2022年03月21日

大阪の八尾へ墓参に行き布施の回転寿司1号店へ

 明日から蔓延防止等重点措置が全国で解除されることを受けてか、この連休中の京洛の人出は尋常ではありません。昨日のバスでの移動は、いつもの倍以上の時間がかかりました。しばらく忘れていた、あの交通渋滞です。バスの運転手さんは、30分遅れで走っています、とアナウンスなさっていました。
 一昨日の土曜日から今日の春分の日まで3日間の連休で、京洛は人ヒトひとで埋まっています。街中を引っ張って歩くキャリーバッグの数は、先月の50倍以上でしょうか。駅や商店街を歩くのも、本当に久しぶりに人を掻き分けながら、やっと進む状態です。人にぶつかるわ足を踏まれるわ、突然訪れた祇園祭の賑わいです。一気にタガを外した街中を見ては、これでいいのか疑問に思いながらも、とにかく春分の日なので私は大阪府八尾市にある我が家のお墓参りに行きました。

 近鉄の信貴山口駅から出ている送迎バスに乗り、高安山の中腹にある信貴霊苑へ行きます。

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 この小高い山から見下ろすと、大阪湾越しに淡路島や四国が望めます。
 このパノラマ写真の左手が和歌山方面、右手が京都方面です。

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 この霊苑がある高安の地は、私が小学6年生から高校3年生までを過ごしたところです。『伊勢物語』の舞台でもあることは、すでに何度も書いたので今は控えます。
 史跡図をあげますので、興味のある方はクリックして精細図(信貴山口駅前に掲示)をお楽しみください。

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 この一帯は、小さい頃から歩き回っていた地域です。中学生時代には、冬になると左下の恩地神社からマラソンで高安山を経て信貴山まで往復させられました。このあたりは古墳が多いこともあり、忍者部隊月光ごっこで山沿いの遺跡を遊び場にしていました。
 東京からこの八尾に帰って来て、しばらくしてからこの河内高安から右手の信貴山を越えた大和平群に転居しました。奈良に転居してからは、右上の十三峠にある水呑地蔵さんへ、コーヒーを淹れる水をもらいによく行きました。

 お墓参りの後は、おばあちゃんに何度か連れて行ってもらったと息子が言う、東大阪市の布施駅前にある回転寿司の元禄寿司へ行きました。母が子供たちをこの寿司屋さんに連れて行っていたことは、最近知りました。

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 このお店に、私は高校生のころから一人でよく行っていました。昭和33年4月に「旋回式食事台」の寿司屋として開店した元禄寿司は、日本最初の回転寿司屋さんです。当初は、全品1皿50円だったとか。
 元禄寿司は、大阪と兵庫に11店のチェーン店があります。創業者の故白石義明さんがアサヒビールの工場見学で、コンベアの上を走るビールビンを見て思いつき、1957年に回転寿司のシステムを開発したのだそうです。東大阪市は、今も小さなモノづくりの工場が多い地域です。ロケットを打ち上げる下支えをしている町です。元禄寿司のことは、1970年の大阪万博にも出展したことで知る人も多いことでしょう。

 店内に掲示されていた朝日新聞(2013年4月10日、「大阪版 昭和旅行」)の写真を紹介します。1皿に4〜5貫載っているのが懐かしく思い出されます。それが3貫になり、今は2貫が主流です。

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 私が今も世界の回転寿司マップを作成しているのは、こうした背景があります。海外に行くと、必ず回転寿司屋さんを探すのです。また、それがほとんどの国の、大きな町なら必ずあるのです。

 元禄寿司を堪能した後は、その南にあるスーパマーケットの万代に足を向けました。ここは、母がよく買い物に来たところで、私もよく連れて来てもらいました。中学に入った時には、この近くのヒバリヤ書店で『広辞苑』を買ってもらいました。重たい辞書を抱えて、母と電車で帰った日のことは、今もよく覚えています。私にとって八尾市と東大阪市は、中学・高校時代のさまざまな想い出を誘い出す場所です。

 今日は、我が家の近況報告とお彼岸の供養を兼ねて、お墓とお寿司屋さんへ行ったのです。慌ただしく送る日々の中で、こうした日常と切り離された出来事の中に身を置くと、いい気分転換になります。
 
 
 
posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | *回想追憶
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