2015年05月28日

読書雑記(131)水野敬也『夢をかなえるゾウ3』

 『夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え』(水野敬也、2014.12、飛鳥新社)を読みました。


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 本作は、〈夢をかなえる〉シリーズの第3弾です。
 これまでのものは、次の2本の記事に雑感として記しています。ご笑覧を。

「読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』」(2015年04月03日)

「読書雑記(126)水野敬也『夢をかなえるゾウ2』」(2015年05月13日)

 自分でツッコミを入れるガネーシャが、おもしろおかしく活写されています。
 本話に入る前の「本書の使い方」も、読者に挑む姿に勢いがあって、大いに期待できるスタートです。

 本作の主人公は女性です。しかし、作者は女性を描くのが苦手なのか、あまり女性らしさが伝わってきません。しゃべる言葉遣いは女性らしいのです。しかし、どうも中性的です。掛け合いは、相変わらず巧いと思います。しかし、人物の描写は乏しくて、面白いネタだけで物語が成り立っています。
 小説ではなくて、教訓書なのでしかたがないところでしょうか。

 ガネーシャと黒ガネーシャのキャラクターが被ります。偽者という設定はわかります。しかし、話が混線するだけでした。これは、途中から飽きてしまったので、設定で損をしています。

 中盤から、夢をかなえる話が具体的になります。品物を売るという想定は、売れるか売れないかということになるので、わかりやすいのです。だから、おもしろいのです。

 海外の人を喜ばせるお寿司の話は、もっと語ってほしいところです。
 人を喜ばせることの大切さは、松下幸之助のモットーでした。このことをもっと語ったら、さらに話が盛り上がったことでしょう。

 後半の夢をかなえる手法は、よくできています。作者は説明は下手でも、説教に関しては巧いと思います。特に、「苦しみを楽しみに変える方法」は、わかりやすくて説得力があります。


「苦しみを乗り越えたとき手に入れられるもんを、できるだけたくさん紙に書き出す。そんで、それを手に入れてる自分を想像するんや。そうすれば、今の苦しみは、将来の楽しみを手に入れるための必要な条件になる。また逆を言えば、もし目の前の苦しみから逃げてもうたら、将来欲しいもんが手に入らんようになってまうから、今の自分はもっと苦しまなあかんようになるわけや」(360頁)


 前半は、話を引き延ばし気味でした。第1作のようなキレがないのが惜しまれます。
 語られている教えはもっともなことなので、2弾と3弾というシリーズ化にあたり、ギアチェンジに失敗したといえます。

 本書の最後にまとめとして掲載されている、「ガネーシャの教え」を引きます。
 全体的に、読者に語りかけるパワーとサービス精神が、次第に低下してしまったようです。【2】


自分の持ち物で本当に必要なものだけを残し、必要のないものは捨てる

苦手な分野のプラス面を見つけて克服する

目標を誰かに宣言する

うまくいっている人のやり方を調べる

一度自分のやり方を捨て、うまくいっている人のやり方を徹底的に真似る

空いた時間をすべて使う

合わない人をホメる

気まずいお願いごとを口に出す

今までずっと避けてきたことをやってみる

自分の仕事でお客さんとして感動できるところを見つける

一度儲けを忘れてお客さんが喜ぶことだけを考える

自分の考えを疑ってみる

自分にとって勇気が必要なことを一つ実行する

優れた人から直接教えてもらう

一緒に働いている人に感謝の言葉を伝える

自分で自由にできる仕事を作る

余裕のないときに、ユーモアを言う

目の前の苦しみを乗り越えたら手に入れられるものを、できるだけ多く紙に書き出す

欲しいものが手に入っていく「ストーリー」を考えて、空想をふくらませていく

手に入れたいものを「目に見える形」にして、いつでも見れる(ママ)場所に置いておく

自分流にアレンジする
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2015年05月27日

読書雑記(130)澤井希代治著『夢をつなぐ 全盲の金メダリスト 河合純一物語』

 澤井希代治著『夢をつなぐ 全盲の金メダリスト 河合純一物語』(ひくまの出版、1997,11)を読みました。


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 水泳選手だった河合純一さんは、中学3年生のときに失明します。
 それでも諦めることなく、バルセロナのパラリンピック全盲の部で、男子百メートル自由形で銀メダルを、さらにその後、アトランタのパラリンピックで、念願の金メダルを取りました。

 純一さんは、静岡県の中学から筑波大学附属盲学校高等部に入り、読めなかった点字も修得します。そして、バルセロナで開催されたパラリンピックの6種目に出場して、銀メダル2個、銅メダル3個を取りました。
 早稲田大学に入ってからのアトランタのパラリンピックでは、2個の金メダルと、銀と銅を1個ずつ取りました。

 本書は、静岡県教育委員会から教員採用試験合格の通知が届いたところで終わります。
 つまり、生まれてから社会人になるまでの一代記の形式です。
 この、苦労話をちりばめた努力顕彰型の執筆手法と、著者の筆力の乏しさに、私は大いに疑問を持ちました。

 純一さんを陰で支えた弟が描けていません。先生や水泳仲間のことも表面的で言葉足らずです。
 それよりも何よりも、純一さんの心の中に筆者が入り込んでいません。著者の想像力の欠如が顕著です。

 筆者は、純一さんの従兄弟だそうです。親族の立場から、温かい眼差しで負けん気の強い純一さんを語ります。しかし、その視線があまりにも純一さんに寄り添いすぎました。
 小さい頃から知っているのなら、もっと純一さんが心の中で悩み抜いた葛藤や、自分を応援してくれる人々への思いを代弁しなくてはいけません。そこまで、筆が伸び切らなかったことが、読んでいて返す返すも残念でした。

 ないものねだりかもしれません。しかし、せっかくの若者の貴重な人生が、この程度で語り終えたとされてしまっていることは、純一さん本人も不満足でしょう。これでは、親族やファンクラブの広報か宣伝を兼ねた、自伝を装ってのヨイショ本です。お涙頂戴で盛り上げることにも失敗しています。

 やはり、刊行されたこの内容はあくまでも前章であり、純一さんの夢であった教員として社会に船出してからが本章となるはずです。
 これまでの艱難辛苦が生徒との関わりと自分の生活の中でどうなるのか。
 教員としての生活に、目が見えないことでどのような影響があるのか。
 余人をもって変えられない生活体験が、どのように教育に生かされていくのか。
 さらには、その後のパラリンピックでの活躍の背景にある努力は。
 等々。

 本書のような内容に留まっていては、刊行を急ぎすぎたと言わざるをえません。
 このようなまとめ方で本を出版したことは、純一さんのこれからにもよくないと思います。【1】

※追記
 本書刊行後も、純一さんは、シドニーパラリンピック、アテネパラリンピック、北京パラリンピックに出場してメダルを獲得しています。ただし、ロンドンパラリンピックでのメダルはありませんでした。
 著書に、『夢追いかけて』(河合純一、ひくまの出版、2000.07))、『生徒たちの金メダル』(河合純一、ひくまの出版、2001.08))があります。やはり、本書で十分に語られていないことを、自分の手でなんとかしたかった、ということでしょうか。
 2003年には、本人が出演する映画『夢追いかけて』(三浦友和、田中好子等出演)が公開されました。ただし、これは酷評がなされているので、ここではとりあげません。
 さらには、国政に打って出るのです。そうしたことを読後に知ると、今後のさらなる活躍を願うだけに、本書の存在がかえって無意味なものに思えてきます。
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2015年05月25日

読書雑記(129)『聾史レポート 第二集』

 近畿聾史研究グループ編『聾史レポート 第二集』(2012.10.31)を読みました。


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 本書は、『聾歴史月報』の59号までに掲載されたレポートから、精選された5本に加筆修正を施したものを発表順に編集したものです。

 まず、「目次」をあげます。

はじめに
近世儒者の障害者観…熊田寿貴(42号)
新聞記事にみる大阪摸範盲唖学校…新谷嘉浩(37、38、39号)
奈良県立ろう学校創立以前の私立奈良盲唖学校について…山中照章(51号)
浜松聾唖学校の助詞手話…梶本勝史(36号)
近畿聾史研究グループの活動経過…(新谷嘉浩)
執筆者紹介
あとがき


 既発表の論稿を再編集した構成となっている報告集なので、以下にわかる範囲での個人的なメモを適宜記し残しておきます。

■「近世儒者の障害者観」(熊田寿貴)
 本稿は、次の視点でまとめられたものです。

 海保青陵の思想と盲児や聾児を教育した寺子屋があったことの違いが、当然疑問になる。そこで、江戸時代における儒者が聾者に対してどう考えていたのかについて、生瀬氏の解釈や評価に言及し、この疑問に対して説明を試みる。これが本稿の課題である。(7頁)


 ここに引かれる「生瀬氏の解釈」とは、『近世日本の障害者と民衆』(生瀬克己、三一書房、1989年)に収録されている「儒者の障害者像」を指します。
 生瀬氏の言及を検討した結果、筆者は次の結論に至っています。

 それ(私注・生瀬氏の著書)によれば、江戸時代初期の儒者は、聾唖者を含む障害者への思いやりをもって救済せよと主張していたが、幕末になると、海保青陵の見殺し理論によって障害者が差別を受けるようになったと結論している。しかし、これは近世における儒学史を参考に考察すると、一部分訂正が必要である。すなわち、幕末の儒学では、道徳的に救済することと、経済的な発展のために障害者を排除することなどの考えが混在していた。このような中で、庶民は道徳的に聾児を寺子屋で教育したのである。(25 - 26頁)

 
■「新聞記事にみる大阪摸範盲唖学校」(新谷嘉浩)
 本稿は、明治12年に大阪で初めて開校された公立盲唖学校に関する新聞記事を、丹念に整理してまとめたものです。
 その中から、京都盲唖院の開校前後の記事と、「教唖五十音図」に関するもの、そして盲唖生徒の実数がわかる記事を引きます。

No.4 一八七九(明治一二)四、一七(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
《雑報》
○西京にて盲唖学校を開かれし遠山氏は今度當地へ来られ中の嶋中学校にて官立摸範学校を開かれる由を願ひ出られしに既に許可になり近々より開校のよし
◎この遠山氏とは遠山憲美〈とおやまのりよし〉(一八四九〜一九一二)のこと。遠山憲美は一八四九(嘉永二)年三月一日に宇和島伊達藩士の遠山帥総の次男として宇和島で生まれた。明治初年に横浜へ留学し、一八七一(明治四)年にアメリカに渡り、サンフランシスコの仏商館で働いている二人の聾唖者の姿に感銘し、日本での盲唖学校設立の必要性を痛感する。一八七七(明治一〇)年に京都に止宿し、愼村正直京都府知事に「盲唖訓黌設立ヲ促ス建議意見書」を提出した。
 遠山の建議提出を知った古河太四郎は、一八七八(明治一一)年一月九日、横村知事に盲唖教場の拡大計画による「盲唖生募集御願」を提出。二者競合のうちに盲唖院設立の運動は急速に盛り上がる。五月二四日、京都盲唖院が開校し、古河太四郎は教員、遠山は用掛として採用された。しかし、古河と遠山の両氏の関係が悪化し、古河と遠山の問題から遠山対京都府に発展し、遂に遠山が退職することとなった。(37 - 38頁)


 次の記事に出てくる「教唖五十音図」は、本『聾史レポート 第二集』の表紙に使われています。
 前掲表紙画像を参照してください。
 この「教唖五十音図」によると、あ行に「ヱ・ゑ」があり、や行に「エ・江」があり、現行の五十音図と異なっています。この明治期の五十音図には、興味深いひらがなとカタカナから配置されています。後日、整理します。

No.34 一八七九(明治一二)一〇、二六(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
《雑報》
○末吉橋通三丁目和田喜三郎が編輯にて出板せし盲唖五十韻は盲唖院にあるより他に原稿而はなき者なれば同人を呼出し取調られしに道路の夜店にて買入し旨を答へ曖昧なれば戸長等を呼出し取調べられると
◎この和田喜三郎が編輯した「盲唖五十韻」は"教唖五十音図"の事であり、『聾唖教育』第六三号(一九四一年五月二〇日、日本聾唖教育会)に論文と図が紹介されている。それによると"教唖五十音図"は「明治一二年一〇月七日出版御届とある。そして同年同月同日刻成りしものとして、図音出版人は大阪府平民和田喜三郎(大阪府下南区末吉橋通四丁目十六番地)とあり、賣捌所は順慶町心斎橋西、保田與三郎である。そしてこれは指文字による五十音図であり、しかも明治一二年という日付に極めて深い意義がある」と述べている。
◎和田喜三郎は、大阪府下南区末吉橋通四丁目十六番地(現大阪市中央区南船場二丁目辺り)に住み、大阪の版元であり、文楽の筋書きなどの木版本を刊行した。峯入木目込人形を出品。また、他の論文から和田喜三郎が指文字を考案し図を作成したとは考えにくい。では、誰が何の目的でどのようにして指文字を考案し図を作らせたのかを考えると、大阪摸範盲唖学校の教員として正式に採用された(記事 No.28・42)遠山憲美ではないかと考えられる。遠山憲美が古河太四郎に対抗するため独自で考案し、和田喜三郎に"教唖五十音図"の印刷を依頼し、京都盲唖院開校式(一八七八年五月二四日)の時に古河太四郎が考案した指文字を配布した(注47)様に、一一月五日に開催する大阪摸範盲唖学校の開業式の際、唖生に配布する予定だったのではないかと推測する。(68 - 70頁)


 引用文中後半の「※47」とある箇所には、次の注記があります。

(47)京都盲唖院の古河太四郎が考案した「唖五十音字形手勢(形象五十音文字)」は幼児や聴者用に、高学年(三級以上)や唖者互談用には京都盲唖院の開業式で配布した「瘖唖手勢五十音」や私立大阪盲唖院で用いたと見られる「五十音手勢捷法(五十音符号手勢)」がある(岡本稲丸『近代盲聾教育の成立と発展 古河太四郎の生涯から』NHK出版、一九九七年、一七六ページ)。(111頁)


 次の記事には、明治11年から12年の時点で、大阪府盲唖学校で唖生徒25名、盲生徒15名とあります。また、遠山憲美の動静もわかります。

No.44 一八七九(明治一二)一一、一二(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
○當府盲唖学校は去八日より開業になり就学生徒四拾名の内盲生徒拾五名内八名は予て記せし通り緒方軍医の施療の診断に依りて治療し得べき者なれば此頃同氏の施療を受け追々実効を奏するに至れりと実に該生徒の幸甚なり
○又同校長遠山氏は盲唖の教育法に老熟なる人にて前に西京の盲唖院を開かれしも同氏の尽力なりしが来年三月に至れば鹿児島県へ盲唖院開設に赴むかれる筈なりと
◎大阪摸範盲唾学校々長遠山憲美が、以前に京都盲唖院の開設に尽力したように、来年三月に鹿児島で盲唖院を開設するため、当地へ赴くという記事。鹿児島では盲唖学校開設にむけて着手しているが、未だに開業に至っていないと文部省に報告している。
「廃人学校設立ニ着手シ十一年中在テハ未夕開業二至ラス」
実際に聾唖学校が設立されたのは、一九〇〇(明治三三)年七月五日である。(79 - 80頁)

 
■「奈良県立ろう学校創立以前の私立奈良盲唖学校について」(山中照章)
 本稿は、奈良県で聾学校の設立が立ち後れたのは、財政力の欠乏により余裕がなかった、とした上で、次の問題意識と視点から論ずるものです。

 本稿では、奈良県設置以後、明治半ばから大正まではなぜ設立しなかったのか、良県行政はどのようにろう学校を設立したかについて述べる。
盲唖学校創立以前
 奈良県では、明治三十六(一九〇三)年、東京盲唖学校長の小西信八を招いて、講演を行った。日時・場所など、詳細は載っていない。しかし、奈良県はまだ聾学校を設立する意思がなかっただろうが、なぜ小西を招いたのか、理解できない。(118 - 119頁)


 次は、ロート製薬の創立者山田や天理教に関する記事です。
 紆余曲折の末、昭和六年にようやく奈良県立盲唖学校が設立されたのです。

 大正八(一九一九)年秋頃から奈良盲唖学校の設立を準備しようと立ち上がったのは、小林卯三郎と山田安民であった。(中略)
 山田安民はロート製薬社の創立者であり、盲唖教育について熱心であった。山田は明治元年宇陀郡池上村(現宇陀市榛原)に生まれ、関西法律学校(現関西大学)に入学したが途中で東京に行き、英語を学んだ。しかし、病気にかかり中退し、明治三十二(一八九九)年製薬会社「山田安民薬房」を創立して、胃薬の販売に成功した。明治四十一年目薬の製造に成功した。それがきっかけで盲唖教育について関心を向けることになった。彼は、奈良県には盲唖学校がないことに気がついた。
(中略)
 知事は「予算が付けられるようになったら、県に移管してもらうので、当分は県立代行として、天理教にお願いしたい」と天理教の二代真柱中山正善に経営を依頼した。
 二代真柱は旧制高校生だった。一言で「よろしい」と引き受けた。
(中略)
 そして、昭和五(一九三〇)年頃、県が重い腰を上げて県立移管へ準備を進めた。昭和六年三月二十日に奈良県令十六号が制定され(『奈良県報』八百六十一号)、奈良県立盲唖学校が設立された。
 この年四月に、奈良県立図書館の中二階に最初のろう児六名が入学し、授業が始まった。十月、吉田角太郎校長先生を迎えて、口話教育が始まった。そして、昭和七年四月奈良市油阪町(現奈良市大宮町)に新校舎が完成し、聾学校と盲学校ともに移転した。新しい校舎で本格的な教育が始まった。
 昭和四十四(一九六九)年、現在の聾学校、盲学校の校舎に移転し、現在に至っている。(120 - 127頁)


■「私立浜松聾唖学校の日本語指導 ─「助詞の手話」についての聴き取り調査─」(梶本勝史)
 「助詞の手話」とは、手指の動作で助詞や助動詞等を指導するものです。本稿は、太田二郎氏をモデルとして、写真で説明するものです。
 
 目や耳が不自由な方々をとりまく問題点は、その歴史的な変遷と現状確認も含めて、私はまだ勉強中です。その中で、本書からは、これまでまったく知らなかったことを数多く教えてもらうことができました。牛の歩みのような速さではあっても、少しずつ理解を深めていくつもりです。
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2015年05月24日

読書雑記(128)水上勉『はなれ瞽女おりん』

 水上勉の『はなれ瞽女おりん』(新潮文庫所収、平成14年9月)を読みました。


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 暗くて哀しい瞽女さんの物語として、自分勝手な先入観を持っていたせいか、読む機会を逸していました。一気に読み終わった今、人間の透き通るような美しさが描き出されていたことで、作者の表現の妙に感心しています。そして、今はその存在が見えなくなっている瞽女という人々の姿を、あらためて考えるようになりました。

 本作では、貧しさの中で必死に生きていく女と男が、純粋な心の持ち主としてとして語られます。
 複雑な社会と過酷な風土を背景として、おりんも平太郎も共に、はみ出した道を歩んでいくのです。
 北陸から若狭を舞台とする、哀切極まりない語り口に、終始圧倒されて読みました。

 作者は、若狭に生まれ育った自分の体験を元にして、自分なりの瞽女の実態をまず語ります。
 これは、瞽女のありようを理解するのに、簡潔でわかりやすい解説となっています。

 話は越後瞽女へと移ります。その中には、「はぐれ瞽女」「はなれ瞽女」「落し瞽女」といって、掟を破り男と交わったりして仲間外れになった瞽女がいました。本話の主人公であるおりんがそれです。明治30年代の話です。

 瞽女を語る作者の温かな眼差しが、行間から伝わって来ます。
 この物語に横溢する美しさは、その構成と語り口に依るものだと思います。

 中でも、おりんが17歳で月のものを見てからは、大人になった瞽女の様子が克明に語られます。
 本作における読みどころの一つです。

 さらには、おりんにとっては思いがけないことながら、旅先で男の夜襲に遭遇し、はなれ瞽女になって落ちるくだりも見逃せません。

 その中に、「瞽女式目」が出てきます。


「謹んで惟うらく、人王五十二代嵯峨天皇第四の宮、女宮にて相模の姫宮瞽女一派の元祖とならせ給う。かたじけなくも、下賀茂大明神、末世の盲人をふびんとおぼしめされ、かたじけなくもおことのはらにやどらせ玉い、胎内より御目めしいて御誕生ましし、父大王、母后、神社仏閣の御祈祷これあるといえども、大願成就の種なれば、更に甲斐あらず。」(137頁)


 過般、「読書雑記(119)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで」(2015年03月16日)でも、加茂大明神のことをメモとして記しました。ここでは、下賀茂大明神となっています。
 このことは、まだ何も調べていません。もうしばらく課題として持っておきます。

 下駄職人の平太郎と出会った後は、2人の道行き語りとなります。
 後半で警察が顔を出すようになってから、俄然サスペンサタッチになります。話がおもしろくなるのです。それでいて、おりんはまったく変わりません。また、目が見えないことが却って話を自然にしています。

 おりんの『口伝』を随所に使い、聞き語りの手法を生かして物語っています。柔らかな語り口の中に、人間を見据えた鋭い観察眼が感じられました。
 また、北陸地方への愛着も滲み出ています。

 はなれ瞽女おりんは、純粋な心を持った女性として、美しく描き出されています。【5】

 本作は、昭和50年9月に新潮社より刊行されました。
posted by genjiito at 21:47| Comment(0) | ■読書雑記

2015年05月20日

読書雑記(127)琳派400年で鳥越碧『雁金屋草紙』を読む

 鳥越碧氏の『雁金屋草紙』(講談社文庫、1993.9)は、1994年4月に読み、力作だったとのメモを記していました。

 今年は、琳派400年。本阿弥光悦が京都洛北鷹峯に「光悦村」をひらいてから400年です。
 さらには、尾形光琳没後300年でもあります。
 再来週の6月2日には、光琳300年を記念して、ゆかりの妙顕寺で「大光琳祭」が開催されます。

 こうした催しの詳細は、小冊子『琳派四百年記念祭イベントガイド・初夏号』(琳派400年記念祭委員会、2015.4)をご覧ください。


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 本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳・乾山、酒井抱一等々。
 京都ではさまざまな催しが行われています。
 そのような中で、鳥越氏のデビュー作『雁金屋草紙』が印象深い作品だったことを思い出し、急遽再読しました。


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 本作は、第1回時代小説大賞(1990年)の受賞作です。満票で受賞が決まったということなので、作者は最初から幸運な作家として始動したのです。
 本作を読み終わってすぐに、第3作である『後朝 和泉式部日記抄』(講談社、1933.10)を読んでいます。これは、また後日取り上げる予定です。

 さて、『雁金屋草紙』です。
 「うなじに雨を感じて、奈津は顔をあげた。」
と始まり、しっかりとした文体で綴られる物語です。
 情感豊かな語り口に、次第に引き込まれていきました。

 この第一章第一節が、最後までこの物語の通低音として響いていました。
 感動とともに本作を読み終わってから、また、この巻頭部分を読んでしまいました。完成度の高い仕上がりです。

 最初は巻末の家系図を見ながら読み進みます。しかし、次第に人間関係がわかると、後は一気に読めました。表現力のある、筆の力を感じる文章で語られていきます。

 寛文11年端午の節句の夜、青い月光を浴びながら市之丞(後の光琳)と奈津が、築山の心字池で夜空を見上げて言葉を交わす場面が、ことのほか印象深く残っています(74〜76頁)。


「奈津、起きとるのか」と、庭の方から低く呼ぷ声がした。
 急いで小袖を重ねて戸を開けると、まだ白装束のままの市之丞が、青い月光を浴びて立っていた。
「なんや、眠れへんのや」
「はあ、うちも」
「そこら、歩いてみいへんか」
 そう云って、市之丞は築山の方へ背を向けた。
 奈津は縁下の庭草履を履き、小走りに追った。
 老松の上にゆったりと夜の雲が流れ、心字池には月の光をうけて、小波がきらきらと光っていた。
(中略)
 奈津は夜空を見上げた。
 小さな星がいくつも煌めいていた。
「奈津、儂、約束するわ。いつかきっと光悦に負けん仕事したやるわ」(74〜76頁)


 感動的な話の背後に、秋の夜の月の光が配されているのです。

 全編、奈津の思いと生きざまが、市之丞(光琳)を背景に置いて克明に語られます。温かい眼差しで、寄り添うように言葉で紡がれる奈津という女性の内面が、大事なものを届けるように読者に伝わります。

 人真似ではなくて、自分というものを探し求める奈津です。

 光琳のことばに、「狩野派の血筋でもない一介の町絵師」(159頁)とあり、そこにかつて私がこの文庫本に引いた赤線が、何箇所かにありました。


「町絵師云うんはな、幕府の御抱えの狩野派の人らとは違うんや、じっと待ってて仕事のくるもんやないんやで」(183頁)
 
「町絵師云うんは、お抱え絵師と違うて不安なもんやなあ」(203頁)
 
「『躑躅図』も狩野探幽への尊敬が露わに出て、兄様も江戸で何かを捉えはったようや、と見るお方もおいでやそうどすけどな。先日は、狩野尚信の『瀑布図』に竜を加筆し、今は時間をみつけては『波濤図』をお好きなままに描いてはるようどすけど」(218頁)
 
「光悦に宗達に、探幽、山楽にかて勝ってやるぞ、」(247頁)


 前回本作を読んだとき、ここに赤線を引いたのは、その年の春に「パリで『探幽筆 三拾六哥仙』を見つけた」直後だったことが関係しています。
 狩野派の絵のことが頭にあり、その視点で本作を読んでいたのです。今回は、琳派の視点から読んでいるので、それこそ本筋を読もうとしている自分を意識して読み進めました。
 琳派400年だからこそ、こうして読んでいるのでした。

 また、お茶を教えるシーンなどは、自分が茶道を実際にするまでは、何にも考えずに読み飛ばしていたところです。それが、そのくだりを何度も読んでは、お作法を確認している自分がいるのに驚きました。
 本の読み方が変わってきたようです。


 茶筅を茶碗から出して、水指の前に置き、お衣音は両手を膝に揃えて、思案している。
「お茶碗をお引きやして」
「ああ」と、はにかんで笑う。
「……回半……」と、思わず声に漏らして茶碗を拭き、棗に手を伸ばしかけて、急いで茶巾を釜の蓋へ置き、茶杓を取る。その両手の右往左往するのも、そこに、少女なりの一生懸命な様が見てとれてほほえましい。
 ようやくお茶を点て、お茶を出した後に両手を膝に八の字に開いて、背筋を伸ばし正面を視つめている様子は、幼い清潔感が表われ出て、奈津は「ああ、市さまのお小さい頃にそっくりや」と眼を細めた。
 お衣音の中に、一樹院をお佐和を光琳を回灯籠のように見て、それが現実に、一人の少女として存在することが不思議な気がした。
 仕舞にかかったお衣音は、茶杓を清めた後で、建水を下げるのに気がついた様子で、
「忘れていましたわ」と笑いながら、舌先をちょっと見せる。
「お舌などお出しになって、あきまへんえ」と、奈津が注意すると、
「へえ」と、素直に頷いた。
 奈津はこうしてお衣音にお茶を教える機会の与えられたことを、つくづく感謝していた。(206〜207頁)


 光琳といえば、『燕子花図屏風』が有名です。その話を、確認しておきます。


「奈津、行こうか、弁当持って来たんやろ」振向いた笑顔は屈托がなかった。
「奈津、儂なあ、この小川のせせらぎのように燕子花を描いてみるわ」
 先を歩きながら光琳が云う。
「せせらぎのように?」
「西本願寺はんへお納めする屏風絵にな、伊勢物語の八つ橋のな、燕子花を描きたい思て写生してたんやが、今ひとつ位置づけに迷うてたんや」
「…………」
「それがな、こう波のようにな、右から左へ右から左へずうっと調べを奏でるように流してみるんや、どうや」
「へえ」
「こう、こう流れていくんや」
 右手を高く低く、高く低く丘陵を描くように泳がせる。
「紫の風の調べどすな」
「そうや、そうやで、紫の風や、なんやうずうずしてくるなあ」
「爽かな調べどすやろなあ」
「うむ、早よ弁当食うて、描きたいわ」(189頁)


 続いて、下鴨神社と関連してよく知られる『紅白梅図屏風』が完成した場面も引いておきます。


「どうや」光琳が奈津を振り向く。
「あかんか?」と、光琳が笑う。
 悪感が奈津を襲った。奈津は狼狽えた。光琳が手の届かぬ、遠い彼方へ行ってしまったと。
 それは、奈津が今までに一度も見たことのない斬新な構図で描かれた、紅白梅図であった。金箔の上に、向って右に紅梅、左に白梅が力強く根を張る。その間を中央に、早春の雪解け水を集めて、銀地に群青の水流がえも云われぬ迫力でうねり流れる。そのうねりに負けじと、左から右から、白梅の老樹が紅梅の若さが存在を競う。白梅の幹の確かさ、紅梅の枝の鋭さ、水流の豊かなうねり、水紋の激しさ、一つ一つが己れを主張しながら、いつしか、紅梅、白梅、水流は自然に一体となって見る者を稔らせる。
 たらし込みの技法で描かれたあくまでも写実的な紅白梅図に、図案化された水流が、互いに効果をあげて迫り、その中に、紅梅、白梅の花弁が優しさを誇る。かつてどの絵師が、このような勝負を挑んだであろう。
「どうや?」と光琳がまた聞く。
 両眼が愉しそうに動く。
「光琳様……どす」
「うん?」
「……これは……光琳様どす」
 そう呟いて、奈津は頷いた。(273〜274頁)


 読み終えて思い返し、各章各節の結びがきれいに語り納められていることに思い至りました。
 丁寧に語っている傑作の1つです。【5】
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2015年05月13日

読書雑記(126)水野敬也『夢をかなえるゾウ2』

 『夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神』(水野敬也、2012.12、飛鳥新社)を読みました。


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 前作「読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』」(2015年04月03日)がよかったので、楽しみにして読みました。
 しかし、この第2作はハズレでした。
 続けての傑作とは、なかなか出ないものです。

 受けない芸人の話から始まります。主人公は、「夢はかならずかなう」と信じています。ライブハウスで出会ったガネーシャに、「人間は生長する生き物なんやで」と言われ、我に返ります。

 中でも、本でも解決できない悩みがある件はおもしろい指摘でした。一理あるのです。


『本』でも解決でけへん悩みちゅうのは何なん? 自分の悩みは地球初の、新種の悩みなん? 自分は悩みのガラパゴス諸島なん? (60頁)


 その他、チェックした箇所を抜き出しておきます。


・「実は『他人に対する言葉や行動は、自分に対する言葉や行動』でもあるんですよ」(185頁)

・「何かを手に入れるということは、何かを手放すということです。そして何かを手放す覚悟のない人が……成功することはありません。」(224頁)


 前作が傑出していたせいか、本作は間が持たず、キレが良くありません。おまけに、理詰めで展開していきます。そして、説明が増えたので、おもしろさよりも興味に訴える物語となっています。

 ことばが先行し、ことばに頼る文章となっています。感性が前作よりも相当劣化しています。

 話題を引き延ばししすぎるため、話のキレが悪くなっています。テンポがよくないのです。説明口調になっているので、軽快な展開となるはずが寸断されているのです。

 最後の「西野勤太郎のメモ帳」を引きます。
 これを含めて、全体的に読者へのサービス精神が低下しています。【2】


■ガネーシャの教え
・図書館に行く
・人の意見を聞いて、直す
・締切りをつくる
・つらい状況を笑い話にして人に話す
・優先順位の一位を決める
・やりたいことをやる

■金無幸子の教え
・楽しみをあとに取っておく訓練をする
・プレゼントをする
・他の人が気づいていない長所をホメる
・店員を喜ばせる
・自分が困っているときに、困っている人を助ける
・欲しいものを口に出す
・日常生活の中に楽しみを見つける

■釈迦の教え
・つらいとき、自分と同じ境遇にいる人を想像する
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2015年05月06日

読書雑記(125)山本兼一『命もいらず名もいらず 下 明治篇』

 山本兼一の『命もいらず名もいらず』の後半です。


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 次の文章で始まります。


 日本の国が、混乱を深めている。
 攘夷と開国のはざまで、さまざまな軋みが生じている。
 それこそは、明治という新しい時代が生まれるための陣痛であったが、渦中にいる者は、ただ痛みを感じるばかりだ。
 時代が変転し、人々が右往左往するなか、山岡鉄太郎はまるで変わらない。日々、ひたすら剣に励み、坐禅をくみ、書をしたため、仲間と議論し、大酒を呑む。
 そして、あいかわらず貧乏である。いや、ますます貧乏になった。(10頁)


 江戸時代が明治時代となり、徳川から朝廷へと実権が移ります。それに適合できる人と、できない人の思いや動きが、丹念に描き出されています。徳川慶喜の心の中と姿も、あるがままに活写されていくのです。

 勝海舟の言葉遣いが、ことさら江戸言葉になっています。「ねえやな。」「ねえぜ。」「ねえよ。」等々。西郷隆盛も、清水次郎長も、お国なまりを強調しており、それらしい人物が浮かび上がります。作者は、この時代の多彩な人々を描き分ける上で、言葉遣いに相当気を配って描写しているようです。
 次郎長は漢字が読めないのでひらがなだけだった、という興味深い逸話も、時代背景としておもしろいと思いました。

 人間、持ち前の度胸や度量がいかに難局を救うかが、よく伝わってくる話の展開となっています。
 時代の大きなうねりが、鉄舟とその周辺を通して克明に語られていくのです。

 静岡の荒地に江戸から入植した者たちがお茶を栽培する話は、その経緯からして興味深いものがありました。明治2年の牧之原での話です。かつて私が東名高速道路を走って通りかかった時、このことにはまったく気付きませんでした。こうしたことを知れば認識が深まり、その理解が拡がっていきます。

 西郷さんが大きく描かれていました。ただし、その人間像にまでは及んでいません。作者は、桁外れに大きな人間を描くのは苦手かもしれない、と思いました。持て余し気味のように感じたからです。

 また、銀座4丁目角にある木村屋のあんぱんの話は、その前をよく通るだけに意外な接点を知りました。今度行ったら、看板をよく見てきましょう。

 巻末部で印象に残ったことは次の2箇所です。

(1)鉄舟にとって、人間がよって立つべき法は、「嘘と泥棒はせぬこと」という2つだけだった。(544頁)
(2)鉄舟は、胃に穴が開いたために腹膜炎で亡くなった。(571頁)

 (1)には私も同感です。確かに、これだけで人の交わりは円滑にいきます。
 (2)は、私が45年前に体験したことです。もし今の医療技術があれば、鉄舟もまだ活躍できたのです。

 本書は、山岡鉄舟というゆったりとした人物を据えて、明治という一大変革の時代を読み物として語ってくれます。過去を切り捨てがちな風潮に、人間を通して再評価を迫った作品として結実しています。山本兼一が描く人物は、しだいに角が取れていくところに特色があるように思いました。【4】
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2015年04月30日

読書雑記(124)山本兼一『命もいらず名もいらず 上 幕末篇』

 明治維新前後の人々の生き様には、現代とは違う緊張感が感じられます。
 平安時代でもない、昭和・平成時代でもない、明治時代には、日本人が持っている純真な情熱と行動力が、飾ることなくストレートに表出されたと思っています。
 そのような問題意識を抱きながら本作品を読むと、この長大な物語をもっともっと語ってほしかった、と思うようになります。
 山本兼一は、1年前の2014年2月13日に、57歳の若さで亡くなりました。

 『命もいらず名もいらず』は、京都新聞を始めとする各地方新聞に連載されたものです。それに加筆修正して、[上 幕末篇]と[下 明治篇]の2分冊で2010年にNHK出版より単行本として刊行されました。今回は、集英社文庫で読みました。


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 本作品は、次のように始まります。


 とんでもない男である。
 世に正直者や、志の高い人間は多いが、この男ほどまっしぐらな人間はめずらしい。(10頁)


 とにかく器量の大きな、小野鉄太郎高歩(後の山岡鉄舟)の登場です。
 次のくだりでも、そのことが強調され、本作品の太い柱となっています。


「人は、器量に応じた仕事しか為せない。器量に応じた人生しか送ることができない。器量を広げたいと願うなら、目の前のことをとことん命かげでやることだ。人間の真摯さとはそういうことだ。」(64頁)


 鉄太郎の貧乏暮らしと、あるがままに従う妻英子の素直さが、とにかく印象的です。物がないことなど、本当は大したことではないのです。人間の大きさを痛感させられました。それでいて、登場人物たちの目は、確かに日本の行く末を睨んでいます。

 江戸から明治へと、時代のうねりが大きなスケールで描かれていきます。
 若さゆえの情熱と行動力が、淡々とした文章から滲み溢れ出さんばかりに、読者に伝わってきます。抑制された山本兼一の文章と、そこに語られる時代の胎動とのギャップが、物語を確実に明治維新へと導いていきます。
 鉄太郎を通して、幕末当時の激動の歴史が語られていくのです。
 その背景に、大きな変革の波と時間の流れが、絶妙なバランスで映し出されているのです。【4】
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2015年04月10日

読書雑記(123)高島俊男著『漢字と日本人』

 現在一般に使われている「ひらがな」の来歴とその字母、及び点字の「かなづかい」について考えるようになってから、明治33年を意識するようになりました。
 この明治33年に、国語政策の上で何があったのかが知りたくて、資料を探していたところ、『漢字と日本人』(高島俊男、文春新書、平成13年10月)という本を教えてもらいました。


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 現在使っているひらがなの「か」(字母は「加」)については、これまでの写本等の出現率からいえば、当然「可」の崩し字であるはずなのです。しかし、どうして「か」になったのか、ということについて、私はこれまでは冗談半分に、加藤さんがこのひらがなの「か」を決めたのではないか、と言ってきました。
 このことについて、本書で「国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。」(189頁)という説明に出会い、まんざらあてずっぽうではなかったのではないか、と思ったりしています。

 本書は、癖のある語り口なので、慣れるのに時間がかかりました。例えば、文末が「である。」「している。」「ことだね。」「ください。」「ますね。」「わけだ。」「ようにね。」「けどね。」「でしょう?」等々となっているので、読んでいて落ち着きませんでした。しかし、内容がおもしろく、具体例がわかりやすいので、最後まで読みました。

 以下、適宜個人的にチェックした箇所を抜き出しておきます。
 私はこの分野には疎いので、あくまでも私の興味のおもむくままに引用するものです。


 日本人の思想をあらわす日本語は、ないことはないが(たとえば、いさぎよい、けなげ、はたらきもの、等)、とぼしい。特に知的方面にとぼしい。われわれはそれらのほとんどを、中国人の生活からうまれた語にたよらざるを得ない。(27頁)
 
 「十一月の三日は祝日で、ちょうど日曜日です」
 こんなむずかしい文章を日本人は毎日のように相手にしている。ごらんなさい。「日」という字が四へん出てくる。最初の「日」はカ、二つめの「日」はジツ、三つめはニチ、四つめはビだ。これを日本人は一瞬にして判断し、よみわける。ほとんど神業としか思えないが、日本人はへっちゃらだ。よほど頭のはたらきのはやいのばかりがあつまった、世界でもめずらしい天才人種に相違ない。(44頁)
 
和語に漢語をあてるおろかさ
 よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。─「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世のなかには、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな入たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言っていることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
 「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。「はかる」もおなじ。その他の語ももちろんおなじ。(87頁)
 
 なおまたついでに申しておきます。漢字をよく知っている人は漢字の多い文章を書く、と思っている人があるようだが、それは逆である。漢字の多い文章を書くのは、無知な、無教養な人である。これは、第一に、かなの多い文章を書くと人にバカにされるんじゃなかろうかと不安を感ずるからである。第二に、漢字をいっぱいつかった文章を書くと人が一目おいてくれるんじゃないかというあさはかな虚栄ゆえである。第三に、日本語の本体は漢字で、どんな日本語でもすべて漢字があり漢字で書くのがほんとうだと信じこんでいる無知ゆえである。ボラはどう書くのムジナはどう書くのナメクジはどう書くのと言っているのは、かならずこういう程度のひくい連中である。ワープロが普及してからいよいよこういう何でも漢字を書きたがる手合がふえてきた。(90頁)
 
 英語を日本の国語にすることをとなえた人たちはみな、日常の会話はともかくも、すこし筋道立ったことを話す際、特に文章を書く際には、日本語よりも英語のほうが容易であった人たちである。明治の前半ごろに教育を受けた人たちは、日本語の文章を書く訓練を受けたことはなく、もっぱら西洋人の教師から西洋語の文章を書く訓練をきびしく受けたのであるから、日本語の文章は書けないが、英語やフランス語なら自由に書ける、というのはごくふつうのことであった。その点、昭和の敗戦後に、フランス語を国語にするのがよいと言った志賀直哉などとは選を異にする。なおまた、言うまでもないことだが、明治前半ごろまでの日本語の文章というのは、それを書くのに特別の訓練を要するものであった。こんにちの日本人が書くような、だらだらした口語体の文章というのはまだなかった。文章は、話しことばとは別のものであった。(172頁)
 
 明治の国語政策(音標文字化)を指導したのが上田萬年である。慶応三年生れ、帝国大学和文学科卒、明治二十三年博言学研究のためドイッに留学、同二十七年帰朝、帝国大学博言学科教授。三十一年国語学研究室創設とともに教授。三十三年文部省国語調査委員。ミ十五年同国
語調査委員会委員、同主事。昭和十二年没、七十一歳。(184頁)
 
 国語調査委員会の委員長は加藤弘之で主事が上田萬年である。ほかに委員が十一人と補助委員が五人いる。実質的に委員会をリードしたのは加藤と上田である。加藤は、日本の国語改革のために秀才を一人選んでヨーロッパに派遣し博言学を研究させるよう政府に建議した人で、上田はその選ばれてヨーロッパへ行った秀才である。この両人に次ぐ領導的位置にあったのが大槻文彦と芳賀矢一である。これらは大物だ。対して補助委員は若手の俊秀で、たとえば新村出(当時二十七歳)がはいっており、新村が京都へ行ったあとは山田孝雄がくわわった。(189頁)
 
 わたしも、「假名」はよくないと思う。本来はまさしく「假名」(ほんとうでない字)の意で命名されたのであり、また実際一段価値のひくい文字とされたのであるから「假名」でいたしかたなかったのであるが、これこそが日本の字なのであるから、「假名」(「仮名」と書いてもおなじこと)ではまずい。さりとて新村の言うごとく新名称をつけるのもむずかしいから、わたくしはかならずかなで「かな」と書くことにしている。(236頁)
 
 漢字を制限してはならない。字を制限するのは事実上語を制限することになり、日本語をまずしいものにするから─。制限するのではなく、なるべく使わないようにすべきなのである。たとえば、「止める」というような書きかたはしないほうがよい。これでは「やめる」なのか「とめる」なのかわからない。やめるは「やめる」と、とめるは「とめる」と書くべきである。あるいは、「その方がよい」では「そのほうがよい」のか「そのかたがよい」のかわからない。しかし「中止する」とか「方向」とかの語には「止」「方」の漢字がぜひとも必要なのであるから、これを制限してはならないのである。あるいは「気が付く」とか「友達」とかの書きかたをやめるべきなのである。ここに「付」の字をもちい「達」の字をもちいることに何の意味もない。こうした和語に漢字をもちいる必要はないのである。しかし「交付する」とか「達成する」とかの字音語は漢字で書かねばならない。すなわち「あて字はなるべくさける」というのは、和語にはなるべく漢字をもちいぬようにする、ということである。漢字はなるべく使わぬようにすべきであるが、それは、漢字を制限したり、字音語をかながきしたりすることであってはならぬのである。(238頁)
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2015年04月03日

読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』

 気になっていた水野敬也氏の『夢をかなえるゾウ』(2007.8飛鳥新社)を読みました。

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これは、現時点ではシリーズ第3冊まで刊行されています。順次ここに取り上げていきます。

 非現実的な話なのに、さもありなんという状況で、のらりくらりとおもしろおかしく進展していきます。関西弁と東京弁のやりとりが、微妙なタイムラグを孕みながら物語を和ませています。

 自分の人生を変えて夢を叶えたい僕と、人の希望を集めるのが趣味のガネーシャのやりとりが、軽妙に語られていきます。ガネーシャは、インド出身で関西弁を話す神様として登場しているのです。

 このガネーシャは、インドの方々を凝縮した性格を持っています。大らかでありながら、日本人と同じように繊細で傷つきやすいのです。感情移入してしまいました。

 ガネーシャは、こんな調子で語ります。


「成功しないための一番重要な要素はな、『人の言うことを聞かない』や。そんなもん、当たり前やろ。成功するような自分に変わりたいと思とって、でも今までずっと変われへんかったっちゅうことは、それはつまり、『自分の考え方にしがみついとる』ちゅうことやんか」(32頁)


 剽軽な語り口の中にも、人間をずばりと射貫いたことを言います。
 私がチェックをした箇所を3つほど。


「もし、あなたが何かを実行に移すのなら、昨日までとは違う何かを今日行うのなら、仮にその方法がまちがっていたとしても、それは偉大な一歩です。」(259頁)
 
「今まで無理やったら、これからも無理や。
 変えるならそれは『今』や。
 『今』何か一歩踏み出さんと。
 自分それ、やらんままに死んでくで。」(268頁)
 
「自分の持ってる隠れた才能の可能性を見出すために、何か世の中に働きかけることがあったとしたら、それは全部『応募』なんや。そして、それこそが自分の人生を変え得る大きな力を持ってんねんで」(295頁)


 本書は、人間の行動規範をわかりやすく、かつおもしろく示してくれています。

 「本書の使い方」に始まり、最後の「本書の使い方 〜最後の課題〜」までの各節末に、[ガネーシャの課題]が示されています。その節でのガネーシャの教えを確認しながら、次へと読み進むことになります。

 その課題とは、次のものです。巻末の「ガネーシャ名言集」の項目を引きます。


(靴をみがく)
(コンビニでお釣りを募金する)
(食事を腹八分におさえる)
(人が欲しがっているものを先取りする)
(会った人を笑わせる)
(トイレ掃除をする)
(まっすぐ帰宅する)
(その日頑張れた自分をホメる)
(一日何かをやめてみる)
(決めたことを続けるための環境を作る)
(毎朝、全身鏡を見て身なりを整える)
(自分が一番得意なことを人に聞く)
(自分が一番苦手なことを人に聞く)
(夢を楽しく想像する)
(運が良いと口に出して言う)
(ただでもらう)
(明日の準備をする)
(身近にいる一番大事な人を喜ばせる)
(誰か一人のいいところを見つけてホメる)
(人の長所を盗む)
(求人情報誌を見る)
(お参りに行く)
(人気店に入り、人気の理由を観察する)
(プレゼントをして驚かせる)
(やらずに後悔していることを今日から始める)
(サービスとして夢を語る)
(人の成功をサポートする)
(応募する)
(毎日、感謝する)


 また、巻末資料の「偉人索引」もおもしろい説明となっています。

 最後の頁には、ガネーシャと僕の会話がイラストとともに掲載されています。


「自分も寄付せんと あかんのちゃうか?」
「は、はあ……」


 そして、最下段に小さな活字で次のように書かれていました。


「ガネーシャの教えにより、本書著者印税の10%は慈善団体に寄付されます。」


 なかなかシャレたオチです。【4】
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2015年04月02日

読書雑記(121)中野真樹著『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』

 中野真樹さんの『日本語点字のかなづかいの歴史的研究 日本語文とは漢字かなまじり文のことなのか』(三元社、2015.1)を読みました。


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 これまであまり取り組まれなかった研究テーマということで、目が不自由な方々が読み書きに使っておられる点字の性格について、非常に多くのことを学びました。

 中野さんは、昨日採択の内定を受けた科研で、連携研究者として協力してくださる、得難い若手研究者です。その意味からも、研究分野を異にするとはいえ、真剣に一文字ずつを読み解いていきました。

 著書の献辞には、次のような文言があります。


 本書は明治期に考案されたかな専用文である日本語点字の表記法のうち、とくにかなづかいについて調査をしてまとめた博士論文を書籍化したものです。
 日本語点字は独自の文字体系と文字文化をもつ日本語文字ですが、日本語学の資料としてもちいられることもあまり多くはなく、特に明治大正期のものを資料としてとりあげたものはほとんどないのかと思います。本書は日本語学文字論・表記論の観点から、日本語点字の文字としての特徴や、表記の歴史などを研究したものです。
(中略)
 また、日本語点字は日本語の視読文字である墨字(すみじ)と平行してつかわれている文字です。明治期からの資料の蓄積もあります。「日本語文は漢字かなまじり文でないと“まともな”文章にはならない」などという偏見により、かな専用文である日本語点字を「不完全な文字体系」とみなすようなこころない言葉をきくこともあります。しかし、こころみに点字文の語種の比率や品詞比率などを調査し、墨字文と比較したところそれらの数値はどちらかというとジャンルや時代差、文体に影響され、点字か墨字かという文字種、表記体の違いにはそれほど影響されていないような調査結果が出ています。漢字が日本語文の可読性に及ぼす機能負担については、言われるほど大きなものではないのではないか、という可能性について考えています。今後はこのような点字文の語彙調査や、分かち書きの規則などの研究にも手を広げていきたいと考えております。


 筆者のこのことばは、本書のテーマがこれまでにあまり触れられなかった視点で論ずるところから、本書を読み進む上で大いに参考になりました。
 もちろん、「テキストのデジタル化にともなう情報処理から日本語点字をどう取り扱っていくか」という課題が残されていることも、著者は十分に認識しています。
 今後の調査と研究の成果が楽しみです。

 私は本書を読み終わってから、「あとがき」に目を通していくうちに、著者である中野さんの生のことばを聞いた思いがしました。この「あとがき」を最初に読んでから本論部分を読むと、筆者の問題意識の根源が見えて来て、論点を理解する上で大いに参考になることでしょう。

 以下、いくつか抜き出しておきます。
 まずは、「あとがき」から、左利きの者が文字を書くことに関連した箇所を紹介します。ここからは、カルチャーショックを受けました。


 日本語の墨字漢字・かなは、もともと右手書字につごうのよいつくりになっている。「正しいペンのもちかた」「正しい筆順」「ただしいとめはね」も右手書字者のものであり、それをおしつけてきた国語科書写教育は、左手書字者への教育的配慮をかいている。そのような状況で、左手書字者に、「右手書字者なみ」であることを要求するのは不当であろう。このような観点から、私は論文「左手書字をめぐる問題」をかき、雑誌『社会言語学』へ投稿した。(179頁)
 
 よみやすさ・かきやすさなどといった実用面から飛躍した、「正しい筆順」や「美しい文字」「格式の高い毛筆でかかれた字」に過剰に意味をもたせる文化に拘泥するひとびとがいること、そしてうまれつきの身体の都合を考慮しない文字の社会的な暴力性に興味をいだくようになり、私は文字論に興味をもつようになった。(180頁)


 今まで、こうしたことに気付きませんでした。確かに、さまざまな面で少数者を無視して物事が進行していることへの警鐘は、耳を傾けるべきことだと思います。
 とにかく、点字に関する研究は、これまでになされていなかった分野です。そこへ、意欲的な切り込みを入れた成果として、本書は大いに称賛すべきものとなっています。

 現代仮名遣いと点字仮名遣いの違いから、それぞれの特質が浮かび上がります。
 点字新聞である『点字大阪毎日』と『点字毎日』を調査した結果は、興味深いのがあります。これは、他の年度も含めて現在も発行し続けているものなので、今後とも継続することで貴重な調査となることでしょう。

 文部省の第1期国定教科書であった『尋常小学読本』(明治37年から8年間使用)の仮名遣いの研究などは、これまでまったく手付かずの分野でした。そこへ果敢にも挑んでいく気持ちのよさに、頼もしさも感じました。

 調査対象とする文献に書かれている仮名遣いについては、資料を直接確認しているために論証過程はあまりおもしろくありません。単調になっています。しかし、そこから導き出される結論は説得力を持っています。

 さて、本書の冒頭に立ち返って、私がチェックした箇所を記録として抜き出しておきます。
 まず、「触読」「体表点字」「耳で読む」「視読」など、文字へのアクセス方法に関して。


 点字は、指先をつかってよまれることがおおいが、舌など指以外のからだの部位をつかって触読する場合もある。また、「体表点字」という電波等による信号を体表につたえるよみかたもある。点字でかかれたテキストをよみあげるといったかたちで、墨字とならんで点字を「みみでよむ」利用法もある。点字の凹凸を視読するという方法もある。(9頁)


 点字かなづかいについて、明確な見解がいくつか出されています。以下、引用を続けます。


 今回調査した資料にあらわれる近代日本語点字のかなづかいは、日本語表記史の観点からは、明治33年式棒引きかなづかいとちかい棒引きかなづかいであると位置づけることができる。(118頁)
 
 明治33年式棒引きかなづかいのもう一方の特徴である和語は歴史的かなづかいでかき、字音語については表音的にかくという折衷的な性質については、日本語点字かなづかいの、古文をかきあらわすさいにうけつがれている。(126頁)
 
 二語に分解しにくいかどうかが問題となる連濁の「ぢ」「づ」についても、たとえば「せかいじゅう」か「せかいぢゅう」かについても、「世界中」と漢字で表記すれば悩むこともない。また、「布地」を「ぬのぢ」ではなく「ぬのじ」とかくその根拠は、この事例は連濁ではなく「地」という漢字に「ち」と「じ」という2通りの音をもっているためであるという説明がされるが、これも漢字で「地」とかいてしまえぼよい。このように、「現代仮名遣い」をつかうには、漢字のたすけをうけ、「漢字かなまじり文」でかかれることが前提となっている。いいかえると、「現代仮名遣い」がこのように複雑でむずかしいものでありながらそれが意識されることがすくないのは、漢字かなまじり文を習得してしまえば、そのむずかしさがみえにくくなってしまうためである。(147頁)
 
 国語教育では、学習者が漢字かなまじり文をかくことを目標としており、かな専用文は漢字に習熟するまでの過渡的な表記であるとかんがえられている。そのため、かなづかいの習得と並行して漢字学習がおこなわれる。漢字かな交じり文でかく場合には漢字でおおいかくすことができるかなづかいよりも、習得に膨大な時間を必要とする漢字学習が優先される。ただし、漢字未習語は「ただしく」ひらがなで表記するように求められる。(150頁)
 
 日本点字委員会(1985)は、「改定現代仮名遣い(案)」にたいして、2点の要望をだしている。1点は、助詞「は」「へ」に「わ」「え」の表記の許容を存続すること、もう1点は、オ列長音の本則を「オ列+う」とすることにたいして、「オ列+お」の許容を存続することである。しかしながら、昭和61年内閣告示第1号として公布された「現代仮名遣い」において、まえがきに「7 この仮名遣いは,点字,ローマ字などを用いて国語を書き表す場合のきまりとは必ずしも対応するものではない。」という一文が追加されたのみで、日本点字委員会の要望は反映されてはいないまま、現在にいたっている。点字と墨字の間は互いに翻字される機会もおおくあり、点字使用者と墨字使用者は無関係でいられるわけではない。日本点字委員会からだされた要望について、墨字使用者もむきあう必要があるだろう。(156頁)
 
 日本語点字と墨字は、どちらも日本語を書き表すための文字表記システムであり、並行してつかわれている。また墨字から点字への、そして点字から墨字への翻字がおこなわれる機会もおおくあり、お互いが没交渉でいられるわけではなく、時には対立する場合もあろう。そうであるならばお互いがどちらも同等に尊重されるべきものであり、表記の合理性をめぐっての議論がおこることもあるだろう。その場合は、墨字も点字も同等に、観察され分析される対象であるはずである。しかしながら、墨字漢字かなまじり文「現代仮名遣い」になれているひとびとは、「現代仮名遣い」を基準として、点字かなづかいがどれだけそこから「逸脱」しているかをしりたがり、そしてその「逸脱」の「理由」を説明するようにもとめる。つねに判断をするのは墨字使用者のがわであるとしんじている。もちろん、じぶんのつかいなれているものを基準にしてなにかほかのものを判断するということは、だれにでもおこりうることだろう。問題なのは、そのような墨字使用者が、日本の社会においては多数派であり、現状としては社会全体としての文字・表記のありかたに影響力や決定力をよりおおくもつマジョリティなのである。
 そして、この文字・表記における点字と墨字のマイノリティ/マジョリティのちから関係の不均衡は、日本語学の文字・表記研究分野においても反映されているといえるだろう。(162頁)
 
 1977年に刊行された『国語学研究辞典』には点字の立項がない。その新版と位置づけられる2007年に刊行された『日本語学研究事典』にも同様に、点字の立項がない。また、2011年に刊行された日本語文字論・表記論の概説書である『図解 日本の文字』にも点字にかんする記述はない。
 そして啓蒙的な目的で2007年に刊行された国立国語研究所編刊『新「ことば」シリーズ20 文字と社会』では、「公共サービスの文字」という節であっても公共サービスで長年使用実績のある日本語点字についてはのべられず、墨字のみの記述となっている。(165頁)


 いろいろなことを考えさせられました。
 今後の成果が、さらに楽しみです。

 そんな中で、昨日、連携研究者をお願いしていた科研の内定を受けたことを報告したところ、今日の返信に就職が決まった、とありました。
 群馬県にある関東短期大学に、急遽昨日より赴任したとのことです。
 嬉しい知らせです。
 今日のブログに取り上げる予定だったことを伝えました。
 本記事が、期せずしてお祝いを兼ねるものとなりました。
 新天地でのますますの活躍を祈っています。
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2015年03月20日

読書雑記(120)新井たか子著『愛情の庭 若き盲女の日記(復刻版)』

 新井たか子著『愛情の庭 若き盲女の日記 復刻版』(社会福祉法人 桜雲会 点字出版部、2014.7.25)を読みました。


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 戦前、東京盲学校師範部で学んでいた女学生の日記を編集したものです。昭和17年に「愛情の庭」(興亞書房)として発行された後、約70年もの間「幻の名著」と言われていた本です。
 戦中戦後の混乱期を潜り抜けた1冊が、偶然に著者の手元で見つかり、こうして復刻されたのです。

 著者である新井たか子さんは、1920年に栃木県足利に生まれました。高等女学校の時に字が見えなくなります。足利盲学校から東京盲学校師範部鍼按科を卒業した後は、弱視ながらも多方面で活躍します。「和歌の会」を結成し、歌人窪田空穂の指導を受けたりもしました。

 本書の巻頭には、西條八十の「二元の生活者」(昭和17年5月)、川端康成の「序」(昭和17年5月)を置く、贅沢な編集となっています。

 著者は、しっかりとよく物を見て考えます。感受性の豊かさが伝わって来ます。
 弱視のため、全盲の人との間に入って悩む姿が、読む者の心を惹き付けます。
 学校での明るい生活と、その反面も対照的に語られており、見えないことと生きることの苦渋が、行間から直に伝わってきます。

 日記として記される文章も、表現がしっかりしています。二十歳そこそこの少女とは思えない、さまざまな思いが言葉としてつづられています。この日記には、硬軟取り混ぜての、理知的なものと抒情的な表現が散見します。

 なお、引用文を作成するにあたっては、校正の手間を省いたために、所によっては旧漢字で引いていない箇所があることをおことわりしておきます。


一すぢにもえ上る友情を、冷静な、しかも底に涙を藏した學校當局の處置、經験と境遇の相異からくる生、死といふものへの見解の差、死といふものを大したことに思はぬ私等と、最大の不幸となす先生との間に横たはる大きな距りはまたなんといふ接近し、感電しやすい兩極であらう。先生の氣持をうなづきつゝクラスの熱意を支持してやまない私ではある。(17頁)

 (中略)
 あゝ、なんといふうらゝかな日和だらう。木々は緑に萌え、空は限りなく優しく、花壇には赤や白や黄のチユーリツプが絢燗と咲きき匂つてゐる。はら/\とちりゆく櫻の花びらを掌に受けとめて、櫻貝のやうな一ひらをそつと唇に當てれば、甘い、やはらかな感觸は溢れるやうな抒情そゝる。(40頁)

 (中略)
 護國寺のものしづかな丘をあゆみながら、春井さんは私の取つてあげたうす紫の野菊をそつと唇にあてゝ、うつとりしてゐたが、その可憐な小菊を親指と人さし指とで輕くつまんで、斷髪にかけたそら色のリボンにそつとさす。そしてちよつと小首を傾けて、
「ね、似合つて?」
 とにつこり笑ふ。
 私の返辭は、このひとへの鏡になるのだ。
 あたりの景色はみんな冬枯れた褐色と灰色に蔽はれてゐたゞけに、嚥脂のワンピースを着た春井さんの姿は浮繪のやうに美しくあでやかだつた。(218頁)


 著者は、弱視で本を読むことは何とかできます。読書と批評の様子も記されています。


 朝からぶつつづけに小読「若い人」をよむ。終ひには、目がぼんやりかすんで活宇が、ごちや/\になつておどり出してくるやうな氣がする。酷使だと思ひつゝも、よみだしたら終る迄やめられないのが私の性分だ。聲を出すのでのどがカラ/\になつて聲がへばりついて出ない。二三頁よんでは休み、一頁よんでは目をつむる。
 春井さんは机によりかゝりながら熱心にきいてゐる。私の何時も驚歎する事は彼女がとても鋭い感受性で、私などの氣付かないやうな批評をし、感動を物語ることだ。何時だつたか、「女の學校」と「ロベエル」の批評を互ひに言ひ合つた時、「ジイドの意圖したもの」に對する鋭い解剖と批剣の正確さに、私は全く壓倒されてしまつた。今日も江波の性格、その母のタイプを解剖して、彼女の本質を驚くべき記憶力で捉へて、時々の會話、動作等の適切な例を引いて究極までつつ込んでゆく。彼女の頭の中には聞いたストーリイの一語一語が整然と收つてゐるやうな氣がする。(44頁)


 著者は、何よりも本を読むことが好きだったのです。『更級日記』の作者を彷彿とさせる、とにかく本が読みたい盛りの少女だったのです。それを支える母の存在の大きさには圧倒されます。


 今日のやうなことがあると私は泌々と十五六歳頃の自分の日々の生活を思ひ出す。
 私の視力は殆んどなく、僅かに明暗が分る程度でしかなかつた。女學校へ通へなくなつた私は全く絶望して終つた。友だちとも一時全然會ふ事をさけた。暗黒と孤濁の世界にとぢこもつて、われと我身を憎み、世間を、果ては親をさへうとましく思はれた。
 けれど家人にきづかれぬやうに、こつそりと一町許りはなれた鎭守の杜にひざまづいて、ひそかに祈つた願ひ─。
 ”何も見えなくてもいゝ、どんな不幸になつてもいゝから、どうぞ本をよまして下さい。本に向つた時だけでも私に視力をお與へ下さい”
 あゝ、なんといふ可憐なひたむきな祈りだつたらう。あの時の自分の最も苦しかつた事は御飯よりも好きな本がよめなくなつたことだ。鎭守の杜から歸つて來ては本を開いて見る。けれど相變らず、私の網膜は私の期待する一字をさへ反映してはくれないのを知つてどんなにくやしく、情けなく思つたらう。
 母や?母は、私の一生を考へて、ずい分心配したらしいが、私が苦しんだのは只”本がよめないこと"そのことだけだつた。
 母は毎晩十時十一時迄、私の爲に本をよんで呉れた。母は疲れと眠さの爲に聲が出なくなり、本を掩つてウト/\とする。私は母の寝息をきゝながら、焦燥とやるせない悲しみとを以て母が再びめざめてよんで呉れる迄ぢつと待つてゐる。しばらくすると母は又首をあげてよみはじめる、が直ぐに再びねむつてしまふ。ぢつと私は待つてゐる。
 ついに堪らなくなつて床に入るやうに母に言ふ。その言葉にやゝめざめた母はまた、一しきりよみつゞけるのだ。うす暗い電燈の光は、この戰ひゆく母子の姿を毎夜ぼんやりとてらしてゐるのだつた。
 幾夜、布團をかぶつて涙をかみしめたことか─。
 あゝ、お母さん!! かう書いて來ると私はたまらない。涙が、こんなにポタ/\とおちてくる。
 なんと淋しい、哀れな姿。そして又なんと尊い美しい姿だつたらう。二人の間には一分のへだたりもなかつた。お母さんは私の心を一番理解してくれてゐた。口にはなんにも言はなかつたが……。進んで盲學校へ入れたのもお母さんだつた。
 未亡人として二兒を育てあげて來た母の生活は、本當に人生とがつちりと組合つたやうな強く逞ましいものであつた。けれどもまた弱い脆い一面を持つ母だつた。
 私が目が見えなくなつたあんな時でさへ母は私に不安な色ひとつさへ見せず、勇敢に次に進むべき道を示してくれた。しかしその反面で母はどんなに尊い涙を流してゐたことだらう。
 私は全く母の愛によつて更生したのだ。母は私の命の根だ。この母のためなら自分はどんな困難と戰つても立派に生きぬいてゆける。(46〜48頁)


 著者は、『更級日記』などの古典に親しんでいたから、このような描写になったのか、あるいは少女に相通ずる資質なのか、興味のあるところです。
 後に、「紫式部」という言葉が出て来るので、そこも参考までに引いておきます。
 これなども、『紫式部日記』のことを知ってのことなのでしょうか。


 學校時代に、歴史の試験答案を七五調の韻文で書いて先生を驚かしたといふエピソードを持つてゐる友は、クラス雑誌に盛んに小説をかき、短歌をつくり、詩をよんだ東盲の才媛だつたのだ。
 「紫式部」、それが彼女の仇名だつた。ある先生などは、若し彼女が目が見えて、適當な教育を受けて行つたら、實にすばらしいものになつたらうと語つてゐるほどだ。(204頁)


 文学少女は、夏目漱石の『心』を読み、雑司ヶ谷の墓地へも行きます。


 雑司ケ谷の墓地は夏目漱石の墓があり、彼の「心」といふ作品をよんでから私は、こゝがなんとなく壊かしく、時々氣の合つた友と、或ひはたつた獨りで時を忘れて逍遙する。初夏のたそがれの此處は、殊に私たちの若い心を優しくやわらかく愛撫して呉れる。─貴女の好きな文學を專心おやりなさい。若し私で出來ることだつたら、どんなにでもお手傳ひしませう、と私は心から桑野さんを勵ます。(50頁)


 作者の眼は、温かく周囲を見ています。そして、甘えない厳しい眼も見せます。
 みんなが一所に集まり、生活を共にし、いろいろと悩み考え助け合った日々。
 その一日一日を書き記した日記にも、東京盲学校を卒業すると共にみんなが別れる辛さ寂しさを感動的に語ります。ありのままの思いを書き付けているので、素直に読み手に伝わってくるのです。


「目が見えないのに、寫眞を下さいなんて恥しいけど、でもかたみには何よりも寫眞がうれしいわ」
 などゝ言ひながら、私のを貰つてくれた。この寫眞にはかの人のうつし姿が生きてゐるのだとその滑らかな面をそつとふれて見てなつかしむ時もあることであらう。(272頁)


 また、この日記の背後には、第2次世界大戦が横たわっています。そのことに言及する記事も、貴重な記録となっています。


 みんな各部屋でつゞつた慰問文に點字のはカナを振つて封筒に入れ、一個に四五通づゝ入れる。かはいゝ初等部の子のや中等部、師範部の生徒の烈々やくが如き熱誠あふるゝ文など、兵隊さんはどんなお氣持ちでおよみ下さるだらう。
 點字にふつたかなの文字を月の光にすかしてよむ尊い勇士のお姿があり/\としのばれる。
「おゝ目の見えぬ子からのおくりものだ」
 この慰問袋を開いた時、鬼をも恐れぬ勇士の胸は一種の強い感動に動揺するのではあるまいか。
 一室に二十人許りの女子が集つて、見えない人は鋭敏な觸覺で手ぬぐひをきちんと折り、脇と底を裁縫にして口をくゝる。四五十の袋が忽ち出來上ると、めい/\一品づゝ受持つてそれを袋に入れると次の人にまはす。袋が一周すると手ぬぐひがはち切れさうに一杯になる。(101頁)

 (中略)
 私たち女同志が手をとり合つて出かける時、街のちまたに立つてどうぞ一針と出される千人針。ハツと思ふが、目が見えませんからとそのまゝ通りすぎる事が出來ようか。さし出した人もハツと一瞬當惑と後悔が胸をかすめる、がすぐに「恐れ入りますが」と圓いしるしの所へ針をさして貰ひ、それをぬいて二度三度、糸をかけて結ぶそのまごころ……。どうもありがたうございました、と心からお禮を言はれて、かへつて恐縮して歸つて來る氣持ちは複雑だ。
 今日の慰問袋がどこの勇士の手に抱かれるか誰も知らない。けれど私たちの眞心は、荒野の果てに假寝の夢をむすぶ勇士の一人一人の心にあたゝかく通つてゐるのだ。
 さう思ふ時、私たちの心も安らかに、今日の終りを感謝してねむることが出來るのだ。(103頁)

 (中略)
 美しい便りが來る。軍事郵便と赤い判のおさつた角封筒を受け取つて、見知らぬ名前に急いで披いて見る。と、きちんとたゝんだ便箋の間から、ハラ/\とおちた幾葉かの押花。拾ひあげて見ると、丹精した後の見える美しい鈴蘭の押花ではないか。
 "僕は先日、陣中クラブのグラフで御校、東京盲學校の女子寄宿舎生一同が、見えぬ目に慰問袋をつくられ、陸軍省へ献納された寫眞を見まして非常に感激しました。銃後の皆様の熱誠は、前線の僕等の心を激勵してくれます。僕等はきつと皆様の御期待にそふことを心から誓ひます。
 皆さまには、御不自由にて何かと大變でせうが、どうぞ一生懸命勉強して立派な大和撫子になつて下さい。
 これは北滿の國境にさく鈴蘭です。警備の合ひ間に採集したものです。どうぞお受け取り下さい。生々とした鈴蘭の香りをお送り出來ないのが残念です。"
 短い文章だつたが、この鈴蘭の香にもまして、なんとかほり高いなつかしい武人の心だらう。戰野に鈴蘭をつみ、美しい抒情をこめて押す心、目の不自由な者に特に同情して優しい便りをよせる心。
 緩急あれば身を挺して敵陣におどり込み、鬼をもひしぐ勇士の、あゝなんといふ尊とい美しいお心であらう。
 私達はこのおほらかな、豊かな愛情に抱かれてゐる。なんといふ幸幅な惠まれた私達だらう。


 女性と男性を対峙させた記述もあります。


 「目の見えぬ女性」それは「目の見えぬ男性」と並べて考へうるものではない。
 この「目の見えぬ世界」にも、また、宿命的な女性の道が横はつてゐるのだ。
 一般社會の女性が、結婚といふことについて「選擇する」とか「選擇される」とか言ふ事に悩み苦しんでゐる時、目の見えぬ女性たちは、より根本的な「可」「否」といふ問題に苦しまねばならぬのだ。前者は、巳に「可」といふ前提が暗黙の中にもうけられてゐるが、後者にはそれが自覺によつてもうけられねばならぬのだ。そして、そのいづれにもせよ、いかに多くの忍從と犠牲とが必要であるかは明らかである。
 目の見えぬ女性が瞬間的、享樂的にならうとする自己を持しつゝ、如何に困難な勉強をつゞけつゝあるか、それは一般人の想像以上であらう。
 私はこの女性の危險な、一歩あやまれば自殺もしかねないやうな心的状態を救ふ道は、偉大なる精~力によつて文化的事業に身をさゝげられる喜びを與へるにあると思ふ。
 それは教育でも治療でも又その他のなんでもよいのだ。(207頁)

 (中略)
「目の見えぬ者」といへども人間である以上、女性は女性としての道を進みゆくことは望みたいことである。又、出來得る限り、さうせねばならぬと思ふ。
 要はいづれにもせよ、女子の自覺、覺醒と實行力、及び、偉大なる精~力である。それが女性の「幸」「不幸」を決する。
 結局、女性には、男性よりも更に大きな宿命的重荷があり、それを征服してゆくには、血のにぢむ努力が必要とされるのだ。(208頁)


 この日記に記された、東京盲学校で受けた教育と寄宿舎での生活から得たことが、著者のその後を後押ししていくことが容易に想像されます。

 本書の巻末には、日本盲教育史研究会会長である引田秋生氏の解説が付されています。
 本書をお読みになる前に、この解説に目を通してから読み進めると、本書の位置づけが明確になり、読みやすいかと思います。
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2015年03月16日

読書雑記(119)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで

 『瞽女うた』(ジェラルド・グローマー、岩波新書、2014.5)を読みました。


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 門付けをする瞽女の立場からの視点と聞き手側の視点が、バランスよく取り扱われているのが、本書の特質となっています。
 近世の文献もよく調べてあり、考察にも行き届いた配慮を感じる一書となっています。
 まず、その実態の確認から引きます。


 近世の瞽女人口は関東上信越、甲斐、駿河に集中した。出雲国、隠岐国、石見国など中国、四国、中部地方にも芸人として活躍していた「盲女」は各地におり、九州にも門付け芸を演じる瞽女が二十世紀まで見られた。にもかかわらず、戦後に「瞽女」といえば「越後」と受け取られるようになった。それはなぜであろう。
 越後の瞽女は、明治以降も県政府に弾圧されることはなく、村人も瞽女の活躍を長らく支援し続けた。新潟県では大正、昭和にも瞽女は珍しくなかった。しかし近代化にともない、越後瞽女の多くも按摩業に転業し、結婚し、しだいに現役を退いた。戦後は高田(現・上越市)と長岡の瞽女稼業に不可欠な仲間組織、すなわち年功序列を基本とする職能集団が維持できなくなり、瞽女文化の終焉は時間の問題となった。(6〜7頁)


 瞽女の本質は、その唄の節回しにあると言います。
 しかし、それも商売なので、疲労を避けるためにも楽に歌ったりしていたそうです。なかなか、手の抜きどころを弁えた門付けなどをしていた話は、人間味溢れる逸話で楽しく読み進められます。

 瞽女唄の復元についても、歴史的な文脈の中で、現代の聞き方で聞く必要性を強調します。


 地方在住の農民が明治まで培ってきた「特有の聴き方」は、それぞれの時代にふさわしい聴き方ではあったろう。それらの歴史的文脈を顧慮せずに無理矢理復元しようとすれば、かならずや時代錯誤に陥る。我々は復古ではなく現代の聴き方を探らなければならない。古き時代へのノスタルジーの虚妄に浸ることなく、過剰評価することなく、いまや一種の異文化として生き続ける瞽女唄を、絶えず変わる歴史的現象として聴くこと。そうしてはじめて瞽女唄の真の意味が我々の耳にも聞こえてくるであろう。(30頁と)


 加茂大明神のことに触れる個所があったので、記録として残しておきます。


「瞽女縁起」は光孝天皇を嵯峨天皇に置き換え、「雨夜の尊」を「天世の姫君」に変えるなど、当道の伝説を大幅に改訂している。当道の「古式目」にある「加茂大明神を当道衆中の鎮守とあふ[仰]ぎて、古中今ともにをこたり[怠]なく信じて」と「十宮崇敬信すべし、かり[仮]にもかろ[軽]しむべからず」という要請を、「瞽女縁起」では「如意輪観世音は妙音菩薩なり、信心之凝らすべきなり、妙音弁才天加茂明神を常々怠りなく祈るべき事なり、世渡りの道守護の本尊なれば疎に心得べからず」と書き直している。(62頁)


 瞽女の実体については、次のように語ります。


 第一章で見てきたように、瞽女が長旅をしながら食い扶持を稼いだ歴史は中世に遡るが、往古の瞽女の正確な人数、旅路、収入などを伝える史料は皆無に等しい。しかし江戸期に入ると女性視障者の活躍の輪郭は次第に鮮明となってくる。
 江戸初期の瞽女・座頭の重要な収入源のひとつは、幕府、諸藩、武家などから婚礼、初産、元服、家督相続、法事などの吉凶に際して支給された米銭であった。瞽女・座頭は不定期に配られる施行を集めるために東奔西走した。(94頁)
 
 時代が明治に変わると、関東とその周辺地域のほとんどの村の「予算」から瞥女・座頭の賄いに充てられた財源は影も形もなく消えてしまった。為政者はそれを進歩と合理化と考えたであろうが、瞽女と座頭にとってこのような「文明開化」は迷惑千万に他ならなかったのである。(115頁)

 既得権が奪われた大勢の視障者にとって明治維新は「文明開化」どころか、さらなる苦難の幕開けであった。(200頁)


 瞽女が演奏する詞章について、その言葉の異同について、次のような傾向を指摘しています。これは、芸道における言葉の変移を考える上で参考になる事例です。


 杉本キクエが二十年間あけて二回録音した「祭文松坂」の「葛の葉子別れ」を聴くと、ほぼ全ての語句が再現され、しかもほぼ同じ順番で出現している。一方、伊平タケの二種の演奏では、多くの語句が入れ換わっており、語句のストックからその場で選んでいるようである。
 結論を先取りすると、「祭文松坂」の演奏における詞章の構成は一様でなく、師匠の口伝に忠実な杉本キクエと自由を求める伊平タケをその両極端として、山本ゴイと小林ハルはおそらくその中間に位置しているようである。「祭文松坂」には旋律の正調が無いことはすでにのべたが、「歌詞の正調」も無かったといえる。(178頁)


 著者は、視障者と晴眼者に分けています。男性視障者、瞽女、座頭、当道などの語も出てきます。
 そして、近世の芸能史を背景にして、瞽女が権利を確保する様子を、資料をもとにして手堅くまとめています。障害者を社会との関係で見ていく点に、実態が浮き彫りになっています。

 著者の専門が音楽学ということもあり、後半の瞽女唄の演奏については詳細です。楽譜を見ても素人にはわからないので、容易に音が聞けたらいいのにと思っていたら、ネット上にしっかりと用意されていました。読者への気遣いを感じました。

 最後に著者は、次のような問題提起をしています。これは、携帯音楽プレーヤーで日常的に音楽を聴く若者たちへの問いかけでもあります。物語唄の消滅の意味と、音楽とは何かを考えさせてくれるものとなっています。


 瞽女は意識しなかったかもしれないが、彼女たちの唄は、我々に問いかけている。なぜ、音楽市場から、あのように長い物語を展開する唄は消えてしまったのかと。肉体的には江戸時代の人々と変わらぬ集中力を持っていても不思議ではない現代人にとってなぜヒット曲の大半は、三分程度で終わるのであろうか。なぜ、ポップスは機械的なビートに終始しているのであろうか。柔軟なリズム感は、いったいどこに行ってしまったのであろうか。細かい装飾音の多い旋律を、なぜ聴衆(消費者)は要求しなくなったのであろうか。それを要求しなくなったのだとすれば、瞽女唄を好まない聴衆の嗜好は一体どのように発生し、どのように操作され、どれほど制限されてきたのであろうか。聴衆が無言のままに甘受している、こうした音楽の諸限界は、誰のいかなる利益となっているのであろうか。かくして瞽女唄は、枚挙に暇がないほどに多様でかつ痛烈な批判の矛先を、現代社会の我々に向けているのである。(226〜227頁)
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2015年01月31日

読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』

 『知のバリアフリー 「障害」で学びを拡げる』(嶺重慎・広瀬浩二郎編/京都大学障害学生支援ルーム協力、京都大学学術出版会、2014.12)を読みました。私が現在抱え込んでいる問題意識に、多方面から知的刺激をもらえる本でした。


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 その問題意識とは、目の不自由な方々と一緒にハーバード大学本『源氏物語』が読めないか、というものです。
 普通の墨字が読めない方が、それも変体仮名など読めるはずがない、というのが一般的な反応です。しかし、私は可能だとの確信を抱いています。精神論ではなくて、具体的な感触としてそう思っています。そのための試行錯誤も始めています。

 今後は、その具体的な成果を少しずつ提示して確認しながら、牛歩のさまであっても、一歩ずつ前に向かって進んで行くつもりです。その意味からも、本書からは多くのヒントをいただきました。

 本書の目次の詳細は、「京都大学学術出版会のホームページ」で確認できます。

 巻頭には、触ってわかる触地図が2種類付されています。琵琶湖周辺の地図が、点図(凹凸の点線や点のパターン)とサーモフォーム(プラスチックシートの真空熱処理成形)によって、触る口絵となっています。次の写真は、サーモフォームの地図から、比叡山・京都駅・平等院の部分を抽出したものです。京都駅と平等院の位置を示す○の下に、点字で「きょーとえき」「びょーどーいん」と書かれています。中央を左右に走る太い波線は東海道新幹線です。


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 平面の高低や凸部のエッジが指に感触として伝わるので、筆で書かれた仮名文字の認識を課題としている私にとって、これを触るとイメージが拡がります。

 本書は、さまざまな方々が「障害」を切り口にして、大学などにおける実情をもとにした「障害学習」について語るものです。その内容は20人の方々の「物の見方や考え方」が、多岐にわたって展開します。聴覚障害に関する部分からは、古写本を触読する際に「音」が果たす役割を考えるヒントをいただきました。

 以下では、私がチェックした箇所を引用することで、これからあれこれ考えるための手控えにしたいと思います。
 多くのヒントが鏤められた本なので、課題にぶつかる度に本書を繙くことになると思います。
 

■「現在の学問体系は、ほとんど障害者の存在を前提にしないところで成り立っています。「障害学習」という新しい視座で学問の再構築を行い、その成果を社会に発信することが、21世紀における大学の役割ではないでしょうか」(嶺重、 ix 頁)

■「視覚障害者にとって日本史はハードルの高い学問分野です。点字使用者が自力で古文書を解読するのは不可能ですし、ボランティアも専門知識がなければ、史料を正確に点訳・音訳できません。古文書については、大学院の先輩に「チューター」という形で音読・パソコン入力していただき、どうにかこうにか論文を読み書きしました。」(広瀬、11頁)

■「皮肉なことに、本来、学生の理解を助ける手段である視聴覚教材を使用することが、障害学生に対する情報伝達をより複雑なものにしています。たとえば、ビデオを使用する場合、聴覚障害学生には、字幕の付与や内容の解説文が必要になります。」(佐野、25頁)

■「私は、「自分の出している音」がわからないことに最も悩みました。生活音の問題です。私の母は健聴者で、聞こえる人の立場から、聞こえない人がどう振る舞う必要があるのかを教えてくれます。そのアドバイスの中に、生活音に気をつけたほうが良い、というものもありました。聞こえない人は自分の出す音に無頓着になりがちだから、知らず知らずのうちに周囲の人に不快な思いをさせている場合もあるかもしれない、と。でも私は自分の出している音がどうしてもわかりません。一人暮らしを始めてしばらくの間は、どんな音が迷惑なのかよくわからず、家事ひとつにもひどく気を遣いました。」(岡森、53頁)

■「iOSやAndroidなどのモバイルOSではVoiceOverやTalkbackといったスクリーンリーダーが標準搭載されるようになりました。とてもすばらしいことです。アプリケーションの開発者がアクセシビリティに配慮して開発を行えば、障害のある人もない人も使えるアプリケーションを開発することができます。また点字携帯端末をスマートフォンに接続することもできます。これにより、点字携帯端末でスマートフォンを操作したり、メールやチャットなどを点字で読んだり書いたりできるようになります。」(石川、91頁)

■「昨日できないことを今日はできるようにしたい。今日わからないことを明日はわかるようになりたい。そういう気持ちをエンパワーするのがアクセシビリティなのです。」(石川、97頁)

■「「みんなと同じにできるように頑張ろう・努力しよう・鍛えよう」と考える前に、「自分なりに楽にできる方法はないか?」と一緒に考えます。「迷惑をかけないように」と考える前に「困ったときは周囲に頼んでみよう」と実際にやってみます。「できるだけ間違わないように」ではなく、合い言葉は「失敗は学ぶチャンス」、周囲も「転ばぬ先の杖を出さないように」だったりします。」(近藤、100頁)

■「ヘレンケラー・ホーンとは、画面をなぞる指の動きを察知して文字情報を得る電話なのでした。上下、左右の指の動きの組み合わせで点字を入力でき、スマホが点字のパターンに合わせて振動することによって、使用者は自分の入力を確認することができます。あっと驚く発想の転換です。」(嶺重、139頁)

■「アナログ的な情報の取り扱い、たとえば、古文書などもその例です。草書などで書かれた手紙などはまず読めません。その内容を知るだけなら、他人に読んで貰ったり、点訳して貰ったりすることで解決できるかも知れませんが、その文字をどう読むかが問われる場合には対応は不可能です。」(尾関、208頁)

■「私は、すべての視覚障害者に、とは言いませんが、希望する者には、漢字・漢文の教育が十分に与えられるよう希望します(高等部の選択科目で十分でしょう)。そのためには、点字で漢字を表現する方法を工夫する必要があります。現在、8点や6点の漢点字と呼ばれるものがありますが、この目的のためには不充分に思われます。」(尾関、211頁)

■「明朝体は、漢字の横線などに細い線が使われており、弱視の方には見えにくいのです。すべての線が同じ太さで、線と線がくっついているところ、離れているところがはっきりわかることが、読みやすいフォントの条件です。」(嶺重、219頁)

■「見常者(見ることに依拠して生活する人)中心の社会で視覚障害者が「健康で文化的」な日々を過ごすためには、苦労と工夫が必要です。苦労を克服(軽減)するのが「障害者史」、工夫を積み重ねるのが「盲人史」という発想になります。
(中略)
「同じ」を追求する進化が障害者史、「違う」にこだわる深化が盲人史につながっています。」(広瀬、234頁)

■「共活のポイントは、複数の基準を持つことです。「盲=目が見えない」は現代日本では否定的にとらえられており、少なからぬ盲学校が「視覚特別支援学校」に名称変更しました。公文書等では「盲人」に代わって「視覚障害者」が使用されています。それでは、「盲=視覚に依拠しないライフスタイル」と定義してみてはどうでしょうか。すると、「盲」のプラスの要素が浮かび上がってきます。」(広瀬、255頁)
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2014年12月17日

読書雑記(116)清水義範『秘湯中の秘湯』

 『秘湯中の秘湯』(清水義範、新潮文庫)をやっと入手して読みました。


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 中部大学の蜂矢真郷先生から本書のことをご教示いただいたのは今夏でした。気にかけながら書店を探しても、絶版とのことでなかなか本屋さんで売れ残ったものが見つからないのです。
 検索をしていたら、たまたまネットで見かけました。しかし、私はネットショッピングは日本文化を破壊し、人間関係を断ち切るおぞましい仕掛けだという信念を持っているので、よほどのことがない限り欲しい品物があってもネットでは買いません。

 とにかく、自力で現物を手にして買うように心がけているのです。この、自分の足で探すことに無上の楽しさを感じます。ほしいものとの出会いは感動的であり、見つけた時の嬉しいことといったらありません。
 そんなある日、宿舎の近くのブックオフに行くと、108円の棚に『秘湯中の秘湯』が並んでいました。捜しあぐねていた本が、なんと108円なのです。ラッキーとばかりに購入し、すぐに読みました。

 本書は、論理的な考察や客観的な報告を心掛けて語っているものです。その真摯な姿勢が行間に溢れているので、おもしろい読み物となっています。
 ただし、ことばに拘りながら同じ調子で語られるので、読んでいて飽きてしまうという問題点も抱えています。その反面、文章をおもしろおかしく綴る上での苦労を、退屈な行間から教えてもらえます。
 裏表紙には「爆笑小説全11編」とあります。しかし、私には「爆笑」というよりも「朗笑」がふさわしいと思いました。

■「秘湯中の秘湯」
 どこまでが本当なのか、訝しがりながら読み進みました。入りたくなる温泉、遠慮したいがどんな所なのか行ってみたくなる温泉。とにかく楽しめます。
 中でも、私は「空中温泉」に入りたいと思います。付載の温泉情報には、次のようにあります。
  交通 秘密。
  泉質 不明。
  効能 気分がいい
  宿  なし
 
■「非常識テスト」
 物を知らないことを競うかのような女子大生の実態報告です。「七輪」を「五輪」からの連想で「ノーベル賞」と答えたのが秀逸だと思いました。
 ただし、最後のオチも含めて、もう一捻りできたように思えます。
 
■「痩せる方法」
 空回りの論理が展開するだけです。面白くしようとしているのはわかっても、まったく話題が盛り上がりません。
 
■「故事付成語」
 最初の矛盾だけが真面目で面白くありません。しかし、それがかえって面白いということになります。ごまかそうとする筆者が顔を出すので、そこを楽しむべきでしょうか。言葉のキレは悪いです。
 
■「取扱説明書」
 文明が高度になり、電子機器が高性能になるにしたがって、それらを使いこなすテクニックが必要になります。その時に言葉での説明が無意味であることが縷々と綴られています。電子機器のトリセツでは、今も悩まされています。
 
■「アンケート結果分析」
 消費者の心理を読んだ分析が綴られています。あまりおもしろくない語り口です。作者の手法に、そろそろ飽きてきました。最後の開き直りの主張は、作者も先刻ご承知だからでしょう。

■「結婚したい女性・百三の条件」
 アイデア倒れかな、と思いながら読み飛ばしました。

■「恐怖のニッポン食べ物ガイド」
 和食を題材にした、異文化体験論が、展開されます。アメリカ人から見た和食です。もっと書いてほしいと思いました。これでは生煮えで中途半端です。

■「周到な手紙」
 母のために、道順を順序立ててくどくどと説明している文です。だらだらと続く所に作者の意図があるとしても、正直言って飽きました。ここにオチがあったらいいですね。

■「只今会議中」
 不毛な会議のパターンが、いくつか例示されています。無駄ということを納得させられます。落としどころもいいですね。

■「ジャポン大衆シャンソン史」
 日本語が翻訳されていて、それを日本語に訳し戻すとどうなるか、という実例が列記されています。
 これは、現在私が科研で研究しているテーマと合致します。
 蜂矢真郷先生は、私が科研のテーマをお話しした時にその連想から、この話が本書にあることを教えてくださったのです。
 例えば、こんな例があります。
 小柳ルミ子が歌った「瀬戸の花嫁」のフランス語訳を、そのまま日本語にしたら……


「瀬戸物の花嫁」(一九七二年)
 瀬戸という陶器の町に夕闇が迫り
 遠くの島へ結婚のために行く陶器の花嫁
 若いということを人々が心配するのだが
 愛があればおそろしいことは何もない
 二段ベッドのような畑がサヨナラをする
 幼い弟は行かなかったり泣いたりした
 もし弟が男だったら泣くこともなく
 ねえ 父と母は陶器を大事にしている


 小柳ルミ子が歌った歌の歌詞をあらためて思い出しては、「あれっ」と意味を考えたりします。

 現在、『源氏物語』の外国語訳を日本語に訳し戻ししてもらっています。
 さて、海外では『源氏物語』がどのように訳されているのでしょうか。
 今しばらく、調査結果を楽しみにお待ちください。
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2014年12月02日

読書雑記(115)大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由』

 昨夜(平成26年12月1日午後9時より2時間)、TBS系列で放映された[月曜ゴールデン特別企画『全盲の僕が弁護士になった理由 〜実話に基づく 感動サスペンス!〜』]の原作となった本のことを記録として残しておきます。
 大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由 あきらめない心の鍛え方』(2012年3月、日経BP社刊)がそれです。帯には、次のように書かれています。


困難と闘う すべての人へ
「だから無理」より
「じゃあどうする」のほうが面白い!


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 昨夜のドラマのように、全盲(触常者)の弁護士のもとに持ち込まれた離婚話や、工場での殺人事件を解決したことが本書に書いてあるわけではありません。
 本書の内容が一覧できるように、目次をあげておきます。


はじめに
序章 ある受刑者からの手紙
    見えないから、見えてくるもの/ある受刑者からの手紙
    痛みに寄り添う/被害者に土下座/声にならない声
第1章 全盲弁護士の仕事術
    弁護士はつらいよ/最後の受け皿/いつもマイナスからのスタート
    アシスタントと二人三脚/IT機器を駆使する/耳で読む
    見えなくても、何とかなる/法廷で勝つために
    毎週ハーフマラソン/安心できる町医者
第2章 光を失って
    生い立ち/先天性緑内障/「肉を食べてはいけない」
    小学校は特等席/一番の理解者/特別扱いしないという「特別」
    7歳で富士山登頂/最後の景色/初めての絶望/故郷を去る決意
    毎日が合宿/人生を変えた一冊/門前払い/住む場所がない
    差し伸べる手/憧れの人との対面
第3章 司法試験
    出だしでつまづく/初挑戦で木端微塵に
    孤独な闘い/ロースクールへ/法務省の門戸を開く
    36時間30分/新司法試験始まる/限界の先にある自分
第4章 家族
    全盲のパートナー/一期一会/会話の多い夫婦
    「助けられ上手」になること/震災、そして出産/全盲夫婦の子育て
    人と人とは鏡映し/あげられないもの、あげられるもの
終章 見えない壁を打ち破る
    17人に1人は障がい者/悪意のない差別/一言で世界が色づく


 著者である大胡田氏ご本人は12歳で失明、3歳下の弟は11歳で失明ということで、非常に困難な家庭環境が推し量られます。しかし、両親の理解と温かい見守りの中で、著者である兄は弁護士に、弟は県立高校で英語の教員にと、能力を遺憾なく発揮しての生活をしておられます。

 全編を通して、自分のことや家族のことを、ありのまま率直に語っておられます。日常に始まり、素直な思いが綴られているので、身構えて読みそうなところが少ないのがいいと思いました。
 必死に、がむしゃらに生きて来られたはずなのに、それをあけすけに朗らかに語っておられるので、読む側の負担も軽減されます。
 この手の本にありがちな、悲壮感や同情を共有させられることはないので、好感のもてる文章となっています。それでいて、各所で感心し、感激もしました。

 静岡県の伊豆に生まれ、沼津に移ったとのことなので、井上靖を思い起こさせる生い立ちです。先般記した「読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』」(2014年11月04日)にも思いが及びました。静岡県に親近感を抱くようにもなりました。

 本書を読みながら印を付した箇所を、以下にメモとして引用しておきます。

 著者は、人の心を的確に読み取ることに長けておられます。それは、目が見えないことから、聞こえる音声で人を判断しておられることに起因するものです。音声に対する指摘は、我が身に当て嵌めるとドキッとすることでした。確かに、私も声では正直に自分をさらけ出しているのでしょう。これは意外な指摘です。


 自分の感情を初対面の相手にストレートに出す人はほとんどいない。相手への気遣いや警戒心、恥じらいや後ろめたさを誰でも持っている。目が見える人は、無意識のうちにまず表情を作る。しかし、声となると正直なものだ。言葉を選ぶことはできても、息遣いや抑揚、間のとり方まで装うのは意外と難しい。(10頁)


 目が不自由な触常者が、最近では電子機器を駆使しておられる実態も、詳細に語られています。この点は、触常者がおかれている環境を理解するのに、大いに役立ちました。
 身近には、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんがおられます。確かに彼も、情報機器を駆使しておられます。これは、これからのお付き合いにおいて、知っておくべきことです。
 その意味でも、障害を持った方が、どのような方法でコミュニケーションをとっておられるのかは、見常者である我々は知る必要があります。そうでないと、余計なことに神経を使い、知らないために遠慮をしたり、誤解をしかねないのです。


 読み書きが難しい視覚障がいは、長年、「情報障がい」とも言われてきた。しかし、IT機器の進歩によって健常者との格差は大幅に縮んできている。(中略)
 最近では、点字の電子手帳が普及しつつある。「点字電子手帳」は筆箱ほどの大きさの機械で、中には大量の点字データを記憶するメモリーが入っている。値段は1台20万円と高性能パソコン並みだが、僕にとってはなくてはならない道具になっている。毎日のスケジュールや、依頼者との面談のメモなど、大事な情報は何でもこれに記録する。本体の上面には15文字ほどの点字を表示できるディスプレーがあって、小さな突起が忙しなく出たり入ったりして次々と点字を表示する。
 本体の上面にはディスプレーのほかにボタンがいくつかついていて、これを両手でタイプして点字データを入力する。USBでパソコンなどにつなげば、外部から点字データを取り込むこともできる。ネット上には、ボランティアが点字に翻訳(点訳)した小説などのデータを提供しているサイトがある。それをパソコンでダウンロードしてから点字電子手帳に取り込んで、通勤時間などに読むのが僕の毎日の楽しみの1つになっている。
 事務所には、紙に点字を打ち出す「点字プリンター」も置いてある。これをパソコンにつなぐと、ワープロソフトで作成したテキストなどを点字として打ち出してくれる。ただ、打ち出す際の音が昔のドット・インパクト・プリンターよりもさらに数段うるさいのが難点だ。
 スピーチなどでこうして打ち出した点字の原稿を手元に置いて指でなぞりながら読むと、正面を向いたまま、まるで原稿なしでしゃべっているように見える。(48〜49頁)


 次の、大学の授業での体験は、今はどのような状況になっているのでしょうか。現在が知りたくなります。その意味からも、触常者が活用している電子機器に関する情報は、もっとまわりに語られてもいいと思いました。


 大学でも障がいを理由に、ある英語の授業の履修を断られたことがあった。その授業は、毎回英字新聞のコピーを配布して、それを教材にして講義をする形式だった。僕にはそのコピーが読めないから履修はできないというのだ。
 しかし、授業の前日までにコピーを渡してくれれば、スキャナーでパソコンに取り.込んで、音声で予習をしてから授業に臨むことができる。なぜ、話を聞きもせずに、初めから「できるはずがない」と決めつけてしまうのだろうか。(112〜113頁)


 視覚に障害を持つ触常者の実態は、意外なことが多いものです。
 点字は、触常者のほぼ全体に普及していると思っていました。これは、認識を新たにさせられます。


 実は意外と知られていないのだが、全国に約30万人いる視覚障がい者のうち、点字を満足に読み書きできるのはおよそ1割にすぎない。大人になってから視力を失った中途視覚障がい者では、点字をまったく読めない人も多い。
 仮に読めたとしても、何歳から点字を覚え始めたかで、読める速さは全くと言っていいほど異なる。健常者も文字を読む速さは人それぞれだが、点字ではそれとは比べ物にならないほど大きな個人差が生じる。例えば、12歳で視力を失った僕よりも、生まれつき目が見えず点字で言葉を覚えた妻の亜矢子の方が、2倍も速く読める。(143頁)


 読み進んでいるうちに、著者が書かれている、「障害」でも「障碍」でもなく「障がい」と書く理由を、知りたくなりました。どこか他のところで、この用字について語っておられるのでしょうか。ご教示いただけると幸いです。

 本書は、日ごろはなかなか知ることのない、障害を持った方が素直に語られる、その心の中が伝わってくるものです。自分の意識を再認識する上でも、いい本との出会いとなりました。
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2014年11月21日

読書雑記(113)松永兄弟の遺稿集『戦争・文学・愛』

 『戦争・文学・愛 ─学徒兵兄弟の遺稿』(松永茂雄・松永竜樹著、和泉あき編、三省堂新書、1968年)を読みました。松永茂雄と松永龍樹の兄弟の遺稿集です。

 戦地で古典文学作品を読む記事がある、というT君からのご教示をいただき、本書を深川図書館から借り出して興味深く読みました。


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 T君からのメールには、以下のような文言がありました。


 兄の茂雄は一高中退、弟の龍樹は國學院大學卒業です。
 兄弟ともに新古今集を愛し、遺稿集にも頻繁に言及されます。
 茂雄は「重機関銃の握把を握り締めながら新古今の歌を語っている学徒兵の姿を想像してほしい」とも書き記しています。
 新古今が中心ですが、ところどころに源氏物語への言及もあります。


 確かに、この時期に教えていただかなかったら、読む機会のない本でした。
 若者の生き様を通して、古典の意義を再認識させられました。

 まず、本書の裏表紙に書かれている文言を引きます。本書の内容を的確に示しているからです。


二人の死
「ぼくは追憶や感傷のために遺稿集を出すのを、一つのぜいたくとして軽蔑する」と書き残した松永兄弟の手記には、日中戦争から太平洋戦争にかけて、死を目前にして誠実に生きた青年の姿があますところなく描き出されている。
二人の兄弟には、詩・短歌・劇その他の小品などたくさんの遺稿があるが、本書では、学生時代の日記と、軍隊時代のノートを中心に編集した。
多くの学生が戦場におもむかざるをえなかった「学徒出陣」より、25年が経過したが、遠い大陸に死んだこの二つの青春は、現代に生きる人々に大きな指針を与えるであろう。


 「もくじ」は以下の通りです。


 略年譜
 松永茂雄・松永龍樹について
1 兄を憶う 歌日記 松永龍樹
2 学徒兵の手記 松永茂雄
   学窓の友へ
   学窓からの学界展望 方法自覚の問題
   空色の手帖・その他
     文学ニツイテノ メモ
     学徒兵メモ
     第三ノオト
   立原道造
   詩─美しい虚構 その他
3 学生時代の日記と従軍手帖
      ─「学徒兵の手記」に答えて 松永龍樹
   卒業論文のための「サロン」(一九四〇年一月〜八月)
   ゆかりのための「サロン」 (一九四一年四月〜十一月)
   最後の「サロン」 (一九四一年十二月〜一九四二年一月)
   従軍手帖 (一九四三年二月一日 於 保定)
 松永君のこと 佐藤謙三
 主要遺稿リスト
 編集に当たって 和泉あき

 
 まず、二人の「略年譜」を引用し、その人生を通覧しておきます。


略年譜

(松永茂雄)
一九一三年(大正二年)四月三〇日東京に生れる
一九三一年(昭和六年)四月、東京府立第一中学校を経て、第一高等学校理科入学、立原道造も同級で深交をもつ
一九三二年(昭和七年)、同校中退
一九三四年(昭和九年)一月二〇日、前年の徴兵検査で、陸軍第一歩兵連隊に現役入隊、翌三五年除隊
一九三五年(昭和十年)、練馬にあった私立花岡学院小学部で児童教育の実践にあたる。並行して文芸同人誌『ゆめみこ』を翌年四月まで八冊刊行。この年、劇作、詩、エッセイ、歌論等の創作さかん
一九三六年(昭和十一年)四月、国学院大学文学部予科入学。弟、龍樹も同級
一九三七年(昭和十二年)十月十五日、在学のまま応召入隊、約一か月後、上海派遣軍飯塚部隊高見部隊上野隊に配属される。翌年休学を決意
一九三八年(昭和十三年)秋、山地戦中、マラリヤ、気管支炎大腸炎を併発、十一月二二目細菌性赤痢と診断され、二七日より穿孔性腹膜炎併発、二八日午後四時二〇分、呉淞陸軍病院伝染病棟にて戦病死。二十五歳。陸軍伍長
 
(松永龍樹)
一九一六年(大正五年)八月二日、東京に生れる
一九三六年(昭和十一年)四月、東京府立第一中学校を経て、国学院大学文学部予科入学
一九三八年(昭和十三年)四月、同大予科より文学部国文学科に進む
一九四一年(昭和十六年)三月、同大学卒業、卒業論文は「新古今序説」、四月より同大学国文研究室助手。九月十四日、綾子夫人と結婚
一九四二年(昭和十七年)一月、海軍予備学生試験に体格のため不合格、陸軍入隊決定。同月二八日助手辞任、二月一日応召入隊。約一週間後、朝鮮を経て中国へ向う。幹部候補生試験に合格
一九四三年(昭和十八年)済南で実習。少尉任官
一九四四年(昭和十九年)五月八目、中国河南省魯山付近の戦闘で戦死。二八歳(ママ)。陸軍中尉(1頁)


 茂雄二十五歳、龍樹二十八歳の命でした。大正2年から昭和19年の間に、二人が短い人生を駆け抜けたことが、本書に描かれている姿からはすぐには結び付きません。自分でしっかりと考えて生きているからでしょう。

 読み進めながら、メモとして抜き書きした文章を以下に列記しておきます。
 この記述の背景にある、想像を絶する戦時下という状況を忖度しながら、今は自分の中で未整理ながらも今後のために記録として残しておくものです。
 二人は『新古今和歌集』や藤原定家に篤い想いを抱いています。しかし、私は自分の興味から、『源氏物語』に言及する箇所を中心にして抽出しておきます。


☆私は陣中で源氏物語や古今集を講義させたという戦国の武将の故事を思いうかべながら、時に社会科学を論じ、時に定家の芸術を語った。(58頁)
 
☆源氏物語をはなれて伊勢物語を愛した高原の夏、…戸隠の冬…ボクが作った歌は新古今風のそれであった。死んでいった愛する人々を思う哀傷は、どんなものよりも定家の"なき人恋ふる宿の秋風"でなければならなかった。(そのころドストエフスキーとシエストフを愛した)現世にあらゆる望みを失い、しかも古典の教養を身につけかけてしまった者に、興味にはなりえない苦痛の興味は、ただ、新古今の恋と哀傷にひそめられていった。
 十三代集はもうみむきもされない。十三代集は心の深さがない。それはただ、技巧と形式のなごりにすぎない。そこには悩む者の姿がない。ボクがどうにでもして、新しい人生を始めようと努力する時、ポクは本当に、身において、新古今人の苦悩を感じた。しずかで意欲のない人々の時代には十三代集こそ真の詩であろう。意欲を持ちながらそれを現実に社会の中に満たしてゆかれない時、私たちの心は、本当の意味での新古今の本質をつかむ事ができる。(85頁)
 
☆例の原稿二十三枚、折口先生におわたしする。(十八日)
 論究に源氏論わたす(同日)。(91頁)
 
☆君は君らしく、やさしく物を思わない方がいい。君が物を思うのは"若菜"以後の巻でよい。"若紫"ボクのゆかりちゃん! おやすみ、ボクも美しい眠りにはいろう。(101頁)
 
☆ボクにはもう文学がいらない。ボクには"江戸紫"の必要がない。だってボクには"ゆかり"がある。綾ピン! いつ君と時間を惜しまず語れるのか。今夜もあいたいが、がまんしている。明日電話かけようか。なぜ昨夕約束しなかったのだ、今度からいつも次の約束をしてしまおう。電話で呼んでくれやしないかと夜待っていたがだめ。(104頁)
 
☆ ことばの心理学は、現代文学の粗悪をきらい日本語の美しさを古典の中に追いはじめる。そしてあの幼かったセンチメンタリズムは王朝の女性に文学を見いだす。"蜻蛉日記"や"源氏物語"が理想とされ"新古今"の形式主義は無上のものと信仰される。それらの言語の心理的な巧妙さは、谷崎や藤村のレトリツクの比ではなく、そのニヒリズムやロマンチシズムもまたはるかに深い美しさをたたえていた。古典の発見はボクの"文学"の転換であった。さがしてもさがしても立原君の詩以外に叙情できる文学のない明治以来の小説は、もう"文学ではない"と安心して言い切れる。文学と学問とが一つになる時が来た。"吉野拾遺"や"増鏡"に出発した古典へのやさしい愛は、やがて源氏・蜻蛉・新古今・枕草子をとらえ、次いで"文学史"への意欲と燃えた。こんな昔の形式の中に、こんなにボクのための文学が待っていようとは! そしてそれらの文学を、国学者は何と無味乾燥に扱っていることか。文学者はそれらの存在をすら知らないではないか。ボクの心理学は、ここでその対象を古典に限りはじめた。(145頁)
 
☆もう一つは、古典と空想の世界、定家や雅経がどんなにリアルな肉体を持った精神となって、僕に迫りだしたことか。戦友たちが都の女のうわさをする時、僕は、平安の歌人たちと膝を交える錯覚にひとり興奮を覚えるのだ。(173頁)
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2014年11月18日

読書雑記(112)想い出の中にあった壺井栄『あしたの風』

 この本をずっと探していました。

 「ウィキペディア」に「あしたの風」として壺井栄の小説が紹介されています。


「NHKにおいて1961年5月21日に単発ドラマとして放送。」
「NHK連続テレビ小説の第2作で、1962年4月2日から翌1963年3月30日までに放送された。原作は“家族制度”を追及した作品として知られている。」


 しかし、私が読んだのはこの長靴の話ではなかったように思います。
 読んだ時期は、昭和45年(1970)で、大阪で万国博覧会が開催された年の秋でした。

 新本ではもちろんのこと、古本屋やネットでも見つけられませんでした。
 今回、読み終わってからあらためてネットで探すと、この本について、いろいろと古書や記事が見つかりました。
 探したはずなのに情報を的確に掌握できなかったのは、真剣に探していなかったからでしょうか。それとも、「ウィキペディア」にある内容の記事に惑わされたせいでしょうか。

 それでも、いつか見つかったら読もうと、無意識の内に探していたのでしょう。
 それが、深川図書館で偶然見つけたので、すぐに借りて来ました。
 壺井栄の『あしたの風』(新潮社、昭和33年2月)は、私にとってはなぜか忘れられない本なのです。ただし、私が読んだのは文庫本でした。青色の表紙だったことを鮮明に覚えていたので、ネットで探し当てることができました。


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 この本のカバーには、次の文章が印刷されていたようです。
 今回、あらためてインターネットの情報の便利さを知りました。


「今日をせい一ぱい生きれば、それによって明日生きる道は開ける」
―あしたの風とはそういう意味である。母の恋を遂げさせようと、希望にもえて入学した神戸の高校をやめ、家業を手伝うために小豆島へ船に乗る百合子。素直にのびやかに生きてゆく娘を中心に女のさまざまな愛情の姿をえがき、しみじみと心温まる物語。


 45年ぶりに、いつかもう一度読もうと思っていた本を手にできたのです。こんな思いで本を手にすることは、そうそうありません。得難い経験です。

 この本は、高校卒業後に上京するやいなや十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で手術をし、大阪の八尾の自宅に帰って静養し、その秋に体調も回復したので再度上京して新聞配達店の2階の住み込みの三畳一間の部屋で読み、涙が止まらなかったものです。
 何がそうさせたのか、そのことが知りたくて読もう読もうと思いながら、いつしか45年が過ぎていたのです。

 次の表題がつけられていて、19の章で構成されています。


花の由来
唐草模様
藤陰
緑の風
昼の朝顔
海辺の道
空のどこかで
一度でよい
昔を今に
蝕める花
細霧
心紅葉
雲のかげ
こだま
渦まき
おぼろ月夜
飛ぶ鳥
白い花赤い花
あしたの風


 汐崎百合子という主人公には、今となってはまったく思い当たるものがありません。
 父が戦死し、優しい母に育てられます。そして、18歳で小豆島から神戸の女学校「藤蔭学院」(現在の神戸松蔭女子学院大学らしい)へ行き、住み込みの小遣いさんとなって家の負担を軽くします。弟は新聞配達のバイトをし出します。
 次第に思い出しました。
 18歳で上京して新聞配達をしながら大学に行かせてもらった自分の境遇と、少しずつオーバーラップし出しました。

 初めて親元を離れた時だったこともあってか、この本に出てくる家族思いの母親に感情移入したのかもしれません。
 それにしても、どうしてこの本をタコ部屋と言われていた新聞販売所の自室で読んだのか、今となってはわかりません。
 昔から、小説を貪るように読んでいた中で、何かの解説書か本の案内書で知ったのでしょうか。

 高校時代には、テニス部の練習が終わった帰りに、近鉄布施駅前にあった(今もある)「ヒバリヤ書店」にいつも立ち寄っていました。当時自分で決めた目標として、文庫本と名のつくものを日本も海外も、そのすべてを読むということがありました。家庭の事情で本を買うことができなかったので、立ち読みでそのすべてを読破しようとしたのです。読む順番は、文庫本の目録で決めていたように思います。その中に、この壺井栄の『あしたの風』があり、上京する時に買って持って行ったのかもしれません。古本だったので、高校の行き帰りに、上本町6丁目にあった天地書房で買ったと思われます。

 作中のこととして、夏休みになっても自分の家に帰れない百合子に、自分でも毎日配達の仕事があるので大阪の家に帰れないことがダブったことでしょう。
 何度も、帰りたいなーと、思ったことでした。八尾の高安にいる母から届く温かい手紙が、日々の辛さを慰めてくれました。いつも、手紙にはソッとお小遣いが入っていたものです。もう時効だからいいでしょう。

 いろいろな物が、父に内緒で母から送られて来ました。その点、父はまったく連絡をくれませんでした。父なりに、私の自活を黙って見つめていたようです。新聞販売店が火事で全焼し、着の身着のままで焼け出された時には、父と姉が真っ先に駆け付けてくれました。父が常に私のことを気にしてくれていたことは、折々に感じていました。

 焼け出された後、阿佐ケ谷にあった、父が勤める会社の社員向けの育英寮と東中野の社員寮に入った時は、何かと心配してくれました。非常に事務的に対処していたのは、父なりの思いやりだったようです。

 2年前に、父が遺してくれていた帛紗を見つけ、私に対する細やかな気持ちを感じることができました。

「父が遺していた焼けた帛紗の由緒書」(2012年12月24日)

 そういえば、私が中学生のころでした。父は会社にさまざまな提案をして、その御褒美としていつも私が読みたいという文庫本をもらってきてくれました。
 文庫本の内扉に印が捺してある、新潮文庫でした。
 このことをかつて本ブログに書いたように記憶していました。しかし、見つかりません。このブログも何度かクラッシュしているので、その消えてしまったブログの記事の中にあるのでしょう。いつか再現したいと思います。

 親の気持ちは、子供にはよくわからないものです。しかし、常に気にかけていてもらっていたことをこうした折に知ることは、自分の親を見つめ直すことにも通じていて嬉しいものです。

 さて、今回この本を読んでみて、素直に生きるということを再認識した本だったように思いました。
 そして、家族みんなの思いやりを。さらには、母の包み込むような存在が、行間から滲むように感じられました。上京したての若者には、心揺さぶられる話だったことを確信できました。

 ただし、本作では父親の陰は薄いものでした。作中、父は娘の名付けの理由に、中條(宮本)百合子という「えらい小説家」にちなんでのものだと言っています。日本プロレタリア作家同盟には中條百合子がおり、壺井栄も『戦旗』のかげで貢献していたので、このあたりは背景を調べるとおもしろそうです。

 私が高校2年生の時に東大紛争の安田講堂占拠事件があり、大学入試が中止になる中で、大阪市内であったデモなどに私も参加していました。そのことを題材にした「隆司の場合」という短編小説を学内誌に発表したことは、またいつか書きましょう。
 この壺井栄の作品を読んだのは、その時の学生運動仲間から聞いた話の流れで、これを手にしたものかもしれません。それにしても内容が当時(昭和44年)の社会情勢にそぐわないので、これもよくわかりません。

 貧乏という言葉が何度も出ることにも、無意識に反応したのかもしれません。
 私が大学に行くことは、我が家では考えられないことだったのです。国鉄マンだった伯父は、国鉄に入って給料をもらいながら大学へ行ったらいいと提案し、一時はその方向で私の身の振り方が決まりかけていました。しかし、卒業後に国鉄で働くことに馴染めなかった私は、同じような条件で大学に行かせてもらえる朝日新聞の奨学生を選びました。新聞記者になりたい、という希望があったからです。

 この小説にもあるように、私の母も私の病後の身体のことをいつも心配し、辛かったらいつでも辞めてもいいよ、学校に行くお金は何とかするから、と言ってくれていました。こうしたことが、この作品に感情移入させられた原因の一つだと思われます。

 ただし、この作品の底流をなす母の秘密と心の裡に、当時の私がどれだけ読み及んでいたのかは、大いに疑問です。話の設定と、親子の情愛に感じていただけのように思えます。

 読み直してみて、これは大人が読んでも人情の機微を堪能できることを知りました。もっとも、45年前の想い出探しという目的がなければ、あえて今この本を読まなかったようにも思います。
 最終章をなす「あしたの風」も、なんとなくあいまいな切れ味の鈍い文章のように感じました。昭和30年頃の作品だから、ということなのでしょう。文中に2度ほど出てくる「あしたはあしたの風がふく」ということばとテーマも、今となっては伝わり難い話の流れです。

 いずれにしても、気掛かりだった作品を読み終えて安堵しました。
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2014年11月02日

読書雑記(111)澤田ふじ子『宗旦狐』

 澤田ふじ子の『宗旦狐−茶湯にかかわる十二の短編』(光文社時代小説文庫、2013年10月)を読みました。


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 本書に収録された作品は、裏千家の月刊茶道誌『淡交』の平成14年1月から12月まで連載されたものです。1作品につき400詰原稿用紙20枚という制約があったようです。

 本文庫本に収録された「初版本のあとがき(平成15年春)」で、作者は次のように言っています。

 わたしはこうして短く制限された枚数の中で、一つのテーマにもとづいた作品を書くのが、スリリングで好きだ。
 茶湯は権力や財力に支えられて大きく広まり、茶道具によって贅の色に染められた。当然、血腥い話は数々伝えられている。しかし特殊な茶道誌という関係から、血腫い話はタブーとされ、苦労を強いられたが、徳間書店から刊行されるに当たり、収録作品中「御嶽の茶碗」の最後の部分を二行ほど改稿した。
 表題作「宗旦狐」の千宗旦は、茶道史の中で神格化された人物。多くの逸話をいまに残すが、わたしが作り上げた宗旦狐の話が、やがて歳月が経ったとき、かれの逸話の1つに数え入れられたら幸いだと思っている。
 なおこの一冊の中に平成二年三月、千利休四百年忌にあわせ、講談社が書下ろし短編小説集として刊行した『利休七哲』のうち瀬田掃部「仲冬の月」を収録させていただいた。(300頁)


 この20枚という制約は、作者のことばはともかく、私には中途半端なままで閉じられることになった最大の原因であると思っています。

■「蓬莱の雪」
 京都五条大橋のうどん屋の弥助のもとに留め置かれた雪村の画幅。無銭の客がうどんの形に置いて行ったものでした。話は、思わぬ展開をします。ただし、作り事めいていて、先が見えてしまいました。それでも、年の瀬らしい、いい話に仕上がっています。【3】
 
■「幾世の椿」
 東九条村の百姓甚助親子の話です。裏庭の椿を、一人のあやしい男が、初釜にかけるために見つめています。椿をめぐる話は、爽やかです。【3】
 
■「御嶽の茶碗」
 大垣藩領の天野九左衛門の茶室をめぐる話です。一つの青磁茶碗が2人の運命を狂わせます。最後の急展開がうまいと思いました。【3】
 
■「地獄堂の茶水」
 四条高倉錦小路上ル、小間物問屋菊屋の女主お貞は、毎年3月6日に、鴨川の源流である大原の地蔵堂の水を正午きっかりに汲んで、お茶を一服点てることを続けていました。その水をめぐる話が、感動的に語られます。【4】
 
■「戦国残照」
 山城国大山崎にある、国宝の茶室「待庵」が出てきます。摂津国広瀬村の小夜の話です。小夜の夫は、関ヶ原の合戦で亡くなりました。ところがその夫が、四条小橋のたもとで茶売りをしているのを見つけます。記憶をなくしながらも、小夜が作ったお守りを大事に持っていたのです。感動的な話です。【5】
 
■「壷中の天居」
 応仁・文明の乱の頃の東洞院通りが舞台です。戦の後に新しい町屋が作られていきます。そうした中で、坪庭にまつわる話が語られます。1話としては、まとまりのない作品です。【2】
 
■「大盗の籠」
 上京・五辻通りで竹籠作りを生業としている六蔵の話です。茶の湯と籠花入れの話題が、後の河竹黙阿弥の歌舞伎「白波五人男」へとつながります。利休の孫である宗旦が言った「分相応」を語るいい話です。【4】
 
■「宗旦狐」
 寺町今出川の茶屋が舞台です。利休の孫宗旦が食べた団子の串が話題となります。さらには、筆の話へと、おもしろく展開します。ただし、落ちが見えるので、少しがっかりです。【2】
 
■「中秋十五日」
 丹波篠山藩での、中秋十五夜の茶会の話です。始めは、モタモタしていました。しかし、切れ味のよい、みごとなできの作品です。【4】
 
■「短日の霜」
 上京実相院町の裏店での話です。仇討ちや松江と不昧公が出るなど、仕掛けが気に入りました。ただし、最後がもの足りません。【3】
 
■「愛宕の剣」
 宇治の茶畑が出てくる、今に残る上林家にまつわる話です。ただし、話がまとまりません。ネタがもったいないと思いました。【1】
 
■「師走の書状」
 上京の御所八幡町が舞台です。利休自筆の書状など、やや無理な設定です。いい話なのに、小さくまとまりすぎたようです。【2】
 
■「仲冬の月」
 素性や履歴が不明ながらも、豊臣秀吉の家来で利休七哲にも数えられる瀬田掃部のことから始まります。室町期の絵師のこともよくわかります。瀬田は秀吉のもとで、とんとん拍子に出世します。しかし、やがて離れていくのです。人物の描写がぼんやりとしているのが気になりました。【2】
 
 
※2003年3月 単行本(徳間書店)
 2005年5月 文庫本(徳間書店)
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2014年10月06日

読書雑記(110)澤田ふじ子『地獄の始末―真贋控帳』

 澤田ふじ子『地獄の始末―真贋控帳』(徳間書店、2001年7月)を読みました。


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 古物としての書画の鑑定を家職とする古筆見了意を軸にして展開する、連作の物語です。
 個人的には、所有者の思いが籠もった古物を扱う題材の性格からいって、もっと人間の情を盛り込んだほうがふっくらとした作品に仕上がるように思いました。作者のスタンスの問題なので、これはこれで澤田流の味付けとして読みました。
 
 
■「雪村の絵」

 開巻早々、ならず者と浪人が喧嘩をする場面が、生き生きと描かれています。話は、古筆了意が見せた不吉な陰をほのめかして進みます。読者を惹きつけるのがうまい展開です。ただし、最後は話の収まりがよくないと思いました【3】。
 
初出誌︰『問題小説』2000年5月号
 
 
■「利休の判形」

 古筆家の目利の真価が語られます。入門用の知識が参考になります。なぜ古典籍に極め書きが付いているのか、というその理由がわかります。所持者は、これが本物だという証明がほしいのです。それだけ偽物が多い、ということでもあります。
 本話は、利休の掛け花入けの出現で、めでたく話が収まります。趣向が作り事めいていて、興ざめでした。しかし、おもしろく読むことができました【3】。
 
初出誌︰『問題小説』2000年8月号
 
 
■「二天の鵙」

 偽物の古筆了意が、大垣城下に出現します。古筆見としての自家を守るために、江戸からの帰りに通りかかった了意は、当人に会いに行くのでした。人間関係の謎解きに引き込まれます。それ以上に、絵が転々として今に残る事情も語られており、興味深い美術伝来の歴史もうかがえます。気になったのは、最後の詰めの一点だけです【5】。
 
初出誌︰『問題小説』2000年10月号
 
 
■「暗がりの土地」

 清貧の心がけでおかきを焼き続ける清助が、淡々と語られます。清々しささえ伝わって来ます。
 織部の沓茶碗と黒織部や青織部など、室町期の美濃焼が話題にのぼります。目の前の3つの茶碗は本物なのか。清助が庭から掘り出したものだけに、つい読まされます。そして、歴史の背景が語られ、さらに驚かされます。現代の発掘話まで引かれ、たっぷりと楽しめました。ここまでは、あまり情を前面に出さなかった作品の中でも、本作はほろりとさせる仕上がりです。
 題名が暗すぎるので、もっと別の命名にすべきだと思いました【5】。
 
初出誌︰『問題小説』2001年1月号
 
 
■「世間の罠」

 平安・鎌倉時代の仏画が出てきます。応挙に又兵衛と、話題となる出演者も豪華です。西陣の説明に国会図書館の資料が紹介されているなど、現代と江戸時代の自由な往き来がいいと思います。ただし、話は中途半端なままに幕切れとなります【2】。
 
初出誌︰『問題小説』2001年4月号
 
 
■「地獄の始末」

 小野道風が書いた『古今和歌集』の色紙が話題となって始まります。昭和13年の国立京都博物館展覧会の話や、昭和31年の売春防止法のことなど、島原遊廓を舞台にして人情噺が紡がれます。
 書画骨董をからめて人の心を語るのが、本作の本領です。いい話です【5】。
 
初出誌︰『問題小説』2001年6月号
 
 
※本書は、同書名で「徳間文庫」(2004年1月)と「光文社文庫」(2007年11月)にも収録されています。続きを読む
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2014年09月18日

読書雑記(109)広瀬浩二郎のことば切り抜き帳(1)

 目の不自由な方と一緒に『源氏物語』の古写本を読む方策を模索する上で、やはり全盲の研究者である広瀬浩二郎さんのことばには、多くのヒントがあると思っています。

 ここでは、『さわっておどろく! 点字・点図がひらく世界』(広瀬浩二郎・嶺重慎、岩波ジュニア新書、2012年5月)から、意識しておくべきことばを抜き出しておきます。
 嶺重さんが執筆なさっている第5章からは、今は引きません。


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 私にはまったく理解の及ばない世界のことでもあり、とにかく抜き出すことで、後で考えるための資料集にしたいと思います。

【障害者と共生社会のありかた】

 共生、つまり障害の有無に関係なく万人がともに生きることをめざすならば、どうしてもマイノリティである障害者はある種の頑張りを強いられることになる。時に共生とは多数派の論理となり、障害は克服すべきマイナスと一方的に決め付けられてしまう。そてして、それを克服できない者は、共生社会から排除されるのである。障害の克服を金科玉条とする共生社会では、いつになっても障害者は「お母さん、生きててよかった」と美談の主役に祭り上げられることになるだろう。(21頁)

※(私注)共生をいいながらも、今の社会には明らかに多数派の論理により区別なり排除がありますね。
 
 
【過渡期の視覚障害教育】

 近年、「インクルーシブ教育」「特別支援教育」という理念の下、障害児教育をめぐる情勢が激変しています。しかし、まだ流動的な部分もあり、「本質は何も変わっていない」というのが僕の個人的な感想です。本書では過渡期を迎えている視覚障害教育の現状や問題点には立ち入らないことにします。(32頁)

※(私注)いつかこの過渡期と言う教育の現状について聞きたいと思っています。
 
 
【古文書が読めないこと】

 僕は少年時代から歴史小説が好きだったので、他の選択肢は考えずに日本史学科を選びました。でも専門の授業が始まって、あらためて全盲には歴史研究が難しいことを痛感しました。最大のハードルは古文書を解読することで、自分では読めないし、周りのボランティアに頼もうとしても無理です。文字どおり八方ふさがりで、遅ればせながらこれはチョイスを誤ったかなと思いました。
 しかし自分が好きで選んだ学科ですから、どうにかしないといけません。いろいろ試行錯誤する中で、聞き取り調査をする方法に方向転換しました。いまだに文献が自由に読めないのはハンディキャップなのですが、全国各地に行って我流で聞き取り調査、フィールドワークをする過程で「さわって楽しむ」ことに目覚めていくわけです。(38頁)

※(私注)古文書を一旦手放した広瀬さんに、今私はひらがな主体の古写本を一緒に読もうと持ちかけています。
 
 
【「人に優しい」ことへの違和感】

 僕は先駆者の尽力に感謝しつつも、当初からなんとなく「人に優しい」というフレーズに違和感を抱いていました。目が見えない僕は、「人に優しい」バリアフリー製品の恩恵に日々浴しています。でも、誰が誰に優しいのかと考えると、どうしても健常者(博物館スタッフ)の障害者(来館者)に対する善意・親切、「してあげる/してもらう」という図式を感じてしまうのです(優しさに反発する僕は、たぶん「誰にも優しくない」人間なのでしょうね)。(40頁)

※(私注)これは辛辣な現代日本社会への批判だと思われます。
 
 
【触覚という情報入手法】

 触覚は量とスピードで劣っていますが、視覚のように受動的な情報入手ではありません。自分の手を動かし、情報を増やしていく。点だった情報を面、そして立体へと広げていく。あたかもパズルを組み立てるようなおもしろさがあるし、逆に難しさもあります。(48頁)

※(私注)古写本を一緒に読みませんかと呼びかけることで、おもしろさと難しさを共有しようと思っています。
 
 
【広瀬流三要素】

 ◎広瀬流「視覚(見る)と触覚(さわる)の三要素」
 look=視線を向けて意図的に見る→手線を意識し、大きくさわる
 watch=注意してものの動きをじっと見る→一点に指先を集中し、細部を小さくさわる
 see=自然に見える、目に入る→皮膚感覚を研ぎ澄まし、全身を手にしてさわる(54頁)

※(私注)これはまさしく、古写本を読む時の心構えとなるように思われます。
 
 
【障害者の呼称】

ここ数年、『障害」の表記に関する種々の議論が繰り返されています。「害」の字が否定的なニュアンスを持つので平仮名にすべきだという「人権」思想に基づき、役所等の文書では「障がい」「しょうがい」を使用するケースが増加しました。しかし、「がい」や「しょうがい」そのものには何もポジティブな意味がありません。そもそも障害とは、社会の多数派が少数派に貼り付けたレッテルです。漢字を仮名に置き換えるだけの事勿れ主義でなく、障害という一方向的な強者の論理を克服することが、二一世紀を生きる僕たちの真の目標であるはずです。
 僕は晴眼者/視覚障害者の陳腐な二分法に対し、「見常者(けんじょうしゃ)=視覚に依拠した生活をする人」「触常者(しょくじょうしゃ)=触覚に依拠した生活をする人」という新しい呼称を提案しています。「さわる文化」は障害の有無を超越する人類共通の財産であり、その復権が今こそ求められているのではないでしょうか。さわって学び、楽しみ、愕く。触文化の探検、すなわち見常者と触常者の自由な交流の場が増えれば、障害という概念は雲散霧消するに違いありません(なお、本書では弱視者や中途失明者を含む「目が見えない人、見えにくい人」の客観的な総称として、「触常者」でなく「視覚障害者」を用いています)。(55〜56頁)

※(私注)「見常者」と「触常者」という呼称は、最近私も意識して使っています。
 
 
【点字の今後】

 医学の進歩により、今後ますます視覚障害者の数は減少するでしょう。また、パソコン等の普及で若い視覚障害者の「点字離れ」が進行し、一方では中途失明者の点字習得の困難さも指摘されています。このような状況下、視覚障害者用の文字である点字の未来はどうなるのか。僕自身は二二世紀にも点字が生き残ることを確信していますが、そのためのキーワードが"点字力"なのです。(70頁)

※(私注)点字と共に、ひらがなを触って読めるようになることと、縦書きの習得を広瀬さんに提案しています。
 
 
【凸文字の触読の難しさ】

 社会の多数派である見常者と円滑に交流・通信するためには、視覚障害者が墨字を使うことが必要なのも確かでしょう。しかし、凸文字は触読に適していませんでした。さらに、凸文字を用いて生徒がメモや手紙を書くことはきわめて困難です。日本では漢字を凸文字にした明治一〇年代の鍼灸・箏曲の教科書が残っていますが、それらを一文字ずつ解読していた生徒の苦労は想像を絶するものがあります。アルファベットにしても仮名・漢字にしても、一般に線による文字は視覚で認識しやすいものです。イメージ(像)として瞬時に文字をとらえることができる視覚に対し、触覚(指先による触読)には点を線、面へと広げていく難しさがあります。直線と曲線が不規則に混在する墨字を習い覚えるためには、専門的なトレーニングが不可欠です。そのような時間と労力を費やす教育実践が、一九世紀の盲学校で行なわれていたことは評価できますが、凸文字による学習効果は点字に比して、はるかに劣っていました。(72頁)

※(私注)広瀬さんを説得するためにも、今、15センチ四方の板に『源氏物語』の変体仮名を彫って触読の実験をしようと思っています。
 
 
【日本は点字投票の最初の国】

 点字大阪毎日の運動などもあって、大正一四(一九二五)年の衆議院議員選挙法(普通選挙法)で点字投票が認められます。日本は点字投票を制度化した世界で最初の国です。(77頁)

※(私注)日本人特有の優しさであり、思いやりの文化が背景にあると思われます。
 
 
【パソコンの意義】

 一九八〇年代後半には、点字で文章を書いていた視覚障害者が、パソコン(点字ワープロ)を用いて墨字文書を作成することが可能となりました。従来の点字・墨字の相互変換には、点字のルールを熟知する見常者のサポートが必須でしたが、現在では点字ユーザーと点字を知らない見常者がEメールで文字情報をやり取りすることが日常化しています。ITが視覚障害者にもたらした恩恵は大きく、パソコンは情報弱者のハンディを補う有力な武器となっているのです。視覚障害者が墨字に直接アクセスする機会が増えたことによって、点字と墨字の表記の「違い」に戸惑いを感じる人が多くなりました。若い視覚障害者の中で読点使用に反対する者はいませんし、墨字との整合性を重んじ、表記法の一部改正を求める意見も出されています。(81頁)

※(私注)まだ未発達の情報文具の活用は、見常者ですら使いこなせていない現状において、まだまだ可能性があります。
 
 
【多文化理解教育】

 近年、多文化理解教育の一環として手話を第二外国語科目とする大学が徐々に増えています。手話と同様に、点字も福祉の枠組みとは一線を画する新しい角度からのアプローチが進むことが望まれます。手話は言語としての明確な位置づけができますが、日本点字は日本語を書き表すための文字体系ですから、厳密な意味での言語ではありません。でも、もともと点字は墨字との「違い」の上に成立したものであることを再認識し、その「違い」を継承する形で多文化理解教育における点字のプレゼシスを高めていかなければならないでしょう(詳しくは本章末の「付録皿」を参照)。(84頁)

※(私注)古写本による墨字の再認識を、私は広瀬さんに提案しているところです。
 
 
【点字の有用性】

 日本だけでなく、「点字離れ」は世界各国の視覚障害者に共通する現象となっています。
 とはいえ、視覚障害者がじっくり読書しようとすれば、自分のペースで能動的に情報を獲得する手段として、今のところ点字に勝るものはありません。また、日常生活における私的なメモなどでも、簡単に書いて、すぐに確認できるという面で、点字は便利です。能動性と簡便性が点字の最大の特徴であり、これは音声情報ではカバーできない触覚文字の長所といえます。紙媒体から電子媒体へのさらなる移行は進むにしても、点字が完全に消滅することはないでしょう。(85頁)

※(私注)ここに、ひらがなの触読ということを加えると、見常者と触常者が文化を共有できるようになる、というのが広瀬さんへの私からの提案趣旨です。
 
 
【マルチモーダル図書とは何か】

 マルチモーダル図書とは、同じ内容の情報に複数の手段でアクセスできる図書のことです。例えば、今回われわれは、同じ内容の本を、@活字版(墨字版、通常の紙印刷の本)、A点字版(点字および点図からなる本)、B音声版(音声を録音し耳で聞く本)、C電子ブック(パソコン上で読む本)の四つの異なる形式で同時製作しました。(125頁)

※(私注)点字版に、ひらがなの浮き出し文字を加えたいと思っています。
 
 
【点字版は著作権の対象外】

 点字版は著作権の対象外なので、たとえ著者の承諾が得られなくても出版できますが、音声版や電子ブックにおいてはその限りではありません。簡単にコピーできるために、本が売れなくなるという理由から、マルチモーダル出版をきらう著者もあると聞いています。しかし、多くの視覚障害者にとって音声版や電子ブックはきわめて有用です。著者が、点字・点図版や音声版の作製にも関われば、著作権の問題は発生しません。(127頁)

※(私注)点字版の有用性をもっと評価することで、ひらがなの浮き出しシートの開発は意義があると思います。
 
 
【鈍角は指先で知覚できない】

 鈍角を指先で知覚するのは難しいのです。次の図は楕円ですね、これも、真円と思いました。このように、手で読むということは、視覚で見るのとは、大きく異なることがよくわかります。(130頁)

※(私注)ひらがなの浮き出し文字を提案している私にとって、この鈍角に認識の困難さが一番のネックとなるように思われます。
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2014年09月17日

読書雑記(108)佐藤隆久著『日米の架け橋』への不信感

 本読書雑記(108)は、いつものように好意的に語っていません。本意ではないままに、十分に語り尽くせなかったことを、まず最初にお断りしておきます。

 それなら、取り上げるな、と言われそうです。しかし、今私が持っている関心の中に入って来た書籍であり、自分の問題意識を整理するのには役立ちました。
 問題の多い内容だったために、かえって自分の問題意識と知識の再確認ができたのです。
 あえて、この時点で刊行された本であり、自分が目を通した本であることを記録として残すことに意義を感じ、こうして取り上げる次第です。

 佐藤隆久氏の『日米の架け橋 ─ヘレン・ケラーと塙保己一を結ぶ人間模様─』(熊本第一ライオンズクラブ、2014.7.16)は、佐藤氏が20年間の調査を経て自費出版されたものです。


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 見開きで、左頁が日本語で右頁が英語による、日英対照となっています。

 本書を読みながら、私はヘレン・ケラーと塙保己一とのつながりに興味を持ちました。それと同時に、なぜこのような本が出版されたのかに思いを致して残念に思っています。これは、出版されることでかえって目の不自由な方々への誤解を招く構成であり内容だと思うからです。

 その典型的な部分を、まず引用しておきます。
 以下の記述は、もし再販されるのであれば、最低限ここは削除されたほうがいいと思ったところです。


 この問題はひょんな事から解決した。バカンス中の女子大生たちの会話からであった。曰く「…シーダーポイントのローラーコースターは凄いのよ…」というひと言であった。つまり、「シーダーポイント」は都市の名前ではなく、遊園地の名前であった。ちなみに、わが国では「ジェットコースター」というが、これはローラーコースターの和製英語だそうである。それにしてもわだかまりが残った。何でシーダーポイントを膝の擦り切れたバカンス中の女子大生から習わなくてはいけないんだ? …君たちからだけはライオンズを語られたくない!(171頁)
 
 過日、私は熊本県立盲学校に盲人福祉関係の資料を集めに行った。その折に担当職員に何気なく聞いたのである:「ライオンズクラブってどんな団体かご存知ですか? ライオンズクラブの盲人福祉活動ってご存知ですか?」と。しかし、いずれも否定的な答えを察知した私は愕然として早々に話を切り上げ、盲学校をあとにした。(191頁)


 以下、本書の内容を否定するようなことの列記となるのが本意ではないために、本書の問題点を箇条書きにすることに留めます。


■聾唖教育に関する言及に、はてな、と思う箇所にいくつか出会いました。現在、目の不自由な方々と一緒に日本の古典籍をよむ方策を模索中なので、よけいに敏感に反応したのかもしれません。それにしても、目の不自由な方に対する記述に、違和感を持ちました。あまりにも興味本位からの視点で述べられていると思えるからです。

■ヘレン・ケラーと塙保己一との接点について、伊沢修二、グラハム・ベル、アン・サリバンの説明が、推測を重ねた思いつきの上で空中分解しています。(15頁、137頁、161〜165頁、229頁)

■『群書類従』の版木の彫り方や、小笠原島の記述などに、認識不足と私情が混在しています。多数の書籍をご覧になってまとめられたようです。しかし、資料の学問的な選択に恣意があり、そのまま受け入れがたい箇所が多いことは、本書を読む上でも気をつけたほうがいいと思いました。

■設定したテーマに対する熱意と、そのテーマを解決しようとする研究手法の客観性がアンバランスです。

■幕末から明治にかけての歴史が詳しく語られます。しかし、それはそれとして、これだけのスペースをヘレン・ケラーと塙保己一の話題に割いたら、もっと一書としてのテーマが明確になったことでしょう。私には、調べたことを何でも盛り込む、ページ稼ぎにしか思えませんでした。
 その意味からも、第4章の20頁分はすべて不要です。

■ヘレン・ケラーと塙保己一の同じ写真が、随所に使われています。第4章のヘレン・ケラーの5枚、第5章の塙保己一の5枚の写真は、共にすべて扉に大きく掲載されているので、すべてスペースの無駄です。同じ写真を繰り返して挿入することは、本書の印象が軽くなり薄れます。

■この内容の日本語文を、すべて英語にする意義を感じませんでした。英語併記というのは見かけ倒しであり、潤沢な資金を背景に出版されたと思われることと併せて、私は不信感を抱きました。

■紹介されているエピソードに、出典を明記してもらいたいと思います。また、なぜここでそのエピソードを、と思う箇所が多々ありました。

■クリーブランド大統領の例のように、同じエピソードが重出するのは無駄であり、読む気力を失わせます。

■話題が脈絡もなく飛び飛びに語られています。しかも、枝葉に事細かな説明が付くので、本筋がまったく見通せません。

■2羽のカナリアの写真は、寒々しい思いになります。なぜこんな、目を覆いたくなるような写真を掲載されたのでしょうか。(115頁)

■第10章は、ヘレン・ケラーの生涯となっています。本書の構成がよくわかりません。

■全体を通して、推定と推測と事実認識が混在しているので、戸惑いを感じながら通読することになりました。


 以上、私は著者と一面識もありません。あくまでも、本書を真剣に読んだ者の1人としての感想を記しました。非礼はお詫びします。ただし、上記のように、なぜ? と首を傾げながら読むこととなったために、ストレートに雑感として記しました。
 最後の年表は労作と思います。しかし、これに対しても自分なりに再確認をしてから利用させていただこうと思っています。 妄言多謝
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2014年09月12日

読書雑記(107)沢田ふじ子『短夜の髪 京都市井図絵』

 沢田ふじ子著『短夜の髪 京都市井図絵』(光文社時代小説文庫、2014年4月10日)を読みました。


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 沢田さんの小説を読むのは、古筆家を扱った『これからの松』(朝日新聞に連載後、朝日新聞社、1995年12月刊)以来です。
 京言葉での会話が生き生きとしています。

■「野楽の茶碗」

 京都室町筋にある柊屋という茶道具屋の物語です。
 心地よい京都弁で始まります。この丸みを帯びた、軽快で滑らかな言葉によって交わされる会話の遣り取りが、本作の特徴の一つです。
 野楽の茶碗とは、「茶碗屋」と呼ばれた焼き物師たちが、京都の各地で手捏りの黒楽や赤楽の茶碗を作ったものです。楽は、温度の低い小規模な窯でも出来たので、あちこちの茶会で使われたのだそうです。
 正月初釜を舞台にして、話は展開します。仕覆を取り換えるために預けたはずの野楽の黒茶碗が、何とお茶席に堂々と出て来たのです。茶道具をめぐる興味深い話を背景にして、事件は見事に収まります。道具屋という商人の姿が活写されています。【4】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年1月号
 
 
■「危ない橋」

 室町筋の突抜町にある、茶道具屋「柊屋」の話です。千家三世の宗旦が造った信楽の小壺が話題となります。お寺から仏画が出る事情や、表具と表装、さらには古典籍の伝来の背景についても、よくわかる説明がなされています。
 一万両の値打ちのある巨勢金岡の仏画をめぐる話は、突然幕が下ろされます。次の話へ、ということでしょうか? 【3】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年2月号
 
 
■「短夜の髪」

 話は一転して、御池にある古着問屋「笠松屋」の主である正兵衛と異母姉のお登勢の話になります。威勢のいい女のしゃべくりと大活躍が語られます。
 この笠松屋には、「柊屋」から買った俵屋宗達の「寒山拾得」の屏風がありました。貧しい長屋で育ったお登勢と母の話には、胸が詰まります。情が冷静に書き綴られてています。いい話です。
 最後に出てくる誕生仏は、26両で「柊屋」が引き取ります。しかし、これは次巻で200両で売れるのです。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年5月号
 
 
■「暗がりの音」

 大八車に京野菜を積んで売り歩く朝吉は、大きな夢を持っています。八百屋を町中に持つことでした。
 本話での、印章や落款の話は勉強になります。偽物や贋作についても、興味深く読みました。
 さて、朝吉が盗品故買に加担していることがわかり、おもしろい展開となります。名物手といわれる大井戸茶碗が話題となり、「柊屋」が活躍します。
 話に躍動感があり、見事な話の綴じ目を見せます。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年6月号
 
 
■「世間の篝火」

 平安時代の来迎図や、巨勢金岡筆の聖徳太子の孝養図など、由緒のある名品が話題になります。ただし、最後に筆が急いだ印象が残りました。もっと話を聞きたいと思わせる、そんな話題が提供されています。【3】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年7月号
 
 
■「誰の徳利」

 酒好きの父を思いやる娘と、賀茂茄子の絵徳利が主役です。しかも、徳利は、織部の本物なのです。人間の心の清らかさが描かれています。意外な展開でいい話です。【5】
 
初出誌︰『小説宝石』(光文社)2012年8月号
 
 
※単行本︰光文社刊 2012年10月
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2014年08月24日

読書雑記(105)高田郁『天の梯 みをつくし料理帖』

 高田郁の『天の梯 みをつくし料理帖』(角川春樹事務所ハルキ文庫、2014年8月)は、先週読み終えていました。しかし、何かと雑事を始めとして本ブログにも他に書くことが多く、やっと今日になりました。これが、「みをつくし料理帖」シリーズの第10巻にあたり完結編です。


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■「結び草――葛つくし」
 自力で生きることを決心した澪は、頼もしく成長していました。夏の旱魃が、人々の心の優しさを浮かび上がらせます。
 俎橋から見上げる月が、きれいな場面を生んでいます。人間の情が節度を持って語られているので、上品な作品として心に染みます。【4】
 
■「張出大関――親父泣かせ」
 酢の物が絵皿を溶かすことが印象的です。一気に読ませる筆力が戻りました。自然な流れで、江戸の食べ物事情が理解できました。そして、何よりも源斉先生の描き方が変わりました。【3】
 
■「明日香風――心許り」
 正月の艶やかさと華やぎが伝わる、上質な文章で語られています。加えて、酪をめぐる謎解きや
緊張感溢れる展開が楽しめました。本作でも、月が効果的です。
 最終巻を冷静に語り収めようとする、十分に計算された作者の気働きが伝わってきます。【5】
 
■「天の梯――恋し粟おこし」
 「粟おこし」は、小さい頃から私の好物でした。「岩おこし」と言って、小さな塊をおやつとして母からもらい、口にしていました。島根県の出雲にいた小学校低学年の頃は、生活をしていた本家の離れの2階の屋根裏部屋で、両親が夜業仕事としておこしを作っていました。お米や粟を加工したものを水飴で固めたものを、父は行商としてポン菓子作りの工賃を稼ぎながら持ち歩いていました。私も父の自転車を押したりポン菓子機を回したりして、山奥の村々で売るのを手伝ったりしました。このことは、「わが父の記(2)川で流された時」(2008/5/20)に記した通りです。おこしの生姜味は、出雲や大阪にいた頃の想い出深い味として、さらには両親が苦労した日々と共に、旧懐の情を呼び戻します。

 それはさておき、本話はみごとな大団円となっています。【5】
 
■「特別付録・文政十一年 料理番付」
 勧進元は「日本橋柳町 一柳 改メ 天満一兆庵」です。
 東大関は「自然薯尽くし 元飯田町 つる家」
 西大関は「病知らず 四ツ橋 みをつくし」
 本書から11年後の番付です。眺めていて飽きません。
 私は、西小結の「寒天尽くし 西天満 井川屋」が気になりました。
 後日、特別巻を刊行する用意があるようです。この番付がその内容を予測させます。
 
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 高田郁の「みをつくし料理帖シリーズ」については、この5年間に以下のような感想を記してきました。
 これまでの9冊へのリンクと、併せてそれ以外の高田郁の作品関連の記事のリストは、以下の通りです。ご笑覧いただければ幸いです。
 
 
(1)「読書雑記(21)高田郁『八朔の雪 みをつくし料理帖』」(2010/11/25)
 
(2)「読書雑記(22)高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』」(2010/11/26)
 
(3)「読書雑記(23)高田郁『想い雲 みをつくし料理帖』」(2010/12/2)
 
(4)「読書雑記(24)高田郁『今朝の春 みをつくし料理帖』」(2010/12/4)
 
(5)「読書雑記(33)高田郁『小夜しぐれ みをつくし料理帖』」(2011/4/22)
 
(6)「読書雑記(42)高田郁『心星ひとつ みをつくし料理帖』」(2011/9/9)
 
(7)「読書雑記(48)高田郁『夏天の虹 みをつくし料理帖』」(2012年04月09日)
 
(8)「読書雑記(74)高田郁『残月 みをつくし料理帖』」(2013年07月26日)
 
(9)「読書雑記(94)高田郁『美雪晴れ―みをつくし料理帖』」(2014年02月20日)
 
 
(A)「読書雑記(25)高田郁『銀二貫』」(2010/12/5)
 
(B)「読書雑記(26)高田郁『出世花』」(2010/12/6)
 
(C)「読書雑記(85)高田郁『あい 永遠に在り』」(2013年11月22日)
 
 
(壱)「江戸漫歩(74)『みをつくし料理帖』の舞台を歩く」(2014年02月23日)
 
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 なお、「Roadside Library」で構築されているデータ集のうち、「時代小説館」の中の以下の情報は、「みをつくし料理帖シリーズ」の書誌情報として簡便ながら非常に有益なものです。
「高田郁「みをつくし料理帖」 シリーズ一覧」(2014年08月22日)
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2014年07月12日

読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論

 中村久司著『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』(高文研、2014年7月、272頁)を、一晩で一気に読みました。おもしろかったのです。


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 前回の『「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)以上に、著者の筆鋒は英国と日本を鋭く突いて来ます。
 観光ガイドかと思いきや、しだいに中村久司ワールドへと引き摺り込まれて行きます。イギリス2000年の通史と人権や自由を求める人々の姿が活写されているので、圧巻の読後感を残します。予想通りと言うべきか、非常に重たい問題をソフトに語る内容でした。

 ロンドンへ行ったことのある人は、ぜひ読んでください。もう一度行きたくなること請け合いです。
 これから行く方は、他のガイドブックと一緒に本書も持って行かれたらいいと思います。ロンドン通の方々と、楽しいロンドン話ができるに違いありません。
 とにかく、極上で質の高い、そして奥の深いロンドンへ誘ってもらえます。

 ロンドンを中心とした語り口の端々に、英国の歴史、文化、政治、経済、宗教、思想、戦争などのエッセンスが鏤められています。著者の視線は、弱者に向いています。筋の通らないことには、いささかもゆるがせにしない精神が横溢しています。格調高い辛口の英国紹介であり、さらには英国論になっています。

 読み出してまず、英国では国歌を教えていないので歌えない、という、英国国民の考え方にぶつかります。日本から見た異文化に直面するのです。

 ロンドンは歩き回ったつもりでした。しかし、ビッグベンの直下にあるブーディカ女王像のことは知りませんでした。
 また、ハイドパークの中のダイアナ・メモリアル・ファウンティンのことも知りませんでした。娘が小学6年生の時、ロンドンに連れて行きました。ハイドパークで一日中、リスと遊びました。街中の公園も、いろいろと変化しているようです。ロンドン初のコーヒーハウスも知りませんでした。
 そんな意外な観光ポイントが、さまざまな切り口で続々と紹介されます。その歴史や文化の奥深い事情や背景を知り、さらに興味を持つことになります。

 『源氏物語』を例にして説明される箇所では、英国史が相対化されてよくわかりました。日本の古典文学に精通しておられる著者ならではの、読者への心遣いです。


・クヌート王の即位により、イングランドは、スカンジナビア諸国を統治するバイキング王国の一つとしてその勢力下に置かれる。その状況は、一〇三五年にクヌート王が亡くなった後も、王位を継承した彼の二人の息子によって、一〇四二年まで維持された。
 この時代の日本は、平安中期の摂関政治が絶頂期を迎えた時期にあたる。
 「源氏物語」はすでに宮廷で広く読まれ、一〇一八年には、藤原道長が、「この世をばわが世とそ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と、その栄華を詠んでいる。だが、クヌート王は、藤原道長以上の広域圏を同時代に掌握していたのである。(52頁)
 
・ザ・シティは、今日まで継続して存在している世界最古の地方自治体である。この自治継続期間を日本の歴史に当てはめると、鎌倉幕府が樹立されたころから今日までに該当する。(64頁)
 
・「真夏の夜の夢」を女王が観たのは彼女の晩年であったが、女王は一六〇三年に亡くなった。その年に日本では、徳川家康が征夷大将軍になっている。(94頁)


 本書を一気に通読して著者らしさを痛感したのは、黒人奴隷と大学の自治の話の件です。差別に対する平和主義者としての鋭い視線は健在です。ハイドパークのスピーカーズコーナーにおける言論の自由や出版の自由も、わかりやすく述べてあります。
 労働者、貧困者、女性への差別と偏見にも、毅然とした態度で切り込んであります。人間が平等である空間として、日本の茶室を思い出すという箇所に、著者が日本人の心も大切にしておられることが伝わってきます。

 本書の後半は旅人の視線ではなく、英国在住27年の日本人平和学者の素顔が前面に出てきます。ロンドンを歩きながら、本書で語られていることを想起するとおもしろいと思います。観光ガイドブックでことさらきれいに楽しそうに書いてあることが、あまりにも浅薄な視点で語られていることを実感するはずです。本書から、2000年の歴史を背負った英国が新たに見えてきます。

 例えば、ピカデリーサーカスの中心にある像は、キューピッドでもエロスの像でもないのです。アンテロス像という、裸の若い男性像だそうです。そして、その社会的歴史的な背景を知り、英国を見る目が変わりました。
 女性マッチ労働者組合の話もそうでした。
 イーストエンドにある庶民のマーケットに、私はよく行きます。本書でその背景を知り、ロンドンへの理解を深めました。
 セツルメント運動とトインビーホールの話も新鮮でした。
 私はラッセルスクエアが好きです。ホテル・ラッセルには何度も泊まりました。ブルームス・ベリーのことはいろいろと調べました。しかし、タビストック・スクエア・ガーデンズにある良心的兵役拒否者の碑と広島の桜や、そこにガンジー座像があることは知りませんでした。

 本書は、知らないことを教えてもらえることに留まりません。その歴史的・文化的・思想的・政治的な背景を教えてもらえるのです。並の旅行ガイドブックではないのです。

 第X章以降の語りは、平和学博士としての著者の独壇場です。これは、他の誰にでも語れることではありません。

 日本の外から英国の平和を語り、そしてその言葉が日本にも向かってきます。さまざまな味のする読み物です。そして、平和学からの一本の筋が確りと通った話となっています。

 本書には、「もっと深い旅をしよう」という角書きがあります。考える機会を与えていただいた一冊となりました。
 
 版元の高文研がネットにあげている目次には、少し異同があります。
 参考までに、本書の目次をあげておきます。

 また、本書の編集担当者である真鍋かおる氏の「●担当編集者より」は、本書の性格を理解するのに資するところがありますので、参照されることを奨めます。


はじめに
T 英国とロンドンの素描
 イギリスという国家は存在しない
 連合王国の誕生と「イギリス」の語源
 議会・王室・教会
 英国国旗と三人の聖人
 教育現場で用いられない国旗
 学校で教えない国歌「神よ女王を救い給え」
 ロンドンは北国の首都
 グレーター・ロンドンと東京二三区
 ロンドンの中心はチャーリング・クロス駅前
 テムズ川が語るロンドン二〇〇〇年の歴史
 七五〇〇台の赤いバスと平等思想
 ロンドンのタクシー規制は一六三六年から
 世界一取得が難しいタクシーの運転免許
U 異民族支配の一五〇〇年
 古代ローマ軍の侵略
 ブーディカ女王の反乱
 ロンドンに残るロンディニウム
 ローマ軍占領の「遺産」
 アングロ・サクソンの侵入
 イングランド国王に即位したバイキング王
 フランス系「ノルマン」の征服
 ウィリアム征服王のイングランド統治
 薔薇戦争
 ドラゴンと赤い十字架の紋章
 独自警察を持つザ・シティ
 六八六代目のザ・シティの市長
 マグナ・カルタ(大憲章)は英国人の誇り
 今日に生きるマグナ・カルタ
 マグナ・カルタを否定したローマ教皇
 国会議事堂周辺とウェストミンスター特別区
 イングランド議会の誕生
 古くて新しいウェストミンスター大聖堂
 キリスト教のイングランドへの渡来
V 国家アイデンティティーの確立
 イングランド国教会の創設──妻二人を斬首刑にした国王
 レディー・ジェーン・グレイの処刑
 「ブラディー・メアリー」と呼ばれた女王
 「バージン・クィーン」=エリザベス一世
 イングランド初の世界一周航海
 スペイン「無敵艦隊」を排撃したエリザベス一世
 王立取引所と東インド会社
 女王が観た「真夏の夜の夢」
W 清教徒革命と王政復古
 バグパイプとキルト
 「ガイ・フォークスの夜」と国会爆破未遂
 「メイフラワー号」と清教徒
 清教徒革命の二人のブロンズ像
 革命への道
 清教徒革命
 禁止された女性の化粧やクリスマス
 王政復古──処刑されたクロムウェルの埋葬遺体
 王立協会の創立──「誰の言葉も信じ込むな」
 科学革命──占星術から天文学へ
X 奴隷貿易から産業革命へ
 ロンドン・砂糖と奴隷制度
 三角貿易と国王の奴隷貿易会社
 ロンドン大火と冤罪
 ザ・シティの再建と個人主義
 ロンドン初の「コーヒー・ハウス」
 「コーヒー・ハウス禁止令」を出した国王
 「コーヒー・ハウス」と男性ビジネス文化
 結婚持参品だった紅茶とボンベイ
 ロンドン初の紅茶専門店
 名誉革命と「オレンジ・オーダー」
 名誉革命の結果──「王は君臨すれども統治せず」
 英語を知らなかった国王と最初の内閣首相
 産業革命と陶磁器のウェッジウッド
 なぜ英国で産業革命が起きたのか
Y ナショナリズムと自由・平等
 トラファルガー広場のライオン像
 「鉄の公爵」とナショナリズム
 ロンドンにもいた黒人奴隷
 論文出版が契機となった奴隷解放運動
 結社・労働組合活動の自由
 自由・平等の大学創立
 カトリック教徒差別の撤廃
 大英博物館とカール・マルクス
 マルクスを守った「表現の自由」
 ハイド・パークと自由権
 労働者・貧困階級と紅茶
 焼失した「クリスタル・パレス」
Z 政治・社会改革の時代
 ビクトリア女王と「ミセス・ブラウン」
 バッキンガム宮殿
 起きなかったロンドン革命
 ピカデリー・サーカスの「アンテロス」像
 グラッドストン首相の立像と女工の鮮血
 歴史に火を点けた「マッチ女工たち」
 セツルメント運動
 スラム街へ入った若者と知識人
 婦人参政権と「ホロウェイ監獄」
[ 二つの世界大戦
 第一次世界大戦
 秘密情報機関創設 
 婦人参政権運動を分断した第一次世界大戦
 良心的兵役拒否
 第一次世界大戦とシルビア・パンクハースト
 ロンドンの労働者の国際連帯
 「セノタフ」=空の墓
 赤いポピーのファシズム
 ジェームズ・ボンドの虚像と実像
 ロンドンとファシズム
 第二次世界大戦
\ 福祉国家・世界都市へ
 「揺りかごから墓場まで」
 反核運動とレディー・ガガの刺青
 国際都市を象徴する国際バス駅
 「鉄のレディー」サッチャー首相の登場
 サッチャー政権の有形遺産
 新労働党=「サッチャーの息子たち」
おわりに
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2014年07月10日

読書雑記(102)足羽隆著『松本清張と日南町』の奨め

 先月、池田亀鑑賞の授賞式のために鳥取県の日南町に行った折、いつも参加してくださっている足羽隆先生から自著『松本清張と日南町 ─父の故郷への熱い思い─』(私家版、2013年10月1日)を拝受しました。143頁の冊子です。


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 その中身は、ご自身の足で集め、町内外のみなさんから聴き回って収集された情報で組み立てられた、松本清張と父峯太郎の人間像を浮き彫りにするものです。松本清張と日南町のつながりの輪を探索する中で、独自の視点で清張親子の歴史が綴られています。

 私と日南町との縁は、一面識もなかった久代安敏さんからメールをいただいた時からです。まず、そのことから確認しておきます。

 2009年11月4日に「予期せぬ夜の祝祭」と題する記事をブログに書きました。それをご覧になった日南町の「池田亀鑑文学碑を守る会」の事務局長である久代安敏さんから、11月3日に池田亀鑑の碑の除幕式をしたというコメントをくださったのです。「わたしの町には井上靖と松本清張と池田亀鑑の文学碑があります。」とも。

 このことは、「日南町議の久代氏と思わず握手」(2009/12/15)に詳細に記しています。

 この時、足羽先生に大変お世話になりました。これまた、「松本清張ゆかりの日南町」(2009/12/11)に記した通りです。

 松本清張との縁で日南町とつながり、そして井上靖、さらに池田亀鑑へと、この町は私にとって赤い糸なくしては語れません。

 その、最初の日南町訪問の折にお世話になった足羽先生が、待ちに待ったご本『松本清張と日南町 ─父の故郷への熱い思い─』を刊行されたのです。

 本書の内容について、現在の学会でどのように研究が進められ、本書の調査結果と足羽説がどのような評価を受けるものなのか、今の私には専門を異にすることもあり、まったくわかりません。
 しかし、こうして現地を歩き回り、聴き回ってまとめられた調査は、確かな重みを持っていると思います。そして、非常に興味深いことが語られており、私は一気に読みました。

 ここでは、その概要や私感を記すよりも、この本の主要部分を抜き出すことで紹介に代えます。

 まず、「はじめに」において、足羽先生は次のようにおっしゃっています。
 矢戸は日南町にある、清張の父峯太郎が生まれた地名です。


 峯太郎にとっては、不遇な人生のスタートになった矢戸でありながら、生涯矢戸のことが心から離れず、いつか必ず矢戸を訪れることを夢見ながら生き抜いたことに驚きました。そして、清張もまた、「私の故郷は日南町である」と言い切るほどまでに日南町に強い愛着をもっていたことに感動しました。
 この本は、いろいろな機会に書いてきたこと、県内の研修会などで発表してきたこと、さらには最近になって新たにわかったことなどを含めて、雑多な内容を個人的な思いのままに一冊にまとめたものです。
 私もすでに八〇歳を過ぎましたが、少しでも元気な今のうちに手元の資料をまとめておきたいという個人的な思いと、清張の作品や講演を通して強く感じた峯太郎と清張の「日南町に寄せる熱い思い」を広く町民のみなさんに知っていただき、さらに理解の輪を広げていきたいという思いを込めて書いたものです。
 検証も不十分なために、今後の研究によって修正されるところが多いと思いますが、「文豪松本清張と日南町のつながり」について理解を深めていただく上で、少しでも役立つことができれば幸いです。


 そして、次に本書の目次のすべてを揚げます。
 これによって、本書の内容がわかると思います。


はじめに
一、日南町で生まれた父峯太郎
   松本清張の父峯太郎は日南町矢戸の出身
   峯太郎の父雄三郎は田中家の二男
   田中家と松本峯太郎・清張のつながり
   松本家に「里子」に出された峯太郎
   「里子」から「養子」へ
二、注目される田中家の嫁と姑
   カギをにぎる嫁と姑の関係
   峯太郎の母はなぜ一時実家に帰ったのだろうか
   母とよの復縁を知らせた手紙の謎
   田中儀一郎の遺言『心得書』が問いかけるもの
三、峯太郎の母とよの弟は、霞の足羽家の婿養子に
四、峯太郎の心に焼きついた矢戸
五、松本清張の誕生と作家への歩み
   北九州市で生まれた松本清張
   文学に心を惹かれた少年時代
   やがて朝日新聞社の広告部へ
   『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞
   思いがけない井上靖との出会い
六、清張の作品にみる事実と仮構
七、四回に及ぶ矢戸訪問
   初めて見る父の故郷「矢戸」
   二回目は米子での文化講演会のあと
   三回目は日南町中央公民館の落成記念講演会
   「私の故郷は日南町である」
   四回目は文学碑の除幕式と記念講演会
   「日南町を舞台にした小説」を約束
   この他にも矢戸訪問があったのでは
八、峯太郎の生家「西田中家」の墓地
九、松本清張直筆の文学碑
   何回も断られながら実現した文学碑の建立
   文学碑の建立にあたって二つの要望
   全国でも数少ない清張直筆の文学碑
   文学碑のそばに立てられた案内板
   国道の改修で大きく変わった松本清張記念公園
一〇、「日南町を舞台にした小説」の夢
   「日南町を紹介したい」という強い思い
   『数の風景』は日南町も舞台に考えていたのでは
   清張が書こうとしていた日南町の小説は
   日南町の「たたら製鉄」にも強い関心
一一、矢戸の「かえで」
一二、晩年まで続いた井上靖との交流
   心を許してつきあった間柄
   「日南町名誉町民」では異なる対応
一三、松本清張資料館の夢
   「蔵書は日南町に寄贈する」と言われていたが
   「井上文学展示室」と「松本文学展示室」
   日南町図書館には「特設コーナー」を置く
   日南町美術館には書と色紙が
一四、松本清張と日南町のつながりを大切に
一五、日南町が出てくる松本清張の作品
   日南町のことが出ているもの
   日南町のことが背景にあると思われるもの
   身近な地域が舞台になっているもの
終わりに

主な参考文献
松本清張略年譜
矢戸ガイドウォークマップ
写真・図版・資料等提供者一覧


 この中でも、特に松本清張と井上靖とのことは、自分のためのメモとして、あらためて書き出しておきます。


 井上靖は、松本清張の芥川賞受賞より三年前に小説『闘牛』で第二二回芥川賞を受賞していて、小説家としても活躍していました。それだけに、同じ芥川賞を受賞した清張を特別な思いで見ていたのでしょう。
 清張は、まだ小説だけで家族の生活を支えていく自信がなくて、今後の活動のありかたに迷っていましたが、この井上靖のことば(伊藤注:「わたしの顔を見て、もう新聞社に居る必要はないでしょう」)で自分の迷いがふっきれ、一九五六(昭和三一)年に朝日新聞社を退職して、本格的に小説を書くことになりました。(48頁)


 本書の最終章に「日南町が出てくる松本清張の作品」という項目があります。松本清張と日南町のことを考える上で非常に参考となるものなので、その内容も抜き出して資料としておきます。



  一五、日南町が出てくる松本清張の作品

 日南町のことを中心に書かれた作品はありませんが、作品の中に日南町のことが出ているものがいくつかあります。また、直接日南町のこととして書かれていなくても、日南町のことが背景にあるものもあります。次に、その作品名をあげてみましたので、ぜひ読んでみて下さい。


    日南町のことが出ているもの

『父系の指』一九五五(昭和三〇)年
 「私の父は伯耆の山村に生まれた。……生まれた家はかなり裕福な地主でしかも長男であった。それが七カ月ぐらいで貧乏な百姓夫婦のところに里子に出され、そのまま実家に帰ることができなかった。……」で始まる自分のことを中心に書いた自伝小説です。故郷矢戸への熱い思いとともに、豊かな暮らしをしている親せきの人たちへの恨みゃ憎しみの気持ちも読みとることができます。

『ひとり旅』一九五五(昭和三〇)年
 大阪からの出張の帰り道に、ふと思い立って父の故郷を訪ねることになりました。広島から芸備線に乗りかえ備後落合の駅前で一泊し、翌日伯備線で生山駅に降りるまでのようすが書かれているエッセイです。

『山陰』一九六一(昭和三六)年
 文化講演会で井上靖らと米子を訪れた翌日、一人で父の故郷矢戸を訪ねました。このときの矢戸のようすや、親せきの人たちが集まってご馳走してくれたことなどが書かれているエッセイです。

『山陰路』一九六三(昭和三八)年
 これも米子での文化講演会のあとに矢戸を訪れたときのようすが書かれています。昭和三六年に書かれた『山陰』と同じような内容のエッセイです。

『半生の記』一九六六(昭和四一)年
 書き出しが「父の故郷」から始まる、自分のことを中心に書いた自伝小説です。父峯太郎が日南町矢戸で生まれたことと、里子に出されたいきさつから、小説家として独立するまでの四〇年間の自分の半生を振り返りながら書いたものです。これは、清張の生き方と作品を考える上で大変貴重な記録として注目されているものです。
 最初は『回想的自叙伝』として雑誌に連載されましたが、後に単行本として出版するときに『半生の記』に改題されました。

『碑の砂』一九七〇(昭和四五)年
 昭和三六年に矢戸を訪問したときのことと思われますが、親せきの人たちの案内で祖父母の墓詣りをしたようすから書き始められているエッセイです。

『雑草の実』一九七六(昭和五一)年
 広島県出身の母のことを中心にしながら、清張自身の歩みをたどったものです。最初のページに父峯太郎のことが書かれていますし、最後のところでは、清張が井上靖と出会って励まされ、小説家として独立する決意をしたときのことが書かれています。

『骨壺の風景』一九八〇(昭和五五)年
 祖母カネは、清張が一七、八歳のころ亡くなりましたが、その骨壺はお寺に預けたままになっていました。祖母の夢がきっかけでそのお寺を探し歩くことから物語は始まります。この中に、ほんの少しだけ父の生い立ちのことが出てきます。

『数の風景』一九八六(昭和六一)年
 小説の最初に日野郡や日南町のことが数ページにわたって書かれていますが、中心になるのは石見銀山から始まって鳥取県の南部町で終わる推理小説です。


    日南町のことが背景にあると思われるもの

『田舎医師』一九六一(昭和三六)年
 小説の舞台は島根県になっていますが、日南町における峯太郎と清張の姿が作品の背景にあります。物語は、地主の家に生まれながら幼い時によその家に養子に出され、若い時に家を出たまま一度も帰ることなかった父の故郷を、主人公の杉山が出張の帰り道に訪ねるところから始まります。

『暗線』一九六三(昭和三八)年
 新聞記者の主人公が、父の故郷を訪ねて父の出生の秘密をさぐる物語で、島根県の奥出雲が舞台になっています。

『夜が怕い』一九九一(平成三)年
 胃の治療のために入院した主人公が、夜一人になるとよく亡き父のことを思い出します。島根県が舞台ですが、父峯太郎の生い立ちが背景になって書かれています。


    身近な地域が舞台になっているもの

『砂の器』一九六〇(昭和三五)年
 「砂の器」は松本清張の社会派推理小説の代表作の一つとして高く評価され、これまで何回となく映画やテレビドラマ化されています。
 事情があって住みなれた土地を離れていく親子をめぐる物語です。東京で起きた殺人事件の被害者が島根県奥出雲町で巡査をしていたことから、奥出雲町亀嵩も作品の重要な舞台になっています。事件は迷宮入りかと思われましたが、今西刑事の執拗な追求で解決に向かい、一人の若い芸術家の隠された足跡が浮きぼりになってきます。
 世の中にある偏見と差別が父と子を引き離していきますが、そんな社会に対する清張の怒りの気持ちを読みとることができる作品です。
(129〜135頁)


 最後に、巻末の「終わりに」の全文を引用します。
 足羽先生の人柄がにじみ出ているあとがきです。
 ますますのご活躍とご健筆をお祈りしています。


 終 わ り に

 松本清張没後二一年になりました。できれば二〇年の節目にまとめたいと思っていましたが、資料の確認や執筆とその整理に時間がかかり発行が遅れてしまいました。しかし、そのために収録できた貴重な資料もいくつかあります。「文学碑の建立にあたって二つの要望」もその一つです。年を経るごとに新しい資料の発掘はなかなか難しくなってきましたが、日南町での研究や啓発活動はまだまだこれからだと思います。
 私は、清張文学の愛読者でもなければ研究者でもありません。たまたま読んだいくつかの作品や日南町での講演を通して、清張自身の「父の故郷日南町への愛着と熱い思い」を知って心を動かされ、このことを町民のみなさんに伝えたいとの思いで、いくつかの活動に参加してきたに過ぎません。
 この本は、「松本清張の日南町に寄せる熱い思い」を伝えたい一心でまとめたものです。自費出版のために、苦手なパソコンに向かい失敗を重ねながら自分で編集しましたので、読みにくく誤字や脱字も多いと思いますが、松本清張と日南町のつながりを考える材料の一つに加えていただければ幸いです。
 最後になりましたが、松本清張と日南町のつながりをまとめる過程で資料の提供や助言をいただいた多くのみなさんと、出版にあたって格別のご指導とご支援をいただいた今井印刷の古磯宏樹さんとスタッフのみなさんに、心からお礼申し上げます。

   二〇一三(平成二五)年八月四日

                  足羽 隆


 なお、本書は自費出版のために書店での購入はできません。
 しかし、日南町総合文化センター(http://culture.town.nichinan.tottori.jp)に問い合わせることで、2,000円以内(送料込)で入手可能とのことでした。本書に興味をお持ちの方は、連絡を取ってみてください。
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2014年06月10日

読書雑記(101)谷津矢車『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』

 『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(谷津矢車、2013年3月、学研パブリッシング)を読みました。これは、作者の小説デビュー作です。


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 先日、山本兼一の『花鳥の夢』を読んだばかりだったので、狩野永徳の人生や洛中洛外図屏風などが頭の中で錯綜しました。ただし、小説作法も作風もまったく異なるものなので、きれいに読みわけられました。

 狩野のお家芸は、粉本をそのままに描くことでした。その手法への疑問と抵抗を強く示す源四郎(後の永徳)が語られています。絵の注文主は、絵師個人の絵ではなくて、狩野工房に代々伝わる絵を求めている、ということへの反発です。

 土佐家から預かった蓮という娘が、生き生きと源四郎に絡んできます。物語を背後で支え、雰囲気を明るく鮮やかにしています。妻となってからよりも、それまでの描写がいいと思います。

 粉本に依る狩野の絵の先を見る源四郎と、その粉本を守る父松栄との確執は、何度も迫力をもって語られます。ものまねからの脱却を心に秘めた源四郎が強調されていきます。
 父松栄の生き様は、その描き方に意地の悪い視線を感じました。ここまで醜く描かなくても、と思ったほどです。それだけ巧い語り口だ、ということです。
 源四郎がこれまでの狩野を越えることを強調するためには、この父への反発が必要だったとしても、父をこのように扱うことには納得できない思いが、読後の今も残っています。人間に対する作者のまなざしに、もう少し温もりを、と思いました。

 読み終えて、最終章である「5業火」が一番力強い文章になっている、と思いました。それまでは、妻の蓮を丁寧に描いていました。最後に一番弟子の平次を看とる場面で、作者の筆の冴えを感じました。

 なお、山本兼一の『花鳥の夢』(2013年4月刊、初出誌:『別冊 文藝春秋』2009年11月号〜2012年9月号)では、参考文献と取材先への謝辞が明記されています。ただし、洛中洛外図屏風の絵は掲載されていません。
 それに対して、本作『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(2013年3月刊)では、表紙と裏表紙の見返しに、上杉本洛中洛外図屏風の全体図と拡大図が掲載されています。しかし、参考文献などの明記はありません。
 こうしたあたりに、この2冊の本の性格の違いがうかがわれます。

 洛中洛外図屏風絵について、私はあったほうがいいと思いました。読み進みながら、絵にどのように描かれている話なのかがイメージしやすいからです。もっとも、これは絵画の知識をあまり持ち合わせていない一人の読者からの注文です。

 もし再読する場合には、山本兼一の『花鳥の夢』では当初の通りに、屏風絵はいらないと思われます。語られることばで、十分に屏風絵のイメージが描けそうだからです。
 その点から言えば、本作はどうしても屏風絵の拡大図が必要です。
 歴史物における地図や系図の要不要に関係するものです。主人公である狩野永徳が洛中洛外図屏風を描く顛末を語るこの2冊の小説の場合に、挿し絵としての参考資料の有無は、その要不要を考えるだけでも楽しい一時を過ごせます。【3】続きを読む
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2014年06月03日

読書雑記(100)山本兼一『利休の茶杓 とびきり屋見立て帖』

 山本兼一の新刊『利休の茶杓 ─とびきり屋見立て帖』(2014/5/29、文藝春秋)を読みました。これは、本年1月に急逝した山本兼一が遺した、シリーズ第4弾です。幕末の京都を舞台として、若夫婦の真之介とゆずが茶道具の見立てで奮闘します。


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■「よろこび百万両」
 初秋の東山で、蔵に収蔵されている茶道具の目録作りが進んでいます。真之介とゆずは快調に整理をしています。そして、大変なものを預かることになり、話が俄然おもしろくなります。ここでは、茶道具の値打ちが1つのテーマとなります。唐物のすごさが、読む者にも伝わってきます。千両の値をつけた盆に、お茶菓子を盛って薄茶をいただくシーンがあります。満ち足りた心のゆとりが語られている場面です。
 なお、「三条大橋のたもとを左に曲がった。(改行)ゆるい坂をすこしくだって……」(18頁)とあります。山本氏は、三条通りが秀吉によって築き上げられたものであり、寺町通りの鴨川寄りが南北方向に盛り上がっていることを、よくご存知のようです。よく調べておられます。【5】
 
(初出誌『オール讀物』2011年8月号)
 
 
■「みやこ鳥」
 桂小五郎、三条実美、近藤勇などが御所での騒乱に登場します。風雲急を告げる世相が活写されます。文久3年(1863年)のことです。『伊勢物語』や『古今著聞集』の和歌が出てきて、教養話となっています。三条公らの七卿都落ちです。話は静かに次へとつながっていきます。【2】
 
(初出誌『オール讀物』2011年11月号)
 
 
■「鈴虫」
 長次郎の黒楽茶碗の話です。お茶道具のいい勉強になります。作者は、よほどよく調べたものと思われます。長次郎の鈴虫と2代目常慶の春雷という黒楽茶碗が、入れ替わっていたという話でまとまります。きれいに収められています。【4】
 
(初出誌『オール讀物』2012年2月号)
 
 
■「自在の龍」
 自在置き物の龍の首を、あるサインで向きを変えながら飾ることが、幕末の京都の政情とリンクしています。ミステリーじみた展開に、読み進む楽しみが殖えます。幕末という社会情勢がいろいろと顔を見せ、おもしろいのです。桂小五郎が龍の首の向きを確認して立ち去る場面などは、いかにも三条近辺でのできごととして見てきたようなので、非常に楽しめます。芹沢鴨は、このサインが見破れないのもおもしろいところです。【3】
 
(初出誌『オール讀物』2012年6月号)
 
 
■「ものいわずひとがくる」(単行本化にあたり改題)
 11個の楽茶碗と東西の家元の話が、おもしろく展開します。そして、タイトルともなる「ものいわずひとがくる」ということばに、道具や人間だけでなく、意外な意味を持たせることになるのです。味わい深い小品です。【4】
 
(初出誌『オール讀物』2012年9月号)
 
 
■「利休の茶杓」
 日本一の茶道具屋を目指す真之介たちは、茶杓簞笥に入っている茶杓をめぐって勉強会に精を出します。芹沢鴨と若宗匠とが茶杓をめぐる目利き勝負をする様子が、おもしろおかしく語られます。利休と織部の朝顔の茶事の逸話が、この話の背景にあるのも、物語の奥行きを感じさせます。
 さて、利休が削った茶杓「しのゝめ」はどこに消えたのか。楽しい推理物ともなっています。茶杓、筒、箱、添状が揃い、めでたしめでたしとなるお話です。書名にふさわしい最終となっています。【5】
 
(初出誌『オール讀物』2013年12月号)
 
 
 なお、この〈とびきり屋見立て帖シリーズ〉に関して、これまで本ブログでは以下の3本の記事で取り上げています。
 本年1月に山本氏が急逝されたことにより、この第4作目が最後となったことは、返す返すも悔やまれます。

(1)「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 ─とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)

(2)「読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ −とびきり屋見立て帖』」(2012年12月19日)

(3)「読書雑記(63)山本兼一『赤絵そうめん』でお茶のイメージトレーニング」(2013年04月17日)
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2014年05月30日

読書雑記(99)山本兼一『花鳥の夢』

 山本兼一の『花鳥の夢』(2013年4月25日、文藝春秋)を読みました。


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 巻末にあげてある参考文献のうち、『狩野派絵画史』(武田恒夫、吉川弘文館)・『御用絵師 狩野家の血と力』(松木寛、講談社)・『謎解き 洛中洛外図』(黒田日出男、岩波書店)を読んでいたので、絵画史における狩野家の役割などは理解していました。ただし、絵師である永徳個人について具体的にはよく知らなかったので、非常に興味深く読むことができました。

 話のおもしろさと語り口の巧みさに、思わず引き込まれ、一気に読みました。人間の大きさや小ささが、行間から伝わってきます。時代背景と史実と芸術とを語る中で、永徳という一人の人間を描いていきます。それをとりまく人々も、人間の中身までえぐり出すように丁寧に述べていきます。

 「絵は端正が第一義」という狩野家の画法を永徳はどうするかが、まず語られます。
 十三代足利将軍義輝は、狩野元信の子で現当主松栄直信ではなくて、その子の永徳の力量を見抜きます。そして、「人の世には、花と夢がなくてはかなわぬ。」と言って、洛中洛外図を描かせるのです。

 父は、狩野家に伝わる粉本(模本)を永徳に渡します。しかし、永徳はそれを使う気はありません。都の華やかさと賑わいを描くためには、それではもの足りないのです。父の反対を押し切って、京洛を歩き回り、自分の目に収めます。父を見下す息子の気持ちがよく伝わってきます。
 そして、画帖を作りました。祖父元信が言った「よい絵からは、よい音が聞こえる」という教えを心に大事にして。

 永徳は、京洛から都のざわめきが聞こえる洛中洛外図を目指します。
 永徳の洛中洛外図の構想を通して、読者も京の旅気分に浸れます。
 その後、父から受けた教えは、魅せる絵ではなくて、観る者の心が遊ぶ場所を作る、ということでした。永徳が父を見直すきっかけになる言葉です。

 永徳の成長や信長の話が一頻り語られ、長谷川等伯が弟子入りしてからが、さらにおもしろくなります。そして、永徳が等伯を破門するくだりは圧巻です。

 後半で、黒田官兵衛が出てきます。現在、大河ドラマで話題になっている人物なので、この存在もおもしろく読めました。
 最後に、利休が永徳の父の凡庸と思われる絵を褒める場面があります。なかなかうまい一場となっています。そして、利休は長谷川等伯の絵を大徳寺で採用します。
 人間の美意識の違いが、利休によって浮き彫りにされていきます。利休の考え方も注目です。

 全編を通して、等伯からのプレッシャーと闘う永徳の姿が、みごとに活写された作品に仕上がっています。【5】

 なお、『源氏物語』の絵画化について、以下の3ヶ所で、少しだけですが触れています。


 そもそも、永徳の祖母も、女ながら絵師であった。土佐光信のむすめとして生まれ、祖父の嫁となったのである。土佐派の奥義を身につけているだけあって、源氏の絵巻などを描かせれば、いたって達者だった。
 狩野の画風は、和漢を兼ねている。(32頁)



その奥の対面所は、筆頭弟子の宗十郎が華やかな源氏物語図を描いた。大和絵の手法をもちいて、内裏に遊ぶ公家や女官たち、桜に柳、牛車などを達者に描いた。
 人物に生硬さがあるが、男たちは大仰な衣冠束帯、女たちは色目も鮮やかな十二単をまとって長い黒髪を垂らしているので、あまり気にならないのが幸いである。(404頁)



絵の具が乾くあいだには、源氏物語、花鳥、秋草の図を描いた。どの絵も描いているのが楽しくてならなかった。(448頁)

 
 
*初出誌:『別冊 文藝春秋』2009年11月号〜2012年9月号
 本書で加筆・修正。
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2014年05月22日

読書雑記(98)山本兼一『銀の島』で追悼

 山本兼一は、本年(2014年)2月13日に、57歳という若さで亡くなりました。この訃報は、ベトナム・ハノイ大学での調査を終えてホテルに帰り、インターネットで日本のニュースを見て知りました。

 山本兼一の〈とびきり屋見立て帖シリーズ〉は、絶品といえるほどの傑作でした。
 三条木屋町で道具屋を営む真之介とゆず夫婦の話は3冊まで刊行され、シリーズとしてますますおもしろくなっていました。今後が大いに期待できる構想の豊かさが実感できる作品だったこともあり、次作の発表を楽しみにしていました。それだけに、もう読めなくなったことが本当に残念です。

 これまでに私がこのブログで取り上げた山本兼一の作品は、以下の通りです。

「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)

「読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』」(2012年12月19日)

「読書雑記(63)山本兼一『赤絵そうめん』でお茶のイメージトレーニング」(2013年04月17日)

「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013年01月07日)

「読書雑記(59)山本兼一『利休の風景』」(2013年01月08日)

 昨年末に海老蔵が主演で映画化された『利休にたずねよ』(2013年12月28日)を京都三条の映画館で観た後、次に山本兼一のどの作品を読もうか、と思案していた時にベトナムで知った訃報でした。
 次は、『花鳥の夢』(2013年)、『命もいらず名もいらず』(2010年)、『戦国秘録 白鷹伝』(2002年)の順番で読む準備をしていた時だったので、とにかく驚きでした。もう新作が出ることはないので、遅ればせながら、これからゆっくりと他の作品を読もうと思います。

 さて本作『銀の島』は、『小説トリッパー』(2007年夏季号〜2008年冬季号)に『ザビエルの墓標』として連載されたものが元となっています。それを大幅に加筆した上で『銀の島』と改題し、2011年6月に朝日新聞出版から単行本として刊行されました。
 今回、追悼の意味で朝日文庫として緊急出版されたのです。


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 すでに、島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」で、世界遺産に指定された石見銀山を紹介するパンフレットなどの資料を揃え、一通り目を通していました。その準備が、今回役に立ちました。


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 通俗小説を書いていた主人公は、明治43年にザビエルのことが知りたくて、横浜から船でゴアへ行きます。そして、ザビエルの伝記に欠かせない資料が、ゴヤで見つかったのです。そこに書かれていたのは、衝撃的な内容でした。そこから、石見銀山がクローズアップされるのです。300年前に安次郎が日本語で書いた手記を託された私は、それを英訳する前の筆写に厚遇を得る中で手を付けます。巧みな物語展開です。波乱万丈の冒険譚の始まりです。

 時計は、天正15(1587)年に戻ります。
 安次郎は、東南アジアからインドのゴアへと、艱難辛苦の人生を送ります。そこにザビエルとの出会いがあり、運命が大きく展開します。ヨーロッパと東南アジアと日本の物流がよく描けています。『唐物の文化史』(河添房江、岩波新書)を読んでから、唐物のことに興味を持ち出したこともあり、多くの舶載品の動きに注意を向けながら読みました。香木の話も出てきます。貿易についてもわかりやすく語られています。

 外国人の目から見た日本人の描写が新鮮でした。こうした逆転した視点から見ると、日本の文化がよく炙り出されます。特に、礼法については、日本人はおもしろい文化を持った民族であることがわかります。

 やがて話は、バラッタの登場によって、大内氏の石見と、尼子氏の出雲の話になります。山口の大内氏の話になると、吉見氏や吉川氏の名前が出てきます。大島本『源氏物語』にまつわる話に出てくる氏族の名前ということもあり、どんどん引き込まれていきました。ただし、話が石見銀山を舞台としてから、しだいに面白みに欠けるようになりました。展開が平板になったのです。話が嘘っぽくなってきたこともあります。作者の無理が見え出したこともあります。鉄砲の話の時もそうでした。調べたことに集中するあまり、ドラマ性がなくなってきたのです。

 最後の場面で、人として生きていく上で一番大切なものは「仲間」だと言います。その考えで、また話は大きく進展していきます。
 月光を浴びる中での海戦の様は、読みごたえがありました。
 作者は何度も、「あなたは、いったいなにをしに日本に来たのか。」とザビエルに問いかけます。あの『利休にたずねよ』という小説を思い出させるラストシーンでした。

 もっとも、「石見銀山占領計画」なるものがこの小説の中心になるはずが、どうもうまく作品の完成度を上げるのに貢献していません。おもしろく読者を引っ張ってくれます。しかし、肝心の話は盛り上がらないままだったように思われます。独創性が失速した読後感となりました。【3】
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2014年04月22日

読書雑記(97)千梨らく著『翻訳会社「タナカ家」の災難』

 たまたま書店の棚でこの書名の背文字を見かけたことから、千梨らく著『翻訳会社「タナカ家」の災難』(2013年9月、宝島社文庫)を読みました。

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 軽いタッチの作品なので、行き帰りの電車の中で、一気に読み終えることができました。こんなに軽い小説は久しぶりです。病院の待ち時間に、マガジンラックに入っていた週刊誌を読み終えた時の感覚に近いものがあります。マンガを見終えた時の印象に近いとでも言いましょうか。

 冒頭、「六本木ヒルズの裏手に〜」と始まるので、若者の青春群像が語られるのかと思いました。しかし、場違いにも都心に堂々と佇むおんぼろ一戸建を社屋とする翻訳会社「タナカ家」を舞台とすることから、吉本新喜劇の要素もあることがわかります。このゆるキャラ的な要素が、この作品の持ち味かもしれません。ただし、私にはこの傾向はよくわかりません。

 カバー裏表紙のキャッチコピーには、「極上の翻訳エンターテインメント小説!」とあるので、現在翻訳に興味を持っている私は、とにかく翻訳物ということに惹かれて読んでみました。

 ストーリーは入社間もない女性、押切可南の目を通して進んでいきます。もっとも、この設定がよかったかどうかは、非常に微妙です。それは、この押切可南の存在が中途半端だからです。
 押切が物語の進行役を果たすのは、その魅力が不透明なだけに、この物語展開では時期尚早の感を抱きました。まだ、魅力に欠ける女性だからです。
 その立ち位置が曖昧です。その存在を考え直すと、この作品はさまざまなエピソードを交えながら、英語にコンプレックスを抱いている日本人には、受けるシリーズになることでしょう。

 さて、この物語は軽快なテンポで展開します。マンガを読むように楽しめます。翻訳業の舞台裏を見せられているところを、おもしろいと思いながら読みました。もっとも、中身のない話に失望したことも事実ですが。

 各章末に置かれた「Talk Time」は、知的な味付けで、一服の清涼剤の効果がありました。

 「認め合い、分かち合い、助け合い」をモットーにしたタナカ家は、一人息子の新社長の出現で、「独立独歩」が社訓となります。この切り替えのテンポの良さはスマートです。
 切り捨てられる情の世界がどう展開するのか、読者に期待させます。

 ただし、翻訳会社の話が上滑りしています。著者は、今も翻訳会社勤務されているとか。それにしては、翻訳の現場の臨場感が欠如しています。思い出しながら話している、という印象が拭えません。現場では、もっと人間としての悩みや苦闘があるはずです。それがリアルに表現されていません。描写力の不足です。
 あまりにも若者受けを意識した、軽いタッチの話に落としすぎです。悪役がいないせいかもしれません。

 最後になって、やっと話が盛り上がります。しかし、もっと前から仕掛ければ、話の出来は違ったことでしょう。これは、作品の構成の問題です。
 次作に期待しましょう。

 なお、本書の巻頭に、若者の読者を意識したと思われる、登場人物の略説とイラストがあったことが悔やまれます。
 物語を読みながら、自分なりにその登場人物をイメージし、姿形を勝手に想像する楽しみを奪われたのです。今の若者向けの本の常套手段なのでしょうか。

 何年かしたら、このイラストはなくなることでしょう。新聞の連載小説などに挿絵があるのは、今の時点で読む者にとっては楽しみでもあります。しかし、一書になった時には、作品が発表された時の時間軸から自由になるためにも、登場人物に関するイラストなどの情報は不要です。歴史物なら、人物略説や年表や地図は、理解を深める意味から必要だと思います。しかし、現代物では、当座は不要だと言えます。

 この作者は、2009年に『惚れ草』で第4回「日本ラブストーリー大賞」エンタテインメント特別賞を受賞してデビューされた方だそうです。その意味でも、おもしろい話が創作できる方だと思いました。次にこの千梨氏の作品が目に触れる時を、大いに楽しみにしたいと思います。【1】
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2014年04月20日

漱石の新聞連載小説『心』を本文異同の視点から読む

 夏目漱石の『心』が朝日新聞に連載されたのは、今からちょうど100年前の大正3年(1914)4月20日でした。それを記念して、朝日新聞では、今日から当時の新聞小説の再現をスタートさせました。


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 当時の連載記事の冒頭は、こんな感じでした。


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 物語や小説の本文の変容に興味を持つ私は、この100年前に朝日新聞に掲載された連載小説『心』の本文と、今日の新聞に再現された本文の違いを確認してみました。

 結果は、ほとんど同じでした。しかし、多少の相違もありました。そのことを、門外漢の立場ではありますが、確認できた事実としてまとめてみました。

 専門家の間では、すでに解決済みのことかもしれません。しかし、そうしたことはまったく知らず、手元に資料もないこともあり、確認したことだけを以下に記します。

 今日の新聞の「連載開始にあたって」で明示された今回の再現掲載に当たっての断り書きは、以下の通りです。


現代の読者に読みやすいように、本文の旧仮名遣いは現代仮名遣いの岩波文庫版に準拠します。


 実際に、この2つを見比べてみたところ、以下の5カ所の相違が目につきました。

 大正3年の新聞に掲載された連載小説の文章(●印の箇所)と、今日の再現掲載文(○印の箇所)を抜き出してみます。丸括弧「( )」で示したのは振り仮名です。


〈その1〉
●私(わたし)は金(かね)の工面(くめん)に二三日を費(つひや)やした。

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○私は金の工面に二(に)、三日(さんち)を費やした。

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〈その2〉
●電報(でんはう)には母(はゝ)が病氣(びやうき)だからと斷(ことわ)つてあつた。けれども友達(ともだち)はそれを信(しん)じなかつた。

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○電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった

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〈その3〉
● 學校(がくかう)の授業(じゆけふ)が始(はじ)まるにはまだ大分(たいぶ)日数(につすう)があるので、鎌倉(かまくら)に居(を)つても可(よ)し、歸(かへ)つても可(よ)いという境遇(きやうぐう)にゐた私(わたし)は、當分(たうふん)元(もと)の宿(やど)に留(と)まる覺悟(かくご)をした。

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○ 学校の授業が始まるにはまだ大分(だいぶ)日数(ひかず)があるので、鎌倉におっても可(よ)し、帰っても可いという境遇にいた私は、当分元の宿に留(と)まる覚悟をした

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〈その4〉
●其時(そのとき)海岸(かいがん)には掛茶屋(かけちやや)が二軒(にのき)あった。

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○その時海岸には掛茶屋(かけぢゃや)が二軒あった。

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〈その5〉
●私(わたし)は不圖(ふと)した機會(はづみ)から其(その)一軒(けん)の方(はう)に行(ゆ)き慣(な)れてゐた。

(上掲画像参照)

○私はふとした機会(はずみ)からその一軒の方に行き慣(な)れていた。

(上掲画像参照)



 まず〈その1〉から。
 ここでは、最初は「二三日」だったものが、今回の掲載文では「二(に)、三日(さんち)」となっています。
 これは、「23(二十三)日」と読み誤らないようにという配慮から、再現版では「二、三日」としたのでしょう。現代の日本語表記としては、「二、三日」でいいのです。しかし、最初に掲載された時の表記とは違います。ただし、「二、三日」を「にさんち」と読む根拠は何でしょうか。
 なお、漱石の自筆原稿では、次のようになっています(本日の新聞に掲載された生原稿の写真より)。

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 ここでは、「二三日」とあり、振り仮名はありません。

 〈その2〉から。
 ここでは、当初は「〜あつた。けれども〜」とありました。しかし、今回の再現では「あったけれども」と、句点がありません。上掲の自筆原稿では、この句点が打たれているのか、削除されているのかが曖昧です。この1枚目の自筆原稿を見る限りでは、この句点は削除されているとしてよさそうです。しかし、大正3年の新聞には明らかに「〜あつた。けれども〜」となっています。
 句点の有無については、ここで切るのか、続けるのか、微妙な問題を孕んでいます。おそらく、これについてはすでに考察があることでしょう。今は、本文異同の指摘に留めておきます。

 〈その3〉から。
 最初は「日数」に「につすう」という振り仮名がふられていました。しかし、今日の再現版では、「ひかず」という振り仮名が振られています。この違いが意味することが、今の私にはよくわかりません。

 〈その4〉から。
 最初は、「二軒」には「にのき」と振り仮名が振られていました。しかし、今日の再現掲載では、振り仮名がありません。

 〈その5〉から。
 最初は、「一軒」の「軒」に「けん」と振り仮名があります。しかし、今日の再現では振り仮名がありません。
 これは、〈その4〉の「にのき」が今では使わない読みなので、あえて振り仮名をつけないことで、「にけん」とか「いっけん」と読ませたいのではないでしょうか。

 以上、まったくの素人が、掲載文章の本文異同を確認したものです。
 今後の検討の手掛かりとして、まず気付いたことを記しておきます。
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2014年04月11日

読書雑記(96)河添房江著『唐物の文化史』

 河添房江著『唐物の文化史―舶来品からみた日本』(2014.3.20、岩波新書)を読みました。
 切り口がはっきりしているので、楽しみながら読めました。ただし、一般向けの新書としては、いつもの著者らしくない、文章のぎこちなさと硬い雰囲気を感じました。そう感じたのは、歴史にシフトした内容のためかも知れません。調査してわかったことが多すぎたからかも知れません。

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 まず、カラー口絵が8頁17点もあるので、こうした新書としては読者に対する心配りを感じました。
 雑感を記す前に、アマゾンの「カスタマーレビュー」で、秋谷高志氏が「目次」を掲載しておられるので、それを引用しておきます。これを通覧するだけで、本書の内容の多彩さがうかがえるからです。


目 次

第一章 「唐物」のはじまり
     ―正倉院と聖武天皇
唐物のルーツをたどる/『万葉集』の中の「舶来品」/日本産の「からもの」/正倉院の錦の逸品/聖武天皇の遺品あれこれ/遣唐使・吉備真備がもたらしたもの/聖武天皇の舶来趣味/聖武朝の国際関係/新羅使がもたらした舶来品/鑑真の来朝/王羲之父子の書跡/異国文化受容の糧として

第二章 百花繚乱、貴族があこがれた「異国」
     ―「国風文化」の実像
嵯峨天皇という人/「茶」の伝来/王者を彩る文物/正倉院の新羅琴/嵯峨期と渤海/渤海国使と正倉院宝物/承和の遣唐使/仁明天皇の唐物趣味/富裕層への広がり/「国風文化」の実像/黄金と「火鼠の皮衣」/『うつほ物語』と二つの交易ルート/秘色青磁と瑠璃/俊蔭が招来した唐物/蔵開以降の世界

第三章 王朝文学が描く唐物趣味
     ―『枕草子』『源氏物語』の世界から
『枕草子』を読み解く/唐の紙と青磁/定子の華やかな正装/「この世をば わが世とぞ思ふ」/道長の書物への愛着/入宋僧との交流/実資が残した記録/『源氏物語』の時代/源氏の女君たちと和漢の構図/薫物は和か漢か/『うつほ物語』と『源氏物語』/光源氏の見事な手本/「光源氏」にあこがれた人々

第四章 武士の時代の唐物
     ―福原・平泉・鎌倉
平清盛の台頭/清盛と『源氏物語』の明石一族の栄華/福原での日宋貿易/「揚州の金、荊州の珠……」/『平家納経』と『太平御覧』/世界遺産・平泉と唐物/『吾妻鏡』の記事/鎌倉将軍と北条一族/沈没船は語る/渡海僧・渡来僧の時代/金沢文庫の遺物から/兼好の唐物嫌い/『明月記』と『徒然草』

第五章 茶の湯と天下人
     ―中世唐物趣味の変遷
バサラ大名、佐々木道誉/道誉の「逸脱の美学」/足利義満と「日本国王」/朝鮮との外交/義満の文化戦略/美術品としての唐物/『君台観左右帳記』の世界/義政と書院の茶/「つくも茄子」の行方/「和漢のさかいをまぎらかす」/信長の名物狩り/「茶湯御政道」/信長御物から太閤御物へ/家康から柳営御物へ

第六章 庶民が夢みる舶来品へ
     ―南蛮物・阿蘭陀物への広がり
家康の「御分物」/南蛮貿易のはじまり/信長・秀吉の南蛮趣味/秀吉の強硬外交/家康の親善外交/南蛮貿易の終焉とオランダの台頭/鎖国体制の確立/カピタンたちの記録/「蘭癖の将軍」吉宗/朝鮮人参とサトウキビの国産化/天皇に謁見した象/庶民たちの「象フィーバー」/江戸初期の唐物屋/西鶴のまなざし/庶民でにぎわう唐物屋/阿蘭陀趣味の流行/金唐革の変貌/唐物屋の終焉

終 章 「舶来品」からみた日本文化
唐物の歴史/尚古趣味と新渡り物/和製の唐物/唐物の日本的変容/「日本の中の漢」に位置する唐物/「日本の中の和」にとりこまれる唐物/「和漢のさかいをまぎらかす」再考

 参考文献
 あとがき



 以下、章を追って、門外漢からのメモを残しておきます(妄言多謝)。

 第1章
 正倉院の宝物が、聖武天皇や嵯峨天皇を通して、国際交流の品として甦って来ました。これは、奈良から平安時代を通して、日本の対外文化外交の実態を教えてくれます。
 第2章
 お茶の伝来について、個人的にはもっと語ってほしいと思いました。これは、私が今興味を持っている事柄だからです。しかし、それはともかく、この章は『うつほ物語』に光が当てられています。あらためて読んでみようと思いました。
 第3章
 平安貴族の背後に、夥しい舶来品としての唐物があることに驚かされました。異国のもの珍しい物を求める人々の心が、読み進む内に浮かび上がってきて、楽しくなります。『源氏物語』の話でも、唐物が物語られる人物の環境を炙り出していきます。物語が、新しく読めそうです。
 第4章
 平家の話や金沢文庫のことも、興味深いものです。特に金沢文庫には、単身赴任で上京して9年もその近くに住んでいました。近所にあった金沢文庫のことなので、格別の思いで楽しくこのくだりを読みました。もっとも、ないものねだりなのですが、『源氏物語』の河内本の話には展開しません。あの大振りの河内本には、唐物の影響はないのでしょうか。また、沈没船の話も、最近ベトナムで海底から引き上げられた茶器を入手しただけに、もっと知りたいところでした。ただし、これも本書の対象を逸脱することでもあるので、またの機会を楽しみにしたいと思います。
 第5章
 室町から安土桃山時代にかけて、唐物や名物が茶の湯と政治に絡めて語られます。今お茶に興味を持っている私は、おもしろく読み進めました。しかし、お茶に興味のない方は、客観的な視点で語られていくので、退屈かも知れません。第4章ともども、華やぎの欠ける内容となり、男のオタクの話に終始しています。資料の限界があるにしても、女性がもっと姿を見せる話の展開の方が、読者も楽しめるし、著者らしさも発揮できる読み物となったように思います。調べた結果はこうでした、という余所行きの雰囲気が行文に感じられたからです。
 第6章
 唐物屋の話は、図説形式でもっと語ってほしいところです。このような内容は、新書形式では語り尽くせないもののように思われました。続編を期待したいところです。
 終章
 一時代前の文物を愛好する傾向への言及があります。尚古趣味と言われるものです。これについては、私も以前から日本人と日本文化を考える上で、おもしろい問題だと思っていました。さらに掘り下げていただけることを期待したいと思います。
 また、曜変天目の茶碗は、さらにおもしろい文化論になっていきそうです。お香も、こうした問題を考える上で、いい例となります。
 唐物・舶来品は、古くて新しい問題を提起する、日本文化を考える上での大切な素材であることが、本書によってあらためてわかりました。コンパクトな本です。しかし、収穫の多い一書となりました。
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2014年04月10日

読書雑記(95)伊藤新之介著『ネットが味方になる Webマーケティングの授業』

 親ばかですみません。息子が初めての本を刊行したので、ここに紹介します。  私のブログを読んでくださっている方には、この本は私とは違う分野のものなので無縁な情報かと思われます。しかし、我が家の日々の実録として、紹介を兼ねて記しておきます。
 昨日、『ネットが味方になる Webマーケティングの授業』(2014.3.28、秀和システム)という本が発売されました。

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 私がコンピュータに興味を持った今から30年も前から、この出版社の本は、さまざまな機会に手にして読み、勉強をしてきたものです。
 今回の出版について、詳しいことは何も聞いていなかったので、この会社からの刊行であることを知り驚きました。一度は刊行したかった出版社だったからです。

 私が最初に本を書いたのは、『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』(桜楓社、1986年、昭和61年)でした。まだ35歳の時で、息子が生まれる2年前のことです。
 表紙絵や中の挿絵は、すべて妻が描いてくれました。

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 あれから28年経った昨日、息子の本を手にすることになったのです。
 私の本の帯には、次のように書かかれています。

煩雑な資料整理の労力が一挙に10分1になるパソコン活用術。 資料整理に苦しんできた著者が苦闘の末につかんだノウハウをやさしく全公開!! あらゆるジャンルの資料整理に活用できる本


 そして息子の本の帯には、次のように書かれています。

「ユーザーの心にガツンとくる言葉を発信し、それをネットで拡散させたい」あなたのために、頭さえ使えばタダでPRできるスキルを公開します。


 「公開」を意識した、よく似たキャッチコピーなので、ニヤリとしました。
 『新・文学資料整理術 パソコン奮戦記』では、文学研究にコンピュータを導入することを提唱しました。その予見は当たりました。
 また私は、日本文学関係では最初にホームページを開設しました。1995年9月の〈源氏物語電子資料館〉がそれです。
 その後も、『源氏物語』の本文および研究情報のデータベース化に取り組んでいます。
 今回の息子の本は、3人の先達から対談を通して教えを受ける、という設定でまとめてあります。まさに、専門家からマンツーマンで生きた授業を受けているのです。
 「Webマーケティング」というものを、私はまだよく理解できていません。しかし、インターネットを活用したビジネスの可能性は、私なりにイメージはできます。
 実におもしろい体験のできる本でした。
 今更ながら、我が子から啓発を受ける、いい本でした。
 参考までに、本書の目次をあげておきます。

目 次
はじめに 伊藤新之介

第1章
プロブロガー イケダハヤト
 時に炎上しながら 毎日のんびりやってます
  先行者優位は続かない? 先行と後続のサイクルから「意見」へ抜ける 読まれる企業ブログの運営に必要なのは、まず編集長 編集長とは誰か? 社内を巻き込むには? クラウドソーシングは使えるのか? 読者は企業? 消費者? ユーザーニーズがわかればコンテンツもわかる 読んでもらえる記事の作り方 「役に立つ」だけ? ビジョンを語らなければ独自性は出ない 現場はトップを巻き込め バイラルに可能性はあるか? ターゲットはインフルエンサーであると意識する 二つのバイラル マーケター? アーティスト? 長続きするのは意見を言うアーティスト寄りメディア

第2章
ネットニュース編集者・PRプランナー 中川淳一郎
 ネットでユーザーが食いつくPRの方法
  〜ネット民が欲しい情報と企業が伝えたい情報は全然違う
 ネットでウケるネタとは? 2ちゃん民に刺さるかどうか  2ちゃんねるの独特の「自虐」文化は奉仕の精神にも溢れている 「若者の○○離れ」はメディア嫌いの人たちが食いついてネットでウケる ネット民に「ルイ15世」は伝わるか? 知名度の問題と一瞬のインパクト 記者が食いつく見出し・読者が食いつく見出し 予算のない企業のPR方法 企画が面白ければ、大企業のキャンペーンもネットで記事になる スピード感も必要 一緒に遊ぶ感覚でライフネットは歓迎された 「いいね!」キャンペーンの錯誤 バイラル、いいんじゃない? 正しい2ちゃんねるの歩き方 ガリガリ君が成功したワケ お金をかけずにPRするなら泥にまみれろ 一緒に遊ぶ。見下す。応援する。

第3章
ライフネット生命保険株式会社 代表取締役会長 兼 CEO 出口治明
 突き抜けたプロモーションは経営トップの判断から ウェブの使い方がうまいライフネット生命 手弁当で講演を続けた創業期 安さだけでは伝わらない 10人の力を10人分引き出してイノベーションを起こすのはダイバーシティ 「業界の常識」ではマーケティングができない マーケティングは経験ではない――相手の立場で考える 物欲がインセンティブにならない21世紀 女性とともに意思決定をしたか? 価格・人口・技術要因でプッシュからプルに移る マーケティングの実行フェーズは30代に任せる 「わからないから決断できない」という勘違い 正しい決断はインプットの総量による リーダーの条件 チームで補うリーダーシップ 商いの本質 ダイバーシティがなぜ必要か? 若者は皆、未経験者 「日本の市場」という発想が古い

「あとがき」に代えて 伊藤新之介
 筆者が実験したバイラルメディアの報告


 この本を読み、親としては唸ってしまいました。
 息子が小さいときには、毎朝、奈良県生駒郡平群町にある、長屋王と吉備内親王の古墳の横にある託児所に預けに行きました。
 小学校6年生の時には、2人でレンタカーを使って、イギリス・ドイツ・スイスの旅をしました。
 中学と高校時代には、私がそうであったように、軟式テニスに明け暮れる日々でした。
 高校卒業後のことは、何を考え、何をしていたのか、ほとんど知りません。ただ、茂木健一郎に憧れ、脳科学の話をしてくれたことは覚えています。
 私も、角田忠信の脳に関する本を読み漁った若き日がありました。
 親子ですから、なにがしかの影響が、成長過程であったのでしょうか。
 その子が、この本でいろいろなことを語っているのです。知りませんでした。知らない内に、自立していたのです。
 息子が、株式会社ビットギャザーを起業したのは、昨年の4月でした。
 私が、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉を設立したのが、昨年の2月でした。
 共に同じ頃、新しい時代を見据えた組織を設立すべく、走り回っていたのです。しかし、これは期せずして時期が重なっただけのことです。何かを相談し、打ち合わせたものでもありません。
 息子の会社が都内の大森にある、というのも機縁です。
 私は高校卒業後、大森で新聞配達をしていたのですから。
 私が新聞を持って走り回っていた地域で、息子は起業して走り回っているのです。
 生きているということは、何と楽しくて、おもしろいのでしょう。
 これまでの息子との接点を、あれこれと思い出し、つなぎ合わせています。
 この1冊の本を手にしながら、旧懐の情とともに、嬉しさも入り交じった気持ちで、ほんのりとした甘さを噛みしめているところです。
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2014年02月20日

読書雑記(94)高田郁『美雪晴れ―みをつくし料理帖』

 高田郁の〈みをつくし料理帖〉シリーズの第9巻『美雪晴れ』(2014年2月18日)が店頭に並んでいました。

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 前作『残月』から8ヶ月置いての刊行で、待ち焦がれるようにして一気に読みました。

■「神帰月―味わい焼き蒲鉾」
 冬の寒さが伝わってくる文章です。
 本作では、ご寮さんである芳と息子が前面に出ています。新しい展開が予想されます。
 蒲鉾の東西の違いは意外でした。芳の息子佐兵衛の妻であるお薗が、一人の女性として描かれ始めます。さらには、お臼という、相撲取りかと見紛う大女の女衆も加わります。物語に厚みが出てきました。【4】

■「美雪晴れ―立春大吉もち」
 黒豆の皺で、東西の味談義が始まります。私も関西の丹波黒のふっくらしたのが好きです。関東の、皺を長寿のしるしとする豆は、口の中がもごもするので、私はいただけません。
 物語が動いていきます。ガタンゴトンと音が聞こえます。読者の記憶を呼び覚ますように、回想シーンがところどころに配されています。作者と読者が、共にイメージを共有できるような仕掛けが用意されていることがわかります。
 そして、少しだけですが、読者である私の心の中に、何か感じるものが生まれました。このシリーズは一先ず終わりに向かっているのではないかと。【3】

■「華燭―宝尽くし」
 物語が、新たな行き先を探し求めて、ゆっくりと動き出しました。つる屋に新しい料理人の政吉が来たのです。さらに、本シリーズの前半ではほとんど姿を見せなかった、息子の佐兵衛の存在がクローズアップされます。その母の芳も、心情の描写が多くなりました。
 話が、大団円に向かって、まっしぐらに進んでいるような感覚が残りました。【3】

■「ひと筋の道―昔ながら」
 澪の新しいスタートが始まりました。独立し、外に出て、自分が作ったものを売るのです。このあたりから話が性急に感じられ、急ぐ筆の跡から、ことさらに作り話が紡がれている様が感じ取れるようになりました。そんなに先を急がなくても、という気持ちで読むことになります。
 澪は、名料理人になることと、お客の喜ぶ顔を間近で見られる料理を作り続けたい、という2つの選択肢の中で揺れ続けます。【3】

■特別付録「みをつくし瓦版」
 この最後で、次の文章に出会います。

シリーズ開始から早や五年。「みをつくし料理帖」は次でいよいよ最終巻となります。

 本書を読みながら、常に頭を過ぎった大団円へ向かう気配。まさに的中でした。
 また、巻末に「富士日和」という小品が特別収録として収めてあります。これは、朝日新聞の2013年9月22日付に掲載されたものです。なかなか爽やかな挿話となっています。

 完結となる第10巻は、2014年8月に『天の梯―みをつくし料理帖』というタイトルで刊行されるようです。これもまた楽しみにしたいと思います。
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2014年01月28日

読書雑記(93)柴田よしき『桜さがし』

 柴田よしき氏の作品は初めて読みます。
 『桜さがし』(2012年3月、文春文庫)は、京都を舞台にした青臭さの残る話となっています。

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 安定した語り口で、安心して読み進められました。人が死ぬことを、上手く引き出して始まります。

 吉田神社の節分祭を扱った「夏の鬼」は、話のうまさを感じます。会話が自然で、語り合う場面が眼に浮かびます。吉田神社の姫だるまは、いつか手に入れましょう。

 女性の心の中の変化を描く筆致がいいと思います。反面、男性の心理は理性で解釈した表面的なものに留まっているのが、惜しいと思いました。

 登場人物の言葉遣いについて、女性はなめらかな関西弁です。しかし、男たちの言葉遣いはとってつけたような大阪弁です。このことが、読んでいるときから気になりました。

 作者が得意としている小ミステリーは、手が込んでいる割にはおもしろ味にかけます。しかし、話の持っていき方はうまいのです。人間をうまく描けるからでしょう。

 「梅香の記憶」は、雰囲気は上品でも、出来はよくありません。このギャップは、作者の構想力と構成力が不足しているからだと思われます。

 「翔べない鳥」は、京大病院やゴイサギが出てきて、それらと縁の深い生活をしている私にとっては、親近感をもって楽しめました。内容は、これも芳しくなかったのが残念です。

 一番いいと思ったのは「片想い猫」です。ただし、東寺の弘法市をもっと詳しく書いてほしいと思いました。ここの描写力の貧困さはいただけません。しかし、完成度は本作の中では一番です。

 「思い出の時効」で下鴨神社を出すなら、縁結びの相生社をなぜ話題にしなかったのでしょう。ここの御神木は、京の七不思議の一つでもあります。このことに触れないのは、作者の調査不足と想像力の貧困さを露呈させています。

 この小説には、京都の観光名所がたくさん出て来るので、旅行気分にも浸れます。そのお得感をさらに増すためにも、舞台の下調べは充分にしておくべきでした。京都という地を物語に生かし切れず、その名前に負けてしまったようです。

 そうした難点は多いものの、若者たちは元気です。
 中学時代の仲間が夢を追いかける姿には、好感を持って読めました。この登場人物達の青臭さが、この作品の持ち味となっています。教員を辞めて作家になった先生も、いい役どころを果たしています。
 作者が意図したものなのか、構想力の足りなさが生んだ偶然の産物なのかは、私には判断しかねます。

 文章が明るくて、しっかりと人間が描かれています。ネタがいいので、もう一捻りできるようになれば、柴田氏の作品は読ませるものになっていくはずです。機会があれば、また別の作品を手にしてみたいと思わせました。【2】

*単行本 2000年5月 集英社刊
・一次文庫 2003年3月 集英社文庫
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2014年01月23日

読書雑記(92)浅田次郎『活動寫眞の女』

 昨日の記事「京洛逍遥(304)京都府立鴨川公園と目玉の松ちゃん」を受けて、京都の映画草創期を扱った作品を取り上げます。

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 本作品では、映画の全盛期から衰退の様子について、次のように語っています。


「映画少年」という言葉は今や死語であろう。だが、テレビの普及する以前の邦画全盛期に育った僕らは、およそ何入かに一人がまちがいなく「映画少年」だった。
 なにしろ町なかにはやたらと映画館があり、東宝、東映、日活、松竹、大映という邦画五社がこぞって週替わり二本立ての映画を上映していたのだ。
 もっとも、僕が京都に行ったそのころには、そうした隆盛の時代もうたかたのごとく去り、映画館は続々と閉業していたのだが。
 東映は伝統の時代劇からヤクザ路線へと転換し、東宝は時代におもねったグループ・サウンズの歌謡映画を作っており、日活は青春アクション映画を見限って、ロマンポルノの時代に突入していた。大映は最後の力をふりしぼった大魔神の像とともに消え去ろうとしており、とりわけ金看板の市川雷蔵がその年の夏に三十七歳の若さで死んだことは、邦画の凋落を象徴する出来事だった。(54頁)


 ちょうど私の青春時代と一致している頃の話です。

 そもそも日本に映画を持ち込んだのは、京都の実業家であった稲畑勝太郎です。1896年のこと。稲畑はリヨンで学んだ後、エミュエールが発明した技術と機器を、京都に持ち帰ったのです。京都電灯会社の庭で映写会をしたのです。

 本作品の中に出て来る京大北側の進々堂でのシーンは、いかにも京都らしい設定です。

 京都府立鴨川公園に、尾上松之助の銅像があることはすでに書きました。その松之助のことは、本書にはほんの少しだけ、それも一カ所で触れているだけです。

 本作の恵まれなかった女優の話は、私には中途半端な作り事に思え、退屈な思いをして読み進めました。この話の中では、プラスには働いていない設定のように思えるのですが。

 話の幕間に置かれた映画史とエピソードが、おもしろい味付けとなっています。
 この作品は、小説としての出来は評価できません。しかし、映画興亡史をわかりやすく知ることができる点では、少しは意味があるかもしれません。もちろん、小説としてではなくて、単なる読み物として。
 とにかく、彷徨える霊魂の話は説得力に欠けるため、作品全体が読者に迫ってくる迫力はありません。

 後半は話に真実味がなく、オタクの映画ネタに頼って展開するだけでした。
 一応、京都と映画史を扱った読み物がある、という意味で紹介しておきます。
 駄作です。【1】

書誌情報︰1997年に双葉社から単行本として刊行
     2000年に文庫版として双葉社から刊行
posted by genjiito at 23:51| Comment(0) | ■読書雑記

2014年01月14日

読書雑記(91)高田 郁『ふるさと銀河線 軌道春秋』

 高田郁の『ふるさと銀河線 軌道春秋』(双葉文庫、2013年11月17日)は、これまでの時代小説とは一転して現代小説で構成されています。前作の「高田郁『あい 永遠に在り』」(2013/11/22)よりもさらに現代を舞台としています。新しい分野を開拓しようとする作者の、意欲的な作品群となっています。
 もともとは、川富士立夏というペンネームで漫画の原作を書いていた頃の作品群を、小説に書き改めたものだそうです。女性向けコミック誌『YOU』(集英社)に、「軌道春秋」として28回連載された、その漫画原作から8編を選んで小説にしたものなのです。「返信」だけは「あかぞえ」に寄稿したものだとか。
 双葉社を媒体にして、また新たな高田郁の作品群が拡がることは楽しいことです。

■「お弁当ふたつ」
 心温まる話です。平和そのものの日々が、意外な展開となります。そして、夫と妻の別々の行動が、一つに交わります。新しい高田郁のスタートです。元気が出る話となっています。【5】

■「車窓家族」
 人それぞれに、自分の過去を照らしてものを見ているのです。車窓から見える文化住宅の一室が、人々にさまざまな思いをさせていました。その話の仕掛けが巧みです。車窓をめぐる一コマが、朗らかに語られています。【3】

■「ムシヤシナイ」
 1本の包丁を通して、心の交流が描かれます。オジイチャンと孫の心温まる話です。そして、駅の蕎麦屋の存在が、大写しになります。【3】

■「ふるさと銀河線」
 関寛斎つながりで『あい 永遠に在り』が思い起こされます。北海道の雄大な自然の中で、星子の心の中が語られています。夜の空を見上げながら、星子が思う「羽ばたく勇気」が伝わってきます。【5】

■「返信」
 亡き息子の面影を抱いての陸別への旅をする夫婦。家族というものを考えさせられます。そして、「何もないところですが、そこがいいのです」という言葉が印象的でした。星空が残影として心に滲み込んできます。【5】

■「雨を聴く午後」
 「みっともなくても生きる」というセリフが心に残りました。また、セキセイインコが印象的です。内容は変化がなくて、不自然な設定です。しかし、人の心情は丁寧に描かれています。【2】

■「あなたへの伝言」
 前作「雨を聴く午後」をなぞるように展開します。アルコール依存症を扱う物語です。しみじみと、決意の固さが伝わってくる作品です。【3】

■「晩夏光」
 しだいに記憶をなくしていく母親の気持ちがよくわかります。そして、その母を見つめる息子が、感動的に描かれています。【4】

■「幸福が遠すぎたら
 学生時代の思い出が交錯する3人の待ち合わせ場所は嵐山です。充実した日々を振り返りながら、今の苦悩がお互いを慰めます。心が弱った時に読むと、勇気をもらえます。【3】続きを読む
posted by genjiito at 22:59| Comment(0) | ■読書雑記

2014年01月09日

京洛逍遥(302)進々堂のパンと短編小説『毎日のパン』

 京都の老舗パン屋さんである進々堂は、昨年ちょうど創業100周年を迎えたそうです。その記念として小冊子を作り、店頭で配布しておられます。

 『毎日のパン』(いしいしんじ著、非売品、平成25年12月24日発行、進々堂刊)と題する文庫本サイズで35頁ほどの小さな冊子は、京都市内の同店12店舗に置いてあります。レジなどでお願いすると、無料で手渡してもらえます。2万部印刷されたとのことなので、まだ入手できるはずです。

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 私は、三条河原町店でいただきました。レジの下の開き戸の中に入っていたものを出してくださったので、カウンターを探しても見当たらない店が多いと思います。臆せずに、『毎日のパン』をください、と言ってみることです。

 この中身は、いしいしんじさん(織田作之助賞受賞作家)による書き下ろしの短編小説です。
 この作品が、どのように読まれていくのか、畑違いの私には皆目わかりません。
 お店の中に犬が入って来ることをはじめとして、洪水による被害の話は、谷崎潤一郎の『細雪』を連想させ、東日本大震災の時の津波を思い起こす方もいらっしゃることでしょう。


家屋のほぼ八割が、二階の高さまで水没(22頁)


とか、


水が襲いかかり、すべてを泥の下にかくしてしまう直前。(22頁)


など。さらには、


家が真っ黒い水にのみこまれつつある、その最中、おばあちゃんはからだをなげうち、まちがいなく、もろともに溺れたのだ。(23頁)


とあります。

 こういう表現に出くわすと、このような場面や表現が必要だったのか、私には疑問が湧きました。

 きれいごとで紹介すれば、ふんわり柔らかな食パンの感触が伝わってくる、心優しい話に出会えます、という紹介の仕方になります。その方が無難な紹介です。しかし、それでいいのか? 正直言って悩みます。

 この作品をどう読むか、という意味で、とにかく手にする価値はあると思います

 進々堂の続木創社長は、本冊子巻末の「ごあいさつ」で、次のように言われます。


百周年を記念していしいしんじさんにパンを題材に小説を書いていただくことを思い立ったのは、しんじさんのどの小説からも溢れ出る、人間の毎日の営みに対する温かいまなざしが大好きだったからです。毎日のパンと、人々と、白い犬の物語、お楽しみいただけたことでしょう。(34頁)


 また、この冊子を紹介した京都新聞(2013年12月26日発行)では、次のような記事になっています。


 いしいさんと家族ぐるみで交流のある続木創社長(58)が、デイリーブレッドに込められた思いも踏まえ、パンを題材にした小説の執筆を依頼した。

 「毎日のパン」は、主人公が働くパン屋に毎日来る1匹の白い犬を通して、当たり前すぎて普段見落としている大切なものに気付かせてくれる物語。1斤のパンは、家族ごとに異なる幸福の形として象徴的に描かれている。

 いしいさんは作品に関して「いろんなことがあっても、食べることは必ず毎日ついてくる」と話し、パンに限らない食の営みについて掘り下げている。

 続木社長は「それぞれのパンの楽しみ方をかみしめてほしい。パンには命をつなぐ社会的使命があることも伝えている」と喜ぶ。


 このように紹介されても、私には素直にこの作品を創業記念として祝福して紹介できないことを申し訳なく思います。
 こんな心得違いも甚だしい感想を持った者がいる、ということを記してもいいかと思い、記念のお祝いにはふさわしくないかもしれない駄文をしたためたしだいです。

 お前にはこの良さがわからないのだ、と言われれば甘受します。

 この短編小説をどう読むのか、1つの問題提起をしたいと思います。

 なお、私のブログ「読書雑記(80)続木義也『カレーの海で泳ぎたい』」(2013/9/26)で紹介した続木義也氏は、この進々堂の4男であることを付記しておきます。
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2014年01月08日

読書雑記(90)宮尾登美子『松風の家』

 今回、宮尾登美子の『松風の家』(上下2巻)は、文春文庫(1992年9月版)で読みました。
 明治、大正、昭和と、京都の茶道家元が貧苦の中から家を興すまでの物語です。

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(上)明治初年の京都における芸道三家の内、後之伴家の話がきめ細やかに語られます。
 もちろん、これは裏千家のことを意識しての仮名でありフィクションです。ここで物語られることと、実際の裏千家の盛衰が知りたくなります。
 芸道を継承する世界の内実を、赤裸々に語っています。人としてのありようが、道の中に埋没しながらも、あくまでも人間が描かれていきます。
 作者の問題意識と視点は、しっかりとしています。さらには、主人公である由良子の秘密が、最後まで読者を惹き付け、物語世界に引き込みます。由良子の父である恭又斎が隠居したことなど、由良子の謎は続くのです。
 物語は、母を恋い求める気持ちが伏流していて、読者の心を掴みます。
 産みの親と育ての親に対して、その思いを二分される時の由良子の逡巡の気持ちが、言葉巧みに描かれています。
 この由良子が実の母に逢おうとし、一大決心をして山崎の父のもとを訪れる場面が感動的でした。うまいと思いました。
 苦しい生活の中から編み出した円諒斎のお茶は、一般の人々に普及させるものでした。盆略手前などです。ただし、それには20年もかかった、とあります。
 業躰の不秀と結婚した由良子は、佐竹本三十六歌仙の小大君の和歌を通して、夫へ心を閉じて行きます。うまい設定です。
 後半の不秀の語りは、この作品を文学に押し上げています。
(下)芸道の家の隆盛が、ダイナミックに、ドラマチックに語り続けられます。人情の機微も丹念に描かれていきます。
 後之伴家に寄り添い、情勢を敏感に見据えて立ち回る人々も活写されています。
 一つの流派の家という群れを描くのが巧いと思います。家の動きが、個人から炙り出されているからです。家の存続にかける人々の心の内と、秘められた願望が滲み出ています。
 下巻の半ばで仙台の話になると、途端に読む速度が落ちて私は飽きだしました。話があまりに広がりすぎたからです。瑣末な話題になったと思ったのは、加藤家の話のあたりからです。
 折角のテーマが惚けて来たと思えたからです。その話が次第に14代家元に結び付きます。
 やがて、本流と合体して、またおもしろくなります。この遠回りは、余分な道草とも思えました。
 このことは、物語の構成に基因するものかもしれません。読む立場から言うと、作者の思いが強引なように思えました。最終的には、しっかりとした物語に紡がれたからよかったのですが……
 終盤は、辰寿が主役に回ります。そして、宗家を支えることになり、紗代子を浮かび上がらせます。
 仙台と京都の文化や生きざまの違いも、おもしろく書かれています。そして、由良子が包み込むように後之伴家とその家の人々を見守ります。
 最後の作者の語り口はすばらしいと思いました。話をぐっと盛り上げるのは、芸術的ですらあります。
 もっとも、人の情に寄りすぎる気がしないでもありません。しかし、長編を読み通し、人間の生き方を見聞きした読者の1人として、感情移入のできる展開ととじめになっていると思いました。
 義母と実父との死別に由良子の一生が立ち上がります。人それぞれの歩みが、走馬燈のように廻り来ます。【4】
 
□初出︰「文藝春秋」1987年1月号〜1989年3月号
□単行本︰1989年9月文藝春秋刊
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2014年01月05日

読書雑記(88)「忘れ去られた「ニッポン」にならないために」

 年末年始に、日頃はあまり目を通さない冊子などをまとめて読む機会がありました。
 その中で、一番興味深かったものをまとめておきます。

 石塚修氏(筑波大学人文社会系准教授)の「リレー連載 世界の中の日本研究16 忘れ去られた「ニッポン」にならないために」(『鴨東通信 2013.12 No.92』思文閣出版)は、私にとってまだよくわからない世界を垣間見させてもらい、日本の文化についてあらためて考えるヒントが得られるものでした。

 以下、石塚氏が述べておられることを引きながら、簡単にまとめます。

 まず、石塚氏の研究対象である「茶の湯」にまつわる話として、〈大寄せ茶会〉が取り上げられます。これについて、茶道評論家の佐々木三味氏(1893〜1969)がそれを〈三され茶会〉として批判しておられたことへとつながっていきます。
 〈大寄せ茶会〉とは、「いくつかの茶席を持つ茶寮などを借り、濃茶や薄茶の席主を決めて茶席を運営し、軽い食事〈点心〉も出し、参加者から会費を集める」(12頁)ものだとのことです。

 そして、これについて佐々木氏は、次のように言われたそうです。


(1)茶席に入るのを「待たされ」
(2)水屋からの点てだしの茶を「飲まされ」
(3)飲み終わると次の席を待つ人のために席を「追い出され」


 〈三され茶会〉とは、この三つの「され」から命名されたものなのです。

 こうしたお茶会の盛行を見て、次の感想を持つ方がいらっしゃるようです。


「茶の湯は日本でどうしてこんなに流行っているのだろう」
「茶の湯愛好者は日本にはまだまだたくさんいるので、今後もこうした会は続けられる」


 こうし風潮に対して、石塚氏は世界の中の日本研究の現状とこの茶会のことが似ていることから、警鐘を鳴らしておられます。

 そして、次のような感想を記されます。


 そうしたセッションやプログラムの席が満席になっているからといって、世界が「ニッポン」に注目しているかのように思いこむこと自体がははなはだ危険な思いあがりではなかろうか。果たして世界の総人口のどれほどの人々が、この「ニッポン」という国に強い興味関心を抱いているのかを考えてみると、はなはだ心もとないのが実態であるような気がしてならない。
(中略)
 つまりは、たまたま目的を同じくした愛好の人々が群れているからといって、そこに来ていない人までもがその目的を共有していると思いこんではならないのである。


 確かに昨秋スペインへ行った時も、多くの方々が日本文化や日本文学に深い理解と興味を示しておられました。日本のすばらしさを、あらためて実感して帰国しました。
 しかし、これを「目的の共有」という視点で見ると、スペインの方々の何パーセントがその理解に至っておられたか、ということを考えるざるをえません。はなはだ心もとない、裏打ちのない、個人的な手応えにしかすぎないものなのです。
 その手応えも、たまたま、イベント会場に集まった方々の反応からの印象でしかないのですから。

 石塚氏は、さらにこう続けておられます。


 オリンピック招致の成功や日本食文化の世界遺産登録はもちろん「ニッポン」を忘れ去らせないための「点」として大きな役割を果たしている。しかし、「点」は数多く連ねていかないと「線」にはならない。「線」にならなければ世界地図には存在が残せまい。
 では「線」にするにはどうすべきか。日本の次世代に正統な伝統文化の継承を確実にして、そのうえで世界に送り出すことであろう。外国での日本文化紹介の場で、外国語の流暢さの裏でよくよく中身を吟味すると、日本人の常識としてかなり怪しいことを自信ありげに話している新進の研究者を見かけることがある。小学校から英語教育をするのと同時に、日本の食文化や和装の基本、畳の上での立ち居振る舞いの基礎などについても、もはや家庭教育に期待すべくもない現状のなかで、生活科と同じように「日本文化科」として学ばせていく時期を迎えていると考える。


 海外における日本文学の研究状況を『源氏物語』という作品から見ようとする私にとって、この石塚氏の小文は私の痛点を突く内容です。
 「点」から「線」へということは、言い古されていながらも新しい意識改革につながることです。

 今私が取り組んでいる科研のテーマは、「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」です。
 また、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、これまでに作りあげた『源氏物語』に関するデータや資料を再確認し、次の世代に引き渡す役割を担っています。
 個人個人の取り組みが積み重なり、より多くの若者の手を経て、次の世代に引き継がれることの意義を、新年を迎えて自覚を新たにしました。

 昨年と変わらぬご理解とご支援をいただく中で、こうした目的を一歩ずつ実現していくつもりです。今年もコツコツと歩んでいくことになります。

 健康でさえあれば、あと3年はこうした課題に身を置いて取り組めます。
 まずは、昨年から引き続くいくつかの課題から実行していくことにします。
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2013年12月27日

読書雑記(87)伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』

 今年は、中盤からスペインに関する勉強に終始しました。特に、支倉常長たちの慶長遣欧使節団派遣400周年の記念事業の一環でスペインへ行く話が進展しだしてからは、さまざまな本を読み漁りました。

 専門外のことになると、「ウィキペディア」を見ることがあります。
 人には勧めません。しかし、重宝する情報が盛られている記事の集合体であることは確かです。
 そこに、『オーデュボンの祈り』について次のように書いてあります。


『オーデュボンの祈り』(オーデュボンのいのり、a prayer)は、伊坂幸太郎による推理小説。作者のデビュー作であり2000年に新潮社から出版され、同年の第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞した。
2004年にラジオドラマ化、2009年に漫画化、2011年には舞台化された。
(中略)
仙台との関わりが深く、話の中にこまめに登場する(支倉常長など)。これらの仙台近辺を利用した語り口は、伊坂の後の作品にも受け継がれている。


 また、「支倉常長」についての記述の中で「支倉常長が登場する、あるいは彼をモデルにした作品」という項目に、遠藤周作の『侍』と共に、この『オーデュボンの祈り』もあがっています。

 それなら、と思って読んだのがこの本です。

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 私は、伊坂幸太郎の作品を読むのは初めてです。
 この手の本を読むことはなかったので、なかなか話に入っていけませんでした。しかも、私の意識の中では、支倉常長を追いかける意図で読むことにした小説なので、なおさら読み方に先入観が先行しています。
 この小説は、私の期待をすっかり裏切ってくれました。新潮文庫で456頁もあり、それなりに時間がかかりました。ただし、期待外れでも、伊坂流のおもしろさが伝わってきたので、途中で本を置くこともなく読み終えたのだと思います。

 数カ所、物語の舞台との関連で「支倉常長」という単語が出てきました。しかし、それは内容とは直結しません。あてが外れた、というのが正直な感想です。しかし、めったに読まないタイプの作品なので、それなりに楽しみました。

 以下、ピンボケの読書体験を伴っての、個人的な読書メモです。

 仙台沖の牡鹿半島の南にある荻島が、この物語の舞台となっています。
 この島は、150年も外界と交流を絶った孤島です。支倉常長が、ヨーロッパとの交流に利用しようとしたという島だといいます。ここでの、現代日本と日常を切り離された世界における、おもしろい話が展開します。

 リアリティに欠けるところがこの物語の特徴だ、と作者は言っています。
 確かに、思いがけない話題と仕掛けが楽しめます。ただし、私はこの手の作品が苦手なのか、後半は読み飛ばしてしまいました。
 いかにも作り話の域を出ていないからでしょうか。
 さらには、私がこの本を手にしたのが、支倉常長の話が書かれていると思い込んで読み始めたせいもあります。

 とにかく、支倉常長のことは、数カ所で触れられているだけで、物語とは特に接点を持っていません。この、私が勝手に期待したことと、あまりにも違う作品だったので、肩すかしを喰った思いです。
 機会を改めて別の目で読むと、というよりも素直に読み進めると、伊坂幸太郎流のおもしろさが伝わってくるかも知れません。【1】
 
 
注︰巻末に以下の注記があります。

この作品は平成十二年十二月新潮社より刊行され、文庫化に際し改稿を行った。
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2013年11月22日

読書雑記(85)高田郁『あい 永遠に在り』

 『あい 永遠に在り』(2013.1、角川春樹事務所)は、高田郁が自身に対して、一回り大きくなるための試練を課したと思える作品です。
 完成度としては、まだ工夫の余地がありそうです。しかし、新しい視点と表現手法を模索していることがよくわかりました。その意味では、作家の成長過程を見せてもらったと思っています。

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第一章 逢
 記憶に色が付けられて行きます。関寛斎とあいの結婚式の場面が情愛たっぷりに語られていて、印象的です。ただし、全体として彫りが浅いようです。話のテンポがゆったりとしていて、物足りなさを感じました。【3】

[初出誌]「ランティエ」2012年8月号

第二章 藍
 月光が物語の中にうまく配せるようになったと思います。そして、醤油の香りもしてくる文章です。常に前を見て歩む寛斎とあい。目先のことよりも、永遠を見据える寛斎です。本作のサブタイトルである「永遠に在り」というテーマを支える章となっています。【3】

[初出誌]「ランティエ」2012年9月号

第三章 哀
 己が一念を貫き通す寛斎が、みごとに活写されています。気持ちのいい程に高望みはせず、自分の信念のままに生きている姿は、やや誇張気味に感じられます。しかし、そこがこの作品の太い柱となっているのです。江戸時代から明治時代へと社会が変わる中で、軸がぶれない人間の生きざまが、よく描かれています。【3】

[初出誌]「ランティエ」2012年10月号

第四章 愛
 永遠を見つめ、自らの人生を後代のために賭ける寛斎が、力強く描かれます。ただし、この同じ調子の語り口と展開に、少し飽きました。それでも、その展開の中から信念が伝わってきます。
 離縁してでも北海道に渡るという寛斎に、妻のあいは「連れていってくださいな。私も一緒に」と言います。終始夫に付き従う妻の姿の中でも、この場面が一番よく描けています。ごく自然に出たことばとなっているからです。そして、主人公はあいだったのだ、と気付かされました。
 ここまでの3章とはまったく異なる世界が現出します。高田郁が得意とする、情を湧き上がらせる物語に仕上がっています。【5】

[初出誌]書き下ろし
 
 本作では月をうまく描けているところに、作者の大きな成長を確認できました。加えて、山桃の存在感もしっかりと伝わってきます。
 自分の力で考えて歩む人生のすばらしさを、しみじみと感じさせてもらいました。
 ただし、後半まではもたもたしていて、盛り上がりに欠けていました。苦労の中で、耐えながらも前を見据えて生きる2人を描くという、その設定と内容がそうさせたと思われます。
 それが、第四章に至り、突然おもしろくなります。
 九州から北海道までと、スケールの大きな舞台を背景にした物語なので、それまでの視点が落ち着かなかったかと思われます。また、史実の寛斎に拘束され、あいが描きにくかったとも言えるでしょう。しかし、第四章では、そのしがらみから解放されたかのように、あいが活き活きとしています。
 一組の夫婦の波瀾万丈の生きざまを、丹念に描き終えています。これまでの高田郁の世界が、これで一回り大きくなったことがわかります。今後のさらなる活躍に期待を持たせます。【3】
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2013年11月05日

読書雑記(84)見限った本が大賞受賞−小説の評価はおもしろい

 本日(2013年11月4日)の京都新聞に、「初代京都本大賞に「珈琲店タレーランの事件簿」岡崎さん」という記事が掲載されていました。

 〈京都本大賞〉というのは、京都を舞台にした小説で最も読んでほしい本を選ぶ、というものだそうです。これは、京都府書店商業組合が主催するもので、以下の趣旨で投票を募ったものでした。

「京都本大賞」とは、過去1年間に発刊された京都府を舞台にした小説の中から、もっとも地元の人々に読んで欲しいと思う小説を決める賞です。
決定方法は書店員だけでなく、一般の読者と共に投票で決定します。
ぜひ投票にご参加ください!

ノミネート作品は以下の3作品です。

●『回廊の陰翳』広川純 / 文春文庫
●『珈琲店タレーランの事件簿』岡崎琢磨 / 宝島社文庫
●『史上最強の内閣』室積 光 / 小学館文庫


 その第1回の大賞受賞作が、岡崎琢磨氏の『珈琲店タレーランの事件簿』(宝島社文庫)でした。
 投票結果は、『珈琲店タレーランの事件簿』642票、『史上最強の内閣』388票、『回廊の陰翳』118票でした。圧倒的な支持を得たと言えます。

 この本について、私は次の「読書雑記」で取り上げました。
 あまりいい評価はしていません。共に、〈5段階〉の【2】です。

【3.0-読書雑記】「読書雑記(52)岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿』」(2012/11/14)

【3.0-読書雑記】「読書雑記(67)岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿2』」(2013/6/19)

 特に、後者の『珈琲店タレーランの事件簿2』については、次のように書きました。


 この第2作目は、さらに出来が悪いようです。前作にあった文章のキレがまったく感じられません。私は、いいところを探すようにして読むことが多いと思っています。しかし、これに関してはまったくそうした褒めるところを見つけられませんでした。
 『〜3』が刊行されても、それを読むかどうか……。余程大々的な変化が見られない限り、もう読まない作家となりそうです。相性の問題だと思われます。作者さん、ごめんなさい。何事も縁ということで。


 つまり、この岡崎氏の作品は、私が見限ったものです。
 私は、文芸評論家でも批評家でもありません。しかし、意識の中で消えていく作家だっただけに、この本が大賞を受賞したというニュースに、私は興味を持ちました。自分の価値観と異なるものが評価される、ということは、自分の本の読み方や感じ方に刺戟を与えてくれます。
 選考の趣旨と選考委員によって、当然判断は異なります。そのことは当たり前としても、その理由付けを知りたくなります。その選評が公開されるのが楽しみです。

 なお、本に関する最近の賞については、【3.0-読書雑記】「読書雑記(79)東西の本屋さんによる受賞作2点」(2013/9/4)に書きました。

 東京を中心として〈エキナカ書店大賞〉があり、大阪で〈Osaka Book One Project〉が設立されました。いずれは京都も、と思っていた矢先だったので、この〈京都本大賞〉は自然の流れの中で生まれた賞だと言えるでしょう。

 いろいろな賞が設立され、さまざまな本が受賞することは、非常にいい傾向だと思います。
 書店に行っても、多彩な内容の本が並んでおり、どれを読もうかと迷います。そんな時に、賞というレッテルが貼られている本は、読んでみようという気を起こさせます。新しい世界を知りたい、今の流れを知りたい、という思いを満たす本の選択に、受賞作というものは一つのきっかけを与えてくれます。
 それが、その人にとってアタリかハズレかは、また別のおもしろい問題だとして……
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2013年10月18日

読書雑記(83)大泉光一『キリシタン将軍 伊達政宗』

 スペイン行きを控えて、大泉光一氏の『キリシタン将軍 伊達政宗』(2013年9月、柏書房)を読みました。

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本書の帯には、次のように記されています。


支倉常長がヨーロッパへ渡った真の目的は?

メキシコ、スペイン、イタリア…
17世紀の海外文書が暴く驚愕の真実!!

慶長遣欧使節団派遣400年記念

政宗が使節団に託した最高機密事項とは?

日本のキリスト教徒たちの悲願は、政宗が将軍になることだった!


 また、柏書房のホームページには、次のように内容が紹介されています。


新事実を発見!東北の雄・伊達の秘めた野望を、支倉常長研究の第一人者が解き明かす!!


 参考までに、本書の目次をあげます。

プロローグ 江戸時代初期における日本の対外貿易およびキリシタン政策
第1章 伊達政宗の遣欧使節派遣の計略
第2章 江戸におけるキリシタン迫害と「訪欧使節団」派遣の狙い
第3章 支倉とソテロ、スペインとの外交交渉に辛苦
第4章 支倉、政宗の名代としてローマ教皇に服従と忠誠を誓う
第5章 幻のキリシタン将軍伊達政宗
第6章 使節一行、ローマを出発し、スペインへ戻る
第7章 政宗が夢見た「キリシタン帝国」とは
第8章 政宗謀叛説を傍証する「東奥老士夜話」
第9章 政宗、領内のキリシタン弾圧に踏み切る
エピローグ ルイス・ソテロ神父のローマ教皇宛て書簡に関する
      異端審問委員会長官ドン・イバン・セビスコ博士の覚書


 本書は、著者が半世紀にわたって取り組んだ、ライフワークの集大成です。
 『侍』を執筆した遠藤周作をメキシコに案内したことなど、さまざまなエピソードを交えながら語っています。
 「あとがき」には、NHKの番組批判も記されています。これは、興味深い問題提起ともなっています。東日本大震災後の東北の復興支援に名を借りた、こじつけの論破となっているからです。
 また、間違った歴史観の指摘も貴重です。
 このテーマに関する資料が日本側にないこともあり、諸言語の翻訳とその解釈の問題も表面化しています。これは、著者の読みに関しても波及することにもなります。思い込みによる資料の解読はないのか、ということです。

 資料を基にして行なう立論や論証をする際の研究手法についても、学ぶところの多い本でした。基本となる共有資料の読み方の確定は、この問題の喫緊の課題のようです。

 さて、著者の持論は、支倉常長がメキシコからヨーロッパへ旅をしたのは、通説のような伊達政宗が通商交易のために宣教師を派遣要請したこととは異なる、ということです。
 在外の多くの原典資料を読解することによって、実証的に通説の否定を繰り返します。その信念が伝わってくる論調に、圧倒されます。
 ただし、素人ながら、その論証の過程には、付いて行けないことも多々ありました。

 それはともかく、とにかく面白く読めた、の一言です。

 政宗の「訪欧使節団」の派遣真相は、ますますわからなくなった、というのが率直な感想です。

 慶長の使節団には、次の2つの役割があったとします。


慶長遣欧使節団は、幕府と仙台藩合同派遣の「訪墨使節団」と、後述するように仙台藩単独派遣で政宗の密命を佩びた「訪欧使節団」の二組で編成されていたのである。(32頁)


 そして、政宗将軍待望論があったことも、証明しようとしています。

 支倉たちの訪問について、スペイン側が疑念を抱いたことが多くの記録から炙り出されます。日本の皇帝(将軍)がキリスト教の禁制をしているのに、奥州の王(政宗)が外国からの宣教師派遣を求める矛盾を見抜かれていたとする件は、大変おもしろく読みました。
 すると、この支倉たちの旅が何だったのか、ますます謎が深まります。

 支倉のスペインでの洗礼について、著者は遠藤周作の『侍』を引いて、遠藤よりもさらに同情的に支倉の入信を確信しています。ただし、支倉の名前を記した洗礼台帳は、いまだに見当たらないそうです(144頁)。

 『仙台市史』を取り上げて、政宗がローマへ使節を派遣した主目的の所を翻訳していないことを、問題にしています(166頁)。
 確かに、資料の信頼性と研究を紛らわせる一例といえます。この指摘は、歴史研究において大事なことです。政宗がローマ教皇に服従を誓うために、支倉たちを派遣したことを確認する文書なのですから。

 支倉たちがメキシコに続いて訪問した都市名が列記されています。参考のために、ここに引いておきます。


キューバ、スペイン(セビィリャ、コルドバ、トレド、マドリード、サラゴサ、バルセロナ)、フランス(サン・トロペ)、イタリア(ジェノヴァ、ローマ、フィレンツェ)


 1614年に政宗は、大坂冬の陣で行き場を失ったキリシタンを大勢匿います。その理由は、政宗が将来、キリシタンと手を組んでキリシタン帝国を建設し、倒幕決起を目論んでいたためではないか、と著者は言います。ここは、もっと傍証となる資料がほしいところです。

 私には、平将門の説話に近い論理や展開を感じられました。

 著者は、政宗の策謀が功を奏さなかったのは、彼がソテロ神父を他力本願的に対処した、その姿勢にあったとしています。

 不確実性の高い計画だったために、キリシタン将軍となってキリシタン帝国を築く野望が潰えた、と著者は言います。
 鋭いというよりも、おもしろい指摘です。ただし、やはり資料に裏打ちされた論理展開でないところに、読者の一人として素直に読み切れない印象が、最後まで付きまといました。

 膨大な資料が提示され、その解釈で推論が展開していきます。
 しかし、その資料の翻訳や翻字の信頼性とその解釈の妥当性がどこまで客観的なものなのか、というところで、筆者の存在が遠ざかります。このことが、読み手である私が素人であるが故に、常に不安がつきまといながらも残りました。
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2013年10月03日

読書雑記(82)遠藤周作『侍』から見える支倉常長像

 支倉常長は、学校で教わった名前として記憶しています。
 しかし、自分でも意外なほどに、その実際を知らなかったことがわかりました。
 今回、スペインへ行くにあたり、これが奇縁で支倉常長に関する本を何冊か手にしました。
 まずは、私が安心して読める小説、遠藤周作の『侍』(新潮文庫、平成15年11月24版)からです。
 

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 東北陸前の小さな村での、一人の男の様子から、丹念に語り起こされます。
 そして、話はしだいにローマへとつながり、日本の対外政策へと展開していきます。
 長谷倉(支倉)六右衛門が日本を発つまでの慌ただしさの背景に、キリスト教内部の揉め事がうまく点描されています。

 物語は、支倉倉と宣教師ベラスコの視線で、交互に語られていきます。語りの主体が変わる毎に、人間のものの見方や考え方だけでなく、文化の質の違いも浮き彫りになる形です。
 また、神とは何か、という自問も、作中の登場人物たちが抱くこととなります。
 神聖なる宗教を布教して広める行為と、その裏に蠢く私利私欲も、巧みに織り交ぜているところが、遠藤らしい構成だと思いました。

 登場人物たちの腹の探り合いが、この作品をおもしろく読ませます。メキシコからスペインへ。克明に船旅の記録と人間の心の記録が刻まれていきます。

 スペインに到着してから、長谷倉たちにキリスト教への帰依という問題が降りかかります。それが本心からではないにしても、目的を達成するために、生きていくために……。心の葛藤の中で苦しみます。
 また、長谷倉たちは、日本からの正式な使節として派遣された者ではないことも、わかりやすい形で炙り出されます。国と国、人間と人間の関係性が、うまく綴られていくのです。
 キリスト教をめぐる論争が行われる所では、日本人論が展開されていきます。

 スペインで知った、日本でのキリスト教禁制は、長谷倉たちの人生を大きく変えます。自分たちのしようとしていることが、すべて無になったのです。故郷が何度も夢に出てきます。
 わずかな活路を求めて、スペインからローマに行くことにします。旅を続け、前に向いて歩むしかなかったのです。

 しかし、それも思い通りの結果は残せませんでした。惨めさと、虚しさを、これでもかと味わうだけでした。
 ヨーロッパからの帰路、田中太郎左衛門が自害します。これが、この長谷倉たちの旅を象徴する出来事だといえます。日本人にしかわからない、日本独特のものの考え方として、異文化圏の人には理解されないこととして語られます。

 厳しいキリシタン禁制が敷かれた日本に、7年の旅を終えて帰ってきた長谷倉たちは、自分たちの旅とその役目が無意味なものだったことを思い知らされ、愕然とします。そして、ひっそりと目立たずに生きていくことを強いられます。

 最後は物語を支えていたみんなが、お仕置きという現実に散っていきます。
 しかし、読み終えて、心に残るものが多くありました。

 私は、次のことばが、この作品の中で一番印象的だったものとして思い出されます。

人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬものを−たとえ、それが病みほうけた犬でもいい−求める願いがあるのだな。(377頁、新潮文庫)


 この小説の主人公をはじめとして、実際には支倉常長とその使節団のことは、あまり研究が深まっていないようです。
 今回の、支倉常長たち慶長遣欧使節団派遣400周年の記念事業として、スペインで開催される国際集会「スペインにおける日本年」を機に、より一層歴史が掘り起こされ、幅広くこの事実が理解されることを期待したいと思います。
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2013年09月28日

読書雑記(81)澁澤龍彦『高丘親王航海記』

 初めて澁澤龍彦の小説を読みました。しっかりした文章、考え抜かれた構成、そして現実と乖離しながらも読者を惹き付ける物語展開。今から千年以上も前の人間の生きざまを、幻想の世界を彷徨いながら追体験しました。
 現実を超越した世界がこのように描き出されていることは、特筆すべきものだと思います。
 

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 以下、日頃はこうした作品をほとんど読まないので、各章ごとに思いつくままのメモを残しておきます。
 
■「儒艮」
 高丘親王が中国の広州から天竺へ向かったのは、貞観7年(865)の正月でした。話はここから始まります。
 7、8歳の親王に天竺の魅力を吹き込んだのは、父平城帝の寵姫であった藤原薬子でした。その薬子が印象的に描かれています。そして、薬子の死と共に12歳の親王も廃太子になったのです。
 20歳を過ぎて落飾。24歳で空海に師事。
 天竺へ向かう途中で、儒艮や大蟻食いの話があり、南洋の雰囲気にさせてくれます。【4】

■「蘭房」
 カンボジアの後宮に行くことになった親王の目に映るものすべてが、異国情緒を漂わせています。奇譚となっていくのです。陳家蘭と呼ばれる単孔の女たちの話が、興味深く語られます。そこにいた7人の全裸の女性は、みな下半身にさまざまな色の羽を持つ鳥だったのです。【2】

■「獏園」
 親王はマライ半島に移ります。そこで土民に掴まったのです。行った先は、今で言う動物園。夢を喰う獏の話は、おもしろく読めます。親王の夢を食べる獏は、いい香りのする分をすると言います。また、夢を見てもすべて獏に食べられるため、記憶に残らないとも。そのせいもあって、親王は鬱屈していきます。そんなある時、薬子が父平城天皇を殺そうとする夢を見ました。その後、獏と少女の不思議な風景を目にします。空想物語がみごとに紡ぎ出されていいて、読みながら引き込まれていきました。【5】

■「蜜人」
 親王たちの船は流されて、ビルマに着きました。そこで、犬頭の男の話が展開します。さらに、蜜人へと。蜜人とは、バラモンが蜜を食べて捨身すると、その屍体が馥郁とした芳香を放つようになる者のことです。アラビア人が言う蜜人採りに、親王たちは関わるのです。インドへ行くために。
 しだいにグロテスクな話となっていきます。作者の本領発揮というところです。
 親王は、よく夢を見ます。得意技でもあります。そして、空海とのやりとりには大らかさが滲んでいて、好感が持てました。その夢の中には、必ず薬子も出てきます。
 現実と空想、過去と現在が行きつ戻りつし、スケールの大きな語り口を堪能しました。【4】

■「鏡湖」
 親王は、お供3人を連れることなく、1人で雲南にやってきました。心細さよりも、楽天的に考える人でした。そこでの体験がおもしろいのです。人間の存在について考えてしまいます。不思議な話に引き込まれます。穏やかな文章もいいと思いました。【4】

■「真珠」
 セイロンへ向かう船の中でのことです。儒艮をめぐって、不思議な話が繰り広げられます。また、死についての話題が多く語られます。船はセイロンには着かないままです。どこに辿り着いたかは、読者には伏せたままです。【2】

■「頻伽」
 ベンガル湾にあると言われた魔の海域に至ります。
 親王たちが漂着したのは、スマトラ島だったようです。しかし、親王たちはそのことを知りません。まだセイロンかと思っていたのです。
 死にゆく親王とパタタ姫の会話は、無機質で干からびた感じがうまく出ています。2人が出した結論は、虎に喰われ、その虎に天竺へ運んでもらうというものでした。発想は奇想天外です。しかし、強い目的のために設定されたものなのです。
 終盤になって、やたら作者が物語の中に顔を出すようになりります。語りが現実味を持ち、これが不自然ではないのです。
 また、薬子が姿を見せます。この夢想の中の話も、柔らかく包まれて語られます。
 そして、幻想的な結末に。
 1年にも満たない高丘親王の旅は、こうして終わったのです。【4】
 
 この作品は、昭和60年に執筆を開始し、62年10月に文藝春秋社から刊行されました。
 今回、私はこれを読みました。
 澁澤龍彦は62年8月に亡くなっているので、遺作となったものです。
 本作品は、第39回読売文学賞を受賞しています。
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2013年09月26日

読書雑記(80)続木義也『カレーの海で泳ぎたい』

 我が家の近くに、自家焙煎の「カフェ・ヴェルディ」があります。
 このお店のことは、「京洛逍遥(283)下鴨の「カフェ・ヴェルディ」が開業10周年」(2013/8/14)で紹介しました。

 そのお店のオーナーである続木義也さんが、『カレーの海で泳ぎたい インド料理の見方・食べ方・楽しみ方』(マリア書房、2013年8月12日)を出版されました。
 

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 かねてよりカレーと縁の深い方であることは仄聞していたので、早速読みました。
 とにかく、おもしろい本です。

 現在、急激に変わりつつある日本のインド料理の実態が、楽しいエッセーと豊富な写真と、おしゃれな脚注で語られています。コラムも一味違っているので、多彩なマサラの世界が拡がります。

 筆者続木さんは、今年で創業100年を迎えた京都の老舗パン屋さん「進々堂」の四男です。京都人だな、と思うくだりがふんだんに出てきます。
 珈琲店の店主として、コーヒーについての質問を受ければ、それにはその道の専門家として語る用意があると仰います。問われれば、という謙虚な姿勢が顕著です。すぐに熱く蘊蓄を……という東人との違いが行文のそこここに見られて、東西の職人の気質がおもしろいと思いました。

 料理についても、自分は作らずに食べ歩くことに徹しているのも、気持ちのいいものがあります。
 カレーに対する思い入れが、温かく伝わってきます。

 目の前で語っておられるような錯覚に陥るのは、非常に具体的で的確な評価を下しながら、次々と話題が展開するからでしょう。背伸びしない語り口が、目にも耳にも優しいのです。
 これは本なので、残念ながら、舌と鼻は楽しませてもらえません。

 文章に関する注も、お店や地名や料理のことが、脚注というよりも下向きの吹き出しか風船のような仕掛けでぶら下がっていて、工夫された楽しい情報提供となっています。

 筆者の語るインド人気質も興味深いものがありました。私は10年近くインドに通い詰めています。ただし、デリー中心です。その中で掴んだインドの方々の特質が、著者の言うものと大いにズレを感じます。
 これは、インドにどれだけ行ったのかということよりも、インド料理に関わっている人とどれだけ多く接してきたか、ということの違いからくるもののようです。私は学校関係者であり、著者は料理関係者です。自ずと、そこには違いがあるのは当然です。しかし、そこは同じインド人のことです。大いに理解を深める指摘もたくさん出てきました。

 インドとネパールの違いについては、私も同感です。
 両国は違うのに、日本では混同して捉えられています。

 本書は、全編がインド料理を中心にしています。しかし、和食・中華・洋食も取り込んだ食べ歩き記となっています。話題が豊富で、文章にも躍動感があります。
 これは、筆者が一番語りたいことをストレートに語り下ろしているからでしょう。

 著者は、画一的に決めつけるのを嫌い、それぞれの個性を見ようとしています。
 「寿司・天ぷら・スキヤキ」と「ナン・カレー・タンドリーチキン」が、お互いの国の料理だという先入観を批判もしています。単一化がかえって実態をねじ曲げる例とも言えることです。

 次の例は、私がいつもインドでお世話になっている先生の檀那さんがお医者さんなので、以前からよく聞いていたことです。


実は、インド人がよく食べる主食と言えば、圧倒的にライス。特に南インドへ行くと、ものすごい量のご飯を食べるそうである。あまりにもご飯を採りすぎて糖尿病の患者が増えたため、医者がアタで作るパン、チャパティを推奨しているとか。そんなライス文化の国なのだから、カレーもご飯に合うものが多いのは当たり前。(53頁)


 糖質制限食を心掛けている私にとって、この炭水化物の摂り過ぎは興味深い事例です。
 このままではインドは、これからますます糖尿病大国になることでしょう。

 ランチだけでは味は分からない、ということも納得しました。確かに、提供する対象も、調理方法も、ランチとディナーでは違うのですから。

 さらには、こんな話も。


ランチやターリーとアラカルトで味に大差のないインド料理店は、マサラの使い方など総合的な技術を持っていないか、日本人を見下しているかのいずれかかもしれない。(58頁)


 もう一つ。おいしくなかった時のうまい褒め言葉について(85頁)。


日本料理の場合:「懐かしい味ですね」
それ以外の国の料理の場合:「本場の味ですね」


 これは使えます。

 本書には、京都のお薦めレストランが目白押しです。京都のインド料理は食べ尽くしたと自負するほどのことはある、充実した情報です。ぜひとも、私も折々に渡り歩いてみたいと思います。ただし、摂取する炭水化物の量をよくよく注意しながら。

 お薦めのインド料理店は、京都だけではありません。
 好奇心旺盛な筆者は、東京の情報もしっかりと押さえておられます。

 満腹状態で本書を綴じた時、私の大好物のパニールについて、まったくと言っていいほど情報がありませんでした。出てきたのは1回だけで、アラカルトの料理名として「パラクパニール」しかなかったように思います。その注も簡素なものでした。
 私のように、消化管にやさしいインド料理を探し求めている者にとっては、パニールはありがたい料理です。どうして触れておられないのか、機会があれば珈琲店「ベルディ」に行った時に聞いてみたいと思います。

 とにかく、食べ物について人の嗜好はさまざまです。しかも、それが外国発祥のものであればなおさらのこと。食材からして違うのです。一口にインド料理と言っても千差万別です。本場の味などは、どだい無理なので、自分がおいしいと思うものを楽しむことに行き着きます。

 北インド料理から南インド料理へと、現在の状況や流れが広がりつつあることわかりました。しかし、私が毎年行くデリーでは、至るところに南インド料理があり、私もよく行っていました。

 現地の人々が暮らす地域には、デリーであっても南インド料理のお店は多いのです。多少、北インド料理店よりも値段が高く、少し上品な雰囲気の店が多かったのは確かですが。
 北も南も混在するのは、いろいろなものに興味を示すインド人の習性だと思います。北インド料理から南インド料理へと、という流れは、日本にいるインド人の方々から聞いた話を元にしてのことなのでしょう。あくまでも日本でのこと、として理解しました。
 イタリアのように南北に長い国なので、食文化の伝播も日本に適したと思われる北インドのメニューが先に受け入れられた、という事情もあるのでは、と素人ながら思いました。

 私はデリーで、そんなに辛いカレーは食べません。辛いモノを探せば多いのは確かです。しかし、地元の人はそんなにいつもヒリヒリするほどの辛さのマサラ料理は食べていません。
 私はインドへ行くと、いつも体調が良くなって帰ってきます。マサラという薬膳料理を毎日たべるからでしょう。そして、豆とパニール中心の料理は、添えてある唐辛子で辛さを調節するのです。
 これからの日本におけるインド料理は、辛さを競うのではなくて、人にやさしいマサラ料理を目指してもらえたら、と思うようになりました。

 本書の巻末にある「京都のお店」と「東京のお店」と「インド料理豆知識」、さらに「京都マップ」は、早速PDFにして iPhone に入れて持ち歩くことにします。

 盛りだくさんの内容と、楽しい話で満腹です。
 ごちそうさまでした。
 また、「ベルディ」のコーヒーをいただきに行きます。
 
 なお、これまで私は、インドのカレーに関しては、小菅桂子さんの『カレーライスの誕生』(講談社、2002年6月)を折々に推薦していました。この本は、今年の3月に、〈講談社学術文庫〉の一冊として装いを新たに刊行されています。
 
 

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 今回、本書が刊行されたことにより、これも加えることにします。
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2013年09月04日

読書雑記(79)東西の本屋さんによる受賞作2点

 毎週のように東西を往き来していると、道中でいろいろと目に付くものがあります。
 そんな中から、本の話題を。

 〈本屋大賞〉(NPO法人 本屋大賞実行委員会)というものがあります。
 「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」が、売りたいと思う本を投票で選ぶのです。
 創設からすでに10年を経ていて、今回が10回目となります。定着した賞だと言えるでしょう。
 本年度、2013年の大賞は、百田 尚樹 『海賊とよばれた男』でした。
 私はまだこれを読んでいません。

 これまでの〈本屋大賞〉受賞作の中で私が読んだのは、第3回の『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』だけです。選考基準と自分の好みがズレていることもあるのでしょうか。

 そんな中で、地域を意識した選書がなされるようになりました。
 今春、本ブログでも「京洛逍遥(265)本屋さんで多彩な京都と遭遇」(2013年3月17日)として、京都関連の本を集めたフェアを紹介しました。
 それが、さらに賞という形に昇華・凝縮して、地域・地元の読者に提供されるようになりました。

 まずは、関西の方から。

(1)Osaka Book One Project
  (2013.7.25発表)
 
 
 
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大阪の本屋と問屋が力を併せて、大阪のお客様に向けて絶対にはずさない1冊を150点以上のノミネート作品の中から選びました。
(ほんまに読んでほしい本)
Osaka Book One Projectは、この本の販売で得られた収益の一部を使い、大阪の児童養護施設の子供たちに本を寄贈いたします。
 
第1回受賞作
『銀二貫』
高田 郁 著
幻冬舎時代小説文庫
 
大阪天満宮を舞台に描かれる大阪商人の素敵な気質と人情...
大坂天満の寒天問屋の主・和助は、仇討ちで父を亡くした鶴之輔を銀二貫で救う。
大火で焼失した天満宮再建のための大金だった。
人はこれほど優しく、強くなれるのか?
一つの味と一つの恋を追い求めた若者の運命は?


 この賞の選考は、書店員有志と出版取次会社の約40人でなされたそうです。
 著書や内容が大阪ゆかりの文庫から4点に絞り、そこから投票で選ばれたのです。

 賞の意図が明確で、大阪という地域を意識した選考です。
 地元大阪はもとより、幅広く全国方々から支持される賞として続くことでしょう。

 なお、この受賞作『銀二貫』については、本ブログの「読書雑記(25)高田郁『銀二貫』」(2010/12/5)で、自分なりのメモを残していますのでご笑覧いただければ幸いです。
 
 つぎは、関東のものを。

(2)エキナカ書店大賞
  (2013.8.29 or 12(フライング?)発表)
 
 
 
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BOOK EXPRESS/HINT INDEX BOOK
 駅のなかの本屋さんが選んだ
いちばんオススメの文庫本!
第2回 ブックエキスプレス HINT INDEX BOOK
エキナカ書店大賞
  第1位
ミッドナイト・ラン!
  樋口 明雄
に決定!

 
 この賞については、チラシの中に賞の趣旨や作品の紹介があります。
 しかし、店頭で見える部分で比較したいので、ここでは情報が少なくなっています。
 以下、補足しておきます。


第2回受賞作
『ミッドナイト・ラン!』
樋口 明雄 著
講談社文庫
 
エキナカ書店大賞とは…
 今年からブックエキスプレスでは「エキナカ書店大賞」を始めました。これは全26店舖の従業員からオススメ文庫を募り、投票・選考会を経て「今いちばん読んでもらいたい本」を決めるというものです。駅を利用されるお客さまが手に取りやすく、電車の中でも気軽に読めるなど、推薦ポイントにはエキナカ書店ならではの特色が出ています。
 第一回受賞作「カミングアウト」(徳間文庫・高殿円著)に続き、今回の「ミッドナイト・ラン!」(講談社文庫・樋ロ明雄著)もエンタメ度の高い作品で読み応えがあります。まだまだ始まったばかりの賞ですが、今後もぜひご期待ください。
実行委員長 金谷真武(ブックエキスプレス東京北口店)


 この賞は、JR東日本の駅構内の書店(BOOK EXPRESS/HINT INDEX BOOK)の店員さんたちが、この1年間に読んで『面白い、お客様にも薦めたい』と思った本を選考したものです。
 昨年の第1回は、高殿 円の『カミングアウト』(徳間書店)でした。

 この『ミッドナイト・ラン!』を私は読んでいないのでコメントはできません。しかし、キャッチコピーなどによると、「エンタメ度の高い作品」だとか、「痛快無比なジェットコースター・ノベル!!」とあるので、刺激的な内容なのでしょう。「ネット心中、アル中、うつ病、引きこもり、集団自殺をするために集まった男女5人」ということばも躍っています。

 この夏に選考された2作品は、東西で特徴的な性格のものが選ばれたようです。
 印象批評は避けつつも、「西の人情味」と「東の疾走感」という選考結果の違いが、その宣伝文句の中から読み取れました。
posted by genjiito at 23:24| Comment(0) | ■読書雑記

2013年09月02日

読書雑記(78)寺澤行忠『アメリカに渡った日本文化』

 寺澤行忠著『アメリカに渡った日本文化』(淡交社、2013.7.19)を読みました。
 
 
 
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 目次は次のようになっています。

序章 日本文化の特質
第1章 伝統文化
第2章 現代文化
第3章 日本美術
第4章 宗教
第5章 俳句
第6章 日本語図書
第7章 日本語教育
第8章 大学における日本研究
第9章 アメリカ各地の日本文化
終章 文化立国・日本へ

 著者の「あとがき」の一部を引いておきます。
 調査した事実に基づいて今後の日本の方向を示そうとした、意欲的な報告書となっています。

まず、アメリカに渡った日本文化の全体像を出来るだけ客観的に肥述することを心がけながら提示し、その上で日本文化をよりよいかたちで海外に紹介するための方策や、日本が進むべき方向について考察した。(232頁)

 その調査は、自分の足で歩き、そして千人近い方々からの聞き取りを通してであることは、とにかく徹底しています。日本文化が海外でどのように受け入れられているのかを、著者の五体を存分に活用しての成果なのです。日本文化の伝播が、具体的な情報や事例を基にして語られているのです。

 まず、茶道が話題となります。
 アメリカにこんなに本格的に伝わっているのかと、驚きました。
 裏千家の積極的な海外への普及活動は、特筆すべきものがあるようです。

 古典芸能の海外公演は、海外における日本人に日本文化の再認識を促す効用を持つという指摘は、それが具体的な分析によるものであるだけに、おもしろいと思いました。

 日本からアメリカに渡った日本美術の詳細な報告は、とにかく圧巻です。よくもこんなに、と思うほどです。これを見て、里帰り展と言われるものの位置づけを考えさせられました。アメリカに保管されていてよかった、と思われる事例がいくつもあるからです。

 今、私はハーバード大学が所蔵する『源氏物語』の調査を終えた所です。これは、鎌倉時代の中期といってもいいほどの写本で、『源氏物語』の中でも最も古い部類に属するみごとな古写本です。これも、アメリカに渡ったために、こうして無事に残っているといえるのですから。

 宗教としての禅がアメリカで広まっている情報は、貴重だと思います。日本の芸道の理解が、さらに深まることでしょう。

 日本文学の翻訳については、私がまとめた以下の仕事も紹介していただけました(103頁)。こうした機会を得て、広く知られることはありがたいことです。

『海外における上代文学』(国文学研究資料館、2006)
『海外における平安文学』(国文学研究資料館、2005)
『海外における源氏物語』(国文学研究資料館、2003)
『海外における日本文学研究論文1+2』(国文学研究資料館、2006)


 翻訳の重要性は、日本文化の国際理解に直結します。
 日本の翻訳事業について、国際交流基金の仕事の重要性が語られています。これは、海外に行って翻訳本の調査をすると、その意義深さが実感できます。

 これに関連して、事業仕分けで問題となった文化庁の「現代日本文学の翻訳・普及事業」について、興味深い数字が示されています。日本では年間予算は1億5千万円だったのが、フランスでは52億円も計上されているというのです(107頁)。理由はあるせよ、これは日本の文化行政の立ち後れであることは明らかです。真剣に考えるべき課題が、こうしていくつも提示されているのです。

 さらには、日本語の国際化についても提言があります。

鈴木孝夫氏が説かれるように、日本語を国連公用語にすることも検討されるべきであろう(『新武器としてのことば』、二〇〇八年、アートデイズ刊)。日本は国連に対し維持運営のための拠出金を、アメリカに次いで二番目に多く負担している。国民総生産(GDP)は、最近中国に抜かれたが、それでも世界第三位である。日本語を母語として使用する人口は、一億二五〇〇万人、世界第九位で、フランス語のそれより多い。日本語が日本一国でしか使われていないというなら、中国語も同様である。現在国連の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の六言語であり、日本語はこれらの言語の一角に加えられる資格は充分にある。日本語を加えることによる国連経費の増加分は、日本が負担することは当然であろう。(118頁)

 国連の公用語については、初めて知りました。
 確かに、日本語を理解しようとしている人々は、私の知る限りでも世界各国にたくさんいらっしゃいます。一言語としてではなくて、歴史や伝統と文化を併せ持つ言語として、自信をもって国際的な場でも使えるような環境整備から検討されてしかるべきだと思うようになりました。

 アメリカの図書館情報も興味深いものが目白押しです。ワシントンにある議会図書館の詳しい情報は、日本文化の伝わり方を理解する上で有益でした。

 アメリカの大学における研究者の情報も、網羅的で理解を深めます。アメリカ各地の日本文化とその研究に関する実態が炙り出されているのです。
 外国として訪れた者が見逃している日本文化の拡がりと足跡が、著者の足を使っての聞き取り調査により、具体的に現前してきます。気持ちがいいほどです。

 日本人留学生の減少については、ハーバード大学における次の例が典型的だと思いました。
 それは、次のように記されている箇所です。

ところで近年、日本人学生のアメリカに留学する数が、かなり減少傾向を示している。アメリカ国際教育研究所が発表した二〇一二年度の統計を見ると、アメリカにもっとも多くの留学生を送っている国は中国で一九万四〇〇〇人、次いでインドが一〇万人、さらに韓国七万二〇〇〇人、サウジアラビア三万四〇〇〇人、カナダ二万七〇〇〇人と続き、日本は台湾に次ぐ第七位、約二万人である、九四年から九八年にかけては、アメリカへの日本人の留孚生数は世界一であった。ところがピークの九七〜九八年に四万七〇〇〇人いた留学生が、今はその半分以下となり、中国の約一〇分の一に過ぎない。一方中国は前年比二三・一%増、アメリカにおける留学生の二五・四%を占めている。二〇一二年度におけるハーバード大学学部課程の留学生は、中国人五〇人、韓国人四七人に対し、日本人は九人しかいなかった。(215頁)

 これは、非常にショッキングな情報だ、としかいえません。

 終章で、日本が文化立国・文化大国を目指すように、著者は訴えています。

 今は、文化侵略などできない時代です。過去のことを持ち出して前に進めない状況に縛られることなく、国と民間の役割を見直すことが大事です。
 ソフト・パワーによる世界貢献のためには、本書の情報はますます判断する上での貴重な材料となります。そして、今後進むべき道やビジョンを検討する有益な情報源ともなります。

 なお、国立国語研究所のプロジェクトの一環として、議会図書館に収蔵された『源氏物語』の翻字や影印をインターネットに公開していることにも触れてほしかったと思います。
 アメリカに渡った日本の文化資源を、日本側で新たに掘り起こして日本の技術で世界に公開しているものなのです。これは、ハーバード大学所蔵の『源氏物語』についても同じことです。

 また、福田秀一先生の業績について、参考文献にあげられただけでは物足りなく思いました。
 アメリカに拘ってのものなので、思い切られたのでしょう。しかし、福田先生の功績は、忘れられないと思います。本書を一読して、福田秀一先生のお仕事の延長に位置する、すばらしい仕事の成果だと思いましたので、少し言及しておきます。

 著者が聞き取られた情報は、大学の日本学や日本語教育に関するものだけでも、今回はほんの一部だとのことです。続刊で、こうした点をさらに掘り下げて、分析結果を示していただけると幸いです。【4】
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■読書雑記