2025年03月20日

【写真追補】お彼岸の墓参の後はおばさんの家へ

 今日は、春のお彼岸の中日です。

 介護施設を運営している親戚のとしちゃんと河内山本駅で待ち合わせをし、そこからは車に乗せてもらって一緒にお墓参りに行きました。両方の家のお墓が、同じ霊苑にあるのです。

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 小さい頃から知っているとしちゃんとは、先月、枚方市駅でお寿司を食べたばかりです。数十年ぶりに会ったのでした。10才下なので、もう還暦を過ぎています。しかし、何も変わりません。

 としちゃんが高校生の時には、妻が同じ学校で教えていました。卒業してからは、私が最先端のコンピュータの分野の学校を紹介しました。1983年に朝日新聞社が立ち上げたばかりのコンピュータスクールの1期生として学び、そこで学んだことを活かして、今では介護施設を手広く経営する社長です。学校や駄菓子屋さんも持っているとか。

 我が家の子供たちが大学とは関係のないコースを経て今があるように、彼も同じく自分の力で我が道を切り拓いたのです。人生に答えなどあるとは思わないで、自分がこれと思うことをしたらいい、という話を私がしたことを今でも覚えているそうです。今は、多くの職員や社員と一緒に、介護の分野で大活躍です。逞しい限りです。
 大学を人生の中にあえて組み込まない生き様の好例として、彼のことをこれからの若者に語り伝えたいものです。

 昨年末に、彼の兄が亡くなりました。我が家のお墓を少し下ったところにある墓地に、先月納骨したとのこと。今日は、我が家のお墓の後は、彼の家のお墓にもお参りしました。40年前におじさんが亡くなられて以来です。お花は、我が家のベランダで妻が育てているものを見繕って持ってきてお供えしました。
 我が家が出雲から大阪に出て来たのは、おじさんがお世話をしてくださったからです。おじさんと父は従兄弟でした。ずっと、家族ぐるみのお付き合いをしてきました。私が奈良に家を持った時、おじさんは赤と白の南天を庭に植えに来てくださいました。その南天はお墓にも移植して、今に至っています。

 帰りには、88歳でまだまだお元気なおばさんの家にお邪魔をしました。先月来た時には会えませんでした。母が亡くなった時以来なので、20年ぶりのことになります。
 昨年末、米寿のお祝いをしてもらったとのこと。6人の孫と7人の曾孫に囲まれた写真は、楽しそうでした。そのすぐ後に、としちゃんのお兄さんが亡くなったのです。2人とも、小さい頃から何かと面倒をみたものです。おばさんは、元気に配達の仕事や縫い物をしているとのこと。最近縫ったという買い物袋を、妻にくださいました。昔のことなどを、2時間にもわたって話しました。

 わざわざ、我々のためにぼた餅を作って待っておられたのです。そして、抹茶も点ててもらいました。出雲の人間は、何かあるとお茶を点てる習慣があります。松江藩主だった茶人の松平不昧公の影響なのでしょう。出雲では、とにかく簡単に、お点前など関係なく、シャカシャカシャカと点てたお茶がでます。私の両親が差し上げたコーヒー茶碗を、今も現役で使っているとのことで、その茶碗でコーヒーもいただきました。心温まる時間でした。

 昔話ができる人がいることは、日々の生活に温もりが増します。また折を見て、墓参の帰りにお話をしに行きたいと思います。




posted by genjiito at 21:39| Comment(0) | *回想追憶
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