2023年04月02日

京洛逍遥(827)宇治川派流で十石舟に乗れず桜吹雪を満喫

 かつて豊臣秀吉が、伏見城と共に水運の基礎を築いた伏見港は、京都と大坂をつなぐ港町として栄えました。今は一大干拓事業によって埋め立てられてしまった巨椋池から、宇治川を分離した水路を整備した結果です。それをさらに発展させたのが徳川家康です。その港町伏見が、今日は桜で多くの人を集めています。次の地図は、NPO法人伏見観光協会のホームページ(https://kyoto-fushimi.or.jp/fune/)からの引用です。

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 角倉了以が開削した高瀬川は、この伏見港を中継基地としていました。まさに京都の南の出入り口だったのです。そして、物資や旅人などを乗せていた十石舟と三十石舟が、今は観光の船として人気を博しています。
 その伏見港で十石舟に乗ろうと思い、散策がてら行きました。しかし、桜の花見の最終日ということもあり、残念ながら乗ることはできませんでした。

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 宇治川派流の水辺で十石舟を見ながら、桜の木陰に座って持参のお弁当をいただきました。

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 龍馬通りを少し西に行くと、「龍馬とお龍、愛の旅路」と題するブロンズ像があります。このタイトルは、妻と一緒に見るには照れくさくなり、口数も減ります。

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 このことと寺田屋の様子は、前回ここに来た時の記事に書きました。この宇治川派流については、その報告「京洛逍遥(816)伏見港と寺田屋と龍馬通り」(2022年12月27日)に譲ります。
 この像の先では、桜まつりが賑やかに行なわれており、狭い散策路に露店がぎっしりと並んで花見客を呼び込んでいました。のんびりとした散歩で来ているので、ここはパスしました。
 もう花吹雪が川面にビッシリと浮かんでいます。今年は殊の外、お花見も駆け足となっているようです。

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 なお、途中で月桂冠大倉記念館の近くのお店の軒先で、次の提灯を見かけました。

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 「ロール▲ゃべつ」と書いてあり、「▲」が読めません。その下には、「ロールきゃべつ」の文字があり、お人形さんの前にもロールきゃべつが置かれています。

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 さて、この「▲」は「き」以外に考えられません。それにしても、あまりにも左横に寝転がった「き」なので、なぜこんな形にしているのか、その意図がよくわからないままです。どなたか、教えてください。
 
 
 
posted by genjiito at 22:25| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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