2022年05月06日

京洛逍遥(791)宇治川に架かる隠元橋

 昨日書いたように、宇治橋は日常的な散策コースとしては遠いことがわかりました。以前、宇治川の下流で淀川に合流する観月橋に行った時も、道が狭くて車も多く、散策には適さないところだと思いました。そこで、近場を歩くということでは、同じ宇治川に架かり宇治橋と観月橋の間にある隠元橋を候補に挙げ、今日の夕方に行ってみました。
 ちょうど夕陽が沈む直前で、建物の壁が茜色にうっすらと染まっていて、柔らかな風景が楽しめました。隠元橋は修繕の工事中だったので、その全体像は化粧直しの後の姿を待ちましょう。

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 宇治川の上流を望みました。右手に宇治徳洲会病院、左手に曲がった先が宇治市街です。昨日は、この町並みの中を歩いて宇治橋まで行ったのです。

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 以下の記述においては、ホームページ「京都風光(京都寺社案内)」の「隠元橋」(https://kyotofukoh.jp/report796.html)の解説を参考にして書き綴っていきます。
 隠元橋は、府道245号線(宇治市五ヶ庄〜宇治市槇島)が通る新しい橋です。しかし歴史は古く、平安時代よりこの地には「岡屋の津」という港があり、交通の要衝として栄えたところだそうです。「岡屋の津」の石碑は、次の写真の石碑の左側に置かれています。
 この隠元橋の東のたもとに、黄檗宗の開祖である隠元禅師にまつわる「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」の碑が立っていました。

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 江戸時代に中国の渡来僧・隠元は淀川を遡り、宇治川のこのあたりで下船したようです。萬福寺を開くために資材を陸揚げしたことから、「隠元浜」とか「隠元の渡し」とも呼ばれてきました。
 隠元は1661年に萬福寺を創建しました。「美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷、煎茶式茶礼、普茶料理」などに影響を与え、「隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚、明風の書体」などを日本に伝えた僧侶です。
 なお、「渡岸之地」の石材は、隠元の出身地である中国福建省から取り寄せられ、亀の形をした碑の台石の亀趺(きふ)の形になっています。
 この橋の東側の散策路を歩きました。ランニングやウォーキングの方をちらほら見かけます。川岸に降りる石段には、誰かの遊び心なのか、我が家にもある信楽名物の狸の置き物が3体ありました。

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 ここなら、右手に宇治川の流れを見ながらのんびりとウォーキングができます。次は、歩く用意をして来ることにします。
 
 
 
posted by genjiito at 21:25| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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