検察と警察の仲がよくない、ということが最初はよくわかりませんでした。そして、この物語は検察の側からの視点で読むものです。新旧刑事訴訟法が事件の前後に関わっています。このことも、法律に暗い私には、しばらく戸惑う点でした。
そんな中で、資料庫にあった書類の内、特定の年次の冊子がなくなっていたことが発端となり、検事の追跡が始まります。検事、刑事、暴力団の緊迫した駆け引きが、長編小説特有のゆったりとテンポで展開します。清張らしい語り口や描写が、随所に見られます。
連絡方法が手紙よりも電話が早いとあります。それでも3、4時間もかかるという、背景となっている時代の違いを感じました。今の視点からでは、コミュニケーションの手段のその後の急速な発達を痛感します。ひいてはそれが、登場人物の行動のありようにも影響します。このゆったりとした話の流れに、次第に慣れました。
瀬川は杉江支部の武藤検事宛に或ることを頼まなければならない必要を感じた。これは手紙の上では遅すぎる。電話を杉江に申しこむことにした。
「どれくらいの時間でつながるかね?」
交換台に訊いた。
「普通ですと、いまごろなら、三、四時間くらいかかると思います」
瀬川は急報にしてもらったが、それでも相当な時間がかかりそうである。(331頁)
手紙で頼むのはまどろこしい。電報では意が尽せない。電話はすぐには通じない。
だが、結局、電話よりほかないので、彼は昼間を避けて、早く通じる夜間に杉江に申込むことにした。(338頁)
後半になると、一気に読ませます。放火事件を背景にして、暴力団や代議士が暗躍する話が展開します。いつどんでん返しがあるのかと、期待していました。しかし、推理は理詰めで、落ち着いた語りが続きます。
やはり予想通りに、代議士は逃げ遂せました。終始追及した検事は辞職します。穏やかな終わり方に、少し物足りなさを感じました。【3】
初出誌:「讀売新聞」1964年月5月16日〜1965年5月22日
※『松本清張全集8』(文藝春秋、2008.5.10)の巻末に収載されている「解説」(見田宗介)には、次のようにあります。
この作品『草の陰刻』にもみられるように、まず推理小説一般の条件として、物語がある一つの事件の論理ともいうべきものを内蔵しており、それが少しずつ明らかにされていくという楽しみがある。しかし同時に、読者がその謎をおっていくなかで、主人公、副主人公、あるいはそれをめぐる幾人かの人間たちの人生が、生ま生ましくうかびあがってくる。清張の小説の人物たちは、「ただの」推理小説の登場人物たちのように、事件の論理にあやつられる小道具ではなく、それぞれの執念や、野望や、不安や、憎悪や、屈辱や、焦燥や、孤独や、葛藤や、貧しさや、正義感や、義狭心等をいだいて、せめぎあい、からみあう実人生として息づいている。しかも同時に、第三に、清張の推理小説の多くにおいては、このような人生のからみあいを通してそれぞれの時代の社会の構造があばき出される。『草の陰刻』はこのことが、もっとも意識的になされている作品群の一つであろう。(435〜436頁)
※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のようにあります。
権力構造の暗部に潜む犯罪をリアルに描いた社会派ミステリーの力作。(51頁)
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