた桜や、元気な鷺が見られました。

240330_高瀬川の桜.jpg


240330_桜の上の鷺.jpg


240330_窓辺の鷺.jpg

 鷺が窓辺でお店を見上げているのは、窓から食事の魚がもらえるからです。
 夜の河原町や木屋町は、海外の方々と若者で大賑わいでした。




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2024年03月27日

今年の開花はまだのようです

 関東にお住まいのK先生から、自宅の前のソメイヨシノがもう少しです、という、今すぐにも花開きそうな写真が届きました。冷たい雨の中の蕾だそうです。

240326_関東の桜.jpg


 私の今日の散策では、自宅周辺の公園でカキツバタとミズバショウを見かけました。

240327_カキツバタ.jpg

 歩いていると、まだ肌寒い日々の中にも、春の気配が感じられるようになりました。
 桃山御陵前の御香宮神社へブラリと行きました。
 境内の一画に少しだけ膨らんだ蕾を見つけました。

240327_御香宮神社.jpg

 明日は冷たい雨だとのことなので、開花はまだ先のようです。
 こうして、開花を楽しみにする日々となりました。
 リハビリウォーキングも、花が咲くのを待ちながらキョロキョロして歩いていると、春がもうすぐそこまで来ていることを実感します。
 出掛けるのが、ますます楽しみになります。
 折々に、春を待つ様子をここに取り上げていきます。




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2024年03月20日

西国三十三所の納経料が500円に値上げ

 西国三十三所の寺院が、来月4月1日からご朱印授与の金額(納経料)を500円に値上げされることは、昨夏には広報されていました。30年ぶりの改定です。あと2週間で、約1.6倍になるのです。ただし、京都市内の清水寺などの一部の寺院は据え置くそうです。
 四国八十八カ所霊場会も、来月から500円に値上げです。関東地方の坂東三十三観音では、すでに2020年に値上げをしています。
 通知されている限りでは、納経帳、笈摺、白衣が納経料改定の対象であり、掛け軸は500円のまま据え置きだそうです。私は納経帳は使わず、掛け軸だけで6巡目を回っているので、値上げの対象ではないようです。

 あらためて、手元にある6巡目のお軸を出してみました。

240320_西国三十三所朱印軸.jpg

 まだ、以下の8寺院にお参りしていません。

第4番 施福寺大阪府和泉市槇尾山町
第23番 勝尾寺 大阪府箕面市勝尾寺
第24番 中山寺 兵庫県宝塚市中山寺
第30番 宝厳寺 滋賀県東浅井郡びわ町早崎竹生島
第31番 長命寺 滋賀県近江八幡市長命寺町
第32番 観音正寺 滋賀県近江八幡市安土町石寺
第33番 華厳寺 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積
大本山 永平寺 福井県吉田郡永平寺町

 最近では、昨年の秋、次の成相寺と松尾寺に行ってからは、寒くなったのでお参りに出掛けなくなりました。

(2023年10月30日)
「西国三十三所(2023-27)成相寺(28番札所)」

(2023年10月29日)
西国三十三所(2023-26)松尾寺(29番札所)

 春らしくなったら、また巡拝を始めようと思います。
 あと8ケ寺ですから、今年の夏には満願となることでしょう。




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2024年03月07日

上村松園三代の絵画展を見て

 「上村松園 松篁 淳之 文化勲章三代の系譜」と題する展覧会を、京都高島屋へ観に行って来ました。
 京阪電車の祇園四条駅から歩いてすぐのところです。

240307_上村三代展1.jpg

240307_上村三代展2.jpg

 三人の絵は、共に穏やかで上品な雰囲気を醸し出しています。見ていて、気持ちが落ち着きます。松園の美人画・松篁の自然画・淳之の動物画と、三者三様の美しい世界が堪能できました。
 今振り返って、今日観た作品で一番印象に残っているのは、松園の「楊貴妃」です。二曲一双の屏風絵で、大正11年の作品だとのことでした。柔らかな筆づかいで、印象的な絵となっていました。テーマが中国の唐代の美女であり、さらには文化の違いも描き込まれていたのです。これまで松園が描いていたものとの違いや、作品から伝わってくる微妙な異質さに魅入ってしまいました。

 帰りに、先日仮予約を取っただけだった京都駅前のキャンパスプラザ京都へ行き、利用料金を支払って本予約をしてきました。先日は、30人以上が列をなして順番待ちをしておられました。今日は、どなたもいらっしゃらないので、手続きはスムーズでした。
 これで、4月から6月までの部屋の確保が正式に決まりました。すべて第4土曜日の第1演習室で、午後2時半からです。
 4月27日、5月25日、6月22日
 京都で『源氏物語』を読む会に参加なさっている方は、上記の日に、いつも通りお越しください。
 参加を検討なさっている方は、上記の日をチェックしておいてください。お知り合いに紹介してくださる場合は、上記の日をお伝えください。
 この講座では、『源氏物語』の解釈と鑑賞はせず、ただひたすら変体仮名を読み解いていきます。しかし、これがまた、いろいろな問題がその背景にあっておもしろいのです。一度見学を兼ねてお越しください。本ブログのコメント欄を利用して、事前に連絡をいただければ、資料を用意してお待ちしています。




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2024年03月06日

学生時代以来の研究仲間と宇治散歩

 大学時代の研究仲間が、久々の関西旅行に来ました。逢うのは、9年前に、大学の先輩の奥さまの告別式で取手市へ行った時以来です。
 その前には、私が奈良にいた頃に、車を運転して宇治の源氏物語の古蹟を巡ったことを思い出しました。一緒にイタリアにも、研究発表で行きました。思い出したら書くことが多い同級生です。
 今日は、久闊を叙すのを目的に、宇治での散策を楽しみました。
 彼と源氏物語ミュージアムのカフェで話をしていると、奥さまも一緒だとのこと。彼の家で何度かお世話になっているので、話に加わってもらうことにしました。
 平等院表参道の中ほどにある中村藤吉平等院店で、宇治川の流れを窓越しに見ながら、軽食と喫茶を楽しみました。奥さまは、ここの抹茶パフェが食べたかったそうです。
 つい話すことで時間をとったので、あまり宇治の散策はできませんでした。しかし、仲間と語り合うことが何よりの旅の醍醐味だということで、充実した1日になりました。
 彼と私は、何度も生死を彷徨う手術を体験していて、病気の話になると止まりません。奥さまもよくお話しになる方で、休む暇なく話題が続きました。
 須磨・明石・住吉・大坂城・宇治・長谷・石山と、欲張った計画をたてて来ているようです。
 昨日は雨、しかし今日は晴れ、明日も晴れのようです。
 満身創痍の身体なので、体調は万全ではないはずです。
 快適な旅が続けられることを、祈っています。




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2024年01月25日

京都伊勢丹での土と石の作品展を再訪して

 一昨日、京都伊勢丹の美術館「えき」で開催されている展覧会、「石をやく 土をやく 樂雅臣 樂直入」に行ったことを書きました。

 その作品群の意味がどうしてもわからなかったことと、どうしても気になったので、本日もう一度展覧会場に足を運びました。鏡張りの会場で、黒の茶道具と石器を見ました。


240123_樂の石と土.jpg



 自分がわからないことは、何度か見たり聞いたりする機会を持つことで、その良さがわかることがあります。もっとも、よくわからない、で終わることもあります。そんなことは、よくあります。今回は、何かが引っかかるのです。

 今日、同じ作品をもう一度見ました。妻と小声で、ずぶの素人談義をしながら見て回りました。識者に聞かれると、その理解力とセンスのなさを嘆かれることでしょう。

 結果として、よくわからないままに、会場を後にしました。

 土と石が織りなす、漆黒の闇が感じられたことは、少しは成長した証なのでしょうか。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の世界を、茶碗の内側に感じました。ただし、どこがどうかと聞かれると、うまく説明はできません。

 今回は、ここまでにします。無理矢理わかろうとしなくてもいいのですから。

 何かあるはずなのに、その何かがわからないことはよくあります。今の自分には、感じるものがあまりなかった、というのも収穫ですから。





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2023年10月30日

[追補]西国三十三所(2023-27)成相寺(28番札所)

 久美浜の温泉は、クセのないサラッとしたいいお湯でした。
 明け方、久美浜湾が絵のようです。周りも懐かしい田舎のたたずまいです。

231030_日出.jpg

231030_民家.jpg

 電車で天橋立に移動しました。その時の京都丹後鉄道の切符が、昔懐かしい少し厚手のボール紙でできていました。かつては、駅員さんが切符を切るパンチで穴を開けて渡してくれたものです。

231030_厚紙の切符.jpg


 まずは、文殊堂にお参り。文殊菩薩は私の守り本尊です。

231030_文殊堂.jpg

 その横にある和泉式部の歌塚のことは、これまでに何度も報告した通りです。このあたりには、和泉式部や小野小町の古蹟があります。唱導文芸と氏族伝承の問題になるので、今ここでは省略します。

231030_歌塚.jpg

 この歌塚の横にある観光船乗り場から、対岸の笠松公園と成相寺に向かいます。

231030_天橋立.jpg

 ケーブルカーと登山バスを乗り継いで、西国三十三所第28番札所の成相寺に登りました。
 紅葉に映える五重塔と、一言一願地蔵にご挨拶をして、本堂で朱印をいただきました。

231030_五重の塔.jpg

231030_朱印.jpg

 これで、昨日の松尾寺と今日の成相寺の二寺を巡拝しました。

231030_軸-名入り.jpg


 本堂には、御詠歌の扁額が掛かっていました。
 御詠歌の読みを、[変体仮名翻字版-2023]で掲示します。
 これは、漢字として用いられている文字は【 】でくくり、書かれている仮名文字は、変体仮名にはその字母を意識して表記しているので、忠実な翻字になっていると思います。これなら、どれが漢字か仮名かが明らかになり、変体仮名に慣れていない方にも、書かれている文字が読めると思います。

--------------------------------------
額-1831年 文政14年
231030_額-1831文政14.jpg

なみのお登
【松】のひゞきも
  【成】阿以尓
 可勢"【吹】王多流
 【天】能者しだて

--------------------------------------
額-1841年 天保12年
231030_額-1841天保12.jpg


【浪】の【音】ま川の飛ゞきも【成相】の
   可世"ふ起【渡】るあまのはし
               多弖

--------------------------------------
額-1859年 安政6年
231030_額-1859安政6.jpg

【浪】能お登【松】のひゝ起に【成相】尓
 【風】婦き王多流あま能【橋立】

--------------------------------------

231030_額-1.jpg

な三の【音】ま徒乃
   【響】毛な連あひの
   か世ふき王多須
      阿まの八し多て

--------------------------------------

231030_額2.jpg

な三能をとま川乃
 ひゞきもなりあい尓
可世ふき王多る
 阿まのはし多て

--------------------------------------

231030_額-3.jpg

奈みのを登
 まつの飛ゝき尓
    【成相】乃
【風】ふき王たす
    阿まの【橋】だて

--------------------------------------

231030_額4.jpg

【浪】のお登
  【松】のひゝ
     きも
  【成】あひ
       の
可ぜふき
 【渡】春
天能
【橋】たて

--------------------------------------

231030_額-5.jpg

【浪】能をと【松】乃【響】毛【成相】
                の
かせふ起【渡】春【天】能者し
             【立】

--------------------------------------

 本来なら「ひびきも」「成相の」「ふきわたす」とあるべきところを、「ひびきに」「成相に」「ふきわたる」と書いている額があります。

 行きはギュウギュウ詰めのケーブルカーも、帰りは閑散としています。色づき出した紅葉の中を、コトコト、ユルユルと下山しました。

231030_ロープウェー.jpg


 帰りの船でも、カモメたちにたくさん取り囲まれました。

231030_カモメ.jpg


 充実した2日間となりました。




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2023年10月29日

西国三十三所(2023-26)松尾寺(29番札所)

 舞鶴湾の東にある無人駅の松尾寺駅から50分ほど歩いて、西国三十三所の第29番札所の松尾寺に登る予定で早朝から出発です。前回の5巡目の時も、熊よけの鈴を鳴らしながら山道をアタックしました。そこで、昨日は源氏講座の帰りに京都駅前のヨドバシカメラで、熊よけの鈴と笛を買いました。最近の熊被害の影響もあり、熊よけスプレーは売り切れでした。そんな熊よけグッズの用意の甲斐もなく、今日は朝から小雨だったので、駅前まで送迎のタクシーを頼みました。

231029_松尾寺山門.jpg


231029_本堂.jpg

 本堂は工事中だったので、大子堂に仮安置されている本尊の馬頭観音を拝みました。

231029_仮本堂.jpg

 朱印が持参の軸には少し大きめだったので、工夫して捺してくださいました。

231029_朱印.jpg



 次は、舞鶴にある引揚記念館に行きます。雨が降り続くので、乗って来たタクシーに記念館まで行ってもらうことにしました。

231029_記念館.jpg

 私の父はシベリアから、母は満州から舞鶴に引き揚げて来ました。どんな状況で日本に帰って来たのか、その労苦を知るために、かねてより行きたいと思っていた舞鶴引揚記念館へ立ち寄りました。しかし、まったく期待を裏切る記念館でした。
 父は、シベリアで強制労働をさせられ、母は満州から命からがら帰還しました。ところが、舞鶴引揚記念館の展示は、両親から聞いていた話と結びつきません。あまりにも違うので、残念でした。他人事のような情報の公開でした。写真や遺物や説明を見ても、両親の姿は立ち現れて来ませんでした。これは、一体何なのでしょうか。展示に当たって、主張したいことがまとまっていないからではないでしょうか。どこかに遠慮があります。引き揚げ船に乗って日本に帰ってきて、本土を踏んだ人々に視点が合っていません。心情が伝わりません。とにかく凄惨だったことが、次の世代に伝わりません。この地で、これだけの広さと施設が、もったいないことです。
 館内で食事をしながら、ハロウィンのバイオリンコンサートを聞きました。

231029_バイオリン.jpg

 記念館からは、バスと電車を乗り継いで、予約した宿がある久美浜駅に向かいました。もう少し脚を伸ばすと城崎温泉があります。

231029_電車.jpg


 駅舎が気に入りました。このあたりは、駅舎にいろいろな工夫がなされているそうです。

231029_ホーム.jpg


231029_駅舎.jpg

 今日は、久美浜温泉で日頃の疲れを癒します。




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2023年10月04日

有馬温泉に泊まり、今日は三宮周辺を散策

 昨日は、西国三十三所巡りの後、有馬温泉に脚を留め、一休みしました。温泉には一晩で4回も入り、日頃のリハビリ疲れを癒しました。
 今朝の有馬の温泉街は、好天にも恵まれて爽やかです。明け方には、雲海がこの温泉地を包み込んでいたそうです。秋を実感する朝でした。

231004_有馬全景.jpg

 電車で有馬山を下り、三宮に出て散策です。
 お昼は、かつて目の不自由な方々を案内したステーキハウスへ行きました。その時の報告記事が「神戸で百人一首の合宿の後はお楽しみの食事とスイーツツアー(2017年07月23日)」(http://genjiito.sblo.jp/article/180430806.html)です。この記事の末尾で、このお店のことを書いています。ただし、あの時に案内したお店は予約済みで入れなかったので、三宮にある神戸店でいただきました。

231004_ステーキランド.jpg

 学生時代に、有楽町にあったステーキハウス「ベニハナ オブ ニューヨーク」でアルバイトをしていました。そのことは、「銀座探訪(7)ブルガリと回転寿司(2007年11月29日)」(http://genjiito.sblo.jp/article/178852054.html)の最後に書きました。
 あの時ほど派手なショーではないものの、目の前でステーキをカットしてくださいます。

231004_ステーキ.jpg

 相変わらず活気のある、美味しいお店でした。

 食後は、シティーループとポートループのバスを乗り継ぎ、山側から海沿いの広いエリアを移動しました。

231004_シティーループ.jpg


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 よく知られている北野異人館やメリケンパークを経て、ポートタワー前のオリエンタルホテルに行きました。

231004_オリエンタルホテル.jpg

 このホテルは、かつて鎌倉時代の『源氏物語』の古写本である伝阿仏尼筆本が保管されていたところです。その古写本が忽然と消えたことは、いくつかの拙稿で紹介しました。拙著『源氏物語受容論序説−別本・古注釈・折口信夫−』(桜楓社、1990(平成2)年)では、以下のエピソードと共に紹介しています。

「紀州徳川家蔵の伝阿仏尼筆本は、大正一四年秋頃の紀州徳川家売立の際に、英国籍のインド人貿易商モーデ氏の所有となり、止宿先の神戸オリエンタルホテルに占有する二室のうちの一室に、他の美術品類と共に収蔵されていた。山岸先生は、昭和一七年早々に兵庫県庁学務課の友人を通じて、その源氏物語借覧の御相談をなさった。しかし、戦時中のことでもあり、保管等の問題で実現しなかったそうである。」(146頁)

 この伝阿仏尼筆本について、今は詳しくは触れません。『源氏物語』の古写本についてお話する時の話題にすることがよくあるので、実際にその舞台となったオリエンタルホテルに一度は行ってみたいと思っていました。今何があるというわけではないものの、やっと、このホテルを実際に見て安堵しました。

 メリケンパークやハーバーランド一帯は、これまでに行った記憶がありません。いつでも行けるとの気持ちから、つい機会を逸していたのです。観光バスに乗った気持ちで、今日は神戸の観光地を巡ることになりました。

 三宮の阪急、JR、阪神の駅を行ったり来たりしました。とにかく、賑やかな街です。少しずつ、どんなお店があるのかがわかりました。楽しい街で、楽しくリハビリウォーキングをして来ました。




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2023年10月03日

西国三十三所(2023-25+番外3)播州清水寺(25番)+花山院

 6巡目となる西国三十三所の観音巡拝は、しばらく中断していました。昨年10月に岩間寺にお参りして以来1年ぶりに25箇所目になります。
 今回は、私が病人だということで、姪が車を出してくれました。まずは、電車で新三田駅で待ち合わせです。JR京都線が大幅に遅れ、宝塚線も遅れたにもかかわらず、予定通りのスタート。同道者は妻と姉です。鉄道とバスだけでは行きにくい、姪の生活圏にある播州の二寺へ行きました。第25番札所の播州清水寺と番外の花山院菩提寺です。

 途中、相野駅前のたこ焼き屋さんの看板に「まこれるだんご」とあるのを見かけました。

231003_まこれる.jpg


 これは、三田地域のことばで、みんなで仲良くあそぼ、という意味だそうです。たこ焼きを注文したところ、待ち時間に黒豆茶と黒豆の含め煮を、お腹がいっぱいになるほどいただきました。ありがとうございました。

 最初は、遠い方の播州清水寺です。ここは、同じ西国三十三所の第16番札所である京都市内の音羽山清水寺と区別するために、播州清水寺と呼ばれています。1800年ほど前にインドから渡来した法道仙人によって創建されたお寺です。

231003_清水寺.jpg

 ご詠歌:あはれみやあまねきかどのしなじなに なにをかなみのここに清水

231003_額1.jpg


■[変体仮名翻字版-2023]での翻字

阿王れみやあま祢き
 加登"の志奈/"\に
奈にをかなみの
 古ゝ尓き与みず


231003_額2.jpg


[変体仮名翻字版-2023]の翻字

花山法皇御製
   清 水 寺
あ者れ三や
 普き
  門農
   品〻に
な尓を可なみの
 こゝ耳清水


 境内には桜が咲いていました。

231003_桜.jpg


 藤袴と蝶もきれいでした。

231003_藤袴と蝶.jpg

231003_藤袴説明.jpg

 次は、花山院菩提寺です。

231003_花山院山門.jpg

ご詠歌:有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風

 朱印をいただく時、非常に不愉快になる対応をされました。持参して提示した軸に書いてくださる方が、菊の印を批判する自説を述べ、上から目線で軸の批判をしてから、押印を拒否されました。
 いわく、西国三十三所は観音菩薩を念ずるものであり、それに菊の印は矛盾し不要であると。そのために、最近、これまでの菊の印を廃止したのだそうです。最近まで使っていたといわれる、菊の花びらの中に「花」という一文字が書かれた印影を見せてくださいました。これは、もう使わないことにしたので、私の軸にも捺せない、捺さないのだと。
 次の写真にあるように、番外の元慶寺では菊の花びらの中に「元」の文字があります。その方によると、そもそもこれは菊の印章を冒瀆するものだそうです。その一つ下にある、菊の花びらの中に「三」とあるのは粉河寺でいただいたものであり、これもいけないと。本来は、那智の青岸渡寺で菊の花弁の中に「一」とある印をいただくことになっていました。しかし、あの時はこの軸が小さすぎると言ってケチが付けられ、この軸は我々の会が推奨するものではないのでダメだと言われ、印も小さなものがないのではみだすことを了解することによって、やっと書いていただきました。横柄な態度で、何も知らない素人は困るとブツブツ言いながら書いておられました。そのため、本来捺すべき菊の朱印を捺さずに渡されました。次の2番札所の紀三井寺でも、一番がないので書き飛ばされました。そのことに気付いたのは、三番札所の粉河寺の方でした。ご丁寧に、番外の元慶寺と花山院が菊の印をお持ちなので、そこで捺してもらうことで埋めるといいというご教示をいただきました。元慶寺は快く捺してくださり、次は花山院で捺してもらってくださいとのことでした。それが、花山院では拒否されたのです。
 とにかく、今日いらっしゃった花山院の方が、このお寺でどういう立場の方かはわかりません。一方的に、むちゃくちゃな自説を聞かされました。自己矛盾と論理的な破綻をきたした自説の展開としか言いようがありません。機会をあらためて、この方の自説を確認しに行きたいと思っています。

231003_軸-前.jpg


231003_軸-後.jpg

 この花山院に関しては、ネット上に次の説明がありました。

「正暦3年(992年)ごろ、西国三十三ヶ所観音霊場を巡礼した「花山法皇(平安時代の天皇)」が、第25番・播州清水寺に登った際に、東方の山上が光り輝くのを見て深く心に留めた地であったという。巡礼を終えた花山法皇は、再びこの地を訪れ、帰京するまでの約14年間を過ごしたとされている。」

 そのお寺で、花山法皇と結びつく菊の朱印を拒否することは、何を意味するのでしょうか。
 私は、持参した軸に菊の朱印を捺してもらいたくて行きました。しかし、お寺側はそれを拒否するのです。こんなことができるのでしょうか。おまけに、業者が勝手に作ったこの軸はネットで買ったものに違いないと蔑み決めつけ、そもそも軸に菊の朱印を捺す場所があるのはおかしい、とおっしゃいました。観音菩薩をお祈りするのが本義であり、菊の朱印は無価値であるとも。
 確認しておきたいのは、この花山院菩提寺には観世音菩薩は祀られていません。薬師堂に薬師如来が祀られています。そのお寺が番外に入っていることや、花山院の所業から西国三十三所の巡礼が始まったとされる歴史的文化的な経緯と、この方の言い分は明らかな矛盾を露呈しています。
 横にいた妻と姉は、あまりにも上から目線で無礼な対応をされていたので、しきりに私に反論しろという目で見ます。しかし、最初から支離滅裂なことを仰る方だったので、終始無視してお話を聞くことに留めました。これ以上の愚かなやり取りをするに値する方ではない、と早々に判断したので、終始無言を通し、まともにお相手はしませんでした。
 こんな方が、巡拝者の対応をしておられるのは、西国三十三所札所の巡礼という文化を破壊することにつながります。今は、巡礼巡拝という行為が、若者たちによって多様な受け取り方をされ、複次的多面的な視野で文化の再認識がなされています。若者たちの間に、あらたなブームが起きています。聖地巡礼とかスタンプラリーと言われながら、新たな文化が再生・再興している時代にあります。
 関係者の方にお願いします。こうした独断と偏見で参拝者に対応しておられる方がいらっしゃるということと、その自説なるものの内容の確認と、朱印を捺さないという行為について、実状の確認をしてほしいと思います。私は、今、6巡目を歩いています。このような体験は、初めてです。一部の心無い関係者によって、西国三十三所を経巡る文化的な行為が捻じ曲げられないように、統括者による冷静な指導と対応をお願いします。

 帰りに、お寺の麓にある十二妃の墓に詣でました。

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 この墓の前には、次の説明文が掲げられています。

花山院・十二妃の墓
 花山天皇(在位=寛和元年~2年)は、藤原氏との政争に敗れ退位した後剃髪し法皇となった。やがて弘法大師が巡ったという西国各地の寺院を巡拝したことが西国観音霊場巡りの始まりと伝えられ、隠棲生活を送った花山院は札所の特別番外とされ、今も参拝者が絶えない。
 正式な寺名は東光山菩提寺
 山麓の集落尼寺には、都より法皇を追ってこの地に来た弘徽殿女御と女官たちが、女人禁制の山中に入いれず草庵を結び暮したと伝える。山中で修業する法皇に聞かせたいと登り口の坂で琴を弾いたことから、参道の坂を琴弾坂と呼ぶ。
 中央の五輪塔は弘徽殿女御のもので、周囲の十一基の石塔とあわせて十二妃の墓と呼ぶ。
          三田市観光協会




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2023年09月27日

美術館「えき」KTOTOで芭蕉布の展示を見る

 京都駅伊勢丹の7階にある美術館「えき」KTOTOで、「芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事」と題する展覧会に行って来ました。久しぶりに、沖縄の伝統や文化を楽しみました。

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 いかにも涼しそうで、ザラザラした感触が伝わってきます。淡い色合いの芭蕉布の織物70点を、存分に堪能しました。糸芭蕉を育て、収穫してからの糸作り、そして染め、織りと、とてつもない時間がかかっています。手間のかかる手仕事です。

 民藝運動で知られる柳宗悦は、『芭蕉布物語』(1942年、昭和17年)の前書で、「今時こんな美しい布はめったにないのです。」と言っていました。その自筆原稿が展示されていたので、じっくりと見ました。「こんな」の「な」はどうみても「めったにない」の「な」と異なり、「あ」にしか見えませんでした。機会があれば、この原稿の平仮名を通覧したいものです。

 芭蕉布を織る写真やビデオ映像を見ていて、かつて私は機織りに関する調査報告を書いたことを思い出しました。掲載誌が見つからないので、いつか出てきたら紹介します。その概要だけを、ここに記しておきます。

「機業 −福生の民具を通して−」
『福生市文化財総合調査報告 第12集 福生の民俗・生業諸業』
福生市教育委員会、1980年3月刊
「福生市教育委員会の委託を受けて行なった、民俗調査にもとづいてまとめたものである。民具としての機(ハタ)を取りあげ、その歴史的な位置づけと、当該地における実情を、モノを通して論じた。聞き書きをもとに構成したものであり、特にライフヒストリーの部分のまとめ方には、新たな視点を導入した。」




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2023年05月22日

美術館「えき」KYOTO で和田誠展を見る

 京都駅のジェイアール京都伊勢丹7階隣接の「美術館 えき KYOTO」で開催中の「和田誠展」に行ってきました。
 その多彩な活動については、以下の紹介文を見て、あらためてそのスケールの大きさを知りました。

和田誠(1936-2019)は多摩美術大学卒業後、ライトパブリシティを経て、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして広く活躍しました。そのほかにも装丁家や映画監督、エッセイスト、作曲家、アニメーション作家、アートディレクターなどさまざまな顔を持ち、その創作の広がりはとどまるところをしりません。
本展は、和田誠の膨大で多岐にわたる仕事の全貌に迫る初めての展覧会です。和田誠を知るうえで欠かせないトピックを軸に、83年の生涯で制作した多彩な作品を紹介します。きっとこれまで知らなかった和田誠の新たな一面に出会えることでしょう。


 心が和む絵を見ながら、作品が発表された頃のことを思い出しながら、ゆっくりと1時間以上をかけて会場を見てまわりました。『週刊文春』に40年をかけて描かれた表紙絵2,000枚の展示は圧巻でした。創刊号から第2,000号までの表紙が、壁一面に張り出されていたのです。
 その中に、日本の古典文学や文化に関するものがないか、気を配りながらすべてを見ました。しかし、七福神・お内裏さまとお雛さま・天神様・五重塔・京都五山の送り火の船形・野仏はあっても、私が期待した平安時代を想起させるものは見当たりませんでした。和田誠は、今とこれからを見ていた作家だったようです。
 そんな中で、ポスターの中にこんなものがありました。ほとんどの展示物の写真撮影が可能とのことだったので、いい記念と記録になりました。

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 これは、寝殿造りの中での音楽会を描いたものです。ドラムの演奏は『北野天神縁起絵巻(承久本)』のイメージを借りていると思われます。

 これ以外で、私が個人的に興味を持ったのは、私が大好きな映画の「ペーパームーン」のオニール親子のカレンダーです。これは、1997年の作品で左が原画、右が下絵です。共に多摩美術大學アートアーカイヴセンター所蔵の絵です。

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 懐かしい絵や、興味深いテーマの作品のもう一つは、吉行淳之介と山口瞳の対談本『老イテマスマス耄碌』(新潮社、1993年6月)の表紙です。この本は読んだので持っているはずです。後日、押入れの中の未開封の段ボール箱から探し出して確認します。

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 和田誠の作品は、ものを見つめる描き手の優しさが見る者に伝わってきます。見飽きることがありません。頭の中がクルクルと回り続ける、愉しい展覧会でした。
 
 
 
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2023年04月26日

宇治市源氏物語ミュージアムでお2人の館長と面談

 今日は雨の中、宇治市源氏物語ミュージアムで、坂本博司先生(前・宇治市歴史資料館館長)と家塚智子館長(宇治市源氏物語ミュージアム館長、現・宇治市歴史資料館館長)のお2人にお目にかかり、親しくお話をしてきました。

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 坂本先生とは、2008年の源氏千年紀の折、7月に陽明文庫で文庫長だった名和修先生とご一緒のお話の輪に入れていただき、美味しい宇治の茶葉で淹れた冷茶を堪能しました。この日のブログ「京洛逍遥(42)仁和寺と陽明文庫」(2008年07月08日)には、坂本先生がご一緒だったことには触れていません。話題が微妙な内容だったためだと思われます。また、文中にある「http://blog.kansai.com/genjiito/73」のリンク先は、私は情報発信の母体となるサイトがクラッシュや閉鎖でなくなることが多いために、今ではその記事の内容を確認することができません。また、本日の記事で紹介しているブログの中にあげたリンク先は、いくつかが見られないものとなっています。少しずつ修復していますので、いまはお許しください。

 2008年の8月には、源氏物語ミュージアムと宇治市歴史資料館で、坂本先生には貴重な『源氏物語』の古写本のことでご教示をたまわりました。その日のブログでは、私見を「『源氏物語』の別本とは何?」(2008年08月02日)という記事にしています。今読み直すと、いろいろと含みを持った、回りくどい文章になっています。15年前の個人的な思いながら、『源氏物語』の本文研究の状況はいまだに変わっていないことをあらためて痛感しています。

 昨春宇治に転居したことにより、坂本先生のお近くに来たことの連絡を差し上げたところ、今日お目にかかれることになりました。気さくな先生なので、今日も楽しい話をたくさん伺えました。

 書店発売日が2023/04/12と先々週刊行されたばかりの、出来立てホヤホヤのご本『京都を学ぶ【宇治編】 文化資源を発掘する』(京都学研究会編、ナカニシヤ、2023/03/25)を頂戴しました。書影と目次を引きます。坂本先生は宇治茶に関するご論を、家塚館長は古典文化の中の宇治に関するご論を寄せておられます。

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はじめに
  宇治編概略図
T 宇治橋・宇治川・宇治別業
 八世紀の宇治 (金田章裕)
 平安時代の宇治と藤原氏別業 (杉本 宏)
  コラム1 平等院が表現する極楽浄土の景観(杉本 宏)
 宇治を描く(家塚智子)
   ――『源氏物語』・歌枕・名所図――
  コラム2 変化する宇治の橋姫 (家塚智子)

U 中・近世の宇治と巨椋神社
 中世後期の宇治・宇治田原 (川口成人)
   ――戦乱・都市・城郭――
  コラム3 宇治の合戦 (森下 衛)
 絵図から眺める近世宇治郷 (上杉和央)
 巨椋神社本殿の建築史 (中西大輔)
   ――史料・意匠・工匠――
V 宇治茶と茶業景観
 ひとつの宇治茶業史 (坂本博司)
   ――濃茶・薄茶と煎茶─
  コラム4 上林松壽 (坂本博司)
       ――花を愛した宇治の茶師――

 中宇治の町と町家 (清水重敦)
W 宇治茶の諸相と宇治の民俗行事
 宇治茶をめぐる三つの元素の物語 (藤井孝夫)
  コラム5 普茶料理 (佐藤洋一郎)
 宇治のまちの文化資源の持続性 (森 正美)
   ――コロナ禍における地域民俗行事から考える――
 執筆者紹介
あとがき


 館内では、ちょうど一年前の2022年4月2日にオープンした日本茶カフェ『雲上茶寮』(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000077615.html)で、坂本先生といろいろな話で盛り上がっていた頃、家塚館長がお茶をいただいていた席にお越しになりました。私が、「はじめまして」と挨拶をすると、数年前に2度ほどお会っているとのことでした。「視覚障害者のみなさまをお連れになった時に私もいました。」とおっしゃったので、記憶を手繰り寄せて思い出しました。次の記事が、その時のものです。あの時には、ミュージアムの学芸員としての参加だったとのことです。大変失礼しました。
「宇治の街歩きと〈運読〉のワークショップ開催」(2015年12月05日)
 また、もう一度は、ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生を宇治にご案内したときでしょうか。「コーツ先生を宇治にご案内して」(2012年10月14日)
 コーツ先生を最初にミュージアムにお連れしました。その時に、家塚館長(当時は学芸員)にお世話になったようです。
 家塚館長はご多忙でもあり、今日はあまり長くはお話しできませんでした。またの機会にしましょう。お茶はご自慢の抹茶でもあり、美味しくいただきました。

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 今後につながる、すばらしい出会いの一日となりました。
 これからは、この宇治の地を日々の生活の発進地として、これまで通りにこのブログを書き続けていきたいと思います。快適に、途切れることなく毎日、16年目を走り続けています。
 
 
 
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2023年03月24日

秋田温泉からの帰りにAIの本を読む

 昨夜は、秋田駅の近くにある秋田温泉で泊まりました。ナトリウム塩化物泉なので、肌がスベスベして気持ちのいい温泉でした。美人の湯と言われていることに納得です。

 晩ご飯は、近くにあった地元の回転寿司屋さんにしました。斜め前には全国展開するくら寿司があります。しかし、あの動画像のイメージが残っているので、申し訳ないと思いつつも足を向けませんでした。京都の寿司のむさしがそうであるように、回転するレーンの中で何人もの板前さんが注文に応じて握り、手渡ししていただく店は安心です。イタズラなどはできないからです。

 ホテルで、バイキングの朝食に行った時、廊下の一角に源氏絵がありました。「源氏物語 藤壺」とあります。

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 紹介文には、次のように書いてあります。この絵とこの説明文のつながりは不明です。ご教示をいただけると幸いです。
七夕絵灯ろう
秋田県湯沢市の「七夕絵灯ろう」は秋田藩佐竹南家五代目義安候に、京都の公卿鷹司家からお輿入れなされた十四歳の姫君が、京都への郷愁やるかたなき想いを五色の短冊に託し、青竹に飾りつけたのが始まりとされています。
三百年の伝統を彩る絵灯ろうは、日本髪着物姿の美人画や浮世絵が特色で、毎年八月五日から七日には大小数百におよぶ絵灯ろうが市内一円に吊りさげられます。
その優雅さとあでやかさは、みちのくを代表する夏の夜の風物詩として高く評価されています。
秋田県湯沢市 絵灯ろう館


 秋田新幹線で盛岡駅の手前で、岩手山が見えました。気持ちのいい山でした。

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 東京駅で、息子が今週刊行した本『AIが「答えの出ない問題」に答えてみた。自然言語記述はここまで来た!』を購入するために、八重洲ブックセンターへ行きました。すると、当店は閉店するため、新しいものは入って来ない、とのことでした。行けば必ず探し求めている本はあったので、おりおりに立ち寄った書店です。事情はわからないものの、閉店とは残念です。
 すぐに、駅の反対側の大手町にある丸善に行きました。すぐに見つかったので購入し、帰りの新幹線の中で読みながら帰りました。

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 この本の紹介は、後日「読書雑記」で取り上げます。
 
 
 
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2023年03月23日

野菜の出荷のお手伝いの後は探し物2題

 妻の実家の横の池には、鷺や鴨がいます。のんびりとした田舎の鳥たちは、賀茂川の鳥たちとは雰囲気が違います。おもしろい観察に興じていました。

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 その実家で取れた野菜を袋詰めし、透明袋に入れて重さを量り、セロテープで口を閉じる作業のお手伝いをしました。私は手先の器用さには自信があるので、手際よくできました。

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 2種類の野菜を、ダンボール箱2つに山盛りに入れると出荷です。
 話には聞いていたものの、なかなか大変な作業を、老夫婦でなさっていたのです。やってみないとわかりません。

 午後は、昨日列車で通りかかった『砂の器』の舞台の一つとなった羽後亀田駅へ、義兄に車で連れていってもらいました。今は無人駅で、淋しくなっています。映画の撮影の記念碑などがないか、そこらじゅうを探しました。しかし、まったく見当たりません。かつては何かあったのかもしれません。しかし、その痕跡はありませんでした。

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 その後は、宇治の近所のスーパーマーケットで売られていたハンバーグに、この羽後本荘市の石脇という地名が製造場所として書かれていたことを思い出し、その場所に案内してもらうことにしました。しかし、地名しか記憶になく、番地はもとより会社名もわかりません。それでもいろいろと手を尽くし、この地域でハンバーグを作っている工場を探し当てました。お肉屋さんやスーパーマーケットの店員のみなさん、ご協力ありがとうございました。松本清張の小説に出て来る刑事になったつもりで、数少ない情報をもとに、目的の物の素性を明らかにできたのです。聞きながらの手探りの探索は、実に楽しいものです。

 この2つの探し物につきあっていただいた義兄には、ただただ感謝です。粘り強く諦めない私に、根気強く車で探し回っていただいたのです。
 この義兄とは、インドやイギリスやスペインにも一緒に行っています。何かと気の合う間柄です。今回も、ささやかながらも得難い楽しい旅にしてもらいました。また、どこかへ一緒に行きましょう。
 
 
 
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2023年03月21日

京都から東京経由で秋田へ

 久しぶりの長旅です。新幹線を乗り継いでの行き先は、妻の実家の秋田県。
 この前は、なんと10年前に遡ります。奈良の自宅から、車で日本海沿いに走って行きました。ベンチシートでコラムシフトの、6人乗りの白いクラウンでした。運転手は運転が大好きな私一人。妻と子どもたちを乗せて、新潟でキャンプをしながらの旅でした。

 今回、みどりの窓口で驚いたことがあります。日本海側からは、JRだけでは秋田へ行けないのです。第三セクターの路線を使わざるをえなくなっていて、割引きは元より交通費も時間も大変です。新幹線で東京経由しかないのです。かつての帰省の旅は、もう叶わないようです。あの、瞽女さんたちが通った北陸の沿岸は、残念ながらまたの機会にしましょう。

 WBCの苦戦を象徴するかのように、今日の富士山は沈鬱です。

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 そうした中で、侍ジャパンの村上選手が逆転サヨナラ打を放ったのは、ちょうど東京駅に着き、見ていたスマホの文字と写真の実況中継から目を逸らした瞬間です。「こまち」に乗り換え、秋田へ向かう途中では、WBC関連の記事を拾い読みするのに大忙しでした。

 秋田駅では、ナマハゲが迎えてくれます。私が生まれた出雲では、同じ風体のものをバンナイと言っていました。

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 妻の実家は鳥海山の麓にあり、途中には松本清張の『砂の器』で知られる羽後亀田駅があります。通りかかったので、ホームの表示板を撮影しました。

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 私の生地は島根県の出雲です。これまた、『砂の器』で舞台となる亀嵩があります。我ら夫婦は、この『砂の器』の2つの舞台で育ったのです。
 秋田の実家でも、みなさんの秋田弁に違和感はありません。出雲弁と同じズーズー弁なのです。我々が結婚する折に、私の両親が秋田に挨拶に行きました。その際、私の父と妻の父が、不思議なことに話が通じたのです。まさに『砂の器』で初動捜査の背景にあった、柳田國男の方言周圏論(蝸牛考)を実証したのです。
 今夜は、秋田のみなさんと夜遅くまで語り合うことになりそうです。今、少し席を外してこれを書き、急いでアップします。
 
 
 
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2022年10月16日

西国三十三所(2022-24)岩間寺(12番札所)

 本年8月24日に、西国三十三所の13番札所である石山寺へ行きました。すぐ近くに岩間寺があることはわかっていました。その時は、岩間寺の下のバス停まで行き、そこから歩いて50分の山登りです。ただし、10月15日からの秘仏本尊千手観音ご開帳に伴い、特別に石山駅から直通のシャトルバスが出るということがわかったので、今日まで待っていました

 JRと京阪の石山駅前(2階の広場)には、石山寺ご所蔵の土佐光起筆紫式部像の看板がありました。8月下旬に石山寺へ行った時に、ここを通っています。しかし、記憶にありません。あらためて、写真に収めておきます。

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 また、その近くには、東海道を旅する松尾芭蕉像が建っています。

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 共に人目に付くので、待ち合わせの場所にいいと思います。

 さて、石山駅から少し離れた西口から、この日のために用意された無料のシャトルバス(50名以上乗れる大型)で岩間寺へ行きました。バス停には長い列ができていました。結局、2台のバスで出発です。開山1300年記念でご開帳の秋ということで、みなさんよくご存知なのです。若い方が多いのは、最近のご朱印ブームのせいなのでしょうか。

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 まずは、本堂でお軸にご朱印をいただきました。次の写真で、中央にある醍醐寺の下の正法寺が岩間寺の正式名称です。

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 ご本尊のご開帳は12年ぶりとのことです。じっくりとお姿を拝見しました。
 本堂に掲げられたご詠歌の額は、参拝者が多くて立ち止まるとご迷惑をおかけすることもあり、確認する暇がありません。またいつか見ておきます。

 本堂前にボケ封じのカボチャの煮物があったので、ありがたくいただきました。

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 また、ボケ封じの観音様も、しっかりと拝みました。まさに、現世利益を意識しての祈願です。

 本堂の横には、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の発祥の地であることを記した石碑と句碑がありました。

 婦る【池】や【蛙】【飛】こ無【水】の【音】
                   者せ越

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 ここは標高443mで岩間山の中腹です。私が住む京都府宇治市と滋賀県大津市の境にあります。季節の変わり目と山上だったため、肌寒く感じました。
 瀬田川から宇治川沿いに下って行くと、我が家に帰れます。しかし、車を持たない生活をしている私は、公共交通機関だけで移動するために、またシャトルバスで石山駅に戻ってから帰りました。グルリとコの字に移動したことになります。電車とバスを使ったにもかかわらず、今日歩いた歩数は13,000歩(7.5km)を超えていました。もしシャトルバスがなかったら、山の下のバス停から50分は山登りだったのですから、3万歩を軽く越えていたことでしょう。開山1,300年記念を祝しての千手観音のご開帳と、それに伴う参拝者へのご高配に感謝します。
 
 
 
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2022年10月06日

西国三十三所(2022-23)書写山円教寺(27番札所)

 昨日行った西国三十三所巡りの続きです。
 26番一乗寺の次に、27番の円教寺へ行きました。1日に2ケ寺を回るのは、この6巡目の巡拝では初めてのことです。のんびりと妻と二人で回る、というのが今回の方針にあったからです。しかし、昨日は巡礼エリアの西の端にあり遠方だということで、行ける時に行けるところには行っておく、ということで2ケ寺を回ることになったのです。

 一乗寺から神姫バスで元来た姫路駅に戻ります。そして、姫路駅でバスを乗り換え、姫路城の前を、午前中は右折した交差点を今度は左折して、夢前川沿いに北上し、円教寺の麓にある書写山ロープウェイで山に登ることになります。事前に調べておいたバスは、歩いて書写山に登るためのバス停に止まるものであることが、乗ってから運転手さんのアドバイスでわかりました。何事も、調べてあったことに頼り切らず、確認しながら旅をすべきことを学びました。バス乗り場を移動し、すぐに来た書写山ロープウェイ行きに乗りました。まさに綱渡りです。

 ロープウェイで山に登ろうとしたところ、強風のために様子を見ながらの運行となっていました。間引き運転に加えて、不定期の運行だったのです。改札では、ロープウェイで何とか書写山に上がっても、帰りに運行するかどうかは約束はできないとのことです。そして、歩いて下山することもあり、ということを条件でよければどうぞお乗りください、ということです。二人とも足腰には自信があるので、とにかく上がることにしました。発進の時間が不定期だったこともあり、私と妻が乗る意思を示したので、急遽ロープウェイを動かしてくださることになりました。4分間の中空の旅を楽しみました。

 私は、いつもたくさんの写真を撮ります。毎回、連写機能を駆使して200〜300枚は撮るところを、今回は2ケ寺の巡拝だったので500枚以上は撮りました。しかし、昨日のブログのために写真を整理した後、今日再度カメラに挿入していたSDカードを抜き取ってパソコンで読み込もうとすると、読み込めないメディアなので初期化によるフォーマットをし直すように、というエラーメッセージが出ます。カメラにメディアを戻したりと、いろいろなことをやっても、カメラからも使えないメディアだと言われます。パソコンを代えてもダメです。もう、どうしようもありません。

 私は、カメラはソニーのサイバーショットだけを、機種を新しいものに代えながら50年ほど使っています。ソニーが大好きなので、これは拘りです。しかし、アップルとの相性はいまいちです。アップルはソニーのマネをしながら、すぐに追い越したかと思うと遥か彼方を走っています。撮影後のデータを無線でパソコンに送れた時代もありました。しかし、最近はそれができなくなり、面倒なことに手作業でメディアであるSDカードを抜き差しして画像データをパソコンで読み取って整理させられています。何度か銀座のソニータワー内で相談をしました。電話で相談もしました。しかし、ソニーの技術はゲーム分野以外は思うような成果に結びついていないようです。

 ということで、本日のブログは写真がすべて消え去った状況で書いています。

 ロープウェイを降りると、山上シャトルバスではなく、山道を歩いて仁王門を通って摩尼殿に向かいました。
 持参の軸に朱印を書いていただいた様子などは、写真がすべて消え去ったために紹介できません。書き終わったものは手元にあるので、それを撮影したものを掲載します。左下のものが、円教寺のご朱印です。

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 書写山の一番奥の開山堂には、和泉式部の歌塚があります。遠いので、これまで一度も行ったことがありません。今回は、自由気ままな巡礼なので、行ってみました。宝篋印塔が、山肌にへばり付くように置かれていました。案内の表示板を含めて、非常に不親切だと思います。
 「冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」と歌った和泉式部は、この書写山円教寺とは縁の深い歌人です。増田繁夫先生の『冥き途(くらきみち)―評伝和泉式部』(世界思想社教学社、1987年3月)は名著です。一読をお勧めします。

 最終のロープウェイの時間を忘れていました。大急ぎで山道を走り降り、発車30秒前に乗り込むことができました。

 暮れなずむ姫路駅では、「力丸 JR姫路駅店」で食事をしました。牡蠣の天麩羅は特においしくいただきました。コハダとシャコは、関西ではあまり見かけないので、これもいい出会いとなりました。
 家に辿り着くとグッタリです。
 今日は、朝から筋肉痛です。午前中にあった、地域の高齢者のみなさまとの体操教室は、休ませていただきました。
 
 
 
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2022年10月05日

西国三十三所(2022-22)一乗寺(26番札所)

 今日は、18年前の2004年(平成16)に、84歳で亡くなった母の祥月命日です。母とは3回も一緒に巡った西国三十三所の札所へ、供養を兼ねて二つのお寺へ行ってきました。

 まずは、姫路駅から神姫バスで40分の一乗寺です。姫路駅を出てすぐに、姫路城が煌びやかな姿で出迎えてくれます。

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 西国三十三所26番霊場の法華山一乗寺は、人里離れた大自然の中にあります。自家用車を持たない者にとっては、2時間に1本くらいしかないバスに合わせて移動し、参拝することになります。この後の円教寺のことも含めて、綿密なタイムスケジュールを組んで臨みました。

 一乗寺を開かれた法道仙人は、インドから中国と朝鮮を経てこの播磨国に留まられ 、650年(白雉元年)に一乗寺を開山なさいました。そして、鉄鉢を使った飛鉢の術を用いて、播磨灘を行く船から米俵をすべてこの地に飛来させたりした方です。この飛鉢伝説は、『信貴山縁起絵巻』に出てくる命蓮上人とまったく同じ秘法です。大和にある信貴山のご町内で子育てをした私には、場所は違えども親近感を覚える言い伝えです。

 お寺の前に建つ標柱の真ん中の石柱には、「右 きよ水寺 八里 /左 志よしや山 五里」と刻まれています。

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 ここ西国三十三所26番札所の一乗寺から右へ行くと25番札所の清水寺、左へ行くと27番札所の書写山円教寺に至る、ということです。今回、私は午後に行くのは、清水寺ではなくて円教寺にしました。姫路駅を起点にしてV字の位置になる左右のお寺を選んだのです。清水寺は、三田にある番外の花山院菩提寺との組み合わせで行く予定です。

 国宝の三重塔よりさらに上にある本堂で、朱印をいただきました。

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 本堂の内陣前には、御詠歌が掲げられています。変体仮名が、いつどのような字母を用いて書かれていたのかがよくわかる資料になるので、今回も確認できた扁額をあげて、そこに書かれている文字を「変体仮名翻字版」であげます。なお、変体仮名を含まない2つの額は省略しています。昭和29年と昭和43年のものです。また、今回はほとんどが作成年代不明の物でした。裏面や側面に書いてあるかもしれません。また後日に確認する、ということにしておきます。
 注・「妙なる」が「たへせぬ」となっているものには「〈ママ〉」を付しました。

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【春】者【花】【夏】者多ち者な
 【秋】者【菊】いつも多へせぬ〈ママ〉
のりの【華山】



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【春】盤【花】【夏】は
    たち【花】【秋】盤【菊】
    い徒も【妙】なる
     【法】の【華山】
  昭和2年



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者る八【花】
  なつ八たちはな
     あ起八きく
 い津もたへなる
    の里能者な【山】



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【春】八者な【夏】者【立】葉な
阿き王【菊】ゐ津茂
たへせぬ〈ママ〉【法】の【花】やま
  明治十四年



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はる八者な
 なつ盤たち【花】
  あき八きく
い徒もたへせぬ〈ママ〉
  の里能者な【山】
  明治十七年


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者る盤【花】なつ八たち者な
あき八きくい徒も多へせぬ〈ママ〉
    のりの者な【山】



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【春】八はな
    な津盤
   多ち【花】
   【秋】盤きく
い津も
  多衛なる
 【法】の
    【花】屋ま



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【春】八者那【夏】八多ち△△
【秋】八【菊】い徒も多へせぬ〈ママ〉
の里の【花山】



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者類盤【花】なつ八【橘】
 【秋】盤きくい徒も多盈
   な累【法】の者那やま



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【春】は者な【夏】八堂ち【花】
 【秋】八きくいつも多へせぬ〈ママ〉
    【法】のはなや万



 一乗寺は、のんびりとした雰囲気に包まれたお寺でした。

 ここから姫路駅に戻り、次はまたバスで書写山円教寺へ向かいます。
 以下、明日の記事にします。
 
 
 
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2022年09月21日

秋のお彼岸に高安の里へお墓参り

 昨日20日が彼岸の入りでした。この一週間は、秋のお彼岸です。ご先祖様との出会いの場としてのお墓に、のんびりと行ってきました。これは、仏教が日本に伝わってくる前からある、日本古来の先祖崇拝の習わしだと言われています。
 「国民の祝日に関する法律」(昭和23年公布)には、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日だとあります。仏教の伝来元であるインドや中国とは違う、日本独自の文化を担った意味があるようです。

 お墓は、私が小学6年生から高校生までの7年間住んでいた、大阪府八尾市の高安の里にあります。私が友だちと「忍者部隊月光ゴッコ」をしていた山の上にある、信貴霊苑がそこです。宇治に引っ越しをしてからは、近鉄電車だけで行けるようになったので、お墓参りが楽になりました。

 墓地から大阪平野を望むと、今日は天気がよかったこともあり、淡路島がよく見えました。写真の左奥の島影が淡路島、中央左寄りの奥に明石海峡大橋が弧を描いて架かっています。その右寄りが須磨浦あたりになります。

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 墓石の横の南天の葉は、朱・緑・黄ときれいな色を見せています。

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 今年もあと3ヶ月となりました。
 後半もスローながらもマイペースで、充実した日々を過ごしたいと思います。
 
 
 
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2022年09月15日

西国三十三所(2022-20)穴太寺(21番札所)

 JR亀岡駅からバスで穴太寺へ行きました。西国三十三所21番札所の穴太寺は、人里離れた彼岸花の里の中にあります。

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 本堂を見上げると、ご詠歌を記した額がいくつも掲げられています。古いものが多く、読むのが大変です。
 以下に、写真と「変体仮名翻字版」による翻字をあげます。読めない文字は「△」にしています。

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かゝ流【世】に
 うまれ【近江】の
  あなうや登
おも盤で多の免
 十古ゑ一聲
[文政14年(1817)]


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かゝ類【世】に
 うま連阿ふみの
  穴太やと
思王てたのめ
 十古ゑ一聲
[慶応元年(1865)]


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かゝるよ尓
 うまれ阿ふ三の
  阿なうやと
おも王てたの免
 十こゑひと古ゑ
[明治18年(1885)]


220915_gaku4.jpg
かゝる【世】尓 おもわ弖
  むま連阿ふ三の 堂能免
  あ那を〈ママ〉 十こゑ飛△
    【寺】〈ママ〉  古(?)△
[天保2年(1831)]


220915_gaku5.jpg
かゝ類【世】にむま連
  あふ三能あなうや登
 おも八弖"堂の免
   十聲一こゑ
[不明]


220915_gaku6.jpg
かゝるよに
 うまれあふ三の
  あなうやと
おも八て多能め
 十こゑひとこゑ
[不明]


220915_gaku7.jpg
かゝる【世】に【生】連あふ身農
           阿なうや登
お(?)も〇〈ママ〉弖たの免十聲
              飛と古ゑ
[不明]
 
 
 

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2022年09月02日

西国三十三所(2022-19)三井寺(14番札所)

 雨上がりの晴天に涼やかな風が吹き出したのを幸いと、琵琶湖に向かって移動しました。前回の札所巡りでは大津駅から行ったので、今日は大津京駅からと、いつもと違う道順にしました。
 大津京駅を降りると、「かるたの聖地」の大看板が視界に飛び込んできます。

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 駅から南へ歩きます。北へ歩くと、『ちはやふる』で一躍有名になった近江神宮があります。
 歩いて20数分。途中、今話題の宗教団体の施設がありました。
 仁王門を入ってすぐの受付でいただいたパンフレットには、園城寺(三井寺)とあります。寺名を刻んだ石碑もそうです。しかし、同じパンフレットの地図には三井寺(園城寺)とあります。以下では、一般的に言われている三井寺で通します。

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 山中ということもあり、広い境内には涼しい風が通っていて、気持ちのいい散策ができました。西国三十三所の三井寺の札所は、出口ともなっている総門の近くにあり、寺内の巡拝では最後のエリアにあたります。その前に、参道にある茶店で名物となっている三井寺弁慶力餅と甘酒をいただき、エネルギーの補給をしました。

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 観音堂にお祀りされている秘仏の如意輪観音は、三十三年ごとの開扉だそうです。

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 その堂内でお軸に朱印をいただきました。コロナのために透明のビニールの幕があるため、書いていただいている様子はきれいに撮れませんでした。


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 今日までに集まった朱印は、次の通りです。今は、半分を過ぎたところです。

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 帰りは、三井寺に一番近い京阪石山坂本線の三井寺駅から石山寺行きの京阪電車に乗り、びわ湖浜大津駅で乗り換えて、京阪三条経由で帰りました。途中、電車の中で成田山のお札を見かけました。電車の中にお守りを見たのは初めてだったので、記録として撮影しました。他車線の電車はどうだったのか、何も思い出せません。また報告します。

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2022年08月24日

西国三十三所(2022-18)石山寺(13番札所)

 石山寺には、調査と勉強と観光を兼ねて、これまでに何十回と行っています。
 昨日は、病院の帰りに西国三十三所の札所巡りを思い立ち、出かけました。
 京大病院の東大路通りから病院の専用バスで京都駅に出て、JRで石山駅まで行ってからは京阪バスで石山寺山門前に行きました。45分で行けたので、現在の交通機関を使うと意外と近いことを実感。平安時代は歩いての逢坂越えなので、大変だったことでしょう。
 いつもと変わらず東大門が出迎えてくれます。

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 今夏も、さまざまなイベントが組まれています。この日は、涼し夏(すずしげ)という縁日が開催されていて、多くの子供たちが楽しんでいました。

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 その会場となっていた場所の休憩所に、一風変わった自動販売機がありました。これは楽しいデザインです。

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 トイレの表示板にも、今という時代を先取りした新鮮さがあります。ただし、夫婦が赤ちゃんを取り上げる図柄は、ジェンダーを標榜するにはもう一工夫が要るように思います。座主が女性に変わられたことをこの記事の文末に記していることからも、こうしたことの見直しが今後ともなされることでしょう。

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 本堂へは、二つある階段のうち、奥の方から上がりました。手前の階段はきつそうだったからです。

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 石山寺の本堂下に広がる硅灰岩には、夏らしい涼しさを演出するミストが舞っています。

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 本堂の奥でお軸に朱印をいただきました。普通の軸ではなくて特注品なので、隣の方と一緒に怪訝な顔で軸を開いて、全体を確かめてから丁寧に書き出されました。

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 紫式部が参籠していたある日、琵琶湖の湖面に映る月を眺めて「今宵は十五夜なりけり」と筆を執ったという伝承で知られる月見亭からの景色は、今も楽しめます。

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 光堂のすぐ下に建つ紫式部の像も、今も変わらずありました。
 この像には、恥ずかしい記憶があります。
 かつて、『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』(伊藤編著、至文堂、2003年)を刊行しました。

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 その巻頭部分に、石山寺に直接足を運んで書いた探訪記を掲載しました。その扉の写真の中の紫式部像の真下に、なんと灯油缶として使われている青いポリタンクが写っていたのです。

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 もちろん、今も紫式部像はそのままです。朱塗りの手すりは色が落ちつつあるものの、ポリタンクは本当のあの時に置かれていただけだったのです。校正の時のチェック漏れで、本当に申し訳ないことをしました。

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 なお、本年6月8日の大阪府立中之島図書館での源氏講座で紹介したように、石山寺の座主に鷲尾龍華さんが新たに就任されました(「京都新聞」による)。石山寺に生まれ、中学から大学までをキリスト教系の同志社で学ばれ、大学での専攻は欧州の美術だったそうです。大手企業に就職後、種智院大学で仏教を学ばれた方です。大本山クラスの有名寺院で女性の住職は珍しいそうです。いつか、機会があればお目にかかりお話を伺えたらと思っています。
 
 
 
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2022年08月02日

西国三十三所(2022-15)藤井寺(5番札所)

 私が西国三十三所を周り始めたのは、1983年(昭和58)5月。父が亡くなったことがきっかけでした。その年の12月に満願。翌年には2巡目を周り終えました。
 そうしたことは、父の川柳句集『ひとつぶのむぎ』(1983年4月、私家版)に続いて発行した追悼文集『舗道の雨』(1984年4月、私家版)の巻頭に、次のように記した通りです。

西国三十三所観音霊場の巡礼を思いたったのは、父が亡くなって間もなくであった。一番近い葛井寺(五番札所)から出発し、宝印軸と集印帳とを携えて、近畿二府五県を車で巡拝した。平安時代末期(一一六一年)の記録には七十五日を要したと記されている。しかしそれは修業のために高僧が全行程を徒歩で巡拝してのこと。我々の場合は休日に車を使い、山登り・家族旅行・レクリェーションをかねての巡礼である。満願は十二月の二十八日であった。ちょうど七ヶ月かかったことになる。朱印収集の楽しさに味をしめ、今では西国は二巡目が終わる所で、新西国三十三所札所ももうすぐ満願、四国八十八所は徳島一国を終えた所と、いささかコレクターと化しつつある。娘も、元気に随伴している。


 5巡目までのことは、「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)にまとめています。今は6巡目。今日は、世界遺産の古市古墳群(大阪)の中に建つ藤井寺に行ってきました。

 今から12年前に、西国三十三所の札所巡りに「藤井寺駅前の元気な商店街を通って、西国札所第五番の藤井寺に行きました。」と書きました。「西国三十三所(17)藤井寺」(2010年10月18日)
 本日の札所巡りでは、景色も見るものもまったく同じです。しかし、商店街は寂しくなっていました。
 井真成については、「読書雑記(184)上野誠『天平グレート、ジャーニー』」(2016年12月05日)で少し触れています。

 商店街の先にある四脚門(西門)からお参りしました。

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 気さくに話をしてくださる方が、少し墨が薄くてと言いながら書いてくださいました。

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 本堂の内部を見上げると、江戸時代から連綿と続く、ご詠歌を刻んだ額がいくつも掲げられていました。その仮名文字に興味を持ったので、以下に紹介します。江戸時代から明治時代にかけての額は、さまざまな変体仮名を駆使してご詠歌が書かれています。「かくる」という語句が、明治時代になると「かける」と変化していることがわかります。単なるミスなのでしょうか。安政6年の扁額の下の部分は、見えないので「▲」にしています。


■安永2年(1773)
まい累より多のみ越
か具類ふじゐ【寺】【花】の
うてな尓むらさ起能くも

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■文政7年(1824)
まいるよ里
  たの三をかくる
 婦じいてら
   【花】のうてな尓
  むらさ起の
      くも

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■天保11年(1840)
満ゐるよりたの三を
  かくる婦ちゐ【寺】
者那のうて那尓
  むら佐きの
      くも

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■天保12年(1841)
満いるより堂能三越可くるふちゐ【寺】
  者那農うてな尓むらさ起の
             くも

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■安政6年(1859)
まいるより【頼】を可▲▲▲▲▲▲
 【花】能うてな耳む▲▲▲▲▲▲

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■明治13年(1880)
満いるよ里【頼】をかけ〈ママ〉る
 【葛井寺】【花】の
 うてなに紫の雲

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■明治24年(1891)
まいるより
 たの三を
  かけ〈ママ〉る
 婦しい【寺】
者な能
 うてな尓
 むらさ起の
   くも

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■明治31年(1898)
まゐ累よ里
 多のみ越かくる
   婦ぢゐでら
【花】のうてな尓
    むらさき能具も

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■年時不明
【参】累より【頼】三を可希〈ママ〉類
 【藤井】てら【花】能【臺】尓
   むらさ起のく茂


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 帰りに、南大門から出ようとしたところ、お手洗いの名前が珍しかったので記録しておきます。かつて、岡寺でもこうした名前を見かけました。いずれ、ゆっくりと調べてみます。

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 なお、このブログでは、寺号「葛井寺」を通称の「藤井寺」で表記しています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:06| Comment(0) | ・ブラリと