2025年11月16日

京洛逍遥(956)美術館「えき」KYOTOで牧野邦夫展を観て

 「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 −その魂の召喚−」という絵画展を、美術館「えき」KYOTOで観てきました。
 昭和61年に61歳で亡くなった、自画像に拘った画家です。レンブラントに憧れ続けたことが、作品の端々から伺えます。
 展示されていた100点以上の作品から、画家の強い意志が伝わってきました。観るものを圧倒する厳しい視線が伝わってきます。なかなか出来ない体験をしました。

 中でも、「《未完成の塔》」だけは写真撮影が可能でした。
 横に添えてある説明文の一部を引きます。

撮影OK
109
未完成の塔
未完成
油彩、カンヴァス
個人蔵(練馬区立美術館寄託)

(前略)
1975年は、昭和50年で牧野50歳。10年ごとに一層ずつ描き進めていく構想を立てていた。
(中略)
一層は完成しているが、二層に取り掛かった制作途上、61歳で没した。三層から上は茫洋とした下塗りがなされているが、キャンバスの上、塔の先端となるはずだった部分には、絵の具が盛り上げられている。90歳を超える長命を保っていたなら、どのような画面になっていただろうか。
(後略)

251116_牧野・未完成の塔.jpg


 説明文の中に、「10年ごとに一層ずつ描き進めていく構想」であったとし、「一層は完成しているが、二層に取り掛かった制作途上、61歳で没した。」とあります。
 この絵を観ていて、『源氏物語』などの文章による作品でも、書き出されてから次第に仕上がっていくという工程を想定した場合に、この絵と共通することがあるのではないか、と思いました。
 例えば、『源氏物語』という一揃いの物語は、紫式部に代表される編集者が、代々伝わって来ていた物語類を編集したものだ、と考えるとどうでしょう。手元に集まっている物語には未完の小品もあり、それらがさらに良いものにと書き換えられる前に、54帖に組み込まれたと考えるとどうでしょうか。帚木三帖、玉鬘十帖、雲隠、宇治十帖の前のつなぎ三帖、夢浮橋の後、などには、補訂や改訂の手が加えらる前の物語の姿が未完の本文に伝えられている、と見たらどうでしょうか。
 そんなことを、この牧野邦夫の長期構想の中の制作途上となった「《未完成の塔》」を観ながら思いました。多くの方からは、一笑に付される妄想だと言われることでしょう。しかし、証明が難しいことであっても、意外といいところを突いた見方ではないか、と思っています。相変わらずの独断と偏見の持論で恐縮です。

 今日は、あまり知られていない画家の絵を通して、さまざまなことを感じ、思う機会に恵まれました。

 この美術館へは、大階段を登って来ました。

251116_大階段.jpg

 帰りは、また大階段へ出て屋上にある大空広場へ上がり、少し休憩してから歩いて下りました。昨日行った護王神社の足腰のご利益がないのか、少し疲れを感じました。

 今春より京都駅前については、有識者会議による「まちづくり構想」の議論が進んでいます(京都新聞「京都駅前の再開発」2025/11/16「社説」)。駅前だけでなく、この駅舎についても、高齢者や身体に障害がある方を視野に入れた、人に優しい視点での作り直しをお願いしたいものです。今が、あまりにも時代遅れの、弱者への視点を欠いた設計になっているので。
 過日、本ブログに掲載した、「[その 3/3]京都駅舎の設計に関する新聞記事への違和感」(2025年10月12日、http://genjiito.sblo.jp/article/191514994.html)をご笑覧いただけると、小さいことながらも問題点の一部が見えてくるかと思います。




posted by genjiito at 21:24| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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