2026年02月08日

衆議院選挙で投票所へ行き不可解に思ったこと

 衆院選の投票のために、小雪がちらつく中を、近所の小学校の体育館へ行きました。
 いつものように、受け付けの方に投票所入場券の葉書を手渡しました。しかし、「ごくろうさま」の挨拶はなく、私の顔を見て確認するわけでもなく、ノートパソコンの画面と睨めっこをしておられます。そして、ぎこちない手つきで葉書をハンディスキャナで読み取り、画面の表示と見比べると、右の人から投票用紙を受け取れとばかりの身振りがあるだけでした。
 葉書さえ提示すればよくて、いわゆる本人確認などは口頭や目視ではしないのです。

 かつて、村落共同体が機能していた頃には、役場の方は住民の人となりを知っておられました。一目見れば、どこの誰かがわかったのです。しかし、今は見ず知らずの関係であり、今日の受け付けの方のことは皆目わかりません。
 今日も体育館に入り、急ごしらえの会場を見回して、あの映画「スティング」を思い出しました。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが大活躍する、偽の賭博場での大掛かりな詐欺の芝居が繰り広げられる話です。この体育館の投票所も、あの「スティング」のような偽の会場だったら、と妄想を逞しくするほど、とってつけたような場所でした。そして、開票作業も時間差で操作がなされるのです。他の国ならまだしも、ここは日本なのであり得ないと思われます。しかし、そんなことが連想される選挙会場だったのです。

 体育館に入ってから交わした言葉は、私が「お願いします。」と言っただけで、それに対する言葉は何もありません。それ以降も無言劇のまま、出口に向かいました。
 極寒の中での大変な仕事なので、しかたがないことだと理解はしています。
 投票用紙を受け取る時も、「どうぞ」という言葉を期待したにもかかわらず、残念ながら一言も聞こえませんでした。

 小選挙区選挙の投票の後、そのすぐ横で比例代表選挙の投票用紙と、最高裁判所裁判官国民審査の投票用紙を同時に2枚もらいました。別々に投票するものだと思っていたので、2枚同時に渡されたことが意外でした。

 また後ろの記載する台で用紙に記入してから、振り返って投票する時に、2つ置かれているジュラルミンの箱のどちらにどちらの投票用紙を入れるのか、一瞬戸惑いました。2つを見比べると、どうやら色別の工夫がなされているようです。しかし、しばらく箱の前で見定めてわかったことであり、同時に2つの投票をする時にはもっと指示が必要だと思いました。弱視の方は、この色の違いは識別できるのでしょうか。また、箱に貼られている2種類の投票内容の区別はあまりにも文字が小さく、日頃はあまり見かけない漢字の羅列なので、視認性に問題があります。その近くに投票管理者などの関係者を配置しておくべきです。それよりも、別々に記入して、少し離れた別々の場所の箱に投票すべきだと思いました。

 以下に紹介するように、過去のブログの記事を見ると、そのようになっています。今回は急遽実施される選挙なので、手間を省いて簡略になさったのでしょう。

 あるいは、比例代表選挙の投票用紙と最高裁判所裁判官国民審査の投票用紙は、後で仕分けをする時に、どちらに混入していても開票時に間違って入っていた票を開票作業中に片一方に送るので、どちらに入れてもいいのでしょうか。忙しいので、ここは簡略化がなされているのでしょう。

 それにしても、比例代表選挙の扱いが何と軽いことか。
 いかにも、最高裁判所裁判官国民審査と一緒に、ついでにしています、という感触でした。

 ということで、過去の選挙に関する記事を見返してみました。
 投票所に行ったのに投票を断わられたことや、不在者投票の手続のいいかげんな本人確認など、いろいろな経験をしています。そして、今もほとんど変わっていないことがわかります。
 参考までに、その記事を引きます。選挙では、きっちりと厳格にしない方がいい理由が、何かあるのでしょうか。

「衆議院選挙の投票で本人確認がまったくなかったこと」





posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | *身辺雑記
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