2012年04月12日

江戸漫歩(53)散り初めた葉桜がいい

 京都は今、ソメイヨシノが満開です。
 東京は京都よりも少し暖かいせいもあってか、そろそろ散り初めています。

 隅田川沿いを朝の散歩に出かけました。
 散りだしたソメイヨシノ越しに、スカイツリーを見晴るかしたところです。
 
 
 
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 隅田川の右岸沿いに、花弁が川面をたゆたっています。
 ボートが通る度に、ゆらゆらと円弧を描いたりジグザグになったりします。
 
 
 


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 立川まで行くと、まだ桜は満開を保っています。
 
 
 
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 お江戸の桜は、今週末までのようです。
 新しい年度のスタートを実感させてくれる桜は、新年の梅とともに日本の文化を育んできた自然の営みを視覚的に教えてくれているようです。
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2012年04月06日

江戸漫歩(52)咲き初めた深川と立川の桜

 今年は、桜の開花が例年よりも遅いようです。京都も東京も開花宣言がなされました。しかし、まだ蕾が目立ちます。明日、明後日あたりには満開となるところが多くなることでしょう。

 通勤途中で、桜をカメラに収めました。
 宿舎に近い黒船橋から中央大橋を望みました。
 
 
 
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 お江戸深川のさくらまつりには、この大横川の両岸から桜が枝垂れかかって、川面が桃色に変わります。
 今はその賑わいを、ひっそりと待っているところです。

 立川の職場へは、いつもはモノレールかバスを使っています。しかし、この桜の季節になると、立川駅から歩いて通勤します。20分ほどでしょうか。
 
 
 
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 自治大学の南側の通りでは、もう相当花が開いています。
 ここは、桜のトンネルになるので、毎年ここを歩くのが楽しみです。
 
 
 
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 6月末から、娘のお婿さんがこの自治大学に3ヶ月ほど勉強のために来ることになっています。今は通信教育でたくさんの宿題を課せられて大変だとか。
 気の置けない人なので、気楽に立川あたりで飲んだり食べたりできることが、今から楽しみです。
 本人と娘は、連れ回されることを警戒しているようです。手厚く歓待しましょう。妻は、お弁当を二つ作ってあげようか、などと言って、これまた楽しみにしています。

 今年も桜が忘れずに咲いてくれたことに感謝しています。
 最近の関東地方を含めての太平洋岸は、地震や津波や放射能のことで、何かと心がザワザワとしています。

 私のいる宿舎は、東京でも一番危険だと言われている地域にあります。隅田川の河口なので、地震もそうですが津波で一欠片もなくなる可能性が危惧されています。今、5階建ての2階に住んでいます。

 宿舎はもう老朽化しており、立て替えを待っているところでした。なにしろ、恩師伊井春樹先生が国文学研究資料館の設立当初である1972年から10年間お住まいになっていた、そこに今私が住んでいるのです。40年前のままの建物なので、確かに地震にも津波にも抗える足腰は備えていません。やっとのことで建っている、という状態です。

 押し入れの柱が相当沈み込んでいて、襖を開ける時は渾身の力が求められます。というよりも、なるべく開けないようにしています。そうかというと、押し入れの上段の襖は、支えがないとハラリと落ちてきます。そんな状態の住まいに急遽耐震補強工事がなされるのでは、というニュースが入ると、解体して立て直すだけの時間すら待てないのかと、不気味さで心穏やかではなくなります。それだけ、危険が身近に迫っているのだ、ということを、こうした話題を耳にするたびに実感しています。

 週末の京都行きは、疎開という意味合いが濃くなってきました。
 今日は何かと忙しいこともあり、これから夜行バスで一路京都へと帰洛の途につきます。
 ただし、名神高速道路は東海道沿いの道です。そこを走るバスなので、危険地帯と言われる地点を移動するリスクから逃れられないことは同じです。しかし、ジッと待つよりも、西の方角へ身体を平行移動することに気分的な安心感があるのです。
 疎開ということばの意味が、しだいに我が事として感じられ出しました。
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | ・江戸漫歩

2012年01月09日

江戸漫歩(51)隅田川の鴨たち

 隅田川の河口で鴨を見かけました。
 いつもウォーキングで通っている散策路なのに、始めて気づきました。
 船が通ると大きな波が押し寄せます。
 賀茂川の鴨と違い、波間に漂う水鳥の風情です。
 向こうには、中央大橋が勇姿を見せています。 
 
 

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 川岸の浅い所には、家族や友達と思われる鴨が集まっています。
 往来する船舶から逃げるように、何やら遠慮がちに群れています。
 
 
 

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 一方ユリカモメは、ここが自分たちの住み処であることを主張するかように、悠然と止まっています。
 このユリカモメに関しては、琵琶湖から飛来した賀茂川の方が、遠来のお客様という雰囲気を漂わせていました。
 さて、西と東の鴨やユリカモメの容姿や性格にどんな違いがあるのか、知りたくなってきます。
 
 
 

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 今年も、慌ただしく仕事が始まりました。
 昨年から意識しているスローペースを自分に言い聞かせ、一度立ち止まって深呼吸をする日々を送ることにします。
posted by genjiito at 22:48| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年11月17日

江戸漫歩(50)深川の木々も色づいて

 先週末の富岡八幡宮は、七五三と酉の市と骨董市が一緒になったこともあり、多くの人で賑わいました。
 
 
 

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 この八幡さまと、すぐ隣の深川のお不動さまは、朝晩の散策でよく足を留めるところです。
 世相を反映してか元気がなかった境内も、この日ばかりは老若男女の人出があり活気がありました。七五三の親子連れは、着物姿の子供と一緒に、親たちも、特にお母さん方は着物が多いようでした。

 この日の骨董市は、茶器などもいいものが出ているようです。まだ、私には茶道具のよさはわかりません。しかし、値段がいつもとは違っていました。とても手がでません。

 さらに珍しい物では、「帝国大学新聞」の昭和2年から7年までの束が、埃まみれのままで出ていました。
 先月、「昭和7年の東大源氏物語展の報道記事見つかる」(2011年10月21日)という記事の中で、この「帝国大学新聞」の昭和7年11月21日版を取り上げました。

 目の前にあるのは、紙くずの束のような状態の古新聞です。紐を解いて確認しようと思いましたが、埃がものすごいのです。お店の方も、紙がボロボロになるからと言って紐を解くのを嫌がっておられたので、その場での確認は一応断念しました。
 これは、東大図書館か国会図書館で現物を確認することにします。

 それにしても、探している時に、モノは姿を見せるものなのですね。昔、東大に行っておられた方の家から出てきたものだそうです。偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎます。ちょうど、探している月日の新聞が目の前に出現したのですから。縁というものは、こんなものなのでしょうか。
 一束3万円とのことだったので、見送りました。

 散策路を通って黒船橋へと出ました。
 深川を流れる大横川の川沿いも、しだいに紅葉し出しました。
 
 
 
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 黒船橋の船のりばの向こうには、隅田川にかかる中央大橋の主塔がみえます。これは、フランスのデザイン会社の設計になるもので、日本の兜をイメージしたものだそうです。
 まわりのマンションやビルに遮られていて、ここからの眺めはいただけませんが……
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年11月06日

江戸漫歩(49)豊洲の船カフェと運河クルーズ

 東京湾にはたくさんの運河があります。その中でも豊洲の運河沿いに建つ芝浦工業大学の前にある浮桟橋に、期間限定の「船カフェ」が係留されました。今月の4日から6日まで、そして9、10、16、17日の計7日間だけなので、興味のある方はいかがでしょうか。
 
 
 

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 この船内とデッキでは、コーヒー・ビール・パンが楽しめます。
 店員は、芝浦工大とすぐ近くの東京海洋大学の学生さんたちです。

 船のすぐ目の前では、芝浦工大の大学祭が開催されていました。バザーや模擬店などが出ていました。驚いたことに、ミスコンテストをしていました。女性差別ということで、もう学園祭から消えたものと思っていました。何か理由をつけてやっているのでしょう。いかにも素人という進行ぶりだったので、素通りをしました。

 さて、浮桟橋にある「船カフェ」では、豊洲埠頭を一周する運河クルーズも実施していました。めったにないことなので、乗船してみました。オレンジ色のライフジャケットを首に巻き、薄曇りの豊洲から隅田川を航行しました。
 私が住んでいる東京の宿舎周辺のことは、意外と知りません。地元の運河の様子が、こうして船に乗るとよくわかります。

 有明テニスの森や、かつての木場貯木場のあたりを通過中に、水上スキーを楽しむ人とすれ違いました。なかなか楽しそうです。スクーバ・ダイビングやパラグライダーのおもしろさを知っている私は、この水上スキーもいつかやってみようと思いました。
 
 
 
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 このあたりに、数年後に築地市場が移転してくることになっています。

 目の前にいつも通勤や散歩で渡る相生橋が見えてきました。
 
 
 
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 写真左のマンション群がリバーシティー21と石川島公園です。橋の袂に中の島公園があり、その右側に東京海洋大学があり、その向こうに私が住む宿舎があります。
 津波が来たら真っ先に流されるところにいることを実感しました。地震がくるたびに、びくびくしています。

 ぐるっと豊洲運河を一周して、芝浦工大の浮桟橋に到着です。
 
 
 
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 芝浦工大の中では、白い線をたどって走るロボットカーや、迷路を探すロボットカーなど、いかにも工業大学らしいイベントがありました。タイムレースのコースは、直前まで競技者にはわからないように隠されているのです。
 私も電気が好きで工作が好きなので、こうしたイベントは興味があります。レーシングカーやラジコンカーは、昔から大好きでたくさん作ってきました。今はコンピュータが手軽に応用できるので、こうした考えるカーレースができるのです。もし私が若かったら、きっとこうした競技会に嬉々として参加していたと思います。
 
 
 
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 若者たちの元気な姿を見て、なかなかやるなと頼もしく思いました。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年10月09日

江戸漫歩(48)築地の秋まつり

 ブラブラと散歩がてら、自転車で銀座へ行く途中、かちどき橋を渡ってすぐの築地場外市場が賑やかでした。先日紹介した「波除稲荷神社」のすぐそばです。立ち寄ると秋まつりをしていたのです。

 青空休憩所では、食育体験ができます。「かつお節削り」「包丁研ぎ」「玉子焼き」「魚を捌く」などがありました。

 今、私は糖質制限食なので、近江牛のステーキやコラーゲン野菜汁などなど、カロリー制限食の頃には食べられなかったものが食べられるのです。青空の下、おいしくいただきました。

 道を隔てた向かい側は、東日本復興支援としてのイベント会場になっていました。
 
 
 
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 このエリアには、宮城県、福島県、岩手県の特産品が売られていました。
 私は、宮城復興支援センター主催のブースで、南三陸の浜から直送された獲れたての秋鮭のホイル焼きをいただきました。
 
 
 
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 まさに、糖質制限食の見本のような食事となりました。

 外に出ると、築地市場は人ひとヒトでごった返しています。

 土日によく来るのですが、あまりお店が開いていないのでこれほどの人出は初めてです。いつもは閉まっている店も、今日はおまつりということもあり、元気に営業です。
 
 
 
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 いつもの食材を仕入れ、何軒かの店で試食をして回りました。

 東京の築地市場は、京都の錦市場とも、大阪の黒門市場とも違った活気があります。
 黒門は近郊近在の人が、錦は地元の人と海外からの観光客が、そして築地は地方の人と海外からの観光客で賑わっている、という印象を受けます。
 市場に活気があるのは、本当に楽しいことです。

 私はあまりたくさんは食べられません。しかし、少しでも美味しいものを食べたい、という思いはいつも持っています。

 健康第一の日々を最優先させた生活を目指しています。
 そのためにも、何事においてもスローダウンさせた日常を意識しています。
 いままでのように、仕事をテキパキとはしていないので、申し訳ない思いでいます。
 しかし、これも元気な今日があり、明日があってこそです。
 昨夏、命拾いをして以来、この開き直りが一番の収穫です。

 そのような中で、贅沢ではなくて、少しでも新鮮で美味しいものは欠かせません。
 これが今の私にとって、明日へのエネルギーです。
 ささやかでかわいい贅沢だと思っています。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年10月03日

江戸漫歩(47)朝の隅田川と都鳥

 今回の帰洛は、一泊二日の旅となりました。
 一昨日の夕方、賀茂川散策の途次にうろこ雲を見てすぐに上京しました。
 京も江戸も、すっかり秋です。

 昨日の朝、宿舎の近くを流れる隅田川を散策しました。
 水鳥が、仲良く中央大橋に向かって飛び立ちました。
 
 
 

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 『伊勢物語』の第9段に次の歌があります。

名にし負はばいざこと問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと


 『伊勢物語』の本文には、この「都鳥」について、

白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。

とあります。
 私が見かけた水鳥の嘴と脚も赤かったようなので、これが都鳥なのでしょう。今のユリカメモと言うべきでしょうか。
 もっとも、都鳥は本来は身体の色は黒いそうです。厳密に言えば、違うことになります。

 また、『伊勢物語』によると、隅田川にいた都鳥について、京都では見かけない鳥だとあります。
 現在、賀茂川にはユリカメモがたくさんいます。我が家の近くの河原でも、秋から春先にかけてよく見かけます。これは、越冬のために北から飛来し、琵琶湖をねぐらにしながら毎日賀茂川にやって来るのです。
 ただし、賀茂川にユリカメモが来だしたのは意外や意外、1974年1月からだそうです(「「当世京都名所図会」31ユリカモメ」)。

 すると、1974年までは、都鳥(ユリカメモ)は「京には見えぬ鳥」だったということなので、『伊勢物語』の語りはそのまま受け取っていいようです。

 昨日の隅田川の水面は、いつもより高いようでした。東京湾から流入する海水のせいか、海の匂いがします。

 水辺ラインの船が、すぐ近くの乗り場に着岸し、8人ほどの乗客を乗せるとすぐに、お台場に向かって急ぐように走っていきました。
 前方左の中央大橋を潜ってレインボーブリッジの方面に向かうのです。
 現代の渡し守は、きちんとした制服制帽の東京都の職員のようです。
 
 
 
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 一昨日の賀茂川とはまったく風情の異なる隅田川の今朝の風景です。
 この2つの都を流れる川の役割は、みごとに違います。
 景観が異なることも含めて、その違いを考えながらの散策となりました。
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年09月28日

江戸漫歩(46)糖質制限と築地のすし塚

 晴海通りから築地本願寺角の築地6丁目交差点を東に入ると、中央卸売市場の手前に波除神社があります。築地にはよく来ますが、まだ一度もお参りはしていませんでした。
 
 
 
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 8月から私は糖質制限の食事に切り替えました。我流ではありますが、ご飯や・パン・麺類を食べない食生活をしています。
 今のところ、順調に血糖値のコントロールができています。食後1時間で血糖値が160前後、食後2時間で120前後に落ち着きつつあります。1ヶ月の成果としては、思ったよりもいいと思っています。
 その意味でも、2ヶ月後に予約しているヘモグロビンa1cの測定値が楽しみです。

 スーパーマーケットなどに行くと、食品を手にしてはその成分の表示を見ています。糖質や炭水化物が何グラム含まれているかを確認するのです。
 それにしても、現代人が膨大な糖類を口にしていることには、こうした確認をしていると驚くばかりです。身体がおかしくならない方が不思議です。おいしいと思わせるために、甘い味付けがなされているのでしょうか。隠し味として、粘り気を出すと共にさまざまな糖類が添加されています。実態を知ると、考え込んでしまいます。

 カロリーばかり気にしていて、糖質に気を向けていなかった日々を思い出すと、無意識に糖質を溜め込む食生活をしていたことに対して、言いしれぬ怖さを感じます。特に私は、消化器官の中心となる胃や十二指腸などがないのです。体内に取り込まれた糖質がどのように吸収されているのか、お医者さんも胃を切除したケースのデータが少ないのでよくわからない、とおっしゃいます。それならなおさら、自分で自分を実験台にするしかありません。

 こうした日々の中で私にとっての一大問題は、大好きだったお寿司を食べていないことです。
 毎日のように食べていた回転寿司屋に、先月8月からぱったりと行かなくなりました。
 楽しみを絶つことに迷いはありました。しかし、自分の身体を何とかしたいという思いの方が強く、血糖値をうまくコントロールできるようになってから、お寿司を取り入れた食事を考えることにしています。

 そんな事情があったので、この波除神社にあるという「すし塚」には、ご挨拶に行かなくては、と思っていたところでした。この機会に、しばらくお寿司にご無沙汰していることの報告をしました。

 境内左側には、たくさんの塚や碑が並んでいます。その手前の方にある「玉子塚」と「海老塚」に挟まれて「すし塚」があります。
 
 
 
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 これは、昭和47年11月1日に東京都鮨商環境衛生同業組合が建立したものです。

 日本人は律儀です。そして、思いやりの心を忘れません。日本文化と風土が育てたお寿司のネタである魚たちに感謝と慰霊の気持ちを捧げ、お寿司の発展を祈って建てられたものです。碑文は、当時副総理だった三木武夫氏の揮毫になるものです。
 毎年11月1日の全国すしの日には、組合員によって魚霊祭すし塚祭が行われているそうです。

 私も、お寿司が食べられる食生活を1日も早く組み立てて、また回転寿司屋めぐりが出来る日が来るのを楽しみにしています。

 築地の市場の中で食事をしました。ご飯を食べないので、新鮮な刺身の盛り合わせとマグロの串焼き、そして蟹汁にしました。
 
  帰りがけに、店頭で鱧を見かけました。
 
 
 
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 東京では少し気どった店などでしか出会えないと思っていました。
 どこから連れてこられた鱧でしょうか。ぐったりしていました。関西の夏は、日常的に鱧がいます。それでも、築地に来れば鱧に出会えることがわかり、少し安心しました。
posted by genjiito at 23:49| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年09月27日

江戸漫歩(45)虹の橋と十返舎一九の墓

 台風一過の週末、自転車で東京湾の内側をブラブラと散策しました。
 いつもは、宿舎の前を走る清澄通りから晴海通りを北に上り、勝鬨橋から築地や銀座に行きます。それを、清澄通りの月島と勝ちどきを直進して、行き止まりの豊海の倉庫群へと走りました。東京湾の開口部になります。

 右の隅田川越しに浜離宮恩賜庭園が見えました。すぐ左が竹芝桟橋です。その向こうに、東京タワーが見えます。
 
 
 
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 私たちが結婚式をあげたのが、この東京タワーの真下だったので、36年の時間の流れにあらためて思いを新たにしました。

 さらに南を見やると、東京湾に架かるレインボーブリッジが一本の線として見えました。
 オレンジ色の船の向こうには、フジテレビのシンボルである球体が見えます。
 
 
 
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 実は、この橋を見るのは初めてです。ゆりかめもに乗ったときや、羽田へ行くモノレールから窓越しに見たことはあります。しかし、こうして間近に見たことはなかったのです。

 帰りに、十返舎一九のお墓を見かけたので、立ち寄りました。
 
 
 
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 墓石に刻まれているという辞世の歌が洒落ています。

此世をば とりやお暇に 線香の
  煙と共に はい左様なら


 平安時代でいえば、『伊勢物語』(第125段、『古今集』861番歌)にある在原業平らしき男の辞世の歌が連想されます。

つひに行く道とはかねて聞きしかど
  昨日今日とは思はざりしを

 しかし、これはそれとは違ったおかしみがあり、江戸らしくて何とも言えずいいと思いました。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年09月14日

江戸漫歩(44)深川も夏から秋へ

 東京は、まだ夏の暑さを引きずっています。日中は汗ばむほどなので、若い人が熱中症にかかっている状況を見るにつけ、体調管理の難しさを教えられます。
 私は、先月から糖質制限の食事に切り替え、ご飯・パン・麺類を食べない生活を送っています。この食生活は、肉などが食べられるので、これまでとは食事が一変しています。
 そして、血糖値もうまくコントロールできているようです。

 明日は、糖尿病外来で診察の予約が入っています。
 さて、お医者さんからはどのようなアドバイスをいただくことになるのか、大いに楽しみにしています。

 深川でのこの夏のスナップを何枚がアップします。
 まずは、メダカから。
 
 
 
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 先月からの住人です。最初は10匹いました。しかし、一と月で5匹になりました。先月は家を空けることが多かったので、新しい環境になじめないままに半分になっていました。
 今いる5匹は、とても元気です。
 マリモもスクスクと成長しているようです。

 ベランダにも、いろいろと花が咲き出しました。
 
 
 
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 すぐ下の花壇の様子は、また機会を改めて紹介します。

 近くの富岡八幡宮の骨董市は、よく雑誌などで紹介されています。行ってみると、あまり広くない境内に所狭しと古物が並べられています。
 
 
 
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 京都の東寺や北野天満宮などの市を知っているので、なにやら細々とという印象を持ちます。
 今回は、お茶碗が気になりました。今まで、陶器などには興味がなかったので、これもお茶を習い始めたせいでしょう。

 古そうでいいな、と思うものの値段を聞くと、何と80万円以上もするものがいくつもありました。まだ、どこが良いのかよくわかりません。
 宿舎にはお茶道具が何もないので、練習用に、手頃なお茶碗を3つ買い求めました。そして、飴色の茶杓と茶筅も。

 これで道具は集めたので、本を見ながらお手前の練習をしようと思っています。
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年09月10日

江戸漫歩(43)東京駅近くの公園で盆踊り

 東京の日本橋・八重洲口・有楽町・銀座一帯には、全国のアンテナショップが目白押しです。楽しく全国の物産館巡りでお買い物ツアーができます。

 自転車で、東京駅八重洲口前にある福島県の物産館へ行きました。
 その帰りに、京葉線の東京駅から一つ目の八丁堀駅近くを通りかかったら、児童遊園地でほほえましい盆踊り大会が催されているのに出会いました。幕には「越一ふれあい盆踊り大会」と書いてあります。
 
 
 
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 場所は、中央区新川町二丁目にある高橋南東児童遊園地です。猫の額ほどの広さの公園で、20人ほどが浴衣姿で集まっておられます。そして、スピーカーで曲を流し、みなさん楽しそうに踊っておられたのです。
 写真にも写っているように、太鼓を叩いているのは少年です。
 これから、近所の子どもたちが集まってくるのでしょうか。
 左端の交差点の角には交番があり、その前に出店が一軒ありました。ほんとうに小さな盆踊り大会です。

 私の小学・中学校の頃は、場所が河内のど真ん中、『伊勢物語』の「筒井筒」で有名な八尾市高安の里だったので、盆踊りと言えば河内音頭や江州音頭でした。初音屋の河内音頭の一節なら、私も下手ながら歌えます。踊りは、河内音頭のマメカチくらいしかできませんが。
 夏になると姉に連れられて、よく盆踊りに行きました。太鼓とエレキの音を聞くと、ウキウキします。

 今日、私が通りかった時には、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が流れていました。こんな曲でも、盆踊りの振り付けで踊れるのですね。意外や意外。しかし、見るからに楽しそうでした。
 
 
 
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 この写真の背景となっているビル群は、築地あたりと思われます。全国いたるところで盆踊りがあることでしょう。しかし、ここの盆踊りは、その狭さで言えば日本一の会場ではないでしょうか。そのせいもあってか、楽しさの密度も日本一濃い、和気藹々の雰囲気がありました。

 帰ってから調べると、盆踊りで「ダンシングヒーロー」を踊る動画が、ユーチューブに実にたくさん登録されてしました。乗りがいいのでしょう。日本は本当に楽しい国です。

 すぐそばの中央大橋を渡って宿舎までの帰り道で、晴れ渡った夜空に満月に限りなく近いお月様が照っていました。右がリバーシティー21、左の隅田川には屋形船が通りかかるところでした。
 
 
 
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 これから秋祭り真っ盛りとなります。東京のど真ん中でも、こうして盆踊りがなされています。地域が変質した状況の中でも、盆踊りという伝統が守り伝えられています。地域住民みんなのために、そして自分のために。
 日本の文化の多様さを実感しました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年08月03日

江戸漫歩(43)佃島の手押しポンプと賀茂川の月

 朝晩こころがけている食後の散策は、三日坊主に終わることなく、順調に続いています。

 今朝は、隅田川の下流に架かる中央大橋のたもとにある、佃島一帯を歩きました。もんじゃ焼きで有名な月島は、すぐ隣に続いています。

 ここ佃島は、摂津国西成郡田蓑島(大阪市西淀川区佃)の漁民が、江戸時代の初期に徳川家康との深い関わりから移り住んだところだそうです。今から400年前のことです。
 その鎮守さんである住吉神社に立ち寄りました。
 
 
 

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 今年の例祭は、今週末の6日に予定されていました。しかし、こんな張り紙がありました。


本年の例祭は3月11日発生の東日本大震災の影響により、宮神輿巡幸は来年に延期になりました。


 その決断をされた真意は、今はわかりません。しかし私には、日本の祭礼の意義が軽視されているように思えます。被災者のことを想いながら、神と共に魂の発動をみんなで盛り上げてほしいものです。
 神霊への言挙げや魂触りを悪いことでもあるかのように自粛するのは、大きな勘違いがあるように思います。お祭りは、遊びでもなければ、バカ騒ぎでもないのです。
 復興支援と称して芸能人を呼んだり集めてのバカ騒ぎこそ、自粛すべきです。報道関係者や番組制作者の思い違いと萎縮ぶりは、目を覆うばかりです。日本の伝統行事や文化理解を背景にして、被災地の方々にみんなで声援を送ることも意義のあることです。
 最近の復興支援という名の下のおもしろおかしく演出されたイベントは、個人技に頼りすぎているように思います。みんなでできることの一つに、全国各地でのお祭りもあると思います。

 さて、この佃島の一角には、一メートルほどの路地を挟んで、向かい合うように民家が立て込んでいたりします。かつての日本の懐かしいたたずまいが見られます。

 そんな中で一軒の玄関先に、こんな手押しポンプを見かけました。
 
 
 

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 私が小さかった頃は、水道がまだ家に来ていなかったので、共同井戸のポンプで水を汲み上げていました。その水を飲み、ご飯を炊いていました。
 冬になると戸外にあるポンプが凍るので、お湯を沸かしたヤカンを左手に持ち、ポンプの上の口から注ぎながら、右手でギコギコと梃子の棒を上下させたものです。
 この佃島で、まだ現役で動いているポンプを見て、飾りとなりつつある懐かしい道具に、誇らしげな持ち主の思いを感じ取りました。
 これもまた、早朝のいい風景として、目に映りました。

 明日は、京大病院で内視鏡による検査です。一仕事終えると、大急ぎで新幹線に乗りました。
 夕刻は、京都の自宅のそばの賀茂川をウォーキングです。
 
 
 
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 北大路橋からは三日月が見えました。
 
 
 

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 隅田川の川縁は、石畳やアスファルトの道です。そして、川に架かっているのは立派な大橋です。
 対する西の賀茂川に沿った散策路は、土と草の道です。そして、川に架かるのは小さな橋と飛び石です。
 東と西の散歩道は、こんなに違うのです。あまりにも対照的なので、お互いの土地柄を味わいながら楽しんで歩けます。

 お盆まで、昨年の手術に伴う検査の日々が続きます。あれから一年。とにかく、何とかここまで大過なくきました。
 充分に身体の隅々までチェックをして、また今後に備えたいと思います。
posted by genjiito at 23:30| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年07月23日

江戸漫歩(42)水上バスで浅草へ

 宿舎のすぐそばに、東京水辺ラインという水上バスの発着場があります。
 昨夜の散歩で、多くの船が着岸を待つところに行き会いました。ざっと見渡しても、屋形船などが5艘は待機していました。
 
 
 
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 乗船のみなさん、食事をしながらナイトクルーズを楽しんでおられたのです。賑やかに下船される姿は、本当に楽しそうでした。
 非常に盛況だったので、昼間のクルーズに乗ってみることにしました。
 
 
 
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 船から宿舎の方を振り返ると、正面の橋の左にある小さな宿舎はまったく見えません。
 
 
 
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 隅田川を遡ると、まずは永代橋を潜ります。
 その右に、スカイツリータワーが見えます。
 
 
 
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 続いて、清洲橋の正面にスカイツリーが見えてきます。
 
 
 
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 浅草の船着き場の手前から、スカイツリーの中程に、最後のクレーンが一台だけ残っているのが確認できました。すべてのクレーンを下ろし終え、役目を済ませて後は自分が解体されるのを待っているのです。ごくろうさまでした。
 
 
 
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 浅草の浅草寺は、海外からの観光客でいっぱいでした。東日本の大震災と原発の事故で、観光客が減ったということです。しかし、今日はたくさんの方が来ておられました。ほとんどが、中国からの方々でした。お店の方も、中国語で客引きをしたり、説明をなさっていました。

 お決まりのアングルで、雷門を撮りました。
 
 
 
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 仲見世通りを少し外れた鰻屋さんで食事をしました。
 私は鰻重を、妻は白焼きです。白焼きは関西ではあまり見かけないので、こんな時に楽しめます。
 関東の鰻は、私には柔らかすぎて物足りなく思います。あらかじめ蒸してから焼くからでしょうか。それでもおいしくいただき、体調を整えることに備えました。
posted by genjiito at 23:17| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年06月26日

江戸漫歩(42)お江戸日本橋へウォーキング

 伊井春樹先生の食生活が、先週の『週刊新潮』(6月23日号)に掲載されていました。「私の週間食卓日記 第682回」という記事で、1週間の食事が詳しく記されています。

 これを読んだ妻が、うちでもマリネをメニューに加えよう、ということで、この記事を参考にして食生活を組んでいます。

 この日記の中で、『源氏物語』の「大澤本」のことが書かれています。「写本を読んで、他のテキストとの違いを比較しています。」ともあります。しかし、先生からのお手紙によると、例えばと聞かれて話したことがこのように毎日調べているように書かれてしまって、とのことです。取材を受けての記事を読むときには、それなりの脚色に注意が必要だということのようです。

 先生の生活の中で、週に2度のスイミングのことが書かれています。毎回、1500メートルほど泳いでおられるのです。

 私も、ちょうど20年前に高校の教員を辞めてからは、先生からいただいたアドバイスを守って、ずっとスポーツクラブで運動をするようにしています。今は、銀座三丁目のアップルストアの並びにあるスポーツクラブの会員です。しかし、最近はサボりがちです。
 これではいけない、と思い、今日はひたすら歩く日にしました。

 宿舎から永代橋を渡って北上し、日本橋から室町周辺を散策しました。実は、昨日のテレビで、この一帯を紹介していたので、興味をもったのが足を向けた理由です。

 茅場町を歩いていたら、みずほ銀行の一角に俳人榎本其角の住居跡がありました。ここが終焉の地のようです。47歳で亡くなっているので、若かったのですね。
 この碑の文字で、「角」の中の縦棒が下まで突き抜けているのに気づきました。
 
 
 

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 さらに北へ歩くと、お江戸日本橋に出ました。
 次の写真は、京都三条からスタートして500キロ地点となる日本橋です。この日本橋に着いた時の気分を思ってシャッターを切りました。もっとも、現状ではその雰囲気など微塵も感じられませんが。
 
 
 
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 お江戸から京都に向かう時には、このような方角になります。首都高速道の高架が邪魔で、何の感慨も催しません。
 
 
 
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 東京は「にほんばし」で、大阪は「にっぽんばし」です。
 お札や郵便切手などには、「日本」と「NIPPON」が並記されているので、「にっぽん」の方が正式の発音なのでしょう。「JAPNA」とも関係する発音かと思われますが、これは専門家におまかせしましょう。

 三越の向かいに、奈良のアンテナショップである「奈良まほろば館」がありました。
 
 
 
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 つい、懐かしさのあまりにいろいろと買い物をしました。奈良にいた時にほしくて買えなかったものが多いのに驚きます。地元で探すよりも、アンテナショップが便利であることを実感しました。
 京都の物産館は、東京駅八重洲口にあります。そこには、非常に上品な、よそ行きの京都があります。しかし、気持ちのいい空間でもあります。

 さて、「奈良まほろば館」の並びのすぐ横には、島根県の食事ができる「島根料理 主水」という店がありました。生まれ故郷を思い出し、早速入りました。
 
 
 
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 「海鮮がいな丼」はお昼の限定30食とありましたが、飛び込みにもかかわらず幸運にも何とか間に合いました。これには唸ります。そして、出雲名物の割子そばも……。妻と2人で分けながら食べました。大満足です。
 このまた隣が、「にほんばし島根館」という島根県のアンテナショップでした。ここでも、懐かしさのあまりに、いろいろと買ってしまいました。
 
 
 
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 ブラブラしての帰り道、人形町の一角に谷崎潤一郎の生誕の地があったので足を留めました。松子さんの書です。隣の「幻の羊かん 細雪」は閉まっていました。
 
 
 
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 この建物には、「にんぎょう町 谷崎」というしゃぶしゃぶ料理の店があります。店の看板の文字も松子夫人のようです。これは、機会があれば、ということにしましょう。
 
 
 

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 運動がてらの散策が、意外にも実りあるものとなりました。
 これは、今後もと続けたいと思います。
posted by genjiito at 22:03| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年06月25日

江戸漫歩(41)楽天地天然温泉「法典の湯」

 JR武蔵野線の船橋法典駅から線路沿いに歩いて5分のところに、楽天地天然温泉「法典の湯」があります。
 住宅地の中です。
 
 
 
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 土の香りがする源泉かけ流しの温泉が気に入りました。これは、地下1,500メートルから湧き出る天然温泉です。化石海水と呼ばれる塩分の強い泉質とのことで、茶色い泥水を思わせます。いかにも温泉に入った、という気分にしてくれます。

 ここの住所は千葉県市川市なので、江戸ではありません。しかし、今いる宿舎から1時間以内で行けるので、身近な温泉地だといえます。
 東京とその近郊には、このような近年掘られた天然温泉がいくつもあります。
 日帰りに最適なので、折々に温泉巡りをしているところです。

 これまでに行った関東の温泉を、気に入った順に列記しておきます。
 今回の「法典の湯」は、上から2番目というところでしょうか。
 
 
(1)「前野原温泉さやの湯処」(2011年5月 9日 )

(2)楽天地天然温泉「法典の湯」(2011年6月25日)

(3)「東京染井温泉サクラ」(2011年6月7日)

(4)「深大寺温泉」(2011年5月 7日)
posted by genjiito at 21:46| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年06月11日

江戸漫歩(40)蕎麦寿司と亀戸天神社

 亀戸にある天神様は、350年前の江戸時代にお祀りされました。
 
 
 
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 参道のすぐ左に、お蕎麦屋さんがありました。珍しく蕎麦寿司があったので食べてみました。
 感じのいいお店でした。
 
 
 
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 ワサビが気に入りました。
 蕎麦寿司は、もう少し酢を利かせた方がいいように思います。
 京都の新大宮通り商店街のそば鶴さんの絶妙な蕎麦寿司の味を、あらためて再認識することになりました。
 東京にも蕎麦寿司があることがわかったので、もう少し注意を払ってまわりたいと思います。

 亀戸天神社は、梅祭りと藤祭りが有名だとのことです。
 来年を楽しみにしましょう。

 鳥居を潜ってすぐの朱の太鼓橋(男橋)は、生きてきた過去に見立てているそうです。
 ちょうど、スカイツリーが見えました。業平橋が近いので、いい具合に視界に入ってきます。
 
 
 
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 2つ目の太鼓橋(女橋)は、希望の未来を表しているとか。
 ちょうど、心字池の水面をのぞき込む鷺と、池を泳ぐたくさんの亀がいました。
 
 
 
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 今年は、私にとっては本厄の年でもあります。諸々のご加護をお祈りしてきました。
posted by genjiito at 22:51| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年06月07日

江戸漫歩(39)東京染井温泉サクラ

 巣鴨はソメイヨシノの発祥の地だそうです。そして、そこにある天然温泉の東京染井温泉サクラに行ってきました。

 駅前の地蔵通り商店街は、多くの人で賑わっていました。
 
 
 

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 長い商店街でメリヤスを吊るしで売っている様子は、お年寄りのパワーを見せつけられた思いがしました。
 わらび餅の試食をし、漢方薬店をブラブラと見ては、多くの年配方の熱気をいただいてきました。

 とげぬき地蔵の高岩寺を北に抜けると、高村光太郎、岡倉天心、二葉亭四迷、芥川龍之介などのお墓がある染井霊園に出ます。その霊園に隣接するところに、スイミングセンターがあります。ここは、北島康介も通っているようです。さらにその隣が、目指す温泉サクラです。
 
 
 
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 のんびりと、しばし温泉気分を堪能しました。
 少しぬるめが心地よい温泉です。
 食事もゆったりとできました。
 日帰りですが、心身共にリラックスした半日です。
 近くに、六義園がありました。
 しかし、この次に立ち寄ることにして帰路につきました。
 都内にも、こんな場所があることを再確認できました。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年05月09日

江戸漫歩(38)前野原温泉さやの湯処

 神田で一仕事した後、神保町から地下鉄一本で行ける所にある、前野原温泉さやの湯処へ足を延ばしました。ここは、都営地下鉄三田線の志村坂上駅から坂を下りた住宅地の中にあります。駅からはすぐです。意外な所にある温泉です。2005年のオープンというので、新しい温泉です。しかし、気に入りました。
 
 
 
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 古民家を再生した建物だけでなく、苔を敷いた中庭も純和風です。京都とは違う、現代風の作庭です。時をスパッと切り取った趣で、爽やかな印象の庭でした。
 
 
 
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 温泉は14種類もあり、どれも塩味でいいお湯でした。私は、薬草塩蒸風炉というのが気に入りました。これは、ミストサウナ風の蒸し風呂の中で薬草を焚き、その匂いを狭い空間に漂わせるものです。

 ウグイス色の源泉かけ流しの露天風呂も、湯あたりが心配になるほど効き目が充分に伝わる温泉です。いわゆる、濁り湯に類するお湯です。汗が止まらなくなる程に効果覿面でした。

 食事も、セルフサービスですが丁寧に作った料理で、昔風の開放感のある和室でのんびりと食べられました。気を遣わずに食事ができることが、食べることに難儀をしている今の私にとっては何よりです。せいろソバもネギトロ丼も、私好みの味付けでした。

 都内にも、こんなに泉質のいい温泉があるのです。東京近郊の温泉巡りが楽しみになりました。
posted by genjiito at 23:38| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年05月08日

江戸漫歩(37)清澄公園から芭蕉庵旧跡へ

 好天に恵まれた週末です。
 清澄公園でお弁当を食べました。さまざまな緑色が楽しめる公園です。清澄庭園はこの横にあります。
 
 
 

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 清澄庭園の前には、村田春海のお墓がありました。村田春海は賀茂真淵の門人で江戸中期の国学者です。平春海先生墓と書いた墓石は、この石柱の向かい側の本誓寺にあるそうですが、まだそこまで確認はしていません。村田春海が亡くなったのは、今からちょうど200年前にあたります。
 
 
 
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 村田春海に目がいったのは、私が修士課程の時代に指導教授だった内野吾郎先生が、近世国学を専門にしておられた先生だったからです。内野先生からは、この村田春海のお話をよく聞きました。また、ドイツに留学しておられたこともあり、ドイツ文献学などの話を伺っているうちに、私も文献学に興味を持ち、今に至っているのです。内野先生を偲びながら、この石碑と説明板の前でしばし立ち止まりました。

 食後の散策を兼ねて、清澄の近くにある芭蕉庵を目指しました。
 隅田川沿いに少し上ると、まずは芭蕉稲荷神社がありました。ここは、大正6年の大津波の時に出土した芭蕉遺愛の蛙石を祀っているとか。
 
 
 
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 そのすぐそばに、芭蕉庵史跡展望庭園があります。ここは、芭蕉記念館の分館ともなっています。
 
 
 
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 芭蕉像の向こうに見える清洲橋は、ドイツのケルンにあった大吊り橋がモデルだそうです。関東大震災の後、男性的な永代橋と対をなすように、女性的な橋として設計されたものです。2000年にこの2つの橋は、土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定されたということなので、広く高い評価を得ている橋です。

 芭蕉記念館は、ここからさらに隅田川を上ったところにあります。
 
 
 
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 私は江戸時代についてはあまりよく知らないので、もう少し勉強してから来たら、さらに展示されているものの意味がわかると思われます。自分への宿題となった記念館でした。

 帰り道に、清澄庭園の南側の橋のたもとにある採荼庵跡も確認しました。
 
 
 
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 この「荼」は「と」と読むことを初めて知りました。「茶」ではないのです。「さいちゃあん」だとばかり思っていました。こんな調子で、気ままに歩きながら知らないことが少しずつわかっていくのも、なかなか楽しいものです。
posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年05月07日

江戸漫歩(36)深大寺温泉

 小雨の中を、深大寺温泉に行きました。京王線の調布駅から送迎バスを利用したため、まったく傘がいりませんでした。
 
 
 

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 温泉は、直前に食べた深大寺ソバのお汁と同じ色でびっくりしました。黒湯というのだそうです。コーヒー色というより、関東のソバやうどんの出汁の色です。いかにも、身体に滋養を染み込ませてくれそうです。いくつかある湯船の、どれもこの黒湯です。

 この温泉は、12年前に湧出したものだそうです。40度なので、ちょうどいい温かさです。
 女湯にしかない「赤銅鈴之介」というお湯に入れないのが残念です。やる気を起こし、免疫性を高める電気風呂だとのことです。いつか機会があることでしょう。楽しみにしています。

 今年のゴールデンウイークは、とにかく身体のダルい日々でした。何とか持たせたものの、仕事をしていても、集中力に欠けていました。ここでしっかりと身体を休めようと、急に思い立って行ったのです。近くて便利なところに、こんな温泉地があったのです。

 関東には、温泉がたくさんあります。少しずつまわってみます。
posted by genjiito at 22:13| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年05月04日

江戸漫歩(35)平和島の骨董市

 朝から快晴の1日でした。大田区の平和島で「平和島 全国古民具骨董まつり」が開催されていたので、モノレールを使って、冷やかしに行ってきました。
 
 
 
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 会場はだだっ広いところで、全国から250もの業者が出店しているそうです。
 京都で言えば、京都大アンティーク市と同じ雰囲気です。しかし、京都は活気があるのに対して、こちらはもの静かに品物を並べている、という印象でした。

 私は、一軒の店で、源氏絵屏風に興味を持ちました。お店の方に、いろいろとお話を聞きました。
 源氏絵が12枚、6曲1双の屏風に仕立てられていました。全体を写真で公開することは控えてほしい、とのことなので、図様に興味のある方のために、ほんの一部分を紹介します。
 
 
 


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 右端の絵は「浮舟」巻で、匂宮と浮舟が船で宇治川を渡る場面です。
 真ん中は「桐壺」巻で、光源氏が高麗の相人に合う場面です。
 左端は、「夕霧」巻で、夕霧が小野の山荘に落葉宮を訪れた場面です。
 こんな感じで、12場面が描かれていました。よくある絵柄でした。しかし、絵は丁寧に描かれていたので、機会があればさらに詳細に確認したいものです。

 この他に、3点ほど源氏絵がありました。しかし新しいもので、色紙型1点の他は、いかにも屏風にしました、というものです。屏風の方が、こうした広い展示会場では人目を引きやすいことは確かです。画帖や絵巻は、見つけるのも大変です。唯一目に入った画帖も、54枚あるとのことですが表紙がなく、絵も稚拙だったので2枚だけ見て離れました。

 予想外に低調な骨董市でした。売る方に熱意が感じられず、買う方もお散歩がてら、という双方に遠慮がある様子です。よそ行きの骨董市というもので、来場者が楽しんでいる、という感じのない会場だったことが残念です。

 東京にもいろいろと骨董市があるようです。これまで、東京には仕事で来ている感覚で歩いていました。これからは、生活者の視点であたりを見わたしたいと思います。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年05月02日

江戸漫歩(34)九段坂病院へ向かう道

 自分で自分の身体を管理することの難しさを痛感しています。

 先週前半は、2日続きで高熱にうなされました。すぐに九段坂病院で診てもらいました。
 先ずはインフルエンザが疑われ、別室に隔離されて検査を受けました。結果はセーフ。別種のウイルスに感染しているとのことでした。ただし、これは3日で軽くなりました。

 先週末の京都での夜中、これまた2夜続きで突き上げるような嘔吐に苦しみました。無いはずの胃が痙攣し、出ないはずの胃液(?)が口からタラタラとこぼれ落ちます。

 昨日の一番列車で上京し、今朝、また九段坂病院で診診てもらうことにしました。

 俎橋あたりから、九段坂を見上げました。
 
 
 
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 地下鉄の出口からの坂道は、緩やかな道が西に向かって通っています。左手に武道館があります。今日も、「●●のチケットを譲って下さい」という紙切れを胸の前に掲げて、女の子が数人立っていました。
 
 
 


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 少し先に行ったところにある案内板の江戸名所図会には、こんな絵がレリーフとして填め込まれています。
 
 
 
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 右下に俎橋が飯田川に架かっています。そして左上へと九段の坂が延びています。
 まさにここは、先日読み終わったばかりの高田郁の時代小説『小夜しぐれ みをつくし料理帖』(ハルキ文庫)の舞台です。その巻頭にあった地図の一部を引用しておきます。
 
 
 
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 この「つる家」が、主人公澪が働くお店なのです。そして、俎橋から九段坂を見上げる夕陽が、折々にきれいに語られています。この坂道は、当時は相当急だったそうです。その後の改修により、今のように緩やかな坂になったと、案内板に書いてありました。
 江戸時代には、京都に負けず劣らず、江戸を遊覧する案内書がたくさん刊行されています。それを見ながら江戸見物をするのも一興です。

 インド大使館の北側の表通りには、インド料理店があります。ここの看板には、「日本で一番インドに近いインドレストラン」と書いてあります。確かに、すぐ横の大使館でインド行きのビザをもらえるのですから、インドと直結しているレストランと言えます。
 
 
 
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 先日は、帰りにここで食事をしました。インド料理は身体をやさしく温めてくれます。しかし、今日はあまり食欲がないので、来ないだろうな、という予感がしました。

 今日はあまり待たないで診察をしてもらえました。
 消化管を中心とした内蔵が弱っているからでしょう、とのことです。無理に食べようとせず、消化のいいものを少しずつ食べるように指導されました。コーヒーは胃を刺激するので暫くは休み、ポカリスエットや温かいお茶や牛乳を勧められました。
 連休中は、ゆっくりと身体を休めるようにした方がいいですよ、とも。
 そして、胃の動きを活発にする薬一種類をもらいました。

 意識的に仕事を半分以下に減らし、日付が変わるまでに寝るようにしています。しかし、それでも身体にはさまざまな負担がかかっているようです。何事も気の持ちようなので、さらなるスローダウンの生活を意識しましょう。

 帰り道、インド料理に気持ちが揺れました。しかし、ここはおとなしく、九段下のそば屋さんにしました。
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年04月24日

江戸漫歩(33)深川図書館と清澄庭園

 昨日のお江戸は、一日中雨に降り込められていました。
 生活の比重を東京にかけて、そろそろ一と月が経とうとしています。
 晴天の一日を、深川散策に出かけました。

 まずは、これからお世話になることが多くなる深川図書館です。清澄庭園の南に隣接しています。
 深川図書館は明治42年9月に開館しているので、今年で102年の歴史があるそうです。前年に開館した日比谷図書館に次ぐ古さということです。平成5年に新装となり、ご覧のように入口をはじめとする外装はきれいです。外国風の荘厳さと風格を感じさせる設計です。
 
 
 

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 図書館の中も、雰囲気のある空間となっていました。階段が気に入りました。
 蔵書は22万冊とのことなので、資料の確認などには重宝しそうです。
 宿舎から自転車で10分の地にあります。宿舎からすぐ近くには、12万冊を所蔵する古石場図書館があります。ここの1階には、小津安二郎の資料展示コーナーがあることで有名です。今後は、この2館を使い分けることになります。

 図書館の北隣には、清澄庭園があります。入場料は150円です。お弁当を持って入りました。
 池を中心とした回遊式庭園です。元禄時代の豪商だった紀伊國屋文左衛門の屋敷跡だとも。そこを三菱の創業者である岩崎弥太郎が手を入れたものです。

 地震の影響か、中の島の東屋に補強の柱が添えられ、立ち入り禁止となっていました。
 
 
 

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 池の周りの冨士山という築山でも、灯籠が倒壊していました。
 
 
 

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 松島の灯籠も気の毒な状態でした。
 このところ、東京は連日の地震で揺れています。灯籠を直すにしても、そのタイミングがむつかしいことでしょう。

 広場では、八重桜と大島桜が咲き誇っていました。薄紅と白と緑の色合いがきれいでした。
 
 
 

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 この八重桜の向こうに、深川図書館の入口が見えます。その手前に、芭蕉の「古池や……」の句碑があります。
 
 
 

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 この庭園の近くに深川芭蕉庵があり、この有名な句はそこで詠まれたものでした。1685年だということなので、今から326年前のことです。この句碑は、芭蕉庵の改修の際に、この地に移設されたものです。

 芭蕉に関連する地は、この回りにいくつかあるので、また次にしましょう。

 江戸時代について、私はほとんど知りません。関西で育った私にとって、特に江戸の地についてはなおさらです。
 『伊勢物語』で、隅田川の都鳥が話題となることしか思い当たりません。業平橋があるので、在原業平は隅田川を渡ったのでしょうか。もっとも、平安時代にこの江戸の地がどうだったのかも、今は皆目わかりません。そういえば、かつて住んでいた平群の隣町の斑鳩にも、業平橋が富雄川にかかっていました。この橋の名前は、全国にあることでしょう。

 これをよい機会に、いろいろと調べてみたいと思います。
posted by genjiito at 21:58| Comment(1) | ・江戸漫歩

2011年04月11日

江戸漫歩(32)賀茂川の桜と隅田川の桜

 昨日の賀茂川の桜は七分咲きでした。
 
 
 

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 土曜日の夜桜の宴会がいかに盛り上がっていたかは、ゴミの量でわかります。ただし、賀茂川はこまめに掃除がなされているので、気持ちがいいものです。

 朝のウォーキングでは、下鴨神社まで行きました。朱塗りの門に緑とピンクの桜は、よく似合っています。
 
 
 

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 そして今朝は、宿舎の横を流れる隅田川沿いの桜を見ながら、1時間ほどウォーキングをしました。
 京都とは違い、高層マンション群が林立する間を、桜並木が通っています。
 
 
 

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 桜越しに、スカイツリーが見えました。靄っていました。着々と完成していくタワーの前を通る船も、都会の川らしくていいものです。
 
 
 

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 少し南に行き、佃島も散策しました。ここは、大阪の人たちが移り住んで作った町です。
 
 
 

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 ここには、江戸らしい雰囲気がまだ残っています。ただし、目を上げると、ここでも高層マンション群に囲まれていることに気づきます。

 西と東の桜は、とても表情が違います。賀茂川の桜は、上品さがあります。対する隅田川の桜は自信に満ちています。共に、日本の伝統的な文化を背負って、毎年忘れずに咲いて、春の訪れを教えてくれます。
 隅田川の桜は、早々と散り始めています。いかにも、春を告げる役割を終えたといわんばかりに。
 賀茂川の桜は、もうしばらく楽しめます。山桜が多いので、ゆっくりと初夏に移っていきます。
posted by genjiito at 23:20| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年03月03日

江戸漫歩(31)江戸から一転平安の作品となった仏像

 薬師寺東京別院で、「たった9日間だけの特別公開」と銘打って、「文化財保護法制定60周年記念 薬師寺の文化財保護展 −新たに確認・修復された寺宝−」という企画展示がありました。これには、「同時公開 平山郁夫画伯奉納散華原画」とも付されています。 
 
 

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 この催しのことは、過日、東京国立博物館で平山郁夫展を見に行った時に、会場の出口でいただいたチラシで知りました。

 別院へ行くために降りた五反田駅前には、今も郵便ポストが2つ仲良く並んでいました。
 
 
 
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 このポストのことは、「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」で書いたので、ご笑覧ください。

 駅前からすぐの石畳の坂道は、桜の頃がたのしみな上り坂でした。この坂を登ったところに、別院があります。薬師寺の出張所といえばいいのでしょうか。
 
 
 
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 入ってすぐに、お亡くなりになった高田好胤さんの銅像がありました。
 
 
 
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 好胤さんのお話は、奈良にいた頃に薬師寺が近かったこともあり、よく聴きに行きました。わかりやすい、楽しい語り口でした。父母恩重経の話は、今でも懐かしく思い出します。
 晩年は、勧進を兼ねてテレビなどにもよく出ておられたので、好胤さんをご存じの方も多いことでしょう。
 この銅像は、好胤さんのお姿をよく思い出させてくれるものとなっています。

 まず、お抹茶をいただきました。お菓子は、葛の干菓子(?)で飛天が押し出してあります。
 
 
 
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 着物姿の年配の方が椅子席に運んでくださいます。ていねいなお作法でしたが、抹茶の粉がダマになって、底にいくつか大きな丸い玉となって残っていたのが残念でした。
 表千家だと思われます。年配者が多い催しなので、お茶の嗜みのある方はたくさんお越しになると思います。もう少し気配りをして点てられたら、と無責任な立場ながら思いました。

 今回は、初公開の本や仏様が目玉です。
 中でも、聖観音菩薩像は、檜の一木造りです。上掲のポスターの左側の写真がそれです。

 これまでこの仏像は、江戸時代の作になる十一面観音菩薩だとされていました。しかし、修理の過程で、実は平安時代の聖観音が、その頭部を何らかの事情で変更されたものであったことがわかったのです。
 そこで、これを機会にと、もとの聖観音の姿に復元されたものなのです。

 高さ53センチの小さな仏像でした。しかし、その背景に江戸時代の人々の想いや動きが感じられる、印象深い仏様でした。

 もう一つの新発見とされるものは、大般若波羅蜜多経(永恩経)です。
 これは、薬師寺で毎月8日に薬師縁日として講堂で行われる大般若経転読法要で、実際に昭和57年まで使われていたものです。上掲ポスターの中央の写真のものです。

 このお経を調査している過程で、昨年9月に、これが奈良時代のものだったことがわかったのです。しかも、ほとんどの大般若経が版本なのに、これは写本なのです。
 長い間、この奈良時代の写本を、実際の法要でアコーデオンの蛇腹を開くように、派手なパフォーマンスで扇形に開いて転読していたというのです。知らなかったこととは言え、これは驚きです。
 元は、巻物であったようです。それを、江戸時代に折本仕立てしたようです。
 おもしろいことがあるものです。おもしろいことがわかるものです。
 たのしいものを見ることができました。
 こうしたものに出会えるのも、昨夏の手術で命拾いをしたお陰です。

 会場の左側の壁面には、平山郁夫さんが描いた次の散華が展示されていました。


・昭和56年の西塔落慶記念の奉納散華原画(飛天の図、1枚)
・昭和57年の慈恩大師千三百年御記記念の奉納散華原画(三蔵法師・鳳凰・蓮、3枚)
・昭和60年の天武天皇千三百年玉忌記念の奉納散華原画(薬師寺の西塔、3枚)


 この内、西塔落慶記念の奉納散華原画が、木版刷りで印刷して頒布されていました。
 現物を、薬師寺の法要でいただいたように思いますが、この色紙に記された平山さんの散華を、記念にと思いいただいたきました。
 
 
 
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 平山さんが描かれる線は、とても優しいので大好きです。
 折々に見られるように、私の部屋の壁に懸かっている額の一つにするつもりです。
posted by genjiito at 02:45| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年02月17日

江戸漫歩(30)九段坂から富岡八幡・深川不動へ

 花粉に反応したのでしょうか?
 喉の腫れと鼻水に悩まされています。

 先月中旬、アメリカへ行く時には、出発前に急遽、京都の自宅近くの内科で風邪の処方をしてもらいました。

 インド行きを控えた先週、九段坂病院で、帰国後もすっきりしない喉と鼻を診てもらいました。
 原因が、風邪か花粉かわからないので、両睨みの処方をしてもらいました。

 いただいた薬を飲みきっても、まだよくなりません。
 出発を明日に控えた今日、九段にもう一度足を運びました。
 この病院は、丁寧に診てくださいます。私のガンに対して素早い対応で助けてくださったので、心強い病院になりました。

 今日の診察でも、まだ原因が特定されていません。鼻の薬を、効き目がワンランク上のものにしてくださいました。

 明日からは、ホコリの舞うインドです。喉スプレーが手放せません。

 帰りに、宿舎の近くにある富岡八幡宮へお詣りしました。ここには、伊能忠敬の像があります。
 
 
 

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 伊能は、この富岡八幡宮から全国測量に旅立ったのだそうです。それを記念して、この像が建てられました。伊能55歳の時の姿だとあります。私より若いとはとても思えません。ずっと年寄りに見えます。
 それはさておき、私は旅行の前に、よくこの伊能さんに旅の安全を祈ります。御利益のある伊能さんです。今回も……

 この富岡八幡宮の隣の深川不動堂は、長かった工事も終わりすっきりした境内となりました。
 
 
 

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 そして、紅梅と白梅が揃って咲いていました。
 江戸にも春が近いことを教えてくれています。
 
 
 

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posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年01月09日

江戸漫歩(29)早朝の隅田川ウォーキング

 隅田川ウォーキングの初日は、無事に実現しました。

 京都での賀茂川ウォーキングについて最初に書いたのは、「京洛逍遥(13)早朝の賀茂川」(2007年9月17日)でした。今日の隅田川は、賀茂川とはまったく違う世界です。

 越中島公園は、すでに何人かの人が歩いたり走ったりしています。
 昨日から、ノドのリンパが大きく腫れています。栄養を摂ってゆっくり休んだせいか、身体の怠さは少しとれました。昨日は声も出にくくて覇気がなかったので、今日も身体を休める一日にします。
 隅田川ウォーキングは、可能な限り、無理をしないで続けたいと思います。

 豊洲方面の上空では、昨日のように羽田を離陸した飛行機が加速しています。
 
 
 

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 対岸の月島を望むところに、早々と紅梅が咲いていました。
 川辺には、水鳥が群れています。
 
 
 

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 水上バスが通りかかりました。
 中央大橋を右にまっすぐに歩いて行くと東京駅です。
 
 
 

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 この船は、両国を出てからレインボーブリッジをUターンし、豊洲と越中島を通って両国に戻る「両国レインボーブリッジ周遊」という、海上散歩の水上バスです。
 いかにも東京らしい、メカニックないでたちをしています。

 この水上バスの向こうに、東京タワーの尖塔部分がかすかに見えています。
 この船は正面の中央大橋方面ではなく、ここから右折して、東京スカイツリーのある両国を目指します。

 水際に白鷺が一羽、もの想い顔で川面を見つめていました。
 
 
 

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 立派なあごひげのように見える羽が、胸を飾っています。コサギかと思われます。賀茂川のサギよりもふっくらしているように見えるのは、美味しいものを食べ、運動不足のせいではないでしょうか。勝手な想像ですが……

 親子が水鳥と遊んでいます。エサをやろうとしているのか、楽しそうです。
 
 
 

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 鳥たちが等間隔に並ぶのは、賀茂川のアベックの心理と相通ずるものがあるのでしょうか?
 この写真の左右にも、ずっと等間隔でたんさんの鳥たちが並んでいます。壮観でした。
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | ・江戸漫歩

2011年01月08日

江戸漫歩(28)新春の隅田川夕照

 新年にあたり、隅田川から夕陽を見るために、宿舎の周辺をブラブラしました。
 清澄通りの相生橋から桜の名所である越中島公園に入り、遊歩道の散策です。
 東京水辺ライン「越中島」発着所の前から、振り返って豊洲方面を望みました。林立する高層マンションが、うっすらと赤みがかっています。
 羽田を飛び立ったばかりの飛行機が、烏と共に上空に見えます。
 
 
 

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 対岸の月島から佃島方面にかけて、西日がマンションの壁やガラスに反射しています。夕陽の照り返しも、こうして見るといいものです。
 マンション群の向こうに、もんじゃ焼きで知られる月島があります。
 
 
 

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 目を右に転じて石川島公園から中央大橋のあたりは、夕陽が今まさに沈もうとしているところです。
 
 
 
 
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 大川端リバーシティ21のマンション群は、夕照が借景となる都会的な居住空間となっているようです。
 この隅田川の光景は、山々や木々を背負う京都の賀茂川と、好対照をなすものです。日本の西と東には、こんなにもすばらしい川が流れているのですね。
 この隅田川は、賀茂川とはまったく趣を異にするウォーキングを楽しめそうです。

 これまで、ブラリとしか歩いたことがなかったので、明日から賀茂川ウォーキングの延長として、隅田川ウォーキングもしてみようかと思っています。

 東京に来ると、仕事に追われる日々でした。今年からゆったりとした生活をするためにも、隅田川ウォーキングは心身共にいいかもしれません。

 立川までの通勤時間が、片道1時間50分です。賀茂川ウォーキングのように、夕刻から歩き出す、というわけにはいきません。ということは、早朝の隅田川ウォーキングしかありません。うーん……

 さて、新年早々の決心はどうなりますか。
 明日、ここで報告できればいいのですが……
posted by genjiito at 23:54| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年12月12日

江戸漫歩(27)スカイタワーと佃島

 東京での週末、のんびりと宿舎のまわりを散策しました。

 隅田川に架かる中央大橋から永代橋を見やると、完成間近の500メートルを超えた東京スカイツリーが見えます。
 ちょうど、飛行船がやって来ました。
 手前を飛んでいた鳥たちが、飛行船を目指して飛んで行くところに出会えました。。
 
 
 
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 大橋の南側の大川端リバーシティ21から佃島の方に向かうと、突然あたりの様子が一変します。
 レンガの壁が崩れたようなオブジェの様子は、ヨーロッパの雰囲気を漂わせています。
 
 
 

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 このあたりは、超高層マンションが林立しています。
 スーパーマーケットも高級志向です。関西のイカリと思えばいいでしょうか。
 ケースの中には、京都のお漬け物や京都のうどん等が並んでいます。京都もブランド化しています。
 ワインの品揃えが群を抜いているのは、この地域の住民のニーズを満たすためのようです。
 自由が丘のチーズケーキを買いました。

 佃公園から佃島に出ると、これまた日常とは異なる風景が目に飛び込んで来ます。
 大阪とはまた違った水の都の風情です。もちろん、ベネチアとも。
 こんな光景は、さすがの京都にもありません。
 真ん中に突き出ている銭湯の煙突が気に入りました。
 
 
 

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 江戸情緒に新しさが混在しています。非常におもしろい地域となっています。

 過疎化が進む中、旧来の路地に集う家々は、やがては佃島や月島の高層化の中に吸収されるのでしょうか。対岸の豊洲のような島になってほしくない、という想いを持ちながらの散策でした。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年06月28日

江戸漫歩(26)ビヤホール「ライオン」

 昭和9年以来のビヤホールとして知られる「ライオン 銀座7丁目店」へ、仕事帰りの息子と有楽町で待ち合わせて行きました。
 銀座にたくさんある店のうち、まずは銀座7丁目店にしました。松坂屋の隣にあります。
 
 
 
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 菅原栄蔵の手になるモザイク大壁画が、入るやいなや眼に飛び込んできます。
 
 
 
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 天井を見上げると、まさに昭和浪漫の香りがします。
 
 
 
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 私の行動範囲では、三越の向かいの銀座5丁目店と、いつも行くスポーツクラブのガス灯通りの2丁目店があります。しかし、入ったことはありませんでした。
 行こう行こうと思いながら、1人で行くには味気ないと思っていたことと、おつまみが脂っこいというイメージがありました。しかし、行ってみると、意外とシンプルでした。特に、ゴーヤチャンプルは、関東らしくないサッパリとした味付けで、大いに気に入りました。

 ライオンは、明治32年8月4日、東京銀座(京橋区南金六町五番地・新橋際)に、「ヱビス ビヤホール」として開店したのがスタートです。帰ってから、ホームページで知りました。
 私が、何かお祝いがあるときに飲む、あのヱビスビールです。普段は、血糖値のことがあるので、発泡酒の糖質ゼロタイプを飲んでいます。しかし、区切り目の日には、ヱビスビールなのです。

 生ビールを1杯売りで飲ませる常設のビヤホールとしては、この銀座店が我が国最初の店だったのです。煉瓦造り2階建ての2階35坪に、サッポロビールの前身である日本麦酒が安田銀行から借りて開店したものだとか。

 ビヤホールというのは和製英語なのだそうです。翌年には、ミルクホールという言葉も生まれたようです。

 また、『ライオン』の店名は、明治44年8月10日に、築地精養軒(上野精養軒の前身)が銀座4丁目の角に『カフェー・ライオン』を開店したときから続いているものだそうです。ということで、7丁目店よりも5丁目店の方が古いことがわかりました。
 さらには、『カフェー・ライオン』は、イギリス・ロンドンのピカデリーサーカスの角で営業していたレストラン会館「ジョー・ライオンズ商会」の名にあやかったものでした。
 今度ロンドンに行ったときに、このピカデリーサーカスの店が今はどうなっているのか、散策がてら調べてみましょう。

 京都には、京都駅南のアバンティ店と、四条烏丸店があるようです。そういえば、見かけたことがあるような……。
 気にはなりながらも、さして興味がないときというのは、見ていても記憶に刻まれないもののようです。

 また、フラリと立ち寄る楽しみができました。
posted by genjiito at 22:08| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年06月25日

江戸漫歩(25)出光美術館で屏風を見る

 有楽町駅から皇居に向かってまっすぐに歩いて行くと、お濠の手前に帝国劇場があります。そこに隣接して、出光美術館があります。

 2008年の源氏物語千年紀の折に、国文学研究資料館で開催する源氏展のため、展示品をお借りすることなどで、何度かこの出光美術館に来ました。
 出光はすばらしい美術品をお持ちなので、その展覧会に何度も脚を運びました。

 今、「屏風の世界 ―その変遷と展開―」と題する展覧会が開催されています。
 興味があったので、早速行ってきました。
 
 
 
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 今回も、ご所蔵の出光コレクションで屏風絵の楽しさを堪能させてもらいました。
 出光コレクションの中から、屏風の優品24件(重要文化財5件、重要美術品1件)が出展されていて、ぜいたくな空間に身を置くことができました。

 全体は3部で構成されています。

I “日本式”屏風の誕生
II 物語絵の名場面
III 風俗画の熱気と景観図の大空間
    風俗画 〈前期 6月12日〜7月4日〉
    景観図 〈後期 7月6日〜7月25日〉 



 帰ってから、出光美術館のホームページの中にある「現在の展覧会」を確認してから出かけた方がよかったな、と思いました。
 会場に掲示されていた説明文が、あらかじめホームページで読めるのです。
 ホームページの「本展のみどころ」も、行く前に必見です。会場でプリントされたものをいただけます。しかし、薄暗い展示会場では、細かな文字を見るのは大変です。
 もっとも、帰ってからゆったりと、今日見てきた展示を想い出しながら、お酒でも片手にモニタで展示品を見るのも一興です。

 いくつか、私が興味を持ったものについて、素人の感想を記しておきます。

 狩野元信の『西湖図屏風』は、3年前に中国の杭州へ行ったときに散策したので、あの時の景色を想い出しながら見ました。ただし、ほとんど私の記憶にある映像と一致しません。この屏風絵は写生ではないので、観光気分で見た風景とは違う視点で描かれているのでしょう。
 山は険しく、湖畔はのびやかに描かれているように思いました。

 岩佐勝友の『源氏物語図屏風』は、2008年の源氏展の時にお借りしたものです。今回は六曲一双の内の左隻のみの展示です。
 あの年に私は学芸員の資格を取り、さまざまな展示資料の取り扱いの勉強をしました。その中でも、屏風はとにかく扱いが大変でした。国文学研究資料館での展示には、出光美術館の学芸員の方がお越しになって設営してくださいました。その扱い方を、じっと見つめていたものです。
 これは保存状態がいいこともあり、精密な絵が見る者に迫ってきます。私の好きな源氏屏風の一つです。

 『源氏物語澪標図屏風』は、裏面に感激しました。
 裏面には、住吉の浜が描かれていました。しかし私は、その絵に「久しく」「なりぬ」「すみよしの」ということばが、葦手の装飾文字で書かれていることを知り、しばらく釘付けになりました。先日の「京都大アンティークフェア」で見つけた、柿本人麻呂の人物画に組み込まれた和歌の図様を想い出したからです。
 共に、苦心の作だと思います。文字を絵の中に溶け込ませることの難しさがわかりました。

 伝土佐光信の『源氏物語 藤裏葉』の写本は、その表紙絵がすばらしいのです。
 奈良絵表紙『源氏物語』と言われるもので、このツレは、天理図書館に「絵合」があるだけです。
 国文学研究資料館での源氏展では、天理の「絵合」をお借りして展示しました。重要美術品に指定されていたので、お借りするときには天理図書館まで行き、美術品搬送トラックに乗って東京まで運びました。
 本ブログの「瀑布に打たれ続ける日々」に記しました。ご笑覧を。

 この出光美術館の「藤裏葉」は、それと意識してジックリと見たのは、今日がはじめてです。
 天理図書館の「藤裏葉」と一緒に並べて見たいものです。

 今日はちょうど金曜日ということもあり、閉館時間がいつもの午後5時ではなくて、午後7時まででした。この配慮は、ありがたいことです。おかげで、ゆっくりと見ることができました。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年06月16日

江戸漫歩(24)高円寺を彷徨う

 いつも元気をいただいているK先生が、昨日の記事「懐かしの三鷹駅前」に反応してくださいました。新婚当時、高円寺に住んでいらっしゃったのだそうです。

 今日も休む暇なく職場の中を走り回り、ぐったりとした仕事帰りのことです。
 立川から乗った中央線の電車が高円寺駅に停車したとき、突然何を思ったのか、ごく普通に席を立ってホームに降りていました。これが無意識だったので、我ながら驚きました。素直な私は、K先生の催眠誘導にかかったのかもしれません。

 私はかつて、高円寺の4畳半のアパートに住んでいました。
 高校を卒業してすぐに上京すると、大森の新聞配達店に住み込みました。その店が火事になったために大井町のアパートに一時的に避難し、その後は渋谷の代官山で賄い付きの一室に、阿佐ヶ谷と東中野の社員寮に、荻窪と高円寺ではアパートにと、大学時代はいろんな住処を転々としていました。

 昨日のK先生の返信に刺激されたのでしょうか。何となく、フラフラと高円寺の南口から甲州街道の方へと下って行きました。甲州街道へ出てから角を曲がると、陸橋のそばにアパートがあるはずです。アパートの入口の右に階段があり、2階の角の部屋に間借りをしていました。4畳半に半間の押し入れがありました。階段も、ドアも、覚えています。ところが、そのアパートが見当たらないのです。

 ラーメンの丼のふちに描いてある卍模様の帯を伝うかのように、カクカクと細い道を彷徨いました。しかし、どうしてもそれらしい家が見つかりません。大家さんの名前は思い出したのですが、次第に暗くなって来たので、諦めて帰ることにしました。

 毎日、高円寺駅に出て渋谷の大学に通っていたのに、その寝泊まりしていたアパートの場所がわからないのです。38年前のことが、記憶から霞んでしまっています。過日読んだ、井上靖の『崖』ほどではないにしても、ショックです。それだけに、焦って、意地で、それらしき一角を彷徨いました。
 この次に、住所を確認して、また出直しましょう。

 近くに地下鉄の新高円寺駅があったので、そこから帰ることにしました。ところが、途中の乗り換えで、たくさん歩かされました。
 東京の地下鉄では、理不尽な思いをさせられることが多いのです。便利になると信じて穴を掘ったのはいいのですが、結果的には節操のない路線図となっています。
 この後始末を私に任せてもらえるのなら、駅の中の乗り継ぎには、ジェットコースターを設置します。一駅分は歩かされる乗り継ぎは、どう考えても異常です。それを、ただひたすら耐えるようにして歩く人々は、関西発想から見ると異星人です。たくさんの雪国出身の人たちで形成されている東京だからこその、忍耐仕様の街作りに、しばしば発狂しそうになります。
 今日も、あきれるほどに歩いて、乗り継いで帰りました。

 疲れた1日でした。しかし、今、想い返してみると、これはなかなか楽しい想い出さがしの小旅行でした。
 また機会があったら、かつて自分が住んでいたところを尋ね歩いてみましょう。多分に疲れが見えるようになったこの脳の、ささやかな活性化につながるかもしれませんので。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年06月15日

江戸漫歩(23)懐かしの三鷹駅前

 今日の夕刻、打ち合わせのために中央線の三鷹駅に降り立ちました。
 待ち合わせには少し時間があったので、駅前を散策しました。学生時代、三鷹は妻が住んでいた街です。最初は上連雀に、しばらくして下連雀に。そのこともあって、私もよくこの街に来ました。かれこれ40年前のことです。
 十数年前に、一度この街に来たように思います。しかし、ほとんど覚えていません。
 北口の古道具屋さんで、妻と一緒に小さな冷蔵庫を買ったことを覚えています。昭和40年代の後半のことです。

 三鷹駅の南口から左に行った狭い通りに、古本屋さんがありました。そこにあった、佐藤謙三先生の著書を買おうと思っていたら、先に豊島秀範先生に、当時の豊島先輩に買われてしまったことを思い出しました。
 その古本屋さんがあった場所は、今は整備されてすっかり変わっていました。
 
 
 
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 駅前から南にまっすぐ下った交差点にあるショッピングセンターも、妻と共に来ました。おしゃれできれいなものを売っていたように思います。貧しかったので、見るだけの場所でした。
 
 
 
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 この交差点を右折した角の三平ストアは、よく一緒に買い物に行きました。妻のアパートは、この三平ストアの近くにありました。当時はお金がなかったので、ここで買い物することが多かったのです。お店の構えは違いますが、場所はここだったように思います。
 
 
 
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 駅へ引き返す道々、駅前の小路を入ったところに、ディスカウントスーパーがありました。この雑然とした安売り屋さんは、よく覚えています。
 
 
 
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 恩師の小林茂美先生が、大手町の産経学園でカルチャーセンターの講師をしておられた頃、毎回テープレコーダーを教室に持ち込んで録音をしていました。カセットテープがたくさん必要でした。このお店で、安いカセットテープを買い込んだので、よく覚えています。
 妻と一緒に大手町へ行き、小林先生の『源氏物語』の講義を通い詰めて聞きました。講義の後は、某宮家の方の宮中でのお話を、別室で毎回伺いました。知らない世界を、新鮮な気持ちで教えてもらったことを思い出します。

 40年前が、本当に断片的にしか思い出せません。それでも、短時間に少しだけタイムスリップできました。
 この地域には、何人かの知り合いの方が住まいしておられます。生活しておられる地を、個人的な思い出に耽る場所として回想するなど、本当に失礼なことと恐縮しています。
 それでもまた、こっそりと歩き回ってみたいと思います。もし私を見かけても、どうか無視してください。思い出さがしをして楽しんでいるはずなので、放っておいてください。
 
 実は、偶然なのですが、今日は妻の誕生日です。三鷹の駅前を徘徊したのも、妻のことを想い出したからでもあります。
 学生結婚をして35年。大学では同級生だったので、もう40年近く一緒にいることになります。私の大学院生時代は、世に言うヒモでした。妻に養ってもらっていました。産経学園に通っておられた方の紹介で、その方のお近くの浦和に新居を定めました。小さな平屋の一軒家でした。夕方になると、私が自転車で南浦和駅まで妻を迎えに行き、2人乗りで買い物をして帰ったものです。夕焼けがきれいだった坂道を、今でも思い出せます。

 いろんなことがあったし、今もいろんなことがある日々です。しかし、折々に思い出を交えて、気持ちをリフレッシュさせながら、これからも元気にお互いの仕事に励みたいと思います。
 この世で、少なくとも一人は応援してくれているということを、これからも大切な支えにしていきたいと思います。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年06月04日

江戸漫歩(22)中野のブロードウェー

 JR中野駅のすぐ北にある、ブロードウェーというショッピングセンター街を散策しました。

 中野は、学生時代に妻が住んでいたので、このブロードウェーにはよく来ました。
 当時は1ドルステーキといって、360円で大きなステーキがここで食べられたのです。

 その時からそうだったのでしょうか、ここには垂涎物のマニアックな店が軒を並べていることを知りました。1階から4階まで、とにかく楽しいお店ばかりです。

 まず、1階のメイン通りを奥に入った狭い通路は、大阪日本橋の五階百貨を思い出させる、庶民的なお店が並んでいます。
 中でも、一軒のカバン屋さんが気に入りました。
 
 
 
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 安くて品揃えがいい、しかし、製品には何か物足りないものが、という物欲をそそるものが品々から漂ってきます。飾らないところがいいですね。

 2階以上には、怪しげな骨董屋、シャイな私にはとても入れないフィギア屋、コスプレ屋、照れくさくなる演歌屋、大阪名物お好み屋やラーメン屋、コイン屋、まんだらけ各店舗+買取処、ミリタリー屋、ミニカー屋、などなど、マニアックなお店がオンパレードです。
 ただし、4階はシャッターを閉じている店が目立ちました。

 西洋骨董というオモチャ屋の隣に、品揃えのいい古書店「うつつ」がありました。
 
 
 
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 並んでいる本が玄人好みです。一番奥の棚に、井上靖の本が72冊もありました。
 
 
 

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 これにはびっくりです。それに、値段が安いのです。5冊も買ってしまいました。

 中野のブロードウェーは、私にとっての東京新名所となってしまいました。
posted by genjiito at 01:45| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年05月22日

江戸漫歩(21)慶應大学での中古文学会

 今日は、慶應大学であった中古文学会に行きました。意外だったのは、慶應のキャンパスに入ったのが初めてだった、ということです。

 これまで、何度も行っていると思い込んでいました。それは、東京タワーだったのです。
 次の写真は、慶応の東門前から見た東京タワーです。
 
 
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 東門の横には、福沢諭吉のお菓子「学問のすゝめ」がありました。
 
 
 
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 そして中に入ると、雰囲気のいいキャンパスが広がっていました。
 
 
 
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 今日は、研究発表会ではなくて、物語絵に関するシンポジウムでした。たくさんの問題点とヒントを教えてもらいました。

 明日も、慶應で学会があります。
 若手の発表が続くので、楽しみにしています。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ・江戸漫歩

2010年05月18日

江戸漫歩(20)立川市新庁舎の本のオブジェ

 江戸漫歩というよりも、武蔵野漫歩です。

 立川市役所新庁舎が国文学研究資料館の道を隔てた北側に移転してきました。今月5月から利用できるようになっています。
 
 
 
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 3階にレストランができ、ヘルシーなランチがあるので、最近はよく行くようになりました。

 この市役所の敷地の西側に、金属造形作家である小沢敦志さんの作品「一冊の街」が設置されています。
 
 
 

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 このオブジェを3階のテラスから見下ろすと、こんな風に見えます。
 
 
 

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 文字が本に書かれているものであることはわかります。何と書いてあるか?
 私は、古代エジプトで使われたヒエログリフという文字かと思って見ていました。しかし、よく見ると、まったく違います。

 『立川経済新聞』(2010年04月15日)によると、「廃材利用の大型鉄製絵本「一冊の街」、立川市新庁舎を飾る」と題して、このオブシェについて以下のように報道されていました。

 作品は、全国公募で応募のあった45作品の中から選ばれたもので、幅4メートル、奥行3メートル、重さ900キロの大きな鉄の絵本。開いたページに、熱した鉄の廃材をハンマーでたたいた「ペラペラのオブジェ」約150点が張り付けてある。廃材はもともと、同市内の学校で使われていたいすや家庭用ガスコンロ、自転車のカゴなど、市民の生活の中から出たもの。使われなくなった道具や生活用品に付いた傷やゆがみに「人の手を経た道具の記憶や街の営み」を感じた小沢さんは、それらを作品としてよみがえらせ、1冊の本に集約することで「現代の立川の姿」を映すモニュメントを作り上げた。
(中略)
 「子どもたちが大きくなってから、あれは昔自分がたたいたものだと次の世代に語り継げるような展示作品にしたかった。大型作品ということもあり、制作過程では大変なことも多々あったが、多くの人たちとの交流の中で無事完成し、市役所という街の核となる場所にふさわしい、意味のあるものを作ることができた」とも。



 文字に見えるものは、廃材を使ってみんなが叩いて作ったものだったのです。てっきり、何か意味のある象形文字かと思っていたので、少し残念でした。しかし、これはこれで、意義のある作品になっていると思います。
 あるいは、作者は密かに文字に意味を持たせているのかもしれません。文字に造詣の深い方が見ると、作者からのメッセージが読み取れる、という遊び心があると楽しいですね。

 近くで見るよりも、上から見た方がいい作品です。
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2010年04月02日

江戸漫歩(19)妙栄稲荷大善神

 JR越中島駅と地下鉄門前仲町駅の中間地点に、妙栄稲荷大善神があります。
 清澄通りから狭い路地を少し入ったところです。
 
 
 
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 境内とは言えないほどの狭い空間に、由緒書きがありました。
 
 
 
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 妙栄稲荷大善神の由来、
当 妙栄稲荷大善神の御本尊は、寛永年間の頃、当地に下屋敷を構えていた、松平越中守の家敷内に安置されていたと言われ、越中守の護り本尊として家運の繁栄と火除けの神様として熱心に信心した稲荷と言われる、維新後、明治政府により大名の廃藩が行われた際大名の領地は国有地や一部は一般に解放された、越中島の地名は越中守所有の島の意である、
当時、越中守の留守居役だつたと言われる鎌田氏が此の一帯を下賜された時にお稲荷さんも戴き守護神として代々祀っていた、其の後幾多の変遷が有りましたが最後には町会で管理することになりました、震災(大正十二年)後この辺一帯は区画整理が行われた時、現在の地に安置される、以後社殿も町内の皆様により立派な社殿となり町内の安全と繁栄の守護神として深い信仰を集めて居ります。
  昭和六十一年四月吉日    古石場一丁目西町会



 寛永年間の松平越中守というと定綱(1592-1652)ということになります。
 お稲荷さんなので、商売繁盛をお祈りする神様として祀られているようです。

 越中島というと、今から40年近く昔のことになります。恩師の伊井春樹先生が、ここ越中島の国家公務員宿舎にお住まいでした。
 当時、大学院生だった私は、この越中島の住所に拙い書き物などを送ったものです。最初は、島根県の松江で見つけた『伊勢物語』の写本に関する情報でした。写真などをお送りしました。先生からは、励ましのお返事をいただき、以来、古写本という原典を研究対象とするようになりました。

 あのころは、「越中島」を「こしなかじま」と読むのだと思っていました。大阪の市営地下鉄御堂筋線に、西中島南方(にしなかじまみなみがた)という駅があるからです。

 その伊井先生がお住まいだったところに、それも同じ棟に、今、縁あって住んでいます。先生から見れば不肖の弟子ということになります。しかし、私の立場からは、ひたすら追い求める存在であり、少なくとも同じ宿舎に起居する生活であることに、少なからざる縁というものを感じ、感謝する日々です。
 まだ、先生からは私の成果は何も認められないでいます。少なくとも、『源氏物語』の本文の分別に関しては、今のところは2分別に苦言はいただいていないので、後はそれをどう名付けて世に問うか、というところだと思っています。
 ネーミングは、これからしばらくは、私にとっての課題です。思案の日々です。
 かつて提唱した〈別本群〉と〈河内本群〉はやめます。最近提唱し始めた〈甲類〉〈乙類〉も、問題がありそうです。
 有り体に言えば、〈傍記前混入群〉と〈傍記後混入群〉です。これを、どう名付けるか、ということです。
 まあ、そのうちに、何か思いつくことでしょう。結論に変更はないはずですから。

 それはさておき、地元を歩くと、地域ゆかりのいろいろと興味深いものが眼に付きます。
 たまには、日々未解決の問題を考えながらの、こんなブラブラ散歩もいいものです。
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2010年04月01日

江戸漫歩(18)深川の桜めぐり-2010-

 外出禁止と言われても、少しよくなってきたようなので、桜見物がてら散歩しました。
 隅田川沿いから宿舎を見ると、桜がこんなに咲いていたのです。この角度から見るのは初めてです。
 
 
 
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 振り返って、隅田川を見やると、これまたきれいな景色でした。
 
 
 
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 和船を繰り出しての花見で有名な大横川は、墨田区の業平橋あたりから分流する川で、隅田川に合流していきます。この川の両岸は、毎年桜に覆われます。
 
 
 
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 今年は、今週末辺りが花盛りでしょう。

 昨日の朝は、目が見えないことで不安な気持ちになりました。それが、こうして、桜を見られるようになって、ホッとしています。
 疲れを溜めないためにも、仕事を制限せざるを得ないことは仕方がありません。
 回遊魚なりに、ペースをダウンしながらの平成22年度のスタートです。
posted by genjiito at 20:05| Comment(0) | ・江戸漫歩

2009年12月24日

江戸漫歩(17)イブの新宿で一升瓶を抱える女

 新宿アルタの横にあるミーティングルームで、夕食抜きで夜まで、大事な打ち合わせ会がありました。
 真剣にお互いの意見を交換し、今後のための方策を検討しました。みんなの意見はまとまり、意義深い会合でした。前向きの話し合いなので、それだけにドッと疲れを感じましたが。

 今日はクリスマスイブです。久しぶりの新宿の夜です。しかし、世相を反映してか、人出は少ないように感じました。ほとんどが、若い人たちです。おじさんたちは、今日はどこへ行ったのでしょうか。行くところもなく、早々にご帰宅なのかもしれません。
 銀座へ行きたくなりました。しかし、そんな余裕はありません。

 東口広場では、キリスト教の組織がマイクで布教活動をしておられました。パフォーマンスの一環なのでしょうか、上半身裸のイエスキリストに扮する男の人が、人混みの中を掻き分けながら、マイクの話に合わせて歩き回っておられました。こんなキリスト教の布教活動ははじめてです。どんな組織なのでしょうか。
 私には、少し下品な見せ物に思われました。

 待ち合わせの場となっている狭い広場には、電飾を纏った木が人目を引いていました。しかし、かつてのようなサンタの帽子を被った人などは皆無です。若者が、いつものように何組もが屯している、という光景です。
 イブの明るさや賑やかさや華やぎは、ここでは微塵も感じられません。かつてのイブの喧噪が、本当に昔のように思えます。

 学生時代に、もっともそれは40年近くも前のことですが、新宿にはよく飲みに来ました。イブの日にも来ました。しかし、あのころは、訳もわからないままに、人々は雑然とした雑踏の中にクリスマスイブを感じていたと思います。とにかく、賑やかであれば、それだけで盛り上がっていたサンタの日でした。
 ケーキも、至る所で売っていました。しかし、今は、ケーキ屋さんの店先で売られています。至る所で、という光景はなくなったようです。

 たまたますれ違う女性が、一升瓶を胸に抱えて歩いて来るのに出くわしました。
 歌舞伎町に向かうところのようです。酔っているようには見えません。脚はしっかりしているし、目も前を見据えて歩いています。とにかく、大事そうに一升瓶を両手で抱え込んで、どこかを目指して人波を掻き分けながら、急ぎ足でした。
 一升瓶は、しっかりと胸に納まっていました。それが、幾分秘めやかな感じで、ビンの頸のあたりが見えるのです。

 あの人は、何だったのでしょうか。ワインでもシャンパンでもなく、紛れもなく日本酒なのです。
 まさか、宴会で酒がなくなったので買い出しに、ということはないでしょう。これから、差し入れとして届けるのでしょうか。
 なにはともあれ、アルタの横では一種人目を引く、気になる女性でした。これも、世相なのでしょうか。

 今夜はイブを祝して、アルタの裏の回転寿司屋へ行きました。
 カロリーコントロールのことがあるので、いつもは5皿でやめています。しかし、今日は9皿も食べてしまいました。
 ぜいたくなクリスマスイブです。
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2009年11月07日

江戸漫歩(16)都美術館の冷泉家展

 東京都美術館で「冷泉家 王朝の和歌守展」を観ました。
 
 
 
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 事前に『芸術新潮』(11月号)を読んで行ったので、展示の意図がよくわかりました。最近は、展覧会に行っても、眼は学芸員になっています。

 『古来風躰抄』は、著者である藤原俊成の自筆とのことです。ガラス越しでしたが、巻頭の1頁をじっくりと読んでみました。「わ」か「や」のように見えるひらがなは、「り」なのです。この癖がわかれば、あとは楽でした。

 『明月記』も圧巻でした。定家も毎日何らかのメモを、60年にもわたって記していたようです。
 私が毎日記すブログもこれに近いのだと思うと、この『明月記』が身近に感じられます。

 今回の展覧会で、私が一番時間をかけて観たのは、一番最後のコーナーにあった「写本の製作と修理」です。
 写本を製作するための道具としての罫線枠には、ジッと見入ってしまいました。
 木枠に糸が張ってあり、それをガイドラインとして文字を写していったようです。
 これとよく似たものは、昨年、国文学研究資料館で開催した源氏物語展で、宮内庁書陵部ご所蔵の「檜製糸罫」をお借りして展示しました。江戸時代のモノの複製でしたが、写本の製作現場がイメージできる道具でした。その時も、実際にその道具を使って書写した写本も同時に展示したので、なかなか好評でした。
 今回の冷泉家のモノも、同じ機能の書写用の小道具です。
 
 書写しながら、物語の本文を書き換えていったかのように言う人がいます。しかし、きれいに写そうとする気持ちと、書き換えることによって親本とずれていく目の前の紙面に、筆記者は戸惑うだけです。
 みんなが、こうした道具を使わなかったにしても、書写の現場についてはもっといろいろな場合を考えたいものです。その意味でも、こうしたモノは想像力を搔き立ててくれます。
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩

2009年10月21日

江戸漫歩(15)深夜の八重洲通りをテクテクと

 立川で仕事の打ち合わせに熱中し、つい帰りの電車の時間を忘れてしまいました。

 「国文学論文目録データベース」というものを、国文学研究資料館からネットに公開しています。
 これは、日本文学研究論文の総合目録データベース(大正・昭和・平成)です。日本国内で発表された雑誌紀要単行本(論文集)等に収められた論文に関する情報を掲載していますので、どうぞご利用ください。利用は無料ですし、利用登録も不要です。ここでヒットする論文は、必ず国文学研究資料館にありますので、おいでになれば確実に手にとって読むことができます。もちろん、コピーすることも可能です。

 現在、46万3千件の論文が検索できます。それも、キーワードによるものなので、そのヒット率は驚異です。その秘密は、アルバイトとして来ていただいている大学院生の方々が、自分の研究テーマに近い論文を精読してデータを採取していることにあります。もちろん、作成されたデータシートは、専門家である先生方に点検してもらい、その後、公開されるデータとなります。
 そのため、検索をしてみると思いもよらない論文がヒットしたりして、驚喜することがしばしばあるはずです。研究者のお助けツールです。痒いところを掻いてくれます。そんじょそこらの、単なる論文リストではないのです。
 気の遠くなる作業を経て、1つずつの論文がデータベースとして公開されているのです。こんなに親切な論文データベースは、世界中にこれ1つです。
 このことが他分野の方にはなかなか理解してもらえず、予算が毎年削減されていきます。こんなところにこそ、マンパワーを投入すべきなのです。ダムや道路に資金を投入するのもいいですが、こうした知の宝庫にも同じように資金を回し、若者にやりがいと活力を与えてほしいものです。

 とにかく、「国文学論文目録データベース」は文学語学関係の論文が、キーワードで検索できるのです。その際には、ぜひとも詳細検索で探してください。
 このデータベースのお世話にならずに論文を書く人は、いまでは皆無と言ってもいいでしょう。
 今、「源氏物語」を検索語にしてみたところ、16,945件もの論文がヒットしました。さて、次はどの語で絞り込むか悩むことになります。自分が必要とする論文を、うまく探してください。そして、すばらしい論文を書いてください。

 このデータベースのアクセス数は、とにかく尋常ではありません。毎月、のべ14万件ほどのアクセスがあります。目録型のデータベースは、一人が一度に数十の検索をしたりします。どのアクセスをとってカウントするのか、難しいところがあります。14万件というのは、この「国文学論文目録データベース」の検索画面が見られたのべ回数です。

 現在、私はこのデータベースの担当者となっており、日々さまざまな問題に直面しています。
 一緒に仕事をしている補佐員の方から、いろいろと情報を得ながら、少しでも役立つデータベースを目指しているのです。そのため、話し合いはつい時間を忘れてしまいます。
 研究者のほとんどの方が、それも大学院生はすべてといっていいほどの方が利用されているデータベースです。それだけに、その維持管理から最新のデータへの更新や追加と、気を配ることはたくさんあります。
 多くのアルバイトの方々や、入力したデータの確認をしてくださっている専門員の先生方の協力なしには、このデータベースは存続できません。そして、研究論文は今日も量産されているのです。
 たくさんの方々の意見をもとに、来年に向けて大幅に改良をしたいと思っています。
 利用しておられる方の意見も、これから集める予定です。

 そんなこんなで、立川のお店につい長居をしてしまいました。

 こんな時、通勤時間が長いと損をします。途中までは帰れるのに、それから先の電車がない、ということになります。

 いつもは、中野駅で地下鉄に乗り換えて帰ります。しかし、今日はもう接続の電車がありません。しかたがないので、とにかく東京駅まで出ました。そして、タクシーを、と思ったのですが、iPhoneで調べると、宿舎までの距離は3.8キロとあります。おまけに、道もまっすぐで、1度角を曲がるだけで帰れるのです。そういえば、京都の自宅も、京都駅からまっすぐ北上し、突き当たって曲がるだけで帰れます。偶然とはいえ、妙なところで同じような経路の位置関係のところに住んでいることに気づきました。

 さて、東京駅から八重洲通りをとにかくまっすぐ東南に向かい、宿舎まで歩きだしました。
 手元には、宿舎までを画面でナビケートをしてくれiPhoneがあります。
 そして、iPhoneのスピーカーからは音楽を流し、時には一緒に歌いながら、一人楽しく大都会の夜道を歩きました。

 写真は、八丁堀のあたりから東京駅を見たものです。
 車がほとんど来ないので、車道の真ん中まで出られました。
 写真がブレているのは、多分にお酒のせいです。
 
 
 
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 夜の通りを歩いてみて、意外と道路工事が多いことに気づきました。
 夜の東京も、繁華街を外れると静かです。

 ブラブラあるくこと40分で宿舎に辿り着きました。意外に早かったので驚きです。
 これなら、毎週賀茂川をウォーキングしている感覚で、東京駅から歩いてもいい運動になりそうです。
 銀座のスポーツクラブから歩いて帰っても、ほぼ同じ時間に帰れそうです。
 今度機会があれば、歩いてみようと思います。
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2009年06月18日

江戸漫歩(14)東京駅〈3〉不気味な手すり

 春先から気になっていたことです。
 東京駅からディズニーランドへ行く京葉線のエスカレータの手すりが、異様なことになっています。
 両側の手すりに、「手すりにおつかまりください」と、デカデカと、エンエンとベルトに書いてあるのです。
 「抗菌」という文字は、黄色の丸印の中に書かれています。

 
 
 
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 派手なパフォーマンスで、エスカレータを駆け下りたり駆け上る人を抑止しよう、という意図かと思われます。
 他府県ではどうでしょうか。京阪神では、こんな手すりは見かけないように思います。

 この、これ見よがしなデモンストレーションは、今後どう展開するのでしょうか。
 数ヶ月、見るともなしに観察していた限りでは、手すりに掴まる人は減ったのではないでしょうか。
 何となく、薄気味悪く思われるからでしょう。
 私も、この手すりからは手を離します。
 
 
 
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 不気味さから、自然とベルトから手を離してしまう人が多いので、かえって逆効果なのではないでしょうか。

 危険性を強調したいJR側の意図は、利用者に伝わっていません。
 エスカレータを歩くことや走ることの是非はともかく、この表示は今後受け入れられるのかどうなのか、大いに興味を持っています。
posted by genjiito at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩

2009年06月09日

江戸漫歩(13)東京駅〈2〉0キロポスト

 本年4月に、「江戸漫歩(11)東京駅〈1〉」という記事を書きました。
「0キロポスト」と言われるものについてです。

このポストに関しては、次のサイトが詳しく取り上げていることがわかりました。

「0(ゼロ)の焦点」


「東京駅の0キロポスト」


私は鉄道マニアではないのですが、一つのことに拘った情報は、本当におもしろいものです。
ますます充実した情報を報告されることを、楽しみにしています。

さて、その後、気ままに通りすがりに写した写真で、私なりの報告をします。
違いといえば、ポストとホームの様子がわかるアングルで写している、というところでしょうか。どうでもいいことですが。

1番線は、煉瓦の土台に乗っています。すでに掲載したので省略します。

2番線。中央線。





090416tokyo0no22番線



何の変哲もない、サッパリとしたものです。反対側の1番線のものが立派なので、これでいいのでしょう。
0キロポストは、だいたい4号車か5号車付近にあります。

3番線。京浜東北線。



0906033bansen3番線


そろそろ、お掃除の時期を迎えているようです。

4番線。山手線。


0906034bansen4番線



これが一番知られているようです。上記ホームページにも、「国鉄100年を記念して立てられたブロンズ製のキロポスト」とあるものです。

5番線。山手線。




0906035bansen5番線



これは、4番線にあったものと同じものです。向かい側の5番線のホームから写したものです。

6番線。京浜東北線。


0906036bansen6番線


「JR JUNE 23 1996」とあります。

7番線。東海道本線。


0906037bansen7番線


6番線のポストを反対側から見たものです。「Km」とあります。


8番線と9番線の間には、0キロポストが見あたりませんでした。
上記ホームページにも、「8・9番線(東海道本線)間および10番線壁面には、ゼロキロポストを見つけることができなかった。」とあります。
ただし、それらしい位置の枕木の間に、こんなものがありました。



0906038bansen8番線



おそくら、これが0キロポストの役割をしているのではないでしょうか。
駅員の方に聞いてみましたが、どなたも「0キロポスト」なるもののことをご存じありませんでした。
年配の方や、事務系の方にも聞いたのですが、だめでした。鉄道に詳しい駅員さんも、教えてもらえませんでした。
これまた、いつか、ということにしましょう。フラリと通りかかってのことなので、気楽な話にしておきます。

10番線。東海道本線。




09060310bansen10番線


傾いて倒れかかっています。一番かわいそうな「0キロポスト」でした。
なお、上記ホームページでは、この10番線にも0キロポストは見つけられなかった、とされていますが、こうして実際にはありました。見かけた時期の問題なのでしょうか。今はあります。

その他、上記ホームページによると、東海道新幹線・東北新幹線・総武線にもあるそうです。
これは、またいつか。
毎日通勤に使う京葉線にはないようです。

忙しいと、ついこんな暇つぶしをしたくなります。
試験の前になると、普段は見向きもしないことが無性にやりたくなるのと同じことでしょうか。
posted by genjiito at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩

2009年06月08日

江戸漫歩(12)小津映画のセンター

 地下鉄東西線の門前仲町駅の近くに、古石場文化センターがあります。




090603ozu1古石場文化センター



 その中に、小津安二郎の紹介展示コーナーがあります。


090609ozu5小津コーナー



 小津は、この近くの深川で生まれ、映画を通して在りし日の日本を映像で描きました。
 その多大な功績を、写真や記録などで紹介するのが、ここにある一室です。

 要領よく小津の足跡をまとめ、小津映画を顕彰しています。
 
 古石場文化センターでは、映画の上映会がなされています。
 その時の資料が、非常に充実しています。
 例えば、『源氏物語』に関する映画の時には、こんなパンフレットが作成されています。


「江東シネマ倶楽部だより 2001.9 No.48」をダウンロード



 これは、4頁あるうちの表紙にあたる部分です。

 このように、毎回、映画化にまつわるエピソードや、あらすじ、コラムなどで充実した紙面を構成しています。

 先月の5月23日には、第140号が発行されています。
 さらに驚くことに、これらはすべてバックナンバーが無料でもらえるのです。
 100号までを合本にしたものが作成されたようですが、今はもう残部はないとのことでした。
 しかたがないので、140号分を一つずつかき集めて、もらって帰りました。

 これまでのもののリストがありましたので、紹介します。



「江東シネマ倶楽部だより一覧 2009/5/27 表面」をダウンロード



「江東シネマ倶楽部だより一覧 2009/5/27 裏面」をダウンロード




 ぜひ、ここに足を運び、この資料を手にして帰ってください。
 日本映画に関するぜいたくな情報が、ごっそりともらえます。

 日本のよさを、映画を通して改めて認識しなおしました。
 小さな施設ですが、みなさん、いい仕事をなさっています。
 ちょうど、第36号の「絵島生島」だけがなかったので、受付で尋ねると、丁寧に裏表印刷をして渡してくださいました。
 仕事に対する姿勢に、本当に好感がもてる職員の方々でした。

 この建物の4階に図書館がありました。
 地域住民でもあるので、登録をして資料をいくつか借りて帰りました。
 図書館の機能も、充実しています。
 地元の文化施設として、よく整理されたところだと思います。

 古石場文化センターのますますの発展と、さらなる活躍を祈っています。
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩

2009年04月14日

江戸漫歩(11)東京駅〈1〉

 毎日利用している中央本線ですが、ふとしたことから、東京駅のホームの中程にこんな標識を見かけました。



090209tokyo0km0kmポスト






 石で作った「0」の中に「KM」と彫られているので、これが距離の始点を示すことはすぐにわかります。
 どんな謂われがあってここに置いてあるのか、少し調べてみると、意外におもしろい背景があることがわかりました。
 詳細は私の任ではありませんが、少しだけ報告を。

 この「距離標」と言われるものは、「0キロポスト」と呼ばれるものだそうです。鉄道の正式な起点を示すものですが、中央本線の起点駅は本来は東京駅から1.3キロ先にある、次の神田駅だとか。
 そして、鉄道開業時はマイル制をとっていたので、「ゼロマイル標識」と呼ばれていたようです。

 実は、明治時代以降の日本文学作品における時間や距離や重さや長さなどの単位を調べると、文化の変遷と社会からの影響が読み取れておもしろいのですが、それもこれも、また別の機会にしましょう。

 まずは、東京駅の1番線にある「0キロポスト」の紹介です。
 いつも通る東京駅なので、見かけたおもしろいものを、気ままにとりあげたいと思っています。
posted by genjiito at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ・江戸漫歩

2009年04月08日

江戸漫歩(10)東京の桜

 江戸深川の桜は満開です。
 宿舎の近くの黒船橋の桜は、隅田川からの川面に、重たそうな花房を優雅に咲き翳しています。


090407monnaka黒船橋の桜



 正面のビル街の向こうが、東京駅のあたりになります。

 ちょうどこの橋の下に、黒船橋の船乗り場があります。
 先月から「お江戸深川さくらまつり」が、この地域周辺で行われています。
 今週末までなので、予定より遅れた桜の開花のため、今が一番見頃です。
 ここから和船が出ています。
 仕事帰りに、河畔の桜並木を歩きましたが、時間がどうしても夜の11時頃になるので、雪洞の灯りも消えていて、風情はあまりありませんでした。しかし、桜の花の見事さは、仄かな灯りから見渡せる範囲だけでも、迫力のあるものでした。
 灯りが消された後の、花たちの世間話が聞こえてきそうでした。

 以下のサイトで、この様子が報告されています。


http://www.geocities.jp/mizubeland/sakurafesta2009.html



http://eriaru.blog.so-net.ne.jp/2006-03-25



 立川から国文学研究資料館への道も、桜の花道となっています。


090407nijl0立川の桜


 写真で前を歩く女の子は、二宮金次郎のように、本を読みながら、桜に囲まれていることが何でもないかのようでした。
 これも、この子にとっての自然の中となっているのが、押しつけでない日本の文化の継承となっているように思えます。
 そんなに難しいことではないのですが、言葉にすれば、こういう言い方になる光景でした。


 今春から、国文学研究資料館の周りに変化がありましたので、ついでに紹介します。
 上の桜並木を少し行くと、こんな景色になります。

090407nijl裁判所が


 左が、国立国語研究所です。
 独立行政法人だった国立国語研究所は,本年9月末をもってその活動を終えます。そして、10月1日からは、国文学研究資料館などが組織する、大学共同利用機関法人人間文化研究機構の中の研究機関の一つとなります。
 これからは、こことの関わりが深くなっていきそうです。

 写真の真ん中の、白くて四角い箱が2つ並んでいるのが、国文学研究資料館です。

 その右の茶色の建物がマンションです。

 そして、右端が、今月完成した、東京地方裁判所立川支部です。

 近い将来、マンションの裏側に、立川市役所が移転してくるそうです。
 この地域に、人が集まるようになりそうです。
 今が寂しい所なので、大歓迎です。
 周りに店がないので、何かできるのを心待ちにしています。


 仕事帰りに、東京駅の周りを散策していたところ、日本橋の高島屋に行く道で、桜のトンネルを見かけました。



090407nihonbasi日本橋の桜通り


 ここは、桜通りというところです。
 意外な花盛りの並木道を見つけました。

 ビルの谷間の桜も、なかなか都会的なセンスの桜色でいいものです。
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2009年01月06日

江戸漫歩(9)富岡八幡と深川不動へ初詣

 半年ぶりの江戸漫歩です。
 東京での初詣をしました。学生時代以来だと思います。

 一番近場で、富岡八幡宮にしました。



090106tomioka1富岡八幡宮



 ここは、江戸の三大祭の一つである「深川八幡祭り」で有名です。地下鉄東西線の門前仲町駅を上がった永代通り沿いにあります。ケーブルテレビなどで、神輿に水をかける渡御や、辰巳芸者や鳶若頭衆の木遣りなどが連日流されていました。
 江戸時代の話なので1600年を遡ることはないのですが、歴史がないだけに深川をはじめとする地元の人々には熱心に守り伝えられているようです。

 参道に入ると、大鳥居横に伊能忠敬銅像がありました。


090106tomioka2伊能像



 伊能忠敬は、現在の門前仲町1丁目に住んでいたそうです。そして、測量に出かけるときには必ず富岡八幡に参拝していたのだそうです。 

 立派な本殿でした。たくさんの方々が、ご祈祷を受けておられました。



090106tomioka3八幡さま



 なお、この八幡さまの境内では、日曜日に大骨董市が開催されます。
 1度だけ足を運びましたが、週末には京都へ帰っているので、なかなか行けない骨董市です。もっとも、京都ではさらに大きな、そして至るところで骨董市があるので、なかなか江戸の品揃えを見る機会に恵まれません。いつかは、ということにして、楽しみにしておきます。

 この富岡八幡宮から清澄通りに向かって出て行くと、すぐ前に深川不動尊の賑わいが見えます。
 ちょうど、巫女さんがお掃除をしておられるところでした。


090106tomioka4深川不動へ



 深川不動さんの方が、参道が狭いせいもありますが、活気がありました。



090106tomioka5参道の賑わい


 境内は、護摩の煙が立ちこめています。




090106tomioka6護摩



 不動堂では、護摩木が焚かれ、大きな炎が堂内にメラメラと燃え上がっていました。
 その炎を囲むようにして、ここでもたくさんの方々が祈祷を受けておられました。
 迫力のある護摩供でした。

 なお、今日の写真は、iPhoneで撮影したものです。
 初めての撮影なので、これまでとは違った写真となっています。
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2008年06月11日

江戸漫歩(8)東京エキナカ

 最近、駅の中のショッピングセンターが話題です。
 品川駅や立川駅は、入場切符を買ってでも買い物客が訪れています。それだけ、魅力的な店が入っているのでしょう。
 私には、この社会現象がよくわかりません。

 それはともかく、東京駅にもエキナカと呼ばれるゾーンがあります。
 東京駅の場合は、改札の中だけではなくて、外の構内にもたくさんのお店があります。

 今日の夕食は、東京駅の改札を出た八重洲北口にある、キッチン・ストリートで食べました。
 それも、あの「アルポルト」で。


Tsc5fb8g_sドン・アルポルト



 息子は、イタリアンシェフを目指しています。そして、片岡護さんを尊敬しているようです。
 数年前に、家族で西麻布にある「アルポルト」へ行きました。そして、片岡さん直々に料理の説明をしてもらいました。そして、一緒に写真も撮りました。この片岡さんには、息子も料理学校で直接教わったそうです。


Et_hepqk_sアルポルト正面



 その「アルポルト」が、東京駅の中にあるのです。それも、直営店とのことです。これは、行かない手はありません。

 私は、ボロネーゼ(930円)とハウスワインの赤(530円)を注文しました。本当は、評判の「カルボナーラDON」を食べたかったのですが,メニューを見て、カロリーが高そうなので、パスタにしました。

 パスタの味はよかったですね。歯ごたえも、切れのいいものでした。また、ハウスワインも癖がなくて気に入りました。

 私は血糖値のコントロールをしているので、あまり食べ歩きはできません。1日1500キロカロリーと、女性の摂取カロリーの生活をしているのです。しかし、たまには好きなものを食べて罰はあたらないと思っています。


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2008年06月04日

江戸漫歩(7)内藤新宿

 息子と、新宿の歌舞伎町にある回転寿司屋へ行きました。
 学生時代から、妻と一緒によく行っていた店です。と言っても、もう30年以上も前のことですが……。
 あのころよりも、新宿には回転寿司屋が増えました。

 私はいつも、5皿しか食べません。と言うか、胃を切除している私は、5皿しかお腹に入らないのです。

 そして、一人で外食をするときは、お酒は飲みません。
 何かあった時に、自分の身を守れないと思うからです。
 外でお酒を飲むのは、誰かと一緒に行った時だけです。
 今日は息子がいるので、これは安心して飲めます。

 息子はシェフを目指しているので、ワインなどのテイスティングはしてくれますが、自分で進んで飲むことはあまりしません。一緒に飲むことも、あまりないのです。ほとんど、私だけが飲み、息子はいろいろなものを食べています。

 お寿司と一緒にビールというのは、やはり夏だけです。普段は焼酎のお湯割りに梅干しを入れます。これがお寿司に合うのです。

 今日は、息子と喋りながら食べていたせいでしょうか?  なんと8皿も食べていました。
 息子は14皿でした……。若者は、よく食べ、よく眠るようです。

 食後、アルタの前で、急に学生時代に妻とよく行っていた一杯飲み屋に行きたくなりました。30年ぶりになります。

 学生当時、お金がなかったこともあり、安くてお腹が一杯になる店に行っていました。新宿西口の線路際にある、今の「思い出横町」と言う所は、かつては「しょんべん横町」と呼んでいました。
 私と妻は同級生で、大学の帰りによく渋谷や新宿で飲んでいました。もちろん、秋田生まれの妻の方が酒豪でしたが……。
 そして、新宿では「岐阜屋」という所に、よく行っていました。そこへ、急に息子と行きたくなったのです。

 30年前と同じように店は営業していました。当時のままです。


Iximr1yg_s思い出通り



 違いと言えば、外国の人が多くなっていたことです。
 意外や意外、お客さんの半分は海外からの方々でした。


Znftqhsl_sずらりと外国の人が



 たまたま、隣に座っていた人が、私に何か喋りたそうにしていたので、しばらく話をしました。どうやら、旅行ガイドブックにこの一帯が紹介されているそうで、それを見て海外からの観光客が来るようです。我が青春の思い出の地も、海外からのお客さんに占領される時代となったのです。

 値段も、最近20円ほどあがったそうです。しかし、他の店と比べると、断然安いのは変わりません。

  当時、コップにお酒をナミナミと注いでくれていたおじいさんは、もういません。その息子さんらしき人が、カウンターの中でがんばっていました。おじいさんと同じ帽子を冠っていました。

 若かったころと同じ店で、こうして気楽に飲めることの楽しさを満喫しました。それも、息子と一緒なので、なおさら楽しく飲めました。中華料理が中心の店なのですが、飲むだけで楽しくなります。
 私は、当時と同じ「モツ煮」を食べました。


Oyssvj2d_sもつ煮



 年のせいでもありますが、懐かしさに惹かれてということもあり、この店にまた通うことにします。
 気持ちの若さを取り戻すためにも。
 最近は、相当疲れ気味でもあるので。



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2008年05月27日

江戸漫歩(6)与謝野晶子の住居跡

 いつもいろいろと教えを受けている室伏信助先生が、お住まいになっている荻窪の地を案内してくださいました。
 それも、与謝野晶子の住居跡や近衛邸などなど、私が現在関心をもっているところばかりです。
 以前から案内してくださるとのお話でしたが、私の職場が立川に移転し、荻窪が通勤途中の駅になったこともあり、それではということで急遽実現しました。

 実は、私は学生時代に、この荻窪の桃井という所に1年ほど住んでいたことがあります。3畳一間の狭いアパートでした。荻窪は、思い出深い地でもあります。
 当時は、与謝野晶子にはまったく興味がなかったので、近くにいたのに知らなかったのです。

 荻窪駅まで出て来てくださった室伏先生は、夕方とはいえ急に暑くなった日差しの中を、いろいろな楽しい話をしてくださりながらの文学散歩となりました。

 荻窪駅から南に少し歩きながら、まずは角田文衛先生がお亡くなりになったことが話題となりました。室伏先生は、大島本の複製本をおまとめになる時に、角田先生と頻繁にあっておられたからです。私が昨春、角田先生のご自宅を訪問した時の話等をしたところ、いろいろなことを思い出しになって、エピソードを語ってくださいました。

 そうこうする内に、おしかわ公園に着きました。その角に、立派な案内板がありました。室伏先生もご存じないものだったので、最近出来たもののようです。


Uoqphwij_sおしかわ公園



Uie0esq0_s説明板



 そこからさらに、晶子の『新訳源氏物語』についてのお話をしながら歩き、南荻窪中央公園へ向かいました。
 ここは、与謝野晶子と鉄幹が住んでいた跡地です。


Ebvp1uks_s南荻窪中央公園



 公園の入り口にあったパネルには、こう書かれています。



歌はどうして作る
じっと観
じっと愛し
じっと抱きしめて作る
何を
「真実を」

「私はどうして作る」より
       与謝野晶子




 晶子と鉄幹は、昭和2年にこの荻窪の地に転居してきました。
 広い屋敷には、「采花荘」と呼ばれた日本家屋と、「遥青書屋」という洋館があったそうです。


Almq8r_y_s公園の中から



 そして、その2つの建物の間に、「冬柏亭」という書斎がありました。これは、晶子の50歳のお祝いに、お弟子さんたちが贈ったもので、昭和5年に完成しました。
 鉄幹が昭和10年に62歳で亡くなり、晶子も7年後の昭和17年に64歳で亡くなります。晶子が残した歌は、なんと5万首だったそうです。

 晶子没後の翌18年に、この「冬柏亭」は門下生の岩野喜久代氏の住まいだった大磯に移されました。それがさらに岩野氏によって、昭和51年に鞍馬山に移築されたのです。
 これは、同じく晶子の門下生だった鞍馬寺の信楽香雲初代管長との縁によるものだとのことでした。

 私は、一昨日の日曜日に、晶子の自筆原稿の撮影に関する仕事で,鞍馬寺に行っていました。お寺の方々のお世話になって帰って来たばかりだったので、今日この晶子の旧宅の地に立っていることが、不思議なことのように思われました。
 それも、尊敬する室伏先生に案内してもらってのことだったので、ありがたいことと感謝しながらの散策でした。

 晶子と鉄幹のことは、説明板にある通りです。


Zi2eq25n_s説明板



 帰り道に、晶子と鉄幹の似顔絵付きの旗が、道々の街灯に下げられているのに気づきました。大通りの街灯にも付けられています。


Qybfnycj_s大通りの街灯に



 街を盛り上げるために、与謝野夫妻は今も貢献していることになります。



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