2022年04月30日

京洛逍遥(788)観月橋と善阿弥町

 昨日の雨も上がったので、国道24号線に沿ってブラブラと散策しながら観月橋へ出向きました。都名所図会には、江戸時代の巨椋池あたりの『指月・豊後橋・大池』が取り上げられています。このことは、また後日記します。

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 観月橋の上流が宇治川、下流を澱川と名前が変わります。
 上の写真の右側に、京阪観月橋駅があります。無人駅です。ここから西へ1駅目が京阪中書島駅で、そこで乗り換えることによって、京都や大阪へ行けます。反対方向の東に行くと終点宇治駅があり、宇治橋のすぐ袂に出ます。
 この観月橋駅の改札脇に、道標がありました。古びた石柱のため、読みづらい仮名文字で、右側に「きやう可いたう」(京街道)、左側に「やまとかいたう」(大和街道)と刻まれています。

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 観月橋の北詰には、明治十年二月の「明治天皇御駐輦所観月橋」と刻まれた石柱があります。明治天皇が関西行幸をなさった折、神武天皇陵参拝のために奈良へ向かわれる途中で、この地で休憩なさったことを示す標柱です。

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 帰りに観月橋南詰から観月坂を下ると、善阿弥通りの一画が向島善阿弥町でした。相国寺の蔭涼軒や睡隠軒は、室町時代の庭師である善阿弥の作とされています。銀閣寺の庭園は、善阿弥とその子小四郎、孫の又四郎の三代で作られたということです。今この町はその善阿弥と関係するのでしょうか。またこの地域は、豊臣秀吉が向島城を築き、伏見城ができると徳川家康の居館となりました。この周辺には、お城があったころの名残が地名に残っています。
 善阿弥町の、昔は賑わっていたであろう民家の間を、ブラブラと歩きました。今では善阿弥はもとより、歴史の香りはしません。求めるものが違っていたのかも知れません。勝手気ままに想像して楽しむのも、散策のおもしろさの一つです。
 
 
 
posted by genjiito at 21:19| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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