2018年05月16日

ミャンマーで調査収集したビルマ語訳の書籍に関する解説文(試案)

 現在、大阪観光大学図書館1階のロビーで、今年の3月にミャンマーで調査収集した翻訳本を展示しています。
 このことは、「ビルマ語に翻訳された日本文学作品の展示」(2018年05月09日)で報告したとおりです。ただし、そこに掲載した写真で、垂れ幕の文字が「世界中の言語に翻訳された『源氏物語』」となっているのは間違いでした。「ビルマ語に翻訳された日本文学」が正しいものです。
 本日、垂れ幕の再作成を事務の方にお願いしましたので、近日中に付け替えます。大変失礼しました。

 その展示書籍の解説文が、ようやく出来上がりました。明日より、印刷したものを展示ケースの上に置きます。
 興味のある方は、ご自由にお持ち帰りください。
 これは、ミャンマーからの留学生であるナインさん(科研運用補助員、2回生)と、科研の研究協力者である池野さん(2回生)の労作です。
 ミャンマーはもとより、ビルマ語が専門ではない者が、試行錯誤の中で形にした展示です。正しい情報を含めて、これに関連する情報をお持ちの方からの、ご教示をお待ちしています。


(試作版)

【ビルマ語に翻訳された日本文学作品】


 
■展示期間■
平成30年(2018年)5月2日(水)〜6月19日(木)

■展示場所■
大阪観光大学 1階階段前

■あいさつ■
 今回の特設コーナーでは、ビルマ語特集と題し、現地で集めた書籍を取り上げました。
 ミャンマーでどのような日本文学作品が翻訳されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。
 なお、展示した作品のタイトルはすべて、ミャンマー出身の留学生エータンダー・ナイン(伊藤科研(A)科研運用補助員)が直訳したものです。

◯カイン キン イン ジン訳『昔の恋の物語 1』(ビルマ語・2013)
 『源氏物語』のビルマ語訳。表紙はロイヤル・タイラーのthe tale of Genjiの絵を使用。
 
◯カイン キン イン ジン訳『昔の恋の物語 3』(ビルマ語・2015)
 『源氏物語』ビルマ語訳。表紙は十二単を着た女性。衣紋道高倉流か。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『坊っちゃん』(ビルマ語・2014年)
 夏目漱石『坊っちゃん』のビルマ語訳。表紙には橙と黒色を主に使用。
 
◯モー テッ ハン訳『ピン パウン 1973』(ビルマ語・2016年)
 村上春樹『1973年のピンボール』のビルマ語訳。表紙には、英語とビルマ語で村上春樹の名前とタイトル。村上春樹の顔写真なども使用。
 
◯ディ ノ ボ訳『サプッニッ恋心』(ビルマ語・2017年)
 村上春樹『スプートニクの恋人』のビルマ語訳。表紙の上部に英語で作者名とタイトル。下部にビルマ語でタイトルと作者名。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『無色…彼のなつかしい曲』(ビルマ語・2014年)
 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のビルマ語訳。表紙は赤、緑、茶色、黄色、紺色のロウソク。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『村上の村上』(ビルマ語・2018年)
 村上春樹の期間限定サイト「村上さんのところ」のビルマ語訳か。表紙には村上春樹の写真を使用。

◯ナン ダ トゥ訳『雪国』(ビルマ語・2015年)
 川端康成『雪国』のビルマ語訳。表紙は雪の中にたたずむ着物を着て和傘をもつ芸者か。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『千匹の鶴』(ビルマ語・2015年)
 川端康成『千羽鶴』のビルマ語訳。表紙には折り紙で作られた鶴が4羽。
 
◯サン サン ウー訳『死後と川端の小説』(ビルマ語・2015年)
 表紙には川端康成の写真を使用。
 
◯モー ヘェン訳『大水でも強風でも戦う人間の力』(ビルマ語・2011年)
 表紙には、杉原千畝の写真とアニメ「火垂るの墓」と、戦闘機の写真を使用。
 
◯イェ ミャ ルィン訳『ミャンマーの戦場での日本人または死の直前』(ビルマ語・2010年)
 太平洋戦争でビルマの戦線を生き延びた、小田敦巳さんの著書『一兵士の戦争体験』のビルマ語訳。『一兵士の戦争体験』はHP上で無償公開。(http://www.bea.hi-ho.ne.jp/odak/
 
◯ミン トゥ カ訳『野ばらと感激する日本文学小説』(ビルマ語・2015年)
 小川未明の「野ばら」をはじめとする、日本文学作品のいくつかを取り上げて掲載。翻訳者は、ヤンゴン外国語大学出身。
 
◯ディ ノ ボ訳『呪い』(ビルマ語・2016年)
 吉本ばなな『N・P』のビルマ語訳。表紙はN・Pの文字と猫と女の子。
 
○ス ミャッコ訳『ビルマのピアス/耳飾り』(ビルマ語・2016)
 武者一雄『ビルマの耳飾りー悲劇のインパール戦線』のビルマ語訳か。表紙はビルマのパゴダ(仏塔)と木。

 
 
 
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2018年05月09日

ビルマ語に翻訳された日本文学作品の展示

 大学のコリドールは、涼やかな風が気持ちよく吹き抜けています。

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 今年3月に、科研の用務でミャンマーへ調査に行きました。そこで収集した日本文学と文化に関する翻訳本を、大阪観光大学の図書館1階で展示しています。これまでは、3階で展覧していたものを、先月からは1階に移動しての展示です。

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 大学には、ミャンマーからの留学生がいるので、少しでも言葉を仲立ちとしてお互いの国の文化を知り、そして考える際の刺激になればと思っています。

 入手したばかりの書籍ということもあり、まだ、きちんとした解題はできていません。とにかく、現物である書籍をいち早く見てもらいたい、という思いで用意したミニ展覧会です。「解説文 作成中」という表示をしています。どのような本が並んでいるのかは、もうしばらくお待ちください。

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 今回の展示も、科研の研究協力者となっている2回生の学生たち6人が、先週2日に突貫工事で仕上げてくれました。私は、今日初めて今回の展示を見て、若者たちもなかなかやってくれるもんだ、と感心しながら写真に収めました。解説文も任せているので、どのようなものがこの展示ケースの上に並べられるのか、大いに楽しみにしています。

 ミャンマーにおける日本文学と文化に関する情報は、私の手元には本当に少ししかありません。これから調査を進め、収集し、整理をすることになります。
 ビルマ語に関する情報もお寄せいただけると幸いです。
 
 
 
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2018年05月02日

8種類の中国語訳『源氏物語』に学生と立ち向かう

 大型連休を利用して今は旅の途中、という方もいらっしゃることでしょう。
 そんな中、学校では授業時間を確保する意味からも、昨日も今日も授業がありました。学生たちの出席率は、予想外というと語弊があるものの、全体的にいいようです。

 中国からの留学生と一緒に、先週から中国語に翻訳された『源氏物語』を前にして話をしています。私の手元にある中国語訳『源氏物語』の本を書架から抜き出してみたところ、今日のところでは8種類あることがわかりました。
 その翻訳者の名前は、以下の通りです。

黄锋华・姚继中・鄭民欽・林文月・梁春・豊子ト・夏元清・康景成


 すべてを探し出したわけではないので、まだ10種類以上はあります。
 私が編集している『源氏物語』の翻訳史年表(http://genjiito.org/genji_infomation/genji_history/)によると、以下の翻訳者の本も架蔵しているはずです。

唐蓓・王烜・叶渭渠・彭飛 等・温祖蔭・钱澄・宋瑞芬・左秀靈・殷志俊・喬紅偉・李宏伟・銭稲孫


 これらは、いずれまた丁寧に探して、ということにしましょう。

 さて、その中国語訳を前にして、いろいろな話をしている時でした。それぞれの翻訳者がどう訳していて、どのような違いがあるのかを調べてみないかと話を振ったところ、やってみたいという学生がいました。

 まずは、日本の品物や、考え方や、風俗習慣、そして感覚と感受性などが書かれている特徴的な箇所を見つけ出し、それらを見比べます。そして、それがどのような表現で中国語に移し替えられているのかを考えることになります。これは、調査と研究の初心者コースに入ったといえます。

 それでは、ということで、まずは基本的な資料作りをしました。
 文学を勉強するために来た学生ではなく、観光や文化に興味があり、そうした分野の仕事をしたいと思っている学生たちを対象とした授業です。しかし、おもしろいと思ったことは、さらに日本を知りたいと思う動機付けになります。今回は、日本の古典文学作品を対象にするのです。文学を専門に勉強しようと思っている学生ではないので、ハードルは高いかもしれません。しかし、何事もやってみないとわかりません。

 今日は、資料整理と調査のための資料作りに終始しました。
 この資料を基にして、自分で気付くことを大切にした学習の場となるようにしていくつもりです。
 さて、このテーマがどう展開して行くのか、これからが楽しみです。
 
 
 
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2018年04月12日

翻訳本の展示を再開(ビルマ語訳『源氏物語』と『あさきゆめみし』)

 大阪観光大学での翻訳本のミニ展示は、新年度を迎え、装いも新たにスタートしました。
 これまでは図書館の3階に展示していたため、せっかくの展示もなかなか足を向けてもらえませんでした。
 今年度は留学生がさらに増えたこともあり、一人でも多くの学生に翻訳本を見てもらいたいとの願いも強くなります。そこで今年からは、図書館1階の入り口近くに展示ケースを移動し、見てもらいやすい場所を確保することにしました。ただし、スペースの関係で展示ケースは1台だけなので、厳選された本を20冊程度展示することになります。

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 今年は、前年度の大きな成果であるミャンマーで収集した翻訳本の展示から始めることにしました。ただし、まだ整理中ということもあり、今日は『源氏物語』のビルマ語訳5冊を並べました。

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 その右側には、漫画『あさきゆめみし』のタイ語訳、英語訳、豪華和装本を並べることで、翻訳本に興味を持ってもらうことを今回の展示の目的としました。

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 いつものような解説文は、まだ準備中なのでしばらくお待ちください。新入生の関心を惹くことを最優先にして、とにかくスタートしたものです。

 次は、5月のゴールデンウィーク明けに展示替えを考えています。

 今回も、科研の研究協力者となっている2回生になったばかりの6人の学生が、あれやこれやと知恵を絞って、わいわいがやがやと展示の用意をしました。展示ケースの中に置いた折り紙が、和風の雰囲気を盛り上げています。

 こうした本を見ながら、千年前を、そして海外のさまざまな言語に想いを馳せていただけると幸いです。
 また、ご覧になっての感想などをお寄せいただけると、次からのやりがいにつながります。

 なお、昨年度までの展示を一冊の冊子にすべく、学生たちが解説文や写真を整理しています。5月末までには、展示の記録としての冊子版を発行します。奮闘努力の結果を、楽しみにお待ちください。
 
 
 
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2018年03月30日

入れ子点前のお茶会をしてから賀茂川の桜を観る

 海外からのお客様をお迎えして、この日のために練習してきた入れ子点前でお茶を点てて差し上げました。
 丸卓の地板に水差しを置き、天板には柄杓を挟んで棗と蓋置きを飾ります。
 柄杓の左側に置いた蓋置きは、先日ミャンマーで手に入れた小さな石臼の未完成品です。先生に見てもらったところ、今日のようなお客様の時には、お茶席での楽しい話題作りになっていいのでは、とのことだったので使ってみました。

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 お客様にもお茶を点ててもらいました。

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 お二人とも上手で、正座もきれいでした。
 フランスやベルギー、オランダ、ドイツの話で盛り上がりました。特にオランダのライデンにある日本博物館シーボルトハウスの話になると、iPhone で調べたりしておられました。
 オランダ語訳『源氏物語』の話は、時間がなかったのでまたの機会としましょう。
 参考までに、現在まで私が確認しているものを列記しておきます。


西暦/元号/言語/重訳の有無/翻訳者/題名/翻訳範囲/備考/出版社

(1)1918/大正7/オランダ語/〈重訳〉/Marinus Willem de Visser(末松謙澄訳)/『Die Genji Monogatari』//※翻訳開始/A. Langen

(2)1930/昭和5/オランダ語/〈重訳〉/Ellen FOREST(Arthur Waley訳)/『Het Verhaal van Prins Genji』/「桐壺〜葵」//Holkema & Warendorf

(3)1969/昭和44/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Arthur Waley訳)/『Yugao』/「夕顔」/※底本:Arthur Waley『The tale of Genji』、5つの能楽作品の翻訳も掲載/

(4)2000/平成12/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Edward G. Seidensticker訳)/『Avondgezichten』/「若紫・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石」/底本:Edward G. Seidensticker『The Tale of Genji』/Meulenhoff

(5)2008/平成20/オランダ語//Jos Vos/『Eeuwige reizigers』/「賢木・若紫・乙女・御法」//Uitgeverij De Arbeiderspers

(6)2013/平成25/オランダ語//Jos Vos/『Het verhaal van Genji』/2冊本/電子本あり/


 その後は、賀茂川に出てお花見です。

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 今週末が満開でしょうか。
 これからは、この植物園に沿った半木の道が紅色や桃色や白色に緑色が混じり、色の競演となります。
 京都の今日は25度でした。早朝と夕方からが、いいお花見となります。
 
 
 
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2018年03月29日

お茶の特訓の後はビルマ語訳源氏について語り合う

 今日も快晴です。
 賀茂川畔から京都府立大学越しに比叡山を望みました。

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 賀茂街道では、これからみごとな桜のトンネルができます。

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 明日は海外のお客様をお迎えしてお点前をするので、今日は大和平群で特訓をしていただきました。
 入れ子点前のお稽古です。

 昨日に続いて暑いほどの陽気です。
 坂道を登るのに、うっすらと汗をかきます。
 桜の向こうに、子供たちが3人で3年ずつ9年間通った幼稚園が見えます。

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 暑かったミャンマーから帰って来て、寒いくらいだった日本がここ数日で一気に夏に向かっています。体調を崩さないように、気をつけなければいけません。

 お茶の先生のお宅の庭からは、絶景が広がります。
 萩の台を見やると、正面中央奥に見える薄レンガ色の建物は、母が意識を失ってからお世話になった近畿大学附属病院です。

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 平群谷も遠望できます。矢田丘陵の向こうが法隆寺のある斑鳩の里。ここは、借景がすばらしい場所なのです。

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 お稽古が終わると、大阪の関目へと急ぎました。ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳をなさったケィンさんと旦那さまにお目にかかるためです。翻訳の背景をうかがうことになっているのです。
 駅前には食事をするところがなかったので、イタリアンのお店で1時間。いろいろなお話を聞きました。さらに場所を喫茶店に移し、さらに1時間半ほど語り合いました。

 予想通り、旦那さまが『源氏物語』を読みながら語り、それを聞いて奥様がビルマ語に翻訳をしていく、というスタイルでした。
 その旦那さまは日本の方だったので、早々に予想が大きく外れました。しかし、心優しい方で、奥様のことを想いながら『源氏物語』を語っておられることが伝わって来ました。

 ビルマ語に翻訳する過程では、お2人が侃侃諤諤のやりとりがしばしばだそうです。しかし、旦那さまは奥様がやる気を失わないように、さまざまな配慮で『源氏物語』を語っておられるようです。
 奥様が最終的にどのような訳をしておられるのかは、翻訳文を読まないようにしているのでわからない、とおっしゃいます。翻訳を続けてほしいという情熱と思いやりが、こちらにヒシヒシと伝わって来る話を、たっぷりとうかがうことができました。相手に寄り添いながら、根気強く翻訳を続けておられるのです。すばらしいお2人の姿に感激しました。

 旦那さまは私より2つ上。ラジオ講座で『源氏物語』にのめり込んだのだそうです。源氏大好きを自他共に認める方と、こうして出会えたのです。よくぞこんな短時間に巡り会うことになったことだと、その出会いの縁というものに感謝しています。

 ビルマ語訳『源氏物語』は、源氏語りをなさる旦那さまと、その語りを詩人の感覚でビルマ語に訳していかれる奥様の、まさに二人三脚で進んでいるのです。
 今は、第17巻の「絵合」や18巻の「松風」のことばかり考えているそうです。嵐山の大堰川や二条院があった所に奥さまを連れて行きたいとのことです。お2人で奈良の展覧会や、京都巡りもなさっています。翻訳文を書くためには、物語の現場を見て、音を聞き、肌で感じたいからだそうです。いい訳文を作ろうと、倦まず弛まず前を向いて歩んでおられます。

 ビルマ語訳は、まだ三分の一にも届いていません。これから長い道のりが待っています。全巻を翻訳したい、との思いが強いので、私も可能な限りお手伝いをしようと思います。そのためには、翻訳の対象となるテキストを明確にすることが先決です。
 私は、谷崎潤一郎の新々訳か、『新編日本古典文学全集』の秋山虔先生の現代語訳に的を絞って訳をなさることをお勧めしました。現在は、それ以外にも舟橋源氏、瀬戸内源氏、田辺源氏などなど、いろいろなものを参照し過ぎておられると思ったからです。

 旦那さまは、奥様が興味を持たれたところを中心にして源氏語りをしておられます。和歌などの韻を踏んだ訳には、相当の自信をお持ちのようでした。
 そうしたことを追体験するためにも、ケィンさんのビルマ語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻し、それがどのような内容になっているのかを、まずは知ることが私にとって大事だと思っています。

 お2人が、丁々発止のやりとりから紡ぎ出していかれる『源氏物語』のビルマ語訳は、これからの進展がますます楽しみです。
お忙しい中、長時間のお付き合いをありがとうございました。
 
 
 
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2018年03月26日

ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者ケィンさんと大阪駅で面談

 先週23日(金)に、ミャンマーのホテル観光省のトゥンさんから、驚くべき情報がメールで届きました。
 その前の週の13日までいたミャンマーで見つかった、ビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者の詳細がわかったというのです。

 翻訳者の名前は「カイキンインジン」さん。もう一人「キンモーニラー」という名前も併記されていました。
 そして何と、その「カイキンインジン」さんは現在日本におられ、住所は大阪だということです。
 いやはやなんとも、驚きの連続です。

 ミャンマーを離れる時には、8月に再度訪問して調査を継続し、翻訳者にも会いたいと思っていました。あるいは、もしそれまでに日本に来てくださるのであれば、旅費や宿泊費はこちらで持ちます、ということをトゥンさんには伝言として残していたのです。翻訳者はヤンゴン周辺にお住まいのはずだ、と思い込んでいたからです。それが何と日本の、しかも大阪にお住まいだというのです。こんな奇遇はそうそうあることではありません。

 トゥンさんは、翻訳者と連絡がつくように、電話番号も調べてくださいました。早速、教えていただいた大阪のご自宅に電話をしました。
 電話口には男性が出られました。そして、突然このような電話をした経緯を説明し、『源氏物語』をビルマ語に訳された方とお話をしたい旨を伝えました。すると、妻は今は外出中です、とのことでした。
 電話口に出られたのは、旦那様だったのです。流暢な日本語でした。
 その夜、再度の電話をしました。お目にかかり、直接お話をうかがいたいと思っている内容をお伝えしました。すると、私からの提案をすべて快諾してくださったのです。

 そんな急転直下の展開となっての今日は、午後3時に大阪駅の中央改札口で待ち合わせをしました。
 私の方は、ミャンマーに一緒に行った、大阪観光大学の一年生の松口姉妹を連れて行きました。自由にお話ができる雰囲気の中で、いろいろなことを教えてもらいたいという思いからです。松口さんたちも、自分が初めて足を留めたミャンマーの、しかもこれまでは存在が知られていなかった『源氏物語』のビルマ語訳が見つかった経緯を、同時進行で目の前で見たのですから、これはいい勉強になるはずです。

 改札口を出たとこで、それらしき女性を見かけました。しかし、確かめる意味からも、うかがっていた携帯電話を鳴らし、確認をしてからご挨拶をしました。
 すぐに、予約していた「ホテルグランビア大阪」のラウンジに移動しました。

 最初に、名刺交換をしました。そして、私の現在の興味と関心をお伝えする意味から、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2014、319頁)と『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』(伊藤鉄也編、国文学研究資料館、2016、259頁)の2冊をお渡ししました。
 ホテルのラウンジでの2時間の間に、たくさんの話をしました。驚くべきことが、次々と語られました。
 その一部を列記します。


・お名前は「ケィン キン インジィン」さん
・「ケィン」さんと呼ぶことにする
・「キン モー ニラー」という名前は、詩人として活動していた時のもの
・1950年にミャンマーのトングーで生まれたとのことなので、私の一年お姉さん
・13歳の時に詩に興味を持つようになった
・モラミアン大学で少し勉強をする
・空港で働いていた時に職場結婚
・21歳の時に日本に来たので日本は46年になる
・旦那様は『源氏物語』に「クレージー」(熱狂的なファン?)
・20年間もの長きにわたり旦那様から『源氏物語』の話を聞き続けて来た
・『源氏物語』をことのほか愛しておられる旦那様から何回も聞く『源氏物語』が好きになった
・日本の和歌は韻を踏む詩としてビルマ語に訳している
・聞き知った『源氏物語』をケィンさんが詩人の立場でビルマ語にして本にまとめた
・ロイヤル・タイラーの英訳『源氏物語』を参照
・すでに6巻まで刊行
・現在は第7巻の翻訳が進行中
・大阪の天王寺や京都の伊勢丹などで、ミャンマー語を教えている


 ということで、第1巻から第5巻までを持ってきてくださり、さらにはその全5冊を頂戴することとなりました。
 次の写真は、上段左端が第1巻で、その右横が第2巻、右端が第3巻です。下段の左が第4巻です。ここまでは、すでに本ブログ「【速報】ビルマ語訳『源氏物語』4冊を入手」(2018年03月13日)で速報として報じた本です。その右横の葵祭の斎王代が表紙となっている本が、本日初めて拝見した第5巻です。

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 第6巻は自宅に二、三冊しかない、とのことでした。ミャンマーの書店で購入できるそうです。

 ケィンさんが『源氏物語』をビルマ語に翻訳なさった経緯が、少しずつわかってきました。
 今回ケィンさんからうかがった話を整理すると、ビルマ語訳というよりも、ビルマ語で『源氏物語』を語った旦那様の話をビルマ語で表現し直した本である、という言い方が正確だと思われます。
 そのため、これまでの翻訳本を参考にしたというよりも、ご主人が語られる『源氏物語』をロイヤル・タイラーの英訳『源氏物語』でお話を確認しながらビルマ語にしたもの、と言い換えた方が正確だと思われます。その他の翻訳などの研究成果は、確認していないそうです。

 また、ケィンさんは、その他にもいろいろとビルマ語で本を出しておられます。
 次の3冊の本もいただいたので、簡単に紹介します。

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 左端の本は、1991年頃にあった恋愛話を、ケィンさんがラブストーリーとして創作なさったものです。
 真ん中の本は、これもラブストーリーで、映画などを観ながら自由に創作されたものです。
 右端の本は、『タケインロンチォ』という書名で、内容はケィンさんが日本で暮らす中で日々の思いをつづったエッセイ集です。

 ケィンさんのお話は、まだまだ続きそうです。そこで、『源氏物語』をビルマ語訳する上でどうしても欠かせない存在となっている、旦那様との面談をお願いしました。すると、これも快諾してくださいました。
 夜ご自宅にお電話をし、旦那様とお話をするなかで、明後日の28日(水)の午後6時に、奥様共々お話の続きを聞くことになりました。
 ということで、この話はさらに発展的に続きます。
 
 
 
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2018年03月23日

【速報】本日(3月23日・金)映画『ビルマの竪琴』放映

 直前のお知らせですみません。
 本日3月23日(金、18:24〜20:54)、「BS朝日」で映画『ビルマの竪琴』(85年版、中井貴一主演)が放送されることを知りました。谷口先生、情報提供をありがとうございます。

 本ブログでは、「読書雑記(213)竹山道雄『ビルマの竪琴』」(2017年10月13日)で取り上げています。
 その時には引用しなかったことで、次のような作者の記述があります。

 物語が世にでた後になってからビルマに関する本をかなり読みましたが、それで見ると、具体的な点ではまちがっているところがいくつもあることが分りました。何も知らないで書いたのですから、まちがっている方が当然なくらいです。たとえば僧さんの生活などは何も分りませんでした。僧さんが跣足で歩いているように書きましたが、それはあやまりで、僧さんにかぎって、日本人が「ポンジー草履」とよぶものをはいているのだそうです。
 昨年ビルマから三人の新聞記者が来て、あの本の英訳本を読んで、宗教関係にまちがったところがあるが、ビルマ人は宗教についてはきわめて敏感だから、これをビルマに紹介するときにはこの点に気をつけるように、といわれました。あれをビルマ語に訳そうという計画があり、その許可を求めてこられましたから、よろこんで同意しましたが、はたして仕事はすすんでいますかどうですか。(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、227頁、「ビルマの竪琴ができるまで」竹山道雄「昭和二十八年しるす」)


 後半のビルマ語への翻訳に関しては、今回のミャンマーでの調査により、3種類の翻訳本と漫画があることがわかりました。現在のミャンマーではコピー本が氾濫しているので、さらに調べるとまだ見つかることでしょう。

 また、出家中の僧侶が楽器を吹いたり弾いたりすることは戒律違反となるため、これは許されておらず本来できない行為だということを聞きました。ただし、水島が出家をするのは、物語の後半だったように思います。後で確認します。そうした指摘はそれとして、この作品が出来た背景について作者が語っていることも確認しておく必要がありそうです。作品は時代の産物です。作者の意図を無視して現在の物差しだけで測ったり、現代の物の見方だけで評価とすることに慎重でありたいと思うからです。

 最初には、場所はシナの奥地のある県城というつもりでした。それは、戦争中に新聞で、ある写真を見て、印象がふかかったからです。その写真は、城の中の楼閣で、焼けくずれた厚い壁にさまざまの落書がのこっているところでしたが、あたりには木も芽をふき草もしげって、いかにも棲愴たるありさまでした。ここに日本兵がたてこもって、敵に包囲されてくるしい数週間をすごしたが、ついに切りぬけたということでした。
 ここにこもっている日本兵が合唱をしていると、かこんでいる敵兵もそれにつられて合唱をはじめ、ついに戦いはなくてすんだ。−こういう筋を考えました。
 敗戦といういたましい事実が頭にこびりついていたし、気の毒な帰還兵の姿を毎日のように見ていた頃ですから、義務をつくして苦しい戦いをたたかった人々のためには、できるだけ花も実もある姿として描きたい、という気持がありました。
 しかし、この合唱による和解という筋立ては、場所がシナではどうもうまくゆきませんでした。日本人とシナ人とでは共通の歌がないのです(このことは、意味のふかいことと思われますが、いまは別にします)。共通の歌は、われわれが子供のころからうたっていて、自分の国の歌だと思っているが、じつは外国の歌であるものでなくてはなりません。「庭の千草」や「ほたるの光」や「はにゅうの宿」などでなくてはなりません。そうすると、相手はイギリス兵でなくてはならない。とすると、場所はビルマのほかにはない。−じつはこういう事情から、舞台がビルマになりました。
 ところで、私はビルマには行ったことがありません。いままでこの国には関心も知識もなく、敗戦の模様などは何も報ぜられなかったのですから、様子はすこしも分りません。ただ私は学生時代に夏休みに台湾に行ったことがあり、あちらこちらを歩いて、カッパン山やアリ山にも登り、蛮人部落も訪ね、熱帯色ゆたかな南の端まで行きました。この旅行は楽しい記憶です。あの台湾の強烈で豪華な風土を思いうかべて、あとは空想で第一話を書きました。
(中略)
 第二話以下が雑誌にのったのは二十二年九月号からでした。
 しかし、あのころは材料が手に入りませんでした。ビルマでは大規模の激戦があって、たくさんの損害があったにちがいないと推測はしていましたが、ここに三十万の戦死者がいたということを知ったのは、あれを書きあげた後でした。このようなことについては、連載が終って本にする際に、かなり手を入れました。戦中は敗戦については知らされないし、戦後も戦争にふれることは一切タブーだし、われわれはずいぶん後になるまで、戦争についての具体的な事実は知りませんでした。実地のことは、さっぱり分りませんでした。
(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、220〜223頁、「ビルマの竪琴ができるまで」竹山道雄「昭和二十八年しるす」)


 また、文庫本に収録された平川祐弘氏の「『ビルマの竪琴』余聞」には、次のように記されています。

ルイ・アレン教授は第二次世界大戦中ビルマで日本軍と戦った英軍の語学将校であったが、『ビルマの竪琴』の冒頭に出てくる音楽の調べをきっかけにした日英両軍交歓のエピソードは実際にはなかった、あのエピソードは第一次世界大戦のクリスマスの際に起った英独両軍の交歓の話をもとにしたのであろう、と解釈した(『比較文学研究』三十六号)。あるいはそうかもしれない。しかし敵の陣営から流れてくる楽の音に将兵が耳を傾け、心動かされる情景は日本では昔から謡曲『敦盛』などにも美しく描かれている。『ビルマの竪琴』が戦没者の遺族の気持をも慰めたのは、作中にそのような日本人の伝統的な仏教的心性が肯定的に説かれているからではあるまいか。作品中に出てくる坊様たちの姿もビルマの小乗仏教の実体とはいろいろかけ離れているであろう。しかし『新潮』昭和五十九年八月の竹山道雄追悼号で加藤幸子氏が適切に指摘したように、そうした論が文明批評の先端部として、敗戦直後の近代主義謳歌の日本でいちはやく提出されていたところに、かえって深い意味があるように思われるのである。(新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版、248〜249頁)


 いろいろな意見を見るにつけ、この『ビルマの竪琴』は児童文学としての視点から読んでいくことが、まずは大切ではないかと思います。そして、映画については、これも原作との関係性を意識して観る必要があるように思います。史実と虚構、文字による受容と映像による視聴と対峙する原作の位置づけなどは、私にとっては今後とも考えるテーマの一つでもあります。

 また、下のようなブログがあることも、谷口先生から教えていただきました。

「ミャンマーの人々は「ビルマの竪琴」をどう観たか」
https://hogetest.exblog.jp/4011267/

「ミャンマーの人々は「ビルマの竪琴」をどう観たか(後編)」
https://hogetest.exblog.jp/4011262/

 取り急ぎ、速報として記しておきます。
 
 
 
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2018年03月20日

人と人とのつながりと電子機器に助けられた旅でした

 2月26日から3月14日までのインド・ミャンマーの旅は、予想をはるかに超える収穫に恵まれたものとなりました。その背景にあるものに、以下の5点がキーポイントとなっていたように思います。
 今後のためにも、あらためて書き出しておきます。


(1)関空で借りたWi-Fiルーターを道中ずっと持ち歩いていたこと
 インドでもミャンマーでも、常にルーターを通してインターネットにつなぎっぱなしだったため、いろいろな方々と連絡を取りながら移動できました。日本から持って行った、いつも使っている携帯電話は不調だったために、音声による連絡や確認には役に立ちませんでした。インドでの連絡は、教え子のクマール君が手配してくれたインド国内用の電話を使いました。


(2)iPhone をフルに活用できたこと
 充電をするタイミングに気をつけながらも、行動予定の確認や変更を頻繁に書き換えて、現地の方々と連絡を取りあっていました。行き先や面談相手とは、常にiPhone のメールによって連絡を取りながら移動できました。少し込み入った打ち合わせには、持参したノートパソコンも活用しました。


(3)いつも使っているノートパソコンを持参したこと
 移動が多かった今回の旅では、至る所でパソコンにデータを入力していました。iPhone とパソコンのデータの全ては、iCloudを経由して常に同期していたので、シームレスにメモを使いまわしていたのです。そして、必要な時には京都の自宅で管理しているデータベースにもアクセスできたので、電子機器が大活躍でした。


(4)軽い3ウェイタイプの背負いバッグが重宝したこと
 今回の旅はハードな行程になることが予想できたので、大型のボストンタイプのキャリーバッグ以外に、軽量タイプの背負いのバッグを調達して行きました。チャックによって大きさが変えられる、3ウェイタイプのものです。この使い勝手の良さは、日々の行動を身軽にしてくれました。両手が空いて荷物がじゃまにならないバッグは、疲れを半減させます。


(5)お目にかかった方々との気持ちが通じたつながりに感謝
 今回も、多くの方々の芳情に支えられて旅を終えることができました。一番の驚きは、インドなどでお世話になった国際交流基金の佐藤さんが、ヤンゴンの事務所を開設するために現地にいらっしゃることがわかり、数日後には十数年ぶりに、しかも初めての地であるヤンゴンで再会を果たしたことです。そして、テーザー トゥンさんをはじめとするミャンマーのホテル観光省のみなさまの行き届いた配慮には、ただただ感謝の気持ちしかありません。


 今回の旅で出会ったみなさま、ありがとうございました。
 再会を楽しみにしています。
 
 
 
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2018年03月17日

ビルマ語訳『源氏物語』を訳し戻す相談をして帰国の途に

 日本へ帰る日となりました。
 さて出発ということでチェックアウトをしてホテルの前に出ると、あろうことか、私が生まれた島根県の出雲の観光バスが停まっているではないですか。こんな出会いがあるとは。世界は狭いものです。これも縁ということで……パチリ。
 今回の旅の途中で、日本でお役ごめんとなった車を数多く見かけました。第2第3の人生を、車たちも歩んでいるのです。

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 ホテルで受け取った朝食のお弁当を持って、国内線でマンダレーから空路ヤンゴンへ移動です。その後は、ヤンゴン→バンコク→関空と乗り継ぎます。ただし、ヤンゴンからは夜の便なので、半日以上はヤンゴンで滞在です。

 ヤンゴンの空港では、昨夜マンダレーで夕食を共にしたトゥンさんが、先回りをして出迎えてくださいました。そして、早速手に入れてくださったビルマ語訳『源氏物語』4冊を受け取りました。感激です。
 その表紙は、空港からヤンゴンの市内に入る間に、タクシーの中から速報としてブログにアップした通りです。

「【速報】ビルマ語訳『源氏物語』4冊を入手」(2018年03月13日)

 今回の旅では、3月5日にインドのハイデラバードからミャンマーのヤンゴンに入りました。しかしその時には、最初からさまざまな情報が得られ、その調査と確認に時間を取られて見る余裕がなかった、シュエダゴンパゴタへ行きました。ネーピードーで見たウッパタサンティパゴダは、これをそっくり写したものです。とにかくスケールが大きいことに驚きます。

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 お昼ご飯には、大好物のお寿司と、珍しいのでナマズにしました。

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 3月6日に、ミャンマー語を中心とした翻訳ビジネスを展開する「ココライズ・ジャパン」に立ち寄りました。あの時に社員の方がお持ちの日本文学に関するビルマ語訳の翻訳本を拝見したことが、今回の調査と収集活動の流れを大きく変えたように思います。
 そこの社長である長田さんが日本からヤンゴンにお帰りになっていたので、お目にかかるために再度事務所へ行きました。そして、ビルマ語訳『源氏物語』を日本語に訳し戻すことに関して、プロの手でやってもらうことの相談をしました。いろいろな条件を突き合わせて、2人態勢で日本語訳を作ってもらうことで話は進みました。これについては、後日報告します。

 今回のミャンマーの旅では、ホテル観光省のテーザー トゥンさんをはじめとして、ティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさんにはひとかたならぬお世話になりました。お陰さまで、想像だにしなかった膨大な情報と書籍と人との出会いを、成果として持ち帰ることとなりました。ありがとうございました。
 空港では、トゥンさんとお別れです。しかし、この科研での資料調査と情報収集については、今夏また再訪してさらに充実したものとする予定です。その時まで、しばしのお別れということで、固い握手をして出国することになりました。
 
 
 
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2018年03月16日

戦没者慰霊碑や旧王宮や2つの日本語学校を飛び回る

 マンダレーヒルの寺院に行きました。小さな鏡を貼り付けたモザイクがキラキラと迎えてくれます。

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 寺院の裏手の一画に、日本人戦没者の慰霊碑があります。特にお願いして、連れて行っていただきました。

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 「緬甸方面彼我戦没諸精霊」の碑は、2002年2月に、南太平洋友好協会によって建立されたものです。

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 向かって右側面には、次の言葉が記されています。

ミャンマーで戦没された日本
ミャンマー・英国全ての人々が
怨親平等に安らかに永遠の眠りに
つかれることを祈ります


 ここで使われている「怨親平等」という言葉は馴染みのないものです。調べてみると、以下のような説明がありました。

怨親平等(おんしんびょうどう)
仏教用語。怨敵と親しい者とを平等にみるという意味。仏教の根本精神は大慈悲であるから,にくい敵であるからといって憎むべきではないし,また親しい者であるからといって特に執着すべきではなく,平等にいつくしみ憐れむべきことをいう。日本では戦いの終ったあと,敵味方区別なく戦死者の供養塔を建立したという例があるが,これはこの精神の現れとみられる。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2009]


 下段の台座には、次の言葉が記されています。

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謝辞
この慰霊塔の再建のために御尽力頂いた、
関係部局長及びミャンマー連邦政府のスタッフ、
そしてミャンマー日本友好協会事務局長
ウ・ヤット氏と御協力頂いた全ての人々に
心から感謝の意を表します。
   2002年2月吉日
       南太平洋友好協会


 また、背面には次の文言が記されています。

2002年2月吉日建之
     南太平洋友好協会


 私の両親は、戦時中は満洲にいました。終戦と共にソ連が約束を破って満洲に攻め込んで来たため、父はシベリアへ抑留されて強制労働に、母は命からがら日本に引き上げて来ました。その話は、「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)で書きました。父の話を聞いていたので、モンゴルへ行った時には、戦没者の慰霊碑にお参りに行きました。これも、「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)に書いた通りです。

 その父が、なぜか「インパール」に関する本を大事に持っていました。友人知人が、インパールの惨禍の中で無残なことになったからではないかと思っています。父は、何も語ってくれませんでした。
 今回ミャンマーに来るにあたり、その慰霊碑があることを知っていたので、どうしてもその慰霊の地に立ちたかったのです。一人でも多くの方々のことを思い出すことも、大切な敬意の表し方だと思うからです。父は、思い出すなどとは次元の異なる惨状を体験したのでしょう。思い出すことすら拒否していたように思えます。私は、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を読み終わった時、ビルマでお亡くなりになった方々の墓地か慰霊碑がある地に行こうと決めていました。

 モンゴルがそうだったように、このビルマ戦線でも無念の命が放置されたと思われます。今の幸せすぎるほどに能天気で平和な日本に生きる一人として、ご冥福をお祈りするしかありません。
 このミャンマーには、まだ数多くの日本人をはじめとする戦没者の墓地があるそうです。これは、イギリスの方もビルマの方々も含めて、再訪の折には、一つでも多く訪ね歩くつもりです。

 その後、マンダレーの日本語学校「HITOセンター」(日本センター)を訪問しました。

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 大阪大学3回生で、半年間の休学をして教えに来ている藤原さんの授業に参加しました。そして、グループに分かれてさまざまな問題を日本語で楽しく語り合いました。

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 みんなで、ことわざカルタをしよう、ということになりました。これが遊び感覚を超えた、楽しく日本語の勉強ができるゲームとなっていきました。インドで『百人一首』をやった時もそうだったように、カルタはしだいに熱中していくものなので、日本語学校でも有効に活用できる教材だと思います。生徒が読むと、さらに盛り上がります。

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 なかなか行く時間が取れなかった旧王宮に、最後の日になって何とか組み込むことができました。

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 ここは、1990年代末に再建されたものとはいえ、后たちの殿舎が王の謁見の間を囲むように50もあることに注目しました。これはまさに『源氏物語』の空間と似ています。淑景舎(桐壺)にあたる建物を探し、それらしきものを認定することにしました。正面奥を、『源氏物語』で言うところの淑景舎としておきましょう。廊下でつながっていないのでイメージは違うものの、遊びとしてはこれでいいでしょう。

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 監視塔から見おろすと、建物全体の配置がわかります。

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 差し上げる形の戸も、日本の蔀戸によく似ています。

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 このミャンマーでは、『源氏物語』が日本と共有できる文化資源の一つになることを、この場所に来て確信しました。

 先程訪問した「HITOセンター」の藤原さんから、移動中に早速メールで本屋さんを紹介してくださいました。
 教えていただいた書店で、これまで国立図書館や国際交流基金にはなかった『ビルマの竪琴』の別バージョンなど、日本文学と文化に関する翻訳本を10冊ほど購入できました。この書店には、ランダムに本が並んでいるので、時間をかければもっとありそうです。あらためて来る必要があります。

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 とにかく、ミャンマーには、予想をはるかに上回る日本文学および文化に関する翻訳本があることがわかりました。夏頃をメドにして、再度来ようと思っています。

 今日の最後は「のりき日本語学校」の訪問です。

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 ここは、ハイレベルな生徒を抱えておられます。校長のHtut Kyaw先生に、詳しいお話を伺いました。この学校は、もう15年の教育歴があるそうです。
 100人以上の生徒の内、日本語能力検定試験で5段階ある中の一番難しいN1の勉強している生徒は10人。その内の3〜4人が合格するそうです。N2は20〜30人が取り組んでいて、半数が合格するとのことでした。
 上級クラスの中に混じって記念撮影をしました。時間があまりなかったので、質問にも丁寧にお応えできず申しわけありません。またいつか再会を、ということでお許しください。

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 お昼頃に行った「HITOセンター」にも、難度の高いクラスがありました。ミャンマーにおける日本語教育は、その学習者の数といいレベルといい、今後ともますます伸びていく熱気を感じました。
 
 
 
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2018年03月15日

マンダレーを飛び回り留学生の自宅訪問

 以下、ミャンマーにおける3月11日(日)の資料調査と情報収集活動の記録です。

 マンダレーから車でインワへ移動です。そして、イラワジ川へ行きました。今はエーヤワディー川と言っています。ここから渡し船で対岸のインワ(アヴァ)に向かいます。500年近くも都があった所です。

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 インワでは馬車に乗って、寺院を巡りました。

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 かつての賑わいを感じさせる仏塔や城壁がありました。しかし、昔の面影はありません。

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 まわった3箇所の内の一つのバガヤー僧院は、ヤシ林の中に建つチーク材のお寺です。1834の建立です。ここでは、寺子屋が開かれていました。お坊さまが子供たちの勉強を見ておられたのです。見事なお寺がこうして残されており、そこを舞台として子供を育てる環境が今も生きているのです。

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 このインワを歩いている時に、履いていた靴底が悲鳴をあげて割れ、捲れ上がってきました。歩きやすいリーガルのスポーツタイプです。愛用していたので、なぜこんな時にと……。とにかく、インドからミャンマーへと、ひたすら歩いて調査収集活動をしていた証しでもあります。この後は、瞬間接着剤などでだましだまし履き通しました。

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 ザガインは仏道修行の中心地です。ウーミントンゼーバヤーに行った時に、ポケットに財布がないことに気づきました。どうやら落としたようです。クレジットカードや現金に加えて、ホテルのカードキーとカメラのバッテリーが入っていました。しかし、幸運にもタクシーの座席の下に落ちていたことがわかり、一安心です。外歩きの時でなくて幸いでした。仏様に感謝です。

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 ここの仏様は、右手の指が6本ありました。昨日、楽器屋さんで見かけた、やたら穴の数が多い笛は、この仏様たちが奏でるための特注品だったのでしょうか。

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 ザガインのカウンムードパヤーでの気温は31度。風が気持ち良いところです。お土産にと、磨り鉢と孫の手を買いました。小さめのすり鉢は、お茶の時に蓋置として使うつもりです。

 機織りの工房に行きました。

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 機織りというと、実は私には論文と調査報告書が一つだけあります。なつかしいものであり、紹介することもなかったので、参考までにその概要を引用して残しておきます。

「機業 −福生の民具を通して−」
『福生市文化財総合調査報告 第12集福生の民俗・生業諸業』福生市教育委員会
昭和55年3月
福生市教育委員会の委託を受けて行なった、民俗調査にもとづいてまとめたものである。民具としての機(ハタ)を取りあげ、その歴史的な位置づけと、当該地における実情を、モノを通して論じた。聞き書きをもとに構成したものであり、特にライフヒストリーの部分のまとめ方には、新たな視点を導入した。


 仏像と仏具を製作している工房にも行きました。仏教を具体的なイメージで理解するのに、こうした小道具や製作過程を見ておくことは有益です。

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 異文化交流の中で、こうした工房が役立つ機能を有するものであることを実感しました。ここで製作されている像や人形等を、いつかいただいて帰ろうと思っています。アルバイトで作業室に来る学生たちが、折々に異文化を意識しながら作業に当たれたら、イメージ豊かな仕事ができることでしょう。

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 今回工房で見たものは、翻訳した文章の挿絵などの参考図版に活用できるのでは、と思っています。お土産物が一転して参考資料となるのですから、視点を変えて物を見ることのおもしろさがあります。

 大阪観光大学の学生で、マンダレー出身のナインさんが、昨日から2週間ほど実家に帰省です。数日、一緒に案内してくれることになりました。そして、自宅に呼ばれ、お母さんの心の籠もった手料理をいただきました。街中で食べたものとは違い、辛くないものをというわがままな注文も盛り込んだ、心温まる家庭料理を美味しくいただきました。

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 2階の仏間や、台所のかまど、家の周りの植物を見せてもらったりと、日常生活を拝見できたことも得難いことでした。さらには、私の鼻とノドの調子がよくない話から、お父さんがご推薦の漢方薬のようなものをくださいました。確かに、症状は停まりました。改源や龍角散のような味と薫りの粉薬でした。お父さんのお心遣いに感謝しています。

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 勤務する大学に留学している学生の自宅でご両親とお話をするのも、学生の大学生活を含めて、今後につながる貴重なことだと思います。たまたまナインさんが、私の科研のアルバイトとして来ていること以上に、研究仲間の一員となり共通の話題や意識が深まることが、お互いの理解を高めることになったように思います。マンダレーでナインさんと会ったことは、今度ニ回生になる4月からにつながることとなります。ビルマ語に訳された文学作品や日本の文化を紹介する本を多く入手できたので、これらの書誌や解題を作成することからお願いしようと思っています。
 
 
 
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2018年03月14日

多くの人に助けられながらの旅です

 今日、3月14日の朝6時半に、バンコクからのタイ航空便で関西国際空港に帰ってきました。17日ぶりの日本です。
 帰る早々、今日は大学で3つも会議がありました。関空から2駅目に大学があるので、素通りで帰るわけにはいきません。疲れた身体にむち打って、睡魔と闘いながら会議に出席というありさまです。

 インドとミャンマーでは、実にいろいろなことがありました。
 出発する前までは、ミャンマーには日本文学や文化に関するビルマ語による翻訳がないようでした。手元には一冊もなかったのです。確かに、行って見ると日本語学校の先生をはじめとして、みなさん見かけないとおっしゃいます。しかし、実際にはあったのです。しかも、数十冊も。
 このことをはじめとして、今回の旅は特に収穫が多かったこともあり、このブログも遅々として進みません。
 今日、帰ってきたのに、ブログではまだ5日も前のことを書いているところです。
 こうなったら、根気強く思い出しながら書き続けるしかありません。

 以下、3月10日のマンダレーに着いた翌日のことから書きます。

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 ホテル観光省のティダーさんに、早朝の6時ごろに街の市場へ連れて行っていただきました。ここでは物売りが集って賑わっています。主役はマンダレーのおばさんたちです。

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 托鉢の僧も街にでかけて来ました。

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 マンダレーから東の山の奥に、メイミョウ(今のピンウーレン)があります。そこには、かつてガバン朝の頃に王たちが守ったディフェンス サービス アカデミーがありました。ミャンマーの人たちが立ち寄って写真を撮る場所になっています。このピンウーレン一帯は、イギリスの植民地時代に英国人がマンダレーのあまりの暑さを避け、ここを避暑地としたところです。
 「乗り気日本語学校」で勉強をしているアウディ君が、道案内を兼ねて手助けに来てくれました。東京の大学で勉強もしていたようで、日本語も上手い20歳の若者です。
 こうして、多くの仲間とのつながりに助けられて、山の中でも翻訳本の調査と情報収集の旅は続いています。

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 ペイチンミャァウン(洞窟寺院)は、山口県にある秋吉台の鍾乳洞を思い出させます。洞窟の中の仏像群を見物できる所です。仏像の多さと、洞窟内の暑さと湿気で圧倒されました。

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 今回の旅では、シャン民族の文化が視野に入っています。その楽器、「象脚鼓」も確認しました。

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 ナショナル ランドマーク ガーデンにも足を向け、植物園や動物園で、ミャンマー特有の動植物を見ました。

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 実は、翻訳に関わっていると、動植物をどのようにして異文化の世界に置き換えたらいいのか、非常に難しい問題と向き合うことがあります。ミャンマーを少しでも知るために、さまざまなところに立ち寄っています。文化には多種多様な要素があるので、見るもの聞くもの手当たり次第に受け入れる気持ちで対処するようにしています。何でも見てやれ、聞いてやろう、の気持ちがないと前に進めません。

 ホテルに帰ると、大阪観光大学一回生で私の科研のアルバイトをしているナインさんが、お母さんと一緒に訊ねて来てくれました。ナインさんは、このマンダレー出身です。今日、日本からマンダレーに帰省してきたのです。これから数日、一緒に行動を共にしてくれます。心強い助っ人が、また一人登場です。
 
 
 
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2018年03月13日

ネーピードーからマンダレーへ行き日本にタイムスリップ

 首都ネーピードーからマンダレーまでは、小型バスで北上して4時間半の長旅です。道は、ひたすら真っ直ぐでした。

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 途中で、日本語学校の看板を見かけました。
 「日本語を学び日本企業に就職しましょう! 日本人講師がサポートします。」と書いてあります。

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 ホテルの周りを散策していると、若者たちに人気の映画館がありました。映画は人気があるようです。

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 「OMOTO」というお店は閉店です。これは百円ショップであったことが、後でわかりました。
 シャッターに描かれていた着物は、右側の女性は合わせ目が左前です。これも異文化の受容ということで……

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 街中には、木陰の至る所に水瓶が置かれていて、自由に飲めるようになっています。井戸もいくつか見かけました。

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 マハムニパゴダへ行きました。ここでも女人禁制となっています。男は前まで行けるのに、女性は後ろの方からしか拝めません。

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 アマラプラ(タウン・ミョー)は、パーリ語で「不死の町」というそうです。そのタウンタマン湖に架かるウー・ペイン橋へも行きました。これは、160年前に架けられた1.2キロの橋です。欄干がないので、用心して渡りました。

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 海外での生活が2週間ともなると、日本の食事がしたくなります。少し贅沢かとは思いながらも、日本料理屋の「Fuji」に行きました。ここでは、お米にササニシキを使っていました。

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 私は、一度にたくさん食べられないので、相変わらず小食の日々です。こまめにチーズを主体とした食事をするため、夜食などを抱え込んでの旅を続けています。食料品を仕入れに大型スーパー「オーシャン」に行くと、百円ショップがありました。キャンドゥの系列の商品が置かれているようです。ただし、一個200円ほどです。これも、日本の文化となりました。異文化世界に身を置く日々の中で、フッと生まれた国の世界にタイムスリップするのもいいものです。

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2018年03月12日

ミャンマーのネーピードーにあるブッダガヤへ

 ブッダが生まれたインドのブッダガヤを、ミニチュアながらもそっくり再現したネーピードーにあるブッダガヤの寺院群へ行きました。
 残念ながら、私はまだブッダガヤには行っていないので、ここで本家の様子を疑似的に体験してきました。

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 サールナート(鹿野苑)へは、2002年に行きました。この仏塔の形は、今でもよく覚えています。

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 ブッダの涅槃像も、イメージを作るのに助かります。迫力もありました。

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 ミニチュア版ながら、聖地巡礼をした気持ちになり、ブッダを再認識する場となりました。
 今後とも、インドと共に、ミャンマーの方々との交流も始まります。
 こうした現地踏査による見聞を、さまざまな場面で活かしていきたいと思います。
 
 
 
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ネーピードーの国立図書館で確認したビルマ語訳の日本文学関連の書籍群

 今回の旅で中心となって研究調査と資料収集などでご協力いただいているホテル観光省のテーザー トゥンさんを通して、国立図書館に日本文学や文化に関する図書を拝見したい、という依頼をお願いしていました。それを図書館側が聞き届けてくださり、訪問した折には別室に用意していただいていた本を拝見しました。ご高配に感謝します。

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 書庫からあらかじめ取り出してくださっていた書籍を、撮影のために机に並べていた時でした。その中に『源氏物語』と表紙に記された本があったのです。手元にあった所蔵リストを見ても、その本は見当たりません。最近収蔵されたものと思われます。
 これまでに、ビルマ語訳『源氏物語』はないとされていたので、これには驚きました。しかも、最近の刊行物なのです。

 このビルマ語訳『源氏物語』については、見つけてすぐに、「【速報】『源氏物語』で34番目の言語となるビルマ語訳を確認」(2018年03月08日)で報告した通りです。とにかく、このビルマ語訳『源氏物語』については、日本に帰ってから詳細を確認します。

 ネットを見ると、電子版としても発行されているようです。
 刊行されたばかりの1巻から4巻までは、日本への帰りに立ち寄るヤンゴンで受け取って持ち帰れるように、トゥンさんが手配をしてくださいました。うまく入手できるといいのですが。

 国立図書館の職員のみなさまのご協力により、今回その所在が確認できた本は以下の通りです。その書影を掲載して、概要の報告の一部とします。図書館から提供された資料によると、65冊となっています。ただし、短時間の撮影だったため、重複する書籍や対象外のものが混在していることはご了承ください。

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 ミャンマー国立図書館のKay Thi Aye副館長及びミャンマー国ホテル観光省のテーザー トゥンさん、ティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさん、そしてそれぞれの機関のスタッフのみなさまのご理解とご協力とご尽力に感謝します。
 早速ご提供いただいた資料をもとに、情報を整理してデータベース化した後に、その成果をお手元にお届けします。
 日本文学と文化に関するビルマ語訳の書籍の調査は、まだ緒に就いたばかりです。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
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2018年03月11日

経典を書写する前に使う横長の木枠と「糸罫」のこと

 ネーピードーの国立図書館では、Kay Thi Aye 副館長のご説明をうかがいながら展示物を拝見しました。中でも、パームリーフに書かれた100年前の経典とその附属物を見た時に、何やら胸騒ぎがしました。貝葉経というもので、仏教の中の聖典である三蔵経だそうです。

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 そのお経を一枚の葉に書く時に使われる道具の説明の時、木枠と糸と黄色の水の役割がよくわからなかったので、しつこく何度も質問してしまいました。糸を使って、書写する書式を揃える道具についてです。

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 特に、黄色の色水を、
(1)どの段階でパームリーフにかけるのか?
(2)糸のどこへかけるのか?

ということがよくわかりませんでした。色水で黄色いベルト状の線を引き、そのベルトの幅の上に文字を刻むことにも説明が及んだからです。

 私の頭の中には、宮内庁書陵部所蔵の書写道具である「糸罫」が説明を聞いている最中から点滅していたのです。
 通訳の方を入れてのやり取りの末、以下のことがわかりました。その場での私の理解に基づくことなので、間違っていたり、勘違いしていたらご教示をお願いします。

 一枚のパームリーフと、数本の糸を左右に張り渡した長方形の木枠を用意します。

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 木枠の内側に張った糸に、黄色の水を吹きかけます。糸に染み込んだ黄色が乾かないうちに、パームリーフの上に、その木枠を糸とリーフの位置に注意して被せます。

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 すると、黄色に染まった糸がリーフの表面に薄い黄色の直線を数本転写します。

 何本かの黄色い直線が転写されたリーフを、別の「WRITING TABLE」という道具の先端の柔らかな面に押し付けて、先ほど引いた線をガイドラインとして、筆記具で文字を刻んでいきます。

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 文字を書き終わると、線は植物性の色素なので、拭けば消えるということでした。

 この道具の左下に置かれていた白黒写真を、Photoshopを使って補正すると、その文字を刻印する作業の様子がよくわかります。

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 文字が刻まれたリーフは、こんな状態になります。

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 これらをまとめ、穴を開けて糸を通して綴じられます。あるいは、穴はあらかじめ開いているのかもしれません。

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 文字を一列に揃えて書く時に使う道具は、日本にもあります。
 私が古写本を読む時によく例に出す「糸罫」がそれです。日本の「糸罫」については、『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)に掲載した「【16】御所本『源氏物語』、檜製糸罫」(103頁、久保木秀夫 執筆)の説明と写真を参照願います。
 日本の「糸罫」が、ビルマ語では「ニンティ キャリア」と呼ばれるライニングの道具なのです。英語では、「Line Ruling Instrument」というそうです。

 日本とミャンマーとでの違いは、次の点に整理できます。

 ミャンマーの「ニンティ キャリア」では、イエローパウダーを使って糸に色の線を付け、リーフに黄色の線をスタンプします。これについてはさらに、専門外の私見ではあるものの、色水にこの道具の下部を浸して横長の糸に色を染み込ませたのではないか、と勝手に思っています。木枠が新しい再現品のようなので、この下部の状況はよくわかりませんでした。
 日本の「糸罫」は、紙の上にその書写道具を直に置き、糸と糸との間に筆で墨文字を書き写していくのです。
 この2国間の違いは、どうやら筆記用具が異なることにあるのではないでしょうか。

 多分に仮説ながらも、ミャンマーと日本の文化の違いについて、おもしろいことがわかった気になっています。何分にも初見での私見なので、見当違いでしたら、ご批正いただけると幸いです。
 私の素朴な疑問に、丁寧に対応してくださいましたKay Thi Aye 副館長及びスタッフの方々にお礼申し上げます。
 
 
 
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2018年03月10日

「観光」と「物見遊山」は混同されがち

 朝5時過ぎに、ホテルで作ってもらった軽食を手に、ヤンゴンから新首都ネーピードーまでを、小さなプロペラ機で一っ飛びしました。

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 ネーピードーからは、これまでお世話になったテーザー トゥンさんと入れ替わりに、同じくホテル観光省のティダー ウィンさん、タンダー チョー ジンさん、テッテッ ウェーさんの女性3人にバトンタッチです。昨秋、大阪観光大学で私の研究室にお出でくださり、今回の調査旅行について話し合いをした方々なので、空港ですぐにわかりました。前回は迎える立場で、今回は迎えられる立場での再会です。

 新都市ネーピードーは、2006年10月にヤンゴンから遷都した計画都市です。これからの発展が大いに楽しみです。

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 宿はホテルゾーンにありました。昼間は暑いので出かけないようにとのことなので身体を休めることを専らとして、午後の活動は午後4時過ぎからとなります。

 ナショナル ランドマーク ガーデンでは、ミャンマーの観光名所がレプリカで巡り回れる場所です。観光をする暇がない者にとっては、ミャンマーに来た気分に浸れます。

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 ただし、一学芸員として見たところでは、まだ造作物が置いてあるだけという段階なので、もったいないと思いました。少なくとも建物の表示と簡単な説明を。さらには、もっとリアルな体験を仕掛けることで、ミャンマーの魅力を訴える場所にしてほしいと思いました。まだまだ時間がかかりそうです。

 黄金の仏塔があるウッパタ サンディ・パヤーにも行きました。ここは、ヤンゴン滞在中に大量の翻訳本と出会えたために見られなくなった、シュエダゴンパヤーの実物大のレプリカです。

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 入口の近くでは、国の平和と繁栄の象徴とされている白い像の飼育場面が見られました。

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 稔り多い調査の後だったこともあり、この日はミャンマーの文化的、歴史的な背景を生で体感することができました。こうした実感が、翻訳という言葉の移し替えによって生まれる文化の変容を考える時に、実証段階で生きてきます。その意味でも、「観光」という言葉の定義を、さらに学問的な視点で整理し、一般に広く知ってもらうようにすべきだと思います。「観光学」が新しい学問であるため、「観光」が「物見遊山」と混同されがちです。これは、今後の課題の一つでもあります。
 
 
 
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2018年03月09日

ビルマ語の翻訳本と異文化交流の現地調査と資料収集は続く

 ミャンマーにおける日本文学と文化に関する翻訳本と異文化交流の現地調査は続きます。

 私設ながら活発に活動しておられる「ICHIBAN」の経営者イン イン ウー先生に、日本語教育の実際についてお聞きしました。

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 イン先生はお母さんの影響で、戦争を通して日本人を知ることになりました。そして、日本人と日本語に心を動かされ、日本人学校に18年間教員として勤め、独立して今の日本語学校を経営しておられます。「ミャンマーの若者たちのために[いちばん]役に立ちたい」との気持ちから、学校の名前を「ICHIBAN」にしたのだそうです。今は200名の生徒を育成しておられます。
 生徒さんたちと、楽しくお話などをして交流も果たせました。

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 イン先生は、ヤンゴン日本語学校の辻茂氏の『娘のためのモータウパン「朝咲く花」』(私家版)を、2003年に翻訳して出版しておられます。近々再版とのことでした。

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 「ICHIBAN」で心温かく見送られてから、ヤンゴンの街中にある株式会社ココライズ・ジャパンを訪問しました。
 ここは、昨年末に紹介を受けて連絡をとっていた、ビルマ語訳を業務の中心とする会社です。長田潤社長は週末まで日本におられます。しかし、日本文学と文化に関する翻訳本をヤンゴン事務所に揃えたとの連絡をいただいたので、その本を拝見するために行きました。
 長田社長の共同経営者として現地を守りあずかっておられるソーフィリスタン氏と、翻訳本を実際に自宅から持参してくださった社員のナントーママエンダレーキンさんに、ミャンマーの翻訳事情を含めての興味深いお話を伺いました。この会社とは、今後ともビルマ語訳を扱う上でよきパートナーとなっていただけそうな気がします。

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 さらに、これらの本は書店で買えるはずだとのことだったので、置いている書店を教えていただき、その店に早速足を運びました。そして、次の21冊の本を手に入れることができました。古本も扱う書店だったので、ビルマ語が読めたらもっと見つかったかもしれません。

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 さらにさらに、私がインドへ通い続けることになった背景で、大きな影響を受けた国際交流基金の佐藤幸治さんと、ヤンゴンの基金の仮事務所で会いました。
 佐藤さんとは、私が2002年にインド・デリー大学 中国日本学科 客員教授として赴任した時、受け入れ窓口として私の面倒を見ていただいて以来の仲間です。エジプトのカイロへ行ったり、トルコのイスタンブールに行ったこと、加えて中島岳志氏との出会いを作っていただいたのも佐藤さんでした。
 その佐藤さんが、この1月からミャンマーに国際交流基金の事務所を立ち上げる仕事で来ておられることを、インドの国際交流基金ニューデリー事務所の野口さんから聞いたのが2月27日でした。すぐに佐藤さんと連絡をとり、こうして3月6日にヤンゴンで会ったのです。信じられないような、奇縁としか言いようがありません。

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 この基金の仮事務所のドアを開け、10年ぶりに佐藤さんの顔を見て、しばらく笑い合うしかありませんでした。これまでの楽しかった出来事が、瞬時に脳裏を席巻します。旧友に突然街中で出会った時のような複雑な気持ち、と言っても表現が足りないほどの感情を抱いて話が展開しました。

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 佐藤さんのミッションは、このミャンマーに国際交流基金の事務所を開設することです。すでに1ヶ月半足らずで着々と下地を築いておられます。
 ここには、岡山大学がすでに足場として活動しておられるようです。

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 また、ジャパン カルチャー ハウスがすでにあり、ここにも翻訳本が何と59冊もありました。
 貴重な本がまた見つかったのです。

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 そしてその中に、平安時代から鎌倉時代に活躍した女流歌人の和歌を集めた『女房三十六歌仙』のビルマ語訳があったのです。この詳細はまた後日報告します。

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 佐藤さんは今年中にヤンゴンに事務所を開き、所長としてこれまでの積年の英知を全開し、さまざまな企画を実現していかれることでしょう。私は、文学と文化という分野で、そのお仕事に連携して関われたらと思っています。また楽しい仕事をしましょうと、食事をしながらいつもの夢を語り合いました。近い内にまた会いそうな気がしています。
 
 
 
posted by genjiito at 00:20| Comment(0) | ◆国際交流

2018年03月08日

【速報】『源氏物語』で34番目の言語となるビルマ語訳を確認

 今日の午前中、ミャンマーの新首都ネーピードーにある国立図書館に行きました。
 そこで、日本の文学と文化に関する翻訳本を見せてもらっていたところ、その中に『源氏物語』があることがわかりました。

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 これまで、いろいろな方にビルマ語訳『源氏物語』の存在を問い合わせていました。
 しかし、「ある」という情報は、私のところには届いていませんでした。
 国立図書館の蔵書リストにもありません。
 それが実際には存在することが、手に取って確認できたのです。
 国立図書館にあったのは、2015年5月に刊行された第3巻(153頁)のみです。

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 情報によると、第4巻が2016年4月に刊行されているので、2017年には第5巻が刊行されたかと思われます。
 これらはすべて、今後の調査待ちです。
 ビルマ語訳の『源氏物語』は、書名が『昔の愛の物語』となっているために、検索に引っかからなかったようです。
 このビルマ語訳『源氏物語』の翻訳者は「カン キン イン ジェン」さん(40歳位)です。

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 しかも、第4巻まで刊行されていることが確認できたので、現在刊行中の本ということになります。
 このビルマ語訳『源氏物語』に辿り着くにあたっての詳細は、後であらためてまとめます。
 取り急ぎ、ビルマ語訳『源氏物語』があった、ということを報告しておきます。
 ミャンマー国立図書館のKay Thi Aye副館長及びミャンマー国ホテル観光省のテーザー トゥンさん、そしてそれぞれの機関のスタッフのみなさまのご理解とご協力とご尽力に感謝します。

 これで、『源氏物語』は以下の34種類の言語で翻訳されている、ということになります。

アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・現代日本語・ビルマ語・ハンガリー語・韓国語・パンジャービー語(インド)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ロシア語

 
 
 
posted by genjiito at 15:11| Comment(0) | ◆国際交流

【速報】ミャンマーで起きた[5.3]の地震は大丈夫でした

 今、ミャンマーの首都ネピドーにいます。
 今朝3時42分頃、大きな地震がありました。
 震源地はここネピドー。
 マグニチュード[5.3]だそうです。
 しかし、新計画都市の宿泊エリアにおり、低層階のロッジ形式なので、倒壊などの被害はありませんでした。
 今日はこれから、国立図書館とブッダガヤへ行きます。
 気温は36度になるようです。
 余震に気をつけながらの調査活動です。

 
 
 
posted by genjiito at 09:52| Comment(0) | ◆国際交流

2018年03月07日

大量の翻訳本を確認してから痛いノドを診察していただく

 ミャンマーのヤンゴンでの第一夜は、泥水のお湯で始まりました。バスタブがあったので、嬉しくて早速お湯を張りました。ところが、溜まった水は土色です。栓を抜き、もう一度やっても同じです。かつてモスクワで泊まったシェラトンホテルの水が、真っ赤だったことを思い出しました。あの時は、お湯を出しっぱなしにして外出しても、帰って来たらまだピンク色でした。
 シャワーに切り替えても色が付いているので、サッと浴びる程度にしました。

 昨日ミャンマーに着いてから、どうしたことかノドに痛みを感じていました。それが今朝からひどかったので、風邪薬を飲みました。体温計を取り出して測ると平熱です。部屋のエアコンが不調です。適当に26度にしたのがいけなかったのか、朝起きるとノドがガラガラになり、ヒリヒリと痛くなったのです。部屋の温度管理は難しいものです。ノドと鼻だけがトラブルに見舞われています。

 朝食の時、隣にいた宿泊客の日本人の方が話しかけてこられました。日本の方ですか? と。76歳の方で、趣味がないこともあり、定年後にのんびりと各国を回っているのだそうです。同じ年金生活者でも、私とは格が違います。羨ましい限りです。

 エレベーターで、海外からお越しで上品な年配の男性からも声をかけられました。食堂で窓際におられた方です。日本からですか? と。その方は東京にお住まいだそうで、きれいな日本語で別れの挨拶をなさいました。手には1冊の大学ノート(コクヨのノートブック)をお持ちだったので、研究者なのかもしれません。映画に出てくる数学の先生では? これは同業者の根拠のない直感です。

 作家で翻訳家のイエ・ルイン先生が、ご自宅で食事をしながら話をしましょうとのことなので、お言葉に甘えて伺いました。

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 日本の大使館に勤めておられたこともあり、流暢な日本語を駆使して多くの翻訳書を刊行しておられます。ご自宅にあった翻訳のご著書だけでも、60冊はゆうに超えます。それでも、まだここにあるのは4分の1だそうです。人にあげてなくなってしまっている、とのことでした。
 理科教育者から翻訳家に転身したのは、『坊ちゃん』が自分のことを書いていると思ってからだそうです。この翻訳で、1994年に国民文学賞を受賞なさっています。さらに、2009年には翻訳文学賞も受賞なさいました。現在70歳。これまでに80冊ほど翻訳したそうです。ワープロを使うこともあり、翻訳のスピードは速い方だとおっしゃっていました。
 ミャンマーのみなさんは、日本は自動車を作っている国だと思っていたのに、この『坊ちゃん』のビルマ語訳によって、日本には文学があることを知ったのだそうです。そして、日本人の経済力の背景には文学がある、とも。

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 日本文学と文化に関する書籍を、ここでこんなに大量に見られるとは思いませんでした。なにしろ、私の手元には、ビルマ語訳の本が1冊もないのですから。とにかく、日本文学と文化に関する翻訳書のリスト作りから始める必要があります。先生からは、ご自身の著作のリストをデータでいただけることになりました。それをきちんと整理するためにも、まずは本の表紙をすべて写真に撮ることにしました。
 以下に掲載する書影には、重複するものや対象外の本もあるかと思います。短時間に撮影させていただいた事情もあり、不備や書誌情報を含めてご教示いただけると幸いです。

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 また、竹山道雄の『ビルマの竪琴』について、イエ・ルイン先生の訳本は3冊確認できました。

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 右側が2002年版、真ん中が2007年の漫画版、左側が2011年版です。
 漫画版の中は、次のような絵です。

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 今、ヤンゴンは36度です。昨日ヤンゴンに入ってからノドがヒリヒリと痛くて困っていました。運良くイエ・ルイン先生の息子さんがお医者さんだったので、自宅入口横の診察室で私の血圧と胸と口の中を診てくださいました。「ノープロブレム」の一言を聞きホッとしました。さらには、トローチをくださったので、早速舐めました。ありがたいことです。人とのお付き合いには、いろいろとおもしろいことが付いて来るものです。もう、ノドの痛みは治まりました。後は鼻水です。これは、気力で治します。

 ホテル観光省のトゥンさんは、シュエダゴンパゴタへ行く案を提示してくださっていました。しかし、予想外に多くの翻訳書に関する情報が得られたので、今日はこのまま翻訳本の資料調査を続けることにしました。

 なお、ここに引いた書影及び出版図書は、発展途上国であるミャンマーがコピー大国である背景を持つことと関係します。しかし、今ここではその問題は別物とします。(以下つづく)
 
 
 
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2018年03月06日

初めてのミャンマーでハードスケジュールに挑む

 ハイデラバードからバンコクで乗り換えてヤンゴンに来ました。
 バンコクでは、乗り換えの待ち時間に持参の電子機器の充電に余念がありません。

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 バンコクの出発が1時間遅れました。ヤンゴンでも入国審査に長蛇の列となっていて、なかなか大変です。
 今回お世話になるミャンマー政府ホテル観光省のトゥンさんは、辛抱強く待っていてくださいました。
 昨年末に大阪観光大学でお別れをして以来です。しかし、メールでのやりとりが続いていたせいもあり、久しぶりという感じがしないほどに、親しみをもって握手にも力が籠もる再会となりました。

 チャーターしていた大型のタクシーで、まずはグレーター メコン イニシシアティブのミン・カツ先生の事務所に伺いました。

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 ミン先生はビルマ語の翻訳者です。映画のアニメ版である『ガラスのうさぎ』と、『翻訳短編集』などを刊行なさっています。短編集の中には、「野バラ」(小川未明)、「美しい村」(堀辰雄)、「山と旅 山路のすみれ」(荻原井泉水)、「小僧の神様」(志賀直哉)のビルマ語訳が収録されています。

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 帰る時、ビルの4階のベランダから、長い間手を振って見送ってくださいました。

 ヤンゴン外国語大学日本語学科の佐藤直樹先生にもお目にかかり親しく意見交換をしました。

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 この大学に入るのには、あらかじめ許可をとる必要があります。普通は、許可が下りるまでに2ヶ月はかかるそうです。しかし、ニューデリーの国際交流基金の野口さんの話から、私がインドやエジプトへ行くきっかけを作ってくださった佐藤幸治さんが、今年の1月からミャンマー事務所を立ち上げるために、ヤンゴンで奔走なさっていることを知ったのです。そこで、佐藤幸治さんに連絡をとり、ヤンゴンで会う約束をし、合わせて私の調査目的を伝えました。すると、佐藤直樹先生を紹介されたのです。佐藤先生は、国際交流基金からヤンゴン外国語大学へ日本語専門家として1年3ヶ月前に派遣されていたのです。話は2日間でトントン拍子に進み、こうして短時間で面会が叶ったのです。
 ミャンマーでは、日本文学や文化については、学問として確立されていないそうです。翻訳書はあっても、なかなか書店では入手困難だそうです。これらは、軍事政権の影響で、20年前とその後に学問の落差があることや、インターネットの利用が進んでいないこと、コピー本の氾濫などを、具体的な話として長時間にわたり伺いました。非常にわかりやすい内容で、よくわからなかったことが霧が霽れていくように理解できました。
 この日本語学科には28人の教員がいて、英語学科は40人。1学年150名だとのことでした。
 食堂でこの大学の活気を感じました。

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 佐藤さんがミャンマーにいらっしゃることに加え、佐藤先生がヤンゴン外国語大学日本語学科にいらっしゃったことは、まさに奇跡としかいいようのない人の縁を感じます。人が人を呼ぶとは、このことを言うのでしょう。
 思いがけない展開と、みなさまのつながりに助けられ、幸運続きの旅の中に今います。

 お昼はミャンマー料理をいただき、その後はまた情報収集です。とにかく、息つく暇もないほどに調査を行っています。雑踏の中を車で突っ込んで入っていきました。

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 小さなビルの上に、KYOSHIN JTEC Langare Academyはありました。日本語教育を担当している専門学校です。この学校は京都にもあります。
 入口の横に、こんな看板がありました。ビルマ語の文字のかわいさが伝わってきます。

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 さて、この学校で、ゾー リン トウン先生とプー ゴン テー先生から、日本語教育の実情について詳しくお話を伺いました。

 日本語の授業も拝見しました。みなさん、熱心に日本語の勉強をなさっています。圧倒的に女性が多いようです。

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 夕食の時に出た箸袋には、ビルマ語で次のように書いてありました。
いらっしゃいませ/元気になってください/こんにちわ

 日本なら「御手茂登」とあるところです。この袋に注目したのは、そこに書かれている文字が裏表反転していることです。箸を袋から出す時、着物を裏返しに脱がすようにして引っぱると、反転していた文字が袋の中から正しい文字として読めるのです。これも文化なのでしょうか。考えすぎでしょうか。

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2018年03月05日

インドの最終日はハイデラバード散策

 これまで頼みの綱とすがっていた村上さんが、今朝方3時に単身デリーに向かいました。デリーで開催されるセミナーで、研究発表をすることになっているからです。村上さんがこの科研の研究協力者であるということに甘え、忙しいところをよくぞここまでと、言い尽くせない感謝の気持ちを持って再会を約しました。道々の案内や通訳やタクシーの運転手との交渉や指示などなど、日本語、英語、ウルドゥ語、ヒンディー語などなどを駆使しての八面六臂の大活躍を、今回も強いてしまいました。とにかくお世話になったどころではないお世話になりました。ありがとうございます。博士論文の完成に向けて、ますますの活躍を祈るばかりです。

 この窮地を、タリク君が昨日の交流会に参加していた一年生の学生2人を付けて、助けてくれました。外国語がまったくできない私を、日本語だけで案内することになるので、学生にとってもいい勉強の機会となります。にわか仕立ての屋外日本語実地演習です。街歩きを一緒にするので、これも文化交流ということになるのです。勝手な言いわけですみません。

 ということで、ハイデラバードで大量に買い込んだ辞書や書籍を日本に送ってもらうために、大学へ本を届けに行ったその足で、学生さん2人をタクシーにビックアップすることになりました。

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 「チョウマハラパレス」では、宮殿の中に掛かっていた日本式の簾が強く印象に残りました。

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 それよりも何よりも、気温が急上昇で暑くて大変です。33度はあるでしょうか。日差しを避けることに気を使いました。

 「チャールミーナール」は、周辺に雑多なお店を抱え込んでいます。オールドデリーのチャンドニーチョークを思い出させます。ただし、こちらのほうが整理されています。

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 「ゴールコンダ・フォート」は、中国の万里の長城のようなところです。映画やドラマの撮影に向いています。

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 タリク君の学生さんを大学内に送り届けてから、ミャンマーへ向けてハイデラバード空港に向かいました。私の好きな、インドの夕陽です。

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 私が乗る飛行機は、深夜1時半にハイデラバード空港から出発するので、まだ6時間待ちです。時間は飽きるほどあります。こんなに時間の中で遊べるとは、いまだかってなかったことです。
 
 
 
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2018年03月04日

ハイデラバードで国際研究集会のプログラム案がまとまる

 インドの国の公用語は、ヒンディー語と英語の2言語です。
 そして、今回来たハイデラバード英語外国語大学があるテランガナ州の公用語は、テルグ語とウルドゥー語の2言語です。
 多言語社会であることが、街中の看板やポスターなどを見るとすぐにわかります。
 今回ハイデラバードを案内してくれているタリク君は、英語、ヒンディー語、ウルドゥ語、ベンガル語を流暢に使いこなしています。もちろん日本語は、読み書き共に顔を見るまでは日本人と区別がつかないほどに堪能です。インドに限らず世界中でもトップレベルの、日本語運用能力の高い若手研究者です。ただし、諸言語がわかる中でも、テルグ語はまったく読み書きができないとのことです。ハイデラバード市内では、公用語のテルグ語が氾濫しています。しかし、それがまったく読めなくても、不自由することなく生活ができるところに驚きを感じます。

 ハイデラバード英語外国語大学に行って、まずは、来年2月に開催する「第9回 インド国際日本文学研究集会」の会場となるホールを確認しました。100人以上は入れる立派な会場です。

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 教室では、学生さんたちと交流会をしました。学部の1、2年生20人と、日本語を使ってさまざまな話題で語り合うことになりました。

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 後半はいくつかのグループに分かれ、日本の話や勉強方法や日本語の文字を書くことなど、手取り足取りの日本語習得の秘術伝授の交流会となりました。

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 アニメに興味を持っている学生が多いことが記憶に残りました。学生は、漢字を書いたTシャツや、日本語を書いたシャツを着ていて、日本のことが知りたいのだという篤い思いが伝わって来ました。

 大学を出てから、楽器屋に立ち寄りました。さまざまな楽器の中に、弦楽器で正倉院にある琵琶に似たものがありました。音楽の世界は、世界共通に重なる部分が多いように思います。

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 夜は、ルンビニ・パークで船に乗り、お釈迦様が立っておられる島に上がりました。
 お釈迦さまの右手は施無畏印を結び、私を畏れるなと言っておられるそうです。
 来年2月に開催する「第9回 インド国際日本文学研究集会」が盛会となりますように、お釈迦様の国でしっかりとお祈りして来ました。

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2018年03月03日

ホーリー祭のために外出を自粛

 今日は「ホーリー祭」という、春祭りの日です。ヒンドゥー教では、春の訪れを祝うこの日には、所構わず色粉を塗り合ったり色水を掛け合ったりします。そのため、不用意に街に出ようものなら、たちどころに水鉄砲で乱射される色水の洗礼を受けます。黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴するものだそうです。

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 デリーに比べて、ハイデラバードでの色の掛け合いはおとなしいものだ、と言われています。それでも、注意を怠るわけにはいきません。かつて、ネルー大学のゲストハウスで生活をしていた時、学内を学生が水鉄砲を持って徘徊していました。風の宮殿があるジャイプールでも、色水合戦を目撃しました。とにかく、油断すると服が台無しになります。

 お昼までは、ホテルの部屋で資料整理や、日本とのメールによる科研の打ち合わせをしました。とにかく、街中では色水の掛け合いがなされているので、迂闊に外出ができないのです。

 午後、貸し切りのタクシーを確保して、安全な地域に出かけました。
 ハイデラバード外国語大学が国立であり、公的な機関などはすべてお休みなので、ショッピングセンターに行くしかありません。

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 あらかじめわかっていたとはいえ、今日はリスクを避けた行動を強いられます。明日もホーリーのお祭り日です。しかし、先生方や学生たちは大学にまで足を運んで、文化交流に参加してくださるとのこと。ありがたいことです。

 アーツ アンド クラフツ ヴィレッジでは、お土産として、孫の洋服とメガネ立てとを買いました。

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 大型のスーパーマーケットでは、「ターメリック」と糖尿病にいいという「amla」を多めに買いました。
 レジで精算をしていると、突然砂糖の袋を渡されました。さらに、なぜかもう一つ追加。糖尿病のための「ターメリック」を買ったはずが、よりによって大量の砂糖を抱き合わせでもらうことになったのです。聞いてみると、「ターメリック」一袋に砂糖が一袋ずつサービスで付いてくるのだとか。これでは、かえって糖尿病が悪化します。大変なことになりました。

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2018年03月02日

ハイデラバードへの機内で子どもの迷惑な嘘泣き

 早朝にインディラガンディ空港から国内線でハイデラバードに移動しました。
 空港の入り口には、ガンディの糸車のオブジェが置いてありました。インドらしいと思いながら、この糸車の意味するところを、海外からの旅行者にもっとわかりやすく知ってもらう工夫が必要だと思いました。効果的なプレゼンテーションを再考してほしいと思います。

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 空港内には、さまざまなものが並んでいます。明日からホーリーで使う色粉が飾ってありました。

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 搭乗口近くの壁に嵌め込まれたレリーフには、力強さを感じました。

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 機内では、子どもが2時間にわたって泣きわめいていたために、どっと疲れる旅になりました。その子はほとんど涙が流れていない、嘘泣きなのです。弟とゲーム機の取り合いをし、お母さんやお父さんの気を引くための駄々だと思われます。これだけ泣き騒ぐ子を、父親は座席で言い含めていただけでした。ますます声を荒げるだけで、聞くはずもありません。キャビンアテンダントの方も、着陸間際にあやしに来られました。それでも、もう火が点いているので、どうしようもありません。

 もしこれがJALやANAだったらどうだったのだろう、と思うと、このエア・インディアの対応は無策としか言いようがありません。搭乗者は、本当にいい迷惑です。これだけ迷惑をかける子どもと親を放置した航空会社の責任は大きいと思います。
 これまでの経験からも、エア・インディアは可能であれば乗りたくない航空会社の一つです。これよりも酷かったのはKLMでした。KLMについてはすでに書いたことなので、ここでは繰り返しません。

 初めてのハイデラバードは、空気がデリーとまったく異なり、明るくて気持ちのいい南国という感じの街です。
 ハイデラバード外国語大学のタリク君の案内で、市内に出かけました。

 新刊書店に行きました。英語以外の言語の本で、この地域の言語であるテルグ語の本は、ほんの一角にあるだけです。

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 テルグ語が5種類、ヒンディー語が14種類です。6割くらいがフィクション。とにかく、本は英語で読まれているのです。

 古本屋さんと新本屋さんで、テルグ語を中心とした辞書類を探し出しました。
 すでに『源氏物語』のテルグ語訳があるので、今後も利用する可能性が高いことから、複数種類の辞書などを購入しました。

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 これらの辞書は、『源氏物語』のインド語訳を調査研究する時に威力を発揮することでしょう。ネットで翻訳ができるといっても、やはり紙媒体の辞書の比ではありません。

 文房具店で、パイロットの消えるボールペン「フリクション」のインド版を見つけました。

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 先日、デリーのジュース屋のおじさんにお土産として渡しました。あれと同じなのか、書いてみようと思います。ただし、ここには0.7ミリしかありませんでした。

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 ハイデラバードの第一印象は、若者の活力です。若者たちの力が蓄積されている街だと思いました。
 
 
 
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2018年03月01日

ネルー大学でアニタ先生や学生と懇談

 ネルー大学に近いハウズカズの一画にある喫茶店「ブルートーカイ」で、菊池さんと待ち合わせです。

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 今後の国際集会に関して、ヒンディー語の翻訳者としての立場から、菊池さんには貴重なアドバイスをいただきました。また、最近のデリーの様子も教えてもらいました。もう四半世紀もインドで生活をしておられる方なので、日々変わって行くことが日常レベルとなっている視点で、興味深い話がうかがえました。
 「インド国際日本文学研究集会」が第9回目になるといっても、研究者や学生が集まるだけの集会ではないものを探し求めています。開催する地域周辺の一般の方々も、広く興味を持って参加していただけるような集会に転換していきたいのです。そのためにも、一人でも多くのインドの方が集まってもらうためには、どのようなテーマで、どのような形式で開催するのがよいか、という問題は、これからも長く続けていくためには、重要な点になるのです。

 お昼ご飯は、ハウズカズの手前に広がるディアパークの木立に囲まれて建つ「LORD of THE MEDOW」でいただきました。

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 このエリアに来ると、必ずと言っていいほどにいつも行く、感じのいいレストランです。ただし、店員にサービス精神が欠けているので、注文する時にはどれくらい時間がかかるか確認が必要です。

 食後は、このレストランの裏の公園に集う孔雀や鹿を見ました。そして、ハウズカズの奥にある遺跡と古道具屋さんを散策することにしました。

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 これまでに何冊もレアな本を見つけた3軒の古書店は、残念なことにもう1軒もありません。
 ここは芸術村なので、若い方々が来たらいいと思います。東京の原宿から竹下通りの雰囲気が感じられる、私のお勧めのスポットです。

 ハウズカズから近くのネルー大学に移動しました。

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 アニタ・カンナ先生の授業に呼ばれ、学生さんたちと交流をしました。私が行くことに合わせて、アニタ先生は『十帖源氏』を授業に取り上げておられたようです。宇治十帖読んでいるというところから、早速、宇治という地名について質問をされました。
 このような学生との場が設定されていることは、教室に入る時までまったく知りませんでした。しかし、これは海外ではよくあることなので、動ぜずに対応します。
 私からの学生さんたちへのお土産は、小倉山荘の『百人一首』のおかきです。20人ほどの学生さんに一人一袋をとってもらい、自分の包装紙に書いてある和歌一首を覚えて調べるように、私からの宿題を課しました。早速、荒手の指導です。これが通用するのが、世界に冠たるネルー大学の学生さんたちなのです。今夜はきっと、家で自分が取った『百人一首』の歌一首の意味や作者について、必死になって調べていることでしょう。

 その後は、学部長室でチャイとスナックをいただきながら、先生方と情報交換をしました。
 帰りに大学構内の広場で見たのは、教育改革を訴える先生方の抗議集会でした。この大学では、一昨年はロックアウトがあったように、日本では忘れ去られた学生運動が今も生きています。それだけ、先生も学生も、真剣に勉学に取り組んでいる証拠でもあるのです。
 かつては日本でも、こうしたエネルギーがありました。私も、高校時代にはデモやロックアウトを体験しました。しかし今や日本では、先生や学生が大学当局に教育理念を問うたり、抗議集会をするなどは、遠い昔の想い出語りになってしまっています。

 ネルー大学のジャナスルティ先生とは、今度の国際研究集会のことでかねてより相談していたので、場所を近くのモール(プロミナード)に移して、打ち合わせや今後の学会運営に関する話し合いをしました。集会でのテーマについて、さまざまな提案をもらいました。例えば、次のようなテーマが、この時に話し合ったことです。

■ハイデラバードでの学会のテーマ(仮)■

・芥川賞を取った「百年泥」を中心に
・芥川賞作家と作品
・インドと日本における古典に向かう若い世代
・インドと日本の生活様式
・メディアから見える日本とインド
・震災を通して見るインドと日本


 これは、ハイデラバードへ行ったら、ハイデラバード外国語大学のタリク君との打ち合わせに提示し、検討を加えることになります。

 夜は、宿泊しているお寺の上人様と、ディフェンスコロニーにある「赤坂」で食事をしました。
 お腹を少し休めるために、日本でいう「水だき」である「火鍋(ホーコーナベ)」をいただきました。これは、満州で日本兵が覚えた料理が、戦後このデリーに伝わって完成した料理だとのことでした。

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 食後はゆったりとした気持ちとなり、また明日からのハードなスケジュールに身を委ねることとなります。
 
 
 
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2018年02月28日

国際交流基金で国際研究集会の打ち合わせ

 国際交流基金へ、丸一日チャーターしたタクシーで行きました。

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 所長をはじめ、みなさん多忙な中を、午前中に面談の時間を設定してくださいました。一昨年の秋、この国際交流基金ニューデリー事務所の日本文化センターで、「8回 インド国際日本文学研究集会」を開催しました。その時、大変お世話になった野口さんと、1時間ほど報告や打ち合わせや話し合いをしました。今回も、貴重なアドバイスをたくさんいただきました。ありがたいことです。

 図書館には、アニメや楽しいコスプレなどが用意してあります。日本の文化が、このようにしてインドの若者たちに伝わっていることを垣間見ることとなりました。『あさきゆめみし』の文庫版があることも、しっかりとチェックしています。

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 入口近くの書架には、最新の芥川賞受賞作である「百年泥」を掲載した『文藝春秋』もあります。その対応の早さに感心しました。

 昼食は、インド門の近くにあるインド料理店「Pindi」に行きました。私は、外食の時にいつもいただく、パニールの入った料理を選びます。パニールはお腹に優しいのです。

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 お店を出た所では、蛇使いのおじさんが見物を呼びかけていました。大道芸を見るのは久しぶりです。

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 デリー大学へ行く前に、ヤムナー川沿いにあるチベタンコロニーに立ち寄りました。ちょうど、庭では2組の結婚式が行われており、食事の振る舞いがなされています。一緒に食べないかと声がけをを受けました。しかし、残念ながら時間がなくていただけません。

 ヤムナー川に出ました。
 日本で一般的に知られている、牛のいるインドの風景が、今も確認できます。牛は、街中から追い出され、一掃されたのです。

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 デリー大学では、ウニタ先生と面談をしました。〈インド日本文学会〉を設立した3人の一人です。これまで、インドでの活動を支えてくださった先生です。明日から学部長になれます。ちょうど研究発表会と重なったために、残念ながらゆっくりと話はできませんでした。それでも、会えばいろいろのことが以心伝心のごとくにやりとりできます。とにかく、会うことが、交流の原点なのです。

 夕ご飯は、コンノートプレイスにある「禅」というお店に行きました。デリー大学のナビン先生と教え子のクマール君も合流して、中身の詰まった懇談会となりました。直接現地に来て話を聞くことは、リアルタイムに研究状況や情報の交歓ができるので、大事な顔合わせになるのです。直接顔を合わせて話すことをモットーにしている私は、こうした機会に親しく意見交換をすることにしています。そして、それが次へとつながるのです。

 ここでは、にぎり寿司をいただきました。

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 盛りだくさんのスケジュールを無事にすべてこなして、充実感を抱いて地下鉄で帰りました。その車内で、女性の優先座席を見かけました。こうした対処は、今後ともさまざまな形で進んでいくと思われます。

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 宿舎に帰ってから、近くのマーケットへ、いつもの生ジュースを飲みに行きました。
 ジュース屋のおじさんには、日本からのお土産として持ってきた、消せるボールペン「フリクション」を渡しました。目の前で消して見せると、何とも言えない不思議な反応で喜んでもらえました。

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 飲み終わってから、ジュース代は要らないとのこと。その手を遮って渡そうとすると、最後はいくらでもいいとのことです。いつもの定額を渡しました。すると、たくさんの果物を盛り合わせた一皿をもらうことになりました。これも、ささやかな国際交流(?)です。

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2018年02月27日

搭乗客の醜態に眉を顰め深夜のデリーに降り立つ

 バンコクを20:00に出発し、デリーには23:00に着きました。
 機内で出た夜食は、一口ですぐに手が止まりました。私にはよくあることです。食べ物が喉を通らなくなるのです。すべてを残し、トマトジュースだけをいただきました。
 今回の旅は、食事に気をつけろ、ということのようです。

 しばらくすると、後方にいた乗客が騒ぎ出しました。何度もウィスキーをくれと要求し、大声で喚く始末。いい歳をした男たちが、小学生の遠足状態と化したのです。
 その後、トイレでは鍵を締めずに用を足し、使い物にならない状態にして立ち去りました。
 私は、インドの人々が大好きです。しかし、どうしたことか、節度をわきまえない人がいることも事実です。その後も、意味はわからないながらも、下卑た話ぶりや投げやりな会話に、耳を覆う代わりにiPhoneで音楽を聴いていました。
 今日のデリー行きは、とにかく下品な便でした。
 マナーを守らない人は世界中、どこの国にもいます。しかし、自分が大好きなインドに向かう機内では、こんな人たちは見たくないものです。

一昨年のことです。以下の駄文を書いたまま、ブログには掲載しなかったことを思い出しました。その時の文章がメモ帳からすぐに出てきたので、この際まとめて引いておきます。

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大丸2️11月14日(月)機内のインド人■


 私の前にいたインド人の男性は、アテンダントの女性を自分のしもべでもあるかのように思っておられたようです。何度も呼び出しボタンを押して、お酒を始めとして、さまざまな要求をしておられました。
 こんなとんでもない乗客にも、嫌悪感を押し殺した笑顔で対応しておられたアテンダントの方に、お疲れさまと言いたい気持ちになりました。昔の、農協の団体様がこうだったという話を思い浮かべました。
 ここからパラシュートで降りろ、と言いたい、とんでもないインド人でした。私はこれまでに、これほどまで人間性が欠如したインドの人に出会ったことがありません。みなさん、節度をわきまえた方々でした。この方は、挙げ句の果ては、酔っ払って周りに声を上げ、醜態を晒す始末。
 さらにお酒を要求されると、アテンダントの方は水を2本渡して手懐けておられたのは見事でした。
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インディラガンディー空港は、温かい手でいっぱいです。この出迎えは嬉しいものです。

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 私の名前を書いたプレートを持った運転手さんが、4番出口ゲートで迎えてくれました。車はINNOVA car .です。

 荷物を車の屋根の上に上げ、細い紐で縛ります。もっと丈夫な紐はなかったのかと、気になります。

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 最近は、こんな深夜に着く便に乗ったことがありません。懐かしい真夜中のデリーの土埃を嗅ぎながら、またやって来たインドの旅が始まりました。
 
 
 
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2018年02月26日

7度の大阪から33度のタイバンコク経由でインドデリーへ飛ぶ

 大きなバッグを引きずりながら、関西国際空港でタイ航空のチェックインをしました。
 カウンターの前には、もう夏気分の若者たちがいます。

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 定時に離陸。
 昼食に付いていた箸袋に書かれていた文字が、嬉しいことに「御手毛登」でした。

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 「おてもと」という日本語の意味はさておき、この「登」という変体仮名を、機内の何人の方が読めるのでしょうか。インタビューをして回りたい気持ちになりました。

 今回の大阪〜デリー間の経路は、次の通りです。

 2月26日(月) TG623便 関西11:00発/バンコク15:45着

 バンコクで機外に出てバスに乗り換えてターミナルに移動します。その時の外気温は何と33度。今朝の大阪は7度だったので、一気に汗が滴ります。
 関空でみかけたアロハの若者の気持ちがわかります。

 インド行きの乗り換えは4時間。ゆっくりと晩ご飯をいただきました。

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 これから、20:00発TG315便でインドのデリーに向かいます。到着時間は23:00です。真夜中です。
 迎車をお願いしているので、運がよければ真っ直ぐホテルに行けるはずです。
 クマール君が、インド用の携帯電話を用意して待っている、という連絡をくれました。
 一昨年に、インドルピー札が一瞬にして紙くずになった時、私が困らないように奔走して小銭を集めてくれたことを思い出します。機転の利く、優秀な教え子です。
 
 
 
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2018年02月19日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その1)

 2002年1月から3月まで、客員教授としてインド・デリー大学に行っていました。初めてのインド体験であり、それからというもの、今にいたるまで、毎年のように通うようになりました。

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 赴任中は毎日、丹念に日記を書いていました。これは、恩師伊井春樹先生ゆずりの秘技です。
 その一部は、1995年9月から発信していたホームページ「大和まほろば発 へぐり通信」に、インドから毎日アップロードして情報発信をしていました。
 しかし、その記事もいつしか雲散霧消し、そのホームページも私がよく経験するサーバーのトラブルによって、数年前から見られなくなっています。
 いろいろと問い合わせがあるので、今その「大和まほろば発 へぐり通信」の再建に着手しています。

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 しかし、まだ日にちがかかりそうなので、来週から行くインドに関係する記事だけでも、しかもまだ公開していなかった文章が見つかったことでもあり、それを少しずつここに掲載します。
 後日、「大和まほろば発 へぐり通信」が無事に再構築できたら、その時にこのブログに掲載した記事を「突然インドへ飛ぶ」の中に転送して、欠けていた日記を補完するつもりです。

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 以下の記事は、ホームページ「大和まほろば発 へぐり通信」の【新・奮戦記】の中にあるカテゴリー[突然インドへ飛ぶ]の中にある【現地編(1)】(デリーの土埃)に追記することになるものです。

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 以下のものは、その中でも「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月11日に該当するものです。ただし、2月10日の記事はまだ見つかっていません。
 
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「現地編」(デリーの土埃)
(A cloud of dust in DELHI)


【2002年2月11日】

 朝食時に、ロシアやクロアチアやアゼルバイジャンなどを回っておられるお坊さんと、その二人の弟子の人が一緒だった。中近東の話を聞く。無縁だと思っていた国のことが、日常会話に出てきて驚く。今は、酷い状況にあるそうだ。
 N2君にホームページの〈インド編〉を見てもらう。後でコンパクトフラッシュに入れて渡すことにする。
 大急ぎで、娘の航空券の日時変更に行く。お寺の前からオートリクシャで。ネループレイスの横にあるパークロイヤルホテルまで、20ルピーでオッケー。ホテル内のタイ航空のカウンターで手続きをする。簡単にやってくれたが、デリーとバンコク間がキャンセル待ちとなった。バンコク・関空はオッケー。

 ネルー・プレイスは、まだ開店していない店が大半。

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 先日、娘が壊したガラスのベルの店へいく。男の人がいて、同じ物が同じところにあったので、事情を説明して買おうとしたら、60ルピーだというのである。この前は、50ルピーだったと言っても、わざわざ手に60と書いて、譲らない。娘はもういいと言って、あきらめて店を出る。他の店を物色してから、また通りかかったら、先日の女性がお店にいたが、さきほどの男性もいたので、めんどうになりそうなので、やはり諦める。

 雨が強くなるばかり。歩いて帰る予定だったが、またオートリクシャで帰ることにする。車を探しているときに、お店の前にスラムの子らしき一群が雨宿りをしていた。その内の一人が、娘のそばに来て、施しを求めた。娘がお金をあげようとしたので、それを制して車のところへ走る。

 手近なところにいた運転手に行き先を告げると、メーターを使うと言うので断る。さらに、35ルピーだというのでやめて、その前の人のところへ行くと、15ルピーでいいというので、それに乗る。ところが、その運転手は行き先のサプナシネマを知らないらしくて、前の運転手に聞いていた。走り出したら、行き先とは遠い交差点で右折した。それも、その道なら左折したほうが近いが、わざわざ遠回りをする。私は道をすぐに覚えるので、このネルー・プレイスからの帰り道はよくわかっている。運転手は、知らないと思っているのだろう。とにかく、走るにまかせていた。大きな信号で、また隣に止まった別のオートリクシャの運転手に、サプナシネマへの道を聞いている。

 お寺に着いてから、15ルピーを渡すと、20を要求した。15でオッケーしたではないか、というと、天気が悪いことと、大回りをしたので、と理屈をいう。しばらく押し問答をしたが、雨も降っているのでさらに5ルピー硬貨を追加した。ところが、今度は、硬貨ではなくて10ルピーのお札を出せと言う。硬貨もお札も同じだというと、大声をあげてしつこくお前が持っている財布の中のお札を出せ、と言い張る。時間の無駄なので、お札で払った。まったく態度の悪い運転手である。気分が悪いが、これがインドである。

 昼食のときにこの話をしたら、よくある話だそうだ。硬貨については、お札のほうが持ちやすいからだろうとのこと。N2君の持論だが、若いのは態度が悪いので、年配の運転手を選ぶと無難だとのこと。この間も聞いたことだが、ついうっかりしていた。インドでは、運転手は若い人を避けたほうが、精神衛生上いいようである。若い運転手がみんなではないだろうが、これが自分たちで自分たちの首を締めることになることなど、説明してもわかるはずもないので、こちらで気をつけることが肝心である。

 雨が降り続くので、今日は休養の日とする。

 部屋の湯沸かし器が壊れたままで数日。一度直ったが、また別の場所から水が漏れるのだ。二人の修理屋さんが来たが、結局だめだった。また来るそうである。

 娘に、デリー大学大学院生の2編の作文の入力を頼む。きちんとした日本語に直しながら入力してもらう。「実のならない女の人」というP2さんの表現について、たまたま湯沸かしの修理でいたN6さんに聞く。なかなかわからなかったが、どうやら「若い女性」の意味であろう、ということになった。英訳からくる日本語のようである。

 T2先生が宿にお帰りになり、今日のインド・インターナショナル・センターでのピアノとフルートの演奏会の後の食事の予約やタクシーの手配を終えたとのこと。段取りよく配慮が行き届く先生である。

 また、湯沸かしの修理の人が来たが、見ただけで帰っていった。

 5時半に出ようとして、T2先生に今日は正装かと聞くと、ネクタイをした方が無難だろうということなので、大急ぎでカッターシャツとスーツを取り出す。大慌てでビニール袋を破り、ネクタイをする。早業で5分。待たせていたオートリクシャーで出発。乗って驚いたが、今朝方乗ろうとしたら向こうに行け、と言った人だった。T2先生専用の運転手である。
 GK-Mマーケットで写真を受け取る。雨の後なので、道がぬかるんでいた。泥跳ねを気をつけながら走るスーツ姿が、我ながらおかしかった。オートリクシャーがカメラ屋の反対側に着いたので、またもや大急ぎ。もらった写真のCD-ROMが一枚だったので、これでいいのかを何度も確かめた。

 コンサート会場には15分前に到着。なかなか立派なところだった。演奏は、私には最初は二人がちぐはぐに思えたが、T2先生はいいというし、娘も感激していたので、そんなものかと思うことにした。しだいに、フルートのテクニックが尋常でないことがわかった。ピアのを弾く女性が、一曲終わるごとにお辞儀をして楽屋裏に引っ込むのだが、そのお辞儀の時の手の位置と指が開いているのがみっともないと思った。
 アンコール曲はアベマリア。ヒンドゥーの国でキリストとは、何か意味があるのかと思ったが、T2先生は特にないだろうとのこと。

 レストランで食事。私は、ローストチキンのピーナッツ煮、娘はマトンのカレーだった。おいしかった。

 オートリクシャーで帰る。また、T2先生お抱えの運転手。言われた時間に、きちんと待っていたのだ。
 日本でもめったに経験しない、充実した時間を持つことが出来た。

 
 
 
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2018年02月15日

読書雑記(223)『人文知のトポス』の読み方

 『人文知のトポス - グローバリズムを超えて あるいは「世界を毛羽立たせること」』(就実大学吉備地方文化研究所 編、和泉書院、2018年1月)を読みました。

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 中でも、次の2編は最初に通読しました。


「イスラームをどう認識するか」井上あえか
  はじめに
  一 インドにおける多用な人々の共存
  二 近代におけるコミュナリズムの生成
  三 「インドらしさ」の変容
  四 ガンディーの「反近代」
  五 イスラームをどう認識するか
  
 
「岡倉天心著『白狐』をめぐって」土井通弘
  はじめに
  一 『白狐』の世界
  二 歌劇『白狐』のトポス


 日頃は、こうした論考を読むことがないので、いい刺激と共に、もっと知りたいという思いを抱きました。もっとも、実のところ、私にはよく理解できなかった、というのが本音です。私の関心とは微妙にズレているようなのです。

 本書は公開シンポジウムが元になった編集物なので、各論考ともに一般の聴衆を意識した内容となっています。さらに詳しく知りたければ、注に引かれた著書や文献を見ればいいのでしょう。しかし、身近なところにある文献ではなさそうなので、これから関連書籍との出会いがあるのであれば、こうしたテーマを楽しむことにします。

 最近、紙に印刷された文章を書物で読んでも、それが紙媒体で必要なのかどうかと思うと、やや疑問を抱くようになってきました。かと言って、電子版の文章を読むことには、まだ慣れないせいもあってか抵抗があります。その前に、目が疲れてしまい、少し長いものは読み通せません。ニュース記事ならば、何とか読めます。
 一体どうしたいのだ、と言われると困ります。

 本は重さがあります。小さな木造の家に住む身には、本の重みで傾くことが不安の種となっています。現実に、日々傾いていっているのです。
 また、本は高さと厚みがあるために、空間を占有します。文庫本はともかく、ハードカバーの本は保管場所に悩みます。
 勢い、読み終わるとそのそばから、読み終わった本の始末に困ります。
 資料性の高いものならまだしも、読み物の類いの保管は悩ましい問題を抱えています。
 読もうと思って置いてある本をどうするか、という問題もあります。

 そこで、個人的に本を裁断してスキャナで電子化し、PDFの形でハードディスクに保存しているものもあります。それでも、実際にはそれを読むことはなく、たまたま検索に引っかかって、こんな本があったのだと気づかされるだけです。
 裁断した本を処分することには、罪の意識が薄いので気が楽ですが。

 今回の『人文知のトポス』については、電子版でさっと見た上で、じっくりと読みたくなった時に適宜自宅で印刷して読み、そのプリントは保存しておかないでシュレッダーにかける、というのがいいのではないか、と思います。実際にそうするかは、今は別として。

 出版社をはじめとして、執筆者や編集者にも申し訳なく思います。本自体が文化を継承するものであり、その中身には人類の英知が詰まっているからです。しかし、この手元に残された本の処遇という問題は、多くの方々が抱えておられる、喫緊の課題だといえるでしょう。「じゃまもの」では片づけられないものだからです。

 これまでに何度も書いたように、処分しずらいものの筆頭が、こうした書籍なのです。
 今日も、読み終わって、さてどうするかを思案しているところです。
 
 
 
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2018年02月09日

国策としての観光立国について考えるための材料2つ

 最近、観光について考えることが多くなりました。
 具体的に個人的な結論に導くものではなく、まだまだ情報を収集し、それらを整理しているところです。そんな中で、最近のものを2つほど取り上げます。

 通勤で関西国際空港へ行く電車を使っています。朝9時頃の車内は、いつもこんな様子です。

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 この写真はまだ空いている時であり、通路に立つ人で埋まることもあります。
 もちろん、このスーツケースが持ち主の居眠り中に、コロコロと通路を所狭しと転がったりします。まだ、キャスターにロックの付いたものが少ないので、特に四輪のキャスターは勝手気儘に飛び回っています。座っている方の横の席が、しっかりとお土産物などの荷物置き場になっていることもしばしばです。

 観光客と地域住民とが共存して交通網を利用するにあたり、移動の動態を綿密に調査する必要性を痛感しています。まだ、日本は、観光立国とは掛け声だけで、実態の把握がなされていないと思います。
 日本に来たばかりの人と、満喫して自国に帰る人との違いも、しっかりと調査して対応策を検討すべきです。

 京都の市バスは、今春から前乗り後ろ降りの方式に移行していきます。市民の足であったバスが、観光客と共存できなくなったためです。乗降時間の短縮と混雑緩和に効果があるそうです。
 いろいろなことを模索していく時期にさしかかっています。

 京都新聞に、「古都の深層−秘められた場の歴史」という連載記事があります。「[11]祇園・丸山」(平成30年2月7日)というコーナーに「観光と密接に関わった性」という見出しのもと、次のような興味深い記述を見かけました。
 高木博志氏(京都大人文科学研究所所長)が、
 東京五輪の招致スピーチで、キャスターの滝川クリステルさんは「おもてなし」を、日本の文化とアピールした。とりわけ京都の花街、祇園は「京都らしさ」と「もてなしの文化」の粋とされる。しかし京都の花街の歴史には、バラ色だけでは描けない、性の隠蔽があるだろう。

と前置きして、以下のように語っておられます。

 四条通の南側、現在の華やかな祇園甲部歌舞練場の付近には、定期的に梅毒検査をする駆黴(くばい)院があった。
 明治41(1908)年の京都市の統計書によると、祇園甲部(四条通南側、北側西部)の芸妓540人、娼妓91人に対して、祇園乙部(四条通北側東部)には芸妓64人、娼妓178人がいた。京都には、祇園をはじめ島原・宮川町・先斗町・上七軒・五番町・七条新地など、花街や遊廓が多くあり、それは観光とつながっていた。たとえば大正4(1915)年の大正大礼の時には、観光ブームで京都の花街は遊客で賑わった。
 もっとも社会における性のあり方は歴史的に変化してきたし、「都をどり」や井上流の京舞に代表されるように、明治期以降、花街から発展した芸能や文化は重要だろう。しかし昭和31(1956)年の売春防止法制定以前には公娼制があり、性と観光も密接に関わっていた。祇園に代表される花街の「京都らしさ」と「もてなしの文化」も、多分に近代に創りだされたものであるし、牧歌的なイメージだけで歴史は語れない。


 観光地における歴史や文化の再確認は大切なことだと思うようになりました。「らしさ」や「おもてなし」だけでは簡単に片づけられないものが、観光の背後にあるようです。観光による利益だけでなく、その裏側の見えにくいものはもちろんのこと、隠されてきたものも俎上に置いて考えていきたいものです。これは、日本に住む者にとっても、多くのことを新たに気づかせてくれることでしょう。

 今わたしは、日本が国策としての観光立国に向けて突っ走って行くことに、少しずつ疑いを持ち出しています。日本の伝統的な文化や特有の歴史が、観光客の価値観に迎合する中で、変質を迫られている実態を見聞きするようになったからです。その損失の重さが、しだいに気になるようになりました。これは、経済効果とは違う視点で、この国の歴史や文化を再認識することにつながるはずです。

 難しいこととしてではなく、日常をしっかりと認識する中で、さまざまな問題があることを意識して、身の回りから観察していきたいと思います。
 
 
 
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2018年02月03日

海外出張に同行する学生のご両親と面談して主旨説明

 2月から3月にかけて、インドとミャンマーへ科研の用務で出張します。
 当初の計画では、1月末にミャンマーへ行くはずでした。しかし、ビザの取得に予想外に日数がかかりそうだとのことで、1月の出張は昨年末に早々に中止の判断をしました。そして、2月後半から予定していたインド行きと合体させたのです。

 その後もいろいろと問題が噴出し、また、旅程が二転三転ならぬ四転五転したために、なかなか決まらない中で、無事に実施の運びとなりました。

 これまでに、以下の再検討をしました。

A_乗り継ぎの多さと長旅を再検討(疲労の蓄積を考慮)
B_発着の時間帯と待ち時間を再検討(効率的な旅行計画)
C_科研の用務を再確認(多大な成果を求めすぎない)


 ただし、以下の用務の目的はほとんど変更していません。

【インド】
 「第9回 インド国際日本文学研究集会」(2019年2月実施予定)のため、ハイデラバード外国語大学で打ち合わせと下見、さらに情報収集・資料調査・国際交流を実施する。
・ハイデラバード外国語大学の先生方とは、一昨年秋にデリーで開催した「第8回 インド国際日本文学研究集会」でお世話になっています。その時の成果を踏まえて、第9回の開催を会場校として引き受けていただくことになったので、さらに具体的な打ち合わせをすることになりました。

【ミャンマー】
 ミャンマーにおける、日本文学と日本文化に関する研究情報と関連書籍及び翻訳本の調査収集およびミャンマー語翻訳に関する打ち合わせ。
・昨秋大阪観光大学で研修を受けて帰国された「ミャンマー政府ホテル・観光省」の職員5名のみなさまと、現地で情報交換をする。
・伊藤科研でアルバイトをしている、帰省中の大阪観光大学の学生と現地で合流し、先生や学生たちと国際交流。
・株式会社ココライズ・ジャパンのミャンマー法人(在ヤンゴン)でミャンマー語訳の翻訳協力を依頼。

 共に両国では以下の活動をします。
 1.日本学を研究しておられる先生や学生に会う
 2.日本の文学や文化に関する研究情報を収集する
 3.日本の文学や文化を翻訳した書籍を入手する
 (現在手元にはミャンマー語訳の書籍が皆無の状態)


 とにかく、無理をしない、欲張らない、安全最優先の旅となるように、スケジュール全体を作り直しました。そして、難題・難問に頭を抱える日々の中で、なんとか旅程をまとめることができました。フーッというのが、今の実感です。あまりみなさまに相談をせず、変更案を決めてから、大学の事務局長と科研のプロジェクト研究員との確認を経て今に至りました。

 そのような経緯があるため、ここにそのメモの一端を記し、今後のための記録としておきます。
 関係するみなさまには、大変なご心配とご迷惑をおかけしました。この場をお借りして、お礼とお詫びの気持ちに代えさせていただきます。
 まだ難問は山積しています。しかし、それは今回のスケジュールの一大変更の建て直しに費やした時間のことを思えば、大したことではありません。とにかく、外部資金として交付された科研費が、こうして適正に執行できることになったことに安堵しています。

 いつものことながら、学振(日本学術振興会)の規定に準拠した、学振が示す範囲内での判断で実施するものです。そのため、伊藤の前職である人間文化研究機構・国文学研究資料館での前例に倣い、厳格な運用を行なっています。今度の基盤機関である大阪観光大学では、この科研が最初の大型科研であることと、来年度以降の科研費採択の増加を念頭に、今後の模範となるような経費の運用と執行を行なうことを心掛けています。また、個人科研の研究経費を運用する関係で、大学の経費が充当できないことからの縛りの中での判断であることも、ここに特記しておきます。

 今年度から採択になった科研・基盤研究A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号:17H00912)では、若手研究者の育成も大きな柱としています。その一環として、基盤研究機関である大阪観光大学の学部学生を同行し、研究協力者として研究の支援をしてもらう中で、その意義や現地の先生や学生との交流にも参加してもらいます。

 今回の同行学生2名は、昨年7月から科研のアルバイトとして私の研究室に出入りしています。その点では、気心の知れたよき研究協力者です。しかし、何分にも未成年の学部1回生です。海外経験は何度か体験している学生だとはいえ、今回はあくまでも個人科研を経費の出所とするものです。大学の授業の延長ではなく、また大学の経費は使わない渡航調査です。

 そうしたことを考え、本日は学生のご家族にお目にかかり、直接今回の海外出張についての説明と不安に思われていることなどにお答えしました。
 科研の主旨に留まらず、インドでの生活上の注意点を中心にしてお話しました。ご両親共に、今回の渡航についてよく主旨などを理解なさっていたので、和やかな懇談となりました。私が念には念を入れて説明することを心掛けたこともあり、2時間半も茶房で語り合いました。多分に、私が一方的に話をしていたように思いますが……

 旅立ちまであと3週間。こうして、着実に準備が進んでいます。
 
 
 
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2018年01月20日

科研の研究会で1回生が臆せず研究発表をする【写真追補】

 朝早く上京。東京はいつ何があってもおかしくない都市なので、早め早めの行動を心がけています。

 新幹線に乗ってすぐ、いつものようにiPad をiPhone にテザリングによってウェブにつなげようとしました。しかし、なかなかつながりません。結局は新横浜あたりでつながりました。これは、今の日本で嘘のような本当のことです。

 昨日の高校の授業でも、iPad がiPhone につながりませんでした。結局は急遽iPhone をプロジェクタにつなげて、教室の黒板に映写しました。帰り道、梅田周辺ではつながりました。

 これまでも、接続までの待ち時間が遅いとは思っていました。しかし、新幹線の中での2時間以上も、iPad をネットにつなげて仕事ができなかったことは痛手です。仕方なく、途中からはiPhone の小さな画面で、目をこらしながら書類を4通ほど作りました。iPadが使えていたら、キーボードがあるので8通は出来たはずです。

 情報文具も、まだまだ完成度が低いままです。これは、これまでも縷縷書いてきた持論です。インフラ整備の問題なのです。この分野に携わる人材が思うように育たなかったため、技術力が停滞していると思われます。その典型が、地に墜ちたソニーです。情報大国日本にとって、このソニーの失速は大きな損失でした。ゲーム作りが社是ではないはずです。

 インターネットはもう限界なので、もうすでに進んでいると聞く、インターネットに代わる新たなコミュニケーションツールの実用化に期待しているところです。

 さて、本日の東京での研究会については、先日の本ブログで案内した通りです。

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 今日は、水道橋の会議室に集合しました。
 自己紹介の後は、今年度の活動と来年度の計画を、淺川さんと池野さんが担当して報告してくれました。

 その中で、新しくホームページを立ち上げることができなかったことに関して、私からその事情と経緯を補足説明しました。
 この科研Aが採択されたすぐの4月から、紹介を受けた業者とホームページに関する交渉をしました。8月までに公開できるような計画だったのに、試作版ができたのは9月でした。

 科研の協力者に試作版を見てもらい、私のブログでもそのデザインを公開しました。ただし、それは、教え子でデザイナーである塔下さんが作成してくれた、動くトップページではなくて、一枚の画像が貼り付けてあるものでした。業者の連絡では、もう少し待ってほしいと。

 しかし、その後は契約した業者から何も連絡がありません。あまりにも酷いので昨年末に解約の意思を伝えました。その会社の大阪におられる方に事情を説明しました。しかし、東京の本社の制作担当者からは、まったく音信不通です。

 本年度に活動した成果は、今日の研究会で報告した通り、さまざまなことがあります。しかし、それらを情報発信する母体が、あの業者の怠慢により叶っていないのです。その点では、甚大な損害を被っていると言えます。
しかもあろうことか、昨日、「今後のHP制作に関しましては、引き続き弊社にやらせていただきたいというところが社としての希望でございます。」というメールが来ました。これも東京の直接の担当者ではなくて、大阪で間に入っておられる方から伝言として届きました。人を愚弄するのも程があります。起業当初はあったはずの精神は、どこに吹っ飛んでしまったのでしょうか。

 これまで私は、相手の顔を見ながらお話をすることを原則として生きてきました。今回のことを、一通のメールで、しかも伝言の形で伝えるとは、私の基準で言えば非常識の一語に尽きます。言語道断です。騙された思いと、裏切られた思いの中で、悔しさが拭い切れません。

 こうした経緯と今の私の思いを、今日の研究会で報告しました。これについては、しかるべき所を通して、正式に抗議をするということで、今日のところは協力者のみなさまの了解を得ました。
こうした、人を無視した、完全にビジネスライクに割り切った企業の論理は、私には理解できません。しかるべき対処をして、今年の3月までにはホームページを通して成果が公開できるよう、巻き直しをすべく、鋭意取り組んでいきます。

 私の仕事にしては成果が見えないので、不審に思っておられる仲間も多いことかと思います。いえ、私がサボっているのではありません。とんでもない業者に引っかかり、みなさまにはその成果を見てもらうことができないのです。これまで、「海外源氏情報」(http://genjiito.org)を通して、膨大な量の成果をみなさまに活用していただいてきました。今回の新しい科研でも、それが続くことを楽しみにしておられた方々には、本当に申し訳なく思います。
こんな業者がこの業界にいるとは、思いもしませんでした。信用してしまったのです。自力で何とか挽回します。というよりも、次にお願いする会社の目処はたっていますので、もうしばらくお待ちください。

 そうした前置きを経て、本日の本題である研究発表となりました。

(1)最初は、大阪大学のモハンマド・モインウッディンさんの「インドにおける『源氏物語』の読みのパラダイム:ウルドゥー語の翻訳を通して@」でした。
 ウェイリー訳、フサイン訳、村上明香訳の違いから、インドの読者に伝わる訳はどうすべきかを、具体例を元にした発表でした。日本の文化や慣習がどう伝わっているか、という問題です。手堅い発表の中に、この科研でも研究協力者となっておられる村上さんの訳の批判もあったので、これはいつか2人に討論をしてもらいましょう。

(2)続いて、中国から遠路来ていただいた恵州学院(大学)の庄婕淳さんの発表タイトルは「中国における世界文学としての『源氏物語』−中国語訳の序を通じて−」です。
 10種類の中国語訳『源氏物語』の序文を比較検討し、中国の読者に伝えたい意図について考察するものでした。中国語訳の研究は、細かな訳の違いを論ずるものが多い中で、中国語訳を熟知した庄さんならではの、序文から見た違いに言及する、興味深いものでした。我々にとっては、細かな訳の違いよりも、こうした全体像を提示してもらう方がありがたいのです。

 プログラムの後半では、大阪観光大学の1回生の学生5名が研究発表をしました。
 いずれも、日頃から今回の科研の研究支援者として、日夜取り組んでいる一端を発表するものです。

(3)研究発表「翻訳書籍の展示報告」(池野陽香)
 この1年間で6回、日本文学の翻訳本を大阪観光大学の図書館で展示しました。
最初は私と淺川さんとで、これまでのノウハウを活かして基本的な展示スタイルを作りました。2回目からは、池野さんを中心とする学生たちが、苦心して展示をしました。今では、学生たちだけで主体的に展示ができるようになりました。現在、その時の解説文などを集めて、一冊の本にまとめる準備が進んでいます。今日は、その総括としての発表でした。

(4)研究発表「『源氏物語』ベトナム語訳し戻し」(松口果歩・松口莉歩)
 初めて取り組むことでもあり、着手して間もない現在の状況をありまままに報告し、今後の進むべき方向を問う、というものでした。研究方法について、先生方からは有益なアドバイスをいただきました。また、ベトナム語の単語の並び方については、早速検討すべきこととなりました。意欲的な挑戦だけに、今後が楽しみです。

(5)研究発表「橋本本における『は』と『ば』」(門宗一郎・田中良)
 提示した疑問に対して、それぞれの分野の専門家から的確な答えをいただけたのが収穫でした。平安時代には、濁音を表記する仮名文字はなかったとされているそうです。しかし、それは確かで大量の資料をもとにしてのものではないようです。私が提唱する「変体仮名翻字版」というものしか、現在のところは資料がないのですから、今後ともこのテーマは意外な事実が浮き彫りになるかもしれないという、期待を抱かせる発表となりました。

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 以上の内、(3)(4)(5)は、大学に入って1年にも満たない学生の発表です。去年の今頃は高校生でした。正しく言えば、これは報告なのかもしれません。しかし、彼らにとっては、初めてのテーマに取り組んで得たもの、気付いたこと、よくわからないことを発表することになったのです。先生方に聞いてもらい、今後の調査研究のためのアドバイスを受ける趣旨で参加した意義は、予想以上に大きいものでした。頼もしい学生が、こうして集って来ているのです。

 今回の科研は、若手を育成することも活動の柱の一つとして立てています。幸先の良いスタートとなりました。そして何よりも、この科研に研究協力してくださっている先生方が、この1回生たちを温かく見守ってくださることが伝わって来たことが、今日の一番の収穫でした。
 そして、ホームページの制作におけるとんでもない業者の話に無為な時間をかけるよりも、この学生たちの発表にもっと時間をかけたらよかった、とのお叱りを受けました。これも、ありがたいことだと、嬉しくうかがいました。

 その後、会場に隣接する懇親会場では、研究会の時には時間の都合でうかがえなかった佐久間先生の「何を研究しているか」ということについてうかがいました。羅刹国にまつわる、興味深い話をしてくださいました。
 この研究会では、懇親会といっても研究会の流れを受けての懇談会なのです。息抜きは許されないシビアな研究会なのです。

 稔り多い研究会となりました。これは、年2回実施しますので、次は大阪で6月頃となります。今日は13名が集いました。今後とも、少しずつ参加者が増えることを願っています。



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2018年01月18日

お茶室で本年度最後の授業

 今日が大学において、本年度最後の授業でした。
 科目名は「名著講読」。私がこの大阪観光大学に着任する前は、「日本語演習」と呼ばれていたものです。
 それを、「名著講読」という名前に読み替えて、文学の科目として開講しています。
 これまでは、文学を純粋に学ぶ科目はなかったのです。

 ここでは、与謝野晶子の『みだれ髪』を中心にした、和歌を鑑賞する時間としました。
 留学生が多いので、わかりやすい説明をしたつもりです。
 昨年末には、堺市の与謝野晶子に関する記念館へ校外学習に行きました。
 教室を出ると気分は一新され、記念館で晶子の関連資料を見ると、生きた勉強ができました。
 留学生が中心なので、話を聞くだけではなくて、物を見ることも学習を稔りあるものにする上で大事なことです。
 そして、最後となった今日は、日本の文化を追体験しながら語り合おう、ということで、場所をお茶室にしました。
 しかも、一緒にお茶をいただきながら。

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 あらかじめお茶を点てる場を作り、そこで話をしたり、お茶を点てて作法の意味を考えたりと、多彩な内容にしました。
 1人ずつ、自分が気に入った茶碗でお茶も点てました。
 なかなか泡が立たず、苦労しながらも、どうにかそれらしい自分のためのお茶が点てられました。

 最後は、襖の開け閉めを実際にやってもらいました。
 茶道具の後片付けまでも。

 和やかに終えることができました。
 これからも、日本の文学や文化を通して、たくさんのことを学んでほしいと思います。
 一人は、すでに関西国際空港に就職が決まっています。
 まもなく、留学生ではなくて、日本に来ている社会人として生活をするのです。
 異文化の中で、さまざまな体験を経る中で、稔りある日々を送ってほしいと願っています。
 
 
 
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2018年01月17日

科研(A)「海外における平安文学」の第10回研究会のご案内

 2017年4月に、科研・基盤研究(A)で新たに採択された「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(研究代表者・伊藤鉄也、課題番号:17H00912)における第2回目(通算第10回)の研究会を、以下の通り東京で開催します。

 広く公開していますので、興味と関心をお持ちの方の参加を歓迎します。
 懇親会だけの参加でも構いません。
 なお、参加を希望なさる方は、準備の都合上、前日夜までにはこのブログのコメント欄を利用して連絡をいただけると幸いです。


2017年度 伊藤科研 第10回研究会

日時:2018年1月20日(土)14:30〜18:00(開場:14:00)

場所:水道橋駅前ホール
(東京都千代田区三崎町2-9-5 水道橋TJビル 2F 202号室)

海外における平安文学


・挨拶(伊藤鉄也) 14:30~14:35
・自己紹介 14:35~14:50
・報告「2017年4月〜12月までの研究報告」(淺川槙子) 14:50~15:00
・報告「2018年度の研究計画」(池野陽香) 15:00~15:10
・研究発表「インドにおける『源氏物語』の読みのパラダイム:ウルドゥー語の翻訳を通して@」(モハンマド・モインウッディン) 15:10~15:40
・研究発表「中国における世界文学としての『源氏物語』−中国語訳の序を通じて−」(庄婕淳) 15:40~16:10
・休憩(10分) 16:10~16:20
・研究紹介「「翻訳論」の意味を考える」(谷口裕久) 16:20~16:30
・研究紹介「『今昔物語』に現れたインドのイメージ」(佐久間留理子) 16:30~16:40
・研究発表「翻訳書籍の展示報告」(池野陽香) 16:40~16:55
・研究発表「『源氏物語』ベトナム語訳し戻し」(松口果歩・松口莉歩) 16:55~17:15
・研究発表「橋本本における『は』と『ば』」(門宗一郎・田中良) 17:15~17:25
・ディスカッション 17:25~17:50
・連絡事項 17:50~17:55

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懇親会【膳菜や 水道橋店】
所在地:〒101-0061東京都千代田区三崎町2-9-2鶴屋ビルB1
電話番号:050-3462-1443
アクセス:水道橋駅東口から徒歩2分。研究会会場(水道橋駅前ホール)からすぐ
URL:https://r.gnavi.co.jp/g299403/
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2018年01月12日

高校生が出す年賀状と『拾遺集』を回覧したこと

 今日は高校で、新年最初の授業がありました。年頭の話をする中で、年賀状のことに触れました。年賀状を一通も出さなかった生徒はちょうど半数でした。逆に言えば、半数は出したのです。私は、出した生徒はもっと少ないと思って聞いたつもりでした。スマホなどのコミュニケーションツールが普及したことから、わざわざハガキを使わないと思っていたので、これは意外でした。
 この17歳の女性徒たちは、さまざまなつながりを楽しんでいる、と思ったらいいのでしょうか。これも、一つの日本文化を継承している姿だと言ってもいいのでしょうか。そして、男子たちはどうしているのでしょうか。いつか確認してみたいと思っています。

 続く日本文学史の時間には、三代集の一つである『拾遺和歌集』の複製本を回覧しました。これは、『復刻日本古典文学館〈特装版〉山岸徳平蔵 拾遺和歌集〈限定四二〇部〉』(山岸徳平 解題、日本古典文学会、ほるぷ出版、昭和五十三年三月)として刊行されたものです。

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 回すにあたり、見てほしいと言ったことは、次の8点です。

(1)桐の箱に入っていること。
(2)白い絹の布で包まれていること。
(3)少し縦長の本であること。
(4)中に古筆鑑定家の極め札が貼り付けてあること。
(5)裏表紙が金の色の紙であること。
(6)8つの束ねた紙を糸で縫ってあること。
(7)ページが左右に平らにきれいに開くこと。
(8)桐の箱の裏に小さな穴があいていること。


 みんな、興味津々で触っていました。複製とはいえ、非常に精巧な作りです。歌集というものの原本の姿を目の前にして、しかも実際に手で触ることは、文学の歴史を理解する上で大事なことだと思っています。教科書からの文字による情報だけでなく、身体で書物というものを実感することも大切だからです。これは、私が目の不自由な方々とのお付き合いの中で、自然と体得したことです。千年近くも前の短歌が、こうして紙に書かれ、糸で綴じた冊子としてまとめられていることを、直に目と指の感触を持って実見するのです。
 この次は、和歌が巻き物になっていた姿も見てもらおうと思っています。

 昨秋の授業では、平安時代に書かれた3冊の日記を回覧しました。影印本として刊行されている『和泉式部日記』(三条西家本)・『紫(式部)日記』(黒川本)・『更級日記』(御物本)です。いずれも、宮内庁書陵部ご所蔵の古写本でした。今回は、さらに豪華な装幀の本です。
 いつかどこかで、こうした和本の手触りや姿を思い出してくれたら、との思いから、こんな機会を授業の中に作っています。
 
 
 
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2017年12月31日

京洛逍遥(481)大晦日に京都護国神社と錦市場へ行く

 坂本龍馬と中岡慎太郎に関する調査で、大晦日にも拘わらず高台寺の裏にある京都霊山護国神社へ行きました。長い坂を登った所にあります。

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 墓地には実に多くのお墓がありました。
 案内板に記された人名を手がかりにして、龍馬に関わる明治維新の人々のお墓と、その墓石に刻まれた文字を確認して廻りました。

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 大政奉還150周年、明治維新から150年という節目の年ということもあり、龍馬と慎太郎の像には国内外から次々と人が立ち寄っています。人気のスポットのようです。

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 ここには、とにかく多くの明治維新に関係する人々のお墓があるので、お墓の案内板があっても、誰の墓がどこにあるのかを探すのも大変です。
 そんな中で、偶然ながら東京裁判でただ一人日本は無罪だと主張した、パール判事の顕彰碑があることがわかりました。
 ただし、そこへ行く途中で、「平和の杜」にあった記念碑の裏面に、ビルマ(現・ミャンマー)派遣軍の方が建立されたことが記された碑を見かけました。年明け早々にミャンマーに行くので、これも何かの縁だと思い、写真に収めました。

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 池を挟んだ右側には、「満州開拓青年義勇隊碑」もありました。

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 両親がいた満州のことになると、無意識に反応します。両親は命からがら、満州から終戦後に日本に帰ってきました。親がそのことを話をしてくれなかった、ということよりも、聞かなかった自分の不徳を申し訳なく思っています。もっと戦争のことを聞くべきでした。両親は艱難辛苦の末に、やっとのことで過ごしながら、私と姉を育ててくれました。機会あるごとに、感謝の気持ちを伝えるようにしています。

 パール判事のエリアは、狭いながらも引き込まれます。

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 パール判事に関しては、中島岳志氏の本で得た知識が大半です。
 「読書雑記(2)『パール判事』快著誕生」(2007年08月02日)
 こうしたところに来たことも縁なので、今後はもっとあの戦争について考えたいと思っています。

 龍馬と慎太郎のことを確認できたので、その流れで河原町に下り、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」という石碑の横にある回転寿司屋のかっぱ寿司に入りました。

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 その足で、毎年恒例となっている大晦日の錦市場で、お正月用品やお節料理の材料を買いに行きました。この錦市場には伊藤若冲がいたところということもあり、各お店のシャッターには若冲の絵が描かれていて壮観です。

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 これでお正月の準備は万端です。
 2018年が良い年になりますように。
 
 
 
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2017年12月23日

緊急連絡︰明年一月のミャンマー行きを延期します

 慌ただしい年の瀬に、突然のことながらミャンマー行きを延期することになったお知らせです。
 かねてより進めていたミャンマーへの調査旅行に関して、ビザが出発日までに間に合わないことがわかりました。残念ながら、延期します。

 関係するみなさま、急遽このような事態となり延期としますので、各自のご都合をお知らせください。

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 先週からミャンマー行きのビザ取得などで、伊藤の科研(A)の研究分担者である谷口裕久先生が、精力的に動いてくださっていました。いくつかの業者や、オンライン申請についても検討してくださいました。
 しかし、残念なことに、予定していた出発日である1月20日までに、ビザが取得できないことが確定しました。ミャンマー国内での移動において、航空券のお客様控えが不可欠だということです。手配の完了を確認したいということが、今回は最大のネックとなったのです。
 その他、1月4日がミャンマーの独立記念日です。さらには、8日の成人の日の月曜日まで、大使館は続けて休む可能性が高い等のことも絡んでいます。

 ミャンマーの国内での航空券の控えが先に必要だとなると、ビザを一括申請するために東京のミャンマー大使館に行くことの意味もなくなります。旅程の行程表と予約一覧が必要なので、今からでは出発には間に合いそうにないのです。無理はしない、というよりも慌ただしく飛び回らないことを優先することにしました。

 今回の経緯を谷口先生から報告していただき、何度か連絡をとりながら、旅行と観光についていい勉強をさせられました。
 そこで現在は、2月にミャンマーからインドへ渡るプランに切り替えて、慎重に練っているところです。

 いずれにしても、もう少し時間をください。
 早急に次善の策を講じて、年明け早々にはビザなどの手続きに着手します。

 取り急ぎ、関係者への緊急連絡です。
 
 
 
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2017年12月18日

ミャンマー政府ホテル観光省からの研修生の「修了証書」授与式

 今日は、大阪観光大学の明浄1号館3階にある明浄ホールで、「ミャンマー政府ホテル観光省 研修生 修了証書 授与式」がおこなわれました。ミャンマーからお越しの俊英5名が9月から3ヶ月間、初めての慣れない日本での生活を乗り切って、無事に研修を終了なさったのです。おつかれさまでした。

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 今日のみなさまの挨拶をうかがい、この3ヶ月間に日本語が格段に上達なさったことが、その話しぶりからよくわかりました。多くの得難い実務の体験や勉強の成果が、今後の日本とミャンマーの文化交流に生かされることでしょう。
 来月の下旬にミャンマーへ行く計画を練っている私にとっても、心強いことだと思いながら祝福の拍手を送りました。

 この式典の直前に、5名のみなさまが私の研究室においでになりました。そして、プランニング中の私の渡航に関して、親しく相談に乗ってくださいました。ありがとうございます。
 今日の段階で、おおよその旅程がまとまって来ました。もっとも、また大幅に変更になるかと思いますが……

■目的
 ミャンマーにおける、日本文学と日本文化に関する研究情報と関連書籍と翻訳本の調査収集。
 1.日本学を研究しておられる先生や学生に会う
 2.日本の文学や文化に関する研究情報を収集する
 3.日本の文学や文化を翻訳した書籍を入手する


 今回この旅に参加されるみなさんは、過密スケジュールの中を調査研究の協力をしてくださいます。そのため、慌ただしい行程となっています。ご協力をありがとうございます。

 現地の研究情報や翻訳本などの資料収集の成果は、今年度中に公開します。楽しみに、お待ちください。
 
 
 

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2017年12月06日

日本とミャンマーの国際交流研究会に出席して

 大阪観光大学の2階にある国際交流サロンで、観光学研究所主催の「日本とミャンマーの国際交流研究会」がありました。
 今回は、以下の趣旨と内容で開催されました。配布資料から、そのプログラムを引用します。

 ミャンマー政府ホテル・観光省職員5名の当大学での研修終了にあたって、学内で日本とミャンマーの国際交流研究会を開催します。
 研修生の所属に合わせ、テーマを「ミャンマーの食と観光」とし、プロモーションの観点でプレゼンテーションしてもらうとともに、日本人にいかにしてミャンマーをPRできるかについて参加者と討議します。

タイトル:日本とミャンマーの国際交流研究会
テーマ:「ミャンマーの食と観光」
期日:12月6日(水)15:00−16:30
   *意見交換会 16:30−17:00
場所:大阪観光大学国際交流サロン
主催:大阪観光大学観光学研究所
コーディネーター:大阪観光大学観光学部 中村忠司

プログラム:

発表1 「ミャンマーの観光について」  ミャンマー政府ホテル・観光省
       ティッパイン・チョ(日本語) テッテッ・ウェー(英語)

発表2 「ミャンマーの食について」   ミャンマー政府ホテル・観光省
     テーザー・トゥン(日本語) タンザー・チュー・ジン(英語)

発表3 「日本におけるミャンマーのプロモーションの検討」
               大阪観光大学 中村忠司(英語、日本語)

質疑応答

*発表の視点:地域再生、イベント、ユニバーサル、女性、健康


 まだミャンマーに行ったことのない私にとって、非常に興味深い内容でした。
 最後に私は、一つ質問をしました。それは、日本文学作品でミャンマー語に翻訳されている本を集めたいと思っていることです。
 これに関しては、実際にミャンマーに行けば、いろいろとお手伝いしていただける、という回答をいただきました。
 これまでがそうであったように、実際に現地に足を運ぶと、書籍はもとよりさまざまな情報が集まります。大学の先生のみならず、図書館の司書の方とお話をする中で、貴重なものが得られるのです。こうした手法で、海外における日本文学に関するたくさんの情報をこれまでに得て来ました。
 今、私の手元には、ミャンマー語訳の日本文学関連の書籍も情報も皆無です。これは、自分で実際に行って収集して来るしかありません。
 ということで、来週は具体的に現地調査についての打ち合わせをすることになりました。
 これに関連する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。
 
 
 
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2017年12月01日

翻訳本のミニ展示・第六弾は《上代・中世・近世文学》

 6回目となる翻訳本の展示替えをしました。
 大阪観光大学の図書館3階の一角を借りて、日本文学作品の翻訳本を展示しています。
 これで、本年度のミニ展示は終了します。
 今回も、『源氏物語』以外の作品として、上代・中世・近世文学の諸作品をご覧いただきます。
 20冊の翻訳本を並べました。ただし、今回も個人的に持っている本ということもあり、平安時代以外の本は極端に少なくなりました。お手元に余っている翻訳本がございましたら、ご恵与いただけると幸です。
 なお、これまでに展示した翻訳本と書誌情報は、一冊のパンフレットとしてまとめる準備を進めています。明年3月までには発行しますので、しばらくお待ちください。

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 この展示で見ていただくのは表紙だけです。しかし、それでも多彩な各国の顔がうかがえますので、どうぞお楽しみください。

 今回も、展示ケースの上にプリントを置きました。ご自由にお持ち帰りください。以下に、その内容を参考までに引用します。



《世界中の言語に翻訳された上代・中世・近世文学》



  平成29(2017)年11月30日(木)〜
       平成30(2018)年3月30日(金)

          於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳された上代文学・中世文学・近世文学の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。各国で古典文学作品がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【上代文学・中世文学・近世文学が翻訳されている21種類の言語】
イタリア語・英語・韓国語・スペイン語・タイ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・デンマーク語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・ヒンディー語(インド)・フランス語・ブルガリア語・ベトナム語・ベンガル語(インド)・ポーランド語・ポルトガル語・ラトビア語・ルーマニア語・ロシア語


【展示している作品】
上代:『古事記』、『風土記』、『万葉集』

中世:『山家集』、『住吉物語』、『徒然草』、『東関紀行』、『とはずがたり』、能(『葵上』、『敦盛』、『綾鼓』、『生田』、『生贄』、『烏帽子折』、『杜若』、『景清』、『通小町』、『邯鄲』、『砧』、『熊坂』、『絃上(玄象)』、『猩々』、『須磨源氏』、『隅田川』、『卒塔婆小町』、『高砂』、『谷行』、『田村』、『張良』、『経正』、『錦木』、『白楽天』、『羽衣』、『橋弁慶』、『鉢の木』、『初雪』、『船弁慶』、『放下僧』)、『弁慶物語』、『毎月抄』

近世:『心中天網島』、『懐硯』、『万の文反故』



≪ 上 代 ≫


☆『古事記』
◯イタリア語訳『古事記』(2006年)
パオロ・ヴィランニによる訳。
表紙には、アイボリー色の地にタイトルと古事記の文字。

◯タイ語訳『古事記』(2010年/タイの暦で2553年と記載)
スワンダラー・アッタヤにより、『古事記』に登場する神と神話、神社の話が翻訳されている。
表紙には、日本地図、花、渦巻き模様。

☆『風土記』
◯英訳『風土記』(1997年)
ミチコ・山口・青木による訳。
表紙には、赤茶色の地に金色の字でタイトル、同じく金色で月と木。

☆『万葉集』
◯英訳『万葉集』(2009年)
中村久司による訳。
表紙は風景写真の地に緑色と桃色の絵の具をかける。

◯スペイン語訳『万葉集』(1992年)
ジェニ・ワキサカによる訳。
表紙は『万葉集』第4巻543にある笠金村の歌「大君の行幸のまにま〜立ちてつまづく」のうち、「(真土山 越ゆら)む君は〜すべを」までの写本の画像。裏表紙には、同歌の画像が全文掲載。

◯中国語訳『万葉集』(2002年)
赵乐甡による訳。
表紙は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「橋姫」。


≪ 中 世 ≫


☆『山家集』
◯英訳『山家集』・『聞書集』(1991年)
バートン・ワトソンによる訳。
表紙は岩佐又兵衛が西行を描いたもの。

◯英訳『山家集』(2003年)
ウィリアム・R・ラフレールによる訳。
表紙は加山又造『花』(東京国立近代美術館蔵)。

☆『住吉物語』
◯イタリア語訳『住吉物語』(2000年)
カロリーナ・ネグリによる訳。
表紙は早稲田大学蔵『住吉物語』の絵。

☆『徒然草』
◯中国語訳『徒然草』(2004年)
王以鑄による訳。
表紙の上部には草の絵。

☆『東関紀行』
◯フランス語訳『東関紀行』(1998年)
ジャクリーヌ・ピジョ−による訳。
表紙は『西行物語絵巻』の一部。

☆『とはずがたり』
◯フランス語訳『とはずがたり』(2004年)
アラン・ロシェによる訳。
表紙はいわゆる引目鉤鼻の女性の顔を描いたもので、絵巻の一部と思われる。

☆能に関する翻訳書籍
◯能に関する翻訳書籍(英語・1959年)
『通小町』、『須磨源氏』、『熊坂』、『猩々』、『田村』、『錦木』、『砧』、『羽衣』、『景清』、『葵上』、『杜若』、『張良』、『絃上(玄象)』
エズラ・ウェストン・ルーミス・パウンド/アーネスト・フランシスコ・フェロノサによる訳
パウンドがフェロノサの遺した原稿を英文でまとめたもの。能の写真が掲載されている。
表紙は、能の写真を中心にチャールズ・カプランがデザイン。

◯能に関する翻訳書籍(英語・1965年)
『敦盛』、『生田』、『経正』、『熊坂』、『烏帽子折』、『橋弁慶』、『景清』、『鉢の木』、『卒塔婆小町』、『綾鼓』、『葵上』、『邯鄲』、『放下僧』、『羽衣』、『谷行』、『生贄』、『初雪』、『白楽天』
アーサー・ウェーリーによる訳。
上記の作品の他に、代表的な作品と狂言についての解説を掲載。
表紙はクリーム色の表紙に橙色でタイトルの文字。

◯能に関する翻訳書籍(英語・1981年)
『敦盛』、『生田』、『経正』、『熊坂』、『烏帽子折』、『橋弁慶』、『景清』、『鉢の木』、『綾鼓』、『葵上』、
『邯鄲』、『放下僧』、『羽衣』、『谷行』、『生贄』、『初雪』、『白楽天』(英語・1981年)
アーサー・ウェーリーによる訳。
上記の作品の他に、代表的な作品と狂言についての解説を掲載。
表紙は『羽衣』に登場する天女の写真。

◯能に関する翻訳書籍(スペイン語・2008年)
『高砂』、『敦盛』、『杜若』、『羽衣』、『隅田川』、『邯鄲』、『通小町』、『葵上』、『船弁慶』
クララ・ジェーンズにより翻訳され、高木香世子が編集したもの。本文には翻訳作品の他、能に関する解説・写真と『羽衣』の版本と『七十一番職人歌合絵巻』「白拍子」・「曲舞々」の絵を掲載。
表紙は能の写真を中心にチャールズ・カプランがデザイン。

☆『弁慶物語』
◯アラビア語訳『弁慶物語』(2001年)
アフマド・モスタファ・ファトヒによる訳。
表紙には赤紫色で「弁慶物語」というタイトル。

☆『毎月抄』
◯イタリア語訳『毎月抄』(2006年)
アルド・トリーニによる訳。
表紙は書道家のナツミ・カトウによる、「帰るさのものとや人のなかむらんまつ夜ながらの有明の月」、「旅人のそて吹きかへす秋風にゆふ日さひしき山のかけはし」の歌と、その背景に「藤原定家」の文字。

≪ 近 世 ≫


☆『心中天網島』(スペイン語・2000年)
◯スペイン語訳『心中天網島』
ハイメ・フェルナンデスにより翻訳され、タシアナ・フィサックと高木香世子が編集したもの。
表紙は鈴木春信『雪中相合傘』。

☆『懐硯』・『万の文反故』(フランス語・2000年)
◯フランス語訳『懐硯』巻1-1、1-2、2-2、『万の文反故』巻5-3
ダニエル・ストリューブによる訳。翻訳本文の他に、西鶴の研究者による論文を掲載。
表紙は芳賀一晶『浪華西鶴翁像』、裏表紙はこの書籍の説明と「烏賊の甲や我が色こぼす雪の鷺」(難波西鶴/『俳諧百人一句』)という、西鶴の俳句が書かれた絵。

 
 
 
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2017年11月21日

インドの方との見えない糸を意識させられた出会い

 現在、来年度に予定しているインドでの「第9回 インド国際日本文学研究集会」について、少しずつ話が具体的に展開しています。以下、その進捗状況を兼ねての報告です。
 そして、今回も意外な人と人とが結びつきました。不思議な縁を感じざるをえません。

 本日、京都駅でインドからお越しのバフルカル・シュリカント先生にお目にかかり、親しくお話ができました。引き合わせてくださった佐久間留理子先生に、お礼申し上げます。
 バフルカル先生は、プーナ市にある「バンダルカル東洋学研究所」の名誉幹事です。この研究所は1917年に創立され、現在、全インド東洋学会議の本部が置かれているそうです。
 バフルカル先生は、インド大叙事詩『マハーバーラタ』の校訂出版などにより、インド学の分野では世界的に著名な方です。

 その先生に、以下の3点について協力をいただけることになりました。

(1)『源氏物語』を「マラティー語」で翻訳するにあたり、今回同行のチェタナー・ゴサヴィ先生が担当してくださる。

(2)来秋、ハイデラバード外国語大学で国際日本文学研究集会を開催するにあたり、プーナから若手の研究発表者を紹介していただく。

(3)インドでの日本文学に関する研究情報をデータベース化していることに関して。学位論文や研究論文及び学会での研究発表に関する情報を提供していただく。


 マラティー語についてはかねてよりハイデラバード外国語大学のシェーク・タリクさんから情報をいただいていました。プーネでは日本語教育が盛んで、国立国語研究所のプラシャント先生がその分野での言語研究をなさっていると聞いていました。しかし、今春まで私は隣の研究所にいながら、近いということに気を許し、一度もプラシャント先生にお話を伺わないままに東京を離れてしまいました。また新たに面談の機会を作りたいと思っています。

 『十帖源氏』のマラティー語訳については、昨年のインド開催の国際集会の時点では、ニッシム・ベデカルさんにお願いしていました。しかし、何かと多忙とのことで、マラティー語訳は沙汰止みになったままでした。これで、また動き出せます。

 なお、今日もまた、人と人とのつながりの縁というものを感じました。
 私がインドに客員教授として行っていた時、そしてその後、インド研究家だった小磯千尋さんとお知り合いになり、いろいろとインドのことを教えていただきました。ご一緒にデリーでのお買い物にも連れて行っていただきました。インドの歩き方の伝授も受けました。また、帰国してからも、連絡をとって情報誌などをいただいたりしていました。
 その小磯さんのところに、今日初めてお目にかかったチェタナーさんが泊めてもらっている、とのことです。消えかかっていた人と人との細い糸が、この偶然を機縁として、また繋がり出しそうです。別れ際の話が意外な所へと展開していき、とにかく驚きと共に今日のところはお別れすることになりました。

 本日のバフルカル先生との面談を通して、ハイデラバード外国語大学のシェーク・タリクさんの所で開催する「第9回 インド国際日本文学研究集会」の次に、「第10回 インド国際日本文学研究集会」はプーナ大学(又は、ティラク・マハラシュトラ大学)で可能だということになりました。インドにおける日本文学研究のお手伝いに関して、また大きく前進することになります。ありがたいことです。

 私は前が見通せないままに、多くの方々のご理解とご協力をいただきながら、インドの日本文学研究の発展のために牛歩の歩みをしているところです。折々に、幅広い情報提供やアドバイスをいただけると幸いです。
 今後とも、ご支援のほどを、よろしくお願いします。
 
 
 
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2017年11月01日

広島大学で開催されたタチアナ先生による古典の日公開講演会

 広島大学で開催された、11月1日・古典の日を記念する公開講演会に行ってきました。古典の日も、今日でちょうど10年。ロシアからお越しのタチアナ・ソコロワ・デリューシナ先生とお会いするのも10年ぶりです。お元気で何よりです、と握手をする手にも力が籠ります。

 大阪観光大学で私の科研のアルバイトをしている学生9人も同行です。本年4月から取り組んでいる科研のテーマは「海外における平安文学」。現在、ロシアで刊行された日本文学の翻訳本の整理などもしているところです。タイムリーな企画であり、いい勉強になるので、みんなを連れて出かけて来ました。

 大学は山の中にあります。紅葉が見事でした。

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 開会の前に、タチアナ先生とご一緒にお食事をしました。逸翁美術館の伊井春樹館長とは、ここで合流です。食事をしながら、多くの興味深い話を伺うことができました。最近モスクワでは、寿司とピザはデリバリーで取り寄せられる、とのことです。自宅で居ながらにして食べられるので便利になった、とのことでした。
 この時間帯に、広島大学の妹尾好信先生ゼミの3、4年生の学生さんが、私が引率してきた大阪観光大学1年生9人を大学のキャンパス案内に連れて行ってくださったのです。そしてラウンジで食事をしながら、先輩としてのいろいろな話もしてもらえたようです。理想的な学生の交流会となりました。私の方の学生には、ミャンマー、ベトナム、韓国、中国からの留学生がいました。異文化交流ともなったようで、得がたい体験をさせていただいたことになります。

 さて、会場の前には、タチアナ先生の翻訳書等が並んでいます。

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 タチアナ先生のご講演は、「翻訳家の目で見た日本古典文学の特徴」と題するものです。

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 優しい口調で、学生たちや留学生にもわかりやすく語ってくださいました。日本文学の上代から現代までを、ヨーロッパと日本の文学の特質やその違いに視点を定めてのお話です。
 具体的には、『万葉集』『古今集』『後撰集』『新古今集』から9首を引きながら、言葉を忠実に吟味した上で、先生独自の解釈をすることで、一首ごとの読みを展開なさいました。
 詩人でもあるタチアナ先生の本領が発揮された講演会でした。

 その後はフリートーキングです。タチアナ先生、伊井春樹先生、そして私の3人が登壇。私が進行役となりました。

 まずは、大阪観光大学で実施している翻訳本の展示を、スクリーンを使って紹介しました。世界各国、多くの言語で日本文学が翻訳されていることをここで確認します。
 引き続き、伊井先生と行ったモスクワでの写真を映写しました。
 このフリートーキングは、2006年8月に伊井先生と私がロシアへ調査に行ったことが契機となっているものです。モスクワで、タチアナ先生と伊井先生とが対談をなさったことを踏まえての企画なのです。11年前の対談の内容は、『世界が読み解く日本』(伊井春樹編、2008年、學燈社)に収録されています。その時私は、録音・記録・写真撮影を担当しました。
 次の2枚の写真は、11年前のものです。

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 そんなことがあったので、せっかく3人が今日は揃ったこともあり、その思い出話に始まり、日本文学がロシアでどう読まれているか、とか、海外で日本文学が翻訳されている事情などに関連づけて、会場にお越しのみなさまのために優しく語りかけることになったのです。主催者である広島大学の妹尾好信先生の発案です。

 その準備のために、昨夜は11年前のモスクワでの写真をスクリーに映写するための写真選びをしながら、伊井先生と電話やメールでの打ち合わせに没頭していました。

 来場者はロシアのイメージをまったくお持ちではないと思われます。そこでスライドによって、まずは街中や大学の様子を見ていただきました。

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 17枚のスライドを見てもらいながら、タチアナ先生と伊井先生のお話を引き出すように心掛けました。

 最初に、伊井先生が古典の日の意義や、本日のタチアナ先生の講演のまとめをしてくださいました。

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 フリートークでは、本日の講演で語られなかったことなどを、タチアナ先生に自由に語っていただきました。講演では触れられなかった、『源氏物語』の翻訳の背景に始まり、ロシアにおける日本文学研究の現況などが浮き彫りになりました。

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タチアナ先生のお話は、おおよそ以下のようなことでした。

・『源氏物語』は長編であっても、断片的な短編から成り立っている。
・ロシア語訳の出版に至るまでの手続きや、翻訳するにあたっての問題点。
・和歌や敬語の訳はできないし、登場人物に名前がないことには工夫がいる。


 会場から質問もありました。
 『源氏物語』の翻訳を始めた巻は? との問いかけには、「桐壺」から順番にとのお答えでした。
 ロシアの古典文学の読者はどういう人か、とも。これについては、本屋の店頭にはあまり出ていないので、インターネットで買われているためによくはわからないそうです。
 また、誰が読んでいるのかは、これもよくわからないようです。
 旧ソ連時代は現代文学が翻訳できなかったので、古典文学が翻訳されていたことなどなど、さまざまな話題が提示されました。

 急ごしらえのフリートークだったので、来場者や学生さんたちに、お2人の先生のお考えがうまく伝わったのか気になっていました。しかし、閉会後、好意的な反応が多く聞こえてきたので、無事に役目は果たせたようで安堵しています。

 最後に、みんなで記念撮影をしました。若者が多く集まった講演会でした。

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 主催者である妹尾先生には、昨夜から今日のためのスライド写真を添付ファイルで送るなど、いろいろと面倒なことでお世話になりました。
 また、溝渕先生は、講演会の運営にあたっての、さまざまな気遣いをなさっていました。
 そして何よりも、昨日成田と羽田経由で来日されて時差ボケもものともせず、多くの示唆に富むお話をしていただいたタチアナ先生に感謝します。本当にありがとうございました。意義深い公開講演会でした。そして、みなさま、お疲れさまでした。当初の溝渕先生のご予定では、小さな会だったそうです。それが妹尾先生のアイデアで膨れあがり、伊井先生や私などにも出番がまわってきて、こんなに盛大な公開講演会として結実し、大成功となったのです。

 大阪から参加した9人の学生たちも、1年生という右も左もわからないながらも、貴重な勉強と異文化体験をしたようです。ここで得たものを今後に活かして、稔り多い学生生活を送ってほしいと願っています。
 
 
 
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2017年10月30日

京洛逍遥(472)百人一首をテーマとする京菓子展(その2-下鴨別邸)

 『百人一首』に関する京菓子展について、昨日にひき続き記します。
 本会場である有斐斎弘道館とは別に、特別会場である旧三井家下鴨別邸には、『百人一首』をテーマにした創作和菓子17点が展示されていました。
 この下鴨別邸については、「京洛逍遥(431)重要文化財「旧三井家下鴨別邸」でのお茶会」(2017年03月05日)で詳しく書いていますので、ご参照いただければと思います。

 ここでも、重要文化財の建物内部以外は写真撮影を許可されました。以下に入選した和菓子をご紹介します。

171030_かささぎの.jpgかささぎの

171030_このたびは.jpgこのたびは

171030_ちぎりきな.jpgちぎりきな

171030_ちはやぶる1.jpgちはやぶる1

171030_ちはやぶる2.jpgちはやぶる2

171030_ひさかたの.jpgひさかたの

171030_玉の緒よ.jpg玉の緒よ

171030_君がため・純雪.jpg君がため・純雪

171030_秋風に.jpg秋風に

171030_春すぎて.jpg春すぎて

171030_滝の音.jpg滝の音

171030_朝ぼらけ・静寂.jpg朝ぼらけ・静寂

171030_天つ風・余韻.jpg天つ風・余韻

171030_天つ風.jpg天つ風

171030_来ぬ人.jpg来ぬ人

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 なお、すばらしい庭を拝見しながら、呈茶のために選ばれた和菓子3種類とともに、抹茶をいただきました。

(1)朝ぼらけ・静寂
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(2)君がため・純雪
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(3)天つ風・余韻
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 仕事に追われる日々の中で、一息つく贅沢な時間を持つことができました。
 
 
 
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2017年10月26日

翻訳本のミニ展示・第五弾は《平安文学》

 5回目となる翻訳本の展示替えをしました。
 大阪観光大学の図書館3階の一角を借りて、日本文学作品の翻訳本を展示しています。
 今回から、『源氏物語』以外の作品をご覧いただきます。まずは、平安文学の特集です。
 欲張って、28冊もの翻訳本を並べました。しかし、あくまでも個人的に持っている本ということもあり、『源氏物語』以外は極端に少なくなります。お手元に余っている翻訳本がありましたら、ご恵与いただけると幸です。
 午後6時ともなると館内も暗くなり、デジタルカメラの写真にも靄がかかります。今は雑務に忙殺されていますので、いつか時間ができたらきれいな写真と差し替えます。しばらくは、これでその場凌ぎといたします。

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 この展示で見ていただくのは表紙だけです。しかし、それでも多彩な各国の顔がうかがえます。

 今回も、展示ケースの上に置いたプリントの内容を、参考までにここに引用します。

《世界中の言語に翻訳された平安文学》

   平成29(2017)年10月26日(木)〜11月30日(木)
             於:大阪観光大学 図書館3階

 今回の特設コーナーでは、翻訳された平安文学の表紙デザインの多彩さを楽しんでいただけるような選書をしました。各国で平安文学作品がどのように受容されているか、という視点でご覧いただけると幸いです。

【平安文学が翻訳されている29種類の言語】

アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・英語・オランダ語・カタルーニャ語・韓国語・ギリシャ語・スペイン語・スロヴァキア語・セルビア語・チェコ語・チベット語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・デンマーク語・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・ヒンディー語(インド)・フランス語・ブルガリア語・ベトナム語・ベンガル語(インド)・ポーランド語・ポルトガル語・ラトビア語・ルーマニア語・ロシア語


☆イタリア語
◯イタリア語訳『土佐日記』(2004年)
シモーナ・ヴィニャーリによる訳。
表紙は白地に黒字のタイトル、上に玄武のイラスト。

◯イタリア語訳『和泉式部日記』(2008年)
カロリーナ・ネグリによる訳。
表紙は鈴木其一『青桐・紅楓図』(ロサンゼルス・カウンティ美術館/心遠館コレクション)の紅楓の部分。

◯イタリア語訳『更級日記』(2005年)
カロリーナ・ネグリによる訳。
表紙は山口素絢『女官図』(奈良県立美術館蔵)。

◯イタリア語訳『枕草子』(2002年)
リーディア・オリグリーアによる古典からの訳。
表紙は葛飾北斎『させもが露 蚊帳の中で』。

◯イタリア語訳『竹取物語』(1994年)
アドリアーナ・ボスカロによる古典からの訳。
表紙は墨の字で「竹」の一文字。

◯イタリア語訳『堤中納言物語』(1989年)
久保田洋子による古典からの訳。
表紙は鳥文斎栄之『錦摺女三十六歌仙 嘉陽門院越前』。

◯イタリア語訳『落窪物語』(1992年)
アンドレア・マウリッティによる古典からの訳。
表紙は俵屋宗達『伊勢物語芥川図』の人物部分。

◯イタリア語訳『浜松中納言物語』(2008年)
アンドレア・マウリッティによる訳。
表紙は富岡鉄斎『掃蕩俗塵図』。

☆英語
◯英訳『蜻蛉日記』(1994年)
エドワード・G・サイデンスティッカーによる訳。
表紙は土佐派の『源氏物語絵巻』「真木柱」巻かと思われる。

◯英訳『紫式部日記』(1996年)
リチャード・ボーリングによる訳。
表紙は『紫式部日記絵詞』藤田家本第5段の絵(藤田美術館蔵)。一条天皇の土御門邸行幸に備えて、
新しく造られた竜頭鷁首の船。

◯英訳『紫式部日記』・『紫式部集』(1999年)
マーティーン・ベレンによる訳。
表紙は土佐光起『源氏物語画帖』「若紫」巻。

◯英訳『更級日記』(2000年)
原順子による古典からの訳。
表紙は左半分が赤紫色で右半分が白色であり、左上に縦書きで「更級日記」、中央に横書きで「Sarashina Nikki」。

☆韓国語
◯韓国語訳『蜻蛉日記』(2009年)
鄭順粉による訳。
表紙は白色と藍色の地に白色でタイトル。

◯韓国語訳『蜻蛉日記』(2011年)
李美淑による古典からの訳。
表紙は鎌倉時代に書写された『古筆手鑑』の断簡。『蜻蛉日記』967年3月の段で、「三月つこもりかたに〜一つむすひては結ひ」の部分。

☆スペイン語
◯スペイン語訳『竹取物語』(1998年)
高木香世子による古典からの訳。
表紙は『佐竹本三十六歌仙 小大君』(大和文華館蔵)。

◯スペイン語訳『竹取物語』(2001年)
高木香世子による古典からの訳で、1998年版の修正版。
表紙は『春日権現験記絵巻』に登場する藤原吉兼の庭にある竹林の上に、春日神社の第四殿に祀られている「比盗_(ひめがみ)」が出現した場面。

◯スペイン語訳『古今和歌集』(2005年)
トゥークル・ダシ-―による訳。
タイトル:Poesía clásica japonesa : Kokinwakashū
表紙は藤原定家筆『古今和歌集』巻第一(冷泉家時雨亭文庫蔵)。

◯スペイン語訳『更級日記』(2008年)
井本晶子とカルロス・ルビオによる訳。
表紙は『北野天神絵巻(弘安本断簡乙巻)』の女房狂乱の場面(東京国立博物館蔵)。裏表紙は土佐光吉『源氏物語絵色紙帖』「野分」巻(京都国立博物館蔵・重要文化財)。

☆チベット語
◯チベット語訳『竹取物語』(2002年)
ツェワン・ギャルポ・アリヤによる訳。
表紙はソナム・ドゥントップによる、かぐや姫が月を恋しがり涙を流す絵。
前書きによるとトヨタ財団の補助で作成された。また、英訳されたバージョンもある。絵本形式で
文章には挿絵がついているものの、月からの使者や兵士の一部がモンゴル風の装束をまとう絵となっている。訳者は、伊藤がインド・デリー大学で客員教授をしていた時の教え子。

☆中国語
◯中国語訳『枕草子』(2000年)
林文月による古典からの訳。
表紙は郭豫倫による草花の絵。

◯中国語訳『蜻蛉日記』・『和泉式部日記』・『紫式部日記』・『更級日記』(2002年)
林岚,鄭民欽による訳。
表紙は藍色の表紙で、表紙の3分の1から裏表紙にかけて和紙が貼り付けられている。

◯中国語訳『枕草子』(2003年)
周作人による古典からの訳。
表紙には尾形光琳『燕子花図』(根津美術館蔵)の「燕子花」の模様で、「心の感動を記録したいだけです」とある。

☆フランス語
◯フランス語訳『紫式部日記』(1978年)
ルネ・シフェールによる訳。
表紙には文机の前に座り、明かりを見つめる女房の絵。

◯フランス語訳『紫式部集』(1986年)
ルネ・シフェールによる訳。
表紙には橙色で「歌」の一文字。

◯フランス語訳『成尋阿闍梨母集』(2003年)
バーナードフランクによる訳。
表紙は五島美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』「御法」巻の紫の上。

◯フランス語訳『春記』(2001年/2004年)
フランシーヌ・エライユによる訳。
橙色の表紙にタイトル。

☆ロシア語
◯ロシア語訳『狭衣物語』・『篁物語』(2007年)
V. I.シソーリによる訳。
表紙は、橋の下に屋形船がとまり、周囲に雪が積もっている情景が。

◯ロシア語訳『浜松中納言物語』・『松浦宮物語』(2010年)
V. I.シソーリによる訳。
表紙は、柳の木の下に閉じた傘を持った遊女と思われる女性がたたずんでいる絵。

 
 
 
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2017年10月13日

読書雑記(213)竹山道雄『ビルマの竪琴』

 『ビルマの竪琴』(竹山道雄、新潮文庫、平成29年6月25日、百六刷改版)を読みました。今これを、というのは、必要に駆られてという側面があります。しかし、いい読後感を持ったので、近い内に、もう一度読み直すことがありそうな気がしています。

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 この作品は読んだ記憶がないのに、お話の内容のおおよそは知っていました。いろいろな機会に聞いた小さな話が、記憶のどこかに堆積していたのではないか、と思っています。安井昌二の僧侶姿を覚えているので、映画で安井昌二が水島上等兵を演じたものを見たのかも知れません。映画の公開は私が5歳頃のことなので、学校で観に行ったのでしょうか。

■第一話 うたう部隊
 過酷な戦争の中で、ビルマの山中を惨めな退却を余儀なくされた日本人たちは、水島上等兵の竪琴に勇気付けられながら行軍します。情に流されず、ユーモア交じりに明るく語られているので、気を張り詰めることなく読み進められます。

■第二話 青い鸚哥(インコ)
 文章が丁寧な上に、よく練られているせいもあって、ゆったりと読み進められます。語られ、描かれている内容は非情な世界にもかかわらず、耳を傾けて聴き入ることのできる口調です。この作品が広く読まれて来たことがよくわかりました。
 なお、風俗習慣が克明に記されているようでいて、その実よくイメージできませんでした。ビルマという国がよくわからないままに読み進みます。
 この章の最後に歌われる「あおげばとうとし」には、感極まるものがあります。きれいなまとめとなっています。

■第三話 僧の手紙
 溢れんばかりの人間への想いが、水島からの最期の別れの手紙の形を借りて語られています。抑制した語り口で、水島の想いを淡々と伝えようとしています。情に流されない、理性的な考え方に共鳴します。ただし、あまりにも物分かりの良い水島の態度に、人間はもっと激情を宿しているはずなのに、との思いも抱きました。そこに、戦争の悲惨さを露骨に描くことを避けた印象を持ちました。船戸与一の『満州国演義』のような、あの煮えたぎるまでの筆の力を感じなかったのは、作者が伝えたかったのが死者の魂を鎮めることにあるからでしょう。これがかえって、子供たちにも伝わる戦争文学になったと思います。【4】

 今回読んだ文庫本の巻末には、著者による「ビルマの竪琴ができるまで」と「あとがき」、そして中村光夫「解説」と平川祐弘「『ビルマの竪琴』余聞」が収録されています。さらには、「注解」と「この作品に出てくる歌の歌詞と楽譜」も、読後の理解を深めるのに有益でした。これらによって、作者のことはもとより、執筆の経緯やこの作品の背景がさらに鮮明になりました。ただし、「『ビルマの竪琴』関係図」は残念な出来でした。これは、作図をし直した方がいいと思います。


初出誌:童話雑誌「赤とんぼ」(1947年3月〜1948年2月掲載)
※1956年(主演:安井昌二)と1985年(主演:中井貴一)の2回、市川崑監督が映画化しました。
 
 
 
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2017年09月28日

広島大学でロシアのタチアナ先生が講演をなさいます

 2017年11月1日(水)に、広島大学中央図書館(ライブラリーホール)において、翻訳家でモスクワ大学のタチアナ・デリューシナ先生の講演会が開催されます。

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 先生は、源氏千年紀の2008年に、日本文学に関する翻訳の功績が高く評価されて、日本国から旭日小綬章を受章しておられます。
 私は2006年8月、伊井春樹先生とご一緒にロシアへ調査に行きました。その折、モスクワでタチアナ先生と伊井先生が対談をなさいました。その内容は『世界が読み解く日本』(伊井春樹編、2008年、學燈社)に収録されています。私は、録音・記録・写真撮影を担当しました。モスクワ散策でも、タチアナ先生には大変お世話になり した。
 以来、折々にタチアナ先生およびロシアの文学研究者と交流を重ねてきました。さらには、教え子である土田久美子さんには、ロシア語訳『源氏物語』などの研究に関して科研の研究会や報告書でさまざまな支援をいただいています。
 この度、広島大学の妹尾先生と溝渕先生の企画で公開講演会が開催され、タチアナ先生が来日されます。参加したいとの意向を伝えると、タチアナ先生との情報交換を兼ねた面談もできることになりました。逸翁美術館館長の伊井春樹先生もお越しになります。また楽しい文学談義がご一緒にできることを、今から楽しみにしています。
 ちょうどいい機会でもあり、本年4月より取り組んでいる私の科研A「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」で、情報収集や整理のアルバイトをしている大阪観光大学の学生9名(観光学部と国際交流学部の1回生)を引率し、国際交流と海外の文化・文学の研究状況を学ぶ場にすることとしました。稔りの多い一日にするためにも、ロシアの日本文学研究の現状等は、事前に学習してから行くようにます。
 なお、講演会終了後は、広島大学の学生さんと大阪観光大学の参加学生との交流会を設定して下さるようです。こちらから連れて行くのは、新しい大学の、しかも新入生たちばかりです。科研での目的の中で若者の育成を掲げているので、時宜を得た取り組みとなります。多くの刺激がいただけることでしょう。
 快く外部からの参加を認めていただき、学生たちに貴重な勉学の場を設けてくださる、妹尾先生と溝渕先生に感謝しています。
 
 
 
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