2021年05月02日

感染者数が京都は15日連続で百人超え(GW-2)

 今日も、新型コロナウイルスとその変異種のため、一日中自宅に引き籠もっていました。
 大阪の今日の感染者は1,057人。これで、6日連続の千人以上です。
 京都の今日の感染者は164人。15日連続で百人を超えています。

 家を出るのは、歩いて3分の所にある市場まで。
 ちょっとした買い物に行く時だけです。
 身体を動かさないと、免疫力も低下します。
 そこで、家の大掃除を始めました。

 実は、4年前に東京から持ち帰ってきた荷物が、まだ押し入れの中に10箱以上も未開封のままで押し込んであります。それを、何箱か開けました。まずは、何が入っているのかの確認です。
 次に、これも東京から運び込んだ本と書類の山を、少しだけ崩しました。見なくても、4年間どうということもなかったので、思い切って見ずに処分してもいいはずです。しかし、取り出して見ると、捨てるには惜しいメモや書類や本ばかりのように思えてくるのです。整理の難しさは、物が過去と未来を手繰り寄せるからだ、と思われます。
 今日のところは、大きめの紙袋に一杯分の書類を、気になるものはスキャンして電子化してから捨てました。後に引き摺らないためにも、明日はちょうどゴミの日なので、朝早く捨てることにします。
 コロナ自粛のこの間に、家の片づけに専念です。
 
 
 
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2021年02月28日

小さな家族たちの近影

 我が家に同居しているハリネズミとメダカに加えて、いつも庭から我が家の平安を見守っていてくださるお地蔵さまの、最近の様子を記録に残しておきます。

 ハリネズミのハッチャンは、もう寿命をとっくに過ぎているそうです。しかし、元気です。水を切らさないようにと、ペットボトルから給水できる装置を取り付けました。しかし、まだ1度も口を着けて飲んでくれません。下に置いてある、陶器の水のみの容器からしか飲んでくれないのです。何かの間違いで新しい給水装置に触れ、その先端から水が出ることを実感してくれることを期待しています。何とも、気長な対応です。

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 5匹いたメダカは、冬に少しずつ亡くなり、最後に残っていたのがこの子でした。

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 しかし、この子も今月亡くなったので、新しい家族を4匹迎えました。楊貴妃と白メダカを2匹ずつです。
 これまで、きれいな楊貴妃は長生きしないので、しばらく遠慮していました。しかし、少しでも水槽の中を華やかにしようと思い、また飼うことにしました。
 みんな元気がいいので、なかなかきれいに撮れません。ボケ気味な写真で失礼します。

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 裏庭から居間にいる我らを見守ってくださっているお地蔵さまは、まだしばらくはマスクをしていただきます。今日から、京都の緊急事態宣言は解除されるとのこと。明日、3月1日から、市中の営業時間などが1時間繰り下げになるようです。それでも、日常生活は緊張感を保って気を抜かないためにも、お地蔵さまにはマスクのままで見守りをお願いすることにします。息苦しい思いをしていただくこととなり、申し訳ありません。こんな時代なので、ご寛恕を願うのみです。

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 明日から「弥生」。月日や日々の移り変わりが早く感じられます。
 年度末となり、溜まりに溜まった仕事に追いまくられる日が続くことは必定です。
 とにかく、体調に気をつけながら、着実に1日1日を過ごすことにします。
 みなさまも、コロナと花粉のウイルス対策に油断をなさいませんように。
 
 
 
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2021年02月17日

バス停のそばの歩道に自転車専用部分があることへの疑問

 バス停のそばに、レンガ色に塗られた自転車専用部分が真っ直ぐに延びています。

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 しかし、よく見ると、何か変です。
 自転車は、歩行者のためのレーンを走っているからです。
 実際には、自転車がバス停ギリギリに引かれたレンガ色のレーンを走ることは、非常にリスクを伴います。それは、バス待ちをする人にぶつかるからです。また、自転車が専用レーンであるレンガ色にこだわると、到着したバスから降りてくる人と衝突します。
 まったく現実に合わない、かえって危険な交通区分の色分けとなっています。
 どう見てもおかしなことなので、何か理由があるのでしょう。
 今、私には、こうせざるを得ない理由に思い当たりません。
 なお、点字ブロックも危険な障害物となっていることは、今は措いておきます。
 「京洛逍遥(618)点字ブロックと岩倉川に沿う八重桜やカレーのこと」(2020年04月25日)などを参照願います。
 街を歩いていると、いろいろなものを見つけます。
 こうしたことも、歩く楽しさの一つです。
 
 
 
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2021年02月01日

アレッ!と思う時〈その 12〉日常生活でのこと

(1)ハミガキチューブのキャップには2種類あります。ネジ式とプッシュ式が。買い替えた時などは、どちらだったのか戸惑います。パッケージにどちらの方式で開けるキャップなのか、その旨を明記してあればいいのですが。

(2)缶詰を開けようとして、プルトップのツマミがないことに気付いて大慌て。缶切りなど数十年使ったことがないので、開けるのを諦めました。商品を買う前に、しっかりと見ることです。

(3)街角のポストに郵便物を投函する時、切手の額面が合っているかどうか、一瞬不安になります。何度も値上げがあったからです。最近は、郵便と疎遠になりました。ポストに、現行の郵便料金表が貼ってあるといいのですが。

(4)玄関のポストが開きません。よく見ると、マグネットタイプのカード型広告が、ポストの投入口に数枚くっついていました。磁気を帯びたものが多数投げ込まれたための珍事です。それでなくとも、投げ込みビラは本当に迷惑です。

(5)イチゴのパックに被せてある透明フイルムは、両面テープでしっかりと貼り付いて、はずす時にイチゴを潰しそうになります。おまけに、やっと剥がせたかと思うと、そのテープがそこら中にペタペタくっつくのです。
 
 
 
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2021年01月27日

読んでいた本を車中に忘れたこと

 昨日の出来事です。
 このところ、必要に駆られてと言うこともあり、一冊の本を熟読中です。講談社学術文庫の中の一冊なので、少しマニアックで専門的な内容の文庫本です。
 私は、真剣に読もうと思った本には、黒い牛皮仕様で高級感のあるブックカバーをかけます。この本が、まさにそうです。
 ところが、あろうことか、昨日の仕事帰りにこの本の続きを車中で読もうとしたところ、カバンの中にその本が見当たらないのです。朝方は、通勤途中で読みながら行ったのに、帰りにはカバンの中にないのです。
 すぐに、先ほどまでいた箕面キャンパスの研究室にメールを送り、私の机の周りにないかを問い合わせました。すぐに、特任研究員から、見当たらないとの回答が届きました。
 来る時は、阪急電車と阪急バスを乗り継いでの出勤でした。まず、阪急電車の忘れ物係に電話をしました。次に阪急バスに電話をしたところ、ブックカバーが特徴的で、さらには黄色い附箋が10枚ほど首を出していると言ったこともあり、すぐに「ありました」との朗報がもたらされました。それを聴いてすぐに、阪急電車の忘れ物係に、見つかったことを報告しました。丁寧な対応で、逆に報告したことに関してお礼を言われました。なかなか温かい電話越しのキャッチボールとなりました。
 さて、本に貼ったその附箋は、ブログで次の読書雑記に取り上げるために引用する予定の場所を示すものでした。あと30ページでほどで読み終えるところだったので、出てこなかったら悔しい思いで立ち直れそうにない気持ちになったことでしょう。途方に暮れる直前でした。もう一冊購入しても、附箋を付けた場所の特定は、また丹念に読まない限りできないからです。
 とにかく、探していた本は、阪急バスの案内所で保管されているのです。安心して、その受け取り方法について確認しました。
 朝は、大阪大学の研究室の真下にあるバス停「阪大外国語学部前」であわてて降りたので、読んでいた本を座席にポンと置いたままだったようです。とにかく、見つかってラッキーでした。
 最近、うっかりミスが増えました。ボーッとしている時間も増えているようです。忙しさのまっただ中にいるので、無意識にいろいろなことをやっているのでしょう。要注意の時期だと言えます。
 周りのみなさまに、身勝手なお願いがあります。時々、私に声をかけてください。夢遊病者のように立ち回っていることがありますので、遠慮なく話しかけてください。そうしたら、我に返っていつもの自分に戻るはずです。いやはや、これは加齢や性格に伴うものだけではなくて、身を置く環境にもよるものだと思われます。ご協力のほど、よろしくお願いします。
 
 
 
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2021年01月24日

アレッ!と思う時〈その 11〉文字の読み方

※知らないことを恥ずかしがらずに記します。言葉の問題は、専門外とはいえ、知ったかぶりはもちろんのこと、思い込みもあるので人前では特に要注意です。

(1)「曾孫(曽孫)」を「ひまご」と読むことを、これまで知りませんでした。「ソウソン・ヒイマゴ・ヒコ・ヒコマゴ・ヒヒコ・ヒマゴ」と、いろいろな読み方をするようです。全国で、多彩な呼び方がなされているようです。手元の電子辞書(小学館 精選版 日本国語大辞典)を見ると、次のような解説がありました。
語誌
⑴ 古く孫をヒコ、曾孫をヒヒコと言ったが、ヒヒコからヒコが生じたために孫の意のヒコと同音衝突を起こした。室町後期にヒマゴという言い方が生まれると、上方では徐々にヒコが駆逐されていった。
⑵ 江戸など東日本では、ヒコが引き続き用いられ、マゴ(孫)、ヒコ(曾孫)、ヤシャゴ(玄孫)のように呼び分けられた。

 「曽祖父」を「ひいじじ・ひおおじ・そうそふ」と言うことは知っていたので、自分に直接関係ないことには無意識のうちに、あえて知ろうともせずに深く考えることなくパスしてきたのでしょう。

(2)「下達」を、ずっと「げたつ(下達)」と読むものだと思っていました。気になって調べると、「か‐たつ【下達】上の者の意思を下の者に通すこと。「上意―」[広辞苑]」とあります。常日頃は使わない言葉には要注意です。人前では、無理をしないことです。

(3)「有職」を「ゆうしょく」、「大将」を「たいしょう」、「万葉集」を「まんようしゅう」と読んでもいい、と言われると、自ずと反発する気持ちが生じます。学生時代から、「ゆうそく」「だいしょう」「まんにょうしゅう」と教え込まれて来たからです。これらは、『源氏物語』で「明石の上」と言っていた時代の表現とは違う、根拠のある多様な読み方の例のようです。

(4)新聞を読んでいて、「放埒(ほうらつ)」と「土御門第(つちみかどてい)」は、正しく読めませんでした。もっとあります。しかし、これらはキリがないので、とりあえずは最近読めなかったものとしてあげます。京都新聞には特に歴史的、文化的な背景を持つ記事が多いので、フリガナがないと困ることが多いのです。

(5)「早急」を「そうきゅう」、「早速」を「そうそく」、「発足」を「はっそく」の言う人が多くなったようです。中でも「早急」については、もう「さっきゅう」と読む方が変だと思われる時代になりました。「一念発起」などは、すでに「いちねんはっき」と言われているのでしょうか。「有為転変は世の習い」とか。言葉は生きているので、常に揺れ動いているようです。
 
 
 
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2021年01月23日

オイオイ!!と思うこと(12)

(1)非接触型体温計に付いていたテスト用と書かれたボタン電池が、3日間使っただけなのになくなりました。あまりにも短かすぎませんか? しかも、百円均一のお店で売っていないボタン電池だったので、損をした買い物だった気持ちになります。電池はいつかなくなるものです。交換する時のことも考えて、あまり特殊なタイプものは使わないで、末長く使える製品を開発してほしいと思います。

(2)のど飴を小袋から取り出す時、袋を引き裂く手加減が狂うと、飴が飛び出して下に落ちます。小包装となっている小さな袋の、フイルムとアルミの接着と強度に問題がありそうです。販売と保存の観点から選ばれ、使用されている包装紙なのでしょう。しかし、それを使う側の利便性も、検討してほしいと思います。加齢のために指先が不器用になったことは、今は措いておきます。

(3)霧を発生させて室内を加湿する機械を、我が家では3台使っています。その消臭と除菌効果を高める液体が、なかなか手に入りません。何を代替品として使えばいいのかも、メーカーのサイトに広報はありません。電気店は機械を売るだけで、日々使う中で必要になる衛生用品などについては、申し訳程度に横に置いてあるだけです。売って終わりでは、無責任です。それが使われることを考えた対応も、これからは大事だと思います。今、手元にあるボトル「SHIZUKU ナノプラチナウォーター」の成分は、「精製水、白金、クエン酸、アスコルビン酸 他」となっています。

(4)バスを降りてすぐの所で、バス停のある歩道側を自転車が猛スピードで脇目も振らずに走り去ることによく出くわします。非常に危険です。それが最近は、食品を配達する何々イーツの配達人との遭遇に変わってきました。特に、バスを降りるやいなや、まさに車体とすれすれに追い抜こうとする何々イーツの配達人は、バスから降りたばかりの者にとっては、凶器ですらあります。とにかく急ぐという、危険な仕事をする人が出没する時代になりました。

(5)横断歩道でのこと。赤信号で待っている子供を尻目に、信号無視をして大手を振って渡る大人がいます。よくないですね。こんなことをするのは、若者ではなくて中高年が多いように思います。今の若者たちは、我々の世代以降の親たちの教育姿勢が良かった(?)こともあり、非常に常識的で賢明だと思っています。50〜60歳代の背中は、若者たちにはどのように映っているのでしょうか。そんなことを知りたいと思うのが、この横断歩道において無頼行為を目にした時です。
 
 
 
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2021年01月13日

通勤時にダブルの運休に遭遇して

 今日は、いつもよりも早く、6時台に家を出ました。
 市バスも京阪電車も、ダイヤ通りに順調でした。ところが、京阪から乗り継ぐ JR京橋駅で、いつもと違う空気を感じました。勘と言えばいいのでしょうか。普通は、関空快速でぐるっと大回りをする大阪駅経由で日根野に向かいます。しかし、乗り換えが一回増えるのであまりしない、環状線を使って天王寺駅に出て、そこから始発の日根野行きを選択しました。とっさの、反射神経だとしか説明のしようがありません。実は、これが今日の状況では大正解でした。
 京橋駅から環状線で天王寺駅へ向かう途中、森ノ宮駅の次の玉造駅で電車がパッタリと動かなくなりました。環状線の反対側の駅になる新今宮駅で電車のトラブルがあり、全列車を止めて点検をしているというのです。しばらく本を読みながら待っていました。しかし、またもや車内放送の雰囲気から不吉な予感が…… とにかく何とかして早く天王寺駅へ行くことを考え、地下鉄を乗り継ぐ経路を決断しました。
 JR玉造駅を出るときに、タッチ式多機能IC決済サービスの「ピタパ」カードは、絶対に自動改札機に触れないことを心に決め、それを守り通しました。一度タッチすると、振替輸送で乗り換えるたびに料金が引き落とされることを知っていたからです。
 まず、JR玉造駅で駅員さんに言葉をかけて改札を出ました。自動改札機をタッチしません。そこから歩いて数分の地下鉄玉造駅でも、駅員さんに声をかけて改札を入ります。市営地下鉄長堀鶴見緑地線で一駅目の谷町六丁目駅で谷町線に乗り換え、谷町線の天王寺駅で降り、そこでも駅員さんに断って改札を出ました。
 最後にJR天王寺駅でも駅員さんに声をかけ、阪和線の日根野行きに乗りました。これで、京橋から乗車した時のタッチが、目的地の日根野駅を出るときに、いつもの経路の料金が引き落とされます。
 これが、振替輸送の正式な利用なのかどうかは分かりません。私としては、駅員さんの許可を得ながら乗り継ぎを重ね、料金も最短距離の値段なので、問題はないと思っています。
 もし、この過程に何か間違いがあるのであれば、鉄道に詳しい方はご教示をお願いします。
 なお、天王寺駅で電車が来るのを15分以上も待たされて乗った阪和線も、これまた別の事故の影響で遅れました。環状線と阪和線のダブルで、車輌のトラブルに巻き込まれたことになります。
 もっとも、今日はいつもよりも50分以上も余裕を持って出かけていたので、約束の打ち合わせの時間には10分ほど遅れただけに留まりました。あらかじめ、約束の時間の前に少し遅れる旨のメールを送ったので、大変な迷惑をかけることにはなりませんでした。これを、不幸中の幸いと言うのでしょう。
 ということで、山田先生、遅刻して申し訳ありませんでした。長い釈明文で恐縮です。
 
 
 
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2020年12月19日

オイオイ!!と思うこと(11)

(1)お店に入るや否や、額にピストルを突きつけられました。そして、「検温にご協力を」とのことです。それならば、まずはひとこと断ってから、額にピストルを突きつけるのが礼儀でしょう。海外でこんなことをしたら、逆に射殺されかねません。日本がいかに平和かを実感します。

(2)非接触型の体温計は、測定値の誤差が大きいようです。先週購入したものが酷かったので、今度は名前がよく知られているメーカーのものを買いました。これは、脇に挟む体温計とほぼ近い数値を表示します。街中のお店などで、入店時に突然体温を測られます。あの体温計はまともな製品なのでしょうか。

(3)スポーツクラブで、土足の扱いが何と無頓着なことか。新型コロナウイルスの感染予防以前の、衛生観念の欠如です。カウンターでスタッフに伝えても、いまだにその対処がなされていません。こちらが言っていることの意味が、イメージできないのでしょうか。

(4)電車の中で、座っている目の前にカバンが突き出されることが多くなりました。今時は、リュックをお腹の前で抱えるのがエチケットになっているからです。そのため、私が自分のカバンを開けようとして少し前屈みになると、その突き出されたカバンに頭やメガネがぶつかります。

(5)携帯電話でしゃべる時になると、わざわざマスクをアゴまで引き下ろす方を街中でよく見かけます。マスク越しに話すことに不安があるのでしょうか。飛沫感染が問題視されているご時世なので、電話でしゃべる時にもマスクをしたままで、という新たなエチケットが必要です。
 
 
 
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2020年12月16日

人身事故で通勤の電車が2時間も停まる

 今朝、長時間にわたって京阪電車に閉じ込められました。伏見桃山駅で人身事故が発生したために、私が乗っていた淀屋橋行きの特急電車は、8時45分に樟葉駅の手前で缶詰状態となりました。運転再開の見込みが、2時間以上も後の11時頃とのことです。
 今日は11時に、大阪観光大学の役員室で面談が組まれていました。間に合いません。どうしようもありません。すぐにメールで、置かれている状況をお伝えした後は、ジッと待つ以外にありません。

 こんなこともあろうかと、本はいつもカバンの中に何冊も入っています。しばし、読書タイムを楽しみます。

 事故車両の移動と警察の現場検証があり、予想外の車中留め置きとなりました。電車が動き始め、乗り換え駅の京橋に着いたのは10時45分でした。ちょうど2時間にわたり、時間が止まった空間に身を置いていたことになります。
 もっとも、1999年4月から9年間は、奈良の生駒から東京の品川まで、片道5時間をかけて毎週通勤し、2008年2月から9年間は、立川市に移転した職場に、これまた京都市内から片道5時間をかけて通っていました。人生の相当な時間を、車中で本を読んだりパソコンやスマホに文章を入力しています。
 今回の2時間の足止めも、我が生活の平時の一部として受け止めています。いつもの3時間の通勤が、身体が覚えていた5時間になっただけです。これには慣れているので、あまり苦にはなりません。今日も、本を1冊読み終えることができました。読みにくくてなかなか進まない内容の本だったので、閉じ込められたことで集中して読めたことはラッキーでした。

 最近は、本を読む速度が極端に落ちています。なかなか読み終わりません。加齢と共に、雑念が読書の邪魔をしているのかもしれません。今回のトラブルの中で、やればできることを実感したので、内容が難しい本も後回しにせず、果敢に読んでいくことにします。
 
 
 
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2020年11月19日

アレッ!と思う時〈その10〉日々利用するバス

(1)バスの行き先表示が電光のLEDになり、文字や数字が読み取りにくくなりました。番号の数字を確認しているうちに、ドアが閉まり、過ぎ去ってしまうこともあります。元の印刷文字の表示に戻ることを待ち望んでいます。光の点が構成する数字や文字は、どうも視認性が劣るように思います。フォント(字体)の問題もあるかと思われます。

(2)バス停で止まるたびに、「お待たせしました。●●系統です。」と言ってくださる運転手さんがおられます。乗ってしまうと、自分が何号系統のバスに乗っているのかわからないので、これは大いに助かります。本当は、車外だけでなく、車内にも何号系統のバスか常に表示すべきことなのですが。

(3)後乗り前降りのバスで、乗ると必ず前のスペースに詰め寄って来られる方がおられます。前降りのバスは、運転席の横に料金箱があるため、先細りにすぼまっています。そのために、降りる方がなかなか降りられません。キャリーバッグを持っていた場合は悲惨です。心理的に、人は前に詰める習性があるのでしょうか。前乗り後降りの方式は、京都ではまだまだ実験中です。

(4)バスで、女性の運転手さんが増えてきました。マイクを通した声がよく通るので、いいことだと思います。特に年配の男性は、マイクを通した声がボソボソしていることが多く、聞き取れません。さらに、不機嫌そうに喋る方は、中高年の男性に限られています。その理由は、いまだにわかりません。

(5)バスの運転手さんが、以前に増して格段にイメージアップしていて気持ちがいいほどです。特に、マイクを通してしゃべる様子が、数年前とは比較になりません。バスに乗って、この車内放送で不愉快な思いをすることは、ほとんどなくなりました。若い運転手さんは、幼い頃に不機嫌な対応をする運転手さんに出会ったことから、そうならないようにという意識の表れではないか、と勝手に思っています。これはいいことです。

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 この「アレッ!と思う時」という記事は久しぶりです。
 これまでの9回の記事を一覧にしました。
 おついでの折にでも、ご覧ください。
「アレッ!と思う時〈その9〉加齢と老化の兆し?」(2020年04月10日)

「アレッ!と思う時〈その8〉不便に感じること」(2019年06月26日)

「アレッ!と思う時〈その7〉加齢と老化の兆し」(2019年05月27日)

「アレッ!と思う時〈その6〉集中力散漫」(2018年12月26日)

「アレッ!と思う時〈その5〉少し認知症?」(2018年07月26日)

「アレッ!と思う時〈その4〉日々の中で」(2017年12月03日)

「アレッ!と思う時〈その3〉電車の中で」(2016年09月07日)

「アレッ!と思う時〈その2〉日本語あれこれ」(2016年08月13日)

「アレッ!と思う時〈その1〉指を見つめる」(2016年08月10日)

 
 
 
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2020年11月08日

3つのお祝いが重なった一日

 今日は、3つのお祝いが重なった日曜日でした。
 まず、孫の七五三参りがありました。
 右のお姉ちゃんの着物は、私の母と姉の手作りです。
 いや、母が作った着物を娘が着て、それを姉が直して今回孫が着たようです。
 左の妹の方の洋服は、妻の手作りです。
 複雑なので、大体そんなところです。

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 そして、私の誕生日と、妻との結婚記念日のお祝いも今日です。
 誕生日と結婚記念日が同じだと、何かと便利です。

 二人の息子が、久しぶりに来てくれました。
 息子二人が揃って我が家に来るのは、何年ぶりのことでしょうか。
 ワインとチーズでお祝いをしました。
 子供たちはみんな、それぞれに前に向かって進んでいるので、報告を聞くだけです。
 何も言わずに黙って見ているだけなのに、それも結構楽しいものです。
 
 
 
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2020年09月30日

ハリネズミのハッチャンのこの頃

 我が家の一角に自分の居場所を定め、朝から晩まで寝ているハッチャン。しかし、夜になるとゴソゴソ起き出して、食事をしたり水を飲んだり廻し車で遊んでいます。恥ずかしがり屋のハッチャンは、私を敬して遠ざけるものの、妻には懐いていて、声が聞こえると眠たそうな顔を覗かせ、鼻をピクピクさせ、寝袋の中から出てきます。
 一時は、生死が危ぶまれたハッチャンでした。「歩けなくなったハッチャンが元気を回復」(2020年05月14日)
 しかし、そんな時があったことを忘れてしまうほど元気になりました。
 そんなハッチャンの近影と、ハリネズミの置物の写真をアップします。

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2020年09月15日

通勤途中にバスの故障で待たされて

 いつものように、「阪急茨木市」駅前から「阪大外国語学部前」行きのバスに乗ろうとした時です。バスの表示は合っているのに、なかなかドアが開きません。中では、運転手さんが慌ただしく動き回っておられます。
 これまでは、ここが始発ということもあり、発車までの15分近くは、バスの中で本を読みながら待っていました。しかし、今日はドアが締まったままです。バス停で、直射日光を浴びながら待っていると、バスの表示が「回送」に変わりました。
 やがて、運転手さんが降りて来られて、車の調子が悪いので別の車輌の手配をしている、とのことです。待つこと10分、到着した別のバスに乗り込むことになりました。20分ほど待たされて、ようやく発車です。
 戸外の暑いバス停で待っているのに、どうしてバスの中へ入れてくれないのだろうか、と不審に思っていました。しかし、運転手さんは必死でいろいろな所に連絡をして、代替車輌の手配をしておられたのです。発車できない事情を、バス停にいた5人に優しく伝えてくださったことで、不安は解消しました。
 現在どうなっているかという、状況を伝えることの大切さを知りました。
 
 
 
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2020年08月30日

利用者を一箇所に集めるロッカールーム

 今日は、お茶の稽古帰りに、東山駅の近くにある音の花温泉に行きました。ここは、広々とした露天風呂があるので、開放感に浸れます。夕陽を浴びながら、のんびりとしたひと時に身を委ねました。温泉も久しぶりです。

 それはそうとして、気になったことがあります。それは、入口でロッカーキーを受け取ってから、指定された番号のロッカーを使い出した時です。まもなく、別の方が私のすぐ右横のロッカーを使われます。少しすると、私の真後ろのロッカーに人が来て、また少しすると、その後ろの方の左横を使う方が来られました。あっという間に、4人の大人が、身体がぶつかるのを避けながら着替えをすることになったのです。ドアをいっぱいに開くと隣の方のドアが邪魔になるので、すみませんと言って狭め合います。

 ここは、そんなに混雑する温泉ではありません。

 さらには、帰る頃も同じ時間帯になるので、広いロッカールームのこの一角だけで、4人が相手のドアの開き具合に気を使いながら、どうもどうもと言いながらドアを開け閉めします。この広い部屋の中で、なぜ隣や後ろの方との接触に気を使いながら着替えるのか、不思議でなりません。
 このロッカールームは、150個のロッカーが並ぶ広い空間です。その中のピンポイントの一角に、利用者が固まって集められているのです。ソーシャルディスタンスなど無視というよりも、監視しやすいように一箇所に集中的に寄せ集めた、と言うしかない状況です。

 入口のスタッフは、自分が渡すキーの番号はわかっているのですから、場所を散りばめることなど簡単なことです。そうはしないで、キーの番号が連番になるように、一箇所に身体が触れ合うほどに利用者を集める意味は、どこにあるのでしょうか。

 このことは、スポーツクラブでもありました。今は自由にロッカーが選べます。しかし、以前は指定されたロッカーを使っていて、しばしば隣近所に利用者が同じ時間帯に集められていた、ということがありました。

 部屋を広く使いたくない、というのは、経営者側の都合によるのでしょうか。3蜜とはまったく逆の扱いを受けると、避ける方法がいくらでもあるだけに、その意図を知りたくなります。
 
 
 
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2020年08月11日

お寺さんをお迎えした夜は『源氏物語』の翻訳本紹介の番組を観る

 今年も、無學寺のお寺さんが読経を上げに来てくださいました。

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 元気で若々しいいい声で、ご先祖様に語りかけてくださいました。ありがたいことです。

 今年のお盆は、新型コロナウイルスのせいで様変わりのようです。
 京都新聞(2020年8月3日)には、「お盆参り、僧侶迎えて大丈夫? コロナ禍の今年はどうすれば…檀家訪問せず代わりの法要も」という記事が掲載されていました。
 お寺さんをお迎えする側は、「今年も家に来てもらって大丈夫か?」、「お茶を出すのは控えるべきか?」、「お坊さんに玄関でアルコール消毒を頼むのも失礼では」と、いろいろと思い悩んでおられます。
 お寺さんの方も、「毎年熱中症になりそうなので冷たいお茶とおしぼりはありがたいけれど、今年は期待してはいけない」、「アルコール消毒薬を携帯する。お茶はお断りして最初から最後までマスクは外さない」、「例年と変えるところは特にないが、お参り先でアルコール消毒などを言われた時はきちんと対応したい」と、こちらもさまざまな思いで回っておられます。
 宗派を問わず、今年はお参り自体を断る家も少なくないそうです。庭先で読経を、という例もあるとか。このご時世だからこそのことなのです。

 我が家では、普通にお迎えしました。特にアルコール消毒をお願いはしませんでした。冷たいお茶はお出ししました。
 読経が終わってから、少しお話をしました。今年は500軒の家を、お寺の方4人で、8月1日から回っておられるそうです。お参りを断わって来られたのは、30〜40軒くらいだとのことです。意外に少ないのだな、と思いました。
 地蔵盆などはすべて中止になっているので、幾分かは楽になったとはいえ、なかなか大変なスケジュールが組まれていました。お勤め、ご苦労さまです。

 夜8時からは、「朝日放送「これって私だけ?」で翻訳本『源氏物語』の表紙絵の紹介あり」(2020年08月06日)で紹介した番組を楽しみにして観ました。制作担当の方との打ち合わせ段階でほぼ内容は想定していたので、私が提供した画像がどのように使われるのかに集中して観ました。

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 話の流れの中で、本筋から少し離れたこの翻訳本の表紙がどのように視聴者に伝わったのか、気になる所です。イメージ映像なので、そんなに深い意味は持たせる必要はありません。しかし、少しでも関係すると、気になるものです。
 「画像提供:大阪観光大学 学長 伊藤鉄也」という右上の文字が意外と小さかったので、見逃した方が多かったのではないでしょうか。突然映し出された『源氏物語』の翻訳本の表紙絵に目が取られ、右上の文字にまでは気付かれなかった方が多いと思われます。(上の画像はサムネイルなので、クリックすると精細な画像で表示されます。)
 しかし、こうした機会があることを幸いに、大学の名前を少しでも広く知っていただけるように今後とも努力していきたいと思います。
 
 
 
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2020年08月10日

8月8日にいたずらで灯された大文字の送り火

 何とも情けないことが起きました。
 一昨日の8日午後11時ごろ、如意ケ嶽の大文字山に、「大」と読める光の点で形作られた字が、突然夜空に浮かび上がったのだそうです。それも、5分以上も。
 本来なら、8月16日夜、京都五山の送り火で「大」の字が灯ります。ただし今年は、新型コロナウイルスの影響で、この大文字山には6つの点しか点火されないと発表されています。このことは、次の記事で詳しく報告した通りです。
「京洛逍遥(633)今年の送り火は炎の点だけになります -2020年-」(2020年06月29日)

 大文字山には自由に登れることから、不心得者が勝手に山に登り、愚かな点灯といういたずらをしたとみられています。青白く人工的な光だったそうです。まだ、その真相は不明です。

 お盆に先祖の霊をお迎えします。そして、お迎えした祖霊をお見送りするのが送り火です。この、室町時代から続く日本の伝統的な文化や行事の意味が、悲しいことにまったく理解できていない人の仕業です。この人は、あるいは人たちは、16日に点火することの意味がわからない人なのでしょう。もし日本で勉強をした人であれば、教育の問題が、その背後にあるとも言えます。日本のことを教える余裕のない現行の教育制度の中で、英語さえ勉強すれば国際交流に対応できると大声で叫ばれていることの成果が、こうして表れたのだろう、と思っています。自国の歴史や文化を知らずに国際交流などない、という持論の延長で論じたくなります。ただし、今は自重しておきます。
 今日の大文字山は、こんな様子でした。

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 日本の文化や歴史を学ぶことの大切さや、伝統行事を守る人やそれを楽しみにしている人の気持ちを理解できる人を育てる必要性を痛感する事件です。
 
 
 
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2020年07月16日

通勤電車が込み合い出したこと

 通勤の電車が込み合い出しました。これでいいのか、大いに不安です。
 車中の乗客は、すでに社会的距離は保っていません。保てません。ギュウギュウ詰めの直前です。
 窓は開いているとはいうものの、息苦しい雰囲気となっていることには違いありません。
 仕事が始まり、学校も始まり、テレワークにも限界が見え出したこともあり、人々は家から出るようになりました。いつまでも家に籠もってはいられないのです。これは、致し方のないことです。とにかく、初めての体験なのですから、何事も試行錯誤です。この教訓を、秋口から予想されている新型コロナウイルスの第2波や、インフルエンザの流行に活かしたいものです。
 東京はともかく、関西は感染していると思われる人が増え出したとはいえ、ある程度コントロールされていると思われます。一気に人が溢れ出した駅を往き来しながら、感染者がこれ以上増えないことを祈るのみです。感染者というよりも、重症になる人が増えない施策を維持してもらいたいと思います。
 その意味では、マスクをする人が大多数であることはいいことです。会議やスーパーのレジでも、一定の距離を空けています。人が集まることに用心しながら、この調子で新しい生活を送れば、危機的な事態は避けられそうです。
 人々のモラルを信じて日々過ごすことを心がけるしか、我が身を守る術はありません。油断しないことを肝に銘じて、これからも安全な日常を送ることを心がけましょう。
 
 
 
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2020年07月10日

ハッチャンとメダカたち

 ここ数日、家を空けていました。
 ハリネズミのハッチャンと5匹のメダカたちは、元気に出迎えてくれました。

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 またしばらく我が家で、いろいろと世話をしてやれます。
 ハッチャンが病気をして、気を揉んだ時がありました。
 しかし、こうして元気になると、今にでも死ぬのではないかと心配したことが、今では嘘のように思い出されます。
 私と共に高齢者です。
 身体を気遣いながら、日々元気に過ごすことが一番です。
 私は、とにかく歩くことを心がけます。
 ハッチャンも、せっせと車輪を回しています。
 
 
 
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2020年07月01日

車中の隣で大揺れに船を漕ぐ女性への対応

 今朝の京阪特急は、長椅子タイプの普通の車輌でした。結構混んでいたので、座席はいつものスペースに隙間なく座っています。
 七条を過ぎたあたりだったでしょうか、隣に座っておられた女性の長い髪が、換気のために開いている窓からの風に吹き上げられて、私の頬をバサバサと打つようになりました。少し身体をずらすと、その方の頭が私の肩にドンと落ちてきました。相手の頭を肩で少し押し上げると、すぐに目覚めて姿勢を真っ直ぐにされます。しかし、やがてまた頭がこちらに倒れかかってきます。肩を押し上げると、また身体を起こされます。そんなやりとりを40分ほど繰り返しているうちに、私が降りる駅に着きました。
 そのまま立ち上がると相手の方はバランスを失って倒れかねないので、肩で突き上げると同時にサっと立ち上がりました。
 泥酔状態かと思われるほどに、その女性の身体は荒波に揉まれているかのように大揺れでした。こんな時には、どうしたらいいのでしょうか。ホームに降り立った時には、肩凝りと疲労感に襲われて、貧血になりそうでした。
 通勤は、そこからまだ1時間以上もかかります。早朝から、心身共に疲れはすでにピークです。

 就任初日ということもあり、今日は6つもの会議に出席しました。1つは欠席です。
 午前中にあった1つは、事務の方々に向けての学長就任の挨拶でした。15分のはずが25分も話してしまいました。すでに朝の電車でのことがあって、相当疲れていたせいでしょうか。私は、あまり持ち時間をオーバーしないで話すタイプです。疲れで、時間の感覚がずれていたのかもしれません。参会のみなさま、貴重な時間を余分に取ってしまい、申し訳ありませんでした。
 
 
 大学での話は「学長ブログ」(http://gakutyo.sblo.jp)をご覧ください。
 
 
 
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2020年06月30日

本日、学長と理事に選任されました

 本日、学校法人明浄学院の理事会で学長選任決議がなされ、私が大阪観光大学の学長と明浄学院の理事に就任することとなりました。

 大阪観光大学のホームページ(https://www.tourism.ac.jp/news/cat1/6872.html)に、この件が掲載されています。

 さらに、「学長ブログ」(http://gakutyo.sblo.jp)もスタートしました。

 この日を境にして、多くのことが新しく動き始めます。
 これまでと変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願いします。

 なお、大阪大学 国際教育交流センター 招へい教授として取り組んでいる科研費による研究は、このまま来年3月まで続きます。

 何かと多忙な日々となり、多くの方々にご迷惑をおかけすることも多くなると思われます。
 現在の状況をご理解いただき、変わらぬご支援を、どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
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2020年06月12日

健康のために歩く日々の中での雑感

 今、私が一番行きたいのは「温泉」です。
 先日、有馬温泉の近くに住む姉から、私の病後を気遣うなど、近況確認の電話がありました。話をしながら、「温泉」に行きたいなぁ、という思いを強くしました。新型コロナウイルスのことがあるので、まだ、気ままに行くことは憚られます。車を持っていた頃は、それこそ、全国の温泉地へ家族と共に飛び回っていました。
 今回の新型コロナウイルスが一段落したら、まずは「温泉」に行きたいと思っています。一番近いところでは、鞍馬温泉でしょうか。

 毎日、近場を歩いています。お医者さんからは、とにかく歩きなさい、と言われました。
 昨日から梅雨入りした関西では、今日は傘を差したり閉じたりの小雨が降り続いていました。
 道端や軒先には、コンクリートやアスファルトの隙間から、雑草がピョンピョンと生えています。その逞しい生命力には感心するものの、その場所の環境が荒れているようなので雑草を見るのは好きではありません。自宅のまわりでは、妻が見つけ次第にヒョイヒョイと摘み取ってくれています。梅雨が長引くと、木や草が雑草と共に生い茂ります。これも、手入れを怠ると、荒んだ雰囲気の家並みや街路になります。地域住民の方々の爽やかな街にしようという心がけが、こうしたところから見て取れます。街歩きをしていると、こんな些細なことから、その一帯に住む方々の環境への思いが読み取れるので、雑草の存在を軽く見てはいけません。何気ない草取りは、身の回りの雰囲気や人の気持ちを明るくします。

 最近のニュースでは、「経営破綻」だとか「観光客の激減」という内容に注意が向きます。京都にいると、「観光客の激減」は歩いていると誰でも容易に実感できます。「経営破綻」となると、店頭に「閉店」のお知らせが貼り出されていることから、その一端は知ることができます。そう思って歩いていてると、我が家の周辺は閉店のお知らせは少ないように思います。何とか耐え忍んで来られたのでしょう。
 ネットショッピングは、頑ななまでにしない私は、お店に足を運んで自分で品選びをします。昨日も、河原町の四条と三条のあいだにあるBALに入っている丸善へ、本を買いに行きました。膨大な本が並んでいる棚を見ていると、読みたくなる本がおいでおいでをして来ます。この誘惑との闘いも、愉しみになっています。最近は、目次と奥付けを見てから買うことにしています。昨日は、5冊買いました。みんな、観光や観光学に関する本でした。まさに、今の興味や関心がそのまま反映した選書です。おもしろいものです。他のコーナーでも読みたい本がたくさんありました。しかし、同時進行で読む本は5冊と決めているので、現在読み進んでいる3冊に、この5冊の内の2冊を加えて、また読書生活を続けることになります。この、読む本の入れ替えは、誰にも邪魔をされない極上の楽しみの一つです。

 「アフター・コロナ」とか「ポスト・コロナ」とか、今後の新型コロナウイルスの先行きが話題になっています。現在の私の関心事からいえば、観光がこれからどうなるかのを見据える中で、「観光学」とは何かを考えるのが、今直面する課題となっています。これまでは、〈源氏物語の本文データベース〉〈平安文学の翻訳本〉〈視覚障害者と百人一首〉が自分に課したテーマでした。そこへ〈観光学の定義〉という異質なものが加わりました。新しいテーマを抱えるということは、心沸き立つものがあります。そのせいか、見るもの聞くもの、何でも「アフター・コロナ」や「ポスト・コロナ」というフィルターを通して受け入れています。昔(?)の概念で言えば「考現学」かもしれません。学部の卒業論文では、民俗学の視点から唱道文芸を扱いました。民俗調査などのフィールドワークも熱心に行なっていたので、「観光」を考える素地は持っていたのかも知れません。
 この年になり、新しいものに挑戦することの新鮮さと躍動感を楽しむことになりました。これからの日々は、自分の身体を気遣いながらも、これまでの課題とこれからの課題に挑戦し続けようとの思いを強くしています。
 
 
 
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2020年06月09日

ハッチャンとメダカたちと「京都市特別定額給付金」

 一時は寿命かと心配したハリネズミのハッチャンは、すっかり元気になっています。よく食べます。フラフラだった後ろ足で、今ではしっかりと歩けます。よく遊んでいます。ゴロリゴロリと転がりながら苦しんでいた頃が、今では写真を見ないと思い出せません。それでも、相変わらず人見知りが激しいので、食べるだけ食べるとサッサと寝袋の中に籠もります。夜になり電気を消すと、モソモソと出てきて運動をしています。

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 名前はないものの、5匹のメダカたちも元気です。みんな長生きをしているので、身体が一回りも二回りも大きくなりました。一匹だけ、少し小さいのが追いかけ回されており、いじめられているように見えます。しかし、気丈な性格なのか、他の4匹とは少し距離を取りながらも、元気にみんなと共同生活をしています。たくましい我が家の一員です。

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 本日、「京都市特別定額給付金 申請書」が突然送られてきました。
 給付対象者の家族欄には、ハッチャンと5匹のメダカたちの名前はありません。
 家族なのに、と思いながら書類を見ていると、その給付対象者欄の右端の「受取」欄が強調された印刷になっていて、そこには「不要」という文字が並んでいます。その真下には、「特別定額給付金を希望されない方は、不要 を○囲みしてください」と書かれています。
 これは、人の心を逆撫でする、相手を不愉快にする日本語表現だと思いました。日本語としての意味は正しいのです。しかし、これまでの経緯を考えると、これをここで言うか、と呟いてしまいます。無礼で鈍感な言葉だとしか言えません。日本語のセンスを問う以前の、稚拙な文字列です。日本語教育の必要性を痛感する、日本語の表記法につながる書類になっていると思います。他の表現法はなかったのでしょうか。
 
 
 
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2020年05月02日

オイオイ!!と思うこと(10)日常生活で

(1)先日、寒い日が2日ほど続いた時のことです。自動販売機で温かい飲み物を買ったつもりなのに、冷たいものが出て来ました。自分がよく確認しないままにボタンを押したせいとはいえ、悔しい思いで冷たいドリンクを飲みます。季節感が乏しくなった自分の判断に対して、アーアーッと、ついため息が出ました。自動販売機の内部で、〈暖〉から〈冷〉に切り替えられたスイッチは、外気の温度を判断して自由に変更はしてくれません。AIが進化したら、このことが可能になるのか、今から楽しみにしています。

(2)バスの中で右端に座っておられた女性が、出発するやいなや、厳かにお化粧を始められました。棒状の物を目の淵に当てて、しきりと動かしておられます。揺れる中で、危険だなと思いました。急ブレーキがかかると、棒が目に突き刺さるのではないかと、こちらがハラハラして気が気ではありません。今はウイルス感染が怖くて、バスに乗る方が激減しています。車内がガラガラだからといって、何でもできるのではないのです。状況の判断も必要です。これも、無防備に慣れ親しんだ日本人の実状なのでしょう。

(3)相変わらず、自宅を出るとフリーの「Kyoto-WiFi」が勝手につなげようとして、スマホの通信の邪魔をします。今は旅行者は皆無なので、このつながるまでの儀式に手間のかかるWi-Fiは、住民の日常には非常に邪魔です。次の場所に移動したりする短い間に、インターネットなどに接続できないからです。家を出る時に、スマホのWi-Fiは切る習慣ができました。しかし、家に帰ってから一々接続にスライドさせる手間を忘れるので、なんとも面倒で迷惑なことがいまだに続いています。

(4)昨日購入した目薬の使用期限は、外箱を捨ててしまうと本体には明記されていないので、いつまでだったのかがわからなくなります。外箱には、2年ほど先の期間が書いてありました。3、4年は大丈夫なので、面倒な本体への明記はしない、ということなのでしょうか。メーカーによって、容器本体に記載のあるものもあったように思います。統一できないのでしょうか。売る時だけのための使用期限の明記には、なにか理由があるのでしょうか。混乱の元だと思いますが。

(5)最近、宅配便が届くことが多くなりました。ドアホンが鳴ったので、家の中から画面を見ながら応答しました。しかし、自分が誰かはもとより、用件を言う気配すらありません。モニタを見ると、玄関の戸が開くのを今か今かと待っておられます。よほど忙しいのでしょう。サッと渡して、次へ行きたいのでしょう。しかし、せめて、「○○です、荷物をお届けに来ました。」くらいは言ってもらうと、「ハーイ」と言って玄関に出られます。そうでないと、反応があるまで「誰だろう」「何だろう」と、応答を待ってしまいます。さらには、今はご時世なのか、印鑑やサインは要らない、とのことでした。配達の前に来たメールには、「置き配」のことが書いてあります。手渡しを避ける方策の一つなのでしょうか。2メートル離れて渡す、とか、サインのためのペンを出さない、などなど、新型コロナウイルスに関連して、いろいろなことが変わりつつあるようです。礼儀も作法も常識も、この新型コロナウイルスが粉々に崩して行くように思えてなりません。
 
 
 
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2020年04月10日

アレッ!と思う時〈その9〉加齢と老化の兆し?

(1)いつものように、ソニーのカメラで写真を撮りました。家で確認しようとしたら、メモリーカードが入っていないままにシャッターを切っていたことがわかりました。50年近く、ずっとソニーのカメラだけで通しています。それなのに、これまでにこんな失態は一度もありません。カードが入っていないことは、液晶画面の上の隅に、小さく「NO CARD」と表示されていることがわかりました。それにしても、シャッターが切れないような設計にできなかったのでしょうか。責任は自分にあるにしても、数百枚の写真がなかったことになり、何とも釈然としません。

(2)よく似ている人はいるものです。すれ違いざまに「〇〇さんだ」と思い、相手の顔をよく見て挨拶をしようとしました。しかし、相手はまったく素知らぬ振りで過ぎ去って行かれました。アレッ、違ったのかな、と、しばし立ち止まって思い出そうと記憶をたどります。思い出せないままに、いつしか忘れ去っています。

(3)自分の年齢を間違えていた時がありました。昨年の初夏から秋の誕生日まで、1歳多く答えたり、書いたりしていました。誕生日を迎え、指摘され、アレッと気がついたのです。この年になると実害はほとんどありません。しかし、自分の立ち位置の曖昧さを痛感することになりました。それにしても、これからも毎年、1歳ずつカウントアップできるのか、我ながら心配になります。

(4)バスの中で、突然長イスのお隣に座っておられた方が立ち上がり、少し前のスペースに移動し、手すりに摑まり立ちされたのです。アレッと思いました。車内は空いていたので、私との距離を取られたのでしょう。新型コロナウイルスから身を守るためでしょうか。しかしとっさには、その方の行動の意味がわからず、私が何かしたのかと思いました。相手と2メートルの距離を保つことは、まだ文化として違和感を感じる場面が多いようです。

(5)病院で順番待ちをしていて、本を読んでいたらつい自分の番になっていることを忘れます。順番を待つ人が多いので、呼ばれるまでの時間が、日によって違います。ただし今は、京大病院の場合は専用のカードを作ったので、待つことがなくなりました。何かと動作がゆっくりしてきた高齢者にとって、これは大助かりです。最小限のステップで精算などが終わるので、気が抜けるほどアッという間に帰れます。
 
 
 
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2020年03月28日

不要不急の外出は自粛の日々の中で

 このところ、新型コロナウイルスの感染や被害に巻き込まれたり、拡散に関わらないようにと、必要最小限の外出を心がけています。
 そんな日々の中で、「この世に生存していたことの証明も兼ねて、日々の雑録を記しています。」ということを標榜しているブログなので、ここ数日の写真を整理してアップしておきます。

 年度末の残務整理もあり、今週は箕面キャンパスに行きました。そして、一昨日は研究棟のすぐ前の広場で、卒業式の華やぎの中に身を置くことになりました。
 大学全体の卒業式は中止となり、豊中・吹田・箕面の各キャンパスで、各学部ごとに学位授与が行なわれたようです。卒業式は、成人式とともに、女性のためだけの晴れの日となっています。男性は、ほとんど注目されることもなく、出番もないので目立ちません。この文化は、何とかしたいと思いながら、今は何もできない立場となり、心がざわめきます。女性だけの式典を続けることは、日本文化の退化を促進すると考えています。いつか、どこかで、だれかが狼煙を上げてくれることを待ち望んでいます。

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 日々の散策は、賀茂川と高野川の合流地点である出町柳から北の地域に限定しています。
 今日は、高野川に架かる橋から比叡山を望む景色を、買い物がてら見てきました。
 ここは、川幅も狭く、少し水が濁っていました。桜はまだです。鷺と鴨は、賀茂川に負けず劣らず元気です。

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 出雲路橋の柱に「竣功」という文字を見かけました。一般的には「竣工」であっても、橋や神社仏閣などでは、この「竣功」が使われると聴いていました。実際に見かけたので、確認の意味でアップしておきます。

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 お店のトイレに、「男性も座ってご使用ください」という表示を見かけました。男の小については、異論や苦情が多いことは知っています。これは、文化の問題であり、ぜひとも性差別の問題として幅広く議論してもらいたいものです。気の弱い男性は、この問題には口を挟まないようにしているように思えます。私は、この強制に違和感を持っています。女性の意見がまかり通っています。しかし、性差と文化を考える中で、不愉快でない議論と結論を得たいものです。そのためには、業界がもっと考えを整理すべきだと思っています。便器メーカーは無責任だと思っています。

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 時間が空いた時に、日々増え続けるコーヒー豆の使用後の粉を、ティーバックの入れ物に詰めました。一月で30個くらいできます。消臭剤として、冷蔵庫や靴箱や戸棚の中に置いています。生ゴミの袋の中に、あらかじめこの粉を振りかけておくと、匂いが気になりません。

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 我が家で居候中のハリネズミのハッチャンは、ほとんど寝ています。しかし、よく食べ、よく遊んでいます。リンゴが大好きです。

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 今年度も、残すところあと3日となりました。今、やり残している膨大な仕事を抱え、めまいがする日々です。やってもやっても、まったく捗りません。お待ちいただいている方々には、本当に申し訳ないことです。それでも、何とか帳尻を合わせますので、いましばらく猶予をください。
 
 
 
posted by genjiito at 20:34| Comment(0) | *身辺雑記

2020年03月18日

バスの座席から押し出された不可解な体験

 いつものように、仕事帰りに四条河原町からバスに乗った夕刻のことです。

 長い列の中程で、バスを待っていました。すぐ後ろにいた白髪のオジサンが、やたら体を寄せてこられます。年格好は、私と大きな違いはなさそうです。体格は、私よりも倍はあります。年寄りの方によくある態度なので、前に行きたいのかと思い、少し身体を引いて、前にどうぞというサインを送りました。しかし、それならお先に、と前へ行くのでもないのです。このご時世、こんなところで身体をくっつけるのも嫌なので、少し前に動くと、また詰めてこられます。新型コロナウイルスのことが、頭をよぎります。しかし、気持ちが悪くても、どうしようもありません。

 バスが来たので、順番に乗り込むことになりました。その後ろの方は私を抜かして、隙間から割り込んで乗ろうとされるのかと思いきや、そうする気配は見せながらも、そうなさるわけでもありません。その後ろからの不穏な気配を感じながら、私が一歩早くステップに足をかけることになりました。そして、乗り込むと、入口からすぐ横の席が空いていました。その席に座ろうとして、私が前屈みになって腰を下ろしかけた時のことです。その真後ろから乗ってこられた方は、私の肩を押すようにして、自分のお尻を巧みに使って割り込もうとされるのです。肩からかばんをはずし、座る態勢に入っていた私は、座席の前に押し出されました。転ぶのをやっとこらえ、何事かと思って振り向くと、ご自分は何食わぬ顔をして座るや否や、iPadを取り出して画面を見つめておられます。

 そんなに混んでいるバスではありません。後ろはスカスカに空いていたので、私はそちらに移動して座りました。
 前方に、その方の姿が見えます。手術後はメガネのフレームもなく、その方の様子もよく見えます。ところがなんと、乗ってから2つ目の停留所で降りて行かれました。

 一体、何をどうしたかったのか、その方の心の中がわかりません。心理学的には、こうした行動はどのように説明するのでしょうか。とにかく、興味深い体験をしました。
 
 
 
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2020年03月01日

何もしない日(3月)

 3月になりました。
 2019年度も最後の月となりました。
 年度末で慌ただしい月となります。
 まずは、初日の今日は、何もしない、何も考えない1日です。

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 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。
 しかし、寄る年波を自覚する日々に、そういつまでも身体は持ちません。
 そこで、昨年からは何もしない日を毎月1日は作っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:42| Comment(0) | *身辺雑記

2020年02月21日

デューク・エイセスの吉田さんの訃報を知って

 今朝の新聞に、「デューク・エイセス」のセカンドテナーだった吉田一彦さん(84歳)がお亡くなりになったことが報じられていました。

 本ブログの「大阪中之島の中央公会堂での入学式」(2018年04月01日)で、次のように書きました。

 今から40年ほど前になります。大阪府立の高校で教員をしていた時、視聴覚観賞行事でこの中央公会堂を使いました。私が担当だったので、いろいろと検討を重ねた末に、デュークエイセスを呼んで男声コーラスグループの歌声を聴くことにしました。そして、司会役として私はこの壇上でマイクを握ったことを思い出しました。この公会堂は、私にとっても懐かしい舞台です。


 この出演依頼の経緯と調整にあたっては、吉田さんが大阪のご出身だったこともありました。
 「デューク・エイセス」は、2017年に解散。「にほんのうた」シリーズの「いい湯だな」や「女ひとり」、そして「遠くへ行きたい」などは、今も多くの方が歌えると思います。私の個人的な記憶では、「鉄人28号」や「忍者部隊月光」、さらには「ララミー牧場」も蘇ります。

 一昨日(2月19日)の記事、「若者と話をしていて「死語」とか「廃語」について考える」で、5つの言葉を引きました。実は、ここには揚げなかったものに、「ダークダックス」「デューク・エイセス」「ボニージャックス」がありました。若い方々は、この四人組の男声コーラスグループのことは、まったく知らないとのことでした。そのため、例示の中には含めませんでした。来週、「いい湯だな」や「女ひとり」という歌は知っているのか、聞いてみることにします。
 
 
 
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2020年02月19日

若者と話をしていて「死語」とか「廃語」について考える

 科研運用補助員として研究協力をしてもらっている学生さんと話をしていると、単語が共有できないことがしばしばあることに気付かされます。私が使う単語を、聞いたことはあるが、とか、知らなかった、と言われると、世代間のギャップをストレートに肌身に感じます。
 たとえば、こんな言葉がそうです。

「アベック」
(ホームランで聞いたことがあるとか)
「ザ・ピーナッツ」
(映画『ゴジラ』の話をしていて)
「スラックス」
(私は「パンツ」に違和感あり)
「デート」
(近所の喫茶店の名前でもある)
「VHS」
(私はソニーの「β」派でした)

 よくわからないながらも、なんとなくわかる、という程度の言葉が、いろいろと出てきます。いつの時代にもあることだとしても、実際に話をしていてこの異文化世代の反応にぶつかると、少なからずショックは隠せません。これらがカタカナ語なので、言葉と世の移り変わりに関連するのかもしれません。
 私は使わない言葉で、もう通じなくなっていると思われるものは、「E電」とか「ナウい」をすぐに思いつきます。これらを、「死語」とか「廃語」というそうです。歳と共に、こうした言葉が増えていくようです。寂しくなるというよりも、自分が伝統と文化を持ち続けている貴重な世代だ、と、かえって誇りに思いたくなります。
 この問題に関する研究成果もあることでしょう。「新語・流行語」に関する位置づけとも違うようです。それよりも、自分の生活の中で直面し、目の前で話題になったことなのです。生きた経験値を伴う出来事であることに、意義深いものがあると思います。言葉の生き死にの、その根元が知りたくなります。
 こうした言葉を挟んで、今、若者と接しています。得難い視点をもらっているチャンスなので、この機会を大切にしたいと、あらためて思います。まさに、翻訳本の調査研究で異文化間コミュニケーションを考えながら、研究支援者とのやりとりの中でも異文化間を泳ぐ日々にいるのです。楽しくておもしろいテーマと格闘しています。
 
 
 
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2020年02月18日

不安な世相に戸惑うばかりです

 今朝、外の草木がうっすらと雪に覆われていました。
 一転して寒い1日の始まりです。
 今朝の大阪の地下鉄は2時間も遅れました。
 駅で異臭がしたことが原因だそうです。
 連日、コロナウイルスやインフルエンザが報じられています。
 これまでに体験したことのない事態に、様子見をするばかりです。
 65歳以上で糖尿病患者である私は、毎日体温を測っています。
 今のところ、36.9度までに留まっています。
 箕面にある研究室は、90平米という広さがあります。
 ここに7人が籠もって、平安文学情報の収集や整理にあたっています。
 幸い、密室ではないので、のびのびとしています。
 入口には、消毒用のノンアルコールとアルコールのスプレー2種類を置いています。
 総合研究棟の6階は、私の研究室だけで独占しているので、人の出入りはありません。
 今日は、帰りのバスや電車が渋滞に巻き込まれることもなかったのです。
 予想外に早かったために、乗り換えがスムースでした。
 いつもは乗れない電車に乗り継げました。
 河原町から乗ったバスの車窓からの景色は、これまでとは様相を異にしています。
 人通りが絶えた夜の雰囲気があります。
 車が少ないせいか、バスもスイスイと走ります。
 家には、いつもよりも30分も早く、1時間半で着きました。
 街中では人も車も少なくて、何かと滞ることがなさそうです。
 こうした社会生活が待ち望まれていたように思います。
 しかし、実際に実現したかのような今の様子は、何となく不気味です。
 商売をなさっている方は、突然のことで途方に暮れておられるようです。
 いつまで、このような状況が続くのかわかりません。
 これを機会に、社会生活が一変していくような気配を感じます。
 得体の知れないウイルスが、どのようにして収束するのか注目しています。
 過剰に不安がることはないと言われています。
 それでも、何となく不安な思いをさせる世相に、戸惑うばかりです。
 
 
 
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2020年02月03日

何もしない日(2月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。
 しかし、寄る年波を自覚する日々に、そういつまでも身体は持ちません。
 そこで、今年からは何もしない日を毎月1日は作っています。
 
 
 
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2020年02月02日

大和平群で丸卓を使ったお茶のお稽古

 今日は、京都市長選挙の日です。朝早くに、少し南に下ったところにある地域の投票所、下鴨小学校まで歩いて行きました。ここは避難所にもなっています。しかし、実際に災害があった時に、ここまで歩いて行くよりも、京都府立大学や植物園に行くか、河原に出た方が近いのです。その時の判断によって、どちらへ行くかを考えようと思っています。

 コロナウイルスの感染者は、関西方面では奈良が最初でした。その奈良へ、お茶のお稽古に行ってきました。出がけには、感染のことで少しためらいがありました。しかし、最近は特に感染者に関するニュースは報じられていないので、いつものように出かけました。

 大和平群まで電車で2時間。特に、大和西大寺駅での乗り換えは混み合います。人混みを避けるようにしてのホームの移動です。車中で、マスクをしていない方で咳をする方が何人かいらっしゃったので、少し緊張しました。念のために、車輌を移りました。

 龍田川は、いつものように流れています。定点観測のつもりで、いつも写真に収めています。

200202_tatsuta.jpg

 今日は、丸卓を使った運びの薄茶のお稽古をしました。前回は「入れ子点前」でした。微妙な違いがよく理解できていないので、何箇所かで戸惑いました。どうも、まだその違いが身に付いていません。
 お茶室を出入りする回数はもとより、最後に水次を使うかどうかや、棗を丸卓の上に置いて帰るか持ち帰るかなどなど、書き出すといろいろと違いはあります。そうした中で、丸卓の上には棗と柄杓と茶碗が残されている、という最終形態の風景が気に入っているので、この棗を残すお点前である「入れ子点前」を、特に習得することを当面の目標にしようと思います。
 まずはこれを、そしていろいろなお点前を、というステップでお稽古を組もうと思います。相変わらずわがままな生徒です。

 帰りの電車の中でも、マスクをしていない方が咳をしておられました。身を守るために、違う車輌に移りました。周りをキョロキョロしながら、乗客の様子を見ていました。結局、竹田駅で乗り換えず、京都駅まで出て、バスで帰りました。当分の外出は、こうして状況判断をしながらとなりそうです。
 
 
 
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2020年01月16日

ハッチャンの家が東京から届きました

 突然、東京から京都に移り住むことになったハリネズミのハッチャンは、一日中眠り続けています。
 夜中になると、ゴソゴソしています。
 昨日、これまでハッチャンが住んでいた家が、東京から届きました。
 セッティングをしてから、ソッと移しました。

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 まだ慣れないこともあってか、陶器の隠れ家に頭を突っ込んで寝ています。

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 大好きだというリンゴを置いても、食べる気配はありません。
 今夜、食べるのでしょうか。

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 夜の11時。ようやくお目覚めです。

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 環境が急に変わったせいか、ご機嫌斜めの様子。

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 それでも、お腹が空いたのか、食べ物に興味を示しています。

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 とにかく、のんびりとマイペースのハッチャン。
 気長に付き合うことにします。
 
 
 
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2020年01月14日

ハリネズミのハッチャンが空路ANA便でやって来ました

 ハリネズミのハッチャンが、東京(羽田)から飛行機に乗って大阪(伊丹)経由で京都へと、一人旅をしてやって来ました。

200114_harinezumi.jpg

 今夜から家族の一員です。
 以下、飼い主だった息子からの伝言です。
 忘れないように、ここに転記しておきます。

【基本情報】


名前:ハチ

名前の由来:忠犬ハチ公を見て号泣したため

誕生日:2016年10月1日

性別:オス

好きな食べ物:リンゴ

性格:ビビリでマイペース
  滑車で遊ぶのが大好き

【ハリネズミの特徴】


・幸運のシンボル
 エジプトではハリネズミは幸運のシンボルとされている

・夜行性
 昼間は大体寝ていて、部屋が暗くなると活動を開始する。光が嫌い。

・単独行動
 ハリネズミは一人が大好きで、多頭飼いすると早死にすると言われている。

・トゲは普通に痛い
 怖いことやビックリすることがあると、フシュッ!と言って全身の針を尖らせる。
 刺さると普通に血が出るので、専用手袋は必須。手袋をしていると痛くない。

【飼い方】


・餌と水は1日1回交換
 水大量、餌大量に入れておけば3日は大丈夫。

・くるみクズは1週間に1回交換
 1週間に1回交換すれば臭いはほぼしない。

・1週間はリンゴをあげる以外はほったらかしにする。
 まずはこの家が安心な場所だと覚えさせる必要があるので、何もせず快適な環境にする。

・1週間はリンゴをあげるだけのコミュニケーション。
 リンゴは1日1,2回あげて、安心な場所だと覚えさせる。

・夜はできるだけ真っ暗にする
 真っ暗だとよく行動するので、黒い布をかけるなどする。

・温度を20〜25度に保つ
 最重要! 寒がりなので、この温度を維持してほしい。


 我が家の居候は、これまでのメダカが5匹。

200114_medaka.jpg

 そこへ、このハッチャンが加わることになったのです。
 老夫婦と6匹の生活となります。
 さて、これからどんなことがありますか。
 新年始まって最初の大ニュースです。
 
 
 
 
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2020年01月10日

何もしない日(令和2年正月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。
 しかし、寄る年波を自覚する日々に、そういつまでも身体は持ちません。
 そこで、昨年の正月から、何もしない日を毎月1日は作っています。
 
 
 
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2020年01月09日

携帯電話を置き忘れる失態

 つい、うっかり、悔みきれない失態をしてしまいました。何と初めて、携帯電話を外出中に座っていたシートに置き忘れてしまったのです。
 大型ショッピングセンターで本を買い、それを鞄に入れるためにフリースペースにあった長いソファーに腰を落ち着けました。座った時に、ズボンのポケットに入れてあった携帯電話が邪魔になったので、取り出して膝の横に置いたのがいけませんでした。
 買ったばかりの本の目次をパラパラと見てから鞄に入れ、そのまま同じ階にあるスポーツクラブへと急ぎました。その時、携帯電話をソファーに置いたままで立ち上がったのです。ダウンのコートを着ていたので、その裾が広がっていたことで見えなかったようです。
 1時間ほど泳ぎ、お風呂から上がって着替えている時に、携帯電話が見当たらないことに気づきました。忘れた場所は思い当たります。すぐにソファーがあったところに行きました。すでに1時間半以上は経っているので、そのままあるはずがありません。近くのお店の方に忘れ物を受け渡しする場所を聞くと、1階中央にあるインフォメーションセンターだとのこと。すぐに行くと、保管されていた私の携帯電話を、すぐに渡してもらえました。聞かれたのは色とメーカー名でした。そして、取り出された携帯電話に対して指紋認証で画面のスリープを解除すると、それで私のものであることが確認されたのです。書類に住所氏名を書いて終わりという、迅速な対応でした。指紋認証の意外な役割を実感しました。
 携帯電話は、なくすと遠隔でデータを消せるし、電話機の追跡もできます。落とし主の手元に返る確率の高い品物だと言えるでしょう。それはさておき、忘れ物として届けてくださった方には、お礼申し上げます。ありがとうございました。
 それにしてもうっかりミスを、新年早々しでかしました。今年は、慌てず騒がず、マイペースで日々を送りたいものです。注意力が散漫になっているようなので、若い頃のようにテキパキとは動けません。どうぞみなさま、モタモタしていても急かさないで、温かく見守っていてください。
 
 
 
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2019年12月31日

今年もありがとうございました -2019-

 あと数十分で新年を迎えることになります。
 2019年も無事に終えることができます。
 多くの方に助けていただいて過ごせました。
 この場を借りて、改めてお礼申し上げます。
 2020年もどうぞよろしくお願いします。

 我が家の玄関先にも注連飾りを掲げました。
 注連飾りは「一夜飾り」にしないそうです。
 そう言われ続けているので昨夜つけました。

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 また新しい年にどのようなことがあるのか。
 新たな出会いに満ちた日々になるでしょう。
 いろいろなことにチャレンジする予定です。
 末長いお付き合いをよろしくお願いします。
 
 
 
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2019年12月30日

形ある物としての本を処分すること

 今年も、本に悩まされました。
 本年3月に、突然とでも言うべき理不尽な理由によって、研究室を出ることになりました。
 3年前の3月に、東京立川の職場と江東区の官舎から、京都と大阪に大量の荷物を移動させました。もちろん、大半が本の詰まった段ボール箱です。
 大阪南部の研究室に移動して来た専門的な内容の本は、しばらくは安泰だと思っていた矢先のことでした。今度は、大阪北部に移動させることになったのです。150個の段ボールに詰めた本は、その分量はともかく重さが半端ではありません。
 幸い、新しい移動先の研究室は90平米もある広さなので、置くスペースは十分です。

191204_room.jpg

 いまだに新研究室に運び込んだ本の整理が終わっていないのですから、これにかけるエネルギーと時間は膨大なものが費やされています。いやいや、自宅においても、すでに東京を引き上げて来て3年が経とうとしているのに、いまだに未開封の段ボールが、押し入れに投げ込まれています。必要になった本を手にしたい時に、段ボールの側面に書かれたメモを頼りに、やおらガムテープを剥がして本を取り出しています。
 それにしても思います。なぜこんなに本を持って移動し続けなければならないのか? と。
 資料集や参考書であれば、折々に見て確認することがあるので、身近な場所に置いておく必要があります。しかし、研究書や雑誌論文を収めた本や冊子に加えて読み物としての本は、必要な時に手にできればいいのです。そのために、京都府立京都学・歴彩館の近くに終の住み処を定めたはずです。しかし、やはり手元に本を置いておきたいために、多くの本を処分する勇気がなかなか出ません。
 一度読んだ本は、自宅に置いておく必要はなくて、図書館や資料館に寄贈すればいいと思いました。しかし、実際には引き受けてもらえない現実があります。よほど貴重な本でない限りは、図書館などでも重複してしまうのです。
 また、本を購入した際には、読み終わったら購入したその書店で引き取ってもらえるといいとも思いました。しかし、これも手放す方はそれで開放されるとしても、書店としては引き取ってからの処置がややこしいようです。本には、定価というものが付いているので、いろいろと問題も多いようです。勢い、ブックオフなどの存在意義がでてきます。しかし、私はブックオフに本を引き取ってもらったことがありません。本がかわいそうに思えるからです。突然、自分の心の中に、本に対する愛着が芽生えるのです。それを書いた人、刊行した出版社の方々の顔が浮かぶのです。
 読み終わったら持て余すことの多い、物としての本は、どうあるべきなのでしょうか。
 電子ブックという新しい流れがあります。しかし、私は光の点が構成する文字というキャラクタの連続に目を走らせると、すぐに目頭が痛くなります。新しい技術であり文化なので、まだ慣れないからでしょうか。特に少し専門的な内容の本は、電子ブックになっているものは少ないし、あっても考えながら読むには適さないように思います。紙に印字された文章を読む方が、私には安定して、書かれている内容が理解できます。この安心感は得難いものです。
 小説にしても、紙の質や本の重さも、読書の楽しみの一つとなっています。読み進むにしたがって、その前と後ろの厚さが移動していきます。長編小説を読むことが大好きな私は、この自分の現在位置を示す本の厚さは、読み進む上では大切な情報です。これが、電子本では、質感も分量もページをめくる感触もないので、気が抜けてしまいます。だだッ広い野原に、文字を集めたデータを与えられたように思ってしまいます。宙ぶらりんの状態での読書は、手応えがありません。
 もちろん電子版は、キーワードで探しやすいし、何かに引用するときに重宝します。私の科研では、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』『平安文学翻訳本集成〈2018〉』『海外平安文学研究ジャーナル』(既刊6巻)などの電子版をホームページから公開しています。海外の方々などは、本の入手が大変なので、こうした電子版はダウンロードすれば読めるので歓迎されています。その効用は理解しています。しかし、それは確認のための活用に向いているだけだと、私は思っています。
 なお、漫画本は、電子本でもいいのではないか、とも思います。これは、画像としての画面を楽しむことに起因するものだと理解しているからです。
 厚さがあり、重さがある物体としての本は、家の中の場所を取ることが一番の問題でしょう。木造の家に住んでいる私などは、本の重さは死活問題です。すでに家が傾いています。家の中の柱の位置は、私にとっては大切な情報です。そのためもあって、いかに手際よく本を処分するか、ということに悩まされ続けているのです。
 著者や出版社には申し訳ないことです。しかし、読者の立場も何かと大変です。購入するのはいいとして、読んだ後はそのほとんどを手元から遠ざけないことには、居住生活に影響します。
 これは、みなさんが直面している問題かと思います。
 本の流通と、その本の読後の取り扱いについては、これからも悩み続ける問題といえそうです。今、私にできることは、1冊でも多くの本を人に差し上げることと、心ならずもゴミとして処分することです。いずれは、食べ残しのゴミに近い性格の問題として、本の後始末が問題になるかもしれません。これは飛躍しすぎとしても、とにかく本をきれいに処分することは喫緊の課題なのです。海外では、図書館がこの問題に救いの手を差し伸べている実態を見てきました。しかし、日本ではまだまだ個人が本を購入して、個人で管理している現実があります。
 多くの関係者に、大変失礼なことを書いているかと思います。しかしながら、自分をごまかしながら現実には本をどんどん捨てている日常を思い、とりとめもない雑駁な考えで今の自分を振り返ってみました。
 先日も、何万円もする本を数冊、燃えるゴミと一緒に出しました。いろいろな方の顔が浮かぶ中を、私にとっては毎月の仕事と化しています。いつまでこんなことをするのか、させられるのか。本の後始末には、苦渋の決断が伴います。心おきなく本が処分できる環境を、あるいは処分ではなくて流通させる手だてを、一日も早く作りあげたいものです。
 歳末の今日も、たくさんの本を処分しました。本の供養塔を、家の裏にある狭い庭先に建立することを、真剣に考えています。その形は、枡形本と巻子本を組み合わせたものにしたい、とも思っています。
 
 
 
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2019年12月08日

何もしない日(10/11/12月分)

 本年正月から、毎月の始めは、「何もしない、何も考えない1日」を設けることにしました。

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 しかし、早速2月に、あまりにも多忙のあまり、設けないまま過ごしました。
 そのため、3月2日に2月分も一緒にお休みの日としました。

 以来、順調に毎月初旬にお休みの日を守ってきました。
 しかし、10月と11月の2ヶ月続きで、またまた多忙な日々に身を置くこととなり、休めませんでした。

 師走の今日は、3ヶ月分のお休みの日とします。
 
 
 
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2019年12月06日

運転免許証を返納しました

 運転免許証の返納をしてきました。
 電話で免許証の返納手続きができる場所を確認したところ、我が家に一番近いのは出町柳のすぐ北にある下鴨警察署であることがわかりました。京都駅前だと、その日の内に「運転経歴証明書」が発行できるとのことです。しかし、京都に住み着いてからは車を持たない生活になっていることと、運転する機会もなく、「運転経歴証明書」も急ぐものではないので、1ヶ月後の受け取りを了承して下鴨署へ自転車で行きました。
 申請手続は簡単でした。ただし、私は住所が東京都江東区のままの免許証だったので、変更手続きが必要でした。さらに驚いたことには、本籍地が奈良県生駒郡になっていました。10年以上前に変更したはずなのに、やっていなかったようです。それでも、保険証と印鑑があれば大丈夫でした。費用は、\1,120円です。写真は、警察署の別室で撮影してもらえました。
 今日付けで、運転免許は取り消されました。
 帰りに、京都市からということで、500円のギフトカードをいただきました。内心、開封するまではいくらなのか楽しみでした。正直、がっかりしました。何となく中途半端な金額だと思います。これが2,000円のバスカードなら、もっと返納者が増えることでしょう。
 なお、自主返納した者に対する支援があるそうです。それは、後日「運転経歴証明書」を受け取ってからにします。どんな支援があるのか楽しみにしましょう。

 運転免許は、18歳の時に、東京都大田区蒲田の自動車教習所で取りました。仕事で使うために取得したものなので、教習所への費用は会社持ちでした。
 毎朝3時に、新聞の印刷所へいすゞのトラック「エルフ」で行き、荷台に印刷されたばかりの新聞の梱包を積み、大田区の各新聞販売店に下ろして回る仕事です。最後に自分の販売店に帰り、それから350部の新聞を1時間半かけて自転車で配る日々でした。夕刊は、学生なので授業を受けることが優先ということで、印刷所へ行く仕事はありませんでした。ただし、休日等には新聞に入れる広告やチラシを受け取るために、都内の広告代理店などを車で回りました。今から思えば、東京を走り回った楽しかった日々でした。
 あれから50年たった今日、免許証は失効となりました。子供たちを車で全国各地を連れて回り、奈良から京都への引っ越しは、すべて私がレンタカーを運転してやりました。
 思い出深い自動車の運転については、いくらでも話が湧いて出ます。それらは、またいずれ。
 とにかく、今は感慨無量です。
 
 
 
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2019年12月03日

箕面キャンパス周辺のモミジの色模様

 京都北山に負けず劣らず、大阪箕面も冷え込みが厳しくなりました。
 研究室がある総合研究棟6階からは、箕面キャンパス周辺の紅葉や黄葉がきれいです。
 大阪モノレール彩都線の彩都西駅の方角を見下ろすと、こんな景色が広がっています。

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 転じて、万博記念公園の方を見ます。
 大阪モノレールの架橋が、左の彩都西駅からまっすぐ右方向に延びています。

191203_mino-momiji3.jpg

 万博公園から北はあまり知られていません。
 参考までに地図を添えます。地図をクリックすると精細な表示になります。拡大もできます。

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posted by genjiito at 19:23| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月21日

お年寄りと社会生活のルール

 今日もバス停で、並んでいる人々を無視して、サッサと前屈みの姿勢で乗り込むお年寄りの女性がおられました。先頭にいらっしゃった若い女性が、「並んだらどうですか!」と大声できつく注意しておられます。そんなことはどこ吹く風と、我先にと乗ってしまわれたのです。私は前から3番目にいました。みなさん、呆れ顔で、しょうがないな、という表情です。
 最近、こうした光景に何度か出会いました。電車ではなくて、バスでのことが多いのです。無料のバスカードをお持ちだからでしょうか。京都市では、70歳以上に公布されています。私も、あと2年でもらえます。内心、楽しみにしています。
 さて、高齢者が、こうして社会の迷惑者になっている実態を見せつけられると、どこかで現代社会のマナーを、あらためて覚えていただく機会を作る必要があるように思います。そうしないと、若者たちは、ますます高齢者を社会の鼻つまみ者として扱うことでしょう。気の毒だから譲っておくか、という気持ちを、当たり前のものとしてはいけません。敬老などとは、縁遠い感情です。
 これから高齢化社会になる、と言われて久しい今、こうした実情に対する対策を打たないと、気持ちのいい社会はできません。
 医療面でも、高齢者はお荷物と若者には思われているようです。そうであればこそ、バスに乗るマナーもどこかの段階で、運転免許センターで実施されているような講習会が必要だと思います。70歳になった時に受講する、というのはいかがでしょうか。
 
 
 
posted by genjiito at 22:02| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月11日

孫からのプレゼント

 先週、68歳になりました。
 自分でイメージできない現実にとまどっています。
 そんな中、孫娘2人がお祝いのメッセージをくれました。
 バタバタするだけの日々に追われ、掲載が遅くなりました。
 この子たちに変体仮名を教えるタイミングを、心ひそかにねらっています。

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posted by genjiito at 20:19| Comment(0) | *身辺雑記

2019年11月10日

色付き出した平群でお茶のお稽古

 賀茂川は次第に秋の色になってきています。北大路橋から北山を望むと、左岸(写真右)の半木の道が色付いています。今週末には見頃になりそうです。

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 お茶のお稽古のために、大和平群に行きました。龍田川も、少しづつ木々の葉の色が変わりつつあります。

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 先月、坂道の途中にあった建物が取り壊しになろうとしていたので、写真に収めておきました。

「颱風一過の賀茂川と龍田川がいつもの景色に戻るとき」(2019年10月13日)

 それが、今日は跡形もなくなっていて驚きました。根こそぎ解体までとは、思っていなかったからです。さて、今後ここはどうなるのでしょうか。

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 今日のお稽古は、炉に変わったので初心に返って濃茶のお稽古をしました。ところが、お茶入れのお仕覆の紐を結ぶところから、先生の手を煩わせました。
 私は、紐を結ぶことが苦手です。小学校へ入学する前に、先生と親子で面談をすることがありました。いろいろと質問に答えた後、風呂敷が目の前に広げられ、蝶々結びをさせられました。しかし、まったく結べなかったために、固結びをして終わったことを今でも鮮明に覚えています。母親には、私が何か問題を抱えていないかと、心配させたようです。
 いまだに、紐はダメです。靴の紐も、縦結びになるのです。
 そんな私に、先生は根気強くお茶入れのお仕覆の紐の結び方を丁寧に教えてくださいます。普通に結べばいい、と言われると、余計に普通というのがわからなくなります。何とかわかったものの、この次が心配です。
 帛紗が、また裏返っていました。手品のように、いつも途中でおかしくなります。これも、丁寧に教えていただきました。他のお弟子さんには、こんなことで時間を取って申し訳ないことです。しかし、とにかくうまくいかないので、また先生の手を煩わせます。これまでにも、何度もこんなことがあったので、家で練習をするしかありません。

 何でもないことが何でもなくなった時には、どうしていいのか本当に困ります。生きていく上で、大問題ではないものの、これは加齢のせいにはできない、自分が持っている習性に関わることのようです。これを機会に、心して矯正を心がけたいと、強く思うようになりました。
 お点前を続けていくうちに、これまでにやったはずの手順がほとんど初体験のようにしか思えません。これは、一体何なのでしょうか。
 とにかく終わりました。その後、「流し点」という、親しい方との場合を想定してのお稽古がありました。お客様に正面を向いて点てるのです。水指の位置からして違います。これも、私は去年一度教わっているそうです。しかし、当の本人はまったく覚えていません。不思議なことです。一緒にお稽古をしている方からは、私がこれは家で仲間にお茶を点てるのにいい、と言っていたと聞くと、なおさら自分の記憶の危うさを感じます。

 お茶のお稽古をしていると、こんな不思議体験が付きまといます。お稽古をなさっているみなさんは、こんなことはないのでしょうか。
 こんなことがあるから、ますますやめられません。変な言い方ながら、まさに自分を見つめる時間です。

 帰りに、「大和平群かんぽの湯」へ足を向け、温泉で身体を温めることにしました。今春、露天風呂が新装なってからは、これまで以上に心地よくリフレッシュできる場となりました。平群行きが楽しみの一つになっています。
 
 
 
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2019年11月05日

漢字で表記する「壺」と「壷」の違い

 今日、『淡交タイムス 第544号』(2019年11月号)が届きました。毎月いただき、読んでいます。

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 巻頭には千宗室家元の「当たり前の存在」という随想が寄せられています。「賀茂川のほとりを歩いていて、」(2頁)と始まり、出雲路橋の近くに「志波無桜碑」と揮毫された石碑がある話です。実は、私も散策の折に、左岸から右岸へはこの橋を渡っています。この碑が今どこにあるのか思い出せません。まさにテーマの通り、見過ごしている、ということです。
 続いて、千玄室大宗匠の「若き日の教え」が掲載されています。大宗匠の文章は次のように語り出されています。

 十一月八日には立冬を迎えます。「開炉」、「口切りの茶事」とこの月ならではの行事が続き、茶の風情が増し、茶人にとって思い入れの多い月となります。十九日の「宗旦忌」には、伝来の宗旦居士所用の呂宋に新茶が詰められ、茶師の上林春松氏が裃に威儀を正して毎年の如く、御祖堂へ茶をお供えに参ります。御祖堂でそのの引き渡しを受け、利休居士はじめ歴代祖宗方へご報告をすませます。まずの入っている箱の蓋を改めて御茶入日記を確認し、次にの封印を確かめます。十一月末には家元とともにの封印を切り濃茶・薄茶の葉茶を取り出し、それぞれ臼でひいて、御祖堂の利休居士、歴代祖宗方、そして仏間の霊位にお供えいたします。(4頁、赤字と緑字は私に色を施してわかりやすくしたもの)


 これで、全体の3分の1を引いたことになります。この文章を読み始めてすぐに「壺」が何度も出てくる中に、「壷」という漢字(赤字で示した)が一例だけ混在していることが目に留まりました。この後には「壷」も「壺」もまったく出てきません。
 「茶」という単語に限って、茶道では特にこの漢字をつかうのかな、とか、何か特別な意味があるのかな、と思い、便利なスマホに入っている『日本国語大辞典』と『大辞泉』を見ました。しかし、「壷」という漢字が出てきません。それではと、今風にネット上で調べてみました。

「ウィキペディア」の「壺」の項目
漢字の字体は、下部を「亞」とする「壺」および、「亜」とする「壷」という2種類の表記が用いられる。2000年12月8日の国語審議会答申においては、常用漢字並みに常用される印刷標準字体としての表外漢字字体表として「壺」を採用しており、ウィキペディア日本語版においても表外漢字字体を用いる基準が採用されている(Wikipedia:表記ガイド#漢字参照)ことから、固有名詞などを除いては「壺」を用いることが妥当である。
ただし、康熙字典には「壷」が正字体として掲げられている。これに従い、『角川大字源』では「壷」を見出しに用いているほか、朝日新聞では1950年代から2007年1月15日付まで「壷」を用いていた。


「Yahoo!知恵袋」の「「壺」と「壷」、普段用いる場合どちらの漢字を用いるのが好ましいのでしょうか?
辞書によっても、表記は区々なので分かりません。
また、この漢字は、前者は旧字体で、後者は新字体なのでしょうか?」という項目
「ベストアンサー」
大漢和辞典で調べた所、解説は「壺」の方にかかれていますが、「壷に同じ。」とも書かれ、「壷」の方には、ただ「壺に同じ。」としか書かれていません。

「大漢和辞典」が必ず正しいという訳ではありませんが、この事から見て、本来、広く使われていたのは「壺」の方だったと思われます。

しかし、常用漢字が定められた時につくられた略字では無いので、どちらが「旧字体」「新字体」という事は無く、またいくつかの辞典を調べても、「壷」を俗字としている物も見当たりませんでしたので、「壺」が本字、「壷」は略字・俗字ともいえない様です。
「同字」或いは「別体」というべき関係かと思われます。

試しにmsnで検索した結果、

「壷」では、314,497 件
「壺」では、355,402 件

と、「壺」の方が多く検索に引っかかりました。
観光地の「油壺」が「壺」を用いているため等も有ると思われます。

結論としては、どちらが好ましいとも言い切れないと思われます。(2005/11/14)


これ以外に2例の回答があります。それも引いておきます。

「壺」は正字ですが「壷」も字体は違うが前者と同等に用いられてきたのですからどちらを使ってもいいと思いますよ。前者が旧字体で後者が新字体ということはありません。ただし苗字はべつにしてください。


伝統的には、活字の時代には「壺」が用いられていました。
ですから、「壷」は新しい字体です。
ただし、常用漢字には入っていませんので、旧字・新字の関係ではありません。
角川書店の『新字源』が、金文(青銅器に刻まれた字)などに照らして「壷」の形でよい、としたのが初めだと思います。

結論はどちらでもかまいません。
ただ、個人的にはやはり「壺」を使ってほしいと思います。
「印刷標準字体」もこちらを採用しました。

なお、これと似ていながら全く違うケースがあります。
「亜」「悪」(新字体)は俗字であり、本来の正しい形ではありません。
「亞」「惡」が正字です。


 要は、どちらでもいい、の一言です。漢字の専門家には、この漢字についての意見があるのかも知れません。これから気をつけておきます。
 『源氏物語』の場合には、普通は「桐壺」と表記して、「桐壷」とはしません。私は学生時代には、書きやすいことから「桐壷」と書いていました。しかし、しだいに主流の「桐壺」と書くようになり、仮名漢字変換をするときも「桐壺」にしています。
 さて、大宗匠の文章に「壷」が混じっていたのは、特に意味があってのものではなかったようです。ここでは、お決まりのように、印刷時の漢字の変換ミス、ということにしておきます。
 些細なことで、これといった収穫のある話ではありません。しかし、知らなかったことを知り、楽しく思いをめぐらせました。
 
 
 
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2019年10月30日

若者たちには通じにくい言葉と出会う

 箕面にあるだだっ広い研究室での、アルバイトに来ている学生さんとの話です。
 今は「アベック」という言葉は使われていない、ということを知りました。仲のいい1組の男女をどう言うか、ということです。私が使った「アベック」が、通じないのではなくて、意味はわかるけれども使わないと言われたのです。「アベック ホームラン」という言葉があるので、それからの類推で意味が何となくわかるのだそうです。
 それにしても、ショックでした。
 「ペア」は、恋愛感情がない場合だそうです。
 「カップル」ならぴったりすると。同性の場合も使えるようです。
 ただし、それを日本語で言うなら何だろう、と聞くと、それは何も思いつかないとのことです。仲睦まじい男女を言い表す日本語が出てこないのは、私も同じです。なかなか奥深い表現の問題です。
 このままではいけないと思い、『日本国語大辞典』を引きました。
 「アベック」を日本語で言えば「二人連れ」とすべきかと思われます。辞典には、いろいろと書いてあった最後に、「語史」の項に次のように書いてありました。

日本で用いられる二人連れの意味は、大正末期に大学生に使われたのが始まりとされる。昭和初年頃より流行語、モダン語として広まった。


 すると、大正時代以前の古語ではどうなのでしょうか。しかし、いくら思いを巡らせも、どうも思い当たりません。それよりも何よりも、自分が使う言葉が、今では死語になっていたことに、おおきなショックを受けました。
 そういえば昨日の新聞に、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」という報告で、思わぬ誤用や新しい言葉の使われ方についての言及がありました。「憮然」「御の字」「砂をかむ」などの意味について、世代ごとに違った理解をしているようなのです。
 日本語の表現について、世代間での会話も、意志の疎通を欠くことが多くなっているのかもしれません。誤解とまではいかなくても、すんなりとは伝わっていないことがままある、ということを、これを機会に心したいと思うようになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 20:12| Comment(0) | *身辺雑記

2019年10月20日

元気が出るニュース(1)

 演歌歌手だった香田晋(本名・鷲崎孝二)さんの今のようすが、今日20日の京都新聞に掲載されました。僧侶になっておられたのですね。
 何という曲を歌っておられたのかは思い出せません。しかし、頭を丸めて作務衣姿の写真を見て、すぐにわかりました。最後まで曲を聞いてしまう歌手でした。
 2012年に突然の引退後は、書道家としての道を邁進中。来年7月には、イギリスの美術展に出展するとのことです。着実に歩んでおられます。
 自宅があるのは横浜市。そこから毎月数回、福井県美浜町にある徳賞寺に通っておられるそうです。
 1989年にデビューしてからは、人気が出るとともにバラエティ番組への出演が増えます。勢い、本業の歌が思うようには歌えなくなったのだそうです。それが動機で転機となり、引退後は飲食店の経営から書家の道へと移っていきます。
 恩師であった船村徹さんの引き合わせで、仏門に入って得度。徳賞寺の住職である粟谷さんが禅画家だということで、「表現を通じて仏教の教えを知るきっかけになれば」と支援しておられるそうです。いい出会いに恵まれたことが、この転機の先行きを明るく照らしているように思われます。
 この転身の決断をした香田さんの、次の言葉が私の心を捉えました。バラエティ番組に出る日々の中での思いだったそうです。「笑顔を振りまくことに疲れ、心のどこかに限界を感じた」と。
 この新聞記事の最後は、こう記されています。

鷲崎さんは「やろうと思えば何でも挑戦できる。生きる勇気を伝えたい」と笑みを浮かべながら力強く話した。


 結びとしてはありきたりすぎるので、これは記事をまとめた記者の思いからのまとめの言葉のように思いました。この閉じ目の文章は不要だと思います。香田さんが実際にそう言われたのかどうかは別として、香田さんの思いと気持ちは、この記事全体から十分に伝わってきました。
 「そうか!」との共感と一緒に、元気がもらえる生きざまを伝える話として、ここに記録として残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 18:23| Comment(0) | *身辺雑記

2019年09月29日

9年目にいただいたお茶名は「宗鉃」

 季節の変わり目だからなのか、身体の気怠さが続いています。なんとなく熱っぽくて、首・肩・手・指・腰・足と、至る所の関節に違和感があります。
 そんな中、大和平群へお茶のお稽古に行って来ました。

 今年は、平群の里では彼岸花が長く咲いています。

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 今日、お茶名をいただきました。先生から、お弟子さんたちの前で許状を読み上げながら、心を込めて渡してくださいました。「宗鉃」という名前です。「鉃」という正式な私の名前に使う漢字が、許状に書かれています。

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 身が引き締まります。十徳を着ることが許されたそうです。もっとも、持っていませんが。袴はいらなくなりました。お茶名をいただくためにお稽古をして来たわけではありません。不思議と、おもしろいのです。

 苦節9年、と言うと大げさでしょうか。今から9年前の祇園祭の日に癌の告知を受け、その直後、娘に手を引かれて行ったのがお稽古の最初です。盆略点前が最初でした。
 学生時代、姉にくっついて行って、大阪の今里で、夏場だけのお稽古を経験していました。さらに小学校に上がる前の小さい時には、当時住んでいた出雲の本家の叔父さんがお茶人だったので、お茶室で姉と茶碗で遊んでいました。父は、よく松江で開催された、いろいろなお茶会に連れて行ってくれました。母も、小さい頃から飲み慣れていたせいか、湯飲み茶碗などでサッとお茶を点ててくれました。

「お茶のお稽古を始める」(2010年07月25日)

 お茶のお稽古で奈良に通うと言っても、最初の頃は年に数回という、関西と関東を往復する日々の中で、予定が合えばお稽古に行く、という状態でした。まじめに行くようになったのは、やはり定年退職で京都に帰って来た2年前からです。月2回を守るようにしています。

 今日は、運びの薄茶のお稽古です。基本のおさらいです。できていると、褒めていただきました。とにかく、これからも気長に続けていこうと思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | *身辺雑記

2019年09月02日

何もしない日が何もできない日になる(9月)

 今日は何もしない、何も考えない1日。

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 これまで回遊魚と言われて来ました。
 マグロは泳ぎ続けないといけません。
 しかし、寄る年波を自覚する日々に、いつまでも身体は持ちません。
 そこで、今年からは何もしない日を毎月1日は作っています。
 その何もしない今日、今朝から突然の高熱が出ました。
 午前9時に37.9度、正午に38.0度、午後3時に36.5度、午後6時に37.2度。
 朝6時にトイレに行った時には、何も体調に異常はありませんでした。
 そのこともあり、今日は一日中横になって休んでいました。
 そして午後7時に、かかりつけの那須医院へ行きました。
 昨日は橿原神宮前でのお茶会に行き、今朝まで元気そのものでした。
 原因不明の高熱です。
 しばらくは体温の乱高下がないか、様子を見ることになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 22:47| Comment(0) | *身辺雑記