■「私」
谷崎が東大の学生だった頃の話です。4人の仲間で語り合っていた時のこと。盗人という犯罪者の疑いをがかけられた私の仲間たちに対する、心の中のゆらぎを丹念に描きます。友情に対する思いが、さまざまな角度から検討されるのです。
盗人が持つ繊細な感情を語ります。しかし、読者は語り手の勝手な論理のお遊びに困り果てます。後味の悪い、何か理不尽な人間を見ることになりました。それを意図した作者の罠に、私が嵌ってしまったのかもしれません。【2】
初出誌:「改造」大正10年3月号
■「AとBの話」
この小説を読み終えて、善と悪、愛情と孤独について考える機会を得ました。
本作のことを谷崎自身、「二つの魂の歴史」と言っています。従兄弟同士のAとB。二人は、文壇に作品を発表し出すのでした。生まれつき愛を持たないBを、「愛のない藝術家」と言います。Aは幸せの中にあります。しかし、BはAに金銭面をはじめとして迷惑ばかりかけます。
苦しみを分かち合おうとするAは、「自分の中にある「善」で、Bの中にある「悪」を滅ぼさねばならないと思つた。」(215頁)とあるように、Bを救おうとします。しかし、Bの身勝手な要求がエスカレートして続きます。Aは、Bに誠心誠意応えようとします。わがままを押し通そうとするBと、人の良い相手のことを考え続けるAが語られています。
一例として「名誉」について語るくだりを引きます。
「僕はね、A君、−−金ばかりでなく名譽が欲しいんだ、僕は君たち善人と同じやうな名譽が欲しいんだ、斯う云つただけぢや分らないかも知れないが、昔の僕には、−−藝術家として立つて行けた時代には、僕は何かしら一種の誇を持つて居た。」(235頁)
「つまり、君の持つて居る名譽を、−−君が文壇で占めて居る地位を、そつくり僕に讓つてくれる事だ。さうして君が僕の地位に落ちてくれる事だ。此れから以後の君の創作を僕の名で發表して、その名譽と報酬とを僕にくれる、それでいゝんだ。君が僕をほんたうに愛して居るなら、そのくらゐな親切は見せてくれ給へ。」(236頁)
ここに私は、谷崎が本性として持つ心根が窺えるように思います。
この話の後半から、Aの妻の存在が善と悪の間に割り込みます。話を複雑にしてバランスを取ろうとするかのように話は展開するのです。
AがBのために代作した作品は、Bの全集に収められました。そして、Bは亡くなります。果たして勝ったのはAかBか、という最終行の問いかけに、私はBが勝ったと言いたいと思います。Aの思いやりのある優しさは、結局はBの傲慢さに負けたのです。そして、読者は作者に振り回されて終わるのでした。【3】
初出誌:「改造」大正10年8月号
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