2週間前に、銀座・和光並木館で開催されていた、三好和義写真展「京都の御所と離宮 帝の楽園」を見に行ったことは、すでに
「銀座探訪(19)桂離宮の写真展」として書いた通りです。
この展覧会は、次のような日程で、2箇所で並行して開催されているものです。
*「桂離宮」和光並木館5階/2010年1月7日〜23日
*「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」和光本館6階/2010年1月14日〜30日
「桂離宮」は終わったばかりですが、まだ「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」は月末まで見られます。
モンゴルから帰り、体調を確認するためにスポーツクラブへ行き、そのついでに、銀座四丁目角の和光本館へ入りました。
和光本館は、セーコーの時計で有名な服部時計店のシンボル的なお店です。銀座の写真には欠かせない建物です。この和光の前は、しょっちゅう通っています。地下鉄から上がると、そこがこの本館ですから。しかし、その中に入るのは、今回が初めてです。高級品に縁がなかったものですから。
最上階の和光ホールが会場でした。
50点の写真が会場の壁面を埋めています。
以下、素人の印象と感想を記します。作者の意図は別として、自分がどう感じたかです。
その意味では、前回の「桂離宮」の写真を見て、あまり自分の好みではないことを感じました。しかし、どうしてそんな印象が残ったのか。そのことが気になって、この「京都御所・仙洞御所・修学院離宮」を見に来たのです。もっと見たいと思ったのですから、三好さんの写真は魅力があるのでしょう。
私がこの一連の写真に違和感を持つのはどうしてなのか。そんなことを考えながら、今回の写真をみた感想を記します。あまり好意的な文ではないと思います。好みの問題、ということにしておきます。
「迎春の北の間」という写真は、二間の小さな部屋のフスマを見てもらいたい、という意図がわかります。しかし、部屋が歪んでいます。私には、デジタル写真を画像編集ソフトのフォトショップを使い、右側を引っ張り、さらに上下に広げたもののように見えました。
修学院離宮の写真は、紅葉の赤がどぎつく強調された発色の印刷となっていたため、私には不自然な色に見えました。京都の色ではないように感じられるのです。
ここの写真も、エプソンのインクジェットプリンターを使ってプリントされています。この違和感は、プリンターに起因するものなのでしょうか。
上御茶屋も、遠近が歪んだものとなっていました。上部を手前に引いた加工がなされているように感じました。
今回の写真では、天井の空間が歪んでいることが特徴です。天井を、一点から四方に広げようとしている傾向が見えます。
京都御所の御常御殿上段の間の写真で、御帳台横の原寸大写真は、描線が少しボケ、デジタル特有のドットが見えて、汚い写真になっていました。引き延ばし過ぎたせいでしょうか。
小御所・上段の間の御茵は、トリミングミスなのでしょうか。左肩上がりにズレていました。きちっと線が決まった写真が多かったので、気になりました。額に入れる際の、マット加工の問題なのでしょうか。意図的なのか、気づかないままなのか、よくわかりません。
紫宸殿の高御座と御帳台の写真は、左側を引っ張りすぎた構図です。かえって貧相に見えます。これは酷い、と思いました。御所で遊びすぎ、という印象が残ります。
南庭を「だんてい」と仮名が振ってありました。知りませんでした。
今回も、偶然ですが、三好さんのギャラリートークの時間となりました。この前と同じように、にこやかに解説してくださいました。
今回の展覧会は、2万枚の写真から、50点ずつを選んで展示しているものだそうです。
宮内庁からの許可を取るのが大変で、スケジュール調整が難しかったようです。前回と同じことを、今回も強調なさっていました。
この撮影には、20人のスタッフで現地に行き、2人だけで建物の中に入ったそうです。作品や調度の保存管理の上からの時間制限があり、5分だけしかなかったものもあるそうです。置かれた環境の温度などが変わらないためです。
学芸員の勉強をしたおかげで、こうしたことの理由と背景がわかり、楽しい現場での話が聞けました。
ポスターにも使われている紫宸殿は、冬至の日の夕刻に撮影したものです。空の色が不自然なピンクなので、早朝かと思っていました。
三好さんご本人の解説で、おもしろいことを知りました。それは、私が撮影の対象が歪んでいることが気になっていたことです。
今回の撮影では、3メートル50センチの距離からワイドレンズを使って撮ったそうです。そのために、写真全体が歪んでみえたのでしょう。画像編集によるものではなかったようです。
しかし、私はなぜこの歪みを取り入れた写真になさったのか、三好さんのその意図がよくわかりません。実際に人の目に見える形ではなくて、不自然な角度から御所の中を見ることの意味は何でしょうか。
そこには、撮影者の芸術観があるのでしょう。しかし、私には、不自然な発色と歪みによって伝わるものが、素直に受け付けられなかったことを、この二つの写真展で感じました。
帰りに、8枚組みのポストカードを買いました。これを今ここで見ると、実際に写真展の会場で感じたこととつながりません。きれいなポストカードなのです。一体、この感じ方の違いは何なのでしょうか。おもしろいことです。
今回の撮影は、写真集『京都の御所と離宮』(28,000円、朝日新聞社、2009・12)にまとめてあります。会場にも置いてあり、サインをしてもらっている方もおられました。
また後日、この写真集を改めて見て、今回の印象を振り返りたいと思います。
会場を出て、隣の御木本真珠店の壁のショーウィンドーケースに、粋な展示がされていました。
いかにも日本的で、それでいて目を惹き付けられる手法が凝らされています。
しばらく、眺めていました。
新しき
としの
はしめ
の
初春の
けふ
ふる雪の
いや
重け
吉
事
(『万葉集』卷20ー4516)
『万葉集』の最後を飾る、大伴家持の歌です。
天平宝字3年(759)の新年、家持42歳でした。
銀座のど真ん中に、1250年も前の和歌が、変体仮名を凝らしてこんなに新しい感覚の意匠が、街ゆく人の目に飛び込んで来るのです。
三次元の空間に浮遊する仮名の揺らぎを眺めながら、伝統や文化がそこここに満ちている日本のよさをかみしめる一時となりました。
妄言多謝