2022年06月20日

谷崎読過(42)「鮫人」

 1918年のこと、27歳の芸術家である服部は、孤独で怠惰な生活を浅草でしていました。そこで語られる東京に対する不平と不満、反感と憎悪は、谷崎の精神生活から生まれる心の叫びでもあります。
 作者が早々に顔を出し、読者に語りかけます。

 諸君が若し松葉町の家に彼を訪ねて留守だつた場合に、其の日のうちに是非彼に會ひたいと思つたら、晩の九時から十時頃にそれ等のチヤブ屋を一軒一軒覗いて見るがいい。さうすれば諸君は間違ひなくそれ等のうちの執れか一軒に彼の姿を見出すであらう。(103頁下段)


 また、谷崎の最大の興味と関心のある食べ物について、執拗に語られます。作者は読者に語りかけながら、作品の中へと呼び込んでいこうとしているのです。
 浅草を取り上げての世相批判や世俗談義は、この時期の文明論となっています。井戸端会議でなされるような話題が、次から次へと語り出されるのです。情熱をもって、具体例が俎上にのぼるので、人名や物の名前などが資料性を帯びています。そして、浅草の存在を、自信満々に次のように評価しています。

一體君たちあ、今迄小ツぽけな文壇なんぞに引つ込んで居たのがよくないんだよ。憚んながら君の前だけれど、僕は今の文士なんて者はみんな馬鹿だと思つて居るね。みんな意氣地のない、ケチな野郎ばかりだと思ふね。民衆藝術だの何だのと云ひながら、一體どれだけ民衆の爲めに盡してるんだ。己たちなんか疾ツくの昔から民衆の味方になつてるんだぜ。此れで己たちが一つ蹈ん張りやあ、今に淺草から藝術の革命が起るんだ。小説家だらうが俳優だらうが、淺草を軽蔑する奴は殘らず撲滅されちまふんだ。(250頁上段)


 眞珠が男か女かという話は、この物語の中で問題提起がなされていると思われます。谷崎は、両性を近づけて見ているように思いました。女の側に立った視点に特色がある作家だと言えるでしょう。
 多彩な話題で、人間の種々相を物語ります。私には、谷崎が何か実験をしているのではないか、と思われました。人間関係をさまざまに組み合わせながら、登場人物の心の中を描き分け、そこから生まれる〈情〉というものを読者に語り伝えようとしているようです。本作は、どのような評価がなされているのか、今はわかりません。しかし、私が知っている谷崎らしさを、至る所で感じました。
 なお、本作の最後には「前篇終り」とあり、続く後篇は書かれませんでした。未完に終わったことの意味は、谷崎の芸術観が強く影響しているように思われます。具体的な舞台として猥雑な浅草を取り上げたことから、後篇の内容と展開に美と醜のバランスが取りづらかったのではないか、と勝手に想像しています。【3】

初出誌:『中央公論』大正9年1、3、4、5、8、9、10月号
『谷崎潤一郎全集 第九巻』(昭和33年11月30日発行)による
 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | □谷崎読過
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