2024年04月14日

京洛逍遥(865)若宮通を四条通りまで歩く

 京都駅前のキャンパスプラザ京都(京都市大学のまち交流センター)へ事務手続きのために行ったので、そのまま京の街歩きをしました。

 4月4日には、京都駅前から西洞院通を北上して、四条通まで歩きました。今日は、西洞院通の一本東側の若宮通を、まっすぐ北に向かって歩きました。
 七条通から、狭い路地に入りました。狭い通りには、事務所や民宿が密集しています。観光地の京都を歩くという視点からは見られない、普段の町家が醸し出す雰囲気があります。とにかく、おしゃれな一戸建て民宿が、白い暖簾を下げて居並んでいます。東西の本願寺の間なので、信者さんの宿泊地なのでしょう。また、多くの観光客が、ホテルではなくてこうした所にも泊まっておられるのでしょう。不思議な香りがする地域です。

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 若宮八幡宮がありました。源頼義が創建したとのことです。手入れがよく行き渡っています。ただし、この武門の源氏にはあまり興味がないので、説明だけを読んで先を急ぎます。

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 アトリエ&ギャラリーの「和可み也」がありました。おしゃれなお店です。仮名文字の字母の資料となるので、看板を写真に収めました。

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 高辻通を過ぎると、道がさらに細くなって少し西に曲がって行きます。そして、前回西洞院通の時に紹介した、菅大臣神社にぶつかりました。ソメイヨシノは葉桜になるところです。木瓜と八重の桜は、今日も元気に咲いていました。八重桜の後に、飛梅があります。

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 菅大臣神社の北門を出て、仏光寺通に菅家邸址の標柱が経つ角を曲がると、また若宮通らしき細道に入るります。その正面突き当たりに、菅原道真の父菅原是善が祀られているという紅梅殿がありました。菅原道真の邸宅址だとも、この前は、ここまでは入ってこなかったのでわかりませんでした。なお、先ほど立ち寄った菅大臣神社は白梅殿といい、是善が居住していたそうです。ここを道真の生誕地だとするのは、こうした事情からのようです。

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 この紅梅殿の西には前回紹介した綾西公園があり、その南側には道真の邸宅址を記念するための「源氏物語ゆかりの地 紅梅殿」の説明板があった所です。

 どうやら、このあたりになると若宮通とは言わず、通り名は消失した道になっているようです。
 綾小路通に出てから、少し左を北上する膏薬辻子に入りました。ここは、「こうやくのずし」といい、綾小路通から四条通までを通り抜ける細い道で、きれいな通りです。
 一画に変体仮名で書かれたお店「㐂多西」を見つけたので、写真に収めました。

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 蛇行する小路の角を曲がると、神田明神に出会いました。意外なところに、東京との関係があるものです。

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 この京都の神田明神については、「ウィキペディア」にこんな説明があります。

所在する新釜座町の地は、平安時代当時は左京五条三坊一保一町の町中であったが、後には 太政大臣・藤原頼忠の四条宮となった。その後再び町屋になったという、市内でも古い町である。
 (中略)
『京雀』「かうやくの辻子」のくだりには「又此町の南にて行當神田明神の社有」と記載されている。
『拾遺都名所図会〜巻一〜』においても「天慶3年に平将門の首を晒したところであり、それよりこの地に家を建てると祟りがある」「空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石を建てて印とした」という内容が書かれている。
明治に入ってからの、『京都日出新聞』では将門の首塚を発見したという記事が載ったが、大正初年の『京都坊目誌』には将門との縁を否定する文が残されている。
ここが東京の神田明神の本家であるという説もあるが、裏付ける資料は見つかっていない。

 この膏薬辻子は、これからますます人を集めそうです。
 四条通の出口には、仁丹マークのない町名表示板「四条通西洞院東入 郭巨山町」が掛かっていました。

240414_終点.jpg

 今日歩いたのは2キロくらいです。ブラブラと1万歩の散策でした。




posted by genjiito at 23:59| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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