2025年09月09日

我が仕事環境の写真(その1_宿舎とインド)

 写真を整理していると、いろいろなものが見つかります。
 さまざまな場所で仕事をしていたので、部屋の様子がわかるものを取り出してみました。

 まず、単身赴任で東京に出た1999年から。
 横浜の金沢文庫にあった泥亀住宅(関東財務局所有)へ、奈良の自宅から毎週平日に通っていました。土日は大和平群に帰り、家の用事と子育てをしていました。慌ただしいことでした。
 次の3点の写真は、東京生活に少し慣れた夏、部屋も整理がついた頃のものです。それまでの、奈良にいた頃の写真はフイルムで写していたようで、デジタルの写真は東京の生活が始まってからのようです。ということで、奈良にいた頃の勉強部屋の写真は後日ということにします。
 3部屋それぞれで、仕事の内容に応じたセッティングをしていました。
 画質が悪いのは、いいデジカメを持っていなかったためです。資料を扱う仕事だったこともあり、モニタは必ず複数台つなげていました。

1999-8_泥亀_書斎01.jpg


1999-8_泥亀_北部屋.JPG


2001-2_泥亀_勉強部屋.jpg


 2007年に、泥亀から都内の江東区越中島(東京医科歯科大学所有)の官舎に移ります。ここに定年までの9年間いました。私の主だった仕事の大半は、ここと職場の研究室でやりました。大型の科学研究費補助金が連続して採択され、スケールの大きな仕事ができるようになったのです。成田から海外に出かけることが多くなりました。

2009-11越中島書斎.jpg

 溯って、2002年にインドへ客員教授として赴任しました。滞在したホテルでの作業スペースはこんな感じでした。

2002-1_インドのホテル.jpg

 しかし、このホテルは2週間で逃げ出し、日本のお寺に引っ越しをしました。その経緯は、クラッシュしたホームページの残骸から一部を読むことができます。次の拙文の最初に、ホテルからお寺に引っ越しをしたことを書いています。


 さて、移り住んだお寺の部屋には、机や本棚はありません。ただしベッドが3台もあったので、贅沢に荷物置きとして活用していました。

2002-1_お寺の部屋-ベッド3列.jpg


 デリー大学で用意してくださった研究室は、簡素な部屋でした。窓を開けておくと猿や孔雀が入ってくるというので、戸締まりには気を使いました。
 日本から、いろいろな本を持ち込んでいます。

2002-1_デリー大学研究室.jpg

 続きは、職場の研究室などをアップする予定です。




posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | *回想追憶
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