松本清張の小説『砂の器』は、何度も読みました。
最近の記事では、「清張復読(72)『砂の器』」(2024年08月26日、http://genjiito.sblo.jp/article/191037073.html)があります。
1974年に公開された映画『砂の器』は、今も幅広い人気があります。
そこに出て来る秋田県の「羽後亀田」駅と島根県の「亀嵩」駅は、ズーズー弁でつながる地域なのです。そして、私と妻が育った地域でもあります。
本書は、その舞台の一つである島根県出雲の亀嵩を巡って、詳細な追跡調査をした報告書です。
とにかく徹底的に、映画の背景を丹念に追います。
「おわりに」で筆者は、次のように言います。
『砂の器』が映画化されて二〇二四(令和六)年でちょうど五〇年になる。
「はじめに」で書いた通り、たまたま私自身、小学生の時にこの映画のロケに遭遇したのだが、その時の記憶は断片的で曖昧なものでしかない。だいぶ歳月を経た今になって、そもそもなぜ昭和を代表する名作映画の撮影が地元で行われたのか、そのロケはどんな様子だったのか、改めて知りたいと思うようになった。そうした個人的な関心、動機のもとに本書は出発した。『砂の器』について地域の視点で書かれたものがこれまでほとんどなかったことも、この作業に取り組んだ理由の一つである。(294頁)
ただし、視点が出雲の「亀嵩」に集中しているために、秋田の「羽後亀田」と方言でつながっていることへの言及はほとんどありません。国立国語研究所の方言分布図が、犯人を特定する重要な役割を果たしているのに。また、柳田國男の方言周圏論も話題になっていません。さらには、話の舞台である奥出雲町と県境を接する鳥取県日野郡日南町に、松本清張の文学碑があることにも触れていません。清張の父親の生まれ故郷が日南町にあると言うことで、サッと書かれているのみです。私のブログの記事では、「松本清張ゆかりの日南町」(2009年12月11日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934275.html)をはじめとして、繰り返し書いてきたことです。
さて、『『砂の器』と木次線』(村田英治、ハーベスト出版、2023年12月)です。
本書の取材エリアを示す地図を、巻頭資料から引きます。
本書で私がチェックした箇所を列記し、筆者の視点のユニークさを点描します。
引用が長いので、適宜読み流してください。
・「事前にロケハン(下見)を行った野村、川又には「亀嵩は画にしにくい」という共通認識が形成されていた。プロの映画人として、物語の中の「亀嵩」のイメージをより観客の心に残る、印象的な映像で作り上げるために、撮影スタッフはロケの対象を現実の亀嵩地区だけではなく、木次線沿線の周辺地域にまで広げて、ふさわしい撮影地点を探したのである。」(28頁)
・「このシーンで大いに感心したのは、名優・笠智衆の出雲弁である。笠といえば熊本訛りのイメージがあるが、ここで笠が語る出雲弁は、特徴をよく押さえていて、地元出身の人間が聞いても違和感が少ない。いかにも昭和の奥出雲には、このような口調でしゃべるお年寄りがいたように思う。(中略)
笠の演技者としての資質が秀でていたことは言うまでもないが、それだけではない。野村の「演出ノート」にその秘密があった。
三成よりは出雲弁の配慮を要する。そして桐原老人と逢い、とくにそれを感じさせる事。(そのため笠〈智衆〉さんには早い目に出雲弁の練習をたのむ事)
野村はこの作品における出雲弁の重要性を強く意識していた。そして笠にできるだけ早く練習に取りかかってもらうよう、スタッフに指示を出していたのである。笠は亀嵩のロケに参加せず、茶室のシーンを大船のスタジオで撮影したにもかかわらず、物語がごく自然に流れているのは、やはり出雲弁の力が大きいと言えるだろう。」(32頁)
・「三木が秀夫の姿を見つけて走り寄ると、秀夫は神社の拝殿の下に逃げ込む。三木が中を覗き込むと、そこには父と子の姿があった。
この場面が撮影されたのは、亀嵩の湯野神社である。一三〇〇年以上の歴史があるといわれる古社で、樹齢四五〇年の大ケヤキがあることでも知られる。映画公開後の一九八三(昭和五八)年一〇月二三日には、原作者の松本清張や監督の野村芳太郎、脚本の橋本忍、出演した丹波哲郎、緒形拳らが招かれ、参道の入り口に『砂の器』記念碑が建立された」(44頁)
・「『砂の器』の本浦父子が亀嵩を訪れたのは、小説では一九三八(昭和一三)年、映画では一九四三(昭和一八)年の設定である。いずれにしても、木次線が全線開通してそれほど経っていない頃の出来事ということになる。
映画では、父の千代吉は列車に乗せられて岡山の施設に向かった。亀嵩から木次線で備後落合まで行って芸備線に乗り換え、新見を経由して伯備線で岡山まで行ったことになろう。そのルートは木次線が全線開通していたからこそ可能だった。『砂の器』の名シーンの奥底には、地域の人々が陰陽連絡線の夢を実現するまでの長いドラマがあったのである」(93〜94頁)
・「亀嵩駅では無人化に伴って地元の杠隆吉さんが当時の仁多町役場から出札業務などを託され、その二年後に駅事務室のスペースを改装してそば店を開業した。映画『砂の器』が撮影された一九七四年の夏には既に店の営業が始まっていたため、八川駅と出雲八代駅を「亀嵩駅」に見立てて撮影されたといわれている。」(131頁)
・「あくまでも推測に過ぎないが、清張が「亀嵩」という地名を知ったのは、朝鮮半島から復員して再び小倉に住んだ戦後すぐの数年の内だったのではないか。」(152頁)
・「日本近代文学が専門で、松本清張を研究する専修大学教授の山口政幸氏は、『砂の器」の前半に出て来る秋田・羽後亀田の場面について、実際に執筆のための取材を行ったのは読売新聞秋田支局本荘通信部のベテラン記者だったことを明らかにしている。
清張が何を知りたいのか、その意向を受けて地方勤務の記者たちに取材を依頼し、得られた情報を清張に伝えるのが、編集者の山村の役割だったと考えられる。山村自身も読売新聞文化部の記者であり、前出の回想では自ら(秋田や島根に飛んだ)と書いている。「亀嵩」パートの取材でも、おそらく現地あるいは松江支局に赴くなどして、力を発揮したに違いない。」(158頁)
・「桐原老人が語る出雲弁である。桐原老人の台詞はこの場面全体で三二あるが、その中で来訪者の今西を迎え入れて抹茶を勧める冒頭の部分から、五つの台詞を抜き出してみる。
1「まあ、この暑い時ね、ご苦労はんでしたね」
2「まあ、きちゃないことをしちょオましが、どうぞこっちへ上がってくださいませ」
3「こらあーほめてもらあやなもんであアませんが」
4「こげな田舎(ざいご)のことでしもんだけん、なんだりあアませんだども、お茶の習慣(しいかん)だけは昔からのこっちょりましてね、何分ね、出雲の殿さんが松平不昧公(まつだいらふまいこう)だった関係でいまだね、その風習(ふうしい)が残っちょオましだ」
5「東京からござらっしゃった衆(しゅ)には恥ずかしが、−まあ、こぎゃんな土地柄(がら)でし」
桐原老人の出雲弁は、私のような奥出雲の出身者が読んでも、ほぼ完璧と言っていいほど真に迫っている。しかも、まさに私が子どもだった昭和の頃に耳にした、当時の年配の人たちが話していたディープな出雲弁である。おそらく令和の今では、地元でもこうした伝統的な出雲弁の使い手は少なくなっているのではないか。
音声的な特徴では、例えば1と4の傍線部の〈ね〉は、〈に〉の音が訛ったものである。出雲弁では母音の〈い〉と〈え〉の区別が曖昧になる。
また4では〈習慣〉〈風習〉にわざわざルビを振って、〈しゅう〉が〈しい〉に近い音になることを表している。その例に倣うと、5の〈衆〉も〈しい〉とルビを振ってもよい気がする。実際「あの人」の意味で「あのしい」ということもある。
4、5の〈でし〉は〈です〉の意味だが、実際には〈し〉と〈す〉の中間音が使われる。これに加えて、〈ち〉と〈つ〉、〈じ・ぢ〉と〈ず・づ〉などの区別が曖昧なのが東北弁とも共通する音韻上の特徴で、「ズーズー弁」と呼ばれる所以である。
3は〈もらうような〉が〈もらあや(あ)な〉、〈ありません〉が〈ああません〉となっている。連母音の〈あう〉が〈ああ〉となったり、語中のラ行の子音が欠落し前の母音を延ばす形になったりするのも、出雲弁の特徴である。
また、出雲弁ならではの独特の言い回しも使われている。2の傍線部は「汚いことをしていますが」の意味で、家に客を迎える時などによく使われる定型的な謙遜の表現である。
さらに5では〈田舎〉にルビを振って〈ざいご〉と読ませている。これは出雲に限らず、東北や北陸などにも共通する言葉である。「在郷」が語源と言われ、東京などの都会で聞くことはまずないが、地方の農村部などではよく使われている。
このように清張の筆は、テレビなどで方言が扱われる場合にありがちな「なんちゃって出雲弁」とでもいうような表面的な模倣にとどまっていない。訛りの音声的な特徴だけでなく、独特の語彙や言い回しも含め、細部に至るまで徹底して出雲弁の忠実な再現に力を注いでいることがわかる。
逆にここまでリアルに文字にすると、他県の人たちに正しい意味が伝わらないのではと心配になるくらいである。まして『砂の器』は新聞連載という形で全国の読者に届けられていたことを考えると、注釈なしでディープな出雲弁をそのまま文字にすることは、非常に大胆な試みであったともいえる。
それでも清張があえてそうしたのは、やはり出雲弁は物語の鍵となる重要な要素であると考え、その特殊性を具体的に描くことで、読者に強く印象づけるねらいがあったものと推測できる。」(164〜166頁)
・「緒形が内田家を三回も訪れたのは、もちろん三成の人たちとの交流が楽しかったからに違いないが、理由はそれだけではなかった。内田さんの義父で店の創業者でもある安一さんは明治生まれで、生粋の出雲弁の話し手だった。緒形が安一さんと酒を酌み交わしながら出雲弁を熱心に学んでいた姿を、内田さんは記憶している。
(中略)
次の日の朝、撮影が行われる前に、緒形は白い巡査の衣装を着て三成の内田家にわざわざ立ち寄った。そして、覚えたばかりの出雲弁で安一さんに話しかけ、しばし会話を楽しんでいたという。
ほんとうにいい方だけど、頭のいい人でね(中略)次の日には朝間「おはようございまーす」言いて「ゆうべはだんだん(ありがとう)」とかね、すぐそれでやられますけんね。「ゆうべはだんだん、ごっつおなーましたね(ごちそうさまでした)」なんてこと言ってね。朝来て。やぁ、すごいなあ。「やぁ、なんだなーてねぇ(何にも無くてね)」なんてなこと言いて「お前さん、飲んでばっかおらっしゃったがね」なんて話ですからね、おじいさんとですよ。
木次線沿線のロケに参加した俳優陣の中で、出雲弁を話す役柄を演じるのは、三木謙一役の緒形だけだった。駐在所で本浦父子に事情を聞くシーン、隔離病舎で千代吉を説得するシーンなどで緒形は出雲弁を披露している。
今なら映画やテレビドラマで方言を扱う際は、演出サイドが方言指導の先生を頼んで俳優たちを指導してもらうところだが、この時はそうではなかったようだ。緒形は奥出雲に入ってから、スタッフの助けも借りず、地元の人たちの中にたった一人で飛び込んでいって、膝を交えて生きた出雲弁を実地で学び取ったのである。
生前「自分は演じるために生きている」と語っていた名優、緒形拳の真髄がこの独特のアプローチにも表れている。」(268〜270頁)
なお、参考までに島根県に関する情報も付記しておきましょう。
私は、1951(昭和26)年生まれなので、ちょうどこの統計が参考になります。
島根県全体の人口は、一九五五(昭和三〇)年の約九二万九千人をピークに高度経済成長期を通じて減少したが、一九七〇年代前半から八〇年代半ばにかけては若干持ち直し、七〇万人台の後半で微増傾向を見せた。しかし、八〇年代後半からは再び減少の一途をたどり、二〇二三年四月現在の推計人口は約六五万人に落ち込んでいる。(297頁)
また、最近の取り組みが2例、紹介されています。
(1)第一章でも少し紹介したが、亀嵩にある温泉宿泊施設、玉峰山荘では、営業プロデューサーの内藤伸夫さんが企画し、事前に申し込んだ宿泊者を対象に「『砂の器』ロケ地巡り〜ガイド同行宿泊プラン」を実施するとともに、新聞や雑誌が取材に訪れる際の同行サポート、有料ガイド案内なども行っている。二〇一一(平成二三)年に取り組みを始めてから、これまでに約三〇回、五〇人ほどを案内した。(300頁)
(2)こうした声にも勇気づけられ、地元では有志が「奥出雲『砂の器』友の会」を立ち上げるなど、映画『砂の器』五〇年にあたる二〇二四年に向けて、さらに何か出来ることはないか、少しずつ動き出している。(302頁)
長々と引用ばかりで恐縮します。
とにかく、この郷土愛に溢れた本書は、小説と映画の『砂の器』に関して、さまざまな情報を提供しています。記録に残しておくべき書籍として、ここに取り上げました。
なお、巻末に『砂の器』の英訳本のことが書かれています。関連情報として参考までに、私の書架に中国語訳の本があったので、その書影と奥付けの画像をアップします。
『砂の器』は英語と中国語を含めて、次の言語で翻訳されています。参考までに、生成AIで得られた情報の一部をリストとして引きます。まだ未整理の情報ですのでご寛恕のほどを。
手元には、あと何冊か翻訳本があったはずなのに、探すとなるとなかなか出て来ません。また何かの折に情報をアップします。
(1)英語訳(Inspector Imanishi Investigates)1989年。訳者 Beth Cary。改訂版、新版、電子書籍版もあり。
(2)中国語訳
『砂之器(經典回歸版・全新導讀)』繁体字(台湾)、邱振瑞訳、出版社:獨步文化、2019年8月(紙/電子あり)
『点与线・零的焦点・砂器(2016版)』簡体字(中国本土)、アンソロジー収録、出版社:译林出版社、2016年
※架蔵の中国語訳(2016年)は、生成AIの情報にはありませんでした。
(3)フランス語
Le vase de sable・ditions Philippe Picquier、1998年
(4)イタリア語
Come sabbia tra le dita=AMario Morelli, Arnoldo Mondadori.、1989年
(5)スペイン語
El castillo de arena´IBROS DEL ASTEROIDE
(6)韓国語
모래그릇(モレグルッ/「砂の器」)
(7)ロシア語
Замок из песка(砂の城/Castle of Sand)
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