2020年09月05日

藤田宜永通読(39)『失踪調査』

 『傑作ハードボイルド/探偵・竹花シリーズ 失踪調査』(藤田宜永、光文社文庫、1998年7月)を読みました。

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■「苦い雨」
 台湾が日本の植民地だった頃にお世話になった山浦先生を探してほしい、という依頼のために夫婦が竹花の探偵事務所にやって来ます。日本に滞在する4日間のうちに探してほしいとも。
 話には、語ろうとする力が感じられません。人間関係が甘いのは、先生と教え子という関係に頼ろうとするところにありそうです。偽金作りや密輸のことが宙に浮いてしまっています。【1】

■「凍った魚」
 漁業法違反で全国に指名手配中の飛島を、ロシア人の弁護士から依頼されて探すことになりました。
 シベリア抑留のことが、何度か出てきます。藤田の作品によく出てくるネタの一つです。例えば、こんな話として。
「収容所ってとこは、人の頭をおかしくさせるところなんだ。戦争の間、共産主義を憎みきっていた下士官あたりの中にまで、昔の言動が嘘のようにソ連の兵士におべっかを使い、同胞の捕虜に辛く当たる連中が出てきたんだよ。橋田もそのひとりだったんだがね。醜い、本当に醜い姿をわしは見せられた。だが、竹花さん、わしは、そういう連中に恨みなど持ったことはない。英雄など、この世には存在しない。誰でも、多かれ少なかれ、収容所時代は、何とかソ連側に胡麻をすろうとしていたんだ。わしも、いつも彼らの顔色をうかがってたよ。竹花さん、民主運動っての知ってるかい」
「いや」
「ようは、捕虜の民主化をやる運動だ。共産党の命令で、上官も一兵卒も皆、同じに振る舞えってわけだ。いいことだよね、本当にそうなれば。ところが、選挙で選ばれた奴らが、勝手なことを始めて、結局、軍隊時代と何も変わりはしなかった。何か問題が起こると、やはり、決着をつけるのは暴力だったね。日本に帰ってきたら、民主主義、民主主義って皆、嬉しそうな顔をしているのには、驚いた。わしなんか、民主主義と聞くと、収容所内で経験した民主運動を思い出し、嘘くさくってしかたなかったよ。まあ、これはわしの体験で、あとで聞いた話だと、収容所の全部がそうだったわけじゃないってことだけどね」(142頁)


 人間関係と絡めて、このシベリア体験が利用されます。上に引用した話の内容は、シベリアに抑留されていた私の父からもよく聞かされたことです。
 この話は推測ばかりで展開するので、読者は殺人事件の真相を探る楽しみはありません。【2】

■「レニー・ブルース」のように
 少女を探す話です。
 ストリップ小屋の話は、吉行淳之介のような感覚的な描写ではなくて、出演する人間のありようを描くだけです。味付けがないので、残念でした。
 また、後半に出てくる書道の筆は、推理話を盛り上げるどころか失望させるだけでした。アイデア倒れです。【2】
 
 
※付記
 本文庫本は、1994年4月に光文社から刊行された単行本の文庫化であり、2012年2月に「ハルキ文庫」からも刊行されています。竹花シリーズの第2冊目です。
 第1作となる『探偵 竹花 ボディ・ピアスの少女』(双葉社、1992年12月)との関係について、作者は本作の〔あとがき〕で次のように言います。

 「凍った魚」と「レニー・ブルースのように」も同雑誌(私注:「EQ」)に発表した作品だが、この二作の間に、同じ主人公の活躍する長編『探偵・竹花とボディ・ピアスの少女』(双葉社刊)を上梓した。「レニー・ブルースのように」の中に夏子という少女を追っていた時に起きた殺人事件、というくだりがあるが、これは、その長編で扱った事件のことを指している。
 長編のほうが先に本になったので、竹花はその作品から生まれた、と思っている読者も多いようだが、先ほども申したとおり、竹花は、切り取った盲腸の代わりに、作者に宿った探偵な
のである。
    一九九四年四月吉日    藤田宜永

    [初出誌および参考資料]
「苦い雨」―「EQ」(光文社)92年1月号
  「追跡、謎の運び屋たち」 NHK 89年
  「わが街 芝松本街の歴史」 芝松本町誌
「凍った魚」―「EQ」92年11月号
  「シベリア捕虜収容所の記録」 読売新聞社
  「国境の向こうの歳月| NHK
  「追跡懐かしいあの品を探せ!」NTV
  「占領軍の郵便検閲と郵趣」 裏田稔 日本郵趣出版
「レニー・ブルースのように」―「EQ」94年1月号
  「そこが知りたい〞通勤電車京葉線・途中下車の旅!=v TBS


 なお、『探偵 竹花 ボディ・ピアスの少女』については、本ブログの「藤田宜永通読(35)藤田宜永『ボディ・ピアスの少女』」(2020年01月11日)に勝手な感想を記しています。
 
 
 
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2020年05月28日

藤田宜永通読(38)『喝采』

 『ハヤカワ・ミステリーワールド 喝采』(藤田宜永、早川書房、2014年7月)を読みました。

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 藤田宜永の私立探偵物には、鈴切信吾シリーズ(2冊)、的矢健太郎シリーズ(4冊)、竹花シリーズ(7冊)、相良治郎シリーズ(2冊)、浜崎順一郎シリーズ(2冊)があります。本作『喝采』は浜崎順一郎シリーズの1番目です。もう1冊の『タフガイ』(早川書房、2017年7月)は、この次に取り上げましょう。
 さて、時は1970年代。私が高校を卒業した年です。最初に物語の背景に流れるのが、ガロの『学生街の喫茶店』。学生運動が終わった年です。この作品でも、懐かしい歌がバックにたくさん流れて来ます。同世代の藤田の特徴でもあります。
 物語が始まる早々、元女優探しの話が意外な展開となります。おもしろくなりそうです。ただし、近年の藤田の作品は後半に失速するのが常なので要注意です。始め良ければ終わり良し、ではない作家だからです。
 現金輸送車襲撃事件と女優神納絵里香の殺人事件、松浦和美の失踪事件という、3つの事件がリンクするところに、読者を惹きつける力があります。
 作中で、私が好きな吉行淳之介の作品の一つである『星と月は天の穴』のことに触れます。

 珍しく空が澄んでいて、下弦の月を仰ぎ見ることができた。
見私たちは外堀通りに向かって歩いた。
「何か嫌な予感がしたわ」
「彼の強い想いが、神様に通じたのかも」
「気持ち悪いこと言わないでよ」
「空を見て。ほら、月が出てる。気分直して」
 里美が肩をそびやかし、火を吐く怪獣みたいな勢いで息を吐いた。「飲み明かそう」
 里美は月には目もくれなかった。
 私は里美の代わりにもう一度、月を見上げた。
『星と月は天の穴』という小説のタイトルを思い出した。ユニークで私好みのタイトルだったので記憶に残っていたが、本は読んでいない。
 今夜の里美にとって、月はまさにただの天の穴でしかないようだ。(322頁)


 しかし、読んだことがないとは、失礼な話です。
 本作でも、いつものように、藤田にありがちな中だるみがありました。しかし、しばらく辛抱していると、また物語に入っていけました。ただし、次第に情に流される内容が、殺人事件の背景に展開していくのです。探偵物に、複雑な恋愛感情が絡んでいます。これまでの藤田の探偵物とは違い、人間の内面が描かれています。物語の中盤からは動きが少なくて、退屈します。しかし、人間関係は丁寧に描き続けていきます。
 最後は、あまり意外性がありません。きれいにまとめ上げたかったのでしょう。レコード大賞を取ったちあきなおみの「喝采」の歌が流れます。その歌詞が紹介され、そして解釈が展開していたら、くどいな、と、思ったことでしょう。しかし、歌の内容にはまったく踏み込まずに終わります。これはこれで潔くていいと思いました。
 これだけの紙数(単行本で525頁)を費やすほどの内容の小説かというと、はなはだ疑問です。だらだらと話が続いていきます。メリハリがあれば、もっと完成度が高くなったことでしょう。
 本作の中でチェックしたのは、次のフレーズ1箇所でした。

 女は、嫌なことがあると捌け口を求めるものである。心に溜まった垢を丸めて投げつける相手が必要なのだ。聞かされる方は、キャッチャーよろしく、荒れ球でも受け取ってやればいい。間違えても余計なアドバイスは吐かないことに限る。(324頁)


 これだけでは何となく寂しい気がします。しかし、途中で投げ出したり飛ばし読みしなかったので、これまでとは少し味付けが変わったといえるかと思います。【2】
 
 
初出誌:『ミステリマガジン』(2013年4月号〜2014年6月号、全15回)に連載されたものに加筆修正して刊行された。
 
 
 
posted by genjiito at 20:35| Comment(0) | □藤田通読

2020年02月17日

藤田宜永通読(37)『大雪物語』

 『大雪物語』(藤田宜永、講談社、2016年11月)を読みました。

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 前回の「藤田宜永通読(36)『ラブソングの記号学』」(2020年02月01日)に続いて、追悼の2回目となります。

 本作のキャッチコピーには、「想定外の雪が生んだ、奇跡の出会い」とあり、著者は「得がたいあの経験が、これらの物語を紡がせてくれた」と言います。さらに、「ドカ雪に閉じ込められ、雪かきに奮闘した著者が描くハートフル・ヒューマンストーリー」とか、「○●○記録的な積雪に見舞われたK町・6つの"心の記録"●○●」とも添えられています。

 この掌編集の位置づけがわかりやすいように、冒頭に置かれた「序」を引いておきます。

二〇一×年二月中旬、九州の南で発生した低気圧が発達しながら本州南岸を通過し、近畿から東北にかけ、記録的な大雪をもたらした。
 関東甲信越の至るところでも、これまでの観測記録を上回る豪雪となった。
 長野県K町も例外ではなかった。
 公式発表によると九十九センチの積雪ということだが、場所によっては一メートルを遥かに超えていて、発表を鵜呑みにした地元民はひとりもいないと言っても過言ではない。
 多くの別荘地を有し、避暑地として全国に名を馳せているK町だが、ここにもいろいろな人間が生きている。そんな人たちの暮らしに、想像だにしていなかった豪雪がちょっとした混乱をもたらした。
 出会い、再会、別れ……。ここに描かれている六つのエピソードは、思わぬ変化に遭遇した老若男女の心の"記録"である。(4頁)


 以下、各短編ごとの私見を記します。

☆「転落」
 雪に振り込められた信州の別荘地で、ひったくりを繰り返す犯罪をして逃げる31歳の若者と、一人で暮らす82歳の老婆との、見ず知らずの者の心の交流を描きます。作者は、心温まる物語にしようとしています。ただし、私には嘘が目立ちすぎて作者の苦心しか伝わってきません。老婆の気持ちが描けていません。いつものように、着地が決まりません。【1】
 
 
☆「墓掘り」
 遺体を搬送中に、大雪に閉じ込められた話です。運転手と亡くなった母とその娘。閉ざされた状況での、人間の行動と心理を描こうとします。静かな物語に、遺体を絡めて変化をつけようとするものの、これといって工夫がないので読後感は淡白です。それを狙ってなのか、思うように展開しなかったのか、雪以外に色のない物語です。遺体を運び終わってからの、男と女の物語は不発です。煩わしい人間関係になることを避けたのでしょう。【2】
 
 
☆「雪男」
 愛犬を探しに出た女子高校生が途中で道に迷い、帰宅困難になります。犬が訪れたと思われる同級生の修の家に向かいます。しかし、修とは今は冷え切っています。その理由を知りたい思いのまま、犬を探します。その途中で、今井という一人の男に助けられます。
 結局、修がなぜ冷たくするのか、その理由は語られないままです。そして、今井の家を探し当てても、そこにいた女は今井のことを、もう関係ない人だと言うだけです。2人の男が女に対して抱いている気持ちを語らないまま、描かれないままに終わります。女の状況がよく理解できていないために、対する男の気持ちも書けなかったのではないのでしょうか。
 雪に降り込められた中での物語として、表面的にはきれいな話にまとまっています。残念でした。【2】
 
 
☆「雪の華」
 大雪の中を、かつての彼女が避難するためにやってきました。男は、今は花屋をやっています。気まずさの中で、妻と一緒に元彼女は、これまた避難してきた修学旅行生のために温かい麺を作ります。2人の女を前にして、微妙な時間が流れます。その心のバランスが巧みに描かれています。人の情と人間関係が、バランスよくソフトに語られています。温かみのある物語に仕上がっています。【4】
 
 
☆「わだかまり」
 18年ぶりに姉を見つけました。自衛隊員として孤立した街の除雪活動の最中に。その姉弟の間に生まれる肉親の情愛が、温かく伝わって来ます。
 親を巡っての血縁関係の話は、あまりにも作り過ぎです。しかし、単純なだけに読み流せます。もっとおもしろい設定にできなかったのかと、心残りなままに読み終えました。
 これは、長編小説としてさらにいいものに仕上げることができます。まだ私は、すべての藤田宜永の作品を読み終えていません。この話に類する物語と、どこかで出会えそうな気がします。【4】
 
 
☆「雨だれのプレリュード」
 最初の1頁で、物語の展開と結末が見えたと思いました。その通りに進むのかどうかを確かめるようにして、読み進めることになりました。
 さすがに、思った展開ではありませんでした。恋愛話と離婚話が真ん中にデンと座り、大雪と娘が味付けをします。
 シカゴに住む別れた妻に聞かせるピアノ曲は、電話やメールを使っている2人にとって、通信でリアルタイムに届けられます。しかし、そうではなかったことから、物語の破綻を実感しました。
 心温まる世界を、ことばで築き上げながら、細かな設定で崩れたことは残念でした。これも再構築すれば、もっといい作品になります。もっとも、先月、1月30日に藤田氏は69歳で亡くなっているので、書き直しは叶わない願いとなりました。ご冥福をお祈りいたします。【2】
 
 
初出誌:『小説現代』2014年9月号、2015年3月号、6月号、9月号、12月号、2016年4月号。
追記:本作は「第51回 吉川英治文学賞」を受賞(2017.03.03)しています。
 
 
 
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2020年02月01日

藤田宜永通読(36)『ラブソングの記号学』

 一昨日1月30日に藤田宜永氏が69歳でお亡くなりになったことを知り、お別れに何か読もうと思って手にしたのが本書『ラブソングの記号学』(昭和60年8月、角川文庫)です。

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 昭和70〜80年代の歌を取り上げ、好き勝手な想いを語っているので、同じ世代の者同志が共有できるネタを通して生きた時代を振り返り、見送ろうと思ったのです。また、本書の解説を妻の小池真理子氏が書いていることも、このエッセイ集にしたことに少しは関係しています。
 しかし、あらためて再読し、あまりいい選書ではなかったと思っています。意外と中身がなかったことを知ることになったからです。作者には申し訳ないと思いながらも、そのような一人の作家と共に作品を通して楽しみ、貶して来たことを思い出すことになりました。
 それでも、逝く人に阿ることもなく、感じたままを記し留めることで、私なりの送別の気持ちを残しておきたいと思います。
 本書の中では、「優良物件案内」と題する一文だけは、おもしろく読みました。
 恋愛感情を表現する場としての恋愛空間を、たくみに歌にしたものを取り上げています。その視点がおもしろいと思います。藤田は私と同じ世代なので、引かれている歌詞がそのまま口ずさめます。
 藤田は、学生時代には歌手になろうと思っていたそうです。我々の高校時代にはグループサウンズがはやり、私も小さなバンドを作ったり、デュオをやっていました。恥ずかしながら、リードギターでボーカルをやったりもしていました。いつだったか、その時の写真をこのブログに掲載したことがあります。
 歌は、世代を超えて歌い継がれるものです。しかし、藤田や私たちが生きた昭和時代の中期は、まだ自分たちの世界を歌うものでした。「神田川」や「赤ちょうちん」はまさに私の学生時代の生活そのものです。そのことから見ると、ここに出てくる歌は、恋愛の場所を背景に持っています。そこに着目した、その切り口のみごとさに感心します。
 本書では、この節だけが光っています。総体に、演歌を初めとする情話を歌うものを扱った文章に、私はほとんど気を引かれませんでした。これは、藤田が情念の世界や、人情話を得意としない原因ともなっているように思います。男女の愛情の機微を表現するのは、当初から苦手だったのではないかと、勝手に思っています。そのために、藤田の恋愛話の作品の質が高くならないのではないかとも。
 本書でも、読み進むうちに、だんだん話に飽きてきました。藤田の作品の、特に恋愛物に多い、中盤から失速するパターンに入りました。恋愛観が薄っぺらいので、恋愛論が酒場での軽口の域を出ないのです。恋愛談議が平板です。同じことの繰り返しなので、飽きてくるのでしょう。
 そんな中で、吉行淳之介に言及する箇所が2つあります。少なからず藤田が意識していた作家だったといえるでしょう。

「『夕暮れまで』が寂しい印象を与えるのは吉行淳之介自身が『恋愛小説』の不可能をすでに知っているからではないのか」と川本三郎はあるところで書いている。
 『春の雪』(三島由紀夫)のように時代を溯らせている作劇の背景をつくり出し恋愛空間を成立させている作品は別にすると、確かにここ数年、これは、と思うような恋愛小説に出喰わさない。(42頁)
(中略)
 例えば、男女関係を描いた場合を取り上げてみても、吉行淳之介氏が二十代後半から三十代前半に書いた小説と今の三十前後の作家のものを比べてみると一目瞭然だ。吉行氏の場合は全て"私"で、しかも何度も出てくるが、今の若い作家の場合は、大半が"僕"でしかも使われる回数も少ない。これは何を意味するかというと、吉行氏の主人公は自分と自分以外の物事(女も含む)とのずれ、違和感といったものを明晰につかんでいたのだが、今の若い作家の主人公は、そういうことがつかみ切れず、右往左往しているということなのではないだろうか。これは、吉行氏が、その道のことを書かせれば右に出る者がない作家だということもさることながら、現代の男の生き様の反映だという気がする。(133頁)


 なお、船戸与一に対する藤田宜永が抱いていた親近感については、機会をあらためて『亡者たちの切り札』(祥伝社文庫、令和元年8月)を取り上げる時に触れます。
 本書には、社会の変動を扱ったネタも多く収録されています。ただし、多分に表面をなぞっただけで、深みがありません。社会現象を分析するのは、苦手なのでしょう。自分の周辺の話が社会一般に拡がらないのは、視点の狭さと切り込みの甘さからでしょう。お酒の席で無理やり聞かされる話のように感じられました。
 話が佳境に入った頃に、チャンネルが切り変わります。その切り返しがうまくないので、読んでいて爪先が突っかかる感じがします。何度か経験すると、読み進む楽しさも半減します。藤田の文章が持つそうした特徴を心得ていると、肩透かしを喰らった気分にならずに読めます。藤田宜永の作品を読むのには、こうした心得やコツがいるのです。
 亡くなった人を悼む気持ちで書く文章らしくなくなってきました。しかし、これも藤田への敬意からの追慕なので、これはこれとして許してもらいましょう。
 藤田のハードボイルドの作品は、大いに楽しめます。それだけに、恋愛もので失望する落差の理由が知りたくて、ずっと読み続けています。以下に、「藤田宜永通読」として書いてきたもののリストを揚げます。もう作品が書き継がれることがないことは残念です。それでも、こうして一度読んだ作品の読み直しは、発表された順を追うことを一つの方針として、折々に続けていくつもりです。
 以下、ご冥福をお祈りしながら。


書誌:本書に収録されたエッセイは『野性時代』に連載されたもの。


《藤田宜永通読リスト》

 (2020.2.1_までのもの35件)


「藤田宜永通読(1)『リミックス』」(2007年09月18日)

「藤田宜永通読(2)『いつかは恋を』」(2007年10月27日)

「藤田宜永通読(3)『戦力外通告』」(2007年11月22日)

「藤田宜永通読(4)『恋愛事情』」(2008年04月04日)

「藤田宜永通読(5)『喜の行列 悲の行列』」(2008年10月22日)

「藤田宜永通読(6)『恋愛不全時代の処方箋』」(2009年02月20日)

「藤田宜永通読(7)『たまゆらの愛』」(2009年09月01日)

「藤田宜永通読(8)「還暦探偵」」(2010年03月26日)

「藤田宜永通読(9)『空が割れる』」(2010年04月13日)

「藤田宜永通読(10)『老猿』」(2010年06月29日)

「藤田宜永通読(11)『愛ある追跡』は駄作です」(2011年07月08日)

「藤田宜永通読(12)『夢で逢いましょう』」(2011年11月14日)

「藤田宜永通読(13)『還暦探偵』」(2011年12月20日)

「藤田宜永通読(14)『敗者復活』」(2013年03月11日)

「藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』」(2013年08月08日)

「藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』」(2013年08月28日)

「藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』」(2013年08月31日)

「藤田宜永通読(18)『ライフ・アンド・デス』」(2014年02月06日)

「藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?」(2014年07月02日)

「藤田宜永通読(20)『孤独の絆』」(2014年07月03日)

「藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』」(2014年09月23日)

「藤田宜永通読(22)『モダン東京3 哀しき偶然』」(2015年02月09日)

「藤田宜永通読(23)『ダブル・スチール』」(2015年08月18日)

「藤田宜永通読(24)藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』」(2015年10月06日)

「藤田宜永通読(25)『探偵・竹花 再会の街』」(2015年12月17日)

「藤田宜永通読(26)『血の弔旗』」(2016年01月12日)

「藤田宜永通読(27)『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』」(2016年03月07日)

「藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』」(2016年06月14日)

「藤田宜永通読(29)藤田宜永『タイホされたし度胸なし』」(2017年08月14日)

「藤田宜永通読(30)『女系の教科書』」(2018年08月06日)

「藤田宜永通読(31)『彼女の恐喝 Blackmail』」(2018年11月23日)

「藤田宜永通読(32)『モダン東京1 蒼ざめた街』」(2019年01月10日)

「藤田宜永通読(33)『モダン東京4 堕ちたイカロス』」(2019年04月25日)

「藤田宜永通読(34)『銀座 千と一の物語』」(2019年09月27日)

「藤田宜永通読(35)藤田宜永『ボディ・ピアスの少女』」(2020年01月11日)

 
 
 
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2020年01月11日

藤田宜永通読(35)『ボディ・ピアスの少女』

『長編ハード・ボイルド 探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女』(藤田宜永、光文社文庫、1996年4月)を読みました。

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 ある夜、竹花は家出少女を助けることから始まります。テンポのいい始まりです。
 話は、かつて私が住んでいた江東区の門前仲町辺りが主な舞台となっています。東京に住んでいた頃はこの町に9年間いました。物語に自分が知っている場所が出てくると、何となくその舞台の中にのめり込みます。話が具体的な場所を背景にして、イメージできるからでしょう。
 文部大臣や代議士が犯罪の匂いの中で出てきます。作者はこれをどう料理するのか、興味を持って読み進みました。しかし、これはネタの1つに過ぎず、何も関係ないままに収束したのは残念でした。
 鼻と唇にピアスをした夏子は、その魅力が描き出されないままに終わります。これも、残念でした。
 殺人事件、秘密、謎、それぞれが投げ出されたままで展開していきます。読んでいて、インパクト以前に話のつながりがつかめません。盛り上がりにも欠けます。最後に、つじつま合わせで、成り行きの解説が長々とあるものの、それまでの長い時間は読者をほったらかしにしていたので、冷ややかに読むしかありません。最後にまとめてある事件の推察は、それまでの物語の中に散らし、全体的にもっと根拠のある推理を展開すべきでした。想像に推測を加えた推理では、根拠が薄弱で嘘話が拡散するだけで、読後に落胆します。藤田の作品は、後半の3分の1は読み飛ばしても大丈夫です。このあたりは、構想の段階で詰めておくべきです。【1】

 書誌:本書は1992年12月に双葉社より刊行されたものを文庫化したものです。
 
 
 
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2019年09月27日

藤田宜永通読(34)『銀座 千と一の物語』

 『銀座 千と一の物語』(藤田宜永、文春文庫、2017年1月)を読みました。

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 古き良き時代を思い出しながら、銀座の今昔を背景にしてショートストーリーがつづられていきます。個包装の小さなビスケット33個を、1つづつ口に入れた感じがしました。薄味で、少し粉っぽさが残る食感です。

 2年半前までは、私も銀座は日常的にブラブラしていたので、いくつかのお店や路地などが懐かしい映像として立ち現われて来ました。ただし、私はそれぞれのお店の方との交流はなかったし、取材をしたこともないので、ここに語られている人と人とのコミュニケーションを大いに楽しみました。小話も、適度に整理されていて、読み進むのが楽しい一冊でした。もっとも、語り手が情に流されて話が閉じられるので、ワンパターンの感触が残ります。
 間に添えてある白黒写真は、現代を語る話なのでカラーが良かったと思います。
 並んでいる短編は、いずれも口当たりのいい、オシャレで粋な、昔を回想する話です。うまくまとめてあるだけに、作り話としての嘘臭さが読んだ後に邪魔をします。銀座を舞台にすると、お酒が絡むことも多くなり、なかなか自然な物語は紡ぎ出せないようです。
 第17話「大嘘つきの秘話」に、私が好きな吉行淳之介が通っていたという『まり花』というバーの話が出てきます。リクルート本社の裏の道の雑居ビルの地下です。壁にはボタンの花が描かれた絵が飾られています。写真も掲載されています。いわゆる文壇バーです。今も営業をしているようなので、機会を得て確かめたいと思います。
 登場人物が『源氏物語』の勉強をしていたことが書かれています。

「 両親の影響だろう、私も本が好きで、結局は大学では日本文学を学び、今は母校で教鞭を執っている。専門は源氏物語である。」(218頁)

「あまり人には話してないんですけど、私、ここに入る前、学校に残って源氏物語の研究をしていました」(224頁)

「編集長もね、源氏物語の研究をしてたことがあったそうだよ」(225頁)


 しかし、『源氏物語』の勉強をしていたということは、内容とはまったく関わりません。味付けを変えたかったのでしょうか。『源氏物語』が添え物のパセリのように使われています。これも、『源氏物語』の受容の一例としておきましょう。
 巻末に、取材撮影協力者の名前が列記されています。いくつか行ったところがあります。掲載された『銀座百点』も、お店でもらっては時々読んでいました。巻末の取材地図を見ながら、私もまた、ブラブラと歩いてみたくなりました。【3】
 
初出誌︰『銀座百点』2011年4月号〜2013年12月号
・2014年3月に文芸春秋社から単行本として刊行。
 
 
 
posted by genjiito at 19:28| Comment(0) | □藤田通読

2019年04月25日

藤田宜永通読(33)『モダン東京4 堕ちたイカロス』

 『モダン東京4 堕ちたイカロス』(藤田宜永、2002年3月、小学館文庫)を読みました。

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 昭和9年、東京を舞台とする的矢健太郎探偵が活躍する話です。
 時は、飛行機がブームとなった時代。飛行機をテーマにしているものの、いかにも調べた知識で書いたという作品です。

 まず、校正が甘い文庫本であることが気になりました。ほんの一例を。
 「後を追ううにして切れた。」(54頁)は「後を追うようにして切れた。」でしょうか。
 「ドイレ」は「トイレ」(309頁)です。
 その他、誤字・衍字と思われるものが散見します。発行元の校正者の見落としでしょうか。集英社文庫、朝日新聞社単行本に続いて3回目の印刷です。二番煎じ三番煎じ(?)なので、校正業務にも熱が入らなかったこともあり、気が緩んだのでしょう。

 新宿中村屋が出てきます。ライス・カレーはさておき、昭和8年に発売された「ピロシキ」を食べる場面を語ってほしかったのですが……。
 藤田宜永の作品を読んでいて、不満に思うことがしばしばあります。昭和初期の満州やインドに関する記述があっても、まったく知らないで書いたとしか思えないほどに国名を出してなぞるだけなのです。もっと調べて、物語の内容に組み込んだらいいのにと、いつも思っています。日本との歴史と異文化交流に興味がないようなので、残念なことです。話にもっと膨らみと深みが出てくるはずなのです。

 さて、扇原飛行機製作所の企業秘密を巡って、いくつかの殺人事件が起きます。その解明に向けて、的矢は奔走します。
 しかし、緩みっぱなしの語り口と展開で、ダラダラと話が流れていきます。その原因は、人間関係の結びつきが弱く、磁力の弱い磁石のような関係でしか描けなかったからだと思います。人と人との緊張感がないので、行動の必然性もなくて話が締まらないのです。女性の描写が、あいかわらず精彩を欠いています。これは、人物設定のミスマッチと、その行動力のなさから来るものだと思っています。

 警察を敵に回して、丁々発止のやり取りをするあたりから、物語の口調にキレが出ます。最後になって、やっと盛り上がりを意図したと思われる話となるのは、藤田宜永のいつもの特徴です。マラソンで、最後に競技場に入ってから、観客の視線を意識して途端に必至の形相で走るランナーに似ています。

 そんな中で、帝大の優等生の例は、それを言う意図がよくわかりません。
 「野々村は冷静だった。帝大以外は学校ではないと思っている優等生が、警官になった。そんな臭いがプンプン臭っていた。」(274頁)

 さらには、飛行機製作所と軍部との関係を詰めてほしい所でした。甘いのです。
 飛行機を愛する男たちのドラマは、夢を強調して終わります。しかし、私にはそれは夢だと言うほどのもののようには思えません。昭和8年、9年の社会の激動と、若者の生き様を描かないと作り物に脱したままになります。あまりにも中途半端なままで終わりました。

 あまり貶してばかりもいけません。作者は、いい作品も書いているからです。昭和8年という時代を描くために、いろいろと小細工をしていることは楽しめました。それだけに、もっと調べてから書くべきでした。それは、この的矢健太郎シリーズ全体を通して言えることです。【1】

※書誌情報:集英社文庫(1989年7月、書き下ろし)、朝日新聞社(1996年7月、単行本)
 
 
 
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2019年01月10日

藤田宜永通読(32)『モダン東京1 蒼ざめた街』

 『モダン東京1 蒼ざめた街』(藤田宜永、小学館文庫、2001年11月)を読みました。

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 昭和5年12月の東京銀座で物語が始まります。
 満洲帰りの柳生三郎を探し出してくれと、怪美人の堀越奈々子がアメリカ帰りの的矢健太郎秘密探偵事務所に来ました。的矢は、深川生まれの深川育ちです。作中に門前仲町が時折出てきます。かつて私が8年間住んでいた地域なので、懐かしさを感じながら読みました。
 人間関係の縺れ具合が、複雑に綯い交ぜになって行きます。この点は、その巧拙はともかく、藤田の技巧的な話の作り方です。
 挿絵画家の名前として、高畠華宵と鮎貝華人の名前が出ます(文庫版、70頁)。そして、実業之日本社の石山という人が原稿を受け取りに来ます(99頁)。池田亀鑑のことを調べていた時に、高畠や実業之日本社のことを調査したので、これらの人物が事実と符合するのか興味があります。
 また、「再来年のオリンピックに出場してもいいくらいのスピードで逃げ切ったよ。」(128頁)とあります。昭和初期に東京市で開催される予定だった第12回夏季オリンピックは、1940年(昭和15年、皇紀2600年)です。ただし、これは支那事変のために中止となりました。ここで、昭和5年時点から「再来年」とあることとどう関係するのか、時代背景に疑問が残ります。
 次の引用文は、手紙がバラバラに千切られてゴミ箱に捨てられていたものを復元した場面です。男の漢字交じりの文はすぐに元どおりにできました。しかし、女の手紙は手間取ったというのです。一字一音を表記する、平仮名が持つ特性がよくわかる例となっています。

 添衛門とふたりで、もう一通の手紙の復元に取りかかる。こちらのほうにはことの外時間がかかった。
 女からの手紙で、例の件で至急お会いしたい、とあった。そして、待ち合わせの時と場所が記されていた。短い手紙だが判読に時間がかかったのは、ほとんど平仮名で書かれていたからである。(145頁)


 昭和5年当時の日常生活における、通信環境がよくわかる場面も出てきます。

「用があったら、電話……。あんたのとこには電話はあるか」
「そんなもんありゃしませんよ」
「じゃ、なにかあったら電報を打つよ。さあ、家まで送ろう」(146頁)


 私が16歳だった高校一年生の頃(昭和45年)と変わりません。もっとも、40年の時の開きに少し疑問が残りますが。
 と、ここまでは昭和レトロを探しながら読み進んで来ました。昭和初期の社会や文化を楽しみながら、的矢探偵の推理と活劇を期待していたので、上記のようなことに気が留まりました。
 しかし、これから後の3分の2がおもしろくありません。肝心の物語の中身が、私には興ざめでした。そのため、残り半分以上を読み飛ばすことになりました。藤田宜永の作品は、こうしたことがよくあるのです。どの辺りまでまじめに楽しんで読み、それからはとにかく流して最後まで付き合うか、という思案のしどころがあります。今回は3分の1でその流し読みの決断をしました。【1】
 
 
 
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2018年11月23日

藤田宜永通読(31)『彼女の恐喝 Blackmail』

 藤田宜永の『彼女の恐喝 Blackmail』(2018年7月、実業之日本社)を読みました。

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 通読し終えて、犯罪を犯す者に罪悪感が希薄な設定に物足りなさを感じました。恐喝に殺人、そして別人への成りすましなどなど、成り行きで実行されます。人間への切り込みが浅いのは、人間を見つめる鋭さと深さに欠けるせいです。特に、男と女の心理の読み合いには、スナックでのおもしろおかしい痴話の域を出ていません。
 相変わらず、藤田宜永は書き出しが粗雑です。第2章「国枝悟郎の秘密」からおもしろくなるので、お急ぎの方は「プロローグ」を読んだら、第1章の109頁分は読み飛ばしてもいいかと思います。
 なお、第3章「下岡文枝の疑い」は、登場人物が整理されないままに話が展開し、収束します。これは読者に対して、あまりにも不親切です。再度ストーリーを整理して改編したら、もっとおもしろい話になりそうです。
 藤田宜永については、初期の犯罪小説や冒険小説がおもしろかったので、以来この藤田作品を追っています。不慣れな恋愛小説で低迷した後、今は気抜けしたおじさんの話と共に、若かりし頃のパワーが少し感じられる作品が産み出されようとしています。読み続けることで、一人の作家の変転を見つめて行きたいと思っています。こんな小説の読み方があっても、いいのではないでしょうか。【2】

 [memo]嫌な人をやり過ごす会話の手法
 「さ、し、す、せ、そ 理論」
 「さあね」「しらない」「すてき」「せっかくだから」「そうね」を繰り返すこと。(21頁)
 
 
 
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2018年08月06日

藤田宜永通読(30)『女系の教科書』

 『女系の教科書』(藤田宜永、2017年5月、講談社)を読みました。

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 〈女系もの〉のシリーズ化ということでは第2作です。第1作の『女系の総督』については、「藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?」(2014年07月02日)に書いています。それを受けての本作は、もう第3作は不要という結論を私は出しました。ただし、この作者については、私なりによさを知っているつもりなので、これから一体どうするのだろうかという興味で、第3作が出れば読んでみたいと思います。出なければ出ないのが自然でしょうが。

 出版社を定年退職した森川崇徳は、カルチャーセンターで文芸講座の講師をしています。
 私と同い年なので、その背景がわかりやすいのです。そして、昨年までいた門前仲町が主人公の住まいとなれば、もう読まざるを得ません。
 何でもない日々の中で起きるさざ波のような出来事を、「物語」というよりも軽い「読み物」にしています。さらりとした風味です。
 後半で、小百合の三角関係に過去の男が闖入しての恋愛話が興味を惹きます。しかし、それも主人公である崇徳の女性との話が背景で回っているだけで、特に盛り上がることはありません。
 とりとめもない恋愛感情をちりばめた物語です。何気ない家族の話から、人間の生き様を描こうとしています。日常の小さな連鎖から、人生の何たるかを語ろうとしているのです。新しい物語の境地を探し求める、作者の迷いの姿勢が垣間見えます。
 認知症がかかった母親の延命処置についてのくだりは、現在高校の看護コースの生徒に教えている関係で、その成り行きを興味深く読みました。残念ながら問題は先送りで、話題にしただけ、というものに終わります。せっかく母の日記を探し出したのですから、ここはもっと突っ込んだらよかったのに、と思いました。軽くあしらう筆致を守るために、あえてそうしなかったのかもしれません。
 それにしても、長く読んできている藤田宜永の作品は、今や読み流すだけのものとなりました。年々軽い文章になっているので、内容に惹かれて読み入ることはなくなりました。老人の無駄話に付き合っている感覚です。早々と作家を退職した人の、日々の雑録を読まされている気分です。
 これまでの読者としての付き合いがあるので読むのであって、お金を払ってまで読む作家からは外れて来ています。最近の藤田作品は、これからどうするのだろう、という興味で読み続けています。まさに、藤田宜永はウォッチングの対象となりました。【2】


初出誌:「IN★POCKET」2015年7月号〜2016年1月号
 
 
 
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2017年08月14日

藤田宜永通読(29)藤田宜永『タイホされたし度胸なし』

 『タイホされたし度胸なし』(藤田宜永、光文社文庫、2002.7.20)を読みました。

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 文庫本の帯には、「軽みのなかに深まる謎。人間心理を衝いた快作。」とあります。
 あまりにも軽い話に終始するので、つい読み飛ばしてしまいました。ただし、登場人物の設定はユニークです。藤田の初期には、こうしたフッと気を抜いたものがあります。今回は藤田作品を読み直しているので、2回目となります。しかし、この内容はまったく記憶にありませんでした。エピソードすら何も覚えていなかったので、前回も軽く読み流したのでしょう。
 藤田の持ち味の一つとして、軽妙と言えば聞こえはいいものの、読者としては気の張らないだらだらと読める物語があります。現実離れした、おもしろおかしい作り話で、肩の張らない作品です。それでいて、推理小説らしく筋道は辿れるようになっています。
 人間の心理を何とか描き出そうとしています。その読後感は、吉本新喜劇を見終わった時によく似ています。その作り話の中に、少しだけ謎解きが盛り込まれているのです。
 藤田の気ままなお遊びに付き合わされた、と言うのが読み終わっての実感です。明るさが取り柄と言えばいいのでしょうか。【1】

 本書は「長編ユーモア謎解きミステリー」という分野に属し、藤田宜永が1988年に講談社ノベルスから刊行し、その後に光文社文庫に収録されたものです。
 これまでに本ブログで取り上げた藤田宜永の初期作品で、本作『タイホされたし度胸なし』までのものは次のとおりです。

1986年10月「藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』」(2013年08月08日)

1987年4月「藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』」(2013年08月28日)

1987年5月「藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』」(2013年08月31日)

1988年1月「藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』」(2014年09月23日)
   6月「藤田宜永通読(22)『モダン東京3 哀しき偶然』」(2015年02月09日)
   8月「藤田宜永通読(23)『ダブル・スチール』」(2015年08月18日)
   9月「藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』」(2016年06月14日)

 
 
 
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2016年06月14日

藤田宜永通読(28)藤田宜永『呪いの鈴殺人事件』

 藤田宜永の『呪いの鈴殺人事件』(光文社文庫、2001年8月)は、1988年に刊行された『怨霊症候群』(中央公論社Cノベルス)を、13年後に改題して再刊したものです。


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 著者自身が「文庫版に際して」で、「ハードボイルドから出発し、今は恋愛小説ばかり書いている僕の、唯一のナンセンス・ホラーです。」(306頁)と言う作品です。

 奇想天外な話が展開します。著者が真剣に取り組んだと言う通り、おもしろおかしく楽しみながら物語っていることがわかります。

 妖術師と称する大方総八郎(別名おおかたそうやろう)が、惚けたいい味を出しています。

 病院で起こる、怨霊や呪いにまつわる殺人事件が、この物語を突き動かしていきます。主人公である横島誠は、そこの院長なのです。頼りないことこの上ないのですが……

 ナンセンス物であり、ユーモア物なので、無粋なコメントを書くことは控えましょう。

 本作は、ノリのいい軽妙な作品です。陰陽師をはじめとして、日本の歴史を取り込むのも、味付けとしていいと思いました。

 藤田宜永の恋愛物は、読むに堪えないものの勢ぞろいなのでいただけません。得意のハードボイルド物に加えて、ぜひとも今後は、このようなナンセンス物にもっと挑戦してほしい、と思うようになりました。【3】
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2016年03月07日

藤田宜永通読(27)『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』

 『探偵・竹花 帰り来ぬ青春』(双葉社、2015.1.25)を読み出してから、これはもう読んだ作品ではないかと思いました。冒頭部における別荘地の雪道でタイヤが空回りする話です。しかし、しだいに初めての話であることがわかり、別の作品で読んだものを思い起こしたようだと気づきました。
 藤田宜永の作品では、よくあることです。


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 開巻早々、懐メロのスタンダードとしてシャーリー・バッシーの『帰り来ぬ青春』が出てきます。これには、「若かりし頃の、無謀な生活を述懐する内容の歌である。」(22頁)と説明されます。
 この曲名が、本作の題名ともなっているので、あまりのネタバレに拍子抜けしました。そうでないことを祈りつつ、読み進みました。

 手記や日記に関して、おもしろいことが書かれています。


 書かれたものが真実を伝えているとは言えない。そんなことを或る哲学者がどこかに書いていた。それは遺書の場合にも当てはまる。手記や日記に、事実は書けても、真実は認められないものだ。野球選手が難しい球をホームランできた時、「自然にバットが出た」と言うことが多い。後でそのビデオを見た時にはどうしてホームランになったか説明できるだろうが。手記や日記は、後になって見たビデオを見た時の説明に似ている。そういう意味で書かれたものは嘘なのだ。遺書も手記の一種である。(67頁)


 首吊り自殺と拳銃の暴発という事故死が、話を複雑にしていきます。さらに、そこに化石が絡んできます。わからないことだらけの展開に、読者は引きずり回されることになります。

 話が八丁堀や明石町を、舞台にするようになると、私の生活圏であることもあって俄然のめり込みます。

 最後まで犯人の見当がつかないのがいいと思います。
 探偵竹花に、楽しい時間を付き合わされました。

 相変わらず、女性が描けていません。しかし、男たちの友情はしっかりと伝わってきました。

 話の構成と展開がおもしろかったので、また藤田宜永の作品を読もう、と思わせます。【4】

※初出誌︰『小説推理』2013年6月号〜2014年6月号
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2016年01月12日

藤田宜永通読(26)『血の弔旗』

 藤田宜永『血の弔旗』(2015年7月、講談社)を読みました。580頁の大作です。


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 藤田の作品は、『鋼鉄の騎士』(1994年)で日本推理作家協会賞と日本冒険小説協会特別賞を受賞した頃が最盛期でした。『樹下の想い』(1997年)(講談社)あたりから恋愛小説に転身し、『求愛』(1998年)で島清恋愛文学賞を、『愛の領分』(2001年)で直木賞を受賞してからの作風は、私の好みではありません。

 特に最近の作品は、最初と終盤はおもしろいのです。しかし、中盤に中弛みがあり、最後にがっかりすることが多くなりました。
 今回も、出だしの事件発生から快調なので、この調子で退屈にならないように、と祈りながら読み進みました。
 読み終えた今、若い頃の筆の力と物語展開の妙が復活し、さらにパワーアップしたように思っています。

 原島勇平は、昭和初年に満州に渡り、関東軍司令部ともつながっていた大陸浪人でした(12頁)。戦後は金融業の資産家となっています。
 主人公根津賢治は、この勇平の運転手で、大金をまんまと強奪したのです。
 勇平の執事である野上宗助は、満州からの引き上げてきた者です。(79頁)
 現在、私は船戸与一の『満州国演義(全9巻)』を読み進めているところなので、この満州を背景に持つ人物の動向に気をつけていました。しかし、本作ではそのことは何も物語展開に関わらないままでした。昭和初期から戦後へと、社会的な背景に絶妙の味付けができるネタが活かされず、もったいないと思っています。

 この小説は、犯人と犯行の手口は最初に語られています。いかに警察から逃げられるか、ということろが読みどころなのです。この点では、最後まで読者を引きつけて語り進めることとなり、最初の心配が杞憂に終わりほっとしました。
 犯罪者の心理が巧みに炙り出されているからです。

 物語展開の背景に、映画、流行歌などの作品名や出来事を配して、最後まで読ませる工夫がなされています。
 映画は『007危機一髪』『ゴールドフィンガー』、歌謡曲は「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「柳ケ瀬ブルース」に始まり、『コント55号!裏番組をブッとばせ!!』『昭和残侠伝』『スパイ大作戦』『大脱走』「ルビーの指環」「いとしのエリー」「骨まで愛して」などなど。
 作者と同世代の私にとっては、自分のこれまでを重ね合わせながら、世相とともに楽しく読めました。
 昭和という時代を、うまく掬い取って物語の中に溶け込ませています。風俗史の資料ともなっています。

 そうした中で、日本現代史を研究する大学院生が登場し、話はさらにおもしろい展開となります。

 後半になっても、筆力は衰えません。
 時効が問題になったところで、犯人像が見えてきました。しかし、物語はさらにおもしろさを加速します。
 そして、鮮やかな着地を見せてくれました。

 藤田の作品には、中弛みと最後の失速がありがちです。しかし、本作はこれまでとは格段に違う、完成度の高さを見せています。
 何よりも、主人公をはじめとして、登場する一人一人が生き生きと描かれています。そして、第三章からは特に、人間の醜さ以上に、人間のすばらしさが刻まれていくのです。
 約束破りのどんでん返しがないのも、現実味のある物語展開にも、素直に受け入れられました。
 これまでの藤田宜永とは違う、若き日の藤田の良さをさらに大きくした、人間を見据えた小説家の姿を見ることができました。

 本の帯に次のように書かれています。


戦後70年 ─ 犯罪小説はもう一つの戦後文学になった。
1944年から1981年へ。ある犯罪者が駆け抜けた「昭和」とは。


 終始犯人の視点で語られています。いつ誰が犯罪の背景を暴くのか、手に汗握って読みました。
 ただし、『血の弔旗』という題名は損をしています。これでは、負のイメージが勝ち過ぎるので、書店の本棚から手に取ってもらえないでしょう。このままでは、内容がいいだけに、多くの読者を得られずに終わります。再検討すべきです。
 また、表紙と章の扉絵の犬があまりにも稚拙な絵なので、本作のイメージを壊しています。
 改題され、挿絵がなくなった時に、私は本作を多くの方に薦めたいと思います。【5】

 初出誌︰『小説現代』2012年11月号〜14年1月号
posted by genjiito at 21:35| Comment(0) | □藤田通読

2015年12月17日

藤田宜永通読(25)『探偵・竹花 再会の街』

 探偵・竹花シリーズの第3弾です。


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 このシリーズは、次のラインナップとなっています。
 (3)が本日の記事、(4)と(5)がこのブログで取り上げた記事です。

(1)探偵・竹花とボディ・ピアスの少女(1992年12月 双葉社)
  【改題】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(1996年4月 光文社文庫)
(2)探偵・竹花 失踪調査(1994年4月 光文社 / 1998年7月 光文社文庫 / 2012年2月 ハルキ文庫)
(3)【本記事】探偵・竹花 再会の街(2012年2月 角川春樹事務所 / 2015年5月 ハルキ文庫)
(4)探偵・竹花 孤独の絆(2013年2月 文藝春秋 / 2015年8月 文春文庫)(2014年07月03日)
(5)探偵・竹花 潜入調査(2013年10月 光文社)(2015年10月06日)
(6)探偵・竹花 帰り来ぬ青春(2015年1月 双葉社)

 開巻早々、誘拐犯との乱闘シーンに引き込まれます。そして、おもむろに登場人物や状況が語られます。
 このテンポのよさが藤田作品の特色です。

 ただし、登場人物が多彩すぎる上に各人物の特色が見定め難いため、話になかなか集中できません。

 さらに、中盤からは話がだらだらと引き延ばされるだけです。
 前半のおもしろさが持続せず、駄弁による水増し小説と化してしまいました。

 後はお決まりの、事件とドタバタ劇に関する辻褄合わせの回想談となります。
 作者は、必死に話を盛り上げようとしています。しかし、時すでに遅し。
 読者である私は、さっさと読み終わって本をしまうことしか考えていません。

 藤田宜永の探偵小説も、これは最低ラインを下った残滓となっています。
 1992年の『探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女』から1994年の『失踪調査』を経て、この第3弾は20年ぶりの再会編でした。その意味では記念すべき作品なのに残念です。
 この前後の話は、またの機会としましょう。【1】
 
 
※『探偵・竹花 再会の街』(2012年2月、角川春樹事務所)
posted by genjiito at 21:37| Comment(0) | □藤田通読

2015年10月06日

藤田宜永通読(24)藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』

 藤田宜永『探偵・竹花 潜入調査』(光文社、2013.10)を読みました。


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 短編4本を収録しています。前半の2編の評価はともかく、最後の「潜入調査」はいいと思いました。

■「ピンク色の霊安室」
 テンポよく、読者を引き付けながら話が展開します。ニューハーフをめぐる、おもしろい話です。
 ただし、犯人が明かされる場面が、それまでの流れのように勢いがありません。また、最後のまとめかたも、いつものように平凡すぎて話が流れてしまっています。この作者の課題です。【2】
 
初出誌:『宝石 ザ ミステリー』(2011年)
 
 
■「タワーは語る」
 盗聴器が話題になる話なので、その展開を興味を持って期待しました。しかし、後半が肩透かしです。失速して着地に失敗したのが残念です。【1】
 
初出誌:『小説宝石 十月号』(2012年)
 
 
■「あの人は誰?」
 人間が持つ過去に拘る中で、さまざまなつながりが解されていきます。軽快な語り口で、久しぶりに軽めの藤田ワールドを味わえました。人の心に踏み込まない、人間関係と人の温かさが、いい雰囲気を醸し出しています。【4】
 
初出誌:『宝石 ザ ミステリー』(2012年)
 
 
■「潜入調査」
 物語の背景に、昭和という時代を回顧するイメージが明滅します。作者が私と同じ歳なので、話題が共有できて2倍楽しめました。
 探偵という職業がうまく描かれています。主人公である竹花は、人の心に潜入するのがうまい探偵です。回想が巧みにちりばめられた、完成度の高い作品に仕上がりました。【4】
 
初出誌:『小説宝石 九月号』(2013年)
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2015年08月18日

藤田宜永通読(23)『ダブル・スチール』

 藤田宜永の『ダブル・スチール』(1995年7月、光文社文庫)は、長編ハードボイルドとされる作品です。かつて読んだ本を取り出してきて通読しました。ワンシーンとして、まったく話を覚えていないのは、私の注意力が散漫だったのか、この分野の小説が持つ特徴なのか、こうした読み直しをする中でわかるのかもしれません。今は、読み捨てされる性格の分野の小説だから、ということにしておきます。


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 パリを舞台にした、ヤクザの世界が荒々しく活写される中で、殴る蹴るの場面や、銃弾が炸裂します。体言止めの文章が各所に見られ、テンポよく活劇が展開します。

 主人公は本多陽一郎。渾名はヨヨで47歳。オペラ座近くに日本料理店「スバル」を経営しています。ただし、これは仮の姿です。

 本多の相棒は、3つ若いサティ。
 仲間のルイジが殺されたことで、ボスのコロンボやその手下たちに疑念を抱きます。誰が内通しているのか、謎解きがアクションドラマに絡んで展開します。

 パリを知り尽くした作者だけに、街中を自在に移動し、郊外へも案内してもらえます。生活感のある描写は、人物を活き活きと立ち回らせているのです。藤田宜永の筆が冴えわたるところです。

 本作では、ヤクザの抗争と野球への思い入れが、共におもしろく展開するものの、うまく絡み合っていないように感じました。
 2つの話は、共に読み応えのある力作と言えます。しかし、その2つがバラバラなのです。うまく1つの話として絡み合いません。その間をつなぐ女性の役割も描写も、中途半端です。

 特に野球に関しては、無理に手荒な男の世界に取り込もうとするところが気になりました。
 野球の八百長という話題も、発表当時はともかく、今では色褪せていて背景で主人公を突き動かす原動力としては読めません。その八百長に関連して点描される元妻も、その存在が曖昧です。

 藤田宜永が描く女性に、私は興味を持っています。後に恋愛小説に手を染めます。しかし、それが純愛を求めたこともあり、ことごとく失敗するのは、こうした初期の描写に胚胎しているように思っています。この点は、この「藤田宜永通読」を通して考えていきます。

 それでも話はおもしろいので、藤田の作品は一気に読めます。本作も、まさに作者が書名にしたダブルスチールの意図とは別の意味で、2つの話題が織りなすダブルスチールは成功します。ただし、得点には結び付かなかった、と言えるでしょう。

 最後のドラマチックな終わり方は、藤田宜永が初期に示した、切れ味のよさを代表するものです。【3】

※参考書誌情報
 1988年8月 角川文庫/1995年7月 光文社文庫
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2015年02月09日

藤田宜永通読(22)『モダン東京3 哀しき偶然』

 『モダン東京3 哀しき偶然』(2002年1月、小学館文庫)は、探偵・的矢健太郎シリーズの第3集です。
 本作は『モダン東京小夜曲』(1988年6月 集英社文庫、1996年9月 朝日新聞社)として刊行された作品を『哀しき偶然』と改題し、モダン東京シリーズの第3作とされるものです。


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 すでに「藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』」(2014年09月23日)に書いたように、モダン東京・探偵的矢健太郎シリーズの第1作は『蒼ざめた街』(1996年7月 朝日新聞社、2000年11月 小学館文庫)とされています。それは、『蒼ざめた街』が『モダン東京3 哀しき偶然』よりも8年後に刊行されたにもかかわらず、その時代設定が前作の『美しき屍』よりも古いことによります。あくまでも、作品内を流れる時間順に、シリーズの順番をつけただけのことですが。

 『モダン東京2 美しき屍』は、昭和5・6年の東京を舞台とするものでした。本作『モダン東京3 哀しき偶然』は、昭和7年を背景にして語られます。
 満州をその背景に置くのは、この時代を感じさせるものにしたかったからでしょう。ただし、それは成功していません。最後まで、満州ネタは消化不良のままです。物語展開にうまく絡めることができなかったのは、非常に惜しいことでした。

 アメリカで探偵の助手をして帰国した的矢健太郎は、秘密探偵として昭和初期の東京の街を愛車シトロエンで調査に犯人探しにと走り回ります。
 そのシトロエンで軽快に幕開けです。

 本作も25章立てという、細かい小見出しが付されています。テンポよく展開する証です。
 会話のテンポもいいのは、初期の藤田作品の特徴です。

 開巻早々、渋谷の古びた屋敷に少年ギャング団が窃盗に入ります。この場面を読み進みながら、それが昭和初期ではなくて、私には現在の平成日本の空き家事情に連想が結びつきました。
 今、空き家が全国的に増え、地方に限らず都会の廃屋にも盗みに入る族が多くなったそうです。そうした最近のニュースを思い出し、時を隔てて二重写しになったのです。80年以上も前と今がイメージとして結びつくのは、何か共通する要素がありそうです。が、今は措いておきます。

 物語は殺人事件へと展開し、探偵・的矢健太郎の動きが活発になります。昭和になったばかりの時代を背負って動き回る探偵の姿は、おもしろい進展の中で活写されます。欲を言えば、もっと土ぼこりが立ち上がる描写があればよかったのに、と思います。

 昭和初期の渋谷、六本木、銀座、神楽坂、大森などの様子が描かれます。ただし、調べた知識に留まっていて、生活実感が盛り込まれていないのが残念です。昭和初年を今に実感を伴って語り伝えるためには、生活感と土ぼこりは必須です。

 それでも、東京を愛車で移動する時に、地名や目印となる建物名が列記されると、昭和7年の首都東京を眼前に再現できそうで、タイムスリップの擬似体験が味わえます。このあたりは、藤田宜永の筆は精緻に描いていきます。

 事件の背景が見えてくるにしたがって、さらにテンポがよくなり加速します。藤田ワールドです。

 渋谷や銀座や大森の話になると、私自身が生活体験があり知っている場所なので、つい惹かれて読むスピードが上がります。

 ただし、最後のシーンは強引な幕引きと言わざるをえません。無理をし過ぎです。藤田の最後の詰めの甘さが、この初期の作品からあったことを実感しました。読者としては、最後にそれではがっかりです。乱暴です。もっと丁寧に話を納めてほしいものです。

 そうであっても、本作でも登場人物たちの、それも男の純粋な想いは伝わってきました。男の心が描けるところが、藤田宜永の一番いいところです。ただし、恋愛感情に関しては、あまり評価をしません。
 くどいようですが、素材の未消化は今後の作品に生かされることになる、という期待として残しておくことにします。【2】

 なお、この作品の舞台を歩いた東京紅團の「藤田宜永のモダン東京「哀しき偶然」を歩く 初版2002年6月29日 V01L03」は、本作の背景をリアルに炙り出してくれます。読後にこのサイトを拝見し、いろいろとイメージが豊かになりました。楽しい現代の文学散歩ができました。貴重な報告を、ありがとうございました。
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2014年09月23日

藤田宜永通読(21)『モダン東京2 美しき屍』

 『モダン東京2 美しき屍』(2001年12月、小学館文庫)は、探偵・的矢健太郎シリーズの第2集です。


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 書誌に関して、本書巻末の「本書のプロフィール」には、「この作品は一九八九年七月、集英社文庫書き下ろしとして刊行された後、朝日新聞社より一九九六年七月、単行本として刊行されたものです。」とあります。
 しかし、ウィキペディアには、「1988年1月 集英社文庫 / 1996年8月 朝日新聞社 / 【改題】『美しき屍』2001年12月 小学館文庫」とあります。
 刊行年月が異なる点については、後日再確認します。

 的矢健太郎シリーズの第1集は『蒼ざめた街』(1996年7月 朝日新聞社 / 2000年11月 小学館文庫)とされています。ただし、これは『美しき屍』よりも古い時代を描いているために第1集となるだけです。実質的には本作『モダン東京2 美しき屍』が的矢健太郎に関する第1作となります。

 アメリカ帰りの的矢健太郎は、秘密探偵としてシトロエンに乗って昭和初期の東京の街を走り回ります。軽快に幕開けです。

 ただし、昭和初期の雰囲気はいまいちです。話が高輪、白金台あたりから展開していくのはオシャレです。それでいて、銀座や新宿の昭和初期の様子が、取って付けたように粗削りです。テンポのよさにごまかされているのでいいのですが……。

 23の小節に小分けされて全体が構成されています。次々と話が展開するスピード感は、こうした小刻みに幕が上げ下ろしされる仕掛けによるものです。

 殺された倉光の部屋は整然と片づけられていたとして、その本棚には、「小説の類はわずかに改造文庫で出された夏目漱石の本が二、三冊混じっているだけだった。」(73頁)とあります。
 試しに「CiNii」で検索したところ、改造文庫から刊行された夏目漱石の小説は、昭和4年に「坊つちやん」「草枕」「それから」の3冊があることがわかりました。この作品の背景には、昭和4年があるようです。

 また、この時代に日本映画がトーキーではなかったことも書かれています(84頁)。これについても調べてみたところ、昭和6年の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が、日本最初の本格的なトーキー作品だそうです。これで、本作の時代設定が類推できます。
 現在、私は昭和一桁の世相や風俗に興味を持っています。その意味で、昭和初期の東京に関するイメージトレーニングにはなりました。

 後半になるにしたがって、話が凝縮されておもしろくなります。テンポもさらによくなります。しかし、謎解きが中途半端です。

 昭和5、6年という興味深い時代設定と背景に、社会と風俗が活写されています。それだけに、私の想像力を刺激する意味から、可能であればもっと詳しく語ってほしかったところです。それでも、藤田宜永の良さが、至る所に見られる作品となっています。【3】
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2014年07月03日

藤田宜永通読(20)『孤独の絆』

 藤田宜永の『探偵・竹花 孤独の絆』(2013.2.10、文藝春秋)を読みました。「探偵・竹花」シリーズの4作目です。
 数年前の作品を集めたものです。私はこの時期の作品が好きです。


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 これまでの3作は以下の通りです。

(1)「探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女」(1992年、双葉社)
(2)「探偵・竹花 失踪調査」(1998年、光文社文庫)
(3)「探偵・竹花 再会の街」(2012年、角川春樹事務所)


 ある時から恋愛物に宗旨替えした藤田宜永に、私は大いに失望していました。しかし、最近は少しずつではあるものの、かつてのテンポのいい作品を発表するようになりました。藤田宜永らしさは、このスリリングで軽快な展開にあると思っています。この軌道修正を歓迎しています。
 読者が作者の作風に拘るのも、現役として活躍する作家だからこそ要求出来ることなのです。

■「サンライズ・サンセット」
 藤田宜永の探偵物は、テンポのよさが特徴です。今回も快調です。人間関係の説明は、相変わらずうまくありません。本話は、一幕ものの芝居として、よくまとまっていると思います。欲を言えば、スパイスをもっと、という勝手な思いを抱きました。【3】
 
(初出誌『オール讀物』2010年2月号)
 
 
■「等身大の恋」
 探偵が、些細なしぐさに目がいっているところがおもしろいと思いました。昔の音楽や車の話は、作者が得意とするネタです。この車のことが活かされています。話はテンポよく、会話も生き生きとしています。ただし、人間関係の設定が雑です。もったいないことです。人間をじっくりと見据えて語ることは、どうやら苦手のようです。【2】
 
(初出誌『オール讀物』2010年8月号)
 
 
■「晩節壮快」
 認知症の老人を扱った話です。美術ギャラリーでの詐欺や、競馬の大当たり等は、稚拙な設定に留まっています。しかし、人間の温かさが描けています。その意味では、雑ながらもまとまった作品に仕上がっています。【3】
 
(初出誌『オール讀物』2011年2月号)
 
 
■「命の電話」
 孤独に生きることがテーマとなっています。理屈っぽい展開です。藤田にしては、めずらしい構成です。キルケゴールのポジティブな発想を、もっとわかりやすく、明るく語ってほしいと思いました。
 話の構成に無理があるように思えます。しかし、人間が炙り出される手法を身に着けた藤田は、新しい小説の世界を見つけたようです。今後の活躍が楽しみになってきました。【4】
 
(初出誌『オール讀物』2012年2月号)
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2014年07月02日

藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?

 藤田宜永の新刊である『女系の総督』(2014年5月、講談社)を読みました。


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 この小説の舞台は、東京で私が生活の起点としている宿舎がある深川一帯です。富岡八幡宮や深川不動尊、そして門前仲町界隈など、いつも歩いている地域が出てくるので親しみを感じながら通読しました。

 最近の藤田宜永は、私が好んだ恰好良いハードボイルドから遠ざかり、ふにゃふにゃした恋愛物に移っていたので、その評価を低くしていました。
 作家も変化して成長しないといけません。しかし、私は藤田宜永の恋愛観はともかく、その恋愛物の筆致に馴染めません。

 今回の作品は、まだ中途半端です。だらだらとお喋りが続き、軽さを狙って半身を装ったスタイルが、どうも手抜きにしか思えませんでした。

 それでも、テンポがよくなったので、素直に入っていけました。しかし、しだいに話が弛れてきます。

 この作品は5章仕立てです。私は、この第1章と第5章だけで十分だと思います。第2章から第4章は、家族の問題や主人公の恋愛と母の認知症などの健康問題がだらだらと語られます。このスタイルは、藤田宜永が手を付ける手法ではないと思います。

 次作への変化を期待しながら、本書におつきあいしました。
 まだまだ、藤田宜永は自分探しの旅をするのでしょうか。私には、藤田宜永に求めるものが明確にあるので、余計な回り道をしなくても、と思っているところです。ほっといてくれ、と言われればそれまでですが。

 さて、第1章は女同士の会話がテンポよく交わされていて、快調に始まります。肩の力を抜いた語り口が、読みやすくしています。どこでその脱力感から緊張した場面に転換するのかを、楽しみにしながら読み進めました。
 東日本大震災と原発やガンのことにも、今どきの話題として言及されます。しかし、それは表層をなぞるだけに終始するので、もっと語ってほしいところでした。母の認知症に関しては、最後まで主人公やその家族に関わる問題として取り上げられています。社会問題としての目が加われば、いいテーマになりそうです。
「親の一生は、子供にとっては謎だらけなのだ。」(67頁)
と言うことばには納得しました。
 しかし、それをとことん突き詰めないで、傍観者的に取り込まれていたのが残念でした。これは、今後のテーマにしたいのでしょうか。

 第2章に入ると、途端におもしろ味が薄れます。恋愛感情を語らせると、どうも流れが淀みます。語り手が逡巡していては、それを読まされる方は疲れが倍増します。恋愛感情の絢は、今は他の作家にまかせればいいのに、と感じます。ここでは、下手な恋愛話をする一人の男に成り下がっています。
 また、女と距離をもとうとし、引き下がる男を語る段になると、筆の弱さが露呈します。もったいないところです。
 この章から第4章にかけては、早く終局になってほしいと望みながら読みました。無理に話を盛り上げようとしてか、不倫相手の女が家へ押し掛けて来たりします。
 ご丁寧に、作者が自分で次のように言って、予防線を張っています。まさに、テレビドラマの台詞が並んでいるところです。自分で書き続けながら、その陳腐さに自分で気付いたのでしょう。

安手のテレビドラマにありそうな台詞。この手の台詞を平気で書く作家のものは読みたくもないが、現実面においては、侮れない一言である。(168頁)

 この章は、低俗な会話と屁理屈が続いています。

 第3章でも、酒場でのとりとめもない会話を長々と読まされます。主人公の恋愛マイスターぶりにも飽きます。
 頭を切り替えて、話を転換してほしてところです。

 第4章も、何ということもない、たわいもない話が展開します。気を抜いた文章です。
 人間の心の細かな動きを追うことが中心となっています。ただし、それが些細な心の中の動きなので、全体の流れとバランスがとれていません。もっと展開をおもしろくし、事件を呼び込んでほしいところです。
 丹念に人と人との心の襞を描こうとしています。それは伝わってきます。しかし、そこにもっと膨らみと余裕があったら、読者は疲れと飽きを感じないはずです。
 後半で、主人公の妻が幼い娘に手をかけようとした件は、久し振りに緊張感が漂います。私が望む、藤田らしい描写となっています。この話題を出し惜しみせずに、もっと早く前半で扱うと、全体的に引き締まった作品になったのではないでしょうか。それを躊躇した作者の思いに興味を持ちました。

 第5章で、娘の事故によりやっと話が活気を帯びます。第1章のテンポの良さが戻ってきました。藤田宜永は、情に訴える話は諦めたほうがいいと思っています。
 この第5章の勢いで次作を書いてもらいたいと思います。藤田宜永は、筆のパワーと息もつかせぬ展開が信条の作家だと思っています。それを楽しみにして、私は読んでいます。女心の訳知り顔の分析は、他の人に任せればいいのです。
 最終章に見られるように、話の最後の盛り上げ方はまだまだ健在です。いや、もっと盛り上げられます。抑圧された恋愛を描く練習をした時期の影響が残っているのか、自制的に話を閉じようとしています。【3】

 がんばれ、藤田宜永!
 
 
 初出は、2011年12月から2014年2月の間に、学芸通信社より以下の新聞に配信されたものです。
 「信濃毎日新聞」「熊本日日新聞」「高知新聞」「秋田魁新報」「北國新聞」「神戸新聞」「中国新聞」
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2014年02月06日

藤田宜永通読(18)『ライフ・アンド・デス』

 藤田宜永の『ライフ・アンド・デス』(2012年11月、角川書店)を読みました。

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 歯切れのいい文章で、場面と人物が軽快に描かれていきます。街の様子や季節も、事細かに語られています。これは、藤田宜永の読みやすい時の作品の語り口です。

 恋愛ものの時の、あの粘ついた抑制を利かせすぎた文章を、私はあまり好みません。その点からも、本作は気持ちよく読めます。

 物語る内容が充実しているせいか、524頁の作品が予想以上に長く感じられました。読み進む醍醐味があります。ただし、人間の洞察に深みが欠けているようにも思えました。非日常的な世界でもあり、このあたりは読者と理解を共有する接点の狭さや、話題の特殊性に起因するものなのかもしれません。

 かつての軽快なテンポが感じられなくなった分、人物描写はうまくなったようです。

 この方向転換は、今後さらに藤田宜永に期待すべきことに繋がると思いました。もっとも、あの、ふにゃふにゃした藤田の純愛小説から完全に脱するには、まだもう少し時間がかかりそうですが。

 初期のように、手に汗握る、そして紙面から目が離せない展開ではありません。しかし、ゆったりとした語り口の中に、読者をしっかりと捕まえて話を進める手腕には、新たな藤田の手法を、手応えとして感じ取りました。

 頁をめくるスピードが落ちたのは、それだけ読ませる部分が増えたためだと思われます。
 冴子という女性の存在が物語の展開の中に置けたことは、作者にとっても読者にしても、よかったと思います。これまでにない女性の扱いです。抑制の利いた手法で、話を惹き付けていくのに効果的でした。

 また、男たちの動きにしても、ドタバタに留まらず、男の側の論理と思考を重ねて行動するタイプの群像として描かれています。人間の心理劇も楽しめました。物語の終わり方もおしゃれです。ゆったりとした流れの中で、安心して読み終えることができました。

 最後に一言付け加えるなら、男たちの話が2つの流れに分かれており、そのバランスの中途半端な点に、読み進みながら落ち着かない思いを持ちました。クライマックスへ持って行くところなど、相変わらずへただな、と思わせます。

 一気に1冊を読めなかったせいか、話にばらばら感が残りました。作者の意図的な構成もあるのでしょう。しかし、この作品は、出版社側の売りであるような〈サスペンス〉として読まない方が、かえって楽しく読めると思います。【4】
 
 
※『デジタル野性時代』(2011年第3号〜2012年7月号)に「魔都の殺人者」として連載。
 本書は、それを加筆・修正・改題したもの。
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2013年08月31日

藤田宜永通読(17)『瞑れ、優しき獣たち』

 藤田宜永の第3作目となる長編小説です。
 前2作は、私立探偵鈴切信吾が主人公でした。
 この作品では、アウトローである犯罪者たちがコルシカ島で繰り広げる、純粋な愛と残酷な犯罪がテーマとなっています。ハードボイルドとして楽しめる、おもしろい作品です。

 本作も、舞台はパリから始まります。場所は賭博場。そこへ、警察が突入。もぐりのカジノへの手入れをめぐり、物語はおもしろい展開となるのです。

 警官を殺したことで、主人公真壁は地下に潜ることになります。そして話はコルシカ島へと移るのです。
 ヤクザとギャングたちの復讐劇のはじまり。
 その底流には、カジノが手入れを受けたことに関して、その密告者を探すことがあります。これは、最後まで続きます。

 血で血を洗う抗争劇を見ながら、復讐の連鎖がおぞましく感じられるようになりました。そして、「やられたら倍返し」の信条のもとに信念を貫く、最近のテレビドラマで人気を博す「半沢直樹」のことに思いが連なりました。小説とドラマとでは性格を異にするとはいえ、根は同じように思えたからです。性善説の下、正義のために闘うのですから。

 私は、復讐劇が高視聴率を取っている今の社会現象と重ね合わせて、何となく不気味さも感じています。主人公の非現実的な活躍を通して、爽快感を共有できます。しかし、それがあくまでもフィクションであることへの自覚が欠落すると、現実の社会を混乱させます。

 虚構を描いた小説は、読者の想像力に俟つところが多いと思います。それが映像によるテレビドラマとなると、知らず知らずのうちに目に飛び込んでくる画像と音声による情報が、積極的な理解を超えて観る者に届くのではないか、と思われます。何となく感じることとなる影響力に、不気味さがあると思うのです。
 小説を読む場合は、読者なりのイマジネーションによって意識的にコントロールできるものがあります。しかし、画像と音声によって刻を追って押しつけてくるテレビドラマでは、人間の理性や理解を飛び越えてくるものがあるように思います。
 もっとも、まだ、うまく説明できませんが……

 さて、小説にもどります。

 後半で、真壁が大事にする加奈子が急に心変わりをして、島を出ようといいます。それから、誘拐合戦へ。
 終盤の結末まで、謎解きとスリリングな展開が最後まで緊張感を途切れさせずに、一気に読ませます。【5】
 
 
※初出:C★NOVELS『瞑れ、優しき獣たち』(中央公論社)
    昭和62年(1987)5月、書き下ろし
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2013年08月28日

藤田宜永通読(16)『標的の向こう側』

 場所はパリ。私立探偵である鈴切信吾の登場です。
 早速カルバドスが出てきました。藤田宜永の作品を読むようになってから、私も飲み出したお酒です。
 本作品は、藤田の第2作となる長編小説です。

 早々に、藤田お得意のケンカのシーンがあり、テンポよく話が進みます。バックには、いつものようにポピュラーの曲が流れています。舞台はフランス。しかし、本作品では時々スペインの香りがする展開となっています。

 前作よりも進歩したのは、人物と背景が描写されていることです。これは大きな一歩だと思っています。

 探偵鈴切は、車でパリを走り回るので、いい市内観光に付き合う雰囲気も味わえました。そして、息もつかせぬドラマの中に入り込み、ハラハラドキドキします。これが、藤田の世界です。

 人間の繋がりが次第にわかってくると、複雑な関係の中に潜む意味が解けてきて、さらに引き込まれていきます。
 舞台がフランスからスペインに移ると、俄然おもしろくなりました。お国柄を反映させながら展開していくからでしょう。そして、話も自然に外国らしを醸し出してくるところが、フランスを知り尽くした藤田らしい視点で見えてきます。2度美味しい海外探偵話です。

 後半でスペインへ舞台が移ってからは、相手の腹を探り合う展開となり、スピード感がなくなりました。おもしろさが半減です。

 また、「日本語だろうがインド語だろうが、好きな言葉を使っていいのよ。」(角川文庫、278頁)とか、「インド語」と言っている場面がありました。このように言う作者の意識に興味を持っています。インドをどう理解しているのか、という意味で。
 「アフリカ、インド、南アメリカ、いろいろなところへ行ったよ」と猛獣の話になった時、主人公は「このまま相手に話を合わせていると、アフリカやインドに連れて行かれてしまいそうだ。」と言わせています(351頁)。
 作者が思い描くインドというイメージは、おもしろそうです。ただし、例が少ないので、さらに集めてみます。

 鏤められていた謎が、最後に一気に明かされます。もっと前で撒き散らしておいてくれたら、と思いました。ネタが出し惜しみされたために、後半が急展開になってしまっているのです。また、犯人が母親の存在の大きさと言うか幻影と闘った、とあるのは取って付けたようです。

 さらに、後半でスペイン戦争が背景にある展開には、私にその歴史や地理的な知識がないために、なかなか理解しづらいものがありました。そのせいもあってか、最後の段階で物語に這入り込む状況にならなかったことが、非常に残念です。
 作品の中で、読者へのレクチャーとでも言うべきサービスがあればよかったのに、と思っています。【3】

※初出:カドカワノベルズ『標的の向こう側』(角川書店)
    昭和62年(1987)4月、書き下ろし
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □藤田通読

2013年08月08日

藤田宜永通読(15)『野望のラビリンス』

 パリのバーに、日本人の女流画家が登場します。
 おしゃれです。そして、カルバドス。
 このお酒に憧れて、私も一時期飲んでいました。

 私立探偵鈴切の登場の仕方は粋です。最初に依頼を受けた仕事は、一匹の猫を探すことでした。
 背景に、さまざまな音楽が流れます。藤田宜永の特徴でもあります。

 ところが、依頼された仕事は死体で見つかります。猫探しと殺人事件が絡みながら、テンポ良くパリの下町風な場所で話が展開します。小気味いいのです。

 ゲイと娼婦とホモの話を間に挟みながら、異文化体験とでもいう、フランスらしい味と香りがします。

 情景描写は、ほとんどありません。行動と心の中が語られていきます。
 車が物語のスピーディーな展開に加わっています。

 フランスの中の日本文化が紹介されていて、楽しく読めます。日仏文化交流についても、読み進む中で実感させてくれます。

 武器の密輸や二重結婚のことなど、終盤は忙しく展開します。
 最後は、謎解きです。ただし、説明が少しくどいかな、と思いました。

 登場する日本人が、パリに馴染んでいます。日本人でありながらフランス人というスタイルが、藤田宜永らしい小説といえます。
 かつて読んだものを、引っ張り出してきて再読しました。若さがあって、楽しめました。
 藤田宜永のデビュー作品です。【2】
 
 
初出:カドカワノベルズ『野望のラビリンス』
   昭和61年(1986)10月、書き下ろし
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | □藤田通読

2013年03月11日

藤田宜永通読(14)『敗者復活』

 歯切れのいい文章で、気持ちよく読み進められます。淡々とした語り口が、登場人物をリアルに浮かび上がらせています。そして、藤田宜永があのフニャフニャした恋愛ものまがいの作品を書いていた頃よりも、この語り口は活き活きした文章のように感じます。
 私が好きだった初期のダイナミックな語りが、衣替えして蘇った印象を受けました。
 場面の展開や切り替えや、会話の歯切れの良さも、見違えるほどです。

 ここには、藤田の初期作品にあった、ハードボイルドな雰囲気が蘇るタッチが感じられます。それをあえて抑制しながら書き進めているので、先を読むのが楽しくなる展開です。登場人物の感情も、きめ細かくうまく描いています。

 別れた男女と2人の間にできた息子。この微妙な関係が、うまく語られています。

 バッティングセンターの経営を巡り、その背後に蠢く黒幕の存在が、この物語を静かに牽引していきます。そして、探偵ごっこの雰囲気が、藤田の得意な世界へと読者を引き込みます。

 終盤で、「息子の生き様が文学のテーマになるとしたら、現実にはとても不幸なことだよ」(単行本、462頁)とあります。このことばは、この作品の鍵の一つだと思いました。

 最後に、取って付けたような月が出ます。もったいない設定です。藤田には、月の効果的な描き方ができないようです。

 そして、最後の方になって、無理やり話をおもしろくしようとするかのように、宗教団体の話が持ち出されます。これが、それまでの緊張感を中途半端に中断し裁ち切り、積み上げてきた物語の構造が音を立てて崩れ落ちます。興ざめで強引な取り回しとなっているようにしか思えません。
 相変わらず詰めが甘いな、との思いを強くしました。
 さらには、息子の描き方に現実感がありません。このあたりが、いくぶん消化不良の読後感を残します。

 そうしたことはともかく、本作は、まさに男の敗者復活を語っています。久しぶりに、藤田の復活の一端を読み取ることができました。

 この調子が堅持され、現今の作品につながっているのかどうなのか。今後は、この延長での作品の完成度を見ていくと、さらにおもしろい流れが追えるのではないかと、楽しみが増えた思いで読み終えました。【4】

初出誌︰『週刊アサヒ芸能』2007年9月20日号〜2009年2月19日号
単行本︰徳間書店、2009年11月30日
文庫本:徳間書店、2012年11月2日
posted by genjiito at 00:26| Comment(0) | □藤田通読

2011年12月21日

『還暦探偵』の加筆訂正から見えた問題点

 昨日の本ブログに書いたことを受けて、本文研究という視点でこの作品を見ていきたいと思います。
 藤田宜永の『還暦探偵』(新潮社、2010年10月)は、雑誌『小説新潮』を初出とする短編6作品を集めたものです。
 その奥付上部には、次のように書かれています。

単行本化に当たって加筆訂正が為されている。

 ひとたび一般に発表された作品に作者が手を入れることに興味を持つ私は、この作品の中でも表題作となっている「還暦探偵」の文章を比べてみました。
 我が還暦年のしめくくりという意味からも、簡単ではありますが調べたことを報告します。

 「還暦探偵」という短編は、昨年春に出版された『小説新潮 2010年4月号』(第64巻 第4号 通巻791号、平成22年3月20日発売、34〜58頁)に掲載されました。巻頭に据えられた「特集 大人の胸打つ小説集」という企画の中で、重松清の「てるテール娘」の次に置かれています。

 当該誌の扉には、重松清と並んで藤田宜永「還暦探偵」の内容が3行で紹介されています。

定年男二人。時間だけはある。
そこへ、同級生の会長夫人からある依頼が。
よし、俺たちは「ハワイアン・アイ」だ……


 さて、単行本に収録されるに当たり、文字の変更が4箇所、そして6箇所で振り仮名が追加され、さらに11箇所で文章に加筆訂正がなされました。
 内容はまったく変わりません。藤田宜永は、この作品集ではほとんど初出のままに収載したと言えます。吉行淳之介などのように、大幅な手は加えていないのです。藤田宜永の他の作品については、まだ何も調べていません。少なくとも、ここでは、ということにしておきます。
 なお、この作品はほぼ3万字ほどの分量があります。

 以下に、確認した事実だけでも正確に記録として残しておきましょう。

■文字の変更(4箇所)

 ガン→癌・視→観(3箇所)


■振り仮名の追加(6箇所)

巨躯(きょく)・無聊(ぶりょう)・科(しな)・呂律(ろれつ)・蔵前(くらまえ)・別嬪(べっぴん)


■文章への加筆訂正(11箇所)

(1)[初出 38頁上〜下]


「へーえはないだろう。モテはしないけど、俺はちゃんと口説くからね。
「で、逆ナンされてどうしたんだい」憲幸が訊いた。
「気になるか」
「大いに気になるね」
「何もなかったよ。俺は攻めるタイプだから、逆ナンには乗らないんだ」

 最初の赤字部分は、次のように手が入りました。
「モテはしないけど、俺はちゃんと口説くからね。
   ↓
「モテはしないけど、俺はちゃんと口説く。男は攻めなきゃ
 
・「俺は攻めるタイプだから、〜」
   ↓
・「俺は攻めるタイプだって言ったろう。〜」
 この場には、安達憲幸と共に、何十年ぶりかで会った大和田光子(結婚後は市川)という高校時代のクラスメートが目の前にいます。
 この加筆修正によって、塩崎勉が男として積極性のある自信家になっていることが強調されることになります。
 

(2)[初出 40下〜41上頁]


 憲幸の車は国産のごく普通のセダンである。
「探偵には、MGとかトライアンフが似合うな。ユーノス・ロードスターでもいい。ともかく、ツーシーターのライトウェイトスポーツカーじゃないとね」
「馬鹿。オッサンがふたり、オープンカーで尾行したら、すぐに気づかれるだけだよ。それに、疾走してる間に、薄くなったお前の髪、どんどん抜けちゃうぜ」
「嫌なことを言う奴だな」

 この文で、「(中略)ライトウェイトスポーツカーじゃないとね」の後に、「塩崎が言った。」ということばが見直しによって足されています。
 ここは塩崎と憲幸の2人の掛け合いの会話が続くので、誰が言ったのかをまず明示しておいて、その後の発言者についての混乱を防ごうとしています。
 ここでは、車のことで塩崎がスポーツカーのことを言います。憲幸が持っている車は国産車なので、ここは塩崎の発言なのです。
 それを受けて憲幸が髪が抜けることを言うと、塩崎が「嫌なことを」と気分を害します。
 この後で3つの会話文が単行本では挿入されます。そのため、ここでは塩崎を明示することは、話者の確認ともなっていて、配慮としてはいいと思います。しかし、これが問題を引き起こします。この話者の明示という処置が目に見えることにより、それが原因となって、補訂の不具合が顕在化するのです。
 この後に続く話者が、長文の補入が不完全であるせいもあり、初出と単行本で入れ替わってしまい、おかしくなっていきます。手を入れた作者自身が、登場人物の会話文の設定で混乱してしまっているのです。後で3つの会話文を入れたために、その後の話者が1つずつずれてしまう、ということが出来します。

 確認の意味でも、この文章に続く長い補入の部分を引きます。
 

(3)[初出 41頁上]


「俺は真面目に光子の役に立とうと思ってるんだ
「光子には悪いが、老いらくの恋ぐらい、大目に見てやればいい思うがね」
「そうだけど、当人にとってはやっぱり、寂しいことなんだよ」

 まず、最初の赤字部分の「んだ」が、単行本に収録するにあたっての見直しで削除されます。これは、次に挿入される文章へテンポをよくつなぐためでしょう。この部分は、次のように大幅な補訂がなされます。

「俺は真面目に光子の役に立とうと思ってる
「俺もだよ」塩崎がうなずいた。「ボランティアで町の清掃なんていうのはごめんだけど、こういうのはいいね」
「俺もそう思う」
だけど、光子には悪いが、老いらくの恋ぐらい、大目に見てやればいいって思うがね」
「そうだけど、当人にとってはやっぱり、寂しいことなんだよ」
(単行本191〜192頁)

 光子のために、2人が夫の浮気を調査しようとする決意を固めます。そこが、少し詳しくなったのです。なぜこうした文を補入する必要があったのか、私にはその必然性がわかりません。
 それも、「ボランティアで町の清掃」という行為を軽くいなすのは、そのようなささやかなことにでも生き甲斐を感じて携わっている方々に対して失礼ではないか、と思います。初出時にあったフレーズを削るのではなくて、単行本化に際して加えたのですから、なおさら作者の意図がよくわかりません。
 しかも、ここには3つの会話文が入ったので、交わされた順番でいくと、当初の話主がずれてしまいます。
 最初は、「光子には悪いが、〜」というのは塩崎のことばでした。それが、その前に3つの会話が補入された結果、これが憲幸のことばとなります。そして、それに続く「そうだけど、〜」ということばも、当初の憲幸から篠崎のことばに移行することになります。
 なんとも奇妙な手を入れたことになります。何か作者の意図があってのことかと思ってみましたが、そんなに意味がある場面でもないようです。
 私は、初出当初の「光子には悪いが、〜」は篠崎のことばであって、それを受ける「そうだけど、〜」と言うのが憲幸としてあったほうが、この作品における人物設定と合致するように思います。変更により、かえって混乱が増幅しています。
 今は、作者が手を入れたことに伴うケアレスミス、ということにしておきましょう。
 

(4)[初出 41頁上]


そうだよ。きっと待つことが大半だよ」

 ここでは、「そうだよ。」という憲幸のことばの最初が、見直しによって削除されます。同意することばがなくなることで、2人の距離を少しとろう、というのではないでしょうか。話の流れの中では、こうした削除で憲幸の冷静さが際立ちます。このような例は、この後にもあります。
 

(5)[初出 46頁上]


役者不足の気がするけどな。彼女から見たら、〜」

 ここも、単行本化にあたって、憲幸のことばの最初の部分を削除しています。余計なことばを刈り込んで、スッキリとテンポよく話を進めようというのでしょうか。
 

(6)[初出 56頁上]


考えようによってはネットこそ、アナログが躰にしみ込んでいる我々の世代が利用するのに一番いいんじゃないかな」

   ↓

「アナログが躰にしみ込んでいる我々の世代が一番上手にネットを使いこなせるんじゃないかな」

 これも、憲幸のことばの最初「考えようによってはネットこそ、」と、後半の「利用するのに」が削除された例です。文章に手が入ることで、物言いがスッキリとした印象を受けます。
 そして、「一番いいんじゃないかな」を「一番上手にネットを使いこなせるんじゃないかな」となることで、主語と述語が整理され、よりわかりやすい文章になりました。
 

(7)[初出 41頁下]


「俺が歩いて尾ける」
 問題のふたりは国道6号を右に曲がった。
「お前が先回りできるかもしれない。でも、もしもはぐれたら鳥越二丁目の交差点で待ってろ」

 共に塩崎がしゃべっている場面です。ここが、次のように真ん中にあった地の文が削除され、2つの会話文が1つにと変わります。

「俺が歩いて尾ける。お前が先回りできるかもしれないが、もしもはぐれたら鳥越二丁目の交差点で待ってろ」

 この前後で、尾行対象となる男女が「国道6号」を歩いて行くということが頻出するので、煩雑さを避けて道の左右を曲がるということも削除したようです。確かに、これでスッキリします。
 

(8)[初出 47頁下]


 男がひとり入ってきた。縦縞のスーツに白いシャツの襟を立て、小さな洒落たサングラスをかけていた。顔が大きいから、サングラスはまるで似合っていない。〜

 初出では、サングラスが「小さな」ものだったとあります。ここが、単行本化に伴い、「小振りの」と改められます。すぐ後に「顔が大きい」とあるので、「小振り」の方がサングラスとの取り合わせがしっくりと来ます。


(9)[初出 49頁下]


「長女の一歳の誕生日に、五段重ねの立派な雛人形を飾った時の話だよ。〜」

   ↓

「長女の一歳の誕生日に、五段飾りの立派な雛人形を飾った時の話だよ。〜」

 「五段重ね」では重箱のようなので、「五段飾り」と訂正しています。
 

(9)[初出 50頁上]


「ご出身はどちらです?」
「山梨県の韮崎です。中井貴一の親父、えーと、名前、何て言ったっけなあ」
「佐田啓二」敬一郎が答えた。

   ↓

 憲幸たちが幼馴染みだと知った敬一郎に出身地を訊かれた。
「山梨県の韮崎です」塩崎が間髪を入れずに答えた。「中井貴一の親父、えーと、名前、何て言ったっけなあ」
敬一郎が薄く微笑んだ。「佐田啓二」

 光子の夫である市川敬一郎とのやりとりの場面です。
 突然に初対面で直接出身地を訊ねるシーンを書くことを避けます。地の文に変更したのです。直接的な問いかけに相応しくないと考えて、直したのでしょう。
 また、「塩崎が間髪を入れずに答えた。」とすることで、しどろもどろになっている探偵役を浮き彫りにします。これに対して、「敬一郎が薄く微笑んだ。「佐田啓二」」と、余裕をもった受け答えをする敬一郎の様子が、なおさら対照的に描かれることになりました。
 手を入れることで登場人物たちの様子が生き生きとしてきたのです。
 

(10)[初出 55頁下]


「『ハワイアン・アイ』に繋いでもらったら」憲幸が塩崎に言った。

   ↓

「『ハワイアン・アイ』を観せてもらったら」憲幸が塩崎に言った。

 テレビをネットに繋げてYouTubeを観る場面です。確かに、正確には「繋いで」ですが、状況としては「観せて」がよくわかります。手を入れて、わかりやすくした例です。
 

(11)[初出 56頁下]


(中略)女どもに占領されてはいるが、あのマンションが我が家だと思い知らされたのだ。

   ↓


(中略)女どもに占領されてはいるが、あのマンションが我が家だと、敬一郎の隠れ家を見たことで改めて思い知らされたのだ。

 敬一郎の隠れ家ということを持ち出し、より具体的な説明とすることで、ここもわかりやすくなりました。

 以上、藤田宜永の「還暦探偵」の初出誌に掲載された文章と、単行本に収録された文章を比較することで、どこにどのような手が入っているかを簡単に見てみました。
 ここにあげたものが、その異同のすべてです。
 他の作品の傾向を見ることで、藤田宜永の創作姿勢が見えてくるはずです。
 また、機会があれば確認をしてみたいと思います。
posted by genjiito at 21:53| Comment(0) | □藤田通読

2011年12月20日

藤田宜永通読(13)『還暦探偵』

 この『還暦探偵』(新潮社、2010年10月)は、『小説新潮』2008年1月号から2010年4月号に掲載された作品に手を加えて編まれたものです。藤田宜永は1950年生まれなので、ちょうど還暦までの作品を集めたもの、ということになります。

 最近、藤田宜永の作品を読んでいても退屈です。本作も、まだスランプの中にいることが明らかです。一気に読ませる力がなくなったようです。
 これは、藤田宜永が還暦直前の時期に書いた作品集ということで、私自身の還暦記念という気持ちで読みました。藤田宜永は、私よりも1歳上です。しかし、力を抜き過ぎているせいか、特に響いてくるものはありませんでした。その抜き加減が中途半端なのです。

 もっとも、本書の中では「難しい年頃」だけはいいと思いました。このあたりから、新しい藤田宜永が見られるようになればいいのに、と思っています。

 藤田宜永の作家としての力量はこの程度ではないはずなので、今後とも期待しつつ読み続けていくつもりです。
 
 
■「喧嘩の履歴」

 最近はとみに手抜き作品が目立っている藤田宜永です。しかし、これは丁寧に夫婦の諍いを描き出しています。会話にもキレがあります。書き出しは上々です。
 ただし、子供を話題にしての夫婦の会話には、現実感があまり伝わってきませんでした。妻である作家小池真理子との、日頃のやりとりを再現させたものなのでしょうか。
 結末ともども、もう一押しという印象が残りました。喧嘩が口論に留まっているからでしょう。【2】
 
 
■「返り咲き」

 淡々と語られています。冷めた視点で、人間を描いています。ただし、人物が肉付けされていません。頭で考え、口で喋るだけの登場人物に、人間味とでもいうべき膨らみがほしくなります。
 最後の意外な話の転換がおもしろいと思います。ただし、中途半端な終わり方が残念です。話を作り過ぎたからでしょう。前半とのアンバランスが目立ちます。ネタがもったいないと思います。【2】
 
 
■「ミスター・ロンリー」

 男に語らせる作者の眼が乾いています。語りが平板なのです。
 文章にも力がありません。語られる内容にも、夢がありません。前向きな姿勢もありません。
 無気力な登場人物で成り立つこの小説は、果たして小説と言えるのか疑問です。
 後半は、物語らしさを装います。しかし、とってつけたように明るく終わろうとするところに、無理があります。
 回想形式の手法もタイトルも、噛み合っていません。【1】
 
 
■「通夜の情事」

 雑談が続きます。しかし、その先が何も見えません。ただ、話が流れていきます。
 中盤から、男女の話になります。それも、とってつけたような情事の場面で、かえって内容が瓦解してしまいました。【1】
 
 
■「難しい年頃」

 藤田宜永の作品では、久しぶりに味のあるものになっています。
 60歳の定年を2年後に控えた主人公には、野心はありません。
 親友の恋人だった女と、35年振りに会います。そして、こんな会話があります。

「夫婦は、阿吽の呼吸でいいんじゃないのかな」
「そういう時代は過ぎたと思う。話題なんか、何でもいいのよ。女ってかまわれるのが大好きな生き物だから」和美は冷酒を一気に飲み干した。(159頁)

 また、車の喩えも、男と女をうまく捕らえています。

「男は、車の運転に喩えるなら、女のように真っ直ぐ前だけ向いては走れない。バックミラーやルームミラーを見てしまうもんだよ」
「そう言えば、私、サイドミラーを開かずにしばらく走ってたことがあったわ。でも、事故は起こさなかった」(162頁)

 夫婦がお互いにメールで別の恋人と会う会話などに、短いながらも粋なフレーズとなっています。昔を懐古しながら、共にいい関係を保っています。話題が人を結びつけるところは、うまいと思いました。
 無理のないストーリーです。他の恋人の方に向かわず、自分たちのことに話が引き戻されるところに、作者の新しい展開が見えてきました。このスタイルを、これから楽しみにしたいと思います。【4】
 
 
■「還暦探偵」

 これも、懐古で展開します。最近の藤田宜永の手法です。
 みんなが子供の頃に憧れた探偵ごっこを、還暦を過ぎた大人が素人ながらものめり込みます。
 ただし、話は盛り上がらないままです。後半になると、ほとんど話は失速していきます。
 どうした藤田、と言いたくなるほどの駄作です。
 なお、この作品については、『小説新潮』(2010年4月)に発表された直後に、本ブログでその感想を記しました。
「藤田宜永通読(8)「還暦探偵」」(2010年3月26日)
 今回あらためて読んでみて、やはり失望しました。【1】
posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | □藤田通読

2011年11月14日

藤田宜永通読(12)『夢で逢いましょう』

 この『夢で逢いましょう』(2011年2月14日、小学館)は、572頁もの厚さがあります。
 昭和30年代に流行ったテレビ番組や商品や歌謡曲などをタイトルにした連作です。ノスタルジック・ミステリーとありますが、ミステリーの要素はほとんどありません。
 中身は本の厚さと反比例しています。ただし、この本のカバーデザインは気に入っています。
 
 
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■お笑い三人組
 昭和30年代のテレビ番組などを取り上げて、旧懐の情を発動させることから始まります。
 このネタは、若者にはなかなか伝わらないので、それを作者がどう展開させるかが楽しみです。【2】

■バイタリスとMG5
 バイタリスとMG5の話は、後半になっておもしろくなります。ただし、整髪料の扱いは中途半端なままです。きれいに着地を決めるか、オチのほしいところです。
 最後に、オードリーというオウムのことが語られます。オウム探しとなるのです。【】2

■カミナリ族と缶ピー
 話が少しずつつながってきました。
 頑固一徹な父親が印象的です。藤田の作品では、このタイプの個性的な男がうまく描かれます。文章も、細かい描写ではなくて、粗筋でぐいぐいと引っ張って行くこの感じがいいと思います。
 最後に、突然ですが、オウムのことに話が向きます。この話題が、以降の章をつなげていくのでしょうか。【3】

■長い髪の街頭詩人
 新宿のバーの話で、吉行淳之介のことが紹介されています。ほんの数行ですが、藤田が私と同世代であることがわかるくだりです。
 オウムの話が中心になります。その合間に、これまで通り折々に、懐かしいグループサウンズや俳優などが顔を出します。【3】

■OH!モウレツ
 オールデイズの曲と懐かしいテレビドラマなどの思い出を背景に、軽快に話が展開します。ヤクザの息子の話が面白いと思いました。ただし、それもすぐに別の話に切り替わります。
 今と40年前が行ったり来たりします。【2】

■ゲバゲバ
 還暦を迎えた三郎は、オウムのオードリーを探し続けています。 男と女のドタバタ劇が展開します。それにしても、話に現実味がないところが藤田らしいと思いました。【1】

■悲しき60才
 坂本九や渡辺トモコなど、今では懐かしい名前が出て来ます。もっとも、ネットで当時のことを調べた結果をいかにも思い出したかのように書いているのが、どうも気になりましたが。【2】

■あの時君は若かった
 オウムのオードリー探しがおもしろくなりました。ヤクザっぽい男たちが出て来ると、藤田の話は精彩を放ち出します。
 記憶が行ったり来たりし、人間関係がもつれた後でおもしろく結びついて行くのが楽しめます。標題の曲名は取って付けたものですが、話はうまく仕上がっています。【4】

■ジェットストリーム
 回想される過去に、カビ臭い印象が最後まで残ります。どうもモタモタしていて、筆致が冴えません。
 ジエットストリームには、私もたくさんの思い出があります。それだけに、話の中身と溶け合っていないので、もったいないと思いました。【1】

■夢で逢いましょう
 最後まで盛り上がりがありません。
 中身のない、薄っぺらな作品でした。【1】

 全10話を読み終えました。しかし、全体を通しての印象は「空」です。
 ダラダラと旧懐談が語られただけです。これから藤田は、作家としてどうするのでしょうか。そんな心配をしてしまいました。【1】
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | □藤田通読

2011年07月08日

藤田宜永通読(11)『愛ある追跡』は駄作です

 藤田宜永が『オール讀物』に2008年から9年にかけて、全4回に分けて発表した小説が、新作『愛ある追跡』(文芸春秋、2011年6月)として刊行されました。
 
 
 
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 雑誌に発表された時には読まなかったので、今回まとめて一気に読みました。
 読み終わってみて、これは藤田宜永の代表的な駄作であるとの思いを強くしました。
 藤田は、ハードボイルド物で華々しく活躍した初期から、しだいに純愛物へと舵を切りました。しかし、その転向で大きく躓き、そこから抜け出せないままに、本作でも持ち味を発揮できずに終わっています。
 人間は成長するはずなので、その過程を共有することを楽しみにしていました。しかし、この藤田の堕落ぶりは、どうやら私が藤田のかつてのよき時代に拘っているために、作風を変えた今の良さが見えないのでは、ということだけではすまないほどの重症のようです。今回のような文筆家とは言えない不出来な文章は、1冊にまとめるときに構成を考えながら大幅に書き直すべきだったのです。特に、第4章は目を覆いたくなるほどの愚作です。
 「連作ミステリー」と帯に書いてあることに釣られて本書を手にしてはいけません。
 私にとっては、衝撃的とでも言うべき凡作以下の連作を読まされることになりました。以下に読書の記録として、素直に思いつくままにメモを残すことにします。
 
 
■「男の総決算」
 
 殺人事件の容疑者となりながらも、「殺っていない」と言って逃亡を続ける娘を探し求める獣医師の父が主人公です。
 舞台は、横浜と渋谷。父は、得た情報から風俗に潜り込んでまでして、娘を探し続けているのです。
 近年の藤田の小説は、職業の特殊性を絡めて展開させることが多いようです。
 その仕事の内容に関連させることに注意が向き過ぎることもあり、背景の描写がスポット的となりがちです。話が小ぢんまりと手繰り寄せられる点が目立つので、読みながら物足りなさを感じます。
 藤田の小説には、じっと耐えて自分を自制する男がよく描かれています。そして、思考の中に踏み留まることで、物語を客観的に見つめる人物を設定しています。しかし、それが私にはかえって、藤田の小説を面白くないものにしているように思えてなりません。
 父親が警察に尾行されているところで、行方不明の娘とのすれ違いがあります。読者をハラハラさせて、スーッと話は萎みます。
 まずは序章というところのようです。この続きがどうなるのか、期待させます。【2】
 
初出誌︰『オール讀物』2008年2月号
 
 
■「愚行の旅」
 
 舞台は、三重県伊勢市に移ります。
 3人の男の息詰まる駆け引きは、一人の男が拳銃を持っていることで緊迫感があります。ただし、なぜこの場面に拳銃なのかは、説得力に欠けています。宮入が撃たれたことも、その原因をもっと書いてほしいところです。
 藤田らしい荒唐無稽な展開が、久しぶりに少しだけ味わえました。しかし、抑制が利き過ぎていて、読後感は消化不良のままです。
 話に膨らみがほしいと思いました。ストレートな表現で読み易い分、読者の情感に残るものが乏しいのです。
 話の展開はおもしろいので、そこに心情と情景の描写が丁寧になされていたら、と残念な思いで話の続きを楽しみに待つこととなります。【2】
 
初出誌︰『オール讀物』2008年7月号
 
 
■「じゃじゃ馬」
 
 舞台は、石川県白山市に飛びます。
 殺人の容疑者にされている娘の逃亡と、獣医である父が馬の病気を治す話が、ほとんど結びつきません。発想に無理があるのです。
 2つの話は、それぞれに面白いのです。馬の病気など、知らない知識に引き摺られながら、それで物語は、と思うと白けるのです。
 接点が見出せないままに、話は強引に収束していきます。しかも、人間関係が雑に扱われているような印象も残ります。
 第2話までのささやかな期待が、失望へと堕ちて行きました。さらには、最後はどうまとめるのだろう、という変な期待と楽しみで、連作の終章への思いを馳せます。
 なお、165頁と211頁に寒月のことが出てきます。突然自然がとりあげられるのです。この月に関する描写も、もっと丁寧に扱ってほしいと思いました。【2】
 
初出誌︰『オール讀物』2009年2月号
 
 
■「再出発」
 
 舞台は、群馬県安中市に移ります。
 娘がここでコンパニオンをしているという情報が入ったため、父はここで娘を捜すことになります。しかし、話は盛り上がらず、退屈なままに萎むように終わります。
 最後に大転回を期待していました。が、それも空振りで、結局は駄作に付き合ってしまった悔いが残っただけです。
 かつての藤田らしいパワーは望むべくもないとしても、近年の恋愛もののだらだら感すらないという、詐欺にあったような読後感です。
 藤田は私とほぼ同い年です。こんなに早く潰れてしまっては、これまで作品を楽しみにして読み、応援してきた甲斐がありません。
 一日も早く、読者を唸らせる作品が書ける作家としての復活を、今はただ願うのみです。
 娘の容疑は晴れていません。また、さまざまな不可解なことが、この1冊の本の中ではほとんど解決していません。そうだからといって、もしこの続きをさらに書き継ごうということならば、それはもう辞めた方がいいですよ、と言うしかありません。今の藤田には無理だからです。【1】
 
初出誌︰『オール讀物』2009年6月号
posted by genjiito at 23:30| Comment(2) | □藤田通読

2010年06月29日

藤田宜永(10)『老猿』

 『老猿』(講談社、2010.6.24)は、藤田宜永にとって、12年ぶりの書き下ろしです。
 講談社創業100周年記念出版としての書き下ろし100冊の1つです。
 新聞に広告が載ってすぐに読みました。
 
 
 
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 藤田宜永の恋愛小説には、あまりにもその下手さ加減に辟易していました。ようやく、かつての藤田らしさが伝わる作品が描けるようになったようです。私としては、元の路線を発展させたものとして、評価したいと思っています。

 語り出しは、猿との対面です。ユーモラスでうまいと思いました。藤田宜永としては、久しぶりに快調な滑り出しです。
 最近の恋愛ものとは、格段に文章がうまくなっています。かつてのキレも出てきました。このところ眼に付いていたダラダラ感がなくなっています。キビキビとしてテンポがいいので、私にとっての藤田宜永が蘇ったように思いました。

 ウルムチ出身の春恋という女との話で、主人公が初めて楼蘭のことを知ったのは、井上靖の小説だと言っています(23頁)。突然、私の好きな作家のことが出てきたので、何となく藤田とイメージが結びつきませんでした。とってつけたようで、違和感があったからです。
 そういえば、恋の話で、例として『源氏物語』のことが名前だけですが出てきます(222頁)。
 その他、日本文学の大家の名前や作品名などが何カ所かに出てきます。懐かしの音楽やテレビドラマなど、藤田が私と同年代だけに、背景にある小道具などにおもしろさを感じます。しかし、世代が違う読者は、こうしたネタを、どう思って読むのでしょうか。知りたくなりました。

 愛人関係や自殺など、物語は息つく暇もなく展開します。快調です。
 情に流されない恋情が語られるので、ごく自然に読み進められます。これまでの藤田の恋愛ものが、無理をして愛情を描こうとしていたことが、この作品から明らかになります。ここでも、かつての藤田の活劇スタイルの作品の方が、かえって人の情が描けたということが実感できます。どうやら、藤田はあの感覚を思い出したようです。
 下手だった恋愛路線との決別を歓迎します。

 月に関する描写が、何カ所が出てきます。主人公の中里は、軽井沢の別荘に来てから月を愛でるようになりました(41頁)。
 老猿がヒットマンに追われ、軽井沢の別荘から東京の月島(これが何と私の宿舎がある場所に近いのですが)へ逃げるとき、月が頭上にあります(373頁)。
 また、中国から帰った中里が軽井沢の別荘に戻り、今は亡き老猿の家を見るときにも月の光が……(420頁)。
 藤田の他の作品で、月はどうだったのか、少し気になり出しました。

 「街の底」という言葉が2度も出てきます(179頁、195頁)。これは、吉行淳之介の専売特許とでも言うべき言葉です。この言葉が、今後の藤田の作品でどう使われていくのか、興味のあるところです。

 終盤のパリでの老猿の話は、それまでとは打って変わって、とたんに話のキレが悪くなります。退屈でした。説明口調に脱したためだと思われます。完成度が高いと思って読み進めていただけに、残念でした。

 わざとらしい作り物語の匂いが幾分残っています。しかし、これから藤田宜永が変身していきそうな予感が伝わる作品に仕上がっています。【4】
posted by genjiito at 02:14| Comment(0) | □藤田通読

2010年04月13日

藤田宜永通読(9)『空が割れる』

 藤田宜永の新刊『空が割れる』(2010年4月10日刊、集英社)を読みました。新聞に広告が出て、すぐに購入して読みました。2〜4年前に『小説すばる』に発表した作品で、「空」を意識した作品集です。ただし、「小さくて不思議な空」以外は、あまり「空」が有効に機能している作品ではないように思います。

■「逆上がりの空」
 わかりやすい話です。男の存在が自然です。
 ラストの逆上がりのシーンがいいのです。それまでの話を一気に精算する場面となっています。
 しかし、私なら、これで流産する展開にして終えます。そこに物足りなさを感じました。
 このままなら、逆上がりのシーンはない方がいいと思います。【2】

・初出誌︰『小説すばる』2006年6月号

■「小さくて不思議な空」
 青空に恐怖心を抱く女の話です。
 親しくなった誠が、沙保里に示したサプライズは、物語としては盛り上がらないままだったように思われます。もっとすごいサプライズが用意されていると思ったので。
 きれいな話に仕上がっています。しかし、結末で躓いた感じです。短編小説としては、致命的なように思える失策でしょう。【2】

・初出誌︰『小説すばる』2006年9月号

■「空が割れる」
 最後の詰めに不満が残りました。
 綾乃が義弘と縒りを戻すくだりに、それまでの流れとの違和感を覚えました。そして、綾乃の口調が一転して下品になります。それまでの、いい雰囲気だった大人の恋愛ドラマが、途端にガキの痴話げんかに堕落変貌します。
 最近、とみに藤田宜永の小説は、後半になると話が空中分解します。そんなに急いで終わらなくても、と思ってしまいます。
 これは、本書の表題作です。しかし、書名を背負って代表するほどの作品ではありませんでした。執筆時期は、本書の中では後ろから二番目です。しかし、それを真ん中に配置したのは、書名にしていることと関係あるのでしょう。それだけ、作者にとっては思い入れのある作品ということなのでしょうか。【2】

・初出誌︰『小説すばる』2007年11月号

■「画用紙の中の空」
 きれいな話としてまとまっています。読み進めていて、この話がいつものように壊れなければいいが、とハラハラしながら読み終えました。うまく着地した作品で、まずは一安心です。
 オレンジ色が効果的な小説です。空も、きれいな背景となっています。話もいいし。
 もっと千鶴子を描いてもよかったのでは。
 説明口調が少し気になりました。それでも、いい仕上がりの小説です。何よりも、軽いのがいいですね。
 この題名を書名にしたらよかったのに、と思いました。【5】

・初出誌︰『小説すばる』2007年5月号

■「鈴の響く空」
 サラッとした物語に仕上がりました。読み流していて、気持ちのいい話です。
 人間のドロドロした部分を避け、無機的に語り進められます。もっとドラマチックにしても、と思われるほど、穏やかな展開です。
 若い頃のハードな作風から純愛物へ移り、そして今は藤田宜永らしさを模索中、という時期の作品なのでしょう。【3】

・初出誌︰『小説すばる』2007年8月号

■「サンタの空」
 ゆれ動く明日香の心が、巧みに描かれています。ラストシーンが秀逸です。この意外性が、藤田宜永の持ち味だと思います。
 途中が退屈でした。もっと動きを持たせたらどうでしょう。軽さが全体に漂いすぎているので。【4】

・初出誌︰『小説すばる』2008年8月号
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □藤田通読

2010年03月26日

藤田宜永通読(8)「還暦探偵」

 還暦で定年退職した男2人が、同級生だった女から夫の浮気調査をもちかけられ、それを引き受けます。
 しかし、調査対象者である夫と、還暦探偵の男同士がしだいに打ち解けて盛り上がり、とうとう夫からの人探しの依頼を受けることになるのです。

 暇つぶしの素人探偵の話です。軽めのお話です。藤田の最近の作品は、気楽に流し読みする程度の作品が多くなりました。かつての、手に汗握るハードボイルドが恋しくなります。

 50年前の映画の話がたくさん出て来ます。作者と同世代の私には、懐しい話題です。読者サービスの一種のつもりなのでしょう。しかし、作品の中での効果の程は、いささか疑問です。小説のための小道具に見えます。

 いつもながら、物語の閉じ方が不自然です。短編の難しさなのでしょう。単行本に収録される時には、このあたりに手が入ることでしょう。

 今の藤田らしい、と言えばそうなのです。しかし、表現力のある作家なので、さらにいいものを求めてしまいます。一時の純愛小説めいた、フニャフニャした作品の時期は終わったようです。還暦を境に、軽妙な語り口に変化していこうとしているのでしょうか。しかし、私は躍動感のある藤田宜永らしい初期の物語を望んでいます。【1】


掲載誌『小説新潮』(2010年4月、新潮社)
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | □藤田通読

2009年09月01日

藤田宜永通読(7)『たまゆらの愛』

 藤田宜永の新刊『たまゆらの愛』(光文社、2009.5)を読みました。
 帯には「究極の男女の姿を描いた長編小説」とあります。

 いつから、藤田宜永は冴えない作家に成り下がったのでしょうか。
 恋愛小説を指向するようになった頃からだと、私は思っています。1997年の 『樹下の想い』あたりからでしょう。
 2001年 に『愛の領分』で第125回直木賞を受賞した後は、文章が急激にプヨプヨになってきました。
 初期の冒険小説の時のような切れ味は、遙か昔のこととなりました。

 さて、本作です。
 主人公の宝田は、若者の文化と恋愛の評論家となっています。私と同年の男が、今を解説してくれています。なんとなく、くすぐったい思いで読みました。

 宝田の義兄が殺された話が、全編を通して非常に中途半端です。なかなか文字も絵も出ない、炙り出しのようです。最後に何か出てきても、ボンヤリとしたもので、よくわかりません。
 「貴之は私に大いなる謎を残して死んだ。」(158頁)と前半にあります。少しだけネタの一部を見せる手法のようです。それにしても、これは種明かしが下手でした。ネチネチと、最後まで小出しに引っ張りすぎです。これは、どこかで早めにスッキリとさせた方がよかったと思います。
 謎は、うまく使うと、読者を引っ張ります。推理小説が得意だった藤田らしくありません。

 恋愛ものでは得意となった、職人の世界を描きます。美人で魅力的なガラス職人である女主人公と、美術館の館長との不倫の過程が語られます。
 藤田の恋愛小説は、書き出しがたどたどしくて、なかなか中身に入れません。ここを辛抱しないと、藤田の作品は読み通せないのです。波に乗るまでに、時間がかかるのです。そのあたりのコツがつかめると、最後まで読めます。
 これは、人間関係の説明が、いかもに説明文となっているからです。余計な説明が、本来ならスムーズに進む物語の展開を妨げています。三分の一を過ぎた辺りから、ようやくテンポがよくなります。

 好きな作家なのに、最近は批判的に読むようになりました。好きな作家だったのに、という思いを、いつも読後に持ちます。
 今回も、そうでした。好きだった作家だからこそ、あえて読み、不満を記しています。

 とにかく、最近の藤田は話がくどいと思います。
 最後に、交通事故で話をはぐらかしてはいけません。無責任です。社会のモラルに反する人間を取り上げるのなら、当事者である人間とその置かれた社会との接点を、もっと真摯に見つめ、言葉で紡ぐべきだと思います。
 評価は読者がするにしても、作者が投げ出してはいけません。そうしなければ、帯に書いてあるような「究極の男女」を描いたことになりません。

 最終章の「魂響(たまゆら)」は、ストーリーテーラー失格だと思いました。ひどいものです。あまりにも手抜きが過ぎます。

 藤田は、筆力を感じさせる作家だと思います。それが、物語展開に多少のまずさがあっても、何とか救っていました。それが、純文学気取りでこのような結末にするとは、藤田の良さが完全に死んでいます。

 この小説は、『小説宝石』に「ガラスの告白」として、2007年7月から2009年3月まで連載されたものです。そして、それを「単行本化にあたり改題し、修正・加筆したもの」だと、巻末にあります。
 もしこれが将来、全集などに収録されるのであれば、その時には大幅に書き換えてほしいものです。
 ダラダラした文章を、再度読者に読ませるようなことは、ぜひとも避けた方がいいと思います。

 藤田宜永には、なんとか、そろそろ立ち直ってほしいと願っています。
 ダメになってしまった人のことが気になり、つい応援したくて読んでしまいました。
 
 なお、作中で吉行淳之介の作品を引くところで、『星と月は天の穴』という小説を、『星と月とは天の穴』としています(353頁)。勘違いの「と」なのか、誤植なのでしょう。吉行ファンとしては、気になりました。【1】
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2009年02月20日

藤田宜永通読(6)『恋愛不全時代の処方箋』

 『恋愛不全時代の処方箋』(2006年11月5日、阪急コミュニケーションズ)は、気楽に読み流せる恋愛読本です。
 ただし、吉行淳之介ほどの、軽みと深みの絶妙なバランスはありません。

 その企画から、本書の内容がわかります。
 編集部の女性など数人に集まってもらい、みんなの質問や体験談のやりとりを通して藤田が持論を展開する、ということの中から生まれた本です。
 「まえがき」に、

私ひとりで書いていたら絶対に見逃してしまう点がとりあげられたり、と、答えるほうも気が抜けない場面も多々ありました。


とあるように、引き出された話で構成されているところにおもしろさがあります。
 そうした話し合いをもとにして、ライターの篠藤ゆりさんが一書にまとめたものだとか。
 藤田流の盛り上がりがないのは、第三者が編集したものだからです。これは、致し方のないところでしょう。平板な流れですが、いろいろと楽しめる話題がばらまかれています。

・現代の「恋」は、「激情型」ではなくて「先読み型」に移行している。(14頁)

・女性は「関係性」で、男性は「絶対性」で生きている。(32頁)

・「恋愛」は北村透谷の造語で、LOVEの翻訳語。(35頁)

・今どきの男はメモリーの少ないパソコン。容量を超えるとすぐフリーズ。
 その時、男は恋愛ではなくて仕事を優先する。(60頁)

・女性の相談は大方が愚痴なので、男は客観的な意見を言ってはいけない。(71頁)

・「結婚」とは「恋愛」の後に「日常」が入ってくること。(153頁)

・最近の若者は、「サーキット型」と「自動車教習所型」が多い。
 しかし、共に公道では役立たない。(189頁)

・今の女性は、「万能感」や「全能感」に捉われている。
 「全能感」を満足させる男を求めるが、男は「万能」ではない。(200頁)

 本書を読み進めながら、全体的にもっと深く掘り下げたらよかったのに、という印象を持ちました。

 「最後に言いたいこと」で、こんなフレーズがあります。

日本人は、『源氏物語』のような、現代から見ればアナーキーな世界を持っていますが、同時に奥ゆかしさがあります。(200頁)


古典文学に描かれているアナーキーな恋もできません。(200頁)


 『源氏物語』や古典文学の恋愛が「アナーキー」とは ?
 藤田宜永は『源氏物語』をはじめとする古典文学を真剣に読んではいないようです。感覚的に、つい一般論として言ったのでしょうが、これについては、説明を聞きたくなるところです。

 吉行淳之介が小野小町などの古典ものを翻案したり現代語訳したように、藤田宜永も日本の古典作品を扱った作品に手を付けると、おもしろいものができることでしょう。

 藤田宜永のハードボイルド物は大好きです。しかし、恋愛物はいただけません。ならば、古典に取材した物を書いてはどうでしょうか。【2】
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2008年10月22日

藤田宜永通読(5)『喜の行列 悲の行列』

福袋を求めて並ぶ人たちの、年末から年始にかけての2日間の人間ドラマです。

並んでいるうちに、人間関係ができ、連帯感が生まれます。その諸相が、さまざまな角度から描かれていきます。そして、同時進行で、別のドラマが … 。
オムニバスです。
ますますエンターティンメントになった藤田宜永を見ました。

この小説は、群衆を描くことに成功しています。
福袋を求めて並ぶ人々の一人一人をクローズアップしながらも、その一人一人とつながる人間関係を追います。
たくさんの人の連環が、Aデパートを中心にして展開するのです。

終盤で作者は、絡みあった糸をほぐすように、一見バラバラのように見えながらも実はつながっている人間関係を、読者のために整理してくれます。サービスです。

偶然と必然が、綯い交ぜになって展開する物語です。小説というよりも、物語です。

最後は、藤田宜永の初期作品を思わせる、ハードボイルドタッチの描写が見られます。このところ、フニャフニャとしていた藤田宜永ですが、私はこの破天荒な活劇風の描写が好きです。
1日も早く、文学を気取らない藤田宜永にもどってほしいて思っています。

とにかく、いろいろな味が楽しめる作品です。

俺たちには分からない必然性があったと思うけどな(431頁)

というのが、この物語に通底する考え方です。

年末年始の40時間に起こった、一人の男を取り巻く人生の悲喜劇は、何でもなかったかのように幕が下ろされます。【4】
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2008年04月04日

藤田宜永通読(4)『恋愛事情』

 本書『恋愛事情』(文芸春秋、2006年3月)は、『オール讀物』に、2004年5月から2006年1月までに掲載された6編を収録したものです。
 なかなかよくできた、上質の短編で構成されています。

■「土鍋」
 入れ歯をめぐる場面がおもしろい小説です。
 最後の土鍋への展開が、それまでとはまったく繋がらないだけに、秀逸だと思いました。話のとじめがうまいと、感心しました。【5】

■「封を切る」
 なぜ順子は娘のことで狼狽したのか。
 若い男女の心の動きが、うまく描かれています。
 「抵抗が高いとボルトが上がる」というのは、うまい表現だと思いました。
 本当の想いを伝えられず、彼の仲人役を演じていた順子の描写が絶妙です。
 死が近いからこその告白です。場面設定と人物の位置づけが、よく練られています。昔好きだった女に背を向けて立ち去る男の、格好良さで幕となります。【5】

■「修羅の狭間」
 男と女の車間距離の大切さを語る話です。
 大人の男を描いた小品です。【3】

■「残像」
 三角関係の描写が中途半端です。
 心の動きが語られていません。表面的な人間しか描けていません。
 もったいない作品です。【2】

■「不在の女」
 スッキリした仕上がりです。背景に音楽が流れている気がします。
 人間関係の爽やかさが残りました。【4】

■「赤心」
 よく出来た話です。しかし、小説作法としての技巧が目につきます。
 節子をもっと描けば、話に膨らみが出たように思います。その意味では、少し角張った作品になっています。
 題名の「赤心」の意味を、辞書を引いて初めてしりました。「まごころ」の意味なのですね。作中に出て来る詩集のタイトルでもあります。このあたりの処理が、中途半端でした。【3】





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2007年11月22日

藤田宜永通読(3)『戦力外通告』

 藤田宜永の『戦力外通告』(講談社、2007.5.30)は、小説にしては、少し変わった書名です。

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 しかし、これにはそれなりの理由があります。今に視点を当て、時事問題も背景に取り込みながら、今どきの会社人間や夫婦や親子や友情をとりあげた小説です。

 活力あるハードボイルド小説から、甘酸っぱい恋愛小説へと移行した藤田宜永の小説が、この作品を境にして、今後はその作風を変えていくように思われます。現実を直視したいわゆる中年の世代をテーマとして、これからは作者にとっての等身大の生きざまを描いていくのではないでしょうか。これはあくまでも、私の勝手な推測に過ぎませんが。

 本の帯には、次のように書かれています。



55歳 リストラされた。
新しい人生は、そこから始まった。
戦う男たちを救うのは、
仕事?妻?恋?子供?友情?

リストラの恐怖、夫婦の危機、家族の崩壊、肉体の衰え……。悩みは山ほどあるが、まだ未来は開けているはずだ。転換期を迎えた男たちの、心の惑いを描く、渾身の長編小説。



 この『戦力外通告』の主人公は、作者よりも2つ歳下の55歳です。私は、今月ちょうど56歳になったばかりなので、まさに私と同じ世代の男の話として読みました。そして、それも他人事ではない、という気持ちで、自分の日常生活とダブらせながら、リアルタイムのテーマを題材にしたものとして、一気に読み終えました。

 人と人のつながり、というものを、改めて考えさせてくれる作品です。

 最近の藤田がよく使う手法ですが、作品の背後に、同世代の者にとっては懐かしい、オールデイズの音楽が流れています。
 最初は、「そよ風の誘惑」が、そしてカラオケでは加山雄三やピンクレディーにはじまり、「マイウェイ」「スーダラ節」「また逢う日まで」「空に星があるように」「居酒屋」等々、さらに終盤では、「神様お願い」「花の首飾り」やカーペンターズなどと、1960年代を思い出させる仕掛けが随所にちりばめられています。

 内容に触れておきましょう。

 
 夫婦というものは、恋人同士と違って、自然に手垢がついてゆく関係である。それがいい具合に出ると、新品の家具よりも味が出て、愛おしさが増してくる。しかし、膠でくっつけたようなところもある。うまく行かなくなり、膠を剥がそうとすれば、互いにかなりのダメージを覚悟しなければならない。それが嫌なら、お互い見て見ぬふりをして暮らす他ない。
(93頁)


 夫婦の関係を家具に喩えるところは、なかなか巧いと思います。


お節介を焼いている暇がお前にはあるのか。もうひとりの私が問うてきた。
(145頁)


 ここで、ウン? と思いました。
 藤田の作品で、もうひとりの自分が、これまでにいたのだろうかと。あったのかもしれませんが、改めて思ったことがありません。今後は、このような描写にも気をつけたいと思います。


天野、お前は奥さんのカウンセラー役をやっていればいいんだ。彼女は全部、受け止めてくれる人間がほしいんじゃないかって思ったよ。彼女が話したい時に、話を聞く。余計なコメントや、夫婦というものはああだこうだ、とか、俺はどうするんだ、なんてことは一切口にしないことだ。
(243頁)



ともかく、絆を取り戻そうとか、より関係を前進させようとか、絶対に思うな。表面的に付き合っていればいい。さらさらと付き合ってやれば、彼女はほっとするはずだ。
(244頁)


 結婚生活を、円満に長く続けるためには、このような心構えが必要なのかも知れません。
 私は、女性は男性とは人種が違う、と思っているので、なおさらこのような指摘が気に止まりました。

 女性が経済力を獲得したことにより、恋愛に対する状況も大きく変わり出しました。そして、現代の若者たちの恋愛観にも、女性の重みが増した価値観がウエイトを占め出したように思います。
 藤田も、次のように語っています。


団塊世代は、恋愛に対する幻想が強い、と誰かが言っていたが、当たっているように思う。恋愛という言葉を初めて使ったのは北村透谷だそうだが、明治に開花した近代的恋愛が、私の青年期辺りに大輪を咲かせたということかもしれない。しかし、完全なる合一を求め合う恋愛は、実際の場面では、悲しい結果をもたらすことの方が多い。そのことに、若者たちが気づき、恋愛に対して警戒心を抱くようになったのだろう。
(315頁)


 難しい問題ですが、恋愛観が変わりつつあることは事実だと思います。恋愛関係のみならず、社会における女性の比重が、想像を絶するほど重みを増していることは、最近の顕著な傾向と言えるでしょう。
 私は、こうした傾向に、男たちは戸惑っている、と見ています。

 生きて行く上での道半ばという状態での我ら中年世代は、これからどのように生きて行くべきか、という重たいテーマに本作はつき進んでいきます。今後の藤田の作品は、こうした問題が掘り下げられていくのではないでしょうか。
 
 熟年離婚の問題を展開する中で、藤田は次のように言います。


 夫婦をやるのは本当に難しい。たとえ元の鞘におさまったとしても、すぐには元の形には戻れないだろう。どちらかが病気にでもなるまで、ぎくしゃくしたものが残るかもしれない。
 五十五歳。何もかも忘れ諦め、寄り添うのには若すぎる。
(458頁)


 『源氏物語』以来の問題も、こんなふうに女性の口を借りて語られています。


若い頃の話だけど、私、ふたりの男と同時進行で付き合ってたことがありました。ひとりは心の相性はぴったりだったけど、あっちの方は淡泊すぎるくらいに淡泊だった。もうひとりは、性格的には合わないのに、あっちの方は私の好みだった。随分、悩みましたけど、この矛盾を解決する方法は見つからなかった
(461頁)


 これは、まさに『源氏物語』の第3部における、浮舟の視点からの、薫と匂宮のありように直結するテーマです。

 なお、主人公の愛人である晶子のことばの中で、「繰り返しになるけど」(128頁)というものがあります。
 晶子は、非常に論理的な言い方をします。しかし、このような表現を、女性はするでしょうか。少なくとも、私はまだ出会っていません。これは、作者の男としてのレベルでの文章になっている箇所だと思います。

 最後に、主人公の置かれた立場からのまとめのことばとして、こう語られます。

 
 五十五歳。人生に嵐が襲ってくる歳なのかもしれない。ゴールが見えていそうで見えない。まだ山ふたつばかり越えないと、晩年を迎えることはできないのだと改めて思った。
 翳りがさしてきたとはいえ、まだまだ元気なのだ。その元気をもてあましている歳だとも言えるだろう。本当の戦力外通告を受けるのはもっと先のことである。
(513頁)


 もっとも、作者である藤田の最終結論は、本作品の最後に語られることとなる、次のことばです。


家庭よりも恋よりも、仕事が大事と思いたい。
(513頁)


 しかし私は、中年世代のこれからの生きざまに思いを致す時に、これは少しズレているように思います。
 仕事に没頭することは、さまざまな煩わしさを一時的に忘れる上では、有効な解決手段です。しかし、夫婦関係、親子関係、社会との関係を思う時、これは違うように思います。というよりも、これは先祖返りの結論ではないでしょうか。
 今に則した、藤田の視点からの結論を、これからの作品で期待したいと思います。

 この小説の内容は、藤田にとっては、今後とも、さまざまな展開が予想されます。
 特に、夫婦や親子をはじめとする人間関係に切り込むテーマが、ますます取り上げられることでしょう。
 藤田宜永の次の作品が楽しみです。
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2007年10月27日

藤田宜永通読(2)『いつかは恋を』

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 最近の藤田宜永氏の恋愛小説は、非常に抑制の効いた文章で展開します。
 この『いつかは恋を』(講談社、2007.10)も、静かな中にもエネルギーを感じさせるものとなっています。
 特に、最終章の話の盛り上げ方はうまい、と思いました。
 母を捨てた息子との関係が元にもどる流れは、ごく自然に進んでいきます。いい場面設定ができています。
 そして、意識不明の状態にあった恋する男が、何とか命を取り留めます。そこから、主人公の久美子にとって、男との新しい人生が開けます。
 この小説は、「久美子は万感の思いをこめて、ドアをノックした。」というところで終わるのです。

 抑え気味の語り口に、これからの明るい展望が示され、読んできた者は安堵の思いで本を閉じることになるのです。

 読んでよかった、と思わせる作品です。

 初出誌は「小説現代」の2007年2月号から5月号です。出来たての小説です。
 中には、作者からのサプライズがちりばめられています。
 昭和40年代の音楽が背景に流れているのです。オールディーズの曲がオンパレードです。
 まずは、『花はどこへ行った』、そして『パフ』、『500マイル』、『夕陽が泣いている』、『帰ってきたヨッパライ』などなど。こうした曲を思い出しながら読めるのは、作者と同世代の特権なのでしょう。物語の中でロマンスを展開するのも、私たちと同世代なのです。まさに、「我らの文学」の一つが誕生したのです。
 これは、若い人にも理解が十分に届く作品です。このような世界を共有することで、世代をまたぐ文化の相互理解が深まる、と難しくいえばそんなところに落ちつきます。

 日ごろは接することの少ない職人の世界での話です。藤田の作品によくある設定です。その取材力がいかんなく発揮されていて、いい社会勉強にもなりました。

 ハードボイルド小説から恋愛小説へと作風を変遷させてきた藤田氏の、一つの型が出来上がったと言えると思います。
 やや情に流れるきらいのあった藤田氏の恋愛ものが、ここに一つの完成形を示したものだと、私は読み終えて感じました。

 もう一つ、感じたことを。
 月が印象的に扱われていました。これまで、藤田の作品に、このような描写はなかったように思います。少なくとも、効果的なものとしては。

「右の肩越しに三日月を見ると、運が開けるんですって」ふたりは月に背中を向け、右の肩越しに振り返った。(97頁)


 この場面は、なかなかいいと思います。この時のことが、後に一度だけ振り返る時があります。
 今後の藤田氏の作品で、月がどのように描写されるのか、楽しみになりました。
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2007年09月18日

藤田宜永通読(1)『リミックス』

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 『リミックス』(藤田宜永、集英社、2006.10)は、自由気ままに生きるラッパーの冬美の行動パターンがおもしろい小説です。
 何を考え、何をするのか、読者に予測できないというところがいいと思います。彼女の意外な思考と反応が楽しめます。都心を歩き回る『転々』に近い展開だと思いました。

 次の言葉を見て、藤田氏は女をよく見ていると思いました。

「身勝手さは、相手のことを慮らない力である。これは女ならではの強さに思える。」(128頁)

 私は、女は男とは人種を異にすると思っています。これは、その点を側面から突いています。

 第一章で、冬美がつぶやく『白い恋人たち』が、それまでの冬美のイメージと違っているのが気になりました。
 そんな中で、大学の国文科で和泉式部を研究しているという圭子が出てきます。その対比がおもしろいのですが、妙な味付けが中途半端なままで終わったのが惜しまれます。

 後半の、冬美をめぐるちょっとした謎解きが、読者を惹き付けていきます。その中で、先の『白い恋人たち』がキーワードとなり、エンディングを導くものとなります。
 一人の女の子をしつこく描く中で、人間の過去の重みを感じさせてくれます。

 欲を言えば、少し作り過ぎた話になっているように思われる点が気になります。ネタの新しさに寄り掛かり過ぎ、とでも言えばいいのでしょうか。

 また、中盤からの、情を前面に出したところから、前半の歯切れの良さが失われ、モヤモヤとした展開となります。タッチが二つに分裂した点も惜しまれます。【3】

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