2023年01月15日

近代文学研究者の青田寿美さんの訃報に接して思い出すこと

 国文学研究資料館でご一緒に仕事をした青田寿美准教授が、10日前の5日(木)に56歳でお亡くなりになりました。突然の訃報と共に、その若さに驚かされました。
 大阪大学の大学院以来のお付き合いです。品川区戸越公園にあった国文学研究資料館に、私のすぐ後に近代文学を専門とする若手を代表する新進気鋭の研究者としてお越しになりました。時には大阪弁で丁々発止のやりとりをし、お互いに励ましながら研究や業務をこなしました。
 横浜市金沢文庫にあった財務省の官舎では、斜向かいの建物に入居となりました。その時の引っ越しの手伝いをしたり、夜には同じ官舎の同僚たちと一緒に、私の部屋でよく宴会をしました。お酒は一切飲まない青田さんは、陽気な話し相手として楽しい話題を盛り上げてくださいました。
 国文学研究資料館が立川市に移転してから、私は江東区越中島にある東京医科歯科大学の官舎に移りました。その時にも、花を持って話し相手として遊びに来られたことを思い出します。
 妻とも仲良しでした。出張でイタリアのフィレンツェに行った時は、私が妻へのお土産を探していた時、街中での買い物に付き合ってもらった上に、紺色のショルダーバッグを選んでもらったことがあります。
 2005年11月には、インドへお連れしました。インドのニューデリーで私が主催者の一人として開催した「第2回インド国際日本文学研究集会」で、研究発表をしてもらったのです。この日のことを書いたブログは、サーバーがクラッシュしたために今は読めません。いつか、メモをもとに再建したいと思っています。
 仕事の上では、私が平安時代で青田さんが明治時代と専門領域が異なるため、学問的な行き来はありません。しかし、私が国文学論文目録データベース室の室長をしていた時には、幅広い視野で事業の円滑な運営のためのアドバイスをしてもらいました。
 また、青田さんのところでアルバイトをしていた何人かは、私が大きな科研を持っていたので、お手伝いに来てもらったことがあります。今、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉や科研のホームページの運営や管理をし、日々情報の収集と整備をしてもらっているAさんは、青田さんのところで最初はアルバイトをしていた方です。青田さんにお願いして、私のプロジェクトに入ってもらった経緯があります。そして、いまだに心強い研究協力者として私を支えてもらっています。折々に、青田さんには感謝の気持ちを伝えてきました。
 定年退職で東京を引き上げる際には、3Dプリンターを引き取ってもらいました。
 今その青田さんが56歳だったと聞くにつけ、あまりの若さに、そして早さに呆然とします。日々腹筋を鍛えていた青田さんからは、見るからにひ弱な私の健康を気遣う言葉をかけてもらっていました。私より2回りも下の青田さんが先に逝くとは、まだ信じられません。
 共に大阪から東京へ行き、充実した日々を過ごし、分野は異なれどそれぞれがスケールの大きな仕事と格闘をした仲間として、心よりご冥福をお祈りしています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:29| Comment(0) | *回想追憶
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。