2019年11月18日

国際集会で使用する言語に関していただいたご意見

 先週15日(金)に「早稲田大学で開催された翻訳に関するシンポジウムに参加」と題する記事をアップしました。
 すぐに、その記事に関するご意見が届きました。国際集会を運営する上で、今後のための問題提起になるかと思い、ご本人から転載の了解もいただきましたので、私の持論と共に以下に紹介します。

 上記のブログは、早稲田大学で開催された研究集会の後、いろいろな方と懇談してから宿泊先に行ってすぐに、持ち歩いているノートパソコンで一気に書いてアップしたものです。タイムスタンプは「22時33分」となっています。会場でおおよそのメモはスマートフォンに入力していたので、写真を加工する時間を含めても1時間もかかっていません。

 消化管を持たない私は1日6回以上食事を摂ります。軽い夜食をいただいた後、公開したブログの内容をノートパソコンのモニタに表示し、その日の会場の雰囲気や、私自身が英語を理解できないままに書いたことを、視点を変えて読み直したりしていました。和歌を翻訳することはもとより、この日のように英語だけで研究集会やディスカッションをする意味について、あらためて考えていたのです。

 私はこれまでに、日本文学に関する国際集会を何度も企画し、海外で運営してきました。
 インドで8回、イギリスとカナダで1回ずつと、科研がらみの海外での国際集会は10回以上は開催しています。オーストリア(ウィーン)では、日本の研究仲間5人でチームを組み、一部屋を使っての研究発表会をしました。いずれも、発表と質疑応答はすべて日本語に限定してきました。現地の方からの質問が日本語以外でなされた時には、参加者が自発的に通訳をしてくださったこともあります。また、私が主催する講演会でも、使用言語はすべて日本語で通しています。どうしても日本語だけでは伝わらない時には、スペインのマドリッド自治大学で敢行したように、「英文を表示しながら日本語で語り終えて」(2013年10月29日)という手法を使ったりしています。その記事の中で、日本語による発表や討議にこだわる理由を、次のように記しています。これが、私の基本的な姿勢です。

 日本語による国際集会という視点を大切に守らないで、世界の共通言語だという誤った認識のもとに、英語による話だけで発言を構成しては、英語が苦手な方の多い日本文学研究者、というよりも日本古典文学の研究者が参加できません。そのような日本文学に関する専門家の意見やアドバイスを受けない国際研究集会は、討議のレベルが上がりませんし、その後の研究も発展しません。

 海外における研究が実りあるものとするためにも、自分たちが話しやすい英語等のことばで自己満足しない方がいいと思っています。
 日本文学の国際集会では日本語で話すことで、日本で研究している専門家の意見を有効に消化吸収する場面となります。英語がわかる者だけの集会では、そこに参加できない大多数のすばらしい研究者の意見をどのように反映させるべきか、あらためて考えたいものです。

 日本文学関連の国際集会は日本語で、という私の持論は、こうした理由からです。今も大切にしている信念です。


 さて、一人で部屋で蒸留酒を飲みながらいろいろと気ままに考えていた時でした。ちょうど夜中の1時半ころに、「ご無沙汰しています。ヨークの中村です。」というメールが届きました。イギリスでお世話になった中村久司先生からでした。先生は、毎日書く私のブログを毎日イギリスで読んでくださっています。そして、ご教示をいただくことも一再ではありません。
 中村先生については、本ブログでは以下の記事で紹介しています。その一部を紹介します。


「読書雑記(214)中村久司『サフラジェット』」(2017年11月19日)

「読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』」(2016年08月22日)

「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)

「苺ショートケーキの謎が判明しました」(2013年09月13日)

「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)

「英訳短歌の冊子あり?」(2009年10月04日)

「ケンブリッジでの国際研究集会」(2009年09月23日)

「国際研究集会・横断する日本文学」(2009年08月05日)

「英語の短歌を読む」(2008年11月13日)

「英国からの朗報」(2008年11月05日)


 前置きが長くなりました。
 中村先生からいただいたご意見は、非常に厳しい見解でした。

今日のブログを拝読し、私は部外者ですが想いをめぐらせていました。

和歌にせよ短歌にせよ、それらの翻訳について語れる人物が、日本で行う集会でなぜ日本語で話さないのでしょうか。日本語で語れない人間が、勅撰和歌集を外国語に訳せるとは考えられません。

また、日本で行う日本文学に関する集会の発表言語を英語で行わせる日本人の考えが理解できません。外国かぶれ、劣等感の反映でしょうか。

純粋に感性が創出する和歌・短歌の言語空間を、知性で語ろうとするとき、ポエムが消滅するのです。正岡子規は新古今を理解できなかったのです。

近年、アメリカ人が、「新古今和歌集」を英訳してオランダから出版しました。以前、オックスフォード大学のハリス先生をお呼びして古典短歌を一日一夜語り合った中で、「古今和歌集は絶対に翻訳できない」との合意に至りました! 今、オランダから出た翻訳本を読みたい気持ちと読んだら幻滅し怒りを覚えるだろうとの気持ちでいます。幸い、値段が高いので買う気になれなくて幸いなのですが!


 私も自分が書いたブログを読み返してはモヤモヤしていた時でもあり、すぐに先生のメールに書かれている文章を、私のブログに引用させていただけないかを、非礼も省みずにお尋ねしました。すると、次の快諾の返信が来ました。

ブログにお使いいただければ、私といたしましてもうれしい限りです。

なお、和歌・短歌の翻訳が会議のテーマになったこと自体は、極めて大きな意味があると考えます。

短詩の中でも俳句は世界に広まっています。反面、短歌はなかなか理解されません。研究者によっては短歌は世界の文学の一つのジャンルになることはないだろうと言います。

短歌の真価が理解されないのは、日本人と外国人が行ってきた短歌の翻訳が好ましくなかったことが主因ですが、それ以前に短歌には翻訳できない要素が多く含まれています。
また、正岡子規を過大評価する風潮によって、日本でも海外でも、21代集までの古典短歌が軽視されがちです。
さらに、翻訳されれば海外でも高く評価されるであろう、姉小路基綱あたりの短歌が日本でさえ十分研究されていません。小川先生のご研究はありますが、どちらかというと歴史研究に重点を置いておられるように思います。

私が試みた短歌の英訳の中で、アメリカやイギリスの詩人や文学関係者が喜んでくれた短歌には以下のようなものがあります。

思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを  小野小町

月のゆく山に心を送り入れて闇なる跡の身をいかにせん   西行法師

窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとど短きうたた寝の夢    式子内親王

しかし、自分では英訳できたと確信を持てても、詠歌の真価を伝える上で、短い解説を付けないと満足できない短歌が多いです。

英訳の限界を知っていたかどうかは定かではないのですが、短歌を英語圏に紹介して成功した日本人は、フジタ・ジュンという名前の広島県出身の明治男(1888年ー1963年)です。
彼は、アメリカへ移住し短歌を英語で書いています。しかし、詩心は日本の短歌です。日本で彼の生い立ちをかなり調査したのですが、詳細は分かりません。この男が、現在アメリカで短歌に関心を持っている人々の間では、あたかも「短歌文学の英語圏の開祖」的に扱われています。

こんな経緯もあって、私も自分で「短歌ごっこ」程度の歌作をするときは、英語で書くか日本語で書くか、どちらかにしています。

取り急ぎ失礼します。


 中村先生のご許可をいただき、こうして多くの方に先生のお考えをお伝えすることにしました。
 この件でのご意見は、本ブログのコメント欄を通してお寄せいただけると幸いです。
 
 
 
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2019年11月15日

早稲田大学で開催された翻訳に関するシンポジウムに参加

 今月に入ってからは、毎週東京に出かけています。2年半前まで、東京で仕事をしていた時がそうだったので、あの頃の慌ただしかった生活のペースを思い出しています。
 北大路橋から北山を望むと、賀茂川縁の紅葉も少しずつ色が濃くなってきています。

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 神保町の出版社で打ち合わせをした後、地下鉄で早稲田大学に移動しました。今日は、「翻訳の力」と題する後援会とワークショップ、そしてディスカッションが、戸山キャンパスで開催されるのです。

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 主催者である陳野英則先生には、あらかじめ参加のご許可をいただき、他の参加者の方にも本日の集会に伺う旨のメールを送っていました。
 私の科研に関して言えば、研究協力をお願いしているマイケル・ワトソン先生、緑川真知子先生、フィットレル・アーロン先生などなど、多くの方が参加なさいます。常田槙子さんには、『海外平安文学研究ジャーナル』の創刊号でフランス語訳『源氏物語』に関する原稿を寄せていただきました。
 早稲田大学戸山キャンパスの中の一番高いタワーの3階が会場でした。

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 会場に入るとすぐに、今回のまとめ役である陳野先生が見つけてくださいました。参加が少し遅れると伝えてありました。しかし、時間内に行ったので、無理をして来たのではないかと気遣ってくださいました。いえいえ、神保町での会談が順調に終わったので、うまく開会に間に合ったのです。
 受付には常田槙子さんがおられました。緑川真知子さんは総合司会です。皆さまとは久しぶりにお目にかかり、その活気に力をいただくこととなりました。
 始まるやいなや、司会の緑川先生はすべて英語。開会の言葉を述べられた安藤文人先生も英語です。今日は、英語漬けの日となりそうです。
 最初は、イギリス・シェフィールド大学のトーマス・マッコーリ先生が「翻訳の力」と題して講演なさいました。すべて英語での発表です。私は、ほとんど理解できません。しかし、海外ではよく直面することでもあり、スライドを映写しながらの説明だったので、わからないなりに、何となく仰っていることが伝わってきたのは、優しく語りかけてくださったからでしょうか。日本語とローマ字交じりの画面を、しかも、引かれている和歌を見ていたからでもあります。
 用例の1つ1つはわかるものの、さてそれで結論は、となると英語力が求められ、そのあたりから私の理解は及びませんでした。マッコリー先生は、近々『六百番歌合』の英訳を刊行なさるそうです。

 2人目は、大東文化大学のジャニーン・バイチマン先生でした。与謝野晶子の『佐保姫』を取り上げ、短歌を翻訳する楽しさを論じられました。これも、すべて英語でした。散らし書きの色紙を読み解いておられたので、それをどのように英語に訳されているのか、興味を持ちました。
 前半の最後には、明治学院大学のマイケル・ワトソン先生が、お二人の講演をあらかじめ理解なさっていて、ビデオメッセージの形で参加なさいました。ただ今、病気療養中とのことで、病院で収録されたビデオが流れました。これも英語。しかし、これには日本語付きの資料が配布されていたので、私にもついていけました。

 後半は、和歌を翻訳した例として、『金葉和歌集』と『新古今和歌集』の訳を比較しての討論でした。また、正岡子規と塚本邦雄の短歌の訳も比較して、討論がなされました。これも、すべて英語でなされました。
 一つの歌を2人で訳したものが提示されたので、それぞれの翻訳における視点の違いが浮き彫りになります。これは、現在私が科研で取り組んでいる手法に多大なヒントがもらえるものでした。
 学生たちが翻訳に対する意見を闘わせる場面に興味を覚えました。英語による討論なので、私にはわからないものの、おもしろそうな展開だったと思います。私の科研では、あくまでも日本語で通すことになっているので、この雰囲気を持ち帰りたいと思いました。
 こうした形式のワークショップとディスカッションは、主催者が参加者をどう巻き込んでいくのかが勝負です。わからないながらも、意見の交流がなされ、議論が盛り上がっていたので、大成功だったようです。
 和歌と短歌の違いは何なのか、という問題にもぶつかりました。今日の討論の中でどのように展開したのか不明なままながら、自分への問いとしていただいて帰ります。
 さて、興味深い問題が提示されたことはわかりました。しかし、この場は英語だけで語られ、質疑応答もすべて英語でした。ここに、日本語しかわからない和歌の研究者が来て、このディスカッションに同時通訳が付いていてここで展開している内容が理解できたら、どのような議論がなされたのか、ということに意識が向かいました。おそらく、現在の研究状況を踏まえた、より具体的な議論が闘わされたことでしょう。その意味で、語り、論じて、応戦する姿が、大きく違って来たことでしょう。今後の国際的な研究集会における使用する言語について、大きな課題をいただいたように思います。

 最後に、閉会の辞は陳野先生でした。英語がわからないことを前提にして、ローマ字の存在と音読の心地よさについて、音の響きを取り上げての挨拶でした。詩歌を例にしての音の大切さを、しかも日本語で語られたので、私としてはほっとしました。
 わからないなりにも、国際的な視野での研究集会のありようについて、多くの示唆をいただきました。満ち足りた思いで皆さまにご挨拶をしました。
 
 
 
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2019年11月08日

近江神宮で競技かるた世界大会の情報収集

 『百人一首』の競技かるたは世界中に広まっていることを実感する日でした。
 近江神宮は紅葉にはまだ早いながら、境内は肌寒く感じました。

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 かるたの聖地といわれる大津に、海外から多くの選手が集まって来ています。
 明後日11月10日(日)に、「第2回 おおつ光ルくん杯 競技かるた世界大会」が、近江神宮の中にある勧学館などで行なわれます。

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 昨年の優勝国はフランス、2位は日本、3位はタイでした。
 今年は、次のチームが世界各国から参加しています。時事ドットコムニュースから引用します。

 
■参加地域・選手紹介 (10チーム)

チーム名:PICA / 中国


メンバー:李政奕(リー・ヂォンイー)(F)、柳仲達(リィゥ・ヂョンダー)(M)
宋舒揚(ソン・シュヤン)(F)
<チーム紹介>
北京鵲橋かるた会(PICA)として2005年の設立以来、メンバーの自宅で練習会をするなど日々練習に励んでいます。「競技かるたを通し、本当の和歌を知り、日本文学に秘められた精神世界を味わいました。」という李さんは、競技かるたを通して、日本文化へも興味を示しています。

チーム名:かるたフランス


メンバー:アマンディン・シャンバロン‐マヤール(F)カミーユ・パラ(F)、カンタン・マヤール(M)
<チーム紹介>
日本文化への関心が高いフランスでは、アニメ人気も高く、かるた競技者の多くが「ちはやふる」の影響を受けて始めたと言われています。ヨーロッパのかるた会では歴史のあるフランスかるた会。週末ごとに練習に励み、自主練習も怠らない、そんな日頃の成果が昨年の優勝に繋がりました。今年も連覇を目指して全力で大会に臨みます。

チーム名:OKAKURA(小倉かるたクラブの略) /インドネシア


メンバー:アリ・ハイダル(M)、アムリル・マルフ(M)、ムハマド・イルシャド・プルマナ(M)、
     ムハマド・エギ・ワルダナ(M)、ハーンス・アドベント・マーラリー・タンバー(M)
<チーム紹介>
チームの活動は2018年から約1年間と短いですが、15名を超える仲間と、常に上達できるようにと練習に励んでいます。大会出場にあたって、「私達の力がどのくらいのレベルなのか?世界がどれほど強いのか?はまだわかりません。この世界大会は自分自身への挑戦であり世界を知る素晴らしい機会と、興奮しています。ナンバーワンを目指して頑張ります!」と意気込みも充分です。

チーム名:韓国かるた会


メンバー:キム・ミンギョン(F)、ソン・ヘリン(F)、ヨン・ジェユン(M)
<チーム紹介>
2011年に大学のかるた同好会から始まった韓国かるた会。学生、社会人を含む15名で練習会、試合を重ね頑張っています。中学時代に日本文化について調べたことがきっかけで競技かるたを始めたキムさん、百人一首に興味を持ち、大学の日文科に進学したというソンさんが中心となり、韓国内にかるたと日本文化の魅力を知らせたいと、活動しています。

チーム名:クルンテープかるた会 /タイ


メンバー:ダーンターウォンジャローン・ミミー(F)、セーシャン・アッタウット(M)
     チュンウィチット・サマーポン(M)
<チーム紹介>
昨年、予選リーグでフランスに勝利するも、上位4チームによる決勝トーナメントで日本に破れ、フランス、日本に次いで惜しくも3位。タイ国内では定期的に開催される大会に多くの人が参加。かるたを始めた頃には日本語が話せず、ひらがなも読めなかったというミミ―さんも今では強豪タイを代表する選手にまで成長。タイのかるたファンへ今年は笑顔で優勝の報告ができるでしょうか?

チーム名:かるタイワン /チャイニーズタイペイ


メンバー:周欣妏(ヂョウ・シン・ウェン)(F)、郭家瑋(グゥォ・ジャウェイ)(F)
     陳羿文(チェン・イーウェン)(F)、莊芷ホ(ヂュゥアン・ヂーユン)(F)
     陳致豪(チェン・ジーハオ)(M)
<チーム紹介>
2つの大学のサークルのメンバーを中心に構成された新しいチーム。メンバー全員がかるた歴1年半〜2年程度ですが、「勝っても負けても楽しい」や「札が取れると嬉しい」と心からかるたを楽しんでいます。「初出場チームの一つとして、日頃の練習の成果が充分に出せるよう精一杯頑張ります!」の言葉からも、初々しさと清々しさが感じられるチームです。

チーム名:ヨーロッパチーム(仮称)


メンバー:ソニア・アンゾルゲ(F)、シュテファニー・コツエヌ(F)、祝元藝(ヂュ・ユェンイー)(M)
<チーム紹介>
今大会出場のために、イギリスとドイツから参加表明された3名で結成された特別チーム。日頃は違った場所で練習に励む3名が、かるたを通してひとつになり、力を合わせて大会に挑みます。

チーム名:海外在住日本人特別チーム(仮称)


メンバー:荒俣 赤日(F)、熊谷 玲美(F)、水山 理紗子(F)
*海外でかるたを学ぶ(始めた)日本人選手による特別チーム。

チーム名:南山女子(愛知県かるた協会)/日本


*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 優勝チーム

チーム名:カミツキガメ(京都小倉かるた会)/日本


*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 準優勝チーム


 今日は、この世界大会を控えた強化合宿に来ました。
 次の写真の着物袴姿がストーンさんです。


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 そして、海外の窓口となっておられるストーン睦美さんと面談し、海外での『百人一首』のお話をうかがいました。フィットレル・アーロンさんと吉村仁志君が同席してくれました。
 タイと中国でカルタ競技を育てた、とのことです。それ以外にも、イギリスやモンゴルでも活動しておられます。もちろん、お住まいのアメリカでも。

 以下、2時間近くお話を伺ったので、とてつもない情報をいただいたことになります。その整理にしばらくかかるので、以下は箇条書きのメモで当座の報告とします。


・フィットレル先生の紹介で、ハンガリーからお越しのカーロイ・オルショヤさんと話す。
・ヨーロッパは行き来がしやすいので、かるたの練習や試合がしやすいことから強いようだ。
・1つの国で『百人一首』を広めようとしたら、現地に住んでないといけない。
・現地のコミュニティーといい関係を作らないと、かるた会はダメになる。
・インドは一人しかいないので、チームが組めない。
・バンコクや日本から読手を読んだりできるので、ミャンマー大会を計画することとなる。
・ミャンマー人選手を3人出すことを考えたらいい。
・日本語ができなくてもかるたは取れる。
・英訳『百人一首』を筑波大学の方がマクミランさんの訳を使って英語カルタを手掛けている。
・各国語訳の『百人一首』が広がりつつある。
・ただし、日本かるた協会としては、日本語を丸ごと残した競技を残していきたい。
・福井なぎさ会が手がけた競技かるたオンライン(無料)のアブリが良く出来ている。
・ストーンさんはその英語の説明文をチェック。
・ブラジルやインドネシアも『百人一首』が盛んになってきた。
・「ちはやふる」を観て始めたはずなのに、とにかく強い。
・現地でカルタを始めたら、その後へ引き継ぎが大事。
・バンコクは四季がないので、日本のことがわかりにくい。
・かつてはけんもほろろに断ったはずのロンドンには、今はかるたクラブがある。
・日本語教師の方にお願いして、会を盛り上げたい。
・タイでは100人以上がかるた会に集まる。
・海外の大会で初段を取った人が3人いる。日本人が現地の人を育てる。
・海外で『百人一首』は知られているが、それが競技になっていることは知らない。
・今年の4月に、ワシントンで、英語訳のカルタで競技をした。
・その際、江戸明治大正昭和のカルタをならべて展示したら好評だった。
・スゥェーデンから、留学したい、という問い合わせがある。
・競技を紹介するのは、チラシ取りより競技の決まり字を教えたほうが興味を持つ。
・大石天狗堂から「変体仮名版」のかるたが出ている。


 ストーンさんのお話から、いろんな刺激をいただきました。
 一部とはいえ、想像を遥かに超える国々で、競技カルタが広まっている実状がわかりました。

 こうしたお話を、膨大な量の写真をパソコンで拝見しながら、海外での活動の様子を聞きました。競技の合間にもかかわらず、長時間のご教示をありがとうございました。
 
 
 
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2019年10月25日

中国広州で開催予定の平安文学に関する国際シンポジウム

 中国の広州で、本年12月21日から22日の2日間、平安文学を含めたシンポジウムとフォーラムを開催する計画を、現在練っているところです。
 暫定版ながら、以下に開催の主旨説明文とプログラムを掲載します。後掲のプログラムは、画像をクリックすると大きく表示されます。
 自費参加が可能な大学院生及び若手研究者で、こうした研究集会に興味と関心のある方と一緒に、行程を共にすることも検討しています。これは、私が運用している科研(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)で、若手研究者の育成を掲げていることと関係するものです。このことについては、「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)の研究計画調書を参照願います。
 参加希望者からのお話を聞きながら、同行の可能性を探る検討を進めて行くことになります。
 この企画について、一緒に参加したいと思われる方は、本ブログのコメント欄を通して連絡をください。大学院生の場合は、指導教授のご許可が必須です。

日比較文学国際シンポジウムおよび
2019年度広東外語外貿大学大学院生フォーラム



 二十一世紀は思想と文化が多極的な構成を呈している時代であり、教育の国際化および文化間の交流を推進することで、国際的な理解を増進し、さらに世界を協和させ、多元化を認め、差異を尊重する精神を広めることで、人類の運命の共同体を構築するのは、われわれが直面している重要な時代的な課題であります。日中両国において比較文学および比較文化研究に従事する専門家および学者の間の交流を促進するとともに、大学院生の教育面における連携と交流を促進し、その学術的視野を広め、科学研究の能力を高め、国際連携を進めるために、教育部高等学校外語教学指導委員会日語専業指導分委員会、中国日語教学研究会および日本国立大学法人大阪大学との懇談の上、広東外語外貿大学は2019年12月20-22日に中日比較文学国際シンポジウムおよび2019年度広東外語外貿大学大学院生フォーラムを開催することになっております。テーマは言語文学、社会文化、多国および区域の研究、歴史、民俗、宗教、翻訳に亘り、華南地区の日本言語教育および日本学研究の学術的な場として、アカデミックのインタラクションを積極的に促進することを目標としています。日本教育、日本研究に従事する専門家、学者および若い研究者たちのご参会を、心より待ち望んでおります。

テーマ:新時代における日中比較文学、比較文化研究の新視野
時間:2019年12月20-22日
場所:広東外語外貿大学(北キャンパス)行政楼国際会議ホール
内容:シンポジウムの主題に沿い、記念講演およびパネル討論を行い、言語、文学、歴史、文化、翻訳などを主題とする分科会を開く。
※今回のシンポジウムは会務費を徴収しません。ただし、交通費、宿泊費、食費などは各自負担となっております。宿泊は各自で予約することとなっおります。

主催:広東外語外貿大学 国立大学法人 大阪大学
運営:広東外語外貿大学日本語言語文化学院、大阪大学 国際教育交流センター、中国日本語教学研究会華南分会
後援:教育部高等学校外语教学指導委員会日語专業指導分委員会、中国日語教学研究会、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉
協賛:伊藤科研(A)[海外平安文学情報](課題番号:17H00912)
連絡先:〒510420
    広東省広州市白雲大道北2号 広東外語外貿大学日本語言語文化学院大学院生フォーラム会務組
秘書処:広東外語外貿大学日本語言語文化学院
担当:張志剛、程亮、李志穎
電話番号:020-36207114

広東外語外貿大学日本語言語文化学院
2019年9月30日

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2019年09月13日

近江神宮で開催された日露かるた交流会に参加して

 今日は、近江神宮の中にある勧学館で開催された、日露かるた交流会に参加しました。

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 これは、外務省の青年交流事業の一つである短期招聘・派遣事業の中で「日露青年交流センター」が実施するものです。

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 このセンターは、東京の内幸町にあるので、明日『源氏物語』の講座で行く日比谷図書文化館のすぐ近くです。機会を得て、いろいろと文化交流の話を聞いて来ようと思っています。
 今回この近江神宮に来たのは、科研の仕事で大阪大学の研究室に通って来ている吉村仁志君が、今回の研修の助っ人としてこの事業に応援参加するとのことなので、いい機会とばかりに海外の情報収集を目的に私も参加したのです。まさに、科研の調査活動の一環です。吉村情報によると、次のような経緯があったことがわかりました。
 今回の企画は、ロシアのサンクトペテルブルグにある「かるた倶楽部」の方から、「全日本かるた協会」の広報部に依頼が来たものだそうです。それを「大津あきのた会」(https://akinotakai.net)の石沢直樹先生(競技かるた八段、元準名人、次の写真中央)が引き受けられたことによって、この交流会が実現したのです。

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 全日本かるた協会のホームページ(http://www.karuta.or.jp/kai/)に、海外のかるた会情報がまとめられています。ロシアのかるた倶楽部については、今回の依頼で初めて知ったとのことです。
 参加人数は8人。ロシア科学アカデミーのナターリア先生は、日本プロジェクトの主任管理者で、50代の植物研究者です。30代のロシア科学アカデミー図書館で東洋文学研究員のヴァルヴァラ先生は、帰り際にお話をした中で、かつて私がサンクトペテルブルグで調査をした有栖川宮関連の文庫の現状をよくご存知であることがわかりました。さらには、2006年秋にかの地で大変お世話になったサンクトペテルブルグ大学のルィービン・ビィクトル先生が、2年前にお亡くなりになったとのことでした。近江神宮でそんな話が出来るのですから、世界は狭いものです。
 それ以外の参加者は、14歳から21歳までの女性たちです。全員サンクトペテルブルグに住んでおられる方々のようです。大学生の専攻は文化学、東洋学などです。東洋学専攻の一人は、日本文化・文学・マンガに興味があるのこと。『源氏物語』については、歴史の授業で話を聞いたことがあるそうです。
 ウクライナ語訳『源氏物語』については、どなたもご存知ではありませんでした。
 通訳で同行なさっていた岩城美里さんは、大阪大学外国語学部の北岡千夏先生とお知り合いのようなので、今後のつながりがもてました。さらに驚いたことに、そんな話をしていたら、吉村君が北岡先生には授業でロシア語を教わったと言うのでビックリ。人とのつながりは、グルグルと回っているようです。人と人との縁はおもしろいものです。

 さて、かるた会にもどります。
 初心者の組には、上の句を薄く印刷された札が使われていました。また、ホワイトボードには、決まり字がわかるように、札の整理がなされていました。心優しい配慮です。

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 映画『ちはやふる』で有名になった会場は、今日はこのように使われていました。

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 第1試合が終わると、石沢先生が懇切丁寧にみなさんにアドバイスをしておられます。そして第2試合へと移ります。
 和気あいあいと、楽しいかるた会が進行していました。
 勝負が終わると、それぞれの結果を小さな用紙に記入します。

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 白熱した対戦の一コマや、集合写真を、記録として以下に掲載します。

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 ロシアからのみなさんは、次に大急ぎで三井寺に行かれました。
 来年5月にオリンピックの関連事業として開催される世界大会で、またお会いしましょう。
 
 
 
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2019年08月04日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その17/第11・最終週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月18日のメモを復元しました。
 なお、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。

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■2002.3.18■



 朝食の時、今晩は外でおいしいものを食べよう、ということになった。B2さんという、食事を専門に作ってくださる人がいる。しかし、日本の感覚で食事を判断するほどに、ここは今自分がインドにいる、ということを忘れさせてくれる環境である。明日はインドを離れる、という日本を意識し出したからでもある。
 10時過ぎに、N2君と3人で、まずはコンノートプレイスへ出発。彼の本を航空便で送る。梱包をいつもの店に頼んで、パリカバザールへビデオCD−ROMを買いに行く。私は、「クチュクチュホーターハエ」等を買う。I1先生も一枚買われた。
 ジャンパト通りを散策して、政府の物産館へ行く。
 また歩いてコンノートプレイスへ戻り、パッキングを受け取って郵便局へ。5個で一万八千円くらいかかったようである。
 その近くの「ホテル アルカ」でインド料理を食べる。ここは、N2君がはじめてインドに来たときの思い出のホテルである。また、ここにはバジパイ首相も来るとか。極上のインド料理であった。先生もN2君も、たらふく食べた、という体である。私は、半分も食べられなかったけれども、非常においしい料理であった。3人で700ルピーほど。
 オートリクシャーで、ニザムディーンへ行く。ここは、イスラムのお寺である。ここも、一人ではとても行けそうにないところであった。
 一旦お寺に帰る。日差しが強くなったせいもあり、また、満腹で動いたせいもあり、とにかく体が疲れていた。1時間ほど休憩して、先生と2人でグレーター・カイラーシュNブロックへ行くことにする。その前に、明日のタイ航空の予約確認(リコンファーム)を忘れていたことに気づき、G4さんに電話をお願いする。そして、I1先生もまだのようなので、後で確認することにした。
 5時過ぎに、N2君と一緒に私の名前をヒンディーで刻んだゴム印を受け取りに行く。みんな満腹のようなので、日本食でお腹を休めた方がいいのではということになる。Nの「みやこ」で巻きずしがいいのでは、ということになった。
 Nブロックへ出発。調子よくでかけたが、オートリクシャーの運転手さんにNを確認し、車中でノーズのNであることを話したにもかかわらず、Mでおろそうとする。Nだと言い張り、突然不機嫌になった運転ブリを無視し、Nに着けてもらう。20ルピーを渡すと、遠回りしたからとかなんとか言うが、とにかく20ルピーをわたして無視した。

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 すぐに骨董屋さんに行き、バブルシートをくれといったが、もうないとのこと。しばらく粘ったが、あきらめる。みやこへ行くと、6時半からだというので、この前のアメリカンタイプの喫茶店でドリンクを飲んで待つことにする。インドについて、先生に見ていただいたところの説明をした。
 7時前にみやこへ行く。巻きずしとごま和えと水を頼む。寿司は、ノンベジとベジの2種類にする。国文学研究資料館の話などを1時間ほどする。
 帰りのオートリクシャーは、ちょうど来たのを捕まえたので、楽に帰ることが出来た。
 先生を見送るまで、自分の荷物の整理をする。ゴム印の説明もした。荷物は、スーツケースが意外と重くなった。対策を考えよう。
 国際交流基金のS2さんがちょうど8時に来られた。少し話をして、先生を見送る。それからみんなでジュース屋さんへ行く。ジュース屋さんの前にいつもいる牛の謎が、今日やって解けた。これまで、なぜほしそうな顔でいつもいるのか不思議だったが、閉店間際にお店のひとが、果物の絞りかすを牛に与えていたのだ。それを楽しみにして、毎日牛さんはここと契約しているかのようにやってきては、食べ物をもらっていたのである。最後の夜になって、いい場面を見ることが出来た。
 荷造りに手間取る。なかなかスッキリと収まらない。N8先生からいただいたウイスキーをのみながら、記録のまとめをする。

 
 
 
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2019年07月16日

HP「バリアフリーかるたフォーラム」のこと

 昨日福岡で開催された「大阪点字付きかるたを楽しむ会」のイベントの席上、読手である京都小倉かるた会の植山さんの紹介で、全日本かるた協会点字かるた企画部の中原さんと連絡を取るようになりました。そして、開設されている「バリアフリーかるたフォーラム 〜全ての人に小倉百人一首かるたを〜」というホームページに、私のこのブログ「鷺水庵より」にリンクを張ってくださいました。
 このホームページの冒頭には、次のような頼もしい、力強いことばが記されています。

2020東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントととして、一般社団法人全日本かるた協会では、2015年にバリアフリーかるたに関する企画部を設置しました。


 植山さんも同じ企画部に所属とのことです。この企画、「小倉百人一首フェスティバル2020 in Tokyo」のますますの展開を楽しみにし、私もこの東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントに積極的に協力していくつもりです。これまで通りの広報活動に加えて、残された1年でできることには何でもお手伝いしていきます。遠慮なくおっしゃってください。私にもできることは多いと思いますので。また、この企画に協力してくださる方がいらっしゃいましたら、このブログのコメント欄を通して手を上げていただけると助かります。

 この企画に関するTwitterのアドレスも伺っています。

https://twitter.com/tenji_carta

 ただし、私はTwitterやFacebookは意識的に遠ざけているので、これに関してはよくわかりません。

 なお、全日本かるた協会が発行している機関誌『かるた展望』の第69号(令和元年7月2日発行)には、植山さんが「バリアフリーかるたの魅力に迫る!」と題する記事を執筆しておられます。掲載されている写真の片隅には、私もちゃっかり写っています。本ブログ「鷺水庵より」のアドレスの紹介もあります。ぜひご一読を。

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2019年07月14日

朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(須磨巻)』の紹介

 韓国の朴光華先生が、『源氏物語』の「桐壺」「夕顔」「若紫」に続く「須磨」巻の訳注本を刊行なさいました。

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 朴先生については、「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010年07月05日)で詳しく書きました。
 これまでに刊行されているものの紹介記事は、次の通りです。

(1)「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)

(2)「朴光華訳の第2弾『源氏物語−韓国語訳注−(夕顔巻)』刊行」(2016年08月26日)

(3)「朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(若紫巻)』の紹介」(2018年09月06日)

 この韓国語訳注は、19年という長い歳月をかけて、さらに巻を次いで刊行されることになっています。次は、来年5月に「須磨」巻が刊行される予定です。
 韓国語がわからない私には、このようにして紹介することでしかお手伝いができません。『源氏物語』の韓国語訳に関しては、原文を確認してハングルで翻訳されたものが一つもないのが実状です。日本の文化を韓国語訳で広く正確に理解していただくためにも、一日も早い完結を待ち望んでいるところです。

 本書の書誌情報を、いただいたお手紙から転記します。

1) 著者;朴光華(Park KwangHwa)
2) 初版発行日;2019年6月1日
3) 出版社;図書出版DNP
 〒31166韓国忠南天安巿西北区双龍4GIL 8、1F
 電話;041-572-7887
 Email;tdxl000@naver.com
4) 総頁;510頁
5) 定価;W 60,000
6)ISBN;979-11-964307-1-9 (03830)
7) 本書の構成;写真4枚
 序、凡例、須磨巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1〜26頁
 若紫巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);27〜493頁
 論考「なぜ須磨なのか」(今西祐一郎)494〜503頁
 後記(日本語);504〜502頁
 図録1~5 ; 506〜510頁


 さらに、本書の性格と朴光華先生のお人柄がわかる「後記」を、参考までに引用します。文中に「韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。」とあるように、この翻訳に朴光華先生が真摯に取り組んでおられることが伝わってくる、一大事業の公開です。

後記
『源氏物語−韓国語訳注−』(須磨巻)は、「文華」(第十一号。2012年1月1日)雑誌に発表されたものである。当時は『源氏物語韓釈一須磨一』(日本文学研究会)という題でこの世に出た。それから約七年後、今日、ようやくしてこれに相当な注釈を施して発刊することになった。当時の須磨巻をいまになって見ると、情けなく間違った個所も多く目立つ。その後「文華」は十二号(2013年1月1日)まで続刊された。
 既刊の桐壺巻・夕顔巻、若紫巻と同じように、須磨巻においても助動詞「む・べし」、丁寧語「はべり」、「にて」などで苦労した。『源氏物語−韓国語訳注−』を企画した最初は、韓国語訳の充実、登場人物の紹介・モノガタリの意味、注釈書の紹介等々を試みたが、いつのまに文法・語法のほうへ傾いてしまって、いまは完全に『源氏物語』についての「韓国語語法書」に転落してしまった。情けないが、しかたない。韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。
 私の古典文法にっいての知識は、たかが高校の受験生の程度の実力であろう。このみすぼらしい実力で、いままで『源氏物語』に注をつけてきた。後世になって再読すると、きっと誤りはあるだろう。では、須磨巻の本文につぎのような文がある。

  @「…まばゆきまでしつらひ、かしづきけり。」

 後半部・明石の入道がむすめを大切に育てる場面である。「かしづきけり」は「かしづき(四段連用形)+けり(過去助動詞終止形)」である。が、『大系』は本文を「…かしづけり。」としながら、「「けり」は継続過去の現在状態である。」のように注をつけている。「かしづけ(四段命令形又は巳然形)+り(完了助動詞終止形)」にしてほしいところであるが…。念のため『大系』の底本をみだ(ママ)が、やはり「…かしづけり」であるから、おそらく他本文との校異からきた勘違いであろう。
 もう一つ巻頭のところ、『全集』の本文では6行目にっぎのような文がある。

  A「人しげく、ひたたけたらむ住まひは、…」

 「ひたたけたらむ」を「ひたたけ(力行下二連用形)+たら(完了助動詞たり未然形)+む(推量助動詞連体形で婉曲(〜ような)の意味)」と処理した。が、『評釈』は「「らむ」は婉曲」のように注をつけている。私のほうが正しいと思うが…。
 『源氏物語−韓国語訳注−』は前期、後期に分けて発刊する予定で、所要期間は当初は十四年であったが、大幅に変更された。まず前期30巻は2015年8月〜2033年(19年)となっている。前期の第1期発刊は、桐壺巻(既刊)、夕顔巻(既刊)、若紫巻(既刊)、須磨巻、明石巻、総角巻・浮舟巻などが順次的で発刊される予定である。そして、各巻ごとに諸先生方の論考が掲載されることになっている。桐壺巻(「桐壺院の購罪」伊井春樹先生)、夕顔巻(「夕顔の宿」糸井通浩先生)、若紫巻(「(不掲載。延期)」中野幸一先生)、須磨巻(「なぜ「須磨」なのか」今西裕一郎先生先生(ママ))。
 次は明石巻であるが、予定されていた小町谷照彦先生が2014年10月31日に突然お亡くなりましたので、どうしようかなと考えている。先生についての思い出をすこし述べようかとも思っている。ちなみに『源氏物語−韓国語訳注−』の訳注の原則、方法、内容、発刊計画などについては、日本言語文化研究21号(2017年1月30日)で「『源氏物語−韓国語訳注−』について」という題で発表したことがある。ご参照まで。
 目下『源氏物語−韓国語訳注−』は後世に残すために執筆している。この須磨巻はSにさしあげる。

               2019年6月1日 朴光華

 
 
 
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2019年07月06日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その16/第11・最終週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月17日のメモを復元しました。
 この前日、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。

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■2002.3.17■



 朝6時アグラへ出発。タクシーはキッチリと来ていた。今日はいい仕事の日であるから、忘れるはずはないか。
 I1先生とN2君と共に出発。暗い内の出発だった。1時間もしない内に明るくなり始めた。この前と同じく、ただひたすら真っ直ぐの道を飛ばす。今日の運転手は、いつも送ってくれているスピード狂の人である。朝が早いせいか、今日は飛ばし屋ぶりはまだ発揮していない。
 過日食事をした所で熊(?)を連れた人に会った。見せ物にしているようである。

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 ラクダが大量の荷物を運んでいた。

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 2回目のタージマハル訪問。

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 マツゥーラでは、聖なる川にボートで漕ぎ出す。

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猿も見かけた。

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 切り絵をたくさん買った。

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 このおじさんが作る、素焼きの小壺で飲むチャイは、格別においしかった。

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 きれいな夕陽を見ながらの帰り道。インドの夕陽は、旧満州に負けず劣らずだ。

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 夜はいつものように、お寺の前のマーケットで、おじさんのジュースをいただく。もう、行きつけのお店となっている。

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2019年06月27日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その15/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月12日のメモを復元しました。

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■2002.3.12■



 しばらくホームページの更新をしていない。明日で、大学院の一年生の授業は最後である。みんなに書いてもらった作文を今日中にインターネットに公開しないと、みんなに見てもらう機会がなくなる。がんばって、一日中ホームページ作りに専念する。今回は、ノートパソコンと小型プリンタを持参した。停電が多い中でも、何とか動いているので助かっている。

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 E1さんは、先週末に電子メールで作文を送ってくれていたので、その整理から始めた。なかなかいいできである。少し手を入れて、完成。レイアウトも、うまくいっている。その他の女性の作文を、順番に入力していく。いろいろな書き方をされていて、手をいれるのに手間取る。すこしでも日本語らしい表現にして公開してあげるために、大幅に手を加えるものもあった。
 文章を読みながら、相当想像力を逞しくしないと趣旨が理解できないものがある。易しい表現にする中で、いろいろなパターンの作文に仕上げた。このできあがりと、自分が書いた原稿を見比べれば、作文の書き方がよくわかるのではないだろうか。可能な限り学生の文体を生かすようにしたので、どうしてもこなれていない表現が残っている。しかし、これも一つの味として見てもらうこととしよう。
 男性2人の作文は、以前K3で直しながら入力してくれていたものがあったので、それを使うことにした。
 自分の日記も、整理する。

 ホームページなどで使用するために、必要な写真を急遽撮影する。
 例えば、今回持参した食料はこんなものがある。

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 深夜、ホームページをアップデートする。

 
 
 
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2019年06月11日

(書影追補)過日お亡くなりになった田辺聖子さんに関するメモ

 今月6日に、田辺聖子さんがお亡くなりになりました。大阪樟蔭女子大学に出入りしていた頃があったので、『源氏物語』との関係でお話をお聴きしたいと思いつつ、実現しないままでした。
 『源氏物語』の翻訳に関連して、田辺さんの情報は集めていました。その一部を、忘れない内にここに残しておきます。

 本日6月11日(火)の京都新聞に、宮本輝氏、山折哲雄氏、中西進氏、藤山直美氏と共に、伊井春樹先生のコメントも掲載されていました。「関西の風土に根差す」との小見出しで、『源氏物語』に関しては以下のように語り出しておられます。

国文学者の伊井春樹さんの話

 源氏物語の現代語訳は、原文に忠実に古典の雰囲気を再現した谷崎潤一郎訳と、解釈を入れ意訳した与謝野晶子訳の系譜がある。田辺聖子さんは後者の流れを受け継いでいて、現代人により受け入れられるように、面白く解釈している。(下略)


 伊井春樹先生は昨年まで逸翁美術館の館長をなさっていました。その関係から、宝塚歌劇のことにも触れておきます。田辺聖子の『新源氏物語』が舞台化されていたからです。ただし、この分野は専門家が多いので、ここにはほんの一端だけをあげます。

タカラヅカ101年 26年ぶり、花組公演「新源氏物語」 光源氏の愛と苦悩

 宝塚歌劇団花組が、「新源氏物語」(柴田侑宏脚本、大野拓史演出)を宝塚大劇場で上演している。紫式部の傑作を現代語訳した「新源氏物語」(田辺聖子作)をベースに劇化した作品で、同名作品を宝塚歌劇団で上演するのは26年ぶり3回目。きらびやかな平安の世の宮廷を舞台に、花組トップスター明日海りおが光源氏を演じ、当代きっての美男子の愛と苦悩を表現している。11月9日まで。【文・釣田祐喜、小寺裕子、写真・山田哲也】
(中略)
 新源氏物語は1981年、月組が初めて公演した。実力・人気も全盛期を迎えていた当時のトップスター、榛名由梨が光源氏を、上原まりが藤壺の女御を演じた。次いで89年の月組による再演では、剣幸が光源氏、こだま愛が藤壺の女御を演じた。3度目の今回は、8月の台湾公演で「ベルサイユのばら」とレビュー「宝塚幻想曲」の2本立てを成功に導いた明日海と、花乃のコンビ。端正な顔立ちの明日海からは、女性をひきつける甘い雰囲気がにじみ出ているようだ。花乃は、道ならぬ恋に落ちる罪悪感にさいなまれながら、光源氏を受け入れる藤壺の女御を、限られた登場シーンの中で懸命に演じている。(2016年1月6日 毎日新聞)


 なお、私が生まれた頃のことながら、1952年には春日野八千代が「源氏物語」(白井鉄造構成・演出)の光源氏を演じていました。

 田辺聖子の著作は、目で文字を読むことが困難な方々のために、点字や音声で楽しめるように、「サピエ」(視覚障害者情報提供ネットワークシステム整備事業)からデータが提供されています。利用者は、次の作品がダウンロードできます。これ以外にも、いろいろと公開されていると思います。私が今摑んでいる情報の一部として、以下に引用します。
(複数の製作館がある場合は最も古いものを掲載しています)

サピエ図書館(点字図書や録音図書)

(1)【点字】

新源氏物語 上(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 中(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

新源氏物語 下(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年

絵草紙源氏物語(角川文庫)/田辺 聖子文 岡田 嘉夫絵/1984年

私本・源氏物語/田辺 聖子著/1985年

源氏・拾花春秋 源氏物語をいける(文春文庫)/田辺 聖子, 桑原 仙渓著/2002年

小説一途 ふたりの「源氏物語」(the寂聴)/田辺 聖子, 瀬戸内 寂聴著/2010年

(2)【音声デイジー】

『源氏物語』の男たち ミスタ−・ゲンジの生活と意見/田辺 聖子著/音声デイジー/7時間12分/1990年

霧ふかき宇治の恋 上巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/12時間31分/1993年

霧ふかき宇治の恋 下巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/13時間17分/1993年


 さらには、2008年に笠間書院より刊行する予定で編集を進めていた『源氏物語【翻訳】事典』では、田辺聖子訳『源氏物語』の翻訳本として、次の情報を整理していました。しかし、その後、相次いで『源氏物語』の翻訳本が刊行されたこともあり、収録する翻訳本の切れ目の判断が出来ないままに今に至っています。出版社および情報を提供していただいたみなさまには、申し訳ないことです。先日も、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』の情報が届いたこともあり、もうしばらくこの『源氏物語【翻訳】事典』は先延ばしになることを、ご了承いただければと思っています。

中国語訳『源氏物語』の情報(2009.02.02版)

『新源氏物語』

紫式部原著・田辺聖子現代語訳/彭飛 等訳[1958−]
上海(シャンハイ)[中国]:上海訳文出版社
 和泉書院(大阪)と東方書店(東京)からも販売
上巻-430p.下巻-866p.
21cm./簡体字

 『源氏物語』翻訳委員会(代表者:彭飛)による中国語訳。初版。底本は、田辺聖子の現代語訳『新源氏物語』(新潮社)である。表紙は、二冊とも福岡市美術館蔵『源氏物語屏風絵・若紫』である。装丁は、ペーパーバックとハードカバーがある。
 序文はなし。上巻は、「空蝉」〜「少女」まで。巻首の挿絵は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「蓬生」、大阪府立大学学術情報センター蔵『絵入源氏物語』、『十帖源氏』、『源氏絵鏡』、『源氏鬢鏡』など。下巻は、「玉鬘」〜「常夏」、「野分」〜「幻」までを収録。巻首に陽明文庫蔵『源氏物語』(藤原定家)影印「宿木」掲載。
 あとがきは翻訳者による。主な内容は、
1.「世界最古の長篇小説『源氏物語』、誕生して千年を迎える」、
2.「日本の著名な作家、田辺聖子と『新源氏物語』」、
3.「翻訳委員会初の大作」。
 彭飛はさらに詳しく「翻訳委員会」の各担当者の名前と担当原書の頁数を明記している。林少華(原著上巻1〜100頁)、曹亜輝(上巻101〜200頁)、王華(上巻201〜325頁)、張龍妹と呉志虹(上巻326頁〜中巻243頁)、楊蕾(中巻244〜313頁及び下巻86〜95頁)、花文勰(中巻314〜387頁)、徐麗明(中巻388〜458頁)、任川海(中巻459〜下巻41頁及び下巻96〜115頁)、彭飛(下巻42〜85頁)、杜鳳剛(下巻116〜352頁)、玉琢(下巻353〜448頁)である。和歌及び巻名の部分はすべて杜鳳剛訳。
 「訳者紹介」があり、以下の通り列挙。王華(中国海洋大学外国語学院日本語系準教授)。王琢(暨南大学外国語学院日本語系教授)。任川海(上海外国語大学日本文化経済学院準教授)。杜鳳剛(大連理工大学教授)。楊蕾(日本京都外国語大学博士後期課程研修生)。花文勰(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。呉志虹(集美大学外国語学院講師)。張龍妹(北京外国語大学日本学研究中心教授)。林少華(中国海洋大学外国語学院日本語系教授)。徐麗明(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。曹亜輝(天津工業大学外国語学院準教授)。彭飛(日本京都外国語大学教授)。
 「顧問紹介」として増田繁夫(日本大阪市立大学名誉教授)の名前を挙げる。
 上海訳文出版社は、1978年成立。外国文学、文化などの総合的な翻訳出版社である。


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2019年06月04日

36番目の言語となるウクライナ語訳『源氏物語』

 科研の研究協力者である淺川さんから、ウクライナ語訳『源氏物語』に関する情報が届きました。
 これは、『源氏物語』の翻訳では36番目の言語となるものです。

 〈源氏千年紀〉の2008年に、「世界中で読まれている『源氏物語』」(2008年02月15日)という記事を書きました。その中で、未確認の本として、ウクライナ語訳『源氏物語』のことに言及しています。それから11年間の経緯は、これから調べます。
 それにしても、11年前までは、『源氏物語』の翻訳は18種類の言語であった、ということに我ながら驚いています。今回のウクライナ語訳『源氏物語』は、その倍の36種類目の言語による翻訳本なのですから。

 まず、出版社のサイトに公開されている表紙の写真をあげます。
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 この本は、国際交流基金ライブラリー(913.36 D99)に所蔵されています。そのことを淺川さんが確認できたため、ここに36番目の言語で翻訳された本として、その情報の一端を紹介します。電子書籍もあります。

・タイトル:Повість про Ґендзі
・アルファベット表記:Povist' pro Gendzi
・シリーズ名:Бібліотека світової літератури
・翻訳者/機関: Ivan Dzi︠u︡ba(Ivan Dziub/イワン・ジューブ)
 Institut literatury im. T.G. Shevchenko
 (前身をタラス・シェフチェンコ科学研究所とする、ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所 )
・巻号:1
・翻訳範囲:桐壺〜朝顔
・出版社:Фоліо(Forio)
(URL)https://folio.com.ua/books/Povist-pro-g%27endzi--Kniga-1
・出版年:2018年
・表紙:菊川英山『青樓美人遊 海老屋内あひつる』
・メモ:表紙の裏の絵は、楊州周信の『千代田大奥花見絵』、扉の絵は鈴木春信『女三宮と猫』。見返しに月岡芳年の『古今姫鑑 紫式部』。
 国際交流基金の支援で出版。
(URL)https://www.jpf.go.jp/e/project/culture/publication/supportlist_publish/support_p_30.html
■翻訳者に関する情報:「コトバンク」より
 1931年生まれ。物理学者;翻訳家;日本文学研究家; 肩書: ウクライナ科学アカデミー理論物理学研究所上級研究員
(URL)https://kotobank.jp/word/イワン%20ジューブ-1682263


 これにより、これまでに翻訳された『源氏物語』は、次の36種類の言語となります。


【『源氏物語』が翻訳されている36種類の言語一覧】


(2019年06月04日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語


 本年1月にルーマニア語訳『源氏物語』の存在を知り、3月に翻訳者であるホンドル先生の元へ飛んでいきました。

「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)

「ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり」(2019年01月28日)

「ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話」(2019年03月08日)

 ウクライナ語訳『源氏物語』については、情報を集める中で、可能であれば翻訳者から直接お話を伺えないかと思っています。この本と翻訳者に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、連絡をお待ちしています。
 
 
 
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2019年05月10日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その14/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月11日のメモを復元しました。

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■2002.3.11■



 今朝も頭が重い。熱もなければ咳も出ない。ただ、頭がだるいのである。食後すぐに寝る。お昼前に起きて、G3さんの『チベット語・日本語・英会話』の本の校正をする。細かなミスが多い。日本語をローマ字で表記するのは限界がある。改訂版では、ぜひひらがなと簡単な漢字を使った文を添えるべきである。
 帰国の準備に入る。日本に送ってしまう本を選ぶ。といっても、持ってきた本のほとんどだが。船便だと、3ヶ月ほどかかるそうである。一包み5キログラムで300円程度だというので、気楽に送れる。20冊ほどを、送ることにした。これでスーツケースが相当軽くなる。
 オートリクシャーで、N8先生とN2君の3人でコンノートプレイスへ。まずは荷造り屋さんに荷物を頼み、ジャンパト通りへ食事に行く。目的の店は、少し迷ったがすぐに見つかった。入口は狭く、中は暗い。しかし、広い食堂になっている。
 私は、チキン・ビリヤニとラッシーを注文した。2人はマトン・ビリヤニであった。ビリヤニは、煮込んだ混ぜご飯の焼きめしだそうだ。ところが、食べてびっくり。インドに来て一番辛い料理である。ただし、大きなチキンはおいしかったので、ご飯にはほとんど手を付けず、チキンだけとラッシーを飲んだ。インドに詳しい2人とも、これは辛すぎるし、ご飯がベトベトしすぎだと言っていた。上人に紹介された店であったけれども、これはハズレであった。
 次に、ジャンパト通りにある政府系の地図の会社である「サーベイ・オブ・インディア」へ行く。狭い階段を上ると、だだっ広いところに男の人が3人、ふんぞり返っている。2人が地図のことを聞くと、面倒くさそうに対応する。3人とも横柄である。そして、不親切である。奥の地図置き場の部屋を覗くと、ここには5人の男が暇そうにしていて、中を見ていると外で待っていろと言う。これらが、インドではかの有名な、仕事をしない大勢の国家公務員の人たちであった。一つの仕事を、5人以上で分担してするのである。無駄の極地と思える。しかし、10億人もの人々が住む国では、仕事を分け与えるのも大変なのだろう。
 2人がベンガルやアイヨディアの地図を買うことになったら、受付の男が左後ろの男の所でお金を払えと言う。その男が、またゆっくりと領収書を書く。お釣りも、なかなか出ない。もらった地図を留める輪ゴムを要求すると、これはインドにしては珍しくスッと渡してくれた。しかし、これが地図を巻こうとするとすぐに切れてしまう。別のものはないかと言うと、おもむろに机の下から新聞紙を切ったものを出し、それで包み始めた。包装できるように新聞紙を適当に切ったものを用意してあるのなら、最初から包んでくれればいいのに。本当にやる気のないインドの公務員の姿を見た。ここは、日本で言えば、国土地理院にあたるところだそうだ。インドの公務員は、本当に大変な存在である。
 ジャンパト通りの土産物屋さんの中に、私が探しているタンカを置いている店が何軒かあった。その中に、まともなものを置いているところが見つかったので、少し丁寧に見た。六道の図はなかった。しかし、いいものは何枚かはあった。もっといいものを、と言うと、下から出してくる。それは、20,000ルピー以上もした。装丁をしていない絵だけでも、いいものは18,000ルピーもする。そして、それらも細部の描写はそんなに丁寧には仕上げていない。結局、ここでは買わずに帰る。
 梱包屋のおじさんにお金を払う。一つ50ルピーで二つ分。郵便局へ荷物を持って行く。あらかじめN2君が持っていっていた。なかなか順番が回ってきそうもない。窓口は4つあるのだが、係員は一人しか対応していない。カウンターには、十人以上が身を乗り出して横に広がっている。それでも、一人しか仕事をせず、他の人はみんなしゃべっているか出たり入ったりしていた。これではいつになるのかわからない。郵便局に近くて梱包をしてもらうところはここしかないので、ここに持ってきたのである。
 しかし、こんな調子では、お寺の近くのラージパットナガルの郵便局に、ここで梱包したものを持ち込んだ方がかえって早いだろう、ということになり、その郵便局を出ようとした。ところが、その時に郵便局の男の人が帰ろうとする我々を呼び止めて、どうしたのかと聞くのである。N2君がいつまで待っても埒があかないので別の郵便局に持っていくことにしたと説明すると、それではお前たちの荷物を受け付けてやろう、というのである。そして、暇そうにしていた4人の郵便切手を売る窓口にいた女性の一人に、これを処理するように言うと、その女性はニコニコしながら別のカウンターのところに持って行けといって、そこへ自分も移動した。ラッキーと思ったが、これでいいのか、とも思った。先程の列には、たくさんの人が順番を待っているのである。私たちは助かったとはいえ、不平等極まりないことである。公務員の気分によって仕事をするのは、かえって公務員不信に陥る。
 さらにおもしろいことに、昨日、N2君がカセットテープなどを送ろうとしたところ、パスポートがないとダメだと言って突き返した女性が、今、好意で私の本の発送を特別待遇でやってくれているのである。昨日はパスポートを持っていなかったN2君は、昨日はパスポートのいらない本だけを送り、今日はパスポートを持ってきてカセットを送ろうとしたところ、今日の係員はパスポートを見もしなかったという。郵便局員は、本当に気まぐれに仕事をしているとしか思えない。それも、同じ人間が、ある時は厳密に、あるときは本当に適当に処理をする。それも、今日は待っている人の順番を無視して、ニコニコしながらいいことをしているように仕事をするのである。
 我々が手続きを進めていたときに、正規の列に並んでいた一人の人が、自分のものも特別にやってくれ、と言っていたが、それは冷たく断られていた。インドに来る前に聞かされていたことではある。この国の公務員の仕事ぶりは、本当にわからない。
 パリカ・バザールでビデオCDを買う。先日行ったところではなくて、その上の階には、たくさんのDVDやビデオCDのお店が並んでいる。私は、ネルー大学のK先生が言っていた映画の名前を言ってみた。これは、N2君も正しくは何というのがわからない、と言っていたものである。ところが、驚いたことに私がメモ通りに「ハム アッケ ヘ コン」と言うと、すぐに「あるよ」と言うのである。初めて使った、ダメだろうと言われて使ったヒンディー語が、一発で通じたのである。感激の一瞬であった。その他、有名ないくつかの映画を買った。「ラブイン東京」は、3人が一枚ずつ買った。日本では手に入らないものをいろいろと物色するのは、楽しい買い物である。
 最後は、チベットのハンディクラフトのお店へ行く。今回のオートリクシャーの運転手は、昔はオートバイのレーサーかと思えるほどのコーナーワークで疾走する。年輩だが、なかなかのハンサムである。華麗なアウト・イン・アウトをこなす中で、スピードを緩めることなく道を走り抜ける。燃費のいい走りっぷりであった。
 先日は閉店後に行ったが、今日は間に合った。小綺麗なお店で、好感が持てる。品揃えもいい。タンカもいろいろとあった。見せてもらった中の一枚が気に入った。何よりも、値段が安かったのである。みんなで、チベット亡命政権を支援するためにも、と言って、いろいろと購入した。ブッダの金属製の像があった。しかし、3種類の手の意味するものがわからない。店の人に、G3さんのところへ電話をしてもらった。14日に帰ってくるとのこと。N2君は、私とG3さんの関係を説明していた。
 いろいろとみんなで買っている内に、亡命政権を助けるためにここで買い物をするということは、ダライ・ラマは日本に来なくてもいいようにすることになる、と言われて、はたと困った。しかし、とにかく今は協力しようと言うことで、たくさんのものを買った。
 帰り道は歩くことにした。ところが、長い道のりであることに暫くして気づいた。今日はこの帰り道で一気に疲れた。途中で寄り道をしながら、最後はいつものジュースを飲んで帰った。充実した一日であった。

 
 
 
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2019年05月09日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その13/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、昨日に引き続き、3月10日のメモから復元しました。

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■2002.3.10■



 お寺での朝食の時、京都から今年卒業する女子大生が来ていた。これからバナラシに行く予定だとのことで、それを上人さんたちが考え直しては、と言っていた。今、バナラシは非常に危険な状態にあり、何があってもおかしくない時なので、別のコースにしては、という趣旨である。
 明後日の12日にシバ神のお祭りがあり、街中にダシが出て大騒ぎをするそうである。無礼講の状態になるので、旅行者などは街に出られず、ホテルに閉じこもることになる。無礼講の意味がわからないということで、上人さんにどういえばいいのかと問われたので、わたしは「何でもあり」という意味です、と答えた。
 また、アイヨーディアのラーム寺院建設問題で、15日には建設賛成の人たちが集まり、実際に建設に着手するのでは、とも言われている。とにかく、最近のグジャラート州での暴動で700人以上が犠牲となっているので、この時期はどこで何があってもおかしくないというのである。そのような中を、女性が一人でこの時期に危険なところへ行くことを、事情をしっている立場からは、勧めないということである。
 この女性は、こうした情報は、まったく持っていなかった。確かに、日本にいては、インド全体のことは報道されても、さらに小さな地域のことなどは流されないので、知りようがないといえばその通りである。現地情報をいかにして入手するかは、旅するものにとっては大切である。到着して、バックパッカーたちに話を聞いても、実際に新聞やテレビなどで正確な情報を持っている人はほとんどいないのだから。問題の多い国への旅行は、なかなか難しいところがある。
 久しぶりにホームページのための文章に手を入れる。しばらく、慌ただしい日々と、体調維持のために、書くよりも体を休めることを優先してきたからでもある。
 お昼前に、N2君と女性2人でデリーの散策に出かける。今日は、シーク教の寺院と、バックパッカーたちの溜まり場であるメインバザールへ行くことにした。
 コンノートプレイスの南西にあるシーク教の寺院であるバングラ・サヒブまで、オートリクシャーで60ルピー。N2君がお尻を突き出しての4人乗りである。

 シークの寺院は大きかった。

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 インフォメーションセンターで靴を預かってもらう。そして、頭を覆う布を貸してもらう。短剣を刺したおじさんが、紐を結んでくれた。インフォメーションセンターは、なかなか綺麗な応接室になっていた。

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 寺院の入口には、足洗い場があり、まず足を水につける。ところが、この水が汚いのなんの。水虫がうつりそうな濁った水である。郷に入っては郷に従えで、その水に足を浸す。生ぬるい水であった。これで身体を清めたことになる?
 寺院の中には、敬虔なシークの人たちが、熱心にお祈りをしていた。3人が、据え置き型のアコーデオンのような楽器を鳴らして歌っている。

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 その裏に回ると、パソコンがあった。ウインドウズらしき画面がモニタに映っている。黒いキーボードにマウス、そして外付けのハードディスクと、ものものしい装備である。音楽と歌をミキシングしているのだろうか。進行状況を管理しているのだろうか。よくわからない。

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 外に出ると、大きな池があった。

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 子どもたちに水浴びをさせる親が幾人もいる。しかし、その水は茶色に濁っている。大きな鯉が何匹も泳いでいるのが確認できた。しかし、水が濁っているのでよく見えない。一人のおばさんが我々に付いて来ており、いろいろとN2君に話しかけている。説明してくれているようである。池の周りを歩いているときも、なにやら話しかけてくる。N2君は適当に相手をしている。インドの人は、よくわからない。池の中では、泳いでいる子どももいた。

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 日陰に、サーベルのような長い刀を抜いて見せている人がいる。シークの人たちのシンボルだそうである。おばさんは、いつしか先へ行ってしまった。インフォメーションセンターへ戻って頭を覆う布を返し、靴に履き替えていたときに、先程のおばさんが入ってきた。そういえば、最初にこのインフォメーションセンターに入ったときにいたおばさんだったのだ。親切に、我々に説明してくれていたのである。改めて、訝しい目で見たことを反省する。受付のおばさんも親切な人で、何かと話しかけてくる。調理場を見て食事をしないか、というのである。早速OKして、また靴を脱ぎ、頭に布を巻いて再度出発する。

 大広間とでもいうべき広いスペースに何列にも筵道があり、そこに一列に座って並ぶ。すると、タリーのステンレスのお盆が配られ、そこにダールが盛られる。そして、チャパティや食パンが置かれていく。まさに早業で、次々と食事が配られる。大根の漬け物ももらえる。

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 一列に背中合わせで200人以上が座り、同時に4列くらいが食事をする。終わるとサッと片づけられ、また次の列ができる。効率よく列が出来ては次の列に移るという、システマチックな捌き方である。グジャラート州の震災の時などに、この手法でたくさんの難民を救ったという話が、実感としてわかる。実に実践的な給仕の方法となっている。また、隅には食べ残しをひとまとめにする人がおり、奥には、流れ作業でタリーのお盆を洗っていく。本当に見事な仕事の流れ作業となっている。

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 背後の食事を作る場所も見た。大きな鉄板でチャバティを焼き、大きな鍋でダルを煮ている。大仕掛けの作業場と化しているのには驚いた。宗教的な場所での、大がかりな給食奉仕である。

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 オートリクシャーでニューデリー駅のメインバザールへ行く。私は2度目なので、ゆっくりと見ることが出来た。

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 日本語で話しかけてくるおじさんは、以前より圧倒的に多くなっていた。日本人の学生が増えたせいか、カモが大勢いるのだろう。多数のバックパッカーが、こうした人に騙されているのであろうか。ラーマ・クリシュナ・ミッションへ行ったら、今日はイベントのために入れないとのこと。図書館などがあり、学生にとっては重宝する場所だそうである。先日行った日本食屋さんでドリンクを飲む。N2君がK1大学の学生を呼んできた。先週来たばかりで、インドのフィールドワークをする大学院生である。まだテーマが見つかっていないらしくて、いろいろと悩んでいるところのようである。あまり押しの利くような感じの女性ではないので、焦らずにじっくりとテーマを探してほしいと願う。来たついでに、彼女が泊まっているバックパッカーご用達しというホテルを見せてもらった。200ルピーでまあまあの部屋である。ただし、窓がまったくないので、非常時には逃げられない。たくさんの部屋があった。比較的きれいだったが、リスクの多さが気になった。
 メインバザールを散策。風呂敷のような暖簾を探す。いいのがあったので、2枚買う。ニューデリー駅の前で、この前買ったものと同じ番号のナンバーダイヤルを見つけた。もっとないのかと言うと、10個近く出してきた。その内の、4個を買った。こんなに同じ番号ばかりの鍵が氾濫していては、防犯もあったものではない。
 ニューデリーの駅を散策。実際に二等のスリーパークラスの車両に乗ってみた。狭いが、思ったより綺麗だった。空港から到着するというバス停も見学。たくさんのバックパッカーを、この駅に降り立って騙されるのである。しっかりと見ておいた。
 引き返すと、なんとアンサルプラザとここくらいしかないというエスカレータに乗る。おっかなびっくりで乗る人が何人もいる。インドの人々は、まだ、このような道具に慣れていないのである。
 駅前でオートリクシャーを捕まえる。5人なので、2台に分乗する。私は、デリーに来たばかりの人と乗った。コンノートプレイスの外周を走っていて、インド門の方に左折する時に、突然左側にいたバスと衝突した。こちらのオートリクシャーは、大きな衝撃と共に右側に傾き、スーと大きくスライドした。一瞬、ひっくり返るのかと思ったが持ち直し、すぐに体勢を立て直した。オートリクシャーの運転手は大声でバスの方に叫び、車を左側に寄せて止まってからバスの運転手と激しい口論となる。車体の左後方が凹んでいる。どうしようもないので、しばらく座ったままで成り行きを見つめた。N2君たちのオートリクシャーはすでに左折して見えなくなっていた。
 結局は言い合いで終わり、まもなく発車した。三輪車の後方にぶつけられたので、ひっくり返ることは避けられたようである。危ないところであった。ひっくり返っていたら、恐らく命に関わる事故になっていたことだろう。左側から突っ込んだ形のバスの方が悪いのは明らかである。それにしても恐ろしい場面であった。以来、運転手は慎重に運転していたように思える。しばらくしてから、運転手が行き先を確認した。よくわからないままに走っていたようである。アンサルプラザへ行くことを伝えた。しかし、道をよく知らないらしい。私がその場所をよく知っていたので、どうにか誘導して到着する。マグドナルドの前での待ち合わせに成功し、高級ショッピングセンターを散策開始となる。今日は日曜日であることも手伝ってか、たくさんの人が出ていた。
 住宅展示場をまわる。300万円ほどの物件が売られていた。これなら、日本人にも手が出せる。共同で購入してみんなで使えば、有効な拠点となる。おもしろい冷やかしであった。
 今日は、天気がよかったせいもあり、非常に体力を消耗したようだ。体がだるい。日差しが強かったのだろう。帰ってから少し寝る。E1さんから、作文がメールで届いたかという確認の電話があった。
 洗濯をして、また寝る。疲れた時には、休むに限る。
 晩ご飯は焼きめしだった。なかなか美味しかった。

 
 
 
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2019年05月08日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その12/第9週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱っています。
 今回は、前回の3月8日に続く9日のメモから復元したものです。

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■2002.3.9■



 やはり風邪気味。熱はない。I1先生からのメールの連絡では、日本からデリー到着時刻が変更になっていたので、N2君と相談。アグラ行きを一泊二日から日帰りで帰ることとする。朝食後、薬を飲んですぐに寝る。大事をとる。
 お昼前から、N2君の原稿を読む、自分にとって、説明がほしいところをチェックする。なかなかしっかりと文章が書けている。ただし、少し臨場感に頼りすぎか。
 お昼に、G4さんに頼んで、旅行業者にアグラ行きの予約をキャンセルする。これで、N2君と一緒に楽しい旅になりそうだ。聖地マツゥーラもたっぷり見よう。
 午後も、N2君の原稿を読む。最後まで読み切った。いい原稿だが、この内容では、やはり読者は限定されるか。もう少し説明を入れると、一般の読者も読めるのだが。
 4時過ぎに、ラージパットナガルのチベットのお店へ、タンカを買うために行くことにする。N2君を探して下に降りたところ、電話のある部屋にD大学のH1先生がいらっしゃった。道理で、N3が猫なで声で私の対応をしてくれたのだ。いろいろと監視されていると思っているN3は、この手の人は苦手のようである。ご機嫌取りをするはめになる理由がわかるだけに、こちらが気を使ってしまう。
 TさんとN2君と3人で、散歩がてら、チベットのクラフト用品屋さんを目指して行く。先日、G3さんに教えてもらったお店で、タンカを買うためである。
 まず、オモチャ屋さんで、オートリクシャーのオモチャを買う。このスタイルの乗り物は、今ではこのインドだけだということなので、記念に買った。これで二つ目。以前から探していたが、なかなか見つからなかったものである。

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 チベットのクラフト用品屋さんへ行くために、途中で道を聞いたところ、説明が二つに分かれた。3人目で何とか確認がとれた。ところが、その道も、警察署の前で突然住所が変わるのである。引き返してお店の人に聞くと、そのまままっすぐ行けばいいとのこと。警察を過ぎると、川が立ちふさがっている。またそばにいた人に聞くと、この川の向こうだというので、ぐるっと川を回って、また直進する。警察のところの住所だけが別の名前になっているのは、いったいどういう事情なのか。何でもありのインドの警察のようなので、こうしたこともありなのだろう。そして、警察の前の突き当たりの川に橋がなく、フェンスしかない。仕方なしに少し北側の橋を渡ったが、どうも腑に落ちない道である。
 また、もとの通りの名前になった。しばらく歩くと、目的の店が見つかった。しかし、あいにく閉店後30分という時間だった。次にまた来ることにする。
 ラージパットナガルを散策。ソフトクリーム屋の前で、アンプを積んだオートバイでスピーカーのボリュームをいっぱいに上げて、ソフトクリームの呼び込みをしている。それも、オートバイを道の真ん中に停めている。たくさんの通行人の流れを止めていることにも頓着せずに、さかんに叫んでいる。ソフトクリーム一つは、たったの5ルピーである。日本円で十数円。これで採算がとれるのか、心配になる。
 歩き疲れたので、チキンを焼いたものを食べる。はじめてのものだった。なかなか美味しい。いつものジュース屋さんに立ち寄る。今日のは、いつものものよりもさっぱりしていた。久しぶりに、ワインとオールドモンクというラム酒を買う。
 晩ご飯は天麩羅うどん。
 回転ずしの話になった。私は、インドで始めたらいいと言った。すると、インドの人は、あのくるくる回るのを見ているうちに、いろんなものを引っ張ったり押したり取り外したりして、すぐに分解をはじめるからダメだ、ということになった。確かに、インドの人は好奇心が強い。回転寿司も、一周もしないうちに、回転する部分がガタガタになっているかもしれない、と思わせるだけのお国柄であることは認めざるをえない。
 食後、持参した近衛家旧蔵の豪華な『百人一首』のカルタ(複製)を、みんなに見てもらう。国宝はインドにあるのか、ということで議論。国宝というものは日本以外にあるのかどうかということになった。世界遺産のことなどを話した。結局、わからずじまい。
 夜、インターネットをしながら、N2君とN8先生とに、ダイラ・ラマについて教えてもらう。セブンイヤーズ・イン・チベットの映画があるとのこと。I1先生が、かつて見たとおっしゃっており、私もインドに来る前にビデオ屋さんで探したものである。DVDで見つからなかったので、見て来なかったのだ。インドと限定せずに、もう少し広くチベットのことを調べてくるのだった。インドが、こんなにチベットと深い関わりのある国だとは、思っていなかった。

 
 
 
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2019年05月07日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その11/第9週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここでは「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月4、5、6、7日のメモが見当たらないので、8日のメモから復元したものです。

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■2002.3.8■



 食後、D大学のHさんにお願いして、オートリクシャーの運転手にネルー大学へ行く道を説明してもらう。運転手はわかった、という顔をして出発した。しかし、いざ大学の門に到着すると、途端にうろうろしだす。北門なのに、別のところを走る。最後には、ここで下りろというので、いやだと言った。とにかく、また引き返して北門に行くことになる。すると、何と言うことはない、最初に通った門の所に、T4先生が車で待っていてくださったのである。車で学科の校舎まで連れて行ってもらう。
 学科長室で、歓迎の花束をもらう。こうした対応がしっかりした学校のようである。数人の先生と名刺交換をする。みなさん、日本語がうまい。
 学生は、25名ほど集まっていた。2人の先生も。
 自己紹介と、国文学研究資料館の説明と、コンピュータを活用した文学研究と、インド人貿易商のモーデが持っていた伝阿仏尼筆本について話す。
 なかなかよく話についてきてくれていた。質問も出た。2時間はたっぷりとしゃべる。さらに、その後に1時間ほど、これからの文学研究に対する姿勢について話す。
 お昼は、学生食堂の外でパニールを食べる。2人の先生は、國學院大學で野村純一先生から民俗学を教わった人。もうひとりは、大阪大学でK2先生から説話を教わった人。私の知っている学校であり、知っている先生だったので、話がはずむ。帰り際に、先日のK・Sのコンサートで私たち2人が通訳をしていた、との話。先程学生たちに、あのコンサートは失礼だったと言ったばかりだったので、こちらが恐縮した。内容は、あらかじめ何も知らされていなかったようである。
 お一人がこれから国際交流基金に行くと言われたので、私も一緒にいく。I1先生の到着時間のことと、『百人一首』大会の賞品について、S2さんとの相談である。すこし休んでいたら、U先生とあった。びっくりした。偶然とは恐ろしいもので、こんな所で、という気がした。
 G4さんに、大学でいただいた花束を渡す。飾ってもらうためである。
 夕食前に、N2君が南インド料理を食べに行くという。最近、このお寺の食事がワンパターンなので、少し変化を求め出したこともある。私も一緒に行く。D大学のTさんも一緒に行く。グレーター・カイラーシュのMブロックにある、いつものカメラやさんの並びの店である。ワッフルの固いもので包んだ料理だった。今日は、私が大阪大学から学位を取得した記念にということで、ご馳走することにした。しかし、ここの料金は、大変安かった。お薦めの店である。

 
 
 
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2019年04月29日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その10/第9週)

 2002年に、私はインドのデリー大学に客員教授として赴任していました。その時の大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録は、これまでにその中盤までは公開してきました。
 その後、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここからは、「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分なので、これからの「第9週」以降も今回はじめて編集し直すものです。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、前回復元した「2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)」(2019年04月19日)に続くものです。
 
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■2002.3.3■



 9時過ぎに朝食。たくさんの果物とおかずを食べる。ライスで作った「カルカン」のようなものも食べる。11時半にフロントでチェックアウト。何もなし。フランス人の2人が来てくれた。男性は画家。
 車で、昨日会ったNGOの方の家に行く。車中では、T2先生を中心にして、フランス語で会話が進む。助手席にいた私は、気楽に無視して市中を見物。家は高級住宅地にある。庭にはココナツやパパイヤの木がある。
 ご主人が出てこられてびっくり。昨夜遅くなってお出でになったフランス語をしゃベる方だった。女性とこの方が夫婦だったのだ。
 家の中に入る。しゃれた家で、いろいろな小物がある。子供たちが食事を作ってくれていた。
 T2先生いわく、NGOの人々も、みんながごく普通の生活をする中でこのような活動ができるようになればいいが、と言っておられた。普通の生活の中で、自分ができる社会協力をしていくことも重要である。身構えない社会貢献である。この方々は、農業指導を中心に活動をしておられる。もう40年も続いているそうである。ご主人は、NGOの専従だそうだ。日本のNGOやNPOは、無理をしているところがあるので、いつしかできなくなっていくものが多い。外部からの資金援助だけではなく、自分たちの努力で収益をあげていくことも考えないと、資金援助が途絶えたら突然中止となりがちである。何かをしようとするとお金が必要なので、そのことも考えて運営しないと続かないのだ。経済的にも、社会的にもしっかりしたものがないと、継続的で広範な活動はできない。この人たちは、農村部などの教育活動や、技術指導、そして出産のための理解と手助けなどを行っておられる。
 この家には、2人の使用人がいる。男性は庭などの仕事を、女性は食事の世話などをしていた。このような家庭の人がこうした活動にも積極的な推進しているのを見て、非営利の援助活動のあるべき姿の一つを見た思いがした。
 それにしても、突然のフランス語の世界にはなすすべもない。英語で話しかけてもらえたので、何とか間がもてたが……
 子供たちがみんなで楽しそうに昼食を作ってくれている。余裕というものが生活の中にあるせいであろう。
 明日の予定も少しまとまった。バンガロールには、Macintosh はないそうである。
 応接コーナーで見るテレビでは、昨日のグジャラー卜での暴動のニュースをしている。
 家の外には、洗濯物にアイロンをかけるカーストの人が仕事をしていた。写真を撮らせてもらう。

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 出発するときになって初めてわかったのだが、これから、ドイツの男性とその奥さんであるキューバの女性と一緒に、この女性の誕生日のお祝いを兼ねて、自然動物園にピクニックに行くことになっていたのだ。別々の車で出発する。

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BANNERGHATTA NA IIONAL PARK
FOREIGN TUURIST ADAUTS Rs200
          CILD Rs75


 自然動物園の入口で入場料のことで一もめ。Sさんが外国人扱いされたことに抗議されたのである。インド居住者なので、外国人観光客と同じ扱いはおかしいと。航空券などのときも、国内居住者としていつも手続きされていると。30分もかかっただろうか。結局、国籍の問題で外国人としての入場となった。納得できないことには徹底的に食い下がる精神は、さすがである。入り口で待ちながら、二人の女性と、私がタージマハルで750ルピー払ったことを話した。驚いておられた。

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 公園の中は子どもたちがたくさんいた。家族連れである。猿の檻の前に陣取る。Sさんは木切れをもってきて、これで猿を追い払うのだ、と言っていた。実は本当に猿が、我々の食事を狙ってやってきたのだ。Sさんは木の棒で追い払ってくれた。檻の中に猿がいて、檻の外にも我々と一緒に猿がいる。檻の外の猿が、檻の前にいる我々のお弁当を狙う。おもしろい風景である。

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 ビールをもらう。アルコールは持ち込み禁止なのに、おおらかなことである。ドイツ人の方の奥さんがキューバだとわかると、T2先生がミサイルの精度にまつわるベトナムとロシアの話をされた。三回目なのでよくわかった。
 園内を散策する。鰐や蛇や熊やヒョウや象などがいた。日本と同じ面々だが、心なしか暑さのせいかクタッとしている。
 動物園からサハリパークへはバスで行く。土埃を舞い上げながら狭い道を乱暴な運転で進むので、スリルは満点である。

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 虎とライオンは別々のエリアにいるので、ゲートの出入りを繰り返す。幸運にも、今日はたくさんの虎やライオンに出会えた。T2先生の話では、アフリカのサハリパークへ行ったときに、3時間も園内をウロウロしたが、結局一匹も近くで見ることはできなかったことがあったそうだ。ここの虎やライオンは指導が行き届いていると言って、感心しておられた。

 生まれて初めて、サトウキビのジュースを飲む。しかも、搾りたてを。これは勇気のいることである。しかし、T2先生が大丈夫だと言われたので、チャレンジした。おいしいジュースでした。

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 帰路は快適に走る。女性のサリーの色の鮮やかさに見とれる。きれいに着こなしている。おしゃれな人が多い。新しいホテルは、昨日のような豪華さはない。しかし、小奇麗でいい感じである。料金的には4分の1だが、これはこれでいいホテルである。吹き抜けを多用した構成で、エレベーターも開放的でいい。

 昨日泊まったタージレジデンスホテルの中華レストランへ行く。ここでも、カニ料理は食べられなかった。注文したところ、大分してから、シェフが作れないと言っているとボーイが伝えに来た。竹筒に入ったスープや、酢豚、固焼きそば、マーボー豆腐、アスパラガスの炒め物などを食べる。ビールも。食べきれないほどのおいしい食事だった。
 食後、T2先生はウエイターにクレイムを付けておられた。「遅い」「サービスが悪い」の2点である。食事が運ばれてくるのが、確かに遅かった。また、ウエイターも動きが悪い。反応が鈍いのである。超一流の一つにあげられる店でこんな対応を許すと、今後のためにもよくないとのこと。だらけた店員たちをピリピリさせるためにも、言うことはしっかりと言う、という姿勢である。ウエイターに、ここのレストランのマネージャーを呼んでくれと言っても、連絡されたマネージャーがどっかへ行ってしまう。再度呼んでもらうと、ひたすら謝るだけである。支払い後に、チップは渡されなかった。示しがつかないからと。また、帰りがけにホテルのロビーにいたサブマネージャー格の人にも、レストランの対応の悪さを叱っておられた。我々が玄関でタクシーを待っていると、先ほどのサブマネージャーがやってきてまた謝る。そして、何かバッグを持ってこようかと言うので、T2先生は、自分はインドに来てタージグループのホテルを使ってきたが、こんなにひどいのは初めてなので、今後のために忠告しただけである、と。何かほしいからではない、とキッパリと断られていた。名刺だけでもということだったので、渡しておられた。そして、昨日宿泊した客であることも。
 それにしても、先生の対応は見事の一語に尽きる。気持ちのいいものであった。確かに、こうでもしないと、インドのホテルの質はどんどん落ちて行くように思われる。なかなか言いにくいが、言うべきときには言う、というのは見習わなければならない。これからのインドのためにも、という意味がわかる。日本にいては通じないことのように思われる。しかし、現地にいると、確かにと頷ける。もし本当にいい対応を心がけているならば、明日新しく泊まっているホテルに花でも持って顔を出すくらいでなくては、とおっしゃっていた。果たして、明日はどうなるのか。
 部屋に帰り、その後下でコーヒーを飲んで雑談。その中で、私がもっと海外に出向いて仕事をすべきことをアドバイスしてもらった。積極的な働きかけをしないといけないと。たくさんの勇気付けられる話を聞いた。
 インドのテレビは、相変わらず歌って踊っての番組をたくさん放映している。

 
 
 
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2019年04月19日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。これまでに公開していた記事は、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていました。折々に再現しています。特に、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月27日から2日後の、コンピュータで世界的に知られるバンガロールへ行った時の、3月2日の行動の記録です。
 2月28日と3月1日については、写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにします。

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■02.03.02■



 バンガロールへ行く日。T2先生が仰るベンツだというオートリキシャで8時半に出発。朝夕が寒いということなので、長袖のセーターを1枚着る。おまけに、ビニールの半そでのウインドブレーカーも着る。空港までは、確かに寒かった。
 荷物のチェックは厳しかったが、特に問題はなし。出発が40分遅れた。待合室で、T2先生から成功する人間についての話を聞く。

 1、人間のネットワークを持っている。
 2、あきらめない。
 3、細部に目が行き届き、かつ何が重要かがわかる。

 英語は、今後とも習得する努力を続けるべきだとのこと。重要なポイントになるとのこと。
 機内では、G3さんから預かった刊行予定のチベット語会話の本の点検と校正をする。食事はノンベジタブルにした。少し辛いタンドリーチキンが出た。窓から見下ろすと、ただ土色の平野が広がるだけである。
 ウツラウツラしているうちに、2時間強でバンガロールに到着。40分遅れ。
 とにかく暑い。セーターをすぐに脱ぐ。木立が南国らしい。街も小奇麗である。予約していたタクシーの運転手はすぐに見つかった。エアコン付きのスズキの車でホテルまで。街が埃っぽくないので、改めて、異国に来た気分である。

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 五つ星のタージ・レジデンシー・ホテルは、意外にこじんまりしていた。内装や小物がセンスある、いいホテルである。プールもいい。T2先生と日本語を話しながらエレベータに乗ると、乗っていた婦人が「少し日本語がわかります。」と片言の日本語で語りかけて降りて行かれたのには驚いた。
 部屋もきれいである。早速パソコンに日記を入力する。

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 しばらく休憩してから、タクシーで市内観光に。といっても、ガイドなしで、気ままに散策。産業博物館と州立博物館に行く。産業博物館は、古い機械を展示するだけで、これといったものはない。州立博物館は、1世紀ごろの石造のレリーフがワンフロアーに展示されていた。ただし、名札があるだけで、特に説明があるわけでもない。T2先生がお持ちの地球の歩き方を見ると、翼のある馬や牛車や釈迦の石造が見ものだとか。入り口のすぐそばにあったが、そこに置いてあるだけ、という感じである。
 日差しが強く、日焼けしそうな天気である。庭の花を撮影して、すぐに次のお寺へ行く。昔の宮殿の跡で、18世紀末の木造の珍しいものだった。ティプー・スルターン宮殿。落ち着いたデザインで、インドらしからぬ地味な建物である。金と黒漆の柱が160本以上も並んでいる。

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 裏では、5人が椅子を持ち出して古い記録類を整理していた。ダラダラとやっていた。
 この隣に、小さいがハヌマーン等を彫った寺がある。近くに寄ると、窓枠などに電飾が見える。これは、インドの神様らしい。
 次は、少し高台にあるお寺へ行く。ブル寺院と言う。
 タクシーを下りてすぐに、T2先生がピーナッツを塩茹でにしたものを買われた。これがまたおいしいのである。皮は、そのまま地面に捨てる。自然に帰るので、ゴミ箱に捨てる必要はないのである。小さいものを二つ見て、牛が1枚の岩から彫り出されたものをご神体にするお寺へ行く。中は閉まっていたので早々に出て外で休憩していると、靴預かりのおじさんがおいでおいでをする。扉が開くので、もう一度入れと言う。
 中の黒い牛は、目がかわいい。インドの神様は、本当におもしろい。

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 ピーナッツを食べながらまた休憩していると、おじいさんが話し掛けてきた。何人かと。日本人ならどんなお金を使っているのか、それを交換しないか、とかなんとか、いろいろと話す。聞いてみると、今は75歳で、以前は英語の先生をしていたそうだ。インドのインテリである。悠悠自適とはいかず、自分の若かりし頃の再確認も含めて、観光客相手に話をする、といった体の声掛けおじさんとなられたようにお見受けした。適当に話を打ち切り、タクシーに戻る。
 すると、すぐ横のお寺にもどうかと運転手が言うので、それでは、ということで立ち寄る。中ではちょうど儀式がおこなわれていた。修行者のような上半身はだかのバラモンらしき人が、お盆にろうそくをともして歩いてきたので、私は思わずそのお盆に10ルピーを載せた。ところが、その人が私に新聞紙に包んだものを手渡してくれた。中をみると、焼き飯のようなものが入っていた。先に外に出ておられたT2先生にどうしましょうか、と聞くと、そこらに捨てて行けばいいとのこと。食べるとややこしくなるといけないようである。

 インドでは、食べ物などは、何でも道端に捨てている。自然に帰るし、牛たちが食べるので、それでいいのである。これは、私が育った日本やヨーロッパの現代文化とは大きく異なったものである。この外来の考え方が、今ではインドでも浸透し、自然に帰らないのにポイポイとものを外に捨てることになっている。そのおかげて、インドの街中はゴミが散乱している、という状況である。

 バンガロールの街は、デリーに比べると非常にきれいである。整然としている。ごみごみとしていない。南国と言うこともあるのだろうが、明るい。街を歩く人も、小奇麗である。女性はサリー姿が多く目に付く。そして、配色が明るい。ピンクやオレンジやホワイト。デリーと比べると、たくさんの若い女性がサリー姿で出歩いているように思える。道端にも、ゴミが少ない。道路の舗道側も舗装がしてあるので、デリーよりもずっと埃が少ない。車も、車間距離にゆとりがある。クラクションを鳴らすが、デリーほど執拗な鳴らし方ではない。オートバイもスクーターも、いいものに載っている。オートリクシャも、へこんだものは少ない。と言えばすべてがデリーよりもいいように聞こえる。しかし、排気ガスに関しては、まだガソリン車ばかりである。デリーでは、CNGという、天然ガスでたくさんの車が走っている。このバンガロールでは、まだそこまではいっていない。

 シティーマーケットに行って驚いた。ものすごい数の人が、広い市場に所狭しとお店を出している。露天と言うよりも、座った体のまわりに野菜や果物などを並べて、それも女性がずらりと並んで、物を売っている。売る人と買う人が、何十万人とでもいうほどの人であふれている。日本で見かける野菜や果物が多い。すごい熱気である。

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 ココナツを、T2先生が一つ買って私に食べさせてくださった。なかなかいい味である。

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 ホテルのフロントで、T2先生がすぐに女性と話し始めた。今日会う予定のNGO活動をなさっている方のようである。ソファーに座って、いろいろと世間話をする。すべて英語である。途中が私は部屋に帰り、シャワーを浴びる。7時に下に下りると、まだT2先生は話をしておられた。しばらくしてT2先生が部屋に帰られたので、私とその女性だけで話すことになった。それも英語で。これは大変である。と思っていたら、ありがたいことに非常に饒舌な方で、ひたすらその方の話を聞く一方であった。なんとかわかったので、適当に相槌を打つ。ちょうど、NGOの話になったときに、蛍の話になる。話が蛍のことだとわかるまで、しばらくかかった。
 ホームページやメールアドレスの話をし出したときに、ちょうどT2先生が帰ってこられたのでホッとする。
 私の家族のことを聞かれたが、これはすでに練習済みの会話なので、うまく答えられた。T2先生が、なかなかやるではないか、と誉めてくださった。8時ころに、バンガロール大学の先生で、詩人で、NGO活動をなさっている旦那さんがおいでになった。ノーネクタイのカッターシャツをズボンから出し、裸足にスリッパというラフなスタイルである。もう一人おいでになる予定の方は、ちょうど今日は先日来の暴動事件に関する問題が発生し、政府関係の方と対策の打ち合わせが入ったために来られなくなったようである。この街に、州の首相であるソニア・ガンディーさんが来られていて、明日は大規模なデモがあるために、政治関係者は大変な時期のようである。

 8時にホテルを出て、街中のカニ料理が美味いという中華料理店へ行く。ところが、あいにく今日はカニがないとのことなので、しかたがないのでエビ料理になる。
 政治や宗教などの幅広い話に、NGO活動の話が入り混じっての英会話に、私はついていくのが必死。私に向かって話してくださるときもあるが、とにかくニコニコと、顔が引きつらないように表情で答えるのが精一杯である。T2先生は、いつものわかりやすい英語で、それこそペラペラとしゃべっておられる。そうこうするうちに、今日は来られないはずだった方が顔を出された。この方との話では、T2先生が突然フランス語に切り替えられるので、何がなんだかわからない。
 記念撮影をして、また外でも写真を撮って別れた。レストランのボーイさんが、息子たちに見せたいと言うので、一応写真を撮ってあげる。しかし、渡すことができないので、適当なことを言って別れる。

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 ホテルでコーヒーを飲む。南インドのコーヒーは少し濃い。おいしい。レストランの女性に、タバコを持って来てもらう。インドのものしかないが、と言って笑いながら持って来られた。T2先生が、体調がいいとタバコがうまい、と言いながら葉巻を注文。なかなか贅沢な注文に、ボーイが次から次へといろいろな葉巻きを持って来る。先生のお好みのものはなかった。しかし、それなりにいいものを手にされた。

 部屋にインターネットのコンセントがあったので、説明書の通りにやってみたが失敗する。555で部屋から使えるとのことだが、うまくいかない。何度かチャレンジしたが、やはりだめ。諦める。
 
 
 
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2019年04月18日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その8/第8週)

 2002年に、私はインドのデリー大学に客員教授として赴任していました。その時の大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録は、これまでにその中盤までは公開してきました。その後、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。特に、前々回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その6)」(2019年01月22日)からは、「第8週 02/24〜03/02」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月25日の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その7/第8週)」(2019年01月24日)に続く、2月27日の出来事です。2月26日については、結婚式場へ飛び入りで参加した写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにしましょう。

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■2002.2.27■



 N2君と一緒にデリー大学へ行く。私は授業。N2君は、そのタクシーを使ってデリー北部の調査に出向く。

 ジャンパトの中心地にある、メルディアンホテルで、インドでのマックイベントがあった。

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 その時のメモから。
 ・PDAに対する質問について、担当者は答えられなかった。
 ・プレゼンテーターに答えられない場面が多々あり。サポ−タ−が答えていた。
 ・デリーのバスとスクータ−を例にしての「PCバス」の説明は、あまりにも低レべルなもの。インドらしい例示。しかし、元々がパワー不足の乗り物すぎるのでよくない例え。

 ジャンパトからの帰り道のこと。
 いつもの通り、ジャンパトロードでオートリクシャーを探す。走り寄ってきた車の運転手に行き先を言って50ルピーでと言ったところ、メーターで走るというので辞めて別のものを探すふりをしたところ、50ルピーで行くというので乗る。
 ジャパンか? コーリアか? と聞かれたので、ジャパンだと答える。
 走り出してから、運転手がショッピングセンターを知っているので寄ると言う。しかし、ノーと断わる。しつこくランチボックスがどうのこうのと言うので、とにかくノーだと断った。しばらく走ってから、突然道路脇に止めて、ここのショッピングセンターで買い物をしないかと言う。とにかく嫌だから、急いで行ってくれと言うが、エンジンを止めたまま動かない。腹が立ったので、オートリクシャーから飛び降りて、近くのバス停の方に歩き出した。
 すると、運転手はとにかく乗れと言うので、また乗って帰ることにした。よほど別のオートリクシャーに乗り換えようかと思った。しかし、支払わないままになるのが後々面倒になってはと思い、とにかくそのまま乗ったのである。目的地の近くに来たときに、何か話しかけて来たが、無視した。お寺の前に着いたとき、50ルピーを出そうとすると、80ルピーだと言う。無意識に、日本語で「アホか」と言ってしまっていた。50だと言ったはずだと言って50を突きつけると、じゃあ70でいいと言う。腹が立ったので、「お前は嘘つきだ」と言って、50ルピー札を運転手の膝に投げつけてお寺の門に入った。門番のB2さんがいて、門を開けてくれたので、後ろから追いかけられる心配はなかった。とんでもない運転手である。インドに来て、こんなに酷いのに会ったのは初めてである。
 後でN2君に聞いたところでは、そんなときには、最後まで気分が悪いので、途中で下りて10ルピーを投げつけるのだそうだ。つまり、そんなことをしていたら、もらえるはずの50ルピーも手に入らない、ということを教えてやる必要があるからだと言うことである。ただし、私の場合は、次に乗り継いだオートリクシャーが、帰るところまでいくらの値段で交渉すればいいのかわからないので、乗り捨てるのも大変だったのである。今日の場合でも、少し遠回りしていたので、止まったショッピングセンターの場所がまったくわからない状況だった。なかなか難しい問題である。
 それはともかく、部屋に帰り、シャワーを浴びようとしていたときに、小僧さんが夕食を知らせて来た。いつもより早い。食堂へ行くとすぐに、アイヨディアで50人以上が列車を放火されて殺された、というニュースをみんなが教えてくれた。N2君に以前から聞いていたことだが、こんなに早く、それも問題を起こすはずのVHPのメンバーがムスリムによって殺されるとは、素人の私でさえ、まったく予想外のことであった。となると、後はVHP側の仕返しという暴動の心配である。
 N2君・N8先生と2人の若い女性と共に、この問題で話し合う。というより、2人の専門家の説明を聞いた。とにかく、何が起きても不思議ではない状況になっているようである。10年ぶりの危険な状態であり、しかも、10年前よりももっとひどい状態だそうだ。私は、すぐに帰国のことを考えた。1月26日の共和国記念日にも、テロのことが予想されたので、あの時もいつでも帰国できるようにスーツケースを整理していた。また、そんな事態になるかもしれない。みんなは笑っていたが、しかしそれもあり得るか、というのが今日のニュースである。テレビは、夜になるとこの事件の報道はしなくなった。規制がかかったようである。
 そして9時過ぎに、上人が今テレビで、今後10日以内にラーム寺院建設を中止しない場合は、非常事態宣言を出すことになるとの発表がなされたと伝えに来られた。まさに、大変なことである。どのようなルートで外出禁止令が出、どのような形で国外退去ということになるのかも、詳しく聞いた。明日はデリー大学へ行く日なので、大丈夫かということも確認したが、何とか大丈夫だろうとのことであった。明朝の判断である。

 
 
 
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2019年04月17日

平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中

 箕面キャンパスへ行く時には、万博記念公園駅で大阪モノレール彩都線に乗り換えます。進行方向を見ていたら、おもしろい曲線を描いていました。

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 今日の太陽の塔は、まん丸いかわいい目で出迎えてくれました。見つめられている気持ちになります。その愛嬌のよさと引き換えに、胸の顔は相変わらず相手を見定める目です。

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 これまでの2枚(2019年4月4日、9日)を含めて、この2週間で背面以外はその表情のおおよそをアップしています。背面については、「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)と「学術交流フォーラムの音楽ワークショップで受けた刺激」(2014年12月21日)をご覧ください。

 箕面キャンパスの総合研究棟へ向かう道の八重桜は、今が見頃です。

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 いまだに、新しい部屋の整理をしています。今日、期間限定でテーブルと椅子をお借りすることができました。

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 さて、これをどうレイアウトするかが問題です。また、書棚はどうも手に入らないようなので、段ボール箱を工夫して本の収納をすることにしました。
 私とプロジェクト研究員、そしてアルバイトの方々の計8名が、この90平米の部屋で仕事をすることを、当座は想定しています。とにかく、これでようやく仕事モードに入れます。来週中には、研究活動の再始動の準備を終えたいと思っています。

 そこで、あらためてアルバイトで科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)を手助けしてくださる方を募ります。
 次の言語がネイティブの方と、これらの言語を日本語に翻訳できる方を探し求めています。英米語、チェコ語、中国語、ハングル、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語については、今年度は主な言語としては取り扱いません。今回は特に、インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語を最優先でお願いするつもりです。その次が、東欧諸語です。


【お手伝いしてほしい諸言語一覧】



アッサム語(インド)・アラビア語・ウルドゥー語(インド)・エスペラント・オディアー語(インド)・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・パンジャービー語(インド)・ビルマ語(ミャンマー)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語


 仕事をお願いすることに関しての事務的な手続きについては、まだその詳細は事務方と打ち合わせが終わっていません。これまでの例でいうと、時給950円で、火曜日と水曜日の午後に5時間以内、大阪大学箕面キャンパス(大阪府箕面市粟生間谷東8丁目1 大阪大学箕面キャンパス 総合研究棟 6階)に来てくださる方です。全国一律の規定により、交通費は出ませんのでご了承のほどを。
 やってみようと思われる方は、このブログのコメント欄を活用してお知らせください。直接お目にかかって、実際の翻訳資料をもとにしてご説明いたします。実際の仕事は、ゴールデンウィーク明けからスタートすることになります。
 なお、成果は科研のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org)に公開し、お名前は研究協力者の中のアルバイトの項目に明記します。これは、情報の質を確保する意味で責任の一端を共に担っていただく意味から、私の仕事では常に心がけていることです。

[付記]すぐには返信や対応ができないこともあることを、くれぐれもご了承願います。
 
 
 
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2019年04月09日

楽しい偶然が重なって稔りある一日になる

 今日も、太陽の塔が明るく出迎えてくれました。

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 相変わらず、研究室を使えるようにするために、段ボールを1つ1つ開梱し、少しずつ本の確認をしています。お願いしている本棚が来たら、すぐに収納できるように、グループ分けを進めています。と言っても、種類も量も多すぎて、通って来て根気強くやるしかありません。

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 そんな時、福井県立大学のフィアラ・カレル先生から連絡が入りました。福井県文書館にいらっしゃるとのことなので、そちらに電話をしました。
 用件は、過日作成した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』で、カレル先生がなさったチェコ語訳『源氏物語』に関して、底本の記述が正確ではないので訂正をしてほしい、ということでした。
 私が底本の項目に記した「佐伯梅友校注本」と「ロイヤル・タイラー本」は、フィアラ先生が翻訳にお使いになった底本ではないとのことです。いろいろと参照した本の中のものではあるがと。実際には、『日本古典文学全集』(小学館)に一番恩恵を受けたとのことでした。ということで、チェコ語訳『源氏物語』の底本の項目は、次のように訂正します。

備考:『日本古典文学全集』(小学館)等を参照


 2020年に『平安文学翻訳本集成〈2020〉』を作成します。今回の『平安文学翻訳本集成〈2018〉』は、そのための情報確認と収集と補訂のための試行版です。こうした不正確な記述に関する情報をお寄せいただけると、より正確な記述に補訂できるので助かります。

 しばらくすると、別のメールが入りました。同社大学の垣見修司先生からです。

2017年3月に奈良県立万葉文化館が刊行した『万葉古代学研究年報 第15号』に共同研究成果報告があります。
万葉集の翻訳に関わるところでは最新のものかと思います。
http://www.manyo.jp/library/20190330095508.pdf
中西進氏が主導したNARA万葉世界賞も設置されていますので、万葉文化館には海外の研究情報が蓄積されているかもしれません。


 貴重な情報です。専門外の者にとっては、こうした基本的な情報を手掛かりとして、必要な情報を手繰り寄せることになります。垣見先生の所のゼミ生を私の科研でアルバイターとして来てもらいたくてご許可をお願いしたことから、このようにタイムリーな情報をいただけたのです。ありがたいことです。

 その後、隣の外国語学部の棟の事務室に、先週お願いした書棚探しの件で、その後の進捗具合を尋ねに行こうとした時のことです。1階に下りたところ、玄関前で外国語図書館から小走りで来られるフィットレル・アーロン先生と出くわしました。

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 先月、科研の研究会で発表をしていただいて以来です。フィットレル先生が阪大の所属だと伺っていました。しかし、このキャンパスでまったく偶然の出会いにお互い驚きながらも、部屋が片付いたらゆっくりとどうぞ、とお誘いをして分かれました。こんなことがあるのです。世界は狭いものです。

 部屋の整理はそこそこに帰り支度をし出した頃、拙著『四本対照 和泉式部日記 校異と語彙索引』(和泉書院、1991年)が偶然になんとなく開けた段ボールから出てきました。この本が手元にないかというK氏とY氏からの問い合わせに対して、昨日、今はまだ引っ越しのどさくさなのでもう少しの時間を、という返信をしたばかりです。幸運なことに、たまたま開いた箱の中に一冊あったのです。本がここにいるぞ、と叫んでいたのでしょう。これも、伊井春樹先生がよくおっしゃる、探し求めていると本がお出でお出でをしてくれる、ということの一例になるのでしょうか。

 研究室の真下に阪急バスのバス停「阪大外国語学部前@」があります。そこから「阪急茨木市駅」まで乗ってみました。17時28分発で、45分もかかりました。よほどの大雨以外は使わないと思います。しかし、初めての経路を体験するのは、自分の行動範囲と移動手段が確認できて、これはこれで楽しいものです。

 日々、発見と出会いと情報が集まって来る楽しみがあります。
 まさに、気分一新のスタートです。
 
 
 
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2019年03月25日

ポーランドの園山さんから届いた翻訳本情報

 研究仲間の園山千里さん(ポーランド国立ヤギェウォ大学)の講演が、先週、モスクワとサンクトペテルブルクで開催された国際交流基金主催のイベントでありました。
 司会進行役は、いつもお世話になっているタチアナ先生です。

園山千里 ポーランド国立ヤギェウォ大学 准教授 講演会

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「平安時代の文学にみられる手紙」
【日時】2019年3月18日(月) 18:30〜20:00
【会場】ロシア国立歴史図書館
【住所】Starosadskiy pereulok, d.9, str.1(Старосадский переулок, дом 9, стр. 1)
【入場】無料(事前登録は必要ありません。直接会場までお越しください)
テーマ:平安時代の文学にみられる手紙
モデレーター:タチアナ・ソコロヴァ=デリューシナ(日本文学研究者、翻訳家)

園山千里(そのやませんり)
神奈川県生まれ。立教大学文学部卒業。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期・後期課程修了。博士(文学)取得。大学院在学中にワルシャワ大学に派遣留学。立教大学兼任講師を経て、2009年秋よりポーランド国立ヤギェウォ大学文献学部東洋学研究所日本学科准教授。ほかに立教大学日本学研究所特任研究員を兼任。専門は平安時代の文学。平安時代の物語・随筆に関する論文多数あり。最近の研究成果として、古典和歌と物語との関係について述べた専門書『Poetyka i pragmatyka pieśni WAKA w dworskiej komunikacji literackiej okresu Heian(平安時代物語和歌論)』(Jagiellonian University出版会)を2019年春にポーランド語にて刊行予定。

https://jpfmw.ru/jp/events-archive/sonoyama-senri-koenkai.html

 その園山さんから、翻訳本の情報が届きましたので、紹介します。

1、本屋「モスクワ」で購入した翻訳本
 上の三冊左から 『落窪物語・枕草子』(2018年)、『枕草子』(2019年)、俳句集(2019年)
 下の三冊 タチアナ先生の『源氏物語』

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2、『源氏物語』初版(?)。高等経済学院古典東洋古代研究所の研究室蔵本。

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2019年03月15日

新ホームページ[海外へいあんぶんがく情報]を公開

 昨日、伊藤科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(17H00912)の成果を盛り込んだホームページ[海外へいあんふんかく情報](http://genjiito.org)を公開しました。アドレスは、これまでの「海外源氏情報」と同じです。

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 まだまだ、完成にはほど遠いものです。不備も多く残っています。それを承知での公開です。いろいろと確認や点検を進めています。そのような中で、これまでの経緯が経緯だっただけに、一日も早く、少しでも多くの情報を公開しながら、補訂を繰り返しながら、よりよいものに仕上げていく方針で取り組んでいます。
 お気付きの点は、ホームページの「お問い合わせ」(改装)コーナー(http://genjiito.org/attention/inquiry/)から、遠慮なくお知らせいただけると幸いです。

 最新のデータとしては、先週発行した電子版『平安文学翻訳本集成〈2018〉』のダウンロードデータ(http://genjiito.org/aboutkaken/allresearchreports/)があります。その説明文を引きます。

■平安文学翻訳本集成〈2018〉■


 伊藤鉄也・池野陽香・門宗一郎・田中良 編/2019年3月18日発刊(非売品)
上掲『日本古典文学翻訳事典 1・2』を受けて、平安文学を中心に書籍情報を表紙画像と共に集成した。あくまでも編者の手元に集まった本だけの収録であり、当座の用途のために配布する試行版。訂正追補の呼び水になれば幸いである。


 収集集積した情報とデータを育てる中で、その情報資源と研究のノウハウを次の世代に受け渡す役割をも果たすべく、これからも本科研のテーマを掲げて研究活動をしていきます。その窓口として、このホームページが有機的な役割を果たすような仕掛けを、これから利用者のみなさまと一緒に考えて行きたいと思います。
 この情報公開のスタート地点に立つまでに、1年11ヶ月もの日時を要してしまいました。まったくの不運に見舞われたと思わずに、情報発信をスタートできた喜びを抱いて、ひたすら前を見て歩んで行くつもりです。
 これまでと変わらぬご協力とご支援を、よろしくお願いします。
 
 
 
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2019年03月12日

難行苦行だった帰路の機中での5時間

 ブカレストからの帰りも、ドバイで乗り換える便です。まずは5時間の旅となります。

 搭乗が大幅に遅れました。特に案内がなかったので、よくわかりません。空港内をウロウロとして時間を潰していました。
 離陸して1時間後に食事が出ます。ところが、なかなか配膳が進みません。ようやく私のところになったかと思うと、搭乗券を見せてほしいとのことです。座席に座るとすぐに、半券は職場に提出するので、紛失しないように大事にバッグの中に入れていました。その搭乗券を見せる意味がわからないままに、カバンの中から探し出して渡しました。CAの方は一覧表などと見比べ、いろいろと調べてから、やっと食事のパックを渡してもらえました。こんなことをしているから、配膳が進まないのです。こんなに面倒な手間をあえてするのには、何か理由があるのでしょう。事件でもあったのでしょうか。離陸が遅れたことと、関係があるのでしょうか。

 私の隣のアベックは、食事は何も受け取らないのです。ますます、よくわかりません。
 すると、ドリンクを聞きに来られました。来る時にコーヒーをお願いしたらお金を取られたので、何もいらないと言いました。隣のアベックは、水のボトルを2本もらい、クレジットカードを出してお金を払っておられます。ますます、この飛行機での仕組みがわかりません。5時間の搭乗時間では、飲み物は有料だというのでしょうか。

 食事は来る時とほぼ同じものだったので、今回もほとんど食べられませんでした。味付けが違うのです。チーズとクラッカー、そして付いていた小さな水のカップは口にしました。後で、持参の食料でお腹を満たします。なお、当然のことのように、食べた後の容器の回収もしばらく来られません。目の前の台に置いておくしかないので、邪魔で仕方がありません。

 そうこうするうちに、CAの方に足首を蹴り上げられました。激痛が走りました。しかし、素知らぬ顔で通り過ぎていかれました。CAの方にも、それなりの衝撃があったはずなのに、何事もなかったかのように去っていかれました。この後、2回ほど足を踏まれ、肩は3度もぶつけられました。そんなに座席からはみ出していたとは思えません。
 そんな中で、隣の方が2人とも2回ほどトイレに立たれました。通路側に座っていた私は、その度に通路に出ました。180席のエリアにトイレが2つしかなかったので、通路が長蛇の列になることは必定です。
 隣の方がトイレから帰って来られてからは、スマホで聞いておられる音楽が、イヤホンから音漏れがしています。また、2人の大声での話が止まらないので、耳栓がほしくなります。航空会社から配られたポーチの中に耳栓が入っていたのは、こうしたことがよくあるからでしょうか。落ち着いて座ってもいられません。
 さらに輪をかけたように、周りにいた3組の子どもや赤ちゃんが泣き騒いでいます。
 さらにさらに、その後、至る所でCAを呼び出すランプが点灯しました。空調が壊れていたらしく、とにかく熱帯の中に投げ込まれたように機内が熱いのです。私も、汗だくです。しばらくして温度は下がりました。しかし、それまでが猛烈に高温の室内だったので、逆に肌寒さと熱気が混在した温度になったのです。熱いと思っていたら寒いはで、もう大変です。後半は、肩からブランケットをかけて寒さ対策をしました。

 これらは、拷問を5時間も受けているに等しい状況です。
 もっと書けば、前の席の方がシートをいっぱいに倒されたので、私の席はあらん限りのプレッシャーがかけられていたことになります。
 どうすることもできないだけに、早くドバイに着いてほしいと願うしかありませんでした。

 極め付けは、ドバイの空港で着陸のやり直しがあったことです。これには、肝を冷やしました。最初の着陸に失敗し、もう一度上昇して、2回目で無事に着陸しました。ヒヤリとしました。
 CAの方のみならず、パイロットの方も運が向いていなかったのでしょう。
 この飛行機は、もうこりごりです。これまでは、KLMとトルコ航空はサービスが酷いので乗らないことにして来ました。今回のことで、また一つ、乗りたくない航空会社が増えました。
 
 
 
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2019年03月11日

ブカレスト大学で『百人一首』に関する基調講演

 3月9日と10日の2日間にわたって、ブカレスト大学で「日本研究シンポジウム」が開催されます。第19回とのことなので、着実に研究成果の発表と討議がなされているようです。

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 この初日9日の冒頭で、私が話をする機会を与えられました。

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 題目は「映画「ちはやふる」における百人一首の享受と恋の和歌」です(英文とは多少表現が異なります)。

 簡単な自己紹介を兼ねて、私が現在取り組んでいる研究テーマを3つ提示しました。
 (1)『源氏物語』の本文に関する研究
 (2)海外での平安文学の翻訳本の調査と収集
 (3)視覚障害者と共に『百人一首』のカルタ取り活動を支援
 また、ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」〔http://genjiito.org〕と、ブログ「鷺水庵より」〔http://genjiito.sblo.jp/〕の紹介もしました。

 本題に入るにあたり、参会者のみなさまには小倉山荘の『百人一首』をテーマとする個包装のカルタ版の〈おかき〉を配布しました。まずは、遊びの要素から入りました。
 そして、映画「ちはやふる 結び」(2018年、東宝、小泉徳宏監督)の一場面をスクリーンに映写しました。歌合わせとは何か、ということと、2首の和歌の意味をおおよそ知ってほしかったからです。
 そして、平安時代の歌合で勝負がつかなかった、恋の歌を読み解く意味を話しました。
 問題とした和歌は、次の2首です。

四〇番歌「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
         ものや思ふと 人の問ふまで」
                   平兼盛

四一番歌「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
         人知れずこそ 思ひそめしか」
                  壬生忠岑

 あらかじめ印刷して持参した8ページ分のレジメを配付し、それを活用しながら、『百人一首』の歌の配列のことや、定家が和歌をどういう意図で選定したのか、などについて確認していきました。
 質問を受けた時に、「国文学論文目録データベース」のことにも言及しました。
 この日は、作品の解釈ではなくて、研究をする視点でのアドバイスを意識して語りかけました。
 終了後も、何人かの方から質問を受けました。研究環境がまだ十分ではないようなので、1人で研究するのではなくて、複数の方との共同研究がいいのではないか、と思いました。

 時間通り、正午前には終わったので、コーヒーを一杯いただき、大急ぎで空港に向かいました。
 ブカレストの空港を発つ飛行機は、14時25分なのです。まさに、綱渡りのスケジュールです。


 

 
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2019年03月10日

カンテミール大学訪問後は書店へ

 朝10時の約束で、カンテミール大学の先生方と外国言語・文学部で親しく面談をしました。

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 お出でくださったのは次のお三方です。
 マグダレーナ・チューバンカン、カンテミール大学外国言語・文学学部助教授
 Dr. アンジェラ・ドラガン、同上講師、ルーマニア日本語教師会副会長
 Dr. アンドレーア・シオン、ヒペリオン大学日本研究学科講師、ルーマニア日本語教師会会長

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 2時間ほど、大学の様子や翻訳について、自由に意見交換をしました。
 この時の内容も、同行の保坂さんが後でメモをくださいましたので、それを引きながら以下に報告します。

〇2011年から、毎年研究会を行い、紀要を出版している。英語版もあり、インターネットに公開している。

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〇文学関係で、日本にいるルーマニア人研究者としては、兵庫大学にカルメン・タマシー(上記研究グループにも所属)、イリナ・ホカ(東大)、ローマンさん(神田大学)がいる。
〇(シオン氏)日本の書籍でルーマニア語に翻訳された書籍のリストとしては、Scumpieru氏が編集した本に掲載されているものが最も網羅的だと思われる。2011年までに出版されたものが掲載されている。(大使館で作成したリストを見て、)必ずしも網羅的ではないので、これを作った大使館のフロレンティナ・トマ氏と連絡をして、改定したものを伊藤教授の方に送りたい。
〇「Fujiwara Teika」(内容は百人一首の解説本)の訳者はカンテミール大学に所属している。しかし、現在はサバティカルで不在。
〇ヒペリオン大学には、日本学科があり、学生は50人在籍、1年生は20人弱入学。カンテミール大学では、日本語を勉強している学生は25人程である。他に日本語学科があるのは、ブカレスト大学、バベシュ・ボヤイ大学(クルジュ市?)、ルーマニア・アメリカ大学(ブカレスト市)である。
〇翻訳は、出版社から話が持ち込まれるものをそのまま訳すことがほとんどである。出版社の方で売れ筋の作家を決めて持ち込んでくる。自分たちの方から訳したいものを取り上げるのはほとんど不可能である。そのような贅沢ができるのは、ホンドル先生のような、名前が通った権威のある人だけである。
〇翻訳は、かつてはアカデミック・ポイントにならなかった。しかし、現在は幾分状況が改善されている。国内学会での発表は10点、国際学会での発表を20点とすると、翻訳は2〜5点である。
(伊藤教授からは、現在進めている平安期文学作品の外国語訳本のデータベース、出版の活動状況の説明、ルーマニア側の研究者の状況、日本語作品の翻訳事情を聴き、今後の情報提供を依頼した。)


 お昼には、在ルーマニア日本大使館の代理大使も務めておられる渡部隆彦参事官とご一緒に食事をしました。お店は「涙と聖人」という名前で、ルーマニアの郷土料理をいただきました。
 このお店の名前は、詩的な表現となっています。ブログやフェイスブックで発言する方々は、必ず詩を書いておられるそうです。

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 ブカレスト大学で勉強をなさった渡部さんの話は、政治・経済・文化にわたる幅広い話題で、大いに知的好奇心をくすぐられました。渡部さんは、オーストラリアでは、総領事だった保坂さんの部下だったとのことです。仲むつまじい上司と部下の再会には、爽やかで温かな空気を感じました。私はというと、日頃はお付き合いの機会がない外交官の方々との会食で、しかも異国でのこともあって、ほんとうに楽しいものでした。

 午後は、書店巡りです。ホンドル先生の『源氏物語』は、どの本屋さんにもあります。

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 古書店でおもしろい本を見つけました。どこの国でも、古書店は楽しみの館です。

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 ピータ・マクミランさんの英訳『百人一首』なども入手しました。英語の本であっても見つけた時が買い時だと思うので、いろいろと買いました。
 この日の収穫は、こんな本たちです。英語の本も混じっています。

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 3月8日は女性の日です。街の至る所で花が売られています。花をもらった女性が、たくさん歩いておられます。
 聞くところによると、2月のバレンタインデーに始まり、3月1日、8日は、男にとってはじっと我慢を強いられる3日間だそうです。世界のいずこも、女性の機嫌をとることに疲れる男性はいるものです。今や、女性の存在なしには社会は動かないのです。そうであるからこそ、余計に男性の肩身は狭くなっている、と嘆く方に出会いました。すみません。私もぎこちない思いをするタイプなので、同感するところが少なからずあります。女性にお花を贈るなど、照れくさくてできません。

 農民博物館では、茶碗と建水に使える陶器と、孫のおもちゃを買いました。このお土産物屋さんは、なかなか見つけにくいところにあります。次の写真のドアは平時には閉じているので、入りにくいのは確かです。

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 このブカレストの街のそこかしこで見られる街並みの重厚感は、社会主義の時代の雰囲気を留めています。実際に歩くと、かつての時代が実感として伝わってきます。失礼ながら、小京都とでも言う落ち着いた雰囲気があります。また来たくなります。

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 夜は「カルク・ベーレ」(ビールの馬車)で、食事をしながら民族舞踊を観ました。

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 ルーマニアはラテン系の民族だとのことです。こうした踊りを目の当たりにすると、おのずと納得します。豪華な中にも伝統の積み重ねを感じさせるお店で、楽しい食事となりました。
 素晴らしいお店に連れて行ってくださったガイドのダンさん、ありがとうございました。
 
 
 
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2019年03月09日

ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話

 夜は、ホンドル先生のご自宅に招いていただきました。先生ご自慢のロールキャベツなどなど、しかも食の細い私のために、小さめで薄味のおかずを用意してくださいました。お気持ちともども、おいしくいただきました。

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 お食事をいただきながら、『源氏物語』のルーマニア語訳の仕事をなさった時の話をうかがいました。
 先生は、日本文学に関してルーマニアで最も著名な方です。最初の翻訳は近松門左衛門の作品からだった、とのことです。
 そんな話が始まってすぐに、私が見たこともない、まったく情報を持っていなかったルーマニア語訳『源氏物語』を見せてくださいました。このことは、一昨日の記事、「【速報】1969年版ルーマニア語訳『源氏物語』との出会い」(2019年03月08日)に書いた通りです。とにかく、感動的な『源氏物語』との出会いでした。
 その他にも、先生ご自身の訳ではないものとして、1986年のルーマニア語訳『落窪物語』、

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『枕草子』、

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『百人一首』、

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 そして、やはり一番時間をかけてうかがったのは、今回先生が刊行なさったルーマニア語訳『源氏物語』のことです。

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 表紙に『源氏物語団扇画帖』が使われていることについては、翻訳をする上で大いに役立ったのが『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)だったからだそうです。この本はすばらしい、とのことでした。そして、この本には非常に助けられたとも。

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 そこで、実はその本は私が編集責任者として2008年の源氏千年紀に作成したものです、と言うと、先生も驚いておられました。そして、いい本をありがとう、と感謝されました。お役に立てたことを嬉しく思います。

 さらには、上記の『落窪物語』、『枕草子』、『源氏物語』を頂戴することとなりました。私が取り組んでいる翻訳本プロジェクトに理解を寄せてくださったからでもあります。昨日の『源氏物語』ともども、多くの方々にこうした翻訳本を実際に手に取って見てもらえる環境を作ることと、次世代へと長く引き継いで伝えて行きたいと思います。

 長時間の面談で、話は際限なく広がりました。私はあまりの嬉しさに興奮気味だったこともあり、同行の保坂さんが後でメモを渡してくださいました。その保坂さんのメモを引きながら、思い出せる限りを記しておきます。
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■アンジェラ・ホンドル先生ご自宅訪問(2019.3.7/18:30〜21;30)


〇源氏物語の訳は2014年に始めた。トロントで『源氏物語』を翻訳しようと決意した。完成に2年8か月掛かった。(手書き原稿とプリントアウト原稿はそのまま先生の部屋に残っている。後掲写真参照)
○村上春樹の訳は、1200頁を3ヶ月で訳した。対して『源氏物語』は、1300頁を2年8ヶ月かかった。
○敬語のことで苦労した。
〇20数年前にサイデンステッカーの英訳を読んだ。今回の訳作業の開始に当たっては、谷崎訳、与謝野訳、円地文子訳を読み比べて、与謝野訳に決めた。決めた理由は、谷崎訳は男性訳で堅い感じ、と円地訳は漢字が多くて堅いと感じ、何れも雅な香りが幾分損なわれていると感じたから。(伊藤から、谷崎訳には、山田孝雄、玉上琢也が校正作業を手伝ったことが知られていると説明。)
○40章までしか訳していない。与謝野訳の第3部は原作と離れたところが多いことと、内容も、宮廷の話というよりは、恋の話に終始しているため。(これには、伊藤もその判断に賛同)
〇訳の作業に当たっては、タイラー訳、ウエイリー訳、末松訳も参照した。タイラー訳は、原作の香りを伝えていて良い訳だと思う。(サイデンステッカー訳は、今回は参照できなかった。娘がいるトロントにかなり書籍を送ってしまい、向こうにあるので。夏はトロントに行っている。)
〇和歌の訳は難しく、たまたま小学館の「古典文学全集」の寄贈を保坂さんから受けなかったら、作業を諦めていたかもしれない。
○タイラー訳は、和歌が私の好みとは違う。
〇作業手順は、手書きで訳を書き、更に手書きで訂正を入れた原稿を、コンピュータに入力した。

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○プリントアウトしたものは、西池万葉氏(現日本大使館政治担当書記官、この日に同席)に、主に和歌の部分を再度見てもらい訳を決めた。和歌の訳では、あまり説明調にならないように、ルーマニア語の響きを大切にする方針で作業した。(手伝った西池氏によると、和歌の訳の整定の部分では、かなり意見の対立があった由で、その調整に苦労。また、部分的には、日本で古文の先生をしている同級生に質問して情報を得ていた。夫も手伝ってくれた、とも。)

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○この話に出てくる手書きの原稿は、草稿から第4次の原稿まで残っている。

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〇日本語の勉強は、1972年に大使館の館員であった津島氏(後大使)が行っていたオープン日本語講座に参加したのが切っ掛け。その2年のコースを終えたのは自分一人だけであった。その後2年間日本で勉強する機会を得た。
○教え子の一人が秋田大学にいる。言語学専門。
○出版社からの依頼で翻訳することが多い。
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 ホンドル先生は、神楽、絵馬などの伝統的なものも訳しておられます。写真左端のプリントは、日本語訳のバージョンを作成するために準備なさっているものです。

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 話は尽きません。またの再会を約して、その日の夜はお別れをしました。
 階段まで、ずっと手を振って見送ってくださいました。
 
 
 
posted by genjiito at 14:54| Comment(0) | ◎国際交流

2019年03月08日

日本大使館で日本文学と教育に関する情報を収集

 定刻にブカレストの空港に降り立ちました。あらかじめお願いしていたガイドさんであるダンさんの車で、まずは日本大使館を訪問しました。

 今回の旅は、日比谷図書文化館の古文書塾「てらこや」で、私が担当している『源氏物語』の鎌倉期写本を読む講座に、今年の1月から受講してくださることになった保坂英博さんとの出会いから、急遽実現したものです。私が、『平安文学翻訳本集成〈2018〉』の話をしたところ、そのゲラにルーマニア語訳『源氏物語』のことがないことをご教示いただいたことに端を発します。そのルーマニア語訳の仕事に関して、翻訳者であるホンドル先生のお手伝いを保坂さんがなさったとのことです。それでは、ルーマニアに行って翻訳者とお話がしたいという希望を伝えたところ、トントン拍子に話が進んだのです。
 保坂さんは国際交流の仕事をなさっているとのことだったので、世界を飛び回っておられたビジネスマンなのだなという理解で、提示される内容を進めていただいていました。ある時、プロジェクト研究員の大山さんから、保坂さんは2015年9月まで在ルーマニア日本大使館参事官で、2015〜2017年に在ブリスベン日本総領事だった方でした、という情報が入りました。どうりで、お願いしたことが次々とまとまっていくはずです。その不思議さに納得しました。

 そんなこんなで、ルーマニア訪問の段取りを保坂さんにお任せしているうちに、こうして今ご一緒にルーマニアに来ているのです。関空から飛び立った私は、羽田からお越しの保坂さんとはドバイで待ち合わせました。そして、共にブカレストに降り立ったという経緯があったのです。

 日本大使館では、警備員の方をはじめとして、保坂さんのかつてのお知り合いの方との久しぶりの再会で、懐かしさとともに迎えられての大使館入りです。
 入口に嵌め込まれている日本大使館のプレートの「I」や「A」の頭に付いている記号「^」の有無に関する説明は、発音に関するものであることがよくわかりました。

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 大使館員である関谷美緒さんとフローレンティナ・トマさんからは、興味深い話をたくさんうかがいました。その過程で、大使館で整理なさった翻訳本のリストをいただけることになりました。私の方で、科研やブログを通して公開しても構わないとのことでした。ルーマニア語に翻訳された本のデータを、広く活用できる道をつけてくださったのです。来週以降に公開し、みなさまからのご教示やご協力をいただこうと思っています。
 また、ルーマニアの日本語教育事情も教えていだきました。そして、分析を加えた資料も提供してくださったので、これも翻訳本のデータと共に、来週以降に報告します。

 ビルの8階にある大使館の入口には、お雛さまの7段飾りがありました。お内裏さまとお雛さまは、京都以外の並べ方でお姫さまが向かって右側におられます。この前で、みんなで記念撮影をしました。

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 長時間の滞在で、多くの情報をいただくことができました。ありがたいことです。その後は、ガイド兼運転手をお願いしているダンさんの運転で、今回の主目的であるホンドル先生のご自宅に向かいました。

(以下つづく)
 
 
 
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【速報】1969年版ルーマニア語訳『源氏物語』との出会い

 アーサー・ウェイリーの英訳『源氏物語』を、ルーマニア語に翻訳した本との出会いがありました。やはり、現地に足を運ぶと、確実に新しい本との出会いがあります。

 伊井春樹先生から教わった1つに、「本は探し求めている人においでおいでをする」ということばがあります。今、それを思い出しています。

 昨夜、今回の調査旅行の目的である、『源氏物語』のルーマニア語訳をなさったホンドル先生のお宅に招かれて、さまざまなお話をしていた時でした。
 先生が書斎の書棚から取り出して見せてくださった本の中に、私がまったく情報として持っていなかった、ルーマニア語訳『源氏物語』がありました。

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 奥付を見ると、1969年に刊行されたものです。この年には、アーサー・ウェイリーの英訳を基にしたオランダ語訳「夕顔」巻が翻訳されています。前年には、スロベニア語訳が出ています。

 今回、私の前に姿を見せた1冊のルーマニア語訳『源氏物語』は、第9巻「葵」までを収録しています。

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 ホンドル先生のご好意により、この本を私のライブラリーに加えてもいいということで、拝受することができました。ありがたいことです。大事に保管し、若い世代に伝えて行きたいと思います。

 詳しくは帰国後に報告します。
 
 
 
posted by genjiito at 15:34| Comment(0) | ◎国際交流

2019年03月07日

ドバイからブカレストへ向かう機中でのこと

 ドバイで4時間の乗り継ぎ待ちをしていた時のことです。
 ブログを毎日発信している「さくらネット」につなげようとしたところ、この国ではそのサイトにはつなげられない、という表示が出ました。「This website is not accessible in the UAE.」
 いろいろと操作をしているうちに、どさくさ紛れというか、どうにかつながったのでブログをアップしてみました。その後、またつながらなくなりました。よくわかりません。

 乗り継ぎ便は空いていて、5分の1以下の乗客を乗せて飛び立ちました。もちろん、日本人はいません。
 軽食が出ました。今回も、ノドに支えて通りません。どうも食が進みません。

 CAの方にコーヒーを頼んだところ、何と有料でした。日本では、国内線でのお酒なら有料です。しかし、国際線なのに、と思いながらユーロしかないと言って、5ユーロを渡すと、「ユナイテッド・アラブ・エミレイツ・セントラル・バンク」発行の、緑色をした小振りのお札「10 DIRHAMS」が1枚戻ってきました。
 孫と一緒に、ままごとでお買い物ごっこをしているような気持ちです。この紙幣は、その価値もわからないままに財布に記念として納めました。
 コーヒーはスティックの粉末コーヒーを溶かしたものでした。

 座席のモニタのタッチパネルで映画を選択すると、これもすべて有料です。「Buy」を押すと「AED 15」と「AED 35」の2つのパッケージを選択するようになります。通貨の単位をドルにすることで、一本「450円」であることがわかりました。
 いろいろな異文化体験を、あれやこれやと楽しんでいます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:56| Comment(0) | ◎国際交流

初めてのドバイでカプチーノとチーズケーキ

 初めてのエミレーツ航空の機内は、比較的ゆったりしていました。ただし、CAの方が後ろのエリアでやたら立ち食いをしておられたので、下品だなと思いました。よく食べる方でした。アルミのケースの上に食事を並べたり、非常口の出っ張りのところに紙ナプキンを広げて、赤ワインやおつまみなどもありました。見たくない光景です。

 機内食は、2食ともにほとんど食べられませんでした。体調が悪いわけではないので、味付けでしょうか。8割方は残しました。持参のチーズでしのぎます。

 映画は『万引き家族』と『羊と鋼の森』を観ました。いい映画だと言われている作品です。しかし、私には何が評価されているのか、よくわかりませんでした。合う合わないがあるものです。

 ドバイの空港はとにかく広いのです。乗り換えに20分は歩きました。
 疲れたので少し休憩。。
 ドバイのカプチーノとチーズケーキです。

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 これで少しでも栄養補給になればいいのですが。2つで1500円です。
 さて、これからブカレストに向かいます。
 
 
 
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2019年03月06日

関空からドバイ経由でブカレストへ

 午前中の会議に出席し、研究室の資料を整理してから、今夜の旅立ちのために眼下の関西国際空港へキャリーバッグを引きずって移動です。

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 関空からルーマニアのブカレストへ行くためには、ドバイで乗り換えます。
 ドバイまでの飛行時間は11時間。
 乗り継ぎの待ち合わせ時間は4時間ほどあります。
 ドバイからブカレストまでの飛行時間は5時間半。
 合計21時間かけてブカレストに行くことになります。
 今回の目的は、『源氏物語』のルーマニア語訳をなさったホンドル先生にお目にかかり、翻訳に関してお話を伺うことにあります。
 また、日本大使館の方とも今後の情報交換の打ち合わせをし、カンテミール大学では先生方と懇談をします。
 さらに最終日には、ブカレスト大学で開催される「日本研究シンポジウム」で『百人一首』に関するお話をすることになっています。
 慌ただしい3日間となりそうです。
 
 
 
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2019年02月17日

モンゴル出身力士の千昇さんと両国で語る

 日比谷図書文化館の講座が終わってから、地下鉄を乗り継いで両国駅に向かいました。行き先はモンゴル料理の「ウランバートル」。

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 初対面の千昇秀貴(エンフバートル・バヤルバト)さんは、横綱白鵬と同期生の相撲取りでした。今は、白鵬を支援しながら、大志を抱く実業家です。
 化粧回し姿の写真をいただきました。ファンだった方もいらっしゃることでしょう。

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 その千昇さんと、縁あってモンゴル料理をいただきながら長時間、さまざまな話題で楽しく語り合いました。
 千昇さんは、ウランバートル出身で、初土俵は平成13年です。幕下と三段目で優勝。平成24年に十両にあがり、相撲の世界から離れてからは、モンゴルの大草原の中を疾駆する勇姿を彷彿とさせる勢いで、夢に向かって若者と事業を展開しておられます。私も、負けず劣らず夢語りが好きなので、時間を忘れてモンゴルに旅したことに始まり、チンギスハンやコンピュータのことなど、久しぶりに夢満開の時間を共にすることができました。
 特に戦争の話では、お互いの家族のことで話題が合いました。千昇さんのお爺さんは1921年生まれ。私の父は1916年生まれ。共に戦時中は満洲の地(チチハルやハルピン)では、敵同士だったのです。終戦後、父はシベリアに抑留され、千昇さんのお爺さんは医者としてロシア軍と共に日本軍と戦われたのです。奇遇というべきか、父も軍医。もっとも、馬の医者でしたが。
 凍土で亡くなった方々の冥福を祈りながら、今後の友好を誓い合いました。ここに書ききれないほどの、貴重な話ができました。
 千昇さんは、多くの写真を持ってきてくださいました。その写真の1つ1つは、あらためて確認します。

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 モンゴルで働く日本軍の捕虜兵士の写真も見せてくださいました。これも貴重です。何らかの形で、日本の遺族の方々に渡ったらいいと思いました。

 私がモンゴルに行ったのは2010年1月です。零下34度の凍てつくウランバートルを、2週間かけて飛び回りました。
 あらかじめ私の調査旅行記でもあるブログを見てくださっていたので、お互いの情報が共有されていたことも幸いし、豊富な話題で話が盛り上がりました。ブログの中から、話題となったことに関するリンク先のいくつかを上げておきます。特に、「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」で書いたことは、戦争について理解を共有するものとなりました。
 なお、父が生きていたら行きたいであろう戦没者の墓地へ、代わりに私が行っています。モンゴルがそうだったように、昨春はミャンマーの慰霊碑に詣でました。「戦没者慰霊碑や旧王宮や2つの日本語学校を飛び回る」(2018年03月16日)。また、「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)では、ビルマでのインパール作戦にも触れながら、ミャンマーやシベリアと両親の満州暮らしにも言及しています。おついでの折にでもご参照願います。

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「マイナス34度のウランバートルに到着」(2010年01月10日)
「雪の中のゲルを訪問し馬に乗る」(2010年01月12日)
「モンゴル語訳『源氏物語』の話」(2010年01月13日)
「読み継がれる日本センターの本たち」(2010年01月15日)
「チンギス・ハーン像に上る」(2010年01月16日)
「モンゴル相撲観戦記」(2010年01月17日)
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)
「モンゴルでの日本語教室に参加」(2010年01月18日)
「モザイク壁画の前に佇んで」(2010年01月21日)
「山岳寺院と宮殿博物館と写本文化」(2010年01月22日)
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 遅くなったので昨夜は蔵前に泊まり、今朝は所用のために大急ぎで帰洛です。
 何気なく調べた乗り換え案内のアプリを見て、アレッと思いました。お茶の水駅での乗り換えが変なのです。

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 総武線「三鷹行き」からお茶の水駅で中央線の「東京行き」に乗り換えるのに、「同じホーム乗換」とあるのです。到着ホームのすぐ向かいに東京行きが来るのですから、これはラッキーです。工事か何かで、ホームの利用が変わったのかなと思いながら乗りました。しかし、お茶の水駅に着くと、予想通り中央線は連絡橋を渡った反対側のホームでした。上の画像を見ると、総武線は2番線に着き、乗り換え後の中央線は4番線から発車するという情報が確認できます。やはり、「同じホーム乗換」という表示がおかしいようです。
 大したことではありません。しかし、荷物が多かっただけに、階段の昇り降りが予想外にきつくて、別のルートで東京に出ればよかったと思いました。

 いつものように富士山には気品を感じます。

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 帰りを迎えてくれる京都タワーは気持ちを引き締めてくれます。

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 その点では、東京スカイツリーには何も感じません。
 「江戸漫歩(56)佃テラスから見るスカイツリーと業平橋駅」(2012年05月23日)に書いたように、「なりひらスカイツリー駅」にでもしたらよかったのに、と思っています。
 今回は、そのすぐそばに泊まっていました。
 しかし、シャッターは押していません。
 
 
 
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2019年02月09日

ビルマ語訳『女房三十六人歌合』に関する中間報告

 昨年3月に、ミャンマーの国際交流基金ヤンゴン仮事務所で、ビルマ語訳『女房三十六人歌合』と出会いました。速報として、本ブログの「ビルマ語の翻訳本と異文化交流の現地調査と資料収集は続く」(2018年03月09日)の末尾に、写真と共にそのことに触れています。その時は本の中も含めて写真に収めただけで、帰国後にいろいろと調べていました。

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 そもそも、私はビルマ語がまったくわからないので、調査は遅々として進みませんでした。そんな中、再度ヤンゴンへ行き、国際交流基金の新事務所開設のイベントに参加することになりました。昨年末から年始にかけて、国際交流基金ヤンゴン事務所の佐藤所長とメールをやりとりしている中で、次のような意外な展開がありました。
 まず、佐藤さんからの説明の中に、以下の文章がありました。

文学方面のカウンターパートということでPEN Myanmarと相談したところ、大変興味をもってくれたけれども、和歌を非日本語話者の文学関係者に紹介するには用意周到に計画をたてて臨みたいので、次回以降に改めて検討したいとのことでした。会長のMa Thidaさんは英語からの重訳で和歌の翻訳もした人なので、この機会を本当に大事に考えたうえでの意見ということで、尊重したいと思います。


 この文章にあるPEN Myanmarの会長のお名前に「Ma Thidaさん」とあったことに対して、情報共有をしている私の科研のプロジェクト研究員である大山さんからすぐに反応がありました。「会長のMa Thidaさんは『女房三十六人歌合』の翻訳者だと思われます」、というご教示なのです。
 大山さんには、ミャンマーで見つけた日本文学関連の写真すべてを確認してもらい、そこに写っている書影から翻訳本のリストを作成してもらっていたのです。私だけがこの整理をしていたら、「Ma Thidaさん」のことには思い及ばなかったはずです。
 偶然とはいえ、一つの手がかりが得られました。さらには、この『女房三十六人歌合』という本には個人的な歌仙絵の興味から、なぜこれが翻訳されているのか不思議に思い、念のためにその本の中身を全頁写真に撮っていたのです。
 まず、表紙と裏表紙です。

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 中の奥付にあたる部分もあげます。

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 早速、佐藤さんに、『女房三十六人歌合』の翻訳者と思われるMa Thidaさんと、連絡をとることは可能かを問い合わせました。すぐに佐藤さんからは、以下の回答が届きました。

 Ma Thidaさんをご紹介するのはもちろんできますが、彼女は日本語はまったくおできになりません。英語からの重訳をされたと聞いています。彼女は日本文学をミャンマーに紹介するキーパーソンには間違いないですが、日本文学の専門家ではない点、お伝えしておきます。また、残念ながら今回お越しいただくタイミングでは海外出張が入っているそうで、今回お会いするのは難しそうです。英語でメールのやりとりをされたい場合には、本人に私から趣旨をお伝えしたうえでメールアドレスをご案内します。あるいは、質問項目をいただいて、私からそれをお伝えするということも可能です。


 佐藤さんの懇切丁寧な説明と対応の助言を得て、これでビルマ語訳『女房三十六人歌合』に関する調査の足がかりができました。ありがたいことです。
 大山さんが、さらに詳しい情報を集めてくださいました。以下、引用します。

@ タイトル:『太陽の光 ポエム』(?)
  翻訳者:【画像の赤字の部分(マ ティ ダー)。カッコ内は、出身地(サン チャウン)】
      PEN Myanmarの会長Ma Thidaさんと同一人物と思われる。
  出版社:ティン サペー
  刊行年:2011年8月
      英語からの重訳と思われる


 このビルマ語訳の底本となったと思われる英語本の存在も、絶妙のタイミングで探し出してくださいました。

A タイトル:The Thirty-Six Immortal Women Poets
  翻訳者:Andrew J. Pekarik
  著者:Eishi Hosoda(細田栄之)
     Chobunsai Eishi イラスト(鳥文斎栄之:細田栄之と同一人物)
  出版社:George Braziller
  刊行年:1991年10月1日
  表紙:『錦摺女三十六歌仙』鳥文斎栄之・葛飾北斎
     寛政13年(1801年)春刊 西村与八版
     10~11ページ 式子内親王の絵
  底本:『錦摺女三十六歌仙』鳥文斎栄之・葛飾北斎 と思われる


 さらには、この本を手際よく入手してもらえました。

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 ビルマ語訳『女房三十六人歌合』の11頁に、次の挿し絵があります。

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 この絵は、英語本『The Thirty-Six Immortal Women Poets』の184頁にある、小野小町の挿し絵に該当します。

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 つまり、ビルマ語訳の底本である原本との配列は異なっているにしても、ビルマ語に翻訳するに際しての底本は、この一事で明らかになったと思います。

 これで、次回ミャンマーへ行った時に、翻訳者であるMa Thidaさんと面談した折に、翻訳にあたってのお話を伺う準備ができました。
 このようにして、着々と『平安文学に関する翻訳本』に関する情報が集まっています。
 本書に関して、さらに情報をお持ちの方からの連絡をお待ちしています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:50| Comment(0) | ◎国際交流

2019年02月03日

ヤンゴンの書店に立ち寄ってからの帰路

 昨日のヤンゴンの暑さは34度でした。空港に移動し、冬の日本に向かって飛び発ちます。
 その途中で、大きな書店に立ち寄りました。日本大使館の岸氏が参考になればということで、昨日の会場で見せてくださった、ビルマ語訳『百人一首』を購入して帰るためです。その表紙の写真を書店の方に示して探してもらいました。

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 残念ながら、2軒ともありませんでした。すでにあることがわかっている本なので、すぐに手に入ることでしょう。

 2件目の書店は、ダウンタウンの一角にありました。このような地域が大好きな私も、いかんせん今回は自由に動ける時間がありません。

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 心残りのままに、雑居ビルの中にある書店に入りました。わざわざ事務所から出て来られたオーナーが、日本文学関係のおもしろい本をたくさん出してくださいました。ほとんどが村上春樹です。

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 昨年3月にミャンマーで買い集めた本や、ネピドーにある国立図書館と国際交流基金とにある日本に関係する本のリストは、プロジェクト研究員の大山さんが出発前に、エクセルでデータベース化してくださっていました。それが、早速役立ちました。すぐにパソコンを開いて、目の前の本を一冊ずつ確認しました。その結果、私の手元にない4冊(上段にあるもの)だけを買い求めました。
 上段の左から、『みずうみ』(吉本ばなな)、『三四郎』(夏目漱石)、『タテ社会の人間関係(?)』(中根千枝)、『n.p』(吉本ばなな)、『デスノート1』(漫画版、吹き出しがミャンマー語)です。このうち、『n.p』はすでに入手ずみです。
 ここのオーナーは親切だったので、後日あらためてリストを送り、日本の文学・文化・歴史に関する本を集めてもらおうと思っています。
 この書店の一角は、摩訶不思議な古書の山でした。古い雑誌に連載されていた漫画を集めて製本したものや、挿し絵から日本らしい本だと思われるもの、戦時中の日本軍の写真集などなど、所狭しと堆く積んであります。背表紙に記されたビルマ語がまったく理解できないので、次回はわかる方と一緒に来たいものです。

 今回は慌ただしく時間に終われる数日だったので、食事のことを書く暇がありませんでした。昨年3月に来た時に気になっていた茶葉のサラダを、今回は食事の時には必ずいただくようにしました。特にカルタ会が終わってから行ったお店では、前日にいただいたものとは違う、茶葉を多くしてナッツ類を控えめにしたスペシャル版を作っていただくことができました。

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 茶葉があまり味と香りを主張しないので、まだ違いがよくわかりません。それにしても、興味深い食材です。
 出発前に、お茶の研究者である王静先生から、食べるお茶に関する文献を紹介していただいていました。その中の一本の論文に、次の記述がありました。

茶の利用形態に則していえば、飲む茶としてのチャ文化圏、食べるチャとしてのミアン文化圏という大きな文化圏を設定することが可能となる。(中村羊一郎2015『番茶と庶民喫茶史』323頁)


 食茶文化に興味を持ちだし、その実態を自分の目で観察しようと思っていました。しかし、今回は果たせませんでした。この食茶文化は日本ではどうだったのか、平安時代のお茶は、などなど、疑問が尽きません。すべて、今後の課題です。
 そのためもあって、家族へのおみやげはすべて茶葉のサラダの真空パックです。帰国して早々にいただきました。おいしくて病みつきになる、と好評です。

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2019年02月02日

【補訂版】ヤンゴンのジャパン・カルチャー・ハウスで盛況だったカルタ取り

 宿泊したホテルの5階から、早朝のヤンゴンの小路の様子を写しました。表通りは、さらに活気があります。

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 このホテルの入り口には、元気寿司の垂れ幕がありました。私が世界各国で探し求めている、回転寿司なのだそうです。ただし、今回は時間の余裕がないので、残念ながら行けません。次回にしましょう。

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 国際交流基金ヤンゴン事務所に併設されているジャパン・カルチャー・ハウスで、「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」というイベントの2日目が開催されました。

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 市内近在のみなさまや、20人もの子供や若者たちが集まっています。総勢、30人を超えたため、部屋は満員です。このジャパン・カルチャー・ハウスに親しく通う現地の方々も多いとのことなので、この2年間のスタッフのみなさまの地道な努力がこうしてその成果を見せ始めています。

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 今月中旬以降には、ここからほど近い新施設へ本事務所が移転するので、さらなる発展が予想されます。このジャパン・カルチャー・ハウスが、ミャンマーの方々と日本文化との出会いの場所となるのです。そして、このヤンゴンを訪れた方々の情報交換のセンターとなれば、すばらしい国際交流の拠点となるはずです。今後が、ますます楽しみです。そして、新しく所長になられた佐藤さんのキラキラした思いが、このヤンゴンの地から拡がって行くのです。インド、エジプトでのご縁があるので、このミャンマーでも、文化・文学・歴史の分野からのお手伝いをしたいと思っているところです。

 現在、「JAPANESE FILM FESTIVAL 2019」が開催されています。

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 この中で、今日2日(金)と明日3日(土)には、映画『ちはやふる 結び』が上映されます。

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 それに合わせて『百人一首』に関するイベントを展開しよう、というのが、今回このヤンゴンに来た理由です。
 昨日は、ヤンゴン外国語大学で、先生方や学生さんたちに、『百人一首』に関する少し専門的な視点を盛り込んだ講義をしました。
 今日は、ジャパン・カルチャー・ハウスで、一般の方々を対象にした『百人一首』のお話とカルタ取りのワークショップです。
 まず、一緒に行った同僚の橘先生が、「『百人一首』カルタの絵」と題して、カルタの歴史に始まり、『百人一首』に描かれた歌人の絵姿の文化的な背景などを、やさしく語ってくださいました。『百人一首』が日本の文化や歴史の中でどのように位置づけられているかが、若い方々にもよくよわかる話となっています。
 それに先立ち、みなさまには、『百人一首』のカルタを模した包装紙に包まれている、小倉山荘のおかきを配りました。場所が佛教国ミャンマーなので、「坊主めくり」などの説明にはいろいろと工夫しておられました。

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 後半は私の、「『百人一首』の覚え方とあそび方を体験する」というセクションです。持参した『きまり字五色二十人一首 読札・取札セット』と『点字付き五色百人一首』(バリアフリー版)を回覧して、実際に札を手に取って見てもらいました。その後、インドでのカルタ会や目が見えない方々がカルタを取る様子を写真で紹介しました。

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 競技用にカルタを暗記する話に関連しては、スマホ用の無料アプリが36種類もあることや、『百人一首』に関するお菓子も見てもらいました。

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 その後、みんなでカルタ競技を楽しみました。

 まずは、昨年タイで開催された国際競技大会に出場したり、カルタ競技に親しんでいる4人の子供たちが、畳の上でエキシビションとしてカルタを取ってくれました。みんな日本から来ている子どもたちで、札のやりとりに戦術を考えていることなど、なかなかの腕前です。この4人は、大使館の一等書記官である岸氏の息子さんと、国際交流基金ヤンゴン事務所長の佐藤さんのお嬢さんたちです。ミャンマーでのカルタ取りの先導役となってもらいましょう。
 昨年の国際大会で3位になったタイを追いかける若者が、これから育っていくことを楽しみにしたいと思います。

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 カルタ競技がスポーツであることを目ていただいたあとは、みんなでカルタ取りに挑戦です。 『きまり字五色二十人一首』を4組使い、1度に8人がカルタ取りにチャレンジです。歌を読み上げているのは、佐藤さんのお嬢さんです。

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 カルタを取り出すと、頭と手がフルに活性化されるので、熱中して大いに盛り上がります。これは、今後につながるイベントとして育つことでしょう。
 今回のミャンマー訪問は、こうして収穫の多い、大成功の旅となりました。

 (以下、続く)
 
 
 
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2019年02月01日

ヤンゴン外国語大学で講義

 午前中は、ヤンゴンの中心地にあるシュエダゴン・パゴダという寺院へ、佐藤さんに連れて行ってもらいました。約2500年前に建てられたものだそうです。昨年3月のブログを見返すと、ここに来ています。しかし、あの時は慌ただしく移動していたせいか、記憶が曖昧です。今回は、じっくりと時間をかけて拝観しました。

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 ちょうど、奉納された金箔をパゴダの内部に運び込む、珍しい儀式に出会えました。粋なパフォーマンスです。

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 さらには、巨大な涅槃仏であるチャウッタージー パヤーにも立ち寄ってくださいました。初めて見るものです。立ち上がると、東大寺の大仏様とどちらが背が高いか、などと考えたりしました。

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 午後3時には、ヤンゴン外国語大学へ行きました。昨年3月にも来ており、今日もお越しの佐藤先生にお話しを伺った大学です。

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 今回は、国際交流基金がヤンゴンの地で活動を開始したこともあり、新しい表示板が取り付けられていました。

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 教室に行く踊り場には、学生たちの習字が張り出されています。

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 このヤンゴン外国語大学では、「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」というテーマで用意を進めてきました。
 私の題目は、「映画『ちはやふる』の恋の歌二首 ―四〇番歌「しのぶれど」と四一番歌「恋すてふ」―」としました。国際交流基金が映画『ちはやふる 結び』を上映なさることと連動しての企画です。
 予定していた内容は、平安時代の歌合で勝負がつかなかった歌を読み解くことで、日本文学に興味をもってもらうことでした。しかし、昨日来、佐藤さんからヤンゴンの大学事情について話を伺っているうちに、和歌の解釈を中心とする話は控えめにすることにしました。そうではなくて、日本語の学習に留まることなく、その次のステップとして、理解した日本語で日本の文化や文学や歴史について考える、という研究指向へと興味と関心が向くような話をすることに変更したのです。
 十数年前にインドでやりはじめたこの手法で、これからのミャンマーにおける文化交流のお手伝いをするために、私が思うスタートにあたっての心構えをお話しました。とにかく、今回がミャンマーにおける文化文学に関する初めての講義です。語学教育に終わらないようにして、これからはコラボレーションによる共同研究へとつなげて行きたいという、期待と希望をお話しました。
 その前の挨拶の後に、『百人一首』の和歌を印刷したお菓子を配布しました。少しでも親近感を抱いてもらうためです。近衛家の変体仮名カルタ(複製版)と「点字付百人一首」を回覧して、実際に触ってもらいました。江戸時代のカルタから、数百年の時空を飛び越えていただいたのです。また、目が見えない人も『百人一首』のカルタを取れることを、「点字付百人一首」から実感してもらいました。カルタを取ることは、目という視覚に頼るのではなくて、読み上げられる和歌を耳で聴いて音の世界として楽しんでもらいたい、という趣旨のことも伝えました。
 そして、その楽しさは、明日の国際交流基金でのイベントで体験してもらえることも、しっかりと宣伝しました。
 研究的な視点からは、『百人一首』を具体的にどのような切り口で読んでいけばいいのかという一例として、40番歌と41番歌について具体的に問題提起しました。

四〇「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
    ものや思ふと 人の問ふまで」平兼盛
四一「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
    人知れずこそ 思ひそめしか」壬生忠見


 歌の解釈は配布したプリントに任せ、私はその2首が『百人一首』に取り上げられた背景を確認しました。『百人一首』を編集した藤原定家の気持ちや、当時の歌の評価などから、『百人一首』は単なる和歌のアンソロジーではないことを強調して、研究するおもしろさをお伝えしたのです。解釈で日本の研究者に立ち向かうのではなくて、『百人一首』に選ばれたそれぞれの歌の性格と読まれてきた歴史に目を向けることをポイントにしました。

 私の古典文学の立場からの話を受けて、橘先生は、三島由紀夫の『春の雪』の映画を映し出しながら、冒頭の『百人一首』が読まれる場面を説明されました。
 そして、77番歌の「瀬をはやみ〜」の歌が、映画と小説の中でどのように描かれているのかや、その歌の作者である崇徳院のことを、ご専門である民俗学の視点から読み解いたりと、興味深い話を展開していかれました。

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 みなさん、めったに聞けない話ということもあり、メモをとりながら熱心に聞いてくださいました。
 こうした内容のお話をする機会を、今後ともまた設定していただけるようにお願いしました。インドで「インド国際日本文学研究集会」をこれまでに8回も開催してきたように、ミャンマーでも日本文学を研究的な視点から読む方が少しでも増えるように、さまざまな形でお手伝いをしたいと思います。国際交流基金のヤンゴン事務所が創設されたことは、今後の文科系のイベントを通して日本の文化理解を深める意味からも、意義深い存在となります。
 佐藤さんとは、インド、エジプトの縁を引き継いで、このミャンマーでも国際的な文化交流のお手伝いすることになりました。気心の知れた仲間との活動は、気持ちのいいものです。継続を合い言葉にさらなる展開が可能となれば、私が取り組んでいる海外における文学の調査・研究も、少しはお役に立つことになると思われます。このことは、明日の『百人一首』のカルタ取り体験というイベントでも、確認したいと思っています。
 
 
 
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2019年01月31日

関空からバンコク経由で一路ヤンゴンへ

 空港の真上に泊まっていると、遠路はるばると移動して来なくてもいいので、何かと便利であることを初めて知りました。このパターンは今後も活用します。

 関空から空路ヤンゴンへ向かう日です。
 チェックインカウンターに預けたキャリーケースの重さは「12.3キロ」でした。中身は、お土産として持参する『百人一首』に関するおかきを数種類。そして『百人一首』のカルタ6組。カルタは上質の紙を使ったものなので、意外と重いのです。

 機中では、JALで活躍された中村真典先生から先週伺った、客室乗務員の方々の苦労話を思い出しました。飛行機の舞台裏が、身近に感じられます。これから、飛行機に乗る時の視線が変わってきそうです。ただし、今回は順調な飛行だったので、アテンダントの方の腕の見せ所には遭遇しませんでした。

 機内では、映画「ザ・ブラインド・サイド」(「しあわせの隠れ場所」-2009年)を観ました。巨漢のアメリカンフットボール選手が心身共に育っていく話です。サンドラ・ブロックが出ていました。サンドラ・ブロックを観るのは、「ザ・インターネット」(1995年)以来です。この映画からは、相手への優しさと思いやりが人を支える力になる、というメッセージが伝わってきました。ただし、あまりインパクトがない成功物語だったので、もっとドラマチックな台本にしてほしかった、と思いました。サンドラ・ブロックを引き立たせるためか、全体的に黒人問題や貧富の差などが抱える問題は抑え気味です。優等生的な映画にしようという意図が見え隠れしていたので、もったいないと思いました。

 さて、ヤンゴンに行くと言っても、関空からの便では、途中でタイのバンコクで乗り換えです。
 ところが、昨年3月もそうだったように、今回も乗り継ぎの際、広い空港内をさまよいました。空港での案内表示を最小限にするのであれば、せめて音声での案内があってもいいと思います。2年続けて迷ったのです。とにかく、空港職員に聞かないとわからない仕組みでは、不親切な空港だと言わざるをえません。
 また、待ち時間に利用するつもりだった、インターネットへの接続手続きが大変でした。ノートパソコンは苦心の末につながりました。しかし、スマホがつながりません。1時間ほどかかって、パスポート番号やメールアドレスや電話番号を入れたのに、結局は二つ目のデバイスはつながらないままに、ヤンゴンへ飛び立ちました。
 日本でも、バス停や電車の中で接続の手続きをしているうちに、つながらないままに目的地に到着することがよくあります。昨夏のように、レンタルのルーターを持ち歩いた方が、精神的にはずっと楽です。こんな調子で、ネットワークに接続するのに多大なエネルギーを費やしていた時代があった、という記録をここに残しておきます。急激な技術の進歩に、利用環境が追いつけないままなのです。

 バンコクからヤンゴンへは1時間以内です。空港には、国際交流基金ヤンゴン事務所の所長である佐藤さんが、わざわざ出迎えに来てくださっていました。昨年3月に、衝撃的な十数年ぶりの出会いがあり、またこうして交友が始まりました。
 2002年にインドのニューデリーで、佐藤さんと出会いました。エジプトのカイロでの仕事も、プロデュースしてもらいました。昨年ニューデリーに行った時に、たまたま行くことになっていたミャンマーのヤンゴンに佐藤さんが赴任されたばかりだとのことで、早速予定を変更して立ち寄りました。その時の面談で、今回の旅の話がスタートしたのです。おもしろいものです。気心の知れた仲間とは、楽しく仕事ができます。アイデアマンの佐藤さんなので、今回もすべてをお任せしています。さて、どんな旅になりますか。

 夜食としての軽食を、アウンサンスーチーさんの父であり「ビルマ建国の父」と言われる将軍が、独立運動の初期に事務所として使った家でいただきました。

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 メニューは、将軍の写真を配したもので、歴史物語が追えるようになっていて、よくできていました。

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 今回の旅では、「ラペ トゥ」という茶葉のサラダを食べることを、一つのテーマとして来ています。早速、この歴史的な部屋でいただきました。ナッツなどの混ぜ物の味が勝っていて、お茶の葉の味は感じられませんでした。

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 このレストランの一角には、アウンサン将軍が事務室として使っていた部屋があります。

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 机の上には、今では懐かしいハンマー式のタイプライタが置いてありました。

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 その隣には、ここがインド人のお屋敷を借りていたことがわかる部屋があります。佐藤さんと初めて出会ったインドが、今度はミャンマーで接点をもつことになりました。おもしろいものです。

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 今夜は、明日のヤンゴン外国語大学での講義の準備をしてから、ゆっくりと休むことにします。
 
 
 
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2019年01月30日

出国間際の慌ただしさの中で

 今日は、関西国際空港の中にあるホテルに泊まっています。明日からのミャンマー行きの便が早いので、大学からすぐという地の利を活かして、仕事帰りに直行で来ました。

 一昨日から今に至るまで、『平安文学翻訳本集成《2018》』の校正のため InDesign という版下作成ソフトを相手に、悪戦苦闘をしています。一冊の本を発行するのは、計り知れないエネルギーと関係者の協力が求められます。毎度のことながら、頭の痛い作業が続いています。それでも、多くの協力者を得られたことにより、なんとか終着点に向かって進んでいるのです。

 これが終わっても、まだ5冊の編集が遅々として進まない状況で待機しています。身辺が慌ただしい中で、多くの方々のご理解に縋り、甘える状況下にあります。
 近年、とみにスケジュールの管理がうまくいかず、段取りの悪さと気力の衰えを自覚するほどにまでなり、自分にとっての障害となっています。そんな中で、少しでも力を入れることができたのが、この『平安文学翻訳本集成《2018》』だったのです。

 手がけているのは、薄い冊子です。しかし、抱え込んだままで数年が経つ膨大なデータ群が、やっと日の目を見ることになるのです。温かく迎えていただけるように、最後の調整を小まめにしています。この作業は、外地でも夜中に少しでも手を着けざるを得ないため、細切れの補訂がまだまだ続きます。

 来週帰国と同時に、一気にゴールに突き進む工程となります。マラソンに喩えるなら、競技場を出て2時間以上が経ち、とにかくまた競技場のトラックが見え出した地点に至った、という状況なのです。今は、この一点を仕上げることに専念します。

 同時並行で、明日からのミャンマーでのイベントにも、全力で注力しています。さきほど、ヤンゴンに2種類のレジメを送りました。
 今回のテーマは「百人一首の魅力を味わう ―日本の和歌を知りカルタにトライしよう」となりました。
 一つは、「映画『ちはやふる』の恋の歌二首 ―四〇番歌「しのぶれど」と四一番歌「恋すてふ」―」(内容︰平安時代の歌合で勝負がつかなかった歌を読み解く)にしました。
 もう一つは、「『百人一首』の覚え方とあそび方を体験する」(内容︰各種カルタを見た後、カルタを暗記し、競技を楽しむ)」としました。
 今夜は、作成したばかりのレジメを枕元に置き、この内容の確認と想定問答をして寝ることにします。

 こんなことができるのですから、まだ若さが残っているということでしょう。ありがたいことだと思い、多くの方々に感謝するばかりの日々の中にいます。
 
 
 
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2019年01月28日

ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり

 一昨日のブログ「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)で少し触れたように、ルーマニア語訳『源氏物語』が刊行されていることがわかりました。そして、幸いなことに、その間を取りもってくださった保坂氏の迅速な中継ぎにより、翻訳者であるAngela Hondru(アンジェラ・ホンドゥル)氏と連絡がつきました。以下、保坂氏から転送していただいたメールの一部と、研究協力者である淺川さんからの情報をとりまとめて報告します。


■翻訳本のタイトル:『Povestea lui Genji』

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■翻訳者:Angela Hondru(アンジェラ・ホンドゥル)
 国際交流基金のホームページ「2008年 国際交流基金賞:日本語部門 受賞者プロフィール」より、翻訳者であるアンジェラ・ホンドゥル氏の紹介。

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■編集: Cartonata

■出版社: POLIROM
 出版に際しては国際交流基金の協力を得ている。

■出版年:2017年(電子書籍あり)

■翻訳範囲:「桐壺」〜「鈴虫」

■表紙:国文学研究資料館蔵『源氏物語団扇画帖』「若紫」巻

■備考:この書籍は、2017年にルーマニアのブカレストで開催されたブックフェスタに出品。
 ※リーフレット公開:「Evenimentからの情報」

■書誌の情報元:
(1)https://www.libris.ro/povestea-lui-genji-murasaki-shikibu-POL978-973-46-6769-7--p1165541.html

(2)https://takumi.ro/povestea-lui-genji.html

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[アンジェラ・ホンドゥル氏の英文メールから]



1.(「翻訳事情」に関するメモ)

 ・与謝野晶子版の『源氏物語』(角川書店: vol. I (1995) vol. II (1989) )から翻訳。

 ・翻訳は2年8カ月かかった。

 ・20年前に初めて『源氏物語』を読み、その時、翻訳したいと思ったけれども、本当にできるとまでは思っていなかった。

 ・現在のバージョンは41巻で、略語は使わずに完全翻訳をした。(integrally? abbreviation?)

 ・最初はルーマニアの読者に日本の宮中の生活を紹介し、その後のバージョンに他の巻を追加していった。

 ・翻訳しなかった巻もあるが、これらは一覧にして本に含まれている。

 ・632首の和歌もすべて訳した(本文から589首、与謝野版の各章の序文から43首)。

 ・和歌の翻訳には、『新編日本古典文学全集 源氏物語』(小学館)も使用。

 ・Mrs. N と、その友人のMrs. S H がチェックしてくれた。

 ・翻訳でわからないことは、Mr. K T (グロッサリーの作成を手伝ってくれた)と、古い友人のMr. O(去年の10月に亡くなりましたが)から教えてもらった。

 ・My Genji(私が自分の翻訳をこう呼んでいるのですが)の出版には、国際交流基金のお世話になった。

2.私の翻訳本は、ルーマニアに来られるなら直接渡します。
 ルーマニアからの郵便事情がよくないけれども、送ることも可能です。

3.もちろん、私の家に来ていただけると嬉しいです。手書きのメモなど、作業工程をお見せできるので。
 また、保坂さんにいただいた資料が翻訳作業に不可欠だったので、これもお見せしたいと思います。
 翻訳作業を助けていただいたMrs. M N のこともご紹介したい(彼女のアドバイスは翻訳最終版に記載していますが)。
 また、私の他の本もぜひ見ていただきたい。13,000ページにもなりますが。
 日本語を話すのは苦手です。しかし、通訳なしでもなんとかなると思います。


 このメッセージを受けて、ルーマニアに行って直接お話を伺う方策を検討中です。
 以上の報告に関連して、何か情報をおもちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

 これで、『源氏物語』は以下の35種類の言語で翻訳されている、ということになります。


【『源氏物語』が翻訳されている35種類の言語一覧】


(2019年01月28日 現在)

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語



 
 
 
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2019年01月26日

日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)

 天気予報では、近畿圏は大雪とのこと。今日は、日比谷図書文化館で『源氏物語』の講座がある日です。関ケ原で新幹線が止まらない内にと、とにかく少しでも早く関ヶ原を通過することを願っての早出です。
 家を出ると、小雪が舞っていました。賀茂川上流の北山は、うっすらと白くなっています。

190126_kitayama.jpg

 ヒートテックを3枚着込んで来たせいもあり、急ぎ足で駅に着くまでに少し汗をかいていました。

米原を過ぎたあたりから、伊吹山がきれいに見えました。

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 大好きな富士山も、くっきりと見えました。それではおもしろくないので、少し行き過ぎてから、雲がかかった時の写真を撮りました。

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 日比谷図書文化館の講座では、まずは今年いただいた年賀状で「上希満寿」や「万春」など、変体仮名で書かれていたものを見ていただきました。次に、新年のニュースとなった、「盛安本源氏物語絵巻・夕顔残欠巻」の画像を映写。さらには、ミャンマーでの講演やワークショップで使う『百人一首』関係の画像と、三島由紀夫の小説『春の雪』において映画と小説での『百人一首』の扱われ方の違いなどの話もしました。その関連で、ビルマ語訳『女房三十六人歌合』とその英訳版にも及びました。

 前置きの最後に、現在校正が進んでいる『平安文学翻訳本集成 《2018》』に収録した、ビルマ語に翻訳された『源氏物語』の話をしました。

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 この話が誘い水になったようで、本日より受講なさっている方から、2年前にルーマニア語訳『源氏物語』のお手伝いをしたという、驚きの情報がもたらされました。ルーマニア語訳『源氏物語』については、私の手元にはまったく情報がありません。翻訳をなさった先生は高齢ながらもお元気だとのことです。日本語も堪能ということなので、お目にかかって面談をし、翻訳の事情などを伺える機会を作っていただけないかと、あつかましいお願いをしました。早速その連絡をしてみましょうとの、ありがたい言葉をいただきました。
 ということで、新年早々、ルーマニア語訳『源氏物語』という、新しい情報が得られたことをここに第一報として報告しておきます。
 これで、『源氏物語』が翻訳された言語の種類がまた1つ増え、35言語となりました。ルーマニア語訳『源氏物語』の翻訳本は、1冊本だとのことです。どの巻が収録されているのか等々、今から拝見するのが楽しみです。家に1冊はあるはずだ、ということです。見つかったという連絡があり次第に、本ブログで報告することにします。
 さらには、『百人一首』の英訳(文春文庫、2017年4月)をなさったピーター・J. マクミラン先生ともつながりがあるとのことでした。今私はちょうど『百人一首』に関わり、カルタ取りと共に、その翻訳本の情報も収集しようとしていたところです。偶然とはいえ、重ね重ねの、いいタイミングでの出会いとなったのです。

 いつも前置きの話が長すぎるので、今日は50分に収めました。そして、休憩を挟んだ後半は、橋本本「若紫」を読み進むことに専念しました。

「【御】もてなしなと」(橋本本「若紫」、052954)からです。
 ただし、この直前に、現在流布する大島本グループには別の言葉が書かれています。その写本の本文異同について、17種類の本文を読み比べられる資料をスクリーンに映し、その違いを確認しました。

『国文研蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』
  ※本文異同の顕著な部分(052952〜65)

ナシ[橋=尾麦阿高天尾]・・・・052952
 こゝろふかう[大御]
 心ふかさなと[中]
 心ふかく[陽]
 心ふかう[池国肖日伏]
 ふかう[穂]
 心ふかう/〈改頁〉[保]
ナシ[橋=尾中高天尾]・・・・052953
 はつかしけなる[大陽池御国肖日穂保伏]
 心はつかしけなる[麦阿]
御もてなしなと[橋=尾陽高天尾]・・・・052954
 御もてなしなとの[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 ナシ[中]
ゝりあつめ(とりあつめ)[橋=尾尾]・・・・052955
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 ゝりあつめて(とりあつめて)[中]
 とりあつめ[陽高]
 取あつめ[天]
なのめなる[橋=尾中陽高天尾]・・・・052956
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
ところ[橋=尾高尾]・・・・052957
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
 所[中陽天]
なく[橋=尾中陽高天尾]・・・・052958
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
人に[橋=尾中陽高天尾]・・・・052959
 なを人に[大麦阿池御国伏]
 なを人に/〈改頁〉[肖]
 猶人に[日保]
 猶人には[穂]
ゝさせ(にさせ)[橋=大陽御日保伏高]・・・・052960
 にさせ[尾中池国肖天尾]
 に[麦阿穂]
給はぬを[橋=大中麦阿陽池御国肖日穂保伏高尾]・・・・052961
 給はぬを/た△〈削〉給は[尾]
 たまはぬを[天]
なとて[橋=尾中陽高天尾]・・・・052962
 なとか[大麦阿池御国肖日穂保伏]
すこし[橋=尾中陽高天尾]・・・・052963
 ナシ[大麦阿池御国肖日穂保伏]
よろしき[橋=尾中陽高天尾]・・・・052964
 なのめなる[大麦阿池御国肖日穂保伏]
ところたに[橋=尾高尾]・・・・052965
 ことたに[大池御肖日穂]
 所たに[中陽天]
 事たに[麦阿国保伏]


 この本文異同を印刷して配布しなかったのは、私が「変体仮名翻字版」に取り組む前の、従前の翻字方法である不正確な、嘘の翻字データによる資料だからです。そうであっても、「変体仮名翻字版」で写本が校合できるようになるまでには後30年以上はかかる大仕事なので、今はこんないいかげんな翻字資料でも、おおよその傾向やあたりをつける調査研究には、ないよりもましなメモだと思うことにしています。

 一々の検討をここでは繰り返しません。とにかく、橋本本のグループ(赤字で表示)と大島本のグループ(青字で表示)では、いろいろと違いがあるのです。
 今日は、37丁裏3行目の「【身】とも可那」まで進みました。
 なお、今回も翻字のミスを指摘していただきました。漢字を隅付き括弧で括るところです。

37丁表2行目
]「【御】気し○(き)なるもの可ら」
○「【御気】し○(き)なるもの可ら」


 こうして、少しずつであっても、より正確な翻字資料が完成して行くことは嬉しいことです

 本格的な本文研究ができる環境は数十年後になるとしても、こんな資料でもお遊びのシュミレーションには使えることもあるかと思われるので、紹介しておきます。
 それにしても、正確な本文の翻字を急がなくてはなりません。基礎資料作りの協力者を求めていますので、興味や関心や意義を感じてくださる方々からの連絡を、楽しみにお待ちしています。その意味では、日比谷図書文化館の翻字講座を受講してくださっているみなさまは、心強い理解者であり、強力な助っ人でもあります。

 今日は、帰りの関ケ原の雪が心配なので、いつもの有楽町駅前での課外勉強会は失礼しました。ただし、ルーマニア語訳『源氏物語』のことを教えてくださった方は参加してみたい、とのことだったので、みなさんと合流するところまではご一緒しました。日比谷周辺は、立っているのもつらいほどの強風が吹き荒れていました。それにしても、またまた、心強い仲間の加入となりました。幸先の良い新年のスタートです。

 新幹線は大きく遅れることもなく、無事に京都駅に着きました。関ヶ原の手前に留め置かれた車中でのオニギリを覚悟していたので、ホッとして京都タワーの前に立ちました。外は、今朝と同じように小雪が舞っていました。自宅に着く頃には牡丹雪が降りしきり、道路はあたり一面が真っ白になっていくところでした。

190126_snow.jpg

 明朝は、今年初めての雪景色となっていることでしょう。
 
 
 
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2019年01月24日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その7/第8週)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことについて、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録を再現しています。
 特に、前回の「その6」からは、「第8週 02/24〜03/02」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、この「第8週」以降は未公開のままだった部分です。
 メモを基にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
 今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、2月25日の出来事です。ここから、インドで『百人一首』に取り組んだ報告が出てきます。
 来週からミャンマーへ行き、国際交流基金ヤンゴン事務所のオープニングイベントに参加して来ます。文化交流として『百人一首』の講演とカルタ取りの異文化体験を開催することで、イベントへの協力とお手伝いをしてきます。そのこともあって、インドで取り組んだ『百人一首』のカルタ取りに関するワークショップのことを、大急ぎで実践報告としてまとめているところです。

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■2002.2.25■



 朝食中の8時半前に、タクシーが来ていると小僧さんが呼びに来た。またである。
 どこかへ行けたらもうけもの式に、またタクシーの運転手さんが来たようである。頼んでもいないので、今日は違うと伝えてもらう。やれやれ、インド式の「行ってみる、やってみる、言ってみる」というのは、本当に頭が下がる。ご苦労様。しかし、今日は出かける用事がない。
 すぐ後で、ネルー大学のT4先生から電話があった。予定されていた、今日の授業のことである。
 先方から、いつまで待っても連絡がなかったので、今日は予定が詰まってしまったことを伝え、行けなくなっていると言う。そして、『百人一首』のカルタ大会も、日程が押し迫っているので、今日の授業は断念する旨も伝えた。
 先生は、先週から家族の問題で家を留守にすることになったことを説明され、申し訳ないことになったと詫びておられた。それはともかく、私の講義の用意をしているし、学生も楽しみにしているとのことで、後日、2回ほど授業をしてもらえないか、とのことであった。
 来週は、バンガロールへ行く予定になっている。再来週の金曜日、3月8日に一度だけ行くことにした。そして、11日は、もし可能ならば行くが、それはペンディングにしてほしいと伝えた。
 今日とか今週の金曜日の授業を、と言われても、あまりにも突然で困ってしまう。何とも、急な申し出で困惑することが多い。
 上記の『百人一首』のカルタ大会について、ここで少し説明する。
 デリー大学の大学院生には、日本の文学史や『源氏物語』のみならず、『百人一首』の勉強もしてもらっていた。『百人一首』については、和歌の解釈はそっちのけで、〈日本のかるたあそびを体験する〉ということを主眼にしたものである。百首を覚えるのは日本人でも大変なので、恋愛心理を扱った和歌20首選んだ。それは、以下の20首である。
 そして、その成果は、後日開催予定の〈百人一首カルタ大会〉で確認することにした。
 次に掲げる和歌の、上の句の前半にある「/」記号は、カルタ取りで重要になる「決まり字」を示している。

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56 あらざ/らむこのよのほかのおもひでに いまひとたびのあふこともがな 和泉式部
58 ありま/やまゐなのささはらかぜふけば いでそよひとをわすれやはする 大貳三位
65 うら/みわびほさぬそでだにあるものを こひにくちなむなこそをしけれ 相模
72 おと/にきくたかしのはまのあだなみは かけじやそでのぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊
60 おほえ/やまいくののみちのとほければ まだふみもみずあまのはしだて 小式部内侍
97 こぬ/ひとをまつほのうらのゆふなぎに やくやもしほのみもこがれつつ 権中納言定家
77 せ/をはやみいはにせかるるたきがはの われてもすゑにあはんとぞおもふ 崇徳院御製
89 たま/のをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする 式子内親王
80 ながか/らむこころもしらずくろかみの みだれてけさはものをこそおもへ 待賢門院堀河
53 なげき/つつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる 右大将道綱母
88 なにはえ/のあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるべき 皇嘉門院別当
19 なにはが/たみじかきあしのふしのまも あはでこのよをすぐしてよとや 伊勢
9 はなの/いろはうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに 小野小町
90 みせ/ばやなをじまのあまのそでだにも ぬれにぞぬれしいろはかはらず 殷冨門院大輔
14 みち/のくのしのぶもぢずりたれゆゑに みだれそめにしわれならなくに 河原左大臣
57 め/ぐりあひてみしやそれともわかぬまに くもがくれにしよはのつきかな 紫式部
59 やす/らはでねなましものをさよふけて かたぶくまでのつきをみしかな 赤染衛門
92 わがそ/ではしほひにみえぬおきのいしの ひとこそしらねかわくまもなし 二條院讃岐
38 わすら/るるみをばおもはずちかひてし ひとのいのちのをしくもあるかな 右近
54 わすれ/じのゆくすゑまではかたければ けふをかぎりのいのちともがな 儀同三司母

 
 
 
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2019年01月22日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その6/第8週)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その5)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月16日に該当するものでした。
 以下、今回の記事は、1週間飛んで「第8週 02/24〜03/02」の項目の2月24日の出来事の日録にあたるものです。「第7週 02/17〜02/23 / 何でもありのデリー市街では電柱から火の玉も飛び散る。」という項目は、すでに一旦公開しました。今は、サーバーがクラッシュしたために見られませんが。
 この第8週以降については、すでにクラッシュしたままのホームページでも、未公開のままだった部分です。インド滞在も後半となり、何かと大学の行事などが立て込んだために、メモもまばらで未整理状態です。適宜インドでのことを思い出しながら、再現していくつもりです。

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■2002.2.24■



 日本から、上人の友人の妹さんが来た。初めてのインドであるとか。インドで騙されることについて、いろいろな意見がでる。公共料金が選挙対策として安く押さえられているので、人を何とか誤魔化して稼がざるを得ない国情が、少し理解できるようになった。生きていくために、生活していくために、何とかして余分な収入がないと、やっていけないのである。それを、私たちは騙された、と解釈するが、彼らには彼らなりの事情があってやっているのである。家族と生活をするためにも。
 最近は、大使館から日本人の詐欺師がいるので気をつけるように、との通知が回っているそうだ。20代後半の女性で、日本から来た女性の旅行者に近づき、同じ旅行者のふりをして騙すそうである。カルカッタにもいたとか。女性なので安心してしまい、つい引っかかってしまうそうである。その人は、インド人の男かツーリストの人と一緒になっているので、二人で罠を仕掛けるのである。なかなか手がこんできたようだ。
 M1さんが、また来た。過日割ってしまったK4の呼び鈴を買ってきてくれた。コンノートプレイスで70ルピーだったのを、ネループレイスでは50ルピーだったと言って買ったそうだ。ありがたく売ってもらった。
 午前中、デリー郊外にあるヒンドゥー寺院群のチャッタルプルへ行く。近年できた、アミューズメントパークとでもいうべきお寺の集合地である。デリーの南端で、ハイソサエティーに属する人々が、ピクニックを兼ねて家族連れで訪れるようである。ゆったりとした敷地に、ディズニーランドかと思わせるような趣向が凝らされている。

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 まず、中心となるお寺の中に入る。とにかく広い。中では、サンスクリット語で古典の物語を語っていた。語り手のおじさんの前には、サンスクリット語で書かれた、大きくて分厚い本が置いてある。そのページを繰りながら、マイクを通して語るのである。大英図書館を初めとして、その他のヨーロッパの各地で、大きな本にきれいな装飾をしたものを何度か見かけた。あれは、飾り物の本ではなくて、実際にこのようにして使われるものであることを、今、目の前で見て、はじめて知った。
 南インドのお寺のゾーンで、家族連れで花壇の中で写真を撮っていた中の一人の少女が、突然柵越しにN2君にことばをかけてきた。一緒に写真を撮りたいとのことである。外国人と一緒に写真を撮ることなど、めったにないのだろう。家族と一緒にきれいな花畑の中でポーズを取って撮影している内に、テンションが上がったのではないだろうか。ご要望にお応えして、我々も赤い花のゲートをくぐり、柵の中の花壇に入った。家族のカメラに一緒に収まった。ついでと言っては何だが、我々のカメラでも一緒に撮影する。なかなか楽しいファミリーである。

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 隣のお寺の階段を、その子たちはケンケンをしながら登っていく。そのお寺の横には、無料宿泊所であろうか、ホテルのような部屋が続いていた。
 道を隔てたところにも、大きな寺院がある。ここも、広大な敷地の中にお寺が建っている。最初のお寺では、大きなリンガを祭っていた。お寺の周りを一周したときに、ちょうど裏の庭園に向かって、電気のコンセントにコードの端を剥いたものを二本突き刺して電気を引いているのを見つけた。こんなにすばらしい寺で、大胆な電気の引き回しである。

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 その横の建物では、お寺の人が住んでいるのであろうか、2階から洗濯の水を流すホースを地面に垂らし、それを直接下水に流しているのを見かけた。何とも、こうしたやり方のアンバランスさに、ほとほと感心した。

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 さらに横の公園には、なんとキリンの作り物があるのだ。インドにキリンなど、いようはずがない。何を考えているのか。しかも、子どもがそのキリンの置物の背中によじ登っている。すぐお寺の人が来て、「コラクソボウズ、ハヤクオリンカイ」とヒンドゥー語で叫んでいる。

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 キリンの前は、きれいな花壇になっており、その敷地内に赤く塗られた大きな猿のハヌマーン像が建っている。ここだけが、未完成のところであった。

 オートリクシャーで、これまたインドでは最高級ショッピングセンターであるアンサルプラザへ行く。今日は、上流階級の人が行動するパターンの行程をシュミレートしている。このアンサルプラザは、まさに日本の大都会の中のショッピングセンターにひけをとらないものである。インドでは考えられないほどの、とにかく超現代的なショッピングゾーンである。

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 こういうところがインドにあることも、しっかり見ておく必要性を痛感する。少しずつ消えようとしている昔からのものばかりを見て、それが本当のインドだと思うのは、ある種の偏った見方であると思う。これから変わろうとしている新しい部分と、これまでの古い部分の両方を見て初めて、インドを見たことになる。インドの貧しさや汚さだけでなく、豊かさや綺麗な面も、しっかりと見たいのである。
 このアンサルプラザは、商品も日本の若者向けのショッピングモールと同じだし、値段も日本と違わない。インドの人の収入からすると、目が飛び出る以上にボトリと落っこちてしまうほどの高額商品が並んでいる。
 子どもがテニスをしているので、テニスショップへ寄ってみた。日本とまったく同じ値段で、同じ展示方法でラケットを売っている。ここへ足を踏み入れたインドの人は、最初は大きなカルチャーショックを受けることだろう。しかし、二度三度と足を運ぶ内に、こうした異文化に対する違和感と価値観を、しだいに軌道修正していくはずである。我々も、そのようにして欧米の文化を取り入れたはずである。このインドの新しい流れは、恐らく急速に新たなものの見方を生み出していくことであろう。数年後、いや10年後には今とはまったく違ったインドがあるはずである。もちろん、これまでのインドも生き続ける。しかし、旧来のインドの見方では括れないインドがあるはずである。そんな胎動を、今日、自分の目で確認することが出来た。この国は、これからも楽しみが多いと確信した。
 昼食は、マグドナルドが若者たちで満席だったので、2階の奥まった目立たないところにあった、ネッスルの軽食屋さんで済ませた。インド風のホットドックなどを食べた。

 次は、これまた若者たちを中心に豊かな生活を心がけている人々が集まる、サウスエクテンションというエリアへ、それも徒歩で行く。歩いて7、8分の距離である。自家用車やタクシーで行かないところが、本当のリッチな人間でない証拠である。
 ここも、たくさんの人で賑わっている。私は、革製のステーショナリー三点セットを買った。以前から日本でもほしかったが、狙っていたものがここにあったのである。値段は日本より少し安い程度だが、作りが丁寧で気品があったので、思い切って購入した。そして今、このステーショナリを机上に置いて、このメモを認めている。
 今日は、ここがインドであることを完全に忘れてしまっている。これもインドの新しい一面である。バックパッカーよろしく、薄汚れた安宿に居を構え、ヨレヨレの服に身を包み、埃とゴミだらけの地道を選んで歩き、はたまたサイクルリキシャと値段のことで口論を繰り返し、2ルピーとか5ルピーとかの食事をするのも、ハングリーなインド旅行であることには違いない。しかし、それだけではないのがインドであることも、これからは知っておく必要がある。そうでないと、前向き思考のインドの人たちに、大変失礼であると思う。
 そして本日の締めくくりは、これまた私には行きつけとなっている、グレートカイラーシュのMブロック。これは、サウスエクテンションをこぢんまりさせたところである。お店の数も適当で、ほとんどのものがここで入手できる。高級住宅地を背景に成り立つ、高級商店街である。これもインドであることを実感して、こうして、今日のハイソサエティーコースは、無事に終了した。

 お寺に帰ると、すぐに近所のマーケットで、いつものジュース屋さんでフルーツジュースを飲んだ。最後の仕上げがこのジュース屋さんであるところが、庶民の落ち着く先である。
 部屋に帰ろうとすると、M1さんとK2さん、そして外大の二年生の男性がいて、しばし歓談。ネルー大学の日本語学科長であるT4先生の電話番号を聞く。明日の行き先を確認するために。いまだに電話がないので、不安になっているところである。
 夕方、T2先生が顔を見せに来られた。今デリーに来たとのこと。刊行されたばかりのベトナムの本をいただく。精力的に活動されている。今月末までは、いつものIICに泊まられるとのこと。27日の講演会は、まだ場所も時間も先生自身が聞いていない、とのことだった。これも、のんびりしたことである。
 夕食後、やはりネルー大学の先生から電話がないので、こちらから電話をした。ところが、お手伝いさんが出てヒンディー語しかしゃべらないので、すぐにN2君にかわったもらった。どうやら、今日は帰らないとのこと。なんとも、無責任な話である。
 しょうがないので、懸案のデリー大学とネルー大学との対抗戦としての『百人一首』のカルタ大会は、ここWBCのスタッフとデリー大学の学生との、和やかな交歓会として催した方がいいのでは、というN2君の提案を受けた。すぐに上人に相談し、その方向で考えることにした。そうすれば、無為なデリー大学とネルー大学の対抗意識に悩むことなく、本当に気心の知れた仲間での、日印親睦の会となるのである。
 後は、I1先生の講演会を無事に成功させることに専念することである。
 体重を量った。55キロを少し切る程度で、日本にいたときとまったく一緒である。規則正しく健康的な生活をしている証拠である。
 
 
 
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2019年01月21日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その5)

 今からちょうど17年前のことです。2002年の新春は、インドのデリー大学へ客員教授として赴任していました。
 その時の体験談で、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 今回あらためて整理しているもの以外は、すでに公開していました。しかし、その公開分は、数年前にサーバーがクラッシュしたために、すべてが読めなくなっています。これも、再建をめざしていろいろと手を打っています。ただし、まだその再公開のメドはたっていません。もうしばらく時間をください。いずれは再公開できるものと思われるので、そこに記していない日録を、ここで追記の形で再現しているところです。

 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その4)」(2019年01月07日)は、「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月15日に該当するものでした。今回の記事は、それに続く2月16日の出来事の記録です。
 
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■2002.2.16■



 K4の帰国後は非常に眠たい。朝も、ボーっとしている。とにかく、緊張の連続するハードな日々の2週間であった。
 千円事件の続きをみんなに話した。
 ガンディー空港では、タクシーの到着場所から空港への入場口までは、ほんの短い距離だそうだ。そこを、荷物を運ぶと言って強引に手伝い、チップを要求する輩が多数待機しているそうだ。N10さんも、しつこい輩に付きまとわれ、とにかくドルをくれと言うそうだ。1ドルが百数十円になるからである。ルピー換算で45ルピーになる。相場は10ルピーだそうだ。しかし、外国人だと見ると、執拗に高額を請求するそうだ。K4も、この輩に捕まったようである。餌食を待つ輩の目に留まったことになる。また、この空港では、トイレの掃除の人もしつこくチップを要求するそうだ。N10さんは、お腹の調子が悪くて何回も行ったときに、4、5回目にはもう要求しなくなったとか。出国審査のすぐ横でもお金をせびる空港関係者がいるそうだ。とにかく、もらえればラッキー、とにかくお金を要求してみる、というノリだそうだ。あげなくてもいい。しかし、そうするとうるさく付きまとうので、10ルピーを渡して追い払うのが相場のようである。
 何となく体がだるいので、ベッドの中で『ラーマーヤナ』を読み始める。子ども向けに日本語訳されていることもあり、上巻を2時間ほどで読み終えた。なかなかおもしろい。途中で、登場人物をメモし、気づいた点を書き出した。ただし、下巻は猿の戦いが中心となることや、この話の結末が見えてきたので、休憩する。ちょうど昼食になったので、N2君にメモをもとにしていろいろと教えてもらう。

 『ラーマーヤナ インド古典物語』(河田清史、第三文明社、レグルス文庫1・2、1971)

・盗賊のラトナーカルが吟誦詩人バールミキとなって、ラーマの歌物語を語るという語り出しについて。文字化されたときに、こういうスタイルになったのではないかと。これは、『ラーマーヤナ』をバラモンが統合化したものであり、16世紀にバナラシーのラームチャリトラマナースという人がまとめたものだそうだ。東南アジアのワヤンという影絵などは、『ラーマーヤナ』の話をもとにしたものだそうだ。以下、細かな誤謬は、すべて私のメモが不正確であるためであることをお断りする。将来が楽しみな若き学徒のせいではない。

・『ラーマーヤナ』は、いろいろな伝承を文字化したものであり、最後にラーマとシータが別れるという話になっているものが16世紀にあった。これはおかしいとして、カットするのが現在では一般的である。

・シータを、私は我がままな姫君と読んでしまったが、そうではなくて貞淑な理想的な女性とされているとか。訳からの印象では、我がまま気ままな妃に思えるが。訳が子ども向けのせいからか。

・3匹の猿の内、ハヌマーンはよく見かける。しかし、知恵と学問の神とされるジャンバーン(頭が熊で体が猿)は、信仰の対象とはなっていないようだ。人形も少ないとか。子どもの受験というものが問題になっていないインドでは、知恵や学問の神にすがることは少ないのだろうか。しかし、これは今後は庶民が求める信仰の一つになるのではないかと思う。日本の文殊菩薩や菅原道真の天神さんのように。

・ラーマの貴種流離は14年間。この14年に何か意味があるのか。仏教における7の倍数と関係があるか。N2君は森林生活の14年というものと関係があるかも、と言っていた。そのラーマの追放は、即位の前日。これは、あきらかに処分されての追放であり、光源氏のように自ら身を引いての蟄居ではない。

・吟誦詩人バールミキが語る物語という語り出しの形式は、日本では『大鏡』の大宅世継の例がある。

・追放されたラーマを追ってきたバーラタは、王冠をラーマに贈ろうとする。しかし、それを拒否するラーマ。父の遺言を守るのである。バーラタは摂政に留まり、玉座にはラーマの靴を置く。この意味がわからなかった。N2君に、足に跪くこととの関連を教えてもらい、氷解。

・つい、『源氏物語』との比較をしてしまった。悪后の弘徽殿女御はカイケイー妃、桐壺帝はダサラタ王、光源氏はラーマ王子、朱雀院はバーラタ王子(ただし、ラーマの弟だが。あるいは摂政ということで聖徳太子?。)


 今日の昼食には、身延山の「大奥随身長」の方が同席された。「大奥」とか「随身」ということばが生きているのに感心した。「大奥」といっても男性ばかりで、また「随身」も「ずいじん」ではなくて「ずいしん」と読むそうである。
 メールチェックは、ヤフーメールだけにしたら、ストレスが解消した。試しにsify.comに接続して設定を確認したところ、メールのパスワードが変更されていなかった。とにかく、よくわからないインドのプロバイダーである。後1ヶ月なので、適当に利用することにする。

 『ラーマーヤナ』を読み終えた。

・説話化された起源譚としては、ハヌマーンの顔が黒いこと。リスの背中の3本の縞。インドとセイロンに架けた橋のなごりとしての岩の出っ張り。

・ハヌマーンが太陽を自分が覆い隠すことは、時間をコントロールすることである。古事記の天の岩戸神話などを連想した。それにしても、『ラーマーヤナ』にはエロチックな場面がない。これは、私が読んだ本が子ども向けだったせいだろうか。

・最後から2節前の話で、語り手が登場する。これは、冒頭以来。

・シータの潔白を示す試練として、火による証明が語られる。

・本書の解説によると、以下のことが目についた。「日本では、この『ラーマーヤナ』は近年になるまでまったく知られていませんでしたが、ある学者によると、すでに平安朝のころに、この物語りのことを紹介した本があるそうです。(185頁)」


 N2君が調査していたところが深く関わるし、インドで至るところで目にすることばや物が出てくるので、これはもっと早く読むべきだったかと反省。ただし、これまでの疑問が堆積しての読書なので、これはこれで有意義な機会を得たと思う。解説に、平安朝の文学にも見られるようなことが書いてあったので、誰かに問い合わせてみよう。
 英会話をCD−ROMでやる。繰り返しやれば、なんとかなるかもしれない。違和感なく聞き取れるようになったので、少しは進歩しているのだろう。ただし、日常の簡単な会話がわからない。「空港まで送ってください。」とか、「タクシー代を渡しておきます。」などなど、動詞に当たる部分に悩んでしまう。もっとパターンを覚えるべきか。学生に教えてもらう会話も、もっと工夫しよう。
 夕方、M1さんが立ち寄られ、カルカッタの南のプリーの人形をお土産にもらった。今は、ニューデリーの近くのメインバザールに泊まっているとのこと。200ルピー以下の部屋だそうだ。それでも、ちゃんと一部屋で、シャワーもあるとか。ここは少し高いので、と言っていた。旅慣れた人にはそうかもれしない。
 部屋の湯沸かし器を直してくれた。しかし、まだ水が漏れている。これで、今月の6日から10日間も、シャワーとトイレが使えない。困ったことである。
 夕食の時に、上人さんからインドでの銀行の利用方法について知恵をもらう。一番いいのは、郵便局のキャッシュカードにシティーバンクの機能を持たせたものを持参すること。すると、世界各国のシティーバンクで預金がおろせるし、インディアン・スティト・バンクでもおろせることになる。このインディアン・スティト・バンクは、インド中にあるので、非常に便利である。これは、キャッシュがいつでも入手できる。次に、デリーの東京三菱銀行に、日本からパスポート番号で入金してもらい、それをパスポートを持参して受け取る方法。これは、手数料が7千円かかるけれども、確実な方法。それにしても、クレジットカードで現金をローン扱いで下ろすのが、一番手軽な現金入手法である。ただし、これはカードがなくなると途方に暮れることになるので、現金、T/Cなど、複数の手段でお金を確保することが肝要である。
 
 
 
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2019年01月16日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その4)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その3)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月14日に該当するものでした。
 以下、それに続く2月15日の出来事の記録です。
 
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■2002.2.15■



 K4君が昨日買ったショールを忘れたことから、N2君と血液型の話で盛り上がる。B型の典型であるK4君について、いろんな話が展開した。
 インドの映画音楽を聴きながら仕事をしていたら、G4さんが来て、日本に送る荷物を見せてくれとのこと。そして、すぐに麻布を持ち出して、それで包んで糸で縫い出した。

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 マジックで裏表に住所を書き、車でいくことになる。出口でオートバイを見ていたら、これで行こう、ということになった。意外な展開に驚いた。おもしろそうなので乗る。シートにあったベルトをしっかりと摑んでいた。とにかく車が多い中をすれすれに走るので、紐が切れたらもう終わりだと観念しながら乗っていた。
 無事に郵便局に着く。とにかく、こちらの人は我先に郵便物を差し出し、やってくれと言っている。G4さんも、周りを無視して差し出している。押しがないと、このインドでは生きて行けそうもない。途中で、「AIR MAIL」「SPEED POST」という単語を書き加えた。乱暴な扱いで処理をする局員。奥には、日本と同じように、仕切られたボックスに郵便物を仕分けしている。窓口の局員は、コンパックのコンピュータと、バーコードリーダーで処理をしていく。700グラム弱の小荷物が、588ルピーだった。スピードポストの場合は少し高いが、別の用紙にパスポート番号などを書く必要がないので便利だ。
 裏口から入って、郵便物に貼られた切手の部分にスタンプを一つずつ押す風景を見た。かつての日本もこうだった。向こうに、機械でスタンプを押すものがあった。もっとも、壊れているそうである。それにしても、その機械も日本で言えば、戦前の雰囲気が漂うミシンみたいなものだった。私書箱もあった。
 またオートバイで帰る。怖さは薄らいだ。それにしても運転が大胆である。これで事故が少ないのだから、大した国である。
 調理場でチャイを作ってもらいながら、お寺の人と話す。部屋の湯沸かし器が壊れている話になり、さっそく電話をしてくれた。
 G4さんにタンカの話を聞いているときに、N2君が降りてきた。タンカは、軸の中心がずれていないかを見るといいそうだ。先日行った、お正月でお休みだったニュー・チベタン・コロニーのものは、アクリル絵の具を使っているが、あれは本物だそうだ。そして、目の前にあるものは、岩絵の具で、観光みやげ用に作られたものだそうだ。いいものをさがして、G4さんに魂を入れてもらおうという話で沸いた。
 私の部屋で、N2君のノートパソコンのパスワードを確認しているうちに、私の物も起動後にパスワードを入れずに、キャンセルキーを押しても、何ら支障なく使えることがわかった。今まで丁寧にパスワードに答えていたのは何だったのだろうか。これだから、Windowsは信用できない。
 昼食後、N2君とホームページの文章や彼の論文のコピーをしている時に、修理の電器屋さんが来た。私が画像などの確認をしていると、電器屋さんも興味深そうに見に来た。
 痴漢やメディアビジョンや大学教授の差別のページの話で盛り上がり、またまた話し込む。
 3時過ぎから、メールをチェックする。もう、ヤフーのウエブメール一本にすることにした。転送処理を終え、テストもオーケー。I1先生から、書類の催促のメールが届いていた。こうしたことの間に入るのは、何かと大変である。でも、何とかしなければ。誠意をもって対応しよう。学位に関する会議で、今月は通過したとのこと。もう少しである。
 5時半に、奈良に電話。K4は、デリー空港でスーツケースのトラブルに巻き込まれたそうだ。覚えたてのヒンディー語でしゃべりだしたとか。
 顛末はこうだ。タクシーが空港に到着して、運転手さんにスーツケースを下ろしてもらったところ、すぐに男がやってきて空港の入口の方に運ぶのを手伝い出したという。運転手さんはツーリストの人が手伝っていると思っていたのではないかとのこと。その男は、キャリヤーにスーツケースを乗せてドンドン押して進んでいくので、K4はようやくおかしいと思い、返してくれと言ったそうだ。すると、お金を出せと言う。いつもの通り、10ルピーを出すと、ダメだという。もう1ルピーを出してもだめ。そこで、日本の千円札を見せて、これ一枚しかないというと、それをかっさらって逃げたそうだ。それしかないからと言っても、そんなことは知らんと言って行ってしまったそうだ。千円はインドのお金に換算すると300ルピーだ。悔しがっているようだ。
 今日は早めにシャワーを浴びてスッキリする。
 食事の時に、N2君にK4の千円事件の話をする。最近は聞いたことがないと言っていた。
 食後、N10さんとN11さんとN2君の四人で、近所の結婚式に行く。ネルー大学の先生からの電話を待っていたが、後でまたかけてもらうようにG4さんにお願いして、大急ぎで出かける。

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 N2君はネクタイ姿、私はブレザーを着て、少し関係者らしくみせることにした。花火を揚げたり、楽団の演奏やら馬車の行進やらで大にぎわい。いつもは公園になっているところにテントを張り、2千人くらいの規模の結婚式である。費用はすべて花嫁側が負担するそうだ。

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 夕食に間に合わなかったN11さんは、近所でテイクアウトのピザを買ってきていた。しかし、ここで夕食を済ませると言って、たくさん食べていた。私は、果物とアイスクリームとコーヒーをもらう。結婚式とは関係ない子どもや、リクシャの運転手たちも大勢がかけつけていて、たらふく食べている。これはこれで、金持ちの慈善事業の一つとして見ると意義があるかもしれない。もっとも、女性側にとっては、何かと悲しい日だとか。花婿側はどんちゃん騒ぎをし、花嫁側は家族共々悲しみの風を装うのが通例だそうだ。これは夜中まで続き、花嫁の登場は11時ころだとのことなので、適当に切り上げて帰った。
 夜11時過ぎに、お寺のベランダの下を、花婿側の馬車が大騒ぎをして通った。

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 最後尾の花婿の馬車は、すぐ後ろにいる発動機を搭載した車が、ライトを煌々と照らしていた。音と光の一大スペクタクルといいたくなるほど、派手な演出である。当人たちはともかく、周りはこれ幸いとストレス発散、といった趣でもある。地域の人が、総出で食事にありつけるのは、なにはともあれいいことだと思った。

 
 
 
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2019年01月07日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その3)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記したものです。
 以前に書いた「2002年春にインドで書いた未公開日記(その2)」(2018年02月25日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月13日に該当するものでした。
 以下、それに続く2月14日の出来事の記録です。

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■2002.2.14■


 K3と一緒にデリー大学へ行く。授業中は図書室で待機。授業は、N1さんと島崎藤村の若菜集の「六人の処女」を読む。古文がなかなか読めないので、説明に苦心する。デリー大学では、古文を扱うのはいろいろと工夫がいりそうである。今日は、「およふ」だけ。『羅生門』では、色について注目する。にきびは保留。老婆が髪を抜く女が、『今昔物語集』と『羅生門』で違うことを指摘。『今昔物語集』では主人だが、『羅生門』では魚売り。

 なかなか上手く展開しない。参考書がないので、話が広がらないのだ。私がどんどんやるのもおかしいので、自制しながら進める。途中でU先生が来られ、『百人一首』の資料がほしいとのこと。ネルー大学へ教えに行くのは、できるだけ後にしてくれないかと頼まれる。そうでないと、デリー大学が負けることになるからと、笑いながらおっしゃっていた。

 授業の後、図書室に『ラーマーヤナ』を借りに行く。K3が学部生を相手に話をしていた。A1さんと一緒だったので安心。
 T3先生のところへ挨拶に行く。歴史の話で意見があう。紅茶を飲みに行こうと言うことになり、T3先生の車でカムラナガルまで行った。しかし、バレンタインデーのために車が入れなかったので引き返す。校舎の横の売店で、立ちながら紅茶を飲んで話す。

 お別れした後、部屋のドアにG2さんのメッセージがあり、図書室にいるとのこと。P2さんは後に寮の食堂にくるそうなので、G2さんと時間つぶしを兼ねて、カムラナガルへ行くことにする。これは、K3が大学のトイレに入れないということなので、ファーストフード店のトイレを使うしかないとの結論からである。

 T6とS3のお土産を探した。しかし、見つからない。寮の食堂で定食を食べる。しばらくして、P2さんが来た。食後、チャイを飲む。

 タクシーでショール屋さんに行く。運転手さんがいろいろと聞いてくれて、何とか到着。少し早めに着いた。ここでタクシーとは別れる。地下におりると、まだN11さんは来ていなかった。
 K3はお土産にする小物を物色。私は、マフラーを見せてもらう。いいものばかりで、予算を大幅にオーバー。35ルピーのものを予定していたが、実際には95ルピーのものだった。K3の見立てでも、これしかないようなので、思い切って決断する。お金が足りないので、銀行に連れて行ってもらうことにする。
 ソファーで、お店の人と英語で世間話。私も、こんなこともできるようになったのである。おまえは何をしているか、とか、『源氏物語』とはどんな話かとか、『ラーマーヤナ』がどんな話かなどを、数十分間も話す。これは、私にとっては大変な進歩である。

 そうこうするうちに、N11さんが、今日は来ないと言っていたN2君と一緒に現れる。足りないお金を貸してもらうことになり、銀行には行かなくて済むことになった。買ったショールとマフラーは、日本で買えば20万円前後の品物。私の学位記念にもなるので、思い切って買った。荷物をお寺に置いて、今度はNブロックマーケットへ行く。K3に、Oたちのクルタを選んでもらう。N2君も妹のクルタを買う。こぎれいな店を見つけると、K3はすぐに入る。日本でもあるような店にすぐに行ってしまう姿を見て、N2君はよくわからないとしばしば漏らす。

 8時までには、K3のスーツケースが作れなくなった。あまりにも荷物が増えすぎたのである。私が手伝い、どうにか整理した。N2君にも上に乗ってもらい、ようやく蓋ができた。夕食をしながら、パスポートや航空券の管理をはじめ、みんなが心配してくれた。みんな、無事に日本に着けないのでは、と不安に思っている。

 食後、ネルー大学の先生から電話があった。日本語のうまい方だったので、先日のコンサートで通訳をした方かもしれない。

 そうこうするうちに、出発の9時となる。スーツケースが重く、20キロ以上1キロごとに3700円追加というのにあわて、G4さんにバネばかりではかってもらうと、27キロであることがわかった。なんとかなるだろう、ということで出発。運転手さんに250ルピーを前払いする。みんなが別れを惜しんでくれたので、K3も少し泣き顔になる。なかなかいい、感動的な暖かさのある別れであった。

 10時すぎまで、N2・N10さんと話し込む。K3を誉めてくれた。しかし、それにしても何を考えているのかわからないと、しきりに頭を抱えていた。
 一人が帰国した後、部屋に帰っても何となく居心地が悪い、というより落ち着かない。あわただしくデリー周辺を精力的に歩き回った2週間であった。楽しかったし、充実した時間だった。いろんな収穫の多い日々を、大切にしたい。そして、いろいろな局面で手助けをしてくれたN2君に、とにかく感謝感謝である。

 
 
 
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2018年12月23日

翻訳本ミニ展示「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《英語編》」

 昨年より好評のうちに大阪観光大学図書館1階で開催している[翻訳本のミニ展示]も、前回からは翻訳された文章の巻頭部分が読めるように工夫をしました。中国からの留学生が多いこともあり、まずは【中国語訳】の展示でした。

「翻訳本ミニ展示「比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《中国語編》」」(2018年10月10日)

 それに続く今回は、以下の説明文にあるように、もっとも読者が多い【英語訳】を取り上げました。

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 今回も、伊藤科研(A)で研究協力をしてくれている学部2回生の池野陽香さん、門宗一郎くん、田中良くんが、選書・演示・解説資料の作成などなど、展示のすべてを担当しました。これまでの経験が回を追うごとに蓄積され、さまざまな配慮が見られる展示となっています。会場に足を運んでいただき、ゆっくりとご覧ください。

■比べてみよう!『源氏物語』における翻訳の差《英語編》■


       開催期間:2018年12月13日〜2018年3月7日
       場所:大阪観光大学 1階階段前

 今回の特設コーナーでは、『源氏物語』における英語訳の翻訳の差を比較していただけるように、5冊の翻訳本を選びました。元は同じ『源氏物語』という作品であっても、翻訳者が異なり、参考にした底本(翻訳するときに使用した書籍)が異なると、翻訳文もこのように違ってきます。
 「桐壺」巻の冒頭部分を展示しましたので、読み比べて楽しんでください。

【『源氏物語』が翻訳されている34種類の言語】
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・ オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロヴェニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語



◯英訳(2000年)
末松謙澄 訳
表紙は、二代歌川国貞『紫式部げんじかるた 五十一 浮船』。


◯英訳(2016年)
アーサー・ウェーリー 訳
表紙は岡田嘉夫『源氏絵巻 蛍』(1970年)、裏表紙は月岡芳年『月百姿』のうち『垣間見の月 かほよ』をアレンジしたもの。


◯英訳(1990年)
エドワード・G・サイデンスティッカー 訳
表紙は海老名正夫『木版画 源氏五十四帖』「橋姫」巻。
底本には、『日本古典文学大系』(岩波書店)を用いる。


◯英訳(2006年)
ロイヤル・タイラー 訳
表紙は舞楽図『青海波』で、裏表紙にはライザ・ダルビーとザ・ウォールストリートジャーナルの書評が掲載されている。
底本には、『新編日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)・『新日本古典文学大系』(岩波書店)の3つを用いる。


◯英訳(2001年)
H.マック・ホートン 訳
表紙は宮田雅之作「花宴」。

 
 
 
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2018年11月24日

科研のHP[海外へいあんぶんがく情報]が半歩前進

 現在取り組んでいる、科研(基盤研究A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)の研究成果を公開するホームページが、昨春(2017年3月31日)より進展していませんでした。

 これまでに準備したホームページ[海外へいあんぶんがく情報]のデザインを含めての経過(昨年12月末まで)は、「昨春採択の科研(A)のホームページが公開できない理由(7)」(2018年04月18日)などに詳しく報告した通りです。
 昨秋より紆余曲折はあったものの、大学から紹介されたIT業者とは今春決別し、今は心機一転、心強い助っ人を得て、新しいホームページ「海外へいあんぶんがく情報」の構築に取り掛かかるところです。
 そして、やっとのこと、このことを公に告知できるようになりました。

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 まだ、「2019.4 Website Released.」という一枚のバナーを追加しただけです。しかし、この一枚のバナーを貼り付けるだけでも、1年半以上にわたり膨大な時間と労力を費やさざるを得ない事態に巻き込まれていたのです。消化管を持たないひ弱なこの身体が、よくも持ちこたえられたものだと、いまさらながら感慨深い想いの中にいます。

 これからは、来年4月にこの2年間の成果を正式に報告できるように、集めた膨大な情報と研究成果を整理することに努めます。インド・ミャンマー・ペルー・アメリカで調査をしたことが中心となります。そのなかでも特筆すべき成果は、ビルマ語訳『源氏物語』を発見し、その翻訳者を研究会に迎え、日本語への訳し戻しもしたことです。

 研究分担者と連携研究者の諸先生方はもとより、プロジェクト研究員の大山さん、研究協力者として私の研究室に出入りしている7人の学生たち(池野・門・田中・松口姉妹・ナイン・チャンさん)、東京からこの科研を支援してもらっている研究協力者の淺川さん、さらにはデザイナーの塔下さんの力を借りて、お役に立つ平安文学情報を発信するための作業を鋭意進めます。やっと、学生たちには本来の仕事をやってもらえます。

 どうにかこうにか、ここまで漕ぎ着けました。一歩前進とまでは言えないので半歩です。情報公開については、入口に立ったまでです。これまで、何度か挫けそうになった気持ちを支えてくださった方々に感謝をしながら、来春の正式公開に向けてこのまま進んでいきます。

 今後とも、情報提供を含めた温かいご支援を、どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
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2018年11月17日

今夏ペルーで収集した平安文学関係の書籍を整理

 今夏、ペルーのリマに行った際、多くの日本文学関連の翻訳書の存在を確認しました。
 主な翻訳書に関しては、「エレナコハツ図書館で確認したスペイン語訳平安文学」(2018年08月13日)に、表紙の画像とともに報告しています。

 この翻訳書群については、帰国後すぐに、科研の研究協力者である淺川槙子さんから、さまざまな情報を整理した上で報告をいただいていました。そのことを、忙しさにかまけて本ブログには掲載していませんでした。今、本年度の研究活動を整理している中で、このことに気づいたため、忘れないうちに記録としてここに残しておきます。

 淺川さんから提供された情報は、以下の通りです。引用するにあたり、科研の成果物としてこれまでに編集刊行した多くの書籍と同じように、その掲載の形式を補正しています。
 今後は、これを基礎データとして、さらに詳細な書誌情報に育てて行くことになります。
 これらの書誌に関連する情報も含めて、ご教示いただけると幸いです。

(1)『源氏物語』(「夕顔」のみの訳)
・翻訳者:マヌエル・タバレス(Manuel Tabares)
・出版社/出版地:Editorial Galerna / Buenosaires(アルゼンチン)
・初版:1977 年
・再版/重版:情報ナシ
・底本:Arthur Waley,The tale of Genji(出版社・出版年は未記載)
・参考文献 
 Donald Keene, La Literatura Japonesa, Fondo de Cultura Economica,1956 
・翻訳範囲
「夕顔」巻のみである。空蝉との場面を除いた翻訳となっている。最後は、光源氏が口ずさんだ「正に長き夜」の元である『白氏文集』巻 19 律詩「聞夜帖(夜砧を聞く)」の3・4句「八月九月正長き夜 千聲万聲了る時無し」(岡村繁編『新釈漢文大系 第100巻 白氏文集4』p.318(明治書院、1990年))を翻訳した文で終わっている。
・巻名の表記
 タイトルと同じく、「La fugitiva de Chujo」である。巻名の「夕顔」をそのまま訳したものではない。「fugitiva」は「逃亡する・はかない・つかの間の」という意味である。このことについて、「「夕顔」の原文が「御忍び歩きの頃」で始まることから、御忍び歩きの光源氏と夕顔とのはかない逢瀬を示す題名にも通じる」との指摘(菅原郁子「7 La fugitiva de Chujo」伊藤鉄也編『スペイン語圏における日本文学』14頁、非売品、2004 年 9 月)もある。
・備考
 本文の前に、翻訳者自身による解説「Una Historia de Genji」(『源氏物語』の歴史)があり、紫式部や『古事記』・『万葉集』など日本文学の説明がされている。またドナルド・キーン(Donald Keene)や、長編小説『失われた時を求めて』の作者であるマルセル・プルースト(Marcel Proust)と比較した、メキシコの詩人オクタビオ・パス(Octavio Paz)の書評が掲載されている。叢書 Coleccio Avesdel Arca の1冊である。
 ※上記の解説文は『スペイン語圏における日本文学』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、14頁、2004(平成16)年)に掲載されていたもの。それをふまえて、「スペイン語訳『源氏物語』の書誌について」(『海外平安文学研究ジャーナル 2.0』71〜72頁、伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2015年3月11日)に、淺川槙子が情報を整理して掲載している。
 本書は架蔵本の中にはないものの、複写物はある。



(2)『源氏物語』
・タイトル:La Narrativa Japonesa
(直訳は『日本の物語:『源氏物語』から漫画まで』)
 ※翻訳ではなく、古典文学から現代文学にいたるまでの評論のようである。
・翻訳者:Fernando Cid Lucas(フェルナンド・シッド・ルーカス)
・シリーズ:Critica y estudios literarios
・出版社:Catedra
・出版年:2014年
(出版社URL)https://www.catedra.com/libro.php?codigo_comercial=150201
・メモ:Angel Ferrer Casals(アンヘル・フェレール・カザルス)による『源氏物語』の評論の他、『平家物語』、井原西鶴、十返舎一九、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、手塚治虫などについての論考が収められている。
(参考URL:https://kappabunko.com/2015/10/15/la-narrativa-japonesa-del-genji-monogatari-al-manga/
・表紙:下部には「蓬生」巻が描かれた扇子が掲載されている。



(3)『古今和歌集』
・タイトル:Kokinshuu
・翻訳者:Carlos Rubio(カルロス・ルビオ)
・シリーズ名:Coleccion de poemas japoneses antiguos y modernos : el canon del clasicismo
・出版社:Hiperion
・出版年:2005年
・表紙:「高砂」と書いてある。絵入版本の挿絵からとられたか。
 ※現物は未所有。



(4)『伊勢物語』
・タイトル:Cantares de Ise
・翻訳者:Antonio Cabezas Garcia(アントニオ・カベザス・ガルシア)
・出版社:Hiperion
・出版年:1988年(2版と表紙にあることから)
・表紙:慶長13(1608)年刊行の嵯峨本『伊勢物語』50段「鳥の子」(国立国会図書館に同版あり/WA7-238)
・メモ:『海外における平安文学』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、349頁、2005年)の「52番/p.63」、『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、259頁、2016年)の「p.167〜170」に初版(1979年)の情報を掲載する。



(5)『土佐日記』(英訳)
・タイトル:The Tosa diary
・翻訳者:William N. Porter
・出版社:Charles E. Tuttle
・出版年:1981年
・表紙:歌川広重『冨士三十六景 駿河薩タ之海上』(薩タ→現在の地名では薩埵)
・メモ:『海外における平安文学』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、349頁、2005年)の「96番/p.108」、1912年の初版本については『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、319頁、2014年)に掲載している。
 これまで整理した翻訳史年表(「海外源氏情報」http://genjiito.org)によると、1912年・1976年・1980年・1981年に出版されていることがわかる。



(6)『土佐日記』
 下野泉&イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン訳
 書誌は『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(180〜182頁、伊藤鉄也編、国文学研究資料館、259頁、2016年)に掲載。



(7)『蜻蛉日記』
 下野泉&イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン訳
 書誌は『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(182〜183頁、伊藤鉄也編、国文学研究資料館、259頁、2016年)に掲載。
 ※今回リマで拝受した本。



(8)『枕草子』
 下野泉&イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン訳
 書誌は『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(178〜180頁、伊藤鉄也編、国文学研究資料館、259頁、2016年)に掲載。



(9)『堤中納言物語』
・タイトル:La dama que amaba los insectos y otros relatos breves del antiguo Japon
・翻訳者:Jesus Carlos Alvarez Crespo(へスース・カルロス・アルバレス・クレスポ)
・シリーズ名:Maestros de la literatura japonesa, 20
・出版社:Satori
・出版年:2015年
・表紙:中村大三郎『班女』を反転させたもの。



(10)『更級日記』
・翻訳者 Akiko Imoto(井本晶子)、Carlos Rubio(カルロス・ ルビオ)
・出版地 Girona(ジローナ/スペイン)
・出版社、発行者 Atalanta(アタランタ) 発行
・出版年:2008 年
 書誌は『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(184〜185頁、伊藤鉄也編、国文学研究資料館、259頁、2016年)に掲載。
 ※架蔵本



(11)和歌
タイトル:El pajaro y la flor:Mil Quinientos Anos de Poecia Clasica Japonesa
 (直訳すると『鳥と花 日本の古歌の1500年』)
・翻訳者:Carlos Rubio(カルロス・ルビオ)
・シリーズ名:Alianza Literaria (AL)
・出版社:ALIANZA EDITORIAL
・出版年:2011年
・メモ:『万葉集』から与謝野晶子や種田山頭火まで174首の歌がおさめられている。
(参考URL:https://www.casadellibro.com/libro-el-pajaro-y-la-flor-mil-quinientos-anos-de-poesia-clasica-japone-sa-clasica-ed-bilingue-e-ilustrada/9788420652122/1846744
・表紙:磯田湖龍斎『名鳥座舗八景 いんこ晴嵐』(中判の錦絵、安永年間初期(1772〜1781)のもの)

 
 
 
posted by genjiito at 21:21| Comment(0) | ◎国際交流

2018年11月05日

グルジア(ジョージア)語訳『枕草子』に関して

 現在取り組んでいる科研(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(17H00912)の研究協力者である淺川槙子さんから、グルジア(ジョージア)語訳『枕草子』についての情報をいただきました。

181105_makura.jpg


 タイトル:მარტოობის ჟამს ჩანაწერები(枕草子)
 ・翻訳者:ჯუმბერ თითმერია( Jumber Titmeria)
    (生年1939年2月20日〜没年2016年1月)
 ジョージアのズグジジ出身。イヴァーネ・ジャヴァキシュヴィリ・トビリシ大学を卒業して、作家・ジャーナリストとして活躍した。17冊の著作を残した。
 「Criminal Chronicle」という新聞の編集長もつとめた。
 ・Hardcover, 340頁
 ・出版:1983年
(書籍)https://www.goodreads.com/book/show/28393815?from_choice=false&from_home_module=false&rating=1
(翻訳者)http://www.nplg.gov.ge/bios/en/00000441/


 グルジア(ジョージア)に関する日本文学関連の情報は、手元には何もありません。何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、提供していただけると助かります。
 
 
 
posted by genjiito at 22:22| Comment(0) | ◎国際交流