2025年03月09日

集会所での会食会のことを批判的に

 今日のお昼に、集会所で「春の会食会」というお食事会がありました。これは、1年に1回か2回あるものです。
 以下、つい批判的な書き方になったことの背景には、高齢者が楽しく安全に集い合う場が今後とも長く続くことを願ってのこととご理解いただき、失礼な物言いにはご寛恕のほどを切にお願いします。
 また、主宰者は参加者のことをもう少し情報として事前に得ておく必要があると思いました。あまりにも能天気な企画で、画一的な対応すぎます。歳を取れば取るほど、食べることひとつにしても、いろいろとあるのですから。学校での給食会の発想では、時代遅れの誹りを免れません。

 いつもの集まりのお食事会は、和やかに進みます。
 次の記事は、その様子がわかる一つです。
「年齢など気にせずに目標を設定する」(2022年09月24日、http://genjiito.sblo.jp/article/189829852.html

 今日の集まりは、いつもの高齢者を対象として開催されているものとは違います。
 私が今回の主宰者のことをよく知らないこともあってか、違和感と不愉快な思いが残りました。
 これまでにも、この主宰者のお食事会と称するものには、2度ほど参加しました。
 まずは、引っ越ししてきた当初。
 コロナ禍であったために、集会所の入口でお弁当をいただいて帰りました。
 次は、たまたま玄関で会った数人だけが集会所の中に入り、テーブルに受け取ったお弁当を広げていただきました。
 昨年は参加しませんでした。

 そして今日。

 何かお手伝いすることがあるかもしれない、とのことで、妻が15分前に集会所に行きました。しかし、どなたもいらっしゃらないし、日曜日で事務所は閉まっているというので、家に引き返してきました。私も行きかけていた時だったので、少し休んで5分前に出かけました。何人か来ておられました。ただし、会食会がはじまったのはそれから20分もしてからでした。ただ待っているのも手持ちぶさたなので、お茶だけでも知り合いの方と相談して配りました。

 目の前には、同じおかずが乗った弁当が全員分、ずらりと並んでいます。
 やがて、おすましが配られました。
 消化管をもたない私は、少量しかいただかないことと、油濃いものは避け、塩辛いものも避け、固いものなどを避けています。それが、すべて入っています。
 鮭の切り身、唐揚げ、竹輪の天麩羅、海老のフライ。
 糸コンニャクの煮しめ、焼き肉、煮しめた筑前煮。
 たくわんと野菜のお漬け物も、横に添えられていました。
 煮しめと焼き肉に手を付けたあたりから、指先が痺れ出しました。私は、急激に血糖値が上がると手に痺れが出るのです。
 危ないと思い、野菜だけをいただくことにしました。

 白寿のTさんとは一昨日、日曜日のお食事会でと言ってお別れしました。今日もお話をしようと思って来ました。弁当は少しだけいただけばいい、と思っていました。それが、まったく私が口に出来るものがなかったのです。

 中心となって今日のお食事会の運営に当たっておられる主宰者の方が、食べ残している私の横に来て、食べきれなかったら持ち帰ってください、とおっしゃいます。
 外で調達してきた弁当を持ち帰るのは、食品衛生上好ましくないと思っているので、残して行きます、とお答えしました。しかし、残されては困るという主旨のことをおっしゃいます。
 そして、2回目に来られた時には、私は1日6回食で一度にたくさん食べられないことを説明しました。そうしたやりとりを見かねたのか、妻は持って帰ります、と言い出しました。私は、これはもう食べないし、衛生的にも箸をつけたものは時間と共に雑菌が繁殖するので、持ち帰るのはやめよう、と制しました。
 それでも、持ち帰るようにと主宰者が3回目に来られた時には、食品ロスの問題もあるので、と強引に持ち帰るようにおっしゃいます。
 そんなやりとりが嫌になったので、妻のプラスチックのお弁当のパッケージに私の分を重ねて輪ゴムで止め、別のお手伝いの方に食べ終わったものとしと処置していただくようにお願いしました。

 お食事会に来て食べないのは、主催者に対しては失礼なことだと思います。しかし、一方的に一種類だけのメニューのお弁当を有無を言わさず配り、集まったみなさんが何かを一緒にするような案も用意されておらず、ただただ人を集めただけでは、何のための会なのか大いに疑問です。
 また、執拗に食べ残しを持ち帰るように言われると、その方の衛生観念を疑います。
 今週だけをとってみても、3件の食中毒の発生が報じられていました。1軒の料亭と2軒の弁当屋さんで出たのです。私は、今日の弁当の配布は食中毒の蔓延の危険性があるので、中止になるのでは、と思っていました。しかし、何の連絡もないので、申し込んだ通りに参加しました。

 お弁当の裏のシールを見ると、この近くの持ち帰りのお弁当屋さんではなくて、少し離れたところにあるお店の名前と住所が書かれていました。甘くて手が痺れ出したこともあり、糖質の記載などを探しました。何も書かれていなかったので、味付けや食品添加物のこともわかりません。

 会の後半で、主催者の方が司会役として、今日の催しに関する話をなさっていた時です。今日は男性が1人おられるので、何か一言を、と私に発言を求められたのです。男が1人だけいるからと言って、それがどうだというのですか? とは言いませんでした。少食なので食べきれなくて……とお茶を濁しました。

 主宰者の方は最後の挨拶で、今日は参加費として500円をいただいたけれども、お弁当は910円だったことを強調しておられました。500円の徴収が安いと思うか高いと思うか、次はどうしたらいいか何か意見を、と参会者に聞いておられました。そうしたことは最後の挨拶で手柄話として言うことなのか、これも恩着せがましく感じ、疑問に思ったことです。

 対象が高齢者であれば、一人一人に寄り添った対応が必要です。例えば、私であれば消化管がなく、血糖値を気にしています。そうしたことを一顧だにせず、とにかくみんなで同じお弁当をいただく場をつくればいい、という発想では、こうした集まりはますます続けられなくなるでしょう。
 「同じ釜の飯を食べる」ということの意義が持つ「帰属意識」を尊重し、苦楽を共にするという考えが主催者の中に原点にあるとしたら、ここはそうした場所ではないし、今はそんなに単純な社会ではありません。多様性を尊重する社会での食事と人間関係は、もっとあたたかい対応で包み込むものだと思います。いつもの火曜日と金曜日の集まりでは、そうした配慮がなされています。居心地がいいのです。それに反して、今日は、まったくありませんでした。

 主宰者の方は秋にも開催したい、とのことだったので、お仕着せの仕出し弁当ではなくて、ケーキやお菓子の茶話会の方がいいのでは、とお答えしました。

 恩着せがましい、旧態依然としたお食事会は、もう脱皮すべき時期だとの思いを強くしました。




posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | *美味礼賛
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。