2019年10月01日

京洛逍遥(578)訪日外国人のために阪急などの駅名が変えられたこと

 今日から、関西の私鉄3社、阪急・京阪・阪神の駅名のいくつかが変わりました。阪急の場合、「梅田駅」が「大阪梅田駅」に、「河原町駅」が「京都河原町駅」に変えられてしまったのです。この物言いは、迷惑の受け身です。
 私が乗り降りする「河原町駅」では、駅名看板は88枚もあるそうです。初日ということで、新旧入り混じっているのは致し方のないことです。これに加えて、連絡や乗り継ぎの案内板もあるでしょうから、この取り換え作業は大変なことです。
 ちょうど、消費税の変更で運賃も変わり、多くの表示の付け替え作業に奔走されていたことと思われます。駅名の変更は実害がないので、しばらくは共存の状況が続きそうです。
 今しかないと思い、記念に写真を撮りました。

 さて、今回の駅名変更に関して、私個人は、名前が持つ伝統と文化を衰退させ、平板化する一例になったと思っています。特に、観光客からわかりづらいと言われたことを理由に固有名詞を変えることは、自分たちが大事にしてきた文化を否定する行為です。
 京都新聞には、「訪日外国人の増加で、京都の中心繁華街に位置するターミナル駅であることを分かりやすく伝えるため。同駅の変更は、1963年の開設以来初めて。」と書かれています。この変更で、地名が喚起する歴史と文化のイメージは、外から来る人に合わせることで薄められました。こんな論理が通用するとは驚きです。
 私は、大阪に住んでいた小さい頃には「梅田」へ遊びに行きました。今は、「河原町」で乗り降りをしています。そこで育ち、そこで生活する人たちの感覚が大事です。わざわざ、「京都」や「大阪」という地名を頭に付ける必要はないのです。ややこしいからということで、「東京日本橋」・「大阪日本橋」とか「東京京橋」・「大阪京橋」という名前に変える時代が来るのでしょうか。「業平橋駅」を「とうきょうスカイツリー駅」にしたのは、完全に日本の古典文化が持つ豊かさをかなぐり捨てた愚行でした。「江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅」(2012年05月23日)の記事を参照願います。
 今回は、在原業平を抹殺したことまでではないにしても、これ以上は、人に阿るだけの愚かなことはしないでほしい、と願っています。できることなら、近い将来、若者たちの手で、冠付きとなった「大阪」や「京都」が取り払われることを望んでいます。

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2019年09月23日

京洛逍遥(577)彼岸花を見ながら賀茂川右岸を散策

 出町柳まで散策しました。賀茂川右岸(西側)を歩いていると、川辺に彼岸花、中洲に鷺、上空には鳶という、彼岸の中日らしい景色に身を置くことができました。
 今年は中洲が大きくなり、川の中に小川が流れているように見えます。

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 鷺や鴨は、川に段差があるところが好きです。ここで、小魚を待っているのでしょう。

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 対岸の左岸(東側)に咲く彼岸花を撮ろうとしたら、のんびりと魚を待っていた鷺が突然飛び立ちました。

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 そして、お盆の送り火の「大」がうっすらとのぞいている、如意ヶ岳が見える木の上に止まりました。どこにいるのかわかりづらいので、写真に赤の矢印を付けておきます。

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 葵橋の手前にも、彼岸花が咲いていました。

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 彼岸花は、田圃の畦道や土手の斜面などでよく見かけます。賀茂川の岸に咲く彼岸花は、初めて見たように思います。年に2度、期間限定の花なので、たまたま出会わなかっただけなのかも知れません。
 これから秋を経て冬へと、この川の景色も季節ごとに変わっていきます。散策の楽しみでもあります。
 
 
 
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2019年09月12日

京洛逍遥(576)玄想庵へNPO開催イベントの下見に行く

 京町家をレンタルスペースとして開放中の「玄想庵」(https://gensouan.com/room/)に行きました。これは、毎年NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が実施している文学散策の一つとして、秋の公開イベントの会場の下見を兼ねての見学です。
 今秋のイベントは、10月26日(土)の午後2時から2時間、『百人一首』を中心とした内容を予定しています。それまでの時間は、当日開催される「時代祭」(正午に御所発進)を各自で観覧した後、今回の会場である「玄想庵」にお越しください。

 「玄想庵」は、地下鉄烏丸線の四条駅の南側(京都駅寄り)にある5番出口から徒歩1分という、非常に便利な場所にあります。地下鉄から地上に出て仏光寺通りを東に向かって進むと、すぐに京都東洞院仏光寺郵便局が見えます。そこを左折して少し北進すると、左手に「廣田紬株式会社」の看板があります。この紬屋さんの中に「玄想庵」があります。

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 暖簾をくぐり、瓦を埋め込んだ塀沿いに右に折れると、「玄想庵」の入口に当たる玄関の間があります。今回は、この1階の左側に並ぶ中庭を望む3室をお借りすることになりました。この瓦塀の中には、平安時代の瓦の破片も混じっているそうです。

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 まずは、新館2階の70畳の一角で、詳しいお話を伺いました。
 「玄想庵」の旧館は築130年、新館は40年だそうです。今回お借りするのは、旧館です。

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 その後、全館を丁寧に案内してくださいました。歴史のある紬商家だけに、各部屋ごとの意匠に圧倒されます。
 今回お借りすることになったのは、旧館1階にある中座敷「桔梗」・奥座敷「梅」、そして応接間の3室です。正面奥に中庭が見えています。

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 部屋の設いは、贅の限りを尽くしたものです。この中座敷で、同志社大学のカルタ部の方々に百人一首の説明と実演をお願いします。また、目の見えない方々による「点字付百人一首」も同時にできないか、これから関係者に相談を持ちかける予定です。

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 この部屋には、富岡鉄斎の額が掲げられています。

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 鉄斎の額と軸は、2階にもありました。この格調高い施設で、参会者のみなさまと、百人一首に親しむ一時を持ちたいと思います。

 なお、この10月26日(土)には「時代祭」が開催されます。例年22日に実施されていた「時代祭」が、今年はこの日に変更となったのです。そこで、「玄想庵」で『百人一首』を楽しむ前に、この「時代祭」を見て気分を過去にタイムスリップしてもらうことも可能なプランにしています。
 次の地図の青丸をした地下鉄丸太町駅の地上付近で、12時半から13時半まで「時代祭」の行列を見て、それから地下鉄を使って2駅目の四条駅に移動して「玄想庵」に入る、という行程をお勧めします。

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 これからプログラムを詰めて、詳細は後日とします。
 このイベントに興味のある方は、10月26日(土)の午後は京都へ、という予定を確保しておいてください。遠方からの行楽を兼ねての参加も大歓迎です。

【プログラム(案)】
開催日:2019年10月26日(土)
内容:
 (1)「時代祭」の行列を観る(自由行動)
   観覧場所:地下鉄丸太町駅の地上付近
   時間:12時半から13時半まで
   (直接「玄想庵」に14時までに来館も可)
 (2)京町家で『百人一首』を観る
   場所:「玄想庵」(京都市下京区東洞院通仏光寺上ル301)
   時間:14時から16時まで
   参加費:本NPO正会員 1,000円
        サポート会員 1,500円
        一般参加   2,000円
    (いずれも障害保険加入費を含む)

 
 
 
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2019年09月08日

京洛逍遥(575)洛陽三十三所(27)平等寺

 平等寺(因幡堂)については、先日の「京洛逍遥(574)京都十二薬師霊場(5-1)「平等寺」」(2019年08月31日)で取り上げました。そして、次のように記しました。

 今回、これまでの記憶をたどっているうちに、洛陽三十三所としてすでに2011年7月9日に参拝し、朱印をいただいていたことに思い至りました。しかし、この頃も今と同じように何かと多忙でした。過去の記事を確認していて、この平等寺に関する洛陽三十三所のことも、これまでに書いていなかったことに気付いたのです。


 以下にあげる2枚の写真は、2011年7月9日のものです。過日の8年ぶりに行った写真と比べても、何も変わっていません。古社寺を巡拝していると、変わらないものと変わるものを体現する楽しみがあります。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から平等寺の略説を引きます。

御詠歌:まよいいで ここはいなばの ひがしむき
  こころはにしへ はこびぬるかな

当山は長保五年(一〇〇三)橘行平卿の私宅を寺とし、その孫の光朝禅師を本願として創建されました。本尊薬師如来は日本三如来に数えられています。

因幡堂縁起によりますと、橘行平卿が夢告により、因幡の国賀留津の海中より薬師如来を引き上げ、仮堂に安置されました。行平卿の帰京の後、尊象は京都に飛来され行平卿の屋敷に入られた。行平卿は屋敷を寺としこれを祀ったのが当寺の始まりです。長保五年四月八日のことです。因幡の国には後光と台座だけが残り、座光寺と呼ばれ現在も残っています。

当寺は町衆の寺として特に芸能に縁が深く一説には浄瑠璃発祥の地ともいわれ、また、狂言にも「因幡堂」「鬼瓦」など、当寺を舞台にした演目が残っています。室町時代より猿楽狂言が何度も上演され、江戸時代には因幡堂芝居と呼ばれる歌舞伎興行が行われていました。

また当山に伝わる二体の十一面観音は元、北野天満宮に祀られた観音様で、東寺の観智院を経て当山に来られ、観音堂本尊として安置されました。


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 三条から四条にかけては、日々街中が変化しています。しかし、四条通りから南は、あまり変わりません。京都駅のある七条から八条が、これから大きく変化していくはずです。そんな変わりようも、本ブログの京洛逍遥で報告していきます。
 
 
 
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2019年08月31日

京洛逍遥(574)京都十二薬師霊場(5-1)「平等寺」

 京都十二薬師霊場1番札所の「平等寺」は、四条通を烏丸通に沿って南に下った所にあるお寺です。ホテル日航プリンセス京都のすぐ南側、と言った方がわかりやすいでしょうか。
 ここは、因幡薬師という呼び名で親しまれています。また、この平等寺は、京都十二薬師霊場第1番札所以外に、洛陽三十三所観音霊場第27番、京都十三仏霊場第7番にもなっているお寺です。

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 今回、これまでの記憶をたどっているうちに、洛陽三十三所としてすでに2011年7月9日に参拝し、朱印をいただいていたことに思い至りました。しかし、この頃も今と同じように何かと多忙でした。過去の記事を確認していて、この平等寺に関する洛陽三十三所のことも、これまでに書いていなかったことに気付いたのです。この日の記事は、「京洛逍遥(191)四条で講演を聞き千本釈迦堂の陶器市へ」(2011年07月09日)として、別のことを書いています。その日の写真を見て撮影時間をたどると、この日はまず平等寺に先に行っているのに、この日の記事にはこの平等寺のことは取り上げていないのです。この時期が、いかに忙しくて、夢遊病者であるかのように日々を送っていたのかがわかります。
 ということで、洛陽三十三所の平等寺は書き忘れていることがわかりました。後日このことを書くことにして、今日ここでは、京都十二薬師霊場の平等寺について記します。

 朱印は、すでに書いてあったものに日付だけを書き加えて渡してくださいました。これは、ありがたみという点では薄れます。しかし、私には見えない奥で日付だけを入れていただいたものなので、昨日の記事の蛸薬師のように、目の前で日付を入れてくださるのを間近に見るよりも、少し有り難みはあります。微妙な心理です。

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「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

因幡薬師(いなばやくし)
 長徳3年(997)中納言 橘行平卿が、勅命により因幡の国 一宮(宇部神社)に参拝したおりに、夢告により賀留津の海中より一体の薬師如来を得、仮堂に安置した。
 任を終え帰京した行平を追って、長保5年4月7日に薬師如来像が飛来。行平は宅を寺とし薬師堂、因幡堂と称した。
 承安元年(1171)に高倉天皇より勅額を賜り「平等寺」となる。
 古来、嵯峨、清凉寺の釈迦如来、信濃、善光寺の阿弥陀如来と共に日本三如来にかぞえられる。

<宗旨> 真言宗智山派  <開山・開基>橘 行平 長保5年(1003年)

御詠歌
七佛の みのりにもたる 人もなく
  皆びやうどうに すくふせいがん


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2019年08月30日

京洛逍遥(573)京都十二薬師霊場(4-12)「永福寺」

 京都十二薬師霊場12番札所の「永福寺」は、新京極通の中程にある、お土産物屋さんかと見紛うほどに派手なお寺です。普通は、蛸薬師という呼び名で親しまれています。「京洛逍遥(571)京都十二薬師霊場(3-11)「西光寺」」(2019年08月17日)のすぐ南にあります。

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 狭いお寺から外を見ると、すぐ前を新京極通が、その向こうを寺町通が南北に横たわっています。若い人たちが、途切れることなく往き来しています。

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 朱印は日付だけを書き加える形のものでした。ありがたみは薄れます。まだ、奥で日付だけを入れていただいた方がいいと思います。

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 「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

蛸薬師(たこやくし)
 養和元年林秀僧正が夢告により伝教大師僅刻の石の薬師如来を比叡山より勧請、二条室町に堂宇を建立し永福寺と名付けたのが始まり。
 建長(1249〜1256)の初め善光という僧の母が病になり、寺に迎え看病するが回復せず、母に蛸を食べたいと懇願され、経箱を抱え買いに出かけた。
 これをみとがめられ、一心に薬師如来に願い、箱をあけると蛸が法華経八軸の経巻に変わっていた。経巻より霊光が四方に放たれ、霊光に照らされた母の病はたちどころに回復、以来、蛸薬師と称される。

<宗旨> 深草浄土宗 単立  <開山・開基> 林秀僧正 養和元年(1181年)

御詠歌
八軸の みのりのふみの たこやくし
  うちおさめたる 十二大願



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2019年08月22日

京洛逍遥(572)宝が池公園で突然熱中症らしい症状になり事務所へ避難

 洛北・宝ヶ池のそばにある宝が池公園子どもの楽園へ、孫の水遊びの付き添いで行きました。
 国立京都国際会館にほど近い「ゆば泉」で昼食をいただき、ブラブラと憩の森に入りました。

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 子どもたちが水遊びをしているエリアでは、楽しい声が木霊していました。

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 そんな時に、私の体調が急に悪くなりました。頭と眼の奥がジンジンしだし、お腹が張り、足も重くなったのです。心なしか、身体に熱気を感じたりもします。冷たいものを飲み、しばらくベンチで休んでいても、まったく気分が晴れません。
 これはおかしいと思い、冷房設備のある休憩所を探しても、園内には見当たりません。思い切って、入口にあった管理棟まで歩いて行き、休憩できる場所を聞きました。

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 すると、詰めておられた2人の職員の方が、とにかくここで休むように言ってくださいました。そして、椅子に座らせていただくと、すぐにエアコンを付け、扇風機で身体を冷やしてくださいました。団扇も手渡してくださいました。さらには、別室で横になれるように、そこのエアコンも付けて冷やして準備をなさっています。ありがたいことです。
 15分もすると、気分も体調もよくなったので、帰り支度をしてお礼を言って駅に向かいました。
 帰りに、高野川上流の橋から鷺を見つけました。

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 疲れもすっかり吹っ飛び、ゆっくりと帰りました。
 多くの病気を体験している私も、熱中症に近い症状はこれまでに経験したことがないので、おそらくこれがそうだったのではないかと思っています。早めの判断で涼しい場所で体温を下げられたのが大事に至らず、結果的にはよかったのでしょう。公園の職員のお2人の方の親切に、感謝しています。ありがとうございました。
 
 
 
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2019年08月17日

京洛逍遥(571)京都十二薬師霊場(3-11)「西光寺」

 京都十二薬師霊場の第11番札所「西光寺」は、寅薬師として知られています。新京極通の中でも一番賑わうど真ん中にあります。ただし、お寺の入り口がわかりにくいので、知っている人しか訪れないと思われます。

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 これまで、何度もこの前は通りかかっているのに、ここが寅薬師だったとは、今日まで知りませんでした。

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 門を潜って中に入ると、すぐ左にアルミサッシ越しに落ち着いた本堂が見えます。来訪のボタンを押し、住職さんに勧められるままに靴を脱いで本堂に上がりました。住職さんは、ご丁寧にも寅薬師さんの前にロウソクを灯し、ごゆっくりお参り下さいとおっしゃいます。薬師の左右には観音菩薩と十二神将像がおられます。商店街に埋もれていた入口の様子と本堂の中の仏様が居並ぶ様子のギャップに、突然タイムスリップしたかのようで驚かされました。

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 「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

寅薬師(とらやくし)
 帝の勅命を受け弘法大師が一刀三礼謹刻され、寅の日、寅の刻に成就されたため寅薬師と称される。
 宮中に奉安され歴代天皇の信仰を受けたが、弘安年間に後宇多天皇よりこの尊像を下賜された傳慶法印が民衆の幸福を祈る場として御倉堂を建立したのが当寺の創建とされる。
 以来、広く民衆の開運厄除、無病息災、及び寅年の守護仏として親しまれている。

<宗旨> 浄土宗西山深草派 <開山・開基> 寶照院傳慶法印 弘安5年(1282年)

御詠歌
あさぼらけ 寅の頭に ゆめさめて
  るりのひかりを みるぞうれしき



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2019年08月16日

京洛逍遥(570)満月を戴く大文字の送り火-2019

 颱風は、京洛をかすめるようにして北東に過ぎ去っていきました。
 ご先祖さまをお見送りする送り火は、一日違いで事無きを得ました。
 今夜は午後8時ちょうどに、まず京都大学がある吉田山の裏の如意ヶ岳に「大」の文字が点火されました。

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 文字が形を成した頃でした。その左上の雲間からまん丸い月が顔をのぞかせました。最初は何かわかりません。しだいに月であることがわかると、河原に集まった多くの人からどよめきが起き出しました。こんな大文字の送り火は初めて見ます。

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 満月と大文字に見とれている内に、火はしだいに輝きをなくして細い点線となっていきました。

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 帰ろうとした頃、出雲路橋越しの東に、松ヶ崎の「妙・法」が低い角度で見えました。

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 また、出雲路橋の上からは、上賀茂の船形が見えました。午後8時半です。
 橋の下を流れる賀茂川の水は、昨日の大雨で力強さを増しています。

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 さて、明日からは、生きている者たちだけの日々が始まります。本年度の後半に向けて、いい仕事の成果が残せるように、プロジェクトのスタッフと共に懸案の課題に取り組んでいきましょう。
 
 
 
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2019年08月10日

京洛逍遥(569)38度の京都で身体がフラリと揺れる

 孫を連れて、岡崎の平安神宮に近い「みやこめっせ」に行きました。「電車王国 2019」というイベントがあるのです。

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 電車大好きの孫は大はしゃぎ。こちらは、連日の38度に身体が対応しきれなくなったのか、頭が少しフラリと揺れます。館内に広い休憩コーナーがあったので、そこで身体を休めることで、事無きを得ました。
 この夏は、いつもより水分補給を心掛けています。かかりつけのお医者さんがお勧めの、味の素の「アクアソリタ」という経口補水液を常備しています。出歩く時はもちろん、枕元にも。

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 そして、何事にも適度な休憩も心掛けています。無理をしないことです。ナマケモノに徹するのが、この夏を乗り切る秘策のようです。
 
 
 
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2019年08月09日

京洛逍遥(568)孫と賀茂川を散策

 お盆を迎えて孫が来たので、賀茂川を散策しました。
 川風が心地よい夕暮れのひと時です。

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2019年08月08日

京洛逍遥(567)東山連峰の夏景色とスイミングのこと

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 来週の五山の送り火の主役となる如意ヶ岳の大文字が、写真左側の山肌に三角形の火床を見せています。雲が山際から、石鹸の泡のように湧き上がっていました。
 東山連峰は、夏本番を迎えています。
 日差しは強いものの、川風が気持ち良いので、出町柳まで散策です。
 サイクリング車を、鴨が下から見上げていました。

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 暑さを吹き飛ばすため、夕方からはスポーツクラブでひと泳ぎして来ました。しかし、プールは温水と化しています。身体が重く感じます。なかなか進まないのは、お湯の中で手足をバタバタと動かしているせいでしょうか。どっと疲れて、ミストサウナとジャグジーに身体を任せた後、お風呂に入りました。恐る恐る冷水風呂に入ると、身体がキュッと締まります。そして、次第に身体の芯から温もります。しばらくジッとしていました。水面が揺れると、ヒンヤリとした感触が首から肩にかけて襲って来ます。冷え冷えの身体に熱いシャワーを浴びると、とたんに引き締まった気分が一気にほぐれます。心臓に負担がかからない程度に、身体を刺激して気分転換をはかりました。
 今日は利用者が少なくて、のんびりしています。来ているのは年配者ばかりです。もともとが若者の少なくなった老朽化目覚ましいスポーツクラブなので、なおさら高齢者専用の施設のようです。ここに来れば、熱中症にならないと思います。もっとも、今日のように水温が高いと、別の意味で変調をきたしそうですが。
 37度を超える夏の一日を、適度の運動と身体へ刺激を与えて楽しんでいます。
 
 
 
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2019年08月06日

京洛逍遥(566)賀茂川で見かけた鷺と夕焼け

 38度前後の暑い日々が続いています。それでも、朝夕は賀茂の川風が涼しいので、気持ちよく散歩ができます。
 鷺は、上空よりも川面が気持ち良いのか、低空飛行で北山へ向かって行きました。

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 帰ろうとする頃、薄い眉のような月に夕陽を浴びた飛行機が、「今日も暑いね」と挨拶をして飛び去るところでした。

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 このところ、急に大雨が降ります。颱風があと2つもやってきます。
 これから夏本番。
 来週の京都五山の送り火まで、どんな熱暑が襲いかかって来るのか、気象情報が気になっています。
 これまでに経験したことがないと言われる異常気象に悩まされることがないように、ただただ送り火に日々の平安を祈るだけです。
 
 
 
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2019年08月02日

京洛逍遥(565)何もしない日(8月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 日中は昨日も今日も38度超え。
 賀茂川散策は、夕風が川面を渡る頃となります。
 今日は鷺の姿が見えず、鴨だけが居残って遊んでいました。

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2019年07月26日

京洛逍遥(564)梅雨明けの賀茂川

 初夏以降、中洲がどんどん大きくなり、草も繁り出しました。水が流れる幅が、極端に狭くなっています。北大路橋の南側は、対岸に渡って行けそうです。

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 橋の北側は、この連日の大雨で少しは土砂が流されたようで、水面が多く見られるようになりました。

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 2羽の鷺が北山に向かって仲良く飛んで行きます。

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 それを見送るアオサギ、クロウ、カモたち。

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 早朝の半木の道は、吹き抜ける風も爽やかです。これから気温が35度まで上がり、蝉時雨の小道となります。

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 植物園に向かう並木道も、早朝の散策に限ります。右側が府立大学のグラウンドです。これから球音が響きます。

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2019年07月23日

京洛逍遥(563)祇園祭-2019-南観音山のチマキをいただく

 去年は、前祭の函谷鉾でチマキをいただきました。「京洛逍遥(502)祇園祭 -2018- 四条通散策」(2018年07月13日)
 今年は、後祭の南観音山のチマキです。

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 南観音山は、私が一番好きな山です。「京洛逍遥(330)お茶のお稽古をした後に祇園祭へ」(2014年07月21日)で、少し詳しく書いています。

 今日は、四条烏丸の交差点に上がったちょうどその時に、突然の豪雨となりました。しばらく降ってからすぐに止んだので、新町通を北に向かって南観音山に行きました。
 今年は、数が少ないと言われていたチマキも、念願の山のものが手に入りました。
 玄関に架けて、また1年間の無病息災を祈ります。
 
 
 
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2019年07月18日

京洛逍遥(562)祇園祭の神輿渡御

 祇園祭は創始1150年ということで、例年に増して賑わっています。
 昨日17日(水)の山鉾巡行(前祭)は、観ることができませんでした。しかし、その夜、ご祭神が八坂神社を出発し、四条寺町の御旅所に入られる渡御は、たまたま河原町で夕食をいただいたために観ることができました。
 阪急烏丸駅で地上に出ると、烏丸通を挟んで四条通の東側に長刀鉾が立っています。ただし、山鉾巡行が終わった後なので、化粧回しなどはすべて外され、解体が進んでいます。

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 烏丸通を挟んだ四条通の西側には、函谷鉾が立っています。これも、骨組みだけが残っています。

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 このすぐ先の室町通をのぞくと、菊水鉾が解体されているところでした。

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 四条河原町で食事を終えて店を出ると、目の前を渡御の行列がゆっくりと進んでいるところでした。

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 この渡御の列が河原町通りを四条通りに曲がるまでは、交通機関は規制されています。その規制が解除されるや否や、後ろでずっと待たされていたバスが、渡御よろしく整然とつながって、しずしずと進み出しました。私には、このバスの渡御姿が殊の外印象的でした。

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 八坂神社から遷された神輿は、24日まで御旅所に留まります。24日の夕方より行なわれる還幸祭で、今度は神輿が御旅所から夜遅くに八坂神社に戻ります。

 24日(水)も、山鉾巡行(後祭)は観られません。しかし、昨日と同じように、還幸祭・神輿渡御には立ち会えるかも知れません。

 この時期は蒸し暑い日が続きます。元気に無病息災で、この夏を過ごしたいと思います。
 
 
 
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2019年07月12日

京洛逍遥(561)京都十二薬師霊場(2-6)「福勝寺」

 昨日、「京洛逍遥(560)京都十二薬師霊場(1-7)「双林寺」」をアップしました。
 ところが、その後にデータの整理をしていて、昨年5月からこの薬師めぐりをしていたことに思い至りました。とにかく慌ただしく日々を送っているので、いろいろと忘れています。特に昨年の初夏は、科研のホームページに関して悩ましい問題の渦中に立たされていました。その意味では、加齢のためばかりとは言えません。日々、すぐに忘れないと生きていけない状況にあったのですから。

 さて、京都十二薬師霊場は、平安時代に始まり、江戸時代(天明年間)に現在の諸寺に落ち着いたようです(ウィキペディア)。その記事の脚注は、気遣いが感じられる説明となっているので、以下に引用します。

・注の欄に▲がある寺院は、平日に参拝する場合は電話確認を要する。
・△の寺院は曜日に関係なく留守になることがある。そのような場合は堂前に置かれた缶の中に朱印が入っているが、日付は入らないので、確実に在宅時に参拝したいのなら電話確認したほうが良い。
・○の寺院は札所本尊が有料拝観区域内にある。なお、納経所は有料拝観区域外にある。
・注1の寺院は現在は寺院が運営する「七条幼稚園」の園内に立地している。平日の園児が登園している時間帯は入口に鍵がかかっているので、インターフォンを押して関係者に来てもらう必要がある。


 「京都ガイドブック」の「京都十二薬師霊場めぐり」には、次の説明があります。わかりやすくまとまっているので引用します。

【京都十二薬師霊場めぐり 歴史・簡単概要】
京都十二薬師霊場めぐりは平安時代から盛んに行われていた薬師詣りの内、特に信仰を集めた12の寺院をめぐり、無病息災・病気平癒・厄難消除・所願成就などを祈願します。京都十二薬師霊場めぐりでは平等寺(因幡薬師)・東寺(金剛薬師)・水薬師寺(水薬師)・壬生寺(歯薬師)・地福寺(日限薬師)・福勝寺(峰薬師)・双林寺(東山薬師)・大超寺(鍬形薬師)・薬師院(不来乎薬師)・大福寺(菩提薬師)・西光寺(寅薬師)・永福寺(蛸薬師)をめぐります。なお京都十二薬師霊場めぐりは80年ほど中断していたが、2012年(平成24年)から復興しました。
京都十二薬師霊場めぐりは薬師十二所参り・都十二薬師・洛陽十二薬師などとも言われているそうです。


 さて、今回見つかった朱印は、京都十二薬師霊場の6番札所「福勝寺」です。

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 ここは、洛陽三十三所観音霊場の第29番でもあるので、その参拝時に一緒に薬師さまのご朱印もいただいたようです。

「京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺」(2018年05月08日)

 すっかり失念していたので、ここにあらためてアップしました。

 「京都十二薬師霊場会」のホームページから福勝寺の略説を引きます。

峰薬師(みねやくし)
 薬師如来は、愛知県の鳳来寺の薬師如来と同木同作で、利修仙人(鳳来寺開山)の作と伝わる。
 東大寺大仏の再建に際して重源僧正に授与され諸国を遍歴し、その後当山に持仏として奉安された。
 その後、後陽成天皇が勅願され御平癒された事により、天皇より「薬師如来」の名号と菊の御紋が寄付され、勅願寺となった。
<宗旨> 真言宗善通寺派 <開山・開基> 弘法大師・覚済僧正(中興)

御詠歌
みなひとの やまいをいやす みねやくし
  るりのくすりを あたへましませ


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2019年07月11日

京洛逍遥(560)京都十二薬師霊場(1-7)「双林寺」

 昨日の続きです。
 長楽寺へ行く手前に、京都十二薬師霊場の第7番札所「双林寺」がありました。

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 さまざまな病気を抱え込んでいる私にとって、薬師様と聞くと足が留まります。

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 「京都十二薬師霊場会」のホームページから略説を引きます。

東山薬師(ひがしやまやくし)
 桓武天皇の勅命により、左大使尾張連定鑑(むらじさだみ)がこの地に伽藍を創立し、霊鷲山沙羅双樹林寺法華三昧無量壽院と号した。
 鳥羽天皇皇女綾雲女王、土御門天皇皇子静仁法親王が住職を務めるなど皇室とのかかわりも深い。
 また、平康頼、西行法師、頓阿法師など文人が止住した。17の支院を有する国体安穏祈祷の大道場として、東山屈指の巨刹であったが、今は僅かに本堂と飛地境内にある花月庵(西行堂)を残すだけとなる。

<宗旨> 天台宗  <開山・開基> 伝教大師 延暦24年(805年)

御詠歌
とうとしな ふたつのはやし ふかければ
  るりのひかりに なやみはるらん


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2019年07月10日

京洛逍遥(559)洛陽三十三所(7)長楽寺

 長楽寺は、八坂神社の奥、円山公園の中にあります。
 祇園祭の時期に重なったということもあり、八坂神社は国内外から多くの観光客が訪れています。石の鳥居越しに望む南楼門の朱が鮮やかです。

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 長楽寺へは、石畳の奥からさらに石段を登る、静かなお寺です。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から長楽寺の略説と地図を引きます。

御詠歌:こヽもまた じょうどなるらん ちょうらくじ にはのはちすも はっくどくすい

伝教大師入唐の際、海上にわかに暴風起こり、船まさに破れんとした時、大師舳先にすゝみ、除難のため三宝の救護を祈願し給うに、忽然として光明照躍して、二頭の龍神その頭に准胝観世音を奉載して大師の船側に近づき、観世音菩薩、大師の御衣に飛び移り給うと覚えて、風波鎮まり無事御帰朝の後、この海上示現の尊像を自ら刻んで、当寺の御本尊としてまつられた。霊験たぐいなく古来勅願所として歴代天皇の御帰依深く、勅封の秘仏として奉安せられ、歴朝の御即位式および御厄年に、勅使御代参あって、その侍立の下にのみ開帳せられることを恒例としてきた。

明治初年より勅使御侍立の儀は廃止されたが、陛下御即位にあたり御開帳される行儀は現在に至るまで護られ、平常は秘仏の御本尊とされている。二頭の龍神が守護された准胝観世音菩薩の御尊像はまことに希有なお姿であり、都の平安を御祈願されるにふさわしく、平安朝には京の七観音の一つにかぞえられ、古来よりその信仰がひろまっていた。延暦二十四年(八〇五)桓武天皇の勅命により伝教大師がその御本尊をまつり創建され、平成十七年(二〇〇五)で当寺創建より千二百年にあたり、その歴史は御本尊の御加護の証に他ならない。


 御詠歌の結句にある「はっくどくすい」とは、名水「八功徳水」のことです。

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2019年07月09日

京洛逍遥(558)洛陽三十三所(15)六波羅蜜寺

 昨日、西国三十三所の第17番札所である六波羅蜜寺に行ったことを書きました。

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 そこで朱印をいただいた折に、洛陽三十三所第15番の朱印も一緒にいただきました。

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 西国三十三所と洛陽三十三所が重複するのは、六角堂(頂法寺)、革堂(行願寺)、清水寺、六波羅蜜寺、今熊野観音寺の5ケ寺です。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から六波羅蜜寺の略説と地図を引きます。

御詠歌:おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらどうへ まいるみなれば

六波羅蜜寺は、天暦五年(九五一)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された洛陽三十三所観音霊場第十五番札所である。

当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曳き廻り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。[現在も皇服茶として伝わり正月三日間授与している。]

現存する空也上人の祈願文によると、応和三年八月(九六三)諸方の名僧六百名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯し大萬燈会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。

上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。


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 この東山地域には、六道珍皇寺や河原院跡など、『源氏物語』と関係の深い場所が多いので、気ままに散策するのが楽しみです。
 
 
 
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2019年06月24日

京洛逍遥(557)洛陽三十三所の再興に関する資料発見

 今日の京都新聞第一面に「洛陽三十三所」に関する貴重な資料が見つかった、とのニュースが掲載されています。昨日、西国三十三所第19番札所の革堂のことを書いたばかりだったので、それに引き出されたかのような嬉しい知らせとなりました。こうして、洛陽三十三所のことが少しずつ明らかになっていきます。
 洛陽三十三所は、京都の観音霊場をめぐるものです。その中の清水寺で、江戸時代の「寛文五年」と記された巡礼札が見つかったのです。記事には、次のようにあります。

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 洛陽三十三所は平安時代末期ごろにはあった西国三十三所を参考にして札所を京都の寺院に限り、室町時代には巡礼が行われていたとされる。応仁・文明の乱(1467〜77年)で途絶えたが、寛文5(1665)年、霊元天皇の勅願で三十三所が定められて再興したとされる。(日山正紀)


 この札の中の1枚に「寛文五歳巳七月吉日」とあり、洛陽三十三所が江戸時代の寛文五年に霊元天皇の勅願で再興された、とされていたことが証明された、ということです。
 今回見つかった巡礼札は、7月29日から京都文化博物館の展覧会「洛陽三十三所展」で展示されます。

 なお、この洛陽三十三所に関しては、以下の19の霊場をめぐったところです。満願までは道半ばを過ぎたばかり。西国三十三所の観音めぐり(第6巡目)を始めるのをいい機会として、この洛陽三十三所も残された14のお寺を、一つずつ参拝したいと思います。

■本ブログの洛陽三十三所の記事一覧■
  (2019/06/24現在)

「京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺」(2019年05月19日)

「京洛逍遥(554)洛陽三十三所(18)善能寺」(2019年05月18日)

「京洛逍遥(552)洛陽三十三所(19)今熊野観音寺」(2019年05月15日)

「京洛逍遥(551)洛陽三十三所(25)法音院」(2019年05月14日)

「京洛逍遥(550)洛陽三十三所(21)法性寺」(2019年05月13日)

「京洛逍遥(549)洛陽三十三所(16)仲源寺」(2019年05月06日)

「京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺」(2018年05月08日)

「京洛逍遥(489)洛陽三十三所(33)清和院」(2018年05月07日)

「京洛逍遥(488)洛陽三十三所(30)椿寺 地蔵院」(2018年05月05日)

「京洛逍遥(478)洛陽三十三所(5)新長谷寺(真如堂)」(2017年11月29日)

「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)

「京洛逍遥(465)洛陽三十三所(4)革堂行願寺」(2017年09月19日)

「京洛逍遥(464)洛陽三十三所(3)護浄院 清荒神」(2017年09月11日)

「京洛逍遥(462)洛陽三十三所(2)新京極 誓願寺」(2017年09月05日)

「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)

「京洛逍遥(460)洛陽三十三所(28)壬生寺」(2017年09月03日)

「京洛逍遙(125)洛陽三十三所(31)東向観音寺」(2010年03月01日)

「京洛逍遙(122)洛陽三十三所(8)大蓮寺」(2010年02月26日)

「京洛逍遙(114)洛陽三十三所(6)金戒光明寺」(2009年12月06日)

 
 
 
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2019年06月23日

京洛逍遥(556)革堂を「かうだう」と仮名書きすること

 京都五山の内でも大文字の送り火は、毎年の夏の楽しみとしてお迎えしています。その如意ヶ岳の「大」の文字は、まだ2ヶ月も先のことでもあり、松明を置き並べる準備に入っていません。

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 今年は、どのような文字を見せてくれるのでしょうか。文字の中心に火が着いてから消えゆくまでのドラマは、ゆったりとした時の流れに身を任せ、日ごろは感じない思いで炎の明滅を見つめます。いつもとは違う豊かな10分ほどの時間を、また体験できることを今から楽しみにしています。

 散策の途中で丸太町から寺町通りを下り、西国三十三所の第19番札所である革堂(行願寺)に立ち寄りました。

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 今月から、また西国三十三所の観音巡りを始めることにしたからです。今回で6巡目です。
 最初は亡父のために母と一緒に、2巡目は秋田の義母と、3巡目は娘のために、4巡目は亡母のために、5巡目は癌から命拾いをした自分のために回りました。今回は妻と一緒に、これからの稔り多い老後の無事を祈念しての巡拝にします。これまでの5回のことは、「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)にその経緯を書いていますので、ご笑覧いただけると幸いです。

 さて、ご朱印を何に書いていただくかが、今回のさしあたっての問題です。軸装、額装に加えて、御詠歌のご朱印も満願となりました。次は、これまで持ち回っていなかったアイテムに朱印をいただこうと思っています。そのこともあり、近くの革堂に立ち寄り、どのようなものがあるのかを見に行ったのです。受け付けでお尋ねしたところ、この革堂には朱印帖以外は置いていないとのことでした。今回集印をするアイテムが決まってから、本格的に第6巡目をスタートしようと思っています。

 この革堂の入口脇に、大きく「こうどう」と記した標識が目を引きます。その横に、「一条かうだう」と刻んだ石柱がありました。

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 変体仮名の講座の折に、「堂」を「た」と読むという説明をします。その時、「お堂」の「堂」を「たう」と読んでいたからです、と言い添えます。これでは、どうもピンと来ないようだったので、これからはこの石柱の「だう」という平仮名表記をスクリーンに映すことにします。

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 現在、革堂では境内で蓮祭りが行なわれています。みごとな蓮を見ながら、何かと気忙しさの中で気鬱な思いをする日々だったので、大いに気分が晴れやかになりました。これまで何気なく見ていた蓮が、気分をリフレッシュしてくれる花であることに、あらためて思いを新たにしました。
 
 
 
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2019年05月19日

京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺

 洛陽三十三所20番札所「泉涌寺」に着きました。

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 境内に入ると、建物群と雰囲気に格式の高さを感じます。

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 ここの境内には、清少納言の歌碑があります。このことは、「京洛逍遥(287)文学散歩で東福寺と泉涌寺へ」(2013年08月27日)に少し触れています。

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 歌碑の文字は、風化のためにまったく読めません。かすかに、『百人一首』に採られている「夜をこめて〜」という和歌が刻まれていることがわかる程度です。パンフレットなどには、この清少納言の歌碑のことには触れていないので、みなさん通り過ぎて行かれます。

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 私なりに字母に気をつけながら「変体仮名翻字版」の翻字方法で読んでみました。これは、ネットに掲載されている歌碑の写真を虱潰しに調べ、さまざまな写真を参考にしながら、何とか翻字したものです。
 古代学協会のホームページ(https://www.kodaigaku.org/kensho/kensho.html)によると、この歌碑は、昭和49年(1974年)11月16日に、平安博物館館長だった角田文衞先生の提案で建立された歌碑であることがわかります。揮毫は芸術院会員日比野五鳳氏。45年間でこんなに石面が風化し、文字が読めなくなることに驚いています。時間があれば、建立当初の拓本や写真などで、正確な字母を確認したいと思っています。ここには、取り急ぎ一案として提示しておきます。「斗」「所」「年・者(?)」「支」は、相当時間がかかりました。ご教示いただけると助かります。

  清少納言
  夜をこめて
斗りの所ら年
      者
者可る登母よ二
逢坂のせ支は
 ゆるさし


 楊貴妃観音堂にも立ち寄りました。楊貴妃観音菩薩は個人的なイメージと違うので、いつも気恥ずかしさと躊躇いがあります。

 その泉涌寺で書いていただいたご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から泉涌寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 ももたびも あゆみをはこぶ せんにゅうじ
   などやほとけも まんぞくにます

泉涌寺境内にある楊貴妃観音堂は、天正三年(一五七五)織田信長建立の寄棟造りである。

楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妃でその美貌と美徳が玄宗の政務を怠らせる由縁となり、安禄山はその失政を楊貴妃に課して至徳一年(七五六)妃を討ったのである。

その楊貴妃を偲ばせる仏体は寄木造りで、宝冠は宝相華唐草の透かし彫りで御冠を偲ばせるものがある。手には極楽の花の宝相華を持し、生けるが如くに坐しておられる。世にこの観音菩薩像を楊貴妃観音と呼ばれるようになった。

我が国には、寛喜二年(一二三〇)當山開山月輪大師の弟子湛海宗師により請来された。以来、応仁の乱などの戦火に於いても難を逃れ、百年目毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和三〇年御厨子の扉を開き皆様に参拝して頂いている。

現在は美しいお姿の観音様にあやかろうと、女性の篤い信仰を集めている。平成九年に重要文化財に指定された。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
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2019年05月18日

京洛逍遥(554)洛陽三十三所(18)善能寺

 洛陽三十三所19番札所「今熊野観音寺」(西国三十三所15番)の入口右側には、狭い小道があります。

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 この道からさらに奥にある20番「泉涌寺」に向かって草木に覆われた山道を進むと、18番「善能寺」の前に出ます。

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 新緑の中に爽やかなたたずまいの本堂(祥空殿)があります。

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 ただし、朱印をいただく納経所は、この善能寺の境内にはありません。少し先の泉涌寺の本坊でいただいてください、ということです。

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 巡礼の札所の一つに選ばれながらも、無住のお寺となっているようです。全国の巡礼寺院がそうであるように、グループ内に留まって維持管理していくことの難しさを感じます。今は、ご朱印を集めて回る女性に支持され、全国的に人気の朱印帖ブームも、すぐに失速することも考えられます。若い女性に飽きられたら、このブームは終わるのです。高齢者に支えられるだけでは、お寺はグループ内でのポジションの維持も大変でしょう。長い展望で見ると、何か別の巡拝を支える仕掛けが求められることになるでしょう。私は、神仏への畏敬の念と人々への感謝の気持ちを包み込む巡礼が、これからの霊場巡りの基盤になるのではないか、と思っています。その中でのスタンプラリーは、私は大好きです。長く続けるためには、目的意識が大事だと思うからです。

 その泉涌寺で書いていただいた善能寺のご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から善能寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 かんおんに まいりてあくを ひるがゑす
   いまにこころも ぜんのうぢかな

善能寺は、もと八条油小路にあって二階観音堂と言いましたが、弘仁十四年(八二三)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号されました。

弘法大師の伝記に依りますと、弘仁十四年四月東寺の南門に稲を荷った老翁が訪れ「私は八条二階観音堂に住む柴守長者で、無者の者に福を与える者である。あなたの仏法を守護します。」と申されました。

大師は喜んで、赤飯を供養し法華経を講じてもてなしました。そして長者を「稲荷大明神」と尊称し、お住まいの二階観音堂を善能寺と名付け、御本尊を聖観音、又稲荷社を祀って懇ろに供養されました。当寺の稲荷社は、その尊い由緒で知られるように、日本で最初に祀られた稲荷大明神で数多の人々の信仰を集めていたことが窺い知ることが出来ます。

天文二〇年(一五五一)後奈良天皇の綸旨によって、泉涌寺の護持院として当山塔頭今熊野観音寺の西北に移されました。

明治維新を経て荒廃し、明治二〇年(一八八七)再興の時に現在地に移りました。

現在のお堂[祥空殿]は、昭和四十六年北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」の遺族谷本氏が、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願され、建立寄進されました。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
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2019年05月16日

京洛逍遥(553)業平歌パネルをあしらった空き缶入れがなくなりました

 烏丸御池の交差点から東に少し歩き、間之町通との角に、「在原業平邸跡」という石柱が建っています。

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 久しぶりに立ち寄ったのは、この石柱を見るためではなくて、自動販売機のパネルに業平の和歌が折々に嵌め込まれているからです。ところが、今日はその自販機の横に業平歌がないのです。

 この前この自販機を撮影したのは、2年半ほど前の秋でした。

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「京洛逍遥(425)京大病院で検査と診察」(2016年11月28日)

 さらには、その1年半前の春にも写真に収めていました。

「京洛逍遥(348)京大病院の帰路に御所でお花見」(2015年03月30日)

 その前年の2014年初夏5月の写真もあります。

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「京洛逍遥(320)在原業平邸址碑と自動販売機のパネル」(2014年05月20日)

 この業平歌をパネルに使った空き缶入れは、いつから廃止・撤去されたのでしょうか。

 先月の連休前4月25日に、保険の手続きがあったので地下鉄烏丸御池駅の上にあるハローワーク西陣へ行きました。あの時は説明を聞くのに時間がかかったので、この石碑を見に行く余裕はありませんでした。今日は、その後の手続きに来たので、早々に終わってから、業平歌の何が掲示されているのかを確認するために立ち寄ったのです。たかが空き缶入れとはいえ、自販機の横にこうした意匠のパネルが張り出されているところに、千年以上の文化が根付いているのです。どこのどなたの判断によって撤去されたのかはわかりません。過去と今をつなぐ一つの文化が消え去ったことは、非常に残念なことです。

 ブラブラと歩いて河原町三条まで行きました。京洛は、お店の入れ替わりが激しい街です。歩くたびに、新しいお店が開店しています。古くからの老舗と、新陳代謝を繰り返す未来志向のお店が混在しているのです。その最たるものが、喫茶店とパン屋(ケーキ屋)さんでしょう。そして、私はその次に文房具屋さんがあると思っています。
 御池通から南に下がって三条通までの短い通りながら、寺町専門店会商店街はユニークなお店が並んでいます。通りに入るとすぐに本能寺があるので、間違えることはありません。

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 その中のでも、『田丸印房 寺町店』は、創業100年という、京都では新しいとはいえ、なかなか楽しいハンコ屋さんです。

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 今日は、オリジナルスタンプ(京うふふスタンプ)を始めとして、和風の図柄を中心にして3000種類以上の品揃えの中から、こんな2つをいただきました。

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 そのすぐ下ったところにあるもう一店。それは、ちょうど1年前の2018年6月15日にオープンした文具店「TAG 寺町三条店」です。このお店は、京都に7店舗、東京に2店舗、などと全12店舗を展開しているので、ご存知の方も多いことでしょう。

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 今日は、万年筆のインクで気に入ったものがありました。私は悪筆にもかかわらず、万年筆は大事にしています。愛用のものは、パイロットのノック式キャップレスです。これまではスペアーインクを使っていました。しかし、今日はお店でさまざまな色のインクを見ていて、パイロットの「紫式部」という名前のものが気になりました。書いてみると、なかなかいい色なのです。ただし、現品は品切れとのことだったので、別の店から取り寄せていただくことになりました。この色については、また後日、受け取ってからにします。
 このお店のオリジナルインクシリーズの中で、「京の音」というものがあります。文具店 TAG と京都草木染研究所とのコラボレーションで生まれたボトルインクです。その中にあった「苔色」が気に入りました。どの万年筆にこの色のインクを入れるかを決めてから、またいただきに行こうと思っています。
 
 
 
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2019年05月15日

京洛逍遥(552)洛陽三十三所(19)今熊野観音寺

 洛陽三十三所の第25番札所「法音院」からさらに奥にある20番「泉涌寺」に向かって参道を進みます。すると、左手に19番「今熊野観音寺」への分かれ道に出合います。

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 紅葉の中にお寺があります。

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 次の写真にある入口の右側の側道を行くと、18番「善能寺」への近道となります。これはまたこの次に書きます。この今熊野は、西国三十三所の札所でもあります。

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 本堂の下の弘法大師の立ち姿が人目を惹きます。その足元に3人の子供がいる、印象的な大きい石像です。

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 家族と一緒に、何度も西国三十三所巡りでここに来ています。この前は、今から8年半前です。
 「西国三十三所(14)今熊野観音寺」(2010年10月16日)
 子供たちが、この太子様の周りを回って遊んでいました。母も、このお寺が大好きでした。落ち着いた境内が、おのずと安心させたのでしょう。今、当時の写真と見比べると、お大師さまの前に立てられている説明板が、左右逆になっています。左側から本堂へ行く方が多いからでしょうか。

 書いていただいたご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から今熊野観音寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 むかしより たつともしらぬ いまくまの
   ほとけのちかい あらたなりけり

観音寺は八二五年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。

御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。

後白河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と称されました。

洛陽三十三所第十九番札所、厄除開運の寺として知られた特に頭痛・病気封じ・知恵授かりの霊験あらたかな本尊として広く信仰され、また西国第十五番霊場、ぼけ封じ観音第一番霊場ならびに京都七福神巡りの恵比寿神をおまつりする寺として全国から祈願の参拝者が絶えません。

当山は千二百年近きにわたって数々の歴史を秘め、新年厄除大祈願祭・京都七福神祭・彼岸会・盂蘭盆会・秋の四国霊場お砂踏法要などの伝統行事でにぎわいます。

境内は四季、山の緑が美しく、春の梅・桜、秋の紅葉は訪れる人の心をとらえて見事です。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
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2019年05月14日

京洛逍遥(551)洛陽三十三所(25)法音院

 洛陽三十三所の第21番札所である法性寺から泉涌寺に向かって参道を行くと、緑の木立に続く総門が出迎えてくれます。

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 あまりにも泉涌寺という名前が早く現れるので、これから行こうとする法音院の場所がどこなのか、不安になります。
 この総門を潜ってすぐ前にある泉涌寺一山案内図を見ると、25番「法音院」、19番「今熊野観音寺」、18番「善能寺」、20番「泉涌寺」がこの奥に続いて集まっていることがわかります。いずれも、泉涌寺の境内の中にあるのです。

 総門のすぐそばに法音院がありました。よく整備されています。

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 入って右手に本堂があります。

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 ご住職に、この札所の番号が25番で、この奥の今熊野観音寺が19番、そしてこの前にあった21番の法性寺から距離的な近さと順番が飛んでいる理由を尋ねました。それについては、昔からいろいろとお寺が入れ替わったためではないか、とのことでした。三十三観音の札所の中でも、各お寺の事情があったのでしょう。平成17年(2005)に平成洛陽三十三所観音霊場会が結成され、再興されたのが今の洛陽三十三所です。とにかく、この札所巡りが末長く続いてほしいと願うだけです。

 書いていただいたご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から法音院の略説と地図を引きます。

御詠歌
 おがむれば すべてのものを かのきしへ
   すくいたまふや ふくうけんさく

鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(一三二六)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。その後、江戸時代の初期寛文四~五年(一六六四~一六六五)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂師の手により現在の地に再建される。寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安置されることになる。寺内には正貫が建立した三河出身で徳川家康などに仕えた父本多正重の石碑が、正貫・同夫人及びその家臣等の墓とともに本多山より移されている。

現在の本堂は英照皇太后御大葬の御須屋を賜ったもので本尊はあらゆる人を救う羂索[投げ縄]をもつ不空羂索観音。一面三眼八臂のお姿でこの世では病なく、財宝を得、水難火難を除き、人々に敬われ慈悲の心で暮らすことができるなどの利益を得られ、死に臨んでは苦しみなく浄土に導かれるなどの利益を得るという。書院は伏見桃山城の遺構の一部であり、泉涌寺七福神の寿老人を祀る寺としても信仰を受けている。


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 今回の写真は、先週5月5日のものです。
 
 
 
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2019年05月13日

京洛逍遥(550)洛陽三十三所(21)法性寺

 京阪電車「東福寺」駅から線路沿いに南へ歩いて5分ほどで、目的の法性寺(ほうしょうじ)に行けます。この地域には、泉涌寺を中心として、18番「善能寺」、19番「今熊野観音寺」、20番「泉涌寺」、25番「法音院」が集まっています。まずは、駅に一番近い「法性寺」からです。

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 門が閉まったままだったので、インターホンで朱印をお願いしました。
 しばらくして年配の女性が出てこられました。そして、朱印の用紙を手渡しすると、お待ちくださいと仰って、そのまま中に入っていかれました。お寺の中には入れないようなので、外の門で待ちました。国宝観音菩薩像も見せてもらえませんでした。お願いすれば見られたかも知れません。しかし、そのような雰囲気ではなかったので、遠慮しました。

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 大分外で待ってから、いただいた朱印は、次のものでした。

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 藤原忠平(貞信公)の創建になるお寺で、この観音様は「二十七面千手観音」とあるので、珍しいものなのでしょう。いつか機会があれば、ゆっくりと拝観することにします。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から法性寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ
   じょうぢのうみを やすくわたせる

浄土宗西山禅林寺派、山号は大悲山、本尊は二十七面千手観音。

延長二年(九二四)に藤原貞信公忠平が創建した藤原家の氏寺である。以後、平安時代を通じて戦火で焼失するも、藤原家一門の加護を受けて発展し、忠平八代の末孫藤原忠通のころには、金堂、五大堂、灌頂堂、三昧堂等、百棟を数える堂塔伽藍が建てられ、京洛二十一ヶ寺の一つに数えあげられるほどの寺観と荘厳を具備した名刹であった。

以来、公卿の政権は衰えて武士が政権を行うようになり、平安の都も戦乱の火中となって、応仁の乱には、本邦無隻の壮観であった法性寺の諸伽藍も、兵火に焼け、著名の仏像も灰燼となった。其の後、再建の機運に会えず、僅に災いを免れた仏像は、小堂に収容し、久しく安置されておりました。

今の法性寺の御本尊観世音菩薩は、忠通公が四十二才の時、難病にかかり、この観音様に、御祈祷なさいますと、数日にして回復されましたので、其の後、厄除観世音菩薩と称され、永く洛陽三十三所観音霊場の第二十一番の札所として世人をお導きくださいまして現在、国宝に指定されています。


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 今回の写真は、先週5月5日のものです。
 
 
 
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2019年05月06日

京洛逍遥(549)洛陽三十三所(16)仲源寺

 四条通を八坂神社の方へ向かって進み、四条大橋を渡ると新しくなった南座があります。その少し先の右手に、通りと面した洛陽三十三所第十六番札所の仲源寺が突然視界に入ります。桃山時代の唐門には、「雨奇晴好」と書かれた扁額が掲げてあります。「降るもよし、晴るるもよし」という意味だそうです。

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 正面の本堂に、丈六の座像の大仏、本尊の延命地蔵大菩薩が見えます。その上には、「目疾(めやみ)地蔵尊」と記された扁額と大提灯があります。

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 いただいた朱印は、次のものでした。

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 「目疾地蔵」で知られるお寺なので、目が見えない方々のためのものがないかをお尋ねすると、金色の「めやみ地蔵尊御守」を手渡してくださいました。このお守りと一緒に、「仲源寺目疾地蔵尊略縁起」を記した印刷物もいただきました。

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 「略縁起」の末尾に、目が見えなくなったことに関する語りが記されています。宗円妙昌が、雨止地蔵を信仰していたにもかかわらず盲目となったことを恨んでいました。ところが、夢に現れた地蔵菩薩の言うままに仲源寺の阿伽水を薬として眼を洗ったところ、たちまちに盲眼次第に快癒した、というものです。そのことから、この地蔵を目疾地蔵尊と言うようになった、という言い伝えが記してあります。大正6年に旧記を元にして記したその箇所を、画像で以下に示しておきます。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から仲源寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 さしのべん せんじゅのみてを もろびとに
   ぎをんのまちに おわすみほとけ

『仲源寺略縁起』によれば、平安の昔、仏師の定朝が「末代衆生済度」の為、自ら護持していた聖徳太子作の地蔵菩薩を胎内に込め、三十八ケ月を経て丈六の地蔵菩薩を造りあげました。その丈六の地蔵菩薩を本尊として祀ったのが、仲源寺の開基となります。この地蔵菩薩は「雨止み地蔵」「泣き地蔵」「眼疾地蔵」と呼ばれ、広く信仰されています。

本堂前には「洛陽三十三所観音霊場」第十六番の千手観音座像をお祀りしています。像高は二四八センチメートル、平安後期の春日仏師の作といわれ、国の重要文化財であります。観音菩薩は多くの変化身を持ちますが、千手観音の腕はすべての変化身の持物を握っています。この為、他のすべての変化身の霊力、霊験を具えている観音の総体であるという説もあり、千手観音の信仰は平安後期から盛んでありました。

例えば、白川法皇が祇園女御のもとに通った時の話があります。法皇は女御と喧嘩をしましたが、千手観音の法要の一つである「千手愛敬法」を奉修したところ、両者は元の鞘に納まったといいます。夫婦や恋人で仲違いになった時、この千手観音にお願いすれぱ、男女の仲を取り持ってもらえるといわれています。


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 昨年も端午の節句の日に、洛陽三十三所に足を向けていました。今年も、期せずしてそうなりました。この偶然を、これも何かの奇縁だとおもしろく思っています。

 これまでに取り上げた洛陽三十三所は、以下の諸寺です。これ以外にすでに行ったところがいくつもあります。掲載が間に合っていません。整理でき次第に報告します。

「京洛逍遥(461)洛陽三十三所(1)六角堂頂法寺」(2017年09月04日)

「京洛逍遥(462)洛陽三十三所(2)新京極 誓願寺」(2017年09月05日)

「京洛逍遥(464)洛陽三十三所(3)護浄院 清荒神」(2017年09月11日)

「京洛逍遥(465)洛陽三十三所(4)革堂行願寺」(2017年09月19日)

「京洛逍遥(478)洛陽三十三所(5)新長谷寺(真如堂)」(2017年11月29日)

「京洛逍遙(114)洛陽三十三所(6)金戒光明寺」(2009年12月06日)
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「京洛逍遙(122)洛陽三十三所(8)大蓮寺」(2010年02月26日)

「京洛逍遥(466)洛陽三十三所(9)青龍寺」(2017年09月20日)
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「京洛逍遥(460)洛陽三十三所(28)壬生寺」(2017年09月03日)

「京洛逍遥(490)洛陽三十三所(29)福勝寺」(2018年05月08日)

「京洛逍遥(488)洛陽三十三所(30)椿寺 地蔵院」(2018年05月05日)

「京洛逍遙(125)洛陽三十三所(31)東向観音寺」(2010年03月01日)
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「京洛逍遥(489)洛陽三十三所(33)清和院」(2018年05月07日)

 
 
 
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2019年05月05日

京洛逍遥(548)北白川のラジウム温泉「不動温泉」へ

 一昨日行った「京都北白川天然ラジウム温泉 えいせん京」の右隣にある、不動院の「不動温泉」へ行ってきました。2つの温泉を楽しむためです。
 気温は28度と、ここが山峡の地であることを忘れてしまうほどに、とにかく暑い一日でした。近場の温泉地だからこそ、こうして再訪できるのです。

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 建物もお風呂も山間の湯治場という雰囲気です。

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 湯船は左隣の「えいせん京」の半分ほどの広さで、3人が足を伸ばせるのがせいぜいです。お風呂からは「えいせん京」のように外が見えないので、山蔭の温泉に浸かるという山籠もりの雰囲気があります。その点、「えいせん京」は明るくきれいでこざっぱりとしていました。
 「不動温泉」の方は、まず雑魚寝のできる広間へ案内してくださいました。お茶を出してくださったり温泉の説明もありで、かまってほしくない方はこの対応は苦手かもしれません。
 「不動温泉」の休憩スペースは、座卓と座布団が置かれた広間で、何人かの方が毛布にくるまって仮眠中でした。
 それに較べて「えいせん京」は、テーブルとイスの談話室風です。これは、好みが分かれるところです。

 湧き出る温泉は同じであっても、こうして特色が異なる2軒の温泉施設が並んでいるのは、利用者としてはありがたいことです。最初に「不動温泉」に入り、次の機会に「えいせん京」に行く、というのがいいかと思います。2軒の温泉宿に立て続けに行った私は、次からは「えいせん京」に行くことになりそうです。そして、気分転換に「不動温泉」でしょうか。
 帰りには、不動堂にお参りをしました。

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 一昨日と同じ時間のバスでお山を下り、京阪三条まで帰りました。
 
 
 
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2019年05月04日

京洛逍遥(547)何もしない日の賀茂川散歩(5月)

 毎月2日を何もしない日にしています。今月はゴールデンウィークの真っ只中なので、今日にしました。

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 昨秋の颱風で、賀茂川畔の半木の道に沿う桜並木が大きな被害にあい、今もその傷跡が残っています。
 倒れた木の植え替えと共に、その手当てとして棚の造り替えが始まりました。

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 飛び石を着物姿で渡るカップルを見るのは初めてです。記念撮影のワンシーンなのでしょう。

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 飛び石を渡り切った石段の上で、記念撮影はまだ続いています。

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2019年05月03日

京洛逍遥(546)北白川のラジウム温泉「えいせん京」

 三条から京阪バスに乗り、比叡山に向かって山道をクネクネと登りました。道が狭いので、対向車を待ちながら進みます。

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 やがて、比叡山頂へ行く京都バスに追いつきました。

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 20分ほどで着いた地蔵谷で降りると、すぐ横に「京都北白川天然ラジウム温泉えいせん京」があります。

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 年度末からの疲れ切った身体を労わるために、今日も日帰りで温泉に入って来ました。

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 ここの「ホームページ」には、次の説明があります。

ミネラルたっぷりの温泉


全国でもトップクラスのラジウム含有量(139.35ナノキューリー)を誇る天然温泉
 当温泉裏山中腹、花崗岩の割れ目より、数百年の昔より湧出している天然ラジウム鉱泉は、人体の内と外より軽い刺激を与えて万病をいやすといわれる種々のミネラル質を含む天然鉱泉です。

 湯気の中に溶け込んだラドンを吸い込むことによって体が内側から温められ(吸入療法)、入浴するとさらにお湯の中のミネラルが体を外側から温めるので二重の効果があります。ラドンは空気中に含まれており浴室内にこもる湯気で、体に吸収されやすくなっています。

ホルミシス効果がある本物の温泉


微量な放射線をゆっくりと浴びることは、「体内の免疫力を高めるうえで有用」と考えられています。これが、微量放射線によるホルミシス効果です。また、遠赤外線の温熱効果をもつラドンガスにより、新陳代謝が活発化されます。


 いかにも効きそうな説明です。
 隣にも温泉があり、紛らわしいためか「隣接する宗教法人不動温泉とお間違いなきようご注意ください。日本温泉協会正会員は当、北白川天然ラジウム温泉のみです。」と但し書きがあります。その「不動温泉」は、いろいろな所で紹介されています。今日は「えいせん京」にして、「不動温泉」は次の機会にしましょう。

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 「えいせん京」は、小さな湯船が一つだけです。誰もいません。のんびりと温まりました。
 着いてから50分後に、三条京阪行きのバスがあります。ちょうど良い時間で温泉を楽しめました。

 比叡山へ登る自動車が、ひっきりなしに行き交います。ここに留まる車は、バス以外にはありません。いいところを見つけました。

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 帰りは、東山二条で降りて、みやこめっせで開催中の古本市に立ち寄りました。他にも、さまざまなイベントがあります。

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 入口前では、ライブをやっていました。どなたかお名前はわかりません。元気いっぱいの歌だったので、お顔だけでも宣伝になればと思い、勝手に紹介します。

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 食事はカフェレストラン「浮舟」で。
 ガラス越しに見えるのは、『源氏物語』の石像です。みやこめっせのホームページには、次の説明があります。

源氏物語石像
(みやこめっせ正面広場西側に設置)

 京都府石材業協同組合結成30周年記念事業の一環として、石青会様より、京都市に寄贈された石像が、みやこめっせに設置されています。この石像は『源氏物語』第十二帖「須磨」の和歌をモチーフとしています。

源氏の君の和歌
「身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ」
(訳:たとえこの身は、地の果てまでさすらいの旅をつづけても、あなたの鏡の面にはわたしのおもかげがとどまって、あなたと離れはするものか)
紫の上の和歌
「別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても なぐさめてまし」
(訳:たとえあなたと別れても、恋しいあなたのおもかげがせめて鏡に残るなら、日がな一日この鏡を飽きずに眺め暮らしましょう)
 この石像には、世界平和への願いとともに、「あなたは一人ではなく、いつもあなたのことを考え見てくれている人が傍にいますよ」というメッセージが込められています。人の温もりや相手を思いやる気持ちなどを、この石像から感じ取っていただければ幸いです。また、見る角度や天候によって変化する表情もぜひお楽しみください。


 このモニュメントを見ながら「胡麻だれうどん」をいただきました。

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 みやこめっせの中では、日本最大級の古書市ということで、50万冊もの古本が集まっています。
 温泉浴が効いたのか吹き出る汗を拭きながら、探し求めていた本を何冊かいただいて帰りました。
 
 
 
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2019年05月02日

京洛逍遥(545)銭湯の「金閣寺湯」は天然温泉でした

 市バスで「金閣寺道前」で降りて南へすぐの所にある「金閣寺湯」に行ってきました。この「金閣寺道前」というバス停は、観光客がいつも長蛇の列をなしていることで有名です。今日も、50人以上の方々がバス停に並んでおられました。バス会社の方が停留所で乗車の案内や乗客の整理をなさっていました。

 そんな人混みと喧騒のバス停から100mほど下ると、「金閣寺湯」がありました。ただし、とにかく目立たないので、少し行き過ぎてから気付きました。要注意です。

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 ここは銭湯に区分けされているので、温泉巡りのリストの中には入れていませんでした。しかし、2009年12月に、「銭湯 金閣寺湯」から「天然温泉 金閣寺湯」となり、銭湯から温泉に衣替えしたことがわかりました。とにかく行ってみるしかないので、タオル・石鹸・シャンプーを片手に出かけました。
 「金閣寺湯」では、天然温泉「天翔の湯」(京都市右京区西京極大門町)から天然温泉を搬送しているとのことです。「天翔の湯」は、2006年5月に地下1,000mで掘り当てた源泉を、掛け流しで浴びられる天然温泉です。京都の銭湯では初めてのものだったようです。ここにも、いつか行ってみなければならなくなりました。

 入口には、「金閣寺湯」と大書した立派な額が掲げてあります。

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 「金閣寺湯」は純食塩泉を運び込んでの温泉はいえ、銭湯料金(京都府公衆浴場入浴料金)の「430円」で入れます。これはお得な温泉です。汗が噴き出すほどに身体が温まりました。
 ジェット風呂や電気風呂など、いろいろとあります。ただし、天然温泉は小さな露天風呂だけとなっているので、ほかのお風呂と時間配分に注意が必要です。
 汗を拭き拭き西大路通りを立命館大学がある西側に渡り、「金閣寺湯」を振り返ると、その存在がやっと確認できるほど小さく見えます。

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 ここから南に下ると、すぐに洋菓子の「BAIKAL」がありました。このお店の本店は、我が家の近くにあります。京都に来る前の奈良でもよく行ったお店です。馴染みのお店に出あうと、嬉しいものです。

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 この少し南には、わら天神社があります。ここは、孫たちが生まれる時、二人ともに娘たちが安産祈願に行ったところです。元気に生まれ、元気に育っているので、御利益に与っている神様です。

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 さらに南に下ると、回転寿司の「はま寿司」がありました。バスで通りかかるときに見かけるので、いつか行こうと思っていたお店です。やっと念願が叶いました。

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 ご飯が酢飯らしくないので、私としてはもの足りません。しかし、豊富なメニューが気に入りました。好きな「のどぐろ」は、何皿かいただきました。このお店は、ボックス席は長時間待たされます。しかし、カウンター席はすぐに座れました。
 金閣寺を南に下った地域は、観光というよりも気分転換の散策にいいところであることに、認識を新たにしました。二十数年前に、立命館大学に非常勤講師でお世話になっていました。文学部で情報処理の科目を担当していました。当時はなかったお店が、今は若者たちや旅行者を惹き付けています。賑わいと活気を感じました。
 
 
 
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2019年04月30日

京洛逍遥(544)壬生温泉「はなの湯」の壺湯で平成最後を過ごす

 今日は「平成」という元号では最後の一日です。明日からは「令和」。その意味では、一つの区切り目となる日です。
 ぶらりと、壬生寺の近くにある壬生温泉に行ってきました。
 家からバスで円町まで出て、そこからJRで丹波口まで二駅。丹波口からは歩いてすぐです。
 バスは大混雑でした。特に金閣寺の前後はなかなか発車できないほど超満員です。この連休に、いかに多くの観光客が移動しているかを実感しました。

 壬生温泉は、近場の親子連れで大賑わいです。
 この前に来たのは今から6年も前のことになります。「京洛逍遥(262)亡母からの贈り物「壬生やまとの湯」」(2013年03月05日)の記事を見ると、「壬生やまとの湯」とあります。今は「はなの湯」。

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 お風呂場を走り回る子供たちにハラハラさせられます。
 私は、陶器の壺湯にゆったりと浸かっていました。このお湯は、滋賀県守山市に源泉を持つ「守山天然温泉 ほたるの湯」で汲み上げた天然温泉を使っているとのことです。比良山系・鈴鹿山系・古琵琶湖層を通り地下1300メートルから湧き出る良質な美人の湯だとも。

 さて、来たる「令和」はどのような年になるのでしょうか。
 穏やかな日々の中で、いい仕事をしたいものです。
 
 
 
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2019年04月28日

京洛逍遥(543)「流し点」のお稽古の後は伏見の温泉へ

 大和平群へお茶のお稽古に行きました。
 明日は「第10回へぐり時代祭」の日です。しかし残念ながら、1日違いで参加できません。

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 途中の山道で、椿がきれいに咲いていました。今日は肌寒い1日だったので、当分は見事に咲いていることでしょう。

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 今日のお稽古は「流し点」の特訓です。
 来月からとなる風炉の用意をしていただき、3回も繰り返しやりました。集中してのお稽古です。
 このお点前は、水差しの蓋の開け閉めと、水を次ぐタイミングがポイントのようです。また、自分がお茶をいただく時に相手の方に少し身体を向けることなど、細かな要領も何とかわかりました。
 これで、親しいお客さんを迎えた時は、丸卓を使った「入子点」と、この「流し点」で、何とか対応できそうです。いつものことながら、実践的なお稽古をしていただいています。

 帰りに、伏見にある天然温泉の「力の湯」に立ち寄りました。竹田駅から歩いて5分です。

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 ここは、近くを鴨川が流れていて、少し先で桂川と合流します。高速道路やコンクリート工場などが横にあるので、周りの様子は温泉という気分とは違います。

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 しかし、きれいで豊かなお湯を楽しみました。
 今日の生薬風呂は生姜でした。香りに包まれているだけで、元気になれそうです。
 電気風呂も久しぶりです。高校を卒業して東京に出るまでは、家にお風呂がありませんでした。夏は家で行水を、冬は銭湯に行っていました。その高安の里の銭湯には電気風呂がありました。この微かなビリビリ感に、懐かしさが蘇ります。

 この「力の湯」には、6年前に来ています。長く来なかったのは、その時の記事に書いているように、自動販売機のことがあったからのようです。「京洛逍遥(252)スーパー銭湯「京都伏見 力の湯」」(2013年01月28日)
 今日は、コカコーラの飲料の自動販売機が目につきました。この会社も、私は避けています。インドにいた時、工場から川に流す排水の問題で、大学生たちが抗議と不買運動のデモをしていました。その時の印象があるので、今もこの会社の製品には手を出しません。どうでもいいことながら、こんな些細なことに拘り続けています。

 そんなことがあっても、いい温泉で交通の便がいいので、また来ることになるはずです。
 
 
 
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2019年04月26日

京洛逍遥(542)一休温泉で一休み

 近鉄新田辺駅から、無料バスで「上方温泉 一休 京都本館」へ行きました。ここは京都府城陽市なので、一応[京洛逍遥]ということにしておきます。
 本ブログのこれまでの記事を検索してみたところ、この前来たのは昨夏8月20日。8ヶ月ぶりです。初めてこの「一休」に来たのが2018年4月3日、次に2018年4月29日でした。ちょうど1年前にも来ていることになります。「新緑の平群でお茶のお稽古の後は一休温泉へ」(2018年04月29日)

 今日は、八重桜が満開でした。

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 玄関までの小径は風情があります。

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 8種類の温泉を楽しみました。
 このところ、体調があまり良くありません。鞍馬の湯、宇治の湯、嵯峨野の湯と、近場の温泉を廻っています。こうして温泉のはしごをしているうちに、しだいに身体も回復してきていることを実感しています。逗留でもできれば一気に治るのでしょうが……なかなか、そうもいきません。
 こうして、小刻みに身体を労って少しずつ良くしていきます。連休中も、湯巡りで気力と体力を復活させることにします。
 
 
 
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2019年04月24日

京洛逍遥(541)新研究室の整理をした帰りに嵯峨野温泉へ

 新しい研究室で、引っ越し後の整理整頓を、遅々として捗らないながらも進めています。一番頭が重いのは、書棚が思うように手に入らなかったことです。そこでその対処策として、引っ越しの段ボールが150箱もあるので、それを並べて書籍や資料を収納するスペースを作ることにしました。
 まずは、部屋の奥にある入り口からの通路を確保し、その左側に研究・事務エリアと調査・作業エリアを作ってみました。電子ボードから後ろ(写真手前)を調査・作業エリアにする予定です。

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 段ボールを2段に積んで並べたところ、7メートルの長さを確保できました。その仮設の本箱のスペースを、グリーンの布地で覆ってみました。上面に並んでいる数冊の本は、クロスが滑り落ちないように、重石として仮に置いたものです。まだレイアウトを確認するだけのものです。しかし、期待通り、少し上品なカウンターの雰囲気が感じられるようになりました。
 調査・作業エリアから研究・事務エリアを見ると、こんな感じです。

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 まだまだ本が散在していて、雑多な状況です。これから整理を進めます。
 関係するみなさまの心配そうな顔が浮かぶので、今はこんな状況ですよと、参考までに報告しておきます。ご意見をお寄せいただけると助かります。
 この本箱の列が作るカウンターの右側が、アルバイトさんたちの通り路となります。右手後方のドアから入り、電子ボードがある調査・作業エリアで翻訳本の整理や情報収集などの仕事をしてもらいます。
 調査・作業エリアの窓際(赤矢印のスペース)には、各国語辞書や平安文学に関する参考資料を並べてみました。

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 知りたいことは、ネットで検索をすれば何でもわかると言われています。しかし、それはわかっていることを調べる場合のことであり、異文化コミュニケーションと文化の交流について調べる時には、ネットではわからないことが多いのが実情です。そのためには、どうしても書籍の助けが必要です。探し求める答えの有無が、ネットを使うか書籍を活用するかの違いとなることがよくあります。ネットに流れている情報は、まだまだ信頼性に危うさが伴います。書籍の記述は、見直しと校正の跡が辿れるので、信頼性は増しています。
 私とプロジェクト研究員は、ドアを入った正面、通路の左側の研究・事務エリアで仕事をします。これで、大まかな研究室のレイアウトが整いました。それにしても、段ボール150箱分の書籍や資料を整理して、この急拵えの書棚に収めようとしているのです。とてつもない時間と体力が要ります。
 1ヶ月が経ち、ここまで来ました。5月中には、調査と研究をこの新しい部屋で始めたいものです。
 関係者のみなさま、今後ともご理解と手助けのほどを、よろしくお願いします。

 帰りに、阪急京都線の西院(さいいん)駅から嵐電の西院(さい)駅で乗り換え、有栖川駅で降りて嵯峨野温泉の「天山の湯」に立ち寄りました。この温泉のことは、「京洛逍遥(405)さがの温泉「天山の湯」」(2016年05月04日)に詳しく書いています。ただし、この時は、電車のことに興味が集中しています。今日も、電車の中に取り付けられている降車ボタンが気になりました。味わいのあるボタンがまだ使われています。

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 「天山の湯」は、これまでの温泉の中でも一二を争ういいところでした。駅から徒歩3分というだけでなく、この温泉の認識をあらためました。のんびりと寛げます。

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 帰路、北野白梅町へ出るための乗り換え駅である帷子ノ辻駅で、小雨の中で線路が描くラインに見とれました。

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 また、新しい楽しみ場所を見つけました。
 
 
 
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2019年04月21日

京洛逍遥(540)大和でお茶のお稽古の後は宇治の温泉へ

 急に暑い一日となりました。大和平群へ、お茶のお稽古に行って来ました。
 これからは、日毎に緑色が深さを増していきます。

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 今日は前回に引き続き、「続き薄茶」のお稽古です。道中の2時間で、『裏千家茶道 点前教則 19 応用点前 趣向と工夫』(淡交社)に写真で説明がある「続き薄茶」を目で追って、この前のことを思い出しながら予習をしていました。一通りおさらいをした後、何となく他のページを繰っていたら、次の項目の「流し点」に目が留まりました。その説明は次のように記されています。

 特に親しい少人数の客と語り合いながら茶を点てるといった、ごく打ち解けたものです。
 炉の流し点は古くから伝わってきましたが、風炉の流し点は、昔からあったものが一時中絶していたのを、明治二十八年頃に十三代圓能斎によって再興されました。(56頁)


 この説明を見て、これは私向けのお点前だと思いました。これまでは、「入れ子点前」が私にあったものとしてお稽古をしてきました。そこに、この「流し点」が加わりそうなのです。そこで、すぐに先生にメールを出しました。「流し点」があることがわかり、親しい少人数で話をしながらできるようなので、今日はこれをお稽古してみたいのですが、と。まったく、いつもながらワガママなお願いです。
 すぐに返信がありました。
「大丈夫です。一度されたことがあると思います ♪」
 と言われても、まったく記憶がありません。しかし、とにかく、やってみることにしました。
 「流し点」を、アドバイスをいただきながらやりました。本当にかつてやったことがあるのか、どうも思い出せません。その気になってお稽古をしていなかったからでしょう。やらされていた時のことは、まったく身に付いていない証拠です。
 今日は炉でのお点前です。しかし、来週の5月からは風炉のお点前となります。そこで、来週のお稽古では、風炉も用意してくださることになりました。いつも気ままな注文に応えてくださる先生には感謝しています。それだけに、こうした機会をまたとないものとして、真剣に身体に染み込ませるようにしたいと思っています。すぐに忘れてしまうにしても、真剣さの積み重ねを大事にしています。忘れることを怖がっていては、いつまでたっても身につくはずがないのですから。と、自分に言い聞かせています。

 帰り道は近鉄京都線の大久保駅で降りて、宇治天然温泉「源氏の湯」に立ち寄りました。ここに来るのは久しぶりです。

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 最近、体調が優れないので、昨日は鞍馬山の奥にある単純硫黄の鞍馬温泉で身体を休ませました。引き続き今日は、地下1111mより湧き出る海水の成分に似た食塩を含む、塩化温泉に身を委ねました。ヨモギのサウナにも入りました。
 今月から、生活環境が新しくなりました。季節の変わり目でもあり、こうして身体を労るようにしています。気分を一新して、また新たなスタートを切ることになります。この長いゴールデンウイークの期間中は、ゆったりと鋭気を養う機会にするつもりです。
 
 
 
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2019年04月20日

京洛逍遥(539)鞍馬温泉で霊気を浴びる

 大型連休の直前ということもあってか、洛北鞍馬や大原に行く叡山電車は静けさの中にあります。始発駅である出町柳駅には、おしゃれな電車が停まっていました。

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 鞍馬までの沿線は、昨秋9月の颱風で倒れた木々が、無残な姿で今も斜面に置かれています。

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 この電車も、貴船口駅から鞍馬駅間が運転を再開したのは、その2ヶ月後でした。秋の紅葉シーズンに何とか間に合ったのです。
 鞍馬駅の駅舎は少し改装されていました。

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 待合室には、昨秋の颱風で倒れた樹齢110年の杉がありました。鞍馬線の設立が昭和2年なので、それよりも古くから立っていた木なのです。

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 露天風呂はいつもの「峰麓湯」。温めの単純硫黄温泉です。入浴者のほとんどが海外からの方でした。

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 鞍馬は八重桜がこれから満開を迎えるところです。

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 鞍馬寺の参拝は、午後4時半までです。すでに過ぎていたので、今日も温泉だけで帰りました。お山のありがたい霊気を、思う存分に浴びることができました。
 
 
 
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2019年04月13日

京洛逍遥(538)登録有形文化財「紫風庵」の三十六歌仙絵

 先週、「ワックジャパン(WAK JAPAN)」の小川さんから貴重なお話を伺い、その折に紹介してくださった「紫風庵」へ、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の理事である石田さんと一緒に行って来ました。次の記事の最後に書き留めておいたことが、今日の「紫風庵」を訪問したことにつながっています。
「久し振りのワックジャパンで貴重なお話をうかがう」(2019年04月05日)

 「紫風庵」は、昭和8年に建てられた数寄屋造りと洋風建築の和洋折衷です。最近、登録有形文化財に指定されました。

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 ここのパンフレットが出来た時のことが、「京都の日々の暮らし・スタート」(2019年2月24日)というブログに記されています。本当に新しい文化施設です。質の高い文化を継承する場所として、今後は有効に活用して行かれることを願って、ここに詳しく紹介します。所有なさっている宮本さんにご許可をいただきましたので、「紫風庵」の三つ折りのパンフレットを画像として掲載します。

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 まず、この場所から。

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 私は自宅前からバスに乗り、バス停「大徳寺前」の次、「船岡山」の一つ手前の「建勲神社前」で降りて南下しました。そこから5分ほどで着きます。
 建勲神社の桜は満開でした。

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 南下して突き当たりを右に曲がると、左側に船岡温泉があります。

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 船岡温泉と道を隔てた前にある建勲神社の標柱の所で、来た方向の建勲神社への道を入って直進し、左に曲がると、すぐ右に入る小道があり、もう「紫風庵」が見えます。

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 西側のバス停「千本鞍馬口」からも徒歩5分です。ちょうど船岡山公園の南側斜面に建っています。

 1階客間には、江戸時代に書かれたと思われる三十六歌仙の絵と和歌が貼られた襖があります。しっかりとした絵と仮名文字だけではなく、その色の鮮やかさには圧倒されます。相当くすんでいたものを、専門家に汚れを落としてもらい修復したものだそうです。

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 私は、『探幽筆 三拾六哥仙』と題する粉本画帖を持っています。「架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の復元」で公開していますので、ご覧ください。この「紫風庵」の三十六歌仙の襖絵と架蔵画帖を比べると、図様がよく似ていることに気付きました。私は絵画を専門にする者ではないので、今は何とも言えません。表情など細かな点はさておき、描かれ方がよく似ていると思うものを以下に例示します。
 上の「紫風庵」の襖絵の上段左に描かれている在原業平の図像は、次のようになっています。

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 これが、架蔵『探幽筆 三拾六哥仙』の原画に記された細かな色取りの指示通りに彩色を施した、コンピュータ・グラフィックによる復元画では、次のようになります。

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 在原業平と言えば小野小町が思い出されるので、小野小町の絵を比べて見ます。まず「紫風庵」の絵を、次に架蔵画帖の復元画です。

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 歌聖とされる柿本人麻呂は、三十六歌仙絵では最初に置かれるので、これも見比べてみましょう。「紫風庵」の絵の次に架蔵画帖の復元画です。

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 図様というと難しいので、ポーズや着衣がよく似ていると言っておきます。
 もっとも、明らかに違うものもあります。中務がそうです。中務は、上掲の襖絵の最下段に描かれています。架蔵の画帖はまだ彩色復元をしていないので、原画像のままをあげます。これも、「紫風庵」の絵の次に架蔵画帖です。

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 いかがでしょうか。桧扇も唐衣も、まったく異なるものが描かれています。

 「紫風庵」の襖絵は、狩野派の絵に近いとするのは、素人判断に過ぎるかも知れません。しかし、土佐派ではないのは明らかです。とにかくこの絵と書については、専門家のご教示をお願いするしだいです。

 インターネットをブラブラと見ていたら、「「陣内久紹 染の着物展」紫風庵」(2016年5月22日)と題する記事に出会いました。今日、宮本さんが着物展をしたとおっしゃっていたのは、このことだったようです。

 とにかく「紫風庵」は、日本の伝統文化を考える場所を提供してくれます。非常に刺激的な建物です。
 5月から、現在NPO法人〈源氏物語電子資料館〉が主催して毎月第4土曜日に開催している『源氏物語』を読む会は、次の5月25日(土)は午後2時からこの「紫風庵」で行なうことを決めています。その第1回では、この襖絵に変体仮名で書かれた和歌を読むことを中心とします。興味と関心をお持ちの方は、資料の用意がありますので、本ブログのコメント欄を通して、参加希望の連絡をお願いします。
 近在のみならず遠方からの方や、旅の途中で立ち寄っていただいても構いません。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉としては、新しい活動の拠点と出会ったことになります。今後の活動を楽しみにしていただけると幸いです。
 
 
 
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2019年04月11日

京洛逍遥(537)半木の道の桜はまだ六分咲きです

 昨秋、半木の道の桜は想像を絶する被害に遭いました。その颱風一過の様子は、「京洛逍遥(513)崩れた半木の道の枝垂れ桜の棚」(2018年09月16日)の写真をご覧ください。
 その影響もあり、今年は比べものもないくらいに寂しい桜景色です。
 しかし、今年は花が開かなくても、枝葉は伸びていなくても、若い芽は育っています。そんな桜の健気な姿や、痛ましい姿や、再起を期した姿を撮ってきました。
 数少ない木々ではあっても、今週末には蕾たちはみごとに花開くことでしょう。

 この、半木の道の南端に一際目立って自己主張している紅枝垂れ桜が、この辺りの開花の様子を教えてくれるものとなっています。今日は、まだ五分咲きです。向こうの白っぽいのソメイヨシノは、京都府立大学グラウンドの桜です。その背景に、比叡山の山頂が見えます。

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 賀茂川上流を望むと、一見桜並木のように見えます。しかし、少し歩いていくと厳しい現実と出会うことになります。棚の上にやっと咲きかかっている枝は、来年が楽しみです。

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2019年04月07日

京洛逍遥(536)河川美化啓発活動「鴨川茶店」

 賀茂川(鴨川)は、多くの方々による日々の清掃活動によって、その美しさが保たれています。鴨川を美しくする会が中心となって、お花見の頃に「鴨川茶店」が開催されます。「京都府鴨川条例」を広く知ってもらう場でもあります。昨日は東京に行っていたので、今日ぶらりと立ち寄ってきました。

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 昨秋の台風で多くの桜が倒れたために、例年のみごとな桜並木とはほど遠い状況です。それでも、多くの方がこれから育つ桜が咲き出した景色の中に、しばし心和ませる川辺を散策しておられます。

 啓発コーナーでは、日ごろの活動が写真やパンフレットなどで紹介されています。

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 昨年の大災害に合わせて、昭和10年に大洪水で鴨川が氾濫した時の写真や、明治・大正・昭和の写真も貴重です。

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 会場周辺では、いろいろなイベントがあります。

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 半木の道の桜は、これから咲き出すところです。六分どころの開花でしょうか。

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 いつものように菓子皿がほしくて、煎茶をいただきました。

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 対岸の右岸では、家族連れで大賑わいです。

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 鷺はそしらぬ振りで、魚を狙っています。

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 また、すがすがしい春がやってきました。
 
 
 
posted by genjiito at 21:45| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年04月02日

京洛逍遥(535)何もしない日の賀茂川散歩(4月)

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 1日中寝ていました。
 もっとも、寝ては本を読み、寝ては本を読みという1日です。
 夕方、賀茂川に散歩に出かけました。
 今年も「鴨川茶店」の日は、東京の日比谷図書文化館で講座があります。

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 売茶翁の詩碑の後ろの紅枝垂れは、まだまだ固い蕾です。この桜が花開くと、あたりは見頃になります。後ろに比叡山が望めます。

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 売茶翁の詩碑については、「京洛逍遥(440)売茶翁の詩碑と散り初めた桜」(2017年04月21日)で詳しく書きました。

 半木の道の桜は、まだ数本が開花しているだけです。

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 西山に陽が沈み出すと、川風も冷たさを増します。春はまだです。

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2019年03月29日

京洛逍遥(534)孫たちと賀茂川縁でランチタイム

 このところ好天に恵まれています。
 誘われるようにして賀茂川散歩に出かけ、河原でランチタイムとなりました。
 
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 桜はまだです。
 
 
 
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2019年03月28日

京洛逍遥(533)京都御苑の桜と京都観光神社

 下立売御門から入って真っ直ぐ東に進んだ左手に、出水の枝垂れ桜が見えてきます。これは、早咲きの枝垂れ桜として有名で、本格的な桜のシーズンが到来したことを告げるものです。今日は、昨日の開花宣言を受けて、どうだと言わんばかりに、みごとな咲きっぷりを見せています。

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 昨日今日と天皇皇后両陛下が京都にお帰りになっていることもあり、お泊まりになる京都御所周辺は厳重な警備が敷かれていました。昨日は両陛下がこの北に咲く近衛邸の枝垂れ桜をご覧になり、そのニュースが流れたこともあってか、この京都御苑の桜には多くの人が集っています。

 京都御苑の南に宗像神社があります。

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 この地はもと小一条殿(文徳天皇皇后明子の里、藤原忠平の邸宅)といい、清和天皇ご誕生の地でもあります。明治維新までは花山院家の邸宅となっていた跡だそうです。
 この境内には、琴平神社・繁栄稲荷社・少将井神社・京都観光神社・花山稲荷大明神がありました。特に「京都観光神社」という社名は初めて見たので、興味を持ちました。横にあった由緒書きの石碑を読んで、その命名に納得しました。簡潔に記すと、昭和44年(1969年)11月1日に、観光業者によって道案内の神である猿田彦大神を勧請創祀したものだ、ということです。

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 また、一本の老木は、御所の紫宸殿の左近の桜を拝領したものだとのこと。

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 いろいろな逸話が詰まった神社でした。初めて境内に入り、あまり人の立ち寄らない神社をじっくりと拝観することができました。街歩きの楽しさは、こうして意外な場所と出会えることにあります。
 
 
 
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2019年03月17日

京洛逍遥(532)大仙院茶会「古渓忌」の後に大慈院「泉仙」で食事

 大仙院第3世の古渓宗陳和尚(1532〜1597)は、利休に禅を教えた人です。宗易に「利休」という居士号を選んだのも、秀吉に切腹をさせられて晒し首になっていた利休の首を、僧衣に隠して大徳寺に持ち帰って手厚く葬ったのも古渓です。
 その古渓を偲ぶ大仙院の茶会「古渓忌」に行ってきました。少し小雨が降っていました。しかし、すぐに上がりました。

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 その入口にあった足下の石に「子」と刻まれていたのが目に留まりました。

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 受付でお尋ねすると、北を示す目印だそうです。はて?、なぜ「子(ね)」がこの石に必要なのか?、それ以上は時間もなかったので聞きませんでした。

 鴬張りの廊下伝いに案内されたお茶室は、現代的できれいな空間でした。
 茶会記をいただきました。

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 主茶碗の「徳山」は、紫野窯がもう廃窯なので、待合床に飾るだけにしているとのことでした。
 杉皿に乗ったお茶菓子の「うば玉」には、干菓子として松葉が添えられていました。
 私が好きな丸卓を使っての、裏千家のお点前です。棗と茶杓を拝見に出されたこともあってか、私が今お稽古をしている拝見に出さないお点前とは、少し違うようにお見受けしました。

 外国からお越しのお二人がいらっしゃいました。しかし、外国語での説明は文字でも口頭でも何もなかったので、終始「???」の状態で座っておられました。あまり気の毒なので、見かねた娘が英語でお点前の説明からお茶のいただき方までをアシストして差し上げていました。オーストリアの方だということです。一見して普通の観光客ではなさそうだったので、私も日本の文化を伝える機会ではないか、と思いました。
 もう、京都は普通の観光地ではないのです。生きた文化が日々展開するところです。そのための情報も氾濫しています。そこにお越しになる方々へのおもてなしと気遣いは、単なる観光客を相手にしての、勝手に見て行けばいいというレベルではいけません。
 大幅に研究が遅れていると思っている観光学は、こうしたもう少しレベルの高い観光も視野に入れた、多彩な研究を展開すべきです。今の日本の観光学は、管見によるものとしても、あまりにも薄っぺら過ぎます。現状を調査するだけで、有効な提案がありません。観光を研究するための対象でしかないかのように見えます。
 たとえば、今日のお二人はいろいろと知りたがっておられました。そのことは、娘の説明を聞きながら質問をなさり、それに答えるとまた遠慮がちに聞いておられたからです。どのような経緯でここにお越しになっていたのかはわかりません。しかし、京都の町にお出かけになる前に、何かアドバイスはできなかったのでしょうか。もし時間がある方ならば、私なら「ワックジャパン(WAK JAPAN)」を紹介します。
 今日のままであれば、このお二人はお茶会の場面に身を置いただけ、ということになります。それは、日本を理解していただくためには、なんと効率の悪いことか。お寺やお茶会の主催者の問題ではなくて、お迎えする町として、国としての問題だと思っています。見て回るだけの観光客の対応は、少なくとも京都においては、もう今のレベルでいいと思います。そうではなくて、リピーターとしてのお客様や、日本を深く知りたくてお越しになる方々への対処をどうするかを、真剣に考えたいものです。今日のお二人は、明らかに日本の文化にいたく興味を持たれ、深く知りたいと思っておられました。このチャンスを逃す手はありません。
 私は、もう京都は【入京制限】をすべきだと思っています。「京都検定」とまでは言わないまでも、簡単な京都に関する理解度を京都駅で確認してから市内に入っていただく、というのはどうでしょうか。観光客の目に余る行動で市民生活がどんなに破壊されていることか。それくらいはしていかないと、行政も観光業者も、あまりにも無自覚であり無責任なので、ますます京都の魅力は色あせていきます。少なくとも、スーツケースを持ったままで市内に入る観光客は、なんとか足止めをしないといけません。

 大仙院から大慈院に移動しました。目的は、「泉仙」で精進鉄鉢料理をいただくためです。

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 梅が出迎えてくれます。

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 入口の石碑に「紫式部碑所在寺 大慈院」とあります。しかし、その碑は一般に公開されていないので、このことはあまり知られていません。

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 なお、この大慈院の紫式部碑のことは、「京洛逍遥(473)源氏物語散策(第2回)大徳寺周辺とお茶会」(2017年11月12日)に詳細に書いています。

 「泉仙」は気取らずに精進料理がいただけます。

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 箸袋に記されていた文字の「有」の次の文字で目が止まりました。

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 料理を運んでこられた方にお尋ねすると、詳しいプリントをくださいました。予想していた「漏」でよかったので安堵しました。

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 食べ終わると、こんな形でおしまいとなります。

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 2階の部屋から真下に、大慈院の紫式部碑が見えました。

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 帰る頃には、すっかり青空でした。春が待ち遠しくなりました。
 
 
 
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2019年03月05日

京洛逍遥(531)春先におすすめ、お昼の京料理2店

 まず、地下鉄烏丸線北山駅近くにある京料理の「乃し」です。

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 お店の中は、入口からは想像もできない落ち着いた雰囲気です。
 孫たちは、坪庭を背景にしてお揃いの服で大満足です。

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 柚子に入った蒸し寿司が気に入りました。

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 屏風のある個室でした。その屏風の前で、生まれて2週間目の赤ちゃんはやがてスヤスヤとお休み。

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 この屏風は、狩野常信の「春爛漫」と題するもの(複製?)でした。

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 2つ目は、京大病院の東側にある、八ッ橋のお店で知られる「西尾 八ッ橋の里」です。
 聖護院門跡の西側にあたり、向かいには「聖護院八ッ橋総本店」、その隣に「はふう聖護院店」があります。「京洛逍遥(487)「肉専科 はふう 聖護院」」(2018年04月14日)で、この「本家八ッ橋西尾」のことに触れています。
 「西尾 八ッ橋の里」は、敷居の高そうな入口です。しかし、食事は庶民的な京料理で、雰囲気のいいお店です。

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 お膳には八ッ橋が付いていました。

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 「点字付百人一首」の中でも次の形をしたものを、私は「八ッ橋型」と呼んでいます。
 まさにぴったりのネーミングだと思っています。

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posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥

2019年02月25日

京洛逍遥(530)2年ぶりにあかちゃんがきました

 二人目の孫が、生まれて7日目に我が家に来ました。
 一人目の時は、「京洛逍遥(439)あかちゃんがきました」(2017年04月16日)で報告した通りです。
 その時の写真を再掲します。

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 今日は、病院からの帰りに北野天満宮の梅花祭に行くか、京都御苑の梅林に行くかで思案した結果、人の混まない京都御苑になりました。蛤御門から入ってすぐの梅林で、初めての外出を祝して記念撮影です。

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 2年前と同じ産着です。
 それにしても、面立ちがよく似ています。
 
 
 
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2019年02月15日

京洛逍遥(529)新春おすすめ、お昼の京料理3店

 東京にいた一昨年までは、折々に銀座で千円ランチを楽しんでいました。
 夜はとても入れないお店でも、お昼なら手ごろな価格でいただけるのです。
 京都にもそのようなお店がたくさんあります。
 最近、時間の隙間を縫って、ぶらぶらと出かけたお店を3つ選んでみました。
 ただし、千円ではいただけないお店もあります。
 
(1)「六盛(ろくせい)」
   (京都市左京区岡崎西天王町71)
 ここは、平安神宮のすぐ西隣にあり、白川疏水に面しています。
 「手をけ弁当」で知られている所です。
 おもてなしの気持ちが伝わってくる、人を連れてきたくなるお店です。

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(2)「丸太町 十二段家(じゅうにだんや)」
   (京都市中京区烏丸丸太町西入)
 京都御苑の南西角に近いお店で、丸太町通に面しています。
 ここは、入口右にある著名人の色紙が見物です。私は、松山容子さんの色紙を見て、『天馬天平』(1960年-1961年、フジテレビ)や『琴姫七変化』(1960年-1962年、讀賣テレビ)を懐かしく思い出しました。お店の方の心遣いがほんわかしていて、のんびりします。

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(3)「立神(たてがみ)」
   (京都市中京区丸太町24-1)
 「丸太町 十二段家」から丸太町通をさらに西に進むと、向かい側に『藤原頼通の邸宅「高陽院」跡』という説明板があります。

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 もう少し西へ歩くと「高陽院邸跡」の説明もあります。

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 そんな一角の小路の奥に「立神」があります。

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 最後に出てきた、左側のホットチョコレートは、フキノトウと酒粕が入った大人の飲み物です。
 お店の方々の温かさが伝わってきます。

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posted by genjiito at 20:09| Comment(0) | ◎京洛逍遥