2025年10月31日
[その2]『源氏物語』の44番目の翻訳となるインドネシア語訳を入手
2025年02月03日
『源氏物語』のポーランド語訳に関する研究状況と展望
2024年12月18日
報告3題(3/3)朴光華著 韓国語訳注「浮舟」が届きました
2024年11月25日
パキスタンのカラチで刊行されたウルドゥ語訳『源氏物語』のこと
2024年11月10日
筑紫女学園大学の公開講座でお話したこと
2024年11月02日
大雨に振り回されてやっと辿り着いた九州福岡
2024年05月21日
フランス語訳『源氏物語』に関する翻訳史年表の補訂(iPhoneでは不具合あり)
『源氏物語』の多言語翻訳に関する研究分野では、[海外へいあんふんかく情報](http://genjiito.org、運営代表者:伊藤鉄也)が唯一無二の総合的な情報発信の媒体となっています。国内外から多くのアクセスがあり、関連する情報もここを窓口として収集しています。
このホームページは、科学研究費補助金による研究「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(2017〜2020年度:基盤研究(A):課題番号 17H00912:研究代表者 伊藤鉄也:配分経費 39,130千円 )における研究成果を、終了後も引き続き情報を追補しながら公開しているものです。その中の、【『源氏物語』翻訳史 略年表】がもっともアクセスが多いため、今回はフランス語訳『源氏物語』に限定して整理した情報をアップします。
補訂にあたっては、淺川槙子氏(名古屋大学)が担当しました。
なお、書影は「画像URL」としてあげたアドレスの掲載情報で確認してください。以下では、白い四角の枠で表示されています。また、私の手元では表示される情報も、見つからない、とか、文字化けのサイトもあります。後日、環境が整えば補正しますので、しばらくはこの形式での暫定版の公開であることをご了解ください。
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フランス語訳『源氏物語』
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1 Arvède Barine(アルヴェード・バリーヌ)訳
書籍名:La haute société japonaise au Xe siècle: Un don Juan japonais
〇1883(明治16)年
・出版社:Germer Baillière
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「夕顔」
・底本等の情報:抄訳、末松謙澄訳『Genjimonogatari』
・表紙:不明
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2 Michel Revon(ミッシェル・ルヴォン)訳
書籍名:Le Ghennji monogatari
〇1910(明治43)年
・出版社:Librairie Ch. Delagrave
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:赤紫色の地に黄緑色、緑色、茶色、紫色の線が描かれている。
表紙2:赤い色の地に金色の字でタイトルが書かれている。
(画像URL:
https://www.zvab.com/Anthologie-Litt%C3%A9rature-Japonaise-origines-XXe-si%C3%A8cle/17769869529/bd)
表紙3:ペーパーバック、茶色の地に黒字でタイトルが書かれている。中央より少し下に女性らしき人が腰かけている絵が描かれている。また、表紙の右上にはふくろうの絵が描かれている。
(画像URL:
・備考:
フルテキストhttps://archive.org/stream/anthologiedelal00revogoog/anthologiedelal00revogoog_djvu.txt
〇1911(明治44)年
・出版社:Librairie Ch. Delagrave
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:紫色の地に黒色と緑色が混じった色の三角形のような模様が貼られている。
(画像URL:https://www.persee.fr/doc/befeo_0336-1519_1911_num_11_1_4073)
・備考:1910年の2版。
〇1919(大正8)年
・出版社:Librairie Ch. Delagrave
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:見開きの写真からは、縁は赤色であることがわかる。
(画像URL:
・備考:1910年の4版。見開きには1919年出版と書かれているが、画像が掲載されているサイトを参照すると、1920年出版となっている。
〇1923(大正12)年
・出版社:Delagrave
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:赤茶色の地に黒色の三角形のような模様が貼られている。背表紙は金字で書かれている。
・備考:1910年の5版。
〇1928(昭和3)年
・出版社:Delagrave
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:白地に黒字と赤字でタイトルや翻訳者などの情報が書かれている。中央にDの文字をデザインした神殿のような建物のイラストが描かれている。
・備考:1910年の6版。
〇1986(昭和61)年
・出版社:Vertiges Publications
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:屋島岳亭(岳亭晴信)作の『かつしか七ばんつゞき 文机』
文机に右ひじを置いた女性が(女性にとって)左を向いている絵、女性の背後には狂歌が書かれている。狂歌は「文麗舎繁躬 鴬のつやあるこゑに研出しのまきゑの梅もかをる文机」「文宝舎玉丸 むらさきの袖のかすみやおほふらん春たつけふの文机の山」の2つである。
(画像URL:ARC浮世絵データベース)
〇2018(平成30)年
・出版社:Forgotten Books
・範囲:「桐壺」・「帚木」・「若紫」
・底本等の情報:抄訳、『Anthologie de la littérature japonaise des origines au XXe siècle』に所収。(Ghennjiはママ)、桐壺更衣への寵愛の場面は鈴木弘恭『新撰日本文学史略』(青山清吉、1892年)を底本とし、桐壺更衣の死・雨夜の品定め・若紫の垣間見の場面は三上参次・高津鍬三郎『日本文学史 上巻』(金港堂、1890年)を底本としている。(Ghennjiはママ)
・表紙:緑色の地に黄色い長方形が描かれ、その上にタイトルが書かれている。
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3 Kikou Yamata(山田菊)
『Le Roman de Genji』
〇1922(大正11)年
・出版社:PLON
・範囲:「桐壺」−「葵」
・底本:Arthur Waley,The tale of Genji、「Feux croisés, âmes et terres étrangères」の1つ。
・表紙:茶色の地に黒色でタイトルと桃色で枠が描かれている。
〇1928(昭和3)年
・出版社:PLON
・範囲:「桐壺」−「葵」
・底本:Arthur Waley,The tale of Genji
・表紙:茶色の地に黒色でタイトルと桃色で枠が描かれている。
(画像URL:
https://www.iberlibro.com/Roman-Genji-Mourasaki-Shikibu-KikouYamata/31479367799/bd#&gid=1&pid=2)
〇1928(昭和3)年
・出版社:PLON
・範囲:「桐壺」−「葵」
・底本:Arthur Waley,The tale of Genji
・表紙:限定版(全部で3608部印刷された)は赤い色に縦じまが描かれた表紙である。
(画像URL:https://www.isseido-books.co.jp/shop/item/yosho/145018/le-roman-de-genji/)
〇1952(昭和27)年
・出版社:PLON
・範囲:「桐壺」−「葵」
・底本:Arthur Waley,The tale of Genji
・表紙:茶色の地に黒色でタイトルと桃色で枠が描かれている。
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4 Charles Haguenauer(シャルル・アグノエル)訳
『Le Genji monogatari』
〇1959(昭和34)年
・出版社:Presses universitaires de France
・範囲:「桐壺」
・底本:古典本文からの訳、「Bibliothèque de l'Institut des hautes études chinoise」シリーズの第12巻
・表紙:薄緑色がかった地の中央に黒色で盾のようなものが描かれ、その中に取っ手のついた容器が描かれている。
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5 René sieffert(ルネ・シフェール)訳
『Le dit du Genji』
〇1977(昭和52)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:箱・本の表紙はともに背景が黒く、どちらも『紫式部日記絵巻』の藤原斉信が描かれている。裏表紙には作品名が書かれている。
〇1977(昭和52)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:表紙は不明。箱は茶色の地に女房が筥をもっている絵(少女巻か)で白黒印刷されたものが貼られている。
(画像URL:https://www.iberlibro.com/9782716900768/Dit-Genji-monogatari-premi%C3%A8re-partie-2716900760/plp)
〇1978年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙:本の表紙は背景が白く、『紫式部日記絵巻』の藤原斉信が描かれている。
(画像URL:
〇1978(昭和53)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:箱・本の表紙はともに背景が黒く、どちらも『紫式部日記絵巻』の藤原斉信が描かれている。裏表紙には作品名が書かれている。
〇1978(昭和53)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:1巻は銀色と白色のグラデーション(上部が銀色、下部が白色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれ、2巻は同じくグラデーション(上部が白色、下部が銀色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれている。箱は茶色の地に女房が筥をもっている絵(少女巻か)で白黒印刷されたものが貼られている。
(画像URL:
https://qaylb.cometogetheragaisnttrump.com/index.php?main_page=product_info&products_id=1388)
(画像URL:https://www.kufs.ac.jp/toshokan/miyabi/genji.htm)
〇1985(昭和60)年
・出版社:Publications orientalistes de France、1977年の再版
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:箱・本の表紙はともに背景が黒く、どちらも『紫式部日記絵巻』の藤原斉信が描かれている。裏表紙には作品名が書かれている。
・掲載:『平安文学翻訳本集成』フランス語80番
〇1988(昭和63)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙:1巻は銀色と白色のグラデーション(上部が銀色、下部が白色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれ、2巻は同じくグラデーション(上部が白色、下部が銀色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれている。
(画像URL:
〇1998(平成10)年
・タイトル:『La Branche Du Prunier』
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:「明石」・「松風」・「薄雲」・「初音」・「梅枝」・「藤裏葉」
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)、『Collection Grand Pollen』の1冊。
・表紙:白地に黒色の長方形が描かれている。書道家の上杉蒼龍により、その上に赤色で書のようなものが書かれている。
(画像URL:https://www.fnac.com/a2895/Murasaki-Shikibu-La-branche-du-prunier)
〇2003(平成15)年
・出版社:Publications orientalistes de France
・範囲:1巻「桐壺」〜「澪標」、2巻「蓬生」〜「藤裏葉」
・底本等の情報:2巻本、『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:1巻は銀色と白色のグラデーション(上部が銀色、下部が白色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれ、2巻は同じくグラデーション(上部が白色、下部が銀色)になっている地に黒字のタイトル、金字で『源氏物語』の字が書かれている。箱は茶色の地に女房が筥をもっている絵(少女巻か)で白黒印刷されたものが貼られている。
〇2007(平成19)年
・出版社:DIANE DE SELLIERS ÉDITEUR
・範囲:全訳
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:表紙は金色の地に「藤袴」の本文である「宰相の中将、同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。初めより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、もて離れて疎々しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に几帳添へたる御対面は、人伝てならでありけり」の部分が書かれている。箱の表は『源氏物語図屏風』「若紫」(インディアナ大学美術館蔵)、裏は俵屋宗達作『源氏物語図屏風残闕』「葵」で源氏が賀茂祭見物に若紫(紫の上)を連れ出そうとし、その髪を自らそぐ場面(出光美術館蔵)
(箱画像URL:https://editionsdianedeselliers.com/livre/la-collection/le-dit-du-genji-de-murasaki-shikibu/)
・掲載:『平安文学翻訳本集成』フランス語81番
・備考:1985年版の新装版、一部が出版社サイトで公開されている。
https://editionsdianedeselliers.com/livre/la-collection/le-dit-du-genji-de-murasaki-shikibu/
〇2007(平成19)年
・出版社:DIANE DE SELLIERS ÉDITEUR
・範囲:全訳
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:全3巻の表紙はすべて土佐光則『源氏物語画帖』(バーク・コレクション)1巻は「蓬生」、裏表紙は「澪標」、2巻は「柏木」、裏表紙は「玉鬘」、3巻は「東屋」、裏表紙は「手習」。箱は俵屋宗達作『源氏物語図屏風残闕』「葵」で源氏が賀茂祭見物に若紫(紫の上)を連れ出そうとし、その髪を自らそぐ場面(出光美術館蔵)、裏は土佐光吉作『紅葉賀』(和泉市久保惣美術館)
(画像URL:
〇2008(平成20)年
・出版社:DIANE DE SELLIERS ÉDITEUR
・範囲:全訳
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:全3巻の表紙はすべて土佐光則『源氏物語画帖』(バーク・コレクション)1巻は「蓬生」、裏表紙は「澪標」、2巻は「柏木」、裏表紙は「玉鬘」、3巻は「東屋」、裏表紙は「手習」。箱の表は『源氏物語図屏風』「若紫」(インディアナ大学美術館蔵)、裏は俵屋宗達作『源氏物語図屏風残闕』「葵」で源氏が賀茂祭見物に紫の上を連れ出そうとし、その髪を自らそぐ場面(出光美術館蔵)
・備考:一部が出版社サイトで公開されている。
〇2008(平成20)年
・出版社:DIANE DE SELLIERS ÉDITEUR
・範囲:全訳
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙・箱:箱は俵屋宗達作『源氏物語図屏風残闕』「葵」で源氏が賀茂祭見物に紫の上を連れ出そうとし、その髪を自らそぐ場面(出光美術館蔵)、全3巻のカバーはすべて土佐光則『源氏物語画帖』(バーク・コレクション)1巻は「蓬生」、裏表紙は「澪標」、2巻は「柏木」、裏表紙は「玉鬘」、3巻は「東屋」、裏表紙は「手習」
(画像URL:
https://www.amazon.co.jp/Genji-illustr%C3%A9-peinture-traditionnelle-japonaise/dp/2903656460)
〇2011年
・出版社:VERDIER
・範囲:全訳
・底本:『日本古典文学大系』(岩波書店)・『日本古典文学全集』(小学館)・『新潮古典集成』(新潮社)
・表紙:白地に翻訳者の名前と紫式部という字は黒字、タイトルが赤字で書かれている。
(画像URL:https://www.amazon.fr/dit-du-Genji-Murasaki-Shikibu/dp/2864326531)
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6 René de Cecca-tty/Ryoji Nakamura訳
『Le Roman de Genji』
〇1982(昭和57)年
・出版社:Éditions de la différence
・範囲:「蜻蛉」
・底本等の情報:特定の底本に関する記載はないものの、参考文献としてはKikou Yamata(山田菊),Le Roman de Genji,1928、Charles Haguenauer,Le Genji monogatari,1959、René sieffert,Le dit du Genji,1978の3冊があげられている。Mille ans de littérature japonaise : une anthologie du VIIIe au XVIIIe siècle 所収、Collection Le Passé composé, 3。日本文学のアンソロジーであることから、『源氏物語』のほかに以下の作品も掲載されている。『土佐日記』、『和泉式部日記』、『とりかへばや物語』、『今昔物語集』29−3「不被知人女盗人語」、29−23「具妻行丹波国男於大江山被縛語」、30−1「平定文仮借本院侍従語」、『堤中納言物語』「虫めづる姫君」、『百人一首』、『宇治拾遺物語』1−17「修行者、百鬼夜行にあふ事」、2−7「鼻長き僧の事」、『方丈記』、『正法眼蔵随聞記』「現成公案」、「有時」、「都機」、『とはずがたり』、謡曲『井筒』(関連で『伊勢物語』)、『好色一代男』、『曽根崎心中』、『去来抄』、『遠野物語』、『いきの構造』である。このほか、文学史年表、グロッサリー、参考文献リストも掲載されている。
・表紙:金色の地に赤字でタイトルが書かれ、中央より少し下に出版社のマークが描かれている。裏表紙はlこの本(日本文学のアンソロジー)の説明が書かれている。
〇1998(平成14)年
・出版社:Éditions de la différence
・範囲:「蜻蛉」
・底本等の情報:特定の底本に関する記載はないものの、参考文献としてはKikou Yamata(山田菊),Le Roman de Genji,1928、Charles Haguenauer,Le Genji monogatari,1959、René sieffert,Le dit du Genji,1978の3冊があげられている。Mille ans de littérature japonaise : une anthologie du VIIIe au XVIIIe siècle 所収、「Picquier poche」のシリーズの1つ(260番)。日本文学のアンソロジーであることから、『源氏物語』のほかに以下の作品も掲載されている。『土佐日記』、『和泉式部日記』、『とりかへばや物語』、『今昔物語集』29−3「不被知人女盗人語」、29−23「具妻行丹波国男於大江山被縛語」、30−1「平定文仮借本院侍従語」、『堤中納言物語』「虫めづる姫君」、『百人一首』、『宇治拾遺物語』1−17「修行者、百鬼夜行にあふ事」、2−7「鼻長き僧の事」、『方丈記』、『正法眼蔵随聞記』「現成公案」、「有時」、「都機」、『とはずがたり』、謡曲『井筒』(関連で『伊勢物語』)、『好色一代男』、『曽根崎心中』、『去来抄』、『遠野物語』、『いきの構造』である。このほか、文学史年表、
グロッサリー、参考文献リストも掲載されている。
・表紙:金色の地に金色の地に五島美術館蔵『源氏物語絵巻』「御法」巻の詞書第一面「中宮はまいりなむとあるをいましばしも御覧ぜよときこえまほしくおおせとさかしきやにもありうちの御つかひのひまなきもわつらはしければさもえきこえたまいぬにあなたにもまいりたまいねばみやぞまいりたまふかたはらいたけれどげにえみたてまいらねばかゐなしとてこなたに御しつらひことにせさせたまふいとゝ」の部分の写本が書かれている。左下には本で顔を覆う江戸時代風の男性が白黒で描かれている。
(画像URL:https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/genji/)
〇2005(平成17)年
・出版社:Éditions de la différence
・範囲:「蜻蛉」
・底本等の情報:特定の底本に関する記載はないものの、参考文献としてはKikou Yamata(山田菊),Le Roman de Genji,1928、Charles Haguenauer,Le Genji monogatari,1959、René sieffert,Le dit du Genji,1978の3冊があげられている。Mille ans de littérature japonaise : une anthologie du VIIIe au XVIIIe siècle 所収、「Picquier poche」のシリーズの1つ(260番)。日本文学のアンソロジーであることから、『源氏物語』のほかに以下の作品も掲載されている。『土佐日記』、『和泉式部日記』、『とりかへばや物語』、『今昔物語集』29−3「不被知人女盗人語」、29−23「具妻行丹波国男於大江山被縛語」、30−1「平定文仮借本院侍従語」、『堤中納言物語』「虫めづる姫君」、『百人一首』、『宇治拾遺物語』1−17「修行者、百鬼夜行にあふ事」、2−7「鼻長き僧の事」、『方丈記』、『正法眼蔵随聞記』「現成公案」、「有時」、「都機」、『とはずがたり』、謡曲『井筒』(関連で『伊勢物語』)、『好色一代男』、『曽根崎心中』、『去来抄』、『遠野物語』、『いきの構造』である。このほか、文学史年表、
グロッサリー、参考文献リストも掲載されている。
・表紙:金色の地に金色の地に五島美術館蔵『源氏物語絵巻』「御法」巻の詞書第一面「ありうちの御つかひのひまなきもわつらはしければさもえきこえたまいぬにあなたにもまいりたまいねばみやぞまいりたまふかたはらいたけれどげにえみたてまいらねばかゐなしとてこなたに御しつらひことにせさせたまふいとゝ」の部分の写本が書かれている。左下には本で顔を覆う江戸時代風の男性が白黒で描かれている。
(画像URL:https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/genji/)
〇2011(平成23)年
・出版社:Éditions de la différence
・範囲:「蜻蛉」
・底本等の情報:特定の底本に関する記載はないものの、参考文献としてはKikou Yamata(山田菊),Le Roman de Genji,1928、Charles Haguenauer,Le Genji monogatari,1959、René sieffert,Le dit du Genji,1978の3冊があげられている。Mille ans de littérature japonaise : une anthologie du VIIIe au XVIIIe siècle 所収、「Picquier poche」のシリーズの1つ(260番)。日本文学のアンソロジーであることから、『源氏物語』のほかに以下の作品も掲載されている。『土佐日記』、『和泉式部日記』、『とりかへばや物語』、『今昔物語集』29−3「不被知人女盗人語」、29−23「具妻行丹波国男於大江山被縛語」、30−1「平定文仮借本院侍従語」、『堤中納言物語』「虫めづる姫君」、『百人一首』、『宇治拾遺物語』1−17「修行者、百鬼夜行にあふ事」、2−7「鼻長き僧の事」、『方丈記』、『正法眼蔵随聞記』「現成公案」、「有時」、「都機」、『とはずがたり』、謡曲『井筒』(関連で『伊勢物語』)、『好色一代男』、『曽根崎心中』、『去来抄』、『遠野物語』、『いきの構造』である。このほか、文学史年表、グロッサリー、参考文献リストも掲載されている。
・表紙:金色の地に五島美術館蔵『源氏物語絵巻』「御法」巻の詞書第一面「ありうちの御つかひのひまなきもわつらはしければさもえきこえたまいぬにあなたにもまいりたまいねばみやぞまいりたまふかたはらいたけれどげにえみたてまいらねばかゐなしとてこなたに御しつらひことにせさせたまふいとゝ」の部分の写本が書かれている。左下には本で顔を覆う江戸時代風の男性が白黒で描かれている。
(画像URL:https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/genji/)
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7 Sean Michael Wilson訳、Ai Takita Inko作画
『Le Dit du Genji』
※漫画、表紙はフランス語であるが中身の写真は英訳である。詳細は不明のため年表には載せていない。
・出版社:SYNCHRONIQUE
・出版年:2009年
・範囲:不明
・底本:不明
・表紙:
(画像URL:
2023年12月30日
外国人研究者が『源氏物語』の魅力を語る新年の番組
2023年11月27日
ポーランド語訳『源氏物語』の最新情報
2023年09月25日
『源氏物語』は43種類の言語で翻訳されている
2022年08月17日
朴光華著『源氏物語−韓国語訳注−』(総角巻)完成
ハングルでの『源氏物語』の注解本は皆無なので、このお仕事がいかに貴重であるかがわかります。
一昨年には「明石」巻を刊行。今回は「総角」巻を刊行なさいました。
コツコツと、丹念に訳と注を進めておられます。まだ、あと19年はかかるとのことです。
お仕事の進捗状況は、「海外平安文学情報」の「『源氏物語』翻訳史(略年表)」(https://genjiito.org/genji_infomation/genji_history/)で確認できます。
「朴光華」で検索すると、「須磨」巻までの16件がヒットします。「明石」巻は今回の「総角」と共に後日アップします。(画像をクリックすると精細な画像になります)
本書に関しては、以下の情報が公開されています。
1)著者:朴光華(Park KwangHwa)
2)初版発行日:2022年7月1日
3)出版社:図書出版DNP
〒31166韓国 忠南 天安市 西北区 双龍 4GIL 8、1F
電話: 041-572-7887 E-mail : tdx1000@naver.com
4)総頁:999頁
5)定価;:㌆120,000
6)ISBN : 979-11-964307-3-3
7)本書の構成:
写真6枚
序、凡例、総角巻の概要、参考文献、登場人物系図など : l~35頁
総角巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注) : 36~978頁
論考「宇治が選ばれた背景−都との境界−」(岩坪健) : 979~987頁
後記(日本語) : 988~993頁
図録 l~6 : 994~999頁
興味と関心をお持ちの方は、メールや電話などで連絡をとられたらいいかと思います。
なお、朴光華先生とその訳注の特色については、以下の記事で詳しく書いています。
「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010年07月05日)
次回は「浮舟」巻です。完成を心待ちにしています。
2022年05月10日
昨日お亡くなりになったジョン・コーツ先生を偲んで
加藤先生からの連絡の一部を引きます。ありがとうございました。
一年半前の秋に癌の手術を受けられましたが、快方に向かわれているように思っておりました。(中略)こんなに急にお亡くなりになるということは想像もしていませんでした。伊藤様とまたお目にかかることを楽しみにしておりましたのに、かなわなくなりました。私にとって、尊敬もし、いろいろな恩のあるかたでした。コーツさんが伊藤様のブログをいつも見ていることを最近知って、私も毎日拝読するようになり、これからはコーツさんに、伊藤様がお書きのことについて、メールを書いて、コーツさんを元気づけようと思っていた所でした(先日の伊藤様のお祖母様のお写真が可愛いですねと書こうと思っていました)。
コーツ先生が私のブログを楽しみに読んでくださっていることは、2019年12月20日にコーツ先生からいただいたメイルに以下のように記されていたので、嬉しく思っていました。
I still regularly read (using Google translate of course...) your very interesting blog, with its lovely photographs of Kyoto.
英語が苦手な私は、コーツ先生のように Google翻訳で日本語にしてみました。
私は今でも定期的に(もちろんGoogle翻訳を使って...)あなたのとても興味深いブログを読んでいます。その素敵な京都の写真があります。
思い出すことが良い供養にもなる、と言われているので、私のブログでコーツ先生のことを取り上げた記事のリストを以下に列挙します。
最新の記事は18日前のものでした。そして、以下のリストの中でも、次の3件が私にとって想い出深い出来事でした。
・「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)
・「コーツ先生からウェイリー訳『源氏物語』をいただいて」(2015年01月04日)
・「【追補】クイーンズから「剣橋」を通ってエマニュエルへ」(2015年02月22日)
少しでも先生のことに触れている記事のリストなので、文末にほんの少しだけ紹介している記事もあります。適宜お読みいただければと思います。
■ コーツ先生に言及した記事の一覧 ■
・「京洛逍遥(785)宇治平等院の周りを散策」(2022年04月23日)
・「京洛逍遥(777)宇治川の岸に立つ」(2022年04月01日)
・「銀座探訪(35)イェール大学のケイメンズ先生と「銀座のすずめ」を飲む」(2016年03月17日)
・「【追補】クイーンズから「剣橋」を通ってエマニュエルへ」(2015年02月22日)
・「コーツ先生からウェイリー訳『源氏物語』をいただいて」(2015年01月04日)
・「日比谷図書文化館でハーバード本を読む(4)」(2014年11月27日)
・「京洛逍遥(324)宇治市源氏物語ミュージアムの「市川海老蔵特別企画」」(2014年06月25日)
・「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)
・「コーツ先生を宇治にご案内して」(2012年10月14日)
・「授業(2)データベース・写本・翻訳」(2012年04月21日)
・「2日目も稔りの多かった国際集会」(2011年11月27日)
・「在英国・コーツ版「源氏画帖」の記事一覧」(2011年09月26日)※24本の記事の一覧
・「病院内で丸一日を過ごす」(2011年08月11日)
2022年03月18日
ウクライナ語訳『源氏物語』に関する情報
私の手元には、2018年に刊行された書籍一冊の画像と文字の情報があります。
文字情報に関しては、解説・「桐壺」翻訳部分・「若紫」翻訳部分・目次・奥付だけが、所蔵先である国際交流基金ライブラリーの図書(913.36.D99)からのコピー資料としてあります。情報収集に協力していただいた元科研研究補佐員のA氏にお礼申し上げます。また、国際交流基金のT氏とM氏のご高配に感謝いたします。
以下に、貴重な情報のほんの一部を画像による情報提供として掲載します。
翻訳者は、ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所のイワン・ジューブ氏。
1931年生まれの物理学者・翻訳家・日本文学研究家で、現在90歳になられます。
この翻訳書には、第1巻「桐壺」から第20巻「朝顔」までが収録されています。
なお、ロシア語とウクライナ語の日本古典文学に関する論文リストがあったはずです。また、ウクライナ在住で『源氏物語』の翻訳をなさっていた先生とのやりとりのメール及び関連情報もあります。今、何かと雑事の真っただ中にいるため、うまく見つけ出せません。後日、追補情報としてお知らせできるようにします。
今は、お問い合わせに関しての取り急ぎの情報の開示に留めます。
この件に関するご教示および情報の提供をお待ちしています。
本ブログの末尾にあるコメント欄を利用していただけると幸いです。
(画像をクリックしていただくと精細画像が表示されます。)
2021年07月26日
海外へと展開する『百人一首』競技かるたの現状
過日、近江神宮にある勧学館の一階に掲示されていた写真を見ていると、「世界に広がる競技かるた」の実状がわかります。
現在、海外では16ヶ国で22ものかるた会があります。そのいくつかを知っているだけに、日本のかるた会に負けず劣らず熱心に練習を積み重ねている姿は、日本に追いつく日がそう遠くないことを実感させます。
なお、今年5月の対戦結果は、次のようになりました。
この海外勢の熱気は、一時の流行ではありません。日本の古典文化と遊技が融合したゲームは、着実に世界中に広がりつつあり、若者を中心に支持を集めています。
これからの展開が、ますます楽しみです。
2021年07月06日
菊池智子さんがインドに関するエッセイ本をネットに公開
菊池さんは、1992年からインドにお住まいです。そして、ネルー大学でヒンディー文学の博士号を修得。インドに精通した立場でデリー在住の生活を基盤として、さまざまな情報を摑んでおられるのです。そして、精力的に文学と文化に関する社会的な活動を展開中です。
その菊池さんが、インドでの生活を通して感じたり思ったりしたことを、エッセイ集『インド小景』にまとめられました。インドにおけるコロナ禍の話題は、日本には歪んで伝わっている情報を補正することになります。
さまざまな話題がウェブ版で50ページの本として公開されたのです。
どなたでも、自由に読めます。
一読をお薦めします。
ブログ:「インド発・文学日記」
http://blog.livedoor.jp/shraddha/archives/50813700.html
本文:『インド小景』
https://akarinohon.com/find/i/?book=kikuchitomokoindia01
2020年08月06日
朝日放送「これって私だけ?」で翻訳本『源氏物語』の表紙絵の紹介あり
その中の≪日本で働く外国人店員さんの実態調査≫というコーナーで、小学生の時に『源氏物語』を読み、日本に憧れて就職した方が紹介されます。生活雑貨専門店で働く中国から来たその女性は、日本のラブストーリーである平安時代の『源氏物語』に憧れを持っている、という話が展開するようです。
その時のイメージ画像として、私が持っている『源氏物語』の翻訳本の複数冊の表紙絵が使われます。画面に映し出されるのは、ほんの一瞬だと思われます。しかし、『源氏物語』が37種類もの言語で翻訳され、世界中の50カ国以上で読まれていることを知っていただく良い機会になれば幸いだと思い、写真の提供をしました。
なお、英訳本はともかく、それ以外のインド諸言語で訳された本は、表紙がバラエティに富んでいるので、目を惹き付けるかと思われます。今回映し出されるインド諸言語の本は、タミル語、ヒンディー語、パンジャービー語、アッサム語、マラヤーラム語です。
どのような番組に仕上がっているのか、今から楽しみです。
2020年07月24日
京洛逍遥(643)河原町三条から四条の若々しい賑わいの復活
河原町三条は、多くの人の波ができていました。
三条通はごった返しています。
頭上からは、祇園囃子のコンチキチンが降り注いでいます。
新京極通りを四条に向かって南に下ると、ここも賑わいが今年の3月以前に戻っていました。
ただし、これは新型コロナウイルスに起因するものなので、海外からの観光客はほとんど見かけません。
これは、「Go To キャンペーン」の影響が大だと言えるでしょう。
日本人(?)が雲霞の如く(?)集結している、という状況です。
しかも、若者が大挙してこの河原町周辺に集まっている、と言っても過言ではありません
懐かしいほどの、若々しい熱気すら感じさせます。
これは、気持ちのいい、本来の京都の街の姿だと思います。
この現象を評するだけの情報を持ち合わせていない私には、何もコメントができません。
明日以降のマスコミの報道や、識者の見解を楽しみに待ちたいと思います。
2020年07月09日
最近私が飛行機で出会ったCAの方々
観光学は未成熟だと考えていることを、職場で素直に口にしています。専門の方々からは、そのことに関していろいろと教えていただいています。そうなのか、と思う反面、観光学は今の新型コロナウイルスに関してどのような社会還元をしているか、と自問します。そして、やはり未成熟なのではないか、との思いをあらたにします。
素人考えで恐縮ながら、今こそ、観光を学問として再構築する好機だと思います。
このことを考えていくためにも、自分の体験から、検討する上で参考になる事例を集め出しました。そのメモ群の中から、以下には飛行機の中で出会ったことを、思いつくままにピックアップします。
これまでに私は、キャビンアテンダントの方々のことを、このブログに何度か書きました。良かったことと、酷かったことを、最近の記事から5例だけ引きます。
搭乗してすぐに、前の方の乗客が声を張り上げて口喧嘩が始まりました。周りには緊張感が走りました。アテンダントの方が数人で宥めて席を移動してもらい、何とか収まりました。すると、また別の席の方がアテンダントの方に食ってかかっておられます。またまた、4、5人のアテンダントの方が集まってこられました。旅の始まりの人もいれば、これで旅の最後となる人もいます。自分の国に帰るので、気分が高揚しておられるのでしょうか。(「関空から中国広州へ一ッ飛び」(2019年12月20日))
帰りの飛行機は、相当古い機体でした。モニタのタッチパネルがなかなか反応しません。画面のコントラストがまばらです。隣のA席は空いたままで荷物を置けました。ただし、座席のシートが壊れていて、置いた荷物を動かすとシートも一緒に外れて下に落ちる仕掛け(?)のものでした。この席に誰か座ったら、大騒ぎになったことでしょう。また、私の目の前の物入れのポケットは、マジックテープが古くなっていて、物を入れようとして触ると、ベリッと剥がれて落ちました。使い物になりません。何も入れないようにしました。昔懐かしい、肘置きのカバーが捲れ上がり、中の配線が剥き出しのままで飛んでいた、某航空を思い出します。腕が感電するのではないかと、ハラハラして乗っていたことを思い出しました。
そういえば、来るときに、女性アテンダントの方のダラダラした態度が気になっていました。だらしないのです。見たくない姿だったので、帰りはと見ると、今度はキビキビした方ばかりでした。当たり外れが大きい航空会社なのでしょうか。(「中国での国際集会を成功裡に終えて帰国の途に」(2019年12月24日))
機内映画で「のみとり侍」を観ていた時でした。機器の不具合か、5分もしないうちに音が途切れ、画面が乱れ、そして画面が消えるのです。アテンダントの方に不都合を伝えると、モニタをリセットしてくださいました。しかし、それでもダメです。結局は、3回もコンピュータをリセットしても、やはりフリーズします。1時間以上もそんな状況だったので、もうこのフライトでの映画は縁がなかったのだ、と諦めかけていた頃でした。アテンダントの方が何とかしようとなさっていて、さらに強いリセット(?)をかけるとのことで、また待たされました。
私がつまらなさそうにしていたせいか、週刊誌などをたくさん持ってきてくださいました。しかし、文字を読む気分ではなかったのでお断りし、このフライトではとことん寝ることにしました。それもまた旅ならではのこと。今回の旅では、よりによって帰りの飛行機で、初めてのトラブル発生です。しかも、信頼していたJALでのことなので、こんなこともあるさと寝ることにしたのです。
少ししてから、最後部に一つだけ空いている座席のモニタは使える、とのことです。今回の席は非常口のま横で、足元が広い席でした。一番後ろということで、アテンダントの方も申し訳なさそうに提案なさいます。私は、映画さえ観られたらどこでもいいので、荷物を持って移動しました。
映画「のみとり侍」は、最初の部分を4回以上も観たことになります。これは、おもしろい映画でした。
その後はたて続けに、「終わった人」、「空飛ぶタイヤ」、「グレートウォール」を観ました。映画漬けの、13時間にわたる帰路となりました。
飛行機を降りる時に、アテンダントの方3人が、代わる代わるお詫びの声をかけてくださいました。こちらが恐縮するほどです。かといって、しつこくはありません。これも、JALのいい所なのです。(「多くの難題課題をこなしてハーバードから無事帰国」(2018年08月31日))
今回の航空会社はユナイテッド航空です。終始、アテンダントの方々の態度が不愉快でした。
通路側にいた私の席に、3回も四角い金属製の運搬車をぶつけられました。よく膝頭が粉々にならなかったものです。食事の配膳にはナイフもフォークもなかったので、身振り手振りでないことを伝えました。食事の時に私が注文した飲み物は、よそ見をしたまま別の人に渡した後、その人が違うと言うとやっと私が手を挙げていることがわかるという始末。真横でサーブしていてこの醜態です。注意力が散漫です。隣の人が落とした枕は、サッカーよろしく蹴り上げてキャッチ。後ろの配膳エリアでは、アテンダントのみなさんが寄り集まって高笑い。その金切り声がうるさいこと。
ユナイテッド航空には滅多に乗らないので、いつも大体こんなものなのでしょうか。日本の航空会社ではあり得ないことだと思います。自由を標榜される国の方々は、とにかく気ままに楽しく勝手に自分流で仕事をする、ということなのでしょう。こうしたことは書くとキリがないので、これくらいにしておきます。
ヒューストンでウツラウツラしながら、成田行きの乗り換えで3時間ほど待っていたら、ゲートからの放送で私の名前を呼んでおられるのです。慌ててカウンターに行くと、あなたが最後だと笑っておられます。乗り遅れるところでした。この一週間の疲れが押し寄せて来ているようです。
今度のユナイテッド航空のアテンダントの方は、ごく普通の対応でした。これから約14時間の空中輸送の身となります。
(中略)
預けた手荷物は成田で受け取りました。そして、出発の時に借りたWi-Fiルーターを返却し、伊丹行きのANAに乗り換えました。
アテンダントの方々の態度が、それまでの方々とは明らかに異なります。気にならないというか、ごく自然に対応しておられると思えるのです。日本を贔屓目に見てではなくて、安心感の質が違います。社員教育のせいでしょうか。受け止め方の違いなのでしょうか。
何はともあれ、多くの成果を携えて、ごく普通に帰ってきました。(「ペルーから帰国の日のことと機中で観た映画」(2018年08月19日))
機内では、子どもが2時間にわたって泣きわめいていたために、どっと疲れる旅になりました。その子はほとんど涙が流れていない、嘘泣きなのです。弟とゲーム機の取り合いをし、お母さんやお父さんの気を引くための駄々だと思われます。これだけ泣き騒ぐ子を、父親は座席で言い含めていただけでした。ますます声を荒げるだけで、聞くはずもありません。キャビンアテンダントの方も、着陸間際にあやしに来られました。それでも、もう火が点いているので、どうしようもありません。
もしこれがJALやANAだったらどうだったのだろう、と思うと、このエア・インディアの対応は無策としか言いようがありません。搭乗者は、本当にいい迷惑です。これだけ迷惑をかける子どもと親を放置した航空会社の責任は大きいと思います。
これまでの経験からも、エア・インディアは可能であれば乗りたくない航空会社の一つです。これよりも酷かったのはKLMでした。KLMについてはすでに書いたことなので、ここでは繰り返しません。(「ハイデラバードへの機内で子どもの迷惑な嘘泣き」(2018年03月02日))
2020年04月19日
「ウェビナー」を活用してミャンマーに『百人一首』を広める
佐藤さんのメールには、せっかく準備も整い、盛り上がった折でもあり、このままでは残念だとあります。そして、延期した事業がいつできるか不透明な中であるものの、ミャンマーの文学コミュニティ、日本語習得者たちに向けて、実際の対面を伴わない、ウェブ上の情報提供や交流活動を作っていくことはできないか、とおっしゃるのです。
そういう比較的少量の情報などを継続的に発信していくことによって、一定のサークル内に関心と最低限の基礎知識を育てることはできるのではないか、と思っての提案でした。これがひいては、今後実施するイベントの受容基盤を強化することにもなるだろうと思われる、ともあります。
さらに佐藤所長からのメールには、「当地で翻訳して使用するのにふさわしいソースなどごさいましたら、ぜひご紹介いただけますか。もちろん、先生といちから共同製作というのも我々は大歓迎です。」ともあります。
そこで早速、研究仲間で『百人一首』の研究実績が豊富な同志社女子大学の吉海直人さんに、協力の呼びかけをしました。すると、すぐに「喜んでお手伝いさせていただきます。」との返事が来ました。吉海さんの協力が得られれば、「弁慶に薙刀、鬼に金棒」です。
吉海さんは、『百人一首』関係の本を多数刊行しておられます。私は海外で『百人一首』のお話しをする時には、非常にわかりやすい『一冊でわかる百人一首』(吉海直人、成美堂出版)を紹介し、資料として活用しています。
そこですぐに、ヤンゴンの佐藤さんには、昨年、現地のヤンゴン外国語大学で実施した『百人一首』に関することを、今回は視点を変えて取り上げる提案をしました。昨年のことは、本ブログの「ヤンゴン外国語大学で講義」(2019年02月01日)に書いた通りです。
また、ネットを介して、「zoom」によるウェブセミナーとしての「ウェビナー」という手法で、リアルタイムに講演会やグループディスカッションも可能です。『百人一首』の専門家である吉海さんには、ここに参加してもらうことも可能です。
その内容は、次のような展開となります。
・開始時刻設定をし、事前に参加者にURLで共有しておく
・登壇者しか声が発信できない
・聴衆者はリアルタイムで質問をテキストで投げられる
・登壇者は聴衆者の中から選んで声の発信権限を渡すことができる
私からミャンマーへの具体的な提案は、今日のところは次のものとなります。
(1)吉海著『一冊でわかる百人一首』のミャンマー語訳を刊行
吉海さんの協力が得られることになったので、この『一冊でわかる百人一首』のミャンマー語訳を出してもいいと思います。日本語を勉強し始めた段階のヤンゴンの大学生や社会人の方々と一緒に、みんなでミャンマー語訳にするプロジェクトを起こしてもいいと思います。
なお、ミャンマー語訳『百人一首』は2種類も出ているので、それを参考にして新たなミャンマー語訳『百人一首』を作ることは可能です。ただし、私の手元には、まだその本がないことは、「ヤンゴンの書店に立ち寄ってからの帰路」(2019年02月03日)に書いた通りです。
(2)参加者と『百人一首』の歌を一首ずつネット越しの共同討議で解釈していく。
特に恋の歌などは、恋愛に対する文化的な素地が違うので、日本人と違う解釈が出てくる可能性があり、そうなると、さらにおもしろくなると思われます。日本側が解釈や意味を提示するのではなくて、ミャンマーの方々に受け入れてもらえる解釈を、みんなで話し合うのです。まさに、国際交流の中で生まれるコラボレーションです。その際、すでに刊行されているミャンマー語訳『百人一首』を参照することも有意義です。
(3)とりまとめ役は、専門家である必要はありません。
千年前と今という時空間を超えての恋愛談義に加えて、ミャンマーと日本という地理的・文化的に遠く隔たった地域での異性に対する思いの違いがテーマの一つとなります。とりまとめ役は、答えのない問題ということもあり、参加者と解説者との意見のやりとりを交通整理してもらえればいいのです。
(4)こうしたことが実現すれば、国際交流基金が支援をしている出版助成による成果の公刊が可能となることでしょう。
(5)ミャンマーで『百人一首』を普及させることに関して
すでに、アメリカのストーン睦美さんには、ミャンマーへの『百人一首』の普及について理解をいただき、ヤンゴンへ指導に行ってもいいともおっしゃっていました。
「近江神宮で競技かるた世界大会の情報収集」
http://genjiito.sblo.jp/article/186782603.html
(6)テレビ会議システムを活用した講演会や討論会は、以下の見取り図が想定できます。
「zoom」を活用するとなると、セミナーやフォーラムと同じで、登壇者と聴衆者の2つに分けることができ、次のような流れになります。一例として、叩き台を提示します。
【1】『百人一首』の講演会をやる
↓
【2】お題を与えてグループ分けして、「ブレイクアウトルーム」でそれぞれのグループがお題に取り組む
↓
【3】マスターのルームにみんな帰ってきて、グループごとに発表
↓
【4】講演会に参加した人が「slack」に参加すると、継続的なコミュニティも生まれる
ということで、ミャンマーでこの『百人一首』に取り組むことは、国際交流という点からも意義深いものとなり、それも実現性の高いものではないか、と思います。
今後の展開を、大いに楽しみにしてください。
そして、このプロジェクトに興味を持たれた方からのアドバイスも、楽しみにしています。
2020年03月17日
ミャンマー行き延期と翻訳本7冊のこと
観光というものをどのようにして街作りに取り込むかは、これまでにも議論されていました。しかし、ひたすら人さえ集まればいいという発想が主流で、住民や市民との接点は真剣に考えて来ないままでした。観光客が途絶えて窒息状態となり、とにかく観光客に来てもらってお金を落としてもらえばいい、という勢力に圧されていた問題が、今こうして表面化したのです。これまでの観光業者最優先とは異なる、住民のことも少しは考えた、あらたなビジョンが必要であり、すでにその動きはあります。拝金思想に凝り固まった観点を脱却した、これからの時代にあった受け入れ態勢の検討が始まっているのです。
今回の新型コロナウイルスのことに端を発して、魅力ある健全な観光都市京都に向けて歩もうとする機運が生まれています。まだまだ混乱期の中とはいえ、課題に向けての推進力の一つとなっていることは確かです。
そんな中、今週の21日と22日に、ミャンマーのヤンゴンで、作家で『源氏物語』の全訳を終えたばかりの角田光代さんの2日間のイベントが組まれていました。そのお手伝いで、私も参加することになっていました。しかし、新型コロナウイルスの問題から、先週金曜日に来年度に実施となり、今回のイベントは延期となりました。ディスカッションや対談が用意されており、いろいろと趣向を凝らした内容を練り上げていたところでした。準備は万端という状況だっただけに、非常に残念です。
渡航などに科研費を充てる予定で進めていたので、その対処の手続きなどで今日は振り回されていました。事務の方々とうまく遣り取りできなかったこともあり、気疲れする1日となりました。
研究室には、以前から発注していた翻訳本が7冊届いていました。『源氏物語』5冊と『枕草子』2冊です。
翻訳本は、発注しても1割くらいしか入手できません。何年も発注し続けています。これも、根気で取り組むしかありません。こうした本の整理も、少しずつ進んでいます。
2020年02月12日
京洛逍遥(591)観光客の激減で安堵の想い
先週から今週にかけて、三条にある回転寿司屋さんの「むさし」に2度行きました。いつもは、海外の方が6〜7割、日本人が3〜4割というお客さんのように見受けられました。それが、今回は2回とも、海外からの方は1割にも満たず、2回目はゼロでした。共に、お昼の時間帯で、混み合うはずの時です。日本人ばかりと言っても、席の2割も埋まっていません。一言で言うと、あの混み合うお寿司屋さんが、バラバラでガラガラの状態でした。
この、外国からの観光客は最近どれくらい京都を訪れているのか、その動向を示す数値が公表されることを、今か今かと待ち望んでいます。
お店の方々は予想外の事態に困惑しておられることでしょう。しかし、私のように四条で乗り換えて家に帰る者にとっては、人やキャリーバッグにぶつかることもなく、お店は混んでいないので快適です。これは、大歓迎です。しかも、朝も夕方も、バスがスイスイ走るので、スムースに移動できます。いいこと尽くめです。
今月はこれでラッキーだとしても、3月になると、観光客で溢れかえる、またあの喧騒と賑わいに包まれるのでしょうか。もう、うんざりです。
正直なところ、遊び半分で物見遊山に来ないでほしい、という気持ちは、多くの京都市民が抱いていたようです。そのことは、先週まで市内で展開していた市長選挙の中でも、多くの方が問題にしておられたことです。選挙があったことにより、街角でのインタビューなどで、市民の多くは観光客をあまり歓迎していないことが浮き彫りとなりました。商売をしている方々との違いは明らかでした。
さて、継続して市政にあたられる市長は、この観光公害をどのように対処していかれるのか、その手腕を大いに楽しみにしています。
2019年12月24日
中国での国際集会を成功裡に終えて帰国の途に
六榕寺の六榕花塔はみごとでした。ここは、蘇軾が広州(当時の恵州)に左遷された時に訪れている寺です。
陳氏書院と広東民間工芸博物館では、みごとな細工を施した工芸を堪能しました。
古玩城では板に経文を刻んだお経を手に入れました。
帰りの空港でのことです。
チェックインカウンターで、預ける荷物の重さが23キロまでのところを、私のキャリーバッグは5キロもオーバーしている、とのことです。翻訳本を30冊以上も詰めたので、何となく予感はありました。そこを何とかと言っても、聞く耳を持たぬと、そっぽを向いておられます。
仕方がないので段ボール箱を買い、箱詰めを18キロにし、キャリーバッグを10キロにしてOKとなりました。これまでの体験からでは、これくらいは大目に見てもらえていたように思います。とはいえ、規則は規則なので、どうしようもありません。
機内食は「うなぎごはん」をいただきました。もっとも、まだ半分も食べないうちに、それ以上は喉を通らなくなりました。後で、手持ちのチーズとビスケットで補いました。
座席に取り付けられたテレビが不調でした。それでも何とか映画が見られるように頑張り、来るときに半分まで観た「居眠り磐音」の後半を観ました。終わり方が後を引かない、いい映画でした。
帰りの飛行機は、相当古い機体でした。モニタのタッチパネルがなかなか反応しません。画面のコントラストがまばらです。隣のA席は空いたままで荷物を置けました。ただし、座席のシートが壊れていて、置いた荷物を動かすとシートも一緒に外れて下に落ちる仕掛け(?)のものでした。この席に誰か座ったら、大騒ぎになったことでしょう。また、私の目の前の物入れのポケットは、マジックテープが古くなっていて、物を入れようとして触ると、ベリッと剥がれて落ちました。使い物になりません。何も入れないようにしました。昔懐かしい、肘置きのカバーが捲れ上がり、中の配線が剥き出しのままで飛んでいた、某航空を思い出します。腕が感電するのではないかと、ハラハラして乗っていたことを思い出しました。
そういえば、来るときに、女性アテンダントの方のダラダラした態度が気になっていました。だらしないのです。見たくない姿だったので、帰りはと見ると、今度はキビキビした方ばかりでした。当たり外れが大きい航空会社なのでしょうか。
とにかく、無事に帰国しました。
目的はすべて達成できた、充実した旅でした。トラブルが何もなかったことが、さらに気持ちのいい旅にしてくれました。
2019年12月23日
中国の恵州学院で百人一首の話をする
今日は、庄さんが勤務しておられる恵州学院へ行きました。表敬訪問であると共に、学生たちに日本の古典文学に親しんでもらう良い機会にしよう、ということで実現しました。
恵州学院は、広州市内から車で片道3時間弱の所にあります。のんびりと身体を休めながらの遠出です。長距離を快適に走る車を、大学が出してくださいました。ありがとうございました。
恵州学院は、のびのびと勉強ができる広い敷地の環境に建っています。
教室には、20人ほどの学生たちが集まっていました。
まずは、『百人一首』のカルタを模したおかきを配りました。私はこれまでに、インド・ミャンマー・ルーマニアでも、このおかきを配って『百人一首』の話をしました。これが初対面の学生たちにすぐに近づけて、日本の古典文学を印象づけるのに一番いい方法だと思っています。
そして、カルタ取りのスマホ用アプリを30種類ほどスクリーンに映写して紹介しました。
そのうちのいくつかを起動して、歌を実際に読み上げるアプリや、決まり字の話をしました。次の写真は、紫式部の「めぐりあひて〜くもがくれにし〜」を説明しているところです。「め」に注目しましょう、ということです。
学生は、突然やってきたおじさんが何を言うのか、という顔をしています。しかし、その直前に目が見えない人もカルタを取り、しかも目が見える人よりも早いということを、私のブログに掲載している写真を目の前のスクリーンに映写して説明をしてあります。
そのため、読み上げられる歌の「言葉」というよりも「音」を聞いてカルタを取るのであり、「音」を聞く耳が大事であることに気付くことから、この決まり字の意味と、このゲームに占める重さを理解するのです。
この時、さりげなく、変体仮名を目が見えない人も読めることを話します。さらには、見えない上に聞こえない人も、『百人一首』を楽しんでいる写真も映し出します。そうしたことを伝えておいてから、『百人一首』は、障害がある人もない人も一緒に楽しめるスポーツである、ということに話を持っていくようにしています。
『百人一首』の世界大会で、フランスやタイが上位3チームに入っていることや、今年の大会に向けての、フランス・タイ・中国・チャイニーズタイペイ・ベトナム・インド・ロシア・ヨーロッパチームなどの意気込みを紹介しました。そして、これからミャンマーを育てていく予定であることも……。
三人で1チームを作り、北京のチームと並んで世界大会に広州からも出よう、とエールを送りました。
学生は、『百人一首』のことを知っていました。カルタ遊びをした学生もいました。今日、私が何を話すかは、あらかじめ連絡していた訳でもありません。突然の『百人一首』の話にも、興味を持って聞いてもらえました。
教室に入ってからお菓子を配り、スマホを取り出し、その画面をスクリーンに映写し、歌を読み上げ、私のブログから『百人一首』に関係する写真を映し出すという流れでした。中国では特に日常に溶け込んだスマホという小道具を使った演出は、うまくいったようです。
学生たちともコミュニケーションがとれるようになったので、帰り際に学内を案内してもらいました。
掲示パネルに写真で紹介されている学生が、これが自分であることを示してくれました。なかなか優秀な学生たちが集まっているようです。
廊下の一角には、日本の本が並んでいました。学生たちの今後の活躍が期待できる感触を得ました。
2019年12月22日
学術フォーラムの2日目は伊藤科研のメンバーで
校舎にはいってすぐ視界に入ったのは、顔認証システムの自動販売機です。最先端を行っています。
分科会は、朝の8時半からです。18室にわかれて、同時進行での開催です。
私は李先生と一緒に第一専家分科会の主宰者となり、この「日本古典文学」のパートを進行する役となりました。
プログラムは、次のようになっています。
まず、伊藤科研の研究協力者である須藤圭さんから。
続いて、小川陽子さん。
そして、今回は代読での参加となったスペインのレベッカ・クレメンツさんについては、小川さんが託された原稿を代読し、補足資料などはスクリーンに映写して発表がなされました。
庄婕淳さんは、この広州の地での発表にふさわしい、2種類の中国語訳『源氏物語』についてです。
以上、伊藤科研の研究協力者である4名が研究発表をした後は、中国側から2名の発表がありました。呂天雯さんと鄭寅瓏さんです。鄭さんは、最初は中国語で発表するはずだったそうです。しかし、日本人が多いので急遽日本語での発表にする、とのことでした。ご配慮に感謝します。
発表を受けてのディスカッションは、時間が足りなくなり制限せざるを得なくなりました。
そこで私から一点、小川さんから提案がなされた翻訳における「注」について、少し意見を出し合いました。
今回は、一人15分という厳しい制限時間ということもあり、みなさん意を尽くせなかったにちがいありません。後日、『海外平安文学研究ジャーナル《中国編》』に報告書としてまとめてウェブ上に公開します。これは電子ジャーナルなので、海外も含めて広く読んでいただけるような方策を講じます。しばらく、お待ちください。
今回の国際集会は、スケジュールが非常に混み合っています。大急ぎで、昨日の国際会議ホールに戻り、最後のイベントである記念講演会に駆けつけました。発表者とタイトルは、以下の通りです。
東京外国語大学の岡田昭人先生は、「グローバル時代を生き抜く力」と題する講演でした。
小・中・高の学習指導要領の改訂に伴う教育内容の検討がなされました。昨夜の晩餐会で、私は岡田先生に、高校国語科の先生方の国語を指導する力量に関して、実態調査の必要性を感じていることをお話しました。講演の中で、昨夜お話したことに触れてくださいました。「文学国語」と「論理国語」の問題を考える時に、指導にあたる教員の実態も知った上で、この指導要領が抱える問題を考えていくべきだと思っています。岡田先生は、このことに耳を傾けてくださったのです。
次に、北京外国語大学の徐一平先生は、ご自身が学生時代からの懸案であった「日本語名詞畳語の特殊性について」の考察でした。ウイットに富んだお話で、説得力のある講演でした。徐先生も、お話のなかで私のことを例にして巧みに話を展開しておられました。
最後は、広東外語外貿大学の陳多友先生です。
映写されたスライドの中に、「文学教学的一个対論」とありました。この「个」についてお聞きしようと思いながら、聞かずじまいになりました。いつか、お尋ねしようと思っています。
2日間にわたって開催された国際シンポジウムも、これで無事に終わりました。
関係者のみなさま、さまざまな配慮とご協力をいただき、ありがとうございました。
参会のみなさまと一緒に昼食をいただいた後は、広州の散策に出かけました。
2019年12月20日
関空から中国広州へ一ッ飛び
乗り心地は、相変わらず悪く、やはり本は読めません。市バスと同じくらいの揺れ具合です。
座席には引き出して広げる小さなテーブルしかない上に、電源コンセンもないので、何かと不便です。とにかく、1時間半の辛抱です。
空港では Wi-Fiルーターをレンタルし、自動チェックインしてから荷物を預けて出国です。パスポートの出国スタンプは、こちらから申し出ないと押してもらえません。いつも、記念にもらっています。
搭乗機越しに、今春までいた職場が見えます。
今日は次々と電話やメールが来るので、その対処に追われているうちに搭乗となりました。
搭乗してすぐに、前の方の乗客が声を張り上げて口喧嘩が始まりました。周りには緊張感が走りました。アテンダントの方が数人で宥めて席を移動してもらい、何とか収まりました。すると、また別の席の方がアテンダントの方に食ってかかっておられます。またまた、4、5人のアテンダントの方が集まってこられました。旅の始まりの人もいれば、これで旅の最後となる人もいます。自分の国に帰るので、気分が高揚しておられるのでしょうか。
機内で観た映画は、
「盲目のメロディー インド式殺人狂騒曲」(2018年に公開)
(盲目を装うピアニストが殺人事件に巻き込まれる話。いくつかの賞を受賞)
と
「居眠り磐音」
(2019年5月公開。坂崎磐音役を松坂桃李。ピエール瀧の不祥事で奥田瑛二を代役にして再撮影)
の2本です。
ただし、「居眠り磐音」は中半までで広州に到着しました。続きは帰りに見ることにします。
機内食はご飯がなくなったとのことで、スパゲティでした。ほとんど食べませんでした。コーヒーも、まったく味がなかったので、流し込んだという感じです。JALのコーヒーを知っているので、物足りませんでした。アテンダントの方々は、多分にお疲れのようで動作が緩慢でした。
無事に広州に着いたものの、キャリーバッグが出てくるのを待ち疲れました。予想外に暖かいので、ヒートテックは不要みたいです。
空港では、恵州学院の庄婕淳さんの出迎えを受けました。そのまま、食事会場となっている維也納(ウィーン)国際ホテルに直行です。空港からの高速道路は大渋滞です。
ホテルの正面入り口には、明日の国際シンポジウムを知らせる電飾の文字が流れていました。
食事会場では、まず今回の中国側の主催者である広東外語外貿大学の陳多友先生にご挨拶をしました。何人かの先生と久しぶりにお目にかかったので、懐かしい話もしました。多くの先生方と名刺交換をし、また席にまで挨拶に来てくださる方も多かったので、落ち着いて食事もままならない、慌ただしい歓迎会でした。
2019年11月18日
国際集会で使用する言語に関していただいたご意見
すぐに、その記事に関するご意見が届きました。国際集会を運営する上で、今後のための問題提起になるかと思い、ご本人から転載の了解もいただきましたので、私の持論と共に以下に紹介します。
上記のブログは、早稲田大学で開催された研究集会の後、いろいろな方と懇談してから宿泊先に行ってすぐに、持ち歩いているノートパソコンで一気に書いてアップしたものです。タイムスタンプは「22時33分」となっています。会場でおおよそのメモはスマートフォンに入力していたので、写真を加工する時間を含めても1時間もかかっていません。
消化管を持たない私は1日6回以上食事を摂ります。軽い夜食をいただいた後、公開したブログの内容をノートパソコンのモニタに表示し、その日の会場の雰囲気や、私自身が英語を理解できないままに書いたことを、視点を変えて読み直したりしていました。和歌を翻訳することはもとより、この日のように英語だけで研究集会やディスカッションをする意味について、あらためて考えていたのです。
私はこれまでに、日本文学に関する国際集会を何度も企画し、海外で運営してきました。
インドで8回、イギリスとカナダで1回ずつと、科研がらみの海外での国際集会は10回以上は開催しています。オーストリア(ウィーン)では、日本の研究仲間5人でチームを組み、一部屋を使っての研究発表会をしました。いずれも、発表と質疑応答はすべて日本語に限定してきました。現地の方からの質問が日本語以外でなされた時には、参加者が自発的に通訳をしてくださったこともあります。また、私が主催する講演会でも、使用言語はすべて日本語で通しています。どうしても日本語だけでは伝わらない時には、スペインのマドリッド自治大学で敢行したように、「英文を表示しながら日本語で語り終えて」(2013年10月29日)という手法を使ったりしています。その記事の中で、日本語による発表や討議にこだわる理由を、次のように記しています。これが、私の基本的な姿勢です。
日本語による国際集会という視点を大切に守らないで、世界の共通言語だという誤った認識のもとに、英語による話だけで発言を構成しては、英語が苦手な方の多い日本文学研究者、というよりも日本古典文学の研究者が参加できません。そのような日本文学に関する専門家の意見やアドバイスを受けない国際研究集会は、討議のレベルが上がりませんし、その後の研究も発展しません。
海外における研究が実りあるものとするためにも、自分たちが話しやすい英語等のことばで自己満足しない方がいいと思っています。
日本文学の国際集会では日本語で話すことで、日本で研究している専門家の意見を有効に消化吸収する場面となります。英語がわかる者だけの集会では、そこに参加できない大多数のすばらしい研究者の意見をどのように反映させるべきか、あらためて考えたいものです。
日本文学関連の国際集会は日本語で、という私の持論は、こうした理由からです。今も大切にしている信念です。
さて、一人で部屋で蒸留酒を飲みながらいろいろと気ままに考えていた時でした。ちょうど夜中の1時半ころに、「ご無沙汰しています。ヨークの中村です。」というメールが届きました。イギリスでお世話になった中村久司先生からでした。先生は、毎日書く私のブログを毎日イギリスで読んでくださっています。そして、ご教示をいただくことも一再ではありません。
中村先生については、本ブログでは以下の記事で紹介しています。その一部を紹介します。
「読書雑記(214)中村久司『サフラジェット』」(2017年11月19日)
「読書雑記(177)中村久司歌集『流刑のソナタ 異端調』」(2016年08月22日)
「読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論」(2014年07月12日)
「苺ショートケーキの謎が判明しました」(2013年09月13日)
「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)
「英訳短歌の冊子あり?」(2009年10月04日)
「ケンブリッジでの国際研究集会」(2009年09月23日)
「国際研究集会・横断する日本文学」(2009年08月05日)
「英語の短歌を読む」(2008年11月13日)
「英国からの朗報」(2008年11月05日)
前置きが長くなりました。
中村先生からいただいたご意見は、非常に厳しい見解でした。
今日のブログを拝読し、私は部外者ですが想いをめぐらせていました。
和歌にせよ短歌にせよ、それらの翻訳について語れる人物が、日本で行う集会でなぜ日本語で話さないのでしょうか。日本語で語れない人間が、勅撰和歌集を外国語に訳せるとは考えられません。
また、日本で行う日本文学に関する集会の発表言語を英語で行わせる日本人の考えが理解できません。外国かぶれ、劣等感の反映でしょうか。
純粋に感性が創出する和歌・短歌の言語空間を、知性で語ろうとするとき、ポエムが消滅するのです。正岡子規は新古今を理解できなかったのです。
近年、アメリカ人が、「新古今和歌集」を英訳してオランダから出版しました。以前、オックスフォード大学のハリス先生をお呼びして古典短歌を一日一夜語り合った中で、「古今和歌集は絶対に翻訳できない」との合意に至りました! 今、オランダから出た翻訳本を読みたい気持ちと読んだら幻滅し怒りを覚えるだろうとの気持ちでいます。幸い、値段が高いので買う気になれなくて幸いなのですが!
私も自分が書いたブログを読み返してはモヤモヤしていた時でもあり、すぐに先生のメールに書かれている文章を、私のブログに引用させていただけないかを、非礼も省みずにお尋ねしました。すると、次の快諾の返信が来ました。
ブログにお使いいただければ、私といたしましてもうれしい限りです。
なお、和歌・短歌の翻訳が会議のテーマになったこと自体は、極めて大きな意味があると考えます。
短詩の中でも俳句は世界に広まっています。反面、短歌はなかなか理解されません。研究者によっては短歌は世界の文学の一つのジャンルになることはないだろうと言います。
短歌の真価が理解されないのは、日本人と外国人が行ってきた短歌の翻訳が好ましくなかったことが主因ですが、それ以前に短歌には翻訳できない要素が多く含まれています。
また、正岡子規を過大評価する風潮によって、日本でも海外でも、21代集までの古典短歌が軽視されがちです。
さらに、翻訳されれば海外でも高く評価されるであろう、姉小路基綱あたりの短歌が日本でさえ十分研究されていません。小川先生のご研究はありますが、どちらかというと歴史研究に重点を置いておられるように思います。
私が試みた短歌の英訳の中で、アメリカやイギリスの詩人や文学関係者が喜んでくれた短歌には以下のようなものがあります。
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを 小野小町
月のゆく山に心を送り入れて闇なる跡の身をいかにせん 西行法師
窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとど短きうたた寝の夢 式子内親王
しかし、自分では英訳できたと確信を持てても、詠歌の真価を伝える上で、短い解説を付けないと満足できない短歌が多いです。
英訳の限界を知っていたかどうかは定かではないのですが、短歌を英語圏に紹介して成功した日本人は、フジタ・ジュンという名前の広島県出身の明治男(1888年ー1963年)です。
彼は、アメリカへ移住し短歌を英語で書いています。しかし、詩心は日本の短歌です。日本で彼の生い立ちをかなり調査したのですが、詳細は分かりません。この男が、現在アメリカで短歌に関心を持っている人々の間では、あたかも「短歌文学の英語圏の開祖」的に扱われています。
こんな経緯もあって、私も自分で「短歌ごっこ」程度の歌作をするときは、英語で書くか日本語で書くか、どちらかにしています。
取り急ぎ失礼します。
中村先生のご許可をいただき、こうして多くの方に先生のお考えをお伝えすることにしました。
この件でのご意見は、本ブログのコメント欄を通してお寄せいただけると幸いです。
2019年11月15日
早稲田大学で開催された翻訳に関するシンポジウムに参加
北大路橋から北山を望むと、賀茂川縁の紅葉も少しずつ色が濃くなってきています。
神保町の出版社で打ち合わせをした後、地下鉄で早稲田大学に移動しました。今日は、「翻訳の力」と題する後援会とワークショップ、そしてディスカッションが、戸山キャンパスで開催されるのです。
主催者である陳野英則先生には、あらかじめ参加のご許可をいただき、他の参加者の方にも本日の集会に伺う旨のメールを送っていました。
私の科研に関して言えば、研究協力をお願いしているマイケル・ワトソン先生、緑川真知子先生、フィットレル・アーロン先生などなど、多くの方が参加なさいます。常田槙子さんには、『海外平安文学研究ジャーナル』の創刊号でフランス語訳『源氏物語』に関する原稿を寄せていただきました。
早稲田大学戸山キャンパスの中の一番高いタワーの3階が会場でした。
会場に入るとすぐに、今回のまとめ役である陳野先生が見つけてくださいました。参加が少し遅れると伝えてありました。しかし、時間内に行ったので、無理をして来たのではないかと気遣ってくださいました。いえいえ、神保町での会談が順調に終わったので、うまく開会に間に合ったのです。
受付には常田槙子さんがおられました。緑川真知子さんは総合司会です。皆さまとは久しぶりにお目にかかり、その活気に力をいただくこととなりました。
始まるやいなや、司会の緑川先生はすべて英語。開会の言葉を述べられた安藤文人先生も英語です。今日は、英語漬けの日となりそうです。
最初は、イギリス・シェフィールド大学のトーマス・マッコーリ先生が「翻訳の力」と題して講演なさいました。すべて英語での発表です。私は、ほとんど理解できません。しかし、海外ではよく直面することでもあり、スライドを映写しながらの説明だったので、わからないなりに、何となく仰っていることが伝わってきたのは、優しく語りかけてくださったからでしょうか。日本語とローマ字交じりの画面を、しかも、引かれている和歌を見ていたからでもあります。
用例の1つ1つはわかるものの、さてそれで結論は、となると英語力が求められ、そのあたりから私の理解は及びませんでした。マッコリー先生は、近々『六百番歌合』の英訳を刊行なさるそうです。
2人目は、大東文化大学のジャニーン・バイチマン先生でした。与謝野晶子の『佐保姫』を取り上げ、短歌を翻訳する楽しさを論じられました。これも、すべて英語でした。散らし書きの色紙を読み解いておられたので、それをどのように英語に訳されているのか、興味を持ちました。
前半の最後には、明治学院大学のマイケル・ワトソン先生が、お二人の講演をあらかじめ理解なさっていて、ビデオメッセージの形で参加なさいました。ただ今、病気療養中とのことで、病院で収録されたビデオが流れました。これも英語。しかし、これには日本語付きの資料が配布されていたので、私にもついていけました。
後半は、和歌を翻訳した例として、『金葉和歌集』と『新古今和歌集』の訳を比較しての討論でした。また、正岡子規と塚本邦雄の短歌の訳も比較して、討論がなされました。これも、すべて英語でなされました。
一つの歌を2人で訳したものが提示されたので、それぞれの翻訳における視点の違いが浮き彫りになります。これは、現在私が科研で取り組んでいる手法に多大なヒントがもらえるものでした。
学生たちが翻訳に対する意見を闘わせる場面に興味を覚えました。英語による討論なので、私にはわからないものの、おもしろそうな展開だったと思います。私の科研では、あくまでも日本語で通すことになっているので、この雰囲気を持ち帰りたいと思いました。
こうした形式のワークショップとディスカッションは、主催者が参加者をどう巻き込んでいくのかが勝負です。わからないながらも、意見の交流がなされ、議論が盛り上がっていたので、大成功だったようです。
和歌と短歌の違いは何なのか、という問題にもぶつかりました。今日の討論の中でどのように展開したのか不明なままながら、自分への問いとしていただいて帰ります。
さて、興味深い問題が提示されたことはわかりました。しかし、この場は英語だけで語られ、質疑応答もすべて英語でした。ここに、日本語しかわからない和歌の研究者が来て、このディスカッションに同時通訳が付いていてここで展開している内容が理解できたら、どのような議論がなされたのか、ということに意識が向かいました。おそらく、現在の研究状況を踏まえた、より具体的な議論が闘わされたことでしょう。その意味で、語り、論じて、応戦する姿が、大きく違って来たことでしょう。今後の国際的な研究集会における使用する言語について、大きな課題をいただいたように思います。
最後に、閉会の辞は陳野先生でした。英語がわからないことを前提にして、ローマ字の存在と音読の心地よさについて、音の響きを取り上げての挨拶でした。詩歌を例にしての音の大切さを、しかも日本語で語られたので、私としてはほっとしました。
わからないなりにも、国際的な視野での研究集会のありようについて、多くの示唆をいただきました。満ち足りた思いで皆さまにご挨拶をしました。
2019年11月08日
近江神宮で競技かるた世界大会の情報収集
近江神宮は紅葉にはまだ早いながら、境内は肌寒く感じました。
かるたの聖地といわれる大津に、海外から多くの選手が集まって来ています。
明後日11月10日(日)に、「第2回 おおつ光ルくん杯 競技かるた世界大会」が、近江神宮の中にある勧学館などで行なわれます。
昨年の優勝国はフランス、2位は日本、3位はタイでした。
今年は、次のチームが世界各国から参加しています。時事ドットコムニュースから引用します。
■参加地域・選手紹介 (10チーム)チーム名:PICA / 中国
メンバー:李政奕(リー・ヂォンイー)(F)、柳仲達(リィゥ・ヂョンダー)(M)
宋舒揚(ソン・シュヤン)(F)
<チーム紹介>
北京鵲橋かるた会(PICA)として2005年の設立以来、メンバーの自宅で練習会をするなど日々練習に励んでいます。「競技かるたを通し、本当の和歌を知り、日本文学に秘められた精神世界を味わいました。」という李さんは、競技かるたを通して、日本文化へも興味を示しています。チーム名:かるたフランス
メンバー:アマンディン・シャンバロン‐マヤール(F)カミーユ・パラ(F)、カンタン・マヤール(M)
<チーム紹介>
日本文化への関心が高いフランスでは、アニメ人気も高く、かるた競技者の多くが「ちはやふる」の影響を受けて始めたと言われています。ヨーロッパのかるた会では歴史のあるフランスかるた会。週末ごとに練習に励み、自主練習も怠らない、そんな日頃の成果が昨年の優勝に繋がりました。今年も連覇を目指して全力で大会に臨みます。チーム名:OKAKURA(小倉かるたクラブの略) /インドネシア
メンバー:アリ・ハイダル(M)、アムリル・マルフ(M)、ムハマド・イルシャド・プルマナ(M)、
ムハマド・エギ・ワルダナ(M)、ハーンス・アドベント・マーラリー・タンバー(M)
<チーム紹介>
チームの活動は2018年から約1年間と短いですが、15名を超える仲間と、常に上達できるようにと練習に励んでいます。大会出場にあたって、「私達の力がどのくらいのレベルなのか?世界がどれほど強いのか?はまだわかりません。この世界大会は自分自身への挑戦であり世界を知る素晴らしい機会と、興奮しています。ナンバーワンを目指して頑張ります!」と意気込みも充分です。チーム名:韓国かるた会
メンバー:キム・ミンギョン(F)、ソン・ヘリン(F)、ヨン・ジェユン(M)
<チーム紹介>
2011年に大学のかるた同好会から始まった韓国かるた会。学生、社会人を含む15名で練習会、試合を重ね頑張っています。中学時代に日本文化について調べたことがきっかけで競技かるたを始めたキムさん、百人一首に興味を持ち、大学の日文科に進学したというソンさんが中心となり、韓国内にかるたと日本文化の魅力を知らせたいと、活動しています。チーム名:クルンテープかるた会 /タイ
メンバー:ダーンターウォンジャローン・ミミー(F)、セーシャン・アッタウット(M)
チュンウィチット・サマーポン(M)
<チーム紹介>
昨年、予選リーグでフランスに勝利するも、上位4チームによる決勝トーナメントで日本に破れ、フランス、日本に次いで惜しくも3位。タイ国内では定期的に開催される大会に多くの人が参加。かるたを始めた頃には日本語が話せず、ひらがなも読めなかったというミミ―さんも今では強豪タイを代表する選手にまで成長。タイのかるたファンへ今年は笑顔で優勝の報告ができるでしょうか?チーム名:かるタイワン /チャイニーズタイペイ
メンバー:周欣妏(ヂョウ・シン・ウェン)(F)、郭家瑋(グゥォ・ジャウェイ)(F)
陳羿文(チェン・イーウェン)(F)、莊芷ホ(ヂュゥアン・ヂーユン)(F)
陳致豪(チェン・ジーハオ)(M)
<チーム紹介>
2つの大学のサークルのメンバーを中心に構成された新しいチーム。メンバー全員がかるた歴1年半〜2年程度ですが、「勝っても負けても楽しい」や「札が取れると嬉しい」と心からかるたを楽しんでいます。「初出場チームの一つとして、日頃の練習の成果が充分に出せるよう精一杯頑張ります!」の言葉からも、初々しさと清々しさが感じられるチームです。チーム名:ヨーロッパチーム(仮称)
メンバー:ソニア・アンゾルゲ(F)、シュテファニー・コツエヌ(F)、祝元藝(ヂュ・ユェンイー)(M)
<チーム紹介>
今大会出場のために、イギリスとドイツから参加表明された3名で結成された特別チーム。日頃は違った場所で練習に励む3名が、かるたを通してひとつになり、力を合わせて大会に挑みます。チーム名:海外在住日本人特別チーム(仮称)
メンバー:荒俣 赤日(F)、熊谷 玲美(F)、水山 理紗子(F)
*海外でかるたを学ぶ(始めた)日本人選手による特別チーム。チーム名:南山女子(愛知県かるた協会)/日本
*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 優勝チームチーム名:カミツキガメ(京都小倉かるた会)/日本
*9月1日に開催した「第2回おおつ光ルくんジュニアカップ競技かるた団体戦」3人団体戦A 準優勝チーム
今日は、この世界大会を控えた強化合宿に来ました。
次の写真の着物袴姿がストーンさんです。
そして、海外の窓口となっておられるストーン睦美さんと面談し、海外での『百人一首』のお話をうかがいました。フィットレル・アーロンさんと吉村仁志君が同席してくれました。
タイと中国でカルタ競技を育てた、とのことです。それ以外にも、イギリスやモンゴルでも活動しておられます。もちろん、お住まいのアメリカでも。
以下、2時間近くお話を伺ったので、とてつもない情報をいただいたことになります。その整理にしばらくかかるので、以下は箇条書きのメモで当座の報告とします。
・フィットレル先生の紹介で、ハンガリーからお越しのカーロイ・オルショヤさんと話す。
・ヨーロッパは行き来がしやすいので、かるたの練習や試合がしやすいことから強いようだ。
・1つの国で『百人一首』を広めようとしたら、現地に住んでないといけない。
・現地のコミュニティーといい関係を作らないと、かるた会はダメになる。
・インドは一人しかいないので、チームが組めない。
・バンコクや日本から読手を読んだりできるので、ミャンマー大会を計画することとなる。
・ミャンマー人選手を3人出すことを考えたらいい。
・日本語ができなくてもかるたは取れる。
・英訳『百人一首』を筑波大学の方がマクミランさんの訳を使って英語カルタを手掛けている。
・各国語訳の『百人一首』が広がりつつある。
・ただし、日本かるた協会としては、日本語を丸ごと残した競技を残していきたい。
・福井なぎさ会が手がけた競技かるたオンライン(無料)のアブリが良く出来ている。
・ストーンさんはその英語の説明文をチェック。
・ブラジルやインドネシアも『百人一首』が盛んになってきた。
・「ちはやふる」を観て始めたはずなのに、とにかく強い。
・現地でカルタを始めたら、その後へ引き継ぎが大事。
・バンコクは四季がないので、日本のことがわかりにくい。
・かつてはけんもほろろに断ったはずのロンドンには、今はかるたクラブがある。
・日本語教師の方にお願いして、会を盛り上げたい。
・タイでは100人以上がかるた会に集まる。
・海外の大会で初段を取った人が3人いる。日本人が現地の人を育てる。
・海外で『百人一首』は知られているが、それが競技になっていることは知らない。
・今年の4月に、ワシントンで、英語訳のカルタで競技をした。
・その際、江戸明治大正昭和のカルタをならべて展示したら好評だった。
・スゥェーデンから、留学したい、という問い合わせがある。
・競技を紹介するのは、チラシ取りより競技の決まり字を教えたほうが興味を持つ。
・大石天狗堂から「変体仮名版」のかるたが出ている。
ストーンさんのお話から、いろんな刺激をいただきました。
一部とはいえ、想像を遥かに超える国々で、競技カルタが広まっている実状がわかりました。
こうしたお話を、膨大な量の写真をパソコンで拝見しながら、海外での活動の様子を聞きました。競技の合間にもかかわらず、長時間のご教示をありがとうございました。
2019年10月25日
中国広州で開催予定の平安文学に関する国際シンポジウム
暫定版ながら、以下に開催の主旨説明文とプログラムを掲載します。後掲のプログラムは、画像をクリックすると大きく表示されます。
自費参加が可能な大学院生及び若手研究者で、こうした研究集会に興味と関心のある方と一緒に、行程を共にすることも検討しています。これは、私が運用している科研(A)「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)で、若手研究者の育成を掲げていることと関係するものです。このことについては、「海外へいあんぶんがく情報」(http://genjiito.org)の研究計画調書を参照願います。
参加希望者からのお話を聞きながら、同行の可能性を探る検討を進めて行くことになります。
この企画について、一緒に参加したいと思われる方は、本ブログのコメント欄を通して連絡をください。大学院生の場合は、指導教授のご許可が必須です。
中日比較文学国際シンポジウムおよび
2019年度広東外語外貿大学大学院生フォーラム
二十一世紀は思想と文化が多極的な構成を呈している時代であり、教育の国際化および文化間の交流を推進することで、国際的な理解を増進し、さらに世界を協和させ、多元化を認め、差異を尊重する精神を広めることで、人類の運命の共同体を構築するのは、われわれが直面している重要な時代的な課題であります。日中両国において比較文学および比較文化研究に従事する専門家および学者の間の交流を促進するとともに、大学院生の教育面における連携と交流を促進し、その学術的視野を広め、科学研究の能力を高め、国際連携を進めるために、教育部高等学校外語教学指導委員会日語専業指導分委員会、中国日語教学研究会および日本国立大学法人大阪大学との懇談の上、広東外語外貿大学は2019年12月20-22日に中日比較文学国際シンポジウムおよび2019年度広東外語外貿大学大学院生フォーラムを開催することになっております。テーマは言語文学、社会文化、多国および区域の研究、歴史、民俗、宗教、翻訳に亘り、華南地区の日本言語教育および日本学研究の学術的な場として、アカデミックのインタラクションを積極的に促進することを目標としています。日本教育、日本研究に従事する専門家、学者および若い研究者たちのご参会を、心より待ち望んでおります。
テーマ:新時代における日中比較文学、比較文化研究の新視野
時間:2019年12月20-22日
場所:広東外語外貿大学(北キャンパス)行政楼国際会議ホール
内容:シンポジウムの主題に沿い、記念講演およびパネル討論を行い、言語、文学、歴史、文化、翻訳などを主題とする分科会を開く。
※今回のシンポジウムは会務費を徴収しません。ただし、交通費、宿泊費、食費などは各自負担となっております。宿泊は各自で予約することとなっおります。
主催:広東外語外貿大学 国立大学法人 大阪大学
運営:広東外語外貿大学日本語言語文化学院、大阪大学 国際教育交流センター、中国日本語教学研究会華南分会
後援:教育部高等学校外语教学指導委員会日語专業指導分委員会、中国日語教学研究会、特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉
協賛:伊藤科研(A)[海外平安文学情報](課題番号:17H00912)
連絡先:〒510420
広東省広州市白雲大道北2号 広東外語外貿大学日本語言語文化学院大学院生フォーラム会務組
秘書処:広東外語外貿大学日本語言語文化学院
担当:張志剛、程亮、李志穎
電話番号:020-36207114
広東外語外貿大学日本語言語文化学院
2019年9月30日![]()
2019年09月13日
近江神宮で開催された日露かるた交流会に参加して
これは、外務省の青年交流事業の一つである短期招聘・派遣事業の中で「日露青年交流センター」が実施するものです。
このセンターは、東京の内幸町にあるので、明日『源氏物語』の講座で行く日比谷図書文化館のすぐ近くです。機会を得て、いろいろと文化交流の話を聞いて来ようと思っています。
今回この近江神宮に来たのは、科研の仕事で大阪大学の研究室に通って来ている吉村仁志君が、今回の研修の助っ人としてこの事業に応援参加するとのことなので、いい機会とばかりに海外の情報収集を目的に私も参加したのです。まさに、科研の調査活動の一環です。吉村情報によると、次のような経緯があったことがわかりました。
今回の企画は、ロシアのサンクトペテルブルグにある「かるた倶楽部」の方から、「全日本かるた協会」の広報部に依頼が来たものだそうです。それを「大津あきのた会」(https://akinotakai.net)の石沢直樹先生(競技かるた八段、元準名人、次の写真中央)が引き受けられたことによって、この交流会が実現したのです。
全日本かるた協会のホームページ(http://www.karuta.or.jp/kai/)に、海外のかるた会情報がまとめられています。ロシアのかるた倶楽部については、今回の依頼で初めて知ったとのことです。
参加人数は8人。ロシア科学アカデミーのナターリア先生は、日本プロジェクトの主任管理者で、50代の植物研究者です。30代のロシア科学アカデミー図書館で東洋文学研究員のヴァルヴァラ先生は、帰り際にお話をした中で、かつて私がサンクトペテルブルグで調査をした有栖川宮関連の文庫の現状をよくご存知であることがわかりました。さらには、2006年秋にかの地で大変お世話になったサンクトペテルブルグ大学のルィービン・ビィクトル先生が、2年前にお亡くなりになったとのことでした。近江神宮でそんな話が出来るのですから、世界は狭いものです。
それ以外の参加者は、14歳から21歳までの女性たちです。全員サンクトペテルブルグに住んでおられる方々のようです。大学生の専攻は文化学、東洋学などです。東洋学専攻の一人は、日本文化・文学・マンガに興味があるのこと。『源氏物語』については、歴史の授業で話を聞いたことがあるそうです。
ウクライナ語訳『源氏物語』については、どなたもご存知ではありませんでした。
通訳で同行なさっていた岩城美里さんは、大阪大学外国語学部の北岡千夏先生とお知り合いのようなので、今後のつながりがもてました。さらに驚いたことに、そんな話をしていたら、吉村君が北岡先生には授業でロシア語を教わったと言うのでビックリ。人とのつながりは、グルグルと回っているようです。人と人との縁はおもしろいものです。
さて、かるた会にもどります。
初心者の組には、上の句を薄く印刷された札が使われていました。また、ホワイトボードには、決まり字がわかるように、札の整理がなされていました。心優しい配慮です。
映画『ちはやふる』で有名になった会場は、今日はこのように使われていました。
第1試合が終わると、石沢先生が懇切丁寧にみなさんにアドバイスをしておられます。そして第2試合へと移ります。
和気あいあいと、楽しいかるた会が進行していました。
勝負が終わると、それぞれの結果を小さな用紙に記入します。
白熱した対戦の一コマや、集合写真を、記録として以下に掲載します。
ロシアからのみなさんは、次に大急ぎで三井寺に行かれました。
来年5月にオリンピックの関連事業として開催される世界大会で、またお会いしましょう。
2019年08月04日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その17/第11・最終週)
ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、3月18日のメモを復元しました。
なお、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。
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■2002.3.18■
朝食の時、今晩は外でおいしいものを食べよう、ということになった。B2さんという、食事を専門に作ってくださる人がいる。しかし、日本の感覚で食事を判断するほどに、ここは今自分がインドにいる、ということを忘れさせてくれる環境である。明日はインドを離れる、という日本を意識し出したからでもある。
10時過ぎに、N2君と3人で、まずはコンノートプレイスへ出発。彼の本を航空便で送る。梱包をいつもの店に頼んで、パリカバザールへビデオCD−ROMを買いに行く。私は、「クチュクチュホーターハエ」等を買う。I1先生も一枚買われた。
ジャンパト通りを散策して、政府の物産館へ行く。
また歩いてコンノートプレイスへ戻り、パッキングを受け取って郵便局へ。5個で一万八千円くらいかかったようである。
その近くの「ホテル アルカ」でインド料理を食べる。ここは、N2君がはじめてインドに来たときの思い出のホテルである。また、ここにはバジパイ首相も来るとか。極上のインド料理であった。先生もN2君も、たらふく食べた、という体である。私は、半分も食べられなかったけれども、非常においしい料理であった。3人で700ルピーほど。
オートリクシャーで、ニザムディーンへ行く。ここは、イスラムのお寺である。ここも、一人ではとても行けそうにないところであった。
一旦お寺に帰る。日差しが強くなったせいもあり、また、満腹で動いたせいもあり、とにかく体が疲れていた。1時間ほど休憩して、先生と2人でグレーター・カイラーシュNブロックへ行くことにする。その前に、明日のタイ航空の予約確認(リコンファーム)を忘れていたことに気づき、G4さんに電話をお願いする。そして、I1先生もまだのようなので、後で確認することにした。
5時過ぎに、N2君と一緒に私の名前をヒンディーで刻んだゴム印を受け取りに行く。みんな満腹のようなので、日本食でお腹を休めた方がいいのではということになる。Nの「みやこ」で巻きずしがいいのでは、ということになった。
Nブロックへ出発。調子よくでかけたが、オートリクシャーの運転手さんにNを確認し、車中でノーズのNであることを話したにもかかわらず、Mでおろそうとする。Nだと言い張り、突然不機嫌になった運転ブリを無視し、Nに着けてもらう。20ルピーを渡すと、遠回りしたからとかなんとか言うが、とにかく20ルピーをわたして無視した。
すぐに骨董屋さんに行き、バブルシートをくれといったが、もうないとのこと。しばらく粘ったが、あきらめる。みやこへ行くと、6時半からだというので、この前のアメリカンタイプの喫茶店でドリンクを飲んで待つことにする。インドについて、先生に見ていただいたところの説明をした。
7時前にみやこへ行く。巻きずしとごま和えと水を頼む。寿司は、ノンベジとベジの2種類にする。国文学研究資料館の話などを1時間ほどする。
帰りのオートリクシャーは、ちょうど来たのを捕まえたので、楽に帰ることが出来た。
先生を見送るまで、自分の荷物の整理をする。ゴム印の説明もした。荷物は、スーツケースが意外と重くなった。対策を考えよう。
国際交流基金のS2さんがちょうど8時に来られた。少し話をして、先生を見送る。それからみんなでジュース屋さんへ行く。ジュース屋さんの前にいつもいる牛の謎が、今日やって解けた。これまで、なぜほしそうな顔でいつもいるのか不思議だったが、閉店間際にお店のひとが、果物の絞りかすを牛に与えていたのだ。それを楽しみにして、毎日牛さんはここと契約しているかのようにやってきては、食べ物をもらっていたのである。最後の夜になって、いい場面を見ることが出来た。
荷造りに手間取る。なかなかスッキリと収まらない。N8先生からいただいたウイスキーをのみながら、記録のまとめをする。
2019年07月16日
HP「バリアフリーかるたフォーラム」のこと
このホームページの冒頭には、次のような頼もしい、力強いことばが記されています。
2020東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントととして、一般社団法人全日本かるた協会では、2015年にバリアフリーかるたに関する企画部を設置しました。
植山さんも同じ企画部に所属とのことです。この企画、「小倉百人一首フェスティバル2020 in Tokyo」のますますの展開を楽しみにし、私もこの東京オリンピック・パラリンピックピック協賛イベントに積極的に協力していくつもりです。これまで通りの広報活動に加えて、残された1年でできることには何でもお手伝いしていきます。遠慮なくおっしゃってください。私にもできることは多いと思いますので。また、この企画に協力してくださる方がいらっしゃいましたら、このブログのコメント欄を通して手を上げていただけると助かります。
この企画に関するTwitterのアドレスも伺っています。
https://twitter.com/tenji_carta
ただし、私はTwitterやFacebookは意識的に遠ざけているので、これに関してはよくわかりません。
なお、全日本かるた協会が発行している機関誌『かるた展望』の第69号(令和元年7月2日発行)には、植山さんが「バリアフリーかるたの魅力に迫る!」と題する記事を執筆しておられます。掲載されている写真の片隅には、私もちゃっかり写っています。本ブログ「鷺水庵より」のアドレスの紹介もあります。ぜひご一読を。
2019年07月14日
朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(須磨巻)』の紹介
朴先生については、「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010年07月05日)で詳しく書きました。
これまでに刊行されているものの紹介記事は、次の通りです。
(1)「朴光華著『源氏物語─韓国語訳注─(桐壺巻)』」(2015年09月06日)
(2)「朴光華訳の第2弾『源氏物語−韓国語訳注−(夕顔巻)』刊行」(2016年08月26日)
(3)「朴光華編著『源氏物語−韓国語訳注−(若紫巻)』の紹介」(2018年09月06日)
この韓国語訳注は、19年という長い歳月をかけて、さらに巻を次いで刊行されることになっています。次は、来年5月に「須磨」巻が刊行される予定です。
韓国語がわからない私には、このようにして紹介することでしかお手伝いができません。『源氏物語』の韓国語訳に関しては、原文を確認してハングルで翻訳されたものが一つもないのが実状です。日本の文化を韓国語訳で広く正確に理解していただくためにも、一日も早い完結を待ち望んでいるところです。
本書の書誌情報を、いただいたお手紙から転記します。
1) 著者;朴光華(Park KwangHwa)
2) 初版発行日;2019年6月1日
3) 出版社;図書出版DNP
〒31166韓国忠南天安巿西北区双龍4GIL 8、1F
電話;041-572-7887
Email;tdxl000@naver.com
4) 総頁;510頁
5) 定価;W 60,000
6)ISBN;979-11-964307-1-9 (03830)
7) 本書の構成;写真4枚
序、凡例、須磨巻の概要、登場人物系図、参考文献など;1〜26頁
若紫巻(日本語本文、韓国語訳、韓国語注);27〜493頁
論考「なぜ須磨なのか」(今西祐一郎)494〜503頁
後記(日本語);504〜502頁
図録1~5 ; 506〜510頁
さらに、本書の性格と朴光華先生のお人柄がわかる「後記」を、参考までに引用します。文中に「韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。」とあるように、この翻訳に朴光華先生が真摯に取り組んでおられることが伝わってくる、一大事業の公開です。
後記
『源氏物語−韓国語訳注−』(須磨巻)は、「文華」(第十一号。2012年1月1日)雑誌に発表されたものである。当時は『源氏物語韓釈一須磨一』(日本文学研究会)という題でこの世に出た。それから約七年後、今日、ようやくしてこれに相当な注釈を施して発刊することになった。当時の須磨巻をいまになって見ると、情けなく間違った個所も多く目立つ。その後「文華」は十二号(2013年1月1日)まで続刊された。
既刊の桐壺巻・夕顔巻、若紫巻と同じように、須磨巻においても助動詞「む・べし」、丁寧語「はべり」、「にて」などで苦労した。『源氏物語−韓国語訳注−』を企画した最初は、韓国語訳の充実、登場人物の紹介・モノガタリの意味、注釈書の紹介等々を試みたが、いつのまに文法・語法のほうへ傾いてしまって、いまは完全に『源氏物語』についての「韓国語語法書」に転落してしまった。情けないが、しかたない。韓国の読者や研究者らにもっと分かりやすく説明するために、ついにこのような形になったのである。
私の古典文法にっいての知識は、たかが高校の受験生の程度の実力であろう。このみすぼらしい実力で、いままで『源氏物語』に注をつけてきた。後世になって再読すると、きっと誤りはあるだろう。では、須磨巻の本文につぎのような文がある。
@「…まばゆきまでしつらひ、かしづきけり。」
後半部・明石の入道がむすめを大切に育てる場面である。「かしづきけり」は「かしづき(四段連用形)+けり(過去助動詞終止形)」である。が、『大系』は本文を「…かしづけり。」としながら、「「けり」は継続過去の現在状態である。」のように注をつけている。「かしづけ(四段命令形又は巳然形)+り(完了助動詞終止形)」にしてほしいところであるが…。念のため『大系』の底本をみだ(ママ)が、やはり「…かしづけり」であるから、おそらく他本文との校異からきた勘違いであろう。
もう一つ巻頭のところ、『全集』の本文では6行目にっぎのような文がある。
A「人しげく、ひたたけたらむ住まひは、…」
「ひたたけたらむ」を「ひたたけ(力行下二連用形)+たら(完了助動詞たり未然形)+む(推量助動詞連体形で婉曲(〜ような)の意味)」と処理した。が、『評釈』は「「らむ」は婉曲」のように注をつけている。私のほうが正しいと思うが…。
『源氏物語−韓国語訳注−』は前期、後期に分けて発刊する予定で、所要期間は当初は十四年であったが、大幅に変更された。まず前期30巻は2015年8月〜2033年(19年)となっている。前期の第1期発刊は、桐壺巻(既刊)、夕顔巻(既刊)、若紫巻(既刊)、須磨巻、明石巻、総角巻・浮舟巻などが順次的で発刊される予定である。そして、各巻ごとに諸先生方の論考が掲載されることになっている。桐壺巻(「桐壺院の購罪」伊井春樹先生)、夕顔巻(「夕顔の宿」糸井通浩先生)、若紫巻(「(不掲載。延期)」中野幸一先生)、須磨巻(「なぜ「須磨」なのか」今西裕一郎先生先生(ママ))。
次は明石巻であるが、予定されていた小町谷照彦先生が2014年10月31日に突然お亡くなりましたので、どうしようかなと考えている。先生についての思い出をすこし述べようかとも思っている。ちなみに『源氏物語−韓国語訳注−』の訳注の原則、方法、内容、発刊計画などについては、日本言語文化研究21号(2017年1月30日)で「『源氏物語−韓国語訳注−』について」という題で発表したことがある。ご参照まで。
目下『源氏物語−韓国語訳注−』は後世に残すために執筆している。この須磨巻はSにさしあげる。
2019年6月1日 朴光華
2019年07月06日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その16/第11・最終週)
ここでは、インドの滞在最終週となる「第11週 03/17〜03/20」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、3月17日のメモを復元しました。
この前日、3月16日に実施した『百人一首』のカルタ取り大会については、別にあらためて詳しく掲載します。
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■2002.3.17■
朝6時アグラへ出発。タクシーはキッチリと来ていた。今日はいい仕事の日であるから、忘れるはずはないか。
I1先生とN2君と共に出発。暗い内の出発だった。1時間もしない内に明るくなり始めた。この前と同じく、ただひたすら真っ直ぐの道を飛ばす。今日の運転手は、いつも送ってくれているスピード狂の人である。朝が早いせいか、今日は飛ばし屋ぶりはまだ発揮していない。
過日食事をした所で熊(?)を連れた人に会った。見せ物にしているようである。
ラクダが大量の荷物を運んでいた。
2回目のタージマハル訪問。
マツゥーラでは、聖なる川にボートで漕ぎ出す。
猿も見かけた。
切り絵をたくさん買った。
このおじさんが作る、素焼きの小壺で飲むチャイは、格別においしかった。
きれいな夕陽を見ながらの帰り道。インドの夕陽は、旧満州に負けず劣らずだ。
夜はいつものように、お寺の前のマーケットで、おじさんのジュースをいただく。もう、行きつけのお店となっている。
2019年06月27日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その15/第10週)
ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、3月12日のメモを復元しました。
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■2002.3.12■
しばらくホームページの更新をしていない。明日で、大学院の一年生の授業は最後である。みんなに書いてもらった作文を今日中にインターネットに公開しないと、みんなに見てもらう機会がなくなる。がんばって、一日中ホームページ作りに専念する。今回は、ノートパソコンと小型プリンタを持参した。停電が多い中でも、何とか動いているので助かっている。
E1さんは、先週末に電子メールで作文を送ってくれていたので、その整理から始めた。なかなかいいできである。少し手を入れて、完成。レイアウトも、うまくいっている。その他の女性の作文を、順番に入力していく。いろいろな書き方をされていて、手をいれるのに手間取る。すこしでも日本語らしい表現にして公開してあげるために、大幅に手を加えるものもあった。
文章を読みながら、相当想像力を逞しくしないと趣旨が理解できないものがある。易しい表現にする中で、いろいろなパターンの作文に仕上げた。このできあがりと、自分が書いた原稿を見比べれば、作文の書き方がよくわかるのではないだろうか。可能な限り学生の文体を生かすようにしたので、どうしてもこなれていない表現が残っている。しかし、これも一つの味として見てもらうこととしよう。
男性2人の作文は、以前K3で直しながら入力してくれていたものがあったので、それを使うことにした。
自分の日記も、整理する。
ホームページなどで使用するために、必要な写真を急遽撮影する。
例えば、今回持参した食料はこんなものがある。
深夜、ホームページをアップデートする。
2019年06月11日
(書影追補)過日お亡くなりになった田辺聖子さんに関するメモ
『源氏物語』の翻訳に関連して、田辺さんの情報は集めていました。その一部を、忘れない内にここに残しておきます。
本日6月11日(火)の京都新聞に、宮本輝氏、山折哲雄氏、中西進氏、藤山直美氏と共に、伊井春樹先生のコメントも掲載されていました。「関西の風土に根差す」との小見出しで、『源氏物語』に関しては以下のように語り出しておられます。
国文学者の伊井春樹さんの話
源氏物語の現代語訳は、原文に忠実に古典の雰囲気を再現した谷崎潤一郎訳と、解釈を入れ意訳した与謝野晶子訳の系譜がある。田辺聖子さんは後者の流れを受け継いでいて、現代人により受け入れられるように、面白く解釈している。(下略)
伊井春樹先生は昨年まで逸翁美術館の館長をなさっていました。その関係から、宝塚歌劇のことにも触れておきます。田辺聖子の『新源氏物語』が舞台化されていたからです。ただし、この分野は専門家が多いので、ここにはほんの一端だけをあげます。
タカラヅカ101年 26年ぶり、花組公演「新源氏物語」 光源氏の愛と苦悩
宝塚歌劇団花組が、「新源氏物語」(柴田侑宏脚本、大野拓史演出)を宝塚大劇場で上演している。紫式部の傑作を現代語訳した「新源氏物語」(田辺聖子作)をベースに劇化した作品で、同名作品を宝塚歌劇団で上演するのは26年ぶり3回目。きらびやかな平安の世の宮廷を舞台に、花組トップスター明日海りおが光源氏を演じ、当代きっての美男子の愛と苦悩を表現している。11月9日まで。【文・釣田祐喜、小寺裕子、写真・山田哲也】
(中略)
新源氏物語は1981年、月組が初めて公演した。実力・人気も全盛期を迎えていた当時のトップスター、榛名由梨が光源氏を、上原まりが藤壺の女御を演じた。次いで89年の月組による再演では、剣幸が光源氏、こだま愛が藤壺の女御を演じた。3度目の今回は、8月の台湾公演で「ベルサイユのばら」とレビュー「宝塚幻想曲」の2本立てを成功に導いた明日海と、花乃のコンビ。端正な顔立ちの明日海からは、女性をひきつける甘い雰囲気がにじみ出ているようだ。花乃は、道ならぬ恋に落ちる罪悪感にさいなまれながら、光源氏を受け入れる藤壺の女御を、限られた登場シーンの中で懸命に演じている。(2016年1月6日 毎日新聞)
なお、私が生まれた頃のことながら、1952年には春日野八千代が「源氏物語」(白井鉄造構成・演出)の光源氏を演じていました。
田辺聖子の著作は、目で文字を読むことが困難な方々のために、点字や音声で楽しめるように、「サピエ」(視覚障害者情報提供ネットワークシステム整備事業)からデータが提供されています。利用者は、次の作品がダウンロードできます。これ以外にも、いろいろと公開されていると思います。私が今摑んでいる情報の一部として、以下に引用します。
(複数の製作館がある場合は最も古いものを掲載しています)
サピエ図書館(点字図書や録音図書)
(1)【点字】
新源氏物語 上(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年
新源氏物語 中(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年
新源氏物語 下(新潮文庫)/田辺 聖子著/1984年
絵草紙源氏物語(角川文庫)/田辺 聖子文 岡田 嘉夫絵/1984年
私本・源氏物語/田辺 聖子著/1985年
源氏・拾花春秋 源氏物語をいける(文春文庫)/田辺 聖子, 桑原 仙渓著/2002年
小説一途 ふたりの「源氏物語」(the寂聴)/田辺 聖子, 瀬戸内 寂聴著/2010年
(2)【音声デイジー】
『源氏物語』の男たち ミスタ−・ゲンジの生活と意見/田辺 聖子著/音声デイジー/7時間12分/1990年
霧ふかき宇治の恋 上巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/12時間31分/1993年
霧ふかき宇治の恋 下巻 新源氏物語(新潮文庫)/田辺 聖子著/音声デイジー/13時間17分/1993年
さらには、2008年に笠間書院より刊行する予定で編集を進めていた『源氏物語【翻訳】事典』では、田辺聖子訳『源氏物語』の翻訳本として、次の情報を整理していました。しかし、その後、相次いで『源氏物語』の翻訳本が刊行されたこともあり、収録する翻訳本の切れ目の判断が出来ないままに今に至っています。出版社および情報を提供していただいたみなさまには、申し訳ないことです。先日も、36番目となるウクライナ語訳『源氏物語』の情報が届いたこともあり、もうしばらくこの『源氏物語【翻訳】事典』は先延ばしになることを、ご了承いただければと思っています。
中国語訳『源氏物語』の情報(2009.02.02版)
『新源氏物語』
紫式部原著・田辺聖子現代語訳/彭飛 等訳[1958−]
上海(シャンハイ)[中国]:上海訳文出版社
和泉書院(大阪)と東方書店(東京)からも販売
上巻-430p.下巻-866p.
21cm./簡体字
『源氏物語』翻訳委員会(代表者:彭飛)による中国語訳。初版。底本は、田辺聖子の現代語訳『新源氏物語』(新潮社)である。表紙は、二冊とも福岡市美術館蔵『源氏物語屏風絵・若紫』である。装丁は、ペーパーバックとハードカバーがある。
序文はなし。上巻は、「空蝉」〜「少女」まで。巻首の挿絵は徳川美術館蔵『国宝源氏物語絵巻』の「蓬生」、大阪府立大学学術情報センター蔵『絵入源氏物語』、『十帖源氏』、『源氏絵鏡』、『源氏鬢鏡』など。下巻は、「玉鬘」〜「常夏」、「野分」〜「幻」までを収録。巻首に陽明文庫蔵『源氏物語』(藤原定家)影印「宿木」掲載。
あとがきは翻訳者による。主な内容は、
1.「世界最古の長篇小説『源氏物語』、誕生して千年を迎える」、
2.「日本の著名な作家、田辺聖子と『新源氏物語』」、
3.「翻訳委員会初の大作」。
彭飛はさらに詳しく「翻訳委員会」の各担当者の名前と担当原書の頁数を明記している。林少華(原著上巻1〜100頁)、曹亜輝(上巻101〜200頁)、王華(上巻201〜325頁)、張龍妹と呉志虹(上巻326頁〜中巻243頁)、楊蕾(中巻244〜313頁及び下巻86〜95頁)、花文勰(中巻314〜387頁)、徐麗明(中巻388〜458頁)、任川海(中巻459〜下巻41頁及び下巻96〜115頁)、彭飛(下巻42〜85頁)、杜鳳剛(下巻116〜352頁)、玉琢(下巻353〜448頁)である。和歌及び巻名の部分はすべて杜鳳剛訳。
「訳者紹介」があり、以下の通り列挙。王華(中国海洋大学外国語学院日本語系準教授)。王琢(暨南大学外国語学院日本語系教授)。任川海(上海外国語大学日本文化経済学院準教授)。杜鳳剛(大連理工大学教授)。楊蕾(日本京都外国語大学博士後期課程研修生)。花文勰(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。呉志虹(集美大学外国語学院講師)。張龍妹(北京外国語大学日本学研究中心教授)。林少華(中国海洋大学外国語学院日本語系教授)。徐麗明(日本京都外国語大学博士前期課程研究生)。曹亜輝(天津工業大学外国語学院準教授)。彭飛(日本京都外国語大学教授)。
「顧問紹介」として増田繁夫(日本大阪市立大学名誉教授)の名前を挙げる。
上海訳文出版社は、1978年成立。外国文学、文化などの総合的な翻訳出版社である。
2019年06月04日
36番目の言語となるウクライナ語訳『源氏物語』
これは、『源氏物語』の翻訳では36番目の言語となるものです。
〈源氏千年紀〉の2008年に、「世界中で読まれている『源氏物語』」(2008年02月15日)という記事を書きました。その中で、未確認の本として、ウクライナ語訳『源氏物語』のことに言及しています。それから11年間の経緯は、これから調べます。
それにしても、11年前までは、『源氏物語』の翻訳は18種類の言語であった、ということに我ながら驚いています。今回のウクライナ語訳『源氏物語』は、その倍の36種類目の言語による翻訳本なのですから。
まず、出版社のサイトに公開されている表紙の写真をあげます。
この本は、国際交流基金ライブラリー(913.36 D99)に所蔵されています。そのことを淺川さんが確認できたため、ここに36番目の言語で翻訳された本として、その情報の一端を紹介します。電子書籍もあります。
・タイトル:Повість про Ґендзі
・アルファベット表記:Povist' pro Gendzi
・シリーズ名:Бібліотека світової літератури
・翻訳者/機関: Ivan Dzi︠u︡ba(Ivan Dziub/イワン・ジューブ)
Institut literatury im. T.G. Shevchenko
(前身をタラス・シェフチェンコ科学研究所とする、ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所 )
・巻号:1
・翻訳範囲:桐壺〜朝顔
・出版社:Фоліо(Forio)
(URL)https://folio.com.ua/books/Povist-pro-g%27endzi--Kniga-1
・出版年:2018年
・表紙:菊川英山『青樓美人遊 海老屋内あひつる』
・メモ:表紙の裏の絵は、楊州周信の『千代田大奥花見絵』、扉の絵は鈴木春信『女三宮と猫』。見返しに月岡芳年の『古今姫鑑 紫式部』。
国際交流基金の支援で出版。
(URL)https://www.jpf.go.jp/e/project/culture/publication/supportlist_publish/support_p_30.html
■翻訳者に関する情報:「コトバンク」より
1931年生まれ。物理学者;翻訳家;日本文学研究家; 肩書: ウクライナ科学アカデミー理論物理学研究所上級研究員
(URL)https://kotobank.jp/word/イワン%20ジューブ-1682263
これにより、これまでに翻訳された『源氏物語』は、次の36種類の言語となります。
【『源氏物語』が翻訳されている36種類の言語一覧】
(2019年06月04日 現在)
アッサム語(インド)・アラビア語・イタリア語・ウクライナ語・ウルドゥー語(インド)・英語・エスペラント・オランダ語・オディアー語(インド)・クロアチア語・スウェーデン語・スペイン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・チェコ語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・(現代)日本語・ハンガリー語・ハングル・パンジャービー語(インド)・ビルマ語・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・フランス語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語・ロシア語
本年1月にルーマニア語訳『源氏物語』の存在を知り、3月に翻訳者であるホンドル先生の元へ飛んでいきました。
「日比谷で橋本本「若紫」を読む(その8、ルーマニア語訳『源氏物語』の第一報)」(2019年01月26日)
「ルーマニア語訳『源氏物語』に関しての翻訳者とのやりとり」(2019年01月28日)
「ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話」(2019年03月08日)
ウクライナ語訳『源氏物語』については、情報を集める中で、可能であれば翻訳者から直接お話を伺えないかと思っています。この本と翻訳者に関して情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、連絡をお待ちしています。
2019年05月10日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その14/第10週)
ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、3月11日のメモを復元しました。
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■2002.3.11■
今朝も頭が重い。熱もなければ咳も出ない。ただ、頭がだるいのである。食後すぐに寝る。お昼前に起きて、G3さんの『チベット語・日本語・英会話』の本の校正をする。細かなミスが多い。日本語をローマ字で表記するのは限界がある。改訂版では、ぜひひらがなと簡単な漢字を使った文を添えるべきである。
帰国の準備に入る。日本に送ってしまう本を選ぶ。といっても、持ってきた本のほとんどだが。船便だと、3ヶ月ほどかかるそうである。一包み5キログラムで300円程度だというので、気楽に送れる。20冊ほどを、送ることにした。これでスーツケースが相当軽くなる。
オートリクシャーで、N8先生とN2君の3人でコンノートプレイスへ。まずは荷造り屋さんに荷物を頼み、ジャンパト通りへ食事に行く。目的の店は、少し迷ったがすぐに見つかった。入口は狭く、中は暗い。しかし、広い食堂になっている。
私は、チキン・ビリヤニとラッシーを注文した。2人はマトン・ビリヤニであった。ビリヤニは、煮込んだ混ぜご飯の焼きめしだそうだ。ところが、食べてびっくり。インドに来て一番辛い料理である。ただし、大きなチキンはおいしかったので、ご飯にはほとんど手を付けず、チキンだけとラッシーを飲んだ。インドに詳しい2人とも、これは辛すぎるし、ご飯がベトベトしすぎだと言っていた。上人に紹介された店であったけれども、これはハズレであった。
次に、ジャンパト通りにある政府系の地図の会社である「サーベイ・オブ・インディア」へ行く。狭い階段を上ると、だだっ広いところに男の人が3人、ふんぞり返っている。2人が地図のことを聞くと、面倒くさそうに対応する。3人とも横柄である。そして、不親切である。奥の地図置き場の部屋を覗くと、ここには5人の男が暇そうにしていて、中を見ていると外で待っていろと言う。これらが、インドではかの有名な、仕事をしない大勢の国家公務員の人たちであった。一つの仕事を、5人以上で分担してするのである。無駄の極地と思える。しかし、10億人もの人々が住む国では、仕事を分け与えるのも大変なのだろう。
2人がベンガルやアイヨディアの地図を買うことになったら、受付の男が左後ろの男の所でお金を払えと言う。その男が、またゆっくりと領収書を書く。お釣りも、なかなか出ない。もらった地図を留める輪ゴムを要求すると、これはインドにしては珍しくスッと渡してくれた。しかし、これが地図を巻こうとするとすぐに切れてしまう。別のものはないかと言うと、おもむろに机の下から新聞紙を切ったものを出し、それで包み始めた。包装できるように新聞紙を適当に切ったものを用意してあるのなら、最初から包んでくれればいいのに。本当にやる気のないインドの公務員の姿を見た。ここは、日本で言えば、国土地理院にあたるところだそうだ。インドの公務員は、本当に大変な存在である。
ジャンパト通りの土産物屋さんの中に、私が探しているタンカを置いている店が何軒かあった。その中に、まともなものを置いているところが見つかったので、少し丁寧に見た。六道の図はなかった。しかし、いいものは何枚かはあった。もっといいものを、と言うと、下から出してくる。それは、20,000ルピー以上もした。装丁をしていない絵だけでも、いいものは18,000ルピーもする。そして、それらも細部の描写はそんなに丁寧には仕上げていない。結局、ここでは買わずに帰る。
梱包屋のおじさんにお金を払う。一つ50ルピーで二つ分。郵便局へ荷物を持って行く。あらかじめN2君が持っていっていた。なかなか順番が回ってきそうもない。窓口は4つあるのだが、係員は一人しか対応していない。カウンターには、十人以上が身を乗り出して横に広がっている。それでも、一人しか仕事をせず、他の人はみんなしゃべっているか出たり入ったりしていた。これではいつになるのかわからない。郵便局に近くて梱包をしてもらうところはここしかないので、ここに持ってきたのである。
しかし、こんな調子では、お寺の近くのラージパットナガルの郵便局に、ここで梱包したものを持ち込んだ方がかえって早いだろう、ということになり、その郵便局を出ようとした。ところが、その時に郵便局の男の人が帰ろうとする我々を呼び止めて、どうしたのかと聞くのである。N2君がいつまで待っても埒があかないので別の郵便局に持っていくことにしたと説明すると、それではお前たちの荷物を受け付けてやろう、というのである。そして、暇そうにしていた4人の郵便切手を売る窓口にいた女性の一人に、これを処理するように言うと、その女性はニコニコしながら別のカウンターのところに持って行けといって、そこへ自分も移動した。ラッキーと思ったが、これでいいのか、とも思った。先程の列には、たくさんの人が順番を待っているのである。私たちは助かったとはいえ、不平等極まりないことである。公務員の気分によって仕事をするのは、かえって公務員不信に陥る。
さらにおもしろいことに、昨日、N2君がカセットテープなどを送ろうとしたところ、パスポートがないとダメだと言って突き返した女性が、今、好意で私の本の発送を特別待遇でやってくれているのである。昨日はパスポートを持っていなかったN2君は、昨日はパスポートのいらない本だけを送り、今日はパスポートを持ってきてカセットを送ろうとしたところ、今日の係員はパスポートを見もしなかったという。郵便局員は、本当に気まぐれに仕事をしているとしか思えない。それも、同じ人間が、ある時は厳密に、あるときは本当に適当に処理をする。それも、今日は待っている人の順番を無視して、ニコニコしながらいいことをしているように仕事をするのである。
我々が手続きを進めていたときに、正規の列に並んでいた一人の人が、自分のものも特別にやってくれ、と言っていたが、それは冷たく断られていた。インドに来る前に聞かされていたことではある。この国の公務員の仕事ぶりは、本当にわからない。
パリカ・バザールでビデオCDを買う。先日行ったところではなくて、その上の階には、たくさんのDVDやビデオCDのお店が並んでいる。私は、ネルー大学のK先生が言っていた映画の名前を言ってみた。これは、N2君も正しくは何というのがわからない、と言っていたものである。ところが、驚いたことに私がメモ通りに「ハム アッケ ヘ コン」と言うと、すぐに「あるよ」と言うのである。初めて使った、ダメだろうと言われて使ったヒンディー語が、一発で通じたのである。感激の一瞬であった。その他、有名ないくつかの映画を買った。「ラブイン東京」は、3人が一枚ずつ買った。日本では手に入らないものをいろいろと物色するのは、楽しい買い物である。
最後は、チベットのハンディクラフトのお店へ行く。今回のオートリクシャーの運転手は、昔はオートバイのレーサーかと思えるほどのコーナーワークで疾走する。年輩だが、なかなかのハンサムである。華麗なアウト・イン・アウトをこなす中で、スピードを緩めることなく道を走り抜ける。燃費のいい走りっぷりであった。
先日は閉店後に行ったが、今日は間に合った。小綺麗なお店で、好感が持てる。品揃えもいい。タンカもいろいろとあった。見せてもらった中の一枚が気に入った。何よりも、値段が安かったのである。みんなで、チベット亡命政権を支援するためにも、と言って、いろいろと購入した。ブッダの金属製の像があった。しかし、3種類の手の意味するものがわからない。店の人に、G3さんのところへ電話をしてもらった。14日に帰ってくるとのこと。N2君は、私とG3さんの関係を説明していた。
いろいろとみんなで買っている内に、亡命政権を助けるためにここで買い物をするということは、ダライ・ラマは日本に来なくてもいいようにすることになる、と言われて、はたと困った。しかし、とにかく今は協力しようと言うことで、たくさんのものを買った。
帰り道は歩くことにした。ところが、長い道のりであることに暫くして気づいた。今日はこの帰り道で一気に疲れた。途中で寄り道をしながら、最後はいつものジュースを飲んで帰った。充実した一日であった。
2019年05月09日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その13/第10週)
さて、ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、昨日に引き続き、3月10日のメモから復元しました。
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■2002.3.10■
お寺での朝食の時、京都から今年卒業する女子大生が来ていた。これからバナラシに行く予定だとのことで、それを上人さんたちが考え直しては、と言っていた。今、バナラシは非常に危険な状態にあり、何があってもおかしくない時なので、別のコースにしては、という趣旨である。
明後日の12日にシバ神のお祭りがあり、街中にダシが出て大騒ぎをするそうである。無礼講の状態になるので、旅行者などは街に出られず、ホテルに閉じこもることになる。無礼講の意味がわからないということで、上人さんにどういえばいいのかと問われたので、わたしは「何でもあり」という意味です、と答えた。
また、アイヨーディアのラーム寺院建設問題で、15日には建設賛成の人たちが集まり、実際に建設に着手するのでは、とも言われている。とにかく、最近のグジャラート州での暴動で700人以上が犠牲となっているので、この時期はどこで何があってもおかしくないというのである。そのような中を、女性が一人でこの時期に危険なところへ行くことを、事情をしっている立場からは、勧めないということである。
この女性は、こうした情報は、まったく持っていなかった。確かに、日本にいては、インド全体のことは報道されても、さらに小さな地域のことなどは流されないので、知りようがないといえばその通りである。現地情報をいかにして入手するかは、旅するものにとっては大切である。到着して、バックパッカーたちに話を聞いても、実際に新聞やテレビなどで正確な情報を持っている人はほとんどいないのだから。問題の多い国への旅行は、なかなか難しいところがある。
久しぶりにホームページのための文章に手を入れる。しばらく、慌ただしい日々と、体調維持のために、書くよりも体を休めることを優先してきたからでもある。
お昼前に、N2君と女性2人でデリーの散策に出かける。今日は、シーク教の寺院と、バックパッカーたちの溜まり場であるメインバザールへ行くことにした。
コンノートプレイスの南西にあるシーク教の寺院であるバングラ・サヒブまで、オートリクシャーで60ルピー。N2君がお尻を突き出しての4人乗りである。
シークの寺院は大きかった。
インフォメーションセンターで靴を預かってもらう。そして、頭を覆う布を貸してもらう。短剣を刺したおじさんが、紐を結んでくれた。インフォメーションセンターは、なかなか綺麗な応接室になっていた。
寺院の入口には、足洗い場があり、まず足を水につける。ところが、この水が汚いのなんの。水虫がうつりそうな濁った水である。郷に入っては郷に従えで、その水に足を浸す。生ぬるい水であった。これで身体を清めたことになる?
寺院の中には、敬虔なシークの人たちが、熱心にお祈りをしていた。3人が、据え置き型のアコーデオンのような楽器を鳴らして歌っている。
その裏に回ると、パソコンがあった。ウインドウズらしき画面がモニタに映っている。黒いキーボードにマウス、そして外付けのハードディスクと、ものものしい装備である。音楽と歌をミキシングしているのだろうか。進行状況を管理しているのだろうか。よくわからない。
外に出ると、大きな池があった。
子どもたちに水浴びをさせる親が幾人もいる。しかし、その水は茶色に濁っている。大きな鯉が何匹も泳いでいるのが確認できた。しかし、水が濁っているのでよく見えない。一人のおばさんが我々に付いて来ており、いろいろとN2君に話しかけている。説明してくれているようである。池の周りを歩いているときも、なにやら話しかけてくる。N2君は適当に相手をしている。インドの人は、よくわからない。池の中では、泳いでいる子どももいた。
日陰に、サーベルのような長い刀を抜いて見せている人がいる。シークの人たちのシンボルだそうである。おばさんは、いつしか先へ行ってしまった。インフォメーションセンターへ戻って頭を覆う布を返し、靴に履き替えていたときに、先程のおばさんが入ってきた。そういえば、最初にこのインフォメーションセンターに入ったときにいたおばさんだったのだ。親切に、我々に説明してくれていたのである。改めて、訝しい目で見たことを反省する。受付のおばさんも親切な人で、何かと話しかけてくる。調理場を見て食事をしないか、というのである。早速OKして、また靴を脱ぎ、頭に布を巻いて再度出発する。
大広間とでもいうべき広いスペースに何列にも筵道があり、そこに一列に座って並ぶ。すると、タリーのステンレスのお盆が配られ、そこにダールが盛られる。そして、チャパティや食パンが置かれていく。まさに早業で、次々と食事が配られる。大根の漬け物ももらえる。
一列に背中合わせで200人以上が座り、同時に4列くらいが食事をする。終わるとサッと片づけられ、また次の列ができる。効率よく列が出来ては次の列に移るという、システマチックな捌き方である。グジャラート州の震災の時などに、この手法でたくさんの難民を救ったという話が、実感としてわかる。実に実践的な給仕の方法となっている。また、隅には食べ残しをひとまとめにする人がおり、奥には、流れ作業でタリーのお盆を洗っていく。本当に見事な仕事の流れ作業となっている。
背後の食事を作る場所も見た。大きな鉄板でチャバティを焼き、大きな鍋でダルを煮ている。大仕掛けの作業場と化しているのには驚いた。宗教的な場所での、大がかりな給食奉仕である。
オートリクシャーでニューデリー駅のメインバザールへ行く。私は2度目なので、ゆっくりと見ることが出来た。
日本語で話しかけてくるおじさんは、以前より圧倒的に多くなっていた。日本人の学生が増えたせいか、カモが大勢いるのだろう。多数のバックパッカーが、こうした人に騙されているのであろうか。ラーマ・クリシュナ・ミッションへ行ったら、今日はイベントのために入れないとのこと。図書館などがあり、学生にとっては重宝する場所だそうである。先日行った日本食屋さんでドリンクを飲む。N2君がK1大学の学生を呼んできた。先週来たばかりで、インドのフィールドワークをする大学院生である。まだテーマが見つかっていないらしくて、いろいろと悩んでいるところのようである。あまり押しの利くような感じの女性ではないので、焦らずにじっくりとテーマを探してほしいと願う。来たついでに、彼女が泊まっているバックパッカーご用達しというホテルを見せてもらった。200ルピーでまあまあの部屋である。ただし、窓がまったくないので、非常時には逃げられない。たくさんの部屋があった。比較的きれいだったが、リスクの多さが気になった。
メインバザールを散策。風呂敷のような暖簾を探す。いいのがあったので、2枚買う。ニューデリー駅の前で、この前買ったものと同じ番号のナンバーダイヤルを見つけた。もっとないのかと言うと、10個近く出してきた。その内の、4個を買った。こんなに同じ番号ばかりの鍵が氾濫していては、防犯もあったものではない。
ニューデリーの駅を散策。実際に二等のスリーパークラスの車両に乗ってみた。狭いが、思ったより綺麗だった。空港から到着するというバス停も見学。たくさんのバックパッカーを、この駅に降り立って騙されるのである。しっかりと見ておいた。
引き返すと、なんとアンサルプラザとここくらいしかないというエスカレータに乗る。おっかなびっくりで乗る人が何人もいる。インドの人々は、まだ、このような道具に慣れていないのである。
駅前でオートリクシャーを捕まえる。5人なので、2台に分乗する。私は、デリーに来たばかりの人と乗った。コンノートプレイスの外周を走っていて、インド門の方に左折する時に、突然左側にいたバスと衝突した。こちらのオートリクシャーは、大きな衝撃と共に右側に傾き、スーと大きくスライドした。一瞬、ひっくり返るのかと思ったが持ち直し、すぐに体勢を立て直した。オートリクシャーの運転手は大声でバスの方に叫び、車を左側に寄せて止まってからバスの運転手と激しい口論となる。車体の左後方が凹んでいる。どうしようもないので、しばらく座ったままで成り行きを見つめた。N2君たちのオートリクシャーはすでに左折して見えなくなっていた。
結局は言い合いで終わり、まもなく発車した。三輪車の後方にぶつけられたので、ひっくり返ることは避けられたようである。危ないところであった。ひっくり返っていたら、恐らく命に関わる事故になっていたことだろう。左側から突っ込んだ形のバスの方が悪いのは明らかである。それにしても恐ろしい場面であった。以来、運転手は慎重に運転していたように思える。しばらくしてから、運転手が行き先を確認した。よくわからないままに走っていたようである。アンサルプラザへ行くことを伝えた。しかし、道をよく知らないらしい。私がその場所をよく知っていたので、どうにか誘導して到着する。マグドナルドの前での待ち合わせに成功し、高級ショッピングセンターを散策開始となる。今日は日曜日であることも手伝ってか、たくさんの人が出ていた。
住宅展示場をまわる。300万円ほどの物件が売られていた。これなら、日本人にも手が出せる。共同で購入してみんなで使えば、有効な拠点となる。おもしろい冷やかしであった。
今日は、天気がよかったせいもあり、非常に体力を消耗したようだ。体がだるい。日差しが強かったのだろう。帰ってから少し寝る。E1さんから、作文がメールで届いたかという確認の電話があった。
洗濯をして、また寝る。疲れた時には、休むに限る。
晩ご飯は焼きめしだった。なかなか美味しかった。
2019年05月08日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その12/第9週)
ここでは「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱っています。
今回は、前回の3月8日に続く9日のメモから復元したものです。
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■2002.3.9■
やはり風邪気味。熱はない。I1先生からのメールの連絡では、日本からデリー到着時刻が変更になっていたので、N2君と相談。アグラ行きを一泊二日から日帰りで帰ることとする。朝食後、薬を飲んですぐに寝る。大事をとる。
お昼前から、N2君の原稿を読む、自分にとって、説明がほしいところをチェックする。なかなかしっかりと文章が書けている。ただし、少し臨場感に頼りすぎか。
お昼に、G4さんに頼んで、旅行業者にアグラ行きの予約をキャンセルする。これで、N2君と一緒に楽しい旅になりそうだ。聖地マツゥーラもたっぷり見よう。
午後も、N2君の原稿を読む。最後まで読み切った。いい原稿だが、この内容では、やはり読者は限定されるか。もう少し説明を入れると、一般の読者も読めるのだが。
4時過ぎに、ラージパットナガルのチベットのお店へ、タンカを買うために行くことにする。N2君を探して下に降りたところ、電話のある部屋にD大学のH1先生がいらっしゃった。道理で、N3が猫なで声で私の対応をしてくれたのだ。いろいろと監視されていると思っているN3は、この手の人は苦手のようである。ご機嫌取りをするはめになる理由がわかるだけに、こちらが気を使ってしまう。
TさんとN2君と3人で、散歩がてら、チベットのクラフト用品屋さんを目指して行く。先日、G3さんに教えてもらったお店で、タンカを買うためである。
まず、オモチャ屋さんで、オートリクシャーのオモチャを買う。このスタイルの乗り物は、今ではこのインドだけだということなので、記念に買った。これで二つ目。以前から探していたが、なかなか見つからなかったものである。
チベットのクラフト用品屋さんへ行くために、途中で道を聞いたところ、説明が二つに分かれた。3人目で何とか確認がとれた。ところが、その道も、警察署の前で突然住所が変わるのである。引き返してお店の人に聞くと、そのまままっすぐ行けばいいとのこと。警察を過ぎると、川が立ちふさがっている。またそばにいた人に聞くと、この川の向こうだというので、ぐるっと川を回って、また直進する。警察のところの住所だけが別の名前になっているのは、いったいどういう事情なのか。何でもありのインドの警察のようなので、こうしたこともありなのだろう。そして、警察の前の突き当たりの川に橋がなく、フェンスしかない。仕方なしに少し北側の橋を渡ったが、どうも腑に落ちない道である。
また、もとの通りの名前になった。しばらく歩くと、目的の店が見つかった。しかし、あいにく閉店後30分という時間だった。次にまた来ることにする。
ラージパットナガルを散策。ソフトクリーム屋の前で、アンプを積んだオートバイでスピーカーのボリュームをいっぱいに上げて、ソフトクリームの呼び込みをしている。それも、オートバイを道の真ん中に停めている。たくさんの通行人の流れを止めていることにも頓着せずに、さかんに叫んでいる。ソフトクリーム一つは、たったの5ルピーである。日本円で十数円。これで採算がとれるのか、心配になる。
歩き疲れたので、チキンを焼いたものを食べる。はじめてのものだった。なかなか美味しい。いつものジュース屋さんに立ち寄る。今日のは、いつものものよりもさっぱりしていた。久しぶりに、ワインとオールドモンクというラム酒を買う。
晩ご飯は天麩羅うどん。
回転ずしの話になった。私は、インドで始めたらいいと言った。すると、インドの人は、あのくるくる回るのを見ているうちに、いろんなものを引っ張ったり押したり取り外したりして、すぐに分解をはじめるからダメだ、ということになった。確かに、インドの人は好奇心が強い。回転寿司も、一周もしないうちに、回転する部分がガタガタになっているかもしれない、と思わせるだけのお国柄であることは認めざるをえない。
食後、持参した近衛家旧蔵の豪華な『百人一首』のカルタ(複製)を、みんなに見てもらう。国宝はインドにあるのか、ということで議論。国宝というものは日本以外にあるのかどうかということになった。世界遺産のことなどを話した。結局、わからずじまい。
夜、インターネットをしながら、N2君とN8先生とに、ダイラ・ラマについて教えてもらう。セブンイヤーズ・イン・チベットの映画があるとのこと。I1先生が、かつて見たとおっしゃっており、私もインドに来る前にビデオ屋さんで探したものである。DVDで見つからなかったので、見て来なかったのだ。インドと限定せずに、もう少し広くチベットのことを調べてくるのだった。インドが、こんなにチベットと深い関わりのある国だとは、思っていなかった。
2019年05月07日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その11/第9週)
さて、ここでは「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
今回は、3月4、5、6、7日のメモが見当たらないので、8日のメモから復元したものです。
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■2002.3.8■
食後、D大学のHさんにお願いして、オートリクシャーの運転手にネルー大学へ行く道を説明してもらう。運転手はわかった、という顔をして出発した。しかし、いざ大学の門に到着すると、途端にうろうろしだす。北門なのに、別のところを走る。最後には、ここで下りろというので、いやだと言った。とにかく、また引き返して北門に行くことになる。すると、何と言うことはない、最初に通った門の所に、T4先生が車で待っていてくださったのである。車で学科の校舎まで連れて行ってもらう。
学科長室で、歓迎の花束をもらう。こうした対応がしっかりした学校のようである。数人の先生と名刺交換をする。みなさん、日本語がうまい。
学生は、25名ほど集まっていた。2人の先生も。
自己紹介と、国文学研究資料館の説明と、コンピュータを活用した文学研究と、インド人貿易商のモーデが持っていた伝阿仏尼筆本について話す。
なかなかよく話についてきてくれていた。質問も出た。2時間はたっぷりとしゃべる。さらに、その後に1時間ほど、これからの文学研究に対する姿勢について話す。
お昼は、学生食堂の外でパニールを食べる。2人の先生は、國學院大學で野村純一先生から民俗学を教わった人。もうひとりは、大阪大学でK2先生から説話を教わった人。私の知っている学校であり、知っている先生だったので、話がはずむ。帰り際に、先日のK・Sのコンサートで私たち2人が通訳をしていた、との話。先程学生たちに、あのコンサートは失礼だったと言ったばかりだったので、こちらが恐縮した。内容は、あらかじめ何も知らされていなかったようである。
お一人がこれから国際交流基金に行くと言われたので、私も一緒にいく。I1先生の到着時間のことと、『百人一首』大会の賞品について、S2さんとの相談である。すこし休んでいたら、U先生とあった。びっくりした。偶然とは恐ろしいもので、こんな所で、という気がした。
G4さんに、大学でいただいた花束を渡す。飾ってもらうためである。
夕食前に、N2君が南インド料理を食べに行くという。最近、このお寺の食事がワンパターンなので、少し変化を求め出したこともある。私も一緒に行く。D大学のTさんも一緒に行く。グレーター・カイラーシュのMブロックにある、いつものカメラやさんの並びの店である。ワッフルの固いもので包んだ料理だった。今日は、私が大阪大学から学位を取得した記念にということで、ご馳走することにした。しかし、ここの料金は、大変安かった。お薦めの店である。
2019年04月29日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その10/第9週)
その後、サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。
さて、ここからは、「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分なので、これからの「第9週」以降も今回はじめて編集し直すものです。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現していきます。
今回は、前回復元した「2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)」(2019年04月19日)に続くものです。
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■2002.3.3■
9時過ぎに朝食。たくさんの果物とおかずを食べる。ライスで作った「カルカン」のようなものも食べる。11時半にフロントでチェックアウト。何もなし。フランス人の2人が来てくれた。男性は画家。
車で、昨日会ったNGOの方の家に行く。車中では、T2先生を中心にして、フランス語で会話が進む。助手席にいた私は、気楽に無視して市中を見物。家は高級住宅地にある。庭にはココナツやパパイヤの木がある。
ご主人が出てこられてびっくり。昨夜遅くなってお出でになったフランス語をしゃベる方だった。女性とこの方が夫婦だったのだ。
家の中に入る。しゃれた家で、いろいろな小物がある。子供たちが食事を作ってくれていた。
T2先生いわく、NGOの人々も、みんながごく普通の生活をする中でこのような活動ができるようになればいいが、と言っておられた。普通の生活の中で、自分ができる社会協力をしていくことも重要である。身構えない社会貢献である。この方々は、農業指導を中心に活動をしておられる。もう40年も続いているそうである。ご主人は、NGOの専従だそうだ。日本のNGOやNPOは、無理をしているところがあるので、いつしかできなくなっていくものが多い。外部からの資金援助だけではなく、自分たちの努力で収益をあげていくことも考えないと、資金援助が途絶えたら突然中止となりがちである。何かをしようとするとお金が必要なので、そのことも考えて運営しないと続かないのだ。経済的にも、社会的にもしっかりしたものがないと、継続的で広範な活動はできない。この人たちは、農村部などの教育活動や、技術指導、そして出産のための理解と手助けなどを行っておられる。
この家には、2人の使用人がいる。男性は庭などの仕事を、女性は食事の世話などをしていた。このような家庭の人がこうした活動にも積極的な推進しているのを見て、非営利の援助活動のあるべき姿の一つを見た思いがした。
それにしても、突然のフランス語の世界にはなすすべもない。英語で話しかけてもらえたので、何とか間がもてたが……
子供たちがみんなで楽しそうに昼食を作ってくれている。余裕というものが生活の中にあるせいであろう。
明日の予定も少しまとまった。バンガロールには、Macintosh はないそうである。
応接コーナーで見るテレビでは、昨日のグジャラー卜での暴動のニュースをしている。
家の外には、洗濯物にアイロンをかけるカーストの人が仕事をしていた。写真を撮らせてもらう。
出発するときになって初めてわかったのだが、これから、ドイツの男性とその奥さんであるキューバの女性と一緒に、この女性の誕生日のお祝いを兼ねて、自然動物園にピクニックに行くことになっていたのだ。別々の車で出発する。BANNERGHATTA NA IIONAL PARK
FOREIGN TUURIST ADAUTS Rs200
CILD Rs75
自然動物園の入口で入場料のことで一もめ。Sさんが外国人扱いされたことに抗議されたのである。インド居住者なので、外国人観光客と同じ扱いはおかしいと。航空券などのときも、国内居住者としていつも手続きされていると。30分もかかっただろうか。結局、国籍の問題で外国人としての入場となった。納得できないことには徹底的に食い下がる精神は、さすがである。入り口で待ちながら、二人の女性と、私がタージマハルで750ルピー払ったことを話した。驚いておられた。
公園の中は子どもたちがたくさんいた。家族連れである。猿の檻の前に陣取る。Sさんは木切れをもってきて、これで猿を追い払うのだ、と言っていた。実は本当に猿が、我々の食事を狙ってやってきたのだ。Sさんは木の棒で追い払ってくれた。檻の中に猿がいて、檻の外にも我々と一緒に猿がいる。檻の外の猿が、檻の前にいる我々のお弁当を狙う。おもしろい風景である。
ビールをもらう。アルコールは持ち込み禁止なのに、おおらかなことである。ドイツ人の方の奥さんがキューバだとわかると、T2先生がミサイルの精度にまつわるベトナムとロシアの話をされた。三回目なのでよくわかった。
園内を散策する。鰐や蛇や熊やヒョウや象などがいた。日本と同じ面々だが、心なしか暑さのせいかクタッとしている。
動物園からサハリパークへはバスで行く。土埃を舞い上げながら狭い道を乱暴な運転で進むので、スリルは満点である。
虎とライオンは別々のエリアにいるので、ゲートの出入りを繰り返す。幸運にも、今日はたくさんの虎やライオンに出会えた。T2先生の話では、アフリカのサハリパークへ行ったときに、3時間も園内をウロウロしたが、結局一匹も近くで見ることはできなかったことがあったそうだ。ここの虎やライオンは指導が行き届いていると言って、感心しておられた。
生まれて初めて、サトウキビのジュースを飲む。しかも、搾りたてを。これは勇気のいることである。しかし、T2先生が大丈夫だと言われたので、チャレンジした。おいしいジュースでした。
帰路は快適に走る。女性のサリーの色の鮮やかさに見とれる。きれいに着こなしている。おしゃれな人が多い。新しいホテルは、昨日のような豪華さはない。しかし、小奇麗でいい感じである。料金的には4分の1だが、これはこれでいいホテルである。吹き抜けを多用した構成で、エレベーターも開放的でいい。
昨日泊まったタージレジデンスホテルの中華レストランへ行く。ここでも、カニ料理は食べられなかった。注文したところ、大分してから、シェフが作れないと言っているとボーイが伝えに来た。竹筒に入ったスープや、酢豚、固焼きそば、マーボー豆腐、アスパラガスの炒め物などを食べる。ビールも。食べきれないほどのおいしい食事だった。
食後、T2先生はウエイターにクレイムを付けておられた。「遅い」「サービスが悪い」の2点である。食事が運ばれてくるのが、確かに遅かった。また、ウエイターも動きが悪い。反応が鈍いのである。超一流の一つにあげられる店でこんな対応を許すと、今後のためにもよくないとのこと。だらけた店員たちをピリピリさせるためにも、言うことはしっかりと言う、という姿勢である。ウエイターに、ここのレストランのマネージャーを呼んでくれと言っても、連絡されたマネージャーがどっかへ行ってしまう。再度呼んでもらうと、ひたすら謝るだけである。支払い後に、チップは渡されなかった。示しがつかないからと。また、帰りがけにホテルのロビーにいたサブマネージャー格の人にも、レストランの対応の悪さを叱っておられた。我々が玄関でタクシーを待っていると、先ほどのサブマネージャーがやってきてまた謝る。そして、何かバッグを持ってこようかと言うので、T2先生は、自分はインドに来てタージグループのホテルを使ってきたが、こんなにひどいのは初めてなので、今後のために忠告しただけである、と。何かほしいからではない、とキッパリと断られていた。名刺だけでもということだったので、渡しておられた。そして、昨日宿泊した客であることも。
それにしても、先生の対応は見事の一語に尽きる。気持ちのいいものであった。確かに、こうでもしないと、インドのホテルの質はどんどん落ちて行くように思われる。なかなか言いにくいが、言うべきときには言う、というのは見習わなければならない。これからのインドのためにも、という意味がわかる。日本にいては通じないことのように思われる。しかし、現地にいると、確かにと頷ける。もし本当にいい対応を心がけているならば、明日新しく泊まっているホテルに花でも持って顔を出すくらいでなくては、とおっしゃっていた。果たして、明日はどうなるのか。
部屋に帰り、その後下でコーヒーを飲んで雑談。その中で、私がもっと海外に出向いて仕事をすべきことをアドバイスしてもらった。積極的な働きかけをしないといけないと。たくさんの勇気付けられる話を聞いた。
インドのテレビは、相変わらず歌って踊っての番組をたくさん放映している。
2019年04月19日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その9/第8週)
今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月27日から2日後の、コンピュータで世界的に知られるバンガロールへ行った時の、3月2日の行動の記録です。
2月28日と3月1日については、写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにします。
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■02.03.02■
バンガロールへ行く日。T2先生が仰るベンツだというオートリキシャで8時半に出発。朝夕が寒いということなので、長袖のセーターを1枚着る。おまけに、ビニールの半そでのウインドブレーカーも着る。空港までは、確かに寒かった。
荷物のチェックは厳しかったが、特に問題はなし。出発が40分遅れた。待合室で、T2先生から成功する人間についての話を聞く。
1、人間のネットワークを持っている。
2、あきらめない。
3、細部に目が行き届き、かつ何が重要かがわかる。
英語は、今後とも習得する努力を続けるべきだとのこと。重要なポイントになるとのこと。
機内では、G3さんから預かった刊行予定のチベット語会話の本の点検と校正をする。食事はノンベジタブルにした。少し辛いタンドリーチキンが出た。窓から見下ろすと、ただ土色の平野が広がるだけである。
ウツラウツラしているうちに、2時間強でバンガロールに到着。40分遅れ。
とにかく暑い。セーターをすぐに脱ぐ。木立が南国らしい。街も小奇麗である。予約していたタクシーの運転手はすぐに見つかった。エアコン付きのスズキの車でホテルまで。街が埃っぽくないので、改めて、異国に来た気分である。
五つ星のタージ・レジデンシー・ホテルは、意外にこじんまりしていた。内装や小物がセンスある、いいホテルである。プールもいい。T2先生と日本語を話しながらエレベータに乗ると、乗っていた婦人が「少し日本語がわかります。」と片言の日本語で語りかけて降りて行かれたのには驚いた。
部屋もきれいである。早速パソコンに日記を入力する。
しばらく休憩してから、タクシーで市内観光に。といっても、ガイドなしで、気ままに散策。産業博物館と州立博物館に行く。産業博物館は、古い機械を展示するだけで、これといったものはない。州立博物館は、1世紀ごろの石造のレリーフがワンフロアーに展示されていた。ただし、名札があるだけで、特に説明があるわけでもない。T2先生がお持ちの地球の歩き方を見ると、翼のある馬や牛車や釈迦の石造が見ものだとか。入り口のすぐそばにあったが、そこに置いてあるだけ、という感じである。
日差しが強く、日焼けしそうな天気である。庭の花を撮影して、すぐに次のお寺へ行く。昔の宮殿の跡で、18世紀末の木造の珍しいものだった。ティプー・スルターン宮殿。落ち着いたデザインで、インドらしからぬ地味な建物である。金と黒漆の柱が160本以上も並んでいる。
裏では、5人が椅子を持ち出して古い記録類を整理していた。ダラダラとやっていた。
この隣に、小さいがハヌマーン等を彫った寺がある。近くに寄ると、窓枠などに電飾が見える。これは、インドの神様らしい。
次は、少し高台にあるお寺へ行く。ブル寺院と言う。
タクシーを下りてすぐに、T2先生がピーナッツを塩茹でにしたものを買われた。これがまたおいしいのである。皮は、そのまま地面に捨てる。自然に帰るので、ゴミ箱に捨てる必要はないのである。小さいものを二つ見て、牛が1枚の岩から彫り出されたものをご神体にするお寺へ行く。中は閉まっていたので早々に出て外で休憩していると、靴預かりのおじさんがおいでおいでをする。扉が開くので、もう一度入れと言う。
中の黒い牛は、目がかわいい。インドの神様は、本当におもしろい。
ピーナッツを食べながらまた休憩していると、おじいさんが話し掛けてきた。何人かと。日本人ならどんなお金を使っているのか、それを交換しないか、とかなんとか、いろいろと話す。聞いてみると、今は75歳で、以前は英語の先生をしていたそうだ。インドのインテリである。悠悠自適とはいかず、自分の若かりし頃の再確認も含めて、観光客相手に話をする、といった体の声掛けおじさんとなられたようにお見受けした。適当に話を打ち切り、タクシーに戻る。
すると、すぐ横のお寺にもどうかと運転手が言うので、それでは、ということで立ち寄る。中ではちょうど儀式がおこなわれていた。修行者のような上半身はだかのバラモンらしき人が、お盆にろうそくをともして歩いてきたので、私は思わずそのお盆に10ルピーを載せた。ところが、その人が私に新聞紙に包んだものを手渡してくれた。中をみると、焼き飯のようなものが入っていた。先に外に出ておられたT2先生にどうしましょうか、と聞くと、そこらに捨てて行けばいいとのこと。食べるとややこしくなるといけないようである。
インドでは、食べ物などは、何でも道端に捨てている。自然に帰るし、牛たちが食べるので、それでいいのである。これは、私が育った日本やヨーロッパの現代文化とは大きく異なったものである。この外来の考え方が、今ではインドでも浸透し、自然に帰らないのにポイポイとものを外に捨てることになっている。そのおかげて、インドの街中はゴミが散乱している、という状況である。
バンガロールの街は、デリーに比べると非常にきれいである。整然としている。ごみごみとしていない。南国と言うこともあるのだろうが、明るい。街を歩く人も、小奇麗である。女性はサリー姿が多く目に付く。そして、配色が明るい。ピンクやオレンジやホワイト。デリーと比べると、たくさんの若い女性がサリー姿で出歩いているように思える。道端にも、ゴミが少ない。道路の舗道側も舗装がしてあるので、デリーよりもずっと埃が少ない。車も、車間距離にゆとりがある。クラクションを鳴らすが、デリーほど執拗な鳴らし方ではない。オートバイもスクーターも、いいものに載っている。オートリクシャも、へこんだものは少ない。と言えばすべてがデリーよりもいいように聞こえる。しかし、排気ガスに関しては、まだガソリン車ばかりである。デリーでは、CNGという、天然ガスでたくさんの車が走っている。このバンガロールでは、まだそこまではいっていない。
シティーマーケットに行って驚いた。ものすごい数の人が、広い市場に所狭しとお店を出している。露天と言うよりも、座った体のまわりに野菜や果物などを並べて、それも女性がずらりと並んで、物を売っている。売る人と買う人が、何十万人とでもいうほどの人であふれている。日本で見かける野菜や果物が多い。すごい熱気である。
ココナツを、T2先生が一つ買って私に食べさせてくださった。なかなかいい味である。
ホテルのフロントで、T2先生がすぐに女性と話し始めた。今日会う予定のNGO活動をなさっている方のようである。ソファーに座って、いろいろと世間話をする。すべて英語である。途中が私は部屋に帰り、シャワーを浴びる。7時に下に下りると、まだT2先生は話をしておられた。しばらくしてT2先生が部屋に帰られたので、私とその女性だけで話すことになった。それも英語で。これは大変である。と思っていたら、ありがたいことに非常に饒舌な方で、ひたすらその方の話を聞く一方であった。なんとかわかったので、適当に相槌を打つ。ちょうど、NGOの話になったときに、蛍の話になる。話が蛍のことだとわかるまで、しばらくかかった。
ホームページやメールアドレスの話をし出したときに、ちょうどT2先生が帰ってこられたのでホッとする。
私の家族のことを聞かれたが、これはすでに練習済みの会話なので、うまく答えられた。T2先生が、なかなかやるではないか、と誉めてくださった。8時ころに、バンガロール大学の先生で、詩人で、NGO活動をなさっている旦那さんがおいでになった。ノーネクタイのカッターシャツをズボンから出し、裸足にスリッパというラフなスタイルである。もう一人おいでになる予定の方は、ちょうど今日は先日来の暴動事件に関する問題が発生し、政府関係の方と対策の打ち合わせが入ったために来られなくなったようである。この街に、州の首相であるソニア・ガンディーさんが来られていて、明日は大規模なデモがあるために、政治関係者は大変な時期のようである。
8時にホテルを出て、街中のカニ料理が美味いという中華料理店へ行く。ところが、あいにく今日はカニがないとのことなので、しかたがないのでエビ料理になる。
政治や宗教などの幅広い話に、NGO活動の話が入り混じっての英会話に、私はついていくのが必死。私に向かって話してくださるときもあるが、とにかくニコニコと、顔が引きつらないように表情で答えるのが精一杯である。T2先生は、いつものわかりやすい英語で、それこそペラペラとしゃべっておられる。そうこうするうちに、今日は来られないはずだった方が顔を出された。この方との話では、T2先生が突然フランス語に切り替えられるので、何がなんだかわからない。
記念撮影をして、また外でも写真を撮って別れた。レストランのボーイさんが、息子たちに見せたいと言うので、一応写真を撮ってあげる。しかし、渡すことができないので、適当なことを言って別れる。
ホテルでコーヒーを飲む。南インドのコーヒーは少し濃い。おいしい。レストランの女性に、タバコを持って来てもらう。インドのものしかないが、と言って笑いながら持って来られた。T2先生が、体調がいいとタバコがうまい、と言いながら葉巻を注文。なかなか贅沢な注文に、ボーイが次から次へといろいろな葉巻きを持って来る。先生のお好みのものはなかった。しかし、それなりにいいものを手にされた。
部屋にインターネットのコンセントがあったので、説明書の通りにやってみたが失敗する。555で部屋から使えるとのことだが、うまくいかない。何度かチャレンジしたが、やはりだめ。諦める。
2019年04月18日
2002年春にインドで書いた未公開日記(その8/第8週)
今回は、その「第8週 02/24〜03/02」の内の、前回復元した2月25日の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その7/第8週)」(2019年01月24日)に続く、2月27日の出来事です。2月26日については、結婚式場へ飛び入りで参加した写真などはあるものの、日録がどこにも見当たらないので、またいつかということにしましょう。
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■2002.2.27■
N2君と一緒にデリー大学へ行く。私は授業。N2君は、そのタクシーを使ってデリー北部の調査に出向く。
ジャンパトの中心地にある、メルディアンホテルで、インドでのマックイベントがあった。
その時のメモから。
・PDAに対する質問について、担当者は答えられなかった。
・プレゼンテーターに答えられない場面が多々あり。サポ−タ−が答えていた。
・デリーのバスとスクータ−を例にしての「PCバス」の説明は、あまりにも低レべルなもの。インドらしい例示。しかし、元々がパワー不足の乗り物すぎるのでよくない例え。
ジャンパトからの帰り道のこと。
いつもの通り、ジャンパトロードでオートリクシャーを探す。走り寄ってきた車の運転手に行き先を言って50ルピーでと言ったところ、メーターで走るというので辞めて別のものを探すふりをしたところ、50ルピーで行くというので乗る。
ジャパンか? コーリアか? と聞かれたので、ジャパンだと答える。
走り出してから、運転手がショッピングセンターを知っているので寄ると言う。しかし、ノーと断わる。しつこくランチボックスがどうのこうのと言うので、とにかくノーだと断った。しばらく走ってから、突然道路脇に止めて、ここのショッピングセンターで買い物をしないかと言う。とにかく嫌だから、急いで行ってくれと言うが、エンジンを止めたまま動かない。腹が立ったので、オートリクシャーから飛び降りて、近くのバス停の方に歩き出した。
すると、運転手はとにかく乗れと言うので、また乗って帰ることにした。よほど別のオートリクシャーに乗り換えようかと思った。しかし、支払わないままになるのが後々面倒になってはと思い、とにかくそのまま乗ったのである。目的地の近くに来たときに、何か話しかけて来たが、無視した。お寺の前に着いたとき、50ルピーを出そうとすると、80ルピーだと言う。無意識に、日本語で「アホか」と言ってしまっていた。50だと言ったはずだと言って50を突きつけると、じゃあ70でいいと言う。腹が立ったので、「お前は嘘つきだ」と言って、50ルピー札を運転手の膝に投げつけてお寺の門に入った。門番のB2さんがいて、門を開けてくれたので、後ろから追いかけられる心配はなかった。とんでもない運転手である。インドに来て、こんなに酷いのに会ったのは初めてである。
後でN2君に聞いたところでは、そんなときには、最後まで気分が悪いので、途中で下りて10ルピーを投げつけるのだそうだ。つまり、そんなことをしていたら、もらえるはずの50ルピーも手に入らない、ということを教えてやる必要があるからだと言うことである。ただし、私の場合は、次に乗り継いだオートリクシャーが、帰るところまでいくらの値段で交渉すればいいのかわからないので、乗り捨てるのも大変だったのである。今日の場合でも、少し遠回りしていたので、止まったショッピングセンターの場所がまったくわからない状況だった。なかなか難しい問題である。
それはともかく、部屋に帰り、シャワーを浴びようとしていたときに、小僧さんが夕食を知らせて来た。いつもより早い。食堂へ行くとすぐに、アイヨディアで50人以上が列車を放火されて殺された、というニュースをみんなが教えてくれた。N2君に以前から聞いていたことだが、こんなに早く、それも問題を起こすはずのVHPのメンバーがムスリムによって殺されるとは、素人の私でさえ、まったく予想外のことであった。となると、後はVHP側の仕返しという暴動の心配である。
N2君・N8先生と2人の若い女性と共に、この問題で話し合う。というより、2人の専門家の説明を聞いた。とにかく、何が起きても不思議ではない状況になっているようである。10年ぶりの危険な状態であり、しかも、10年前よりももっとひどい状態だそうだ。私は、すぐに帰国のことを考えた。1月26日の共和国記念日にも、テロのことが予想されたので、あの時もいつでも帰国できるようにスーツケースを整理していた。また、そんな事態になるかもしれない。みんなは笑っていたが、しかしそれもあり得るか、というのが今日のニュースである。テレビは、夜になるとこの事件の報道はしなくなった。規制がかかったようである。
そして9時過ぎに、上人が今テレビで、今後10日以内にラーム寺院建設を中止しない場合は、非常事態宣言を出すことになるとの発表がなされたと伝えに来られた。まさに、大変なことである。どのようなルートで外出禁止令が出、どのような形で国外退去ということになるのかも、詳しく聞いた。明日はデリー大学へ行く日なので、大丈夫かということも確認したが、何とか大丈夫だろうとのことであった。明朝の判断である。
2019年04月17日
平安文学の翻訳本に関するアルバイト募集中
今日の太陽の塔は、まん丸いかわいい目で出迎えてくれました。見つめられている気持ちになります。その愛嬌のよさと引き換えに、胸の顔は相変わらず相手を見定める目です。
これまでの2枚(2019年4月4日、9日)を含めて、この2週間で背面以外はその表情のおおよそをアップしています。背面については、「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)と「学術交流フォーラムの音楽ワークショップで受けた刺激」(2014年12月21日)をご覧ください。
箕面キャンパスの総合研究棟へ向かう道の八重桜は、今が見頃です。
いまだに、新しい部屋の整理をしています。今日、期間限定でテーブルと椅子をお借りすることができました。
さて、これをどうレイアウトするかが問題です。また、書棚はどうも手に入らないようなので、段ボール箱を工夫して本の収納をすることにしました。
私とプロジェクト研究員、そしてアルバイトの方々の計8名が、この90平米の部屋で仕事をすることを、当座は想定しています。とにかく、これでようやく仕事モードに入れます。来週中には、研究活動の再始動の準備を終えたいと思っています。
そこで、あらためてアルバイトで科研「海外における平安文学及び多言語翻訳に関する研究」(課題番号︰17H00912)を手助けしてくださる方を募ります。
次の言語がネイティブの方と、これらの言語を日本語に翻訳できる方を探し求めています。英米語、チェコ語、中国語、ハングル、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語については、今年度は主な言語としては取り扱いません。今回は特に、インド諸語、ビルマ(ミャンマー)語、ルーマニア語を最優先でお願いするつもりです。その次が、東欧諸語です。
【お手伝いしてほしい諸言語一覧】
アッサム語(インド)・アラビア語・ウルドゥー語(インド)・エスペラント・オディアー語(インド)・オランダ語・クロアチア語・スウェーデン語・スロベニア語・セルビア語・タミル語(インド)・テルグ語(インド)・ドイツ語・トルコ語・ハンガリー語・パンジャービー語(インド)・ビルマ語(ミャンマー)・ヒンディー語(インド)・フィンランド語・ベトナム語・ポルトガル語・マラヤーラム語(インド)・モンゴル語・リトアニア語・ルーマニア語
仕事をお願いすることに関しての事務的な手続きについては、まだその詳細は事務方と打ち合わせが終わっていません。これまでの例でいうと、時給950円で、火曜日と水曜日の午後に5時間以内、大阪大学箕面キャンパス(大阪府箕面市粟生間谷東8丁目1 大阪大学箕面キャンパス 総合研究棟 6階)に来てくださる方です。全国一律の規定により、交通費は出ませんのでご了承のほどを。
やってみようと思われる方は、このブログのコメント欄を活用してお知らせください。直接お目にかかって、実際の翻訳資料をもとにしてご説明いたします。実際の仕事は、ゴールデンウィーク明けからスタートすることになります。
なお、成果は科研のホームページ[海外へいあんぶんがく情報](http://genjiito.org)に公開し、お名前は研究協力者の中のアルバイトの項目に明記します。これは、情報の質を確保する意味で責任の一端を共に担っていただく意味から、私の仕事では常に心がけていることです。
[付記]すぐには返信や対応ができないこともあることを、くれぐれもご了承願います。
2019年04月09日
楽しい偶然が重なって稔りある一日になる
相変わらず、研究室を使えるようにするために、段ボールを1つ1つ開梱し、少しずつ本の確認をしています。お願いしている本棚が来たら、すぐに収納できるように、グループ分けを進めています。と言っても、種類も量も多すぎて、通って来て根気強くやるしかありません。
そんな時、福井県立大学のフィアラ・カレル先生から連絡が入りました。福井県文書館にいらっしゃるとのことなので、そちらに電話をしました。
用件は、過日作成した『平安文学翻訳本集成〈2018〉』で、カレル先生がなさったチェコ語訳『源氏物語』に関して、底本の記述が正確ではないので訂正をしてほしい、ということでした。
私が底本の項目に記した「佐伯梅友校注本」と「ロイヤル・タイラー本」は、フィアラ先生が翻訳にお使いになった底本ではないとのことです。いろいろと参照した本の中のものではあるがと。実際には、『日本古典文学全集』(小学館)に一番恩恵を受けたとのことでした。ということで、チェコ語訳『源氏物語』の底本の項目は、次のように訂正します。
備考:『日本古典文学全集』(小学館)等を参照
2020年に『平安文学翻訳本集成〈2020〉』を作成します。今回の『平安文学翻訳本集成〈2018〉』は、そのための情報確認と収集と補訂のための試行版です。こうした不正確な記述に関する情報をお寄せいただけると、より正確な記述に補訂できるので助かります。
しばらくすると、別のメールが入りました。同社大学の垣見修司先生からです。
2017年3月に奈良県立万葉文化館が刊行した『万葉古代学研究年報 第15号』に共同研究成果報告があります。
万葉集の翻訳に関わるところでは最新のものかと思います。
http://www.manyo.jp/library/20190330095508.pdf
中西進氏が主導したNARA万葉世界賞も設置されていますので、万葉文化館には海外の研究情報が蓄積されているかもしれません。
貴重な情報です。専門外の者にとっては、こうした基本的な情報を手掛かりとして、必要な情報を手繰り寄せることになります。垣見先生の所のゼミ生を私の科研でアルバイターとして来てもらいたくてご許可をお願いしたことから、このようにタイムリーな情報をいただけたのです。ありがたいことです。
その後、隣の外国語学部の棟の事務室に、先週お願いした書棚探しの件で、その後の進捗具合を尋ねに行こうとした時のことです。1階に下りたところ、玄関前で外国語図書館から小走りで来られるフィットレル・アーロン先生と出くわしました。
先月、科研の研究会で発表をしていただいて以来です。フィットレル先生が阪大の所属だと伺っていました。しかし、このキャンパスでまったく偶然の出会いにお互い驚きながらも、部屋が片付いたらゆっくりとどうぞ、とお誘いをして分かれました。こんなことがあるのです。世界は狭いものです。
部屋の整理はそこそこに帰り支度をし出した頃、拙著『四本対照 和泉式部日記 校異と語彙索引』(和泉書院、1991年)が偶然になんとなく開けた段ボールから出てきました。この本が手元にないかというK氏とY氏からの問い合わせに対して、昨日、今はまだ引っ越しのどさくさなのでもう少しの時間を、という返信をしたばかりです。幸運なことに、たまたま開いた箱の中に一冊あったのです。本がここにいるぞ、と叫んでいたのでしょう。これも、伊井春樹先生がよくおっしゃる、探し求めていると本がお出でお出でをしてくれる、ということの一例になるのでしょうか。
研究室の真下に阪急バスのバス停「阪大外国語学部前@」があります。そこから「阪急茨木市駅」まで乗ってみました。17時28分発で、45分もかかりました。よほどの大雨以外は使わないと思います。しかし、初めての経路を体験するのは、自分の行動範囲と移動手段が確認できて、これはこれで楽しいものです。
日々、発見と出会いと情報が集まって来る楽しみがあります。
まさに、気分一新のスタートです。
2019年03月25日
ポーランドの園山さんから届いた翻訳本情報
司会進行役は、いつもお世話になっているタチアナ先生です。
園山千里 ポーランド国立ヤギェウォ大学 准教授 講演会
「平安時代の文学にみられる手紙」
【日時】2019年3月18日(月) 18:30〜20:00
【会場】ロシア国立歴史図書館
【住所】Starosadskiy pereulok, d.9, str.1(Старосадский переулок, дом 9, стр. 1)
【入場】無料(事前登録は必要ありません。直接会場までお越しください)
テーマ:平安時代の文学にみられる手紙
モデレーター:タチアナ・ソコロヴァ=デリューシナ(日本文学研究者、翻訳家)
園山千里(そのやませんり)
神奈川県生まれ。立教大学文学部卒業。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程前期・後期課程修了。博士(文学)取得。大学院在学中にワルシャワ大学に派遣留学。立教大学兼任講師を経て、2009年秋よりポーランド国立ヤギェウォ大学文献学部東洋学研究所日本学科准教授。ほかに立教大学日本学研究所特任研究員を兼任。専門は平安時代の文学。平安時代の物語・随筆に関する論文多数あり。最近の研究成果として、古典和歌と物語との関係について述べた専門書『Poetyka i pragmatyka pieśni WAKA w dworskiej komunikacji literackiej okresu Heian(平安時代物語和歌論)』(Jagiellonian University出版会)を2019年春にポーランド語にて刊行予定。
https://jpfmw.ru/jp/events-archive/sonoyama-senri-koenkai.html
その園山さんから、翻訳本の情報が届きましたので、紹介します。
1、本屋「モスクワ」で購入した翻訳本
上の三冊左から 『落窪物語・枕草子』(2018年)、『枕草子』(2019年)、俳句集(2019年)
下の三冊 タチアナ先生の『源氏物語』
2、『源氏物語』初版(?)。高等経済学院古典東洋古代研究所の研究室蔵本。
2019年03月12日
難行苦行だった帰路の機中での5時間
搭乗が大幅に遅れました。特に案内がなかったので、よくわかりません。空港内をウロウロとして時間を潰していました。
離陸して1時間後に食事が出ます。ところが、なかなか配膳が進みません。ようやく私のところになったかと思うと、搭乗券を見せてほしいとのことです。座席に座るとすぐに、半券は職場に提出するので、紛失しないように大事にバッグの中に入れていました。その搭乗券を見せる意味がわからないままに、カバンの中から探し出して渡しました。CAの方は一覧表などと見比べ、いろいろと調べてから、やっと食事のパックを渡してもらえました。こんなことをしているから、配膳が進まないのです。こんなに面倒な手間をあえてするのには、何か理由があるのでしょう。事件でもあったのでしょうか。離陸が遅れたことと、関係があるのでしょうか。
私の隣のアベックは、食事は何も受け取らないのです。ますます、よくわかりません。
すると、ドリンクを聞きに来られました。来る時にコーヒーをお願いしたらお金を取られたので、何もいらないと言いました。隣のアベックは、水のボトルを2本もらい、クレジットカードを出してお金を払っておられます。ますます、この飛行機での仕組みがわかりません。5時間の搭乗時間では、飲み物は有料だというのでしょうか。
食事は来る時とほぼ同じものだったので、今回もほとんど食べられませんでした。味付けが違うのです。チーズとクラッカー、そして付いていた小さな水のカップは口にしました。後で、持参の食料でお腹を満たします。なお、当然のことのように、食べた後の容器の回収もしばらく来られません。目の前の台に置いておくしかないので、邪魔で仕方がありません。
そうこうするうちに、CAの方に足首を蹴り上げられました。激痛が走りました。しかし、素知らぬ顔で通り過ぎていかれました。CAの方にも、それなりの衝撃があったはずなのに、何事もなかったかのように去っていかれました。この後、2回ほど足を踏まれ、肩は3度もぶつけられました。そんなに座席からはみ出していたとは思えません。
そんな中で、隣の方が2人とも2回ほどトイレに立たれました。通路側に座っていた私は、その度に通路に出ました。180席のエリアにトイレが2つしかなかったので、通路が長蛇の列になることは必定です。
隣の方がトイレから帰って来られてからは、スマホで聞いておられる音楽が、イヤホンから音漏れがしています。また、2人の大声での話が止まらないので、耳栓がほしくなります。航空会社から配られたポーチの中に耳栓が入っていたのは、こうしたことがよくあるからでしょうか。落ち着いて座ってもいられません。
さらに輪をかけたように、周りにいた3組の子どもや赤ちゃんが泣き騒いでいます。
さらにさらに、その後、至る所でCAを呼び出すランプが点灯しました。空調が壊れていたらしく、とにかく熱帯の中に投げ込まれたように機内が熱いのです。私も、汗だくです。しばらくして温度は下がりました。しかし、それまでが猛烈に高温の室内だったので、逆に肌寒さと熱気が混在した温度になったのです。熱いと思っていたら寒いはで、もう大変です。後半は、肩からブランケットをかけて寒さ対策をしました。
これらは、拷問を5時間も受けているに等しい状況です。
もっと書けば、前の席の方がシートをいっぱいに倒されたので、私の席はあらん限りのプレッシャーがかけられていたことになります。
どうすることもできないだけに、早くドバイに着いてほしいと願うしかありませんでした。
極め付けは、ドバイの空港で着陸のやり直しがあったことです。これには、肝を冷やしました。最初の着陸に失敗し、もう一度上昇して、2回目で無事に着陸しました。ヒヤリとしました。
CAの方のみならず、パイロットの方も運が向いていなかったのでしょう。
この飛行機は、もうこりごりです。これまでは、KLMとトルコ航空はサービスが酷いので乗らないことにして来ました。今回のことで、また一つ、乗りたくない航空会社が増えました。
2019年03月11日
ブカレスト大学で『百人一首』に関する基調講演
この初日9日の冒頭で、私が話をする機会を与えられました。
題目は「映画「ちはやふる」における百人一首の享受と恋の和歌」です(英文とは多少表現が異なります)。
簡単な自己紹介を兼ねて、私が現在取り組んでいる研究テーマを3つ提示しました。
(1)『源氏物語』の本文に関する研究
(2)海外での平安文学の翻訳本の調査と収集
(3)視覚障害者と共に『百人一首』のカルタ取り活動を支援
また、ホームページ「海外へいあんぶんがく情報」〔http://genjiito.org〕と、ブログ「鷺水庵より」〔http://genjiito.sblo.jp/〕の紹介もしました。
本題に入るにあたり、参会者のみなさまには小倉山荘の『百人一首』をテーマとする個包装のカルタ版の〈おかき〉を配布しました。まずは、遊びの要素から入りました。
そして、映画「ちはやふる 結び」(2018年、東宝、小泉徳宏監督)の一場面をスクリーンに映写しました。歌合わせとは何か、ということと、2首の和歌の意味をおおよそ知ってほしかったからです。
そして、平安時代の歌合で勝負がつかなかった、恋の歌を読み解く意味を話しました。
問題とした和歌は、次の2首です。
四〇番歌「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで」
平兼盛
四一番歌「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか」
壬生忠岑
あらかじめ印刷して持参した8ページ分のレジメを配付し、それを活用しながら、『百人一首』の歌の配列のことや、定家が和歌をどういう意図で選定したのか、などについて確認していきました。
質問を受けた時に、「国文学論文目録データベース」のことにも言及しました。
この日は、作品の解釈ではなくて、研究をする視点でのアドバイスを意識して語りかけました。
終了後も、何人かの方から質問を受けました。研究環境がまだ十分ではないようなので、1人で研究するのではなくて、複数の方との共同研究がいいのではないか、と思いました。
時間通り、正午前には終わったので、コーヒーを一杯いただき、大急ぎで空港に向かいました。
ブカレストの空港を発つ飛行機は、14時25分なのです。まさに、綱渡りのスケジュールです。
2019年03月10日
カンテミール大学訪問後は書店へ
お出でくださったのは次のお三方です。
マグダレーナ・チューバンカン、カンテミール大学外国言語・文学学部助教授
Dr. アンジェラ・ドラガン、同上講師、ルーマニア日本語教師会副会長
Dr. アンドレーア・シオン、ヒペリオン大学日本研究学科講師、ルーマニア日本語教師会会長
2時間ほど、大学の様子や翻訳について、自由に意見交換をしました。
この時の内容も、同行の保坂さんが後でメモをくださいましたので、それを引きながら以下に報告します。
〇2011年から、毎年研究会を行い、紀要を出版している。英語版もあり、インターネットに公開している。
〇文学関係で、日本にいるルーマニア人研究者としては、兵庫大学にカルメン・タマシー(上記研究グループにも所属)、イリナ・ホカ(東大)、ローマンさん(神田大学)がいる。
〇(シオン氏)日本の書籍でルーマニア語に翻訳された書籍のリストとしては、Scumpieru氏が編集した本に掲載されているものが最も網羅的だと思われる。2011年までに出版されたものが掲載されている。(大使館で作成したリストを見て、)必ずしも網羅的ではないので、これを作った大使館のフロレンティナ・トマ氏と連絡をして、改定したものを伊藤教授の方に送りたい。
〇「Fujiwara Teika」(内容は百人一首の解説本)の訳者はカンテミール大学に所属している。しかし、現在はサバティカルで不在。
〇ヒペリオン大学には、日本学科があり、学生は50人在籍、1年生は20人弱入学。カンテミール大学では、日本語を勉強している学生は25人程である。他に日本語学科があるのは、ブカレスト大学、バベシュ・ボヤイ大学(クルジュ市?)、ルーマニア・アメリカ大学(ブカレスト市)である。
〇翻訳は、出版社から話が持ち込まれるものをそのまま訳すことがほとんどである。出版社の方で売れ筋の作家を決めて持ち込んでくる。自分たちの方から訳したいものを取り上げるのはほとんど不可能である。そのような贅沢ができるのは、ホンドル先生のような、名前が通った権威のある人だけである。
〇翻訳は、かつてはアカデミック・ポイントにならなかった。しかし、現在は幾分状況が改善されている。国内学会での発表は10点、国際学会での発表を20点とすると、翻訳は2〜5点である。
(伊藤教授からは、現在進めている平安期文学作品の外国語訳本のデータベース、出版の活動状況の説明、ルーマニア側の研究者の状況、日本語作品の翻訳事情を聴き、今後の情報提供を依頼した。)
お昼には、在ルーマニア日本大使館の代理大使も務めておられる渡部隆彦参事官とご一緒に食事をしました。お店は「涙と聖人」という名前で、ルーマニアの郷土料理をいただきました。
このお店の名前は、詩的な表現となっています。ブログやフェイスブックで発言する方々は、必ず詩を書いておられるそうです。
ブカレスト大学で勉強をなさった渡部さんの話は、政治・経済・文化にわたる幅広い話題で、大いに知的好奇心をくすぐられました。渡部さんは、オーストラリアでは、総領事だった保坂さんの部下だったとのことです。仲むつまじい上司と部下の再会には、爽やかで温かな空気を感じました。私はというと、日頃はお付き合いの機会がない外交官の方々との会食で、しかも異国でのこともあって、ほんとうに楽しいものでした。
午後は、書店巡りです。ホンドル先生の『源氏物語』は、どの本屋さんにもあります。
古書店でおもしろい本を見つけました。どこの国でも、古書店は楽しみの館です。
ピータ・マクミランさんの英訳『百人一首』なども入手しました。英語の本であっても見つけた時が買い時だと思うので、いろいろと買いました。
この日の収穫は、こんな本たちです。英語の本も混じっています。
3月8日は女性の日です。街の至る所で花が売られています。花をもらった女性が、たくさん歩いておられます。
聞くところによると、2月のバレンタインデーに始まり、3月1日、8日は、男にとってはじっと我慢を強いられる3日間だそうです。世界のいずこも、女性の機嫌をとることに疲れる男性はいるものです。今や、女性の存在なしには社会は動かないのです。そうであるからこそ、余計に男性の肩身は狭くなっている、と嘆く方に出会いました。すみません。私もぎこちない思いをするタイプなので、同感するところが少なからずあります。女性にお花を贈るなど、照れくさくてできません。
農民博物館では、茶碗と建水に使える陶器と、孫のおもちゃを買いました。このお土産物屋さんは、なかなか見つけにくいところにあります。次の写真のドアは平時には閉じているので、入りにくいのは確かです。
このブカレストの街のそこかしこで見られる街並みの重厚感は、社会主義の時代の雰囲気を留めています。実際に歩くと、かつての時代が実感として伝わってきます。失礼ながら、小京都とでも言う落ち着いた雰囲気があります。また来たくなります。
夜は「カルク・ベーレ」(ビールの馬車)で、食事をしながら民族舞踊を観ました。
ルーマニアはラテン系の民族だとのことです。こうした踊りを目の当たりにすると、おのずと納得します。豪華な中にも伝統の積み重ねを感じさせるお店で、楽しい食事となりました。
素晴らしいお店に連れて行ってくださったガイドのダンさん、ありがとうございました。
