2025年08月10日

清張復読(81)「闇に駆ける猟銃」「肉鍋を食う女」「二人の真犯人」(『ミステリーの系譜』より)

■「闇に駆ける猟銃」
 30年前に岡山県で起こった、一人の若者が30人もの村民を殺した津山事件のことから始まります。暗い雰囲気で幕開けです。
 夜這いの風習については、最近の若い人には理解が及ばないことでしょう。清張は、民俗学の知識が豊富だったので、その視点から語っています。その延長として、事件のあった村の性的習俗が強調されます。
 話は、大量殺人に至った男の、心の中の変遷が綴られます。犯罪者の心理の移り変わりとでも言えるでしょう。
 そして、30人にも及ぶ大量殺人が、詳細に語られます。

「襲撃した家が十一戸、即死した者二十九名、重傷をうけてのちに死んだ者一名、負傷二名である。このうち一戸は家族全滅である。」(376頁)

 このような執拗に人を殺す場面を事細かに描いた作者の心の中は、どうだったのでしょうか。何が作者をここまで書かせたのか、その執念の元凶を知りたいと思っています。
 犯人の遺書には、以下のように綴られています。犯人の心情を理解するのに参考になる述懐です。

「病気四年間の社会の冷胆〈ママ〉、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と云うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生れてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生れてこよう。」(384頁)

 なお、作者は、日華事変という戦争の影響もあったのではないか、として、最後に「津山事件には戦争の翳も落ちていたのである。」(389頁)と語り終えています。
 稀有な事件を取り上げて、おどろおどろしい殺戮場面を描いたのは、どこにその意図があったのか、まだ読み解けていません。今私は、清張は作家として凄惨な場面を再現し、異常性を描く実験をしていたのではないか、と思っています。【4】


初出誌:『週刊読売』1967年8月〜10月
原題:「闇に駆く猟銃」

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作を「中篇犯罪実録小説」に分類しています。





■「肉鍋を食う女」
 人を殺した後にその肉を食用にした話が3話語られます。
 人里離れた山中に、近親婚が習俗となっている村がありました。そこで、ひもじさから連れ子を殺し、家族で食べる、という事件がありました。また、子供の尻の肉をスープにして病身の者に飲ませる、という事件も紹介されています。3例めは、肉の行商をする妻が夫を切り刻む話です。
 前作同様、常軌を逸した話を通して、作者は人間のモラルを確認すると共に、さまざまな表現の効果を実験していたのではないでしょうか。いくつか他の例を挙げて提示しているのが、こう考える理由です。【4】


初出誌:『週刊読売』1967年11月〜12月

※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作を「短篇犯罪実話」に分類しています。


※『松本清張全集7』(文藝春秋社、1972.8.20)の巻末に収載されている荒松雄氏による「解説」では、ここで取り上げた2つの作品を次のように分析しています。

「松本清張は「闇」と「肉鍋」で、過去の最も異常な事件を掘りおこすことによって、彼のいう「現代の恐怖」をその窮極のかたちにおいて提示したかったのだと思う。ただ、この「現代の恐怖」は、同時に、人間たることの恐怖にも連なる。そして、この極限とは、見方を変えれば、実は、人間の原点・原型かもしれないのだ。
 そう考えると、この作品に「系譜」という言葉が使われたのも、大いに理由があることのように思えるのである。」(472頁)




■「二人の真犯人」
 2人の男が殺人を自白します。しかし、決め手となる証拠をどうしても決めかねます。単独犯行なのに、真犯人が2人いることから、裁判でも混乱します。裁判官の迷いと躊躇も、明確に語られています。状況証拠と物的証拠の価値判断についても、戦前と戦後の違いをいくつかの判例から説明しています。清張は、丹念な調査をして本作を成していることがわかります。
 尋問や証言や調書が長々と引き合いに出されて話が展開します。法律に興味がない読者には、次第に飽きがきます。それにも構わず、清張は証言の整合性を追求します。
 検事や判事や巡査などが証拠を捏造する過程の推測もあります。冤罪事件の流れを示唆するものです。
 殺された女が腰巻を2枚していたことに関するやり取りは、実際には1枚だったと思われることから、読者を引き摺り回すことになります。これがまた、わかりやすい証拠品の例示となっています。
 作為や先入観や誘導が入り混じった、興味深い論戦が展開するのです。そこに、警察の拷問や刑務所内に諜者まで忍び込ませての犯人捏造には、今に通じる免罪の温床が透けて見えます。警察や検察の予断に基づく捜査などには、大いに問題点が多いことを指摘しています。裁判批判でもあります。
 最後の文章は、最近あった冤罪事件でも明らかになったように、今に続く捜査の常套手法の一つとなっています。

警察が「証拠」補強のために他の婦人の腰巻をそこに埋めて、市民に「発見」させたのである。(461頁)

 犯人を創り上げる権力者の実態を、作者はこうして炙り出しています。【4】



初出誌:『週刊読売』1967年12月〜1968年2月


※参考資料:『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)では、本作について次のように言っています。

「作者はこの「鈴ヶ森事件」のほかに、大正3年の「島倉事件」、昭和11年の「大橋事件」、昭和23年の「一家八人殺し」を例に引きながら冤罪と誤判の危険性を説く。」(156頁)





posted by genjiito at 21:14| Comment(0) | □清張復読
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