2012年11月18日

「たけくらべ」の自筆原稿における本文の異同

 第36回国際日本文学研究集会の2日目です。

 本日最後は、戸松泉先生の公開講演「「たけくらべ」自筆草稿を開く ―樋口一葉〈書くこと〉の領域―」でした。
 会場の真下にある1階の展示室では、「たけくらべ」の自筆原稿が展示されています。それと連動しての、貴重な勉強の場となりました。
 
 
 

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 戸松先生は、樋口一葉の「たけくらべ」の自筆原稿を素材として、作品の本文の変遷を語ってくださいました。『源氏物語』の本文の異同に取り組んでいる一人として、その近代文学研究の実態と対処に共通点が多く、非常に刺激的な内容でした。

 『文学会』掲載本文(『新日本古典文学大系明治編24 樋口一葉集』岩波書店)と、『文芸倶楽部』再掲載本文(『全集 樋口一葉』小学館)との本文の違いが、プリントを元にして丹念に追求されました。。
 どちらの本文を読むべきか。これは、いつの時代でも、どの作品にも共通する問題のようです。

 今日のお話では、第12章あたりから本文が特に変容するようです。

 詳細な本文の違いを検討した結果、『文芸倶楽部』へ再掲載するにあたって、作者は変貌したのではないか、ということでした。真如をどう描写するかが揺れているようです。

 今後の検討課題として、再掲載の原稿で、作者である一葉自身が、通読する読者になっているのではないか、ということを考えていきたいとおっしゃいました。

 論証が難しい問題が、数多く提示されました。本文をどう読むか、というところに帰結する内容だったので、原典を基にしたさらなる本文研究が必要だと思いました。

 なお、配布されたレジメの最後に、気になる言葉が目に留まりました。

「〜ではないか。」「ようである。」「気がする。」「感じられる。」

 こうした言い方は、実証的ではなくて、印象批評に受け取られかねません。

 全体を通しては、非常に興味深い内容でした。
 『源氏物語』に通ずる、視点を変えてのいい勉強をさせていただきました。

 これで、近代文学における身近な本文の問題として、与謝野晶子、谷崎潤一郎、そして樋口一葉の自筆原稿が確認できるようになったのです。千年前の『源氏物語』とは異なり、まさにこの100年間に書かれた生の原稿と、容易に対峙することができます。

 作者の手元で文章が揺れ動いていたことを考えるのは、本当におもしろいことです。その環境が充実してきたことと、具体的な資料が提示されたことは、今後の大いなる楽しみとなります。
 古典を敬して遠ざける方々とは、この近代の自筆原稿の話でつながりを持ちたいと思うようになりました。
posted by genjiito at 22:56| Comment(0) | ■古典文学

2012年11月17日

立冬を過ぎて加齢を実感

 ようやくと言うべきか、立冬を過ぎてやっと寒くなりだしました。

 今年の立冬は11月7日でした。私は結婚記念日と誕生日が同じ日です。ちょうど毎年この立冬の頃に中るので、季節の移り変わりがお祝いのタイミングと重なります。

 今年で61回目の立冬を迎えました。妻とは、37回もの立冬を共に迎えたことになります。もっとも、同級生だった学生時代から数えると40回目になりますが。

 月日の経つのは早いのか遅いのか、よくわからなくなりました。短かったような、長かったような。ただただ助けられながらの年月でした。
 これが、齢を重ねる、ということなのでしょうか。

 今朝は、この冬初めて、コートを着て出勤しました。
 自治大学の前では、落ち葉がカサカサと音をたて舞っていました。
 
 
 
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 今日から2日間にわたって、第36回目となる国文学研究資料館主催の国際日本文学研究集会が開催されるのです。

 この老舗と言える国際集会は、私が結婚後、大阪に移り住むようになってからスタートしています。品川にあった国文学研究資料館へ行き、伊井春樹先生にご挨拶をしてから大阪へ引っ越しました。ちょうどその頃、伊井先生などが第1回目の開催に向けて尽力なさっていたようです。
 サイデンステッカー先生やキーン先生をはじめとして、海外で日本文学を研究なさった方々は、みなさんこの国際集会を踏み台として大きな仕事をなさいました。
 今後ともこの国際研究集会がますます発展し、海外の若手研究者がたくさん育っていくことでしょう。

 委員会や打ち合せを慌ただしく終えると、熱気と活気のある研究発表と、それを受けての質疑応答を聞いていたこともあり、外の様子がわかりませんでした。そのため、午後から雨になっていたこともわからず、今朝方羽織って来たコートを部屋に忘れたまま帰りました。中野駅で電車を乗り換えるとき、大雨と強風で寒さに気付いたのです。

 明日の天気はいいようです。コートはなくても大丈夫でしょう。

 現在、国文学研究資料館の1階にある展示室では、〈研究展示「江戸の「表現」−浮世絵・文学・芸能−」〉が来週の11月20日(火)まで開催中です。

 また、特別展示として、〈樋口一葉「たけくらべ」自筆原稿展〉が、国文学研究資料館創立四十周年展示として、同じく11月20日(火)まで展示されています。この一葉の自筆原稿は、20年ぶりの公開です。

 共に入場無料です。この機会に、立川へどうぞ足をお運びになってはいかがでしょうか。
posted by genjiito at 22:44| Comment(0) | ■古典文学

2012年11月04日

秋の中古文学会―2012

 快晴の秋の一日、大阪の中南部にある大阪大谷大学へ行きました。中古文学会が今日と明日、富田林市にある大阪大谷大学で開催されるのです。

 この大学は、私が和歌山県に近い関西新空港のそばにあった大阪明浄女子短期大学(現大阪観光大学)に勤務していた頃、車で通勤していたのでよくこの横を走っていました。ただし、一度も中に入ったことはありませんでした。

 また、この大学には、私が高校の教員をしていた頃に大変お世話になり、今も感謝の気持ちを忘れていない中林功先生が、校長退職後にこの大学の入試担当をなさっていました。その直前まで中林先生は、妻が勤務する高校の校長をなさっていたのです。本当に縁のある先生です。
 さらには、この大学で中世文学を担当なさっていた小林先生は、今は同僚としてご一緒に立川の国文学研究資料館で仕事を共にしています。
 今回、中古文学会の開催校を引き受けたのが、この大学で中心的な存在となって活躍している浅尾広良君であり、彼は國學院大學の後輩なのです。
 まだあります。ある先生から電話があり、この大学に行かないかというお誘いがありました。しかし、私が大阪明浄女子短期大学に就職したばかりの年だったので、すぐに移ることもできない事情を話して、折角のありがたいお話をお断りしたことがあるのです。
 何とも、重ね重ね縁のある大学です。

 さて、滝谷不動駅に着いてから、ご一緒だった伊井春樹先生がお昼をどこで食べよう、とおっしゃいました。確かに、この小さい駅前には食事をするところはありません。一軒だけたこ焼き屋さんがあったので、ここしかないということで入りました。
 
 
 

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 伊井先生とは世界各地をお供した関係で、いろいろなレストランで食事をご一緒しました。しかし、ご一緒にたこ焼きというのは初めてです。たこ焼きは、6個で240円でした。
 取り敢えずお腹を満たした後、狭い道を縫って大学へと急ぎました。
 
 
 
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 開会後すぐに、第5回中古文学会賞授賞式がありました。今回の受賞者は、大津直子さんでした。彼女はこれまた私の後輩で、現在は日本学術振興会の特別研究員をしています。谷崎潤一郎の源氏物語訳の自筆原稿を整理していることに関して、私が特にその成果を期待している若手です。こうした賞を受賞したことにより、ますます活躍の幅を広げることに期待したいと思います。

 研究発表については、私が何かコメントできるとものはありませんでした。
 何か記すとすれば、活字校訂本文である『新編日本古典文学全集』(小学館)の『源氏物語』を引き、当該箇所に「別本」として異文を揚げて発表された方がいらっしゃいました。しかし、何を別本とするのかの説明もなく、しかも異文を掲載するにあたって、それがどこの何を引いたのかも明示されていません。異文の扱いが疎かだな、という感想を持ちました。これが『源氏物語』の本文を大事にしていない実態かと思うと、物語本文に対する意識の低さにガッカリしました。。

 休憩時間には、たくさんの先生方と言葉を交わし、慌ただしく今後のことなどの打ち合わせをしました。学会は、貴重な情報交換の場なのです。人と会って直接話をすることを、私は大事にしています。

 今日は、秋田から義兄と義姉が上洛されることもあり、懇親会は失礼して、少し早めに会場を出ました。
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2012年08月31日

空転国会の暇つぶしで決まった「古典の日」の条文は空疎な文字列

 8月29日の第180回通常国会参議院本会議で、11月1日を「古典の日」と定める法律が可決され成立しました。
 これは、24日に衆議院本会議で可決された後、参議院に送られて採決されたものです。
 多くの方々が期待されていたようですが、残念ながら祝日ではありません。しかし、日本の文化を守るための、ささやかながらも第一歩だとは言えるでしょう。

 いまや大学でも一番人気のない「文学」。しかも「文学」の中でも「古典」となると、みなさん敬して遠ざけられるのもいたしかたなし、というのが現実です。残念ですが、実際には就職に直結しないことですので。

 そのような風潮の中で、よくぞ成立したものだと思います。人々の潜在意識の中にあった危惧が、こうしたことに反応したのでではないか、とも思われます。
 また、国会が空転していたからこそ、暇つぶしと言っては何ですが、何か一つでも罪滅ぼしに良さそうなことをしておきたい、という国会議員のささやかな良心のかけらが、幸運にも作用したのだろうと、私は邪推しています。
 とにかく今は、よかったよかった、と一応はしておきましょう。

 もっとも、この法律の条文のいいかげんさに気付かれた方がいらっしゃいます。京都市芸術文化協会理事長の村井康彦先生は、国会議員の気まぐれなお遊びという一面を見抜いておられるようです。こうした思いは、私だけではなかったことを知り、やはり、という気持ちでいます。


村井 (前略)可決された法律の条文は、法律制定の背景や経緯が完全に捨象されている。源氏物語千年紀を経て、古典を大事にしなくてはと機運が盛り上がった中で制定する、といった前文でもあればいいが、「文化の日」の条文といっても通用するような内容。これでは、「古典の日」に皆で古典を鑑賞する機会を増やしましょう、というだけ。法制化は喜ぶべきですが、今後の運用をきちんと考えていかなければ。(京都新聞、2012年8月30日、「対談 「古典の日」法成立」)

 これは、冷泉貴美子さんとの対談の中での発言です。

 採決に付された条文本体を引用してみます。冒頭の「案」と末尾の「理由」以下を削除したものが、今回可決された条文となります。
 

古典の日に関する法律
 (目的)
第一条 この法律は、古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、古典の日を設けること等により、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。
 (定義)
第二条 この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。
 (古典の日)
第三条 国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため、古典の日を設ける。
2 古典の日は、十一月一日とする。
3 国及び地方公共団体は、古典の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。
4 国及び地方公共団体は、前項に規定するもののほか、家庭、学校、職場、地域その他の様々な場において、国民が古典に親しむことができるよう、古典に関する学習及び古典を活用した教育の機会の整備、古典に関する調査研究の推進及びその成果の普及その他の必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
   附 則
 この法律は、公布の日から施行する。

  理 由
 古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせるため、古典の日を設けること等の必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。


 
 「古典の日」については、源氏物語千年紀に当たる平成20年(2008年)11月1日に、源氏物語千年紀委員会が高らかに宣言しました。
 この日のことは、私もブログ「源氏千年(69)「古典の日」宣言を両陛下の前で」(2008年11月 1日)で詳しく書きました。その宣言文の「一九三〇年代に英訳されて以来、近年では二十余の外国語に翻訳されて、世界各地の人々に愛読され、感銘を与えている。」という箇所が不正確であることを、その日のブログでは問題にしていますが、このことは今は措きます。

 今回の「古典の日に関する法律」の文章では、村井先生がおっしゃるように、その契機となった『源氏物語』のことについて、何事もなかったかのように、まったく触れていません。不思議な話です。
 事務官が作文したものを、日本語の運用能力と理解力に欠ける国会議員有志の集まりとされる〈「古典の日」推進議員連盟〉が、よくそこに表現されている内容を理解できないままに法案として提出し、審議され、成立したもののようです。これまた、日本人の一人として恥ずべき事の一つだと思っています。国会が空転していたからこそ、その文案の検討が疎かになったとしか言いようがありません。

 この法案成立について、源氏物語千年紀委員会を引き継いだ古典の日推進委員会会長のコメントを拝見しました(「古典の日絵巻[制定記念臨時増刊号]」(平成24年8月29日))。
 そこには、裏千家前家元や瀬戸内寂聴さんのメッセージも掲載されています。共に、それが源氏物語千年紀から生まれたものであることを認識しながらも、その『源氏物語』から一挙に「古典」に拡大されたことにより、村井先生が指摘されるそれまでの経緯が切り捨てられていることに思いが及んでいません。なんとも、よかったよかったに終始する、脳天気なメッセージとなっています。

 裏千家の前お家元に直訴します。お家元は、本当にこの条文に満足しておられますか?
 提灯メッセージを送られたことに、私は失望しています。この条文を、しっかりとお読みになったのでしょうか。法律が制定されたという現実だけを慶んでおられる、としか思えません。

 つまり、この条文では、京都市を中心としたこれまでの努力の積み重ねが切り捨てられ、足下を掬われた形であることに、あまり気付いておられないようです。
 こんな日本語のセンスでいいのでしょうか。ことばに対して、こんなに鈍感でいいのでしょうか。

 特に、源氏物語千年紀委員会と古典の日推進委員会は、2008年を中心として獅子奮迅の活躍をなさいました。京都府も、京都市も、このことに注いだ労力は絶大です。それが、こうした古典一般に押し広げられ、その発想の母体すら消されてしまった事に対して、1日も早く気付かれるべきです。広い気持ち、などというきれいごとではなくて、正しく評価されるべきことなので、そこはしっかりと条文に明記されるべき事柄です。

 さらには、この条文の冒頭において、「国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、」とある文言に違和感を覚えます。

 この赤字で示した「促し」と「根づかせ」は、具体的には誰が国民にそう強いるものでしょうか。これは、国民に対して無礼な物言いだと、私は思います。
 この文章を作成した事務官の方に解説をしてもらいたいと思います。〈「古典の日」推進議員連盟〉の方々には理解の及ばない日本語の表現だと思えますので。サッと見て問題なしとして通過した文章なのでしょう。
 あまりにも中身のない、軽薄な条文なので、ガッカリしています。

 〈「古典の日」推進全国会議〉のメンバーの中には、恩師である伊井春樹先生も推薦人として名を連ねていらっしゃいます。果たして、このメンバーは、この条文の最終版を事前にご覧になったのでしょうか。そうであれば、こんな低レベルな駄文がまかり通るはずがありません。どうも疑問が残ります。

 私は、この「古典の日」の制定には賛成します。しかし、この条文の酷さには承服しがたいものがあります。あまりにもことばが上滑りした日本語だからです。そして、人間がその背景にいない、辞書的な意味しかない空疎な日本語の条文だからです。

 私は、法律の何たるかは、よく知りません。所詮は、法律の条文なのでしょう。法律のための日本語は、こんなものかもしれません。しかし、です……

 とにかく、この「古典の日」の制定までの歩みは、源氏物語千年紀と連動していました。
 そうであるからこそ、2008年11月1日に、国立京都国際会館で開催された「源氏物語千年紀記念式典」に天皇、皇后両陛下もご出席になり、その同じ壇上で女優の柴本幸さんが十二単姿で「古典の日」宣言を読み上げたのは、本当に意義深いものだったのです。こうした京都での動きを、自分なりに追体験もしてきたつもりです。ところが、それと今回の「古典の日」の条文が、あまりにも乖離しているのです。

 「古典の日に関する法律」の日本語による字句は、容易に受け入れがたい、まったく重みの感じられない、単なる漢字と仮名の文字列で構成された日本語文にしか、私には思えません。

 こんな愚かなことを平気でする国会議員と称する無能な一群に、私が納入している税金の一部が使われているのです。
 勿体ない極みです。無駄遣いの極みです。
posted by genjiito at 23:39| Comment(0) | ■古典文学

2012年08月27日

立川での館長科研の研究会に参加

 今西祐一郎・国文学研究資料館館長の科研費研究は、今年で3年目です。その第2回研究会が、本日午後、立川の国文学研究資料館で開催されました。
 今朝、新幹線で京都から上京してきました。

 プログラムは以下の通りです。


(1)〈ご挨拶〉今西祐一郎(国文学研究資料館・館長)
(2)〈研究発表〉中村一夫(国士舘大学・教授)「仮名文テキストの文字遣」
(3)〈研究発表〉坂本信道(京都女子大学・教授)「「无」文字をめぐる問題」
(4)〈研究発表〉海野圭介(国文学研究資料館・准教授)「二つの方丈記:ひらがな/カタカナのエクリチュールとリベラトゥラ」
(5)〈研究発表〉伊藤鉄也(国文学研究資料館・教授)「『和泉式部日記』の文字表記」
(6)連絡及び打ち合わせ


 今回の研究会は、来月9月24日にイタリアのフィレンツェ大学で開催される、今西科研第1回国際研究集会の予行演習を兼ねています。

 イタリアの方にわかっていただけるような発表を目指して、いろいろなアドバイスを受ける場ともなります。

 今西館長の挨拶のあと、まず中村一夫氏の「仮名文テキストの文字遣」と題する発表です。

 これは、『源氏物語』の各種書写本における漢字使用率に関する報告でした。『源氏物語』54巻全体を見通しての、大きな視野からの研究発表です。今後につながる貴重な指摘が数多くなされました。
 鎌倉期の古い写本ほど漢字の使用率が低い、という確認のまとめとして示された次の「時代別漢字使用率」は、いろいろと考えさせられるものとなっています。

    平均  最大  最小
全体   8.8
江戸  12.7  15.0   7.8
室町   9.3  15.5   4.7
鎌倉   6.2   9.9   2.8

 
 
 続いて、坂本信道氏の「「无」文字をめぐる問題」です。

 「も」の字母に「无」はないとする論文があるとのことです。角紀子氏「「も」の字母に「无」はない─国語学・古筆学の視点から─」(『書学書道史研究11号』2001年9月)がそれです。ただし、この論文の評価は難しいようです。私も、後でこれを読んでみたいと思います。
 定家は尊経閣文庫本『土左日記』を書写するにあたり、「も」を「无」ではなくて「毛」に書き改めているそうです。いろいろな用例を検討された上で、当時の人がどう書き分け、読み分けて区別していたのかは、今もってはっきりしない、という結論でした。
 この問題は、すでに解決していると思っていました。意外な指摘が数多くなされました。
 
 
 海野圭介氏は「二つの方丈記:ひらがな/カタカナのエクリチュールとリベラトゥラ」と題する発表です。

 特に、漢字平仮名交じりのテキストのありようについては、興味深い指摘がなされました。『三宝絵』は、女性のために、漢字平仮名交じりのテキストが最初だったそうです。『方丈記』の伝本も前田家本は平仮名交じりの書写本で枡形本なので、一見『源氏物語』などと区別がつきにくいものだという指摘は、おもしろく聞きました。大福光寺本『方丈記』は漢字カタカナで書かれているからです。書写の問題と書型の問題からの視点も、非常に新鮮でした。
 副題にある「リベラトゥラ」とは、本の内容と形を合わせて評価する、という意味だそうです。形としての本の作品性に関する概念です。最近流行していることばだそうです。
 質疑応答の中で、『方丈記』が日記や物語として捉えると、さらにおもしろくなるという指摘がなされました。
 
 
 最後は私でした。「『和泉式部日記』の文字表記」と題する発表です。

 『和泉式部日記』は4種類の本文が伝わっています。今日は、それぞれの写本の文字表記に関して、漢字と仮名の使い分けの分別をした後、その使用文字の傾向を確認することから始めました。そして、漢字と仮名の写本毎の使われ方の違いが明らかになる例を、丁寧に指摘していきました。
 また、本文異同の視点から、漢字と仮名表記に起因する例を取り上げ、異文の位相の今後への提言もおこないました。
 具体例として、「そら」「空」「浦」の本文異同は、「そら」の「そ」が「う」と同じ字形として書かれることから来るものであることなどを示しました。
 写本に書かれた文字の字母にまで遡っての調査研究は、まったくといっていいほどなされていません。その意味では、新しい切り口を提示できたかと思います。
 ただし、このネタがイタリアで理解してもらえるかというと、それは疑問です。写本などは、見たこともないでしょうから。また、平仮名にいくつもの種類があり、それが漢字から来ていることも、理解してもらうには時間がかかりそうです。これから、発表の工夫を考えます。

 連絡と打合せでは、実施担当者である私から、イタリアでの国際集会の確認をし、プログラムを確定しました。

 研究会が終わってから、立川駅前のいつものお店で懇親会を開きました。10人で賑やかに、楽しい話になっていきました。硬軟取り混ぜての話題が飛び交います。幹事役も大変ですが、きさくなみなさんなので、いつも充実した懇親会となります。

 お開きになった後、私は立川駅から夜行バスで京都に向かいます。懇親会場からすぐの立川駅北口から、神戸・大阪・京都行きの夜行バスが出ているのです。これは便利です。
 今日のブログは、その夜行バスの車中からアップしています。
 今、中央高速道を西に向かって軽快に走っています。
 それでは、車内の消灯時刻なので、おやすみなさい。
posted by genjiito at 23:22| Comment(0) | ■古典文学

2012年05月30日

新刊『古典籍研究ガイダンス』のすすめ

 『古典籍研究ガイダンス 王朝文学をよむために』(国文学研究資料館編、笠間書院、2012年6月8日発行、2,800円)が刊行されました。
 
 
 
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 日本の古典文学作品の研究をこころざしている方や、古典籍に興味のある方、そして何よりも日本の古典文学のことを知りたいと思っている方に、とにかくお勧めできる本です。
 「王朝文学をよむために」という副題が付いています。しかし、この本は日本の古典文学全般を見渡しています。
 まずは書店でこの本を手にして、ページを繰ってみてください。きっと手元に置いて読みたくなるはずです。

 この帯(腰巻き)に記されていることを転載します。この本の性格がよくわかるからです。

自分の力で
どう調べ
どう考えればいいか



わからない
ことがあるから
こそ、
きっと研究は
面白い!



▼古典籍にはどのような情報が含まれているのか。
それらの情報はどのようにして引き出して、
研究に役立てていくことができるのか。
研究方法と成果をわかりやすく
紹介する本です。

▼王朝文学についてより詳しく知りたい、
もっと深い知識を身につけたい、
自分自身の力で調べ考えたい方へ。
必携の入門書です。



 本書は、以下の31名の研究者が、1項目10ページ前後の分量で執筆しています。

執筆者一覧[掲載順]
浅田 徹/寺島恒世/古P雅義/藤田洋治/妹尾好信/鶴崎裕雄/齋藤真麻理/藤島綾/山本登朗/松原一義/伊藤鉄也/今西祐一郎/原 豊二/勝俣隆/西本寮子/小川陽子/福田景道/久保木秀夫/小林一彦/田渕句美子/小林健二/日下幸男/神作研一/安原眞琴/田野慎二/小川剛生/鈴木淳/海野圭介/落合博志/野本瑠美/森田直美


 しかも、「です・ます」調のやさしい文章であることと、入門書であることを意識した内容なのです。語られる対象は難しそうです。しかし、具体的な事例をあげて解説する語り口なので、通読にも適しています。
 図版写真として、写本や版本などが82点も掲載されています。
 私自身も『源氏物語』の1項目を担当しているので、よろしかったらご笑覧を。

 内容の細目を確認するためにも、この本の〈目次〉もメモとして以下に転載します。
 これを通覧しただけでも、その多彩なメニューが囁きかける声が聞こえることでしょう。
 特に、後半の「Part.2 本をみる・さがす」は、国文学研究資料館が編集したからこその、研究者必読の事項が並んでいます。これが知りたかった、ということが満載のはずです。

 市販されている、活字で組んだ校訂本文だけで古典文学作品を読んでいる方にとっては、古典籍の原点に立ち返り、自分が手にしている作品本文というものを見つめ直す機会にもなろうかと思います。
 今や、活字本での日本古典文学研究が全盛の時代です。しかし今一度、作品本文や研究資料の意義を再確認すべき時です。多くの資料が、写真版や影印本で刊行されています。さらには、全国に散在する古典籍の原本が、国文学研究資料館に行けばマイクロフイルム等を通して確認できる環境が整備されています。現代は、実に恵まれた研究環境の時代にいることに気付かされます。
 そうであればこそ、本書が、調べたり考えたりする上で、多くのヒントを与えてくれると思います。


〈目次〉

 序…今西祐一郎
 introduction ―わからないことがあるからこそ、きっと研究は面白い

Part.1 読みが変わる・変える

■和歌
 01勅撰集………
  『古今集』を読む―定家本に残るある写本の痕跡…浅田徹
  『新古今集』の本文―校本の作成に向けて…寺島恒世
 02古今六帖………
  貼紙の形態と本文の錯簡から底本を推察する方法
   ―黒川本『古今和歌六帖』写本と寛文九年版本…古P雅義
 03私家集………
  私家集伝本の本文―歌仙家集本系統の本文を中心に…藤田洋治
  歌物語的私家集・日記的私家集…妹尾好信
 04歌学歌論………
  「作者自筆本」から何が汲み取れるか―『近代秀歌』の定家自筆本冒頭部を見る…浅田徹
 05古今伝授………
  古今伝授…鶴崎裕雄
 06和漢朗詠集………
  橋の下の菖蒲―『和漢朗詠集』を読む…齋藤真麻理

■物語
 01伊勢物語………
  本文と絵が織りなす世界―『伊勢物語』二三段の場合…藤島綾
  古注釈書を読む―『伊勢物語闕疑抄』の場合…山本登朗
 02多武峯少将物語………
  訪書の喜び―多武峯少将物語の諸本調査…松原一義
 03源氏物語………
  書写により変異する本文―『源氏物語』を写本で読む…伊藤鉄也
  女房の「たばかり」―『太平記』から『源氏物語』を読む…今西祐一郎
  抜書の方法―『源氏物語』の享受世界―…原豊二
 04狭衣物語………
  作り物語から御伽草子へ―『狭衣物語』と「狭衣の草子」並びに天稚御子…勝俣隆
 05とりかへばや………
  写本で伝わる物語―後期物語と『とりかへばや』…西本寮子
 06中世王朝物語………
  写本の書写年代と物語の成立…小川陽子

■歴史物語
 01弥世継………
  幻の「弥世継」をさがす―世継物語(歴史物語)の継続と変転…福田景道
 02栄花物語………
  写本のかたち、本文のちがい―『栄花物語』の場合…久保木秀夫

■日記・随筆
 01土左日記………
  著者自筆原本の復元―『土左日記』の場合…小林一彦
 02枕草子………
  『枕草子』本文から見る先行文学享受の有り様―清少納言が見た『古今和歌六帖』…古P雅義
 03紫式部日記………
  現在の作品形態を超えて考える―『紫式部日記』…田渕句美子

■芸能
 01能………
  世阿弥は王朝文学からどのように能を作ったか―能「井筒」を例として…小林健二

Part.2 本をみる・さがす

■基礎知識
  書誌学の手引き―本をみる・さがす前に

■書誌学
 01奥書・識語………
  奥書・識語…日下幸男
 02刊記………
  刊記―歌書の刊・印・修…神作研一
 03古筆切………
  古筆切…久保木秀夫
 04短冊………
  短冊―美の小宇宙…神作研一
 05絵画………
  絵入り写本をみる・さがす―『扇の草子』を例に…安原真琴
  版本の挿絵を読む―歌書を中心に―…田野慎二
 06禁裏・幕府………
  禁裏・宮家の蔵書―砂巌所収「伏見殿家集目録」をめぐる問題…小川剛生
 07国学者………
  近世の注釈と創作の間―賀茂真淵の『伊勢物語古意』をめぐって…鈴木淳

■文献資料・文献情報
 01マイクロ・紙焼etc………
  マイクロ資料・デジタル画像の活用 …齋藤真麻理
 02複製本・影印本………
  複製本・影印本の活用…海野圭介
 03翻刻・校本・校訂本………
  翻刻と校訂―日本古典文学作品を読むために…小林健二
 04web・DB 、蔵書目録………
  「新出」伝本のさがし方―『今鏡』の場合…久保木秀夫
 05歴史研究の立場から………
  日記・記録の写本について…小川剛生
 06原本………
  古典籍の原本を見る…落合博志

■人間文化研究機構 国文学研究資料館 図書館利用案内

 掲載図版一覧
 あとがき…小林健二
 執筆者紹介


 この本は、〈読む事典〉だと言えます。
 私は、今すこしずつ読み出しました。通勤時間が長い私にとって、電車の中で一つ二つ三つと読み耽っています。知っていること、知らなかったことの確認ができ、知的好奇心をいやが上にも掻き立ててくれる内容なので、ページを繰るのが楽しくなっています。
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2012年05月27日

学会で研究発表をする基本姿勢

 東洋大学へ行くために地下鉄白山駅を出ようとしたところ、改札口で伊井春樹先生とばったりと出会いました。昨日の大役を終えられたばかりの先生と、道々いろいろなご相談をしながら会場へと向かいました。

 会場では、隣にお座わりの先生が時々目を瞑っていらっしゃいました。いつものことですが、疲れが溜まっているご様子です。私が最近体重がやっと50キロを超えたことを伝えると、君と反対で僕は60キロを切るようになって、とおっしゃっていました。ベストは64キロのはずです。スポーツジムでのトレーニングは続けておられます。しかし、国文学研究資料館での館長時代以上に、今はさらにご多忙の日々を送っておられます。
 とにかく、無理をなさらないように、とお声がけするのが精一杯です。

 今日の発表の1番手は、豊島秀範先生の一番弟子である神田久義君です。
 発表題目は「『狭衣物語』の堀川大殿 ─今姫君との関係を起点として─」です。なかなかしっかりした発表でした。
 
 
 
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 発表内容に関しての詳細なコメントは、ここに記す立場にないので控えます。豊島先生から質疑応答の対応を含めて温かい指導があることでしょう。
 問題意識を持たずに聞いた者として、以下に少しだけ記します。

 発表資料(レジメ)が、とにかくよくできていました。
 
 
 
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 まず、自分が使う物語本文が内閣文庫本であることを明示してあります。一般に流布する活字による校訂本文の所在と、異本に異文があればそれも明記されています。さらには、先行研究もあげてあり、問題点の所在が初めてこの問題について聞かされる者にもよくわかります。

 さらに、発表内容に即した大見出しがあり、その中に引用した資料30点のすべてに小見出しが付されています。それぞれの資料が、どのような意図による提示であるのかが明快です。
 また、引用本文で検討を加える箇所には、適度な傍線も施されています。最近の発表資料には、四角囲いや白黒反転や網掛けを始めとして、さまざまな飾りがなされているものをよく目にします。ネイルアートのようなゴテゴテした資料を見せられると、目がチラチラします。凝り過ぎです。気が散って、発表に聴き入ることができにくい場合もあります。
 その点、神田君の資料は抑制が利いています。もちろん、発表内容の要旨は、冒頭に今回の発表者全員の所にまとめてあります。

 今回の発表で自分が言わんとすることを何とかして伝えたい、という気持ちが伝わってくるレジメとなっていました。この発表資料に目を通すだけで、おおよその話の流れがわかります。欲を言えば、もう少し大きな文字で印字してあれば、さらに見やすいものとなったことでしょう。もっともこれは、私の加齢にともなう目の問題ではありますが……

 短時間での研究発表における資料の提示としては、お手本と言える出来だったと思います。優等生的な出来映えのせいか、かえって文字だらけという印象が残りました。この対処としては、図表の活用があります。図解はプレゼンテーションでは大切な働きをするものですから。
 限られた時間に限られたページの資料を提示することは、いろいろと苦心するところです。さらなる工夫と効果を目指してほしいものです。

 発表内容に関して一つだけ触れておくと、お2人の先生の論文を引いて自説と違う例にしていたことについて、その提示の仕方や口頭での表現にもう少し配慮があればよかったのでは、と思いました。
 その論文の筆者は、そのような意図のもとにその引用箇所を執筆されたものなのか、ということです。論文の読み取りと引用の仕方です。自分の都合のいいような部分だけを切り取ってきた引用になっていなかったのか。
 実際に質疑応答の場面において、引き合いに出されたお一人の先生が、自分の論文の意図を確認しておられました。
 なかなか難しい問題です。しかし、先行研究をいかに読み解いて自説との接点に対峙させるかは、研究発表での技術的な問題にもなります。これは、さらに研鑽をしてほしいと思いました。

 質疑応答での対応は、丁寧な応答で好感を持ちました。
 最近、質問をしていただいた方との距離感覚が測れない場面によく出くわします。先生からの質問と、大学院生などからの質問に対して、その対応の仕方は自ずと異なるはずです。そのためにも、質問者は所属と名前を言ってから質問しているのです。
 自分が発表者であるという立場を自覚して質問に対処しないと、とんでもない上から目線になったり、失礼な応対になったりします。衆人環視の中での人間関係への配慮は、敬語という道具でうまく切り抜けられます。問われたことに応えることに必死になるあまり、ついこの対人関係のバランスを失したりしがちです。
 そうした意味で、今日の神田君の対応はよかったと思います。

 全体として私の聞いたところでは、提示した命題に対する実証過程と論理と結論に破綻はないように思いました。しかし、それが他人を納得させるものとなっているのかどうかは、今後の評価を待つしかないと思います。

 神田君には、私に関わる仕事を助けてもらうことがあります。現在、国文学研究資料館にもアルバイトで来てもらっています。いろいろな場面で勉強を積み重ねて、さまざまな分野で活躍する研究者に育ってほしいと願っています。

 今回の学会の中で、休憩時間などを通して、多くの先生方や学生さんと話をする機会がありました。これまでのお付き合いのつながりを確認し、今問題しておられるテーマや内容がわかり、さらには新たな情報をいただくなど、学会は貴重な情報確認と収集の場であることを再認識しました。

 白山駅への帰り道で、何と東洋大学へ向かわれる室伏信助先生とばったりと出会いました。
 発表資料だけでももらうために来たとのことです。最近は歩くのが少し苦痛になって、とおっしゃっていたので、すぐに神田君にメールと電話をして、室伏先生の学会資料を確保してもらい、来週私が受け取ってお渡しすることにしました。そして、脚の調子がよくないとおっしゃる先生が誘ってくださるままに、駅前の喫茶店でいろいろなお話を伺いました。
 先生からは、いつもたくさんのお話を伺っています。今日はまず、昨春刊行した『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第1集』の巻頭に置いた室伏先生と私の対談について、親しくなさっている河北騰先生から訂正してほしいとの連絡が入っている、との話から始まりました。それは、15頁の室伏先生の発言の中にある、立教高校の宿舎に入っていたというのは間違いで、自分の家が新座駅の近くにあったのだ、ということなのだそうです。まずは、この場を借りて訂正します。今秋刊行予定の『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』で、改めてお詫びと共に訂正するつもりです。
 そして1時間半ほどでしたでしょうか、意義深い楽しいお話を伺うことができました。
 お疲れの出ない内に、また荻窪でお酒をご一緒に、という約束をしてお別れしました。
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2012年05月26日

中古文学会春季大会のシンポジウム-2012年度

 今回の中古文学会は、東洋大学で今日と明日の2日間にわたって開催されます。
 まず今日の初日は、日本文学研究を国際的な視野で牽引してこられた先生方の講演からです。

 第一部は特別講演として、東日本大震災を機に日本国籍を取得なさったドナルド・キーン先生(コロンビア大学名誉教授)です。「日本の古典文学の魅力」と題する講演でした。
 「あいまいさ」というものを取り上げて、日本文学の特質を語られました。
 先生は今年90歳です。お年を感じさせないバイタリティーで、日本全国を回っておられます。
 
 
 
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 キーン先生は、かつて本ブログで紹介したように「雨男」です。

「消失したブログの見出しリスト」(2010年7月 8日)

「雨男キーン先生とポルトガル語訳『源氏』」(2010年7月 9日)

 今日も内心心配していました。しかし、日本国籍を取得なさったこともあってか、今日は幸いにも雨は降りませんでした。晴れて「雨男」返上、というところのようです。おめでとうございます。

 続いて、ハルオ・シラネ先生(コロンビア大学教授)です。「世界へ開く和歌 ―言語・ジャンル・共同体―」というタイトルです。
 ハルオ・シラネ先生にも、ニューヨークなどでお世話になりました。日本文学を大きな視野でご覧になっています。

 冒頭で、研究の紹介が日本からの一方通行になっているという、指摘がなされました。きついお灸です。
 また、日本の和歌は世界文学として認知されていないとのことです。俳句は認められているそうです。俳句は、イメージによる理解が大きな要素となっているからだとのことです。

 最後に伊井春樹先生(逸翁美術館館長、前国文学研究資料館館長)です。「日本古典文学国際化への戦略」と題する、スケールの大きなお話でした。日本国内での人文学の国際化についての現実を、わかりやすく語ってくださいました。
 日本古典文学の情報発信として、4つの提案がありました。
(1)共同研究と情報の公開
(2)研究拠点の形成及び評価
(3)研究成果の発信と翻訳事業
(4)研究者の育成と留学生の受け入れ態勢


 なお、あらかじめインドの大学での日本文学の研究実態を調べるように、という指示がありました。ご報告したのですが、今日は他の国も含めて時間の都合でまったく触れられませんでした。先生ご自身が精力的にメールなどで、イギリス・カナダ・イタリア・アメリカ・タイ・中国・韓国など海外のお仲間から情報を集められたようです。それを伺うことができなかったのが残念です。またの機会ということにして、伊井先生の情報分析の鮮やかさを楽しみにしています。
 今日も、持ち時間の40分ちょうどで終わりました。いつものことながら、職人芸です。

 休憩の後、「第二部 国際シンポジウム ―日本の古典をどう読むか―」に移りました。

 進行・コーディネーターは今西祐一郎先生(国文学研究資料館館長・写真右端)です。
 
 
 
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 パネラーとして、キム・ジョンヒさん(檀国大学校、右から2人目)が、韓国での『源氏物語』の翻訳の実情を報告なさいました。これに関しては、特に私にとって新しい情報は何もありませんでした。ぜひとも、原文からの『源氏物語』のハングル訳にチャレンジしてほしいものです。

 2人目はクリスティーナ・ラフィンさん(ブリティッシュ・コロンビア大学、中央右)です。
 彼女の「国際化」という問題提起は、日本人にとって痛いところを突いたものでした。また、いろいろな先生との出会いから、さまざな研究テーマにぶつかり、そして今があることがよくわかりました。海外で日本文学を研究なさる方々の大変な研究環境がわかり、日本側としてはいい共通理解を得られる場となりました。
 質問に答える中で、カナダでは翻訳だけでは仕事が続けられない、クビになることにつながるという発言が記憶に残りました。翻訳という仕事は大事なことです。しかし、それが実績につながらないのでは、いいものができることは期待できません。どうか、その意義を世界中に周知したいものです。

 3人目のレベッカ・クレメンツさん(ケンブリッジ大学、中央)は、これまでにも本ブログで何度も登場してもらっている、研究仲間です。先日の「読書雑記(50)西村慎太郎『宮中のシェフ、鶴をさばく』」(2012年5月22日)でも、冒頭で紹介しました。海外の若手研究者として私も応援している一人です。
 今日は、日本語学習の経験やオーストラリアとイギリスでの日本文学研究の特徴をまとめて報告していました。呼ばれた立場が中途半端だったのか、いつもの彼女の明快さは発揮できなかったようです。もっと研究内容にシフトしたことを語ってもらう機会を楽しみにしましょう。

 今井上さん(東洋大学、中央左)は、『源氏物語』の引き歌があると思われる箇所を例にして、翻訳における違いを検討して報告する内容でした。あわせて、翻訳を通して日本人として貢献できることは何かを提示されました。なかなか手堅い発表でした。

 以上のパネラーの報告を受けて、ハルオ・シラネ先生と伊井春樹先生がコメントを付けられました。

■ハルオ・シラネ先生
・文学理論、アイロニーは、海外では共通のベースになる。
・宇治十帖が優れている。
・懸詞はユーモアと関係する。日本語は母音が少ないので、多様性に欠ける。
・俳句はイメージで翻訳する。和歌は翻訳しにくい。散文における和歌は理解しやすい。
・コロンビア大学の最初の博士論文は翻訳だった。
 その反動として翻訳を業績として認めない風潮がある。
・国際化にあたっては、口頭発表と発表資料に英語を使うこと。
・日本人は、可能な限り英語で発表してほしい。特に若い人たちは。

■伊井春樹先生
・国際化という言葉に脅迫観念を持っているのではないか。
・翻訳は業績にならないのか。
・オーストラリアの日本文学研究が衰退していること。
・引き歌の認定の難しさ
・翻訳において、引き歌は訳せないのでどうするかということについては、翻訳者の責任でしかない。

 以上のやりとりを取り仕切られた今西先生に対して、ハルオ・シラネ先生から国文学研究資料館に向けての要望が出されました。それは、雑誌論文に関して、論文の本文が出てこないということです。データベースとして、研究に関するものが遅れていると。とにかく、論文そのものをデータベース化してほしい、ということでした。
 今西館長からの回答は、権利の問題に尽きるものでした。著作権と翻刻や図版掲載の問題があって、論文本体を公開できない実情を述べられました。
 私は、ここで問題となっている「国文学論文目録データベース」の作成を国文学研究資料館での業務として担当しています。実際には、多くの大学院生などが来て、論文を読んでそれを分別・分類しています。そのため、論文題目や副題などではわからないキーワードで、驚くほどの正確さで論文が検索できるのです。しかし、読書感想文的な論文はどうでもいいのですが、手堅く資料をもとにして書かれた論文などは、取り扱う資料の所蔵者の許可を得て論文を執筆し、翻字をしているのです。そのため、その掲載許可を一々とっているので、それをウエブにそのままま掲載する前に、さらに所蔵者などに電子的なデータにして掲載することの確認をとる必要があります。つまり、手堅く資料を駆使した論文ほど、その公開にはさまざまな前処理が必要なのです。こうしたものに限って、思いつきの感想や印象の羅列でないだけに、意義深いのものが多いのです。
 館長が今日もおっしゃったように、日本古典文学に関する論文の一般公開は、こうしたクリアすべき問題がまだまだあるのが実情です。一人でも多くの方にご理解をいただくしかない問題だと思っています。ただし、公開の許可が得られた資料を扱っている論文は、1日も早くウエブ上に公開したいものです。この判別の手間に、今後とも相当の時間が必要だといえるでしょう。利用者レベルではなく、執筆者や公開のお手伝いをしている国文学研究資料館が抱える難しい問題なのです。

 予定された3時間弱の間、よくありがちな退屈さや無意味な沈黙もなく、おもしろくやりとりを聴き入るシンポジウムでした。充実した時間を、ありがとうございました。
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2012年05月19日

鴨長明のシンポジウムに参加して

 今日は、東京の霞ヶ関にあるイイノホールで、「人間文化研究機構 第18回公開講演会シンポジウム」というイベントが、国文学研究資料館の主催で開催されました。
 プログラムは以下の通りです。

【テーマ】
  不安の時代をどう生きるか
  鴨長明と『方丈記』の世界
【講演】
 「転換期の歌人長明の鬱情」 馬場あき子(歌人)
 「方丈を生きる」 山折哲雄(元国際日本文化研究センター所長)
【シンポジウム】
 「いま長明・『方丈記』を読みなおす」
■パネリスト
 荒木 浩(国際日本文化研究センター教授)
 磯 水絵(二松学舎大学教授)
 浅見和彦(成蹊大学教授)
■コメント
 馬場あき子・山折哲雄
■朗読
 和田 篤(元NHKアナウンサー)
■司会
 寺島恒世(国文学研究資料館教授)


 鴨長明を取り上げているのは、『方丈記』が書き終えられた建暦2年(1212)から数えて今年が800年目だからです。今の世相を見据えたタイムリーな企画です。

 会場は、380名ほどの聴衆で埋まりました。
 会場を見渡すと、いつもこのイベントにいらっしゃる中高年の女性よりも、圧倒的に高齢の男性が多いように見受けられました。鴨長明という人間像や、災害の記事が半分以上という『方丈記』という作品の性格と深く関係していると思われます。

 まず、歌人の馬場あき子さんが「転換期の歌人長明の鬱情」と題して講演をなさいました。
 馬場さんとは、学生時代にある宴席で横に座る機会があり、お話に交えていただいたことがありました。あれから40年近く経っても、あの頃と変わらない艶のある若々しい声です。
 いつもそうですが、今日も明快なお話でした。鴨長明集にあるいくつかの和歌を紹介され、わかりやすく長明の人と形を語られました。

 続いて、元国際日本文化研究センター所長の山折哲雄先生の「方丈を生きる」です。
 旅先での薮蚊の話に始まり、良寛や谷崎潤一郎のことに触れながら、芸術を捨てなかった人間的な鴨長明の生き方を語られました。講演慣れしておられることもあり、ゆったりと淡々と語られました。
 比叡山における修行は「論・湿・寒・貧」に耐えること。法然、親鸞、道元、日蓮たち思想的巨人は、ここから見えてくるのではないか、と。特に「湿度」の問題は重要だとも。そして、親鸞を鴨長明と同じレベルで比較してもいいのでは、と思うようになったそうです。
 そこから寺田寅彦が指摘する「涼しさ」のあり方に展開し、詩歌などで鋭敏な感覚として表現されることへと話はつながりました。これが、鴨長明の『方丈記』の冒頭にある川の流れと関係し、深い意味をたたえているそうです。また、『方丈記』に語られる風もそうだと。芸術と宗教という2つの空間を、鴨長明は数寄者の生き方で通したのです。
 話の最後は、和辻哲郎の『風土』で締めくくられました。モンスーン列島に関する蘊蓄に満ちた語りに引き込まれながら聞き終えました。

 休憩時間に、朝日新聞記者の白石明彦さんが、私がいた席にお出でになりました。『源氏物語』の千年紀を始めとしてお世話になってから久しぶりです。しばらく、お話をしました。
 いろいろな話の中で、私が刊行するはずだった『源氏物語【翻訳】事典』』が、その後どうなったのかを訊かれました。まだ再校正の段階で、と、歯切れの悪いことこのうえなしです。もう5年もかかっているのです。しかし、こうして気にしてくださっていたことを嬉しく思いました。
 白石さんが朝日新聞に署名入りで記事をお書きになったものは、必ず読んでいます。何紙かの、何人かの取材を受けてきましたが、私は白石さんの姿勢に一番好感を持っています。綿密な取材をもとにした上で、わりかやすく簡潔にまとめて書いておられるので、いつもお書きになる記事を楽しみにして読んでいます。
 今回も、この企画を記事になさるようです。これも、楽しみです。

 【シンポジウム】に移りました。テーマは「いま長明・『方丈記』を読みなおす」です。

 今回のイベントの中では、『方丈記』の朗読が3度ありました。プロの読み方は違います。原文が語りとして染み通って来ます。

 パネリストの発表は以下の内容でした。

◎荒木 浩(国際日本文化研究センター教授)
 漱石の『草枕』と『方丈記』を引き合いに出して語り出されました。漱石は『方丈記』を英訳しています。
 いつものようにテンポが心地よい、切れ味のあるお話でした。
 『方丈記』の「恥」については、もっと聴きたいところでした。今春は、京都新聞で連載を担当しておられたので、あの名調子でもっと語ってほしいところです。しかし、時間の関係で話が流れて行きました。
 提示される資料が今につながる新鮮なもので、今後の『方丈記』の研究の楽しさが伝わってくるものでした。
 
 
 
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◎磯 水絵(二松学舎大学教授)
 数寄三昧の生活の鴨長明は、和歌を声を出して歌っていたようです。
 そして、お話を伺っていて、出家者である鴨長明の、神と仏の多面的な世界にどう向き合い、どう整合性を持たせたのか、ということを知りたくなりました。
 『往生要集』を草庵に持ち込んだ鴨長明の神観念も、さらに知りたくなりました。
 つまるところ、究極の生活について考えようという話でした。

◎浅見和彦(成蹊大学教授)
 5つの大きな災厄を引いての『方丈記』に関するお話でした。
 治承4年(1180)4月の辻風について、藤原定家は『明月記』で「北方」と言い、九条兼実は『玉葉』で「三条四条」で発生したとしています。
 これを鴨長明は、「中御門京極」という非常に具体的な場所を指摘しているのです。
 それは、京都御苑の南端で、南南西の風と言っている。ここに、鴨長明の姿勢がわかると言われるのです。これは、火事の後などに、手元にあった地図にしるしを付けていたので、面積は三分の一で扇型と言えたのではないかと。歩き回る鴨長明の姿を語られました。

 ここで、2回目の朗読となりました。会場がピシッと締まります。

 最後のパネルディスカッションになりました。

 3人の発表者同士がお互いの発表に私感を加えられました。
 さらに、馬場あき子・山折哲雄氏のコメントが続きます。そのおおよそを記録しておきます。

・漱石が五大災厄を訳さなかったことの意味について、荒木先生は、面倒くさかったのだと。
・鴨長明は和歌と管弦のどちらがすきだったかという質問に、磯先生はどちらもだと。
・『方丈記』は体験者の記述だということについて。荒木先生は、実際の災害時には俯瞰的な視点にはなれない。長明は出かけて行ったのではなくて、後に追補して書いたのではと言われる。これに対して浅見先生は、当座の印象だと思われる、とされました。
・馬場さんは、長明は和歌よりも琵琶や琴の方を楽しんでいたのではないかと。
・また、神をこんなに簡単に捨てられるか?とも。
・山折先生は、漱石と谷崎の羊羹のことを引き合いに出し、『草枕』と『陰翳礼讃』で共通する問題を提示されました。
・ジャーナリストの資質という視点から見ると鴨長明はどちらか。取材タイプか救助タイプか、という提言もありました。
・『方丈記』の終章をどう読むか?という司会者からの質問に対して。
   荒木先生、唯識と禅
   磯先生、跋文
   浅見先生、仏に縋りたい
   馬場、わからないという結語
   山折、呟くような念仏

 朗読の3回目は終章の部分でした。
 このように原文を読んで確認する進行は、非常に効果的だったように思います。いかにも国文学研究資料館が主催するシンポジウムらしいものになっていた、と思いました。

 全体として、大変中身の濃い、そして充実感を共有できたシンポジウムになっていたと思います。
 私も、専門外とはいえ、いい勉強をさせていただきました。
 
 最後の今西裕一郎館長の挨拶にあったように、国文学研究資料館では来週の5月25日(金)より約1ヶ月間にわたって、立川の1階展示室で「創立40周年 特別展示『鴨長明とその時代 方丈記800年記念』」が開催されます。入場は無料です。
 主な展示資料としては以下のものがあります。

伝松花堂昭乗筆「先賢図押絵貼屏風」 個人蔵(八幡市立松花堂美術館寄託)
「方丈記」 財団法人前田育徳会 尊経閣文庫蔵
「鴨長明座像」 法界寺蔵
「嵯峨本 方丈記」 当館蔵
「方丈記」 当館蔵(川瀬一馬旧蔵)
「発心集」 個人蔵(国文学研究資料館寄託 山鹿積徳堂文庫)
堀田善衞「方丈記私記」自筆原稿 県立神奈川近代文学館蔵


 どうぞ一度脚を運んでご覧ください。
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2012年03月28日

日本の古典籍を分類するために

 鈴木淳先生が取り組んでこられた科学研究費補助金(A)による「総合目録における隣接領域の受容拡充と検索機能の整備のための研究」(平成20〜23年度)が、この3月で終了します。その最終回となる研究会がありました。

 今日は、古瀬蔵先生の「和古書データ分類ツリー表示プログラム」と題する研究成果の発表がありました。
 『国書総目録』の分類項目と、本科研で取り組んだ「日本古典籍分類表」の成果が容易に相互対比できるプログラムが出来たのです。

 発表を伺いながら、今から15年前のことを思い出していました。
 『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』のデータを作成していた時のことです。『源氏物語』の自立語すべてに、キーワードとしての分類語彙を付けるという、気の遠くなるような作業をしました。その時に、本日発表されたような仕組みの作業プログラムを仲間が作り、キーワード付けに活用しました。手作りながら、非常に重宝するものでした。

 あれから時間も経ち、コンピュータの利用環境は格段によくなりました。しかし、古典文学作品を分類するということにおいて、その判断はあくまでも人間がやることです。機械的にすべてはできません。したがって、分類作業と結果の確認は、コンピュータを使うといっても基本的なステップはあまり変わっていません。

 今回は、手作業で分類されたデータを違う角度から確認点検するためのものでした。『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』の場合とは、その性格は異なります。しかし、苦労した当時を懐かしく思い出しながら、文学研究に役立つこうした作業用のツールがいまだに共有できていない研究環境の立ち遅れを、あらためて痛感しました。

 いろいろな分野の方々との共同研究を通して、文学研究のためのデータ処理と活用に資するツールを集積していきたいものです。そして、それらを有効に生かした、複眼的で多視点から文学を読む環境作りの模索を、今後とも続けていきたいと思います。
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2012年03月16日

今西科研の第4回研究会

 今朝、大きな地震がありました。昨日に続くものです。
 徹夜で仕事をしていた時でした。少し眠くなり出した明け方の4時20分頃、突然部屋が大きく揺れ、しばらく続きました。貴重品を入れたカバンを抱え、いつでも玄関を飛び出せる態勢でいたところ、まもなく収まりました。
 すぐにテレビを点けたところ、震源は埼玉県のようでした。
 昨日は千葉県、今日は埼玉県と、震源が関東平野に入ってきています。気持ちの良いものではありません。

 さて、今日は、今西科研の本年度最後の研究会がありました。今回も、刺激的な発表でした。

 実践女子大学の横井孝先生の「「定家本」を表記から検証する ー実践女子大学本紫式部集をめぐってー」は、以下のような内容でした。いつものように、明快で問題点を示しながら話して下さるので、たくさんの考えるヒントがもらえました。

・大島本や明融本などに見られる、書写している行の途中から筆者が変わることの意味。
・定家本の定義について。
・実践本は定家仮名遣いの基準で書き写されている。
・定家自筆本の面影を色濃く残す。
・定家は「え」に「江」を使う。
・定家自身は、一字も違えず、という意識はなかったのではないか。
・字母レベルまでの索引が必要だ。
・伴久美さんが『源氏物語大成 索引』を補訂した資料がある。
・定家の仮名遣いの揺れを、時間順に見たい。

 続いて、京都女子大学の坂本信道先生は、「定家自筆本『古今和歌集』の文字遣いと書写による変遷」と題する発表でした。
 巻2までを調査された結果でしたが、4種類の写本がどのような文字を使って書写されているかを、具体的な数字を示して問題点を指摘されました。非常に明快で、これからいろいろな写本を調べる際の参考になる内容でした。

・定家自筆本は2つある。
・嘉禄本は漢字が多い。
・嘉禄本を中心にして、それ以外の写本で、漢字とひらがながどのように書き換えられているか。
・ひらがなは、かなり変えて写しているのではないか。
・写本同士の関係は、字母よりも、どの字を使っているかをみたらおもしろい。

 休憩時間に、昨年国文学研究資料館で購入した鎌倉時代の『源氏物語』の古写本16冊を、図書館の貴重本閲覧コーナーで拝見しました。これだけの数の鎌倉期古写本を一度に見るのは圧巻です。

 後半は、本年度の科研報告書に収録した資料に関して、「正徹本の画像データベースについて」と題して、私が紹介がてら報告しました。
 これは、国文学研究資料館所蔵の正徹本『源氏物語』を画像データベースにしたもので、どこにどんな文字で書かれているかが検索でき、写本の画像も表示できるものです。今月末に、このDVDを収録した報告書が完成します。

 その後、立川駅前で懇親会となりました。
 今日は、お客様が4人お出でになり、14人での賑やかな情報交換会となりました。
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2012年03月13日

色紙の禅語「竹葉々起清風」

 先日、大徳寺の前田昌道老師がお書きになった禅語の色紙と短冊のことを記しました。

「大徳寺瑞峰院老師の書「放下着」」(2012年3月 8日)

 手元にはそれに加えて、大和西大寺の谷口光昭長老の揮毫になる色紙があるので、そのこともここに記しておきます。
 
 
 
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 「竹葉々起清風」(たけ ようよう せいふうを おこす )とあります。

 このことばは、虚堂禅師の『虚堂録』にある七言律詩「衍鞏珙三禪コ之國清」(衍・鞏・珙の三禅徳、国清にゆく)を縮約したものです。門弟が天台山の国清寺にある三隠(寒山、拾得、豊干)の遺蹟を尋ねに行く際、虚堂禅師のもとへしばしの挨拶に来たときのものです。
 私は、今から5年前の3月に、伊井春樹先生とご一緒に杭州へ行った折、山深い天台山に登りました。そして、その山中の国清寺にも足を踏み入れました。
 
 
 

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 その時には、この三隠について関心がなかったせいか、そのような遺跡があったのかさえ思い出せません。しかし、とにかく奥深い山の中を登ったことは記憶に新しいところです。空気は澄み渡っていました。ちょうど今頃の季節で、風が冷たかったのでマフラーをしていました。俗界を離れた天空の寺、という感じのところでした。
 我々は車を使いました。ここを歩いて登るとなると、気が遠くなるほどの時間がかかります。天台山へ登るためにしばしの暇乞いというのも、当時は車などなかったのですから当然です。元気でな、身体に気をつけて、と虚堂禅師は声をかけたはずです。

 元の詩は以下の通りです。


誰知三隱寂寥中(誰か知らん三隠寂寥の中)
因話尋盟別鷲峰(話に因って盟を尋いで鷲峰に別れんとす)
相送当門有脩竹(相送りて門に当たれば脩竹あり)
為君葉々起清風(君が為に葉々清風を起こす)


 色紙の添え書きによれば、これは、旅立つものや出発するものへの祝福を言うことばだ、とあります。もっとも、これはいささか強引で、プラス思考での解釈という感じがします。もう一歩手前の意味に留めておくべきでしょう。

 元の詩を読むと、私には惜別の情と旅の平安を願う思いの方が強く感じられます。もちろん、「竹葉々起清風」だけを切り出してみると、相手を送るにあたって竹の葉擦れの音がさやさやと心地よいのと、笹の葉が起こす清風の爽やかさに相手を思いやる気持ちが表れています。旅立ちにあたって、道中の息災を願う情感も込められています。「さ」という清らかな音が、その背景に聞こえて来ます。

 禅語として理解すると、相手を思いやる気持ちを汲み取るといいのでしょう。決して、永の別れではないのです。自立することによって生まれる、求道の旅によって生まれるしばしの別れなのです。「行ってこい」という気持ちも伝わってきます。

 「脩竹」は、細長い竹のことです。青竹でもあり、竹藪でもあるのでしょうか。
 私には、しなやかな青竹のように思われます。

 笹擦れの音と清風が肌をかすめる心地よい感触に、何かを求めて新しく生きようとする者の成長を願う気持ちが感じられます。
 人の生きざまのこれからを見ようとする心から、穏やかな気持ちの安らぎが生まれてくるようです。

 新春早々、私の転居と娘の結婚ということにおいて、ちょうど我が家の今の状況を表すものとして、まさにぴったりのことばです。
 この書は、お茶席では1年を通してよく掛けられるそうです。
 私も、折々に目に触れるようにして、この静寂の境地を楽しみたいと思っています。
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2011年12月02日

名和先生の連続講演も最終回「歌合(2)」

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する連続講演会も、今日の第5回「歌合(2)」で最後です。

 今日も、会場はギッシリ満員でした。
 最終回は、男性の参加が増えたようです。

 最初に、「外は非常に寒いですが、私は上着がいらないほどにカッカと燃えております。」という元気な言葉で始まりました。

 今日は二十巻本の話が終わってから、十巻本の話ができたらいいが、と、歌合について語り出されました。二十巻本の巻十二「大臣 下」に収められた歌合の主催者である藤原忠通のことを、配布資料の系図を見ながら詳細に話されました。

 続いて、目録のことになり、歌合のために罫線が引かれた用紙の説明へと話は移りました。

 類聚歌合の資料の中の紙背文書は、歌合集を作成するための目次の役を果たすものであり、今で言うプログラムだとのことです。現在陽明文庫に残っている資料では、罫線はあまり明確ではないとも。

 用紙に書かれた筆跡の違いを、スライドで見ていきました。

 近衛家の方々も、年齢によって書かれている字が変わってくる場合があるそうです。人の書く文字は変わる場合と変わらない場合があり、また家熙さんの字も、慕う人が書くと自ずと似通ってくるそうです。周辺の人が書くと、字が似てくることもあるようです。これは、非常におもしろいことです。と同時に、筆跡鑑定の難しさでもあります。
 字から人物を同定することは、それだけ難しいという話になりました。

 私は、巻八の「六条斎院禖子内親王物語歌合」の話をもっと聞きたいところでした。しかし、もう残された時間がありません。話はどんどん進んでいきました。

 今回の講演会の内容は、古写本や巻子本の書誌や筆跡に拘ったものでした。
 筆跡の異同を写真で見比べるという、いわば玄人好みの話題です。萩谷朴先生の筆跡の認定を紹介しながら、筆者の違いをスライドに映しながら確認し、墨で書かれた文字を見ていかれたのです。
 それを一般の方々が、研究者ではない方々が熱心に聞き、配布資料に目を通し、スクリーンを見ながら、多くのメモを取っておられるのです。

 名和先生が、提示された資料に書かれている歌合の中の和歌を、懇切丁寧に解釈されることはありません。あくまでも、紙に書かれた文字というものに集中しておられるのです。
 その展開と会場のみなさまの姿を最後列で見聞きしていて、名和先生の話に引き込まれている参会者の方々のレベルの高さを実感しました。
 そして、そのような内容をごく自然に語り進め、普通に話し終えられた名和先生の巧みな話術に感心しました。

 これまで通り、3分超過で講演を終えられました。ただし、最終日ということもあり、その後で和歌史を踏まえたまとめがあったために、結局15分オーバーでした。

 名和先生、5回にわたる連続講演をありがとうございました。
 非常に密度の濃い時間を共有できました。

 終了後すぐに、下の階で開催されている特別展示を見に行きました。
 本日のお話にでてきた国宝や重要文化財を、しっかりと眼に収めました。
 本当に、贅沢なことです。

 今回の特別展示「王朝和歌文化一千年の伝承」は、12月4日(日)までですので、後2日となりました。すでにご覧になった方はもう一度、まだの方はこの機会にぜひとも立川に足をお運びいただければ、と思っています。
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2011年12月01日

博士論文の中間報告を聞いての雑感

 国文学研究資料館は、総合研究大学院大学の中にある文化科学研究科日本文学研究専攻という博士後期課程の基盤機関でもあります。大学のように学部や修士課程を持たない、博士(文学)の学位を取得するための博士後期課程だけの大学院なのです。
 そのせいもあって、残念ながら一般にはその存在があまり知られていません。

 現在、来年度の学生を募集しています。願書の受付は、明日、12月2日(金)から8日(木)までの一週間です。受験希望もしくは興味をお持ちの方は「日本文学研究専攻ホームページ」をご覧になり、ぜひとも受験の検討を進めてください。
 担当教員と授業科目の内容は、「授業科目」のページをご覧ください。

 さて、この日本文学研究専攻では、毎年この年の押し詰まった時期になると、研究指導を全教職員で当たることと、大学院生が博士論文の進捗状況を報告するために、中間報告論文研究発表会を開催しています。

 今日おこなわれた発表会で、私が興味と期待を持って聞いたものを、以下にメモとして残しておきます。

「草子本『さんせう太夫物語』に見る寛文期草子屋の活動」
             博士後期課程2年 林 真人

 専門外の私は、今日の発表を自由な立場で、非常に興味深く、また楽しく聞きました。

 草子本『さんせう太夫物語』は、江戸時代寛永期の正本を参照して作られた読み物だとされているようです。この草子本については、現存最古の姿を留める寛文期の与七郎本の姿がよくわかる点で、注目すべき本といわれています。ただし、与七郎本が直接の典拠ではなさそうです。

 林君の報告では、挿し絵と本文が矛盾するところがあるとのことです。例えば、草子本に「やまおかの太夫」たあるところが、絵には「むらをかの太夫」とあるなど。

 今日は、書誌・本文・挿し絵の検討を加えることで、従来ほとんどなされていなかったテーマに、資料を基にして実証的に手堅く迫っていました。その真摯な姿勢に、大いに共感を覚えました。
 ただし、もっと本自体の書誌的事項をきっちりと資料に明記してもらうと、さらに安心して聞くことができたように思います。

 また、草子屋が、本文をわかりやすく作り替えたり、挿し絵を当世風に作り替えたりしているようです。これは、『源氏物語』の読まれてきた経緯を思い合わせると、非常におもしろいテーマだと思いました。

 誰がどのようにしてお話を書き替えるのか。その工程が知りたくなりました。
 『源氏物語』においても、異本の異文は、書写者が書き写しながら物語本文を書き替えている、という方がおられます。しかし、『源氏物語』のように比較的早い時点で評価が定まった作品は、そんなに簡単に本文を書き替えながら書き写すなど至難の業です。さらに、『源氏物語』は長編物語なので、少し手を入れるとストーリーの至る所に不自然な部分が生まれます。

 そんなことを思い比べながら、今日の林君の発表を聞いていたのです。

 質疑応答でわかったこととして、この草子屋の存在は、謡曲や古浄瑠璃の草子化にもつながっていくものだそうです。文学作品の受容の問題として、これも刺激的な視点をいただきました。

 この分野では、発表資料の最後に上げてある先行研究を見ても、2000年以降の成果は塩村耕氏の『近世前期文学研究︰伝記・書誌・出版』(若草書房、2004年)くらいです。ほとんど手が着けられていなかったテーマだけに、今後の調査研究には大変な困難が伴うことでしょう。しかし、これからの研究者を目指す若者だからこそできることです。怯むことなく、まっしぐらに調べて考えることを続けてほしいと願うのみです。
 私などは専門を異にするので、何一つ言葉をかけることができません。教えてもらうことが多いのです。しかし、なかなか興味深い問題を抱える研究課題のようなので、林君の今後のますますの進展が期待されます。
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2011年11月27日

2日目も稔りの多かった国際集会

 「第35回国際日本文学研究集会」も2日目です。
 今日も盛りだくさんの発表でした。その中から、私が特に注目したものを2つだけ、メモとして残しておきます。
 
 
 
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(1)「『落窪物語』の和歌
      ─法華八講との関連から─」園山千里

 園山さんは、ポーランド国立ヤギェウオ大学准教授です。
 園山さんについては、本ブログ「ポーランド語訳『源氏物語』の新情報」(2010年11月20日)と、「ポーランドの源氏物語研究」(2011年2月10日)において、ポーランド語訳『源氏物語』について貴重な情報と本を送っていただいたことを書きました。
 直接現地におられる平安文学の研究者からいただいた情報なので、心強い思いでいます。海外には、日本文学の研究をなさっている方がたくさんおられます。日本文学が世界文学の中の一つとなっていることを実感しています。
 今日の園山さんの発表は、お人柄というべきでしょう、落ち着いて丁寧に語りかけておられました。海外での生活による話し言葉の不自然さもなく、聞き取りやすい研究発表でした。
 内容も、手堅く物語本文に書かれていることを確認しながら、配布資料をうまく使って展開されました。
 言おうとされることは、『落窪物語』は巻三から和歌の役割が大きく変わることを確認し、それによって和歌と散文を意識的に機能させている作品だ、ということだったように思います。
 今回の研究集会のメインテーマが「〈場所〉の記憶─テクストと空間─」だったので、それに合致した、まとまりのある発表でした。
 その後の質疑応答で、『落窪物語』全体における和歌の機能について質問がありました。これに対して、和歌の機能について充分に説明しきれなかったので、これが園山さんにとっての今後の課題と言えそうです。
 発表が終わってから、このことで園山さんと少しお話をしました。問題意識が法華八講にあったこともあり、これからさらに和歌の機能について勉強をして、自分なりの考えを披露できるように頑張ります、と力強く言っておられました。非常に前向きなので、今後の活躍が楽しみです。
 
 
(2)「王朝における歌合の空間
      ─村上朝天徳四年内裏歌合を受とめた後冷泉朝期の歌合─」赤澤真理

 赤澤さんは、日本学術振興会特別研究員で国文学研究資料館特別研究員でもあります。現在は、アメリカのハーバード大学で研究活動を展開している、私も注目している若手研究者です。
 本ブログでは、「源氏絵を寝殿造から見た好著」(2010年3月30日)で、その研究のユニークさを紹介しました。
 また最近では、「コーツ先生ご所蔵の源氏画帖は江戸狩野派の粉本」(2011年8月12日)で報告したように、英国ケンブリッジ大学のコーツ教授ご所蔵の源氏絵について、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の狩野探幽筆とされる源氏物語図屏風がよく似ている、という貴重なご教示をいただきました。
 源氏千年紀の2008年には、国文学研究資料館で開催した特別展『源氏物語 千年のかがやき』の図録作成や資料展示において、細やかな心遣いでお手伝いしていただいたことも忘れられません。
 今日の最後のセッションは、私にとってはお世話になりっぱなしのお二人の発表でもあったのです。

 さて、今日の赤澤さんの研究発表も、いつものように鮮やかなものでした。
 歌合という場と空間の実態が、スクリーンに映し出される図や絵によってよく理解できました。歌合は、視覚的な芸術世界として開催されていたことが明らかとなりました。そして、女性が重要な役割を果たす空間が設定され、演出されていたことも。
 さらには、座る位置や場所という着座の序列については身分制度の崩壊も関連していて、歌合という私的な空間であったからこそそのような変化が可能となったようです。まさに、赤澤さんが得意とする寝殿造の空間を、歌合を例にして、これまで誰も言及しなかった研究成果が発表されたのです。
 教わることの多い内容でした。そして、園山さん共々、今回の国際集会のテーマにふさわしいものとなっていました。
 発表内容に聴き入っていたために、スナップ写真を撮り忘れていました。またいつか、ということにしましょう。

 こうした若手の生き生きとした充実した研究発表は、知的興奮と爽やかさが伝わってきて心地よいものです。
 お二人のますますの活躍が楽しみです。
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2011年11月25日

第35回国際日本文学研究集会

 今年も、明日と明後日の2日間(11月26日(土)〜27日(日))にわたり、「第35回国際日本文学研究集会」が開催されます。会場は、昨年と同じく国文学研究資料館2階の大会議室です。
 回を重ね、35回です。日本の国際研究集会では老舗となりました。

 今年のテーマは、「〈場所〉の記憶−テクストと空間−」です。
 文学テクストに刻み込まれた〈場所〉の意味に焦点を当て、日本文学及び日本を舞台とする文学のテクストと空間との関係を考えよう、という国際集会です。

 興味深い研究発表が目白押しです。明日の夕刻には、レセプションもあります。
 チラシとプログラムをご覧になり、興味のある発表および海外の方との情報交換が必要な方も、ぜひ立川まで足をお運びください。
 あわせて好評開催中の特別展示「近衛家陽明文庫 王朝和歌の文化─千年の伝承」もご覧いただければと思います。

 チラシとプログラムは、以下のようになっています。
 
 
チラシをダウンロード
 
 
プログラムをダウンロード
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2011年11月22日

冬の到来を待つ山形の山々

 明け方、宿の窓から外を見ると、地面がうっすらと白くなっていました。雪だと思いました。しかし霜だったようで、空気は冷たくても風が弱いので心地よい1日となりました。

 展望室から四囲の山々が望めました。いつも持ち歩くソニーのサイバーショットでの撮影なので、遠景は霞んでいますが、本格的な冬を待つ山の雰囲気が摑めました。

 まずは月山。
 
 
 
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 パノラマ写真と比べながら見ても、これしか該当しません。
 間違っていたら案内パネルが……ということにしておきます。

 反対側には蔵王山がみえました。これも、この方角ということで。
 
 
 
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 山形大学には、何年か前に中古文学会が開催された時に来て以来です。
 
 
 
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 K先輩が長くこの大学の教員をしておられます。
 先週、名古屋で開催された中古文学会の委員会でご一緒だったので、それでは明日山形で、という挨拶をしたばかりです。
 先輩の研究室は本の山でした。まさに、立錐の余地もないとはこのことです。
 喫茶室で、山形の様子を詳しく伺いました。

 図書館では、国文学研究資料館の文献調査で東北地域を担当しておられるお2人の先生と、現在の調査の進捗状況やこれからのことを打ち合わせました。調査の現場でしかできない、古典籍を前にしての貴重な情報交換となりました。

 山形大学の図書館では、まだ多くの古典籍が調査を待っています。4人の先生方が、精力的に献身的な調査を続けておられます。しかし、それでもあと数年はかかりそうです。

 上杉家が持っていた書物は膨大で、質の高い本が今は数カ所に分蔵されています。
 米沢にある古典籍も、山形大学図書館の書籍群の仲間だそうです。整理されているとはいえ、今後この詳細な調査も本格的に取り組む必要があります。
 個人蔵となっていて、まだ正確には確認できていない本も多いようです。これは大変な労苦が伴うものです。
 さらには、東北も高い文化圏にあったので、貸本屋が持っていた多くの本が、この地域にも分散しているようです。

 散逸した本が多いとはいえ、それでもたくさんの本がまだまだこの地域周辺には残っているのです。
 手書きの写本の調査は、まず取りかかったということもあり順調に進みました。しかし、近世以降の版本となると、あまりにも多すぎることもあり、手付かずのままの図書館や文庫、そして個人蔵の書籍が眠っているようです。

 国文学研究資料館では、全国の大学等に所属なさっている200名の先生方に調査員をお願いし、それぞれの担当地域における日本の古典籍の実態を調査し、報告していただいています。その成果は「日本古典資料調査データベース」で確認できます。
 先生方が作成されたカードも画像として見られるので、その調査の緻密さが実感していただけると思います。まさに、気の遠くなるような調査が、全国津々浦々に人的なネットワークを張り巡らすことで進展しているのです。
 しかし、若手の調査員が育っていないようです。近代の文献も含めて、手書きや版本として印刷された本を扱うことの楽しさを、一人でも多くのこれから研究を目指す方に味わってもらいたいものです。

 活字文化がデジタル化という衣装を着だしました。そして、電子的な資料に加工されたデータが、メディアを変えて流通することが加速しています。
 そのような中、長い時間をかけて、書き、写し、印刷して伝えられて来た写本や版本の存在を、次の世代に伝えて行くことは意義深いことです。そして、そうした書物を手にとって調査する技術、ノウハウも、速やかに受け渡していく必要があります。

 現代の活字による校訂本文に浸って研究がなされている中で、少なくとも古典文学の受容においては、せめて問題となる箇所だけでも原本にどう書かれているか、という確認はしたいものです。これは、近代文学についても言えることでしょう。そして、それができる環境を作ることも大事なことです。

 国文学研究資料館が事業の柱とする、古典籍の悉皆調査と写真による収集活動は、その保存対策と共にもっと評価されてもいいのではないでしょうか。東日本大震災により、どれだけの古典籍が被害にあったのかは、もう少し時間がかかりそうです。これを機会に、物としての日本の古典籍をいかにして守り伝えるか、若い方たちと一緒に考える時間を持ちたいものです。

 帰路、ふと車窓に目をやると、米沢を過ぎたあたりから、錦繍の山々に雪が降ったところでした。
 
 
 
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 墨で書かれた文字を読むおもしろさは、まずは実体験から感得できると思います。そんな機会の多い文化的な環境を整備することも、伝統文化を次世代に手渡すために必要な施策です。

 さて、どうしたものか。
 私などには手に余ることとはいえ、旅の道々で真剣に考える時間を持つことになりました。
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2011年11月19日

名古屋での中古文学会は雨でした

 降りしきる雨の中を、名古屋で開催された中古文学会に行きました。
 会場は愛知淑徳大学です。地下鉄東山線の星ヶ丘駅からすぐでした。ただし、激しい雨のため、濡れながら会場入りとなりました。

 今回の初日は、畠山大二郎君(國學院大學大学院生)の発表を楽しみにして来ました。

 発表題目は、「『落窪物語』の裁縫 ―「裁つ」ことの意味」でした。
 
 
 
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 染色・裁断・縫製という工程を経てなされる「裁縫」という行為を取り上げたものです。
 畠山君には、これまで3回ほど、直衣装着などの実演を国文学研究資料館でやってもらいました。平安時代の衣装は、彼の学位論文のテーマでもあります。よく調べていることがわかる、まとまりのあるいい発表でした。
 こういう若者がいることは、多彩な研究が展開する意味からも、ますます活躍してくれることを期待したくなります。

 『落窪物語』の落窪の君にとって、裁縫行為の中でも、なぜ「裁つ」行為をさせなかったのか、という課題を、作品の本文を読み込むことで追求していました。従来は、「縫う」ことだけが取り上げられ、「裁つ」ことは注目されてこなかったようです。そこが、彼の今回のユニークな着眼点でした。成功したと言えるでしょう。

 『源氏物語』では、「御法」で紫の上が縫います。ただし、これは異例だとのことです。さらに詳しく聞きたくなる、魅力的なテーマを摑んでいるのです。

 「裁つ」という行為は「縫う」よりも重い行為だと、畠山君は言います。「裁つ」は、着る人や相手を限定し、特定するものなのだと。
 和歌では、懸詞や縁語として比喩的に出てくるので、実際に「裁つ」ことかどうかの判断が難しいようです。

 『落窪物語』では、実際の行動として「裁つ」が描写される作品なのです。そして、物語においては、「縫う」よりも「裁つ」が重要だという指摘をして、その論拠を展開してくれました。
 そして、落窪の君が二条邸で「裁つ」行為をすることで、北の方として認められた立場を強固にすることを物語るというのです。地位を不動のものとすることになったのである、と。納得しました。

 なお、男性が裁縫に携わる珍しい姿が『落窪物語』に描かれている、という興味深い指摘もありました。また今後のおもしろい展開が楽しみになりました。

 本日の研究発表は、終始、非常にわかりやすい発表でした。結論も明快です。
 ただし、あまりにもまとまりすぎていて、もっと内容を膨らませてくれても良かったのでは、と思いました。会場のみなさんも、もっと聞きたかったのではないでしょうか。

 質疑応答では、以下のやりとりがありました。

 ◎正妻は縫い物には携わらない、という用例はないか。
  →今のところない。自分の手で縫うことはなかったようだ。

 ◎「裁つ」という言葉に「縫う」という意味も含まれた例はないか。
  →『今昔物語』で、男性に関わってそういうものはある。
    しかし、『落窪物語』では明確に書き分けている。

 3人の先生から質問がありました。いつもと違い、やや歯切れが悪い受け答えでした。上がっていたのでしょうか。
 今回の発表は、しっかりと活字論文にして、次のテーマに取りかかってほしいと思いました。
 着実に成果を残しながら、研究が進んでいるようです。
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2011年11月18日

名和先生の連続講演「歌合(1)」

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する連続講演の第4回目の報告です。
 今日は、2回予定されている「歌合」の第1回目です。
 
 
 

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 いつものことながら、先生の講演は前置きも楽しみです。

 陽明文庫の資料は、歴史関係のものが大多数を占めています。しかし、調査・閲覧者の4分の3は国文学関係者だそうです。名和先生ご自身も国文学の出身なので、調査者に対する理解がある背景が納得できました。

 さて、歌合というと、萩谷朴先生の『平安朝歌合大成』を抜きには語れません。
 昭和13年の夏のことです。当時東大の学生だった萩谷先生は、京都大学図書館に寄託されていた近衛家の古文書類の中から「類聚歌合」を見つけられました。このことは、当時東大の助教授だった池田亀鑑先生との連名で発表されました。しかしこれはその後、京大と東大で大問題となるのです。
 ただし、今日の名和先生のお話では、その微妙な問題は簡単に触れられただけでした。萩谷先生に京都で直接この問題で話を聞いたということに留めて置かれました。萩谷先生の「勇み足」というニュアンスで語られただけです。

 私は、学生時代に萩谷先生の授業を受けました。ちょうど歌合の科目でした。今思えば、直接いろいろと質問をするんでした。私は和歌に対する問題意識を持っていなかったので、『堤中納言物語』に関してだけでも聞いておくべきでした。

 また、私は「池田亀鑑」という人物について調べているので、萩谷先生が池田先生の『校異源氏物語』の校本作成作業をなさったことや、池田先生の博士論文である「古典の批判的処置に関する研究」の仕事を手伝われたことに関心を持っています。しかし、今日は名和先生が池田先生に直接逢ったことがないというところから、講演では「池田亀鑑」という名前は出ませんでした。このことは、また別の機会にでも伺うつもりです。

 今日のお話は、陽明文庫蔵で国宝となっている「十巻本歌合」の「歌合第六」がお話の中心となりました。
 資料として配布された「十巻本歌合総目録」は、非常に貴重なものです。目録には46回の歌合の記載があります。この資料をもとにして、平安時代の歌合の実態を浮かび上がらせてくださいました。

 陽明文庫にあるのは「巻六」だけですが、巻一、二、三、八、十を伝えるのが前田家です。「前田家には、近衛家もかなわない」とおっしゃった時には、会場が沸きました。

 歌合の巻別の内容の説明は、参会者にわかりやすいように、丁寧に語ってくださいました。
 主催者をランク付けして分けていることも。

 「巻三の所に「以上後冷泉」となっていないので、後冷泉天皇の頃に目録が作られた。」
 「巻八に、「殿」と「家」と分けている。九条流には「殿」を付ける。道長に「故殿」、頼通家のことを「殿」としているので、十巻本の編纂作業は頼通の近くでなされた。」
 「チーフは源経信(帥殿)だった。巻五を書いたのは帥殿だったと思われる。」

 などなど、興味深い指摘が続きました。

 とにかく、陽明文庫にある国宝の写真を見ながら、巻六を追っていきました。
 948年に開催された天暦二年の陽成院での歌合を、詳しく見ていきました。
 当時の歌合やその編纂作業の実態がよくわかるお話でした。

 なお、歌合については、今回の国文学研究資料館の特別展が「陽明文庫における歌合資料の総合的研究」という共同研究の成果を展示するものなので、ぜひとも展示図録を手にしていたただきたいと思います。
 今日の講演会でも、名和先生がこの図録の価値を強調なさっていました。

 いつものように、先生の講演も時間が押し迫ってきました。予定していた半分だが、今日はこの辺で時間通りに終わります、とおっしゃり、前回同様に「ちょうど3分超過や」といって終わりとなりました。
 後でお聞きした話では、このクールダウン(クーリングオフ)の3分間が、聴衆にとってはとても大事なのだそうです。さっと終わってはいけないのだと。余韻を持たせる3分間ということです。納得です。

 講演会が終わってから、先生を慰労しようということで、立川の駅前に出かけました。そして、有志10人弱でご一緒にお酒を飲みながらの懇談となりました。先生は大好きな日本酒を、私は焼酎をいただきました。
 その席で、先生がいつもお持ちの赤い扇子の話になりました。普通男性用は25センチですが、先生の扇子は30センチと特別製なのです。毎年新しいものに替えておられるそうです。
 ネクタイもいつも赤なので、このブログ用に写真を撮らせていただきました。カフスも赤い珊瑚で、偶然ですが背景にも赤い壁紙が写っています。
 
 
 
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 余計なことは書くな、とのことなので、この辺にしておきましょう。

 明日は静岡で講演が。そしてトンボ返りでまた立川にお出でになり、来週月曜日に展示替えをなさいます。
 お年を感じさせないほどに、エネルギッシュに飛び回っておられます。
 
 名和先生ご自身による手作りの展示が見物です。
 時間があれば、何度でも立川の展覧会にお越しください。
 日本文化の精粋を見ていただけます。
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2011年11月11日

名和先生の連続講演「御堂関白記」その2

 名和修先生の「古典資料の創造と伝承」と題する本年度の連続講演の第3回目がありました。
 本日は、「御堂関白記」の2回目で、会場は国文学研究資料館です。

 東京の天気はあいにくの雨という一日でした。それでも、名和先生の講演会は前回に劣らぬ盛会で、会場はほぼ満席となりました。

 「御堂関白記」は藤原道長の日記です。自筆の日記で現存するものとしては、これが最古と言えるでしょう。非常に貴重な歴史資料です。

 今日の話の中で、寛弘八年(1011)の記事がありました。今からちょうど千年前に道長が書いた日記の自筆部分を、先生の説明を聞き、プリントで確認しながら追っていきました。
 会場のみなさんも、資料に目を凝らして、行間にメモを記しておられます。200名近い方々が、真剣に千年前の自筆日記を読んでおられる姿を後ろから見ていると、言いしれぬ感動を覚えました。この空間は何だろうと。

 このような資料を今に伝えて来られた近衛家・陽明文庫はもとより、そこに記された文字を読んで解釈なさる名和先生、それを目と耳でキャッチしながら追認する参会者のみなさんの集中力が、会場に熱気とでもいえるものと一緒に充満していたのです。
 とてつもない文化の受け渡しが進行する場に我が身を置いていたのです。聴講者のみなさんと共に道長の日記の背景にあるものに思いを致しながら、日本という国と人の奥深さを実感することとなりました。

 以下、本日のお話の流れを大掴みで記します。


・「御記抄」の長徳元年をスクリーンに大写し。
・「大殿」の問題について。
  大殿は道長の孫の師実のことである、という阿部秋生説に名和先生は賛同するとのこと。
・「裏書」をめぐる問題提起。
・自筆本とともに、古写本が重要な位置を占めている。
・自筆本と古写本の同じ日の記事を比べると興味深いことがわかる。
  スクリーンに2つを並べて映し出し、一字一句を詳しく解説。
  古写本は息子の頼道が書いたものではないことを確認。
  それは、自分の名前の「道」が欠字になっていることから証明。
・原本である自筆本には、脱字・誤字・読みにくい文字が多い。
  それを古写本では正しく書き直してあるものを例示。
・寛弘元年の自筆本の裏書に見られる和歌について。
  道長が「かな日記」風に、意識的に書きたかったものではないか。
  これは、この時代のかな作品の一つと言える。
・寛仁二年の裏書が一番長い文章。
・裏書は、全部で80ヶ所ある。
・古写本に裏書はない。どこがそうかは推測できるが不可能。
 それだけに、自筆本の裏書のありようがおもしろい。
・寛弘八年六月二日の、一条天皇と三条天皇の記事について。
  2人の心の動きの微妙なところを、どうにもうまく日記に表現できない道長の姿がある。
  道長のもどかしさが、その日記の文字の書きぶりから読みとれる。


 ご自分で資料をスクリーンに映し出しながら、「これ何ですか?」と、関西人特有の自分でボケながら会場を和ませる語り口で、いつものペースで難しい話を噛み砕いて進めていかれました。

 この他、たくさんの興味深い指摘がなされました。

 前回は3分の超過。今日は大急ぎでしたが、同じく3分オーバーでした。
 みなさん、もっと聞きたいのに、という雰囲気の中で終了となりました。
 道長自筆の日記の内容を咀嚼しながら、歴史の裏側を名和先生流の語り口で聞くことができました。
 非常に楽しく意義深い90分でした。
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2011年10月28日

名和先生の講演「御堂関白記」その1

名和先生による「古典資料の創造と伝承」と題する本年度の連続講演の第2回目は、「御堂関白記(1)」でした。会場は、国文学研究資料館です。

ご講演が始まる前に、控室で豊臣秀吉と近衛家に関して、少し歓談する時間がありました。先生は、ますますお元気です。

以下、東京まで聞きに来られない方から、お話の内容を伝えてほしい、ということなので、私の勝手なメモですが、本日の講演内容を日記として残しておきます。正確でないところは聞書なので、ということでお許しください。

会場は前回に増しての大盛況です。立川の新庁舎でも、この部屋が一番大きいのです。ぎっしり満席なので、つめつめで座っていただくしかありません。

「御記抄」が重要な資料であることから、お話が始まりました。

道長の日記である「御堂関白記」は、本来36巻あったと思われます。
1年で前半と後半の2巻があったはずです。しかし、一巻しか残っていない年があります。
現存自筆本としては、14巻のみ伝わっています。

「平松本」といわれる本は、「御堂関白記」の古写本の系統を写していても、新しい写本なのです。しかし、自筆本や古写本にない記事を書き残しているので、これも貴重な資料となっています。

古写本は、大殿(師実)と某の2人で写したものです。
この「平松本」も合わせて、「御堂関白記」の全貌が明らかになってくるわけです。

道長は、およそ3800日以上は日記を書いています。人がそれぞれの立場で日記を書くことの意味を、あらためて考えさせられます。

さて、肝心の「御堂関白記」の巻子本です。
寛弘7年の記事で始まる巻の表紙の裏に、「これは披露すべきものではないので早く破却すべきものである」と日本漢文で書いてあります。会場のスクリーンに大写しにされました。
これは、子孫が書くはずはないので、道長自身が書いたものと思われます。この言葉の通りに破棄していたら、これは今に伝わらず、国宝にもならなかったのです。
記録や日記は、こうした性格があるものです。それが千年もの長きにわたって残ってきた意味は、いろいろなことを考えさせてくれます。
このスライドには、みなさん釘付けでした。

漢字が並ぶ道長の日記です。その中から、身体の部位や 暦の知識などが書かれた場所を画面に示して、おもしろ例を蘊蓄を傾けながら語ってくださいます。

「御堂関白記」に何が書かれているのか、分かり易い例で会場のみなさんを引き付けていかれました。特に、今の日記と比べながらの説明は、千年前の道長の日記を、今我々が見ていることを忘れてさせてくれます。

閏月のある月は巻物が太くて、寛弘7年の巻は13メートル26センチもあるそうです。今日の後半は、この寛弘7年の巻を例にされました。紙で29紙を継いでいます。それ以外は、1メートルほど短いようです。
この巻子の半年分すべてを、スライドで流していかれ、ポイントを概説してくださったのです。これだけで本物を見終わった気になり、道長の日記の実態がよくわかりました。
とにかく、一日で暦の知識が豊かになりました。

続いて、具注歴の裏に書かれた道長の記述に移りました。
今日解説されているのが、『源氏物語』が書かれたことが確認できる最初の年である寛弘5年から2年後の寛弘7年の道長の日記なのです。私も興味深々で拝聴しました。
生の資料を、しかもそれを管理なさっている名和先生から直々にむ聞いているのですから。
おまけに、実物が階下の展示室で実際に並んでいて、自分の目で見て確認できるのです。

なお、先生は「紫宸殿」のことを「ししいでん」と発音なさっていました。
これは、私が学生時代に教わった読み方と同じです。今では、ほとんど聞かれなくなりました。それを、名和先生ははっきりと「ししいでん」とおっしゃったのです。何となく、うれしくなりました。

肝心の裏書きの話は、そのほとんどが時間切れのために次回となりました。今日、一番聞きたかったことです。

この前は、30分以上も延びる大熱演でした。今日は、先生らしくないとでも言うべきか、ほぼ時間通りに終わりました。事務からの時間厳守のお願いが響いていたようです。

そのせいもあってか、ちょうどいいところで、この続きは次回に、となったのです。

終わってから、控え室で先生に、一番佳境に入ったところで「つづく」はないですよ、と申し上げると、「ドラマももう少しという所で終わるやないか」と大笑いをしておられました。

そして、「おまえは、またブログに書くんやろ」とおっしゃるので、今回立川に来られないたくさんの方が、どんな話だったかを知りたがっておられますから、と答えると、「しゃべった内容はわしに権利があるぞ」と、また大声で赤い扇子を泳がせながら笑っておられました。

その後、前回同様に東京駅まで出て、新幹線で京都に向かいました。

この記事は、久しぶりに新幹線の中から、iPhone を使って送信しています。
誤字脱字がありましたら、狭い座席で窮屈な思いをして入力をしたものということで、ご寛恕のほどを、お願いします。
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2011年10月20日

【復元】『源氏物語』の翻訳について考える

 最近、『源氏物語』の翻訳について考えることが多くなりました。
 『源氏物語』は英語に限らず、31種類もの言語に翻訳されていることは、本ブログでも何度か書いてきました。
 その翻訳とは一体何なのか、ということです。
 ことばを単純に異なる言語に移し替えるだけなら、それは翻訳ではありません。
 作品で語られる心情や文化も言い換えるのですから、そこには複雑な要素が含まれます。
 そんなことに、いろいろと思いを馳せることが多くなったのです。

 以下の記事も、クラッシュしたデータの中にあったので、ここに再現しておきます。
 
  
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月5日公開分 
 
副題「サイデンステッカー氏の翻訳談義」
 
 
 日本文学が世界文学の一分野として認知されることを願って、昨秋『世界文学としての源氏物語 【サイデンステッカー氏に訊く】』(伊井春樹編、笠間書院、2005.10.22)が刊行されました。
 伊井春樹先生の対談の名手としての本領が発揮され、サイデンステッカー氏にさまざまなことを語らせるという、収穫の多い本となっています(巻末の書影と資料提供で、私もささやかながらお手伝いをしました)。
 
 
 

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 その中から、サイデンステッカー氏が翻訳に関して語ったところを、少し抜き出してみました。


◆「川端先生と谷崎先生以外のものをやりたくないと思って、『源氏物語』の方へまわったということです。それからもう一つ、翻訳は、楽なものは退屈ですよ。難しくなければ退屈です。ですから、何か難しいものをやりたいと思ったのです。手がけてみるとたしかにその通りでした。だか(ママ)『源氏物語』をやったのは一番面白い仕事でした。」(49頁)

◆「『源氏物語』の中で「若紫」巻は一番読みやすい巻です。ですから、そういうところはやりたくないです。難しいところをやりたいと思って(笑)、宇治十帖から始めました。」(52頁)

◆「私の翻訳した巻の名前ですが、存在しないものを作り出しました。ウェリーは「Aoi」ですが、私は「Heartvine」としました。そういうものはいなのです。タチアオイということではなくて、葵祭の葵、葉っぱは今のハートの形になっている。それから、「ハート」はいろいろ関連が出るでしょう。恋愛とか哀しみとか。私の発明ですが、「Heartvine」という植物は存在しないです。割と評判がいいらしいですけど。」(65頁)

◆「「涙で枕が流れた」。それはちょっと大袈裟ですね。私は文化が違うというつもりで削ったんです。バカにされない程度に、涙の洪水を小さくしたということでした。それはいいことじゃないのかもしれません。そのまま翻訳すべきだったかもしれません。でも、今でもどちらがいいかわからないです。とにかく文化が違うから、バカにされない程度に書き直すというつもりでしたね。」(74頁)

◆「助けになりましたのは、谷崎先生と玉上先生でしたね。一番最後のところは、ちょっと円地先生のものも使いました。」(96頁)

◆「翻訳者は「贋金作り」と思うのです。つまり、できるだけ原文そのままを作る。例えば、アメリカの一ドル札を偽造して、ワシントンをもっときれいなワシントンにしたら、いい金作りではないでしょう。翻訳者もそうです。ですから、私は、翻訳を「原文よりいい」と言われるのは、褒めることばではないと思います。翻訳者はそうすべきではないです。できれば忠実に、もとのものを作るべきです。」(99頁)

◆「ウェイリーの翻訳では紫式部の言おうとしたところは通じていないと思って、やり直してみたいと思ったのです。」(103頁)

◆「私たちがやるのが「翻訳」で、日本人のやるのは「新訳」だということに、私は賛成できないです。日本人のやるのも「翻訳」ですよ。」(103頁)

◆「末松謙澄の翻訳をあまり買わないというのは、彼のやった仕事がどれくらい難しいかわからないからじゃないかと思います。非常に難しいものですよ。「外国語から」ではなく、「外国語へ」翻訳するというのは非常に難しいです。」(113頁)

◆「「完全な翻訳」は、必要ですが、不可能です。ドイツ語と英語の間でしたら、理想的な翻訳に近いものがあり得ると思います。フランス語は少し遠のく、フランス語と英語は似ていないですから。でも、ドイツ語と英語は兄弟です。その間に完全な翻訳ができるかもしれません。しかし、平安の日本語と現代の英語との間では不可能ですね。」(155頁)

 
 
 

********************** 以上、復元掲載 **********************
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2011年10月19日

【復元】『カリスマ先生の古典文法』

 ここで取り上げている『七日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の古典文法』は、2006年に刊行されてすぐに書いた書評です。
 著者は、当時著名な予備校講師で、本書のレビュー記事を見ても結構好意的な評価や感想を今でも読むことができます。多数の受験参考書を刊行されている方です。独特の語り口で受験生の心をつかんでおられるようです。ただし、私は批判的な視点で寸評を記しています。

 その後、この記事がサーバーのクラッシュによって読めなくなっているので、散在するファイルからかき集めて今回復元しました。

 この本は、今では絶版になっています。ただし、中古本としては入手可能です。
 このような本があったということで、復元して掲載しておきます。
 
 
(※以下の記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月4日公開分
 
 
副題「老化に伴う脱力と軽薄の間」
 
 
 突然ですが、ひょんなことから『七日間で基礎から学びなおす カリスマ先生の古典文法』(山本康裕、PHP研究所、2006.1.9)を読んでしまいました。
 書店で見かけ、パラパラとめくって興味を持ちました。おもしろかったのです。オイオイと、突っ込みを入れながら、楽しく読みました。私は文法の話には興味があまりなくて、この本の著者の時代錯誤を大いに楽しませていただきました。
 このような先生が予備校で受験生を相手にし、ご自身はカリスマ先生と言われた昔が忘れられなくて、臆面もなく受験生の前で古典文法を講義し、こうして本にまでして自己顕示をしておられるのですから、それはそれで立派なものです。皮肉ではなくて、本当に軽薄派のおもしろい本でした。語り口が人を食った所を楽しむ本です。
 
 
 

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 「大学入試古文の、文法問題のミスを暴いて、「しっかりせんかい」と叱るのが、本書のスタイル」(六日目、178頁)だとあります。タイトルと中身の落差もいいですね。人間としてこういう老い方はしたくないと、いい教訓の書にもなりました。
 著者の先生には失礼ですが、固そうでバカらしい著書という意味からも、興味のある本です。

 個人的な感想の吐露では失礼なので、少し具体的に内容を引きながら、触れておきましょう。括弧内は私のコメントです。
 

・八〇日間で、全七章、四〇〇字詰の用紙で三五〇枚を、ヘロヘロになりながら仕上げました。(まえがき、P4)
(この内容で八〇日とは。1ヶ月の間違いではないでしょうか。)

・学術論文ではありませんし、論証の過程も含めて、いささか粗雑の感は否めませんが、言いたいことはほぼ尽きているかと思います。(あとがき、223P) 
(これで尽ききている、というところが、著者の限界のようです。読者に失礼です。)

・ネタも言いまわしも、いささか乱暴ですが、文法を毛嫌いなさらず、ご意見・ご感想・ご質問あらば、お寄せください。かならず、ご返事いたします。(あとがき、223P)
(「かならず、ご返事いたします。」に、本書中での無責任さのフォローを感じました。もっとも、ピンボケの返事はお断りしたいのですが。)

・大学の関係者に、高校のカリキュラムを、もっと真剣に学んでもらいたいと思います。よく、「古文の実力が落ちた」と言います。受験生に、責任はありません。授業時数を激減させ、古典から生徒を遠ざけたのは、ほかならぬ文部省(文部科学省)です。貴重な文化遺産を、後の世に伝えようとする意欲は、国がみずから捨ててしまった結果ですよ。(二日目、57P)
(もう、早々と錯乱状態で支離滅裂です。著者にはコンプレックスというか、被害妄想的な独善性があるように思われます。老いのせいにすればいいのでしょうが。読まされる方は、たまったものではありません。)

・『源氏物語』は、学生時代にひととおり目を通しました。とても「読んだ」とは言えない。筋を追っただけですし、分かったような分からないような、模糊とした印象しかありません。今は授業のために、必要に迫られて調べる。そのために、向きあうのですから、「読んで楽しむ」にはほど遠い。(四日目、133頁)
(これで、受験生に「古文の本来の味わい方」(134頁)を語り、そして古典文学作品をしっかりと読めと唆すのですから、何とも無責任です。)

・学生時代には、ひととおり論文に目を通して、それなりに理解した気になっていましたが、俗世間を泳ぎまわっているうちに、みんな忘れてしまいました。(五日目、158頁)
(なんとも無責任なことばです。こういう話を聞かされた学生は、古典文学なり文学研究の無意味さを実感する以外の何ものでもない、無責任発言です。)

・名古屋大学の国語国文学研究室のプロ集団は、誰もこのミスに気づかなかったのか。入試問題の検討委員会で、チェックできなかったのか。学校文法・入試文法について、もっとよく勉強していただきたい。
(著者は、学問の何たるかをまったく理解しておられないようです。大学入試で点数を稼ぐ方法を教えるだけの方のようです。研究者に、学校文法・入試文法を勉強せよとは、本末転倒としか言いようがありません。)

・国語学・国文学を、キチンと学んでいない、言わば「素人」であることを、自ら告白している本だと言ってもいいでしょう。(5日目、170頁)
 学問的に正しいか否かはともかく、入試にどのように出題されているかがポイントで、予備校講師の最も神経を使うところです。(六日目、176頁)
(著者の言うプロと素人の定義が不明です。著者自身が、古典文法の素人なのではないでしょうか。)

・学校の勉強ばかりして、いい大学に入ったら、あとは楽チンの人生、と考えているとしたら、とんでもないことです。(六日目、194頁)
(まったく現代社会における学生たちを理解していない発言となっています。自分が現役だった遥か昔の物差しで今を見るのは、やはり無理があります。若者に失礼です。老い故の限界でしょうか。)


◆著者の言葉遣いも気になりました。

 例えば、「ご一読くださらぱ、幸いです。」(五日目、161頁)の「くださらば」は、日本語としてどうでしょうか。私は使ったことがないし、目にしたこともないものです。

 「本文を改定しました。」(五日目、150頁)は「改訂」の方がいいと思います。「本文校定という作業」という表現の場合は、「本文校訂」という用語を使う方がいいと思います。間違いとか言うのではなくて、適切な用字は何か、ということからの、私ならということです。

 切りがないので、この辺にしましょう。
 とにかく、いろいろな意味で、これはおもしろい本です。

 この本を手にした受験生が、日本の古典文学に興味を失うことを危惧します。年老いた著者(昭和13年生)の古典に対する思い入れの気持ちは分かります。今の若者を見て、昔語りをしたくなった気持ちも、分からなくはありません。しかし、結果的にこの本では、それが空回りして、読者には逆に作用する結果を惹起するものとなっていると思われます。

 書けばいい、語ればいい、というのではなくて、教育的配慮ということも大切ではないでしょうか。もっとも、予備校の先生はそうした問題には埒外にあると言われればそれまでですが。人生を分かったかのような錯覚に陥り、これから伸びていこうとする若者のやる気を削ぐことは、慎むべきだと思います。

 現代は、これからの若者を励ますための工夫を考える時代になっている、と私は思っています。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
posted by genjiito at 23:25| Comment(2) | ■古典文学

2011年10月14日

名和先生の近衛家陽明文庫談を堪能

 楽しみにしていた陽明文庫の名和修先生の連続講演会が、国文学研究資料館で始まりました。
 12月までに5回の講演が組まれています。
 今回のタイトルは「平成23年度 連続講演 古典資料の創造と伝承」です。
 早くから事前の申し込みが殺到していたこともあり、会場は早々に満席となりました。

 名和先生のお話は、いつものように、柔らかな語り口で始まりました。
 今日はその第1回目で、「近衛家陽明文庫の名宝」です。

 枕のお話の後、受付で配布されたプリントに「1 近衛家及びその祖先歴代の創成になる資料」とある項目の「(1)歴代関白記 自筆本が伝存するもの」という内容に移ると、しだいに話に熱が籠もってきました。


 「御堂関白記」に始まり、21番目の「篤麿公記」(明治時代)までの近衛家に伝わる貴重な関白日記の意義と価値について、配布資料をもとにスライドを映写しながら、懇切丁寧な解説がありました。
 代々非常によく似た文字で書かれているので、区別が付きにくいものでした。

 続いて、陽明文庫のお蔵の中へスライドで案内してくださいました。
 みなさん初めて見るお蔵の中なので、目はじっとスクリーンに釘付けです。

 陽明文庫の所蔵品に関する説明の中でも、もらった手紙に合点を付し、行間に返事を書き込んで返信したものの話では、会場は聴き入る雰囲気に満ちたように思います。多くの方が、始めて聴く話だったからです。ただし、これは目下の者に対して許され、目上に対しては首が飛ぶ行いになるとか。
 今のメールの返信に、相手の文が引用されたままで届くことを思い出しました。

 時間を大幅にオーバーした今日の講演は、本邦初公開の『和漢朗詠集』で締めくくられました。
 スクリーンには、国宝でも重文でもない、しかし見事な巻子本が映し出されました。昨夜デジカメで撮影したものだとか。
 名和先生からの、聴講者へのサプライズとなっていました。

 さらには、ちょうど現在この会場の下で開催されている特別展で展示している国宝『和漢朗詠集』を、特別にもう少し皆さんに見ていただく、ということも実現しました。まさに、特別展と連続講演がリンクしたイベントとなりました。

 さまざまなお宝の話を伺うだけでもいい勉強なのに、その実物が講演会場の真下の展示室に並んでいるのです。お話を聞いてすぐに原典が自分の目で確認できるのですから、贅沢な空間に身を置いていることが、気持ちを豊かにしてくれます。

 今回のイベントに参加された方々は160名ほどだったでしょうか。まさに至福の時を体感なさっていました。もちろん私も。

 講演会が終わるとすぐに、私は新幹線で京都へ向かいました。
 列車は満席で、立っている方もたくさんおられました。

 今夜の京都は大雨です。先ほど、夜の賀茂川散歩に出かけてきました。
 川は大水で、遊歩道にまで水嵩が増していました。
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2011年10月08日

国立小劇場での雅楽「越殿楽」

 昨日、国文学研究資料館で開催された陽明文庫展の内覧会が終わるとすぐに、立川から永田町に速攻で移動しました。K先生から雅楽を一緒にと誘われていたからです。

 国立劇場は、学生だった40年ほど前に一度行ったことがあります。その後、何かでもう一度行ったような気がしますが、それがいつ何でだったのかは思い出せません。
 私にとって国立劇場は、なかなか行く機会のない場所でした。K先生はさすがに日本の古典芸能にも造詣が深くご著書もあるので、しばしばお出でになっているようです。

 今日は、日本雅楽会の第50回公演でした。K先生の教え子が舞人として出るので、ということでした。今、私のところに仕事で来てもらっている方のお友達でもあるそうです。

 第一部は管弦でした。

黄鐘調「音取」「西王楽破」「越殿楽」

 楽器の演奏だけなので、目の前に整列して座っておられる楽人の方々の動き以外には、その風景は何も変化がありません。眠気を催すのかな、と思っていたら、意外と聴き入ることができました。
 中でも、「越殿楽」は一般的には「越天楽」と書き、よく知っている曲です。しかし、じっと聴いていましたが何か違うのです。

 いただいたパンフレットの説明によると、次のようにあります。

今日演奏する「越殿楽」は黄鐘という調子(洋楽で言うところの主音の宮音がラの音)の曲ですが、越殿楽はこの黄鐘調のほかに盤渉調(宮音がシの音)と平調(宮音がミの音)の曲があります。
 雅楽では、移調するとメロディーが変わり、別の曲のようになってしまいます。学校の教科書などに載せられている「越天楽」は平調のメロディーなので、本日演奏するものはそれとはまた違った曲に感じられることと思います。


 先にこの説明文を読んでおくんでした。聴きながら、こんな曲だったのかな等々いろいろな事を思っていたのも、素人なりの聴き方でまた楽しかったのですが……

 第二部は舞楽でした。

「賀殿」「林歌」「納曾利」「長慶子」

 先生の教え子の方は、「賀殿」の舞人でした。オレンジ色の美事な衣装を身に纏い、キリッとしていて爽やかさを感じさせる容貌でした。平安時代の若者そのままの雰囲気を醸し出しておられました。光源氏が舞っている、と言っても褒めすぎではないと思います。
 相当練習されたのでしょう。4人とも、動きが揃っていて感心しました。

 私のことに引き付けると、エアロビクスなどで右足や左手を先に出して隣の人とぶつかったり、お茶などで手を伸ばす場所や順番を間違えて流れが違ったりすることがよくあります。
 そんな卑近なことを思うと、派手な動きのない実に抑制された動作が連続する舞楽の中で、脚を微妙に動かし首を左右に振ったり手を上げ下げするのに、4人がほとんど同じ角度で動いておられたのです。驚嘆するばかりでした。

 「納曾利」は、四天王寺や天理などの雅楽会などでも何度か見ました。関西の舞楽と微妙に違うように思いましたが、素人なので本当にそうなのかはわかりません。何となくそんな感じが……
 前半と後半の動きの違いがよくわかり、じっくりと見ることができました。

 帰りは、神楽坂でK先生とご一緒に食事をしました。私の糖質制限の食事に付き合って下さり、ハマグリの焼き物、マグロとアボガドのワサビ和え、お刺身の盛り合わせ、ブリカマなどを焼酎を飲みながらいただきました。糖質制限食にしてから、お酒のおつまみのレパートリーが拡がりました。ただし、食事となると何かと不便な思いをします。そのために、神楽坂の通りをいろいろと経巡ることにお付き合いしていただくことになり、恐縮しています。

 いつも楽しい話に花が咲く先生との一時ですが、今日は結婚した娘たちの話題が中心でした。父親としての話です。本当は研究の話をすべきなのでしょうが、K先生とはいつも気楽にお話ができます。気分一新元気になって、またの再会を約して帰路につきました。
 内覧会と舞楽という、慌ただしい中にも充実した一日でした。
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2011年10月07日

陽明文庫展の内覧会

 明日から、国文学研究資料館を会場にして、陽明文庫展が始まります。実際には、特別展示[近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承]と言います。
 それに先立つ今日は、たくさんのお客様をお迎えして内覧会が開催されました。
 セレモニーとしてのテープカットの様子です。
 
 
 
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(右から、伊井春樹前館長、名和修陽明文庫長、近衛家御当主奥様、松野陽一前々館長、今西祐一郎現館長です。)

 今回、国宝7点や重文を始めとする貴重な資料が並ぶ展覧会が実現しました。
 展示替えが3回ありますので、国宝などすべてを見るためには3度は立川に足を運んでいただくことになります。

 陽明文庫にある数多の重要な古典籍をトラックに載せ、その助手席に名和先生ご自身が乗り込んで、立川まで運んでくださったのです。
 2008年の源氏物語展の時は、学芸員の資格を持っている私と、同じく資格を持つ同僚のA氏と共に、天理図書館から陽明文庫、京都文化博物館、京都府立総合資料館、鞍馬寺を経て立川までの長距離を、トラックに乗って展示資料を運び込みました。
 あの時の様子は、次のブログをご笑覧ください。

「瀑布に打たれ続ける日々」(2008年9月28日)

 今回、同じように名和先生は京都の陽明文庫から立川までの長旅を、トラックに乗ってお越しになったのです。ただただ頭が下がります。

 昨日は、展示のために国文学研究資料館に連日お出でになっている名和先生が、私の部屋にお越しになりました。展示の作業で疲れた、眠たいとおっしゃりながら、午後にはまた精力的に展示室で奮闘なさっていました。

 とにかく、すごいお宝が立川に並んでいます。
 図録も、立派なものができています。
 週末にでも、立川にお出かけください。
 
 
 
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 以下、国文学研究資料館のホームページで公開している記事を引きます。


特別展示「近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承」 会期:平成23年10月8日(土)〜12月4日(日)※期間中、月曜日は休室(10月10日を除く)

前期:10月 8日(土)〜10月30日(日)

中期:11月 1日(火)〜11月20日(日)

後期:11月22日(火)〜12月 4日(日)

開催時間:午前10時〜午後4時30分※入場は午後4時まで

場所:国文学研究資料館 1階展示室

特別鑑賞料:300円  ※高校生以下無料  ※身体障害者手帳保持者は手帳提示により、介助者と共に無料です。


展示のみどころ
特別展示「近衞家陽明文庫 王朝和歌文化一千年の伝承」では、陽明文庫に収蔵されている近衞家伝来の品の中から、王朝和歌文化に関連する資料を多数出品します。特に本展は、特定研究「陽明文庫における歌合資料の総合的研究」(研究代表者:中村康夫教授)の成果として、平安時代に編纂された歌合の記録や、近衞家の歴代当主の文芸活動を示す和歌懐紙、近世の近衞家と皇室との関わりを示す宸翰(歴代天皇の筆跡)なども併せて展示します。 さらに、近衞家伝来の名宝として有名な古筆の名品も多く展示することで、近衞家という家を核として伝えられた王朝和歌文化の世界を実感していただきたいと思います。

陽明文庫について:
「陽明文庫」とは、1938 年(昭和13 年)に当時の内閣総理大臣近衞文麿(近衞家29 代当主)が、仁和寺の北西部に設立したものです。藤原道長自筆の日記である「御堂関白記」(国宝)、名筆の集大成である「大手鑑」(国宝)、美麗な唐紙に和漢朗詠集を書写した「倭漢抄」(国宝)等、五摂家の筆頭である近衞家が宮廷文化の中心として護り伝えてきた貴重な文書や宝物を収蔵しています。

問い合わせ先:TEL.050−5533−2910
       FAX.042−526−8604
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2011年07月13日

佐倉にある歴史民俗博物館で古筆を熟覧

 千葉県佐倉市にある歴史民俗博物館で、国文学研究資料館との交流フォーラムがありました。お互いに、大学共同利用機関法人 人間文化研究機構と国立大学法人 総合研究大学院大学に所属する兄弟組織です。しかし、イベントで共同開催などの協力体制はとっても、教職員レベルでの全体としての交流はあまりありませんでした。そこで、まずは風通しをよくしよう、というところからの今日の企画です。
 暑い中、成田空港に近い所まで行くのですから、その道中だけでぐったりです。しかし、実り多い1日となりました。

 博物館の中は、一般の観覧者が立ち入らない所は冷房が効いていないので、通路を間違えると行き倒れになります。案内してくださる方にしっかりと付いて歩き、博物館のバックヤードと言われている場所を見て回りました。

 展示資料の収蔵庫は、書籍や文書に留まらず、歴史民俗資料など広範囲に集められているので、大規模なものでした。階によって湿度と温度を変えて管理されており、その分類と整理の大変さが知られます。
 6年前に、学芸員の資格を取るための勉強をしていた頃を思い出しました。大切な資料を保存管理し、それを展示に活用する背景には、日々の調査研究を土台とした地道な苦労があります。
 ごくろうさまです、と頭が下がります。

 展覧会場も、今回の目的に関するものが展示してある一角は、展示担当の先生の説明で見せていただきました。
 私は、『源氏物語』の高松宮本といわれるものを、じっくりと見ました。今日は第43巻「紅梅」が出ていました。
 15世紀後半に書写された本です。複製本も刊行されており、これまでにも原本は何度か拝見しています。しかし、写本はその時々に様々な顔を見せます。

 今日は、この本が意外と小さいものであったことを、改めて認識しました。河内本というと、つい大型本を思い描いてしまうのです。この高松宮本は、尾州家本など他の河内本と呼ばれる本よりも、一回りも二回りも小さいのです。
 本の大きさは、その性格を知る上で大切な情報となるものです。

 その後、歴博ご所蔵の高松宮家伝来の禁裏本などを、別室でじっくりと拝見しました。
 大型の和歌懐紙を貼り込んだ御手鑑は圧巻でした。後水尾天皇や近衛信尋のものなどなど、風格のある手で大きな懐紙に和歌が書かれていました。見るだけで、いい勉強になります。贅沢な時間の流れに身を置くことができました。

 文学研究の基本は、とにかく原稿・原典・原本を見ることだ、と思っています。
 熟覧の手配をしてくださったみなさま、ありがとうございました。
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2011年07月05日

山形県酒田市立光丘文庫の最終調査に来て

 久しぶりに東北へ来ています。
 結婚した当初は、毎年のように、夏になると妻の実家がある秋田へ帰省していました。しかし、二十数年前に父が亡くなってからは、自分の家のお盆のことがあり、なかなか行けなくなりました。妻と子供だけは、お盆明けに帰省していました。

 妻の実家は、松本清張の『砂の器』で有名になった、羽後亀田に隣接する羽後岩谷にあります。
 私の生まれは、島根県出雲市です。ここも、『砂の器』の舞台です。
 我々はまさに、『砂の器』で調査を迷走させた、あのよく似た方言を持つことで知られることになった、日本海側の遠く離れた世界に育ったのです。
 お互いの両親が、私たちの結婚を契機として、共にズーズー弁で会話が成り立っていたのを目の当たりにして、柳田国男の「方言周圏論」を実感したものです。
 そして今、あの『砂の器』でズーズー弁の謎を解くカギを渡した国立国語研究所の先生と一緒に、アメリカに渡った『源氏物語』の写本の調査・研究・公開の仕事をしています。『砂の器』は、幾重にも私とは縁の深い作品です。

 それはさておき、今回は、山形県酒田市にある光丘文庫へ、所蔵資料の最後の写真撮影の立ち会いと、収集させていただいたマイクロフイルムなどの画像資料の公開に関するお願いで来ました。

 新幹線「とき」で東京から新潟へ来て、そして特急「いなほ」に乗り換えました。東京の宿舎から6時間の旅です。最近は天変地異で予想外のことがあります。出張中の東北地方の天気は強い雨、ということも手伝って、いつでも引き返せる無理のない態勢と行程を組んで来ました。

 新潟までの車中は、節電のご時世にしては贅沢なことに、寒くてジャケットがいるほど冷房がガンガンよく効いていました。新幹線対策として上着を持ってきてよかった、と思いました。

 東京での単身生活も、今年で13年目になりました。今年からは妻が仕事を辞めて上京し、私の健康管理をしてくれているので、単身赴任の生活は12年でした。しかし、今でも宿舎にはエアコンはありません。十年以上、扇風機だけの生活です。それだけに、毎週京都へ帰る新幹線のクーラー対策には、いろいろな工夫をしていました。
 今回、久しぶりに東北行きで乗った新幹線も、東海道と同じようにクーラーが異常なまでによく効いていました。クーラーに親しんでいない身には、この冷気は身体を気だるくさせます。日本人は、いつまでもこんなことをしていていいのか、疑問を感じます。

 罰金100万円に脅されて、15%の節電目標に真剣に取り組む人々をあざ笑うかのように、新幹線はクーラーを目一杯効かせて疾走していました。JRは、電力不足などどこ吹く風と、相変わらず強気のようです。
 新幹線は、自家発電で走っているのでしたっけ?
 それにしても、車内の照明も間引くことなく、すべて点きっぱなしです。このご時世に、お殿様感覚でこんな営業をしていて、本当にいいのでしょうか。昔の国鉄体質の残滓を見た思いです。

 東京の中央線などでは、車内の電気が消されるのです。私の通勤時間は1時間50分もあるのに、本が自由に読めない始末です。その点では、新幹線は特別料金を払っているので、こうした厚遇がなされているのでしょうか?
 それにしても、節電キャンペーン以前の問題として、この新幹線のエネルギー資源の浪費は無駄の極みです。

 さて、酒田の駅は、非常に明るくて華やかでした。
 
 
 

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 しかし、それに反して駅前通りは活気が感じられませんでした。賑やかなのは、少し離れた一角だけのように見えました。まだ他に活気のある地域があるのでしたら、お許しください。

 駅前の閉店の多い通りを歩いて抜けると、山王森の高台に酒田市立光丘文庫があります。
 まずは、光丘神社にお参りをし、それから光丘文庫に行きました。
 
 
 

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 この建物は、大正14年に竣工したものです。左右に翼を拡げた社殿造りで、玄関の破風はその存在感を誇らしげに示しています。来館者を圧倒する偉容です。しばし、魅入ってしまいます。

 文庫長の後藤さんの案内で、書庫も拝見しました。本間家に伝わった和漢の古典籍など、8万冊にも及ぶ貴重な書籍が収蔵されています。木製の書架に並ぶ本は、まさに圧巻です。一人でも多くの方が、こうした資料をさらに有効に活用されることが望まれます。

 国文学研究資料館による光丘文庫の資料調査とマイクロフィルムによる収集は、昭和48年から今日まで続けられたことになります。約1700点にも及ぶ調査を踏まえて、収集点数が約1600点、マイクロフィルムで575リールとなりました。
 これまでに、この光丘文庫の調査に関わってこられた多くの先生方のご苦労があったからこそ、こうして最後の調査を迎えることができたのです。お一人お一人のお名前は列記しませんが、その精力的なご努力に対して頭の下がる思いでいます。

 調査の終了と共に、この貴重な資料をネットで画像を公開することについて、光丘文庫文庫長である後藤さんと酒田市立図書館館長の小松さんに、協力のお願いをしました。お二人からは、非常に理解のあるお返事をいただき、早速資料公開のための手続きに入ることになりました。有り難いことです。これで、誰でも居ながらにして、インターネットを通して光丘文庫の資料が閲覧・確認できるのです。

 今後とも、光丘文庫で所蔵されている資料が多くの方に活用されることでしょう。そして、その評価も高くなることでしょう。
 この光丘文庫の調査と収集を担当していた1人として、研究環境が一歩も二歩も前進したことにより、ほっと一息つくことができました。
 光丘文庫に関わってこられたみなさま、ありがとうございました。
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2011年05月24日

池田亀鑑賞のホームページ完成

 春先より準備が進んでいた「池田亀鑑賞」が、今月5月2日に設立を実現しました。

 これは、鳥取県日野郡日南町の「池田亀鑑文学碑を守る会」が母体となり、主催するものです。
 そして、その情報交換の窓口となるホームページが本日完成し、明日25日(水)に、広報活動で協力してくださる新典社のサイトから公開が始まります。

 今日はまだ試運転中です。しかし、明日は、東京で開催される会議や学会のために、私が知る限りでも何人かの方が移動なさるようです。そこで、この時点での「池田亀鑑賞」のホームページを取り急ぎご紹介することにしました。
 いわば、公開前日の内覧会、とでもいうべきものでしょうか。

 明25日に新典社より公開されるものが、「池田亀鑑賞」の公式ホームページです。

 突然のことで、「池田亀鑑賞」とは何? と思われることでしょう。
 これは、今日、初めてお披露目となるものです。

 この賞の趣旨や経緯は、今回公開されるホームページ「池田亀鑑賞」の、「池田亀鑑とは」「趣旨・経緯」「募集・選定概要」「授賞式概要」「選考委員紹介」「関連書籍紹介」などの各項目をクリックしてご覧ください。

 「選考委員紹介」をご覧いただくとおわかりのように、選考には5名があたります。
 委員長は、伊井春樹先生です。



 2011年(平成23年1月1日〜平成23年12月31日刊行奥付)の発表分から、同賞選考委員会により1名が選ばれます。
 自薦他薦を問わず、多くの応募がなされることを期待しています。

 「池田亀鑑賞開催記念プロモーションムービー」は、5月27日(金)に公開となります。いま少しお待ちください。
 週末に向けて、広報担当の新典社内で、鋭意作成が進んでいます。そのでき具合については、乞うご期待というところです。
 週末のお楽しみです。
posted by genjiito at 22:29| Comment(0) | ■古典文学

2011年05月10日

小学国語教科書のごまかし

 本来は『枕草子』の絵を掲載するはずのところで、『源氏物語』の絵に差し替えられている教科書に出くわしました。ここには、編集者の意図的なごまかしがあると思われるので、問題提起としてあえて記しておきます。

 とある公共図書館の入口に、地域の小学校で今年度採択された各教科が並べてありました。自由に手に取れるように置かれています。何気なく手にした国語の教科書を、私はしばし呆然と見つめました。

 『国語 五 銀河』(小学校国語科用、光村図書、平成22年3月16日検定済)は、小学5年生用の国語科の教科書です。
 その中の「言葉」という単元に「声に出して楽しもう」という項目があります。「今も昔も」という大見出しの横に、物語絵が3枚縦に並んでおり、その真ん中の絵は明らかに『源氏絵』です。これは、『源氏物語画帖』(京都国立博物館所蔵、土佐光吉・長次郎筆、桃山時代)から「若紫」が選ばれているのです。有名な、北山において逃げた雀の子を追う若紫と、それを垣間見する光源氏を描いた場面です。
 
 
 
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 教科書では、その扉に続いて、『竹取物語』の冒頭部原文とその現代語訳が見開きで掲載され、次に頁を繰ると右側に『枕草子』の初段「春はあけぼの」、そして左頁に『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声」の段が、ともに現代語訳を下に置いて掲載されています。

 この教科書には、最後に「学習を広げる」という項目があり、そこでは「古典の世界」として『徒然草』から「高名の木登り」が右頁に原文を、左頁に現代語訳を付けて掲載されています。

 小学5年生から古典に親しむようにしようとする、本教科書の編者の意図は伝わってきます。作品の選定も妥当かと思います。しかし、扉にあたる所に掲出してある物語絵の、『源氏物語』の絵はごまかしです。
 教科書に採択された、この後に出てくる本文に合わせるならば、ここは『枕草子絵巻』を引くべきところです。しかし、適当な絵がなかったためか、『源氏物語』の絵を持ってきて平安朝らしさを伝えることにした、ということでしょうか。

 この絵が『源氏物語』のものであり、しかも「若紫」の場面であることは、中学や高校に進学すれば授業で教わるはずなので、いずれわかることです。また、先生もこの説明をしようと思うと悩むはずです。

 なぜ、掲載する『枕草子』の文章とは違う作品の絵でごまかしたのでしょう。『源氏物語』の絵の方が有名だからでしょうか。上段の『竹取物語』の絵はもちろんのこと、下段の『平家物語絵巻 壇の浦』(林原美術館蔵、土佐左助筆、江戸時代)の絵が、この教科書で採択された作品に合致しているだけに、『枕草子』を『源氏物語』の絵に置き換えた意図の不純さに疑問を抱きます。もっとも、正確に言えば、『平家物語』の絵は、冒頭ではなくて壇ノ浦の合戦場面ですが、これはまあよしとしましょう。

 『源氏物語』が好きな私にとって、たとえ小学生のための教科書とはいえ、このようなごまかしはしないでほしい、という思いを強く持っています。ささいなことでも、うそで子供をごまかしてはいけないと思います。事実を教えることに拘ってほしいものです。
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■古典文学

2011年02月13日

【復元】京博の「大絵巻展」へ行く

 昨日、東博(東京国立博物館)のことを書いた後、京博(京都国立博物館)の展覧会の記事のことを思い出しました。
 確かクラッシュした記事の中にあったと思い、雑多なデジタル資料の中を掻き回していると、文章の断片がいくつか見つかりました。それらをつなげて、元の記事を作り上げました。自分史の記録の復元です。

 奈良に住んでいた頃のことなので、5年ほど前の展覧会の話です……
 
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年4月24日 公開分
 
副題「突然の停電の中でも充実した絵を見る」
 
 
 京都七条にある国立博物館で、昨日の土曜日から「大絵巻展」が開催されています。
 日曜日の今日、小雨の中を、車を走らせて見に行きました。

 少し早めに着いたので、三十三間堂で時間潰しをしました。
 ちょうど、EUの方々がお見えになっており、耳にイヤホンをしたガードマンに囲まれた一団と一緒に、諸仏を見ることになりました。

 改めて気付いたのですが、二十八部衆の仏像は、インドと深い関係のある諸仏だったのですね。インドに魅せられてからこのお堂を訪れるのは初めてだったせいか、説明板に、サンスクリットとかインドとかヒンドゥーということばを使って解説されていることに、一々反応している自分に驚きました。

 国宝の中に浸ると、日本の素晴らしさを再認識します。

 1時間ほど、1001体の観音様のオンパレードを見てから、京博へ行きました。
 入館料は1300円だったので、3000円で友の会に入ることにしました。東京・京都・奈良・九州の国立博物館に自由に入れるのです。3回行けば元がとれるのですから、これはいいシステムです。奈良博にはよく行くので、今後とも有効な活用ができます。

 「大絵巻展」は、開催2日目の日曜日ということもあってか、大盛況でした。
 『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻』『鳥獣戯画』などを、じっくりと見ました。特に『信貴山縁起絵巻』は、我が町、平群町唯一の国宝なので、それこそ丹念に見ました。

 ちょうど、2000円札に採用された『紫式部日記絵巻』を見ていた時に、突然館内が停電となりました。多くの人が携帯電話を取り出して、その小さなモニタの明かりで周りを照らしていました。これは、なかなか綺麗な光の世界を作っていました。
 とにかく、一点でも多くの絵巻を見たい、という雰囲気があったので、みんな何とかして見たい一心で、明かりを求めたのだと思います。真っ暗な中での心細さを、一刻も早く何とかしたいという思いもあったのでしょう。場内に混乱はありませんでした。とにかく、思ってもみない出来事なのですから。
 停電は3分ほどだったでしょうか。明かりがついた時には、みんながホッとして、すぐにまた列を作っての鑑賞が始まりました。何事もなかったかのようにして。

 『源氏物語絵巻』は「蓬生」が陳列されていました。地味な絵柄なので、人々は足早に次の『鳥獣戯画』のコーナーに移動していました。
 『信貴山縁起絵巻』は、今回は朱色の鮮やかさに驚きました。

 『玄奘三蔵絵』では、説明文の中の「沙河」という言葉に目が留まりました。ガンジス川のことかと思ったからです。しかし、これは中国の地名のようです。先日読み終わったばかりの『坂の上の雲』にでてきた、日露戦争における沙河会戦の地でもないようです。
 明治26年に刊行された漢訳『源氏物語』である『紫史』(川合次郎著)に、「恒沙」(ガンジス川)という言葉が記されていることを知ったばかりだったので、「沙河」はガンジス川ではないか、とその場では思いました。「恒沙」は「恒河沙」の略であり、「恒」はガンジス川のガンガーの音写で、「沙」は砂のことであることが、帰ってから調べるとわかりました。
 それはともかく、「沙河」と「恒沙」は、関係ないようです。

 今回の展覧会は、国宝や重要文化財が贅沢に並べられており、いくら時間があってもいい展覧会となっています。

 出口のところで、たくさんの『源氏物語』のグッズを買ってしまいました。

 その後、近くの和菓子屋さん「甘春堂」で、禅風の懐石料理を食べました。安くて雰囲気のいい店でした。
 この店で、明後日お会いして懇談する、ロシア語訳の『源氏物語』を著されたタチヤーナさんのために、和菓子の洲浜を買いました。

 文化の香りに浸った一日でした。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2011年02月07日

国文研の展覧会「物語そして歴史」

 国文学研究資料館では、「新収資料展」として、次の展覧会を開催しています。
 
 
 
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「物語そして歴史−平安から中世へ−」
平成23年1月24日(月)〜3月18日(金)
開館時間:午前10時〜午後4時30分
※会期中 日曜日、祝日は休室。
入場無料
展示替え︰2月7日、2月21日、3月7日

 
 
 
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 今回の展示では、何と言っても奈良絵本『うつほ物語』が必見です。

 展示室には、国文研本『うつほ物語絵巻』(巻子5軸、28図)だけではなくて、九州大学附属図書館本(巻子5軸、18図)も一緒に並べてあります。
 共に縦30センチ強で10メートル以上の長さの巻物です。それを、惜しげもなく拡げています。

 内容は、俊蔭巻の本文と絵で構成されています。江戸時代前期の製作だと思われます。
 『うつほ物語』の絵巻は、この2つ以外には、天理図書館と九曜文庫にあるだけです。伝存するものが少ないので、今回その内の2種類の原本が見比べられるのは貴重なことです。

 なお、九州大学附属図書館本は、「日本古典籍画像データベース」として同図書館からインターネットを通して公開されています。
http://mars.lib.kyushu-u.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi

 今回の国文研での展示では、展示室の入口のカウンター上に「書目解題」と共に、『うつほ物語絵巻』の補足資料があります。これを忘れずにお持ち帰りください。
 この補足資料は、カラー写真を用いて、国文研本と九大本の絵を比べています。簡単なものですが、展示を見終わってからご自宅でこの資料をご覧になれば、もう一度原本を見たくなること必定です。
 何度でもお越しいただければ、と思っています。

 『うつほ物語』以外には、『竹取物語』『落窪物語』『伊勢物語』『大和物語』『栄花物語』『大鏡』『とりかへばや物語』『松陰中納言物語』『忍音物語』『枕草子』、そして中世では『平治物語絵巻』などなど、多彩な新収資料も展示しています。

 立川へ、ぜひ足をお運びください。
 立川駅北口から2番のりばのバスに乗り、5分ほどで「立川学術プラザ」に着きます。降りてすぐ目の前が国文学研究資料館です。
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2011年01月17日

与謝野晶子と蜻蛉日記の講演会

 与謝野晶子と蜻蛉日記に関する講演会が、下記の要領で開催されます。
 興味と関心をお持ちの方は、あらかじめお申し込みの上、与謝野晶子文芸館へお越しください。

 この講演会は、晶子の自筆原稿のデータベース化に取り組んでいる国文学研究資料館が、『源氏物語』に続いて『蜻蛉日記』をウエブ上に公開することに合わせて開催されるものです。
 講演は、平凡社ライブラリーの与謝野晶子訳『蜻蛉日記』で監修解説をなさっている、今西祐一郎・国文学研究資料館館長です。

 晶子の現代語訳『蜻蛉日記』の自筆原稿は、今回初めて公開されるものです。
 昨夏、私がガンの告知を電話で受けたそのすぐ後に、晶子の自筆原稿の確認と調査を実施するために与謝野晶子文芸館へ電車で向かいました。そして昨秋、退院して直ぐに、与謝野晶子文芸館での写真撮影に立ち会いました。この晶子の『蜻蛉日記』の自筆原稿は、私にとって思いこもごもの仕事になりました。

 貴重な資料の公開に踏み切られた堺市と関係者のみなさまに、お礼申し上げます。特に、堺市文化部の足立匡敏さんは、晶子の原稿を丁寧に整理しておられます。昨年の国文学研究資料館での国際日本文学研究集会では、この晶子訳『蜻蛉日記』の自筆原稿に関する研究発表をなさいました。本ブログ「第34回 国際日本文学研究集会−職場復帰報告」で、足立さんの発表について少し紹介しています。

 いい仕事といい研究を、これからも弛まず続けて行かれることと思います。若手の研究を支援する意味からも、できるかぎり応援したいと思っています。

 
 
与謝野晶子文芸館 開館10周年記念講演会


今西祐一郎氏「与謝野晶子と蜻蛉日記」

与謝野晶子文芸館


講師:今西祐一郎氏(国文学研究資料館館長)

日時:平成23年2月11日(祝) 午後2時〜3時30分

場所:堺市立文化館2階ギャラリー
(JR阪和線「堺市」駅下車徒歩約3分)

参加費:500円(晶子館・ミュシャ館もご覧になれます)

定員:40名(先着順)

主催:財団法人堺市文化振興財団 堺市立文化館
後援(申請中):大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館

内容:
『源氏物語』の現代語訳で知られる与謝野晶子は、源氏以外にも『栄華物語』や『和泉式部日記』を明治末から
大正初期にかけて立て続けに訳しています。
ところが同じ平安朝女流文学でも、女流日記の大作『蜻蛉日記』の現代語訳の出版は、遅れて昭和も13年になってからでした。
『蜻蛉日記』だけがどうして遅れたのでしょうか。晶子の『蜻蛉日記』訳の原稿の出現を機に、晶子と『蜻蛉日記』との関わりを
考えます。

申込み方法:往復ハガキ、または下記メールアドレスに、
氏名(ふりがな)・年齢・住所・電話番号を記入して
「与謝野晶子文芸館講演会係」まで。

住所:〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200 堺市立文化館内
締切り:平成23年2月4日(金)
メールアドレス:akiko☆sakai-bunshin.com(☆を@に変更してください)
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2010年12月16日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(7)光村図書出版

 光村図書出版が作成した小学校国語科教科書140冊をとりあげます。
 ここでは、平安朝というよりも、古典の香りがする教材を中心として取り上げ、コメントを付けていきます。個人的な興味と関心から、インドに関する情報も取り上げます。
 ただし、あくまでも私は国語教育の専門家ではないので、思いつきを記すことを、あらかじめお断りしておきます。
 
 
 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)」(2010年11月11日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」(2010年11月19日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)」(2010年11月22日)




【光村図書出版】(140冊)

 昭和29年度用

五年下(この冊のみあり)

 
 
 昭和30年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
二年下 はごろも
五年上 紫式部



※この年度は垣内松三著。
 「光をかかげた人々」という単元に、紫式部、雪舟、伊能忠敬の3人の小伝がある。
 この中から、紫式部に関する文章を引用します。


     二 光をかかげた人々

       (一) 紫式部

 平安時代の中ごろ、男子は、おもに中国の文章、つまり漢字で書かれた漢文を用いるのが、教養を積んだしるしになっていました。それに対して、女子は、ひらがなを用いるのがならわしとなっていました。
 そのころ、そのひらがなを自由自在に使って、長い物語を書いた人がいました。それが、これからお話をする紫式部で、その本は源氏物語というのです。
 源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。
 この物語を書いた紫式部のほんとうの名まえや、生まれた年ははっきりわからないそうですが、おさないときから、たいへんかしこい人であったということです。
 父は藤原為時といって、かなり名高い学者であり、式部をたいそうかわいがったということです。
 式部は京都に往んでいましたが、父為時が、大臣の言いつけで、地方の投入となって、今の福井県に行くことになり、いっしょについていきました。
 その後、式部は、父のことを気にかけながらも、京都へ帰らなければならなくなりました。
 京都に帰った式部は、しばらくして、藤原宣孝という人のつまになりました。
 幸福が式部をおとずれたのもつかのまでした。女の子がひとり生まれてからまもなく、夫の宣孝がこの世を去ってしまったからです。
 紫式部は、ちのみごをかかえて、ひとりでくらさなければならなくなってしまいました。
 わか竹の生い行く末をいのるかなこの世をうしと思うものから
という歌は、このころの作だろうといわれています。おさないわが子のしょう来をいのらずにはいられない母としての心持が、よくわかるような気がします。
 源氏物語は、このころから書きだしたものだろうといわれています。悲しい生活の中にありながら、この物語のすじを考え、筆をとるのが、ただ一つの、そして大きななぐさめであったのかもしれません。
 紫式部は後に宮中にはいり、一条天皇の皇后、上東門院に仕えました。式部というのは、宮中におけるよび名であります。当時は藤式部といわれていたようですが、源氏物語の中の女主人公である紫の上にちなんで、紫式部とよばれるようになったといわれています。
 式部は、宮中に仕えるようになってからも、おりを見ては、この物語を書き続けていきました。何年かかってできたかわかりませんが、この教科書にしたら三十さつにのぼるような、大きな物語となりました。しかも、その文章の美しく細かなこと、ものを見る目の深いことなどで、日本の文学史上にかがやいているということです。
 ひらがなは、紫式部のような人を得て、いっそうその力を表わし、国語を豊かにしてくれたということができましょう。
 大きくなったら、この物語を読んでみたいと思います。


 この文章は、小学五年生の視線で語られています。最初の方にある、「源氏物語は、古い文章で、ことばの解釈が必要なうえに、おもに、おとなでなければわからないことが書かれていて、まだわたしたちには読めない物語だそうです。しかし、日本が世界にほこることのできるものの一つだということです。」という表現が、私はおもしろいと思いました。教える先生は、どのような説明をしたのでしょうか。
 この単元末尾の「けいこ」という学習欄に、「光をかかげた人々」という題をつけたわけと、どのようにして光をかかげたのかを考えるような質問があります。
 また、本教科書の最後にある「指導者のために」では、この単元での紫式部に関して、次のように書いています。


○紫式部の人、および源氏物語の値うちについて、読み取ったことや感じたことを話し合う。


 ここでの「値うち」についての話し合いも、難しかったことでしょう。

 
 
 昭和34年度用

一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 海ひこ山ひこ(日本神話)
五年上 ふえ(博雅三位の話)、「わたしたちの文字」(ひらがなや女手)
六年上 いろは歌



※二年上の「はごろも」は絵が変更されている。

 
 
 昭和36年度用

一ねん上 浦島太郎(絵だけ4枚)
一ねん下 一寸法師
二年上 はごろも
三年下 はやとり(日本神話)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下 本の歴史
六年下 正倉院



※二年上の「はごろも」は、さらに絵が変更されている。
 五年で「ふえ」がなくなる。「本の歴史」では、版本の説明はあっても写本の説明はない。日本の伝統的な写本について、説明がほしいところ。
 六年下の「正倉院」では、古代の文化史の話が少しある。

 
 
 昭和40年度用

一ねん(欠本)
三年下(欠本)
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
五年下(欠本)
六年下 正倉院

 
 
 昭和43年度用

1ねん下 一寸法師
五年上 わたしたちの文字(ひらがなや女手)
六年下 正倉院

 
 
 昭和46年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)



※この年度の1ねん上から各学年で、別記著作者に作家・井上靖が入る。以降続く。
 六年下の目次に「古典」の語あり。

 
 
 昭和49年度用

二年下 小さなかみさま(出雲神話)
六年下 今昔物語集(現代語訳)

 
 
 昭和52年度用

(平安時代にかんするものは特にない)



※六年下の目次から「古典」の語がなくなる。

 
 
 昭和55年度用

六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和58年度用

一上 浦島太郎(絵3枚)
五年上 映像と言葉(『竹取物語』のことあり)
六年上 短歌(赤人、友紀、実朝)
六年下 漢字とかなの由来(ひらがなの字母表)

 
 
 昭和61年度用

六年上 短歌(古典あり)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)



※昭和61年度版の各学年で井上靖が別記著作者から監修人となる。
 一下に「ぼくにげちゃうよ」がある。これは、編者の一人である井上靖好みの話。

 
 
 昭和64年度用

一ねん(欠本)
二年(欠本)
三年(欠本)
四年(欠本)
五年上(欠本)
六年上(欠本)
六年下 仮名の由来(万葉仮名とひらがなの字母表)、心をつなぐ(インドの話)



※六年下の「心をつなぐ」(斎藤次郎)は、インドを旅した話(9頁)。
 ジャイプールの町のこと(写真1枚)。
 この教科書の巻頭には、ジャイプールの風の宮殿と街中の子どもたちのカラー写真2枚を掲載する。

 
 
 平成4年度用

五年(欠本)
六年(欠本)

 
 
 平成8年度用

二上(この冊のみあり)



※井上靖は、この年度版の監修者名からいなくなる。井上靖は平成3(1991)年1月29日に満83歳で死去のため。

 
 
 光村図書出版の教科書で平安時代の雰囲気に関して特徴的なことは、昭和30年度用の五年上で「紫式部」を取り上げていることです。子供にはなかなか難しい言い回しの説明文です。しかし、この時期にこうした情報を与えようという意図は、明確です。しかし、これはその後はまったくなくなります。
 昭和34年版の五年生から、ひらがなが漢字を元とする文字であることを、字母を示すことで説明します。これはその後も引き継がれます。しかし、昭和38年の本の歴史で、写本のことにまで説明が及ばないので、ひらがなの話が小学校では展開しません。
 昭和46年から『今昔物語集』の現代語訳が出てきます。しかし、それもすぐになくなります。そして、日本古典文学の中でも平安時代らしいものは、短歌の一部によって示されるだけとなります。
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2010年11月22日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(6)教育出版(その3)

 教育出版が作成した小学校国語科教科書134冊の内、この「教育出版(その3)」では、小学6年生の教科書をとりあげます。

 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)」(2010年11月11日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)」(2010年11月19日)
 
 
 
【教育出版】(134冊中小学6年生分21冊)

 昭和29年度 6年生用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 昭和33年度用

6年上 『万葉集』『枕草子』『源氏物語』『今昔物語集』「俳句」などの紹介文
6年下(欠本)

 
 
 
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※池田亀鑑と坪田譲治が監修者。「古典の世界」という単元で、『枕草子』とか『源氏物語』を扱う。
 まず、冒頭の「古典とわたしたち」は、次のように始まります。そして、『枕草子』と『源氏物語』に関する文章を引いておきます。「よもぎのつゆ」については、池田亀鑑が書き下ろした文章です。


  三 古典の世界

    古典とわたしたち

 「古典」ということばを、聞いたことがあるでしょう。むかしから伝わってきた古い書物のことです。
 『万葉集』とか『枕草子』とか、『源氏物語』とか、そういう書物のことです。
 そんな古いものは、きっとわかりにくく、親しみにくいものにちがいないと思うかもしれません。なるほど、『枕草子』は、今からおよそ九〇〇年ほどむかしに書かれたものですし、『万葉集』は、だいたい一二〇〇年もむかしにできた書物ですから、そう思うのも無理はありません。試みに、『万葉集』 や『枕草子』を開いてみても、今すぐ、すらすら読むことはむずかしいでしょう。むかしの人のことばは、今のわたしたちのことばとは、かなりちがっています。ことばの使い方も、今のことばの使い方とは、ちがっています。
 けれども、このむかしの人のことばと ことばの使い方とが わかりさえすれば、古典は、ずいぶんおもしろいものです。わたしたちの祖先も、わたしたちと同じようなことを思い、同じようなことを考えていたのだ、ということがよくわかります。古典を読むと、それを書いたむかしの人とわたしたちとは同じ血のつながりにあるということが、しみじみ感じられます。たましいのふるさとというようなものが、ほのぼのと感じられます。

    万葉集

(中略)

    よもぎのつゆ
      (一)
 花が散って、いつの間にか葉ざくらになりました。まだ早いのに、もう雨の日が続きます。あわただしい春の終わりです。ここは京都の町はずれ、ふり続いた雨がやんだので、きれいに仕立てた女車がやって来ました。よもぎが一面にはえて、道の上におおいかぶさっています。その下に、なんとまあきれいな水でしょう。雨水がいっぱいたまっています。牛につきそうお供が、車を、そのよもぎの道に引きこみますと、ぱっととばしりが上がります。車の輪が回るにつれて、おしつぶされたよもぎの かすかなにおいがただよってきます。
 車の中からは、わかい女の人たちが、
「まあ、なんていいにおいでしょう。」
などと言っている声が聞こえます。
 車はずんずん進んで行きます。両側に、うの花のさいているかきねがあります。ふと、車の中から、女の人がそれを見つけて、花のえだを折ろうとします。車が、すうっと進んで、手がはずれます。
「まあ、くやしい。」
と、車の中の人たちは話し合っているようすです。

 この車には、『枕草子』という有名な本を書いた清少納言が、友だちといっしょに乗っていたのでした。五月のころ、清少納言は、みどり一面の郊外に出て、この季節のおもしろさを味わいました。よもぎ、みどり、きれいな水、うの花、なんとわかわかしいこのみでしょう。
 みなさん、大さくなったら、ぜひ、この『枕草子』をよく読んでみてください。きっと、この作品がすきになるにちがいありません。そして、清少納言が、新しく、みなさんの心の中に、生き返ってくるにちがいありません。
      (二)
 春の終わりごろでした。長らくふり続いた雨がやみました。ある日の夕方、きれいな車が、ごくわずかなお供をつれて、京都の町の中を進んで行きます。東山の上に、大きな月が上りました。車は、その月の光に照らされながら、静かに進んで行きます。
 やがて、車は、あれはてた大きなやしきのそばにさしかかりました。へいはこわれ、かべは落ち、人の住むやしきとも思われません。車の中から、わかい男の人の声が聞こえて来ました。
「はてな。見たことのあるやしきだな。」
 すると、車のすだれが動きました。品のいい人の顔が、月の光に照らし出されました。お供の人はかしこまって、
「さようでございます。ここは常陸の宮のおやしきでございます。」
と答えます。
「ああ、そうだったね。ずいぶんごぶさたをしたものだ。たずねてみよう。」
と言って、中の人はおりて来ます。見上げると、まつの立ち木に、何かゆれているものがあります。月の光に照らして見ると、それはふじの花でした。こわれた門の中にはいってみますと、一面によもぎがしげっています。それにつゆがおりて、月の光にきらきらと光っているのです。
「たいへなつゆでございます。わたくしがお先ばらいをいたしましょう。」
と、お供の人は、馬のむちでよもぎのつゆをはらいながら、先に立ちます。しげったこずえから、ぱらぱらとしずくが落ちます。あかりもない、化け物やしきのような住まいです。

 これは、紫式部が書いた『源氏物語』の中の一つの場面です。今、ここをたずねて来たのは、光君という人で、この物語の主人公になっている人です。
 『源氏物語』はほんとうにすばらしい作品です。紫式部も清少納言も、平安時代の中ごろの人です。日本の女流作家が、世界の人々に先がけて、こんなすぐれた作品を残したことを、わたしたちは、大きなほこりとしようではありませんか。

    今昔物語

(中略)

    保昌とはかまだれ

(中略)

    ☆ 文語文と口語文

(『枕草子』を例に、現代語訳と原文をあげる)

    俳句というもの

(中略)



 なお、本教科書の巻末には「解説」があり、そこには各単元の目標や指導上の留意点が記されています。
 この「古典の世界」は5月から6月にかけての教材となっています。


教材
古典とわたしたち
万葉集
よもぎのつゆ(池田亀鑑作)
今昔物語
保昌とはかまだれ
俳句というもの
目標
○古典に対する関心と理解。
○文学精神の育成。
○歌・俳句。物語・説明文など、各種の文章形態の読解力をたかめる。
○万葉集・源氏物語・枕草子・今昔物語・俳句などについて初歩的理解を与える。
指導上の留意点
○古典への関心と親しみをもたせるようにする。
○万葉の短歌・長歌、芭蕉以後の著名俳人の俳句を原文でだし、これに解釈と鑑賞を附して読ませることにより、伝統的な短詩型文学への初歩的理解を図る。
○源氏・枕・今昔の一節を現代語訳したものを読ませ、物語・随筆の面における古典の世界に接近させる。
○上代は万葉、中古は源氏・枕、中世は今昔、近世は俳句と代表的な文芸様式と作品をとりあげている。


 
 
 昭和36年度用

6年下 『万葉集』『源氏物語』「鳥取砂丘の植物」

 
 
 
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※坪田譲治1人の監修者となります。表紙が、いかにも平安朝風です。
 巻頭に「一 古典の世界」が置かれます。ただし、『今昔物語』と「俳句というもの」は削除となりました。文章に一部改変(女車→牛車など)があるので、参考のために引きます。挿絵は同じです。
 また、「鳥取砂丘の植物」が採択されています。池田亀鑑が鳥取出身であり、また鳥取市遷喬小学校校長の稲村謙一がいることから取り上げられたのではないか、と思っています。


  一 古典の世界

    古典とわたしたち

 「古典」ということばを 聞いたことがあるでしょう。むかしから伝わってきた古くてすぐれた書物のことです。
 『万葉集』とか『枕草子』とか、『源氏物語』とか、そういう書物のことです。そんな古いものは、きっとわかりにくく、親しみにくいものにちがいないと思うかもしれません。なるほど、『枕草子』や『源氏物語』は、今からおよそ九〇〇年ほどむかしに書かれたものですし、『万葉集』は、だいたい一二〇〇年もむかしにできた書物ですから、そう思うのもむりはありません。試みに、それらの本を開いてみても、今すぐ、すらすら読むんだり解釈したりすることはむずかしいでしょう。むかしの人のことばは、今のわたしたちのことばとは、かなりちがっています。ことばの使い方も、今のことばの使い方とは、ちがっています。
 けれども、このむかしの人のことばと ことばの使い方とが わかりさえすれば、古典は、ずいぶんおもしろいものです。わたしたちの祖先も、わたしたちと同じようなことを感じ、同じようなことを考えていたのだ、ということがよくわかります。古典を読むと、それを書いたむかしの人とわたしたちとは 同じ血のつながりにあるということが、しみじみ感じられます。たましいのふるさとというようなものが、ほのぼのと感じられます。

    万葉集

(中略)

    よもぎのつゆ
      (一)
 花が散って、いつのにか葉ざくらになりました。まだ早いのに、もう雨の日が続きます。あわただしい春の終わりです。ここは京都の町はずれ、ふり続いた雨がやんだので、きれいにしたてた牛車がやって来ました。よもぎが一面にはえて、道の上におおいかぶさっています。その下に、なんとまあきれいな水でしょう。雨水がいっぱいたまっています。牛につきそうお供が、車を、そのよもぎの道に引きこみますと、ぱっと とばしりが上がります。車の輪が回るにつれて、おしつぶされたよもぎの かすかなにおいがただよってきます。
 車の中からは、わかい女の人たちが、
「まあ、なんていいにおいでしょう。」
などと言っている声が聞こえます。
 車はずんずん進んでいきます。両側に、うの花のさいているかきねがあります。ふと、車の中から、女の人がそれを見つけて、花のえだを折ろうとします。車が、すうっと進んで、手がはずれます。
「まあ、くやしい。」
と、車の中の人たちは話し合っているようすです。

 この車には、『枕草子』という本を書いた清少納言が、友だちといっしょに乗っていたのでした。五月のころ、清少納言は、みどり一面のに出て、この季節のおもしろさを味わいました。よもぎ、きれいな水、うの花、なんとわかわかしいこのみでしょう。
 みなさん、大さくなったら、ぜひ、この『枕草子』をよく読んでみてください。きっと、この作品がすきになるにちがいありません。そして、清少納言が、新しく、みなさんの心の中に、生き返ってくるにちがいありません。
      (二)
 春の終わりごろでした。長らくふり続いた雨がやみました。ある日の夕方、きれいな車が、ごくわずかなお供を連れて、京都の町の中を進んでいきます。東山の上に、大きな月がのぼりました。車は、その月の光に照らされながら、静かに進んでいきます。
 やがて、車は、あれはてた大きなやしきのそばにさしかかりました。へいはこわれ、かべは落ち、人の住むやしきとも思われません。車の中から、わかい男の人の声が聞こえてました。
「はてな見たことのあるやしきだな。」
 すると、車のすだれが動きました。品のいい人の顔が、月の光に照らし出されました。お供の人はかしこまって、
「さようでございます。ここは常陸の宮のおやしきでございます。」
と答えます。
「ああ、そうだったね。ずいぶんごぶさたをしたものだ。たずねてみよう。」
と言って、中の人はおりてます。見あげると、まつの立ち木に、何かゆれているものがあります。月の光に照らして見ると、それはふじの花でした。こわれた門の中に はいってみますと、一面によもぎがしげっています。それにつゆがおりて、月の光にきらきらと光っているのです。
「たいへなつゆでございます。わたくしがお先ばらいをいたしましょう。」
と、お供の人は、馬のむちでよもぎのつゆをはらいながら、先に立ちます。しげったこずえから、ぱらぱらとしずくが落ちます。あかりもない、化け物やしきのような住まいです。

 これは、紫式部が書いた『源氏物語』の中の一つの場面です。今、ここをたずねてたのは、光君という人で、この物語の主人公になっている人です。『源氏物語』はほんとうにすばらしい作品です。
 紫式部も清少納言も、平安時代の中ごろの人です。日本の女流作家世界の人々に先がけて、こんなすぐれた作品を残したことを、わたしたちは、大きなほこりとしようではありませんか。


 なお、本教科書の巻末にも、昭和36年度版と同様に「解説」があり、そこには各単元の指導内容や留意事項が記されています。
 この「古典の世界」は10月の教材となっています。


教材
1古典の世界
(1)古典とわたしたち
(2)万葉集
(3)よもぎのつゆ(池田亀鑑作)
指導内容
○日本の古典について関心をもつ。
○解説文と対照して、『万葉集』を読む。
○『源氏物語』『枕草子』の一節を現代語訳した文章を読み、古典の気分にふれる。
留意事項
○短歌・長歌などの形態にふれ、伝統的な短詩型文学についての初歩的な理解を与える。
○(3)は物語・随筆の面における古典への通路。
○古典の文体は文語体であることに注意する。



 
 
 昭和40年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」(?)



※監修者は、坪田譲治、亀井勝一郎、池田弥三郎です。

 
 
 昭和43年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」
6年下 『万葉集』

 
 
 昭和46年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」
6年下 『万葉集』



※監修者は、西尾実です。

 
 
 昭和49年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」
6年下 『万葉集』

 
 
 昭和52年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」



※「鳥取砂丘の植物」の写真がカラーになります。

 
 
 昭和55年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」



※監修者は、木下順二・松村明・柴田武です。巻頭に、鳥取砂丘と植物のカラー写真があります。

 
 
 昭和58年度用

6年上 「鳥取砂丘の植物」



※昭和55年度用と一緒です。

 
 
 昭和61年度用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 
 教育出版の6年生用教科書は、昭和33年度用と36年度用で池田亀鑑の影響が顕著に見られます。際立っていると言っていいでしょう。没後にも、大きな影響力を及ぼしてます。
 後に紹介する大阪書籍版の6年生用教科書で、川端康成が編集したときにも『源氏物語』が浮き上がります。監修・編集者の姿勢が、こうしたところにうかがえます。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■古典文学

2010年11月19日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(5)教育出版(その2)

 教育出版が作成した、小学校国語科教科書134冊について、この「教育出版(その2)」では、小学4年生と5年生の教科書をとりあげます。小学6年生は、次の「教育出版(その3)」でまとめます。

 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)」(2010年11月11日)


【教育出版】(134冊中、小学4年生と5年生分)

 昭和29年度用

5年下 『源氏物語』に言及し写本の影印(「桐壺」)



※この年度は、藤村作が編集者です。この5年生用「五の下」の「ことばと文字の話」という教材の2箇所に、『源氏物語』への言及があります。

・「あの有名な『源氏物語』(ふりがな「げんじものがたり」)や『枕の草子』(ふりがな「まくら そうし」)などは、この平がなによって書かれた作品なのです。」(65頁)
・「『源氏物語』や『枕の草子』などのように」(67頁)

そして、『源氏物語』「桐壺」巻の写本の影印も添えてあります。
 
 
 
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 この写真は少しずれています。また、「源氏物語」というキャプションも手書き風です。どのような事情があってのものなのでしょうか。やや稚拙な編集のように思えます。
 今回、京都府立図書館で閲覧した教科書は、教科書センター用見本です。したがって、実際に印刷された教科書は、さらに編集の手が加わったものかもしれません。この点は、専門家に伺うしかありません。今は、私見を記すことに留めます。
 また、この影印は「桐壺」の巻頭部分です。ただし、手元に資料がないので、この『源氏物語』がどこの所蔵本なのか、今はわかりません。お分かりの方からのご教示をいただけると助かります。いずれにして、次期昭和33年度用教科書の監修者となる池田亀鑑が、この画像の提供者だと思われます。
 なお、この五年生用は『改訂 国語 五の下』となっています。改訂前にも『源氏物語』の影印があったのか、その内容を知りたいのですが、京都府立図書館所蔵の教科書の範囲で調査した結果をまとめている現段階では、今後の課題の一つとしておきます。

 
 
 昭和33年度用

5年上 『源氏物語』の写本の影印、「はくがのふえ」



※この年度は、池田亀鑑と坪田譲治の2人が監修者です。
 
 
 
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 そして、「文字の話」という単元で『源氏物語』の影印画像が掲示されています。
 
 
 
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 この頁では表音文字と表意文字、そしてかなの説明があります。次の頁に移ると「有名な『源氏物語』(ふりがな「げんじものがたり」)や『枕草子』(ふりがな「まくらのそうし」)などの作品は、このひらがなが作りだされていたからこそ、できたともいえましょう。」(56頁)とあります。
 これは、前回の藤村作の編集になる教科書での説明文に酷似しています。おそらく、共に池田亀鑑の手になる文章だと思われます。
 さらに、ここに使われた『源氏物語』の写本の影印は、昭和29年度版とはまったく異なる写本です。そして、さらに驚くことは、この写本が現在どこに所蔵されているものなのか、まったく不明な本なのです。
 これは、『源氏物語』54巻の中の第49巻「宿木」の後半部分です。
 この影印の3行目に「ほのめかしたり」とあります。そして、「し」と「た」の間の右横に、小さく「申」という漢字が書き添えてあります。このことを『源氏物語大成』(1762頁12行目)と『源氏物語別本集成』(497509文節目)で確認すると、すべての写本が「ほのめかし申したり」となっています。このように「申」を欠き、その「申」を補入する写本が見あたらないのです。
 また、6行目の「ひたちにくたり」とある箇所についても、『源氏物語大成』(同14行目)も『源氏物語別本集成』(497524文節目)も、「ひたちになりてくたり」と「なりて」のある写本ばかりです。この教科書に掲載された影印のような本文が、今私が確認できる資料の中に見つからないのです。
 なぜ、池田亀鑑はこの巻のこの箇所を教科書に掲載したのでしょうか。今の私にとっては、大きな疑問です。普通に考えれば、池田亀鑑が『源氏物語』の最善本とした大島本の影印が掲載されていそうです。しかし、そうなっていないのです。
 なお、この単元について、教科書の巻末にある「解説」では、5月に教えるものとして、次のように記されています。


目標
○文字についての知的理解を深めて、使い方を一層合理的にする。
○経験と結びつけて説明文を読む。
指導上の留意点
○四年上「研究発表」−かん字の使い方−の発展として扱う。四年では漢字に限定して理解を深めたが、ここでは文字全体について説明している。
○既習の文字を無意識に使用していた今までの学習を反省しながら扱う。
○文字を集めたり、例を拾い出したりして、この文章に述べている内容を理解し、使用に直結させる。


 それにしても、この影印には池田亀鑑の拘りがあるように思えます。ただし、なぜこの「宿木」巻なのかは謎です。
 参考までに、この教科書の奥付を掲載しておきます。
 
 
 
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 昭和36年度用

4年下(欠本)
5年上 「はくがのふえ」
5年下 『源氏物語』の写本の影印



※この年度の監修者は、坪田譲治1人となります。池田亀鑑は昭和31年12月に亡くなっています。
 ここでも、「文字の話」という単元はあります。しかし、説明文にあった『源氏物語』と『枕草子』の作品名が消え、挿絵としての『源氏物語』の影印のキャプションが、「源氏物語」とあるだけだった前回から「ひらがなで書かれた『源氏物語』」と変更になります。昭和33年度と同じ影印なのは、池田亀鑑の使ったものをそのまま転用したからです。
 なお、この頁の前には、漢字の音訓に関する説明で「漢字ばかりで書かれた『万葉集』」というキャプション付きで『万葉集』の版本の影印が掲載されています。

 
 
 昭和40年度用

5年下 『源氏物語』の写本の影印、「はくがのふえ」



※この年度から、監修者は坪田譲治、亀井勝一郎、池田弥三郎の3名となります。そして、「日本の文字」という単元では、昭和36年とほぼ同じ説明がくりかえされています。また、影印もまったく同じです。この『源氏物語』の写本について、池田亀鑑の配慮がそのまま継承されているのです。

 
 
 昭和43年度用

5年上 『源氏物語』の写本の影印
5年下 「はくがのふえ」



※『源氏物語』の写本の影印の取扱は、前回の昭和40年とまったく同じです。影印だけで、説明文の中には『源氏物語』も『枕草子』も出てきません。

 
 
 昭和46年度用

5年下 『源氏物語』の写本の影印ナシ



※この年度から、監修者は西尾実となります。そして、「日本の文字」という単元から『源氏物語』の写本の影印がなくなります。以降、昭和49年度、昭和52年度ともに、この『源氏物語』の写本の影印は復活しません。

 
 
 昭和49年度用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 昭和52年度用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 昭和55年度用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 昭和61年度用

5年上(欠本)

 
 
 昭和64年度用

5年下(欠本)

 
 
 平成4年度用

5年(欠本)

 
 
 教育出版の小学4年生と5年生用の教科書を通覧して、昭和29年度用と昭和33年度用の教科書に、平安時代の香りが顕著に確認できました。それも、『源氏物語』の影響です。
 『源氏物語』の写本の影印を小学生が使う教科書に採用するのは、池田亀鑑だからこそできたとも言えます。
 以降、教科書から平安時代の雰囲気はまったく排除されていきます。残念です。
posted by genjiito at 08:02| Comment(0) | ■古典文学

2010年11月11日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(4)教育出版(その1)

 教育出版が作成した、小学校国語科教科書134冊についてまとめます。
 この「教育出版(その1)」では、小学3年生までの教科書をとりあげます。

 これまでの経緯と報告は、次の記事をご覧ください。

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書」(2010年11月 8日)

「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」(2010年11月 9日)


 さて、ここでも、小学校の教科書に、平安朝らしさを伝えるものがどれくらいあるか、ということを見ていきます。
 その手がかりとして、小学校の教科書らしく、多用されている挿絵などに注目しました。貴族男女の衣服や、乗り物としての牛車に着目しています。中世の説話や近世などの話に、お姫様が出てきます。しかし、それは適宜ケースバイケースで、私なりに判断しました。
 なお、参考までに、インドに関する教材も、チェックしたので備考として記しています。
 
 
【教育出版】(134冊)

 昭和29年度用

2年上 一寸法師
2年下 (表紙に浦島太郎とかぐや姫の絵)
3年上 笛の名人(男の衣装)、ぞうの話(インド)、つり針のゆくえ(古事記)



※この年度の教科書は、藤村作が編者です。次期の編集には、その弟子で一緒に紫式部学会を創設した池田亀鑑が、作家の坪田譲治と2人で監修者になっています。師弟による教科書編集の引き継ぎがあったといえましょう。
 3年生上にインドの「ぞうの話」があります。

 
 
 昭和33年度用

1年中 浦島太郎
3年上 大山へ(鳥取)、山にのぼろう(正善達三)、ぞうの親子(インド)

 
 
 
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※この年度は、池田亀鑑と坪田譲治が監修者です。池田亀鑑は、昭和31年12月に亡くなっていますので、刊行されたときにはすでにいません。その配慮か、池田亀鑑の肩書きは「文学博士」であり、「東京大学教授」は付いていません。これは、昭和29年度の編集者である藤村作の表記を踏襲しただけかもしれませんが。
 編集者の中に、鳥取市遷喬小学校長・稲村謙一(平成17年没)がいます。これは、池田亀鑑が鳥取出身からくる縁での選任だと思われます。まだ調べていませんが、教え子ということが考えられます。
 3年生の教材「大山へ」は大山へ遠足に行った話です。また、「山にのぼろう」も、山から汽車や海や船を見下ろす話です。共に、鳥取県と特定はしていません。しかし、池田亀鑑は東京に出るまでは鳥取県の大山の麓で育ちました。後年、『花を折る』(中央公論社、昭和34年)所収の随想を見ると、この大山をしばしば旧懐の情をもって語っています。ここは、大山を思い描いての文章になっていると言っていいでしょう。
 インドの「ぞうの話」が、別のものとなって採択されています。

 
 
 昭和36年度用

1年中 一寸法師・浦島太郎(巻頭)
2年下(欠本)
3年上 大山へ(鳥取)、山にのぼろう(正善達三)



※この年度は、坪田譲治1人が監修者として明記され、池田亀鑑の名はありません。
 3年生の教材「大山へ」と「山にのぼろう」は、文章に手が入ってわかりやすくなり、絵も変更されています。
 インドの「ぞうの話」は削除されました。

 
 
 昭和40年度用

1年上 浦島太郎
2年上 わらしべ長者(挿絵が平安朝色)



※監修者は、坪田譲治・亀井勝一郎・池田弥三郎となります。池田弥三郎は折口信夫との関係が深いので、池田亀鑑の後任ではありません。
 3年生の教材では、「大山へ」が削除され、「山にのぼろう」の絵が変わりながらも残っています。池田亀鑑の影響を受けない編集になったからではないか、と思っています。

 
 
 昭和43年度用

1年上 浦島太郎(絵が変わる)
2年上 わらしべ長者



※稲村は元鳥取市遷喬小学校長とあるので、定年退職後もそのまま編集に携わっていたようです。
 3年生の教材では、「山にのぼろう」が削除されています。これで、私が池田亀鑑との影響がある教材と見た鳥取に関連するものはなくなりました。

 
 
 昭和46年度用

1年上 一寸法師
2年上 わらしべ長者
3年上 なかよし名人



※3年上の「なかよし名人」は、昭和29年度用において「わざくらべ」として採用されていた文章を長文に書き換えたものです。

 
 
 昭和49年度用

1年上 浦島太郎
2年上 わらしべ長者
3年上 なかよし名人



※3年上の「なかよし名人」は、昭和46年版とまったく同一の印刷です。

 
 
 昭和52年度用

1年上 浦島太郎
2年下 わらしべ長者



※稲村は児童詩研究家として編集者に加わっています。

 
 
 昭和55年度用

※特にコメントすべきことはありません。

 
 
 昭和61年度用

※この年度より稲村が編集者からいなくなっています。長期にわたり、教育出版の教科書の編集に携わっていたことがわかります。

 
 
 平成4年度用

1年(欠本)
2年上(欠本)


 
 
 昭和50年以降になると、教育出版の小学1年生から3年生までの教材においては、古典の香りを確実になくしていくことが、明らかに認められます。
 前回の「教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書」の最後に指摘したことが、ここでも見られます。
 その傾向が4年生から6年生までにもあるのかどうかは、次回「教育出版(その2)」にまとめます。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■古典文学

2010年11月09日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(3)学校図書

 以下、学校図書株式会社が出版した小学校国語科教科書の中から、平安朝の香りがする教材を中心にして取り上げ、コメントを付けていきます。個人的な興味と関心から、インドや古写本に関する情報も取り上げます。

 ただし、私は国語教育の専門家ではないので、思いつきを記すことを、あらかじめお断りしておきます。
 
 
【学校図書】(129冊)
 
 昭和28年度用

1年上(京都府立図書館蔵『1ねんせいのこくご上』は昭和27年度用に分類。下は昭和28年度用。)
2年上(欠本)
2年下 浦島太郎
3年上 二つの玉(古事記)
4年(欠本)
6年上(欠本)
6年下 インドの旅(石井房子)
 
 
 
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※この年度の学校図書の教科書の監修者は、志賀直哉・久松潜一・池田亀鑑の3名です。池田亀鑑は昭和31年12月に死去のため、この年度と昭和32年度だけに監修者として名前があり、昭和34年度用からは吉田精一に変わります。ただし、後に取り上げる教育出版の昭和33年度用でも、池田亀鑑は監修者となっています。

 また、1年生用における池田亀鑑の肩書きが「東京大学教授・文学博士」なっているのに、今回確認できた2年生用・3年生用・6年生用では「東京大学助教授・文学博士」です。この時点では助教授でした。4年生用と5年生用は、どのような事情があったのか、監修者は斎藤清衛・岡元明です。
 池田亀鑑が東京大学の教授になったのは、最晩年の昭和30年4月です。亡くなる1年前です。学校図書の1年生用教科書の奥付の再確認が必要です。

 なお、手元のメモによると、『六年生の国語 下』の扉には、検定日について次のように記されています。

 「昭和二十六年七月二十三日 文部省検定済 小学校国語科用/昭和二十八年七月二十日 修正」

 修正や改訂がどのようになされていたのか、ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示のほどを、よろしくお願いします。

 3年生用上の「二つの玉」について、巻末の「先生と父兄へ」では、「衆知の海幸山幸の話で、日本の古典童話の紹介という意義をもっており、長編物語の読解力を養う。」とあります。

 6年生用下の「インドの旅」は7ページもあります。写真と挿絵と地図が1枚ずつ添えてあります。巻末の「先生と父兄へ」には、視野を世界にひろげて国際人的性格を培う観点から、「日本と同じアジアにあって躍進しつつあるインド、これを紀行文的な表現をもってとりあげた。」と記しています。


 
 
 昭和32年度用

1年(欠本)

2年(欠本)

3年上 二つの玉(古事記)

4年下 京都の案内

5年(欠本)

6年上(欠本)



※3年生用・4年生用の監修者は、志賀直哉・久松潜一・斎藤清衛・池田亀鑑と、斎藤が加わって4名です。池田亀鑑の肩書きは「東京大学教授・文学博士」です。昭和31年12月に亡くなっているので、ギリギリで池田亀鑑の名前を残し、斎藤清衛を加えたのでしょう。この3年生用の「二つの玉」について、文末の「さんこう」では古事記と日本書紀への言及があり、神名に違いがあることを指摘しています。

 6年生用では、上が欠本なので、次回の昭和34年度に掲載されている「紫式部」がここにあるのかどうか、今は確認できていません。池田亀鑑が監修者となっているので、あった可能性が高いと思っています。前年度に掲載された「インドの旅」が削除されました。

 
 
 昭和34年度用

1年中 一寸法師

2年上 かぐや姫

3年上 二つの玉(古事記)

3年下 すくなひこなのみこと(古事記)

4年上 京都の案内

5年(欠本)

6年上 紫式部

6年下 万葉集、古いインド新しいインド



※3年生用の「二つの玉」は昭和32年度用と同じく「さんこう」も付いています。また、この3年生用は神話に題材を採ったものが2つもあります。

 六年生用の表紙が王朝風な絵です。教材に「紫式部」があるので、この絵は紫式部を意識して描かれたものだと言えます。とすると、牛車の中の男性は誰なのでしょうか。
 
 
 
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 教材の中に、4ページにわたる説明文「紫式部」があります。国宝源氏物語絵巻の宿木(1)を描き起こした挿絵が冒頭に置かれています。帝と薫が囲碁の対局をしている絵です。
 この文章の作者は明記されていません。この年度から監修者が志賀直哉・久松潜一・吉田精一になります。前回までの昭和28年度、32年度の監修者に池田亀鑑がいたことから、これは池田が書いたものを元にしている可能性があります。ただし、池田は後に報告する教育出版の教材を精力的に執筆しているので、その時にこれと関連させてコメントを記すことにします。
 なお、巻末の「指導内容」の項では、「国語文化史上におけるかなの発明の意義、源氏物語のもつ価値などを理解させる。紫式部の業績や人がらを読解する。」とあります。
 6年生用の下では、万葉集を例にして短歌の鑑賞と説明をしています。また、インドについての説明文が「インドの歴史と現状を読みとる。」という趣旨の元に新たに再登場しています。

 
 
 昭和36年度用

1年中 一寸法師
2年上 かぐや姫
3年上 まきばの王子(古事記と日本書紀からの書き直し)
3年下 はくがのふえ(平安朝風)
4年下 京都の案内(改稿)
5年下 玉虫厨子の物語(平塚武二)


※6年生用では、昭和34年度用にあった「紫式部」が削除され、「太平洋をこえて」という勝海舟と福沢諭吉の話に置き換えられました。

 
 
 昭和40年度用

1年下 一寸法師
2年上 かぐや姫
3年上 まきばの王子
3年下 はくがのふえ
4年下 京都の案内
5年上 ガンジー+ガンジーの伝記を読んで
5年下 玉虫厨子の物語


※5年生用の「ガンジー」は伝記として、12ページにわたっての採用です。写真と絵が一葉ずつ、そしてインドの地図が添えてあります。長文のため、小見出しとして「地上の人」「南アフリカで」「インドへ帰る」「ガンジーの戦い」「勝利」「死」が付けられています。
 この年度の教科書の扉には、「昭和35年4月20日 文部省検定済 小学校国語科用」とあり、その下に「昭和 年 月 日 改訂検定済」とあります。この教科書は昭和40年度用に分類されていますが、それは改訂版の検定を受けたもの、ということなのでしょうか。奥付の印刷・発行日にも年月日が空欄です。このあたりの教科書検定のシステムと事情については、私にはまったくわかりません。今は、あるがままに記しておきます。

 
 
 昭和43年度用

1年下 一寸法師
2年上 かぐや姫(絵が変わる)
2年下(欠本)
5年下 玉虫厨子の物語


 
 
 昭和46年度用

1年上 一寸法師
2年上 かぐや姫
3年(欠本)
5年上 玉虫厨子の物語(挿絵変更)


※6年生用に『平家物語』がありますが、平安時代の香りは消えています。

 
 
 昭和49年度用

1年上 一寸法師
2年上 かぐや姫
5年下 仁王門の綱
6年下 秘曲(古今著聞集)


※5年生用の「仁王門の綱」には平安朝の雰囲気があります。ただし、これは井原西鶴の『懐硯』所収のものを現代語訳したものです。

 
 
 昭和52年度用

1年上 金太郎
6年下 秘曲


※6年生用の「秘曲」が巻頭でカラーの挿絵入りとなります。

 
 
 昭和55年度用

6年上 ことばと文字
6年下 百人一首


※6年生用の「ことばと文字」では、かなの成り立ちの説明があります。しかし、写本についての説明まではいきません。

 
 
 昭和58年度用

※昭和55年度用とほぼ同じ内容です。

 
 
 昭和61年度用

5年(欠本)
6年上 万葉集
6年下 短歌や平家物語の一節


※6年生用下では、短歌や平家物語の一節を引いて、文語のコラムがあります。

 
 
 昭和64年度用

3年生用のみ所蔵

 
 
 
 以上を通覧して、学校図書版の小学校国語教科書を見る限りではありますが、昭和30年代は積極的に古典文学作品が取り上げられていることが確認できたと思います。平安朝の香りが立ち上ります。また、インドも注視されています。それが、昭和50年代以降は薄まります。
 昭和30年代は、日本が国連に加盟し、神武景気と言われて高度成長の時代となりました。東映の時代劇映画が全盛となり、皇太子のご結婚、東京オリンピックがありました。

 もっと丁寧に分析すべきですが、それは今後の課題として、まずは学校図書版をこのあたりで終えておきます。

 次回は、教育出版に移ります。
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2010年11月08日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(2)中京出版・大日本図書・二葉図書

 この記事は、先日報告した「教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)」(2010年10月31日)を受けて、これから何回かに分けて記すものです。

 出版社別にまとめておきます。また、京都府立図書館で整理された教科書だけを対象としているので、戦前の教科書は今は考えないで記します。

 また、ここで扱う教科書は、昭和26年から昭和60年までの範囲でのコメントであることも、あらかじめご了承ください。

 教科書における教材の採否については、学習指導要領の変化・変遷が影響していると考えられます。ただし、私は国語教育の専門家でもないし、今はその余裕がないので、ここでのコメントではそのことには言及していません。それらは、また後でとりまとめます。

 戦後の小学校国語科教科書のページを捲りながら、自分がどの会社の本を使っていたのか、ずっと気になっていました。

 私は、小学4年生までが島根県出雲市立古志小学校、5年生から6年生7月までが、大阪市立菅原小学校、6年生の9月から大阪府八尾市立南高安小学校と、3つの小学校へ行きました。
 そのこともあってか、教科書のことが完全に記憶から欠落しています。
 正直言って、がっかりしています。今回見た教科書823冊の中に、私が使った教科書が7種類14冊あるはずなのです。それが1冊も思い出せないとは、なんとも本当に情けないことです。

 さて、ここでは、小学校の教科書に、平安朝らしさを伝えるものがどれくらいあるか、ということを見て行きたいと思います。
 その手がかりとして、すべての教材に目を通しましたが、特に小学校の教科書らしく、多用されている挿絵などに注目しました。貴族男女の衣服や、乗り物としての牛車に着目しています。中世の説話や近世などの話に、お姫様が出てきます。しかし、それは適宜ケースバイケースで、私なりに判断しました。

 なお、参考までに、平安時代以前のものとして奈良時代に属する作品も、古代のものとしてメモを記しています。また、インドに関する教材も、チェックしたので備考として記しています。


【中京出版】(12冊)

 昭和36年度用のみ

1年2 一寸法師
2年1 かぐや姫



※古典の中でも、平安朝らしさを感じさせる教材としては、「一寸法師」と「かぐや姫」の2つだけでした。ともに、お姫様の衣装がそうです。1、2年で、昔話として取り上げています。



【大日本図書】(31冊)

 昭和31年度用

1年2 金太郎
2年2 八岐大蛇(古事記)
5年2 古都の秋(京都)
6年1 宣長と真淵(万葉集+古事記)



 昭和36年度用

1年1 一寸法師
1年2 金太郎、浦島太郎
2年2 竹取物語
3年1 羽衣



 昭和40年度用

1年2 金太郎
2年2 竹取物語
3年1 羽衣



※竹取物語も羽衣も、昔話として取り上げています。奈良時代や平安時代を感じさせる教材と、上代の古事記・万葉集については、昭和31年度用だけです。本居宣長の紹介において、『源氏物語』には言及していません。



【二葉図書】(38冊)

 昭和24年度用

ナシ


 昭和31年度用

2年1 かぐや姫
3年2 つりばりをたずねて(古事記)
6年2 万葉集の話と和歌



※大日本図書版と同じように、昭和31年度用には古事記・万葉集が取り上げてあります。


 昭和34年度用

ナシ


 昭和36年度用

3年下 海さち山さち(古事記)



※「海さち山さち」は、昭和31年度用の「つりばりをたずねて」を書き直したものです。



 以上3社の教科書において、日本の古典文学の香りは、低学年に昔話として採択された教材にうかがえます。高学年になると、古事記や万葉集が見られます。ただし、それは昭和31年度用に限られます。このことは、他社の動向も含めて、後で考えましょう。

 それにしても、平安朝らしさは、これらの3社に限っては、あまり感じられません。

 一応、参考のために、学習指導要領の改訂年をあげます。
(1)1947年(昭和22年)
(2)1951年(昭和26年)
(3)1956年(昭和31年)高校のみ改訂
(4)1961年(昭和36年)
(5)1971年(昭和46年)
(6)1980年(昭和55年)悪名高いゆとり教育
(7)1992年(平成4年)
(8)2002年(平成14年)
(9)2011年(平成23年)
 
 
 なお、次回は、【学校図書】の小学校用教科書の内容に見る平安朝の香りです。
 これは、129冊もあり、しかも池田亀鑑が関わった時期があるので、改めてまとめるものです。そして、ここには、古典がさまざまな形で取り上げられます。紫式部が出てきたり、インドの話もあります。監修者によって、こんなに教材が変わってくるものなのか、ということに驚きます。

 こうした教科書について、小学校のものだけに、国語に限定しても、さまざまなエピソードがあるかと思います。
 いろいろとコメントがいただけると、非常におもしろいと思っています。ご協力いただけると助かります。
posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ■古典文学

2010年11月06日

天理図書館にある古写本の目録が完成

 開館80周年を迎えた天理図書館には、貴重な古典籍がたくさんあります。そして、そのほとんどが閲覧できます。
 一般の方でも、手続きをすれば見られるのです。
 高校の教員をしていたとき、もう30年以上も前のことですが、貴重書となっていた『源氏物語』の写本を見せていただきました。以来、何度も通っては古写本を拝見し、メモを取り、複写などのサービスを受けてきました。

 そして、所蔵されている本の素性を知る時に参考になるのが、蔵書目録(『稀書目録』)です。

 このたび、天理図書館に所蔵されていて目録に掲載されていない本が10年もの長い時間をかけて整理され、日本の古典籍の中でも写本1277点を中心とした貴重書目録が完成したのです。『天理図書館 稀書目録 和漢書之部 第五』(天理大学附属天理図書館編、天理大学出版部、平成22年10月18日発行)がそれです。
 
 
 
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 大学図書館や主要な図書館のレファレンスコーナーに配架されています。ぜひ、手にしてみてください。こんなにたくさんの写本を、日本人は写し伝えてきたのです。日本の文化の重みと言えるものです。
 哲学、歴史、社会科学、芸術、文学など、幅広い分野の書籍が整理されています。私は、文学の項目しか見ることがありません。それも、日本文学の平安時代物語に限定されます。
 今回の『稀書目録 第五』で『源氏物語』に関しては、「源氏物語竹河巻」「河海抄」「源語秘訣」「山下水」「源氏小鏡」「源氏無外題」「源氏之系図」が取り上げられています。

 『天理図書館 稀書目録 和漢書之部』は、開館10年目の昭和15年に〈第1〉が、21年目の昭和15年に〈第2〉が、30年目の昭和35年に〈第3〉が、68年目の平成元年に〈第4〉(ただし「版本之部」)が、そして今回の80年目に〈第5〉(「写本之部」)が刊行されたのです。
 天理図書館には、まだまだ貴重な古典籍があるようです。その発掘・紹介は今後の楽しみとして、私の興味と関心のある『源氏物語』に関しては、これでひとまず落ちつくことになります。もっとも、未整理の本の中に、意外な本があるのかもしれませんが……。『源氏物語』も。それも、今後の楽しみです。

 根気の要る仕事だったと思います。気の遠くなるような校正が続いていたと仄聞しています。
 作業を担当されたみなさま、特に岡嶌偉久子さん、山根陸宏さんには、ここに紹介することで労いのささやかな気持ちの一部にでもなれば、と思っています。お疲れさまでした。

 これから、日本の古典文学を調査し、研究しようと思っている若い方々には、ぜひともこうした古典籍を直接見て、触ってほしいと思います。本の紙を捲れば、当然のことながら本は傷みます。しかし、本は見られるために存在しているのです。
 慎重な保存や保護が必要な本は、写真版などになっています。当然、閲覧は制限されるでしょう。しかし、とにかく見たい本があれば、図書館に問い合わせてみればいいのです。

 活字だけで古典文学作品などを読んで終わりにするのは、大変もったいないことです。日本には、このように長い年月をかけて守り伝えられてきた本が、今でも自分の目で確認できるのです。もちろん、歴史的な資料もそうです。
 ぜひ、写本を手にして、見て、そこでそれまで読んでいた活字の校訂本文が何であったのかを、改めて考えてみませんか。研究という視点から文学を直視する上では、古写本を見ることは大変意義のあることです。

 そんなときに、所蔵機関の蔵書目録が役立ちます。
 図書館の方々も、本に関する質問を待っておられると思います。
 最低限の礼儀を弁えるのはもちろんのことですが、怯まずに思い切って所蔵先に連絡をして、古典籍を目の前に置いて、紙を捲ってみてください。
 楽しい自問自答という時間の流れの中に、しばし我が身を置くことができます。愉悦の刻を独り占めにできます。
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2010年10月31日

教科書に見る平安朝・小学校−国語(1)

 平安神宮の入口にある京都府立図書館には、戦後の学校教科書のコレクションが収蔵されています。
 
 
 
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 昨年末にその2万冊の分類整理が終わったとのことで、本年(2010)1月よりオンライン検索も可能となりました。

「京都府立図書館所蔵 教科書目録案内」

 ただし、その内容を知るための目次などは、データベース化されていません。
 何年の何年生のものがあるかどうか、ということと、簡単な書誌しかわかりません。

「目録データの見方と解説」

 つまり、採択された教材を確認しようと思えば、実際に教科書を手にするしかないのです。

 京都府立図書館の「教科書目録案内」のトップページには、このコレクションの概要が次のように記されています。


 京都府総合教育センターが「教科書センター用見本」として保管していた教科書がほとんどです。これらは、採択を希望する発行者が京都府に送付してきた見本です。一部、個人の方が実際に使用されていた教科書も所蔵しています。
 所蔵冊数
   小学校の教科書 6,753冊
   中学校の教科書 3,920冊
   高等学校の教科書 10,015冊(うち、専門教育1,909冊)


 京都教育大学などが調査に入っておられたようなので、私は遠慮していました。
 そろそろいいだろうと思い、病気療養中の時間を活用する意味からも、先月より少しずつ閲覧してきました。そして、本日ようやく小学校の国語科に関するものすべてを確認し終えることができました。

 目次からだけではわからない教材が多いので、実際にすべてのページを捲って確認しました。そのため、予想外に時間がかかりました。

 たとえば、大阪書籍発行の『小学国語 6下』(平成7年検定済)には、「与謝野晶子の文学碑を訪ねて」という教材が8頁にわたって掲載されています。巻頭には、歌碑のカラー写真が2葉あります。文中には、歌碑がある堺市内の地図やカラー写真があります。
 しかし、この教科書の最初の目次には、次のようにあるだけです。


二 目的に応じて表現のくふうをしよう
  調査・見学したこと


 つまり、教科書の全頁を捲ってみないと、その内容が正しく確認できないのです。

 小学校の国語科の教科書は、京都府立図書館で所蔵されていたものは1300冊を超えていました。
 データベースで検索すると、年度単位で表示されるので、小学校国語のように上下2冊に分かれるものは、実数がわかりません。
 欠落している年や、通年で2冊ある内の1冊だけだったり、また同じものが3冊や4冊あったりします。特に、最近のものは複数冊ありました。

 結局、今回私が確認したのは、それらを整理しながら、823冊を丹念に見たことになります。

 年代としては、一番古いものが昭和26年(なんと池田亀鑑が監修者の1人です)、新しいものは平成7年でした。ただし、教科書会社の各社にばらつきがあります。

 今回調査対象とした収蔵資料の国語科の教科書会社は、以下の通りです。
 これは、書架に配架されている順番です。
 この順番で、これから私見によるメモを数回にわたって記します。

・中京出版    (12冊)
・大日本図書   (31冊)
・二葉図書    (38冊)
・学校図書   (129冊)
・教育出版   (134冊)
・光村図書   (140冊)
・日本書籍   (127冊)
・大阪書籍    (40冊)
・三省堂     (13冊)
・信濃教育会出版部(25冊)
・東京書籍   (134冊)
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2010年10月26日

与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』と『蜻蛉日記』の撮影

 『源氏物語』の千年紀だった2008年9月に、鞍馬寺に保管されていた与謝野晶子自筆原稿の一部となる『新新訳源氏物語』の公開を果たしました。鞍馬寺のご理解とご高配には、その後の堺市に多大な影響を与えただけに、心より敬服するところです。

「与謝野晶子の自筆原稿画像の試験公開」(2008年9月17日)

 この鞍馬寺の晶子自筆原稿の公開を受けて、堺市ご所蔵の晶子自筆の『新新訳源氏物語』の草稿も公開できることになりました。
 本年2月に、無事に鞍馬寺と並ぶ形で、国文学研究資料館から公開しました。研究資料を画像データベース化して公開する私の仕事が、これで一段落しました。

「与謝野晶子の『新新訳源氏物語』自筆原稿画像データベース公開」(2010年2月20日)

 堺市には、さらにたくさんの与謝野晶子自筆原稿が保存されていました。
 そのことは、これまでにも本ブログで何度か紹介しました。
 その後、堺市からの連絡で、『蜻蛉日記』の現代語訳の草稿と、『新新訳源氏物語』の草稿の追加分が公開できることになりました。これで、晶子自筆の平安女流文学の現代語訳原稿の多くが、ネットを通して精細画像で確認できることになったのです。
 近代文学と古典文学が、ここに融合した研究資料として提供できることになるのです。

「与謝野晶子の源氏訳自筆原稿「夕顔」等を確認」(2010年7月16日)

 個人的なことを挟んで恐縮ですが、この2010年7月16日の調査に出かける直前に、私は東京の九段坂病院からの電話で、ガンの告知を受けました。私にとっては、忘れられない日となりました。

 さて、古典文学が敬して遠ざけられる今、その研究者も衰退の一途を辿っています。そんな折だけに、晶子の古典理解を通して近代と古典の文学に目を向けてもらうことは、新しい研究分野として大いに広めたいと思っています。
 その意味からも、国文学研究資料館から公開している画像データベースを、一人でも多くの方に見ていただければ幸いです。

 今日は、『蜻蛉日記』と『新新訳源氏物語』の晶子自筆原稿の撮影に立ち会うため、堺市立文化館・与謝野晶子文芸館に行きました。

 今日と明日の2日間で撮影するのは、『源氏物語』では「桐壺」「帚木」「夕顔」「若紫」「賢木」「花散里」「真木柱」「藤のうら葉」「朝顔」の約20数枚と、『蜻蛉日記』の120数枚です。ただし、原稿用紙の両面に書かれたものもあるので、撮影カット合計数は250枚ほどになります。

 前回7月16日の調査以降、足立さんの精力的な調査により、『新新訳源氏物語』の「朝顔」が1枚あることがわかりました。また、『蜻蛉日記』は原稿用紙が2枚欠落しているだけであることもわかりました。さらには、『蜻蛉日記』の梗概を記した原稿用紙も2枚見つかっています。これは、これまでその存在が知られていなかった貴重なものです。

 早朝よりしばらく、担当の足立匡敏さんと打ち合わせと確認をしました。
 足立さんは、来月の国文学研究資料館で開催される「国際日本文学研究集会」(11月27日(土)・28日(日))で、2日目28日の14時15分より、「与謝野晶子訳『蜻蛉日記』の成立−堺市蔵・自筆原稿の考察を中心に−」と題して研究発表をなさいます。今回撮影する自筆原稿をフルに活用した研究成果の発表であるだけに、当日が楽しみです。
 このときには、英国ケンブリッジ大学の小山司書の講演と、大学院生のレベッカさんの研究発表もあります。たくさんの方のご参加を願っています。

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 撮影の合間に、与謝野晶子文芸館の展示を、足立さんと学芸員の森下さんのお話を伺いながら拝見しました。今回は、晶子の愛用品とでもいうべきものが目玉の展示となっています。
 与謝野晶子文芸館(+アルフォンス・ミュシャ館)は、堺市駅に隣接するベルマージュ堺の中にあります。天王寺から快速で8分と、思いのほか近い立地にあります。大阪にお越しの節には、ぜひ立ち寄られることをお勧めします。

 展示ケースの上からの写真なら構わないとのことだったので、写真と共に展示品の中でも私が気になったものを紹介します。
 晶子愛用の文箱(写真右、鞍馬寺蔵)は、原稿用紙がスッポリと入りそうな大きさです。
 
 
 
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 これとは別に、鞍馬寺には四脚付きの唐櫃があり、それに晶子の原稿が入っていたそうです。
 私は、この文箱は晶子専用の「遙青書屋」の銘が刷り込まれた原稿用紙が入っていたのではないか、と勝手に想像しています。

 また、上掲写真左の朱肉(鞍馬寺蔵)は、添削用の朱を筆に付ける時に使ったものではないか、と森下さんの説明でした。鞍馬寺の曾根さんもそのようにお考えだとか。少し窪んでいるので、そうなのでしょう。

 晶子といえば、堺の駿河屋の和菓子を思い浮かべる方が多いでしょう。
 その駿河屋が、1888年にバルセロナで開催された万国博覧会で受賞したメダル(写真下)も、目を引きました。
 
 
 
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 スペインからこちらに調査にお出でになった研究者の情報によれば、バルセロナ万博で出品されたのは、飴、豆製菓子、ボーロだったようです。

 晶子は、幼いときに、店番をしながら書物を読んでいたとのことです。その駿河屋の様子がわかるのが、上掲写真の上の絵図です。
 この受賞した駿河屋のお菓子は、復元されているのでしょうか。堺でのお茶席で、利休と晶子のコラボレーションがあれば、ぜひ参加したいものです。

 なお、晶子の『みだれ髪』の第2版本が、まだ見つかっていないそうです。初版本(写真右端)と第3版本はあるのに、悩ましいことです。
 
 
 
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 もし第2版本をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご一報をお願いします。明治35年か36年の刊行かと思われます。

 晶子について雑談しているときに、晶子の作品は海外ではどれくらい翻訳されているのか、気になり出しました。『源氏物語』の場合、調べてみると予想外に多くて驚いています。
 この晶子の作品についても、世界各国で翻訳されていることでしょう。これについても、海外の方々からの情報をお待ちしています。
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2010年08月22日

お茶のお稽古で日本古来の文化を感じる

 残暑というより酷暑の中、早朝よりお茶のお稽古に行きました。
 地下鉄と近鉄を乗り継いで、奈良と言っても大阪寄りを走る近鉄生駒線の元山上口駅へ。
 私がこれまでに、一番乗り降りした回数の多い駅です。20数年、この生駒山の中腹に居を構えていたのですから。単身赴任で東京へ行ってからも、数年前までは毎週末になると、この駅から自宅へと山登りをしました。

 駅前には、役行者ゆかりの千光寺への道しるべが、法隆寺側を背に建っています。
 
 
 
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 この前のお稽古の時は、たまたま車に乗せてもらえました。今日はエッちらオッちらと、急坂を登ります。

 単線の踏切を渡ると、すぐに竜田川上流が眼下に飛び込みます。これまでは何でもなかった景色が、たまに来ると景勝地のように見えて新鮮です。
 
 
 
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 かつては毎日登った坂です。しかし、京都や東京の平地の生活に慣れると、身体がついて来ません。
 坂道の上に住む人は、疲れにくい身体になっていると言われていることを実感しました。
 これも、修行と言うことで……。

 今日は、さっそく盆略手前の練習です。家でも娘に特訓をされていたのに、実際に見られながらやってみると、なかなか難しいものです。
 本日の3度目のお稽古では、実際にポットに入ったお湯を使ってやりました。手順は覚えていても、一つ一つの動作を考え考えなので、我ながらギコチなさがわかります。
 それでも、横で先生が囁いてくださるので、何とか一通り終えることができました。
 炎天下のもと、薄暗いお茶室で冷や汗ものです。

 おおよその流れは掴めたので、後は家で娘に復習の相手をしてもらいます。

 目の前では、天目茶碗を使ったお手前の稽古がなされていました。天目台に乗せてのお手前は、話には聞いていました。井上靖の小説に、天目茶碗に関する作品があったように思います。また、数年前に、今は逸翁美術館の館長である伊井春樹先生と中国の浙江省に行ったとき、浙江工商大学の王勇先生から、浙江省の窯で焼かれた天目茶碗の話を伺いました。こんな所で、何気なく読み、そして聞いた話と物とが、偶然ながら今になってようやく結び付きました。知識の断片がその場ではうまくつながらなかったので、我ながら慌てる始末でした。

 昨日は、四条センターの講座で茶会席と茶道のお話を聞きました。今日はあの話を思い出しながら、それも冷や汗をかきながら、自分がお茶を点てているのです。これも、日々の流れに身を任せていればこその楽しさです。

 お茶室の床のお花は、ムクゲ(木槿)とワレモコウ(吾亦紅)でした。
 先生が今朝、庭に咲いていたのを摘まれた花だそうです。
 
 
 
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 帰り道は、このお花と『源氏物語』のことを独りで考えながら、楽しく帰りました。

 「朝顔」が「むくげ」の古称であることから、『源氏物語』の第20巻の巻名「朝顔」を「槿」と書いている古写本があります。
 今手近なところにある伏見天皇本(影印)などが、巻名に「槿」の漢字を使用しています。
 現在一般的に読まれている『源氏物語』のテキストの底本は、古代学協会所蔵の「大島本」(重要文化財)です。その巻頭遊紙に貼られた紙には「槿 巻名ハ……」と記し、本文の巻頭部分には「槿斎院桃園式部卿御女……」という傍注があります。
 
 
 
100822oshima『大島本源氏物語DVD-ROM版』2007年、角川学芸出版より
 
 
 

 また、物語の本文中で、朝顔の姫君の歌「あらためてなにかは見えん人の上に かかりとききし心かはりを」のところで、「高松宮本」(国立歴史民俗博物館蔵、重要文化財)と「肖柏本」(天理図書館蔵)には、その歌の右横に小さく「槿」という漢字を書き添えています。これは、この歌が朝顔(槿)の姫君の歌であることを注記している箇所なのです。
 これらは、おそらく江戸時代に記入されたものと思われますが、このことはさらに詳しく調べると、おもしろいことがわかるかも知れません。

 また、「われもこう」は、これまた『源氏物語』の第42巻「匂宮(匂兵部卿)」に出てくる花です。この花の名は、そのまま物語の本文の中にひらがなで書かれています。ただし、この「匂宮」巻だけにしか現れない例のようです。これも、他の古写本に出てこないのか、また調べてみたいと思います。

 今日のお茶室には、こんなにイメージが拡がる楽しい秋の花が活けてあったのです。
 いずれにしても、「われもこう」は奈良時代から、「むくげ(槿)」は平安時代とつながる花なのです。今日の床に活けてあったことが、お茶の世界の雅な雰囲気を作り出していたことを、今になって気づきました。
 こんなにすばらしい空間や文化を、日本人は作り出せるのです。その中に身を置くことができるのです。こんな文化が伝わっている日本を、誇りに思えます。歴史と文化の重みなのでしょう。少なくとも、アメリカをはじめとする新興国などにはないものであることは確かです。

 茶道の奥深さの一端を、垣間見ることができた一日でした。
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2010年06月11日

雅楽の演奏会に行って

 今夜は、誘われるままに、雅楽会に行ってきました。

 「第二回雅楽道友会演奏会−東儀俊美 半寿の楽舞」というものです。
 半寿とは、八十一歳のことです。「半」という文字を分解すると「八十一」になります。
 
 
 
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 会場は、大井町の「きゅりあん大ホール」でした。
 
 
 
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 大井町は、2年前まで国文学研究資料館があった戸越に近い、懐かしい地です。通勤での乗り換え駅でもありました。

 誘ってくれたのは、もう20年前からのつきあいである、日本古来の装束の着付けをする衣紋道の仲間で金鑽神社の禰宜をしている金鑽さんです。今日は、その仲間である大学の先生、高校の先生、大学院生と、多彩な顔ぶれです。そして、みんな國學院大學の後輩たちです。

 演目などは、パンフレットから紹介します。
 
 


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 雅楽や着付けに厳しい目を持つ仲間なので、終わってから大井町の場末の行きつけの飲み屋で、いろいろと楽しい裏話を聞きました。
 6月に冬の衣装はないだろう、とか、袴の色が違う、とか、紋が違うだろう、などなど。
 素人目には気づかなかったことを、装束の専門家は鋭い目で見ていたようです。
 そして、雅楽の演奏についても、造詣の深いメンバーなので、これも厳しい評価を聞きました。その道に入ると、いろいろとあるものです。

 平安時代の衣装の具体的なことは途絶えているので、今の復元で『源氏物語』を考えてはいけないとか、平安時代の色の復元は不可能であるとか、実際のものを扱う立場からの意見なので、いい勉強になりました。

 日頃、身の回りにない情報なので、貴重な話が聞けました。また、機会を得て、有職故実に関する勉強もしたいと思います。
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2010年05月28日

充実した3人の研究発表

 国文学研究資料館のプロジェクトの一つである基幹研究「王朝文学の流布と継承」の、本年度第1回研究会がありました。

 今日は、次の3人の発表がありました。いずれも、刺激的でした。


(1)森田直美(国文学研究資料館 機関研究員)
 「近世後期における平安朝物語の図説化 ―装束関連の書を中心に―」

【要旨】近世後期には、『源氏物語』を中心とした平安朝文学にあらわれる、装束・調度・建築物等を図示し、注解を施した書が多く著された。本発表ではこれらの中から、特に装束関連の書を数点取り上げ、中世に成立した物語注釈の、有職書としての性質に注目が集まり、やがて近世中・後期に至って図説されるようになってゆく過程の一端を辿る。

(2)福田景道氏(島根大学 教授)
 「『弥世継』と『月のゆくへ』 ―歴史物語の継承と再生―」

【要旨】『水鏡』―『大鏡』―『今鏡』―『増鏡』と連なって日本通史を形成する鏡物系歴史物語の系流には、『今鏡』と『増鏡』との間に十数年間の間隙があり、その空白を散佚作品『弥世継』が埋めたと考えられている。しかし、それを否定する徴証も指摘できる。本発表では、@『弥世継』の標題をもつ高山市郷土館蔵『増鏡』とA欠落期間を補うために明和8年(1771)に著作された『月のゆくへ』(荒木田麗女作)とによって、歴史物語系譜の変容について考察する。

(3)山本登朗(関西大学 教授)
 「講釈から出版へ ―『伊勢物語闕疑抄』の成立―」

【要旨】『伊勢物語闕疑抄』は、宗祇から三条西家に伝えられた伊勢物語学の集大成として高く評価され、幅広い影響を与えた注釈書であり、細川幽斎の自跋には、智仁親王に対する講釈のためにまとめたものであると明記されている。しかし、その内容と成立にはなお問題が残されている。本発表では、書陵部に残されている智仁親王の当座聞書などを手がかりに『闕疑抄』の成立事情を探り、その真の姿を考察する。



 毎回、いい勉強をさせてもらえる研究会です。今日もそうでした。最新の情報で、今思うところが語られる会なので、元気がでます。みなさんの日頃の研究がジックリと伺えるので、研究することの楽しさの一端もお裾分けに預かれるのです。

 トップバッターの森田さんは、先週の中古文学会に続いての研究発表です。
 精力的に成果をあげています。頼もしい限りです。
 
 
 
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 近世後期において、物語の中の装束に関して図説化がなされる現象を、『源氏男女装束抄』『源氏装束図式文化考』『源語図式抄』などを引いて検討を進めていました。江戸時代後期の図説書は、物語の読解のために供されたものであることを指摘するところに、視点の新しさを感じました。
 装束に関する画像情報の流れをわかりやすく考察する姿勢には、安心して聞いていられます。
 また、質疑応答に対しても、落ちついて対処していました。
 私も、最後に、京都で装束を扱う職人さんたちが使う下絵や図様に関連する質問をしました。
 今日の例に挙がっていた装束図は、職人さんたちの世界にあった図案集などから引いたものではなかったのか、ということです。着物のデザインや図柄のための絵が、物語の装束の説明に参考資料として使われているのでは、ということです。これにも、しっかりと答えていたので、今後の展開がまた楽しみです。

 作品を読み解くのではなくて、その周辺にある事象から作品に切り込んでいく手法です。作品理解のための基礎研究です。
 建築と絵巻をテーマとする赤澤真理さんとともに、今、国文学研究資料館には、こうした基礎的な研究を大事にしている人が、少なくとも2人はいます。
 これからの活躍が、ますます楽しみな若手研究者です。
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■古典文学

2010年05月20日

国文研の展示「和書のさまざま」の紹介

 国文学研究資料館では、日本の本を知ってもらうために、さまざまな活動を展開しています。
 その一つとして、「和書のさまざま」という展示があります。毎年初夏に、学校の新学期を狙って開催しています。

 今年も、さまざまな和本を展示して、日本の古典籍を書物という視点から紹介しています。いわゆる、書誌学入門です。この機会に、洋書とは違う和書の魅力を知っていただけると幸いです。
 
 
 
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 会場は、このような雰囲気で展示しています。
 
 
 

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 本の形態を中心にして、国文学研究資料館が所蔵する和書を展示し、その横にはわかりやすい説明プレートを置いています。

 来場者から、本についてというよりも、これはどんな作品ですか、という質問がたくさんあることがわかりました。そこで急遽、展示した94種類の本の内容に関する簡単な説明を、20作品に限定して簡単な解説を記したパンフレットを作成しました。今回の展示は、4月15日から6月18日まであります。今週の18日から、「展示作品略説」という緑色のパンフレットも、展示室入口のカウンターの「和書のさまざま」という従来のパンフレットの横に置くことにしました。
 
 
 

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 この作品略説は、展示品すべての作品解説ではあません。しかし、少しでもお役に立つのならば、との思いで大急ぎで作ったものです。
 入場は無料ですので、ぜひご覧いただき、ご意見をいただけると幸いです。
posted by genjiito at 23:46| Comment(0) | ■古典文学

2010年05月16日

葵祭と平安京がよくわかる本

 『源氏物語と皇権の風景』(小山利彦、大修館書店、20101.5.20)は、昨日、下鴨神社の社頭の儀を案内して下さった小山先生の、出来たてのご著書です。
 
 
 
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 表紙は、葵祭で、女人列が下鴨神社の楼門に入るところです。昨日はこの楼門の右隅に陣取って、小山先生の説明を聞きながら祭儀を拝見しました。本書をあらかじめ読んでいたので、私には先生のお話が非常によくわかりました。

 以下にあげる目次からもわかるように、本書はまさに葵祭に合わせた出版だといえるでしょう。刊行日時が5月20日になっているのは、葵祭を見た方には読んでほしい、というメッセージでしょうか。
 『源氏物語』という作品に語られる舞台と、その歴史的な背景などを実証的に論じています。そして、歴史地理的な空間を読むことを通して、史実における実態を検証します。こうした時空を踏まえて『源氏物語』を読むことは、千年前の都が今でも京都という地を歩くと実感できるからこそ可能なのです。

 我が家の周辺地域のことがふんだんに語られているので、私にとっては町内の歴史語りを聞いている感じにもなりました。賀茂はもちろんのこと、北山、雲林院、紫野などにはじまり、大宮大路や北大路などは、実際に私が今でも歩いている道です。平安時代が、より身近になりました。

 本書の基本的な姿勢は、次のように明示されています。

 文学作品の故地を訪ねるということも、やはり現在における景観状況による確認ということになるので、古典の成立時空との時間的間隔が問題となる。本稿ではその差異をできるだけ縮小するための研究方法を提起している。源氏物語の空間表現に内在する問題を、千年を越えた平安朝空間の発掘成果、そして古絵図資料を参考にして周辺学を活用した新たな視点で究明しているわけである。物語の成立時の地理的空間を近年の発掘資料とともに文献にとどまることなく、実際に実観実証する手法を有効とみなしている。(116頁)


 『源氏物語』の時代と今が、提示される資料などでオーバーラップします。語られる場所や道を知っていると、イメージがさらに膨らみ、楽しく読み進めることができました。

 本書は、京都検定の受験を目指す方にも、学習意欲を掻き立てる格好の参考書となることでしょう。相当マニアックではありますが。

 「源氏物語の舞台を実証的に読み解く」というキャッチフレーズのもとに、以下の宣伝文句が書店から提供されています。

内容説明:至高の栄達を遂げる光源氏の〈皇権〉は、平安京の聖なる空間と信仰に支えられていた――。長年、源氏物語の舞台を自分の足で歩いてきた著者が、文献資料や古絵図、宮中祭祀の調査に加え、近年の考古学の発掘成果をも取り入れて物語の舞台を実証的に読み解き、その基底に流れる思想・信仰を探る。


 あわせて、本書の目次も紹介しておきます。特に第一章の三・四と第二章を、私はお薦めします。

序に代えて――文学から見える平安京

第一章 源氏物語の聖なる風景
 一 光源氏の皇権とその風景
 二 光源氏と嵯峨天皇の風景――嵯峨御堂の「滝殿」
 三 光源氏を支える聖空間――雲林院・紫野斎院、そして賀茂の御手洗
 四 光源氏の皇権と信仰――平安京勅祭の社、賀茂と石清水
 五 光源氏の皇権と聖宴――御神楽と東遊び
 六 光源氏における住吉の聖宴――東遊びと御神楽の資料から

第二章 平安京の地主神、賀茂の神と源氏物語
 一 賀茂の神降臨の聖なる風景――光源氏の聖性の基底
 二 賀茂の神の聖婚――「葵」と「逢ふ日」
 三 源氏物語の女君とイツキヒメ――大斎院選子内親王と源氏物語への連関
 四 朝顔の斎院と光源氏の皇権
 五 光源氏物語の総括――幻の巻における賀茂祭

むすび




 本ブログが、身内を贔屓し過ぎての記事になってもいけないか、と思わなくもありません。しかし、そこは個人的なブログという場なので、お許しいただきましょう。
 最後に、出版社のホームページから、本書の紹介文をもう一つ引いておきます。
 『源氏物語』に留まらず、平安京を理解するためにも、一読する価値の高い本だと思うからです。

天皇制において最大の敬意を払う対象は、皇祖神天照大神を祀る伊勢神宮であり、平安京地主神としての賀茂神社である。前の社には皇統の女君を斎宮と定め、物語では前掲の秋好中宮が務めている。第一章においては皇祖神に対する神遊びの楽、御神楽を注視している。松風の巻において源氏は神を送る曲の「其駒」を演奏している。若菜下の巻においては光源氏の一人娘明石の姫君の第一皇子が立太子した御礼参りとして住吉詣が催され、御神楽と東遊びが奉奏されている。賀茂神社に仕える聖女は朝顔の斎院である。本著では賀茂の祭祀について斎院の御禊・賀茂の御生れ・賀茂祭に関するいくつかの拙稿を第二章に収めている。四月中酉日の勅使と斎院の行粧は平安朝の最高に華やかな見物として、多くの文学作品にも描かれている。石清水八幡宮も賀茂の神に並ぶような崇敬を得て、北の賀茂に対応して南祭を催す神の宮となっている。一条天皇による石清水行幸の背景を論証してみた。
 皇権の重さを担った離宮であり、歌枕の名所であった、嵯峨院名古曽の滝跡、雲林院跡、そして賀茂神社に関わる紫野斎院跡や賀茂糺の森の王朝遺跡を、発掘資料や古絵図を用いて考察を試みている。嵯峨院は聖帝の誉れを有する嵯峨上皇が詩宴を開いた離宮である。唐風な神仙思想的風景が詩に詠まれている。歌枕として名高い名古曽の滝周辺が発掘された。すでに公任歌にも荒れてきた風景を偲ばせるが、今日大覚寺が往時の遣り水を復元している。『源氏物語』では松風の巻でこうした風景が活かされている。(『むすび』より一部抜粋)

posted by genjiito at 23:53| Comment(1) | ■古典文学

2010年04月24日

京の冷泉家展

 早朝から、岡崎公園の中にある京都府立中央図書館へ行って、資料の調査と複写に精を出しました。

 午後は、東京から京都に会場を替えて開催されている「冷泉家 王朝の和歌守展」に行きました。
 
 
  
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 冷泉家敷地内にある御文庫の扉(模型)が、会場に入るとまず眼に飛び込んで来ます。シンプルなデザインで、なかなか洒落た趣向です。まず、上品な京都らしさでお出迎えです。

 この京都での冷泉家展は、雑然としていた東京とは違って、非常に京都的なシットリとした雰囲気の会場となっています。まったく異なる雰囲気の展示会場なので、東京展を観た方は、是非この和の空間を味わってもらいたいと思います。
 京都文化博物館のYさんと出会い、今回の展示の背景を伺いました。東京とは違う京都の業者が担当したこともあって、このように上品な会場になったのでは、とのことでした。
 とにかく、展示室の雰囲気を味わってください。会場は、着物姿の女性が多いこともあって、東京での会場とは大きく異なる展覧会となっています。展示されている古典籍などは、東京とほとんど同じです。それなのに、こんなに違うことが、とにかく不思議に思われました。

 書写に用いられた経線枠の展示は、みんな自分の体験が共有できる小道具だけに、今回も観覧者に注目されていました。国宝や重要文化財は遥か彼方のモノです。しかし、文字を書くための道具は、自分との接点があります。おびただしい国宝や重要文化財を観ての、最終コーナーにあるのがいいですね。

 午後からは、京都文化博物館の別館ホールで開催された記念イベントである「和歌をうたう(披講)」に参加しました。
 
 
 
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 最初に、冷泉貴実子さんの解説がありました。
 冷泉家が守り伝えている型の世界が語られました。美の世界を共有する姿勢についてのお話でした。冷泉家の和歌は、自我や個性ではないことを強調しておられました。自我や個性の主張は下品だという考え方が、その根底にあるようです。

 続いて、和歌の披講です。今回の題は「暮春」でした。
 冷泉家の門弟の方々の6首を、講師の読み上げに続いて、発声が初句を読み上げ、続く2句からは講頌が加わっての混声合唱となりました。とにかく、すばらしい声での歌の読み上げでした。
 最初の2首は乙調で、続く2首は甲調で、そして続く2首は乙の甲調と乙の乙調で読み上げられました。

 平安時代以来の和歌が歌われた場が、みごとに再現された空間に身を置くことができ、王朝の香りを堪能しました。
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2010年04月16日

倉田実先生の楽しい論文

 毎年、年度末(3月)になると、たくさんの研究成果が論文として公表されます。それを追いかけるようにして読むのに、多大のエネルギーが要ります。年度の変わり目は、多忙な中にあって、もっとも疲れが溜まる時期です。

 今年、私が一番気に入ったのは、倉田実先生の「女が男に物を返す時 −平安和歌にみる離婚・離縁−」(『大妻女子大学紀要』文系四二号、平成22年3月)でした。

 研究論文というと、何やら堅苦しくて、身構えて読むものが多いようです。そんな中でも、これは読み進むにしたがって、肩の力を抜いて読めます。それでいて、内容が充実しています。語り口や論理展開に、無理がないからでしょう。なるほど、ごもっとも、と納得させられます。多分にお人柄がそうさせるのでしょうが。
 これまでも倉田先生からは、たくさんのご論を通して刺激をうけて来ました。その中でも、これは特に若い方にお薦めです。日本の古典文学を身近にしてくれます。和歌に暗い私でも、倉田先生の和歌の解釈に寄り添いながら、楽しく読み終えることができたのですから。

男の持ち物が女の家に移動することは、結婚や愛情関係の継続を意味し、逆に、女の家から男の家に戻される時、それは離婚や男女関係解消を意味したのである。男の持ち物は、愛情関係のありようによって、移動を繰り返すのであった。


として、男の「懸想文」「お守り」「装束」「笛」「足袋」「調度品」「鏡」「包」「枕」「扇」「手箱」「帯」「位記」「太刀」などが、女から男へ返却されている実態が、和歌を通して考察されているのです。

女側では、男の持ち物を返すという形で、男の気儘さに抵抗していたといえよう。ここに結婚をめぐるジェンダー構造が認められるであろう。


とあるように、この問題はさらに展開していきそうです。そして、これはさらに、「男の持ち物・忘れ物−王朝文学の「通い婚」における愛情の確認−」(倉田実編『平安朝の王権と貴族(仮題)』森話社、2010.5)で詳述されるようです。つぎの論考が楽しみです。

 私も、このように平易で、かつ的を射た考察をしたいものです。大いに啓発される論文でした。
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2010年03月24日

国語研での研究会の報告

 小雨の中でしたが、国語研で充実した研究会をもつことができました。
 すでに予告したとおり、3人の研究成果の発表会でした。

「国語研で開催される研究会のお誘い」

 トップバッターは、仮名写本の翻刻を通して、字母の認定の問題を取り上げたものでした。

1.源氏物語諸写本における文字認定と解釈
   −助動詞「つ」「り」をとおして−
           家入博徳(國學院大學)

 翻刻という地道な作業を通しての、実際に書かれた仮名と悪戦苦闘した人でないとわからない視点と用例から、問題点を指摘するものでした。ただし、「へ」と「つ」の字母の認定について、連綿かどうかという判断基準の提示には、質問の中で私としての疑義を申し述べました。
 「は」の字母も含めて、やはり写本の書き手を理解しないと、文字は翻刻できないと思います。書き癖というものが、文字の認定においては、どうしても問題となります。また、文脈の理解も、書き手はどの文字を写そうとしていたのかの認定に関わります。「は」と書こうとしていたけれども、本人の意識とは異なる次元で、結果的に「ら」としか読めない文字で書かれている、という例はざらにあります。見たままの翻刻であれば「ら」です。しかし、書写した人の意識も忖度して翻刻すると、見たままでは本当に正確な翻字とは言えない場合が、ままあることは事実です。
 翻刻の難しさは、こうしたところにあるので、やっかいな作業となるものです。

 お二人目は、古筆切の実物を提示しながら、豊富な画像を駆使しての刺激的な発表でした。

2.「香紙切」を用いた古筆研究の方法論
           高城弘一(大東文化大学)

 今は1つの形としては伝わらない歌集について、断片として確認できる古筆切から、もとの実態を想定・再現しようとするものです。狼のような形をした虫食いの跡から、一連の写本の断片であることを立証していかれる手法は、見ていて、聞いていて、納得できる点の多いお話でした。また、文字の認定に関する、実作からの確かな経験に基づく見解は、説得力のあるものでした。
 私は、「新」という字母の「し」という仮名の文化的な背景を、質問の形で伺いました。鎌倉から院政期という目安を教えていただき、日頃から鎌倉時代の『源氏物語』の写本に接することが多い体験から、やはりそうだったのか、と腑に落ちるところがありました。
 物を基にしてのお話は、その提示のされかたがうまければ、本当によくわかる、得られることの多い内容になることを、改めて実感しました。

 最後は、私の番でした。

3.新出・鎌倉時代『源氏物語(若菜上)』残巻に関する一考察
           伊藤鉄也(国文学研究資料館)

 私は、今月初旬に調査した鎌倉時代と思われる『源氏物語』の古写本に関する報告と考察をしました。
 高城先生から、鎌倉時代の末期という認定に異論がないとのことを伺い、少し安堵しました。
 この写本の特徴とその意義について、短い時間でしたが後掲のレジメを使ってお話をしました。

 まずは、『源氏物語』の本文は、この「若菜上」でも2つにしか分別できないことを報告しました。これは、以下で紹介するレジメをご覧になれば、みなさんに了解してもらえることだと思います。しかし、いまだに池田亀鑑の分類になる〈いわゆる青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という3分類に、『源氏物語』の研究者は固執しておられます。もちろん、その他に『源氏物語』の本文を分別する物差しが、私以外には提示されていませんので、いたしかたないことだとは思います。しかし、それにしても、という気持ちが払拭できません。
 私の二分別私案にしても、まだ途中経過です。これまでのところ、『源氏物語』の本文の内容から見ると、調査した巻は2つにしか分かれません。しかし、今でも池田亀鑑による、昭和13年までの写本調査による3分類だけにしがみつくのはどうでしょうか。それも、写本の形態的な特徴からの分類であり、本文の内容から分別したものではないのです。
 この『源氏物語』の本文研究は、それだけ池田亀鑑の名のもとに、70年以上も停滞しているのです。

 ただし、今日の私への質問にもあったように、そうだからと言って、私が提示する〈甲類〉〈乙類〉というのも、序列意識と、上代特殊仮名遣いの分類が想起され、あまりよくないのでは、という意見を頂戴しました。
 ネーミングの問題は、伊井春樹先生から常日頃言われていることです。みんなに理解してもらうためには、もっとネーミングを考えなさい、と。そのこともあって、当初提唱していた〈河内本群〉と〈別本群〉という二分別私案を、一昨年の2008年から、〈甲類〉と〈乙類〉と言い換えました。しかし、これもよくないようです。かと言って、〈A類〉〈B類〉とか、〈1類〉〈2類〉というのもインパクトがありません。もうしばらく考えます。何かいい名称があれば、教えて下さい。

 とにかく、『源氏物語』の本文は2つにしか分別できないことは、これまでの私の調査で明らかになっているはずですから。後は、いかに理解してもらい、認めてもらうかという段階だと思います。もちろん、この2つに分けきれないものがあります。しかし、『源氏物語』は54巻もあるのですから、そこは大局的な視点で分別するしかないのです。少なくとも、〈いわゆる青表紙本〉〈河内本〉〈別本〉という、昭和13年までの研究成果に縋り付いた本文分別方法とは、そろそろ決別すべきです。池田亀鑑の3分類は研究史の成果として、私が提唱する二分別をどう呼ぶか、という次元での話し合いをするレベルになってきていると思うのですが……。

 また、今日の発表の二つ目のポイントでもある、異文は傍記・傍注が本行の前後に混入して発生する、ということも、少なくとも今日の研究会に参加して下さったみなさまには伝わったのではないか、と思っています。
 今回の新出古写本からも、そのことを傍証するものが、レジメの最後にあげた「花の」という語句の存在によって、十分に確認できたと思います。
 この『源氏物語』の異本・異文について、いまだに書写者が勝手に本文を書き換えながら写本を写した、という妄想発言が後を絶ちません。とんでもないことです。そんな夢物語は、今ではもう通用しないはずなのです。しかし、今でも、昨年も何度か新聞をはじめとして、研究者のコメントの中で見かけました。
 『源氏物語』の本文は、そんなに簡単に書写しながら改変できるものではありません。少なくとも、助詞・助動詞レベルなら別ですが、異文と言えるものに関しては、とても聞き入れられるものではありません。私が「妄想」と言うのは、書写される実態を度外視した発言だからです。

 傍記が本行に混入する、という事象を、もっと真剣に見つめてもらいたいと思い、機会を捉えては報告し、発表し続けています。今回もそうですが、今後もこれについては、根気強く訴え続けようと思っています。公に私見を支持して下さる方が皆無なので、孤立無援の状態です。しかし、私が例示したものに対する否定的な批判も皆無なので、後は時間が解決してくれる、と思うしかないのです。正式な反論がないという現状に対しては、「若き研究者よ、活字本だけによる解釈に逃げるな」、と言いたくなります。

 いづれ文字にしますが、こうした異文・異本の実態を踏まえた『源氏物語』の情報は、一日も早く共通の情報として共有すべきだと考えます。その意味からも、ここに今日の発表で配布したレジメを公開します。PDFにしましたので、興味のある方はダウンロードして、例示したものを見て下さい。

■本日の伊藤のレジメ■をダウンロード


 今月は、連日忙しかったこともあり、なかなかこの問題に時間を割くことができませんでした。
 先週の土曜日と日曜日に当該写本の全文翻刻をしました。そして、月曜日と火曜日で本文を入力してデータベース化しました。昨夜、日付が変わるころに入力が終わり、それから諸本との対校資料を作成するためにコンピュータのプログラムを操作し、『源氏物語別本集成』と同じ形式の校異資料を作成したのです。「若菜上」は1万文節を超える分量なので、資料作成に手間取りました。無事に校合資料ができてから、その諸本の本文異同の解読に、今朝までかかりました。そして、そこで見つかった問題箇所を取り出して、今回の発表資料のような、当該本文の特徴と意義を論じられる箇所を特定したのです。

 日曜日に少し寝てから、今に至るまで、まさに不眠不休の連日が続いています。とにかく、身体を横たえる暇がありませんでした。しかし、そこは人間のことですから、おそらくこれまでの80時間ほどの間に、無意識の内に心と体を休めていたことでしょう。そうでなければ、今、こうして気が変にならずに、それなりに日本語で文字を打っているはずはないからです。
 とにかく、今月だけでも3回の研究成果の報告をこなしたので、これで後は本来の業務の総整理をすることにします。
 今年度は、昨年の9月から数えると、11回の研究発表をこなしました。その間にいろいろと原稿を書いたので、なかなか充実した年度であったといえます。
 いつまでもこんな調子で調査や仕事ができるとは思っていません。いつかは、息切れがします。しかし、できるときに、できることを、できる限りする、という姿勢で、気力と体力が続く限り、今のペースで一日も長く研究生活を送りたいと思っています。
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