2024年08月04日

江戸漫歩(169)思い出の地を記憶の中に包み込む旅

 今朝の神宮外苑の絵画館前は、いつものようにイチョウがすっくと空に向かって伸びています。先日の都知事選挙でも、この木立を切ることの可否が争点の一つとなるはずでした。しかし、あいまいなままに圧倒的な差で決着しました。そうしたこともあり、定点観測として、毎月こうして報告します。

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 青山通りを挟んだ斜向かいに、奇妙なオブジェを見つけました。

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 ポーラ青山ビルは、先月オープンしたのだそうです。その壁に貼り付く物に関して、ホームページには次のように紹介されています。この施設のさらなる発展が楽しみです。

◇パブリックアート
国内外で活躍する多彩なアーティストの作品を敷地内に公開します。青山通りに面した上空30mに浮かぶシンボリックなパブリックアートは、現代美術作家SHIMURAbrosによる作品で、時空を超えて豊かに広がる大樹をイメージしています。またその足元には同作家による光学ガラスと石の作品を配し、人々の繋がりの場を創出します。その他にも数々のアートワークが設置されるほか、アートにまつわるイベントなども実施予定です。

 青山一丁目から地下鉄で荻窪に移動します。学生時代の一時期、荻窪のアパートに数年住んでいました。青梅街道と環八通りが交わる所を四面道といます。そこから北に歩いてすぐの住宅地に、50年も前に住んでいたのです。その木造平屋のアパートは、もちろん今その姿は欠片も感じられません。3畳一間の住まいでした。火事で焼け出された後ということもあり、持ち物はほとんどない生活でした。

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 そのアパートで初めて素麺をゆで、干しシイタケを手で砕いてかけて食べていたところ、たまたま研究会の用事があって来た女性が、干しシイタケは水で戻してから食べないと口の中がモソモソするだけだ、と教えてくれました。この女性が、今の妻です。
 荻窪駅に引き返す時、当時歩いた道を彷彿とさせる小路がありました。

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 ここにいた頃は、近くにおられた書道の先生のところへ、お稽古に通っていました。一緒に、お琴も習っていました。山田流だったので、弾きながら歌います。もう、すっかり忘れています。
 この書道の先生は出身が秋田だったこともあり、妻も友だちと一緒に何度か教わったことがあったそうです。

 また、この近くには大先輩だった室伏信助先生のご自宅がありました。以下のブログには、記憶の欠片を拾い集めて記事を書いています。参考までに引きます。

「室伏信助先生の訃報に接して思い出すこと」

 暑さも厭わず、次に荻窪から高円寺に移動しました。義理の甥が作るラーメンを食べに行ったのです。

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 数十年ぶりに会いました。まったく変わっていません。いつもの愛嬌のある笑顔で、お店に活気を与えています。人気のお店でした。帰ろうとすると、わざわざ外まで見送りに出てきてくれました。我が家の次男と仲が良く、連絡は折々に取っているそうです。若者が大活躍している姿を見ると、こちらも元気をもらえます。

 高円寺の駅へ行く途中で、「蝶」という文字に「ひらり」と読み仮名が振られている看板を見つけました。

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 このセンスには好感が持てます。

 かつて、私は学生時代に、この高円寺にも住んでしました。駅前には、古本屋がたくさんあります。勝手知ったる高円寺を、しばらく散策しました。以下のブログもご笑覧いただける、高円寺との縁が伝わるかと思います。

「江戸漫歩(24)高円寺を彷徨う」

 この高円寺での生活を最後に結婚をして、都内を離れました。埼玉県の浦和での妻との生活となります。




posted by genjiito at 22:09| Comment(0) | *回想追憶
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