2025年06月10日

集会所で元タカラジェンヌから発声と歌唱指導を受ける

 今日は大雨でした。それでも、100歳のTさんをはじめとして、多くの方が集まって来られました。
 いつものように、ラジオ体操の後は「貯筋のテーマ」の筋肉体操です。

 続いて、専門家の指導の元、お口の体操と発声練習です。
 今日の講師は、この集まりの責任者であり民生委員のNさんのお仲間で、元タカラジェンヌの方でした。お名前をど忘れました、すみません。

 お口の体操で最初に使ったプリントは、北原白秋の歌でした。その最初の言葉は「水馬赤いな〜」です。「水馬」の読み方がわからなかったのでスマホで調べたところ、「アメンボ」と読むことがわかりました。初めて見た漢字です。そして、この歌の正式な曲名は『五十音の唄』(大正11年、1922年発表)だそうです。このことは、社会人講座で仮名文字の話をする時に使えそうです。

 最後に、宝塚ではお馴染みの「すみれの花の咲く頃」を歌ってくださいました。その時の話題として、宝塚の方の芸名が『百人一首』と関係のあることがあがりました。
 そうなのです。例えば、1番歌の天智天皇の歌「あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもては つゆにぬれつつ」では「秋田露子」さんがおられます。

 なお、恩師伊井春樹先生は、ご著書『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(ミネルバ書房、2017年7月)で、芸名と『百人一首』に関して、次のように言っておられます。

 舞台に立つとなると、人々に親しまれ、覚えられるような芸名が必要である。「ドンブラコ」で桃太郎役となったのが男役スター第一号とされる十四歳の高峰妙子、本名の浅井(中村)薫に対して、『百人一首』(山部赤人)の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」を典拠とした。このようなアイデアを持ち出したのは、文学に通暁する小林一三であったに違いなく、少女を一人ずつ見ながら、それぞれふさわしいみやびやかな名前を付けていく。猿となった雲井浪子は、「わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの雲井にまがふ沖つ白波」(藤原忠通)、小倉みゆきには「小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ」(藤原忠平)と、人々にとってはなじみが深く、日常的にも口ずさまれ、国民的な愛唱歌『百人一首』を用いた歌である。大江文子、由良道子、逢坂関子、若菜君子などと、少女たちは和歌に由来する芸名が付けられ、舞台女優としての自覚を強く持つにいたったことであろう。
 草創期の少女だけではなく、宝塚の伝説的なトップスターとして名を残す七期生の天津乙女は、「天つ風雲の通ひ路吹きとおよ乙女の姿しばしとどめむ」(僧正遍昭)に由来することはよく知られるところである。妹の娘役トップの雲野かよ子は十一期生、同じ和歌を用いての芸名となる。(246〜247頁)

 このことは、またいつかさらに詳しく報告しましょう。
 雨の中、きれいな歌声に気分もスッキリしました。

 今日のTさんは、雨ということもあり、手押し車は使わずに歩いてお出ででした。その歩き方がしっかりしておられたので、安心しました。家の近くでは、妻と手をつないで少し身体を支えながら歩いておられました。とても100歳には見えません。とにかく、お元気です。




posted by genjiito at 22:12| Comment(0) | *福祉介護
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。