2011年09月12日

テレビドラマ『砂の器』を観て

 週末2夜連続のドラマを、楽しみにして観ました。東日本大震災のため、半年間延期になった作品です。
 どうやら、福島県の扱いに関係するための延期だったようです。

 さて、テレビや映画業界は、困ったら松本清張ものを作ります。その流れでいえば、残念ながら昨秋の『球形の荒野』は大失敗でした。
 そのことは、本ブログ、「テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待」(2010年11月27日)と「テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て」(2010年11月28日)で述べました。

 その前編の記事の末尾で、以下のように書きました。


 松本清張が父を捜し求める作品を書いた背景は、鳥取県の日南町に行った時によくわかりました。
「松本清張ゆかりの日南町」(2009年12月11日)
 父のことを知りたくて立ち寄った町に入れてもらえなかった清張の心は、この『球形の荒野』にも形を変えて生きているように思います。


 このことは、清張の家系への疑問の解明が必要だと思います。

 さて、『球形の荒野』のことがあったので、今回の『砂の器』の出来もあまり期待しませんでした。
 しかし、よくできた仕上がりでした。もう一度観る価値があります。

 難を言おうと思えばあります。
 原作には出ない女性記者に扮する中谷美紀は、果たして必要だったのでしょうか?
 男ばかりのドラマでは視聴率はとれません。どうしても女性が必要とされたために、無理やり押し込んだ感が否めません。

 中谷美紀は、今秋10月3日からパルコ劇場で、井上靖が書いた小説『猟銃』の舞台を、一人三役でつとめることになっています。私としては、中谷がどのような役回りになるのか期待していました。
 しかし、残念ながら、演技はともかく、物語の展開の中ではどうでもいい存在に終始していたように思います。と言うよりも、軽めに振る舞う様子が、かえって話の流れを阻害する存在だったと思いました。
 視聴率稼ぎに、中谷美紀はうまく利用された、と私は見ました。

 今回のドラマでも、父親に対する思い入れが前面に出ていました。ラストに近づくにつれて、この傾向は顕著でした。これは、清張の作品の特徴でもあります。清張文学を読むキーワードの1つを、私は「父」だと考えています。それを、このドラマではさらに強調した形でまとめていました。

 清張と父親については、鳥取県の日南町へ行ったときに、初めて気づかされたことです。
 現地で、足羽先生から伺った話については、上記のブログ「松本清張ゆかりの日南町」で書いた通りです。

 松本清張の研究状況を私はまったく知らないので、清張と父親については、すでに常識なのかもしれません。
 しかし、ブログに書いたように、お墓の問題も含めて、私は非常に興味をもっているところです。
 父と息子の関係は、母と息子の場合よりも、言葉にしづらい影を帯びているように思います。そこに清張が拘ったのは、出生に加えて、生い立ちの秘密を抱えながら生きていたからではないでしょうか。

 これまでにも何度か書いたように、私と妻は『砂の器』の舞台を体現しています。私の生まれが出雲、妻の生まれが羽後なのです。しかも、妻の実家は羽後亀田の隣です。結婚するにあたり、私の父と妻の父が、お互いにズーズー弁で会話をし、何とか通じていました。この言葉づかいというよりも雰囲気は、非常によく似ていることを実証してくれました。

 今回のドラマで、島根県側の出雲弁は上品なことばで話されました。対する秋田弁は、妻によると生まれた地の香りがない、とのことでした。
 実際の小説でも、清張は出雲弁について慎重に方言の校正を亀嵩算盤合名会社にお願いするほどでした。この物語は、出雲地方の方に比重がかかっている、ということなのかもしれません。

 『砂の器』は、国立国語研究所が全国の方言を調査していた間の、昭和35年に書かれました。なかなかいいタイミングをつかんだトリックとなっていることに関心させられます。
 折しも、明日私は、国語研究所が主催する研究会で、研究発表をすることになっています。
 合間にでも、2つの方言の問題と、清張の取材姿勢などについて聞いてみようと思っています。
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2011年08月08日

真夏のお茶のお稽古

 暑い中を、平群へお茶のお稽古に行きました。
 今日はまず、お茶会を想定して、床の掛物を真のお辞儀で拝見し、花と花入れ、そして香盒を見ることをやってみました。花は芙蓉が竹で編んだ縦長の籠に差してありました。香盒は茄子だったように思います。
 続いて、釜と風呂を拝見します。
 こうして、少しずつ覚えていくことが増えていきます。

 濃茶と薄茶を続けて点てていただく場面だったので、お菓子のいただき方もバリエーションが増えました。濃茶のお菓子は、先生が小豆を練って作られたものでした。三段重ねのお重のようなものに入っていたので、一見お弁当かと思いました。黒文字で懐紙に取り、下の段に重ねて次客に送りました。お菓子は甘さが抑えられていて、美味しくいただきました。
 薄茶の時はカラフルな干菓子でした。

 濃茶は初めていただくものでした。どろりとしていて、薬のようです。喫み口を拭くための小さな茶巾も、こんな時に必要になることを知りました。
 道具のことも、少しずつわかってきます。

 練習は、風呂の薄茶点前です。
 襖の開け閉めから歩き方や袱紗さばき等々、立ち居振る舞いと所作も本格的になると、いろいろと注意をうけます。改めて、丁寧に教えてもらいました。

 背筋が曲がっているので、伸ばすことも意識することになります。頸椎が左手を痺れさせていることもあり、この機会にしっかりと姿勢をよくする習慣もつけることにしましょう。

 お茶のお稽古を通して、たくさんのことを知るようになります。そして、身体の動きも見直すきっかけとなりました。お茶を点てたり飲んだりする以上に、日常生活につながるところで得るものが多いようです。

 たくさん覚えることがあって、お茶をいただき、点てる中でパニックになります。しかし、何度も繰り返すうちに、それ以外のことも多く吸収しようと思っています。

 なかなかお稽古に行く時間がとれません。しかし、機会を見ては、多少の無理をしてでも足を運びたいものです。
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2011年07月18日

台風の中をお茶のお稽古に

 昨日までの炎天下の祇園祭が嘘のように、今日の京都は朝から雨でした。

 上京する前に、平群へ娘と一緒にお茶のお稽古に行きました。
 何かと仕事が溜まっているので、行けるときに行くことにしています。

 京都の家から2時間。近鉄特急の車内では、幕の内弁当を食べました。
 雨は少し小止みになったのですが、元山上口駅に降り立った時から、また降り出しました。

 今日は、お薄のお稽古を2度しました。
 まだ、挨拶の仕方で戸惑っています。何かの動作をしながらの答礼は、本当に難しいものです。タイミングと加減がわからないのです。
 これもみな、場数をこなす中で、身についていくのだそうです。

 柄杓に手を伸ばしたり、釜にお水を差す頃合いなどなど、一通りの手順はわかっても、横からの先生の囁きが頼りです。

 手術後から身体の筋肉が落ちたためもあってか、立ったり座ったりしている内に、畳に押し付けられている骨が痛み出します。先週のお稽古の時と同じように、今日も足の骨がヒリヒリします。足腰を鍛えることも、今後は心掛けることにしましょう。
 百人一首のカルタ取りがそうであったように、お茶も体育会系の様相を呈して来ました。

 それでも、お茶を点てながら、少しずつ流れがわかってくると、おもしろくなってきます。新しい発見が多いのです。所作の意味を教えてもらって、なるほど、と納得です。
 知らなかったことがわかるようになり、断片的なイメージの一つ一つがつながった時の嬉しさは、とにかく格別です。それでいて、これを大事に忘れないようにしよう、と思うそばから、しばらくすると次の動作がわからなくなっていて慌てます。
 まさに、スポーツクラブのスタジオレッスンで、エアロビクスの振付の次がわからなくなり、しばし手足を止めて佇む瞬間に似ています。例えが変ですが……。

 まだまだ、ほんの入口に立ったばかりです。これからの長い道のりを、ささやかながらも一歩ずつ前に向かって進んでいきます。

 お稽古を終えて帰る時には、外は大雨でした。台風が近づいて来ているようです。先生が、元山上口駅まで車で送ってくださいました。大助かりです。

 京都駅で妻と待ち合わせをし、それまで一緒だった娘と別れて東京に向かいます。
 娘は、明日から大阪での新しい仕事につきます。フランスから先月帰って来てすぐに、日本での就職先が幸運にも決まったのです。イギリスとフランスの大学を終えたことは、遠回りをしたようにも思えます。しかし、海外で勉強したことが活かせる仕事が見つかったのですから、それもよし、ということでしょう。

 連休明けのせいか、新幹線は満員でした。
 東京駅は、西からやって来る台風を迎える嵐の前の静けさか、空はどんよりと曇った生暖かい風で蒸し暑い夜でした。
 ちょうど宿舎にたどり着いた頃には、ポツリポツリと大粒の雨が落ちて来出しました。
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2011年07月02日

「戦前期の出版検閲と法制度」の講演会

 今日も、いろいろと多忙でした。特に、午後からは慌ただしい時間を過ごしました。

 朝食後に少しお腹に違和感があり、昼食後は腹痛に襲われました。ゆっくりと食べていたのに、キリキリと痛みます。このところ、何かと忙しく立ち回っていたので、週末になり気が緩んだのでしょうか。

 1時間ほど休息をとり、すぐに千代田図書館へ急ぎました。中京大学の浅岡邦雄先生の講演があるからです。
 今日のタイトルは、「戦前期の出版検閲と法制度」です。
 
 
 

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 池田亀鑑が深く関わった昭和7年の『源氏物語に関する展観書目録』が検閲された時日について、まだ解決していない問題があるのです。本ブログ「昭和7年の源氏展冊子の奥付が書き換えられたこと」(2011年6月 8日)をご参照ください。

 仲間を通して、あらかじめ私が抱えている問題を浅岡先生に伝えてもらっていたこともあり、また、先生が私のブログを読んでくださっているとのことなので、今日はご講演の前にとりあえず名刺交換だけをしました。

 私が抱えている問題については、いずれまた詳しく教えていただこうと思っています。

 さて、今日の講演の内容は、まだあまり研究されていないテーマだそうです。それだけに、つい話に聞き入ってしまいました。
 時代としては、関東大震災から昭和12年までを扱われました。昭和13年以降は、検閲の事情が違ってくるのだそうです。

 納本や検閲に関する出版法規として、「出版法」(明治26年)と「新聞紙法」(明治42年)の2つがあることを知りました。
 また、一般に「発禁」といっていますが、これは紛らわしい表現であり、実際には内務大臣が関わる「発売及頒布禁止」と、裁判所が関わる「発行禁止」があるそうです。確かに、区別する必要があります。

 非常に興味深いお話が続いていました。しかし、講演が始まって1時間ほどで、私には次の予定があるために、残念ながら会場を離れなければいけませんでした。あらかじめ浅岡先生には中座することをお断りしていました。先生ごめんなさい、と心の中でつぶやきながら、九段下から次の打合せの場所へと急ぎました。

 そこでは、個人研究と共同研究を混同したやりとりが交わされ出したので、そのことについての私見を、ほんの少しでしたが述べさせていいただきました。個人研究である小規模予算を、関係者みんなで食い潰してはいけない、との思いがあったからです。
 しかし、朝からの体調不良もあり、そこそこのところで強く言うことはやめました。みなさんが共同研究の方向で取り組もうということで一致したので、「個人研究に深くは立ち入らない」という私の中のルールは引っ込め、流れにまかせることにしました。

 体調がよくないと、話し合いでもすぐに引いてしまいます。これも、仕方のないところです。
 内輪だけの懇談会のはずが、いつの間にか、参加者みんなの要望と参加意義を満たすための会議をすることになってしまった印象です。小さな懇談会として組まれた予算で、いつしか大会議をすることとなり、とりまとめ役の先生に無理と負担がかかることが必定なので心配です。
 今回の研究テーマは、この予算規模で取り組めるものではないので、共同研究に持ち込むのは至難の業です。研究テーマと研究費に落差がありすぎるのです。これも、なかなか難しい問題です。

 個人研究には立ち入らない、という私なりの姿勢を保持しながら、今後ともこの集まりには参加していきたいと思います。とにかく、船頭となられる先生が無理をなさらずに、これからの会の運営と予算の運用をしていかれることを願っています。また、その方向でお手伝いをしていきたいと思っています。

 その後の懇親会は体調が思わしくなかったので遠慮しました。早々に帰宅し、ゆっくりと1時間半をかけて食事をしました。
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2011年03月27日

伊井春樹先生の古稀を祝う会

 京都御所にほど近い京都ブライトンホテルで、伊井春樹先生の古稀をお祝いする会が開催されました。
 先生を知るものはみんな一様に、古稀と先生のイメージが合いません。とにかく、歳を数えると70だから、ということでお祝いのパーティーとなっただけです。
 先生ご自身も、歳のことなどはすっかり忘れて、今も走り回っておられます。

 第一部は、平安装束の着付け鑑賞会でした。
 山科流の福呂一榮さんによる着装です。
 
 
 
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 写真の右端は、文官の束帯姿のモデルとなられた同志社大学の岩坪健先生です。よくお似合いでした。岩坪先生は、伊井先生の教え子の第1号にあたられます。今回の祝う会の実行委員長でもあります。

 第二部は、京都らしい和食の祝宴でした。今日のお祝いに参加したのは約40人でした。先生のご意向により、こぢんまりとしたお祝いの会でした。
 なお、先生に博士論文を提出した者の内の21名で、お祝いの意味を込めて研究論集を刊行しました。
 詳しくは、笠間書院の新刊案内である「伊井春樹編『日本古典文学研究の新展開』」(2011年3月16日)をごらんください。
 私は、「新出『源氏物語(若菜上・残巻)』と本文分別に関する一考察」という一文を寄せています。
 ずらりと並んだ論題を見ただけでも、伊井先生の教え子の幅の広さが実感できます。
 
 
 
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 先生のご挨拶の中で、最近は涙腺が緩くなって、ということが語られました。
 そういえば、教え子の思い出話をお聞ききになりながら、目頭を気にしておられました。いつもは、とにかく歳を感じさせない行動力でお仕事をなさっています。そのような先生がどうなさったんだろう、と気になっていました。これを、古稀になられたしるしとしておきましょう。

 来週末からは、先生が館長をなさっている逸翁美術館で、「与謝野晶子と小林一三」という展覧会が始まります。
 
 
 
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 展示図録によると、第 V 章の「晶子の新出書簡」は伊井先生が担当されたものです。
 昭和11年(2通)と14年(1通)の計3通は、晶子の文学史年表に新たに書き加えられるものとなります。
 
 
 
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 また、与謝野晶子の自筆原稿『新新訳源氏物語』(堺市立文化館与謝野晶子文芸館蔵)の中から、「桐壺」巻が展示されます。

 この展覧会については、また報告します。

 相変わらずお忙しい先生です。身体には充分にお気をつけになって、いつまでも刺激的なお仕事で我々に活力を与えて下さることを、これまで以上に楽しみにしたいと思います。
 と言う暇もなく、早速、帰りには今週刊行された新著を手土産にいただきました。
 このことは、明日にでも書くことにします。
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2011年03月14日

京都と東京を慌ただしく往復した一日

 今朝は、関東地方の交通機関の運行状況を見ながら、東京の同じ宿舎にいる2人の同僚とは電話で情報をもらい、職場とは電話とメールで連絡をとりながら、タイミングを見計らって京都駅から新幹線に乗り込みました。

 出発する間際に、東京で振度4の地震があったので、そのまま新幹線に身を委ねることに躊躇がありました。しかし、仕事のためには、命がけでも行くしかありません。
 それでいて、立川地区は午後から停電だそうです。
 モノレールも午後は止まるとか。
 難行苦行の一日となりそうです。

 名古屋駅を出てしばらくした頃に、新幹線の自動ドアの上にある電光掲示板が目に付きました。
 以下の表示が流れていました。


【JR東日本首都圏・新幹線 運行状況】山手線・京浜東北線(赤羽〜蒲田)・中央快速線(東京〜立川)・常磐快速線(上野〜松戸)・常磐緩行線(綾瀬〜松戸間)・埼京線(大崎〜大宮)・上越・長野新幹線※その他の線区は終日運転を見合わせ


 この電光板は、一度に7文字半だけ表示されるものです。8文字目が順次右から左へと流れるようにして押し出されてくる方式です。

 これを見る限り、「長野新幹線」に続く「※その他の線区は終日運転を見合わせ」とある字句が、その間にコンマも中黒点もスペースもないので、その前の字句とどういう関係になるのか、即座にわかりませんでした。
 肝心の字句が「運行状況」の中に含まれています。運行中と理解していいのか、その後の「※」印の「見合わせ」とどのような関係にあるのか、私には理解できません。

 次に流れた情報は、こうでした。


【JR東海 運転状況】終日運転見合わせ 東海道線(熱海〜函南間)・御殿場線(国府津〜下曽我間)


 さらに、こう続きます。


【JR東海 運転計画】計画停電の影響で、次の線区、時間帯で運転を見合わせます。《東海道線》函南〜三島間 9:20〜13:00頃、沼津〜富士間 15:20〜18:20頃、函南〜富士間 18:20〜19:00頃、 函南〜三島間 19:00〜22:00頃


 これなら、最初に「終日運転見合わせ」とか「時間帯で運転を見合わせます。」とあるので、それ以下の内容の意味がよくわかります。

 通りかかりの車掌さんに聞くと、手持ちの機器を操作して、「中央快速線(東京〜立川)」は運行している、との回答を得ました。

 この電光掲示板の日本語の表示は、結論がわかれば、「※」の前までが運行で、その後が見合わせだったんだ、と何となくわかります。しかし、流れ続ける固有名詞の羅列の長文を読解するには、なかなか大変な労力を強いられる文章だと思います。何が運行中なのかが明記されず、読み手に推測させている文だと思います。
 とにかく、「※」が理解を混乱させています。

 東京には、定刻に着きました。
 ホームに降り立つと、矢継ぎ早の放送が耳に届きました。流れ続ける放送によると、電力会社の計画停電のため、エスカレーターは停止しており、エレベーターを利用してくれ、とのアナウンスです。

あれッ?


 地震の時には、エレベーターを使うなと、昨夜からテレビでしつこく言っていたのに、この東京駅ではまったく逆のことを言っています。それも、新幹線に乗る直前に東京で振動4の地震があったことを知っているので、アナウンスが奇異に聞こえます。
 確かに、エスカレーターはロープが張ってあり、止まっています。
 エレベーターへ急ぐ人の群れを尻目に、階段を使って改札に向かいました。

 すぐに、東京駅に着いたことを職場へ知らせました。
 予定の時間までは1時間半あります。幸い、東京と立川間は電車が走っています。電話で、間に合うはずだと伝えました。わかりました、との返答でした。

 立川駅のルミネには、こんな張り紙がしてありました。
 
 
 

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 職場には、無事に予定より15分前に着きました。
 入口には、展示の案内パネルに、張り紙がありました。
 
 
 
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 また、エレベーターにも、計画節電の張り紙がありました。
 
 
 
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 新幹線でとんぼ返りをする前に、宿舎の地震による被害を確認するため、少し寄り道をしました。
 京葉線は運休とのことなので、地下鉄東西線で門前仲町まで行きました。途中、竹橋駅で停車中に、地震が東京地方にあったとのことです。しばらく電車が止まっていた間は、ここで津波に襲われたら終わりだと、観念して座席に座っていました。電車内は、ものすごい混みようです。
 ようやく宿舎にたどり着き、部屋の無事を確認しました。

 部屋の大きなテレビが前のめりに倒れていました。液晶パネルは大丈夫でした。
 書斎の本棚も無事でした。すっくと立っています。しかし、上に乗せていたガラス戸付きの棚が落ち、ガラスが辺り一面に飛び散っていました。本は、たくさん下に散乱しています。
 パソコンの液晶モニタもひっくり返っていました。しかし、それだけです。無傷です。幸いでした。
 部屋はそのままにして、京都へ向かうことにしました。

 京葉線は依然として運休です。東西線の門前仲町駅が、改札制限のために、入場は2時間待ちになっていました。ものすごい人が、改札の前で列を作っていました。
 仕方がないので、大江戸線を使って浜松町経由で東京駅に出ました。

 こうなると、諦めてノンビリ帰るしかありません。
 新幹線で京都の自宅に帰り着いたのは、夜の11時でした。

 関東東北地方で震災に遭われた方々のことを思うと、こんなことは大したことではありません。
 いろいろなことがあった、京都と東京を往復する一日でした。
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2011年03月05日

高校入試で行書体の文字を問うこと

 昨日(2011/03/04)京都で行われた平成23年度公立高校の入学試験で、毛筆で書かれた行書体の文字を答える問題が出ていることを、今朝の京都新聞で知りました。
 プレゼンテーションにおいて、発表資料に毛筆で書いた文字を使うという想定で、漢字の偏の行書体を問うものです。
 
 
 
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 京都新聞に掲載された「京都公立高校入試問題」を見て、これはいい傾向だと思ったので、過去の入試問題を調べてみました。

 京都新聞のウエブサイトには、「平成12〜23年に実施された京都府と滋賀県の公立高校入試問題と解答」が公開されています。
 滋賀県の平成23年の試験問題はまだ公開されていませんが、過去12年間の国語の試験問題を見ると、平成18年の京都で、次の問題が出ていました。
 プレゼンテーションをするときの文字遣いについて、行書体と楷書体の違いについて問う問題です。
 
 
 
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 また、平成22年の滋賀県の問題には、次のものが出題されていました。
 これも、行書体と楷書体の違いを問うものです。
 
 
 
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 平成11年以前についてはわかりませんが、平成18年以降は、3例とはいえ行書体について注意を向ける質問が出されているのです。
 私は、この傾向を歓迎します。

 『源氏物語』の古写本の翻刻・翻字を進めていて、若い学生さんたちが墨で書かれた文字を読むことへの関心が薄いことを、常日頃から残念に思っていました。

 まずは、行書体でいいのです。
 中学生時代に行書体に意識を向けさせ、高校生時代に草書体を学べば、日本古来の手書きの文字に興味を向けざるを得なくなります。変体仮名は、その後で興味を持ってから、自学自習で大丈夫です。割り箸の袋に「御手茂登」と書いてあることに注意が向けばいいのです。「御楚者」と書かれた暖簾も、いつか「御そば」と読めるようになるのですから。

 携帯電話やパソコンのワープロなどによって、活字体の文字に囲まれる現在、筆記体の変形文字に対する柔軟な目は、若いうちに養っておいてほしいものです。

 京都府と滋賀県以外では、どのような状況なのか、今はわかりません。
 何かご存じの方は、ご教示いただけると幸いです。
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2011年02月26日

西国三十三所の朱印軸

 自宅のすぐ前の賀茂川の河川敷が、昨年からの補修できれいになりました。
 
 
 
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 芝生の養生のためにロープが引き回されています。この芝生が育つと、さらにいい散策路になることでしょう。

 もう、防寒コートはいりません。対岸の半木の道の桜並木は、あと一月もすると蕾が出るはずです。今年も、みごとな桜を見せてくれることでしょう。
 この半木の道は桜の名所として全国的に知られるようになり、4月に入るとたくさんの人で賑わいます。春はもうすぐです。

 昨秋、病気平癒を願って巡拝した西国三十三所の朱印軸が、きれいに表装されてようやく届きました。
 新町通りにある芳村芳雲堂に西国三十三所のお軸の表装をお願いしたのは、昨年11月初旬でした。あれから3ヶ月半で、こんなにすばらしい軸にしてくださいました。
 
 
 
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 これまでのものと同じようにと、現物をお見せしてお願いしました。それが、希望したものよりも数段いいものとして完成したのです。さすがは、京の表具屋さんです。
 届けてくださった奥様は、この地に生まれ育った方で、なんと私と同い年でした。インドの話になった時に、このあたりにも昭和30年代には牛がいたとのことです。少し話し込んで行かれましたが、永くこの地でいい仕事をなさるお家です。
 みごとなご詠歌のお軸に仕立てていただきました。ありがとうございます。
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2011年01月18日

今でもデタラメな佐川急便

 1995年9月からスタートした私のホームページ〈へぐり通信〉の中に、【ハイテク問はず語り】というセクションがあります。もう15年も前から、個人レベルでの情報発信を続けているのですね。よく続いているものだと、我ながら感心しきりです。

 【ハイテク問はず語り】で「5年目/2000.1.1〜2000.12.31」の記事の一つとして、「佐川急便の受け取りを拒否」〈2000.5.10〉という一文を書いています。佐川急便の荷物の扱いのでたらめさと、配達の酷さを憤慨しながら綴ったものです。
 10年前には、ブログという発信スタイルがなかったので、ホームページの中でこんな話を掲載していたものです。

 この佐川急便という会社は、その後もコンスタントにでたらめさを発揮してくれました。

 「相変わらずでたらめな佐川急便」(2007年6月29日)もそうです。


 そして今日も、不可解で不愉快な思いをして荷物を受け取りました。

 なお、日本郵便の荷物の配送も酷いものです。昨年の信じられないミスは、次の記事をご笑覧ください。
 「迷走する「ゆうパック」で届いたハンガリー語訳源氏」(2010年8月 2日)

 今、日本でまともに荷物を配達してくれるのは、クロネコヤマトの宅急便だけのようです。ペリカン便は昨年「ゆうパック」に引き継がれたようです。業務用はともかく、一般家庭で信用して利用できる宅配業者がクロネコヤマト1社というのは、何とも寂しいことです。

 さて、今回の顛末です。

 海外出張用のキャリーバッグが、あまりの酷使に耐えかねてか、綻び始めました。そこで、ネットで探して注文し、東京の宿舎に届けてもらうことにしました。
 昨日届くように発注したのですが、私が宿舎に帰ったのが午後8時を少し過ぎたため、不在通知票がドアポストに投函されていました。すぐに電話をしたところ、もう今日は配達はおわった、とのことです。午後9時までではないのかと聞くと、午後8時までなのだそうです。

 しかたがないので、今日の夜に再配達してもらうことにしました。一番遅い時間に配達してもらえるように依頼すると、7時だということです。あれっ、と思いましたが、佐川急便とは、もうもめたくないので、一応それで了承しました。
 ただし、午後7時までには帰れないので、7時以降の可能な限り遅い時間に配達してもらうようにお願いしました。
 そして、宿舎で受け取れなかったら、私が江東店に電車で受け取りに行くと言うと、場所は知っているかということで少しやり取りをした後、先方から受け取れなかったらその時に考えればいいことなので、その時点で電話をしてほしい、とのことでした。何とも、突き放した対応でした。

 そして、今日は朝から職場では会議続きの一日でした。午後4時からは私が議長の会議でした。問題山積の議案を扱ったのですが、荷物は今日ダメでもしかたがないと諦め、とにかく審議を尽くして会議を終わったのが午後6時少し前でした。
 大急ぎで宿舎に辿り着いたのは7時半でした。
 外の集合ポストを見ると、そこに昨日と同じような不在通知票が入っていました。いつもは、ドアのポストに投函されます。それが、この外の集合ポストに宅配便の不在通知が入れられたのは初めてです。階段を上るのが面倒だったようです。
 郵便物はすべて京都に転送しているので、この外の集合ポストは、ピンクチラシが投げ込まれるところです。

 外の寒風に吹き曝しとなっていた不在通知票は、午後7時に配達に来たことになっています。
 昨日の約束では、午後7以降で可能な限り遅い時間ということで確認したはずです。それが、午後7時きっかりに再配達にいらっしゃったようです。

 今が午後7時半という時間を確認して、これなら今日の再配達をしてもらえると思って、不在連絡票に記された電話番号をプッシュしました。しかし、いくら呼び出しても出られません。何度目かからは、電波の届かないところか電源が入っていない、というメッセージに変わりました。

 時間ばかりが経つので、江東店に電話をしました。すると、私の耳に届いたのは、「もう上がったのでしょう」という、信じられない返答でした。午後7時半に配達業務を終えて帰るとは、何とも不可解です。
 昨日のやりとりを説明して、あまりにも対応が無責任ではないか、と不満を言うと、急に態度が変わり、調べるので後で電話をする、と言われるのです。

 しばらくして電話があり、今晩9時までには届ける、とのことです。そして、7時以降に配達という連絡が伝わっていなかったようで、とおっしゃいます。
 昨日は、10分近く電話口で受け取り方の相談を含めて話をしました。その言い訳では、昨日配達のためにお出でになり、電話の対応をしてくださった配達担当の?さんはいったい何だったのでしょうか。昨日の不在連絡票を見ると、お名前が書いてありません。今日の不在連絡票には、ハッキリとKという名前が記されています。

 いずれにしても、今日の配達業務は、午後7時までではなかったのですか?
 昨日は8時までしか配達しないのに、今日は9時まで仕事をなさるのですか?
 おまけに、7時半から電話を受け付けない設定にして仕事から上がられた方に、急遽時間外勤務が課せられた、というのでしょうか。

 9時前に、荷物が届きました。配達された方は、サインを受け取ると逃げるように帰って行かれました。何か言われたらどう応対していいのか困るので、ここは逃げるが勝ちと思われたのでしょう。
 こんな時に使う日本語として、「ご迷惑をおかけしました」というコトバがあります。それすらなしに、私の名前を確認して、後はサインを、と言っただけで、紙片を受け取ると風のように飛んで帰られたのです。

 以前からお願いしていることですが、私の所に荷物を送られる方は、佐川急便以外の宅配業者にしてください。これまでにも、いくつかの佐川急便が持ってきた荷物は、受け取りを拒否して、送り元に返しています。そして、別の会社の宅配便で送り直してもらっています。

 お手数をおかけしますが、毎度毎度、不愉快な思いと無駄な時間に振り回されたくないので、私に佐川急便で荷物を送ることはお控えください。ご協力の程を、よろしくお願いします。
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2011年01月15日

【復元】入金中の銀行ATMが突然操作不能に


 5年前にアメリカへ行ったときの後日談の第4弾です。
 不運でした。しかし、問題は後に引きずりませんでした。
 何事も、余裕を持って行動しなさい、ということなのでしょう。

※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
 
2006年2月25日公開分
 
副題「悪条件が重なった中での災難」
 
 
 不幸は、いつなんどき、我が身に降りかかるか、本当にわかりません。私は、なかなか楽しい人生を送っていると、心密かに自負しています。
 さて、2週間前のことです。2月12日(日曜日)の午前11時15分。横浜駅前の某銀行での出来事。
 アメリカへ出発する前に、銀行の自動引き落としの対処をするために、ATMに入金して行くことにしました。横浜発の成田エキスプレスの発車までには15分あるので、駅から徒歩2分の銀行へ行きました。
 ATMにキャッシュカードを挿入し、パネル操作をして、入金口に現金を入れました。マシンがお札を数え出すとすぐに、何と見かけない文字列が、目の前の画面に表示されました。一口で言えば、「私は操作不能となったので、横のインターホンで係員に連絡せよ!!」と。

 しばらく、なま暖かい呼び出し音を聞くことになります。こんな時の時間は、非常に長く感じられます。なぜ今、どうしてこんな事態に自分がいるのかが、理解できなくなります。

 やおら受話器口に出られた女性は、私の事情説明を聞くと、今日は日曜日なのでその銀行には行員がいない、すぐにセキュリティー職員に連絡するので、係の者が到着するまでそのまま待っていてほしい、とのことです。その声にかぶせるように聞くと、30分ほどで係員は到着する、と。

 5分もあれば入金手続きは済むと思っていたので、これから成田空港に向かうことを話し、私はATMの中にカードと現金が入ったままだが、大至急この場を離れることを伝えました。10日後に帰国してから、このカードを受け取りにこの銀行に来ることを、今から思えばあたふたと告げました。

 そして、入金口に吸い取られたままの現金を、私の口座への入金処理を依頼し、大急ぎで駅に引き返し、何とか横浜発の成田エキスプレスの発車に間に合いました。

 銀行が入金処理をしてくれない場合を考えて、空港から妻に電話をして、さらなる対処を頼みました。
 私はいつもはオンラインバンキングを利用していますが、海外から日本の銀行口座を見るのは危険だと思い、意識して確認はしませんでした。ただし、アメリカに到着してすぐに、アメリカにある当該銀行のサポートセンターに電話(フリーコール)をし、日本における対処の確認をしました。出先での無料電話は、こんな時には助かります。おまけに、日本語だけで大丈夫でした。

 そして、その後どうなったかは、帰国までの楽しみにしました。

 帰国後、すぐに当該銀行から確認の電話連絡がありました。丁寧な対応に好感を持ちました。
 銀行の窓口へ行き、ATMに吸い取られたままだったキャッシュカードを返却してもらいました。私が放置して立ち去った後の現金も、無事に入金処理されていました。
 支店長代理だという方が、その日は対応してくださいました。印象ですが、このようなことは頻繁とは言わないまでも、ままあるケースのようです。私の場合は、ちょうど日曜日だったために、また急いでいたために、こんなに面倒なことになっただけのようです。平然と対応しておられましたので、そんなふうに感じました。

 こんな場合には、私のようにトラブルの対処を銀行側にすべて任せ、後日窓口に吸い取られたままのカード類を受け取りに行く方法と、キャッシュカードを郵送してもらって受け取る方法、の二つがあるそうです。銀行側の説明は、手慣れたものでした。休日の対応は、あのセコムに依頼しているそうです。

 銀行などのATM機器はよく利用します。しかし、こんなトラブルは初めてです。私が入れたのが新札だったからかもしれません。慌ててクチャクチャにして入れた覚えはありません。新札を揃えて入れました。いずれにしても、降って湧いた災難でした。 
 
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2010年12月17日

図書館でのペットボトル

 3週間ぶりに京都の自宅に帰りました。
 賀茂川沿いに自転車を走らせ、岡崎公園にある京都府立図書館を目指しました。義務教育期間の国語科の教科書を調査することを再開するためです。一月ほど空いてしまいました。

 自宅のそばの賀茂川は、散策路の工事が始まっていました。これは、下流から北上してきた公園整備の一環です。やっと我が家の前まで来たことになります。
 
 
 
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 対岸から我が家の方を見やると、こんな様子です。
 
 
 

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 来春には完成することでしょう。環境整備はありがたいことです。気持ちよくウオーキングができます。

 下鴨神社の近くから、真冬の大文字がきれいに見えました。
 冬鳥も気持ちよさそうに飛び回っています。
 
 
 
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 賀茂川はみんなの憩いの場所です。三条から四条にかけてのアベックの光景は、二条から上って我が家の方にはまったく見られないのです。散策は御池から北に限ります。観光(?)は、御池から南です。

 途中で、新郎新婦の記念撮影に出くわしました。
 
 
 
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 寒そうですが、なかなかいい雰囲気です。
 私なら、前方の北山をバックにして写真を撮ります。冬の北山のグラデーションもいいものです。 
 
 さて、図書館での調査は、今日は中学校の教科書の続きです。これが膨大にあるので、来春までに終わればいいと思って根気強く続けています。

 私が使える範囲内のテーブル一面を使って、分類整理しながら一冊ずつを確認していた時です。右横の席で調べ物をしておられた若い方が、持ち込んでいたペットボトルのお茶を私の右側の、ちょうど数冊積んだ教科書の横に置かれたのです。私が右の方の領域を侵犯して机に資料を並べていたわけではないのです。

 大事な資料を、それも昭和20年代から30年代の教科書を広げていたところだったので、何かあってはと思い、隣の人に「ペットボトルを反対側に置いてもらえませんか」とお願いしました。
 すると、「口は閉めてあります」と憮然とした表情でおっしゃいます。顔色が変わっていました。
 私は、「いま貴重な資料を見ているので。紙に水気は良くないもので……」と丁寧に言いました。すると、また「口は閉めてあります」と不満そうです。
 しかし、ここは出納カウンターのすぐそばで、大型本や新聞や特別な本をみるテーブル席です。そのために、少し広めのテーブルが、司書の方の目の届く場所に設置されているのです。

 私が、「閲覧する机上に飲み物を置いてはいけないと思いますよ」と優しく言うと、不承不承ペットボトルを私の横から反対側に移されました。
 その方は、それでも納得できないのか、腹の虫が収まらないのか、閲覧カウンターの所へ行って、図書館のリーフレットを持って来て、館内で飲み食いをしないでほしい、と書いてある箇所を私に示されます。飲んでないのだからいいじゃないか、と言いたそうです。
 しかし、「本は湿気を嫌いますから」とヤンワリと言うと、「そんなことは知っている」とおっしゃいます。知っているからペットボトルを私の横から反対側に移動したのだ、と顔が言っていました。

 私にしたら、今は50年前の教科書を調べていて、本の紙が酸化していてページの周りの色が茶色になり、めくるときに注意を払っているのです。その本の横にペットボトルを置くなど、非常識です。
 その方は、自分の行為がいけないことであったことに気づかれたようです。「図書館では常識ですよ」と言うと、また「そんなことはわかっている」とふてくされて言われます。しかし、注意されたことが不愉快で素直になれない、というところのようでした。

 見たところ、法令関係の論文をたくさん調べておられるようです。それなりに知的な様子なので、まともに話はできる方のようです。第一印象としては、この近くの大学の法学関係の大学院生で、年明け早々に提出する修士論文を執筆中、という雰囲気がありました。これは、まったく私の勝手な想像です。学部の学生が卒業論文に取り組んでいる姿ではありません。

 外も暗くなり、閉館時間も近づいたので、今日の調査の収穫を別のコーナーでコピーしました。そして、自分の席に戻ると、先ほどのペットボトルが私と彼の間に置かれていました。彼のささやかな抵抗だったようです。
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2010年11月28日

テレビドラマ『球形の荒野』(後編)を観て

 『球形の荒野』の後編は、戦争と平和がテーマになっていました。難しいテーマが、わかりやすく展開しました。
 ただし、このドラマを観ていた人の多くは、このような深刻な問題を突きつけられるとは思っていなかったのではないでしょうか。前編でもっと伏線を張っておいたらよかったと思います。
 しかたがないのでしょうが、前編は殺人事件と父娘の関係の推理に、どうもバランスが傾きすぎでしたから。

 この小説の時代設定についても、疑問があります。
 『球形の荒野』は、昭和35年に発表された小説です。それを、今回のドラマ化するにあたっては、東京オリンピックが開催された昭和39年の物語になっていました。東京オリンピックが中途半端にドラマの中で浮いていました。あの外交絡みの和平交渉や、その背景にある暗さを表現するには、何ともギクシャクし過ぎです。うまく噛み合っていないジグソーパズルのようなドラマになってしまいました。また、連続殺人事件の犯人たちについても、無理があります。これは、清張自身が連載時から単行本の刊行時において、さまざまな削除の手をいれたことと関係します。清張の迷いと苦悩が、このドラマでもストレートに混線した状態で映像化されています。これは、脚本の問題かもしれませんが。
 これは、かえって現代に置き換えるべきでした。そのほうが、すっきりと内容に入れたと思われます。

 原作の改変を含めて、登場人物の関係や時代設定について、よくわからないままに、違和感を持って観た人が大半ではないでしょうか。

 今は、新幹線の開通や東京オリンピックのことが、ほとんどイメージしにくい時代にあります。観る人を50歳台以上に設定したとしても、伝わるものが少なすぎました。若い方々には、なおさらわかりずらかったと思われます。
 逆に新鮮だったと感じた人もいるかもしれません。それは、原作から離れすぎたところから生まれる、計算外の効果と言えるでしょう。

 父娘で海を臨みながら「七つの子」を歌うシーンも、川奈温泉の海辺ではスケールが小さすぎます。これでは、清張が泣きます。清張には、荒々しい波が必要です。
 原作通り、観音崎の岩場にしなかったのはなぜでしょうか。これが、インパクトのないドラマになってしまった典型的な事例です。

 全体的に、スケールが極端に矮小化されていました。こぢんまりした清張作品になっていて、失望です。

 あまり貶してばかりではいけないので、最後は褒めておきましょう。

 久美子役の比嘉愛未は、後編になると役所が掴めたのか、表情がとても柔らかくなり、好感を持って観ていられました。このドラマでは、数少ない救いでした。

 また、本来なら父娘で「七つの子」を歌って終わるところを、このドラマでは、さらに野上が日本を離れる空港のシーンが付け加えられていました。それがかえって、このドラマが一番アピールしたいところになっていたと思います。。

 空港での別れ際に、江口洋介が田村正和に、日本の印象を聞きます。カサブランカ並みのアングルでした。それはともかく、ここで、主役が田村から江口に代わったと感じました。江口洋介が物語の中心に躍り出た場面になっていました。それだけの、意欲的な原作への付加でした。
 これは、後編での堅苦しくなった流れを何とか必死に立て直そうとした中で生まれた、昭和39年当時のことばで言う「ウルトラC」でした。このシーンを付け加えたことにより、この後編で迷走したドラマが、その伝えたかったテーマを鮮明にしました。ことばを代えれば、この空港での別れのシーンがなければ、このドラマは完全に失敗、ということになりかねなかったのです。

 この2人の空港での向き合い方が、清張の作品の解釈として視覚的に表現できたことが、このドラマの最大の成果と言えるでしょう。
 この終わり方を設定できる監督なら、『砂の器』をどう料理されるのか、少し楽しみになりました。
 ただし、キャスティングのミスのないように、慎重に人選をしてほしいと希望します。
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2010年11月27日

テレビドラマ『球形の荒野』は「後編」に期待

 私が好きな小説の一つである『球形の荒野』(松本清張、『オール讀物』昭和35年4月特大号〜昭和36年12月号連載)が、2夜連続で放映されます。これは観ずにはいられません。活字の小説は好きなので、何度も読みました。その映像化の出来具合が楽しみです。

 映画化は、昭和50年6月でした。芦田伸介と島田陽子が親子を演じました。このビデオとDVDは、何度か観ました。
 この映画に前後して、テレビドラマでは、野上顕一郎と久美子親子は、こんな組み合わせで放映されました。

 昭和37年・「?」と水木麗子
 昭和38年・市村羽左衛門と富士真奈美
 昭和44年・森雅之と山本陽子
 昭和53年・滝沢修と栗原小巻
 昭和56年・三船敏郎と島田陽子
 平成 4年・平幹二朗と若村麻由美
 平成22年・田村正和と比嘉愛未

 昭和37年のNHKドラマは「松本清張シリーズ・黒の組曲」として2回放映されています。ただし、この時の野上顕一郎役の俳優さんがわかりません。いろいろな情報では、宗近晴見さんを当てているものが散見されます。しかし、宗近さんは添田役でした。孫引きが広がっていて、実際のところがわかりません。どなかた、教えてください。

 さて、今回のドラマ化は、私の好みではありませんでした。まだ前編を見ただけなので、明日の後編を楽しみにしています。
 田村正和と生田斗真は大失敗です。私の『球形の荒野』を台無しにしてくれました。というよりも、今の私に理解できないのは、素人だからということにしてください。
 草刈正雄と江口洋介は、抑え気味の演技がよかったと思います。
 女性陣もイマイチだと思いました。ただし、野上顕一郎の妻で久美子の母である孝子役の風吹ジュンは、際だって存在感がありました。明日も、楽しみにします。

 話の流れとしては、奈良を訪ねた芦村節子が、唐招提寺で芳名帳に叔父である野上顕一郎の手跡を見かけた、と、原作通りにしてほしいですね。新薬師寺にしたのは、どうしてなのでしょうか。新薬師寺と唐招提寺では、映像に雲泥の差がでます。まず、これがこのドラマの最初の躓きでした。
 唐招提寺にできなかったのは、修理中だったことに起因するのでは、と勝手に思っています。

 昨年、次の2つのブログを書きました。

「古都散策(28)唐招提寺の落慶法要」(2009年11月 8日)


「【復元】古都散策(2)唐招提寺」(2009年11月14日)


 製作者としては、唐招提寺にしたかったのでしょうが、昨年の撮影の交渉の段階でいろいろとあったのでしょう。そのために断念されたのでしょうか。撮影は、3月27日(土)〜5月12日(水)だったようなので、何があったのでしょうか。
 それでは、白毫寺に、という選択もあります。飛鳥の安居院なら、松本清張にピッタリです。海住山寺も浄瑠璃寺も、奈良には時間の広がりを感じさせるお寺がたくさんあります。興福寺の五重塔も出してほしかったですね。時間と予算の兼ね合いでしょうか。

 歌舞伎座は、改築前の撮影だったようなので、これはこれで記念となりそうです。

 なお、この小説は雑誌『オール讀物』に発表後、単行本として刊行する時に、大幅な削除がなされました。『オール讀物』の昭和35年12月号の冒頭部分の約8000字もの文章が、単行本には入っていないのです。添田が滝を追って信州に行って東京に帰った翌日の場面です。また、滝が笹島画伯の死について語る場面も、削除されました。

 このことについては、『週間 松本清張 9号 『球形の荒野』』(10頁)に詳しく書いてあります。

 松本清張が父を捜し求める作品を書いた背景は、鳥取県の日南町に行った時によくわかりました。

「松本清張ゆかりの日南町」


 父のことを知りたくて立ち寄った町に入れてもらえなかった清張の心は、この『球形の荒野』にも形を変えて生きているように思います。

 短絡的な印象記はこれくらいにします。
 続きは明日。
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2010年08月24日

雷雲を躱した後の夜はお茶の特訓

 やり残していた仕事があったことを思い出し、電話連絡をしてから、自転車で三条にある京都文化博物館へ行きました。学芸員の方には、お世話になりっぱなしです。いつも丁寧に対応していただき、ありがたいことです。

 貴重なメモが記入された資料を自転車の荷台に括り付け、賀茂川沿いを帰ろうとしたとき、それまでの酷暑がウソのように、突然天空が薄暗くなりました。風がなにやら雨を誘いそうな湿っぽさで、肌を撫でて行きます。

 三条大橋から河原に降りようとしたころから、天上がゴロゴロと鳴り響き、東山から比叡山にかけては稲妻が幾筋も鋭く縦に走ります。
 これは大変と、全速力で自転車を漕ぎました。
 後の荷台の資料が左右に揺れ、ハンドルを取られそうになりました。しかし、それよりも追いかけて来る雷雲に、ここで負けるわけにはいかないのです。のんびりと賀茂の川面にいるサギやカモの翼を、一時だけでも借りたくなります。

 自宅から市内までは緩やかな下りなので自転車も快適です。しかし、街中から自宅に帰るのは、逆に緩やかな上りになるのです。右手後方の雨雲に負けじと、全速力で賀茂川を上ります。
 数滴の雨粒を感じました。しかし、どうにかにわか雨をかわすことができました。東山の方へ向けて、救急車や消防車が駆けつけるサイレンが、何度も耳をかすめました。

 無事に資料を濡らさずに自宅に辿り着きました。すると、ドッと汗が噴き出します。急に、呼吸も乱れだしていることが自覚できます。連日の暑さのせいもあり、体力の消耗が早くなっているようです。

 手術を控えて、体力作りに注意を払ってきました。しかし、どうやら維持に留まっていたようです。
 後は、睡眠をたっぷりととり、長時間の手術に耐えられるように身体の調整を心掛けましょう。

 夜、娘の指導の下、盆略手前の練習です。
 前には、妻や息子が正座をしています。
 横から何やかんやと言われながら、一通りやり終えました。
 後半の茶筅通しのところはこんな感じです。
 
 
 
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 流れはわかっていても、つい無意識に一つ先の動作に移ろうとします。
 これも、何度も修練を積み、慣れるしかないようです。

 病院のベットでは、お手前のイメージトレーニングをすることにしましょう。
 書棚に『裏千家茶道のおしえ』(千宗室、日本放送出版協会)という本がありました。学生時代に買った本です。しっかりと、入院用のバッグに入れました。
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2010年08月15日

一年ぶりの運転で高安へお墓参り

 今年も養林庵の庵主さんがお経をあげに来てくださいました。
 優しい声で丁寧なお経なので、ありがたいことです。
 
 
 
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 いつものように、しばらく歓談です。
 息子が作ったお供えを、今年も庵主さんは褒めてくださいました。
 手先が器用な息子は、毎年なかなか凝ったお供えの料理を作ってくれます。
 
 
 
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 お供えしたお菓子には、明日の京都五山の送り火をデザインしたものがあります。
 今年も、お供えにはいろいろと工夫とアイデアを盛り込みました。
 
 
 
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 昨年のお盆は「いつものお盆です」に記した通りです。 

 今年も、無事にご先祖さんを迎えることができて安堵しています。平凡が一番です。

 今年は私のことがあるので、妻たちも実家の秋田には帰らず、ずっと京都にいます。
 レンタカーでのお墓参りは、京都に引っ越してから毎年のイベントです。家族5人みんなで、大阪の八尾市にある信貴霊園へ行きました。『伊勢物語』の「筒井筒」で知られる高安の里です。

 お昼ご飯は、これもいつもの通り、京都南インターの南にある回転寿司屋「とれとれ屋」です。
 ここは、私が好きなお店の一つです。
 
 
 


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 お墓からは、淡路島から四国が遠望できます。ただし、今日は霞んでいました。
 
 
 
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 手前に、私が通っていた南高安小学校と南高安中学校があります。


 我が家の墓石には、両親の名前などが刻まれています。
 このお墓は、私が結婚した翌年に、両親が出雲からこの高安の里に移したものです。
 
 
 
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 文徳忠衛居士 昭和五十八年五月十五日
        俗名 忠右衛門 六十八歳
 縫徳禎香大師 平成十六年十月五日
        俗名 禎香 八十四歳

 父は、文章を書くのが大好きで、川柳とクロスワードパズルを作るのが得意でした。
 母は、和裁が得意で、内職で家計を支えてくれました。
 共に、満州から引き揚げた後、苦労して姉と私を育て上げてくれました。 
 両親二人に敬意を表して、その生き様への労いを込めた戒名にしました。

 今日のレンタカーの車種は、昨年同様にホンダのインサイトでした。バックモニタと前後にソナーが付いた、なかなか運転しやすい車でした。走行距離は145キロで、ガソリンは7リットルだったので、燃費は20キロというところです。
 エコカーの燃費は上々でした。

 京都に住むようになってから、車を手放して自転車生活にしました。確かに、年に一二回しか運転しないので、レンタカーをうまく使うに越したことはありません。
 自動車などで社会を乱さない生活を、今後とも心がけて行きたいと思います。
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2010年08月14日

スクーバ・ダイビングを楽しむ

 今日は最初に、基本的なスキルの復習を2つやりました。

 1つは、水中で酸素ボンベの空気が無くなったときのことを想定して、パートナーと予備のオクトパスのマウスピースを貸し借りする練習です。

 次に、マスクに水が入ったときや外れたときのために、マスク内の水をクリアする練習です。今日は、マスクを顔から離した後に水をクリアしたので、呼吸が少し苦しかったように思います。

 とにかく、いずれも無事にOKとなり、後はプールを自由に遊泳しました。
 
 
 
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 一昨日よりも身体の力が抜けていたせいか、楽に泳げました。
 プールの水深は1メートル半くらいなので、中性浮力を保ちながら遊泳し続けるのは難しいと思っていました。しかし、水底から40センチくらいの深度を保ちながら、うまく泳ぎ続けることができました。

 BCDという、水面や水中での浮力を調整するジャケットに付いているパワーインフレーターは、今日は一度も操作することなく、つまりジャケットに吸気も排気もすることなく、自分自身の呼吸だけで浮き沈みができました。
 ウエイトは2キロを装着していたので、今日のレンタルウエアにはこれがうまく合っていたのでしょう。

 来週からは入院・手術のため、しばらくはスポーツができません。ダイビングも今年は今日が最後です。
 予定していた白浜のダイビングスポット行きは叶いませんでした。ただし、自宅近くのスポーツクラブでの練習が気楽にできたので、来年につなげることになりました。これで「よし」としましょう。

 そういえば、今年も大好きなテニスを一度もしませんでした。パラグライダーで空高く風に乗るのも、トンとご無沙汰です。

 病院に入るまでに、まだ1週間ほどあります。もう少し体力をつけるために、軽い運動だけは続けるつもりです。
 当分は、これまで通り賀茂川ウォーキングに留めておきます。
 来年から、またいろいろなことにチャレンジすることにしましょう。
posted by genjiito at 23:43| Comment(0) | *身辺雑記

2010年08月13日

「おけそくさん」という言葉の意味

 近所のマーケットで買い物をしていたら、和菓子屋さんの店頭に「おけそく」という小餅が並んでいました。はじめて見る名前です。形は、普通の丸い小餅です。その名前が気になりました。
 
 
 
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 帰ってから、早速辞書を調べました。

 まずは、ネットで活用している「コトバンク」から。
 「おけそく」では記載がないので、「けそく」で調べました。

け‐そく 【華足/▽花足】

(1)机や台などの脚の先端を、外側に巻き返して蕨手(わらびて)としたもの。また、その脚のついたもの。
(2)仏に供える、餅(もち)・菓子の類。もと、供え物を盛る器のこと。
(3)足付きの膳(ぜん)の一。白木のままのもの。



 どうやら、[2]の意味が相応しいようです。

 私のパソコンには、20種類の電子辞書を搭載しています。その中でも、『広辞苑第五版』には『源氏物語』の「葵」巻の用例がありました。そういえばそんなことばが、という鈍な反応しか今はできません。

け‐そく【華足・花足】
(1)華形の装飾のある、机・台などの脚。
(2)華足をつけた器物の略称。例えば華足皿・華足盤など。源氏物語葵「−いと清らにして」
(3)〔仏〕
 (ア)餅・菓子など仏の供物を盛る器。華飾。華束。供笥。
 (イ)仏に供える餅・菓子などの称。また、死者の香典返しに「花束」と書くのも供物の意。



 最近会員になって、時々見ている「京都通(京都観光・京都検定)百科事典」の「京ことば」の項目には、「おけそく」はありませんでした。

 しかし、「京都検定を歩く」というサイトに、次の説明がありました。

京ことばで「おけそくさん」とは?

 故人の月命日に、仏に供える小餅のことです。

 ★オマケ
 華足は華やかに飾った足と言う意味で、仏前に置く装飾の有る脚付き台などを言いましたが、転じて供物そのものを言うようになりました。



 ウエブサイトで検索すると、たくさんの方から「おけそくさん」とは何ですか? という質問が寄せられています。そして、親切丁寧な回答がなされています。
 このことばは、全国に散在しているようです。ただし、西日本に、それも日本海側に多いように見受けられます。私が生まれた島根県にもありました。
 方言の一つとして、何か調査結果があるのかもしれません。気に留めておきます。

 また、「華足・花足・華飾・花束・華束」と、その表記が多いことや、小餅だったり落雁だったりと、大変興味のある日本語です。さらには、「おけそくさん」の盛り付け方法について、小餅の場合は「須弥盛・杉盛・串盛・段盛・直盛」と、そのしきたりも種類が多いようです。

 ふとしたことから眼に入った小餅です。しかし、その背景にある文化の多様さに、今は興味津々です。
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2010年08月12日

スクーバ・ダイビングの練習後の爽快な筋肉痛

 今年の8月は、昨年同様に和歌山の白浜へスクーバ・ダイビングで潜りに行く予定でした。

 昨年のことは、「スクーバダイビング2009(1)」と「……(2)」をご笑覧を。

 息子のことで思い出深い三段壁の下を潜ることが、今年の目標でした。

 しかし、突然の病気発覚で、海中散策が頓挫しました。
 お医者さんは、手術までは何をしてもいいとおっしゃっていました。が、海底散歩を楽しむ心の余裕は、さすがにありません。

 それなら、ということで、自宅近くのスポーツセンターのプールで、ダイビングのレッスンを受けることにしました。これまでに覚えたスキルを復習して、忘れないためにも。
 
 
 
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 今日と明後日の2回、特別のレッスンです。多分に遊び半分です。
 ダイビングの機材は、ズッシリと感じられます。


 25メートルプールの第1レーンの半分を使ってのマンツーマンのレッスンです。
 インストラクターの方は、私が手術前であることと、1年ぶりであることを気遣って、丁寧にお付き合いいただきました。

 まずは、ダイビングの機材のセッティングからです。
 とにかく一人でやるように、とのことなので、思い出しながら取り付けをしました。8割方はよかったとのことでした。1年に1度のことなので、思い出すのも大変です。

 プールの底を、だいたい6往復くらいはしたでしょうか。
 最初は中性浮力がうまくとれなくて、水中で上下動をしてぎこちない泳ぎでした。
 ウエイトを2キロから4キロにし、酸素ボンベを幾分下げて背負うようにしてもらうことで、泳ぎが安定しました。浮力に関して、海とプールとの違いでもあります。

 遊び気分で行ったにもかかわらず、キッチリとスキルの練習もさせられました。
 まず、水中で酸素を供給するマウスを口から離し、そして再度それを口にして空気を吸う練習です。そして次に、水中でマスクに水を入れた後、鼻息でその水を外に出すマスククリアの練習もしました。
 共に、難なくできました。

 1年ぶりとはいえ、身体はいろいろなことを覚えているものなのですね。

 久しぶりのダイビングにもかかわらず、爽快な疲れを感じることができました。
 優しくお付き合いくださったインストラクターの先生に感謝します。
 ただし、久しぶりの全身運動で、今夜は関節の節々をはじめとして筋肉痛です。

 さて、次は筋肉痛が残らないように、自然な動きで水中遊泳を楽しみたいと思います。
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2010年08月08日

オートバイに跨がったフルフェイスのお客様

 連日の暑さが続いています。

 ちょうど暑い盛りの日中に、自宅のチャイムが鳴ったので玄関に出た妻が、早く早くと手招きをします。出てみると、YOのN先生がいつものスタイルで、フルフェイスのヘルメットを被って大型オートバイに跨がっておられました。乾いたエンジン音が、家の前で響いています。

 私の病気のことを身近な方から聞かれ、わざわざ様子を見に来てくださったのです。
 ありがたいことです。

 「病院はどこや」に始まり、体調や手術のことなど、少し立ち話をしました。
 今月の下旬に、ご所蔵の鎌倉時代の『源氏物語』を見せてもらいに行くことになっていました。「今は無理せんでもええ」とのことで、術後の体調が戻ってから伺うことになりました。
 今回は、「藤裏葉」と「若菜上」を拝見する予定でした。とくに「若菜上」は長いので、体力が要ります。お言葉に甘えて、先に延ばすことにします。

 我が家の玄関先の花も見てくださいました。
 
 
 
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 先生は花のことをよくご存じで、初夏にも妻と共にお庭を拝見しに行くことになっていました。しかし、何かと多忙の中で、行けませんでした。
 秋口にでも、散策を兼ねて伺いたいと思います。

 ゆっくりとお話をお聞きしたかったのですが、先生の心遣いだったのでしょうか、まもなくエンジンを吹かして勇ましく走り去って行かれました。

 ちょうど、玄関の花にトンボがとまっていました。
 
 
 
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 いつも温かい思いやりで見てくださっているN先生に、爽やかな気分にしていただきました。
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2010年07月25日

お茶のお稽古を始める

 思い立って昨日は、娘が通っている茶道の先生の所へ行きました。
 行き先は平群。
 3年前まで、24年にわたって住み慣れた、懐かしい生駒山の中腹にある住宅地です。
 平群に、娘がお茶を習いに行っているので、私もやりたくなったのです。

 小さい頃、確か5、6歳のころ、父に連れられて松江の宍道湖のそばで開かれたお茶会に、何度か行きました。お菓子をもらって帰ったことを、よく覚えています。

 母方のお爺ちゃんの兄弟は茶人でした。小学校に上がる前は、お茶室でよく遊んでいました。
 というと、たいそうな家のようです。しかし、本家の奥の屋根裏部屋に寝起きしていた我が家族は、梯子段を降りたすぐ横に、お茶室があったのです。家族の生活空間が一部屋だけだったので、自然とお茶室で遊ぶようになっただけですが。

 大学生の時、姉が通っていたお稽古に、一夏だけでしたが習いに行きました。夏風炉だけは、特訓で覚えたように思います。

 以来、観光地などで、庭を見ながらお茶をいただくことがあるくらいでした。

 いろいろと興味はありながら中途半端なままなのは、この茶道をはじめとして、書道、英会話、お琴、お華と、やりかけたままの残滓がたくさん溜まっています。
 そんな中の一つである茶道を、心機一転やることにしました。

 昨年あたりだったでしょうか、娘がお免状をもらった頃から、折を見ては自宅でお茶をたててもらっていました。もちろん、私はいただくだけでしたが。

 風炉釜や電気炭型ヒーターや鉄瓶や棗などなど、京の街を散策中に買い求めていました。
 いつかは始めるだろうと思っていました。それを今、実現させたというだけですが……

 平群は変わっていません。過日、平群の時代祭を見に行きました。平群駅が変わっていなかったように、元山上口の駅も変わりません。
 
 
 
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 これから坂道を上ります。
 まずは自動販売機で買ったお茶を飲み、やおら坂道を上るために踏切を渡ったところで、娘の同級生でお茶を一緒に習っているOさんの車と出会いました。午前のお稽古が終わったので、これから生駒へ買い物に行くところだとか。猛暑の中、お茶の先生の家まで車で送ってもらいました。ラッキーでした。

 入り口で白い靴下に履き替え、さっそく何人かの生徒さんのお稽古を拝見しました。
 やがて、娘が点てた濃茶をいただきました。
 いろいろと先生からお話を伺っている内に、私に少しずつ慣れるようにと、簡単なことから教えてくださいました。
 まずは、袱紗さばきから。
 そして、お道具の取り扱いを。
 やはり、これまでに少しやっていたせいでしょうか。ほとんどの説明がよくわかり、また実際に袱紗も使えました。

 今日は、盆略手前を教えてもらいました。
 
 
 
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 これも、いつかやったことがあるものだったので、なんとかできました。

 さて、こうして始まったお茶のお稽古です。
 とにかく、気長に続けていきたいと思います。
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2010年07月22日

竹工芸の My.セカンドバッグ完成

 今年の2月に、平安神宮の前の京都市勧業館「みやこめっせ」で見かけて注文したバッグが、やっと完成したとの連絡がありました。
 このバッグのことは、「京洛逍遙(123)京竹工芸のバッグに惚れる」(2010年2月27日)で書きました。

 6月頃に完成するということでしたが、少し遅れて先週できたのです。
 バタバタしていた頃だったので、ようやく手にすることができました。

 ちょうど、地下鉄・烏丸御池駅の近くにある京都伝統工芸館で、作ってくださった細川秀章さんが実演をしておられるとのことなので、出来たてのバッグを受け取りに行きました。
 
 
 
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 お願いした通りの色合いです。
 予想以上に、きめ細かな竹工芸です。
 
 
 
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 最初はなかったゴムのバンドが、中に2本付いていました。
 
 
 
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 この方が便利だろうというので、付けてくださったのです。
 iPhoneや手帳が挟めます。

 留め具も、お願いしたとおりの出来具合です。
 
 
 
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 真ん中のワンポイントも、キッチリと決まっています。
 
 
 
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 細川さんの経歴が示されていたので、参考までに掲載します。
 
 
 
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 こうしたバッグを探しておられる方がいらっしゃいましたら、ご紹介いたします。

 さて、このバッグは、早速入院生活で使うことにします。
 検査での移動や、病棟や東山界隈の散策の折に、ブラリとぶら下げて歩くことにします。
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2010年06月19日

浄水による管の汚れ

 我が家の浄水器は、かれこれ20年以上使っています。
 
 
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 毎年1回、中のフィルターを交換してもらっています。
 左の白いものが塩素などを濾過し、右の黒いものが匂いを吸着します。



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 今回、ゴム管が汚れていることがわかりました。
 
 
 
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 写真下の、管の中が白っぽいのが水道管からくるもの、そして上の黒く管の中が変色しているのが、濾過した浄水が出てくる中の様子です。

 水道管からの水は塩素などが含まれているので、比較的きれいです。しかし、浄水が通る管が、こんなに汚れていました。これは、純度の高い水がとおるのはいいのですが、蛇口に近いために、そこから雑菌が入り込んだようです。

 それにしても、こんなに汚れていたとは。
 目に見えない場所であり、きれいになった水の通り道だけに、定期的なチェックが欠かせないようです。
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2010年05月12日

【復元】戸籍の本籍は現住所に移すべきである

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2004年12月19日公開分

副題「素人仕事の郵便局と市役所に振り回される」

 母が亡くなって2ヶ月半が経ちました。
 いろいろな手続きのために走り回りましたが、いまだに手続きが完了していないものがあります。それは、簡易保険から受け取れるはずの入院費です。まだまだ手続きに日数がかかりそうです。もう貰わなくてもいいか、と諦めつつありますが……。

 まず、郵便局の簡易保険の担当外交員は、本年8月以来、結局何一つ我が家のために仕事はしてくれませんでした。我が家の担当者は、お金を集めるだけが任務のようです。何でも気軽に相談を、というのはまったくの嘘っぱちです。

 母が入院していたのは、担当郵便局から歩いて3分のところにありました。確認をしに行きますとは言うだけで、担当外交員の方は一度も足を運ばれることはなく、また、連絡をしてもいつも休暇日だとのことでした。しかたがないので、私が何度も見舞いに行った病院から、トコトコと郵便局へ足を運ぶことになりました。

 死亡保険に関しては、即日現金で支払われました。あっけないほどに簡単な手続きでした。これは意外でした。
 しかし、入院費に関してはそう簡単ではありません。その理由は、亡くなった者の相続人の確定が、書類によってなされるからです。そして、その書類をすべてそろえるのが大変なのです。奈良県王寺郵便局の方がその手順を丁寧に説明してくだされば、そんなに難しいことではありません。しかし、そんなに丁寧な対応はしてもらえなかったのです。また、母の戸籍が島根県出雲市役所にあり、そこから必要な書類をすべて入手するのに、いまだに手こずっているのです。

 入院費請求のためには、まず、「簡易保険 入院証明書」が必要です。ただし、この用紙は病院には置いてなくて、郵便局で貰って病院に提出して書いて貰います。一通2100円かかります。
 次に、「代表者選定届」が必要です。これは、母には姉と私の二人の子供がおり、その相続人にどちらがなるのかを明確にするものです。そして、私と姉の二人の戸籍謄本によって、各々の母が正しく記載されていることが確認されます。そのために、私と姉の戸籍謄本が必要となります。お互いが現住所の役所で入手できたので、問題はありませんでした。いまだに困っているのは、母の書類です。

 私の両親は島根県出雲市の出身で、私と姉も同地で生まれました。しかし、私は結婚の折に戸籍を現住地に移しました。姉は義兄の籍に入りました。
 両親は大阪に出てきてからも、戸籍は出雲においたままでした。その後両親は、お墓を『伊勢物語』において業平通いで有名な河内の高安の里に移しました。当時我々親子が住んでいた地です。しかし両親は、せめて自分たちの戸籍だけは、生まれた地である出雲にそのまま置いておきたいとの気持ちが強く、そのままにしていました。
 今から20年前に父が亡くなりました。その時に、母の戸籍も私と一緒に住んでいるのだから奈良の平群に移したらどうか、と持ちかけました。しかし、生まれた出雲と縁が亡くなるのが寂しいからと、その時も、そのままにすることになりました。

 今回、母の戸籍謄本が必要となり、インターネットで書類の入手方法を確認して、手紙を添えて出雲市役所に申請しました。一日も早く手続きを終えたかったので、返信用に速達の封筒を入れました。
 ところが、翌週、拙宅に市役所のTさんから電話がありました。その時、死亡した者の謄本は発行できないが、除籍の証明書は出せる、とのことでした。私は、母の簡易保険の入院費用の請求を郵便局に提出するために必要であることを伝え、他に方法がないようなので、言われるままにお願いしました。Tさんは、それならば、手数料の追加料金として300円の郵便小為替を送ってほしい、ということでした。生きている人間の謄本は450円で、死んだ者の謄本は750円ということなのです。
 どうでもいいことではありますが、この手数料の違いは、何に起因するものなのでしょうか。

 結局、申請から2週間以上経ってから、母の除籍証明書が送られてきました。こちらが送った返信用の速達封筒が使われていました。わざわざ貼った速達の切手がむなしく見えました。

 揃った書類を持って郵便局へ行きました。しかし、局員の方の説明では、母の除籍書類では、私と姉以外に子供がいないことが証明できないので、これでは受け取れないとのことでした。市役所とのやりとりでこの書類になったことを説明しました。すると、やはりこれではだめであり、現に現在処理中の保険請求でも、死亡者の戸籍謄本が出ている、と言って、それを参考までにということで見せてくださいました。確かに、該当者の欄が×印で抹消された謄本が添付されていました。死後にも、戸籍謄本は発行されているのです。
 私がこれまでの顛末を説明すると、局員の方はわざわざ出雲市役所の市民課に電話をしてくださり、やはり戸籍謄本は発行できるということを確認してくださいました。

 帰宅後、私から市役所に電話をし、間違って送られてきた除籍書類のために支払った費用などのことを相談しました。すると、今回の用件のために必要な書類は4点必要であり、さらに追加料金として750円かける4点分の郵便小為替で送れば、今回の目的のための書類を送付する、とのことでした。
 おいおい、と言いたくなります。電話で対応する人によって、必要書類が変わってくるのですから。このYさんのことばを信じて手続きを進めたらいいのかどうか、ただいま思案中です。またまた違っていました、別にこんな書類も必要です、とならないとも限りませんので。何が本当なのか、もう少し様子をみようかと思っています。

 そして思います。本籍地が遠いので、こうして煩わしいことになるのです。
 これが、現住地に戸籍があれば、窓口で対応してもらえるのです。
 「戸籍の本籍は現住所に移すべきである」と思うゆえんです。
 
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
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2010年05月07日

我が家の春の花々

 今年の春に我が家で咲いた花の写真を集めました。
 地植えではないので、いろいろと苦労があります。
 鉢で育てている花たちです。


 【3月上旬】
 
 
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 【3月中旬】
 
 
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 【4月中旬】
 
 
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 【4月下旬】
 
 
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 【5月上旬】
 
 
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2010年04月28日

【復元】女性専用車両大賛成の弁


(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2004年08月15「ミクシィ」掲載分より

 昨日14日、大阪・難波で「女性専用車両に反対する会」の集会があったようです。
 ただし、昨日の報告は、今日現在は作業中となっていました。

 女性専用車両は、痴漢被害をなくすのが目的だとのことです。全国の公共交通機関がさまざまな対応をしており、問題の多い実施実態のようです。
 この件については、たくさんの人がホームページなどで発言をしておられるようです。検索をしてみて、その多さに驚き、ヘッドラインを眺めるだけで読むのをやめました。発言しやすいテーマなのでしょう。それだけに、解決は無理だとの実感を得ました。

 私の生活範囲で言えば、近鉄奈良線が時間限定で女性専用車両を増結しています。ただし、それがどのように機能し、利用されているのかは知りません。私がその車両を利用することがないせいでもあります。

 さて、以下、人の意見はまったく読まず、ここに私見を書く勝手を、お許しください。
 私は、女性専用車両には諸手を挙げて大賛成です。その理由は、次の3点からです。

(1)見ず知らずの女性から痴漢に仕立て上げられるのではないか、という恐怖から逃れるため。
 突然、自分の人生の一部を、いわれもなく失いたくないのです。それも、相手の勘違いや悪意による思いこんだ自己申告で。まだ私は被害にあったことはありませんが、いろいろとその実態の話は聞いています。

(2)携帯電話の電磁波被害から、自分の身を守るため。
 白血病・脳腫瘍・アルツハイマーになる確率を低くしたいのです。鉄板に囲われた電車内で、無神経に電磁波を飛ばして人体実験に荷担しているのは、男性より女性の方が多いと思います。『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、1997.5)の電磁波被害擁護論は、再検証が必要だと思っています。過去の記事ではありますが、「携帯電話の危険性〈2000.5.4〉」(当該ページの最後の方にあります)をご参照願います。

(3)女性の化粧品などが発する悪臭で、長時間不愉快な思いをしたくないため。
 密室で放たれるこの異臭は、一日を気分的に台無しにします。オナラの可愛さなら許せますが。和服の微かなお香の薫りは大好きです。自分の部屋では、よくお香を焚きます。でも、化粧品の下品な匂いは、臭いと感じてしまうのです。

 ということで、電車に乗るときには、女性を避けるようにしています。特に20台と40台の女性には、自然と体が反応して遠ざかります。君子危うきに近寄らず、ではないのですが、私にとって車内で危害を及ぼす恐れのある女性は隔離してほしい、というのが私見なのです。
 これは、女性差別ではなく、ケースによる区別の範疇の問題です。
 そして、上記3点が我慢できる状況に改善された暁にはじめて、女性専用車両は廃止すべきではないでしょうか。
 毎週末に新幹線を利用しますが、私は禁煙車両を利用します。新幹線にも、女性専用車両も望みます。

 上記「反対する会」のホームページにおける集会参加の案内で「女性専用車両に反対の方ならどなたでも結構です。」とありました。これはおかしいと思います。排他的な意識で行なう活動は続きませんよ。


********************** 以上、復元掲載 **********************
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2010年04月20日

【復元】日本の裁判の実態に落胆

(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2004年06月25日「ミクシィ」掲載分より

 ちょうど一年前に、英国留学中の娘のノートパソコンが盗難にあい、その補償問題で保険会社を提訴しました。どうしても納得できなかったので、心ならずも裁判に持ち込みました。裁判は弁護士を依頼せずに、一冊の本を頼りに独力でやりました。

 その顛末を、以下のホームページに公開しています(長文注意)。

http://www.eonet.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.3.0_hoken_top.html

 結果は、第一審の東京地方裁判所では完全敗訴でした。
 しかし、控訴審の東京高等裁判所では和解勧告を勝ち取り、先月何とか収まりました。

 上記ホームページの裁判記録は、とにかく長文です。お暇なときにでも読んでみてください。
 保険会社の建前と契約の実態との落差は、今後とも大きな問題だと思います。また、日本の裁判も、司法制度の改革が必要であることを痛感しました。新聞やテレビで、法科大学院の設立とか裁判員制度の導入のニュースを目にすることが多くなりました。しかし、現実には、裁判官や弁護士は忙しすぎて、真面目に丁寧な裁判ができないようです。
 私の場合がそうでした。特に東京地裁の場合は、本当にいいかげんでお粗末な裁判でした。
 あの裁判長も弁護士も、全力投球で取り組むときにはプロなのでしょう。真面目に、いつもそうはいかないのでしょう。それも、相手が私のような素人ときては、なおさらのこと。今回、私が東京地裁で体験した裁判官や弁護士たちは、何というべきか、出来損ないのセミプロ以下としか言いようがありません。いい体験をしました。大岡越前守や遠山の金さんは、今の日本にはいないようです。
 みんな忙しくて、裁判官も弁護士も、真面目に訴訟などに取り組んではいられないのです。手を抜くことが、裁判官や弁護士にとっては、腕の見せ所のようです。社会には、いろいろな問題があるものです。

 裁判をしているヒマがあったら、もっと勉強しろ、としかられそうです。しかし、結構楽しかったのです。論理構築のいい勉強をさせられました。
 日本の裁判所に失望したので、これから司法試験にチャレンジして、老後は田舎の町の弁護士もいいかな、などと、50を越したいい年をして、新しい夢を持つようになりました。

********************** 以上、復元掲載 **********************
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2010年04月08日

私を支えてくれている人たち

 今日のお昼は、私の仕事を手伝ってくれている仲間と、隣の裁判所にある食堂でバイキングを食べました。
 この前は、野菜の押し寿司があったのに、今日は野菜の煮物でした。これはこれでヘルシーです。

 午後は、さまざまな書類や作業の段取りなどを確認した後、ちょうど3時半に会議に行きました。
 会議が予定より30分延びたので、終わってすぐの5時半に、みんながいる共同利用研究室に急ぎました。
 すると階段で、上から飛び降りるようにしてSさんが駆け下りて来ました。そして、Kさんが先ほど体調を崩し、今、病院に連れて行ったところだ、と伝えてくれました。息が上がっています。私を捜していたのだと。
 私が会議のために、その部屋を出た直後の出来ごとだったそうです。

 大急ぎで、病院に駆けつけました。元気な姿を見て、一安心しました。
 病室に入り、点滴を受けている本人と少し話をしました。
 担当医の先生もお出でになり、もうすぐ家に帰れるでしょう、とのことでした。

 自分の仕事を持ちながら、月に一二回、私の仕事を手伝いに来てくれていました。というより、ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキ教授と共に公開している「欧州所在日本古書総合目録」というデータベースは、彼の存在なしには語れないものです。その実現には、彼のきめ細やかな目配りがなされているのです。

 私の所に来て、今年で9年になると、お昼を一緒に食べていたときに話していたばかりです。私が国文学研究資料館に着任してすぐから、彼に仕事を助けてもらっていることになります。

 今年から2人の新人が来るようになりました。今日も、仕事の説明をし、質問などに答えてくれていたようです。
 コーニツキ先生と林望さんが手書きで作成された調査カードを読み解き、それをデータベース化するのは、大変なことです。古写本を読むことよりも、難しいものが多々あります。いわば、職人技で成し遂げているのです。

 本業でも、大忙しのはずです。それに加えて私の所でのお手伝い。拝み倒して、無理のない範囲で続けてもらっているところがあります。今年は、一年で数回しか来られないかもしれない、と言っていました。くれぐれも、無理のない日々を送るようにしてほしいと思っています。
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2010年01月04日

初春の白梅(4)

 新年の三が日も明け、早いもので四日になりました。

 いつものように、朝一番の新幹線に乗って上京するために早起きです。
 居間の梅を見やると、なんと紅梅が咲き揃っています。
 白梅も、ほぼ満開です。
 白梅と紅梅に見送られ、気持ちのいい出勤となりました。
 
 
 
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2010年01月03日

初春の白梅(3)

 新年3日目です。
 白梅の6割方は芽を吹いています。
 紅梅は、3輪ほど花が開きました。

 明日が楽しみです。

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posted by genjiito at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記

2010年01月02日

初春の白梅(2)

 新年2日目です。
 花開いた白梅は、その数を増しています。

 紅梅は、まだ蕾が固そうです。
 
 
 
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posted by genjiito at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | *身辺雑記

2010年01月01日

初春の白梅

 あけまして
 おめでとうございます

 新年を迎え、梅も蕾を開き出しました。
 白梅が早く、紅梅は明日になりそうです。
 
 
 
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2009年12月31日

2009年の10大出来事

 今年も、いろいろなことがありました。
 そして、無事に年を越せることに感謝しています。

 以下、この1年間を時系列に思い出してみます。

1.印度ネルー大学でウルドゥー語訳源氏物語を発見
2.伊国ベネチア・フィレンツェ・ローマ大学で調査
3.国文学研究資料館館長が伊井先生から今西先生へ
4.大学時代の恩師で仲人だった小林茂美先生ご逝去
5.40年間未開封だった亡母からの手紙を開封する
6.2年ぶりのスクーバダイビングで南紀白浜へ行く
7.英国へ2度行きケンブリッジ大学で国際集会開催
8.谷崎潤一郎全集を揃え作品を発表順に読み始める
9.上下の奥歯の手術直後に担当医だった先生が急逝
10.本ブログ「賀茂街道から2」を毎日欠かさず更新

 さて、来年はどんな年になるのでしょうか。

 今年は、生き方を意識的にスローダウンしました。
 なかなか辛い局面もありました。しかし、何とか1年を過ごすことができました。
 そのために、いろいろな方に、いろいろな所でご迷惑をおかけしたことと思います。
 来年も、このままもう少しペースをダウンしたいと思います。
 何とか出来そうでも、敢えてしない、ということを今年から実践し出したのです。
 組み込まれた63年という寿命を、1日でも長く生きたいと思うようになったからです。

 みなさまにはご迷惑をおかけしますが、私なりの事情があってのことです。
 これまでと変わることなく、来年もよろしくお付き合いのほどを、お願いいたします。
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2009年12月28日

ヒートテックの下着は効果あり

 年末には、いつも家族で墓参をし、掃除をしています。
 お墓は、『伊勢物語』で知られる大阪・八尾市の高安の里にあります。
 私は、小学5年生から南高安小学校に転校し、そして南高安中学校を卒業しました。
 まさに、『伊勢物語』の世界にいました。
 お墓は信貴霊園といい、信貴山の手前の高安山にあります。小学生時代には、忍者部隊月光ごっこをして、この山を駆け上ってあそんだものです。

 京都に引っ越しをしてから、自家用車は手放しました。以来、少し遠出をするときには、レンタカーを使っています。自転車で行ける距離に、レンタカー屋さんが2軒もあるので、重宝しています。今日は、烏丸今出川にあるレンタカーを使いました。車は、ホンダのハイブリッド車で、インサイトというものでした。今夏はトヨタのプリウスでした。ホンダ車に乗るのは初めてです。後部座席が、少し跳ねるようでした。

 今日は、何と言っても、昨日購入したユニクロのヒートテックのインナー類の試用です。どれくらいの保温効果があるのか、実際にテストをすることにしました。

 自宅からお墓までは、名神高速と近畿自動車道と阪神高速を使って、1時間半くらいです。
 東京からかけつけた息子とは、近鉄信貴山口の駅で待ち合わせをしました。

 お墓は山を削った斜面にあり、眼下に近鉄高安駅のあたりの八尾市から大阪市、その向こうに神戸の六甲連山が見渡せます。
 今日は曇っていましたが、天気がいいと淡路島も臨めます。
 
 
 
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 お墓には、8月のお盆以来です。南天がきれいに実をつけていました。松も、元気です。
 
 
 
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 今日は、春らしく、チューリップを加えました。
 父が島根県の出雲から移したお墓は、こうして今も我々が守っています。子どもたちも、引き継いでくれることでしょう。
 墓石の前面下には、我が家の家紋である「丸に九枚笹」が、「総廟」というのは、父がこだわった呼び方です。
 お茶とお水とお菓子をお供えしました。
 過日行った出雲の銘菓「俵饅頭」も、2つ供えました。これは、小さい頃から両親が、薄茶と共に食べさせてくれたお菓子です。出雲大社の「いなばや旅館」の前にあった俵屋本家から買ってきたものです。

 鮮魚料理屋さんで、家族一緒にお昼をいただきました。私は、海鮮丼にしました。飛び魚、カンパチ、鯛、ヒラメ等々、新鮮な魚が盛りだくさんで、それで千円もしません。10人も座れないカウンターの小さな店でした。東京では考えられない贅沢な海鮮丼です。

 レンタカーは6時間借りて、ガソリン代込みで1万円です。
 走行距離は146キロで、消費したガソリンは7リットルなので、燃費は20キロでしょうか。
 ハイブリッド車は、軽自動車よりも燃費がいいようです。もっとも、高速道路を主に使っていたことも関係します。しかし、京都市内は渋滞の中を、ノロノロと走るというよりも、移動していたというのが正確でしょう。年の瀬なので、仕方のないところです。

 今年の夏、お盆で墓参したときには、トヨタのプリウスを借りました。
 この時には、189キロ走って、燃費は14キロでした。プリウスが、意外に燃費が悪いので驚きました。レンタカー屋さんは、走り方もあるし、ガソリンの満タンというのも正確ではないので、ということで、1000円分の割引券をくださいました。

 さて、肝心のヒートテックの下着です。
 車に乗っていた時間が長かったとはいえ、山の上にあるお墓でも、まったく寒さは感じませんでした。これは、優れもののようです。

 レンタカーを返してからは、自転車を押して歩いて帰りました。身体は、少し汗ばむほどにホカホカしていました。
 動くと、体温を保ってくれるようです。
 これは、なかなか重宝しそうです。
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2009年12月27日

モンゴル行きの装備

 新年早々にマイナス30度の世界へ行くため、少しずつ準備を始めました。
 まずは、足下の問題です。
 滑りやすいので、気をつけるように言われています。そのことに気をつけながら、くるぶしを覆うような温かい靴を探しました。
 いろいろと歩き回った結果、登山用品の専門店でもある好日山荘で、こんな靴を見つけました。
 
 
 
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 これは、マイナス40度まで対応しているものです。

 お店の人との話の中で、底がゴムなので滑り止めも必要ではないか、とのことで、写真の下にあるようなスノーアイスパッドという、簡易滑り止めも一緒に購入しました。
 ただし、これは不要だったようですが。

 今年から、立川の職場には、南極観測を主たる任務とする極地研究所が同じ建物に入ってきました。
 ペンギンや南極観測船や昭和基地の模型などは、日々目にしています。
 オープニングの時には、マイナス30度の冷凍庫に入るツアーがあり、貴重な体験ができたそうです。しかし、私はその時には参加できなかったのです。今にして思えば、無理をしてでも体験しておくのだったと、少し悔やんでいます。 

 下着とインナーは、ユニクロのヒートテックで揃えました。
 明日から、試しに着て、その性能を見ることにします。

 手袋、帽子、ジャンパーは、これからです。マフラーは長いものがいいそうです。これはあります。マスクも、インフルエンザ用に、たくさん買い置きがあります。

 選りに選ってこんな時期にそんな極寒の地に、と言われます。しかし、『源氏物語』をモンゴル語訳した方にお目にかかれるのであれば、こんなチャンスはまたとありません。
 観光シーズンは完全に外れているので、じっくりとお話をお聞きできるはずです。
 私としては、凍傷や病気などで迷惑をかけないように、気をつけたいと思っています。

 最初にインドへ行ったときも、新年早々の非常に寒い時期でした。暖房もない部屋で、震えながら2月の温かい日が来るのを待ったものです。
 最初に厳しい気候を体験していると、あとはいいことばかりが目につきます。
 いろんな体験をする中で、人間の生き様や文化の変容を、じっくりと見てくるつもりです。

 モンゴル語訳『源氏物語』は、現在2人の方に日本語に訳し戻してもらっています。
 1人は日本の方に、もう1人はモンゴル出身の方です。その2つを読み比べながら、日本の文学や文化が、どのようにモンゴルに伝えられているのかを調べてから、現地に出かけることにしています。
 そして、その違いについて、モンゴル語訳をなさった方に、直接お話を聞こうというのが、今回の私のテーマです。そして、翻訳された世界を理解するのに参考になる物事や事象を、自分の眼で見てくることで、翻訳されたことばの意味を確認したいと思います。

 さて、どんなことがわかりますか。
 そして、どんな旅になるのでしょう。
 追々、報告します。
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2009年12月05日

絵や書を縁取る表装の妙技

 京都文化博物館では、さまざまな展覧会が開催されています。
 特別展などは、見応えのあるものが多いので、よく行きます。
 その上の階などで開催されている地味な展覧会も、いいものがたくさんあります。

 今日は、5階で開催されていた「第94回表展(表装展覧会)」(協同組合京都表装協会、12月6日まで)を見ました。
 これまで、表装というと、襖の張り替えの時や、西国33箇所札所巡りを終えから、集印軸を掛け軸に仕立ててもらうときにしか縁がありませんでした。それが、今回の展覧会を見て、その周りを包む表装の意匠のおもしろさを教えられ、興味を持ちました。

 書籍の装丁は、仕事柄いつも気をつけています。紙や布地など、さまざまなものを目にします。書物がどのようにして作られ、どんな修復技法がなされているのか、注意しています。その背景にある表具師の方々の世界が、こんなに興味深いものだとは…。

 絵や書などを見るとき、それを包み込む額縁や軸について、何も意識せずにいました。
 目の前にある絵や書だけを見ていたのです。しかし、その周りの装いが、作品と協力関係にあるとは驚きでした。
 額のデザインと色合いや、表装の裂の選択によって、作品の印象がまったく違ってくるのです。当たり前のことですが、これまで、そこに注意は向いていませんでした。

 今日は、京都の表具師である宇佐美修徳堂の宇佐美直治さんが、丁寧にわかりやすく説明してくださいました。

 作品を写真に撮ってもいいとのことだったので、紹介します。

 「鶴」は、今回の展覧会で宇佐美さんが受賞なさったものです。
 
 
 
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 銀と金のバランスに創意があるようです。
 作品を引き立たせるために、その背景にはこのような方の助力があるのです。

 会場で私が一番気になったのは、ペルシャ文字風の書の軸装でした。
 
 
 
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 ここに書かれた文字もそうですが、この表装が醸し出す雰囲気は、海の彼方遠い異国に誘います。
 書と表装のコラボレーションと言えばいいのでしょうか。
 明年2月にインドへ行くので、その時にこの作品を見てもらうつもりです。
 どんな反応があるのか、楽しみです。

 会場には、「人物画」「花鳥画」「山水画」「仏画」などなど、たくさんの作品がありました。絵や書を見るときに、その絵や書の縁取りを見て回るのも、これまた楽しいものです。

 気づかなかったおもしろさを、今日は新たに知ることができました。
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2009年11月12日

映画「沈まぬ太陽」

 観て良かった、と思える映画です。
 渡辺謙はもちろんですが、三浦友和の憎まれ役がうまかったと思います。

 我慢して生きる男と、我慢して生きる妻が、気持ちを一つにする場面がありました。
 その男は、娘の婚約の席を蹴って飛び出します。それを追ってきた妻と、お互いが「我慢」して生きて来たことを認め合い、手をつないで家に戻るシーンです。この場面が、一番印象に残りました。自分と重ね合わせて観たせいでしょう。

 この映画を製作するにあたっては、その背後にうずまく政界や航空業界そして組合や遺族交渉などなど、さまざまな生々しい問題があったことでしょう。
 世相を無視しては完成させられないテーマです。しかし、今という厳しい世相が、この映画を後押しする形で完成したとも言えそうです。JALが揉めているドサクサだったからこそ、と言っては失礼でしょうか。

 現実と向き合う物語であり、現実の社会と交錯する映画です。
 このあたりを、映画を観ながら考えてしまいました。

 めずらしく、もう一度観たい映画を観ました。
 ただし、途中休憩の10分を挟んで、3時間半の長編であることから、もう観る機会はないかもしれませんが。
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2009年11月04日

予期せぬ夜の祝祭

 突然連絡があり、話があると……。
 あまりいいことは考えられません。
 チョッと気の重い話なのでしょう。

 東京駅で6時に待ち合わせは?、との指定です。
 しかし、その時間までに立川からは行けません。
 新宿では、と言うと、アルタの前になりました。

 昨日、松本清張の『ゼロの焦点』を読み終えたばかりです。
 月に10日は東京、20日は金沢の生活をする男の話です。
 似たような私ですが金沢の断崖に立つことはなさそうです。

 てっきり一人かと思ったら、もう一人のツレ。
 あやしげな、それでいてよく知っている男女。
 何事かと、思いをめぐらしながらのネオン街。

 新宿駅からは外れにある、とあるビルの地下に連れて行かれました。
 私には不似合いな、モダンなイタリアン・バーの片隅に座りました。
 まったくこの状況が読めないままに、トマトのお酒を注文しました。

 雑談をしているうちに、こんな言葉を書いたものを渡されました。
 私が大好きな、井上靖の『星と祭』の1節が書かれているのです。
 『星と祭り』の「り」は不要だよ、などとは言えない雰囲気です。
 
 
 
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 実は、このフレーズは、私にとっては思い出深いものです。
 伊豆の海辺で星を見ながらプロポーズらしき時の言葉です。
 結婚を意識しての照れながら交わした会話の一部なのです。

 やがて、こんな綺麗なお皿が運ばれてきました。
 チョコで書かれたアルファベットが読めません。
 最初の大文字は何か、しばらく眺めていました。
 
 
 
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 家族以外から誕生日を祝ってもらう。
 これまでになかった出来事なのです。
 記憶にないことが今日起きたのです。
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2009年10月16日

北山の秋の草花-2009

 外を歩くと少し汗ばむ陽気です。しかし、朝晩は冷え込みます。
 我が家では、今週からガスストーブを出して、部屋を少し暖めるのに使い出しました。
 隙間だらけの我が家です。夏は中庭の煙突効果もあってか、世に言われるほど家の中は暑苦しくありません。
 しかし、冬は正直言って、寒さが堪えます。そろそろ、寒さ対策の準備です。

 今年の秋の玄関先は、こんな草花で賑わっています。
 
 
 
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 自家用車を処分してからは、駐車スペースがこんな花壇と化しました。
 色合いは、イングリッシュガーデン風でしょうか。
 ガーデニングは、何かと手間がかかるようです。肥料や土や砂が結構必要です。草花は種から育てているために、家の裏などにはたくさんの芽が出ています。毎晩、妻はナメクジをとったり、水をやったりと、手をかけているようです。私は何も手伝えないし、育て方もわかりません。

 道行く人に「きれいですね」と言われることが労いなのだそうです。
 奈良の平群にいた時とは比べものにならないほど、とにかく狭いスペースでのガーデニングです。
 それでも、こうして草花が明るく花を咲かせ、いろいろな姿を見せてくれるのを目にすると、源氏絵の片隅に描かれた植物と同じように、これらが雰囲気を作り出していることを実感できます。
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2009年10月14日

手製の和風の灯り3点

 元来、工作が大好きです。中学生の頃は、技術家庭科が大好きでした。
 小さい頃から、プラモデルや電子機器などに熱中しました。
 コンピュータもいろいろな組み合わせで仕事をしています。

 作るというよりも、組み合わせて楽しむ、というところでしょうか。

 我が家でも、折を見ては、いろいろなモノを作っています。

 自信作でもある、照明器具の細工を3点ほど。

 何と言うことはない、和紙などを使って、本来あった照明の雰囲気を変えただけです。
 しかし、町家風の我が家には、なかなか馴染んできました。と、自分では思っています。

 まずは、奥の廊下の照明です。狭い廊下の上にあった白熱電球を、おもしろい和紙で包みました。
 
 
 
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 どちらから見ても、同じようです。しかし、それでいて、微妙に雰囲気が違います。

 次は、玄関の上がり口にある、二畳の間の灯りです。
 
 
 
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 狭い空間に、大きな張りぼての球を吊しました。

 最後は、玄関の上がり框の上です。
 ボール球を麻の網で半円形に覆いました。
 この曲線を描くのに、さまざまな工夫をしました。今は、アクリルのスティック棒でカーブを作っています。
 
 
 
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 これを、二畳間の方から見ると、こんな感じです。
 
 
 
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 ガラスの手前に見えるのは、下鴨神社に檜皮を寄進したときにいただいたものです。外のガラスの向こうには、今年の祇園祭でもらった蘇民将来の粽が見えています。

 この3つの照明は、いずれも省エネのボール球を使っています。たしか、18ワットだったと思います。
 付けっぱなしにしていても、電気代は大したことはありません。

 次は、傾いた2階の和室に手を入れて遊ぼうと思っています。
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2009年08月29日

ひとヒト人の週末の東京

 今日は、今春より職場の同じ建物の西側に移転して来た、国立極地研究所の一般公開の日でした。
 10時開館でしたが、30分前にはすでに建物を取り囲むように、たくさんの人が並んでいました。
 先着100名がマイナス45の体験ができる、という触れ込みが、大きな効果を生んでいたこともあるのでしょう。
 
 
 
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 「探検ツアー」や「昭和基地とのライブトーク」などが催され、日頃は静かな職場も、今日は数千人の人でごった返ししていました。
 国立極地研究所が建物の西側に、国文学研究資料館は東側に入っています。しかし、今日ばかりは、大勢の人が、子供たちが、長い廊下や踊り場など至る所で歓声をあげていました。
 こうした賑わいを見ると、文学は何と質素な控えめな学問であることか、と痛感させられます。

 それにしても、ダイナミックな機関が同じ建物に来たものです。
 今年の後半には、統計数理研究所が入ってきますが、これはおとなしい組織だと思います。

 南極の氷やペンギンなど、人を惹き付けるものを持つ強みを感じました。
 文学は、やはり地味な存在です。しかし、それなりに意義を主張していきたいと思います。
 南極か北極の氷の中に、櫃に入ったままの『源氏物語』の古写本が閉じ込められていないでしょうか。
 極地研の方と仲良くなったら、南極の氷の下に日本の古典籍が漂着・封印されていないか、探ってみましょう。

 今日は京都に帰るゆとりもなく、立川で溜まりに溜まった仕事をこなし、暗くなって帰路につきました。

 立川駅では、民主党の長島昭久氏が、街頭演説をしていました。あと選挙運動も少しの時間しかないということもあり、ヒートアップしていました。
 駅頭は、もの凄い人だかりでした。

 中野駅で乗り換えの途中で改札の外に出たところ、ちょうど民主党の長妻昭氏が選挙活動を終えたばかりで、支援者と労いの握手をしておられるところでした。

 両駅とも、異常なほどに人が集まっていました。民主党の想像を絶する勢いを感じました。

 私は、高校時代に学生運動をしていた時から、ずっと日本共産党の存在意義を認めてきました。
 今も変わりませんが、今回の民主党の勢いは、常軌を逸した気迫迫力すら感じます。

 明日の投票日は、その結果が楽しみです。
 民主党は、比例区にもっと候補者を登録しても良かったのではないでしょうか。
 明日の民主党の幹部の悔しい顔が見られそうです。票を取りすぎたことに対する、読みの甘さからの悔しさを、私は想定しています。
 さて、どうなりますか。
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昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」の不備

 昨日の「電車もトイレと同じく男女別にしよう」で、過去のブログの文書を2つ紹介しました。
 しかし、リンク先の私のブログがすべて消滅しているようです。
 そのブログ「平群の里から」は、一昨日までの記録では、452,299アクセス以上あったものですが、残念なことになりました。
 手元に過去の文書が残っていますので、いつか機会があれば再現したいと思います。

 いまは応急処置として、手元のバックアップ文書で、以下に(1)「女性専用車両大賛成の弁」を再現します。

 (2)「男性専用車輌を走らせてほしい」については、表示は遅いのですがサーバーが異なるものなので、今でも見られます。
    しばらくは、このままにしておきます。
 (3)は、これも「平群の里から」のものなので、リンク先が消滅しています。
    しかし、(2)と同文なので、これは昨日の記事には「なかった」ものとします。

 いろいろとリンク先を経巡ってくださった方々にお詫びいたします。
 ご迷惑をおかけしました。

 なお、ここに再現した文書の中でも、リンク先が消滅したものがあります。これは、インターネットの宿命としてご寛恕のほどを。
 とにかく、ブログは読み捨ての情報であると、割り切るしかありません。





(1)
2004年08月15日
女性専用車両大賛成の弁(「ミクシィ」掲載分より)

 昨日14日、大阪・難波で「女性専用車両に反対する会」の集会があったようです。詳細は下記ホームページでご確認を。
http://www.eonet.ne.jp/~senyou-mondai/
 ただし、昨日の報告は、今日現在は作業中となっていました。
 女性専用車両は、痴漢被害をなくすのが目的だとのことです。全国の公共交通機関がさまざまな対応をしており、問題の多い実施実態のようです。この件については、たくさんの人がホームページなどで発言をしておられるようです。検索をしてみて、その多さに驚き、ヘッドラインを眺めるだけで読むのをやめました。発言しやすいテーマなのでしょう。それだけに、解決は無理だとの実感を得ました。
 私の生活範囲で言えば、近鉄奈良線が時間限定で女性専用車両を増結しています。ただし、それがどのように機能し、利用されているのかは知りません。私がその車両を利用することがないせいでもあります。
 さて、以下、人の意見はまったく読まず、ここに私見を書く勝手を、お許しください。
 私は、女性専用車両には諸手を挙げて大賛成です。その理由は、次の3点からです。

(1)見ず知らずの女性から痴漢に仕立て上げられるのではないか、という恐怖から逃れるため。突然、自分の人生の一部を、いわれもなく失いたくないのです。それも、相手の勘違いや悪意による思いこんだ自己申告で。まだ私は被害にあったことはありませんが、いろいろとその実態の話は聞いています。

(2)携帯電話の電磁波被害から、自分の身を守るため。白血病・脳腫瘍・アルツハイマーになる確率を低くしたいのです。鉄板に囲われた電車内で、無神経に電磁波を飛ばして人体実験に荷担しているのは、男性より女性の方が多いと思います。『電磁波白書』(大朏博善、アスキー、1997.5)の電磁波被害擁護論は、再検証が必要だと思っています。下記の「携帯電話の危険性〈2000.5.4〉」をご参照願います。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R4.2_hitec_05_2000.html

(3)女性の化粧品などが発する悪臭で、長時間不愉快な思いをしたくないため。密室で放たれるこの異臭は、一日を気分的に台無しにします。オナラの可愛さなら許せますが。和服の微かなお香の薫りは大好きです。自分の部屋では、よくお香を焚きます。でも、化粧品の下品な匂いは、臭いと感じてしまうのです。

 ということで、電車に乗るときには、女性を避けるようにしています。特に20台と40台の女性には、自然と体が反応して遠ざかります。君子危うきに近寄らず、ではないのですが、私にとって車内で危害を及ぼす恐れのある女性は隔離してほしい、というのが私見なのです。これは、女性差別ではなく、ケースによる区別の範疇の問題です。そして、上記3点が我慢できる状況に改善された暁にはじめて、女性専用車両は廃止すべきではないでしょうか。
 毎週末に新幹線を利用しますが、私は禁煙車両を利用します。新幹線にも、女性専用車両も望みます。

 上記「反対する会」のホームページにおける集会参加の案内で「女性専用車両に反対の方ならどなたでも結構です。」とありました。これはおかしいと思います。排他的な意識で行なう活動は続きませんよ。

 なお、私が体験した痴漢問題については、下記の報告を参照してください。
http://www4.kcn.ne.jp/~genjiito/HTML_tetsuya/R1.1_chikan.htm
 痴漢に対処してくれる警察官は、被害者とその家族にとっては頼もしい味方のはずです。しかし私の体験では、係官によって当たりはずれがあるということです。私の場合はハズレでした。現場の警察官は真摯に対応してくださったので感謝していますが、その上司である係長がアホでした。このアホという言葉は、関西で使う、親愛の情を含んだ貶し言葉です。関東のバカは、救いようのない人間に使うものだと、私は勝手に定義していますので。

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2009年08月28日

電車もトイレと同じく男女別にしよう

 最近、女性専用車輌に関する問題が、ネット上で再燃しているようです。

 痴漢と間違えられて人生を棒に振らないようにと、男性は様々な自己防衛を図って来ました。しかし、そのアホらしさと、気疲れから、神経を研ぎ澄まさなくても乗れる電車に乗りたくなったのです。

 女性の言い分は、ほとんどの男性は理解しています。
 そうだからこそ、一人になりたいのです。
 痴漢のことだけでなく、電車の中では、男性にとっては見たくない女性の姿態や行為もあるのです。

 持論ですが、男と女は人種が違う、と思っています。
 違うものなのに、平等の論理であたかも同じ生物であるかのように考えようとさせることに、無理があります。
 男にとって、思いもおよばない、信じられないことをする女に、よく出会います。これは、逆のこともたくさんあることでしょう。

 人種という言葉が不適切ならば、肉体的精神的な面での、構造が違うのです。
 違いは違いとして認めた上で、付き合って行くべきです。

 現代社会におけるトイレやお風呂は、非常に明解に男女を区別した空間です。
 電車も、この部類に属する空間だと思います。

 私見は、すでに以下のブログに書いた通りです。
 今も変わりません。

(1)2004年8月15日に、「女性専用車両大賛成の弁」を記しました。

(2)2006年7月26日に、「男性専用車輌を走らせてほしい」を記しました。
  (これは表示が非常に遅いので、次のものを参照してください)

(3)再掲載分「男性専用車輌を走らせてほしい」


 ことばでの表現が微妙な問題なので、誤解のないようにするためにも、ご照覧いただければ幸いです。

 男女の差別と、男女の区別を、勘違いしてはいけません。

 上記(2)or(3)で、



現状は、女性には二者択一の権利が与えられていますが、男性には選択権がありません。
私の提案は、女性にとって二択、男性にとっても二択です。
これで、差別的な平等主義は解消されます。



と記しました。

 しかし、これではその中間がありません。世の中、二者択一、右か左か、Yes か No か、はいけません。
 これは、以下の提案に変えたいと思います。


10両編成の場合、女性専用車輛を3輌、男性専用を3輌、家族や両性者など自由車輛を4輌、でどうでしょうか。


これで、快適な地点間の移動が可能となるはずです。
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2009年08月19日

スクーバダイビング2009(2)

 2日目は、ボートで沖合まで出て、深いところを潜りました。
 
 
 
090817fune
 
 
 
 向こうの陸地には、清少納言の『枕草子』に出てくる「しらら浜」が見えるとのことでした。
 そちらの方向にシャッターを切りました。どこがそこなのかは、また後に確認します。
 突然、池田さんは『枕草子』の一節を暗唱してくださいました。自分の世界の話になったにも関わらず、私はこれから海に飛び込むことに注意が集中していて、『枕草子』どころではありませんでした。
 まさに、本業を忘れてのダイビングです。
 
 
 
090818siraraしらら浜はどこ?
 
 
 
 天気は、昨日同様に晴れ。風も3メートルと弱く、絶好のダイビング日和です。
 魚も、大歓迎してくれました。
 
 
 
090817kangei魚たちに囲まれて
 
 
 
 まずは、18メートル底に横たわる沈没船です。2年前に、伊豆の菖蒲沢で24メートル海底の沈没船に行きました。
 今回は30メートルの大きな船です。たくさんの魚がいました。
 
 
 
090818cabin3沈船のキャビン
 
 
 
090818cabin2キャビンで
 
 
 
 水中で静止する中性浮力のバランスを崩し、2度も海中を上下しました。
 自分の身体をコントロールするのも、なかなか難しいものです。

 2回目のダイブもボートで沖へ行き、三角形の縦穴を下降したり上昇し、20メートルの横穴をまっすぐに進むなど、なかなか爽快な泳ぎとなりました。
 変化のある、楽しいダイビングです。
 
 
 
090818yoko1洞窟内通過中
 
 
 
090818yoko3
 
 
 
 かわいいクマノミが来ましたが、産卵後というので威嚇してきました。
 
 
 

090818kumanomiクマノミ
 
 
 
 今回は、重りを2キロまで減らして泳ぎやすくしてもらいました。
 しかし、また中性浮力を失い、上下動をしてしまいました。慌てるシーンがある内は、まだまだです。

 今回で、通算14回のダイブとなりました。
 トータルの潜水時間は、なんとか7時間を超えました。

 2日間、インストラクターの池田さんには大変お世話になりました。
 海ではもちろんのこと、マリンハウスのテーブルなどでも、たくさんの話を伺うことができました。これが、実は非常にありがたい収穫でした。
 スクーバ・ダイビングの楽しさや楽しみ方を、いろいろと教えていただきました。
 非常に説得力のある説明で、また海中でも目配りの利いた誘導には、敬服しています。

 池田さんは、すでに20数年で1万数千本のダイビングをなさっているとか。
 2万本を目指して、ますますのご活躍をお祈りしています。

 私の息子が、幼稚園くらいの時のことでした。
 この白浜の三段壁の崖を家族で見学していたとき、突然崖の方向へ走り出しました。
 よりによって、ここは自殺の名所です。
 私も妻も、「とまれーっ」と大声で叫び続けました。とにかくチョロチョロと走り回っている子でした。もうだめだ、と思ったときに、何とか踏み留まって事なきを得ました。
 その後、同じ所を訪れたところ、柵が設けられていました。しかし、今はまた、柵が取り外されているとのことです。
 この三段壁の下も、すばらしいダイビングポイントなのだそうです。ただし、上級者向けなので、30本は潜って、中性浮力を確保できるようにならないと、行くのは危険だとのアドバイスをもらいました。

 この思い出の三段壁の下を潜ることを、当面の目標にしたいと思います。
 その時には、池田さん、またインストラクターとしてのご指導を、よろしくお願いします。
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2009年08月18日

スクーバダイビング2009(1)

 南紀白浜へスクーバ・ダイビングに行きました。

 昨日書いたように、第1日目の夜に長文のブログを書いたのですが、送信時のエラーで2回ともアップに失敗しました。

 パソコンとの付き合いは20年以上になります。しかし、依然としてトラブルはつきものです。
 まだまだ、パソコンの操作環境は未成熟です。ノイマン型コンピュータの限界なのでしょうか。

 手元に昨夜書いたテキストは何も残っていないので、改めて再度思い出しながら書くことにします。

 自宅を朝一番に出、大阪・天王寺駅で「くろしお1号」に乗り換えて、一路白浜駅へ行くという、片道4時間の旅です。

 しかし、あろうことか、天王寺に着いた時は、阪和線の列車故障のために全線運休となったばかりのところでした。
 特急の指定席に座り、動かない車窓の風景を1時間ほどボーッと眺めていました。かつて、通勤に使っていた乗換駅です。雑踏を懐かしみながらのスタートとなりました。

 白浜駅についたのは、ちょうど1時間遅れでした。
 タクシーを飛ばしてアクアマリン・シラハマへ急ぎました。
 
 
 
090817houseアクアマリン・シラハマ
 
 
 
 しかし、お昼に近いということもあり、午前中のダイビングは午後に回すことになりました。そして、インストラクターの池田さんと楽しく歓談しながら、復習を兼ねた今回のスケジュールの確認をしました。

 午後の最初は、ビーチで魚とのコミュニケーションをとりながら、2年間の空白を埋める、ダイビングを思い出す時間でした。最初は、6キロの重りを身につけての潜水です。
 クロダイ、ソラスズメダイ、ボラ、ウツボなどがたくさんいました。(このウツボは、2日目の写真かも?)
 
 
 
090817utuboウツボ
 
 
 
 温度は31度、5.1メートル水底の温度は29度でした。

 午後の2本目のダイブは、水中写真撮影のスキルアップです。
 動画の撮影が、こんな時に楽しい映像を残してくれます。
 これまで、デジカメで動画を撮ることがなかったので、意外な活用法でした。
 今度は、身体とウエットスーツが慣れたせいもあり、重りは5キロにしています。
 初日の潜水時間のトータルは、50分でした。

 宿舎は、歩いて1分のところにある塔島館という民宿です。
 のんびりできる、いい宿でした。
 夜のインターネットへの接続のトラブル意外は……。
 もちろん、その責任は、宿にはありません。
 iPhoneを使っての接続なので、ソフトバンクとイオネットという接続業者の問題なのです。
 ソフトバンクはどうしようもない会社だと思っているので、打つ手はありません。
 1日も早く、auがiPhoneを取り扱ってくれることを熱望しています。

 なお、2年前のダイビング話をご覧になりたい方は、以下のアドレスの記事をご笑覧ください。

【2年前のダイビングの記録】

スクーバ・ダイビング(1)

スクーバ・ダイビング(2)

スクーバ・ダイビング(3)

スクーバ・ダイビング(4)

スクーバ・ダイビング(5)

スクーバ・ダイビング(6)

スクーバ・ダイビング(7)

スクーバ・ダイビング(8)

スクーバ・ダイビング(9)

スクーバ・ダイビング(10)

スクーバ・ダイビング(11)
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2009年08月17日

スクーバダイビング2009(0)

南紀白浜に来ています。

先ほど来、頑張って二度も長文をアップロードしました。しかし、いずれも失敗に終わりました。
冷酷で虚しいメッセージを、二度も見る羽目になりました。

波の音を聞きながら、この一時間を取り返すように、少しだけでも書いておきます。

今回は、更新を諦めます。

明日、再度試みます。
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2009年08月15日

いつものお盆です

 鞍馬口にあるの養林庵の庵主さんが、今年も来てくださいました。
 お盆には、いつもお願いしています。
 
 
 
090815anjyu読経
 
 
 
 庵主さんは、80歳を越しておられます。しかし、お元気です。
 気持ちのいいお経です。
 今日も、お盆だけの特別なお経をあげてくださいました。

 右の木魚は、我が家伝来のものです。昭和初期からのもので年季が入っているものです。
 乾いた木の響きが、部屋中の空気を新鮮にしてくれます。心地よいリズムを刻んでいました。

 仏壇のお膳は、夜行バスで今朝駆けつけるようにして帰ってきた、料理人の息子が作った精進料理です。
 小さいながらも、細かな細工を施した、本格的なお膳です。

 坪庭の苔が元気よく育っているのを見て、お寺のようにいい苔だと言ってくださいました。
 楽しい話をたくさん聴きました。
 今年は、我が家へ真っ直ぐ来られなかったことを、大変残念そうにしておられました。
 昨年はスーッと来られたのに、今年はわからなくなったと、年をとった、年をとったとおっしゃいます。
 80歳を過ぎておられるので、周りから見るとそれだけでもすごいのに、ご自分では道を間違えたことがショックのご様子でした。ご自分に自信があるからこそ、お元気だからこその悔しさだと思われます。

 我が家の、亡くなったおばあちゃんよりも3歳年下だそうです。
 おばあちゃんとそっくりだということもあり、家族みんなで来年の再会を楽しみにしています。


 庵主さんを借りていたレンタカーでお送りし、その後すぐに家族みんなで、大阪・八尾の高安にあるお墓参りに行きました。
 久しぶりの運転でした。しかし、その感覚は忘れないものです。
 名神自動車道も近畿道も、車は少なかったので意外でした。
 みなさん、遠出をしておられるのでしょうか。

 お墓参りから帰った後、子どもたち3人が、紫式部のお墓や堀川を見に自転車で行ったので、私は妻と一緒にいつもの賀茂川のウォーキングに出かけました。

 いつもは見かけない烏が2羽いました。
 その向こうと川下には、たくさんの鴨が川で遊んでいます。
 楽しそうな川面の風景です。
 
 
 
090815karasu鴨と烏
 
 
 
 今年の夏は、例年より涼しいように思います。
 川風もサラッとしています。
 夕方になると、肌寒さを感じるほどです。

 明日は、京都五山の送り火です。
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2009年08月13日

裁判員には裁判を監視する役目もあるはず

 裁判員制度が導入され、2件目の判決が出ました。
 マスコミは、こぞってこれを取り上げています。
 しかし、一つ視点が欠落しているように思えます。

 私は、裁判員制度の導入により、いいかげんな裁判をさせないための抑止力も裁判員が受け持つことになった、と考えています。
 ところが、マスコミ報道を見る限り、裁判員制度によって国民の裁判に対する意識を向上させる、ということだけが強調されているようです。
 果たして、それだけでしょうか。
 今のマスコミの書きぶりでは、裁判所を見上げる視線で、裁判員制度が取材・報道されているように思えてなりません。

 裁判官の中には、とんでもない人がいます。いました。
 いかげんな訴訟指揮をし、いいかげんな判決文を書いて一件落着とする裁判官がいます。いました。
 せめて、原告が提出した訴状や準備書面には眼を通して判決文を書きましょう。

 また、不誠実な弁護士もいます。いました。
 立場が違うとはいえ、法廷でヌケヌケと嘘はいけません。

 私は、東京地方裁判所で、とんでもない裁判長に当たりました。
 そして、その時の弁護士は、誠意の欠片もありませんでした。

 私が提出した訴状を読みもしないで審理を進め、でたらめな判決を出した東京地裁に落胆し、すぐに東京高裁に控訴しました。

 東京高裁での冒頭、私は裁判長に、まじめに裁判をしてほしいということと、提出した資料を読んで判決を出してほしい、と強く強く訴えました。
 高裁の裁判長は、これは大変とばかりに、哲学論争に持ち込もうとしましたが、そこは文学論争以外はどうも……とか何とか言って、どうにかかわしました。

 ただし、この高裁の裁判官は良識のある方で、私に分があることは明らかであることを早々に察知され、和解に持ち込んでの解決を勧められました。

 ところが、和解の話がまとまりかけた段階で、今度は弁護士がそれまで嘘をついていたことがわかりました。

 和解に立ち会われた裁判官は、あなたも大変だろうから、もうこのへんで収めたら、という趣旨の早期終結を急がれました。
 くだらんことで仕事を増やすな、というのが本音だったのでは、と思っています。

 事実が何で、何が正しいかは、私が体験した東京地方裁判所と東京高等裁判所では、もうどうでもいいことでした。
 事実確認が、非常に軽く扱われていました。

 以来、裁判とはこんないいかげんなものでいいのか、と疑問に思っていました。
 その原因が、弁護士を雇わない個人裁判だったので、それが本来の裁判のありかただとしても、その業界の人たちにとっては適当に処理する事案だったのでしょうか。

 私の結論は、裁判官は人手不足で、1日に何本もの判決を書かされる激務なので、全力投球で裁判などに取り組めないのだ、ということに理解を示すことでした。
 また、弁護士も、対費用効果によって活動する人たちで、軽微で面倒な事案には適当に対処するのが慣例であり、私の場合がそれだったのだろう、と思うことにしました。

 忙しさのあまり、どうしても全裁判に集中できずに適宜気を抜いていた裁判官の実態が、明らかにあるはずです。
 そこに裁判員制度が導入されたことにより、裁判に裁判員という、法律には素人とはいえ第三者の眼が入ることになります。それによって緊張感が生まれ、裁判の中で手抜きをしにくくなる、という効果が期待できる、という側面を、関係者はみんな消極的にせよ歓迎し期待していたと思います。また、裁判員制度がうまく機能すれば、眼の回るほど忙しい裁判官の労力も軽減することが期待できます。

 その点に、マスコミはほとんど切り込んでいないのです。

 この裁判員制度が進めば、いずれは裁判官の実態も明るみに出、また裁判員にもいいかげんな人が採択されるなど、裁判そのものの意義を問題にする時が、遠からず来るはずです。

 裁判員が裁判の監視役をも果たすことがある、ということは、その時に浮上することかもしれません。
 今は、とにかく裁判官の実態には触れないレベルでの、裁判員に課せられた職務の一端だけが注視され、報道の対象になっている段階かも知れません。
 今は、裁判員が法曹界の中を見てはいけないのです。目の前の事案に真摯に対処することだけが求められています。

 しかし、いずれは、裁判員も裁判官の、そして弁護士のありように不審な思いを抱くことでしょう。
 その時に、改めて、裁判とは何か、ということが問題になるのかも知れません。自分たちは、正規雇用者の負担軽減のために雇われた、非正規雇用者であったことに。
 民主主義の側面が覗き見できる時となります。

 私が個人裁判を通してまとめた次の報告書は、裁判所での理解不能な実態を詳細に記したものです。
 ただしこれは、A4版の用紙にして250枚ほどの分量がありますので、おついでの折にでもご笑覧いただければ幸いです。
 裁判官と弁護士の知られざる実態が炙り出されている、ということで好意的な評価をいただいているレポートです。


「海外留学と保険契約 −驚くべき損害保険会社の対応を裁判体験から報告する−」



 この冒頭で、論点を三つあげて要旨をまとめています。
 参考までに、引用しておきます。


1)若者が海外留学する時に契約する保険内容は誰に聞けばいいのか

(被告会社の弁護士の説明では、保険内容の説明はあくまでも
サービスであって、その内容を説明する法的義務はないと)

2)地方裁判所においては事実の指摘が何と軽く扱われていることか

(東京地裁の裁判進行と判決は事実確認を軽視したものであり
上告審の東京高裁でようやく事実に耳を貸してもらえた)

3)和解の最終局面で突然出現した留学生専用パンフレットの意味は

(保険契約時や訴訟進行時に、この資料はまったく提示されず
和解交渉に入るまでは、その存在すら隠し通されていた)

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2009年08月08日

スキューバ・ダイビングの練習

 昨年の夏は、秋の源氏物語展の準備のために忙殺され、一度も海へ行けませんでした。
 今年の夏は、南紀・白浜へ行くことにしました。

 前回は、ライセンスを取得するために2度、伊豆の海を潜りました。2年前のことです。
 それ以来なので、機材の使い方から、水中での呼吸から身のこなしまで、すべてがリセットされています。
 そのために、海へ行く前に身体の記憶を呼び覚ますための練習も兼ねて、自宅近くのスポーツクラブへ行き、そこのプールで講習を受けました。
 ちょうど、満月の夜のダイビングとなりました。

 私は、川崎の4メートルの深さの、ダイビング用のプールで練習をしていました。今回の京都のプールは、ごく普通の1.2メートルの深さです。一般の方が泳いでいるコースの端を使うものでした。
 普通の水泳のコースとはいえ、まったく身体が忘れていることですから、ここでの練習で十分に感覚は取り戻せたように思います。

 まず、機材の点検です。ボンベの確認に始まり、ボンベにレギュレーターを取り付けたり、ゲージを見て充填されている空気のチェック、BCDジャケットの取り扱いなど、すべて忘れていたことを思い出させてもらいました。

 プールに入ってからは、呼吸と真っ直ぐに進むことの練習をしました。
 足びれのフィンをけっても、なかなか進みません。身体が左右に振れます。足だけが水面に出てしまいます。

 2年のブランクは、意外に影響していました。
 しかし、1時間ほどの講習を受けて、なんとなく感覚を思い出したように思います。
 実際に行く前に、もう一度練習をする予定です。

 今回着ていくダイビングスーツは、前回同様、こんなものです。
 同行の方のために、今日の練習が終わってから、一応写真に収めておきました。
 
 
 
090807dyving我がダイビングスーツ
 
 
 
 よろしくお願いします。
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2009年07月23日

新幹線の車中での泣き声

 京都から東京までの新幹線の車中で、ずっと子供が泣いていました。
 乗る前から、列に並んでいる時から泣いていました。
 泣き止まそうとするお母さんの努力には感心しました。しかし、その同情はともかく、乗客の一人としては、とにかくうるさいのは確かでした。

 大声で携帯電話で喋り散らすおじさんやおばさん。
 酒を飲んで喚いているおじさんたちなどなど。
 迷惑な人はいろいろいます。
 しかし、子供が泣き止まないのは、「うるさい」と思う内心の不快感を、どこにもぶつけようがないのです。
 強いて言えば、乗っているのが自由席だったので、もう一本列車を遅らせて、機嫌が直ってから乗車してもいいのでは、と言いたくなります。しかし、お母さんにもこの列車に乗りたい事情があることでしょう。1分でも早く、目的地に着きたいはずですから。

 公共の場所では、お互いの思いやりで保たれることが多いのも事実です。
 子供のこととなると、お互いさまです。

 我が家も、こうした迷惑をかけていたのかも知れません。
 自家用車が普及してからは、子供のことで車内で気を遣うのを避ける意味からも、電車での移動を敬遠する家族が増えたようです。
 そうした背景もあり、電車での子供の泣き声は相対的に目立つようになり、うるさく感じられるようになったのではないでしょうか。

 私はゆっくり本でも読みながら、と思って乗ったので、予定を変更して音楽を聴くことにしました。イヤホーンからの音漏れがないかを確認して、自分の世界に入ることにしました。

 周りから飛び込んでくる音は、雑音であり騒音と感じられることが多いようです。
 東京の中央線で、車内放送で不必要なまでに長い英語の案内が流れます。ここはどこの国だ、と言いたくなります。そんなに長文読解を強いなくても、と反発したくなります。東京人の劣等感からの施策なのではないでしょうか。英語コンプレックスの表れだと思っています。

 海外でも、最近は車内放送が増えました。
 イギリスでは、これまでは次の駅がどこなのか、地下鉄などの路線図をしっかりと見ながら乗っていました。最近は、車内放送が親切になり、それを聴きながら自分が降りる駅を見定められるようになりました。

 移動車中での騒音は、世界的に拡大しているのでしょうか。
 子供を連れてロンドンの地下鉄に乗っていたとき、息子が何度か乗客のおばさんに叱られていました。子供が騒いだり乗車のマナーを守らないと、親の責任としてこれ見よがしに子供を叱る大人がいることを知りました。

 社会的にも、子供の過保護は問題です。しかし、車中での対応は、なかなか難しいものがあります。
 どこにも、悪意はないのです。
 それだけに、感情的にスッキリしないものが残りました。
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2009年07月22日

映画『劔岳 点の記』

 大自然の威力と魅力を堪能できた映画でした。

 全体的に、人間が織りなすドラマ性は極力控え目にしてあります。
 山の自然がメインの映画です。
 それだけに、見終わって、何となく物足りなさを感じました。
 しかし、もう一度観たくなります。

 映像の合成やコンピュータグラフィックを一切排除したところが、この映画の一番の売りです。ただし、自分がそのライブ感覚について行っていないことを痛感しました。つい、眼が人工的な作為に向いているのです。それを無意識に求める自分がいることに気づかされました。
 人工的な映像に慣れてしまっているからでしょうか。

 自然と人間との闘いが中心なので、軍部や家族の扱いが難しかったと思います。
 今回観た限りでは、その配合がどこかぎこちなく感じました。
 生田信は、もっと反抗し、小島烏水も、もっと対立してもよかったのではないでしょうか。
 芝崎芳太郎の妻は、存在するだけで役割を果たしていました。宇治長次郎の妻も。
 女性がポツンと置かれていたので、家族に支えられたドラマ、という説明に説得力を欠きます。
 脇役が優等生的な扱いだったので、そんな印象を持ちました。ただし、主役が自然なので、これでいいのかもしれません。

 次回は、視点を改めて観たいと思います。
 この映画は、映像芸術の原点に立ち返って観ないと、その良さが伝わって来ないようです。

 週末だったこともあってか、映画館は満員でした。年齢層は高かったように思います。
 椅子に座り、じっくりと観ました。
 ドタバタや、アクションや、お涙頂戴のシーンはありません。これ見よがしの感動的なシーンが用意されているわけでもありません。
 画面を観ながら、自分で感じることが求められる映画でした。
 落ち着いて、自然体で観られる映画です。

 もし可能ならば、全編モノクロで観たいと思わせる映画でした。
 朝日、夕陽、紅葉は、セピアで十分です。
 DVDで出たら、そんな観方をしたいと思っています。
 自然を自然として観たので、少し自分のイマジネーションというフィルターを通して観る、という遊びをしたみたくなりました。

 いろいろな意味で、いい映画を観ました。
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