2026年03月29日

清張復読(89)「鷗外の婢」(『黒の図説』より)

■「鷗外の婢」
 森鷗外がどのような女性に好感を持っていたのか、というテーマで話は構成されています。鷗外の小倉時代の日記を手がかりにして、背景を考証的に語ります。

 末松謙澄が『源氏物語』を英訳したことが話題にのぼります。しかし、ここではまったく展開する文脈ではないので、簡単に終わっています。清張が『源氏物語』に言及した資料として、当該箇所を以下に引用しておきます。この小説とは接点がないものであり、あくまでも私の興味と関心からのメモです。

 鷗外が、詩才のほうが数段上だという末松青萍の「神代帝都考序」には、
「神代帝都実在豊地挙証明マ亦頗悉其詳・・・・」
 といった文句が見えるが、青萍は伊藤博文の女婿末松謙澄のこと。彼は福岡県京都郡の生まれだから、鷗外のいうように同郷のよしみから序文の責をふさいだのであろう。末松は伊藤内閣の農商務大臣や逓信大臣をつとめた。晩年は枢密顧問官か何かで、あまり振るわなかったが、明治十二年英国ケンブリッジ大学在学中に『源氏物語』の初めのほうを英訳し、技芸士の学位を得て帰朝した。『源氏物語』の英訳は末松が最初である。木村毅氏の話によると、立派な英文で英国でも評価されているという。
 末松には妙に「愛国精神」があって源氏の英訳も、日本にもこういう立派な長編小説があるというのを英国人に見せたかったからだという。明治十年代の日本は英国人もあまり知らなかったからだが、「国威発揚」の気持ちは旺盛だった。その旺盛なあまり、十三世紀の前半にヨーロッパを震撼させたジンギスハンは源義経のことなりというのを英文で発表した。
 末松はこれを匿名にし「グリフィスの説に従い」ともったいをつけたが、グリフィスは架空の学者名である。その英文を慶応出身の内田弥八というひとが日本訳にし『義経再興記』となった。水谷部全一郎の「成吉思汗ハ源義経也」はそれからタネをとった。末松は源義経とジンギスハンと音が似ていることと、義経が奥州から蝦夷に渡ったという江戸時代の巷説を、蒙古まで行かせて、その珍説を発明したのである。
 愛国心は郷土愛から発展する。京都郡生まれの末松が、豊前国を神代帝都に比定する著書に序文を寄せるのは、鷗外が想像するように、あながち著者に対する義理ばかりではないと思われた。(178頁)

 『古事記』や『日本書紀』の話が、九州の取材をしている主人公の関心事として出てきます。清張の古代史通の片鱗が見られます。邪馬台国に関しても、清張は結構突っ込んだ論点に言及しています。
 なお、登場人物に戸上忠右衛門という人が出てきます。私の父は忠右衛門と言ったので、同じ名ということでチェックをしておきました。ところが、この忠右衛門が物語の中で重要な役割を持っていたのです。
 妊娠した愛人を北九州から鳥取県の米子に移す話になると、清張の世界です。清張の父が米子に出されたことと関係するからです。
 後半になって、歴史家が古代史を道楽で語ってくれます。このことが、その後の話と深い関係にあることに発展していきます。古代と近代が、やっと結びつくのでした。
 そして、母娘二代が殺されたと思われることへと展開します。
 ただし、戦国時代の白骨54体が、4年前に殺された女の埋葬場所の下から現れたところから、話が混乱し出しました。そして、物語の綴じ目も素っ気ない感じがしました。最後は、急いで終わらせようとしたようです。もっと読者に説明をすべきだったと思われます。【3】


初出誌:「週刊朝日」1969年9月〜12月

底本︰『松本清張全集10』(文藝春秋社、1973.5.20)




posted by genjiito at 21:05| Comment(0) | □清張復読
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