2017年09月07日

読書雑記(209)山本兼一『黄金の太刀』

 『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(山本兼一、講談社、2011.9)を読みました。

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 ペルリが来航した翌年の嘉永7年正月、江戸神楽坂で幕が開きます。
 御腰物奉行の家に生まれた光三郎は、勘当されて家を飛び出した男です。あることから一人の男を探し求めて、五か伝の鍛冶どころである相州鎌倉、美濃関、山城、大和、備前をめぐる旅に出ます。伝統文化としての刀鍛冶をテーマとする〔観光物語〕とでも言えます。
 鎌倉での正宗探しは楽しく語られています。現地取材をしている作者の姿を彷彿とさせる文章です。
 光三郎は、道中記を手にしていました。宿場間の距離や宿屋の数が書いてある案内書のようです。こうしたものが出てくるところからも、話が観光名所巡りの性格を帯びていることがわかります。
 各旅籠での食事も、丹念に記してあります。鎌倉は鰆、大和は茶粥、備前はバラ寿司。そして、各宿場での食事の膳には、魚、大根の煮付け、味噌汁が出て来ます。
 作者が楽しみながら書いていることが伝わってくる小説です。【3】
 
 
初出誌︰『小説現代』
 「黄金の太刀」  2009年6月号
 「正宗の井戸」  2009年8月号
 「美濃刀すすどし」2009年10月号
 「きつね宗近」  2009年12月号
 「天国千年」   2010年2月号
 「丁子刃繚乱」  2010年4月号
 「江戸の淬ぎ」  2010年6月号
 
 
 
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2017年09月06日

読書雑記(208)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ・2』

 『京都寺町三条のホームズ・2 〜真贋事件簿〜』(望月麻衣、双葉文庫、2015年8月)を読みました。

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 前回の記事、「読書雑記(207)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ』」(2017年08月29日)の最後に、「観光気分に浸れる、爽やかなご当地小説の出現です。」と記しました。しかし、この第2作はさらなる期待をしたせいか、新鮮さと斬新さが感じられませんでした。

 第一作を受けての序章「夏の終わりに」が、非常に中途半端です。第二作なので、まずは何か書いておかなくては、という意識での文章かと思われます。シリーズ化を意識したせいか、読者への気遣いが空振りしています。【1】
 第一章の「目利きの哲学」は、長い物語の割には中身が伴いません。もっと短くまとめたら、緊張感のある話になったと思います。言葉数が多かった分、飽きがきました。【1】
 第二章の「ラス・メニーナスのような」は、絵画の話が手際よくまとまっています。ただし、作り話であることが見え見えの駄作です。文中に「七つの聡子に会わせてもらえれるなんて、夢にも思いませんでした」(128頁)とありました。このような表現に違和感を覚えます。【1】
 第三章の「失われた龍」における南禅寺三門からのくだりは、親切丁寧なガイドブックです。ただし、話はつまらない出来でした。【1】
 第四章の「秋の夜長に」は、ドタバタ騒動に留まるもので話の中身はありません。【1】
 最終章の「迷いと悟りと」に至っても、文章に緊張感がまったくありません。だらだらと、世間話が続きます。京都の神社仏閣のガイドブックを調べた結果を、ただ並べて会話文でつなげたものとなってしまいました。最後では、なんとか盛り上げようとする熱意が伝わります。この書き方を全編でやってほしいと思いました。【2】
 贋作を見抜くことよりも、本物と贋作の意義や、偽物に命を懸ける者の信念を描き出してほしいと思います。言葉が無駄に浪費されている一書でした。
 本作は、京都へ行きたいなと思わせるだけで、文章は小説や物語の域には届いていないと思います。これが「ライトノベル」だと言われたらそれまでです。本を読むことが好きな者としては残念です。各章の作文に関して、えらそうに書いてしまいました。ご寛恕のほどを。
 テーマがおもしろそうなので、第3作も読んでみるつもりです。
 
 
 
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2017年08月29日

読書雑記(207)望月麻衣『京都寺町三条のホームズ』

 『京都寺町三条のホームズ』(望月麻衣、双葉文庫、2015.4)を読みました。「第四回 京都本大賞」(2016年度)を受賞したことと、「キャラクターミステリー」と帯にあります。

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 京都三条の骨董屋さんというと、山本兼一の〈とびきり屋見立て帖〉のシリーズを思い出します。幕末の道具屋夫婦のはんなり系時代小説です。残念ながら4作で急逝されたのが惜しまれます。

「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)第1弾

「読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』」(2012年12月19日)第2弾

「読書雑記(63)山本兼一『赤絵そうめん』でお茶のイメージトレーニング」(2013年04月17日)第3弾

「読書雑記(100)山本兼一『利休の茶杓 とびきり屋見立て帖』」(2014年06月03日)第4弾

 これは、坂本龍馬や近藤勇などが出てきたので、明治になる直前の京都三条が舞台でした。本作『京都寺町三条のホームズ』は、現代を舞台とします。京大の大学院生が、骨董にまつわる謎を的確な判断で解き明かします。
 下鴨神社の近くに「葵書店」というお店があるとありました。実は、「葵書房」なら我が家の近くにあります。方角は反対ながら、右京区には「あおい書店」があります。固有名詞を少しずらして使っていることがわかります。
 気になったことがあります。テンポよく進む話に、背景がないのです。演劇の舞台で使われる、簡単な作り物のようだったり、それらしい背景画なのです。物語はおもしろいと思います。しかし、なんとなく深みにかけるのは、そんなことが原因なのかもしれません。この手のライトノベルとされているものは、軽く読み流すべきかもしれません。しかし、それではもったいないと思います。
 ここに集められたら作品の中では、『鞍馬山荘遺品事件簿』が一番おもしろいと思いました。また、『祭りのあとに』が一番印象に残りました。この作者は、今後とも追いかけて読んでみたいと思います。
 本作には、随所に京都の歴史、地理、文化が語られています。まだ京都をよく理解していない高校生である葵のための、勉強も兼ねた説明なのです。しかし、それが読者には京都へ行きたくなるような、誘い水になっています。観光気分に浸れる、爽やかなご当地小説の出現です。【4】
 
 
 
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2017年08月25日

読書雑記(206)角田光代『八日目の蟬』

 『八日目の蟬』(角田光代、中公文庫、2011年1月)を読みました。

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 来月、9月中旬に角田訳の『源氏物語』が刊行されるので、もう少し作者のことを知りたくて手にした本です。この作者については、『源氏物語』を訳すことが公表された時に、「読書雑記(147)角田光代『マザコン』」(2015年11月25日)を読みました。どうも、私にはよくわからない作家でした。
 今回、『源氏物語』を現代語訳した作家ということを意識して、この作品を読みました。物語を紡ぐのが巧みな方のようなので、『源氏物語』を現代語訳するとおもしろいものができるかも知れません。ただし、古典や古文に関するセンスは、できたものを見るしかありませんが。この作者を起用したのは、相当の冒険だと思われます。さて、どういう『源氏物語』の訳が公開されることになりますか。楽しみです。

 それはさておき、『八日目の蟬』は冒頭から緊張感が漂っています。
 赤ん坊を盗んだ女の、その心の中を丹念に描いていきます。生まれたばかりの赤ちゃんが日々成長していく生々しい話が、スピード感をもって語られます。小気味いい切り返しが、作者の得意技のようです。
 後半の第2部から、その娘の話が始まります。話の展開が巧みで、構成に工夫があります。第1部の話を、理詰めで解説するのです。裁判での証言なども盛り込んで。
 この小説『八日目の蟬』は、男性が読むのと女性が読むのとでは、その理解と共感に大きな違いがあるだろうと思いました。男にはわからない性差に伴うことが、話を大きく回転させているからです。
 とにかく、母親を体験した男はいないのです。娘を体験した男もいないのです。それらしい男はいても。このことが、この作品を理解する上で、大きな壁になっていると思いました。
 八日目の蟬の話があります。


「前に、死ねなかった蟬の話をしたの、あんた覚えてる? 七日で死ぬよりも、八日目に生き残った蟬のほうがかなしいって、あんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」千草は静かに言葉をつなぐ。「それは違うかもね。八日目の蟬は、ほかの蟬には見られなかったものを見られるんだから。見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ」
 秋に千草と見上げた公園の木を思いだした。闇にすっと立っていた木に、息をひそめる蟬をさがしたことを思いだした。あの女、野々宮希和子も、今この瞬間どこかで、八日目の先を生きているんだと唐突に思う。私や、父や母が、懸命にそうしているように。(343頁)


 ここは、もう少し複雑な言い回しにしてほしかったところです。もっと深い意味を感じとらせるように。
 男とはまったく違う女のセンサーで感じ、語られる物の見方や考え方に、わからないなりにもその違いだけは少し伝わって来ました。
 語られている出産と育児を通して、男と女の違いを知ることになりました。【5】
 
 
初出誌︰『読売新聞』(夕刊)2005年11月21日から2006年7月24日まで連載
単行本︰『八日目の蟬』中央公論新社、2007年3月刊
 
 
 
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2017年08月23日

読書雑記(205)高田郁『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』

 『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』(高田郁、時代小説文庫、角川春樹事務所 、2017年8月)を読みました。

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 江戸時代中期の、大坂天満の呉服商「五鈴屋」を舞台とする話です。
 本作品も、前作を受けての話が展開します。しかし、いつもと違うのです。女主人公である幸が目立ちすぎます。いい子すぎます。机上で作文したものであることが、これまで以上に、そこここで伝わってきました。あまりにも、作者のご都合主義が露呈しすぎです。読んでいて、いつもの高田郁らしい調子がなかなか伝わってこないのです。半ば拍子抜けして、どうしたのだろうと思い、我慢しながら先を急ぎました。
 そうこうするうちに中盤で、披露宴に引き続いて舞台回しとなっていたお家さんが死にゆく場面で、賑わいと厳かな終焉が巧みに描き分けられていきます。秀逸な語り口です。作者の筆の力が、この半ばにしてようやく蘇ったようです。
 また、近松門左衛門の作品がうまく物語に取り込まれています。徹頭徹尾下調べをした証です。
 さらには、紅花のお茶がでてきたことに驚きました。今、私はお茶に興味を持っているからです。それは、間引いた紅花を乾燥させたものでした。

お染は、ああ、せや、と呟いて、土瓶に入れようとしていた茶葉を少し小皿に零す。
「ご寮さん、これ、何やと思わはります?」
 からからに乾いた葉は、よくよく見ると茶葉とは異なり、細い軸らしいものが付いている。何だろう、と首を捻る幸に、
「間引いた紅花を、乾燥させたものだすのや」
「紅花? あの紅花ですか?」
幸は目を見張り、小皿の葉を窪めた掌に受けて、じつと見入った。
 紅花は文字通り紅花染めに用いられる植物で、雪深い出羽国が主な産地であった。俗に「紅一匁、金一匁」と評されるほどに値打ちの高いものだ。およそ呉服の商いに携わる者なら、それが如何に貴重で高価なものか、骨身に沁みていた。
「紅花は花を摘んで磨り潰したあと、乾燥させて餅のように固めたものが染屋に渡る、と聞いたことがあります。間引いた紅花がこんな形で手に入るだなんて……」(161〜162頁)
 
 干した紅花を土瓶に入れて、熱い湯を注げば、焦げ臭いような妙に懐かしい匂いが漂う。(163頁)
 
 湯呑みを手にした。逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと貴重なお茶を飲み干す。思いがけず飲み易く、口の中がさっぱりとする。(164頁)

 
 後半は、次第に作者も弾みがついたのか、行商という新しい商法を幸が思いつき、斬新な商売に手を付けることになります。文章も活気が出てきました。
 季節感がしっかりと背景に置かれ、風俗が前景に描かれます。登場人物が生き生きと動くのです。作者の本領発揮です。
 十五夜の月影が桑の実色の生地を照らす場面は、作者が得意とするところです。

 お竹は薄を手放して、幸の傍ににじり寄った。広縁から幸の居るところまで、煌々と月影が射し込み、膝に広げた縫い物を照らしている。日中の陽射しの中で見るのとは色味が異なり、妖艶な美しさだった。また、縮緬だと、「しぼ」と呼ばれる凹凸が生地に表情を付けて、一色ながら何とも良い味わいが出る。
「綺麗な色だすなあ」(240頁)
 

「ええ月だすなぁ」
 ぎりぎり、隣家の屋根に留まる月を愛でて、お竹はしんみりと眩いた。
「紅屋の嬢さんが四代目に嫁いで来はったんも、それに四代目の四十九日も、確か、十五夜だしたなぁ」
 因縁の日を覚えていた女衆に、幸は敢えて何も応えずに、ただ一緒に月を観る。
 そう、場所も同じこの広縁で、四代目の忌明けの夜、五代目徳兵衛を継ぐ条件として、惣次が持ち出したのが「幸を娶ること」だった。五代目と添うたあと、今はその弟、智蔵と夫婦となり、六代目徳兵衛の女房として勝負の衣装を縫いながら、お竹と十五夜の月を愛でている。
「来年の十五夜も、こないして笑うて眺めたいもんだすなぁ」
 このところ仏像と化すのも忘れているお竹が、つくづくと言った。
 因縁の十五夜に、幸は心密かに月に誓う。どんな時も知恵を絞り、笑って勝ちに行く。笑って、勝ちに行くのだ、と。(242〜243頁)


 豊かな表現が生き返りました。
 そして、後は一気呵成に話が緊迫し、頁を繰るのがもどかしくなるほどに急展開します。この続きを一日も早く読みたい、との思いで本を閉じることになりました。【5】
 
 
 
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2017年08月22日

読書雑記(204)白川紺子『下鴨アンティーク アリスと紫式部』

 連作となる《下鴨アンティーク》の第1弾『下鴨アンティーク アリスと紫式部』(白川紺子、集英社オレンジ文庫、2015年1月)を読みました。ライトノベルと言われている分野の作品です。

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 作品の発表時期が前後するものの、すでに第3弾を読んで「読書雑記(189)白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』」(2017年01月09日)を書きました。さらに最初から読んでみたくなったので、本書を手にしました。

 [iTunes Preview]から内容紹介の文章を引きます。

【集英社オレンジ文庫創刊!】アンティーク着物をめぐるミステリー。京都、下鴨――。高校生の鹿乃は、旧華族である野々宮家の娘だ。両親を早くに亡くし、兄の良鷹と、准教授をしている下宿人の慧と三人で、古びた洋館に住んでいる。アンティーク着物を愛する鹿乃は、休日はたいてい、祖母のおさがりの着物で過ごす。そんなある日、「開けてはいけない」と言われていた蔵を開けてしまう! すると、次々に不思議なことが起こって…!?



■「アリスと紫式部」
 虫干しを契機に、蔵の中の着物を確認していて、鹿乃は不思議なことに巻き込まれます。源氏車が、少し時間が経ってから見ると壊れた絵になっていたのです。
 同居人の慧は兄の同級生で、今は私大の准教授です。その慧が相談相手です。
 その着物を持っていた人にまつわる愛憎劇が炙り出されます。そして、話は「あべこべ」の謎解きに。
 『源氏物語』の「葵」巻での内容がヒントです。
 壊れていた源氏車が元に戻ったという説明は、理屈としてはわかります。しかし、私には具体的にその直ったということがイメージとして描けませんでした。理屈が先行していて、無理があるように思います。何度かこの最後を読み直した今も、そのようには読みきれませんでした。完成度は高いと思いながらも、この点で不満が残っています。【3】
 
■「牡丹と薔薇のソネット」
 女子高生が活写されて始まります。
 長襦袢から声が聞こえる怪。その背後には、シェクスピアのソネットに託したラブレターがありそうです。何ともアカデミックな設定です。ただし、盛り上がらないままに話は次へと引き継がれます。
 ここでは、人間関係が丁寧に語られています。そして、お祖母ちゃんの日記が話題として提示されます。長期連載のためには、こうしたつなぎの話が必要なのでしょう。【1】
 
■「星月夜」
 お祖母ちゃんが17歳の時に書いたという日記が、話を推し進めていきます。蔵の中にあるお祖母ちゃんの着物探しの始まりです。
 お祖母ちゃんの日記に書いてあることをなぞるように、物語は綴られていきます。
 夜空に星が瞬くのを2人で見た話が、本話のポイントです。しかし、このネタは、日記の話を引用する体裁を取らなくてもよかったのではないか、と思いました。謎解きが理屈っぽくなっているからです。鹿乃と慧との話として語った方がよかったのに、と思っています。【1】
 
 
 
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2017年08月10日

読書雑記(203)村上紀夫『京都 地蔵盆の歴史』

 『京都 地蔵盆の歴史』(村上紀夫、宝蔵館、2017.7.24)を読みました。ちょうど、今週から来週にかけて、我が町内でも地蔵盆が行われます。この伝統的な行事を前に、この本で少し勉強をしました。

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 本書は、江戸時代の文書を含む数少ない地蔵盆に関する資料を丹念に集め、それを綴り合わせて読み解いていきます。関西に特有な地蔵盆とは何か、それが何であるのかを明らかにしようとする本です。
 多分に想像力をたくましくして、さまざまな可能性を考察しています。慎重な物言いと、どこからかが自説であるのかが明確です。納得しながら、楽しく読めました。

 江戸時代の書付などを読み解きながら、町内会での地蔵盆の実態などを、経費や会場や内容に至るまで報告しています。実際に行われていた姿が、具体的にイメージできました。

 本書で一番おもしろいと思ったのは、お地蔵様の撤去と地蔵盆の中止の後、それらが復活していく過程の検討です。わからないとされることへの挑戦がなされているだけに、推理小説に参加している気分になりました。

 筆者は、最後に本書で明らかにしたことをまとめておられます。今、その暇がないので、後日この記事の「補訂版」としてそれらを引いて、理解の一助にしたいと思っています。この記事は続きます。
 
 
 
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2017年07月12日

読書雑記(202)伊井春樹著『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』

 『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(伊井春樹、ミネルヴァ書房、2917.7.10)を読みました。

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 読書雑記としては、種類は違うものの、前回の「読書雑記(201)有川浩『阪急電車』」(2017年07月05日)に続いて、阪急電車に関連した本ということになります。あくまでも偶然にこうなったのですが……

 小林一三には、観光地化に対する溢れんばかりの発想があったのです。新しい価値の発見であり、新しい思想です。本書には、明治から大正にかけての関西の文化が活写されています。小林一三を再発見し、再評価をする書となっています。
 一三が進める阪急沿線の開発とその宣伝文には、今、新しい職場で観光のことを考えている私には、多くのヒントをもらいました。

 箕面有馬電気軌道鉄道が明治四十三年三月十日に大阪梅田から宝塚へ、途中の石橋から箕面へと路線が敷かれて営業を始めると、宝塚への温泉客も増えてくる。ただ電鉄会社としては、〈箕面有馬〉と称しているように、有馬への延伸が基本であり、宝塚は通過駅としての位置づけにあった。それだけに観光地としても知られる箕面の開発にまずは勢力を注ぎ、集客をはかる新しい施設を整え、大阪お伽倶楽部の助力も得ながら、多様な催しを企画していった。
 宝塚は観光地ではないだけに、これまでは温泉宿を持つ避暑地として知られ、見るべき名所は「宝塚梅林」のみにすぎないと紹介記事はそっけない。ただ、有馬行き電車の構想が明らかにされた時点で、有馬温泉の旅館業者は日帰り客が増え、宿泊しなくなると強く反対していた。結果的にその声の大きさと、山間部を走る難工事もあり、小林一三は有馬への延伸を断念するのだが、正式の決定はまだ先のことであった。(180頁)
 (中略)
 正式に有馬行きを断念したのは大正二年六月、その直後に宝塚唱歌隊を結成し、本格的な宝塚開発へと突き進む。もっとも、小林一三はそれ以前から有馬までの路線は困難との思いをいだき、宝塚の観光地化を計画はしていたのであろう。(182頁)


 「観光とは何か」を考え出していたところだったので、タイムリーな本でした。
 次の一文は、まさに今、食と観光のことに取り組んでいるところなので、早速メモをしました。

「九月十日より箕面公会堂にて、全国食料品共進会、各地名物うまいもの、悉く一堂に集る」と、今日のデパートでも見かける「全国うまいものフェアー」も催されるなど、集客の方策がなされていく。(173頁)


 名所の裏にある人の流れと店や物の動きなどから、一三の発想の新奇さを超えた先見の明が活写されていきます。人を集めることに天才的な発想を見せた一三は、次々と妙案を提示していたのです。
 中でも、「箕面電車唱歌」「箕面動物園唱歌」には、日本の伝統的な文化が塗り込められていることを教えられました。一三は、単なる事業家ではなくてスケールの大きな文化人だった、と著者は訴えています。
 箕面動物園や山林こども博覧会のくだりになると、まさに伊井語りとでも言うべき口調で、明治40年前後の観光ガイドブックが展開します。観光に興味を持つ私には、これこそ貴重な資料集となっています。
 箕面でのさまざまな取り組みが、その後の宝塚での発展と展開の基盤となっていきます。特に私は、一三が子供の存在を巧みに意識させていることに注目して読み進みました。
 最後に語られる、宝塚におけるプールの失敗から劇場へという発想の転換は、鮮やかな成功談として楽しめます。ところが話はさらに転々とし、失敗と言われているプールが、実は一三のレトリックであって、実際には最初から劇場と公会堂を兼用できるものだったということが明らかにされます。丹念に資料を渉猟し、読み解いての新見解です。
 少女歌劇団員の名前について、天津少女などは『百人一首』から採ったことは知っていました。その他にも多くの例を提示されると、ますます役者への親しみが湧いてきます。

 舞台に立つとなると、人々に親しまれ、覚えられるような芸名が必要である。「ドンブラコ」で桃太郎役となったのが男役スター第一号とされる十四歳の高峰妙子、本名の浅井(中村)薫に対して、『百人一首』(山部赤人)の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」を典拠とした。このようなアイデアを持ち出したのは、文学に通暁する小林一三であったに違いなく、少女を一人ずつ見ながら、それぞれふさわしいみやびやかな名前を付けていく。猿となった雲井浪子は、「わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲井にまがふ沖つ白波」(藤原忠通)、小倉みゆきには「小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ」(藤原忠平)と、人々にとってはなじみが深く、日常的にも口ずさまれ、国民的な愛唱歌『百人一首』を用いた歌である。大江文子、由良道子、逢坂関子、若菜君子などと、少女たちは和歌に由来する芸名が付けられ、舞台女優としての自覚を強く持つにいたったことであろう。
 草創期の少女だけではなく、宝塚の伝説的なトップスターとして名を残す七期生の天津乙女は、「天つ風雲の通ひ路吹きとちよ乙女の姿しばしとどめむ」(僧正遍昭)に由来することはよく知られるところである。妹の娘役トップの雲野かよ子は十一期生、同じ和歌を用いての芸名となる。(246〜247頁)


 本書は、今から2年前に刊行された「読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』」(2015年07月15日)を受けた、一三の生き様と一三が生み出した文化を語るものです。本書に続く第3弾では、宝塚歌劇がどのようなものを題材にして、誰によって演じられてきたかが語られることでしょう。特に、『源氏物語』の話を期待しています。
 本書では、著者が住んでおられる箕面への愛着も、その行間から伝わってきます。その旺盛な知的好奇心がますます実を結び、私どもに近現代の生きた文化史を展開してくださることをありがたく思いながら、それを大いに楽しみたいと思います。
 巻末の詳細な「人名索引」と「事項索引」は、本書が単なる読み物に留まるものではなく、資料的な性格を併せ持っていることを示しています。読み返し、再確認するときに大いに役立ちました。【5】
 
 
 
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2017年07月05日

読書雑記(201)有川浩『阪急電車』

 有川氏の作品を読むのは、これが初めてです。聞き耳を立てて話を楽しむ味があります。

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 関西の香りと軽妙さが心地よい、いい作品です。そして、登場人物の役割と演出が絶妙です。仕組まれた言葉の棘が、随所でチクリと刺して来るので、大いに楽しめました。語られる言葉の端々に、温かい視線も感じられました。
 乗客たちを乗せて走る電車には、それぞれの物語も乗せて走っている
のです。
 若い男の子と女の子の気持ちを描き分けながら、その接点と距離感が微妙に絡まる話に仕上がっています。壊れそうな人の気持ちと相手とのバランスを、包み込むように語るので、短い話ながらも人に対する優しいまなざしが伝わってきます。
 全編を通して、透明感のある文章です。そのせいか、読み終わってみて、軽さが気になりました。
 最初、作者は男性かと思って読み進めていました。すぐにあれっと思い、作者は男女どちらなのかを楽しみながら読みました。
 何も知らない作家の作品を読むときには、こんな楽しみ方もあります。決め手は、男性の心が見通せているか、というところです。
 その意味では、『源氏物語』には、女性では書けないと思われる描写があって、この視点で物語を読むのもおもしろいと思っています。蛇足ながら、『源氏物語』の作者は紫式部という一人の女性だけが書いたとは思っていません。彼女は、あくまでも最終段階の総責任者に留まるのではないでしょうか。そして、今残っている文章には、その後の男性の筆が入っているようです。
 それはともかく、有川さんの、また別の作品を読んでみたいと思うようになりました。【3】

書誌メモ︰2008年1月、幻冬舎より単行本発行
     2010年8月、幻冬舎文庫として刊行
 
 
 

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2017年07月04日

読書雑記(200)加藤 聖文『満蒙開拓団』

 『満蒙開拓団―虚妄の「日満一体」』(加藤聖文著、岩波現代全書、2017年3月)を読みました。

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 開拓民の衝撃的な証言から始まります。私は、満州から命からがら日本に帰ってきた母から少し聞いていたので、身につまされる思いで読み始めました。語り口が優しく、読みやすい文章です。

 本書は、満蒙開拓団の歴史を政策史の視点から検証していきます。これまでは、悲劇に焦点が当てられたものが多く、政策史からの視点で分析したものはほとんどないそうです。研究書もない中で、俗説混じりの開拓団の歴史が流布する現状に一書を投ずることになったようです。

 また、満洲開拓政策は、加藤完治と東宮鉄男によって進められたとされている。そして、移民拡大に反対していた高橋是清が二・二六事件で殺害されたことで、移民拡大の障壁が取り除かれ、百万戸計画という大量移民に繋がったともいわれている。しかし、これは加藤完治ら移民推進派が、戦中から戦後にかけてことあるごとに発言していた言説であって、彼らの功績を誇張した「俗説」でしかない。にもかかわらず、今日にいたっても研究書のレベルですらこのような単純化された「物語」を何の検証もないままそのまま鵜呑みにする傾向が強い。
 本書で明らかにしていくように、満洲開拓政策は限られた特定の人間たちによって推進されたような単純なものではなく、戦時下で目まぐるしく変わる政治環境のなか、政策が肥大化する反面、誰もが一定の枠組み以上の影響力を与えることはできず、政策責任の所在が不明瞭になってしまったという特徴を持つ。
 満洲開拓政策という国策は、関与した人物の多彩さに加え、「日満一体」のもと日本国内にとどまらず満洲国まで巻き込んだ政治状況の複雑さ、さらには日本人だけでなく中国人や朝鮮人など多民族を巻き込んだ民族問題までもが絡み合って、その実態への接近を拒絶し続けてきた。
 これから本書において、複雑な構造を抱える国策の実態に接近を試み、七〇年以上経っても総括されないまま、今なおさまざまな課題を投げかけている満蒙開拓団の歴史を考察していこう。(「はじめに」 xi頁)


 この問題では、長野県が研究対象として偏重していることから、本書では長野県以外の事例を取り上げ、国策が全国に与えた影響を見ようとしています。

 なお、本書執筆にあたっての著者の思いなどは、「あとがき」で次のように記してあります。本書の性格を知ることができるものなので、これも引いておきます。

 満蒙開拓団をめぐる問題は今なお続いている。また、その問題に気づいて歴史を掘り起こそうとする人たちもいる。しかし、その手引き書ともいえる学術的な通史が皆無であった。これは研究者として恥ずべきことであって、誰も書かないならば自分が書くしかない。そんな思いを募らせて、岩波書店の馬場公彦さんに満蒙開拓団の通史を「売り込んだ」のである。自分から書きたいといったのは初めてであった。(242頁)


 さて、柳田國男が農商務官僚として出てきます。農政論者から民俗学者へと転身する背景が語られています。新鮮でした。

 世界恐慌に端を発した農村の窮乏に対しては、所管官庁である農林省がもっとも強い危機感をいだいていた。実は、すでに日露戦争後から農村の経済構造は大きく変わりはじめており、土地所有を拡大した地主が寄生地主化するとともに地主と小作との対立が顕在化、前近代的な村落共同体は危機に瀕していた。こうした農村の危機に敏感に反応したのが柳田國男であった。一般的には民俗学者として知られる柳田は、そもそも農商務官僚として農政の専門家であり、地主の自作農化によって中農層を育成して農村再生を図ろうとしていた。また、当時物納制であった小作料の金納化や台湾・朝鮮からの外米移入によって地主の意図的な米価つり上げを牽制しようとするなど、この当時では革新的な農政論者であった。しかし、柳田の革新的な意見は取り上げられず挫折し、彼は官界を去り民俗学へと傾斜していった。そして、この柳田の未完の政策を受け継いだのが石黒忠篤であったのである。(23〜24頁)


 さまざまな資料を丹念に読み解き、駆使して、満州の地で起きていた出来事を冷静な口調で語ります。取り上げられたら事例が具体的なので、著者の切り口と視点に新鮮さを感じました。

 ただし、その後は同じ調子で事実の羅列とその解説が続くので、少し飽きてくる節もありました。本書の性格からは、自制の姿勢は理解しつつも、もっとドラマチックに仕立ててもよかったのでは、と思いました。
 また、地名や人名は、馴染みのないものが多いので、もう少し振り仮名があると、いちいち立ち止まらずに読み進められたと思います。

 原節子のデビュー作「新しき土」という映画の話は、もっと語ってほしいことでした。話が文献中心なので、こうした文化面からの切り口も効果的だと思われます。

 ちなみに、百万戸計画と同じ年に日独防共協定が結ばれたが、これを記念して日独合作映画「新しき土」が制作された。原節子のデビュー作となった作品であり、全国的に大ヒットを記録したが、そもそも国策映画としてのタイトルが示す通り、この映画のラストは原節子が夫となった主人公と満洲へ移民団として渡るという筋書きであった。鍬を握ったこともない良家の子女が移民として満洲へ渡る−それは、貧しい農民の救済という当初の意図からかけ離れて、国策となった満洲移民は国民すべてが対象となることを暗示していたのである。(128〜129頁)


 後半の昭和十年代も終わり頃についてなると、満州に行こうとする人が少なくなります。そこで国や地方がどうしたか、という下りは、もっと聞きたいところです。満州開拓という国策を無理やり拡大する中で、学校関係者や部落問題が絡んでくるからです。

 次の文章はは、両親が満州で置かれた環境を知る手がかりとなるものです。地続きの国境における緊張感に欠ける日本ならではの失態、というべきものだったようです。

 日ソ戦争は八月一五日になっても終わることはなかった。公式には、一九日に関東軍とのあいだで停戦合意が成立したことで関東軍の武装解除が開始されるが、場所によっては八月末まで戦闘が継続、さらに、武装解除を受けた兵士たちの大半はソ連へ連行されていった。シベリア抑留の始まりである。根こそぎ召集で兵士にされた開拓民や義勇隊員たちは停戦時に現地除隊をして開拓団へ戻る者もいたが、そのままソ連軍によってシベリア抑留となるケースも頻発した。彼らは残してきた家族の安否を確かめる術もないまま数年間にわたる強制労働を強いられ、生き残った者たちは帰国して初めて家族を喪ったことを知ることになる。
 一方、ソ連軍は老人と子供と女性ばかりになっていた開拓団を容赦なく攻撃した。攻撃を受けた側からすれば、なぜそこまでしなければならないのかと憤るのも当然である。しかし、ソ連軍からすれば開拓団に男性がほとんどいなかったことまでは把握していない。しかも、当初から開拓団は軍事拠点と見なされる存在であったのである。
 そもそも移民を最初に構想した東宮鉄男は、そのモデルをソ連が行っていた武装移民に求めていた。ソ連は満洲事変直後、軍事的に優位にあった関東軍が極東地方へ進攻することを恐れており、防衛体制の構築を急ぐため、その一環として武装移民を極東に入植させていた。東宮はこのソ連の武装移民をモデルとして武装移民計画を構想したのである(『東宮鉄男伝』『満洲開拓史』)。
 占領地の支配強化を目的として自国民を入植させる政策は、ヨーロッパでは一般的であった。例えば、第一次世界大戦後に独立したポーランドでは国境を接するソ連との軍事的緊張状態が続いていたため、東部国境周辺にオサドニッツイと呼ばれる武装移民を入植させ、国境防衛に充てていた(『カチンの森』)。
 また、ドイツは第二次世界大戦中に一二〇万人ものポーランド人を独軍占領地ウクライナに強制移住させ、彼らを追放した後には、ドイツ本国からドイツ人の入植を進めていた。このようにドイツとソ連に挟まれた東欧では、支配と移民とは表裏一体の関係にあって、政治的・軍事的意図を抜きにして語ることはできないものであった。
 ということはソ連側から見れば当然、日本が満洲国内で建設した開拓団は政治的意図によってつくられた軍事組織以外の何ものでもなかった。しかも、実際に関東軍は開拓団に軍事的役割を求めていたのであり、日ソ戦時に軍命令で戦闘に直接従事した開拓団(間島省琿春県集団第一二次飯詰開拓団・同県義開第四次小波開拓団・東安省虎林県集団第一三次光開拓団など)や義勇隊(牡丹江省東寧義勇隊訓練所・黒河省孫呉義勇隊訓練所)もあったのである。
 開拓団をめぐる悲劇は、このように当時の国際的通念からすれば開拓団は軍事組織と見なされていたにもかかわらず、当事者である開拓民たちにとっては、日本国内と同様の「村」としてしか認識しておらず、関東軍が守ってくれる以上、軍事攻撃に曝されるとは露ほども思っていなかったというギャツプの大きさにあるといえる。
 また、関東軍幕僚を除けば、開拓政策を推進した民間人や官僚も国内問題という極めて内向きな視点からしか開拓団を考えていなかったことも大きな問題であったといえる。軍事的緊張感が強い外国への入植という国際的な問題を日本限定の内向き思考でしか捉えられない政治エリートの想像力の貧困さは、日本社会の宿痾でもある。(195〜197頁)


 具体的な情報を基にした記述で、満州がどういうものであったのかがよくわかりました。
 本書は、満蒙開拓団が中心でした。次は、軍人として満州に渡った私の両親たちの、現地での生き様やその歴史的な位置付けを知りたくなりました。
 この両面が明らかになると、満州の実態がさらに鮮明に浮き彫りになることでしょう。【4】
 
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 満州のことについては、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を通して、個人的な感懐を記しました。
 参考までに、その記事9本を列記しておきます。
 このリストでも、記事の中のリンク先は、本年3月に閉鎖したイオネットになったままのものが多くあります。気付いたものから、このさくらネットのアドレスに書き替えていきます。いましばらくお待ち下さい。参照してお読みいただく際には、記事の名前で再度検索していただくことで、当該の記事が表示されます。


「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)

「読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』」(2017年01月25日)

「読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』」(2016年12月29日)

「読書雑記(182)船戸与一『大地の牙 満州国演義6』」(2016年10月21日)

「読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』」(2016年09月29日)

「読書雑記(174)船戸与一『炎の回廊 満州国演義4』」(2016年08月05日)

「読書雑記(170)船戸与一『群狼の舞 満州国演義3』」(2016年06月23日)

「読書雑記(153)船戸与一『満州国演義2 事変の夜』」(2016年01月14日)

「読書雑記(145)船戸与一『風の払暁 満州国演義 1』」(2015年11月17日)
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 また、これまでに満州のことを書いた記事のリストも引いておきます。
 これはあくまでも暫定的なものであり、今後とも追記していきます。

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「読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』」(2016年12月30日)

「読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』」(2016年12月28日)

「両親がいた満州とシベリアのことを調査中」(2016年12月27日)

「江戸漫歩(148)平和祈念展示資料館で両親のことを想う」(2016年12月18日)

「宙に浮いている郵便貯金1900万口座」(2010年08月20日)

「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010年04月29日)

「わが父の記(3)父の仕事(その1)」(2010年04月03日)

「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)

「古書大即売会とシベリア展」(2009年05月01日)

「中国にあるか?『源氏物語』の古写本」(2008年02月14日)
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2017年05月12日

読書雑記(199)デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』

 『新・観光立国論』(デービッド・アトキンソン、東洋経済新報社、2015年6月)を読みました。著者は、元ゴールドマン・サックス証券のアナリストで、現在は文化財の補修・修繕をする小西美術工藝社の社長です。先日も、文化財の修復を手がける様子が、テレビの特集番組として放映されていました。

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 観光に関して私はまったくの門外漢です。これまで、観光についての問題意識を持っていなかったこともあり、非常に刺激的な内容でした。ただし、著者の異文化理解に対して違和感も随所で感じたので、そのことから記します。
 限られた統計などの数字を根拠にした、アメリカ発想の単純明快さを売りにした客寄せ本だと思いました。著者はイギリス人であることを強調なさっています。しかし、発想は私の感覚ではアメリカ的だと感じました。その基準は曖昧ながらも……
 各国にはその国なりの文化がある、ということに言及しながら、日本に関してはピントが合わないままに展開します。論理優先と私見をもとに自由闊達に語られているので、筆者の思いつきに振り回されている感じが終始伴いました。
 自分の価値観と自分が身に着けた文化を、他国の人に強要しているように思われます。さらには、差別を助長する物の見方を垣間見る箇所があります。住宅の「内装」には文化の「多様性」を言いながら、異文化に対する無理解から「VIP専用レーン」の提唱に至ることには、伝統的な日本文化になじまない差別意識がうかがえます。もちろん、筆者は誤解を回避しようとしますが。

 観光客を支払う料金でランクづけするということに抵抗を覚える人も多いかもしれませんが、これは差別ではなく、「多様性」を受け入れているということなのです。お金をたくさん払える人にはそれに見合う優遇をして、お金をあまり払えない人にもそれなりに満足のいくサービスを提供する。このような「多様性」を供給者側が自ら設定することで、よりバラエティに富んだ客がそれぞれに楽しめる機会を提供することができます。観光収益も上がるので結果として観光地としての質も向上していくことになるのです。(200頁)


 私には、この理屈は受け入れにくいものです。
 こうしたことは、あくまでも私の印象批評なので、ここではこれ以上は控えましょう。

 本書は、日本が「観光立国」になるためには何が足りなくて、何をすべきなのかを明らかにするのを目的とするものです。そして、イギリス流の「議論の文化」で分析を進めていきます。分析に相手への気遣いや愛情を差し挟むと、事実が見えにくくなるからだと言います。そのこともあって、論理と結論は明快です。ただし、議論の余地はあまりなく、一方的な私見だけを押し付けることに終始します。
 その結果として、「短期移民」を提唱します。短期間だけ日本に滞在してお金を落としてくれる外国人を増やす「観光立国」です。ただし、「観光立国」という言葉には特に明確な定義があるわけではない、ということなので、話はややこしくなります。(47頁)

 そして、観光立国として成功するためには、「気候」「自然」「文化」「食事」の4つの条件があるのだと。これは、日本にとって好条件だと言います。

 「気候」においては非常に「有利」と言えます。よく、日本は「四季」が明確に分かれている唯一の国だという話を聞きますが、欧州の人間からすれば、これはあまり納得できません。このような話がまかり通っているのは、京都あたりで囁かれていた「俗説」がいつの間にか、正しいこととして日本全国に広がったのではないかと思っています。
 実際に、北海道や沖縄より四季が明確に分かれている国はいくらでもありますし、イタリアには「四季」という有名な曲もあるように、温帯地域の国はみな日本の気候とあまり変わりがないのです。では、気候の何が有利なのかと言うと、四季があることではなく、暑い地域と寒い地域の差が大きいことです。つまり、北海道でスキーもできますし、沖縄でビーチリゾートを楽しむこともできるのです。(65頁)


 四季については、やはり日本は独特の季節感のもとに文化が醸成されてきたものなので、他国の季節感とは明らかな違いがあると思っています。感覚的に微妙な差が、文化の違いを見せているのではないでしょうか。その点から、著者の視点に身贔屓なところを感じています。
 日本人の勘違いについても、いろいろな指摘がなされています。これが、非常に効果的に語られます。
 私が一番興味を持っている文化の発生と継承について、おもしろい指摘がありました。少し長い文章ながら、引いておきます。

 このように文化に幅があるという話をすると、必ず「日本の特徴の1つは、さまざまな文化をうまく取り入れて、自国の文化としてアレンジすることだ」というようなことをおっしやる方がいますが、それは違います。
 異文化をうまく取り入れるのは、何も日本だけの特徴ではありません。例を出せばきりがありませんが、たとえばヨーロッパにおけるキリスト教はその典型でしょう。
 本来、キリスト教は中東からきた宗教です。海外からきたものを自分たちの宗教に取り込んだのです。その痕跡が「クリスマス」です。もともとは年末年始の行事ではなく、真夏に行なう誕生祭という行事でした。キリスト教以前の宗教で真冬に行なっていた最大のお祭りをなかなかやめてもらえないという状況に加えて、キリスト教の真夏の誕生もなかなか浸透しなかったということもあって、苦肉の策として、キリスト教の誕生祭を真冬のお祭りにアレンジして、今のような「クリスマス」になったのです。
 ちなみに、クリスマスツリーというのは、もともとドイツの古い宗教の習わしで、イギリスには19世紀に入ってきた文化です。また、復活祭(イースター)の休日に、卵を飾り付けるイースター・エッグも、キリスト教由来のものではなく、5000年ほど前のエジプトの習慣だったと言われています。
 つまり外国でも、さまざまな文化を取り入れて、自分たちのものにするということは、ごくごく当たり前に行なわれているのです。
 では、日本の「特徴」は何でしょう。学問的に言えば、古い文化を残しながら、次にやってきた新しい文化を取り入れること、と言われています。たとえば、公家文化を残して、武家文化も認める。天皇制を残しつつ、征夷大将軍という制度を加える。装束を残しつつ、武家の着物も足していく。以前の文化を駆逐したり、それまで行なわれてきたことを止めたりしないというのが、最大の特徴と言われています。
 これは非常に素晴らしいことだと私は思います。古いものがしっかりと残っている。さらにそこに新しいものも取り入れる。この「幅」のある文化的特徴というのは、外国人から見ると非常に斬新ですので、ここをしっかりと訴えていくべきだと私は考えています。(68〜69頁)


 「おもてなし」についても、考えさせられました。これも、長文ながら引用します。これは、オリンピック招致の時の、滝川クリステルさんのプレゼンテーションに関することです。

 日本人の多くは、あの「おもてなし」にまつわるスピーチが高く評価され、日本開催が決定したと思っていることでしょう。実際に日本のマスコミは、そのように報道しました。しかし、残念ながら世界的にはまったく逆で、あのプレゼンテーションの「おもてなし」についてはかなり厳しいことも言われており、むしろ否定的な意見が多いのです。
 その最大の理由は、そう指示されていたからでしょうが、彼女が「お・も・て・な・し」とひと文字ずつ区切って強調したうえで、合掌をしたことです。あの姿に私は、非常に大きな違和感を覚えました。なかでもこれは誤解を招くのではないかと感じたのは、あの語りかけるような口調です。
 実はあのように一つひとつ区切ったような話し方をすると、欧州では相手を見下している態度ととられてしまうのです。さらに驚いたのは、このような批判を受け、滝川さんが「日本国内では絶賛されました」という主旨のコメントを発したことでした。
 お迎えするお客さまを大切にする「おもてなし」を説きながらも、一方でその「客」である外国人たちの評価を気にせず、身内からの自画自賛の声によって評価とする。これでは単に、身内での自慢話を聞かされているような印象しか受けません。(102頁)


 この後で著者は、日本の「おもてなし」が日本人同士のものとして成立していると批判します。そして、「観光立国を考えるのであれば、部分的に外国人のニーズに合わせて、「おもてなし」を調整する必要があると感じています。」(103頁)と言います。
 私は、「外国人のニーズに合わせて」という発想に疑問を抱きました。外国人といっても、世界中にさまざまな国の人々がいます。その時々に対応を変える「おもてなし」とは、根無し草の文化です。しっかりと伝統と文化に裏打ちされた「おもてなし」なら、左顧右眄するような薄っぺらな「おもてなし」であっていいはずがありません。外国人に迎合するのではなく、自国の文化を理解していただきたいという姿勢で、観光を考えて行くべきでしょう。このアトキンソン氏の物の見方には賛同できません。
 そのことは、この後の次の発言にも顕著です。これも、アトキンソン氏の価値観の押し売りです。そして、世界の中の日本がまだ見えていないのです。日本の中にいながら、日本が見えていないのです。

 つまり、外国人が評価をしているのは、あくまで「日本人の礼儀正しさや親切さ」であって、日本という国に「おもてなし」という高いホスピタリティの文化があるなどと思っている人は、かなりの少数派だということです。日本にやってくる外国人観光客も含めて世界の大多数の人々にとつては、ソニーなどの電気機器や、トヨタやホンダという自動車のイメージはあっても、「日本にやってくる外国人を誠心誠意もてなしている国」などというイメージは、今はまだ成立していないのです。
 そのような意味では、まずやらなくてはいけないのは、「日本の"おもてなし文化"が外国人から高く評価されている」という国内の認識を一度疑ってみて、レベルアップする余地がないかどうかを考えることではないでしょうか。(109頁)
 
 客を「おもてなし」するのなら、まずは相手が何を考えて、どういうことを求めているのかを考えなくてはいけません。直接彼らの声に耳を傾けたうえで「おもてなし」をすればいいのに、「聞く」というプロセスを飛ばして、「相手はこうだろう」と思い込み、自分の都合のいいように解釈した「おもてなし」を押し付けているのではないでしょうか。(128頁)
 
 今、日本の「おもてなし」にもっとも足りないのは、この「お金を落としてもらうだけの高品質なサービス」という発想だと私は思っています。では、ここで言う高品質とは何かということになると、やはり「客」である外国人の言葉に耳を傾けることが大切になってきます。(130頁)


 ゴールデンウイーク廃止という考えにも、同じように大いに疑問を持ちました。日本人とその文化を理解できないままに、ここでも外からのお客さま最優先の論理を押し付けています。このような無責任な論理で、日本人の生き方と伝統を継承した文化を、勝手気儘に壊されたくないと思いました。

 私は、日本が観光立国を目指すなら、ゴールデンウィークを廃止したほうがいいと考えています。世界で5番目に祝日が多い日本は、国内観光客が一時期に集中する傾向が顕著です。これは、観光ビジネスにとつては大きな障害となります。ゴールデンウィークの廃止によって国内観光客が均されれば、もっと大胆な設備投資ができ、観光業が産業として成立しやすくなるはずなのです。(125頁)


 乱暴な論理が展開する所が多々ある著書です。外国人の特権意識を剥き出しにして、お客さまは神様です、という理屈を振りかざすのはいい加減にしてほしいものです。客である自分たちの欲求を満足させるためには、文化を壊して立ち去るだけになりかねない暴論だと思いました。
 観光立国をめざすなら、観光客を最優先に扱うべきであると言い、イベントへの改良を求めるのです。そのイベントにも文化が内在していることが見えない、他国の文化を理解できていない低レベルの日本批判となっています。独自の視点で指摘されることのおもしろさを、楽しく読み進めてきても、こうして、ちらちらと顔を出すこの論法には違和感と共に嫌悪感を覚えました。

 外国人観光客は異国のいい文化を体験したいと考えて、多くのお金と時間を費やして日本にやってきます。我慢をしなくてはいけないというのなら、ほかの国に行けばいいだけの話なのです。日本で暮らす日本人だけが楽しむものであれば、「調整」をする必要はないのでしょうが、このような「客」を迎える観光立国を目指すのであれば、それでいいのかという問題があるのです。(177頁)


 筆者は、「お金を落としてもらう観光」を力説します。しかし、その裏側には、文化の変質を強要し、ひいては破壊を招きかねない提言にもなる、危うい考え方も垣間見えます。観光のために文化をねじ曲げることにならないように、注意をしていかなければなりません。
 ただし、次の指摘は傾聴に値します。

 現状、日本への観光客は台湾、韓国、中国といったアジア諸国に非常に偏っているということは、前に述べました。これらの国々からの観光客を「さらに多くする」という目標も大切ですが、「まだまだ日本にほとんどきていない」「観光に多くの金を費やす」という2つのポイントから、ヨーロッパ、オセァニアからの観光客を増やすべきだということも自明です。「観光立国」を目指していくうえで、すでにある程度きている国の観光客をさらに増やすよりも、ほとんどきていない国の観光客を増やしたほうが、「伸び代」があるからです。(211頁)
 
 このような結果をふまえると、日本が「観光立国」になるために強化すべき点、つまり現状ではあまりきていないヨーロッパ、オーストラリアからの観光客を増やすために何をすべきかということが、おのずと見えてきます。それは彼らの関心が高い「日本文化の体験」や「神社仏閣という歴史的資産」をしっかりと整備すること。つまり、文化財を整備するということになります。(213頁)


 京都に関する記述も気になりました。
 次の、「文化財」に関心のある層の掘り起こしは、今後の観光を考える上では有効だと思われます。貴重なご教示です。

何が言いたいのかというと、国際観光都市・京都に訪れているのは、台湾や中国という日本の伝統文化に関心の低い人たちであり、「文化財」に関心のあるアメリカやヨーロッパの、お金を落とす人たち」というのは、ほとんど訪れていないのが現状なのです。ひと口に外国人観光客と言っても、国や人種によって観光の目的やポイントが違ってきます。京都では、外国人観光客とこうした観光目的のミスマッチが起こっているのです。
 ここで大切なのは、本当に実在するかどうかわからない「成熟した訪日旅行者」などをつかまえることではなく、なぜ「文化財」に関心のある層、京都のメインターゲットになるような層が訪れていないのかという問題を洗い直すことではないでしょうか。(246頁)
 
 なぜ文化財に関心が高い層が京都を避けるのか。これらの人々に振り向いてもらうためには、京都の何を改善すべきなのか。これは京都以外の地方でも同じことが言えます。外国人観光客の多くが東京・大阪に集中している今、地方に外国人観光客を呼ぶためには何が必要なのでしようか。「目利き層」を誘致するなどという焼け石に水的な対策をとるのではなく、本来であればくるべき層がきていないという現実を見つめて、彼らの声に耳を傾けた改善をすべきではないでしょうか。(248頁)

 
 着眼点に興味を持ちました。しかし、筆者は京都を過去の遺物としての街、化石の街と理解しているとしか思えない発言が後半で飛び出します。京都に27年住んでおられることを強調なさっています。そうであっても、京都は今も生活空間として生きている街であり、日々変化し発展しています。そこに住みながら、それが筆者に見えていないので、理解と評価が空回りしていきます。
 例えば、京都の街並みに関する理解などに、自然を人間の力で制圧し征服する西洋の発想で評価をしています。自然とともに生きる日本の文化理解からの乖離が明確です。あてがおうとする物差しが違うと思いました。残念なことです。京都は、ポンペイの遺跡ではないのです。ピンぼけの解釈が、本書の内容を空疎にしています。折角の鋭い刃が、残念ながら空を切っています。
 楽しく読みました。しかし、後半からは首を捻りながら読みました。【3】
 
 
 
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2017年04月28日

読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』

 『残夢の骸 満州国演義 9』(船戸与一、新潮社、単行本―2015年2月、文庫本―2016年8月)を読みました。この第9巻が完結編です。そして、船戸与一の最後の作品です。

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 昭和19年6月から始まります。
 南方でのサイパンやインパールでの戦況は、欺瞞に満ちた大本営の誇らしげな発表とは裏腹に、惨憺たる敗走による墓場となっていたのです。そのサイパン島玉砕から語り出されます。
 その背景に、日本国内では東条英機首相暗殺計画や倒閣工作があることも。その後、東条は総辞職し、小磯内閣が組まれます。
 特攻隊について具体的なので、まず引いておきます。

 四郎はまず先月二十七日にレイテ島に向かって出撃した八紘飛行隊について書きはじめた。八紘飛行隊は学徒兵によって構成された特攻隊で、日本大学や専修大学、国学院や小樽高商から動員された陸軍士官がレイテ湾にはいって来る輸送船への体当たり攻撃のためにマニラを飛び立った。四郎は口を利いてはいなかったが、その学徒兵たちの表情がやけに青白く、寡黙な印象を与えていたことを憶いだす。大本営は八紘飛行隊の赫々たる戦果を発表したが、実際にはどうだったのかは確かめようもなかった。(120頁)


 続いて、新聞記者や小説家を批判的に記した箇所があります。

「新聞記者や新聞社から派遣された従軍作家は特攻隊を讃美しつづける。あの連中の眼は節穴か、さもなきゃじぶんの文飾の才能をひけらかすためにマニラに来ただけだ。お読みになったことがあるでしょう、空疎で無内容な美文調のそういう記事を?」
 四郎は黙って頷いた。一番印象に残っているのは帰満した五日後に眼を通したものだ。それは読売新聞に掲載された論評で、『人生劇場』で人気絶頂になった小説家・尾崎士郎によって記されていた。(138頁)


 インパール作戦に参加していた次郎の遺髪が、満州にいる太郎のもとに届けられました。3兄弟が揃って山上に埋めます。
 日本にはまったく勝ち目のない戦いを、作者は冷静な語り口で、豊富な資料を駆使して展開させます。負け戦の中にあっても、必死に前を見て生きようとする人々が描かれます。その描写は精密です。多くの資料や情報を駆使して語られているかがわかります。次のようなことも、随所に語られて行きます。

「ソ連軍が満州に侵攻して来た場合、気をつけなきゃならないのは日本人の女です。わたしはロシア人兵士たちが笑いながら喋りあってるのをこの耳で聞いた。ソ連軍がベルリン占領に向かう途中、兵士たちは無数のドイツ人の女を輪姦した。事実かどうかは確かめようもないけど、ベルリン近郊の農村で十四、五歳の少女を一日に百二十人のロシア人兵士が強姦した。対独戦で長いあいだ緊張を強いられた若い連中の獣欲が爆発したんです。満州に侵入して来たら、日本人の女に同じことが起こらないとはかぎらない」(210頁)


 次のヤルタ会談の場面を読むと、話が具体的であるだけに、日本は情報に踊らされて客観的な判断が狂い、戦争にも負けるべくして負けたことを感じさせられます。日ソ中立条約は、いったい何だったのでしょうか。さまよう為政者像が浮き彫りにされています。

「ヤルタ会談でスターリンがドイツ降伏後三カ月で対日参戦すると死んだルーズベルトに話したという情報は知ってるかね?」
「事実ですか、その情報は?」
「ストックホルムの駐在武官・小野寺信少将が大本営宛に電文を打ったらしい。それが握り潰されたという噂がある」
「だれに?」
「今月一日に大本営から関東軍作戦課参謀として新京に転任して来た瀬島龍三中佐に。それが事実かどうかは判明してないが、そういう噂が流れてる。しかし、ソ連が対日参戦することは確かだろう。その情報は他からもはいってるしね」(222頁)


 それにしても、このことを語る間垣徳蔵という男の素姓がさらに知りたくなります。これは、第1巻の冒頭の場面につながり、敷島家との関係がわかってくる仕掛けとなっています。
 ポツダム宣言に関しては、毎日新聞と朝日新聞が引かれています。

この宣言に関して内地の報道各紙の扱いは一面冒頭ではなく、中段に宣言文を掲載しただけだった。ただ翌日にはいつもどおりの感情的な論評が紙面に躍る。『毎日新聞』はこう書いた。

 笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦あくまで完遂!

 朝日新聞の論評はこうだった。

 帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては、何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺するとともに、断乎戦争完遂に逼進するのみとの決意をさらに固めている。この声明によって敵の意図するところはたぶんに国内外にたいする謀略的意図を含むものと見られる。

 内地の報道各紙の論評は当然ながら英訳されて連合国側に伝わったと考えなきゃならない。『毎日新聞』や『讀賣報知新聞』の煽情的な表現はいつもどおりだと受け止められるだろうが、『朝日新聞』の帝国政府は声明を黙殺という言葉は問題になるはずだ。英語ではおそらく黙殺は無視と訳され、戦争継続が政府意思だと連合軍側は解するにちがいない。和平工作のために誕生した鈴木貫太郎内閣は頭を抱えるだろう。逆に、帝国陸軍内の徹底抗戦派は本土決戦論を一段と強化することが考えられる。(226〜227頁)


 マスコミは、平和なときは正義感ぶって戦争反対をお経のように唱えます。しかし、時世におもねるマスコミの常として、今はすましている新聞各社も、このような過去があったのです。こうした姿勢は繰り返されるので、今の新聞社もいつまでも脳天気な平和論を唱えられなくなる時がくるはずです。その時の本来の姿を見極める必要があります。特に、朝日新聞にはその危惧が払拭できないのです。私は今、日本で一番危険な新聞社だと思っています。その新聞を、疑いもせずに、若いときに正義の味方の新聞だと思い込み、毎朝毎夕配っていたのです。若気のいたりでした。
 ソ連は日ソ中立条約を破棄して、満州に侵攻して来ました。アメリカは、広島に続いて長崎に原子爆弾を投下しました。満州に居留していた人々は、新京駅に逃げ惑って殺到します。
 私は、母親のことを思いました。満州にいた母も、この時に逃げまどったはずです。どれだけの喧騒の中を彷徨ったのか。しかし、私には何も話してはくれませんでした。多くの人がそうであったように、想像を絶する光景や人間の惨さを見てきたのでしょう。麗羅の小説『桜子は帰ってきたか』を、今思いだしています。
 そんな満州の地での大混乱を、船戸は丹念に克明に語り継ごうとしています。
 戦後の満州での惨状を、ロシア人による略奪や強姦の場面を、船戸は淡々と語ります。異常が異常と思えない世界が、みごとに描き出されています。
 チャンドラ・ボースのことも語られます(278頁)。巻末に収録されている参考文献にも入っている、中島岳志氏の『中村屋のボース』なども参照されているようです。
 シベリアへの強制連行について、次のようにあります。

 要するに、帝国陸軍はソ連に強制連行された六十万余の関東軍将兵を俘虜と認めてないのだ。シベリアでどんな扱いを受けようと、ハーグ陸戦法規を持ちだして抗議することはできない。
「関東軍六十万余はこのシベリアでは?」
「抑留者だよ。国際法に抑留者に関する規定はない。スターリンのやりたい放題ということになる」(386頁)


 戦後、父はシベリアに抑留され、強制労働に従事しました。昭和23年6月に復員しています。こうした背景を、知っていたのでしょうか。
 父も母と同じように、満州でのことやシベリアのことは、何も私と姉には語らずに、昭和58年5月に68歳で亡くなりました。生きていたら、父から満州とシベリアの話を聞きたいと思っています。父の生前に、そのような気持ちにならなかったことが悔やまれます。

 終盤は、ロシアの社会主義に同化して生き延びようとする満州からの抑留者たちや、本土で進むアメリカ主導のお仕着せの民主主義に戸惑いながらも、それを受け入れていく日本が語られます。ここにも、作者の冷静な目が冴えています。
 そういえば、父が生前、社会主義教育を受けたことを語ったことを、微かに覚えています。社会主義に同調し、収容所でもそうした言動や行動を率先してしないと生きて行けなかったことを、自戒の念を込めてつぶやいていたように思います。引き揚げて来てから、シベリアでどのような思想教育を受けたかを港湾で尋問された、とも言っていたように思います。返す返すも、もっと根掘り葉掘り聞いておくべきでした。父の生きざまを、息子としてしっかりと聴くべきでした。そのことを、今、悔やんでいます。

 この第9巻を含めて、400字原稿用紙で7,500枚を超える、一大長編物語が終わりました。作者は「あとがき」で、「歴史」と「小説」の違いについて、次のように記しています。

 歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。
 こうじぶんに言い聞かせつつ稿を進めていったのだが、資料を読んでいるうちに客観的と認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこちに出て来るようになった。小説家は歴史家のように何が事実かを突き止める能力を有してないし、そういう場にいるわけでもない。こんなとき、百九十年ばかりまえにナポレオン・ボナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ−歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である。(660頁)


 巻末の参考文献を見ると、次のように膨大な書名が並んでいます。

  【満州国関係】121点
  【関東軍関係】17点
  【帝国陸海軍関係】73点
  【国内外情勢】135点
  【中国大陸関係】48点
  【図説・資料集・事典類】45点

 すでに自らの余命を察知していた作者船戸与一は、渾身の気力を振り絞って書き進めたと思われます。この9冊から、さまざまな人間の生きざまを堪能することができました。
 2015年4月22日、船戸与一逝去。

 とにかく長大な物語です。本文は単行本で読みました。しかし、文庫本の解説がよくまとまっているので、そこから井家上隆幸氏が要領よくまとめておられる敷島4兄弟の生きざまを引き、読後の整理としておきます。【5】

満州を舞台とする壮大な叙事詩の軸となるのは、かの奇兵隊間諜を祖父とする敷島四兄弟だ。
 関東軍の満州国領有に反対する有能な外務官僚だったが、現実の推移とともに、「国家を創りあげるのは男の最高の浪漫」といったゲーテの箴言にならうように、満州国創設という最高の浪漫と添い寝し、敗戦でソ連軍に囚われて昭和二一年スクの軍事捕虜強制収容所で自殺する長兄・太郎。
 一八歳で日本を棄てて満州に渡り緑林の徒、馬賊の攬把となって柳絮のように風まかせ、何も頼らず何も信ぜず、その日その日をただ生きて、満州から上海へ、はては東南アジアへと流亡しインド入、ビルマ人の反英独立運動に加担したあげく、インパール戦線の"白骨街道"を敗走、赤痢とマラリアで死する次兄・次郎。
 陸士出、関東軍特殊情報将校として満州全域の抗日武装ゲリラ−国民党系の東北抗日義勇軍、揚靖宇率いる共産党系の東北人民革命軍、金日成の朝鮮人民義勇軍など−を追尾し、ときに軍規を犯した"皇軍兵士"を射殺する剛直な帝国軍人として生き、昭和二一年通化の日本人の反中国蜂起に加わって横死する三男・三郎。
 二〇歳にして大杉栄の思想に惹かれ左翼劇団に入るが、義母と関係し、おのれを密告者に仕立て上げた特高刑事を殺して満州からハルビンと流れ、上海東亜同文書院に学んで以後阿片窟、売春宿の主となり、さらに天津の親日派新聞記者、武装移民村の監視役、甘粕正彦の満映脚本班、関東軍参謀部の特殊情報課嘱託と、間垣徳蔵につきまとわれ地獄を彷徨う末弟・四郎。「四人兄弟のうちもっともひ弱に見えた四郎がいまは一番逞しく生きているように思える」と三郎が述懐したように彼は生き延び、三郎があの地獄から救った少年を広島にまで送りとどける。
 祖父が凌辱した武家の妻が身ごもった子を母とし、謀略あってこそ〈生命線〉満州は不滅と暗躍する関東軍特務将校間垣徳蔵は、四兄弟の目であり耳であり、あたかもダンテ『神曲』の地獄・煉獄の案内役ウェルギリウスのごとき存在である。(679〜681頁)

 
 
 

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2017年03月17日

読書雑記(197)山本兼一『おれは清麿』

 『おれは清麿』(山本兼一、祥伝社文庫、平成27年4月)を読みました。

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 山浦正行(清麿)は、信濃国小諸の村役人の子。兄と共に、刀鍛冶を目指す17歳の若者です。清麿は、江戸末期の刀工として知られています。ただし、その人物像はよくわかっていないようです。安政元年(1854)に42歳で自刃しました。
 刀工や刀剣に関する作品を執筆していた山本兼一が、この男に挑んだのが本作です。
 結婚して男の子が生まれます。しかし、大好きな刀を打つことが諦められず、妻子を置いて松代に出ました。
 その後、一年間江戸で修行をします。しかし、悪い鋼を平気で使う江戸では得るものがなかったこともあり、また信濃に帰ります。そしてまた江戸に。
 職人としての己と葛藤し、めくるめく思いが、丹念に道具の説明を通して語られます。素材である鉄に対しても、作者山本の並々ならぬ実地や実見を踏まえた調査の痕が伝わってきます。
 そのような中で、長州の萩へ刀鍛冶として行くことになります。2年後にはまた上京。
 読み進むうちに、女性の描き方が型どおりで、思いやりに欠けるように思いました。最初の妻のつるも、後のふくも、共にお人形です。これは、主人公に思いを注ぎ込んだことによるものなのでしょう。初期の山本作品の特徴だと思っています。
 正行(清麿)は刀鍛冶一徹の職人気質を守り抜きます。
―とことんまで、納得できる刀を打つ。
 それがおれの仕事だ、と自分に言い聞かせた。なにも妥協せず、気を抜かず、できる限りのことをすべてやる。それ以外に、満足できる刀を打つ方法はない。おれは愚か者だ。そこで妥協したら、生きている値打ちのない人間になってしまう。(353頁)

 この芸術家とでもいうべき人間像は、余すところなくこれでもかと描き尽くされます。
 最後の場面では、作者の清麿に対するあらん限りの情愛と思い入れが感じられました。【3】

初出誌︰「破邪の剣」(『小説NON』祥伝社、平成22年3月号〜平成23年9月号に連載)
 加筆改題した単行本『おれは清麿』(祥伝社、平成24年3月)
 
 
 

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2017年03月13日

読書雑記(196)高田郁『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』

 高田郁の最新作『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』(ハルキ文庫、2017年2月)を読みました。本書は時代小説文庫の書き下ろしです。

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 十三夜の月を観ながらの求婚は、月光の下でのシーンに期待をしていた私には、十分に満足でした。天満橋へ二人でそぞろ歩きもいいものです。力強く第3作の始まりです。
 高田の作品には、目と鼻と耳の感覚が研ぎ澄まされています。何気ないところに、香りがします。登場人物の動きはアニメっぽいにもかかわらず、こうした五感が言葉で伝わってくるところが、この作者の特質のように思います。
 中でも、浮世草子の余白に呉服店である五鈴屋の宣伝を載せる発想は秀逸です。出版文化の台頭を、うまく引き込んでいます。そして、物語の背後に、しっかりと女の文化史が読みとれます。なかなか奥の深い設定となっているのです。
 住吉大社での宝の市の話があります。難波の賑わいも、しっかりと描き込まれているのです。
 「せやさかい、呉服では長いこと西陣の独擅場(振仮名「どくせんじょう」)やった。」(141頁)とあります。「独壇場」とせずに、当時の実態を意識した用字で表記しています。
 人形浄瑠璃や歌舞伎など、伝統芸能にも目配りをして、江戸期の世相を通して文化を読者に伝えようとしています。これが、この物語に厚みをもたらしているのです。こうした視点が、小さくなったお店を繁盛させるためのアイデアを生み出す元となります。惣次と幸とが知恵を出し合い、さらに行動する活気が、小気味よく展開していきます。
 井原西鶴のことばがひょいと顔を出すのが、これも一つの味付けになっています。また、石田梅岩の『都鄙問答』が、この物語に一本の筋を通しています。これらのことが、骨太な物語にしています。その意を汲んで、近江の絹織物をめぐって惣次の立ち位置が危うくなります。話の続きは次巻へと。
 本作は、図太く生きる、というのが底流にあります。機知に富んだ幸と五鈴屋のこれからが、ますます楽しみです。【5】
 
 
 

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2017年03月04日

読書雑記(195)安部龍太郎『等伯 下』

 この作品『等伯』は、下巻を読まないと作者の思いが伝わってきません。話が進むにつれて、等伯の姿が鮮やかに立ち上がるからです。

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 長谷川信春は、天正13年(1585)に二度目の上洛を果たし、幸運にも絵屋を営むことになりました。
 その後、狩野永徳に認められ、息子の久蔵が永徳の元に弟子入りしました。長谷川派を起こそうとしていた信春にとって、狩野派に息子を取られたことで微妙な気持ちが渦巻きます。その後の、信春と永徳の心理劇が見物です。
 大徳寺の三門造営から利休が出てきます。信春から見た利休が興味深く描かれていて、新しい利休像が生まれています。
 春信は、狩野永徳に負けない絵師を目指しています。その永徳が卑小な男として描かれていました。小気味良いくらいに、永徳の惨めな様が印象的です。
 静子の後添えとして清子のことを思案しながら、仏間で亡き静子と語るくだりはいい場面です。井上靖が得意だったように、死者との対話は難しいものです。安部のこれからが楽しみです。
 仙洞御所の西に造営される対の屋の衾絵を担当することで、等伯は大金を工面して何とか着手までこぎ着けました。しかし、永徳の悪巧みで中止となり、お金も仕事も取り上げられました。この経緯が詳細に語られており、本巻の読みどころでもあります。等伯の腹立たしさがよく伝わってきます。
 利休とのことも詳細に語られます。石田三成を悪役にして。
 利休切腹の段は、等伯の視点から描かれているので、一味違った利休像が味わえました。一条戻り橋に晒された利休の首を見やる等伯が、生々しい状況での描写となっています。三門に飾られていた利休の木造に踏まれる生首のことを思い、等伯は利休の肖像画に打ち込みます。その苦悩も、見事に描かれています。
 その後、等伯と久蔵親子の絵をめぐるやりとりが展開します。
 人間が真の姿を見る目について、次のように言います。
「お前が描いているのは、狩野派の様式を通して見た松だ。裸の目で見た真の姿を写し取ってくれ」
「人の目とは不思議なもので、自分が学んだ知識や技法の通りに世界を観てしまう。それは真にあるがままの姿ではなく、知識や技法に頼った解釈にすぎない。」(255頁)
 等伯は息子とともに、故郷の七尾に旅をします。22年ぶりの帰郷です。長かった物語を振り返る設定です。そして、亡き妻静子の慰霊の旅でもあります。
 語られる等伯の姿が、次第に重みを持ちます。巻末に向けて、作品に重厚感が伝わってくるようになります。この等伯の物語を書き継ぐ中で、作者が成長していることを実感しました。
 読者にとっては、生き続ける勇気がもらえる一書になると思います。【5】
 
 

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2017年03月03日

読書雑記(194)安部龍太郎『等伯 上』

 安部龍太郎の『等伯』(日本経済新聞社、2012.9)を読みました。
 まずは上巻から。

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 等伯の本名は長谷川又四郎信春。
 染物屋の長谷川家に11歳の時に養子に入った信春。絵仏師をしていた彼が33歳の時、兄の事件に巻き込まれて、義理の両親に悲劇が起きます。そして、追われるままに、親子三人で能登から京へ。
 事件と人物が丹念に描かれています。信長の比叡山焼き討ちの中での人々も、迫力あるくだりとなっています。この丁寧な語り口が、安部龍太郎の作品を支えています。
 人間が持つ八識という感覚の世界に興味を持ちました。


 人間には眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの識があり、それぞれ視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、知情意をつかさどっている。その先の第七段階にあるのが末那識で、自己という意識を生み出す心の働きのことである。
 この末那識が他の六識を統合して自分らしい生き方を生み出すわけだが、その一方で自己にこだわる心が執着となって悟りにいたるのを妨げる。
 それゆえ修行者はここを乗りこえて第八段階の阿頼耶識まで進み、執着から離れて真如に至らなければならない。
 真如とは在るがままの姿、存在の本質としての真理のことだった。(143頁)


 時代背景を描き、社会情勢を語ることに筆を費やしています。この点が、私に退屈さを感じさせることになりました。しかし、そうであっても、資料や史実に正確な物語ではなく、人間を描くことを主題にした作品となっています。
 信春と妻静子の仲睦まじい姿は、人の温かさを感じさせてくれます。相手を思いやる二人がよく描けています。
 ただし、私は安部氏の文章に身を委ねて読み進むことができませんでした。どこか、他人事のように話が展開していると思えるのです。これはどこに起因するものなのか、何だろう、どうしてだろうと思いながら頁を繰っていました。そして、気づきました。作者は読者である私に向かって語ってはいないのだ、ということです。自分を納得させるために書いているのです。
 上巻の終盤で、感動的で胸が詰まる場面があります。
 27年間連れ添った妻の静子が、次第に弱っていきます。信春は、静子のために故郷である七尾の景色を、三方の山水画に描こうとします。注文があったことにして、二人の合作にしようとするのです。夫婦の心の交感がしみじみと語られます。作者安部が得意とする描写が出色です。苦楽を共にした者が互いに最後の想いをぶつけ合う場面は、情を掻き立てるものがあり、読み応えがあります。明日をも知れぬ二人が過去を回想するのは、読者の心に響くものです。
 その後、信春は余命幾ばくもない静子と息子の3人で、故郷の七尾を目指します。琵琶湖を越え、敦賀まで来たところで静子は信春の腕の中で力尽きるのでした。【4】
 下巻は明日にします。
 
 
 


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2017年02月18日

読書雑記(193)入口敦志『漢字・カタカナ・ひらがな』

 『漢字・カタカナ・ひらがな 表記の思想』(入口敦志、平凡社、2016年12月)を読みました。

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 本書は、ブックレット〈書物をひらく〉というシリーズの一書です。
 漢字・カタカナ・ひらがなが持つ身分的位置付けについて、わかりやすく語っています。文字表記の歴史的な流れとその意味を、文化という視点から展開するものです。
 入口氏は江戸時代を中心とする学芸の研究者です。その立場から見た古典文学についての提言は、多くの問題点を浮き上がらせ、刺激的な物の見方を提示するものとなっています。さまざまな示唆をいただきました。

 以下、私がチェックした箇所を引用しておきます。


自筆本の大きさと写本の小ささ
 定家の奥書から、貫之自筆本はかなり長大な継紙であったことがわかる。例えば藤原道長自筆の『御堂関白記』など、男によって書かれた漢文の日記は巻子本であった。貫之自筆の『土佐日記』も、それに匹敵するような大きさとかたちを持っていたということができる。
 ところが、それを写した定家本も為家本も、どちらも列帖装六つ半枡形本といわれる小さな本になっている。このかたちは多くひらがなの物語などを写す場合につかわれるものである。であれば、定家も為家も、『土佐日記』をひらがなの物語類と同じようにあつかったということになるのではないか。漢文で書かれた男の日記は、写本にされる場合にも大きな本に写されることが多い。定家自身の日記『明月記』も巻子本である。もちろん漢文で書かれている。貫之が選択したかたちは、男の漢文日記と同じ巻子本のかたちであった。しかし、定家をはじめとする後代の人々は、『土佐日記』を漢文日記とは同等にはあつかわなかったわけだ。ここには漢字とひらがなをめぐる位相の差異がみられるのである。
 もう一点、定家本の奥書が漢文であることにも留意すべきだろう。例えば『源氏物語』のようなひらがなの物語でも、その写本の奥書は決まって漢文であった。ひらがなで状況や経緯を説明することはほとんどないのだ。公式のものは漢文であるという伝統はなかなか消えることはない。(24頁)
 
 
 十六世紀以前は文字を使える身分階層は限られていて、ひらがなも上層身分の人が使うものであった。その違いは主に公私、性差、長幼の別であって、身分差ではなかった。それが、十七世紀以降、徐々にひらがなが庶民のものとなり、身分を越えて広がっていくようになる。玄朔がひらがなを用いた『延寿撮要』を庶民に向けたものとしていることから、それ以前、室町時代末にもそういう傾向はあったといえるかもしれない。むしろ『延寿撮要』をはじめとするひらがな本の出版が、ひらがなが庶民のものになる契機を作ったと考えるのだ。あくまでも私見であり検証を必要とするが、ひとつの仮説として提示しておきたい。(48頁)
 
 
楷書とひらがなの組み合わせ
 今の日本語は、楷書の漢字とひらがなとが何の違和感もなく併存している。そのこと自体に疑問を持つ人はおそらくひとりもいないだろう。しかし、江戸時代以前、楷書の漢字とひらがなとを組み合わせることはまずあり得ないことだった。(50頁)
 
 
 ちなみに、「叡覧」で改行されている(前掲図11参照)のは、叡覧する人物すなわち後陽成天皇を敬って、文字の上に別の文字がこないように配慮してのもの。これを「平出」(へいしゅつ)と呼ぶ。後出の「閾字」(けつじ)よりも一段と高い敬意をあらわしている。(59頁)
 
 
注目したいのは、文中に見える「中華」「中国」の文字である。上に一字分余白があるのは「閾字」といい、その下にある文字が指し示すものを敬ってあけるもの。同じ文中、「神明」「聖」「皇統」の文字にも閾字があり、神や天皇を敬ってのものであることがわかる。(65頁)
 
 
 本書でみてきたように、貫之や宣長は漢語を廃した和文に対して相当に意識的であったと考える。また、漢文あるいは中国語そのものに習熟せよと主張する徂徠にしても、やはり意識してのことであった。表記を思想としてとらえるゆえんである。
 漢字制限論やかなだけで日本語を表記しようという運動がある。しかし、それらはマイナーであって、日本人の考え方の主流にはなっていない。漢字とひらがなを混ぜて書くのが日本語であると、なんとなく思い込んでいるだけのように思われるのだ。
 韓国では、漢字を廃してハングルだけで表記しようとしている。民族が生んだ文字への国粋的なこだわりともいえるが、その運動は相当に進んでいるようにみえる。一方、フランスの植民地化を経たベトナムでは、表記はすべてローマ字であり、チュノムや漢字は使わない。子規のいうとおりで、だからといってベトナム人がベトナム人でなくなったわけではない。同様に、日本語もひらがなだけで書く、あるいはローマ字で表記しても不便は感じない可能性があるのだ。
 いずれの方向を選ぶにせよ、我々は日本語の表記についてもっとつきつめて考えてみる必要があるのではないだろうか。(84〜85頁)

 
 
 

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2017年02月10日

読書雑記(192)中村安希『N女の研究』

 『N女の研究』(中村安希、フィルムアート社、2016年11月)を読みました。

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 「N女」ということばは、本書で知ったのが初めてです。「NPOで働く女子」という意味だそうです。
 出版社フィルムアート社のホームページには、次の紹介文が掲載されています。


「N女」=「NPOで働く女子」たちとは一体何者なのか?
開高健ノンフィクション賞作家が切り取るNPO業界の新しい動きと「N女」たちの生き様。
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近年、有力企業に就職する実力がありながら、雇用条件が厳しいと言われるNPO業界を就職先に選ぶ女性が現れ始めています。NPOで働く女性、略称「N女」です。
N女とは何者なのか。N女の出現の背景には何があるのか、また彼女たちの出現によって今、NPO業界では何が起きつつあるのかを探るべく、中村安希さんはインタビューを続けてきました。

そこから浮かび上がってきたのは、職場や家庭、地域社会など、かつての共同体が力を失い、分断が進む社会の中で、失業、病気、災害などをきっかけに、あるいは障害や差別によって、人や社会の「つながり」からはじき出される人々が増えつつあるという現実と、そうした人々を社会につなぎとめようと試行錯誤するN女たちが奮闘する姿でした。

さらにN女たちの出現は、結婚や育児によってキャリア人生が大きく左右される女性特有の問題や、男性型縦社会ではなく横のつながりを求める女性性の潜在力など、働く女性の在り方を問いかけています。

・N女の出現は、現代社会に蔓延する「居場所のない不安」を解消する手立てとなりうるのか?
・行政、民間、NPOの間を自由に行き来するN女の存在は、異セクターのつなぎ役として、経営難を抱えたNPOの運営を立て直すことができるのか?
・NPOというフロンティアは、働く女性たちの新たな活力の受け皿となりえるのか?

N女たちの苦悩と模索、生き様を通して、NPOの存在意義と未来の行方について考察したノンフィクションです。


 日本で新たな階級社会が形成されている、という視点からの問題提起がなされています。
 10人の第一線で活躍する女性へのインタビューを通して、女性の新しい生き方を炙り出そうとする、意欲的な内容です。そして、それを通して、動くことで意識を変えていった女性たちの姿がたち現れて来ます。ただし、あまりにもきれいに切り出されているので、質問を変えたらどうなったのだろう、などと余計なことを思ったりしました。インタビューをまとめるのは、なかなか難しいことを知っているので、結論を急がないで、自分の物差しで見過ぎないで、とハラハラして読み通しました。

 まず、階級社会に関する言及を引きます。


 日本に階級社会が生まれてきた背景には、社会のあらゆる局面で進行する「アウトソーシング化」がある。アウトソーシングとは、もともとは専門的な業務を外注することを指していたが、現在進行中のアウトソーシングとは、もはや外注というよりは単なる下請け化である。今は、どんな仕事もアウトソーシングする時代。これにより日本には、一部の正社員や行政職員が属する「管理階級」と、管理階級を現場の実務者として下支えする、巨大な「下請け階級」が形成されるようになった。管理階級が担う業務が、年々縮小されていっている一方で、「下請け階級」が低給で担う業務は、年々、より高度な領域にまで拡大されていっている。N女たちは、民間企業や行政だけでは解決できない社会課題に取り組んでいる。彼女たちの奮闘は、これからさらに課題が増えていくと予想される日本にとって、とても貴重なものに違いない。しかし一方で、彼女たちの出現は、この20年で急速に増加した非正規雇用に続く、あらたな「下請け階級」の拡大を意味してはいまいか、と心配にもなる。ソーシャルセクターへ転職する前、500〜1000万円程度の年収を得ていたN女たち。優秀な彼女たちの能力は、「新たな活躍の場を見つけた」と言えば聞こえはいいが、あまりにも安く、都合よく、買い叩かれすぎてはいないだろうか? (71〜72頁)


 文中に、「学問は社会に還元しないと意味がない」(79頁)という言葉が出てきます。はたと、自分に当てはめました。「還元」という言葉は、大事な点を見せてくれる意味があります。

 次のように語っている箇所では、本書のテーマであるN女の問題をクリアすることの難しさを感じます。
 私がいま関わっているNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のことを思い、すべてを満たしていない現状に対して、あらためて今後の運営を考えることになりました。また別の視点でこうした動向を見る必要があるのかもしれません。


 N女の出現は、社会に重要な価値をもたらしつつあるが、その裏で、NPO常勤有給職員の人件費の中央値は222万円(平成25年度、内閣府調査)という事実が、N女たちを経済的リスクにさらしている。この数値が400万円前後まで引き上げられるか、またはNPOから民間企業へのスムーズな転職という展開が起きてこない限り、N女の出現は一過性の現象として終わってしまう可能性さえある。(264頁)


 また、次の社会動向も、この問題をそう簡単に解決するものではないことを教えてくれます。


 日本では、フルタイムで働く既婚女性の比率が全年齢を通じて15%前後(2013年、内閣府『共同参画』レポート)に留まっている。つまり、既婚女性の85%が、夫の収入を当てにできなくなった途端に困窮する「貧困予備軍」となっているのだ。これは、現にシングルマザーの6割が貧困状態にあるとする統計に整合性を与えるものであり、また、DV被害から逃れてくる女性のうち正社員は15%しかおらず、逃れても困窮するか、そもそも経済力がなさすぎて暴力から逃れられない女性も多い、とするDVシェルター側の証言とも一致する。しかしここでもう一つ別の事実を付け加えるなら、フルタイム就労率がより高いと言われる未婚女性の困窮ぶりは、さらに輪をかけて深刻な状況にあり、フルタイムで働いているからといって楽観できるわけではまったくない。3人に1人は貧困状態にあり、未婚女性の増加がそのまま貧困層の拡大につながっていっているとの指摘もある。既婚と未婚、パートとフルタイム、どちらにせよ女性たちの経済力のなさばかりが目に付く。(268〜269頁)


 今の我が身を見つめ直し、今後の人々の生き方について考えるヒントを、本書からたくさんいただきました。特に、意欲的に生きている女性を見かけると、その方の今ある姿の背景にN女的なものがあるのだろうかと、思いをめぐらすようになりました。これは、私にとって大きな成長です。

 家族(血縁)・会社(社縁)・地域(地縁)という、3つの共同体が機能しなくなった今、次の世代を生きる若者は無縁社会の中に放り投げられたと言えます。
 そうしたことを踏まえて、次のように言っています。


 血縁でも社縁でも地縁でもない新しい連帯とは、どのように作り出せばいいのか? 大切なのは、小さくとも多様性に富んだ居場所をたくさん用意し、人それぞれのニーズに合わせていろんな居場所を組み合わせていくことではないかと思う。そして、ここに登場するN女たちは、まさにそうした小さな居場所を作りだしているプロたちだ。彼女たちはそうすることで、分断社会にできた隙間を一つ一つ丁寧につなぎ合わせ、社会の死角に落ち込んでしまった人たちを様々な角度から拾い上げている。
 「一億総○○」という表現がぴったりだった、みんながみんな同じという異常な時代が、ようやく終わり、社会は多様化しつつある。激しい変化の途上にあるから、新しい課題も次から次へと出てくる。不安を感じるのは当然だ。しかし一方で、そうした不安の受け皿もまた用意されつつある。
 「すぐに全部は解決できないけど、とりあえず一人で悩んでないで、うちらに相談してみてくれる?」
 N女たちの柔らかな眼差しが、静かに、そして、したたかに、社会の隙間を埋め始めている。いろんなところにちょっとずつ居場所がある社会。どんな人でも、どんな形であっても、なんとか生きていける社会。そんな懐の深い社会が、N女たちの手によって、そしてN女的なる思考を持った人たちによって作られ始めている。(210〜211頁)


 次世代を生き抜くために、最後に著者がたどり着いたことは、人と人とのつながりをいかに大事にするか、ということのようです。
 予想できた落としどころとはいえ、紹介された事例が具体的であるために、やはりと納得すると共に、この現実にどう向き合うのかが問われます。

 社会と女性の接点を分析的に見つめる視点が新鮮です。切り口にも新たな刺激と発見がありました。
 そうであるからこそ、「おわりに」が、それまで著者が批判的に語っていたきれいごと過ぎて、最後の最後になって空疎な読書感となってしまいました。調査したことを一書にまとめる上で、無理に着地を決めてやろうとしないほうがいい、と言える好例だと思いました。【4】
 
 
 
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2017年01月30日

読書雑記(191)『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』

 『触楽入門 はじめて世界に触れるときのように』(テクタイル[仲谷正史、筧康明、三原聡一郎、南澤孝太]、朝日出版社、2016年1月)を読みました。


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 私は、日常的に物に触って生活をしています。本書を読み進めるうちに、その毎日の行為にあらためて気付かされることが多く、感覚というものを見直すことになりました。


 赤ちゃんの五感の中で発達が早いのは、なんといっても触覚です。触覚については、妊娠10週の頃から自分の身体や子宮壁に触れるという行動が見られ、学習が始まっていると考えられています。生まれたばかりの赤ちゃんは好奇心いっぱいで、なんにでも触れたがります。赤ちゃんにとっては触ること、舐めることの方が、見る/聞くことより、確かな情報を得られるからです。小さい頃は、だれもが触覚的な存在だったのです。
 記録されているかぎり最初に触覚に言及したのは哲学者のアリストテレスですが、彼は五感の中でも触覚に特別な地位を与え、触覚は「感覚のうちの第一のものとしてすべての動物にそなわる」と述べています。栄養摂取という生存行動のためには、触覚が必要不可欠だというのです。アリストテレスの言う通り、赤ん坊は指を、唇を、舌を駆使してお母さんのお乳を探し、栄養を摂ります。「触れる」ことによって、私たちは自分自身と世界との関係を学習し、生き延びてきました。
 このことは、脳科学によっても裏づけられています。これまで新生児の脳活動を測定することは難しかったのですが、京都大学の研究グループは、「近赤外光脳機能イメージング」と呼ばれる手法で生後数日の赤ちゃんの脳活動を計測することに成功しました。(26〜27頁)



 17世紀に哲学的な論争呼んだ問題で、「モリヌークス問題」というものがあります。ごく単純化して言えば、生まれつき眼の見えない人がいて、もしも成人してから手術で眼が見えるようになったとしたら、(それまで触ることによってわかっていたものを)眼で見ただけで認識できるだろうか、という問題です。この問いには、実際に開眼手術を行うことが技術的に可能になったことによって、答えが出ました。答えは「認識できない」です。突然眼が見えるようになっても、ただ光にあふれた光景が広がるだけで、モノの形や距離感を捉えることはできません。術後しばらく時間が経っても、立方体を観察しながら「上の面が菱形みたいになっていてわかりにくい」と言ったり、猫の前脚やしっぽ、耳が見えても、全体を見て
猫だと判断できなかったりするようです。これは、触ったものと見たものの情報が統合されていないからです。
 赤ちゃんは一度も体験したことのない新しいモノを見ると、長く見つめる性質があります。この性質を使って、フランス、パリ第五大学のアルレット・ストレリ博士らは、赤ちゃんは少なくとも月齢2ヵ月のときにはすでに、一度触れたことのあるものは目で見ても「覚えがある」と認識しているようだ、と報告しています(生後2日程度から連携がはじまっているという報告さえあります)。特に、形そのものよりも、ゴツゴツがあるかないかといったテクスチャの情報に対して、最初に触覚と視覚の対応を取り始めるようです。
 先ほどの赤ちゃん脳の研究でも、触覚刺激によって視覚野や聴覚野の脳活動が見られることが示されていました。こういった感覚統合が生後わずか数日から始まるおかげで、人はだんだんと、触れることなく、見ただけで物事を把握できるようになってゆくのです。
 成長するにつれて、視聴覚的な記憶は、圧倒的な量をもって触覚の記憶を塗りつぶしてゆきます。そして大人になると、もはや触覚を意識的経験の中心に据えてすごすことはほとんどなくなってしまうのです。(28〜29頁)


 特に、目が触感を補っている具体例には、納得しました。視覚と想像力が、触った感じを補正して増幅しているようです。

 また、触感が人の判断に影響していることも興味深い事例です。


 判断に影響を与えるのは、温度だけではありません。ある実験によると、相手を座らせて交渉をするときは、硬い椅子よりもやわらかいソファに座ってもらったほうが、こちらの要求をすんなりと通すことができます。どうやら、やわらかい感触は、相手の態度を「軟化」させるようです。
 また別の実験では、実験参加者に面接官の役割をしてもらうのですが、このとき、履歴書を挟むクリップボードを、重いものと軽いもの、2種類用意しました。すると、重いクリップボードを手にしたグループのほうが、求職者をより重要な人物だと判断したのです。
 身体が受けている、あたたかさ、やわらかさ、重さといった触感は、つねに意識されているわけではありません。それなのに私たちは、しらずしらずのうちに、触感に促されて意思決定をしているようです。身体性認知科学と呼ばれるこのような研究分野は、近年、さかんに研究が行われています。(40〜41頁)


 男女差については、もっと調査をしてほしいと思いました。現在、私が進めている古写本の触読に関しては、今のところ女性2人だけが変体仮名を読んでくださっているので、男性の触読について、点字ではなくて仮名文字での傾向を知りたいと思っているところです。


 その後、先ほども言った通り、女性の方が触感に優れている傾向があるらしいことがわかってきました。皮膚科学者の傳田光洋さんは、ポリイミド板による毛髪モデルを研究室の男女それぞれ10人ずつに触ってもらって、どちらを不快に感じるか答えてもらいました。すると、男性では意見が分かれた一方で、女性では10人ともAの不規則なパターンの板を不快だと答えたのです。(64頁)


 見えなかったらこれがどう感じられるのか等々、その違いに興味を持ちました。これは、おもしろいことです。

 出版社のホームページを見ると、本書で紹介されている音声を聞くことができます。

「どちらが水でどちらがお湯か、わかりますか?」(p.119、音の触感)

 触感を取り入れた身体表現に、楽しい未来を感じ取ることができたことが一番の収穫です。


 どのような形になるのかはわかりませんが、触れることを主軸としたアートが生まれるのも、もうまもなくのことではないかと私たちは思っています。それをサポートする、触感を表現するためのテクノロジーがいよいよ普及してきたからです。比較的廉価なレーザーカッターや3Dプリンタが登場し、だれもが気軽にものづくりに手が出せる環境が整ってきました。(223頁)


 まだ解明されていないことの多い分野だとのことです。今後にますます期待したいところです。【4】
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2017年01月25日

読書雑記(190)船戸与一『南冥の雫 満州国演義八』

 『南冥の雫 満州国演義 八』(船戸与一、新潮文庫、平成28年7月)を読みました。


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 物語の舞台は、昭和17年の戦時下のアジアです。
 敷島4兄弟が、満州、中国、フィリピン、ビルマ、日本を舞台にして飛び回ります。太平洋戦争を現場に視点を置いて描く、壮大なドラマが展開していきます。

 私が小さい頃にテレビで観たハリマオが出てきました。この頃に亡くなったようです。


昭南島滞在中にマレー作戦に協力したハリマオと呼ばれた日本人・谷豊の死亡の報を聞いた。遺体はマレー人部下によって病院から運びだされ、回教の儀式に則って秘かに埋葬されたらしい。それがどこの墓地なのかは不明だ。(21頁)
 
「ハリマオを知ってるでしょう、谷豊を。今年の三月、昭南島の丹得仙病院で死んだマレーのトレンガヌ生まれの日本人。F機関によって創られたあの英雄の映画が大映で製作されます。公開は来年、主演もすでに決まってる、中田弘二がハリマオを演じます。脚本はまだ手もつけられてもないけどね」(51頁)
 
「わたしが大映から命じられてるのはマレーのハリマオにつづくフィリピンを舞台にした劇映画の材料集めです。もちろん、内容は大東亜共栄圏構想へ現地人たちが共鳴してるという法螺噺でなきゃならない。妹を滲殺されて匪賊となった谷豊のような日本人がフィリピンにいるとは思えないけど、いろんな材料を寄せ集めて、それに近い人物を創りあげたいと思ってます。そういう仕事を手伝っていただきたい」(54頁)


 また、伊口日生のことも出て来ます。これも、引用しておきます。


「伊口日生という日本山妙法寺の僧侶を知ってるはずだ」
「それがどうしたんだね?」
「わたしは昭南島で逢ったんだが、伊口日生に頼まれた、あんたに逢ったらぜひともビルマに来て欲しいと伝えてくれとね」
「ビルマのどこに来いと?」
「とりあえず占領したラングーンに置いた第十五軍司令所に来てくれれば、連絡がつくようにしておくとのことだよ。あんたが海南島に運んでくれたビルマ人連中がどれだけ成長したかを見て欲しいとも言ってた」(31頁)


 作者である船戸氏は、丹念に資料を漁り、細かな情報までもつなぎ合わせて、物語の背景を客観的な視線で描こうとしていることがよくわかります。

 ビルマでの話には、アウン・サンの活躍が出てきます。スーチー氏の父の話を、今回初めて知りました。
 ビルマにおけるインド国民軍の話も、その後のインド独立運動のことを思うと、興味深いものです。

 太郎の妻桂子が太郎の愛人を刺し殺すくだりは、緊張感のある場面となっています。それを隠すことに手を貸す弟三郎の冷静なこと。社会動向と違い、人間の愛憎劇と人間性が描かれているからです。

 孔秀麗が太郎のもとに紅茶を運ぶシーンが増えます。この秘書の存在が、この巻ではほとんど語られません。楽しみが取ってあります。
 そして無断欠勤。少しずつその姿が明かされます。そして衝撃の結末。ただし、何度も紅茶を運んだ姿に見合う説明はありませんでした。

 ソ連が不可侵条約を破って満州に進行する過程が、克明に描かれています。これには、南太平洋での戦局の悪化が背景にあります。満州にいた人たちの多くが、この日本の敗戦という流れを予見していたことが語られます。戦況の悪化と敗戦への歩みが、次第に話題の中心に位置付けられていくことが読みとれるようになっています。敗戦への予見は、ありきたりの後世のものいいではなく、当時の状況を客観的に分析して読者をしだいにその機運に引き込んでの語り口となっています。

 また、陸軍と海軍の対立が、具体的に生々しく語られます。戦局と政局の混乱が、同時進行で展開するのです。

 そのような中で、太郎の妻桂子が夫の不倫相手を刺し殺したのです。それを、太郎と弟の三郎が隠蔽したことに端を発して、桂子は神経を病むこととなり、日本に移されました。その妻を見舞った太郎に、桂子は突然、ことの顛末を暴露しました。この場面の緊迫感は、戦時下の動乱の中で際立った迫力を見せています。

 本作は全編にわたって、人間の感情を持った生き様と、戦争という狂気の有り様が、みごとに活写されています。

 三郎はインパール作戦に参加していました。そこでは、無謀な計画のもとでの行軍が、行われていたのです。蛆にたかられた死体の山でした。亡くなった兵士の股肉を切り取っては食べる兵士もいたのです。
 隻眼だった次郎の眼窩から、蛆が這いだしました。かつては馬賊の頭目だった次郎は、満州の風景を脳裏に浮かべながらビルマの密林で亡くなります。

 私は、関東軍特務機関員の間垣徳蔵の存在が気になったままです。

 圧倒的な臨場感と凄惨な戦場を描く本作も、あと一巻となりました。

 読後に思い出したことは、父の蔵書の中に、インパールに関する本があったことです。父は、満州のチチハルで捕虜となって、シベリアに抑留されました。同じ時間軸の中で展開していたインパールの凄惨な行軍を、どう見ていたのでしょうか。知人がいたのでしょうか。もっと聞いておくべきでした。【5】

※2013年12月に新潮社から刊行されたものの文庫版で読みました
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2017年01月09日

読書雑記(189)白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』

 白川紺子『下鴨アンティーク 祖母の恋文』(2015年12月、集英社オレンジ文庫)を読みました。


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 帯に「京都を舞台におくる アンティーク・ミステリー」とあるので、つい手に取ってしまいました。
 この作者の作品を読むのは初めてです。作意をまったく感じさせない文章でした。テンポよく、女子高生が着物をめぐる不可解なことを、素人らしく解き明かしていきます。慧という男の存在が、さまざまな味付けをしています。

■「金魚が空を飛ぶ頃に」
 『風にのってきたメアリー・ポピンズ』のメアリーのことば「だれにだって、じぶんだけのおとぎの国があるんですよ!」が、主人公である鹿乃の心の中にあります。
 親友の祖父である満寿が、かつて少し暮らした女性が残して去っていった「羽衣」という不思議な金魚を描いた着物が話題となります。
 最後近くにこんな表現があります。
「皿に残ったすみれの砂糖漬けをつまんで、口にほうりこむ。しゃり、と砂糖が歯にあたり、花の香りが鼻に抜けた。」(87頁)
 メルヘンのように展開する、楽しい物語の始まりです。【5】
 
■「祖母の恋文」
 鹿乃の祖母である芙二子が懇意にしていた骨董店北窓堂の店主が、祖母の恋文を持ち込んで来ました。
 話は、杜若柄の男物の着物にまつわる話へと展開します。
 さらには、うなり声が聞こえるという帯。北野の天神市の骨董屋から買ったというのですから、京都の実態が踏まえられています。
 登場人物が多彩で個性的です。そして、女性の京ことばが自然できれいです。
 祇園の芸妓豊葉を浮気相手として問い詰める場面で、次の描写に印を付けました。
「うふふ、と豊葉はえくぼを浮かべて笑った。どこか得意そうな笑みに芙二子は顔がひきつりそうになった。そうですか、と笑みを返して、芙二子は置屋をあとにした。」(108頁)
 ここでの「ほほえみ返し」は、微妙な腹の内を見せていると思います。
 着物を着て、色や柄で遊びたくなります。しかし、男物では興醒めです。文化的にも、風俗的にも、これは女性の楽しみのようです。京の街中では、レンタル着物が花盛りです。しかし、やはりと言うべきか、男着物はほんの少数です。ここに私は、見せ物と化した日本文化の一面を垣間見ています。
 さて、本作で帯の柄から万葉仮名の謎解きに転ずるところは、やや強引かもしれません。もっとひねったらと、さらなる遊びの世界を楽しみにしてしまいました。【4】
 
■「山滴る」
 春秋柄の羽織の話です。そこに万葉仮名でかかれていた大和三山歌が話題となります。さらに話は絵に、花に。もう少し、羽織に集中してもよかったのでは。黒谷の金戒光明寺から白川通りが、いい雰囲気を醸し出しています。和洋折衷の味がする仕上がりです。【3】
 
■「真夜中のカンパニュラ」
 寺町二条から蹴上へと、物語の導線が変わります。作者の、多彩な語り口だと思います。
 白い絽に風鈴草の柄の着物を着た薄幸の女性が残像となります。この女性と、血で書かれた和泉式部の和歌の接点を、もっと興味深く描いていったら、と思いました。
 この物語にも、手紙が出てきます。好きな人に文字を通して自分の気持ちを伝える手紙という文化を、今の若い読者と共有できるのかと、新たに興味を持ちました。あらためて、手紙が見直される時代になるかもしれません。
 本作は、薄気味悪さもブレンドされていて、おもしろい仕上がりです。【4】
 
※ 読後感を一口で言うと、お茶に例えれば、抹茶よりも煎茶を飲んだ後の感じでしょうか。
 本書に収録されている物語は、色と形で美しさを連想させる言葉でつづられる4つの作品集です。
 登場する大学の先生が学問的な匂いをほとんどさせないので、それが物語の味を守っています。
 これ以外のシリーズ作も、読んでみたくなりました。
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2017年01月05日

読書雑記(188)宮部みゆき『初ものがたり』

 今年の読み初めは『初ものがたり』(宮部みゆき、平成11年9月、新潮文庫)にしました。


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 季節感と世相を反映した、江戸深川を舞台とする短い物語6作品を収録した短編集です。
 帯に書かれた次のことばも気を惹きました。


鰹、白魚、柿、桜。「初もの」がらみの難事件、さらりと解けるか茂七親分−八百八町のミヤベ・ワールド!


 東京の深川にある宿舎住まいもあと3ヶ月となり、近辺を舞台とする江戸情緒が語られている作品をもっと読もうと思っての選書です。また、お正月らしさと料理話も期待して。

 しかし、ことごとく叶わない、消化不良の作品でした。私とは相性がよくない作家なのかもしれません。
 これまでにも、宮部作品はいくつか読みました。しかし、わざわざこのブログで取り上げるほどのものとは出会えませんでした。これも同じでした。
 すでに高田郁の「〈みおつくし料理帖〉シリーズ」(2014年08月24日)を読んでいるので、この種のテーマでの作家の力量の違いがあらためてわかりました。この作品が書かれた時間軸と創作の背景を加味して読む作品となっているもの、と言えるでしょう。

 とはいうものの、私が今年最初に読んだ本でもあり、その確認の意味でも、ここに取り上げることにします。宮部みゆきファンの方々には申し訳ないことです。こんな感想を持った者もいる、ということで。

 巻末に、「新潮文庫版のためのあとがき」があります。どうにも収まりのつかない本書への、作者からの言い訳が記されています。この物語の今後の展開に興味を持ったこともあり、その末尾の文章を引用します。


 刊行当時、周囲の先輩作家や友人、編集者の皆さんからも、稲荷寿司屋台の親父の正体は何なのか、日道坊やはどうなるのか、あの連作は続けないのかと、好意的なお訊ねをいくつか受けました。わたくし自身にとっても、茂七親分の活躍する捕物帖は、長いスパンで大切に、愉しみながら書いてゆきたい作品でございます。ですから、そのたびに、「いつか必ず再開します」とお答えしておりました。その気持ちは、現在もまったく変わっておりません。かくも長き中断というのも、読者の皆様には興ざめに感じられることと存じますが、いずれ必ずというお約束をお詫びの言葉にかえさせていただき、ここにお許しを願いあげる次第でございます。
  平成十一年九月吉日
             宮部みゆき


 そういえば、「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013年01月07日)で、次のように宮部さんとは違う感想を記したことを思い出しました。


 文庫本の解説を担当された宮部みゆき氏は、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」と言われます。しかし、私はそうではなくて、高麗の女の方だったと思います。利休は、最後まで夢と憧れを心に抱いて死んで行ったと思うからです。


 人それぞれに、思うことはさまざまだ、ということなのでしょう。
 好きなように読み、勝手な印象や感想を持つのが、物語や小説を楽しむことなのですから。
 
 
■「お勢殺し」(1月)
 江戸深川の富岡のお正月で幕が開きます。岡っ引きの茂七が登場し、独特の推理を展開します。
 夜中じゅう稲荷寿司を屋台に並べている親父が作る、味噌汁と蕪汁が殺人事件を解決する手がかりを得るという話です。
 この親父が何者かが、次の話へと引き継がれます。【3】
 
 
■「白魚の目」(2月)
 深川の道端でその日暮らしをする子供たちをどうするかが問題となっていました。その矢先、お稲荷さんへのお供えを盗み食いしていた子供五人が亡くなります。さて、犯人は?
 次の白魚の描写が印象的です。ただし、引用した末尾の「よくそう言いますね。」は余計なことばだと思います。【2】

 茂七の問いに、糸吉は照れて首を振った。
「そんなんじゃありませんよ。あっしはただ、あのちっこい真っ黒な目を見ちまうと食えなくなるってだけです。やつら、点々みたいな目をしてるでしょう。あの目で二杯酢のなかからこっちを見あげられると、箸をつけられなくなっちまう」
 茂七は笑った。「存外、肝っ玉が小さいんだな。あんなのは、生きてる魚を食ってるんじゃねえよ。春を呑んでるんだ」
「よくそう言いますね。けど、あっしは駄目だ。どうしても駄目だなあ」(60頁)

 
 
■「鰹千両」(5月)
 呉服屋の番頭が突然やってきて、鰹を千両で売ってくれと言います。
 その理由から、さまざまな家庭の事情や背景が炙り出されます。
 話の綴じ目は、もっと工夫があればと思いました。【2】
 
 
■「太郎柿次郎柿」(秋)
 物語をシリーズとして展開する中で、つなぐ役を負った小話です。稲荷寿司屋の親父の素性を語るための、前置きのような話です。兄弟がキーワードになっています。【1】
 
 
■「凍る月」(12月)
 台所に置いてあった新巻鮭がなくなります。自分が盗んだという奉公人の女中がいなくなり、その捜索が始まるという展開です。話に内容がなく、人の心の読み解きも薄っぺらです。最後の冴えた月も心ここにあらず、という描写に留まっています。【1】
 
 
■「遺恨の桜」(3月?)
 日道という十歳ばかりの拝み屋の話です。この日道が襲われたことで、話が展開します。
 本話も、キレの悪い終わり方です。【1】
 
 
※初出誌︰1994年『小説歴史街道』、後に休刊、廃刊
  平成7年7月、PHP研究所より刊行
  平成9年3月にPHP文庫に収録
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2016年12月30日

読書雑記(187)『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』

 森野達弥の漫画『戦後強制抑留 シベリアからの手紙』(北田瀧・原作、加藤聖文・監修、平和祈念展示資料館発行、平成24年3月発行、非売品)を読みました。これは、一昨日の本ブログで取り上げた『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』と共に、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


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 戦後、日本人がシベリアに抑留された意味と強制労働をさせられた人々について、あらためて考える情報を提供してくれる資料です。

 自らの体験をあまり語らないままに亡くなった父のことを思いながら、耳を傾ける気持ちで読みました。

 表紙見返しに、次の文が掲げられています。


戦後強制抑留(シベリア抑留)とは



 戦争が終結したにもかかわらず、
約57万5000人の日本人がシベリア
を始めとする旧ソ連やモンゴルの
酷寒の地において、乏しい食糧と
劣悪な生活環境の中で過酷な強制
労働に従事させられました。
 寒さや食糧の不足などにより、
約5万5000人が亡くなったとされ
ています。


 こうした前置きが必要なほどに、現在の日本ではこのことが忘れ去られているのです。また、本書では、前著『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』以上に、漢字にはすべてひらがなで読みが添えてあります。若者はもとより、1人でも多くの方に読んでほしい、という気持ちの表われでしょう。

 物語は、高校生の佐伯翔君と谷原亜衣さんが、中津先生の父に関するシベリア抑留の話を聞き、しだいにこの問題をさらに知りたくなる、という展開です。

 日ソ中立条約をはじめとする国と国との約束事が持つ意味に触れつつ、シベリア抑留の体験を語る坂峰弥輔氏の次の言葉に重きを置いた構成となっています。


今でもあの頃のことを思い出すと
怒りで体が熱くなる……
でも憎しみからは何も生まれない

私たちが出来るのは
抑留生活がどんなもので
あったかを伝え
あなたたちのような若い人たちに
平和の大切さを知ってもらう
ことだと思います(57頁)


 シベリアの凍土について、餓死や凍死した仲間のために墓を掘るのに、1日にいくらも掘れない話は、私の父が何度も語ってくれたことです。食料の取り合いの熾烈さも聞きました。

 日本への手紙が書けるようになった時、ソ連の検閲があるために、カタカナで書くように言われていたということです。読みやすいカタカナだと、検閲もしやすいためのようです。また、ソ連の悪口などを書くと、手紙は没収されたとのこと。
 ソ連側の感情を配慮した生活をしたことなども、父から聞いています。

 それにしても、本書を読みながら、もっと父から話を聞いておくべきだったことを痛感しました。

 とにかく、折々に両親のことを思い出すことで、その苦労の実態と戦後の生き様を直視した理解をすることを心がけています。そして本書から、息子として感謝の念につなげていきたいとの思いを強くしました。

 年末に、重たいテーマを自分に課して、このブログの場を借りて4日連続で綴ってきました。
 来春から私にとって新しい生活が始まります。
 真剣に両親のことを振り返ることで、気持ちの整理をすることとなりました。

 今年もあと1日。
 多くの方々に支えられた1年であったことを、あらためて実感しています。

 新年がこれまで以上に良い年となりますように……
posted by genjiito at 19:18| Comment(0) | 読書雑記

2016年12月29日

読書雑記(186)船戸与一『雷の波濤 満州国演義7』

 『雷の波濤 満州国演義7』(船戸与一、新潮文庫、2012年初版、2016年文庫版)を読みました。


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 昭和15年のインドの状況から始まります。
 この時期の日本とインドの関係が、私にはまだよく理解できていません。
 次のような描写にチェックを入れ、今後の手掛かりとしておきます。


「とにかく、ヒットラーの快進撃でインドの情勢は大きく変わったんです。ビハリー・ボースやピライ・ナイルのように東京にいてあれこれ言うんじゃなく、ガンジーやネルーの不服従運動でもなく、流血を怖れずインド独立を目ざす連中が出て来た。皇国はそういう連中を断じて無駄死させるべきじゃない」
「それで?」
「インド独立連盟を支援するのはある意味では皇国の義務です。しかし、まだ三国同盟は結ばれてないし、ましてやイギリスと交戦状態にあるわけでもない。つまり、公然とはインド独立連盟に肩入れするわけにはいかないんです。それで、民間人の敷島さんにお越しいただいた」
「おれに何をしろと?」
「支那にも相当数のインド人が住んでる。パラス・ジャフルのように経営者もいれば、イギリス人の使用人としてくっついて来た連中がいる。そのなかからインド独立連盟の主張への共鳴者が出て来た。それを訓練していただきたい、軍事訓練を」
「このおれに?」
「そうです、敷島さんをおいて他には考えられない。いまはまだ重火器訓練が必要な時期じゃないし、とにかく、銃の扱いも知らない連中なんです。敷島さんはかつて満州で馬賊を率いておられた。素人を即戦力に鍛えるのはお得意でしょう。訓練の場所や武器は上海特務機関ですでに用意しました。これからそこに御案内します」(47〜48頁)


 そして、第二次近衛文麿内閣の時に商工大臣になった小林一三が出てきます。阪急や東宝や宝塚を作った逸翁です。逸翁美術館で館長をなさっている伊井春樹先生からも、逸翁の逸話をいろいろと伺っています。読書雑記(136)伊井春樹著『小林一三の知的冒険』(2015年7月15日)に書いた通りです。近現代史に疎い私でも知っている人が出てくると、歴史語りが身近な話として蘇ります。

 この巻で特徴的なことは、上海と満州の地で組まれた女性の組織です。
 次郎が預かって特殊訓練をする、インド人娘子軍予備隊がその一つ。これは、チャンドラ・ボースの反英武装闘争のためのインド独立連盟娘子軍につながるものです。

 もう一つは、日本人の純血を守るために送り込まれた、安拝開拓女塾です。これは、日本人と満州人との雑婚を防止する目的のものです。その結婚相手が籤で決められることの悲劇も、記憶に残る描写となっています。

 また、優秀な学生として話題になる朴正煕は、最近韓国で問題となっている朴槿恵の父ということもあり、興味深い話が太平洋戦争を見据えて展開します。

 ノモンハン事件のことが表面的になぞられただけ、という印象を持ちました。父がこれに参戦したことだけに、もっと語ってほしいと思いました。

 以前からずっとその存在が気になっていた、太郎の秘書である孔秀麗の姿が、次第に明らかになります。紅茶を出すシーンが何度もあったので、何かあると思っていました。なかなかおもしろい設定です。まだ、本巻ではその詳細はわかりませんが。

 ヨーロッパ戦線の情勢分析が中心となると、途端に理屈っぽくなり独特の船戸節となります。こうした口調の場面は、あまり続くと疲れます。調べながら書いている、ということが見え透いてくるからです。
 筆力にまかせて一気に展開する船戸語りが好きです。ここでは、歴史的な事実を確認するのに追われて、その正確さを最優先にした展開のために仕方のないところです。さらにもう一味を、と勝手な思いを抱きながら読み進みました。

 尾崎秀実とゾルゲのスパイ事件と同時進行で、ハリマオの話が展開します。ハリマオについてはかねてより知りたかったことなので、楽しく読み進めました。さらにもっと、という気持ちで、次巻を楽しみにしているところです。
 本巻でのハリマオに関する記述を抜き出しておきます。



「だれなんだね、この日本人は?」
「ハリマオですよ」
「何だって?」
「マレー語でハリマオは虎を意味します。この日本人はマレー人たちからハリマオと呼ばれて半分畏れられ、半分喝采を浴びてる」
「どういうことだね、それは?」
「本名・谷豊。明治四十四年生まれ。コタバルから東海岸沿いにクアンタンまで南下したとき、途中でトレンガヌという町を通ったでしょう。唐人街という看板のある商店街を持つ港町です、憶えていますか? ハリマオの父親はそのトレンガヌの町で理髪店を開き、大儲けした。谷豊はトレンガヌで生まれ育ったんです」
「で?」
「昭和七年の十一月、谷豊が徴兵検査のため日本に帰国してたとき、トレンガヌで谷家の満七歳になる妹の静子が首を切断されて殺されました。犯人は広西省生まれの支那人で排日思想に煽られて兇行に及んだんです。犯人は静子の首をこれ見よがしにぶら下げてトレンガヌの街を歩きまわった。そいつは結局、イギリスの官憲に捕まって、コタバルまで移送されて処刑されましたが、犯人逮捕に当たって熱心じゃなかったらしい。静子の首は日本人歯科医の手で胴体に縫いつけられて埋葬されましたが、その写真が福岡にいた谷豊に送られた。それを見て復讐を誓った谷豊はマレーに戻りトレンガヌの町から密林にはいりマレー人を集め匪賊集団を組織した。それだけじゃない、回教に帰依したんです。回教名は忘れましたが、とにかく回教の戒律はきちんと守るようになった。ふだんはタイと英領マレーの国境地帯を行ったり来たりして暮し、ときおり町に出て華僑の金満家を襲う。奪った金銭はマレー人たちと均等に分け合うんです。イギリスの官憲が必死になって追い掛けるけど、尻尾にさえ触れない。イギリス総督府から餌を与えられてるマレー人はべつですが、ふつうのマレー人はみな困窮状態にある。谷豊がハリマオと呼ばれて喝采を浴びるのはいわば当然の帰結だと思います」(493〜494頁)


 後半で、真珠湾攻撃が始まります。
 ちょうど、安倍首相が真珠湾に慰霊の訪問をしておられる時に読み了えたので、具体的にイメージしながら読みました。新聞やネットの情報がリアルに過去を分析してみせていたせいか、この作品での真珠湾攻撃の描写と背景が迫力に欠けて見えました。本シリーズに直結する問題とはズレることもあるのは承知しながらも、ダイナミックなテーマの交流がなかったのが物足りなく思われました。【3】
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2016年12月28日

読書雑記(185)『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』

 森田拳次の漫画『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(中国引揚げ漫画家の会編、平和祈念展示資料館発行、平成18年11月、非売品)を読みました。これは、平和祈念展示資料館の入口で無料で配布されていたものです。


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 この物語は、昭和10年に長野県から「大陸の花嫁」として満州の千振へ渡った、玲子という女性の手記によるとするものです。夫となったのは、国策として満州に渡った同郷の開拓団員である木沢聡でした。結婚後はソ連との国境に近い千振で開拓団員として新婚生活。3人の子供に囲まれ、平和な日々でした。

 こうした時代背景と状況については、現在船戸与一の『満州国演義』を読み進めているところなので、私にも理解が及ぶところです。しかも、今読み終わったばかりの『雷の波濤 満州国演義七』では、「安拝開拓女塾」が出てきたので、さらに複雑な事情があることも話の展開にあわせてわかりました。この『満州国演義』については、明日の記事で取り上げます。

 ところが、昭和20年8月に聡の元に突然、赤紙(召集令状)が来ました。
 私は、入植地である満州でも、兵隊として召集されていたことを初めて知りました。
 そして、8月11日に日ソ中立条約を破ったソ連軍が、突如満州に侵攻してきたのです。

 この時の描写には、次のような文章が添えられています。
 作者はこのような表現で、言うに言われぬ言葉による抗議を記しているのです。


ソ連軍の先行部隊がやってきたのは、
一八日過ぎだったろうか
囚人部隊だという噂だったが、
彼らの素行は最悪だった

避難民のなけなしの荷物を強奪し、
乱暴狼藉の限りを尽くした
実質、軍隊という名の強盗団だった
女たちはしばしば慰みものにされ、
中には妊婦の腹を軍靴で
踏みにじって喜ぶ
外道もいた

女たちは皆、
ソ連兵を恐れ、
女に見えないように
男装し、丸坊主にした

連れ去られ、ボロボロになって
帰ってきて、その日のうちに
首を吊って自殺した人もいた(37頁)


 この時、私の両親は実際にソ連との国境にあるハイラルにいました。ソ連の侵攻で離れ離れになったことを聞いています。満州や朝鮮や中国の人たちが、ソ連侵攻の日を境にして掌を返したように、それまで親しく接していた人がまるで別人に変わったかのように残忍になったということも。
 以来、私の両親にとっての流浪の旅が始まりました。
 上に引いたような話は、両親が楽しみにしていた戦友会の方々からも、いろいろと形を変えて聞いたことがあります。
 母が一時収容されていた「新京」など、聞かされていた地名が物語中にいくつも出てきました。おぼろげながら、母の帰還ルートが想像できます。
 この物語では、引揚げ船は佐世保に着いています。母もそうだったのでしょうか。舞鶴だったのでは?と思うものの、今はわかりません。

 さて、物語は引揚げ後のことになります。無事に夫の実家に居候となって3年目の夏に、夫聡が復員してきたのです。
 生きるのが大変だった夫の聡は、職を求めて東京に出ます。そして、さらに栃木県の那須に移り家族の再出発の生活が始まりました。

 私の父の場合は、復員後にポン菓子作りで出雲の村々を経巡り、そのお余りでおこしを作って売ったり、広島で牡蛎の養殖に使う竹に錐で穴をあける細工をしたり、単身大阪で道路工事夫として働いたりしていました。とにかく、私が小さかった頃には、仕事を転々としていたことを思い出します。
 万博公園がある千里丘陵は、父が人夫として土を運び地固めをしたところです。無事に生き残って復員しても仕事がない年月が長く続いていたことは、子供心に覚えています。

 この漫画では、時勢に弄ばれた人間の姿が、感情を圧し殺した筆致で描かれています。最後の、両親を思う一人残った息子の姿が印象的でした。
 この抑制の背後にある本音が、さまざまな形で読む者に伝わってきます。ただし、両親から聞いた話よりも、きれいにまとめられている感じがしました。これは、支援団体への配慮からなのでしょうか。
 一点だけ欲を言えば、枠外の注記の文字と資料の文字が小さすぎて、読むのに一苦労したことを書き添えておきます。【4】

※巻末にある資料から、引揚船に関する記述を抜き出しておきます。


巻末資料【満州から引揚げ「関連年表」】より抜粋

[昭和20(1945)年]
8月22日
樺太からの引揚船「小笠原丸」「泰東丸」「第二新興丸」、北海道留萌沖においてソ連軍の潜水艦の攻撃を受ける。「小笠原丸」「泰東丸」は沈没、約1,700名の犠牲者を出す

9月2日
米戦艦ミズーリ号上で降伏文書署名
南朝鮮からの引揚第一船「興安丸」仙崎に入港(公式引揚第一船)

11月24日
地方引揚援護局(浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島)新設

[昭和21(1946)年]
4月5日
満州からの最初の引揚船が博多に入港

5月14日
葫蘆島からの引揚開始(第一船佐世保に入港)

12月5日
樺太(真岡)からの引揚開始(第一船「雲仙丸」が函館に入港)

12月20日
北朝鮮(興南)からの引揚第一船「永録丸」が佐世保に入港

[昭和22(1947)年]
7月11日
千島地区からの最初の引揚船「白龍丸」が函館に入港

12月2日
南方方面からの最後の引揚船「輝山丸」が佐世保に入港

[昭和28(1953)年]
3月23日
「北京協定」に基づく中国からの引揚第一・二船「興安丸」「高砂丸」が舞鶴に入港(中断を含み昭和33年7月の第21次引揚げまで37隻入港、3万2,506人帰国)

[昭和33(1958)年]
7月13日
中国からの引揚第21次船「白山丸」が舞鶴に入港

11月16日
これまで唯一残っていた舞鶴の引揚援護局閉局
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2016年12月05日

読書雑記(184)上野誠『天平グレート、ジャーニー』

 『天平グレート、ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(上野誠、講談社、2012年9月)を読みました。


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 本書については、著者自らが扉裏で次のように記しています。


 期せずして運命の人となり、世界史上稀有の旅行者となった遣唐使判官・平群朝臣広成(生年不明−七五三)−本書はその広成と正倉院宝物、全銭香との奇縁を語る物語である。物語を通じ、万葉びとの思惟の一斑を、かすかながらにでも、感じ取ってもらえたならば−浅学の筆者これを無上の喜びとする。(12頁)


 また、目次の末尾には次の『続日本紀』の記述を掲載し、本作品の典拠資料として提示しています。


十一月辛卯、平群朝臣広成等拝朝。初広成、天平五年、随大使多治比真人広成入唐。六年十月、事畢却帰。四船同発、従蘇州入海。悪風忽起、彼此相失。広成之船一百一十五人、漂着崑崙国。有賊兵来囲、遂被拘執。船人、或被殺、或迸散。自余九十余人、著瘴死亡。広成等四人、僅免死、得見崑崙王。仍給升粮、安置悪処。至七年、有唐国欽州熟崑崙到彼。便被偸載出来、既帰唐国。逢本朝学生阿倍仲満、便奏、得入朝、請取渤海路帰朝。天子許之、給船粮発遣。十年三月、従登州入海。五月、到渤海界。適遇其王大欽茂差使欲聘我朝。即時同発。及渡沸海、渤海一船、遇浪傾覆。大使胥要徳等卅人沒死。広成等、率遺衆、到著出羽国。(『続日本紀』天平十一年条)(10頁)


 さて本書では、天平5年(733)に派遣された遣唐使にまつわる話が、おもしろおかしく展開します。阿倍仲麻呂を初めとして、吉備真備、山上憶良、玄宗皇帝等々、多彩な人物が登場します。
 登場人物と出来事が、非常に具体的でわかりやすく語られており、しばし作者の知識と想像力の豊かさに身を委ねました。

 大使(一等官)は多治比広成、判官(三等官)に平群広成が選ばれたのです。
 平群の先生である山上憶良は、この時は74歳。唐のことをいろいろと語ります。『遊仙窟』という書物は憶良が唐から持ち帰ったものだといいます。

 艱難辛苦の末に、遣唐使たちは長安にたどり着きました。それまでの逸話が、見るもの聞くものすべてが興味津々の中で語られます。日常生活から中国での風物まで、読者も一緒に見てきたような気分にさせられます。

 後半で平群広成たちは、中国・満州・朝鮮を経て、山形県の吹浦にたどり着きます。渡唐以来、足掛け7年の旅でした。
 読み終えて、大黒屋光太夫のロシア迷走とダブりました。「井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』」(2015年06月11日)
 共に、忍耐と叡智の戦いです。

 作中、井真成の存在が新鮮です。書籍を集めまくっていた男として。
 大阪の藤井寺へ行った時に、この男の詳細を知りました。「西国三十三所(17)藤井寺」(2010/10/18)にも記したように、もっと知りたい人物です。本作では点描に留まっていたので、少し残念でした。資料が少ないので、自由に描けなかったのかもしれません。

 本作品では、遣唐使の歴史的な背景と、中国の様子がわかりやすく語られています。しかし、登場人物たちの行動はどことなくぎこちないのです。作られた話という感触が拭えません。あらすじを聞いている感じが、最後まで残りました。

 後半に出てくる、林邑国の香木の全銭香の話は、興味をかき立てられました。
 沈香の中でも、蘭奢待に並ぶ名香です。このお香の話も、もっと語ってほしいところでした。

 ないものねだりをもう少し。

 私が20年にわたって子育てをした大和平群の地について、あまり詳しくは語られていません。
 思いつくままに引きます。
 まずは、唐へ出発する前に。


 憶良の宅を辞去した平群は、二ヵ月ぶりに故郷の平群の里に帰った。氏の名も、里の名も「平群」。われらは祖先の時代から、この地で暮らしてきたのだ。平城京の西南。生駒の山から南に続く谷が、平群の里だ。遣唐使判官となった広成を見ると、里の人びとはすぐに脆き、手を合わせた。しかし、広成は母のもとへと道を急いだ。母は遣唐使となったことを、はたしてどう思っているのだろう。
「帰りました。帰りました」
「おお広成よ。よく帰った」
「こたびは、遣唐使となりました」
「それで、どこに旅立つというのか」
「唐でございます」
「ほう、遣唐使とは唐に行くのか。そこは筑紫より西か東か」
「西です」
「ほーう、それよりまだ西があるのか」
「まだ、遠いです」
「そんなところで、大和の言葉は通じるのか」
「通じません」
「ならば、困ろう。だったら、行かぬがよい。ここに居れ」
「私は望んで望んで、判官にしてもらいました。ゆえに、そうはまいりません」
「いつ帰るのか」
「一年か二年はかかると思います」
「そんなに遠いのか。唐へは、馬で行くのか、船で行くのか」
「船でございます」
 これが、広成とその母との別れの言葉となった。(42〜43頁)


 次に、唐から帰ってから。


「食事はお口に合いましたか、平群の鹿肉を、平群の"ひしお"(味噌)をつけて焼いてお出しせよと申しつけておきましたが、いかがでしたか」
「久しぶりに、食べました。故郷の味でございます。ありがたく、ありがたく」(369頁)
 
 謁見の翌早朝、平群の里にゆくと、母は元気だった。母には、けっきょく、唐の美味い焼き菓子の話だけをして帰った。それ以外の話は、今後もいっさいしないと心に決めて帰ってきた。母は、あの雛くちゃの笑顔で、ただ笑ってさえいてくれればよいのだ。何も、知る必要などない。何も、教えたくない。母と会って、平城京に戻る帰り道に、こんなことを考えた。(373頁)


 平群の里に長年住まいした者として、その山なみと村里の小道を描いてほしいと思いました。山川草木が季節ごとに風物を語りかけてくれる里です。
 次のヤマトタケルの歌が紹介されていないのも、物足りなく思ったところです。


大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和しうるはし
 
命のまたけむ人はたたみこも平群の山のくまかしが葉をうずに挿せその子


 つい無理な注文を書きました。
 とにかく、スケールの大きな作品です。
 東アジアにおける日本というものを考えるのに、いい機会となりました。【3】
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2016年11月20日

単行本の書名だけを変えた文庫本のこと

 最近は、単行本で出版するのではなくて、最初から文庫本で「書き下ろし」として刊行される本があります。高田郁の作品などです。これを、「いきなり文庫」と言うのだそうです。

 藤田宜永の『悪徒』(2016年10月、角川書店)という書名の文庫本を、新聞の新刊広告で見かけました。藤田宜永の作品はほとんど読んでいるのに、知らない書名です。最新作を文庫で刊行したのかな、と思い、近くの書店に行きました。


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 品揃えのいい書店なのに、売れたばかりのようで、今は店にはないとのことです。
 「取り寄せますか?」と聞かれました。しかし、本は自分の目と手で探し、見つけた本を手にとってレジに持って行く、あの感触が好きなので、別の書店で探すことにしました。

 仕事帰りに、大きな書店で『悪徒』見つけました。本を持ってレジに並びながら、巻末の書誌情報をたまたま確認して失望しました。この本は、『ライフ・アンド・デス』という単行本を改題して、文庫化したものだったのです。

 元の『ライフ・アンド・デス』という本のことは、本ブログ「藤田宜永通読(18)『ライフ・アンド・デス』」(2014年02月06日)で取り上げました。まったく同じ内容の本を買うところだったのです。

 前掲の新聞の新刊案内に、旧題はどこにも書いてありません。
 角川書店のウエブ情報にも、3種類のサイト共に旧題は書かれていません。もちろん、アマゾンにも改題による作品であることは明記されていません(Kindle版にはありました)。

 この改題本において旧題を隠すことは、出版業界では一般的なことなのでしょうか。私は、出版社が意図的に隠しているのではないか、と思うようになりました。

 もしそうであるならば、読者に対する背信行為です。文庫本を買う時に、疑心暗鬼になり、警戒する人が増えることでしょう。特にネットで本を買う時には、こうした書誌情報はいいかげんなので、改題本であるかどうかの確認がほとんどできません。

 もっとも、文庫化されていい点もあります。巻末に解説文が付くことでしょうか。
 電車の中で読むのに重宝します。

 以前、藤田宜永の作品で、改題された文庫を買ったことがあります。こうした、同じ内容の本を書名を変えて売る際には、元の本の題名などの書誌情報を、巻頭や巻末だけでなく、表紙や背文字あるいは裏表紙などの見やすい所にも、その旨を明記してほしいものです。たまに見かけます。しかし、今回はありませんでした。

 単行本を、改題して中身は同じ、という傾向のある作家には気をつけなければいけません。
 藤田宜永の本で、改題して再度文庫として刊行されたものを、「ウィキペディア」で調べてみたところ、以下のとおりいくつもありました。
 書店で見かけ、何度も旧題を確認して、買うのをやめたことを思い出します。
 こうした紛らわしい行為はやめてほしいと思います。
 作家に対する印象も悪くなります。
 

■モダン東京物語(1988年1月 集英社文庫 / 1996年8月 朝日新聞社)
 【改題】美しき屍(2001年12月 小学館文庫)

■モダン東京小夜曲(1988年6月 集英社文庫 / 1996年9月 朝日新聞社)
 【改題】哀しき偶然(2002年1月 小学館文庫)

■探偵・竹花とボディ・ピアスの少女(1992年12月 双葉社)
 【改題】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(1996年4月 光文社文庫)
 【新装版】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(2016年4月 光文社文庫)

■怨霊症候群(1988年9月 C★NOVELS)
 【改題】呪いの鈴殺人事件(2001年8月 光文社文庫)

■明日なんて知らない ノーノーボーイ'69(1991年10月 双葉社)
 【改題】遠い殺人者(1996年11月 光文社文庫)

■キッドナップ(2003年8月 講談社)
 【改題】子宮の記憶 ここにあなたがいる(2006年12月 講談社文庫)

■探偵は黒服(2005年10月 角川書店
 【改題】さかしま(2008年10月 角川文庫)

■幸福を売る男(2005年4月 角川書店)
 【改題】セカンドライフ(2008年3月 角川文庫)

■還暦探偵(2010年10月 講談社)
 【改題】通夜の情事(2013年11月 新潮文庫)

■最新「珠玉推理(ベスト・オブ・ベスト)」大全〈上〉(1998年8月 光文社カッパ・ノベルス)「一億円の幸福」
 【改題】幻惑のラビリンス(2001年5月 光文社文庫)
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《参考》恋しい女(2004年8月 新潮社 / 2007年5月 新潮文庫 上下巻、『週刊新潮』連載の「セカンド ヴァージン」を改題)
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2016年11月05日

読書雑記(183)澤田瞳子『若冲』

 『若冲』(澤田瞳子、文藝春秋、2915年4月)を読みました。


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 人の心と京の情景が、言葉巧みに描かれています。
 ただし、最終章が失速していると思いました。
 また、史実との関連で、参考文献も示してほしいところでした。
 
■「鳴鶴」
 絵を描く源左衛門のもとへ顔料を運ぶお志乃の姿から始まります。歯切れのいい文章です。人の情が巧みに描き出されています。そして、行間から梅の香りがただよってきます。
 ただし、使われている京ことばに丸みがありません。そして、地の文の硬さとしっくりと馴染んでいないのです。残念です。京ことばの柔らかさが出たら、さらにいい作品になることでしょう。【3】
 
※登場する若冲の作品:「紫陽花双鶏図」「雪中鴛鴦図」
 
■「芭蕉の夢」
 池大雅の登場です。そして、この章から源左衛門は伊藤若冲と呼ばれます。この若冲が、折々に思い浮かべるのが、土蔵で首を括って亡くなった妻のお三輪の姿です。
 そこへ、宝暦事件の裏松光世との出会いが、大雅の仲立ちでありました。
 憎悪が持つ力を、我が身に降りかかったことを通して語ります。そして、自分の作品の贋作が若冲を苦しめます。
 若冲は、妻を死なせた罰として、絵を描き続けるのです。
 作者の説明がくどいと思いました。【2】
 
※登場する若冲の作品:「鹿苑寺大書院障壁画」
 
■「栗ふたつ」
 孤児たちの話を前後において、若冲とお志乃の心中が描かれます。
 話にくどさが出て、だれて来ました。若冲の絵に対する心構えがはっきりしてきました。しかし、それも展開としてはあまりおもしろくありません。【2】
 
※登場する若冲の作品:「動植綵絵」「釈迦三尊図」
 
■「つくも神」
 若冲の身辺が語られます。あまりおもしろくありません。
 それよりも、登場する男たちが使う京言葉に違和感を覚えました。女言葉でもない、私が思い描く京がイメージできないのです。
 この言葉遣いに注意が削がれてしまい、話の展開を追えませんでした。【2】
 
※登場する若冲の作品:「付喪神図」
 
■「雨月」
 京言葉の音便がもっと滑らかだといいのに、と思いました。
 話は、蕪村と大雅のことが中心となります。出自や身分に対する差別を受け入れながら我が身を語る蕪村が、痛々しいほどに描かれています。親子というものを見つめ直す話です。後半が圧巻です。【5】
 
※登場する若冲の作品:「石峰寺五百羅漢石像」「果蔬涅槃図」
 
■「まだら蓮」
 天明の大火で、京はすっかり焼け野原となります。そのような状況の中で、義弟で若冲を恨む君圭と心を通わす場面が秀逸です。さらに、唯一の弟子である若演が亡くなったことも感動的に描かれています。
 若演と君圭が遠ざかっていく中で、若冲は一人虚しさを感ずるのでした。【4】
 
※登場する若冲の作品:なし
 
■「鳥獣楽土」
 義理の弟の君圭から預かった晋蔵は8歳。血筋からか絵心があります。

 若冲という名は、『老子』第四十五章の「大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮まらず」から来るということです(269頁)。ただし、本書を読んだ後で少し調べたところ、「冲(むな)しき」とする資料もありました。「冲」は「沖」の俗字です。人名「若冲」において「沖」と「冲」の違いはないのか、疑問に思いました。そもそも、『老子』の字句自身に異同があり、「沖」と「冲」の2種類の本文が伝わっているそうです。また、最古の『老子』によると「如沖」となるとも。(「伊藤若冲の「冲」字考  <第二話> 若冲連載4」)。話が煩雑になるからでしょうか。本書にはこうした名前の漢字については、一言も語られていません。

 物語はますます深まりを見せます。画家の心の中に潜む、愛する者との格闘が絵になる様が、丹念に描かれます。若冲にとって、妻のお三輪であり、その弟の君圭です。
 そこに、君圭の息子が置かれ、話はますます人の情が盛り込まれていくのです。【5】
 
※登場する若冲の作品:「白象群獣図」「鳥獣花木図屏風」
 
■「日暮れ」
 若冲が亡くなった後の法要は、義妹のお志乃が営みます。
 そこで、若冲と君圭の同想の絵が問題となります。さらには、見たことのない絵も登場します。若冲が胸に秘めていたお三輪を思っての絵だということです。
 これまで出てきた人物が揃います。そして、君圭の登場。
 しかし、君圭が若冲のことを語り出してから、この物語は色褪せていきます。平凡すぎて、人の心に食い込んでいた筆の力が緩んでいくのです。前話を引き継いだ最後の展開を楽しみにしていただけに、残念でした。【2】
 
※登場する若冲の作品:「石灯籠図屏風」
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2016年10月21日

読書雑記(182)船戸与一『大地の牙 満州国演義6』

 『大地の牙 満州国演義6』(船戸与一、新潮社、2011.4)を読みました。
 昭和13年の日本と満州が描かれています。


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 本巻では、支那事変からノモンハン事件へと、慌ただしく血生臭い時の流れが活写されていきます。メインテーマはファシズムです。
 ノモンハン事変については、満州で捕虜になり、シベリアに抑留されて苦労した父親から少し聞いていたので、少しずつ実情がわかり出しました。大きなうねりの中での出来事は、それを語る立場によってさまざまな姿を見せます。

 戦地慰問に回っている吉本興業の『笑わし隊』が出てきました。
 中国での陰惨な戦闘状況に一味加わります。

 物語の背景に、スターリンとヒットラーの駆け引きや、岡田嘉子と杉本良吉が樺太からソ連への亡命話など、さまざまな逸話が点描されています。こうした、事実と虚構が綯い交ぜになって、ゆったりと大きく歴史が語られているのです。

 従軍文士の存在も興味深いものです。
 関係する箇所を引きます。


 敷島四郎は『庸報』の編集局で内地から送られて来る邦字紙各紙に眼を通しつづけた。どれも内閣情報部の文学動員について報じている。文壇の巨匠たちが陸軍班と海軍班に分かれて漢口に赴くことになったのだ。菊池寛。久米正雄。吉川英治。白井喬二。吉屋信子。佐藤春夫。川口松太郎。岸田国士。林芙美子。小島政二郎。尾崎士郎。滝井孝作。丹羽文雄。深田久弥。こういった錚々たる顔ぶれが合わせて二十二名、戦場に向かう。これはペン報国の文壇部隊と呼ばれることになったという。(155頁)
 
 
「だれが冗談でこんなことを言う? いいか、新聞が部数を伸ばせる最大の記事は戦争なんだぞ。満州事変は関東軍主催、大阪毎日新聞社後援とさえ言われた。発行部数二十万程度の東京の一地方紙だった讀売新聞は一気に百万を越える国民紙に成長した『庸報』の部数は最近激減してる。戦争に便乗して部数回復を計らなきゃならん」(156頁)
 
 
 太郎は三十一日附の東京朝日新聞を開いた。
 そこには林芙美子の従軍記が記されている。満州事変以来、新聞各社は戦争報道のたびに飛躍的に発行部数を伸ばす。徐州会戦後、有名作家の取りあいがはじまっている。内閣情報部は二十二名の従軍文士を決定したが、武漢攻略では東京日日新聞が菊池寛や吉川英治の従軍記を掲載して読者を魅きつけていた。林芙美子の原稿はそれにたいする東京朝日新聞の巻きかえしと言っていいだろう。(183頁)
 
 
 太郎は紙面から眼を離して、さっき孔秀麗が運んで来た茶を畷った。武漢攻略戦に同行した従軍文士たちはいい気なものだと思う。徐州会戦の様相を描いた火野葦平の『麦と兵隊』が大評判になった。従軍文士たちはそれに倣おうとしているのではないかと疑いたくなる。太郎はじぶんに文学的素養があると自惚れたことはない。だが、思うのだ、みずからの体験を赤裸々に綴った『麦と兵隊』に較べれば、従軍文士たちの記事は軍部への阿りが露骨に表われ、薄汚ない印象はどうしても拭えない。(186頁)


 敷島太郎の秘書である孔秀麗の存在が気になっています。この女性は、太郎にとって何なのでしょうか。

 インドに関して、これまでは小出しだったものが、本巻では少しまとまって記述されています。船戸氏のアジア史観と小説作法を知るための材料の一つとして、以下に抜き出しておきます。


「もうすぐドイツとイギリスの戦争がはじまる。こころが躍りますよ。独立を求めるインド人はみなこの機に乗じるつもりだ、わたしも忙がしくなる」
 次郎はその眼を見つめながら紅茶のカップを持ちあげた。ジャフルが顎を撫でながらつづけた。
「東京にいるビハリー・ボースやピライ・ナイルはもちろん、だれもがヨーロッパの混乱に乗じない手はないと考えてる。チャンドラ・ボースという男の名まえを聞いたことがありますか? インド国民会議派総裁だったが、マハトマ・ガンジーの不抵抗不服従運動に飽き足らず国民会議派と訣別した武闘派です。もしかしたら、あの男は今後ナチス・ドイツの協力を得てインド独立を達成しようと考えてるのかも知れない」(310頁)
 
 
「インドが激しく動いてます、イギリスはナチス・ドイツとの戦争で植民地にたいする統治能力が消え掛かってる。チャンドラ・ボースは国民会議派が手ぬるいと批判し、ベンガル州委員会はインド独立最後通牒をイギリス政府につきつけた。ガンジーやネルーはこの勢いは無視できない。あと一カ月も経たないうちに国民会議派は反英不服従運動再開を決議するはずですよ」
「で?」
「チャンドラ・ボースが突っ走れば突っ走るほど国民会議派も独立運動を加速せざるをえない」ジャフルがそう言いながら腕組みをした。「チャンドラ・ボースが具体的な行動を起こすためには武器が要る。最初は二、三千挺の軽機関銃でいい。それだけあれば、インド政庁を襲撃して占拠できる。インド国内にも反日感情を持ってる人間はいます。そういう連中は何らかのかたちでコミンテルンとの関係を持ってる。インド医療使節団というのを御存じで?」
 次郎は街え煙草のまま首を左右に振った。
 ジャフルが下唇を舐めてつづけた。
「コートニスとかアタルといった医師連中が去年の十一月にインドを離れ、延安に向かった。毛沢東に逢い、ともに帝国主義との戦いを誓い、北支の辺区で医療活動を行なうことになった。しかし、わたしに言わせれば戯言だ。インド人はよけいなことを考えずにイギリスからの独立を目指すだけでいい、たとえどんな手段を使っても」
「政治談議をしたいだけかね、それともおれに何かを依頼したいのかね?」
「児玉誉士夫を御存じですな?」
「面識はない、名まえは聞いてるし、このブロードウェイ・マンションに住んでることも知ってるが」「涯兆銘は上海に居をかまえるまえにいったん香港で暮すはずだった。児玉誉士夫は影佐禎昭大佐の依頼で右翼団体・日本塾を母胎とする秘密組織・棒皇隊を率いて香港での注兆銘護衛に当たる予定だった。そのために大本営陸軍部は兵器廠から直接九六式軽機関銃を児玉誉士夫に渡したんです。その軽機関銃は日本総領事館経由で香港に流れた。しかし、実際には注兆銘は香港では暮さず、上海に来て梅華堂の庇護下にはいった。つまり、香港には児玉誉士夫が手配した軽機関銃が九龍の倉庫に保管されたままになってる」
「それをインドに運べと?」
「そのとおりです」
「児玉誉士夫の棒皇隊が何人で編成されてたのかは知らんが、インド政庁襲撃に必要なほどの量の軽機関銃が香港に運ばれたとは思えんが」
「もちろん現在はそうです。しかし、九六式軽機関銃はこれからどんどん香港に向かう。わたしはもう児玉誉士夫と話をつけた。大本営陸軍部もかならず協力する」
「どこから来るんだね、その自信は?」
「日独伊防共協定はまだ三国同盟化してないが、日本はいずれ英米とぶつかり合わざるをえない。その場合、日本は石油を求めて南進するしかないでしょう。狙いは蘭領東インドだが、そのまえに仏領インドシナやビルマが標的になる。それを阻止しようとするイギリスの力を殺ぐにはインドやビルマでの独立運動が望ましい。おわかりでしょう、インドに軽機関銃を送りたい理由が? その数が二千や三千ならけちな武器商人が勝手にやったことだといくらでも言い抜けられるんだし」(394〜396頁)


 しだいに戦争が深刻になっていく中で、敷島兄弟の今後の生き様がますます興味深く待たれます。【4】

※本作品は書き下ろしです。
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2016年09月29日

読書雑記(181)船戸与一『灰塵の暦 満州国演義5』

 船戸与一の『灰塵の暦 満州国演義5』(新潮社、2009年1月)を読み終えました。
 本作も書き下ろしで、850枚という分量によって圧倒的な迫力で読ませてくれます。


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 前巻に続く昭和11年、12年の日中戦争、南京事件が物語の中心となります。
 これまで通り、敷島四兄弟のオムニバス形式で語られていきます。ただし、しだいに兄弟の距離が近づき、満州の地での接点が生まれてくるのでした。

 とにかく、想像を絶するスケールの大きな物語です。

 ハルビン郊外の防疫部のことは、かつて読んだ森村誠一の731部隊細菌兵器の話『悪魔の飽食』に記憶が結びつきます。ただし、この森村の本は内容に問題があるとの指摘がなされているものであり、それを作者船戸がどう扱っているかも今回読もうとしました。しかし、森村の虚偽捏造についての船戸の見解は読み解けませんでした。今後、このことがまた出てくれば、その時に再度深読みをしたいと思います。

 また、磯部浅一のことは、最近新聞で読んだ記事と合致します。
 近代史に疎い私は、断片的な知識を本作を読みながらつなぎ合わせて、歴史の躍動感を堪能しています。

 日本の政局と満州の変動が連動し、時局の話の間に食事のことなど細々とした日常生活が点描されます。それらがスムーズにつながっているので、昭和初期の日本と満州での雰囲気が生き生きと伝わって来ました。船戸氏の筆の力だと思います。

 岸信助の動向は、他の歴史的に著名な人々とは違い、この時代の歴史に疎い私にも現実感を持って読むことができました。同時代感を持てる人物かどうかが、読者として作中に入れるかどうかに関係しているのでしょうか。

 私は、学校の日本史で、近現代史を教わることのなかった世代です。そのためもあって、この物語は、歴史的な人物として名前だけ知っている人々が生き生きと活写されていることに惹かれます。
 近衛文麿・東条英機・石原莞爾・川島芳子・蒋介石・林彪などなど、枚挙に暇がありません。

 最終章で、戦場精神学とか戦争神経症への言及があります。興味深い話です。
 また、南京攻略から虐殺に関するくだりは、冷静かつ圧倒的な筆力で描かれ、語られています。作者の怒りに満ちた思いが籠もった一書です。【4】
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2016年09月05日

読書雑記(180)『日南町ゆかりの文豪 井上靖』

 『日南町ゆかりの文豪 井上靖』(企画・編集:日南町教育委員会、24頁、平成28年3月10日)という冊子を入手しました。


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 岡山県との県境にある鳥取県の日南町には、井上靖と松本清張、そして池田亀鑑という、三人もの文学に縁のある人が顕彰されています。
 今回入手したのは、そのうちの井上靖に関するものです。

 これは、昨秋日南町美術館で開催された「企画展 日南町ゆかりの文学者たち Part2 井上靖」を受けて、町内で作成された冊子のようです。


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 写真を多用した親しみと温もりが溢れる編集と、総ルビ付きで子供たちにも優しい説明文で語りかける、日本で一番わかりやすい井上靖の入門書となっています。

 構成は、次の通りです。


はじめに
資料からわかる日南町と井上靖
まんが(注:日南町に疎開した井上一家)
井上靖の誕生井上靖の青年時代
作家・井上靖の誕生
新聞社時代の井上靖
  〜時代は戦争にむかって〜
家族の疎開
  〜日南町福栄へ〜
『闘牛』で芥川賞受賞
戦後の井上靖
日南町と井上靖
  〜思いを受けついでいくために〜


 いい仕上がりです。
 ただし、日南町に関する記事が少ないのが残念でした。

 日南町に関することは、マンガで4頁、2つの記事で4頁なので、全体の3分の1となります。
 日南町と井上靖のことを知ってもらうためには、井上靖の若い頃のことはもっと端折っていいと思いました。井上靖の家族が日南町に疎開して来たこと(2頁分)は、マンガと重複しています。私がほしいと思うことは、その後に、日野郡福栄村が舞台となる小説『通夜の客』が書かれたことと、それに加えて、その作品を映画化した『わが愛』(1960年、松竹)に関しても、もっと全国の方々に知ってもらうといいと思います。小説に出てくる実際の家の前には、屋号を記した看板が出されています。この風景は、まさに小説『通夜の客』と日南町との接点です。このことを、次の改訂の際には盛り込んでいただけるようにお願いしたいと思います。こうした内容で、4頁はとってほしいと思いました。

 この冊子から伝わってくる基本的な姿勢は、自分の町を遠慮がちに紹介しているところです。全国の読者への配慮や、井上靖との接点への意識が強過ぎるように思います。心優しい町民のみなさまらしくて、これはこれでいいのかもしれません。しかし、完成度の高い冊子なので、さらに自己主張をした方が、読者への印象は強くていいと思います。
 つい駄弁を弄してしまいました。妄言多謝

 この冊子は、市販されているものではありません。
 手にしたい方は、「日南町教育委員会」に連絡をとってみたらいいと思います。
 たくさん制作されたものではなさそうなので、幸運を祈ります。

 なお、今月9月23日から10月16日まで、日南町美術館で「企画展 日南町ゆかりの文学者たち Part3 池田亀鑑」が始まります。池田亀鑑に関する冊子も発行されるようです。楽しみにしましょう。
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2016年09月03日

読書雑記(179)高田郁『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』

 『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』(高田郁、ハルキ文庫-時代小説文庫、2016年8月)を一気に読みました。


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 元文3年(1738)、大坂天満にある呉服商五鈴屋の元旦から軽快に始まります。

 廓狂いで放蕩三昧の四代目徳兵衛をめぐり、14歳の主人公幸が女衆であった身から一転して後添いとなることに決まります。

 幸は、商いの戦国時代に、知恵を武器にして生きていくことになります。

 知識と知恵の哲学を、この巻で教わることになりました。
 次の治兵衛の言葉が記憶に残っています。


「知恵は、何もないとこからは生まれしまへん。知識、いう蓄えがあってこそ、絞りだせるんが知恵だすのや。商いの知恵だけやない、生き抜くためのどんな知恵も、そないして生まれる、と私は思うてます。せやさかい、盛大に知識を身につけなはれ」(133頁)


 幸が品定めされる場面で『商売往来』を暗誦する様は圧巻です。
 本を置く暇もないほどに、話は展開していきます。
 「店先現銀売り」は三井の商売です。そのこととイメージが重なり、京と江戸の違いにも思いが及びました。

 登場人物が、それぞれに活きています。
 それぞれが、考えながら生きています。

 最後の場面で、月夜に鈴虫の音が響いて綴じ目となります
 印象深い終わり方であり、この話の続きが待たれます。
 新しい物語のシリーズが期待通りに始まりました。【5】

 この前作については、「読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』」(2016年03月11日)をご笑覧ください。

 なお、本作中で「四代目の後添いに迎えたなら、一生、ただ働きで済むよって、五鈴屋にしたらの字だすやろ」(66頁)とあるところの「恩」は「御」とすべき誤植です。この一点だけが、細やかながらも本書の傷だと言えるでしょう。
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2016年08月28日

読書雑記(178)山本兼一『ジパング島発見記』

 『ジパング島発見記』(山本兼一、集英社文庫、2012年7月)を読みました。


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 『日本史』を著したポルトガル人のルイス・フロイスが語り手となっています。フロイスが書ききれなかった逸話を記す、という体裁で語る7編の聞書を編んだものです。異色の戦国物語となっています。語りの視点が新鮮です。

 キリスト教の布教者という立場からの目で見た日本や日本人が、斬新な切り口で描かれています。知性と礼節を重んじる日本を描きます。
 また、地名、人名等の固有名詞が、外国人からの呼び方となっているところにも、作者なりの工夫が凝らされています。

 ポルトガルと日本の行き来に関しては、その中継地としてインドのゴアが出てきます。インド好きの私にとって、当時のインドの役割がわかって楽しめました。
 ただし、ポルトガルから来た宣教師たちと日本人の交流が表面的なのは、その距離感が表現したかったというよりも、一話の短さからの制約に基づく結果のようです。著者が今世にあれば、各話をおもしろおかしく展開させたことでしょう。2014年2月13日に亡くなられたのが惜しまれます。

■「鉄砲を持ってきた男」
 1543年。ポルトガル人のフランシスコ・ゼイモトの話です。火薬の話は、自らの体験と実地調査を通して語ることができたテーマの一つです。そこに、海外からの視点を持ち込んだところが斬新です。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年1月号
 
■「ホラ吹きピント」
 ポルトガル人の貿易商人であるメンデス・ピント(1544年来日)の話です。この後の生きざまが知りたくなりました。【3】

初出誌:『小説すばる』2007年8月号
 
■「ザビエルの耳鳴り」
 1541年にリスボンを出帆し、キリスト教の布教をしたフランシス・ザビエル(1549年来日)の話です。人柄が目に浮かぶように描かれています。【3】

初出誌:『小説すばる』2008年2月号
 
■「アルメイダの悪魔祓い」
 正一位の狐さまとイエスの神との戦いが描かれます。ポルトガル人のアルメイダ(1552年来日)をめぐる物語は、いかにもという作り話で終わっています。山本兼一らしさが感じられない作品となりました。【2】

初出誌:『小説すばる』2008年7月号
 
■「フロイスのインク壺」
 盲目の琵琶法師であるロレンソの存在は中途半端でした。日本の習俗と文化を、丹念に布教史として羽ペンで記すフロイス(ポルトガル、1563年来日)は、今で言えばレポーターです。【4】

初出誌:『小説すばる』2008年10月号
 
■「カブラルの赤ワイン」
 ポルトガルと日本の文化の違いが面白く語られます。まさに、比較文化論の素材が満載です。そして、孤独なカブラル(ポルトガル、1570年来日)という男を描ききります。【4】

初出誌:『小説すばる』2009年1月号
 
■「ヴァリニャーノの思惑」
 信長はフロイスに、友好使節をヨーロッパに派遣したいと語ります。それは形を変えて、実際には伊東マンショや千々石ミゲルなど4人がバチカンに行きました。ヴァリニャーノ(1579年来日)だけはイタリア人です。【3】

初出誌:『小説すばる』2009年3月号

※本書は、集英社から2009年7月に単行本として刊行されたものを文庫本にしたものです。
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2016年08月22日

読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』

 『流刑のソナタ 異端調』(中村久司、MyISBN - デザインエッグ社、オンデマンド (ペーパーバック)、2016/7/25、¥1,434)を読みました。


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 オンデマンド出版ということなので、アマゾンで本書の情報を確認しました。紹介を兼ねて、一部を引きます。


■内容紹介■
英国に30年間滞在し、世界20カ国の詩人と英語短歌を詠む活動を続けていた著者の、日本語による第一歌集。
新古今和歌集の抒情と西欧の「ポエム」のシンボリズムの融合を試みた異色の100首。

潮騒も 時の流れも 閉じ込めて 琥珀は眠る バルトの海に

北の海 カモメを鎮め 天を裂き くさび打ち込む 冬の稲妻

吾亦紅 枯れた後にも 立ち続け 死の薄化粧 初霜の朝

聖堂と ネオン街とを 分かつ川 行き交う男女 生ぬるい雨

ツル四羽 折った手の横 核コード 石に染み入る 八月の影

異色・異端の100首は、1973年にソ連船「バイカル号」で冬の横浜港からエルシノアへ旅立ち、その後、日本とヨーロッパの間を彷徨った一人の「異端者」のソウルの投影である。

■著者について■
1950年、岐阜県飛騨市生まれ。高校電気科卒業後、名古屋税関に入関。在職中にデンマークの国際カレッジへ無許可で短期留学。1975年に税関を辞めて渡英し、日英を往来の後、1988年からイギリスのヨーク市に永住。1994年、英国ブラッドフォード大学平和学部大学院で日本人初の平和学博士号を取得。在職中、英国の二つの大学で国際教育・交流プロジェクトを担当。英文学科・美術学科学生に、新古今和歌集を中心に古典短歌を教える。
2004年、世界20カ国の詩人と英語で短歌を詠む「日英短歌ソサエティー」を創立。2008年、日本国外務大臣表彰を受賞。
著作に、『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人:英国の軍産学複合体に挑む』(高文研)、『観光コースでないロンドン』(高文研)、英語歌集『The Floating Bridge: Tanka Poems in English』(Sessions of York) など。


 これまでに刊行された著書について、私の勝手な読書雑記は次の通り3点があります。

(1)「英語の短歌を読む」(2008/11/13)

(2)「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

(3)「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

 イギリスでは、ヨークとケンブリッジでお目にかかりました。妻と娘共々、お世話になりました。そんな関係からか、短歌の背景が私なりに想像できたので、透き通ったお人柄を思い起こしながら読みました。素人が勝手にキーワードを付けるならば、「ありし日」「月影」「ひとり」でしょうか。

 遠く隔たった自然や風景の時空を通して、影や音や色や香が、ことばの後ろから微かに伝わってきます。
 ことばを紡ぎながらも滲み出る作者の孤独が、モノクロの中で淡い色や鋭い光線として詠まれている歌集だと思いました。
 私と妻で、お互いが気に入った歌を何首か選びました。
 二人が選んだ同じ歌は今は措き、私が選んだ次の五首を紹介します。


手の中に 捕らえたホタル 息づけば 三つ児でさえも 指解き放つ

笹の葉の ひとひらの雪 押し落とす 群竹に射す 蒼い月影

 (風花を台所にいた母にも見せたいと思った遠い日を思い出し。)
見せたいと 連れ出した母 見上げれど 風花は消え 母は微笑む

一条の 香立ち上る 垂直に 雨音静か 暁の寺

直立し 北の裸木 そびえ立つ 靴紐結ぶ 冬の旅立ち
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2016年08月17日

読書雑記(176)大谷哲夫『永平の風 道元の生涯』

 お盆にお寺さんがいらっしゃることを気に留めながら、『永平の風 道元の生涯』(大谷哲夫、文芸社、2001.10初版、2002.4第4刷)を読み了えました。
 私は宗教心が薄いと思っています。しかし、両親がよく言っていた「只管打坐」という言葉が『正法眼蔵随聞記』に出てくることばであることは、ずっと後の大学生の頃に知りました。

 私の家と妻の家は、偶然にも共に禅宗の曹洞宗であり、本山も福井県にある永平寺です。お互いの両親は、永平寺へ何度か行っています。
 母を追善しての西国三十三所札所巡りの満願は、子供たちとみんなで行きました。


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 最近の仏事で床に飾っているのは、この時の朱印軸を表装したものではなく、その後に私がガンの手術を経て無事に生還した折に西国三十三所を巡った時のものです。

 曹洞宗は、私が選択したものではないにしても、両親が代々受け継いできた我が家の宗派ということで、それが何であるのかもわからないままに引き継いでいるのが、偽らざる実情です。
 
 今回読んだのは、箱に「駒澤大学学長就任記念特装版」と印刷されている、ずっしりと重い本でした。


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 参考までに、巻末にある著者のプロフィールを引きます。

 

著者 プロフィール
大谷哲夫(おおたに てつを)
昭和14(1939)年、東京に生まれる。
早稲田大学第一文学部(東洋哲学専修)、同大学院文研(東洋哲学専攻修士課程)修了。
駒澤大学大学院文研(仏教学専攻博士課程)満期退学。
曹洞宗宗学研究所所員・幹事・講師を経て、昭和52(1977)年、駒澤大学に奉職。
平成6(1994)年より学生部長、教務部長、副学長を歴任。現在、駒澤大学学長、仏教学部教授。著書に、『訓注 永平広録』(上下2巻・大蔵出版)、『和訳 従容録』(柏書房)、『祖山本 永平広録 考注集成』(上下2巻・一穂社)、『卍山本 永平広録 祖山本対校』(全1巻・一穂社)、『道元禅師 おりおりの法話』(曹洞宗宗務庁)など、論文多数。

 
 さて、本書のことをメモとして残しておきます。

 建久10年(1199)に、源頼朝は53歳で亡くなりました。
 その翌年、正治2年の正月2日に京の松殿別邸で生まれたのが、この物語の主人公である道元です。宇治の木幡にある元摂政藤原基房の別邸で生まれたのです。
 母伊子は基房の三女。父は、具平親王の流れの久我通親です。伊子は、その前は木曽義仲の妻でした。

 道元が生まれた年に、幕府は念仏宗を禁止しました。公暁が誕生した年でもあります。

 道元は、父通親の子、異母兄通具(新古今集和歌集の撰者の一人)が育父となって、久我荘で育ちます。
 時は、頼朝から妻政子の北条氏が実験を握るようになっていました。また、末法思想が広がっている時代であり、法然の浄土信仰が説かれていました。

 そのような中で、道元は母が亡くなる時の「政治の世界に生きるな」という言葉が頭を離れません。


 死期の迫っていた母が話していた言葉の意味をどうしても知りたいと思った。
 ― 人は何のために生まれてきたのか、生きるとはどういうことなのか、人は死んだらどうなるのか、浄土というものが本当にあるのだろうか……。(44頁)


 この母の言葉が道元の生き様を決めるのでした。

 ある夜、夢に現れた母の言葉のままに意を決し、比叡山延暦寺の良観法印(叔父)のもとに行きます。13歳の春でした。この道元が得度式をあげるのは、第69代の天台座主慈円の次の公円の時です。この時から、出家沙門「仏法房道元」が誕生したのです。

 この物語は、簡潔な文章でわかりやすく、きびきびとした語り口で進んでいきます。

 道元は、やがて政治の権力闘争に明け暮れる仏教界に嫌悪を抱きます。
 そして、栄西を偲んで中国の天台山へ行き、正師を求めて諸山巡錫の旅に出ます。仏教の本質、仏教の悟りを求めるための旅です。

 平成19年(2007)に、私は中国浙江省にある天台山に登り、国清寺や万年禅寺へ行きました。山内のことが、今も鮮明に思い出されます。この時は、伊井春樹先生とご一緒でした。


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 この万年禅寺でいただいた境内の石片は、今も仏壇の位牌の横に置いています。

 道元が正師と出会うことと、師とする明全が死にゆく場面、そして大悟した道元を正師である如浄禅師が認証する「第二章 ほととぎす」は圧巻です。

 道元が宋で修行していた1223年から1227年までの5年間は、北条氏の執権政治が行われていました。その間に、日本も変わっていたのです。

 道元の生涯が、歴史語りと共に活写されます。
 仏教の専門用語もわかりやすいことばで記されているので、難しい宗教的な背景もよくわかりました。
 本書は、道元の死までを静かに語ります。道元の生き様が印象的に描かれているので、禅というものを考える時に思い出すことになるでしょう。

 本書には、口絵として「道元画像 自賛」「如浄画像 自賛」「道元嗣書」の3点のカラー図版があり、本文中には、田中伸介氏が描いた28葉の挿し絵(モノクロ)が、見開き左側の頁にあります。
 517頁の書物なので、16頁に一葉の絵が置かれていることになり、物語絵巻の雰囲気があります。
 また、巻末には、詳細な「道元総年表」や「主要参考著書一覧」等もあり、道元を理解するための手引きとなっています。【4】

 私がチェックしたのは、以下の文章です。
 5箇所ほどを抜き出しておきます。
 

 道元は、ひたすらなる坐禅こそが、釈尊から達磨へ、そして如浄から自分へ正しく伝わった仏法を学ぶ唯一の正門であると宣言した。
 それは、道元が出家し、比叡山の修行時代から抱き続けていた疑問、
「人は生まれながらにして仏であるとしながら、なぜ修行しなければならないのか」
 という命題への明確なる解答の序章とも言えるものであった。(303頁)

 

仁治三年(一二四二)正月に、四条天皇がわずか十二歳で崩御したため、兄弟の宮もいない天皇の皇嗣として土御門上皇(一一九五〜一二三一)の皇子邦仁王が天皇の位についた。すなわち後嵯峨天皇(一二二〇〜一二七二)である。天皇は、道元の父通親の第一子である久我通宗の娘通子を母とするので、道元にとっては甥にあたる。これによって久我家は天皇の外戚としての権力を獲得することになったのである。特に、久我通宗のあとを継いだ通親の第四子定通は道元の異母兄にあたるが、その累進はめざましく、朝廷の実権を握り叙位除目をほしいままにする勢いであった。
 道元が、その正伝の仏法の教線を京にまで拡張しえたのは、道元自身の好むと好まざるとにかかわらず、そのような政治情勢の激変を”追い風"にすることができたことにもよる。(348〜349頁)

 

 翌仁治四年(一二四三)一月十六日に「都機」を撰述し、三月十日に「空華」を示衆した。「都機」は、万葉仮名で「月」のことで、「月」を主題として説示しているが、この巻に示された「月」は単に虚空に浮かぶ美しい月をいうのではない。道元が「月」によって説き示したのは、仏祖たちがしばしば月に仮託して語った「諸法無我」、あるいは「諸行無常」といった言葉に集約される正伝の仏法の真実義なのである。つまり、道元は、「月」を説示しながら、背後には常に”都機”(仏法のすべてのはたらき)を詩的ひらめきを駆使して説いたのである。(369頁)

 

 道元は、まず五家を中心とした中国宋朝禅を、「密語」「無情説法」「仏教」「見仏」などの巻において徹底的に批判し、次に儒教・仏教・道教の三教一致説を「仏経」「諸法実相」などの巻において舌鋒鋭く否定して、自らが如浄より受け嗣いだ仏法の正統性を論理的に説き明かしたうえで、その全一性と純粋性を強調した。
 「仏道」の巻において、諸仏諸師の中に「禅宗」という宗派を唱えたものはないとして、禅宗という呼称を、また、「曹洞宗」という呼称についても、歴史的事実に照らして誤りであることを指摘し、徹底的に否定した。
 臨済、曹洞をはじめ、五家の宗名を立てることを徹底して道元が嫌った裏には、旧日本達磨宗の弟子たちが、臨済宗大慧派を中心とする禅風の弊害に陥る危険性を憂える気持ちが多分にあったからにほかならない。五家分派以前の古風禅を参究し、五家の宗派を超えた、これこそ道元が生涯をかけて主導した仏法であった。(408〜409頁)

 

 それでは、山に帰ってきた感慨を言葉で、どのように表現したらよいであろうか。次のように言おう。
 私が山を離れての半年ばかり、鎌倉という俗世間にいた心境は、
 まるで孤独な月が虚空にかかるようであった。
 しかし、今日、山に帰ると、諸君ばかりでなく、
 山川草木すべて雲までが喜んでいて、
 私の山を愛する気持ちは、昨年、山を出たときよりもさらに深いものがある」
 道元はこの上堂で、自分の仏法は「明得・説得・信得・行得」、つまり、道元自身が、確実に明らかにさとり、充分に説明することができ、明らかに疑いもなく信じることを身につけ、さらにそれをきちんと行じてきた、それが"わが仏法"だと明言した。(463頁)
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2016年08月06日

読書雑記(175)ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』

 以前から気になっていた、記号論学者ウンベルト・エーコの『薔薇の名前 上・下』(東京創元社、1990.1)を、行きつ戻りつしながら読み終えました。本年2月19日にウンベルト・エーコ氏が亡くなり、手元に置きながらいつかはと思いつつそのままになっていたこの本のことを思い出したのです。


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 まず、「初めに言葉があった。」と始まります。

 プロローグで、「若き日に立ち会った驚くべき数奇な事件の証言をこの羊皮紙の上に書きとめよう」(上、22頁)と言っているように、僧院での異常な体験を語っています。それは、西暦1327年に、ある僧院で起こった一連の事件が書き残されるのです。

 最後は、次のように結ばれます。

「写字室のなかは冷えきっていて、親指が痛む。この手記を残そうとはしているが、誰のためになるのかわからないし、何をめぐって書いているのかも、私にはもうわからない。〈過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ〉。」(下、383頁)

 常に読者がいることを意識した語り口です。

 この小説を読むのは2度目です。世界各国で大ベストセラーとなりました。
 映画も観ました。ショーン・コネリーが主演した映画としても有名です。
 しかし、まったくその内容を覚えていません。修道院で聖書を書写する姿しか、思い出せません。
 どうも気になり、再読に挑戦したのです。読み終わって、今回は盲目の老僧の姿と、最後の火事場の迫力が強く記憶に刻まれました。

 それにしても、再読しながらもあまり心に響くものがないのです。僧院での宗教話が、私に伝わって来ないからだと思われます。

 それでも、私が興味を持ったのは、写字室での様子です。聖書がどのような環境で、どのようにして書写されているかがわかるからです。


最も明るい仕事机は、古文書学僧・熟練の装飾画家・写本装飾家・写字生などに充てられていた。どの机にも細密画や筆写のために必要な道具類が備えつけてあった。角製のインク壺、薄い刃で削りながら使う細い羽根ペン、羊皮紙を滑らかにするために使う軽石、文字を揃えて書くために引く基線用の定規などである。写字生が腰をおろして向かう机の面は傾斜していて、そのはずれに書見台があり、筆写すべき原本が立てかけられて、開いたページには筆写中の行だけを示す仮面枠が乗せてあった。写字生たちのなかには金色のインクやその他さまざまな色彩のインクを使う者がいた。また、古文書を黙読しているだけの者や、自分たちのノートや小板にメモを記している者がいた。(上、121頁)



当時の私は、まだ人生のわずかな部分しか写字室で過ごしたことがなかったけれども、その後になって多くの時を過ごして写字室の事情に通じるようになったいまでは、かじかんだ指先にペンを握りしめながら冬の長い時間を机に向かって過ごすことが、どれほどの苦痛を写字生や写本装飾家や学僧たちに強いるものであるかを、充分に承知している(通常の気温のときでさえ、六時間も書きつづければ、手に恐ろしい書痙が生じて、まるで踏みつけられたみたいに親指が痛みだすのだ)。だからこそ、写本の余白などに、写字生が忍耐(および焦燥)の証に記した落書をしばしば見出すことがある。たとえば〈ありがたや、もうすぐ暗くなる〉とか、〈おお、せめて一杯の葡萄酒があったならば!〉とか、さらには〈今日は底冷えがする、明りが乏しい、この羊皮紙は毛が多くて、どうもうまく書けない〉とか。昔から諺に言うように、ペンを握っているのは三本の指だが、全身で働いているのだ。そして全身で苦しんでいるのだ。(上、204頁)



この翻訳の写本を二部作って、一部を依頼主に納め、一部をわたしたちの文書館に収蔵する予定でした(上、206頁)


 ここには、聖書の写本を作成するのに、分業制で、書写のための枠などの道具を使い、落書きをしたり、副本を作っている様子がわかります。これは、日本で写本を書写する時の様子と対比するとおもしろいと思いました。

 物語を読み進むうちに、年老いた盲人の老修道僧の存在が気になりました。


大いなる老人は、喘ぎながら、言葉を途切らせた。盲目になってから、もう何年も経つはずなのに、いま話しているように彫像の卑猥さをはっきりと覚えているのだから、その記憶力には驚嘆させられた。あれほど情熱をこめていまだに語るくらいだから、視力のあったころにはよほど彫像の魅惑に取り憑かれていたのではないか、と私は思わず疑ってしまった。(上、134頁)


 第二日の話に入ってから、ようやく話がおもしろくなりました。2人の死をめぐってウィリアムとこの物語の書き手であるアドソは、審問官として調査をはじめます。僧院の写字室の実態が明らかになっていくのです。

 盲人に関する描写に関して、あまりにも差別的な視点なので、原文はどうなのか知りたくなりました(上、197頁等)。

 殺人事件については、総院長への疑念がますます大きくなっていきます。

 読み進んでいて、日本語訳の一文が長いので文意を理解するのが大変でした。翻訳物によくあることです。原文がそうなのでしょうか。日本語としては、この訳はよくないと思いました。あまりにも原文に忠実なのでしょう。もっとわかりやすい日本語の文章にする工夫があってもいいのではないでしょうか。
 原作者の文章の尊重と、言語を移し換える上でのわかりやすさの匙加減かもしれませんが。

 さらに、多用されている挿入句は、丸カッコ付きで入れ込まれています。それでなくても長い文章が、さらに鰻の寝床状態となって、訳が分からなくなります。

 中盤になり、聖職者とは、異端者とは、そして修道会や修道士とは何かということが、だんだんわからなくなりました。私がキリスト教に疎いからなのでしょう。それにしても、前が見えにくい物語展開です。

 上巻末尾で、ミケーレ修道士が火炙りの刑に処せられます。この場面の筆は活きています。キリスト教における罪というものや咎とは何かを考えさせられます。

 一巻の秘密の書物をめぐる犯罪は、しだいに謎を深めていきます。しかし、物語の成り行きが時々見通せなくなるので、目次にもどり、詳細な小見出しの列記を確認して、また読み進みました。

 キリストの清貧についての論争がなされるくだりがあります。これなどは、日頃からこうした宗教論議に立ち会うことのない私には、各人の発言の意図や背景がよく見えません。物語を理解するための基礎的な知識の不足を痛感しました。それが要求されるのは、異文化圏での宗教論議が内容の大半を占めていることと関係するかもしれません。
 これは、読者が作品に近づこうと努力する必要があるのか、作者が配慮すべきことなのか、考えてしまいました。特に、本作品は読者を強く意識した語り口なので、余計に思ったことです。

 下巻の中盤以降で、盲目の修道僧であるホルヘ・ダ・ブルゴスが説教を任されます。
 私は、この人物に注目していたので、このくだり以降は特に興味深く読みました。歳は80を越え、目が見えなくなって40年以上。記憶力に優れ、博識なのです。

 物語は凄惨な場面の後、神聖な写本の存在意義を考えさせます。これまでに起こった、いくつもの殺人事件はいったい何だったのか、もっと語ってほしいと思います。寂しさが残る読後感を持ちました。

 それにしても、本書は物語の中に物語が仕組まれているようです。その重層性の一端でも読み解けたら、また別の読書の楽しみが待っていそうです。そんなゆとりのないままに、急ぎ足で読むしかない自分の読書環境を残念に思います。いつかまた、3度目に挑戦するかもしれません。【2】

 本書には、巻末に翻訳者の解説がついています。その中に記された、翻訳にあたっての興味深いコメントを引きます。


 今回の訳出にさいしては、ボンピアーニ社、一九八〇年十月刊の第二版を底本とし、その後に加えられた訂正や変更を一九八六年三月刊のペーパーバック第十一版と照合し、念のため一九八九年一月の同第二十五版も座右に備えて異同を検討した。訳出の事業を引き受けてまもないころ、出版社を介して、ウンベルト・エーコから原文の訂正箇所の分厚いコピーを受け取り、それらは直ちに底本との照合を済ませたが、同時に受け取ったタイプライター印刷コピーによる「『薔薇の名前』翻訳のためのメモ」と題した、数葉の文書のほうは、もちろん、読まないことに決めた。翻訳という営為は訳者が原文と対峙して、それ以外のどこにも助けを求められないと観念したときに出発点に立つのであって、もしも他に支援を求めたり抜け道を探したりするようになれば、訳者の立場は基盤から崩れてしまい、収拾のつかないものになるであろう。(下、389頁)


 この文章を読み、あらためて翻訳とは何かを考えるきっかけを得ました。何をどう訳すか。今、私は本書の翻訳姿勢とその完成度に、大いに疑念を抱きました。このことが、日本語として読みにくい訳になっている原因ではないかと思われます。
 ドイツ語訳、フランス語訳、スペイン語訳、イギリス語訳など、多くの外国語訳ではどのように読まれているのでしょうか。また、引かれているラテン語は、どのように理解されているのでしょうか。
 再度、訳者河島氏の解説文から引きます。


 英語版は、それに比べて、非常な熱意をこめて翻訳にあたったことが窺われた。たぶん、そういう熱意の一つの現われであろう。誤訳はお互いさまとして、あまりにも多い省略箇所が目立った。編集部にざっと計算していただいただけでも、日本語版に換算すれば全篇の長さが二十ページ分は少なくなっているという。もっと少なくなるのではないか、と私は感じていた。プロローグだけでも、原文で五行、六行と脱けていたから。長いところでは、連続して二十五行、三十行という省略箇所もある。スペイン語版の出来映えは、どの程度のものか判断しかねたが、例の黄道十二宮の謎の記号(上巻、二六三ページ)が逆さに印刷されていることを編集部に教えられた。(408頁)


 翻訳における省略という、私が抱える問題が、ここからも浮上してくるのです。
 翻訳は文化の移し替えだと思っています。その意味からも、本書はさまざまな問題を投げかけています。
 そして、この『薔薇の名前』というものが、記号論のための小説だと言われている意味を、記号論をもっと勉強してから考えるとおもしろくなりそうな予感がし出しました。

 解説によると、さらに興味深いことが記されています。


 この小説は第六日を削減され、第七日はさらに削減された。
(中略)
 この小説には読み解かれたくない物語、つまり削除された物語も存在する。この作品が孕む不均衡は、何よりもそのことを窺わせる。
(中略)
 これは文学の本筋からは逸れることになるが、推理小説好きの読者のために、途絶えた糸を復活させ、試みに記しておこう。訳者の想定によれば、削除された物語の中心テーマは、僧院の覇権をめぐる争い。そのために生ずる死者は、修道僧たちのあいだからのみ出て、その数は少なくとも三名である。(415〜417頁)


 おそらく、本書に関しては多くの研究が公開されていることでしょう。このような物語の成立に関わる問題は、今後とも気をつけて見ていきたいと思います。
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2016年08月05日

読書雑記(174)船戸与一『炎の回廊 満州国演義4』

 船戸与一の『炎の回廊 満州国演義4』(新潮文庫、2016年1月)を読み終えました。


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 本との出会いには、さまざまな縁があります。
 昨夏から読み進めている船戸与一の「満州国演義シリーズ 全9巻」は、戦時中に両親がいた地での話であり、両親から聞きそびれた世界が語られています。

 本書第4巻は、文庫版として刊行された今年早々に、東京・大森の書店で購入しました。この書店は、私にとって思い出の本屋さんです。
 昭和47年1月に、住み込みの新聞配達店が全焼し、着の身着のままで焼け出されました。それは成人式の直前でした。大阪から持ち込んで来ていた本がすべて消失し、悄然としていた日々でした。しかし、お店の好意で勉強に必要な本は何でもいくらでも買っていいということで、この本屋さんに数百冊の本を注文しました。毎日のように届く本を、楽しみにして受け取りに行きました。
 たまたま、その思い出の書店に立ち寄ることがありました。この『炎の回廊 満州国演義4』がすぐに書棚に見つかったので、このお店では47年ぶりに、しかも今回は自分のお金で購入したのです。

 また、先月末に、本書を中央線の車中で読み終えてすぐ、電車から降りようとして立ち上がったところ、不覚にも足を捻りました。捻挫だと思っていたところ後日骨折とわかり、今も不自由な日々を送っています。

 そんなこんなで、本との縁や出会いを綴るときりがありません。
 このへんにしておきます。

 さて、昭和9年、溥儀を皇帝とする満州帝国ができます。
 本巻でも、敷島4兄弟が大陸で大活躍する様が活写されます。
 日本での情報が満州にも届く中で、敷島4兄弟は日本のためにめざましい働きを続けているのです。

 さまざまな出来事が、世界史の渦の中で動いていきます。物語のスケールが、ますます大きくなっています。
 日本では、天皇機関説が問題になっている頃が、本巻の中心です。

 毛沢東、蒋介石、金日成、スターリン、東条英機等々。
 断片的にしか知らなかった人物が、この物語の背後で歴史を紡いでいます。
 インド、蒙古、ユダヤ、ロシア等の国が満州の地に絡んできます。
 その現場に立ち会っているかのような構成と語り口に、ぐいぐいと引き込まれていくのです。

 本巻は2.26事件で終わります。ただし、満州の地から見た事件の描写です。その距離の取り方がうまいと思いました。テーマに即した視点が、しっかりと定まっています。【5】

※本書は、2008年6月に単行本として新潮社より刊行されました。

※本シリーズで何度も出てきた「横浜正金銀行券」に関して、神奈川県立歴史博物館で「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券 横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌」という企画展がありました(2016.4.23〜5.29)。忙しく日々を送ることがやっとで、この展覧会に行こう思いながらもその時期を逸してしまいました。手元に案内のチラシだけが残っているので、参考のためにその画像を掲載します。
 ここには、高橋是清の肖像写真もあるので、前回の記事「読書雑記(173)幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』」(2016年07月08日)とも関連して、貴重な資料となっています。

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2016年07月08日

読書雑記(173)幸田真音『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債』

 『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 上・下』(幸田真音、角川文庫、平成27年7月)を読みました。


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 高橋是清は、自らの身をもって国際交流を体現し、指し示した人だと思います。現在、グローバル化が云々される時勢に、学ぶべきことの多い先人だといえるでしょう。
 そこには、英語というものが道具として有効に機能しています。明治時代に英語の意義は、今とは格段に重いものがあったと思われます。是清と共に英語を学んだ末松謙澄もその中にいます。

 しかし、管見ながらも、英語至上の世は終わった、と思っています。こぞって英語を国際的な公用語としてありがたがる時代は終わった、と。国際交流のための《選択肢の1つとしての英語》という考え方がいいのではないでしょうか。スペイン語もあるし、フランス語もあるのですから。多言語社会になったと思います。

 それはさておき、

 本書は、昭和11年2月26日の雪の朝、高橋家に反乱兵がやって来るところから始まります。ただし、すぐに序章は終わり、時間が巻き戻され、第一章では是清が生まれてからの話となります。
 序章の2・26事件のことは、終章でそのまま引き取られて語り納められます。

 少年の頃、横浜からアメリカへと渡り、苦労を苦労とも思わずに、是清は波乱万丈の人生を歩みます。大変な時代にもかかわらず、幸運が幸運を呼び、常人には成し得ない大きな仕事をやり遂げたのです。

 明治、大正、昭和と、一人の男を中心に据え、国の財政問題とその背景を、さまざまの資料を駆使して語ります。人間が描けていることに加えて、社会的な背景が経済と連動して時間軸に乗って展開していきます。
 経済や政治は専門外の私です。しかし、是清の大胆な生き様に惹かれて、楽しく読むことができました。

 私が本書を手にしたのは、末松謙澄のことが是清との関係でどう描かれているのか知りたくて、それだけの理由で読みました。作者が意図したことではない視点で読んだのです。情報収集としての読書です。

 末松謙澄のことは2カ所に少しだけ顔を出します。取り立ててメモするものではありませんでした。一応、当該箇所を引いておきます。


(明治5年)
 末松謙澄と知り合いになったのは、ちょうどそんなころのことだった。
 屋敷の縁側に腰をかけ、人待ち顔で時間潰しをしている同年代らしい青年をたびたび見かけ、是清のほうから声をかけたのが最初である。自分の部屋に招き入れ、あれこれと話し込むうちに、二人はすっかり親しくなった。
 聞くと、佐々木高行の家で書生をしているという。フルベッキの長女のところに、英語を習うため佐々木家の令嬢、静衛が定期的に通ってきているのは知っていたが、末松は彼女のお供で送り迎えについてきているらしい。
 実際には是清より一歳年下で、豊前から上京し、東京師範学校が募集した官費生の試験に合格したばかりだとのこと。
(中略)
 これを機に、末松は佐々木家を出て下宿暮らしを始め、翻訳の仕事に没頭していく。新聞社のほうから持ち込まれる横浜の三大英字紙、ガゼットやヘラルドなど、扱う範囲も広げ、一人で辞書を使って訳せるようにもなっていった。
(上、201〜213頁)

 参考までに、併読していた『高橋是清自伝 (上下巻)』(中公文庫、1976年7・8月)の記述を引いておきます。

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幸田氏は、この是清の自伝をなぞるようにして小説を構成しておられるからです。少なくとも、末松謙澄に関しては。


 末松謙澄君と知合いになったのは、そのころのことだ。私は依然としてフルベッキ先生の所におったが、そこに佐々木高行侯の令嬢静衛さんが、フルベッキ先生のお嬢さんに英語を習いに来ておられた。そして、いつも静衛さんのお供をして来る一人の青年があった。ある日この青年がいつもの通り長屋の縁側に腰掛けているのを見て、私はその青年を呼び入れて話をした。それから二人は大変に懇意になったが、それが即ち末松謙澄君であったのだ。(自伝上・126頁〜)
(中略)
末松は、師範学校事件以来、何となく居辛くなって、間もなく佐々木邸を出て下宿してしまった。
 末松はそのころ最早や私の手を借らず、一人で辞書を引張って、翻訳が出来るようになった。日日新聞の方からは、西洋新聞ばかりでなく、横浜のガゼットやヘラルド等の英字新聞をも翻訳してもらいたいとてそれらの新聞を送って来た。多くは社説であったが、それも、末松が辞書を引張りながら、一人で翻訳した。私は、その時脚気にかかって佐々木邸で療養をしておった。(自伝上132頁)


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(明治37年4月)
 是清は、倫敦に着いてすぐ、一月からこちらに来ているという末松謙澄と会った。久し振りの再会だ。英字新聞を和訳して、一緒に新聞社に売り込みに回ったころが懐かしい。末松はあのあとケンブリッジ大学を卒業し、伊藤博文の次女と結婚した。
 今回は、義父であるその伊藤に進言し、いまこそ「英米両国の世論喚起」が必要だと訴えて、特使として欧州に派遣されて来たという。
 フルベッキの屋敷で出会い、その優秀さを見込んだ是清の提案で、互いに英語と漢文を教え合い研鎖を積んだ二人だった。
 翻訳作業の傍らに、夜を徹してよく酒を飲んだ。英字新聞の記事を前にして、西欧の社会を、そして日本の将来を語りあった。あのころの思い出は、話し始めると尽きることがない。
 そんな末松と是清が、いまは同じ倫敦に居て、日本のために力の限りを尽している。一人は資金調達に、もう一人は日本を正しく理解してもらうための広報活動にと、互いに必死になっている。是清はあらためて巡り合わせの不思議を、しみじみと思うのだった。(『天佑なり』下、141〜142頁)


 ここで、末松謙澄の英国行きが「日本を正しく理解してもらうための広報活動」だ、としています。これは、末松謙澄がかつて『源氏物語』を英訳したのが、日本への理解を英国人に深めてもらいたいという思いからのものだったことに通じる行動だといえるでしょう。もっとも、作者である幸田氏は、末松謙澄と『源氏物語』については、調査した資料に見当たらなかったから触れていない、と理解していいようです。
 末松謙澄が『源氏物語』を英訳したことは、資料がないので、著者もイメージが膨らまなかったのでしょう。これ以上は何も語りません。
 私は、語られる内容から、末松謙澄の実像を探ろうとしました。しかし、それは無理でした。

 これに懲りず、ほんの少しであっても描かれる人間の背景から、末松謙澄の実像を知る手掛かりを求めて、こうした読書も続けて行きたいと思っています。【3】
 
※本書は、2013年6月に、角川書店より単行本として刊行されました。
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2016年07月06日

読書雑記(172)【復元】『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、読書雑記を再現しました。

 先日、本屋大賞の発表を聞いて、過去の受賞作のことを思い出したのです。
 この本のことを書いた記憶がかすかにあったので、パソコンの中や外付けハードディスクを引っかき回しました。
 そして、第3回受賞作である本書に関する拙文の断片を見つけ出し、復元することができました。
 たしか、息子が読み終わったこの本が放置されていたので、私が引き続き読んだものだと思います。
 その後、映画も観ました。ただし、そのことを記したファイルは、まだ見つけ出していません。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年6月12日公開分

副題「キーワードは「ぐるぐるぐるぐる」」

 『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(リリー・フランキー、2005年、扶桑社)のキーワードは、「ぐるぐるぐるぐる」です。何度も出てくることばなので、読まれた方は納得の一語でしょう。

 この本は大ベストセラーとなった、作者の自伝小説です。

 映画化されることが一昨日(6月9日)発表になりました。主人公のボク役がオダギリジョー、オカン役が樹木希林、オトン役が小林薫だそうです。オトンには、私ならガッツ石松を起用するのですが。武田鉄矢も考えましたが、パワー不足を感じたので変更です。公開は来年GWの予定だそうです。
 また、今年の7月29日から、フジテレビ系でドラマ版が放送されます。ボクを大泉洋が、オカンを田中裕子が、オトンを蟹江敬三が演じます。このオカンは、なかなかいい配役だと思います。ボクについては、私もいまだに誰がいいのか迷っています。

 この作品は、「2006年本屋大賞」を受賞したもので、家族がみごとに描かれています。感情移入しやすい物語展開で、いい仕上がりです。
 冒頭でボクが腸閉塞になるくだりは、息子が同じように腸重積で命拾いをした体験を2度もしているので、他人事とは思えずに読み進めました。
 テンポよく進行するので、深刻な問題も、読んでいて負担になりません。巧いな、と思いながら読み終わりました。

 この物語でなかなか巧い表現だと思ったのは、次の2ヶ所でした。
 (1)「「親子」は足し算だが「家族」は足すだけではなく、引き算もある。」(30頁)

 これは、うまい喩えだと思います。

 (2)「女には言うてやらんといけんぞ。言葉にしてちゃんと言うてやらんと、女はわからんのやから。好いとるにしても、つまらんにしても。お父さんもずっと思いよったけど、おまえもそうやろう。1+1が2なんちゅうことを、なんでわざわざ口にせんといかんのか、わかりきっとるやろうと思いよった。そやけど、女はわからんのや。ちゃんと口で2になっとるぞっちゅうことを言うてやらんといけんのやな。お父さんは、お母さんにも最後までそれができんかった……。取り返しがつかんことたい。やけど、まだおまえは若いんやから、これからは言うてやれよ……」(437頁)

 これは、ウーンと唸って、しばらくしてから文字を再度確認しながら読み直しました。含蓄のあることばだと思います。

********************** 以上、復元掲載 **********************
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2016年07月05日

読書雑記(171)山本兼一『弾正の鷹』

 『弾正の鷹』(山本兼一、祥伝社文庫、平成21年7月)は、完成度の高い短編が集まった一書となっています。いづれも、織田信長暗殺が底流にあり、女性を巧みに配した5編の作品が楽しめます。


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■「下針」
 紀州雑賀党の鈴木源八郎は、通り名を「下針」と言い、鉄砲の名人でした。遊び女の綺羅と懇ろになったと思いきや、源八郎は信長襲撃に失敗して亡くなります。最後に綺羅の思いが印象深く描かれています。「読書雑記(163)山本兼一『雷神の筒』」(2016年04月05日)に繋がります。【5】


初出誌:『小説NON』平成12年11月号
 
 
■「ふたつ玉」
 甲賀一の鉄砲名人の善住坊は、白拍子だった菖蒲が好きでたまりません。信長を殺すことに失敗したまま、菖蒲と逃げました。逃避行の果てに信長に捕まります。その後の話は山本兼一らしくないと思いました。【1】


初出誌:『小説NON』平成10年2月号(初題「信長を撃つ」を改題)
 
 
■「弾正の鷹」
 信長への復讐を果たそうとしない松永弾正に対し、父を信長に殺された桔梗は落胆します。そして、韃靼人の鷹匠に信長を襲わせることを思いつくのです。自ら鷹を御して信長に挑んだ桔梗は、信長の眼光に圧されて捕らえられました。その後の桔梗が中途半端だと思います。信貴山や平蜘蛛の茶釜も説明がほしいところです。テーマや趣向が短編には向かないものだったのではないでしょうか。話題を絞りきれなかったか、とも言えます。
 「読書雑記(146)山本兼一『白鷹伝 戦国秘録』」(2015年11月18日)に繋がります。【2】


初出誌:『小説NON』平成11年10月号(初題「信長を撃つ」を改題)
    『小説NON』の創刊150号記念短編時代小説賞で佳作受賞(平成11年)
 
■「安土の草」
 庄九郎は甲斐武田から放たれた、草と呼ばれる忍の仲間。信長を狙うスパイという立場の乱波です。大和奈良、そして岐阜で大工の仕事をし、安土城を手掛けました。棟梁は岡部又右衛門。同じ甲斐の女乱波である楓が、いい役を果たしています。
 「読書雑記(154)山本兼一『火天の城』」(2016年02月04日)に繋がる作品です。【3】


初出誌:『小説NON』平成12年3月号(初題「安土城の草」を改題)
 
 
■「倶尸羅」
 打倒信長の決意を持つ足利義昭は、江口の遊び女である倶尸羅に信長暗殺を唆します。閨では演技派の遊女である倶尸羅は、興味本位で信長に接近しました。そして、次第に情が深まります。懐に隠し持った毒をどうするのか。余韻たっぷりのままに幕が下ります。女からの視点で語る、これまでの作風とは一線を画す、山本兼一を見直す完成度の高い小説となっています。【5】


初出誌:『小説NON』平成13年11月号
 
 
※本書『弾正の鷹』は、平成19年7月に祥伝社より単行本として刊行されたものです。
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2016年06月23日

読書雑記(170)船戸与一『群狼の舞 満州国演義3』

 『群狼の舞 満州国演義3』(船戸与一、新潮社、2007年12月)を読みました。
 全9巻の大河小説なので、まだ前半です。


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 昭和7年、奉天で満州国の建国宣言がなされたことから始まります。国都は長春を改名した新京です。

 新京については、私の両親が戦時中ここにいたため、折々によく聞いた地名です。自分との接点があることもあり、物語の背景がよく見えました。
 本ブログの「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010/4/29)で、長春のことを記しています。
 本作でも舞台となっているハルビンでの戦闘場面や夕陽が沈む景色は、両親から何度も聞いた話を思い出させます。ハルビン、チチハル、ハイラル、そして満州里などなど、耳に馴染んだ地名です。当時のことを、もっと聞いておくんだった、と思いながら読み進めています。

 過酷な歴史の中に、一人一人の人間が克明に描き出されていきます。
 満州の地における敷島4兄弟の動きが、巻を追う毎に慌ただしくなります。歴史が激しく動く中を、それぞれの役割を背負って前を向いて歩んでいく姿が活写されます。

 5・15事件のことは、満州や中国を舞台とする物語であるためか、その意義が今後の日本にどう影響するかに留まり、語り口は客観的に冷めた目であることが印象的でした。
 「国家の創造は男の最高の浪漫」という思いが、満州の男たちを突き動かしているというのです。

 登場人物たちは、時勢の中でさまざまな立場に身を置き、それぞれの思いから考え方を変転させます。これを、人間としての成長と言うべきか、おもねると見るべきか。
 激動の時代に生きる男たちの姿が、4兄弟の動向と心中を語ることで、多角的な視点から躍動する筆致で語られています。

 満州を舞台にした組織と個人の力関係が、敷島4兄弟を介して巧みに物語られているのです。満州の地での実情や実態が、克明に描き出されており、一つの歴史に身を置いた臨場感が、肌身に直に伝わってきます。

 そうした中で、関東軍はしだいに満州における影響力を獲得し、満州帝国を構築する段階へと突入していきます。新都としての新京(長春)の建設も、着実に槌音を響かせて進んでいるのでした。

 敷島太郎の4歳だった長男明満が亡くなり、満州事変が勃発した記念の花火が奉天神社で打ち上げられているところで、この巻は綴じられます。一気に読ませてくれました。
 船戸作品は、ダイナミックな描写とドラマチックな物語展開で、読む者の心を摑みます。これからどうなるのか。続きを読みたくさせます。【4】
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2016年06月22日

読書雑記(169)山口謠司『日本語を作った男 上田万年とその時代』

 『日本語を作った男 上田万年とその時代』(山口謠司、集英社インターナショナル、2016年2月)を読みました。
 上田万年については、作家円地文子の父と言った方が通りがいいかもしれません。


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 気難しそうな森鷗外と、それを仮名遣調査委員会の司会として迎え撃つ上田万年の姿から語り出されます。
 旧仮名遣い派の森鷗外と、新仮名遣い派の夏目漱石の対立も、興味深く紹介されます。
 次の言葉が印象的です。


万年なしに「漱石」は生まれてこなかった。(25頁)


 本書は、明治から大正にかけての日本語の歴史を語っています。
 井上ひさしの『國語元年』が導入に使われているゆえんです。

 明治十年代後期から明治四十年頃までの日本語論争は、まさに今私が一番知りたいことであり、興味がある時代です。じっくりと読みました。

 チェンバレン、物集高見、アストン、サトウ等々、私も知っている人々が出てきて、楽しく読み進められました。

 ただし、しばしば脱線して明治時代の文学史や文化史に流れます。上田万年は、著者にとっては語りのきっかけにしているに過ぎない、と言うのが当たっているのです。
 とにかく、登場する人物の多さには圧倒されます。それだけ、明治時代から昭和時代にかけての日本語のありように関しては、さまざまな変転があった、ということなのです。

 私が本書を手にしたのは、明治33年に平仮名が現行の字体の1文字だけに統制された背景を知りたかったからです。しかし、このことに関しては、あまり新しい情報を得るものがありませんでした。無い物ねだりだったこととはいえ、残念でした。

 なお、巻末の「本書俯瞰のための国政および国語問題、文学関係年表・附 上田万年年譜」は、通覧していて楽しいものでした。歴史と事実を時間軸から切り取ることに、著者らしい視点で整理がなされたものです。【3】

 最後に、私がチェックをした箇所を列記しておきます。

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・新島嚢に大きな影響を受けてアメリカで教育を受けた内村鑑三は明治二十七(一八九四)年に箱根で行われたキリスト教徒第六夏期学校での講演『後世への最大遺物』でおおよそ次のように述べている。

 日本人が文学者という者の生涯はどういう生涯であるだろうと思うているかというに、それは絵艸紙屋へ行ってみるとわかる。どういう絵があるかというと、赤く塗ってある御堂のなかに美しい女が机の前に座っておって、向こうから月の上ってくるのを筆を翳して眺めている。これは何であ
るかというと紫式部の源氏の間である。これが日本流の文学者である。しかし文学というものはコンナものであるならば、文学は後世への遺物でなくしてかえって後世への害物である。なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしく意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい(拍手)。
……文学はソンナものではない。文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。

 日本語を捨て去って、母国語を英語にするということを、もし、彼らが決めていたとしたら……ということも、必ずしも不可能ではなかったのである。(51〜52頁)
 
・日本語を棄てて英語にしようという急進的な考えは別にしても、日本語ローマ字化と同時に、前年の明治六(一八七三)年には、以前から漢字廃止を唱えていた前島密が『まいにちひらがなしんぶんし』を発行していた(翌年廃刊)。(53頁)
 
・明治三十三(一九〇〇)年、文部省は、それまであった「読書」「作文」「習字」の三つをまとめて「国語」という科目を作るのである。これはまさに「朝廷ー幕府ー藩」という旧体制を脱して、「大日本帝国」という国家の体制が「国家」「国民」「国語」という新しい次元に変化したことを意味するものでもあった。
 明治三十三年の段階では、いまだ、「標準語」は整備されていない。しかし、「国語」を科目として全国の小学校の科目に置くことで、次第に「新しい思想」が「新しい国語」で書かれる道が生まれてくるのである。(57頁)
 
・当時イギリス・ケンブリッジ大学に留学していた末松謙澄は、『日本文章論』(明治十九年刊)のなかで「羅馬字書方」を記し、羅馬字会が作ったローマ字の書き方を改良し、さらに日本語の発音と一体化する綴り法が必要だということを説明する。(81頁)
 
・促音の符号の如き、或人はッの字をかき、或人はフツクチキの字の右側に●点を施し、或人は−又はツを以て之を区別す。これらも予輩の希望よりすれば、一定の符号仮令ばפֿ字の如きを作り、これを以て総ての場合を総括したきものなり。たとえば
国家 コפֿカ  立法 リפֿポー  一切 イפֿサイ
合羽 カפֿパ  達者 タפֿシヤ
等の如し。これらも亦−と同じく、五十音図中んの下に入るべきは論なかるぺし。(288頁)
 
・明治三十三年は、万年にとって「仮名遣いの革新」という意味では非常に実りある年でもあった。
 帝国教育会国字改良部仮名調査部の会議などを経て、八月、文部省は小学校令において、「読書作文習宇を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」し「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定したのである。(296頁)
 
・「国語調査会」は明治三十五(一九〇二)年三月「国語調査委員官制発布」とともに「国語調査委員会」となる。その構成委員は「国語調査会」とはやや異なるが、正式に「国語調査委員会」を発足させる明治三十五年四月十一日から九月二十五日までの官報を見ると、国語調査委員会の委嘱として、辞令が次の人々に下されている。
 加藤弘之(文学博士、男爵)
 嘉納治五郎(東京高等師範学校長)
 井上哲次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 澤柳政太郎(文部省普通学務局長)
 上田万年(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 三上参次(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 渡部董之助(文部書記官)
 高楠順次郎(東京帝国大学文科大学教授・文学博士)
 重野安繹(文学博士)
 徳富藍花
 木村正辞(文学博士)
 大槻文彦(文学博士)
 前島密
  うち、委員長は加藤弘之、主事は上田万年
 また、補助委員に芳賀矢一、保科孝一、新村出、岡田正美、林泰輔、大矢透、山田孝雄の六名が任命された。(390頁)
 
・明治三十七(一九〇四)年四月一日に「文部省内国語調査委員会」が発行した『国字国語改良論説年表』という書物がある。慶応二(一八六六)年から明治三十六(一九〇三)年十二月末までに起こった国語問題が詳細に記録される。
 つまり、国字国語改良は、この時までにほぼ完了していたということであろう。
 出版の時、すでに日露戦争が勃発して二ヶ月が過ぎようとしていた。(430頁)
 
・万年がドイツの言語学を輸入して日本語の音韻の変遷を明らかにし、芳賀矢一がドイツ文献学の研究を輸入して我が国の文献の歴史を説き、漱石が英語学の専門家としてイギリスに留学させられたのも、もちろん、我が国を近代化して列強と肩を並べることが目的であったが、同時にそれは我が国の教育の根幹となる国字と国語を江戸時代のものから改良し、近代的なものにするためであった。
 しかし、前島の上奏から三十年経っても、結局国の政策としては何も決まらなかった。再び、国語問題が動きはじめるのは明治三十一(一八九八)年五月八日、井上哲次郎が東京学士会院で「新国語確定の時期」と題して演説を行い「現今こそ新しい国語を確定するに其好時期である」と述べた頃からだった。
 ここから、明治三十八(一九〇五)年に言文一致を目指す仮名遣いの改正が諮問されるまでのこと
を、『国字国語改良論説年表』を利用しながら改めて順を追って見てみたい。

〈明治三十一(一八九八)年〉
 五月、万年、フローレンツ、小川尚義、金澤庄三郎、藤岡勝二、猪狩幸之助、新村出らが「言語学会」を設立する。
 九月及び十月、井上哲次郎は『国字改良論』を雑誌『太陽』(第四巻第十九号・二十号)に発表する。

 井上は言う。電信では、欧文の一単語と仮名で書かれる七音節を等価として計算する。日清戦争時の和文電信は、欧文のものに比して安価で簡便である。ただ、国字を改良するというのであれば、速記の記号を新しく仮名のようなものに制定するという案もある。ローマ字が絶対いいという理由も分からないし、新しい国字を作ると言いながらできない。一度ここで、実際のことを十分に考えてみる必要があるのではないか。

 七月、万年、「国語改良会」結成。
 十一月、万年は文部省専門学務局長兼参与官に任命される。

 これに伴い、文部省専門学務局長兼参与官であった澤柳政太郎(一八六五〜一九二七)が普通学務局長に昇格した。
 澤柳は、万年とは東京府第一中学変則科で同級だった頃からの親しい友人である。また、澤柳は、狩野亨吉とも親友であった。
 狩野は、この年、漱石の招きで熊本の第五高等学校にいたのを退職して、東京の第一高等学校に校長として赴任した。漱石は、狩野が住んでいた家に越した。澤柳と狩野は、三十三歳、万年と漱石は三十一歳になっていた。

〈明治三十二(一八九九)年〉
 五月、漢字廃止論に反対する重野安繹が、『東京学士会院雑誌』に「常用漢字文」を発表。五千六百十字を選んで使用することを提案した。
 五月末、漱石に長女・筆子が生まれる。
 六月、鴎外は小倉に左遷される。

〈明治三十三(一九〇〇)年〉
 二月十五日、『言語学雑誌』第一号発刊。
 二月二十二日、帝国教育会国字改良部漢字部では、
  (一)漢字節減に関する材料を蒐集すること
  (二)固有名詞は凡て漢字を用いること
  (三)形容詞及び動詞はなるべく漢字を用いざること
  (四)簡易にして普通定用的なる漢字は之を保存し置くこと(例えば、郡市町村月日数字円銭等)
を議定する。
 四月十六日、第一回国語調査会が開会される。
 五月二十四日、帝国教育会国字改良部新字部は、速記文字を以て新字とすることに決し、かつ新字大体の標準を発表する。
  (一)日本の発音を写し得ること
  (二)早く書き得ること
  (三)読み易きこと
  (四)覚え易きこと
  (五)大小自在に書き得ること
  (六)印刷に便なること
  (七)タイプライタアに適すること
  (八)字体の美なること
  (九)短縮を記し得ること
  (十)字体は一種なるべきこと(赤文字は引用者による)
 五月二十五日、帝国教育会国字改良部仮名調査部は、以下の諸項を決議する。
  (一)文字を縦行に記す
  (二)片仮名平仮名を併用す
 六月十三日、漱石、芳賀矢一、高山樗牛らに留学の辞令が下りる。「同年九月から満二年」という期限である。
 六月三十日、箱根で芳賀を囲んだどんちゃん騒ぎの宴会が開かれた。
 八月、文部省は、小学校令において、「読書作文習字を国語の一科にまとめ、仮名字体・字音仮名遣いを定め、尋常小学校に使用すべき漢字を千二百字に制限」した。
 また、「仮名遣いの一定として変体仮名を廃止し、字音仮名遣いを改正する(表音式に改め、長音符号を採用する)こと」を決定する。
 九月、漱石と芳賀矢一はヨーロッパ留学のために横浜を発つ。(463〜467頁)

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 以下に、発売元である集英社インターナショナルのホームページから、本書の概要と目次を引いておきます。


概要

夏目漱石、森鷗外、斎藤緑雨、坪内逍遥…そして上田万年。
言葉で国を作ろうと明治を駆けた男たちがいた。

「日本語(標準語)」を作ることこそが、
国(国家という意識)を作ることである――。

近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。

明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、
それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。

――明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
 
 
目次

第1章 明治初期の日本語事情
第2章 万年の同世代人と教育制度
第3章 日本語をどう書くか
第4章 万年、学びのとき
第5章 本を、あまねく全国へ
第6章 言語が国を作る
第7章 落語と言文一致
第8章 日本語改良への第一歩
第9章 国語会議
第10章 文人たちの大論争
第11章 言文一致への道
第12章 教科書国定の困難
第13章 徴兵と日本語
第14章  緑雨の死と漱石の新しい文学
第15章 万年万歳 万年消沈
第16章 唱歌の誕生
第17章 万年のその後
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2016年06月17日

読書雑記(168)山本兼一『いっしん虎徹』

 山本兼一『いっしん虎徹』(文春文庫、2009.10.10発行、2011.3.15第4刷)を読みました。
 刀剣を拵えること一徹の男と、夫思いの妻が織り成す、心温まる夫婦の物語です。


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 越前で甲冑を作っていた長曽袮興里(後の虎徹)は、刀鍛冶への転職を心に抱いて出雲へ行きます。たたらを踏んで鋼を造る過程を身をもって学びます。
 その出雲での話は、作り事めいていてやや興醒めでした。特に、仇討ちのドタバタは。
 ただし、越前で殺されて盗まれた刀「行光」の探索は、物語の最後まで伏流していきます。

 なお、現地の人が使う出雲弁が、語尾だけを似せたものなので、出雲出身の私としては気になってしかたがありません。しかるべき人の目が入っていることでしょう。しかし、方言を語らせることは難しいものだ、ということを実感しました。

 興里は、江戸に出て刀鍛冶を目指します。全編、物造りの男の物語です。

 肺結核と眼病を患う妻ゆきも、夫興里と共に上京します。病身を押して、鍛冶場の手伝いをします。単調になりがちな物語の展開を、このゆきが和ませ、彩りを添えます。作者も、このゆきの存在を随所にちりばめてアピールしながら、物語に夫婦の情の世界を取り込んでいきます。

 自分が打った刀が折れた後、ゆきにつらく当たる興里と、それに対するゆきが感動的に描かれています。

 一命を拾い、突然の入道となった興里に与えられた法名は「一心日躰居士 入道虎徹」でした。

 本作一番の読み所は「第四十八節」の、小塚原での仕置き場での処刑場面でしょう。心も目も、釘付けになりました。

 虎徹が自問自答します。
「人はなぜ生き、なぜ死ぬのか。」
「生きる値打ちとはなにか。」

 夫婦の思いやりと励まし合いが、1本の線として貫いています。
 波乱万丈の生きざまが、巧みな筆致で語られ、読者を楽しませてくれます。
 山本兼一ならではの表現で築きあげられた、静かな中にも熱気が伝わる作品となっています。【4】
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2016年06月08日

読書雑記(167)三島由紀夫『天人五衰 豊饒の海 第四巻』

 妻梨枝を亡くし、一人旅を楽しむ76歳になった本多繁邦。
 自分は人間ではない、と思っている16歳の安永透。

 豊饒の海の最終巻は、清水港を舞台にして始まります。


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 書名である『天人五衰』は、謡曲の「羽衣」で、「かざしの花もしをしをと、天人の五衰も目の前に見えてあさましや」から来ていることがわかりました(55頁)。
 その意味もあって、三保の松原が舞台となることが頷けます。慶子と共に訪れたそこの信号所で、本多は働いている少年の左脇腹に三つの黒子があるのを発見したのです。この時に一緒にいた慶子が、本書の後半で大事な役割を果たします。

 清顯、勳、ジン・ジャン(月光姫)に連なる生まれ変わりとして透は登場します。
 この透が本当に生まれ変わりであるならば、二十歳までしか生きられません。

 本多はこの透を養子にしたいと言い出すのでした。生まれ変わりであるかどうかを確かめるためです。

 養子縁組みをしてから東京に出た透は、高校入試のために勉強します。その日々が昭和46年ということもあり、私と同じ時空を動き回る透を、我がことのように追うことになりました。

 透は、養父の本多に対して心の中で企みを持っていました。養父も、透に密やかな期待を抱いていました。このせめぎ合いがおもしろいのです。
 養父本多と養子透の、互いに相手を見越しての演技は見ものです。特に、お見合いに関しては。

 人間の心の中が丹念に描かれています。心の中の表と裏が、みごとに炙り出されているのです。

 また、「元裁判官の八十歳の覗き屋」という一事も、人間の尊厳を描き出すことに成功しています。

 清顯の夢日記を透が本多から借りて読んだところから、話は急展開します。

 服毒 失明
 透の行動に、私は今も無理があると感じています。
 その後、透は点字を学び、点訳本を読み、レコードの音楽を聴くようになります。

 狂女 結婚
 ここで、開巻以来脇役だった絹江の存在が重みを増します。目が見えなくなったこととの連関が、もっと語られてもよかったのではないでしょうか。また、絹江への透の気持ちも、詳細に語るべきです。それが、筆を急いだとしか思えないほどに、物足りなさをもたらしています。
 
 全体的に、語られるパーツがうまく関係づけられていません。この前の3巻に支えられているにしても、もっと語るべきです。本多の次の感慨を盛り立てるためにも。


 透が自殺未遂のあげくに失明し、二十一歳に達してなほ生きつづけてゐるのを見ながら、本多はもはや自分の知らぬところで、二十歳で死んだ本當の轉身の若者の證跡を、探し當てようとする氣力をも失くしてゐた。さういふ者がゐたならばそれでもよい。今更自分がその生に立ち會ふ暇もなければ、又今更立ち會ふにも及ぶまい。星辰の運行は自分を離れ、或るきはめてわづかな誤差が生じて、ジン・ジャンの轉身のゆくへと本多とを、廣大な宇宙の別々な方角へ導いたのかもしれない。本多の生涯を費して、三つの世代にわたる轉身が、本多の生の運行に添うてきらめいたのち、(それさへありえやうもなかつた筈の偶然だつたが)、今は忽ち光芒を曳いて、本多の知らぬ天空の一角へ飛び去つた。あるひは又、その何百番目、何萬番目、何億番目かの轉身に、本多はどこかで再會するかもしれない。(243頁)


 明らかに、作者は物語を語り終えることを急いでいます。輪廻転生というテーマが、読者の中で結実しないままに終わります。
 三島の編集を担当していた方が、三島が決起する日の朝、渡された原稿を見て、その末尾に「完」とあったことを意外に思ったとされていることは、こうした事情を推察する上で参考になります。

 さて、癌の宣告を受けた後の本多は、奈良の帯解から月修寺の山門を目指します。あの、清顯を振りきって出家した聡子がいる寺です。
 その参道の描写が長々と続くところで、私はこの場面を描きながら三島の心に躊躇いがあると感じました。書きたいのに書き続けられない極限の状態の中で、自分のこれからの行動が思索と執筆を思うに任せられないことに思いあぐねつつ、時間稼ぎとでも言える語り延ばしをしているのではないかと。

 面会を謝絶されるかと思ったのに、聡子は会ってくれました。清顯と聡子のこと以来、一足飛びに60年の隔たりがあったことが一気に縮まります。
 しかし、予想外の聡子の返答に本多は狼狽えます。聡子は、清顯のことを知らないと言うのです。さらに、本多のことも。
 すべてが無となり、物語は夏の盛りに「庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんしんとしてゐる。……」(271頁)と閉じられます。

 この原稿を書き終えた日、昭和四十五年十一月二十五日に、三島は市ケ谷駐屯地でクーデターによる決起を口説した後、割腹自殺を遂げます。
 本書の巻末には次のように記されています。


「豊饒の海」完
昭和四十五年十一月二十五日


 三島が決起したことを匂わせる、思想の片鱗が本作中で吐露されていないか気になりました。
 それは、作中で次のような言葉があったからです。


大軆僕は自殺する人間の衰へや弱さがきらひだ。でも一つだけ許せる種類の自殺がある。それは自己正當化の自殺だよ(130頁)


 しかし、直接的な表現や描写は、まだ見つけ出せていません。

 私が朝日新聞に投書をしたのは、この三島事件の直後でした。
 このことは、すでに「読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』」(2015年12月24日)の冒頭に記したので繰り返しません。【3】
 
 
初出誌:『新潮』昭和45年7月号〜昭和46年1月号に連載
今回は、単行本『天人五衰 豊饒の海 第四巻』(昭和46年2月25日、新潮社)で読みました。

[参照]
(1)「読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』」(2015年12月24日)

(2)「読書雑記(161)三島由紀夫『奔馬 豊饒の海 第二巻』」(2016年03月21日)

(3)「読書雑記(165)三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』」(2016年05月31日)
posted by genjiito at 23:08| Comment(0) | 読書雑記

2016年06月01日

読書雑記(166)『ある書誌学者の犯罪 トマス・J・ワイズの生涯』

 学芸員の資格を取得するために勉強した科目の中に、博物館実習がありました。今から40年以上も前のことです。
 展示用のレプリカを作成する実習があり、仏頭の模造品を石膏や塗料などを駆使して作成しました。そのために、歯医者さんの所へ行って歯形を取る素材を入手し、大学にあった実習用の仏像に塗りたくって鋳型を作ったのです。

 この実習作品は、今も京都の仏間にそっと置いてあります。見た人はみなさん、本物の仏像の金箔が剥げ落ちたものだと思っておられます。裏を見てもらい、それが石膏で作ったものであることがやっと理解される、という、私が手を染めたささやかな偽造品です。
 また、和歌を書いた紙を古く見せるための技術も教わりました。ただし、古写本の偽物作りはしていません。
 松本清張の作品に、贋作を扱ったものがいくつかあります。この話題は、どのようにして偽物であることが暴かれるのか、わくわくして読んでしまいます。
 そんなことを思いながら、本書を読み進めました。

 本書『ある書誌学者の犯罪 トマス・J・ワイズの生涯』(高橋俊哉著、河出書房新社、1983年)は、書誌学者ワイズの生涯をたどるものです。


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 この本の帯には、次のように書かれています。


ある愛書狂の驚くべき全貌
トマス・ジェームズ・ワイズ(1859─1937)
今世紀初頭の35年間、英米の学界に君臨し、二期にわたり英国書誌学会々長を務めた書誌学者。しかし、ワイズは偽造本製作者でもあった。ブラウニング、スウィンバーン等を捲き込み、最晩年に暴れたその驚くべき絶妙な手口は……


 さらにこの帯の後ろに「各氏絶賛!?」とあり、本書に登場する人物のおもしろおかしいコメントの最後に、本書の主人公となっているワイズが次のように言っている、という洒落た仕掛けがなされています。


トマス・ワイズ氏─なかなかよく書けていますね。ところで、あなたがお求めの『ある書誌学者の犯罪』は、本物ですか? 初版ですか?


 思わず、手にしていた本の奥付けを確認しました。
  一九八三年五月一五日 初版印刷
  一九八三年五月二五日 初版発行
 そして、思わずにやりとしてしまいました。
 本書の著者と編集者の遊び心に、盛大な拍手を贈りましょう。

 手にした本の行間には、何ヶ所も棒線が引いてあったのです。ずっと前に、新本で買ったはずです。すでに一度読み終わったもののようです。しかし、その内容をまったく覚えていないので、この帯の当意即妙の機智に気づいたこともあり、あらためて読み直すことにしました。
 問題意識の違いからか、特に後半はおもしろく読みました。

 膨大な量の人名や書名が飛び交います。読者は、右へ左へと、その引用に振り回されます。「書誌学者の犯罪」という文字に惹かれて読み始めた私にとって、なかなか「犯罪」が見えてこないので痺れが切れるほどでした。著者にとっては、ワイズの「生涯」を資料を駆使して語ることが中心であり、「犯罪」は呼び込みの言葉のようでした。

 この話の主人公であるワイズは、コナンドイルと同年にイギリスで生まれました。16歳の時、古本屋でシェリーの詩集『アドネイス』の初版を見つけたのです。それから、古書に深くのめり込むことになります。

 ワイズは、18世紀以降のすべての作品の異版と異文を集めました。22歳の時から、たゆまず続けたのです。ワイズの蒐書の特徴は、初版本への愛着だったのです。


 一冊の本の出生が問題になるとき、それが初版であるか、再版であるかを問うことはごく当り前のことである。しかしそれがある版の第何刷であるかというところまで追究することはワイズが書誌学を志した頃には─シェクスピアの版本研究の場合などは別にして─めったになかった。ワイズは多くの場合ここまで仔細に解明しなけれぽ気が済まなかった。このような書誌的記述にたいする飽くなき厳密さへの要求からいって、第一に槍玉に挙げられたのが儲け本位の古書販売店の販売目録であったことは当然であった。ワイズにいわせれば、その不正確さと販売価格についての臆面のなさは殆ど論外というべきであった。蒐書 Collection と書誌学Bibliography とは彼の場合いつも大文字で書かれなければならない、ある絶対的なものを意味するのであった。それが古書販売店の貪欲さと無知によって絶え間なく侵し尽くされているとワイズは常々断言して憚らなかった。
 ワイズはアメリカでの彼の崇拝者であったシカゴの銀行家J・H・レーン氏に二十年ほどの間に一千二百通の手紙を書き送っているが、その書簡の殆どすべてにそういう憤りの感情が繰り返し述べられている。そしてこうした販売目録の不正確さを論難した後のワイズの決まり文句はいつもこうだ。
〈書誌学はこうして偽られる!〉(15頁)
 
 
 その時代の著名な詩人、作家のすべての作品、単にすべての作品というだけでなく、可能な限りのすべての異版と異文とを包括したものとしてのすべての作品を飽くことなく蒐集しつづけること。そしてもちろん関連文献も可能な限りすべてを。
 それには単行本だけを追っていたのでは不可能であろう。雑誌の端本であろうと新聞の断片であろうと、関連のありそうなものはすべて拾い蒐めなければならぬ。今後は紙と印刷インクのあるところ必ず潜む紙魚のように本に棲みついて生きる覚悟がなければならない。一度こう決めた以上、この方針は彼の生涯を律するものになる。以後はただ一貫してその方針のもとに進むのみである。未来のアシュリー文庫の蒐書方針はこうして早くから定められ、以後彼は迷うことなくこの方針を貫いていった。(29頁)


 ワイズのアシュリー文庫には、7000冊の本が集められています。

 印刷された本で欠陥や欠落本を補足したりする〈メーキャップ〉は、日本の写本に通ずる手法を思わせます。


 十九世紀までの出版物には製作過程の不注意のため、いわゆる落丁、乱丁といわれるものがかなり多かった。ワイズは本の価格に大いに拘る方だし、業者に負けないくらいの知識は持っていた。エリザベス朝戯由を買い集める過程でこうした種類の落丁・乱丁本をかなり入手したようである。こうしたものの中から相当数が主としてワイズ=レーン協商(一〇三頁)を果すべく、遠くアメリカのレーン氏のもとに送られた。落丁・乱丁のままでか? そうではなく大部分はメーキャップされて、完全な形に仕上げられてである。〈メーキャップ〉とは落丁・乱丁などの欠陥本を頁付の順を正したり、他から欠落の部分を補うなどして正常なものに作り上げることを意味する古書籍業界の特殊用語である。メーキャップを済ませた書物たちは豪華な衣装を身にまとえばいい。それでワイズが入手した時の価格より一挙に数十倍、数百倍に上昇したとしても、それはエリザベス朝の稀覯書である限り少しもおかしくはないのである。(195〜196頁)


 この手法が、ワイズの死後に解明されました。それは何と、「大英図書館の蔵本の頁を巧妙に引き抜くことによって補っていた」(268頁)というのです。

 盛りだくさんの情報でいささか食傷気味だった私は、第11章の「偽造版を追う」以降の展開は大いに楽しめました。
 「f」と「j」の活字に関して、カーンレスという特殊な活字から出版年の矛盾を解明する箇所は、興味深い事例です(223〜228頁)。


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 印刷用紙に細工をする偽造版の例があります。日本の古典籍は和紙に書写されています。紙質や墨と共に、書写された文字の字形などから、その時代性が読み取れることが多いのです。その点では、ヨーロッパでのパルプに印刷したプリント本の場合は、制作年代をごまかしやすいのでしょうか。


エリザベス・プラウニングの『レディング版・ソネット』は一八四七年を出版年としながら亜硫酸法による木質パルプを主原料とする紙を使用している。従ってこれは使用された紙に関する限り出版年を三十年から四十年近く早めた偽造版である。(232頁)


 また、次の例もあります。これは、日本の古典籍で言えば、巻子本などで和歌を切り張りすることで、いとも簡単に可能な偽造方法になると言えます。


 何度か繰り返してきたように『レディング版』は四十三篇のソネットからなっていた。一八五〇年の『詩集』に載った「ソネット」は四十四篇である。ワイズは一八五〇年版の「ソネット」から『レディング版』をでっち上げたのだが、この時一篇だけ落として四十三篇とした。落としたのはワイズが何かの機会にその原稿を入手していた例の「未来と過去」と題されたソネットであった。エリザベス自身このソネットをどこに配すべきか迷ったらしい。一八五〇年版の『詩集』(第二版)の『ポルトガル語より移されたソネット』と後の版本では、この「未来と過去」という一篇は置かれる場所が変えられていた。ワイズはこの事実をもちろん知っていた。後年この作品の『レディング版』という偽造本の最高傑作を作る際、彼はこの事実に着目し、「未来と過去」を落として、四十三篇の『レディング版』をでっち上げた。五〇年版をそっくり真似るより、一捻りすることによってかえって真実らしさが加わるという計算によってである。ワイズ演出の巧妙さをここに見ることができる。(240頁)


 次の実態を知ると、テレビでお馴染みの『開運!なんでも鑑定団』がますますおもしろく見られること請け合いです。


パーチントンによれば偽造本の製作費は一冊当り半クラウン(二・五シリング。因みにカーターとポラードの『調査』(四百頁)のイギリスでの売値は十五シリングである)ほどだというから、『フォールコン』の場合だと、ワイズは元値の二千八百倍の値段でアメリカの大金持に売りつけていたのである。これは現在の我々の価値感覚でいうと五百円原価のパンフレットを百四十万円で売ったということだ。稀覯書という幻惑的なもののつくり出すマジックであり、ワイズはこうしたからくりを美事に最大限に利用したのである。(245頁)


 古書や古美術品の価格が絡んでくるとなると、楽しい舞台裏があることでしょう。

 それにしても、ワイズは言葉巧みに、しかも巧妙に偽造した本を売っていたようです。


ワイズは生涯にわたって約二百三十点の私家版を出版している。その全てでないにしても、相当数のものがこのような不法な遣り方で世に送られたものであった。(264頁)


 その実態が死後に判明したことは、当のワイズにとってどうだったのでしょうか。
 亡くなる直前に数多くの偽造が明らかになり、その1つ1つをワイズが種明かしをして見せる、という展開があれば、読者としては推理小説を読むように一人の人間の生きざまを確認できます。初版本と格闘した物語として、ワイズの生涯はもっと注目されたことでしょう。しかし、現実には謎が残されたまま、ワイズは亡くなったのです。

 こうした偽造行為の解明は、今も進行形で世界各地で取り組まれているようです。
 次には、電子本の偽作や偽造が話題になる時代が予想されます。
 コピー&ペーストに留まらない、思いもしないことがネット社会で起きていることでしょう。
 どのような偽物作りの物語が潜行しているのか、その実態が明らかにされる日は近いと思っています。
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2016年05月31日

読書雑記(165)三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』

 三島由紀夫『暁の寺 豊饒の海 第三巻』(昭和45年7月、新潮社)を読みました。
 昭和15年に国号をシャムからタイに改めた、その翌年のバンコクから始まります。


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 47歳になった弁護士の本多。前巻で勲が亡くなって8年。勲の生まれ変わりである7歳の月光姫に薔薇宮で会うのです。

 本多がインドへ行った時の行程を書き留めておきます。
 タイから海路で→カルカッタ→ベナレス→モグール・セライ→マンマード→アジャンタへと旅をします。
 それは、76頁から83頁までと、熱の入った旅の記となっています。三島にとって、非常に印象的な旅行だったようです。

 その中で、私はいくつかの詞章をチェックしました。とくに、バラナシに関しては詳細です。余程心に染み入ったのでしょう。これは、巻末の火事の場面で想い出されます。

 インド人に関して、こんな文章があります。


地球の自轉といふ事實が、決して五感ではそれと知られず、科學的理性を媒介として辛うじて認識されるやうに、輪廻轉生も亦、日常の感覺や知性だけではつかまへられず、何かたしかな、きはめて正確で軆系的でもあり直觀的でもあるやうな、さういふ超理性を以てして、はじめて認識されるのではなからうか。それを知つてゐることが、インドの人々をかくも怠惰に見せ、かくも進歩に抗はせ、かつ、その表情から、われわれがふつう人の感情を占ふ目安にする共通の符號、あの人間的な喜怒哀樂をことごとく削ぎ落してしまつてゐるのではなからうか。(72頁)


 インドへの旅を経てタイに戻った本多は、勲の生まれ変わりだと自認する一人の女性、身体はタイにあっても心は日本人だと固く信じる月光姫と別れて日本に帰国します。

 昭和15年12月に真珠湾攻撃があります。そのころ本多は、輪廻転生の研究に没頭していました。ギリシャやイタリアの輪廻説を理解して、思索の世界を彷徨します。

 しかし、作中でタイやインドの輪廻を説く件は事象の羅列ばかりで、私はしだいに飽きてしまいました。中盤から後半にかけても話題が雑多なものとなり、読み進むのに集中力を欠くようになりました。
 月光姫も中休みで、焦点がぼけてきたのです。

 そんな中で、夜の公園で恋人同士を覗く場面や、隣の部屋の月光姫を覗くところは、三島らしい場面選択であり語り口だと思いました。

 次第に、登場人物の思念が、文章としての言葉から伝わってこなくなっていることを感じるようになりました。表現が核心から外れた、空回りした言葉で語られているように思われ出したのです。実感を伴わない日本語が無為に並んでいるとしか思えません。
 哲学を語っていると思えばいいのでしょうか。思想を背景に持つ語りの書とも言えます。物語性は姿を潜めています。

 これはどうしてなのか、この『豊饒の海 全4巻』の全体像がまだ見えない私にとって、よくわかりません。特にこの第3巻では、語られる言葉が生きていないと言わざるをえません。

 それが突然、最後の最後に、緊張感が漂い盛り上がります。昭和27年のことです。
 慶子とジン・ジャンのレズビアンの行為を覗き見するうちに、ジン・ジャンの左の乳首の左に、3つの小さな黒子が浮き出ていることを、本多は見つけたのです。松枝の日記にあったように、その黒子は元々は松枝にあったものなのです。

 それまでは部品が何となくちぐはぐに並んでいたところへ、突如それらが寄り集まり、形を成し出したのです。

 覗き見をした直後に、その御殿場の自邸が炎上する場面で、本多はインドのガンジス川で見たガードでの焔の浄化を思います。

 そして、後に双子の妹だったというジン・ジャンが、コブラに噛まれて亡くなったことが性急に記されます。

 もっと丁寧な閉じ方をしてほしかった、という想いが残るほどに、そっけない終わり方でした。それまでが、さまざまな言葉を駆使して、冗長とも思える語り口だっただけに、そんな想いを強く持ったのです。インモラルやエロチックという趣向が、どうやら不完全燃焼したようです。【2】

■初出誌:『新潮』昭和43年9月号〜45年5月号
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2016年04月23日

読書雑記(164)船戸与一『砂のクロニクル』

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 冒頭に暦に関する解説があります。
 中東で繰り広げられる闘いと直接は関わらないとしても、世界の人々が生きる様を見る上で、暦を通して興味深い人間の歴史とその背景を教えられました。

 序の奏では、イラン・イラク戦争に関する1981年1月から1988年8月までの年譜が、6頁にもわたって列記されています。
 終の奏には、1989年6月から1991年7月までのイラン・イラクに関する年譜が、4頁にわたって掲示されています。
 まさに、史実と虚実が混在した物語展開となっているのです。

 ハジと呼ばれる日本人の武器商人である駒井克人は、アラブ語とペルシャ語ができます。ペルセポリスに魅せられて、アケメネス朝ペルシャの研究をテヘラン大学で学んだ、39歳の男です。

 このハジと、隻脚の東洋人であるハジが、物語の中で屹立しています。このハジと呼ばれる人物の読み分けに、最後まで焦点が合いませんでした。もう一度読む機会があれば、この点に注意したいと思っています。

 イランの革命防衛隊小隊主任であるサミル・セイフは23歳。イスラム革命への忠誠心から、上官を殺します。しかし、その罪は許され、クルド民族運動鎮圧の先兵としてクルド人の聖地であるマハバートへ異動となるのでした。
 革命の中での人間が生き生きと描かれています。

 ロシアでの駒井克人は、ペレストロイカの中でグルジア・マフィアとの折衝を重ねます。銃器2万丁をモスクワからカスピ海経由でイランに運ぶ交渉です。
 作中、こんな発言がありました。


「近々、わたしたちはイラン国内で大幅な軍事行動を起こす。知ってのとおり、わたしたち二千万のクルド人はイラン、イラク、トルコ、シリア、ソ連と五つの国家に分断されてる。イラン・イラク戦争が終わったんで、中東の国内緊張を創りだすために、またあちこちでクルド人が殺されるのは眼に見えてるんだ。急がなきゃならない。わたしたちがイランで軍事行動を起こせば、かならずイラクのクルド人組織が動く」(上124頁)


 駒井は、中東の少数民族クルドが軍事行動で必要とする武器調達のために動くのです。ホメイニ体制のイランに、この武器が無事に運び込めるのかどうかが、物語を背景で支えています。

 クルド人にとって聖なる地マハバードが舞台の中心となっています。
 さまざまな民族紛争の背後で、クルド語とペルシャ語が入り混じる会話が展開する物語に、中東の複雑な背景が読み取れました。

 クルド人ゲリラのハッサン・ヘルムートは、クルド独立のために戦う男です。
 この男も、物語展開を左右する人物なので、注意して読み進めました。

 とにかく、文庫本にして1000頁以上の長大な作品です。
 しかも、そのスケールの大きなことと相俟って、多くの登場人物が果たす役割と、中東における歴史的な背景の理解が求められます。
 読み終えると、自分が一回り大きくなったような感じがします。

 作中で、月光が時折夜空に浮かび上がります。船戸の作品の特徴でもあります。
 船戸の描写の中での月光の設定は、非常に興味があります。
 井上靖の静けさの中の月とは違います。動の中の静としての月なのです。雰囲気作りの小道具として、この月が巧みに活用されているのです。

 本作は、雄大な構想の下、人種を問わず人間の行動規範と情念と情愛が、実に巧みに描かれています。特に、「第五の奏 聖地に雨が降る」は出色の出来です。

 イスラム革命体制を擁護する革命防衛隊員である弟のサミル・セイフに対して、姉は「生き抜いてどうしてもやらなきゃならないことがある」と言います。この言葉の意味するところは、この物語の最後に明かされます。さらなる展開は、巧みに持ち越されていくのです。

 イラクからも、イランとも敵対しているクルドの立場が、子供のスパイを通して読者に投げつけられる場面もあります。これにはショックを受けました。今、自分が生ぬるい平和らしき中にいることを、あらためて実感させられます。生きる世界の違いを、さまざまなエピソードから思い知らされました。

 上巻は、圧倒的な迫力と深刻な問題を抱えたままで下巻へと引き継がれます。

 後半は、イランのテヘランを舞台にして、武器商人である駒井克人の隠密行動から語られます。

 ゾロアスター教のことが話題になった時、私は松本清張の『火の路』を読んで以来の、異国の異教についての興味を思い出すこととなりました。

 後半でも、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアなどなど、私がほとんど情報を持っていない国々がでてきます。
 そして、アゼリ人やアルメニア人などなど、さまざまな民族・人種の人々が登場します。

 次のような文言に出くわして、政治がらみで使える文字にも違いがあることを知らされます。


アルメニア人たちは独特な民族文字の使用を許可されているが、アゼリア人はアラビア文字を使うことを禁止されてロシア文字の使用を強制されてるのだ。(64頁)


 ペルシャ語がわかっていても、わからないふりをする場面もあります。民族と言語が入り混じる世界が、巧みに描き出されていくのです。
 そして、舞台が中東各地へと拡散していきます。

 月光の下でのヘルムートとハリーダの営みは、美しい中にも毒ガスで焼かれた醜い肌がリアルに描かれます。作者は、月光が好きなのです。
 やがて、2人の男の壮絶な死闘の場面へ。静と動が心憎いばかりに描き分けられています。

 この第11の奏「明日には聖地の奪還を」は、本作の中でも第五の奏と共に、一二の完成度の高さを見せています。

 革命防衛隊内部の腐敗を一掃するために、セイフたちは立ち上がります。イスラム革命精神を取り戻すために決起したのです。
 そこへ、革命委員会からのスパイが革命防衛隊を潰しにかかります。内部分裂の中を、クルド人が襲撃を仕掛けます。三つ巴の、壮絶な場面が展開するのです。

 すべては、蒼い月影の中で。
 月光の下で展開しています。

 長大で壮大な物語は、やがて静かに幕を閉じます。
 語り手の懐の深さと、人間としての器の大きさが記憶に刻まれました。【5】
 
 
※本作は、平成3年11月に毎日新聞社より刊行されました。
 今回は、新潮文庫(上下2冊本、平成6年12月刊)で読みました。
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2016年04月05日

読書雑記(163)山本兼一『雷神の筒』

 山本兼一の『雷神の筒』(2009.3、集英社文庫)を読みました。


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 織田家鉄炮頭の橋本一巴は、織田信長の今川義元攻めで活躍します。
 開巻早々、華々しい戦のシーンにのめり込みます。

 ただし、半ばを過ぎても、なかなか山本兼一らしさが出てきません。冷静で淡々とした展開です。飛び道具と人間の関わりに、手をこまねいているようです。きれいごとで納得しようとする一巴がいます。


「合戦をするのも、まさにそのため。天が下の女たちが、安んじて恋をし、すこやかな子を産むためにこそ、鉄炮はある。わたしは、そのために戦う」(127頁)


 しかし、そうはいっても、戦の意味と武器の役割が、うまく説明のつかない状況になっていくのです。

 鉄炮から信長を見通す視点が新鮮です。ただし、歴史の中の信長は語れても、その人間像にまでは筆が至っていないと思われます。一巴への比重が中途半端にかかり過ぎたようです。

 物語は、一巴をして戦で人を殺すこと、鉄炮で敵方を撃ち殺すことへの、人間としての疑念に及びます。


 鉄炮を手にしたのは、尾張の民、天下の万民のためのはずであった。
 鉄炮があれば、無益な合戦が終わると、信じていた。
 尾張を守るためなら命はいらないと思っていた。
 しかし、それは結局、いかに手際よく、敵をたくさん殺すかということにほかならない。いったいどれほどの敵を、鉄炮の玉であの世に送ったか。
 一巴が指揮杖をふれば、筒先をならべた鉄炮がいっせいに火を噴く−。
 −鬼は、おれだ。
 殺さなければ、殺される−。
 天下万民のためであったはずの鉄炮が、いつのまにか、鬼の道具に変じてしまった。
 生きたければ、人は鬼になるしかないのか−。
 日々、そんな思いにさいなまれている。(224頁〜225頁)


 鉄炮は何のためにあるのか、という問いかけが、何度もなされます。民を守るためだというのが原点にあります。しかし、それがそうではなくなっていくのです。こうした自問自答の中で逡巡する一巴の姿は、よく伝わってきました。

 小谷城を背景にして姉川で戦闘を繰り広げる、浅井・朝倉軍と織田軍の戦いは、壮絶を極めるものでした。その戦を、人間の群れを活き活きと語ります。人の心の中を描く作者の筆は、俄然精気を盛り返したのです。

 その勇猛な場面の前には、一巴と妻あやが、優しく語られます。特にあやは、魅力的な女性として一巴のそばにいます。山本兼一らしい人間観察と描写で、温もりのある夫婦が立ち現れてきます。

 武田信玄を狙い撃ちする雷神の筒の背後に、村松芳休の妙なる横笛の音色が響きわたります。何とも優雅な趣向です。
 妻のあやを含めて、こうした物語の背景に描かれる人物が生きています。

 一巴は、次第に人を殺す武器である鉄炮にかけた夢に疑問を持ち出しました。大量殺人のための道具に。


 天下無双の鉄炮衆をつくるのが夢だった。最強の鉄炮衆がいれば、天下は平穏に静まり、安穏な暮らしが待ち受けていると思っていた。
 ちがっていた。
 −おれは、信長という男の渦に巻き込まれていただけだ。
 そう思わざるを得ないが、いまさらどうなるものでもなかった。戦いは、始めるより、やめるほうが難しい。(341頁)


 一巴は、人と鉄炮のあり方を探ることを息子に託します。『孫子』が手がかりです。ただし、この点はさらに追究されることはありません。残念です。


「炮術師は、人を殺すのが仕事だ。命を奪うのが仕事だ。だがな……」
 一巴は腰のまわりをさぐった。水をいれた竹筒はどこかに落としたらしい。
 せがれが、竹筒をさしだした。一巴は喉を湿した。
「殺すばかりが仕事ではない気がする。わしには、見つけられなかったが、道はあるだろう。おまえがじぶんで探せ」
 懐から、ぼろぼろになった漢籍を取り出した。孫子である。
「これをくり返して読め。(下略)」(428頁)


 妻のあやが、最後まで一巴の心の中を支えています。血なまぐさい話で綴られる物語の中で、雰囲気を和らげる役割を果たしています。強さと柔らかさが、絶妙の味付けで語られる中を、一巴は空の青さと雲の白さを見ながら息絶えます。

 史実にはほとんど姿が見えない一人の男を、フィクションとはいえ鮮やかに蘇らせることに挑戦した作品だと言えるでしょう。
 火薬というものを物語に配した点も、話題として斬新なものになっています。
 ただし、この物語の中で、信長の描かれ方に満ち足りないものを感じました。
 これは、物語内における、信長に対する一巴とあや夫婦の接点とバランスが崩れたためだと思われます。
 もっと、一巴一族の物語に徹してもよかったのではないでしょうか。【4】
 
単行本:2006年11月に集英社より刊行
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2016年03月24日

読書雑記(162)中島岳志・島薗進『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』

 中島岳志氏と島薗進氏の討論を収録した『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』(2016.2.22、集英社新書)を読みました。
 今現在の日本が直面している社会的な問題を、わかりやすく語り合っているので、問題意識が乏しかった私にも理解できるところが多い本でした。


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 今を生きる中で、さまざまな問題が身の回りにあることに気付かされました。
 しかも、日頃はこうした問題を語り合ったり耳を傾けたり、じっくりと考える余裕がないままに過ごしています。

 2人が問いかけ合う形で、問題提起とその回答や示唆が語られていきます。
 島薗氏が具体的な事例をあげ、中島氏が鋭く分析した結果を述べる、という局面が多いように思いました。

 2人の論争を聴く立場で読み進んでいると、社会的な事象を鮮やかに切り分けて解釈を施していく過程に参加できます。知っていることが、新たな視点でつながっていく快感が得られます。

 それでも、結論は読者に委ねられています。2人のやりとりに身を委ねながら、自分の中では自分なりの解決策を模索します。考えてもみなかった問題提起に、自分の立場からの解答を出そうとします。しかし、判断材料が討論者よりも圧倒的に少ない私には、また議論に耳を傾けることとなります。

 本書を読みながら、そんな体験の繰り返しの中で、さまざまな点と線をつなげては消していました。

 そのような中で、中東の戦争や宗教対立、さらには難民や移民の問題からテロが多発する社会と現代という時空をどう見るか、ということにも思いが飛んでいきます。
 しかし、こうしたテーマは、今回は俎上にあげられていません。それは、2人がアジアに目が向いていることに起因するようです。
 そのようなやりとりがなされている箇所を抜き出しておきます。


中島 ここまでの議論から、日本もこうした「単一論的宗教復興」の動きが強まっていると言っていいでしょう。
 「単一論」は、国内においては全体主義に結びついていきますが、同時に、異なる宗教や文明との衝突をももたらします。
 こうした二重の危機を乗り越えるためには、今こそ「バラバラでいっしょ」の「多一論」を基礎とした思想的なアジア主義の可能性を追求する必要があります。
島薗 戦前においてアジア主義は、帝国主義へと転化してしまいました。それを繰り返さないために、中島さんは何が必要だとお考えですか。
中島 私は、柳宗悦の思想に、アジア的な「多一論」の可能性を見出したいのです。柳は「民芸」という概念を作り出したことで知られていますが、それは柳の一面にすぎません。彼は同時に、偉大な宗教哲学者でもありました。
(中略)
 だから、柳宗悦の中では世界を統一したいというような願望、ある極端な理想主義的な政治イデオロギーは出てこなくて、多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。
 近代日本の中で一番希望がある人は誰かと問われると、この柳宗悦ではないかと思うのです。彼はアジアとの連帯を考えながら、アジアの独立というものをしっかりと支持し、日本の全体主義にも与しなかった。ですから、日本のアジア主義のあり得たかもしれない道を柳宗悦が示しているように感じます。(224〜226頁)
 
 
島薗 私も中島さんの考え方に共感します。
 EUを支えるキリスト教、あるいはカトリック教会というような一元的で強固な共通の基盤がアジアにはない。しかし、一方で、東アジアは多様な思想が多様なまま共存するという経験をずっとしている。ここに独自の可能性があるはずです。
 明治維新から一五〇年。この間、日本は、東アジアの宗教や精神文化を遠ざけ、西洋的な近代化に邁進したつもりでいた。しかし、いまや近代的な枠組みを作ってきた国民国家や世俗主義という理念が、問いなおされるようになっています。
 だとすれば、現在の危機を奇貨として、私たちは東アジアという枠組みから宗教や精神文化の重要性を考え、それが立憲主義や民主主義とどう関わり合うのかを考えてみるべきでしょう。
 そのためには、日本の問題を東アジアの課題として受け取る。そういう視野が必要とされていると思います。(261〜262頁)


 ここでは、時間と紙数の関係もあって、語られなかったことが多いのです。それらは、機会をあらためて、こうした問題に対する2人の考え方をぶつける場面に立ち会いたいと思いました。

 現在、今を生きる者として、その背景を成す社会が抱える問題を、日本人と宗教という視点から意見を闘わせています。
 明治維新から今までの政治と宗教の流れを、特に意識して読ませる本です。
 今、自分がおかれている現代を見つめ直す、いい機会を得ることができました。【5】

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 本書の目次をあげておきます。


【目次】
1.戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか
2.親鸞主義の愛国と言論弾圧
3.なぜ日蓮主義者が世界統一を目指したのか
4.国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教
5.ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走
6.現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム
7.愛国と信仰の暴走を回避するために
8.全体主義はよみがえるのか


 以下、私がチェックした箇所を抜き出すことで、読書の記録とします。


中島 社会学者の大澤真幸さんはおよそ二五年という長さで日本の社会のパラダイムが変わってきたという非常に優れた分析をなさっています。
 そして、この二五年ごとの時代区分三つを、戦前と戦後で並べてみると、何が見えてくるのか。実はそれぞれの時代区分ごとに(年表・二七頁)、どこか似たところが浮かんでくるのです。大澤真幸さんは、この三つの時代が、並行するように繰り返しているのではないか、と指摘しています。(24頁)
 
 
中島 彼(引用者注:司馬遼太郎)の小説『坂の上の雲』は、タイトルが核心を見事についている。ポイントは「坂」と「雲」です。
(中略)
 おおよそ日清・日露戦争の勝利によって不平等条約は改正されることになりました。日清戦争によって治外法権が撤廃され、日露戦争後の一九一一年になると関税自主権も回復され、日本は名実ともに欧米に肩を並べることになった。しかし、重要なのは、「坂」を登りきった明治の後半の人々が見たものは「雲」にすぎなかったということです。雲は遠くから眺めていれば、実体があるかのように見えますが、その中に入ると、つかむことができない。
 つまり日本は、坂道を登っている間は、あの雲をつかんでみたいという目標があったのに、坂の上に行ってしまったら雲の中に突入してしまい、何をすればいいのかと迷うようになってしまった。しかも雲の中に入ると、見通しがきかない。先が見えない。
 その象徴が一六歳で華厳の滝に身を投じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです。
 煩悶青年の前の世代のエリート青年たちは、「末は博士か大臣か」ともてはやされ、その言葉を額面通りに受け取り、明治という近代国家建設に邁進できた。しかし、一八八〇年代以降に生まれた青年たちは、日本が欧米と肩を並べ始めた頃から、「立身出世をしたところで、何になるのか?」と考えてしまうようになった。それが、明治後半以降のエリー青年たちの特徴でした。(54〜55頁)
 
 
中島 私には、石原莞爾の満州国と宮沢賢治が『グスコープドリの伝記』で描いた理想郷イーハトーブが重なって見えます。唐突に聞こえるかもしれませんが、石原莞爾とほぼ同じ時期に、国柱会に入会したのが宮沢賢治で、この作品は満州事変の頃に執筆されました。
島薗 どちらも時代の閉塞感を超える理想郷を想像していたという点ではそうかもしれませんね。
中島 あるいは、こうも言えるかもしれません。宮沢賢治の『グスコープドリの伝記』の物語の構造は、同時代の血盟団事件のような昭和維新テロと同じだと。(92頁)
 
 
島薗 ナショナリズムも宗教も、国家の暴走にブレーキをかける批判的役割を持ち得る存在です。しかし戦前の経験を振り返ると、その両者が結合して国粋主義や超国家主義を生み出す土壌となってしまった。この歴史を反復しないためにも、私たちは過去を見つめる必要があります。
 
 
島薗 中島さんの『「リベラル保守」宣言』というご本も興味深く拝読しました。もちろんおおよそ理解はしているつもりですが、あらためて、中島さんの言葉でお話しいただきたいのは、ここまで語ってきた右翼思想と中島さんが信奉する保守思想との違いです。
中島 右翼を定義する前に、左翼との比較を考えてみましょう。左翼は人間が理性を存分に使って正しく設計をすれば、未来はよい方向に変革できるはずだと考える。つまり、未来にユートピアをつくることができると考える。
 一方、右翼や保守はそうした「理性万能主義」には懐疑的です。人間の理性だけでは、未来に理想社会が実現できるとは考えない。長年の歴史の中で蓄積されてきた経験知や良識、伝統といった「人智を超えたもの」を重視するべきだ、と考えます。
 この点については右翼も保守も重なり合うのです。しかし、右翼は、歴史を遡り、過去の社会にユートピアを描いてしまう傾向があります。過去のよき社会を復古させることさえできれば、世の中はユートピアになると。
 けれども、保守は、未来にも過去にも、ユートピアを求めないのです。絶対に人間は誤るものである。だから、少しだけでもよりよい社会にするためには漸進的な改革を進めていくしかないのだという立場です。(137〜138頁)
 
 
島薗 業績や結果を求めて目先の因果関係の世界に固執するという傾向が今、広まっています。科学技術はその代表ですが、それを進めていくと、どんなことでも手っ取り早く利益を生むものが肯定されてしまうということになる。(155頁)
 
 
中島 実は、インドも同様の発想が強くて、ヒンディー語に与格構文という不思議な構文があるのです。たとえば、「私はヒンディー語ができます」ならば「私にヒンディー語がやってきてとどまっている」、「私はあなたを愛している」ならば「私にあなたへの愛がやってきてとどまっている」という構文になる。つまり、私という主体が何か合理的に相手を分析し、それによってあなたへの愛を私の中から生じさせたのではなくて、どうしようもない不可抗力によって、どこかからそれはやってきて宿っているものだと考えるわけです。こういう「器としての人間」という観念は、アジア的というか、東洋的な思想において非常に重要な底流としてあると思います。(160頁)
 
 
島薗 一九四五年以降、「GHQが国家神道を解体した」ということになっていますが、ここで解体されたのは国家と神社組織との結びつきです。
 しかし、皇室祭祀はおおかた維持されました。なぜそうなったかと言うと、GHQによる「国家神道」の定義から皇室祭祀がすっぽり抜けていたからです。
中島 つまりGHQは、国家神道と神社組織とを同一視していたということですね。
島薗 そういうことです。GHQが国家神道を神社組織と同一視したのは、西洋流の教団中心的な宗教観による判断です。そして、「国家と教会の分離」というアメリカ流の理念から国家と神社組織の結びつきを解体しました。けれども、第四章で見たように、国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなかった。むしろ重要なのは、皇室祭祀と不可分の天皇崇敬でした。(170頁)
 
 
中島 無差別殺人は「誰かを殺せない殺人」というふうに読みかえたほうがいい。「誰でもよかった」というのは、裏を返せば誰が敵なのかよく分からないわけです。昭和維新の時代は「君側の好」という明確な敵が見えていたけれど、今はそれすら見えない。
 おそらく、「誰だってよかった」というのは、誰だっていいという扱いを彼らが日常受けているからであり、非正規労働とか派遣労働の問題が背景にあると思います。
 こうした実存の危機がもたらす極端な暴力を食い止めるようなトポスを、私たちは、どのように作ればいいのか、かつ、そこに宗教の果たす役割があるのではないか。これは、先生と私の共通認識としてもあると思います。(176頁)
 
 

中島 インドは、日本とは違って政治が多元的な宗教を平等に扱ってきました。マハートマー・ガンディーの命日である一月三〇日には、デリーにあるガンディーのモニュメントの前で国家行事としての式典が行われます。その日は、ガンディーの遺体を荼毘に付した場所にみんなが集まって、さまざまな宗教団体の代表者が五分ずつ慰霊をしていきます。アルファベット順なので、最初がブッディストのBで、仏教徒、しかもその仏教徒は日本山妙法寺なものですから、日本人が最初にガンディーの命日はお祈りしているのです。
 そこにインドの首相や与野党のトップも集まります。国家が宗教を除外するのではなく、宗教の多元性を認めてフェアに扱う。どちらかというと本来はこういった感覚のほうが、日本人が長らく持っていたものに近いのではないかと思います。
島薗 その逆の事例が、ダイアナ妃が亡くなった時の礼拝ですね。イギリスはイギリス国教会のウェストミンスター寺院で葬儀をしたのですが、「ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒にとっては居心地の悪い追悼の仕方になったのではないか」と欧米の学者から異論が出ていました。
 異なる宗教間の共生や中島さんのいう「多一論」に関して、私は「黙禱とは何か」ということをよく考えてみる必要があると思うのです。
 東日本大震災があってからもその機会が多かったですが、大学の教授会でもよく黙禱します。八月一五日の式典でも黙禱しますし、甲子園でも高校生が黙禱しますが、それらは宗教的な行為だと思います。しかしその礼拝対象は何かというと、よく分からない。(219〜221頁)
 
 
島薗 中島さんの議論では、戦前の煩悶青年が国体論的なユートピア主義に向かう媒介として、親鸞主義や日蓮主義が大きな役割を果たしたという構図だったと思います。
 一方、私は、教育勅語や軍人勅諭などを通じて、民衆が自発的に国家神道の価値観を身につけていくプロセスを指摘しました。
中島 はい、この対談はそうした形で議論を重ねてきました。(233頁)
 
 
島薗 戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。
 もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。(253頁)
(中略)
中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。(254頁)


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2016年03月21日

読書雑記(161)三島由紀夫『奔馬 豊饒の海 第二巻』

 三島由紀夫の『奔馬 豊饒の海 第二巻』(昭和44年2月25日、新潮社)を読みました。


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 全四巻からなる『豊饒の海』の第一巻『春の雪』(2015年12月24日)を受けた第二巻『奔馬』は、昭和7年に38歳になった本多重邦が、裁判官として大阪で妻と2人で暮らしているところから語り出されます。

 本多は、18年前の出来事、親友だった松枝清顕の死と共に青春は終わった、と思っています。今も、清顕が残した「夢日記」を時折見ることがあるのです。
 清顕の書生をしていた飯沼茂之の息子である勲の黒子を見て、本多は清顕の生まれ変わりに出会った思いがしました。これがしだいに確信となり、本巻の支柱となっていくのです。

 物語が始まって早々に、『神風連史話 山尾綱紀著』が引かれます。
 59頁から103頁まで、45頁にわたっての長大な引用です。
 その内容が、最後まで勲の行動の背景をなします。
 勲はいつも死のことを思っていたのです。それも、自死自刃を(117頁、123頁、222頁)。

 親子の感情的な対立が、理性をコントロールできない状況に陥っていく場面は、その意図は理解できるものの、やや冗漫に感じました。三島らしくない、歯切れの悪さはどうしてなのか、と思いながら読み進みました。

 勲は、国を憂うる同士を集めます。


會つた學生はさまざまで、國學院大學ばかりでなく、日大もゐれば一高もをり、慶應からも一人紹介されたが、慶應の學生は辮は立つても見るから輕薄で適しなかつた。中には、『神風連史話』に感激したと主張しながら、ゆつくり話してみると、その感激が作り物で、言葉のはしばしから、探りを入れてきた左翼學生だとわかる場合もあつた。(184頁)


 勲が20人ほどの塾生と大学の神社に結集したとき、鬼頭中将の出戻り娘の槇子が父の意向を受けて軍資金などで手を貸します。本巻では、この槇子が唯一女性として勲のそばにいます。

 本多は、能楽「松風」を見ながら、19年前の清顕を思い出し、形見の「夢日記」を読むことにします。輪廻転生のことから思い至ったのです。
 勲が清顕の生まれ変わりであることは、本多にとっては確実となっていると確信するのです。

 シャム、タイのバンコクでの立憲革命の話も展開します。
 これは、『暁の寺 豊饒の海 第三巻』が「バンコックは雨期だった。」と始まることへと連接していくものです。
 用意周到に、輪廻転生の物語として『春の雪』から『奔馬』そして『暁の寺』へと語り継がれる形をとっています。

 勲の決起は12月3日となり、その計画も具体的に煮詰まっていました。
 勲が同志たちに示した決起の計画書は、次のような書き出しとなっています。


一、決行日時   月  日  時
一、計畫要綱
 本計畫の目的は、帝都の治安を攪亂し、戒嚴令を施行せしめて、以て維新政府の樹立を扶くるにあり。われらはもとより維新の捨石にして、最小限の人員を以て最大限の效果を發揮し、これに呼應して全國一せいに起つ同志あるを信じ、激文を飛行機より撒布して、洞院宮殿下への大命降下の事實ありたるを宣傳し、宣傳をしてやがて事實たらしめんとするものなり。戒嚴令施行を以てわれらの任務は終り、成否に不拘、翌拂曉にいたるまでにいさぎよく一同割腹自決するを本旨とす。
−下略−(240頁)


 その計画が、あまりにも詳細であることに驚かされます。作者の中では、このことは虚構の作品でも現実の世界においても、周到に模擬演習をしていたと思われます。

 しかも、最後の己の姿も思い描いています。これが、実際には市ヶ谷駐屯地で三島自身が決起自刃した姿とイメージが被さります。

 決起三日前の勲と槇子の抱擁は、この物語で唯一の官能的な場面となっています。
 『春の雪』で、雪の日の朝、人力車中での清顕と聡子の逢い引きシーンに匹敵するものとして、本作でも映像美を意識した描写となっています。

 その決起2日前に、右翼急進分子として、12名が警察に逮捕されます。急展開の流れです。新聞には、「昭和神風連」事件として報じられました。

 この報道を目にした本多は、法律の正義に収まりきらない、法を超える真理を思います。


 ゆくりなくも本多はかつて少年時代に、月修寺門跡の法話を聴いたときから、ヨーロッパの自然法思想にあきたりぬものを感じ、輪廻轉生をすら法の條文に引き入れてゐる古代印度の、「マヌの法典」に心を動かされたことを思ひ出した。あのときすでに自分の心には、何ものかが芽生えてゐたのだ。形としての法がただ混沌を整理するのではなく、混沌の奥底に理法を見出し、その月の映像を盥の水にとらへるやうに、法軆系を編み出してゆく上に、自然法のもとをなすヨーロッパの理性信仰よりも、さらに深い源泉がありはしないかと、直観的に感じたことは、多分正しかつたのだ。しかしそのやうな正しさと、實定法の守り手としての裁判官の正しさとは、おのづから別である。(290頁)


 そして、本多は即座に裁判官を辞め、意を決して上京するのでした。純粋な精神を守るために。清顕にしてやれなかったことを、その生まれ変わりである勲に、法律家として守ってやるために。

 勲の決起を密告したのは父でした。死に行く息子のことを思ってのことでした。
 憂国の情に勝る親の思いなのです。このあたりの父と子のやりとりは、どうもうまく語られていないように思います。作者自身、理と情が峻別できないままに書き綴っているようです。

 物語は次第に盛り上がっていきます。人間の多様な思惑が絡み合うからです。純真な思いのぶつかり合いが、読者を物語世界に引き込みます。

 勲は、市ヶ谷刑務所に収容されます。三島が決起した場所とイメージがだぶります。

 裁判に入ってからの腹の探り合いはおもしろく読みました。特に弁護士となって勲を守る本多は、検察側の動きを読み解こうとします。そこが、この小説の新しい味付けとなっています。

 また、生まれ変わりを唆す発言を被告に有利に導いたり、槇子が偽証を法廷でする展開など、巧みな法廷戦術が背景に散りばめられていて、終盤におもしろさが倍加していきます。そこには、勲の密告者探しも伏流しているので、なおさら人間関係とその発言が輻輳していく仕組みとなっています。

 最後の場面まで、特に後半は一気に読ませます。ただし、力任せかと思われる行文には、作者の思いが殴り書きされたかのように読めます。もう少し時間があれば、という思いを強く持ちました。そして、槇子が描ききれなかったようにも思われました。【4】
posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | 読書雑記