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2019年06月04日
ウクライナ語訳『源氏物語』について、私が本ブログで取り上げたのは、次の記事が最初です。
「36番目の言語となるウクライナ語訳『源氏物語』」(2019年06月04日)
この時点で36種類の言語で『源氏物語』が翻訳されていたのです。それが、今や、昨秋までに42種類の言語で翻訳されています。
年を追うごとに、その翻訳される言語の数が増えていることに、あらためて驚いています。
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2019年10月2日
在ウクライナ日本大使館 担当者様
こんにちは。大阪大学教授の伊藤鉃也博士の代理として、メールさせて頂きます吉見さえと申します。
私たちは、海外における平安文学の研究情報や資料の総合的な情報収集を行なっており、2018年にウクライナで出版された源氏物語の翻訳本について、翻訳者のІван Дюба(イワン・デューバ)さんにお話を伺いたいと考えております。
つきましてはイワン・デューバさんの連絡先もしくは、ご協力いただけそうな日本文化センターなどがありましたらご紹介頂けないでしょうか?
研究成果に関しましては、随時こちらの源氏物語資料館に更新しております。
https://genjiito.org
今回ウクライナで出版された源氏物語翻訳本はこちらです。
https://folio.com.ua/books/Povist-pro-g%27endzi--Kniga-1
どうぞよろしくお願い致します。
吉見
大阪大学 国際教育交流センター 招聘教授
NPO法人<源氏物語資料館>代表理事
博士(文学)伊藤鉃也
(研究室)562−8558大阪府箕面市粟生間谷東8−1−1
大阪大学 箕面キャンパス 総合研究棟 6階
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2019年10月3日
大阪大学 吉見様
在ウクライナ日本大使館で広報文化を担当している■と申します。
ご依頼の件,翻訳者に大阪大学に連絡先を教えて良いか確認中ですので,少々お時間をいただければ幸いです。
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2019年10月4日
伊藤先生
おはようございます、吉見です。
早速大使館からお返事が頂けましたので、お知らせします。
吉見
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2019年10月4日
伊藤先生
お疲れ様です。吉見さえです。
早速、大使館の方からイヴァン・デューバさんの連絡先を教えて頂けました。
こちらからのアポイントに関して、12月末頃に会えるかどうかを聞けばいいですか?
吉見
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2019年10月4日
吉見 さま
ありがとう。
年末年始の面談に関する都合を伺い、どんどん進めてください。
その際、吉見さんの都合を最優先で。
私は、吉見さんの付き人くらいの気持ちで行きますので。
大使館の方の情報を教えてください。私の知り合いのルートで、人間関係を押し広げられるかも知れませんので。
伊藤鉄也
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2019年10月4日
伊藤先生
はい、了解しました。
面談の調整をしていきたいので、中国とモスクワ訪問の日程をもし決まっていたら教えて頂きたいです。
在ウクライナ日本大使館 広報文化担当の■さんの連絡先です。
■@mofa.go.jp
よろしくお願い致します。
吉見
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2019年10月4日
吉見 さま
12月は20日に中国へ行き、23日に帰ってきます。
その前後でしたら大丈夫です。
吉村君は20日まで授業があるようです。
中旬に行けるようであれば彼には次の機会に、ということも考えています。
機会は何度もあるので。
とにかく、行って会える時にお目にかかりたいものです。
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2019年10月6日
伊藤先生
こんばんは、吉見です。
了解しました。早速イヴァンさんにメールを送ってみます。
吉見
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2019年10月12日
Sae Yoshimi様
お手紙を頂いてありがとうございます。私はこれまでに源氏物語の35章を翻訳してきました。20の章がすでに別の本で発行されています。今、私は21-41章からなる第2巻を熱心に準備しています。したがって、私は常にこの仕事に専念する必要があります。したがって、インタビューを希望する場合は、電子メールで質問を送信することを提案し、遅滞なく回答します。地元紙に掲載されたこのようなインタビューは、この手紙に添付されています。
よろしくお願いします
※引用者からの注記:本記事の末尾に、地元紙に掲載されたインタビューの日本語訳を掲載しています。
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2019年10月16日
伊藤先生
おはようございます。吉見さえです。
イバン・デューバさんからお返事がありましたが、第二巻の翻訳に従事したいためインタビューはメールでしてほしいとのことでした。
ウクライナで行われたインタビューについてのファイルを添付してくださっていたので、今日はそれを翻訳してみようと思いますが、今後メールでのインタビューについてなどはどんな風に進めていきますか?
よろしくお願い致します。
吉見
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2019年11月27日
Иван Дзюб様
吉見さえ(Yoshimi Sae)です。遅くなりましたが、源氏物語ウクライナ語翻訳に関する質問のリストを送らせて頂きます。こちらの質問の回答は伊藤先生が発行しているジャーナルに載せたいとおっしゃっていますが、大丈夫でしょうか?
よろしくお願い致します。
吉見(Yoshimi Sae, Ёсими Саэ)
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2019年11月27日
吉見さえ様
お手紙を頂きましてありがとうございます。
このたびは質問への答えを送ります。
どうぞよろしく
イワン。ジューブ
吉見さえ様への手紙
1. 私はロシア語だけでなく、英語(A.Waley)、アメリカ(E.Seidensticker)、オーストラリア(R.Tyler)、フランス語(R.Sieffert)、ドイツ語(O.Benl)の翻訳も読みました。
2. 翻訳のベースとして、原文を使用します。その理解にとって非常に価値のあるものは、谷崎潤一郎と瀬戸内寂調の翻訳です。
3. ロシア語の翻訳は、主人公の名前、歴史的事実に関する注釈、日本の伝統を扱うのに役立ちます。
4. 翻訳するとき、地の文では主人公の伝統的な名前(たとえば、源氏、紫、夕霧、柏木など)を使用します。対話では、これらの登場人物は公式の人物(例:右大将)として表され、脚注では伝統的な名前(例:夕霧)で説明されます。
5. ウクライナ語の翻訳でも、実際には同じアプローチが使用されます。
6. 私は文字通り日本の短歌のパターンには従いませんが、そこにある感情を読者のために再現しようとします。
7. それは、日本の詩を翻訳する上で最も難しい問題です。すべてのケースには、細心の分析と脚注での説明さえ必要です。
8. 私の知る限り、源氏物語には物の哀れ、つまり感情(悲しみから賞賛や喜びまで)が浸透しています。ですから、こうした登場人物の気持ちを適切に表現しようと思います。
9. 私の考えでは、ウクライナの読者は長い間、源氏物語のウクライナ語翻訳を待っていました。したがって、私の翻訳が日本の心を理解するための最初のステップになることを願っています。
10. 残念ながら、私はそのような作品を知りません。
11. 源氏物語は、日本人のメンタリティの百科事典であり、日本人の先祖の正確な心理的肖像であると考えています。
イワン。ジューブ Ivan Dziub
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2019年11月28日
イワン・ジューブ様
お忙しい中、早速お返事を頂きありがとうございます!
回答の方、私たちが発行しているジャーナルに掲載しても大丈夫ですか?
また第2巻の翻訳はいかがでしょうか。
伊藤先生が2月にお時間があればお会いしたいとのことですが、厳しいでしょうか?
ご検討お願い致します。
吉見さえ
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2019年11月30日
吉見さえ様
もちろん、私の回答はジャーナルに掲載されてもいいです。源氏物語(21〜36章)のウクライナ語翻訳の第2巻は、現在、出版のためにFolioという出版社に提出されました.
宜しくお願いします
イワン。ジューブ
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2019年12月4日
イワン・ジューブ様
ありがとうございます。そうだったんですね!
第2巻が出版された後も何かの翻訳に取り掛かられる予定ですか?
吉見さえ
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2019年12月4日
吉見さえ様
今、源氏物語の翻訳を続けて第3巻(そしておそらく最後の巻)を準備するつもりです。ところで、この機会に、キエフ大学で日本語を勉強している学生のために、ウクライナのおとぎ話の翻訳を書いた本をお送りします。ウクライナのおとぎ話の私の翻訳を日本で単行本として出版するために、日本の人々や組織や出版社が資金を提供してくれたらとてもうれしいです。私の提案について関係者に相談してくれませんか?
宜しくお願いします
イワン。ジューブ
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※補足・参照資料
私がウクライナ語訳『源氏物語』があることを知る1年4ヶ月も前に、その翻訳者であるイバン・ジューブ先生へのインタビュー記事が、地元紙に掲載されていました。それを、吉見さんに日本語に翻訳していただいてあるので、イバン・ジューブ先生の素顔がよくわかるように、ここに紹介します。
2018年2月9日
【Print Issue5、2月10日-2月16日】
イバン・デューバ:”外国語をできる限り早く身に付けたいならば、一番大事なことは動機を明確にすることだ。
彼は類稀なる優秀な日本語の翻訳家である。ウクライナ文化に置いて伝説的な存在であり、多くの言語からウクライナ語に翻訳した素晴らしい翻訳家でもあるイバン・デューバさんはZN.UA紙に自身の新たな取り組みである日本の作家、紫式部の作品の翻訳について語った。また、村上春樹の作品から受けた印象について共有し、ソ連共産党時代、ウクライナ人反体制派の人々を守り”罪を犯した”過去についても振り返った。
83歳のイバン・デューバについて、その見た目はユニークで伝説的だと述べても、誇張ではないだろう。特に彼のような人々が”偉大なるウクライナ人”という称号に値する。彼は20世紀中頃にリヴォフ大学の物理学科を卒業した。そして著名な学者、物理数学における準博士となっていった。その頃から言語を学ぶことに夢中になっていき、ドイツ語や英語、後に自分でいくつかのゲルマン諸語、ロマンス諸語さらにはヒンディー語、ベンガル語を身に付けた。今や紫式部や村上春樹の日本語の素晴らしい翻訳家である。彼の芸術界また科学界における豊富な経歴には政治的な要因がある。彼は長い間の外出禁止令が解けた後、ウクライナ人反体制派の人々を保護する書簡に署名をしたのである。
ーイバンさん、あらゆる記事などを見ても分からなかったのですが、あなたは何カ国語を操れるのですか?中国語やトルコ語、ノルウェー語、そしてもちろん日本語などでしょうか。自分で自身の習得した言語のリストを作ってみたことはありますか?
ー私がいくつの言語を知っているか、それがどのくらいのレベルかを考える代わりに、どのようにしてそれらの言語に興味を持ったかを話すほうがいいでしょう。
全ての始まりは1951年、私がリヴォフ大学の物理数学科に入学した年でした。どの外国語を学ぼうかという疑問が湧いたのです。
私はもちろん選ばなければいけませんでした。ドイツ語をさらに極めるか、あるいは英語を伸ばすか。物理学に関する雑誌は英語で刊行されていたのです。
小学校ではドイツ語を習いました。当時は外国語を習得することは不可能だとさえ思っていたのです。(後でわかったことですが、小学校で習ったことの多くは頭の中に残っていて、後に役に立ちました。)
私は英語を習得し、自分の能力を確かめることにしました。人間は何に秀でているのか分からないものですが。
私は熱心に授業に参加しただけでなく、毎日ダイジェスト版テキストを読んだり、20−30の単語をブロックノートに書き出してどのような状況で使われるのか覚えようとしました。
約1年後いくつの単語を覚えたか計算してみました。ーなんと1万語でした!
これには元気付けられました。この時外国語は習得できるものだと感じ始めたのです。
しかし、大学で原作で英語の古典文学を読んでいた時、自分の成果に満足することはありませんでした。ーフランス語に英語と多くの単語を共有していることに気づき、今度はフランス語を勉強し始めました。
苦労したのは発音だけでした。またイタリア語やスペイン語の習得も難しくありませんでした。その後、モスクワの大学院で学んでいた時、科学の図書館でただ興味本位で様々な言語の文法書を読みました。そしてスカンディナビア諸語に惹かれて行きました。最初はスウェーデン語でした。
キエフに移住した時、1960年代は文学作品の翻訳に挑もうと決めました。
雑誌”全世界”に手紙を出したのを覚えています。”私はこういうものでこういう言語を知っています。良かったら編集の仕事をお手伝いします。” 必要になったら連絡しますとの返信がありました。後でこれがどれだけ幼稚だったか理解しました。実際、どれだけ自分が賢いかではなく、面白い作品の翻訳を送る必要があったのです。
ーあなたの言語、文学における経歴にはただただ驚かされます。その知識のどれだけ幅広いことでしょう。どの作家、どの言語の話者が、翻訳家としてだけではなく人間としてあなたに最も影響を与えましたか?グローバルな観点であるいは哲学的に影響を受けましたか?そうした作家が中国、ノルウェー、トルコあるいは他の国々にいるでしょうか。
ー8年生の時にすでに自分は物理学者か数学者になると考えていましたが、文学作品への関心は
中学校の時に格段に高まりました。
当時は必要な本を手に入れるのにとても苦労しました。特定の言語の習得に夢中になっていた学生時代にはすでにその言語で書かれた作家の作品を読んでいました。
チャーリー・ディケンズの作品を通してアメリカ英語を、ステファン・ゲイマの作品を通してフランス語を、バルザックの作品からイタリア語、などのように作品を通して言語を学んでいたことを覚えています。
日本語に夢中になっていた時期は、初めに最も大きな印象を残したのは安部公房でした。その後芥川龍之介など。
後に北杜夫による”楡家の人々”を訳しているときに、精神医学の歴史や1941−1945に起こった太平洋戦争について多くのことを知りました。
ー全ての芸術家はまだ叶えていない夢を多く持っています。あなたの意見ではどのような国からのどのような作家がウクライナ語の訳を待っていると考えますか?
ーちょうど私が翻訳の仕事を始めた遠いソ連時代に、警戒を怠らない党機関にとってエキゾチックで訳のわからない日本文学の翻訳にちょうどよく切り替えたので、自分の好きな作品を自由に翻訳し出版することができたのです。なのでやりたいと思っていたことーつまり現代のもっとも新しい日本文学のもっとも面白い部分を訳せたのだと思います。後は”源氏物語”の訳を完成させるのみです。
ーあなたの翻訳技術において何か秘訣があるのでしょうか?あなたにとって争うことのできない権威であると考えているニコライ・ルカーシャにもそのような技術があったと考えますか?
ー翻訳とは手作業であり、楽譜を見て演奏するようなものです。常に訓練が必要です。翻訳家はみんな自身の母語と外国語の知識を基に自身の方法を選んでいます。ニコライ・ルカーシャの翻訳家としてのユニークさには、彼の翻訳のデカメロンをイタリア語の原書と比べて分析しているときに認識しました。
このように正確にイタリア語の豊富な言い回しをウクライナ語に翻訳されている本には初めて出会いました。
自身のこのことから受けた印象については”全世界”(No6、1965)に書いています。ところで、”全世界”の記事(No7−8、2008)で回想している私の初めての翻訳の試みには彼も参加しています。
ー12年前村上春樹の作品を翻訳していた時は、まだ彼と知り合いではないとおっしゃっていました。あなたの意見では、近年彼の思索や世界観は変わってきていると考えますか?何がこのように長く多くの国々の読者を夢中にさせているのでしょうか?
ー村上春樹は謎めいたプロットをありふれた日常と繋げることで若者を引きつけています。簡単にいうと、背景の詳しい描写や西洋文化についての豊富な情報によって、彼は外国人に遠く離れた日本の世界観を伝えています。村上春樹にはフランツ・カフカと多くの共通点があります。チェコでこの作家の名前を冠して村上春樹に賞が与えられたのは訳あってのことです。
ー日本の優れた散文家で劇作家である三島由紀夫の作品の翻訳には挑戦しなかったのですか?彼の作品についてどう思いますか?彼の人生における悲劇の原因は何だと考えますか?
ー彼は日本の作家としてアメリカや西ヨーロッパで初めて最も人気となった人でした。私は彼の作品のどれかをウクライナ語に訳したいという秘めた想いと共に彼の作品の原作を集めました。しかし、彼の無鉄砲な行為ーハラキリーは私を彼の作品の翻訳から思いとどまらせました。
自殺の原因については彼の古くから続く侍の出自であるということに関わる対立を考える必要があると思います。しかし、他の原因も考えられます。川端康成が当時受賞したノーベル賞を受賞できなかったことなど。
ーどの言語を習得するのが難しかったですか?
ー最も難しかったのは英語でした。なぜなら私が言語を習得するのに大体2年ほどかかった初めての言語だからです。
ー興味深いですね。翻訳にあたって最も容易だった言語は何ですか?
ー発音がウクライナ語と似ていたのでイタリア語ですね。加えてナポリの民謡がとても好きだったのです。
ーそれではイタリア語の翻訳について教えてください。最も関心のある現代イタリア人作
家は誰ですか?
―イタリア文学とは私にとって初恋のようなものです。新現実主義者のエリオ・ビットリ
ーニや子供向け文学作家のジャンニ・ロダーリなどの作品で翻訳を学んでいました。しか
し、とても早くに東のほうに行くことになり、イタリア文学との接点を失ってしまいまし
た。近年ではウンベルト・エコの作品に大きな関心を寄せていますが。
―日本語や英語、中国語などをできるだけ早く習得したいと考えている人に向けて何か独
自のアドバイスがありますか?何から始めたらいいのでしょうか?その言語が話
されている環境でなくても完璧にその言語を習得することはできるのでしょうか?
―一番大切なことはその言語を学ぶ動機と必要性を明確にすることです。何のために発音
(音楽を聴いたりして)、簡単なフレーズ、書き方、文法を学ぶのか。次に大事なことは
、インターネットを開いてください。そうすると発音を学んだり単語を覚えたりするため
の方法が何千と見つかるでしょう。
そして気に入って選んだ言語でできるかぎりたくさん読んでください。言語環境は自分で
作ることができます。もうずいぶん前から鉄のカーテンはないのですから。
50年前、あなたはソビエト連邦共産党中央委員会で反体制派の弾圧に抗議する書簡に署名しました。それから20年の間、国際的な学会への参加を許されなかったというのは本当ですか?この書簡で支持したのは具体的にどの人物だったのですか?
ー実際に私は幸いな事に一度も所属しなかった党内で”罪を犯した”のです。そしてこれに対する精算として、20年間資本主義国で行われた学会に参加できなかったのです。書簡はЧорновол Гинзбургの裁判に対するものでした。
ーあなたは物理数学の博士、つまり物理学者です。それと同時に世界の文学を深く理解する深遠な詩人でもあります。物理学者と抒情詩人どちらが自分に近いと感じられますか?
ー物理学者と抒情詩人への分裂は私にとってはうわべだけのものに過ぎません。私は今自分は毎日理知的な課題を探し求めているただ一人の人間であると感じています。
ーあるインタビューであなたはこう発言していました。”ウクライナにおける公用語ーまず第一にこれは歴史的に当然な事象である” あなたは言語問題に関わるニュースや、いくつかの国々で賛否両論を巻き起こした教育に関する法律についてご存知でしょう。これに関して様々な言語環境に身を置く一人の人間としてどのような意見をお持ちですか?
ー言語とは人類の最も偉大な発明です。言語のあらゆる観点からそれは大事に保護していくべきものです。しかし他の発明品と同様、言語も二つの面を持っています。文化面と政治面です。もし文化面をある程度理解しているなら、政治的面は決して分からないでしょう。
言語は植民地支配が行われていた国で政府に作られたものかもしれません。あるいは前の植民地に影響を与える政治的ツールかもしれません。ウクライナではこの全ての面が見られます。
私には明らかでしたが、欧州評議会議員会議の一部であるヨーロッパ連合の機関はウクライナの教育に関する新しい法律に特別に反対しませんでした。しかしこの法の具体化に際して、私たちの国の教育者は、いくつかの科目を教えるときにウクライナ語を使用することが義務付けられました。例えば、学校でハンガリーの少数派にとってハンガリー語はインドヨーロッパ語形ではなく、膠着語であると考慮しています。同じようにエストニア語やフィンランド語、トルコ語なども扱われています。
ーイバンさん、現在出版社”フォリオ”での紫式部の作品の第二巻出版に向けて翻訳に取り組まれていますね。この巻はどのような内容になっているのですか?このような日本の古典作品の何があなたを惹きつけているのですか?
ー始めは歴史でした。50年前日本語に夢中になり、未来のノーベル賞受賞者大江健三郎の”飼育”を翻訳した後(初めの受賞者は川端康成でした。)、日本古典文学の最高峰が11世紀初頭に皇后の女官である紫式部によって書かれた源氏物語であることを知りました。そしてもちろん私は(1926)アーサーウェイリーの翻訳で有名なこの世界文学の名作を訳したいと思いました。しかしまず第一に原作、語彙を理解するための分厚い辞書を探し出し、極めて現代語と異なる古文を学ばなければいけませんでした。
これに関して同僚が私を助けてくれました。日本の物理学者の西島和彦さんと桂重利さんです。彼らは1973年に私がかつて働いていたウクライナ学士院の物理学科にお客として来ていたのです。
西島さんは有名な作家谷崎潤一郎の現代語訳10巻を桂さんは原作6巻を送ってくださったのです。この時からゆっくりですが、休止期間も挟みながら、多くの登場人物と短歌を含んだこの巨大な作品の翻訳に取り掛かったのです。最近日本でその作品が書かれて1000年という記念すべき日を祝っていた時、”全世界”誌における初めの二部の翻訳も間に合わず、”フォリオ”社における一巻の出版も終わっていませんでした。
アメリカや西ヨーロッパではこの作品は天皇一家3世代およびその周囲の状況についての心理描写に重点を置いた伝説であると示唆されていました。
20世紀のヨーロッパにおける同系統の作品としては、”Сага Форсайтах” “Будденброки” “В поисках Утраченного времени”などが挙げられます。
このような作品は第二次世界大戦後の日本でも現れました。1977年に出版されたウクライナ語の翻訳、楡家の人々なども挙げられます。
日本では源氏物語に対する関わり方は時代によって変わっています。始めは、この作品は因果応報や人の世の移ろいやすさについての仏教真理の教訓となる例だと考えられていました。また正しい道を行き、不正を阻止する儒教の教えとも考えられていました。その後18世紀ごろには、美の崇拝の布教を伴う、もののあはれ(周囲の環境で感じたもの、経験したもの、聞いたもの、見たものから受ける衝撃)が書き出されているとされていました。
”源氏物語”はもの悲しげなスタイルで書かれています。始めの部分は身分の低い妾と帝の子である源氏の波乱万丈の若かりし日々について、今出版に向けて取り組んでいる二番目の部分では過ぎ去ったことへの悲しみ、若い時に犯した罪への悔恨に焦点が当てられています。最後の部分では源氏の死後帝の家族3世代目に話の中心が移っています。
ー20世紀のウクライナの翻訳の学校は極めて優れています。現代の若い翻訳者の中で優秀なのは誰だと考えていますか?
ー世間の経済的な状況の変化は驚くほどウクライナの翻訳業界に影響を与えました。政府当局関係者やビジネスマンは翻訳された本が利益を生み出すと未だ理解していません。なぜなら文学翻訳市場では未だに混乱に包まれ、翻訳に関する計画はありません。
数年前に”Основи”出版社がСорос基金のおかげで経済、法律、哲学に関する本を多く出版していた時期にはこのような計画が存在していました。この計画の達成に向けて、私も参加しいくつかの経済学に関する本などを翻訳しました。
近年では確かに子供向けの本の翻訳のマーケットが活気を見せています(スカンジナビア諸語からの翻訳でさえ)。
しかし、残念なことにこのように社会的地位が低く、賃金の低い分野における新しい個人をあげるほど十分の統計情報は私の元にはありません。
ー文学世界の低迷、そしてあなたの人生における豊かな実績はもしかしたら、現在の複雑でしばしば残酷な世界においてどう人として生き、どこからインスピレーションを得るかについての何かしらの定理を蓄積されていますか?
ー”誰かが自分にして嫌なことは人にするな”私はこういう定理を学んだように感じます。
ーあなたはウクライナの未来に何を見たいますか?そしてあなたの意見ではどのような物理学者や抒情詩人が将来の詩人が存在すると考えますか?
ー私はウクライナの独立の時まで生きることができて幸せだと感じています。今はウクライナの新しい世代が野蛮な資本の蓄積という罠から脱してほしいと思っています。人類の欲望ー全ての悪の根源ーはしばしば度を超えてしまうため、難しいかもしれませんがこの過程は必要不可欠なものだと考えています。
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お久しぶりです。お元気でしょうか。ウクライナ語訳源氏物語3巻は出版されたのですね。イヴァンさんは2月にお亡くなりになられたとのこと誠に残念です。
わたしは現在も在ロシア大使館で勤務していますが、もしも原本を入手できる可能性がありましたらご連絡します。
お体にはお気をつけ下さい。
吉見
不穏なニュースしか聞かないので、帰国したのかな、などと思っていました。
現在も翻訳本の調査は、大山ご夫妻が精力的に情報収集してくださっています。
小さなことでもいいので、今後とも連絡をいただけると幸いです。