2024年09月17日

京洛逍遥(886)京都駅の大階段と中秋の名月

 一昨日、京都駅の大階段を昇った後、昨日と今日は全身が軽い筋肉痛でした。そこで、突っ張り気味の筋肉を伸ばすために、三度目の登頂を試みました。

240917_大階段.jpg

 今日は、階段に座っている人は誰もいません。途中で1度だけ休憩をして、一気に登り切りました。

 最上階の階段には、「京都駅ビル大階段駈け上がり大会」の優勝者の名前を刻んだプレートが飾られていました。第二十四回と二十五回は、新型コロナウイルス感染症拡大によって中止だったこと(赤矢印の箇所)が、しっかりと明記されています。

240917_記念プレート.jpg

 この階段を上り下りして、確かにスポーツ大会の利用はおもしろいと思います。しかし、身体を支える手摺りが中央に一列しかないことに疑問を持ちました。階段の両側に手摺りがないので、私のようなリハビリ登頂者は排除されていることを痛感しました。これは、少し身体が不自由な方であれば、同じように感じられることでしょう。片側にエスカレーターを設置し、伊勢丹の中にはエレベーターがあるので、誰でも上に登れると判断されたのかもしれません。階段の目的と設置の趣旨が違う、と言われればそれまでです。しかし、一人でも多くの方が、広く階段を使える配慮があってもよかったのではないでしょうか。

 この階段を設計した方は、健常者の利用しか考えておられなかったのでしょう。エスカレータとエレベータがあるのだから、手摺りは真ん中に1本だけで十分である、となったのかもしれません。また、デザインの審査に当たられた方も、目や足や手などが不自由な人が登ることは一顧だにしない選考をなさったように思われます。その選考当時は、高齢化社会への思いやりなど、微塵もなかったのでしょう。身体に何も問題のない若者のことしか考えずに、このデザインが決まったかのように思われます。

 あくまでも、デザインだけを優先した階段ではないかと、実際に上り下りして痛感しました。私は、真ん中の手摺りをたよりに、怖さ半分で慎重に上りました。階段の両側の壁面に手摺りがないのは、美的な観点から、あくまでもスッキリさせることを最優先にして設置されなかったように思われます。高齢化社会を迎えているにもかかわらず、高齢者の利用は視野にない発想で生まれた階段であれば、次第にこれを利用する人は少なくなって行くことでしょう。そして取り壊し、となる前に、視点を変えた、より多くの方が利用できるように、今の時点でデザインの変更を考えてもいいのではないでしょうか。階段なので、まずは手摺りから。
 もし誤解があって違う理由があれば、関係者のご意見を伺いたいと思います。

 今日は中秋の名月。帰宅後に夜空を見上げると、まん丸いお月さまが自宅周辺を照らしていました。

240917_満月.jpg




posted by genjiito at 21:30| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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