この一ヶ月ほど、ボランティア活動の一環として学生2人が集会所に来て、我々参加者と一緒に行動を共にしました。今日はその6回目で最終日ということで、2人の学生が脳トレの問題をホワイトボードに書いて出題し、その答えを我々が考えるということがおこなわれました。30分くらいだったでしょうか。その場に身を置いた一人として、かつて同じように疑問を抱いたことを思い起こしました。
ちょうど一年前、「集会所でモルックを楽しんだ後はボランティア会議に参加」(2023年07月18日、http://genjiito.sblo.jp/article/190463460.html)で、近在の学生がボランティア活動として集会所に来て、高齢者と一緒に時間を共にすることについて、以下のように集まりの後の打ち合わせ会で私が発言したことを記しました。確認の意味も込めて、その一部を再掲します。
現在地域の大学の学生がこの集まりに来ていることがあることを例にして、学生たちに高齢者へのリスペクトの気持ちが希薄であることと、勉強不足のままにこの集会所に来ているのはよくない、という指摘をしました。
大学生がこうした高齢者の集まりにボランティアとして参加することは、高齢者と接することによる地域住民とのコミュニケーションの上で、意義深いものがあります。それに加えて、学生たち自身にも、学びの場となり貴重な体験の実践実感が得られるものとなります。それが、今は後者の、学びの場であるという意識が完全に欠落しており、しかも、高齢者である相手を劣った人間として接していることが見受けられることに、私は違和感を覚えていることを伝えました。これは、この学生たちを大学側がまったく指導していないからです。地域の高齢者の集まりに行かせれば、それで地域貢献になるという、送り出し側の意識が低次元に留まっていることが透けて見えます。
そもそも、このサークル活動という名の学生の集まりには、指導すべき教員の顔が見当たりません。職員のお一人が付き添っておられるだけで、私が見ている範囲でも、そして、その方とお話をした範囲でも、そこに教育的見地からの指導は認められません。好きなようにさせている、見守っているだけ、という一語につきます。これでは、無責任すぎます。
大学という高等教育機関に所属する学生が、地域の社会福祉活動に参加するのですから、そこには教員がかかわり、教育と指導および助言をすべきです。学生も、その教員と一緒に学習して育ってほしいものです。送り出し側への活動報告は、毎回どのようになされ、どなたがチェックなさっているのでしょうか。
若い子たちが来てくれて話相手になってくれる、という高齢者のありがたいという思いに縋るだけのレベルから、もっと意義深い高齢者との接し方の学びの場にしてもらいたいものです。
具体的に卑近な例をあげれば、高齢者に接するにあたって、もっと言葉遣いに気をつけるべきです。クイズや質問を出す場合にも、無知をさらけ出すことは若者らしさの表明にはなりません。参加なさっている高齢者の方々は、豊かな経験と幅広い知識をお持ちです。それが、すぐに思い出せないだけなのです。その反応を貶めるような態度や行動はよくないと思います。学生が持っている話題が貧困なので、横から話しかけて来られてもすぐに話が途切れます。致し方のないこととはいえ、この地域の高齢者の世事への意識は高く、知的好奇心は旺盛です。私は、この集まりに参加するようになり、このことには衝撃をうけました。介護認定を受けずに自力で自分の生活をする、という方々に敬意を持ってお付き合いをしています。
とにかく、学生の送り出し機関の対応は、無責任なボランティア活動に留まっています。支援ではなく、理解している、という程度だとしか思われません。される側からのこうした意見を、やってやるという意識しかない相手先の大学に対して、思い違いに気付くように働き掛ける必要があります。
今回の2人の学生は、上記のような酷い対応ではありませんでした。態度はしっかりしており、言葉遣いも丁寧でした。最後に学生たちに励ましの言葉をという場面で、いい学生たちが来たので、参加している方々も若い子との交流がよかった、という感想を述べておられました。私も、よかったと思いました。
しかしです。最後に全員が感想を述べる時、私は今回の参加はクラブ活動としてですか、と聞いたところ、そうだとのことでした。単位として認定されるのだそうです。ということは、大学の教育の一環として来ているのであり、単なるボランティアではないのです。それにしては、背景に大学や担当者であるクラブ顧問の姿が見えません。どのようにして活動の内容を確認して単位の認定をするのでしょうか。教育の一環としながらも、やはり学生を発出するだけの丸投げでしかありません。この逃げ道としては、学生の自主的な同好会活動を大学側は支援している、という理屈が考えられます。そうであれば、視点を学生に向けた場合、学生にとってはどうでしょうか。成長するためのイベント参加になっているのでしょうか。また、この活動に参加した学生の評価を、請け負った側が実績報告書として提出するのであれば、その書面はどのような扱いを受けるのでしょうか。この件に関して、教育機関としての働きかけがどれほどあるのかや、またその効果については、はなはだ疑問が噴出します。
今日は、脳トレのクイズをホワイトボードに書いて出題していました。しかし、その出題はスマホで検索しながらのものであり、あらかじめ用意周到に練られたという気配は感じられませんでした。出たとこ勝負の思いつきのようでした。そのため、次の問題を出すまでにスマホの操作で時間が止まり、間延びしていて退屈でした。教育実習ではないもの、やはりそれなりの教材研究に類する用意はしておくべきだったのではないでしょうか。
その背景には、いろいろな事情があることでしょう。しかし、当の学生のことを考えると、教育機関における指導というものが入らないと、学生は今回のことが若き日の一つの経験に留まるだけです。今回の体験が彼女らの成長に資するもとのなるためにも、学校側の指導や助言があらかじめあってしかるべきです。その気配は、微塵も感じられませんでした。教育という面を欠いた、無責任な人材の派出に留まっていました。
今後とも、この大学がこの調子で学生を送って来られるのであれば、この点の確認をあらかじめしておくべきではないか、との思いを強くしました。
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