2025年06月01日

京洛逍遥(938)四条通から新町通を北へ北大路通まで

 新町通の歩きはじめは、祇園祭の時によく来た場所なので、和雑貨のクロチクやムカデヤをはじめとして、馴染みのお店がたくさん目につきました。

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 しかし、三条通を過ぎたあたりから楽しそうなお店がなくなりました。それでも、おもしろい建物や表札があり、結構楽しめました。
 呉服屋の「下志満」の看板には、風格を感じます。

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 このお店の名前を見ていたら、祇園の八坂神社下にあるお土産物屋さんの「志満もと」の名前を思い出しました。「志満」つながり、ということで。

 ただひたすら北に歩きます。京都第二赤十字病院は、娘が長女を出産した所です。何度も通いました。
 府庁の一角に移転してきた文化庁があります。ここは、タクシーの運転手さんに住所を伝えても行けないことで有名でした。今はどうなっているのでしょうか。私は、場所を知っていたのでわかります。しかし、横に立ってみても標識がないので、通りかかった人にはここに文化庁があることはほとんどわからないでしょう。鳴り物入りで京都に移転してきただけに残念です。

 「満る市」の看板の横に「楚者"処」とあったので、街中の変体仮名の例として一石二鳥の例となるものとして写真に収めました。

250601_満る市と楚者.jpg



 旬魚食彩「乃ん㐂」の看板に書かれた「乃」と「の」に平仮名が崩される過程が見えました。

250601_乃ん㐂.jpg

 同志社大学の近くに、靈光殿天満宮がありました。

250601_霊光殿天満宮.jpg

 境内にあった句碑に書かれていた文字を翻字します。

250601_天満宮の句碑.jpg

本登ゝき春   (ほとときす)
 【森】の【位置】とも (もりのいちとも)
  お毛ふ【聲】  (おもふこえ)
     【一草】

 ここで「位置」と読んで見たものの、自信も確証もありません。
 ウェブで、この句碑のことを調べました。すると、写真は紹介されていても、この句を読み解いた記事はまったくありません。みなさん、わからない、とか意味不明としておられます。意外と、この私案は貴重かもしれません。
 一草は江戸時代の俳人の子日庵一草(ねのひあん いっそう)としました。
 まったくの素人の私案です。識者のご教示を待ちます。

 同志社大学の北に、かつて『源氏物語』を読む勉強会をしていた「be 京都」がありました。懐かしくて、旧懐の情に浸りました。

250601_be京都.jpg

 「be 京都」では、2017年7月29日から2019年4月27日までの約2年間、「須磨」を19回にわたって読みました。ワックジャパン(WAK JAPAN)から受け継いだ勉強会の会場は、この「be 京都」の次は船岡山にある〈紫風庵〉となりました。
 そのワックジャパン(WAK JAPAN)で2013年の7月13日からハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」を読み出してから、「be 京都」で「須磨」を読み終えるまでの各回の内容は、以下のブログの末尾に一覧表として揚げています。ご笑覧いただけると、私が文字にこだわって『源氏物語』を読んできた経緯がわかるかと思います。

「[町家 de 源氏](第19・最終回)(字母は「个」か「介」、付:過去の研究会記事一覧)」

 この記録を通覧すると、「変体仮名翻字版」など思いもよらなかった頃から、やがて字母を意識した翻字方針に変わっていくことがわかります。未熟だった頃の勉強会の記録は、ある意味で貴重です。
 こうした記録は、いつかまとめたいと思っています。

 今日の散策の最後は、北大路に出ました。かつてこのすぐ北に住んでいたので、日常的に買い物に来ていた所です。当時の北大路ビブレは、今はイオンモールになっています。それでも、中はまったく変わらないので、懐かしさも手伝って妻と共にブラブラと店内を歩きました。

 今日歩いた歩数は、14,749歩でした。予定より少し多い歩数です。それでもあまり疲れないのは、筋力と体力が付いてきたからでしょうか。
 リハビリの域を越えているかと思われるものの、この調子で京洛逍遥を続けていくつもりです。




posted by genjiito at 23:02| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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