2018年05月18日

うっかりミスで和やかな一日となる

 いつもより早めに高校に行きました。
 昨日までに、生徒が書いた課題としての小論文の添削は終えています。一人ずつにコメントも書いたので、今日はそれを返して、さらにもっといいものに仕上げてもらう日です。
 また、今日配る予定の、最新医療の問題を取り上げた新聞記事の印刷も終えました。

 さて、と思ったところへ、教えているクラスの生徒が職員室に来て、提出物はいつまでですか、と聞きます。そして、話をしているうちに、今日から中間テストが始まり、私の授業はないことに気付きました。そういえば、職員室はガランとしています。
 スケジュールの確認をしないままに来てしまったのです。あまりの忙しさに、いつも通りの行動パターンで、無意識に移動して来ました。とにかく、連日、2時間、3時間の移動が当たり前のようになっています。そのため、移動中にやる仕事のことがいっぱいいっぱいだと、資料を持って自然と身体が電車に乗ってしまうのです。変な習癖がついてしまいました。

 私は中間試験がない科目なので、教務からも特に連絡がなかったようです。試験問題の作成依頼がきていたら、こんな間抜けなことにはならなかったはずです。月間の行事予定を確認していなかった、私のうっかりミスです。どうも、まだ高校の進行パターンが飲み込めていません。

 教えている生徒が何人か職員室に質問に来ていたので、私も対応をしました。かつて高校の教員をしていた時のことを思い出しました。試験期間になると、校内はそれまでとはまったく違う雰囲気になるのです。職員室もしかり。

 そんなおかげで、溜まっていた生徒の提出物のチェックや、作文の添削が捗りました。
 国語科の先生とも、留学生に日本語を教えることなどの話ができました。日頃は、職員室と教室の行き来で終始するだけの日々なので、有意義な時間を過ごすことができました。

 帰りがけに、作法室の前で、茶道部の生徒と出会いました。今日は、部活としてのお稽古ではなくて、みんなで勉強をしているそうです。真面目な子たちなので、集中して勉強ができる部屋を確保しているのでしょう。
 いつかお茶を点ててもらおうかな、というと、いいですよとの明るい返事。京都からお茶菓子を持って来るよ、というと、笑顔で喜んでいました。

 昨年の9月からこの明浄高校に来るようになったので、まだ1年に満たないながらも、こうした会話ができるようになったということは、この環境に慣れたということの証しです。

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 帰り道は、いつものように駅前の明浄通商店街にある古本屋に立ち寄りました。
 この本屋さんは、小さなお店が本を持ち寄って並べています。書店ごとに手にしてほしい本ばかりが並んでいるので、結構おもしろいものがあります。最近は、この形式が流行なのか、出町柳にある桝形商店街の中の古書店もこの方式です。本選びにお店のセンスが感じられるので、いいことだと思います。

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 京都に帰ってから、その出町柳の花屋さんの隣で、金魚屋さんからメダカをいただきました。

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 東京にいるときは、こんな様子でした。

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 この内、ピンクと黒は京都に連れてきました。しかし、都の水が合わなかったのか、昨夏まで持ちませんでした。
 あれから一年。今日からは、京都生まれのメダカ5匹が住人として加わりました。
 この夏を、とにかく元気に越せるように、大切に世話をして育てようと思います。
 
 
 
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2018年05月14日

高校で小論文の授業(その4)

 このところ、いろいろと書いておきたいネタが多いために、やっと先週金曜日(11日)に高校で行なった授業の記録を書き残す順番となりました。

 教科書として配布した『特化型 小論文 チャレンジシート 看護・福祉・医療編』(第10版、2016年12月20日、第一学習社)で、最初の項目となる見開き2ページを確認しました。この日のトピックは「患者主体の医療」と「遺伝子診断と遺伝子治療」の2つです。

 順調に進めていて、下段にあった「重要キーワード」の説明に移りました。「自己決定権」・「セカンドオピニオン」・「再生医療」の3項目が並んでいます。生徒を指名して、まずは「自己決定権」を読んでもらおうとしたところ、「どこですか?」とキョトンとしています。場所を言っても、怪訝な顔をしています。横に行って読むべき場所を指し示そうとしたところ、そこには「チーム医療」という項目が立てられていて、「自己決定権」という項目はないのです。
 次の「セカンドオピニオン」と「再生医療」は、同じものが書いてあります。
 おっとっと、です。

 私は、教務担当の先生から受け取ったテキストを手にして授業に臨んでいます。先々週の4月27日に生徒に配った冊子と、私が持っているものの内容が違うようです。慌てました。
 奥付けを見比べて、やっと事情がわかりました。
 私のテキストは「第10版、2016年12月」で、生徒のテキストは「第11版、2017年12月」です。
 この「重要キーワード」の一部が、改定により、「自己決定権」から「チーム医療」に差し替えられたようです。
 とにかく、この項目は飛ばして、残りの2つの確認をしました。

 後で、この2冊のテキストを比べて見たところ、どうやらこのページのこの箇所だけが入れ替えられていることがわかりました。この分野の専門ではないので、どのような問題があって差し替えとなったのかはわかりません。また、改定されたことは、どこを見ても書いてありません。奥付けに「改定◎版」とか「補訂」という文字がほしいところです。

 参考までに、取り除かれた「自己決定権」の文章を引いておきます。

自己決定権

 生き方や生活のあり方を自分で自由に決める権利。医療では、患者が自らの生命や治療方針に関して最終的な判断を行う権利をいう。病名、病状、治療の選択肢や予後などについて十分な情報を得たうえで、治療の拒否権も含めた決定権を持つ。なお、人工妊娠中絶・受胎調節などに関する女性の自己決定権を、特に「リプロダクティブ・ライツ」と呼ぶ。(2頁)


 この後、「リプロダクティブ・ライツ」について調べました。どうやら、「人工妊娠中絶・受胎調節」というところに問題があるように思えます。確かなことが言えないので、ここではこれくらいにしておきます。

 このテキストで学習した後は、先般より書いている小論文「将来の目標と理由」の3回目として、完成版の作成に移りました。ただし、新たな条件を課して、「チーム医療」「セカンドオピニオン」「再生医療」の3つの内からいずれか1つのことばを入れて書くように、としました。
 慣れないことでもあったせいか、いろいろと質問に対応しながらの時間となりました。
 質問が出るということは、それだけ積極性が生まれたことです。大歓迎です。
 
 
 
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2018年05月01日

高校で小論文の授業(その3)

 先週金曜日の、高校での記録がうまくアップできていませんでした。
 あらためて掲載し直します。
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 授業を始める前に、生徒には、書いた小論文や配布物を時系列にファイリングして保管するための、A4の2穴ファイルを一冊ずつ配布しました。これは、担当する3年生の色となっている、ライトグリーンのものです。期せずして私の好きな色でした。

 続いて、先週書いた作文を添削したものを返却。先週から使い出した、A4のクリアファイルに、提出物を挟んだ状態で生徒一人一人とやりとりをしています。

 さらに、教科書として使う『特化型 小論文 チャレンジシート 看護・福祉・医療編』(第10版、2016年12月20日、第一学習社)も配布しました。これは、担当するクラスに最適な冊子です。これまで長い間、この小論文を担当しておられたH先生のアドバイスをいただき、私もこれを活用することにしました。
 この本には解答と解説の冊子が付いていたので、これも一緒に配りました。

 先週回収した小論文を添削していて、原稿用紙の使い方が徹底していなことに気付きました。そこで、論文で使う表現や語句を一覧できる資料とともに、原稿用紙についてのプリントも配り、基本的なポイントを押さえました。この配布資料については、「うちやまかずや・育達商業科技大學人文社会學院應用日語系(台湾)、http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/ron/rasii.html」を使わせていただきました。

 こうして、いろいろと配ったり注意をすることに手を取られ、一人一人に返却した小論文のコメントを個別に伝えるタイミングを逸してしまいました。鉄は熱いうちに、という鉄則を実行しないままに終わってしまったのです。次の授業は連休明け。アドバイスの時期が大きくズレることとなり、生徒には申し訳ないことをしました。2週間後に、何とかフォローしようと思っています。

 初夏の涼しい風が教室に吹き込む、爽やかな2時間でした。しかし、今年は6時間目と7時間目という、生徒にとっては一日の疲れがピークに達する時間です。勉強には、決して条件がよくありません。これから夏に向けて、生徒とともに、この疲れとの戦いを繰り広げることになります。眠気を誘わない、魅力的な教材と課題を工夫しなければなりません。また、新たな戦略を練って臨むことになります。相変わらず、悩みは尽きません。
 
 
 
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2018年04月23日

ユニバーサルシティ駅と大阪駅とでの会合に参加して

 ユニバーサルシティというJRの駅に初めて行きました。ここは、「ユニバーサル スタジオ ジャパン」があることで知られています。「ディズニーランド」も含めて、私には無縁の場所なので、来る機会がまったくなかったのです。

 入口近くに行くと、ジェットコースターからの絶叫や歓声が降り注いで来ます。かつて金沢文庫で単身赴任用の官舎に住んでいた頃、子供たちを連れて行った「八景島シーパラダイス」を思い出しました。こうした施設は、ストレスのガス抜き装置として、よくできていると思います。

 この駅に隣接するホテル京阪ユニバーサル・タワーで、大阪観光大学と明浄学院高校の教職員が一堂に会して、今後の運営に関する理事会側からの説明を受けました。少しずつではあっても、将来が明るくなって来ているとのことでした。

 その後は、国際交流学部の新任教員歓迎会が、大阪駅の北側にあるグランフロント大阪(北館地下1階)にある「世界のビール博物館」でありました。

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 このお店の向かいには、姉妹店である「ワイン博物館」があります。

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 会場となった15人ほどが入れる個室では、おもしろい話題が飛び交い、熱弁が響きわたるという、楽しい情報交換会となりました。大学が大阪南部と遠いのに、先生方は北摂地域からおいでになる方が多い職場です。その中でも、私は最北端の通勤者です。
 そんなこともあって、大学の先生方とは外で打ち合わせとか、仕事帰りに一杯ということがほとんどありません。それだけに、数少ないこうした機会は貴重です。

 世界のビールが飲めるお店に、国際交流学部の先生方が集まったのですから、銘柄はもちろん、原産地の情報も業界人かと思うほどプロ並みです。
 消化管と血糖値に課題を抱える私は、ウイスキーの水割りを一杯だけいただきました。
 美味しいお酒でした。
 
 
 
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2018年04月20日

高校で小論文の授業(その2)

 明浄高校の授業は、第6時間目と7時間目です。
 一日の内でも疲れがピークに達する頃です。しかも、2時間続きで小論文を書くのです。
 生徒にとって、これは大変だと思います。それ以上に、私も飽きさせないようにするための工夫で、とにかく大変です。

 とはいえ、昨年は体育の後の授業でした。9月から高校に教えに行ったので、プールの後は、生徒が髪を乾かすことなどでてんやわんやの状態の中でのスタートでした。しかも授業が始まると泳ぎ疲れもあってか、生徒たちは睡魔と闘っていました。冬のマラソンの後は、またもやぐったり。
 それに比べると、今年のように一日の最後の授業は、まだ去年よりも対処がありそうです。

 さて、今日は、先週書いた文章の添削を返却しました。
 題目は「将来の目標と理由」でした。
 生徒は返されたものを見ながら、書き直しをして清書をすることになります。
 一人一人の作文に、私が注意すべき箇所に赤線を引いたり赤丸を付けました。その箇所になぜ朱があるのかを自分で考えながら書き直すのです。字数も、800字以上になるようにと、いろいろと要求も出しました。

 また、前回はA4版の千字詰めの原稿用紙だったので、今回はA3版と2倍に拡大したものを使いました。予想通り、このA3版の方がいいとのこと。それではと、来週はB5版でやってみようと思います。
 勉強は、自分が一番使いやすい道具ですべきだと思っているので、まだ試行錯誤をしています。

 先週生徒が書いた文章を読んでみて、小論文ではなくて作文の域を出ていないことがわかりました。そこで、最初にこの違いについて説明をしました。
 その後で、実際に書き直しの清書となります。その時、机間巡視をしながら、前回の文章の問題点をメモしたものを手に、一人ずつアドバイスをして回りました。書いている最中に横からいろいろと問題点を指摘すると、慣れないこともあってか戸惑っていました。
 しかし、限られた時間の中での繰り返し学習なので、これでしばらくはやろうと思います。

 書き終わったものは、最初に一人ずつに配布したクリアファイルに、前回のものと今日のものを挟んで提出してもらいます。このクリアファイルには、大きめのシールに出席番号と名前を書いてもらったものを貼り付けてあるので、私の方は処理が楽です。
 来週は2穴のペーパーファイルを配布し、そこに綴じて各自が保存管理するようになります。この2穴ファイルは、今日事務から生徒数分を入手しました。

 こうして、着々と生徒の文章力アップのための学習プロジェクトが進行しています。
 折々にここに記し、その学習の展開と成果の有無を報告したいと思います。
 
 
 
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2018年04月13日

高校での初授業は「小論文」でした(その1)

 本年度の明浄高校での授業が始まりました。今年も昨年同様に、毎週金曜日が出講日です。
 担当科目は、高校3年の看護進学コースの「小論文」。

 幸いなことに、昨年の9月から教えていたクラスの持ち上がりです。昨秋からの半年間は、積極的に語りかけたり、いろいろと書かせたりしたので、生徒一人一人の様子がおおよそわかっています。
 年度があらたまったこともあり、少し偉そうに挨拶代わりに「他を想う」ということと、「答えは一つではない」という話をしました。
 いつも喋りすぎるので、早速、千字詰めの原稿用紙に「将来の目標と理由」という題目で書いてもらいました。
 作文の添削は、手間と時間がかかります。ただし、「論文」の指導と言っても、頭に「小」が付いたものです。「博士論文」の指導とは違います。看護師の試験対策のものなので、ポイントは絞られています。

 さまざまなテーマに取り組むことで、「考える力」と「まとめる力」と、そしてその次の「書く力」を着実に付けてくれることを願って対応していくつもりです。
 この若い子たちを飽きさせないように、いろいろな工夫を凝らして、文章を書くのが楽しくなるように仕向けていくようにしたいものです。なかなかの難題ではありますが……
 
 
 
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2018年04月01日

大阪中之島の中央公会堂での入学式

 今日も暖かな日となりました。玄関先のチューリップも、朝から赤だけが先に咲いています。

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 平成30年度・大阪観光大学の入学式が、晴れ渡った青空の下、大阪中之島にある中央公会堂でありました。会場の雰囲気にのまれることもなく、厳かに感動的な入学式が挙行されました。明日からは、若者たちの歓声が大学の校舎内に響くことでしょう。元気をもらえる、新年度の始まりです。

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 今から40年ほど前になります。大阪府立の高校で教員をしていた時、視聴覚観賞行事でこの中央公会堂を使いました。私が担当だったので、いろいろと検討を重ねた末に、デュークエイセスを呼んで男声コーラスグループの歌声を聴くことにしました。そして、司会役として私はこの壇上でマイクを握ったことを思い出しました。この公会堂は、私にとっても懐かしい舞台です。

 その公会堂に、今日は来ているのです。
 旧懐は、ちょうど1年前のこの日に至り、いろいろと思い出しました。
 昨年は3月31日まで、定年退職に伴う残務処理に忙殺されていました。「大阪観光大学国際交流学部に着任しました」(2017年04月01日)
 今でも、一昨年の年末からの4ヶ月間を思い出すたびに、よく頭の中が溶け落ちなかったものだと身震いがします。身体がよくぞ持ち堪えてくれたものだと思うたびに、茫然自失と言うしかない空白の時間が脳裏を去来します。生まれてこのかた65年の中でも、衝撃に翻弄され、大車輪の対応を強いられた、非常に息苦しい日々でした。

 この一年間も、それなりに暴風雨が吹き荒れていました。それでも、なんとかこうして入学式に列席し、同僚と今年のこれからを語り合えるのですから、平穏な日々の中にいるといえます。支えてくださっているみなさまには、心から感謝しています。

 昨年からの懸案の課題は、まだ数多く残っています。これまでがそうだったように、これからも多くの方々の手助けを得て、なんとかやり遂げたいと思っています。お待たせしている方々には、もう少し時間をくださいと念じています。ご迷惑とご心配をかけていることに恐縮しながら、身体に無理や負担をかけないように心掛けて過ごしています。
 体調はそれなりに、そして精神的にも安定してきています。平成30年度は、昨年度とは打って変わって、静かに始まりました。今年度は、自分らしい仕事をしたいものだと、あらためて気持ちを引き締めているところです。
 
 
 
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2018年02月23日

高校の最終授業日は版木などを回覧

 昨年9月から担当することになった明浄高校の授業も、今日が最終回。
 休んで自習にしたのは1回だけだったので、過密スケジュールの日々の中にもかかわらず、毎週よく通ったと言えるでしょう。楽しかったので、あまり疲れは感じませんでした。

 今日は、午前中の現代文の時間に、今回芥川賞を受賞した石井遊佳さんの『百年泥』をとりあげました。丁寧に作成したプリントをもとにして、その特質を説明したのです。
 その中で、「熟れすぎ」という言葉が出て来ます(393頁上段)。これは「うれすぎ」と読みます。しかし、そのすぐ後に「熟みわれたパパイヤ」とあります(393頁下段)。この言葉に関して、私は恥ずかしながら読むことができず詰まってしまい、午後の授業までに調べて来ます、と答えました。しかし、電子辞書を持っていた生徒が、「熟み柿」を「うみがき」と読むと書いてあるので「うみ」とよむのではないですか、と言うのです。ごもっとも。まじめな生徒たちは、こうして私を助けてくれるのです。良い子たちです。

 午後の文学史の時間では、今回の回覧図書として、まずは架蔵の版木を回しました。これは、『古訓 古事記』の木版刷りのための版木です。表面と裏面の両面に文字が彫ってあります。叩くと、カンカンと、乾いたいい音がします。生徒たちは、江戸時代の印刷本の舞台裏を知り、初めて見て触るものに興味深そうでした。ペタペタ触り、匂いを嗅ぎ、叩いてみたり、文字をなぞったりしていました。

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 次に、お札に描かれた人のシリーズということで、まずは福沢諭吉の『学問のすゝめ』を回しました。
 薄っぺらい、12枚の紙を綴じた冊子です。有名な割には貧相なぺらぺらのパンフレットみたいなもので、意外だったようです。

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 続いて、樋口一葉の『たけくらべ』。一葉の自筆原稿を印刷したものです。文字はまったく読めないと。でも、若草色の装丁は気に入ったようです。

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 夏目漱石の『こゝろ』も回しました。

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 ちょうど、私と対となる別の現代文の時間に、この『こゝろ』を勉強しているところだそうです。来週からの学年末試験では、その『こゝろ』が試験範囲だったのです。教科書にも、上の角度からの写真が挿し絵として印刷されているとのこと。一人の生徒が、今勉強している教科書の挿し絵を見せてくれました。この写真を見ていたので、その教科書に載っているのとそっくりそのままの本が回ってきて、びっくりしたようです。タイムリーな本の回覧でした。

 いずれも複製本ながらも、よくできた参考資料といえるものです。とにかく触って感覚で覚えよう、と言って、毎回代表的な作品の複製本や原本まがいのものを持参して、回覧してきました。印刷された文学史の教科書だけでは、本というものの実態が見えません。本屋さんの文庫本コーナーのように、書名の羅列と思ってしまうと、作品が生まれた時代のことや読者の存在が見えません。少しでも実物に近いものを直に手で触ることで、作品の存在価値や歴史が実感できると思います。これは、今後とも続けていきたいことです。

 昨秋より、それまでの若い先生の後に突然こんなひ弱な老体が現われ、生徒たちはどう思っていたのでしょうか。それでも、今日は放課後に教室で掃除をしているところを見ながら、いろいろと世間話をしました。お爺ちゃんと思ってか、よくしゃべってくれます。
 この半年間、教材研究に四苦八苦しながらも、高校生を相手に稔りある日々となりました。来週は学年末試験です。私の教え方はともかく、精一杯テストと格闘してほしいと願っています。

 帰り際に、「インド、気ーつけてな」と声をかけてくれました。来週の26日(月)に、私はもうインドにいます。この生徒たちとも今日でお別れであることを、あらためて後追いで実感しました。
 
 
 
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2018年02月20日

大学の8階まで階段で登り降りする

 今朝、乗り換えの京橋駅で、電光表示板を見つめてしまいました。
 以下の文字が流れていたからです。

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受験生の皆様体調管理を万全に、今までの頑張りを信じて試験に臨んでください! 京橋駅係員は受験生の皆様を応援しています。


 こうした励ましは、微笑ましくていいものです。

 今週は、大学の研究室棟に設置されているエレベータが、改修のために全面的に停止しています。

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 私の研究室は8階にあります。スポーツクラブでトレーニングをしていると思い、狭い階段を使いました。
 今日は、4回生の卒業論文発表会です。泉佐野地域の溜池、和太鼓集団、和食と醤油、だんじり等々、多彩な発表を聞きました。

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 私が卒業論文を書いたのは、もう40年以上も前のことです。研究分野がまったく異なるとはいえ、学生たちがよく調べていることに感心しながら聞きました。特に、先生方との質疑応答が楽しめた、和やかな研究発表会でした。
 
 
 
posted by genjiito at 20:48| Comment(0) | 身辺雑記

2018年02月02日

歌詞が耳や目を通して高校生の心にどう届いているのか

 高校の日本文学史の授業で、今日は『閑吟集』(宮内庁書陵部蔵)の複製本を回覧しました。

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 これまでの古写本と違い、袋綴じであることに注目です。装幀は四つ目綴じで、縦横20cmほどの枡形の本です。黒板に模造紙を広げ、プロジェクターを使って、四つ目綴じの本の作り方を説明した画像を映写しました。この本のカバーにあたる帙も、作り方は簡単であることを、これも映像で確認しました。
 器用な生徒なら、いろいろなカバーや和綴じ本を作ることでしょう。身近なものとしてこうした和装本に触ったことを機会に、自分のノートや日記を和風に仕立てることを勧めました。

 『閑吟集』は、今でいうところの歌謡曲の本なので、そんな話でこの本の内容や性格を説明しました。生徒たちは、AKB48 や Kポップなどを聞いているそうです。自分の好きなアーティストの歌詞を集めた本があるのかどうかを聞いたところ、知らないと言っていました。

 私が小学生だった頃には、『明星』や『平凡』の付録として、当時流行していた歌謡曲の歌詞を集めた冊子が付いていました。姉が買ってきた雑誌の付録を、時々見ていました。昭和30年代のことです。ラジオで聴いた歌の歌詞が、こうした付録で確認できたのです。演奏用のコード進行が歌詞の行間にあったので、ギターで弾いて歌ったりもしていました。今なら、ネット経由で歌詞を表示させたり、歌詞のテキストを手に入れたりしているのでしょうか。それとも、歌詞を目で追うことはないのでしょうか。

 冊子に印刷された歌詞を目で追うのではなくて、歌を聴きながら歌詞を耳だけで理解や認識することは、どれだけ可能でしょうか。個人的な考えとしては、困難を伴うと思っています。いや、今の若者たちは、目で文字を追うことから自由になっていると思われます。こうした共通の話題を通して、今の若者像を自分なりに作り上げたいと思っています。

 流行歌と言っても、いつの時代も「はやりうた」はあるものです。楽曲そのものや、その歌詞の受容形態が変わってきている、と思われます。これは、メディアの変遷と密接に関係するものに違いありません。

 私は、アグネスチャンの私設後援会の会長をしていたり、モーニング娘。に関する資料を片っ端から集めていた時期があります。そんなことから、生徒たちが今の歌手や歌詞とどのように接しているのかは、大いに興味があります。しかし、授業という限られた時間の中ではほとんど聞き取ることはできません。かと言って、宿題にするわけにもいきません。長期休暇の宿題なら可能かもしれません。いつかまた、今年の夏にでも、歌詞が耳や目を通してどのように生徒の心に届いているのかを、調査してみるとおもしろいのでは、と思っています。
 
 
 
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2018年02月01日

孫が日本語を喋り出す直前の発声記録

 生まれて9ヶ月になる孫娘は、口にすることばが少しずつ増えています。
 これまでは、唇を使った「マ行」と「パ行」でした。
 これに加えて今日からは、舌を使った「ナ行」と「タ行」の音が出せるようになったのです。

……ないないないないにゃいにゃいにゃいにゃいないないにゃいにゃい……


 こうして、新しい音が発音できるようになっていくのに付き合うのは、心がウキウキするものがあります。その成長の過程が追体験できて、楽しくもあり、おもしろくもあります。今後の成長を応援する気持ちが、日々に膨らみます。

 古写本好きのお爺ちゃんとしては、さて変体仮名をどの段階でチラチラと見せるか、ということを密かな企みとして様子見をするようになりました。絶妙のタイミングを見計らっているところです。

 私にとっては、この子が音声と文字をどのようにして獲得するのかを見定める、興味深い実験台でもあります。自分の子供たちが成長する時には、こんな余裕はありませんでした。

 折々にここに報告します。その道の専門家の方への、研究資料としての情報となれば幸いです。子供をダシにしての資料提供で気が引けなくもありません。しかし、そこは広い心で、お役に立つ情報の公開ということで、許してください。

 さて、次はどんな音が出てくるのでしょうか。言語の専門家の方なら、ある程度は予測できるのではないでしょうか。コラボレーションとしてのご意見をお寄せいただけると、この実験がさらに楽しいものになるかと思います。
 
 
 
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2018年01月09日

大和平群で初釜を楽しみ成人の日に思う

 今日はお茶の先生のお宅で初釜です。今年も、お稽古を根気強く続けたいと思います。
 生駒線の中でも単線区間にある駅舎は、この町で子育てをしていた頃とは様変わりしています。
 駅前がきれいに整備されていても、実は無人駅なのです。

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 町内を流れる龍田川は、昨夜来の雨で濁っていました。今朝方からの雨は上がり、生駒山から吹き下ろす風の冷たさから、今夜は雪になるのではと思わせます。

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 昨年の初釜には参加しなかったと思っていたのに、皆さんからは来ていたとおっしゃいます。食事をいただいている内に、少しずつ思い出しはしたものの、やはり記憶が茫洋としています。とにかく、昨年は東京最後の年だったために、特に正月以降は仕事以外のことはほとんど記憶の彼方にあります。
 帰ってからブログを見ると、昨年も同じ今日、確かに初釜に行っていました。しかも、その日のブログでは詳しく報告していたのです。夢遊病の日々だったとはいえ、大変失礼しました。

「大和平群での初釜と茶室披きに行く」(2017年01月08日)

 席入りした床には「万年祝峯松」の書とウグイスカグラが、後席ではアケボノという椿が飾られていました。そういえば、待ち合いの床には「千年春」と書かれた扇が掛けられていました。お正月らしい演出であることには、後で気づきました。

 私が正客役ということになり、いろいろと指示を受けながらお茶事は進みました。
 亭主である先生の心配りが自然なのに感心しながら、食事やお菓子やお茶をいただきました。

 すっかりお客さん気分でいたところ、突然お点前をすることになり慌てました。何事にも動じないように、という訓練でもあります。とにかく、場数を踏むことで、作法や礼節を身に付けることにします。

 今日は成人式のために祝日です。途中の駅では、着物姿や正装の若者を見かけました。京都の新成人は、団塊の世代の頃の半数になっているそうです。若者が年ごとに少なくなっていく時代に入っています。逞しく育ってほしいと願うだけです。

 成人式というと、すぐに自分の時を思い出します。私の成人式は、東京での下宿先が火事になって焼け出された直後だったため、エントリーしていたマラソン大会にも出られず、大田区にある鷲神社の会館の板の間で、区から配給された毛布にくるまって過ごしていました。これまでに何度もこのことは書いたので、詳しくは省きましょう。「江戸漫歩(118)深川大鳥神社の酉の市」(2015年11月29日)

 帰りの京都駅前のタワーは、お正月らしく紅白にライトアップされていました。

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 我が家の紅白梅も、ほとんど咲きそろって来ました。

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 鉢の間に置いた小犬は、今日のお茶事の最後にいただいたおみくじ付きの犬です。その中には、次のように書いてありました。なかなかいい年になりそうです。
  中吉
「いいこと」いっぱい
このみくじにあう人は
今年一年良いことに
たくさん出会うでしょう


 さあ、明日から今年の仕事が本格的に始まります。
 身体に充分気をつけて、目の前のテーマに挑んで行きたいと思います。
 ただし、決して無理をしないようにという声も、そこここから聞こえてきます。
 またまた、今年もみなさまにお詫びをしながらの日々になる予感もします。
 早々と、ごめんなさい、と言って身を守ってのスタートとします。
 
 
 
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2018年01月06日

紅白梅の可憐な様子と飛ぶ鳥の雄姿

 今年も紅梅と白梅が少しずつ花開いています。
 七草粥の頃には満開になっていることでしょう。

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 床の間には、お正月らしく百鶴図を掛けています。
 その鶴の姿を思わせるような、散策路沿いの松の木から飛び立つ鷺の姿を見かけました。

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 今年も穏やかに始まりました。
 今年度末までの予定はビッシリと埋まっています。
 と言っても、昨春の気が遠くなるほどの夢遊病状態を思えば、今年はその比ではありません。
 それでも、一つずつ着実にこなしていくことにします。
 
 
 
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2017年12月24日

クリスマスイブに大和平群で濃茶のお点前を稽古する

 年の瀬の大和路は、思ったよりも寒くありませんでした。
 多分にヒートテックの下着を着ていたせいもあるのでしょう。このヒートテックは、マイナス34度だった数年前の1月に行ったモンゴル・ウランバートルでも、驚異的な効果を発揮してくれた優れものです。今は極暖タイプもあるので、外出には欠かせません。

 龍田川の上流は、お正月を迎える清流になっています。

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 平群のお山を登っていると、少し汗ばむほどでした。この、信貴生駒連山を望む風景が好きです。左端に信貴山があります。

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 お茶のお稽古は、今日から濃茶のお点前です。これまでは薄茶のお稽古をしていました。あらかじめネットで、男性が濃茶を点てる動画を何度か見ておきました。行きの道中の2時間は、車中でこの動画で予習です。しかし、先生もおっしゃるように、動画にもいろいろなパターンがあり、怪しいものがアップされているものもありました。それでも、お手前の流れはイメージできました。

 初めての濃茶にチャレンジした感想としては、動画を見たことはあまり役には立たなかったように思えます。見よう見まねであっても、実際に先生に教えていただきながらの方が、記憶に刻み込まれるような気がしています。お稽古で反復練習をして身体に覚え込ませる、というのは、言い古されたこととはいえ、確かなことのようです。見物ではなく、実際に自分の距離感で、自分の視線と感触で確認しながら実地訓練をするのですから。

 もっとも、それが後で、自分の中でなかなか正確に再現できないので、この思い出せないことが、こうしたお茶の習得などにおいて大問題なのです。それが凡人にはなかなかの難題なのです。お稽古は若い時に、ということは当たっていることを実感しています。

 さて、今日から取り組み出した濃茶のお点前は、これからどのような展開で習得できるのでしょうか。夏の風呂と冬の炉に加えて、薄茶と濃茶、そして丸卓を使ったり箱を使ったりと、さまざまなパターンがあります。このお茶の世界が、ますますおもしろくなってきました。

 帰りの京都駅前から、京都タワーを見上げました。今日はクリスマスイブ仕様のライトアップのようです。

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2017年12月09日

オイオイ!!と思うこと(5)バスやバス停で

(1)女性が持ち歩いておられるバッグのほとんどが、口をパックリと開けたままです。中が丸見えなので、財布や個人が特定できるものが眼に入ると、目のやり場に困ります。平和すぎて無防備になった社会に戸惑います。

(2)雨の日のバス停で、通りかかった車に水飛沫を浴びせかけられた時は、その車を追いかけてクリーニング代金を請求したくなります。

(3)やっと来たバスに乗ろうとした時、車体に沿うようにして来て割り込む方がいらっしゃいます。しかも、サッと乗り込むやいなや仲間のために席をいくつか確保されると、これから45分乗って帰る身としては「オイ」と言いたくなります。生活者と観光客が共存できる社会を考えるのも「観光学」だと思います。

(4)バスの中で化粧や食事をする方がいらっしゃいます。効率的な生活を実践しておられるようです。しかし、そんな醜態を見せられる方としては、できることなら見たくないものです。

(5)京都駅前のバス停では、最近は待つ人の列をジグザグにする線を地面に引いて、狭いスペースの効率化を図ろうとしておられます。しかし、現実にはその卍のような線は無視され、一直線に長々と列が続きます。緑の窓口や銀行のATMのように、ポールとベルトを屋外に設置するのも大変です。日本人だけならまだしも、海外からの方々にもこうしたルールを周知徹底することは至難の技のようです。
 
 
 
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2017年12月03日

アレッ! と思う時〈その4〉日々の中で

(1)颱風の襲来で大暴れしている風鈴。異常気象のせいか、夏や秋にこれまでになかったパターンで颱風が来るようになりました。日本的な風物詩も、自然と社会の噛み合わせがうまくいかず、実情と合わないものに出くわすことが多くなりました。

(2)空き家の軒下にぶら下がったままの、なんとも寂しげな風鈴。もちろん、短冊は付いていません。京都でも洛外は空き家が目立ちます。狭い路地の奥の家は、建て替えもできず、さびれ行くままです。高齢化と少子化の波が押し寄せているせいだとか。

(3)確認や相談のために病院や会社に電話をしたら、ちょうど受付時間が過ぎていた、ということがよくあります。不具合やトラブルの対処を、まずは自力でします。そして、電話で確認や相談をしようとする頃は、決まって17時を過ぎていることが多いのです。

(4)用事のある会社が、コンビニに変身していたことに気づきました。用件をすまそうと思って行ったところ、お目当ての会社がなかったのです。最近、会社やお店が移転や新設をめまぐるしく行なっています。これは洛中に多い現象です。喫茶店・美容室・歯医者・携帯電話店・コンビニ・パン屋・ラーメン屋などなど。

(5)電車の自動改札で、別の鉄道会社の定期券やカードや回数券を入れて「ピンポン」と鳴った時。通勤に3つも4つもの鉄道を乗り換えているので、無意識に別会社のカードを出してしまうことが増えました。いろいろな経路を試し、一番いいものを探しているせいでもあります。
 
 
 
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2017年12月02日

オイオイ!!と思うこと(4)バスの中で

(1)バスなどの車内放送で、「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください。それ以外の方は通話をご遠慮ください。」と流れています。これは実態とあまりにも違いすぎます。「電源」と「通話」という言葉が虚しく聞こえます。みなさん、この放送を無視しておられるのではなくて、単語が意味をなしていないのです。

(2)バスの車内案内で、「次、停まります。扉が開くまでその場でお待ちください。」とか、「バスが停車するまで、お立ちにならないでください。」というアナウンスが流れます。これは、他の乗客に迷惑をかけないためにも早く降りなければ……、という、他の乗客への気遣いという心理と、その実情が合っていません。

(3)前降りのバスの精算機付近が狭くなっています。旅行者が荷物を持っていると、なかなか降りられません。特に京都では日常茶飯事で、運転手さんがマイクで「降りる方のために空けてください」と叫んでおられます。この実態を受けて、最近は前乗り後降りが検討されているようです。

(4)前から降りるバスでは、出口付近がすぼまっています。その近くに座っていると、しばしば靴のつま先を踏まれたり蹴られたりします。旅行者のキャリーバッグが弁慶の泣き所や膝の皿などにぶつかると、本当に蹲ります。かと言って後方に座ると、降りるときに人を掻き分けるのが大変です。

(5)車中で女性が肩から掛けておられる高価そうなバッグが、目と鼻の先で揺れています。座席に座っている私の顔を、そのバッグで殴られることがよくあります。角などが当たると、顔面を覆ってしばらく苦しみます。当のご本人は知らぬ存ぜぬなので、独り静かに耐えるしかありません。
 
 
 

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2017年11月22日

「いい夫婦の日」は赤ワインで

 「誕生日」は、自分に関することとはいえ、人が祝ってくれるので、されるがままという雰囲気に包まれます。
 「母の日」や「父の日」は、なんとなく擽ったくて照れ臭い、人ごとのような実感の湧かない日です。
 それにひきかえ、「結婚記念日」と「いい夫婦の日」は、元気で今あることをお互いが祝福する、気持ちのいいお祝いの日です。

 今日は「いい夫婦の日」だそうです。一昨年の今日のブログを見ると、研究集会の記事の中に「いい夫婦の日」であることが埋もれていました。その記事では、「新宿に出て、妻と一緒にいつもの『岐阜屋』で諸々のお祝いをしました。」とあります。そういえば学生時代から、何かあれば妻と一緒に、新宿にある思い出横丁の『岐阜屋』でした。
 去年はどうしていたのか、ブログには特に何も書いていません。気づかないままに過ぎ去ったのかもしれません。

 単なる語呂合わせで【1122】なので、自分との関わりはまったくない日です。そのせいもあってか、気持ちに余裕があると、思い出しては、お祝いと称して祝盃をあげているだけのことです。

 今日は、授業の後に会議が2つありました。その間に、時間の隙間を縫うようにして8種類の書類を仕上げ、慌ただしく各部署に提出しました。私は、この書類作成が一番苦手です。そのため、いつも遅れがちとなり、締め切りギリギリになると大慌てです。懲りもせず、いつもの儀式となっています。

 ウトウトしていた車中で、フッと見た日付が「1122」。そうだった、と思い妻に連絡をすると、ワインがいいとのこと。大阪駅で乗り換える時に、赤のボジョレヌーボーを手に入れました。

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 我が家では、血糖値を上げないようにと、ワインは赤にしています。
 今日もぐったりなので、陽気なラベルを見ながら頂くことにします。
 
 
 
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2017年11月15日

オイオイ!!と思うこと(3)駅や車内で

(1)京都駅新幹線構内のトイレは、東端まで行かないとありません。だいたい、みなさんは見当たらなくて諦めます。あるいは、場所を聞いて諦めます。私は、中央口改札から入ったら、すぐ左横のJR連絡用改札から一旦在来線に出て、すぐ上にあるトイレを使います。これは京都のいけずではなくて、JRの組織が硬直している証拠です。JRの乗客を蔑ろにする場面は、旅をしていると頻繁に出くわします。これも、その一つです。

(2)特急に乗るやいなやシートを回転させて、4人や6人の席を作る集団がいます。発車後、うるさいことこの上なし。そして、降りる時に元に戻さないのも特徴です。

(3)電車やバスの「優先座席」に子供をサッと座らせる母親がいます。子供は、目の前の「優先座席」のステッカーに鈍感になり、アイコンの意味するものが刷り込まれない、いただけない教育がなされています。

(4)長時間の移動中に、何本かの返信メールを書きます。送信ボタンを押したそのタイミングに、ちょうどトンネルなどで通信ができない状況だったりして、我が身の不運を痛感します。

(5)関空快速での帰宅途中。天王寺から環状線に入り乗り換える大阪駅で寝過ごすと、終点の天王寺で環状線に乗り換えます。環状線を一周して大阪駅で降りた時の徒労感は、疲れを倍加させます。




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2017年11月08日

43 回目の結婚記念日

 私が結婚したのは、大学院の一年生の時でした。独りで生活できない私を見かねた同級生の妻は、よちよち歩きの研究生活を、ずっとこれまで支えてくれました。以来、いろいろなことがあっての43年です。あっという間だったので、予想外に短かった、というのが実感です。

 今夏からは、公私にわたっての膨大な量の仕事を、なんとか無事にこなして来ました。それでも、大事な仕事が積み残しとなっています。申し訳ないことです。

 今日は、科研という大仕事がひとまず終わりました。この一事のために、夏以来、多大なエネルギーをつぎ込んで来たのです。後は、4月1日を待つだけです。いくつもの手応えがあったので、その結果が今から楽しみです。

 結果が確認できる仕事は、仕事のうちには入らないと言われそうです。そうであっても、今回は気合の入れようが違っていました。多くの方とお話をし、今まで見聞きしなかったことをたくさん学びました。こんな今だからこそ得られた手応えであり、感触です。
 事務方のみなさんはもとより、支援していただいた方にも、心よりお礼を申し上げます。
 夕方の会議が終わってから、一区切りがついたことを実感しました。

 いつものように、3時間半をかけての帰り道で、この文を書いています。
 今、結婚記念日のお祝いをする自宅近くのお店に向かっています。

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 明日からは、また時間に追われる日が続きます。それでもこうして、少しでも息をつげるタイミングがあることは幸いです。ひたすら突っ走って来たのですから、今日だけは息抜きともいうべき、43回目の結婚記念日であり66歳の誕生日を、妻と二人で祝います。

追伸
 孫娘からお祝いのメッセージが届きました。

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2017年11月07日

赤ちゃんが口にし出した音のこと(その2)

 昨日、「赤ちゃんはどんな音から口にし出すのか?」(2017年11月06日)ということを話題にしました。
 その後、さらに正確なことを教えてもらえたので、昨日の続きを書きます。

 孫娘が発した音は、正確には「まみむめも」と「ばびぶべぼ」ではないようです。
 以下、届いた情報をとりまとめると、次のようになります。

・今までは、「あー、うー、んー」などの母音だけだった。

・その声に、「んまー、んばー、あぶー」など、「B」や「M」の子音が入るようになった。

・これから子音が増えていくと思われる。

・「B」とか「M」の子音が母音と結合している(日本語の音)わけではないらしい。

・きちんと「マ行」や「バ行」が言えるのかどうかは、まだよくわからない。


 ということで、今後の進展は、また折々に報告します。
 
 
 
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2017年10月11日

鉄道会社の「鉃」の字に関する疑問

 昨日に続き、先週末の東京でのことです。
 日比谷公園では、さまざまなイベントがあります。ちょうど「第24回 鉄道フェスティバル」というイベントをしていました。大噴水広場の周辺です。10月14日は、明治5年に新橋と横浜の間を始めて鉄道が開通したことを記念する鉄道の日です。平成6年に制定されたのだそうです。

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 この会場の一画で、私の名前と縁のある「鉃」の字を見かけました。

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 隣の看板には、普通の「鉄」が書いてあります。

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 もちろん、近くには旧漢字で「鐵道」と染め抜いた幟もはためいています。
 この「鉃」は、今でこそ、ごく普通にモニタに表示でき、印刷もできます。しかし、今から20年以上も前に、JISやシフトJISで日本語の文字コードを操っていた頃には、どうしても表示できない文字でした。当然のことながら、「鉃」は外字扱いです。自分の名前を正しく書く必要があるときは、作字をして嵌め込んでいました。文字のポイントが変わると、ギザギザ文字のみっともない名前になります。懐かしい時代のことです。
 日比谷公園で見かけた「鉃」は、日本全国のどの鉄道会社が使っているのでしょうか。大阪の天王寺周辺では、よく見かけます。
 ネットで見ると、「鉃」とするのはロゴであって、正式には「鉄」だとされています。しかし、その元は「鐵」なので、そこから考えるとどうなるか、ということになります。
 なお、大阪の私鉄である近鉄は、1967年に「鉃」から「金へんに失うの[鉄]」に変更した、と言われています。しかし、私が大阪上本町駅の近くにある高校に通っていた時には、違う話を聞いていました。上本町の「近鉃百貨店」の看板を見て、PTAが嘘の漢字を使うのは教育上良くない、という抗議をしたため、以来「近鉄百貨店」にした、ということです。
 お金を失う、ということでは、鉄道部門よりもデパートのイメージダウンを避けた、という方が的を射たこじつけ話のようで微笑ましく思います。実際には、どうだったのでしょうか。
 また、今でもJ Rで「鉃」が残っているのは、国鉄時代の組合の余香では、と私は勝手に思っています。
 そういえば、と思って私の写真ライブラリーを調べてみたら、こんな写真が出てきました。これは、2009年8月9日に、東京のJR車内での中吊り広告です。ここでは、明らかに「鉄」と「鉃」が使い分けられています。これは、どこかで問題になったのでしょうか?

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 この文字の変遷は、どなたかがすでに調べておられることでしょう。ご教示いただけると幸です。
 
 
 
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2017年09月22日

高校で与謝野晶子を扱うためのメモ

 今日の高校での授業は、体育大会の準備のために短縮授業でした。40分授業というのは、その感覚がまだわからないので、チャイムが鳴る前に慌てます。どうにかまとめられたものの欲張った内容のことはできないので、ネタ揃えとその調理に微調整が必要です。
 まずは、青空文庫が20年目を迎えたことを報じる今朝の新聞記事を配布しました。
 昨年度のアクセス数は、「雨ニモマケズ」(宮沢賢治)が24万アクセスで1位、2位は「こころ」(夏目漱石)の23万アクセスでした。3位は「走れメロス」(太宰治)、4位は「山月記」(中島敦)、5位が「吾輩は猫である」(夏目漱石)と続きます。この作品や作者を見ていると、学校で扱う教材であったり、読書感想文の課題図書になったりすることが影響しているように思われます。専門的な方の分析を聞きたいものです。
 次に、看護師を目標にしている生徒たちなので、私の頭部神経痛と家族の盲腸に関する直近の話を通して、私が見て感じた医療現場の話もしました。
 昨日、何とか展示の準備を終えた翻訳本『源氏物語』のミニ展示のことも、プロジェクターを使って話しました。海外の本に描かれた表紙のおもしろさを強調しました。
 ブログの読書雑記なども映写して、角田光代、望月麻衣、白川紺子、高田郁などなど、自分が読んだ作品を通覧し、読書の楽しさを伝えようするものです。これは、今後とも継続していきたいと思っています。
 教科書に入りました。扱う作品は舞城王太郎の「阿修羅ガール」。この読解では、後に出ている質問を意識し、それが求めるものを考える、という点からの注意喚起を最初にしました。「問い」と「答え」と思われるものは次回です。本文の吟味も、短縮授業では中途半端になるので、これも次回からとしました。
 続いて、与謝野晶子の短歌を解説したプリントと、晶子の歌碑めぐりのプリントを配布しました。現代文と文学史を使い分けての2コマの授業の間で、生徒たちの生活圏に関連する、堺を中心とした歌人晶子を、味付けとして盛り込むことにしたのです。晶子のことが語れる人になってもらおう、というのが一つの目論見です。
 そのような意図のもとに、今日は処女歌集『みだれ髪』の初版本(明治34年8月、東京新詩社・伊藤文友館)を忠実に再現した複製本(昭和49年1月、日本近代文学館)を回覧しました。

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 感性の豊かな女生徒たちなので、その造本や装訂を通して、デザインの新鮮さが伝わったと思います。それが明治34年に出版された本だとは、とても思えないからです。とにかく、お洒落な本なのです。こうした感覚に訴える刺激も、今後とも大事にして進めて行きたいと思っています。
 
 
 
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2017年09月08日

26年ぶりに高校の教壇に立って

 大阪の高校で国語を13年半教えていました。今から26年前のことです。
 最初に新設高校に配属され、和文タイプライタ部、百人一首部、テニス部を作り、土日もなく、朝から晩まで生徒と一緒に走り回っていました。

 久しぶりに高校での授業ということもあり、教室に行く時に出席簿を持って行くことを忘れました。そうそう、と思って引き返しました。教室に入った最初に、みんなの視線が一点集中したことが印象的です。教卓の前に立つと、学級委員長が「起立」という号令をかけてくれたので、少し緊張気味に挨拶を交わしました。
 自己紹介を始めてから、黒板消しが大きいのに驚きました。かつてよりも、2倍以上も長く大きくなっていたのです。あまりにも仰天していたせいか、私の驚きようを見て生徒が大笑いをしていました。初対面での爆笑で、お互いの気分が緩み緊張感がほぐれました。

 今日は初顔合わせだったので、みんなお行儀よく私の自己紹介を聞いてくれました。しかし、同じクラスの午後の2時間目には私の話すペースをわかってもらえたのか、いろいろと受け応えをしながら進められました。大阪の子たちということもあってか、ざっくばらんに話せます。これからが楽しみです。
 私の担当科目は、高校2年生の「現代文」と「日本文学史」です。

 2時間目にはプロジェクタを教室に持ち込み、手持ちの iPad を iPhone にテザリングでつなげました。インターネットの情報など、いろいろなものを教室の壁に映し出しながら、挨拶代わりの話を展開しました。
 プロジェクタのセッティングを手伝ってくれる生徒がいたり、駅のトイレのピクトグラムには「知ってる!」「学校のそばの駅で見た!」などなど、和気藹々と話ができるようになりました。
 プロジェクタを持ち込んだ授業がこれまでになかったということで、非常に新鮮だったようです。終わってからも、生徒といろいろな話ができました。

 今日の授業の中では、『あさきゆめみし』の特装本を回覧しました。

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 生徒たちは、『あさきゆめみし』はほとんど知らないようです。しかし、漫画が上品な帙に包まれ、「康煕綴じ」になった和装本を初めて見て、一様に目が泳いでいました。回覧して自由に手に取ってもらったので、少しは日本の書籍の装幀に注意が向いたのではないでしょうか。これは、引き継いだ「日本文学史」の授業がちょうどが平安時代の物語からだったので、この『源氏物語』の漫画から入って興味付けとしたのです。
 これからも、可能な限り現物を見たり、原作の雰囲気を味わいながら日本語の文章について考える時間にしていくつもりです。
 
 
 
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2017年08月28日

「いちぢく」と「いちじく」という表記を見かけて

《第一話》
 学生時代に、近松門左衛門の『女殺油地獄』をテキストとする授業を受講していました。そのレポートで私は、「ジ・ヂ・ズ・ヅ」という四つ仮名のことを調べて書いたことがあります。おもしろい結論を出したように思います。しかし、引っ越しを繰り返したこともあり、その内容は跡形もなく消え去っています。

 近所のスーパーマーケットで、次の写真のような広告を見かけました。

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 上の表示に「いちぢく」が1例、下の表示に「いちじく」が2例あります。
 上の「いちぢく」の方の「ぢ」は、「ちぢむ(縮む)」のように同音の連呼によるものとは思えません。明らかな勘違いだと思われます。おそらく、上の「いちぢく」はお店の方の手作りで、下の「いちじく」は納入業者が持ち込んだ宣伝掲示用のシートなのでしょう。このお店の方は、何歳くらいの方だったのでしょうか。同じ青果部門の方が掲示されたはずなので、おもしろいと思い記録に残しておくことにしました。
 便秘解消用である浣腸の薬で有名な「イチジク製薬株式会社」の会社の沿革を見ていたら、昭和10年に「イチジクぢの薬」というものも併売していたことが記されています。この「じ」か「ぢ」かという問題は、いかに奥が深いかを知らされました。どうでもいいことですが……
 四つ仮名の問題は、取り上げるときりがありません。今はもう一つだけ。
 「世界中」は「せかいじゅう」でも「せかいぢゅう」でもいいとされているようです。
 ことばに関してうるさい方がおられます。私は、正しいか間違いかという二者択一の判断ではなくて、どうして違うものが併存し、混在しているのかという現象に興味をもっています。その前提には、ことばは時の流れと共に変移し変容していく、という思いがあるからです。

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《第2話》
 上と同じスーパーマーケットで、同じ日に見かけたものです。

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 この藤野のとうふは人気があるので、ご存知の方も多いことでしょう。
 そのパッケージの左端に「おいし をす」と書いてあります。この「をす」に注意が向きました。「をす」なのか「おす」なのか。
 言葉を専門的に研究しているのではないので、この問題についての最新の成果を知りません。勢い、インターネットで検索することになります。便利な時代に生まれたことに感謝しています。
 すると、次のような説明に出会いました。


[い形容詞]いです ⇒ [い形容詞]おす
おいしいです ⇒ おいしおす / おいしゅうおす
さむいです ⇒ さむおす / さむうおす
いいです ⇒ よろしおす / よろしゅうおす
嬉しいです ⇒ 嬉しおす / 嬉しゅうおす
http://hougen.u-biq.org/kyoto.html

 
おす
「ある」の丁寧語で、大阪の「おま(す)」に相当。形容詞の後ろにもつく。(例)「誰もおへん」(誰もいません)、「おいしおすなぁ」(美味しいですねぇ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/京言葉)

 
 今、これ以上、私は情報を持ち合わせていません。
 一般的には「おす」なのでしょう。しかし、製品には「をす」と印刷されています。
 説明して下さる方がいらっしゃいましたら、わかりやすく、よろしくお願いします。
 
 
 
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2017年08月27日

お茶のお稽古帰りに若者が熱中するゲームに刺激されて

 昨夜は秋の虫たちが鳴き競っていて、楽しそうな賑やかさでした。今朝方は、肌寒いほどの風が我が家を吹き抜けていたので、慌てて窓を閉めました。もうすっかり秋の気配です。

 お茶のお稽古で大和路に向かいました。日差しは強いものの風がカラッとしていたので、平群の山道を登るのも苦ではありません。秋の訪れを実感しました。

 この夏も終わりなので、最後に今年何とか覚えた「洗い茶巾」のおさらいをしました。先日の地蔵盆の時に家で点てたので、ほぼ覚えたと思っていました。しかし、今朝自宅でやってみると、丸卓の上に柄杓と蓋置をかざった後がわからなくなりました。拝見がないことを想定しての場合で、建水と棗と茶碗の持ち帰り方です。よくあることなので、アレッと思って迷い出したら、下手に我流でやり通すことはやめるようにしています。

 今日のお稽古では、このことは確認できました。ただし、拝見のある場合でやることになり、それはそれでまた混乱のもとです。
 せっかく覚えたお点前なので、来年の夏にも「洗い茶巾」はやるはずです。さて、今回のお手前がうまく思い出せて再現できるのかどうか。我が事ながら楽しみです。

 今日は、他の方がなさる逆勝手のお手前を拝見しました。お点前をする場所が変わることはもちろんのこと、道具の置き場所や歩く足の左右に道具の取り方等々、複雑に逆なので、まさに頭の体操です。
 まだ初心者の私は、この逆勝手はずっと先の話です。しかし、いろいろなお手前があることを知り、ますますおもしろくなっていきます。

 帰りの電車の中でのことです。隣に座っていた青年が、突然何か急病になったのかと思いました。身体を大きく揺すぶり、両手足が痙攣したのかと思うほどに大きく震え、私の身体にドンドンぶつかってくるのです。手元をみると、ゲーム機に没頭していたのです。そのボタンを叩く姿は、正気の沙汰とは思えません。しかし、声をかけるのもためらわれたので、しばらくはジッと我慢していました。
 並んでいた座席が大揺れに揺れるので、よほど席を立とうかと思いました。しかし、焦点が定まらない目つきが尋常ではなかったので、刺激しないようにと思い読んでいた本を閉じ、あれこれ考える時間に充てることにしました。
 私の左からの不規則な刺激は、なかなか心地よいものに思えるようになりました。先日、スポーツクラブでプールから上がった後で使ってみた、マッサージ機の振動を思い出しました。

 今からかれこれ30数年前に、コンピューターのマシン語やベーシック言語やC言語を駆使して、ゲームを作ったことがあります。プログラムを作る楽しみを味わっていた時期です。巷には、インベーダーというゲームが大流行していた頃です。
 しかし、もともとゲームが好きではない私は、すぐに人が喜ぶことを考えながら作るゲームから手を引きました。データベースを構築する方に興味が移ったのです。
 今日の若者も、誰かが作ったプログラムの中で遊んでいたのです。ただ、組み合わされた命令書によって出来たゲームだと思われます。あれだけ熱中するのですから、よほど凝った人の興味を惹き付けるプログラムなのでしょう。

 そう思うと、お茶の世界も、一つのプログラムの世界ではないのか、と思うようになりました。
 まだ、この茶道の世界の仕組みがよくわかっていないので、見当違いの連想だったらすみません。この茶道というシステムは、どのようにプログラム化されているのでしょうか。あらためて考えてみるとおもしろいかな、と思うようになりました。少なくとも、ステップアップするシステムは構築されているようです。明らかにゲームのプログラムとは異なることはわかります。千利休以来、長い年月の中で練られたプログラムの中に、今私も身を置いています。茶道と観光との接点を模索している時期だけに、これは今後の茶道のあり方を含めた、興味深い問題となりそうです。
 
 
 
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2017年08月02日

大阪駅の改札内にはポストがない

 郵便物を投函するために、駅の構内をうろうろしました。ポストが見つかりません。
 東京駅にはあったので、大きな駅なのであるだろうと思い、大阪駅の駅員さんに聞きました。すると、一旦改札を出ないとポストはない、とのこと。改札内にはないのです。

 京都駅までの切符で、大阪駅のホームを跨いでの乗り換え中なのです。ポストだけの用事で改札を出て、また切符を買い直して入るのももったいないことです。新快速であと30分なので、郵便物はそのままカバンに納めました。

 私は、郵便物を持ち歩く癖があり、何ヶ月もカバンに入れたまま、ということがよくあります。急ぐものは、すべてメールや添付ファイルで済むことが多いご時世なのです。郵便で送るものは、ほとんどが数ヶ月遅れても問題はありません。ゆうパックにはお世話になっています。

 郵便物を出すために持っている時は、アッと思ったら、すぐにポストを探します。しかし、そうそううまく近くにはありません。街中ではポストをよく見かけます。それが、投函したいときに限って、なかなか見当たらないものなのです。これは不思議です。

 さて、京都駅では、駅のホームにありました。大阪からの新快速を降りたすぐの所に、到着した2、3番線の、なんと目の前にポストが仁王立ちで待っていてくれました。

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 さらには、向かい合わせの4、5番線にもあるのです。

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 あまりの嬉しさに写真を撮って安心し、肝心の郵便物を投函しないままに改札を出てしまいました。
 京都駅の中で入れ忘れても、駅前にポストがあるし郵便局の本局でも、とよりどりみどりです。
 駅前のバスターミナルの一角にあったポストに、無事に入れることができました。

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 ポストが2つ並んでいることは、以前に五反田駅前のポストの話で書きました。
「江戸漫歩(4)怪しい郵便ポスト」(2008年01月19日)
 この京都駅前の2つのポストは、どんな事情や背景を持っているのでしょうか。

 大阪駅には、かつて改札内にポストがあったことがわかりました。女性向けに駅を大改装したことに伴い、ポストは撤去されたのです。女性と郵便ポストは無縁だ、ということなのでしょうか。

 今度、天王寺駅で乗り換える時に、改札内にポストがあるのかどうかを確認してみます。
 
 
 
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2017年08月01日

独特の口調でなされる車内放送のこと

 長時間の通勤で感じていることです。
 まず、京都市バスの運転手さんの車内アナウンスが、最近は親切で丁寧になりました。
 あの、やる気のない態度と投げやりな言葉遣いで悪評まみれだった頃とは、雲泥の差があります。あの状況を快く思わずに利用していた生徒や学生や若者たちが、定年退職者と入れ替わり、汚名挽回とばかりに心地よいバスの移動をもたらしています。若手が取り組んでいると思われる新しい流れは、利用者としては大歓迎です。
 これで、京都のイメージは上がることでしょう。
 そんな中で、独特の抑揚でしゃべっておられる方のことが気になります。観光地を案内するバスガイドさんの口調を真似したものとは微妙に違う、自分に酔ったような語り口でありマイクの使い方です。これは、電車のアナウンスでも言えることです。
 車内に流れるアナウンスは、好むと好まざるとに関わらず、乗客は聞くしかありません。鉄道会社の宣伝には、うんざりしています。逃げ切れない箱の中で、無理やり自分に興味のない、関係のない宣伝を聞かされることは勘弁してほしいものです。あれは、立派な押し売りです。しかも、それが独特の節回しで押しつけられると、次の駅で降りたくなります。
 どこの生まれなのだろう、と思わせる不自然な抑揚は、聞きたくないことが多いのです。そんな運転手さんや車掌さんに限って、やたらとしゃべりすぎです。良かれと思って、親切心のなせる態なのでしょう。しかし、ありがた迷惑ということもあります。
 公共交通でのサービスは、必要最低限でほどほどに、ということでしょうか。
 
 
 

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2017年07月27日

駅のエスカレータで見かけた咥えタバコの初老の紳士

 夕刻、大阪駅でのことです。
 人混みの中で、忙しなくエスカレータの左側を小走りに上る人々を後目に、悠然とそのエスカレータの左側で仁王立ちしている方を見かけました。その肩口からは、煙がモクモクと立ち上っています。
 私も左側を上っていたので、その方の右側が不思議と空いていたのをラッキーとばかりに、一歩右に体を交わして、またすぐに左側を歩いて上りました。そのすれ違いざまに、その方が初老の紳士であり、タバコを口に挟んで煙をくゆらしておられるのを見てしまいました。
 今時、駅のエスカレータで咥えタバコの人は、とんと見かけません。50年前なら、電車の中でタバコを吸う人は普通にいました。電車には、灰皿が取り付けてあったからです。
 それが今、堂々と吸っておられるのを目の当たりにして、あまりの珍しさもあってか、風景として見てしまいました。後になって、あれはハタ迷惑だな、と思い直したほどです。
 おそらく、あの方はどこであってもタバコを口にしておられるのでしょう。何の引け目もなく、自信に満ちた人生を送って来られたと思われます。そうした姿や行為が、周りに溶け込んで見えたのかもしれません。山あり谷ありの人生をご苦労さま、という気持ちになりました。その時は、なんというマナー知らずが、と思うこともなく、そのまま抜き去って遠ざかりました。しかし、あの方は、エスカレータを上り終えてからも、あの人混みの中を咥えタバコで歩いて行かれたのでしょうか。さすがに、整列して乗るエスカレータと違い、人混みでの歩きタバコは歩きスマホ以上に危険です。
 思い返すと、絵になるシーンであり、写真に撮っておくには格好の構図でした。しかし、あまりにも思いがけない出会いだったので、シャッターを切る暇はありませんでした。
 公衆の中ではマナーに反し、人に危害や迷惑をかける行為です。しかし、これだけ堂々としていれば、それもありか、と大自然の中で生きる大らかな気持ちになったりもしました。
 私は、レストランや喫茶店に入った時、たばこの臭いがすると他の店に行きます。それなのに、なぜか不快ではない不思議な気持ちが今も残っているのです。これは何なのでしょうか。
 
 
 

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2017年07月14日

やっと研究室の荷物が片付き床が見え出しました

 本年1月に事務的な手続きのために大学へ行き、私が使う予定の研究室に入った時は、備品がいくつか置いてあるだけでした。

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 19年前には、この上の階の研究室を使っていました。ベランダの位置が違うだけで、同じ広さの懐かしい部屋の雰囲気に、つい時間が行きつ戻りつしました。

 3月、東京から荷物を運び込む直前には、一応事務的な仕事ができる状態にして、急ぎの書類などを作ったりしていました。

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 やがて、荷物がどんどん部屋の真ん中から積まれていきます。

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 狭い隙間が通路となり、荷物に囲まれた生活が今月まで続きました。
 東京から運び込んだ段ボールは130個。その段ボールの姿が部屋から消えたのは、6月末のことでした。といっても、段ボールがなくなっただけで、床にはその中に入っていた資料等が所狭しと積み上がっています

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 そして昨日、とにかく床がすべて見える状態になりました。見た目にも、やっと部屋らしくなりました。

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 とはいえ、段ボールから出した本や資料などを、書棚に押し込み、積み上げ、片付けただけです。まだ、整理とは程遠い状態です。

 この夏には、書棚の整理をしたいと思っています。
 4ヶ月がかりで、人が入ってきても恥ずかしくない状態になっただけです。
 運び込んだ荷物は、これから使いやすいように並べ替えたり、置き換えたりすることになります。

 大学の研究室がこうなので、もちろん自宅の勉強部屋はまだ未開封の段ボールがいくつも片隅に置いてあります。
 猛暑というよりも熱暑のこの夏。部屋や階段や押し入れに放置されたままの段ボールのうち、いったいいくつを開けて本や資料を取り出すことになるのか、はなはだ心もとないことです。
 とにかく、いまだに、常に物を探す日々です。何とかしなくては、と思いながら、こうして春から夏になり、やがて秋を迎えそうです。
 秋までには、「ただいま引っ越し中」という意識をなくしたいと、自らに言い聞かせています。
 
 
 

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2017年06月13日

長崎県美術館の米田館長からの温かい励ましの声を聞いて

 今年も、長崎県美術館の米田館長からお電話をいただきました。
 私が近況を記した葉書を差し上げたので、そのことへの返信の電話だったのです。

 今回赴任した大阪観光大学の母体である明浄学院は、阿倍野区文の里に明浄学院高校をもっています。その文の里に、米田先生はかつてお住まいだったとのことでした。何年か前に、通りがかりに懐かしくて文の里に立ち寄った、と思い出ぶかげにおっしゃっていました。

 特に用事があっての電話ではないけど、といつものように断わりながら、あなたも身体に気をつけて頑張りなさい、と励ましてくださいました。私が何かと病院のお世話になっているので、大病の大先輩としていつも気遣ってくださいます。ありがたいことです。

 昨年末は、年賀状を出すので京都の住所を教えてくれ、という電話でした。
 一昨年は、「残暑見舞いのお電話」(2015年08月23日)でした。
 米田先生のことは、「長崎県美術館の米田館長と」(2012年10月28日)で詳しく紹介しています。

 いつも電話は突然いただきます。何か用事があってのことではありません。どうしてる、元気か、身体には気をつけろよ、ということを、電話口で大きな声でおっしゃいます。そして、少し世間話をすると、すぐに切れます。そんな電話が、日々あわただしく飛び回っている私には、ホッと一息つける刻となるのです。
 思えば不思議な先生です。

 今日は、このところ少し風邪気味で、とおっしゃっていました。
 館長という激務の中にもかかわらず、こうして私などにも心遣いをしていただけることに感謝しています。そして、人に一声かける、ということの大切さを、いつも思います。声をかけていただいただけで、気持ちがほぐれます。米田先生のお人柄なのでしょう。すぐに切れる電話であっても、温かいお気持ちが伝わってくるのです。
 私も誰かに、と思っていても、なかなかできることではありません。
 私から、何でもない電話やメールが届いたら、米田先生のまねをしているのだと思ってください。
 
 
 
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2017年06月01日

オイオイ!!と思うこと(2)

■人迷惑な公共フリーWi-Fi■

(1)街中でフリーWi-Fiサービスになかなか接続できず、そうこうする内にその地域を離れる時はがっかりです。すんなりとつながってしまっては、セキュリティの問題があるにしても、もっと簡単につながると助かります。

(2)スマホを使っている時、街中のフリーWi-Fiスポットに勝手につなげようとして、自動的に電波を探し回ります。そして、スマホの機能が一時的に停止します。余計な親切に困っています。大慌てでわざわざWi-Fiを切る手間が面倒です。

(3)地下鉄の中でも、スマホがネットを探し続けるので、その間はスマホが使えなくなります。おもむろに、Wi-Fiをわざわざ切る手間が面倒です。これは、京都でも、東京でも同じです。ありがた迷惑です。

(4)新幹線の車内で文章を書き、ウェブ上にアップロードして同期や保存をしようとしたその時です。なんと運悪くトンネルに入ったりして、通信が途切れることを何度も経験しています。肝心な時に、という典型です。

(5)バス停で表示される、次に来るバスの運行案内は正確でないことがままあります。それよりも、スマホのアプリが正確なことが多いようです。次の写真は、京都市営バスの接近情報サービス「ポケロケスマートフォン」の画面の一部です。

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2017年05月20日

久しぶりに奈良でお茶のお稽古

 今年のお正月に、お茶の先生のお宅にうかがったことは、「大和平群での初釜と茶室披きに行く」(2017年01月08日)に書きました。
 それ以来、定年退職に伴う仕事の整理や引っ越しやらで、お稽古のために奈良に行く時間が取れませんでした。
 新しい職場にも慣れてきたので、気持ちに少し余裕が出てきました。今日から、何度目かの再出発です。これからは、東京から京都経由で奈良に行くことはありません。月2回はお稽古をする決心でいます。
 土日に、他の予定が入らないようにします。ご理解とご協力のほどを、よろしくお願いします。
 もっともその前に、自分自身が一番仕事を引き受けて予定を狂わせているので、この今のやる気を頑なに持ち続けることが大事です。お稽古に行くための難敵は、実は自分なのです。

 初夏とはいえ、真昼の平群は30度の暑さでした。
 竜田川は、気怠そうに町内を流れています。

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 今日も、昨夏以来の両足首の痛さをかばいながらのお稽古でした。先生は、私のわがままを聞いてくださいます。立ち上がる時、足の指に一番負担がかかり、ピリッとします。それを見越して、胡座でのお手前や、お尻に硬めの円座を敷いて練習をしました。
 「なにも無理せんでよろしい」という先生のおことばに甘えて、痛さを我慢することなくお稽古ができました。
 長く間が空いていたにしては、何とか流れは思い浮かび、それなりに手は動いたと自分では思っています。細かなことでは動きに問題があるにしても、再出発ということで大目に見ていただけたようです。
 終わってからは、お茶にまつわる話で、いろいろなことを教えていただきました。これも、私にとっては大事な勉強です。
 次は来週です。月に2回の難題に挑みます。
 
 
 
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2017年05月14日

枚岡神社へ初宮参りに行って

 東大阪市にある枚岡(ひらおか)神社へ、初孫の初宮参りに行ってきました。河内一の宮である枚岡神社は、近鉄枚岡駅のすぐ前にあります。奈良の春日大社と縁があり、元春日と呼ばれている格式の高い神社です。

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 婿殿のご家族と一緒なので、賑やかなお参りです。

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 新緑に包まれた社殿で、祝詞、神楽、榊奉奠の間、当の本人はずっと寝ていました。

 みんなで会食の後は、写真館でお祝いの記念写真を撮りました。
 ここでも、主役の当人は何をされようが、ひたすら眠っていました。写真屋さんが、まさに手を変え品を変えて起こそうと苦心惨憺の中、本人はまったく起きる気配を見せません。フラッシュにも動じません。
 泣くよりもこの方がいいか、ということで、そのままたくさんの写真を撮っていただいて、お祝い事は無事に終わりました。

 ちょうど同じ時間帯に、神戸にいる姉が河内高安にある我が家のお墓に、お参りに来ていることがわかりました。自宅の庭に咲いていたスズランとショウブを持って、墓参に来てくれていたのです。今日の祝宴場所から、姉が来ているお墓が遠くに望めます。宮参りのことは知らせていませんでした。こんな偶然があるのです。我々の両親に、曾孫が産まれたことを報告してもらうことにしました。

 帰り道の駅で、こんなポスターを見かけました。
 「平安物語」を「A Courtly Tale」と訳しています。

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2017年05月10日

泣き声が響きわたった日々を懐かしむ

 里帰りをしていた娘と赤ちゃんが、元気に自分たちの家に帰って行きました。
 生まれた日から、ちょうど30日をスヤスヤピーピーと過ごした京洛の地は、彼女にとってはあくまでも第2の故郷だったのです。

 この1ヶ月は、家中にかわいい泣き声が響き渡っていました。お姫様が最優先の毎日でした。
 子育ての楽しさと大変さを、あらためて間近に見ることができました。私は、よけいな手出しをしないように、言われた時に抱っこをし、言われたとおりに頬っぺたやお尻や背中をツンツンしていました。しかし、顔を真っ赤にして泣き叫ばれると、もう私は何の役にもたちません。事態が大変なことになる前に、すぐに引き渡すのが賢明であることも学びました。

 この国で子供を育てることの問題を、しっかりと見る機会にもなりました。テレビで話題になっている、子育て支援の重要さも、実感を持って考えられるようになりました。
 この国は、妊産婦に優しいとは思えなくなりました。人口の減少を嘆く方はたくさんいらっしゃいます。しかし、なぜ減少していくのかは、考え続けるしかありません。これは、多分に政治の力を借りて、理解と援助の手を打たないと、ますます日本の人口は減少します。

 自分の子育てを終え、孫を抱いて初めて、母親と祖母の存在の大きさに気づきました。さまざまな妊産婦への支援が必要なことも、わかりかけてきました。この理解の共有が、これからのこの国に活力を与えるためにはかかせないのでは、とも思います。突然、社会のありようが気になるようになったのです。
 確実に国力が衰退していく日本には、移民しか打つ手はないと思っていました。しかし、妊産婦に優しい国作りを心がければ、また別の方策も検討できるような気がし出しました。具体的な提案は、まだできませんが……
 少なくとも、移民に頼らざるを得ないという選択肢だけではない、と孫の顔を見ながら思うようになったのです。

 高齢者が溢れかえり、若者が少なくなる国に、この時代に、この子は生まれて来たのです。この子のためにも、若者たちが元気に飛び跳ねる社会を作る手伝いをしたいと、本気で思うようになりました。
 ただそこに居るだけだったのに、この子はいろんなことを考えさせてくれました。あらためて、生まれてすぐに我が家に来てくれたことに感謝しています。

 とはいえ、これまでの平穏な日々に戻り、泣き声が消えた我が家には、心なしか華やぎが感じられなくなりました。
 こうして、祖父母は孫が来るのを待つのでしょう。そして、この待つことの心浮き立つ楽しみを、この子からもらったように思います。
 
 
 

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2017年04月23日

抽選会で学生が商品開発した発泡酒が当たる幸運

 くじ引きに無縁のはずの私にも、くじに当たることがあったのです。これは春から縁起のいいことです。
 今日の午後は、大阪天王寺のホテルで大阪観光大学と明浄高校の会合がありました。

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 天王寺駅周辺も、昨日の梅田ほどではないにしても、3年前にできた「あべのハルカス」に象徴されるように、私が知っている街ではありません。おしゃれな街になっています。
 この近くにある高校に生徒として通学し、その後は教員としてこの駅から通勤し、さらには、この駅で乗り換えて大阪明浄女子短期大学(現・大阪観光大学)に通勤していました。今また縁あって、この天王寺駅で乗り降りするようになりました。かえすがえすも、おもしろい縁のあることだと思っています。
 さて、今日の会合では、堅苦しい話が続いた後で、息抜きのイベントとして抽選会がありました。くじ引きなどとは無縁の私は、のんびりとウーロン茶を飲んでいました。ところが、私が持っていたカードに記されていた「226」という番号が連呼されたのです。かつての同僚である学部長から、ありがたく景品を受け取りました。

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 用意された10本の内の1本です。このお酒は、ベトナムから来ている大阪観光大学の学生たちが、地元の温泉旅館の女将さんから聞いた話が機縁となって開発した発泡酒です。着任早々の4月1日の入学式では、ロビーで販売されていたので一本買いました。

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 そのお酒を、今日は参会の皆様の前でいただけたのです。久しぶりに大学の教壇に立ち、ごくろうさまという励ましをいただいたと思っています。
 あまりの忙しさで、このお酒の紹介をしていませんでした。
 お酒に添えてあった説明書の文章を引きます。

大阪観光大学・ベトナムチームの学生は、3年生になり百武ゼミに所属。ゼミ活動の一環として泉佐野市観光協会の依頼で犬鳴山納涼カーニバルのお手伝いに行き、体憩場所に使わせてもらった不動口館で河原女将から、「ヨーロッパ旅行中にシャンパンに似たスバークリング Sake を呑みとても印象深かった」とお話を聞き、ベトナムチームの学生達2人(ボーバントウ、グェンティジムフォン)はベトナム人がよく呑むビールやシャンパンのような日本のお酒があれば、絶対に売れると夢を膨らませたのです。そしてベトナムチームの皆んなは、「大学生観光まちづくりコンテスト」で、このお酒を中心とした企画をと考えました。先生も含めお酒の素入ばかり。そこで地元酒蔵に協力を仰ぎ、自分達が考案したスパークリング Sake が商品化できるか、試作品に向け何度も指導を受けました。さらにコンテストに向け天王寺駅近くの公園に何度も集まり夜遅くまで発表する練習を繰り返しました。本選での発表当日試行錯誤が実を結びクリエイティブ賞を受賞。ひとつの出会いと想いが国境を越え、人と人が繋がり、スパークリング Sake 「旅遊」が誕生いたしました。「私たちの夢」が皆さまに届きますことに感謝します!!


 学生たちの取り組みが成果となって結実したのです。
 大学では、いろいろな学生たちが、楽しく勉強をしています。
 若者たちのユニークな発想は、ますます夢の実現に向かって育って行くことでしょう。
 
 
 

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2017年04月13日

京都と大阪の花模様から今の想いまで

 早朝の賀茂川散歩は、お花見気分です。

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 ソメイヨシノもユキヤナギも、朝から華やかな姿を見せています。

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 待ち遠しいベニシダレは、やや焦らし気味に時間稼ぎをしているように見えます。満開は、今週末でしょうか。

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 大阪の南端に位置する大阪観光大学の桜を観るのは、実に20年ぶりです。
 あの頃と同じように、関西空港を背景にして、静かに咲いています。前方奥に、リンクウタウンのタワービルが見えています。

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 研究室がある管理棟は、現在は外壁の補修中です。かつては10階、今は8階にいます。

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 研究室からは、関西空港越しに大阪湾へと沈む夕陽がきれいです。息をのむほどの夕景は、またいつか写真に撮って掲載します。今は、ベランダに出るガラス戸一面に防塵フィルムが貼られていて、外の景色が曇って見えるのです。

 コリドールと言われる回廊は、私が好きなシルエットを見せています。

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 学内の紹介は、また落ち着いたら記します。久しぶりに若者たちに語りかけることとなり、今は毎日がバタンキューの日々となっています。

 日本において、観光立国の重要性が注目される時代となりました。東京五輪に大阪万博、文化庁の京都移転。若者たちは、予想外の願ってもない風向きを感じ出しているようです。さまざまな後押しを好機と自覚して、さらなる一歩を踏み出してほしいと願っています。
 一人一人に、日本の文化資源の世界的な価値とその継承の意義を、丁寧に語りかけていくつもりです。

 私は、これまで所属していた学会のすべてを退会しました。研究者のみなさまとお目にかかる機会は、これからはあまりないかと思います。それでも、どこかでお目にかかることがありましたら、志を同じくしたことのある仲間として、お声掛けいただけると幸いです。
 
 
 

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2017年04月10日

新しい命との対面

 孫の様子を見に、病院に立ち寄りました。

 家の玄関の横に咲いている花で、部屋を飾っています。

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 生まれた日と2日目の姿を写し留めました。
 成長が早いので、表情の変化に驚いています。

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2017年04月08日

こんや、おじいちゃんになりました。

 本日、4月8日19時25分に、3,232グラムの元気な女の子が生まれました。
 平成29年度は、たくさんのことが身の回りで動きだしたのです。
 賀茂川の桜も、祝福してくれています。

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2017年04月04日

オイオイ! と思うこと(1)


(1)長々と待っていたバスが、2台連れ立って来たとき。さらには、観光地で同じ行き先のバスが、3台もつながって来ると、乗る気が失せます。

(2)処方箋を持って薬局へ行ったのに、処方されているほしい薬が在庫切れで、翌日取りに行くことになったとき。

(3)ATMで千円札を入れ、おつりが100円玉と10円玉でジャラジャラと出てきたとき。500円玉と50円玉が混じると予想していたのに、あてが外れてがっかり。

(4)業者に荷造りをしてもらって送ったのに、届いたパソコンのモニタ画面のガラスが欠けていたとき。

(5)飛び乗った電車が女性専用車両だったとき。関東は先頭車両、関西は中央あたりの車両に気をつけましょう。終日、女性専用車両の鉄道会社もあります。

 
 
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2017年03月27日

突然姿を消してしまった一本のネジ

 引っ越しで、手作りの椅子を解体していた時のことです。
 娘が使っていたものを、足継ぎに作り替えた愛着のある椅子です。これは処分せずに、京都でも使い続けるつもりです。
 組み立てに、六角レンチが必要なネジを使っていたので、ねじ回しの先端を取り替えて使う、ちょうどいい大きさの六角形のビットを用意しました。
 その前に別の解体があったので、先端をプラスのネジに取り替え、同時進行で解体をしていました。
 別の作業が終わってから、六角ねじに合う3センチほどの長さのビットを探したところ、身の回りのどこにも見あたりません。
 右膝横に一時的に置いて作業をしていたので、探す範囲は限られています。それなのに、いくら探しても見あたりません。やることがいっぱいあるのに、こんな事で無駄な時間を費やすわけにはいきません。
 工具類を入れ終えたダンボール箱を探し出し、ガムテープを剥がし、何か代わりになるものがないかと掻き回したところ、アップルの製品によく使われる星形のねじ回しを見つけました。この星の尖りが六角レンチと一致するものがありました。なんでもかんでも、私は後生大事に持っています。それが、今回は、いや今回も幸いしました。
 ほとんどの整理をすべて終えても、やはりあの六角形のビットは見つかりません。畳の隙間も、部屋の隅にもないのです。荷物のなくなったがらんとした部屋のどこかで、じっと息を潜めて、私が退去していくのを見ているのでしょうか。
 何とも不思議な出来事に心をかき乱されながら、丁寧にドアを閉めて部屋を出ました。
 
 
 

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2017年03月12日

研究室の引っ越しを完了しました

 昨日は立川で、終電前まで引っ越しの荷造りをしていました。本に関しては、送るものと処分するものとの仕分けを終えてから帰りました。
 この1ヶ月間、少しずつ手を着けていたにもかかわらず、宿舎の方にばかり手が掛かり、研究室は捗っていませんでした。
 また、研究員や補佐員、そしてアルバイトの方々が仕事をする部屋にあった本や資料も、ほとんどをトラックで運び出すことができました。特に、私が世界中から集めた『源氏物語』の翻訳本は、貴重なコレクションです。これも、公私の別を仕分けして、無事に送り出すことができました。今後は、関西を中心とした展覧会で役立てることになります。

 あっという間に、本が研究室から消えました。集中力のなせるわざです。
 壁面に据え付けられた棚に、背文字を見せる本が一冊もないのは、気持ちのいいものです。プリント類も、実際に残しておくのは10分の1ほどでした。
 棚の空きスペースは、後日処分する本やプリントで、埋め尽くされました。

 館の職員として、そして研究者として、18年間ここにいた証が、送り出した本であり、残されて処分を待つ本やプリント類です。

 ガラス戸の中には、まだもう少し役割を持つ書類が、数枚のクリアーファイルに挟まれてポツンと置かれています。これらは、数日後に私の手を離れていきます。
 これからのほとんどの書類は、事務方とネットでやりとりすることで用を足すことになります。

 今、新幹線の中です。荷造りで格闘した長い日々を思い出しながら、少し引っ越し疲れを感じて、うとうととしています。

 明日からはまた、荷解きや書棚への配置や書類の整理や収納と、根を詰めた日々が待っています。
 これが私にとって、最後の引っ越しかと思われます。そう思うことで、もう一踏ん張りしようと思っているところです。
 
 
 
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2017年03月11日

キャリーバッグのキャスターが壊れる

 長距離移動が多い私は、その時々の荷物の量に合ったバッグが必需品です。そのために、様々な大きさや形のバッグを用意しています。

 昨年の5月末に、東京駅にある大丸東京店の東急ハンズで、少し大きめのキャリーバッグを買いました。
 だいたいエースのバックを買うことが多いのです。
 過去の自分のブログを見たところ、この買い物については書いていませんでした。

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 その5ヶ月後に購入したバッグのことは、ロック式だったり、点字ブロックについての問題意識があったこともあり、次の記事にまとめていました。

「最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後」(2016年10月16日)

 さて、この昨年初夏に購入したキャリーバッグが壊れたのです。キャスターの一つが、何とも無残な姿になっていました。

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 車軸(シャフト)がズレたままで、回転する車輪を支えきれなかったようです。まっすぐに走行しないし、どうも重たいとは思っていました。しかし、わざわざ下を見ることもなく、こんな状態になっているとは思いもしませんでした。

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 早速、東京駅を通りかかった時に、購入した東急ハンズに持ち込み、コンピュータで私の履歴を確認してもらってから、修理の依頼をしました。昔のように、領収書や保証書を提示することはありません。
 購入から1年が経っていないので、無償のはずだとのことです。ただし、1週間で見積もりが出て、修理完了までには1ヶ月はかかるのだそうです。その頃には私は東京にいないことを告げると、転居先に送ることになるでしょう、とのことでした。実費で数千円かかります、と言われたらどうしよう、などなど、一抹の不安を抱きながらも、とにかく壊れたキャリーバッグを預けました。

 昨日のシュレッダーといい、今日のキャリーバッグといい、小さなトラブルが立て続けに起こる日々です。
 春の椿事ということにしておきます。
 
 
 

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2017年02月22日

段ボールに詰めた本と永の別れになった本のこと

 今回の引っ越しで最初に段ボール箱に詰めたのは、『広文庫』(全20巻)と『群書索引』(全3巻)のセットです。『広文庫』(復刻版、名著普及会、昭和51年)は、結婚をしてすぐに買った本でした。買った、というのは不正確で、買ってもらったと言うべきでしょう。

 私は学生結婚でした。大学を卒業してすぐに大学院に進学したため、妻に養ってもらう生活でした。そんな中で『広文庫』の復刻版が刊行されたので、妻の許可を得て予約をしました。刊行されるたびに、新婚生活をしていた浦和にあった書店に、代金を持って受け取りに行きました。

 知の宝庫である『広文庫』は、夢のような叢書です。研究を志したばかりのひよっ子の私にとって、ただただ憧れの百科全書でした。それを妻が、こつこつと積み立てていた結婚資金で、購入してくれたのです。以来、勉強机のそばにあるだけで、いっぱしの研究者になったような気にさせてもらえました。後日刊行された別巻に購入者の名前がずらりと掲載されていたので、いやましに充足感を持つこととなりました。

 そんな『広文庫』の次に箱詰めしたのは、陽明叢書の『源氏物語』(全16巻)。そして大島本(全11巻)、新旧尾州家河内本(全20巻)、『源氏物語別本集成 正続』(全22巻)と、快調に進みます。『源氏物語大成』(普及版、全14巻)は、京都と立川にも持っていたので、立川とこの官舎にあるセットは廃棄です。

 研究資料の次は、『井上靖全集』(全29巻)、『谷崎潤一郎全集』(新書版、全30巻)、『源氏物語』の注釈書群です。それぞれ立派な箱入りで、紙質もいい重厚な本なので、どっしりとした重みを感じます。箱にきれいに収まることはまれなので、隙間には雑多な文庫本を埋めました。

 こうした本たちは、とにかく京都という行き場があります。幸せな本たちです。そうではなくて、この東京で行き場をなくす多くの本たちは、ここでお別れです。
 いろいろな経緯で私の手元に集まった本です。人と同じように、本とも別れの時があります。これまで私を支えてくれたことに感謝しながら、段ボール箱ではなくて、部屋の片隅にうずたかく積み上げることになります。

 引っ越しをするたびに、本との別れがあります。今回運ぶのは、これまで以上に古い築80年以上の建物です。本に重さがあることが一番の問題です。そして、空間を占有することも問題です。
 そうしたことを見越して、「京都府立京都学・歴彩館」の近くに住むことにしたのです。
 ほとんどの本がこの歴彩館にあるので、そうした本は廃棄となります。

 本を仕分けることは、なかなか神経を病む選別作業です。引っ越しで一番疲れることです。それを、とにかくやり遂げました。横に妻がいてくれたからこそ、膨大な量の本を整理できました。一人だと、一冊一冊に感情が混じってしまい、とても数週間では片付きません。何でも取っておく私と、何でもドンドン処分する妻とで、喧嘩をしつつも連携プレーが実りました。感謝感謝。

 睡眠不足や筋肉痛と闘いながら、どうにか倒れることもなく、今は、引っ越し疲れの中で、心身共にぼーっとしています。
 
 
 

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2017年02月19日

引っ越しの荷造りで悩ましい日々です

■本の整理をしながら
 処分する本と残す本の仕分けをし、段ボールに詰めています。ほとんどが廃棄へ。
 とにかく、行き先ではこの本の重さに耐えられません。置くスペースもありません。
 ほとんどを廃棄するつもりでした。しかし、なかなか諦められません。捗りません。
 もう1週間以上にも及ぶ、良心との闘いが続いています。
 毎朝毎晩この過酷な作業に取り組み、1日に廃棄するノルマを自分に課しました。
 本の頁をめくり、書き込みの有無を確認しながら振り分けています。
 しかし、手も目も宙を彷徨うばかりです。
 それにしても、読んだ形跡があるのに、内容をまったく覚えていない本が多いのです。
 その本を読んだことが、次の読書につながったと思うことにします。
 これから読もうと思って、あるいは、読むことになるだろうと思って買った本もあります。
 こうした本をどうするか。その始末は、さらに悩ましいところです。
 研究書や資料集については、比較的楽です。評論や創作などが心を微妙に揺さぶります。
 自分との葛藤の中で、段ボールの山は確実に増えていきます。
 廃棄の山は、思うように増えません。
 タイマーが時を刻み、引越の日まで、あと1日半となりました。
 最後の闘いを楽しむことにします。


■資料としてのコピーや新聞の切り抜き
 入手困難な資料などは、コピーしたものを使っていました。この量も膨大です。
 その後、復刊されたり増補改訂版が出ているものは迷わずに廃棄できます。
 それにしても、このコピーにどれだけの手間と時間をかけたことか。
 それを思うと、労力に見合うだけの活用をしたのかと、自問してしまいます。
 コピーを持っていたことによる安心感という意義を認めましょう。
 そのことを高く評価し、否定的には思わないことにします。
 可能なものはスキャナに通し、エバーノートに保存しています。
 色の変わった新聞に関しては、とりあえずはそのまま箱詰めしています。


■ビデオテープも大量に出てきて
 これは、手撮りの映像なので、海外に行った時などに撮影したものです。
 帰国後は書類の整理と報告書の作成に追われるので、映像資料はすっかり忘れていました。
 タイムカプセルのようなものです。
 これを見ることがあるのかどうか。しかし、段ボールに詰めます。
 あまり重くないので、それだけが救いです。
 
 
  
 
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2017年02月15日

自分なりの物差しを大切にすること

 4月からの新生活に向けて思っていることを、気ままに記します。

 他人の物差しで見られ、評価されることに、あまり神経質にならなくてもいいようです。
 人それぞれに自分なりの物差しを持っています。
 自分以外の物差しで、自分という人間をどれだけ計れるのか、大いに疑問です。
 常識という物差しに合わせることは、自分らしさを引き込めることにつながります。
 このように考えると、おのずと自分の行動に自信と信念が持てます。
 また、自分らしさや自分のよさが、しだいに見えてきます。
 独りよがりではなく、我が道を見つめ、探し求めることが重要です。
 自分が理解されないことを、むやみに嘆く必要もないのです。
 相手の物差しに合わそうとする必要もありません。
 自分なりの物差しを自覚することが大事です。
 こうした考え方は、自分自身では意識しないで来ました。
 自分なりの生き様の中で、自然に形成したものだと思われます。
 この歳になり、あらためての始発にあたり、こんなことを思っています。
 
 
 
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2017年02月03日

新幹線の車中で政局放談をするおじさん

 昨日の京都の早朝は、小雪が舞っていました。始発の新幹線は、米原を出て関ヶ原あたりにさしかかると白銀の世界でした。

 快晴で暖かい東京に着くと、九段坂病院で朝一番の診察を受け、立川に向かいました。新幹線の車窓から見た景色が嘘のようです。
 一仕事をしてから夕刻に日比谷へ向かう時も、コートがなくてもいいほどでした。

 日比谷図書文化館であった小一時間の打ち合わせは、スタッフのみなさまのきめ細やかなご配慮のおかげで、すべて順調にまとまりました。
 その後の古写本『源氏物語』を読む集まりで、心配していただいていた4月以降のことで、継続できることになったという報告をしました。受講生のみなさまには、この件では昨年より背中を強く押していただいていました。ありがたいことです。古文書塾「てらこや」の関係者の方々のご高配にも感謝しています。

 東京で一晩ぐっすりと寝て、また新幹線で帰洛の途につきました。富士山が「身体を大事にしなさいよ」と言ってくれているようです。


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 今新幹線では、おじさんと若者の2人連れが、途中駅で降りて行かれました。
 出口のドアに進んでから、おじさんは、
 「どうも みなさん すみません」
と、振り返りながら大声でおっしゃいました。車中のみなさんはホッと一息です。

 新横浜駅を過ぎたあたりからだったでしょうか。私の近くにおられたおじさんが、連れの若者にしきりと小難しい話を向けておられました。

 その若者の反応が気に入らなかったようで、次第におじさんの音量が高まります。話の内容が、車両全席に響き渡っていました。

 今の日本の政治について、熱っぽく語っておられるのです。安倍首相擁護の立場かと思われます。みんなわかっとらん、と。トランプ新大統領の批判も。
 議員さんなのかな、とも思いました。ここが今どこなのかがわからず、持論の政局についての評論が一人語りで繰り広げられています。隣にいる連れの青年が笑っていなすと、さらに激昂して政治解説が若者批判に向かったりします。

 私は本を読みながら、しばし楽しく時局漫談としておもしろく聞いていました。
 泥酔状態ではありません。持論を若者にぶつけておられるだけです。

 そうこうするうちに、おじさんの横並びの席に座っておられた年配の方が、どうやって止めようかと車中を見回しておられます。私と目があったので、一緒に首を傾げて、一緒に注意しましょうかと目配せをした時でした。何列か前におられた相当年配の方が、通りがかった女性の車掌さんに、あいつをこの車両から追い出してくれ、と、立ち上がって指差しながら強く訴えておられます。

 車掌さんは事態を確認しようとして、車内を見渡しておられます。後ろの方の席にいた私は、車掌さんと目が合った時に、くだんの時局放談でヒートアップしているおじさんを人差し指で教えてあげました。

 車掌さんはすぐに問題児(?)の横に立ち、「お静かにお願いします」と優しく語りかけられました。おじさんは「もうすぐ降りるから」と不機嫌そうに答えておられました。
 頭が熱していたおじさんは、急にクールダウンとなり、列車が停車するまでは無言でした。

 そして、降りる間際に、車内に向かって、前述のお詫びの言葉があったのです。

 電車などでの移動が多いと、いろいろな場面に出くわします。これも今の日本の一風景であり、記録するに値する出来事として、ここに報告しておきます。

 この記事を書き終わって本を読んでいた頃に、近江国の伊吹山が雪を被っている姿が見えて来ました。あたりには、まだ雪が残っています。昨日の上京時とは大違いです。
 気持ちに余裕があるせいか、車窓の風景を楽しんでいます。


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2017年01月29日

新幹線の変な車内放送の意図が不明です

 新幹線の車内放送が異様なのは、以前から気になっていました。
 ガラス越しに聞こえるようなひび割れた小さな声に、いつも不快な思いをさせられます。
 今回のアナウンスは、これまで以上に特にひどいものでした。
 こんな不自然な雑音は、もうやめた方がいいと思います。

 日本語は聞き取りにくいし、英語はヒヤリングの試験か、としか思えません。
 どうだ、聞き取れるか、と。
 これをセンター試験で流すとどうなるでしょうか。
 受験生からは、おもしろい反応があることでしょう。

 部分的に、生身の人間の声で案内が流れます。
 これはまともなので、やはり人間の声はいいな、と実感します。
 そうであるからこそ、あの安物の蓄音機ががなり立てているとしか思えない下品さが際立つのです。
 みごとなほどに、その違いは対照的です。

 海外からの方は、この変な英語をどう思っておられるのでしょう。
 もっとはっきりと言ってほしい、と思われていることでしょう。
 ごめんなさい、こんながさつな英語で、と謝りたくなります。
 日本の印象を貶めないためにも、早急に対応してほしいものです。

 関係者は、変な案内が流れていることは承知のはずです。
 余程の事情があってのことなのでしょう。
 それにしても、その事情は何なのか。
 他人事とはいえ、興味があります。
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2017年01月10日

元日の落とし物が無事に見つかりました

 新年早々、ついうっかり落とし物をしました。
 あまり使わないカード類を入れていた小銭入れが無くなったのです。
 お金はまったく入っていなかったことと、すべてがお店のポイントカードや各種会員証だったので、被害は最小だったといえるでしょう。

 いや、1枚だけ…まさかの時のためのクレジットカードがありました。もっともこれは、すぐにネットで最近は使われていないことを確認してから、利用停止の手続きをしました。
 おっと、もう1枚。運転免許証もありました。

 ということで、家の中などに置き忘れていないことを確認した数日後、近所の交番に紛失届を出しました。

 どこで落としたのか、どこに置き忘れたのか、どこで盗られたのか、などなど、お正月とはいえ、ふとした瞬間に疑心暗鬼が頭をよぎります。

 ヨドバシカメラでお買い物をした時、ポケットからポイントカードを取り出そうとして、あっそうだ、と現実に引き戻されました。あのカードは、日本でポイントカードができた初期のものです。カード番号を見て、店員さんからよく珍しがられたものです。再発行してもらう時に、これまでの番号で作ってほしいと頼みました。しかし、それは出来ないとのことでした。レアなカードがなくなり、非常に残念です。

 自分の日々の行動を確認する時に、毎日書いているブログは重宝します。

 大晦日は、四条の錦市場。
 元日は、下鴨神社へ初詣。
 2日は、大阪で娘と宴会。
 3日は、再度の下鴨神社。

 うーん、とうなるばかりで、財布につながることは何も思い当たりません。大事な財布と違い、貴重なカードが入ったものでもないので、あまり気にしていなかったようです。

 クレジット会社から突然電話があり、警察からの連絡を教えてくださいました。
 1月6日から何度か、私の携帯に着信記録が残っていました。電話を使う生活から遠ざかっているので、着信記録すら見ることがないのです。今回は、たまたま電話があったことに気づき、念のためにネットでどこからの電話かを調べると、クレジットカード会社からであることがわかりました。カードの再発行のことだろうと思って、折り返し電話をしました。すると、何と、無くなったと思い込んでいた財布が、大阪の警察に保管されている、という連絡だったのです。

 クレジット会社の方は、丁寧な対応でした。
 元日の午後3時頃、出町柳駅を発車した京阪電車に落ちていたそうです。
 たしかに、妻とともに下鴨神社へ元日の初詣に行った後、そのまま京阪の出町柳駅へ出て、2つ目の三条駅まで京阪電車に乗りました。その時に落としたようです。
 財布が無くなっていることも知らず、木屋町、先斗町、河原町、京極、寺町の賑わいの中を散策していたのです。

 大急ぎで、クレジット会社から教えてもらった大阪の警察へ電話をし、受付番号を言って、財布の中身を確認しました。私が思い出すカードのすべてが、500キロ離れた受話器の向こうの婦警さんの手元にあるのです。不思議な感覚と安堵感が綯い交ぜになって襲って来ました。返す返すも、感謝感激です。

 今は東京にいるので、指定される日時までにそちらへ受け取りに行けないことを伝えました。するとあろうことか、着払いで郵送することも可能だとのことでした。これは助かります。
 送り先の確認に少し時間がかかるとしても、居ながらにして、東京の宿舎へ自分が京都で落とした財布が大阪から届くのです。今話題のドローンではなくて、明治以来の郵便制度を使って送られてくるというのがいいと思います。

 暗いニュースがあるにしても、この国の良さを再確認しています。あの元旦の日に、込み合う電車で落とした財布を、警察に届けてくださった方がいらっしゃったのです。
 また、その財布を取りに来られないなら送ってあげよう、と警察の方はおっしゃるのです。

 信じられないほどの信頼関係で築かれた、この平和な社会の一端が垣間見えます。
 これも、我々の先輩たちが引き継ぎながら築き上げた、よき文化だと言えるでしょう。善意を前提にして成り立つ社会に、こうして生活できていることの幸せを実感しています。これは、いつの世にも伝えたいことです。また、私自身も、そうした相手を思いやる姿勢を大切にして、困っている方のために自然に何かができる日々を、常に送りたいとの思いを強くしています。

 元日早速の失態が、ありがたいことに、明るく人を信頼して前向きになれる元気に置き換わりました。
 今年は元旦から、災い転じて福の1年が始まったのです。
 今回のことで関係してくださったみなさまに、ありがとうございます、という気持ちをこの場を通してお伝えします。カードが戻ってくる以上に、みなさまがたの気持ちが嬉しいのです。

 たかが財布一つのことで大げさかも知れません。しかし、このような文化を共に持ち伝えているこの国の多くのみなさまに、感謝しています。
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | 身辺雑記

2016年12月26日

バスの運転手さんの緊急事態に遭遇して

 突然、バスの車内放送で、
「トイレに行かせてください。」
「すみませんが一時停車します。」
という運転手さんのアナウンスが流れました。

 乗客の皆さん共々、その天井から降り注ぐ声が意味することを、最初はよくわかりませんでした。しかし、運転手さんがシートベルトを外し、料金箱に取り付けてあるステンレスの短いバーを押し下げて前のドアを開けて外に出られたことで、やっとその意味することがわかりました。

 私の横におられた乗客の女性たちも、初めての体験でもあり、
「そんなこともあるわよね」
と話しておられました。

 バスは、コンビニの真ん前に停められています。運転手さんは、そのコンビニに駆け込まれました。

 前のドアが開けっ放しだったので、
「ドアを閉めてから行ってもらわないと」
とつぶやいている方が、後ろの方におられました。

 こうした事態にたちいたった時には、バスのドアは開けたままにする、というようなバス会社の決まり事があるのでしょうか。それとも、ドアを閉めてしまっては都合の悪いことがあると、とっさに運転手さんが判断なさったのでしょうか。

 たまたま同乗したわれわれ乗客は、こんなこともあるでしょう、と好意的な雰囲気で、しばらく運転手さんの帰りをのんびりと待っていました。
 時間を気にしていた私も、こればかりはどうしようもないことなので、鞄から今日の打ち合わせの資料を取りだして内容を確認していました。

 私はコーヒーを、最近は一日に8杯ほど飲みます。以前は10杯でした。糖尿病だからというのではなくて、よくトイレに行く方です。その経験から言っても、この生理現象は如何ともしがたいものがあります。行きたくなった時の気持ちが、よく理解できるのです。

 しかも、へたに我慢をされて、事故に至ったら大変です。
 それにしても、あらためて考えるとありがちなこうした事態に、公共機関の運転手さんたちはどのようにしてクリアしておられるのか、気になりました。
 みなさん、それなりに工夫しておられるのでしょう。

 無事に用を足された運転手さんは、丁寧にお詫びのことばをマイクを通して流し、バスは何事もなかったかのようにスタートしました。

 これから年末年始は、ハードな勤務が続くことでしょう。渋滞も大変でしょう。
 快適な環境で、目的地まで私たちを運んでください。
 安全を最優先にした運転にまさるものはないのですから。
posted by genjiito at 21:43| Comment(0) | 身辺雑記