2008年01月20日

江戸漫歩(5)隅田川

 一日中部屋に籠っていたので、気分転換に宿舎の周りをウォーキングしました。永代橋から隅田川沿いに歩きました。
 隅田川は、思ったよりも悪臭がしていました。水上バスが通ると、下水の匂いが川風に乗って襲ってきます。見た目は、そんなに濁っているようには見えません。河底はそうとう汚いのでしょう。
 『伊勢物語』の「東下り」の段で有名な隅田川ですが、大いに幻滅です。

 写真は、隅田川から宿舎のある晴海運河の方を見たものです。


Mqhbpukg_s隅田川



 折しも、東京水辺ラインの観光汽船が通りかかりました。
 右端には、重要文化財の帆船・明治丸のマストが見えます。
 手前の柵には、『伊勢物語』の都鳥ならぬ水鳥が羽を休めています。

 環境は整備されつつあります。見た目はいいので、匂いに関して何か対策が必要だと思いました。


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2008年01月19日

江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト

 まずは、駅前のバス停に立つポストの写真を見てください。


R_jecluv_s2つのポスト




 場所は、東京・山手線の五反田駅前です。

 郵便物を投函しようとして通り掛かったポストの前で、しばし思案しました。

 どうして、ここにポストが2つあるのか?
 何かのいたずらなのだろうか?
 私は、どちらのポストに入れるべきか?

 あたりを見回し、ポストの周りをよく見ました。ビックリカメラのような趣向は感じられません。どう見ても、2つとも同じ仕様のポストです。色も形も、パネルの文字も。瓜二つです。

 (1)どちらも偽物である
 (2)右が偽物である
 (3)左が偽物である
 (4)どちらも本物である

 このポストの前で、クイズミリオネアをする気はありません。急いでいるのです。
 とにかく、郵便物を何週間も持ち歩くことが多いので、今ここで投函しないと、また何日もカバンの中に入ったままです。

 どちらに投函しようか、と思案した揚げ句、次の4点を根拠に決断しました。

 (1)歩道橋側よりもバスの乗り降りする場所に近い方が便利
 (2)ポストの側面に張り紙の跡がある
 (3)ポストの支柱に落書きがある
 (4)もう一方のポストの支柱は埋め直されている

 ということで、存在意義の感じられる左側のポストに投函しました。
 さて、私の郵便物は、無事に相手方に届くでしょうか。
 日本郵便も、民営化されて、遊び心が芽生えたようです。




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2007年12月12日

江戸漫歩(3)36年ぶりの東京タワー

 著作権に関するセミナーに参加してきました。

 韓国の出版社が、私の教え子の源氏絵で、現在私の手元にあるものを、勝手に無断で『源氏物語』の韓国語訳の本の表紙に使っています。それも、絵を刳り貫いて反転させるという、悪質な手口での盗用です。ついウッカリどころではなくて、確信的な犯行です。
 電話とメールで抗議はしましたが、おざなりな反省を示すだけで、誠意など微塵も感じられません。
 仕事で韓国へいく機会があり、直接話し合いの場を提案したのですが、その場に来てはくれませんでした。
 この韓国の出版社は、著作物に関する権利意識は、非常に希薄だと言わざるをえません。

 この事実は、これまでに私のプログや、2年前にウィーンで開催されたEAJS(ヨーロッパ日本研究協会)の学会での研究発表の中でも、問題提起をしました。

 相手が中国や韓国の場合は、国際的なモラルなど求めてはいけないのだそうです。しかし、国際社会でまっとうに相手をしてもらいたければ、それなりの誠意は見せてもいいのではないでしょうか。

 その問題を解決するよりよい糸口を探し求めていた時でもあり、楽しみにして知的財産権に関するセミナーに行きました。

 テーマは「文化資料の利用と著作権」と題し、講師は独立行政法人メディア教育開発センターの尾崎史郎氏(元文化庁著作権課マルチメディア著作権室長)でした。
 肩書きだけを見ると、何か近寄り難い文字が並んでいます。しかし、話しぶりは非常に丁寧で、わかりやすいものでした。

 終了後に、韓国から受けている非道な手口について、直接アドバイスをいただきました。ただし、その報告は、また別の機会にします。

 講演会場からの帰り道、目の前に見える東京タワーの方にブラブラと足を向けました。
 この会場には何度も来ているのですが、夕刻だったせいもあるのでしょう。自然と足が進んだのです。


Zxtrffiw_s芝・増上寺から



 東京タワーには、若き日の思い出があります。

 私は、高校を出てすぐに大阪から東京に出ました。しかし、すぐに病気をして内蔵の摘出手術を受け、また大阪に戻りました。大阪万国博覧会に沸く時でした。
 その半年後に再度上京。中断した新聞配達の仕事をする中で、会社の費用で運転免許を取らせてもらいました。

 仕事は、早朝の3時頃、刷り上がったばかりの新聞を、エルフというトラックで築地の印刷所に取りに行き、それを新聞販売店に落としていくのです。その後、自分の店にもどって、自分の配達区域の割当分を配ります。450部を担当していました。
 朝食後は、翌日以降に入れる折り込みのチラシを、印刷屋に車で取りに行き、それを店に置いてから、やおら大学に行きました。夕方には夕刊があるので、早めに授業を抜けます。王朝文学研究会というゼミ活動は、夕刊を配り終えてからまた大学に行ってやりました。

 そんな生活が安定した頃に、父と母を東京に呼びました。そして、仕事で使っていたスバルのサンバーという軽貨物自動車に2人を乗せ、東京タワーへ連れて行ったのです。
 地下の駐車場に車をバックで止めた時に、母が、運転がうまいね、と褒めてくれた時の嬉しさが忘れられません。

 高校を卒業した私は、貧しかった我が家の負担を考えて、朝日新聞の奨学生となりました。大学の受験料から授業料のみならず、生活費としての給料や奨学金までもらえるのです。親の世話にならずに、大学で勉強ができるのです。
 姉は、家庭の事情もあり、高校を終えると銀行に就職し、後に、通信教育で短大を終了したのです。
 そんなわけで、我ら兄弟は、高校卒業後は、親からは金銭的な世話にはならないように心がけてきました。
 もっとも、母親はしばしばお小遣いを送ってくれました。姉や伯母も、たまにお小遣いをくれたものです。

 父の川柳句集『ひとつぶのむぎ』に、次のような作品があるのは、こうした背景があったからです。

  寝る起きる食う働くを疑う日
  貧乏は金で事足る単純さ
  内職の明日の希望へ子の寝息
  内職の明日の希望は子の寝顔
  肉なしのすき焼だった頃もあり
  へそくりのお陰で恥をかかずに済み
  貧乏と信用はまた別なもの
  苦難期の我が家まもった妻の針
  子の受験までに越したい広い家
  東京の苦労へ送る夜業の灯
  貧乏が薬あの子のド根性
  スキ焼へ済まぬと苦学の子に詫びる
  根性という財産のあり子の苦学
  ひと事でない我が子もハンドル握ってる  


 話をもどします。
 自立した生活を始めたという自負があったからでしょうか。育ててくれた父と母を、自分が運転する車に乗せ、日本一高い東京タワーに案内したのです。私が両親にした、一番の親孝行だったと思っています。
 エレベータで上にあがったはずですが、どうだったか覚えていません。節約家の父と一緒だったので、入場料のいらない下の階を見て回っただけだったかもしれません。
 職業軍人として満州で苦労し、さらにはシベリアに抑留されて生死をさまよった父のために、皇居の回りを走ったことでしょう。覚えていませんが。

 私の結婚式は、東京タワーの下にあった全特会館というところでした。私の誕生日に結婚式をするということで、新宿の伊勢丹の中にあったブライダルセンターで紹介してもらいました。
 まだ大学院の修士課程の1年生でした。何かと生活に困っていた時でもあり、妻に助けられての研究生活でした。妻が仕事から帰る頃に、自転車で南浦和の駅まで迎えに行き、2人乗りをして帰ったものです。
 昼間は、大家さんがキュウリなどを持ってきてくれたので、一緒にお酒を飲んだりもしていました。牧歌的な時代です。
 結婚式場だった所は、特定郵便局の民営化に伴い、いろいろと問題になっていたように思います。今この会館がどうなっているのか、ネットで調べてみたのですが、わかりませんでした。

 そんな若き日の思い出の地である東京タワーに、今日、行ったのです。建物の中に入ったのは、まさに36年ぶりです。

 クリスマスの前でもあり、イルミネーションがきれいに飾られていました。見上げると、気持ちがスーッと大空に吸い取られそうになります。


5yo1bvbu_s見上げる



 たくさんの人が入場の列を作っています。


Fbwqx4wj_s入場待ち



 私は、かつてそうだったと思われるので、入場料を払ってエレベータに乗るのではなくて、歩いて4階まで見て回りました。興味のあるものは何一つありませんでした。
 しかし、これも記念にと思って、クリスタルの中に東京タワーを点で彫った置物を買いました。


2tos11b3_sクリスタル



 最近、思い出の地に行きたくなることが多くなりました。その反面、まだ行ったことのない所へ、無性に行きたくなります。
 これまで、私は生き急いできたように思います。
 18歳の時に十二指腸が破れ、緊急手術で一命をとりとめた時に、45歳までは、か、後45年は生きられることになったのだから、これからはのんびりと生きなさい、という担当医の励ましのことばが常に耳に響いています。

 そのこともあって、45歳で大学院博士後期課程に入学し、生きることの再スタートを切ることでもう一度やり直すことにしました。
 次は、63歳という定年が節目になります。
 その時期が近づいて来たせいでしょうか、過去を振り返ったり、これまでに出来なかったことにチャレンジしたりしている自分に、改めて気づくことがあります。

 この世に生まれ、父と母のいるところへ向かって、たくさんの思い出作りと、その旧懐の情を暖めることの心地よさを、無意識に希求しだしたのでしょうか。

 もうしばらく己の求めるままに、行きたいところへ行き、手にしたいものを傍に置き、好きな本を読みながら生きていこうと思います。

 変わらぬお付き合いをしてくださる方々と、京都を舞台にして、思い出作りの終章を書きつづることにします。



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2007年11月25日

江戸漫歩(2)鶴屋南北住居跡

 江戸時代の人や出来事に関して、私はほとんど知りません。
 しかし、深川という下町にいるので、宿舎のまわりを散策してみました。

 単語だけは知っていたけど、という程度の、不確かで心もとない情報に引きずられてのお散歩です。頼りない限りです。しかし、地縁から現地情報を手繰ることにより、未知のことに興味を広げたいと思います。

 まずは、すぐ近くにあった、鶴屋南北の住居跡。

 鶴屋南北と言われても、すぐに「東海道四谷怪談」を書いた人だとは結びつかず、とにかく有名な人だった、というレベルでの訪問です。

Ywsukbk8_s黒船稲荷神社



 清澄通りから少し中に入ったところにある、と江東区でもらった地図にありました。そこで、買い物のついでに立ち寄ることにしました。
 しかし、通りから内に1本目ではなくて、3本目の中ほどに、本当に目立たないところにありました。通りには矢印などもないので、知らないと無縁なままです。

 この黒船稲荷神社のすぐ右横の壁際に、ひっそりと解説パネルがありました。狭いながらも境内は、派手な幟がズラッと並んでいます。

Igfcskrq_s南北の説明


 説明を読んで、はじめて鶴屋南北という人のことがわかりました。断片的なことばを繋ぎ合わせながらではありますが、なんとなくわかったつもりになりました。

 ようは、鶴屋南北とは、


・江戸の戯作者として第一人者だった
・日本橋(中央区)に生まれる
・家業の紺屋を捨てて狂言作者になる
・文化8年(1811)に4世鶴屋南北を襲名
・代表作は「東海道四谷怪談」
・文政12年(1829)に黒船稲荷地内の自宅で死去
・75歳の生涯だった


ということです。

 家業である紺屋の型付職人から作家の道へ、というところに、この人の人生のポイントがあるように思われます。
 あくまでも想像ですが、親兄弟や親戚一同の反対があったことでしょう。そんな逆風を克服して、南北は、やがて大作家になったのです。
 もっとも、これは私が勝手に考えた、月並みではありますが、よく語られる1人の男の背景です……。

 「東海道四谷怪談」の中に、深川などが出てくるそうです。
 私は、まだこれを読んだことがないので、機会を得て確認してみましょう。

 南北のお墓は、春慶寺(墨田区業平2丁目)にあるそうです。
 業平という地名が、『伊勢物語』の東下りへと誘います。ここにも、脚を向ける日があることでしょう。

 鶴屋南北について少し調べました。もっとも、最近流行の、ネットで検索して得た情報にしか過ぎませんが。

 まず、「狂言作者」というのは、「歌舞伎の脚本を作る人」、ということのようです。
 舞台の台本を作る人だ、としておきます。

 また、鶴屋南北は、一世から三世までが「道化方役者」で、四世と五世が「狂言作者」だそうです。
 何代目何々、というところなのでしょう。ただし、この人が一番著名だからでしょうか、「大南北」とも呼ばれているようです。

 ほんの少しですが、江戸時代の文学の入口に立った気持ちになりました。
 地元を散策する中で、江戸を体感してみたいと思います。

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2007年09月20日

江戸漫歩(1)夜の隅田川を眺めながらの帰宅

X8xc4qs__s夜の隅田川


 東京の職場から宿舎への帰路は、その日の気分で電車を利用しています。行きは最短時間の経路ですが、帰りはノンビリとブラブラと帰ります。これは、横浜の金沢文庫にいた時もそうでした。
 今回屋移りした深川の宿舎でも、最寄り駅が3つもあるので、いろいろなパターンで通勤を楽しんでいます。それも、仕事帰りに銀座のスポーツクラブで汗を流す関係から、交通機関の集中する銀座からの帰宅経路は、実にさまざまな組み合わせが可能なのです。

 最近、私が好んで通る道は、宿舎の近くを流れる隅田川の夜景を楽しむコースです。

V7agroeq_s遊覧船


 大阪で最底辺校といわれた高校の教員をしていた頃、毎年100人以上の退学者が出る学校だったこともあり、問題を起こした生徒の家庭訪問に明け暮れる日々でした。それも、場所が淀川の河口だったために、渡し舟で生徒たちの自宅に行っていたのです。夕陽が大阪湾に沈む頃に、自転車を押して渡し舟に乗り、夜にまた渡し舟で帰って自転車を勤務校に置き、トボトボと歩いて電車の駅から帰宅したものです。

 そんなこともあり、夕闇の川べりや、光が散乱する川沿いの夜景は、自分がやりたい勉強がしたくてもできなかったあの頃を思い出させるせいか、少し感傷的になるのです。
 金沢文庫にいた時も、金沢八景や八景島を一人で散策したものです。そして今、隅田川の光に彩られた夜景を見ながら帰宅する道すがらを楽しんでいます。

 参考までに、本ブログで過般紹介した、宿舎を臨む隅田川の昼の光景を再掲します。

Omhkcnbv_s昼間の隅田川


 時間によって川が見せる顔の変化は、なかなかおもしろいものです。
posted by genjiito at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩