『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(麻田雅文、中公新書、2024年4月)を読みました。
1945年8月8日にソ連の侵攻で始まった日ソ戦争のことは、伝え聞く話として知っていました。しかし、その背景にはまったく知らなかったことが多くあったのです。
戦時中に満州にいた両親は、終戦と共に父はシベリアへ抑留され、母は彷徨いながら帰国へと、苦難の中を生き抜いてきました。両親から聞いた話の背景が、本書の資料を見ていると、ロシアの新史料を丹念に博索し慎重に読み解く著者の語り口を通して、ただただ驚くばかりのことを知ることができました。日本の軍部の無責任さとソ連の極悪非道さが、冷静沈着な目で綴られていたからです。
以下、本文を引用しながら、両親がこうしたことをどう思うかを推測しながら、息子の立場でコメントを記します。
著者は、本書の起点を次のように言います。
こうして米英との戦闘は終わった。だがソ連は停戦に応じず、日本側は苦境に陥る。なぜ日ソ戦争は八月一五日に終結しなかったのか。次章からは時間をさかのぼり、各地域での戦闘を見ることで答えを探りたい。(48頁)
ソ連が対日戦争の準備を進める中、日本は能天気にもソ連が仲介役として間に入ることによって停戦に持ち込めると期待していたのです。
六月二八日、スターリンは沿海兵団・ザバイカル方面軍・極東方面軍の司令官たちへ、満洲への侵攻作戦の準備を命じた。作戦の目的は三方面軍が「協同して満洲中央部へ突入し、関東軍を壊滅させて・奉天・清津などを占領することとされ、準備は七月二五日までに終えるよう命じられた。(74頁)
また、侵攻ルートも巧妙でした。
イギリスの歴史家へドリー・ウィルモットによると、ソ連軍の最大の成功要因は侵攻ルートにある。満洲を攻める場合、ハイラルからチチハルを経て、ハルビンに至る中東鉄道沿いに攻めるか、黒龍江を渡って黒河に攻め込むのが定石だ。だが、ソ連軍はそれらのルートからも攻めたが、主力を内モンゴルのゴビ砂漠から北京方面へ、大興安嶺を越えてハルビン方面へも向かわせた。結果として、「関東軍は東部では力負けして西部では機動力に翻弄された」(『大いなる聖戦』下巻)。
実際に、モンゴル方面からの機甲部隊の来襲が、関東軍には「鵯越」のような大きなインパクトをもたらした。(254頁)
両親が住んでいたと思われる地域に、かつて調査の合間に立ち寄ってみました。次の長春の記事を参照願います。
「【復元】母子の絆の不可思議さ」(2010年04月29日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934547.html)
また、モンゴルで日本人が強制労働させられた地にも行っています。
「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934433.html)
さて、両親は昭和20年の初夏からソ連側の侵攻計画が進んでいようとは夢にも思わず、この時期には満洲北部のハイラル・チチハル・ハルビンそして新京にいました。職業軍人だった父は、昭和20年6月1日に陸軍獣医務准尉に任ぜられ、第119師団(ハイラル)獣医部付士官になっていました。まさにソ連が侵攻を企む地域に、何も知らされずに任務についていたのです。
なお、父の兵役や帰還後のことは、「今日は亡父の106回目の誕生日」(2022年12月10日、http://genjiito.sblo.jp/article/189982049.html)に書いていますので、詳しいことはその記事にゆずります。
父は職業軍人であり、母はその妻です。満洲の地では、父がシベリアに抑留されるまでは、最後まで一緒にいたと聞いています。次の記事にある優先的な避難は、母親はどうだったのか、聞き忘れたことが悔やまれます。
職業軍人の家族が即座に脱出できたのは民間人よりもいち早く情報が届いていたからではないか。(中略)
もっとも、職業軍人の家族は誰でも早く避難できたわけではない。限られた列車のすき間に家族を押し込もうと、八月九日のチチハル駅では「将校同士、撲り合いまで演じるしまつ」。「避難出来たのは高級将校の家族だけ」だった『匪賊と共に』)(96頁)。
父のシベリア抑留については、著者は次のように語ります。
シベリア抑留という結果を知っていると、関東軍がソ連軍に保護を頼んだのは血迷った印象を受ける。ただ、関東軍の幕僚はまさか抑留されるとは思っていなかった。(123頁)
また、母の話では、敗戦が決まってからそれまで親しかった中国の人が、急に人が変わったかのように粗暴になった、ということでした。このことについて、著者は次のように言います
襲撃者はソ連兵だけでなく中国人も多かった。開拓団に奪われた土地を取り返そうとする者や、差別待遇を受けた恨みを晴らす者、それとは無関係に略奪する絶好の機会と見る者もいた。政治権力が崩壊し、満洲が持つフロンティアの暴力性が一気に表面化すると、関東軍という後ろ盾を失った開拓団は中国人の「格好の標的」となった(『満蒙開拓団』)。(130頁)
また、性暴力や強奪についても書かれています。母は多くを語りませんでした。しかし、母の周辺でも多かったようです。筆舌に尽くしがたい惨状を母は間近に見てきたようなのに、黙して語りませんでした。
蛮行に潜むソ連特有の事情
ソ連軍が蛮行をためらわなかったのは、ソ連の社会構造の反映だ。
最新の研究では、戦時性暴力は過剰な性欲にかられた一部の軍人の行き過ぎた行為とは見なされない。問題は、加害者の属する社会構造にあるとされる。この「性暴力連続体」という分析概念によると、平時に社会で女性が劣位に置かれているジェンダー秩序が、戦時の女性に対する性暴力につながっている(「戦争と暴力」)。
この概念を応用すると、ソ連軍将兵による性暴力が頻発したのは、表向きは隠されていた男尊女卑のソ連の社会構造が原因だ。彼らが日本人から貴金属や腕時計、万年筆に服まで強奪したのも、ソ連における嗜好品や日用品の不足が背景にある。
そもそも、一九三〇年代の大粛清や、「矯正」の名の下に行われていた強制労働など、ソ連は自国の市民の人権すら尊重する国ではなかった。そうした国家が占領地の住民や捕虜を丁重に扱うことはない。(141頁)
又、次の資料も引用されています。
昭和天皇の弟で日本赤十字社総裁の高松宮宣仁親王にも、朝鮮北部に留まっている日本人の情報が入っていた。彼の日記には、とりわけ女性の悲惨な境遇が記されている。
「北鮮に侵入せる「ソ」兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す」「元山か清津にては慰安婦を提供を強いられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる」(『高松宮日記』一九四五年一〇月二三日条)(162頁)
こうしたことは、南樺太でもあったのです。そして、それを吉村昭が取り上げて小説にしていることを初めて知りました。
沖縄や満洲と同じく、南樺太でも追い詰められた民間人が集団自決をした。恵須取の大平炭鉱病院の女性看護師たちはソ連軍の暴行を恐れ、八月一七日に二三名が集団自決を選び、六名が亡くなった。
この事件について取材し、一九七二年に小説「手首の記憶」を発表したのが作家の吉村昭である。彼はその前年に、樺太引き揚げの船が撃沈された事件も小説「烏の浜」にまとめている。半世紀前に日ソ戦争に着目し、世に広めた業績は再評価されるべきだろう。(187頁)
南樺太におけるソ連軍の話は、ここでは両親がいた満洲に絞っているので、ここでは省略します。日ソ戦争は、樺太残留邦人・朝鮮人・韓国人をも巻き込んで悲劇があったことを記すに留めておきます。
ソ連の侵攻にもどります。日本側のポツダム宣言受諾に関して、ソ連側は知らぬ振りをして満洲に進軍して来ます。
アメリカは攻勢を止めようとした。しかし、八月一四日に日本政府がポツダム宣言受諾を再度申し入れても、ソ連政府は無視した。
八月一五日夜、モロトフ外務人民委員はハリマン駐ソ米国大使に声明文を渡し、前日の日本の受諾申し入れは「一般的な性質のもので」、天皇による停戦命令が出ていないことを理由に、進撃は続けると宣言した。
この会談でハリマンは、日本側のポツダム宣言受諾の諸文書を確認するよう求めたが、そうした書類には目を通しておらずアントーノフ参謀総長からもらうつもりだと、モロトフは返事を濁した。(119頁)
日本の指導者たちも、情ない情勢分析をしていたようです。
そもそも、対米戦ですでに国力が尽きていることを知る日本の指導者たちは、軍部をはじめ誰もソ連との開戦を望んでいなかった。それどころか、ソ連に和平の仲介すら打診している。ソ連はこの申し出を開戦までの時間稼ぎに利用した。日本の指導者たちが重ねたこの国家戦略のミスが「対ソ静謐」につながり、最前線の部隊には足枷となる。
もっとも、大本営や関東軍には対ソ開戦の期日をほぼ正確に見通した参謀たちもいた。しかし、本土決戦の準備が優先され、ソ連に和平仲介の希望も託すなか、軍上層部はソ連が参戦の準備をしているのに気づきながら、見て見ぬ振りをする。(256頁)
その前後のソ連参戦と北方領土の問題については、少し長文ながら次の文を引くことで先を急ぎます。
実は、日本の占領にソ連を参加させる案がアメリカでも検討されていた。八月一六日に完成した統合戦争計画委員会(JWPC)の文書は、日本を米英中で分割占領し、北海道と東北地方はソ連の占領下に置くことを提案していた(「米国における対日占領政策の形成過程(二・完)」)。
しかし、トルーマンは八月一八日に、日本の占領の枠組みを決めた「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」を承認する。日本の占領は米軍が主体となり、分割占領は避けられた。トルーマンは「ソ連は無情な取引者」だとポツダムで見抜き、「ポツダムにおける苦い経験から、私はソ連には日本の管理に参加させない決意を固めた」という(『トルーマン回顧録』第一)。
ただし、千島列島は別だ。八月一七日付のスターリンへの返信で、トルーマンは、「全クリル諸島」をヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官へ明け渡す領域に含めるのに同意する。もっとも、千島列島とはどこの島までを指すのか具体的には示さなかった。これが北方領土の命運を左右することになる。(223頁)
父に関係するシベリア抑留です。解明すべき問題点は多いようです。
シベリア抑留にはまだ謎が多い。特に、スターリンがいつ抑留を決めたかについては論争が続いている。
中国側の記録によると、一九四五年八月一三日の宋子文との会談で、スターリンは、日本人の捕虜を満洲の都市建設に当たらせるといっていた。「彼らはどう働けばよいか知っている」というスターリンに、宋子文も賛同した。
八月一六日には、ベリヤ内務人民委員とブルガーニン国防人民委員代理、それにアントーノフ参謀総長は、捕虜をソ連領に運ばないと、ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官に命じていた。しかし、スターリンは八月二三日に、五〇万人をソ連へ移送するようベリヤらに命じる(『シベリア抑留関係資料集成』)。(243頁)
こうして、父はシベリヤに行かされたのです。3年9カ月の長い間、凍土で働かされました。どのような説明があってのことなのか、これも父に聞かずじまいでした。
本書は、謎に満ちた日ソ戦争における多くの問題点を整理し、今後への問題提起をしています。私は、両親のことを思いながら読みました。戦争に翻弄された両親は、このような裏事情があることをまったく知らず、とにかく耐えて生きていました。もう少し、話を聞くべきだったことを痛感しています。
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