語られていることの傍証が必要な話題がいくつかあるように思いました。しかし、愉しく日本語の歴史がわかる本です。
以下、私がチェックした箇所を列記します。
・「 じつは、日本語の語感の特徴のひとつに、言葉の初め(語頭)に濁音が来る言葉には、不潔感、不快感を感じさせるものが多いのです。
なぜなのか、それははっきりとはわかっていません。
ただ、これは、江戸時代の国学者・本居宣長(一七三〇~一八〇一)が発見したことなのですが、七〇〇年代に書かれた日本の古代の文献『古事記』『日本書紀』には、濁音で始まる和語がひとつもないことがわかっています。
また『万葉集』では、山上憶良(六六〇~七三三)の「貧窮問答歌」に使われている「鼻、毘之毘之に」の「ビシビシ」が、語頭に濁音がつく唯一の言葉だとされています。
「ビシビシ」は、現代日本語で訳せば「ビチョビチョ」です。」(23〜24頁)
・「 鷗外に『ヰタ・セクスアリス』という小説があります。当時、このタイトルがあまりに猥褻だという理由で発禁処分を受けた本です。
内容はまったく猥褻なものではありませんが、人の気を惹く魅力的なタイトルです。ラテン語から日本語に訳すと「ヴィタ(生活)」と「セクスアリス(性的)」で、「性生活」という意味なのですから。
さて、ここで注目したいのは、その発禁のことではなく、鷗外がタイトルの「ヴィ」を、ワ行の「ヰ」で書いていることです。
現代の「ワ行」は「ワ」と「ヲ」しかありませんが、一九四六年まで使われた教科書には「ワ・ヰ・ヱ・ヲ」がありました。鷗外は、この「ヰ」を使っているのです。
これでは「ウィタ」じゃないか? と思われるかもしれません。
ですが、鷗外はドイツに留学をしています。
ドイツ語では「Wi」は「ヴィ」と発音されるのです。たとえばオーストリアの「ウィーン」は「Wien」と書いて「ヴィエン」と読まれますし、車のメーカーBMWは、「ベーエムヴェー」と呼ばれます。
鷗外は、ドイツ式の発音を表現するため「V」を「ヰ」で書き表したのです。」(32頁)
・「日本語がオリジナルタイトルを可能な限り音で再現するのと違って、中国語では、伝統的にそのものを意訳して漢語に変換する方法が取られています。同じ漢字を使う国でも、中国語と日本語では、言語の性質に基づく異なる文化の発達が起こったのです。
日本語と中国語において、言語としての大きな違いのひとつに、中国語にはオノマトペ(擬音語、擬態語)が非常に少なく、日本語は、オノマトペが非常に多いということが挙げられます。
日本語は、雨が「シトシト」降るのか、「ジトジト」降るのかで、その雨の状態、あるいは雨を感じる気分の違いが表現できます。
ところが、漢語では「霖々下雨(リンリンと降る雨)」と書くことはできますが、「シトシト」と「ジトジト」の違いを表す言葉がありません。(35頁)
・ 鎌倉時代末期の関東地方では、おそらく「て」はすでに現代の日本語と同じ「テ」の発音に変わっていますが、京阪神ではまだ「て」は「ティェ」という発音で、「つ」も「ティゥ」のような音だったと考えられます。一三三〇年頃、あるいは一三四九年頃に編纂されたとされる『徒然草』は、「ティゥレ・ディゥレ・クサ」と呼ばれていたのだろうと思われます。
しかし、江戸時代になるともう京都でも「たちつてと」は現代日本語とほとんど変わらない「タチツテト」の発音になっています。
「父」を呼ぶ「てて」は俗語としては残っていきますが、江戸時代前期には「とと」、あるいは尊敬丁寧を表す「お(御)」が語頭に、また「さま(様)」が語尾に付けられた「おととさま」が使われるようになっていくのです。
「てて」また「おててさま」では「手」を表す言葉と同音衝突をしてしまうからです。
さらに「とと」「おととさま」は、江戸時代中期までには同音の連続が促音便化し、「おとっちゃん」「おとっちゃん」(ママ)「おとっさん」「おとっつぅぁん」となりますが、これを丁寧な言い方で言おうとする意識が「おとうさま」を生むことになるのです。(46頁)
・『舞姫』は、二〇二一年度までは、高校三年生で読む、定番の教材として使われていましたので、読んだことがある人も少なくないと思います。
しかし、二〇二二年度からの新しい教科「論理国語」の導入で、高校では「文学」を学ぶ機会は少なくなります。いずれ鷗外の『舞姫』は読まれなくなってしまうことでしょう。
「国語」については、また別の章で詳しく述べますが、「文学」が国語から消えた原因のひとつは、先生たちが、明治時代の文豪の言葉を、理解して生徒に伝えることができなくなったからなのです。
必ずしも先生たちの勉強が足りないというわけではありません。鷗外が『舞姫』を書いてからすでに一三〇年以上が経過し、鷗外が使った言葉の感覚を享受できる限界を超えてしまったからです。
鷗外の『舞姫』は、小説家・井上靖(一九〇七~一九九一)の「現代語訳」が筑摩書房から文庫本で出ています。言い替えれば、『舞姫』は、現代語訳を読まないと、国語の先生でさえ、もう読み解くことができない遠い過去の言葉で書かれた「古典」になってしまったということなのです。
もちろん、『舞姫』が発表された当時、読者はこれを難しい文体だなんて思いもしませんでした。
明治二十三(一八九〇)年『国民之友』一月号に発表されると、みんながこの小説を読んで、作者・鷗外の私生活にまで及ぶ問題作として大評判になるのです。(48頁)
・「明治政府が五十音図を全国の小学校に配布する際、ア行の「エ」とは別に「ヤ行」にも「イ」に似た形の下に横一棒をつけた「エ(一画目はノ)」という変な仮名を作ったのでした(上図参照)。
でも、この文字は、まったく普及しませんでした。
だれも「エ」と「イェ」の区別ができなかったこと、それに当時はまだ「ワ行」の「ヱ」もありました。よほど語学的センスを持っている人でなければ、それらを聞き分け、書き分けるということはありませんでしたし、またそういう必要もなかったのです。」(145頁)
『小学授業法細記』(国立教育政策研究所教育図書館所蔵)
・「 ご存じの方も少なくないと思いますが、じつは「ワ行」の「ゐ(ヰ)」や「ゑ(ヱ)」が五十音図の中から削除されたのは、昭和二十一(一九四六)年十一月十六日、「現代かなづかい」の内閣告示が行われ、その翌年四月から施行されてからです。
「居る」を「ヰる」と書いたものが戦前にはたくさんありましたし、「猪」も「いのしし」ではなく「ゐのしし」と書かれていました。
また「ゑ」は「笑う」「酔う」のほか、「とみゑ」「ゑみこ」など、女性の名前でも使われていました。
これが「現代かなづかい」の施行によって次第になくなってしまったのです。」(150頁)
・「戦前の国語教科書
ところで、戦前の国語教科書は、唐澤富太郎(一九一一~二〇〇四)「教科書の歴史」(創文社)によれば、それぞれの時代に、次のような傾向があったと記されています。
第一期国定教科書 一九〇四~〇九 (明治三十七~四十二)年
資本主義興盛期の比較的近代的教科書
第二期国定教科書 一九一〇~一七 (明治四十三~大正六)年
家族国家観に基づく帝国主義段階の教科書
第三期国定教科書 一九一八~三二 (大正七~昭和七)年
大正デモクラシー期の教科書
第四期国定教科書 一九三三~一九四〇(昭和八~十五)年
ファシズム強化の教科書
第五期国定教科書 一九四一~一九四五(昭和十六~二十)年
決戦体制下の軍事的教科書
また、唐澤の研究をもとに教科書の内容を分析した大田勝司「国語教科書」には、次頁のような表が示されています。
国定教科書の内容分析 (単位:%)
教材内容/時期区分 第1期/第2期/第3期/第4期/第5期/第6期
文学的内容 32.8 38.7 51.5 54.1 48.4 80.5
「第六期」に分類されるのは、戦後、一九四七(昭和二十二)年に発行された『こくご』『国語』(「みんないいこ」読本)の国定教科書を指します。
表を見ると「国語」が、「日本語」を教えるための教科書でないことはおわかりになると思います。
「国語教育」とは、その時の政治、また政治が目的とするところと決して無関係ではないことが明らかなのです。」(169〜171頁)
・「 仏教を学ぶ僧侶に対しても、桓武天皇は次のような勅令を発しています。
「自今以後、年分度者、非習漢音、勿令得度。(今より以後、年分の度は漢音を習はずんば得度せしむることなかれ)」と言います。
「今年以降、年度分に行う得度は、漢音を学んだ者でなければ許さない」という意味です。
「得度」とは、正式に仏道に入ることを許された人を意味しますが、当時「得度」した人は税金を免除されたのです。
そうした特権階級になるためには、漢音を学ばなければならないと、桓武天皇は勅令を出したのです。」(215頁)
・「奈良は、平安京の遷都によって、中国から来たネイティブの先生がいなくなり、残された日本人だけで、主に仏教の経典を深く内面的に理解していく空気に包まれていきます。
聖武天皇や孝謙天皇(重祚して称徳天皇)などが書いた書は、六朝風の固い書体ですが、奈良時代、平安時代の写経の字は、すべて章草体で書かれています。
遣唐使として唐に渡っていた空海が帰朝したのは八〇六年ですが、京都に入ることが許されたのは八〇九年以降です。
大同四(八〇九)年九月、平城上皇が平安京を廃して、再び平城京へ都を遷そうとした「薬子の変(あるいは『平城太上天皇の変』とも)」を鎮めるために、嵯峨天皇は空海を招聘します。
ここから空海の活躍が始まるのですが、もし、再び奈良に遷都されていたとしたら、あるいは奈良で始まる〈カタカナ〉の発達や、空海や嵯峨天皇、橘逸勢らによる京都を中心にした〈ひらがな〉の発達はなかったかもしれません。
〈カタカナ〉は、奈良にあった古い中国六朝の文化から生まれたものです。一方、〈ひらがな〉は、空海が唐から持ち帰った新しい草書体(章草体)から生まれて来たものなのです。」(224頁)
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