2026年02月28日

キャンパスプラザ京都で相愛本「藤裏葉」を読む(第1回)

 キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)の玄関ホールには、いつものように本日のイベントの案内が表示されています。

260228_パネル.jpg


 今日の講座は、5階の第5演習室です。

 前回で相愛大学本『源氏物語 帚木』(断簡)が終わり、字母索引を提示してどのような変体仮名で語句が表記されているかを確認しました。そこで今日は、大阪府立中之島図書館で読んでいたハーバード大学本『源氏物語 蜻蛉』が過日終わったことを受けて、その「蜻蛉」の変体仮名の表記と「帚木」を比べてみました。
 例えば、次の2例(江・ゑ・君)はどうでしょうか。
 まず、相愛本「帚木」と池田本「帚木」を比べます。相愛本「帚木」の「江」「ゑ」「き三」は、池田本「帚木」には見られない文字遣いです。表記されている字母に偏りがあることがわかります。

《江・ゑ》(池田本にはナシ)
きこ江志らせんとて  き古えしら世むとてなん
きこ江寿  堂て須
きこ江ぬにしも  き古えぬ尓盤
きこ江よと  き古えよと
きこ江んも  き古えん
きこゑ  き古えなと
きこゑす  き古え須
きこゑむと  【申】さむと

《君》
き三は  あこは
き三毛  きみ八
き三越  古き三
こきみ  き三
こきみは  ナシ
こき三わ八  こ越

 次に、ハーバード本「蜻蛉」と池田本「蜻蛉」の文字表記の違いを列記します。ここでも、「帚木」の場合と同じように、表記されている語彙に用いられている字母が、明らかに区別されていることがわかります。

《江・ゑ》(池田本にはナシ)
きこ江521044-000きこえ
きこ江522366-000きこえ
きこ江させ523007-000きこえさ世
きこ江させ526277-000ナシ/落丁
きこ江させ526311-000ナシ/落丁
きこ江さ勢/え【給】&江さ勢、江=え、(きこえ【給】)526311-004ナシ/落丁
きこ江し523363-000きこえし
きこ江ても523026-000きこえて毛
きこ江めと524570-000きこえめと
きこ江越多に520868-000きこえを多尓/こ〈次頁〉、(11オ)
きこゑし520968-000きこえし
きこゑしものをなと522351-000きこえし【物】をなと
きこゑて520866-000きこえて
きこゑて526048-000きこえて
きこゑをきて521835-000きこえをきて
きこゑん520030-000きこえむ登


《君》
き三多ち522081-000【君】多ち
き三多ちなと524774-000【君】多ちなと
き三多ちなん524337-000【君】多ちならむ
き三多ち尓520525-000【君】多ち尓
き三多ちの524805-000ナシ/落丁
き三多ちをも522236-000【君】多ち毛/ち±を
き三に523461-000【君】尓
き三にも526296-000ナシ/落丁
きみ者521594-000【君】八
きみ者可りや525478-000ナシ/落丁
き三も521991-000【君】も
【君】を526337-000【君】越
き三越八524872-000ナシ/落丁

 こうした例を根拠にして、鎌倉時代の写本に書写されている文字は、それぞれに見られる字母に偏りがあることが判明しました。まだ数例を指摘できる段階に留まっています。今後は、さらに検討を進めることで、単語を表記する際の文字遣いの傾向が明らかになっていくことでしょう。
 また、相愛本「帚木」とハーバード本「蜻蛉」の字母の選択され方がよく似ていることもわかりました。この、鎌倉時代に『源氏物語』が書写されていた環境において、字母に着目することによってその周縁の用字選択の傾向の親疎がわかりだしました。これは、「変体仮名翻字版」のデータが増えることで、さらにおもしろいことがわかる感触を得たことになります。

 次に、書写された本文の内容の確認をして、現在の流布本の大島本との違いも見ました。
 相愛大学本『源氏物語』(断簡)に関しては、その所蔵者であった田中重太郎先生は、「源氏物語本文について」(清少納言と「ほのかなり」と、『平安文学研究』第42輯、昭和44年6月号)で次のような感想を記しておられました。

 架蔵の鎌倉初期書写の源氏物語断簡(昭和三十九年十月刊)を読みかえしていると、こんな本文の源氏物語がすくなくとも平安末期にはあって、読まれていたのだと思い、いま行われている源氏物語の本文と読みあわせると、そらおそろしい気がして来る。

 田中先生が「そらおそろしい気がして来る」とおっしゃった相愛大学本『源氏物語』(断簡)は、一体どのように語られる物語なのかということの確認です。今後は、相愛本「帚木」の本文の確認を毎回少しずつ進める予定です。今日は、その第1回目です。

 まず、相愛大本「帚木」の語り出しの部分を校訂本文(案)にしてあげます。これは、『新編日本古典文学全集』(小学館)「帚木」(98〜102頁)の部分です。

〜て寝たるべき。
「中将の君は、いとこにぞ。人げ遠かき心地してもの難しきひ」と言ふなれば、長押の下に人々臥していとふなり。「下になむ行き(陽)おりて、ただ今なんまうのぼらんとはべりつ」と言ふ。
  (伊藤の小見出し︰30源氏、空蝉の部屋に忍び入る)
 みな静まりぬる気配なれば、掛金を放ちて(陽)こころみに引きみれば、あなたよりは鎖さざりけり。几帳を障子口にさして唐櫃だつもの置きて、乱りがはしき◇を分け入りたまひて、気配するほどによりたまへれば、いとささやかにて臥したり。火はほの暗きに、なま煩はしけれど、上なる衣を押しやり給に女は呼びつる人と思ひけり。いと忍びて(陽)、「中将召しつれば◇人知れぬ思ひのしるしある心地して」といふを、とかうも思ひわかれず、ものに襲はるる心地して、「やや(陽穂)」とおびゆればと、顔に袖の触りて、音も聞こえず。「うちつけに、深からぬ心◇とおぼさんも、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも聞こえ知らせんとて◇。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅うはあらじと思ひなしたまへ」と、いとやはらかに◇、鬼神も荒だたずまじき御気配なれば、はしたなうあさましう、「ここにはさべき人もはべらずなど違へにこそはべめれ」と言ふも言ふも、息の下なり。

 この場面のいくつかを見ましょう。いずれも、陽明本も同じ本文を伝えるものの、諸本とは相愛本が異なっている例です。

(1)相愛本が「下になむ行きおりて」(陽明本も同じ)とするところは、大島本では「下に湯におりて」となっています。『新編全集』の現代語訳では、「下屋にお湯を使いに出まして」とあります。相愛本よりも大島本の方が、「お湯を使いに」と具体的な表現となっています。

(2)相愛本が「掛金を放ちてこころみに引きみれば」(陽明本も同じ)とするところは、大島本では「掛金をこころみに引きあげたまへれば」となっています。相愛本の「放ちて〜引きみれば」という行文は、この場の雰囲気の表現としては緊張感に欠け、意を尽くしていません。大島本の「引きあげ」の方が、光源氏が空蝉がいる部屋の掛金を外して忍び入る状況がよくわかる表現となっています。

(3)相愛本が「几帳を障子口にさして」とするところを、大島本では「几帳を障子口には立てて」となっています。『新編全集』の現代語訳では、「几帳を襖の入口に立てて」とあります。相愛本の「さして」は「鎖して」で、通れないようにする・閉める、という意味かと思われます。ここは大島本のように、「几帳を襖の入口に立てて」という表現が、この場の状況を簡潔に語る表現となっています。

(4)相愛本が「気配するほどによりたまへれば、いとささやかにて臥したり。」とするところを、大島本では「ただ独りいとささやかにて臥したり」となっています。『新編全集』の現代語訳では、「ただ一人でほんとに小柄な感じで寝ている」とあります。相愛本が光源氏の行動を「寄る」という表現で語るところを、大島本は「ただ独り」と簡潔に語ることでその場の状況を表現しています。

(5)光源氏が空蝉を口説く場面で、相愛本が「いと忍びて」(陽明本も同じ)という言葉を添えているのに対して、大島本はその言葉がありません。光源氏が忍び入った状況においては、この言葉は不要でしょう。

(6)光源氏が空蝉の寝所に押し入った時の空蝉の描写が異なります。
 相愛本は「はしたなうあさましう、「ここにはさべき人もはべらず、など違へにこそはべめれ」と言ふも言ふも、息の下なり」と語ります。
 それに対して、大島本はより詳しく、「はしたなく、(空蝉)「ここに人」ともえののしらず。心地、はた、わびしくあるまじきことと思へば、あさましく、(空蝉)「人違へにこそはべるめれ」と言ふも息の下なり」と語ります。『新編全集』の現代語訳では、「無愛想に、「ここに誰か」と騒ぎたてることもできない。でもやはり、気持はやりきれなく、あってはならぬことと思うので、あまりのことに、「人違いでございましょう」と言うのもやっとのことである。」とあります。窮地に陥っている空蝉の心情にまで立ち入って、その困惑ぶりを活写しています。光源氏が忍び入った状況が、リアルに表現されているのです。

 以上、ほんの一例をあげました。もたもたした感が否めない相愛本の表現に対して、大島本は簡潔な文章で臨場感を持って語ります。こうした違いは、どこから来るのでしょうか。

 この相愛大学本『源氏物語』(断簡)の臨模本の作成に着手しておられる書家の宮川保子さんは、ハーバード大学本『源氏物語』の「須磨」と「蜻蛉」を作成した時の経験から、この相愛本は草稿本・下書き本のような印象を持った、とおっしゃいました。
 それを聞いてから私は、この相愛大学本『源氏物語』(断簡)は、あるいは鎌倉時代に『源氏物語』の草稿本の一つを書き写したものではないか、という可能性を考えるようになりました。
 すでに本文の内容を対比したように、相愛本よりも大島本の方が表現は練られている、と言えるでしょう。このことは、相愛本の本文が草稿の姿を留めているかもしれない、ということと関係しそうです。この証明は難しいとしても、ここまでに書いた本文の違いの検討は、ピンボケではなさそうです。
 今後とも、こうしたことを意識して、相愛本「帚木」の本文の内容についても講座の中で取り上げていくつもりです。

 本日の後半は、相愛大学本「藤裏葉(断簡)」の第1丁表〜第2丁裏までを、「変体仮名翻字版」で確認しました。この本文の確認には、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会員で古写本の翻字作業に協力してくださっている辻 義孝氏が「変体仮名翻字版」の素案を作り、それを私が確認するというステップで進めているものです。

--------------------------------------
■相愛大学本「藤裏葉(断簡)」(今回:第1丁表〜第2丁裏まで)
  [変体仮名翻字版] (翻字:辻 義孝/確認:伊藤鉄也)
   ・翻字データの中にある付加情報(/)の記号について
     傍書(=)、 ミセケチ($)、 ナゾリ(&)、
     補入記号有(+)、補入記号無(±)、 和歌の始発部( 「 )・末尾( 」 )、
     底本陽明文庫本の語句が当該本にない場合(ナシ) 、 翻字不可・不明(△)
    ※「宇(う)」が特徴的な字形となっている。
    ※「【見】」に「三」を使う傾向がある。(ハーバード本「蜻蛉」と同様)
--------------------------------------
奈/[330723]ココカラ残存・三る・【人】可らや・【色】毛・ますらん」・つき/\/(つきつき)・す
む奈可礼堂免礼と・ゑ日の・満きれ尓・八可/\し
可ら弖/(八可八可し可ら弖)・古れよ里/〈墨ヨゴレ〉・まさらす・【七日】乃・【夜】・ゆふ
川くよ・可遣・本乃可奈る尓・い遣乃・可ゝ三/(可可三)・のと可
尓・す三王堂れり三累尓・ま堂・本能可奈る・古
すゑと毛・さ宇/\しき/(さ宇さ宇しき)・ころ奈る尓・い堂宇・遣し
き者三・よこ堂者れる・ま川の・こち堂き・本と
尓八・あらぬ尓・可ゝれる/(可可れる)・者那の・さま・よのつ祢
奈らす・を毛しろ新・れいの・【弁少将】・こゑ・いと・
那つ可新う弖・あし可き越・う堂ふ・をとゝ/(をとと)、(1オ)
--------------------------------------
遣や介く毛・川可宇ま川累もの可奈と・
うち三堂れ・堂まひ弖・とし・へ尓介累・古乃・
いゑのと・うちく八へ・堂まへる・いと・を毛新
ろし・を可しき・本と尓・三多れ可八しき・
【御】あそひ尓弖・毛の越毛ひ・乃こらす・奈
里ぬ免り・や宇/\/(や宇や宇)・【夜】・ふ遣【行】・本と尓・
い堂宇・そらなや三・新弖・三堂り【心】ち・い
と・堂え可堂く・ま可てむ・そら毛・本と/\
新くこそ/(本と本と新くこそ)・者むへりぬへ介れと・ゝ乃井【所】/(と乃井【所】)・
ゆつ里・堂まひ弖むやと・【中将】尓・うれへ・【給】/(1ウ)
--------------------------------------
をとゝ/(をとと)・あそむや・そ乃・【御】や春三ところ・毛
と免よ・をき那・い堂う・ゑい・すゝ身弖/(すす身弖)・
むらい奈礼八・ま可里いりぬと・い日すてゝ/(い日すてて)・
い里・堂満日ぬ・【中将】・八奈の・可遣の・堂ひ祢よ・い可
尓そや・くるしき・新るへ尓そ/そ&そ・者へるやと・乃多
まへ八・ま川尓・【契】礼るは・あ多なる・者那可八・
ゆゝしや八と弖/(ゆゆしや八と弖)・世免・【給】・【中将】八・【心】の・うちに・祢多
乃・王さやと・【思】・【所】・あれと・【人】さまの・於もふ・さま
尓・め弖堂き尓・可う毛・あ里者てなむと・
こゝろよ勢王多る/(こころよ勢王多る)・【事】奈れ八・う新ろやすく/(2オ)
--------------------------------------
【道】日き川・をとこき三は・ゆ免可と・於ほえ・
【給】尓毛・【我】・三・いとゝ/(いとと)・八川可新うそ・於ほえ・【給】遣む
か新・をむ奈八・伊と・者川可しと・於もひし三
て・毛乃し・堂まふ毛・祢日満される・【御】【有】さ
ま・いとゝ/(いとと)・あ可ぬ・ところ・奈く・めや春新・よ
乃・堂免し尓毛・奈里ぬへ可里川累・三越・【心】毛
て古楚・可う満弖・於ほしゆるさ累免れ・あ八
礼を・し里・堂ま者ぬ毛・さま・ことなる・王さ可
奈ゝと/(王さ可奈奈と)・宇ら三・き古え・【給】・【少将】の・すゝ三い多し
川る/(すす三い多し川る)・あし可き乃・於もゝき八/(於ももき八)・三ゝ/(三三)・とゝ免/(とと免)・堂まひ川や/ま〈次頁〉、(2ウ)
--------------------------------------

 今日から始まった相愛本「藤裏葉」の確認では、いろいろなことがわかりました。
 例えば、次の2例は、まず確認しておくものです。

※「【見】」に「三」を使う傾向がある。(ハーバード本「蜻蛉」と同様)
 1丁表1行目「三る」

260228_相愛本「藤裏葉」1oL1三る.jpg



※「宇(う)」が特徴的な字形となっている。
 1丁表6行目「宇」


260228_1oL6宇.jpg


 また、ああでもない、こうでもない、という四苦八苦、試行錯誤の翻字が始まりました。
 気長に、根気強く続けていきます。
 興味と関心をお持ちの方は、ぜひ毎月第4土曜日の午後、キャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)で一緒に考えませんか。連絡をお待ちしています。




posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ■講座学習
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。