今日は賀茂祭の日です。2年前までは、自宅のすぐそばの北大路通りを、路頭の儀の行列が練り歩いていました。そのため、葵祭は日常の延長としての身近な例祭でした。いつものように賀茂街道沿いで見ようと思いつつも、今日は父の祥月命日でもあります。今年は、41年前に68歳で亡くなった父の供養を優先し、ご縁のあるお寺にお参りすることにしました。10日前には、横浜の鶴見にある総持寺にお参りしました。本来なら、大本山である永平寺に行くべきです。しかし、それは6巡目となっている西国三十三所の満願を果たした時にします。
お昼は、持参したお弁当を宇治川べりのベンチでいただきました。勢いよく流れる川向こうには、木々に覆われた平等院があります。
今日お参りした仏徳山興聖寺は、道元禅師を開祖とする曹洞宗の禅寺です。この前ここに来たのは、昨年の11月22日でした。半年ぶりです。
妻の実家も我が家と同じ禅宗で、大本山が永平寺です。不思議なご縁があります。
島根県出雲市出身の私の両親と、秋田県羽後本荘市出身の妻の両親が、共にその奇遇に驚き喜んでいました。おまけに、妻の実家の近くに羽後亀田があり、私の実家の近くには出雲亀嵩があり、共に松本清張の『砂の器』の舞台です。作中で、秋田弁と出雲弁が類似することを問題提起したのは、私がかつて勤務していた国文学研究資料館と同じ敷地に隣接していた国立国語研究所でした。しかも、遠く離れた地域の言葉が類似することを立証した方言周圏論(蝸牛考)は、私と妻が共に学んだ大学の民俗学者柳田國男でした。幾重にも偶然が重なる話が横たわっています。このことは、くどくなるのでまたいつか。
興聖寺にいたる琴坂は、春も秋も名所となっています。今日も、新緑の中を山門に至りました。
禅寺の庭は石組みが特徴的で、見る者の気持ちを穏やかにしてくれます。
興聖寺の中のお堂には、『源氏物語』の宇治十帖にまつわる「手習の杜」に祀られていた「手習観音」が安置されています。寺伝によると、小野篁の作だとも。これまた、小野小町の勉強をしていた妻にとって同じ小野氏の縁者であり、『源氏物語』は私が勉強してきた作品です。「手習」巻の前の「蜻蛉」巻については、『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No.28 蜻蛉』という本を、私は至文堂から2003年に出版しています。またまた話が交錯するので、こうしたことはこの辺で。
参道のそこかしこに、黄色いカキツバタ、濃い桃色のサツキ、白いミズバショウが咲いています。
帰りに、平等院の表参道で、仏壇へのお供えをいただいて来ました。
父の戒名である文徳忠衛居士が箱書きされているのは、姉が届けてくれたお菓子です。
その上に、宇治茶の伊藤久右衛門でいただいたお菓子。甘いものが大好きだった父のためのお供えです。経机の上には、何種類ものキンツバがあり、さらには貰い物ながら秋田銘菓の諸越もあります。
なお、父の本姓は石川で名前は忠右衛門。小さい頃は(石川)五右衛門という渾名だったとか。陶器屋で育った父は、養子として呉服屋で伊藤姓の母と結婚して伊藤忠右衛門に。戦中は共に満洲へ渡り、父はシベリアに抑留されて復員。母も、麗羅の小説『桜子は帰ってきたか』の世界そのままにさまよいながら、命からがら舞鶴に引き揚げて来ました。
宇治に行くと、伊藤久右衛門でお茶菓子をいただきます。今日も、いろいろな甘いものをお供えしています。
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