2025年12月21日

いわさきちひろの絵を息子さんの解説で見る

 今朝の神宮外苑絵画館前のイチョウ並木は、冬支度のせいか寒そうに見えました。絵画館も霞んでいます。

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 地下鉄大江戸線で、青山一丁目駅から中井駅まで出て、そこから西武新宿線で上井草駅へ行きました。西武新宿線では、今日も我々にとってはお決まりの、車両点検で電車が遅れました。

 上井草駅からちひろ美術館へは歩いて7分ほど。初めて行くところです。
 入口で受付の方に、館内で食事ができるかを聞くと、喫茶しかないとのことです。この近くで食事ができる場所を聞くと、近くのお蕎麦屋さんを紹介してくださいました。食後にまた来ます、と言って館外に出て少し歩くと、先ほどの受付の方が走って追いかけて来られました。何だろうと振り返ると、丁寧にお蕎麦屋さんの場所を教えてくださったのです。頼りない老夫婦と思われたのでしょうか。お気遣いを、ありがとうございました。

 ちひろ美術館・東京は、いわさきちひろの自宅とアトリエの跡に建っています。

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 いわさきちひろは、子供を生涯のテーマとした画家で、独特な水墨画の技法には、藤原行成流の書の影響があるとのことです。1974年に55歳で亡くなり、夫の松本善明氏、息子の猛氏のことも広く知られています。

 絵本作家になるのが夢だった妻は、かねてよりこのいわさきちひろに憧れていました。しかも、今日は息子である猛氏のギャラリートークがあります。千載一遇のチャンスとばかりに駆けつけたのです。

 2時からのギャラリートークには、大勢の方が詰めかける事態となり、説明を聞きながら絵を見て歩くという予定は変更され、一階の広い展示室で猛氏の説明を聞く、という形式となりました。
 母親の話ということもあり、リラックスした語り口で、楽しい話をたくさん伺いました。このモデルは僕です、とおっしゃる絵の前では、母の思い出話も交えて、ほほえましい貴重な説明を伺うことができました。
 ちひろが描く絵の中の女の子は、穏やかで優しさが溢れています。しかし、描かれたその目には、微かに涙が認められるという指摘にはハッとしました。もう一度、あらためて原画を見直す機会を得たいと思います。

 会場では、昨日の日比谷図書文化館での2つの講座に参加なさっている方もお出ででした。一緒に、猛氏の話を伺いました。

 ロビーでは、おいしいコーヒーもいただきました。また足を運ぶことでしょう。

 帰りは西武新宿駅に出て、雑踏の新宿歌舞伎町を横切り、中央線に乗って東京駅に出ました。
 新幹線に乗り込んで間もなく、品川駅で無理な駆け込み乗車があったとのことで、しばらく運転が中断されました。鉄道トラブルは、今日で2つ目です。
 結局、大きや事故には至らなかったからいいものの、旅に出ると相変わらずハラハラドキドキの電車トラブルに巻き込まれています。




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2025年11月30日

江戸漫歩(181)結婚式を挙げた六本木から東京タワーへと歩く

 地下鉄南北線の六本木一丁目駅を出ると、すぐ角に全特六本木ビルがあります。ここに、我々が50年前に結婚式を挙げた全特会館(全国特定郵便局長会館)がありました。道を隔てた向かいには、サウジアラビア王国大使館があります。

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 この高層ビル群の間から、東京タワーが見えます。

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 この地に関しては、11年前の12月に来た時のブログに報告を記したので、よろしければご笑覧ください。

「江戸漫歩(93)六本木・東京タワー・芝公園へ紅葉狩り」

 そこから東京タワーに向かって歩くと、途中の麻布台ヒルズが賑やかです。何だろうと思って入ると、子供連れの若者たちが小さなブースに並んでいます。海外でのクリスマスマーケットを模したイベントのようです。

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 この雰囲気にはそぐわない我らも、若者ぶって窓越しに食べ物と飲み物を受け取りました。
 選んだのは、イギリスのお店のフィッシュ&チップス。今から25年前の銀婚旅行では、妻と2人でイギリスを、レンタカーで走り回りました。そのことを思い出しての選択です。
 25年前の夏。ロンドン大学の前のホテル・ラッセルに泊まり、イギリスの旅が始まりました。ホテル・ラッセルは、アーサー・ウェイリーが『源氏物語』を英訳した時の滞在ホテルです。ここは、それまでにも私がよく泊まったホテルです。その横にあったレンタカー屋さんで借りた車が、何とベンツ。そのベンツで、オックスフォードやストーンヘンジからコッツウォールズ一帯を泊まり歩いたのです。宿の予約などはないままに車を走らせ、夕方になって着いたあたりでB&Bを探す、という気儘な旅でした。日本語しかできない私でも、定型文句で旅はできました。

 ヨークで留学中の娘の部屋に泊めてもらい、勝手知ったるケンブリッジを散策するなど、当時のことは妻共々、今でも脳裏に刻み込まれています。その頃の話をしながら、今日は金婚記念にと思い出のフィッシュ&チップスを一緒につまみました。ケンブリッジでのフィッシュ&チップスは、もっと安い値段でポテトが5倍はありました。

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 東京タワーに登った記憶はありません。京都タワーもそうです。これは、見上げることに価値がある、と思っています。

 JR竹芝 水素シャトルバスが無料の送迎バスとして東京駅まで走っていたので、これ幸いと記念試乗をしました。

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 左端にいる妻が持っている、青いプチプチに包まれた大きな荷物は、昨日の日比谷図書文化館で受講生のみなさまに見ていただいた『探幽筆三十六歌仙』を頑丈に梱包したものです。美術搬送にすると費用が高額になるので、こうして手に下げて東海道五十三次を往復しました。

 パリから日本に戻ってきた狩野派の手になる歌仙絵の下絵として描かれた36人の歌人たちも、江戸見物に連れ回されるとは思いもしなかったことでしょう。私の手元にある『探幽筆三十六歌仙』は、京狩野ではなくて江戸狩野の作業現場で実際に使われていた粉本(下絵)だと思われます。まさに里帰りということになります。
 昨日は、日本橋馬喰町に宿を取っていました。木挽町にあった狩野画塾は、どちらも東京都中央区にあるとはいえ、地理的には少し離れています。絵画史に疎い素人の話として聞き流してください。
 なお、かつて銀座周辺にあった狩野画塾は、明治時代になってから狩野芳崖や橋本雅邦を最後に姿を消します。その頃に、その作業現場で使われていた『探幽筆三十六歌仙』は、フランスに渡ったと思っています。これまた、根拠のない私の想像に過ぎませんが……

 さて、東京タワー前から東京駅までの水素シャトルバスは、気持ちがいいほどにノンストップでした。乗り心地も快適だったので、貴重な体験となりました。

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 東京駅の丸の内側に着いたので、あたりの秋の気配を写し留めました。
 正面奥が皇居です。その左側に、日比谷公園や千代田区立日比谷図書文化館があります。日比谷図書文化館での毎月1回の源氏講座は、今年で13年目に入っています。気長に、『源氏物語』の古写本に書き写された変体仮名を読み解いています。東京通いも、まだしばらく続きそうです。

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2025年09月21日

江戸漫歩(180)両国国技館から水上バスで越中島へ

 今回泊まった宿には、無料でビュッフェスタイルの朝食が付いています。コーヒーも自由なので、街中で朝食探しをしなくてもいいので助かります。ゆったりとチェックアウトもできます。息子が出張中には、この系列のホテルを使うことが多くなりました。

 蔵前から隅田川沿いに南に歩いて、両国の国技館に行きました。

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 相撲が場所中だったので、各力士の幟が旗めいています。

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 今日は中日の8日目。入場料は2,500円からです。しかし、終わるのが18時なので、京都に帰ることを思うと今回はパス。
 私は、宇良関と翔猿関が好きなので、見上げながら探しました。離れた所に宇良関。上の支えが木に絡まっているので、この名前が表を向くことはありません。その取り口を示すかのように、旗がひっくり返ったままです。

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 翔猿関が見当たりません。何度も行ったり来たりしてもないのです。係の方に聞くと、後援会などが出すので、力士全員のものが出ているとは限らないそうです。本当かな、と思いながら諦めて散策を続けました。

 両国駅には、相撲関係のお店がたくさん出ています。一軒だけ、変体仮名を交えた看板を見かけました。「や婦"久」は「やぶきゅう」、「日本ばし」は「にほんばし」。大阪なら「にっぽんばし」と読むところです。変体仮名は、東京では京都のように見つけることは大変です。

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 なお、スカイツリーが間近に見えます。しかし、私はこの鉄塔が建ったことで「業平」という地名を捨てた、地域関係者の感覚が好きになれません。確かに、東京は平安文学とは無縁の地です。だからといって今しか見ないのは、愚かなことです。「業平橋」という地名の変遷などについては、「江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅」(2012年05月23日、http://genjiito.sblo.jp/article/178946121.html)に書きました。好意的に書いています。しかし、内心は近視眼的な日本の文化理解を残念に思っています。

 駅の南側に史蹟があるそうなので、行って見ました。
 忠臣蔵の吉良邸から。

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 少し東に歩いて、勝海舟の生誕の地。

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 西に戻って、両国小学校の角にある芥川龍之介の文学碑。

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 もう少し駅の方に戻った芥川龍之介生育の地には、説明板だけがありました。その横に、6年前に息子と来たモンゴル料理屋さんの「ウランバートル」があったので、こちらの方を写しました。

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 このお店のことは、「モンゴル出身力士の千昇さんと両国で語る」(2019年02月17日、http://genjiito.sblo.jp/article/185571565.html)に書いています。

 水上バスの船乗場である両国リバーセンターがある国技館前に戻り、1日2本の越中島まで行く船に乗り込みました。かつて、越中島に住んでいた頃、一度だけ浅草まで乗った東京水辺ラインです。2度目の今回は、逆のコースを走るのです。

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 一旦、北上して浅草二天門まで戻り、Uターンして隅田川を下ります。直接越中島に向かうと20分のところを、迂回するために45分かかりました。
 展望デッキに上がり、越中島の船着場越しにかつて官舎があったところを写しました。建て替え工事は、順調に進んでいるようです。

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 降りてから、聖路加病院やお台場に向かう水上バスのあじさいを見送りました。向こうに、中央大橋が見えます。

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 降りたところは、かつて住んでいた越中島官舎のすぐそばです。私が定年で退去した後、取り壊しの工事が始まりました。今はまだ、基礎工事の段階です。
 隅田川の方から見た工事現場の様子。

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 清澄通りの陸橋から佃島や月島の方を見た工事現場の様子。

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 ここに何が建つのか、折々に見に来るつもりです。




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2025年07月20日

江戸漫歩(179)先月と同じ道を越中島から深川へとブラリ歩き

 昨夜は、日比谷公園地下にある東京メトロ千代田線の日比谷駅から、大手町駅経由で東西線の門前仲町駅に移動し、永代橋の近くのホテルに泊まりました。先月とまったく同じパターンです。ただし、先月は地下鉄丸ノ内線の霞が関駅から大手町駅経由で東西線の門前仲町駅へ行こうとしていた時、電車のトラブルで大回りをすることになったので、今度は経路を変えたのです。とにかく、都内は線路が張り巡らされているので、路線のつながりを知っているとテキパキと移動できます。日比谷公園の周辺には、地下鉄の駅が4つもあり、JRの駅が3つも利用できるので、さまざまな組み合わせで好きな所へ行けます。

 門前仲町周辺は、隣の越中島地域に9年間も住んでいたので、馴染みの生活圏だった所です。永代橋のそばの渋沢栄一のビルには、マイバスケットというイオン系列のスーパーマーケットが入っているので、ここで食材を仕入れてホテルの部屋で夕食です。折しも土用の丑の日だったので、ウナギの蒲焼きも手に入れました。狭いながらもホテルの部屋で、夏に負けないように妻とささやかに宴会です。

 今朝は無料のバイキングをいただいてから、先月とまったく同じコースを歩きました。
 3枚のパノラマ写真をあげます。
 まず、隅田川の右に永代橋、左に中央大橋のアングル。

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 次に、中央大橋・佃島・月島・相生橋を望む景色。

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 そして、左から越中島プール・明治丸・豊洲・相生橋を望む風景。

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 この左端の越中島プールは、恩師伊井春樹先生がこの左横の官舎に、私が赴任する前にいらっしゃった頃、息子さんが夏になると毎日通っておられたと聞いたことがあります。
 明治丸は、東京海洋大学の越中島キャンパスにある、重要文化財の船です。
 この越中島公園から隅田川を望む景色は、テレビの CM や映画・ドラマなどの撮影地として知られているので、見たことがある風景かと思います。実際に、女優の綾瀬はるかさんが相生橋で一人でたたずんでおられるシーンの撮影の合間に、たまたま妻が通りかかり目が合った、と言っています。この相生橋は、小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』(1948年)に出て来ることでも有名です。

 8年前までの9年間住んでいた東京医科歯科大学の官舎は、先月のブログでも更地になった様子をアップしました。清澄通りに架かる歩道橋から、先月と同じ角度で写しました。

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 今日はさらに工事が進んでいて、伊井先生と私が入っていた建物があったところは、クレーン車がある場所で、整地がさらに進んでいました。赤い矢印を付けたあたりに、部屋がありました。定点観測として、今後ともチェックを続けます。
 ここは妻共々、東京での思い出深い所なのでつい足が向き、こうして来てしまいます。

 門前仲町に引き返す途中に、ブックオフが今もありました。ここは、私がよく通っただけでなく、息子が東京で会社を立ち上げるために同居していた頃に、彼もここの本のお世話になった所です。今や人工知能の会社のCEO。国のブレーンの一角にいるようです。いつもは東京に行くと泊めてもらっています。しかし、何かと忙しくて出張が多いため、先月同様、昨日も出張でした。おかげとでも言うべきか、こうして思い出の散策を楽しんでいます。

 富岡八幡宮では、今日は骨董市はやっていませんでした。
 私が海外出張の時には必ず立ち寄っていた伊能忠敬さんには、今日もお礼の挨拶をしてきました。

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 深川のお不動さんにもお参りしました。いつ行っても、迫力があって元気をもらっています。

 JR越中島駅から東京駅に出ました。通勤で使っていたので、勝手知ったる駅です。この京葉線は、ディズニーランドへ行く人でごった返しています。今日も、乗り換えの東京駅構内では、長い距離をディズニー気分に存分に浸った若者たちと一緒に移動しました。私は、このディズニーの文化は要らないものだと思っています。多くの方の顰蹙を買うことを承知で、折々に言っていることです。

 宇治市の地元の小学校へ行っての参議院選挙の投票には、何とか間に合いました。掲示されていた候補者や政党名の文字が小さくて困りました。しかし、日頃は文字を書くことがほとんどないので、人名を漢字や平仮名で書くことは、脳の活性化になっていいことだと思いました。

 なお、今日私が東京を離れたすぐ後に、山手線で携帯電話の充電バッテリーから火が出たとのことで、電車が一時止まったようです。東京では電車のトラブルに何度も巻き込まれています。今日はタッチの差で助かったようです。それにしても、バッテリーは旅行中に私も妻も持ち歩いています。何かあった時に、避難場所で充電器の取り合いになるからです。いま一度、手元のバッテリーの確認をしたいと思います。




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2025年06月22日

江戸漫歩(178)隅田川から深川界隈をブラリ歩き

 早朝散歩は、永代橋から隅田川沿いに越中島をぶらぶら歩きです。
 大島川水門テラス連絡橋というものが出来ていることを知りました。2022年5月に開通したそうです。私がこの辺りにいた8年前には、隅田川に沿って歩くことができなかったので、永代の街中を迂回していました。それが、川沿いに通れるようになったのです。快適な通路となりました。永代橋の周りには、水上ボートを楽しむ多くの人がいます。

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 目を転じて左手には、中央大橋と佃島や月島方面が望めます。私は、写真の左端の一角に9年間住んでいました。

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 かつて住んでいた東京医科歯科大学の官舎は取り壊され、今年の2月に来た時には更地になった所でした。今日はクレーン車が数台入り、基礎工事が始まっていました。正面奥の木立の中に海洋大学があります。その手前のオレンジのクレーン車のあたりに、私が入っていた棟がありました。

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 私と恩師である伊井春樹先生の部屋が、共にちょうど取り壊されている時に写した写真を、「江戸漫歩(168)門前仲町を散策し隅田川で一休み」(2024年06月16日、http://genjiito.sblo.jp/article/190941354.html)の後半に掲載しています。
 また、更地になったばかりの様子は、「江戸漫歩(175)門前仲町界隈を散策」(2025年02月14日、http://genjiito.sblo.jp/article/191251799.html)に写真を掲載しました。
 その写真と同じ角度で、今日も撮影しました。工事の進捗状況がよくわかります。

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 越中島公園は、隅田川沿いで佃島の対岸なので散策にもってこいのエリアです。

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 屋形船に乗り込む団体さんは、これから隅田川をクルージングしながらお食事会です。みなさん、楽しみにしておられたのか、大賑わいで乗り込んでおられました。

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 木陰のベンチに腰掛けて冷たい飲み物を口にし、お菓子にも手を伸ばしながら、のんびりと隅田川を眺めて午前中を過ごしました。ここは、テレビのCMの撮影によく使われているので、来るとイメージがダブります。

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 午後は、富岡八幡宮へお参りし、毎週日曜日に開いている骨董市をぶらぶらしました。

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 この近くに住んでいた頃は、海外へ頻繁に出掛けていたので、いつもこの伊能忠敬さんに旅の無事をお願いしていました。

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 おかげさまで、毎回多くの成果をあげて帰ってくることができました。伊能さんほどの歴史に残る成果とは程遠いものながら、『源氏物語』の海外での研究状況などを国内に持ち帰ることができました。[海外平安文学情報](http://genjiito.org)に公開している500冊にも及ぶ『源氏物語』の翻訳本のコレクションと情報の整理は、目に見える収穫といえるでしょう。
 また、以下の報告書はそうした情報をまとめて、おりおりに発行したものです。

・『海外における源氏物語』2003
・『スペイン語圏における日本文学』2004
・『海外における平安文学』2005
・『海外における上代文学』2006
・『海外における日本文学研究論文1+2』2006
・『インド国際日本文学研究集会の記録《2004年度〜2011年度版》』2012
・『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』2014
・『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』2016
・『海外平安文学研究ジャーナル 《インド編 2016》』2017
・『《合冊》日本文学研究ジャーナル〈Vol.1-3〉』2017
・『《合冊》日本文学研究ジャーナル〈Vol.4-6〉』2017
・『平安文学翻訳本集成《2018》』2019
・『海外平安文学研究ジャーナル Vol. 7.0』2020
・『海外平安文学研究ジャーナル《中国編 2019》』2021
・『海外平安文学研究ジャーナル Vol. 8.0』2021

 あらためて感謝の気持ちを、伊能さんに伝えました。

 深川の商店街で海鮮丼をいただき、いつも通っていたスーパーでアイスクリームを買い、近くの牡丹園のあずまやでのんびりとそれを食べてから、これまた通勤で使っていた越中島駅から東京駅に出て、勝手知ったる新幹線に人混みを避けるようにして乗り継ぎました。

 今日は日がな一日、妻との8年前の生活を追体験する日となりました。
 私がガンの手術をしてからは、定年前にもかかわらず妻は早期退職をして、単身赴任生活をしていた越中島の官舎に来てくれました。私は立川にある国文学研究資料館へ、妻は新座にある立教高校へと通う、とにかく多忙な日々でした。

 あんなことがあった、こんなこともあったと、お互いに思い出すと話が止まりません。当時と同じ風景の中を歩いているのに、今は物の見方がまったく違ってきています。大変だった時代を経て、気持ちに余裕があるからでしょうか。お互いに職場などでさまざまな思いはたくさんしたにもかかわらず、今となっては楽しかった思い出話として語り合えるのはいいことだ、と納得しながらの江戸漫歩でした。




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2025年06月08日

江戸漫歩(177)池田先生宅に弔問に訪れた後は懐かしの新宿伊勢丹へ

 池田亀鑑先生のご子息である池田研二先生が、昨年末の2024年12月25日に89歳でお亡くなりになりました。今朝、弔問のためにご自宅にお邪魔し、奥様から詳しい思い出話などを伺いました。昨日泊まった息子の家から研二先生のお宅までは、大江戸線1本で20分ほど乗れば行けました。
 奥様に私はこのご自宅で二度お目にかかり、妻も研二先生には池田亀鑑賞の折に鳥取県の会場や宿舎などでお会いしているので、和やかに会話がすすみました。

 今回、池田亀鑑先生が「朝日賞」を受賞なさった時の賞状を拝見することができました。私が撮影し忘れていたのものです。

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 以下、これまでに研二先生からご厚情をたまわったことに触れたブログの記事から、主なものを列記します。思い出すことで、感謝の気持ちにかえたいとの思いからです。

 私が旗振り役となって設立した池田亀鑑賞の関係で、鳥取県日野郡日南町での話と、『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1〜4集』(伊藤編著、新典社)のことが多くなっています。

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・『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第1集』(伊藤編、新典社、2011年)
 研二先生の寄稿「追憶・池田亀鑑・第一回・父としての池田亀鑑」

・「盛会だった池田亀鑑賞の授賞式」
 研二先生の演題「父の思い出あれこれ」

・「第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会」
 研二先生の演題「『源氏物語大成』完結まで」

・「日南町から米子へ─稲賀先生の墓参─」

・「90歳のMさんから池田亀鑑との話を聞く」

・「『もっと知りたい … 第2集』(新典社)が出来ました」
 研二先生の寄稿「追憶・池田亀鑑 (第二回 『源氏物語大成』 完結まで)」

・「入江たか子の写真へのこだわりを反省」

・「「樂友舎」と池田亀鑑についてご教示を乞う」

・「第3回池田亀鑑賞授賞式」

・「池田研二先生と共に奈良から鳥取へと移動」

・「第4回池田亀鑑賞授賞式と講演会」

・「池田研二先生と『桃園文庫展―池田亀鑑の仕事―』を観て」

・「池田研二先生のお宅で父亀鑑の遺品を確認」

・「第5回池田亀鑑賞授賞式及び記念講演会のご案内」

・「新刊紹介『もっと知りたい 池田亀鑑と『源氏物語』 第3集』〔160928_改版〕」

・「充実した第6回池田亀鑑賞授賞式」

・「第7回池田亀鑑賞授賞式-2018」

・「第8回池田亀鑑賞授賞式-2019」
 (集合写真にのみお姿が確認できます)

・『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第4集』(伊藤編、新典社、2021年3月)
 研二先生の寄稿「随筆集「花を折る」に纏わる二、三の思い出」
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 午後は、新宿を散策しました。
 学生時代に、伊勢丹会館の1階入口にあった「ラランジェ」というフルーツパーラーでアルバイトをしていたことがあります。いつか入ろうと思いながら、50年近く経った今、ようやく願いが叶いました。今は「美鈴屋」という名前のイタリアンになっていました。かつてのフルーツパーラーではなかったものの、ランチをいただきました。お店の店構えと雰囲気は、当時とあまり変わっていません。

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 その足で、すぐ横の伊勢丹に寄りました。50年前に、結婚式場はこの伊勢丹のブライダルコーナーで探してもらったので、現在はそこがどうなっているのかを見に行こう、ということで行きました。
 今は「伊勢丹ブライダルクラブ」という名前になっており、お店の方の話によると、かつてはこの階ではなかったようです。実は50年前にここで結婚式場を紹介してもらった、ということを伝えると、お祝いの言葉と、きっといいことがありますよ、とニコニコして、というよりも大笑いをしながら喜んでおられました。後で、変な夫婦が来たということで、お店の方の話のネタになったことでしょう。

 そこを出た頃から私のお腹が激痛に襲われ、近くの紀伊國屋書店新宿本店の一角にある椅子に座って、痛みが治まるのを待ちました。少し痛みが和らいでから、東京駅に出て新幹線で帰りました。車中でも痛みが続き、近鉄に乗り換えてからも依然として痛みが治まりません。
 自宅に着いてしばらくすると、どうにか治まりました。先週も腹痛があり、京大病院で救急の診察を受けた時に、先生が腸の接合部分に腸重積の兆候が見られる、と仰っていたので、明日も痛いようだったら診てもらいに行くつもりです。
 明日は珍しく何も予定が入っていないので、これからゆっくりと寝ることにします。





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2025年03月16日

江戸漫歩(176)東京での電車の乗り換えで2度も戸惑う

 昨日は、日比谷図書文化館の講座を終えてから、電車で町田市まで移動しました。
 スタートは、講座があった会場からほど近い、地下鉄千代田線の霞ケ関駅でした。まずは表参道駅で半蔵門線に乗り換え、長津田駅へ行く予定でした。ところが、スタートした霞ヶ関駅の地下通路で大回りをし、あまりにも長く歩かされたこともあり、これだと思って乗ったら日比谷線だったのです。すぐに間違ったことに気がついて、虎ノ門ヒルズから引き返し、もと来た霞ヶ関に戻ります。そして、霞が関の地下でさらに遠く離れた千代田線まで歩きました。大手町駅でよくやる、延々と歩かされるうちに力尽きて乗ってしまう、という乗り換え間違いです。

 千代田線の霞ヶ関駅で乗った電車は、長津田駅への直通ではなくて、渋谷行きでした。渋谷は学生時代に過ごした街であり、私は渋谷の代官山に住んでいたこともあります。勝手知ったる街という思いがあり、渋谷で東急田園都市線に乗り換えればいいと、乗った電車の終点である渋谷の改札を出ました。
 ところが、この東急田園都市線が曲者でした。勝手知ったる、のはずが駅が大改造されていたために、行き先表示に振り回されたのです。50年前の学生時代から、渋谷の駅前は大工事が展開していました。東京を離れてから、東急田園都市線は大きくその位置を移動したのです。その後も何度か渋谷に行っていたのに、50年前の記憶と感覚が身体に染み付いていたようで、今の位置感覚と大幅に狂ったのです。90分の講座を2つやり終えた後、疲れていたためとしておきましょう。

 長々と歩かされ、エスカレーターで地底深くに運ばれて、やっと目的の路線に辿り着きました。結果がわかると、納得です。それにしても、何とも情けないことです。
 その後も、急行に乗るべきなのにあわてて各停に乗り、途中駅で急行待ちをしたりと、お上りさん状態でした。
 JR横浜線に乗り継いだ時には、やっと頭が現実と一致しました。

 今日も、小田急で新宿に出てからJRに乗ろうとして、南口あたりを彷徨いました。西口や東口はよく使っていたのでわかっていても、南口はほとんど使うことがなかったので、右へ行くのか左か、迷いながらウロウロしました。
 行き先は中野です。中野は妻が学生時代に住んでいたところであり、大きくは変わっていないので迷うことはありません。これまでも何度も行った、大好きなブロードウェイを散策です。

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 マニアックな店が多い中に、コンピュータの小物屋さんが何軒かあるので毎回楽しみにしています。しかし、ほしいものはありません。ほとんど持っていることはもちろんのこと、新製品がみあたらなかったのです。情報文具も、もう頭打ちなのでしょうか。生成AIのための人工知能関連の便利グッズが並ぶ日を楽しみにしています。

 4階、3階、2階とお店を回りました。
懐かしいフィギアの中に、ゴジラの人形がありました。我が家にもあったものが、何と78,000円の値札がついていました。息子が、大阪駅前の広場で開催されたゴジラの鳴き声大会で優勝した時にもらったものと同じ物です。引っ越しを繰り返したために、いつしか処分したようです。
 その他、いろいろなオモチャや人形の値段を見て、妻はため息をついていました。すべて処分したものばかりだったからです。ブリキのオモチャなどは、目を疑う値段が付いています。鉄人28号やサザエさんなどもウチにあっただけに、これが、これもかと、目が泳ぐばかりのウインドウショッピングとなりました。
 文房具屋さんにも、マニアが集まる場所だけに、おもしろいものがありました。我が家にいたハリネズミのはっちゃんがデザインされた紙挟みを買いました。
 地階の食品と古着を扱う店は、頭も気持ちもリフレッシュします。メダカ屋さんでは、関東のメダカを観察しました。何度か訪れた、ヘモグロビン A1cを測ってもらったお店は、もうありませんでした。健康チェックをするために、小まめに通っていました。カバンや革製品を買ったお店は、今も健在でした。

 小雨の中、楽しい半日となりました。
 さて、大阪の日本橋の電気屋さん街は、今はどうなっているのでしょうか。
 いつか行ってみたいと思うようになりました。

 今回は加齢のためか、移動に判断ミスを重ねました。毎月通っている東京で彷徨ったことは、少なからず打撃です。スマホの経路案内が、ますます手放せなくなりました。




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2025年02月14日

江戸漫歩(175)門前仲町界隈を散策

 東京へ行くにあたって関ヶ原での雪が心配だったので、予定を1日早めて出かけました。
 東京駅から京葉線に乗り換え、越中島駅まで行きました。

 かつて住んでいた東京医科歯科大学の官舎の現状を、昨夏以降どのように変わっているのか見に行きました。昨年行った時には、私が住んでいた棟が解体されつつあったからです。この棟は、恩師伊井春樹先生も住んでおられた所です。
 昨年の記事の「江戸漫歩(168)門前仲町を散策し隅田川で一休み」(2024年06月16日、http://genjiito.sblo.jp/article/190941354.html)の中程に、ちょうど私が住んでいた所が壊されている写真をアップしています。
 同じ場所が、敷地全体が、今日は完全に更地になっていました。住んでいた建物と共に、妻が丹精込めて花を育てていた7軒分の花壇も、ショベルカーが地均しをしています。なかなかいいタイミングで、壊され始めるところに続いて、すべてがなくなった場所を見ることができました。あのころの様子は、「江戸漫歩(153)越中島の花壇と公園」(2017年03月20日、http://genjiito.sblo.jp/article/179151998.html)という記事で確認できます。

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 隅田川に架かる相生橋を渡ったところにある有名な牛肉屋さんでお弁当を買い、川沿いの越中島公園のベンチで日向ぼっこをしながらいただきました。散策のために、よく来た場所です。風もなく日差しも強かったので、長閑なひと時でした。ここは、テレビの CM によく使われることで知られています。

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 一羽のユリカモメ(都鳥)が、我々のお昼ご飯をもの欲しそうに見ています。

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 高校の古文の時間には、『伊勢物語』の中の第9段「あずま下り」がよく取り上げられます。特に関東の学校では、平安文学とのつながりをもつこの話は、貴重な教材となっています。次の歌で、隅田川の都鳥を思い出す方も多いことでしょう。

  名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
    わが思ふ人は ありやなしやと

 ここから古石場の文化センターと図書館へ行き、小津安二郎の展示コーナーを楽しみました。この一帯は、小津が生まれ、多くの映画の舞台となった地です。

 次に富岡八幡宮に向かいます。海外に出かける時には、必ずここの参道の入口に立つ伊能忠敬に挨拶をして出かけていました。また、骨董市には京都とは趣の異なるおもしろい物が出ていたので、物色していたものです。

 その隣の深川不動にも立ち寄りました。太鼓の響きと読経の後の能弁な説法は、いい勉強になります。

 門前仲町には9年いました。400年前の江戸を感じさせる街です。

 今日歩いたのは、14,300歩でした。リハビリというよりも、トレーニングに近い運動量になりました。
 永代橋の近くの、渋沢栄一の旧宅の近くに宿をとっています。




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2025年01月19日

江戸漫歩(174)18歳の時の思い出の地「大森」を歩く

 今朝目覚めたのは、若き日に自転車で走り回っていた大森です。ビュッフェ形式の朝食をホテルでいただき、おいしいコーヒーをゆったりと飲んでから、かつての生活圏だった大森の散策に出かけました。

 まずは、目と鼻の先にある、18歳で高校出たての私が、希望に燃えて住み込みで仕事をしていた新聞配達店の確認です。しかし、当時の住所には建物はなく、別の使われ方をしていました。周りの様子も、当時を思い出すものはまったくありません。お店の前で写した写真はあったはずなので、またいつか、ということにします。
 私は、アルバイト扱いだと思って新聞配達をしていました。しかし、定年後の70歳になって年金をもらうようになってから、その頃働いていた日数が年金に加算されていることを知りました。正規雇用者として事務的な手続きをしていただいていた朝日新聞社に、あらためて感謝しています。

 次に、私が腹膜炎を起こして手術をし九死に一生を得た、すぐ近くにある病院を訪れました。その場所は一所であっても、建物はすっかり変わっていました。思い出すよすがすらありません。

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 新聞配達を始めて10日後に、私は十二指腸に突然穴があき、突然意識を失いました。新聞配達店のご主人がすぐに近くにあったこの総合病院に運び込んでくださったおかげで、4時間以上の手術を経て命拾いをしました。麻酔が切れて目覚めた時には、胃の3分の2と十二指腸が切除されていたのです。病名は、十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎。あのプロレスラーの力道山さんは、同じような状況で意識を失わずに我慢をしたために亡くなっています。私は、身体が正直に反応して失神したために、一命を取り留めました。

 入院中のことは、今でも懐かしい思い出として蘇ります。
 私の世話をしてくださった家政婦のAおばさん。退院後も、折々に差し入れをしてくださいました。
 付きっきりで回復のために尽力してくださった、若くて明るさ満開だった看護婦(今で言う看護師)のAさん。
 両親に代わって手術の身元保証人となり、スリッパをはじめとして身の回り品に配慮をしてくださった、従兄弟のお嫁さんのUさん。
 多くの方々に支えられた甲斐があって、半年後に社会復帰をしました。

 ちょうど、1970年の大阪万博があった頃の話です。夏の暑い盛りに、体調のいい時に2、3回、万博を見に行きました。
 千里の万博会場は、父が土建舗道会社にいた時に、人夫として汗水垂らして整地をした敷地です。父が亡くなった後に私家版として発行した追悼文集『舗道の雨』(拙編、1984年5月)には、父が肉体労働をして帰る道すがら、少しずつ書いていた文章を収録しています。満洲で捕虜となりシベリアの強制労働の日々から復員してきた父は、土木業を経て一転して山一證券に勤めます。しかし、その山一證券も、父の死後に倒産しました。いろいろとあった父は、それでも常に私を信じ支えてくれていました。

 万博が終わった頃に、私は再度東京に出て新聞配達を続けました。
 今日、かつて配達をしていた順路を辿ってみました。次の写真の道からが、私が担当していた山王二丁目になります。自転車の前と後ろに刷り上がったばかりの新聞を積み、450部を毎朝毎夕配ることが私の仕事でした。

250119_順路.jpg

 何軒か配った家を思い出しました。当時は、政治家や財界人が多い区域でした。自転車に跨がったままで新聞受けに入れられる家が多かったので、割り当てられた450部は早く配り終えた記憶があります。もっとも、マンションやアパートは自転車から降りて、肩に掛けたタスキに新聞を抱え込んで階段を上り下りして小走りで配っていたので、これは結構疲れました。

 配達が終わる頃になると、親しくなった牛乳配達の人と、手持ちの新聞と牛乳を交換したことを思い出しました。牛乳を一気に飲み、疲れを吹き飛ばしてからお店に帰り、すぐに学校へ行ったものです。

 一浪の後に大学に入学して研究のおもしろさがわかりだした束の間、新年の成人式の数日前に新聞配達店からの出火で、命以外のすべてを失いました。
 焼け出された日から数日は、近くの鷲神社の会館に避難しました。お世話になった神社に、55年振りにご挨拶に立ち寄りました。

250119_鷲神社.jpg

 成人式の日はこの会館の板の間で、太田区から支給された被災者用の毛布にくるまって、次の新聞を配る準備をしていました。配布された配達用のジャージしか着るものがないので、自由に外出などできなかったのです。
 たまたま社務所に女性がおられたので、55年前にすぐそこで大火事があり、この神社でお世話になった話をしました。その方は、そこに新聞配達店があって火事があったことは聞いたような気がする、とのことでした。もう、大昔の話になっていることを知りました。
 お礼を兼ねてのお参りに来た標しに、熊手をいただきました。

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 新聞社からの支援があったものの、身ぐるみを無くしての配達や集金や広告の集配業務に加えての勉学に無理があり、まもなく新聞配達の仕事を辞めることにしました。

 その後、住まいを大学に近い渋谷の代官山に移し、大学で同級生だった女性の支援を受け、学生生活とアルバイトの両立を果たすことができるようになりました。その頃から衣食住の手助けをしてもらった女性とは、すぐに学生結婚をしました。私が大学院生だった時代は、当時で言う「ひも」の身分でした。その私たちが、今年は金婚式を迎えます。今に至るまで、なかなか楽しい月日を送っています。

 いろいろとあった55年前が、大森を歩くことで鮮やかに蘇りました。妻が知らない、出会う前の話を、興味深く聴いてくれました。私が大森を離れて代官山に移って間もなく、年度末の単位レポートのことが縁で知り合いました。おかげで、私は単位を一つ取得できました。

 今回、大きな収穫がありました。それは、あることは知っていても行ったことのなかった大森貝塚の史跡に行ったことです。線路際に大きな碑がありました。迂闊にも、教科書に載っているこんなに有名な史跡を、興味がなかったこともあり、一度も来ていなかったのです。

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 石碑の背面には、変体仮名混じりで顕彰文が刻まれていました。以下に[変体仮名翻字版]で翻字しておきます。

250119_貝塚碑文.jpg

【明治十年】モールス【先生】の
【發見】尓【係】里【門下生理學
博士佐々木忠次郎故松
浦佐用彦両氏】登【共】尓【發
掘研究】せし【顕著】奈る【遺
跡也】
【昭和五年四月建之】



 すでに10,000歩になろうとするところで、まだまだ大森を歩きたい気持ちを抑えて、京都へ帰る気持ちに切り替えました。思いがけず、収穫の多い、いい一日となりました。

 なお、すっかり忘れていたことを、先ほど思い出しました。今からちょうど10年前に、この大森から山王地域を懐かしくて歩いていたことをです。

「江戸漫歩(92)大森の山王を散策し酉の市へ」

 本日の記事で触れていないことも書いているので、おついでの折にでもご笑覧ください。




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2024年12月08日

江戸漫歩(174)王子神社と銀座をブラブラ

 京浜東北線のJR王子駅からすぐの、王子神社へ行きました。私の興味と関心から、蝉丸を祀る末社の関神社が目的です。珍しく理髪の神社とのことで、相撲の床山さんやカツラ屋さんからの寄進が多いのが特徴です。
 蝉丸の歌が『百人一首』に入っていることは、ほとんど読めない説明板に微かに認められます。ここには、歌碑があったらいいと思いました。

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 その横では、子供たちが餅搗きをしていました。年末の下町の風情でしょうか。

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 王子神社の境内には、天然記念物の大銀杏の下に句碑が建っています。最初の2字の漢字が読めなかったので巫女さんに聞いたところ、お二人ともわからないとのことでした。

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 帰りに神社のホームページを見ると、「暮際」であることがわかりました。

  【暮際】毛 奈く 【夜】耳宇津留 左く良可菜

 この境内からは、すぐそばに「順天」という文字を掲げるビルがあります。

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 ここは、妻が大学を卒業してすぐに就職した高校です。今から50年も前のこと。半世紀ぶりに訪れ、建て替わった立派な校舎を見上げ、懐かしそうにしていました。当時は週24時間の授業を持たされ、おまけに書道部も担当し、クタクタの日々だったことを思い出したようです。あの頃は結婚したばかりで、浦和に住んでいました。大学院生だった私は、この王子駅の近くにある開成学園と東京成徳学園で非常勤講師をしていたので、この地域は私にとっても懐かしい思い出の地です。
 また、この周辺は、かつて神野藤先生に案内していただいたところでもあります。

 「於登奈志はし」を渡って、飛鳥山公園にも行きました。

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 公園の中にある紙の博物館に行こうとしたところ、なんと今月からしばらく臨時休館とのことでした。いつか行こうと思いながらも、なかなか機会がなかったのです。それが、意を決してやっとのことで来てみると、無情にも休み。こんなこともあるのです。

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 渋沢栄一関係の施設はまたのこととして、今後ともご縁がありますこうに、と銅像だけは写真に収めました。

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 新幹線に乗る前に、賑わいを求めて歩行者天国の銀座をブラブラしました。ほとんどが海外からの方のようです。

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 よく行った伊東屋で、少しいい革のカードケースを買いました。私が使っている手帳や文具のほとんどは、ここで選んだものが大多数です。京都駅の伊勢丹にも入っているので、河原町の丸善と共にお気に入りの文具屋さんです。




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2024年11月17日

江戸漫歩(173)川崎大師にお参りした後にまたもや電車の運休に直面

 昨日、日比谷図書文化館での『源氏物語』と『百人一首』の講座が終わると、いつもの息子のところではなく、川崎駅前のホテルに泊まりました。息子が海外出張のため、夜遅くに羽田に着くということだったので、それなら都内のホテルを、となったのです。しかし、都内では見つからなかったので、多摩川を渡った神奈川県にある川崎になりました。川崎は横浜に次ぐ都市です。旧武蔵の国で東海道では江戸への入口にあたる宿場なので、この記事は江戸漫歩に含めることにします。

 川崎は、私にとっては馴染みの町です。
 職場だった国文学研究資料館が品川区の戸越公園にあった頃、単身赴任だったこともあり、横浜の金沢文庫の官舎から通勤していました。その頃、途中の駅である川崎駅前のスポーツクラブで、仕事帰りに運動とお風呂に入っていました。そして、2007年の夏に、川崎のスポーツクラブでスクーバ・ダイビングのアドバンスドコースを終了し、国際ライセンスを取得しました。そして、伊豆や南紀で潜りました。また、私は救命救急における緊急援助のお手伝いができるエマージェンシー・レスポンダーでもあります。すべて、川崎のスポーツクラブで取得したものです。
 伊豆の河津でトレーニングを受けた時のことは、次の記事をご笑覧ください。

「スクーバ・ダイビング(11)」

 そんな時期があったので、都内で泊まるところがなくても、慣れ親しんでいた川崎という選択肢があったのです。

 今朝は、川崎のホテルで目覚め、すぐ目の前にある京急川崎駅から、川崎大師駅へ行き、ぶらぶらとお大師さんにお参りしました。これまでに機会はあったにもかかわらず、川崎大師は初めてです。お正月の初詣でいつも上位に位置するので、名前だけはよく知っていました。

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 お寺の前の仲見世は、人の多さに負けず劣らず、久寿(くず)餅屋さんとダルマ屋さんが多くて驚きました。

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 お大師さんは妻と誕生日が同じということもあり、見かけると立ち寄ることがよくあります。この前は、以前住んでいた門前仲町の深川不動さんにお参りをしました。
 のんびりと本堂や境内を回っていると、つるの池で足が留まりました。インド、ミャンマー、中国を歴訪していた時のイメージが日本的なアングルで混在する景色になっていたからです。南アジアがミックスした風景を成しているのです。

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 いただいたパンフレットに、次の説明文がありました。

「平間寺の開基である尊賢上人は、保延二年(一一三六)弘法大師を篤く信仰されておられた鳥羽上皇の后・美福門院に平間寺開山の縁起を申し上げ、災厄消除と皇子降誕の祈祷を修行されました。その霊験たちまちに現れ、まもなく皇子(のちの第七十六代・近衛天皇)がお生まれになりました。これ、まったく厄除弘法大師のご霊徳と美福門院も殊のほかお喜びになりました。このことを上皇にご奉告申し上げ、永治元年(一一四一)近衛天皇のお名によって、平間寺に、勅願寺のご宣旨が下されました。」

 3日前の本ブログの記事で、近衛・鳥羽天皇の御陵を巡ったことを書いたばかりだったので、これも奇縁だと、私の中で歴史物語がつながりました。おもしろいものです。

 京急川崎大師駅から川崎駅にもどり、JR川崎駅から東京駅に戻って新幹線に乗ろうとした時、次の工事でJRが運休だという掲示が目に入りました。

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 何と、川崎から次の蒲田までは行けても、そこから先の品川まで行けないのです。学生時代には、大森の新聞配達店に住み込んでいました。大井町は、職場への乗り継ぎ駅でした。この沿線は、よく知っているところです。東京まで行くのが大回りになるので、京急でこのまま川崎から品川へ出ることにしました。
 今年は10月19日に、小田急の人身事故で長時間にわたって電車が止まるという事態に遭遇し、先々週は豪雨で博多行きの新幹線が大幅に遅れるという経験をしました。それに加えて、今日はJRの京浜東北線が運休のために東京に行けません。
 京急を使って品川に出ると、その品川で降りて、変わり果てた品川駅を散策しました。おしゃれな街に変貌していました。駅前では、秋祭りの屋台が賑わっていました。都会の紅葉も見られました。

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 京都までは、品川から帰ることにしました。座れなかったら、品川から東京へは行けるので何とかなるだろう、という能天気な判断です。結局は、なんとか品川から新大阪行きの新幹線で妻と2人分の隣り合った座席を見つけました。先々週は、豪雨のために運転中止でごった返す広島から博多まで、ラッキーにもこれまた妻と2人分の隣り合った空席を運よく見つけて、大混雑の中をちゃっかりと座って博多に行った、あの時と同じパターンでの移動となりました。こんなことも、気ままな旅にはあるものです。





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2024年10月20日

江戸漫歩(172)愛宕神社の出世の階段を登る

 都営三田線の御成門駅の地上に出ると、東京タワーが迎えてくれました。このタワーの真下にある会館で、我々はちょうど49年前に結婚式を挙げました。来年は金婚式です。

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 少し歩くと、慈恵大学病院が聳えています。妻の祖父はこの大学を卒業し、新橋で開院しておられたそうです。

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 さらに進むと、愛宕神社です。昨夜、姪の旦那さんがリハビリにいい階段があるとのことで紹介してもらい、早速今日はチャレンジをしに来たのです。想像通りの急階段です。

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 下から見上げるだけで、足がすくみます。

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 高所恐怖症の私には、肝試しのような階段です。最近足腰が不安定になっているので、一歩ずつゆっくりと、そして休まずに一気に登りました。太ももが強張って来ました。
 本殿の横の喫茶室で、甘酒をいただいて身体を温めるほどに、今日はとにかく寒い一日です。

 帰りは、階段ではなくて、裏の坂道を歩いて下り、新橋駅に向かいました。
 昨日いた日比谷公園を左手に見ながら、いつも乗り降りする新橋駅に出ます。そして、新幹線に乗るために東京駅に直行しました。




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2024年10月19日

江戸漫歩(171)東京で人身事故に遭遇し近郊沿線をさまよう

 今日は、午後から日比谷図書文化館で『源氏物語』と『百人一首』の講座がありました。
 終了後は、いつものように息子のところではなくて、妻の姪のところに世話になることになっていました。

 日比谷図書文化館を出て、丸の内線の霞ヶ関駅から新宿駅へ。
 新宿駅から小田急で姪のところに向かっていたところ、代々木上原駅で電車が止まったのです。
 人身事故が発生したとのことです。
 止まったり、動いたりの末に、乗っていた電車は成城学園駅で運転打ち切りとなりました。
 ここからさらに乗り継いだにもかかわらず、あろうことか、向ヶ丘遊園駅で運転打ち止めに。
 この段階で、姪から次の指示が来て、とにかく登戸駅で降りるようにと。
 そこでJR南武線に乗り換えて、溝ノ口駅まで移動。
 次は、その溝ノ口駅から京急田園都市線で長津田駅へ。
 最後は、JR横浜線に綱渡りで乗り継いで、やっとのことで目的地に到着しました。

 なんとも、奇妙奇天烈な乗り継ぎゲームでした。

 ということで、本日の日比谷図書文化館での『源氏物語』と『百人一首』の講座の報告は、後日にします、




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2024年10月06日

江戸漫歩(170)青山から乃木坂や六本木を経て丸の内へ

 今日は、リハビリを兼ねての都内散策です。
 息子の家を出てから、青山霊園を右に見ながら下ると、園内に白い彼岸花を見つけました。とっくにお彼岸は終わっているのに、気まぐれな季節のうつろいに惑わされたのか、今も咲いていたのです。

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 信号を渡ろうとすると、警官の姿が見えます。何だろうとあたりを見渡すと、衆議院青山議員宿舎の前だったのです。そのすぐそばに、東京メトロ千代田線の乃木坂駅がありました。

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 ここから電車で移動するつもりでした。しかし、そのすぐ横に日本学術会議の建物があったので、懐かしくてその前まで行き、しばらくこのまま散策を続けることにしました。ここには、会議や打ち合わせなどで何度か来たことがあったからです。

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 国立新美術館を過ぎると、六本木トンネルがありました。始めて見るトンネルなので通り抜けてみることにしました。その壁に描かれていたファスナーの絵は、その発想からしてまさに芸術だと言えるでしょう。

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 トンネルを抜けると、政策研究大学院大学、そしてテレビ朝日アスク。六本木通りを左折するとすぐに出雲大社東京分祠があったので、出雲生まれの身としては立ち寄らざるを得ません。都会のど真ん中のお社らしく、狭い階段の上にあります。

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 お参りした徴として、因幡白ウサギを描いた絵馬をいただきました。願い事を書いて吊り下げるのではなくて、自宅へのお持ち帰りとしました。

 地下鉄六本木駅の周りには、若者向けの爽やかなお店がたくさんありました。六本木ヒルズノースタワーの後ろに、シアトルズベストコーヒーというアラビカ種の豆のコーヒーが飲めるカフェがあったので、そこで一服しました。ここはシナモンロールの専門店で、店先では職人さんが手際よく生地を伸ばしてチョコレートなどを練り込み、丸めて切って焼くという熟練の技を見せてくださっています。

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 東京メトロ日比谷線で昨日源氏講座をした日比谷公園に出て、そこから皇居を左手に見ながら丸の内に出ました。東京駅の丸の内側にアップルストアが出来ていることを、初めて知りました。なかなかおしゃれな建物です。竹林を外回りに配した、瀟洒なデザインです。

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 この隣の丸の内ビルの地下で、「魚可"し」の持ち帰りのお寿司を、新幹線の中でいただくものとして買いました。駅のお弁当よりも、消化管を持たない私のお腹には合っているからです。食後は熟睡しました。今日歩いた歩数は12,000歩でした。




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2024年09月20日

江戸漫歩(169)集会所でゲームをした後は東京へ移動

 今日の集会所では、みんなで輪の中を目がけてボールを投げるゲームをしました。バスケットボールの大きさの輪っかに、縦横十字にガムテープがセットされており、野球の球の大きさのゴムボールを投げてくっつける、という単純なゲームです。しかし、なかなか思うようにボールをテープにくっ着けることができません。私は、最初が0点だったので、次は下から投げて3点を取りました。力の加減が大きく影響するようで、96歳のNさんが最高得点でした。単純なのに思うようにいかないこうしたゲームは、年齢・体力・知力に関係なく楽しめるので、高齢者が集うこの会にはピッタリです。

 白寿のTさんからドングリをいただきました。なかなか姿かたちのいいドングリです。

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 今日は我々が午後から東京に行くというので、Tさんは私たちの家の前まで送ってきてくださいました。ありがたい見送りを受けて恐縮しきりです。

 今日は富士山がきれいに見えました。

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 トラブルで新幹線が止まることもなく、無事に東京に着きました。お守りのドングリのおかげです。

 東京駅から新宿に出て、晩ご飯は思い出横丁にある岐阜屋へ行きました。ここは、学生時代からよく行っている中華屋さんです。

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 食後の散策は、久しぶりに歌舞伎町をブラブラしました。目的は、大好きなゴジラを見るためです。以前の姿のままで迎えてくれました。

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 息子の所では、近くの絵画館前のイチョウ並木を撮りました。神宮球場の移転に伴い、この木々を減らすことが問題となっています。どう落ち着くのか。写真に記録しておくことで、その動向を見守りたいと思います。

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2024年06月16日

江戸漫歩(168)門前仲町を散策し隅田川で一休み

 神宮の銀杏並木が整理される前に、今の姿を写し残しておきましょう。都知事選挙の争点の一つになるとも言われています。坂本龍一さんは亡くなる直前に、反対声明を小池都知事に手渡していました。さて、どのような形で話題になるのでしょうか。

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 青山から地下鉄大江戸線一本で、かつて住んでいた門前仲町へ行けます。勝手知ったる所なので、フラリと行きました。

 食事は、やはり地元の名物である深川あさり飯にしました。食べだしてから途中で、お茶をかけてお茶漬けにします。江戸時代からあるそうです。この地に住んでいた頃にはいただかなかったものです。美味でした。

 食堂のすぐ裏にある深川のお不動さんは、相変わらず賑やかです。「人情」が強調されているところが江戸の文化のようです。

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 ちょうど護摩修行の時間でした。本堂の内陣に座ると、満座の参加者に不動明王御真言の唱和の指導がありました。複数回唱えた後、厳かに法螺貝を吹きながらの参陣に始まり、盛大に護摩火を焚き上げながらの真言が響き渡ります。大太鼓の音は、身体を突き上げるものがありました。今日の法会は、弘法大師の生誕の日にあわせてのものでした。同じ日が誕生日の妻は、感激しながらの参加です。終わると、数百人の手荷物を一つ一つ、丁重に護摩炉に燃え上がる火にかざして清めてくださいました。

 隣の富岡八幡宮では、海外出張の時にはいつも道中の無事をお願いしに来た伊能忠敬さんに、今日の無事を報告しました。まだ生き永らえていることに、驚いておられたことでしょう。

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 いつも通っていたスーパーマーケットのオオゼキでデザートを買い、近くの牡丹公園の四阿で、草花に囲まれ、川のせせらぎの音を聴きながらいただきました。風が心地よかったので、31度という暑さはまったく感じられません。
 親水公園では、男の子が器用に網を使って何かを捕まえようとしていました。

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 かつて住んでいた東京医科歯科大学の官舎の近くに行ってみて驚きました。ついに、解体工事が始まったのです。全員が退居されたようです。仲間たちは、数年前に近在のマンションに早々に引っ越しを終えていました。

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 いつかは、とは思っていたものの、壊されていくところを見ると、ここで8年も生活をしていたことを思い出し、感慨深いものがあります。
 この建物の初期に住んでおられた恩師伊井春樹先生の2階東端の部屋と、後期に私が住んだ同じ2階の3軒隣の部屋との、ちょうどその間を、パワーショベルが2階までを崩し出したところでした。何というタイミングでしょう。その前の花壇には、妻が精根込めて植え育てた草花が、まだ元気に残っています。
 まだ私がいた部屋が残っていたことに、安堵しました。この次にここに来ると、すべてがなくなり更地になっていることでしょう。最後の姿を見たことになります。国文学研究資料館を定年で退職する日までいた住まいは、これでなくなるのです。たくさんの仕事をしたところなので、感謝しかありません。

 すぐそばを流れる隅田川に面した越中島公園の木陰で、のんびりと休憩しました。

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 中央大橋を望む月島や佃島は健在です。船も行き交っています。この地を離れた8年前と、何も変わっていません。

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 かつての官舎はなくなっても、この隅田川周辺には折々に足を運ぶことでしょう。




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2024年06月02日

江戸漫歩(167)絵画館前から國學院大學博物館を経て茶亭羽當へ

 早朝の神宮外苑に来ると、絵画館前の銀杏並木をつい写真に撮ります。何度も写したはずなのに、今朝もシャッターをきりました。

240602_絵画館前.jpg


 ブラブラと表参道を歩き、青山学院大学や実践女子大学を過ぎて國學院大學の博物館に入りました。
 この大学は、私が学生として7年間、教員として2年間通い、妻は学生として4年間、原宿にあった付属校の図書室員を2年間、共に時期を同じくして育ててもらったところです。至る所に思い出が飛び交っています。50年も前のことながら、歩きながらいろいろな話が止まりません。お互いに、いいリハビリになります。

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 今、企画展として「恋とさすらいの系譜−源氏物語と平安文学」を開催中です。
 入るとすぐに『新古今和歌集』(鎌倉時代、伝源親行筆)があり、紫式部の歌が見開きで出ていました。NHKの大河ドラマを意識して、この箇所が開けてあるようです。

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  者やくよりわら八とも堂ち尓【侍】遣る
  【人】のとしころへ弖ゆきあひ多る本の
  可尓て【七月十日】能ころ【月】尓き於ひて
  かへり【侍】介れ八
           紫式部
めくりあ飛て三新や所れともわ可ぬま尓
くも可くれ尓しよ八能【月】可遣

 河内本『源氏物語』の巻子本(鎌倉時代、伝藤原為家筆)は、冊子本を改装したものです。見たいと思っていたので、いい機会となりました。

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 谷崎潤一郎の『新訳源氏物語』の見開きページには、赤でびっしりと書き込みがありました。この本は、これまでにも何度か見ました。山田孝雄と玉上琢彌の膨大な書き込みは、いつ見ても圧巻です。現行の『新々訳源氏物語』は、こうした補訂を反映させたものです。写真撮影は禁止となっていたので、ここにはあげません。

 その意味からも、入口にあった掲示は、見る側からするとありがたい心配りです。

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 渋谷駅に向かって、かつての通学路を歩いていると、おもしろい取り合わせの植物が植わっていました。山椒、夏みかん(?)、パセリ。あまりにも、あまりにも、なので、その意味をしばし考えてしまいました。特に意味はないのでしょうが。

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 渋谷駅の近くの宮益坂にある「茶亭 羽當」に入りました。ここは、大先輩だった室伏信助先生とご一緒に何度も来たところです。先生がお好きだったキリマンジャロをいただきました。

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2024年03月02日

江戸漫歩(166)豊洲からゆりかもめで新橋へ

 今朝の散歩は、明治神宮外苑の絵画館前に立ち並ぶ寂しくなったイチョウ並木を歩きました。冬の佇まいには潔さがあります。この垂直にスッと延びる木々には、巡り来る春への期待を感じさせてくれます。

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 絵画館前では、早咲きの桜が満開です。この寒さの中では、一人だけ浮いています。

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 今日の江戸漫歩は、数年前に住んでいた頃によく行った豊洲です。
 地下鉄大江戸線1本で月島に出て、そこから1駅の豊洲へ行きました。豊洲市場とオリンピック会場が完成する前に、私は定年で京都に引き揚げてきました。そのため、豊洲近辺は行ってみたい所がいくつもあります。しかし、今日はかつてよく行った三井ショッピングパーク・アーバンドックららぽーと豊洲にしました。
 広いショッピングモールを思い出に浸って歩き、豊洲運河寄りにあるホームセンターのビバホーム豊洲店にも足を延ばしました。ララポートはウインドウショッピングで、ビバホームは日用品や食料品や家電に加えて、メダカや草花を買いに行った所です。2007年夏の立川移転から定年退職の2017年の、約10年間のことです。妻は、2011年4月に大阪での仕事を中途で退職して東京に来て、前年夏からガン患者となった私の面倒を見てくれました。その病後の期間に、この豊洲や深川や銀座を一緒に歩いて、健康回復のリハビリ生活をしたものです。

 このビバホームの中に、なかなか行けなかった回転寿司の「はま寿司」がありました。これまでに、金閣寺の近くと岸和田で見かけた時に入りました。新鮮な魚でおいしくいただきました。しかし、今日も含めて、接客に問題があると思っています。2回目は行かない、という所です。

 豊洲の駅からは、モノレールによく似ている自動車のような乗り物で東京臨海部を走る『新交通システム』を使って、昨日着いた新橋まで行きました。初めて乗ります。4つのタイヤで走るので、乗り心地は快適でした。

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 ゆりかもめの新橋駅を降りてJR新橋駅の汐留口に向かうと、正面に鉄道唱歌の歌碑とD51機関車の動輪があります。

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 この歌碑は、鉄道唱歌の作詞者である(大和田)建樹氏の直筆とのことです。
 その歌詞を、[変体仮名翻字版-2023]で文字に起こしておきます。

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【汽笛】【一声】
しんはし
越【】王可【汽車】
八【離】連多り【愛
宕】の【山】尓【入】里
のこ累【月】を
【旅路】の【友】登
して     建樹

 そこから東京駅に出るために、自動改札に乗車券を入れて入りました。しかし、東京駅で新幹線に乗り替えようとした時、特急券はあるのに乗車券が見当たりません。先ほど新橋で入った乗車券の切符を落としたようです。大慌てで駅員さんに相談し、切符売り場で相談すると、事情を聞いて了解するや否や新橋駅に連絡を取ってくださいました。そして、ニコニコしながらお出でになり、東京駅の構内に落ちていた乗車券を、どなたかが駅員さんに届けてくださったようです。
 無事に切符2枚が揃いました。拾ってくださった心優しい方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。




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2024年02月08日

江戸漫歩(165)上野公園で雪を見ながらの散策

 上野公園へ行ったのは久しぶりです。寛永寺のそばにある日本学士院へ行って以来です。この前は、8年前でした。

「2015年度日本研究功労賞記念講演会で上野へ」(2015年12月09日)

 その前は、10年前のことになります。

「日本学士院での林文月先生の授賞式に参加して」(2013年12月10日)

 上野公園を散策したことはあるはずです。しかし、どこかの代議士さんのように記憶にありません。

 今日は、上野駅の公園口を出て、まずは東京文化会館に行きました。
 一昨日の雪が、まだ植え込みに残っています。

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 東京文化会館のイベントは長蛇の列だったので、隣接するカフェ ヒビキでボルシチをいただこうと思い外に出ました。しかし、今日は戸外のテラスでしか飲食でないとのことです。寒風に吹き曝されながらの食事は断念しました。

 そのまま歩いて動物園の方に行くと、掻き寄せられた雪が、飾られていたパンダとお似合いだったので写真に収めました。

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 さらに西へ行くと、東京芸術大学上野校地にある旧本館玄関庇が印象深く見られました。

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 そして、すぐ横にある東京芸術大学 大学美術館に入ろうとすると、運悪く本日閉館の看板が出ていたのです。
 上野公園のこんなに奥まで来たのは初めてです。また次の機会に来ることにします。
 東京には30年近くもいました。しかし、上野公園には国立博物館と日本学士院しか行っていなかったようです。これからは、この公園も散策コースの中に入れようと思います。ただし、箱物の館は入館料が2,200円もするので、何とか割引で入れるように調べてから行くことにします。




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2023年12月16日

江戸漫歩(164)越中島公園や皇居の外周を散策

 今朝は、隅田川に架かる永代橋の袂で目覚め、門前仲町から越中島を散策しました。かつて住んでいた地域なので、勝手知ったるウォーキングエリアです。
 越中島公園から隅田川越しに、石川島公園と中央大橋を望みます。

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 越中島公園の隅田川テラスのベンチに座り、数年前の生活を懐かしみました。
 東京海洋大学と向かい合うようにしてあった東京医科歯科大学の官舎には、2007年8月から2017年3月までの約10年にわたって住んでいました。中盤からの6年間は、胃癌の手術をした後の私を介助するために、妻が大阪での仕事を早期退職して、ここで一緒に生活をしてくれました。左手の相生橋の手前に官舎があり、この橋は通勤で通いました。この官舎には、恩師伊井春樹先生も、私が入った棟の同じ並びに住んでおられたのです。国文学研究資料館設立の初期のことですが。私が大学院生として始めてお目にかかった時には、ここに住んでおられ、後に私が住むことになるとは思いもしませんでした。運と言うのでしょうか、不思議なご縁を感じます。相生橋の向こうに、晴海や豊洲のマンション群が見えます。中央大橋の左手に佃のマンション群や月島があり、銀座へ散歩に行く時にはこの橋の右へ行きます。永代橋は、日本橋へ散歩する時に渡った橋です。

 丸紅ギャラリーの企画展「源氏物語 よみがえった女房装束の美」が、地下鉄門前仲町駅から乗り換えなしで行ける竹橋駅の丸紅で開催中だったので、それを見に行きました。実践女子大学の協力によるプロジェクトの成果です。

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 再現された『源氏物語』の明石の君の女房装束は、平安時代にはこうであったのかという、想像力をかき立てるものでした。絹糸のサンプル4種類を実際に触り、鮮やかな衣装を間近に見ると、『源氏物語』の世界が豊かに蘇ります。触って、見て、貴重な感触を得た展示会でした。

 その後、皇居の周りを散策しました。

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 大手濠の鴨たちを見ると、加茂川の鴨たちのことを思い出します。周回道路は、ランニングをする人で賑わっていました。

 丸ビルの地下でお弁当を買って、新幹線に乗りました。帰りの車中では、来る時のように酷い風邪の方に煩わされることもなく、うつらうつらと小刻みな揺れに身を任せました。




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2023年12月02日

江戸漫歩(163)神宮外苑・後楽園・麻布十番・六本木

 神宮外苑の絵画館に続く銀杏並木は、朝早くから撮影する人で大混雑です。私も、その中の一人になりました。

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 昨夜、南青山の息子の家で食事をしていた時、姉と姪が東京ドームの近くに来ていることを知りました。今いる所から後楽園は、30分もあれば行けます。まったく偶然の遭遇です。そこに、今日は甥も合流するとのことなので、それでは久しぶりに会いにいこうと言うことで、溜池山王経由で後楽園に向かいました。
 東京ドームの前の観覧車とジェットコースターは、下から見上げるだけで迫り来るものがあります。高所恐怖症の私は、どちらにも乗れません。ゆっくりと回る観覧車と、轟音と叫声に包まれて走り去るジェットコースターは、静と動を目と耳に訴えて来ます。

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 地下鉄で麻布十番のケーキ屋さんに立ち寄った後、六本木で食事です。姪夫婦と甥とその息子たち二人も交えた8人で、賑やかに居酒屋風の海鮮料理屋さんでお昼ご飯です。

 お店を出ると、六本木五丁目の交差点から東京タワーが望めました。

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 この東京タワーの真下で、今から約50年前に私たちは結婚式を挙げたのです。20人ほどで催したささやかなお祝いの式には、もちろん姉も姪もその宴に同席していました。六本木から、想い出の東京タワーが間近に見えるとは思いませんでした。

 すこしブラブラと散策をして、東京駅から新幹線で帰りました。帰ってからのニュースによると、我々の1時間半後の列車で、熊よけのスプレーが車中に撒かれたようです。運転は休止に。タッチの差で、トラブルに巻き込まれなくてすみました。




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2023年11月18日

江戸漫歩_青山から渋谷を経て代官山へ

 今朝の明治神宮外苑のイチョウ並木は、きれいな黄葉を見せていました。

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 銀座線の青山一丁目駅の列車のドア前に敷設された点字ブロックに、QR(2次元)コードが埋め込まれています。次の外苑前駅にもありました。

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 しかし、その次の表参道駅にはありません。終点の渋谷駅もありません。
 渋谷駅の改札口におられた駅員さんに聞くと、これは試験導入の段階であって、まだ全駅ではないとのことです。その方が出勤される新木場駅にはある、とのことでした。青山一丁目駅にあるのは、都立青山特別支援学校があるからですか、と聞くと、よくわからないとのことです。今、どこにあるかは、ホーページでも確認できず、一覧表などもないのでよくわからないそうです。この件は、これから少しずつ情報を集めてみたいと思います。

 渋谷は、相変わらず至る所が工事中です。駅を一周しても、コインロッカーが見当たりません。やっとゴールデン街の地下にある一角で見つかりました。工事で、いろいろなものが移動しているようです。

 ハチ公前が、海外からの旅行者の撮影スポットになっていました。そして、黄色い服を着た一人のおじさんが、ハチ公との記念写真のシャッターを押すお手伝いをしておられました。

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 これには、みなさん大喜びです。どのような方なのかかわかりません。とにかく、日本の旅の印象は格段にアップすることでしょう。また、おじさんも生き生きとした笑顔で、片言の英語で手際よく撮影をしておられました。おそらく、人気のおじさんなのでしょう。東京では話題となっていることでしょう。

 ブラブラと宮益坂に向かい、お元気だった頃の室伏信助先生によく連れていっていただいた、茶亭「羽當」へ行きました。

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 しかしまだ開店前だったのでこの次にして、宮益坂を上って青山通りに出ました。金王八幡を見ながら、学生時代に7年間通った國學院大学に久しぶりに足を向けました。卒業後、非常勤講師として大学院の授業を受け持ったことがあります。海外における日本文学研究について、具体例を挙げながら講義をしました。
 私が在学生だった50年前とは、今の大学の構内の建物はまったく違います。きれいでおしゃれな大学になりました。大学駅伝では、青山学院大学や駒沢大学と競り合う大活躍で、古典文学と歴史学を勉強する所、というイメージは薄くなっています。中学校や高等学校の教員志望者が多かった時代とは、隔世の感があります。和の雰囲気が鏤められた学食で、昼食は和風のハンバーグにしました。

 大学の前の氷川神社の中を通り、もと来た渋谷駅に向かいます。その途中で、山手線の向こう側にある代官山地域に立ち寄りました。学生時代に、この代官山にあった賄い付きの下宿でお世話になっていたからです。大学まで歩いて10分、渋谷駅までも10分以内と、便利なところでした。

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 当時木造の2階建てだった家はモダンな家となり、表札も変わっていました。この一帯はすっかりおしゃれな地域になり、当時の面影はありません。それでも、車が通り抜けられない狭い道が、かすかに思い出す縁を残しています。
 思い返すと、1972年に大田区の大森にあった新聞配達店で早朝の火事で追い出され、品川区の南大井で火事避難の仮住まいをし、そしてこの渋谷区の代官山に移りました。ここから、杉並区の阿佐谷や中野区の東中野、さらには杉並区の桃井、杉並区の高円寺と転々とし、妻との結婚を機に浦和市別所の借家に居を構えました。代官山にいたのは、わずかな期間です。荷物も紙袋2つと少しばかりの衣類というありさまです。火事で焼け出された後だったので、とにかく着の身着のままの、身軽な生活をしていた頃です。新聞配達店で借りたスバルの軽自動車サンバーが代官山の下宿の前まで入れなくて、写真の道のずっと手前に停めたことを思い出しました。荷物には、本などはほとんどなく、区から支給された毛布や支援物資や販売店からいただいた布団など、一人で抱えては行けない分量だったことも思い出しました。21歳の頃の想い出話です。




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2023年09月17日

意外に少なかった東京でのマスク姿

 昨日と一昨日の2日間は、東京都内でリハビリ散歩をして来ました。
 歩いていて、マスクをした人が思いのほか少ないのに驚きました。
 数えたわけではないものの、見渡しての感触で言えば、マスクを着けている方は京都駅周辺の半分に満たないように見受けられました。明らかに少ないのです。
 電車は、山手線と中央線に乗り、地下鉄は銀座線と大江戸線と丸ノ内線を使いました。都内の中央部分を横断です。車中でも、マスク姿の人はごく少数です。多くの海外の方が着けておられないのはそうとして、日本人と思われる方もマスク姿は珍しいほどです。海外の方ということで言えば、京都を訪れる観光客は、思いのほかマスクを着けておられるので感心しています。
 確かに、国としてはマスクの着用を緩和しています。しかし、コロナにも新しい種類のウイルスが広がる気配を見せ、インフルエンザが被さって流行しているのが実状のようです。日々、少しずつ感染者が増えているそうです。
 私は、基礎疾患をいくつか持っているので、マスクは手放せません。
 この東京の無防備さは、大丈夫なのでしょうか。
 帰りの新幹線では、マスク姿の乗客は半分ほどだったように感じました。密室で長時間の移動となると、感染しないようにという気持ちが生まれるのでしょうか。




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2023年09月16日

江戸漫歩_神宮外苑から新中野へ

 昨夜は、日比谷図書文化館から地下鉄一本で行ける息子の所に泊まったので、早朝の散歩は青山通りです。
 今朝の明治神宮外苑から望む絵画館前のいちょう並木は、146本あると言われる木々が静かに迎えてくれました。秋の気配を感じます。

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 今日の江戸漫歩は、懐かしい中野にしました。
 青山から新中野へは、地下鉄の赤坂見附で一度乗り換えるだけなので、20分で行けます。
 大学生時代、同級生だった妻は新中野のアパートに住んでいました。妻が新中野にいたのは、今から50年も前のことです。鍋屋横丁が懐かしい界隈だ、とのことなので、まずはそこに向かいました。

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 そういえば、鍋料理を作ってくれるとのことで、一緒に鍋屋横丁で土鍋を買いました。アパートに行く途中、その買ったばかりの土鍋を落として割ってしまいました。仕方がないので、財布が空になるのを悔しがりながら、もう一度買い直したことを思い出しました。その時の土鍋は、今も流しの下にあります。今はIHの調理器を使っているので、出番がありません。しかし、想い出の土鍋なので処分できないのです。こうした想い出があるために、我が家は物で埋まっています。

 10年ほど前に、新中野に一度来たことがあります。しかし、その時は大雪の日で、番地があやふやだったこともあり、途中で断念しました。今日は訪ね当てました。ただし、当時の木造アパートは改築されて、今はきれいなアパートになっていました。あやふやな記憶を頼りに、思い出話をしながらブラブラと歩きました。

 鍋屋横丁からバスで中野駅に出ました。ここは、私が立川にあった国文学研究資料館に勤めていた頃の乗り換え駅でもありました。帰りに、ここで降りて買い物をしたり食事をしたりと、日常的に馴染んだ街でもあります。
 駅前から北に延びるのは、サンモール中野の商店街です。今日はちょうど秋祭りでした。町内会の方々が大奮闘をなさっています。

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 立派な太鼓です。
 そしてしっかり、回転寿司屋もその看板を入れておきました。この店には、これまでに何度も来ています。今日は、この裏通りにある海鮮居酒屋で、おいしいお魚をいただきました。

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 その奥には、ブロードウェイという専門店街があります。

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 ここのことは、「江戸漫歩(22)中野のブロードウェー」(2010年06月04日)(http://genjiito.sblo.jp/article/178934584.html)で詳しく紹介しています。
 この中にある、なかなか雰囲気のいいカフェで一休み。ゲームやカードやフィギュアなど、マニアックな若者のお店をブラブラし、地下では食料品や雑多な小物や衣類などの品物が並ぶお店をのぞいて楽しみました。とにかく、物が溢れるお店の集合地域です。かつての、大阪の日本橋をコンパクトにしたような所です。ごった煮の楽しさが詰まっています。

 帰りは、JRで立川あたりで事故があったために電車が止まっていました。のんびりと東京駅に1時間半をかけて行き、ゆったりと新幹線で帰りました。




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2022年11月24日

ハーバード大学へ行った仲間との懇親会

 今日は、月に一度の東京行きです。
 いつも楽しみにしている富士山が、今日は雪を戴いた正装で迎えてくれました。

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 少し早めに出かけたので、お昼過ぎまでは6年前まで住んでいた、東京駅から2駅目の、越中島にある東京医科歯科大学の官舎に行ってみました。5階建ての2階に住んでいました。私が入る前には、恩師伊井春樹先生が隣の階段の同じ階におられたそうです。

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 建物が古くなったので、取り壊しになると聞いていました。しかし、まだ住んでおられる方がいらっしゃるので、全面改修にはもう少し時間がかかりそうです。

 毎日のように散策をした越中島公園をブラブラしました。ここは、ドラマやCMでよく撮影場所として使われます。石川島公園の向こうに、シンボルタワーである中央大橋が見えます。

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 中央大橋の袂にあるイタリア料理屋さんで食事をしようと思って歩いていると、よく立ち寄っていた牛肉屋さんの店先に並んでいる弁当に眼が留まりました。懐かしくて、近くの隅田川の川沿いのベンチで食べることにしました。川向こうには、かつて暮らしていた官舎が見えます。妻と思い出話をしながら、絶品の牛肉のお弁当をいただきました。

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 京葉線の越中島駅に戻り、東京駅から中央線で西荻窪駅に向かいます。待ち合わせの改札前で落ち合い、書道家の宮川邸に案内していただきました。

 宮川保子さんとは、ご一緒に国立歴史民俗博物館へ行って重要文化財の「鈴虫」巻の調査をし、そのツレであるハーバード大学美術館蔵『源氏物語』の「須磨」と「蜻蛉」の調査にも行きました。今日は、その時にハーバード大学へ行った仲間と、日比谷図書文化館の源氏講座に参加しておられる方々の10人が集まりました。
 宮川さんのアトリエは地下にあります。ゆったりとした空間で、あの3巻(須磨・鈴虫・蜻蛉)の精緻な臨模本が書写されたのです。

 今日は、宮川さんのお仕事の一端を拝見し、詳しい説明を伺いました。特に、版木をご自分で彫り、それを特注の鳥の子紙の下絵として捺された、その版木をたくさん拝見しました。また、創作の仮名写本が54冊揃ったとのことなので、それも拝見しました。

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 再来年の4月には、創作の新写本の全巻が、銀座の鳩居堂で展示されるそうです(2024年4月16日〜21日)。今から楽しみにして待ちましょう。

 場所を変えてのお食事会には、最初の40分ほど参加し、後は所用で退席しました。わずかの時間だったにもかかわらず、楽しい話で盛り上がりました。共に『源氏物語』の変体仮名を読む勉強をし、ハーバード大学にまで足を運んで鎌倉時代の中期に書写された、私が最古の『源氏物語』の写本だとするものを実見してきた仲間です。これからも、こうしたつながりを大切にして行きたいと思います。
 
 
 
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2021年12月18日

日暮里と門前仲町を散策

 寒さに震える朝です。如意ヶ岳の大文字は白いベールを纏っていました。

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 明日は、日比谷図書文化館で源氏講座があります。天候が不順なので、前日から上京することにしました。

 新幹線で京都を発ってすぐの米原付近は、すでに雪に覆われていていました。徐行運転をしたために、東京着は6分の遅れ。6分に留まったのは、日本の技術力の高さの成果だと言えます。

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 その後、関ヶ原を過ぎて名古屋からは、きれいに澄み渡った天気となりました。
 今日の富士山は、ことのほか優美な姿を見せています。

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 今日の午後は東京を散策する日なので、日暮里の繊維街からスタートしました。これは、生地集めが趣味の妻の希望です。
 日暮里駅に降りるのは、これで2回目でしょうか。妻はしょっちゅう来ているようですが……
 駅名の表示に目が留まりました。下の漢字の字形がおもしろいと思いました。

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 駅前には、太田道灌にまつわる山吹の里伝説の像が2体立っています。

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 その説明文を引きます(写真をクリックすると精細表示となります)。

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太田道灌 山吹の里伝説
鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、蓑を借りようと声をかけると、一人の娘が出てきて、黙って一枝の山吹を捧げた。
「七重八重花は咲けども山吹の
   実のひとつだになきぞ悲しき」
      (後拾遺和歌集・兼明親王)
「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から「山吹」の意を告げられる。娘が古歌に託して「実の」に「蓑」をかけ「お貸しできる蓑もございません」と詫びていたことを知った道灌は、この後、和歌の道に精進するようになったと言われている。
 荒川区周辺は、道灌の鷹狩りの場であり、花の木(現在の荒川六丁目)辺りに住んでいた高畠三左衛門の娘が、山吹の枝を差し出したと伝える。なお、この山吹の里伝説は、荒川七丁目の泊船軒、豊島区高田、新宿区新宿、埼玉県入間郡越生町など、各地にその伝承地がある。

太田道灌(一四三二~八六)
 室町時代中期の武将。名は資長。道灌は出家後の名。扇谷上杉氏に仕えて、武蔵南部と相模の国で勢力を拡大し、江戸城の他に、川越・岩槻にも築城したとされている。荒川区周辺では平安時代から続く豊島本宗家を滅亡させた。軍事は言うまでもなく詩歌に長け、万葉集九(?引用者注)ら学僧や歌人とも親交が深かった。
 区内西日暮里には道灌に由来する伝承がいくつも残っている。道灌山(西日暮里四丁目)の地名は、江戸城の出城に由来すると伝え、道灌の子孫、掛川藩太田家の菩提寺の本行寺(西日暮里三丁目)には、物見塚のあったことを伝える道灌丘碑が立つ。その他、西日暮里公園には、物資を運ぶ際に目印にした船繁松があったと伝え、出城の鎮守・諏方神社等がある。
                  平成三十年五月 荒川区


 この話は、醍醐天皇にまつわる話と類似します。藤原高藤が山科で鷹狩りの最中に大雨に遭い、宮道列子と出会う勧修寺縁起と同じパターンのものです。そしてこの話が、紫式部の母系に関係するということで、学生時代からよく聞いていた話です。実際に道灌の伝承の地を訪れたことで、思いが遠くにつながりました。

 この街は、ずらりと布地屋さんが軒を並べています。皮を扱う店も多かったので、ブックカバーや文具小物のケースに興味がある私も楽しめました。

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 駅の反対側は、谷中銀座商店街に続く「ゆうやけだんだん」と呼ばれる人気スポットがあります。ここに、「伊藤」という苗字の印鑑のオンパレードの店がありました。隣の伊藤製作所の名前から来るものかと思われます。つい、シャツターを切りました。

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 また、「ババヘラアイス」や「だまこもち」という言葉もありました。秋田生まれの妻と一緒に、しばし足を留めました。

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 ここから5年前まで住んでいた門前仲町に向かい、懐かしい「魚三」という居酒屋に立ち寄りました。大好きだったウニがなかったのが残念です。向かいでは著名なタレントが呑んでおられたので、少し目のやり場に困りながらも、楽しくおいしい升酒の白鹿と肴をいただきました。今夜は築地に泊まります。
 
 
 
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2021年12月06日

神宮外苑と新宿を散策

 今朝は、青山で目覚めました。早朝の散策は、青山通りから神宮外苑に入ってイチョウ並木をそぞろ歩き。神宮球場を見ながら絵画館に行きました。

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 神宮球場には初めて来ました。大学の野球部員2人が今年度のベストナイン賞を受賞したので、明日は学長賞を手渡す儀式があります。彼らは、関西の代表になって神宮球場で開催される全国大会に出る、という大きな目的があります。その励みになるようにとの想いを込めて、球場の写真を手渡したいと思います。折しも、ここを本拠地とするヤクルトスワローズが今年は日本一になりました。いい記念の写真になることでしょう。

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 そこから絵画館に回って入館しました。9日に、この絵画館の建物に光の絵を映し出すプロジェクションマッピングのイベントがあるため、その準備で周りは大忙しでした。

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 絵画館(正式には聖徳記念絵画館)では、江戸から明治の激動の様子を描いた大作の絵、日本画40点、洋画40点が展示されていました。歴史の教科書で覚えた開化期の人物画などが一堂に会していました。

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 絵画館の前に、ナンジャモンジャの木があり、その石碑と碑文に目が留まりました。変体仮名が鏤められていたからです。楽しみながら読みました。

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木名
飛登つばた古"
     阪谷芳郎書
此の樹盤古くより青山六道能辻に在りて俗尓六道木
又ナンジヤモンジヤとも呼べり吾邦尓稀奈る毛の登て
植物學者乃注目春類所とな里舊時の位置を
そ能まゝ耳維持し来り大正十三年天然記念物として
指定せられたる毛能那李
大正十五年七月    明治神宮奉賛會

 右原樹は昭和八年枯死したるによ里嘗て其樹より
 根分けして育てたるを昭和九年十一月植ゑ継ぐ


 信濃町駅から新宿駅に出ました。ラース・ビハール・ボースに縁の深い新宿中村屋でカレーをいただくのが目的です。このお店のことは、旧知の中島岳志氏の著書に関する拙文を参照願います。
「【復元】とにかくおもしろいインドと日本に関する一冊」(2011年05月15日)
 中村屋には何度か来ています。しかし、ビルの上にあったレストランが、いつのまにか地下2階に移っていました。

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 味は変わりません。伝統と自信に満ちたおいしさです。ただし、オニオンチャツネを口にしてしまってから、口の中が焼けるようになり、消化器官を持たない私は涙を流しながらの食事となりました。

 伊勢丹会館に入っているラランジェというフルーフパーラーは、私が学生時代にアルバイトをしていたお店です。しかし、お店は営業休止となっていました。閉店でなくて安堵しました。いつか入ってみたいと思っています。
 妻がアルバイトをしていた、新宿駅に隣接する今はルミネになっているビルにも立ち寄りました。しかし、かつての日本料理店の名前は、テナントの中にはありませんでした。50年も前のことなので、時代の変遷を感じます。こうして、お遊び感覚の、想い出探しの散策を楽しんでいます。

 新宿駅地下の西口広場イベントコーナーでは、「新宿区内障害者福祉施設 障害者作品展・施設紹介パネル展」が開催されていました。説明には、「障害のある方が制作した作品を展示する障害者作品展と、新宿区内の障害者福祉施設の日頃の活動や自主制作品をご紹介する施設紹介パネル展を同時開催します。」とあります。
 楽しい作品、ほほ笑ましい作品、意味不明の作品などなど。いろいろな作品が並んでいます。

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 アンケートがあったので、思ったことを書きました。それを受け付けの方に渡すと、絵はがきやキーホルダーなどの小物がたくさん入った袋をくださいました。思いがけないプレゼントです。ありがとうございました。
 
 
 
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2021年11月26日

渋谷にある与謝野晶子の史跡2つ

 原宿からバスで渋谷に出ました。もっとも、たまたま来た100円コミュニティバスのハチ公バスに乗っただけですが……
 渋谷のスクランブル交差点は、近年は定点報道の中継場所となっています。その一画を占めているハチ公は、今も変わらず、来るあてもないご主人様を待っています。
 渋谷で7年間も学生時代を過ごした私も、ここで待ち合わせをすることはありませんでした。卒業して大阪に帰り、東京を離れてから上京したら、このハチ公前が待ち合わせにいい場所であることに、あらためて気付かされました。

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 ハチ公前から道玄坂へと移動。ブラブラ歩きながら、そういえば以前、神野藤昭夫先生からいただいたメールに、道玄坂の「東京新詩社跡」と、道玄坂上の晶子の歌碑の写真が添えてあったことを思い出しました。学生時代に指導教授だった小林茂美先生と飲み歩いていた時に、「東京新詩社跡」は何度か見た記憶があります。石碑だったように記憶しています。でも、自信はありません。
 大急ぎで、手持ちの iPhoneで神野藤先生からのメールを確認しました。

 今から9年前の2012年7月に神野藤先生からいただいた2通のメールに、次のようにありました。

 来週9日、武蔵野大学で、晶子の話をいたします。晶子、鉄幹と結婚した後、新詩社で、源氏の会読や講義をしている。そうやって源氏力をつけたようです。で、明日(月曜)、渋谷の道玄坂の中程を左手に折れたところにある「東京新詩社跡」の写真を撮って来ようと思ってます。そんな話、映像も織り込もうと思いまして。

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 今日、午後、道玄坂の「東京新詩社跡」と、道玄坂上の晶子の歌碑を眺めてきました。


 そして、そのメールに「東京新詩社跡1(縮小版40)」と「道玄坂晶子歌碑1(縮小版40)」の2枚の写真が貼付されていました。その写真を確認しようと思い、添付されていた画像ファイルをタップ。しかし、メールの本文は読めても、添付されていた画像については「添付ファイルをダウンロードできません。」というエラーメッセージが表示され、見ることができません。時間が経っているものなので、リンクが切れているのでしょうか。

 先生からいただいた9年前のメールに、私はすぐにお礼の返信をしていました。

写真には撮っていませんでした。
石碑だったように記憶していますが、木柱だったのですね。
それとも、建て替えられたのでしょうか。
歌碑は記憶にありませんでした。


 そして今回、あらためて自分で歌碑と碑文を確認しました。
 歌碑は、道玄坂の上の方にあります。

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母遠うて
  ひと三 志多しき
      西の山
さがみか 知ら須"
      雨雲 可ゝ累

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 道玄坂の碑文の文章は、樋口清之先生がお書きになったものでした。学生時代には、先生の授業をいくつか受講しました。博識で松本清張のブレーンでもありました。
 そして、道玄坂を下って渋谷駅のすぐ近くに「東京新詩社跡」の碑文がありました。

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 この碑文は令和元年に建て替えられているので、40年以上前に私が見た時には、石碑に刻まれていたと思われます。ネットで検索すると、石碑の頃の写真が出ていました。

 先日、銀座のロゴスキーでボルシチとピロシキが食べられなかったので、それではと渋谷駅前の東急プラザに行ったところ、ここのロゴスキーは2016年に閉店していました。渋谷のロゴスキーは、室伏信助先生や伊井春樹先生とご一緒にお食事をしたことが思い出されます。

 歩き疲れたので、道玄坂から渋谷駅を挟んで反対側にある宮益坂近くの茶亭「羽當」で一服しました。

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 ここは、先月89歳でお亡くなりになった室伏信助先生がよく連れていってくださった喫茶店です。雰囲気がいいので、つい足が向きます。まさに、昭和の喫茶店です。

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 室伏先生は、いつも「キリマンジェロ」を好んで飲んでおられました。その「キリマンジェロ」をいただきました。丁寧に淹れてくださるので、30分以上は待たされたように思います。チーズケーキをいただいて、妻と室伏先生の想い出話をしながら待ちました。先生のご自宅には妻も一緒に行っているので、思い出すことでいい供養になったと思います。

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 京都へ帰るためにお店を出ると、外は大雨でした。小走りに渋谷駅へと急ぎました。
 
 
 
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2021年11月25日

原宿の思い出の地めぐり

 新鮮な気分で青山の朝を迎えました。前日には2万歩以上も歩いたのに、身体の節々が痛くなりません。1日中ずっと自由行動ができる日なので、早々と街に出かけました。
 明治神宮外苑を通りかかると、紅葉したいちょう並木が朝の気持ちを爽やかにしてくれました。青山通りから明治神宮外苑にかけて、絵になる風景です。

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 周りのお店のショーウィンドウには、「東京ヤクルトスワローズ セリーグ優勝」のお祝いの札が貼られていました。まさにここは、神宮の地なのです。大阪観光大学の野球部員が一部リーグ入りを果たした時、次は私を神宮へ連れて行ってくれることを約束しています。楽しみに待つことにします。

 少し原宿方面に向かって歩くと、かつて妻が勤めていた学校が新しく建て直された姿で現れました。妻は、面影はなくなっていてもこの地の懐かしさのあまり、今にも泣きだしそうに感激しています。私がまだ大学院生の頃でもあり、授業料に始まり、生活のすべてを支えてもらっていた40数年前のことです。思い出の地を巡るのは、お互いに話が尽きないということもあり、喋ることが多すぎて気力と体力の勝負となります。歳をとったせいか、次から次へと昔のことが蘇るのです。困ったことです。

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 妻の通勤経路だったという原宿駅へ向かって歩き出すと、原宿通りに出ました。

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 さらに真っ直ぐ西に歩くと竹下通りです。

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 どこかおしゃれなカフェで朝食を、と思っていたところ、この竹下通りの入口に回転寿司屋さんの「海鮮三崎港」がありました。ブランチとしてお寿司、というのもしゃれています。開店まで少し時間があったので、神宮前あたりを散策してから戻って来ました。少し高めながら、魚は新鮮でした。このお店の系列店は、横浜や川崎にあるお店によく行っていました。

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 食後は明治通りに出て、近くのバス停で最初に来たバスに乗って知らない街歩きをすることにしました。すぐに来たのは、渋谷ハチ公口行きのハチ公バスだったので、我々が学生時代を過ごした渋谷へ行くことにしました。バスは、15人ほどが乗れる小さくてかわいいものでした。運賃は、京都と違って乗る時に払います。

(つづく)
 
 
 
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2021年11月24日

越中島と門前仲町を散策

 日比谷図書文化館での源氏講座と運営に関する打ち合わせ会が終わると、東京駅経由で京葉線で2駅の越中島に移動しました。

 越中島は、4年半前まで住んでいた官舎である、東京医科歯科大学の宿舎がある所です。外から見る限り、まったく変わっていません。目に付いたのは、太いハイプで階段部分が補強がなされていることでした。
 居住者に開放されていた花壇の内、4軒分のエリアをお借りして、妻は丹精込めて耕して色とりどりの花を咲かせていました。その区画は、退出する際に上の階の方が引き受けてくださり、今も大切に育てておられたので安心しました。
 恩師である伊井春樹先生は、かつては、私が入っていた同じ棟のすぐ横の部屋に入っておられました。国文学研究資料館ができたばかりの、初期の10年間です。退職後に大阪に帰られても、懐かしくてかつての仲間とこの官舎を見に来たことがある、とおっしゃっていました。私も、同じことをしているので可笑しくなりました。一生懸命に仕事をし、充実した日々を送っていた頃の住まいは、郷愁からか自ずと足を引き寄せる魅力があるようです。

 散歩でよく行った、近くの越中島公園へも足を運びました。ここは、今もドラマやCMの撮影場所としてよく知られています。
 隅田川には、屋形船が屋根に吊るした提灯の列を川面に揺らしながら、豊洲や勝鬨や浅草に向かって往き来しています。

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 よく行った深川不動の前にある魚三という居酒屋は、日曜日だったのでお休みでした。ここのウニは絶品です。久しぶりに、楽しみにして行ったので残念です。またいつか、ということにして、その近くの富岡八幡宮前にあるタイガー餃子会館 門前仲町店で夕食をいただきました。このお店は、京都にある四条烏丸店や河原町店と姉妹店かどうかは、聞くチャンスがなかったのでわかりません。

 赤札堂深川店で買い物をした後、地下鉄大江戸線の門前仲町駅から息子のいる今日のネグラとなる青山に向かいました。
 夕方からは、冷たい雨が降っています。

(つづく)
 
 
 
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2017年10月10日

江戸漫歩(157)銀座シックスの屋上から高齢者への思いやりに及ぶ

 先週末に東京へ行った時、少し時間があったので、銀座6丁目に出来た銀座シックスに立ち寄りました。

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 開業して半年。なかなか足を延ばせなかった所です。
 私に関係がありそうな5階のステーショナリーと、6階の蔦屋書店をサッと見ました。
 全体的にフロアーが暗めだったので、最近はとみに見えにくくなって来たこともあってか、目が疲れました。
 屋上に上りました。
 皇居を望んでも、無粋なビルに視界が遮られています。

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 銀座四丁目の時計塔や交差点も、その迫り来る壁面に押し潰されています。

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 半年前まで住んでいた豊洲方面も無機質です。屋上に置かれたエアコンの室外機が、陳列されているように見えます。

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 南の方にレインボーブリッジが、微かにビルの隙間から見えました。

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 西の方に東京タワーが見えたのは救いでした。

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 夜は、電気の力を借りて、光の渦がきれいでしょう。
 ただし、もうブラリと来ることはない場所だと思われます。

 この建物が出来る前の施設は、中国語とハングルに出迎えられる雑居ビルと化していました。その跡地がどうなるのか、宿舎から近かったこともあり、よく銀座に来ていたので気になっていました。これでは、老いを感じるようになった世代にとっては、立ち入る気にならない空間です。もったいないと思います。
 ここには、若者と海外からの観光客のため、というポリシーがあります。これでは、長い目で見た時に、また建て直しになるのでは、と余計な心配をしました。慎重な検討がなされたことでしょう。しかし、私には無縁なのです。
 今の日本は、若者と観光客だけを見ていると、いずれ失速すると思っています。国内に生活の基盤を持つ高齢者への思いやりが、大都会の中心部にも必要だという思いを強く抱きました。すべてがそうとは言わないまでも、「アクセシブル・ツーリズム」や「ユニバーサル・ツーリズム」に注意が向くようになったため、この施設にもそうした視点を求めてしまいました。若者受けや女性主導の開発がなされた実態に直面し、残念な思いをしています。そして、自分がその弱者と言われる世代に位置することと、こうした発想に至る経緯も含めて、あらためて自覚することとなりました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:00| Comment(0) | ・江戸漫歩

2017年03月25日

江戸漫歩(156)深川さくらまつりの初日に魚三酒場へ

 東京の宿舎では、引っ越しの荷出しをいまだにやっています。
 いつまでやっているのか、と言われそうです。書籍については発送と処分を、先月に終えました。しかし、それ以外の生活用品がまだすべてを終えていなかったのです。物を捨てられない性分の私には、いやー、引っ越しは大変な大仕事です。行き先のあるものはいいとして、捨てることになった物を見送るたびに、どっと気疲れに襲われる毎日です。

 今日は、段ボール箱を数十個送り出しました。明日も、それくらい搬出することになりそうです。何と2ヶ月にわたり、いつ終わるとも知れない引っ越しに振り回されています。

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 そんな中で、今日25日から4月9日まで、恒例の「お江戸深川さくらまつり」が始まりました。

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 お祭りが大好きな私は、荷造りの合間に様子を見に行きました。
 まだ桜は小さな蕾の状態です。それでも、黒船橋乗船場には船が集まっていました。

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 その入口には、遊覧バスがお客さんを拾っていました。

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 隣の石島橋では、出店の屋台が賑やかです。

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 この門前仲町一帯には、コンビニエンスストアが多いのです。黒船橋の手前には3つのお店、ローソン、セブンイレブン、ファミリーマートが並んでいます。非常に住みやすい地域です。

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 ガスコンロも冷蔵庫も電子レンジもなくなったために、外食となりました。
 それでは、ということで、私が一番気に入っている居酒屋です。
 いつも行列が絶えない「魚三酒場」は、新鮮な食材が食べられる、場末の飲み屋さんの雰囲気です。しかし、若者も多いので活気があります。宿舎の前には東京海洋大学があるので、留学生も多く見かけます。

 このお店は、上京した折々に、立ち寄りたくなるはずです。私が東京でお薦めのお店は、この「魚三酒場」と新宿の「岐阜屋」です。気軽に行ける店なので、ぜひ一度どうぞ。ただし、お店は少し汚いので、気取ったお店がお好きな方には向きませんので悪しからず。
 
 
 

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2017年03月24日

江戸漫歩(155)これまでのご厚誼に感謝して巡礼中

 昨年6月中旬から、九段坂病院で足の疣を診てもらっています。これが、なかなか治りません。すでに9ヶ月。それも、当初よりも酷くなっています。そして後一週間で東京を離れます。治療を担当してくださっている先生も、別の病院に転院なさるようです。お互いが、この病院を離れることになったのです。

 今後のことについては、京都の街中で一般的な医院で診てもらってほしい、とのことでした。病名は「尋常性疣贅」でウイルス性だと伝えればいいそうです。誰が診ても同じだとおっしゃいました。

 それでは、なぜ毎週毎週通院して9ヶ月もかかり、しかも治るどころか悪くなっているのでしょうか。今日も、液体窒素だけでなく、化膿している箇所の処置もしてもらいました。このところずっと、痛くて歩きにくくて困っています。
 いただいた「ヨクイニン」という漢方薬は、私にはまったく効きませんでした。効果がないので、先週から飲まなくていいようになりました。
 化膿が酷くなったので、先週からは「ゲンタシン」という細菌の感染を防ぐ塗り薬を塗っています。
 来月から、京都のどこかの病院で診てもらうことにします。

 右足が歩くたびに痛み、それに加えて左足は、昨年7月の骨折以来いまだに熱をもつことがあります。両足を庇っていると、無理な姿勢で歩くからでしょうか、腰が痛くなります。いろいろと身体のパーツパーツが連動しているようです。

 九段坂病院のすぐ前に千代田区立図書館があります。
 千代田図書館の河合さんと幸田さんには、これまでにいろいろとお世話になってきました。その感謝の気持ちとお別れを伝えるために、病院での治療を終えたその足で行きました。
 会議で非常にお忙しい中を、2人とも中座して出てきてくださいました。
 日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座を持てたのは、このお2人の尽力があってのことです。中断したままの古書目録の調査も、これからは東京に出て来た時に機会を見つけて、一点でも一冊でも確認を続けたいと思います。いつ終わるとも知れぬ、気の遠くなる調査です。まだ、引き継ぐ人は見つかっていません。

 屋上のレストランで食事をしました。
 皇居のお堀を見おろすと、国会議事堂や東京タワーが見えました。

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 今日は国会内で、ちょうど証人喚問をしている時です。マスコミは、今は人目を引くおもしろいネタがないせいか、このことで大騒ぎをしているようです。しかし、国会はもっと大事なことを話し合う場であるはずなのに、と思いながら、しばらく皇居の景色を眺めていました。

 神田神保町の出版社へも、ご挨拶を兼ねて顔を出してきました。

 途中で、高田郁の「みをつくし料理帖」に出てきた、澪ちゃんがお祈りを捧げていた俎板橋を通りました。今日は大学の卒業式があるらしく、晴れ着姿の女性を多くみかけました。次の写真の右端にも写っています。

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 帰りがけに、地下鉄神保町駅の近くで、焼き鳥屋の「光げんじ」という店を見かけました。このあたりに詳しい方は、よくご存知かと思います。初めて見たので、看板を写しておきました。

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 こうして、行く先々でお世話になった方々にお目にかかり、いろいろな話ができるのは、本当に幸せなことだと思います。自分で足を向けての訪問は、私なりの巡礼だと思っています。口に出すと照れくさいので、お目にかかるだけで感謝の気持ちを伝えたことにしているのです。西国三十三所の巡礼よろしく、お目にかかった方から印をいただけば、私が好きなスタンプラリーとなります。しかし、今回はそうした遊び心はなく、ただ無心に一人でも多くの方に会い、これまでの感謝の気持ちを自分なりに確認して歩いているのです。

 みなさまとの、いい出会い、充実した仕事、楽しい語らいができたことに、心より感謝しています。いい18年でした。
 これからは東京に出てきた時に、またお目にかかる機会を作りましょう。
 折々に気にかけていただき、ありがとうございました。
 
 
 

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2017年03月21日

江戸漫歩(154)昨日の鳥の写真から「帰雁」を想う

 伊井春樹先生から、いい写真を見せてもらったという感謝のメールをいただき、恐縮しています。
 昨日のブログの後半に掲示した、中央大橋の上空を隊列をなして飛ぶ鳥の写真のことです。

 私が持ち歩いているカメラはコンパクト版なので、拡大するとぼやけてしまいます。この鳥が何なのか、私にはよくわかりません。しかし、先生がおっしゃるように雁だと思うことで、イメージが膨らみます。
 鳥の専門家の方々には、どのように見えるのでしょうか。
 それはともかく、「帰る雁」として結構楽しんでいます。

 先生は、「帰雁」は大阪では見かけないのものの、東京では数回目にしたことがあって懐かしい、とおっしゃっています。この官舎にお住まいだった頃に、越中島公園でご覧になったことがあったのでしょうか。
 この写真が、先生のご記憶を刺激したようです。

 また、「帰る雁」は確かに和歌にもよく出てくるし、森鴎外の「雁」、水上勉の「雁の寺」等々、文学との縁も深いものです。

 隅田川に雁という取り合わせが、この季節ならではの、春先に北に帰る姿だとは。
 そんなこととはつゆ知らず、絵になるなーっと思って、無意識にシャッターを切ったのです。
 そういえば聞いたことがあるな、という程度の歌心のない貧弱な感性しか持ち合わせていないので、それではと早速調べてみました。
 和歌や物語や俳句に無数に歌われています。
 一部を引きます。


春霞立つを見捨てて行く雁は花なき里に住みやならへる 伊勢

朝ぼらけの空に、雁連れて渡る。主人の君、
(光源氏)故郷をいづれの春か行きて見むうらやましきは帰る雁がね 源氏物語「須磨」

いくかすみいく野の末は白雲のたなびくそらに帰る雁がね 定家

なきつれてかへる雁がねきこゆなりわが古さとの花も咲くらむ 一葉

去年今年大きうなりて帰る雁 漱石

それが一つには帰雁とあり 芥川竜之介「俊寛」


 ということで、昨日は連写で撮影していたので、その写真の前後のものも掲載します。
 
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2017年03月20日

江戸漫歩(153)越中島の花壇と公園

 温かくなって来ました。
 宿舎にお住まいの方々から都合7枚の花壇をお借りして、季節季節に色とりどりの花々を植えて楽しんで来ました。今年もこれからという時なのに、あと2週間で退居です。ベランダで育てていた花の土は、花壇に返しました。我が家の花々は、上の階の花好きな方が引き継いで育ててくださいます。

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 引っ越しの忙しさにかまけて、隅田川の散策を忘れていました。
 公園の入口に彼岸桜が咲いているだけで、越中島公園の大島桜は固い蕾でした。

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 永代橋は補修が終わり、みごとなアーチを見せています。

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 中央大橋の上空を鳥たちが隊列をなして、今日も都議会で問題となっていた豊洲に向かって飛んで行きます。

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 いつかいつかと思いながら、見学をしないままに終わりそうな明治丸が、宿舎の前に停泊しています。今週末しか機会がないので、これはまたの楽しみとなります。

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 この宿舎に9年いました。充実した、稔り多い日々を過ごすことができました。
 この宿舎に伊井春樹先生が10年間お住まいだったことは、「江戸漫歩(19)妙栄稲荷大善神」(2010年04月02日)に書いた通りです。
 縁というものを感じながら、今日も書類を整理する1日となりました。
 
 
 

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2017年02月09日

江戸漫歩(152)おしゃれな丸の内のビル群の本屋さん

 東京駅に行くと、いつもは八重洲口周辺の小物屋さんや食べ物屋さんをぶらぶらします。本屋は「八重洲ブックセンター」が行きつけです。
 しかし、最近は反対側の丸の内地域の熱気が気になり、このあたりを歩き出しました。

 丸の内オアゾの中の「丸善丸の内本店」は、本の量にとにかく圧倒されます。
 そういえば、京都の河原町四条にできた梶井基次郎の小説『檸檬』の舞台で有名な「丸善 京都本店」も、2年前におしゃれに生まれ変わりました。私が行く、京都一の本屋さんです。

 さて、東京駅の皇居側にある丸ビルも新丸ビルも、とにかく新鮮な息吹を感じます。

 さらには、南口の前にある超高層ビルJPタワー(旧東京中央郵便局)の中にある底層棟の「KITTE」は、4年前にできた所で98店舗が出店しています。ここは、ユニークなお店が集まっています。ブラブラと歩いていて飽きません。

 その中でも、5階にある「回転寿司 根室花まる」は、いつも長蛇の列です。しかも、若い方が多いので、いつか入ろうと思いながらいまだに果たせていません。今夜もだめでした。

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 その下の階には、書籍・文具・雑貨・カフェというマルチなお店ながら、とにかく品物選びでこだわりの「マルノウチリーディングスタイル」は、特異なお店です。

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 お店の謳い文句は次の通りです。


大人の知的好奇心を刺激する書籍と遊び心を刺激する雑貨を揃え、スタッフが一点一点こだわってセレクトした商品を取り揃えてお客様にご提供いたします。


 これだけこだわった本選びがなされていると、意外な本との出会いが期待できます。
 ネットショッピングで本を買うということは、小売りの本屋さんを廃業に追い込むことに手を貸すことになります。その意味からも、私はネットで本は絶対に買いません。ほしいと思っている本でも、その本と出会えるまでは気長に本屋さんに通って、本との縁を楽しみにしています。
 そんな私にとって、この本屋さんは予想もしなかった本との出会いがありました。本屋さんへ行く楽しみを、思い出させてくれました。

 東京駅周辺を、もっと歩いてみたいと思っています。
 
 
 
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2017年01月17日

江戸漫歩(150)交番横の案内図と蕃書調所跡と九段坂病院

 地下鉄九段下駅を地上に出ると、交差点角に交番があります。


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 写真の左奥に見える高速道路の下には、高田郁の『みをつくし料理帖』に出てくる俎橋。
 この交番の右奥のお濠の向こうには、武道館。
 そして、この交番の右手には、「蕃書調所跡」の説明板。
 「蕃書調所」というのは、江戸幕府が海外事情の調査や、西洋の文物を教育する場ともなった所でした。


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 交番の前に掲示されている案内地図のことは、すでに何度か書きました。
 九段坂病院が千鳥ケ淵のそばから牛ケ淵牛のそばに移転したことを、クラフトテープに油性ペンで書いて貼ってあったのです。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

「江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと」(2016年12月22日)

 それが、今日、通院途中で何気なく見たところ、クラフトテープが剥がされていることに気づきました。

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 これでやっと正式に、病院の名前が地図上に記されたのです。通りすがりの、何の縁もない者だとはいえ、ほっとしました。ただし、これまで貼られていたテープの糊跡が、まだ残っています。

 一週間前も、通院でここを通りかかっています。その時の写真を取り出してみました。


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 たしかに、先週はまだクラフトテープが貼ってあります。この一週間の間に、新しい案内図に入れ替えられ、テープが剥がされたのです。よかった、よかった。

 九段坂病院では、今日も右足の指先の疣を液体窒素で焼く手当てを受けました。ウイルスが相当深く巣くっているそうで、来週も再来週も通院の予約をしました。
 漢方薬の投薬もありました。

 昨夏、剥離骨折をした左足首は、まだ安定しません。

 両足の調子が良くないので、まだしばらくは歩くことに難儀な思いをします。しかし、来月には良くなるようなので、今しばらくの辛抱です。
posted by genjiito at 23:52| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年12月22日

江戸漫歩(149)九段坂病院の案内表示のこと

 今夏、九段下にある九段坂病院が移転したことに関連して、微笑ましい案内表示のことを書きました。
 その時、勝手な推測ながらも、「交番のお巡りさんがよく聞かれるので親切心から手書きで貼られたのでしょうか。」としました。

「江戸漫歩(130)移転した九段坂病院と皇居のお堀に咲く蓮」(2016年07月07日)

 この九段下の交差点角にある、交番横のガムテープによる病院名の案内は、先週も先々週も、どうしたことか剥がされていました。
 案内図を修正して入れ替えられるのかな、と思って通り過ぎていました。

 今朝も通院で通りかかったところ、同じようなガムテープながらも、こんな表記に変わっていました。


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 日本武道館を挟む形で貼られた、2つの表示ともに「九段下病院」となっています。

 先月までは、正しく「九段坂病院」でした。上記7月のブログに掲載した写真をもう一度ひきます。

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 今朝も、慌ただしく通りかかった折に見かけたので、お巡りさんにお知らせする余裕がありませんでした。また、何かあったらしくて、交番を何人ものお巡りさんが出入りしておられたので、お声掛けするのも躊躇われました。

 どなたか、知らせてあげてください。

 さて、肝心の今日の診察では、どうも右足の指に出来た疣は、きれいにウイルスがとれていないそうです。まだまだ治療が続きます。
 右足を庇うようにして歩くせいか、7月に骨折した左足首が、むくんだり熱くなったり怠くなったりと、調子が良くありません。再度の骨折を気にして、無理な姿勢をとらないようにしていることもあり、どうも立ち姿からして不安定な状況にあるようです。

 病気ではないものの、まだ時間のかかる治療が続くようです。
 命に関わるものではないので、気長に通院するしかありません。
 年末年始でもあり、これまで以上に足には気をつけて歩くことにします。
posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年12月18日

江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う

 新宿の都庁前にある平和祈念展示資料館で、企画展「絵と詩で綴る引揚げ−七十五日の旅記録−」を観てきました。

 この平和祈念展示資料館は、次のような趣旨のもとに運営されている、総務省委託の施設です。私は、今回初めて行きました。見ごたえのある展示だったので、今日だけでは見終えることができませんでした。また行くつもりです。


 さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者および海外からの引揚者の労苦(以下、「関係者の労苦」)について、国民のより一層の理解を深めてもらうため、関係者の労苦を物語る様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどを戦争体験のない世代にもわかりやすく展示しています。


 今回の企画展では、満州から引き揚げて来られた岩田ツジ江さんの「満洲さよなら」と「おもいでのきろく」が紹介されています。
 詩文集となっている作品には、ハルビンでの生活、日本の敗戦とソ連軍の侵攻で動揺する人々、ハルビンから佐世保への引揚げの様子が描かれていました。わかりやすい絵でした。私の母がハルビンで暮らしていた日々と、引き揚げてくる時の気持ちを想像しながら、丁寧に見ました。

 学芸員によるギャラリートークがありました。
 わかりやすく展示物の解説を伺いました。

 岩田さんは、大正15年(1926)に広島に生まれた方です。ハルビンで終戦を迎えられました。戦後20〜30年経ってから、こうした絵を書き始めておられます。
 1970年から1980年代に、多くの戦争絵画が描かれたのは、記憶の整理にそれだけの時間が必要だということのようです。
 岩田ツジ江さんは、傷を癒すために緑を多用しておられるとのことでした。このことに、興味をもちました。
 絵に記されたサインを見て、変体仮名を使った人名のことに気付きました。
 「都し江」「つじ江」「川志゛」という自筆の署名は、人名表記に変体仮名を使った時代のことを想起させたからです。「解説文」などには、「ツジ江」とあります。これは、後で調べたいと思います。

 岩田さんは、佐世保に引き揚げて来られました。母もそうだったのでしょうか。これも、これから調べて確認します。

 その後、引揚体験者による語り部お話し会があったので、これにも参加しました。
 引揚体験者が、自らの引揚体験を語る、という企画です。

 今回は手塚元彦氏で83歳の男性でした。昭和8年に満州の奉天で生まれた方です。戸籍では「支那」となっているそうです。
 子供の頃の奉天での生活を語ってくださいました。
 今思うと楽しいと。しかし、それにしても戦後は酷かったと。
 ロシア軍は軍隊と名を借りた強盗団だった。
 至近距離での殺戮を体験した。
 今でもうなされる。
 凍死で亡くなった人は放置されていた。
 それを、中国人が木に立てかけて試し斬りをしていた。
 日本人に対して、掌を返したように酷いことをしていた。
 孤児院で、毎日一人や二人は亡くなる。
 その処理作業に、お駄賃の握り飯がもらえる。
 等々

 淡々と語れるのは、それだけ苦しい体験が自分の中で漉されたからでしょう。

 貴重なお話を伺う機会を得て、いろいろと思うことが生まれました。
 そして、両親の満州での生活、父のシベリア抑留、母の引き揚げと、今になって知りたい思いが充満してきました。
 このことは追い追い自分の中に蓄え、両親への感謝の気持ちと共に育てて行くつもりです。

 出口で、非売品となっている平和祈念展示資料館で制作された2冊の冊子をいただきました。


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 いただいて来たばかりなので、まだ読んでいません。
 パラパラと見ただけでも、父と母が生きた場所と生活と時代が描かれています。
 この紹介は、また後日に。

 貴重な資料をいただきました。私がおりおりに確認できるようにする意味からも、以下に紹介します。

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2016年12月06日

江戸漫歩(147)丸の内界隈でイルミネーションの並木道を散策

 東京駅の丸の内北口に降り立つと、三日月から上弦の月になろうとするお月さまが、ビル群の明かりに飲み込まれるように浮かんでいました。


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 丸ビルの裏通りでは、並木道が幻想的なイルミネーションに包まれています。


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 歩行者天国という粋な計らいもなされていました。


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 日常とは違う空間の演出は、気分を一新してくれます。
 クリスマスが近いことも実感しました。

 日本郵便の商業施設「KITTE」のアトリウムでは、巨大なツリーのライトアップに圧倒されます。


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 最近は、全国各地で LED 電球によるイルミネーションが花盛りです。
 寒い季節だからこそ、こうした光の演出は、日頃たまりにたまった疲れを消し去ってくれるようです。
 文化財のライトアップと共に、少し贅沢な気分に浸れる一時に身を置けます。
 我々は、明かりを求める習性をもっているのでしょうか。
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2016年11月24日

江戸漫歩(145)立川の雪三景

 東京で11月に雪が降るのは54年ぶりだそうです。
 朝からターミナル駅は、早めに出勤する人々で混雑していました。
 今夏、通勤途中に足を骨折したので、道々とにかく足元をよく見て歩きました。

 中央線の電車も、雪を浴びながらホームに滑り込んできます。


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 立川駅から乗った多摩モノレールの車窓から、国営昭和記念公園の横の雪景色を見下ろしました。
 いつもと違う、真っ白な広場です。
 つい最近まで、ここで羊たちが草を食んでいたのです。


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 職場の前では、紅葉が雪と対照的に、鮮やかさを見せつけていました。


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 とにかく寒い1日でした。
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2016年11月07日

江戸漫歩(144)古石場川親水公園の鷺たちと宿舎の庭

 大横川に沿って、細長い古石場川親水公園があります。
 買い物の行き帰りに、天気がいいと散策します。
 3年前に、「江戸漫歩(72)古石場川親水公園の鷺」(2014年01月26日)を書きました。

 今回、また鷺を見かけたので、3羽の写真をアップします。

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 逆光でシャッターを切ったところ、不思議な映像が写っていました。
 虹色の球と遊んでいる鷺です。


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 宿舎の裏庭への入口は、東京のど真ん中とは思えません。

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 妻が近所の方の区画も借りて、いろろいな花を植えて楽しんでいます。

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 慌ただしい日々の中で、気持ちが少しは和らぐ光景です。続きを読む
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2016年11月06日

江戸漫歩(143)隅田川沿いに中央大橋付近を散策

 肌寒くなった隅田川には、夏ほどではないにしても、屋形船が夜ごとに越中島の船着き場に留まります。そして、団体さんを乗せて、夜の宴会クルーズにと岸を離れて行きます。
 川向こうの石川島のマンション群の右側に、ライトアップされた中央大橋のX字型の橋脚が見えています。

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 昼間、川向こうにある佃島の川岸へお弁当を持って行き、隅田川を行き交う遊覧船を見ながら食事をしました。中央大橋の南側から宿舎のある方を見やると、中央大橋の橋脚の右横にスカイツリーが見えます。


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 石川島エリアの隅田川沿いを散策していると、こんな階段があります。
 階段の上は桜並木の散策路で、その向こうが公団住宅です。


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 これだけでは、これがどのような場所にあるのかがわからないので、この階段から斜面に上がり、見下ろした角度で写真を撮りました。
 川から上がってくると、この階段に突き当たります。しかし、それから先には上がれないのです。まさに、意味不明なトマソンです。


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 この写真の右上に架かる橋が、この地に生まれた小津安二郎の映画にも出てくる相生橋です。
 そして、川向こうの越中島公園に船着き場があり、その左端に宿舎が見えています。
 川風が心地よい1日でした。
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2016年10月18日

江戸漫歩(142)九段会館と九段坂病院

 九段坂病院で、右足の指にできた疣の治療を受けてきました。
 隣接する九段会館は、外見上はまだ工事が始まってはいないようです。


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 ここは、平成23年3月11日に、東京観光専門学校の卒業式が行われていた時に東日本大震災が発生し、天井の崩落により2名が死亡したことで平成23年4月に廃業閉鎖となりました。
 もとは、「昭和御大礼記念事業」として計画され、昭和7年に起工したものです。
 2・26事件の時には、戒厳司令部がここに設置され、満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の弟・溥傑と、侯爵・嵯峨実勝の長女・浩の結婚式がここで挙行されたという歴史を持っています。

 池田亀鑑に関連して昭和初期のことを調べている関係で、こうしたことにも注意が向くようになりました。船戸与一の『満州国演義』を読んでいることも、こうした戦前の歴史への興味を掻き立てているように思えます。
 ただし、私は1度もここに入る機会がありませんでした。

 さて、この九段会館の南に建つ九段坂病院へは、1ヶ月ほど通院に間が空きました。先生からは、10日から2週間くらいの間隔で通院するように、との指導を受けました。

 足指にできた2つの疣は、外見上はきれいになっています。しかし、まだ皮膚の奥にウイルスが残っている形跡があるようです。
 確かに、歩く時に小石を踏んだ時のような違和感を感じることがあります。

 この夏以来、9月からの忙しさにかまけて、つい通院をさぼっていたのは確かです。
 命に別状がないことと、あまり苦痛に感じるものではないので、つい気が緩みます。
 病院は便利なところにあり、通勤の途中に立ち寄れるので、年末までには通い詰めて完治させます。
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2016年09月11日

江戸漫歩(141)築地市場移転延期で話題の豊洲でお買い物

 築地市場が豊洲に移転することとなり、今秋11月7日が豊洲市場の開場日でした。このことは、「江戸漫歩(139)有明豊洲地域を見て五輪とマンションを想う」(2016年08月04日)に記した通りです。

 そこでは、「この地域の土壌汚染の問題は未解決で、移転反対の動きも解決していません。さて、新都知事の小池さんは、この問題にどう対処されるのでしょうか。」と書きました。

 その移転話に、暗雲が立ち込め出しました。さまざまな利権絡みで、強引な設計や工事などが行われていたことが、昨日のニュースによると明るみに出だしたようです。さらなる移転の見直しとなると、東京五輪のことにも関連して、ますますこの有明豊洲地域が注目されることでしょう。

 宿舎から近いこともあり、買い物がてらこの豊洲を散策しました。

 新橋駅からやって来る「ゆりかもめ」(東京臨海新交通臨海線)は、この豊洲駅が終点です。
 その駅前には、線路が地上で寸断された姿を見せています。2006年に開業したこの路線は、当初は延伸の予定だったそうです。しかし、今は対象外になっているとのことで、これからこの剥き出しの鉄路がどうなるのか、気になるところです。まさか、この無粋な景観のままで東京五輪を迎えることはないと思いますが。


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 宿舎がある西に目を転ずると、「越中島」「晴海」「銀座」という地名の表示が見えます。都心に向かう晴海通りです。この通りの下を、東京メトロ有楽町線が走っています。


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 ここから左手に、おしゃれな巨大ショッピングセンターの「ららぽーと豊洲」があります。その豊洲駅側は、広大な土地で工事が進んでいます。この次に来ると、この景観も様変わりしていることでしょう。


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 「ららぽーと立川立飛」が、昨年12月に職場の近くにできました。いつか行こうと思いながら、そこにはまだ行っていません。

 豊洲駅前の晴海通り角から豊洲運河を望むと、これからの東京五輪を見越してさらに町並みが変わりそうな気配を感じます。


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 この通りで、回転寿司屋さんを見つけました。


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 昨秋、屋号を変えてオープンしたのだそうです。築地市場の移転を意識した改名なのでしょうか。
 新しくなっていたことに気付かないままでした。自称回転寿司ウオッチャーとしては迂闊でした。血糖値のことを考えて糖質制限食を意識してからというもの、あれだけ好きだったお寿司を、確かにあまり食べなくなっていました。近所の回転寿司屋さんが閉店したことも一因です。
 最近主治医からは、もっとご飯を食べて身体を作ることを意識したらいい、と言われています。これからは、以前のように折を見てはお寿司を食べ歩こうかと思っています。

 このお店は、清潔なシステムでした。


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 レーンに流れているお寿司をいただくよりも、注文した方が楽しいのです。
 もっとも、目指すお寿司を、タッチパネルに表示されている文字列からイメージして辿り着くのは、なかなか面倒なことです。限られた画面を見て選ぶことをやってみて、写真の一覧から選ぶことの効率のよさを実感しました。

 この iPad の画面をタッチして注文すると、上のレーンにトレーが大急ぎで滑るようにして運んで来ます。その素早さが気持ちいいのです。下を流れるお寿司は、一度も手にしませんでした。


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 ただし、まだこのシステムは開発途中のようで、バラバラの感じがしました。

 上のレーンに注文したお寿司が飛んで来ます。しかし、その運ばれてきたトレイは、タッチパネルの返却というボタンを押さないと、戻ってくれないのです。押し忘れていると、店員の方が返却ボタンを押してくださいと、催促に来られます。

 また、タッチパネルなので、押したという感触がなくて、何度も同じボタンを押してしまいました。

 さらには、精算の時に、店員の方がiPhone を片手に皿の数を色別に入力して計算しておられます。せっかく iPad で注文しても、その iPad と店員さんが持つ精算用の iPhone が連動していないのです。別のお店のように、皿に仕掛けをしてもいいと思われます。

 とにかく導入してみました、というレベルであり、試行錯誤の段階のようです。

 さまざまな挑戦がなされている、世界に冠たる日本の回転寿司は、文化としてさらに発展していくことが期待できます。
 常に進化していると言われる回転寿司です。血糖値のことはそれとして、また少しずつ生活に取り入れていこうと思います。そのきっかけをもらえた、好感のもてるお店との出会いでした。
posted by genjiito at 21:38| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年08月07日

江戸漫歩(140)広島原爆の日・リオ五輪・盆踊り・屋形船

 今日は広島原爆の日とリオ五輪で、ニュースは盛りだくさんでした。
 五輪の開会式で、日系移民をイメージさせるパフォーマンスを、ちょうど広島の原爆追悼式での黙祷の時間に合わせたという企画は、運営の中でもよく練られたものだったと思います。

 東京での夜、久し振りに盆踊りに巡り合いました。
 隅田川に架かる相生橋の袂で、納涼盆踊り大会が始まっていたのです。
 月島五神太鼓の勇ましい響きに合わせて、みなさんが踊っておられました。
 太鼓を叩いているのは、町内会の子どものようです。


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 佃島側から宿舎の方を望みました。
 越中島の船着き場の前を、屋形船がせわしなく往き来しています。


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 モダンな船が永代橋の方からやってきました。豊洲の方に向かっています。
 相生橋から見下ろすと、船内では宴会が真っ盛りでした。


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 宿舎の横の船着き場では、これから水上での宴会に乗り込む人々で賑わっています。


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 宿舎の夜の様子も記録に残しておきます。


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 今日の最高気温は、都内で35度だったようです。
 この深川は風が通る街なので、31度くらいでした。
 京都は37度だったようです。
posted by genjiito at 06:38| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年08月04日

江戸漫歩(139)有明豊洲地域を見て五輪とマンションを想う

 ギプスをはめているために歩けなくても、身体は動かすようにしています。
 近在のオリンピック施設の工事現場を、車窓から眺めました。

 有明コロシアムの周辺は、まだ手付かずです。
 正面を上下に分かつように通るのが、首都高速湾岸線です。


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 湾岸線と交差するように、東京臨海新交通臨海線が走っています。
 ちょうど上りと下りが擦れ違うところでした。
 その高架越しに、有明コロシアムの屋根が見えます。


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 ダンプカーが出入りする先には、東雲運河越しに晴海のマンション群が見えます。


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 もうすぐ、築地市場がこの豊洲地区に移転して来ます。
 今秋11月7日が、豊洲市場の開場日となっています。
 写真の右側が、着々と開場の準備が進む豊洲市場です。


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 この地域の土壌汚染の問題は未解決で、移転反対の動きも解決していません。
 さて、新都知事の小池さんは、この問題にどう対処されるのでしょうか。

 近在のマンションは、近隣の海外の人たちに投機目的で買い占められているとか。
 これから建設されるマンションも、その標的となっているのでしょう。もっとも、バブルも弾けたので、すでに売りに出されているのかもしれません。

 今このあたりでマンションを購入している人の多くは、ここに住む気はないのですから、東京五輪が終わると放出され、スラム化するというのです。

 昨夏、『2020年マンション大崩壊』(牧野知弘、文春新書、2015.8)という本を読みました。


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 そのすぐ後に、横浜のマンションで杭打ち施工に問題があり建物が傾いたことが表面化しました。
 私の知人の多くがマンション住まいなので、この『2020年マンション大崩壊』という本を、私のブログの「読書雑記」で取り上げるのは見送ることにしました。私はマンション住まいの経験がないので、余計に本書の内容を話題にしないように気を遣っています。

 参考までに、ネットによる本書の紹介文を引いて、個人的なコメントは控えます。


内容 東京五輪を前にマンション価格は上昇中。
 だがその裏で管理費や修繕積立金の滞納、相続権の拡散など多くの問題が生まれつつある。
 空室急増でスラム化する大規模マンション、高齢化で多発する孤独死、中国人に牛耳られる理事会…
 全国600万戸時代を迎えたマンションに未来はあるのか。
(「BOOK」データベースより)


 さて数年後に、東京五輪の会場となるこの有明・豊洲地域は、今後ともますます注目されることでしょう。そしてさらに数年後には、この宴の後のことも、マスコミが取り上げると思われます。

 予想できることには、今から手を打つべきなのでしょう。しかし、それ以外のことで問題が山積みなので、先のことまで考えてはいられない、というのが実情のようです。
 東京五輪の後のことを想像しながら、明日5日から始まるリオの五輪をいろいろな角度から観たいと思っています。


(注記)私は、五輪を「オリンピック」と「パラリンピック」に区分けするのは問題だと思っています。
 五輪では開催時期もずらされており、パラリンピックは9月7日から19日までの12日間です。
 わざわざ区別せずに、同じ競技場を同じ時期に使い、可能な限りプログラムの工夫をして、障害の有無にかかわらず一人でも多くの観客に応援してもらう中で競技をすればいいと思っています。
 障害の有無で選手と観客を切り離すのは、よくないことです。性差があっても、男女は同じ空間を共有し、男女が一緒に競技をしています。それなのに、なぜ障害の差は区別し、切り離されるのでしょうか。
 このことは、いつかまとめて書くつもりなので、今は措きます。
posted by genjiito at 00:24| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年08月02日

江戸漫歩(138)足を引きずって隅田川を納涼散歩

 今日も駅前の整形外科に行き、ギプスを外しての触診を受けました。
 完治まで、まだまだ時間がかかりそうです。
 ギプス生活を余儀なくされる日々が続くことについては、もう自覚的に容認せざるをえません。
 剥離した部分を触られると、悲鳴を上げるほど痛いのです。

 薬局で購入した伸び縮みする包帯は、ギプスをしっかりと固定できません。
 通気性もよく、伸縮自在な方がいいのかと思いきや、しっかりした包帯の方がいいことがわかりました。
 病院で使っておられる大小2種類の包帯をいただきました。

 あまり外出などせず、自宅で静養しなさい、とのことです。
 金・土・日曜日と、私は動き回りすぎだと、しっかりと釘を刺されました。
 また、鬱血するので、足はできるだけ高くしておくようにと。
 椅子に座り、机にむかってパソコンを操作する姿勢をどうするか、今は真剣に考えています。

 パソコンがないと仕事にならないので、これは死活問題です。
 座卓にパソコンを置いたのでは、折れている足の置き場に困ります。
 寝転がったままでパソコンを使うわけにもいきません。
 いずれにしろ、長時間の使用に耐えられないので、効率の悪いパソコンの使い方になりそうです。

 たくさん抱え込んだ仕事を1日も早くこなすためにも、何かよい方法を見つけ出さないと、さらに多くの方々に迷惑をかけます。
 真剣に対処方法を考える必要に迫られました。

 夕方、気分転換も兼ねて、隅田川沿いを散歩しました。
 これくらいはいいでしょう。
 涼しい川風が肌に心地よいので、ぶらぶらと歩くには最適です。
 屋形船に乗り込み、食事をしながら隅田川を遊覧する船が多くなりました。
 船体の回りに電飾をつけて航行しているので、見た目にも川面に船影が映えます。


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 八朔ということもあるのか、花火の音も聞こえます。
 東京生活で18年目にして初めて、納涼散策をすることになりました。
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2016年08月01日

江戸漫歩(137)豊洲有明地域で移転と開発現場を見て

 来る東京オリンピックで会場となる、豊洲・有明地域にある大規模ショッピングセンターであるイオン東雲店に出かけました。
 宿舎の出入り口前に、無料送迎バスが停まるのです。足にギプスを付けたままパソコンを使った仕事をしていると、どうしても身体が硬直します。運動と気分転換がてら出かけました。

 私が消化管の全摘出手術を受けた時、その翌日から歩行訓練をしました。息子が腰椎の手術をした時も、すぐに歩け歩けの指導がなされました。外科の治療は、安静よりも適度な運動のようです。

 今、足腰共に良好なので、積極的に出歩くことにしています。
 昨日も、臆せずに講演会に行きました。

 イオン東雲店の2階には、ソファーが並んだ休憩スペースがあったので、ここで足を休めながら暫く本も読みました。

 東京湾からの海風の影響もあってか、東京の宿舎は風通しがいいのです。そのため、都内よりも1、2度ほど涼しいので、10年以上もエアコンのない、扇風機での暮らしをしています。
 今夏は暑さが厳しくなるという予報もあるので、そんな時には図書館やこうした大型ショッピングモールに来て、熱暑を避けながら読書三昧もいいかもしれません。

 帰りのバスの車窓から、築地市場が移転する豊洲市場や、オリンピックのために日々変貌している有明・豊洲地域を記録に収めました。


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 もし2020年に東京オリンピックを観に来ることがあれば、この一連の写真と比べたらおもしろいことでしょう。

 オリンピックが終わったら、この関連施設をどのように維持管理するのでしょうか。深刻な問題になることは必定です。関係者は十分に認識しておられるはずです。
 決まったばかりの新都知事の小池百合子さんは、この垂れ流しとなっている膨大な無駄遣いをどうされるのでしょうか。
 都知事選挙戦では、この問題から逃げておられました。しかし、もう具体的な方策を示さないと、この有明・豊洲地区の工事の見直し・変更・中止もできなくなります。いまから止めることは不可能としても、このまま進めた後に見えてくることへの覚悟は、共通に認識しておくべきかと思います。もっとも、京都市民の私が言うべきことではないことはわかっているのですが……

 東京は日々変わりつつあります。身近なところで、その一部をこうして見ることができます。これも得難いこととして、記録しておきます。
posted by genjiito at 00:45| Comment(0) | ・江戸漫歩

2016年07月31日

江戸漫歩(136)古書目録の講演会に参加した後は隅田川の花火大会

 骨折した左足を引きずりながら、妻の介助を得て千代田区役所へ行きました。
 楽しみにしていた講演会に出席するためです。
 このイベントに関する案内は、「古書販売目録に関する講演会のお知らせ」(2016年05月18日)に記した通りです。

 この講演会の翌日(31日・日曜日)が都知事選挙の投票会場になってしまった関係で、急遽会場が4階から8階に変更になっていました。いつもお世話になっているみなさまの企画開催ということもあり、その思いがけない変更に対処なさったご苦労がわかります。準備中に飛び込んだ選挙という珍事とはいえ、本当にお疲れさまでした。

 さて、最初は尾上陽介氏(東京大学史料編纂所准教授 古文書・古記録部門)の「古書販売目録の学問的な意味 −『明月記』研究をめぐって−」でした。
 お話は、幅広く目配りして収集し整理した資料をもとにして、散在する定家の『明月記』のありよう興味深く語ってくださいました。その研究に、古書販売目録が役立つのです。レジメは写真が多く、わかりやすい内容でした。
 私も、この古書販売目録を、遅々として進まないながらも、コツコツと調査しています。『源氏物語』の情報をピックアップしていることから、さまざまな調査手法と資料収集そして整理をする上で参考となりました。

 続いて、八木壮一氏(八木書店会長)のミニ講演「反町茂雄と弘文荘」がありました。八木会長には、ちょうど2週間前に八木書店本社ビルで長時間にわたって池田本に関するご相談をしたり、多くの貴重なお話を伺ったので、そのことの延長として楽しく聞くことができました。反町氏の人柄や、よく本を読む人で努力家であったことを、さまざまなエピソードを交えながら語られました。

 イベントが始まる前に、会長とお話ができました。今日の講演が終わるとすぐに京都へ向かわれるとのことです。私が骨折さえしていなければ、ご一緒に新幹線のお伴ができたのに、と思うと残念でした。

 最後は、恋塚嘉氏が「Web版 弘文荘待買古書目」の活用方法などの案内を、わかりやすくしてくださいました。ウエブでデータを見る方法は、実際に体験するとさらにその意義がわかるものです。

 以上、お三方の話が流れるようにつながっており、充実したいい講演会でした。

 受け付けにいらっしゃった八木書店の出版部の方とは、先日お目にかかって会長と一緒にお話をしたことや、その後のメールのやりとりを踏まえて、今後の池田本の校訂本文について詰めの相談ができました。
 この池田本の校訂本文については、近日中にこれからの対処と編集方針について報告する予定です。いましばらくお待ちください。

 帰りは、京都からわざわざ上京して出席しておられた立命館大学の須藤圭氏と、見送りがてら東京駅で池田本の校訂本文や《仮名文字検定》のことなどを具体的に打ち合わせました。今後の展望が開ける、充実した時間を持つことができました。

 この夏を境にして、いくつかのプロジェクトが大きく回転を始めます。
 10年以上も前から温めていた企画が動くのです。足の骨折など、何の問題もありません。若い方々と一緒に、その力を借りながら、とにかく一歩でもプランを前に進めていくつもりです。
 ご協力いただける方々には、いろいろと助力をお願いすると思います。
 多方面からのご支援を、どうぞよろしくお願いします。

 宿舎に帰る途中で、大勢の人々が中央大橋の方に向かって行かれます。やがて、夜空に打ち上げ花火の音が響き出しました。今日は、隅田川の花火大会の日だったのです。

 お祭りが大好きな私は、不自由な足を妻に支えられてかばいながら、隅田川のリバーサイドエリアの突端まで行きました。永代橋越しのビルの上に、みごとな花が咲き出しました。その右横では、スカイツリーも見下ろしています。


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 今夜京都へ帰っていたら、もう今後とも見られなかった隅田川の花火大会です。骨折のおかげで、初めて見る機会を得ることとなりました。しかも、東京最後の年に。
 いいことが転がり込んでくる、幸運のアクシデントに感謝しましょう。
posted by genjiito at 00:16| Comment(0) | ・江戸漫歩