2024年12月23日

違和感のある『源氏物語』の作者は紫式部だとする風潮

 ここに書くことは、その道の専門家からは失笑の対象となる発言である、と言われることでしょう。しかし、私は、紫式部が『源氏物語』のどこを実際に書いたのか、いまだに確証を得られないままにいます。大学生の頃から、何か文章を書く時には、紫式部という固有名詞は使わずに、今に至るまで〈物語作者〉で通しています。
 伝えられてきた『男源氏の物語』と『女源氏の物語』を【編集】(あるいは編纂)して『源氏物語』に仕上げたのが紫式部だ、としてきました。学生時代に教えられた、折口信夫の考え方を踏まえての物の見方であり考え方です。今も、これは変わりません。

 今年、2024年の一大ブームとなった『源氏物語』について、至る所で「作者紫式部」と喧伝されていることに、ずっと違和感を持ち続けています。みなさん、本気でそう思っておられるのか不思議です。
 昨年末と今夏にNHKの取材を受けた時、私は『源氏物語』の作者を紫式部だとは考えない立場であることをあらかじめお伝えし、その質問は番組制作上は混乱させることなので、くれぐれもなさらないようにお願いしました。放映された2つの番組では、内容が『源氏物語』の翻訳本であったこともあり、そのことに関わりのない部分が切り取られていました。

 紫式部が『源氏物語』を書いた、その作者は紫式部である、と言わなければならないような雰囲気が醸成されていたからこそ、『源氏物語』を読んだこともない方が「作者紫式部」と言わなければならない状況だったのではないでしょうか。
 とにかく、私が抱いた違和感は、こぞって「紫式部が書いた『源氏物語』」というフレーズを使っておられたことにあります。

 今に残る、特に江戸時代の修正や書き込みを取り込んだ〈大島本〉を元にして校訂されたテキストが、現代の共通本文となっています。書店に並ぶ『源氏物語』の本文は、すべて〈大島本〉を元にしたものです。そうした改変の手が入った物語本文を読んで、具体的にどこを紫式部という人が書いたと言えるのか、その論証の過程を知りたいと思います。
 江戸時代の校訂本文での例証では話が進まないので、私が編集した以下の鎌倉時代の中期に書写された4冊の『源氏物語』の本文の中から、その具体的な例を示していただけると、納得しやすいと思います。平安時代に写された『源氏物語』の写本や古筆切れはまったくないのですから、この鎌倉時代の本文資料で検証をはじめるしかないでしょう。

241223_鎌倉期写本4冊.jpg


(1)『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤鉄也編著、新典社、2013年)

(2)『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(伊藤鉄也編著、新典社、2014年)

(3)『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子編著、新典社、2015年)

(4)『国文学研究資料館蔵 橋本本『源氏物語』「若紫」』(伊藤鉄也・淺川槙子編著、新典社、2016年)

 紫式部が実際に書いたと思われる物語本文の指摘とその検証を、上記の鎌倉時代に書写された本文で例示していただけると、この問題が具体的に進展するかと思われます。

 こんな愚問はどなたからも相手にされず、無視されるのが常です。そう思いつつも、こうした違和感を抱く者が〈昭和・平成・令和〉の時代の片隅にいたことを、タイムカプセルでもある本ブログに記し残しておきます。




posted by genjiito at 19:31| Comment(0) | ◎源氏物語
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