『不機嫌な姫とブルックナー団 』(高原英理、講談社文庫、2024年4月)を読みました。
音楽家ブルックナーの〔おたく〕たちが躍動する、知的な刺激に満ちた物語です。
アントン・ブルックナーは、19世紀後半に活躍した、オーストリア生まれの後期ロマン派の作曲家です。交響曲が11曲あり、その内で私は第4番「ロマンティック」(第1稿1874年)が大好きです。異版としては、ハース版とノヴァーク版、そしてマーラーが編曲・加筆したマーラー版が知られています。もっとも、私は〔おたく〕ではないことを、あらかじめ記しておきます。
私がブルックナーと出会ったのは、若き日に同僚だった薮下氏から、異版としての改訂版が多いということで紹介していただいてからです。どこがどう違うのか、耳を澄まして聞きました。平安時代から鎌倉時代にかけて、『源氏物語』の本文がさまざまな言葉で書写される、いわゆる異本・異文として書き継がれて来たことを思い合わせながら、交響曲の譜面の違いを探しながら耳で楽しみました。
本書でも、次のように語られています。
彼らの言う「改訂版問題」はブルックナーファンには周知のテーマである。
ブルックナーは芸術家として想像される天才らしさからはまるで遠い人で、気が小さくて自信がなく、常に迷い、他人からの助言をすぐ信じて楽譜を書き換える、また別の意見を示されると今度はそっちに従って直す、という愚図で優柔不断な人だったらしく、その交響曲にはいくつも改訂版がある。自分の曲をちっとも理解してくれないヴィーンの楽団に演奏してもらおうとして同じ曲を作曲者自身が嫌になるほど何度も何度も作りなおしている。かと思うと、器用な弟子たちが、師のあまりの不人気を残念がり、当時人気の高かったヴァーグナーに似せて一般聴衆向けに直した版もある。シャルク版というのもそれだが、その変更は作曲者の意図によるものでないという理由から今はほとんど使われない。(27〜28頁)
ブルックナーの曲は、とにかくとてつもなく長いので有名です。そして、男性のファンが多いことも特徴とされています。本作の中でも、コンサート会場でのこととして、次のような場面が語られています。
果たして自分に先んじて二番席を購入したのはどんな奴なのか−。そんなふうに思いながらやって来たら、驚いたことに隣は女、しかも男性に好まれることの圧倒的に多いブルックナーという作曲家の八十分近くかかる交響曲を、人に誘われたのでもなく自分から一人で聴きに来ている。(11頁)
この女性が、本作での語り手ユキです。
本作後半で取り上げられている、大失敗に終わったと言われる交響曲第3番の話は、イキイキと語られています。ブルックナーの実像が、遺憾なく描き尽くされていると言えるでしょう。
なぜブルックナーが楽譜を何度も書き換えたのかの背景が少しわかったような気がします。それは、思うような評価が得られなかったために、書き換えざるを得なかったようです。自分への自信よりも、評価が楽譜の改訂に走らせた、と言えそうです。
最後の次の文章が、ブルックナーの本心を語るものだと言えるでしょう。
「一切削除訂正のない、わたしの書いたままを清書した楽譜を、厳重に包んで封をした形で帝立王立宮廷図書館に寄贈することにしてある。いつの日か、わたしの真の音楽を聴こうとする人々が現れたら、妥協のない形で演奏できるようにだ」
そしてアントンはこう結んだ。
「完全な楽譜は、後世の聴衆のためにある」(194頁)
「あとがき」で作者は、ブルックナーに関する次作『ブルックナー譚』のことに触れています。本作で作中作「ブルックナー伝(未刊)」として引かれている論稿が発展して、一書として刊行されたものです。
そうしたこともあり、ブルックナーの無様で滑稽だが真摯な生き方の記録を、距離を取りながらもいくらか同情的に、また断片的に書いてみたのが本書内、武田一真による「ブルックナー伝(未完)」である。
この部分に注目してくださった中央公論新社の方から「完全なブルックナー伝」を書いてみないかと言われ、二〇二四年、『ブルックナー譚』を刊行することができた。これはできるだけ正確を期した伝記的記録の各章末に武田の記したような場面を加えてできた、最終的には小説としてのブルックナー伝である。たまたま二〇二四年がブルックナー生誕二〇〇年の記念の年であったのでこうした形で刊行することができた。(201〜202頁)
(中略)
『ブルックナー譚』に対して本作はブルックナーのファンたちの物語である。そこに好意的な反応をする方々がいてくださったおかげで今回の文庫化が実現した。ありがとうございます。
なお、近年、ブルックナーの音楽を愛する女性は少しずつ増えているように思う。もともと圧倒的に男性の愛好者が多かったのにはいくらかローカルな事情もあり、そうした件も『ブルックナー譚』の後記に記した。ご興味があればご覧いただければ幸いである。(204〜205頁)
折しも、『ブルックナー譚』の書評「本を語る」が新聞紙上に載りました(京都新聞、2024年5月11日)。次は、この本を本屋さんに探しに行きます。私は本屋さんで出会ったら本を購入するので、またいつか取り上げることになると思います。
[付記]
(1)本書の中で、次の文章中の「疚」という漢字が読めませんでした。
「改めてそう決めたハンスリックは、ただしかし、少なくとも常に批評の神の前で疚しくないようにあろう、と、はやもう何度目か、心に決めて灰色の煙を吐いた。」(150頁)
「疚しく」は「やましく」と読み、動詞「病む」の形容詞化した語だということを知りました。私のような読者のためにも、振り仮名があったらよかったのに、と思いました。
(2)本書を書店で見つけた時、この文庫本が透明のビニールに包まれて書棚に並んでいました。この記事の冒頭に掲載した書影は、そのラッピングのビニールを被った状態での写真です。左側下の黒い帯の部分が、不自然に光が反射していることでわかります。中を見たかったので店員さんに確認すると、この本はビニールで包装したままで販売するように、と版元から言われているので、中を見てもらうことができないのです、ということでした。そんな本が店頭に並んでいることを、初めて知りました。どのような権利や意図があるのか、私にはわかりません。商品である限り、中を見て確認できるようにすべきだと思います。開封してみると、普通の文庫本でした。この事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。
(3)本ブログでは、ブロックナーに関しては以下の記事で触れています。ご笑覧を。少しだけしかブルックナーに触れていない記事は省略しています。
「入院2日目の記録」(2021年05月11日、http://genjiito.sblo.jp/article/188661453.html)
「京洛逍遥(702)京都市交響楽団」(2021年04月28日、http://genjiito.sblo.jp/article/188622531.html)
「突然の電話で懐かしさから生気が蘇る」(2020年10月17日、http://genjiito.sblo.jp/article/188036554.html)
「レガシーデバイスとなった録音録画テープの処分」(2012年03月06日、http://genjiito.sblo.jp/article/178946043.html)
「音楽の異版・ブルックナーを聴く」(2009年10月30日、http://genjiito.sblo.jp/article/178934233.html)
「負け組を指向する」(2008年02月17日、http://genjiito.sblo.jp/article/178852213.html)
初出:『不機嫌な姫とブルックナー団』(書き下ろし、講談社、2016年)
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