2024年12月28日

京洛逍遥(907)明治天皇と桓武天皇の御陵を歩く

 集会所にお越しのIさんご夫妻から、桃山御陵前駅から東に歩いて明治天皇陵へ行くコースは、リハビリにちょうどいい場所だと教えていただきました。御陵があることは知っていました。しかし、いつかまた、とパスしていました。
 今日はポカポカと暖かく、風も穏やかだったので出かけました。
 緩い坂道を歩いて行くと「明治天皇陵 昭憲皇太后陵」の道標があり、そこからまた木立の中を黙々とウォーキングとなります。

241228_明治天皇陵碑.jpg

 途中で、「伏見城石垣に使用されていたと思われる石材 宮内庁」という場所が2箇所ありました。

241228_石垣.jpg


 同じ石材は、桃山御陵前駅からすぐの御香宮神社の境内にもあります。

 広々とした所に明治天皇陵がありました。ここを管轄する事務所には、宮内庁書陵部の看板が掲げられていました。何度も調査や資料を借りる手続きで行った、皇居の中にある書陵部がこの御陵を監督していることが意外でした。よく考えると納得できるのですが。

241228_明治天皇陵.jpg

 昭憲皇太后の伏見桃山東陵は少し離れていたので、今回は回りませんでした。
 また、この明治天皇陵から南に向かって延びる伏見桃山陵大階段は、ここに来るまでに体力を使ったので、この次にしましょう。この階段を降りた先は、京阪の桃山南口駅になり、その近くを宇治川が流れています。

241228_大階段.jpg

 道を引き返し、桓武天皇の御陵への参道に入ります。

241228_桓武天皇陵碑.jpg

 正式には、桓武天皇柏原陵と言うようです。柏原陵は「かしわばらのみささぎ」と読むことが、調べてみてわかりました。これは、「かしはら」とか「かしわら」とも読むので、知らないとわからない読みです。

241228_桓武天皇陵.jpg

 桓武天皇は、延暦13年(794年)に平安遷都により平安京を開いたことで知られています。私も関係する時代のことを勉強している身でありながら、ここに陵墓の一つが推定されていることは知りませんでした。なお、明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して、平安神宮が桓武天皇をご祭神として建てられました。

 帰りは、いつもよく利用する丹波橋駅まで、お店がまったくない通りをノンビリと散策しました。





posted by genjiito at 23:11| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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